ぜんぶ秦恒平文学の話

歌舞伎 2008年

 

* いまの三遊亭円歌と、上野の小店で、たまたまカウンターに隣り合って呑んだことがある。まだ「山のあなあな」を話していた歌奴の時代だったかも知れない。
昨日久しぶりにその円歌の少し若かりし日の咄を聴いた。浪曲をうまくあしらった軽快な咄であった。咄でも噺でも話でもあった。
落語家とかりに書いても、読みは「はなし・か」である。もっと略して「しか=鹿」などともいうが、彼らの藝のタチは「はなし」であり、真似れば「鹿もどき」になる。咄家の藝は「かたり」ではない。「はなし」である。
科白を「せりふ」と正しく読めない時代になって、台詞と書く人が増えている。台本の詞のつもりだろう。山科は「やましな」更科は「さらしな」。科白の「科」は、言葉でなく、躰が創りだす「シナ」つまり身動きである。科白の「白」が、「もうす」とよむように言葉の方を意味している。
「科白」は、身動きと物言いと両方の連動や調和をかかえこんだ、含みの大きい名辞。さしづめ科白表現が渾然一流なら「名優」への道がひらける。

* 旧臘のこの私語で、狂言師の語る能舞台「間狂言」への親近や敬意を書いたと覚えている。
能そのものは「謡曲」というように基本は「謡い」である。「歌い・唱い」につながるが、「語り」ではない。
狂言師の藝は「語り」藝であり「咄し」藝ではない。彼らは謡も語りにしてしまう。そこが微妙である。
その微妙さを、わたしは歌舞伎舞台での歌舞伎役者達の科白に、いつも感じる。変幻の藝として感じる。彼らは、語っても咄してもいない。むしろ分母の部分でものを「言う」ている。しかし漫才師のように砕けて「喋って」はいない。かれら歌舞伎役者のいわゆる「白=申しよう」は、かぎりなく佳い意味で混濁している。単純でなく、多くの味が入り交じっている。だから面白く、だから或る意味で融通が利いて、利きすぎて「普通」に分かりよくなる。
彼ら歌舞伎役者は、意外なほど野村萬齋のようには「語れ」ない。萬齋が「殿上闇討」を純然として「語った」ようには、秀太郎も吉右衛門も「鹿谷」や「祇園精舎」が語れなくて、台本どおりに台詞を「読んで」「言うて」しまう。しかしながら萬齋の「語り」は、途中から喋りや咄しや只の物言いに切り替えられない。高度に純粋に単一に磨かれた「語り」藝なのだ。
ところが吉右衛門でも秀太郎でも、台詞を読みながら、喋る方へ言う方へ話す方へ唱う方へ、かなり自在にいい加減に切り替えが利く。歌舞伎役者にはそんな「いいかげん」が「藝」としてゆるされていて、舞台の上で、個々の役者の「工夫」として、藝質に合わせながら独自の科白へ「仕上げ」が利く。われわれ観客は、その結果をば批評し鑑賞して、贔屓したり貶したりする。

* ひろく謂う「話藝」は、容易ならぬ深淵を蔵している。アナウンサーも役者も俳優も、またかりにも藝能につらなるタレントやタレント志望の人たちも、自身の「声・ことば」を大事に大事に素性を覚悟して発してもらいたい。
2008 1・2 76

* お嬢さん(松たか子)の結婚にもふれ、メールで、藤間紀子さん(高麗屋の奥さん)新年のご挨拶があった。
初春大歌舞伎はもう佳境を迎えようとしている、高麗屋は昼が『魚屋宗五郎』で、夜が染五郎との『連獅子』は楽しみ。染五郎はほかにめでたい『猩々』を梅玉と、そして父と気のあった魚屋の小奴三吉が楽しめる。
吉右衛門の『一条大蔵卿』雀右衛門の『女五右衛門』団十郎の『助六』は揚巻に福助が、期待大。団十郎は『お祭り』も。そして御大芝翫と冨十郎の『鶴壽千歳』に豊かに祝って貰う。
歌舞伎は外題と役者。そのアンサンブルでとことん楽しむ。リクツ抜きで佳い。しかも見馴染むとしぜんと手前の理がからむ。それが贔屓であり、ときに贔屓の引き倒しになるのも、おもしろい。
2008 1・9 76

* 終日、初春大歌舞伎の歌舞伎座で過ごした。妻は先日買った春着を着ていった。もう妻の年齢ではこの先買うことのないだろう、晴れやかにシックなニットで、色佳く、妻の持ち味によく似合った、(と、思う)。わたしも背広にネクタイで出かけた。
旧臘の月半ばから、今日まで、いろんな意味でつかのまの正月休みであった。この先に、まだまだ不快と不毛の月日が待ち受けていると覚悟があればこそ、ひとときの休みを、甘露を吸うように享け容れていた。それとてものうのうとした気分ではなかった。

* 高麗屋に、年賀の品を妻は貰った。クリスタルに金箔入りの「子」は、今年の妻の干支。六十ではない、四月には七十二で、わたしに追いつく。
幕間に藤間さん、座席まで挨拶に見え恐縮した。お嬢さんの結婚、また二人目のお孫さんもでき、重ね重ねのおめでたを祝う。
昼に五つ、夜に三つの芝居は、みな楽しめた。昼も夜も、眼鏡の要らない、立ち居にラクな、それぞれの芝居に相応した絶好席をもらっていた。ことに夜は『連獅子』といい、『助六』といい、花道にちかい五列め通路際は、谷底の子獅子の息づかいも跳躍も、また豪華な揚巻の花魁道中もまぢかに堪能でき、嬉しかった。
「吉兆」初春の献立もことに念入りで。
また昼夜入れ替えの間にいつもの「茜屋珈琲」では花びら餅に上野焼(あがのやき)の精妙な茶碗で、マスター手ずから抹茶の馳走にあずかり、恐縮した。コーヒーも美味かった。贅沢な休息。
心持ちいつもより早めにはねた劇場から、タクシーで日比谷へ、クラブへ。芝居あとのひとやすみに此処でのコニャックは格別。歳越えにクルヴォワジェのボトルがあいて、新しくしてきた。幸い、今日は妻も一度も疲れないまま、十一時前に帰宅。佳い一日だった。

* 芝居のことは、だが、明日書こう。
2008 1・10 76

* 初春大歌舞伎の昼の部、開幕は、酒好きに嬉しくめでたい『猩々』。男の顔のすがすがしくて好きな松江が、「酒売り」役に、歌舞伎界を代表する二枚目の梅玉高砂屋と染五郎高麗屋の「猩々」が、酒をめで酒に酔い酒を祝い天下の萬歳を祝ってくれる。すっきりと小気味よい幕開き。律儀な藝の梅玉が円熟の境に、一舞台ごとに近づいてきて、好もしい。染五郎、綺麗。

* 二つめは、つくりあほうの『一条大蔵譚』。吉右衛門播磨屋が、ここ近年のじれったいようないつも一抹物足りなさを、みごと払いのけ、瞠目の好演で、この舞台、序幕も大詰めも大満足。はじめの徹したあほうぶりが、とろけるように華やかに品も位もあっておかしく、おもしろい。そして後段の大化けから、またあほうまじりに舞台を盛り上げ引き締めて行く緩急メリハリの宜しさ、名優の本領発揮で、期待は満たされた。
一つには、演じる役者達の粒揃えなのが、次々効果的に舞台を引き締める。梅玉の忠臣鬼次郎、その女房でじつは弁慶の姉でもある気丈のお京に魁春加賀屋が、ワキを固めて緩まない。この二人、芝居の経過を見守るまさにワキ役で、しかも進行上大事な科白の受け役で聞き役でもあるから、万一役の性根を忘れて休んでいては芝居が崩れる。歌舞伎で、こういう役達がもし目をきょろつかせてボーとしていたら、たちまち緊張をゆるめてしまう。いい役者は、じいっと黙っていても、全身と目で芝居を継続している。その目を遠眼鏡でのぞけば、一目瞭然。ところがボケ役者は、そんなときだらしなく、しどけなく、目をきょろきょろ客席へ遊ばせているか、ほかのことを考えている。いい役者というのは、そんなときにこそ、「役」を生かしている。
もう一組の夫婦、夫は悪心の八剣勘解由を段四郎澤瀉屋、忠女の妻鳴瀬は吉之丞という老優ふたりが、ややこしい関係をともにしっかり演じ分け、そして一人は斬られ、一人は自ら死んで行く。その的確な働きが、主役である一条大蔵のあほうぶりにも、また常磐御前の苦衷のいつわりの姿にも、生彩をもたらす。常磐の前はいうまでもない九郎義経の生母であるが、夫源義朝が平家に討たれてのち平家の棟梁清盛の妾にされ、さらにはあほうの一条大蔵に下げ渡されてしまい、人目には源氏の無念を忘れた見下げ果てた女に見えている。鬼次郎夫婦はその常磐を責め折檻にあらわれているのだが、家来筋にさんざ打ち打擲させたあとで、常磐は、清盛調伏の深き真意をあかし、一条大蔵もまた源氏再興への深慮遠謀を明かして、累代源氏の宝剣を鬼次郎を介して鞍馬の牛若のちの義経に託するのである。
その「常磐」を演じた福助成駒屋がよかった。ことに夫一条の大化けをみつめているあいだの、眼の輝きや静かさや深さは、常磐という女の聡明な覚悟のほどを表わし、眼鏡で何度のぞきこんでも、福助は凄いまで「常磐」その人であった。この役者。頼もしい。力のある役者たちを、引き絞った強い作意で舞台に並べると、こんなに荒唐無稽の芝居に魅力が出るのだという、見本のような歌舞伎になっていた。満足した。

* この幕間に、幸四郎夫人が座席まで。いろいろに言祝ぎあって。子歳の妻へ金箔入りクリスタルの「子」のご祝儀。

* 三つめ『けいせい濱真砂 女五右衛門』は雀右衛門京屋のための、また客への、大サービス。豪奢な南禅寺三門せりあがりの華麗さで、今は女盗賊「石川屋真砂路」じつは光秀所縁の京屋が、「絶景かな」の長科白。門前へ仇敵「真柴久吉」の吉右衛門があらわれて、上と下とで見えを切って、幕。それだけ。それだけで、うぇえっと湧くのだから歌舞伎は底知れないる

* 四つ目は、幸四郎高麗屋の『魚屋宗五郎』。落語の「妾馬」と、芝居の「皿屋敷」をかけあわせたようなつくり話で、一本気な、いい兄貴だが、酒が入ると少なからず荒れるので、金毘羅さまに酒断ちしている魚屋宗五郎。殿様へお妾奉公にだしてある妹がひょんなことでお手討ちになった。娘が可愛い、妹が可愛い宗五郎一家は泣きの涙。そのうち、妹の死に、手討ちにあうような落ち度はなかったのを、娘の朋輩が「樽酒」を見舞いに弔問に来てくれて、一家は知る。酒を断っていた宗五郎は、憤怒のヤケ酒を煽って暴れだし、殿様の邸へ怒鳴り込む。
高麗屋の情のある「酔っぱらい」まさに「酔狂」ぶりが見せ場の世話芝居で、魁春の女房役がふしぎとニンに合った。よかった。松本錦吾の父親役は彼の当たり藝。このまえ中村屋と時蔵萬屋で観たときも此の錦吾が父親で、うまいものであった。「小奴三吉」役は、前は勘太郎、今回は染五郎。意外に染五郎がおとなしかった。愁嘆場の修羅場だけに、もう少しいろいろ働いて欲しい。
幸四郎の江戸っ子が、うまい。巻き舌での早口が的確で、いいおかしみになる。よく舌を噛まないもんだなあと、妙なことに感心する。すこし表情にも滑稽味が出ていい気がするが、高麗屋は、顔で芝居をつくるのは好きでないのかもしれない。それよりも、よくからだが動く。「科・白」の連動が鋭角に「切れ冴え」を生む。幸四郎の藝風というもの。前半だけで十分楽しませる芝居で、後段は、はなしに結末をつけるようなもの。

* 五つ目があって、團十郎成田屋の爽やかな『お祭り』は、終始一貫、所作流暢、小気味よく、せかせかしないで大らかに楽しめた。からみの若衆が気を入れて御大を気持ちよく引き立てる。團十郎の所作は粋に花やいで、この役者に生得の「陽気」が美しく溢れた。おっと、よしよしという嬉しさで「昼の部」がはねた。昼の弁当場は、サンドイッチとコーヒーで済ませ、二階の繪などを二人で観てまわった。写真も撮った。入れ替えには吉例の「茜屋珈琲」。ご祝儀の花びら餅で抹茶のご馳走になった。お正月の餅花はなやかに築地の歌舞伎座が百二十年の伝統で、花やいでいた。

* 夜の部は、開幕に『鶴壽千歳』。お座敷、奥の間という風情で、まず若い三人、萬屋の歌昇、錦之助に松嶋屋孝太郎の「松竹梅」の所作事。引きつづいて、大御所富十郎天王寺屋の「尉」に、芝翫成駒屋の「姥」で、はんなり寂びさびと連れ舞い、『鶴壽千歳』。おめでたく、けっこうでした。

* 二つめは、待ってました高麗屋父子の『連獅子』です。壮烈に厳然と、幸四郎・染五郎は、厳父の慈愛、愛子の躍動、間然するところなき演舞の燃焼であった。

* 夜の弁当場は「吉兆」の睦月膳。ご祝儀朱杯の一献に、雑煮汁と栗小豆の飯。丹精のご馳走づくめに満腹し、満足した。

* そして三つめに、歌舞伎十八番の粋、團十郎そして福助の『助六由縁江戸櫻』が、期待を裏切らぬ楽しい出来映えであった。團十郎の「助六さん」は、初日以来の張り切りで、やや声を痛め気味ながら、ま、手に入ったもの、あんなもの。
特筆すべきは中村福助が、待望初の大役「揚巻」を、花道から終幕の見送りまで、堂々と大きく演じて凛々の威勢と豪華さで一貫したこと。
なにしろ揚巻といえば、もう久しく大和屋坂東玉三郎の独占であった。ときに以前の大坂成駒屋が演じたぐらい。玉三郎の美しさ、衣裳選びの華麗さは、謂うもおろかな極めつきで、嘆声を誘うばかりだった。これへ、期待の中村福助が、いよいよ動かぬ立女形の一人として加わってきた。近年の充実と進境から、今日あるのは間違いないと待っていたが、期待を微塵も裏切らぬ剛胆の初役ぶりで、気弱にいじけたところが少しもなく、意地の深さと情味の厚さ・熱さとで、みごと助六を支え、援けて、見事だった。
福助をさながら激励するように、左団次の「髭の意休」が上出来の懐深さ。段四郎の「くわんぺら門兵衛」も、梅玉の「兄祐成」も東蔵の「通人」も、そして芝翫の「母満江」も、みな、すっきりと大舞台の筋を通してくれた。
ううん、よしよしと大喜びして歌舞伎座にさよならしてこれた。
まだ八時半。これならクラブで、すこしゆっくり呑んで帰れるぞと帝国ホテルへ。初春芝居の佳い一日だった、おっと、よしよし。
妻の春服も、晴れやかだった。背筋を起こして、元気であれよ。
2008 1・10 76

