ぜんぶ秦恒平文学の話

歌舞伎 2014年

 

* なんとなしウロウロしドキドキしている。選集造本の最初の打ち合わせが、明日午後に。湖の本レベルなら自前の編輯力でほぼ問題なくやれてきたが、造本・装幀となると体験的には未知の畑。助けてもらわねばならない。この打ち合わせが済めば、息をついで念入りの校正に励まねばならない。次の湖の本に何をとも手がけて行かねば。
明後日は、新春の歌舞伎座。昼開幕には我當の「時平の七笑」があり、夜の開幕には藤十郎、幸四郎、吉右衛門、梅玉、魁春らの「山科閑居」が期待のお目当て。小浪役に誰が福助の代役で出るか。七之助か。
幸四郎の「石切梶原」 吉右衛門の「松浦の太鼓」という兄弟での競演も楽しめる。染五郎ら若手の演目も楽しめそう。
2014 1/7 147

* 歌舞伎座昼夜通し。高麗屋、松嶋屋からめでたい「お年玉」を貰う。

* 昼の開幕「天満宮菜種御供 時平の七笑」は、歌六演じる菅原道真の左遷遠琉を慰め励まし顔に実はあざけり笑う若き藤原の貴公子時平に成りきって片岡我當の独り舞台。ま、猪瀬直樹を突き落としておいて高笑いしていそうな前知事のようないやなやつだが、眉目秀麗の若き権勢を凛然とかつ狡猾に見せてくれた。
幸四郎の石切梶原はもう何度も。鑿づかいの神経質なほど精緻にこまかい芝居。いますこし鷹揚な線で彫り込めてもいいのでは。錦之助の俣野がすこし意外だった。高麗蔵の娘梢は達者にやるが、可愛くなろうとすると薹が起つ。
吉右衛門の松浦の殿様は無意味に軽く演じ過ぎていた。山鹿太鼓の鳴りへの反応など流石だが。俳句宗匠の其角を歌六はそつなく演じ、大高源吾妹お縫役の米吉がすこぶる愛らしかった。玄関先で梅玉が語る討ち入り話など、言も詞も不明瞭で間延びがしこの場面蛇足の感じ。この芝居は少年の昔南座での初世吉右衛門や市川壽海の佳い松浦侯を観ている。観客にあはあは笑わせるがサキの芝居ではあるまい。
「おしどり」は、橋之助の踊りがへたで、退屈して寝た。染五郎の踊りは段違いに成駒屋を抜いていた。踊れることか彼の歌舞伎を確かなモノにしつつある。

* 夜の開幕「山科閑居」は期待の舞台。藤十郎戸無瀬の浄瑠璃を生かした上方科白の独特の洗練がおもしろく、福助代役での扇雀小浪が懸命に娘役に食いつくように丁寧に演じていたのがしおらしく、たいへんな努力賞もの。魁春の姿の佳さ、行儀の正しさがお石をくっきり描き出してこれも秀逸。
そしてもとより焦点は、幸四郎の加古川本蔵。寸分の狂い・誤差無く、梅玉力弥の槍を受けてからも、悲愴でなく毅然と演じ尽くして、ま、当然の大役を果たした。要所の言葉がいますこし聴き取れると有難い。何度観ても「山科閑居」には感心する。吉右衛門の大星由良之助はやや冷淡にお高い。いますこし舞台に骨身をうずめても害には成るまいに。
「乗合船恵方萬歳」は、梅玉・又五郎の萬歳藝が期待以上に面白かった。たの連中はまあまあ見せた。なかで、これまで危ぶみ観ていた児太郎が無難に踊ってみせてくれ、安心した。末は福助になり成り駒屋を背負ってもらわねばならない。橋之助も弥十郎もロクに踊れていない。扇雀、孝太郎などはきちっと女形のからだを見せてくれる。
大喜利の染五郎懸命の新作、井上ひさし原作の「東慶寺華だより」は、単なる駄作で、妻が横で観てなかったらさっさとクラブへ美味い酒を飲みに走っていただろう。しきりに「アベコベ」という物言いをしていたので、ひとつ「アベノミクスの悪しきアベコベ」をでも絡めてくる才気と批評が欲しかった。井上ひさしの原作がそもそも、愚作。染五郎のもっとむかしの新作舞台には「決闘高田の馬場」でもおもしろいのがあった。復活モノでは愛之助とねっとりと競演した色気の火事場ものなども意欲的だった。しかし江戸川乱歩モノの不自然な新作など、どうも新作への意欲が空転している。新作歌舞伎は現代への痛切な愉快な批評であってほしい。
ま、秀太郎と翫雀の上方にわかは面白く観たが、あれはあの二人もちまえの手柄。

* 歌舞伎座をひけたあとの寒く冷え切っていたこと、風も吹いて。幸い雨にも雪にも遭わなかった。
2014 1・9 147

* 昨日歌舞伎座で幸四郎夫人から、やがて封切りの松たか子主演映画の切符を貰ってきた。以前としてわたしは日本の若い女優の中で松たか子の実力をほぼ最高位に評価しているのだ、楽しみに、妻と見にゆく気でいる。
2014 1・11 147

* 二月には、暫くぶりに松たか子の芝居をコクーンで楽しむ。染五郎ら若手の歌舞伎もある。そしてもう三月、四月の歌舞伎座の誘いが来ていて、高麗屋、松嶋屋に手配を頼んだ。柿葺落一年をしめくくる三月は昼夜とも充実、
昼は、若手に花をもたせた「壽曽我対面」、音羽屋、播磨屋の「身代座禅」、山城屋成駒屋の父子に我當、秀太郎の松嶋屋兄弟の「封印切」、玉三郎が伸び盛りの七之助を引っ張る趣向で「二人藤娘」、夜は幸四郎の「加賀鳶」四幕、吉右衛門、菊五郎、藤十郎の「勧進帳」、大切りに玉三郎、勘九郎で近松の「日本振袖始 大蛇退治」が存分楽しめる。
四月は歌舞伎座新開場一周年記念。我當、時蔵らで目出度く「壽春鳳凰祭 いわふはるこびきのにぎはひ」、次いで松本幸四郎「鎌倉三代記 絹川村閑居の場」、ついで病を克服して坂東三津五郎と又五郎で「壽靱猿」は、ぜひとも大和屋の元気な登場を願いたく、大切りはなんと人間国宝山城屋「坂田藤十郎一世一代にてお初相勤め申し候」近松門左衛門作の「曽根崎心中」とある。治兵衛は当然に成駒屋の翫雀。左團次、東蔵が付き合う。「一世一代」で勤めるとは今後はもう観られないぐらいの意味である。
夜の部は、今回はやすんで、その日、妻の七十八歳をどこかで美味しく祝ってやりたい。夫婦して元気に迎えたい
2014 1・25 147

* 歌舞伎座。とちりのと席で視野開けて絶好であったが、遠用眼鏡が見えにくく、今日は、舞台をおもに科白と繪がらで観ていた。  近年珍しい通し狂言での「心謎解色糸 こころのなぞとけたいろいと」小糸左七、お房綱五郎を、染五郎・菊之助、松緑・七之助でみせた。芝居そのものは四世南北ものとしてはお安い筋だが、そこは「花形」が気張って見せ、秀太郎、歌六、高麗蔵らが手堅く支えた。染五郎奮闘、菊のゆたかな色気、七の意気、そして松緑の手堅さ。楽しみました。染五郎夫人が喫茶の「檜」まで挨拶に追ってみえた。愛らしいすてきな高麗屋の若女房で、笑顔一つでこっちも晴れ晴れする。
はねて、有楽町まで歩くというので歩いたが、用事をもってビックカメラに入って出た、その辺で妻が貧血ぎみにダウン。がんばって「レバンテ」まで歩いてとびきり美味い生牡蛎や牡蛎のクリームシチュウーなどを赤いワインで食べて、息を吹き返した。期待して行き、期待通りのじつに佳い牡蛎だった、妻が四つ食べ、わたしは二つ。「レバンテ」なんて、何年ぶりだろう、八、九年も来なかったのではないか、懐かしかった。いまの店に移る前は有楽町駅のすぐ前の角店だった。ロシアからきたエレーナさんを作家達で歓迎したこともあった。むかしから、旬の牡蛎のとびきり美味いビヤホールで、八九年前に来たときはフライが美味かった。
有楽町からはまっすぐ保谷へ帰ってこれる。便利になった。
2014 2・20 148

* 五月明治座夜の部で、市川染五郎がケレンの早変わり『伊達の十役』に挑戦する。番頭さんに予約を終えてある。
三月には昼夜、四月にも昼の部の歌舞伎座が楽しめる。新しく処方箋ももらえたこと、それまでによく合った眼鏡を新調したい。
2014 2・23 148

