* 明日は観世喜之の「翁」に逢いに矢来に行く。
2006 1・7 52
* 三連休とやら。それにならうことにし、今日は矢来能楽堂で観世喜之の「翁」を楽しんでくる。三番叟は誰であったやら。矢来は久しぶり。「矢来」といえば新潮社の代名詞と思ってきた、久しく。酒井編集長亡く、小嶋喜久江さん、宮脇修さん、坂本忠雄さんももう退隠。
* 冷え込んでいるが東京はお天気。わたしも元気。迪子は美ヶ原の寒気にのどをいためているが、和らいできた。
* 矢来能楽堂は、個人の居宅に附設したような能楽堂で、見所(けんしょ)にも舞台や橋がかりにも、古き温和しき時代の美点が居残っていて、好もしい。その、前から三列、真中央の席を頂戴して、双眼鏡も全く必要なし、実に舞台との融和が佳い。
各流儀の千駄ヶ谷国立能楽堂を中心に、目黒の喜多、松濤の梅若、水道橋の宝生、青山の観世銕仙会などを見に行くが、昔、何度か矢来の観世へも来ていた。能楽堂の風情としては、矢来がいちばん往昔の古色を伝えており懐かしい。
* 観世喜之率いる九皐会の初会。旧臘もおしつまって古希を盛大に祝ったらしい喜之の「翁」は、三番叟もともに、また広田裕一の「高砂」も、総じて残念残念ながら、よくなかった。 (感想は割愛する。)
神楽坂を飯田橋寄りへ降り、有楽町線で帰る。
* 明日の梅若万三郎の「翁・賀茂」に期待する。三番叟の野村萬齋にも。狂言の万作(萬齋の父君)にも。去年は勝田貞夫さんと観たが、今年は一人で出かける。
2006 1・8 52
* 快晴、冷え込んでいるが。松濤の観世能楽堂へ。
インターネットで観ると、何カ所にも、研能会初会は 一月十日(月・祝)とある。日付か曜日か、どっちかが間違っている。今日は月曜で成人の日。たぶん貰っている案内どおり今日と想って出かける。
* やっと電話問い合わせに出てくれた。「今日」 十二時開場、一時開演 と。そしてよく観ると研能会インタネットトップ記事の「一月初会予定」は、なんと昨年 2005年の分が据え置き。更新していない。怠慢。
2006 1・9 52
* 湖の本新刊分の初校を戻しておいて、渋谷へ向かう。佳い能が観られますように。
* 湖の本の初校を送り戻し、池袋で来週の京都行きの往復切符を買い求め、渋谷駅前「松川」で、佳い鰻重とすっぽんの茶碗蒸し、それに銚子一本。
時間があり、ゆっくり芹沢光治良作「死者との対話」を読み返した。原稿の締め切りが迫っている。
* 昨日の九皐会は、まったく残念にも、「翁・三番叟」「高砂」とも不出来すぎた。比べてしまうと九皐会には気の毒であるが、今日の渋谷松濤、観世能楽堂で梅若研能会初会の「翁・三番叟」ひきつづき能「賀茂」は、水を打ったような清寂な美しさのなかに三番叟の活気みなぎり、一糸乱れずめでたく、すべて仕納めた。この二三年のうちでも頭抜けていた。
深田博治面箱の出からじつに静かで気品に満ち、そして万三郎の翁の胸に迫るほどの丈高い出と橋がかりの運びの美しさ。まだ翁という実年齢ではないのに威あって猛からず、全身に光彩を得ていた。千歳の八田達弥も凛々しく、深く、すべて烏帽子を戴いての総勢の出も間隔よろしく、聊かも慌てず乱れずしずしずとそれぞれの座についたのは、それだけでも清冽であった。
「翁」役の、三方への拝賀の礼も嬉しく目出度く、笛の一噌幸弘、頭取幸清次郎での小鼓三人、やがて大鼓の颯爽亀井広忠、太鼓助川治も加わって、今日の囃子方は「翁」でも「三番叟」でも、つぎの「賀茂」ででも、まず満点のすばらしい「鳴り」であった。興奮した。
