ぜんぶ秦恒平文学の話

舞台・演劇 2004年

 

* 今日は秦建日子作・演出「リバース2004」の幕が下北沢で明く。入りの心配は全くないるらしい、もうわたしが八方手を回して応援する必要もない。有り難いことだ。無事をねがう。

* ビルの上の渋谷「松川」で、早めの夕食、わたしは「西の関」一本と妻の生ビールも半分以上貰い受け、鰻。
下北沢は少し苦手な町だが、息子は何度か此処の「劇」小劇場を使っている。師匠のつか・こうへいさんと挨拶したのも、此処で建日子が「ペイン」を演出したとき。今日は、「リバース2004」で、作品じたいのre-birthにも、かなり成功していた。セリフが簡明に要点を掴んでいて、四人芝居が生き生きした。
但し、これは怖い芝居。観念的な創作劇で、基調のフィロソフィがかなりしんどい。感動して涙を流すという建日子の通例の芝居とはちがい、乾いてくる。作劇も相当に難しい方の一つで、はやばや音を上げたらしい年輩の男客ひとりが、開始十分ほどで超満員の客席の奧からむりやり出て行ったのが、いっそ可笑しかった。
建日子達の芝居は、説明的な通俗演劇だけを見慣れている人には、どだいその演劇文法について行けないかも知れない。間違って入場すると出て行くのも大変だ、立錐の余地もない。それでも出て行くのだから同情に値する。
本が読めない読めないと言われるわかい人達が、ああいう難解そうな、展開と飛躍と転換の烈しい舞台を楽しめるのは、彼等なりの訓練が利いているのでなければ説明しにくいが、わたしは、劇画やマンガで仕込まれている御陰なのだろうと思う。劇画やマンガは、コマからコマへ、当然続かない、ないしは隠れている時間と空間とをもって、見た目はヒョイヒョイと飛躍して行くではないか。ああいう、線は線でも、断続展開する鎖線状の場面展開には、通常の小説読者よりも、はるかに劇画フアンの方がついて行ける力を持っているだろう。わかい人達は少なくとも漫画的時空間で小劇場演劇の実験にむしろ親しみを覚えやすいのではないか。
今日の舞台は、三人の女優と一人の男優で演じられ、わたしがはじめて観る主演した女優(滝佳保子)が力量十分、面白く演じてくれ、楽しめた。この人が傑出していて、舞台を成功に繋いだ。ドラマなどで見ているのだろうか、初目見えのようで新鮮でタフだった。
アコムの広告に出ていて顔はよく知っているもう一人の新顔女優(小野真弓)と、正月にわが家に来てくれた連れ添い女優とは、ま、顔なじみ。患者役の築山万有美は二度目の役か。あれはあれで悪くはないが、いかにも、さもありそうに、ありふれた、ふつうの答案を読んだ感じでもある。わたしが演出するなら、もっと様変わりな患者として、極端にいえば、透明な天女かのように人間臭さすべてを吸い出されてしまった一見善良な、軽い空気のような、意識と肉体との乖離した、しかも言うことは痛烈な女として演じて貰ったろう。アコムさんは、少し役回りが掴みにくそうであった。
巨大な肉体の男性君(横山一敏)には、ただもう圧倒されました。
主題は、人間のウソであろうか。それを、登場の四人(カウンセラーの卵、カウンセラーの上司、カウンセラーを受ける患者、三人の女にややこしく関わってくるマッチョな男)共にそれぞれ復人格として画いている。「人間」に、烈しい糾弾が加えられている。それを、そんな風には露骨に感じさせずにドラマの展開で面白く見せて、渋滞や遅滞やへたな混乱・混雑を見せなかったのは、ま、お手柄であった。前回より「倍ほどよくなったよ」と作者に褒めて帰ってきた。
2004 1・6 28

* 建日子の芝居、大入り超満員で好調らしい。やはり、芝居に精神面の重きを置くことで、脚本にも重みがつくことになる。当人が芝居を見放しかけるつど、どう赤字であろうが大変であろうが、やはり芝居は書いて演出し続けた方がいいと奨めてきた。
今は、ま、昔風にいえば小芝居をやっている。今の舞台、狭いうえに四角い函様のもの二つを使っているだけで装置は全くない、いつものことだ、大体。客席もあまりにあまりなほど超満杯につめこんでいるが、一回公演の客数は知れている。そうとうお断りを出しているらしいが。
はたして大舞台に転じて行けるのか、行く気があるのかという「壁」が、問題だ。今までは徹頭徹尾秦建日子の内部世界を舞台化してきた。観念的な心境短編のようなものだ。小劇場ではこれがほぼ通例かも知れない。だが演劇はそれだけではない。歌舞伎や能・狂言はともかくとしても、わたしが観てきた芝居ですらいろいろある。そこへ同じる必要は少しもないが、いずれは舞台でもドラマでも「超えなくてはいけない課題」として、例えば「脚色」があるだろう。人の作品を演出しなくては成らぬ場面もあるだろう。そのときものが「読める」のかが厳しく問われる。「読み込む」力を鍛えねばいけない。

* 勤めていた会社をやめたいと言ってきたとき、わたしは留めなかった。わたしでも同じことをしてきたのに、どうして留められるだろう。彼が退社したときは、正直わたしの退社時よりもはなはだ基盤は脆弱で、前途に何の保証もなかった。よく伸び上がってこれたなと思う。がまんづよく、続くように。
猪瀬直樹氏が、わが息子の悪戦苦闘を聞いて、「何が何でも泥水を飲みに飲んででも辛抱して書き続けるように言うて下さい」と激励してくれたのを、感慨深く覚えている。あの忙しい限りの猪瀬氏は、なんと建日子の「ペイン」を事務所の人と一緒に観に来てくれている。彼は「奮闘」と「勉強」の人である。この「勉強」の方も建日子には学んで欲しい。持ち前の才能だけでは必ず涸れてくる。清くても濁っていてもいい、泉は、泓々(おうおう)として湧き続いていたい。才能の泉は奮闘と勉強とで湧き続ける。
2004 1・9 28

* 建日子の芝居、今日も来てという話で出掛けるが、入れる隙間があるのだろうか。あと、妻は友人とお喋りするという。わたしは、三時半すぎという半端な時間に下北澤のような不案内なところで一人になる。やれやれ。どこかで校正でもしてから家に帰るか。
2004 1・10 28

* 今日は、狭いが二階のテラス正面に我々二人の席が用意してあり、見やすいことでは最良であった。手入れが入り舞台はさらに要領を得て分かりよく、通じもよくなっていた。

* なににしても観念で造った「理」の作劇で、いわばコンパスと定規で書いたように、パタンが、下敷きにある。セリフも場面も「繰り返し」が音楽的効果をあげつつ、三人の女の内なるもう一人ずつの「影」のような存在が、バトンを渡し渡し場面を運んで行くような按配。こういう、着想の重層化という「つくり」は、どこかで機械的になり、機械は精密な方が美しく機能的なものだから、要するに演出効果で磨きをかけることになる。つまり「うまさ巧みさ」で舞台を完成させ洗練して行く。その意味では初日より磨きがかかり、初演の昔より遙かに作劇も演出もじょうずに仕上がってきた。
ただ、こういう劇は機械的に磨かれていればいるほど、ヒューメンな人間劇からはじつは遠のく。観念と概念と出組み立てた作り物だから、生々しい感動と興奮は生じにくい。建日子のしごとでいえば、「地図」「タクラマカン(サハラ)」「ペイン」の終幕には劇場がふくれあがるような興奮というものがあり、それを感動といっても不都合でなく、涙が溢れやまぬような生気の迸りが特徴的であった、かなりに感傷も含まれ、作劇として完成度完璧と言うにほど遠くても。
だが今回の「リバース」は玄人の舞台としては作劇にも演出にも格別の進境があるのに、舞台はそうは熱く熱せられていない。終幕の拍手がおとなしく、ややとまどってすらいる。
この大きな理由の一つは、今回に限りいうなら、作・演出に対応する、わずか四人の俳優が、よく応えられていなかったと断定できる。
試験採用されている新人のカウンセラー、この女優だけは、終始活躍している。その身動きもともあれ見るに堪える対応である。一人だけのわけのわからない変な男は、その役どころを活かし、わけのわからなさで烈しく動き回り、舞台が狭いほど働いている。あれで成功なのか、鈍なのか掴みにくいが、ある種の空気ぬき的存在でもある。なにしろマッチョである。
しかしもう二人の女優は、大方が棒立ちで、立ち姿に工夫がない。生身の動く美しさが、からだでも声でも表情の変化でも出し切れない。
なにより作と演出とに応じ得ていない欠点がある。一人の人物中にもう一人の難儀に曰くある別人が生き続けている設定なのに、(それは姓名の違いでも指定されているが)その差異が、せりふや演技そのもので顕著に演じ分けられていず、マコトに曖昧模糊。ちがう姓が呼ばれてああそうかと分かる程度のぬるい演技で、舞台がすすんでくると、初見の人は混乱するだろう、どだい一人の人が二人になりかわる機微は、てんと掴みにくい。それは役者の表現力の弱さ、その根にある作の理解力の弱さ、以外のなにものでもない。把握が弱いために演技表現もよわく分かりづらい。
それで、ますます、設計図は機械的なまでにかなり精密に書かれていても、建った建物は、影薄く入り乱れて貧相に曖昧で、譬えにも居間と客間との違いが、おおそうかそうかと目に見えてこない。つまり、へたなのである。身を削るような工夫で役を造っていない。これでいいのかしらんという悩ましい自問自答が演技に見えてこず、ワンパタン、活動的でない。
おもしろかった、けれど、ものたりなかった。やはり感動したい。工夫されたうまい演技が観たい。たった四人で創るような芝居は、四人共が相譲らずうまくなくては、活気づかなくては、魅力に欠ける。
少し厳しいが、また、粗筋をさえ書かないで言いつのるのだから、此の批評自体が分かりにくいものだけれど、心覚えにも、こう言っておくとしよう。建日子には分かるだろう。

* 妻の友人にはツレがあったので、劇場前で別れて、下北澤の店でひとやすみし、わたしはビール。それからもう遠くへ動く気になれず、渋谷経由池袋に戻って、馴染んだ天麩羅の「船橋屋」で夕食にしてしまい、「笹一」二杯に気分良く酔って、西武線は保谷まで眠って帰った。それでも往路の電車で、湖の本の校正を大略ひととおり終えてしまえたのは助かる。よく整えて、京都の前に凸版へ戻して行きたい。
2004 1・10 28

* 高津神社のとんど焼きへ行っての帰り、近鉄劇場で「法王庁の避妊法」を見てまいりました。月の綺麗な晩でした。
以前に一度見た芝居ですが、今回は、勝村政信さんが、謎を説き明かしたい一心で、周りを振り回す“研究者”オギノ先生を描いていて成功しています。アンサンブルも良く、越後弁に笑みこぼれつつ、研究が神の領域に至ることに気付く終盤、受胎 産む 生まれる―それぞれの深さを、あらためて思いました。   大阪

