* 野村萬らの狂言「樋の酒」は萬の好演ですこし笑えた。狂言で笑えるのはこの節珍しいこと。
* 昭世の「実盛」が、すこし小さかった。老武者が錦の直垂を着ての最期。老いても凛然と強い武士の気力が五体を鎧い、名乗らず討たれる誇り高い最期の洒落っ気が、或る音楽のように首改めの義仲面前にまで歌い続けられるほど、余韻毅くてありたいところ。すこし南無阿弥陀仏のほうへ情が流れた。
2009 5・23 92
* 十六 敦盛 (写真割愛) この美しい能面が少年であるとは信じられないだろう。この面、真正面から尋常に見ればむしろややふっくらした普通の顔つきにしか見えない。カメラマンと一緒に長い時間探りに探り、ついにこの角度のこの表情を見つけた。膝下に公達敦盛を組み敷き真上から覗いた「熊谷直実の男の目」で撮影したのである。こんな美しいこんな優しい少年をわたしは知らない。短編集『修羅』の函を飾った。湖の本エッセイ27『能の平家物語』の口絵にもした。
2009 5・28 92
* 相次いで梅若万三郎の「杜若」にこの土曜日、また十一月一日に友枝昭世の「江口」の招待券が届いている。感謝。
今夕は東京會舘、観世銕之丞藝術院賞の祝賀会に呼ばれているが、疲労をさけ、失礼しようと思っている。
2009 9・29 96
* 十一月は、歌舞伎顔見世。昼夜で仮名手本忠臣蔵の準通し興行。幸四郎、菊五郎、仁左衛門その他の豪華版。
新橋演舞場の花形歌舞伎は染五郎、松緑、菊之助で華やぐ。
国立劇場は坂田藤十郎、市川團十郎が並び立つ。
月替わり、一日早々には、友枝昭世の招待能。
どうか、元気で過ごせる、よい一月でありますように。
2009 10・19 97
* 明日は友枝昭世の能「江口」、野村萬の狂言、そして友枝雄人の能「黒塚」を、千駄ヶ谷へ観にゆく。雨も降るだろう、寄り道なく帰ってくるだろう。
2009 10・31 97
* 西武池袋線全線事故運休に閉口し、あわや諦めかけたが、北口でタクシーに乗れたので東伏見駅から西武新宿線にのり、鈍行で高田馬場で乗り換え、千駄ヶ谷駅で開演に十分前。和服の女の人すらわたしを追い越して行く。あんなに早く歩けたのにナアと思いながら、それでも手洗いを済ませて、二分前に辛うじて汗みずくで招待席へ。
舞台真正面中央の九番席、「江口」のシテとは終始まっすぐ直面する絶好席、こんなよい席をもらえていたとはと、友枝会に感謝、感謝。しかも右となり二席があいていて、気持ちゆっくり、少しずつ汗をおさめた。
* 美しい能であった。白象にのり、白雲に乗じて江口の女、普賢菩薩の空に消えて行く橋がかりでは、感動に胸がつまった。くっと泣きそうだった。
観てきた「江口」の能のあれほどのすばらしさを、いま、わたしは文字や言葉におきかえるちからがない。書いてフイにしたくないのだ。前シテから後シテまで、とろりとも睡魔に襲われなかった。かけている遠用眼鏡が鈍くなっているので、ほとんどシテとの対面には双眼鏡をひたとあてて手放さなかった。いやがうえに、レンズ一枚隔てただけでシテとわたしとは個と個の直面になる。わたしが楽しむのは能ではない、この直面なのである、いつでも、どんな舞台でも。そこに待っていたのはもう「江口の女」でも「シテの昭世」でも「普賢菩薩」でもなく、純粋の「女」であった、わたしは茫然と女の美しさに吸い込まれていたのであり、能を観ていた、「江口」の能はかくしかじかなどと微塵思いもせず、ただただ美しい女に、女の顔にひたとレンズ越しに密接し恍惚としていた。邪道かしらん。いや、一切のリクツを排してシテに吸い込まれているあの醍醐味の深さが、邪道であるわけない。知識では観ない。わたしは無二の誠をもって舞台の女に、女の崇高で懐かしい美しい価値に帰依し信仰していたのだろうと想う。
