* 先月は「菅原」の立田前、今月は「十六夜清心」の白蓮女房。二月つづけて秀太郎の舞台が観られそう、という文言もある朝のメールだった。秀太郎とはクラスメートだった片岡我当の弟で人気の女形。その弟が仁左衛門。秀太郎は独特の悪声ながら佳い女形で、舞台を匂いやかにしてくれる。
2002 3/16 12
* 妻も、わたしの歳に追いついた。中村松江の魁春襲名披露を観に行く。松江との出会いは早い、かなり早い。
2002 4・5 13
* 妻の六十六歳に、中村松江改め二世中村魁春の襲名歌舞伎を観にでかけた。「ち」の真ん中に。
* 先ず「鴛鴦襖恋睦 おしのふすまこひのむつごと」は、例の曾我もの。曾我兄弟の実父河津三郎祐泰(梅玉=魁春の兄、故歌右衛門の長男)と敵役俣野五郎景久(橋之助)が、遊女黄瀬川(福助)を争って、相撲を取る。河津は今にも相撲の手に「河津がけ」があるように、相撲が強かったそうだ。河津は勝ち、俣野は、うわべは綺麗に黄瀬川を譲りながら、計略をもって河津を討とうとし、その手だてと犠牲に、一対の鴛鴦の雄が殺される。雌はあとを追って死ぬ。その鴛鴦の魂魄が、河津と黄瀬川とに化けてあらわれ、俣野を討つ。実の河津・黄瀬川も死んでいるというツクリで、相撲と仇討ちという「曾我」ならびの趣向を凝らした歌舞伎舞踊劇である。
福助がしっかりし、梅玉にも余裕があった。この二人には、ながく或る物足りなさを感じ続けてきたが、この一年のうちに見違えるほど気迫と余裕がにじみ出て、見応えが出来てきた。こうなれば、この二人は、仁左衛門と玉三郎とにならぶ佳い成駒屋コンビを組むだろう。福助はやがては歌右衛門を襲名するだろう。祝言ものの序幕として、幕の引ける間際まで、けっこうであった。
* 次の真山歌舞伎「元禄忠臣蔵」南部坂雪の別れは、吉右衛門の大石内蔵助と鴈治郎の瑤泉院のしんみりと抑えた応酬応対がみどころで、さすがに名優の佳い出会い。これに我当が羽倉斎宮、蘆燕が落合与右衛門、東蔵が腰元おうめで付き合い、友右衛門もひさしぶりに女形ぶりを見せた。真山歌舞伎のある種の臭科白が気にならぬではないが、新解釈で売る才気が娘の真山美保演出にも見えて、これもまた近代の歌舞伎。花の春に雪の南部坂は少しお寒いが、これも趣向か。何と云っても吉と鴈の二人に、平仄のあった調和があり、役者を観るという悦びを感じた。我当は少し神経質に浮き上がっていたか。
* 幕間に「吉兆」で妻の誕生日を祝った。めでたい鯛づくし懐石で、冷酒もとびきり旨く、三十分で食べてしまうのが勿体ないほど。引き出物には、妻の贔屓「勘九郎」富樫のテレフォンカードを売店で買って置いた。
* 三番目が魁春披露目の「忍夜恋曲者=しのびよるこひはくせもの」将門の一幕。云うまでもない三姫の一役将門娘の瀧夜叉姫。対する大宅太郎光圀は市川団十郎。密度の濃い所作事で、姫は妖術で大蝦蟇を遣う。怨みを含んで天下の転覆を狙い、光圀は気付いて姫を討つ。大がかりな荒屋での大立ち回り。新魁春はすこし緊張気味ではあったが、凄みよりも、ある種の濃厚な歌舞伎味をみせ、まず成功した舞台と云っておく。団十郎はゆったりと冴えて若く映え、佳い役者ぶりだった。この芝居は、だれが演じても何度観ても楽しめる。残念ながら、常磐津の芯になった大夫が、どうしたことかひどい歌い方で、興を殺いだのは、イカン。
* 最後は極めつけ玉三郎の「阿古屋」で、梅玉が畠山重忠、これは仁でも団でも観ているが、阿古屋の藝は当節玉三郎しか出来ない。琴を弾じ、三味線を弾き、胡弓を擦る。その至芸を迫るのが、夫景清の行方を白状せよとの重忠流の「拷問」で、つまり嘘発見器として音曲を利用するという趣向。この舞台に悪道化役の赤面岩永を、勘九郎が人形ぶりで演じ大受けに受けていた。人気者の勘九郎らしい演出で、あれは素の役でやると、損。玉三郎の綺麗なことは、やはり女形の花であり、これを魁春の前に出していると、ちと、まずい。四番目にじっくり演じさせて昼の打ち出しとは、たいへんけっこうであった。
