* 雑煮を祝い、建日子と話した。
* 晴。天神社へ四人で初詣。
* 仕事。呑んで、あまり食べず、睡くて、寝たり。
* 夕食のあと、 四人で、もう一度、ベートーヴェンとアンナ・ホルツのすばらしい映画を観た。元日に力と魂とを高められるまさに「作品」の最たる一つであった。よかった。建日子といっしょにこれを観たことをわたしは忘れない。建日子にも憶えていて欲しい。 2011 1・1 112
* 建日子たちは、巨猫のグーももろとも、朝、 二日目の雑煮を祝ってから、一休みの後、もう早々の仕事の打合せのために仕事場へ戻って行った。建日子は、新年早々からオリジナル書き下ろしの連続テレビドラマ「スクール!!」を放映し始める。もう元日の夕過ぎた頃から頻々と打合せの電話が入っていた。大勢で創り上げるしかない仕事だ。
2011 1・2 112
* 建日子が四十三歳に。妻と二人、赤飯で祝った。新年早々の開幕と聞いている新連続テレビドラマ「スクール!!」はオリジナルとか。心ゆく仕事になりますよう。四十三か。芭蕉だと、とうに「翁」と呼ばれていた歳だ。
怪我も事故もなく健康にと、願う。
2011 1・8 112
* 今夜九時から、秦建日子の新連続テレビドラマ「スクール!」が始まる。建日子のオリジナルと聞いている、刑事物や殺しものでないのも歓迎する。視聴率よりも、心ゆく作劇を期待している。続けてみてきた「イ・サン」と時間が重なるので、二台の機械で録画しておく。
昨夜遅く幸四郎の「カエサル」を放映していた。高麗屋の熱演、さぞ疲労しただろうと思う。それにしても彼の音吐朗々はかわりないのに、もっと若い連中が声を嗄らしているのは、これも歴然と藝の差だなと思わせた。娘の松たか子が「ひばり」というジャンヌ・ダルクの芝居で、信じられないほど大量の科白を全身全霊で熱演して悠々だったのに、新劇の男連中が声を嗄らしてハーハーしていたのにも驚いた。役者が舞台で声を嗄らすのはいただけない。
2011 1・16 112
* 建日子のドラマは、明日、落ち着いて観る。録画してある。つづきものの「イ・サン」を観た。ずうっと好感を持って観てきた。録画の必要はないが時間帯が同じなので、建日子の「スクール!!」が録画してある。もう一つ「レッドクリフ 赤壁」も録画した。視聴率はこれにさらわれたであろうが。
2011 1・16 112
* 秦建日子脚本の新連続テレビ劇「スクール!!」第一回を観た。
映像劇では「空気」の質を先ず観たり感じとったりする。リアリティ、クウォリティはそれで最初の見当が付くが、これはリアリズムで「ある・ない」とはべつごとである。テレビドラマではリアルな画面にはめったに出会わない。むしろある種の「調子」をわざとのように持ったツクリモノにされている。ツクリモノですからね、そのつもりで観て下さいという「調子」である。それで成功するのもあり、チャチにひゃらひゃらしたりもする。
寅さんのリアリティーはあれでリアルだった。柴又にああいう私民の暮らしがそのままあり得た。
「どらごん櫻」は、ああいうリアルでない調子ではじまり、しかし主役がガアッとちからづくリアリティを主張して、みなが乗せられてしまった。成功例である。
あれも頽廃した学校が舞台だった。東大という名前を強引に持ち出すことで牽引力が出来た。あとは脱線したり失速したりしなければリアリティを主張できた。クウォリティすらくっついて来た。殺しもののようにあくどくなく、病気もののように感傷に助けられずにドライに運べた。
「スクール!!」も学校だ、ああいう学校も生徒も教師も或る意味でリアルなはずだが、逆にマサカアと思われてしまいそうな所から走り出して、まだすきま風がすうすうして、ウソくさい設計図のまま走って行く。
民間登用の素人校長とベテラン教務主任との「対抗」に批評性が鋭く起ち上がれば、存在理由がきちっと「繪」になってくるだろう。いまのところは、ありふれた手札ただがバラ巻かれて、どんなカルタになるか、茶番か、リアルな追究か、リアリティのあるむしろ喜劇になるか、分からない。
第一回も危うくセンチメンタル美談に落ち込みかけたのを、無感動な教務主任の反撃で、次回へ繋いだので、ほっとした。ああいう又かいナという気のいい主役教師が、案に相違して案の定「徹底的に潰れて行く、潰されて行く」ドラマとして「批評が凄惨に展開」すれば、また一つの意欲的な成功例ができそうだが。
メロドラマに落ち着けば、消費的なふつうの、下手をすればふつう以下のテレビドラマで終わる。
日本は現に学校から破滅の道を歩んでいるのは慥かなのだから、主役先生には満身創痍の絶望劇の先にかすかな光を点じて貰いたい。
2011 1・17 112
* 「イ・サン」は来るところまで来て、感動させた。少なくも「恋」「愛」が謹直に描かれていた。
甘いとか、ダサイとか嗤う現代日本の若者は多かろうが、猿の尻嗤いでなければよいが。
2011 1・23 112
* 息子の新しい連続ドラマは、なんとも薄っぺらい。貧にしても、イジメにしても、材料への立ち向かい方が通俗で安易、小耳に挟んできたような話材が何の独自の深い歎きも怒りも愛もなく、はなはだしく陳腐に、あだかも記号のように投げ出されている。生徒の一人一人も記号、先生達も記号、拾われる事件も記号。安いレシピ通りに調理されていて、フアストフードそのもの、これでは観ているこっちで肉体化できない。折角の食材をイージィに料理して出されたときにいちばん激怒すると、志賀直哉は食い物の話をしていたが、「創作」にもそのまま当てはまる。こどもに責任を自覚したたことのない大人の半端さがモロに出ている。仕事をあまくみていると、マスコミの鼻くそになってしまう。抜けだせなくなる。
むろん、それもこれからへの伏線、展開の方向付けと云い遁れの道はある。最初回に期待しておいたように、この熱血先生が一度は潰れて行くか、教務主任が隠し手をつかってドラマを烈しくして行くか。どうも生徒は主になれるだけの扱いを受けていない以上は、教師と校長との真の苦闘へ深まる以外に救われようが無い。観る気がなくなる。
今日逢った人は、「ホカベン」を誉めていた。わたしもあのシリーズは共感して熱心に観ていた。「ドラゴン櫻」もみていた。「逃亡弁護士」も観ていたが、みな原作のマンガなどがあるとも聞いていた。これらで表現された或る思想化そして感銘が、原作の保証によるだけとは思わないが、今度のこの「スクール!!」は原作に制約されない脚本家の持ち味だけで出来ているのなら、このイージィな劇化は何なんだろう。そう、心配する。画面がリアルでなく展開にリアリティもない。常識的な感傷で強いてくる涙でとまっている。胸を衝いてくる悲しみも怒りも湧いてこないで、問題や話材があまりに陳腐に記号化されている。心配する。
2011 1・31 112
* 息子の「スクール!!」三回目後半と四回目とを独りで観た。第一回の感想を書いたときにそのようになって行けばと期待した方へ、少し動いているのだろうか。
2011 2・12 113
* 長く楽しんできた韓国ドラマの「イ・サン」が終わった。真面目に創られているのと、リアル(そう)な朝廷内外の写真に好感をもちつづけた。「王様」もともかく、ハン・ジミン、パク・ウネ、キョン・ミリらによるヒロイン達の造形にも好感をもった。ちょと急ぎ足に腰砕けたラストながら、主立った人物達をうまいへたは別にして、単に「記号」にして動かしていないのが誠実だった。感動ももたらした。
* 秦建日子「スクール!」の五回目も観た。終幕の教務主任のかすかな破顔一笑に立ち至って、ドラマが動いてきた。それにしても生徒達は固有名詞を与えられているものの、いろはにほへとか、ABC の域を出ていない。ムリもないと云うのでは困る。
それと、表向き今はこうだけれど、「実は」という歌舞伎の化け芝居が乱発されないのを望みたい。人物が生(き)の儘で生きて苦しんだり喜んだり出来る人間になっていて欲しい。
2011 2・13 113
* 鈴木京香が駆け出しの脚本家として憤死しそうな役を演じた、「ラジオ放送」だったか、は、結局のところ度が過ぎて感銘がクリアに残らなかった。わたしはあれより前に、三谷幸喜作であったか「検閲」を扱った芝居を見掛けてこれは面白そうと期待したのに、その後に全体を観る機会を得なかった。なぜ期待したか。谷崎の大正十年十月に『検閲官』という小説があり、なんともかとも憤激させられていたからだ、むろん検閲官として憤激したのでなく、この場合の作中では劇作家として、要するに作者としてアタマによほど血が上ったのだ。
発禁という措置は明治以前にも、当局の忌避にあって手鎖にかけられた有力な書き手はいたし、お上へ相当な遠慮を要したこともあった。仮名手本忠臣蔵など、赤穂浪士と吉良上野の実話が、南北朝太平記の時代へ移転して書かれていた。それが無難だった。
明治になれば発禁という官憲の措置を食らった雑誌や新聞や書き手は少なくなかった、谷崎も例外でなかった。時局が窮屈になればなるほど発禁や検閲は猛威をふるったのだから、谷崎のこの「二人劇」ふうの問題作は、やむにやまれぬ谷崎らしからぬ官憲への不快と抵抗意識に染め上げられてある。半端に短い作ですらない。腰を据えて読み直すに値することでは、彼の名作、『小さな王国』に負けていない。これまた、凄い。
* 公権力による「創作の検閲」とは何だろう。敗戦後にGHQがさまざまに検閲し発禁も強いたことは横手一彦さんの克明な研究が教えて呉れるが、日本国が「国」の名と強制により創作をねじ曲げ、思想表現や言論の封殺をはかったことは目に余るモノがあった。 2011 2・14 113
* 「イ・サン」の記念番組を観ても、監督や俳優達の素顔を観ても、思い出のシーンにも、素直に反応した。嗚咽に近い涙も出た。いい王様であるかも知れないが、それ以上にいい愛が、ありきたりでなく描かれていた。
*「ありきたり」というのが一等怖い毒だと思う。わるい場面でもわるい展開でもわるい科白でもないのに、どれもみなどこかでもう卒業してきたような「ありきたり」を見せたり聴かせたりするのが、創作の何よりも怖い毒で落とし穴で、いつのまにかそれに満足してしまうのが創作者の自殺行為になる。こわいことだ。こわいことだ。こわいことだよ。
2011 2・20 113
* 久々にテレビ映画の秀作を観た。「 阿部一族」など忘れがたい傑作が過去にもあったが、今度観た「遺恨あり」は優れていた。藤原竜也。松下奈緒、小沢征悦そして北大路欣哉、みごとであった。
ひとつわたしの納得しないのは士族の矜持を勘案して死罪を終身刑に減じたこと。
武士も士族もない、六郎の原点の苦痛は、親の子としての張り裂ける悲歎と憤怒とであり、彼自身も明言していたように武士の魂がさせた仇討ちでなく、人として子として断乎として忘れぬ遺恨を貫いた。武士の本懐などというものでなく、親の子たる至極の怨讐に徹し抜いた劇的清々しさが涙をさそってやまなかったのだ。六郎となかとだけがそれを純粋に妥協なく守りぬいたのが感動・感銘の芯である。
それでも山岡との出逢い、師弟の激突と激励、美しい場面を幾度も幾度もみせてくれた。一人を討ち果たし、裁判されて罪一等を減ぜられてのち恩赦にあい、ただちに二人目を討とうと旅だってゆく六郎をわたしは百パーセント容認していた。そしてその二人目が狂乱の内に自死してしまう必然にも説得力があった。観ているわたしもしみじみ頷いた。亡父が無念の最期の刀を、泣いて川に擲ち流すのも、決してありきたりでなく、人生必然のはからいが働いていた。
