* 明日、七草粥の朝早くに、湖の本114が出来てくる予定。十一日には、我當が今年一番に「翁」をつとめる初春昼の部の新橋演舞場。十二日には歯医者へ。十四日月曜には俳優座劇場で山田太一さんの芝居。十五日には聖路加眼科へ。その翌日にも地元の佐藤眼科へ。十七日の大相撲十二日目は、まだ決めていなくて、十八日には演舞場の夜の部と、春から楽しみも満杯の大忙し。ぐっと気も体もこらえて乗り切りたい。腫瘍内科の今年初診は、二十四日木曜日。月末には、劇団昴の公演に。これでも昨年の毎月よりはラクかなあ。怪我だけは、無理も、したくない。
2013 1・6 136
* 明日は俳優座に招かれている。山田太一さんのドラマ。そのためにというのではないが、湯に漬かろう。
2013 1・13 136
* 俳優座の招待を、今朝の大雪をみて、辞退した。傘と杖とで両手をふさがれてよろければ転倒しかねない。明日は聖路加の眼科診察日だが、路面の凍結は今日以上に危険と思われる。きつい寒さで、容易に解凍しそうになく、これも明日電話で日延べを願おうと思っている。
十分仕事も用事もした。眼はもう機械の字が見えぬほど霞んでいる。洗眼して、やすみます。
2013 1・14 136
* 二世荻江壽友が亡くなり三回忌追善の荻江演奏会を三月二日、日本橋劇場でと、荻江壽永の招待案内があった。番組には、私の作詞、壽友が作曲の「細雪」も出ている。荻江壽々らが唄い、三味線のほかに米川敏子の琴も。正午に始まり七時まで。行ってみたいが。さて。水天宮に近い劇場には望月太左衛の囃子鳴物の会で行ったことがあり、その辺で鮓の店にも中華料理の店にも独りで沈没し、おどろくほど大食いした覚えがある。
2013 1・19 136
* 秦建日子の連絡在り、つまり広告希望か。
☆ 劇団「秦組」次回公演のお知らせ!
次回で、第五回。
演目は『タクラマカン』。
何度かワークショップの卒業公演ではやりましたが、本公演では久しぶりです。
演出、いろいろと変えていくつもりです。
次回も「らんTRIO」のメンバーが生演奏で参加してくれるのも楽しみです。(音楽部、ひとり増えて4人になるので、「らんQuartet 」と呼ぶべきかも)
秦組としては、初の地方公演もあります。
関西在住の方、この機会にぜひ☆
●劇団「秦組」 vol.5 『タクラマカン』
★公演
・ 2013年5 月31日(金)~6 月10日(月)
東池袋 あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)
・ 2013年6 月11日(火)
大阪 サンケイホールブリーゼ
★チケット
前売5,800 円 当日6,000 円(全席指定)
一般発売:2013年4 月6 日(土)
* 「タクラマカン」は、熱の入ったドラマ。何度も観てきたが。どんなふうに組み替えて演出するのかな。
2013 1・21 136
* 明日は、アウルスポットで劇団昴らの混成舞台を観に出かける。
明後日はもう二月、早速歯科治療。歯は、肉も落ち、何カ所かグラついている。
2013 1・30 136
* 劇団昴の「イノセント・ピープル」は再演で、それなりに仕上げが丁寧で、感銘を誘い、上々の舞台になった。原爆を創った技師連中の同窓会を年次を追って重ねながら、徹してアメリカ人の側から「原爆成功」に有頂天になり、「ジャップ」はじめ他国民俗への侮蔑感が優越感を盛り上げるという作りのなかから、それに徹する者たちと、ヒロシマ・ナガサキに悔い苦しむ者たちが生まれつつ、高齢化して多くが死んで行く。主役技師の息子は海兵隊に入ってベトナムで廃兵となり、娘は日本にわたりヒロシマで被曝青年と結婚して被害者達の救護に献身しながら死んで行く。老いた父と息子とは娘の葬儀にヒロシマを訪れ、娘の夫や被爆者たちとの苦渋に満ちた対面・対話・詰問となる。
