* さ、まあ正月は済んだと思っている。明日、もし気が動いてからだが承知してくれれば、万三郎の「翁」に清まはってこれるかも。
2014 1/4 147
* 明日は頑張って正午の松濤観世能楽堂、梅若万三郎の「翁」へ行きたい。東次郎の狂言と仕舞いとを観て、一気に浅草線地下鉄で日本橋高島屋での「星星会」四人画展に間に合いたいものと願っている、が、さ、それだけの移動に堪えられるかなあ。渋谷駅と松濤とはかなり往復歩かねばならない。
2014 1・12 147
* 副都心線で渋谷へ。観世能楽堂まで歩いて、開場の時間前を並んで待って。もう疲れていた。
研能会、梅若万三郎の「翁」は、立派に厳粛、しかもおおどかに明るく、めでたかった。脇正面の最後列、舞台最前部が真横から視野に確保できる席をとってみた。これは成功。面箱、荘重。千歳、凛乎。三番叟はやや期待に逸れたが。鼓頭取の幸清次郎、笛の一噌幸弘、上出来。祝ってもらったという祝福感をたっぷり浴び、それまでで、堀上さんらと新年の挨拶だけして、梅若夫人にも挨拶して松濤の能楽堂を辞してきた。駅の方へ歩き、すでに疲れていた。
上京した昔いらい馴染みの「まつ川」で、少しく鰻。菊正宗。これが身に堪えた。
浅草線で日本橋の高島屋へ。「星星会」展。竹内浩一、田淵澄夫、牧進ら実力派の四人展の解散記念に過去展の全作をならべていた。大作ぞろい。しかし、視力落ち、体力払底、しかとは鑑賞できないまま、のがれるように銀座一丁目まで車にのり、有楽町線で帰ってきた。当初の心づもりでは日本橋から浅草へ、仲見世を抜けて、ひさご通りの「米久」ですきやきか、言問通りの「山勢」で寿司をと楽しみにしていたのだが、それぐらいは気も体も保つとたかをくくっていたが、とてもムリだった。
帰宅後も茫然として九時前までテレビを観ていた。
* 復調まだこんなものかと落胆した。これでは新幹線にはまだ乗れそうにない。
2014 1・13 147
* 今日は、なんとも、ヘトヘト。このまま休むことになりそうだ、黒いマゴに輸液だけしてやって。翁の能に「黒い顔の翁どの」が登場して鈴を揉んで祝福の藝をする。「黒い顔のマゴ」も元気づけられて欲しい。
2014 1・13 147
* 正午放映に転じた「徹子の部屋」での高麗屋夫妻を観た。舞台は数えきれぬほど観てきたし、手紙などは貰っているが幸四郎とまだじかに会ったことはない、その代わりに高麗屋の女房紀子さんとは歌舞伎座等のロビーでこれまた数えきれぬほどこの十余年、妻もわたしもお馴染みになっている。なにが何でも、怪我も病もなくお揃いでお勤めあれと願う。
この土曜には、幸四郎の「鎌倉三代記」高綱という剛毅な大役を観に行く。奥さんともかならず会う。佳い春芝居を楽しみたい、嬉しいことに片岡我當も出てくれる。三津五郎も病癒えて顔をみせるし、御大山城屋坂田藤十郎一世一代の「お初」にも逢える。櫻はまだ花盛りである。
そういえば今日高麗屋から三世今藤長十郎生誕百年を祝う今藤会二十七日の案内があった。幸四郎、三津五郎、染五郎三人が特別出演する。一日たっぷりと国立大劇場にひたって「独り」楽しんできたいと、もう座席を申し込んだ。
十九日土曜には、梅若万三郎の大曲「江口」のために最前列中央の席を用意してもらっている。美しく酔えるだろう。春爛漫。
2014 4・2 150
* 明日は、梅若橘香会、万三郎の「江口」を楽しませてもらう。ありがたいことに真正面最前列の席をもらっている。
いましも『風の奏で』「七 西行の巻」「八 阿波の巻」を読み終えて「九 讃岐の巻」へ進んでいる。「江口」のことも濃厚に推量し表現している。能は二時間、大曲だが、もっとも能の魅惑と美とを崇高な官能のように描いている。歌の応酬もある。
帰りに日比谷へまわり、さらに寄り道もして帰ろうと思っている。
2014 4・18 150
* 二時半、国立能楽堂へ。いつもの展示室を観てから見所に入る、最前列。シテの一切が間近にしかと見える。橘香会に、梅若万三郎に感謝。独り置いて隣に馬場あき子さん、二人とも嬉しがって握手。
素晴らしい「江口」だった、とても凡手の舞える能でないが、そこから格段に高く抜け出せるシテがいま能界に何人いるだろうか。万三郎のことに後シテ、さらには序の舞になっての万三郎「江口」の長、じつは普賢菩薩のみごとに聡い落ち着きと境涯の高さには思わず泪が溢れた。