そして、もう…、あとは。尊敬する父の血首をなげこまれ、惨殺された母の死骸をみたあの生まれ育った邸に帰ってきた六郎……を、やはり、なかが迎えた、「お帰りなさいませ」と。ドラマに魅されていただれもがそう有って欲しいと願っていたのだ、それはいい加減な結末でなく、人間のせめてそこに望みをかける切なさであった。説得するちからが有った。
明治維新、最後の仇討ちという史実に拘泥して観るべきでなく、いちどは徹底的に死んでしまった人間の渾身の甦りを観なければならぬ。
藤原竜也は、以前新撰組の映画で観ていたが、遙かに今回の成長に見応えがあった。剣の構えも捌きも全ての行儀がじつに美しかった。
松下奈緒はコマーシャルではじめて観たときから、ああ、久々の大女優だと確信して注目していた。岩下志麻、松坂慶子、藤純子、そして宮澤りえ、松たか子。最初の一瞥で大物だとわたしは信じた。そういう信頼に新たなもうひとりが現れていると、それで此のドラマに期待していたのだが、裏切られぬみごとな存在感と落ち着いた魅力・好演であった。どんなにドラマの内懐を格調としても演劇としてもしっかり支えていたか知れない。
* ありきたりでない、魂をゆするドラマであった。
だが、吉岡秀隆の演じたうすっぺらい判事は、その姿勢も科白もいただけなかった。うすっぺらい法律屋めと失笑した、それは武士の魂だの士族の矜持だのというのと同等の、バカらしさであった。 2011 2・27 113
* 『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』ともに感銘を受けた秀作だった。はて、これは題は。「戦死した息子」というのだろうか、機会有れば観たい。
テレビのチャンネルがやたら増えて、逆にテレビへの厭悪感が増し、選局している内に、やーめたと席を立っていることが多い。よさそうな映画を録画することは妻任せに頼んである。映画はいつでも観たいが、まるまる一度に観て席を立たせないほどの作に出逢いたい。「 遺恨あり」はよかった。たくさん録画してあるがあまり観る気も時間もない。
2011 3・1 114
* 昨日テレビ「映画の「遺恨あり」をもう一度見て印象を謬っていないと確信した。
何度も何カ所でも熱くこみあげたが、印象的な一つは、山岡鐵舟が弟子の臼井六郎に禁制の仇討ちの志を感じ取り、理性では反対しながら最後の猛烈な稽古で六郎に必殺の気合いを教える場面、思わず顔を蔽うほどの烈しさで師は弟子をうちのめしていた。そして師は行けと送り出す。打てば響く師弟の、また北大路欣哉と藤原竜也の決死の場面だった。感動した。
いま師があのように弟子を打ちのめして励ますとして、打たれる弟子に師の愛を感じられる志があるだろうか。なんと厳しい、厳しすぎると怨むのではないか。打てば響く人間関係が無くなろうとしている。その極の荒廃と退歩を建日子の「スクール」などが証言しているのだ。
「遺恨あり」で泣ける美しさが、荒廃した学校では非難されて喪われている。
* 打てば、響け。
20-11 3・5 114
* 岡本太郎と両親を書いたテレビ映画を前にも観て、今日も続きを観た。
* 岡本かの子という母親がどんなに優れていたか。そして、その夫・岡本一平もまた一面妻のかの子以上に優れていた。この親子の合い言葉は「藝術」であり、三人が三人とも独自の世界を、ありきたりでない世界を創造し、「藝術家」がいかに地獄を生きて天国にするかを、歩みぬいた。ありきたりの妥協は三人ともに無かった。売れるの流行るのといった微塵の意識も無かった。ありきたりの世界なら要らない、「ノン・ノン」とうち捨てて進んだ。
以前に「 e-文藝館= 湖(umi)」に岡本一平が妻を偲んだ一文を、共感して掲載した。それを此処に引き出してみる。息子に、そして娘に贈る。「ノン」を貫こうという人達に贈る。
*
招待席
おかもといっぺい 漫画家 1886.6.11 – 1948.10.11 北海道函館に生まれる。人間生活の機微に触れた鋭い描写と軽妙な警句・漫文、また政治の風刺漫画で一世を風靡。 作家・歌人岡本かの子の夫、画家岡本太郎の父。 掲載作は、副題のとおり昭和十四年(1939)「三田文学」八月号初出の追悼文だが、独特の作家論とも成った。「e-文藝館= 湖(umi)」掲載のかの子作品「老妓抄」にも関連して触れている。かの子の秀作三編も「 e-文藝館= 湖(umi)」に選んである。 ( 秦恒平)
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かの子の栞 岡本かの子追悼 岡本一平
巴里の植物園の中に白熊が飼つてある。白熊には円い小桶で飲み水が与へられる。夏の事である。白熊は行水したくなつたと見え、この飲み水の小桶へ身体を浸さうとする。桶は小さいので両手を満足に入れるのも覚束ない。
それでも断念しないで白熊はいろいろと試す。小桶は歪んでしまつたが、白熊の入れる道理が無い。すると白熊は両手を小桶の水に浸したまゝ薄く眼を瞑つてしまつた。気持の上では、とつぷりと水に浸つたつもりであらう。
私はいぢらしい事に思ひ伴れのかの女に見せた。それからいつた「カチ坊つちやん( かの女の家庭内の呼名) よ。君がその気質や性格やスケールで世俗に入らうとするのはちやうどこれだよ。君は白熊で世俗は小桶だよ。中へ入るまでには桶が曲るか白熊のおしりがはみ出しかするよ」
かの女はふだん動物に擬へられるのをひどく嫌つたが、このときばかりは面白がつて声を立てゝ笑つた。白熊は動物の中でかの女の好きなものゝ中の一つであつたにもよるが、私のこの比喩はかの女にしみじみ身に覚えがあるからでもあらう。
白熊は横に寝ると片一方の後肢のさきを前肢で掴む所作がある。かの女が疲れを休めるため、ころりと横になり右肘で頬杖すると左の手は自づと左の足尖を掴んだ。もつとも女の事だから掴むのは足を後へ曲げての上の事である。「どうしてさういふ白熊の形をするの」と私が訊くと、「どうしてだか」と自分でも不思議がつてゐた。この事に就て書いたかの女の小品文もある。
蟇もかの女は嫌ひではなかつた。うちの庭に一疋ゐて夏の頃はかの女が作らせた池のまはりから築山へかけてよく姿を見かけた。「お福さん」かの女は縁向の座敷に据えた机で書いてゐる原稿か短冊の筆を止めてかう呼びかける。私たちは、また、かの女が誰人を呼んでゐるのかと思つて覗いたほどはたに気兼なしの、相手に対して、かの女がいはゆる「愛( かな) しき」気持を溢らしたまゝの声で呼びかけるのであつた。
こどもがある時期には自然や無生物に向つても自分同様生物視し感覚や感情を賦与する。成人の後までこの性能が残つたものが詩人なのだとかの女は生理学的心理学を研究してゐた時代に私に語つた。知つてか知らないでか、かの女自身その詩人なのだつた。かの女は、またかく生みつけられた詩人は幸でもあり不幸でもあると語つた。私は紅梅の花が咲いたのに向つてひとり満惶の涙を垂れてゐるかの女を見た。実に詩人は幸でもあり不幸でもある。
かの女はこどものとき蛙と綽名( あだな) されてゐた。スローモーで無口で大きな眼をした少女だつたからである。馬鹿正直なことは、よく他に乗ぜられた。小学校で何かの式があるときにかの女の学友たちは、かの女の総てに優位なのを嫉んで恥を掻かす企みをした。「明日の式には揃つて綿服を着ることになつたのよ、」とかの女に告げた。翌日かの女はその通りにして行つた。学友たちは綺羅を飾つて登校した、そして綿服のかの女を眼ひき袖ひきして嗤笑した。そのときは身を噛む思ひをしても、かの女は人を疑ふといふことをすぐ取落してしまふのであつた。繰返して幾度となく騙( だま) された。
優秀なものを持つため嫉まれ、お人好しと気位の高いためはたからのその迫害は容易く奏効する。この経験はかの女が後年近くまでかの女は嘗め続けた。私とて根から騎士の性質の男ではない。のみならず申訳ない次第だが、新婚数年の間は無理解と迫害に於て決してひけを取らないユダの役を勤めた。しかしあまりにも見兼ねた。せめて物質的騎士でもと思ひ立たせられた。
かの女はかういふ矢に対しては聖セバスチアンの像のやうに、たゞ刺されてそしていぢらしく自分の血を眺めて天を仰ぐ。かの女に取つて天として仰ぐものは何としても自分では認めざるを得ない自分の中なる優質の自分である。かの女はいざといふときこの自分の中に立籠る術を覚へた。一方かの女の「ある時代の青年作家」の中で妹が兄人に向つていふ「強くなりませうよ」の解案に達した。かの女のある作品中には「自己陶酔症( ナルチスムス) 」があると見られ、また加虐被虐両性がありと見られるのもこゝに起因してゐやう。
かの女が蟇を愛するのも自分の前身の遺物のやうに感ずるからかも知れない。
小鳥のやうなものは関心を持たなかつた。総て小さなものはいかに精巧で貴重品でも、かの女の言葉でいへば「小( ち) つちくさい」として感銘しなかつた。
かの女はどこの家へ越しても必ず築山と池を慥( こしら) へた。古老いはく「池を掘る女はその家に福を授ける女だ」かの女の母親も私にかの女を呉れるときいつた「岡本さんこの娘は福を持つて行く女ですよ」と。これはどうなのか諸人の判断に委せるとして、私は庭の平板を嫌ふ事はかの女の戯曲的立体的多面の性格を反映するものと考へてゐる。かの女は池の水の清澄を好んだ。ある初夏、池を作り変へて水が赭く濁つた。かの女の襖悩の様子は自分の心が濁りでもしたやうにはたで見てゐても苦しさうだつた。そこで家中総がゝりできれいな水に入れ替へてやつた。
かの女自身、聖の性と魔の性と奥の方で同根になつてゐるその意味でかの女にはドストイエフスキーに近いものがある。だが、かの女は小説の作品はトルストイの方を推賞してゐた。格の正しさや躾( しつけ) の良さなどに旧家出の素質に通ずるものがあつてか。
かの女がいざといふとき自分の中なる優質の自分に立籠ることは後年近くまで続いたらしい。近頃かの女の著書を整理してゐると、「鶴は病みき」の原著の一冊の扉に自分が自分にデヂケートしたものを発見した。
「つゝしみておくる
かの子へ
かの子より」
「鶴は病みき」の原著は昭和十一年十月の発行であるからその頃までも充分かの女はこの愛惜を保持してゐたことが判る。この書はかの女に取つて小説家として最初の著書である。いろいろの想ひで自著をまづ自身に捧げたであらう。これはかの女に就て時間をかけ慎重に研究すべきことだが、たつた一つ即言できることがある。かの女を理解するものはかの女以外に無いほど微妙と複雑を単純の中に蔵してゐる。その理解をこの時代までかの女は誰にも諦めてゐたことである。
誰が誰をば云ひ得るものぞ
われよ
あまりにわれをも
責むるなかれ
これは大正十四年五月発刊の歌集「浴身」の頁に出てゐるかの女の箴言詩である。かの女ほど自責や自己批判の強い女も珍らしい。この詩に於ては劣質の自分が優質の自分に向つて暫( しばし) の宥恕を求めてゐる。
しかし後年に入つてはこの劣質の自分と優質の自分とがかの女に於て調熟し始めてゐる。世評にいふ白牡丹のやうな女性として撩乱を始めた。大きな生命が地下水のやうに噴湧して来てもはや自分の中に些末な自汝の区別なんか立てゝゐられなくなつたからであらう。中川一政画伯がある会合の席でかの女を見た印象を話して画家的の言葉を用ゐ「確かに女史は化( ば) けかけてゐた」といつた。人間としては超特高の円熟に艀りつゝあるのをかく形容したのである。しかし私からみれば私が同棲して見たところの二十八年間のかの子は全部まだ劣のかの子である。残念ながら私の凡眼はそれしか映らなかつた。かの子をしてしかく云為 (うんゐ) 行動せしめた脊後に真に優のかの子がある。私は前のを小かの子といひ後のを大かの子と呼ぶ。私の凡眼の見たのは鯨の吹く潮だけである。かの子の偉大な鯨の本体はまだ私から隠されてゐる。さればといつて噴く潮の太さ高さ以外今では鯨の本体を計る目量が無い。私は二十八年の小かの子を仔細に探究してその実体の大かの子をいくらかでも掴み度いと思つてゐる。かの子はその童女型の女性の姿に於て何か深奥幽玄なものを蔵してゐた女である。私は今更、その片鱗、寸翳を拾ひ集めて懐ひ出し愕きに撃たれる。