* 舞台の感想はある。タクサンある、チミツにある、が、書きたくない、今は。
有り難いことに、最後の最後までほとんど迷惑な拍手がなかった。感動を抱いて身震いしたまま席をたった。冷え込んだ狂言、そして黒塚の女鬼の能を観る気はもう失せていた。この「江口」の女を抱いて帰れば、十二分。嬉しさを壊したくなかった。
廊下で、馬場あき子さんと出逢い、抱き合ってきた。珍しく洋服だった。嬉しいオマケがついたと、すっぱり他は思い棄てて国立能楽堂を出てきた。
2009 11・1 98
* 朝、夜来の雪がのこっていた。寒さ、緩んで欲しい、万三郎の能「砧」を観に橘香会に出向くので。
* 妻が先にひとり歯医者へ出掛け、わたしは遅れてひとりで家を出た。震える寒さだった。『水滸伝』が面白くて、往きも帰りも読み耽っていたが。
国立能楽堂での梅若の「砧」は、出色の好演で、シテが揚幕を橋がかりへ出てすぐ、その悽愴ともいいたい内なるかなしみと孤独との美しさ・オーラは、もの凄かった。十二列の十三という席は、左が通路で視野が広く、揚幕から橋がかり舞台全面を一望できる絶好席。遠くで、恰かも真向かって前シテが立った、それだけで、全身の疼く共感・哀感に泣けてきそうだった。
静かな能である、「砧」は。しかし激情の能でもある。夫を自訴の用ではるかな地へ旅立たせ、三年を待ち暮らし、さらに待ち暮らして、砧うつ力も尽きついに空しくなってしまう故郷の妻のかなしみ。いかり。絶望。
万三郎のシテはことに前がすばらしく、後も、切々と激しい内情の発露をみせて絶妙なまま、上演時間が短いなと錯覚させるほど力をみせ、静謐のきわみで果てていった。
もっとも、ワキも地謡もじつは感心しなかった。笛もものたりなかった。これらが充実すれば稀有の舞台として記憶できたろう。
堀上謙さんと少し立ち話したが、万三郎の「砧」よかったですねと声が揃った。
今日の千駄ヶ谷能楽堂は、ながく記憶され、途方なく記念されるだろう、一言で言えば嬉しかったのである。
嬉しさを大事にしたく、「砧」一番、とてもよかったと受付に礼を言いのこして早くに辞去した。寒さはさほど緩んでなかったが、もう雪も雨もなく、一思案して体育館下から大江戸線で練馬駅にもどり、駅の上で、昨日に続いてまた鮨を。やはり八海山、今日は二合。おいしく食べて、呑んで、帰宅。
* 今日も又、残る時間は少なく、十一時半。帰宅してからぶっつづけに「読み」「書き」瞑目してはモノ思い続けていた。
2010 4・17 103
* この数日の視力の酷使はすさまじく、夜の床に就く時分はメガネの儘でも視野は霞みきっている。それからの裸眼の読書は、出来なくはないが、半量ほどに減らし、かわりに、東工大で買った複合機能のラジを持ち出し、三遊亭圓生の「圓生百席」を当分耳で聴くことにした。昨日は入浴しながら「文七元結」を聴き、今朝は起床前に「山崎屋」を聴いた。たっぷりと長枕を圓生は置いてくれる。これでわたしはどんなにたくさん勉強したか知れない。それに前にもサゲのあとにも、悠々と美しい音曲を、それはもういろいろ聴かせてくれる。
