ぜんぶ秦恒平文学の話

舞台・演劇 2005年

 

* 明日の初外出、加藤剛の春芝居「次郎長が行く」が、渾然とした感銘作であるか、さらりと笑えるといいのだが。
2005 1/4 40

* 今日は、三越劇場で加藤剛と俳優座との春芝居、初の外出。寒いらしい。機械も寒いのがイヤらしい。

* 宮本研作「次郎長が行く」を加藤剛がやった。みやすい、からだもらくな席を用意して貰い、(三越劇場は床が殆ど平であるため、前方の客の頭が壁になりやすい。)心行く観劇が出来たのは、春から有り難いことであった。妻の隣席には俳優座現役俳優最長老の浜田寅雄がいて、しばらく話し合った。昔、嵯峨善兵が存命で繪も描いていたころ、個展会場で善兵さんから居合わせた浜田さんを紹介された。

* さて、「次郎長が行く」とは、幕末から明治へかけて、東海道の侠客清水湊の次郎長親分と「近代」とのアンバランスな悲喜劇を描いた舞台。次郎長こと山本長五郎が、幕臣山岡鉄太郎となかなかの縁者であったことは知られている。勝海舟の秘命を受けて、西郷と論判すべく、山岡はむろん早くに芝居にも登場する。のちには、駿府へ隠居逼塞した徳川慶喜までがリュウとハイカラな洋服と猟銃をもって、大事な役で登場する。
ご存じ、大政・小政以下の子分衆も、三人まで代替わりした次郎長愛妻の「お蝶」(初代二代とは死別)も、二代目、三代目と登場する。自由民権の「激派」天田五郎も難しいひと言を最後に口にするために、いささかぎごちなくであるが、若々しく威張って現れ出る。
新政府の博徒取り締まりに遭い、次郎長(とうに本人は博奕打ちなどしていなかったのに。)も、まんまと逮捕され、二年近く禁獄されるが、それは近代史を読んで知っていた。

* 芝居の流れを形作る機微は、二つある。
一つは、唐突に登場する広瀬大尉だか中尉だかの質問と次郎長の答えとに、説明的に露出する。やがて旅順港封鎖で従卒杉野兵曹とともに戦死した、この「軍神」広瀬中佐は、日本を離れる前に老いた次郎長親分をわざわざ尋ねてきて質問するのだ、「喧嘩に必ず勝つ方法は」と。
次郎長は、「負けると分かった喧嘩はしないこと」「にげるが勝ち」と答える。なにやら現代の戦争世界をあてこんだセリフにも聞こえる、が、ドラマが前半から後半へ流れゆく課程で、明らかに次郎長は、一の子分大政とのアウンの呼吸で、或る「負けると知れた喧嘩から、逃げ」て、仁侠の道から逸れて新しい時代の潮流へ身を投じてしまったのである。それが悲劇であったとも、余儀ないことであったとも、甚だ割り切りにくい。
諦観の境地で、それでもなお新時代への憤懣も抑えがたい「隠退将軍慶喜」は、当節の男には、時代に乗って躊躇わず左右して行けるタイプと、それをしない・出来ないタイプとがある、と、次郎長に教えている。そんな慶喜の言説や描き方に異存のある人もたぶん有ろう。それはともかく、慶喜の云うように、次郎長がはたしてその二つのタイプの後者に当たるのだとも、実は簡単には云いきれないのではないか。時代の波に乗ろうと踏み出しながら、実はまんまとそれに失敗した、乗り損ねたに過ぎない、とも云える所が、この「次郎長が行く」の割り切れない、ややこしい機微になっている。
きつくいえば、戯曲の書き手の、或いは演出家も含めて、この辺の「把握が弱く」て「表現も弱く」曖昧になっているのかも知れないのである。

* 二つめ。このドラマで作者かぜひ云いたかった明らかな、もう一つは、発布された明治欽定憲法の第一条だけは、何としても遮り、はねのけ、排除したかったのだという、自由民権の志士天田五郎の端的な発声に露出している。
「日本国」は万世一系の天皇がこれを統治する、というのが、云うまでもない明治憲法の第一条である。
しかしながら、この、作者ないし天田五郎の思いと、主役次郎長とは、深くはまるで交叉していない。次郎長親分には、自由民権、主権在民の民主主義理解など、無い。有っても鸚鵡の口まね程度で、その口まねが、とってつけたような「次郎長英語塾」のカタコト英単語の羅列に、可哀想なぐらいに表現されている。
徳川慶喜も暗に願い、天田五郎などが露骨に企図していた「ユナイテッドステーツ オブ アメリカ」のような合議の国体は、たとえ聞きかじっていたかも知れぬにせよ、次郎長親分の血肉にまでは、全然沁み入っていない。あげく、頼りにしていた山岡鉄舟が、徳川と天朝と新政府のあわいをきれいに泳いで「子爵」に叙せられ、そして死んでしまうと、次郎長はもう惑乱してしまうしかなかった。「たすけてくれ」と。

* そういう座標をもった今日の芝居であり、狙いはいいが、「次郎長」一人を主役としてみると、劇の内部に大きな亀裂や混じり物の入った芝居というハメになる。うまく割り切れたり、決して、しない。もののあわれは、二人の妻お蝶や子分達や女侠客にはしんみりと染み渡っているのに、次郎長親分ひとりには、なかなかそうは観客席から共感も同情もしかねてしまうタチの、難しい芝居なのである。それかあらぬか、渾然と熱く熱くは舞台が燃え上がらない。しまいに、僧形の愚庵こと天田五郎に、老いた次郎長がまるで引導でも渡されてしまうような芝居になってくる。

* それはもう原作脚本の問題である。
俳優達は、加藤剛以下、きびきびしていた。演出と舞台廻しもきびきび働いていたと思う。どの役者達もほぼ申し分なく芝居してくれていた。熱く熱くは感動しなかったけれど、なにしろ「その時代」を今まさに「読んで」いるわたしには、たいそう興味有るおもしろい舞台であった。例えば、静岡の「開拓・開墾」事業に、博奕渡世を振り捨てたような次郎長一家が打ち込んでいるなど、唐突に思われかねないが、この時代この時期の関東地方での開拓、そして例えば蜜柑や茶の地場産業の熱心な開墾・開発事業は、当時甚だ特徴ある国家経済上の「一事項」で、決して気まぐれなものではなかったのである。
但し、それも、次郎長親分がどれほど理解して勉励していたのかはあやしいし、事実彼自身は途中で開拓の棒を半端に折ってもいた。頭と手との間に余儀ないほどの齟齬があった。
で、芝居はどうだったのと、結論的に云うと、予期したよりずうっとずうっと真面目に面白かった、よくやった、ちょっと忘れがたい生真面目な舞台になっていた、と云うのが本当のところ。
子分達がたいした熱演。山岡鉄太郎役も、男装した流れの女侠客の役も、二代目お蝶役も、みな、しっかり儲け役で儲けていた。
とりわけ児玉泰次の大政、伊藤達広の徳川慶喜が、舞台の上に、きちんと「存在」し得ていたのは快かった。
加藤剛も、剛さんブシで少しセリフを歌うクセは耳に付いたけれど、時代にブンマワシにされた「いい親分」を、誠実に演じていた。「心 わが愛」を演じたときの「先生」役をすら髣髴とさせた。根のふかくで似かよった人間を剛さんは造型していた。ますますお元気でと祈ります。

* 昼飯を抜いていたので、思案のヒマも省き、三越前のビル九階にある「精養軒」へ上がった。
シェリー酒とハウスワインでのフランス料理が佳いコースメニュで、初春一番の外出がじゅうぶん楽しめた。まだ日のあるうち銀座まで戻り、それ以上疲れないよう丸の内線で一路帰宅を急いだ。
2005 1・5 40

* 澤口靖子の日比谷芸術座公演「お登勢」に、親しい読者から好席の招待があった。嬉しいお年玉である。この新年、この正月、梅若の「翁」「高砂」萬斎の「末広がり」、高麗屋らの歌舞伎昼夜、俳優座、劇団昴、建日子の小劇場、そしてトリには澤口靖子の舞台と絶好の楽しい出だし。魔にも近寄られぬよう気を付ける。
2005 1・8 40

* 明日は、歌舞伎昼夜。またうって変わる楽しみ。今夜はよく眠っておきたい。そして高麗屋に、六月の「ラ・マンチャの男」予約するつもり。前にも日生劇場で観ているけれど。
2005 1・10 40

* 一度目ざめたけれど幸い七時まで眠れた。六時間ほど寝ている、上等だ。さっぱりしている。
今日は秦建日子作・演出の芝居が、下北沢の「劇」小劇場で初日開幕する。明日には讀賣系テレビでの新連続ドラマ「87%」がスタートする。
2005 1・11 40

* 明日、やっと『月の子供』を観に行く。帰る頃には雪が降るかとも。さ、もう寝よう、十数分で日付も変わる。
2005 1・14 40

* 小豆粥の雑煮を無事に祝う。正月の三が日(白味噌仕立て)、四日(澄まし焼き餅)、七日(七草粥)、十五日(小豆粥)、新年のそれぞれの美味風味であった。鏡割りの善哉は、糖尿病検査の後日へまわしてもらった。むずかしくいえば女の骨正月とかいろいろあり、二十日頃までお正月であったろうが、我が家ではもうずうっと、十五日でお正月を通りすぎることにしている。
今朝は冷え込み厳しく、小雨がやがて雪になりそうな気配だが、昼過ぎには妻と出掛ける。秦建日子作・演出の『月の子供』とやら、もう十一日から始まっていて、今回は長丁場、二十三日まで続く。好調のようである。もう一度は観にゆく気でいる。
来週は藝術座の澤口靖子の芝居もある。病院の診察もある。こう遊び忙しい一月ははじめてだが、多年「労働」のボーナスだと思っている。
2005 1・15 40

* 冷たい雨、いまにも雪に変わりそうに。
吉祥寺までバス。井の頭線で下北沢へ。もう馴染みの「劇」小劇場へ入ると、同窓の親友で女優の原知佐子と、ぱたり。妻を中に、三人並んで席が用意されていた。通路を隔てて、妻の親友の持田夫人もお友達と。また高校後輩で書き手でもある高橋由美子さんに声を掛けられた。満席で、一度腰掛けるともう身動きならない。

* さて舞台は、申し分なかった。こうるさく苦情をのべたい何も無かった。うまくなったものだ。
けっして広くない舞台に、相当な大勢の役者達を載せて、ガンガンとダンスが繰り返されると、演劇の原点・原拠である「肉体の動き」が、いきなり昂奮を誘いかつ盛り上げる。随処に用いられる音楽が例によってよく選ばれていて、面白く、効果的だった。
そして主演小野真弓が、初舞台の前回から格別場慣れして、不思議に人懐かしい少年の舞台を軽快に創ってくれた。温和で快活、品のいい素直さが舞台進行に適切な旋律感を巻き起こし、問題がらみの少年役がはまっていた。
総じて人間の出し入れと廻し方動かし方の間がよく、その効果で、しゃべくりの演出にも快調な間が生き、所作と科白との「兼ね合い」そのものが「演劇性」を活溌に実現した。どんな舞台も「それ」こそが課題なので、「それ」が断然出来ていれば、筋書きとしての整合性をかりにアイマイに欠いても、舞台は劇的に自律回転して行って、「それ」以外の面白さなどはどうでもよくなってくる。
演劇では、肉体の舞踏的要素と言葉の音楽的要素とが仲良く親和し活躍さえすれば、面白さは半ば以上達成されていて、筋書きだの思想だのはそのあとへ付随的についてくる。およそ芝居の筋書きなどは、観ている人それぞれがそれぞれに読み取った範囲内で楽しめば済む。舞台演劇が、いわゆる「読む戯曲」を断然魅力的に引き離してしまう理由がそれだ。演劇では、肉体の運動と言葉の音楽が魅力的に先行しないと、どんなに優れた思想でも物語でも、引き立つものではない。
今日の芝居は、しかも、建日子演劇の過去から一線を画するほどの「批評性」「思想性」を感じさせた。かなりシュールですらあったから、筋書きとして舞台の進行を「読もう」としていた客は、舞台に置いて行かれたかも知れない。また俳優達がそれをどこまで「読み得て」演じていたのかもわからない。
たとえば、舞台はプラツトフォームに創られて(何の装置もないのだが)、入ってくる電車を待ってどの乗車口にも我慢づよくぎっしり人が行列しているけれど、彼等の誰一人も自分がどの電車にもけっして「乗れない」と知っている。なぜか。前の駅、前の前の駅からもう超満員で乗り込める寸隙もないのを知っている。それがラッシュアワーだけでなく、明け切らぬ始発から真夜中の終電に至るまで、そうなのである。しかも彼等は行列して電車をただもう「待っている」、たまたま事情を知らない新参の客が割り込んでそれに文句をつければ、他の全員の待ち客はそういう新参の「愚」を嗤い詰り諭すのである。
この「乗れない」「何時までもけっして乗れない」プラットフォームや、それでも待って行列している客達が、痛切な或る「寓意」を担わせられていることはすぐ察しが付く。誰も彼もが「乗りたくても乗れない」存在であり、そういう存在で溢れながらただ時間だけを経過させて行く、むなしい場所=現世なのである。飼い慣らされてしまった者達の現世である。
当然なのかどうか、そんなプラットフォームから、線路へ身を投じる存在も現れよう道理なら、プラットフォームの下の世界に降り立ち、そこで哀れな投身者を救済しようと云うアングラな役回りに身を捨てて暮らす者も出来てくる、と、作者はそんな物語も書いているのである。
作者はさらに、人や物の「名」の、空しい記号性を批評しつつ、もっと実存の本質にふれた、複雑で実質ある「名」の問題も持ち出している。『ゲド戦記』などからも学んだか。
仮にこの「名」の問題と、さきの「乗れない」者達の現世とで、相乗的に作者は何らかの課題を観客に対し提出しているのだとすると、これはもう二時間半程度の演劇時間内で「整合性」をもって解きほぐし解説するのは、ムリに近い。むずかしい。難儀である。ややこしい。
そういう、ややこしさや難儀さや難解さをいわば隠し味ふうに置いたまま、舞台で人間たちの肉体が躍り動き、人間の言葉がリズミカルに音響化し音楽化して行く。何が何であるか、意義など二の次かのように、ただもうあれやこれやどんどんと押し流され走り去って行く。そういう舞台である。そういう舞台なんだと納得すれば、リクツ抜きにすこぶる昂奮させられ面白くなる。軽薄なものではなさそうだと思いつつ、その吟味は棚に上げて面白がってられる。つまり作者の掌のうえへ安心して乗り込んでいられるのである。