とにかくかの女と現世的に共に在つたときは、一たいどのくらゐ青春の気で私も共に無限に生き延びて生活して行くのか図り知られなかつた。かの女は何を言葉に出して言ふわけでもないが、そこに励ましがあり、希望があり、憩ひがあつてそれがみな絶対的なものなので、私は手一杯働けた。かの女の眠りに遇つて一時それ等を総て失つた。だがこの頃、かの女の本体の存在に気付き、再び前のものを取戻し始めた。
かの女に一ばん無かつたのは糠味噌臭いしみつたれた世帯根性だ。私は気持だけにしろいかなる世界の富豪に負けない豪奢な生活を送つた。
かの女はマダム、マレイの作つた夜会服を着てカフェ、ド、ラ、パリで晩餐を摂り、グランドオペラを見に行くときも、うちで、かの女の口振りの「おみつちい( 味噌汁) におひもの( 干魚) 」でご飯を食べ、帝劇へ映画を見に行くときも悦びと気品は少しも変らなかった。私はこの女のスケールは一たいどのくらゐなのだらふとあらためて見返した。
かの女はある貧しい青年に月々金を補助してやつてた。その青年は勤口が見付かつたが薄給なので、かの女からの補助の断絶を心配してゐた。かの女は知らん顔をして送金を継続した。青年は気に咎めてある日かの女の気持を探りに来た。かの女はそれを察して、わざと蓮つ葉に「あたしや江戸つ子よ、いつまでも威張らして頂戴ね」さういつて、また、さういへたのが愉快だつたと笑ひ崩れた。
かの女の胸中の地理観はまた一種独特のものだつた。本郷へ用事といふと少くとも三日は何とかかんとかいつて愚図ついてなかなか行かなかつた。巴里は隣のやうに思ひ和服で草履で神戸埠頭から船に乗込み、同じ服装、同じ表情でシャンゼリゼーを青山通りのやうに歩ゐた。むす子に世話されてそれから洋装を調べ始めた。本郷はどうして億劫なのか判らない。
かの女の第二歌集を「愛の悩み」といふ。かの女は一生あらゆる愛に就ては殉身の態度を示した。かの女は致命的な打撃を受けて人を憎みにかゝる。憎みが底に徹するとかの女には慈しみの愛が湧いて来るのである。「あーあ、これまでにされても相手を憎み切れないのかなあ」かの女の第二段の嘆きはいつもそれなのである。
かの女にむかし愛人があつた。かの女はその相手と座敷で対座して二時間も自分の瞳を見入らせ続けた。少くともこの時間の間は双方は少しも他の感情を交へず純粋の念思の持続が出来るといふのである。かの女の第一義を望む苦しき愛の修道は、他の種の愛に就てもこれに似たものが幾つもある。
かの女が諸行無常を愛し取つて自分のものにしてしまつたのはかの女の逞しい愛の生命の最後の勝利である。
*
* いい作品に出逢うと奮い立つ。ありきたりの仕事を、創作者は厳しく恥じよと、わたしは自身に命じる。
2011 3・5 114
* 建日子のテレビ「スクール」を観た。廃校と統合問題が出てきて複雑な思いだ。わたしの小学校も中学も廃校された。後者は今月末で廃校と決していて、学校は、三月十二日に校舎へ「お別れにどうぞ」と卒業生に呼びかけていると聞いた。
ドラマではこの問題と、家庭内の兄から妹へのDV問題とが、終盤に絡み合ってくるようだ、かなり真面目に進んできて、教師というか職員室にも民間人校長との間の緊張をすこしずつ消化して来ている。有終の美をなすか、ありきたりに終わるのかはこれからの見せ場だ、期待させて欲しい。打てば響けよ。
2011 3・6 114
* 「秦建日子脚本」と明瞭に出ている連続ドラマ「スクール」が一般受けしていて、朝の理髪店でも家族中で誉めあげてくれた。「殺し」「犯罪」ものに飽いて嫌気の人たちにも歓迎されているのだろう、どの材料、どの話題も、これまでに何かの形で一度も二度も報道されていたのは確かだが、建日子らしい優しさと真面目さでソツなく毎回取り纏めながら、シリーズをゆっくり盛り上げてきている。しっかりした仕上がりへ近づいている。評判など気にしないで、心ゆく仕事として一つまた積み上げて欲しい。
『CO命を手渡す者』は臓器移植にいろんな立場からかかわる人達の厳しい場面が展開されて行きそうだ。文学的な感興とはどれほどの距離かモノが言いにくいけれど、創られて行く「画面」の為に「言葉」が奉仕しているのは事実のようだ、画面のノベライズでは無いだろうと想っているが、内情は知らない。いずれにしても「言葉」はかなり適切に的確に運ばれていて才能を感じさせる。文学としての魅惑とは、重なりにくいかも知れぬ、もう少し読み進まねば。 2011 3・9 114
* この一両日で、襟を正す思いでその「劇」性に胸をマトモに打たれたのは、もう収束期であるらしい「ER 救急救命室」であった、録画しておいたのを四つ五つ立て続けに観た。アビー( モーラ・ティアラー) も去って行った。緊迫した医療の劇としても優れていたが、それ以上に人間の劇として卓越していた。「コンバット」を超えた傑作であった。
2011 3・19 114
* 秦建日子脚本の「スクール」最終回二時間分を見終えた。感傷の涙は誘われたけれど、劇作としては在りそうに在り、成りそうに成り、「劇」性に乏しく言葉も場面も盛り上がらなかった。いつかどこかで繰り返し見聞したような成り行きで、殺しや犯罪モノよりは好感はもてたし、心優しくも元気そうでもありながら、オリジナリティを置き忘れ、リアリティをほどほどにし、クウォリティーをもてなかったのは残念だった。
こういうありきたりを続けていると、創意や、作品への真率な意欲を摩滅させかねないのを惜しみ懼れる。小説も劇作も脚本も、無垢無欲の熾烈な噴火を期待したい。マスコミの便利屋に落ちこんでいっては怖い。
作者は、蓄え持った巨大な底荷の質量で勝負しなければならない。いまのままでは、お手軽に過ぎている。調査の物知りは大切でも、それだけでは思索も体験もうすいままで流れて行く。作者の生の苦渋が、「ER」 のように、せめて「寅さん」のように、できれば谷崎の「途上」や「小さな王國」のように映し出されて欲しい、出来て当然だろう、それを把握し表現せよと望まれたとして、もうニゲの打てる年齢でもキャリアでもない。
* 自分を棚に上げて言うのは苦しいが、誰一人、こんなことはハッキリ言ってくれないものだ。実際は、 自分で分かるしかないのだから。
2011 3・20 114
* 秦建日子のドラマ「スクール」にやや、逆らいてこそ、父のきつい批評を書いた直後、うちではふつう観られないW0WW0Wとかいうチャネルで、同じ秦建日子原作・脚本の「CO臓器提供」ドラマを観たのは幸いだった、これは単発のドラマとして観ても、オリジナリティあり、リアリティありクゥオリテイもきちっと兼ね備えて、最近出色の劇的な構図であった。
吉岡秀隆、ユースケ・サンタマリアの持ち味もはまっていて、わたしも妻も見知らぬ、人工透析患者で夫に死なれた妻の役をした女優もほぼ完璧の演技で、唸った。
幸か不幸かわたしはこのドラマ分のストーリーを、建日子の原作本で、すみずみまで覚えていた。小説とは謂うが、小説を読む妙味も美味もない、わたしの感想では、ノベライズしてかなり書き込んだ、その分、すらすら読めて分かり好いつまり「梗概=シノプシス」だった。
今夜観たドラマは、本では三話ある第一話で、脚本としては堅実そのもの、まことに過不足無かった。本を読んでいなかったら、ああ美味い脚本だなと想ったろう、いやよく書けていた。劇的で意外性が厳しく辛く展開して胸をしめつけた。ありきたりな何もなかった、こんな世界があるのかと、知ってはいたが現実に突きつけられる衝撃はなまなしかった。
感動したか。感動した。それでよいのだ。
感傷的にお涙を強要してはいけないのだ、必然が必然を呼んで、観ていて、いても立ってもおれなくさせるのが「ドラマ 劇」なのだ。満たされた。特筆しておいて、、もう深夜。寝にゆく。
2011 3・20 114
* チャンネルが多すぎる弊害だろう、放射能の人体に与える危険の有無など、各チャンネルが一人の識者を連れてきて、各局てんでばらばらに話させているのは、問題の啓蒙に結びつかない。せめて二人、できれば三人の、同質・同レベルの研究者・識者に同じ場所から話させれば、説得力がグンと増してくる。
テレビ朝日で、東工大の先生が、現状の程度で福島のほうれん草を食べようが、外干しの衣類をパンパンと花粉を払うようにして着ようが、なんら心配はない、六十余年の研究成果がデータ的に保証しているから、やたら不安がらないで欲しいと言ってくれても、この先生一人だけの発言では「一意見」に止まり、風評不安をとても吹き飛ばしてはくれ得ない。同じ学者・研究者がせめて二人で口を揃えて同じ事を強調してくれれば、百倍の説得力になる。
こういうときこそ、NHKなど、一つ問題に複数専門家を揃えて解説や指導をしてくれれば、てんでばらばらの頼りなさが遙かに克服されるだろう。チャンネル沢山で、むざむざとムダを重ねている。風評不安こそ、今、もっとも混乱を招くモノと懼れねばならない。
2011 3・21 114
* この二三日、床に入る前の二時間半ほどを、「ダメージ」というロクでもない外国の連続ドラマを見ているが。
それよりも、はるかに、あのエリザベス・テーラーの訃報が身に堪えた。
2011 3・24 114
* この頃、放送大学というチャンネルで、たまたま出逢って気が向くと、講師の講義を傾聴している。講師によってはおもしろい話題がいっそう面白かったり、逆だったりする。今朝は中国文明
を「東アジア文明」と捉え直してゆく大学院レベルの講義が面白く、同じ講師の秦始皇の講話も興味深かった。身を乗り出すようにし、妻と二人で聴いた。やはりというか、概して歴史そして美術史に惹かれる。
2011 3・15 114
* 今日は、大河ドラマ「江」と、伝記ドラマ「太郎の塔」とを観た。いずれも連続物の途中だが、後者は前二回を岡本かの子の死まで観てきたし、前者の戦国絵巻もこのところ信長死後の柴田勝家北の庄逼塞の経緯は観ていた。
岡本太郎のドラマは優れていて、今夜の二科脱退までも面白かったし、よく描けていた。秘書、のちに養女になる伴侶の女性との出逢いも葛藤も克服も、太郎の生涯劇には不可欠。藝術家にはこういう女性の存在が何人も記憶されている。それはそれ。岡本一平と彼女の挨拶の場面も印象深かった。ポンチ繪を描いて一世に名を馳せた一平の知性の優秀を、的確な会話で作者はよく描いた。
勝家の賤ヶ岳での敗走から、茶々、初、江の美しい三姉妹を場外に出して、勝家・市夫妻が最期を迎えるドラマは、まさしく『盲目物語』で数日前まで読んでいた同じ場面、よくよくよく知っている話であるけれども、感動豊かに緊迫一期の「わかれ」をよく描いていて見応えあった。三人の娘たちの行く末もよく知っている、が、ドラマはドラマとして懸命に「わかれ」を表現していて、御苦労であった。いいものは、いいものである。いいものを観るのは、緊張感に恵まれ、やはり嬉しい。
二つのドラマは、まるで重なり合う何もない物語であるが、一つ在るといえば、懸命に人間と人生とが描かれていたのである、ありきたりにならずに。こういう「懸命の仕事」をこれから先にも観たい。観て、力を得たい。力を獲てわたしもし遂げたい。
* バグワンも芭蕉も、わたしを励ましてくれる。
2011 3・26 114