圓生は爆笑させる名人ではなくじっくりと噺して聴かせる「噺し」の名人。わたしはそれを心ゆくまで楽しむ。この十数年は妻も私も歌舞伎座に奉公していたようなものだから、ひとしお圓生の噺がしみじみと面白く分かる。視力をいたわるために、圓生百席の偉業・遺業にまた触れるというのは嬉しい名案ではないか。
2010 8・15 107
* 落語には素噺もあれば音曲ものもある。圓生の音曲もの「庖丁」は、都々逸坊扇歌の名人藝をながい枕に置いて、それだけで逸興の噺が楽しめる。そして「庖丁」という「ヤツチャマ(やわい脅迫)」噺が続くのだが、この江戸弁が途方もなく面白い。圓生は根は大阪と聞いているが、この人の江戸弁はなんともみごとで、それだけでも痺れる興趣を覚える。都々逸をわたしは好くが、落語を知らずに都々逸に接する機会は少ない。「庖丁」一時間、ぬるい湯に漬かったまま楽しんだ。
* わたしは「楽しめる」という得な特技をもっている。いまわたしが頸まで漬かっている裁判沙汰など不愉快の限りであるが、幸いその気になればすぐそんなドツボを離れて、いろいろ楽しみがある。前言を翻すが、圓生も聴きながら、なぜかゲーテの『ヘルマンとドロテア』が読みたくて堪らない。隣棟に行って書架から持ち出してきた。こっちにもあっちにも、本は溢れている。眼を大事に大事にしなくてはと思う、痛切に。
2010 8・15 107
* 大文字はどうだったか、雨には降られなかったろうと思うが。大文字が過ぎれば、来週はもう京都は地蔵盆。
暑い一日だった。暑さ、凄い。さ、涼しくして今夜はすこしオッカナイ圓生「髪結新三」を聴こう。
2010 8・16 107
* 寝入る前に、圓生人情噺で一、二に好きな「中村仲蔵」を、一時間余じっくり聴いた。妻ももうひとかどの歌舞伎の通であるから、斧定九郎の舞台も目に見るように分かる。噺のなかへ分け入るようにして一席の噺が楽しめる。嬉しくなってくる。
2010 8・20 107
* 湯に漬かりながら「唐茄子や」の後半を聞いた。この人情噺が好きで、若旦那の「唐なすや唐なす」の売り声にかぶって吉原の花魁との馴染み話。いつか圓生得意の美声で粋でしぶい音曲がひとつ聴ける。これが楽しみ。そこから浅草の裏長屋で不孝な浪人の内儀を救うところへ噺は美しいように推移する。ほろっとくる。
校正も、ほぼ半分近くを終えて。
2010 8・22 107
* こころもち、今日は涼しい。
* 唐銅の瓶にアベリアの残り花を投げ入れて手洗いの床に置いてある。残花の風情がなかなかのもので、咲き残っているもう僅かな花が、なお白く小さくリンとしている。花の落ちたあとも、例の濃い緑の小さな葉もわるくない。
* 昨日は「子別れ」の中と下を圓生でしんみり聴いた。江戸弁の美しいほどの口跡も楽しい。
2010 8・25 107
* 「山崎屋」は圓生百席のなかでも好きな噺の一つだが、就寝前に聴き始めて、後半になると寐てしまう。もう二度寐てしまっているが、後段の噺も好きで今日は後段から噺し始めてもらおう。
2010 8・27 107
* 浴室で圓生「百年目」の後段をほろりと泣かされながら聴いた。
2010 8・27 107
* 入浴、圓生の「鰍澤」を聴く。 2010 9・2 108
* 発送用意のかたわら、圓生の「三軒長屋」を聴いていた。
直哉の『痴情』も、日記もおもしろかった。人の日記をこんなに楽しむなんて。
『江馬細香』も楽しんでいる。次からつぎへ読んでいる内、思いの外に夜ふけていた。
2010 9・9 108
* 熟睡。