* この興行は亡くなった六代目歌右衛門の追善興行でもあり、梅玉、魁春という「歌」の子息たちを盛り上げて、叔父芝翫、従兄福助、橋之助、従妹婿に当たる勘九郎やその子息たちが応援していた。二階ロビーには歌右衛門ゆかりのいろいろが陳列された中に、襲名時に谷崎潤一郎が請われて原稿を書いた、それに添えた墨色豊かな佳い書状が出ていて、二度も読みに行った。
2002 4・5 13
* 連休のうちあげに、すこし雨もよいだけれど、終日外で楽しんでくる。明治座「居残り左平次」と、歌舞伎座の「尾上松緑襲名」と。
2002 5・7 13
* 馬喰横山から都営浅草線で東銀座の歌舞伎座へ。瀬戸内寂聴さんと顔が合い、雨を話題に、挨拶。
まず一番目「舌出し三番叟」は片岡我当が翁で、静やかに翁帰りし、千歳が芝雀、三番叟は言うまでもない三津五郎。舌出しけっこう、むろん。新之助代役の芝雀も神妙。踊りの楽しさにあふれた祝言劇。
そして辰之助の四代目尾上松緑襲名「口上」は、中村雀右衛門と尾上菊五郎が主役をはさみ、両端に中村富十郎と市川団十郎。実のある口上が多く、三津五郎のなど、すこしほろりと来た。
* 極めつけは三番目の「勧進帳」で、たいした期待をじつはしていなかつただけに、堂々の襲名芝居ぶりに、いたく泣けた。新松緑には親代わりの菊五郎富樫が気迫に満ち、重鎮富十郎がみごとな源義経を演じ、四天王は団蔵、秀調、正之助、松助というベテランでかため、ところが弁慶は、これらの面々を大きくつかみ込んで颯爽と若々しく、激しく、勇壮で情感にあふれた、予期をぐんと上回るすばらしい弁慶像を描き出して見せた。
花道での第一声から、じつは仰天した。佳いのだ。花道にごくちかく、本舞台にもごく間近い佳い席にいたせいもあるが、数々観てきた勧進帳のなかでも、新しい時代の大弁慶役者を予感させて、藍よりも青く、出色。演じるにしたがい、とにかく「大きく」成っていったのがえらい。いうまでもない、まだ成熟感はない、荒削りともいうしかないが、新襲名しての弁慶が、あんなに感動をともなう確かな熱演になるとは、まったく期待していなかった。うまくやってくれよと応援しに行ったつもりだった。とんでもない。名演と謂っていい、すかっと熱い勧進帳が仕上がったのは、はなはだ目出度い。
* 勧進帳で、帰ればよかった。その足で日比谷のクラブでうまい酒で乾杯していたら、どんなによかったか。四番目の、三幕もある「半七捕物帖」のくだらないこと、演じている団十郎がかわいそう。これはもう宇野信夫の脚色もわるく、榎本滋民の潤色だか演出だかの全責任で、およそ歌舞伎座で観てきた多くの出し物の中でも法外な愚作であった。気に入りの右之助の女形といい、家橘の悪といい、三津五郎の若旦那、時蔵の花魁、相当な顔ぶれをそろえながら、なにしろ芝居の筋が、運びが、成っていない。按摩と二役の団十郎には「お気の毒様」と心から見舞いをいってやりたかった。「勧進帳」が圧倒的にすばらしかったので、ま、辛抱して雨の中を帰った。すっかり忘れていた「居残り佐平次」ですら「半七捕物帖」よりはマシに思い出されたものだ。
2002 5・7 13
* まだ松緑「勧進帳」の気迫がわたしのなかで余韻を響かせている。先輩や玄人からみればむろんまだまだぎくしゃくがあったろうし、流暢ではなかったかもしれないけれど、感動を与えるのはそういううまみだけではないことの、あの「勧進帳」はみごとな一例であったのだ。うまければいいなら、技術の問題であるが、藝術・藝能には、力がいる。力とは、時に誠意であり、時に無心であり、時に熱血である。松緑の弁慶にはその三つともが生きていたとわたしは観た。だいじなことだと思う。