* この芝居、わたしも東京で見ている。荻野式の発見。科学と摂理。たしかに、深いものに触れざるを得ない舞台であった。荻野博士の、芝居にも大事に語られる当のご子息が、わたしの勤務時代初期の執筆者先生で何度もお目にかかりよく話していたので、ひとしお懐かしい想いも添う舞台であった。
2004 1・15 28

* 二月歌舞伎座通しの日がきまった。券がとれたと。鴈治郎、玉三郎、団十郎、仁左衛門、三津五郎、梅玉、左団次らと覚えている。扇雀丈も「良弁杉」に。寒い盛りであろうが、心温かに楽しみたい。三百人劇場の「羅城門」も招待が来た。俳優座も。
2004 1・15 28

* 昼前から、妻と新宿へ。まちがえてサザンシアターへ直行したが、紀伊国屋ホールの間違い。で、回れ右して。時間に余裕を持って出ていたので十分間に合い、八列目の中央通路側の席をもらう。
「三屋清左衛門残日録=夕映えの人」は、藤沢周平原作。仲代達哉主演のテレビドラマを観ている。テレビでは仲代はむろんだが、南果歩の嫁役がとてもよく、指折りのテレビ秀作だった。俳優座がそんな人気テレビドラマの後追いとは、謙虚というか安直というか、そんなことでいいのかなあと、見にゆく前から少し失望の気味があった。
だが、配役がいい。その魅力一つで、楽しみにしていた。主役清左衛門は、多年お馴染みの児玉泰次。仲代とは柄が違うが、抜擢の好配役に期待に応え、大柄にしっかりと好演、アレで児玉の役は十分というところまで、けれんみなく演じてくれた。この人は声の質から、すこしし損じると妙なけれんに陥りかねない損を帯びているが、全くそういう気配のない、ひょっとして最高作に成っていたのでは。
そして、可知靖之、立花一男、伊東達広とならべば、俳優座の今や強力な背骨役者達である、芝居の中身が何であれ、これは観たい。観なくては気が済まない、わたしには最高の顔ぶれ。
三人が三人とも、渋い、が、すっきりと水際だった芝居を見せてくれた。甲乙つけられないが、「不忠臣蔵」このかた眼から鱗を落として贔屓の、伊東達広の板前清次、カッコ良かったなあ。この舞台は男優達、ほかにも何人も何人も適役に恵まれて、ちょっと覚えが他にないほどの引き締まりよう。
そして女優陣も、川口敦子が、けれん芝居ながら熱演で「実(じつ)」を技で見せ、情で見せ、嫁役森尾舞も無難に上品に力演した。
八木柊一郎脚色は間然するところ無い巧さ、ただ内容の重なりもあり、どうしてもテレビの画面と流れとが思い出された。しかし巧いもの。舞台装置もよく応え、安川修一の演出も、まず、お見事の緊迫度。舞台の完成度はほぼ文句なく仕上がっていた。文句を付けたいのは、音響・音楽。ばかばかしいほど騒がしいだけ。苦痛だった。

* で。だから佳い「俳優座」公演であったか、というと、それはダメ。
原作が、いささかも新劇フアンの期待に応えてくれない。人情時代劇テレビ版をまるまる一歩も超えていないのである。
藤沢周平は下品な読み物作者ではないが、人情時代物を大きくははみ出てこない微温の読み物作者であり、この作品も、これだけ藝達者を揃えればそこは「しんみり」した見せ場は十二分に作ってくれるけれど、それ以上には、決して「劇」の熱度を上げ得ない、要するに通俗講談なのである。
要領よく主派流に乗じて生き残ってきた会社員(藩士)が、会社(藩)を、幸か不幸か無事定年退職(隠居)。しかし友人の同僚(奉行)に請われ、なおも嘱託(派内協力)ふうに居残って、社内派閥抗争(藩内主導権争い)にキャリア(用人そして剣術)を活かす。それに、行きつけの飲み屋のママ(小料理涌井のみさ)との純情な交感が人情の色を添える。つまりそれ以上の何物でもない。人間の本質をえぐるというより、この程度の俗欲は、誰にも容易には捨てられないという平均値を指し示しているに過ぎない。だから抉られる痛苦も感動も何も生まれない。「演劇」として劇的な血の滲みなど無く、だれかが座席の近くで言っていた、「しんみりするのねえ」と。たったそれだけ、そこまで、の舞台にしか、とても成らないから、ご馳走はというと、ただただ俳優達の「うまさ」脚本や演出のソツの無さ、巧さ、だけ。それらだけは、むしろ、稀に見る緊密度でよくお芝居を引き締めた。それには満足した。
不満は、こういう帝劇風、芸術座風の見せ物舞台を、なんで俳優座が、ということ。商売としてはともかく、意欲としては低調そのものだという物足りなさ。なに一つとして魂に突き刺さってくる嬉しさも高まりもなかった。拍手は役者達のためにいっぱいしてきたけれど、ぬるま湯で風邪をひきそうというのが実感であった。

* 伊勢丹わきに馴染んでいた「田川」という魚とフグと鰻との老舗が無くなっていて、寂しかった。
それならと、新宿駅わきの老舗「柿傳」へ。八階の、あそこはすべて谷口吉郎設計であるが、静かなフロア(我々だけ)で、「すっぽん懐石」を奢った。にごり酒は四合瓶、残ってもお持ち帰り下さいと、綺麗な女中さんにすすめられて。
久しぶりのスッポンは、前菜から、鍋から雑炊まで、それは美味かった。これが観てきた舞台の風情とうまくつりあい、妻と二人あれこれ芝居のはなしをしていて、食べ物が、飲み物がよく似合った。満ち足りた。
2004 1・20 28

* 三百人劇場で劇団昴公演「羅城門」を観てきた。クリーンヒットであった、真っ先に拍手した。
脚本は、芥川龍之介の「偸盗」に主に拠っていた。この作品を知ったのは新制中学三年五組の教室でであった、これを「ちゅうとう」と読むことや、芥川にほかにどんな小説があるかを、クラスメートの小原一馬、田中勝らと盛んに話題にしたのを記憶している。あの頃は、いわゆる新刊の本屋へ通っては岩波文庫の背表紙だけを読みに読んできて覚えるのが、知的関心の最たるものであったから。
「猪熊の爺」を内田稔、「婆」を小沢寿美恵という、劇団一二の重鎮が演じ、「太郎」を金子由之、「沙金」を佐藤しのぶの両ベテランが演じたのだから、演技的ななに不足も出ようのない緊迫度、それ自体はむしろ当然のことであった。ま、そうはいえ、小沢はもう少し窶れていてもよく、きまりのいい美貌のゆえにむしろ損をしていたかも知れない。また金子の「太郎」が、阿修羅の魅力を内包しているはずなのに、性根がややゆるくて掴みにくかったかも。
しかし佐藤しのぶは、瞳孔の芯に至るまで気力を漲らせ、難しい役を、終始敢闘気味に見せに見せてたるまなかった、眼鏡で意地悪いほど眼をのぞきこんでいたわたしは、毅い気力にえらく好感を持った。俳優座でいえば川口敦子の役どころめくが、佐藤には川口のあんなケレン味がなく、むしろ意図してか若々しく健康な女を根に据え、しかも全身にもののあわれをむしろ終始美しく滲ませていた、その勉強、称賛したい。内田稔の演技は一つのお手本であろう、相手方の立て方に余裕があり、それがサマになっていた。
ちょうど俳優座で「三屋清左衛門」を主演したばかりの児玉泰次が劇場に来ていて、言葉を交わし、先日の舞台を称賛したのだが、その時に、「しかし原作はつまらなかったね」とも、わたしは憚り無く伝えた。総じて技術的には間然するところ少なくお見事であったけれど、本来新劇の舞台が表し伝えてくべき精神は、志は、いとも低調であったと。つまりあれは新劇ではなかった、お楽しみのお芝居であった、ただの。現代企業の内部を、藩社会になぞりなおしただけの、アイデアものに過ぎなかった、と。
その点、今日の昴の舞台は、時代劇でありながら、紛れない新劇の厳しさと主張で人間苦と業とを表現していたと思う。俳優座のあの芝居にどうしても満たされなかった志の鋭い表現面でも、わたしや妻を喜ばせるに足りた。ああ、いい舞台を見せて貰った、あんなのなら幾つでも見せて貰いたいと深呼吸するように感じたのである。
ぶちあけて譬えていうなら、芥川原作と藤沢周平原作の、段違いな質差がものを云ったのかもしれない。演出も台本も演技も甲乙はつけがたいのに、見終えた感銘は、芸術品と見せ物の大差であった。人間を根底からとらえて生き地獄の底で呻かせ、それが或る清冽な感動に昇華できていた点で、「羅城門」は、ただの人情噺に終始した「三屋清左衛門」を、うんとうんと越えていた。満足は大きかった。

* で、千石の吹きさらしの街路に立っても胸は温かく、妻と二人で、広い白山通りを、ところどころ脇へ寄り道しながら、そのまま、春日の文京区センタービルまで歩いて行ける力が余っていた。二十五階のレストランで和定食の夕飯に。時のたつに連れ、東京都の灯が無数に展開してゆく。目の下に東京ドーム。巨人広島線をみたのは、いつ頃のことだったか。女の子とはいえ孫達と来たいねと話し合った、ジェット・コースターの疾走を見上げながら、あの時…。丸の内線後楽園から、池袋経由、一路帰宅。
2004 2・11 29

* 秦建日子が経営している演劇集団が、三班に人数を分けて、同じ一つの芝居「地図」を、一日に三通り、建日子作・演出で、舞台に載せている。新宿。班により出演の人数に差があり、演出も場面も変わり、出来も不出来もあるというが、意欲的で、けっこうなこと。わたしは、今週容易に動けなくて、最終日にかろうじて飛び込めるかと。同じその日にわたしは観世栄夫の招待で、表参道銕仙会館で「実盛」も観る。前日には扇雀丈の中老「尾上」を観る。そしてどんどん京都行きが迫っている。
2004 3・11 30

* 朝寒。往時をおもいまた昨今を顧み、胸底のみづうみはあけぼの色に静かに凪いでいる。

* 迪子と新宿へ。建日子作・演出の「地図・朝焼けにきみを連れて」の稽古公演を観に。体調、穏和にかえっている。

* 小田急新宿西口で若い人と逢い、十四階「なだ萬」賓館で妻と三人、結婚の四十五年を天麩羅で祝う。それからアイランドホールで建日子の芝居をみた。三人のためにいちばん見やすい良い席をとってくれていた。
建日子が「TAKE1」という演劇塾を立ち上げたときに、どうなることかと思った。今回公演はその演劇塾の塾生達のいわば稽古公演で、おなじ劇を、演出を替え出演視野も人数も替えて三通りに演じ分けているという。わたしたちは、その一つを観た。今までにも三度は別の舞台で観てきたが、舞台も変わり、人も代わり、斬新に劇的の度を増して、さすがに秦建日子も確実にプロになった。若いツレの客も興奮気味に楽しんでくれたようだ。なにもかも承知していて、やはり終盤の盛り上げでは涙が溢れて困った。そのうち「秦建日子のお父さんです」ということになる。それでいい、創作者として建日子が真面目に努力していってくれるなら、なによりだ。
2004 3・14 30