見応えも満点、問題意識の展開も十二分にリアルで甘くなく、これに比べると、俳優座の「いのちの渚」は熟さなかったと、よく分かった。今日の芝居は、建日子にも観てもらいたかった。「劇団昴」の公演は、ほとんど駄作がなく、いつも新劇のアピールに胸を押されてくる。出かけていって、よかった。
* 「寿司政」で食べ過ぎたためか、抗癌剤のためか、がくっと潰れたようにしんどくなって帰ってきた。ま、いつものことで、だから苦痛に耐えられないというのではない。じいっと瞑目したままやり過ごすだけ。帰宅後には、相応に仕事が出来た。
2013 1・31 136
* 俳優座の三軒茶屋での公演に招待がきたが、今日只今の体調で三軒茶屋は遠すぎる名あと思っている。
2013 3・7 138
* 俳優座劇団代表だった女優大塚道子さんとの「お別れの会」へ劇団からお誘いがあった。俳優座とはもう半世紀近い親密のなかで、わたしは大塚道子の舞台をいつも敬愛してきた。わたしの脚色した、ラボ教育のための『かぐやひめ』では、大塚さんがかぐやひめの媼役で録音して下さった。竹取の翁役も、さきごろ亡くなった名さん優だった。
大塚さんとは劇場で出会うといつも静かに懐かしい会釈があった。「お別れの会」は稽古場でと案内されている。体調がよければ、と、思う。
2013 4・11 139
* 秦建日子が五月末からの秦組公演「タクラマカン」のチラシを送ってきた。期待している。東池袋アウルスポット公演のあと、大阪へ移動してサンケイホールでも公演と。この演目は、繰り返し繰り返し改訂を加えながら公演してきた、作・演出建日子の財産で、「らん」とともに代表作といえる。若い顔ぶれで元気な、アピールの強い佳い舞台になるだろう。ブログにこんなことを書いていた。
☆ タクラマカン
壊して壊してまた創る。
舞台の稽古が始まると、情緒が不安定になる。
センチメンタルな感情によく襲われる。
と同時に、怒りっぽくもなる。
疲れる。
自分で自分の戯曲を「壊す」作業が続く。
書いた時はあんなに気に入っていたのに。
でも壊す。
より面白くなる可能性を感じたら、とにかく一度壊す。
壊して壊してまた創る。
秦組の稽古が始まって一週間くらい。
「タクラマカン」はどんどん新しい芝居になってゆく。
今回は初めて、戯曲を製本して印刷した。
でも、戯曲通りのシーンは、既に半分も無い。
キャストはみな輝いている。
その輝きに、演出家はいつも嫉妬をする。
稽古時間は連日10時間。
みんな、稽古初日からほとんど台本を持っていない。
誰も手を抜かない。
誰もネガティブな空気を出さない。
時間が濃い。
脳をとにかく回し続ける。
演出家のアイデアが止まってキャストが「待ち」になる時間が嫌いだ。
甘いものを食べ続ける。
当然のごとく太る。
明日ももちろん稽古だ。 秦建日子
2013 4・30 139
* もう何がなにやら世の中が情けなくて、自分自身も情けなくて、新聞もニュースもイヤになった。ほんとうに荷風晩年のあとを慕おうかと思ってしまう。
☆ 時運 の内 陶淵明
斯の晨(あし)た 斯の夕べ 言(ここ)に其の廬(いほり)に息(いこ)ふ
花薬 分列し 林竹 翳如(えいじょ)たり
清琴 牀に横はり 濁酒 壺に半ばあり
黄唐は逮(およ)ぶ莫(な)し 慨き獨り余(われ)に在り
* 黄唐は古の聖帝 黄帝と唐堯
* 陶潜ほど上等には出来ないが、思うまま歌も句も績み紡ぎたい。飛呂志の悠然雄渾の「鯉図」に励まされている。
楽しみはは、惜しみなく作り出す。