* 出演者達は、小野真弓をとり囲むように引き立てながら、横山一敏が大変な活躍と好演。松下修も初めて観た昔からすれば<人が変わったかと思うほどムリな臭みが脱臭脱色されて、個性の方が風味を成してきた。からだが、よく動く。他の女優達もそれぞれに存在をアピール出来ていた。「踊れる役者」ほどつよいことが、よく分かる。
建日子が経営する塾の塾生ーたちが、思い思いのスタイルで、みな気を入れて精一杯舞台を揺るがすようにダンスして見せてくれた。広義のダンスと広義の音楽。つまりは、それだ。

* 原知佐子は、劇が終わると直ぐ、わたしの顔をのぞきこんで、「お父さんには書けないでしょう」と云った。とても書けない、こういう台本は。しかしそこに盛られたらしい思想性や批評性の方は、わたしが別の物語で散文にすれば、かなりクリアに書けるだろう。ジャンルが違うだけのことである。子と父は、にているようである、いろいろに。
それにしても「舞台」の躍動効果を、あのように把握しあのように表現することは、真似が出来ないし、息子の才能に素直に拍手を送る。
文字通り、今、彼は倍倍ゲームに臨んで、手を出すつど倍に倍にうまくなり、力強くなり、特異な世界を手に収めて行く。次を次を次をと期待したい。だがその為には、健康でなくてはと、それが心配。見るからに過労のようである。大事に大事にして欲しい。

* 眠い。
2005 1・15 40

* 昨日は偶然お目にかかれてびっくりいたしました。また、奥様、建日子様にもご紹介いただきまして、ありがとうございました。
「月の子供」はあまりにも衝撃的でした。素晴らしかったです。
劇場を出てから駅に向かって歩き出したのですが、涙がぽろぽろこぼれてしまい、下北沢の狭い道をうろうろと歩き続けてしまいました。
生のお芝居を見てこんなに感動したことはありませんでした。
今、ことばでは書ききれない思いで一杯なのですが、建日子氏の視点、お芝居に包括されたものすべて(役者さんの汗までも)に、心が揺さぶられました。ぼーっと眠っていた私を力強く叩き起こしてくださいました。こんなお芝居を拝見できて、本当にうれしかったです。
ありがとうございました。次回も楽しみにさせていただきます。
建日子様によろしくお伝えくださいませ。ありがとうございました。  田園調布
2005 1・16 40

* 前夜に録画しておいた「ER」を観た。見終わるとヘトヘトになるほどボディーブローの烈しいドラマで、それでいて深く納得させる魅力が底光りしている。
「ペイトン・プレース」「脳外科医ケーシー」「コンバット」「ホワイトハウス」「ニキータ」「CSI」等々、たくさんな海外連続ドラマを見てきたが、この「緊急救命室 ER」は映像的にも映画劇としても随一ではあるまいか。筋書きという以上に映像それ自体が感動を提供する。映画はそれでなくては。演劇もそうだ、人間の肉体が活躍し(舞踏し)、人間の言葉が鳴り響き(音楽になり)、その両者で物語が語られる。そうでなくてはならぬ。わたしが能や歌舞伎を好むのも、端的に舞踊劇が好きなのも、それ故である。
2005 1・16 40

* 十時には建日子のドラマが二回目。妻は録画の手配をして出掛けた。建日子から電話があり、芝居は超満員つづきで、わたしたちがもう一度行く土曜の席は、離れ席で辛抱してくれと。けっこうです。
ドラマの方もまだ一回しか放映していないが、東京新聞の朝刊では記者たちの座談会で、倉本聰のドラマについで第二位にラクンされ、「ラストプレゼント」よりもまだ佳いと褒められていた。金八せんせいなどを書いてきた小山内美江子さんも、コラムで、建日子の脚本を特にとりあげ褒めてくれていた。本も増し刷りしているし、いい書評も出て来ている。ここは、彼第一度めの「噴出期」だ、この期を逸せず真剣に努めてくれるといい。
井上靖は、私に、人にはだれも生涯に二度の「噴出期」があるものです、その時機にタイムリーに噴出するかしないか、が分かれ目です、と。建日子は噴出しかけている。こういうときにこそ健康の維持がなにより大切。病気や怪我や事故に万全気を配りながら力限り気持ちよく精魂を注いで仕事することだ。
2005 1・19 40

* あすは澤口靖子主演の芝居に招かれている。
2005 1・20 40

* 日比谷芸術座の、澤口靖子主演「お登勢」を観てきた。
少し面痩せた澤口が、ひたすら健気に健気に女主人公を好演しているだけが美しくて、上等な魅力の、その余は、脚本も演出も舞台も他の連中も、まことに手ぬるく低調なダメな商業演劇であった。「こりゃひどいや」と、観ていて、澤口靖子が可哀想でならなかった。
原作は知らないが、なんというツマラナイ男にお登勢は惚れたモノであろう、その選択のまずさが動因になった芝居で、盛り上がりもなく、観ていて心励まされる甲斐もなにもない。
ずいぶんいろんなジャンルの演劇を、わたしたちは観ている。能・狂言・浄瑠璃・歌舞伎・新劇・アングラ・小劇場・商業演劇・舞踊・オペラ。そしてその一つ一つの舞台に賭けた関係者たちの「熱さ」にいつも想像が働いて、舞台の出来を超えても、背後の活動に共感したり感動したりしてくるのだが、今日の芝居では、それすら感じられなかった。はたしてこんな低調なシロモノが同じく「演劇」という情熱の所産といえるのであろうか、学藝会なみではないかと、ただもう澤口靖子の真面目で誠実な舞台のために、一掬の涙をすら流してきた按排であった。
おまけに、三時間の舞台の終幕まぎわに、主役お登勢はさっさと無意味に退場させられ、幕引きの場面には「一脇役」のあの山本陽子が、主役然・座頭然と無意味なシナをつくって舞台をしめくくるというのは、一体、何を考えての「作劇」であるのか、いかなる場合でも、あそこは、主役が最大の盛り上げで脚光を浴び「幕」になるべき所ではないか。いかにも自分が座頭でござい顔に、山本陽子程度のものがのさばりかえる終幕には、思わず、「こりやなんじゃ」と憤然声が出てしまった。妻の反応も同じだった。
ま、澤口の好感の持てる熱演には終始触れ得たし、芝居などもう断念して双眼鏡でしかとお登勢ばかり観てきたので、それで満足したとしておく。

* はねてからは、近くの中華料理「鳳鳴春」二階に上がり、そこそこのコース料理でうまい紹興酒を二合、これは十分楽しんできた。寒い晩ではあったが、酒と料理のせいで、温かに帰宅した。
2005 1・21 40

* 秦さん、こんにちは。    東工大卒業生
新年明けてから朝夕と冷え込む日々ですね。寒い寒いといいながらも、やはり冬はこれ位の方が気が締まったりもします。
先日夫婦で連れ立って「月の子供」(秦建日子作・演出)を観に行ってきました。
もう一度観たいと、出演者達がエンディングの挨拶をしている時、すでに思われてなりませんでした。
純粋に楽しかったからという事ももちろんあります。思わずこちらの体も動きそうなダンスも、テンポ良い音楽も、小野真弓さん達の好演も、もっともっとこの世界に浸っていたいと感じさせるほど魅力的でした。
しかしそれ以上に、その活気あふれる舞台の背景・背後に感じられる、重層的で入り組んだ「世界」を、まだまだちゃんと観られていないと、もう一度じっくりと味わいたいと、真っ先に頭に浮かんできました。
「プラットフォーム」の上と下と、現在と過去と未来と、それらをつないでいる、列車。
その世界に、一見明るく、しかしどことなく頼りなげに「少年」は生きています。
「苦しいときには下を見ろ、月の子供を想像しろ」と学校で言われるたび、恐らくは人知れず、もしかすると自分でも意識しないうちに傷ついてきたのでしょうか。彼は地球で生まれながらも、もしかすると自分は「月の子供」にほかならないのではと、心のどこかで思い続けながら成長してきたのかもしれません。
自分は自分の本当の「名前」を知らないという、思い。形式だけの「サクラサトル」という名に感じる違和感。名無しの男に近づいてゆくのは、その名無しにこそ、外から与えられる形式とは違った本当の「名前」、もっと色濃い存在の実質のようなものを感じ取ったからなのでしょう。そして彼らプラットフォームの「下」の人々との交わりの中で、自分自身の本当の名前へ、両親の注いでくれた想いへとつながってゆく何かを、段々と掴んでゆきます。
しかしプラットフォームの上の世界は、愛情の薄い夫婦の子供になるという新たな形式を、彼にまた被せようとします。それは彼の掴みかけた色濃い実質、本当の名前といったものからは、あまりにかけ離れたものです。
プラットフォームの「上」の人達、それは実はどこにも行きたくないのに、自分でもそれに気付かず、いつも何かを待つためだけに「並んで・行列して」いる人々。並んでいるくせに本当はどこかに行く準備が出来ていない人々。彼らにとっては、少年に「形式」を被せることも、何の疑いもなく「良い事」なのでしょう。それがどんなにか少年の本当から離れたものであっても。
そして名無しの男達は、そんな少年をプラットフォームの下の世界に、救い出そうとします。そこには、たとえ決まった名前が無いとしても、もっと意味ある実質があり、恐らくは少年の両親も、その世界で生きて、彼をもうけたのでしょう。残念ながら置き去りにしてしまいましたが、それでも人に告げる事で「死なせ」はしませんでした。
・・もう一度観る機会があると良いのですが。また再公演されるかもしれないですね。
「お父さん、絵を描いてください」何度か読み返しました。
「月の子供」のプラットフォームの上と下の世界をみて、山名の藝術と世俗との間の葛藤をふと思い出しました。
取りとめなく済みません。では、くれぐれもお体大切に過ごされてください。

* 佳い「読み」である。あの舞台をただ一度観て、ここまで読みきったのは、作者はどう思うのか分からないが、作者の父親である秦モト教授は、この若い友人の久々の「あいさつ」に満点を呈したい。
この「月の子供」を書くに当たって建日子が、親を知らない「もらはれ子」であった父親の生い立ち、幼年少年の昔の心の惑いや悲しみや生きる工夫について思い致していたかどうかは知らないけれど、この卒業生の解読から察せられるように、わたし自身は「さくらさとる」少年と「はたひろかず」時代のわたしとを膚接して読み取ることは出来る。つまり身につまされるものがあったし、その後の人生に或る「索引」の附された感じすらわたしは今度の芝居にもったのである。

* 公演は明日で終わる。わたしたちは、今日の昼にもう一度観る。このドラマは、たしかに再演して練り上げてゆくことの可能な、秦建日子「初期」の代表作の一つになるだろう。
2005 1・22 40

* 下北沢の「劇」小劇場で、『月の子供』を観てきた。座席は満員で、予約してあったわれわれの席も客へまわし、妻も私も照明・音響室から、覗き込むようにして観た。若い友人をつれていった、その分は、いい席を用意してくれていた。
一週間前に観たより、舞台はさらに丁寧に手が入り、より気持ちよく分かりよくなっていた。卒業生の今朝の感想メールがよくうなづけた。ぐっといい舞台に成長していて、昨日の藝術座の芝居などとても太刀打ちならない。活気そしてフィロソフィー。作者の観念的に意図したものが、面白く形に表れた。
あとで建日子と顔があったとき、フイロソフィーの部分はしかし、十人に二人といったか、いや百人に二人と言ったのか、とにかくそうは大勢には分かってもらえていないと、むしろ反省点かのように言っていた。さもあろう。彼はそういう客達を迎え入れ、いわば「商い」をしなくてはならないのだから、さもあろう。わたしのような者ばかりが面白がるだけでは、はっきり言って稼ぎにならないわけだ。さもあろう。
それでも、この芝居には、息長く作者が胸に抱き続けてきた、ハートのぬくみがあり、それがフィロソフィカルに働いている。彼建日子のデビュー「作・演出」の「プラットホーム・ストーリイ」が、の全面に止揚されている。人間理解も、死生観も、あえていえば時代や社会への深い断念と表裏して、フィロソフィカルな少なくも或る足場が出来てきた。きのうきょうの思いつきでやっつけられることではない。わたしを肯かせたのはその辺の粘り腰とも二枚腰ともいえる、遠く長く歩き続けてきた「作劇」態度である。質実な脚を、今後にも是非活かし続けて欲しい。

