* 山種美術館のカレンダーは、表紙・横山大観の『心神富士』から、一月二月は上村松園の美人画『牡丹雪』。鳥山玲さんの「輝」くカレンダー、一月二月は、飛翔華麗の『丹頂双希』。
* お静かに二日の朝を迎へける 遠
2008 1・2 76
* 『翁』だけで失礼し、目黒から山手線で上野へ。最終日の『ムンク展』に十五分ほど行列して入る。一点一点詳細に観ようという気ははじめからなく、「ムンク」が諒解できればよかった。ああ、そうか。さもあろう。そう思いつつかなり広い会場と沢山な展示に納得して、出た。お山を一人で歩く気はなく、そのまま池袋に戻って、メトロポリタン・ホテルの地下「ほり川」で美味い鮨を食い、売店で妻の服を物色しておいて、保谷へ帰った。
往き帰りの車中、ナチスドイツとのかかわりから「ユダヤ」の歴史と、ユダヤ人に対するあまりに無惨なナチスの絶滅政策にいたるさまざまな思想的・政治的無道の経過に読み耽っていた。それと「翁」の能とが並列で同居しているわが脳裏の繪図は奇態であるが、どちらにも真っ直ぐ「気」を向けることが出来る。
2008 1・6 76
* なにかしら道場のような所から建日子が帰ってきた。ほっそりとは見えないが健康な顔をしていた。もう一度いっしょに七草の粥を戴く。建日子は今夜で三十代を通り越し、明日は誕生日。わたしが初めて三越の画廊で買ったプチ・ジャンの花の繪と、I 画伯に戴いた裸婦のデッサンとをお祝いに遣った。両方とも好きで永く愛してきた。建日子も佳い繪だと納得していたので、よろこんで譲れた。
繪でも何でも、持ち主に可愛がられてこそ、いっそう美しいモノになる。
預かっていた猫のグーちゃんを建日子は連れて帰った。なんだか少しわれわれも黒いマゴも、寂しい。
2008 1・7 76
* 妻と、大江戸博物館での「北斎展」を観た。逐一時間をかけて観るには、一点一点が小さく、数が多い。「富岳三十六景」ほかの代表作に絞って注視し、感銘を新たにしながら「北斎世界」のおおよそをよく納得し、心惹かれて楽しんだ。
2008 1・24 76
☆ 繪を観る 松
せっかく名古屋まで来たので、開催されている日展を見に行く。日本画、洋画、彫刻、書と多くの作品が展示されている。
ちょうど作者による日本画解説を行っており、聞くことにした。若々しい絵だと思っていたら、かなりご年配の方だったり、重厚な絵だと思ったら、実は若い人だったりして驚く。
その中のお一人がこんなことを言っていた。
「絵は自由に各個人の感性で見て欲しい。良いと思う作品、つまらないと思う作品は人によって違うし、それで良いと思う。この展示会の中で一つの作品でも良いと思うものがあれば、たとえ自分のものでなくてもうれしいと思う。絵の解説を、ということでここに来たが言葉で完全に説明できるのであれば、絵を書く必要がないだろう。」
非常に共感できる話だと思う。作者のひらめきに対して、鑑賞する人は別の受け止め方をするかもしれない。作品となった以上、どう受け取るかは鑑賞者に任されるものであろう。そして見た瞬間何かきらめくようなものがあれば、それは良い作品であると思う。
音楽においても完全な解説などあり得ない。言葉で説明できない感情のほとばしりが音楽にはあると思う。
日本画の展示の中で満開の「荘川桜」を描いていた人がいた。薄桃色に染まる桜の姿を描き、華やかながらも、ほんわりとした柔らかい感じがする絵だった。
昨日の雪に埋もれた桜の木の姿を思い出した。
* 画家のいいお話であるが、一つ間違うとつまらないことにもなってしまう。
作品の真価というものを、人により受け取り方がちがうので、良い、つまらないは一概に言えない、と。
こういうことを、享受者も創作者もわりに平気で言う。相対化の可能な、つまりは観る人も創る人も「わたしなりに」という言い訳をしてしまう。
それはちがう。
何が何であろうと、衆目の差をとびこえてより大きくより優れた秀でた作というものは在る。それを創り、それを見分けて行く、それが創作者の意気であり、それを享受者の真の喜びにしないといけない。「解説」の域とはかけ離れたことで、自己満足は赦さないそれが厳しい藝術の誇りなのである。
いいモノだとおもって美術や骨董を買う。幾つか買う。ところがそれらを束にしてもそれよりもずっと優れたものに出会うことがある。出会わねばいけないのである。
そしていいと思ってきた全部を売りはなってなりとも、さらに積み増してでも、より優れた作品をわがものにする。わがものにする、買うというのは、この際の方便で言うのである。
「絵は自由に各個人の感性で見て欲しい。良いと思う作品、つまらないと思う作品は人によって違うし、それで良いと思う」などというのは、創作や鑑賞の厳しさを舐めたはなしであることに、だんだん気づいてくる。
藝術の達成には、厳しく言えば上には上がある。上をはなから見捨てていては、鑑賞も創作も、つまりその程度でおわるだけだ。
そうなんだよ、「松」くん。
2008 1・30 76
* 歳末来停滞していた仕事を、ともあれ取り纏めて、「美術京都」へ送った。
2008 2・2 77
* いま、手洗いに入るのが楽しみで仕方ない。
京都の道具屋が「これは大事におしやっしゃ」とまるで釘を刺すように誉めていった唐銅の筒に、妻が、草花を。それをわたしは、棚でなく、床におろし、便座から目の真前に見下ろすのである。
草花は見上げるものでない、上から眺めるのが最も綺麗。下に緑の葉もいい千両の赤い実。その上へ白い子花のかすみ草をひろげて、真ん中へ黄のフリージャを数本、やや低めのワキ座にほの赤い小菊。幾重にも層を成して花たちが匂う。目にも匂う。花の美しさが極限に満開して匂っている。
棚に上げたらフツーになる。みおろすと、かかやくように花が宝物になる。わが家で今、いちばんいい場所に「手洗い」がなっている。
2008 2・3 77
* 今夕、上村淳之展のレセプションに呼ばれている。すぐ近くで創画会春季展もやっている。とくに心をそそるというのではないが、春風に誘われて、校正刷りをもち出かけてみようかと。
2008 3・4 78
* まこと光陰は矢の如く。昨日もある人へのメールに、「奔るように毎日が過ぎて行きます。ときどき怖くなります」と書いた。「暖かくなっていますが、まだ、三寒四温の揺り返しでしょう。そして花が咲く」と。いい春が待たれもし、いいよゆっくり来てくれてとも、声かけたくなる。
* 高島屋の春季創画展観る。名前は覚えないが画面は覚えている、ひとりだけ、相当に持ち重りのする、質量の大きい新山水と謂いたい繪を描いている人がいた。もう二人ほど、フンと頷ける繪があった。
だいたい、日本の美術史では、和風の元のに対して外来の新風が対立し、いつの間にか総合されて和風の新風になると、また外来の異風が入ってきて対立する、が、またまた融合して和風の今風が出来る、と、また外来の洋風などが入ってきて対立し、それもまた溶け合って新和風の日本画が出来てくる、とまた洋画が入り込んで和洋対立していたものの、いつしれず日本画も洋画も区別の付かない新日本画になっている。ちょうど今はそういう和洋混雑の「新日本画時代」で、展覧会へ出かけても区別が付かないのが圧倒的に多い。それは構わないのだが、名品がめったに見つからないから情けない。
* 三越で上村淳之氏が展覧会を始めて、夕過ぎてから本館でオープニングのレセプション。展覧会は新館。一巡二巡三巡して失礼し、空腹を三越向かいの上野精養軒で満たした。いつ来ても貸し切りのように空いていて、昼間の食事にはありがたい、読書も校正もちっとも気にならない気に入りの店で、日本洋食のコースを、ドライシェリーと赤ワインで楽しんだ。コンソメのスープがいつになく美味しく、鯛のポアレよりはフィレのステーキが旨かった。パンがわるくなかった。