* 秦建日子のサイトから。わたしも共感をもって読んだので、共感のしるしに此処へ貰っておく。

* 3.11 舞台は怖い。  秦建日子
ワークショップ一期生の卒業公演が続いている。チームA~Cの3チームにわけ、それぞれ同じ題材を違う台本で演じている。
現在、3チームとも一度ずつ舞台を踏んだのだが、お客さんの反応はこわいくらいに正直である。
お客さんに何かを伝えたくて芝居をしている人間には、たとえその本人がド下手でも、きちんと身を乗り出して聴こうとしてくれる。理解しようとしてくれる。一緒に笑い、悩み、最後には泣いてくれる。自分が気持ちよくなるために、あるいは、自分を格好よくかわいく見せるために演技をしている人間には、お客さんは微塵も反応しない。ネタはすべ
り、決め台詞は誰の心にも届かない。
一期生22人の中で、誰が芝居に対して真摯で、誰がナメているか。誰が人としてまっとうで、誰が人としてオイオイなやつか。それがある程度わかるのに、ぼくは1年間かかった。(かかりすぎかな……) でも、本番の板の上に立つと、立ってしまうと、初対面のお客さんはそれを一瞬で見抜く。寸分の狂いもなく。そして、正しい判決を下す。
各チーム、あと二回、本番の舞台が残っている。初日に、お客さんにとことん愛されたチームも、全然愛されなかったチームも、もう一度きちっと芝居を組み立て直し、長かった1年稽古を「有終の美」で飾って欲しいと思う。

* 3.15 TAKE1一期生、解散。  秦建日子
3月14日。13時、16時、19時という怒涛の1日3公演を行い、演劇ワークショップ「TAKE1」の第一期は解散した。チームAもBもCも、最終ステージはそれなりによい出来だった。必死に努力した者はたくさんのモノを、それなりに努力した者はそれなりのモノを、プラスもマイナスもひっくるめて、本番の舞台から得てくれたと思う。
参加者22人――彼ら彼女ら全員と、いつかまた、よりよい形で仕事が出来たら嬉しい。頑張って、役者を続けてほしいと思う。私も、負けずに頑張る。
2004 3・15 30

* 秦建日子は、ご機嫌さんで頑張っている様子。

* 3.30 近況。  (秦建日子のホームページから)
突然ですが、秦建日子脚本作品が、6月に上演される運びとなりました。作品タイトルは『5(=フアィブ)』。演出は、私の以前からの舞台仲間であり、ワークショップの共同演出家でもある、松下修。脚本協力に、先日、テレビ朝日から脚本家デビューをしたばかりの栗本志津香。ワークショップの一期生から数人、キャスト並びにスタッフとして参加しています。
浅野ゆう子さん主演の土曜ワイド劇場のシナリオを書きました。現在撮影の真っ最中。「Re-Birth」の築山万有美、「TAKE1」の五十嵐貴子、杉本瞳が出演しています。
浅野ゆう子さんといえば、4/6オンエアのCXのゆう子さん主演ドラマのラストに、Cry&FeelItの「さくらさらり」が劇伴としてかかるそうです。自分の書いた詞がドラマでかかるというのは初体験で、とても嬉しく楽しみにしています。
そのCry&FeelItの初アルバム、4/7から発売です。私は一足先にMDで聴きましたが、本当に「GOOD」なアルバムです。ぜひぜひ、一度、CDショップで試聴してみてください。きっと気に入っていただけると思います。
映画のシナリオは、2稿目に入りました。手応えバッチリです。
小説も、楽しく書いています。
ようやく、家でTVが見られるようになりました。カーテンはまだついていません。部屋から、満開の桜が見えます。春ですね。完全に。初心にかえって、新しい年度も頑張ろうと思います。
2004 3・30 30

* 明日の俳優座稽古場での「足摺岬」は原作が田宮虎彦。同じ題の映画を大学の頃に観たのが、当時日本映画黄金期へ見参する、入り口だった。あの頃の田宮虎彦の「国民文学作家」としての声価は、赫々(かっかく)たるものがあった。
映画は主に「絵本」の方に拠っていたが、足摺岬という題は落ち着いていた。芥川の「藪の中」を描きながら、映画は羅生門と題されたのに似ている。明日の舞台がどう創られているか予備知識は持っていない。稽古場は狭い分、演技は濃密と正確を必要としている。そこが魅惑である。
明後日はもう一つ別の舞台がある。
なにともなく四月二十六日のペン総会が頭にある。もう何年働いてきたか…。この日で、年度がまた替わる。
2004 4・19 31

* 穀雨一転、晴れ晴れと。暑いほど。昼すぎには出掛けて行く六本木、暑かろう。
2004 4・20 31

* 昼過ぎに六本木へ。きれいに乾燥していて、高い気温が気にならず、Tシャツ、うすいセーターは着ないで背にかつぎ、軽装。時間待ちにカフェ「貴奈」に初めて入る。エスプレッソ。ゴージャスな雰囲気の喫茶店。持参の校正すこし。

* 俳優座稽古場に。階段四段目中央に席を貰っていた、最良。稽古場になれると劇場の本公演がへんにすカスカスしてくるほど、舞台と客席が接近して、小劇場の熱気になる。但し俳優座稽古場には高齢の常連愛好客が多い。若い人が比較的少ない。

* 田宮虎彦原作の俳優座稽古場公演「足摺岬」は、予想以上に厚みのある舞台でした。私の生まれるより数年前の、思想弾圧の日に日に加わってゆく怖い時代の物語です。
戦場で捕虜になり銃殺された兵を、「国賊」「非国民」と責め立てる軍と国民。息子・夫・父を恥じしめられ、遺族もサンザンにいじめられて、ついに父親は自殺します。妻は夫の忘れ形見の中学生を、兵学校に入れることで恥を雪ぎたいと考えてしまう時節です。ところが東京で苦学している中学生は、盗人の冤罪で官憲に捕縛され拷問され、むろん捕虜の息子として恥じしめられ、真犯人が出て無罪放免の晩に、自殺してしまうのです。けれどこれは、いわば物語に先行する脇筋です。
中学生の隣室にいた帝大の学生が、この物語の主人公。彼はそのような非道の時代に慨嘆し憤怒し、何の生き甲斐もない上に、喀血するような病身を抱いて、只一人の身内の母に死なれ母の故国土佐へと、さすらい戻って行きます、そして暴風雨の足摺岬で死のうとしたのです。幸い、未然に助けられ、近くのお遍路宿に、心ならずも敗残の日々を送り迎えします。
昨今の日本はちょうどここへ戻りつつあると、何の説明無くても思わずにおれない、昭和八年頃の日本のザマでした。平成十六年は、その昭和八年へ向かって、いましも逆戻りしつつある。あの帰国したイラク捕虜三人への血迷った政府と少なからぬ民衆のバッシングを見ても明らかです。
物語は展開して行きます。概念的でなく、よく原作の魅力を昇華した力強い舞台で、感動しました。

* さすが田宮虎彦の秀作に負うている、観てゆくにしたがい、それが舞台の上の俳優達の所作であり演技であることを忘れていた。これはたいへんな純粋体験で、めったなことで、こういう思いはしない・できないものである。「純熟」という二字をあてて、あの醍醐味を、没入感を説明したくなる。
俳優は、一人残らずみごとに演じて、個々の俳優の氏名なんぞは演劇時空に溶解してしまっていた。
ことに浜田寅彦、児玉泰次の「純熟」の体は、言うに言葉もない完成美を成していた。いま思い起こしてもどきどきする。
他の俳優のことは別に言うつもりだが、その前に、今日の舞台の、あの突き刺してくるような表現と批評の「効果」は、あれは、脚本(堀江安夫)・演出(袋正)から来た「演劇的な効果」であったのか。原作者田宮虎彦が時代とともに孕んでいた「文藝・思想の効果」であったのか。
その辺、気になるといえば、なる。
優れた「演劇」だから泪を流して感動したのか。それ以上に突出していた文学・文藝の「思想・批評の卓越」が、ああもわたしたちの胸を熱くしたのか。むろん、これを区別するなど、不自然に可笑しいことだけれど、わたしが舞台に没入して「純熟体験」していたのは、必ずしも、演劇が完璧であったからではなかったらしいのである。それを以下に言って置く。

* 舞台は東京の下宿であり、足摺岬のお遍路宿であった。稽古場舞台では幕を使わない、みなはなからむき出しである。一つのはだか舞台での、下宿とお遍路宿、東京と足摺岬というちがいを、それぞれリアルそうに造り立てた舞台装置は、最初から疑問を感じさせたと白状したい。芝居が始まれば疑問は忽ち事実として露呈した。割と小刻みな場面転換ごとに、薄暗がりの中でごそごそと、大勢の手で場面が仕替えられねばならなかった。その場面暗転の回数の多さと煩雑なことは、所詮、演劇効果の足をひっぱる道理、明らかな感興の阻害、マイナスであった。
実験的な構成舞台だけで、抽象的に、場面転換と人物の出し入れとを、ずうっと一貫して奔流させて行く、保ちつづける、いわば、「途切れ目のない作劇」がなんで出来なかったのか、と、わたしは、途中、ことに前半、何度も考えた。うすぐらく、ざわついた暗転の間を、待たされるのがイヤだった。装置が「流れ」を殺していると感じた。
また、昭和八年が平成十六年にかぶってくる、またその逆も言えそうな、「作舞台の時代を批評の効果」から言ってもね私には大きな不満が、と言うより注文があった。仮にわたしなら、この大昔の時代の芝居へ、「外」の時空間から割り込んで参加する「平成十六年の」たとえば「東大生」一人を、ワキ役として設定し、もっと強烈にあの「足摺岬」を今日に「引きずり」込み、また「今日の日本と若者と」を、あの「足摺岬」へ強硬に「送りこもう」と試みたろう。その「双方向関与」により、田宮虎彦の小説を、国民文学的な思想を、もっともっと身近な間近な「現代の声」として「新劇化したい」と願ったろう。
言うまでもなく、この「足摺岬」は、あの藤沢周平「残日録」のお安い模擬・擬似現代趣向にくらべれば、真率・的確・痛切において、百倍もすばらしく深刻であった。正真正銘の「新劇の主題」が表されていた。物の譬えにも、小泉純一郎が「残日録」わみれば薄笑いしてお世辞で褒めたろう。この「足摺岬」わ観れば顔が引きつってお得意の不快感を表明したであろう。その点、「足摺岬」の脚本にも演出にも、ことに演技者達に対しては、敬意を十分十二分払ってわたしは見終えた。
だが、演劇の訴求表現では、まだまだ粘り強い工夫があり得たかも知れぬ。脚本が、もう少し大胆で、舞台装置とともに演出がもう少し大胆であってくれるとよかった、という願いは、ま、後味に残ったのである。昔の場面を昔のままに演じ表すのが大事か。どうかしてより今日の眼前へ、ありありと提示してみせる工夫が大事か。脚色ものの辛い分かれ道だろうが、舞台の上の主人公「当時の帝大生」と、舞台の袖から割り込んでくる「今日の東大生」との、言葉をかわさなくていいが、烈しい議論が演劇的に交わされていたら、どんなに舞台が熱く発光しておもしろかったろうと、ま、私はそういうことを想っていたのである。

