* 二月七日から十八日まで、下北沢本多劇場で、秦建日子作・演出『月の子供』の公演。昼14:00開演のあるのは、土曜日曜だけ。他は日曜を除く夜7:00開演のみ。
三倉茉奈・三倉佳奈姉妹と風間トオルをはじめ新鮮な出演者たち。一昨年初演以来満を持して改訂を重ねた自信作のようで、初演の時も佳いねと褒めた覚えがある。圧倒的なダンスが観られるだろう。
売りの言葉をチラシから書き写しておく。
「ありふれた、通勤通学の朝のラッシュ。しかしそこで少年は、奇妙な狭間から、「下」にこぼれ落ちる。プラットホームの「下」そこには、少年の喪われた「名前」が待っていた!
ファンタジックなのにリアル。ブラックユーモアにしてハート・ウォーミング。笑い、迷い、そして泣ける。秦建日子の舞台最高戯曲。最強キャストを得て、満を持しての再演!
人生迷ったら下を見ろ たまにはホームの下を見ろ」
とある。
やす香と妻と三人で観た想い出の舞台だ。そうそう、全席指定。六千円。前売りは五千五百円だそーです。超満員つづきできた此処数年の建日子舞台だが、今度は劇場が広い。盛況を!
「月の子供」オンラインチケットサービス http://www.tsukinokodomo.com セブンイレヴンでチケットはすぐ発券されるという。 2007 1・16 64
* 建日子の『月の子供』の成功を祈ろう。
* さ、もう寝よう。
2007 1・16 64
* 高麗屋の事務所から二月歌舞伎座昼夜「仮名手本忠臣蔵」通しの座席券が届いた。また松たか子がジャンヌ・ダークを演じるシアター・コクーンでの「ひばり」座席券も一緒に届いた。二月は俳優座公演があり、本多劇場で秦建日子作・演出の「月の子供」もある。気の晴れる二月が待たれる。
2007 1・19 64
* 劇団「昴」の上演舞台を久しきにわたりいつもご招待戴いてきた。拠点の三百人劇場でだけでなく、数え切れない舞台の感銘が深く印象づけられてある。その三百人劇場がほんとうに幕を閉じた。しかも楽しみにしていた最後の『八月の鯨』を、我々夫婦は「去年バテ」の煽りをくらって観のがしてしまった、招かれていながら劇場に行けなかった。痛嘆、また申し訳なさのきわみであった。
福田恆存先生と初対面をよろこんだのも此の劇場でであった。開口一声「ああ、想ってたような方でした」と云われ頬が熱くなった。そして「湖の本」に云うに尽くせない応援をしてくださり、今も奥さんの大きなお力添えを戴いている。
ご子息の逸さんには一度お目にかかった、また谷崎歌舞伎を演出された歌舞伎座で「お国と五平」も観た。本拠の三百人劇場では何度も優れた日本語訳と演出との舞台にいつも夫婦で接してきた。
劇団「昴」が無くなるわけではない。だから芝居は観て行けるだろうが、三百人劇場はもう無くなった。
わたしが初めて三百人劇場に入ったのは、演劇の観客としてではなく、橋本敏江さんの平曲演奏の前解説を引き受けたときであった。彼女はみごとに「小宰相」を語り、その感銘がわたしの小説の『初恋』や長編『風の奏で』に生きた。忘れ去るにはあまりに惜しい想い出となる。
☆ 秦 恒平様
暮にはお心のこもつたお葉書を頂戴し、眞にありがたう存じます。こちらのメールで失礼します。
劇場閉鎖土地売却のための片付けや引越しの混乱のせいか、小生の手元に昨日届きました。
『八月の鯨』をご覧頂けなかつたとの事、残念にも思ひますが、お気持ちだけで嬉しく、多くの方が劇場閉鎖を惜しんでくださることに、却つて小生が恐縮してをります。幸ひ、最終公演も評判がよく満席の状態になりました。
今月半ばの業者への土地引渡しを前に、劇場への感謝の神事も執り行ひ。今はさつぱりした気分で新たな事務所の整理整頓と、劇団の組織改革の後始末に追はれる毎日を過ごしてをります。
おそらく劇団からの案内を年末に送付申上げたことと存じますが、念の為、そのまま添付いたします。
小生は劇団昴を離れ、財団法人現代演劇協会の立場で、外側から昴を応援します。
今後とも何卒よろしくお願ひ申上げます。 福田 逸
謹啓
師走の候、御多用の日々をお過ごしのことと拝察申し上げます。
平素は私共協会の演劇活動に諸々の御高配を賜り有難う御座います。
長年御愛顧いただいて参りました三百人劇場を今月末をもって閉鎖するに伴い、従前の諸事業をより円滑に継続せしめる為、組織改変を行い、事務所もそれぞれに設けることになりました。平成19年(2007)1月以降、これ迄財団法人現代演劇協会の傘下にありました各部は協会外に出て別個の法人格となり独立致しますが、事業自体は従来通り新設法人と提携のもと演劇の上演、演劇ワークショップなどを進めて参ることには変りありません。
日頃の御支援を深謝致しますと同時に新しい体制に関する報告を申し上げる次第です。
敬白
記
1.組織の新編成
平成19年1月1日から私共の組織は以下の内容となります。
◎財団法人現代演劇協会
各種演劇公演やワークショップの企画・助成の他に戯曲出版、稽古場運営等にとり組みます。
理事長 福田 逸 事務局長 村山知義
第一稽古場 栄町スタジオ
第二稽古場 大明みらい館(旧大明小学校)
◎劇団昴(有限責任中間法人)
これまでの劇団昴俳優部、マネージ部は上記法人となって演劇公演並に劇団外部でのマスコミ活動を続けます。
代表理事 杉本了三
◎株式会社演劇企画ジョコJOKO
これまでの演劇研究所(演出部)と制作部は上記法人となって演劇公演の企画とスタッフ活動、並にJOKO演劇学校を運営し、劇団昴の俳優養成に取組みます。
代表取締役 村田元史
2.平成19年度(2007)の上演並に事業計画
上述の三団体は協力態勢のもと明年度は以下の事業を実施致します。
1月 「八月の鯨」作/デヴィット・ベリー訳/村田元史 演出/菊池准 京都・大阪・神戸・宇都宮演劇鑑賞会の巡演主催=(財)現代演劇協会(劇団昴 旅公演)
4月 「アルジャーノンに花束を」作/ダニエル・キイス台本/菊池准 演出/三輪えり花 北海道演鑑連(旭川他)の巡演主催=(財)現代演劇協会(劇団昴 旅公演)
6月 「台湾の大地を潤した男 ~八田與一の生涯~」作/松田章一 演出/村田元史 石川県下での一般公演及高文連演劇鑑賞教室 主催=(財)現代演劇協会 (劇団昴 旅公演)
7月 チェーホフ作「谷間」より「うつろわぬ愛」台本/ロミュラス・リニー訳/沼澤洽治 演出/ジョン・ディロン 7/25-29 紀伊國屋サザンシアター 主催=劇団昴
8月 第15回「RADAinTOKYO」英国王立演劇学校講師陣による集中ワークショップ 7/30-8/18 大明みらい館 制作運営=(財)現代演劇協会
11月 「アルジャーノンに花束を」作/ダニエル・キイス台本/菊池准 演出/三輪えり花 11/28~12/2 下北沢・本多劇場 主催=劇団昴
以上
平成18年12月
財団法人 現代演劇協会
理事長 福田 逸
2007 1・20 64
* 睡眠不足で眼が乾いてきた。昼過ぎ、新宿紀伊国屋ホールで俳優座の公演に招かれている。眠くならない刺激的な芝居でありますように。
二月の我が家は劇場の誘いに恵まれている。紀伊国屋ホールに次いで、歌舞伎座、本多劇場、そして渋谷文化村。
* さて、ともあれ、どうにかしてインターネットだけは復旧しておかないと、ペンの委員会との連携すら出来なくなる。
* 俳優座劇団の『国境のある家』は、八木柊一郎遺作の追悼公演。安川修一の演出。
老夫婦に可知靖之と大塚道子が断然好演し、親夫婦は中野誠也と川口敦子、娘に清水直子、息子に志村史人。いずれも健闘。ことに中野に気が入っていた。癖の強い彼としては自然な演技で、盛りだくさんな話題や課題の芝居を、名の通り「誠也」に切り回してご苦労甲斐の立派な主演ぶり、拍手を惜しまなかった。藝達者な川口敦子の芝居はいつも勘定が利いて、時に利き過ぎてそれが端々に出てくるのが軽い難・臭みになりやすいが、ま、少し神経質に騒がしかったけれども、うまいものだ。
若い二人は、察しのついていた終幕の劇的展開から、姉と弟でセクシイ・ダンスに転じたあたり、ドキドキと達者に盛り上げた。佳い役者たち。ことに若い二人の気持ちがよく分かり、また可知と大塚とで老夫婦の「ボケ加減」も、なかなかどうしてボケてはいない。そして家庭内の「日米国境」線上にうろうろする親たち夫婦の、分かったような分からないところが、ドラマのいい苦味の芯であり、いくぶんやりきれない平和ボケの無力感と、往時の秘めた記憶のジレンマとが、作劇上の台風の目かと見えた。
舞台は米軍の住宅地として接収されている、神奈川県の池子。接収反対を唱えて市長選挙戦に妻は応援参加しており、夫はそれほどでもないが、対照的なと見える二人の過去には、六十年安保デモへの熱い参加が秘められていた。国会前で学生樺美智子の死んだ日にも、お互いまだ知るよしもなくほぼ隣り合って夫も妻も激しいデモに参加していた。それが夫婦の久しい「秘密」になっていた。なぜ話さない?