その「三番叟」の野村萬齋が、一昨年より去年が良く、良かった去年よりも今年ははるかに美しい活力あふれる所作と掛け声のみごとさで、瞬発の生気生気にめでたさを籠めて、うっとりした。佳い狂言役者になったと、これまで萬齋には点を辛くみてきたけれど、今日は観ていて幸せであった。五体のよく動いて崩れない確かな美の魅力、溜息が漏れて漏れて、わたしは陶然と「翁・三番叟」に満たされた。
*「翁付き」ですぐ引き続いて同じ万三郎のシテ(前シテ里女、後シテ別雷神)を演じた「賀茂」 これがまたさらに素晴らしかった。「素働(しらはたらき)」そして「御田(おんた)」という小書き(特別の演出)が付いて、普通の能よりも、前半、そして萬齋の神職と早乙女四人での替えの間狂言がめずらしい田楽歌のサービス、すばらしい見せ場になり、次いで後シテの出の前に、後ツレ天女(八田達弥)の美しい舞いがあり、最後に後シテの別雷神の豪壮な舞い。一曲の能で二、三番もとりこんだ多彩さが、変化の妙味でガサつくことなく、文字通り魅了された。
囃子も、幸、亀井、一噌、助川、一糸乱れず佳い音を送りつづけ、地謡もノリよろしく、そんな嬉しい景気・景色を、万三郎家の特色でもある素晴らしく美しい装束、美しい面、面の官能美、象徴美で興奮を炎のように盛り上げた。
万三郎は優れて美しい能の実現できる演出家でもあり、その力が、今日の新年初会にあでやかに昇華されたのは、見所の幸せであった。
万三郎の前シテが着けていた女面のよかったこと、眼を吸われるようで、しかも静かな知性美にも溢れていた。シテとツレとの装束の絢爛清潔のコントラストもみごとで、脱帽ものであった。
* さらにおまけに野村万作の「福の神」がめでたかった。アドの万之介は老いたが、石田幸雄が壮年、充実の狂言役者ぶり。萬齋も出色の大きな才能であり、父万作も母上も、めでたいめでたい。
* 夕景混雑の渋谷から脱出し、池袋で、最近見つけた気楽にしかもタネを選べる鮨屋で少し握らせてつまみ喰い、寝ている妻の土産に焼栗の一包みを買って帰った。
2006 1・9 52
* 矢来へお出かけありがとうございました。
「翁」の真摯なご感想ありがとうございました。特に今日の梅若先生たちの「翁」のよさを読ませていただいて、能の見どころを教えていただいた気がします。自分で矢来に行きましたより、良い見方ができた気がします。ありがとうございました。
月例の会ともなれば、見慣れた先生方の謡、能となると身内気分で見ているようで、真剣に見ていなくて、本当のところが分からなくなっているのかもしれません。
月例の会は社中の弟子たちへの教えの会と思うのですが、毎月伺っていると私にも、先生方の疲れが見えるようなときもあり、ちょっと残念なような悔しい気がするときがあります。
寒い中お出かけいただいて申し訳ありませんでした。
秋に梅若万三郎・(野村?)万作(梅若万佐晴?)師の「石橋」二人での舞囃子を見ました。扇も何も持たずに二人で舞われたのですが、その時の身の引き締まる感動を今思い出しています。鏡花の「夜叉が池」の能楽劇で梅若六郎師の舞台だったのですが、その劇の前に舞われたのですが、私は二人の舞の美しさに身の引き締まる思いがしました。
今年も、矢来の月例会のほかになるべく別の能舞台を月に一度は見に出かけたいと思っています。
このごろは都民劇場で、歌舞伎が毎月決まって見られるので、それも楽しみです。先日隣の席の方が90歳で一人で来られていることをお聞きし、20年の楽しみの未来を見せていただいた気がしました。感受性も失わないようにしたいなと欲張ったりして。
HPでの舞台の感想を楽しみにしております。 晴
* すばらしくいい座席を貰っていた。能はあいにくであったけれど、こう言っていただき、安堵した。
もう日付が変わっている。今夜は「八犬伝」を心行くまで読んで寝よう。
2006 1・9 52