* 浜田と児玉には、シャッポをぬいだ。最敬礼を贈りたい、それほどのジイサンであり、オイチニの薬売りだった。映画でもこの二人の役は、かつて少年のわたしを唸らせた。名優加藤嘉ともう一人も、顔ははっきり覚えている。浜田など加藤嘉にヒケをとらなかった。
帝大生役は映画では木村功であった。今日の舞台ではこの間宮龍彦役の渡辺聰に、わたしは、わたしの演技賞をあげたい。この俳優は俳優座に登場の当時から、いつもどうもわたしには負担であったが、暫く前から急に落ち着き始めて、今日など、ほんとうに佳い演技であった。ぶきっちょに演技などしていないような、しかし時代に怒り、死に走り、生に立ち返ってくるむずかしい内面の変転を、生真面目に深く演じたのが、とてもえらかった。はっきり渡辺をわたしは見直した。
八重の役の若井なおみも、善良で聡い初々しさを、心嬉しいまで確かに演じてくれ、秀逸だった。いい表情と間とを何度もみせた。立派だったと言っておく。
他も、みなそれぞれの場所をよく守っていた。演技的には、むろん純熟の度のバラツキはあるにしても、芯の数人がまちがいなくよく演じて、すべてに安定した。
音信不通を「おんしん」ふつうと読んだり、愛ある母親の物言いを、子が、諧謔にせよ単に「一つ覚え」で分かるのに「バカ」の一つ覚えと言い過ぎたり、かと思えば、これこそはしっかり「ぽつんと灯がともる」と言いたいところを、「ぽつんと灯る」と半端に言ったり、わたしには気になる台詞も混じっていたが、次第にコッチの注文も胸に引っ込め、どんどん舞台に馴染み引き込まれ行くうちには、それらもみな忘れていた。

* この稽古場公演は、企画に於いて大成功。意図はよく分かり、相当に達せられた。わたしからの演劇上の注文や希望は、創作者のはしくれであるわたしの、さが悪しき深読みと高望みである。

* 泪を頬に伝わせたまま、劇場を出た。こんな気持ちのママ、早い夕飯を食うのは妙にわるかったけれど、昼飯が抜けていたので、蟹の「瀬里奈」にはいり、シャブシャブであっさりと美味しく食べた。グラスの赤ワインで、久しぶり蟹をたっぷり食べた。
そしてもうまっすぐ大江戸線練馬経由で家に帰った。家のそばまで来て、「マーゴゥ」と呼ぶと、間近な足下から細い高い声で長鳴きするマゴが走って現れた。よしよし、いい子だ。いや、マゴだ。
2004 4・20 31

* 朝一番の速達に追い立てられて、事務局から届いた「ペン電子文藝館」の分野別・生年順一覧表の全部を校正し終えた。手持ちの資料からあらあら作成、ラフな表覧にして送って置いたのを、事務局できれいに整備してくれたが、大きな誤植や脱落がないか確認して欲しいと言われていた。二十六日の総会に配布し、解放にも載せるためである。ごく若干の予定も含めてある。
十一時になった。昼過ぎには今日は千石の三百人劇場に行く。いわゆる赤毛物で、楽しみだ。
2004 4・21 31

* 二時開演の千石・三百人劇場、昴公演、フランク・マッギネス作の「ドリー・ウェストのキッチン」に。舞台はアイルランドの、デリーに近い港町か。アイルランド、イングランドの久しい対立に、折しもアメリカ軍とドイツナチスとが関わり合い、険しい「非平和」「戦闘」情況での「ウェスト家」の事情がたいへん巧みな演劇の話術で語られていた。主題は深刻でもあり切実でもありながら、舞台の推移は、よく設えた舞台装置と適切な音楽・音響と間然するところない演出の工夫で、先ずは、みごとな「会話劇」を楽しませた。流暢で、軽薄にはならず、言葉の一つ一つに、人の出入りの一場面一場面に力学があり美学もあった。難しいことを考えるのはそのあとからでも間に合いそうなほど、渾然としたこころよい川の流れのように、人と台詞とが波打ち動いて、それが快感・快適感を与えてくれた。
だが舞台からの問いかけは、けっして軽いものではなかった。
よく考えてみないとアテズッポーになりかねないが、わたしは、終始チェーホフの「三人姉妹」が遥かな伏線ないしモデルをなしてはいないかと想い続けていた。藤生聖子と伊藤和晃の演じたウェスト家長女夫婦など、三人姉妹のあれはマーサであったか、二晩目の妹夫婦を何度も思い出させ、他にも相い通う感じは随所に見受けられた。物語の上だけではない、「時代・時勢」への意識的な態度に、「三人姉妹」の絶望の希望を、希望の希望に乗り越えて行こうとする意欲を見せていたことなどに、強い批評性も感じさせたのである。
まこと、上手な会話劇であった。舞台装置がよかったし、三輪えり花の訳と演出も行き届いていた。随所に、あ、うまいなと声になりそうな切れ味を覚えた。
演技も、母親リマ・ウエスト役の小沢寿美恵は、別格の大貫禄として、他の誰よりも、次女ドリー・ウエストを演じた要田禎子が、申し分ない舞台の進め役を果たし、よく深く冴えていた。要田がまるでキーを出すかのように、軽快に流暢に力感確かに台詞をみんなにさも配って歩いていた。そんな感じだった。演技は、また精神は、静かで、心地よく、しかし力が漲っていて、母親リマとのがっちりした「了解」を太い「棒」のように、舞台の経過全体に差し込んで安定させ活躍させていた。終幕まで、感心させた。そして泣かせた。終始わたしを楽しませながら、痛切に「戦争」と「愛」と「国家」を感じ考えさせもした。
渾然とした「演劇性」では、昨日の俳優座の「足摺岬」とはまた別様の「魅惑=ファシネーション」に満ちた舞台を昴は創ってくれた。嬉しい観劇であった。感激とも言い直したい。
ドリーだけで成ったのではない、よく心得ていた母親リマの存在がドリーを可能にしていた。感動の源泉はその「愛」にあり、それが他へ波及した。姉夫婦と生まれた子へ。弟と同性愛のアメリカ兵士へ。アメリカ兵士とアイルランドでは身分差別されていた召使いへ。そしてアイルランド女のドリーと、相愛のイングランド人アレック・レリングへ。この二人を強く結んだのは一方の国の国歌などではなく、二人の愛だった。母親は、よく見通していた、そして自らは死に、死なれたみながその志を承けた。そして「一つの希望の方向」へ歩み続けて行くであろう。戦争の前にも国家の前にも、究極は、「愛」がものを言う。小泉やブッシュに見せてやりたい。
2004 4・21 31

* 梅若万三郎から橘香会の「天鼓」を観て欲しいと招待状。この能は前シテが父、後シテが少年の複式能で、鼓を芯に幻想的な音楽の秘蹟と父子の愛とがあらわされる。少年は罪を得て湖底に沈められている。鳴らぬ鼓が、父が打てば玲瓏と鳴って湖底にとどくのである。
この六月五日は建日子作の「5」という芝居(演出は他の人がする)が下北沢の小劇場であり、妻達と見に行く予定であったが、わたしは「天鼓」に乗り換えさせて貰う。
もう一つ予定と重なってしまったのが、芸術至上主義文藝学会総会が六月六日。これは早くに予約しいい座席券も手に入れてある、成駒屋の「鳴神」の日で。学会で発表するわけでも聴きたい何かがあるわけでもないが、今年から「参与」という名義で加わるように依頼を受けている。ちょっと具合悪いが、勘弁して貰う。
2004 5・11 32

* さ、日付もとうに変わっている。このところ床に入ってからの読み物が増えている。シェイクスピアの「コリオレイナス」を読んでいる。福田さんの訳。大作であるが三百人劇場はどう舞台に乗せるのだろう、と。前半には烈しい戦闘場面や群衆場面がある。妻も読んでいる。
六月の海老蔵襲名はたいへんな人気で、さすが松嶋屋でもいつものような席は難しかった。注文を出したのがすでに遅かった、ほぼ断念していた。だが、なんとか別席ながら昼夜とおして用意できたと電話が来た。昼の部は二階席。夜は前から三列目だけれど少し上手。それでもよかった。玉三郎の助六は近くに見られる。あの芝居はそうそう面白いわけでなく、輝くような豪華絢爛の舞台に官能的に酔えば済む。海老蔵、玉三郎、意休は左団次。昼の部の口上に団十郎の欠けるのは惜しみて余りあるが、そのぶん海老蔵に頑張って貰おう。
2004 5・14 32

* 夜前は、シェイクスピアを、今少しのこして、寝た。
「コリオレイネス」はまことに珍しいモチーフで書かれている。ローマの、勲功山の如き将軍と、民衆との対立。前者が暴虐で民衆が正当であるなら、ふつうのパタンになるが、逆と云わないまでも、逆に近い仕方で謀略的に将軍は、市民民衆により国外に放逐され、将軍は敵国に身を委ねてローマに激しく復讐的に進攻してくる。
ローマは元老院と市民とで成り、市民には護民官といういわば代議士がいる。元老の中から執政官が起つ時も、形の上で市民の推薦と承認を得て就任できる。コリオレイネスは、市民の愚民性を見抜いていて辛辣にそれを口にして憚らなかった貴族であり、救国の大功が元老達に絶賛されて執政官に推されたところで、市民によって逆に死刑を宣告されるハメとなり、ローマを逐われたのである。
まだもう十頁ほどを残しているけれど、この長大で微妙な原作を劇団昴はどのように舞台にのせてくれるのだろうか。
2004 5・18 32

* 「コリオレイネス」を読み上げた。シェイクスピアの悲劇は「ジュリアス・シーザー」にはじまり四大悲劇等を数々経て、この「コリオレイネス」で終わる。一見貴族主義と民主主義との対立が描かれているようで、そこへ足を取られていると主人公の魅力を見落としてしまう。主眼はコリオレイネスの悲劇であり、その背景に民主主義の衆愚性も揶揄され貴族主義の危うさも指摘されている。政治体制そのものが主なるトーンのようでいて、事態を打開したかに見えるのは母や妻子との愛のようにも見えるのだが、それ自体がコリオレイネスを惨死させてしまう。彼の気迫の底に溜まっていたある小児性(マザーコンプレックス) が破滅へ導いたともいえる。
劇そのものの表現はかなり乾いている。情緒的でなく、むしろ論理的で政治的で、作者は結論は述べていない。最後の、敵将の変貌・変容がやや唐突と見えて、これが劇的にどう表現、どう演出されるか、気になる。
これで、シェイクスピアの歴史的な悲劇はほぼ全作読んだことになるか。福田恆存翻訳全集で読んだ。この全集は文藝春秋の寺田英視さんが手がけた完璧のもので、わたしは全集も翻訳全集も全巻買った。いや創作戯曲の一巻は福田さんから特に指定されて頂戴している。すぐ側の書架に泉鏡花や井上靖や森銑三の全集とならんでいる。
2004 5・20 32

