ぜんぶ秦恒平文学の話

名言集 2014年

 

* いましがた「お宝鑑定団」では白鳥映雪の美人画、三宅克己の水彩画、石黒宗麿の作陶など、超絶とはいわないが心を洗うに足る名品がみられた。名品には深い「思ひ」を燃やすに足る活気と生彩とがある。「おもひ」という日本語は、古典の世界では、つねに燃ゆる「火」が感触されている。真摯に「おもひ」を深く燃やすことのできる「人、物、事」こそ生きる宝なのである。
2014 3/16 149

* 昨日、妻の親族の墓地からほんの少しま近をそぞろ歩いていて、思いがけず志賀直哉ならびに父祖親族一家の墓地を見出した。「志賀直哉墓」とある一基も確かに見て、思わず声が出た。墓域は鎖されていた。垣根のそとから静かに一礼してきた。
「墓」というものは、、しかし、妙にはかない。石や岩や土で死者を地下におさえた感じが、古事記のむかしからハッキリしている。
「墓」は、生きてある人の胸の内に在るものとわたしは思っている、「慕」情とともに。その人の生きて覚えていてくれる間が「墓=慕」であって、その人も亡くなれば死者への記憶もなくなり、墓石はただ形だけ残る。
志賀直哉はたとえば『暗夜行路』や『母の死と新しい母』や『和解』を介してわたしの胸の内を墓にして今も生きている。森鴎外も谷崎潤一郎も太宰治も同様で、眼にのこっている禅林寺や法然院の墓碑・墓石は、いまでは記念碑にすぎない。「石の墓」は欲しくないなあと、昨日もまたわたしは思っていた。不埒な思いなのであろうか。
2014 4・1 150

* ちょっと見始めた映画がおもしろくて一時間余も見ていた。通俗な読み物は堪らないが、高尚でなくふざけた映画でも映画として断然面白いという作は上等なのである。優れた原作の文藝映画に物足りない作があるのも当然で、それは映画として下手なのだ。映画の文法は映像の展開にある。文学の骨頂は音楽にある。
2014 4・3 150

今回の選集刊行が、念入りの美意識の所産でもあることを大勢が証言して下さっている。「本」は紙屑ではない、文化なのだ、出版文化。「紙の本」時代の最期を飾る光芒と、それを終始願っていた。 2014 5・28 151

絵空事の不壊の値を現じ体しきれなくて、何が文学だろう、藝術だろう。
2014 6・6 152

なにかを遺そうという願いではないのだ、なにかを仕ながら死んでいけるのが楽しかろうと思うのだ。同じ禅でも、わたしは「しない禅」よりも「している禅」でありたい。そのためにも怪我したくない。バカな事故に遭いたくない。
2014 6・6 152

* 着々と。「仕事」はそれだ。神意・冥加とも感じる創意とは、「着々」の火花なのだ。
2014 6・18 152

* イスラエル支持のアメリカ、ウクライナへのロシアの暴圧、したい放題の自己中中国。かつての米ソ対立が、三大国の吾がもの顔で世界の不幸は深まるばかり。あいつぐ飛行機の事故や撃墜や行方不明。心底、情けなくなる。なにを一心に努めていても、みんなムダであるに過ぎなくなる、それで当然というような頼りない気持ちに襲われる。が、それは、ちがう。それだからこそ、真実したいこと、仕遂げたいことへ立ち向かって倦まぬことだ。
2014 7・27 153

わたしが、願ってきたのは、むずかしいのやさしいのでは全くなかった。「文学」の香気が作の品位をつくり得ているかどうか、作が作品を持ち得ているかどうか、それが願いだった。それが文章にどう表せるか示せるかだった。
2014 8・27 154

小津映画を愛していると、世の映像・ドラマのなんという推敲不足のむだ沢山かに嘆息を禁じ得ない。
画像作家も、小説作家も、なんというムダを沢山に盛りあげて得意がっていることか。推敲こそが才能だとわたしは少なくも小説世界では確信している。むだを書くのは罪悪である。むだを書かずに豊穣の嬉しさを「作品」とともに静かに深く与えてくれる作者。生ける文豪が今日只一人もいないとわたしが嘆くとき、そういう幸福を恵んでくれる作を想い描いている。
2014 9・4 155

* ずっぷり自作「墨牡丹」世界にひたったまま、いろんなことを想っている。
「選集」を始めて、いまのところ、読むのもイヤなと思う自作に、幸い出くわしていない。まるで誰かが書いてくれていてそれをこころよく面白く打ちこんで読んでいる、満たされているという心地でいる。自己満足と人は嗤うだろうが、どうぞ御勝手にと。わらわれるのには慣れている。書けるなら書いてご覧なさいと思っている。
作は作。その「作」に「作品」が備わっているかどうか、わたしが気に掛けてきた最高至難の課題は、ソレだった。「作品」の備わらないシロモノを平気で作品作品と自称し他称しているから、文学は根から崩れてきた。お上品にという意味では決して無い。「作品」を「作」に備えてなくて文豪と呼ばれたような人はいないのだ。材料としては下品に属するものを観て扱って、しかも立派な「作品」の豊かさ美しさは紛れもないという「作」の書ける人。藝術家と謂うに値するの作家とは、そういう作家のことだ。