* 初代松本白鸚追善興行にさきがけて、高麗屋松本幸四郎丈の名で、挨拶と「偲ぶ草」とが送られてきた。
白鸚さんの舞台でもっとも余韻をひいて感動深かったのは、もう最晩年に、真に盟友であったろう中村歌右衛門との歌舞伎座での『井伊大老』だった。広い大舞台の中央に、夫妻して雪の夜の静かな静かな対座の緊迫。息をのむとはあの舞台であった。
マントというかトンビというのか知らないが、黒いものをあたたかに羽織って温顔に柔らかいあの声音で、うちの店先でわたしの手から電池を買って行かれた壮年の昔の当時幸四郎丈の佳い顔をわたしは忘れない。
2008 1・15 76

* 二月の初世松本白鸚追善歌舞伎の座席がきまったと、知らせ。梅玉と三津五郎とで開幕の『小野道風青柳硯』蛙飛の場というのが珍しい。若手の「車引」、吉右衛門、福助の「雪関扉」、高麗屋親子での「祇園一力茶屋」。夜は富十郎で「対面」そして「口上」になり、幸四郎、芝翫らの「熊谷陣屋」、最後に若高麗屋染五郎が眼目の『春興鏡獅子』に期待が集中。楽しみ。
2008 1・21 76

* 地下鉄から歌舞伎座の前に出たときは、小雨。昼の部が済んで外へ出たときも小雨。すてきな珈琲カップの「茜屋珈琲」で休息。
夜の部を市川染五郎初役の『春興鏡獅子』で小気味よくはねたとき、雨は上がっていた。車で日比谷のクラブに寄り、妻は卵二個でプレーンのオムレツとサラダを、わたしはビーフシチュー特注、ブランデー買い置きの口を開けた二杯が、旨かった。「山崎」もツーフィンガー。日比谷の十時は風もあり寒かった。一路帰宅。
2008 2・12 77

* 二月大歌舞伎は、初代松本白鸚(=先代松本幸四郎)二十七回忌追善興行で、夜に、当代松本幸四郎・次男中村吉右衛門そして孫の市川染五郎、また甥の尾上松緑、白鸚弟の中村雀右衛門の、さわやかに五人だけの「口上」があった。

* 昼の部開幕は、中村梅玉の道風、坂東三津五郎の独鈷の駄六が、橘逸勢の謀反がらみに柳の下で相撲をとるという珍しい芝居。三跡筆頭の小野道風の官職は木工頭、それで出は大工、いまは公家にしてある。
敗戦後の二十一年、三越で初代吉右衛門と白鸚が演じて以来の復活。『小野道風青柳硯』の「柳ヶ池蛙飛の場」でござる。たわいないが、高砂屋の道風も、大和屋の駄六も、ニンに合って、おおらかな風情をつくっていた。

* 二つめは、若手の『車引』で。総じて小粒。
なにしろ血気の若者達の遺恨芝居。それを大きな押さえ役の左大臣藤原時平が、実悪の大貫禄で睨めまわしてこそバランスのとれる舞台。残念ながら歌六の時平公がうまく伸び上がらない。で、なにもかチマチマした。
松王丸・橋之助の「出」が、小さい。柄はあるのに貫目がなく、貧相で力がない。こましゃくれの出しゃばり杉王丸の、ただの兄貴分としか見えないのではこの歌舞伎に勢いが出ない。
梅王丸の松緑は柄にもニンにもあってシッカリしていた。声量も申し分ない、が、「活」舌というには少し舌が長いか短いか、口跡が乱れるのが惜しい。
意外に錦之助の櫻丸に律儀な美しさがあった。
ま、『車引』という舞台はあんなもの、突っ張りあった三兄弟の「歌舞伎」ふうを、華やいで素直に楽しめば足りている。それにしても、歌六が、堂々の威勢で悪風を吹き立てられなかったひ弱さは、意外意外。けっこうやるかと期待していたのに。

* さて三つ目は、常磐津の名曲『積恋雪関扉』 お目当ての最たる一つ。
当代、大鉞をふりまわす関兵衛の本役が中村吉右衛門であるのは知れている。役の性根が活溌に洒落て動き回る。だからこそ柔と剛と円転滑脱の踊り替えが、それとも気づかせずに出来て行かねば、ぼロが出る。吉右衛門は柄の大きさをいかし、悠々心得て踊り替えて行く。ま、彼の持ち役、当たり前の出来映え、安心して観ていられた。
期待の期待は、むろん小野小町役と、傾城墨染じつは小町櫻の精とを兼ねた、二役の中村福助。これが良かった。先ず目づかい、指先、口元、肩さき。まことに美しく所作の力量が漲り打って、踊りに硬さが無い。所作と役の性根とが、内からも外からふっくらと馴染みあい、所作を手順でしているなどと微塵も思わせぬ、「自然で豊かな舞踊」をまさに、玉成。おみごと。いま、福助は充実と上昇との熱い気運に乗っている。進境とはいまの彼にふさわしい二字である。もう私のなかで彼は中村歌右衛門にすでに成ろうとしている。
染五郎が、小町の恋人少将宗貞をつきあっていたが、ま、この場面ではお添え物。美しく現れればそれでよい。染五郎はたしかに美しい。

* 昼のキリは、仮名手本忠臣蔵の『祇園一力茶屋』。幸四郎の由良之助は、この通し狂言中でもことに難しい大星役を、情理充実させて歌舞伎のお手本のように悠然とかつ烈しく演じる。蛸肴を強いられて呑み込み、その辛さを吐き出して泣く、首尾照応の演技など、思わずほろっとこっちの涙も熱かった。
酔って寝て、なお辛いほど覚醒している演技、力弥との、お軽との油断のない応接、足軽平右衛門を手玉に取りながら、情と知との視線をけっして放していない理性の由良之助。昼行燈のようでいて、なるほど幸四郎自身「いちばん難しい由良之助役」と謂うとおり、痛いほど情況にしめつけられながら、もの柔らかに、何気なく知慮の限りを尽くす「由良鬼」を演じねばならない。先代の一の自慢役であったと思うが、当代もたしかな持ち役に磨き上げている。
そんな由良之助に、もともと不安はなにもない。だから舞台の楽しみはむしろ染五郎の寺岡平右衛門が、どれくらい演じるてくれるか、だった。妹おかるは、中村芝雀。
染五郎には気の毒に、前回観た玉三郎のおかると、仁左衛門の平右衛門のおもしろかったのが、われわれの目に焼き付いている。由良は吉右衛門だった、あの舞台は、おもしろかった、じつに良かった。
若い染五郎に、いま仁左衛門のあの余裕の緩急は望めない。また芝雀のおかるでは、わるいが物足りない。仁と玉との兄妹立ち合いは、観客を笑いに引き込むほど愛らしさと軽さとを、藝で味付けし、じつに旨かった。今の染五郎にそれは望んでもまだ無理だ、ただもう大声と大きな身振りとで騒々しくなるばかり。わるいことに芝雀までが、きゃんきゃんと騒がしく図に乗るから、いそがしい騒がしい割に、内面の悲壮・苦渋が、じわじわともにじみ出てくれない。
身請けの相談をうけたおかるもタイヘンなら、平右衛門の内面は、火と氷とが渦巻くようなタイヘンな苦しさ、の筈。
なにしろおかるの父も、夫勘平も、もう死んでしまっていない。おかるは知らない。その上に、由良一大事の仇討ち本心が、妹おかるに知られてしまったらしい危機一髪にも、兄平右衛門は気づいている。所詮妹を「殺さねば」という決断に迫られ、さて兄は妹をどう騙し討つか。斬り殺せるか。
染五郎と芝雀とはそういうフクザツな味を、頭で知解はしているだろうけれども、からだとことば、つまり「科・白」の表現として白熱させる、それだけ真の熱源がまだ持てていない。理解していない。あたら面白い舞台を、「熱演」だけのかなり忙しいからまわりへ、追い落としていた。
残念だが、どうにも気の毒に、玉三郎と仁左衛門という一日の長どころか一週間の長ほどの舞台映えが、こっちの頭に残っていた。残念残念。

* 夜の部の開幕は、『寿曽我対面』で昼の『車引』に類した大歌舞伎。
こちらは堂々の座頭中村富十郎の、威よりは内情に含みを持たせた工藤祐経が、ガンと舞台を支えてくれるので、「十郎」橋之助、「五郎」三津五郎の曾我兄弟も大きく力強く引きつ。座頭役の凄みというものに引っ張られ、若者の威勢が盛大に華やいでくる。三津五郎の時致けっこう、とても楽しそうに噴火して、見せた。橋之助は、黙っていれば立派。ものを云うと声が割れて耳に騒ぐ。どうにか自省の道があるだろうに。
歌昇の小林朝比奈がなかなか地力を響かせ、古怪な芝居味を添えてくれた。
妻もわたしも、『車引』とか『対面』とか、こういう味わいの歌舞伎が気に入っている。歌舞伎の楽しみに馴染んできたということ。

* 『口上』についで、三つ目はこれも本命の一つ、先代幸四郎がことに手に入れていた『熊谷陣屋』だ。一昨年十月の歌舞伎座舞台と殆ど同じ顔ぶれが、格別の銘々熱演で、幸四郎の熊谷を大いに盛り立てた。
芝翫の「相模」の気の入れ方にビックリしていると、誘われて敦盛生母魁春の「藤の方」も、品位気迫十分に眦を決していた。
段四郎の「弥陀六」など、怖いほどの充実で、最良の弥陀六を創っていた。
「義経」は、むろん梅玉で極めが付く。前の舞台と代わっていたのは松緑の堤軍次だけで、この松緑が真率、いつもながら好感の持てる役者である。
幸四郎の熊谷直実も、まえの由良之助とおなじく高麗屋の家の藝という以上に、当代にとっていちばん身にあった役であり、それでも随所に、おお今日はそうやるのですか、そこまでもってゆきますかと声をかけたくなるほど、細々とした配慮で「役」に対し律儀に新しく鑿で彫りを生んでいる。幸四郎やナアと思う。そして涙する。

* さて大ギリ、大の楽しみは、次代の高麗屋をになう市川染五郎の『春興鏡獅子』だ、高麗屋で女形踊りの「弥生」役をやれたのは染五郎が初めてだろうと思う。お父さん幸四郎の、二人のお祖父さん先代幸四郎や初代吉右衛門の「弥生」なんてのは、想像がつかない。だから楽しみにしてきた。
いやもう前シテ「弥生」の出の、美しいことは。ぞくぞくっとする美しさで、春色にとろけそうに、みごとな処女美の横溢。衣裳も清艶。そして絢爛の牡丹の間で獅子へと狂い行く所作の変幻。
もっとも、染五郎の「前シテ弥生」の踊りは、まだ熟していない。踊りの「手ごと」を精一杯美しく追って行くが、比べては気の毒だが「関扉」の小町・櫻の暢達自在、内外純熟、「所作」であることすら意識させない・意識していない福助自在の腹の出来た舞踊には、まだ染五郎は、少なくもこの演目では成れていない。そしてそれは無理もない、まだ。おお、まだ、まだ、と何度書いたろう。
ただもう光る美貌と清艶。これは歌舞伎の宝物だ。
そして、後シテの獅子の狂いになると、もう染五郎の生彩と天性の熱気が爆裂する。舞ってました、そして待ってました!
痛快至極の嬉しさと楽しさと、みごと清まはっての爽快感に満たされ、歌舞伎座を出ると、雨はあがっていた。飲まずにおれない。

* 前から三列の19.20番、絶好の席をもらっていた。口上でも、由良之助でも熊谷でも、弥生でも鏡獅子でも、手の届く親密感で高麗屋父子の視線をとらえながら、舞台に気持ちは吸い取られて行く。
嬉しかった。感謝した。幸四郎夫人の藤間紀子さんにもありがたく礼を言ってきた。
2008 2・12 77

* このところ演劇人(準演劇人)の文章をトビトビだけれどよく読んできたなと思う。
観世流のシテであると同時に新劇や映画の優れた演技者であり、また演出家として世界をまたにかけて国際的にも国内でも亡くなる間際まで大活躍された観世榮夫さんの自伝『花から幽へ』の鑑賞力の創造的であったこと、生涯「今・此処」に足をおろして真っ向揺るがなかった「意志の演技者」のみずみずしい感性に、終始わたしは息をのんで接した。
またこの二年というもの、毎月、「高麗屋の女房」さんから贈られてくる「オール読物」で、松本幸四郎と松たか子との父娘演劇人としての対話「往復書簡」を読み続けてきた。
幸四郎の演劇体験が歌舞伎舞台にだけあったのでないことは、世界的に周知のこと。シェイクスピアの四大悲劇をはじめ、ミュージカルにも創作劇にも現代劇にも真価は隠れもない。しかもこの人は、感性の上で思索し工夫を凝らす深切な演劇人である。多くの回想や思索や工夫の言葉には、にじみ出る叡智が感じられる。まずたいていの人が足下に及ばないと知って、そして励まされている、その意味では優れて指導的な役者である。
松たか子。この人についてわたしは、こう一言言えば済む。初めてテレビのスクリーンに登場(『華の乱』の今参局ではなかったか。ついで淀殿ではなかったか。)してきた瞬間の驚嘆から今日まで、一度も期待を裏切られたことのない逸材と。その感性の豊饒と用いる言葉の適切も、なみの物書きの及ばない冴えをもち、その才能の全部を、音楽も含めて演劇的表現の全面に生かしている。父幸四郎との往復書簡でも、思索も姿勢も行文もすべて役者魂を漲らせてぶっつかっていた。最終回の文章もわたしは読み終えたところだ。
いま一例をいえば、歴史学者である色川大吉さんの最近の著書だ。
この人は、青年期に新劇の演出家を心がけた人であり、夫人もその世界にあった人のようだ。だがそれを云う以前に、昔風の言葉で謂うと、真実インテリゲンチァであり、やはり豊かな感性の上に知性のかぎりを真っ向「今・此処」に注ぎ込んできた人だ。言葉も姿勢も真摯なのである、ひゃらひゃらしていない。本当のホンモノの本質をつかむためなら、尽力を惜しまない。
その一例をいえば、この敗戦後の氏は貧苦とも必死で頑張らねば生き抜けなかったが、そんな中で、中国から来た京劇を観るために、ソ連から来たボリショイバレーやチェーホフ劇を観るために、どんなに奮闘して働いて入場料を稼いだか。そしてその鑑賞体験をどれほど張りつめて見事な言葉で当時の日記に書き残していたか。
とにかくも榮夫さんでも幸四郎でも色川さんでも、勉強が廣く深い。渇くほどの熱心で視野をひろげて勉強し続けていたことがよく分かる。
2008 2・23 77

