* 十日梅若の「翁」 十一日、松たか子の「十二夜」 そして俳優座の「リア王」も、大相撲も。
2011 1・4 112
* さて、 明日は万三郎正午の「翁」で清まわって来る。明後日は、むかし朝日子が学校の英語劇で演じた「十二夜」を、松たか子のコクーンで、初笑いしてくる。もう一度、 二日に吟じた戯れ句を上げておく。
松立てて卯の春の憂(う)はおもはざれ 遠
* 今度の裁判官呼び出しのためには、もう、何もアクセクしない。
2011 1・9 112
* 今日は松たか子の「十二夜」を妻と楽しんでくる。菊之助の同じ「十二夜」を楽しんで以来。いや俳優座の何度目かも観た。串田和美の「潤色・演出」に大いに期待している。震えるほど笑わせてくれるといいが。
* コクーン、 絶好席を貰っていた。起ち居にラクで、視野は全面開けていた。
* 串田和美の「十二夜」は、震えるほど笑わせるのとはちがう仕立てになっていた。それで暫くアテの外れた思いをしたが、つまり平板な笑劇にしないで、嵐の航海に行き別れた双子の(と断らなくてもいい)兄と妹の慕いあう愛情を人間劇の芯に、その上で人が人を恋しく思う運命の機微をドラマとして展開させていた。
以前、歌舞伎の菊之助らは、徹底的に菊五郎演じるマルヴォーリオを嗤い倒していた。ことに亀三郎のマライアが弾けきって活躍し、亀ちゃんは左団次のサー・トービーらを引きずり回していた。菊五郎が徹して嗤われ役になりきっていてえらかった。
今日の串田潤色と演出とは、あの歌舞伎蜷川演出の生き方を賢明にはずして、笑劇を、運命劇として原作本来に近づけて展開させた。結果演劇として成功していた。成功へ導いたのは主役の松たか子シザーリオが、聡くも、主役顔して出しゃばらなかった優しさに依る。マライア役の荻野目慶子がもしシザーリオを演じていたら、「わたしが主役よ」という賢明の熱演で、えたいのしれない舞台にかき混ぜたかも知れない。だが、事実シザーリオは主役ではない、だから「主役」なのである。聡明な松たか子はよく心得て、とても心優しい役の理解を示し、それゆえに終盤へ来て、わたしを熱い涙に惹きこんだ。この天才的な女優の自然が、あのような演技と表現を実現したのだ、感心した。強引で臭い主役顔をされていたら、観られない芝居になる。
歌舞伎の菊之助も、くさいところは亀三郎らに好き放題に働かせていた。それで大きな笑劇として衝撃の舞台を成していた。
串田の十二夜は、笹野高史のアホウの演技力で、しっかりした科白で、もののあわれ、ないしは静かさとして舞台の下塗りをしっかりさせ、松たか子の愛らしさとこころよさとを「繪」として爽やかに浮き立たせた。それゆえに、 落ち着いた懐かしいフィロソフィが観客の、いや、わたしの胸にちゃんと届いた。
ひとつには、そういう行き方だから成功したが、もし歌舞伎でのような震えるほど笑わせる力業の芝居をするには、すこし演技陣が手薄であった。オーシーノにもオリヴィアにもマライアにもサー・トービーにも、いまいち大きさが足りなかった。串田のマルヴォーリオも、菊五郎の演じた破天荒なばかげた滑稽味には遠く及ばなかった。歌舞伎役者たちは凄いなあと再認識させた。
それでも、松たか子は光っていたし、 笹野高史にもいつもながら敬服した。串田潤色の面白みはしっかり伝わったのである。拍手を惜しまなかった。
* 渋谷で五十年前を通りすぎていた「くじら屋」で食べてきた。ウーン。帰りの副都心線、保谷まで寝ていた。妻がいなかったら乗り越していた。
2011 1・11 112
