ぜんぶ秦恒平文学の話

歌舞伎 2006年

 

* 十三日は、襲名の山城屋坂田藤十郎を歌舞伎座に祝う。十八日には俳優座の新春公演、紀伊国屋サザンシアターで「歌麿」とか。納得できる、俳優座ならではの歌麿を見せて下さいよ。
二月は先代松本幸四郎(白鸚)追善と漏れ聞く、大歌舞伎。幸四郎、吉右衛門の一座共演が嬉しく、むろん予約。
三月には、三谷幸喜作・演出の高麗屋染五郎・澤潟屋亀治郎・中村屋勘太郎共演で「決闘高田の馬場」、三月四月に流れ込んでは串田和美演出のコクーン芝居、中村屋勘三郎、成駒屋扇雀、橋之助らで、南番・北番二た様の「東海道四谷怪談」がある。これらも南・北ともに喜んで予約した。
いま、心臓に疲労の種を抱いた妻と一緒に楽しめるのは、体力的に、芝居がいちばん適している。おかげで、妻も歌舞伎いっぱしのファンである。テレビでの歌舞伎の映像も、むかしは見向きもしなかったのに、今では独りででも観ているから、エライもんだ。
2006 1・8 52

* さてあすの木挽町は、妻の体調から推して、むしろかなり苦闘に類するかもしれない。わたしはまずまず問題ないけれど、妻の喉をやられての咳き込みは、軽減の傾向とすらなかなか言いにくい。幸い熱発はない。咳は体力に響くので、たださえ弱い呼吸器系統が終日堪えられるかどうか。
だが、此処まで来ては、妻がガンバルか、妻は家で休むかのどちらかしかない。代わりに観てもらえる人も見つけようがない。妻は、歌舞伎はよろこぶが、能はイヤだという。同じように歌舞伎なんて御免という人の方が多いことをわたしは知っている。せめて冷たい降雨・降雪がありませんように。何年も前から楽しみに「待ってました!」の坂田藤十郎襲名なのだもの。

* はやめに寝よう、今晩は。
2006 1・12 52

* 佳い週末であるように祈っている。木挽町へ出かける。

* 美ヶ原からか帰って以来、妻の体調わるく、とくに喉を痛めてずうっと半ばふせっていた。一つには今日の観劇に間に合わせ元気になろうとしてきたのだが、間に合わなかった。ともあれ、それでも「行ける」というので出かけた。結果的に夜の部の「伽羅先代萩」御殿と床下まで観て、最後の演目、福助の、また橋之助と染五郎との踊り二つを「断念」して帰った。からだが草臥れており、その上発熱するとよくないと思い、思い切った。またそれぐらい思い切ってもソンはないほど、昼の部も夜の部も充実し、妻もわたしも堪能していたのである。

* 歌舞伎座で、高麗屋番頭さんの手渡しで、松本幸四郎丈の「お年賀」をもらった。成駒屋番頭さんからは中村扇雀丈と初舞台中村虎之介クン連名お祝いの「お年賀」ももらった。三百二十一年ぶりに坂田藤十郎という大きな大きな名跡が復活し、中村鴈治郎という名がしばらく不在になる。藤十郎は山城屋という新しい家をおこし、鴈治郎家の成駒屋は長男翫雀と次男扇雀が守る。二人ともあとつぎの息子がもう初舞台を踏んだことになる。さきの楽しみがある。

* 昼の部の最初は、中村梅玉と中村時蔵という大どころが、晴れやかにさらりと「鶴壽千歳」を舞い遊んだ。よほどの祝儀の際にでる演目で、恰好。
高砂屋と萬屋である、気分良く大きく上品に舞い遊んでみせた。
二つめは南座で観てきた新藤十郎と雀右衛門、それに片岡我當と片岡秀太郎とがつきあう「夕霧名残の正月由縁の月」で、「芝居半ば」に松嶋屋兄弟が新山城屋を中に据えて、小気味よい襲名アイサツになる。
南座でよりも、雀右衛門の亡き夕霧幽霊がしっとりと美しく、紙衣の藤屋伊左衛門に懐かしい情愛を示した。和事の粋の藤十郎は、魅力満点。先の鴈治郎、新たな藤十郎、真に当代の名優と呼んで名実備わっている。藝は悠々、大きく手堅く濃やかに、そして工夫豊かに、抜群に美しいのである。
三つ目の「奥州安達ヶ原」は環宮(たまきのみや)明御殿の場。
前半、雪の戸外で愁嘆場を熱演する福助と可憐な子役山口千春の娘お君でみせる、袖萩祭文。福助は初役ながら熱烈真摯にに演じて胸を打った。年格好がいまの福助にぴたり合い、盲目役ながら口説きもしぐさも美しい。母浜夕に吉之丞、美しく好演。父平直方に段四郎、これも切なく好演。四人とも好演という以上の「感銘」作で、ことに中村福助は、このところ見るたびによくなる。むかしは何と無く投げやりにも見えたのに。上方の「藤十郎」登場に対し、やがて東京に新「歌右衛門」の誕生をつよく期待させてあまりあり、今日の福助の口説きと祭文は、「娘で、母である、妻」の哀情のふかさを表現し、可憐殉情、泣かされた。
芝居半ばで、吉右衛門の、実は安倍貞任、歌昇の宗任兄弟があらわれ、染五郎の八幡太郎義家と対決する場面が、雄壮で大きな変化になり、丸本物歌舞伎の醍醐味をてらいなく豊かに堪能させる。
筋書きや整合性にこだわらなくても十分面白いお芝居であり、吉右衛門も歌昇も堂々と小気味よく、満場を魅了する力に溢れた。
演じる役者の一人一人が深切に役にはまり、大らかな歌舞伎の一典型を、ただの見本でなく「劇」として楽しませたのは、流石。
四つ目はすぐさま変わってまた福助が、はんなり美しく女万才で登場、男万才の扇雀とふたりで、えもいわれぬ所作踊りの楽しさ懐かしさを、満喫させてくれた。扇雀は昨今、女形でも活躍している、が、ときどき男役の水際だった美しさで観客をどよめかせる。小柄な兄翫雀とちがい背があり、母扇千景ゆずりのきりりとした美貌は男役に向いている。人気がそっちへ傾けば立ち役で伸びて行く役者かもしれない。踊りもだんだん巧くなってきている。
福助の踊りはまあなんと柔らかみに富んで達者になったことか、根が美貌な上に柔らかい佳い口跡をもっている。「万才」をこんなに楽しむとは、わたしも妻も予期していなかったのに、観ていてほおっと溜息つくほど、面白く踊りを楽しんだ。
五つ目はお目当て、これも南座で観てきた「曽根崎心中」を、藤十郎と翫雀父子が和事の粋を、きめこまに、練り上げるようにして熱演し、京都でよりもさらに一段と仕上がった素晴らしい舞台を堪能させた。我當の伯父平野屋久右衛門もしっかり演じ、近松劇の根本の演劇美を確かに良く把握、現代劇としての魅力をすらもった。
藤十郎はとうに七十を越しており、その年での大名跡の襲名も珍しい、いや無いほどのことであるが、なんと美しい役者で、なんという藝質の豊かに濃やかな役者であろう。いつも感心する。もっともっといつまでも感心させて欲しい。見続けてゆきたい。
東蔵の、天満屋亭主役がよく抑えた存在感で、適切そのもの、だったのも嬉しい見もの。

* 熱い蕎麦が食べたいというので、歌舞伎座の外で店をさがし、そのあと茜屋珈琲へ歌集「少年」を置いてきて、さて四時四十五分から、夜の部。

* 先ず、扇雀と時蔵での「藤十郎の恋」は、本日のご趣向。扇雀はやはり男役。絶世の千両役者初代坂田藤十郎の役を水際立って丈高く綺麗に演じ、時蔵も、茶屋の内儀お梶を、せつないほど綺麗に、不思議に端的微妙に演じてくどくしなかったのが、大手柄。歌舞伎小屋の楽屋へ藤十郎を尋ねてきて、ひそかに自殺する直前の彼女は、悽愴ななかにも清潔な美しさと品位を、水を打ったように湛え魅力溢れた。芝居として、あのお梶を見せたあれだけで十分成功していたと思う。
次ぎに幹部総出演の「口上」 頭取に中村雀右衛門。左右重鎮として高麗屋松本幸四郎、播磨屋中村吉右衛門が座に着き、梅玉、我當、秀太郎らが居並んだ。ここで扇雀長男虎之介の初舞台が披露されたが、この子が続く「先代萩」の千松を、驚嘆するほど的確におみごとに演じてのけた。六つや七つであれだけ出来るか、たいしたもの。新藤十郎と一門のよろこびいかばかりか、佳い「口上」を吾々も楽しんだ。
次いで大作「伽羅先代萩」は、藤十郎が屈指の難役政岡を「まま炊き」から見せた。二人の子役達と懸命につとめ、がらりと転じて、珍しく悪役秀太郎の出、梅玉、魁春、扇雀ら出迎え、御殿での、大きな劇的場面になる。梅玉の悪女役も珍しく、印象的に演じた。
お家騒動の一方の支配者である栄御前が、乳母政岡の必死の庇護下にある鶴千代君へ、見舞いの菓子をもってあらわれ、毒殺の疑いに対し剣呑に応接するうち、千松が飛び出し、菓子を掴み喰い、器ごと蹴飛ばしてしまう。この狼藉に、悪の一味で栄御前と気脈を通じた仁木弾正妹の梅玉八汐は、即座に千松のいとけない躰に懐剣を突き立て、幼い命をいたぶりながら母政岡を挑発する。政岡はこらえて態度を崩さない。扇のかげで観察していた栄御前は、その政岡を見誤り、今刺された千松こそが本当の鶴千代君なのであったと誤解してお家顛覆陰謀の秘密を政岡に明かしてしまう。
このあたりの応接は微妙に出来ていて、そんな栄御前の信頼をはからずも得た政岡は、忿怒の怨みを噛みしめながら、栄の帰って行くうしろを見送り果て、ついに我が子の屍骸にはげしく愁嘆する。
この芝居のあらすじなど語っていてはきりがない。
あげく、政岡は仇八汐を切り伏せ、そのとき一匹の大鼠があらわれ、秘密の一巻を政岡の懐から奪い去る。
場面変わって、吉右衛門演じる荒獅子男之介が、大荒事の型で、「床下」から一巻を銜え現れた大鼠をがっきと踏みつけ、鉄扇で面体を叩く。鼠はきりきり舞いしながら花道にドロンすると、たちまち入れ替わりに、あやしい煙とともに額に傷ついた悽愴実悪の仁木弾正が、裃姿で印を結んで花道に怖ろしくも出現する。今日この一役の松本幸四郎、不気味な不敵な笑いを本舞台に投げかけて、花道を引いて去る。みごとな、一日の興行のとじめ役で、大喝采。大きな役者は、これだけで満場を湧かせ満足させる。これが歌舞伎、これが花形役者の重みである。普通の芝居ではこんな演出はもたない。
初役とはおどろいたが吉右衛門の荒獅子男之介、もう少し型が大きくきまって様式美を表してもらいたかった。

* 次の上下「島の千歳」「関三奴」の所作事の前に、妻はもう帰りたいといい、わたしも賛成し、すぐ劇場をあとにして一路保谷へ帰ってきた。十二分に楽しみ、ミレンは全くなかった。妻も、よくあそこまで保ってくれた。

* 今し方、日付が変わった。今夜はこのまま、もう機械から離れて階下で郵便物などを整理して寝ようと思う。ほぼ無事に一日を終えられ、ほっとしている。雨にも降られなかったし、ひどい寒さでもなかった。
二月は高麗屋・播磨屋の先代吉右衛門追善興行とか、三月は松嶋屋の先代仁左衛門追善興行。ともに予約した。
2006 1・13 52

* 今日の委員会で、同僚委員から、なんと昭和十三年一月三十日日曜日の「京都日日新聞」を頂戴した、これにはビックリし感激した。
「鴈治郎追慕興行」が大きな記事になっていて「期待される菊五郎の船弁慶と暗闇の丑」がトピックスになっている。「関西側に菊五郎一座を迎へ二月開演する」とありその「狂言手引」の記事に仕立ててあるらしい、まだ記事は読んでいないが、というのも、総ルビの活字はちいさく、新聞紙は赤茶色く色変わりしているからだが、酸性紙でないとみえ紙の劣化は幸い感じられない。
開いて読むのが勿体なくてたまらない。わたしの生まれた昭和十年十二月二十一日から数えると、二歳四十日の新聞なである。正直の所、当時わたしが何処でどうして誰の手に育てられていたのやら、識らないのである。まだ秦の家に預けられてもいなかったのは確かだが。
この新聞の四頁(三から六頁、一と折)、わたしには、文字通り「お宝」である。舐めるように、細かに、昔風の惜しんだ云い方で言うなら、「たまいたまい」読んでみる。惜しいことに、一、二面そしてたぶん七、八面が欠けているので、その日のメインのニュースなどは読み取れない。
森さん、ありがとう御座います。これも、貴重なお祝いを戴いたわけで。感謝。
2006 1・16 52

* 松嶋屋三兄弟の、片岡仁左衛門、片岡秀太郎、片岡我當という、歌舞伎式の連名で、彼等には親父である十三世仁左衛門の十三回忌追善興行の挨拶が届いた。この三月である。
七回忌にこういうことがあった記憶がない。今回のこれはいいことで、追善のときだけでなく、松嶋屋一門会はぜひ慣行化してほしい。なにしろこの三人にそれぞれ成長した息子達も孫さえもいるのだから、加えて片岡芦燕ら松島屋系の人もいるのだから、立派な興行が打てる。盛んにやらない手はない。長男我當をがっちり後詰めに、三男仁左衛門に先頭で奮闘してもらいたいもの、人気女形の秀太郎も、孝太郎もいるのだし。二年に一度でイイと思う。
2006 1・18 52

* 二月歌舞伎座の座席券が届いた。芝翫が一月は病気休演している、二月は大丈夫なのか。大丈夫なら長男福助と次男橋之助を率いて「お染久松浮塒鴎」が、記憶に残る親子の共演になる。他に、幸四郎、菊五郎、吉右衛門、玉三郎がならび、女形が他に、芝雀、福助、そして菊之助なら、不足はない。
「一谷嫩軍記」で陣門・組打とは珍しく、幸四郎は昼のこの熊谷直実と夜の「梶原平三誉石切」とで、大柄な歌舞伎を二役見せるだろう。吉右衛門は、昼の「幡随院長兵衛」で菊五郎の水野十郎左衛門と対決し、玉三郎が長兵衛女房。夜も菊五郎との「人情噺小判一両」を共演。折角久しぶりの菊・吉競演なのに、つまらない演目だ。
玉三郎はもう一つ、菊之助との「京鹿子娘二人道成寺」を道行より鐘入までとは、これぞ、一番の楽しみ。「美しい玉三郎」という時代が「うまい玉三郎」と「美しい菊之助」時代に塗り替えられる華麗な打ちあげになる。きっと、なる。
2006 1・24 52