* 志ん生師匠の「千早振る」「たがや」「岸柳島」「たいこ腹」をつづけざまディスクで聴きながら、送られてきた小説の必要なものを大量にダウンロードし、一太郎に置き換えていた。
志ん生のおかしさは天衣無縫、クスクスと鼻のおくまで笑いがこみあげる。こんな短編でも、いまどきの噺家の長丁場よりはるかに実があり、十分満足させる。圓生師匠は笑わせる藝であるより聴き入らせる藝。志ん生師匠はしんそこ笑わせる。ムリにではない、聴く側の無条件降伏という笑い。
2006 1・26 52
*「去年の夏突然に」「招かれざる客」をつづけて観ていた。前者はキャサリン・ヘプバーンとエリザベス・テイラーという超級大女優の火花散る競演。後者では、スペンサー・トレイシーとキャツリン・ヘプバーン夫妻の愛娘キャサリン・ホートンが黒人の結婚相手シドニー・ポアチエを家に連れてくる。スペンサー名演エリザベス・テーラーの「花嫁の父」を思い出させる。ヘプバーンのうまいこと。
その間に、発送用意の作業をだいぶ進めたし、もう次回分の原稿スキャンも始めた。スキャンの間には、志ん生の「中村仲蔵」「淀五郎」を聴いていたけれど、こういう芝居噺になると、三遊亭圓生の聴かせる藝に、古今亭志ん生の笑わせる藝は及ばない。
2006 2・1 53
* さて、その花見。二十九日の勘三郎コクーンのあと、三十一日の劇団昴のあと、を楽しみにしている。そして四月一日に友枝昭世の能「湯谷(ゆや)」とは、まさしく清水の花見。五日は歌右衛門の五年祭の大歌舞伎。妻の古稀。六日は日中文化交流協会がたしか創立六十五年、中央公論社が百二十年の記念パーティ。湖の本新刊の校正刷りが出て来るその頃まで、しばらく春心地に花を愛でたい。
2006 3・25 54
* かすかに痙攣するような頭痛がある。今日は幸い暖かい。
午後おそめから国立能楽堂で友枝昭世の能「湯谷<ゆや>」と野村万作の狂言「見物左衛門」に招かれている。昭世の能は当代最良の一つ。
昨日の劇団昴の「チャリング・クロス街84番地」はすばらしい舞台だった。アメリカの才能ある一女性が、ロンドンの一書店に多年本を注文し続け、書店も誠実に応対した、それだけの折衝を舞台に再現。真に文字通り「本」というパブリックドメインへの愛をちからに、推移し、成就し、そして終焉していった「人間の歴史のミニチュア」であった。大西洋を隔て、ただ手紙の文面だけで語られ演じられた、みごとに知的なドラマで、亡き江藤淳の訳も美しく、女性演出家の演出も美しかった。藝術が、そこに在った。
2006 4・1 55
* 友枝昭世の「湯谷」の美しかったこと、陶然とし、謡の隅々まで聞こえて、暖雪紅雲の清水寺はじめ花の東山の景色もありあり目に見えて、懐かしさといったらなかった。昭世の熊野の凛然として心優しいこと、はるかに宗盛を凌駕して寄せ付けない知性美と愛らしさにあふれ、またも御意の変わらぬ内にと病む母へはせ帰って行く姿のみごとさにわたしは痺れてきた。いま友枝昭世ほど生き生きした能で満足させてくれるシテ、どれほどいるだろう。ワキの森常好も堂々と憎らしげに好演。ただ大鼓(柿原崇志)小鼓(成田達志)が少し騒々しすぎなかったかと、残念。
しきりにしきりに深奥秘匿の動機にふれてくる「湯谷」であった。わたしに気力と根気とが、ばっと発火さえすれば、すぐにもとりかかれる「小説」が手の届くところで動こうとしているのだが。
* いま一つ、野村万作の狂言「見物左衛門」が文字通りの一人芝居で、これなど万作に油ののっていた壮年期に見たかった。たいへん意欲的な作で、あるいは今の枯れた万作にふさわしいのかも知れないが、なにしろ見物同士の喧嘩沙汰になるのだから、もっと元気に破れかぶれの感じの方がいいのでは。しかし面白い印象的な狂言だった。萬斎で観てみたい。