* 今夜九時から、秦建日子の新連続テレビドラマ「スクール!」が始まる。建日子のオリジナルと聞いている、刑事物や殺しものでないのも歓迎する。視聴率よりも、心ゆく作劇を期待している。続けてみてきた「イ・サン」と時間が重なるので、二台の機械で録画しておく。
昨夜遅く幸四郎の「カエサル」を放映していた。高麗屋の熱演、さぞ疲労しただろうと思う。それにしても彼の音吐朗々はかわりないのに、もっと若い連中が声を嗄らしているのは、これも歴然と藝の差だなと思わせた。娘の松たか子が「ひばり」というジャンヌ・ダルクの芝居で、信じられないほど大量の科白を全身全霊で熱演して悠々だったのに、新劇の男連中が声を嗄らしてハーハーしていたのにも驚いた。役者が舞台で声を嗄らすのはいただけない。
2011 1・16 112
* 俳優座に「リア王」を観る。いまいちばん観てつらい、かなしいシェイクスピア。めぐり合わせであろう。舞台の途中で怒声を発したくなった。終幕、声になって泣かされた。シェイクスピアの凄み。
あのトルストイは『リア王』に激昂した。トルストイもまたリア王と同じように三番目の娘ひとりに見守られ、小さな駅舎の中で孤独な放浪の果ての最期を迎えた。文豪の野垂れ死にというにちかい末期であったという。
* 全盛のリア王は三人の娘に父への愛を語れと求めて、上の二人は言葉を尽くして愛と忠誠を述べあげた。父王は王国の優れた多くを二人に直ちに分かち与えた。だが末娘は「言葉で表すまでもない無垢と無償の愛」を告げるのみであったため、父王は怒って何一つ与えず追放した。求愛していたフランス王は三女コーディリアの清質に打たれ、故国の皇妃として伴い去った。
王国を二人の皇女に分かち、二人の孝養に期待した老王は、ところが生来の権欲と淫欲と自己愛にのみ醜く支配された彼女らにより、無用の廃物として、嵐の荒野へ無惨に追い放たれた。
その父王を海を渡ってやっと救援したのは三女コーディリアであった。だが、姉達の手に不運にとらわれ、コーディリアは獄死し、王も又娘の屍をおおって事切れた。姉たち裏切り者にも逃れようのない報いがあった。
むごい芝居だ。だが人間を描いて極限を果たしている。安井修一の台本も舞台装置や効果も成功していて渋滞無かった。シェイクスピア劇を分かりよく納得させて見せる点では成功していた。
不満を一つ言えば、シェイクスピアの大きな把握と表現とを盛り上げる科白力は弱かった。朗々としビンビンする張りが弱かった。科白をもっと力強く聴く胸に叩き込んで欲しかった。
それでもわたしは泣いた。はばからず泣いた。俳優にも感謝してきた。
☆ お元気ですかみづうみ。
昨夜はメールを前にして頭を抱えて、何を申し上げてよいか言葉がみつかりませんでした。
深いお悲しみや疲労感をお察しして、涙しました。
もうこの状況はなるようにしかならないようですから、みづうみのお考えのように、今後のことが大事です。赤毛のアンの中に「人間、馴れれば首をしめられることだって平気だ」という諺が出てきましたが、馴れてお過ごしになる以外にございません。
娘さん夫妻が執拗にご自分たちの記事の削除にこだわるのは、みづうみが大きな文学者であり、その作が歳月の流れに耐える古典となり得ることを信じている証拠でもあるのです。
本来の生きる場所に戻ってこられました。作品があればあるほど、勝利なのです。裁判に関係なく、一つ一つの優れた作が、結果として他のすべてのみづうみの文章を守り抜くことになるでしょう。
この時期に『リア王』を観劇なさることには、天のはからいのような意味があると思います。
今こそ『ロミオとジュリエット』ではなく、娘難からご自身の根源に迫る『リア王』の悲劇を書かなくてはならないのだと思います。