* 冷え込んでいるが堪え難いほどでなく、歌舞伎座は温かいに決まっている。昼夜で八つの演し物、どれに興奮してくるだろう。幸四郎の石切梶原はふさわしい。陣門・組討という珍しい場面も楽しみ。そして玉三郎・菊之助の二人娘道成寺に酔いたい。
2006 2・6 53

* 二月歌舞伎座の演し物は、昼の部に四つ、夜の部に三つ。
高麗屋が昼の一谷嫩軍記「組討」熊谷、夜の「梶原平三誉石切」梶原、そして夜の玉三郎・菊之助の「京鹿子娘二人道成寺」に極まった。

* 昼開幕の「春調娘七草」は静御前に曾我兄弟が脇につく妙な趣向はとにかく、芝雀(静)と橋之助(十郎)歌昇(五郎)の所作事は、つまり三人が一+一+一=三でしかない緩い出来で、物足りなかった。芝雀はたとえば「誉石切」の梢では可憐に好演するのだが、どうも踊りがうまくない。それで両脇の五郎・十郎の所作も渾然としてこない。橋之助はゆるゆると付き合い、歌昇は律儀にこじんまりし、三人が寄って放つ「瞬間風速」の魅力が全然ない。
つぎの「陣門」につぐ「組打」場面は、長い続き物の一部だでやや話の分かりにくくなるのは余儀ないとしても、帝の落とし胤「敦盛」を救い、身代わりに息子小次郎を打つ熊谷の苦衷を、高麗屋松本幸四郎は、深切に大きく演じて、ほろりとさせた。ただの歌舞伎でやってしまうと、「なんでやね」と唇を曲げたくなるいわば無理筋なのだが、幸四郎は、役の「演劇的な内心」を「歌舞伎のカタチ」にして表現できる。ばからしいような筋が、「一種の悲劇」となり活かされる。幸四郎はいまの歌舞伎界で、「そういう歌舞伎の見せ方」の出来る役者であり、言うまでもなく女形でそれの立派にやれるのが、大和屋坂東玉三郎。
福助が珍しく、「陣門」で熊谷の一子小次郎と、敦盛に扮した小次郎とを演じ分けて、今日はこの一役。扇雀は立ち役になってすっきり演れるが、福助は徹した女形のため、鎧兜で花道や舞台を歩くと、脚がまるで女になってしまう。光源氏ならいいけれど、鎧兜の武士役は、させたくない。
このあとの幕間で、高麗屋の奧さんが座席まで突如声をかけに来て下さり、恐縮した。真中央の前から七列目、いわゆる「とちり」の「と」をもらっていた。夜の部は同じく前から三列目、ともに左に通路があり最良の視野。
さて三つ目の「お染久松浮塒鴎(うきねのともどり)」では、先月病休みの芝翫が女猿曳を元気に踊った。お染の菊之助の佳いこと、なよなよと色男久松をやらされた橋之助をほとんど見ていなかった。この所作事は、流石に三人寄って五人分ほどの所作の魅力を堪能させたが、菊之助を光らせただけの普通の出来か。
昼の切りの「極付幡随長兵衛」は、いかに吉右衛門(長兵衛)が、菊五郎(水野十郎左衛門)が、また玉三郎(長兵衛女房)が、段四郎(唐犬権兵衛)が、嵌り役で力演・好演しようとも、所詮は「卑怯者」と「馬鹿者」の芝居であって、劇的な感銘はもたらさない。播磨屋も音羽屋もお気の毒さま。菊・吉の久しぶりの顔合わせなら、もうすこし気の利いた演目があったろう。大和屋はきっちり。

* いつもの「茜屋珈琲」で休息し、妻はケーキも食べて。さて夜の部の開幕は、「梶原平三誉石切」。この芝居何度も観てきたが、遠い以前の最初の印象はツマンナイ芝居、だった。回を重ねるつど、よく出来た歌舞伎じゃないかと楽しむようになり、近年の仁左衛門の温かにさっぱりした梶原にも心惹かれたが、今夜の幸四郎、すばらしかった。こまやかに、よく切れる刀(とう)で、彫り起こしてゆくような舞台創りの緻密さが、快い劇的緊迫と幸福とをもたらしたのに感銘を受けた。歌六の六郎太夫、芝雀の梢の手堅い芝居が、むしろ辛抱役に近い幸四郎梶原を「優れた強い支点」としつつ情感を盛り上げる。その劇効果はじつは梶原のこまかな目配りやちいさな所作や眼光によって引き出されているのだった。感心した。しかも梶原は、稀代の業物(わざもの)名刀をまんまと大庭の手から奪い取っている、なかなか実はちゃっかりした結末、ハッピーエンドも面白い。
イヤホンで「解説を聞いてても分からない」と歎いている客の声もわたしは、もれ聞いた。歌舞伎初心の客にはたしかに無理からぬところがある。八幡社頭にあんなふうに大名や家来達が集まっているだけでも、「何故か」など容易には分からないし、実は分からなくてちっとも構わないのだが、なぜ構わないかも分かりにくいだろう。刀の目利き、試し切り、あるいは源氏と平家とが今しもどういう力関係かも、梶原平三がどんな武士か、大庭は俣野は、そして六郎太夫父娘はとなると、背景はこまかに入り組んでいる。見慣れているとそんなことに一々躓かずに済むけれど、初めての人には「何故」「何故」「どうなって、こうなるの」の不審が、観劇をいくらか辛くするかも知れない。
初めのうちは筋にこだわらず、もっと官能にうったえる美しさに魅せられて馴染んでゆくのがいいのではないか。
その点、夜の二つめ「京鹿子娘二人道成寺」の桁外れに誘惑的な美しい舞台は、理屈抜き人をひきつけて放さない。なにしろ絶頂の美形坂東玉三郎と、若手の最先鋒美しい極みに見えてしまう尾上菊之助が、ゆめかうつつか、ひしと二人さまざまに連れ舞いつつ、にわかに蛇体に身を変え、大釣鐘に這い上がり、竜頭に巻き付くまで、極付というならこれぞ歌舞伎踊りの極付官能美。踊りも衣裳も音楽も場面も、こんなに魅せる舞台は多くない。しかも常は一人の白拍子が、花道から鐘入まで踊るのに、今夜は二人の玉三郎と菊之助という、特製の趣向大サービスであった。
役の性根は、天才的に玉三郎は表現できる。「鐘にうらみ」の表情といい徐々に蛇体にくねり出す辺りの凄さは、ヨコで妻が叫んだほど。しかしわたしは、終始菊之助を見つめていた。踊りすすむにつれてふくよかな柔らかな可愛いほど愛くるしく美しい顔に、姿に視線を据え、外さなかった。じつに佳い女形になって行くよ、菊之助は。
大先輩の玉三郎にはそれが見えているのだろう、このところ彼は菊之助とよく競演して、後輩を引き立て鍛えてくれている、と、わたしには見える。

* 福助と菊之助の時代が来ている。此の二人がいまのまま大きく輝けば、ほかに中堅にも、その上にも、働き盛りの女形が何人もいる。もうそろそろ玉三郎にオンブしてきた若い層が、ことに福助、菊之助が、真実花形の地位を得なくてはいけないだろう。その可能性は、歌舞伎座へ脚をはこぶにつれ膨らんでくる。

* 夜の最後の宇野信夫作「人情噺小判一両」は、あの名人圓生が語っても今一つ納得しにくい、晴れない芝居である。後味の悪いしりきれとんぼ。菊五郎と吉右衛門と田之助をもちだしても、気の毒なほど煮えなかった。この菊・吉顔合わせも期待はずれであった。歌舞伎座でわざわざ観る芝居ではない。
「二人道成寺」の圧倒的満場の興奮のまま、はね出してもらってよかった。

* 小雪かと思ったが、車で日比谷のクラブへ。妻は少量のビール。わたしはたっぷりブランデーとバーボンウイスキー。角切りのステーキとブルーチーズ。芝居の余韻を楽しみ合い、丸の内線から池袋経由で帰った。保谷では小雨っぽかったが目の前のタクシーに乗れた。
今月も歌舞伎、大いに楽しんだ。
2006 2・6 53

* 勘三郎たちの一座するコクーン芝居は、この春は、串田和美による四谷怪談の「南番」「北番」という日替わり趣向の二連打。よほどの趣向でないと二度観てくれとは言うまいから、西の成駒屋に両方席を頼んだ。
三月は先代仁左衛門の追善狂言が二つ出て、我當が昼・夜にガンバル。三谷幸喜率いる染・亀・勘という元気者たちの「決闘・高田の馬場」もある。バッハやベートーベンを予告のピアノリサイタルにも夫婦で招かれている。
四月には玉太郎が新しくまた中村松江を襲名する。いまの魁春がながく名乗っていた名跡で、むかしに初めてその松江をみたとき、特異な美貌! に惹かれた。印象深いのは松江の「弁慶上使」を、なんと幼かった建日子と二人で観たこと。このとき今の福助が児太郎時代で、建日子は声をもらして児太郎が「きれい」と。ほんとに児太郎のころから綺麗な若女形であった。
玉太郎は、よくやるだろう、よくなるだろうと、楽しみ。この月も我當が、出勤。夜の「口上」にも列座まちがいなく、妻の古稀祝いに魁春・松江の春舞台を楽しみにしている。春よ来い。早く来い。
2006 2・8 53

* 三月末と四月中旬のコクーン芝居、南番北番二種類の『東海道四谷怪談』座席券が送られてきた。なーんと、舞台に手の届きそうなまんなか席である、勘三郎と串田和美演出だから何をしでかしわれわれの傍へ怖いお岩さんが寄って来ないとも知れない。南番はほぼ十二年前の第一回コクーン時の配役と演出で、北番は今回の新演出で。陽春の四谷怪談へ連チャンは酔狂らしいが、楽しみにしている。
2006 2・13 53

* 三月の「決闘、高田馬場」はどんな芝居になるのか分からないが、三谷幸喜が気を入れて作・演出し、染五郎、亀治郎、勘太郎らが張り切ってくれるなら、楽しい記念日になるだろう。木挽町、パルコ劇場、コクーン、三百人劇場、そしてサントリーでのピアノリサイタルとつづく。京都へも行かねばならない。

* 半日出かけただけなのに。がっくり疲れ、何かをしでかそうという根気がない。
2006 2・15 53

* 三月木挽町の座席券が松嶋屋から届いた。昼夜各三つの演目は、つまり一つ一つが重量級だということ。
十三世片岡仁左衛門の十三回忌追善狂言が二つ用意され、当代仁左衛門とともに我當、秀太郎、それに芦燕、また進之介、愛之助、孝太郎と一門が勢揃いする。彼等を取り囲む顔ぶれが大きい。芝翫、藤十郎、富十郎という人間国宝が並び立ち、高麗屋幸四郎が加わっている。
女形には、さきの芝翫、秀太郎、孝太郎のほかに福助、芝雀、そして菊之助と来れば文句なし。
昼の「吉野山」で幸四郎と踊る福助の静御前、夜の「二人椀久」で富十郎と踊る菊之助の松山太夫は、当節の競演というにふさわしく、楽しみ。
我が友我當君は、昼の「吉例壽曾我」で座頭工藤祐経は彼の当たり役だし、夜の「近頃河原の達引」での猿廻し与次郎もまた彼の代表作の一つ。大いに楽しみたい。
昼のキリ、仁左衛門が菅丞相を勤める「道明寺」、夜の大キリ、幸四郎が船津幸兵衛を演じる「水天宮利生深川」はともに時代物、世話物の大歌舞伎。どれをとっても甲乙ない六つの歌舞伎狂言が観られる、昼も夜も、とちりの「と」真中央。有難い。
2006 2・18 53

* 松
「だったん人の踊り」をBGMに、JRが、奈良へ誘うコマーシャルを流しています。
「お水取り」展に、あの「達陀」が、敬意をもってどれほどたくみに編集され創られたものかを思い知らされ、松緑さん(先代)の人間性と、並々でない人物にあらためて感嘆いたしました。
熱い昂奮と私心のない群舞に清まはるのは、火と水の祭りの形を写すだけでなく真を写してもいたのですね。木挽町で、雀右衛門、時蔵の「青衣女人」二種を観た記憶がございます。大好きな舞踊で、最後の群舞になると大きな目を光らせた松緑さんのお写真が目に浮かびますの。
特に松助さんと亀蔵さんが、松緑さんへ “答案を提出する” 感じがいつも印象に残りますわ。こちらに越してから、松竹座二月公演とその数年後の京の顔見世で観ましたが、松也くんがすっかり大きくなっていたのに驚きました。そして、松助さんが松也くんと一緒に踊りながら、ご自身の答案とともに、松也くんのことを報告するような、また一方で松也くんに対して松緑さんのことを教えるような、二分された熱を感じたことを思い出し、鼻の奥がつんとつらくなりました。  囀雀

* 過不足無くこういう話題をこう背伸び無く柔らかに静かに書ききれる人は多くはあるまい。菊五郎・松緑(当代)・菊之助らの「達陀」の踊りを観たとき、わたしも妻も興奮したが。あの興奮は今も去っていない。あの群舞だけは、今が今にも何度でも観たい。

* 高麗屋から五月歌舞伎、新橋演舞場の案内があり、夜の部をお願いした。昼の部の壽式三番叟を染五郎と亀治郎とが舞うのは、翁の歌六もけっこう、ぜひ観たいものだが、開幕の宇野信夫「ひと夜」がかったるいのと、吉右衛門らの「夏祭浪花鑑」もふつうの歌舞伎ではやはり食い足りないので、昼は遠慮した。
夜の部は、名跡も懐かしい実川延若が得意だった南禅寺、石川五右衛門を播磨屋が演じる、これでこの一二回物足りなかった吉右衛門の、大歌舞伎五右衛門に酔わせてもらいたい。染五郎が真柴久吉。そして次が、福助の「京鹿子娘道成寺」は今乗ってきている花形女形が、今月歌舞伎座でおお人気の玉三郎・菊之助「二人道成寺」に堂々向こうを張る舞台にと熱演してくれるだろう。何度観てもこんなに美しい面白い舞踊はざらにない。
そして大キリに吉右衛門が座頭の八百屋お七もの三幕。染五郎がお七の思われ人、吉三郎。
新橋演舞場は劇場としては「洋」の日生劇場と対になる「和」もの劇場、歌舞伎座より綺麗。この前、ここへ招かれた時は、仲良し読者の藤間由子が健在で、娘の抄子ちゃんが新橋藝者になり粋な黒い衣裳で囃子方に並んで演奏、その温習会をぜひ観て遣ってくれと。由子さん、あの日はもうすっかり母親で、劇場中をうろうろしていた。そして惜しくも亡くなった。彼女が先代鴈治郎(映画俳優としても大いに鳴らした。)を頼み、鴈治郎の坂田藤十郎に祇園のお梶で、しっとりと美しい「藤十郎の恋」を踊って見せたのも、この新橋演舞場だった。二階席最前列のど真ん中を用意してみせてくれた。わたしより十ほど年嵩だったか。詞をわたしに書かせて「細雪 松の段」を国立小劇場で初演したのも藤間由子であった。
2006 2・22 53

