ぜんぶ秦恒平文学の話

能・狂言・古典芸能 2013年

 

* 京都の学友西村肇君から病気をいたわり励ます懇篤のながい手紙をもらって、ほろりとした。もう一度また弥栄校のみんなと会えるかも知れない、というほどの気力に立ち返りかけている。もう少しもう少し体力を付けないと。体重も今の辺りに落ち着かせないと。ずいぶん大勢にご心配をかけてきたらしく恐縮このうえ無い。
いま、手元に、気張って出向いてみたいがと思案している出先が、三、四もある。
明後日十五日の太左衛さんらの囃子物の会、十九日までの「橋本成敏作陶展」 二十三日までの画家畠中光享コレクション展、二十三日日曜の「芸術至上主義文芸学会」藤村に関する講演会。も一つ、二十日二時に梅若研能会で万三郎の能「遊行柳」がある。心惹かれる。
2013 6・13 141

* 七月の歌舞伎座、昼夜の座席券が届いた。前四列、花道へも近くて舞台へ視野のひらけた通路角という絶好席を選んでもらった。真ん中の最前列なんかだと「お岩」も「再(ごにちの)岩藤」も怖くて顔を上げられんぞと危ぶんでいた、有難くほっとしている。染五郎の伊右衛門、菊之助のお岩、松緑の岩藤。怖いぞぅ。
八月は渋谷でのコクーン海老蔵奮励の夏芝居、九月は歌舞伎座で染五郎の「陰陽師 瀧夜叉姫」 演舞場で幸四郎悪の華の「不知火検校」 さらに十月は国立劇場で高麗屋父子の「一谷嫩軍記」「春興鏡獅子」 と続く。また松嶋屋の我當も出るだろう。数ある診療通院のほかは、いまぶん観劇のほかはどうしてもからだが動こう、出て行こうとしない。
あさってだったか、松濤で万三郎の舞う「遊行柳」にも招待されているのを観たいが、渋谷駅から能楽堂への坂道を想うと二の足が踏まれる。こまったものだ。一つには能楽堂での招待席からでは舞台が遠い。今のわたしの目玉では夢としか見えないだろう、ま、それもいいいのだけれど。
2013 6・20 141

* 「観世」から原稿依頼が来たが、辞退した。
松嶋屋から、海老蔵がきっとガンバルにちがいない八月コクーン歌舞伎の券が届いた。渋谷駅から炎天下を文化村まで坂をのぼるのは容易であるまいが、勘三郎のコクーン歌舞伎を引き継ぎ、海老蔵がまた大いに盛り上げてくれますよう願っている。楽しみ。歌舞伎は九月も十月ももう予約できている。
2013 7・18 142

* 今日はもう文庫本を十数册読んでしまっているが、これからの日々はますます眼に過酷になる。思い切って「交響する読書」は、当分小説を主に「クインテット」に縮小する。①小説を書く ② ホームページに私語する。 ③ 湖の本新刊を続ける。 ④ 「選集」構成のための校正作業。 ⑤ きまりの五冊読書を楽しむ。この最低五つの「仕事」でわたしの日々はハチ切れる。 楽しみは、歌舞伎など。
今日、喜多流の名手友枝昭世の十一月文化の日友枝会の招待券が届いた。昭世の演じるのは「烏頭」。凄艶の舞と謡を期待している。十月には国立劇場の歌舞伎、そして歌舞伎座の昼夜通しが待っている。

* 茨城県の北部で、夜、つよい地震。 そして、九月尽。
2013 9・30 144

* 十一月三日の「友枝会」に引き続いて四日の梅若橘香会の招待が来た。二世梅若万三郎二十三回忌追善とある。此の万三郎晩年の舞台をわたしはのがさず見せてもらっていた。直面の「鉢木」がことに清冽に印象に刻まれている。
京都にいた少年の頃、秦の父は観世流の末席にいてときには地謡の前列中央でうしろから扇子で尻を小突かれていたと聞いている。その頃の父は、しきりに「名人」梅若万三郎の名を口にした。二世ではない、初世万三郎のことであったろう。東京へ出てきて後に、はからずも梅若とのご縁を得たとき、京の老父の万三郎をしきりに称えた口癖のゆえにも、わたしは梅若の舞台へ招かれて行くのを喜んだ。もう亡くなってしまったが今の三世万三郎の夫人修子さんにもなにかと親しくしてもらった。紀長君の結婚披露宴にも青山の内藤学長さんらと同席で祝杯を挙げた。
いまの万三郎はとても美しい能を創れるシテである。喜多流の友枝昭世は「鞘走らぬ名刀」と評したことのあるみごとな名手である。そして惜しくも亡くなった観世榮夫さんの復帰後の能舞台もあまさず観せてもらった。能は、わたしにはこの三人で十分だった、この三十年がほどは。
四日の万三郎はしかし能を舞わず、舞囃子の「木賊」とだけ、番組に。ちょっと気がかり。
2013 10・3 145