宝生閑のワキに衰えを感じたのは残念、もう何十年、彼の父親が活躍の頃から舞台を見続けてきたのだ。致し方ないか。だが、煮たようなお付き合いの山本東次郎間狂言の立派さにはあらためて惚れた。松田弘之の笛がなかなか面白かった。とても叙情的に鳴り響いた。能の前の仕舞四番は、みなつまらなかった。
能一番が果てて、出会った堀上謙さんとも見所で立ち話しし、今日の「江口」のみごとさに感想が揃った。
奔命の「江口」一番でわたしはもうからだが限界、馬場さんにも堀上さんにも失礼し、能楽堂を出た。夕方の冷えが身に堪えたので、いっそお茶の水へ向かい、地下鉄千代田線で日比谷へ出て、ホテルのクラブに入った。年会費の払い込みもしたかった。シャンパンのサービスがあり、好みの角切りステーキで、ヘネシー、そして竹鶴をゆっくり、たっぷり呑んだ。しごく落ち着いて、心地よくシートでうとうとさえした。
おかげで温かくなり、数寄屋橋センターを地下鉄丸ノ内線へ抜けて出ながら、途中、妻に便利そうな簡単服を買った。
保谷へついたら小雨が来た。辛うじて傘をひろげなくて済み、タクシーで帰宅。
2014 4・19 150
☆ お元気ですか? みなさん
望月太左衛です。( ^- ^◎
浅草の三社祭に引き続き、6月の東京はお祭り真っ只中です。
今年は山王祭が行われます。山王祭は江戸三大祭であり、日本三大祭の中にも入っていて、まさに日本の祭!!であります。
神幸祭は6 月13日(金) 7:45 ~17:00 齋行される、山王祭メイン行事です。御列は供奉員総勢約500 人・300 メートルに及び 御鳳輦二基・宮神輿一基・山車三基が氏子区域を巡幸します。
皇居坂下門にて麹町囃子の皆様とバトンタッチをして、私たち山桜会と京橋一丁目婦人部のみなさん、城東小学校のみなさんと
日枝神社まで祭囃子をしながら進みます。
6 月14日(土)は各町会神輿渡御
6 月15日(日)は下町連合渡御
となり、東京の中心部が江戸時代にタイムスリップしたようにお祭り一色となります。
ぜひ山王祭にお出かけください!
そして次の週、
6 月21日(土)は滋賀県大津市坂本の日吉大社にて演奏、楽器体験レクチャーを奉納させていただきます。
翌6 月22日(日)は奈良県桜井市談山神社にて、私の創作「音語りさくらさく」を奉納演奏させていただきます。
各お祭りでの演奏、そして神社での奉納は 現代では劇場やホールで上演している芸能の原点の形、もともとの姿です。
奉納演奏を通して私達の演奏、舞台の本来の有り方をみつけてゆこうと思います。
応援よろしくお願いいたします。
望月太左衛
* 久しく太左衛さんらの演奏を聴いていない。いかにも楽しそう。藝大へ入ったお嬢ちゃんももう卒業したか院へ進んだか、お母さんをたすけて大活躍しているだろうな。
太左衛さんというと、繋がりは無かったろうが早くに無くなってしまった舞踊の藤間由子を思い出す。荻江の作曲でわたしの「細雪 花の段」を最初に独り舞いで国立劇場で舞ってくれた。二人舞いのときは娘の抄子ちゃんが連れて舞ってくれた。抄子ちゃんは今は新橋の芸者になり音曲の名手になっている。懐かしいが、新橋へ繰り込む元気はないな。ハハハ。
2014 6・1 152
* 一日の終わりに、文楽の竹本住太夫引退への取材番組をしんそこ感動、涙ながらに逐一観おえた。すばらしい番組だった。浄瑠璃のおもしろさ、むずかしさ、深さを「音(おん)」一字に打ち重ねて、わたし自身、初めてかなり納得の行くまで教えられた。老齢と体力の衰えは深い強い烈しい藝に打撃を与える、それでも住太夫は諦めず投げ出さず好いて好いて好いて苦しみ抜きながら藝を究めて、なおされを弟子に伝えて行く。
大阪と文楽との切っても切れない文化の臍の緒をもしかとみせてくれた。維新の会の橋下市長は、その文楽維持の予算を真っ先に削減しようとした。新に大阪をささえる文化の根底なのに、あの軽薄モノは分かっていない。それにも泣けた。
引退公演のみごとな感銘、幕のあと、幕外で超満員の客に感謝感激の拍手喝采されながら、簑助らのつかった菅原伝授手習鑑の櫻丸の人形の手をとって、藝の鬼のついに泣いた場面はどんな名舞台の終演にもひけをとらないすばらしい光景だった。
ありがとう、と、わたしも泣いて拍手を長く惜しまなかった。
2014 6・21 152
* 喜多職分会の自主公演、九月は「経正」「蝉丸」綾鼓」と魅力満点。
2014 7・22 153