* 晩、映画が見たくて、録画盤で『隠し爪 鬼の剣』というのを選んで観た。松たか子がとてもいい。永島正敏とかいったろうか、主役の若い武士も好きで、この俳優の映画『息子』が良かった。今晩観たのも『武士の一分』などより何倍も佳いが、それにしても藤沢周平の原作にあるのか監督山田洋次の脚本が付け加えたのか、いやな御家老や上役のもとへ下級武士の妻が身をなげだして歎願に行くのが、どうせダマされると分かっているのにと、安易な運びに思えて仕方がない。そういう妻の高島礼子の扱いが型どおりに安直なのが惜しい。武士の主人永島と、百姓出の雇い女の松たか子の清々しい節度あって深々とした恋と結末は、美しかった。ここを先途というには未来は嶮しいとしても、二人の幸せが素直に信じられるのが暗い映画の佳いおさめようであった。
剣技もよかった。しかし何となく物語の展開に通俗読み物のありきたりがあちこちに見えた。原作の限界であろう。
2011 4・8 115
* おどろくほど、よく眠った。広大な地溝草原に暮らすマントヒヒの群れの社会生活・家族生活を、BSでたいへん面白く興深く観てから、わたし自身の新刊分を入稿した。受け容れられるかどうか、趣のよほど変わった一冊になる。その気なら二冊にも三冊にも成るだろう。
2011 4・9 115
* 映画女優としての田中好子の癌死を傷み惜しむ。代表作となった「黒い雨」の画面が目に残っている。
2011 4・23 115
* 大河ドラマの「江」とやら。バカらしくて通俗すぎて観ていられない。「篤姫」の初心が抜け落ちたか。
2011 4・24 115
* 女優田中好子の最期のことばを聴いた。人生を真実幸せだったとてらいなく言えた、完全燃焼した一至人のことばであった。
2011 4・25 115
* 昨日はジュデイ・デンチ演じる「ビクトリア女王」を、一昨日はケイト・ブランシェットだかウィンスレットだかの演じていた「女王エリザベス一世」を観た。つくりはずいぶん違っていた。エリザベスは国難を幾重にも背負いつつ立ち向かって克服して行くおお時代な宮廷劇だった。『メアリ・スチュアート』を読んでいれば、時代もかなり読めている。ビクトリアの方は騎士道精神を絡ませた男女の人間劇になっていて、スペインの無敵艦隊に襲われたり禁獄されたメアリの叛逆や陰謀なども無い。しかしジュディ・デンチの演技派さすがで、ドラマの厚味に重きを加えて魅力的だった。
イギリスには奇妙に重厚な抵抗と魅力とがあり、嫌悪を誘い敬意ももたせる。
2011 4・27 115
* 夜前に観た映画「クイーン」は元皇太子妃ダイアナ不慮の死をなかに、エリザベス二世女王の王室と、選ばれた労働党の首相若きブレアと、国民との、緊迫した三つ巴の佳いドラマであった。ヘレン・ミレンの演じたそっくりの女王の演技が佳い。
それにしても、日本のどんな総理にならあのブレアのような的確な女王との対応、人間味に満ちたマナー、そして瞬時に選ばれてブレない言語力などが用いられるだろう、残念ながらあの菅総理ではお粗末すぎて恥ずかしくなる。
* 三月十一日だった激甚災害から、気が付けばもう四月が過ぎて五月のゴールデン・ウイークが目前。もうそんな、と思う。
* 今日は、暑いとさえ感じている。世間もおやすみ、わたしたちも穏やかに休もうか。
2011 4・28 115
* NHKの総局から選抜した専門職多数による時局座談会は、比較的気を入れ安心して聴けるものとしてわたしは、今朝もずうって聴いていた。ありがたい番組の一つで、頭の整理に役立っている。 2011 4・30 115
* 映画『地獄門』は『羅生門』についで海外の映画祭で受賞してきた作で、長谷川一夫・京マチ子そして山形勲という懐かしい顔ぶれ、受賞当時にも映画館で観たけれども、当時の印象と変わらず、さして感心しなかった。『羅生門』とは大違いで、物足りなかった。
* それよりも今晩観た「π パイ」の神秘的なおもしろさに、降参した。
2011 5・4 116
* NHKの短歌の時間に、講師というのか先生か、が、ゲストの好きな歌として上げていた、万葉集志貴皇子の歌、
いわばしる垂水のうへのさ蕨の
もえいづる春になりにけるかも
を、一読「凄いですね」と言われたのには、のけぞった。
やまと言葉の洗練において師表を持って任じる立場の人が、この古今に絶した名歌を「凄い」とはどういう精神であるか。そこに惨逆の屍体でも転がっているというのか。お岩さんのような幽霊が立っている暗闇だとでもいうのか。
なぜ「すばらしいですね」とか「佳いですね」とか、「美しいですね」「うれしくなりますね」とか言えないのだろう。
人にはまちがえて言うという弱点もあり、間違えたなら気の毒だが、これは間違ったのでは有るまい。安易で安直に言葉を用いて気が付いていないだけだ。その講師、多年にわたりわたしも親しい人だけに情けなかった。ま、わたしも迂闊に似たことをしていないわけで有るまいけれど。
2011 5・6 116
* 海外で、写楽の「肉筆」画が見付かったことから、従来四分五裂できかなかった写楽実像が探索可能となり、一等早くから文献的に名の出ていた阿波藩の能役者斎藤十郎兵衛とほぼ決定に到った筋道をテレビ番組が、説得力豊かに明かしてくれたのは面白かった。出版者が、天才作家を、たった十ヶ月、売らんカナのみすぼらしい商策で磨り潰してしまうなど、いつの時代も情けない。
2011 5・8 116
* どこのテレビ局か、むかし人気女子アナだったアナが脇についた、政局インタビュー風の番組がある。極端に偏向気味で、そのために却ってアイマイな論調を聞かされ、好かない番組。だが昨日は亀井静香が出てきて、現下自民党の「拗ねた子供のような」ケチくさい、ウジウジして無意味な反菅反感姿勢を罵倒し、この分では真っ先に自民党が没落し姿を消すだろうとこき下ろしていたのは理が通っていて聴くに堪えた。それほど、この国難の日本を「政治」政党として立て直そうという誠意が自民党に全く見られないのは、ただただ情けなくて軽蔑に値する。政権政局の他に頭にない大野党が、この激甚災害と原発危害の不安に悩む日本にノーノーと蔓延っている不思議・情けなさ。国民はかならず此のテイタラクを見忘れないであろう。
それにしても此の番組での女子アナの行儀・姿勢もわるく、なにより小声で口の中で早口に意味不明に喋る見苦しさ、聞き苦しさ、あれは何だろう。
いま、女子のアナウンサーというのかキャスターというのか、何にしてもまこと美しく口跡も行儀もいいのは、あれはどの局か、膳場貴子アナ。見るからに安心できて惚れ惚れする。
言葉の聴き取れない、しかもしどけなくダラシない女子アナには退散願いたい。個人攻撃ではない、公人だと認めているから苦言を吐く。
2011 5・12 116
* 萬屋錦之助の映画「仇討」を観た。橋本忍脚本と今井正監督の「批評」に徹した作品で、ロケーションよく、ひときわの現実感。武士道が日本精神の根幹のような戯言を言った人がいたものだが、一概に言えない所か、ひどい武士世間に呆れ果てる映画がよく作られて、感銘をもたらしている。
わたしは武士がよかったなど、概して考えたこともなく、この「仇討」も、さんざんの腐敗武家社会。吐き気がしたほど、映画の意図がよく、まっすぐ読み取れた。秀作だった。かけだしの頃の中村錦之助にはヘキエキし続けていたが、萬屋錦之助になり、あのシリーズ「子連れ狼」の拝一刀など惚れ惚れしたが、「仇討」の錦之助にも拍手。懐かしい田村高広も、若く美しい三田佳子も、加藤嘉も、顔ぶれが揃って楽しませた。いやに真面目な小沢昭一もおかしかった。
* 今朝は早起きして目先大事の大仕事に取組み、片づけ、余勢でさらにあれこれ捗らせた上で佳い映画も観たのは儲けものであった。明日明後日も気を入れておけば、月曜の東博平成館の「写楽」特別内覧、火曜夜の明治座歌舞伎が楽しめる。
2011 5・13 116
* 晩に観た「遺留品捜査」は連続ドラマの独立した一回だが、伊藤洋子という人の脚本が大きな破綻無くよく纏まって感銘作だった。連続ドラマではめったにこういうことは無い。気持ちよかった。 2011 5・18 116
* 夜のTVタックルに出てきた、京大名誉教授だか何か、石川某なる原子力なんとか組織の「最高顧問」のまくしたてる、福島原発自体には地震によっては何の問題もなく安全に機能していたという屁理屈の連発には、しんから惘れた、厚顔無恥とはアレであろう。すべては津波が原発外部の電気機構をストップさせ、それをカブァーしなかったから爆発に到ったまでだと。
電気機構の杜絶が決定的に悪影響するまでに八時間の余裕があり、八時間以内にカバーしなかったのがいけないと。これほど露骨な鉄面皮な物言いはないだろう、あの激甚災害と大津波の大地を掃蕩した威力と惨害の直後に、外部ないし遠方からどんな「応援」が近づき得たか、その一つを想うだけで、問題の核心は福島原発と東電の体制自体の粗漏・不備が決定的に働いたのであり、我々はそれらを合算して今回原発事故の大迷惑と考えている。石川迪夫最高顧問は、いったい何の最高顧問なのか、何の最高の知識びとなのか、かかる事態を引き起こしておいて、あたかも俺は知らないよ、他が悪かったんだ、政府だ、東電の所長だなどとトクトクと言い逃れ得ると思っているらしい鉄面皮、わたしは聞いていて納得ゆかず惘れに惘れた。さすがに何人もが口を揃えて「屁理屈だ」と抗弁していたのは当然だと、素人ながら素人だから余計に唖然、奮然、石川氏をわたし睨み付けていた。
* もう一人、斑目という東大名誉教授かなにだか、何か大事な組織のトップである御仁に関しても、一刻も早く辞任せよと云う声がテレビで報道されていたが、わたしは、遅きに失しすぎていると横目でにらみ据えている。上の石川氏にも一刻もはやく、「最高顧問」などという肩書きは外して貰いたい、国民感情としてあまりに信頼できず、かつ不愉快極まる。
* 浜岡原発に関しても、いやみな言句を最高専門家顔で言い立てていたが、菅総理の決断には曖昧な何もわたしは感じていない。いま、もし浜岡に福島なみのことが起きたとき、周辺の人口密度、都会密度は福島の比ではない。静岡市は屈指の大都市に成長している。浜松市、名古屋市も近く、日本列島の形状と風向からして、東海道に沿った原子能汚染が、たかが箱根伊豆の山脈で防ぎうるかどうか、到底ムリであろう。しかも東海道新幹線も幹線道路も、無残な寸断に遭うのは必定、その時に日本の政治機構はどう機能するかなど、その程度を想うだけでも理由は、他の原発の立地とは大違いだと云えば、反対できる言説は無く、敢えてしても屁理屈に堕する筈。浜岡原発は、このまま自然廃炉へ無事に持ち越すべきが大道であろうとわたしは願っている。菅総理ないし民主党政権のとった決断は勇断であり英断である。
2011 5・23 116
* 不愉快極まる政局の不信任案をめぐるかけひきにむかっ腹が立ち、幸いに、画家モジリアニと恋人ジャンヌとのドキュメンタリーに出逢って、没頭、感動した。
断然の「絵画」達成の美しさ、どの絵にもどの絵にもどの絵にも息をのむ天才の完成が感じられて、しまいには絵を見てわたしは泣いていた。絵を見て泣いたという覚えは、かつてあったろうか。
また一人の娘をモジリアニとの間に生んでいた弟子のジャンヌの才能の高さにも、正直仰天した。モジリアニが結核で死ぬと二日後にはジャンヌも自殺してアトを追った。死ぬ間際に描いていた四枚の水彩画を観てまたわたしは涙をこらえられなかった。
西欧社会での自殺はわれわれ日本人の想像に絶した大事で、遺族はおおきな打撃を蒙ったようだが、お腹に二人目の子を宿していたまま決然としてモジリアニに殉愛をささげたジャンヌの気持ちに、わたしは、強く打たれた。たしかにジャンヌの天才もまた、ロダンにおけるクローデールを凌駕したかも知れぬほどで、だから堪らなく惜しまれるが、それでも微塵のためらいなく自殺して愛する死者へひしとして追いついていったジャンヌという人にわたしは感動を隠さない。藝術か、愛か。むろん愛である。死なずに活かせた愛の可能性もわたしは否定しないが、ジャンヌは死を選んだ。
