* 明日から郵便局休みの土日を精一杯利して、なんとか火曜の二十日には発送を大方終えたい。二十一日は、早朝から聖路加で三年目の検査を受ける。二十二日は岩崎加根子の「桜の園」を楽しみにしている。その週末か次の週初には「湖の本123」の初校が、おいかけて程なく「選集第六巻」の初校も出てくるだろう。その時分には「第五巻」を責了にしたいし出来るのだけれど、第四巻との間隔が短い。痛し痒し、迷っている。
目を上げると、福田恆存全集、同、飜譯全集の計十五巻と並んで「秦恒平選集」四巻が並んだ。思い立って十四、五ヶ月、よく出来てきた。第七巻まですでに軌道を走っている。第八巻までも今年のうちに可能かと想われる、ただし、元気であれば。元気でありたい。
2015 1/16 159
* 夜十時過ぎ。看取って見送った黒いハムの墓に添えた花のかたちの匂い袋を、夜の間は桐筺に入れてやる。
終日、二人で荷造りにかかり、メドが立ってきた。明後日中には九割九分手が離れるだろう。心おきなく水曜にはCT検査を受けてきたい。木曜の「櫻の園」 舞台が見えてくれるといいが。
今日など機械には殆ど向き合ってなかったが、送り先の宛名書き、湖の本版元と謹呈と書籍小包のハンコ捺し、そして気遣いの多い荷造りをして、その上で送り先をきちんと記録するとなると、限定本といえどもビックリするほどの作業量になる。間違いないようにと視力を使うので、ヒリヒリするほど目が痛みさえする。
四巻十九作の小説が函の背に並んで見える。いよいよ第五巻に『冬祭り』が来る。健康で怪我さえなければ少なくも小説集だけで十五巻では足りないだろう。
凸版印刷以外によその誰の手も借りていない。これはわたしと妻と二人の人生、協働で成し遂げる「卒論」のようなモノ。そして、この卒論には、新作の小説をも、ぜひに加えたい。その為にはまだまだ勉強も必要なら、ぜひにも長生きもしなくてはならぬ。無用の疲労は絶対に禁物。
2015 1・18 159
* 「冬祭り」第二、三章を読み、「湖の本123」を初校し、「或る折臂翁」の原稿読み、「生きたかりしに」の原稿読みを、続けざまに。弛んでやり過ごすなど、わたしにはもう許されていない。「寒ければ寒いと言つて立ち向かふ」だけのこと。おそろしく今日は寒かった。
明日は雨になると。六本木で「櫻の園」を観る。
2015 1・21 159
* 雨中、六本木へ出向き、まず銀行から「選集④」の制作費送金支払いを済ませた。二月の歌舞伎分も。
妻と俳優座で「櫻の園」を観た。
七列中央、それも前の二席が空いているという絶好の見やすさで有り難かった、が、期待の「櫻の園」、岩崎加根子をはじめ、総じて不出来であった。不出来の理由もはっきり目に見えていた、が、此処へ書くのは、機会あれば後日のことにしたい。それでもひとこと言えば、なにもかも「うそくさく」舞台にリアリティの確かさ表現するすこがと全く出来てななかった。チェーホフ原作への理解の悪さという前に、(頭脳的にはいくらでも深く読んで理解することは出来るのだ。)舞台の俳優諸君が登場人物たちと彼らの時代とを、あまりに「肉体的・感性的」に知らず、知るスベも自覚も持てていないのだ。作者チェーホフの責任ではない。また同じ俳優座ででも、すばらしい「櫻の園」が過去に何度か実現されていた。感動した。
どう演出家や俳優等が戯曲の読みの上で批評的になろう、なれようとも、彼らはあまりにラネーフスカヤもワーリャもガーエフも彼らの実感と科白とで体現できてなかった。分からないのだ。舞台はともすると下品にになり下賎に過ぎ、すくなくも没落貴族の無知無力と同時にかれらに遺っていたノーブルの残照、余香や、エレガントな物腰すら表現できていなかった。岩崎の科白に身に付いた一首のしどけなさや言葉の崩しが、とかくすると淫売屋の女主人のなさけない没落かのようにすら錯覚されて、堪らないなと歎かせた。舞踏の下手さかげんにも、たしょうでもロシアを見てきたわたしには、ただただ亡き東山千栄子のラネーフスカヤが恋しく、また亡き河内桃子や大塚道子等の気品の演技がなつかしかった。
ま、ひとり、ワーリャを演じた桂ゆめに、打ち倒されて行く「櫻の園」ののがれようない悲しみが、かすかに凛と生きていた、か。