歯の治療をはさんで、やがて明治座の花形歌舞伎は、染五郎、勘九郎、七之助、愛之助。「実盛物語」「与話情浮名横櫛」「将軍江戸を去る」「藤娘」「鯉つかみ」と十分楽しめる。すぐ続いて新歌舞伎座の五月興行も、第一、二、三部とも終日盛りだくさんの名狂言をたっぷり楽しむ。そのあとへは、大相撲夏場所の席がとれてある。白鵬、朝青龍の優勝回数25回にぜひ並んで欲しい。そして月末か六月初めには秦建日子作・演出の「タクラマカン」に期待しています。
あ、そうとばかりは行きません。今日責了紙を送った「湖の本」116『ペンと政治( 二下 満二年、原発危害終熄せず) 』が十七日には出来てくる予定。力仕事の発送がある。ややや。
* さ、入浴。 その後、また小説を書き継ぐ。
2013 5・4 140
* 「タクラマカン」は、どのように進行しようとも、ぐんぐん盛り上がって行き、後半、かならず観衆を惹きつけ感動させることをわたしは承知しているので、展開も作意も主張もほとんど熟知しているので、用意してくれた劇場真中央の絶好席で、終始胸をひらいて舞台に見入っていた。
街なかの「人」たちと浜辺育ちの「人でなし」たちとの、無残な差別・被差別に充ち満ちた激動・激突。そして虐げられた者たちの、「人でなし」も「人でなしでなし」もいない海の彼方へ移住の夢、無残に哀れな脱走の夢が、シュールなリアリズムで描かれる。「軍」や「街の者」らの暴圧と、あえない「浜辺のもの」らの抵抗と。その激突が、容赦なく押し切るように描かれて行く。
舞台は、むしろ名付けて「クライ」と謂いたいほど、誰もかも叫んでいる。絶叫している。滑舌が利き言葉の聴き取れる演技者は、ほんの数人。主役も主役級のも、ほとんど台詞は聞き取れないほど絶叫している、猛烈な早口で。それに相応して、若い演技者たちの運動能力には目を見張る確かな訓練、つまり演出が行き届いている。複雑な人の出し入れも、スピーディーに適確でみじんも渋滞しないし破綻しない。
つまり「タクラマカン」は、尋常な台詞劇ではなく、激闘に近いいわば舞踊劇の魅力を遠慮会釈なく燃え立たせた舞台になっている。それでいて、作の表現も、主張も、悲哀も、憤怒も、まぎれなく観客の胸に浸透していたと思う。言いたいこと伝えたいこと、それもあまりに怒りや歎きや不条理の烈しい場合には「言葉」は伝達の役に立たない、肉体の躍動が暴力の域にまで燃え上がらねば伝わらない、とでも作・演出家は、いわば「科白」というものの半ばも即ち「白・ことば」への依存を叫びに象徴させておいて、ひたむきに「科・肉体の躍動」に賭けた。わたしは、そのように舞台を受け入れて、それも是とする。
わたしの観劇体験でいえば、優れた一流の舞台で「科・白」がみごと渾然協同しているのが常である。「ラマンチャの男」も「ひばり」も「勧進帳」も「熊谷陣屋」も「天守物語」も「海神別荘」もその通りであった。それが舞台の王道とされている。そのことは、「タクラマカン」の作者も演出家も演技者も、よくわきまえていては欲しい。その上で烈しく熱く「クライ」したいなら思い切り叫べば好い。ただその際にはまた思い切り強く美しく烈しく「動き・働いて」欲しい。
2013 6・5 141
* 秦建日子の「秦組」は昨日東池袋のアウルスポットでの「タクラマカン」公演を打ち上げて即座に、大阪へ移動。今晩一晩ながら産経ホールで初の大阪公演。つつがなく終えたろうか。久しい読者の岡田さん母娘を招待したが、無事に観てもらえたろうか。娘さんは阪大大学院で演劇学専攻の博士課程とか。きびしく観てくれたろうか。
それにしても、あの中学入学の子が、りっぱに大きくなったものだ。
2013 6・11 141
☆ こんばんは。
11日は「タクラマカン」にご招待いただきありがとうございました。
舞台を観に行かせていただいてからあっという間に日が経ち、お礼を申しあげるのが遅くなって失礼いたしました。