* 秘密というにも当たらない今では風化しきった安保闘争であり、夫婦は互いにそれを秘しかくして話さなかったのは、なぜか。なんとなく「安保闘争」がもう思い出話にすら「恥ずかしい」ようなことになっている、そのへこみと政治的無力感とを、夫婦は両様に抱き持ってきたのだ。
この設定は厳しい。
あのデモをもう「話すのも気恥ずかしい」ようなレトロな風俗記憶にしてしまった「今日只今」の頽廃。それに気づけない無力化。
老人の夫は、日本がアメリカとの戦争に「負けた」という意識がつよく、しかし諦めてへこんでいるのではない。いっぱしの国際情報通にすらみえる。しかも、彼は自分を大逆事件で「謀叛論」を講演した徳富蘆花に終始なぞらえ、老妻への愛を、徳富の妻「愛子」への愛に擬して「芝居」ともみえぬほどのボケぶりを、妻に投げかけ投げかけ続けている。その老妻は、池子の米軍接収地のなかに、往年の自宅敷地のあったことに強くこだわり、ともするとそこへ侵入して懐かしがっている。夫婦お互いが、どこかもうボケているような、いやいやまともなような、観客にすら容易に決着をつけられない微妙な「芝居」をしてみせるので、われわれも、舞台の上の若い二世代も日ごと混乱を強いられている。そんな老夫婦と息子夫婦との中で、真っ向から憲法九条など憲法論議や「日米関係」論議がかわされ、それなりに現実差し迫った舞台の上からの話題提供に、観客も、うんうんと頷いている。
ところで、そんなことだろうと早くから察しのついたのが、若い姉と弟とのこと。
娘は池子在のアメリカ青年と深い仲で、結婚しようと親を説得にかかり、当面それは家族全体のやかましい議題である。
ところが、じつは姉よりも早く、いましも浪人中の弟が、その同じアメリカ青年との同性愛に引き込まれていた過去をもち、姉の方は尋常なアメリカ人とばかり眺めてきたのに、弟は、彼がアメリカ軍の秘密な司令部に属していることさえ知っていた。
家族はそれぞれに混乱する。要するに「日本」が「アメリカ」に戦争で負けただけでなく、この家庭の子女が、よりによって同じ一人の米兵に性的に「侵略」されていた。父親はそれを「侮辱されていた」と嘆く。この成り行きも、実に厳しく、批評的。
* 厄介な問題を、これでもかというほど持ち出してのてんやわんやを、彼らはきわめてリアルにふつうに演じて見せ、落ち着いた佳い舞台を創作してくれたと思う。拍手を惜しまなかった。
うまい役者たちが、三世代の問題を効果的に展開し、収束し、すこし、ぐったりさせながら観客に濃い味の演劇を堪能させたのはケッコウだった。
* 『心 わが愛』で「奥さん=静さん」を演じてもらった香野百合子さんと、劇場内で二度出会って、すこしずつ立ち話。香野さんの贔屓だった亡き中村真一郎さんを懐かしく思い出した。
* 終えて四時半にならない。食事の店には時間的にどこも早い。船橋屋で天ぷらにした。久しぶりにしっかり食べた。笹一を、しっかり飲んだ。
2007 2・1 65
* 今日は建日子の作・演出『月の子供』を下北沢へ見にゆく。「超満員」だそうだ。劇場が一気にぐんと大きくなったので案じていたが。よかった。
初演の時は、待ち合わせて、やす香と一緒に観た。役者のからだがよく動く芝居で、楽しんだ。これは財産になるよ、練り上げるといいねと作者に告げたのも思い出す。
行きがけに新しい湖の本の組見本原稿とディスクとを投函する。原稿はファイルで送っておく。これで明日から街歩きの余裕もできた。
* 本多劇場は初めて。かなり広いロビーを花、花、花が埋め尽くしていたのに驚いた。岩下志麻、篠原涼子らスターの名にならんで「イチロー」選手が主演の三倉茉奈・佳奈姉妹に花を贈ってきていた。むせかえる花のにおい、印象だが、大小二百鉢できかなかったろう。
観客席には十分な勾配があり、とても見やすい。舞台の広さも十分。なるほど人気の劇場なんだと合点。見やすい高さの席に思いがけず岩下志麻さんと並んだ。先日手紙をもらっていた。
* さて『月の子供』は、予想どおり、フルに役者のからだを駆動させ活躍させて、場面場面の隅々にまで活気に溢れた適切なダンス(舞踏=所作)の演技指導が徹底していた。だらりんと板の上に置いた人形のような人物がいなかったのは大いに劇的であり演劇の面白さであり、うまいへたは別としても役者は油断も隙もゆるされない芝居をしていた。強いられていたと謂うてもいい。むろん舞台はそうなくてはならず、所作できない役者、動作しか出来ない役者など不要なのである。建日子演出は、その点、過酷なまで役者の肉体をしごいて活躍させていた。それは賛成、そしてそれは魅力的だ。
主立った役のモノたちと一緒に、総勢六十人もが、舞台狭しと群舞する、演技する、もみ合う、へし合う。建日子主催の演劇塾の塾生たちがここを先途と汗を流し、流せるだけの場面作りがたっぶりしてある。それは作・演出家で塾長である建日子の渾身のサービスであり、つきつけた課題なのでもあろう。舞台を間抜けにせず、台詞一つなくても夢中で跳躍し運動し舞踏し働いていた塾生たちの意気に拍手を送りたい。
* 三倉姉妹の起用は、生彩あり、かすかなもののあわれも見え、気持ちよい成果であったと思う。巧いも不味いもない、小気味よくじつによく動いた。あれで、台詞がきっちり客席にとどけばどんなによかったか。早口を要求されると、やはり届かない。声量ではない発音と滑舌に不足が出る。マイクなど使わせると、音量の殺し方を知らないからかかえって言葉が潰れたり裂けたり割れたりして聞き取れない、だが、このかなり観念的な訴えを帯びた劇では、より丁寧な「ことば」の訴求力が必要になる。どうしても耳によく聴きとめねばいけない台詞がいっぱいある。本と違い、芝居ではもう一度読み直すということが出来ない。すると、相当に難しい、分かりにくい芝居になってしまう。これはむろん茉奈佳奈姉妹には限らない、風間トオルや春田純一ら、場慣れしているだろう役者でも、高調した場面になると、早口で大声の台詞の「キイ」になる大事な言葉を、揉み潰し圧し潰してしゃべってしまう。そういう難がたとえば円城寺あやにはなかった。滝佳保子にはなかった。
* 演劇は「科白」と謂う。「科」は運動だ、所作だ、舞踏だ。これは十分及第で、欲を言えばさらに洗練された振り付けがあり得たかも知れない。問題は「白」つまり言葉、物言いだ。
先日の歌舞伎座でも、俳優座でも思った。いやいつでも思うこと、一級の俳優であればあるほど台詞がどんな場合にも明瞭明確で、その分母に乗っかって分子としての表現や感情移入や個性を発揮する。言葉はわるいが下っ端へ行けば行くほど不味い。早口ならほんとの早口にしてしまい、結果アイマイにしか意味を伝えられない。今日の演出家も、あれだけの早い激しい動きのなかでする台詞の明瞭な観客席への伝え方を指導しなければ、せっかくの凝った台本の観念的効果も言語的伝達能も活かせないと、気づいてもらいたい。
それにしても佳い女優を大勢出して楽しませてくれた、卓越して巧いとは誰にも思われなかったけれど、一人一人にわが好みの女の魅力を覚えた、が、これは余談。演技者としては円城寺あやに興趣を覚えた。あのままもう少し彼女の人生の悲しさやバカらしさや嬉しさが一人の個性としてにじみ出ていれば見応えになったろう。いや、みんな、よかった。こりゃアカンワというのがいつも一人二人はいるものだが、女優はよくがんばっていた。男では、久しぶりに納谷真大が観られた、彼らしい「警官」を造形していた。オーラをもった男優のやや乏しい中で、身動きのキレのよさは納谷芝居であった。
* さ、問題は秦建日子の作劇である。『月の子供』はじつに聴き取るのにも難しいメッセージを、それもたいそう大切な意味深いメッセージを抱き込んでいるが、抱き方に、いや抱いたモノのそとへ出し方、届け方、与え方に「不十分」があり、おそらく演じている俳優たちの大方はこの作者、何が言いたいのと迷いに迷って理解しきれないまま初日を迎えたのではなかろうかと案じられた。
俳優がそうであるから、観客は、「圧倒的な」舞踏場面や群衆のやっさもっさからくるカタルシスに幾らか瞞着され誤魔化されて「ああ、よかった、おもしろかった」と言ってしまいそうであっても、その実、ポケットの中に今日の芝居「月の子供とは」という分かりのいい「土産」は、とても手に入れにくかったろう。なにも割り切れた分かり方の必要はないが、それでも琴線の震え方に人それぞれの納得があろうというもの。納得が持ち帰れたろうか。
わたしは、小説でも絵画でもそう思うが、「把握が強ければ表現も強くなる」と創作的にも鑑賞的にも、考えている。今日の『月の子供』には、フラグメントとして貴重な思想や主張や意図がちりばめられてあるのに、それも反復されてすらいるのに、「貫く棒の如きもの」が芯棒としてガンとは徹っていない。把握がもっと確かならそれが「見えぬ魅力」の棒になり徹ったであろう。俳優も難しく感じ観客にも「ハテ。では…では…」と思案投げ首にさせて帰しては、作・演出として改良の余地がまだ有るということではなかろうか。主題を概念に翻訳して観客に持ち帰らせよと言うのではない。言葉に置き換える必要なく「理解させる」筋の通し方が、出来てよいのではないか。もう一つ言う、主題を、あるいは舞台の場面場面を「説明」的にせよと言うのでは決して決して、無い。それをやったら通俗のへたな読み物小説のような舞台に堕落してしまう。
* 『月の子供』って、何? そう観客の一人一人が自問自答して、ああこれだったと帰り道のポケットにそのおのがじしの答えを探り当てる幸せを、与えたのか、与えきれなかったのか。前へ前へ進むばかりの筋書き舞台でないだけに、かなり複雑に複式に時空が前後し回転し交叉するだけに、作者・演出家の水面下の把握は、俳優や観客のそれの五百倍も千倍もつよくなければならない。そしてその水面下に支えられた水面上の舞台をもっとやすやすとした表現で活躍させてもらいたい。
観念ということばを用いたが、よくもあしくも作者の観念がこれを創っている。観念を「説明」しようとしたら「オール読物」ふうに臭く堕落する。観念は観念でためらわなくていいが、説明でなく、みごとに「表現」しなくてはならず、表現の強さや的確さは、適切さは、真実は、美は、所詮は観念がどれほどの強さで把握されているかに懸かる。
* 数年前、初演の時、このドラマは佳い財産になるねと作者に告げたとき、わたしが何を望んでいたか。佳い意味、確かな意味での「作」の観念性をさらに強くみこどに強く「把握」して「表現」し直してみる余地があるねと言いたかった。そう言ったかも知れない。
* 妻は、ロビーで、建日子に紹介され岩下志麻さんと話してきた。わたしも、もう一度声かけられ、おいで戴いてとお礼をいった。「ああいうの、好きですの」と芝居を喜んでもらえ、「まだまだ至りませんで」と感謝した。
フジテレビの地下廊下で初対面から、いやどこかのパーティでの夫君も一緒の立ったままの談笑からでも四半世紀は過ぎている。小津映画の岩下志麻、夫君監督の「写楽」の岩下志麻、はるか遡っての「バス通り裏」の綺麗な岩下志麻を思い出しながらお互い笑い声も漏れた。
