ぜんぶ秦恒平文学の話

舞台・演劇 2008年

 

* このところ演劇人(準演劇人)の文章をトビトビだけれどよく読んできたなと思う。
観世流のシテであると同時に新劇や映画の優れた演技者であり、また演出家として世界をまたにかけて国際的にも国内でも亡くなる間際まで大活躍された観世榮夫さんの自伝『花から幽へ』の鑑賞力の創造的であったこと、生涯「今・此処」に足をおろして真っ向揺るがなかった「意志の演技者」のみずみずしい感性に、終始わたしは息をのんで接した。
またこの二年というもの、毎月、「高麗屋の女房」さんから贈られてくる「オール読物」で、松本幸四郎と松たか子との父娘演劇人としての対話「往復書簡」を読み続けてきた。
幸四郎の演劇体験が歌舞伎舞台にだけあったのでないことは、世界的に周知のこと。シェイクスピアの四大悲劇をはじめ、ミュージカルにも創作劇にも現代劇にも真価は隠れもない。しかもこの人は、感性の上で思索し工夫を凝らす深切な演劇人である。多くの回想や思索や工夫の言葉には、にじみ出る叡智が感じられる。まずたいていの人が足下に及ばないと知って、そして励まされている、その意味では優れて指導的な役者である。
松たか子。この人についてわたしは、こう一言言えば済む。初めてテレビのスクリーンに登場(『華の乱』の今参局ではなかったか。ついで淀殿ではなかったか。)してきた瞬間の驚嘆から今日まで、一度も期待を裏切られたことのない逸材と。その感性の豊饒と用いる言葉の適切も、なみの物書きの及ばない冴えをもち、その才能の全部を、音楽も含めて演劇的表現の全面に生かしている。父幸四郎との往復書簡でも、思索も姿勢も行文もすべて役者魂を漲らせてぶっつかっていた。最終回の文章もわたしは読み終えたところだ。
いま一例をいえば、歴史学者である色川大吉さんの最近の著書だ。
この人は、青年期に新劇の演出家を心がけた人であり、夫人もその世界にあった人のようだ。だがそれを云う以前に、昔風の言葉で謂うと、真実インテリゲンチァであり、やはり豊かな感性の上に知性のかぎりを真っ向「今・此処」に注ぎ込んできた人だ。言葉も姿勢も真摯なのである、ひゃらひゃらしていない。本当のホンモノの本質をつかむためなら、尽力を惜しまない。
その一例をいえば、この敗戦後の氏は貧苦とも必死で頑張らねば生き抜けなかったが、そんな中で、中国から来た京劇を観るために、ソ連から来たボリショイバレーやチェーホフ劇を観るために、どんなに奮闘して働いて入場料を稼いだか。そしてその鑑賞体験をどれほど張りつめて見事な言葉で当時の日記に書き残していたか。
とにかくも榮夫さんでも幸四郎でも色川さんでも、勉強が廣く深い。渇くほどの熱心で視野をひろげて勉強し続けていたことがよく分かる。
2008 2・23 77

* 朝いちばんに、と云いたいが「夢見」に揺すられ、少なからず寝坊した。小蛇の夢を観た。だれかが白い布にその蛇をぐるぐるくるんで片づけたが、どこへ片づけたのかが、夢の中で気になっていた。二日続けて花粉に眼をやられ、ぼんやりした視野と睡魔(と云うより目をあけていたくなくて、それでウトウトするのだが。)のせいで疲れていた。

* そんな寝起きの一番に、四月帝劇『ラマンチャの男』の日が決まったと、幸四郎事務所の親切な報せ電話が入った。感謝。
2008 3・17 78

* 十代目望月太左衛門を「偲ぶ会」がある。
2008 3・20 78

* 国立小劇場で、十代目望月太左衛門を盛大に「偲ぶ会」があった。長女の太左衛さんのお招きで、夜の部へ、すこし雨降りだったが妻と出かけた。
当然ながら、番組の全部を、最初の「獅子」から、大ぎり、人間国宝中村富十郎の洒落て清潔な踊り「七福神」まで、心底楽しんできた。鳴り物はほんとうに陽気で楽しい。人間国宝の杵屋喜三郎、杵屋伍三郎、杵屋巳太郎、また笛の鳳聲本家分家の両家元らほか、特別出演、賛助出演の顔ぶれがすこぶる豪華。
そういう出演者にがっちりまわりを守られ固められながら、一門門弟たちの晴れ舞台となる演奏も、緊張と上気と懸命さとで生き生きと盛り上がる。鼓、大鼓、太鼓、笛、三味線など楽器が生きて弾んで唄ものびやかにみな美しく聴かせた。
二時半に家を出て、帰宅したのが十一時前。

* 次から次へ快調に番組が運んで、夕食も抜きで、お囃子に聴き惚れた。わたしの図体が自然に動き出す。音曲のリズムに反応して楽しみながら、拍手また拍手と、嬉しい長時間であった。妻もすっかり大よろこび。鳴り物の会は、退屈ということが全然無いのである。それに望月一門、少し見慣れていて、顔なじみの藝人さん達も何人もいる。すこぶる惚れ込んでひそかに内心贔屓の人もいる。
魂もとびそうになる。
なかでも、祖母太左(大鼓)、母太左衛(小鼓)、孫娘真結(太鼓)に笛は鳳聲晴雄の「石橋」のみごとだったこと、唄のたては喜三郎、三味線は五三郎。
みごとなアンサンブル、凛々しく成長した真結ちゃんの凛然と鳴り響く太鼓の格調。わたしは感心して泣けてしまった。太左衛さんの鼓のよく鳴ること鳴ること、舌を巻く。この人、もし男だったら、と、思う。どんな名人になって歌舞伎囃子をリードしたかと思う。元気という言葉の深い意味はこの人の音楽のためにある気がする。
また、たぶん家元太左衛門の男の子であろうまだ幼い二人の、ことにちいさい弟大貴の「獅子」の太鼓のあざやかさ。もはや練達といいたい音色、撥さばきのきびきびと美しかったこと、これも喜三郎の唄、五三郎の三味線、鳳聲晴之の笛に太左衛門、左吉の小鼓が揃って、開幕の第一番を無類に盛り上げた。
そして更には、家元太左衛門と、やがて望月朴清を嗣ぐという弟長左久とに、男勝りの名手姉太左衛が加わっての「高砂丹前」も楽しかった。唄と三味線に人間国宝の二人を得た長左久とたぶん子息かが小鼓を打ち鳴らした「橋弁慶」もさすがに立派で、堪能した。 今晩は何度も、聴いて興奮して、涙をながしていた。ドライアイのこのごろにはそれも大の恩恵であった。
「舌出し三番叟」「竹生島」につづけて笛をつとめた望月美沙輔の姿勢の良さ、笛の作法の正しさ、また演奏の安定のよろしさ。達人と見えて感嘆。
そして最後に大好きな富十郎がさわやかに袴姿で踊ってくれた。幸せを覚えた。
すべてを終えて舞台からこころよい佳い挨拶があり、三本締めで締めてきた。小劇場の外は雨も上がっていた。少し寒かったが永田町から地下鉄で保谷まで。云うことなし、いい半日のよろこびを満喫してきた。