大変パワフルな舞台でしたし、東京・大阪間の移動もありましたが、建日子さんはじめ劇団の皆様方のお疲れも、少しはとれた頃でしょうか。
さて、秦組の舞台「タクラマカン」、本当に面白く、手に汗握りながら夢中で観通しました。
うかつにも秦組に関しての予備知識全く無い状態で出かけた私たちでしたが、舞台が始まってすぐ、長い間会いたかったものにやっとまた出会えたような懐かしさ、予感を覚えました。
舞台は、期待通りに広がって行き、ふくらんで行き、大きく立ちあがりました。
物語の世界観にも、役者さんたちのけなげなまでの熱演にも、心から感動しました。
十九年前の建日子さん独立第一作目の作品ということですが、若き日の作品らしいみずみずしい熱気にあふれつつ、かつ今を生きる若者たちの物語にもなり得ていると感じました。
十九年前の建日子さんとほぼ同じ年齢にさしかかっている娘には娘でまた別種の感慨があったようです。
しかし、観終わって夜の道を歩きながら、二人ともなんともいえず充たされた思いでした。
秦建日子さんという作家、秦組という劇団に出会えてよかったなという安堵感かもしれません。
四度のカーテンコールをした大阪の観客たちは皆私たちと同じ思いだと思います。また大阪公演をしてくださるのを待っていますと、建日子さんにどうぞよろしくお伝えください。
ありがとうございました。
おやすみなさい。 大阪市 祥
* 今にして思えば、大阪には松尾さんもおられた、観てもらえていたら、あの「タクラマカン」だ、松尾さんならではの批評が戴けたろうに。惜しいことをした。
* よく、秦さん、ほんとにお付き合い広いですねと驚いて下さる人がある。そういえばそうでなくもない、ただ「お付き合い」といっても九割がた、お目に掛かったこともないのだが、まさに「濯鱗清流」のありがたみに浴してきた。今も浴している。錚々たる学者・研究者も、作家・批評家も、詩・歌・俳人も、美術家も、演劇家も、政治家も。まさしく淡交、それでいて多年心親しいお付き合いがある。いまなお増えている。もとより「いい読者」との、湖の本二十七年間よりももっと以前からのお付き合いも多い。とても大切に思ってきた。
秦建日子も、手の届く限りの狭い仲間内や業界だけでなく、もう少し各界の方とのお付き合いも心がけてはと、きどき思う。もう、いい歳のいい大人だ、出来て行きつつある「秦建日子の世界」を、驕らず、尻込みもせず、観ていただける機会は機会として生かしたらいいのでは。手伝えることは手伝ってやりたくもある。
2013 6・17 141
* 劇団俳優座が、九月、稽古場でチェーホフ「三人姉妹」をやるからと招待状を送ってきた。むろん招待を受けると返辞した、いつものように妻と出かける。むろん妻の分は支払う。
泉屋博古館からは「有田大皿特別展」の内覧会に招待してきた。これにもたぶん出掛ける。平凡社のやきものの旅と、NHK日曜美術館に出演とで有田へは二度訪れているし、「お宝鑑定団」で有田の大皿はよく登場し、妻もかなりの通になっている。出光で観た白磁の高雅とはおのずから品位はことなるけれど眼を楽しませてくれることは請け合い。楽しみにしよう。
さすがに九月となれば、猛暑の沈静とまではまだ望みにくかろうが、催しはいろいろ増えてくる。演舞場の幸四郎、歌舞伎座の染五郎、そして俳優座のチェーホフ劇、またいろんな美術展。
元気を奮い起こして、いい秋を迎えたい。願うは、ただただ視野・視力の安定。頼むよ、おい。
2013 8・16 143