どうぞお元気な毎日を。 菘
2011 1・19 112
* ゴールデンウイークの実感からは千里も遠のいてきた。むろん昔は嬉しかった。いま、サラリーマンや家族たち、無条件に永い会社の休みが嬉しいのか、有り難いのか。それも分からないほど世離れて過ごしているということか。
* わたしはもう生涯車の運転とは縁がない。車にはお金を払って乗ればいいと思っており、運転の楽しみは思い捨ててしまっている、不器用に怪我をしてはツマラヌと。
観劇と読書と、そして仕事。それで足りている。飲食も、なぜか日ごとにホンモノで無くなりつつあり、よほど美味くないかぎり感激は減っている。人に逢うことも無くなっている、むしろ無くしている。「外へ外へ人間」でなく、「内向きに」目の底の闇に沈透いていくのがいい。闇にほおっと光がさし染めますようにと。
それでも五月は四回も芝居が観られる。歌舞伎が三回、息子の公演が一回。それらを縫うように「 湖(うみ)の本」 上下巻の刊行へ着々足を運びたい。
2011 4・27 115
* 三好十郎作 長塚圭史演出の長時間演劇「浮標」を観た。昭和十五年初演というから太平洋戦争より以前、中国との泥沼戦争に陥っていたころだ、わたしは満四歳になっていない、もう新門前の秦家に引き取られていただろうか。
おもしろい演出ではあるが、演劇的というより小説の展開をひたと舞台に書き写したような段取りで、今の演劇作法からすると地味であった。死をマトモに身近にリアルに見詰めて煮詰めていった。感銘はあった。生真面目であった。
* 四月を、見送る。
2011 4・30 115
* 今日は、吉祥寺の前進座劇場へ建日子の秦組公演「らん」の再演を観に出かける。この劇場は、むかし、朝日子が盲腸炎で「二度」も手術を受けた病院のすぐ近所。あの時は暑い真夏、毎日のように自転車で保谷から見舞いに行ってやった。何人もの大きな病室の隅で、わたしは急ぎの書き仕事ももって行き、ベッドサイドや、また近所の昼飯を兼ねての喫茶店などでせっせと原稿を書いていた。編集者が病院まで来てくれたこともあった。自転車で疾走しても保谷からは遠かった。今となっては、ほろ苦い苦い思い出だ。 建日子が自動車にはねられたときも、関町二丁目の病院へわたしは自転車で日参した。朝日子の時は病院の手術ミスで腸捻転再手術となり、建日子の時は、高熱に外科病院では処置しきれず、日大小児科から救出に来てくれて転院し、事なきを得られた。あれも苦い思い出だ。
姉は高校生だったろうか。弟は小学校。遠いはるかな思い出だ。
* その弟が、「秦組」を率いて公演活動をもう十数年続けている。「らん」は小説本にもなっている。親達はすっかり年をとったが、苦心の「 湖(うみ)の本」 第107巻が、早ければ今日にも読者の手もとへ届き始めるだろう。
* 吉祥寺前進座劇場での秦建日子作・演出「らん」公演は、満員盛況の中で、かつてないほどの完成度で美事な舞台をくりひろげた、褒美の思いを加算すればかつてない「満点」の、大人の観劇にたえる仕上がった良い舞台だった。
我々夫婦の、東京での観劇体験は、ひょっとして数百回を優に越していようし、記憶も遠くなったのも沢山混じるが、今日の舞台は、実感において十の指を屈する中に入るほどの「傑作」になったとわたしは評価する。これまでは何としてもどこかムリして仕上げていた建日子の舞台だったが、すべて吹っ切れて、大人の観客の批評に堪え、舞台が舞台の独自の顔つきで破綻無く堂々と出来上がっていた、安心して見ていられたし感動した。中程で十五分の休みが入るが、その前場の終わるときに万雷というも大げさでない共感の大拍手が実に自然と出ていた。まず、そんな例は滅多なことで有るものでない。
