ぜんぶ秦恒平文学の話

舞台・演劇 2009年

 

* さて身辺にわたしをわくわく喜ばせる何もないが、七日には宮沢りえと松たか子の野田秀樹舞台が待っている。楽しみたい。楽しむという気が、なにかにつけ、うすれうすれつつある。
2009 1・3 88

* 今日は七草の粥で祝った。午後は、松たか子、宮澤りえの芝居を楽しむ。野田秀樹がどんな舞台を創ってくれるか。とびきりの女優が二人、それだけで嬉しくなる。
宮澤りえは、初めてコマーシャルにあらわれ、ころがるボールを追って駆けに駆けていた印象が鮮烈、なんてイキのいい子が出てきたものと期待した。期待を裏切らなかった。人気の関取とのすったもんだがありましたが、あれはああいう成りゆきでよかった。さもなければ宮澤りえのその後が観られなかったし、今日もなかった。相撲部屋のおかみさんでおさまる器量ではない。天下の宮澤りえだ。
松たか子は、今日の予習かのように昨日のうちに、映画の「ヒーロー」を観ておいた。最近のコマーシャルでは、ひと味かわって煌めく美しさを感じさせている。
二人とも演技力抜群。舞台にどんな火花が散るか、新春の一の楽しみに待っていた。
2009 1・7 88

* 渋谷文化村のコクーン。野田秀樹作・演出の『パイパー』は、危ぶんだとおり、作者のモチーフの把握が弱く、したがって表現も騒がしいばかりで弱く、観念的な思いつき芝居の域を出ていなかった。
現代演劇として、英才の限りを尽くして追ってももらいたく描いてももらいたい喫緊に類する題材は、もっと他に有るだろう。底抜けに舞台が面白ければまだしも、前半の半分は睡魔との闘いに負けそうだった。
野田秀樹の盛名はさんざ聞いてきたけれど、近年つづけて観た何作か、概ね不成功で、自慰的ばかりに感じられた。客を、下目に見ているのではないか。
松たか子の科白術、ことに今日の芝居では「白」の方の確かさと巧さは、天性という以上の技倆であり、それが的を得て「科」つまり躰の弾みや動きやキレと合奏してゆく妙味は、優れた演劇的快味を醸す。俳優の「科・白」の卓越は時に作者の台本の拙からも解放され、自在のおもしろみを観客に味わわせてくれる。
宮澤りえはその点、演劇舞台の「科・白」としては、松たか子に一籌を輸していた。表情も発声もナマに見えかつ聞こえたのはザンネンだった。二人の他に俳優として特筆して観るべき印象を与えた、誰一人もいなかった。橋爪功も舞台の役者としては、「科・白」ともに甚だ物足りなかった。

* 終えて。ロビーで、にこやかな藤間紀子さんと、新年の挨拶。
今月は高麗屋が歌舞伎座で、娘さんがコクーンでと、華やかなりに多忙のことと思われる。今年もよろしく、と。

* その脚で、地下の「ミュージアム」へ。美術展『ピカソとクレーの生きた時代』を、これはまた贅沢に嘆賞・堪能できた。この展覧会は大いにお勧めである。しかも空いていて、何往復も自在に楽しめた。
いきなり露払いのようにマチス、ドラン、ブラックらの優作が並んでいて、ピカソの点数はけっこう多く、驚嘆舌をまく傑作や名作がさりげない顔つきで堂々と迎えてくれる。シャガール、スーチン、マックス・エルンスト、ブラック、ミロ、さらにはカンディンスキーを経てパウル・クレーまで、現代絵画のおもしろい「流れ」が、適切な解説もともに、ゆっくりと楽しめる。シャープな優れた企画展だ。
二人分の招待券をもって家を出ていたのが、当たり。これで、野田舞台の消化不良が一気にこなれた。いい繪というのは、いいなあと当たり前のことを思う。
むしろ声価のまだ真には定まっていない「売れっ子」という名でする「売り出し」には、生煮えをカマされるオソレがいつもあると、また、思い知る。去年の松本紀保らがやったチェーホフもの、また染五郎をブンマワシで振り回したような阿部サダオらの新歌舞伎ふうの方が、演劇として活気にも生彩にも富んでいた。胸を確かに押された。
紀保らの、やがての『ワーニャ伯父さん』にわたしは期待している。