* ロスから帰国の池宮さん、すでに京都入りしていて、電話があった。次の日曜か月曜ころに東京で会いたい、と。いつものように妻も一緒に、街で夕食したい。酒の美味いおでんの店がみつかればいいが。火曜日夕刻には歯科の予約があり、午前には「湖の本121」が出来てきて受け容れねばならない。発送で身動きならない。十一日は終日歌舞伎座、十四の日曜頃には発送も終えられるだろうが、火曜水曜と聖路加で検査と診察、木曜は秋場所、金曜は俳優座稽古場公演。体を動かす機会として歩き回らねば。その勢いで新幹線に乗り込めるほどだと頼もしいのだが。
梅若の橘香会から、十月二十六日に万三郎の「通小町」小書き「雨夜の伝」新演出で演じるのでと招待が来た。狂言は右近の「呂蓮」そして万三郎監修、小林保治作の新作能「将門」を加藤眞吾が、と。長丁場、身がもつかしらん。
2014 9・3 155
* 能と文楽(浄瑠璃)と歌舞伎のコラボレーションで「隅田川」をテレビで観た。野村四郎の演出で、文楽からは咲太夫、歌舞伎からは菊之助が参加、しんみりと佳い舞台が創られた。
2014 10・3 156
* 十一月友枝会の招待券がいつものように送られてきた。嬉しい。「蝉丸」を友枝雄人が、狂言八句連歌を野村萬が、そして能紅葉狩を友枝昭世が舞う。ワキは宝生閑。秋、真っ盛りの楽しみである。今月末には橘香会、梅若万三郎の「通小町」に招ばれている。眼が見えるといいが。
同じ十一月には歌舞伎座の顔見世興行。昼には、我當の翁、吉右衛門の井伊大老、そして幸四郎の熊谷がある。夜には父幸四郎の富樫、叔父吉右衛門の義経で染五郎が弁慶をさぞや懸命に勤めるだろう、とても楽しみ。
2014 10・4 156
* 今晩は望月太左衛さんの鼓楽会に招待されていて、銀座の時事通信ホールへ行く気でいたが、雨と添えとに用心して失礼した。雨で郵便局へも走らなかった。明日からは通常の仕事へ戻れる。土曜には、梅若万三郎の「通小町」に招かれているが、目が見えるかどうか、心配。
先生にはせいぜい出歩かれるようにと奨められている。脚力をと。このところ、朝はやにきまって左脚が攣りついで右脚が攣る。ひところほど耐え難いきつい痛みではないが、かなり痛い。仕方なく立って廊下を歩いて回復させている。
手術前には、隅田川の大橋をみな歩いて渡るという目当てで出歩いたが、そういうのを工夫したい。下町に行くと、思いも懸けない家なみに挟まれて小さな祠や社が隠れている。ああいうのを写真に撮って歩いたらどうかしらん。ただ、歩きでは校正の仕事など出来ない、電車なら出来るが。この晩年になって、にわかに校正仕事が津浪のように押し寄せるとは。工夫はいろいにしなければならない。
2014 10・22 156
* 住太夫と清治との「阿古屋」の出会い・立会いをテレビで観た。文楽をはじめて観て聴いたのはやはり高校ないし大学の初め頃。山城小掾や綱太夫、津太夫の頃だった。
今は住太夫の藝や藝の語りに心惹かれている。最初は、もともとは、三味線の音色の深さに魅されていた。いま、浄瑠璃語り・義太夫の、住太夫の説く「音(おん)」いの魅力に合点が行きつつある。歌舞伎座や国立劇場での義太夫のうまさ・まずさが少しずつ感じ分けられるようになってきた。
2014 10・24 156
* いたく疲労溜まり、眼も霞んで、とても能を二番も観にゆける体調でなくなった。大事の会に見所で粗相があってはいけないので、残念だが、失礼する。要「校正」の仕事も溜まってしまっているが、ほおっと放心し休息したい気持ち。
2014 10・26 156
* この三、四日、『冬祭り』を読み終えたあと、吸い寄せられるように『生きたかりしに』にほぼ没頭している。
梅若の能にはとても体力的に出られなかった。校正ゲラを持って街へ出ることも出来なかった。
ただもう、眼をやすめやすめ自分の小説を読み続けて手を添えていった。兄恒彦が恋しいほど懐かしい。あの兄が少年のむかしに「肝膿瘍」を患って入院していたとは。親の言いつけで強引に見舞いにやられたが、わたしは拒み通した。「血縁」の「うそくさい」ことをとことん嫌った。
2014 10・26 156
☆ 秦恒平選集 第三巻
ご恵贈賜り 厚く厚く 御礼申し上げます。
お酒は召し上ってるようで何よりです。
寒くなってまいります。
御身お大切に。 御礼まで。 喜多流 友枝昭世
* 恐縮です。昭世さんのみごとなお能を心深く観られるだけの体力をはやくほんとうに回復したいもの。食べ物が摂りにくいのでお酒で熱量を得ているような、まだ、有様です。なによりも眼を、視力を回復しないと、舞台が遠霞む海のように見えます。
2014 11・11 157
* 梅若研能会、来年上半期の招待券も頂戴した。
2014 12・12 158