ぜんぶ秦恒平文学の話

能・狂言・古典芸能 2011年

 

* 十日梅若の「翁」 十一日、松たか子の「十二夜」 そして俳優座の「リア王」も、大相撲も。
2011 1・4 112

* さて、 明日は万三郎正午の「翁」で清まわって来る。明後日は、むかし朝日子が学校の英語劇で演じた「十二夜」を、松たか子のコクーンで、初笑いしてくる。もう一度、 二日に吟じた戯れ句を上げておく。

松立てて卯の春の憂(う)はおもはざれ    遠

* 今度の裁判官呼び出しのためには、もう、何もアクセクしない。
2011 1・9 112

* さて能楽堂が無事、席を呉れるかどうか。券は貰ってあるが万三郎の翁で満席になるだろう。三番叟は誰だったか。ま、出掛けてみる。あすも渋谷。道中の読み本も有る。「翁」だけで失礼する。

* 最後尾に近いが視野の好適な席が取れて、万三郎の恭しい「翁」に満たされてきた。青木健一の千歳がキビキビと清潔で心地よく、野村扇丞の三番叟も颯爽としかも黒尉の面目おもしろげに、たいそう結構だった。誰よりも笛の栗林祐輔の音量と美しさ、目をとじていて世界の底から涌くようであった。大倉正之助の大鼓も騒がしくなくよく鳴った。舞台よりもわたし自身に或る揺らぎが絶えなくて申し訳ない気がした。翁や千歳や三番叟が瞬間こっちを観てくれるつどありがとうと感謝していた。
ロビーでお洒落に元気そうな堀上謙さんと新年の立ち話したが、そのままわたしは松濤の能楽堂を出た。雲ひとつない上天気。だが風冷え冷えと寒かった。よそへ立ち回る気にならず、例の「松川」で鰻をいかだで食べてきた。いい感じの酒器に代わっていて、一本。そのま往きの逆に渋谷から直通で保谷まで帰ってきた。

* 今日いう能は、古代中頃には猿楽といわれ、『新猿楽記』のような本が源平よりも以前に書かれていた。藝態には滑稽笑戯系のものと、翁などの祝福演戯系が共存していたようで、今日の狂言と能になぞらえて推量して好いのかも知れないが、どちらにしてもユーモラスな気味は今日の藝態よりはるかに濃厚で、それゆえに支持されていたようだ。
今日観てきた万三郎達の「翁」は厳粛に神秘の気配すら孕んでいたが、それでも三番叟の黒い翁殿には呪師の走りの藝も猿楽の笑いも祝福のすがたも入り交じっていた。素面の梅若万三郎は厳粛そのものであったが、白い翁面をつけて今日のご祈祷を舞いかつ念じてくれる表情には明らかに柔和な笑顔・愛敬がある。古絵図の翁顔は、超越の神秘を感じさせつつも明らかに福々しい笑みと諧謔の気味すら湛えている。
今日の能は「翁」を根源能にしている。二十一世紀のわれわれもそれを受け容れて推服している。歌舞伎で観る翁と三番叟も気分のいい物だが、能舞台の「翁」と比べれば、当然にも能の足もとにも寄れないと、これだけ歌舞伎好きでも何度観てもそう思う。だからこそ、年初の「翁」に清まわってきたいとわたしは願うのである。 2011 1・10 112

☆ 秦様   晴
万三郎師の「翁」をご覧になり満たされてきたとのHPを読ませていただきました。
以前から、「翁」については『清まはる』と書かれています文を読ませていただいています。
私は謡いの稽古をするようになり、師匠方の「翁」を年頭に観させていただく様になりました。
始めのころはその儀式性に付いていかれないような気分で観たこともありますが、重ねていくうち、新年の恒例のようでも、お囃子の調子にも気持ちが重ねられるようになり、新年を寿ぐ気持ちで観ることが出来るようになりました。
今年は「翁」を観ています間、ずーと「清められる」気持ちがあり、秦さんの詞を思い浮かべながら観ていました。
1月3日付けのMixiで「野宮」と「清経」の観能記の再記を読みました。野宮や清経の良さを分からせていただきました。
「清経」の恋の音取りは先月末、藤田大五郎師を偲ぶ会で野村四郎師と若い藤田貴寛師の笛で観せていただいたところです。以前浅見真州師で初めて観ましたときにも、身体に震えが来た様な覚えがあります。
やはり、能を観た時には自分の気持ちを記しておきたいと強く思ったのでした。
それで、今年の新春の「翁」に清まったと自分のMixiに書きました。
秦さんの詞を勝手に借用してしまったことになってしまいました。作家の方の詞を使ってしまって申し訳ありません。
ひとにそっと教えられました。
自分の言葉で書くことを大切にしていかねばなりませんでした。日も経ってしまいましたがお許しを願います。