* 正月は俳優座の芝居を楽しみにしていたのだが、日取りがうまくアンバイしきれぬ儘、年を越し時機を逸してしまったかと、未練がある。

* コクーンのあと、東急本店の八階「タントタント」でイタリアン。妻は甘いめのシェリー、わたしはドライシェリーを食前に。あとは赤ワイン。そこそこの献立ながら、イタリアンの味わいとしては、銀座三笠会館中二階のほうが、わたしは好き。
妻は、このごろアルコール二種類でも楽しめるようになった。元気がいい。街を歩いても、なんとわたしの方が置いていかれるほど。わたしの運動能力は目立って払底気味。やれやれ。
2009 1・7 88

☆  舞台の怖さ 三人姉妹 1998 10・31 千鳥 1999 1・12  「演劇」
* 三百人劇場の劇団昴の「三人姉妹」は、まことに息をのむ佳い芝居をみせた。百年前のロシアの芝居に泣かされるとは思われず、ほとんど退屈を覚悟して出かけたのに、みごとに舞台の魅力に説得されてしまった。美しいまで舞台の人物たちが生きていた。ちっとも古くさくなく、胸に迫って生きの命に刺激を受けた。
舞台の人物たちの未来に掛ける期待は、百年、みごとに答が出てしまっているのを私たちは知っている、現に。必ずしも良い答えが出ているとは言い難い、いや、大きな声で否認したくさえ成りかねない現代である。
それにも係わらず未来に希望を持って生きて行こうと誓う百年前の三人姉妹たちの気稟の清質に打たれた。近来に傑出した舞台、見事な翻訳、福田透演出の成功作であった。チェーホフの芝居で、かつてないと思うほど成功作の一つであった。 1998 10・31
* 一月十日、新宿サザンシアターの俳優座公演『千鳥』を観た。田中千禾夫の名作と謳われてきて、たしかに初演はすごいほどの人気であったという、察しがつく。今回は三演めで、俳優陣がよくなかったということは、ない。大塚道子など文句の付けようがなく、児玉泰次も抜擢にこたえたしっかりした芝居だった。立花一男や檜よしえらも大過なく、千鳥の新人も、一生懸命やっていた。
致命的なのは戯曲そのもので、今日の我々に訴えるものをすでに完全に内容的に欠いていた。昨年の三百人劇場がチェーホフの「三人姉妹」で、どうなることかと何の期待も持たずにみて、その、現代をなお揺るがす劇的な人間把握に震えるほど感動したのと、ちょうど逆だった。名作の名高く、しかも、平成十一年の劈頭をそよがせるほどの意義を舞台は表現できなかった。役者のせいでも演出のせいでもない。時代の推移の中で「名作」は解体され、混雑した一つの「筋」に変質していた。裏山のウランといい、キリスト教ふうの匂いづけといい、同じ作者の「マリアの首」よりももう乾ききって死んでいた。千鳥は、鳴きも飛びもしなかった。
冷酷なのは時間だ。
創作物のこわさ、演劇の怖さ。歌舞伎の「吉田屋」のようなラチもない遊興芝居のほうに、遙かに力がある。怖いと思う。 1999 1・12
2009 2・24 89

* 雨もよいの寒い朝。今日は寸暇をぬすんで、「ワーニャ伯父さん」を観てくる。

* 有楽町線東池袋駅の6 7口から直結のアウルススポット。新しい観やすい劇場の六列目中央の席がもらえていた。
チェーホフ劇の中で断然敬服している「ワーニャ伯父さん」で、松本紀保が出ている。この人の舞台を私たちは「ラ・マンチャの男」も含めて四つか五つ観ていて、いずれもとても気に入ってきた。紀保の出る現代劇はどれも質がいいと。まして今日のはチェーホフ劇のとびきりであり、予告案内があったとき一も二もなく予約した。
予約のしがいのある、これは千万人にも観てほしい舞台だと、力籠めて拍手してきた。