眠る前、圓生の「鼠穴」を聴いた。極端の効果を軽やかに深刻に効かした小説のような噺で、印象に残っていた。成り行きをおよそ憶えていながら、火災でなにもかもを失う弟タケの不運、そして哀訴を冷酷に拒む兄、娘の身売り、その金を擦られる、と畳み込む悲惨の辺りは、息を呑ませた。
圓生の噺のうまさ、何を聴いても、いろいろの聞きわけからくる圧倒的な藝の魅力。
2010 9・11 108
* 七時前に起き、圓生の「江戸の夢」についで「鹿政談」を聴きながら、発送用意を少し。 一度床へ戻って、本を八冊続けて読んで。少し睡い。 2010 9・13 108
* 十一月友枝会「友枝家先祖祭」の招待を受けた。昭世の能「井筒」を芯に「翁」「猩々乱」それに野村萬の狂言「松囃子」も。忝ない。
十月には梅若万三郎の「野宮」にも招待されている。昭世、万三郎。申し分ない名手。
2010 9・21 108
* 圓生は「御神酒徳利」「竈幽霊」「紺屋高尾」と聴いてきた。つぎは、ちと気味の悪い「お若伊之助」がもう機械に入っている。
2010 9・22 108
* 夏布団から、厚手のに替えた。圓生の「夏の医者」を聴いて寐た。夜中起きなかった。
2010 9・28 108
* 圓生の「火事息子」に、ほろりと。
2010 10・3 109
* 視力をいたわるため、本を読む量を日により減らし、圓生の噺を楽しみ続けている。一函の三十数本を聴き終え、二函目に入っている。いま、「二十四孝」の半面を過ぎたところまで。咄しの旨さに惚れ惚れする。古今亭志ん生のいいのは納得だが、噺のなかみ、重みはすかすかと風が抜ける。圓生の充実した軽みは本格で、志ん生の軽みは別格。
2010 10・8 109
* 圓生は、弟子に、「藝は砂の山」とおしえていたと。いつもいつも崩れてきている、積みやめてはならないと。至言。
* 圓生の噺を毎日毎夜聴き続けている。その、わたしの謂う科白の内の「白」即ち「話」藝の秀抜に魅される。旦那、職人、奥様、女房、小女、子供、侍、上級武士、花魁、たいこ持ち、医者、浪人、悪人等々の語り分け、話しワケ緩急の絶妙に感じ入って楽しんでいる。圓生百席は、まず音曲に魅され、枕の面白さに惹かれ、本題に入って行く間の佳さに舌を巻く。いろんな相の手や謂わば閑話休題がまじる、それらに忘れがたい耳学問のよろこびや意外さもある。本気で教わっていては足も掬われようが、面白く耳にとまった沢山があり、自然と自身の貯えになっている。
2010 10・20 109
* さ、日付が変わろうとしている。六代目圓生を聴いて夢を見よう。
2010 10・29 109
* 圓生の「真田小僧」で笑ってから、長時間、二時頃まで「悲田院」の歴史を興深く読みつぎ、直哉の「創作余談」などを沢山読み、「ヨハネ黙示録」を読み、おしまいに『我が身にたどる姫君』をすこし読み進んでから、寝入った。夢にも雨のどうどうと降りつぐのを聴いていた。
なんだか少し滑稽味もあるいろんな夢を紙芝居のように見つづけ、安心したままぐっすり寝坊した。
冷え込んでいる。寒いとさえ思う。
2010 10・30 109
* 外へ夕食に出たい気持ちもあったが、すっかりこっちが緩んでいて、めんどくさくて出なかった。ワインが効いて機械の前でだいぶ寐ていた。
圓生は、いよいよ長篇の人情話になる。つまりは怪談になる。以前にも一通り聴いたが、こわいのである。
2010 11・1 110
☆ 向島への行楽ですか、楽しそうですね。
好天に恵まれるといいですね!