展覧会は観たのだし、どっちみち立食では食べられないのだから帰ろうかと思ったが、時計を観ると長いアイサツなどの済んだ刻限、淳之さんの顔を見てお祝いだけ言うて行こうと、会場になっている本館七階の食堂にあがった。
淳之さんはちょうどご機嫌で、前の衆議院議長の土井たか子さんと話していた。土井さんとは前に東芝副社長も含め、同窓生として鼎談したことがあるのを、土井さんも覚えていて、三人でしばらく立ち話、また話しましょうよと、元議長さんえらく朗らかであった。
竹内浩一君も来ていて声をかけてくれ、暫く歓談し、そのまままたさっさと失礼して外へ出たら、小雨になっていた。地下鉄を乗り継いで、西武池袋から一路帰宅、八時。
伊藤桂一さんから懇切な、用事の手紙を戴いていた。
2008 3・4 78
* 上村淳之氏の展覧会で、選ぶならこれだなと、二つ三つ頭に入れて帰ってきて、図録をみた。今度の三越の展覧会はパリで開いてきた展覧会と同内容、図録にもパリでの模様が報告されていた。向こうの人たちのお気に入りベストテンのような記録もあり、面白いことに、第一位二位の作は、わたしの思っていた作と合っていた。わたしは、それにもう一つごく初期の作一つを思っていた。それだけ。
いい絵は、物理的にではなく、画品の容量が、懐が、「大きく」なくてはいけない。『雁金』にはそれが出ていて、この分では此作がこの画家の代表作と後々まで言われそうだと初の発表時に感じた。それ以上の作をむろん期待してきたが。
もう一つ、どんなに静かな繪も「活躍」が感じられなくてはならない。世界が停止しているのと静かとはちがうのであるから。どんなに静かな構図でも、描かれた鳥は生きて翔ぶなり呼吸するなり、生彩鼓動していなくてはならない。『憩い』にはそれがまずまず感じられたとパリの人もみたのであろう。
綺麗なパタンでは、つまらない。松篁さんの遺作「白鷹」と淳之さんの「白鷹」とにはまだ大差がある。
2008 3・5 78
* 「湖の本」新刊の初校を終えた。これからが気ぜわしくなる。
「美術京都」対談の方も、ほぼ仕上がった。高齢の対談者だった、予定した社長でなく会長が出てみえて、うまく応答を引き出せなくて困惑した。仕方がないので、質問や独語のかたちで問題点を付け加えて、それだけは伝えようと手入れした。先方で、若い人たちがその問題提起に少しずつ応じ書きくわえてくれて、サマになった。よくなった。これも上がり。
憲法のはなしは、雑誌の方でも運動体の方ででも、活字にするというので、原稿を渡した。これも終わり。
やがて美術賞選考会の通知が来るだろう。明日は、また糖尿病の定期検診。出かける日のお天気がいいと気も晴れるが。
三月四月五月、春はいろいろある。色々の中には、昨年八月以来の「仮処分審尋」がいまだに続いていて、成り行きが、見えているとも見えてこないとも。ペン会員牧野二郎さんの法律事務所にお任せしてある。
2008 3・5 78
雑誌「春秋」に処女評論『花 風』を連載していた最中、突如として
荻原井泉水さんのファンレターに引き続いてこの揮毫の額を戴いた。
朱印によれば八十八歳の賀の祝であられた。今この機械から十時
方角に見上げた位置に、もう四十年近くわたしの仕事を観ている。
2008 3・11 78
* さあホンモノかどうか、わたしは、松花堂書と「極め」の付いた「蝸殻」と大きな二字横書きの軸を持っている。隷書。字は隷の得手であった松花堂でもいいが、そばに添えた拙劣な不釣り合いに小さい署名は、後生の愚行としか思われない。二大字はあきらかに時代の汚れが洗ってある。ま、道具屋のまともな売り物にはならないが、二字はみごとに柄大きく丈高く、わたしは叔母にぜひ買っておけばと奨めた。まだ大学生だったろう。
叔母がいかほどを懇意の道具屋に支払ったかは知らない。カタツムリの殻ほどの部屋で生涯過ごすさだめを自ら買い込んだようなものかと、後々も苦笑されたが、その大軸も大隷も、気に入っている。六畳の壁に掛けると威風あたりを祓うのである。ホンモノでなくてもキズモノでも、構わない。
2008 3・13 78
* 大きな重い荷が届いたので、何かと思えば、B5判箱入り 戦前・戦中編 戦後編 二冊の『雲中庵茶会記』限定版百部の七十三番本。全巻、毛筆原本の印影本仕立て。昭和五年一月から三十三年四月までの「文化財」的な内容の茶会記であった。
筆者は仰木政斎といわれる茶人。ご遺族の意向で、わたしにも、一本貰い受けて欲しいと国文学研究資料館の伊井春樹館長の添状がつき、贈られてきた。
読みやすい活字版になっていたら、信じられないようなこれは歴史的な『茶会記』の充実作として、斯界に喧伝され顕彰されたであろう。影印本はじつに有り難いけれど、読み取るには途方もない根気を要する。しかし読めない字ではない。読める。読んでゆくと興趣津々、電子文字化できれば将来重い価値をはるかに広げるに違いない。何とかならぬものか。有り難い。びっくりした。
2008 3・13 78
* お母さん先生は忙しい。
わたしも、波のひたひたという感じで忙しくなってきた。十八日には、また歯医者、そして近用専用の眼鏡を受け取りに青山へ。太左衛さんお招きの「偲ぶ会」も、目前の楽しみ。そしてすぐ、「美術文化賞」の選考のために京都へ行く。往き帰りの切符も予め。
連日、湖の本新刊の発送のためにも、いろいろ。からだを動かすのはいいこと。
2008 3・15 78
* 作品『墨牡丹』を読み終えたと、ありがたい感想メールが来ていた。作者には作を読んで下さったというご挨拶がやはり一番嬉しい。気を入れて書いている。気を汲んで下さるのだもの、たとえ酷評されたにしても有り難い。
☆ 墨牡丹 珠
こんばんは。暖かい春爛漫の週末、湖はいかがお過ごしでしたか。
私はこの二日間、家を一歩も出ず、静かに過ごしました。困ったことに、持って帰った仕事も手をつけぬまま、ですが。
「墨牡丹」を読み終えました。何とも清浄な、気分です。
村上華岳の絵を、また「何必館」の翳る静けさを、想い出しています。
静かですが熱くもあるので、感想を字にしてみました。作者に感想を送るなど、実は初めてです。ご容赦下さい。
*
絵を描くことを生業とせず、真の藝術を求めたそれは、息子として、夫として、父として、日々生きながら、身の中心にある小さな焔を見失わないように、目を凝らし身を削るような、修行の旅。
そんな「村上震一」を「村上華岳」にまでしたのは、「妻」だったように思います。
若かりし頃の小花や、久遠の女性であった成子は、華岳にとって、求める美しい「線」のように、瞬間身の中心の焔をゆらす風であって。けして、きつい風となって吹き消すようでなく、それでも燃えようによっては「欲」となって焔を消したであろうと思うような、愛しい女性二人。
そんな女性の気配を「妻」も感じ、すねて、ふくれて、夫にとって自分がそういう女性ではなく「妻」であることをもの哀しくも思えて、切なく。それでも共に在る生活に、華岳の体調を細々気遣う「妻」は、いつもそばにいて 描くことに苦しむ夫を陰ながら見護るという役を確かにしてゆきます。
それゆえの牡丹画になったのではないでしょうか。気がつかぬうちに、「妻」の好きな牡丹に、丹精し手間かけなくては花開かぬ牡丹に、手をかけてもらって吾の中心にある焔をそっと押し開き描いたのではないかと。
華岳の妻であればよろしいといってくれる「妻」、泣き、呻き、こもって苦しんだ華岳により添つた「妻」、なればこそ、最期ちかく、画室という清浄な空間に妻を愛することで、二人咲かせた「牡丹」を倶に味わったように思えてなりません。