* そういう感銘を得たのを幸い、不信任案の国会など観たくも聞きたくも無くて、わたしは傘をさして、駅まで歩いて、腰も痛んだが街へ午後から出掛けていった。かなり煮たってきているカポーティーの『冷血』と自分の『バグワンと私』上巻とだけをもち、とにかくも腰さえ掛けていれば腰の痛みは無いので。最後には、馴染んだカウンターの鮨で、「三田村」を二合のんで、夕食にしてきた。シャリをぐっと小さく握らせ、好きな肴ばかりを十一、二ほど。
それから日比谷のクラブへ、タクシーで。そのタクシーの運転手が、不信任案大差で否決というのを教えてくれた。いいともわるいとも言わない、全く当たり前の結果が出たに過ぎないが、何十人と言われた小沢派は、愚かしい二人だけが野党提出の不信任案に賛成し、小沢一郎は卑怯にも欠席して姿を議場にみせなかったと。「なれの果て」であろう。
クラブでは、エスカルゴとパンで、変わり種のブランデー、1978都市もののカルバドスをゆっくり味わい、口を切ってなかった日本産のウイスキー「宮城野」も明け、文庫本の続きを読んだり、人と話したり。すこしお腹に余裕があり、木の椀の稲庭うどんを追加した。珈琲も二杯のみ、機嫌宜しく帰ってきた。小雨が来ていたが、傘の必要もなく、保谷駅からはタクシーで。
家で、不信任否決劇のあらましを妻から縷々話して貰った。
2011 6・2 117
* すこし疲れたか、安住アナと女優の真矢みきとで司会進行して行く「アースコード」の途中でぐっすり居眠りしてしまっていた。この前に、地球のホットスポットへ、噴火口の間近まで火山研究家が案内してくれる映像の凄さに魅入られ、あれでかなり疲労したようだ。
そのさらに前に、本を四冊も持ち込んで入浴していた。
山内昶氏の大著『もののけ』全二冊読了した。とてもこの本は一度読んだぐらいでは済まない。食いつくようにして読み進め、赤い傍線の引かれてない個所の方が遙かに少ないほど真っ赤にしていたが、それだから読み切れたほど、内容が緻密で、わたしは未知の世界というより、未知の論証と展開とに魅せられていた。折り返し、今度は黒いボールペン傍線を入れながら挑みかかってみる。おもしろい本だった。
もうひとつ我が国での「秦王国と秦氏」とを論究して行く研究書に魅されていた。眼の鱗を払い続けている。
そして、カポーティの『冷血』が渦を巻く、いやとぐろを巻いて行くように核心へ近づいて行く小説手法のおもしろさ。
血圧がさがって睡くなるのを調節しながら読み進んで行く。どれもみな十分な量を面白く読んで行ける。
2011 6・4 117
* そうそう、山梨県立文学館から『文藝映画のたのしみ』という企劃展の図録を貰ったのが楽しい。
日本の小説家で映画に本格に打ち込んだのは谷崎潤一郎、大正期に書かれた谷崎の映画論には侮りがたい本格の厚味がある。
興味深いことにこの図録を豊かにしている作家はといえば、筆頭の谷崎以下、泉鏡花、川端康成、三島由紀夫と続く。文藝映画の監督たちの好みがうかがえるが、林芙美子の原作も佳い映画になっていた。題名とスチールとを眺めているだけで懐かしい。「細雪」「春琴抄」「鍵」「婦系図」「瀧の白糸」「羅生門」「伊豆の踊子」「山の音」「千羽鶴」「潮騒」「炎上」「墨東綺譚」「踊子」「破戒」「夜明け前」「彼岸花」「浮雲」「めし」「青い山脈」「若い人」「五番町夕霧楼」「楢山節考」「二十四の瞳」「太陽の街」「真空地帯」「異母兄弟」「点と線」「野菊の如き君なりき」等々、思い出すだけで懐かしい。
いかに文藝作品が映画作家たちを惹きつけたかが分かるが、最近では、映像作品のノベライズが安直に書店に出回るのは小説家まがいの志の低さが見えて嘆かわしい。
2011 6・4 117
* 食卓に向かい手作業をつづけながら、晩、「太陽」について感嘆に堪えざる驚異の映像をたっぷり見せて貰つた。太陽が地球の気象にやはり重大な影響を持つことを、太陽の磁波と地球の雲との密接な関わりとして、実験的に縷々解説してもらった。はああ、はああと嘆声を挙げ続けながら、なにとなく興奮した。この齢になって始めて知ることがまだまだ無数にあるのを素直に肯う。知識欲ではない。無心のよろこびである。
その前に、東大寺の南大門の枯れて貴いほどの建築美にも目を奪われた。多くの仏像よりも眼にしみて懐かしかった。すばらしいことも、ものも、たくさん在る。目を向ける素直さが大切だなと思う。
2011 6・7 117
* 大河ドラマの「江」は、軽い脚本でありながら、茶々、初、江の三姉妹が顔を合わせてもさらに大竹しのぶのお寧が加わるときは、ドラマが贅沢な味わいに満たされる。
宮澤りえの茶々が、しみじみと毅くてあわれに美しく、水川あさみ、上野樹里にそれぞれの個性と魅力があり、大竹しのぶがけっこうつらいところを大きく抑えて演じるのがみものなのである。女が描き出す歴史絵図が着々伸びひろげられる。
織田・浅井の血を豊臣へ持ち込み、豊臣滅亡を遂げさせる茶々。同じ血を徳川将軍家を経て皇室へ持ち込む、お江。女の歴史劇では北条尼将軍でも日野冨子でもこれには遠く及ばない。徳川末期の篤姫や和宮でも及ばない。秀吉や石田三成や、家康や千利休の登場は珍しくもない。さきの四人がせいぜい顔を合わせるのへ豪華に照明を浴びせながら、大きな「女」劇を仕上げて貰いたい。
2011 6・12 117
* BSが加わってテレビが楽しくなったということは、ない。チャンネルが無用に沢山ふえて無用に選択している手間が増した。テレビ画面が大きくなり、大きな、また精微な自然や風景や動植物の観られるのが一等有り難い。そういう世界は「本」で楽しむことはない。実地に赴くこともない。借り物ではあるが体験、いや見聞を楽しめる。
放送大学で、歴史が講じられているのを聴くのも楽しい。ことに極東の中国史、朝鮮半島史には耳を開いている。
2011 6・19 117
* ふいと五時に目が覚め、また源氏物語「少女」巻に読み耽って堪能し、カリール・ジブラーンの『人の子イエス』わ感嘆しながら読み味わい、また倉田茂さんの詩集に胸を洗われていた。
それから独り、早朝テレビが「柳川のどんこ舟」の光景を、静かな静かな音楽だけ、なにひとつ人語を用いぬまま写しつづけてくれるのを故郷に帰った心地で観ていた。
また寝床に戻り、バグワンなど何冊も少しずつ読み次いでから、九時まで朝寝。晴天、熱暑というも不可なき気温にびっくり。とても日光の真下へは出られない。
2011 6・22 117
* 映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」を階下の大画面で、いい音響で聴きたくなった。キリストの映画ではこれが一等胸に響く。
2011 6・25 117
* 前夜、階下の大きなテレビにディスクを入れて、「ジーザス・クライスト・スーパースター」を観た。聴いた。この映画では、わたしも妻も誰一人見知った俳優が出ていないので、またロケーションがすばらしいので、造りは思い切りシュールですらあり凝っていながら、ツクリモノと思えず、まともにイエスのありように身近に添うている心地がした。イエスが、そのままイエスとしか思われない。ミュージカルの歌唱力がかえって真実味を増し、もう何度目でもあるのに、わたしはくいいるように観た、聴いた。
* 日本映画の「蕨野行」や、海外の「グランブルー」さらにはサイエンスフィクションながら「マトリックス」などを想い浮かべて、シンとした思いで床に就いた。
ジブラーンの『人の子イエス』を読み継いだ。たぶん一冊の中の最長篇ではないか、マリアの隣人である、人の母の、しみじみとマリアを語った述懐に、胸のふるえる心地がした。映画では同じマリアでもマグダラのマリアがすばらしい詠唱で、胸にも目にも迫ってきた。
2011 6・26 117
* クーラーなし、小休止の気でつまらないドラマを見ていたが暑さに負けて倚子のママ寝入っていた。 家の中でも熱中症はやる。去年の夏は日照りの真昼に自転車で走り、あわや入院かと云うほどヒドイめに遭った。高熱で、吐いた。まさか六月ではなかったのに、今年は六月からひどい暑さ。
それでも外へ出たい気持ちは有る。
今は、機械部屋にクーラーを働かせ、「悲愴」は、済んだ、モーツアルトのコンチェルトK438をマリア・ピレシュの綺麗で清潔なピアノで聴いている。何曲も続くはず。さ、それならと手に取る本は、亡くなった網野善彦一の名著の『無縁・公界・樂』で。わたしの頭も、働きます。
* 晩、思い立ってキアヌ・リーブスとキャリー・アン・モスの映画「マトリックス」を見始めた。「バグワンと私」を本にした今、この映画は向こう側からわたしの気持ちを探索し解き明かしてくる可能性をもっている。
これは、「真に目覚める」ことで「マトリックス」という電子化された仮構の「現実」から脱出し、かつ機械的幻影世界と死闘をくりひろげる映画だ。
自分が生きて暮らしている現実が、じつは危ない「 幻影の夢」ではないかと感じかけている者は、目覚めたい、脱却したいと思っている。そのための「何か」を「待って」いる。
現実と思われている二十世紀社会でサラリーマンであり天才的なハッカーでもある「アンダーソン」または「ネオ」と呼ばれるキアヌの演じる青年は、たしかに、この現実社会・世界が、巨大な「電子的仮構つまり幻影・夢」であることに気付いて、覚めたいと思っている。そして機会あって、ついに「仮構の現実マトリックス世界」から脱出する。モーフイス、またトリニティなどと呼ばれる脱出を手伝った者達は、この「ネオ」と呼ばれる青年を、偽りの世界から真の世界への「救世主」として待望していたのだ。
この映画は三部もあって、長い。高度にサイエンスフィクションでありながら、宗教性というフィロソフィーを内包している。基督教が下敷きのようであり、仏教的でもある。ル・グゥインの『ゲド戦記』の思想や思索とも通い、バグワンの講話とも通底するものを濃く持っている。それで、わたしは、大事に思う印象的な映画の五指の中に、「マトリックス」をいつも入れているのだ。
* 第一部を見終えた。不思議なしかも烈しい映画だが、壮絶な「神話」の趣でわれわれの「現実」を根底から批評的に覆し、真実人間として生きようといかに自覚的でありたいかを此の「マトリックス」は憎いほどシャープに描いて感動させる。自覚の真は、また芯は「愛」である。そういうところにも人の子イエスやゲドや、またバグワンに聴いてきたことが生き生き甦る。二部も三部も期待に背かぬはずだ。
* 六月がついに終わる。
2011 6・28 117
* 晩、もう一度映画「マトリックス」の一部を観た。丁寧に観た。ティロパやバグワンに聴いているような映画だ。いまの今、わたしも「仮想現実」を生きている。そう思える。
2011 6・29 117
* 夜前、おそくまでかけて映画「マトリックス」三部まで見終えた。この激越かつ真摯に美しい未来神話劇にあらためて敬服し感銘を受けた。われわれの仮想現実をマトリックス=コンピュータ支配のプログラム世界と見極めたフイクションの凄み。そこからの自由の獲得に、宗教ではない宗教的な「愛」の真実をうたいあげている。穏和な画面を愛好する人たち、わたしでもその内であるのだが、猛烈に機械的なアクションの凄みもやはり映画的達成の一つになりきっていて驚く。
この映画を、文学でいえば、『ゲド戦記』や『イルスの竪琴』や、またパグワンの講話などと同次元に並べて思っているのが、わたしの理解であること。書き記しておく。
2011 7・1 118