所詮は、あんなラネーフスカヤやガーエフの性格破算にひとしい無能な生活に救われのあろう筋は無い。ただしかし、彼らに世代を超えて新たに行き変わろうとねがうアホニャにも、とても希望は託せなかったし、成り上がってゆくブルジョアロパーヒンにも、今日の思いからしてなんらの期待も託す気にはなれなかった。観客はみな同感だったろう、幕が降りての拍手も、とても燃えたたなかった。
* 帰路、練馬駅の構内で牡蛎と佳い寿司とで、八海山の純米、〆張鶴の純米を楽しんできた。
2015 1・22 159
* 建日子がなんだか、マンガ原作に拠るミュージカルとやらを池袋芸術劇場で作・演出するという、が。
2015 3・18 160
* 池袋の藝術劇場へ、秦建日子脚演出、誰かのマンガが原作の「神様になります」を妻と見に行った。八十になろうという老人二人にはまったく場違いな若い若い男女ばかりの大劇場、一階はほぼ満席。ミュージカルという呼び込みながら音楽・声楽・舞踏・剣戟みな雑然として美感も快感もなく、呼んでくれた建日子にも挨拶のしようがなかった。建日子自身の作・演出になる「らん」や「タクラマカン」や「月の子供」などとは、あまりに低調で目も耳もアタマも楽しまなかった。しかし満員。八千円。俳優座や昴よりも高い。それでも若い人で満員。興行としては成功しているのだろう、が、アングラ小劇場の熱気ともはっきりちがう空気、胸にしみて迫る劇的メッセージは、ゼロ。わたしはただ暗い中で目を休ませて、終演を待っていた。ま、こういう「仕事」も有る、ということ。
* 西武で食事してきたが、体調よろしくなく。風がつよく冷え込んだ。帰りの電車で「秋萩帖」を読みすすめ、すこし気分持ち直して、帰宅。元岩波書店の高本邦彦さん、中京大、多摩美大などから来信。
また日本画家で御一緒に中国を旅した松尾敏男さんからは「春の院展」へご招待頂いた。
2015 3・24 160
* 俳優座から、五月、レマルク唯一の戯曲「フル・サークル ベルリン1945」への「御招待」が来ている。これはもう見遁せない。劇団昴からも、おもしろそうな芝居の案内が来ている。
高麗屋からは、松本幸四郎の「ラ・マンチャの男」十月公演の案内がもう届いている。松たか子がおやすみなのは惜しいが、何度見ても見ても佳い舞台。幸四郎新機軸の演出を期待している。健康でなくては、妻も、わたしも。
秦建日子にも、目をむくようなすばらしい舞台をみせてもらいたい、期待している。
2015 4・9 161
* 六月歌舞伎座昼夜の座席が用意できた。「新薄雪物語」の昼夜通しが楽しみ。昼の開幕に真山歌舞伎、吉右衛門で前にも観ている「天保遊侠録」は海舟の父、勝小吉のおはなし。夜の大喜利は菊五郎と左団次の老夫婦で「夕顔棚」とは、涼しい楽しみ。
七月新橋演舞場の染五郎「アテルイ」も、日が決まった。
今月は、レマルク唯一の戯曲を紀伊国屋ホールで、俳優座劇団。好演を期待している。
2015 5・16 162
* ものすごい勢いで、今日は夜まで、発送予定の大半を荷にした。
明日は聖路加なので、夕方からあとにしか仕事が出来ない。
明後日は、午后に、レマルク作の芝居を観に出かけるので、せいせい午前中しか仕事が出来ないが、夜には、作業をほぼ終えられるかも。
2015 5・18 162
* 十時半、機械の前へ戻ってきた。疲労して、今日体調非常にわるい。明日、朝に仕事して、午后に劇場へ、帰宅して晩にまた作業を続けねばならない。相当ハードだけれど、弛んでしまうと回復しにくくなる。何を措いても、やすむことにする。
2015 5・19 162
* 紀伊国屋ホールでの俳優座公演、レマルク戯曲「フル・サークル」を深い共感と喝采とで観てきた。今日ただいまの日本国民に訴えるもっとも適切な主題であり舞台であり、レマルクの傑作小説の強烈な自由と平和への志向・殉情を少しも損なわず歪めずに彼自身で成した劇作であった。いまの、怠惰で優柔で卑屈なほど安穏に安住して今日から明日への真の恐怖世界を想像すら出来ない日本人、ことに青年、中年を、これほど叱咤し忠告している舞台は無いであろう。