バーブラ(・ストライサンド)は、「追憶」という映画に感動しました。あれはもう一度観てみたいです。
三遊亭圓生が名人だとは、聞いたことがありますが、実際の落語を見たことも、音声だけで聴いたこともないのです。
講談が割と好きで、テレビでやっているのを観ることがあります。
以前よく、「広沢虎造の名調子ボックスセット」なんていうのが、テレビショッピングで売られていましたが、ああいうのは聴いてみたいと思います。清水の次郎長、俵星玄蕃、赤垣源蔵などのストーリーが好きなんだと思います。 花
* こりゃ驚いた。講談というより、虎造なんて、そりゃ浪曲でしょうが。意外や意外。
ラジオ時代には仕方なく浪曲も講釈もたくさん聴いたけれど。表現が一辺倒で、「藝」として受け取れる「ことばの魅力」が無かった、人情に流れてシマリがなかったし、ノンセンスに堪えぬく藝の深みが無かった。
名人級の落語には、ノンセンスにはノンセンスの美と諧調があり、磨き抜いた話藝の多彩な輝きがある。数え切れない名品があった。いまは寂しくなった。
* 夜前圓生の「真景累ヶ淵」第一回「按摩宗悦殺し」を聴いて寐たが、妻はもう聴きたくないと。八回もあり、段々と物凄くなる。「凄い」というのはこういう時に使うのであるが。
深見新左衛門に殺された宗悦には、幼い志賀、お園の二人の娘がいる。さきざきまで、物凄い怪談がつづく。怖いもの聴きたさも無いではないが、やっぱり止しておくか。圓生の人情噺では「中村仲蔵」「髪結新三」「文七元結」などがいい。
2010 11・3 110
* 圓生の「怪談」にはとうどう閉口、昨日は、うって変わって五代目「小さん」を聴き、大笑いした。「うどん屋」、そして大好きな「粗忽長屋」。殊に後者は、数あるハナシの中で五本の指の内に数えている。面白可笑しいだけではない、人間存在の頼りなさ、生き死にのはかなさとおかしさを痛烈に打ち込まれる。
東工大でもう退官も間近い頃の三年生に是を聴かせ、「きみは(あなたは)誰か」と尋ねて答えさせたことがあった。
もう寝入る間際、真っ暗闇でもう一度『粗忽長屋』を聴いた。妻が何度も何度もふきだして笑っていた。わたしもよく笑った。小さんの徳である。
* この「小さん」という名、先ずは漱石の作の中で覚えたが、じつはじつはこの名、日本人の「実名」として淵源はるかに上古に溯りうる名と、角田先生の本に教わっている。ついでながら「あぐり」という今日にも散見する名も、「余」という字の朝鮮半島での、恐らく百済での上古訓みが、渡来人とともに日本に伝わったのだそうだ。
2010 11・8 110
* 強烈に睡い。
* 先代の桂文楽を聴きながら入浴。文楽の噺は楷書と謂われたが。ディテールの表現が少し物足りない。想像力が濃やかに行き渡らないと細部の現実感は表現しきれない。
2010 11・11 110
* このところ圓生についで、就眠の前に、文楽、志ん生、小さん、三木助、可楽、柳昇、金馬などの噺を聴いていた。優れた文章に「文体」があるように、うまい落語には鮮明に「話体」の興奮がある。圓生の精緻な想像力と話術に迫るほどのはいないが、それぞれに一国一城を堅固に守って秀逸。ただ、すべてが故人となっている。
* 高座への出囃子を、関東のどの噺家ももっている。それもいいが、ま、短くて、記号か符丁か合図の程度。
ところが圓生百席は、噺の始終に出囃子とはちがう音曲や囃子や唄をたんまり聴かせてくれ、中には圓生自身がすばらしい喉を聴かせてくれる。痺れる嬉しさだが、こういう面白い音楽がいっつたい今やどこへ散佚し消滅したのだろうと思いもする。
