ぜんぶ秦恒平文学の話

名言集 2019年

 

* 嬉しい有難いお便り。こういう方々に私の文学・文藝と「湖の本」とは支えられてきた。わたし自身がいまや八十三歳、受賞以来の作家生活満半世紀、しぜ んと読者の大勢もわたし以上に高齢で、亡くなられた方ももう数え切れない、積算されている出版赤字がもう相当なのは当然の成り行きであり、だが、わたしは それも苦にしない。文学活動のために生まれて、五十年も本や原稿で稼いできたものを今こそ「秦 恒平・湖の本」「秦 恒平選集」のためにつぎ込んで遣いきって何が惜しかろう。大事なのは、もうこの上に怪我や大病はせずに、気力を充たしてなおなお「可能性」へ向け生きて努力することだ。
2019 2/5 207

 

* らくに作れるものは有ろうが、らくに創れるものは無い。
創るとは、無かったものを新しく生むこと と思いながら。

* 剣戟だけが切り結ぶのでない。小説・物語もいろいろ幾重に切り結ばねばハナシが生きない立たない成らない。これが容易でない。参ったと何度も謝らされながら、機をうかがって奔り抜ける。躓いたらもう御破算。やり直し。「剣客商売」という好きな時代劇がある、なかなか、ああ切れ味よく商売が出来ない。参る。
2019 2/15 207

* 「聖道は機縁浅薄 浄土は機縁深厚」 「凡そ四十八願皆本願なりと雖も、事に念仏をもて往生の規とす」 「専心に佛を想へば、佛、人を知り給ふ」な ど、法然のことばに出逢っている。受けいれている、信じようと。佛教は「事実」ではない。価値高く有り難い稀有のフィクションであろう。小説家としてのわ たしは「フィクション」を「事実」よりも高く深く受けいれる。
2019 3/12 208

「壁」は高く堅いのがいい、そして乗り越えて行く「道(手法)」は、自分自身で見つけ鍛えるしかない。
いま、文藝・文学の世界に勝れて嶮しい「壁」の「役」を、誰がしているのか、よほど低い壁かして、よく見えてこない。
2019 3/21 208

* 藝術はただ成るものでなく創り上げるものであるが、ただのツクリものでは話しにならない。創り手の血がにじ み本音本性が表現されねばならない。この「表現」というのが最たる難物。
2019 6/6 211

ときどき困ってしまうが、佳い読書には徳がある、かならず。それをよく識っている。
2019 6/12 211

見て見にくいものごとをきびきびし た文章と化して提供して行くのが作家の作品のお役目であると思っている。
2019 6/18 211

創作とは、発明でも発見でもあります。だから書ける、だから入り込める。
2019 7/7 212

* 今度の長編ではまず「性愛」を問い、「愛」との差異を問うて行く経過となった。
しばしば作中に、性愛を「相死の生」と謂い、つよく肯定しつつ、それが「所有」の思いに帰着し固着するのを惟い、しかし「愛」とは「共有の生」を謂うの であると思い寄っていた。「性愛」に執すれぱむしろ「愛」に背くか遠ざかるのでは。『饗宴』のソクラテスが「愛」をどう語っていたか忘れている、今、読み 返し始めている。
2019 7/11 212

* 性愛は「相死の愛」と。愛は「共生の愛」と。その思いを覆す理解に今のわたしは思い当たらない。
2019 7/15 212

歳をとって気が良くなったのか、わたし、気前よく感嘆している、最近。感嘆とは、良い意味の贅沢と同義語かも知れぬと思うよう に、思えるようになっている。
2019 9/10 214

* 私は、ほんとうに、幸せ者である。世離れて孤独に生活しているが孤立はしていない。「孤独はええの。孤立はいかんえ」と教えてくれた人を思い出す。
2019 10/20 215

* 小説の創作には、仕上がっての妙 と 仕上げてゆく妙とがある。 昔、谷崎先生の仕事をみていて「未完作」も多いこと、その作に奇妙も微妙もときに美 妙も有るのに気づいてしきりに肯いたことがある。なぜ「未完」か「未完」の先に何が待っているのか、自身の仕事でもそれを想うことがある。
2019 11/5 216