* 額縁を手に入れれば、そのまま飾れるみごとにデザインされた咲く梅の木を染め抜いた「てぬぐい」を頂いた。
歌舞伎座の売店に額縁がある。あれがあれば、このあいだ菊之助の舞台から撒いてくれた『二人娘道成寺』のてぬぐいも飾れる。飾りてぬぐいは溜まっている。その中でもこの「梅樹」染めは美しい。
2006 2・28 53

* 歌舞伎座で、気分を晴れやかにしてきたい。
2006 3・10 54

* 木挽町の三月歌舞伎は、十三世仁左衛門の十三回忌追善興行で、我當、秀太郎、仁左衛門の三兄弟に、それぞれの息子達、弟子達が出揃った。劇場にはいるとすぐ左、遺影の前に香が焚いてあった。

* 昼の部最初の「吉例壽曾我」は我當の工藤祐経。鶴ヶ岡石段の場で幕が開いて我當のあととり進之介と、秀太郎のあととり愛之助との「鶴ヶ岡石段の場」は、とくに進之介の近江小藤太がサマにならず、間も姿もセリフも気合いも学藝会なみ。こまったもの。つづく大磯曲輪外の場はにぎやかな「だんまり」仕立てで、なんだかガサガサしただけで、所作の様式美には遠く到らず。
しかし二番目の「吉野山」は、期待通りの、出色の狐忠信(幸四郎)であり静(福助)であり、速水藤太(東蔵)だった。三人が三人とも騒がしく成らず、余裕の大人芝居で、所作が総じて大きくゆったりした。福助の静が幸四郎の忠信に惚れているかのように、関わりように色気と親しみがあり、みていて心地よい道行。踊りは予期した以上に幸四郎がしっかりとラクに大きく踊り、惹かれるように福助が嬉しげに大きく豊かに舞って美しかった。東蔵のような劫を経た巧者な役者が道化役をしてくれると、ガーァンと大らかな音がしそうに舞台が映える。
追善の演目「道明寺」は、そう出ない場なので、まともに観ないといけなかったのに、寝不足で少しの間寝入ってしまい申し訳なかった。三婆のひとり「覚寿」役の芝翫がしっかり舞台をリードしていた。丸本を丸本として演じ、仁左衛門の菅丞相も立派であったけれど、手練れのどの出演者にも不足はなかったけれども、ややわたしは退屈して寝てしまったようだ。

* 茜屋珈琲でやすみ、夜の部へ。昼と同じ、前から七列め中央。

* 先ず追善興行「近頃河原の達引」は、藤十郎と秀太郎のお俊伝兵衛もさりながら、猿牽き与次郎の圧倒的な芝居で、我當のニンに最良にピタリ嵌った当たり役、いやもうしたたか泣かされた。期待通りの好演で嬉しかった。彼のこの手の役は読みが精緻で所作に余裕の深みが出る。昼の祐経の十倍もはたらきのいい芝居っぷりで、頼もしかった。実のあるいい芝居なのだ。「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん」という人口に膾炙のサワリがこの芝居の中なのを妻は初めて知って、興がっていた。
二つめが、今日のお目当て、富十郎の椀久に、尾上菊之助の松山太夫。おお、なんと心地よい感激であったことか、冨の舞踊の名人藝ははなから知れていて、まさにその通りの清潔で優麗な所作。それにひけをとらず切れ味良く楽しげに嬉しげに踊りに躍って美しかった菊之助の、驚嘆の進境。もっともっともっと長く観ていたかった。舞踊の嬉しさをあんなに美しく満喫させてくれるなんて。先月の玉三郎とのいきのあった「二人道成寺」といい、この「二人椀久」といい、昼の福助の「吉野山」の大きな所作事と伯仲して、美しさでヒケをとらない菊之助に、しびれた。
三番目は幸四郎初役の「水天宮利生深川」が黙阿弥のザンギリ物の一代表作。初役とはいえ、極貧筆職人の船津幸兵衛役は幸四郎にすれば最も得意に造形できる役、目の見えぬ姉娘、小さな妹娘、さらに乳飲み子をのこして妻に先立たれて喘いでいる幸兵衛は、因業な金貸しにむしりとられ、子らを殺して無理心中を決心しながら、果たせずに発狂してしまう。
幸四郎の工夫は、大らかに、しかし険しく追いつめられた貧苦の地獄をたくみに現出させ、涙も誘うが嘆賞の声も誘っていた。明治維新の賛美調にされては堪らぬと警戒したが、きわどくそうはならず、「オサマルメイ」の明治ご一新のなかでの、いわば構造改革の不行き届きなことを伝えながら、陰陰滅滅の芝居にもせず、自然な笑いさえ誘い出していたのは、幸四郎の高い努力点であった。彦三郎の因業金貸しや長屋内の気のいい三五郎=歌六役なとが、締めるところをきちっと締めていた。

* 今日は我當「与次郎」の力演に最大の敬意を表しつつ、「二人椀久」の富十郎ととりわけ菊之助二人のすばらしさ、「吉野山」の福助と幸四郎、そして東蔵の豊かなまでの大きなコンヒネーション、そして幸四郎の船津幸兵衛の造形に重ねて拍手を送っておき、冷たい雨も少し落ちていたので、何処へも寄らず、一路帰宅した。
2006 3・10 54

* まだ木挽町、歌舞伎座春芝居のよろしかったのに、揺すられつづけている。
何に、わたしはああ歓んで、ああも舞台に涙していたのだろう、と思う。
分かっている。高麗屋や成駒屋や音羽屋らの演技の、また作劇や演出の、と謂ったところを突き抜き、要するに、真実惚れ合い愛し合った男女の、無垢に「深い心」に共感し、涙流していたのだった。椀久と松山太夫、また「近頃河原の達引」のお俊・伝兵衛。恋人同士と謂うではないが「吉野山」での静と狐忠信。みな、一と一とが相寄って、二人でなく「一つ」に溶けあい、澄んだ炎と炎とが寄って一つに燃えるに同じい至福を生き、また死んでいた。いま齢七十郎のわたしが、なお彼等の相慕う愛を、この世にふたつとない金無垢と感じ、歓べる。行く果てが、たとえ人目に悲劇であっても、そんなことは、どんなことでもありはしない。かれらはみな「私=我=自分」を超えていた。あの間柄、あれが「身内」だとわたしは考える。恋愛だけでない、もっと異なった広い場でも優に在りうる「身内」の関わりを想いながら、わたしは嬉しさに涙を流した。菊之助も福助も秀太郎も、それぞれに美しい女達であった。
2006 3・12 54

* 秦 先生  ごぶさたしております。
ご不調の由、お案じ申しております。花粉症など、お身体に障ることもさりながら、お心をいためられることのありましたことも。
プランターのクロッカスが咲きました。待つていましたとばかり、ひよどりに啄まれてしまいました。かくてはならじと、鳥除けの網――農業用品店で売っているのです。ごくほそいビニールの糸で粗く編んだのが――をかぶせました。無粋なことですが、しかたありません。
とりとめがなくなるのでカタカナの花は植えないようにしているのですが、クロッカスだけはべつ、うれしい便りがもたらされるような気がして。
去年の秋から心身ともに痛めつけられるようなことが続きました。ぱっちり、みひらいたような黄の花、春のひかりにあたたかくやわらかになっているプランターの土に、ほうっと、悲しくはない吐息をついています。
わが家の黒いねこ五郎――残念ながらぬいぐるみ、フルネームは曾我五郎時致です――に、ブラシをかけてやりました。
来週は歌舞伎座です。初めて観た「道明寺」は先代仁左衛門の菅丞相、延若の覚寿、秀太郎の立田の前、鶏を鳴かす悪役二人が、小伝次と冨十郎でした。
先代仁左衛門も延若も小伝次も、大好きな大好きな役者でした。    香

* うわッと声のとび出る、嬉しい顔ぶれ。先代仁左衛門も延若も、京者として自慢も自慢の、花のある役者風情で、ああいう時代をもう永遠に取りこぼしていることをしんそこ歎く気持ちがある。

* 昼から、渋谷のパルコ劇場へ、染五郎たちに逢いに行く。MIXIには、彼をうまい「肴」にしたコミュニティも出来ているらしい。ヘェー。
楽しそうなとMIXIをさすらっていると、好きな藝能畑の花がたくさん咲いている。茶の湯、能・狂言、歌舞伎、舞踊。落語など話藝の方も、音曲も。子供の頃から何十年、しっかり付き合ってきた世界であるが、好き仲間はあまり持たなかった。ひとり著書にし、小説に書いてきた。
その一方でもう二十年余、ペンクラブではウルサイ言論表現委員を務めて、佐野洋や猪瀬直樹といっしょに奮励してきた。最先端の電子メディア委員会も創設した。電子文藝館も開館させた。
わたしは子供の頃から根っからの、野党。政治に目を放してて、佳い藝能は楽しめない・味わえないと考えている。佳い藝能は野に咲く花でこそ美しい。勲章や位階を戴く藝人さんは、どこか気の毒に痩せてみえるのだが。
2006 3・14 54

* 渋谷で、上京以来久しい馴染みの、鰻の「松川」で昼食。

* パルコ劇場で、「決闘! 高田馬場」を、五列目真まん中という貴賓席なみ絶好の席で楽しんできた。
なにもかも、若い。若々しい。完成品ではない、終始一貫、気合いの舞台。気合いを楽しめばよろしく、染五郎も勘太郎も亀治郎もよく楽しませてくれた。市村萬次郎など、つねの歌舞伎舞台では違和感をもちこむばかりの風変わりな女形であるが、水を得た魚のように今日の舞台では溌剌と楽しそう、そういう役者をみるのは嬉しいことで。
勘太郎はおやじさんの勘三郎、というより前の勘九郎に手の届くところへ肉薄していながら、おやじの域になかなかまだ届かない。演技をみながら、ああ勘三郎 (勘九郎)だとこう笑わせていると想像が働いて働いて、そのうえで、ヨシヨシ勘太郎も一所懸命だなあと嬉しくなる。
亀治郎という役者にはじめて強い印象を持ったのは、猿之助といっしょに踊った湯屋のなめくじ湯女の役だった。いらい亀治郎をわれわは可哀想に「なめくじ」と呼んで親しんでいるが、彼は、とてもよく踊る。なめくじが印象的であったのも、よく踊って見せたから。達者な佳い佳い役者で、今日も大いに楽しみにしていて、十分期待にこたえてくれた。
今日の役者達の芯は、市川染五郎、座頭である。縦横無尽に元気で旺盛で楽しませてくれた。舞台からヨヨイノヨイと一本締めで、わたしたち今日が四十七年の結婚祝いまでしてくれた。ご苦労さん、の元気元気な舞台であった、楽しかった。
三谷幸喜の作・演出としては、まだ洗練されていない、ぐさぐさとした舞台で、さらに一段二段の洗練が期待された。
2006 3・14 54

* きめこまかな完成作ではなかったが、昨日の三谷芝居は、人の出し入れといい、舞台といい、そこそこによく考えられた、面白い芝居であった。役者達のコンビネーション自体にえもいわれぬまじめなおかしさがあり、思い出すとどの場面にもクスン・クスンと甦る笑いがある。けっこうであった。ま、若い歌舞伎俳優達のストレス発散、空気抜きのようなものでもあるが、客もけっこうに空気抜きをしたのであるから、双方で成り立っていたものが在るワケだ。楽しいことは、いいこと。
2006 3・15 54

* 四月の歌舞伎座昼夜の座席券が、松島屋から届いた。歌右衛門の五年祭、嗣子の梅玉、魁春が芯になり、芝翫・福助ら親類の成駒屋がならぶ。口上をふくめ八つの演目なかなかよろしく、連名も豪華。六代目中村松江を玉太郎が襲名する。芝翫はじめ雀右衛門、藤十郎、富十郎と人間国宝。菊五郎、吉右衛門、仁左衛門、我當、秀太郎、時蔵といならぶ。伊勢音頭で福助が憎まれ役の仲居万野をどう演じるか。関八州繋馬と井伊大老とで、とりわけ吉右衛門の井伊相手に、魁春がお静の方の大役を歌右衛門譲りでどうしみじみと演じるか。芝翫が落城大坂の淀の方をどう狂うか。
この歌舞伎座を中にはさんで、コクーンで串田和美演出・中村勘三郎らの南・北番二つの「四谷怪談」がぞくぞくする楽しみ。新橋演舞場の夜もいいのだ。さらに劇団昴も、そうそう友枝昭世の能の大曲も。春、爛漫。
2006 3・18 54

* さて、その花見。二十九日の勘三郎コクーンのあと、三十一日の劇団昴のあと、を楽しみにしている。そして四月一日に友枝昭世の能「湯谷(ゆや)」とは、まさしく清水の花見。五日は歌右衛門の五年祭の大歌舞伎。妻の古稀。六日は日中文化交流協会がたしか創立六十五年、中央公論社が百二十年の記念パーティ。湖の本新刊の校正刷りが出て来るその頃まで、しばらく春心地に花を愛でたい。
2006 3・25 54

* 明日は勘三郎たちの「四谷怪談」南番。渋谷コクーンで、初演舞台を再現するという。そして今年新演出の舞台も、北番として交互に上演している。北番は四月に観に行く。やや季節はずれの怪談を舞台間近で観るので、心臓に良くないかも知れないが、この不調の厄落としになってくれればいい。気を変えたくて入浴、こざっぱりしているうちにやすもう。このところ体調のスローダウン、なにともなく気持ちが悪い。
2006 3・28 54