* 往きも新宿から小田急線をつかった。帰りも小田急線から、千代田線に乗り換え、有楽町の帝劇モール「香味屋」で夕食し、帰ってきた。電車では『千夜一夜物語』を読みかけたが、ビールとワインとのあとであり、気持ちよく寝入ってもいた。往きに凸版印刷へ入稿原稿を郵送し、帰って「mixi」に、昨日につづき今日は「近江の蘇我殿」を掲載した。
2007 2・10 65
* ほんとうに独りだとわかるとき、部屋の中でも、戸外の自然でも、ふとした階段の踊り場ででも、わたしは自分でも気づかぬうちに、ふわーっと踊っていることがある。踊ると謂うと語弊が有ろうか、つまりからだが浮かぶように、手も脚も羽になる感じだ、意識してするのではない、が、覚えは何十度と知れずある。記憶では、一度だけ通りすがりの若い女性に見つかり、くすんと、やや軽蔑の表情で通り過ぎられ、我ながら慌てたことがある。そのときを除いて、そのように心身が軽い羽のようにふわーっと浮かんで舞うときのきもちは捨てがたい安堵と安心に在る。
わたしは戦後の京の町で、夏になると盆踊りをたのしめる少年だった。あの踊りは踊りたくてする踊りだった。いま謂う全身が羽のように舞い立つのとは性質がちがうけれど、嬉しさは通っている。
* 茶の湯を好んで叔母にならい、高校生の頃には叔母の代稽古や学校の茶道部で人に教えてもいたが、茶の湯の作法とは一種の舞踊・ダンスであると、「所作」とは質的に舞踊でありふだんの「動作」とはまったく異なるものと、当時から思ったり考えたりしていた。手前作法は、ダンス、徒手体操、サーカスなどとも通じた、肉体の、身心の「演戯」だと納得していた。むろん能や歌舞伎等の演劇の演技も、新劇の演技も、いかにリアルを尊ぶ場合でも、動作ではない、「所作という表現」に参加するモノと眺めていた。踊れない身心で芝居が出来るものかと眺めていた。
「科」と「白」との「所作」次元での統一と渾然。それがあれば、表現への道がついてくる。「地金が出る」意味での「地」の演技というような物言いは軽薄すぎると思ってきた。
* 昨日観てきた建日子の作・演出の芝居が、心底楽しかったのは、若い演技者のそういう広義のダンスがかなり堪能できたからであった。
むろん異議あって、たとえば武者小路の作の『その妹』のような静かな芝居が、なんでダンスであるモノかなどという人がいれば、日本の演劇の今でも基本の一をなしている能の所作は静かで、静かだから舞ではないのかとわたしは反問するだろう。
魂のあるともないとも、たとえば人形をつかった浄瑠璃の演戯。あれは所詮動作ではあり得ない、満ち足りた「ダンス・舞踏」としての演技であろう。人の体がハツハツとした新鮮さをにおわせて、静かにまたはげしく動く美しさ。わたしは、そういう運動美が好きだ。
なぜだろう。本質的にそれが羽のように軽くて美しいからだ。
富十郎でも三津五郎でも、彼らが踊りまた舞うとき、わたしはその物理的な体重の「殺しよう」にいつも賛美の思いをもつ。軽やかは、清い美しさに舞い立つ。重苦しいは騒がしい醜さに落ち込む。
「科」の領分では、どんな激しい弁慶の引っ込みのような、「達陀」の踊りのような、またどんな静かな「雪」のような座敷舞であれ、要は質的に軽やかに舞い踊れる「所作・表現の達者」だけが、名優になる。「白」の領分では、どんな大声小声早口ため口であれ、明晰に言葉を、言葉の「詩性」を表現として観客に届かせる者だけが、名優になる。わたしはそう思う。比喩として「踊れない者に役者の素質はない」とわたしは眺めている。
* 同じ意味合いで、文体という独特の「音楽」をもたない、ただ図像的に説明している文学は、「滓・カス」だ。
2007 2・11 65
* 今日は曇って少し冷える。久しぶりにペンの理事会。明日は病院。あさってはもう一度『月の子供』を見る。
2007 2・15 65
* さてさて三日外出の三日目は、妻と、もう一度下北沢「本多劇場」での、『月の子供』を観てきた。喉に痰がからみ、花粉性の洟がひっきりなし、熱っぽい大儀感に悩みながら出かけた。
前回と変わりばえの前方下手での観劇。展開にかなりすっきり手が加わっていて、あれほど激しい動きとはやい台詞を、演者たちが、作・演出の要求によく応えるものだと感心した。総じて急流と奔騰、ダイナミックに舞台は走ってゆき、役者と役者とがただ向きあってただ話すような一カ所もない、すべて振り付けられた所作、所作、所作で間を弾ませる。
あれだもの、ストーリイの少々の晦渋などに観客は立ち止まっているヒマがない。ひたすら舞台は舞台のリズムを刻み続けて躍動し前進する。それで成功している。ちまちまとした筋書きの整合性に拘泥などしていられない、演出も演技もそんな悠長なヒマは観客に持たせない。秦建日子の独特のダイナミズムが今回の舞台で特徴的な効果をあげていた。それで作の意図がかえってよく力を持った。分かり良くなった。胸のポケットにかなり正確にたたき込まれた土産を抱いて劇場をあとに出来ただろう、プッシュプッシュ、プルプルで生きられる幸福感、それは与えられるのでなく創り出すものだ。
* からだはシンドかったが、前回と同様に有楽町へ迂回し、「きくかわ」の鰻を、しばらくぶりに妻と。そして有楽町線で一気に保谷へ。酒とビールとがきいて保谷駅まで寝ていた。
2007 2・17 65
* やす香の友人たちが『月の子供』をみてくれた。ありがとう。やす香にももう一度あの舞台をみせたかった。
北海道からは「昴」がわざわざ飛行機を利用して本多劇場まで来てくれたらしい、まさかムリであろうと思っていたが。ありがとう。
2007 2・18 65
* もうほどほどにやすんで、明日、松たか子のコクーン芝居『ひばり』に、体力と視力を温存しなくちゃ。いまも腰掛けたままとろとろうたた寝していた。寝入ると、しかし、ロクな夢をみない。今日の明け方もイヤな夢に苦しんだ。起きてしまい、『絶対王政と人民』を読み上げているうちに不快感を追い払った。
2007 2・21 65
* 出がけ、高麗屋の奥さんから、毎月の父娘(幸四郎・松たか子)往復書簡の四月号が送られてきた。今月は娘の順番だったなあと思いつつ、帰ってから読もうと渋谷東急文化村へ。
シアター・コクーン。ジャン・アヌイ作、蜷川幸雄演出の『ひばり』は、期待を裏切らない秀抜のジャンヌ・ダルクを、松たか子が清純しかも毅然と演じ、心底感嘆させた。
先ずは「松たか子讃」を述べておく。劇としての問題点は後から。
* 何の贔屓目もなく、この女優の容量の豊かさ、行き届いた訓練にはいつも感心する。与えられた大役を、自然にしなやかにじつに「適切に」演じてくれる。舞台の内・外へ溢れ滾れる莫大な台詞を、隅々まで、清潔に情感をのせて話せるのは、名優に成って行く前提がまるで生まれつき備わっているようだが、それもあろうがそれ以上に、この人の意識や自覚の確かさ、鍛錬の成果であるにちがいない。科白を明瞭にしかも気持ちを乗せて自在に表現できるのは、俳優として当たり前の技能とはいえ、これがベテランでさえ容易に出来ない。一例、今回たいへん大事な弁護士役の「コーション」を演じた益岡徹の終始滑舌の低調ぶりは、幸か不幸かはるかに彼の不調を乗り越える主演ジャンヌの生彩によりかろうじて補われ救われていたものの、へたをすると「舞台」の本意・真意を根から損ないかねなかった。コーションの弁護の底意でゆがんだインチキも偽善も自己擁護も、ほぼ表現し切れていなかった。役のオーラは立たず、誤魔化し多き人物の彫刻的に巧んだ造形が出来ずじまいだった。妻も同感だった。物足りないと言っていた。
この芝居の意図したであろう二枚腰の二枚舌という微妙なところは、磯部勉らの検事役にあったのではない。弁護役の深い偽りの中に隠されていた。コーションが守ったのはジャンヌでなくカソリック教会の建前と利益だった。益岡は、ジャンヌに次いで大事なこの芝居の鍵の役だという理解を演技で示せていなかった。
* 松たか子は科白の「白」を実に透明に発語しただけでなく、それと連動して「科」を彫刻的に的確に刻みあげて行った。何という工夫の利いたたしかな所作であったろう、これ見よがしな大仰な身動きではない、が、寸分の狂いなく、最良の能役者のうごきに似て美しく自然に松たか子は身を働かせる天性の「能」をもっている。苦悩も歓喜も謙遜も激昂も迷惑も。それぞれの内包にぴちっと適応してしかもそれとすら感づかせない肉・身の静かな活躍。的確で豊穣なさながらダンスの美を演戯して、はずさない。演出家の手からおそらく彼女はかなり自在に抜け出て表現していたであろう。演戯。松たか子のそれは即どかんと悠揚感とのふしぎなダンスであり、美しい音楽に成っている。
* そういうことがなぜ可能か。
一つには天成の才能に相違ないが、それに匹敵したべつの資質をわたしは認めたい。すなわち、自分の仕事を適当に誤魔化さない自覚だ。自身への責任感だ。出来る限りの最大限は表現したい、気をぬいて崩れるのはゼッタイ恥ずかしい、イヤだという踏み込みを松たか子はどの舞台でもみせてくれる。経験を重ねた俳優にほど出てきやすい、すれた悪いクセが松たか子には出ていない。
うまいということだけで言えば、もっと巧緻に演技を操作する女優も俳優もいるだろうが、みずみずしい新鮮な果実ほどのまじめな意欲と責任とを、そのまま「個性」として「女優」として「当然の自覚」と位置づけている人は少ない。だがそれこそが先への可能性であり可塑性というものだ、わたしは、そう観ている。松たか子に感心するのはいつもそこであり、同時に、そんな自覚がうっかり自己呪縛に成らずに、より大輪に豊かに咲くためには何がこの先に待っているかを、すでに松たか子は「予感」とともに「幻視」しつつあるだろう。それが何かはわたしには見えもしない、が、そうあって欲しいと期待している。
* ま、称賛はこの辺で遠慮する。戯曲の上演自体に感想を置いておく。
* ジャン・アヌイの原作をわたしは読んでいない。蜷川演出が、原作をどう処理し変改しているか、あるいは原作を比較的忠実に上演したのか、わたしには分からない。
そのぶん、以下の理解はまさに「わたしの理解」である。
* ジャンヌ・ダルクのお話は、或る程度ひろく知られている。しかしその背景や未来を、ヨーロッパの中世から近代への足取りとともに理解している人は少ない。百年戦争の複雑な経緯、英仏の桎梏や葛藤の始終を知ることすら容易でない。そして、大きな誤解もここへ纏わり付く。
ジャンヌ・ダルク物語は、この一少女の神への信仰・信頼の物語だと。そうじゃない。本質的な物語の顔は、ジャンヌにでなく、彼女を徹底的に利用したものたちの実は深い欺瞞的な偽善的な神を冒涜した恐怖のなかにある。