* では「ワーニヤ伯父さん」は楽しいのか。
演劇藝術として上質のカタルシスを覚えることは請け合える。歌舞伎でええば勧進帳にほとんど裏切られることがないように、このチェーホフ劇に接して濃厚な演劇的愉快は確実にあがなえる。
ワーニャ伯父さんは木場勝己、かつて観た中で最も実在感豊かに温かく、かつ切ないまで佳い繪になった。ソーニャは伊沢磨紀、これまた優れて説得力在った。教授は柴田義之、圧しの利く、なかみの軽い不逞の人物が図太くいやみに出て、感服。もっともチェーホフ的な虚無と希望とを体した医師は小須田康人、スマートに切なかった。教授夫人は松本紀保、科白のきれは美しく、うまい女優だ。しかし原作の夫人はかすかにもう少し丈が高かったかもしれず、それゆえにもっと苦しげに厭らしい女であったろう。身の丈の意味ではない。こういう役に肉薄できる松本は貴重な人だ。期待に応えてくれる意味で嬉しい女優だ。この芝居にはもう一人、口にすることの出来ぬほど難解な存在があり、それはワーニャの母、ソーニャの祖母、そして教授の姑である女性、殆ど台詞かなく、しかもこの舞台を頑強に左右して譲らない難役、これをベテランの楠侑子がいがらっぽい味でガンとして演じぬいた。
なにしろ、出演の全員が堪らなく巧く役の上に安定していて、目障りも耳障りも全くなかったのは稀有のよろこび。演出は山崎清介。この人の力が大きかったと思う。

* しかしながら、繰り返しこの芝居を観てきて、そのつどわたしは激情に駆られ、身を熱くし、それは嬉しいというより口惜しくて怒り心頭に発して、ワーニャ伯父さんのため、ソーニャのため、舞台の現出する不条理に五体わなないてのあげくなのである。
終幕、可憐な姪ソーニャに抱いて慰められ、「さ、また仕事して、 <いま・ここ>をじっと生きていきましょう、死ぬとき神様だけは分かっていて下さるから」と励まされるワーニャ伯父さん。
ソーニャは領地を母から相続している。伯父ワーニャは、母を喪いいつも父親に捨て置かれてきた姪ソーニャのために自身の相続権を放棄して、領地で、二人して懸命に懸命に働いて収益をあげてきた。しかし、あろうことか、あげた収益はみな、遠く遠く勝手に離れ住む父・大学教授・評論家のために送り届けていた。父はソーニャの母ととうに死に別れて娘を顧みることなく、「教授」の虚名に溺れ驕り、若い美しい妻を得て、もうとうに退任。しかも彼は何らの業績も実力もなくウケウリ売文の虚名のままに食い詰めてきて、夫婦で今はソーニャと義兄ワーニャたちのところへ身を寄せているのだが、未だに教授であり学者であった虚栄に居直って、ワーニャ達の上に横柄に我が儘に君臨し、ひたすら奉仕を受けるのが学者の当然という顔をしている。それどころか、ついには、この領地を売り払って金や株に替え、首都郊外に屋敷と現金とをもって暮らして行くつもりだと宣言する。いうまでもない、それは教授と教授夫人の屋敷になり現金になり、ソーニャやワーニャのことは考慮もされていない。教授にはなんら領地への法的権利はないが、学者であり教授でありそれゆえ盛名のあった自分には当然の権利があると言い張る。
ワーニャ伯父さんは激昂してしまう。銃弾をむけてもしまうが、幸い大事に至らず、教授夫妻は、ワーニャの謝罪を受け容れ、従来の待遇を受ける権利を手放さぬ儘、またこの領地から立ち去って往く。濃い溜息のように暗い家に伯父と姪とは取り残され、だがまた孜々として働いて働いて、その金は教授夫妻へ仕送りする歳月が続くのである。なんという、教授達。なんという娘と義兄。だがソーニャは、刻々働くことにだけ生き甲斐をもとめて、勝手な父達への送金のため「仕事」に励みましょうよ、神様にだけお頼りしてと伯父を励ます結末になる。

* 十年先には、五十年先にはという明るい未来はもはや断念されていて、死んで行く瞬間の神から得る癒やしだけを頼みに、主人公の二人は生きて行くという。いや、ワーニャ伯父さんは、生きて行くことにもう何の喜びも希望も持ち合わせていない。死にたい、死んだ方がいいと彼はもうその思いで五体を染め上げているのが分かる。わたしには分かる。わたしもそうだからである。
ソーニャの励ましを、わたしは亡きやす香の励ましのように身を震わせて聴いていた。涙もなかった。