* ありがとう、太左衛さん。感謝、感謝。

* 家に帰ると、岡山の有元さんから、備前焼を頂戴していた。これから荷を開かせてもらいます。ありがとう存じます。
2008 3・20 78

* 帝劇『ラ・マンチャの男』の座席券が届いている。大相撲初場所と同じ、今度も、孫ほど若いお連れと三人で観にゆくことに。紀保のアルドンサとたか子のアルドンサとを観ている。今度は、結婚した松たか子がアルドンサをどんなに演じるだろう。
2008 3・24 78

* 雨の帝劇。『ラ・マンチャの男』を観てきた。わたしは四度目になるが、今日の舞台に、今までよりも、うんと分かりい感銘を覚えた。ドンキホーテ(セルバンテス) の唄にも、アルドンサの唄にも、かつてなくわたしは涙を流していた。
わたしの方で、一度より一度、また一度と尋常でない「ラ・マンチャの男」に近づいているということだろうか、或いは彼の振舞いも思いも、より多く深く分かるようになっているということだろうか。
わたしは、凡庸なあしき「現実」にわるく「折り合い」を付けてしまうことの出来ない「狂気」の自身を抱いて、日々物笑いになりながら生きている。かすかに笑いかえしながら、生きている。
松たか子が力演し熱演し好演するアルドンサにも、わたしはよそごとでない、共感と悲しみとを感じつづけた。ドンキホーテほどに「敢然」とは生きられないなら、ドンキホーテの真実に目を開いたアルドンサとして、せめてこの後も生きて死んで行きたいと、わたしは諦めている。外は汚辱にまみれていてもいい、筋目のわるい折り合いをつけるばかりの生き物ではいたくないと、朝に夕にわたしは独りゴチながら、煮え切らないまま愚図ついているのが恥ずかしくて、涙を堪えられなかったのだ、そう思う。

* ほんと、いい舞台に出逢えた。スターは二人だけと云ってよかったが、そんなことが何の不足にもならないよく熟した競演だった。幸四郎と松たか子というハイライトが、人間らしい時空を現じたのは、佳い競演の「余地」が生きていたからだ。

* やす香のお友達も、よろこんで老夫婦につきあってくれた。
昨夜、やす香のまぢかう写真に、{あした、ラ・マンチャを一緒に観にゆくよ、おまえもおじいやんの肩に乗っかって一緒に観るんだよ」と声をかけると、写真のやす香の切れ長な双の目がわっと泣き出したので、わたしも堪えきれなかった。

* 何度ものカーテンコールのあと、ホールで、今日は洋装の高麗屋の女房さんに晴れやかに声をかけられ、四人で暫く愉快に立ち話した。気さくないい奥さん。雨もものかわ、満員の盛況も、おめでたかった。
その脚でとなりの出光美術館にあがり、「柿右衛門と鍋島」展を堪能した。朝夕庵の道具飾りにもシンとするほど胸打たれた。
しっかり楽しんで、雨にけぶる宮城の翠を眼に一休みの後、帝劇のモウルに降りてみると、いつのまにか贔屓の「香味屋」が店仕舞いしていたのには落胆した。
余儀なく鰻の「きく川」に切り替え、ゆっくり三人で食事の後、「琳」さんを、地下鉄の改札へ見送った。

* その辺で妻をもう一休みさせてから、帰った。雨にさほども煩わされなかったのは幸いだった。
2008 4・10 79

* 「人生自体が気狂いじみているとしたら、一体本当の狂気とは何だ本当の狂気とは。 (略) 一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生にただ折合いをつけてしまって、あるべき姿の為に闘わない事だ」と、「ラ・マンチャの男」は云っていた。
「あるがままの人生」というよりも、「あるがままの怠惰な世間のきまりに折合いをつけてしまう」のだと読みたい。それが、いちばんイヤだ。
2008 4・11 79

* 松本幸四郎の勧進帳千回めの上演を南都東大寺大仏殿前で、と案内があった。観たいな。だがなにより先に奈良で宿が必要だ。妻も同行できるかどうかも考える。
七月、松たか子の「家族」を考える恒例の現代劇公演、渋谷パルコでの「SISTERS」は、籤びきかもというのでオソレをなした。藤間さんからどうぞとお誘いがあり、七月は楽しみのない空白になっていたので喜んで好意に甘えることにした。

* せっかく連絡したけれど、返辞を受け取るのにこっちのインターネットが効かないから、まるで手が打てない。心許ない。
しかたなく、あれやこれや片づけ仕事ばかりしていた。もう日付が変わってしまった。
2008 5・3 80