* 明日国立の文楽にいい座席をとれているので、観にいってもらえないかと、たった今、お誘いがあった。逢ったこともない読者であるその人は、今日、もう観終えていて、わたしにぜひ観て欲しいと急に思い立ち、手配してくれたらしい。「今日、いい席で、たっぷり、胸一杯観ましたし、ご覧になっていただきたいのです」と。そしてその人は東京での他用を済ませ遠くへ帰って行く途中だという。携帯の短いメールで事情はよく分からないが、有り難い。颱風は気になるけれど、高校大学このかた、東京では文楽への機会が一度もなかった。かねがね観たい聴きたいと思っていたが道が付かなかった。ご厚意に感謝し、雨と風を押してでも出掛けてみよう、命の危険がない限り。
だが、雨が来ている。どうと音がしている。
2004 5・20 32

* 八時になった。今日は、読者の厚意にあまえて、国立小劇場の文楽に心身をすっかり委ねてくる。その人はもう関西へ帰っていった。切符は入り口のもぎりの所に預けてあるそうだ。幸い、風雨の音は静まっている。
2004 5・21 32

* 颱風が来たという実感がないうちに一過の快晴に恵まれ、三宅坂の国立小劇場に出掛けた。座席券とお土産のきんつばが待っていた。四列の二十九というと、大夫と三味線が出張る「文楽廻し」の真際。太棹の三味線そのものに、斜線で一メートル半ほどで手が触れるという実に面白い好席で、大夫の浄瑠璃語りが大きな声も、千変万化の表情も、その側で手に受けるように聴けて見えて楽しめる。前から四列とはいえ上手の端になる。舞台は斜めに平たくよく見通せて何の不自由もなかったし、むろん遠眼鏡も活用した。人形の小さな振りや表情の照り曇りは、わたしの弱い視力でよりは、眼鏡が効く。

* 出し物は嬉しや通し狂言「妹背山婦女庭訓」の昼の部、初段「小松原」「蝦夷子館」、二段目「猿沢池」、三段目「太宰館」「妹山背山」まで。この狂言は此処までで一段落しているし、何よりも見どころの「妹山背山」があって嬉しかった。正直のところ小刻みに「入鹿誅伐」に到る夜の部より、よほど有り難い。
徐々に盛り上げて、やはり「妹山背山」ではしたたかに泣かされた。大判事を吉田玉男が使い、後室定高(さだか)を吉田文雀がつかい、大夫は竹本住大夫、竹本綱大夫が張り合うという、人間国宝がずらりの大顔合わせ。三味線も鶴沢、野沢、竹沢の名手が競演して鳴り響いた。
わたしはこれで、豊竹山城小掾や吉田文五郎や鶴沢清六の文楽を聴いている、観ている。いま最長老の玉男や住大夫がまだ若かった。むろんわたしは少年、せいぜい青年だった。その頃の私は生意気に、能、文楽、歌舞伎と序列をつけていた。面白くのめり込めることでは今は真っ逆さまに序列する。辛抱が無くなっていて、歌舞伎のように官能へ真っ先に刺激をくれる藝能がらくだと思っている、が、文楽は久しく観ていなかった。久しぶりに舞台に触れて、また、はまってしまった。
人形・浄瑠璃・三味線という一体の競合競演の魅力は底知れない。この三つには好き嫌いの序列も到底付けられない、すばらしい魅力に溢れている。

* 妹背山というのは大時代物である。蝦夷や入鹿や天智天皇や藤原淡海が登場する。しかしまた殊に「妹山背山」で相思相愛のまま首打ち落とされる久我之助と雛鳥とは、あのロミオとジュリエツトに酷似した環境で悲恋のまま死に祝言をあげる二人。その死に方にあわれがあり、泣かされずには居ない。役者達の演じる歌舞伎と違い、わたしには人形などのうまいへたは見分けられないが、しかも「うわッ。うまいなあ」と何度も肌に粟立つ場面は幾度も幾度もあった。舞台装置の美しさや面白さでもよくよく知られた場面であるが、うまく出来ている。ここへ導くまでに、見初めの「小松原」のあるのが分かりよく「蝦夷子館」があって実悪入鹿の面目も、後の芝居の筋立ても、とてもよく分かる。
わたしは後室定高があわれであったし、雛鳥も久我之助もよく描けていると感心した。役者の藝だと魅力がバラつくのに、人形ではどの人物もきりりと、統一された調和に資してはたらくのが面白い。
一体に女性が可哀想に犠牲になる気味の通し狂言ではあるが、今日の昼の部では、必ずしもそんな偏頗は感じられず、久我は雛鳥を、雛鳥は久我之助を徹して愛して相手を思いつつ首打たせまた腹を切る。夜の部の方がストーリイはやや錯綜する。

* 六時半に起きて一仕事してから出掛けたので、睡魔の来襲を退け退けするのが少し辛いときがあったけれど、一度も寝入りはせず、楽しんできた。はねての三宅坂界隈のきらきらと眩しいほどの新緑は美しかった。だが、何処へも立ち寄らず一路有楽町線で保谷へ戻り、駅構内でよく冷えたビールをコップに一杯。ゆるゆると家まで歩いて帰った。
思い出したが、今夜はチュニジア大使館へ誘われていた日だった、むろんきちんとお断りしてあった。留守に望月洋子さんから電話が来ていた。この人に代わりに大使館に行って貰った。いい人選であった。
今日の昼に逢おうかと半約束らしきものの出来かけていた人もいたのだが、流れていた。流れたが幸いして文楽を、願ってもない演目と演者とで堪能した。招いてくれた人に感謝しなくちゃ、名物のきんつばもたいへん美味かった。
2004 5・21 32

* 秦建日子より、ぜひ公演中の芝居を観てくれないかと云ってきた。明日の晩でラクだという。ラクよりも今夜がいいよと云うが、万三郎の能「天鼓」が三時前に終え、七時の芝居では長いアキ時間がつらい。ラクは混むのは知れており席の確保にさぞ困るだろうが、結局、明日昼に国立劇場で「鳴神」を観たあと、その足で下北沢へ行くことにきめた。
明後日午前には「湖の本」が届く。その翌日、電子文藝館の委員会。週明けの十四日には、もう下巻が出来てくる。ごった煮の修羅場になる。しかもその間にも、俳優座の「タルチュフ」あり、ペン理事会があり、太宰賞授賞パーティもあり、そして三十五回目のわが桜桃忌がくる。
桜桃忌の日にはもう作業もあらかた捗り、身軽な気持ちでうまい桜桃が食べられるか、まだまだ汗みどろか、予断がならない。
そのあとに新海老蔵の襲名狂言が楽しみ。二十五日の眼科検診日の夕方にはホテルオークラで新潮社の、二十九日には「NHKブックス」四十年の記念の宴があり、月末にはシェイクスピアの「コリオレイナス」が待っている。
スケジュールを正確に頭に入れ、ユッタリした気分で、楽しみは楽しみ、仕事はまちがいなく済ませたい。十三日京都での同窓会日帰りは、ほぼ断念、体力的に。
2004 6・5 33

* 「花籠」さんご厚意の特上しゃぶしゃぶ牛肉を、妻と戴いた。少しずつ何度にも御馳走になります。妻は今日は、若い人といっしょに息子の芝居を観てきた。わたしは明日の打ち上げ舞台を付き合うと決めた。国立劇場の「鳴神」から引き続きに。
2004 6・5 33

* どこへも寄らず一散に帰ったと云いたいが。千駄ヶ谷で総武線にのり、新宿で降りて池袋行きに乗り換えた。そのつもりなのに、ふと気が付くと新中野駅。慌ててまた新宿に戻った。降りて、また別口から同じ電車に乗り込んだのであるらしい。どうやら、わたしもそろそろ危ない。
家に帰ってもまだ妻は下北澤から帰っていなかった。なんとなく、そのあと、ぼうとして過ごしてしまった。しょうがない、成り行きだ。明日は一日芝居芝居で明け暮れる。「父さん観てくれよ」とわざわざ云ってくる建日子の自信作なら、やはり観てやりたい。
なんでも今日の午公演には、猪瀬事務所の二人が見に来て呉れるらしいとも、建日子は電話で話していた。感謝。
2004 6・5 33

* はねると即座に半蔵門線で渋谷へ。井の頭線急行で下北澤に移動し、「劇」小劇場へ。
秦建日子作・松下修及び秦建日子演出の「5」を観た。昔の作品のリメイクであるが、新作といえるほど面目を大きく一新し、少なくも一時間四十五分のうち一時間半は、見事な仕上がりであった。ほほう、ここまでもって来れるようになったのか、すっかりプロになったなあと手を拍った。作劇も演出も、それにこたえる築山万有美以下の大勢の出演者も、颯爽とおみごとであった。
作劇そのものは、一口に筋が語れないほど組み立てが、たいそう複雑であった。だが、それも初めの一時間半は、間然するところなく、大いに舞台は活躍し、面白く、筋立てで追う必要もなく、場面場面の生彩で理屈なく楽しめた。それで良い舞台であったのだと思う。理をもって取りまとめる必要はなかったのではないか。笑いあり昂奮もあり惹きつけるファシネーションも豊かで、ふーん、わが息子はこんなにうまく確かに創れるようになったんだと、安心し感心し、プロの劇作のカンドコロに、没入して楽しんでいた。
だが、最後の十五分(?)が、いけない。もう終わるのかと思ってからが、長い長い。着陸し損ねた飛行機が飛行場の上をぐるぐる旋回しているように、はらはらと、くどく、説明的に長引いた。鞭を鳴らすようにピシッと的確なエンディングにならなかった。
おいおい、まだやるのかと思うほど、理詰めの説明場面がムダに続いてしまった。惜しいとしか云いようがない。

* 書けない小説家が、一つのマンションだかアパートだかの幾部屋かを場面につかって、いろんな話を書いているのだが、うまく全うできない。その、作中人物や、現実の作家や編集者が、ごったに、舞台で交流しながら、さらにそのホテルだかマンションだかには、大量の核爆発兵器が隠されており、某秘密警察が懸命に捜索しているという、なんともややこしい情況ではあるのだが、それらに「理」に落ちた説明などむしろつけず、要らず、混乱の調和と活気のまま魅力的に放っておけばいいのに、最後の十五分ばかり、蛇足に蛇足が効果悪くくっついた。理に落ちた。おかげで、活溌な感動と昂奮の渦が冷えてしまい、オルガスムスの邪魔されたセックスのようなアンバイ式に、へんてこになってしまった。かえすがえす惜しかった。そこがうまく行っていたら、ドラマ完成度の面白さでは、「タクラマカン」よりも、「地図」よりも、「ペイン」よりも、「リセット」よりも、精度と活気のいい舞台になったのにと、いささか、よそながら口惜しい思いをした。
役者はみな百二十パーセントの頑張りで唸らせた。作劇の遺憾が惜しまれるのである。

* 悲愴に会社を辞めたくない、おじさん社員氏と、築山万有美とが、今回は健闘めざましく、しかし、どの一人一人ももう一度も二度も三度も繰り返し観て楽しみたいほどの火を噴く演技を見せていた。

