ぜんぶ秦恒平文学の話

美術 2013年

 

* 正月の飾りに掛けていた鵬雲斎の「壽」字軸を仕舞い、かわりに都路華香の筆になる洒脱な大軸を掛けてみた。大きな太い線描きの雪だるまが面白く、「百尺の竿振って松の雪払ふ」とある句の字も面白い。
鵬雲斎の軸に添えた父君淡々斎がまだ「宗淑」若宗匠時代の細身の蒔絵薄器「末広」を仕舞い、代わりに時代物、片輪車を螺鈿も用いて蒔絵した大ぶりの平棗を裾に置いてみた。いい感じに他の置物ともよく映って、おさまっている。わたしの気も落ち着いている。 2013 1・28 136

* 金沢の、文化勲章陶藝家、十代大樋長左衛門年朗さんから東京で個展をするからと案内が来た。大樋は好きな焼き物で、わたしも五代か六代あたりの名碗を二枚所持している。楽のわかれで、楽には当代吉左衛門が天才を発揮している。楽の碗は一入作以下数碗を愛蔵している、が、本当に適当な人が出来れば差し上げてモノの命をのびやかに生かしてやりたいと願っている。道具は、ほんとうにものが分かって心から愛しうる人のもとでないと、孤独死してしまう。
2013 2・18 137

* 新しい国宝や重要文化財の指定があり、その一つ一つが、懐かしい。快慶といい運慶といい、その他の幾つも、いいものを大事に持ち伝えてきたのが、誇らしく嬉しい。昨日だつたか、既に国宝の東本願寺蔵の「三十六人集」の和歌といい筆跡といい目をみはる用紙の装飾といい、身震いするほどの美しさ豊かさであった。
今の時代、これらに匹敵する何が産まれているのだろう。建築のほかに記憶に値する、千載に残して嬉しく誇らしい何ほどが在るのか、すこし心寂しい。源氏物語や平家物語や徒然草や芭蕉・蕪村や秋成や、これらの「文學・文藝」の上越す千載不滅の業績とは、誰のどんな作であるか。浮薄な現代の嗜好に媚びない「批評」の確かさが欲しい。
かつては、小林秀雄や河上徹太郎、唐木順三、中村光夫、臼井吉見のような優れた批評家の名が広く知られていた。いま、わたしは時代に冠絶した優れた文藝批評家の名をほとんど覚えない。わたし独りの不勉強のせいならいいのだが。、
2013 2・27 137

* 京岡崎の星野画廊から「星野画廊動物園へようこそ」と題した図録到来。よくも集めたと思う多数。そのなかで欲しいな、買えたら買いたいなと思う三点を見つけてある。期日の六月一日までに京都へ行けるかなあ。繪はやはり実物を観て買いたい。
2013 3・27 138

* 「星野画廊動物園へようこそ」へ行きたいけれど

星野さん
今は体調の底にあり京都までは動けないのが悔しいです。
図録繰り返し楽しみました。
ああ欲しいなあと思った作が三点ありました。原作でない写真なので精確は欠きますが。
久保飛呂史「鯉」
岡村宇太郎「猫・椿」
岡村宇太郎「梅花小禽」  です。
わたしにも買えそうなお値段なら、一つでいい欲しいなあと思いました。とても手が出ない高価であろうなと嘆息しながら。
このところの楽しみ励みは、四月半ば、新歌舞伎座の柿葺落しに終日出かけること。浮き浮きしています。
お元気で。 ますますのご活動を期待しています。    秦恒平

* 上の飛呂史の「鯉」 宇太郎の「猫・椿」を買うことにした。鯉の繪にはどこででも立ち止まるほど惹かれるし、猫も椿も好き。写真判定だし、軸装の出来も気がかりではあるが、ま、星野画廊への信頼がある。
また楽しみが、一つ、出来ました。
2013 3・28 138

* さてさて。メールで「買います」と伝えたばかりの久保飛呂史の「鯉」、岡村宇太郎の「猫・椿」の二軸、はやわが家へ、着。
先ず「鯉」を茶の間の壁に掛けたが圧倒的な「大作」の迫力で、この壁には窮屈そうで気の毒と、玄関へ。おお、ぴたり。すばらしい。堂々そして悠揚せまらぬ鯉の偉容に惚れ惚れ。尾でかすかに一撥ねした水が曇ってもやっと、其処にまずわたしは目をとめた。りっぱな鯉の静かな息づかいを感じたのだ。実地の作に観入って、わたしは、しんとした気持ちに満たされている。
愛知県生まれの久保飛呂史は生没年未詳。本名は寛。井口華秋に師事したこと、日本自由画壇同人として活動していたことが知られている。
もう一つ明治三十二年生まれの岡村宇太郎の長軸、「猫・椿図」はいましばし秘蔵しておく。素晴らしいに違いないには自信がある。楽しみにしばらく胸奥に抱いていたい。
宇太郎は、何よりわたしとしては、彼が繪専特待二年生のとき第二回国画創作協會展に「牡丹」を出し、樗牛賞を受けた出発が、頭にある。土田麦僊にも師事し昭和四六年の没年まで活躍した経歴はじつに個性味に溢れていた。わたしは久しく憧れてさえいた。