* 舞台を観ながら、わたしは、この一二ヶ月以内に果たさねばならぬ仕事が、じつは出来ないでしまいそうな気持ちに、繰り返し襲われていた。もういいだろう、幕を下ろしてラクになればいいじゃないかと声を聴いた。それを必死に打ち消すように「生きて行くのよ」「生きて行くのよ」というソーニャの声が可哀想で、ふっとわたしは気を取り直したに過ぎなかった。

* 近くのサンシャインまで歩いて、伊豆榮で食事し。う巻きを土産に持って帰った。
2009 2・25 89

☆ ワーニヤ伯父さん 箭
華のん企画の「ワーニャ伯父さん」ご覧になったんですね、いいなあ、私もみたかった!! 木場勝己さんの「ワーニャ」とても評判ですね。チラシを見ただけで、その雰囲気伝わってきましたもの。
知恵豊富なチェーホフ様のこと、私も非常に敬愛しております。でも、チェーホフ作品って、みたあと必ずため息・・ですね。
先生の劇評大変興味深く拝読しました。
私の朗読の時間はいま森鴎外の「山椒太夫」です。10人で群読します。親不知子不知の所、安寿が厨子王を逃がすと心に決め、山に登る所、京に上った厨子王が清水寺で関白師実と邂逅する所、の三箇所のくだりを読みます。(浪の効果音も一箇所)声を出しているといつのまにか、由良の光や風、、鳥の声までが聞こえてくるようです。

* いい舞台の余韻が今日もずうっとのこっていた。
2009 2・26 89

* 昨夜、もう寝ようかなと階下へ降りると、妻が劇団「昴」の『親の顔がみたい』という劇を丁度見始めていたところで、付き合った。
名門の私立女子校らしい、五人のクラスメートにいじめられて女生徒が自殺した。親夫婦たちが学校に呼ばれていた。一組は祖父母、一組は同窓会長、一組は他校の教師夫婦、そして一人は夫なく、一人は夫が出てこない。生徒たちは五人がめいめい別室に入れられ、教師に事情を聴かれている。
父兄たちと校長、教頭、担任の若い女先生たちとの舞台。いやもう陰惨なほど気色の悪い親たちの会話の交換・展開で、惹きつけられて動けなかった。いかにも常識的な言葉でむき出しの偽善と強弁とで、いじめなどなかった、うちの子らは何もしなかったという多数の協調意見を仕立てようとする。肌に粟の立つようなむかつく展開に、動けなかった。

* おかげでイヤな夢を見てしまった。昴公演のこの芝居は見に行かなかった。それで気を入れてみて、はまり込んでしまい、凄いうまさでドクに当てられ、不快だった。

* いまだに少し引きずっていて、天気の悪さも手伝い、からっとしない。仕事に熱中してのがれていた。
2009 4・25 91

* 今日は、本多劇場で劇団「昴」の公演、アラン・エイクボーン作、ニコラス・バーター演出の「隣で浮気?」を観て大笑いして楽しんできた。
「愛と嘘と勘違い、三組の夫婦が繰り広げる、少しへんなラブコメディ」という売り込み。大道具一杯の舞台を、べつの夫婦二組の家庭として同時に共用し、電話をおもしろく利用していた。こういう演出が珍しいというのではない、あくまで「浮気?」のレベルで洒落たドタバタを上出来の狂言舞台のように実現して、観客をむやみと巧妙に惹きつけてしまう力わざ。
一と場の真ん中に音楽の面白い小さなインターバルでも、ほんものの中休みでも、またアトの場のインターバルでも、終幕でも、盛んに拍手が湧く。そういう舞台はじつは新劇では珍しい。それほど面白く嗤わせてくれた。舞台の功徳はそれだけでも足りていたが、岡田吉弘と林佳代子の上司夫婦が堂に入っていた。夫がワキで妻がシテに見える。ワキがシテを生かして、林佳代子の奇妙になまめかしく崩れた色気の「奥様」が、なかなか観せた。もう二た組の部下夫婦が、四人ともソツなく好演し、水も漏らさない。高山佳音里と小田悟のハチャメチャでしかもおさまるところへもおさまれる変な夫婦ぶりもやりすぎずに十分やっていたし、落合るみとベテラン宮本充との夫婦も端倪すべからざるトンチンカンのピエロぶりで舞台を盛り上げた。堪らない六人であった。
それでいて、この芝居、深刻なところへ男女の問題を煮詰めずににげてしまうことで、はなはだ「現代的に」軽薄でもあるのである。つまり大まじめに現代批評のつもりであるのかも知れない、そこいらが狡猾なほど達者に書けている。

