ぜんぶ秦恒平文学の話

名言集 2024年

 

* 谷崎先生はむろん、近代になって藤村・秋聲、鏡花、直哉、芥川、康成、由起夫らは今も熱く読まれているだろうか。「読まれて」の文學・文藝で、美術とは決定的にちがう。その「失」はいつも「読者」の質と連繋し合作しているのが,文學・文藝だ、「読者」が低俗では、文學・文藝は耀かない。
2024 2/28

* 片付きようのない何もかもを しかと片付け続けて 熱い意欲で冷静に片付け続けて、この老耄の為しうる限りを見知ってやりたい。

* 五体が 粥のように崩れている心地。こんな時は、「米」の歳を投げ出し、幼少・少年の「記憶や想い出」を「食べて」凌ぐ。
2024 4/20

メールの出し入れもともに払底して行くは知れたこと。「世の中」は、自身で創り出し働かせるより、先は無い。老境とは、ただのけぞるように受け身に煽られて済む、済ましていい、もので無い。『老境』こそは自身で「創らねば」ならない。私、八十八歳。やがては「クソ(九十)爺」の細道へと杖ひく境涯、さ、どう創るか。
2024 5/16

* いやなことは,とかく、向こうから近寄ってくる。佳い事は、努めて自身で呼び寄せねば。
2024 6/3

* ああ,死なないで居て呉れたら、死なないで居て欲しかったと、今も追い縋るように懐かしむ人らが、尠くも十人は胸に居座って呉れて居る。「幸せ」とは、また「不幸せ」とは、そういう事、そういう意味、である。
2024 6/17

上部へスクロール