* 雨は上がっていた。渋谷から池袋へまわり、パルコの船橋屋でおそい食事を美味しく食べてから保谷へ帰った。 さて、明日には湖の本の上巻がまず届く。なにもかも見切り発車ではあるが、落ち着いて作業したい。
2004 6・6 33

* 俳優座公演「タルチュフ」に出掛ける。この古典劇を新劇としてどう料理しておいしく食べさせてくれるか、楽しみに行く。晴天。暑そう。
朝一番にいくつものメールが来ていた。
2004 6・16 33

* 俳優座公演の「タルチュフ」 綺麗な喜劇であった。舞台装置の簡素に要を得ていたのが、綺麗なという「印象すッきり」を、まともに支えていた。
モリエールの「タルチュフ」は、喜劇としては天下一品の名作。主人公タルチュフは、とんでもない偽善者めく悪漢として、いわばどことなく「人間」ないし「男」の普遍的代名詞みたいな本質把握がされている。フランスでは「タルチュフ」は固有名詞でなく普通名詞になっていると謂う。そういう人物は何処の国にもいるだろうが、「タルチュフ」がフランス人を或る面で代表しているというのが、面白い。こういっては悪いが、「歴史」から学び取った印象と、よく似かよっている。
とはいえ、彼タルチュフをそういう位置に置いてしまったのは、彼の「善良と敬虔」とを疑えなかった「オルゴン」という或る一家の主をぬきには考えられない。このオルゴンの鈍くさい、偽善に今一歩という善人面の印象も、またフランスと似かよっているのだ、わたしには。
彼オルゴンはルンペンなみのタルチュフを路上から拾ってきて家に入れ、その「敬虔な信仰と誠実な人柄」の虜となり、さながらに一家存立の主導権をすら居候であるタルチュフにみんな預けてしまい、しまいには、全財産とともに愛娘をその妻として与えようとする。実の息子があるにかかわらず彼タルチュフに全て相続させようと、法的にもそんな契約を強行してしまう。
それほどに主オルゴンは盲信し、それほどに盲信を煽るようにタルチュフは、この「兄弟」のような「父」のような男オルゴンをだまくらかしている。もう一人だまくらかされているのがいる、口やかましいオルゴンの母親が、息子に輪を掛けてタルチュフに狂っている。
このオルゴン母子の「ていたらく」をどう解釈するのか、その辺は今日の舞台では少しも立ち止まっていなかった。「そんなもの」と納得しきっている風であったが、はたしてそれでいいのかな。あれはよっぽど奇妙に偏執気味の母と息子になっている。しかもいかにもその愚かしさに「人間」の臭みがついてまわる。「なんでやろ」とは、今日の舞台は一度も問うていなかった。暗示も示唆もしていなかった。だが、タルチュフの存在を存在たらしめているのは、オルゴン母子の或る異様さである以上は、なにかしら舞台にその理解が示されて、一層の深い喜劇になりえたろう。わたしはそう、想う。
さてしかしながら、他方オルゴンの妻も、息子も娘も、妻の弟も、元気いっぱいの小間使いも、断然タルチュフを信用していない。みえみえに彼等にはタルチュフの「わる」が見えている。それなのにオルゴンと母親にだけは、神に等しい金無垢の男なのである、タルチュフは。その段差、落差が笑いを生むのであるが、このいわば三者は、「人間」なるものの、それぞれ何を表し得ているのだろう。問うに値する問いであり、しかし舞台は、そんな難しいことは考えません、という軽い通過で済ませていた。
タルチュフは、相愛の恋人のいるオルゴンの娘を妻にして、結果としてオルゴン家を乗っ取ったうえに、さらにオルゴンの妻にも欲望を抱いている。けしからず蠢動している。娘も妻も微塵もタルチュフを受け容れる気はない、のであるが。
こういう情況で進行する一家内の人間劇は、したたかに笑わせる。笑いはそうあくどいものでなく、舞台の清潔ともつりあった、さらりとした笑いを誘う。
ではあるが、タルチュフの図太さといやらしさとはたしかに相当なもの、それがまた中野誠也の勲章ものの名演で、ほとほと可笑しいのである。中野のタルチュフを演じきった「目づかい」の確かないやらしさは、ちょっと褒め言葉に困るほどみごとで、こんなに生き生きと達者でたしかな中野誠也の芝居は、類がないと叫びたいほど適役であった。中野が演じているとは想えなかった、タルチュフがいる! という実感だった。彼はカソリックの聖職者と同じ恰好をし、聖書を手にロザリオなど身につけ、なんともたまらない。この敬虔めく偽善者ぶりはモリエールによる初演の昔、相当にカソリックと協会のお偉方を刺戟したに違いない。なにしろ舞台で急死したモリエールは、国王のとりなしがあって、やつとこさ教会に墓所をえられたほど、教会の憎まれ者であったが、むりもないと笑ってしまうほど、「タルチュフ」の批評は辛辣で深みに刺し込まれている。
なにもカソリックや聖職者だけがやられているのではない、わたし自身も含めた世の男どもがみな人間の名において手痛く諷刺されているのである。
演技者は、中野のダントツは横に措いても、安藤みどりの小間使いトリーヌが、しやすい芝居をいかにもしやすく生き生きとやっていたのが好感でき、それ以上に、木下菜穂子の娘マリアーヌが気持ちよく演じていて、頷けた。小笠原良知のオルゴンは佳い意味ですべてに間の抜けたほんものの間抜けぶりが、真面目そうに演じられて、成功していた。後半の色仕掛けタルチュフとの攻防に奮戦するところは、さすが川口敦子の妻エルミールに巧みが光る。遠藤剛の義弟クレアントは少しもたついた。他はまずまずか。
いや問題がなかったワケではない。が、演技陣につけたい注文ではない、演出安井武への疑問を書いておかねばならない。

* タルチュフは化けて実悪をあらわし、オルゴン家の財産や邸を奪い取るだけでなく、政争がらみの苦況にオルゴンを追い込み、一家は蒼白になる。だが、これがどんでん返しにひっくり返り、タルチュフは「国王」の手により投獄され、オルゴン家は愁眉をひらく段取りなのだが、そのどんでんがえしが、水戸黄門の印籠なみに、国王陛下の御稜威(みいず)にすべて由るのである。ことをモリエール自身に戻せば、彼は終生国王の庇護を得て赫々の名声を得た劇作家であり俳優であった。その喜劇は真に優れていたし上演されて面白い。王の庇護のもとに彼は言いたい放題の諷刺を利かせえたのであり、当然のことに、多くの敵をつくり、敵の前で王の御稜威を引き合いに出すのは死活上の手であった。それはそれで分かる。
それを、二十一世紀の俳優座劇場がそのまま踏襲して佳いのか、適切なのか、という大疑問が残る。
ああピンチだなあ、タルチュフにまんまと根こそぎやられてしまうのかと、観客もいささかぐたりとしている、そのドンデンガエシに、馬鹿馬鹿しい「国王陛下の偉大さ」がタルチュフの悪を粉砕するのでは、せっかく、すっきりきれいな粋な笑いに興じていたのが、すべてしらじらしく馬鹿げた「解決」を得てしまい、冷え冷えと芝居が灰のように沈みきって行くのである。
あそこは、竹取物語など古典の中に「自由領域」として好きに書ける部分があるように、オルゴン家の苦況を魔法のように真にドンデンガエシするのは、「現代の演出家の責任と工夫」でなくてはならない。あの終幕部こそ、現代に「タルチュフ」を演じるいわば優れた自由領域であり、あっという魔法のドンデンガエシを「諷刺として創作」しなければ、何世紀も前のばかげた「王政讃歌」に終わってしまう。
あああ、せっかく気持ちの佳い成功間違いない舞台であり演技であり、笑わせて貰って喜劇を満喫していたのに、勿体ない、「センジンの功をイッキにカクわねえ」と、横の席で、わたしの妻も大いにしらけてしまったのである。
まさか「ヴェニスの商人」の裁判の、あれを真似られても困るが、どこか暗示的に、タルチュフと「いろいろ宰相」の小泉純一郎とを痛烈に重ねてやっつけるぐらいな、生彩有る諷刺で、あの情況・苦況を、爆笑でひっくり返して欲しかった、そんなのは一日も智慧を絞れば出来る話である。
場所もあれ、新劇のメッカである俳優座劇場で、「国王陛下の威徳を頌え」る芝居なんかされては困る。せっかくの佳い芝居をぶちこわされては堪らない。大拍手する気でいたのに、拍手の熱が冷めたのは、好演の俳優達に、とりわけ中野誠也のタルチュフにじつに気の毒だった。
またあそこで延々と国王の徳を語る若い俳優の力不足も、輪を掛けてしまったただの唐突感しか伝えられなかった。あんな役は、狂言で謂えば野村萬ぐらいの重鎮が、座頭格が、堂々と貫禄よく語ってナンボという幕切れだろう。配役の軽率である。
とにかく安井武の演出責任はあまりに重かったと、ハッキリ責めておきたい。

* 一散に大江戸線で練馬へもどり、駅構内の「魚力」で小味な鮨を食べた。酒は佳い銘柄の純米をえらんで二合、美味しく呑んだ。貝の味噌碗。生赤貝と中とろを追加した。
2004 6・16 33

* 原宿廻りで帰ろうと表参道から千代田線に乗り、またもまんまと一駅乗り越して引っ返した。
さ、これで、六月の仕事は事終えて、明日は、招待のシェイクスピア「コリオレイネス」を観てくる。六月はそれで果てる。
2004 6・29 33

* 今から、「コリオレイナス」を楽しみに行く。どんな台本になっているか。この原作は実に手強いからだ。

* 三百人劇場、劇団昴公演のシェイクスピア劇「コリオレイナス」は、まことに歯切れの良い舞台で、よくまああの乾燥して長い原作から、こんなに引き締まった台本をつかみだしたものよと、それに感心した。わたしも妻も、めったになく沙翁の原作を福田先生の訳で読み切っておいた。それがむろん大いに幸いしたものの、こんなに面白い、間然するところのないテンポのいいシェイクスピア劇は、あの四大悲劇やその他の名作のいろいろを見てきた中でも、随一かと思われるほどの好舞台で、そのことに唸ってしまい、双手を高く上げて拍手してきた。休憩前の幕切れでも拍手が既に出ていたというのは、観客席に舞台の気迫と効果とが着実に伝わっていた証拠だろう。
ケイアス・マーシャス・コリオレイナスは、高潔だが賢明とは言えない、しかし賢明とは言えないことが即ち高潔な証でもある、武勇の英雄である。しかし、貴族的な元老にも、市民に支持される執政官にもなれずに、かえって国を救う稀有の功績にもかかわらず、屈辱を与えられ、ローマ市民に国を追われてしまう。
怨みに燃えた彼は敵陣営に身を投じて将軍となり、故国ローマの都城を脅かす。ローマは汚辱と蹂躙に遭いそうになるが、コリオレイナスの母や妻子の懇願に負けて和解の交渉に応じてしまう。それが裏切りと取られて、コリオレイナスは殺されてしまう。母や妻子が必死に和を請う場面は盛り上がり、北村昌子の母ヴォラムニアには緩急のセリフに迫力と駆け引きとが縦横して、みごとだった。宮本充のコリオレイナスも、終始颯爽と高邁、そして性急な癇癪持ちを、充実したちからで演じてくれ、しっかり共感できた。内田稔の先任将軍コミニアスも、小山武宏のメーニアスも立派に安定した役づくりで、舞台を柔らかにきちっと引き締めていた。護民官二人も適切な芝居をして緊迫に大きく寄与した。
台本づくりとともに、戦闘場面や民衆の出し入れなど、すべてに、さすが村田元史の演出は隙間なくテンポ美しく、歯切れの良い好感度を舞台に実現し、颯爽たるものがあった。
この沙翁劇は、容易ならぬ作意に溢れている。民衆がいかに定見なく煽られやすい愚民性に浸染されているかも、痛烈に抉っている。
元老政治の生温い保守性に対しても容赦は見せない。嫉妬や羨望や策謀の暗さからも目を背けていない。
そして民衆に支持されず、執政官の地位にも就けない峻烈の英雄は、また母や妻子の涙の前に、高潔さと優しさと愚かさ(とまで云われねば成るまい)コンプレックスを弱く露呈し、結果として敵陣営の奥深くで死の闇へ突き落とされてしまう。
如才なくは決して世渡りできない人間の、魂の無垢と未熟との相克。政治的対決を表に描くようでいて、沙翁はやはり孤独な一人間の表裏をしっかり彫琢し、また社会の多面的な俗容を、無遠慮なほど露わに晒したてる。その意味で、この新劇は、甚だやはり今日的であり、ローマと現代との落差をほとんど感じさせなかった。