* で、われわれ夫婦も大満足の顔をして渋谷へ戻り、お馴染み鰻の松川で早めの夕食をゆっくり楽しんできた。観劇に感激もし満足して帰ってきたのである。もう一遍観ますかと誘われたら、「観る観るよ」と腰を浮かすだろう。
2009 6・23 93

* 佳い演劇に触れてきた日は、その興奮に身をまかせるように、すこしばかり、ぼんやりしている。
2009 6・23 93

* 両国の「シアターX」で、意欲の俳優座公演『NINE}』を観てきた。割り切れた感想を綴るには、辛いほどフクザツに渦巻いた観念の苦渋が、まことに具体的なのっぴきならない状況とコトガラに載せ、「最現代」とともに語られていた。日本海に面した原発の街、ミサイルの脅しを備えた北朝鮮、そして拉致、そしてテロ、そして日本海側の小さな地域を堪えず突き動かしている抜きがたい「差別感情」の是認と否認。
舞台の逐一を語り出せば全部を繰り返すことになる。それほど具体的で、それほど観念的で、心棒に憲法九条を突き刺している。それがただの口舌なのか真の意図なのか、舞台の上の全員がハキとは自覚しきれない。

* 面白く観ました。本気で拍手したのです。と、それだけを書いておく。
田野聖子、太田亜希ら俳優達の科も白も、脚本・台本に基づいた演技とは信じられないほど自然かつ臨場感豊かで恐れ入ったが、さてそれだけで芝居を評価してはならない微妙な主張を、この芝居の「作」意ははらんでいたのである。反対ではなかった、拍手と友に称賛したいと思った。それだけを書いておく。六本木の本舞台で観たかった。

* 開演前にちゃんこの「巴潟」で昼食し、はねたあと、妻と両国橋を渡って押し返してくる海からの夕波や川鵜の浮き沈みなど眺め、柳橋を渡って亀清楼の前の小松屋で評判の佃煮を三種買い、浅草橋駅で帰りの電車に乗ってきた。
帰って、手に入れたばかりの「萬歳楽」の純米大吟醸の一升瓶の口を切り、買って帰ったばかりの柳橋「小松屋」の一口穴子の佃煮で。
穴子の絶品、清酒の美味。よしよし。
2009 6・25 93

* 福田恆存先生とのご縁は、『墨牡丹』を書いたとき、村上華岳にふれて親切なお手紙を戴いたのが最初だった。のちに三百人劇場で「ハムレット」を訳・演出なさったときに、劇場で初めておめにかかった。ご挨拶すると、「ああ、想っていたとおりのお人でした」とにこやかに云われた。おりにふれ、たいへん印象的な言葉をもちいては、いろいろに激励して下さった。五十歳記念に『四度の瀧』を創ったときも、ひっこまずに頑張るように、まだ若いんだからと励まされ、「湖の本」を始めると、ずうっとお買いあげ頂いたばかりか、何人もの読者をご紹介いただいた。文春からの全集、翻訳全集が出始めると買った。第八巻の全戯曲集は頂戴した。
亡くなったとき寂しい思いをした。その後も夫人はずうっと湖の本を今も買って下さるばかりか、出るつど、二冊三冊と買い足してさえ下さるのである。
福田先生の戯曲は、早くに新潮文庫で他の劇作家達のと一緒に一作読んでいて、とてつもなく面白く、印象に焼き付いていた。『龍を撫でた男』だった。目を開かれた。
「e-文藝館=湖(umi)」に頂戴できた『堅塁奪取』は劇団「昴」の舞台を観て感嘆した。『億萬長者夫人』にも舌を巻いた。

■ 堅壘奪取 (喜劇一幕) 福田 恆存 招待席
「e-文藝館=湖(umi)」 戯曲室
ふくだつねあり  劇作家・批評家  1912.8.25 -1994.11.20 東京府に生まれる。 日本藝術院賞。 秀抜の人間把握を劇的感動にとりこんだ多くの劇作・演出は、太い逞しい根を実存の深淵におろして現代の不安や恐怖を鋭く指さし示した。
夫人のおゆるしを得た此の掲載作は、文藝春秋刊『福田恆存全集』第八巻所収 「劇作」昭和二十五年(1950)二月号初出の傑作。また福田は数多くの批評・評論活動により現代社会や政治の矛盾・撞着・不備を的確に指さし、日本と日本人に精神の革新を終生迫り続けた。(秦恒平)
http://umi-no-hon.officeblue.jp
(目次のe-literary magazineとある英字の上をクリックして下さい