もう一人、成子の最期に、華岳は自分こそがと、聴いて、すべてを受けいれ、そしてその哀しさに小さな焔をわけあたへるよう、温めた、それは、はなむけだったのでしょうか。
華岳は成子からの前年11月8日付の手紙を受けとった11月11日、自語へ鞭をあて、「この一年」への覚悟と大事なとき、を記しています。そして翌年、 11月11日に逝く。
ここまできて思うのは、成子は、華岳にとって、焔をゆらす風だけでなく、焔そのものであったのかもしれないということ。成子の生命尽き、華岳の焔も消える。華岳「震一」は、清浄なる「神知」となって、静かに穏やかに、その観音さんの画に、なるように思えます。
もう一つ、「妻」のいれるお茶、おいしいお茶を所望する夫、華岳に絵筆をおかせる場面すらあるお茶、生活感とまでは言いませんが、華岳に欠かせない大切なお茶こそ、日々を清く潤しながらその身を家におかせた大切なものだったように思えてなりません。
いつも其処にある。何かのときには、手元にある。読んでいて、お茶を飲みたくなって立つこと、何度もありました。「湖の本」この墨牡丹執筆中、作者も奥様のお茶に潤されたのでしょうか。上巻の献辞「妻に」へ、そんな日々を見たようでした。
華岳は今の時代に生きていたらどんな画を描いていたでしょう。
世を儚んで早死にしたかもしれません。筆を折って、山を歩いたでしょうか。
それとも描きつづけ、やはり真の美を求めたのでしょうか。
あぁ、でも、あの時代、だからこその村上華岳にちがひなく。
若い妻を喪った石川利治、その清貧さと画はどうなっていったのかと。
精神に集中乏しいのは、無駄についた肉のような生活全般のせいでしょうか。時代は動き、「求めない」ことすら「求め」なくてはいられないようになっていて。
ただ、単純に、静かに、お茶を淹れて飲むようで、在りたい。。。
読ませて頂き、ありがとうございました。
ながながと、失礼しました。
明日から少々きつい仕事です。この清んだなか、臨めることが、うれしい。
お気をつけて。花粉がねらっていますから。
では。おやすみなさい。
* この作を書いた頃、知己であった河北倫明さんも、小野竹喬さんも、立原正秋さんもお元気であったが。NHK日曜美術館がスタートして五回目に「村上華岳」がとりあげられて、わたしが出演した。あれ以来、國画創作協会の画家というとわたしが呼び出され、出演したり講演したりした。
恥ずかしいことを白状すると、わたしが初めて美術の雑誌から「華岳」について原稿を頼まれたとき、わたしは華岳画をまったく識らなかった。かなり弱った。だが駆け出しの若い物書きは、依頼された仕事を断る勇気が無かった。俄かな僅かな大急ぎの見聞だけで依頼原稿を書いたがひやひやものであった。
しかしわたしは一度で華岳の藝術に魅了され、それから、一克に、熱中して勉強した。そして二足草鞋を脱ぐ記念作として三百枚余の『墨牡丹』を「すばる」巻頭に発表して、会社勤めから退いた。時同じくして新潮社の書下ろし作品に『みごもりの湖』を出した。四十歳にもう少し間があった。
『墨牡丹』は、後年に「湖の本」にしたとき、百枚ほどを書き足して完成させたのである。
2008 3・17 78
* 心落ち着けて、昨日頂戴した備前の花瓶を見せて頂いた。作者は若い。有元さんがきっと応援されている気鋭の作家なのだろう、「気鋭」という二字がみごとにフィットするシャープな造形に、備前の特色である火色が、幾重にも表現されている。たまたま手近で盛りの草花を挿してみたが、おもしろい。
高さは二十数センチか、口作りを手厳しいほどの力で三角にまとめ、下ふくらに胴は手触りもまろやか、安定が佳い。愛用させてもらえる新しいまた一つ花瓶が手元に生まれた。作者にも感謝したい。
有元さん、有り難う存じます。
2008 3・21 78
☆ パラレルワールド(1/2) 2008年03月20日23:19 光
高校生の頃、習い事として「書道」をやっていたときのことである。半紙に書いた私の書を見た恩師に言われたことがあった。
「墨で書かれたときにできるこの白い部分、これを活かしなさい。」
私は、はっとした。それまでは、一生懸命、黒い墨汁で如何に整った字の形が書けるかどうか、に気を遣っていた。ところが現実には、それと同時に半紙の中に「白い形」も自分はつくっていた、ということに気づかされたからである。
デジカメで撮った写真をパソコンの画面で見ていたときである。
いたずら心で、左右反転してみた。そこには、いつもとは異なった風景が広がっていた。
別の世界? この世界はもともと存在しない、デジカメのシャッターを押すと同時につくられた(非現実な)世界、ということになる。
何か行動すれば、いつの間にか別の世界がつくられていく。
これは、パラレルワールドの入り口なのだろうか。
* 茶碗などの器ものを鑑賞するとき、器体の造形に目を取られてしまうものだが、わたしは器体が囲んでいる、或いは捉えている塊(マッス)としての内形をも想像してみる。「光」君の云うている墨書を包んでいる「白地」もそれに相当するか。
「余白」の美と盛んに云われてきた、書でも絵画でも。それは写真のトリミング効果にも関係している。
もう一つの「左右反転」にも、強い印象をもっている。いつの昔とも不確かだが、デジカメでの人の顔を、反転ではないが左に、また右に横倒しにして見てみると、普通では(失礼!)さしたる印象も持たない顔の造形美が、五倍にも八倍にも美しく輝いて見えるのを発見することがある。何度繰り返し実験(!)しても、横倒しの顔が通常の顔よりみごとに美貌に見えることがある。
そういう例もタマにあるということに過ぎないが、以来、わたしのデジカメの楽しみは、トリミング効果と横転・反転効果の「お遊び」になっている。
2008 3・21 78
* あす京都美術文化賞の選考会があり、帰洛。今日の内に京都に入れれば、明日の会に遅参しなくて済む。天気は向こうで下り坂とか。傘の分、荷が重い。花粉も感じている。
少し本を読んでから出かける。
2008 3・27 78
* 朝寝坊、朝飯もよして、十時半頃チェックアウトし、地下鉄で同志社に入り、文学部事務室で、いつも「湖の本」でお世話にもなっている読者に初対面、お礼を申し上げてから、キャンパスをゆるゆる東へ栄光館の門まで通り抜けてゆく。優しい櫻に少しは逢えて嬉しかった。あいかわらず「ほんやら洞」の表はきたない。穢いのが自慢なんだろうか、そういう自己主張もああマンネリ化してしまうとまるで紋所みたいに鼻につく。
菩提寺で墓参。天気晴朗。
地下鉄で三条へ戻り、縄手、新門前、菱岩のわきを東へ、そして白川沿いに一度逸れ、狸橋からまた新門前へ入って、花見小路を四条へ。なにとなし、写真に撮っておきたかった。
めあての何必館へ。展示は『何必館拾遺』とあるが、意味あいまい。「拾遺」の意味を読み損じていないか、展示は拾遺どころか館が自慢の表道具というか、逸品揃い。こんなのを拾遺=のこりもの、とは云わない。
圧巻は良寛、わたしは、これほどの大作の良寛のよく揃ったのを知らない。村上華岳、入江波光、山口薫ら選り抜きが揃っている。蜀山人、富本憲吉らが揃う、そしてクレーはじめこの館の顔のような逸品。オンパレードである。館内は実に静か、しかも展示が佳い。久しぶりに梶川芳友の顔を見るようだったが、本人は出張中で、息子君に声を掛けられて、しばらく歓談。彼には伯母さんになる貞子ちゃんの逝去を、確かめてしまうことにもなった。くやしいことだ。わたしの顔を見て記憶しているこの妹は、亡くしたわたしの孫娘やす香よりもまだ少し年若い。それでこの二人は私の中で、よく重なり合うのだ。
* 四条へ出て、ぱっと目に付いた香取屋のウインドウの、洒落たハンドバッグを妻の近づく七十二の誕生日のために買った。それを紙袋でぶらさげて京都中央信用金庫に入る。二時前。石本正画伯らお二人がもう見えていた。