* ふしぎなほど、この歳になって、昔風に謂えば机に向かって、実際には機械に向かって、書きつづけたり書き直し続けたり読み直したりする仕事が、向こう先が見えないほど目の前に山になっている。目の疲れ甚だしいが、これですることが何もなかったらかえって雑念に追いまくられるだろう、わたしは仕事に熱中しているときは意外と心静かでよけいなことは忘れていられる。妙な精神安定剤よりも遙かに仕事が効く。とはいえ、ワーカホリックではない。仕事に名誉心も射幸心も拘泥すらも無くて、イヤな不愉快な仕事であるときすら芯のところで楽しんでいる。まして積極的に踏み込んでいる仕事だと気は静まって晴れている。不思議である。
今日も、思いがけないちょっとした発見から、気合いの入った仕事を一日中続けられた。
だが、もうやすまないと本当に目を痛めてしまう。と、云いながらやすむといってもまだ十時半だと、呑んで、映画を見るだろうか。今日、吉備の人の有り難いいつものお心入れの名酒を頂戴した。京都の、気のいい「樅」のちいチャンから夏のご馳走を送ってもらっている。彼女のお店には、島尾伸三も連れて行った、甥の恒も猛も連れて行った。三人ともむちゃくちゃカラオケ上手で飲みっぷりよかった。わたしは、呑む一方で歌わない。
で、今みたい映画は。もう一度、「マトリックス」の第三部が見たい。
2011 7・3 118
* 所用を気に掛けながら、二日間見遁していた北大路欣哉の「子連れ狼」を今朝は観た。国家での仰山で純真を欠いた、私心まるだしの喚きから離れ、この連続ドラマはわたしの魂に触れて粛然とさせる。作がうまいのへたのという問題ではない、拝一刀の「冥府魔道」という道行に最も心惹かれて、わたしは剣とも刺客ともなんら関わりないけれど、彼の無心と静寂とに叶う限り同行したいと願うのである。或る意味、私の歩んできた七十余年歩みそのものも「冥府魔道」の道行であった。それを暗くも威くも解釈していない。道徳だの正義だのといったラチもない俗信を離れて離れて慌てず歩いて行くということ。
今回下巻の六十二頁から六十九頁までのバグワンの言葉は、厳しい。「人格の第一の層」「形式や社交の層」つまりは心の籠もらない「ごあいさつ」で世渡りしている者たち。そして第二の「役割ケ゜ーム」に奔命するだけの人たち。
だが、バグワンは、わたしもと言っておくが、「ごあいさつ」という働きの効用や、「役割を分担」する働きや効用をなんら全否定などしていない。それにはそれの潤滑油としての、また義務や責任という働きが有る。
ただ、それだけで、「あいさつ」だけで、「役割」や「肩書」だけでしか生活していない人間の薄さや軽さや至らなさは覆いがたいとバグワンは見遁さないのである。
2011 7・6 118
* 生き生きとよく働いている。新たに加えた網野善彦の名著『無縁・公界・樂』の有り難さ、言い尽くせない。『ジャン・クリストフ』が、強く頼もしくなってきた。わたしは、ロランの小説作法にはいささかならずヘキエキするけれども、創作されている主人公の魂には深い共感・身内の思いを禁じがたい。クリストフや拝一刀のような男、映画「マトリックス」が描いたような真摯で清冽な愛、が好きだ。そうありたい。平気なウソやあいさつで繋がれたような当世風「付き合い」はイヤだ。
2011 7・6 118
* 十一時半まで「子連れ狼」を観てからは、おやみなく六時半ぎまで仕事していた。眼が芯から疲れている。
2011 7・7 118
☆ 秦恒平先生 梅雨明けの暑さ、本当にひとしおのものがあります。
ことしの夏は、本当に「厳しい」暑さで、気持ちが滅入りそうになってしまいます。
被災者の方々のことを想えば、そんな弱音を吐いてはいけないと思いながらも、気温のみならず、放射能のことや、政治のことを考える度、「厳しい」暑さだと嘆息しております。
この夏は、先生も奥さまも、くれぐれも例年以上にお体を労わられて、大事にお過ごしになられてください。心からお願い申し上げます。
さて、すっかりお送りするのが遅くなりまして恐縮ですが、私が担当しました「脱北者たち」のDVD をお送りさせていただきました。「ぜひご覧ください」と言える内容かどうかは、正直「?」マークがついている部分もありますが、久しぶりに単発の番組を担当いたしましたので、お疲れではない時にご覧いただければと願います。
脱北者の問題もさることながら、また色んな視点で、関西の、そして日本、世界の出来事や真実を追える番組を制作できるように、努力を続けたいと思っています。
東京にもお邪魔したいと思いながら、なかなか願いが叶わず残念ですが、お邪魔した際には是非、ご挨拶させていただきたいと願っております。
おかげさまで私の妻も妊娠7 か月日に入り、安定した様子です。先日の検診では、お腹の中の赤ちゃんの写真をもらって帰ってきました。顔の様子を見ていますと、妻にそっくりで、どうやら性別は女の子の模様です。しかし、ごつごつした手の感じは、私に似ているように感じました。とにかく元気に生まれてくれれば、と願っております。
この暑さの折、重ね重ねお体を大事にして頂きますよう、お願い申し上げます。
ひとまず、失礼いたします。 平成23年7 月11日 謙 卒業生
* 録画を失念してしまった「謙」君から、親切に録画盤が送られてきて、妻もともども恐縮し喜んでいる。今晩、仕事のあとで、ぜひ観せてもらう。
昨日からメールに書いているが、もうわたしは夏は暑いものと昔通りに思うことにし、なるべく暑さをボヤカないことにしようとしている。ただ、熱中症には厳重用意を怠らないと決めている。
わたしはもともと季節では夏が好きだった。クワアッと焦げるように熱い感覚を季節感としては愛しも記憶もしてきた。疎開していた丹波杉王での戸外の少年生活が、また京都では武徳会の水泳に通っていた頃の往還の熱暑体験が、のこりなく今に生きている。家の中の蒸し暑さなどがイヤだった。日盛りに出るのは好きだった。いまでもよく「黄金」「黄金色」と書いて「きん」「きんいろ」と好んで読ませているセンスには真夏の灼光の色彩をよろこんでいた好みが働いている。そう祇園会の神輿渡御。あのお神輿の「きんいろ」にはいつの年も感動していた。
2011 7・12 118
* 昨夜は、階下に下りて行くと、妻が海外映画を観ていた。途中からだったが、静かに佳い作品だった。青春の恋を再現して行く老境の夫婦愛に感動した。
わたしは気がよほど若いのか未成熟だからか、今でも多くの物にも事にも人にも感動し、実感のあるいい涙にも恵まれている。
秋山駿氏の『「生」の日ばかり』を観ていると、映画にも感じない、昔の美しい女優にも感じないなどと、老朽した自身への嘆息だか諦念だかに満ちているようだが、しかもこの本の表題にもうかがえるように、氏は、文学青年の口吻や行文を脱していない。志賀直哉にはそういう気障が皆無だった。「生」と書かれるといまどきは「ナマ」と読む人が多いし、「日ばかり」を「日計り」と読み取る人は極少で、「日ばっかり」と受け取るだろう。なんだか生ビール賛歌のようだ。「死の間近で」のように意の通る率直ではいけないのか。
☆ バグワンに聴く。
おまえがあまりにも心にとらわれているとき
おまえは言葉しか聞こうとしない
それではそれはコミュニケートされえない
しかし、もしおまえが全く心にこだわらなくなれば
そのとき言葉に伴っているとても微妙な影──
とても微妙で
ハートだけがそれを見ることのできる不可視の影──
意識の不可視のさざ波──
波動}(ヴァイブレーション)──
それが伝わりコミュニオンはただちに可能となる
これを心にとるておきなさい
馬鹿なことを言ってはいけない!
いまだかつて理論が人を真理に導いたためしなどありはしない!
* テレビの前へ行こう。
2011 7・12 118
* 「脱北」し日本で苦闘し、呻きながら歩一歩を前向きに気張ってはる人たち、支援し続けている人達の「生き抜く」葛藤の至難とかすかすな希望と、もっともっと必要な「日本」という國と人からの手助けや施策・対策。それなくしては実は拉致被害者の救出・受け入れさえも出来ないのではないかという懸念の底暗さを見せつけたドキュメンタリーを見せてもらった。
「謙」クン、ありがとう。
* わたし自身の反省であるが、西欧の歴史も、中国の歴史も相応に興味も関心ももって勉強し立ち向かってきたのに、朝鮮半島と人達のことには、あまりに意識が薄く届いていなかった。「三韓」というぐらいしか知らず知ろうとせず、高麗、百済、新羅の位置関係は分かっていたも、それ以下のレベルでは都市の名も地名も社会構造も、まず全然というほど知りも知ろうともしてこなかった。だから「イ・サン」という宮廷劇を観ていても、じつはどの時代のどの國のドラマとすら的確に言えなかった。時代物には好奇心を満たす何かがあるが、現代ドラマや現代映画には見向きもしていない。現代の朝鮮半島人の文化や技術や政治にも知識をまるで求めてこなかった。
恥ずかしいことだと思いかけていて、兎に角も朝鮮半島史を現代まで通読の機会が欲しいと思いつつ、いい機会をもてていない。なにしろ著明な朝鮮半島の史上人の名前をと問われても、明確には、一人も言えないわたしである。近代へ来て、大統領クラスの名前がやつと数人。芸術家も文化人も学者も知らない。最近では二三の俳優や女優の名を記憶したばかり。ハン・ジミン。パク、ウネ。もうあとは出ない。
わたしが例外に属するのだとしたら恥ずかしいし、一般だとしても恥ずかしい。それでいて、わたしは愛しいヒロインの名で長篇の『北の時代 最上徳内』に「キム・ヤンジァ 金楊子」を書いている。わたしの書いてきたヒロインたちの中でもキム・ヤンジァへの愛はただごとではない。
2011 7・13 118
* とってあったヒッチコックの「ロープ」は彼監督作としては駄作だった。
2011 7・13 118
* ノーカットの映画「グラン・ブルー」が観られる。愛する映画の五指に入れている。
2011 7・18 118
* 昨日、今日、「子連れ狼」再映は、とても立派だった。
わたしが「子連れ狼」を敬愛するのは、昔は萬屋錦之助だったし十分立派だったが、今の北大路欣哉と「大五郎」クンの佳い実在感に信頼を寄せているからだが、それ以上に、この映像の、国崩しの実悪「柳生烈堂」に表現されてある「陰険を極めた国家を負うた権力悪」を心底憎悪しているからだ、わたしのその憎悪に見合う抵抗と闘いとを、孤独なしかも愛し信じ合う父と子とが徹底的に闘い抜いているからだ。立派だ。
文学の純潔な達成としては一抹の留保を禁じがたいまま、なお、漱石や藤村や潤一郎とならべてまで松本清張の名と作とをよく口にし書いているのも、彼の作に、もこの「憎悪」か煮えたぎっているのを貴く懐かしく思うからだ。
* どうしても「松本清張」の氏名が思い出せなかった。あんなに人の名は多く永く正確に記憶できた昔編集者のわたしが、近年、しばしば絶句してしまう。当然のことと気にはしないが不便はある。 2011 7・28 118
* 島田紳助がやくざないし暴力団との「関係」を、所属する会社に密告され、「引退」を声明したという。詳細の我々に知れるわけはなく、ただただ彼の藝人としての才能を惜しむ。図に乗っている感じはあっても、実力で上り坂にある者にはありがちな威光といえば赦せる範囲内にあり、彼の記者会見での弁明を聞く限りでは、わたしなどは、出る杭として仲間内に脚を引っ張られたかと想う。それが人の世の俗なサガであるにしても、密告者は軽蔑に値する。紳助は反省謹慎の上、すみやかに復帰し活躍していいのでは。
* 自身本命の「仕事」に打ち込みもせず、暗闇に首を突っ込んで人のアラサガシと密告に奔命している連中ほど情けないものはない。なんと薄暗い世界だろう。アラがあるならまだしも、そんな事実の無いところで、中傷や捏造や誤解にももとづいた密告にいそしんでいる者達の哀れさ、気の毒さ、堪らない。