☆ 雀右衛門の居眠り  麗
舅は歌舞伎に詳しい。
金沢から大学進学のため上京して以来,歌舞伎座の一幕見に通ったと言う。それは,老いて足が弱り,歌舞伎座の階段が登れなくなるまで続いた。
そんな「一幕見」を初めて体験した。前売りでは無駄になる可能性があったからだ。
羽田から,キャリーケースをゴロゴロと引きずり,歌舞伎座へ向かった。一幕900円也を支払い,重い荷物を持ち上げて,赤い絨毯のはげかかった階段を登る。この急な階段を,舅は何十年も上り下りしてきたのだ。しっかり見てきて,伝えようと思った。
「そんなこと,僕は全部知ってますよ。」
と返されるのが,お約束だが。
二月大歌舞伎の「一力茶屋」から,「寿曽我対面」,「白鴎27回忌追善口上」まで観ることができた。傑作だったのは,最後に観た,「口上」。
幸四郎が,「身内だけでシンプルに」と言う。舞台には,雀右衛門,幸四郎,吉右衛門,染五郎,松緑の5人が並び,主に幸四郎が述べた。
稽古をつけられた子ども時代。絵を描くのが好きで,背景の襖絵の「松」は,白鴎の原画を元に,松竹の大道具の皆が描いてくれたこと。闘病時,妻が痛む足をさすってやりながら,
「バレンタインデーにチョコを差し入れたのは,巡業でどこに行っている時だったかしら。」
と語りかけると,
「松江だよ」
と,意識を取り戻して応えたこと,そのときの二人が,新婚時代のように微笑み交わしていたこと。などなど。
「この親子,兄弟は,同じ楽屋で一言も口をきかないほど仲が悪い。」
という噂は,はたして本当なのかしらん,と思われるような,ほのぼのした挿話が続いた。
幸四郎が語る間,他の4人は平伏しているのだが,ふと,向かって右端の,雀右衛門の肩が目に留まった。
ほんの少しずつだが,下がってゆく。
まさかと思ううちに,手の甲が,これも少しずつだが,前に出てくるのも,目に付いた。
まさかまさかと思って,隣の松緑を見ると,平伏しているはずの頭が,雀右衛門をうかがうように,ほんの少しだが,傾けられている。幸四郎をはさんであとの二人は,「お辞儀福助」人形のように,正面向きで平伏したきり,微動だにしない。
雀右衛門に気を取られたためか,このあとの幸四郎の話は,残念ながら記憶にない。
幸四郎が声を張り上げた。
「皆様がたには,隅から隅まで,ずずずいいいいと,」
拍子木! ここで全員が,「お辞儀福助」の姿勢から,ぱっと上半身を起こした。もちろん雀右衛門も。
「…おん願い,奉りいまあすううう…。」
全員,再び平伏。幕が引かれた。
重い荷物を提げ,階段を下りつつ思った。舅にこのことを話したら,何と答えるだろう。
「なあに,よくあることですよ。雀右衛門も,もう80過ぎなんだから。」
と,軽くいなされる,だろうか。

* ハハハ。能を観ても、歌舞伎を観ても、いねむりは、つきもの。観客だけが ねむい。まさか。舞台の真ん中で、ひとり、えんえんと、じいっとしたままの役にいる、たとえば「十種香」の武田勝頼なんか観ていると、気の毒になる。
「口上」のときなど、ひょっとするとチャンスじゃあるまいかと想像している。あの日はただの五人列座というイキな趣向でラクであったろうが、それでも雀右衛門丈、うとうとされたでもあろうなあ。
追善の記念に戴いた扇子はあの松の繪で、佳いものだった。高麗屋は、大勢さんに口上で居並ばせるのを、きっと遠慮されたに違いない。襲名ならいいが、追善はあれで気が利いていてよかった。
いつもいつもわたしの勝手な感想なんかと今回二月の遠し観劇感想は「mixi」へは遠慮したが、「麗」さんに思い出させてもらった、ありがたい。染五郎の「鏡獅子」も観て欲しかった。

* きつい贔屓で、いまの染五郎にはいちゃもんも平気で付けたりしているけれど、わたしの歌舞伎好きこの先の望みは、父や祖父幸四郎のしてきた「弁慶」「熊谷」「松王丸」「由良之助」「俊寛」などを、息子の染五郎で立派に観てみたいこと、それだけでなく「道成寺」「揚巻」「夕霧」など、父や祖父に出来なかった立女形ぶりの舞台もぜひ観てみたい、と。舞踊が大事と。贔屓の引き倒しにはなるまいと、大成を期待している。

* 五月、新橋演舞場で染五郎は幾つも役をもらっている。そして月末には京都南座で三響会。染五郎は船弁慶の知盛を、また安達ヶ原の強力を亀治郎の鬼女とで演じる予定。ちょっとソソラレルなあ、京都にも。
2008 2・27 77

* 歌舞伎座へ行くと売店で綺麗な鈴を買ってくる。鈴の音色が好きで、つい買う。自転車のハンドルに吊している。お連れがあるようで気が晴れる。この機械の目の前に赤、白、緑の花柄で包んだような大きめの鈴がつるしてある。ときどきつついて鳴らしている。昨日はセーターの胸にくっつけ、猫の気分で家の中を歩いていた。黒いマゴもむろん鈴をつけている。
今朝はよく晴れて明るい。書庫の屋根庭で梅が花をたくさんつけてきた。物干しに鎮座してマゴは梅見のお行儀。わたしの眼は、朝からの機械原稿の点検や湖の本の校正で、霞みに霞んでいる。
2008 2・29 77

* 自祝  これやこの 四十九年つれそひて
花待つ老いの 弥生 歌舞伎座    湖

* 昼に、仁左衛門、福助それに左団次、秀太郎の『廓文章 吉田屋』があり、夜に藤十郎の『京鹿子娘道成寺』が、団十郎の押戻し付きであり、この二つにどうしても惹かれ、昼夜を通した。この二つ、期待を裏切らなかった。十分楽しんだ。

* 昼の開幕に、我當の「翁」、翫雀・歌昇の「三番叟」、梅玉の「萬歳」、扇雀・孝太郎の「屋敷娘」という所作事三種で爛漫の『春の壽』としたのが、われわれの結婚四十九年を祝って貰ったようで、心持ちよかった。いずれもちゃんと踊りが楽しめたのは嬉しく。
『一谷嫩軍記』の「陣門」「組討」は、演し物としての魅力が感じられず、寝ていた。
菊五郎の『女伊達』は、以前の芝翫のより趣向が映えたものの、音羽屋はふとりかえって重苦しく、むしろ見苦しく、秀調・権十郎の男伊達や若い者たちの献身的な所作がいい風を感じさせた。

* 『吉田屋』はことにわたしの好きな演目で、先代の勘三郎・玉三郎でごくまぢかに夕霧・伊左衛門を堪能して、以来、いろいろみている。やはり玉三郎の夕霧が多く、伊左は、鴈治郎(今の藤十郎)仁左衛門が不動のはまり役だが、むかしは、我當や富十郎も勘九郎も見せた。濃厚な味では山城屋、さらりとめでたくは仁左だろう。
福助の夕霧初役に期待していた。おとなしく情味の静かな夕霧を創っていた。福助はあれでいい。

* 「組討」は団十郎が熱演しているのは分かっていたが、ほぼ寝て過ごした。あとの弁当場で、「吉兆」雛の弥生御膳がとても旨かった。白飯のおかわりをしてしまい腹が張ったほど。
昼がはねたあとは「茜屋珈琲」で休憩。妻は凝った蓋ものの器でマスター自慢の「ショコラ」に満悦。わたしは佳いカップを選んでもらい、珈琲。この店は何を注文しても千円札に五円玉のおつりが来る仕組み。

* 夜の出だしは、『御存鈴ヶ森」で、芝翫の白井権八に富十郎の幡随院長兵衛という、人間国宝の二人芝居。いやいや左団次、段四郎、彦三郎まで付き合って。しかしこれは芝居そのものがつまらない。
幸い、危ぶんでいた御大芝翫が、さすがに佳い所作をみせて切れ味美しい芝居をしてくれて、感謝、拍手。このまえ若い七之助と芝翫息子の橋之助で、げっそりするほど退屈した印象を、あざやかにご老体たちが書き換えてくれた。名優は名優。それにしても、下らない一場。

* 喜寿七十七山城屋藤十郎の『道成寺』には、脱帽。踊りを玉三郎のように磨き上げて綺麗にという行き方でなく、「娘・白拍子」のナマの躰が粘っこく弾む色気をば大胆に構成し、すばらしくリアルに踊って見せた。感嘆。それに、なんと美しい、なんと若々しい。団十郎は荒事でどっしりとお付き合い、ご苦労様。
道成寺は、いつ誰で観ても楽しい。

* 大切りは菊五郎と時蔵とで『江戸育お祭佐七』は、にぎやかだが、やはりばからしい世話物で、佐七の浅はかな馬鹿さかげんで、ちっとも盛り上がらない。
気っぷは気っぷでも、随処の佐七のミエも決まりわるく、ま、詰まらない芝居なのであるから、しまらない。わたしが一人なら失敬してどこかへ飲みに行っている。

* 天気予報通り雨。銀座一丁目まで歩いて有楽町線で帰った。どこへも寄らなかった。保谷では雨も止んでいて、駅からのタクシーにもすぐ乗れた。
一日、楽しんで来れた。よしよし。来年の今日も元気に迎えたい。
2008 3・14 78

* 昨日終日留守にしていた間に、太左衛さんから十代目望月太左衛門追善の会のお誘いが来て、浅草の雷おこしまで頂戴していた。富十郎父子の特別出演もある。ぜひ、行きたい。
おこし菓子が、とても食べやすくおいしく出来ている。ゴロゴロ会館でも売っているのかしらん。

* 望月太左衛様
偲ぶ会のお知らせを頂戴し、また懐かしい美味しいお菓子も頂戴しました。有り難うございます。
偲ぶ会 嬉しく有り難く拝聴拝見にあがりたいと、あつかましくお願い申し上げます。連名のなかの太左さんとは、もしかしてお嬢さんでしょうか。(=実は母上)
昨日は歌舞伎座で昼夜、長左久さんにおめにかかってきましたよ。歌舞伎座には毎月のように通っています。老いの一の楽しみです。
ちょうど昨日は私どもの結婚して四十九年めでした。「春の壽」に、言祝いでもらってきました。
これやこの四十九年つれそひて春待つ老いの弥生歌舞伎座  湖
ご活躍をこころよりおよろこび申し上げます。   秦 恒平
2008 3・15 78

* そういえば昨日歌舞伎座で、松嶋屋の番頭がぼりぼりやってくださいと呉れた「かき餅」も、香ばしい豆入りの、洒落ておいしいものだった。我當のところは、洋菓子の「ガトー」だとか、よく、ひと味ひねってセンスと趣向のおみやげを用意しているのが、おもしろい。
2008 3・15 78

* 高麗屋の奥さんからもメールがあった。四月の帝劇『ラ・マンチャの男』に触れて、幸四郎初演の昔の思い出話など聞かせて貰った。
これも楽しみ。
また五月には、新橋演舞場で、播磨屋組の歌舞伎一座があり、昼夜に染五郎が四役で出る。観たい。
ことに夜は『四谷怪談』の通し狂言。伊右衛門は、中村吉右衛門。お岩はいま期待の中村福助。前に中村屋で観て、彼はあわれ深くお岩さんを演じたが、若い福助は、いま意欲的なこの成駒屋は、情味の奥の凄絶なお岩を、まっさらのチューブから絵の具を絞り出すように演じそうな気がする。まさに怖い物見たさに、予約したのである。
昼は所作事のほかに初めて観る『一本刀土俵入』がある。
2008 3・15 78

* 朝いちばんに、と云いたいが「夢見」に揺すられ、少なからず寝坊した。小蛇の夢を観た。だれかが白い布にその蛇をぐるぐるくるんで片づけたが、どこへ片づけたのかが、夢の中で気になっていた。二日続けて花粉に眼をやられ、ぼんやりした視野と睡魔(と云うより目をあけていたくなくて、それでウトウトするのだが。)のせいで疲れていた。

* そんな寝起きの一番に、四月帝劇『ラマンチャの男』の日が決まったと、幸四郎事務所の親切な報せ電話が入った。感謝。
2008 3・17 78

* 好きな市川亀治郎のテレビインタビューを楽しみながら簡単な昼食、そしてデスク仕事。少しの休憩に機械の前へ。
2008 3・17 78

* 国立小劇場で、十代目望月太左衛門を盛大に「偲ぶ会」があった。長女の太左衛さんのお招きで、夜の部へ、すこし雨降りだったが妻と出かけた。
当然ながら、番組の全部を、最初の「獅子」から、大ぎり、人間国宝中村富十郎の洒落て清潔な踊り「七福神」まで、心底楽しんできた。鳴り物はほんとうに陽気で楽しい。人間国宝の杵屋喜三郎、杵屋伍三郎、杵屋巳太郎、また笛の鳳聲本家分家の両家元らほか、特別出演、賛助出演の顔ぶれがすこぶる豪華。
そういう出演者にがっちりまわりを守られ固められながら、一門門弟たちの晴れ舞台となる演奏も、緊張と上気と懸命さとで生き生きと盛り上がる。鼓、大鼓、太鼓、笛、三味線など楽器が生きて弾んで唄ものびやかにみな美しく聴かせた。
二時半に家を出て、帰宅したのが十一時前。