* 今は、目近に架蔵の全集から文学史論、作品論、作家論を、つぎつきに耽読して教えられ続けている。今日も、夫人の優しいお手紙を戴いている。嗣子福田逸さんの率いられる劇団昴の舞台は、拠点の三百人劇場があったあいだはいつも妻と出かけていた。新劇の面白さをありがたく、うんと仕込まれてきた。
福田さんの戯曲は、舞台で当然、じつは活字で読んでも、すこぶる面白くて、しかも難題を容赦なくつきつけられる。
2009 7・5 94

* 九月歌舞伎座の座席券がもう届いた。九月は、松たか子らの日生劇場「ジェーン・エア」もあり、暫くぶりに俳優座公演も。
その一方で、永い休みも過ぎ、またまた法廷の日程がいろいろに迫ってくる。たじろがず立ち向かう。
2009 8・19 95

* 九月には単発だが息子のテレビドラマがあり、十月には小劇場で作・演出の新作を「秦組」でやると聞いている。新作の小説もうまくすると二冊相次いで出版されそうと。いろいろ、やるがいい。
2009 9・1 96

* 午後、六本木の俳優座稽古場で、作・スエヒロエイスケ 演出・真鍋卓嗣の「犬目線 / 握り締めて」という、分かりにくい題の芝居を正味三時間、なかなか、いや、大いに楽しんできた。拍手喝采。
不気味に怖い感じも漂うナンセンスな会話や笑いや悲鳴のドラマ。不条理な会話劇のようで克明にリアルっぽい所作芝居。整合的な理解などハナから問題にならないようでいながら、大きな古時計の捻子を巻くように、シビアな児童への性的嗜虐や母親の虐待という重苦しい現実へ、主題のゼンマイをめっぽう正確に巻き絞ってゆく。
若手の俳優達だけ、だが、渡辺聡、田中荘太郎、小飯塚貴世江など、巧すぎて参るほどのヤクシャが縦横に活躍して、テンポも乱さない、状況も壊さない。舞台装置も憎らしいほどじじむさくて上出来、客席から舞台を一別しただけで、もう引き込まれていた。
小癪だが、こういう舞台なのだ、お客様、観おわったアトまで問題を重苦しくひきずって帰ってくださる必要ありませんよ、この舞台三時間限りの劇的燃焼を十分掴み取ってくだされば、「劇」はそれで完結し達成しています。
そういう剛胆で図々しい芝居の観せ方で、舞台の側が、観客から満足を掴み出して悦にいる、そういう作であり演出になっている。趣向はとびきり利いていて、それと目立たせないまま、「三時間」を難なく客に押しつけて息を呑ませる、それほどあつかましい、しかし面白い芝居。こんなのは俳優座に限らず、珍しい。おもしろかった。

* 同じ観客席に加藤剛さん夫妻もおられた。懐かしく声を掛け合って。

* 六本木から地下鉄日比谷線で一路築地へ。妻を鮨の「福音」へ。
「こち」にはじまった刺身のオンパレード、若いハンサムな親方にみんな任せた「さかな」「さかな」の、美味かったこと。妻は途中からお任せのにぎりにのりかえ、海老、あなご、雲丹、こはだ、中とろなど、満足の極みという笑顔。
肴も美しく、器も、みな祥瑞ふうの落ち着いたいいものを出してくれた。あがりの「玉」まで、申し分なし。新富町から有楽町線で一路保谷へ。家に帰って八時すぎ。佳い半日。
2009 9・2 96