舞台の上には誰一人も有名な俳優などいない、が、討入りの人数よりも多そうに若い肉体が舞台も花道も縦横に駆けめぐり、ハッスルして懸命に演劇を実現していた。
一言で言えば「叛逆」の劇画が、そのまま大音響のリズムを活かして、三枚腰の世界、王の世界、百姓の世界、地を這う者達の世界が血みどろの葛藤を実現しながら、ピュアな二つの「愛の劇」を成就していた。間違いなく秦建日子の最良の代表作に到達していた。わたしは、依怙も贔屓もなく高く評価して、恥じない。そしていささか鼻をうごめかすなら、一昨年の俳優座劇場の初演ではまだ煮え切らない舞台のママ、それでも、この脚本は、丁寧に推敲して再演すれば、必ず秦建日子の最高作として成功するだろうから、ぜひ実現するようにと作者を励ましておいた、その通りになったのである。
真っ先に拍手してきた。
建日子と握手して、「満点」と祝福してきた。
* 前進座劇場にほど近い井の頭通りの暖簾店で、上機嫌で鰹と鰺のすかっとした刺身盛り合わせ、白焼きのあなごで、片口に二合の石川県の菊酒の最上のを楽しみ、仕上げにうまい汁蕎麦を食べてきた。店を出ると降り出した雨、すぐタクシーを拾って家まで帰ってきた。幸いに朝に仕上げておいた発送の荷を宅急便が取りに来てくれた。
* 芝居ではもっと云いたいことがあるが、今日はやめておく。劇場は何百杯もの献花に溢れていた。篠原涼子、天海祐希、仲間由紀恵らの名も見えていた。河出書房の社長のもあった。「らん」は初演が俳優座劇場、満を持しての再演が前進座劇場と場所にも恵まれた。
亡くなった建日子姪のやす香にみせてやりたかった。建日子もやす香を念頭に書いていたと想われるのを否定しないだろう。姉の朝日子にも虚心に観てもらいたかった。もう一人の姪のみゆ希にもぜひぜひ見せてやりたかった、みゆ希にもこの叔父の舞台に立たせてやれたならと思う。彼女は姉のやす香以上に舞台で駆け回って発散したい方なのだから。
2011 5・26 116
☆ 「らん」折り返し。 秦建日子のブログから
秦組4「らん」。
順調に公演を積み重ね、昨日、無事に、折り返し。
ここまで、ほぼ満員御礼。
信じられない思いです。
吉祥寺(前進座劇場)でやると決めたとき、19時開演の平日は、集客は難しいだろうと思っていました。
稽古の途中で、
「休憩を入れて、3時間近い作品にしよう」と決断したときには、(吉祥寺で終演22時じゃ、ますますお客さんは来てくれないかも)と、正直、覚悟を決めていました。
それが、初日のマチネ・ソワレ直後からどんどんと口コミで予約が伸び、平日も―――それも、ソワレだけでなくマチネまで―――すべて満席に近い状態だなんて、本当に感無量です。
毎日、劇場の最後列から「らん」を見ながら、この作品をこんなに大勢のお客様と一緒に分かち合えている幸せを、いつも噛みしめています。
ご来場くださったすべてのお客様に感謝します。本当にありがとうございます。
そして、制作部のみんな。
キャストのみんな。
スタッフの皆さん。
感謝します。
ありがとう。
実は、今日あたりから、
演出家モードと平行して、一観客としても少しずつ芝居を楽しみ始めました。
「月影」に選ばれたわけでもないのに、それでも彼女のために体を張る「一影、二影、四影」の献身や、
最後、出刃包丁と竹槍で大殿様に突っ込む村女ふたりの裂帛の気合いとか、
「あー。このシーンを入れたくて再演したんだよな」などと思いつつ、彼らにすごく感情移入して観てました。
名もなき者たちの―――劇中、彼らは一度も名前は呼ばれない―――それでも爆発させずにはいられない「意地」みたいなものが好きなんですよね。