二時から、梅原猛さんの進行役で、京都美術文化賞のこれで二十一年目だか二年目だかの受賞者選考に入る。
今年は異例であるが洋画・日本画から授賞がなく、陶藝から二人、版画から一人を選んだ。清水九兵衛さんに死なれた大きさをしみじみ感じた。あの人は、亡くなる間際までも、ちっとも判断や意見に老い衰えたとんちんかんがなかった。五十代で選者に加わったいちばん若かったわたしが、七十二である。むずかしいところへ来ている。
2008 3・28 78
* すこし早めに山種美術館のカレンダーをめくった。山口蓬春の「梅雨晴」紫陽花の繪にかわった。すこし早すぎた。
藤の繪など観てみたかった。たとえば、応挙。今年、根津美術館はあの世にも美しい藤図屏風を展観するだろうか。
2008 4・26 79
* 今日中に京都へ入る。明日の夜にはこっちへ帰っている。京都美術文化賞の二十年か二十一年目の授賞式に、選者の一人としてお祝いに参加。それにしても清水九兵衛さんの顔の見られない寂しさ。
* せめて無事、雨にあいませぬように。
2008 6・5 81
* 緊急申し訳ありませんが。
実は一両日以前、入浴後に、上の血圧が57 下が30代という超低血圧で頸周りが石のように強張り、恐い思いをしました。高血圧かと思って測ったらあまりに低く、仰天しました。すぐ横臥し、その晩は徐々に、徐々に回復しました。翌日の仕事には問題在りませんでした。
昨日まで何事もなく平常に過ごしましたが、今朝七時前に起きて、京都へ出かける用意しながら機械に向かっていますうちに、また高血圧かなと思う不安な感じになり、測りましたら異様に血圧低く、先日と近似の急の苦痛に襲われました。
理由などわかりません、むしろずうっと高血圧を案じていましたが。
今日中にゆっくり京都に入り、落ち着いて明日の授賞式にと思い用意していましたが、これは医者に診せた方がよいように思います。独りでホテルの個室で一夜すごすのが不安心になりました。一過性のなにかで済めばよいがと思います。
理事会ばかりか授賞式までも、急の欠席、お許し下さい。いまもう、少し落ち着いて回復に向いていると思いますが、大事をとりたいと思います。
宿の方、キャンセルしておいて下さいますように。
お忙しいことです、見舞いの電話などお気遣い無くやり過ごして下さいませ。申し訳ありません。
もともと私は低血圧気味でしたが、一時高くなって来ていると、高い方を医師も警戒していました。余病との合併が起きないよう用心します。
重ね重ねお詫びします。 取り急ぎまして。 秦 恒平理事
* 何とも言えず口を利くのも億劫な感じで弱っていたが、体調不穏、虫の知らせのような物であったらしい。このまま安静にし様子を見てみる。熟睡をはかってみる。朝起きてすぐ型どおりにさっさと家を出ていなくてよかった。
* どうということは、ないと思っている。所詮、からだのことはからだが知っているだろう。わたしが慌てても仕方がない。しんどければしんどいで、仕事を続けていると忘れて行く。用心は必要だが、過度に意識はしない。したいだけ、やれ。したくないこと、億劫なことは避けるしかないのである。わたしが避けなくても躰の方で避けている。心より、よほど賢い。
2008 6・5 81
* しっとり濡ればんだような戸外の色。さ、繪を観てこようか。
* 都美術館の日本水彩展に出かけた。一般応募の友人の繪は、第一室のたいそういい位置に、幹部や受賞者や会員推薦、会友推薦の人たちの作とならんで展示されていた。審査で相当な評価を得ていたことが察せられるし、相応の表現たり得ていたのが、久しい友のために喜ばしく嬉しかった。
欲を言えばけっして十全の作ではないのだが、なにか、その場をしめて作品が落ち着いていたのは、一歩を抜け出しているのだと観ていて思われた。画境がもうこれで確立したなどとはいえないし、確立など慌てて急ぐ必要はないのだが、一期一会、幾ら繰り返し繰り返して作を成しても、その一つ一つが一期の一作かのように清新にありたい希望にしっかり繋がればと思う。ものを造る人間は、誰もがそう願う。
* かろうじて傘をささずに美術館に入ったが、出るときは傘が要った。月曜日で上野の山はいたく静かであった。精養軒のレストランに入り、ドライシェリーと赤ワインでうまい昼飯をしたためた。音なく降る雨、緑濃い窓外、不忍池は木立に隠れてみえない。ふと寝入りそうにまでワインが身に染みた。雨は降り止まなかったが、ま、いいかと鶯谷駅までそろりそろり歩いて、一路帰宅。
車中の読書から我に返ると、保谷駅の外はからりと明るく晴れていた。すこし腰に痛みがあり、タクシーをつかった。
* 夕食までには烈しい雷雨が来たり、通りすぎたり。
2008 6・9 81
* 京都の星野画廊が「岡本神草展」のためのすばらしい図録を送ってきて呉れた。感嘆。声も、しばらく喪って見入っていた。飛んで行きたいほど。
伊勢崎で描いている友人の画家が、京都まで車でいっしょに観に行きませんか、安全に運転しますからと誘ってくれたが、自動車の旅にはあまり気がない。窮屈。
ながいながいながい自動車での取材の旅を何日も重ねた経験がある。九州の窯場という窯場を山の奥までかきわけて走り回ったし、弘法大師のあしあとを尋ねて四国や近畿を山奥までも走り回った。有り難い旅であったけれど、自動車はけっしてラクでなかった。
汽車、電車の車窓に身をまかせた旅も、長すぎるとつらい。
京都駅発、鹿児島の終点指宿駅まで、「各駅停車」でなどというのは言語道断の苦痛で、熊本駅で音をあげて途中下車したような、わたしは生来トンチン漢であるが、概して車窓の旅は楽しい。
いま、息子とふたりで、二三日でもそんな旅がしたいなあと夢見ているが、彼の方はあまりに忙しい。
すこし元気をなくしていた小学生の息子を、日光中禅寺湖畔の宿まで連れ出して、ボートに乗ったり、借りた自転車で走ったり、裏見の滝を観に歩いたりした。
あれは『蘇我殿幻想』取材の一人旅に建日子をともない、橿原神宮を起点に当麻寺から竹内峠を歩いて越えた。京都で一泊し東寺などみた後、タクシーを使って近江湖東をひたはしりに、能登川でわたしの生母の歌碑を観たり、母の長女を、初めて会う父のちがう姉を訪ねあてたり、そして五個荘の石馬寺や知友の家を訪ねたりして、最後に東海道新幹線の終電に米原から飛び乗ったりしたこともある。
墓参りに京都へ行き、見返り阿弥陀の永観堂で静かに座り込んだり、天竜寺の庭先でわたしは疲れて畳に寝込んでしまい、しかし息子は起こしもしないでじっと待っていてくれたのも忘れない。
2008 6・18 81
* 葉蓋はことに夏の夕べを体感させる涼しげな荘りもので、なかなか梶の葉が手に入らないときは、師匠の叔母はいろいろ代用の葉を見付けてきた。久しぶりに思い出した。
* 七夕同詠星河秋興和歌
正二位 藤原 雅章
あまの川 つきの
みふねの 追風も
こゝろ(ち) すずしき 雲
のころも手
この古筆軸を出して掛けた。七夕は旧暦七月 つまり昔の秋の行事である。「こゝろ」がわたしのやや心許ない読みであるが、たぶんいいであろう。いい懐紙和歌ではあるが、いけないのは後人がさかしらに「藤原」を細い字で書き加えたかと見えること。お宝つぶしである。そんなことで一流の道具屋が叔母に横流ししてくれたと見える。
幸いすこしも見苦しくなく、ふと見落としそうな「藤原」二字に微苦笑、わたしはそんなことに拘泥しない。ひさしぶりに表へ出て軸が嬉しそう。
2008 7・7 82
☆ このたびは
恒平先生の HPで驚いています。なんと私のあじさいの水彩画を掲載して頂いているではありませんか?