☆ 鯉、猫・椿  星野画廊
早速にご注文を頂戴し、誠に有り難うございます。
久保飛呂史の「鯉」の画技の素晴らしさに魅かれて買い求めてから、およそ20年になります。
岡村宇太郎の「猫・椿」は、山本陽光堂の素晴らしい表具により大分以前に仕立て直したものです。
両作とも目利きの御宅で飾られることを誇りと致します。
どうせ狭い壁面では展覧会中どのように展示すればよいのか思案していたところですので、本日クロネコ便にて発送します。
有難うございました。   京・岡崎  桂  星野画廊主人

* 残念なのは、相変わらず新しい写真をこのホームページに転写する技術変更が理解できないこと、新しい気に入り之写真はほぼ無数に保存しているのに、ホームページに出せないとは。情けない。保管した日誌フォルダに繪で残っているものだけがコピーできる。なにしろ技術をならうべく教室通いしたこともない。マニュアルも読めないまま失くしてしまう。いやはや、情けない。
2013 3・29 138

* 飛呂史の「鯉」、玄関の板壁でもまだすこし窮屈かとみえるほど、大きい。画面ではない、鯉が大きくりっぱなのだ、眼も口元も生きている。佳いものは、佳いのだ。
2013 3・30 138

* 夕方に帰ってくるという息子にもみせようと、宇太郎の長軸「猫・椿」を、飛呂史の「鯉」のわきに試みに掛けてみた。
おお! 堂々。こう威風あたりを払うほど画品豊かな大作を二流れに掛けならべると玄関が、まるではちきれそう。白と黒少しの猫がまるまると椿の根かたに蹲って、眼光炯々、凛としている。椿樹は力強うまっすぐ丈高く、繁った緑の葉に抱かれ紅椿一輪が美しい。大満足。
2013 3・31 138

* 今日は、懐かしい、しかしもう読み切れない、母校の研究誌「美學藝術學」が届いた。教授陣以下の氏名にもまったく記憶・念識がない。それでも、少し懐かしい。
嵯峨厭離庵下の藤原敏行クンが東京日本橋高島屋で個展をと知らせて呉れた。もう旬日のうち。出かけられるかな。
2013 4・4 139

* 毎日、玄関にならべ掛けた飛呂史の「鯉」、宇太郎の「猫・椿」の軸繪を満喫している。どちらも豊かに大きい。妻は椿下に凛とみひらいた猫を愛し、わたしは、堂々の鯉に日々賛嘆。
さて、新歌舞伎座の柿葺落し四月の観劇が待ち遠しい。
第一部「壽祝歌舞伎華彩 鶴壽千歳」「勘三郎に捧ぐ お祭り」「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」
第二部「弁天娘女男白浪」「忍夜恋曲者 将門」
第三部「近江源氏先陣館 盛綱陣屋」「歌舞伎十八番の内 勧進帳」
こう書き写してみるだけで、わくわくする。夢にも見てしまう。 2013 4・5 139

* 近時 毎朝夕に元気づけてくれるのが、玄関を護って偉容悠然の久保飛呂史画『鯉』の大幅。気宇浩然、こころよい限り。名作であることを疑わない。
今一つ、読み進んで日々に心嬉しいのは、高田衛さんに新たに頂戴した名著『完本・上田秋成年譜考説』で、論攷として真実優れているのはもとより、語弊をあえて顧みず謂えば、さながらの「物語」、信ずるに足るまさに『上田秋成の生涯』を成して在ること。すばらしいご馳走を一箸一箸さながら食する嬉しさで大冊を箱から出しまた箱におさめて愛読している。
もう一つ、心親しく手にして読み進んできたのが、市川染五郎君の贈ってくれた新著『超訳的歌舞伎』で。妙な題ではあるが、なかは楽しい歌舞伎案内ないしは歌舞伎役者である著者覚悟のいかにも健康で率直な披瀝本。巻末の、新猿之助との対談もふくめて快い読み物であった。文章も表現も溌剌として花形の雰囲気に溢れていた。
2013 4・20 139