荻江 細 雪 松之段   秦 恒平・詞 荻江 壽友・曲

あはれ 春来とも 春来とも あやなく咲きそ 糸櫻 あはれ 糸櫻かや 夢の跡かや 見し世の人に めぐり逢ふまでは ただ立ちつくす 春の日の 雨か なみだか 紅(くれなゐ)に しをれて 菅の根のながき えにしの糸の 色ぞ 身にはしむ

さあれ 我こそは王城の 盛りの春に 咲き匂ふ 花とよ 人も いかばかり 愛でし昔の 偲ばるれ

きみは いつしか 春たけて うつろふ 色の 紅枝垂 雪かとばかり 散りにしを 見ずや 糸ざくら ゆたにしだれて みやしろや いく春ごとに 咲きて 散る 人の想ひの かなしとも 優しとも 今は 面影に 恋ひまさりゆく ささめゆき ふりにし きみは妹(いもと)にて 忍ぶは 姉の 歎きなり

あはれ なげくまじ いつまでぞ 大極殿(だいごくでん)の 廻廊に 袖ふり映えて 幻の きみと 我との 花の宴 とはに絶えせぬ 細雪 いつか常盤 (ときわ)に あひ逢ひの 重なる縁(えに)を 松 と言ひて しげれる宿の 幸(さち)多き 夢にも ひとの 顕(た)つやらむ ゆめにも 人の まつぞうれしき
昭和五十八年三月七日作 五十九年一月六日 国立小劇場初演

* 松子夫人の、なみだを絞って舞台に見入ってられた横顔を忘れない。藤間由子、今井栄子、花柳春、京都先斗町連中らが繰り返し演じてくれた。
今度は、西川瑞扇さんが舞う。
その松子夫人に、どんなにお骨折り戴いて娘はサントリー美術館に就職できたか。そして松子夫人に娘のための主賓においで願い、晴れやかな華燭の宴が実現した。父も母も大汗をかいて奔走した。
だが、その両方で、若い夫婦は谷崎夫人に向かって申し訳ないひどいご無礼を重ねてしまった。
その上にあれだけ可愛がって戴いた娘や、その夫から、いま、父のわたしが「訴えられ」「損害賠償」を求められていると聞かれたら、あなたいったい何をしたのと、泉下で、どんなお顔をなさるであろう。

* セルリアンタワー能楽堂での花柳春と朱鷺の会。金田中の点心が開会前に振る舞われる。
まず荻江「鐘の岬」は二世花柳壽輔振付けでうら若い花柳春百華があどけないほどの「鐘に恨み」を舞った。次は急遽代役の西川喜優が米川敏子の地唄で『雪』を舞った。
そして三つ目に西川瑞扇(朱鷺春美)が谷崎の『細雪』よりわたしが作詞し荻江壽友が曲をつけた「松の段」を荻江壽々らの唄三味線箏で踊った。小道具も出てすこし感傷的に説明的になったか、ちょっと踊りがな、と想ったが読みに苦心の跡はみえた。とてもいい曲なので、また繰り返し演じたいですと、帰りぎわ花柳春さんのていねいな挨拶があった。

* 小雨をさけて、まぢかの「さくら」という店に入った。細雪のあとで「さくら」はよかった。
富山の料理か。豪快な刺身、桜エビの唐揚げ、強の九条葱をつかった鴨ロースの小鍋、かれいの焼いたの。そして高菜の小結び。わたしは酒を二合、妻は小さいコップでビール。フルに満足のメニュになった。富山なら、あの店には墨の塩辛もきっと置いているだろう。沢山食べて一万三千円でおつりが来た。いまどき上等ではないか。
『嵐が丘』を読みながら満員電車で帰る。タクシーもすぐ来た。 2008 5・19 80

* 七月の松たか子公演の予約を終えて座席が決まった。くじ引きにになると聞いていたので、籤運はいいとは言えず申し込みを断念していたが。真夏。元気な舞台に励まされたい。
2008 5・23 80

* 七月に俳優座があり、松たか子の芝居もある。八月には染五郎と大竹しのぶの芝居が楽しみ。座席券が届いた。歌舞伎座では勘三郎の奮闘公演だが、日と座席がまだ決まらない。
2008 7・3 82

* 六本木での俳優座公演、モーリス・パニッチ作、田中壮太郎演出の『金魚鉢の中の少女』はすてきに面白かった。俳優座が、テレビドラマのまがい物のような舞台にアクセクしないで、こういう意欲的な劇を怖めず臆せず真っ向から上演してくれるのが、じつに心強く愉快である。これは数学でいえば、無理数劇であり、整数や素数で成り立っていない。不条理で不確実な時代の、深刻でコッケイで気のシンドイ酬われないドラマであることが、そのまま現実への辛辣な批評になってくる。リクツを言い立てていくら論じようとしても、こういうドラマは辛辣に凡俗の嬉しがらせもしたり顔も寄せ付けない。あるが儘のなるが儘の歪みまくった時空間の不協和な和音を聴き取る気でなければ、お手上げになる。お手上げにさせてしまわず、十五分の休憩を挟んで観せて魅せてしまう「リキ」の厚かましさが「劇性の芯」を成している。それが面白くて、やったあという嬉しさで盛大に拍手を送ることが出来た。バンザイという気分で、「よかったよ」と言い残して劇場を出てきた。
主役の少女アイリス役・小飯塚喜世江嬢にわたしは賛辞を送る。科白の、「科」の切れのよさ、「白」の的確で正確な美しさ、演技賞ものである。彼女だけがまともなゆえの悲劇を最後に背負った。幼少時代を憂鬱に見失った。
夫・オーエン役の河内浩君にも賛辞を送る。彼はまともでないゆえの悲劇を喜劇的に造形して喜劇にもならなかった。悲劇にすらならなかった。この演劇が創りだした「現代と未来」を彼は背負った。

* 意欲的ないい芝居をきちっと見終えてくると、不思議な勇気が湧いてくる。
2008 7・9 82

* 高麗屋の女房さんから、ご主人もいっしょにペンの例会でお目にかかれればとお誘いがあったが、あいにくのスケジュールでお断りしなければならなかった。すばらしい舞台と客席とで出逢うのが最高だと思う。
七月には松たか子、八月には染五郎、九月歌舞伎座は初世吉右衛門追憶の秀山祭、そして十月には松本紀保らのチェーホフ喜劇集、これが楽しみ。妻も一緒に若い人を誘って観たいなあと期待している。
2008 7・12 82