本当にびっくり!! いたしました。堂々と名前まで。隠れたい心境です。もうすっかり忘れていた絵でした。アジサイ! 一生懸命に描いたものでした。
お礼を申し上げるべきか? と、そんな面はゆい思いです。
* 湖の本を装幀してくれた画家。半世紀以上の、ともだち。これ、美しいよと褒めたら、ポンと贈ってくれた。いつ頃だったか。このファイル「月の述懐」と「朝の一服」とのまんなかで、ところを得て綺麗と、妻もとても気に入っている。
2008 7・7 82
* 妻の手をひっぱるように銀座に移動して、並木和光店の七階で、蒔絵の服部峻昇展を観る。絢爛のバイタリティ。もう何年前になるか、わたしが推薦し、京都美術文化賞の授賞を選考会できめた。力量は有り余る。絢爛豪華な作に静謐に香る露がしっとりおりてくる日々が先に待たれる。いい展覧会であった。
ついて松屋で、田島征彦・周吾父子展を観てきた。おやじの田島さんが不在なのは残念だったが、はじめて周吾君に会ってきた。
* 松屋のなかで、銀座アスターの中華料理をおいしく食べて、有楽町線一本で幸便に帰ってきた。紹興酒の二合に気持ちよく酔った。それでも持って出た校正は進めた。
2008 7・9 82
* 特筆すべき一つは、京都でいましも岡本神草展をひらいている星野画廊の感謝したい有り難いクリーンヒット。それは「岡本神草日記」の翻刻である。
翻刻というのが相当しているかどうか別として、貴重なことこの上ないいわば手帖日記であるが、この夭折の天才画家の内面の軌跡を外気ににじみ出させて体臭もにおうばかりの、佳い意味で物凄いほどの記録の出版。一冊頂戴して、のけぞるほど驚き、つい手で拝むほどわたしは感謝した。
やるなあ、星野画廊は。わたしこの画廊に京都美術文化特別賞を「文化」の名において授賞したいと推す。選者であるわたしは常は候補を推さないことにしているが、作家でない画廊にというこの特別賞には意義があると信じる。
* 映画にも文学にも、絵画にも、感銘を覚え、身を乗り出せるものがまだ自分に生き生きしていることを喜んでいる。まだ「大丈夫」かなあ。
2008 7・12 82
* 樂茶碗の樂吉左衛門さんから、次男雅臣氏の銀座での初古典をお知らせ頂いた。
奈良の松伯美術館は八月五日から、松園さんの数々の下絵をとおして創作の深層をみせますと、招待状。
美術展の招待をこのところどれほど不義理してきたか知れない。自然にお付き合いを回復して行きたい。
2008 8・2 83
☆ 対決!巨匠たちの日本美術 惇
昨日、お休みを取って行ってきました。おかげさまで10万人突破、らしいですね、この展覧会。CMがすごいもんね~
ところでこの展覧会は企画がまず面白いです。
「対決!」って、従来は私たちが勝手にそれぞれの頭の中で思い描くことはあっても、展覧会としてはありそうでなかった。それを実際にやってみた、というのが面白い。
で、当然のことながらずいぶん「浅く、広く」の展覧会になったけれども、そのことがかえって、個人の鑑賞の域を趣味・嗜好の分野のみに限定せず、それをむしろ広げさせたとも思えるから、とてもよい展覧会だったのではないだろうか。
私は今まで円空仏を「見てみたい、見てみたい」と思いながら、見たことがなかったもの。
で。
何が一番印象的だったかというと、若冲でも、芦雪でもなく、笑 長次郎と光悦の茶碗なのであった。
ははは。
とはいえ、芦雪の大虎には本当に圧倒されるし、ものすごく惹かれる。
すごいなぁと思う。
師を凌ぐほどのスケールだとも思う。
近くで見ていると何がなんだかわからないのに、遠くから見るとしっかりと虎の斑の模様になっている線。ひげの硬質な質感。
鉄斎の富士にも、とても言葉にできない力強さを感じる。それが画面からだけでなく、描いた人の内面からほとばしるもののように感じられて心をわしづかみにされるような感覚を持った。
雪舟の「慧可断臂図」は線の妙だ。
幾種もの線をたくみに描き分けて、絵の奥行きと人物の存在感を出す。
その画力にやはり、引き込まれてしまう。
で。
長次郎の赤楽。
「無一物」もいいけれど、「道成寺」の端正なフォルムの美しさ。
手におさめたときの、ほっこりとした感覚が伝わるようでため息すらでるほどである。
最初、私は「チューリップのようなふくらみだ」と、その茶碗を見て思ったのだけど「道成寺」という名がまた、いいではないか。あの赤楽に抹茶の深い緑が泡立ったとき、道成寺の物語を思う。
ひぇぇぇぇぇ~!!
想像しただけでおもしろすぎる!
それから光悦の「時雨」、「七里」。
「時雨」のざっくりとした、切りっぱなしのような口あたり。
長次郎に比べると全然整ってはいないように見えて、しかしやたら藝術的で美しくて、目で見てうっとりとさせるお茶碗だ。
「七里」の夢のような白い斑が、まるで天の川のようでございます。
う、うつくしい…!!