* 起床8:30 血圧123-61(56) 血糖値99 体重65.8kg 朝 饂飩 納豆 など 朝の服薬 手足の痺れがほぼ失せ、久しく出来なかった指さきで鼻や耳をほじくることが出来る。味覚障害、口腔内の砂を含むようなザラザラ感もほぼ減退し、食べられる品数と味わいも戻って来つつある。抗癌剤の副作用で視力がガタ落ちのころ、以前の眼鏡がまるで使えず、弱った視力に合わせて眼鏡を作ったのが、視力回復によりまたも現在の眼鏡が合わなくなっている。眼鏡トライの処方箋を早めに欲しい。またまた眼を弱らせないために。
排便 午 焼き蕎麦 柑橘 飲み物 午の服薬 歯医者で二本目の仮歯を入れて貰う。奥のもう一本が欠けたまま。ついで近いうちには欠け落ちそうな上正面の二本が不安定、舌で押してもゆらゆらする。やれやれ。 夕方帰宅。 吉備から頂戴した大きな「桜鯛」一尾の蒸し物を美味しく嬉しく頂戴し、万歳楽の「白山」を呑む。筍飯の筍は讃岐から頂戴した。 晩の服薬後 仕事 そしてお宝鑑定団を観る。点数を限って前後にいいものを見せてくれる。今晩は、雅邦門下四天王の一人、薄幸孤月懸命の真作五点が観られた。一種の小美術史のように、時間を惜しまぬ解説の入るのも有難く。ほかにもしみじみと佳い作が何点も出て、見応えがした。美しい、佳いものが巷にかくも多く愛蔵、秘蔵、または偶然に隠れているのを、番組が掘り起こしてきてくれる。
2013 4・23 139

* もう何がなにやら世の中が情けなくて、自分自身も情けなくて、新聞もニュースもイヤになった。ほんとうに荷風晩年のあとを慕おうかと思ってしまう。
☆ 時運 の内   陶淵明
斯の晨(あし)た 斯の夕べ  言(ここ)に其の廬(いほり)に息(いこ)ふ
花薬 分列し  林竹 翳如(えいじょ)たり
清琴 牀に横はり  濁酒 壺に半ばあり
黄唐は逮(およ)ぶ莫(な)し  慨き獨り余(われ)に在り
* 黄唐は古の聖帝  黄帝と唐堯

* 陶潜ほど上等には出来ないが、思うまま歌も句も績み紡ぎたい。飛呂志の悠然雄渾の「鯉図」に励まされている。
楽しみはは、惜しみなく作り出す。
歯の治療をはさんで、やがて明治座の花形歌舞伎は、染五郎、勘九郎、七之助、愛之助。「実盛物語」「与話情浮名横櫛」「将軍江戸を去る」「藤娘」「鯉つかみ」と十分楽しめる。すぐ続いて新歌舞伎座の五月興行も、第一、二、三部とも終日盛りだくさんの名狂言をたっぷり楽しむ。そのあとへは、大相撲夏場所の席がとれてある。白鵬、朝青龍の優勝回数25回にぜひ並んで欲しい。そして月末か六月初めには秦建日子作・演出の「タクラマカン」に期待しています。
あ、そうとばかりは行きません。今日責了紙を送った「湖の本」116『ペンと政治( 二下 満二年、原発危害終熄せず) 』が十七日には出来てくる予定。力仕事の発送がある。ややや。

* さ、入浴。 その後、また小説を書き継ぐ。
2013 5・4 140

* 城景都展の案内も。ただし高浜市までは、ちょっと。
2013 5・16 140

* 飛呂志の「鯉」を梅雨の湿気を危ぶんで、巻いた。こんなに満足しきって朝に昼に晩に愛し眺めた繪はない。
堂本印象の「菖蒲」を掛けた。清々しい繪。
2013 5・24 140

* 島尾伸三さんから「写真」誌が送られていて、島尾さんも一文を寄せていた。いわば「純粋写真」の「主張」である。
絵画の歴史にも「純粋絵画」という主張があった。物語性や文学性のような絵画表現に強烈に割り込んできていた要素を一切排除しようといった「運動」であって、ことに後期印象派はその運動を前進させた。印象派になって絵画が面白くなくなったという不足の声も聞こえていたが、純粋絵画運動は、結局はミロやカンジンスキーらの抽象絵画にまで走りつづけた。しかもその一方でシュールリアリズムというファンタジー絵画も繁殖していたのである。
すぐれた写真表現といえば、人は、概して戦場や難民や病者や大災害や政治面の報道写真を思うだろうし、緊迫感と個性に富んだ人物写真にも、大自然の写真にも、動物や植物の鮮鋭に美しい写真にも一定のフアン感情をもっている。加えて今日ではコマーシャル写真などが写真表現の大きい範囲をおさえている。
島尾さんらは、それらのいわば写真外挟雑雑観念や意図を排した「純粋写真」を意図してる。
ほう、写真にもそういう「純粋」志向がいわば美学としてあらわれて来ているのだなと、興味を覚えた。
2013 5・31 140