* 渋谷パルコ劇場で観劇。
意欲的によく書け、よく演技で表現した、商業演劇の埒を深くはみ出した優れた舞台であった。きわめて不愉快な題材をいわば至福の境域にまで、ラストで盛り上げながら、一転ヒロインが現実へ呼び戻される。
新婚の夫ひとりが普通人の位置に立っていて、そこでペコンと凹む穴が異常舞台からふつう世間へ空気抜きの役をしていた。
松たか子演ずる異様な執着が、段階を踏むように表現されて行き、鈴木杏の演技は、松たか子に拮抗して効果的に舞台の意図を造形していた。非現実的な不幸を現実の至福へ死であがなって行く悲劇のしたたかさに、松たか子の役がおおきくよろめく「劇」性が、的確に演出されていて感心した。三人の男優たちが、ことに父の役がうまい。
ただ疑問なのは、はたして、これで観客の胸に何を感動として残したいのだろうか。刺激に富みすぎた材料でありながら、その先へ、生きた演劇の価値が残りうるのだろうか。そう思った。脚本も良く演出も良く俳優もすこぶる良いのに、そう思った。好い作品に出逢ったなという素直な喜びを観客が持ち帰っていたとは思われない。

* 往きに渋谷西武の地下で「ふぐまぶし」を食べ、帰りには松川で鰻重を食べて、往復とも副都心線で一気に渋谷へ、保谷へ。
2008 7・24 82

* 東京を出て行く人たちも少なくない。わたしたちは、居残って染五郎・大竹しのぶの芝居や勘三郎達の夏歌舞伎を楽しむ。「半蔀」といういい能もある。
息子の代表作にもなりうる『PAIN』が「秦組」旗揚げ公演になる。前評判は上乗と漏れ聞いている。
2008 8・11 83

* あすは、市川染五郎と大竹しのぶの芝居を、楽しむ。なにがあっても、楽しいことは楽しく楽しむ。
2008 8・12 83

* 渋谷コクーンで松尾スズキ作・演出の『女教師は二度抱かれた』を大いに楽しんできた。市川染五郎と大竹しのぶが大看板に相違ないとして、実は、阿部サダオ、淺野和之、松尾スズキ、荒川良々、市川美和子、池津祥子、宍戸美和公ら途方もない藝達者たちが、縦横無尽に科白、すなわち「科=身体能力」と「白=言語能力」を発揮して刻一刻を積み上げ繋ぎ、興趣津々の場面をよくよく削られた鉋屑のようにまき散らしながら観客を笑いの渦に呑み込んでゆく。
芝居の筋立てに歌舞伎と小芝居との問題が「ぶっこわす」というキーワードでかなり辛辣に組み込まれていながら、しかもこの舞台は、まさしく根生いの「小芝居」が本来そうであった「カブキ」を「現代劇」として「創作」していたのである。じゅうぶん面白くてアッパレな仕事だった。

* 染五郎は、いわばカブキの「しんぼう立ち役」という心棒役で他の、見ようによれば「怪物」めく「役人」たちを存分に舞わせていた。よくしんぼうして芯に働いた。

* なんといっても個人技としてみれば大竹しのぶという天才女優が楽しめた。何でも出来る。自由自在に出来る。自然に徹したこまやかで豊かな演戯の異能に舌を巻く。見ているだけで楽しくてしかたない。乗り出すように誘い込まれている。ウーン。よかった。ありがとう。
そして特筆したい阿部サダオのおもしろさ、多彩に変幻する演戯の確かさ、科白のキレのよさ。テレビドラマのチョイ役では何度も見てきた俳優だが、ほんぶたいではこんなに目の覚めるような才能を発揮しているのだ、逆に言うとテレビでは実に贅沢に俳優を見ていたのだなと今更に思う。ありがとう。

* ああ、おもしろかったね、あれがカブキなんだよと妻と話しながら、昼飯の鰻「松川」についで、コクーンの外の広いパブで、久しぶりにホットケーキとコーヒー、紅茶を楽しんだ。
帰途、銀行での用事も済ませ、幸い一度も妻も疲れず、幸せな楽しい半日を渋谷で過ごしてきた。それにしても渋谷の街頭は騒がしくも五月蠅いなあ。
副都心線のおかげで、往きも帰りも直通で渋谷まで、また保谷まで。らくになった。
2008 8・13 83

* 浅草観音裏の「みちびきまつり」案内が太左衛さんから。地図とお店とを大きく刷り込んだ「東京新聞ショッパー」も。是が便利そう、食べ歩いてみるかなあ。明日が前夜祭で、浅草の見番二階で踊りや囃子がある。ちょっと気をそそられている。整理券がいるというのは気になるが。
明後日は建日子の秦組旗揚げ公演に呼ばれている。明日が初日の幕開き。うまく船出しますように。
2008 8・22 83

 