ほしいなぁ。
いいなぁ。。。。
琳派のものはいろいろと楽しく見た。
また秋に琳派展をするようですね。
夏休みの期間だからか、けっこう込んでいた。人ごみを歩くと疲れますね。かなり疲れました。
この日、三井記念美術館にも行こうかな、なんて思っていたけれど(金曜は8時までやっているのだ。ブラボー週末) 疲れたのでやめた。
ブヒー。
でも、美術館は楽しい。
具合が悪くなっても楽しい。
またどこかへ行きたいな~。
* 繪だけでないから「繪合」と謂いにくいけれど、趣向はそれで、源氏物語以前からの伝統的な好い「遊び」ですね。出ている作が、さすがに東博の膂力だけあります。
「惇」さんの鑑賞で、十分、堪能しました。
どの作も脳裏に生きていますので、人混みを掻き分けて観る気ははなから持ちませんでしたが、ありがたい日記で、雰囲気はよく感じ取れましたし、長治郎や光悦の茶碗が一に来るのは自然当然でとても嬉しくなりました。
名前の出ているどの作品にも胸がふるえますね。ありがとう。
広告で何が並んでいるか主なものは知っていますし、ごく常識的に組み合わせているなと、違和感はありませんでした。
わたしは、こういう作品たちには、趣向の企画展ででなく、静かな本館の通常展示で「偶然に出逢う」のを楽しみにしています、いつも。閑散としたあの本館で、飽く無くたたずんで没入できますので。しかし特定の何処かに出かけないと常は容易に観られないモノもありますね。企画展はそれの観られるのが嬉しいです。
おかげで、脳裏深奥にたくわえてきた名品たちの、さゆらぐ生命感を感じ取れ、いっときとても幸せでした。お礼申します。 宗遠・湖
* 鉄斎富士、そして雪舟への鑑賞に深く頷いた。とびきりの名作だもの。しかし、存外に通りすぎてしまう人も多いのである。
2008 8・3 83
* 安城市の伊藤暢彦さんからは、スッキリしたデザイン、純白のマグカップを今朝戴いた。翡翠の粉末が練り込まれてあり、微妙な効果があるという。それもいいが、姿が好い。お茶にもビールにもミルクにも、ワインにもスープにも、あるいは花を挿すのにも使える。ボテッと重いところがなく、いい大きさなのに軽妙に軽いのもとても好い。取っ手の付きが上手で、不自然に傾く不安定がない。有難う存じます。
もう久しい、最初からの「湖の本」の読者。ていねいなお手紙も添えられていた。
2008 8・4 83
* 京都の田代誠老より、それは柔らかに温かい仕上がりの、ふくらとした湯呑みを一対頂戴した。田代さんは、日吉ヶ丘の美術科でながく陶藝の先生をなさっていた。わたしよりは一回りも高齢ながら、いまもやきものに打ち込んでおられる。
以前にも、やはりすばらしい湯呑みを頂戴し今も日々に愛用しているが、それを上まわる温雅な、手になつかしい作。有難う存じます。
2008 8・5 83
* 昨日今日で、まだ一仕事が済まない。いちど、人けのない博物館本館の常設展に、ゆっくり蟹歩きして身心を埋没して来たくなっている。人だかりの企画展はどんなに人気が高くても行く気がしない。だれも観ないような平安初期の仏画などにじいっと目をあててきたいものだ。
2008 8・21 83
* 島尾伸三さんのりっぱな写真集『中華幻紀』を貰った。おみごと。島尾さんの中国体験は年季が入っている。
* 杉原康雄さん、牡丹の大きなデッサン「墨牡丹」を額装し、贈ってこられた。牡丹は、難しい。眺めている。
2008 8・30 83
* 堤さんの紫陽花にかえて掲げた、親友細川君の風景は、写真と機械のせいで、すこし色が濃くくろずんだのは気の毒で、申し訳ない。原作にはしみじみと清い色彩美とみごとな把握力がある。微塵ごまかしがない。しかも絵画として単なる写実の対象を内側へ超えて深めている。彼の画論である「命のそよぎ」が描かれている。
あいかわらず大西克礼先生の『現象学派の美学』に食らいついているが、昨夜読んでいたなかで、ガイガーの、いわば写生観そして大西先生の批評など思い出す。しかし、どんな理智の理解よりも、絵は絵のままわたしを説得してくる。死んだはずの「お父さん」の、金澤での健在をよろこぶ。
2008 9・1 84
☆ 有難うございました。いちずな方はすこし恐ろしい気もいたします。いい絵を描くためにいろいろと努力されているご様子は伺えますがすこし軌道をはずされているようにも思われます。私などあの熱心さがあればもうすこしなんとかなるのでしょうが 自分でもあと一歩で退いてしまいます。 強引につきすすめばいいのでしょうが今はそんな気力も欲もなく、ただ自分の納得した絵を描きたいと
それのみのようです。 あれだけ恒平先生からも後押しして頂いておりますのに申し訳なく思っています。
御身体のお具合を案じております。 くれぐれもご自愛をと祈っております。 郁
* >強引につきすすめばいいのでしょうが
強引と言うのは、決して良いことではないのです。
>ただ自分の納得した絵を描きたいと それのみのようで
これもダメなんです。ものを創るものがこの台詞を口にしだすと、つまりストップしています。つまり「自分なりに」「自分の納得したように」という「言葉」が、結果的にいつも「逃げ道」「逃げ口上」として使われているからです。「自分なりにやりました」なんてのは、自分一人の自己慰安・自己満足の「ごまかし」になるのです。
真剣に創りたい描きたいなら、口かまがってもこの手の言葉の誘惑に負けないよう。口にしないよう。
「自分の納得ッて、何?」「そんなものあんたにあるの?」「それに何の値打ちがあるの?」と問われたら、絶句してしまうだけです。
納得どころか、暗闇の中を無我夢中で歩いているのが創作ですよ。
把握が強くないと表現も弱く、美しいホンモノは出来ません。対象を睨み付けてよく掴んで。 湖
2008 9・7 84
* 上野、都美術館で一水会展を観てきた、というより堤さんの入選作を観てきた。入場券と一緒に写真が送られていた。
写真を見ておおっと声が出た。これまでを、グイと超えて出た画面が光っていた。写真でものはいえない。遠慮しぃの堤さんが観てほしいと言ってきているのも例のないことだ、台風の通りすぎるのを待っていた。
すこぶる暑い日ざかりの昼さがりだったが、上野駅から公園を横切っていった。おなじ館内に「フェルメール展」があり人出はそっちへ集まっていた。妻もわたしもフェルメールを束にして観る気はなかった。
堤さんの繪は、ややいつも雑然と盛り沢山にガヤガヤする従来の画面とちがい、主題の壺の花が生き生きと咲いていた。花そのものが明るく命の声を発していた。
周囲が、背景にしても足下にしても、花の邪魔をしないでしっかり美しく咲かせようとしていた。何でもない、それだけでちゃんと花の繪になって我々は花の繪と向き合っていた。
いつもは、時として何の繪と向き合っているのかと戸惑うほど全体にいろんなモチーフがかってに喋りまくっていたのに、今日の繪は明るくてうんと静かで、だから画面が生彩を維持して美しかった。ああ、これで観やすいなあと納得した。
一水会ぜんたいが、甚だ尋常なお絵描き集団らしく、そつのない繪が多くてそのかわりみーんな似ていた。目にばっと飛びついてくる勢いのいい絵にはお目にかかれなかった。物故作家であるが、小山敬三のちいさな「山」の繪が抜群のみごとさで、ああこれなら欲しいと唸った。
* みるからに妻の疲労が濃く、こういうときはと、博物館前からタクシーに乗り、柳通の佳いレストランへ行ってと命じた。運転手が心得ていて、まよいなく店の前で下ろしてくれた。
この店ではとびきりのコースメニューで、赤ワインもシェフの気遣いで上等の実にうまいのを出してくれた。妻はおいしいワインで持ち直し、おいしい洋食でぐんと元気に血色もよくなった。食べないといけないのだ、うまいものを。ゆっくり、腰をおちつけて食事に満たされた。根岸の町通りで風情の店をのぞいたり、横道にそれたりして鶯谷駅から、帰ってきた。
* 建日子が顔を見せに来るらしい。
2008 9・20 84
☆ 展覧会
早々にもういらしてくださり、有難うございました。 奥様もご一緒に見ていただいて、どうお礼を申し上げてよろしいか? 言葉もございません。その上に思いもよらないお褒め 少しだけ賜わり、もう舞い上がっております。 そんなに生彩、感じられるかしら? 自身ではまだ分からないでおります。未完成で出品したのだとのおもいばかり残っております。
昨日はじっくりと全体の作品を見てきまして 図録を求めて再度じっくりとみましたが、やはりおっしゃるとうり ぬきんでている作品!ひきつけられてしばしその場を離れられない! という作品にはお目にかからなかったです。 あの会の特徴でもあります。デッサンしっかり 物をしっかり なにを描いているか? しっかりと。70年の「流れ」でしょうか?