* これは恐縮。「清まはる」はなにもわたしの発明した詞ではありません。「清まる」よりなにか一包み大きめに想えて愛用してきただけのこと。共感されたなら、自在に用いられて誰に遠慮の必要な物言いでもありません。
もっとも、「晴」さんは女性なので、一つ注を加えて置きますが、「清まはる」には潔斎してけがれをはらい心身共に清らかになった意味や、邪のないあかしをたてた意味のほかに、月のものの終わる、終えたの意味のあること。「そっと教えた」人はそれもご存じであったのでは。
清いは、ほぼ今日の美しいに重なることばだった。「清ら」は最上、「清げ」はそれに次いだ。源氏物語では「清ら」「清げ」の使い分けは厳格と見受けている。
2011 1・15 112

* 十月に梅若万三郎の古稀を祝う能に招いてもらっている。好きな「 融」それに「 卒塔婆小町」を万三郎は一人で舞い、さらに舞囃子で「猩々」も観せてくれるとは、すばらしい。観世清和の舞囃子、遊舞之樂で「菊慈童」もめでたくて嬉しい。狂言は「蝸牛」を野村万作。萬齋も演じるのではないか。楽しみ、 久しぶりに能の妙楽に遊びたい。
2011 8・19 119

☆ 「仏原」有難う御座いました。 晴
山下宏明氏の「妓王から仏原」を早々と「 e-文藝館= 湖(umi)」に。有難うございます。早速読ませていただきました。
先日観ました「仏原」の序の舞いに、妓王と仏御前の儚さを思い出しています。
「千手」も楽しみに待っています。
奥様の新しいPCでのご協力の恩恵に預かり感謝します。
来年のNHKの大河ドラマは「平清盛」とか。また別の面から平家物語を見ることが出来るでしょうか。

* 妓王も仏原も佳い能で、しかも清盛悪行の手始め。
だが、この女達、儚い存在であったろうか。物語り手も能の書き手も、むしろ稟烈に強かった女達と観ていたとわたしは読む、観る。この時代から伸び上がってくる藝の人たちの「無縁」のつよさに生きた、さきがけ のようにわたしは観ているが。
2011 8・22 119

* 来週は梅若万三郎の能「卒塔婆小町」「融」と舞囃子「猩々」という古稀記念の奮闘公演があり、また演舞場では通しの若手花形歌舞伎がある。「義賢最期」「京人形」や、ことに夜は猿之助四十八撰の内「當世流小栗判官」を亀治郎と笑也でやる。能も歌舞伎も演目よろしく、踏ン込んで出掛けたい。
秋から冬へ、見ものが集まり、嬉しい。
2011 10・5 121

* 明日、無事に万三郎の古稀能が観に行けるか、一寸心配。
2011 10・11 121

* かすかな違和感が後頭部にあるが苦痛と謂うほどではない。昨夜は十時頃には床に就き、零時頃目が覚めたので、二時間ほど十余冊の本を読んで、また寝入った。睡眠は足りたと思う。