☆ 秦恒平様
前略  私は不勉強で無知な者ですか、秦さんのまっすぐで妥協のない視線に 胸がすく思いで読ませていたゞいています。 大変な闘病の御身とは信じられないエネルギッシュさには敬服するばかりです。きっと病気の方もたじろいでいる事でしょう。
私もいつの間にか 政治家達の平均年齢を超えるようになり、 それまでは立派な人と思っていた人達の多くが、いかにも愚かで 浅はかで 厚かましく横行しているのに驚き憂えてしまいます。 又、 主人共々 ご本を読ませていただきます。 時々 ご出演の「妻」 もちろん迪子お姉さんもお幸せそうで嬉しいです。
なお同封のポストカードは 私の初めての祈念すべき 受賞作品です。 この鳥(嘴広鵲 はしびろこう)をご存知ですか? くちばしの異様に大きく 動かない鳥として有名な変な鳥ですが、 何ともいえない愛嬌と澄んだ目に魅せられて 今も 続編 Ⅳ Ⅴと秋の展覧会に向けてがんばっています。琉美ちゃん(=妻の妹)にも いつも応援していたゞいています。 琉美ちゃんの繪は私には到底描けない素晴らしさです。
乱筆乱文で大変お恥しいですが、ちゅうちょしていると 又 出汁そびれてしまいそうで……まあいいか…と。 お許し下さい。
関東地方も入梅しましたようで、 しばらくうっとうしいお天気が続きますが、 どうかくれぐれもご自愛下さいますように。  草々
P.S. 繪は 都知事賞で 当時の都知事は石原慎太郎氏ですが、この方が選んでくれた訳ではありません。 と思います。私は この方 キライです。    秦野市  画家・妻の従妹  明

* りっぱな表現で 動かぬ鳥にむかいたじろがない優しい視線が活躍している。
まだ妻と結婚せぬ前に、妻の兄や妹の家で一度会っていた。妻の父方叔母の葬儀の席で久々に再会した。不勉強で無知どころかたいへん優秀な従妹だと妻はほめる。
妻の妹は詩を書き、また言語に絶したふしぎに美しい繪を描く。妻らの亡き兄保富康午も、若い日に詩を書き、テレビ草分けの頃の「構成マン」また童謡他の「作詞家」として活躍した。
この義兄・義妹また妻らの従妹から「甥」にあたるのが、わが家の秦建日子。彼のNHK連続四回ドラマが明日土曜の夜から始まる。また彼の秦組公演「タクラマカン」も東池袋のアウルスポットで一両日の内に開幕する。打ち上げると直ちに、初めて大阪公演に乗り込むと聞いている。恙なかれと願うのみ。
2013 5・31 140

* 一昨日、京祇園で茶の湯をひさしく楽しんでいる人、弥栄中学三年生で同級だった人、湖の本を創刊以来支援し続けてくれた人に、淡々齋の箱書付き、「一位」の木で仕立てた「香合」を謹呈した。まん円い平な香合で、一見、蓋も身も深い飴塗り、だが、蓋を払うと蓋裏も身の内も輝く金、みごと鳳凰が晴れ晴れと描かれてある。
祇園の人なので祇園さんゆかりの軸もの、岸連山が安政のむかし、ハリスが江戸城へあがった年に描いている「祇園社御手水場」の瀟洒な繪がどうtと思っていたが、やや本紙にやつれが見えるので、美しく晴れだつ香合を贈ることにした。

* いまわが家の手洗いには、唐銅の耳付瓶に、妻が南天の花と葉とをおもいきり晴れやかに、巧みに取り纏めてさしてくれてある。南天は白い米をまいたような花も、真緑のきりっとした葉の姿かたちも、意気である。赤い実だけが南天ではない。
唐銅耳付瓶は、京の美術商の林が、これは手放さんとだいじにおしやすやと念を押して呉れていた品で、どのように花木をあしらってもみごとに受け容れてくれる。愛している。
茶の間には、いまは淡々齋筆、簡素な「語是心苗」の軸を拳々服膺している。