* 舞台に満足して、新宿経由、ここで若い友人のために我々も加わってちょっと面白い買い物をした。そして別れ、われわれは大江戸線で練馬へ戻り、帰宅。戴いていた美味い肉をしゃぶしゃぶに、川崎の妹が暮れに呉れた佳い白ワインで、おそめの夕飯にした。
2005 1・22 40

* 晩の九時半。もう下北沢では『月の子供』千秋楽の最後の舞台も終え、みな、観劇して打ち上げを今から楽しもうとしていることだろう。
ゆっくり寝たのに、疲れがどっと来ていて。眠い。日付の変わる前に機械を仕舞う。
2005 1・23 40

* 三百人劇場の前まで行って、池袋の芸術劇場小ホールだったと気が付き、それでも二十分で移動できた。劇団昴の「ゴンザーゴ殺し」は、我々は二度目。スタッフも配役も、ほとんどそのままのように思う。
舞台はとても観よかった。前よりも、再演のせいか、演出にに磨きが加わったからか、一段と分かりよかった。それにもかかわらず、あるいはそれだからか、混沌とした熱気や鬼気は、前の本拠三百人劇場での舞台の方に凄みがあった。今日は、終始さらさらと演じられて、さらさらと筋書きを納得し、さらさらと舞台は終えて、熱くならずじまいにさらさらと役者は楽屋へ、観客は席を立った。

* 沙翁の「ハムレット」でも、新王と母王妃との前で、ハムレット皇子肝煎りで、曰く在る芝居を傭われ役者達が演じる。今日の舞台では、その役者達六人が城中に不気味に取り込まれて、「ゴンザーゴ殺し」という芝居を、王や王妃の前で演じる。この芝居は、この暗雲漂う城内で演じるには、かなり難儀な「曰く」を抱えている上に、ハムレットは付けたりに、王を殺した弟が兄王の妃を妻にする一癖を自ら書き加えて、それを演じよと指令していた。

* 簡単といえば簡単に分かる芝居であり、複雑といえば「深読み」の利くややこしい凄みのドラマなのでもある。
ハムレットには父王の復讐という「思惑」がある。誰もが知識としてこれは知っている。
しかし宰相にしてオフェリアとレアチーズの父であるポローニアスにも、王権へのしたたかな「思惑」がある。あわよくば息子レアチーズに王位をと考えている。
またこの芝居では、ハムレットの友なるホレイショーにも「思惑」があり、その動きは陰くらく、必ずしもハムレット皇子に忠誠一途ではない。
そういう王宮の思惑の渦が、「国王」なる権威と横暴が、さらに加えて官僚の狡知と非情に反映すると、金子由之演じる「刑吏」のような、秀抜な造形も舞台にもたらされる。この刑吏はおもしろい役で、印象深い。
そういう幾重もの権力欲の渦に巻き込まれ、「藝術」の徒である役者達は、籠絡され、翻弄され、ついには逮捕され、城内軟禁どころか投獄拷問の挙げ句に、座長夫妻は斬罪を、他のものも命危うい刑罰におとされかけてしまうのだ、が、すべて一転、この宮廷から王夫妻も、ポローニャスもハムレットもレアチーズもみな死に果て、オフェリアも狂い死に、ただホレイショー一人がしたたかに生き残る。この王権劇の激変にまみれ、おかげで役者達は「国家一新に寄与した英雄」として榮遇されることになる。新王には敵国王が入り、宰相にはホレイショーが立つ。どうやら、すべては彼等の仕組んだ「思惑で」あったらしくも。

* このややこしさには、相応の魅力がある。だからわたしも妻も二度目なのに喜んで出掛けた。期待に背かない面白い舞台であった。だが、熱い活気は今回は生まれてなかった。
何故だろう。
何よりも俳優達の意識に問題はなかったか。彼等はほんとうに演じ慣れていた。うまいものだ。だがそれがプラスになっていなかった。役に慣れて上手に上手なだけではいけない、一期一会が果たせてなかった。一度一度の繰り返しを一生一度かのように、役を生き、また人間を創らなくてはならないのに、今日のベテランたちはただ再演を再演していた。役者達の肉体が、新鮮にピチピチ動いていないところにそれが露呈していた。
演劇の魅力は、俳優達の肉体が文字通り「活躍」する魅力に重なる。ところが、今日の彼等は器用に舞台のあちこちを「動いて」いたけれど、それは、まるで手順を上手にこなして居るのと同義に見えた。あれでは、舞台に肉体と肉体とが擦り合わされて発する、活気も熱気も、火花も、出るわけがない。
劇場が、妙に冷えていた。ほんとうなら最後の暗転でたちまち喝采の拍手が来そうなのに、だれも拍手しなかった。ライトが入り役者が横一列に並んで見えたので、はじめて拍手が起きた。主客のアウンの呼吸が利かなかった。残念だ。
だが「ゴンザーゴ殺し」は面白い戯曲である。機会があれば、また観にゆくだろう。

* 三百人劇場なら帰りに巣鴨の「蛇の目」で寿司と決めていたのに、池袋ではアテはずれ。簡単にと、東武デパート地下の「寿司岩」カウンターで、特上の握りに、妻は蟹を、わたしは鯛と穴子とを加え、ビールの小瓶を二本。タネは新鮮で吟味されていた。満足して、快速電車で帰宅。
2005 1・25 40

* 暖かい日だった。三百人劇場で、劇団昴の新人達による、A.ヴァムピーロフ作「長男」というおもしろい芝居を楽しんできた。演出、村田元史。
しっかり楽しんできた最大の理由は脚本が面白く、かっちり書けていて安心感十分だったから。それには最後まで裏切られなかった。
しかしながら、その余は及第点が付けられない。新人達の演技は科白に追われてイッパイイッパイ。演出は、わたしの思いでは見当違いと感じた。演出の力がほとんど舞台に反映していなかった。なぜなら役者は科白をしか追っていないのだ、そのために演劇の根底の魅力であるべき役者のからだがまるで働いていない。その為に舞台の温度はなかなか上がらないのである。
わたしが演出家なら若い俳優達に、科白に足を取られずに、科白の「意味するところ」を、思いっきり体を動かして舞台せましと面白く表現してみよと言う。この戯曲には優れた喜劇性が濃厚に湛えられている。それを若い役者は科白で表現するのはムリだ、事実科白は下手であった、だから受け渡しに律動感が全然でない。
もし美味い役者達が演じていれば、盛んに爆笑や哄笑すら湧いておかしくない佳い台本で、しかも「長男」という題がすてきに利いているのである。これはかなり高等なわたしのいわゆる「身内」劇になっている。しかし、終始しんねりと体温低く推移したのは、科白重点演出による失敗というか、役者のからだが溢れる魅力で活躍しなかった失敗というか、じつに勿体ない試行「錯誤」で終わっていた。
それにもかかわらず、この芝居は実に面白かった。すべて台本の成果である、わたしも妻ももう一度観たいと言い合いながら帰った。拍手もせいいっぱい送ってきたのは、もういっぺんまた、いつか、別の演出と演技で見せて欲しいという「予約」のつもりであった。楽しんだ。
ストーリーはあえて書かない。と言うのもこの舞台、二千円である。いまどき、これだけ上質の台本で二千円は大サービス、彼にも彼女にも観て欲しいなあと若い東工大出の友人達の顔をいっぱい思い浮かべた。また、ああこの芝居を、とびきりの藝達者達で観られたらどんなによかったろうと思い続けていたのである。
とはいえ、「長男」役の中西陽介は、「父親」にすうっと引き込まれてからの演技で、やわらかい深みを感じさせる素質を見せ、好感を覚えたし、芯になった仲野裕の父親役がさすがに大黒柱で、舞台を、佳い生き物に仕立ててくれていた。佐藤しのぶと田島康成とは、ま、あんなところ。佐藤の服装がいやに都会的に趣味がよかったのは別の意味で楽しんだものの、かすかな違和感にもなっていた。

* 俳優達は、科白でよりもからだで働いて貰いたい。むろん美味い科白こそは大の御馳走であるけれども。

* 巣鴨の「蛇の目」鮓と思って歩いているうち、こぢんまりとした田舎風仏蘭西料理と看板を上げたビストロを見つけ、とびこんだ、これが、当たり。おいしくて、店の気分も良くて、サービスもよくて、大満足。こういう店を見つけてあると、三百人劇場へ通うのがいっそう楽しくなる。
太平洋戦争の終末、原爆が落ち御前会議の聖断でポツダム宣言を受諾し無条件降伏するところを、異様なほど緊迫した気持ちで、西武線で読みふけりながら、帰った。
2005 3・16 42

* 松本幸四郎丈から六月の「ラ・マンチャの男」の座席券が届き、中村扇雀丈から五月の勘三郎襲名興行昼夜の座席を用意できたと通知があった。六月の歌舞伎座も高麗屋に頼んであり、座席大丈夫と聞いている。歌舞伎は文句なしに楽しめる。俳優座の新作招待を、受けようか、パスしようかと迷っている。
2005 4・13 43

* 五月の勘三郎歌舞伎昼夜座席券が届いた。さすがにいつもよりは座席がやや厳しいが、それでもよく手に入ったと、成駒屋さんに感謝している。六月の帝劇「ラ・マンチャの男」ももう座席が決まり、コクーン歌舞伎も、木挽町の昼夜も太鼓判をもらっている。三百人劇場で再見の「アルジャーノンに花束を」も、わたし一人でもまた観よう・観たいと思っている。
2005 4・21 43

* 勘三郎の五月芝居、幕が開いたようだ。今回、辛うじて昼夜座席はとれたが、夜評判の「研辰の討たれ」は、二階四列目。ちょっと遠いか。遠眼鏡を手放さずに楽しんでくる。十九日夜の友枝昭世「安宅」も、とても楽しみ。
六月は帝劇の「ラ・マンチャ」、初めて松たか子が父幸四郎と競演するのが観られる。渋谷では扇雀丈らの奮闘「コクーン歌舞伎」があり、ひきつづき木挽町歌舞伎座の昼夜興行が待っている。秦建日子も、初めての中野で、また新しい工夫と演出で人気の「タクラマカン」を再演すべく、猛稽古中と聞いている。どれもこれも梅雨をふっとばしてくれるだろう。
気の早い、十月日生劇場で、高麗屋親子の評判作「夢の仲蔵」も、今日予約した。大首の役者繪を描いた天才写楽がらみの舞台である。歌舞伎名人と称えられた中村仲蔵のことは、これも名人だった圓生の人情話でたっぷりお馴染み。染五郎が演じるという中村此蔵もややこしく登場するというから、高麗屋お家藝の、じっくり・がっちりした演劇的な歌舞伎が楽しめるに相違ない。
2005 5・3 44

* 高麗屋から、六月木挽町の昼夜座席券が届いた。昼に、若い染五郎が片岡仁左衛門に八兵衛を付き合ってもらい「封印切」の忠兵衛を「新口村」までやるというのが、一つの期待。夜には通し狂言「盟(かみかけて)三五大切」を吉右衛門、仁左衛門ら大勢でみせる他に、富十郎が初お目見え愛嬢愛子ちゃん、また大クンと、逍遙作「良寛と子守」一幕を、他に子役何人も引きつれて演じる。おめでたい、微笑ましい一幕、これが楽しみ。天王寺屋せっかくの自愛を祈る。
梅玉、魁春、時蔵、それに秀太郎、東蔵、、秀調、歌六、歌昇らも出演、梅雨どきの一休みには嬉しい顔ぶれ。
六月は忙しいも大忙しい一月だが、楽しみもたくさん。福助、橋之助に扇雀丈のコクーン歌舞伎を観た脚で、中野へ秦建日子のすっかりリメークしたという「タクラマカン」もある。幸四郎・松たか子の「ラ・マンチャの男」も。体力も気力も新鮮に、いい六月になりますように。花粉のない京都では、叔母ツルの、命日ちかい墓参も。
2005 5・21 44

* 建日子と昼飯。おやじはヒマでいいなあと。半分は本音かも知れない。六時、朝青龍の優勝相撲をみて、次なる打ち合わせに帰って行った。

*「中野ザ・ポケット」で、六月七日(火)から十二日(日)まで、秦建日子の舞台では一の代表作・演出作品といえる『タクラマカン』が、「大幅改稿を経て、更なる高みへ」とうたい、公演する。「月あかりすらない嵐の夜、ぼくらは「あの国」目指して船を出す。」これは批評のある、イデアールに激しい芝居である。七日から十一日まで晩の七時開演、十一日土曜には二時開演もあり、十二日ラク日は、正午開演と、四時開演とがある。
2005 5・21 44

* 六月になった。こんなに多忙の予想される六月は珍しい、カレンダーの第二、三、四週は、「朱い日」がびっしり居並んでいる。楽しみの舞台が六つ(帝劇ラ・マンチャ、コクーン歌舞伎、秦建日子の公演、歌舞伎座昼夜、俳優座稽古場、三百人劇場)入っている。京都もある。余儀なく午後(授賞式)、晩(理事会・宴会)、午前(対談)の三連戦を仕遂げて、とんぼ返しに新幹線で帰ってこなければならない。学会も、理事会も、授賞式も、パーティもある。桜桃忌もある。新委員会の予定が更にこれに加わってくる。それどころか、はや下巻発送(上下巻同時発送を含めて)の用意が津波のように迫っており、上巻だけの今回の、倍の労力を要する。六月を、しっかり無事に越えなくては。
2005 6・1 45