さ。
後半戦、気持ちを新たに頑張ります。
残り4公演、どうぞよろしくお願いいたします☆
* この成功は、初演のまだ生煮えのときからわたしは信頼していた。なぜか。
この「 叛逆」の劇は、必ずや人の胸を打つと。わたしの胸をバグワンが烈しく永く途絶えなく打つように。信頼に秦建日子は応えてくれた。徹底的な推敲の創意が爆発した。また若い劇団員や参加してくれた俳優たちが懸命に爆発していた。「劇」が実現していた。最も佳い意味で舞台は「劇」画を実現していた。難解のナの字も感じさせなかったのは此の作者としては大進境と言える。
2011 5・27 116
☆ 「らん」、無事、終わりました。 2011.05.29 Sunday 秦建日子
あいにくの台風日和でしたが、
「嵐」もまた「らん」ということで、
思い出に残る一日になりました。
14:05 にスタート。
休憩を挟んで3時間。
ダブル・コールの後、更に強くお客さんの拍手をいただき、
最後はスタンディング・オベーションの中、秦組4 「らん」 は幕を下ろすことが出来ました。
観に来ていただいた皆さん、本当にありがとうございました。
今、スタッフ& 村人・羅刹が、舞台セットのバラシを始めています。ぼくは、そのてのことは、実に役立たずなので、楽屋でブログを書いております。
思い返せば、
初演はいろいろとあり、
再演を決めたときにもいろいろあり、
稽古期間中も、本番中も、それはもういろんなことがあり、
なぜここまでして芝居を作っているのかわからなくなる程度のことは、しょっちゅうありましたが、
最終的に出来上がった芝居がよければいいんですよね。
途中経過はすべて些事。
今、千秋楽を終えて、その極めて個人的な目標だけは、達成できたかなと思っています。
あと、ぼくに残された仕事は、
撤収機材の積込み。
乾杯の音頭。
大入り袋をキャスト・スタッフにお渡しすること。
そして、機材運搬車を運転すること。
こんなものかな。
すべて終わってひとりになったら、
キャスト・スタッフ・そしてお客様に感謝しつつ、
一杯飲みたいと思います。
* 千秋楽 おめでとう、建日子。
この息子の述懐の、なかでも特にだいじな、これまでは聞いたこともなかった発語は、
「人生最後の舞台になっても悔いはない。そうきちんと思える作品を、今回はなんとしてもやるのだと思っていました。」 創作の「仕事」とは、こうなくてはならぬものと、父は教えたわけでないが見せもし聞かせもしてきた。彼自身の言葉でこう書かれているのを何よりも嬉しく思っている。
2011 5・30 116
* どんな暑苦しい夏七月・八月が来るかと思う。どうかして心清しくすごしたい。
* 九月には播磨屋の歌昇が三代目の中村又五郎になる。又五郎というと、わたしが初めて歌舞伎を京都の南座でみた子供の頃、初世吉右衛門が演じた籠釣瓶の舞台で、それはもう実直で忠義な下僕をつとめていて感心した。そして最期の最後の舞台まで観ただけでなく、何かのパーティの席で二人でしばらく和やかに立ち話したのも忘れない。温厚な好々爺であった。品もあった。
わたしは新たに又五郎を襲名する歌昇の颯爽として元気な舞台も、何時も好きであった。その新・又五郎が九月秀山(=初代吉右衛門) 祭の襲名狂言で「寺子屋」の武部源蔵を演じてくれるというのが嬉しい。めでたい。
十一月には高麗屋が初演以来400回を数えた傑作舞台の「アマデウス」のサリエリをやる。むろん、もう予約した。友人たちにも観てもらいたい。
2011 6・9 117