* 終日歌舞伎座で芝居を楽しむ。演目がおおよそすてきに宜しく、楽しめもし泣きも笑いもした。
一の感動はやはり「勧進帳」で、吉右衛門の弁慶に気力と藝力と漲り、藤十郎の義経とも菊五郎の富樫とも、また歌六、又五郎、扇雀、東蔵の四天王とも、みごとに力感を美しく組み立てた。隅々まで心得また覚えている芝居なのに、とても新鮮な感銘に浸れた。泪が熱く溢れた。四天王の詰め寄りもみごとだった。きっちりした藝の出来る大人四人で必死に詰め寄り弁慶も懸命に抑え、芝居の一つの頂点を立派に実現した。菊五郎の富樫にしぜんと情けが滲み出た。
もう一つの感動と観劇は、玉三郎と七之助との「二人藤娘」で、大和屋がよく若い中村屋の手をひくように悠々と美しさの極みを踊って見せ、七之助も貴重な競演に懸命に美しく大きな松と藤との背景にとけ込み浮かんで、すてきだった。「勧進帳」と「二人藤娘」は甲乙のつけがたい上乗出来の舞台を展開してくれて、嬉しかった。有難う有難う有難うと感謝した。
もう一つを挙げるなら、これはもう「封印切」で。藤十郎の亀屋忠兵衛、扇雀の傾城梅川、翫雀の丹波屋八右衛門と、山城屋・成駒屋の親子でかため、松嶋屋の我當槌屋治右衛門と秀太郎筒屋おえんというとびきりの助演で緊密に組み上げた、上方芝居のうまみ、あわれ。藤十郎の国宝藝がすみずみまで発揮された。
もう一つ、これは大いに笑わせてくれたのが、わわしい奥方玉ノ井を吉右衛門が演じた、菊五郎の山蔭右京との「身替座禅」。又五郎の太郎冠者も手に入っていて、侍女役の壱太郎も尾上右近も愛らしかった。
幸四郎が二役を演じた「加賀鳶」は芝居そのものがかったるいので、じつに巧みに演技的確な高麗屋にも、気の毒すぎる演目だった。
大喜利での、神話に取材した「日本振袖始 大蛇退治」は、ま、派手な見もので、玉三郎が美女で現れ八岐大蛇に変化して颯爽の勘九郎素戔嗚尊に討たれるお芝居。稲田姫の米吉も愛らしく、八岐大蛇の表現にも工夫があった。大蛇が岩長姫の怨みの変化という趣向も、ハイハイと面白く。気分良く劇場をあとにした。寄り道はせず、帰った。
昼の部で、久しぶりにドナルド・キーンさんと場内で会い、久闊を叙し、握手し合ってきた。お元気であった。
2014 3・14 149

* すぐにも手をつけたい、つけねばならぬ仕事が目の前に大小犇めいて、ぼおっと、気が遠くなりそう、出しかける手が迷ってウロウロする。こんな時機がこの年齢になって来るとは思わなかった。エイクソと投げ出して寝てしまいたくなる。寝たっていいのである。それでも仕事の塊はほぐれないし減りもしない。やるよりない。何からやり出すか、それが肝腎の要である。エイクソ。
それでいて、数日でもう花は盛りを迎えそう。去年は花を観にも出なかった。ことしは行きたいと妻は言っている。誕生日が来ると妻も七十八歳になる。歌舞伎を昼の部だけにしておいた。そのアトにと思っているが、疲れがでて中だるみしないといいが。
四月歌舞伎座は柿葺落からまる一年も過ぎて、「一周年記念公演」ですと。歌舞伎座松竹百年ですと。商売上手でありますよ。
昼は、片岡我當君が座頭格で時蔵とならび立つご祝儀「壽春鳳凰祭 いはふはる こびきのにぎはひ」で始まる。
次いで大高麗屋松本幸四郎が、手だれの梅玉、魁春の三浦之助、時姫で、佐々木高綱を演じる大歌舞伎「鎌倉三代記 絹川村閑居」が、楽しみ。
加えて、「坂田藤十郎一世一代にて曽根崎心中お初相勤め申し候」とある。今後はもうこの大役はしないとの建前であり、息子の中村翫雀の徳兵衛とで渾身の藝を見せる。これはもう見逃せない。翫雀にはやめに鴈治郎を襲名して欲しい。資質は十分で期待している。
病気で休んでいた坂東三津五郎が、播磨屋の軽妙又五郎や伸びてきた息子の巳之助と、どうか元気でおめでたい大和屋の芝居「壽靱猿」を大いに愉しませて呉れますように。
で、そのあと、さっとどこかで花見して、なにか美味い物を食べましょう。
春だもの。花だもの。
2014 3・27 149

* 正午放映に転じた「徹子の部屋」での高麗屋夫妻を観た。舞台は数えきれぬほど観てきたし、手紙などは貰っているが幸四郎とまだじかに会ったことはない、その代わりに高麗屋の女房紀子さんとは歌舞伎座等のロビーでこれまた数えきれぬほどこの十余年、妻もわたしもお馴染みになっている。なにが何でも、怪我も病もなくお揃いでお勤めあれと願う。
この土曜には、幸四郎の「鎌倉三代記」高綱という剛毅な大役を観に行く。奥さんともかならず会う。佳い春芝居を楽しみたい、嬉しいことに片岡我當も出てくれる。三津五郎も病癒えて顔をみせるし、御大山城屋坂田藤十郎一世一代の「お初」にも逢える。櫻はまだ花盛りである。
そういえば今日高麗屋から三世今藤長十郎生誕百年を祝う今藤会二十七日の案内があった。幸四郎、三津五郎、染五郎三人が特別出演する。一日たっぷりと国立大劇場にひたって「独り」楽しんできたいと、もう座席を申し込んだ。
十九日土曜には、梅若万三郎の大曲「江口」のために最前列中央の席を用意してもらっている。美しく酔えるだろう。春爛漫。
2014 4・2 150

☆ re: 徹子の部屋と今藤会
先生からの嬉しいメールありがとうございます。
おめでたいバースデー!
お二人揃って何よりです。
今月も我當さんとご一緒の一座で。「ういろう」をいつも頂戴しています。ご親切でありがたく思っています。
歌舞伎座でお目にかかるのを楽しみにお待ちしております。  紀
2014 4・4 150

* 歌舞伎座、三列目花道間近な通路角席という絶好席で、新開場一周年、鳳凰祭四月大歌舞伎の昼の部を楽しんできた。今日を晴れ着の妻は七十八歳の誕生日を幸四郎夫人にはんなり祝ってもらい、嬉しそうだった。
開幕の「壽春鳳凰祭 いはふはる こびきのにぎはひ」は我當の帝を芯柱に、時蔵、扇雀、橋之助、錦之助らのはなやかな舞いが、美しい舞台とともにきっちり楽しめた。
「鎌倉三代記 絹川村閑居の場は」鎌倉時代のはじめに人も物も事も設定してありながら、大坂と江戸との葛藤を暗示するつくり、その敵味方の入り組んだ人間関係を冒頭にわかりやすく工夫してあって、そのぶん、幸四郎演じる藤三郎じつは京方佐々木高綱である趣向が大らかに生きた。前半、三浦之助(梅玉)と時姫(魁春)のかかわりように大芝居の濃厚さと色気とがあり、義太夫狂言の重みと面白さが楽しめた。
つづく「壽靱猿」には歌舞伎踊り大和屋の名手三津五郎が、重い病の床から元気に復帰してくれた嬉しさで、満場拍手喝采。女大名三吉野には達者の又五郎が藝風満帆につきあい、大和屋子息の巳之助も進境の踊りでこころよい舞台を見せてくれた、だが、なんともかとも小猿の子役のかわいらしい猿楽が佳かった。たのしかった。
大喜利は一世一代、坂田藤十郎と中村翫雀の父子でみせた圧巻の「曽根崎心中」 ひょっとすると本当にもう見られなくなる山城屋のお初かと思うとこっちの気の入れようも半端でなかった。成駒屋も、このところ毎度のことだが、気力充実の好演で人間国宝の父の一世一代をよく引き立ててみごとだった。
* 茜屋珈琲でゆっくりした。満員で大忙しのマスターとも歓談しいしい美味いコーヒーを楽しみ、昭和通りの画廊永井で安井曾太郎のスケッチ展をのぞいてから、有楽町線で麹町まで。
中華料理の「登龍」の前で建日子と合流、馴染みの店で和やかにながながと料理を楽しんだ。最初には、スッポンのスープと北京ダック、わたしはマオタイ、甕出しの紹興酒、妻は赤ワインで、車の建日子は黒烏龍茶。あとは思い思いの料理を心ゆくまで。わたしは、量を控えめに。親子三人、胸の底までのびのびできた。
それから建日子の大きな車で家まで送られ、家で佳い和菓子とお茶でいろいろに話せた。
凸版印刷から届いていたわたしの「選集①」の「函入りツカ見本」をこれは豪華だ、ちかごろこんな立派な本を見たこと無いよと気に入ってくれ、「もらって行きます」と持って帰った。それもそれで心嬉しかった。
妻の、いい誕生日になった。建日子と和やかにゆっくり食事でき、車にも乗って、親は他愛なくただ嬉しかった。