* 帰りに久しぶり、二年ぶりに「車屋」で校正しながら食べて行こうと、新宿で降りたのに、ホテルごと取り壊していたのに呆れた。「美しい人」がいなくなってから、ふっつり行かなかった。良くしてくれていた「車屋」にやや申し訳ないと感じていたのからも、解放された。
2006 4・1 55
* 三時に寝て六時に起きた。血糖値 89。右前額の奧に鈍い痛み。それでも起きて、ひとりで朝食。機械の前へ。昨日の「湯谷」の余韻を聴いている。
2006 4・2 55
* 春もたけなわ過ぎ、千葉のE-OLDとデートしたいなと妻と話していたばかりだった。おじさんの足袋繕いか。繪になりそう。上野の寄席鈴本のあと天麩羅はと言っていたが、このところ血糖値が右上がりでヘキエキし遅滞していました。
いま、テレビで金馬の「御神酒徳利」を聴いていた。あの騒がしかった金馬がとしとって佳い噺家になっていて、噺もうまく隙間無く、嬉しくなった。萬斎と染五郎との珍しい三響会版「二人三番叟」もけっこうであったが、あの金馬 (小金馬)とみえないほど顔もよくなった老金馬が、若い二人の上を行く噺で感心した。
マルセル・カルネの「嘆きのテレーズ」も流石の映画で、寡黙なまま存在感に満ちあふれたシモーヌ・シニョレの静かに深い演技も、また、みものだった。
佳いものは、藝術・藝能の世間にはまだまだ幾らもある。困りものは政治・経済。じわじわと悪辣に既成事実化してゆく、増税と物価高傾向。民の怒りは鈍磨して起きず、官の怠慢と強欲とは顕著化している。
2006 4・15 55
* 新しい湖の本が、十二日に出来てくると、さきほど凸版印刷から連絡があった。十一日に、夜の部の歌舞伎がある。いいタイミング。それより前に聖路加や歯科医の診察や治療日がつづく。
十五日に、しばらくぶり「ペン電子文藝館」の委員会。総会前でもあり、出ないワケに行くまい。十八日にこれまた久しぶりに猪瀬直樹委員長が召集の言論表現委員会。またシンポジウムがしたいらしい。
その翌日、文藝家協会の総会。もう久しくこっちには出たことがない。
二十四日に松たか子の芝居、二十七日には観世栄夫の能「邯鄲」が。月末にペンの総会。一日には苦手な眼科の視野検査。そして…桜桃忌のくる六月がつづく。
ともかくも五月はかなり忙しい。合間合間をうまく利して息抜きをして元気づけないと、バテてしまう。
2006 5・2 56
* 明日は散髪し、明後日は松たか子らの「メタル・マクベス」を見に行く。金曜日には俳優座の稽古場で、大塚道子らの二人芝居、これも楽しみ。土曜は観世栄夫さんの能「邯鄲」に招ばれている。来週はペンの総会があって五月が果て、六月早々に眼科の視野検査、そして京都美術文化賞の授賞式が都ホテルで、同じ日に財団の理事会、懇親会が嵐山の吉兆で。
2006 5・22 56
* 今日は、俳優座稽古場で大塚道子ともうひとりの二人芝居。さ、どんなかなあと楽しみ。明日は歯医者のあと、その脚で観世栄夫の「邯鄲」を観る。そのあと三日間、なにとなしに休める。
自転車で走り出すまでの筋肉脂肪は相当だった(そうだ)が、今、「やや過剰」という域に戻っている(そうだ)。わたしは皮下脂肪をほとんど触知しないほど全身が堅い。立っているときの大腿側など石のように堅い。腹も堅い。散髪屋はいつも肩を揉もうとしてあまりの堅さにきまって驚きの声をあげる。指や掌で掴めないという。脂肪は体内にひそんでいる。
2006 5・26 56