* もう十一時。
2013 6・9 141

* 京都の学友西村肇君から病気をいたわり励ます懇篤のながい手紙をもらって、ほろりとした。もう一度また弥栄校のみんなと会えるかも知れない、というほどの気力に立ち返りかけている。もう少しもう少し体力を付けないと。体重も今の辺りに落ち着かせないと。ずいぶん大勢にご心配をかけてきたらしく恐縮このうえ無い。
いま、手元に、気張って出向いてみたいがと思案している出先が、三、四もある。
明後日十五日の太左衛さんらの囃子物の会、十九日までの「橋本成敏作陶展」 二十三日までの画家畠中光享コレクション展、二十三日日曜の「芸術至上主義文芸学会」藤村に関する講演会。も一つ、二十日二時に梅若研能会で万三郎の能「遊行柳」がある。心惹かれる。
2013 6・13 141

* 印象の「さつきばれ 菖蒲図」をおろし、徳力冨吉郎画伯に頂戴した清爽「鮎」の軸を玄関正面に掛けた。連山の祇園さん「お手洗い場」の清しい繪軸とならんで、いかにも祇園会月の風情になった。「鮎」の真下に備前の大壺を置いてある。狭苦しい家だが、こころよいものを掛けたり荘ったりするととても気持ちがいい。
2013 7・2 142

* 玄関に、松子夫人の軸装された夫君谷崎潤一郎の歌短冊を掛けた。
涼みにと川辺にいづる吾妹子に
蛍もそうてわたる石橋   潤一郎
歌は潤一郎、書はよく似てはいるが夫人の筆かとも想われる。余人はおくも、此のわたくしには松子夫人の筆であってひとしお懐かしい。きちんと箱に収まった雅な軸は、松子夫人が手づからわたくしに下さった品、愛蔵してきた品である。
2013 8・4 143

* 劇団俳優座が、九月、稽古場でチェーホフ「三人姉妹」をやるからと招待状を送ってきた。むろん招待を受けると返辞した、いつものように妻と出かける。むろん妻の分は支払う。
泉屋博古館からは「有田大皿特別展」の内覧会に招待してきた。これにもたぶん出掛ける。平凡社のやきものの旅と、NHK日曜美術館に出演とで有田へは二度訪れているし、「お宝鑑定団」で有田の大皿はよく登場し、妻もかなりの通になっている。出光で観た白磁の高雅とはおのずから品位はことなるけれど眼を楽しませてくれることは請け合い。楽しみにしよう。
さすがに九月となれば、猛暑の沈静とまではまだ望みにくかろうが、催しはいろいろ増えてくる。演舞場の幸四郎、歌舞伎座の染五郎、そして俳優座のチェーホフ劇、またいろんな美術展。
元気を奮い起こして、いい秋を迎えたい。願うは、ただただ視野・視力の安定。頼むよ、おい。
2013 8・16 143

☆ 酷暑
如何お過ごしですか。自転車で外出など書かれていますので驚きました。くれぐれも用心なさってください。
わたしはあまりの暑さにひたすら家で過ごしています。そのお蔭か?・・絵二枚がもうじき仕上がります。菩薩と修道院の回廊の絵です。( この取り合わせに私自身の自然なる「矛盾」があらわれていますね?)
いろいろな都合から今年は神戸での朗読にも参加せず終わり、シンガポールには来週出発することになりました。
暑さと体力に、そして気力にも負けて・・秋涼しく、いざ生きめやもと思い立つ時を待ちます。  尾張の鳶

* この人に以前に写真でもらったどこか修道院の回廊、何度も何度もこのホームページで使わせてもらっている。
菩薩ですか。何菩薩さまでありましょうか。詩も書いてください。
そういえば、わたし、院展の伊藤髟耳に、まったく抹香臭くない清楚に美しいお地蔵さんの色紙繪をもらっている。見つけ出して色紙掛けに掛けてみたくなった。
2013 8・20 143

* 手に入れた岡村宇太郎の「椿と猫」から猫を切り出し、ダメだろうと半ば諦めながらこのホームページへ送り込んでみたら、入った。情けないほど失敗してきた一つが、成功した。もう一つは、「e-文藝館・湖(umi )」への原稿転送。これがまた出来るようになると俄然わたしの精神は活況を取り戻すだろう。一つ、また一つと行きたい。宇太郎の猫、いいでしょう。
2013 9・4 144

* 伊勢崎の杉原康雄君からF10号の油絵「薔薇」が届いた。電話で送ってくれるように頼んでおいた。妻は一目見て大喜びしている。おなじ杉原君の季節外れではあるが、美しくて確かで好きな、淡彩「紫陽花」を掛けていたのと掛け替えた。起伏の激しい気の病にもだえ家人にも背かれて苦しんでいる才能のある画家。すこしでも応援したいと申し込んだ。抗うつ剤にもつよい副作用があるのだろう。可能な限り繪を描いて、それを薬にしてほしい。
2013 9・5 144