* 次から次へ快調に番組が運んで、夕食も抜きで、お囃子に聴き惚れた。わたしの図体が自然に動き出す。音曲のリズムに反応して楽しみながら、拍手また拍手と、嬉しい長時間であった。妻もすっかり大よろこび。鳴り物の会は、退屈ということが全然無いのである。それに望月一門、少し見慣れていて、顔なじみの藝人さん達も何人もいる。すこぶる惚れ込んでひそかに内心贔屓の人もいる。
魂もとびそうになる。
なかでも、祖母太左(大鼓)、母太左衛(小鼓)、孫娘真結(太鼓)に笛は鳳聲晴雄の「石橋」のみごとだったこと、唄のたては喜三郎、三味線は五三郎。
みごとなアンサンブル、凛々しく成長した真結ちゃんの凛然と鳴り響く太鼓の格調。わたしは感心して泣けてしまった。太左衛さんの鼓のよく鳴ること鳴ること、舌を巻く。この人、もし男だったら、と、思う。どんな名人になって歌舞伎囃子をリードしたかと思う。元気という言葉の深い意味はこの人の音楽のためにある気がする。
また、たぶん家元太左衛門の男の子であろうまだ幼い二人の、ことにちいさい弟大貴の「獅子」の太鼓のあざやかさ。もはや練達といいたい音色、撥さばきのきびきびと美しかったこと、これも喜三郎の唄、五三郎の三味線、鳳聲晴之の笛に太左衛門、左吉の小鼓が揃って、開幕の第一番を無類に盛り上げた。
そして更には、家元太左衛門と、やがて望月朴清を嗣ぐという弟長左久とに、男勝りの名手姉太左衛が加わっての「高砂丹前」も楽しかった。唄と三味線に人間国宝の二人を得た長左久とたぶん子息かが小鼓を打ち鳴らした「橋弁慶」もさすがに立派で、堪能した。 今晩は何度も、聴いて興奮して、涙をながしていた。ドライアイのこのごろにはそれも大の恩恵であった。
「舌出し三番叟」「竹生島」につづけて笛をつとめた望月美沙輔の姿勢の良さ、笛の作法の正しさ、また演奏の安定のよろしさ。達人と見えて感嘆。
そして最後に大好きな富十郎がさわやかに袴姿で踊ってくれた。幸せを覚えた。
すべてを終えて舞台からこころよい佳い挨拶があり、三本締めで締めてきた。小劇場の外は雨も上がっていた。少し寒かったが永田町から地下鉄で保谷まで。云うことなし、いい半日のよろこびを満喫してきた。

* ありがとう、太左衛さん。感謝、感謝。

* 家に帰ると、岡山の有元さんから、備前焼を頂戴していた。これから荷を開かせてもらいます。ありがとう存じます。
2008 3・20 78

* 成駒屋から六月の渋谷文化村コクーン歌舞伎の案内が来た、いわば勘三郎一座の『夏祭浪花鑑』だというから、楽しみも楽しみ、すぐ座席の予約を入れた。
同じ芝居の初演を観て度肝を抜かれた嬉しい驚きは、今も胸にドキドキと残っているが、たしかアメリカでも大爆けに爆けてきた演し物だ。
むろん中村屋のことだ新機軸を出すに違いない。四月五月六月と手に汗して劇場通いが楽しめる。
2008 3・24 78

* 幸四郎と松たか子父子の「往復書簡」が完結。
最後をしめくくるお父さん高麗屋の分が、いましがた、奥さんの手で贈られてきた。幸四郎丈自筆の手紙が入っていて嬉しく、恐縮している。
「日ごろでは話せない事 又 伝えたい事など書簡でたか子と交流が出来ました事 ありがたく思っています」とはさこそと思われ、羨ましい。
「秋には一冊の本にまとまるそうでございます。 先生がお気づきの所などございましたら お教え下さいませ。」また「四月は帝劇でお待ちしております 奥さまにもくれぐれもよろしくお伝え下さいませ」と。
2008 3・25 78

* 予約の歌舞伎座へ。昼夜六つの演目の、半分が初もの。そして仁・勘・玉の「勧進帳」、仁・玉の「熊野」、そして勘三郎の宙乗りがある。勧進帳や宙乗りの夜の部の席が花道ちかくすこぶる好い。ありがたい。楽しみ。
2008 4・16 79

* 何処にも寄らず銀座一丁目から有楽町線一本、座って帰ってきた。十時半。これは早い。
2008 4・16 79

* 歌舞伎座昼の部、最初の『十種香』は、片岡我當の長尾謙信がすばらしく、大柄でいわば図式的な芝居の要を、堂々の威厳と貫禄と実意で占めて、精良の舞台を仕上げてくれた。座頭役とはこういうもの、と、お手本を観たようだった。秀太郎の濡衣は定評あるきまり役。
八重垣姫に独特のねっとりとした濃厚さにはやや淡泊に美しいが、時蔵が、可愛らしい姫のあられなさを好演した。
さて武田勝頼役は、梨園一二をあらそう美男子の橋之助がとびきりの姿のよさで登場し、この役者のトクなところが舞台に晴れやかに花咲いた。しかし彼は「歌舞伎声」がかすれて空(す)けてしまうといういわば弱い病気を持っている。口を利かなければそれはそれは美しい大きないい勝頼なのだが。
我當謙信に呼び出されて、勝頼の討手にさしむけられる錦之助と団蔵との武者ぶりが楽しかった。前半に姫と濡衣という女ふたりがごちゃごちゃやるのを、後半に、豪勢な謙信と颯爽の武者二人とで凛々と引き締める。長い芝居の此「十種香の一幕だけでは通りにくい筋道もあるのだが、構わず、華やかな中に分厚い魅力の大歌舞伎ぶりを堪能させてくれたのはよかった。我當がこういう嵌り役で隙のない大役を決めてくれると、歌舞伎座へ出向く嬉しさが倍にも三倍にもなる。持病の立ち居にも今日は不安がなかった。
我當番頭の大久保さんに「我當よかったよ」と感謝。おみやげに、美味しい洒落た豆煎餅を呉れた。

* 吉兆の卯月御膳、けっこうであった。あぶらめであったか吸い物がうまく、いつものように鯛は逸品、筍も木の芽も季節の薫りいっぱい。満足した。

* 二つめは、玉三郎がこのところ熱心な能取物で、今日は『熊野』を。
開幕の背景画、宗盛邸内をやや鳥瞰的に池まで眺めおろした風情が斬新で清潔な広やか。感嘆、嬉しくなった。あの把握は、参考になる。二場目は、お定まりの清水山に咲き溢れる櫻、櫻、櫻、また櫻を清水寺の舞台から眺めて。清閑寺まで見通せそうで、昔懐かしい。
この芝居では、「宗盛」をどう書くかがポイントなのだが、仁左衛門の貴公子然とした端正なままの公卿宗盛では、詮もない。宗盛という男、平家の総帥にもなって必ずしも悪くなかったけれど、根にクセがあり、凡庸でも苛烈でも好人物でもアホウでも賢くもあった。熊野への寵愛も、意地悪なほどの執着も、哀れ知る決断も、簡単には割り切れない宗盛ならではの奇妙な性質に起因する。それが表現されてこそ、少なくも理解されていてこそ「熊野」はドラマになる。故郷に病篤い母を持って帰心にはやる熊野その人の内面は、劇的な意味では簡明で単純で、じつはこのドラマの主人公とはいえない芯柱なのである。
玉三郎はそれを理解していない。仁左衛門も玉三郎に付き合ってただ坦々と宗盛を演じた。歌舞伎劇としての「熊野」は、淡泊に味の薄い、ただただ美男美女のおおまかな所作事におわってしまい、わたしの期待からは大きく逸れた。玉も、仁も、なんだかこの舞台では初めて「老けたかな」という印象すら得た。悪いとはいわないが、佳くはない。期待には背く能取物でおわった。
このまえの『羽衣』の方が劇的だったし、『鬼揃紅葉狩』は傑作だった。

* 三つめの長谷川伸原作の『刺青奇偶』は、駄作だった。勘三郎は好きな役だろう、人情劇仕立て。だが、原作も脚本も読者や観客を下目に見て、この程度の人情で客は泣くだろうと安易に泣かせにかかっている、が、その軽薄も何も、やっているこがうあまりに古くさい。勘三郎と玉三郎との熱演は当然にある種の感動を私の胸にも運んではくるが、総じて通俗な講釈物での、張りのない人情劇で終始した。仁左衛門のばくち打ちの大親方もわるくなかったけれど、この程度のこんな安直芝居を歌舞伎座で高い木戸銭で観たいとは思わない。低級な時代劇。空気がすかすかと抜けていた。

* 昼打ち出しの合間に、茜屋珈琲へ。妻は紅茶のストレートがおいしいと満悦。わたしは珍しいみごとなカップでのコーヒーに、満足。マスターに、いつものように新刊進呈。

* 夜の部は、真山歌舞伎『将軍江戸を去る』から始まる。三津五郎の前将軍慶喜はしっくりと適役。橋之助が大柄な山岡鐵太郎を好演、この大役に、わたしは強い好感を得た。この若い成駒屋は、こういう大きな強い役が合う。白塗りの二枚目の美しさは水際立つけれども、たいてい動き少なく橋之助生来のダイナミズムを生かし切れない。けだし山岡鐵太郎のごとき豪傑はかえってどっしり嵌るのである、魅力溢れて。そういう意味と方面とでわたしは橋之助に期待している。彼はいつか勧進帳の弁慶も大舞台で披露できるはずだ。
勤王と尊皇とのちがいなど、例の理に勝って一種の臭味もある真山劇ではあるが、断然長谷川伸らの通俗講釈人情劇より、かなり高いところを飛翔していて、侵しがたい独特のいわば「文体」、あるいは「劇体」を備えている。慶喜や山岡らの尊皇にも勤王にも徳川にも江戸にもほとんどわたしは囚われないけれども、成駒屋と大和屋との今日の舞台は、胸打つに足る気力をもっていた。満足した。

* さて今日の歌舞伎座の眼目は、期待は、何といっても『勧進帳』。
仁左衛門の武蔵坊弁慶が、爆発的によかった。勘三郎の富樫は期待したとおりの関守の心情を、壮烈に心優しく表現した。玉三郎の義経は、もう何度とは観ることの出来ない逸品だった。友右衛門、権十郎、高麗蔵、團蔵の四天王は、期待できる最良の競演の一例だろう。
わたしは、声の漏れるのを抑えかねたほど泣けた。仁左衛門という歌舞伎役者の大きさと魅力とを、今日もまた最高の役で深々と納得した。惚れた。あきらかに幸四郎、吉右衛ら門とはまた一風の大きな姿、美しい力感の弁慶であった。目が凄いほど大きく深い光を湛えていた。
前から七列目の七、八という、花道に手のふれるほど間近い絶好の位置にいて『勧進帳』の花道芝居を、六法跳びまで、つぶさに役者と目を合わせて観られたのは幸福だった。カップの大関がそれは旨かった。

* キリの芝居の井上ひさし原作により、勘三郎が宙乗りで天上して行くどだばた笑劇『浮かれ心中』は、正直のところ、つまらなかった。なんでこんなものを歌舞伎座で観るのだろうと、笑いながらシラケていた。脚色もだらけてしまりなく、戯作でもなんでもない、つまりヘンなものでしかなかった。
『十種香』の美しさ、『熊野』の優美さ、真山劇の志、勧進帳の劇的真実に対して、なにものも、独自の表現と意志とを「演劇」として提示出来ず、ただ、生まな「言葉で」意図を「説明」していたが、説明抜きには劇的魅力は表現できていなかった。つまらなくて。好きな好きな勘三郎の芝居だから、あはあはと笑っておしまいまで付き合ったが、二度も三度ももう帰ろうかと妻に囁いたほど。

* 大喜利がそれであったから、嬉しい興奮で呑んで帰ろうかという気がしなくて、さっさと家に帰ってきた。
だが素晴らしい我當の長尾謙信が観られた。すばらしい仁左と勘三と玉三との勧進帳に腹の底まで大満足した。三津と橋之助との『将軍江戸を去る』も胸に食い込んだ。楽しかった歌舞伎座にちがいなく、それにはやはり「勘三郎の顔」を見た嬉しさがあったに間違いない。
2008 4・16 79

* インターネットは夜の十時半まで動かなかった。ま、動かないならそれなりの仕事の仕方はある。
高麗屋の奥さんにわざわざ録画したのを頂戴していた、真山青果『元禄忠臣蔵』三ヶ月通し興行のディスクから、最初の吉右衛門内蔵助版をずっと仕事の傍で聴いて、観ていた。熱演である。歌昇の堀部安兵衛が水を得た魚のように力演で、小気味がいい。
2008 4・29 79

* 少し季節はずれだが、吉右衛門と福助とで『東海道四谷怪談』の通し狂言がある。その昼には、染五郎の『毛谷村』などがある。
大相撲夏場所を、正面の土俵近くで、妻と観る。
それから、友枝昭世の能、『求塚』がある。
日本ペンクラブの総会がある。
病院の診察はないが、もう九ヶ月めになる審尋がある。
2008 5・1 80

* 今日も、終幕「大石最後の一日」をのこして、元禄忠臣蔵を観ていた。真山青果の思想に全面感服はしていないが、真山なりに素直に観ていて、やはりホンモノの感銘が舞台から吹き付けてくる。純文学の志操というもの。長谷川伸らの新歌舞伎は、やはり一言でいえば作法も狙いも表現も低俗、オール読物の域を出ない。

* 六月コクーンの平成中村座、「平場で二席」用意できましたと、成駒屋の嬉しい通知。楽しみ。勘三郎と橋之助。扇雀。なにをやってくれるか。一度は同じ芝居をこの顔ぶれで観ているが、こんどはどう演じてくれるか、コクーンにはその楽しみがある。
こういう楽しみを、一月も二月も先へ、岩場登りの手がかりのように打ち込んでおき、懸命にそれへ手を掛け手を掛け、断崖をみおろさずに「今・此処」を這いのぼってゆく。七十の坂のわたしの生活は、それだ。手がかりは、自分で創り出さねばならぬ。遊び回っているのではない。
2008 5・1 80

* 松本幸四郎の勧進帳千回めの上演を南都東大寺大仏殿前で、と案内があった。観たいな。だがなにより先に奈良で宿が必要だ。妻も同行できるかどうかも考える。
七月、松たか子の「家族」を考える恒例の現代劇公演、渋谷パルコでの「SISTERS」は、籤びきかもというのでオソレをなした。藤間さんからどうぞとお誘いがあり、七月は楽しみのない空白になっていたので喜んで好意に甘えることにした。

* せっかく連絡したけれど、返辞を受け取るのにこっちのインターネットが効かないから、まるで手が打てない。心許ない。
しかたなく、あれやこれや片づけ仕事ばかりしていた。もう日付が変わってしまった。
2008 5・3 80

* 今日は新橋で終日、芝居を観る。夜は期待の、福助のお岩さん。前三列目で観るのは心底怖いが、怖いものみたさ。伊右衛門は播磨屋がなんと、初役。昼には、毛谷村などで染五郎が幾役も活躍する。踊りもある。傘をもって出かける。
2008 5・13 80

* 終日、新橋演舞場にいた。昼の部の始めは「毛谷村」で、味の薄い歌舞伎だった。
二つめは舞踊が三つ、まず福助の「藤娘」指づかいの美しさ。えらく愛嬌が良かった。次いで亀治郎と染五郎の善玉悪玉で元気いっぱいの「三社祭」。そして歌昇と錦之助との「勢獅子」が手締めもめでたく。
三つめは吉右衛門の駒形茂兵衛に芝雀がお蔦の、『一本刀土俵入』。二人は好演、今日の京屋は美しく難なく、魅力あった。しかし原作は長谷川伸、例の、1+1=2だけの安い人情劇。それでもまだしもこの舞台は纏まっている方だが、中幕の二場ほどいっそ無いが良い。どうほろりと来ても、人情に、強いて始末を付けてゆく作劇は安っぽい。