明治の初めに、この手の音楽の妙味を、国是かのように追放してしまい、音楽といえば西洋音楽や声楽に強引に限られた。よほど狭く限られた狭斜の巷か花柳界か歌舞伎等の舞台でしか聴かれなくなった。少なくも一般社会からは消え失せ、大の音楽好きな若者達も、誰も、長唄も清元も常磐津も新内も浄瑠璃にも自ら口を出すことがない。端唄も小唄も地唄もやらない。都々逸の楽しみすらない。是は奇妙に不思議な話で。面白くないなら仕方がない、が、面白いのである。唄も面白いが、楽器のアンサンブルも途方もなく面白く豊かに美しいのである。わたしも妻も、テレビからそういう音楽が聞こえると、おやとそっちへ顔も耳も向ける。引き寄せられる。
昨夜も藝能花舞台で福助がおもしろい新内に合わせ、さすが惹き寄せる踊りを見せていたが、福助の藝にだけではない、音曲のおもしろさにふと用事の手をとめて聴き惚れたのである。
現代とのコラボレーションとして津軽三味線だけはときどき登場しているが、我が友、望月太左衛が懸命に努力し公演しているような近世音曲・音楽の現代的な再現が、もっと世に迎えられて活躍すると佳いのにと思う。
* 日本舞踊はけっこう普及しているが、これは歌舞伎舞踊とは質が違い、武原はんや井上八千代級の名人ものはべつだが、概して歌舞伎役者のそれよりうんとずっと水っぽく、観ていられない。
昨日の藝能花舞台でも、またいつもの舞踊家の出演かと見過ごす気で一瞥し、お、と思った。ちがうのだ歌舞伎役者の踊りそのものが。ありゃら、福助じゃないか、と忽ち惹き込まれた。
女形の踊りは女性の舞踊と、根本、タチがちがう。濃厚で充実していて美しい。踊る技術にプラスして実にふんだんに、女性舞踊家のそれよりも表現が「べつの栄養分」を湛えている。福助なら福助の占めている時空支配の質が、ただの女性舞踊家のそれとはまるで異なる。魅力に溢れる。或る意味、踊りの技の冴えからすれば福助よりも玉三郎よりも菊之助よりも上手な舞踊家のいるだろうことは認めている、承知している、が、しかも時空の活躍する面白さが、歌舞伎役者の舞踊はまるで別だ。タチがちがう。
女が女をどう美しく舞い踊ってくれても水っぽく、その上に妙にムズムズする気味の悪ささえ時に感じてしまう。「性」としての女を感じてしまうらしい。歌舞伎役者の「女」にもむろん性的に誘惑されるけれど、その女ぶりはカッコつきに「女」と謂うしかない、とてつもない副作用の効いた魅力に満ちている。福助だと気付く前にその「女」にわたしは取り付かれていた、そして面白い音曲の妙にも。
2010 11・15 110
* 志ん生の「抜け雀」を聴いてから寐た。しばらく、五島美術館の贈ってきてくれた「国宝源氏物語絵巻」の立派な図録の繪や字を楽しんでいた。睡くなって、寐た。
あけがた、というよりもう昼前というほどの夢に、小松の井口哲郎さんらと自転車で街道を走っていた。
2010 11・21 110
* とにかく寝入る前に古今亭志ん生に笑わせてもらう、それで夢見が穏和に。ただし落語のあといろいろ本を読んで興奮すると、寝入りにくい。
2010 11・28 110
* なにをして一日過ごしていたか。もう夜十時半をまわっている。
* していたのである、一所懸命に。その始末も付けた。一息ついている。何をしていたか。それは書く気がしない。すこし寛いでから寝たい。また、澄んだ秋の空気を満腹するほど吸ってきたい。
* 志ん生で大笑いしながら寝入った。 2010 11・29 110