* 千駄ヶ谷で、梅若万三郎の古稀記念能。盛り沢山で、全部はからだがもたないが、どれも魅力。「融」と「卒塔婆小町」、元気さえあれば二つとも観たいが。天気はいい。

* ぐっすりと午后中、床に就いて寝込んでしまった。能には行けなかった。からだの要求がそうであったなら、致し方なかった。
2011 10・12 121

* じわじわと頭痛。体疲労。着替えて、傘をさして能楽堂へむかう元気が無く、。

* しばらく陶淵明集を耽読。まさる妙薬なし。
床に就いて、読書。睡る方がいいのだが。
2011 11・6 122

* 今夕、世田谷で、野村萬齋が企劃した、市川染五郎や三響会の囃子鳴物の会に行く。「獅子虎傳阿吽堂」とは、いかにも日本の鳴り物のハーモニイを思わせて面白い。
高麗屋の心づかいで、最前列中央上手寄り角席。能舞台ほどに造った舞台から三メートルと離れていなくて、先ず、田中傳左衛門、傳次郎の小鼓、大鼓を軸に、今藤社中の三味線の入った「勧進帳」より「延年の舞・瀧流し」ではじまった舞台の、若々しい生気も景気も、瀧に顔を打たれるほど小気味よく全身で受けとめられた。愉快。
二つめ、野村萬齋の謡で、「八島」後の一調、能の亀井広忠(田中三兄弟の長兄)の大鼓。
謡はすこし筋張った。が、さすが広忠の真摯な大鼓のちからは聴く身をひたとゆるがせて、みごと、 心地よし。行儀正しい藝である。

* つづく「レクチャー」とやらで、田中三兄弟と、萬齋、それに市川染五郎五人が舞台に出て、倚子座りでのお喋り。
なにが「レクチャー」なのか、これは染五郎の律儀なサービスと行儀とだけがとりえで、物足りなかった。操り三番叟のはなしなど高麗屋の演技も含めた解説など適切で楽しめたが、さらには、「延年」とはどういう藝であるのか、また「八島」合戦で那須与一の弓に射て落とされた平内左衛門の子孫と名乗る人が、平成の今日にも、全く同じ平家の末裔「平内左衛門」を名のって山陰に現存されていることなど、もうすこしコクのある話題を用意して欲しかった。
それと三響さんたち日本語の、あまりの不明瞭に歯切れの悪いのにびっくりした。萬齋ですらよく話の中身が聴き取れない。玉三郎や藤十郎や三津五郎の美しい日本語でインタビューにこたえていたのを聴いて間がないだけに、舞台の上と客席との甘い癒着に甘えている気がした。その点でも、染五郎はサービスに意を用いつつ総じて行儀がよかった。人品であろう。
* 休憩後は、三響会版の「二人三番叟」で、萬齋が当然に能舞台の三番叟を、染五郎が歌舞伎の三番叟を、それぞれの囃子に乗じて、 渾然と溶けあい、かつ截然と藝風をきわだてて面白く舞いかつ踊ってみせてくれた。面白かっただけでなく、上手から登場の若き高麗屋は、ほぼ終始わたしたち夫婦の目の真ん前で祝言し、舞踊し、そして金鈴を振り、鳴らし鳴らして間近で祝福してくれた。七十六の誕生日もまぢか、そして「 湖(うみ)の本」 もほぼ送り終えて、なんともめでたい三番叟が嬉しかった。

* ひとつ不足をいえば、野村萬齋の三番叟顔の悪相なほど剣呑なのは、どういうつもりであろう。狂言顔がいまだに出来ていない。三番叟は翁能に直属の祝言藝である。どんなに烈しく地を踏みならそうとも、核心は祝言の藝であり、温和で平穏な世界を願っての、ま、種まきと謂えよう。あんな悪辣な形相で舞うものではない、ヘンバイを踏む祈りは祈りとして、自然にも人にも敦厚で淳和の円満相であってほしい。萬齋の三番叟は正月の「翁」能の舞台等で何度か観てきたが、元気なのはけっこうながら、めでたい福相で祝われたいのにと、いつもイヤであった。今日もイヤであった。だから二人で舞出すとわたしは染五郎しか観ていなかった。それには、座席最良であった、感謝感謝。

* 保谷から渋谷へは、副都心線地下鉄の急行なら、びっくりするほど早く着く。往きも帰りも急行に乗れた。
2011 11・27 122

* 梅若万三郎の研能会から来年度上半期の招待券戴く。一月九日に万三郎の「翁」、三番叟は萬齋。そして万作の狂言「佐渡狐」のあと、仕舞が続いて、能「羽衣」は万佐晴。
金澤の金田さんからも、海の幸が。
2011 12・19 123

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