☆ 創画展
今日観てきました。有り難うございました。何年ぶりかの創画展でしたが、以前に比べて華を感じる作品に出会えなかったのは残念です。
その足で博物館の常設展も覗きました。
上野公園がリニューアルされてから行きましたか?
噴水が無くなり池は花壇に囲まれ、全体に小綺麗に整理されました。休日などは動物園へ行く子供連れも多く、花見時の様な混雑振りです。浮浪者はボイコットされたのか見かけなくなり、私などは歩き易くなりました。
お元気でお仕事にお励み下さい。  泉

* 気も晴れようかと、新匠工藝会展も一緒に招待券を送っておいた。
上野公園などもう久しく見ていない。噴水が無くなったか。あの辺は小寒くなるころからは少し淋しすぎた。
わたしもこの展覧会へは行ってみたいと思っているけれど、妙に腰が重い。せいぜい出かけた方がいいのだ従前のように。久しぶりに根岸柳町、香美屋の洋食が懐かしい。
そうこうしているうちに十一月になる。早々に、友枝会、橘香会に能のお誘いがあり、紀伊国屋での俳優座公演にも招かれている。国立劇場での山城屋、成駒屋を芯の「伊賀越道中双六」通し狂言は、妻がさっさと松嶋屋の番頭さんに頼んでいた。息子の翫雀が老け、老体の藤十郎が美しく若く演じるのが楽しみなんですと。

* なんとしても矛盾と撞着の暮らしようではあるなあ。
2013 10・24 145

* 国立能楽堂の友枝会へ。 友枝昭世の「烏頭」と友枝雄人の「夕顔」を観て、体力限界で失礼してきた。馬場あき子さんと歓談。堀上謙さんと隣同士、開会前に小林保治さんと歓談。展示室でいい能面をたくさん観てきた。
昭世のシテはさすが、深々とした世界へ凄絶に誘い込まれ、しかも印象は静か。謡もすばらしかった。仕舞いも、雄人の謡もよろしからず、しかし「夕顔」のシテ小柄に美しく、源氏の世界もなつかしく、堪能した。
久しぶりの能村萬で狂言「酢薑」も観たかったが、足腰が痺れて痛みだしたので、よろよろと退散してきた。よろよろと池袋へもどり、帰ろうかと思っていたが、つい地下の寿司政、八海山で、中とろ、牡丹海老、小肌、海胆、穴子、鯖、ねぎとろ、鮑、そして玉でアガリ。シャリは極端に小さくしてもらってネタを楽しんだ。帰りの西武線で、湖の本118の再校を。能の前は眼をやすめ、能の最中ははじめ双眼鏡を使っていたが諦め、ただもう舞台を遠望していた。謡があり地謡があり三役の鳴り物があって、舞がある。強いて観ようとしないで、渾然とした美しさに身を任せていた。

* あすも同じ国立能楽堂での梅若橘香会。
万佐晴が三老女の大曲「姥捨」を舞い、棟梁の万三郎は舞囃子「木賊」。「姥捨」はしんどいので失敬し、期待の舞囃子と、狂言と、子役の頑張る賑やかな能「烏帽子折」まで観て帰ろうか、さて、身が保つかどうか。わたしの目のために、最前列の中央席をもらっていて、穴をあけては気の毒やし。
ちかぢか紀尾井町小ホールでは望月太左衛さんの会「鼓楽」もある。招待券を二枚もらっている。鳴り物ですかっとしたいが、行けるかな。
相次いで国立劇場では坂田藤十郎、中村翫雀らの通し狂言。これは必見。俳優座意欲の批評芝居も見逃せない。
相当な運動には成る、楽しみながら。
2013 11・3 145

* 梅若万佐晴の「姥捨」は、まあまあ。橋がかりへの入りなど、物足りなかった。総じて精霊化していない。哀れは哀れとしてもウツツの生身の哀れでとどまっている。昨日の喜多昭世の「烏頭」では見えぬ糸にひかれるように凄くも美しく橋がかりにあらわれ、底知れず静かに魅了していた。しかし予想していたより尻上がりに感情移入がきいてきて共感して行けた。興ざめなのは、すりにも「姥捨」の姥の哀しみなど知ったことかと幕へ消え入るまえに拍手。褒美の気持ちは有り難いが、森々とかつ深々とした静寂の能一番は帳消しになってしまう。観客の程度の低さがもろにあらわれ、拍手さえすれば義理を果たせるかのような心ない行儀にがっかりした。能一番がはてて物音一つない静寂の緊迫のままに幕になる、あの寸時の嬉しさ、よろこび。能は、そう終わるべきもの。拍手の押しつけがましい大安売りは藝能が観客に真実マッチしていないことを浅はかに暴露する。
昨日の友枝会のこころよさは、客が軽薄な拍手をきちっと幕のあとまで自制してくれる清らかさにある。橘香会でも、できれは万三郎師から同門に仕付けて欲しい。
テレビでの、軽薄なタレント同士の騒がしいお遊びで、なにかというとお互いに拍手喝采の大盤振舞い、あのへんに藝能がうすっぺらく扱われてしまう毒源があるのだろう。歌舞伎座ですら無意味なご挨拶同然の拍手がやたらでるようになった。
「姥捨」では、アイを語った山本東次郎が断然立派だった。三役、そして太鼓方もよかった。