そもそも一ジャンヌを経て此処に現れている「神」なるものは、かなり怪しげに奇態なではないか。少女を唆してフランスの王太子シャルルを国王にしてやれ、イギリスの軍隊を祖国から追い払え。そんなことを言い出す神聖で崇高で慈愛ある「神」なんて神ではない。此処の神はそもそも異様に変であるばかりか、大事なことはジャンヌの知っている神とはフランスのカソリック教会の奉じている、利用している、それだけの神に過ぎない。その分にはイギリスにはイギリスのための神さまがいて、どっちもキリスト教なのである。キリスト教の神様は、と、分かりよく此処では限定しておくが、利害を背負った人間や世間や国の数だけ、都合よく自己細分してお恵みを垂れ給うかの存在に過ぎない。存在などとは謂えない、功徳の機制。・システムの名前にすぎない。
そんな神へのひたぶるな信頼・信仰から動いているジャンヌ自身の動機や言動に、絶大な感動はじつは本来籠もりようがない。ちょっとした得意な風土病か精神病に動かされた少女でしかないという解釈も不可能でない。
* ずうっと芝居の進展に目をむけていて、アヌイは的確にジャンヌの物語を捉えているなと感じていた。見終えてもなおわたしはアヌイを信頼している。
その上で、舞台はどう収束されるだろうかと予測をすてて期待していた。ジャンヌといえば火炙りの刑。戦後の新制中学生として観たイングリット・バーグマンの映画も、最近のミラ・ジョボヴィツッチの映画もそうであった。この芝居もまた火刑で終わりかけた。ところが一転、シャルル王太子のランスでの戴冠式場面に舞台は変じて、ジャンヌは王位の旗を高く掲げて王に扈従、ファンファーレのうちに終幕する。
* さ、これはアヌイの真意をどう汲めよと言うか。蜷川のそれとも改変劇か。まさかと思いたい。アヌイは正確に時代を読み、ジャンヌ物語の限界を読み、感動があるとすれば、ジャンヌを利用しまた陥れて殺した連中の汚さや惨さの照り返しての感動だと繰り返し台詞に書いている。
* 蜷川演出に、今回はコケおどしの臭みが無く、なるほどそう読むか、そう見せるかという、こっちの納得に心持ちのいい律動感を添え続けてくれたと思っている。舞台装置も面白かった。人物の配置も動かしかたも適切で面白く観られた。
またアヌイの作劇は衒学のいやみなく、難しいと言えばこれほど難しい題材はそう有るまいジャンヌ・ダールク劇を、歴史劇でありかつ現代にうったえうる思弁性の深みから、ほぼ混雑なくクリアに描いていた。そのために一首雄大な対話劇が、はげしいダイナミズムをはらんで、とっても分かりよく面白かった。
問題は、幕切れを火刑から一転して戴冠式へ戻したこと。それはどういう批評であるか。
* 繰り返して言う、ジャンヌ・ダルクの意義は、彼女の信仰の深さにあると思いがちだが、じつは、彼女の信仰より、彼女の存在そのものが発散するカソリック教会や王室や貴族社会の欺瞞的な真相を暴き立てる「危険さ」にあった。彼らにとって「危険の実質」は、神ならぬジャンヌの「人間」的な純真そして自信であったろう。ルネサンスがもっとも力強く依拠し発信したのが、ローマ法王庁と教会・司教俗権への厭悪と反発であったことは歴史家の定説である。そこを経て、偉大なエラスムスらの人文主義(ヒューマニズム)と人間の自由な精神が、またルターらの真摯に批評的な宗教改革の精神が、ヨーロッパに大きく大きく花咲いていった。ジャンヌの事件は、そういうヨーロッパ近代化へ、中世キリスト教がもっていた欺瞞と腐敗とを純真で無力な少女の命をかけて露表させた点にある。「ひばり」の囀りのように高らかに告げ知らせた点にある。
間違えてはならない。ジャンヌの存在と闘いとは、彼女の「信仰の表明」といったことではなかった。じつに人間存在への尊信と自負へ花開いて行く全ヨーロッパの文化意志の、民衆には希望に満ちた、法王や司教や絶対王政や特権貴族らには恐怖に満ちた、必然の道を指さし示していたことに歴史的意義があった。アヌイは正確にそれをみてとって戯曲「ひばり」を書いている。神の支配ではない、人間の自由意志を呼び寄せたところに作者はジャンヌという少女の栄光を見ている。
あやまって神の意志になど拘泥すれば、そもそもあんなシャルルの戴冠のためにそもそも至高の「神」意のはたらく道理がない。
蜷川演出の、ジャンヌ火刑場面が一転シャルル戴冠の幕切れに変わるという「収束」には、一つ間違えばこっけいな誤解と誤解されかねない、そういう痛烈な歴史劇の皮肉が籠もっていたし、そうでなければアヌイの意図は報われないのである。松たか子演じるジャンヌ・ダルクはだから清純で一徹で無知で自信に溢れ、土壇場で強いられた誓約を蹴破る人間であるべきであったのだ。愚昧で臆病なシャルルごときを国王にしたからジャンヌはえらかったのでも何でもない。そんなことはいわば彼女が殉難のための通過礼の一つに過ぎなかった。もし、観客があの旗を掲げて昂然扈従するジャンヌに達成や到達や栄光を観て帰ったとすれば、とんでもない誤解を舞台は強いたことになる、と、わたしは松たか子を心から称賛しつつも、アヌイのために心配して劇場を出てきたのである。
* アンコールは三度に及んだ。座席を立とうとしたところへ、松たか子事務所の人が、今日の舞台の、きれいなパンフレットを届けに来てくれた。
* 二十分ほど渋谷の街をゆらゆらと歩いて、若い人でいっぱいの喫茶店にはいったり。それから目星のワインレストラン「シノア」八階へあがり、静かな席で夕食をとった。食前のシェリーも、食事に合わせてもらった赤ワインもうまく、妻は羊、わたしは鴨の料理を堪能した。この店は店員のみなが行儀良く、サービスも親切に行き届いて、気持ちがいい。
* 寝る前に、往復書簡を一度ざっと通読。「ひばり」に触れていて面白かった。
2007 2・22 65
* 昨日の芝居『ひばり』を反芻。
パンフを読むと、役者は、役の理解を概して演出家にあずけているのかと思うほど、つきつめては役を考えないらしい。主演の松たか子が、ほぼ例外的によく読んでいた。
* ジャンヌを、神との一面の関わりからだけ見ていては、緩んでしまう。間違ってしまう。
同じ神と謂うても、「教会の神」と「信仰に値する神」とはほとんど別物になっていた時代だ。ジャンヌは徹底的に「教会の神」に裏切られ、はじめて「信仰する神」につきあたって「人間」を自覚する。この回路を正しくふまないとジャンヌ・ダルクは分からない。
2007 2・23 65
☆ ひばり 御丁寧なおことばありがとうございました。
取り急ぎ、写真はうっかりしてまして同封するのを忘れてしまいました。月曜日に発送します。
ご体調はいかがですか?
わたしもようやくというかボチボチです。熱がでたり咳など全くないのですが、聞くところによると今年の風邪はそういった感じらしいです。
けっして年齢のせいではないと。
奥様にもよろしくお伝えくださいませ。 紀
2007 2・23 65
* 今日の朝刊に東京女子大の佐々木教授が、松たか子演じる蜷川版『ひばり』の「少女ジャンヌ・ダルクの究極の真実に迫る三時間半」への感想を寄稿していた。わたしの関心は、蜷川幸雄の演出などに驚いてみせることには、無い。世界史の中で「ジャンヌの登場と退場」がトータルにみせている「意義」だ。その点で、佐々木涼子氏の理解も紹介の文も、今一つも二つもものたりない。
* もう一度ことわっておくが、わたしはアヌイの原作を知らない。舞台の収束が、アヌイの創意によるものか、ひょっとして蜷川版の解釈と改造とによるのか。
わたしが前に指摘し問題視したのは、ジャンヌの火刑半ばに、舞台が突如としてシャルル王太子ランスでの戴冠式の場面に転じ、新国王の尻について「旗持ちジャンヌ」がさも颯爽と扈従する結末のつけかた、だった。
佐々木氏の文章により氏の評価を読み取ろう。
* 「即席の芝居をしているはずの人物たちが現実の厚みを得ていく。薄っぺらなシャルルに威厳が加わり、虚構はいつか真実と見まごう迫力を持つ。ジャンヌを演じる松たか子は透き通るような肌を紅潮させ、目からは深い輝きを発し、顔の造作までが変わって見える。幕開けの時とは別人のようで、まさしく変容。見ものである。
だが、それからがドンデン返しだ。司祭の情にほだされたジャンヌは信念を曲げ、生き延びる道を選ぶ。しかし孤独の中で、真にジャンヌになること、そのためにジャンヌとして火刑台で死ぬことを自ら選択するのである。怒号と火炎、蜷川ならではの盛り上がりの最中、声が響く…戴冠の場面を演じ忘れた!
そう、これは芝居の中の芝居だったのだ。その虚構のからくりを逆手にとって、フィナーレは荘厳な戴冠式である。フランス存亡の危機にはひばりが出現して空高く歌い、人心をまとめて国を救う。ジャンヌ・ダルクはそのひばりだとアヌイは言わせる。こうして嘘とまことの網の目をくぐって、聖少女の実存と象徴を目がけ、劇は一直線に駆け昇った。
繊細な日常性と透徹した懐疑が持ち味のアヌイの戯曲に、蟻川演出は陰影と立体感をつけ、戯曲に欠けていた味をも添えた。乱舞する台詞が隅々まで聞き取りやすく、解釈にプレがないのがいい。」
* だいたい、少女を働かせて或る特定の一祖国「フランス」を救わせる「神」など、真の信仰のまえでは単にノンセンスである。神は、フランスやカソリック教会に「専属の雇われもの」ではあり得ない。謂うまでもなくフランスの神も、イギリスの神も、同じ神であり、祭り上げてきた「教会」の素性だけがちがっている。
まして一人の至らない愚かしい王太子シャルルごときを「国王」に「してやる」ために純真な少女を遣わす、または利用する「神」などに、どんな真実があるものか、考えればその愚はすぐ分かる。祖国を救った、王太子を国王にした、などという事に「ジャンヌの存在意義や価値や感動」があるのではない。そんな道理はどこにも無い。現に、ジャンヌは祖国を救いきれはしなかったし、国王にしてやったシャルルの傲慢と強欲とにより、また教会としての責任逃れの誓詞をジャンヌからだまし取ったカソリック司教らの悪辣な欺瞞により、まんまとイギリスの手に高値で売り飛ばされただけではないか。
* もしジャンヌの実存を問い象徴的な意義を問うなら、彼女の問題は、「戴冠式以降、火刑に至る筋道」の中にこそ実在するのであって、神がかりに王太子を見つけたり、旗と刀とをふりまわして戦陣を馬ではせたり、シャルルの戴冠に従い嬉しそうにまさに「旗持ち」をしていた事実などは、いわば清純な一少女による「幻想に近いオカルト」にすぎなかった。
もし「神」がそれを演出するのなら、同様の少女や少年を、イギリスに対して与えても何も矛盾しない。彼らにも祖国があり王になりたい連中はウヨウヨいたのだ。
* もし「神の意志」といえるものが真実働いていたというなら、それは、ジャンヌ・ダルクが、あのばかげた戴冠式の「以降・以後」に身にあびた、王族や貴族や教会の高僧たちからの底知れぬ悪意と欺瞞、その醜悪を「身を以てまざまざと暴いた」ところにこそ認めねばならない。
ジャンヌが王や教会にどんなに惨い目に遭わされたか、それへ、我々は憤怒し、「人間性」への侮辱を感じ、感奮しつつ最大の非難を加えたいと、そのように人に、人間に、心から思わせたこと、何が「人間の尊厳」を根本から損ない侮辱し破壊しているかに気づかせたこと、「ジャンヌの核心」はそれであった。それであって意義深く尊いのであった。
* 列聖されたのは五百年後だが、「ジャンヌ無罪」をローマ法王庁が宣告したのは、実は火刑後かなりに早い時点であった。何故か。