* 今日旗揚げの秦建日子作・演出の舞台「pain」を観てきてくださった読者がある。ありがとう、感謝します。

☆ 湖へ    珠
お元気ですか。
すっかり秋の気配、涼しいよりも肌寒いほどですね。
先週までの蝉から虫に音の主も替わり、静かな夜を過ごしています。
今日、昼の秦組旗揚げ公演「pain」、拝見してきました。
テレビドラマや映画でしか存じ上げないので、一度、舞台を拝見したいと思っていました。かつて私も20歳代には、あちこちの小劇団の公演を
よく観に出かけ、本多劇場の出来た時にはワクワクしたものです。そんな私にとって、久しぶりの舞台、そして下北沢、でした。
今日はどんな作品か、以前の舞台からのテーマなども、まったく知らず、先入観なしのまっ白なまま、拝見しました。後半、あれ何で?? と思うなか、泪がおちていました。
自分のなかのどういう感情に、舞台の何がどう触れたのかよく分からないままの落涙に、私は戸惑いました。人をぐっと掴んで釘付けにするような力強さや、研ぎ澄まされた美しい科白など、目を瞠り耳を澄ます緊張感は感じないのに。なのに、なのに、泪とめられず。何か自然な風に吹かれ、心のレースカーテンをはらりと煽ったような。そして、普段隠れている影に、ふと風が触れて沁みてしまったような。そんな、感じでした。
「ごあいさつ」に書かれていた、自分が「痛い」ということを、ぼくはいつ知ったのだろう、、という「痛い」が、公演名「pain」に繋がるのでしょうが、これは、最近若い人がよく使う「痛い」という表現、微妙な、うまくいかない感じをいうのでしょうか。私には痛さとしては分からなかったのですが、何層にも襞のある心の、語って言葉にならない、したくない部分の、まるで旧い傷に塩水が沁みたような、これも「痛い」ということかもしれません。

人の出来る最高のことは「待つこと」、
自分が愛しているからって、相手にも愛してっていうのは傲慢ではないですか、
私は自分のこと、愛して愛してくれる人がいいのよ、でもあなたは違うのよね、

人が人を愛するとき、求めてしまう我への愛、かえってこなくともただ愛しい愛、、、生きるうち墜ちる愛の罠のように思えます。日頃、我が身を大事に想う瞬間に、相手に何かを望む瞬間に、罪悪感を覚える、まさにそれ、でした。
でも、そこに変わりゆく人が在り、「待つこと」の提示は生きる鍵かもしれないと、私のこれからの日々に、明るい光も頂きました。
亡くなった人の好いところをあげましょう、、ということ、これは作者の願いにも聴こえました。生きている人は、かつて生きた人の面影を取り合うのではなく、好いところを共有しようと、同じ人を愛した、少し愛し方の違っただけ、、という事と。
作者はやさしい方だと、そして懐の大きな穏やかな方だと、感じました。そして、過ぎ去った日と、今の場面の同時進行には、どこか湖の小説世界の香りもしました。
家族におこった幾つもの出来事に翻弄されながらも、まるで茶室での人間観察のように、息子さんは生きて感じてそれを言葉にしていらっしゃるのだと思いました。
その場で感じたまま、時の移ろひに溶かしてしまわずに、「今・此処」の人の理解や願いを舞台という形に遺してゆく忍耐力に、同世代としても頭が下がります。
「待つこと」の、待ち方はまたいろいろ。作者のおおらかで自然な「待つこと」を思わせるようでした。理屈でも情だけでもない、「待つこと」は、悠久な願いです。
湖の日々に、「待つこと」の穏やかな光さす事を、祈っています。
若い女性のお客様が多くいらっしゃいました。若い彼女たちにはどんな風に映ったのでしょう。
ダンスのいれ方も、また難しく。演劇での表現に、肉体表現をどう織り込んでゆくのか、、以前ダンスに没頭していた私としては演劇とダンスの融合にも興味は尽きず。。。
また次の舞台を楽しみに拝見させて頂こうと、思いました。
予期せぬ泪泪泪に、思わず長いメールを書いてしまいました。
気候落ち着かぬ日々、くれぐれも大事にお過ごし下さい。お気をつけて。湖。くれぐれも。  珠

* この芝居の初演を観ている。リライトして大事に育てれば「代表作になるね」と励ましたのを覚えている。かなり長い間作者は寝かせていたように記憶する。

* この作者の作と舞台とが、いつも、「優しい」と感じられることは、佳い持ち前であると同時に、破らねばならぬ限界だということを、わたしは何度も批評してきた。

* 「待つこと」の可能なのは若い世代であり、しかも「ただ待っている」若い人は、往々心身痩せてゆく危険にあることも知らねばならない。
わたしのような老境で、しかも眼前に、容易く超えてゆきにくい不条理を、莫大な賠償の負担を押しつけられている精神と肉体には、ひよわに「待っている」余命も無い。生死を、死生を待つことは出来るが、現実問題は待ってやり過ごすには過酷なのである。
「今・此処」に立って生きる、花に逢えば花に打し、月に逢えば月に打すという覚悟に、「待つ」は無い。「在る」だけだ。待つのが穏やかであるという理解もない。「今・此処」は「待たない」。「在る」のである。
2008 8・23 83

* 午後、秦組旗揚げ公演、建日子作・演出の「Pain」を観にゆく。先月の松たか子らパルコの、今月の市川染五郎、大竹しのぶや阿部サダオ・松尾スズキらコクーンの舞台が、今も眼にある。秦建日子の、小劇場芝居の骨頂を、観せてほしい。

* 「劇団の旗揚げ」とは、言うはやすいが容易な決断ではない。秦建日子が熟慮し奔走してそう決断したという、そのことにわたしは賛同し祝福する、おめでとう。
その世界の事情など父は全然識らないが、やると決意したのはただの蛮勇でも浅慮でもないことを、父は息子だから信頼する。苦難も嶮しい起伏もあるだろうが、踏み出したのだ、毅然とまた慎重に行くように。
父は何の励みにもならず手助けも出来ない代わりに、いつも此処にいて「秦組」の航海を観ている。
大航海時代の船長には「徳」があった。ただの人徳ではない。知識も技術も判断も腕力も弁舌も、策謀においても全船員にぬきんでていた、それを「徳=力= virtue」と称えられた。まだまだそんな力や徳を備え得ているわけがない以上、謙遜に学んでも欲しいし、健康にも、どうか人一倍留意あれ。気弱くなるな。