* 午後、上野へ繪を観にでかけ、帰りに蕎麦でもたぐって、すぐ帰ってくる。明日は「ラ・マンチャの男」を観に帝劇へ。だいぶ以前に日生劇場で観ているが、松たか子ではなかった、松たか子の姉が同じ役で出演していた。
帝劇はやたら広いから、自然、舞台装置も変わるだろう。高麗屋手配の席、わるくない筈。楽しみに。そしてすぐ京都へ行く。文字通りトンボ返しに帰ってくる。「コクーン歌舞伎」と秦建日子作・演出の新バージョン「タクラマカン」が待っている。
2005 6・5 45

* 晴れた朝、鳩の啼いている朝。血糖値、正常。眼圧をさげる眼薬をさして。さて、悲鳴ではない嬉しい日々を迎えよう。今日は、幸四郎の「ラ・マンチヤの男」に逢いに。
2005 6・6 45

* 帝劇の「ラ・マンチャの男」に、びっくり仰天するほど感動して来たのだから、今日は、大儲けをした嬉しい心地。
以前に日生劇場で観たときは、共感とかすかな違和感とが絡み合って、乗り切れなかった記憶があり、だから、最近高麗屋さんとご縁も出来たのだしというぐらいな、出かけて行き方だった。それが、あにはからん、みごとな舞台で、幸四郎の余裕綽々まこと神妙の芝居は当然のこと、一の目当ての松たか子のアルドンサに魂をかきむしられるように共感したのだ、「凄い」という、好きでない批評語を、最大限称讃と肯定の意味に用いたいほど、松たか子は、生彩を放って猛烈に美しい芝居を見せてくれた。涙が煮えた、歌のうまさ豊かさにも、肉体の発動にも。降参した。よこで、妻もいつかハンカチで眼をおさえていた。
六列目の中央、席もこれ以上ない佳い席だったから、肉眼で舞台は躍動した上に、わたしは幸四郎・たか子父娘の演技の眼を要所要所双眼鏡で深々と覗き込んで満たされた。観劇の醍醐味を真実嬉しく嬉しく味わい尽くしたと想う。
番頭さんに新刊の湖の本をあげ、筋書き本をもらった。大きないい写真が出ているが、松たか子の両眼は宝石のように輝いている。いい俳優ほど眼に放射能がある。ひばりがそうだ、勘三郎がそうだ、仲代達也もそうだが、松たか子の燃えるオーラもあの美しい眼から発する。
彼女を観た一番最初は、NHKの大河ドラマで、足利義政への今参りの局ではなかったか、次いで澤口靖子のねねと張り合う淀殿ではなかったか。そして残念ながらあれほど美しい澤口靖子もとても松たか子の敵ではなかった。名前も知らなかったし幸四郎の娘とも知らなかったが、画面にぐうっと登場した瞬間に、たいへんな女優があらわれた、なんてことだろうと新鮮無比に驚歎したのを、昨日のことのように覚えている。
顔立ちからすると松たか子より美貌の女優はいくらもいる、が、あんな眼光豊かな、生命感溢れて分厚い女優、芯から健康なために強い可塑性をもてるうまい女優など、そうそういるものではない。あの初対面の瞬時に、わたしは、往年、まだ少女だった出て来たての岩下志麻、藤純子、松坂慶子を初めてブラウン管で観た瞬間、将来の大物女優だと例外なく直観した、あれより以上の、ある種の昂奮と喜びを覚えたのである、松たか子には。
舞台を観たのは今日が初めてだが、期待は百点満点満たされた。嬉しかった。
わたしの幸四郎好きは、彼が早稲田にいた頃よりさらに前からで、最初から弟吉右衛門よりも、兄幸四郎のすこし特異な美貌に惚れていたが、その贔屓目には、先代幸四郎がまだ染五郎の時代からの大好きが、しっかり尾を引いていた。今の染五郎も少しずつ大きくなって来つつあり、姉だか妹だか松たか子は、もう完全に女優の花を開かせている。
高麗屋三代、こんな観劇の感激をもつだろうとは、あの、京の新門前の「ハタラジオ店」の店先で、南座顔見世に出ていた先代幸四郎丈に電池を売った少年わたくしは、夢にも想わなかった。高麗屋の一家は東町の「岩波」という旅館を定宿にしていたのだ。南座へは、我が家のワキの抜け路地を新橋通へ抜けて、出勤していた。

* 休み無しの二時間十五分、十分に満足したので、帝劇真下の有楽町線で日も高い五時にはもう家まで帰り着いていた。
2005 6・6 45

* さて、今日はコクーン歌舞伎。勘九郎の抜けた舞台を、福助・橋之助兄弟と中村扇雀丈が、どれほどに面白く楽しく奮闘して盛り上げてくれるか。そしてそのあとは、八日が初日の秦建日子作・演出、またまた更に手と工夫を加えたという話題作「タクラマカン」を中野まで見に行く。
2005 6・10 45

* 中野駅から五分ほど、初めての劇場は、舞台間口に即して奧へ高まり、細長い客席で、建日子がいい席を用意して置いてくれ、ぎっしり満員の劇場で「タクラマカン」を観た。「桜姫」は涙のこみ上げる場面など絶無の芝居であったが、「タクラマカン」は厳しい内容のシュールな感動編。もう数度は再演しており、そのつど着々と綿密な手が入り、今晩の舞台は筋の通りも組み立て展開も申し分なく、綺麗に纏まっていた。これぐらい差別被差別の問題を通して新世界への切ない脱出の憧れと決意とを悲劇的に組み立てた芝居は、数少ないのではないか。「浜育ち」「街育ち」という強烈な対立・対比に、公権力と制外の細民の無惨な軋轢・弾圧が苦しく覆い被さる。リアリズムでなく、演劇的な象徴の手法で、激しい躍動舞台を大勢の肉体・肉体・肉体の熱気で創り出す。そういう劇性へ作・演出の秦建日子は、少しずつ強く磨き上げてきた。クライマックスの大爆発へいたる筋書きも説得力を持っている。
寿司の満腹もこなれてしまい、もう「タクラマカン」の間、ちらとも「桜姫」の舞台を覚えていなかったのだから、小劇場芝居は溌剌として面白い。舞台には何一つ置いていない、からっぽ。そのからっぽの利点を生かして展開する作劇は、つまりは能にいちばん近い。小劇場には、日本演劇の原点をなしていた能の必然が、自然に影を落としているのである。
なぜ題が「タクラマカン」か。これは、また別の機会に考えよう。作者は最初「沙漠」と題していた。それがいちばん事実として即しているかもしれないが、「つまらないね」とわたしは云い、で、「サハラ」になり、さらに「タクラマカン」になった。舞台を見続けてきたわたしは、だんだん良くなったと思っている。

* なんだか安心し、東中野で大江戸線に乗り換え、練馬経由で小雨の保谷に着いた。タクシーで家に着いたのは十一時か。満たされた愉快な一日だった。 迪子も幸い元気であった。

* すこし気を落ち着けようと、機械の中の「花、花」の写真をスライドショウして、しばらく眺めていた。
2005 6・10 45

* 大筋は間違っていないと思う、或る高校の先生が、「自分で書いた英文」を「試験問題」として受験生達に訳させた内容が、沖縄の「ひめゆりの塔」へ行った感想で。
感想にいわく、案内人ももう同じことばかりを話し慣れていてか、なかみにも調子にも聴いていて何の感動も覚えず、退屈でつまらなかった、と。
正直というか鈍感というかアホというか、日記にでもひとり書込んでいる分には勝手だが、若い解答者生徒に訳させて役立つ批評でも感想でもなく、この教師の内面のまずしさだけを暴露している。
このまえ、テレビで図書館活動が話題になったついでに、司会者から「図書館」への感想を問われた「女」「作家」と称するコメンテーターが、なんと、図書館は「敵です」とひと言だけ、これにもイヤーな気がした。
先の英文和訳問題を書いた先生の性別は新聞記事に出ていなかったが、こういう「批評」の仕方が得意な「女」も「男」も多いのだろうか、わたしにいわせれば、ただの賢しらな生意気に過ぎない。こういうのとは「おともだち」どころか傍へも来て欲しくない。わたしを含めて「男」のバカも相当なものだが、「女」のかしこブッたのも鼻持ちならない。

* 昨日の建日子の芝居は、感動作であるけれども、励まされるより、つくづく現世がイヤになる舞台ではあるのだった。
この芝居では象徴的に三つの悲話を重ねている。
「浜育ち」ではない「街」の女が街の暴力に追われ、「浜そだち」のボクサーを夢見ている青年の家に逃げこみ、二人には愛が芽生える、が、「街」の手で青年は物陰から脚を銃で撃ち抜かれる。
また「浜育ち」の少年が、「絶無」の将来性をどうかしてと「求め」て、やっとこさ「街」に職を得て働き、初の月給で、好きな女の子へのプレゼントを買いに羽振りの良い「街」の商店に入るやいなや、「浜」の乱暴者の「強盗」とみなされ容赦なく射殺される。
また「浜」の力ない気のいい「じじい」は、少年や青年の「あっちの世界」への憧れを満たしてやるために、多年払い込んでいた生命保険を遣ろうと思い、がんぜない「浜育ち」の少女に、強いるようにしてその包丁の先へ身を挺し死ぬが、「浜」の住所も定かでない「じじい」の「死に保険金」は支払わないと真っ向拒絶される。「浜そだち」の少年少女たちは「街」の権力にたいし、「どつちがドロボーですか」と抗議の声をあげるのが、成り行きの必然で、強い訴求力をもつ。客席のすすり泣きがぐっと増えて高くなる。
あげく、「浜そだち」の子供達は独りをのこして官憲や軍の力の前に命絶えて行く。
舞台は、それだけではない。官憲や公権力のなかにも、平等に扱いたい、就職もさせたいと働く者達がごく少数いるのである。しかも彼等は最期に「浜そだち」の者達へむけて圧倒的な銃火を浴びせかけてしまう。
こういう舞台が、ぬきさしならないリアリティーを帯び、ひしひしと進むから、感動はつよい、けれど、それは励まされて勇気が湧くていの感動ではない。弱者敗者の運命に涙し、なにか出来ることはないのか、「無いんだなあ」という歎息から、こんな世の中がつくづくイヤになる。「それではいけないんだよ」と、作者は今回の舞台で、かすかに一歩を前へ運んでいたとは思うが、絶望の嫌悪感はあまりに強い。
父と子との遠慮ない実感で云うと、「おやじ、もうこんな世間はダメだよ、離れ切ってしまえよ、別次元へ姿を消してしまい、そこで自由自在に好きに楽しみなよ、おやじなら出来るじゃないか」と云われている気がしてしまうのである。
しかも「世間と他人」からの徹した訣別。それは、絶えざる内深くからの誘惑である。

* 最初に書いたようなイヤらしい「情報」が耳を汚せば汚すほど、わたし自身もまたその様に他者の耳を汚しかねないのがイヤになる。埒もない肩書きも、一つ一つ一つと捨て去り、ちいさな「湖」のただ青空をうつして深まるようにだけ、五感を用いたくなる。この「私語の刻」を突如閉ざしてしまう日が「来る」だろう。
2005 6・11 45