* 現代演劇協会からも「本当のことを言ってください」という演劇のお誘いが来ている。「本当のことを」言い過ぎてはいけないと叱ってくれた人が中学時代にいたのを思い出す。「ほんまのことなんぼ言うても、わからへん人はわからへんの。わかる人は、なんにも言わんかてわかるのえ」と。この人の教えに、わたしは、生涯背きづけてきた気がする。言うても詮ない本当のことを言い続けて世間を狭く狭くしてきた気がする。
2013 8・24 143
* 九月になった。やす香あらば二十七の誕生日を祝ってやれたが。月々に思い起こすことのあるいわば記念の日を胸奥に埋蔵しているが、九月にとりたてて言う日付は、やす香誕生日がいえぬとなると、劇団俳優座によるわたしの「心 わが愛」初演の日であろうか。加藤剛「先生」を、立花一男が「K」を、香野百合子が「お嬢さん・奥さん」を演じてくれた。立花は惜しくも亡くなったと聞いている。
2013 9・1 144
* 十九日の俳優座稽古場「三人姉妹」招待は、翌日に妻の「検査入院」が決まったので、辞退した。今日から五日間は、外出予定なしに落ち着いていられる。夏バテを静めたい。
2013 9・15 144
* 「秦さんの本ならなにでも買います」と言ってくださっていた多年の「有り難い読者」東宝の後藤和己さんが亡くなったと、娘さんからお知らせがあった。帝劇の芝居にたくさん招いてくださり、とくに忘れがたいのは大好きな沢口靖子の『細雪』上演のおりは特別席に招かれ、さらに楽屋へまで連れて行ってくださったこと。ご冥福を祈ります。
選者の頃、京都美術文化賞に推し受賞してもらった漆藝家望月重延さんから、秋の新匠工藝展への招待が届いた。二十四年もの選者体験の中で、毎回三人の授賞者中、五十人近くはわたしが、あるいはわたしも、推して受賞してもらってきた。あの人、この人と思い出せばみな懐かしい。早くに強く推した楽吉左衛門さんには、わたしの退いたあとの選者を引き受けて貰っている。まだまだ若かった截金の江里佐代子さんは惜しくも亡くなられた。選者同士で仲よくして頂いた清水九兵衛( 六兵衛) さんも亡くなられた。わたしを選者に、財団理事にと推された橋田二朗画伯も亡くなられた。選考会を主宰されてきた梅原猛さんが幸いお元気なのが喜ばしい。
2013 9・21 144
* 俳優座から『気骨の判決』の招待が届いた。東条内閣のもの凄い干渉と不正の総選挙に、誰もが慴伏していたとき、敢然と選挙無効の判決を下した大審院第三民事部部長( 裁判長) 吉田久の芝居だ、この企画が、待望される「違憲」総選挙や違憲国会や違憲内閣や違憲総理らへの、各高裁や最高裁の決然とした「違憲無効」判決を促すものであるとは、たやすく期待できる。
舞台の成功を切に願う。岩崎加根子 可知靖之 そして香野百合子ら出演。ぜひ観たい。
* さ、今週は国立劇場で、「一谷嫩軍記」と「春興鏡獅子」。
2013 10・9 145
* 十二月、松本紀保出演の小劇場芝居、来春二月の松たか子主演のコクーン芝居、予約。
今月はなにかと気ぜわしく能を二日続きで、俳優座の新劇も国立劇場の歌舞伎もある。十一日には暫くぶりに聖路加病院オンコロジーの診察を受ける。検査もなく、あっさり済むかも。それだと、天気次第だが久しぶりに午後の街を独り楽しんできたいが。
2013 11・1 145
* 新宿紀伊国屋ホールで俳優座の「気骨の判決」を観てきた。実話を構成したドラマである。
昭和十七年、いわゆる「翼賛選挙」での国を挙げての不正選挙にかかわり、不正を訴えた鹿児島県の原告申し出を、三年もかけ綿密に調べ尽くした上で、時の大審院第三民事部は、さきの選挙は「違憲」であり「選挙無効」であるとの「判決」をくだしたのである。第三部部長判事であった吉田久の、まさしく「気骨」の判決、法の立場からすれば、「当然な」判決であった。