* 渋谷、下北沢は、雨だろうか。

* 下北沢では、昨深夜に思い立って切符の手配をし、伊丹から飛行機でわざわざ観に来てくれた、わたしに逢いに来てくれた、関西テレビの報道記者、井筒慎治君にアイサツされ、びっくりし、信じられず、大感激した。興奮した。
彼が卒業して十数年、以来一度だけ京都の産経支局前で逢ったことがある。東京へも一年ほど転勤して来ていたのに、なかなか逢えなかった、が、終始連絡は途絶えなかったので、いつも身近に感じていた。
とは言え建日子旗揚げの芝居をはるばる大阪から観に来てくれたとは。
有難う、ほんとに有難う。
幸い舞台のアト、建日子を引き合わせることも出来た。建日子も、消耗もせずゆったりと元気そうだった。建日子もわたしも大柄な上に、井筒君もっと大柄で、路上混雑の中で三人が、ちいさい妻も入れて四人で立ち話していると、「小山」のようだった。
芝居は、超満員で、通路は三十センチ幅もなかった。

* 芝居のあと、近くのパブで、妻も心嬉しく、井筒君と三人でビールで乾杯、懐かしい歓談に時を移してから、小雨の下北沢駅で渋谷からまた空港へ帰って行く人と別れ。わたしたちは、吉祥寺の方へ帰って行った。雨など、少しも苦にならなかった。

* 芝居は、初演とはまたちがったフレッシュな顔ぶれと演出とで、二時間やすみなく、躍動し面白かった。苦心のリライトと配役。楽しんだ。
その『Pain』の詳細な感想は、まだ上演が始まったばかりでもあり、落ち着いて書いて、建日子に直接メールする。
2008 8・24 83

* 七時に起き、昨日の建日子芝居の感想を書く。発売と同時に完売になったため、知友への案内もしそびれたとか、いろいろこれまでにお世話になった方へは申し訳なかった。昨日の井筒君も、辛うじて頼み込んだんですと言っていた。
2008 8・25 83

☆ 秦組旗揚げ公演「Pain」、無事終了。  秦建日子
今、打ち上げから帰ってきました。
一ヶ月間のハードな稽古にもかかわらず、誰ひとり脱落することなく千秋楽まで走れました。そして本番は、最後の最後まで雨に降られましたが、それすらもいい思い出と思えるほど、素晴らしい10日間でした。
みんなが秦組Tシャツ―――羽座に押し切られて作りましたが、実を言うと、最初はちょっと気恥ずかしかった(笑)―――を着てアップしているのを見るのが、毎日とても嬉しかったです。
仲間のいる心強さをひしひしと感じました。
最終の15ステージ目は、客電が完全に点いた後も延々と拍手が鳴り止まず。。。でも、ぼく自身、最後まで「本編」を直し続けることに全エネルギーを使い果たしていたのでカーテンコールのリハなど一切しておらず。。。
キャストたちはみんな一度は楽屋に戻ってしまっていたにもかかわらず、たくさんの拍手に慌てて戻ってきました。ちょっと不恰好なカーテンコールでした。でもでも、最初からやると決めている予定調和のカーテンコールの10倍100倍心温まる素敵な終わり方を、お客様の温かい拍手によってさせていただけたと思いました。
明日からまた生きていく勇気をいただきました。(大げさではなく、本当にそう思いました)
連日、たくさんの激励のメールやコメントありがとうございました。
心が折れそうな時、何度も読み返し、「力」にさせていただきました。
公演の成功に惜しみない協力をしていただいたケイダッシュ・イーコンセプト・フィットワン・isの皆さん、ありがとうございました。
ビジネス度外視で振り付けの修正に何度も何度も何度も何度も時間を作ってくれた加藤清恵さん&YKDFの皆さん、ありがとうございました。
最初から最後まで、誠実に裏方として舞台を支えてくれた羽座和歌子、竹村千穂、島田友美子、飯田和広、弥野由布子、ありがとう。
連日、劇場に手伝いに来てくれたTAKE1生のみんな、ありがとう。
そして、劇場にて「秦組旗揚げ」の瞬間を共有してくださったたくさんのお客様の皆さん。本当に、本当に、ありがとうございました!
第二回公演で、またお会いできたら嬉しいです!  author : 秦建日子

* 朝一番に「おめでとう、よくやった」と祝メールを送ったあと、「mixi」でこの記事を読んだ。よかった。おめでとう。心満たされた嬉しさというものは、一心に創りおえた瞬間に爆発する。そういう幸福感は、また未来への力でも希望でも不安でもあるのだが、仕事をし終えて得られる本当の自祝なのである。より優れた未来へまた歩みだして欲しい。

* 父の辛い批評も覚えていて欲しい。

* 小説は繰り返して読み直せるし、ナボコフもまたわたしも常言うように、読書とは「再読」以降を謂うのだが、演劇の感銘はふつう一過性に客が持ち帰って、一時の興奮からさめていつまでホンモノの感動として生きるか、それが勝負なのであろう。劇場での拍手は作者や俳優・スタッフらへ、激励と、当座・当日の感謝、なのである。感銘という名の火種をどうその人人の胸や頭のうちで、どう先へ火種を継いで継いでリレーしていって貰えるか、記憶していて貰えるか。そのために、また第二回が必要になる。
一を起こし、二を生む
わたしに『花 風』の大きな二字を額にして下さった荻原井泉水さんは、この言葉を大切にされていた。
まず優れた一を起こさなければ。それなしに二や三は無い。まだまだ小山の大将、大将ですらまだないかも知れないが、建日子はとにもかくにも大きな「一」を起こした。健康を大事に、堅実に大胆にと願う。つまらない事故を起こさぬように。
父は父の晩景を、父らしく思い切り描いて行く。
2008 9・1 84

* 二時頃から三時間ほど寝入った。九月が逝く。十月は忙しい。秦の母の十三回忌。実質第一回の裁判がある。三越劇場、国立能楽堂、俳優座劇場、国立劇場、NHKホールとつづく。商業演劇、能、新劇、舞踊、歌舞伎。それに理事会と眼科検診がある。人にも逢うだろう。その間に湖の本新刊、通算九十六巻めの発送という力仕事がある。十一月へも同じ感じで流れ込むだろう。
2008 9・30 84