* 十時半。そういえば郵便も見てない。
2014 4・5 150

* 今週はここ数日雨もよいらしいが、週末には晴れて「選集①」が出来てくる。次いで日曜に「今藤会」で一日唄と音曲を聴き、高麗屋父子と病癒えた三津五郎の踊りも楽しんでくる。帰りに麹町でまた中華料理、というよりさっぱりと蕎麦など食べて帰れるかどうか。月曜には歯医者で新しい差し歯が入る。
わたしにゴールデンウイークは何の関係も無いが、月替わりの一日、建日子が帰って来ると予告有り。「選集①」刊行を喜んで祝ってくれると嬉しい。八日まで何のアテもなく、八日夜明治座の染五郎「伊達の十役」以降になると、わたしも妻も病院通いが毎日のように続く。十五日には俳優座公演に招かれている。劇壇昴も「リア王」という佳い公演の案内を呉れている。
2014 4・20 150

☆ 手にとって
つくづくと眺めています。とても品格が高く、風合のよさを感じています。 ただ表題の文字は、ほんとにこれでよかった--私でよかったのかと、面映ゆく、ありがたく、秦さんのご好意を 心から嬉しく感じ入っています。(ことばに表し切れません、ご推察ください)
数日前、旧知の松本徹さん(現三島由紀夫文学館館長)からその著『天神への道-菅原道真』をいただきました。漢詩でたどる道真伝といった作品です。
その中の、宮中の女人たちを中心とする宴席で作られた漢詩を読んでいるあたりで、御本が届いたのです。 詩の一節に、「和風先導薫煙出」-松本さんのことばを借りますと「やうやく春の風が吹き、麝香を燻らした煙が先導して、舞姫が現はれ出る、」というのがありました。無理なこじつけになるかも知れませんが、タイミング的に私には、舞姫は『秦恒平選集』と重なってしまいました。
八十二歳(五月八日)のバースディープレゼントか、こんなことがあっていいのかと喜んでいます。
お礼というか、お祝いというか、別便で「祝酒」をお送りしました。お飲みになれるかどうかと思ったのですが、お祝いはやはりお酒かと思いまして。
実は「十代目」という酒が造られた時、そのラベルをデザインした西のぼるさん(さし絵画家・私の友人です)に頼まれ、私もちょっと参加したのです。それというのも、お酒の銘の字を書かれた(中村=)芝翫さんの落款を彫ったのです。印は、その俳号「梅莟」です。
後に、歌舞伎座の楽屋へ誘われ、福助時代からの贔屓芝翫さんにお会いする幸運にも恵まれました。下戸の私には、お酒の味はわかりませんが、そんなお酒ですのでお送りしました。
秦さんの(今回第一巻の=)お作、単行本、湖の本、そして選集と三度の出会いになります。 新たな思いで読ませていただきます。(そっと飾っておこうかな)
何もかもご厚志重く受け取っています。
妻が少し病んでいるのを助けていて、秦さんの奥様のお手助けのこと、いかばかりかと大きさをも深く感じています。どうぞよろしくお伝えください。
最後に 選集の巻の重なること、お元気でお過しのこと お祈りしています。
(午前中、一寸庭いじりをして手の力なく、ただでさえ悪筆の所へ乱筆が重なって失礼します)
四月二十八日      井口哲郎
秦恒平様
(追、 同封の篆刻「世短意恒多」は、旧作ですが、今の思いです)

* この嬉しいお手紙が頂戴したいばかりに此の「選集」第一巻を懸命に造ってきたような気さえする。
美酒「十代目」の銘を書いたいまは亡き芝翫丈については、井口さんも私も、やはり亡き富十郎丈とならんで「歌舞伎舞踊抜群」と感じて、手を伐つように歓談した思い出がある。文学館の館長室に訪ねたことも、講演に呼んで戴いたことも、すばらしい温泉や鏡花ゆかりの宿に泊めて戴いたことも、実盛の遺跡などへ愛車の運転で連れて行って戴いたことも。思い出はいっぱい、有る。私からは、およそ何事のお礼も出来ないまま、永く、小絶えなく背を支えて戴いた。嬉しかった。
井口さんをはじめ大勢の石川県のかたがたとご縁の生まれたたぶん一の契機は、今回「巻頭」におさめた、ちょうど四十年まえ、新潮社書下ろし昭和四九年の長編小説『みごもりの湖(うみ)』であった。ありがとうございました。
2014 4・30 150

* 柳君がこの連休にも新築の自宅を見に来てくれ迎えに行くと言ってきていたが、なにとなく流れていた。
明日にはわたしはまた歯医者に急行しなくては。そして八日は明治座で久しぶりに染五郎奮励の「伊達の十役」を見に行く、週明けは月火水と医療の日がつづいて木曜には俳優座公演に久々に招かれて行く。五月の後半はカレンダーが白い。そろそろ旅に出られないモノか。
2014 5・6 151

* これから染五郎の「伊達の十役」を楽しみに出かける。

* 染五郎夫人に迎えられ、明治座での「伊達の十役」を四列目、花道へも舞台へも視野ひろびろと絶好席をもらっていた。文字どおり口上以降一人舞台を縦横につとめる市川染五郎早変わり十役の「けれん」の妙味と面白さとに、拍手喝采大満足してきた。理屈をいいつける芝居でない、まさに歌舞伎藝を堪能する楽しい舞台なのだ、それでも乳人政岡の場は真剣勝負で、栄御前の秀太郎、八汐の歌六との対決には染五郎懸命の学習が生き、また仁木弾正宙乗りで三階へ退いて行く威勢の美しさにも魅された。早変わり、まことに手際たしかに、ときには真実度肝を抜かれるあざやかさ、変化の妙。四月五日いらいの歌舞伎を心底妻も共々楽しんできた。「おっと、よしよし」であった。明治座は以前は不自由だったが、今は市谷で地下鉄を乗り換えればじつに簡単に浜町まで行ける。弁当場での食事もひと風情があった。満腹して、ご飯には手がつけられなかった。
亀鶴の渡辺民部之助、錦吾の渡辺外記という父子役が儲けていた。歌六の八汐に異色の力感が満ちていた。
佳い機の佳い芝居見物、染五郎夫妻のすっかりフアンになっている。
2014 5・8 151

* 松嶋屋我當くんから、歌舞伎座七月大歌舞伎の誘いがきた。これが、佳い。海老蔵を応援の主役に、猿之助をのぞく澤潟屋筋を、我當・玉三郎、また左団次や吉弥が支えての一座。澤潟屋では右近と中車が芯になる。
昼の部に、右近・笑三郎の「正札附根源草摺」に加え、海老蔵を立てて、玉三郎、左団次、吉弥らの通し狂言「夏祭浪花鑑」で季節をもりあげる。渾身努力の中車がどんな義平次歌舞伎を見せてくれるか、みものだ。
夜は、猿翁十種の「悪太郎」についで中車の夜叉王「修禅寺物語」。大切りは期待のバッチリ最高の玉三郎と我當、そして若い図書之助に海老蔵の名作「天守物語」とある。楽しみ、尽きぬ。

* 高麗屋からはもう十月の国立劇場通し狂言「双蝶々」を予告してくれている。
2014 5・14 151

* 六月の歌舞伎座の夜の部の座席券が高麗屋から届いた。昼の部は我當くんのところから、一両日にも届くだろう。力強い顔ぶれ、出し物で、楽しみ。
2014 5・15 151

* 発送用意は着々進んでいる。明日は歯医者に。来週は早々に歌舞伎座を楽しみ、木曜には劇団昴の「リア王」を期待している。そして金曜午後には久しぶり聖路加腫瘍内科の診察を受けてくる。桜桃忌も来る。日帰りでいいからちょっと遠出などもしてみたい。妻と行った亀戸天神境内の和食の料亭などどうか、藤には遅れてしまったが。いやいや、眼鏡をさらに新調したいとも願っている。
2014 6・5 152