* いい舞台だった。すかっとした。昂奮した。思わずわが胸に手も置いて考えた。

* 巣鴨へもどり鮨の「蛇の目」で夕食した。この、妻とは二度目の芝居帰りの鮨が、うまかった。いいタネをつかうなあと感じ入り舌鼓をうった。若い板さんはわれわれをよく覚えていて、息子のことまで尋ねてくれた。
秦建日子脚本の天海祐希主演「ラスト・プレゼント」は七夕の十時から始まる。
2004 6・30 33

* 昨夜熱帯夜のせいか、本の読み過ぎか、なかなか眠れずにいた。もっとも起床も遅かった。
今日は、できればのんびりと外出したかった。原稿が書けないので、そういう気になりきれなかった。まだ書けていない。明日と明後日で始末をつけないと、火曜の歌舞伎通し狂言、玉三郎の「桜姫東文章」が楽しめない。新聞にアナも明けられない。日が変わる前に、今夜は階下へ。『外伝』の続きが読みたくてウズウズしている。妻は、病院の帰りに帝劇下で見つけて買って帰った、涼しそうな服を着て行くのだとはりきっている。この狂言は、妻が自発的に通しで切符を買ったので、すこしおっかない狂言である。

* 思い出す、太宰賞をもらった少しあとに、初めてアングラ芝居の演出家から招待されて、建日子らが公演するよりも狭いホールで初めて「桜姫東文章」を新演出で観たときは、ほんとに「怖い」と思った。のちに紀伊国屋ホールで青年座が講演したのに招ばれたときも、「ぞくぞく」した。さらに後に、今の仁左衛門と玉三郎でも、幸四郎だか吉右衛門だかでも観ている。見応えのする南北芝居である。
2004 7・17 34

* 十一時に寝、一時十五分、三時十五分に目が覚め、三時五十分頃には起きてしまってキッチンの卓でこつこつと仕事し、二階へ来てあれこれしているうち、六時十分。変な話だが、だが、もう一度横になってからだを休めておく。昼まえには俳優座へ出かける。好い芝居であって欲しい。
一水会展にも行きたいし、学会も予定されているし、能もある。秋は催し物の花盛り、菊有佳色の盛況である。元気でなくちゃ。
2004 9・22 36

* それからもあれこれと仕事を向こうへ向こうへ押し出して行きながら、朝起きの徳をいかした。まだ九時半にもならない。俳優座で寝てしまうかも知れない、好い芝居でないと承知しない。
2004 9・22 36

* 俳優座劇場での公演「ザ・パイロット」は、戦後の早い時期に初演されている。
長崎に原爆を投下したパイロットが、「犯罪者」としての自覚を抱いて長崎を訪れある一家に身を寄せている。
宮本研の戯曲はそう簡単に荒筋を示せないが、原爆の、深刻な被害を受けた側とパイロットとの葛藤を通じて、作の動機は、ひと言で、むろん「反核」である。
それ自体はどれほど繰り返しても繰り返し足りないほど重い大事な主題であり、今なお時宜に適し必然味を帯びた上演には相違ない。きわめて真面目な公演で、それなりの訴求力をもっていたことも疑いない。

* ただし当の舞台は、純一な統制を得て求心力につよい感銘が透き通っていたか、というと、残念ながら、渾然の妙には遠い、雑然とした演出であり演技であったし、舞台装置であり音響効果でもあった。かなり無駄な混在場面があり、演出の切れ味はぬるく、ガサツであった。
いわば台本の整理に最初の問題があり、舞台装置も演出も、演技的にも、何となく「把握の弱さ」に帰因する「表現の粗と雑」が否めなかった。
肝腎のパイロット役の意義や意味や意図が、はなはだ消化不良で弱いのだ、これはまずい。おそらく彼の感傷的な甘えた懊悩が、それ自体は作劇上意図されていた本筋かも知れないにしても、終始その懊悩の程も真意も「やわ」なまま終始し、存在意義が稀薄だった。人物の心理にも行為にも彫琢された妙味がまるで乏しいのだ、オイオイ何をして居るんだね君はと問いたいほど。
主人公がそんなことでは舞台に痛切な求心力というか、焦点が結ばれないのはムリもなく、なんとなく騒がしいままに、時も、物事も、人も、流れ流れてしまって痛いほどの感銘は結んでくれなかった。これは俳優の罪であるより、適切な演技指導に欠けた演出の責任ではないか。
最初の裁判など、また最後の老婆の説明的語りなど、省いてもよかった。出だしで学芸会じみ、ラストでピインと張りつめた盛り上がりをかき消してしまった。
大きくは「反核」を訴えていいのだけれど、また、それだけでは、人間劇としての煮詰め方は弱くなる。甘く大味になる。
大塚道子を中心とした「一家」の描き方は十分面白く説得の力があるのに、その中へ落ちこんでいる主人公のパイロットの嘆き節がなにやら浪花節めくので、ひどくその辺から舞台の全部が泥臭くなった。むしろ脇役の刑事の存在感や、一家の孫息子の激発の「批評」などの方がよく利いた。
新聞記者の芝居などは、クサイほど軽く、戦後直ぐの雰囲気にかけ離れて、今今のマスコミずれした安いテレビタレントみたいで、見るもいやな感じだった。
大塚の老巧、六平太役の苦渋などは胸によく届いた。しかし鬼面をつけての能狂言仕立ての母と娘との場面なども浮きあがって、成功していたとは思わない。雑炊劇にしてしまったのが成功を欠く原因ではないか。
なんだか感想まで雑然とした。が、今一度言えば、脚本の整理がわるく、演出が泥臭く、舞台装置に手柄がなく、演技陣にも主役の曖昧さが祟ってか全体にピンとした張りが不足した。大声になるところだけでどきどきしても仕方がない、芝居というヤツは。せっかくいい話題のいい素材なのに、練り上げに問題がのこって、印象が全体に雑であった。雑。その一字で足りた、批評は。眠くは成らなかったけれど、熱くも成らなかった。観客席から身を乗り出させる求心力が欲しかった。

* 劇場を出た頃、少しからだがぞくぞくし身熱を感じたので、森ビルへ入って中華料理をというより、瓶出しの紹興酒でからだを温めた。そして、一路大江戸線で帰宅した。

* 睡眠量を回復するために、今夜も早くやすむことにする。
2004 9・22 36

* 十時には寝入って、七時まで、しっかり寝た。寝ただけのことは、ある。

* 昨日の「ザ・パイロット」を思い起こしてみる。
佳い芝居だと、感動や感銘が余韻としても場面場面としてものこっているものだが、(例えば稽古場公演の「足摺岬」はまだ幾場面もが脳裡に音を立てて残っている。)昨日の舞台はもうずいぶん遠いところへ小さく後退していて、ずいぶん賑やかに心騒いだ芝居であったのに、音響もセリフも遠退いて耳に聞こえない。やはり求心力にかなり欠けていたのではないかと、妻の言葉も添えていうなら「せっかくの、すばらしい提案であり主張なのに」勿体なく「雑」にやってしまってたんだと、いまいちど惜しまずにおれない。
大塚道子、伊東達弘、星野元信。何の問題もない。若い、事に女性の新人達のはなやかに色を添えていた好ましさも印象よく、どの人がこのさきざき伸びてゆくのだろうと楽しみ。若い男優では志村史人の一種ねちっこい肉体感覚が目にとまり、せりふがそれに連動していて面白かった。
一つ疑問を呈しておきたいのは、「祝」一家のことで、これを「いわい」と読んでいた。原作の指定がそうであるのだろうが、この苗字はふつうは「はふり= ほうり」サンである。「祝」は神官の姓というより役割の名であり、「はふり」と読むように「葬り=葬祭」の意義をも帯びている。あの原爆被害の一家の劇中に帯びている意義を暗示するの、やはり「ほうり」さんでありたいところ。しかしながら「いはひ・いはふ」にもおなじ意義は託せるので、それでもいいかとは思うけれど。
原爆の問題を「情的にリリックに」いう上演趣旨はどんなものか。センチメンタルに流れたのではないかという思いが捨てきれない。
2004 9・23 36

* 久しぶりに、加藤剛主演の俳優座公演「心 わが愛」をNHK藝術劇場が撮って放映したのを、ビデオで見た。いささか照れくさかったが懐かしくもあった。盛り上がってくると、少し泣いた。漱石の原作をダシにわたしの「心」論にしたような舞台であった。「身内」論でもあった。俳優座の公演はほぼ欠かさずに見せて貰っているが、あの公演ほど客が入って、階段通路にもどこかしこにも補助席がぎっしりだったのを、他にわたしは記憶がない。漱石で「心」で加藤剛でという三拍子が揃ったのだ、当然だった。
2004 10・4 37