カソリックの本家本元が、ジャンヌにより暴かれた教会の偽善・欺瞞に、いち早く蓋をしなければならなかったのである。
時代はまだ中世を脱しない十五世紀のことだ、そして愚かしくも紛糾した英仏百年戦争のようやくの収束も、ジャンヌの死のあと、速やかに来た。
だが、もっともっと大きなちからでやって来た嵐は、法王庁のまず膝元イタリアから始まった「ルネッサンス」だ。
「ルネッサンス」こそは或る意味、宗教改革の思想的・実践的な痛切な先駆であった。ヒューマニズムの前陣だった。昂然たる「反教会」の大きな大きな渦巻きとして、ルネッサンスは、イタリアからフランスへ、ヨーロッパ各国へ広がった。
渦の中心で、文化的にも政治的にも思想的にも多大に働いたのがエラスムスらの「人文主義」であり、ついでルターらの「宗教改革」であり、イギリスには「名誉革命」をもたらし、さらには「フランス革命」を、必然喚起した。
* ジャンヌ・ダルクを「祖国を救った聖少女」などという見方は、あまりにけちくさく、しかも全く間違っている。ましてや「シャルルの戴冠式」など、ほとんど何の意義ももたない。
アヌイが、蜷川演出の舞台通りに原作を書いていたのなら、アヌイの真意は、わたしが謂うたように、ジャンヌが「真に偉大なジャンヌ」たり得るのは、「戴冠式の済んだあと火炙りに遭って死んで行くまで」のところ。それ以前の、さも「神」との対話などは、少女の幻想にすぎぬほどほぼ無意味という「正確な中仕切り」を立てて見せたのだと、わたしは読み取る。
それとも、もし、あの幕切れの趣向は、アヌイの本意を無視した蜷川氏が、「蜷川版・ひばり」のためにだけ敢えて変改した所行なら、蜷川幸雄という演出家の浅い商業主義的なセンスだけの芝居に改悪した情けない堕落であり、近代の幕をひらいた「人間の歴史」として、ヒューマニズムの歴史として、は読めていないという、ま、この世間にはありふれた商売上手の結末であったに過ぎぬ。
2007 2・24 65
* 今日は俳優座の稽古場へ。サム・シェパード作『地獄の神』を田中壮太郎が訳し演出した。
感想は簡単。作の面白さは理念的に言葉で追尋すれば、容易に理解の届く意欲的でいい台本だ、だが、演じる俳優の四人のうち三人までが下手すぎる。
台詞の受け渡しに音楽も絵画もなく、間はグサグサ、受け渡しの悪さが耳に触り、舞台装置も陳腐。せっかくの作が台無しで、何度も居眠りした。
作品は、現代アメリカを痛烈に批評している。日本をではない。演出も演技も、日本の問題として示唆的にする工夫は加えていない。しかしそれはそれとしよう。もうすこし熟練した芝居を見せてよと言いたい。
国旗は(舞台では当然のこと星条旗である)、国旗の支配的な意志は、私民に、平和で簡素でこともなく幸せな生活を「させたくない」のだ。がまんがならないのだ。真珠湾を思い出させ、あれをこれをの危機や戦意を思い出させ、断乎歩調をとって「あのころ」へ戻らせたい、のだ。カツを入れて強硬に戻らせるためには、どんな過酷な横暴もやってのけようと、国旗がかかげた意志は、平和で睦まじい素朴な家庭に慇懃に強引にそして凶暴に土足で割り込んでくる。根こそぎ奪い破壊し、「非常時」「国家総動員」「準戦時体制」の日々を私民に「生きよ」と強要してくる。頸根っこやキンタマをとっつかまえ、そんな幸福そうな生活など躊躇無くガンガン「奪い取って行く」のだ、拷問に掛けても。
そういう意志表示と実現とを、平和な農村地区のもうほぼ老夫婦の家へ、ある日突如として持ち込んでくるのが、訪問販売を装ったスーツにネクタイの不気味なハンサム、慇懃無礼に言葉巧みな青年、だ。が、そしてこの役はそう難しくはないから、松島正芳は達者に舞台で活躍する。吐き気のするこわいイヤな青年だ、みなりとことばは、実にサッパリしているが「地獄の神」だ、凶暴な。
だが、いたぶられる夫婦者も、夫婦の家になにやら逃げ込んできている中年者も、どうもリアリティのある芝居ができないのだから、お話にならない。リズムのない平板な進行に眠気が来る。
* あたら意欲的な戯曲を、平凡な演出と演技とで、オジャンにしていた。
渋い気分、いや戯曲の意図にはしたたか毒されて吐き気すら催しながら、観劇としては失望のまま帰ってきた。
2007 3・19 66
* 松たか子の『ひばり』をNHKBSが放映していた。録画しておいた。劇場で観るのがなによりなのは確かでも、録画は繰り返し観られる。
2007 3・25 66
* NHK教育テレビの、アヌイ作・蜷川幸雄演出・松たか子主演の『ひばり』を観た。どうやらその撮影はわたしたちの観た同じ日のものらしかった。主演者のではない、記憶に残る誰かの一つの科白の揺れ、また王太子シャルルの鬘のもげた滑稽なミス一つ(まさか毎日あんなことは起きていまい。)が、そのまま出ていた。
わたしはむろん遠眼鏡をひっきりなしに愛用していたけれど、さすがにテレビは、ときおりジャンヌの表情を精緻に見せてくれる。それがけっこうだった。
今日の録音技術にしてなお救われないほど、例えば司教役らの滑舌下手がきずになっているものの、何という松たか子の自然な真実感に富んだ集中力・演技力であったか、おそろしいほど大量の科・白を、音楽的にまた彫塑的に創作していた。言葉とからだとで一分の空疎な隙間もなくみごとに満たし、彼女が、いまや日本の若い「主演舞台女優」の力を完きまで発揮しているのを再確認した。すべて豊かで正確だった。真摯に演じていた。
* 再度つぶさに観て、先日書き置いたわたしの「ジャンヌの誠実、近代への誠実」は再確認できた。何一つ書き直す必要がない。
念のため書き加えるとすれば、大審問官らは「神=教会≠人間・人間性」の信仰と権益に固執し、ジャンヌは「神性=人間の自覚」に到達したのである。
劇は、ジャンヌにより王太子シャルルがやっとランスで戴冠したことが、戴冠式までのジャンヌの「ひばり」のような囀りこそが、後世に記憶されるのだと言いたげであるが、大審問官が、自分たちのジャンヌへの勝ちを内心の恥辱として呻いていたように、それは大きな「反語」であり、本当にジャンヌの体現した大切な真価は、空疎で政治的な戴冠式から以後のジャンヌ、人間的な自覚を神への帰依にみごとに託しきった「ジャンヌの死生」にあることを物語っているし、またそうでなければ軽薄な「ひばり」の囀りに終わってしまう。
中世の神にしがみついた大審問官や司教やローマが、ジャンヌに対し真実懼れていたほとんど自壊の自覚を、やがてルネサンスが痛烈に衝いて、人文主義・ヒューマニズムの近代へ怒濤のように人と時代とを押し流す。そして「神は死んだ」とまで言われるところへまたも近代は煮詰められて行く。
ジャンヌは近代をぐっと引き寄せた、もっとも純真で清潔な、しかし熱い魂の「先駆者」であったと、わたしは言うのである。
今夜、舞台をもう一度見直し、さらに確信できた。
ローマにいち早く反旗を翻したイングランド。その代表者のような貴族が、結果的にジャンヌに内心の理解を吐露し、ジャンヌに頬にキスされてたじろいでいたのは、印象的な場面だった。この英国貴族は、カソリック・スペインから派遣された大審問官が、「人間的であること」を「悪魔」のように憎悪し敵視するのを、内心軽蔑し、またフランスの司教たちのローマ法王庁に全面依存のさまに「虫ず」を走らせていたのは、「議会」を育てていた「イングランド」の貴族なるがゆえに、意味深いし興味深い。
* おもしろい、優れて良い舞台劇であった。もう一度拍手を送った。
2007 3・26 66
* 旧機の具合、やっさもっさ触り回して、なんとか、ホームページをここへ移せたのではないかと思う。思うだけだが。
頭の中、ぐちゃぐちゃ。ぐちゃぐちゃを人ごとのように眺めながら、いる。脚、なんだか、おかしいが。眼も右肘もおかしいが。
それでも手洗いに入ると、洋花の、名も知らない優しい花容が唐銅の筒にあふれて、もう、目がはなせない。目玉を吸い取られそうに見入っていて、それがよい休息になる。
風が鳴っている。一度目の講演の用意まったく進まないのに、明日また俳優座に招ばれている。二度目はどうなるやら。あと十日ほど、あれこれあって、気ぜわしい。それも楽しんでいるが。
2007 5・10 68
* 吉永仁郎昨 中野誠也演出の俳優座公演、『リビエールの夏の祭り』を六本木で観てきた。
主演は川口敦子そして中野誠也。この二人だけで演じる休憩後の後半がとてもよかった。うまい俳優が、何の邪魔もなくしみじみと演じる。川口も中野も今日はイヤなクセ味が九分九厘出ず、ことに川口敦子のみごとな所作の美しさ、確かさ、また台詞の静かな素直さに感じ入った。
正直に言って、川口敦子の場合、今日の芝居のように、清水のような優しいうまみを感じた舞台はかつて無い。そしてよけいなもう一言をはさめばまだこの味わいを、たとえばベテラン岩崎加根子から感じたことがない。大塚道子にはある。
川口敦子の上手なことは、よくよく知っている。わたしたち夫婦は俳優座の舞台を、まだ仲代達也のいたほぼ三十数年前からじつに精勤に見続けてきている。わたし一人の好みを謂うにすぎないけれど、川口ほど達者な女優にも、好きになれない「科・白のネバネバ」を長い間観てきた。中野誠也もまったく同じ。この二人はいつも言うがじつに似た嫌みなヘキをもっていた、と、もう「過去形」で謂おう。それほど今日の二人は、ネジレもネバネバも感じさせなかった。ま、中野の方はろくろく口をきかない役だったけれど。口をきかなくてもわかる。幕切れ近いところで向こう向きにした敬礼、またホールドアップ。その見事な確かさだけで、口を利かなくてもハッキリ分かった。あれは脱皮だ。ことに川口敦子。すこしも力んだ風なく自然に舞台を確立していた。歌舞伎で謂えば最良の舞踊劇をたのしんだほど川口のしなやかなからだが、優美なほどの音楽を奏で、言葉も素直に静かに、美しい糸を吐いていた。
わたしは意地悪な観客で、ここぞと言うときは眼をのぞく、望遠鏡で。川口らしいというか、その眼づかいは、しかし屈強に演技敵に勘定をつけているように見えた。あれが役そのものの眼に成ったらいい、いやそうならなくては。おとといわたしは歌舞伎座で勧進帳の四天王の眼をのぞいたが、友右衛門はそこにいなかった、家橘もいなかった、團蔵もいなかった、右之助にはかすかに右之助がのこっていたが、四人が四人、もう勘定高い演技者ではなかった、まちがいなく主君義経の一大事に今にも命を捨てる家来の、人間の眼をしていてわたしは無垢に感動した。そういう眼をのぞきこむ醍醐味をわたしは捨てられない。
* 中野誠也については、初演出の、「読み」のいい成功に気持ちよく拍手を送る。この前の稽古場での、だれだったか俳優氏演出の拙さにはガッカリして帰ったが、今日の中野演出は、ことに後半、しっかり引き締まり、不覚にわたしはほろりとした。胸がつまった。演出の才を感じた。