それにしましても、あの暑かった日にお二人でいらしていただき、感謝感激です。 もっともっと心を入れてしっかりと描かねばとおもいました。
* 写真でではあるが、全像と、わたしの勝手な思いでのトリミングとで検討しても、むろん結論は出ない。この画家の「未完成」と思っている意義を聴いてみたい。言い替えると、これまでの繪は、描いて描いて描いて、そのために完成したのか重苦しくしてしまったのか分からぬ例が、わたしの見たところ、有ったから。
画家の「未完成感」がかえってわたしの目に画面の生彩と明るい美しさになっていたのか、わたしの見間違えか。
わたしが、乱暴にも壺の下や、上方の背景を、上で下で少しずつカットしてみたいなと思うのは、繪が分かっていないからかも知れない。トリミングの魔法にわたしがイカレているのかもしれない。
2008 9・22 84
* 有元毅様
昨晩 お心入れの備前の茶碗を頂戴し、心躍らせて拝見しました。有難うございます。
作意の毅い男性的なお茶碗でした、長いこよりを、ふたすじみすじ、胴に舞わして焼き付けてある手触りがやや痛いほど茶碗の持ち主に覚醒感をくれるのが珍しく、初めてみる趣向でした。
見込みは広く平豁。中央を外して思いの外大きめにブラックホールのような海鼠肌がまるく目をあいています、これにもびっくりしました。
糸底は平淡に低く大きめに安定しています。
総じて剛胆に大きく、背丈よりもやや平(ひら)に豊かなお茶碗です。少し湯にならして、一碗たててみようと思い、手にして眺め、置いて眺めしております。
心より御礼申し上げ、ありがたく頂戴致します。
すこしずつ小寒くすらなりゆく秋、くれぐれもお大切になさってください。私どもはやがて母の十三回忌に京都へ参ります。例のとんぼ返しに戻って参ります。
政局はいたずらに大事な政治空白を延期して民意をおそれ萎縮している様子です。気を緩めずに、機会を待ちたいと思い居ります。
どうか、ますますお元気で。 秦 恒平
2008 10・6 85
* 一度ホテルに帰り、またタクシーをつかって、一路、大原三千院へ。往生極楽院の阿弥陀三尊にお目にかかるべく。
日ざしは清く黄に輝いて苔も木立も森も山も濃い緑に映えていた。静かに境内をあるき、呂・律の山川を聴きながら三千院を出て、勝林寺、宝泉院へも。
燃え落ちて立て直したという寂光院は遠慮し、惜しげなく大原を辞して、また一休みのためにホテルに戻り、冷えた飲み物などからだにとりこんでから、今度もまたタクシーで御池大通りを室町まで。
「染」会館で三浦景生さんの展覧会を観た。妻は三浦さんの染めの画境にいたく惚れ込んでいて、面白い面白いと讃美する。小さな野菜や果物をモチーフにたしかに創造世界が奇抜かつ活躍して、しかもシンとした奥のある小画面を成している。面白い。雅趣がある。卆壽を超えた人の若々しくて緻密な構成力がしかも軽妙なのである。かなりの色彩を細緻な線のちからが支配し、画面が音楽を奏でている。広い畳敷きのホールも落ち着いている。
京都美術文化賞で何回目であったか授賞した「先生」が「学生」達をつれて作品の前で講義のためにあらわれた。聴いてみたくもあったが、邪魔になってはいけないので会館を辞して、すぐ近くの「旧・明倫小学校あと」の藝術会館に立ち寄った。明治二年に京都市が全国に先駆けて小学校制を起こしたとき、いちはやく室町の意気込みが発足させた有名な学校だったが、都市中央の過疎化で此処も廃校になり、その建物を今の施設に転用しているのが、なんとも「昔のまま」の校舎・教室の風情。入ってみて、わたしも妻も思わず歓声、嘆声をもらした懐かしさ。粋な、ハイカラな、クラシックな京の「町衆」趣味が遺っているというのか。
2008 10・9 85
* 吾亦紅を、それだけで美しく生けたいと長年思ってきたが、うまく成功しなかった。いま、黄土肌に笑窪のある小柄な酒器を、粗めの布壁のコーナー、板棚に置いて、ひとつかみ吾亦紅だけを投げ込んであるが、願った以上にはんなりと細い枝に空の星たちのように静まっている。
気に入りの、土や石や金属やガラスのうつわに、花や、ときに色変わりした葉だけを枝振りおもしろく投げ入れるのが、楽しい。
2008 10・13 85
「柿」の福井勇といわれた。星野画廊で見付けて、即、買った。
亡くなった天才画家麻田浩がそばにいて、好い買い物ですと賛成
してくれたのが懐かしい。「実存する柿」と観て愛している。
2008 11・1 86
* 中野嘉之氏ら、文字通りいま中堅の画家達が「二十一世紀の眼」展を高島屋でやっている。
上野の平成館では、妙心寺展がはじまる。何と言っても詩画軸に如拙が描いた「瓢鮎図」の出品が、その只一つに絞っても雷の轟くようにすばらしい。あれが、なんでああも素晴らしいのか、理屈をいうことはとても出来ないのに、ただ立ちつくす。
むかしむかし、京都国立博物館の人ッ子ひとりいない静かな本館一室の隅でこの繪と初対面したときの、繪に吸い込まれ無念無想に沈みきった時の間の、濃厚に澄んでいた深さ重さをわたしは今も忘れない。
2008 11・14 86
* 昨日は岡山の有元毅さんから、もう亡くなっているある女性画家の展覧会について、親切にお知らせ頂いた。以前にもその画家の繪を教えて頂いた。
金谷朱尾子(かなやにおこ)さん。
笠岡の竹喬美術館でいま回顧展がひらかれている。その非凡なデッサン力は文化勲章の日本画家高山辰雄が認め、同じく文化勲章の評論家河北倫明が「戦後を代表する女性画家」として注目した。しかし惜しくも病気で五十歳を越えすぐ亡くなった。
この画家金谷朱尾子の画業の根の一つに、わたしの小説『慈子』があった。一九八○年の「想変相図」は生涯の代表作だが、『慈子』を題材に取り組んだ鮮烈の作。金谷はさらに自信作「慈子の風景」を描くことで画業の大きな転機を迎えたといわれる。
わたしは、残念ながら金谷さんの作にまだ出逢えていない。有元さんは、わたしを誘ってくださっているのであろう。
2008 11・19 86
* アンドリュー・ワイエスの画風。手法の煮詰め方もかつて観たこともないほど特異。アメリカの「田舎」を、人も自然も、人は自然かのように、自然は人かのように、しかも精到くまなきリアリティーで把握し表現して、なんとも面白い魅力の画境を創っている。お初にお目にかかりますと丁寧に頭を下げて敬意を表したい。
* 晴れた暖かさから冷えた小雨へ天気がすとんと落ち込んだ。あやうく雨に濡れずに済む
* はるか海外から、「e-文藝館=湖(umi)」に寄稿したいと、有り難い便り。
* 満たされた一日。
2008 11・25 86
* 岡山県の笠岡市にある小野竹喬記念美術館から、「金谷朱尾子(かなたににおこ)」という、五年ほど前に亡くなった若い画家の図録が届いて、わたしも、全貌に初めて触れた。
ウーン、いい画家。惜しい。
短い生涯を動かした強いモチーフの一つが、わたしの小説『慈子(あつこ)』だったことが、絵からよく分かった。感銘。筆力も描写力も構想力もすばらしい。