* 午後、出かける、チェーホフに会いに。
2008 10・2 85

* ニール・サイモンの脚色でチェーホフの掌編作品を、前後十二話にして観せてくれた。三越劇場。とても観やすい前から四列目ほどに席を貰っていた。
立川三貴が舞台まわし役の作家チェーホフをたくみに演じ分け、三田和代、松本紀保、井上堯之、小野ヤスシら異色の個性派が顔をならべて「チェーホフ」文学の香りを十分感じさせてくれた。チェーホフってほんとこんな感じだよと、わたしは読書体験で裏打ちして舞台に何の違和感もなく、笑ったり感じたりほろりとしたりしつづけた。演出もうまかったが、俳優の一人一人の反応が深切だった。
チェーホフから身振りの大きい大感動のくるはずがない、波動はちいさいが、質的な苦みも甘みも淡さのうま味もが、確実に胸に迫ってくる、それがチェーホフだ。満足の行く観劇。またまた原作をいろいろ読んでみたくなった。
チェーホフに接すると、かならず、「で、いまのきみは今・其処に満足しているかね」と訊かれる。ウーンと唸ってしまいながら、人間の歴史に百年、二百年は長いのか短いのかと、ふと苦虫を噛み潰しているような自身の戸惑いに襲われる。

* 言うまでもなく、これが立川三貴の本舞台で、テレビの時代劇などに現れるのは「応用編」であるのだろうが、こうして本舞台での演技を見せて貰えると、ありがたいことと思う。暢達という二字のふさわしい、観るから違和感のない親しめるアントン・チェーホフであり、その変化(へんげ)ぶりであった。三田和代もまた然り。
そして明晰の科白力でいつもわたしを感嘆させる松本紀保の豊かな可塑性。おどおどした小娘でも細君でも、またオーディションを受けにモスクワまで来たオデッサ女優が、おっそろしく美味い「三人姉妹」を語りわけるのも、娼婦の役でも、切れ味豊かな変わり身に本領を存分発揮してすばらしかった。
まためずらしや井上堯之の唄出演で、三田和代と、見せ聴かせた老いらくの寂び寂びとした抒情の一場面には、身につまされる心地で深くほの温かく魅了された。ほろっと来た。

* フランスから帰ってきた「琳」さんを誘った。幕間に高麗屋の夫人が、めずらしく洋装で席まであいさつにみえた。三田和代の弟だったかペン委員会の同僚だった三田誠広君も来ていた。
はねたあと、三越真向かいのビル九階の精養軒で三人で食事した。「琳」さん、フランスのお土産を下さる。地下鉄大手町駅で別れてきた。
満員の地下鉄でも西武線でも『モンテクリスト伯』もう離れられない。深い地下牢獄のさらに地下道を通じ合ってファリア法師とエドモンの出逢い。わたしが全編の中でもっとも励まされ勇気と智慧とを与えられ感動するのは、其処だ。
そしてファリア法師は「息子」と愛したエドモンの目の前でついに死んだ。そこまで来た。
ほんとうに隅から隅まで、みな記憶している。それなのに純粋に胸は鼓動し掌は汗ばむ。デュマの文章には美的な文飾や表現はむしろ乏しい。無いとすら謂える。つよい濃い線を彫り込むように、事柄だけがのっぴきならない勢いでずんずん進んで行く。何らの晦渋も微妙もない。断乎としてじつに面白くことが運ばれる。もう、とまらない。もう、逃げられない。
2008 10・2 85

* 紀伊國屋ホールで、俳優座公演を観てきた。
緩和ケアのホスピスを舞台にしていて、わたしにも妻にも厳しい題材であった。終始身につまされて、今回ばかりは舞台にのめり込んで感動するというにもなまなましく、批評的に観る気持ちの余裕もなく、参った。
なにもいえない。見終えて、いっそ辛い思いだった。
丸ノ内線を利用してぐるりと池袋に戻り「船橋屋」で食事して帰ってきた。保谷では雨に降られたが、たいしたことにならぬうちタクシーが来てくれた。
2008 10・7 85

* 仕事もしたけれど、身の汚れそうなイヤな用事にもたくさん時間をとられた。
さいわい、わたしの「窓」は、多方面に開かれ、風も通る。気も変わる。
正月には、松たか子と宮澤りえとの競演、野田秀樹作・演出の舞台が案内されてきた。これは人気で溢れるだろう、二席かぎり、第二希望まで出しての予約になる。十一月も楽しみの舞台公演がならんでいる。まだ七十三歳になる「師走」の予定が決まらないでいる。
2008 10・11 85

* 十一月の俳優座は女優出演が多く、はんなりするかも。
師走の歌舞伎座、高麗屋の父子が『籠釣瓶花街酔醒』を、福助の花魁八橋を中に仇同士を演じる。生まれて初めて初世中村吉右衛門・中村福助(後に歌右衛門)・守田勘弥で南座で観た。その吉右衛門の孫と曾孫の舞台だ。ながく生きてきた。
中村富十郎が愛息鷹之資と競演で石切梶原をやる。天王寺屋の大きな役は最近では熊谷陣屋の弥陀六だったか。こういう大役を一つでも二つでも多く観せて欲しい。
染五郎は昼夜に四役と相変わらず儲け役。三津五郎の変わり道成寺も、気が早いが、とても楽しみ。
2008 10・26 85

* 歯医者からフランス料理の「リヨン」に戻って昼食したのが長くかかり、俳優座に駆け込んだときは開幕から十五分遅れ。かろうじて夫婦で補助席に入ったが、十分舞台はよく見え、問題なし。