* 夜の部は南北の名作『東海道四谷怪談』の通し狂言、期待はこれ。そして期待を裏切らなかった。ものすごく怖い福助のお岩に、吉右衛門の伊右衛門、ふたりとも上出来。
福助は、義兄勘三郎の優しくもの哀れなお岩でなく、面相の崩れをねっちりと凄絶に仕上げてゆくだろうと予期どおりの、本格のお岩崩れを造形した。今夜だけは視力のよわいのを喜んだほど、福助は彼女いや彼が意図したとおりに、怖い怖いそして気の毒なお岩さんを息長く演じきったし、それに相応して初役の吉右衛門が、強悪の伊右衛門の凄みと性根とを、渾身の眼光と体格とで、がっちりく造形してくれた。見応えある妥協のない伊右衛門の根性がよく納得できた。福助、よくやってくれた。だから吉右衛門も応えた。いい舞台だった。

* 劇場向かいの弁当屋が売る笹寿司がうまい。劇場二階でたぐった蕎麦もわるくなかった。酒は飲まなかった。そのかわり、はねてからゆっくり銀座通りまで歩いて珍しく四丁目「ライオン」で二人でヱビスビール。ブルーチーズ、サーモン、そしてチョリソなど三種類のソーセージ。
此処はいい店で、小一時間、旨いビールが楽しめた。池袋経由、帰宅。十時半。
2008 5・13 80

* 昨日の芝居は、昼は何といっても三つ組の所作事が楽しかった。福助、亀治郎、染五郎、歌昇、錦之助という一座の花形に小気味よく踊らせた趣向、美味しく頂戴した。
芝雀のお蔦、味よう出来たのもことに嬉しく、気持ちがほぐれた。吉右衛門の駒形そして怪談の伊右衛門、云うまでもなく豪傑芝居。
福助のお岩は、このようにやってくれるだろう、それが昇り調子のこの成駒屋にふさわしいがと予想し期待したとおり、凄絶のお岩崩し、怖いけれどもおみごとでした。
やっぱり歌舞伎は楽しめる。
昼の部は中央前から二列目で視野広く、視線は短くて役者としばしば目の合うは嬉しいが、夜も此の席だとあんまりお岩さんが怖すぎるなあとヒヤヒヤ。幸い夜は花道にまぢかい前から三列目で、花道芝居もたっぷり楽しめ、お岩崩れにはほどよい距離、あんまり凄いと視線も逸らせ得て、助かった。わたしの場合、眼鏡をはずすとお岩の凄まじい面相もにじんでくれる。
それほど福助のお岩は、かつて観た誰のお岩よりも、面相崩れだけでなく、科白も、声音も怖かった。じつは伊右衛門も怖かった。だから『四谷怪談』は期待にたがわぬ名作なわけで。
ただ、ひとつだけ、歌六の宅悦が律儀なほどお人好しに奉公申しているのが、意外だった。あの宅悦、ふつうはもっともっと悪で好色で、ショウの無い奴なのだが。福助と歌六とでよほどの申し合わせがあったのだろう、宅悦が本気で震え上がらねばお岩の凄みが生きないとは、福助、新聞で語っていた。それはそうだ、が。
段四郎の直助権兵衛は一部トチリがあったものの、意外に若い体躯で、眼光厳しく、さすがだね。

* もう一つ。吉右衛門の伊右衛門の悪に徹しようのみごとはみごと、申し分ない凄みであったが、つまりそれだけ播磨屋に貫禄があるということ。
裏返しにいうと、南北が創ったいわばこの悪党は、じつは、あとさき見ずの思慮無き強欲の若者であり、吉右衛門ではどうしても悪の首領の日本駄右衛門のようになっている。染五郎に伊右衛門をさせたかった、お岩は福助で似合っている。お岩は、もともと伊右衛門が執心したような優なる美女でなければならない、しかも大役であり未経験な若い女優、じゃない女形では間に合わない。トウがたっていても困る。役者で云えばお岩役よりすこし若めの伊右衛門でちょうどよい。
『櫻文章』で玉三郎が櫻姫を演じて段治郎が絡んだことがある、ああいう男女の配置でも成り立つほどだから、福助のお岩で伊右衛門が染五郎だったら、そして悪の徹底とあわれと怨念の徹底で張り合ってくれたなら、すばらしい若い精力の舞台が期待できる。次の機会はぜひそれを観せてもらいたい。
「毛谷村」六助ていどのお人好し芝居では、染五郎は生きてこない。
2008 5・14 80

* 晴天。

* 吉右衛門が伊右衛門「初役」であったと知ったときは、すこし驚いた。彼の力量からすればあの程度に伊右衛門の業悪を表現するくらい何でもなげに思われる。福助はあれが何度目なのだろう、あの工夫には「前回」があったであろう。
2008 5・15 80

* 六月歌舞伎座、昼の部の座席券が届いた。高麗屋『薄雪物語』の通しに、福助・染五郎の踊り。夜の部は遠慮し、しばらくぶりにフレンチの「レカン」でも楽しみにと。先日夕刻、銀座一丁目から帰ろうとしていたら、顔なじみのシェフと料理長がお揃いで路上に出ているのにビックリした。「どうしたの」と立ち話。客引きらしかった、また来るからと約束してきた。
2008 5・21 80

* とめどなく仕事がある。同じ所を歩き回って狐にバカされているような気もするが、結局そうではない。始末しておくしかないことを始末しながら、やはり前へ出ている。
なぜか今になり眼の調子もいいが、調子に乗らずもう手をとめたい。
あすは、『新薄雪物語』を通しで観る。染五郎の所作事がキリにある。あすは昼の部だけにした。
そして京都へ。今月は叔母ツルの命日を迎える。
2008 6・3 81

* 今日は半日のことであり、天気も梅雨の晴れ間らしいから、シャンとした格好で出て、はねたあと少しいい食事を楽しんで帰ろうと思う。気を晴れ立たせたい。
2008 6・4 81

* 『新薄雪物語』は、詮議の場や合腹の場に大物の役者がしっかり揃わないと成り立たない芝居。
今月は、芝翫、富十郎、幸四郎、吉右衛門、彦三郎、段四郎、魁春、芝雀、福助、歌昇、錦之助、染五郎と揃った。富十郎が葛城民部と秋月大膳という立場の違う押さえ役を、序幕と二幕目で、段四郎また彦三郎との掛け合いで、きっちり大きく演じてくれた。ゆるゆると運んで行く展開にみごとけじめをつけた。
合腹の場面で幸四郎の園部兵衛、吉右衛門の幸崎伊賀守とガチンコの競演。この場面だけでもこの芝居に客は入れ込む。
その上に兵衛妻の梅の方は此処で、非常に難儀な「三笑」の一角を占めるが、芝翫が、大芝翫といえる底力をみせ、したたか観客の涙を絞った。
物語はたわいなくまたどこか半端なつくりものであるが、歌舞伎では、とかく主君のために親が子を殺して犠牲にする場面はあっても、父親たちが、錦之助演じる息子左衛門や芝雀演じる娘薄雪姫の身代わりに「合腹」して死んで行くお話など、めったに無い。他に覚えがない。
幸四郎高麗屋と吉右衛門播磨屋のこれはめざましい競演熱演の舞台であり、歌舞伎芝居ならではのまた一つ特別サービースの、大芝居が実現する。
繰り返して云う、その成果を確かにするには、芝翫による梅の方大一枚が加わってこそ。そこの趣向と作劇の妙が、びっくりするほど幕切れへ盛り上がりを産む。なんだかゆるゆると退屈そうな芝居が、ぬきさしならない緊迫場面となって歌舞伎が大歌舞伎に起ち上がるから面白い。
中央の六列目という絶好席で、眼鏡も不要のママ、芝居を堪能しました。ずいぶん拍手した。

* この幕間で高麗屋夫人がにこやかに挨拶に見え、「おげんきですか」と。ちょっと立ったまま話して嬉しい気分、夫君に「いい薄雪物語」に礼を伝えてと言う。

* さて昼の部のキリは福助と染五郎で。はんなり元気に明るく『俄獅子』が出た。愛嬌宜しく成駒屋が手ごと確かに美しくおどり、きりりといなせに若い高麗屋が、おお、仁左衛門のはんなりにだんだん迫るぞ、踊りも格別たしかになっていると、嬉しがらせてくれた。自然にこぼれる余裕の笑みがいい男の表情ににじみ出せば、ガーンと大きくなる。
こういう所作事がこころから楽しめると、歌舞伎が何倍にも面白い。味わい晴れ晴れ、大いに満足して昼の部をはね出された。

* 茜屋珈琲で気安く一休みしてから、ぶらぶらと歩いて三笠会館「秦准春」で中華料理。めずらしいパイチュウを二種類、そして紹興酒。しばらくぶりの中華料理が旨かった。
ためらいなく帰宅して七時。戸外はまだ明るかった。雨にもあわなかった。
2008 6・4 81

* 来週は、コクーンの勘三郎についで、桜桃忌当日にわたしは循環器の診察を受ける。二十七日の「仮処分」審尋までに問われていることを答え、またいずれは始まる「こと」にも、よく備えておかねばならない。
2008 6・13 81

* 明日は、勘三郎の芝居を楽しんでくる。
明後日は心臓を診てもらってくる。せいぜい頭をカラッポにしていたいが、差し迫ってわたしでしか対応できない用事がいつも厳然として、ある。投げ出すことができればいいが、そうはいかない、投げ出せば現実にメイワクする人が出る。
利かぬムリには手を出さないが、義務的な約束事は約束しているわたしが投げ出すことなどゆるされない。少しシンドクても、ストレスになっても、すべきはする。そのかわり楽しむことは楽しみたい。心臓の方が楽しみの障りにならないように願うばかりだ。
2008 6・17 81

* 楽しいこと、楽しいこと。そう、今日はそういう日だ。コクーンで、勘三郎の「夏祭」だ。しかしまあ、なんと薄暗い、胃の腑のまわりだろう。
2008 6・18 81

* 渋谷文化村のコクーンで勘三郎と橋之助らの「夏祭浪花鑑」を見てきた。流汗淋漓の熱狂芝居、観るのは二度目だが勘三郎のわるかろうわけはない、隅々まで気の入った熱演で頭が下がるし、他の役者達も、勘太郎も弥十郎も、よくやっていた。満場総立ちのカーテンコールも分からないではない、みな楽しんでいるのだから。
だが、芝居見物の客の性根はどうだろうか。なにをやってもよろこんで拍手している。それでいいのが歌舞伎だとも言えるし、そんな安易すぎたことでは歌舞伎の面白さは深まらないとも言える。ま、いいか。
わたしの気分は、晴れたとも曇ったままともつかなかった。勘三郎はいいな、やってくれるなという感謝ばかり感じて、それには満たされていたが、心奥の不快な雲はあまり退いて行かなかった。

* 往復とも運良く開通早々の副都心線の、保谷から渋谷駅まで、渋谷駅から保谷までの急行にらくらく坐って乗れた。昼飯は例の松川でうまい鰻。帰りはまっすぐ帰ってきた。各駅でも往きは四十五分、帰りはまだ十分ほど早く。西武線と国鉄とでゆけば一時間かかるのに。ラクになった。
2008 6・18 81

* 七月に俳優座があり、松たか子の芝居もある。八月には染五郎と大竹しのぶの芝居が楽しみ。座席券が届いた。歌舞伎座では勘三郎の奮闘公演だが、日と座席がまだ決まらない。
2008 7・3 82

* 松本幸四郎丈の名前で、佳い浴衣生地が贈られてきた。身も心もすずしく澄んで綺麗になった。ありがとう存じます。
2008 7・10 82

* 高麗屋の女房さんから、ご主人もいっしょにペンの例会でお目にかかれればとお誘いがあったが、あいにくのスケジュールでお断りしなければならなかった。すばらしい舞台と客席とで出逢うのが最高だと思う。
七月には松たか子、八月には染五郎、九月歌舞伎座は初世吉右衛門追憶の秀山祭、そして十月には松本紀保らのチェーホフ喜劇集、これが楽しみ。妻も一緒に若い人を誘って観たいなあと期待している。
2008 7・12 82

* 八月の歌舞伎座は例の勘三郎当番の三部公演、三津五郎も扇雀も出る。座席がとれて、野田秀樹の『愛陀姫』が観られる。オペラ・アイーダをわが戦国時代でどうひねるのだろう。福助の女暫、扇雀等の三人連獅子、勘三郎のらくだ、酒呑童子も紅葉狩もと賑やかだ。

* こんな話題ばかりなら天国だが、腐った匂いがいやでも漂ってくる。
2008 7・13 82

* 東京を出て行く人たちも少なくない。わたしたちは、居残って染五郎・大竹しのぶの芝居や勘三郎達の夏歌舞伎を楽しむ。「半蔀」といういい能もある。
息子の代表作にもなりうる『PAIN』が「秦組」旗揚げ公演になる。前評判は上乗と漏れ聞いている。
2008 8・11 83

* 終日、歌舞伎座にいた。楽しんできたが、明日は病院へ朝が早い。

* 今月の歌舞伎座は、三部制。
第一部がいちばん充実していた。『女暫』の福助は初役。このところ福助は初役をいつも気魄と余裕で成功させている。立女形としての自信が漲ってきたのだ。
七之助にひれが付いてきて口跡もゆたかに安定して女形ぶりに確かさとやはり自身ができてきて、かなり安心してみていられる。
三津五郎の手塚太郎光盛には化かされた。ああも背丈を小さく創れるものか、子役かと思ったが、どの子役かなと惑ったほど。
べつだん変わった本舞台ではないのだがいわゆるカブキの醍醐味は溢れている番外十八番。おまけに花道の引き際に「舞台番」でこれも初役勘三郎が出、福助の巴の前とのやりとりで満場を爆笑の渦へ。とりわけ六法を渋る福助に、北島の金メダル二つめを観ないで来ているお客様のためにもやれと嗾す勘三郎のサービスに、みな嬉しく喝采した。カブキ伝来の頓知の嬉しさ。この一幕目で歌舞伎座の夏興行に引き込まれた。
二つめは橋之助・扇雀の両親に、初々しい愛らしいまんまるい国生が子獅子の『三人連獅子』。踊りはまずまずだが、扇雀の母獅子に情がにじみ出た。この際、谷底へ二度もあえて追い落とした子獅子の上に、娘を憂慮するわれわれの気持ちが絡んで、わたしは油然と涙に濡れた。隣席の人はおどろいていたか知れない。
三つめの『らくだ』は本日七つの演し物なか、もっとも纏まりの好い会心の舞台だった、なにしろ勘三郎の紙屑屋久六は「任しておけ」の当たり役、三津五郎の半端やくざの半次も江戸前にしあげた填り役のうえに、死んだ「らくだ」役の亀蔵が、こういう役では天下一品稀代の遣り手であるから、死人が家主夫婦役の市蔵と弥十郎のまえで「かんかんのう」をやる場面など、抱腹絶頭という四文字がこれぐらい当たった場面はない。暑気払いの快舞台でしかも実にほどよく切り上げたのは、大手柄だった。あれで焼き場まで引きずられては堪らない。一等いいところだけで切り上げた『らくだ』は、旨い酒と煮染の何升、幾皿にもまさってご馳走であった。拍手喝采。