* 歌舞伎座で歌舞伎を昼夜十分に楽しむ。

* 昼の部 まず「お国山三春霞歌舞伎草紙」で、はんなりと開幕。時蔵のお国と、昔 びと山三の霊と、それを大勢の若衆と女歌舞伎が囃す。若衆では亀寿が清潔な風貌で宜しく、だれよりも女歌舞伎の米吉の若い美貌が、ぞおっとするほど光っていて目を吸い寄せられた。こんな少女と逢えば危ないな怕いなと目にやきついた。菊之助山三の美貌は健康で大らか、かんぜんに伸び盛り。歌舞伎踊りははんなりと楽しめた。こういう舞台が楽しめれば、歌舞伎座はしんじつ楽しめる。
二番目は「実盛物語」で、菊五郎、左団次が実のある大きな歌舞伎を大きく演じて、今日ではまず最良の実盛、瀬尾だった。締まりの佳い、気味のいい、カタルシスにも情にも富む歌舞伎で、奇抜な趣向が不自然に流されず、音羽屋も高島屋も、ま、これ以上ないという舞台を堅固に情け深く創りあげた。拍手を惜しまなかった。音羽屋父子との視線の合いを何度か楽しめた。
三番目は、昼の部を最高潮に静かに盛り上げる真山歌舞伎一の傑作「大石最後の一日」で、幸四郎の極めつけも極めつけ、したたかに泣かされた。孝太郎のおみのがしっかり若衆姿で意志の愛をうちだし、弥十郎の伝右衛門が予期以上に実直に大石とおみのの対峙を引き出してくれた。そして、幕府決定の切腹を告げに来る上使荒木十左衛門の凛然しかも簡潔のうちに湛えた武士の情け、声涙ともにくだって幸四郎との対面、まことにこころよかった。
松本幸四郎のこの大石良雄、これ以上の配役はまったく考えも及ばず、訣定的な名演を幾度も繰り返しつつ、そのつどの彫り込みのやさしさ厳しさを胸にやきつけるように堪能させてくれる。六月大歌舞伎の、むろん、ビカ一であった。
昼のキリは久しぶり、片岡仁左衛門の病気から復帰の定番でもある「お祭り」清元連中。大喜び贔屓筋の拍手喝采のなかで、まずは元気に無難に楽しませてくれた。

* 夜の部。 まずはうってつけ元気な松緑「蘭平物狂」を菊五郎、團談、時蔵、菊之助という歌舞伎らしい絢爛の顔ぶれががっしり脇を固め、ご馳走は、松緑長男大賀あらため尾上佐近が一子繁蔵役を襲名初舞台としておみごとに演じきった。芝居半ばのご披露口上もまことに目出度く、團蔵の凛々しい歌舞伎ぶりも嬉しかった。ま、この芝居は蘭平のおお立ち回りの委細を尽くし異彩を放った華麗な殺陣と捕物とに魅力があり、こういう舞台になると松緑の豪快な口跡や大目玉の威力が引き立つ引き立つ。松録好きな妻は蘭平の大熱演に満足満足という様子だった。
次いで松羽目物の「素襖落」太郎冠者を、珍しく高麗屋の幸四郎が演じた。勧進帳なみに大酒をくらって那須与一を語ったり舞ったり、亡き勘三郎が得手にしたようなお色気ものではなく幸四郎むきの狂言だけに、その音吐朗々また舞踊の冴えを堪能できた。一門の高麗蔵が姫御前、錦吾が三郎吾をつきあい、さらには左団次が大名、太刀持ちを弥十郎、次郎冠者には亀寿と贅沢に駒をならべて舞台を豊かにしていた。笑いよりは藝の松羽目物になった。
大喜利は「名月八幡祭」 ま、あの名品「籠釣瓶花街酔醒」の同類項じみる三幕ものの長丁場で、吉右衛門が田舎者縮弥新助を演じ、なんとなく、最後には怨みの妖剣籠釣瓶を振り回して切ってまわった豪奢な幕切れにくらべると、ちょと気の毒な、落ち着かない役回りに見えた。
むしろ奔放で根崩れしている芸者美代吉役の芝雀が目の覚める佳い芝居をしてみせた。芝雀、観るたびにうまく結晶しているなあと喜ばしく、とにかくも蓮葉に意気地を張るこういう女がほんとにいたんだろな、江戸の爛熟だなと。胸に重いものがのこった。その点、せっかくの播磨屋中村吉右衛門の大きな成績と言うには物足りなかった。錦之助が、昼の磯貝十郎左とうってかわった美代吉間夫の船頭三吉役もやれたのは、彼のためには良い儲け役であった。
大どころ以外では、米吉、亀寿、孝太郎、弥十郎、右之助らが目に残り、菊五郎、左団次、幸四郎、我當、松緑、團蔵、時蔵、吉右衛門、芝雀、歌六、又五郎、それに帰ってきた仁左衛門ら大名題が存分に慈雨の季を引き立ててくれた。感謝。

* 座席まできてもらい、またロビーでも、高麗屋夫人と歓談、わたしの選集も話題になった。今月公演のあと、しばらくお休みがとれますのと。優れた歌舞伎役者には、優れていればこそ、適切に、ときどきしっかりやすんで欲しいと、いつも思う。怪我や病気の無いように。

* 雨烈しく、電車を乗り継いでまっすぐ帰宅後、わたしの歯にまたも異変、あす、緊急医療を受ける。今夜はやすむ。
2014 6・9 152

* 七月歌舞伎座、昼夜の座席券が松嶋屋から届いた。絶好席。わくわくする演目。昼は市川右近、笑三郎の「正札附根元草摺」に次いで通し狂言「夏祭浪花鑑」を海老蔵、中車、吉弥、左団次そして主将役玉三郎らが観せる。溌剌の成田屋とともに中車(香川照之)の義平次に興味が湧く。亡き勘三郎らの名舞台がまだまだ脳裏に在る。
夜は柿紅作、市川右近らの「悪太郎」に次いで中車ら澤潟屋一門に亀鶴が加わって「修禅寺物語」。飛びきりの大切りは、幾度も幾度も楽しみ感動して飽きることのない大好きな鏡花作「天守物語」で、坂東玉三郎のほかにあり得ない天守夫人富姫、これへ海老蔵が若く殉情の図書之助。座頭格の近江之丞桃六には言わずと知れた、わが友の片岡我當。むかし南美江がみごとに観せた薄には達者な吉弥が欠かせない。

* 八月には、坂田藤十郎が、藤娘、二人碗久、そして大好きな吉田屋を、一日だけ奮闘して観せてくれるという。見逃す手はないが、座席が手に入るか、案内のあった今日のうちにも頼みたい。
2014 6・14 152

☆ なんとなく
台風が心掛かりな毎日です。
お蔭様で7、8、9月とおやすみをいただき、連日家の片付けやら、軽井沢にいったり、ぶらぶら過ごしています
先日戴いた「湖の本」 主人が何度も繰り返し読ませていただいてます。九段目をお誉め戴いて嬉しかったとお伝えしてと横で申しています。休み続きでボーッとしないように、せいぜい体を動かさねばと話しています。
奥様に呉々もよろしく。  高麗屋夫人

* 九月の歌舞伎座は秀山(初世吉右衛門)祭。染五郎が昼一役、夜二役。「御所五郎蔵」を演る。当番の吉右衛門奮戦は当然として、仁左衛門と孫千之助の「連獅子」がある。秀太郎もなにかと応援。「通し」はしんどいが、ま、坐っているだけであり、眼が見えさえすれば楽しめる。
2014 7・9 153