紳助の場合、深甚の世話になった人へ歳末ごとに礼のメールを送っていただけであるという。そのメールとやらが問題にされている。メールの宛先が、筋合いの有力者だと謂うことも問題にされている。後者についていえば、日本の国は社会構成上その筋合いを謂わば遅くも近世から今日まで存続させており、必ずしも排除してこなかった。ひろくは、網野説の「無縁・公界・楽」の流れからも無縁でない。かつては藝人・藝能人が広義にその範囲内で生きてさえいて、今日は完全に無縁などといえたわけでない。だからこそ所属させていた会社はあえて「違法」と切り捨てたのだろうが、わたしは藝能人の場合、一にその人の才能を問題にすべきだと考える一人である。それはある種の差別ではないかと謂われても、動じない。島田紳助の藝は、チョッコラチョイのタレントでは追いつかないこと、「お宝鑑定団」の司会ぶりだけでも分かる。
要するに卑怯な人間が介在したのである。
そういうのは、素人衆の世間にも、まま存在して人に迷惑をかけてくる。前外務大臣の近所の小母さんからの「五万円」辞任なども、わたしは、あれに限って謂えば、大切な外務大臣を投げ出すべきではなかったと考えてきた。ほじくり出した連中の俗心をむしろ軽蔑した。紳助も「美学」など持ち出すことはない、ほとぼりが冷めたら藝達者にまた顔をだせばよい。
2011 8・24 119
* 一夜、中途で起きることなく、痛みは感じながらも朝まで安眠できたのは何より何よりであった。
* 建日子作・演出の秦組公演を失敬し、妻と、やす香のお友達とで観てもらった。幸い鎮痛剤がうまく効いて、二三時間、一仕事し、次の段取りまでたてておいて、階下で、篠原涼子が演じる建日子原作の刑事雪平夏見もの映画をひとりで観ながら白粥を主の昼食を取り、そのあとは、七時半頃まで眠った、妻が帰ってきたなと感覚しながらも寝ていた。かなりきつい頭痛を堪えたまま『江』と『トンイ』というドラマを観、鎮痛剤を水分たっぷりとともに飲み、二階へ来て「仕事」の続きを一時間ばかり。冷房がいけないか、貸すかに腹痛が来ているので、もう休むことにする。
2011 9・18 120
* 妙な旅の夢と頭の痛みとを感じながら、二度三度起きたものの、長時間寝ていた。しかし起きてからも元気は湧かず、鎮痛剤のちからを借りて仕掛けた用事の相当量を、上書き保存を忘れたばかりに、すっかり元へ戻してしまったり。元気沮喪して意気は上がらなかったが、夕食後に奮起してみた映画「シリアの花嫁」の感銘に背を押されて、また同じ用事を繰り返して、やっと半ば。
2011 9・19 120
* バグワンに聴く。 『黄金の華の秘密』より
スワミ・アナンド・モンジュさんの翻訳に拠りながら。
人間は機械だ。機械に生まれついたわけではないが、機械のように生きて、機械のように死んで行く。社会によって、国によって、組織化された教会や寺院によって、既得権益を有する者達によって、比喩的に謂うのだが、催眠術にかけられているからだ。社会は奴隷を必要とする。社会の一員となり文明を身につけるプロセスというのは、すべて深い催眠術に他ならない。
おまえは自分の内にある肉体以上の何かを知っているだろうか。生まれるよりもまだ先に自分の中にあった何かを観たことがあるだろうか。
人間は不死の存在たりうるが、肉体と同一化しながら生きているために、死に囲まれて生きている。社会はおまえが肉体以上のものを知ることを好まない、いや許さない。社会が興味をもつのは知能も含めておまえの肉体だけだ──肉体は利用できるが、魂は社会のためには危険なのだ。魂の人はつねに危険なのだ、なぜなら、魂の人は一個の自由人だからだ、社会は彼を奴隷に貶めることが出来ない。魂の自由人は単に機械である人間達がつくりあげた社会、文明、文化の構造に拘束されない、拘泥しない、それらに仕えねばならぬとは考えない。考えないで済ませうる自由を生きている。それらのものが謂わば監獄であることを本質的に見抜いている。彼は群衆の一部ではありえない、彼は個として存在し、それらの監獄様のものをべつの生命として個のために活かそうとするしそれが出来る。
肉体は機械化した群衆の一部だ。だがおまえの魂はそうではないし、そうであってはならない。その魂は自由の香りを帯びている。
社会からすればおまえが魂であろう、魂を得よう観ようとし始めたら、たいへんな危険だ。社会はおまえの生のエネルギーがただ外へ外へ流れ続けて欲しい。金や権力や名声や、そういったものに興味を持ちそれらに奉仕し跪いていつづけて欲しい。社会はおまえが生の内側に入って行くことをどうかして妨げたい、そしてその最良の方法は、自分は内側へ向かいつつある、入りつつ有るという偽りの仕掛けをおまえに提供することなのだ、ここに、じつに難儀なトリックが無数に考案される。はっきり言う、巧妙で偽善そのものの落とし穴、罠だ。観てごらん、どんなにそれが多いか。
* わたしは映画「マトリックス」をありあり想い浮かべる。
2011 9・29 120
* 昼過ぎて、中国映画『胡同のひまわり』を観た。秀作であった。建日子の父親として、母親として、また朝日子の父親として、母親として、胸をつかれる秀作であった。
2011 10・13 121
* 好きなメル・ギブソン主演の「パトリオット」 アメリカ独立戦争映画を観た。愛する家族を守るために闘い抜いた勇士の壮絶な物語で、以前にも観てよく憶えていたが、感動できた。彼の映画でいうと秀作「ブレイブ・ハート」にならぶもの。以前に観たころにわたしはアメリカ史を夢中で読みはじめていた。イギリスやフランスの帝国主義に追随していったアメリカはどうしようもないが、独立戦争から憲法制定の頃のアメリカには若々しい理想主義が漲っていた。
2011 10・15 121
* 坂東玉三郎の「はなし」を妻と一緒に聴いた。この役者と同時代を過ごせたのを感謝している。いつ頃かまではほとんど歌舞伎に見向きもしなかった妻が、もう十数年か、いまではしんから歌舞伎を楽しみにしている。一日中芝居小屋にいすわっていられるだけでも、じつは、そうラクでないのに、つい先日もまだ昼夜通しでしんから楽しんで来れた。いつまでも、こうありたい。
2011 10・22 121
* 小津安二郎の最後の作「秋刀魚の味」をほろ苦く、しみじみと観た。「秋日和」の裏返しのよう。柳智衆、岩下志麻。花嫁衣装には泣かされてしまった。
昨日はブルース・ウィリスの「ダイハード3」を観た。好きなシリーズだが、小津映画の方がわたしには上等であった。ぴったり来た。
「赤毛のアン」が佳い。こういう子を無心に身のそばに見たいと、また泣いた。
2011 10・24 121
* 映画「スターリングラード」を観た。以前にも観ている。ジュード・ロウとエド・ハリスとが演じる、ソ連とドイツのスナイパーが、歴史的なスターリングラードでの猛攻防のさなか、死闘を演じる。それだけではない、恋愛もみごとに描かれ、残酷なナチスの暴虐も、過酷なソ連の反攻も。屈指の戦争映画の秀作として記憶にあり、感動を新たにした。
映画がみごとな藝術として作品を成し遂げうる証左の一つ。
2011 11・8 122
* 気が付くと、明け方の四時過ぎ。朝刊を配るバイクの音がしていた。夜前に、あのデビッド・リーンの名作映画「戦場に架ける橋」 に見入っていた。アレック・ギネス畢生の代表作だろうか、早川雪州もウイリフム・ホールデンもいい仕事で、弛みない劇的な劇映画、画面に「説明」がまじらず全てが繪として表現されていた。もう四度も五度も観てきたのに、面白かった。懐かしくもあった。
それから床に就いて本を読み始めた。十五冊。どれも面白い。案の定、角田博士の平安時代の「女」論攷が読ませる。
光源氏は、若い柏木を、ほとんど睨み殺してしまった。
おしまいにファンタジーを四種類、次々に。最後はトールキンの『指輪物語』、数百頁の大冊のもう頁は残り惜しくなっているのに読みやめられない。大冊がもう五冊つづくらしいが、その五冊は、明日明後日にもどこか街の書店へ買いに行かねばならない、あるいは図書館に借りに行かねば。 2011 11・9 122
* 大河ドラマの「江」を続けて観ている。一つには、江の三度目の夫徳川秀忠が出てくるから。
家康と三代家光とは昔からもてはやされたが、二代秀忠は、いろんな理由もあるが、あまり賑々しくは持て囃されなかった。しかし徳川三百年を堅固にかためたのは秀忠であり、明らかに「秀忠の時代」という認識で近世の視野をもたねばならない面が有る。わたしのそれは久しい見解であったから、秀忠夫人「江」が主役のドラマにも注目したし、以前にもあった大河ドラマの「葵三代」記にも注目していた。
以前の秀忠と今回の秀忠役とは、天地ほども印象がちがう。どっちがどうとドラマの秀忠を論評はしないが、昔に書いた『秀忠の時代 近世の視野』をなんとなくここに再録しておきたくなった。
2011 11・11 122
* 夜前、映画「火宅の人」を観た。初見。なによりも原田美枝子、石田あゆみ、松坂慶子という女優陣の顔ぶれに魅され、急いで録画した。
檀一雄さんは最も懐かしい作家のお一人で、顔を合わせ言葉を交わしたのは、桜桃忌の会場で只一度だが、そのとき檀さんの方から大きな暖かい柔らかな両手でわたしの手を握って親愛の笑顔で陽気な声で話されたのを、忘れない。ゆったりと大きな人だと感じた。当時はまだ『火宅の人』連載には時間があった。わたしの印象では『リツ子、その愛』『リツ子、その死』の作家であり、なんだかミス・マツチであるが『石川五右衛門』の直木賞作家だった。
映画は、非常に優れていた。太宰治の破滅的な女との愛欲には、人間性を鼓舞するなにも無いが、檀さんのそれには本質の人間裸形が衒いも誤魔化しもなくあらわれ出ていて、不健康でない。むしろ弱い人間を健康に勇気づける誠が受け取れた、男からも女からも。
映画「男はつらいよ」フーテンの寅さんは、檀一雄の境涯が限りない憧れでありながら、不可能の金縛りに遭っていて、映画を見る人はそこに憐れを思い、清潔をすら幻想していわば模範のように喝采し受け容れてきたが、どこか大多数派の行儀の良さに「モラル」という繪模様が掛けかぶせられていた。幸福に背を向けた不毛に近い行儀であった。大勢のマドンナ達のかなしい寂しいほおえみと、「火宅の」女達の裸形の幸福とには天地の差がある。
いまや、檀一雄はいない。文壇にも日本の社会にもいない。いれば、それは暴力的な犯罪へだけ陥って行く業欲関係に過ぎない。
原田美枝子の演じた女も松坂慶子の演じた女も、 女以上の一人の人間存在へ手を掛け足を掛けて独り立ちしていた。自身も自身の悟りで立ち、男も立たせていた。思えば無頼きわまりなしと見える男が、女を性の極致から実にウソイツワリない菩薩のように立たせていたのである。
2011 11・13 122
* 塚原朴伝という名前は、剣客の祖の一人として宮本武蔵や柳生但馬などより先に覚えた。どちらかというと、猿飛佐助や霧隠才蔵らと一類のやや不思議の部類に属していた。
堺雅人が朴伝・塚原新右衛門の美しいほどの太刀筋を演じてみせるのに感心している。彼は前に新撰組沖田聡司を演じたのでは無かろうか、笑みを含んで見えすぎる表情は難であるが、これほど大刀や木剣を美しく使える剣士役は珍しい。
2011 11・13 122
* 独りで留守のうちに、チャップリンの企劃・製作・脚本・監督・主演の映画「ライムライト」を観て泣いていた。壮烈な、優艶なラスト。クレア・ブルームのテレーズもよかった。チャプリンの息子も出ていて、それにも泣いた。
2011 11・14 122