* 明日、俳優座稽古場での公演がある。木曜は劇団昴の公演にひとりで行き、そのあと海外へ研究出向するという卒業生クンと帝国ホテルで会う。
2005 6・20 45

* 俳優座稽古場のラボ公演は、テレンス・ラティガン作、翻訳小田島雄志、演出原田一樹の「銘々のテーブル」で。
稽古場にはいると、もう客席の足元間近まで、瀟洒にいくつもの小卓を配置。前面に食堂、そして奧に、談話室。落ち着いた、なかなかの舞台装置にふと胸もときめく。
此処は永逗留の客を置くホテルで、支配人は、ミス・クーバー(天野眞由美)。この年齢不詳の女性が、前半後半を通じ、一つの要の役どころに在り、天野は好演。ながく、いろんな舞台を観てきた女優だが、力量発揮、いや時に発揮しすぎかと思うぐらい、こまやかに表情を動かして、役の「読み」を絵解きほど丁寧に表現してくれる。一種の「位」をしっかり取り続ける。なにとなく老け役を多く演じてきた人のように思っていたし、今日の舞台も、実際より落ち着いて年嵩に感じられたけれど、よくもあしくも、このミス・クーパーの「調子」が、舞台全体の調子をリードした。ペースメーカー役のようであった。
前半と後半と、同じ舞台に、一年の間隔を置いて展開する、二つのまるでちがう物語。前後を通じて、同じ客が幾組、幾人もいたけれど、前半でも後半でも、このホテルへ新たに割り込んできた女に、また男に応じて、二つの「物語」が創られている。本当はここで「ドラマ=劇」が生まれ創られるといいたいのだが、ちっとも「劇しく」ない。基本のペースが、またはベースが、人間劇の意外な劇しさを実はそう求めていないのだ、よく言って、劇というものをむしろ尋常な感覚で抑制したような舞台展開だった。
前から二列めの真中央、もう目の前に迫った舞台で物語がすすむという絶好席を用意してもらい、妻とならんで観た。妻は後半ではハンカチを盛んに使っていたようだが、わたしは、これはどうしたことだろう、この芝居は、おおきなところで「誤算」しているのかも知れない、と思い続けていた。
いい脚本。いい配役。そしていい演技だったと思う。きわめて分かりよく、誤解の余地のほとんどない筋書きで、見るからに前半も、後半も、お話しの察しがラクラク付いてしまう。その意味では巧いが尋常な脚本で、刺戟味は無いと言い切れる。「面白いお話」としてただ受け取る分には、申し分ない、落ち着いた、リアルな、現実レベルそのままの舞台なのだ。つまりその舞台に、すいと観客が、たとえば妻と私が、ホテルの相客として踏み込み溶け込んでも、難なく同じ調子にみなとやってのけられそうな、あまりに当たり前の舞台なのである。長所らしき点も、短所も、表裏して「正にそこ」にあった。
説明的に品良く設えられたホテルの食堂と、談話室。リアルで動きのない決まり切った印象の舞台装置に絡め取られたように、一ダースもの登場人物が、行儀良く、吸い込まれている。静かに科白をかわしかわし進行するストーリイは、よくある世間話の変容にすぎない。
自然、かすかな眠気がしのびよる。面白く運ぶから、深くも永くも寝入りはしないが、展開はねむいほど静かで穏やかで、意表をついて舞台の激動することはない。舞台装置と人物たちとストーリイとが、まんまと「共謀」してお芝居を進めているが、演劇の魅力の根幹をなす、人体のヴィウィッドな躍動感など薬にしたいほども現れない、すべて科白で静かに「説明」されて行く。
どこかの店の本物のウエイトレスを借りてきたかと錯覚しそうなほど、給仕役の女二人の「動き」が、救いの神ほども楽しげに感じられる。つまりそれほど、芝居は総じて、肉体のドラマから逸れて、言葉だけのドラマなのだ。
この脚本に、この舞台装置は適切だ。しかしこの温和しい舞台装置を引っかき回すほど、役者達がはちゃめちゃに動き回って、叫びまくって、ポンポンと切羽詰まって科白をやりとりし、あげく、ぶッとんで喜劇仕立てに創ってしまう「演出」も可能であったとわたしは思う。少なくもそういう「読み」ももった上で、こんな静かな睡魔と競走するような芝居を創ったというのなら、それって、どういうことなんだろう、と、わたしは思っていた。あまりに尋常なスローな室内劇。
舞台装置のリアリティと軌を一にして、役者達もしんみりしんみりした芝居を、然も実に尋常な類型的な人物を演技しているのだから、なるほど行儀はすこぶるいい。しかし演劇本来の、計算不可能に起きてしまう行儀のわるさがもつ劇的魅力は、所詮滴ほども導きだせっこない「演出」だった。いいでしょう、しんみりと静かで、うらがなしくていいでしょう、と問われつづければ、「上等です」と本気で答えるけれども、激動の喜びは戴けなかった。泣けなかったし、笑いも出来なかったが、実はあの脚本には、人間の喜劇的逸脱のドラマが隠されているではなかったか、なぜ、それと格闘しないか。
観ていて、終幕あたりでわたしは、「で、これでどうなるってわけ」と、尋ねたかった。お話も人物も進行もすこぶる尋常。「そんな芝居づくりでいいんですかねえ」と、「どこに新劇の眼の輝きがあるのだろう」と、問いたくなった。
贅沢なことは言わないで。「あれで楽しんだでしょうが」と反駁されたら、はいはいと引き下がってもいい。スムーズに運ばれたうまい舞台で、その意味では十分成功していた。
新人だろうか瑞木和加子、難しい母親(阿部百合子=類型を半歩も出ない)の娘役が、予想通りの筋書きに乗って好演していたし、あんなに佳い荘司肇を観たのははじめてかもしれない。加藤佳男がとても丁寧に、ペースどおりの好演で、檜よしえも青山眉子も、さすがに巧い。早野ゆかりにも凄みがすこし出た、まだ巧いなあとは言いにくいが。
だが、「批評」を求められれば、上のように言い切るしかわたしには、ない。舞台装置(ホテル)の主ミス・クーパーの生んだ蜘蛛の巣のようなペースの網から、誰ものがれられない「普通の芝居」であったと。尋常に優れていたところが尋常に類型のママの舞台になっていた、と。

* 劇場を出たら四時過ぎ。ちゃんこの「若」の店も覗いたが、五時からで、二人とも気は無かった。交叉点をわたって、用品店でわたしのシャツを買ったら、サービス期間だと言って白い長い傘を呉れた。五時前だったが蟹の「瀬利奈」に入り、蟹しやぶのコースを頼んだ。ビールから初めて、剣菱。二人とも満腹した。借り切ったように廣い店に我々だけであった。
2005 6・21 45

* 少しの雨。蒸し暑くならないよう願う。山藤の季節から次第に鷺草の夏へ進んで行く。下巻の出来てくるまでちょうど一週間。それまでの四日間、今日の会合もふくめ五つ所用がみな家の外で。予想した通り六月は沸騰の連日、三十日の言論表現委員会までとぎれなく。七月二日の橘香会、万三郎の演能が何であったかも忘れているぐらい。「葵上」だったか。あしたは、「アルジャーノンに花束を」の再見。済んだ足で、留学する上尾君夫妻ともう一人同僚の竹下君、卒業生たちと、歓談送別の会。クラブを使おうと思っている。
この前はバルセロナと、クラブで話したなあ。元気にしているだろうか。
そういえば、柳君もヨーロッパの新天地でハツラツとやっているかなあ。プイと遠くへ行ってしまった。奥さんはどうしているだろう。日本に居残っていると聞いたが、いずれは向こうへ行くのか。
ブラジルの影山君は向こうに根が生えたみたいだ。
2005 6・22 45

* 今日はひとり「アルジャーノンに花束を」を見に行く。二度目。そのあと、卒業生達と歓談のときを持つ。明日の晩は新潮社のパーティがある。ホテルオークラは足場悪く遠いのが、にがて。
2005 6・23 45

* 三百人劇場で劇団昴公演の「アルジャーノンに花束を」を観てきた。立派な、、これぞ「新劇」であった。俳優座稽古場と比べては俳優座が気の毒なほど、ほんものの新劇として胸の核心にへ迫ってくる「新劇」であった。わたしは再演と、今回の再々演とを観ている筈だが、今日の舞台にさらに心服した。クレームは何も無い。真っ先に拍手し、ああ二度観て良かったと思った、この舞台ならいますぐ繰り返して観たいと思った。
良くないのは、その舞台を妻にも息子にも見せたいと思い喜んで買って帰ったディスク「2500円」が、家の器械で再現してみると、ただの「稽古場風景もの」でしかなく、確かに「本編は含まない」とよく見れば書いてあるが、あのような売り方をしていては分からない。てっきり「舞台が再現」されていてこその売り物ディスクと思ってしまう。楽しみに持ち帰っただけに、アタマにきた。
とはいえ、舞台はよく出来ていた。チャーリイ役も前回よりさらにメリハリよく、工夫と鍛錬が不自然でなく生かされた。俳優のそれぞれが名演というのではない、アンサンブルを保ってしっかり舞台をまわしていた。演出の成功。舞台装置の工夫にもいつもながら感心するが、ややごたくさと作りすぎの気味がなくもなかった。
2005 6・23 45

* 梅雨の晴れ間!  今年の梅雨は割合さっばりしていて案外晴れが多いですね。今日は都議選挙の告示日。
わたくしの事務所はいま森閑としています。時々電話を受けつつ、のんびり仕事。
「アルジャーノンに花束を」、この芝居私もすごく好き。
重い障害のある青年に奇跡的に訪れる恩寵のような短い時間! そんなドラマでしたね。ささやかな幸福を得るのにも、多大なエネルギーを要求されるようになった昨今、世の中もまだ捨てたものじゃない、と感じさせてくれて嬉しい。ただ逆に考えれば、あの「ピュアさ」は障害という枠があってかろうじて成り立っているすごくあやういものなのでしょうけれど。
新劇の名作として後世に残って欲しいですね、あの「十二人の怒れる男たち」のように。
佳い芝居は観客の気持ちを喚起させ、慰め「異化効果」を発動しますね。 ゆめ

* 「アルジヤーノンに花束を」へのこの人の感想は、ややウロ覚えに基づいているかして、ドラマの意図とはかなりズレているのではないか。
この新劇は深刻な批評を抱え込んでいて、人間が、ないし科学が人間そのものをいじくりまわすまやかしのカラクリを烈しく難じていると、そうわたしは観てきた。主人公のチャーリイは科学の力で白痴状況を脱し、一時天才たる幸福を得たと、そういう単純な話ではない。白痴として生きた少年の昔にも、天才として生きた中年の現在にも、覆いこめた冷たい霧のような不幸がまといついており、しかし現在の不幸は、幼年の頃の不幸より、もっと輪をかけて酷くも深刻であることを、舞台は観客に対し無惨につきつける。
高度な研究所での、自分自身のむごい運命に対する精緻な科学的予測と断案・論考・研究。その対照の場として、白痴的にまた戻ったがゆえに主人から仲間からも心からの親愛で歓迎され溶け込んで行ける「パン工場」の、切ない現実。はなはだ限定された酷いものではあれ、少なくもそこにだけ、チャーリイにまた幸せの匂いがし、明るさが添い寄る。安心が保たれる。
おそらく心身の「障害」が舞台の主題であるよりも、人間の運命を傲慢に左右しようと企む現代科学の暴虐と狡知とが糾弾されている、と、わたしは舞台に観入ってきた。
なんの、チャーリイがための恩寵でも奇蹟でもない。だれが「ピュア」なのでもない。現代人の置かれてある「環境」が、いかに苛酷であるかに気付かせ、もし幸福ということに思い悩むならば、このような歪んだ偏見から自由になろうとする大切さをも、舞台はふかい悲しみと倶に、語りかけていた。
「十二人の怒れる男たち」と優に匹敵するこれが現代の名作舞台であることに、間違いはない。つらい苦しい観劇であるが、それを乗り越えさせる魅力と感動のあるのを信じ、わたしは二度目を、躊躇いなく観に出かけた。おそらく何度でも機会が有れば観にゆくだろう。「アルジャーノン」は実験マウスの名であり、知能においてチャーリイと競うように生きた戦友であり親友であり、真の身内であり、それ自体がチャーリイの「悲劇」を体現していたのである。天才の力を潰滅させ行く直前にチャーリイはアルジャーノンを自ら葬ってやり、自分自身の崩壊過程を録音機にかろうじて報告しつつ、「アルジヤーノンに花束を」と現代の人間達に頼むのである。泣かずにいられない。
2005 6・24 45

* エジプト展で、美しいすばらしい猫を観たのは、エジプトであるから珍しい発見ではないけれど、二十センチあまりのチンと正坐した猫の像に、思わずそばにいた学藝員にむかい「これが欲しいなあ」と云ってしまい笑われた。
人面で脚が牛とみられる女神の小像が一見正坐像とも見えたのに愕いた。夥しい展示の中で只一点。他は殆どが椅子座像まれに片立膝像。貰ってきた詳細な解説の図録を読む。値打ちもので、これがないと陳列の大方全部が正しく観てとれない。暑くても日照りでも満員でも出向いたのは、特別内覧の機会には図録引き替え券が有効だから。絵や彫刻ならそのものをまっすぐ観ればいい。しかし考古学的な太古の遺品は、やはり解説が欲しい。昨日は「二人」で観て良い機会だったのに連れは無かった。美術展は、展覧会は、一人が気儘なのである。芝居は、ときどきの感想を耳元で囁きあえる連れがあると二倍楽しめるが。
来週の月曜は、渋谷で、好きな画家「ギュスターヴ・モロー」展のオープニング・セレモニーがある。気が利いていて夕方から。でもやはり出かける頃は暑い暑いことだろう。
九日も。十一日も。十五日も。ことに納涼歌舞伎三部の「法界坊」を、勘九郎から飛躍した勘三郎と、演出串田和美とが、平成中村座でもコクーンでもない本拠の歌舞伎座でどうわたしたちを魅了するか。楽しみ。串田、蜷川、野田秀樹、渡辺えり子と他ジャンルの演出家達がこのところ歌舞伎の世界を味わっているのが新傾向。当分、この方角で成果が続いて欲しい。
秦建日子も、やがてまた舞台公演らしく、稽古が始まったと聞いている。微笑ましくもさぞ急流を抜き手で溯る気概であろう、今の若さだ、そういう時機はそういものとして大胆にゆけばいい。結局どんな梯子にも竿にもてっぺんが、突端があらわれる。問題はその機なのだ、そこでどう一歩を空へ踏み出すか。そこまでは、大なり小なり若さゆえに、もともと恵まれてある。恵みは大胆に受ければいいのである。恵みの尽きたとき、何をするか、しないか、だ。
2005 8・2 47

* ササ、コシ   観劇でもテレビでも、途中しばらく寝てしまった先日の文楽「山科閑居」。
先に見ていた友人の何人もに、「あの『山科』よりもっと長い」と耳打ちされた、文楽「合邦」。確かに、18:30から「万代池」40分、10分休憩、ノンストップ110分で終演21:10で、長いことはもともと分かっているのですが、「長ァ!」と、吐き出す舞台でした。
切場の床(ゆか)が原因です。
知っている話が分からなくなり、ノリたい台詞が聞き取れません。歌舞伎でも文楽でも何度となく見てきた芝居ですし、今回は、市販されていた若大夫のカセットテープを聞いて出掛けたのに。これほどわからなかったことは初めてです。
帰ってから、カセットを聞き直してみましたら、ひとことひとことはっきり聞き取れるわけではありません。詞の印刷されたものを読んでやっとわかる言葉も、ずいぶんあります。ですが、分かる、伝わる、心に届く、のです。なぜ、と思いますが、時代かもしれません。
藝術にしたい人がいて、教養にしたい人がいて、それをカネにしたい人がいて…。美声や懸命の果ての穉気のないベテランの太夫が、理に傾き、評論家も、難しげな言葉を使ってそれを誉めそやします。人形も、基本の稽古量より理が多い人の遣い方が近代的に見え、古い遣い方をしているだけでは、伸びていく浄瑠璃の間を持て余してしまうので、持ち駒がない人は、「見よかし」の遣い方でごまかさざるを得ない。
昔は、おひつに入れてやや冷めた、水分のうまく飛んだごはんを何杯もお代わりしたので、さっぱり、ぱらりとしたササヒカリが人気でした。が、いまは、ジャーで保温しておいて一杯しか食べないため、べたつかず、いつまでももっちりツヤツヤの、コシヒカリが好まれます。
繰り返し見聞きする技術は素晴らしく進んでいるのに、ドラマも演劇も映画も本も、一度きりの客を望んでいるかのようです。  囀雀