* これは即、研究論考の書ではないが笠間書院の橋本編集長に頂戴した田能村竹田画論『山中人饒舌』の訳解の大冊も、文字どおり舌なめずりしたいほど嬉しい。美学藝術学の徒として論文を書こうなどとは全然考えない。竹田という傑出した文人画・南画の大家の蘊蓄がここに結集されてあることだけは久しい見聞で識っていたが、良い本の手引きでとびこんで行けるのが有り難いのである。竹田の繪や書は「お宝鑑定団」にもときおり顔を出す。そういうお宝感覚にはあまり親しまないが、繪も書も好き。しかも作品のゆたかに備わった作に出会いたい。竹田の本は、その作品の秘跡を語ってくれているに相違ないのである。
2013 9・21 144

* 「秦さんの本ならなにでも買います」と言ってくださっていた多年の「有り難い読者」東宝の後藤和己さんが亡くなったと、娘さんからお知らせがあった。帝劇の芝居にたくさん招いてくださり、とくに忘れがたいのは大好きな沢口靖子の『細雪』上演のおりは特別席に招かれ、さらに楽屋へまで連れて行ってくださったこと。ご冥福を祈ります。
選者の頃、京都美術文化賞に推し受賞してもらった漆藝家望月重延さんから、秋の新匠工藝展への招待が届いた。二十四年もの選者体験の中で、毎回三人の授賞者中、五十人近くはわたしが、あるいはわたしも、推して受賞してもらってきた。あの人、この人と思い出せばみな懐かしい。早くに強く推した楽吉左衛門さんには、わたしの退いたあとの選者を引き受けて貰っている。まだまだ若かった截金の江里佐代子さんは惜しくも亡くなられた。選者同士で仲よくして頂いた清水九兵衛( 六兵衛) さんも亡くなられた。わたしを選者に、財団理事にと推された橋田二朗画伯も亡くなられた。選考会を主宰されてきた梅原猛さんが幸いお元気なのが喜ばしい。
2013 9・21 144

* 京都の陶藝家である松井孝・明子夫妻から手紙と小品とをもらった。手紙は奥さんの筆であろう。

☆ きびしい暑さのこの夏も、
御病中ながら一日としてお休みのない毎日をお過しの御様子 なかなか出来ることではございません。いつも御本をありがとう存じます。はげまされて毎日を二人ですごしております。
心ばかりの(やきものの=)紙風船お手許にと思い送らせて頂きました。どうぞ御大切に、益々お励み下さい。
昨夜は満月、そちらの月は如何でしたでしょうか。
今朝五時すぎの西空に やはり満月がありました。 九月二十日  松井 孝
明子

* 孝君は日吉ヶ丘高校での同窓同年で美術コースにいた。明子さんは、わたしが早い時期の女流陶藝展で河北倫明さんとともに選者をつとめた会場で、備前の川井明子さんとならんで大きな賞を獲たときが初対面であった。何年か経て、あの清少納言が仕えた定子皇后の御陵をたずねていったときに、松井夫妻の工房にはじめて立ち寄ったことがある。そのときにも数点の小品を貰ったが、その中にもソフボール大の美しい紙風船があり、もう歳久しくわが家でいつもどこか目につく場所を占めている。今日貰った紙風船は両掌につつんで愛翫に堪える色彩と触感に溢れている。感謝。
いまいう女流陶藝展との一度だけの授賞選者としてのお付き合いから、いまでも、川井、松井二人の明子さんだけでなく、姫路夢前窯の原田隆子さん、また西東京田無に窯をもち人形作家として著名な可部美智子さんとの交際が続いている。川井さんのみごとな大壺は今日もわがやの玄関を飾ってくれている。わたしから頼み、原田さんが丹精して贈ってくれた金銀彩のうつくしい「骨壺」と松井さんの可憐に異彩をはなっている紙風船は、居間の棚に座を占め、上に淡々齋筆「語是心苗」の懐紙軸が掛かり妻が父から伝えもつ十二面の鐵観音像とならんでいる。
2013 9・21 144