* 十四日の、染五郎たちパルコ劇場のときと同じく、「松川」の鰻で昼食。若筍の鉢、水菜のサラダ、それに熱燗の銚子一本、うまかった。食事はうまいのに、どうもからだにエンジンがかかってこない。エンジンをとめたまま滑空しているみたいに全身が妙に静か。
コクーンに入ると、われわれの席はやはり平場に座布団、前中央の通路脇。
これは「来るな」と、むろん予想できた。何が来るか。お岩サンでなければ、狂った伊右衛門。お遊びだから、心臓をいためないでくれよと笑いながら、妻を通路脇に座らせておいた。
勘三郎は、お岩を、歌舞伎座去年の納涼歌舞伎でよりもずっと好演した。面相の崩れはかなり怖い。双眼鏡の使用は遠慮した。服薬から髪梳きへ、お岩さんの手ごとは緻密にはたらいて情感の切なるあり、拍手が湧いたのも自然だった。小仏小平役はいわば戸板返し早変わり怨念場のために必要、もう一役の佐藤与茂七は敵討ちのために。勘三郎三役。お岩さんが断然傑出した。
橋之助の色悪、また実悪の強悪伊右衛門は、総じて今日の舞台にはよく嵌り劇性を盛り上げた。図体だけでなく役者の本性も大きくなったということ。お岩さんの凄まじい怨念に追い立てられ、桟敷席へ血相かえてとびおりてきた。あわや妻とわたしとは白刃に斬り倒されそう、妻はほとんど真後ろへ倒れていた。幽霊が来るよりは辛抱できて、おもしろかった。あちこちで幽霊に迫られて観客が悲鳴をあげていた。本水をふんだんに誰も彼も使うもので、前の席は用意の防水幕を頭からかぶらないとずぶぬれになる按排、これで客は喜び騒いで、たわいなく芝居は盛り上がり、幕に。
南番では中村扇雀丈の出番はすくなかった。坂東弥十郎の直助権兵衛、片岡亀蔵の按摩宅悦、笹野高史の伊藤喜兵衛・お熊・舞台番の三役など、要所をおさえてそれぞれの役割におもしろく応えていた。
怖い話であるが、演出の串田和美も座頭勘三郎も客を楽しませることでは、最高の調理法を心得ている、思い切り怖がらせつつ、ふしぎにからりと陽性に四谷怪談を語り終えてくれた。楽しんだのである、十分に。
それ以上の難しいことは言い掛ける気もない。問題はつづく「北番」の東海道四谷怪談。勘三郎が、似たような芝居で二度の木戸銭を懐には掴みこむまいという当然の期待、大期待がある。次回は四月十三日。大楽しみである。
2006 3・29 54

* 「高麗屋の女房」さんからご無沙汰していますとメール。いまは、名古屋の御園座らしい。幸四郎の「勧進帳」か。観たい。
2006 4・1 55

* 妻も古稀。お互いによくここまで来たものだ。

* 雨にわざわいされることなく、歌舞伎座に終日。昼の部は北条秀司の「狐と笛吹」梅玉、福助、我當。期待していたが期待以上に美しい、身にしみる舞台であった。好演。こういう小説をながいあいだ「狐草紙絵巻」で考えていたが、この作品が先行し、よく書けていた。
次ぎに雀右衛門の「高尾」。
昼食に吉兆へ。美味かった。満足した。それから芝翫の狂える淀殿で「沓手鳥孤城落月」。
昼の部のオシマイが「関八州繋馬」で魁春の小蝶蜘、仁左衛門の将軍良門が立派に大きく美しく演じた。舞台半ばに吉右衛門、東蔵で、玉太郎初舞台のお披露目。
夜の部は、先ず吉右衛門と魁春の「井伊大老」が佳い舞台であった。それぞれの親の先代幸四郎と六代目歌右衛門との舞台が瞼にあり、吉も魁も誠実に力演し好演して感銘を受けた。
ついで歌右衛門五年祭の「口上」。
三つめは坂田藤十郎と中村梅玉の「時雨西行」驚嘆の名演で、藤十郎の底知れぬ力をこわいほど見せてくれた。なんという美しい所作であったろう、梅玉もとてもよく舞っていた。今日随一の舞台。
大ギリは、福助の初役万野という期待の「伊勢音頭恋寝刃」は、福岡貢に仁左衛門。まずまず期待通りにおもしろく。

* 帝国ホテルのクラブで、妻の古稀をシャンパンで祝って貰った。とっておき絶妙のブランデーで乾杯し、サーモン、角ステーキ、エスカルゴ。一息入れて、まっすぐ帰宅。

* その余のことは明日にして、今日はもう休む。
2006 4・5 55

* 五月新橋演舞場歌舞伎、夜の部の座席券が届いた。福助の娘道成寺がある。
2006 4・7 55

* 早めに出て、渋谷東急本店の「なだ萬」で昼食。春の彩りでうまかった。

* コクーンで「四谷怪談」北番。勘三郎のお岩のまたいちだん丁寧に気の入った芝居に感嘆、直助権兵衛もたいへんけっこうであった。扇雀丈の予茂七が好演、七之助がお袖にまわって、これも好演。三角屋敷の場が入って筋の通りがよくなった。南番は本水が入ったし、客席へ幽霊が現れたりして盛り上がったが、北番は芝居に重点が掛かるとともに、音楽は洋楽をふんだんに使って賑わい、最後は堕地獄の図になって役者達が盛んに宙を舞い降りた。
わたしには、勘三郎の真摯なお岩藝が胸に来た。面相が変わってからはこわくて顔をマトモに見たくなかったが、悪い薬を呑むまでのお岩を勘三郎はそれは丁寧に丁寧に演じて、微塵の弛みもみせない誠実な演技、歌舞伎の魅力満点。あとはみな、つまり楽しんだ。

* コクーンから、夕方の渋谷をNHKぞいに原宿まで散策、ひさびさ「南国酒家」で中華料理をゆっくり食べ、一路帰宅。ほっこりしたが、佳い一日であった。
2006 4・13 55

* 繰り返しになるが、それぐらいなことは許されよう、勘三郎の「四谷怪談」を、渋谷のコクーンで、南番・北番ともかぶりつきで観た。成駒屋サン有り難う。
中村屋勘三郎お岩の芝居ッぷりは、南・北とも、とても立派であった。
お岩という、零落はしたが武家の娘、世が世なら奥方であれた女の、位と品とを、あの不幸の中でも守っていた、あわれ深さ。四谷怪談は、伊右衛門の強悪とお岩さんのあわれとがしっかりつり合うときに劇的な深みをもつ。他は付け足しでもよいのである。
真っ白い褌一つの勘三郎が、ぷりぷりの綺麗なお尻をみせ、われわれの席の脇で直助権兵衛を演じてくれ、中村屋にいかれている老妻は大喜び。
芝居前に東急の上の「なだ萬」で懐石の昼食。芝居後は原宿の「南国酒家」でひさびさの中国料理に紹興酒二合、。血糖値もポーンとあがった、が、佳い一日だった。
2006 4・14 55

* 藤間紀子(高麗屋の女房)さんに電話をもらい、しばらく歓談。
高麗屋の本が五月早々に一冊出ること、またお嬢さんの松たか子と幸四郎との父娘の往復書簡が一年ほど「オール読物」で連載されること、名古屋の御園座での「勧進帳」が一日に二度いうこともありたいへんだということなど、聴く。奥さんも往来繁く、たいへんなことだろう。
妻ともよくおなじことを話し合うが、歌舞伎役者と限らず舞台の俳優達の体力は、消耗もあろうが鍛錬の程に心底驚嘆する。まして勧進帳の弁慶を日に二度、それも永い期間。圧倒される。
藤間さんとは、「ミマン」に、隣同士の頁でいつも連載していたので、和服姿などいつも写真で観ていたし、劇場でも見かけていた。その頃はまだ面識はなかった。和服の着付けのとても自然に品の良い人だと想って写真やお人を眺めていた。
高麗屋をまだ早大生役者だった昔からわたしは贔屓だった。先代を染五郎の昔から好きだった。
さっき当代の若き染五郎が野村萬斎と二人三番叟をテレビで踏んでいたのを観たことも話題に。
2006 4・15 55

* 馬場あき子さん『歌説話の世界』、島田修三氏『「おんな歌」論序説』、米田律子さん歌集『滴壺』、宗内敦氏の著書二冊、雑誌「サン(舟ヘンに、山) 板」の新刊、わたしの文章の掲載された「解釈と鑑賞」、また「淡交」や「茶道之研究」、「ぎをん」それにペンの会報等々、連日の郵便物もどっと。ふうと息を吐く。
松嶋屋からは、七月上村吉弥が歌舞伎座に出勤という通知も。これで七月も歌舞伎が観られるし、八月には例の納涼歌舞伎の案内があるだろう。
ほかに劇団昴の福田恆存作「億万長者夫人」に招かれているし、俳優座の招待もある。ガップリ四つ、お互いにいい新劇を見せてほしい。このところ俳優座は通俗読み物なみの芝居が多く、老舗の筑摩書房がマンガで躓いていった頃をふと想わせて心配だ。昴のこのまえの「チャリングクロス街84番地」はすばらしかった。
2006 5・2 56

* 高麗屋が文春文庫でエッセイ集を出したと。それを見ながら休もう。
2006 5・4 56

* 寝苦しかった。島尾伸三著にむやみと煽られたからかも。

* 八時の血糖値は正常。新刊本の受け容れ用意に、隣棟玄関に山積みの滞貨をむりやり肉体労働で片づけ始めたが、忽ち腰の蝶番に激痛が来て、閉口。ま、なんとか片づけた。京都から「対談」の督促。自転車に乗るのは見合わせる。
夕方から新橋演舞場。吉右衛門の「石川五右衛門」福助の「娘道成寺」その他。播磨屋、萬屋、高麗屋系に段四郎、芝雀、亀治郎らが加わり、まずまず。
このところずうっと吉右衛門の芝居にやや食い足りなかった。今日は期待したい。
2006 5・11 56

* 増補「石川五右衛門」は、おおらかな歌舞伎。新橋演舞場というちょっと花柳界の匂いの濃い劇場のせいか、開幕の定式幕のひきかたからしてのんびりしている。どうしても雰囲気も歌舞伎座の舞台稽古みたいに、佳い意味では、さらさらと気軽にゆっくり役者達も演じており、ま、それだけの分、迫力に欠ける。
吉右衛門の石川五右衛門にカリスマふうの豪快で底知れない巨大さ凄さが出ない。吉右衛門にそれが出せなくては、当代の歌舞伎でだれが五右衛門を無気味なほど大きくみせられるか。染五郎の此下久吉が吉右衛門にらくに対抗してしまえるのは、染五郎の得点にこそなれ、吉右衛門に手柄はない。その点を見逃すなら、この芝居はあくまでゆたゆたとおおらかに歌舞伎味が楽しめる。

* 妻が池袋西武で買って持参の、「なだ萬」の二重、五目ご飯弁当が、期待以上によく出来て美味かった。最近の持参弁当では、あたりであった。
迪子は今日は曇り空にめげず、一等お気に入りの瀟洒なお洒落服によく似合う新しい眼鏡で、ご機嫌であった。

* 二つめの「京鹿子娘道成寺」は、福助に配し、聞いたか坊主達に少年役者を並べ立てたのが、可もなく不可もそこそこの軽い趣向であった。それにあわせて踊りの構成や振り付けにも変化を求め、福助は悠々と楽しそうに踊ってくれた。鐘入前の形相に凄みをにじませ、総じて福助らしく美しい「娘」ぶりに難渋なく、やすやすとした佳い気分で、ひたと観ていた。舞台半ばの投げものもしっかと掴んできた。なにしろ前から四列目の真ん中。眼鏡も使う必要がなく、福助と何度となく視線を合わした気がした。

* 大切りは「松竹梅湯島掛額」吉祥院お土砂そして火の見櫓。八百屋お七の亀治郎が半ば人形ぶり、大詰めの櫓の太鼓うちから花道は、素で演じ、盛んな拍手を浴びた。吉右衛門の「べんちょう(紅屋長右衛門)」のお土砂芝居はいかにもつまらなく、ああいうチャリのようなニワカのような芝居は好かない。やはり無垢にひたむきなお七狂乱の火の見櫓が見せ場であり、感銘も覚えながら熱演に眼を注いでいられる。亀治郎のいわば一人芝居であった。染五郎の吉三郎以下、歌六も歌昇も芝雀もみんな亀ちゃんへのおつき合いだった。
残念にも、今日もまた吉右衛門の真価発揮を観るにいたらず。

* 歌舞伎座の空気に較べると万事おっとりとスン足らずながら。五右衛門芝居も染五郎が引き立ってさすがに歌舞伎の味がしたし、福助の道成寺は隠し藝のような味わいを楽しんだ。八百屋お七の亀治郎、贔屓なだけに活躍嬉しく、すっかり楽しませて貰った。

* 木村屋のパンを買い、銀座一丁目まで歩き、幸便に有楽町線、真っ先にきた電車で、乗り換えなく保谷まで。
2006 5・11 56

* 八百屋お七は、たいしたものである。ひたむきに、しかも無垢。
2006 5・12 56

* 高麗屋にもらった文春文庫『弁慶のカーテンコール』は、ほんとうに短い、二三頁ずつの役者幸四郎ひとりごとで、ざっと見にたわいなげであるが、なかなか。書き込んだエッセイや議論に役者の真価がよくにじみ出ていて、読み進むにつれ、淡い色をしっかり塗り重ねると澄んだ濃い色になるように、感銘が深まる。キザでない真面目さを、おめずおくせずキッチリ言い切っている。体験の度合いと拡がりとがすばらしいのだから、当然だろう。そこが短所だと言う人もあろうが、それはへんなないものねだりに過ぎない。この幸四郎の真価を、あえて口を歪めて物申すことはないだろう。
2006 5・14 56

* 七月の歌舞伎座がすばらしい。今日、茜屋珈琲で予告のちらしをもらってきた。泉鏡花の戯曲ばかり四作で昼夜。すべて坂東玉三郎が監修・演出する。むろん「天守物語」「海神別荘」は彼が主演。ほかに「夜叉が池」「山吹」と。おお、観たい観たい、ぜひ。
2006 5・15 56