わたしは眼が不自由で、舞台も霞んで見えていたが、だから俳優達のうまいのへたのなどは却って問題外となり、息づかい激しい歎きの、怖れの、不安の科白の一つ一つを耳から胸へ畳み込んで聴き味わっていた。最大級の拍手を率先送ってきた。しかし、おそれていたように、劇場内の反応は、わたしの祈るような思いの共感や認識とはやや懸け離れ、温度の高まらないもどかしさがあつた。現代というより、今日から明日へ生きぬかねばならぬ日本人の足もとを激しく揺るがしている現実の危機、それと共振させ踏み込んで観ている人が少ないなあと感じた。あーあと、寂しさをさえ覚えながら、妻と、劇場を離れたが、俳優座、制作の人とはしっかり握手してきた。
* 賑やかな新宿では、久しぶりに船橋屋の甲州「笹一」で天麩羅を。笹一のうまいこと、このところ日本酒が家に払底していたので、満たされてきた。妻と一緒だから帰りの電車を乗り越す心配もない。それに副都心線、新宿と保谷との往復の楽なこと早いこと。
帰ったら、吉備の有元さんから素晴らしい地酒が届いていて、おおと声が出た。手紙もたくさん。
なにより、初日に黒星を喫した横綱白鵬が、さすが横綱相撲で照の富士を一蹴一敗を堅持し、魁聖と二人、勝ち星の最先頭に立った。油断なくぜひ優勝して欲しい。
2015 5・20 162
* 今井雅之もなくなった。彼の素晴らしい芝居「ウインドウズ オブ ゴッド」を一度だけ観たが、終生忘れまい感動作だった。他は知らないが、舞台を降板報告の会見からあまりに早い死のおとずれに戦いた。ああいう芝居を一作遺しただけでも、たいしたものだ。そういう「一作」がまた実に得がたく難しいのだ。五体が破裂しそうなほど強くまともに訴えねばおれない動機からあの芝居は生まれていた。それが分かった。敬服もし感服もした。小手先のつくりバナシでは無かった。
2015 5・29 162
* 昼前に放送大学で、日本新劇の歴史的な回顧と解説を聴いた。坪内逍遙、小山内薫以降の歴史的な積み上げの中で鍛錬されたさまざまな表現革新、思想形 成、方法探求のいろいろが示唆に溢れ実例もともなってまことに興味津々、感銘を受けた。戦後演劇での三島由紀夫の革命的な演劇言語の錬成を経て何人ものみ ごとな演劇創造の先頭を邁進している実例もみせてもらい、戦後文学の歩みなどこれら演劇的前衛の逞しい創意工夫の前にはなさけないほど平板ではなかったか と、ガックリした。
秦建日子の「秦組」の旗の下、どんな斬新で深刻な演劇創造が展開されてきたのかと、身贔屓のママまま顧みて、やはり、やるなら歴史も共々もっともっと濃 密に尖鋭に人と世界とを批評し彫琢し、前進してほしいと感じた。小山の大将に甘んじてては、所詮追いつけもしない先人先輩らの足どりがあったのを、時分の 足でも一歩一歩確かめて乗り越えてほしい。まだまだ才気にまかせての趣味の域を超えていない、真の独創をめざせていないのではないか。もつと勉強しもっと もっと苦悩しつつ思索し冒険して欲しい。優れた師をもち肝胆照らしあう友とライバルとを。もう五十近く遅きに失しかねないが。
2015 8/11 165
* 十月帝劇の「ラ・マンチャの男」座席券が、もう届いた。新たなアルドンサに、霧矢大夢。松本紀保や松たか子のアルドンサを継いでどんな新鮮な役作りをみせてくれるか。 2015 8/27 165
* 十月は帝劇「ラ・マンチャの男」 十一月は歌舞伎座顔見世の夜に高麗屋父子に松緑が義経で加わる勧進帳、太刀持ち何金太郎が出れば三代勧進帳だが。楽しみ。
十二月、国立でのやはり幸四郎が伊右衛門、染五郎が小岩さんという寒い時季の四谷怪談と知らせが来た。ウーン。
十二月は我が家は祝い月、ことに今年の二十一日は私の「傘壽 八十歳」。やはり四谷怪談は遠慮と決めた。歌舞伎座の方のまだ様子が知れないが、松嶋屋の我當か美吉屋の吉弥が出てくれるといいが。
2015 9/9 166
* 処方薬を手に入れてから、だらだらと歩いて、松屋八階の「つな八」で天麩羅。これが少々ぞっとしない揚げようで、烏賊の硬いのにがっかりした。
天麩羅職人の腕前は烏賊の揚げようできまるというのがわたしの持論。コリコリの烏賊天にはガッカリして、酒もしっくり来なかった。わたしも存外に疲れていたのだろう。