* さ、明日は、歌舞伎座。昼には、夏祭浪花鑑が、夜には天守物語がある。
2014 7・13 153

* 歌舞伎座 終日十二分に楽しんだ。
昼の部 まずは松嶋屋番頭さんに中央二列目角席という絶好席の礼を言い、いつものように心入れのお土産をいただく。
開幕は「正札附根元草摺」を澤潟屋の右近と笑三郎で。趣向の所作事で達者に頼めば浮き浮きさせる荒事の躍りがたのしめるのだが、右近五郎の所作は重苦しくしかも小さく、詞にも、不用意なまるで標準語がまじって、科白に豊かな「含み」が無い、これでは素人物まねの優等生どまり。科白とは、科すなわち「身働き」・白すなわち「口跡・発声」。右近の五郎はともに未熟。さて笑三郎の舞鶴は事実上また趣向のうえでも主役に等しいが、女荒事と女色気との使い分けが活きておらず、ただもう美貌の無表情だけでめりはりも変わり映えもない科白もゾラっとした一本槍で、剛力の男勝り・艶めいた女のたっぷり色気という変化所作の面白みが、まるで感じ取れなかった。
盛んに「右近ちゃん」だの「澤潟屋ァ」だの、近くで、元気なおばさんがぞめき続けたけれど、この趣向豊かな所作事の逸品をこのていどでは、とんと歌舞伎には成りきれてないと、落胆。踊りが、躍りも、ちいさい。歌舞伎味をもっとたっぷりと大きく表現して欲しい。
二番目は通し狂言「夏祭浪花鑑」で、海老蔵の團七、吉弥の女房、左団次の釣船三婦、そして玉三郎の一寸徳兵衛女房お辰、さらには團七舅の三河屋義平次に期待の市川中車とそろえば、ま、最良に近い舞台が期待でき、期待は裏切られなかった。
海老蔵、好感のもてる、ま、大坂なみにやさぐれた安い喧嘩やくざだが、気っ風は江戸者なみに、すっぱりと純な男ぶり。これを、終始小気味よくバカ正直なほどに一心に創り上げた若い「成田屋」の、嬉しいほどの気持ちよい進境。
玉三郎のお辰ときては、斬れ味するどい気魂も甲斐性もあっぱれ潔い女ぶりで、科白といい目ぢから目づかいといい、オーラで燃えるよう、それだけに美貌を自ら焼いて傷つけるお辰の振る舞いには観客のためらいを突き抜く説得力が湧いている。
(ここで明記しておく、わたしが谷崎名作の『春琴抄』での春琴自傷を読み説いたのを思いだして欲しい、あの芝居好きの谷崎が、まして大坂神戸に住んで、この上方の代表的な名狂言を観なかったわけがない。悪魔主義的などぎつさの長町裏舅義平次殺しももとより、だれよりも谷崎が「三婦内」に突如として登場する徳兵衛恋女房お辰の意気地に惚れないわけがなく、お辰の自傷はきっと春琴や佐助の自傷にも近く遠くからヒントとして働いていただろうと、重ねて特筆しておきたい。)
さて不器用ながらに左団次が渋い味の情けと侠気とを自然に伝えてくるようになった。このところ見続けてきた左団次は、地りままのような三婦でも。「近江源氏先陣館」の和田兵衛にしても、身に沁みて快く観ていられる。「熊谷陣屋」の弥陀六もそうだ。これは歌舞伎界のためにも嬉しいことだ。
吉弥、右之助、は、尋常。
特筆したいのは期待も期待も胸を波立たせた市川中車(映画では香川照之)の「わるい舅」義平次の芝居で。亡くなった勘三郎と組んで壮絶な舞台を演じた安野の演技が目に焼き付いている、これをどう凌ぐか。ウン。安野とはちがうが流石の中車、胸にも眼にも手触り強く響いて鮮度の濃い義平次を立派に創りだしてくれた、今後の歌舞伎座に彼の持ち役のように伝えられるだろう。喝采を惜しまなかった。あえてこう書く、よく魅せてくれた。

* 食べる欲はなく、三階でわたしは少しの鯖寿司、妻はカツサンドイッチを買っておき、半分ずつ昼と夜との弁当場はそれぎりで済ませた。ただ、わたしは、昼には「大関」夜には「なま搾り」のカップ酒を美味しく。好きな塩瀬の小饅頭の小箱も買っておいた。
昼のはね出しのあと、例の「茜屋珈琲」カウンターで一服、満員の中でも店主と歓談もかわし、なんとなんと加山又三が描いたという珈琲カップで美味い思いを満喫、妻はいつもきまって特製のジュース。このお店、飲み物一律、千円渡して五円「ご縁」のおつりが出る。好きなお店である。

* 夜の部。 花道に間近い三列目角席、舞台へノ視野素敵に広く、花道からは海老蔵演じる清潔な若武者図書之助が、五重天守に棲む世にも美しい妖怪夫人坂東玉三郎ニ会いに上ってくる。贅沢だがこういう絶好席で歌舞伎を見慣れる嬉しさは堪らない。
開幕は松羽目ものの「悪太郎」を澤潟屋ノ右近、猿屋に亀鶴が付き合って。これまた昼の開幕同様、なにより狂言なるものに絶対的な素地である「狂言顔」の意義を心得ていない。そして科白は重苦しく、語っても躍っても「含み」の妙味も可笑し味も出ない。猿弥は達者に踊れてはいるが、悪太郎の所作のあいだ露わに退屈顔や迷惑顔をしてみせ、いわば狂言藝を、地のままの顔で出している。浄瑠璃や長唄や小唄・謡の中へ、小学唱歌のような標準語が混じってしまうのと同じ。「含み腹」が出来ていない。右近も同じ、所作にも言葉にも寸の足りない小ささ狭さが露出して、こんな所作ではお素人のお上手程度に見え、観ていて退屈さえしてしまう。まだしもさすが亀鶴は重みを軽く殺してあっさりと役を果たしていた。わたし、このところ亀鶴に注目中。蝙蝠安などまだ満足できないけれど、富十郎世界へ寄って行ける素質と努力は見えている。
二番目の「修禅寺物語」にも、中車の夜叉王、期待していた。綺堂歌舞伎であり、実は新制中学の演劇大会で、中学三年生が堂々と演じたこともある芝居(歌舞伎の見始め)なので心親しい演目であると同時に映画演技に通暁してきた信心の歌舞伎役者中車にもいかにも適役、それならいい舞台を魅せて欲しいと期待していた。中車、これもさきの義平次なみによく演ってくれた。観念的な芝居なので、義平次よりは演じ安くもあっただろうが、この芝居、この戯曲で問題になるのは、客席から失笑に近い驚きの笑いさえ笑まれるのは、夜叉王がどうしても不満、依頼者将軍頼家の何としても死相としか成らなかった面が、北条の討手による頼家暗殺という結果を知って夜叉王アッパレ自賛の声を挙げる、それはまだ良いのだが、頼家の寵愛を得て一度は身代わりに立ち死んで行く姉娘桂の死相を夜叉王はぜひ写生したい叫ぶ、そこのところで、きっと小さくてもどよめきや笑いが起きる。「藝術家」夜叉王の頼家の非業死を傷むよりその死を深く予期していたわが腕前のみごとさを自賛する「自己愛」は、ま、或る意味でもの創りならば当たり前。さらにその上にいま目の前で死に陥る娘の死相をしかと観たい、写したいと。それはあんまりだという観客席のどよめきなのである。
さ、この「修禅寺物語」は、その演者は、この失笑に近い惘れたほどのどよめきにどう対峙していいのか。どう克服できるのか。
芥川龍之介に「地獄変」という今昔物語に取材の小説があり、これも希代の絵描きが、火炎にまみれたわが娘を狂気したようにあるいは狂喜したように写生する。綺堂も何れこの辺に取材の観念劇だとわたしは観ているが、娘桂の瀕死にもかまわず無我夢中に例の死相の頼家の面に見入って、魅入られて満足にひたる夜叉王を、あのまま、そのままお構いなしに演じてそれで充分なのか、いま少しの腹の工夫があり得るのか。出来る中車には、そこを将来持ち役の新課題にしてもらえまいかと希望しておく。いまのママでは藝術家の自己愛当然としても、それで舞台の空気があのとき薄れていはしないかと。
笑三郎の桂、亀鶴の春彦、月之助の頼家は、あんなもの。

* さて大喜利の「天守物語」は、もう褒め称えることばすら忘れた。玉三郎の富姫、海老蔵の図書、そして我當の桃六で終える舞台の懐かしさ、嬉しさ、ふるえるほどの感動、真っ先に拍手が出た。異例のスーテンコールでは我當が舞台に残って左右から海老蔵と玉三郎とを手招いた。起って拍手を送った。海老蔵といい視線が出会った、妻も起った。みな、起った。鏡花はえらいなあ、玉三郎と同時代を活きて幸せだと思った。我當桃六の愛の深い温かい最期の声音、鑿・槌ひびき。玉三郎理解と演出の「天守物語」何度観ても何度観てもすばらしい。
「勧進帳」「娘道成寺」「天守物語」 三百六十五日毎日でも好い。

* 銀座一丁目まで歩いて、保谷行きに恵まれ、「清経入水」再校しながら帰宅。十一時前。良い一日だった。
2014 7・14 153

* 八月に、坂田藤十郎の至藝を楽しむ会があり、幸い、国立劇場前三列の座席がとれたと、松嶋屋から送ってきてくれた。
大好きな「吉田屋」を芯に、所作の演目が三つほど。わくわく銷夏。夜分へ掛けて出て行けばいい。たった一日だけの山城屋藤十郎、機会のあるかぎりは心躍らせて観たい。扇雀、鴈治郎、藤十郎と大化けしていった全期間を楽しませてもらってきた。
2014 7・28 153

* エリザベス・テーラーといってもあの美しい映画女優でない、同姓同名作家の作を脚本にして「クレアモント・ホテル」と題し、俳優座が稽古場で観せてくれる。稽古場の芝居は緊密さも親密さも劇場とはおおきにちがって入りこみ易い。九月、彼岸前でまだ暑かろう、台風の心配もあるが、そんなことはもう九月では云うてられない。招待嬉しく感謝して妻と出かけることに。むろん妻の席はいつも支払っています。若い人も配役されていて、名前が「保亜美」とか「Kinomi」とか。楽しみ。九月には歌舞伎座「秀山祭」も待っている。季節到来には待ったがない。
2014 7・29 153