* 杉原康雄氏から買い取った黄色い野薔薇の繪が、他のいろいろの繪と遜色なく堂々と玄関を飾ってくれているのに日々満足している。わきにちいさく添えて、簡墨の舞子の繪を掛けているのが対照の妙を得てお互いを引き立てている。わきの壁にはやはり友人が描いてブレゼントしてくれた「蔵王」スケッチの風景小品が簡素ながらに美しく引き立っている。
狭苦しい家の中で、まあまあ心静かになれる場所はというと、この玄関と手洗いとだけ。手洗いには妻のいけた美しい蔓蔦がはんなりとおもしろく光っている。ほかはもう、階下も二階も隣家も、足の踏み場もない。わたし、どうやら生涯を昔から大好きな唄の「埴生の宿」に住んで終えるようだ。
いま書いている小説の一つが、幸いに読者の前に披露できるときがくれば、作者がなにやらこつこつと作中人物の「住まい」のさまを書き込んでいるのに、同情の涙または失笑を浮かべられるかも知れない。ほんとは秦さん、こんな家に暮らしたかったんやなあと。ハハハ。
2013 9・24 144

* 階下で、コーヒーをいれ、山本さんに戴いたクッキーで息を入れる。そうかと思うと玄関へ出て、杉原君から買った黄色い野の薔薇の繪を楽しむ。むごい病気に喘いでいる後輩だが、繪は立派に美しい。日々に観れば観るほどむしろ佳さが深まる。わたしがそうして観ていると妻もキツチンから出てきて横に立つことがある。「佳いわね。美しいわね。」妻はこの薔薇が大好きだ。瓶にいけた花でなく大地に根をおろして立派に咲いているのが佳い、嬉しいと言う。力強い「命」を感じるのだ、画家は、この繪に「命」と題している。病み苦しみながらでも繪が描ける幸福を杉原君は必死に抱き締めている。がんばれよとわたしは応援したい。だんだん善くなる繪を描きながら烈しい病に冒されて亡くなった友もいた。杉原君は、劇症に襲われるのは辛いだろう、が、まだまだ描ける力と腕とをもっている。
長編小説『お父さん、繪を描いてください』の「お父さん」は高等な画論なら文章でいくらでも書く。だが、繪が描けない。そして杉原君と同じ病に沈みかけている。画家にとって書き言葉は遁れようのない中毒に陥る猛毒なのだ。いま、わたしのすぐ近くにこの「お父さん」が西銀座の地下の小店で、わたしにつよく請われて即座にボールペン一本で描いたわたしの「顔」の繪がある。ものの三、四分間で、めまぐるしい線の舞が描き出したわたしの顔は、どんなに善く撮れた写真のわたしよりも生き生きと生きている。中学生のころから天才をうたわれ高名な先輩画家達から賞賛され入選し入賞してきた洋画家だ、なのに描かなくなってしまった。描けなくなったということか。グレン・グールドを聴きサイードを読み、西洋美術史を汲んだ斬新な画論なら執拗なほど熱心に書いて寄越すのに、年々に繪は描けず、年々に鬱の海に沈んでいる。気の毒でならない。
2013 10・6 145

* 京都の若き洋画家池田良則さんの「逍遙スコットランド」と銘打った展覧会案内とオープニングパーテイーのお誘いに添えて、国立新美術館での「日展」、永井画廊での白日会デッサン展の招待もあった。大きな美術展での蟹歩きにまだ少しからだの信頼が足りなくて、石本正さんや上村淳之さんらの「創画展」招待も三浦竹泉さん、江口晃さんらの「新匠工藝会展」招待も、失礼を余儀なくされた。せめて歌舞伎座に近い永井画廊には行ってみたいが。がロウにはも廻転
2013 10・28 145

* シャツの胸ポケットに入るほどちいさなデジカメを買ったのが2004年だった。以来八年、九年。いろんな写真を撮りためてきた。中でも花の写真が八百数十枚もあり、とにもかくにも、魅されればどこででもカシャッ、カシャッと撮ってきた。それなりに佳い日記のように並んで、見たくなればいつでも繰り返し好きなだけ眺めている。あ、この花は、あのときのあそこでそれからどうしたこうしたと思い出せる。こころもちよく、静かな気分にも燃え立つような元気にもなれる。花は佳い。木の葉、草の葉も、蔓の葉も美しい。東京暮らしではとりたてて風景になど魅されること少なく、わがものという愛着が湧かない。花の表情には、ときに声も聞こえそうな言いしれぬ波動がある。いとおしくなる。
2013 10・31 145

* 京は祇園の何必館・京都現代美術館から、没後45年の「山口薫展」の招待が来ている。好きな画家で、館の梶川芳友にたくさんみせてもらったこともある。何必館には思い入れの画家であり、そぞろ懐かしい。明けて一月下旬まで、それまでに京都へ行く元気が出るかなあ。
金沢の細川弘司君が東京藝大のころの恩師と聞いている。彼と京都で久々に再会など楽しいのだがな。
歯医者へ行って帰ってきて、それでもけっこう疲れるのだからな。これでは、いかんのです。冒険心を振り起こさないと。だれか誘い出してくれませんか。
2013 11・18 145