* 会議が延び帰りが遅くなったが、行き帰りに、松本幸四郎丈にもらった光文社智恵の森文庫「カーテンコールの弁慶」一冊を読み終え、つくづく感心した。
見た目は片々たる短文の集積ではあるけれど、一編ずつ読み進んで行くにつれ、この著者が第一級の歌舞伎役者・俳優であるだけでなく、優れた一人の人間であり藝術家であることがよく納得でき、胸を打たれ続けたのである。
なにより、立場上もこの人は、或る何か大事なモノを「伝えられ」「承け継いで」「鍛え磨き」さらに「伝えて」行く姿勢をもっている。あたりまえのことだ、歌舞伎役者なら誰でも同じさとは軽く言わせない、独自の力強さで、幸四郎はそのことを語っている。
独自さとは、何か。かれが歌舞伎以外のジャンルでも活躍しているからとか、藝が佳い工夫が深いからとか、その程度のことを押し越え、幸四郎がすべて「本気」なこと、其処がじつはあまりに当たり前で、だからいちばん素晴らしいのである。
両祖父七代目松本幸四郎、初代中村吉右衛門への、また両親八代目松本幸四郎と正子夫人への、なみなみならぬ尊敬と愛情との敦さ。彼は繰り返し繰り返し又繰り返し語ってやまない。また夫人藤間紀子さんへの感謝と愛情の深さ。それらがまた子息市川染五郎や娘二人への期待と慈愛に深く熱く反転して行くその誠実さ。それはただの身贔屓などというちゃちなものでは全くない。たんなる家族愛でもない。それらを打って一丸とした歌舞伎ないし演劇ないし藝術的な人間への自覚と責任が、彼の語る日本語を飾り気なく素朴に適切に引き締めている。
ひとつ読み違えれば、ただの藝自慢とも身内自慢ともあるいは高慢とも傲慢とも、それこそ軽薄に読み違えるムキも有るかも知れない、が、それは間違いである。間違える人の至らない間違い、恥ずかしいような間違いである。
これはただの藝談でも世間話でもない、自問自答の体裁をかりた、真の意味でのエッセイなのである。
貰った初めは、わたしはすこし軽くうけとり、歌舞伎役者の隠し藝かのように気楽に読もうと思っていた。なにしろ好きな芝居の世間であるのだから。
ところが、そんな軽率な読み始めが、前にも書いたが、淡い佳い色の塗り重ねられて行くやさしさやおもしろさで、わたしは、意外な言葉の真実に触れていったのである。嬉しい体験であった。
わたしは、この文庫本に、私自身の署名でわたしの息子秦建日子に贈り伝えたい気がした。彼が、これを謙遜な真っ白い気持で読んでくれるなら「嬉しいな」というほどの気持を抱いて、あらけた言論表現委員会から我が家に帰ってきたのである。
2006 5・18 56

* 劇場を出ると大雨。かろうじて地下鉄で表参道から有楽町へ。「きく川」で鰻をおいしく食べて保谷へ帰った。土砂降りの中で、かつがつ幸運にタクシーに乗れた。
家に帰ると、松たか子と幸四郎の親子書簡。今月は高麗屋が娘の書簡に応えている「オール読物」が贈られてきていた。お父さんの文章はいっぱい読んでいるので大なり小なり耳に入っている。お父さんの方が少し緊張気味で、すこし勝手わるそうにぎごちないか。その点、先月号の娘の方が、ドーンと遠慮無くつよいおやじさんにぶつかっていっていた。
2006 5・24 56

* 明日は六月大歌舞伎。昼の「双喋々曲輪日記」相撲場と夜の「暗闇の丑松」に高麗屋。昼の「藤戸」に吉右衛門と梅玉、「荒川の佐吉」、夜の「身代座禅」に仁左衛門と菊五郎、そして夜の「二人夕霧」は梅玉と魁春。楽しみ。
2006 6・7 57

* 十一時前、歌舞伎座に。「吉兆」の昼食を予約。

* 「君が代松竹梅」は、翫雀の花ある品と綺麗さと踊りの良さで、孝太郎、愛之助を引き離していた、流石に。翫を光君に見立てれば、どうみても愛は頭中将という役どころ。孝の踊りは粗雑。
「双蝶々曲輪日記」相撲場はおもしろい味な歌舞伎の一場面で、幸四郎は濡髪長五郎、染五郎は放駒長吉と若旦那与五郎の二役。高麗屋親子の角力での達引に、おおらかな型とも実とも情ともいえる火花が散る。さすが幸四郎の貫禄は豊かで、掌に載せて染五郎に精一杯の芝居をさせていた。この芝居は引窓の場面がよく出るが、話の筋とはやや疎遠に見えても「相撲場」はなにもかも珍しく、また新鮮な印象がもてる。
吉右衛門の構成になる「藤戸」は、「船弁慶」の亜型を行くもの。作劇の思い切りよさで二番煎じの印象を打ち消し、いささか感動をすら誘う。
もともと能「藤戸」もしかり、平家物語の「藤戸」がそもそもイヤミの濃い、無残な作行きでわたしは好きになれなかった。佐々木盛綱は「戦陣のならい」だといい、戦場の導きをした猟師を、戦功独り占めのために平然と殺している。殺しておいて、その地を恩賞として得、領主として入部してくる。
猟師の老母が盛綱を怨んで迫るのは当然である。猟師の如きは死して悪黒龍と化している。しかも老母は盛綱に宥められ、龍は調伏されてしまう。理にはめていえばとんでもなく、龍の調伏には哀れを誘われ、泣かされる。「船弁慶」の知盛の悪霊が調伏されるよりもっと哀れであり、納得しにくい。
舞台の上でそれを納得させるのは、じつは作者でもある吉右衛門の、老母の藝、龍の演技からではなかった。皮肉なことに、梅玉演じる盛綱の風格と気品、そして松江を筆頭とするいわば四天王役の一致した気鋭・清潔な統一感であった。「勧進帳」の弁慶と四天王にかぶってくる必死の気稟。これが老母の怨みや龍の猛襲にバランスしていたのである。松江を襲名した元の玉太郎が凛然、佳い芝居をした。梅玉という、さほど好きでなかった役者が、だんだんと好きになっている。
真山青果の「荒川の佐吉」は、仁左衛門の根の優しさによく合い、少し感傷的に説明的にだが、したたか泣かせる男舞台を創り出していた。作そのものはオール読物風の通俗だが、役者にうまく嵌めた。青果の作は概して無用に長いが、ああそういう芝居なのかと分かるにつれて、仁左は客を巧みに引きこみ、ケレン味が無い。
おさえの菊五郎は、そう巧いとは言いかねた。むしろ段四郎の仇役に青果の作らしいひねりがあり、それに応えていた。団蔵も凄みを利かせていた。
昼の部は、そんな按配で楽しませた。花道に近い前から六列目という絶好席を貰っていた。

* 昼のはねた玄関の雑踏で、人に揉まれながら高麗屋の奥さんと、しばらくにこやか、和やかな立ち話を楽しんだ。茜屋珈琲も、湖の本も、松たか子のヘビメタ舞台も、父娘往復書簡も、高麗屋の新刊文庫本も、すばやく話題になった。それから妻とわたしは茜屋珈琲に行き、妻は柘榴のジュース、わたしは佳いカップで、美味いりコーヒー。マスターとも高麗屋やいろいろの話をしたが、夜の部開幕の時間が迫っていた。

* 夜の最初は長谷川伸作「暗闇の丑松」を、幸四郎が主演。福助、秀太郎、段四郎、染五郎らも。まえの「荒川の佐吉」といわば競演という趣向に見え、原作自体はいずれも通俗な時代物だが、演じ方は松嶋屋の感傷的・説明的なのとくらべ、高麗屋は綿密な、綿密すぎるほど説得的にこまかな演劇に仕立てていて、藝風のちがいが面白かった。
幸四郎の家の藝にはどこか「彫刻する」ように役を立体化する意思がみえ、仁左衛門の佐吉には「淡彩の絵画」のように役を見せてしまう気味がある。説明としては松嶋屋のほうが軽くわかりよく、だから簡単に涙を誘われる。高麗屋の藝は分厚いうえに彫刻刀のつかいかたがこまかい。それが通俗な戯曲をも演劇化して行くちからになる。
つられて福助にしても秀太郎にしても段四郎にしても団蔵にしても、幸四郎の藝に似たふうに役作って行く。つよい主役は、ワキ役を似た藝にひきづりこむものだと言われる、そういうアンサンブルが出来て行く。適例は福助と秀太郎で、いかにも世話狂言をリアルな女で演じた。いつもの福助とちがい、いつもの秀太郎とたいへんちがい、面白い役の顔を創り上げていた。好演。
二つめの菊五郎と仁左衛門での「身替座禅」は軽く笑わせたものの、これははるかに巧いまた美味いべつの舞台を何度も見ている。菊五郎はどっちかといえば、拙。山蔭右京の花を、山盛りのご馳走のようには咲かせ得ていない。先代の勘三郎が絶品であったし、当代の勘三郎がやっても、もっともっとうっとりと涎のたれそうに面白くはなやいだ舞台を見せる。仁の奥方玉の井はご愛嬌。「荒川の佐吉」で音羽屋につきあってもらったのを、お返ししていたという舞台。
さて大喜利は梅玉が執心したのであろう、魁春と時蔵、それに東蔵をひきつれた「二人夕霧」は、これはもう骨までくたくたと煮たようなやわらかい所作事で、リクツを言い掛けても始まらない、ただもう情緒にひたって、伊左衛門のヤツ、うまいことやってやがると嬉しがったりムクレたりしていたらよい。いやなら客は帰ってもかまわないという舞台。なにしろ勘当されながらも、「後の夕霧」とべたべたの世帯をもった逼塞紙衣の伊左衛門家に、死んだと跡を弔っていた「先の夕霧」があつあつで尋ねてきて、二人夕霧の、さや当てになる。当惑した男は閉口の気味で、しかしにやけてでれついているところへ、勘当がゆり、祝儀の大金が届けられる。伊左衛門は景気よく小判をばらまき、二人夕霧を二人ながら妻にして実家へ凱旋するのであるから、アホらしい極みだが。そういう身になってみたいと男なら想ってくやしがればよろしく、女の客にはあまりうけないのではないか。
梅玉がだいぶん上方ものにはまってきた。妙に超然とした藝のまま柔らかみが自然になった。時蔵の後の夕霧はいまいち所帯じみて華やがない。魁春は異色の美貌がおおらかに美しく、よく匂った。肢体に色気がむんむん。

* 一路帰宅。
2006 6・8 57

* 若き日の幸四郎(当時染五郎)と長門裕之との映画「秘剣」を途中からだったが、面白く観た。稲垣浩監督ならではの重厚ないい時代劇で、月形龍之介の演じた老いし宮本武蔵が立派な姿勢で感じ入った。どうなる運びかと引きいれられていて、あっと驚くよい終幕。五味康祐原作の厚みが良く活かされた秀作で。さすがに幸四郎は台詞がしっかり明晰に聞こえていた。そこへ行くと長門など映画人は、舞台の台詞の素養が無く、早口になれば何を言うているやらアイマイモコ。一流の舞台人は映画でも綺麗に発声するので、演技にも切れ味がしっかり出る。
わたしは、比較的早くから幸四郎贔屓であったけれど、若い若い頃の彼はいたって見にくい男子で、お世辞にも男前でないのがおもしろい。「笛吹川」でも、そう感じてびっくりしたが、今日はいっそおかしかった。それでも、きっちり演じられる染五郎ではあったのだ、いい作品に出逢った。
2006 6・16 57

* 明日は福田恆存作「億万長者夫人」を劇団昴の招待で。とても楽しみ。
劇団昴は七月にも招ばれている。俳優座も七月招待が今日来ていた。八月の納涼歌舞伎をどうしようかしらんと迷っている。所作事が多い。三部のどこか一つを観るならやすいが、三つとも観るとかなり割高につくわりに、少し出し物が軽い。顔ぶれにもいつもの勘三郎の抜けているのが大きい。思案中。
若い子を、たとえば孫娘なんぞ連れて行くには恰好なのだが、それもママならず。
2006 6・20 57

* 九月歌舞伎座、初代吉右衛門生誕百二十年の「秀山祭」は、待ってました。すぐ幸四郎夫人に注文。八月の納涼歌舞伎には扇雀、染五郎二人ともしつかり出勤するのだが、演目にやや心行かぬ物があり、休むことにした。もし妻の体力がゆるすようなら少し涼しいところへ一二泊の小旅行を楽しみたいが、こればかりはその時次第。
2006 7・6 58

* 重い鉄の丸を嚥んだままのような歌舞伎座観劇であった。鏡花の輝く四篇、「夜叉が池」「海神別荘」そして「山吹」「天守物語」だから、どうやら昼夜とも観て来れたけれど、そしてむろんとても面白かったけれど、胸の底には一枚のガチンと揺るぎない不安と動揺とがあり、それに逆らうことも同調することもできない苦痛。
やす香はもちろん、夕日子も建日子も、妻も、みな同じである。そしてみなが、やす香のために少しでも少しでも良かれ、髪の毛一筋の希望でももたせたいと願っている。そう信じる。ただ人間のこと、まわりの者達の思いは、少しずつ、願いも、苛立ちも、悲しみようも、異なるのである。
2006 7・13 58

* 霊的な世界観では、「想念のプレゼント」というものがあるそうです。自分にとって天国と思える情景を相手に届けることで、喜ばせることができるというのです。生きている人でも死んでいる人でも誰にでも願った人に想念は届くと。
病床のやす香さんとご一緒に歌舞伎を観ていらしたように、わたくしも好きな人とずっと一緒でした。
初めての歌舞伎でしたが、抱いていた歌舞伎のイメージではなく、二作とも新派みたいな舞台と感じました。
「山吹」は鏡花らしいすさまじい話だと思いながら、舞台には今ひとつ乗れずに観ました。縫子が玉三郎だったら全然違っていたでしょう。折檻したり死んだ鯉の肝を吸う笑三郎が美しくも凄艶にも見えないし、歌六の辺栗藤次も難しい役とは思いますが、もうちょっとどうにかならないかと。一本調子のただの年寄りに見えました。落魄の身にも品格は表現されていてほしい。島津正役は誰がやっても最低の役。客席の笑いはとれますが、こんなお行儀のいいだけの紳士は願い下げです。つまらん男。
最後の「世間によろしく。さようなら」という縫子の痛烈な一言は、島津のような男を理想とした自分への愛想尽かしであったのかもしれません。縫子と藤次の人間の「誠」は、脚本として伝わっても、舞台では世間を捨てて守り抜く人間の矜恃よりも、グロテスクな印象が勝っていたようで。

「天守物語」はとてもとても楽しみました。佳い夢が見られました。何しろ生の玉三郎は初めて。登場しただけで舞台の色が変わるくらい圧倒的です。海老蔵も初めて。二人とも噂にたがわぬ美しさで堪能しました。この二人なら、一目で恋に落ちるでしょう。
歌舞伎は役者の華で見せるものかしら? 若い頃の玉三郎と仁左衛門の「蝶の夢?」の舞を観た友人がこの世のものとは思えなかったと言います。海老蔵はテレビで観ると好きになれませんが、舞台ではきれいで、声の佳さが際立っていました。ダイヤの原石なので、よくよく磨いてほんものの珠になってほしいです。
記憶が正しければ、舞台は「舞」であるという意味のことを以前書いていらしたような。玉三郎と海老蔵は型が出来ていて、バレエのパ・ドゥ・ドウを観ているようでした。
歌舞伎座の休憩時間は長いのですね。時間をもてあまして、蟹のお寿司をいただきました。鯖のお寿司はこの時期怖くて。お味は悪くなかったです。
一階後ろのほうの席でしたから(それでも一万一千円のチケット)、オペラグラスを持っていて正解でした。また、観に行きたいものですが、今度はもう少し観やすい場所でと思います。その時も「想念のプレゼント」を送ります。逢いたい人にいつでも想いを届けます。
おやすみなさい。おつらい一日の眠りが猫のお昼寝のように無心でありますように。  祈り続ける お夏