だが、世は、あの東条英機総理や軍の独裁的暴政の時機であった。いかに至難かつ身に危険な判決であったかは、平成の今日とはまるで環境がちがう。遁れがたくも「非国民」としての信じがたい「判決」であった。
慎重に慎重に、そして遂に吉田らがその判決を下したのは、昭和二十年、あの米空軍による絨毯爆撃に東京市の全域が壊滅した直後だった。
いかに大本営が必勝を叫び、破廉恥な偽の勝利情報に自ら酔いまた国民を誑かそうとしても、すでに日米彼我の戦力差は歴然としていた。
こんなこともあった、東京大空襲の少し前には、こんどのわたしの『歴史・人・日常』にも書いているが、あの戦中に日本の海軍は、日米海戦での「大勝利」という「真っ赤な偽」報告により、天皇をも欺き、陸軍には対抗的な功名心を煽りたてていた。だが事実は、米海軍の被害はごく軽微、日本海軍の惨敗は目を覆わせるほどだった。しかも米海軍の敗亡という偽の事実を信頼した日本の陸軍は、軽率かつ果敢にフィリピンでの日米決戦に踏み切ってた。結果は、殲滅というに近い惨憺たる敗け戦だった。それらの敬意は今日では詳細に知られている。だが、当時の大本営は日本の勝勢を過大に報じつづけ、国民は信じて日本の必勝を信じていた。信じさせられていた。
だが昭和二十年の東京大空襲は、果然、戦況の著しい劣勢を無残に国民の眼の前に曝した。例の違憲選挙の不正裁判に話を戻せば、それまでは吉田部長判事の「選挙無効」判決に当然のように抵抗し続けた民事部の他判事たちも、事ここにいたって軍と内閣の虚勢を見抜き、「大政翼賛という非政・悪政」への警鐘としても、「選挙を無効」とする判決にきっちり一致したのだった。ヒロシマ、ナガサキの原爆が、もう目の前に迫っていた。
* さて、竹内一郎作・川口啓史演出・俳優座公演の「気骨の判決」とは、そういう「裁判」物語を通しての、まず間違いないであろう今日の「違憲選挙」等を非難する「アピール」劇であった。
* だが残念ながら、舞台は低調、ただただ裁判経緯の「説明」にのみ推移して、そこに「演劇」のもつ本質の「劇」性が、「劇」表現の魅力が全然欠けていた。
上にも謂うように、物語・事件じたいは「甚だ簡明」で、入場時にもらった筋書きや、前もって家にも送られていた「コメデアン」紙にも目を通していれば簡明しごくに分かりよくて、「分かりにくい事情」など、ちっともない。それでいて舞台は、こまぎれに繋いだいろんな小場面の只の連続で、まるで「紙芝居の絵解き」よろしく、ひたすら裁判沙汰を「説明」し続けるだけであった。俳優が、みな、絵解き人形のように使われてしまい、科白も、「ことがらの説明」のためにだけ味わい薄く耳に届いた。「劇」言語のもたらすべき感銘も興奮も、ゼロ。「劇」という文字の迫力、「ドラマ」に呑まれて行くいい意味の凄みなど、何も無かった。熱烈な共感の拍手は湧き起こらなかった。カーテンコールも全然無かった。
吉田久を演じた加藤佳男は、はっきり言う、好演していた。だが、岩崎加根子や可知靖之らの手に汗する芝居を楽しみに期待していた身には拍子抜け、ただもう「科白付きの絵解き人形」をただ強いられていた俳優たちが気の毒だった。
台本が、出来ていない。演出に悪戦苦闘の汗のにおいもなかった。お話をただ分かりよく聞かせてもらっただけ。
* 「吉田久」その人の「気骨の判決」には胸も熱く感動するし、いまの司法、いまの大審院ならぬ最高裁判事にも、心して見ならって欲しいと願うが、只それだけでは、お話の筋が、おかげでよくよく分かりましたと感謝するにとどまる。「演劇」を楽しみに劇場へ出向いた甲斐が無い。劇的感動は、まるで得られずじまい、舞台劇の余韻など滴ほどものこらず、ホールから出てしまう前に、もう舞台のことは頭から失せていた。吉田久という実在した裁判官達への深い敬意だけを持ち帰ったが、その敬意なら、「気骨の判決」に招待しますと俳優座から通知されたときに「十分」胸に湧いていた。俳優座劇団の舞台が、それにどれほどの「劇的感動」を積み上げてくれたかどうか、それが「演劇」であることの問題なのだ。