* 歯医者の帰り「リヨン」でうまい昼食、江古田駅で妻を見送ったあと、千駄ヶ谷の国立能楽堂へ。「幽の会」観世栄夫の「邯鄲」に、つくりもの「大床」の真正面という佳い席をもらっていた。シテはこの大床で邯鄲の枕に臥し、一炊の夢醒めて去る。この大床での長い所作は、足腰を痛めている栄夫さんにはたいへん厳しいものであったろうが、沈痛で重厚な、おそろしいほど立派な盧生で感心した。
ことに「夢醒めて茫然」の面使いの確かさ、入神の藝の重みに感動した。ああいうところは、他の能役者とは幾味もちがう人である。いわば青年のシテであろうが、栄夫さんはご自身の八十に近づいた実年齢と実人生をあげて投入されていると知れた。それが私に重圧にも近い感銘を与えた。
「邯鄲」の舞台は、説話的にそんなものと粗略に演じてもしまえるが、気を入れて演じれば、これほど哲学のおそろしさを与える能もすくない。少ない方の演じ方でシテは自問し自答し「枕」に拝謝して去っていった。有り難し。小鼓がとてもよく鳴り、それも有り難し。地謡もきれいであった。
軽薄な拍手であの静謐をこわされたのが口惜しかった。
東次郎の狂言「無布施経」は、彼なりに丁寧にかなり哀れに演じていたが、あれはあんなもの。
* 元気そうな堀上謙さんの顔を見たのも、よかった。それにしても能楽堂に知った顔のだんだん少なくなること。
* そのまま帰宅。
2006 5・27 56
* 地震に揺り起こされ、「また寝」がこころよからず、渋々起きて、歯医者に行った。お父上と入れ替わった若い女先生にひどい大口をあけるのは忸怩、しかし頬に触れる指はやわらかくて繊細で、けっこうなものである。痛くもなんともない。ハハハ
* 麻酔されなかったし、自分一人だったし、新江古田から大江戸線で御徒町に走り、上野の山上の満員かもしれない「プラド展」は敬遠し、鈴本演芸場に入った。ああ、E-OLDSと来たい来たいと思いながら果たせていないんだと思い思い、むき甘栗なんど買って、「さん喬」のおおトリまで、落語を多めに、色物と漫才一つずつ、のーんびりと椅子席に伸びきり、聴いてきた。特に秀逸もないが、不出来もなく。
「天壽ゞ」で天麩羅。若鮎がまさしく旬のうまさで、大吟醸の冷酒。主人とのおしゃべりものんびりと、けっこうでした。御徒町から一路、帰宅。
2006 6・20 57
* 八月もあますところ一週間になり、月が変わるとまたどっと忙しくなる。
さっき大阪讀賣の米原さんから大阪城の薪能を観にいらっしゃい、関係者席を用意しておきますとお誘いがあった。パンフレットに原稿を頼まれていた。気のふさぎがちな日々と察しての招待で、ふっと夢を惹かれる。どうしようかなあ。
九月には歌舞伎座で「秀山祭」初代吉右衛門の追善興行がある。高麗屋・播磨屋兄弟の競演が昼夜楽しめる。また加藤剛主演の「コルチャック先生」が国立東京博物館で公演される。招待されている。気を晴らし晴らし元気に過ごしたい。
2006 8・24 59
* 大阪城薪能の一般招待券が四枚も来たが、日が重なって行けない。三百人劇場「昴」公演は「夏の夜の夢」の招待が来た。恆存先生の訳だし、ぜひ行きたい。府中での大きな「浅井忠」展の招待券も星野画廊から届いた。秋のラッシュである。機械での仕事もあり、机がないと出来ない仕事もあり、気色の悪いヤボ用もある。
大方はだが気の浮き立つお誘いばかりである。韓国の男性の代表的な声楽家の公演が、前にもあったが、今年も。主催者のお招きが届いている。
2006 9・4 60
* 明日は能の友枝昭世の会によばれている。狂言に野村萬。最初に子息の「松虫」がある。男の色気能だ、以前にいまの梅若万三郎が万紀夫のころに観て、面白かった。能の帰りにはどこかでゆったりと晩飯を食べてきたい。二十五日にも能会がある、「鉢木」の直面(ひためん)が楽しめるはず。