往きの電車でも、二つの外来でも、薬局でも、そして松屋銀座から帰りの電車でも、ずうっと校正し続けていて、保谷駅へ電車を降りたときから、胸が圧しこまれるように苦しくなってきた。タクシーを待っている間、かつてない、地面に尻を落としていた。
玄関へ入って、妻にすぐニトロを貰った。
いまは、もう落ち着いているが、明日の俳優座稽古場の「ヘッダ・ガブリエル」の招待、残念ながら電話で辞退した。どのドクターも口を揃えて歩いて下さい と奨める。のに、ますます出不精になり、両国秋場所の大相撲も、茶屋からす奨めてきたけれど今回は辞退した。明日、六本木まで重い芝居を観に出かけられか 自信がなくてお断りした。かなり惜しいけれど。
2015 9/16 166
* ひょっとして、次々回の「湖の本」新刊には、すこし異様できあるが新作の小説集が編 めるかもしれない。その気で、つとめたい。少なくも遠からず実現の気運をつかみかけている。 国会など、いやみな変な一日だったけれ ど、仕事は着実に動いてくれた。しかし頭と手先だけ動いていて体はちっとも運動していない。体重の増が気になる。
* 「私語」転送がうまく機能していないか、たんに送り忘れていたのか。デモに参加かと問われていた。群衆に揉まれれば、転倒は免れ ない。わたしはわたしなりの戦いを「私語」と「出版」とで続けているつもり。外出は、病院通いで沢山。今日の俳優座稽古場公演も残念ながら辞退したが、か らだは安まった。明日は出なくてすむなと確認できると、ホッとする。家には黒いマゴもいる。
2015 9/17 166
* さ、十月を迎える。二日夕刻には暫くぶりに、歯科。六日には聖路加循環内科で念のための診察を受ける。七日には妻も聖路加へ。二人とも、診察までにかなり待たされそう。
十五日には、幸四郎の「ラ・マンチャの男」を義妹もいっしょに楽しみ、翌日からは「選集第九巻」の送り出しです。数日で終え得たいと目論んでいるが。
じりじりと歳末へ日脚がはやい。
2015 9/29 166
* 俳優座から十一月公演、美苗作「ラスト・イン・ラブソデイ」の、友枝会から十一月一日公演、昭世の「砧」 萬の「磁石」 大風の「経正」などの招待が来た。
妻の従妹の後藤明子さんから都の美術館での「中美展」へ招待が来た。
2015 10/1 167
* 俳優座劇団の早野ゆかりさんから、例によって「外」の仲間達と芝居するので、招待しますと。
近松原作「心中天網島」の、主役「小春」を演りますのでと。観に行こうと決めた。
* ほんとうは、建日子に、もっとこういうベテランの域に達している俳優達とも接してほしいのだが、どうも彼はそういう意欲や意気をみせない。俳優座で謂 えば、早野ゆかりはもう主役級のキャリアをもっているし、美苗などは演技者としても爆発的意気と技能をもちつつ、しかも優秀な戯曲を自ら書いて俳優座の舞 台に何度か載せている。幸に、個人的にも知り合っている。わたし自身はその世界に気も意欲もなくて観るだけが楽しみの外野席にいるが、秦建日子は現役の劇 作・演出家であり「秦組」とやらを率いている。しかしそんな「組」から外へ、それも上向きの外へ踏み出して行こうとしていない。いそうには、ない。芝居は 俳優との競作である限り、新鮮で、オーとおどろく配役にも大きな妙味がかかる。作者・演出家が大胆にひろい世界からの共演俳優と出会う勇気が要るのでは。
騒壇余人で「孤り仕事」に打ちこんでいるような父のわたしが言うのはヘンなようだが、ひたすら「書き手」のわたしには「いい読者」「いい批評家」がいわ ば命。その点では、おそらく地味な現代作家のわたしほど、あの受賞前後から今日まで、「えらい先達・先生」「文壇・編集人」「広範囲な各界人や学者・藝術 家たち」「広範囲な大学・高校・図書館・研究施設」と何十年も「作品」のみを介して交際のある作家は少ない、いや、いないとすえ言い切れよう。そして、そ れが、わたしを常に励ましてくれたし、おろそかな仕事などをついぞさせなかった。売り買いの「数」ではおはなしにもならないとして、作の「質・実」に冷評 や悪評は受けてこなかった。わたしはえらい人達、敬愛できる人達、意欲や趣味高い人達との出会いや交際を嫌うよりも実は求め続けて得られ続けてきた作家な のである。