今一度正直に言うことがある。あの芝居、前半は要らないぐらいだ。テレビドラマの舞台化みたいで、参ったなと思っていた。ああいう「地」でゆくような舞台では、演劇を観にきた甲斐がない。映画のノベライゼーションも滓のようだが、テレビ劇の舞台化みたいな新劇では、ほとほと、かなわない。うぇぇと思っていた、前半はそんな感じだったが、ストーリーに心をつよく惹くものがあり、それに、はなからオヤッと思うほど川口敦子の演技に見応えがあったので、堪えていた。
俄然後半へ入って、舞台が渋い真実みの光彩を放ち始め、惹き込まれていく幸せを感じつづけ、終幕まで。
数瞬、客席は拍手のタイミングを失った、が、それは舞台への失望からでなく、むしろ気圧されたほどの満足が拍手の手を逆に押さえたのである。そして、いい拍手だった。拍手に力があった。
* 信州松本で生まれ育った幼なじみのカップルが東京へ出て、鳥越でミルクホールを開いて夫婦幸せだったが、夫は出征、支那へ満州へ、そして戦死の公報が妻に届いていた。
妻は戦後も焼け残った鳥越の店をつづけ、土地に根をおろしていた、が、昭和二十九年ころか、夫かと思われる記憶喪失の浮浪者、川っぺりの小屋に住み、ロシア語の民謡を冴えない低い声で歌い歩く男を、妻は店の前でみつける。
ありふれたようで、聞いたこともありそうな物語であるが、それとて生かすも殺すも、演者のちから。中野と川口はこれを存在感のある話に仕上げてくれた。胸にずっしと沈み込むせつなさ、かなしみ、気の騒ぎに観客は引き込まれてゆく。わたしたちのように、敗戦後の「尋ね人番組」に耳を皿にして聴き入ってきた世代には、このストーリーはとても作り話でない現実感がある。戦争への、敗戦への、戦後への思いが、まだ心身に冷えずにのこっている。俳優座が今演じてくれて、少しも古びない人間の、夫婦の、戦争の主題なのだ。ああよく取り上げてくれた、演じてくれたという思いが、胸に落ち、納得した。
それだけを、言っておく、好い芝居をみたあとの清々しさも、また寂しさも有った。こういう気持ちは、エネルギーになる。
* 六本木ではいつも好い食べ物の店に出会えない。歩くもいやになり、大江戸線練馬での乗り換え前に、美味いとんかつで、ビールを飲んで帰った。
* 脚は、少し重かったし帰りには痛みも、異様感あった。だが、外出はできる。むしろ、外出して脚を使った方がクスリかも知れない。
2007 5・11 68
* 東大駒場駅にちかい「こまばアゴラ劇場」で、『リオRio』を観てきた。
女工哀史に取材した「死者の書」といえばいいだろうか。劇作家岸田理生の『糸地獄』をテキストに、笠井友仁が演出した。この演出に臼井沙代子から岡田蕗子にいたる出演者全員が渾身の所作で応え通した労作。舞台に息を吐く死者たちと、死なれ死なせた生者との凄惨で凄絶な葛藤と交感とのドラマ。そのむシュールリアリズムは、夢魔のように濃い息づかいで満たされていた。小劇場にうってつけの、繰り返し言うが、労作であった。
岡田蕗子は大阪の読者の娘さんで、亡くした孫のやす香より一年年長、中学へ入ったときであったかお母さんと上京し、わたしも家内も出迎えたことがある。あいにく土砂降りの雨に遭いながら、上野の博物館へ行ったりした。そのフーちゃんから、出演するので観てほしいと。
幸い、観るに値した。すこぶる刺激と工夫とに富んだ好演出・好演技の好舞台で、やや脚を引きずりながら駒場まで、妻と、出て行き甲斐があった。
* 渋谷の井の頭線のビル四階で恰好の中華定食をなかなかおいしく食べて帰ってきた。
2007 6・28 69
* 七月歌舞伎座菊之助たちの蜷川演出『十二夜』は割愛した。七月は俳優座の稽古場と、昴劇団の芝居、八月は納涼歌舞伎、松たか子の『ロマンス』、九月は歌舞伎座秀山祭と、幸四郎・紀保らの企画芝居、十月は国立劇場をと、予約。他に梅若研能能会がある。湖の本も発送して落ち着いた夏でありたい。
2007 7・4 70
* はやく起きていたので、かなり疲労している。明日もう一日根をつめると、とりあえず、いつ本が届いても大方の発送には間に合う。次の本の用意にももうかかっている。今夜はもうやすんでもいいだろう。
あさっては俳優座の稽古場芝居がある。来週末にはもう一度眼科検診があり、三百人劇場を出て初の、劇団昴公演にも招待されている。八月の勘三郎等の歌舞伎座、そして松たか子の『ロマンス』の座席券も、嬉しいことにもう届いている。
2007 7・18 70
* 午後、俳優座稽古場の芝居原作織田久・脚本上田次郎『白鳥乱子一座江戸の極楽とんぼ』を見に行く。わたしの作『心 わが愛』で加藤剛の「先生」相手に「K」を好演してくれた俳優・立花一男が、最近流行りの「演出」を担当。佳い舞台を期待して出かける。
* 稽古場はけっこう涼しくしてあった。中吉卓郎、清水直子、斎藤淳が各四役を入れ替わり入れ替わり、講談師役とある大場藍座長の語りに運ばれて、四人の一座。みなそつなく達者。こまかな理屈をこねても仕方がない、山場は歌舞伎役者岩井半四郎の前で化けの皮を剥がれる、流れの重太夫の意地の立てようか。
蛇足が沢山ついたのも俄仕立ての小芝居らしい趣向のはみ出しと観てよく、うるさいことは何も言わない。なかなか楽しめた。稽古場にぴったり、みんなが楽しそうであった。客席に呟きも聞こえたし、しかし陽気な笑いも上がっていたし、あれでいいのだろう。立花一男と久しぶりに対面、握手して別れてきた。
* まっすぐ有楽町へ出て、「香味屋」でアラカルト、いろいろ注文して妻と機嫌良く早めの夕食。満腹。帰りの地下鉄ではワインの居眠りが心地よく。
2007 7・20 70
* 一日一仕事というか、今日のように外出してくると、あとは休みたくなる。老いの自然なのだろうか。明日は晩に、三百人劇場をはなれて東京で初の劇団「昴」公演がある。やす香を偲びつつ、妻と観てくる。きっといい芝居だと思う。
明後日、新しい「湖の本」が出来てくる。ところでその二十八日には浅草の花火、望月太左衛さんから招きがあった。去年はやす香の告別の晩だった。やす香は花火の夜空を舞いながら「おじいやん、泣かないで」と泣いていた。
本の発送は少し延び延びになってもいいではないか。八月に入ってしばらくして松たか子の『ロマンス』という芝居があり、翌日に言論表現委員会が予定された。その頃までに送り終えていればいいので、せかせかと慌てて暑苦しいのはよそうと思う。のんびりするということを、少しは楽しまねばいけない。
2007 72・26 70
* 新宿紀伊国屋サザンシアターでの新生「昴SUBARU」No.1公演は、原作チェーホフ『谷間』をアメリカのノースカロライナに移しての脚色ロミュラス・リニー『うつろわぬ愛』であった。西本裕行、久保田民絵、米倉紀之子、宮本充らを選りすぐって演技陣にゆるみはない。佳い舞台であったか。佳い舞台であった、さすがに作品をこなれた形で提供しうる劇団としての才能は優れている。安心して舞台を注視していられるし、退屈もしない。
では面白く感動したか。
衝撃は受けた。胸は押されて時に苦しいほどだった。感動と謂えぬ事はない。しかし率直に譬えて謂うなら、こうだ。
一口口にして思わず「うまい」と呟いて満足がこみあげてくる。その「うまさ」は、とろーりとろーりとろーりと味付け十分の上に、十二分煮詰められたシチューだ、とろとろと溶けて固形物はなく、何を食べているか歯ごたえはないが、美味いことは格別。そして最後ちかく、オッと驚いた、肉らしい僅かな固形物が歯と舌とに触れた、が、それもとろりと溶けてのみこんで。そこで舞台は幕になった。
わたしは正直の処『うつろわぬ愛 Unchanging Love』という題は、苦い苦い皮肉としてしか受け取れなかった。エゴイズムで愛は保てない、愛は買えない、人が人のエゴイズムや悪意で生きている限り「うつろわぬ愛」は不可能であるという舞台としてしか受け取れなかったし、そういう舞台が意図されていたのだろうと思いたいが、あまり「うまく」舞台がとろっと仕上がっていて、そういうビターな味は、呻きの味は発酵していなかった。全体に人のいい舞台に出来ていて、そこにもしチェーホフを感じた、または感じさせようとしていたのなら、わたしはチェーホフの誤解にちかい気がする。チェーホフの絶望は人のいい甘い美味いものでなく、徹底して舌を焦がすほどの苦みをはらんでいるから。
ほんとうは『谷間』は途方もない人間社会への絶望や侮蔑や憤怒すらを書いた作とみていいのである。そういう苦味が、あるいは凄みには舞台は近づこうとしていなかった。上手な手練れの舞台はみごとに実現されていたけれど。そういう満足なら満たされた。だから大きな拍手を送った。新生「昴」の次が期待できる。
しかし新生「昴」はうまくて上手なだけの舞台に満足して欲しくない。ぞっとさせるほどの懼れも絶望も感じとらせる批評の力を、新劇から削り取ってしまってはいけないから。
* 少し早めに出て、高島屋十四階で、久しぶりに中華料理の店に入ったのは成功だった。ビールや老酒も入れて盛りだくさんに幾品も出て、二人で一万円でおつりが来るのは珍しい。どの一品一品も量は知れているが、味は空腹も手伝い「絶」であった。満足した。老酒の徳利が優に一合以上、口までたっぷり、しかも佳い酒を出してくれていた。前菜、スープから、デザートまで、一つの例外もなしに満足した。
それでも、祖父母の思いは、料理が旨ければ美味いで、つい、やす香の上へ動いた。一つ明いた椅子席に、どうしても十九の孫娘の姿が顕つのである。同じ新宿の小田急で、初めて服を買ってあげると言ったときの、好きに選んでいいよと言ったときの、やす香の弾けて溢れる笑みを、堪えられない笑みの無邪気さを、わたしたちは忘れようがない。なんという超短いパンツを選ぶんだろう‥。おかしくて、恋しくて、思いだして老人は涙のとめようがなかった。老酒を飲み込んだ。
それでも、舞台を前に、酒ゆえの睡魔に侵されたりはしなかった。
帰りは大江戸線で練馬へ、そして西武戦で帰宅。可哀想に黒いマゴをピアノの部屋にしめこんでいた。御免。
2007 7・27 70
* 岡山の鰆の味噌樽をいただいた。到着後三日は待てと指示がある。明日にはと生唾をのんでいるところへ、群馬と山口から清酒到来、香川からはすばらしい葡萄も頂戴した。息子は大きな車を借りて袋田へ瀧を見に行こうよと誘ってくれている。山形からはうまい蕎麦を食べに来ませんかと深p切にお誘いがある。来週には松たか子主演の『ロマンス』そして言論表現委員会。『閑吟集』の評判も上々で、梅原猛さんら大勢の便りがある。ぎらぎら照る暑さの中で、体調は体調としても生気みなぎっている。元気に過ごしたい。
2007 8・4 71
* 照りつけるさなか、三軒茶屋の世田谷パブリックシアターまで、作・井上ひさし、演出・栗山民也の『ロマンス』を観に出かけた。
大竹しのぶ(妻・女優、オリガ・クニッペル)、松たか子(妹・マリア・チエーホフ)に、段田安則ら四人のアントン・チェーホフを配した、相当に概念的な、いわば「チエーホフ論」を「内容」とする文学「ディベート」めく演劇であった。
むろん、チエーホフ大好きのわたしにそれが面白くないわけがない。だが、ドラマとして感動したかと云えば、劇的感動はかなり理知的に抑圧された。