* もう一度映画「火宅の人」を観た。男と女とが、まさに打てば響いている。昨夜遅くにみた「ココ・シャネル」にも近いものを感じたが、ココが人生の悔いには、打たれて響き損ねたためらいというものを感じた。いくら打っても打たれても響かないのが「寅さん」だったと、やはり思う。男が曇っている。檀一雄原作の映画での「桂一雄」は、からっと無垢だ。一度しか逢わない現実の作家檀一雄に、もわたしはそれを感じた。
2011 11・17 122
* 大河ドラマの「江」は、家康と秀忠、秀忠と後の家光との間をうまく斡旋して、妻である江の、また母である江の聡明さ優しさを巧みに表現していた。納得させた。
2011 11・20 122
* 今日ぐらい、探秋の外出をと願っていたが、すこし残りの仕事に手づまりが感じられ、可能なら、本の出来て届く前一日二日の余裕が欲しくて、外出を断念。
昨今、日曜の晩というと、手作業半分テレビを観ていることが多い。六時の大河ドラマ「江」にはじまり、韓国の時代劇「トンイ」それに山田監督選の日本映画(昨日は「シャル・ウィ・ダンス」)や、やはり韓国時代劇「イ、サン」など。
「シャル・ウィ・ダンス」は二度目を観てなお深く惹かれた。とても割り切れない澱のような後味の残るのが、作の、品にも力にもなっていた。
政治向きでは今は「原発・放射能危害と日本の今日・未来」にのみ専ら視線を集中している。
2011 11・21 122
* 昨日録画しておいた大河ドラマ「江」の最終回と韓国の「トンイ」とを観た。
「江」はおおらかに、少し甘く締めくくった。最初の頃は眉を顰めていたが、勝家と市の最期あたりから、つまり三姉妹の運命が必然味を帯び始めてからは、そして秀忠が登場してからが、歴史自体の迫力に推されて面白く進んだ。一つには宮澤りえ、水川あさみ、そして「江」の上野樹理の三姉妹それぞれが役をしっかり把握していた上に、秀忠役が嵌った。どうなるか知らんと観て行く内に、父家康との心理的な葛藤をねばりづよく双方から解いていった勢いの中で、わたしの説いてきた「秀忠の時代」「近世の視野」が、 細切れの説明ながらも画面に現れてきた。前回から終回へ、ほぼ私の想い描いてきた( もう少し呵責ない批判も持っているが、) 秀忠像に近づいて、かなり納得した。十一月十一日の日乗に、その「秀忠の時代」を再掲しておいた。
2011 11・28 122
* 久しぶりに、残して置いた以前の機械で、VTRの映画「トゥルー・ナイト」を観ている。ショーン・コネリーのアーサー王、ジュリア・オーモンドの王妃グゥィネビア、そしてリチャード・ギアのランスロットという、わたしの好きな伝奇歴史映画。この作でのリチャード・ギアは好きになれないが、王も王妃もまことに嵌り佳く、超歴史的な美しさに風格を添えている。
和室で倚子に腰掛けて、映画専用機になった古いテレビを楽しんでいる。好きなときに好きなところで中断して、また「つづき」が観られるのが気楽。
そして見終えた。以前に観たときより深く感じ、終盤感動を覚えた。王城キャメロットもアーサー王も立派だ。わたしはよくよくこういうファンタスティックな世界が好きなたちらしい。かといって秋聲も直哉も善蔵でも磯多でも感動できる。佳いものが佳いというだけの話だ。それでもやはり伝説や物語は好きなのだ。やすい読み物は唾棄するが、よく出来たツクリモノの、絵空事の不壊の確かさには心より惹かれる。
2011 11・29 122
* もう忠臣蔵の番組が始まっていた。夜の韓国ドラマ「トンイ」「イ・サン」昨日の回が両方とも力が入っていた。今回吉右衛門の忠臣蔵は遠慮することに。
2011 12・5 123
* 夜九時から十一時前まで、秦建日子原作・脚本の二時間テレビドラマ『悪女たちのメス』(原作『インシデント』講談社文庫)を観た。原作の文庫本は読んでいない。
仲間由紀恵と瀬戸朝香とが、優れた脳外科医と、元ナースであった現在メディカル・コーディネーターとして、フクザツに対立する。背後に、大きな医療経営資本の黒い策謀と暗躍とがある。すべての犠牲かのように祭り上げられるのは、執拗な頭痛に悩んでいた女子高生「さやか」であり、難しい脳手術の執刀医として仲間由紀恵演じる優れた脳外科医を熱心に患者に勧めるのが、瀬戸朝香の演じるコーディネーターである。この女子高生には、いましも海外留学に見送らねばならぬ先輩の恋人があるばかり。親は、父も母も手術当日も他の日にも忙しい仕事を口実に、付き添いにも見舞いにも来ない。女子高生「さやか」は孤独感にもうちひしがれていて、死をすら受け容れようとしていた。そして、見事な手術成功とみえた直後、病室で「さやか」の容態は急変し死んでしまう。
* 息子の書いたドラマは、ほとんどあまさず観てきた。連続ドラマには、『ドラゴン桜』『ほかべん(=新米弁護士) 』『ラストプレゼント』など佳作もあったが、単発の二時間ドラマとしては、今夜のこその秀作ではなかったか。構造的に今夜の作はもっとも堅固で、無用のたるみなく、緊迫し展開し意表に出て、提示している医療と医療過誤と病院経営などの孕んだ社会悪にも、厳しく逼ろうとしていた。ためらいなく、意図的にも、表現としても、総じて秀作の域に逼っていた、いや秀作だったと褒めていいだろう。画面が無機的な冷たさをもって美しく、ムダのない的確なシーン展開にも、ここちよい速度感と説得力があった。むろん、脳に異常のある患者が、頭髪をもったまま手術台に上がっていたりするらしく見えて、はらはらもしたけれど。
* 大事なことは、反撥し合う仲間も瀬戸も、むろん恋人の先輩も、ドラマの根底では、「さやか」という患者の「命」に熱い意識を向けてはいた。だが、しかも仲間医師は、手術中に執刀医の場からはなれ、他の「大事な大物患者」の手術室に入っていたし、瀬戸コーディネーターは、隠していた大きな野心・意図のためには、「さやか」の命をすら悪意と暴行により、生け贄として見捨てる振舞いにまで出ていた。その背景には、病院経営者や資本家達のえげつない欲望が渦巻いていた。所詮、仲間も瀬戸も「金権力」の敵でありえなかった。
まして特徴的なのは、「さやか」の父も母も、命危うい難手術の、前にも後にも当日にも、極めて不自然なほど姿すらみせないというドラマの進行であった。脚本のミスではない、はっきりと意図された作の表現であった。病状に堪えかねてコーディネータの瀬戸を頼って相談に行ったのも、「さやか」の単独の頼みであった。親達は「忙しい」のだった。瀬戸や病院に「お任せします」であった。あげく母親が、娘の「心不全」と言い繕われた死亡診断の前で、「テレビ取材映像」としてまさしく遅ればせに、泣き叫んで見せていた。
原作は知らないが、このドラマに関する限り、娘「さやか」の命は、根から孤独そのものであった。かくも個人の命が風前の灯火のように孤独の冷たい風にさらされていたのでは、いかなる医学も技術も病院施設も、無意味に歪んでしまう。
じつに、そういうドラマなのであった。寂しい「さやか」は、結果として自殺していたのである。
* 科白も能く書けていた。格段に、じょうずになった。…、ホメすぎたかなあ。
* 瀬戸朝香の演じていたメディカル・コーディネーターとは、要するに、困惑している患者のために最も適切な医師を紹介するようなしごとである。事実として今日では存在している。
わたしは、医学書院で大童に医学看護学の企画者・編集者としておお働きしていた頃、全くこれと同じ意図で、「メデイカル・コネクション」という事業を興そうかと、かなり本格に妻と語り合っていたのを思い出す。それが可能だとわたしは確信もし自信すらもっていたほどだが、だが、やはり小説を「書く」方に本命の願いが強かった。「メディカル・コネクション」が、しかし、本当に出来るといいのにとわたしは真実願っていたのである。
そんな方面の脚本を、今日、息子が書いて実現しているのにもわたしは感慨があった。
2011 12・9 123
* 幕末尾張の殿様徳川慶勝の特集番組を、彼の写真家としての腕前なども通してたいそう興味深く観た。維新前の日本の危機を大きく救いえた見識。断行。配慮。あっぱれ大きな政治家であった。
いまの政治家は、まったく情けない。
2011 12・22 123
* 昨日、読売テレビで、東北一円の大震災・大津波映像を、声あげ息を呑む迫力でさまざまに編集して流していた。ついで福島原発の緊迫の危機に遭遇し次々に爆発して行った哀れ凄まじい安全管理の不手際と東電の無責任な狼狽ぶりを、実映像と場面再現とで見せてくれた。未曾有のまさに想いも及ばなかった危機に際会した菅総理らと、東電本社の情けない連中や斑目某氏ら安全委員会・保安院の専門家達の無能ぶりを如実に再現してみせた。
もっとも寒気のしたのは、もしあのとき東電本社の尻込み撤退により、既に二基爆発更にもっとの爆発は避けられず、その際の放射能物質の想像に余る大量汚染は、優に東京を含む関東平野から東海の大方に拡大するというシミュレーションを見せられたときだ。20、30、50キロ範囲どころか、要避難の人口は3000万人とシミュレーションは指し示していて、それはあの津波よりも以前に作成されていたシミュレーション映像だった。菅総理が断乎として撤退を、東電の退避をゆるさなかったのはあまりに当然で、正しい決断であった。あの際の恐怖感が、菅総理に、中部の浜岡原発停止を決意させたのは、当時わたしも再三再四繰り返していたように至当な、絶対的に必要な正しい認識であったし、ひいては「脱・原発」「新エネルギー政策」らに結びついて正しいのであった。
見るがいい。今、野田内閣はくるりと元通りに反転して、「原発温存」「なし崩し再推進」へ舵を取っている。野田内閣の姿勢にわたしは断乎反対する。
大地震直後、大きな爆発炎上事故があった。熾んに燃えた。だが鎮火すれば、ともあれそこまでの被害で済んだ。
しかし原発の爆発はそれで済まないどころか、永く永く永く放射能危害が目に見えぬまま人体や生物や土壌を冒す。
そして今一度言うが、狭小な日本列島、逃げ場がない。
* 今朝、TBSであろう、ともあれ賢人達の優良番組とわたしの認めている、関口某くんが司会、数人の識者達の討論番組が、日本の、世界の危機状況を、かなり説得力をもって分析し解説してくれていた。先進世界がこぞって生産ではなく金融主導の経済に走った結果として、富が1%の手に独占されて、99%が不平等感どんづまりの中へ、貧困と失業へ、追い込まれつつある。
かつては民衆の八割が中流を自任していた日本であった、いま、だれが信じられるか。金融と投機と利権と権力志向と。とんでもない悪環境をもたらした罪は、日本では、間違いなく自民党と結託した財界にある。裏返して追究すれば野党の無力に責任がある。
かりにもかつがつ三分の一を国会に保っていた社会党が、共産党も、いつしか労働者との共闘よりも憲法擁護のみにはしって、働くという意義を国民生活から擦り切らせてしまった。マスコミもチンピラ知識人も、利権や人気取りに走って、寄ってたかって野党つぶしに賢しらに奔命した。ホワイトカラーを意識した国民多数も、結局は金融政治と社会の海で無自覚に溺れたのである。
自分さえよければという利己心のツケが、格差拡大と不平等とに必然と化した。そして働きたい、働かねばならない人たちほど職と食とから遠ざけられる。貧苦ゆえの暴動世界へ、じりじりと動いていると感じる。この動き、安易に抑えてはなるまい。
2011 12・25 123
* 今日はTBS(毎日新聞系)テレビが終日、東北の大震災・大津波と福島原発の再検証番組を緻密に進めている。ぜひにも必要な報道であり、もう一度も二度も三度も繰り返し「あの時・時」を厳格に思い出して日本の未来を考えねばならぬ。
2011 12・25 123