* 茜屋珈琲でひとやすみ。わたしは佳いカップでたっぷり珈琲。妻は当店特製の赤い葡萄ジュースに目を細めていた。
三部制は間が短い。すぐに第二部に。一つ斜め前の席に紅書房の菊池さんが集英社の南さん?  と観ていると途中で知れ、双方びっくり、久闊を叙した次第。

* 第二部の最初は川口松太郎作『つばくろは帰る』で、期待薄だったが案の定、東海道の道中と三島宿の場は学藝会なみに味の薄いウソくさいもの。ばっさり切って、いきなり京都「祇園新地」で酔漢に絡まれた舞子役の七之助を、江戸からはるばる造作のために上っていた大工見習い役の勘太郎たちが救う場からはじめて、十分。
この「祇園新地」とあるからは此処はいわゆる祇園のなかでも藝妓ならぬ娼妓の乙部かと観なければなるまい。藝妓の甲部と娼妓の新地とはよその人たちには理解しがたいほど截然とちがっていた。
この新地の「中村」で、福助演じる君香が登場して、江戸から上ってきた棟梁文五郎の三津五郎と対座するところから俄然緊迫してくる。しかも三津のきっぱりした江戸っ子と対照に、権高で位取りきつい祇園藝者の福助の京言葉・花街言葉が圧巻だった。
わたしは祇園で育ったような少年だった、この福助の演技の説得力も迫真力も分かる、歌舞伎役者の蓄えた藝力の凄みにわたしは舌を巻いた。君香は、棟梁が東海道で拾ってきたただ独りで産みの母を尋ねて京へ上る少年のその母親であった。ま、こういうストーリーの感傷的な運び方が川口の通俗小説だが、しかし三津五郎も福助もしっかり演じてけれんも不足も無かったのは、さすが。福助の顔芝居はほとんど捨て身のリアル芝居で、玉三郎ならけっしてああは演じないで美しさを損なうまいとする。福助の自信と余裕とはこのところ役作りのためなら何処までも踏み込んでいる。それが彼を大きくしてきている。
この脚本自体には、たとえば江戸の大工がはるばる頼まれて京で家を建てているというようなムリも通されている。
京畳と江戸畳とは、京の柱間と江戸のそれとはハッキリ違っていて、こんな基本の違いをこえて江戸の大工が京都でどんな家を建てるのだろうという不審もある。京の大工達がだれも弟子衆を貸してくれないので、江戸から連れてきた勘太郎等二人の弟子だけで大きな家を建てているというのも、不可能ではないが、かなりしんどい。
ま、そんなことはいいとして、つまりはわたしには、福助の祇園藝者、そして扇雀演じる祇園の茶屋の「おかあさん」の役作りと演技とで、十分に楽しんだ。扇雀はういういしい娘役には権が高く情がこわいのが大きな難になるが、祇園の茶屋の女あるじとなれば、そのままでびしッと立ってくる。文句なし。
文句なしの藝が観られる芝居は、その場限りでも楽しめるのである、大いに。

* さて第二部のキリは、串田和美が美術を担当した勘三郎の『大江山酒呑童子』。前シテの酒呑童子は勘三郎が、娘役のたとえばお染やお光を演じるときの美しい顔を惜しげなくたっぷり見せて素晴らしかった、が、後シテの鬼になると普通。
むしろ源頼光役の中村扇雀がバッチリ当たっていて、他は可も不可もなく、幕切れの串田舞台もとくべつ大成功とは思われなかった。

* 第三部の幕開きは、勘太郎が更科姫じつは戸隠山の鬼女を演じた『紅葉狩』で、「大まか役者」の橋之助の余呉将軍も、従者や侍女たちも、ま、可も不可もなし。
勘太郎が長い舞から、維茂を眠らせたと見極めて疾走するように一旦上手へ引っ込む速さにみごとな風気があった。
ま、何としたことか橋之助という大柄な美男役者は、親獅子をやっても、一人武者の保昌をやっても、平維茂をやっても、あとの木村駄目助左衛門をやらせても、みーんな実に「おおまか」なのにおどろく。それが個性か。いやそれだけでは先が思いやられる。

* その橋之助をヒーローにした、オペラ「アイーダ」の歌舞伎版野田秀樹による『愛陀姫』は、ま、どう期待してもこんなものという仕上がりで、才気煥発は認め得ても、はたして歌舞伎化に成功していたかというと、さほどでなく、半端な化け物芝居であった。
愛陀姫の勘三郎が情感こめて全身で演じている真摯さは認め得たが、このオペラを尾張の織田、美濃の斎藤の合戦劇に置き換えた翻案の「底の薄さ」は蔽いようがない。何の批評も伝わってこない。
悲劇だが、悲劇というより見せ物という印象で、現代のカブキというなら前日の松尾スズキの舞台の方がはるかに大胆不敵に辛辣な「カブキを実現」していたし、比較にも成らない傑作だが、鏡花による『天守物語』や『海神別荘』のすばらしさが、逆にありあり、まざまざと脳裏に蘇ってきた。
ひとつには橋之助と七之助の悲恋のおおまかな演技が、勘三郎の芝居と噛み合っていなかった。
勘三郎としては無念の出来であろう。わたしは一瞬だが退屈してあくびをかみ殺したのをすぐ目の前の勘三郎に見せてしまったかも知れない。気の毒した。
この舞台でも、ニセ祈祷師役の福助と扇雀とのハチャメチャな「カブキしばい」がおもしろかった。あそこにカブキが露出していた。
座頭役に弥十郎の斎藤道三、ちょっと直りようが軽かった。幕切れも、宝塚なみ。

* ま、そうはいえ、みなみな楽しんだには間違いない。
第一部がよかった。かなり疲労気味だったが、妻もわたしもぐっと堪えて無事に帰宅した。
2008 8・14 83

* 十一月に、平成中村座が浅草へ帰ってくる。演し物も「法界坊」と、以前のまま。浅草にぴたり。
宙づりの勘三郎、あの頃は勘九郎だったろうかお化け法界坊が頭の上へやってきて、妻のペットボトルのお茶を一口啜っていったりした。快哉もの、爆発的おもしろさだった。串田和美の中村座演出は、法界坊も浪花鑑も大成功だった。晩秋に楽しみが用意された。
十一月にはもう一つ意表に出た楽しみが待っている。
高麗屋の父子が江戸川乱歩のを歌舞伎にして国立劇場で初演する。金田一探偵をどっちが演じるのだろう。どう江戸の華に創り替えるのだろう。幸四郎・染五郎が真正面からぶつかっての競演は歌舞伎座でもなかなか有るモノでない。
そうそう、高麗屋といえば十月には長女の松本紀保らがチェーホフに取材した喜劇を観せる。わたしは紀保の演技力をいつもよろこぶ一人、楽しみだ。若い友人を誘っている。
九月にはいると早々に播磨屋の吉右衛門組で、初世を偲ぶ秀山祭。曾孫になるか、染五郎も活躍するだろう。芝翫、富十郎、玉三郎、左団次、福助、松緑らが揃い、昼夜で芝居は六つ。吉右衛門の盛綱や河内山がある。富・鷹父子の所作事がある。佳い舞台を期待。
2008 8・28 83

* 松嶋屋から、十月、NHKホールで我當君が時蔵らと「河庄」をやる観て欲しいと頼んできた。喜んでオーケー。

* この「オーケー」という頻繁につかうことばは、アンドルー・ジャクソンという型破り人気のアメリカ大統領の珍談、と覚えてきた。書類「承認」のサインを「オール コレクト」と書くべき所、二字のアタマとも「O」「K」と間違えて書いた。おおらかな笑話がそのまま伝わった。ただしこの大統領の政治は、日本のヌケサク総理などより遙かに健康でまともだった。
2008 8・31 83

* 九月歌舞伎座は、秀山会。近代の名優・初世中村吉右衛門を記念の興行であり、わたしたちも観に行く。
ついては、まことに貴重で面白い「助六」掛かりの「芝居繪」をお目にかけ、祝いたい。この絵は、上野で私たち贔屓の天麩羅屋で、カウンターの視線真上に額装してある。店主に頼んで写真に撮らせて貰った。
ご覧あれ、すべて天麩羅のタネ尽くしです。そればかりか、役者の名がみな書いてあり、これが堪えられない。なぜなら、この役者さん達がこのままの名乗りで舞台に上がっていた、ちょうどその時期に、高校生になったばかりのわたしは、初めて京都南座の顔見世で、此の名優・吉右衛門丈や当時の染五郎、もしほ丈らに出会ってたんだもの。吉右衛門が妖刀籠釣瓶で美しい立女形の後の歌右衛門演ずる花魁八つ橋を斬り捨てたのを、ぞっとして観た。

* 座頭・中村吉右衛門が真ん中の床几に腰掛けている。髭の意休か。紋甲烏賊かな。
太夫揚巻は播磨屋の弟中村時蔵、その後ろへ息子、現在の萬屋時蔵丈のお父さんの梅枝(絶世の美女でありました)がつき、時十郎、しほみが従っている。
紫の鉢巻して蛇の目傘を振り立てた伊勢海老の助六役は、高麗屋の市川染五郎、言うまでもない現在の幸四郎丈のお父さん、染五郎クンのお祖父さんで、後年に松本幸四郎=白鸚になった名優だ、吉右衛門絶好のお婿さん。
「股ぁくぐれ」とやっているのが、懐かしや、もしほで、後の、先代中村勘三郎。今の勘三郎丈のお父さん。花のある役者だった、「身替座禅」の色気に高校生が痺れた。
その股をくぐろうと手をついて平伏しているのが、誰あろう、かつを、映画界に転じた中村賀津雄のようだ。左端に立っているのがやはり映画へ出ていった偉大な兄貴中村錦之助。立っている二人の女形は種太郎と吉十郎らしい。
秀山会に借りだし、ロビーに展示したらいいのにと思うが、いやいや美味い天麩羅を食べながら見上げるのが至極く、オツです。「天寿々」好きな店です。
2008 9・8 84

* さて九月秀山祭、芝翫、玉三郎、東蔵、芝雀、福助、亀治郎と女形が出そろう。楽しみ。拮抗して富十郎、吉右衛門、左団次、歌六、歌昇、錦之助、そして松緑、染五郎。立ち役、ガンバッテ貰いたい。睡眠不足のわたしを寝入らせないで下さいよ
2008 9・9 84

* 時計がとまっていて、正確なところが分からないが、機械時計はおよそ夜十一時頃と教えている。
さきほど歌舞伎座から帰ってきた。どこへも寄らなかったし、今日は一滴の酒もビールも飲まず。昼は吉兆で食べ、夜は弁当にした。昼と夜との間には茜屋珈琲でやすんだ。
昼夜とも前から五列目、昼は花道近くの通路際という花道芝居も絶好席、夜は中央の通路際という役者と目が合う絶好席。立ち居にラクでどんなに有りがたいか知れないし、舞台へ遠めがねが要らない。

* なにしろまだ暗い四時半に起きていたので、帰ってくるまでは元気だったが、いまは、すこし疲れている。今夜は、もう何もしないで休ませてもらう。火曜日は郵便の少ない日。いきおい諸連絡も少ない。

* とはいえ、芝居。
今日は立ち役、男たちの芝居が断然面白かった。座頭吉右衛門は、「逆櫓」船頭松右衛門実は樋口次郎兼光で、「近江源氏先陣館」の盛綱で、「河内山宗俊」で十分好演し、昼夜で四役活躍の若い染五郎をはじめ、松緑も錦之助も、また歌六、歌昇も、左団次も気の入った芝居を、楽しそうに演じていたのがよかった。それが美味い刺身なら、今日の女形達はやや刺身のツマのようであった。
玉三郎が八岐大蛇で凄絶に奮闘したものの、ま、キワものであり、いつも深い「工夫」のある玉三郎らしく蛇体も鬼体もわるかろうわけはないが、「鬼揃え」の紅葉狩でも観ている。いっそ蛇退治の素戔嗚尊、染五郎のほうが気分よく新鮮に立ち向かっていたのが楽しめた、よかった。
盛綱母微妙のような婆の大役もあったけれど、多年やりなれた芝翫の芝居は、むしろ子役に喰われてしまい、特別の印象を刻まなかった。玉三郎の盛綱妻早瀬など妙な役回りで、気の毒のようなもの。同じことは八岐大蛇に取り込まれる福助の櫛稲田姫にも謂えた。
老いた富十郎が幼い愛息と踊る「鳥羽絵」は、さすが軽妙で子役も愛らしいが、天下の天王寺屋富十郎丈には、元気な内に時代物の凄みの大役をもっともっと配役して観せて欲しいと、いつも思う。勿体ないでしょ。
昼夜を通して、幕開き染五郎の坂本龍馬、終幕吉右衛門の河内山と染五郎の松江侯が、引き締まって、面白かった。久しぶり歌舞伎座で観る亀治郎一役の龍馬妻おりょうは、気張りすぎて、ぎごちなく味が薄かった。
先陣館で松緑と歌昇の注進侍が、硬軟それぞれに立派。
「逆櫓」の祖父役歌六が、主役なみのしどころに富んだ役で、愛孫の死を嘆いて不器用に真率、身につまされて泪にくれた。
そうそう、むしろ細身とみえる錦之助が、あの西郷隆盛を髣髴とさせる大きさ力つへよさで演じたのが、意表に出て出色だった。「斬るときはオイが斬る」とよく言えていた。特筆しておく。

* 「逆櫓」も「盛綱」も「河内山」も、初代吉右衛門俳名「秀山」の大当たり役だったが、よくよく観ると、前の二つ、ずいぶん無理な芝居に出来ている。河内山と坂本龍馬とが結果として上出来に見えたのは、劇作が自然だからだったろう。役者もリクツ抜きに踏み込んで楽しんでいるのがよく見えた。それでこっちも自然体で楽しめた。