* 「山吹」「天守物語」の批評、その通りである。
「山吹」の舞台は、肝腎の役者達が不適切で、いうまでもなく美しい家出妻が玉三郎で、梅玉が島津画伯を演じ、人形師には段四郎をと願っていた。
戯曲自体もわたしは三島が言うほどとは踏まないけれど、「世間へよろしく」の一句に燃え立つ批評は、鏡花世界に身も心もよせてやまないわたしには、有りがたい金無垢の刺戟であった。
あの舞台は、そう再々は実現しないだろうと思うだけに、他の三作は繰り返し上演されるだろうだけに、稀有の出会いで有りがたかった。
お夏さんには「海神別荘」を見せたかった。玉三郎と海老蔵のコンビは、さらにさらに魅力に溢れて烈しい。
鏡花劇は、新派で多くを演じてきたけれど、また歌舞伎劇としては書かれていないけれど、「山吹」以外は、歌舞伎座の演目として十分熟している。かぶくという意味の非常識な過激さは、だが現代劇である「山吹」によけい出ていて、「グロテスク」に感じさせたのであろう。
2006 7・23 58

* 歌舞伎の感想で一つ言い忘れていました。泉鏡花が笑わせる意図で書いたセリフではないと思うところで、客席から笑いが何度か起きました。これは舞台の作りに問題があったのか、役者のせいなのか、どうなのでしょう。こちらの感性が変なのかもしれませんが、ここは笑うところなのだろうかと首をひねっていました。  夏

* 客とは一般に見巧者でも理解者でもなく、自分に似せて舞台を喰いちぎって食べる人種であり、役者のせいにするのは気の毒です。読者に「いい読者」はすくなく、観客にも「いい観客」は劇場内に数えるほどもいないのが普通なのではと思いますが、それはそれで成り立つ関係であり、だから劇場には独特の陽気も滑稽さもあるのでしょう。
2006 7・25 58

* 妻が、気持ちをひきしめ、しっかり立てるようにと、八月は行かないはずでいた歌舞伎座に連れて行って欲しいと言う。終日はとてもムリな体力だが、幸い八月納涼歌舞伎は三部制なので、一部だけ、成駒屋に頼んで席を用意して貰った。少し気が晴れるだろう。
高麗屋からは十月の大歌舞伎の案内があった、九月の秀山祭もとうに頼んであるが、十月もぜひ楽しみたい。
幸四郎は昼の熊谷陣屋、夜の髪結新三。仁左衛門が勘平腹切や「お祭り」など昼夜に活躍の予定。なにより市川団十郎の無事の舞台をぜひ観たい。忠臣蔵では、海老蔵がはまり役に想える、例の中村仲蔵の伝説をしのぐ、秀逸の斧定九郎が観てみたい。
高麗屋は、十二月国立劇場という案内も来ている。真山青果の元禄忠臣蔵の通しである。
2006 8・12 59

* 八月は休もうかと言っていたが、妻の気鬱と疲労とを慰めようと、成駒屋に頼んで三部制納涼歌舞伎の第一部だけを観にでかけた。
黙阿弥の「慶安太平記」を橋之助の丸橋忠弥が大奮闘。女房が扇雀、舅が片岡市蔵、そして松平伊豆に市川染五郎がつきあった。染五郎は、あそこで舞台を大きく抑えるには柄が細かった。忠弥の酔態、捕り物の奮迅にはいい点をあげるが、それにつけてしっとりおもしろく見せたのが意外にも開幕の一場で、忠弥と、酒売りの亭主・客の人足三人とが、ちょっと類なく佳い場面を現出していて、気持ちよかった。なんでもないのに、佳い芝居が絵のようにリアルに出来上がっていた。
福助の「近江のお兼」は、伝説の大力の美女を可愛らしくはんなりと踊って見せた。からみもわるくなかった。
そしてこれを見に行こうよと言って出て来たのが、舞踊劇というよりダンス歌舞伎の「たのきゅう」で。大和屋一党の慶事二つを舞台半ばの口上祝儀を含みながら、三津五郎が終始軽快・軽妙にダンスしてみせ、染五郎お「おろち」役で気持ち悪く気持ちよげに「たのきゅう」を威しつけ、返り討ちに小判を舞台にまき散らしながらむざんに千切れ去る。
大和屋の秀調、弥十郎、また、たのきゅうの母役中村扇雀はじめ市川高麗蔵、片岡亀蔵らが、気散じに付き合っていた。あははと笑い、三津五郎の踊りの美味さを再確認して歌舞伎座を出たのが日照りの二時半。

* その足で新宿へ。用を済ませてゆっくり和食。満腹。そして保谷へ。
2006 8・18 59

* 八月もあますところ一週間になり、月が変わるとまたどっと忙しくなる。
さっき大阪讀賣の米原さんから大阪城の薪能を観にいらっしゃい、関係者席を用意しておきますとお誘いがあった。パンフレットに原稿を頼まれていた。気のふさぎがちな日々と察しての招待で、ふっと夢を惹かれる。どうしようかなあ。
九月には歌舞伎座で「秀山祭」初代吉右衛門の追善興行がある。高麗屋・播磨屋兄弟の競演が昼夜楽しめる。また加藤剛主演の「コルチャック先生」が国立東京博物館で公演される。招待されている。気を晴らし晴らし元気に過ごしたい。
2006 8・24 59

* 藤間さん  オール読み物 (松本幸四郎・松たか子父娘往復書簡) 戴いて、その日に読みました。感謝。
さてなにを書こうかと思い泥むとき、自然に手探りめいて、とりとめない中身をあれからそれへと繋いでゆくことは、物書きなら、誰も、何度も何度も思い当たる「ハメ」を知っています。
しかし、そういう文章が中身散漫で味ないか、不味いかというと、意外にそうでない場合があります。そんなときに限って、書いている当人の気づかない、これまで知らなかった或る「波」に運ばれていて、あとで自分で驚くほど新鮮な表現や思いを、創ったり吐露したりしている場合があるものです。とても、いつもいつもというワケには行きませんが、(松)たか子さんの今回の書簡は、それに当たるような満足を、ご本人も後で自覚されたのではないでしょうか。
この体験は、いわば、かつて知らなかった、一度も気づいてなかった「曲がり角」を余儀なく曲がるハメになって、思いがけない視野を得たのと似ています。ものを書きながら、「世界を拡げた」というかすかな実感をもちうるのは、存外に、そういう時なんだと思います。
今回のような息づかいは、書き手への、思いのほかの親愛感を読者によびおこします。レールの上を走っていないからですね。私は筆者の「思い」の「流れよう」を、面白く感じながら読みました。
あの新感線ヘビメタの舞台「メタル・マクベス」も、微笑ましく思い出しました。
秀山祭、楽しみにしています。 お大切に。
うまく予定が折り合えば、染五郎丈の舞踊の会にも、私一人で出掛けたいなと思っています。私は舞踊が好きなんです、若い頃から。  秦生
2006 9・3 60

* 雨。いつもより一時間ばかり、朝寝した。暑くなく冷えもせず、クーラーなしで過ごしている。黒いマーゴがやす香のぶんも甘えてくる。
ゆうべ「ペン電子文藝館」の親しい委員から、十一日の委員会に出ますかとメールで見舞われた。出席のつもりと返辞。

* 秦さん。こんばんは。少しは、落ち着かれたようで、何よりです。
11日の電子文藝館委員会出席されますか。大兄が、出席されるようなら、私も、なんとか、仕事を調整して、休みを取り、委員会に出席するようにします。
さて、秀山祭は、3日(日)に昼夜通しで、観て来ました。
昼の部は、1階、2階とも、補助席の出るほどの大入、夜の部は、1、2等席とも、若干空きがありました。
昼の部では、吉右衛門、富十郎の「引窓」が、良かったし、珍しい兄弟出演、幸四郎、吉右衛門の「寺子屋」も、見応えがありました。私は、2階の後ろで観ていましたが、「寺子屋」の兄弟「対面」の場面では、この場面のみ、高麗屋の御内儀が観に来ていました。私の席の隣に立っていました。
「引窓」では、富十郎の上方訛りの科白が、暖かく、良い工夫でした。
11日にお会いできると良いですね。  英

* 私たちは、明日。楽しみに。七月の鏡花劇四作の日は、舞台は舞台で満喫しながら、泣きの涙のつらい観劇であったが。走り去るように二ヶ月が過ぎていった。
2006 9・6 60

* 曇り空たれこめているが、雨は落ちていない。秀山祭。心穏やかに楽しんでくる。とてもいい席をもらっている。
2006 9・7 60

* 歌舞伎座の一日、充実、おもしろく楽しめた。往復に幸い雨にも濡れなかった。十時半に帰宅のあと、いま、つよい雨の音がしている。
秀山祭の秀山とは、初代吉右衛門の俳号。歌舞伎役者の名乗りには俳名めくものの多いことは知られているが、初代吉右衛門は、虚子について、ほんとうに俳句の出来た役者であった。初代吉右衛門は私が舞台で観た歌舞伎役者の第一号で、その「籠釣瓶」を南座で観たのは、わたしのひそかな自慢のタネなのである。以来、何となく播磨屋、高麗屋、萬屋、中村屋、成駒屋、京屋系に心親しいものを持ち続けてきた。「ペン電子文藝館」に小宮豊隆の『中村吉右衛門論』を載せたのもいささか身贔屓であるし、孫、曾孫の高麗屋一家に声援を惜しまないのもそのおかげといえる。

* 昼の部は、花道に間近い、前から六列目。夜の部は真中央の前から四列目。目のよわい私には絶好席。演じている高麗屋とも播磨屋とも成駒屋ともしっかり視線が合う。

* 昼の部の早々に『車引』とは、贅沢なサービス。梅王丸に元気いっぱい隈取りの松緑、二枚目桜丸に、なにもかも心得た達者な亀治郎。この二人が、吉田社参の実悪時平公(段四郎)の牛車を、威風堂々通せんぼする、その派手な所作の歌舞伎ぶり、それだけで華やかに楽しい。
三兄弟のただ一人、時平公につかえている松王丸が、染五郎。頑張ってはりました。
車引は、『菅原伝授手習鑑』では「寺子屋」に次いで面白く、寺子屋とはがらりと様変わりの様式美。秀山祭、一気に是で盛り上げた。松緑大好きの妻は、いきなり大喜び。
二つめは『引窓』で、お縄覚悟を定めた「追われ者濡髪長五郎」の、一目生みの母に逢いたさのあわれを、富十郎が質実に演じて涙を誘えば、二代目吉右衛門の南(なん)与兵衛が情理あいまった好演で応え、佳い舞台になった。
長五郎には実母、与兵衛には義理ある母を、フケの名優吉之丞が、いつもながらしっかり演じる。それにしてもあれで齢六十だというからなあ。
廓から出て来た恋女房、芝雀の与兵衛女房お早も、ニンに合って、しっとり好演。
舞台の照明が単調にあかるすぎ、この舞台では昼と夜との時間差が引窓をつかって微妙に働かねばならないだけに、少し舞台のものあわれを帳消しにしていたけれど、誰もの好演で、心満たされた。
三つ目は所作事二つがならび、『小町と業平』を雀右衛門と梅玉とで。また『文屋』を染五郎で。二つとも物足りない踊りであった。
四つ目が待ってました! 『寺子屋』の武部源蔵に弟吉右衛門、松王丸に兄幸四郎という秀山祭ならではの大顔合わせ。松王女房千代に芝翫、源蔵女房戸浪に魁春。当代最も願わしい、なかなか実現しない対決劇で、さすが、幸四郎も吉右衛門も大熱演。したたかに泣かされてしまった。筋書きは、セリフの端まで頭にあるのに、役者が心血をそそいで役に成りきれば、観ている側も「一期一会」の歓喜にはまって行く。菅丞相妻に福助が大きく助演し、子役もはまり、よだれくりに松江。秀山祭に第一ふさわしい大歌舞伎で心満たされた。

* ハネ出し入れ替えのまえ、玄関の人だかりで高麗屋の女房藤間紀子さんと暫くの立ち話も、目を赤くしながら。晴れやかな今日のサービスであった。いつ逢っても気さくに親切なひと。師走の国立劇場、幸四郎内蔵助の真山忠臣蔵も、高麗屋番頭さんに予約してきた。
茜屋珈琲でマスターとのおしやべりにくつろいでから、夜の部へ。

* 幕開きに『菊畑』が、これまた大柄な歌舞伎。幸四郎の智恵内実は鬼三太。悠揚せまらず舞台を働かせる。染五郎が虎蔵こと実は牛若丸。左団次の鬼一法眼が出色の力演、歌六がしっかり敵役湛海。芝雀の皆鶴姫は型どおりの赤姫を愛らしく。長い「義経記」ものの一部で、この一幕だけでは筋もろくすっぽ立たないのに、はなやかに楽しめるところが歌舞伎のミソ。
夜の部の大一番は、文句なし『籠釣瓶花街酔醒』で、福助の花魁八ツ橋の道中といい愛想づかしといい、おみごと。むろん、この一番こそ、さすが吉右衛門、家の藝。大痘痕のお大尽佐野次郎左衛門を渾身の名演。梅玉の色男繁山栄之丞は手に入ったものだが、八ッ橋親元の釣鐘権八を、あくまで毒々しく凄んで演じた片岡芦燕の芝居にも脱帽。
いつもは省かれる栄之丞陋宅の場などあり、筋が分かりよく、しかも見せ場の愛想づかしは福助が強烈に演じ、芝雀の気だて良い花魁九重や東蔵の実直な立花屋内儀ぶりが舞台をしっかり引き締めた。良く斬れる切れる籠釣瓶での「殺し」を、八つ橋と仲居とふたりだけでとめたスッキリした幕切れも、成功していた。
昼の寺子屋とならんで、観馴染んで馴染んできただしものなのに、新鮮無類に大芝居の醍醐味を味わわせてくれた。感謝。
大喜利『鬼揃紅葉狩』は松羽目仕立て。染五郎が更科姫実は戸隠山の鬼女を、信二郎が勇将平維茂を、釣り合い宜しく美しく演じた。つねの紅葉狩を派手に新趣向して、思いのほか楽しく所作事を見せたのは、キリ狂言にふさわしい楽しさ。染五郎の女形踊りも、大きく化けた鬼の修羅も、ともに成功。吉弥や宗之助の鬼の侍女も、松江の維茂従者雪郎太も立派にやっていた。
思いのほかに面白くて楽しんだわと、妻は戸隠の鬼舞台にも大満足し、その勢いで、これ以上疲れてはいけないので、一路帰宅。
そして建日子の連続ドラマを、後ろ半分観て二階に上がってきた。