そういう謙遜・謙虚と意欲とをつよく意志し志向して、新鮮な人との出会いを自身の創作に生かしてくれるといいなと、いつも願っている。
おそらく今日只今、小説家になりたい人より、劇作家・脚本家になりたい若い人達の方が数多いのではないか、現に、若い若いと思っていた秦建日子のあとか ら次々次と新しい「書き手」が現れて活躍している。わたしの仕事では他者との「競合」といった実感は事実ほとんど持たずに半世紀を働いてきたが、舞台やド ラマの仕事ではいやおうなく競合を強いられていそうに見受けている。俳優世界では半年一年の先輩後輩のケジメも厳しいと聞いているが、「作者」にはそんな ウワベは屁のツッパリにもならない。自然の趨としてどんどんと追い越され、追い越させないで質も名も保てる人は片手の指の数ものこらない。質実に、しかも 意欲的大胆に。それでしか真の意味で生き残れないだろう。 2015 10/4 167
* あすはまだ家にいるが、あさっては聖路加の循環内科へ十数年ぶりに受診に行く約束。循環外来の待ちは超弩級、よほど大量に校正ゲラを持ち込まねば。七 日から一週間は落ち着けるし。天気のいい日に一度は出歩かねば。十五日は「ラ・マンチャの男」を義妹と三人で。その翌日には「選集第九巻」が出来てくる。 何日か、数日も、荷造りしては郵便局へ運ばねばならない。 2015 10/4 167
☆ 秦先生 有難うございます。
お身体が大変な所、ご無理して頂きまして恐縮ですが、大変光栄でございます。
最前列2席に秦先生のお名前を書いた紙を貼っておきます。
ご子息様とはFacebookでご挨拶申し上げました。
ご活躍ですね。
青山円形劇場の『ロッテ』の事でしょうか。是非拝読させて頂きたいです。楽しみにしております。
お身体呉々もご自愛下さいませ。
奥様にもどうぞ宜しくお伝え下さいませ。 かしこ 早野ゆかり 俳優座
* 近松の「心中天網島(てんのあみじま)」という題目に、国民学校時代、つまりは戦時中だが、ふと目をふれたことがあり、「シンチュウテンモウトウ」と 発声して、秦の両親や叔母に大いに笑われたのを思い出す。「てんのあみじま」などと「巫山戯てる」と憤慨したが。妙に懐かしいが、「日本語」の難儀で厄介 なことに実感で思い当たった、あれが最初だった。
早野さんは、この芝居の主役である遊女「小春」を演じるという。成駒家(大阪では成駒家、福助、橋之助ら東京では成駒屋と区別している。)の鴈治郎(藤 十郎)の不動の持ち役、早野さんどう魅せて呉れるか、楽しみにしている。この人、三十年近いまえ、わたしの「心 わが愛」で、「先生」の従妹役が初々し かったと覚えている。近松の名作にぶちあたって欲しい。
2015 10/5 167
* 照井良彦さんへ選集第四巻を送り、岡田昌也さんへ礼状を送り、ついでロキソニン一錠を服しておいて西棟玄関を塞いでいる選集第八巻を十五冊ずつ三度、二階 へ運び上げた。腰骨が折れそうに重いが、頑張ってしまう。あいついで配本の希望があり、予備の私蔵本にも気配りしている。九巻の出来まで、用意日はもう明 日しかない。明後日は義妹と三人で幸四郎の「ラ・マンチャの男」を楽しむ。このミャージカルの初体験は十数年前の帝劇からの招待だったらしい、今度の「有 楽帖」に永い記事がある。以来、四、五回も観てきたろうか。ヒロインは松たか子のことが多かったが、今年は初めて会う女優で、それも一つの期待と楽しみ。
* 野田秀樹作・演出、松たか子主演という待望の舞台、題は「逆鱗」と。むりかなあと諦めかけていたが、予約に希望がもてそうな按配で、大喜びしている。来春の二月。とてもとても楽しみ。
2015 10/13 167
* 義妹が発病して芝居にこれなくなった。妻の親しい秦野市の従妹に券をまわしたいと。義妹は詩人で画家、従妹も画家。ちょうど東京で団体の展覧会途中なので、かえって便宜があるかも。
義妹の無事の回復を祈る。
* 妻の従妹も都合がつかず、結局いつものように妻と二人の観劇になった。好席に穴をあけて高麗屋に申し訳なかった。