もうやがて歌舞伎座顔見世興行も。今回は仁左衛門の番頭さんにお世話になった。夜の演目に興味がなく、昼だけを楽しみ、そのあと銀座をあるいてから、「レカン」のフレンチか。いや「つる家」の京料理が佳いかも。国立劇場の藤十郎の内蔵助で真山忠臣蔵も観たいのだけれど。新橋演舞場のいわゆる三之助花形歌舞伎にも心惹かれて惹かれて。十日に茜屋で入りのことなど聞いてみようか。
2006 11・4 62
* 朝、インターネット稼働せず。メールも開けない、送れない、記事の更新もできない、「MIXI」も開けない。
* あきらめて世田谷の国立能楽堂「友枝会」に。「松虫」後シテの始まった頃に座席についたが、この能はいわば「男同士の恋の物語」とすらいえて、それなりにしんみりと優しい色気で後半を惹きつけてほしいのだが、友枝雄人、まだ曲が手に入っていないか、風情に欠けた。また若い三役の鼓も笛もなにか勘違いしたかのように、ただ喧しい鳴りで興を殺いだ。ずっと以前に観た梅若万紀夫の舞台では、身震いしそうに男の情念が静かにあやしく渦巻き、オオ、オッというふうに胸をゆすられ、不思議の思いに打たれた。美しかった。雄人、まだ相当勉強しないと。
* 次のお目当て友枝昭世の「花筐」が始まるまでの休憩中に、堀上謙さんに声をかけられた。ホームページを連日読んでいて心配している、あまりのことに声もかけにくくて。夫婦して心配しているが元気か、大丈夫か、と矢継ぎ早に。ウーンと心が萎れた。
次いで馬場あき子さんともしっかり立ち話。元気か元気かと先輩の馬場さんに心配させているのも、みな、わたしの置かれている理不尽な苦境をご存じなのだ。馬場さんと堀上さんとは親しいお仲間。馬場さんは相変わらずお元気そう。もう四十年ちかいお付き合いになる。優しくされて、やり心は萎れた。
あわやという一瞬、早大教育学部教授、小林保治氏とオオウと廊下ですれ違う。夕日子たちの仲人さん。
* 能「花筐」は、尋常な能とはすこちちがう。前シテが出て来たかと思うとスグ一度引っ込む。それからワキや、子方の継体天皇が登場し、シテの照日の前とツレとが狂女のていで姿をみせる。
わたしには「花筐」は、或る特別の意味のある能で。秦の父が、中学頃のわたしをつかまえて謡を教えてやると言いだした。わたしの方にその気振があったのだろう。父は素人ながら、京観世の大江又三郎の舞台に地謡で時に駆り出される謡い手であったから、家でも機嫌次第でよく謡った。わたしはそれを聴くのが好きだった。父はそんな息子の顔色を見知っていたのだろう、だがいきなり「花筐」とは、モノが重かった。とても易しい初歩の曲ではない。しかし習った。父も教えた。
もっと初歩の謡から入っていたら謡の稽古は先へ続いてたかも知れないが、わたしは簡単に懲りた。叔母についていた茶の湯のほうが遙かに身についた。
だが、ふしぎなものだ、舞台で友枝昭世が舞いかつ謡い、地謡も声を揃えて美しい詞章を舞台に呼び起こして行くと、わたしは、詩句・詞章をおよそ覚えていて、詞が詞を次々に記憶からひっぱりだしてくれるのだ、忘れていないのだから驚いたし、感動した。
* 継体天皇は歴代百二十五代のなかでも注目される、問題の天皇さんである。武烈天皇のあと天子のあとつぎが払底して、越前国にいた「応神天皇五代の孫」と公称の王子オオアトベを引っ張り出し、継体天皇にしてしまう。この選択に調停の地元大和国にはつよい抵抗もあったらしくこの王子は何年ものあいだ近畿地区のあちこちを放浪しつつ、なかなか大和国に入れなかった。