* 億劫にしてきた気がかりの大仕事を、眼を酷使しながら、とにかく一段落させた。
二十日には大きな箱でいくつもの大荷物が運び込まれる。受け取っておいて午後には忘れぬように聖路加の眼科へ出向かねば。  二十一日からは気の張る限定特装本の手抜きのならぬ発送に集中する十日間ほどが続くだろうが、すぐさま二十二日夜分には、国立劇場で坂田藤十郎の会。好きな「吉田屋」などを楽しんではやばや一息をつく。
明日と明後日は、とにもかくにも気楽に過ごしたいが、この内に早くも「湖の本121」が責了に出来るかも知れない。その発送用意は半ばはしてあるが、「選集」についで「湖の本」発送にも連続しそうな初秋になる。秋は、秋。それなりの期待も楽しみもある。十一日は「秀山祭」の歌舞伎座にずっぽり終日。昼の「隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)=法界坊」に浄瑠璃「双面水照月」がついて吉右衛門。当時勘九郎の勘三郎が「平成中村座」旗揚げの浅草舞台の面白くて面白くて堪らなかった懐かしさを、播磨屋がどう様変わりに再現・表現してくれるだろう。夜には、仁左衛門が孫千之助と「連獅子」を颯爽と舞うだろう。

* そして何よりもの染五郎弁慶が、十一月歌舞伎座顔見世で、父幸四郎が富樫、叔父吉右衛門が義経を勤めてついに実現するというのだ、祖父白鸚の三十三回忌記念として、なにより期待したい舞台。昼の開幕には我當の翁で染五郎と松緑とが「壽式」の三番叟というのも嬉しく、もう松嶋屋へも高麗屋へも注文を出した。
2014 8・17 154

* 起床7:00 血圧128-64(58) 血糖値93 体重68.6kg

* 午前中に二度郵便局へ荷を運んだ。午後、もういちどだけ運んで、今日の外向けの仕事は終えておく。順調にことは運んでいる。
とはいえ、荷をうしろに積んで自転車で走る数分の炎を噴く暑さは、文字どおり凄かった。一度一度家に帰るとぐたりと息を喘いだ。
四時過ぎ、熱暑の中を妻と、国立劇場へ向かった。至藝、四世坂田藤十郎の「藤娘」「吉田屋」をしんそこ楽しんできたかった。地下鉄は涼しかったが永田町で降りた暑さに気分が悪くなった。ペットボトルの水分を補給し、タクシーで劇場に。さすがに盛大な山城屋贔屓の人出。いすに腰掛け、売店での少し食べ物を口に入れ、水分をとって、なんとか不具合から遁れた。三度のあの郵便巨木往来でもう熱中症に罹っていたと思われる。ま、大過なく、安堵した。
満員の劇場、松嶋屋・美吉屋のおかげ、前三列、「吉田屋」のためには絶好の席がもらえていた。観えるのがありがたく、しかも「吉田屋」の芝居はだいたいがわれわれの席の前で終始する。申し分なかった。
開幕は、「藤娘」 藤十郎ムリをせず悠々と華麗な舞踊を若々しく鷹揚に踊る。彼は、既に八十の半ば。それが若い豊かな美貌の娘にみえるのが堪らなく嬉しい。久しく見久しい久しい、扇雀、鴈治郎そして藤十郎に大化けした六十年だ、京都の頃、歌舞伎というと武智歌舞伎で扇雀・鶴之助(のちに富十郎)だった。
中幕には、女性だけの長唄「二人椀久」の演奏、これが今藤の三味線を芯に、唄よし、笛よし、小鼓も大鼓も、一糸乱れぬ好宴で、堪能した。山城屋に華をそえた名演奏、この幕は寝ると言っていた妻も感嘆。
そして期待の「吉田屋」は、好きな歌舞伎で五本の指折りのうちに加えたいほどの大好き。むかし先々代の勘三郎と若い玉三郎との舞台を観て痺れたのが病みつき、読者の藤間由子が最前列真ん中の席へ連れて行ってくれて観たむのだった。その後は幾度「吉田屋」を観たことか、近年では仁左衛門襲名の舞台から、それが印象的に焼き付いてきた。夕霧は玉三郎できまり。
今日は、藤十郎が浄瑠璃の型で上方の芝居に徹して、仁左衛門らのそれとは随分異なった情緒纏綿の藤屋伊左衛門を孫の壱太郎を夕霧役に引き上げて、面白く、懐かしく演じてくれた。天与の愛嬌、しかも歌舞伎界最長老の至藝。熱中症など飛んで行った、

* 八時半にはねて、車で日比谷へ、そしてクラブへ入った。食事をし、妻は赤ワインを、わたしはヘネシーと竹鶴、そして二人ともアイスクリームで口を冷やした。のんびりと、丸ノ内線、西武線で帰ってきた。
2014 8・22 154

* 輸液の間の録画映画「スペシャリスト」を三日ほどかけて二回繰り返して観た。シルベスタ・スタローンとシャロン・ストーンという好きなペアの、緊迫と哀愁。爆発のもの凄さ。外国人女優の裸形でもっとも惹かれるのは、シャロン・ストーン。「ランボー」を演じたスタローンの滲みでるものの哀れにちかい愛と迫力。
それにしても我が家には何百の録画映画の在ることか。よほど好きなのである、映画・映像の表現が。
昨日の歌舞伎「吉田屋」にも長唄「二人椀久」にも魅された、すばらしい書画や詩歌・物語や陶磁器・漆器にも、仏像にも、むろん小説にも心惹かれる。よほど好きなのである。
そしてすばらしい女性にも。美味い酒にも。花にも。
2014 8・23 154

* 連絡有り 「湖の本121」は九月九日朝に出来てくる、と。おおっ。
夕刻には、歯医者へ。十一日は、秀山祭。吉右衛門の奮闘はもとよりのこと。仁左衛門と千之助の連獅子が成功して欲しい。楽しみ。
2014 9・2 155

* ロスから帰国の池宮さん、すでに京都入りしていて、電話があった。次の日曜か月曜ころに東京で会いたい、と。いつものように妻も一緒に、街で夕食したい。酒の美味いおでんの店がみつかればいいが。火曜日夕刻には歯科の予約があり、午前には「湖の本121」が出来てきて受け容れねばならない。発送で身動きならない。十一日は終日歌舞伎座、十四の日曜頃には発送も終えられるだろうが、火曜水曜と聖路加で検査と診察、木曜は秋場所、金曜は俳優座稽古場公演。体を動かす機会として歩き回らねば。その勢いで新幹線に乗り込めるほどだと頼もしいのだが。
梅若の橘香会から、十月二十六日に万三郎の「通小町」小書き「雨夜の伝」新演出で演じるのでと招待が来た。狂言は右近の「呂蓮」そして万三郎監修、小林保治作の新作能「将門」を加藤眞吾が、と。長丁場、身がもつかしらん。
2014 9・3 155

* 舞踊の家元を襲名するという歌舞伎の女形中村壱太郎(かずたろう)と、若柳吉蔵とのテレビでの素踊り「吉野山」が見応えした。壱太郎の静、素の衣裳でよく女を舞いしかも継信をい倒す強弓教経もたしかに演じて、しっかり見直した。先日は国立劇場で祖父藤十郎と共演の「吉田屋」で夕霧をそこそこ無難に演じ、上昇気流にある。いいことだ。わるびれず、正々堂々と若い人は健全に伸びてほしい。
2014 9・5 155

* 大雨が幸い通り過ぎたところで、本を送り出せた。明日は歌舞伎座で中休み。ゆっくりしてきたい。
2014 9・10 155

* 終日歌舞伎座に。はねてから歩いておでんの「やす幸」で二杯(二合)うまく呑んで帰る。十一時。
歌舞伎楽しんできたこと、今回は簡単に。
昼の部 開幕は「鬼一法眼三略巻」の「菊畑」これは水くさい場面で、さして期待していなかった。米吉の皆鶴姫の愛らしさを見たかっただけ。歌六の鬼一、松緑の鬼三太、染五郎の牛若丸、歌昇の湛海など、ま、そこそこ。芝居自体、この幕だけで演じられても躍動しない。米吉だけが愛らしく、しばらくぶりのしのぶも美しさを増していた。もっと出世させたい。
昼期待の「隅田川続俤 法界坊」は吉右衛門でどうなるのかと思いまた案じていたが、期待より案じていた方が当たり、亡き勘三郎が勘九郎の頃の平成中村座旗揚げで満場を自然でかつ底抜けの爆笑続きで湧かせた生気の名演があたまにも眼にもありあり残っていて、さしもの吉右衛門がどうサービスしても味が薄く、とても拍手する気にはなれなかった。また新ためて若くして亡くした勘三郎天与の役者ぶりが恋しいほど懐かしかった。
芝雀のおくみ、薹が立って。仁左衛門、秀太郎の手伝いぶりが楽しめたが、ま、全体に、妙にちぐはぐの舞台だった。吉右衛門にしてこうかと、つまらなかった。
ま、付けたり大切りの浄瑠璃「双面水照月」の所作では、吉右衛門の法界坊・野分姫「双面(ふたおもて)」の亡霊ぶりに大きな柄が生きて出た。