* 風がものを鳴らしているが、日射しは綺麗に明るい。午后は三百人劇場の「チェーホフ的気分」に。
2004 10・27 37

* 劇団昴の三百人劇場『チエーホフ的気分』は、面白い作劇であった。わたしが、いつでも、いちばんやりたいと願うような「創り建て=趣向」であった。ユーリー・ブイチコフ作、中元信幸訳、菊池准演出のこの芝居は、時空を超え、ひとりのチェーホフと複数の同時代人物達との交感・交渉が、同じ一つの舞台で重なり合い進行する。復式能というが、むしろ「複雑能」のつくりを、流れるようなセリフ交換でテキパキ進めて行き、その「セリフ」と聞こえる総て九割九分が、実は「書簡」の、ラブレターの、往来なのである。これはうまい、これはおもしろい、これはやりがいがある、佳い趣向であり、作りはなかなか自然でむりがなかった。総合点、かなり高い、すくなくもわたしには。
まず、ぜったいに大事なのは、そういう創り建てに堪える「舞台装置」である、なぜならチェーホフとは当然例外に、滅多に互いに語り交わさない関係者たちが終始と言っていいほど舞台の上にいる。しかも時空を超えて他の女とチェーホフとのまさに相聞の応酬に聴き耳すらも立て、演技的に反応し続けている。そして一人一人が多少はチェーホフをめぐりつつ居場所を移動する。複雑すぎる舞台装置でもいけない、あまり簡略すぎても働きにくい。その舞台づくりがまず柔軟に巧みであった。劇団昴の舞台装置はいつも、よく頭を使っていて感心させられる。
この舞台装置を生かして、この「複雑能」を生かすには、なにより明快な、つまりあまりこんぐらからない言葉と演出の冴えが必要不可欠だが、これが訳者も演出家もなかなか冴えていて、「まずいよ、それは」という個所をわたしは見出さなかった。
そういう難儀な舞台に出て、難儀な設定の上に動かされながら、五人の女優(日野由利加、松谷彼哉、米倉紀之子、高山佳音里そして相沢恵子)と一人の男優 (小山武宏=出版者スヴォーリン)とが、まことにアンサンブルよろしくチェーホフ(牛山茂)にからみつき、まつわりつき、ドラマを創り上げてくれた。セリフのトチリが二三なかったなら満点であったが、それでも満点に近い満足と興趣を覚えて、わたしは終始何の退屈もなく舞台にはまっていた。お洒落な舞台が、かなり深刻な愛と女を問う「本質劇」を演じていた。関心なくてはおれなかった。
先日、「シャンプー」というウォーレン・ビーティー演ずるブレイボーイの、もの悲しい末路映画をみた。ゴールディ・ホーンのような可愛いチャーミングな三人の女性に追いかけられ追いかけられて、好き放題にしながら最後に男から追おうとしたときは時既に遅かった。バカげた映画のようで、どこかに残酷味の生きた後味ののこる作品であったが、『チェーホフ的気分』を、かるく見ると、これに似かよって錯覚する人が有るかも知れない。
だが今日のドラマは、様子はまるで違うのである。黙って容認しておくけれども、アントン・チェーホフには女達の絶対の愛が惜しみなく捧げられ、時と所をへだてて烈しく動揺もし虚しく受け入れられもしないにかかわらず、ほぼ終生変わらないまま女達の愛は透明に燃え盛って、ともあれ、一応の幕が引かれる。そしてその先には、病に冒されて苦しむ文豪チェーホフ自身の破局と終焉が、分厚い命の壁として予測される。
問題はチェーホフを愛した何人もの女性側に在るのでは、ない。その幾つもの愛をことごとく享受したチェーホフの、チェーホフ自身による或る意味での愛と女との否認ないし諦念、の意義が問題なのである。
かれは、ドン・ファンのように女の真実を渇望したのではない。ほぼ同時にまんべんなく何人もを「ベッピンさん」として心から愛して、しかも生活的に受け入れることがなかった、むしろ彼は彼女たちを避けた。だが、彼の手紙は、いや女達の手紙もまた、ユーモアにあふれ愛にも溢れ、軽妙で魅力に富み、軽薄ではない。
だれもがみな本気で書いて、喜び哀しみまた歓喜している。だがチェーホフのその本気は、なかなか生身の女へは向かわない。そして、最後の最後に、彼は女優オリガ・クニッペルを妻に迎えるが、それもいろんな事情で、彼等は最期まで遠距離別居夫婦であった、甘い甘い手紙はたくさんたくさん遺されているけれど。
このドラマの真意を読み取るのは、容易でない。チェーホフは、「的気分」としてはともかく、つかまえやすいタマではない。つかまえたと思う表現は、みな寸足らずに成ってしまうような、喰えない相手だ。おそらくは『チェーホフ的気分』のこの作者または演出家は、此の「題」のままに受容したものの、ヘンに力んでチェーホフの愛を割り切ってしまわなかった。チェーホフにも「どうしようもなかったのだ」と此の作者は感じて、こういう面白い「式」は書いたけれども、安直な「答」は書かずに置いたのではなかろうか。
だが、まあ、こんなおもしろい芝居とは予期していなかった。その一方チェーホフをあまり知らない観客には、出て来る女達のリアリティーに納得がゆきかねる歯がゆさや退屈が有ったかも知れない。終幕、わたしは劇場の誰より佳い拍手を長く続けたが、どう拍手したものかというタメライが、たしかに劇場の観客席に、ややしらじらと感じられたのも確かだ。
2004 10・27 37

* もう一度妻と三百人劇場の「チェーホフ的気分」を急遽、観に出掛けた。あの芝居を二度見に出掛けたのはわたしぐらいだろう。やや空席があった。だがわたしは前回と変わりなく、いや前回以上に多角的に面白く観てきた。チェーホフを取り巻く人物達の、いわばお呼びでない間に舞台のそれぞれの位置で演じているこまかな演技を見ていると、この静かなドラマがはらんだ熱塊の、熱さも大きさ激しさもがとてもよく分かり、芝居がじんじんと膨らんでくる。米倉紀之子も日野由利加、松谷彼哉、高山佳音里も、それは気を入れているのだ、それが好もしく面白く、また感銘を得させてくれた。
ま、それはそうとして、いったいこの劇はどう、何を読み取ったのか、チェーホフ的気分として。
この戯曲が作劇に新鮮な何物かを加えたのは分かる。わたしのような作りの小説を書き、また能にも或る程度深く接してきた者には、さほど共感は難しいことでもない。ただ難物はチェーホフである。だいたい未来に希望はもてない、だから持ちたいと作中人物に語らせる作者である。或る意味で甚だ生彩に欠けた性質がある。関係者は、これを「ありのまま」の一語で捕らえていて、わたしは、それは「あるがまま」の間違えではないかと感じる。「ありのまま」と「あるがまま」とはちがうことばである。「ありのまま」に表現するといい、「あるがまま」に生きるという。チェーホフのアンニュイとも謂える生き方は「あるがまま」への偏執にちかい好みなのである。女達との汚れない愛は、「あるがまま」に愛されるのなら喜んで愛されているチェーホフの、静的な、だが不逞なほど頑固な女観、愛観で終始する。少なくも終始したいと、チェーホフは自身を安直に投げ出さない。
女たちはそういうチェーホフをなぜか愛さずにおれない、そこが不思議なのだが、少しも不思議でないと想わせたい芝居に成っている。感銘はそこから生じている。チェーホフが文豪であり有名人であることが無関係とは言えぬにしても、チェーホフは星座のように愛をきらめかす言葉、まさにみごとな恋文の書ける作家なのである。女はその恋文に人生をささげて悔いなかった、ただ一人の例外もなく。
このドラマが往復書簡により作劇されているのは当然である。
2004 10・29 37

* 秦建日子作・演出「月の子供」が、新年早々の十一日(火)より二十三日(日)まで、異例の長丁場公演となる。劇場は下北沢「劇」小劇場。
古代文明に隠された神々の駅――平成16年の小田急線東北沢駅―― 23世紀に開通予定の月面ターミナル「ルナ・ステーション」―― 時を越え、いくつもの駅を旅する12歳の少年の抱えた「最後の宿題」とは?
えらく思わせぶりに、うまく行くと面白そうな設定のようだが、新作。わたしは何も知らない。あの「アコム」のコマーシャルで人気らしい小野真弓が建日子芝居で二度目の舞台。彼女の処女舞台が建日子作・演出の、この前の「リセット」だった。主な女優は他に、松井涼子、久保恵子、築山万有美とある。建日子が経営している演劇学校の生徒達もかなりの数出るようだ。「秦建日子プロデュース VOL.11」公演。全席指定3800円。28日から、ピア、eプラス扱いで発売が始まる。
この師走早々には初の小説の題が『推理小説』も出版されるそうだ。どんなものか、むろん、これも知らない。芝居の方はほぼ安心して観られるようになっているが、小説の処女出版はかなり気になる。
2004 11・9 38

* 来る正月の早々に、加藤剛の『次郎長が行く』三越劇場の招待が来た。宮本研の旧作である。正月下旬には三百人劇場の『ゴンザーゴ殺し』を観に来るようにと。ハムレット絡みのこれは文字通りの新劇である。俳優座と劇団昴との競演は、いつしれず私の生活を彩る藝術風景になっている。ありがたい。
正月にはこれに秦建日子の小劇場上演で新作の『月の子供』が下北沢で始まる、これには初めと終わりの二回観たいと座席が頼んである。建日子は一月十二日 (水曜)午後十時から、新しい連続ドラマの開始とも聞いている。今はそういう時だ、しっかりガンガンおやり。小説も第二作が有るに違いない。第二作というのはなかなか難しいものだ、心を籠めてすてきなエンターテイメントを打ち出して欲しい。
すっかりお能から身を退いているが、誰かの森厳な「翁」に出逢いたいもの。歌舞伎は高麗屋へもご縁が繋がりそうで心強い。初代吉右衛門を中心に福助(芝翫・歌右衛門)、染五郎(幸四郎・白鸚)、もしほ(勘三郎)という南座顔見世からわたしの歌舞伎は開幕した。ことに高麗屋はその頃新門前梅本町の「岩波」を定宿にして、先代幸四郎一家は(つまり今の幸四郎・吉右衛門兄弟ら)、わたしの実家のわきの抜け路地を通って行き帰りしていたし、時には、父の店に入ってきて電池などを買っていってくれた。
そんなことがあり、ひとしお幸四郎家をずうっと贔屓にしていた。この家の枝葉は、更に、先の団十郎(長男)、先の幸四郎 (次男)、先の松緑(三男)そして女婿の現雀右衛門へと大きく拡がったから、この一家のことを知っていると、おおかた歌舞伎の世間は見通せたものだ。
その上に、わたしは当時片岡我當の長男であった秀公(現我當)と中学で同期だったし、実は彼は大学もわたしと同じ同志社に入っていた。我當の姉も上級生にいて、文化祭で「修禅寺物語」をヒロイン役で堂々演じてみせてもくれた。
肩肘はって能が一、人形が二、歌舞伎が三などといっていた高校生だったが、やはり歌舞伎の魔のような魅力は随一で、とうとう今日、歌舞伎のいわば虜囚となっている。我當君のおかげであり、さらには扇雀丈とのメールのご縁を繋いでくれた囀雀さんにも、感謝しなければならぬ。番頭さんにも重々お世話になっている。
2004 12・11 39

* 一月は芝居月。加藤剛の三越劇場を皮切りに、建日子のやや長丁場の「月の子供」公演があり、これは前後二度行こうと思う。十日に梅若万三郎の「翁・高砂」があり、次いで歌舞伎座の通し、そして劇団昴の「ゴンザーゴ殺し」がある。俳優座の何十年とやらお祝いの会も、建日子の新しい連続ドラマ「87% ―私の5年生存率」もまた始まる。わたしの新刊も一月はやばやと初校が出揃ってくるだろう。
京都美術文化賞展のオープンにうまく行けるといいが、通知がない。鬼が笑っても佳い、春のことを想うようにしている。「何もしない」でも心豊かに楽しく過ごせますように。
2004 12・24 39

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