* 早送りできないもの    ねぇ、ふだん、そんな言葉で話す?
現代ドラマ調の時代劇の台詞よりも、テレビの現代ドラマの長台詞に、より違和感があります。
演劇雑誌に、“最近の作家が書く台詞には長い台詞がない”とあったのが目にとまりました。雀はいまの演劇を見ていないので、テレビと舞台とは違うのかなと思いました。
生身の人間がやっていると、長いことにも耐えられるというのは、もっとも。だとしたら、テレビの台詞が短くてよいはずです。
メールことば、絵本ブーム、ケータイ短歌、コント、お笑い、歌、小説…。時間がない、頭の中で構築しながら読んだり聞いたりすることができない、根気がない、面倒―だから「長いのは勘弁してぇ」なのでしょうか。長短が、受け入れる基準にはならないと思うのです。
生身の人間がやっていると、たしかに耐えられるのですが、ただ、時間ではないのです。もっと見たかった二時間もあれば、また終わンないのォという30分もあります。そして、歌舞伎や文楽については、雀の印象として、同じ芝居が昔に比べて、長く伸びてきているにもかかわらず、感動している人を多く見受けます。
長いと感じること、感じさせる理由ってなにかしら、とこないだから考えていました。 囀雀

* なかなか一概に言えない難しい問題を含んでいる。演劇には、日常会話ではない演劇言語の魅力がある。近松にも南北にも黙阿弥にも、また鏡花にも恆存にも三島にもある。長ぜりふに独特の花のある陶酔感が得られる。テレビドラマにはまだそれを効果的に出せるだけの感覚の陶冶と技術がないだけかも知れない。日常会話をそのまま地に活かして納得させるだけ、リアルというより尋常凡庸なセリフだけでまだまだテレビドラマは誤魔化しているに過ぎず、天才の才能が、信じがたいような魅惑に富んだドラマ言語を誰がいつ創造するか、と私は期待している。それまでは、まだ決めつけた論評は控えようと思っている。
テレビの二時間ドラマはほとんど成功しない。昔は映画館で見る劇映画でも二時間未満が普通だった。時間ばかりの長大作はたいてい大味で密度があらい。ましてテレビの未熟な二時間ものはもう不要だ。
2005 8・3 47

* 九月七日十一時に、二ヶ月ぶりの聖路加糖尿の診察。正午には済んでいるだろう。うまい昼飯、そして午後いっぱい胸のひろがる嬉しい時間がもてるといいが。
その次週には定例理事会と、歌舞伎の通し。二十五日には宝生のシテ方東川さんが「半蔀」のシテを初めて勤めるのでと誘われている。水道橋能楽堂。二十九日には俳優座招待がある。もうだいぶ涼しいであろう。そのまえ月火水のどこかで、電子文藝館委員会の予定。この隙間へ、何としてもモロー展、根津美術館、泉屋博古館、五島美術館などを挟みたい。メガネの新調にも出かけないと。
2005 9・1 48

* 十二月のコクーン劇場、松たか子主演・野田秀樹演出「贋作・罪と罰」を幸四郎事務所へ予約した。
もういずれ十月歌舞伎の席が決まってくるだろう。「廓三番叟」が芝雀、亀治郎、翫雀。通し狂言の「加賀見山」が玉三郎・菊之助・左団次・菊五郎。夜は「引窓」が菊五郎、魁春、左団次、田之助。「日高川入相花王(いりあいざくら)」が玉三郎、薪車、菊之助。「河庄」がむろん鴈治郎、我當、田之助、雀右衛門という配役で、「藝術祭」らしい充実の顔ぶれが楽しみ。玉三郎に菊之助が組み付く出し物二つがあり、鴈治郎と我當の組み合わせは、師走南座での坂田藤十郎襲名顔見世興行の贅沢な先触れになる。
南座へ行きたいなあと夢見ている、正月歌舞伎座があるとは言いながらも。
2005 9・8 48

* 古稀は「自祝」しようと思い、折しも京都南座が、中村鴈治郎の坂田藤十郎襲名顔見世興行、当然ながら幸い片岡我當君がいつもより頑張って出勤することだし、応援も兼ね、昼の部だけでもぜひ観たいと、予約した。前日に京都に入り、夕食をどこか老舗で奢り、当日は、可能なら仕出しの「菱岩」に弁当を頼みたい。そのかわり芝居が済めばすぐ帰ってくる。
もう一つ師走「自祝」の日には、松たか子主演のコクーン劇が予約してある。
十一月の国立劇場に、やはり我當が通し狂言「絵本太功記」に出演するので、これも予約。歌舞伎座の顔見世興行は誰が何をやるのかまだ分かっていなくて、気を揉んでいる。明けて一月は東京での藤十郎襲名初春興行になる。これはもうとうに予約がしてある。
明後日の歌舞伎座昼夜も大いに楽しみ。吉右衛門と富十郎・福助の「勧進帳」にわくわく期待。
2005 9・14 48

* 師走の京の南座、當る戌歳吉例顔見世興行は、古稀を自祝し、妻と、昼の部だけをみてとんぼ返しに帰ってくる。「夕霧名残の正月」の藤屋伊左衛門と、「曾根崎心中」のお初を、新坂田藤十郎が演じる。東京歌舞伎座の壽初春大歌舞伎では、もう一度由縁の月とお初を観て、夜には「伽羅先代萩」御殿と床下の乳人政岡、および襲名の「口上」を楽しむ。おっと、よしよし。ロサンゼルスの池宮さんが羨ましがるだろう。
師走には、松たか子主演の「コクーン」もある。
十一月の江戸顔見世の演目が出揃った。昼・夜、高麗屋のお世話になる。高麗屋と播磨屋の兄弟を一つ興行で観るのは珍しいし、有難い。
小山内薫の「息子」が昼の幕開きに染五郎で。期待しよう。仁左衛門の「熊谷陣屋」、吉右衛門の「雨の五郎」富十郎の「うかれ坊主」は長唄と清元で所作事。そして幸四郎の左官長兵衛で「文七元結」には鐵之助が女房お兼をやるという、これが見せてくれるといいが。
夜は嶋の「景清」を吉右衛門、「連獅子」を幸四郎と染五郎父子、そして大キリに上方ものに熱を入れている梅玉に時蔵を配した近松門左衛門の「大経師昔暦」は成功を期待したい。これには時蔵をはじめ梅枝、歌六、歌江と萬屋が揃うのも趣向のうちか。まさに昔の吉右衛門劇団である。
この月、国立劇場では我當クンの出る「絵本太功記」の通し狂言。どんな配役かはまだ聞いていないが、楽しみにしている。紀伊国屋で松本紀保の芝居もある。
十月にも、日生劇場で高麗屋父子の「夢の仲蔵」があり、歌舞伎座の十月公演も盛りだくさんに昼夜とも楽しめる番組。三百人劇場の新劇「八月の鯨」も期待しているし、下北沢では原知佐子の芝居もある。
九月は末に、ソプラノ歌手の音楽会と、俳優座公演「湖の秋」がある。

* こんなに有ってはかえってしんどいだろうと思われそうだが、それがそうではない。励みの楽しみと言って良い。
やがてデフレはインフレに転じる世の中であろうと思う。稼ぐ気のない今後の老境はけわしいものになって行くに相違なく、だから備えるというのでなく、だから楽しんでおく。励んで楽しむのではない、励まされて楽しむのである。こういう時期はそうつづくものでない。つづけば、それでけっこうだ。
2005 9・21 48

* 明後日は、新劇。「八月の鯨」これも楽しみ。京都大会に行かないと決めたので肩に荷が無く、十月上旬はゆっくりできる。
2005 9・27 48

* 往くものは往き、来るものは来るであろう。永く延びる線のような永遠はない。「今・此処」が永遠。来るものは来る。往くものは往く。なにもしないで「今・此処」で待つだけである、その時を。待ちながら忘れている。
日付が変わる。明日は、俳優座。いい新劇が見たい。それが済むと十月の十日まで、目下なにも無し。湖の本が進行する。
2005 9・28 48

* 午後、六本木の俳優座へ。招待はふつう夜の部へ来るが、わたしは昼の部にいつも替えてもらう。夜の急ぎの帰宅がシンドイのと、夕方近く劇場を出てからに、遊び心が刺戟されるから。遊ぶと言ってもわたし(たち)の場合は、食べて、少し呑んで、妻の体力を気遣い、歩くというほども歩かないで帰ってくる。どんな芝居か知らない。その方が楽しめるので、わたしは事前に筋書きを読んだりしない。

* 湖の本の初校を終えたので、宅急便に託しておいて、出かける。
運動する人もあれば、舞の稽古に通う人もいる。人、いろいろ。
来週木曜六日に、電子メディア委員会。昼飯を食べながら二時半まで兜町で会議。十日は劇団昴公演。十一日、「ペン電子文藝館」委員会。十三日は日生劇場、高麗屋父子の「夢の仲蔵」。十五日、上智大で言論表現委員会・電子メディア委員会主催のシンポジウム。十七日、ペン理事会。十八日二時東京會は日中文化交流協会の歓迎パーティ。 十九日歌舞伎座昼夜。二十一日夕刻から谷崎賞の授賞パーティ。二十二日、原知佐子らの「劇」公演。二十九日第一生命ホールでコンサート。失礼も可能なのをまぜて、かなり混んでいることが分かった。
晴れやかに元気な秋でありますように。
2005 9・29 48

* 俳優座公演、長谷川孝治作、高岸未朝演出「湖の秋」は、ごく珍しいもので、俳優座の大将格ですら、「うちの最も苦手とする方面」と、立ち話で苦笑いしていた。事実観客の反応もはなはだ鈍く、ご近所がみな睡魔と仲良くしていた。面白くないと言うより、理解できなかったらしい。妻も、「ぜぇんぜん、分からない。こんなの珍しいわ」とさも眠そうであった。
ところが、天の邪鬼のつもりでは全くない、わたしは終始惹きき込まれ、この「純文学的純演劇」を歓迎していた。面白かった。俳優座は新劇の牙城ではないか、こういう意欲作・異色作でこそ、時に、めざましい新風を吹き入れていいのだと。

* 舞台はある無住の禅寺、通いの他に坊さんはいない。一人の女性(ヒロイン)が留守番のように住みついている。寺はいろんな催しに使われているらしい。
今日は、近在の老人達へ定例の「お握り」を配り歩くボランティアが集まっている。そのなかには、車椅子の、よほど老衰した祖父と娘夫婦と孫娘もいて、孫娘は、故郷の寺のアトを嗣ごうというスポーティな学生と結婚を約束している。彼等の若い友人達も何人も集まっている。さりげなく、とりとめなく、和んで静かに「あるがまま」の、いくらか禅寺めく会話も混じっての、ごく当たり前で纏まりもない「現実」らしさが再現されている。リアルそのもの。そう見えている。のだが、じつはどことなく超現実の気配がある。
ここに、挙動の妙な、しかしその場のみなが知り合いでもあるらしき一人の男が加わってくると、いよいよ舞台は奇妙な空気をはらんで、しかし、なにひとつ、みんなの様子はこれといって変わった風でもない。
この静かなややこしさ、整合性のあるとも無いとも掴みにくい「場面のたゆたい」に、観客はとまどい、見えていることはあるがままに分かるのに、演劇として何が展開されているのかを整合的に理解しにくいのだろう。
じつは、開幕の場面で一人の旅の者とも見えるくだんの妙な男が、真っ赤な彼岸花をかき分け、何かへの「参道」らしきを歩み去って舞台から外へ消えて行く。それに注意していれば、あれは「墓参」の如きものと見当がついただろうに。誰かが、もう死んでいるのだ。だが、死者は生者たちとまじって、生きているかのように生きている。みなはその死者が死んでいるとも生きているとも意識しないで、あるがままに銘々の時間を生きているのである。だからよけいにモノが整合的リアルに受け取れず、しかし奇妙キテレツとも受け取れないのである。観客には、容易にそれが掴めていないようであった。
だが舞台の上で、少なくも一人、車椅子の老人だけは、その死者と将棋など指しながら、今日にも、その死者はようやくこの寺から離れて行くものと察知している。それはまた自分自身の終焉の近づくこととも運命のように察している。
生者と死者との「あるがままの共在」の場へ、開幕、彼岸花の道をわけて墓参にきたと思われた、不思議に陰気な一人の旅から戻ったような男は、何が目的で再び登場してきたか。
やがて、この日のイベントであるボランティアの握り飯を配り終え、皆が寺に戻ってきたところで、喪服に身なりを替えた、いわば「法事」の場をその男は主催しはじめる。そしてその場で、苦しい「後悔」の告白と「謝罪」のアイサツを始める。みなは神妙に聴いている。挨拶が唐突とも聞こえていないらしい、黙々と聴いている。立って話している彼の隣には、やはり黒い和服の「女」が黙然と坐している。この寺に住み、集まってくる皆の精神的な紐帯かのように暮らしてきた一人の年寄りでもない女性だ、彼女はかつて挨拶している男の妻であったらしく、しかももうこの世の人ではないのだった。魂魄この世にとどまって、治めがたい悲しみや怨み苦しみを負いながら、死んだまま生き続けてきたのだ。だが、いましも男の、夫の、苦渋に満ちた痛悔の告白と謝罪により、ようやく「癒されて」いわばはじめて成仏して行くらしいのである。
生前の女に、妻に、苦い痛いめを見せ続けた男は、放浪から帰ってきて、妻にいましも泣いて詫びた。愛のある非道に男は女を死なせていた。女には「握り飯」配りに象徴されているようなある種他者への無私の愛があって、それを男は認めなかった。
車椅子の老人は、今日の法事でそうなることを、察し、願っていて、そして女は、今日こそ此処を、この寺を去って行くだろう、そして運命のように自分もまたとうどう死んでゆくだろうと思っていた。