幸い、大竹しのぶも松たか子も、筋金入りの「好演」女優であり、段田他の男優も、何から何まで個性的で、「演技」という意味のお芝居に遺憾は全くない。存分に楽しめた。
だが主題は、「チェーホフとは何もの」であるか、「チェーホフの文学と演劇とは何ごと」であるか、だと仮に納得しても、それが、「ドラマで表現」されると云うより、ドラマの体裁をかりての、いわば「言葉での論策」になっていた。その分にはたいそう面白い、が、いわば徹して「マインド=思考=説明」なのである。譬えれば、高く指さして、「あれがお月さま(=チェーホフ)よ」と説明されても、指さしている「指(=言葉・せりふ)」は、当たり前の話「お月さま」ではないのだ。それはドラマによる劇的納得でなく、言葉(=指さし)による「説明」に過ぎないのである。
「説明」というのは面白いモノである。マインドでのみ分別しようとする者には、「説明」が良くできていればそれ以上の「劇的表現」は要らない。しかし「ドラマとは表現」なのである。言葉でも指摘でも説明でもない。マインドという思考的な心では、ハートという「なんだか分からないけれどもとてもおもしろい深い」心は描けない。感動として描けない。「なんだかとてもハッキリわかってしまう」説明だけで「事」が運ばれてしまう。
じつは、そういう説明的に分かり切ってしまうものを、「型どおり」として嫌っていたのが、チェーホフ文学なのに、である。
* チェーホフのドラマは悩ましい。彼は「喜劇」と明記して演劇を書いているのに、その「喜劇」を「表現」したチェーホフ「上演」は、じつは絶無に近い。ずいぶんチェーホフ劇を観てきたが「喜劇」の指定通り「喜劇」だったタメシは一度も無い。
何故か。思弁的にはじつは説明できないのである。うまく説明されたためしも絶無に近いのである。
「チェーホフ」を、演出家や俳優や観客がとてつもなく誤解しているからか。それとも「チェーホフ自身」にとほうもない誤算や失敗があったからか。それとも時代の流れが必然にチェーホフ劇の「受容や表現を変質させ」てきたからか。
ややこしく悩ましく、井上ひさしはそこへ、こうだろうと親切なメスを入れたけれど、残念ながら甚だ「思弁的に説明」してしまった。思弁と説明の面白さは確かにある程度まで伝わった、が、ドラマの「劇的感動」という、「或る意味では曖昧模糊としたしかし純然純粋の感動」としては、その悩ましさもややこしさも表現は出来ていなかった。
芝居を観ている間も、観おえても、身震いする興奮には達しなかった。演劇の面白さが、ドラマ(劇)の面白さであるより、論考・論策の面白さに、すり替えられていた。俳優たちは、チェーホフの人間であるよりも、「チェーホフ論」を絵解きする人間としてのみ実に達者に演じて見せてくれたのである。
大竹しのぶは、わたしたちは、初めて観る芝居だったが、テレビではおそらくデビューの当初頃から絶大に評価し贔屓にしてきた優れた女優であり、よく期待に応えて今日も堪能させてくれた。なるほど、頭の中に久しくもってきた「オリガ・クニッペル」はああに違いないとすら想わせてくれた。
松たか子も、大竹に一歩もヒケをとらず、丈高く、情のあるわかりよい芝居で魅してくれた。歌も上手だった。
他の男優のみんなも、すばらしい演技者たちであった。芝居を面白くみせる意味ではみな驚くほど「達者」というしかない。
しかし「役者の芝居」とその「作品の劇性」とは、常に同じに表現されているものではない。見終えてからも、俳優たちのすばらしさは、要するにチェーホフの「魂に共鳴り」したそれゆえではなく、一編の井上ひさしによる「チェーホフ論」を「からだと言葉とで絵解き」して貰ったおもしろさを、大きくは出ていなかった。
* かつて、まるで異なる目的の依頼原稿を引き受けたとき、『この時代に……私の絶望と希望』と題したその原稿の書き出しそして前半に、わたしは以下のように書いている。これは、今日の井上さんの「チェーホフ論」と、少しややこしいけれども、交差しているのではなかろうか。
☆ 原田奈翁雄さんの原稿依頼には、「この時代に……私の絶望と希望」を書くようにと、ある。人は、いつの世にもこういう自問自答は重ねてきたのであり、今はまたそれのふさわしい時機だと原田さん達は認識されているのだろう。でも……少し迂路迂路してみるのを許して戴こう。
俳優座でチエーホフの芝居をつづけざま二つ観てきた。
チェーホフ戯曲の上演は、日本では珍しくない。「かもめ」「桜の園」「三人姉妹」「ワーニャ伯父さん」など、日本の新劇のおはこに部類される。芝居の好きなわたしは機会があると、観てきた。
チェーホフ劇は好きか。好きだ。だがその先はあまり聞かれたくない。悲劇的な結末なのに原作の題の上に「喜劇」と添えてあったりする。ややこしい。軽妙な味わいのチェーホフの短編小説に慣れてから舞台を観たりすると、重苦しい違和感にまいってしまうこともある。
チェーホフの芝居は、帝政ロシア時代の風もあろう、明快でも明晰でもなく、空気は粘っているし登場人物の心情もさらさらと乾いてはいない。暗い吐息を、よく言えばしみじみと、わるく謂えばじとじととはらんでいる。チェーホフの芝居は暗鬱でもあるなあという嘆息が、だいたいいつもつきまとう。わたしの殊に好きな「三人姉妹」や「ワーニャ伯父さん」でもそうだ。むしろ、とりわけそうであると言いたいほどだ。何故。何故だろう、と永く思いあぐねてきた。
なんてイヤな一日だったか。なんてつらい毎日であることか。もうイヤ。もう堪えられない。気が狂ってしまう。チェーホフの女達はどの舞台でもそう叫んで泣く。堪えられない、もう。分かる。ワーニャ伯父さんやソーニャを、オリガやマーシャやイリーナ三姉妹を観ていると、贅沢を言うななどとは決して思わない。生きながら重い墓石に抑えられているようで、まさしく気が滅入る。そして彼や彼女らは、しかし、とか、けれどと声を振り絞るようにして言い出す。明日という未来に期待しよう、五十年、百年、二百年の未来にはきっとなにもかも明るく充たされて良くなっている、と。
これがチェーホフ劇の基調音である。そして陪音として、何百年経ったって何も変わらないさ、今のママさというほぼ全否定、絶望のつぶやきもチェーホフは忘れずに響かせる。「三人姉妹」の末の妹を愛して明日の結婚を控えながら、死ぬと承知の決闘におもむき銃声一発に斃れる醒めたトゥーゼンバッハ男爵がそれだ。だが総じて「今・此処」の不条理に苦しんで、未来に希望を託しているのがチェーホフ劇のつらい紳士淑女たちの「哲学」であり、「三人姉妹」の中の妹で人妻マーシャとのひとときの情事におちた、ヴェルシーニン中佐のおはこだ。彼はおそらくその空疎を分かっているのであり、しかし三姉妹はその「哲学」を信じるしか道がなくて、眼をはるかな未来へ送るのである。
「今・此処」の暮らしはあまりに酷い。辛い。堪らない。けれど未来は明るいだろう、夜が明けるようにだんだん良くなるに違いない。
おそらくチェーホフもそう思っていた、或いはそう思いたかった。まだ来ぬ「未来」に対するせつない恋、それがチェーホフ劇の基調であるが、その基盤は、只今現在への底知れない不信と絶望なのであり、まだ見ぬ恋より現実の方が遙かにけわしく人間を金縛りにしている。金縛りの痛苦から来る幻影かのようにチェーホフは、いや、チェーホフ劇の人物達は、「未来」に恋している。夢見ている。チェーホフこそ、「この時代に……私の絶望と希望」を、あまりにあらわに書き続けていた作者だと謂える。
チェーホフ劇を観ていて感じる息苦しい悲しさは、どこから来るか。
チェーホフや彼の作中人物達が、明るい未来への「恋にやぶれて」いたこと、「失恋」していたこと、そんな「未来」はやはり無かったらしいことを、現に「今・此処」の日常体験により、如実に二十一世紀初めを生きている我々は「知ってしまって」いる。此の痛切な「現実」を彼等は知らずに我々は「知っている」からではないのか。
反論もあろう、こんなに「良くなっている」ではないかと。例えば帝政的絶対権力は無くなったではないか、と。だが、ほんとうにそうだろうか。また例えば、こんなに何もかも「便利になっている」ではないか、と。だが、全ての機械的な便利の徳を、根こそぎ覆い尽くすほどに、核の脅威も、サイバーテロの脅威も、大きく現に居座って、そんな便利は瞬時にふっ飛んでしまいかねない。時代の真相が良いとか悪いとかは、この事繁き巨大時代に簡単に言えることではない。
それにもかかわらず、こういうことは謂える。
今日よりも明日・未来はきっと良くなるものと希望しがちな人や国民があるだろうし、その一方、明日という未来に望みはもてない、だんだん悪くなるものと絶望しがちな人や国民もある、ということ。上昇史観と下降史観。先へ行くほどよくなる。いや、わるくなる。我ひとりの人生や我が家族・家庭の将来が、ではない。もっと広く、たとえば「ロシア人」の、「日本人」のこの先はといったマクロな判断である。
* 芝居の後味を楽しく抱いていたいので、もうこの上は云わない。
チェーホフの「喜劇」は容易に上演され得なかった。そのことこそが「喜劇」を成してしまったのかも知れない。
井上ひさしとそれぞれの俳優たちは、「演劇」を利して「文学論」をしてしまったのだから、今度は、『カモメ』でも『三人姉妹』でも『桜の園』でもいい、みごと「喜劇」上等の「ホードビル」そのものとして上演してもらいたい。それが成功すれば、『ロマンス』に別様の新しい意義が添うであろう。
* 劇場で久々に佐野洋さんに出逢った。また阿刀田高さんに声をかけられビックリして暫く立ち話した。清原康正氏にも手洗い近くで声を掛けられ、元講談社の徳島高義さんとも階段で立ち話出来た。
高麗屋の配慮で、視野の広い非常に見やすい席をもらっていて、妻も私もとっても楽しんだ。わたしはこういう理に勝った芝居の作りも大好きなタチだ、批評的に高望みはしても、遠くまで出かけていった甲斐があり、いい一日になった。
渋谷へ戻って、「田や」で、涼しげな鱧のコース料理を、実は熱い鍋もろとも、シャブリの白で、舌鼓をうってきた。西空の夕茜が、まぶしくやがて薄澄んで暮れてゆくまでゆっくり腰を据えた。
2007 8・8 71
* 八月のお盆、夕方から歌舞伎座で勘三郎らの納涼芝居を楽しむ。二十五日には三鷹で、声楽を楽しむ。
九月には四日に渋谷で幸四郎と松本紀保らとの『シェイクスピアソナタ』が楽しめる。それと歌舞伎座での秀山祭。播磨屋吉右衛門と高麗屋染五郎たちのお芝居を昼夜楽しむ。
十月は国立劇場で高麗屋の歌舞伎を観、また新橋演舞場で昼は中村屋・成駒屋らの歌舞伎、夜は勘三郎奮闘、森光子や波野久里子らのお楽しみ演舞場祭りの賑やかなお誘いが来ていて、早速予約した。妻と、食事付きで芝居を観てくるのが、結局はいちばん疲れない楽しみ。それぐらいは黒いマゴも辛抱して留守番をしてくれる。