* 例の「茜屋珈琲」で休息、そして夜の部へ。
開幕は「絵本太閤記 尼崎閑居の場」 ここではさすがに播磨屋のお家藝吉右衛門の光秀が剛強不動の藝を最高度に発揮して舞台をさながら白熱させながら、東蔵の老母皐月も魁春の妻操も、愛らしく美しい米吉の初菊も美しくて切なく哀しい舞台を静かに沸き立たせ、染五郎好演の十次郎が引き立っていた。この芝居は本格の大歌舞伎というにふさわしく、過不足ない構成の、大心柱である武智光秀吉右衛門を爛々野の眼光面貌のままどっかと中央に据えて動かさぬまま説得力のある劇が捗って行く。好きな舞台で、これはもう期待にさらに何倍もする佳い舞台になった。秀山祭にぴたり。
次いでの「連獅子」は、今月再校の期待通り、祖父仁左衛門は親獅子を悠揚せまらずおおきく演じて、孫千之助の仔獅子の舞いを最高水準にまで引き出し引き立てて涙溢れるほどすばらしかった。千之助が愛之助に抱かれながら名乗りの初舞台を践んだのをわたしたちは見ていた。あれから何年か、千之助は十四歳、予想していた仔獅子の十倍もすばらしい清潔にして敢闘精神に満ちあふれた藝を披露した。逸材、さきざきの歌舞伎にすばらしい所作事の魅力をしっかり蒔いて植え付けるだろう。それが嬉しい。惜しみなく惜しみなく拍手を送った。仁左衛門の健康と末長い活躍を心から願う。
大喜利は染五郎と松緑との「御所五郎蔵」、ふたりともすっきりと懐に藝のあるところを気持ちよく見せた。但し、ああこれで終わらせるなと感じたとおり、突として舞台半ばの染・緑の挨拶で閉幕、舞台の結末はただ花魁「逢州」の不慮の死だけでつけてしまった。頂けなかった。

* 歌舞伎座から七丁目の「やす幸」へ歩いて、おでんで酒二合を楽しみ味わい、銀座一丁目から帰宅。幸い雨に降られなかった。黒いマゴに一日留守をさせた。
2014 9・11 155

* 世阿弥の論著を読んでいると、しばしば「立ち会ひ」「勝ち」「負け」という刺激的なことばが出てくる。一日に能が五番あるとして他と遜色なくむしろ立ち優ってよく舞うにはどうあるべきか、それを、頻りに世阿弥は自覚もし指導もしている。演能がすなわち「他との勝負」であるとはっきり自覚している。美の理念や理想の、上にか根にかはともあれ、そういう「闘うしかない現実との直面」を言いきっている。
昨日、中村義裕という人の『九代目 松本幸四郎』という本が三月書房から贈られてきた。昨日は診察日でヘトヘトに疲れて帰って、なに為すすべもなく休んだが、この本の目次だけはざっと眺め、ほんのわずか気になった箇所を走り読みした。その程度だから検討を失するかも知れないが。
この本の趣意が幸四郎丈にささげるオマージュ(頌意)であるなら、それはそれで宜しい、が、幾らかでも「藝ないし人」への余人に語り得ない「論攷・批評」を意図していたのなら、かなり飽き足りない物足りない思いがした。
例えば第三章の「幸四郎をめぐる人びと」など、これはこれとしても、別にもっと第一義的に厳粛な顔ぶれで「幸四郎と先代」「幸四郎と弟吉右衛門」また「藤十郎」「菊五郎」「勘三郎」「玉三郎」「仁左衛門」「三津五郎」「福助」「時蔵」等々の名がにげ隠れなく対向され、互いの藝風とのぬきさしならない立ち会い上の幸四郎論、藝論があってこそ、歌舞伎好きで幸四郎大好きの読者は、手に汗して教えられたはず。世阿弥の能が「立ち会い」なら、今日の歌舞伎役者たち日頃の「立ち会い」はさらにフクザツで刺激的だ。そのフクザツと刺戟をとおして「幸四郎」の冠たる魅力と実力が説かれなくては表題が泣く。言い添えるなら、「幸四郎と松たか子」という「立ち会い」のがっぷり四つを近未来をも含め正確に説いておくことは、この父娘の「大才」のためにも不可欠なのに、その目次が見当たらなかったのは惜しい。
一読者、一フアンであるにすぎないわたしだが、幸四郎の舞台だけでなく、経歴や趣味についてもいろんな自著を介しかなり多くを知っていて、時と場合にはそれすらも「幸四郎の藝」に直面するときは邪魔になるときがある。ましこの本で、それが平板に繰り返されていれば、単著としての味わいは淡くなる。
おおっ、それを書くか、それを問うか、そこを衝くかと思わせて欲しい、藝術や藝や藝人を論ずるときは。その意味では「幸四郎ダイジェスト」にとどまらず、むかし小宮豊隆が初世吉右衛門の藝を四苦八苦論じていたように、血しぶきのとぶような「藝論」に徹してもらいたかった。「幸四郎と早稲田大学」もいいが「幸四郎と松竹」がぎろっと目を剥いてもよかったろう。
2014 9・18 155

* 十月国立劇場の通し狂言「双蝶々曲輪日記」の座席券が届いた。幸四郎と染五郎。そして魁春、東蔵、友右衛門、芝雀と、ベテランがワキを固めるいい顔ぶれ。もう十月が間近へ来ているのだなと、ふと身の回りをみまわす。その実はまだ彼岸にもなっていない。
2014 9・18 155

* 十一月友枝会の招待券がいつものように送られてきた。嬉しい。「蝉丸」を友枝雄人が、狂言八句連歌を野村萬が、そして能紅葉狩を友枝昭世が舞う。ワキは宝生閑。秋、真っ盛りの楽しみである。今月末には橘香会、梅若万三郎の「通小町」に招ばれている。眼が見えるといいが。
同じ十一月には歌舞伎座の顔見世興行。昼には、我當の翁、吉右衛門の井伊大老、そして幸四郎の熊谷がある。夜には父幸四郎の富樫、叔父吉右衛門の義経で染五郎が弁慶をさぞや懸命に勤めるだろう、とても楽しみ。
2014 10・4 156

* 十一月歌舞伎座顔見世、昼の部絶好席の切符が、松嶋屋の番頭さんから届いた。昼の開幕は、片岡我當の翁で、染五郎と松緑の壽式三番叟。千歳が三人、米吉が入っている。
次いで、吉右衛門の井伊大老。父初世白鸚先代幸四郎が六代目歌右衛門と演じた最期の舞台が、まだ眼に在る。その白鸚三十三回忌にあたる顔見世興行、昼の仕上げは当代幸四郎の熊谷陣屋に、菊五郎義経、左団次弥陀六、魁春相模がワキを固める。高麗屋の極めつけの舞台となろう。
夜の部は高麗屋に頼んである。染五郎の弁慶が、父幸四郎の富樫、叔父吉右衛門の義経で、懸命の勧進帳を読み上げる。この日を待っていた。
2014 10・14 156

* 国立劇場へ。幸四郎・染五郎父子のまさしく競演、「双蝶々曲輪日記」見応えの「引窓」まで親切の通しで分かりよく、感動も深かった。幸四郎の大きなうまさ、染五郎の各役懸命の打ち込み、東蔵のリアリテイの歌舞伎芝居、可憐な芝雀の誠実な女房お早。「引窓」へすべてを収斂して行く演劇作法。しかもさすが大高麗屋の濡髪長五郎の力感とあわれ、若高麗屋の南方十次兵衛の若やかに誠実な情味。けっこうでした。

* 夕方にはね、麹町の方へ中道をそぞろ歩いて「天重」という店へ舞い込み、久々に天麩羅定食を美味く食べた。酒もうまく、鱧と穴子と塩辛とを追加。妻ものんびりしていた。佳い店を見つけると、きっとまた来ようと思う。むかしは洋食の「DAIKAN」や佳い鰻ややイタリアンへ入っていた。たいていは文藝春秋の寺田さんや明野さんにご馳走になっていた。手術の後、国立劇場の帰りにシナ料理の「登龍」を見つけて、何度も通った。量は食べられないが食味はすこしずつ戻って来たろうか。
2014 10・16 156