2002 5・9 13
* 九月歌舞伎座の案内が来ている。昼が綺堂の「佐々木高綱」と円朝の「牡丹灯籠」の通し。前の方へ我当が出る。夜は四本、「籠釣瓶」がある。雀右衛門の八橋に、これも我当がつき合っている。夜はもう一つ座頭格で我当が時平を演じる。吉右衛門や梅玉や魁春らがでる。楽しみ。
2002 7・16 14
* 今日は終日歌舞伎を観る。
2002 9・2 14
* 眩しくて額の焦げるような、だが初秋を感じさせもする日差しの下を歩いて、保谷駅まで。あとはもう歌舞伎座まで乗物を乗り継ぐだけで。
* 昼の部序幕の「佐々木高綱」は岡本綺堂の駄作。何一ついいところはなかった。これは作が悪い。そして通し狂言「怪異談牡丹燈籠」も、体温の低い、盛り上がらない、締まりのない芝居で、吉右衛門も魁春も東蔵も各二役を器用によく頑張っていたし、梅玉の萩原新三郎も芦燕の志丈も、個々にはとくに悪いわけではないが、大圓朝の口演からの「脚色」に熱気がない。冷え冷えと、スロー。これでは、木戸銭を返せといいたい。
二日目で、利根川進氏、藤田洋氏、小田島氏ら顔なじみ、顔見知りの劇評家や記者達が大勢来ていたが、立ち話してもどうも芝居の評価はよくない、無理もない。
吉兆の昼飯だけがいつものように旨くて、昼飯の景品に歌舞伎をみたような気分。おまけに昼食の途中で前の仮の差歯がすぽりと抜けたのには仰天、急場は差直して凌いだが。やれやれ。
* だが夜の部は、バラエティあり、そこそこ充実して、昼の憤懣をほぼ忘れさせてくれたのは有難かった。
何より序幕で、わが友我當が、お家藝の「時平の七笑」を好演してくれたのが嬉しく、玄人受けの程は問題にしないとして、友人として大いに感激、盛大に拍手を送った。
菅原道真を謀叛の咎で宮廷から辱めて流罪にする場面へ、政敵藤原時平があらわれ、面を正し誠をみせて道真を庇う、が、謀叛の動かぬ証拠があらわれ救うに手だてなく、道真は時平の温情に感激しながら流刑の途につき、立ち去る。見送る時平がひとり花道にのこり、そして笑い出す。舞台に戻り、冷笑、嘲笑、快笑、哄笑、大笑。すべては時平の仕組んだ罠で道真は貶められていたのだった。幕が閉まってからも、舞台の奥でなお笑い止めない時平。
芝居としてたいへんよく出来ており、役者冥利の面白い役。長大な通し狂言の途中一部を独立復活させたもので、我當の父や祖父仁左衛門がいい形に練り上げた。最近は我當がほぼ一人で演じている。
父親の我當はいいが、息子の進之介の判官代輝国は全く成っていない。せめて視線は定めてきょろつかないでもらいたい。行儀整わず観ていて可哀想なほど。暗澹とする。
* 二つ目は芝翫の歌舞伎踊り、一人舞台の「年増」で、息をのみながらカップ酒も呑み、感嘆。文句なく感嘆。
* 三つ目は「籠釣瓶花街酔醒」で、雀右衛門の八つ橋は老齢で危ういが、台詞はじつに美しい。情感は過剰なほどで、花道での流し目はすこしくどいと感じた。二代目吉右衛門のあばた面佐野次郎左衛門は、愛想づかしの場面と大詰めがよく盛り上がった。八つ橋の道中に魂をぬかれる場面で、観客から笑いが出るようではいけない。初代吉右衛門の恍惚と放心の芝居は神技であった。今の二代目は、器用な役者過ぎて、そこが三枚目になってしまうのはいけない。初代の舞台では観客まで息を呑んで茫然としたものだ。