『慈子』は私小説的枠組みと手法とを利した、百パーセントのフイクション。この長編を書いたときわたしははまだ「作家」でなかった。
作品が人を動かすということは、ある。それは小説でも評論でも。美術でも音楽でも。そういう仕事をしたいと、いつも思ってきた。
こういうことを思っていると体調の違和など忘れる。勇気が湧いてくる。
2008 11・28 86
* 湖の本表紙絵の城景都氏から、額に入った肉筆原画が送られてきた。表紙装幀の堤さんから例年の信州林檎を戴いた。
2008 12・6 87
* 帝国ホテルで、初対面の、久しい読者と会った。クラブに入り、「伊勢長」の弁当で、歓談三時間。あいにくお客さんは下戸。わたしは、ホステスがあとで心配してくれたほどブランデーを呑んだ。心配するぐらいなら途中でして欲しいナ。
* 会った一の目的、選んでおいた茶道具の三種、絵軸、香合、盆を謹呈したかった。活かして欲しい。いい人の手に収まったと思う。
絵は、細い長い瀟洒な軸で、上から下へずうーっと余白の、裾に二疋の「鈴虫」を早い筆で描いた墨画。風情満点、天地に虫の音の聞こえる余韻の作で、待合掛けの逸品。叔母も愛し、わたしも愛して、よく使った遺愛、自慢の品だ。「秋石」という、幕末から明治の、茶の世界では名の知れた、風情と練達の画人の秀作。
香合は、高野槇で彫った素木肌の「蓮華の莟」。清潔の二字をかたちにしたようなふっくらと清々しい作で、裏千家先々代家元、淡々斎の好み物、箱書がある。「千家到来」と書留がある、なにかの機に配り物にされた「員のもの」か知れぬが、きれいに莟に彫ってある。
盆は、秀吉の昔の渡来人家系、「飛来(ひき)一閑」何代目かの伝来の作で、飛来家は、紙を器胎に漆がけした、まことに快い軽みの道具を家の藝に創ってきた。朱塗五角盆、は干菓子器としても茶入等の飾り盆としても趣味豊かな逸品。
この三つを、手近なところから選んでおいた。茶の湯執心出精の人に活かして欲しいと願ったのである。
道具屋はうるさいほど買いに来るが、売ろうとはなかなか思えない。それより茶の湯びとに活かして欲しい。ただ困るのは、この世間の人たちが、「他流の道具」は使わないという偏見の持ち主であること。なんというバカげたことかと思う。今日ホテルまで来て貰った北海道の人は、表千家流で多年稽古しており、あるいは淡々斎の好み物で箱書の香合など、使い道がないなどいうのでは残念だと思う。聡く活かしてくれると思う。
* 茶の湯は何十年「お稽古」してきたからといって、じつは役に立たない。稽古は稽古、茶の湯ではない。茶の湯の人は真実自由人でなければならないが、お茶を「稽古している」と、逆にこの精神の自由を根こそぎ奪われてしまうことが通常なのである。その辺がじつに難しく残念で、困惑もする。
* 「伊勢長」は、前日歌舞伎座「吉兆」と較べてもまずまずの献立と器とで、酒肴としては及第だったが、お酒のいけないお客さんには腹に満ちたろうか。
もっとも話題はたっぷりあった。
一昨日にこの人、近郊住まいの母上と歌舞伎座の夜の部を観ていた。わたしたちの一日前であった。「名鷹誉石切」「高坏」「籠釣瓶花街酔醒」だから、昼の部より平均点は高い。
話題は、籠釣瓶の切れ味と八つ橋凄絶の愛想づかし、この大人しい人にはいささか刺激的過ぎたらしく、師走の大切り打ち出しに、あんな怖い芝居でいいのですかと聞かれた。季節も違うし、と。もっとも昼のきりの「佐倉宗吾」の大雪のあとで歌舞伎座から夜分の木挽町に出されるのも寒い。
「籠釣瓶」は人によっておしまいの、「籠釣瓶‥‥は、斬れる」のあとで憎い間夫繁山栄之丞を斬り殺すまで、多いときは手当たり次第に惨殺するのだが、高麗屋は、きれいに「八つ橋」と女中一人とだけで幕にした。よほど後味は綺麗で好かったのである。
* そして話題は茶の湯のことが沢山あった。
指折り数えると、メールよりもっと以前からの「湖の本」のながいお付き合いである。「私語」にも心止めてよく目を向けていて貰うので、話題に滞りがなかった。有り難かった。
* それにしても、ヘネシーがうまく、かなりすこし過ごした感はある。
2008 12・12 87
* 清水焼の清水六和のことを調べていた。
明治から戦後まで活躍して、たしか陶藝家として初の藝術院入りした人だった、清水六兵衛家代々でもことに此の五代目はたいそう「名人」の盛名が高かった。この父の薫陶で子息六代目はまた一段飛躍して「文化功労者」になったけれど、此の五代「六和」さんの存在は実に大きかった。
千葉まで、清水六兵衛代々展を観に出かけたことがある。五代目六代目の造形に感嘆した記憶がある。
六和作の大きなみごとな菓子鉢があり、叔母の自慢の所持であった。茶会でよく用いた。また六和「扇流し」の佳い彩絵茶碗がある。仁清にならったと、紛れない六和自身の箱書がある。造形に一ひねりあり、技術的に高い。綺麗な仁清風なので、なんどか茶会で贅沢な替え茶碗につかい好評であった。
じつは白状ものだが、叔母が稽古場で菓子器に使っていた、六和作の、しぶい、しかし手の掛かった器があったのを、東京へ貰ってきていて、あろうことか、何度も煮物鉢に、いやいや即席ラーメンの丼代わりにも使っていたことがある。使い勝手がよかったのだが、いくら何でも五代六兵衛に申し訳ないと、今は何処かに大事にしまい込んである。
六代目のも一つぐらい在るだろう。七代目六兵衛は彫刻家の清水九兵衛さんでもあり、一緒に京都美術文化賞の選者を務めてきた二十年近くの間に、制作された茶碗やぐい飲みを幾つも頂戴した。それはもう完璧に現代藝術である。亡くなられて、いま、八代目さんとも文通などの往来がある。
2008 12・20 87
* 佳い字なんだけど「琳」だけでは少し淋しく、「光琳」さんにしよう。
あの茶碗は、陶聖「仁清」の原作に「倣」えてあった。仁清の風を襲ったのは尾形乾山であるが、より深く濃く兄の尾形光琳が絵で体現したのが「仁清風」だと謂えなくない。仁清の真骨頂は、器胎を軽やかに薄くひき上げる轆轤の神技、そして趣向の華麗、絵付けのみごとさ。
あの六和さんが模した「扇流し」の茶碗は、絵付けの優しさ美しさとともに、轆轤でひきあげながら茶碗に大きなひねりがついている。技として、たいへん難しいのであり、箱に書かれた「倣仁清翁」の四字は六和さんの自信の表現であろう。
いつか平成の「光琳」さん、お母さんのあとをついであの茶碗でお茶を点てるかも知れない。あのひねった器胎で茶筅をつかうのも、なかなかのコトになる。楽しみ。
2008 12・26 87
* 入浴、髪も綺麗にしてきた。さ、もう半時間ほどで今年も果てる。つまりはこの部屋はまったく片づかなかった。片づかない方が部屋が暖かい。
カレンダーだけが新しくなった。京の瓦屋根に降っていた東山魁夷の雪景色から、もう、奥村土牛の白い牛二匹の表紙に変わっている。これが素晴らしい。さ、一月二月は。上村松園女史の清い美人で、「春芳」は梅花ほころぶ図。
* 平成二十年よ、つつがなく往くがよい。感謝する。
2008 12・31 87