芝居は、いうまでもなく感動へ盛り上げ、熱い拍手をたくさん送ってきた。ただアルドンサ=ドルシネア役が前回、前々回の松たか子から変わって見知らぬ女 優に変わっていたのは、少なからず痛かった。あらためて松たか子の歌唱力、演技力、科白の読み込みのたしかさ美しさが、まこと得がたいものと想われた。新 起用の女優に難があったではないけれど、舞台全体に渾然感をもたらすヒロインとしての内面の充実にすこし欠けていたのかも知れない。わたしの松たか子贔屓 というだけのことかも知れない。
なんといっても戯曲の孕んでいる思想性にわたしは身に沁みていつも共鳴する。うなづける科白も歌詞もいっぱい。相変わらず幸四郎の終始舞踊的身ごなしか ら発揮されるみごとな歌唱の高潮、たいしたものであった。わたしより六つ七つ若いだけの松本幸四郎。なんという爆発力だろう。ますますの健勝を願わずにお れない。
* 幸い咳き込むことなく妻も感嘆し落涙していた。
わたしは、空腹なのに食欲なく、帝劇となりの地下で、やすい中華料理、というよりわたしは紹興酒と餃子だけで済ませてきた。妻は、またも酢豚定食。よほど酢豚が好き。
* 往きも帰りも有楽町線が幸便で、おかげで持ち込んでいた「親指のマリア シドッチ神父と新井白石」をアトヅケまで全編再校を終えた。これは、大きい。 重い。第九巻、湖の本127、第十巻への流れがスムーズになり、さきざきの仕事の段取りがつけやすい。油断なく、間違いなく丁寧に進行したい。
2015 10/15 167
* 明日は、「鞘走らぬ名刀」の友枝昭世「砧」に、千駄ヶ谷の能楽堂へ。萬の狂言もある。好きな「経正」もある。
明後日は新劇陣による近松の「心中天網島」を上野へ見に行く。早野ゆかりの小春。これも期待している。来月は、歌舞伎座も俳優座もあり、秋たけなわ。
2015 10/31 167
* 俳優座の早野ゆかりさんから、明日上野の劇場への道順などがメールされてきた。最前列中央に二席用意して貰っているという。目の不自由な私には嬉しいはからいで、感謝にたえない。
2015 11/1 168
* 強い雨が降りついでいる。はじめての劇場を探して行かねばならない。冷え冷えしている。あと二時間のうちに小降りになってほしいものだ。
*上野駅入谷口の奥の「上野ストアハウス」で「遊戯空間」公演(構成・演出・美術 篠本賢一)の、近松原作「心中天網島」へ招かれ、妻と観てきた。最前列の真ん中に席をもらっていて視力の弱さを嘆かずに済んだ。ご招待は主役小春を演じた早野ゆかりさん。
なまなましく、みずみずしく、舞台の佳い「シンボル」として、不要無用に動いて熱演負けしないで、美しく強く濃く「存在」していた。そのおかげで、他の人物達は声高に、烈しく、動き回っても、舞台に小春という求心力が在りえた。
間をずらして時と場面を繋いだり説明を省いたり、篠本の構成演出美術の、簡明に力ある成功だった。いい舞台に出逢ったと、二人とも喜んで来た。
治兵衛クンの奇妙な科白訛りが、浪速言葉と思うとあまりにちぐはぐなのだが、それさえ舞台の魔法のように、滑稽そのものが神妙に真実だった。
妻は大阪育ち、わたしは京ことば。そんな自前に固執していたら、舞台に生きた妙機が味わえない。
贔屓の引き倒しでなく、進行に伴い徐々に存在感と動感を発揮しだした治兵衛クンの根気が、ものを言っていた。
原作をほぼまったく端折らず、「橋づくし」まで聴かせてくれた、嬉しい懐かしい入れ込みだった。
篠本は、あの懐かしい亡き観世栄夫さんの弟子だったとか、能にも親しんできたという。
ああ、ひょっとして観世夫人恵美子さんとも久しぶりに劇場で逢えたのかもしれないと、胸を騒がせた。
もとより、もっともっと工夫の仕様もあるのだろう、再演も期待したい。
* ひとこと早野さんにお礼も言って帰りたかったが、ま、成り行きで劇場の外へ出てしまったので、そのまま入谷を歩き、上野駅を迂回し、上野末広亭に立ち 止まったが夜席に間があり、すこし先の辻の「天壽づ」へ数年ぶりに入って、久々にうまい天麩羅を揚げてもらった。酒もビールもうまかった。