この王子オオアトベが越前をあとに畿内へ旅立つとき、愛していた照日の前を残してきた。照日の前は狂女となりはるばる今は日嗣ぎの天子継体のあとを慕い、近畿へ出てくる。そして天皇の野遊びの場で嬉しく再会を遂げ、天皇は「狂女をやめよ」、ついて来るのだてなもんで、めでたく「御遊もすでにこと過ぎて」都へ同行する。天皇は、子方のはなはだ幼い者がつとめる、と、かえって風情がいい。天皇は神様という感じがする。しかもついてまいれと言った天皇は、美女照日に指一本ふれず一瞥さえくれず、あっというまに目の前をすりぬけ、橋がかりを幕の向こうへ立ち去ってゆく、その愛想もこそもない演出がおかしみさえ添える。
昭世の照日の前は面(おもて)が晴れやかに笑んでいて、すこし脚のはこびも微妙にひらいてラフなところなど、あれは「狂女のてい」であるのだろう、軽々とじつに美しい。
* 次ぎに萬と万蔵との狂言「牛盗人」まで二十分。わたしは、どこか気が萎えていて、休憩の二十分をガマンできないと感じたので、あとの「猩々」もともに失礼し、国立能楽堂を去ってきた。
池袋で、最上等とふれこんだ黒豚のトンカツを食いながら、当面気がかりな校正に熱中、しかしさすがに豚が美味くて、もう一人前追加しビール生搾りを二本。
* 辛うじて機械復旧していたものの、まだ不安定で不安。
2006 11・5 62
* 矢来能楽堂で、遠藤喜久の「鉢木」を観てきた。持田晴美さん夫妻のご厚意に招かれて出掛けた。好きな直面(ひためん)の能「鉢木」というのに惹かれた。
昭和三十七年生まれの喜久演じるシテの佐野常世は、誠実で武直で一徹で気持ち温かく、巧拙など問題とさせずそこに主人公がまっすぐ立って実在した。稀有のことである。何人もの印象的な「鉢木」のシテを観てきたが、遠藤喜久のすっきりと迷いなく若い情感は、いかにも清潔で、こんなに気持ちの佳い常世を初めて観た気がした。この常世なら、一期一会を美しく繰り返し、鉢木のあるかぎり、何度でも、どの客のためにも、同じように焚いてもてなすであろうなと感銘を新たにした。前シテこそが命の能、後シテは武家社会の勝手な付け足しだとわたしは思っているが、頬に涙の伝うのを今日もおさえようがなかった。一期一会のもてなし。鉢木ほど、この四文字を深く教えてくれる説話はない。
「一期一会」は生涯に一度きりの意味ではない。繰り返しの一度一度を生涯に一度かのように繰り返すことの出来る実意の深さを謂うのである。
ワキの森常好が、旅の僧そして最明寺時頼入道に気を入れ、鄭重に大きく立派に演じてくれたので、舞台が締まった。引き立った。常好のこんな踏み込んだ佳いワキを観たのも初めてのような気がする。父上の茂好もいいワキだったが、今では常好がときに宝生閑をしのぐと思うときもある。
禅竹十郎・冨太郎たちの狂言方「早打」も「二階堂下人」も、よく銘々の役割を勤めた。
本番の狂言「鬼の継子」も禅竹の二人でつとめたが、野村万作系のきれいさっぱりの狂言仕様などからすると、ずいぶん生々しい演技に見受けるものの、存外そのために狂言本来の情念の火が、たぷたぷと残って燃えているとも見える。最近の狂言はやたら様式で洗い晒され、あまりに情念の妙味が涸れ失せた白骨めく狂言にしてしまい高等そうな顔をしている。し過ぎている。珍しく禅竹の狂言ぶりに今日は惹かれてきた。禅竹十郎が、佳い顔をしていた。
かんじんの御大、能楽堂家主の観世喜之が舞囃子「高砂」を、いとも粗略に舞って見せ、びっくりした。仕舞二番もあまりいただけなかった。遠藤六郎の「鷺」が、わずかに引き締まって好かったか。若い観世喜正の「井筒」はだれていた。舞いに美しさが欠けては、舞囃子も仕舞も舞台の上で無意味になにをしているやらと、眠くなる。
* 持田夫妻に挨拶して別れてきて、いっそ車で日比谷へ行こうかと思ったが、宵の神楽坂の坂風が冷たく、高田馬場を経て池袋へ、そして家まで帰ってしまった。寒いのは歓迎できない。
2006 11・25 62