* 九月の秀山祭や俳優座稽古場、建日子の芝居など観られるかどうか、すぐさまには自信がない。
2011 9・5 120
* 東京は、颱風一過の好天、残暑の気配。払暁、頭痛の兆しに、起きて鎮静・鎮痛剤をのみ、九時半まで安眠した。 すこしずつ、平常の体調に戻しながら、遅れている仕事へ軌道回復したい。と云いながら朝からいい体調ではなかった。元気がなかった。それでも躊躇わず家を出た。六本木、俳優座稽古場でのチェーホフ原作「ワーニャ伯父さん」はわたしの一等こころを惹かれる戯曲、見遁すことは出来ない。
* 数重ねて観てきた「ワーニァ伯父さん」にくらべて出色の舞台とは言えなかったが、稽古場の密度の濃い空間に魅せられて感激というより「参加」の実感が楽しめて、なかでも大塚道子の「ばあや」はいっそ神品であったし、島英臣の元地主のハーモニカのしらべととみに狂言廻しを親しく静かに演じた宜しさにも胸を開いた。イヤな役回りの加藤佳男元教授セレブリャコフの演技も、突き刺さってくるエゴの放出感は観ていて身に堪えたし、またさもなくてはこの舞台は成り立たない。ベテラン三者、さすがであった。但し、なによりも林宏和のワーニャ伯父さん、また志村史人の医師アーストロフは、いま二歩も三歩もチェーホフの造形に力弱く及ばなかった。チェーホフの「時代」が背負い切れていなかった。
袋正の演出は、ことに前半でひとりひとりの男女が、みな「いま・ここ」に絶望して、百年二百年先に希望をかけつつちそれもとても信じ切れないどんづまり、ふんづまりの現実時空に息きれぎれにいきているしかない死んだような重みをにじみ出させ、そういう絶望的な素地の上へ後半舞台のやりきれない劇的状況を載せようとしていた。なんとかしてナントカして希望の意図一筋でも見つけたくて見付からないまま、ソーニャは死後の神の愛にすがろうと呟き続けるが、ワーニャ伯父さんも誰も彼も、神をすら信じられないでいるのは
明らか。無神論者チェーホフのこれほど残酷な悲劇は他にない。だからこそ、観客を惹きつけてやまない。
ややこしい存在は、教授先生の後妻、娘ソーニャの継母に当たる「美しすぎる」エレーナ。とても肯定も親愛もできない女だが、男ならだれもこころを誑されてしまう女。じつはこの女のドラマでさえあるような「ワーニァ伯父さん」でもあるから厄介だ。観ていたわたしもたらされていなかった段ではないので困る。
* 見おえてもう元気も何も抜け落ちていたが、あえて日比谷線で銀座三越へ入り、初めて新館十二階、昨日が開店という天麩羅の「ひさご」に入り、食べきれるかどうか自信ない体調だったが、あえて気張って贅沢し、「菊正」を三合飲んでむしろ具合の良くなかった全身状況を立て直した。おしいく好物をみな平らげてきた。妻も付き合ってくれた。
小雨の銀座一丁目から、幸い席を譲ってくれる若い人もいて、一気に西武線直通で帰ってきた。
すこしまたズキズキと頭が痛んできた。これで九月が過ぎて行く。来週の内には、漫然と一日でも町歩きが出来るほどだといいが、頭の痛みはまだ歴然と残っているし、ふくぶも安定しているわけではない。乗り越えて行けるだろうと期待しているだけの話。
2011 9・22 120
* 明日は、松本幸四郎演出・主演の『アマデウス』を楽しむ。
2011 11・17 122
* 銀座一丁目の「ル・テアトル」で、松本幸四郎が演出・主演の「アマデウス」を観てきた。一年のパリ留学を終えて帰国していた亡きやす香の親友を誘って、三人で観た。前から五列目の中央角席をもらい、主役のサリエリの悲劇の愚痴を真向きに聴き取るような按配。