* 日比谷日生劇場で、松たか子のミュージカル『ジェイン・エア』を、三列目中央の絶好席で楽しんだ。堅実な脚本で演出にソツなく、巧みな話の運び。前後場のほぼ三時間、主演二人のすぐれた歌唱力が、感銘もひとしお観客を惹きつけて放さなかった。
原作の時代には、主人公の女性はとてつもなく新しいタイプだった、存在を許されそうにないほど個性と信念に富み、魂の自由を貫いた。そういう歴史性を少し斟酌しつつ観た方がおもしろい。
大器の松たか子は、或る意味桁外れに力強いジェイン・エアを、誠実に優しく演じた。せせこましい心理芝居をさけ、真っ当に愛する女を造形し、豊かに歌いあげて終始ブレなかった。それが人品の美しさを生かす結果になり、愛される立場にも説得力が出た。
ロチェスター役の男優のこまやかに行き届いた歌唱力にわたしは感じ入った。
帝劇などの通俗な説明的な科白芝居にされてはかなわんなと少しハラハラして出かけたのだが、松たか子の眼ぢからに光る強い役者魂が、そんな心配を吹き飛ばしてくれた。
男優も底ぐらい苦悩の影を歌唱によくにじませ、雄々しかった。
助演陣も隅から隅まで丁寧に演じ、科(からだ)・白(ことば)の間を崩さず、流れる所作に徹して舞台を美しく移動、いい波立ちのように経過する時・空が美しい音楽を奏でた。だれも役相応にきっちりはまり、下品にならなかった。よかった。

* 幕間に、高麗屋夫人(松たか子のお母さん)に笑顔で声をかけられ、二階で、しばらく立ち話を楽しんだ。色目をおさえた着物がいつものようにお似合いだが、少しお疲れかなと、心配した。今日も蒸し暑い一日だった。

* 盛大にカーテンコールを繰り返したあと、久しぶりに「鳳鳴春」の中華料理で早めに夕食し、紹興酒二合がとびきりうまかった。妻も美味しいと、珍しく口にしていた。どこへも寄らず、六時半すぎには帰宅。

* 溜まっていた疲労をすっきり抜いて、秋初めにありがちな夏バテを防ぎたい。新季節。
2009 9・8 96

* 東池袋のアウルスポットで俳優座公演。青木豪作・高岸未朝演出「渇いた人々は、とりあえず死を叫び」。投げ込まれた小石にさざ波が立つように笑い声も出ていたが、よく煮えていない平板な脚本に付き合い、ただただ俳優達は懸命に演じていた。演出にもソツはなかった。だが、何が謂いたい脚本なのか、的が最期まで絞れてこない。渦を巻き締めてゆく劇的焦点がついに掴めない。けっこう個性的な一人一人の役柄と役柄とが、事件と事件とが、のっぴきならない衝突と批評とへ、ウンと頷く「結び目」を結べない。創れない。あっけなく平板なまま終わってしまった。で、どうしたってぇの。そんな愛想のない舞台だった。
同じ俳優座の稽古場で見せたこの前の、スエヒロケイスケ作、真鍋卓嗣演出の「犬目線 握り締めて」というワケの分からない題の芝居は、じつに小癪に劇的な批評を、攪拌に攪拌しながら「痛いほど」問題をどきどき的へ絞り上げ、「上出来の新劇」をなし得ていた。あれと比較すると、今日の芝居は、題もひどいし、仕上がりも散漫。いけません。

* 広いロビーに俳優座公演の懐かしい昔のポスターを沢山展示してくれていて、中に、漱石原作をわたしが脚色した、加藤剛主演の『心 わが愛』のもあった。剛さんのすっきり若き日の「先生」の写真がすてきだった。その前で我々夫婦の写真を撮ってもらった。いろんな日々があったのだ。

* その足で、有楽町線を利して辰巳駅まで行き、美しい落日の、クリアな真紅を林立のビルの合間に嘆称しながら、夕風にふかれて東雲水辺公園を、妻と散策。東雲橋をわたり深川第五中学前をとおって、めざす「おおもりや」のカウンターでたっぷり魚や牡蠣や煮しめを堪能してきた。酒は「月の桂」で。楽しめた。
帰路も有楽町線で、ひと筋に保谷まで。黒いマゴが嬉しい嬉しいと玄関まで出迎えた。
2009 10・15 97

* 明日は秦建日子「秦組」公演に行く。やす香のまた新しいお友達から、明日の晩に自分も観にゆくが、もしかして「湖さんも」とメールが来ていた。ウーン、残念、すれちがい。わたしたちは昼の部に行く。そのあと妻は昔からの親友とおしゃべりするらしいから、わたしは自由時間になるのに、惜しい。
2009 10・16 97