* 「MIXI」の事務局から、失礼を謝ってきていた。
2006 9・7 60

* 高麗屋の女房藤間さんのメールが来ていて、気分良く、嬉しくて、二往復。

* 先日は昼夜とうしで御観劇くださいましてありがとうございました。
想像つかないほどおつらいことも過ごされたのに、秦さまにお会いすると、なんだか父親に会ったようなあたたかいものを感じさせてくださいます。
心なしか失礼ながら里の父と雰囲気が似てられるのです。お芝居お出かけ下さり、お目にかかってほっといたしました。
夏は『信長の棺』の収録で一ヶ月京都でした。ものすごい暑さの中、幸四郎さん一言も暑いと言わずいっきに撮影をこなしました。年内にテレビ朝日で二時間半 スペシャルで放送になると思います。
また来月は、初役で『髪結新三』に取り組むので、今から勉強です。 またお待ちしています。

* 海外で『王様と私』に夫婦して孤独に健闘、苦闘されていたなかで、藤間さんのお父上に思いも寄らない医療の事故があり、大変な思いをされ、また適切に機敏に動かれながら、結局父君と永別されたことなど、幸四郎著でもいろいろに読んできているが、その話などを藤間さんからも聴いた。

* いろんなことが、ある。いいこともある、イヤなこともある。いいことは踏み込んで自分から創り出すべきだし、イヤなこと受け身になりやすいが、これも踏み込んではね返す元気の要ることだ。『人生劇場』という大衆小説の題を好まなかったときがあるが、人生は「劇場」だと思えてきている。自身が観客でも演者でもある。そう思いきめて、なんと面白いことではあるまいか、と。
2006 9・11 60

* 十月大歌舞伎の通し座席がとれた。若い団十郎と仁左衛門とを長老格の幸四郎と芝翫とが左右から支えて、海老蔵、菊之助などの若い花形が出揃ってくる。まだ霜月顔見世の報が這い入らないけれど、十月は堂々と豪華だ、出し物も佳い。俳優座も俳優座稽古場も劇団昴公演もある。
2006 9・16 60

* 高麗屋の奥さんから、今月も松たか子との父娘往復書簡の載った「オール読物」が贈られてきた。今月は父松本幸四郎の手紙の番。すぐ読んだ。
幸四郎の文章はかなりの量を読んでいるが、今月の感懐は、舞台と、舞台外ないし劇場外との、微妙な「合間」の時間の不思議や奥行きについて語り、先月の娘松たか子の書簡になかなか見事に呼応した、佳いものだった。初めて語られる話題にもいくつも恵まれ、読みでのある文章で感心した。

通用門出でて岡井隆氏がおもむろにわれにもどる身ぶるい 岡井 隆

この歌にもどこか気の通う、仕事こそ違え、歌舞伎役者・演劇俳優の秘めもつ「合間」のおもしろさ、確かさ。
八月は、こういう大物役者が、京都で集中して映画やドラマの撮影にも組み合う暑い時季だが、その間の、ご夫婦でのこころよい銷夏や、不思議の出逢いや、黙想や、うまそうな味覚にも、じつに手配り美しく触れられていた。手だれのペンである。
その高麗屋から、昨日は、十月歌舞伎の通し座席券がわれわれ夫婦分、届いていた。幸四郎は熊谷、そして初役という髪結新三。団十郎も仁左衛門も。芝翫も。楽しみ。
2006 9・23 60

* 歌舞伎座に。幸四郎の熊谷、初役の髪結新三。先月、高麗屋が播磨屋と組み合った『寺子屋』松王丸を観てきた。今度は熊谷。「十六年は……夢だ」と嘆く熊谷蓮生坊に、また泣いてくるは必定。やすかれ やす香 いのち とはに。
団十郎久々に「対面」の祐経。 楽しみは菊之助と海老蔵の十郎、五郎。

* 日比谷のクラブに寄ってサーモンも切ってもらい、中華風の酒の肴で、振る舞いのシャンパンと、コニャック。疲れもなく帰宅したのが十一時。

* 歌舞伎は昼も夜も大満足。
昼は盛りだくさん。「葛の葉」を魁春が姿で演じて、ほろり。この優のセリフは聴きやすいモノではない。以前観た坂田藤十郎の葛の葉がいかにみごとに「恋しくばたづねきてみよ」「うらみ葛の葉」の歌を障子に書いて見せたかを、つくづく思い知る。門之助の保名は藝の性根がよわく物足りない。
次の『壽曾我対面』は願ってもない佳い舞台になった。団十郎が大きく高座に居座り、若い菊之助と海老蔵とを堂々と威圧してゆるがず、十郎五郎の気合いも見事で、楽しんだ楽しんだ。菊之助の美しいこと、海老蔵の勇ましいこと、あれで佳い。あの佳さも、やはり団十郎祐経との豊かな調和の手柄。季節はずれの秋盛りに「対面」というのも珍しいが、成田屋の堂々とした復活を誰もが祝っている舞台であり、嬉しかった。大磯の虎が田之助、化粧坂の少将が萬次郎というのは、ウーン。そのかわり権十郎の小林朝比奈が、この役者かなり大きく成ってきて、めでたい。
三つ目がお目当ての「熊谷陣屋」で、引き花道まで幸四郎は悠々としかも熱演、演劇的な歌舞伎ながら、妻相模(芝翫)を、敦盛母藤の方(魁春)を、主君義経(団十郎)をと、八方にきびきび対応しながらしみじみと悲劇的に事を盛り上げる。幸四郎らしい構築的な舞台運びに真率感がにじんで、やはり泣かされる。
この舞台での大手柄はわたしは成田屋の義経であったと思う。能で謂えばワキだが、ワキの不出来な、又は小さい能はどんななにシテがうまく演じても一番の曲が出ない。「熊谷」を、また「熊谷陣屋」という舞台を芯で支えるのは義経であり、義経の眼力であり、義経の策謀であり、義経のそれなりの情けである。これを女形に演じられると舞台が小さくなる。
団十郎が終始座ったまま、じつに叮嚀にセリフの隅々までを生かし、幸四郎と団十郎と、もう一人弥陀六宗清との取り組みが大きな建造物の効果をあげた。大立女形の芝翫もさすがだが、今夜の舞台では男トリオのいわば膂力がそれぞれの表情を伴いよく生きた。
おしまいに仁左衛門の気分良くはんなりとした所作事の『お祭り』は文句なく楽しめた。すばらしい役者ぶりだといつも感心させてくれる仁左衛門クンは。気持ちよい舞台で、昼の部のいいハネ出しになった。
昼の食事は例の「吉兆」で。酒はつつしんだが、食事は贅沢に楽しめた。

* 茜屋珈琲でマスターと談笑しながら休息。コーヒーが美味い。カップも、ニンをみて選んでくれるのが嬉しい。

* 夜の部は、先ず『仮名手本忠臣蔵』の五段目で、海老蔵の斧定九郎役がお目当て。圓生の人情話とは稍異なるものの、気の入った凄みの定九郎、仁左衛門の勘平に二つ玉の鉄砲で撃ち殺されるまで、けっこうでした。
六段目は、定九郎を撃ち殺した勘平が、女房お軽の父親を殺したものと早合点のまま赤穂浪士の一人として腹切って死んで行く。仁左衛門の実と情との芝居ぶりが、すこし愚かしい勘平の魅力をしんせつに表現してくれる。
勘平腹切りの前に、夫の出世を望みつまた売られ行く身を嘆きつ、菊之助演じる女房お軽がそれはそれは清潔で情愛深い女を見せてくれる。いい女形だ、菊之助の芝居を踊りをもっともっともっと観たい。家橘の母親役が、とても良いのか一本調子に乾いているのか、分からなかった。女衒の松之助がよく勤めていて目立った。妻も同じ感想だった。
次が幸四郎初役の『髪結新三』通し狂言、終盤へ大いに盛り上がって楽しんだ。弥太五郎源七(段四郎)との最後の立ち回りは省いてもよかったかも知れない、興趣は家主に十五両と初鰹の半身を悪新三がまんまと持って行かれるところで尽きている。あそこで盛り上がっている。弥太五郎源七には気の毒だがあれはあのようにしたたか新三に追い返されて用は済んでしまっている。さぞ悔しかろうが、芝居の力学ではあの閻魔堂橋での立ち回りは、蛇足。
なによりも初役なんて信じられない高麗屋の颯爽、軽妙、凄みの熱漢ぶり、みな申し分なく面白かった。初役という気迫と造型の成功、表現の成功、まぎれもない美しくさえある新三ぶり。熊谷は幸四郎演劇であったが、意外にも新三は幸四郎歌舞伎に成りきって、当代一の持ち役になるという気がした。明日にももう一度観たいほど満足した。下剃りの片岡市蔵に感心した。坂東弥十郎の家主は儲けものの大役。楽しんで演じていることはよく分かった。白子屋のいわばヒロインお熊は、宗之助にやらせてみたかった。高麗蔵は昼に武士役堤軍次、夜に攫われるお嬢のお熊と便利に器用に使われていたが、トクかソンか分かりにくい役者になりかけている。
この芝居のセリフに、落語でもこれまでの歌舞伎舞台でも、新三が攫ってきたお熊を「なぐさんだにちがいない」というのが繰り返し出て印象深かったが、今日の舞台では一度も使われていなかったのは、高麗屋が避けたのだろうか。
ともあれよく笑い、からりと楽しめた。妻は新三なんて嫌いだというが、悪のわりにはそう嫌われていない気がするのは、黙阿弥の手柄か、ああいうキャラクターを誰もが多少自身に望んでいるからか。存外女のひとにも内心受け容れられやすい悪漢ではないのだろうか。幸四郎の新三の成功にもそれが汲み取れる。女の客がずいぶん喝采し拍手を送っていた。

* 明日もう一度読み返してみる。もう一時をとうにまわっている。明日は歯医者に行かねばならぬ。今夜は書きっぱなしで、これまで。
ことわっておくが、わたしの此の「闇に言い置く」は、変換ミスなど少しも気にしないでまず書きっぱなしに書いている。すべて、日数を経てから、日付順にあらめてすべて読み直して、いくらか言葉や行文の感じを新たに改めているのが普通である。推敲の範囲を出はしないけれど。
2006 10・10 61

* 来年二月の松たか子主演のジャンヌ・ダルク舞台を予約した。
十一月の歌舞伎座は出演者に縁がなかったが、昨日たまたま高麗屋の番頭さんと松嶋屋仁左衛門の番頭さんとがならんで受付にいたので、高麗屋に仲介して貰い、昼の部だけを頼んだ。松嶋屋は、我当の同級生で弥栄中学などと分かってみるといっぺんに、笑顔。
これで今年も東京の顔見世興行が観られる。『伽羅先代萩』の通しで申し分ない大歌舞伎。それに三津五郎がひとりでたっぷり踊ってくれる。嬉しいこと。
夜の部をやめたのは演目から。『河内山』も『良弁杉』ももう一つなので。明るい内に街へ出て、映画ぐらいもう一つ観て帰る手もある。
2006 10・11 61

* 明日は能の友枝昭世の会によばれている。狂言に野村萬。最初に子息の「松虫」がある。男の色気能だ、以前にいまの梅若万三郎が万紀夫のころに観て、面白かった。能の帰りにはどこかでゆったりと晩飯を食べてきたい。二十五日にも能会がある、「鉢木」の直面(ひためん)が楽しめるはず。
もうやがて歌舞伎座顔見世興行も。今回は仁左衛門の番頭さんにお世話になった。夜の演目に興味がなく、昼だけを楽しみ、そのあと銀座をあるいてから、「レカン」のフレンチか。いや「つる家」の京料理が佳いかも。国立劇場の藤十郎の内蔵助で真山忠臣蔵も観たいのだけれど。新橋演舞場のいわゆる三之助花形歌舞伎にも心惹かれて惹かれて。十日に茜屋で入りのことなど聞いてみようか。
2006 11・4 62

* マドレデウスの「ムーヴメント」を聴きづめに仕事していたが。三時半、ネット、回復せず。もう一度医院へ出直す。健康診断とインフルエンザ予防接種。
九時過ぎても回復せず。
明日は歌舞伎座昼の部のみ。「先代萩」を菊五郎で。踊りを三津五郎で。
2006 11・9 62

* 建日子がラスベガスへ行くと。無事でと祈るメールのみ、辛うじて発信。そこまで。そして受信したメールを読んでいる。
あと二時間で、菊五郎や団十郎や仁左衛門や三津五郎に会いに行く。胸はずませて来たい。
2006 11・10 62

* 歌舞伎座は『伽羅先代萩』花水橋 足利家竹の間 足利家御殿 足利家床下 問註所対決 問註所詰所刃傷、と、要領のいい通し狂言で、前半御乳人政岡と弾正妹八汐がはげしく対決する女筋、後半実悪仁木弾正の潰え行く男筋とがうまく按配され、顔見世興行らしい大きな舞台になった。菊五郎は、ま、りっぱに及第点。玉三郎の悲壮感、藤十郎の貫禄に比して、音羽屋の政岡は実直にもの悲しい。
花水橋の左金吾頼兼は福助。魁春の頼兼が姿のよさで印象に濃く、福助のは不行跡を咎められている押し込められた大名のフテた感じがおもしろい。歌昇の絹川谷蔵は型どおり。
竹の間では子方の鶴千代が朗々と怖めず臆せずの立派な若殿で、やんやの称賛。正面をきって着座の姿勢など一流の役者なみ。
仁左衛門の八汐は憎体が自然でおもしろく、三津五郎の沖の井、秀調の松島と、惜しげなく大幹部をつっこんだ贅沢な配役が舞台を分厚くした。自然菊五郎演じる政岡の実体な誠意が際だった。主役級があれだけがっしり噛み合えば舞台は引き立つ道理、秀調がこのところ役に恵まれ、亡くなった兄坂東吉弥のあとを襲って、なくてはならない役者になっている。
御殿で、舞台ははげしくバラけるが、子方の千松は役を心得ていて間をはずさず、八汐に刺し殺されての哀れが劇的な展開をリアルにする。栄御前がなんだか簡単に政岡を信用するところがこの通し狂言のいつもながら一つの弱点だが、田之助は「歌舞伎」を演じて分厚く手際に乗り切った。
床下はこうでなくてはならない富十郎の稟烈荒獅子男之助が、大鼠を踏まえて吼える。少しの役だが仁木弾正をもひしぐ強さが必要で、余人ではこの場がしまらない。富十郎、万歳。団十郎の仁木弾正はこのあと刃傷まで凄みに凄んで存在感を示し、成田屋フアンの不安を一掃の力演。
廬燕演じる山名宗全采配の問註所対決では、仁左衛門が颯爽細川勝元役で登場し、一気に弾正の積悪が糾明される。渡辺外記左衛門の段四郎が忠義の老職を老々と演じ、刃傷では必死に逆転して狼藉の仁木弾正を誅するのがめでたい。わかりいい大狂言で、どこにも弛緩なく、菊五郎、仁左衛門、団十郎、三つどもえに顔見世を彩って楽しかった。