* なんだかゴチャ混ぜの感想だが、今回は、これでよい。
終日、楽しんだ。歌舞伎座を「通し」で平気なんて、ご夫婦とも元気なんですよとときどき呆れたように言われるが。
妻は「劇場」に「入って」行くだけでわくわくするというトクなたちだし、幸いと歌舞伎のおもしろさに魅了されている。必ず筋書きを買ってすみずみまで読むようだし、役者通になってきている。食べるといってももう大食はとても出来ないし、観劇だけが二人で出かけられる贅沢な楽しみになった。なってしまったんだとも謂えるか。
2008 9・9 84

* 二時頃から三時間ほど寝入った。九月が逝く。十月は忙しい。秦の母の十三回忌。実質第一回の裁判がある。三越劇場、国立能楽堂、俳優座劇場、国立劇場、NHKホールとつづく。商業演劇、能、新劇、舞踊、歌舞伎。それに理事会と眼科検診がある。人にも逢うだろう。その間に湖の本新刊、通算九十六巻めの発送という力仕事がある。十一月へも同じ感じで流れ込むだろう。
2008 9・30 84

* 今夕は、三宅坂で、染五郎が家元をつとめる松本流の舞踊や小唄の会に一人で行ってくる。東大寺で千回目の勧進帳を成功させてきた幸四郎もちらと出演するかどうか。一張羅を着て行くかな。
2008 10・21 85

* 松本錦升(市川染五郎)家元の松本流「松鸚会」に行ってきた。
「宗家」松本幸四郎が、一等はじめに、寄る浪の渚にゆたゆたと大きく落ち着いた舞を舞って見せてくれた。歌舞伎役者の松本幸四郎を静かにはなれて、「松の壽」に舞いあそぶ「宗家」らしい風情が流石であった。
会は、ま、それだけであった。
「家元」錦升を捜してもいなかった。歌舞伎役者の花形である市川染五郎が、スターをかこむフアンのような一門に愛されていた。びしッとした舞い踊りそのもののおもしろさ豊かな確かさには出会えなかった。一門が内輪の、そういう会だった。和気藹々。
「家元」とは難しい存在である。
なによりも藝において卓越していることにより、一門に凛烈の生気生彩を与えねばならず、そこを一つ間違うと、狂言のあの青年家元のような間違ったスターになってしまう。染五郎は幸い歌舞伎役者という本領で才気に溢れているが、「家元」でもあり続けるなら、そこでは「染五郎」だけであっては間違うだろう。
「家元」ではないが、能の世界ではたとえば喜多流なら「友枝昭世の会」のように、昭世という主宰者が強烈にみごとな名人藝で、見所を感嘆ゆえの底知れぬ清寂にひきこんでしまう。いつも、そうだ。
藝の頂点として流儀を引っ張り栄えさせて行く、そういう「小家元」格が、能楽の世界ではウムをいわせぬ藝ですべてを支配している。師匠という断然の実力差が看て取れる。若い染五郎にそれはまだムリかも知れないが、それでも「家元」松本錦升にこそ成りきって、率先、観客を魅了する藝をもって客を掴みきって欲しい、そうして弟子たちを鍛えて欲しい。サマ変わりのレビューめく「身替座禅」では、花形役者の染五郎は提供できても、「錦升」やぁいと家元の存在を探さねばならなくなる。
一部も二部も、なにかしら和気藹々のただ内輪の会と感じられたのは残念であった。高麗蔵、錦吾という歌舞伎役者は別として、舞踊の男弟子が一人も舞台に立たなかったのも少し淋しかった。
舞台構成は、会の弟子筋「理事」たちによる回り持ちのような「企画」らしいが、演目にコクのない物足りなさはその辺にも起因しているのではなかろうか。
真っ向家元の藝そのものが牽引車であって欲しいなあ。客を呼ぶなら、客を精一杯満足させても欲しい。一門の舞踊藝の力で、そして思いがけぬ人にこういう舞台でアッと出逢える賛助・特別出演者のサービスでも。
いまも思い出すのは、望月太左衛門の記念の会で、ひょこりと中村富十郎があらわれ錦上花を添えたばかりか、楽しい一踊りで、頬が垂れそうにわたしたちをやんや喜ばせてくれたこと。人間国宝級がずらりと背後をかためていたのにも感動した。

* 銀座方面へ景気よく遊びに行く気で家を出たが、あきらめ、真っ直ぐ帰ってきた。
2008 10・21 85

* 十一月の俳優座は女優出演が多く、はんなりするかも。
師走の歌舞伎座、高麗屋の父子が『籠釣瓶花街酔醒』を、福助の花魁八橋を中に仇同士を演じる。生まれて初めて初世中村吉右衛門・中村福助(後に歌右衛門)・守田勘弥で南座で観た。その吉右衛門の孫と曾孫の舞台だ。ながく生きてきた。
中村富十郎が愛息鷹之資と競演で石切梶原をやる。天王寺屋の大きな役は最近では熊谷陣屋の弥陀六だったか。こういう大役を一つでも二つでも多く観せて欲しい。
染五郎は昼夜に四役と相変わらず儲け役。三津五郎の変わり道成寺も、気が早いが、とても楽しみ。
2008 10・26 85

* 機械の奥から取り出したいろんな文献を読みあさりながら、過ごしていた。
今夜はNHKホールで、我當の出る「河庄」を楽しんでくる。むろん主演は藤十郎。女形は、時蔵。ほかに狂言など伝統藝能が三つほど第一部に。

* 五時半開演、ぐずついて出遅れ、夕食の余裕がなくなり池袋駅構内で、まえから一度食べてみようと言い合っていたカレーの店に入った、妻はポーク・カレー、わたしはカツ・カレー。辛かったが、カツはかりっと揚がっていて、八百円は安かった。
原宿駅から神宮の夕木立の楽しめる歩道を通ってNHKホールに入った。SS席、C2の四と五、やや左めだが、花道芝居には席から数メートル隔てて前に座席というものが無く、治兵衛の「魂ぬけてとぼとぼと」や、兄孫兵衛 (我當)と弟治兵衛(藤十郎)との、「もう一言だけ小春に言ってきたい」というやりとりなど、無垢の芝居をまのあたりに楽しめて、松嶋屋の番頭さん、わざわざ早くに誘ってくれただけの大サービスであった。
なによりもなによりも感動の熱演、歌舞伎座の芝居と違い、今日一日だけのNHKの舞台なので、役者の気の入れようは模範的なものであった、すばらしい舞台になった。
時蔵の小春も、切々かつ堂々の大女形ぶりで、あんなリアルな小春、あんな熱演の時蔵をわたしたちは初めて観る心地がした。泪が溢れた。
藤十郎のあれこそ堂に入ったという治兵衛は、まさしく家の藝、入神無垢の恋の男ぶりで、我當の兄は心底善意と愛情にあふれた苦労人の律儀さ。小春もからんで、この三人のだんだんに盛り上がってゆく舞台の緊張・緩急のなかに縺れていく死生予感の緊迫のドラマは、数ある歌舞伎名場面の中でも、一二といって三のないほどの近松劇の名品。どうしようも抗しようもなく惹きこまれて行って、わたしは舞台が果てて、我當の付き人に礼を言いながらもまだ涕いていた。めったに有ることでなかった。
一途に生きて愛して、それゆえの悲劇に身を挺してゆく男女と、見守る周囲の愛と苦渋。人間を描いて浅くなく、真実の劇的感動を生んでいる。うそ偽り無い優れて佳いものに触れてきた。
第一部にあった三つの伝統藝能は、ことに最初の大曲『八重衣』合奏は立派なものであったけれど、それさえ『河庄』を見終えてしまうともう印象から消えていた。茂山千作・千之丞という贅沢な兄弟競演の狂言『寝音曲』も尋常なもの、舞踊の『吉原雀』はただ退屈だった。
第二部へ来て、山城屋、松嶋屋の顔をみて、シャアーンと姿勢があらたまった。萬屋にも感謝したが、竹三郎が出演の河庄の内儀役もいい風情であった。じつに嬉しい観劇で、すこし暑さにもまいっていた前半を取り返し、元気になって渋谷から副都心線で一気に保谷まで帰ってきた。

* 帰りの地下鉄で、初めて落ち着いて新刊の「湖の本エッセイ45」を、長い気の入ったあとがきや、馬籠での藤村講演や、国際ペンでの演説原稿など読んできた。出すべき機にきっちり出した一冊という自信をもった。
2008 10・27 85

* さてさて、お元気ですか。築四十年のわが家はあちこち傷んで、ゴトゴトとしょっちゅう手入ればかり必要になっています。家主の躰と一緒であるなあと慨嘆しています。

昨日は晩にNHKホールで伝統藝能を鑑賞してきました。極め付けは第二部の「河庄」。藤十郎になってから初めての紙屋治兵衛で。絶品。我當が情の篤い兄を一心に立派に務め、小春は時蔵が稀に見る熱演でした。すばらしい舞台でした。一晩限りの上演ですから、精魂を尽くしてくれるのが見応えになります。特上の席をあてがってくれましたので、花道芝居などまるでわたしのために演じてくれるように見ものでした。第一部の音曲や狂言や舞踊の印象も吹き飛んでしまう近松劇のすばらしさ。根の疲れる発送仕事あとのいい楽しみでした。

要するに技術・技能の問題であるより、「人間の劇」を確実に端的に深く捉えるということなんですね、感動とは。幕がおりロビーに出て、松嶋屋の番頭に礼を言うている間にも泪のあふれる芝居でした。

幸い今度の講演集は各編好評で、「色」「蛇」などと刺激的に表題したのも効果的だったようです、「あとがき」もで内容を持たせましたので、満足してくれた人が多かった。よろこんでいます。
十月もあと三日。山種美術館のカレンダー、酒井抱一の美しい「秋草鶉図」から、十一、十二月は東山魁夷の「年暮る」に変わります。一面京の瓦屋根に雪が降っています。
2008 10・28 85

* 今日は昼の部だけ、歌舞伎座、顔見世。

* 通し狂言、鶴屋南北の「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」は一種のけれん芝居で、複雑なようでも筋は分かりよく、深刻なようでも底は割れていて、感銘を求めるような演し物ではない。源五兵衛役の仁左衛門の「騙され役」ががらりと「残酷味」に転じて惚れぬいた小万を惨殺するあたり、南北芝居の凄惨と、一抹のこされた人間味のぬくみを読み取れば、それなりに存分楽しめる。姿形のいい仁左衛門が源五じつは赤穂義士の一人に連なる不破数右衛門を深切に演じて、怖いほど。それでいい、それだけでいい芝居。
菊五郎の三五郎が気のない大まか芝居をやるものだから、前半はぐさぐさにゆるんだ半端芝居にしか見えなかったが、とことん仁左が責任感ほどの入れ込みで源五を凄くやってくれ、あとへ行くほど面白く盛りあがった。玉三郎が小万こと「土手のお六」をやると錦絵の悪女ふうに凄惨な味と言葉つきとでゾクゾクさせるのだが、時蔵はかなり品のいいおとなしい小万で、首にされるのが可哀想なほどだった。首のママ大口をあけて劇場を一瞬凍り付かせる場面も、時蔵の首は妙に美しすぎて、怖さのあまりに笑いも誘っていた。
どうも菊五郎が冴えなかった。

* 今日、昼だけでもぜひにと願ったのは通しの「盟(かみかけて)」でなく、十一月顔見世歌舞伎にふさわしい「吉田屋」の方で。わたしは、この狂言が大好き。紙衣の藤屋若旦那伊左衛門と遊女の夕霧。心底惚れた同士の二人の所作が愛らしく美しく、そして勘当ゆりて夕霧身請けの万両が賑やかに届く底抜けのめでたさ。
理屈抜きに、坂田藤十郎のとろけそうな至藝を、実のある吉田屋夫婦の喜左衛門(片岡我當)とおさき(片岡秀太郎)が、極め付けの助演でもりあげる。
肝腎の夕霧は。今日は珍しく中村魁春。初めて観る。さまがわりして、わるくなかった。すがたのいい女形であり、真実味も情愛も素朴ななかに濃まやかと観た。終始身をのりだすようにわたしは楽しんできた。
先月はNHKホールで藤十郎と時蔵に我當の「河庄」 今日はまた藤十郎と松嶋屋兄弟の「吉田屋」とは、ついていた。上方歌舞伎のとろりと濃い旨い歌舞伎味を、堪能。おっと、よしよし。

* 当たる丑歳の飾り牛と、歌舞伎十八番の気に入った大風呂敷を売店で買ってきた。茜屋珈琲にも寄ってきた。あまり食欲がなかったが、松屋の上へあがり食事して、一路帰って、七時前。
これぐらいが躰にはラク。インフルエンザを避けるためにも夫婦とも今日はマスクして出かけた。
2008 11・11 86

* さ、今日も出かける。

* 浅草寺境内の平成中村座。鶯谷からタクシーを使い、境内の賑わいに三十分、参詣など。
『隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)』いわゆる「法界坊」を、串田劇場(演出美術串田和美の、くしだワールド)として、極付け中村勘三郎の一党がにぎにぎしく演る。
桟敷平場中央前から五列めの通路脇という絶好席。わきの通路で、何度も役者達が舞台から離れてきて、芝居をしてみせる。役者達がなにをしてみせても歓声や哄笑の渦が巻く。芝居小屋の風情は満点。
なにしろの勘三郎を、外野から毎度応援の笹野高史、内輪から片岡亀蔵という超弩級の達者がとことん笑わせる。三人に好きに放埒芝居をさせてやるべく、扇雀、勘太郎、七之助、弥十郎それに橋之助がそつなく気楽に付き合っている。
平成中村座を浅草境内ではじめて観たのが同じ法界坊であった。あのときより舞台のつくりは行儀が良くなった。あのときは幽霊の法界坊が宙づりのママ妻の頭の上へ降ってきたりした。
それでも、前半の二時間を弁当場をはさんでの後の幽霊さわぎは、流石に中村屋が力演して大いに盛り上げ盛り上げ花吹雪の中で舞台の奥を蹴破る勢いで観客を総立ちにさせた。けっこうな出来映えでした。二度のカーテンコールで、手をふって中村屋も成駒屋も目で応えていた。

* 雨をさけて来たときと同じくタクシーで鶯谷へ戻り、どこへも寄らず一直線に帰宅。
2008 11・12 86

* 明日は、高麗屋二代の江戸川乱歩劇。原作を歌舞伎に翻案して意欲の舞台と聞いている。楽しみ。
2008 11・17 86

* 国立劇場で、高麗屋二代の江戸川乱歩原作『人間豹』に取材した翻案歌舞伎を観てきた。おもしろく観てきた、が、問題ありとすれば、すべて「脚色」姿勢の問題であるように感じた。「江戸川乱歩」からもっと闊達に自由に懐を広くして、ときには喜劇ですらあるかのように笑い飛ばし、原作の思想そのものをも辛辣に批評し乗り越えて行く旺盛な現代カブキの性根を「表現」して欲しかった。乱歩は前世紀の思想で「それ」をやっていた。若い高麗屋は、今世紀の批評精神でそんな乱歩をぎょっとさせてみるべきだった。意欲は買うが古い乱歩の辣腕に新しい染五郎がひき戻されていたなら残念だ。
2008 11・18 86