先日の精養軒の帰りは広小路からタクシーで池袋へ走ったが、今日は文明堂の前から都庁駅乗り換え練馬まで環状線に乗った。これが失敗で、揺れる地下鉄に 疲れ、練馬駅で両肩頸の激痛にへたばってしまった。死ぬときはこんなにキツイのかなと思った。立ち上がれず、人にも助けられてホームの休憩室で妻の心臓の 薬をわけてもらい、どれほどの時間か永休みして、かつがつ保谷駅へ帰れた。幸い、タクシーがすぐ来てくれ、家へ戻ったときには、ほぼ回復していた。昨日の 能「砧」 今日は能めく歌舞伎の新劇人による「心中天網島」。かなりの重さだったということ。こういうこと、独りで出ていても、軽度でも、ときどき有る。
2015 11/2 168
☆ この度は
ご観劇(心中天網島)頂きまして、ご感想も有り難く、演出の篠本さんも大変感謝していらっしゃいました。
また、先日は重厚な装丁の御本をお贈り頂きまして有難うございます。非売本とか…。貴重な御本を有難うございます。
扉絵はお母様でいらっしゃいますか。優しいお人柄を思わせて下さいます。それでいて慎ましやかな情熱を感じます。これからじっくりと秦恒平先生の世界に浸りたいと思っております。そして、音読に挑戦、先ずは夫に聞いて貰おうかな~と思います。
奥様に呉々も宜しくお伝え下さいませ。
実は…本番中、奥様が私を御覧になって、秦先生の左腕をつついたのが見受けられました。私は御夫妻が微笑ましく、そしてお二人と会話出来たような幸せな気持ちで舞台を勤める事が出来ました。
「お二人でようこそ来て下さいました。有難うございます。じっくり御覧になって下さいね~」って心の中で感謝しながら。 早野ゆかり拝
* 早野ゆかり様
あの挿絵を描いたのは、私をつついた、同じくやがて八十の老妻です。私がいねむりしてはいけないとつついた、早とちりの女房です。私、いねむりなどしてませんでしたよ。
「秦 恒平・湖(うみ)の本」127 『有楽帖 舞台・映画・ドラマ』 今日送り出しました。一両日で届くでしょう。
二十*日は俳優座公演へ。
眼の調子、いいといいがと願っています。もう数十年の例で、家内といっしょに参ります。前回は体調悪くて行けませんでした。
お元気で。 秦 恒平
* 切ない、佳い小春だった。篠本さんの構成と演出がとても面白かった。あの手をうまく展開できれば、わたしの掌篇小説を たてつづけに十ほど、上手な朗読とパントマイムとで幻影の舞台が生まれるのではと思ったりした。
2015 11/10 168
* 俳優座劇場で美苗作の芝居を見てきた。美苗の出演が体調不良で代役になっていたのが残念だった。
重い大事な狙いと願いとの力作であったが、演出家はどう美苗作を活かし得ていただろう。まことに上手に書かれた小説を舞台の役者を駒にかりて分かりやす く分かりやすく働かせていた、言い直せば力作の佳い小説を「絵解き」ならぬ「芝居解き」にして見せてもらう感じで、まことに分かりよく分かりよく、おかげ で重い大切な主題はしっかり納得もし感銘も得ていたけれど、別の価値観からみれば、演劇性を説明よろしき効果に置き換えて済ました感も覚え続けていた。
科白も、演劇言語としてでなく説明言語として使用されていた。すくなくもわたしは演劇を楽しみたいとき、その演劇としての表現の妙味をたんのうしたいのであって、事柄や大筋の判りいい伝達に満足などしていない。
突飛なことをあえて謂うが、歌舞伎の名作「勧進帳」を、テレビドラマなみのわかりよい場面や科白でこちゃこちゃと演じられたら、弱ってしまう。演劇は、 説明先行の月並みなテレビドラマとは違う。そういうドラマで満足できる人には、今日の舞台は十二分にちかく働いていた。しかし、演劇的な表現と演劇言語の 妙趣や彫琢を願っている物には、言いたい訴えたいことをただただ絵解きしているような舞台には全幅の心酔はしがたい。
つまりは、今日の舞台は、演出家の演劇感覚の薄さを暴露してしまったのではないか、もったいないなあというのがわたしの感想であった。もっとち演劇感覚の尖鋭な臣演出での再演を作者で女優の美苗のためにもわたしは希望する。美苗自身に演出して貰いたい。
先頃、俳優座の早野ゆかりが主役で演じた近松作「心中天網島」は、原作がかかえもった演劇性を崩してしまうことなく、あざやかな演出で演劇のおもしろさ、たしかさ、うれしさを十分満たしてくれていた。説明的なテレビドラマ型の説明に落ちこまなかった。