去年の今頃は、同じ幸四郎の「カエサル」を観ていた。カエサルの死には積極的に時代や歴史を貫いて行く迫力があり、作曲家サリエリの「悲劇」には、宮廷社会の経歴にも地位にも名声にも恵まれた、しかし凡庸な才能が、奇矯に過ぎた若い天才モーツアルト出現に揺すられ脅かされ、はげしい嫉妬心に狂ったまま奈落へ沈んで行く「凄みの喜劇」がまつわりついていた。藝術の凄みが容赦なくふつうの藝術家を蝕むように滅ぼしてしまう喜劇的な悲劇。
幸四郎はそんなサリエリを微妙に造形して観客をよく説得していた。藝術に携わる作家の一人としては、暢気な顔をして笑いも泣きもならない嶮しい内容を帯びており、楽しい楽しむとばかりは云うて向き合いにくいシンドイ舞台である。
* 帰りがけ劇場内の人なかで、幸四郎夫人に声かけられ、暫時親しく立ち話ができた、妻もわたしも。
* 劇場の外へ出てから腰の痛みに凹んだ、杖を持たず出掛けたのが不味かった。三笠会館までの歩行が辛かったが、堪えて。「秦淮春」の中華料理でパリからの無事帰国を祝い、おりしもボジョレーヌーボー解禁とあり、ボトル一本をあけてきた。紹興酒も美味かった。
銀座の路上で若い人と別れ、有楽町線で帰路へ。幸い坐れて。保谷まで睡っていた。黒いマゴが嬉々として出迎えてくれた。
留守中の郵便物には、「七世松本幸四郎襲名百年」記念、曾孫の三人、当代ほんものの花形役者である市川染五郎、市川海老蔵、尾上松緑で日生劇場師走競演の、はや座席券が届いていた。昼は「碁盤忠信」「茨木」、夜は「錣引」「口上」「勧進帳」という、とびきりのご馳走。「七十六歳」になる、なにより花の景気、ありがたし。
* 腰の痛いので、何倍か疲れた今日は。休息、はやくからだを横にしたい。
2011 11・18 122
* 東池袋のアウルスポットで俳優座公演の「ある馬の物語」を観劇、原作はレフ・トルストイ。
いまいち俳優座の公演意図が汲み切れなかった。人間という生き物の馬から観てもわかりにくいこと、その強欲や勝手なことは云われなくても痛いほど承知。毛並みのわるさゆえに、卓抜な能力や順応性も優しさも持った主役の馬が、不遇と冷遇と被差別のなかでけがもし病気にもなり屠殺されて果てるラストには、老いと不運との過酷さが息をのませる。どうしてくれとも言えぬ馬は歎き、観ているわれわれもお手上げになるだけ。まして後期高齢のわれわれは、もう屠殺されて終えるより道はないぞと託宣を垂れられた気がするだけ。
このまえは稽古場で「ワーニャ伯父さん」を観た。こんどはトルストイだ、しかも二世紀前の彼らの時代の息詰まる閉塞感を、二十一世紀のいまにそののまま、何も変わっていないんだぞと見せられたのでは、その先へ生きて行く工夫が生まれよう無い。そこに俳優座の、現代新劇の、乗り越えて行くに足る、いや,たとえ足らなくてもせめて顔を上げて今の時代、今の人間に前向きに踏み込める示唆が欲しいと思う。
観念と概念との芝居に終わって、観客のかすかに残った尊厳や勇気をも無残に摘み取って仕舞いかねぬ芝居では、つらいなあと思う。
* ゆらゆらと東池袋から池袋東口へ歩いた。途中、ユニクロで仕事着用のカーディガン二着を買った。
西武百貨店の八階に上がり「たん熊北店」新装の系列店に入り、京料理をすこし贅沢にはずんだ。此処でもボジョレーヌードルをグラスで。
料理、とても旨かった。三種の前菜も、鯛、鰤、鮪の刺身も、すっぽんの汁も。酒はなじみの、熊彦。盃のかわりに前菜に出ていたちいさい片口を用いたのが口触りよろしくて。食後のくず餅まで、妻もわたしもすこぶる満足した。
先日の銀座では腰痛くて弱ったので、今日は杖をもって出た。痛くはあったけれど難渋に陥らず無事に帰宅、七時過ぎ。
2011 11・22 122