* 万三郎の舞囃子「木賊」はさすがに哀切しかも力ある舞の美しさに息を呑んだ。優れた舞囃子、わたしは時に能よりも好き。

* 狂言の「寝音曲」 山本則俊のシテがおおいによろしく、則重のアドもいい役者ぶりで、東次郎一門の充実がよく伝わってきた。

* 昨日今日、久しぶりに能楽堂に長居をした。三役など、またワキなどに代替わりが目立っていて、それもおもしろかった。若い能才が出現してくれるのが何より。若い頃の凛々しい勘三郎によく似た亀井広忠君にも久しぶり昨日も今日も。彼の大鼓、すこしサ行混じりにカンカン鳴りすぎているのでは。

* 能「烏帽子折」も観て行こうかと思ったが、やはり限界で。失礼してきた。
万三郎新夫人を小林保治さんに紹介され、歓談。湖の本をよく読んでもらっていた。結婚式に参列した紀長君の夫人ともロビーで立ち話してきた。昨日と同じ国立能楽堂。さすがに着物のよく似合う人たちが多い。みな、しづしづと歩いている。

* 能楽堂から千駄ヶ谷駅まで雨に降られた。どこへも寄らず、朝から飲まず食わずのまま帰ってきた。
2013 11・4 145

* 太左衛さんの会に行きそびれた。天気のことも少しきがかりだったが、紀尾井小ホールの場所に自信もなかった、ずうっと以前に一度二ど行っている筈だが。一つには夜分へ向けて独りで出向くのも少し心配だった。
十一日の聖路加腫瘍内科へは、妻も、しばらくぶりに同行することに。
2013 11・6 145

* 読書の楽しみは少年の昔から、ほぼ生来のもの。もう一つの楽しみ、能・歌舞伎・演劇などり舞台好きは、いわば人生の所産。ことに、いつ頃からであるか、妻が、ほとんど見向きもしなかった歌舞伎にぐんぐんと身を乗り出してきてからで、観劇は一人でよりも隣席に連れのある方がなにかと喜ばしいのである。海外へも出ず国内の旅さえ控えがちにしてきた我々が連れ立って楽しめる歌舞伎や新劇は格好のばになった。
太宰治賞を受賞し作家生活に入ると程もなく、わたしは、本間久雄さんという読者とのご縁から、俳優座劇団の公演を観に行くようになり、いつしか劇団から毎回の公演に招待されるという嬉しい慣いが今日にまで続いている。それどころか加藤剛主演での漱石原作「心 わが愛」の脚本まで書かせてもらった。たいそう興味深い体験だった。後には、つかこうへいの弟子としてデビューした息子秦建日子が自作・演出する小劇場超満員の芝居も応援と批評かたがた楽しんで観に行くようにもなった。
俳優座との縁よりなお少し早く、歌人で喜多流の馬場あき子さんの手厚い手引きで、まず喜多流から、東京での能・狂言を楽しむ生活も始まった。喜多(実・得三、節世、昭世ら)、観世(榮夫)、梅若(万三郎)らの能をそれは沢山楽しませてもらってきた。
歌舞伎は作家生活に入ってからときおりには観ていたが、妻が一緒に歌舞伎座や国立劇場に着いてくるようになって、一気に爆発的に歌舞伎づけになった。歌舞伎を観ないつきなど無いほどよく歌舞伎座へ、国立劇場へ、演舞場や明治座まで、さらには大阪・京都・名古屋へまで脚をのばすこともあった。
わたしは、いわゆる通ではまったくない。能でも歌舞伎でも新劇でも、何の蓄えもなくただ好きで観るだけのど素人の分際で、好き勝手に褒めたりくさしたりの好き勝手をさせて貰っている。最低限、妻と二人で面白かったりつまらなかったりするそれだけで楽しんでいる。多年、がんばってきた自分たちへのボーナスだと思っている。幸い高麗屋さんとも松嶋屋さんとも親しみのご縁が出来て、なにかと有り難いお世話になっている。お世話になるのをさえ喜んでいるような次第。
大病の前は、もう一つ、飲んで食うというたのしみを大事にしていたが、これが、まだまだ情けないほど回復していない。案外にそれが善いことかも知れないし、よくないのかも知れない。
ともあれ、十九日には松本紀保らの「治天の君」という芝居を楽しみ、誕生日には歌舞伎座へ。
もう一月歌舞伎座の通しの座席券も届いている。二月には染五郎らの昼夜二つの通し狂言が待っている。中村福助の七代目歌右衛門襲名は実現するのだろうか、からだをしっかり直して溌剌とした出世襲名を期待する。三津五郎にも仁左衛門にも早くよくなって復帰して欲しい。
2013 12・15 146

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