我當の立花屋も魁春の女房も気持ちの佳い役をさらりと好演。とくに梅玉の栄之丞は何度も観ていて彼のはまり役だが、過去、今夜の程しっくりしたのは観られなかった。梅玉は父歌右衛門の没後、悠々と芝居にゆとりが出来てきて、実は嫌いだったのが、逆にだんだんこの頃好きになってきた。何といってもこの狂言は骨格が出来ていて、繰り返し観ても飽きないのがえらい。特別上出来とは云わないが、昼の「牡丹燈籠」など比べものにならない面白さであった。満足した。切れる籠釣瓶での殺しが、八つ橋と仲居一人の二人だけで切り上げたのも、すっきりと美しかった。大勢を切り倒し栄之丞まで切ってしまう普通の演出は、まさしく大歌舞伎ではあるが、少し重い気分になる。どっちがいいとは判断しにくいが、今夜は、今夜のがすっきりした嬉しい後味だった。
* 大切りの、「女夫狐」が儲けもの、楽しかった。時蔵と梅玉の狐に、扇雀が楠正行を付き合った。弁内侍実は千枝狐の時蔵の、踊りの佳いのに、感心した。お、こんなにうまかったかと。そして美しく。また又五郎実は塚本狐の梅玉も、鷹揚な立役の踊りで楽しませてくれた。初役であり、かなりしんどい所作やケレンのある踊りだが、苦もなく楽しんでいるように見え、あのやせぎすの神経質だった梅玉が、ふっくらと童顔にすら見え、綺麗なのにも感じ入った。芝居は忠信狐の二番煎じなのだが、鼓の皮に張られた親狐を慕って雌雄の子狐が人としてあらわれ、鼓の持ち主正行にまみえる筋書きは、それだけで、ほろりとさせるものが有る。
サービスのいい四番目で、気持ちよく打ち出され、歌舞伎座を出たのが、九時過ぎ。夫婦して終日の芝居見物、いいものだ。
車で日比谷へ。クラブで「山崎」をあけ、軽く夜食し、コーヒーも呑んでから、帰途に。そして今年の夏はひとまず終えた。秋本番に入る。
* たくさんメールが来ていた。郵便物も。
2002 9・2 14
* 雨がやみ、終日歌舞伎座に。
「仮名手本忠臣蔵」昼夜通しで、とことん楽しんできた。さすがに名狂言。
大序(足利直義=勘太郎、高師直=吉右衛門、塩冶判官=鴈治郎、桃井若狭守=勘九郎、顔世=魁春)から討入(大星=吉右衛門、力弥=扇雀、その他大勢) まで、旅路の花嫁、山科閑居の力弥・小浪の筋だけを省き、たいへん分かりのいい「通し」の工夫。
勘九郎が颯爽の桃井と、純な勘平を腹切りまで、ていねいに演じてくれて、私も妻もしたたか泣かされた。おかるは道行を福助、山崎と祇園一力のおかるは玉三郎。この大和屋と団十郎の兄寺坂の場面も双方力演で、ここでもしたたか泣かされた。この場の吉右衛門の由良之助も大きな出来でよかった。
鴈治郎の判官は兜改めから磨いたように若く美しく、切腹もあわれ。判官切腹から城外の大星由良之助は、団十郎。こういう昼夜配役の変わり映えが歌舞伎ならではの楽しさで、ご贔屓富十郎が石堂一役なのが、唯一の寂しさ。
ま、これほど「歌舞伎」を総て総て楽しめるというのは名作「仮名手本」だからこそで、学友我當も不破数右衛門に出てくれたし、この松島屋、番頭に託してお土産までわれわれの席へ届けて呉れ、なんとも隅から隅までズイーッとサービスのいい歌舞伎座の一日だった。
吉兆は昼にし、夜は歌舞伎座なじみの鯖寿司を食べた。これだけ書いておけば、いつでも、いろんなことが思い出せる。松緑襲名以来の、その上越す、いやいや数ある歌舞伎見物でも屈指の佳い一日を楽しめた。
* どこへも寄らず、銀座一丁目からまっすぐ有楽町線で帰ってきた。十一時だった。
2002 10・7 15
* あすは歌舞伎座の夜を観る。あさっての誕生日は、うって変わり千駄ヶ谷で「卒塔婆小町」のあと、人形町の望月太佐衛率いる「光響会」に馳せ付ける。佳い歳末。
2002 12・19 15
* だんだん明日の歌舞伎が楽しみになってきた、じつは演目すらいま思い出せないのだが。いやいや、猿之助たちの「椿説弓張月」だ。