今日の俳優座の舞台は、テレビドラマがそのまま舞台に乗っていたような気味が終始抜けなかった。俳優達が下手だったのではない、ことにベテランたちは流石の表現をみせてくれた。だが、演出家の「説明」重視の意嚮はかなりつよかったのではなかろうか。
* 日比谷へまわって、クラブで飲みかつ食事しながら、舞台を反芻していた。「生きたかりしに」を湖の本にしたばかり、その主題とも状況ともグイッと重な り合う主題があり、驚いたことに若い主役の名は「コーヘイ」君であり、彼は生母を知らずに生母を捜し求め、母なる人は母と名乗らずに「コーヘイ」君に手を 取られ抱かれて尊厳死していた。わたしが退屈などして、舌打ちなどして、平気に見ておれるような舞台の推移では無かったのだ、わたしも、横の席の妻も、泣 いていた。
* ま、「演劇」ということの意義や意味は、これからも考え続け楽しみ続けたい。
2015 11/26 168
* 短篇ながら「マウドガリヤーヤナの旅」気を入れて書いている。芥川の「杜子春」とどうかと言われれば、完爾としてわらうだろう。
小品ながら「なよたけのかぐやひめ」も、歌わない音楽、表現の音楽として気に入っている。翁と媼とを声で演じてくれた文学座、俳優座の老名優、亡くなって了われた。かぐやひめを語った若かった人はどうしているだろう。
2015 12/3 169
* 今年の芝居の打ち上げは、幸四郎長女松本紀保らの、築地の或る日本家屋の座敷を舞台につかった四人姉妹の「ドアを開ければいつも」を観ること にした、客は二十五人という。じんなのか、楽しみでならない。やはり歳末に紀保らの軽妙なミュージカルを中野で楽しんだこともある。「ラ・マンチャの男」 を初めて観たときは紀保がアルドンサを演じていた。弟の市川染五郎や妹の松たか子にまけない滋味に富んで賢い演技を見せてくれる。佳い年の瀬になりそう。
2015 12/7 169
* クリスマスとは縁無く暮らしてきた。明日のイヴ、大賑やかなのだろう、街へ冷やかし半分見物に出るなら、どこかなあ。もっとも明後日には病院に用事が あり、そのあと、街なかでちょっと珍しい「お座敷で」「客席は二十五」というの芝居を妻と観る。そのあともう六日も今年はある。のーんびりしたい。
2015 12/23 169
* 選集⑩の製作費を支払い、一路聖路加病院へ向かって一月の入院手続きを践み、内分泌科で用事を済ませてから、タワー一階で濃厚なシチュウをベルギーと イタリアの味なビールで遅い昼食にした。四時前、昭和二十六年に建った二本家屋「鶏由宇」の二階へ上がり、座敷を舞台にした「みそじん」公演『ドアを開け ればいつも』を、隣室から観てきた。岩瀬晶子、大石ともこ、松本紀保、吉田芽吹の四人「姉妹」の芝居で、じつに四人とも上手く、成りゆきに感じ入り涙もあ ふれた一時間半、歳末をしっかり定めてくれた逸品の劇であった。すでに亡い母、たまたま留守にしている父、そして明日は母のための法事に長女、三女、四女 がそれぞれの暮らしから父と次女との昔ながらの家へ参集、いかにも遠慮のない姉妹らの会話劇が、座敷の舞台を巧みな出し入れでまことにそつなく不自然なく 展開して行くのが「劇的」でもあって、ふうっと胸を絞られもした。おみごとな好演、たしかな舞台の進行で、「藝術」の域に達していた、敬服した。おめあて で出かけた松本紀保のさすがの存在感と自然な科白に十分満足した。
とてもとても商業演劇ではない、なにしろ観客は二十五人しか入れなくて、木戸銭も気の毒なほど抑えてあって、いささか恐縮した。
佳い舞台に出会えて、ほんとうに良かった。
* 六時前の築地から銀座へ歩いて、わたしは二十一日のかわりに妻とご馳走を大いに楽しんでかえりたかったのだが、どこもクリスマス景気、二人とも草臥れ て銀座一丁目から一路保谷行きで帰ってきた。保谷で、近くの洋食屋へ寄ったが、妻は美味しいと言い、わたしは口に余り合わずに、駅でショートケーキだけ 買ってタクシーで帰宅。往きと帰りの電車で、「湖の本」128を責了の直前まで読み込んできたのは、収穫。
2015 12/25 169