盛り上がりの丸でない舞台だった、残念至極。
* 伊勢丹で、妻に似合う帽子を見つけ、七階の「魯山」で寿司を食って帰ってきた。
* キッチンで仕事・作業をしながら、沢口靖子の「科捜研の女」 米倉涼子、内田有紀の「ドクターX」を楽しみ、さらに、韓国ドラマの名医もの「ホジュン」も楽しんだ。いずれも緊迫した面白いいいドラマであった。紀伊国屋まで出かけていった甲斐がなかったなあと、また思わせられた。
2013 11・21 145
* 読書の楽しみは少年の昔から、ほぼ生来のもの。もう一つの楽しみ、能・歌舞伎・演劇などり舞台好きは、いわば人生の所産。ことに、いつ頃からであるか、妻が、ほとんど見向きもしなかった歌舞伎にぐんぐんと身を乗り出してきてからで、観劇は一人でよりも隣席に連れのある方がなにかと喜ばしいのである。海外へも出ず国内の旅さえ控えがちにしてきた我々が連れ立って楽しめる歌舞伎や新劇は格好のばになった。
太宰治賞を受賞し作家生活に入ると程もなく、わたしは、本間久雄さんという読者とのご縁から、俳優座劇団の公演を観に行くようになり、いつしか劇団から毎回の公演に招待されるという嬉しい慣いが今日にまで続いている。それどころか加藤剛主演での漱石原作「心 わが愛」の脚本まで書かせてもらった。たいそう興味深い体験だった。後には、つかこうへいの弟子としてデビューした息子秦建日子が自作・演出する小劇場超満員の芝居も応援と批評かたがた楽しんで観に行くようにもなった。
俳優座との縁よりなお少し早く、歌人で喜多流の馬場あき子さんの手厚い手引きで、まず喜多流から、東京での能・狂言を楽しむ生活も始まった。喜多(実・得三、節世、昭世ら)、観世(榮夫)、梅若(万三郎)らの能をそれは沢山楽しませてもらってきた。
歌舞伎は作家生活に入ってからときおりには観ていたが、妻が一緒に歌舞伎座や国立劇場に着いてくるようになって、一気に爆発的に歌舞伎づけになった。歌舞伎を観ないつきなど無いほどよく歌舞伎座へ、国立劇場へ、演舞場や明治座まで、さらには大阪・京都・名古屋へまで脚をのばすこともあった。
わたしは、いわゆる通ではまったくない。能でも歌舞伎でも新劇でも、何の蓄えもなくただ好きで観るだけのど素人の分際で、好き勝手に褒めたりくさしたりの好き勝手をさせて貰っている。最低限、妻と二人で面白かったりつまらなかったりするそれだけで楽しんでいる。多年、がんばってきた自分たちへのボーナスだと思っている。幸い高麗屋さんとも松嶋屋さんとも親しみのご縁が出来て、なにかと有り難いお世話になっている。お世話になるのをさえ喜んでいるような次第。
大病の前は、もう一つ、飲んで食うというたのしみを大事にしていたが、これが、まだまだ情けないほど回復していない。案外にそれが善いことかも知れないし、よくないのかも知れない。
ともあれ、十九日には松本紀保らの「治天の君」という芝居を楽しみ、誕生日には歌舞伎座へ。
もう一月歌舞伎座の通しの座席券も届いている。二月には染五郎らの昼夜二つの通し狂言が待っている。中村福助の七代目歌右衛門襲名は実現するのだろうか、からだをしっかり直して溌剌とした出世襲名を期待する。三津五郎にも仁左衛門にも早くよくなって復帰して欲しい。
2013 12・15 146
* 今日の下北での芝居「治天の君」 体調よからず冷え込みもするので急遽キャンセル。
2013 12・19 146
* 芝居行きをキャンセルしたぶん、終日気もゆっくりといろいろ出来た。有り難かった。
2013 12・19 146