 

* 「作家以前」「太宰賞まで」の自筆年譜を、思うとこ ろ有り読み返している。人さまに読んで欲しいというより、私自身が、いつ目をむけてもそこに生涯で一等懐かしい時期が思い出せるように書き綴ってある。こ とごとく ありありと往時を思い起こすことが出来る。往時をただ渺茫にしてしまうまいと克明に用意しておいた「私記録」である。

* 読み返しながら、思わず笑えるのは、私の、以下、こういう「男女観」の浮き上がってくること。
私の観察と批評とでは、「男は(金と機械と技術という)文明」に追従し奉仕し奮励し、「女は(女)文化」に慣れ馴染み育てられる、ということ。
私はと謂うと、根から「文明」は疎ましく、「文化」の方を熱く愛するということ。
私は「京都」という「女文化」の都市で、実にさまざまに多彩な「女文化」にまみれるように育った。端的に例を謂えば、秦の父長治郎の、日本中でも先駆け たほどのラジオ・電器の技術には全く馴染まず、しかし父が趣味の謡曲の美しさには傾倒し感化された。秦の祖父鶴吉は、どんな気分でか時に「恒平を連れて商 売に行く」と愚痴ったそうだが、私は「商売」は御免、しかし祖父が山と積んでいた書物からは本当に多く多くを学んだ。秦の叔母つる(宗陽・玉月)は茶の湯 と生け花、付随して和服・道具・書画や茶会へ、なにより女たちの輪の中へ少年の私を誘い入れた。大勢の老若の女たちがいつも「京ことば」で談笑していて、 わたしはそれらを見聞きしながら育った。
私の自筆年譜には、無数の女性との出会いが記録されているが、男友達の名前は極めて少ないのである。「女好き」とか「女遊び」とはまるで性質を異にした「文化」的な出会いが自然と私にに生まれやすかったと謂うことである。思わず、笑えてしまう。
2019 12/2 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

37 * 2003 04・26   土田直鎮氏の『王朝の貴族』は浄土教の章で閉じられました。空也(市聖)、寂心(慶滋氏)、源信(恵心僧都)、そして往生伝。
夢中で『往生要集』を読んだ頃もふくめ、浄土教の感化は、小説を書き始めてからもわたしから離れませんでした。法然に、親鸞に、また一遍に、のちのちの 妙好人たちにまで思いはひろがり行き、浄土三部経を繰り返し繰り返し翻読し読誦し、そういう中で法然の「一枚起請文」に尽きてゆき、親鸞の「還相廻向」に 気が付き、そして、私自身の看破である「抱き柱は要らない」というところへ到達してきました。バグワンに、そして不立文字の禅に、いまのわたしは深く傾斜 し、自分の課題を眺めています。
岩波の『座談会文学史』で知るところ、夏目漱石も島崎藤村も最終的に「禅」へ歩み始めて、その到達には差がありました。谷崎潤一郎は宗教的な回心の何も のも語らなかった人ですが、生前に作った夫妻の墓石には「空」と彫り「寂」と彫らせています。文字の趣味に過ぎないのかも知れず、深い思いがさせたことか も知れません。
漱石は偽善とエゴイズムをにくみ、藤村は偽善者、エゴイストと罵られたことのある人です。漱石は露悪を指弾しながらそこに「現代」を見出し、藤村は露悪 の浄化にかなしみを湛えて家の根を思い、国土の根を思って「歴史」に眼を返していました。漱石は「肉」を書かずに躱し、藤村は肉におちて肉を隠そうとし た。潤一郎は、『瘋癲老人日記』の最後まで肉を以て肉に立たせ、一種の「歓喜経」を書きながら亡くなりました。
2019 12/7 217

* ありがとう存じます。
まこと、つくった眼鏡の利いてくれる期間の短さ、廃れ行く期間の早さには、泣かされますね。
なんとかかとか生き延びています。仕事を「生き薬」のようにしています。これまた「業」ですねえ。宮下さん、お大事に。また詩も読ませて下さい。
2019 12/19 217

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