作風の似た小説家などいうものは、存在しない。そこに創作の孤独と自負と覚悟とが有るのだ。
2018 2/11 195
むかしから、そう、中学高校の学期末試験などの昔から、わたしは、「仕事」とは「用意」であると思ってきた。会社勤めで、こと に二足の草鞋で忙しかった極みも、同じこの思いで、誰もが驚くほど正確に大量に仕事を遂げてきた。要するにただただ尋常な男でしかなかった。
2018 3/25 196
美味い女優は、もの凄い。男ではそんな身震いをさせる俳優はいない、いなくていいのである。怖いというのは女のもちまえ、それあっての女文化なのだ。
2018 7/28 200
* 「対談」は、一種独特の創作行為で、ぶつかりあって咲く火花に妙趣がある。
2018 9/1 202
* 写真は、何を、何処を撮ったかには関心も興味もない。どうでもよい。どう撮ったか。それをわたしは観る。上手いと手を拍つ写真はめったに送られてこない。いいと感じたら、保存したり此処へ拝借したりしているが。
仕事でも、同じで。「何を」には関心も興味も湧かない、湧きにくい、仕事の価値は「どう」に在ると思っている。論文なら正しく面白く、評論から面白く正しく。「どう」という発明・発見こそが仕事の命だと思う。
2018 9/6 202
想えばわたしも孤りの境涯を四、五歳から血縁のない家の子として大きくなったが、幸いに深くは悩まなかった、幼いなりの哲学を身に帯び、そして血縁の外で真実と信じられる愛を創作していった。有り難いことであった。
2018 10/14 203
わたしの外に「時間」があっ たのでなく、わたしが「時間」だったと今も思っている。
2018 11/3 204