* 優しい陣中見舞い。感謝。
「スウィング」の語義、 ”ある軸を中心として回転したり揺れる” のとおり、イギリスの古くからの、かったーい伝統から軸を外さずに既成枠をはみ出したのが特徴で、「平成中村座」で勘三郎とその仲間たちのやっていることは、わたしには「スウィンギング・歌舞伎」、もっと精確にいうと、「スウィンギング・歌舞伎座」に見えます、と、花は言う。的確。

* わたしに言わせると勘三郎という役者は、はたの役者が普通に歌舞伎として演じるとごく退屈な芝居を、とてつもなく面白いものに組み替えてしまうセンスをもっており、その方向へ串田和美など使ってうまい仕事にさせてしまう。海外でも成功してきた「夏祭浪花鑑」でも「法界坊」でもそうで、まるで、こうだ。つまり観客の方を舞台から見ながら、「ね、あほらしい、バカみたいな芝居でしょ、笑っちゃうね」と自分でも笑っておどけてしまうことで観客を妙に安心させ笑わせてしまう。そうして置いて、カンドコロでぎゅうっと締めて芝居を盛り上げる。そういう緩急自在の芝居の読みがある。
2008 11・20 86

* 気を誘われない仕事は、していても、手を止めても、疲れる。疲れると、一服に歌舞伎座の散らしを観る。
師走はわたしたち初の狂言が三つある。甲乙無く楽しみ。なかでも初めてではない「籠釣瓶」は少年時代に南座で歌舞伎に出逢って以来、おなじみ。幸四郎に段四郎がつく。これは昔、吉右衛門に又五郎がついたに負けない贅沢。八つ橋は、あの時も福助だった、のちに大きな歌右衛門になった。今度の福助にもそれが待たれる。次の大きな襲名はそれだろう。栄之丞は梅玉で何度か観てきたが、今度は染五郎。昔は守田勘弥だったか。勘弥という名前ともまた逢いたい。
次郎左衛門に幸四郎は嵌り過ぎるほどで、凄い切れ味の籠釣瓶に出逢うだろう。その幸四郎の佐倉義民伝もぴたり当たるだろう。
何と言っても、富十郎の石切梶原。しかと観ておきたい。もう一つ三津五郎の娘道成寺。踊りでは当代一の脂ののり。

* やはり気がかりの仕事を、と。とにかく再開し、今し方終えた。ウウ。
2008 11・22 86

* 高麗屋から、待っていた「壽初春大歌舞伎」の案内が来た。歌舞伎座は来年中ですっかり建て替わるという。いわばお別れ「さよなら公演」の年になる。新館はすっかり洋風のテアトルになるのではあるまいか。
早速、予約した。昼の部は晴れ晴れと、富十郎の翁で「祝初春式三番叟」を、梅玉。松緑、菊之助が千歳にならび、後見に錦之助。そして幸四郎の「俊寛」、菊五郎の「十六夜清心」が続いて、玉三郎の「鷺娘」。吉右衛門、時蔵、芝雀、彦三郎、染五郎らの出演。
夜の部は、「壽曽我対面」の座頭、工藤祐経を幸四郎がつとめて五郎は吉右衛門、十郎は菊五郎と大舞台になる。魁春、菊之助、芝雀と美形がならび、梅玉、松緑、染五郎で華やぐ。楽しみ。
次いで勘三郎の「春興鏡獅子」とは胸が鳴る。
大引けは勘三郎と玉三郎が満場を揺るがす三島由紀夫の傑作「鰯売恋曳網」に、東蔵、染五郎、弥十郎たち。
書き写しているだけで、浮き浮きする。そういう一年でありますように。
2008 12・1 87

* NHKホールで観てきた「河庄」を録画して、もう一度見直した。藤十郎、我當、時蔵。堪能した。助演の竹三郎、亀鶴らもしっかりと。佳い舞台だった。
歌舞伎座顔見世での「吉田屋」も、山城屋、松嶋屋の息があい、嬉しい舞台だった。『摂州合邦辻』も藤十郎、我當だった。
二人の舞台をたくさん観ておきたい。

* 昏睡しそう。眠い。
2008 12・6 87

* 五十一年経った。楽しみの歳末大歌舞伎は、明日に。もう十日過ぎると、七十三歳になる。

また一つ階段を上るのか降りるのか知ったことかの吾が吾亦紅(われもこう)  湖
2008 12・10 87

* 妻の体調が、夜前来すこし落ちていて不安があったが、改善しているというので、予定通り、師走の歌舞伎座公演に。

* 昼の部。
「高時」は新歌舞伎十八番の内だが、そうおもしろいものでない。一幕二場のうち、犬公方の時代を思わせる初場は、無用ではないか。緩い。二場は、梅玉・魁春・東蔵・彦三郎と役者は揃う。それでも盛り上がらない。梅玉の高時に、初見新鮮のおもしろみあり。
坂東流の、常磐津の道行がたっぷり入る珍しい「京鹿子娘道成寺」の三津五郎は、本舞台では初役。細部になるほどまだ手慣れないところがあったが、色気も愛嬌も美しく、さすが舞踊名手の、楽しませる「鐘供養」だった。踊りそのものを柄のよさと生彩の美しさで惹きつけた。うんうんと大きくガッテンした。
「佐倉義民伝」は幸四郎の嵌りの持ち役だが、福助の女房おさんが気を入れて優しく切なくあわれに熱演、主役の木内宗吾を支えた。福助が、観るごとにぐんぐん好くなる。嬉しくなる。東叡山直訴の場の将軍家綱を染五郎が姿よく綺麗に創り上げた。

* 「高時」のあと、館内の「吉兆」で昼食。献立宜しく旨かった。昼夜入れ替えのときは「茜屋珈琲」へ。店の前で高麗屋の奥さんと出会い、あわただしいが和やかに笑顔の立ち話少々。

* 夜の部。
「名鷹誉石切」は、中村富十郎が期待通りすばらしい梶原平三を、口跡凛々、情味豊かに演じて嬉しい限り。刀の扱いの宜しさ、心理的な配慮のこまやかな表現、貫禄。申し分ない歌舞伎のみごとさ。梅玉の大庭三郎も出色の落ち着きでいやらしさなく、染五郎のめずらしい赤面の俣野五郎も、いつもなら毒々しすぎる演じられ方になるのを、染五郎の気持ちからか、むしろ抑制気味であったのは有り難い。いいじゃないと、好感した。
段四郎の役者ぶりにだんだんと惹かれている。青貝師六郎大夫がきっちりしていて、魁春の娘梢も、「高時」での寵妾衣笠より格別にきまっていた。花道など、美しい品格をただよわせ、この役者にも進境の顕著さが見えている。
天王寺屋の石切梶原のような舞台に、もっともっと会っておきたい。
わたしが子供の頃にすでに関西で武智歌舞伎のスターであった鶴之助、扇雀が、いまは富十郎、藤十郎。身びいきなどまるで無用の名優達である。
狂言仕立ての「高坏」は、染五郎の高下駄のタップダンスがご馳走だけの軽いもの。友右衛門はすっきりと好きな方の役者だが、狂言の大名がまるで出来ていない。高麗蔵ももうすこし、何というのだろう「味」とか「しおり」とか、その総合されたひしとした演技力が欲しい。「高坏」も「高時」なみに、ま、数の内であった。
で、仕上がりの最高潮は、予期通りに「籠釣瓶花街酔醒」で、佐野次郎左、幸四郎の熱演、すばらしかった。花魁八つ橋、福助の好演、けっこうだった。繁山栄之丞、染五郎のぴたり嵌り役、よかった。魁春の女将おきつも、段四郎の下男治六も、市蔵の悪党釣鐘権八も、佳いアンサンブルで凄い芝居を怖ろしいほどに充実して盛り上げた。芝居そのものが堪能できた。
なんといっても幸四郎が大きい。それに引っ張られて各員が気合いを入れる。福助の愛想づかしの凄みに、幸四郎のみるから固まって行く内的な興奮。名狂言の強みもあるが、この籠釣瓶の切れ味一つだけでも今日の歌舞伎は満たされたろう、加えて「石切梶原」があり「娘道成寺」があった。「宗吾の子別れ」にもしみじみ泣かされた。

* かなり妻の体調波動は振幅が大きかったが、籠釣瓶にガーンと背を押してもらって、タクシーで帝国ホテルに入り、久しぶりの「クラブ」で小憩。例年のダイヤリーを貰って、一路帰宅。大事なく、終日楽しめて何よりでした。
2008 12・11 87

* 「伊勢長」は、前日歌舞伎座「吉兆」と較べてもまずまずの献立と器とで、酒肴としては及第だったが、お酒のいけないお客さんには腹に満ちたろうか。
もっとも話題はたっぷりあった。
一昨日にこの人、近郊住まいの母上と歌舞伎座の夜の部を観ていた。わたしたちの一日前であった。「名鷹誉石切」「高坏」「籠釣瓶花街酔醒」だから、昼の部より平均点は高い。
話題は、籠釣瓶の切れ味と八つ橋凄絶の愛想づかし、この大人しい人にはいささか刺激的過ぎたらしく、師走の大切り打ち出しに、あんな怖い芝居でいいのですかと聞かれた。季節も違うし、と。もっとも昼のきりの「佐倉宗吾」の大雪のあとで歌舞伎座から夜分の木挽町に出されるのも寒い。
「籠釣瓶」は人によっておしまいの、「籠釣瓶‥‥は、斬れる」のあとで憎い間夫繁山栄之丞を斬り殺すまで、多いときは手当たり次第に惨殺するのだが、高麗屋は、きれいに「八つ橋」と女中一人とだけで幕にした。よほど後味は綺麗で好かったのである。
2008 12・12 87

* 「徹子の部屋」で、高麗屋の女房・藤間紀子さんのインタビューを聴いた。初めてどこか劇場のロビーで口を利いていらい、何年になるだろう、わが家ではもっとも心親しい人の一人で、外づきあいの少ない妻には気の置けない気持ちのいいお知り合いになっている。歌舞伎座などへゆく嬉しい気のハリのひとつに、この奥さんの笑顔と気軽な立ち話の楽しみがある。
この人を通して、幸四郎の舞台にも染五郎にも松本紀保や松たか子の舞台にも心おきなくわれわれは親しんでいる。いつもホントウにいい席を用意して貰っている。
いいインタビューだった。東大寺での千回勧進帳にもほんとに行ってみたかった。
幸四郎、染五郎、齋三代の連獅子など観られるまで、われわれ二人とも元気でいたいモノだ、待ち遠しい。
一月早々には松たか子と宮澤りえが競演の野田秀樹の芝居があり、幸四郎が座頭の工藤祐経をつとめる「壽曽我対面」もある。二月には松本紀保のでるチェーホフ劇のとびきり、「ワーニャ伯父さん」もある。春にはまた「ラ・マンチャの男」があるだろう。
少年の昔からの「高麗屋」との不思議に有り難いご縁をわたしも妻も心から喜んでいる。

* 去年の暮れは、その幸四郎が大石の、真山忠臣蔵だった。それで、手元にのこしてあったたまたま、直木三十五の『討入』を、「e-文藝館=湖 (umi)」に載せてみた。四十七士の名前など思いだした。
歴代天皇百二十五人は順序正しく暗誦できるが、赤穂の四十七人はなかなか全部覚えきれない。
直木のこの作は、『南国太平記』から見ると気も手も抜けていて、やはり今日読んだ梶井基次郎の『のんきな患者』や昨日の宮嶋資夫の『坑夫』などとは遙かに比ぶべくもないが、本懐遂げた翌日の読み物としては恰好であろう。

* 夫婦して観ましたよと藤間さんにメールを入れておいたら、「ワアー有り難うございます」と返信あり。「公共の電波で話す事の難しさ、俳優さんは大変だなあとつくづく思います。どうぞ、来る年もよろしく御願い致します」と。こちらこそ。
2008 12・17 87

* そんなことにも感じ入りながら、千載集で「丹波康頼」の、ようやく流刑地の喜界が島を離れて都に戻り、近江にまでお礼参りに出かけている歌を読んだりすると、まざまざとそこに「渦中の人物」の気息もうかがえ、平家物語で読み知る康頼とはもっとなまなましい「存在を実感」できたりする。次の正月、歌舞伎座でまた幸四郎が俊寛を演じるが、千載集で読んだ康頼の歌一首ゆえに、よほど印象深く舞台に真向かうことであろうなと感じたし、今も感じている。康頼は播磨屋の歌六がやる。
2008 12・18 87

* 千回の弁慶きッと泪せり   湖
藤間紀子様
七十三歳の誕生日を、西浅草の「高勢」で静かに食事し、帰宅して、ふたりで、録画しておいた勧進帳そして高麗屋のみなさんのお幸せなご健闘を、心嬉しくしみじみ拝見しました。佳い日の佳い時間を満喫しました。感謝します。
高麗屋さんに宜しく。皆様ますますのご平安ご活躍を、さきざき、いつまでも楽しませて下さい。一言御礼。 秦 恒平
2008 12・21 87

* 初春大歌舞伎の券が届かなくて心配していたが、まだ決まらないのでと事務所から連絡をもらった。たいへんな人気であるのだろう。すこしハラハラしていたが、めでたいこと、新年の富籤を楽しむように、ゆっくり待つ。
2008 12・29 87

* 新年、初春大歌舞伎の日と座席とが決まりましたと高麗屋の事務所から通知が来た。すこしはらはらしたが、よかった。
歌舞伎座は来年中で閉鎖され、全面的な改築になると聞いている。いまの歌舞伎座らしい歌舞伎座での興行、たいへんな人気のように想われる。
いきなり富十郎の「翁」で『祝初春式三番叟』の幕が明く。松緑、菊之助の「千歳」が嬉しく、「三番叟」に美男子梅玉の踊り目出度かれと期待する。
是に対し夜の部は幸四郎が祐経で大きな座頭を勤め、吉右衛門の五郎、菊五郎の十郎で『壽曽我対面』の幕が明く。魁春、染五郎
、菊之助、松緑、芝雀そして梅玉といならぶ華やかな舞台が目に浮かぶ。
所作事は、昼には玉三郎の『鷺娘』、夜には勘三郎の『春興鏡獅子』、嬉しくなる。そしてまだまだ大きな演目が盛られている。

* そればかりかその前に、何と嬉しいこと、大の大の贔屓の、松たか子、宮澤りえという演技派が情熱的に競演する野田秀樹の芝居が待ちかまえている。嬉しい新春になる。
2008 12・29 87

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