* 学校や職場での「いじめ」を描いた、そのままテレビドラマで通用する舞台で、「演劇」的な冒険も趣向も創作もゼロに近い。よく言って、生真面目につくってあるホームドラマ。ただし見終えて後、何かが「解決」されたとは少しも思われず、みんなが何と無く「決然と明日へ向かい意気込み」はしたものの、ほんものの「明日」からこの人たちどう「いじめ」と立ち向かえるのか、全然見通しが立たない。もっともそうな常識の台詞はいっぱい聴いたが、みな、「識者」たちがテレビで喋ったりしているのと少しも変わらない。テレビのホームドラマと全く同じアングルで、何も解決の付かない、見通しの立たないものを、演劇・新劇の座元である「俳優座」がやってて、どんな「演劇」的新味や前進があるというのだろう。
まことに真面目な舞台、真面目な作物であったし、俳優も真面目そのもの。あれれ、こんな舞台で出逢うんだと逸材の誰彼などの顔を観てちょっと勿体ない気がしたが、どこがマズイというわけではない。ひとり、件の「問題」からは「もう上がり」の「おばあちゃん」役の気炎も体験も胸にきちんと届いて懐かしいほどであったけれど、そして泪も零して観ていたけれど、所詮俳優座がわざわざやる「演劇」とは思わなかった。

* 「いじめ」問題は簡単な思いつきや、現象の上わ撫でで書ききれるものでない。「差別」問題への深刻で厳粛で周到な理解や洞察無しに、「いじめ」を簡単なうわべだけで問題にしても、殆ど何も変わらない。
あるいは、「いじめ」問題は一種の「戦争」抜きには解決しない。

* わたしの育った京都の同じ町内で、戦時の国民学校時代、わたしより二年上の剽悍な少年Aが、同年の温厚で大柄な少年Bをいつも言語道断にいじめ抜いていた。だが、ある日、ついにB少年は決然と立ち、まさに一騎打ち、A少年を腕力ないし暴力で徹底的に復讐し、力関係は掌を返したように覆った。これしかない。わたしは観ていてそう感じた。
丹波の山奥の村の国民学校に疎開転校したとき、わたしよりやはり二年上、或る部落の少年A率いる一団が、別の部落からの高等小学校一年、つまり一つ年上の孤立した少年Bを、日ごと、徹頭徹尾目を覆いたいほどいじめ、痛めつづけていた。ところが、ある日、田舎の学校の運動場を追いつ追われつ、いじめ団の主将A少年と孤独ないじめられ役B少年とが、一対一、一騎打ちの体で猛烈に闘い初め、Bは、Aを、完膚無きまで暴力的に圧倒した。勝負あった。そして、陰湿を極めたいじめはかき消すようになくなり、運動場はB少年の晴れて天下と帰した。これしかなかった。やはりわたしは観ていてそう感じた。
疎開先から京都の敗戦後の小学校に帰ると、教室の中でやはり或るA少年とB少年とが烈しく葛藤していた。そしてこれまた二少年の互いに泣き叫びながらの一騎打ちの乱闘でお山の大将争いの決着が付いた。勝手にやっとれとわたしは思っていた。

* いまのいじめはこんな単純な物でないようだ。弱かった側が、強い側を、腕力で逆転すれば済むような単純な組み立てでほんものの「いじめ」問題は出来ていない。まして精神論では片づかない、が、とかく識者は精神論で批評している。精神でも論理でもない利害と感情とを深い基盤に陰気に隠しているから「いじめ」は複雑怪奇なのである。きれい事では済まない。もっと凄いきれいきたないの思いが絡まっているのだ。どこかでは、凄惨なほどのリベンジが発動されるだろう、それはもうテロリズムになる。それしかない、とは、やはり怖ろしくて言えないからこそ「いじめ」問題は小手先の議論や創作では片づかない。
2008 11・21 86

* 歯医者の後、江古田で昼食してから、西武新宿線の下落合駅に近い小劇場で、永井愛の鶴屋南北賞受賞作『ラ抜きの殺意』とかいった芝居を、建日子も加わり、三人で観た。劇場で、「ペン電子文藝館」の同僚委員だった牧南恭子さんと出逢った。娘さんが今日の芝居に出演していた。
面白い芝居であった。今日は、俳優達よりも「脚本の面白さ」を評価したい。脚本の掌の上で俳優達が踊らされていた。踊りようにも巧いマズイはあったが、牧南さんの娘さんはなかなか面白かった。巧かった。

* 終演後、タクシーを拾い、三人で池袋西口に走り、東武百貨店の上の「美濃吉」に入った。出た料理には全く感心しなかった、わたしの体調のセイだろうか、とても疲労していてヘンに息苦しくハアハアしたりして。ま、そういうこともあるさと思って深くは気に掛けていないが。
建日子と長時間話せる機会はすくないので、今日のような日は、年ごとに大事になって行く。
料亭の席をいつまでも塞いでるワケに行かず、メトロポリタンホテルへ移動し、二階ラウンジで話の続きを楽しんだ。
池袋駅で別れて帰ってきた。妻をすわらせ、わたしは立ったまま『復活』を読みながら保谷まで。
いまカチューシャは、国事犯たちのなかに混じっていて、男性囚の一人が彼女に愛を抱き、ネフリュードフの理解を求めていた。トルストイがこの作品では国事犯たちとも深く接して「革命」の匂いへも果敢に接近している。ネフリュードフや国事犯男女たちの「人間」認識はそれぞれに辛辣でシャープで、トルストイという「非常識」極まる貴族作家への敬意を、わたしはますます深めている。ある時代の常識に対して優れて批評的に、また孤独に耐えて非常識であるということの凄さとすばらしさ。
2008 11・28 86

* 新年はすでに、はやばや野田秀樹作・演出で、宮沢りえと松たか子というとびきりの競演で『パイパー』の席が取れている。
わたしたちの芝居見物も、体力を考えれば、来年一年があるいは山かもしれない。山坂で転ばぬよう、あれこれ心気なことは考えないで、老境の楽しみを、踏み込んで踏み込んで呼び込みたい。夫婦で出そろって行けるのが、花。

* 今日はそこそこ寛げた。朝は早めに起きていた。九時。今夜はもう機械の前から離れよう。
2008 12・1 87

* そればかりかその前に、何と嬉しいこと、大の大の贔屓の、松たか子、宮澤りえという演技派が情熱的に競演する野田秀樹の芝居が待ちかまえている。嬉しい新春になる。
2008 12・29 87

上部へスクロール