みなさん夏休みで家をはなれて遠くへ出かけられるようだが、半ば羨ましく、半ばはご苦労さんという感じだ。「いながらの旅」も、負け惜しみでなくいいものである。創作、読書、映画、私語の刻、そしてインターネットという電子の杖の旅もある。階下へ降りればいつも妻が居て一緒にテレビを観たり談笑したり議論したりする。黒いマゴも寄ってきてそれは上手に甘える。
仕事場の二台の機械の一台は、バックアップの用にも立てながら、いつでも好きな音楽が聴けるし好きな映画が観られる。妻が録画してくれるディスクは和洋の秀作二百枚をらくに越して、日々に増えてゆく。本を読むように、いつでも何度にも分けて気軽に観られる。わたしの「煙草代わり」である。その上息子たちが顔を見せに来てくれれば云うことはない。
* その建日子が四度の瀧へ車で連れってくれると云うが、もう少し脚を伸ばして山形の村山市まで、「あらきそば」まで運んでくれると楽しそうだが。長途の車はしかし疲れるだろう。疲れてはいけないのである、妻もわたしも。
2007 8・10 71
* 渋谷の「松川」で昼食し、バルコ劇場へ一時半過ぎ。前、此処で染五郎らの『決闘!高田馬場』を観た。
* 今日は、松本幸四郎座長の『シェイクスピア・ソナタ』。
作・演出は岩松了、彼は俳優としても出演。女優は伊藤蘭、緒川たまき、松本紀保。男優は高橋克美、豊原功補、長谷川勝己そして岩松了。
すてきに劇性あって面白かった、しかし、見終えてなにか学んで感動して帰るという芝居ではない。(ざっと走り書いておくが、明日改めて読み直すつもり。)
* 人の「心理とプライベート」を、容赦なく堂々といじりまわし、その刺激と痛みとで、のっぴきならず「場面」が舞台に次々に捻(ねじ)り出され、捻(ひね)り出される。その必然のエネルギーが、俳優の「科・白」すなわち「身働きと言葉」とを、力ずく引っ張り出し、俳優は、超弩級に精妙に動き、軽妙にしゃべる。巧さたるや、呆れるほど。その快適で、またいらだたしくもある快速のテンポが、「劇的」という表現効果を、機関銃のように射だしてくる。根っからの「劇」そのものであり、筋書きなんてものは、徹して「劇」に奉仕している。
「劇」性は、脚本の「言葉」に、一つある。
ほとんど人間の交わす日常ふつうの会話と変わらないセリフなのであるが、それでいて、その凡常の言葉の喋られようと、喋られる場面の微妙な異様さにより、心憎く「演劇言語」化への錬金術が成っている。観念や概念の言葉などほとんど無いまま、ありのままの日常会話が、「超日常の変な場面」を次から次へ創り出すふうに、芝居が、ややこしく面白く捻れて行く。しかし筋書きそのものは、なんでもなげに、それがどうしたという程に、平凡然として運ばれている。
平凡そうなそれを、思いがけず異様化して行く「劇性」のもう一つは、しゃくに障るほど小癪に俳優のからだが的確に働いて、すべて達者な「所作」にされきり、所作本質の効果のゆえに、そのまま日常動作のおかしさや、美しさや、ドン臭さに変異し、ややこしく時に美しく劇的に観客を刺激する。芝居は、ただリクツや観念でないとすれば、まさにそういう逆転の聴いた「劇」性の発揮にこそ芝居の「理想」がある。芝居は論文でも文学でもそのままで詩でもない。
* 幸四郎という俳優が、真実「名優」であることを、わたしは、今日の、或る意味中身のない芝居で、いくらか恍惚と実感した。
こういうほとんど無意味なほどの人物を演じる、 かなりの「座長」であるには違いないけれど、妻の父親会長の財政支援でながく劇団活動を展開してきた男、 嫁さんを死なせたあとあまりに早く若い女優と結婚した男、 そのことを夫婦して舅に気をかね四苦八苦もしているという男、 ま、もう少し別の思惑も隠していそうな座長 という男の役を、「科・白」で縦横無尽に演じるというのは、彼の「劇」質に、いわばよけいな文学や哲学や観念に毒されない、健康な演劇者の純粋があるからだと、わたしはそう思い、称賛するのである。
* 伊藤蘭の意外な力演に、美しい「科・白」に惜しみなく拍手する。そしてその他の男女優たちの適切で、間然するところ無き演技の、「科・白」のアンサンブルにも細大の称賛を送る。
みごとな「科・白」劇を創ってくれた岩松了の才能に敬意をもつ。比較して悪いがこの前の井上ひさし作の『ロマンス』は、芝居を通じてチェーホフを「論じて」いた分、概念の演劇的な「痩せ」から免れえてなかった。
* だが「ロマンス」では、やはりチェーホフを、あとへ、わたしは引きずった。
「シェイクスピア・ソナタ」では、いろんな警句的人間論や役者論への断片の記憶は別としても、劇場をでてしまうと、「ああ、楽しんだなあ最高に」の一言に感謝と感想を煮詰め、もうその余は、ほぼ無用だった。無だった。
挨拶のあった高麗屋の奥さんに、番頭さんに、感謝。
そして渋谷の街に出たわれわれは、新宿駅西口行きのバスで、都心の緑風景を眺めて行った。下車すれば小田急デパート。ここでやす香と天麩羅を食べたなあ、気取った店でよくなかったなあ、服とパンツとを買ってもらえると決まると、あれかこれか選んでいたやす香の、あの笑みこぼれた赤い頬っぺたが忘れられないなと、二人とも思いだしていた。あのころは病魔の影もささない健康な時だった。
フレンチの「清月堂」に入って、ゆっくり夕食してきた。
2007 9・4 72
* いつもの俳優座の招待公演に六本木へ。少し早く六本木に行き、散策して、気の向いたままラーメンの店に入った。餃子とカレーライスのワンセットを一緒にとって、妻は餃子とラーメン。わたしはライスカレーとラーメン。変な取り合わせだが、欲するままに。ラーメンはたっぷりあり、他は少量ずつ。ビールのジョッキもごく小さく。こういう軽食もひさびさで、ノンビリ楽しんだ。
* 受付で座席券をもらっておいて、俳優座ウラの気に入りの喫茶店で口直しをし休息して、劇場へ。
芝居は、斎藤憐の昨『豚と真珠湾 幻の八重山共和国』を佐藤信の演出・美術で。
* これぞ俳優座が本当に本来なすべき、創るべき舞台であった、その「志」を高く評価し、歓迎し、感動して高い拍手を心から惜しまなかった。
戦争、平和、独立、自由、人間の尊厳、深い愛、生きる、死ぬ、殺す、救う。そういう観念が、具体的に深い反省と行き届いた理解の上で、よく描かれていた。
ある種の本当にいい日本画は、淡い淡い塗りを塗り重ね塗り重ねているうちに、深いみごとに美しい色を発し、ゆるぎない画面を成してゆくが、今日の俳優座の舞台は、まさしく、そういう創りかたで強く大きく成功していた。
淡い、淡い、さりげなくて散漫とさえ見える場面を、走り描きのようにスケッチしスケツチして、はじめのうち、これでちゃんと繪になるのだろうかと思わせながら、着々と場面が進むうちに、いつか揺るぎない構成と場面とで「作の主張」が演劇として純熟してゆく。そういう「創り」だ。しっかり成功した。
大塚道子を「芯柱」にしかとすえて、舞台の揺れや歪みをかっちりふせぎ、可知靖之と中野誠也と西川竜太郎とが「三本柱」で芯に寄り添い、確かな舞台空間を確保し、阿部百合子がそこへ「いい空気」を生んでいた。
若い俳優達は、男も女も、特にうまいとかへたとかでなく、むしろ舞台の上で演じている俳優などじつは一人もいなくて、ただ「英文」とか「タマ」とか「アサコ」とか「警察官」とかが、生きて動いていた。そういう舞台は、成功しているのである。「八重山」という特殊に位置した世界だけが舞台の上に在り、そこは俳優座の舞台でも、彼らはみな劇団の諸君なんかではなかったからである。
この芝居、なによりも莫大に、少なくも私のうちに鬱積している、堆積している、山積している、戦前から戦中戦後への、現在への、日本人としての苦情も不審も怒りも悔しさもうしろめたさも割り切れ無さも、ある種の超越や断念をも、有り難いまで多く、「代弁」してくれ、カタルシスを覚えながら、深い深い嘆息をまた誘い出され、反省もさせてくれた。
敗戦当時の「八重山」という日本がかかえていた問題の、苦悩や喜怒哀楽の、なにが根本から今は解決したり改善されたと言えるだろう。ただ苦い嘆息が胆汁のように口のうちに溜まっているではないか。
新劇には、たたきつけてくるほどのそういう提起が必要だ、俳優座の舞台にはそれこそがいつも欲しいとわたしは願うし、そうであってこそ俳優座じゃないかという期待がわたしにはいつも絶大にある。ラチもないホームドラマの出来損ねのような甘い舞台は欲しくないのだ。辛辣に心の臓を抉られる痛みで、パチッと目が覚めて、全身が痛いほどの思いで芝居はねて俳優座劇場を出て来たいのだ、いつも。
* 珍しく夜の部を選んで行ったので、どこへも寄らずに、満たされて帰ってきた。
2007 10・9 73
* さて「夜の部」の『寝坊な豆腐屋』は、がらりと変わって、まったく帝劇。
森光子を芯柱にまもって、勘三郎が奮闘して舞台を盛り上げてゆく。余裕があり、だから「科・白」ともに軽快に回転する。波乃久里子、米倉斉加年、それに扇雀、弥十郎、亀蔵も参加。鈴木聡の作はよく書けていてソツなく、歌舞伎とは全然違う現代の人情劇、母子もの。お涙頂戴なら幾らでもあげていい泪を、好きなだけ流しながら、笑って楽しむさらりとした商業演劇。
下町の「開発」をめぐる話題は珍しくないが、「民主主義とは多数決でほんとうにいいのか」という問いかけには意義があった。つねに徹底した少数派、派ですらない独り者のわたしは、その勘三郎が突き出す疑問符に共感できた。
* 独特の「投げ科白」で一貫して役の性格と働きを<こゆるぎもなく発揮していたさすがに森光子と、わたしは彼女の舞台の記憶に、この一作と出逢っておけて「有り難い」と思った。眼鏡で徹底してその眼働きを追ったが、森光子の眼は強烈で完璧で不屈だった。凄いとすら思った。
勘三郎のあたたかいモノが、こみあげるように舞台を心地よく暖めてくれる。わたしたちもいいぐあいに暖められた。
いい拍手を精一杯送って劇場を出てきた。
2007 10・11 73
* 俳優座稽古場の招待で、ロバート・ハートリング作『スティール・マグノリアズ』を観てきた。隣に小田島雄志氏も来てられた。
田舎町の美容室の土曜日。いつも常連だけが予約で集まる日。女ばかり。川口敦子と安藤みどりの母娘。店主の青山眉子ととびこみ新入りの井上薫。前市長夫人で寡婦の片山万由美、裕福で辛辣かつ愛すべき女性に美苗。これはもう井上をのぞけばベテランそろい。その若いアネルの井上馨がうまい。
娘をこころから愛し娘を死なせ死なれる母親役の川口敦子は、間然するところない名演。安藤みどりも、若年性の重い糖尿病をもちながら、実に生き生きと好感溢るる花嫁から母親から最期近くまでを、知性美いっぱい魅力満点に演じた。
やす香を死なせ死なれてまもない妻も私も、この舞台は、身にこたえた。しかも快いカタルシスにも恵まれて舞台を終始楽しめた。佳いものを観たなあという満足一杯で、六本木の稽古場劇場から帰ってきた。忘れられぬ佳い観劇。感謝。
2007 11・20 74
* 建日子 目白(=の劇場)へ行こう行こうと初日から思っていながら、日が暮れてそぞろ寒くなると意気地なく脚がすくんでいます。
そこそこ好評らしく、けっこう。もう終わりますか。 寒さに負けず、元気でね。 父
2007 12・23 75