* こういう展開は、『冬祭り』などを書いてきたわたしには、なじみやすく、わかりやすい。そして心を惹かれる。

* 大庭藍が死んで生きている女を、無難に静かに演じたのは、この舞台の幸いであったし、孫娘を演じた伊勢佳世の好演は、この舞台のある種のあやしさを健康に支えていた。そして浜田寅彦の老耄のしかし心定かな車椅子老祖父が、いわば「覚者」のように確かな存在であった。この三人を他の大勢が支えて、ほぼ文句の出ない好舞台にしていた。
だが、この舞台をはこんだ演出家は、この脚本をほんとうに生かして活かしていたかどうか、分からない。
もう少し観客を「理解」線上で鼓舞し激励する舞台に仕立て得なかったかどうか、わたしは、その点は物足りなかった。
わたしは誤解しているだろうか。それも分からないけれど、面白いと思い一度も眠くならず、目をみひらいて観、耳を澄まして科白を聴いていた。新劇の舞台ではそれも珍しいかも知れない。
わたしの読み取ったようなことは、じつは、作者も演出家も解説者もだれもひと言もパンフのなかで書きも話もしていない。タネを明かすわけにはいかないとでも言うかのように。みな「お握り」がどうしたこうしたといったことを喋っているが、わたしは、大筋、わたしの読みが適切だと思っている。劇団が配布していた「筋書パンフ」の歯にものの挟まったような紹介の短文など、なんでこんなふうに書けるのだろうと思うほど、わたしには珍である。

* どこへも寄らず、妻が疲れて眠たいというのを励ましながら、一路帰宅して、五時過ぎ。晩は、ヘレン・ミレン主演の女警視もののドラマを緊張して楽しんだ。前夜からのつづき、長丁場なのにダレなかった。

* 十一時過ぎ。なにももう、おそくまで起きている意味もない。やすもう。あの舞台の人達に、何かが終えたようにして、物事は、終えて行くのだろう。澄んだ水に落としたものが、ひらひらと沈んで行く。手を伸べても届かないのにそれが見えている。ものの終える、死ぬる、とはそういうものと、わたしはどれかの小説に書いたことがある。だいじなものは、だから、粗忽に落としてはいけないのだ。
2005 9・29 48

* 戸外の方がからりと秋の空気で心地よさそうに感じる。調べてみたら、招待されている美術展や演劇や催しが、十月だけで三十から四十も溜まっている。つい目も届かず失礼してしまう。都美術館、国立工芸館、菊地寛美記念智美術館、根津美術館、文化村ザ・ミュージアム、泉屋博古館分館、五島美術館など、欠かしたくない。デパートの美術案内の中にも日本伝統工芸展などがある。画廊の個展案内もむ溢れている。
どうしようかと、書きだしてみて、数の多さにおどろく。中には日の重なる招待もあり、困惑する、どっちへも行きたいのが劇団昴公演「八月の鯨」と梅若万三郎の珍しい能「三山(みつやま)」で。先約の昴をとるけれど、能は復曲された珍しい劇的な能であり、地謡も後見も観世流の贅沢なほど一流どころがならび、さらに狂言に野村萬齋が来ている。仕舞三番も言うことなしの佳い顔ぶれ。まいっている。招待座席は中正面だけれど、悪い席ではない。
2005 9・30 48

* あすは二時ごろから、水道橋の宝生能楽堂で、東川光夫さんの能「半蔀」を観るつもり。明後日は新劇「八月の鯨」を、木曜には日生劇場で幸四郎・染五郎の「夢の仲蔵」。土曜は言論委員会と電子メディア委員会が共催で、上智大学でシンポジウム。そのあと卒業生クンが家へ来て、ピアノを弾いて聴かせてくれる。火曜も水曜も、ひょっとすると金曜も。
2005 10・8 49

* 午後、劇団昴公演「八月の鯨」を観に行く。新調の眼鏡ももう出来たらしい。十二月国立劇場が「天衣紛上野初花」の通し狂言。高麗屋父子に時蔵が参加。予約した。弟吉右衛門の河内山を二度観ている。兄幸四郎では初めてになる。楽しみ。片岡直次郎には染五郎。

* 小雨をおかして千石の三百人劇場へ。この劇場、老朽のため来年いっぱいで解体されると聞いている。残念だが。はじめてこの劇場に来たのは橋本敏江さんの平曲を聴いたり、その解説風の短い講演に前へ出て話したりしたのが最初だった。
福田恆存さん演出の「ハムレット」を観に来て初めてお目にかかり、「想っていたとおりのお人でした」と初対面で言われたのを懐かしく覚えている。以来、筆紙に尽くせずお世話になった。今も夫人にたいそう良くして戴いているし、子息福田逸氏は劇団昴を率いておられ、わたしは毎回の公演に招待してもらっている。本拠三百人劇場が無くなるのは淋しくも残念だし、新築の方向がまだ見えていないらしいのも気がかりながら、劇団昴自体の活動はそのまま続くのであるから、そのことに安堵している。

* で、今日の「八月の鯨」だが。ベティ・デイヴィス、リリアン・ギッシュの映画が、日本でもロングランしたと聞いている。わたしは、そういうことは何も知らず考えず、まったく白紙で今日の舞台にまみえた。五人だけの芝居、それを劇団昴の女優トップスリー、男優トップツーの五人の大ベテランで演じるというのであるから、妻は、前からえらく楽しみにしていた、是が非でも観たい観たい、と。
わたしはそういう配役も知らなかった。白紙でお目に掛かろうという気組みでいた。
「老いを生きる」をテーマにしているが、これは青春を生きるテーマより遥かに難しい。青春は、どこか一様に似た顔で若い心身に訪れ寄る。しかし「老い」は、同じ日本人でも、いや同じ日本人夫婦でも、「それぞれの老い」を背負うことになる。ましてアメリカの老いとフランスの老いとインドの老いと日本の老いとでは、えらく異なるであろう。一人一人の抱き込んでいる「過去函数」がフクザツである上に、国情や、属している世間・世の中が、モロに関わってくるのも、「老い」ならではである。「老い」を主題に、誰にでも納得させる映画や演劇や文学というのは、じつに難しい。誰もが自分の「老い」を、他者や他国人の老いとは別ものだと、むしろ頑ななほどに感じている。だから「老い」が主題の創作はなかなか受け取りにくく、受け取られにくい。
「八月の鯨」の「老いを生きる」が、舞台の上の「よそ」なる一例ないし個別の例として、多くの年老いた観客にも映じていたらしいとは、なにとなく感じで分かった。ただもう、舞台の上のベテラン俳優達の流石な好演に感じ入って、誠実な静謐と緊迫を終始一貫貢いでいた。観客は舞台を舞台として受け入れて楽しみ、しかし演じられている「老いを生きる」問題に、そうやすやすとは自己同一化を遂げられるわけもなかった。一つ、それが、今日の舞台のまるで前提のような制約であった。
五人のうち、リビー(小澤寿美恵)とセーラ(谷口香)とは、盲目の姉と、ずっと年下の寡婦の妹。そして友人のティーシャ(北村昌子)。がさつな気のいい出入りの老職工ジョシュア(西本裕行)、ロシアの亡命貴族ふうのマラノフ(内田稔)。
舞台は、海にまぢかいセーラの別荘で季節を限って姉妹が此処で暮らしている。盲目の姉は妹の世話になりながら気むずかしく、妹は早くに死なれた夫への燃焼しきれない執拗な愛に縋りかつ悩んでいる。そして昔は、濱へ鰊の群来 (くき)があると、やがて鯨が追ってきた。姉妹はかつてそれを楽しんで待ち受けていた。昔はそうだった、が、今はどうか。「八月の鯨」とはなかなか難しい題になっている。「八月の鯨」は、もういない、来ないのである。
その「読み」を述べてみても、この静かにくりひろげられて静かに巻きおさめられた物語よりは、かなり不作法にはみ出てしまいそうな気がする。この舞台は必ずしも老いのホープレスを描いていない、それどころか「老い」を「あるがまま」受け入れながら、意思を働かせて、なさけなく老い込むまいとする姉妹の物語でもある。
とはいえ、女達の状況に多くの希望や活気を望める選択肢はない。残されてているのは「言葉」で我とお互いとに確かめうる僅かな生気と気力だけでしかない。それでいい、喪ったものは喪ったもの、その幻影を追いかけても仕方がない。そのとき、「鯨」は過去の幸福の影形を消したシンボルなのである。
ロマノフという男の生き方は、亡命このかた知人を順に頼って寄食するしかない何十年であった、往年の華やぎを記憶の中で潤色し続けて女達に聞かせる。リビーはそういうロマノフを見極めていて受け入れようとしないが、セーラには、失った夫との二重像のように「男」の存在と言葉とが、ある種の魅惑でないこともない。そのとき、セーラにしても、ティーシャにしても、ロマノフという鯨に追われている鰊のような存在でなくもないが、リビーは盲目にかかわらずそれを観て、制して、弱くはない。この盲目の姉にだけは外の世界への導線が繋がっている。母の面倒など見ていない娘が都市に暮らしていて、リビーは娘の生きると自身の生きるとを「繋ぐ」ことも「相対化する」すべも知っているらしい。それからすると、セーラは、ロマノフがいうように半熟のロマンチストなのである。

* この舞台から、ことし古稀になるわたしは、老いを生きる指針を得ることは出来ない。ちがうのである。だが、五人の芝居は観るにたえて美しいほど確かであった。そう感じてきたのがわたしの今日の喜びである。
妻が何を受け取ったかは聴いていない。
小雨の千石から、巣鴨まで傘を差して歩いて、時間のはやさに阻まれてめざすビストロへも入れず、また別の気に入りの鮨屋にも入れなかった。池袋に戻り東武の地下で安直な寿司を気楽に食べてから帰った。
2005 10・10 49

* 久しい読者から、オペラのお誘いがあった。息子からは、主宰している演劇塾の何回めかの卒業公演にこないかと誘ってきている。
明日は下北沢で、映画女優で親友の原知佐子の芝居がある。彼女は断続的に演劇活動をつづけている。
来月の第一週には国立で我當君が、「絵本太功記」の通しで、つまり織田信長役を演じる。芝翫が羽柴秀吉役。明智光秀役は橋之助だというから、持ち味の大柄を科白からよく引き締め、大役を成功させて欲しい。我當の息子の進之介も珍しく顔をならべる。松嶋屋の若手では秀太郎のところの愛之助、仁左衛門のところの孝太郎が心境著しいだけに出遅れが目立つ。奮励してくれるといいが。
第二週には、小山内薫の「息子」が歌舞伎座に出る。染五郎がやる。幸四郎と吉右衛門の兄弟が一つ興行で顔を揃えるのも珍しく、楽しみ。
幸四郎の姉娘が主演する紀伊国屋での芝居はどんなのだろう。師走には妹の松たか子主演のコクーン芝居もある。
いずれ吾々夫婦もからだが動かなくなる。それまでは、せいぜい楽しむ。飲み食いしなければ、芝居見物は体力も使うのであり、血糖値も上がらない。せいぜい呑まないようにしている気だが。
呑むか喰うなら、呑む方を取るかも知れない。
2005 10・21 49

* 創画会に、石本正、橋田二朗、上村淳之、烏頭尾精さんから招待状が届いていて、なかなか行けないうちに会期が迫ってきた。あれこれ言っているうち、「モロー展」へは辛うじて滑り込めた。泉屋博古館(特選の日本画)、藤山寛実智美術館(当代の楽吉左衛門展)、国立工芸館(アールヌーボー展)、庭園美術館(マイセン陶器の粋展)など、招待をムダにしたくない。さて、いつ行けるか、だ。
今日、十一月の歌舞伎座も座席券が届いた。雀右衛門と冨十郎とを筆頭に、幸四郎・吉右衛門・仁左衛門・梅玉・左団次は、豪勢な顔ぶれ。仁の「熊谷陣屋」 高麗屋父子の「連獅子」 それに梅玉がまた上方ものに挑むし、小山内薫の「息子」で染五郎ががんばるだろう。なにより富十郎の鍾愛する幼い息子大クンが名披露目の舞台をふみ、富十郎他の大幹部が祝言の舞台をつくってくれるそうだ。
十二月の松たか子公演は、どうやら野田秀樹作・演出の『贋作・罪と罰』らしい。これが楽しみ。
2005 10・25 49

* 西武新宿線落合駅ちかくの小劇場へ、秦建日子作、築山万有美演出「リバース」を見にいった。建日子が経営している演劇塾の何期目かの卒業公演で、シュールな作であるが、客からはかなり話の通りがよくなっていたものの、演技的にあまりに下手ッピーで、乗って行きにくかった。総じて科白が下手。そのために聴こえの間がわるく、ぎくしゃくして演劇時間が流れていかない。それでは舞台空間も雑駁になり、つまり役者の肉体が真実感を持って生動し躍動しない。ドタドタやっている。
始まる前にすぐ近くにあった「桃山」という割烹の店に入って、軽い遅い昼食をとったが、この食事が「安直」を料理に売っていて、いただけない。熱心にはやっているのだが芝居の方もかなり安直。やるかぎりはいいものを見せて欲しい。建日子の脚本がワルイのではない。出演者が未熟すぎる。建日子の塾経営と指導力に問題があるのなら、彼の責任である。
2005 11・5 50