* 続いて大和屋坂東三津五郎の所作事、「源太」「願人坊主」。むろん願人坊主が期待どおりおもしろく、わたしは昔の松緑晩年の、ぼてぼてとふとった願人坊主を懐かしみながら、働き盛りの剽軽な大和屋の踊りを楽しんだ。

* ゆっくり歌舞伎座を出て和光をめざしたが、少し手前の英國屋のウインドウに女物の佳いオーバーコートを見つけ、妻に勧めて二階で採寸。ついでにわたしもスーツを新調すべく採寸。想わぬ買い物になったが、ま、いいか。和光で時計のバンドを新しくし、「レカン」でうまいフランス料理を食べてきた。食前のシェリーも赤ワインもうまく、この店の仏蘭西料理は、さ、銀座で一と言って二とくだるまい。じつにうまい。前にひとりで来たとき、主立った店員としっかり顔見知りになっておいたので、今晩も、万事親切に気をくばってもらえた。妻、大喜び。よかった。 2006 11・10 62

* なんとも気が沈滞している、わたし自身は体力問題なく思われるが、妻が、風邪か胃腸か、元気がない。我が家は夫婦二人と黒いマゴの暮らしだから、ひとりでも調子が落ちると沈滞する。あさってには新しい本が届くのに、発送用意が滞っている。今日明日にそこそこ行き届いていないと混乱してしまう。気の晴れることがない。
七日の俳優座稽古場が「野火」そして二度目の仮縫い。十日の国立劇場は幸四郎の大石内蔵助で真山忠臣蔵。吉右衛門の十月、藤十郎の十一月も見逃した。師走の討ち入りで今年の厄を落としたいが。
2006 12・3 63

* 地下鉄を、国会方面へ降りて、最高裁わき、三宅坂を大内山お濠端へまわった。銀杏葉の黄金色(きんいろ)があおい晴天に冴え冴えと光って、心地よい散策になった。寒からずそう暖かでもない冬日の晴れ。昨日の曇天・冷え切った小雨と大違いだった。

* 国立劇場は十月十一月と公演されてきた真山青果作『元禄忠臣蔵』の第三部、大石内蔵助の主演は九代目松本幸四郎。「初一念」を貫いて最後の日を迎えるまでの内蔵助を、この高麗屋ほど、気を入れ心行くまで演じてはまり役の優はいないだろう、その気乗りの迫力が波動のように胸に届いて、わたしは目頭を濡らし続けていた。
真山青果の作劇にはあるクセがあり、解釈の乗りすぎたきらいも出やすいのだが、幸四郎は持ち前の、実があって克明な演劇感覚を科白のすみずみに漲らせて過剰に成らず、ごく自然に豊かに内蔵助の性根と人物の確かさを築いていた。敬服した。

* 先ず吉良上野介屋敷裏門前にはじまる、浪士たち本懐をとげた直後の、とほうもない疲労と一種の虚脱感の劇的表現が、新鮮な作劇で、感心した。歌六の堀部安兵衛、錦吾の吉田忠左衛門、高麗蔵の間十次郎、秀調の武林唯七らで、ちょっとした挿話的な芝居から「劇」の動いてゆくさりげない配慮、そして内蔵助登場から勝鬨に至る嬉しさ、やはり、感動して、泪をこぼした。この人間劇は、ただの仇討ちではないのだから。自然にその感動が、次の芝高輪泉岳寺浅野内匠頭墓所一同の焼香から内蔵助「諭し」にいたる佳い流れを支えた。
仙石伯耆守に坂東三津五郎が凛々颯爽と登場した嬉しさはなかった、この一両年の三津五郎でいちばん美しく小気味よく品格正しい舞台の魅力、妻もわたしも堪能した。「上意」を受けての内蔵助と仙石との緊迫した応酬もきもちよく、うまい役者が全身全霊で対決するこころよさを堪能した。
所詮芝居の筋書きは知れてある、相手は忠臣蔵、それも仮名手本忠臣蔵の「趣向の虚構」ではない、化粧からしてもリアルな近代の芝居。それだけに優れた藝の、弾けるように出逢って静かに白熱する魅力は見応えする。幸四郎と三津五郎との、想像以上に藝質とニンの近さとが察しられ、嬉しい発見であった。

* そして大詰めに「大石最後の一日」が据わる。これまで二度三度観たし、友人我當の堀内伝右衛門も観ている。今日は堀内を市川左団次が木訥に実直に演じて、左団次としては珍しく巧緻に内蔵助とおみのとの中を繋ぎ、劇を盛り上げてくれた。不器用の器量が器用に転じたおもしろい効果を、左団次自身満喫しているようであった。おみのは中村芝雀、これまで観た二回とも時蔵だったが、またひと味ちがったおみので、優しく強かった。
おみのの養子聟と成るはずだった磯貝十郎左衛門は中村信二郎、彼の役も前に観ている。

* 筋書きも場面もよく覚えていて、じつは「大石最後の一日」四場にわれわれ夫婦は、新鮮な期待はさほど寄せていなかったのだが、あにはからん、これも幸四郎「初一念」の力演で、異様にみこどに盛り上がり、またまたわたしたちは泣かされた。泣かされて満ち足りた。感激の充実と楽しみを、存分味わった。

* 芝居の魅力はただ筋書きでは決まらない、筋書きなら歌舞伎劇の大方は観る前から識っている。やはりその日の役者の藝の真率と理解の確かさ、所作の美しさ、それらを支える人間力の容量と白熱度で、印象は、そのつどまるで変わってくる。
今日「十二月十日」我々が喜びの日の国立劇場は、じつは「元禄忠臣蔵」にさほどの期待はしていなかった、高麗屋の芝居で今年を嬉しくしめくくりたい、そしてそのあと「英国屋」仮縫いを仕上げてもらい、どこかでの佳い食事で四十九年めの祝いをしようと思っていたのだが、ドカーンと『元禄忠臣蔵』松本幸四郎ほかのお芝居に魅せられ、満ち足りた。楽しかった。ほんとに良かった。

* 前から三列目で花道に近かった、文句ない最良の席で<舞台の内蔵助ともきちっと視線が合い、渾身「初一念」の本懐を以て、私たちまで祝ってもらった気がした。

* 高麗屋夫人とも二度三度ロビーで立ち話をし、「オール読物」で進行中の幸四郎・松たか子「父子」往復書簡のことや、四方山、気さくな奥さんはなにごとにも親切な笑顔だった。しまいにわたしたちが見損ねた十月十一月の「元禄忠臣蔵」第一、二部舞台の「NHK収録ビデオ」を贈ってさしあげます、とまで。恐縮してロビーで別れてきた。
2006 12・10 63

* 高麗屋の奥さんから、松たか子の「みんなひとり」という歌盤の、まだ市場に出ていないらしいのを貰った。竹内まりやの作詞そして作曲。
詞から、よく気持ちが伝わってきて。嬉しく頂戴した。感謝にたえない。
松たか子自身の作詞作曲も二つ。しなやかに心優しい詞句で、文章を読んでもハッキリしているが、この若い女優さんの才能は、舞台の上だけでなく、文藝でも突き抜けたものを持っている。思いが一段と正しく深まれば、落ち着いた気品が文章にしっかり添うだろう。父幸四郎丈との二年予定の往復書簡も気が入っていて、とても興味深い。お父さんも娘に胸を貸し、とても気張っている。娘は本格的に真っ向語りかけてたるみも騒がしさもない。とても佳い。幸せな父と娘の取り組みをわきで見ていると、おもわず涙ぐみそうになる。
あんまり親子でまともに視線を合わせすぎると、「観客=読者」が、話題から、いい親子の芝居から、往復書簡という空気の外へ置いてゆかれかねないのだけは、斟酌されたい。わたしたち読者もその中に楽しくゆったりと入っていたいから。
2006 12・14 63

* 高麗屋の奥さんからは国立劇場で三ヶ月つづいた真山青果「元禄忠臣蔵」中村吉右衛門、坂田藤十郎、松本幸四郎三人の大石内蔵助お芝居のディスク三枚を頂戴した。十、十一月はどうしても観ているゆとりがなく残念無念であったので、このご厚意はなんとも有り難い、嬉しい。この夫人らしい、走り書きながら気さくで行き届いた添えの手紙もあった。
2006 12・19 63

* 帰宅して、十月に国立劇場で上演の第一部「元禄忠臣蔵」の前半分ほどを観て楽しんだ。殿中刃傷の場面も、やはり青果らしい意表に出た作劇で、びりっときた。歌昇がとてもいい役を気持ちよく引き受けていて、力演に、妻も私も惹きこまれた。
梅玉の浅野内匠頭も神妙だった。切腹の場に移り行くところまで観て、二階、機械の前へ席を移した。暖房していても太ももから下へ冷え込む。
2006 12・19 63

* 夕食しながら、「元禄忠臣蔵」第一部の後半、赤穂城明け渡しまでを、吉右衛門の大らかな内蔵助で楽しんだ。
歌昇の堀部安兵衛、東蔵の奥田将監、種太郎の主税、そして贅沢に中村富十郎の一役など、印象に刻まれた。常は腰元役などの役者が、男役できびきび立ち回るのも面白い。「良いものを頂戴したわね」と、いまや妻も「元禄忠臣蔵」の贔屓に。
この好企画は、今後繰り返されるのではないか。「仮名手本忠臣蔵」よりも歌舞伎慣れしていないが、演劇好きの客には気力十分にメッセージも豊富。
2006 12・20 63

* 内匠頭の殿中刃傷の前には、「浅慮の暴行」と謂われて仕方ないあの江戸城ないし大名家来達世間の「常識」というものがある。だが、そればかりでは律しがたいものも厳然としてあった。武士道を超えて出た「人間」の、或いは「人情」の真実があるはずという観測や意見がある。感動はもっぱらそっちに生まれてくる。
内匠頭は即日腹を切った。切らされた。吉良上野介はおとがめ無く全快した。そこでまかり通った「常識」には、お上「ご政道」という権威も法度もものを言うていた。「法」というなら、内匠頭は「法」のままに裁かれた。両成敗の喧嘩とはみなかったのだ、上野は刀に手も掛けず遁れようとしていた。「法」は「法」ですといえば、文句の出る筋ではない、内匠頭のつまり「負け」であった。
だが、必ずしも「法」だけでことの真相を観ない、測らない意見が広く沸騰した。「法」だけを笠に着た「ご政道」ですら沸騰する批判の前に凹んできた。だが死刑が執行されてしまっていては、もう高級審のやり直しも利かない。
内蔵助らの「討入」にはそんな事態の推移を踏まえ、公儀ご政道へ歯向かい楯突く超法規的な「抗議の情理」があった。むろん天下ご政道からは「討入は暴挙」とする「法」の建前が生きている。生きているとのリクツはやはり浪士達の上にも通されたのである、だから浪士一同「切腹」となった。「法」は「法」だ。
だが、内匠頭の刃傷にも内蔵助ら浪士の討入りにも、天下の支持は熱いほどであった。型にはまった冷えた「法」と、「法」だけでことは見えるものかという「情理」「志義」と、の差であったと思う。

* 刃傷の直後、仇討・討入などとんでもない、そんなことをされては迷惑すると思う「世間」も、明らかに実在していた。もしそんな最中、人の世のしがらみの中で浪士が討入を公言していれば、「法」は、簡単に大石以下の浪士を処分できただろう。だからそんな「法」をすり抜けて行く道を、大石以下の彼らは、英知と忍耐とで見つけて、歩み進んだ。
しなければならぬことは、しなければならぬ。

* 坂田藤十郎の内蔵助で、また中村梅玉の綱豊卿、片岡我當の新井勘解由、中村翫雀の富森助右衛門で、「元禄忠臣蔵」の「伏見撞木町」「お濱御殿」「南部坂雪の別れ」をおもしろく観た。
藤十郎にも梅玉にも我當にも、芝居気分を豊かに満たされた。満たされながら、わたしは、人を、軽薄で無道とすらいえる「法」一律で何でも彼でも律し縛ることの罪重きこと、権利一辺倒で、正義と到底想われぬ権利をゴリオシする人間社会の情理の歪みにも、決して承服しかねる気持ちを胸に抱いていた。 2006 12・21 63

* 高麗屋父娘の往復書簡、「オール読物」の今月は、松たか子が肩の力をぬいて、こころもち甘えるように「幸四郎の娘」であることを父に語りかけている。その演戯力は柔らかにつつましく、この筆者の聡い美点がよく行文に表れている。さすが父娘とも優れた演技者たちで、「具体」のもつ説得力や魅力をよく知り、観念の遊戯には落ちこまない。ツボということばがあるが、ツボを無意識にもおさえられるのは、行文にもおのずと働く演技力なのであろう。
2006 12・24 63

* 二月の木挽町は『仮名手本忠臣蔵』の通し。国立劇場の向こうを張った格好。中村吉右衛門と尾上菊五郎が支え、昼の四段目で幸四郎が、晩の六、七段目で玉三郎が、同じ七段目では仁左衛門も贅沢に付き合う。贅沢といえば大序の高師直は中村富十郎の座頭役。ほかに梅玉、魁春、左団次。若手のすくない老練の大歌舞伎である。
若いと言えば、二月にはコクーンで松たか子の『ひばり』がある。ジャンヌ・ダルクと聞いている。これが楽しみ。
2006 12・27 63

* 禅のお坊様から、新潟の、心癒しのワインを紅白頂戴した。久しい文学の友からも、すてきな紅茶。そして客人のグーと主人の黒いマゴとは穏やかに対座している。二月の歌舞伎座、予約が出来た。燦々、歳末の陽光。風は吹いている。近場を、あれこれお使いに出掛ける。
2006 12・29 63

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