* 明日は朝に歯医者、夕方にも歯医者と、二度通う。土日は家におれるが、どちらかで、散髪。月曜は昼過ぎに聖路加で前立腺検査、そのあと顔見世歌舞伎座夜の部で、染五郎弁慶を、父幸四郎の富樫、叔父吉右衛門の義経という趣向の豪華版で楽しむ。昼の部は一週間後に楽しむ。十三日木曜には昼に俳優座招待期待の新劇を観てのあと、京都からみえる来客を迎える。さらに聖路加眼科もあり歯科治療もあって、その間にも「湖の本」の再校「選集④」の要再校も、そろそろ「選集⑤」の初校も出てくるだろう。慌てず狂わず、息抜きもしながら創作もむろん進める。おっそろしく忙しい爺ではある。
2014 11・6 157

* 明日は早くから聖路加へ行く。検査と診察の後、歌舞伎座へ入る。明朝のうちに「選集④」の要再校ゲラを返送する。前ヅケ後ヅケも添えて。
2014 11・9 157

* 「選集④」の要再校ゲラを送り出しておいて、十時半に家を出、聖路加病院では前立腺に問題なしと。フリバス三ヶ月の処方をもらって、妻と出逢いの歌舞伎座へ。歌舞伎座顔見世夜の部は、染五郎、懸命の初役弁慶健闘を心から喜んで、また菊五郎の気の入ったいがみの権太にも感動し、おお満足して日比谷のクラブへ。例のサイコロステーキとエスカルゴで、わたしはヘネシーをかなり飲み、妻はビール。そしてアイスクリーム。マスターらとも歓談。帰宅は十一時。
病院の待ち時間や電車の中で「冬祭り」の初校、大いに、すいすい捗る。
2014 11・10 157

* 月曜には、歌舞伎座昼の部、「壽式三番叟」で我當の翁に、染五郎・松緑の三番叟に祝ってもらいに行く。千歳が四人も出るなかに米吉が入っている。
そして播磨屋の井伊大老、熊谷陣屋の高麗屋には菊五郎義経、左団次弥陀六、魁春相模。佳い半日が期待できる。
師走は気に入った歌舞伎がなく、七十九の誕生日などほかの楽しみを計画したい。
2014 11・14 157

* これから「選集④」の六作を校了にして行かねば成らず、「選集⑤」を無事に要再校まで読み切らねばならぬ。未刊の長編「生きたかりしに」を原稿で読んで納得行くまで推敲せねばならず、もう二つの書き下ろしも前進また前進をはからねばならぬ。桶狭間への急襲のような真似を同時に三つも四つも敢行しながら、精神も肉体も健康でなければならぬ。そんなこと可能なのか知らんと思いながら、そんな思い迷いは余計なことだとその辺へ置いて行くしかないのだ。
なんでもいい、明日は歌舞伎座へ我當の翁を、染五郎と松緑の三番叟で祝われに行くのだ。
2014 11・16 157

* 残念だが、今日はみう眼が利かない。両眼とも疲れてかすかに痛みさえ有る。津浪のようにくる仕事の波に胸の内が廻る毬のようにあばれているが、知らん顔をしてやすもうと思う。明日はもいい歌舞伎が楽しめるだろう、まぢかの席から我當の顔がみえるし、染五郎も見えるし、久し振りに「井伊大老」を吉右衛門で観られる。三十三回忌先代高麗屋幸四郎最期の井伊大老を、あの名優六代目歌右衛門お静の方とともに観たときの、畏しいほどの深い濃い静寂の舞台が、いまも眼にある。次男吉右衛門の好演を期待する。そして高麗屋家の藝である長男幸四郎の熊谷陣屋。相模に魁春、弥陀六に左団次そして源義経に尾上菊五郎。当代最良の舞台が確実に期待できる。何度も何度も観てきた芝居だが、左団次がぐっとよく成り、前の羽左衛門弥陀六に迫っていて、熊谷陣屋が豊に成っている。幸四郎が今回はどのように役を彫琢するか、楽しみだ。
夜は先週に観ているので、ひけあとは、すこし気もゆるりと妻と食事などしてから帰れるだろう。
2014 11・16 157

* 歌舞伎座昼の部。夜の部は先週に見た。

* 今日の感銘作は開幕の「壽式三番叟」。片岡我當の故障あるからだでありながら品格の翁、それに染五郎と松緑の三番叟の快いめでたさがまことに嬉しかった。染五郎の品位と快活、胸の奥まで快かった。

* 「井伊大老」は吉右衛門の大老と芝雀のお静の方、それに歌六の禅師役もふくめて静かにしんみりと見せた。はるか往年の高麗屋・成駒屋の心肝にしみいる運命的な静かさ深さに比してはやや軽かったけれど、新作の歌舞伎脚色ものとしては要領を得た佳作である。
今日の問題は、幸四郎の「熊谷陣屋」者だった。幸四郎とかぎらずだれが演じても従来から気になっていたことだが、感情移入の濃厚に出る高麗屋の熊谷、幕切れ花道での、「十六年は夢だ」からの泣きのひっこみ、わたしはどうもあれが誰が演じても気になる。剛強の直実がすっぱりと出家を志すのは分かる、が、それほどの彼が花道であんなに泣き濡れ伏し沈むのか。払いきれない幾重もの君命主命にクッして実施小次郎を阿津漏りの身代わりに自ら死なせねばならなかったのが、憤ろしく口惜しいのなら幾らか分かるが、なにもかも上京にただ殉じて我が子を殺しておいてから僧形になって泣き崩れるなんて事が、あまりに直実ほどの男には女々しすぎるのではないか。まだしも松王丸夫妻親子の覚悟のほどの深さの方が感銘深い。
幸四郎は、どう理解して演じているのか、分かりにくくなった。夢だという嘆息まではいい。そのうえは決然と法然のもとへ参じればいい。潔いとは、それだろう。泣き崩れて彼直実の「人間」がより質実に分かり良くなるか。わたしは否定的に感じる。

* 干支の羊人形を買い、有楽町まで歩いて帝劇下の「きく川」で久し振りに鰻を食べて帰ってきた。
2014 11・17 157

* 吉備の有元さんからすばらしい冬葡萄の一房を頂戴した。美味しそう。
療養中の松下圭介君から、わざわざ中野美術館の二種類の美しいカレンダーを戴いた。また市川染五郎訓からも写真の豊富な変わり型のカレンダをもらった。
2014 12・5 158

* 例年なら明日はたいてい歌舞伎座にいるのだが、この師走の歌舞伎には心もち縁遠く、強いて観劇を求めなかった。
どのように過ごすかは、健康も念頭に、明朝の思案に。
2014 12・9 158

* この師走はめったになく歌舞伎を観なかった。明けて正月も、どうやら席が難しいらしい、わたしの今の視力では好席とされる「とちり」席ですら視線が届かないので、予約した十五日をキャンセルし、成り行きに任せることにした。
じつは、いまも機械の画面はあまりに薄霞んで、とても疲れる。疲れはするが、ずうっと「あやつり春風馬堤曲」のおもしろさに惹かれて読み続けていた。此の作は雑誌にも載せず、書き下ろしの単行本にもせぬまま、創刊十年を記念の「湖の本」35巻にして読者へ贈った。その意味からもこれは読んだ方の人数はすくない。やがたの選集⑥で「糸瓜と木魚」「秋萩帖」と並んで、明治期、えどの天明期そして平安初期を書いた藝術家小説の競演になるのは、とても嬉しい。
2014 12・12 158

* 難しいかと想われた新年の歌舞伎座、昼夜に舞台前方の席がもらえると高麗屋の知らせが届いた。新年が待ち遠しく迎えられる。七十九、恰好の誕生祝いをもらった心地で喜んでいる。ありがとう。
昼の部に、染五郎そして勘九郎、七之助の「金閣寺」 またこの三人を率いての玉三郎「蜘蛛の拍子舞」の楽しみ、さらに幸四郎、魁春らの「一本刀土俵入」
夜の部は、先ずは吉右衛門、芝雀の「番町皿屋敷」に次いで楽しみな玉三郎に吉右衛門が付き合う「女暫」 さらには待ってましたの猿之助に勘九郎がならんでの「黒塚」。申し分ない演目が出そろう。
そして正月初場所には横綱白鵬が前人未踏の優勝三十三回に挑む。
いずれもいずれも大いに励まされたいもの、そのためにも体力をどうにもして回復させねば。
2014 12・16 158

* 正月歌舞伎座の昼夜座席券が前二列という有り難さで届いた。相撲茶屋からは初場所の番付が届いた。梅若万三郎ご夫妻には焼菓子を頂戴した。幸せに落ち着いた歳末である。「秋萩帖」は妖艶な佳境へ、泉川に添ってふかい雪杉の闇をくぐって行こうとしている。
2014 12・25 158

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