* 竹田の『山中人饒舌』で、池大雅、与謝蕪村の「評価」など、心うれしく大きく頷き頷き読んだ。竹田は、大雅を「正」と、蕪村を「譎」としているのを蕪村に酷という思いを永くもってきたが、訳解の竹谷長二郎氏の理解では、決して上下ないし正否の意ではなく、大雅の真正直な筆意の働きに比し、蕪村のいわば俳味を帯びた趣向の筆意を謂うていると。それが正しい田能村竹田の理解とわたしも思う。中野三敏九大名誉教授や河野元昭東大名誉教授の、「『山中人饒舌』を抜きにして、江戸絵画を語ることはできない!」という推讃は謂えている。佳い本である、本物の本とはこれであろう。
2013 11・19 145

* 伊勢崎の杉原君が、病と闘いながら、数枚のデッサンをコピーして送ってきた。とても丁寧に果実が描かれている。すこし慎重すぎるかも知れない、が、コピーではやはり性根は分かりづらくもある。しかし繪を描こうと立ち向かってくれると嬉しい。どうかして気の病に負けないで描きつづけてほしい。
2013 12・17 146

* 黒田茂樹という十八、九わたしより若い練達の版画家がいる。日動グランプリ展や日本現代版画大賞展などで若い頃から受賞してきた人。この人のモチーフの一つと謂うことのできる走る車輪の繪を、若い友人の結婚祝いに贈った。
ブッダの転法輪ではないが、結婚とは、或る輪のごときを左右から支えささえ転がし続けてゆくようなものとわたしは思っている。黒田茂樹の、素敵にモダンな彼青年期の代表作をどうか新婚の日々身近に眺めてほしい。
2013 12・18 146

* 画家竹内浩一君から「星星会展」の案内に添えて手紙と画集が送られてきた。メンバーは他に、下田義寛、田淵俊夫、牧進の三氏。竹内、田淵両君には選者時代に京都美術文化賞を受けて貰っている。竹内君は日吉ヶ丘高校の後輩でもあり、当代きっての俊英と知られている。

☆ 秦恒平先生
ごぶさたお許し下さい。
お体の加減はいかがでしょうか。
師走に入って随分さむくなりました。呉々もご自愛ください。
「星星会展」は各年おきに開催し五回展をもって終了いたしました。この度、五回展をまとめた全作品、80点を日本橋、高島屋8Fホールで展覧会をいたします。
正月のこと家庭でゆったりされているところですが、是非ともご覧いただきたいと存じます。 竹内浩一
2013 12・24 146

* 染織作家渋谷和子さん作のテーブルセンターとお手紙を戴く。

☆ 度重なる御芳情拝受し乍ら
御無礼のまま今年も余日一週間ばかりとなりました。
御不快の中での次々意欲的なお仕事ぶり、いただく新刊書を私の気つけ薬として拝読させていただき乍ら、 余りに不甲斐なく過ぎる己と闘う日々の私です。お赦し下さい。
何とぞ 何とぞ御自愛ひたすらに 良き春をお迎え下さいます様、来る年が地球上に平穏をもたらします様、祈りつつ、有難うございました。
間の抜けた御礼迄  合掌
秦恒平先生    渋谷和子

* 渋谷さんにはむかし、新潮社新鋭書き下ろし作品としての『みごもりの湖』の装幀をしてもらった。ずっと後年、梅原猛、石本正、清水九兵衛さんらといっしょにわたしも選者の一員だった「京都美術文化賞」を受けてもらっている。久しいお付き合いになる。
2013 12・27 146

* 迎春の飾り、片づけなど。前者は簡素に。後者はほぼ現状のまま、ま、モノを物陰に押し込む程度。二人と黒いマゴと。老齢をわるく無理押しすれば大きな躓きを起こすおそれだけ。難なく難なくと。昔のように来客を迎える余地の全くない家である。格好をつける余裕も気もなく。
それでも居間には鵬雲斎若書きの壽の大字に瑞運の霊(たま)を描いた大軸を掛け、永田隆子作金銀彩の大壺を、玄関には幕末の好きな画家秋石が描く「蓬莱」の長軸を掛け、川井明子総理大臣賞の備前大壺を置いた。玄関にも居間にも干支の馬を置いた。カレンダーも上村淳之さんのやいろいろ届いているが、掛け替えは大晦日のことに。
2013 12・28 146

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