* 秦建日子の作・演出「秦組」公演『くるくるとしとしっと』とやら、ややこしい題の芝居を見に行く。
2009 10・17 97

* 赤坂見附のどこやらでの秦建日子の芝居、八千円支払い、満員補助席の小劇場で二時間、観てきた。
『くるくるとしとしっと』とは。死と嫉妬らしい。場面は「ER」で。かんたんにストーリイを取り纏め紹介できる芝居ではないが、烈しい群舞も入りまじって幾重にも人模様がぐるぐる回旋しながら、巧みに同方向へ制御・運転された渦巻きになる。で、作も演出も演技も冗漫なく混乱もなく、巧みに、クリアに、スピード感を保ってめまぐるしく進行する。せりふも良く書かれ、狭い舞台でかなりの人数が出入り激しく、躍動し、衝突しながら、それでストーリイが分かりにくくなることもない。建日子芝居で、これまで大なり小なり付き纏った不用意なややこしさが大方無くなっていて、かえってビックリした。
うまくなった、もりあげも、はこびも、掛け合いも。「秦組」かなりよく躾けられていた。
ただ、観終えて、盛んに拍手を送って。
さて、で、何なの。べつに涙もこぼれなかったし、胸に射し込まれたこわさも、うれしさも、かなしさも、さびしさも無かった。
うまい芝居だったなあ、演劇としてけっこう楽しんだなあ、だから良かったンじゃないかと納得してみても、それに付け足される感動というものの、ほとんど何もないエネルギーの発散劇だった。
それでいいんだという納得も不可能ではない。一昨日の俳優座公演の散漫・蹣跚より、よほど達者に活気に満ちて舞台は終始躍動していたのだから、大出来と言えなくもない。だけれども、劇場を出て十分もせず、おおかた筋書きも言葉も淡く消散していたのは何故だろう。作・演出の「うまみ」でいえば優にこれまでの多くの舞台を凌いでいた。お、代表作かなと思った。
だが「うまい」だけでは、演劇は美味しくない。難しいものだ。
魔女仕立て、不老と不死の薬を別々にのまされた夫婦が、妻は老いず夫は老いて死なない趣向は、同じ悲しい物語を少女と少年の『露の世』でまだ青年の昔に書いたことのあるわたしには、珍しくない。追いつめて行くと、生身の人間が、機械的などうしようもない齟齬にはまり込む。ふりほどくのはかなり厄介。厄介を厄介に担うまいとすると、物語をむやみに早回しし、ワルク言うと誤魔化してしまうしかなくなる。愛とか死とか老とか「観」念と「理」解で中和しようとしても、「くるくると」効き目のない落とし穴で身動きならず強張ってしまう。
感動という熱は、とばされてしまった。みんなが、せっせせっせと動いているのに熱気は、熱は、低かった。作における、人間の把握と表現とが、つまりかなり型通り・概念的で薄くは無かったのだろうか。演出の小技の「うまさ」では熱は補えなかったと見た。厳しいかな。

* 俳優座稽古場での「犬目線 握り締めて」は、今日の秦組芝居より演出も演技も運びもナマなところがあったけれど、見終えてのちの「痛く」「突き刺さってくる」批評の鋭さには、「うまく」はなくても、抑えようのない感銘・感動があった。

* 感想、また動くかも知れないが。
2009 10・17 97

* 技巧的には十分及第点。だが、技巧的に「うまい」だけでは、ただのエンターテイメントで、ハートは震えない。秦建日子作『ドラゴン櫻』には、『ほかべん』には、揺り動かされる訴求力があった。
一晩、寝ながらも昨日の舞台を反芻したが、残念だが感想は変わらなかった。
どの人物も存在感をもって記憶されていない。ま、松下修の老いるばかりで死ねない夫の登場の瞬間ぐらいか。だが、あの人物は機械的に作り出されただけで、もう劇的には行き場がない。
「朝焼けにきみを連れて」にも「月の子供」にも「PAIN」にも「タクラマカン」にも哀しみを起爆力にした生きた人間が、人間達が記憶できたのに。
それにしても作・演出家は「うまく」なった。
小阪逸、瀧佳保子、歌原奈緒の三人は「科・白」ともに優秀だった、いつも云う「科」は体の切れと動き、「白」とはことばの働きと正しさのこと。「科白劇」としては、ほとんど文句の付けようがなかった、ということにしておく。
2009 10・18 97

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