あの、文字通りめくるめく物語を、どう脚色しているのか。為朝昇天に猿之助お得意の宙乗りをやるのだろうか。群馬から贈られてきた地酒の小瓶を鞄に入れてゆこう。午前の聖路加での眼科診察が、大過なく済みますように。すれば、妻とは開演の四時に劇場で一緒になるして、それまでの時間を、街でひとり気儘に過ごせる。読みたいものはあるし、時間が合えば映画を観てもいい。日比谷のクラブでやすんでいてもよい。
2002 12・19 15
* 十一時予約の眼科へ、十時半に着き、その時すでに「二時間」は待てと掲示されていた。診察室を出たのは、一時過ぎ。診察室にいたのは、五分。
視力が落ちているが、眼鏡を掛けてはかれば、1.0は確保できる。メガネが合っていませんねと。近視が一時和らいでいたのに、また進行していると。白内障の起きそうな段階へ来ると有ることです、と。このごろ機械の前や本の前で眼がかすむので、ともあれ眼鏡を作り直すのが緊急の用件だと分かって、病院を出た。
昼飯に日比谷東天紅へ行ったが、時間的にコースは食べられないと言うので、西銀座の「福助」で鮨を、ゆっくり、ワインで食べた。もう午の客もすいていて、板さんとおしゃべりしながら。
ぶらぶら歩いてヤマハでまたDVDを二枚買った。二つとも米国映画。
* それから歌舞伎座前へ四時に行き、妻とデート。師走興行の夜の部「椿説弓張月」へ。三島由紀夫の脚色。
猿之助一座だと思っていたら、なんとご贔屓玉三郎、勘九郎、福助が手伝いに来ていたので、大いに喜んだ。花道に近い、前から五列の通路脇という、実に老近眼には嬉しい特等席がとれていて、しかも派手な花道芝居が多かった。言うことなし。最後の白馬にまたがった猿之助鎮西八郎為朝の宙乗りも、みごと、間近でみた。
三島の脚色は「カブキ」の強調で、超大作の原作からすれば、筋も摘んだていどだが、筋なんて無いようなモノとも言え、大がかりな見せ物舞台がふんだんにあらわれた。楽しませ堪能させ、さすがに猿も玉も福も、ことに勘九郎が大サービス。笑わせても呉れ、だがしっかり泣かせもしたから、エライもの。勘九郎はまるでわたしの方をみてお芝居をしてくれるのよなどと、贔屓の妻、大感激。わたしは、人に戴いた小瓶の酒を持参の木盃で乾盃、また乾盃。この頃歌舞伎座で気に入りの鯖寿司を幕間に食べ、外の路上で買ってきた焼栗の袋をからにし、リクツ抜きにお芝居見物を楽しんできた。
堅いことは何も言わない。と、言いたいが、大いに満足した中で、一つ、一人、これではいけないと思ったのが、「寧王女」役。
この琉球の王女は、為朝の身代わりに暴風雨の海に身を投げた妻白縫が、一度は殺された寧王女に乗りうつって生き返り、姿は王女で心は白縫、という大役なのである。その役が、終幕、為朝が昇天して去る場面の少し前に一同居並んだ中に座っていて、その顔付きが、あまりに普通の、どこかのオフィスガールなみの普通の顔でただちょこんと座っている。これには愕然とした。抜擢されての寧王女であろうに、そういう「並び場面」で気が抜けてしまっているのは、いたく興ざめ。さすがに笑也も亀次郎も段二郎も、しゃんと佳い顔をして並んでいただけに、期待の春猿があれではいけない。わたしが双眼鏡で役者の眼をのぞきこんで楽しむのは、役者にすれば甚だ迷惑だろうが、その役に「気」が入っているいないが、無残なほど分かって、それが興味深いのである。寧王女など、双眼鏡などなくても、ぽかんと、ただのツラをさらしていたのだ、むしろ、ビックリした。
他はもう、たっぷり、わたしも「かぶき」してきた気分である。
* どこへも寄らず、木村屋のうまい変わり種のパンを二種類二つずつ買って、銀座一丁目からまっすぐ帰った。
2002 12・20 15