* 明日は、その高麗屋の長女松本紀保主演、鴻上尚史作「トランス」を観る。来月には高麗屋父子の「天衣紛上野初花」を観、次女松たか子の「贋作罪と罰」を観る。そのあと暫くして、古稀の自祝もかね、京都南座まで出かけ、成駒屋や松嶋屋に肩入れしてくる。中村鴈治郎は坂田藤十郎になり屋号を替えるのだろうか、それも佳いと思うが。
いい芝居をいい席で観る。わたしたちのささやかな贅沢である。いっこう稼ぎもしないで贅沢を楽しんでいる。
京都から帰ると、今年の舞台見納めは、国立能楽堂クリスマスイブの能「定家」シテは観世栄夫。どっしりと大曲でのオオトリになる。なんという嬉しさ。
そういえば来週早々の月曜には、明治座の「細雪」に招かれている。雪子役は紺野美沙子で、澤口靖子ではない。何度も同じ舞台を観ているので珍しげはないが、これまでは帝劇だった。明治座という舞台でどうなるか。そのあと、「ペン電子文藝館」の委員会へかけつける。浜町と茅場町のこと、遠くはない。
2005 1・18 50

* さ、鴻上尚史と松本紀保とは、どんな「トランス」へ吾々を惹き込むか。出かけよう。

* 新宿中村屋で昼食し、紀伊国屋ホールへ入る。二時開演、二時間。いいテンポと、明晰・明快なたった三人だけの好演と、推敲の十分出来上がった割り切れた演出とで、観念的な、いい意味で観念的な「人間不可解」の畏れと恐れとを、たいそう面白く興味深く煮つめた一芝居を、みせてもらった。
松本紀保の柔らかい佳い声と声量との科白が、すみずみまできっちり届いた。なによりも科白が、言葉としても、言葉の音楽としても正しく耳に胸に届くことが、どれほど演劇の一基本であるかを、有難く思わせた。競演の、みのすけも、猪野学も劣らず立派なせりふ遣いだった。あれだけきっちり話せれば、如何様にも演出のテンポは計れる。せりふに惑うことなしにからだも柔らかく、つよく、よく動いた。演劇は本質的にダンスの魅力。肉体の発揮する動く彫刻。
芝居は終始クリアに過ぎるまで明快に展開し、或る意味、疑問の余地がないまで切り放れのいい、割り切れた芝居になっていた。三人の人物が精神病者と医師と介護人とをめまぐるしく交替するのだから、或いは何が何やら、何処が割り切れているものかと怒り出すか知れないが、こういう「人間把握」じたいは、べつに新しい独自なものではないのだし、正常と異常との境目を、人は、いつ飛び越えてはまた立ち返り返り、右とも左とも、表とも裏とも定め知れない日常を送りかねないで居る以上、話自体はあれでよく割り切れて、分かっているのである。それでいいではないか、そんな風に分かりにくげにたとえ生きていようとも、だから「愛や幸福が不可能」とは限らないよという作劇なのであろう。それはそれで、「ああそうだとも」と頷かせる主張になっている。
現代第一線の「才気」がくりひろげる観念劇なのであるが、ただ、作者はこれに蛇足のような「前説」もわざわざ一文添えて開幕前に観客に配っている。そのために佳い観念劇、日本にはめったに生まれない観念劇を、安直に「普通のレベル」へ押しおろしたという憾みが遺る。ま、いい。面白い舞台であった。隅々まで安心して観ていられた。
さすが何日もの長、まだ秦建日子の創る舞台は、あそこまで推敲出来ていない。ややこしい。彼に使える役者達も、たいていがまだ上手とは、とても言えない。科白はいつも聴き取りにくい。だが「混沌に埋蔵されたちから」は有る。勝負は、その力の今後の掘り出し如何にかかるだろう。
鴻上尚史、さすがにうまい。役者三人もほんとうによくからだが動いて、巧かった。どこかにあんまり明るく巧すぎて、「昏いやるせない不可解な内蔵力」がもう使い果たされているような「どんつきの危うさ」も感じさせた。そのためか、胸の熱くなる、胸の凍り付く、そういう不思議の感動は得られなかった、のである。
拍手、惜しまなかった。みな才能に溢れていた。アツプ・トゥー・デートな創作劇の魅力は満喫できた。こういうのを観たあとで次の月曜、明治座の「細雪」は、かなりシンドいだろう。同じ商業演劇でも、細雪よりも遥かにつよく、師走、松たか子主演・野田秀樹演出の「贋作・罪と罰」に、楽しい期待が湧く。
野田秀樹、鴻上尚史、三谷幸喜。つかこうへいらよりずっと若い世代では、この三人の演出がおもしろいと聞いてきた。この三人を凌いで行かない限り若い演出家に先の望みはないなどとまで。まさか。噂は噂。それを確かめてまわる楽しみも、いまのいま観劇の楽しみである。

* 新宿の雑踏に負けたか、妻がだいぶ疲労したので、池袋に戻ってからプラザ八階の「甍」に久しぶりに入り、少し佳い和食を食べながら、休憩した。何でそうなったのか、源平の昔から南北朝の頃まで歴史の推移を話題に話し込んだ。料理はうまかった。酒でなく、二人でビールにした。
そして各駅停車保谷行きでゆっくり帰ってきた。駅からタクシーを使うと三分とかからない。黒いマゴが鄭重に玄関で迎えてくれた。
2005 1・19 50

* モーガン・フリーマン主演のなかなかやるサスペンス洋画劇場に惹かれていた。これから一人会員の出稿を処理して、寝る。明日は浜町明治座で「細雪」をみせてもらい、そのあと茅場町で電子文藝館の委員会。
親戚筋の望月洋子さんから「ラ・フランス」という洋梨をたくさん頂いた。
2005 11・20 50

* 七十という年齢へあと一ヶ月。あいも変わらず不安な日々を送り迎えて此処へ来ている。恥ずかしいと思いもしない、こういう自分なのだもの、しようがない。小一時間のうちに、出かけて谷崎先生の代表作を舞台でみてくる。朝日子のサントリー美術館への就職が決まったとき、浜町の料理屋で、お世話になった松子夫人らを慣れない気分でぶきっちょにご接待した昔を思い出す。

* 谷崎先生原作の「細雪」公演に東宝の好意で招かれ、明治座へ。鶴子が大空真弓、幸子が山本陽子、雪子が紺野美沙子、妙子が南野陽子。貞之助は篠田三郎、蒔岡当主に磯部勉。
そつのない配役だが、澤口靖子に代わる紺野美沙子の雪子が佳く美しく、南野も野性味には甚だ欠けるものの好感のもてるコイさんであった。山本陽子にはなかなか馴染めないのだが、衣裳もすっきりと想ったより静かに穏和に品良く演じてくれて、亡き松子夫人のためにも喜んだ。宜しくないのは大空真弓、鶴子らしくない下品が表へ出て、物言いもガサツ。
だいたい、上方弁こそこの劇の華であるのに、大空と山本の上方弁のひどさ、方言指導をつけていながらかんたんな物言いにもひどいアクセント。うんざりした。紺野と南野とは無難にこなしていたのに、舞台の二本柱として作劇されている本家の妻鶴子と分家の妻幸子の大阪弁ががちゃがちゃでは堪らない。一流の役者なら何とか何とかそういうことも無難にこなすものだが、大空も山本も、打ち込みの誠実さが足りなさ過ぎる。
帝劇での舞台より構成も推移も淡泊に、よくいえば、しんみりと出来ていた。原作の力に必然助けられて商業演劇としては無難に仕立てられた佳い舞台であったし、ところどころほろりとさせられる詠歎の効果もなくはなかった。無難。だが刺戟も興奮も稀薄で、お上品だが、遠いところで小さく繰り広げられる幻想のように美しい夢のようであった。紀伊国屋ホールでの「トランス」の方にやはり現代は活躍していた。

* 幕間に、京都聖護院八つ橋の「生八つ橋」を、妻とうまいなあと言いつつ食べてきた。堅いのもイヤ、餡も敬遠。香ばしい生八つ橋が大好き。
人形町界隈もわたしは好き、此処には江戸の残り香がある。
2005 11・21 50

* さ、明日は国立劇場で通し狂言「天衣紛上野初花(くもにまがふうえののはつはな)」を観てくる。十日は、野田秀樹演出の松たか子「贋作・罪と罰」で。ありがたい。

* 漫然と機械の整理をしていた。もう、やすもう。
2005 12・6 51

* 四十八年。生半可な時間ではなかった。夢でなく、現実だった。

* さ、渋谷へ出かける。

* 野田秀樹作・演出「贋作罪と罰」は、或いは単に失敗作であるのかも知れない。ドストエフスキーの「罪と罰」と明治維新とにこと寄せて作劇しているが、秀抜の批評とも作劇ともみえない、昏迷・混雑の舞台から、ついに、浮かび上がる感動が表現出来ていなかった。野田秀樹は天才だという噂は聞いていたが、天才がそう転がっているわけがない。この作劇では手が足りていないとみえたし、舞台づくりの演出の手際も思わず手を拍って唸らせるとは見えなかった。ひと言でいえば、観念も作劇も「雑」であった。
一つには、俳優達も、主役の松たか子の渾身・懸命・誠実なうちこみに比して、芝居自体がよく飲み込めていないのではないかと思われるほど、早口な科白が潰れていて、往々客席に言葉が届かない。松たか子ひとりが清明に綺麗に言葉を伝えてくるのに、主だった脇役の何人かが、ロクにまともに科白が言えないのは、芝居を甘く見ている。
二つには、人にはよく躰の働く芝居と見えるかも知れないが、そして舞台で俳優のからだが活躍するのは、演劇第一義の要請であるけれども、「働く」のと「動く」のとは根本がちがう。舞台で躰が働くかんどころは、「動作」でなく「所作」として「働く」のであろう。所作とは分かりよく謂えば踊り=ダンスであり、動作とはただのナマな動きに他ならない。今日の俳優達の演出を見ていると、ひとり主役の松たか子だけが終始所作を成しえていて、他の者は、せいぜい両三人をのぞいて、ただ無神経に動作している。肉体が演劇的に活躍しているのでなく、単に動作として場所を「移動」しているだけ。あれでは、劇的感銘を俳優の肉体から感受し観客が陶酔することは出来ない。
演劇はひろくはダンスの敷衍であるのに、根本の「ダンスつまり所作」を全うしないまま、今日の野田作劇のようなイデアリズムの芝居は生きる道理がない。松たか子ひとりがすぐれた能役者さながらに真摯に美しく所作演舞して、科白をあやまることもなかったのに、おそらくアレでは大勢の観客が、何が言いたい舞台じゃろうと、分かりにくいままに見ていただろう。しかたがないから、拍手だけ盛大に繰り返していたのではないか。

* 罰は受けるけれど罪はない、そういう思いで人を殺すなら、多くのテロリズムには理由が立つ。松たか子演ずる英(はなふさ)という女性志士は、強欲な金貸しの婆だけでなく、そのかげに虐げられ酷使されていたらしき<婆の妹>も惨殺している。そういう殺人と、将軍の世を覆して「新しき時代」への抵抗をテロまがいに進めて行く、そういうかなり無理な二重構造を借りながら、いわば先覚坂本龍馬ひとりに皺を寄せて、時代革新の反逆性に「暗殺」という勘定をつけてしまう、そんな維新の断行。
どういう見越しが、作者に付いていたのだろう。将軍の昔と、薩長政府の新時代とは、そんなに簡単に白の黒のと対比できるシロモノではない。明治新政府の悪辣と強欲と非道とは、おさおさ旧幕時代の悲惨に劣るものではなかった。網走あたりの牢獄で、英は、罪は犯していない罰は受けている、やがて新しい時代が自分を赦免してくれるだろうと甘い夢を見ているが、夢も希望も、彼女の知らない間の恋人坂本龍馬の惨死により、とうに裏切られていた。

* 野田秀樹は何が言いたくて、松たか子ほどの逸材を、どう駆使し得たというのだろう、この芝居「贋作罪と罰」とで。

* 渋谷土曜日の人出でのすごさにすっかりヘキエキし、疲労した。右アキレス腱の痛みは少しもひかない、間違えて国電に乗り、有楽町から遠回りして日比谷のクラブに入ったが、疲れがひどく、食事も、今一つ堪能できなかった。逆に妻の肩を借り手を掛けながら脚の痛みを庇い庇い、帰った。
2005 12・10 51

* 今度は、三谷幸喜作・演出「決闘! 高田馬場」三月公演の十四日を予約した。市川染五郎・市川亀次郎・中村勘太郎の奮闘公演である。
野田秀樹・鴻上尚次・三谷幸喜。三羽烏のように謂う人もいる。先の二人の舞台は数少ないが観てきた。残る三谷の作劇ぶりも見てみたい。テレビでは二度三度出会っていて、大いに面白かった記憶がある。端倪すべからざるトボケぶりがある。染五郎、亀次郎、勘太郎。三人とも好きで、藝の意欲や巧さをわたしは熱心に買っている。競演を楽しみたい。三人を働かせるみごとな演出をみたい。
2005 12・17 51

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