* そういう作家が余りに少ない。その責任は「書き手」にだけあるのか。
ちがうだろう。
本や雑誌に触れる一人一人の例外ない「あなた」に「責任」がある。それを一人一人の「みな」が忘れて、グウ(感性・良い趣味)もエスプリ(知性)も棄て果てている。文学の質は、当然崩れてきている。
エンゲル係数などというのに倣って、熟さないが物言いだが「文学係数」と謂ってみようか、「読み本」に触れる(=関わる)一万人のうち、今日の文学係数(いい文学と作品を愛し理解し希望し続ける、いわばいい人の数)は、限りなく一万人中の「ゼロ」に近い。
古事記や万葉集の時代は、また土佐・伊勢・源氏や和歌集の時代には、それがよほど低めにみても七千人を上回っていて、時代を経るにつれて低減の一途を辿った。
けれども、露伴・鴎外・藤村・漱石・一葉らの時代にはまだ二千人近く、鏡花・秋声・荷風のころでも千人に近く、直哉・潤一郎・芥川の時代でも、三百人近くはあったろう。
しかしそれ以後は読み物や週刊誌やマンガ・劇画やテレビの安物ドラマなどの、また優れて佳い映画を含めての影響下に、文学係数は一万分の一をもぐんと下回り、「文学」はほぼ有りそで無いに等しい今日を「絶息に近く」過ごしている、そして、その現実から目を背けて低俗をいとわず持ち上げて満足しているのだ。
わたしは、優れた映画を観、面白い歌舞伎や演劇を愛好しているが、この二、三十年「文学作品」にはどうお目に掛かりたくても、ほとんどお目にも掛かれないのだから、どうしようもない。
わたしは太宰治という「人」には近寄らないが、太宰治という作家は敬愛している。なぜなら、彼太宰治は、あのように人生を乱暴に小心に終えたけれど、作家としては「文学」を守り抜き、くだらない読み物は決して書かなかった。「伝説」になり得たほどの文学作品を幾つも遺して逝った。周囲の出版者、編集者、批評家、また読者らの質を貶めるような仕事はしなかった。
そういう作者こそが「必要」なのではないか。この機械的に堕落しきった低級現代にあって、せめて一万人に一人ぐらいは満たされて「文学」に志し深く関われるそういう日本現代文学でありたいものだ。
2014 9・20 155

* 日々に頂くメールによっては、丁寧語ではあってもちょっと取り澄まして、温かみの抜けた、何というか吐露・述懐という妙味に乏しい奇妙に乾いて堅苦しいものもまじる。ごく日常的な平凡な視線でも言葉でもよく、おのずから自分を吐露し述懐しながら、こっちへも「お元気ですか」と呼びかけてくれる「ことば」の優しみ。
なんでもないようで、難しいのかも知れない。メールは難しい文藝のひとつである。
2014 10・9 156

* 「愛」がなにごとであるかは、まことに難しく、定義は人の数ほどになる。わたしも、こんな風に書きおいたことがある。

愛は。

愛は、一致である。一切分別が消え失せる。

愛は、焔である。無垢無数に分かたれ得る。

愛は、清水である。終に海となり一致する。
2014 11・30 157

* 負けるにも、負ける気概がある。それ無くて、どう立ち直り戦えるか。
2014 12・14 158

論攷に類する仕事を手がけるつど思うことがある。われわれの仕事は発見であるよりは、より以上に発明があるかどうかにかかっている。論点を切り開いて新たな視野を発見するに止まらず、創始発明しなくてはならない。おもしろい仕事とはそういうものかと思っている。「研究」といった文字からは門外に棲む人の大胆な発明が、どんな課題、どんな時代にもあり得る。思い返せばわたしのエッセイや論著も、みな一門外漢の発明仕事を心がけてきたんだと苦笑もする。大学のおそらく教授としても残れる可能性を持っていたが、抛つほどにその道は顧みず、小説家に成れたこと、今にしてしみじみ喜んでいる。
2014 12・23 158

ドラマの外科医大門未知子の決定的な科白は「いたしません」の一語だった。「いたしません」とよう言わぬまま迎合する気でなくても迎合し阿諛追従してあしき現実を受け容れてしまっている人が多すぎる。なんでも「いたします」という人間を権力は便利に飼育し追い使おうとしている。「いたしません」と言い切れる視野と視線とを確保していたい。わたしはそう思っている。
2014 12・24 158

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