* 東工大の学生で、歌舞伎役者の名前を口にしたのは一人だけだった。その女子学生は中村吉右衛門が好きと言った。ただし歌舞伎舞台の播磨屋ではなかった、「鬼平犯科帖」の吉右衛門が好きですと。
その吉右衛門が演じるその犯科帖、鬼の平三のドラマを観て休息した。時代物の芝居シリーズでは、代々の「子連れ狼」や藤田まことの「剣客商売」と並んで吉右衛門の「鬼平犯科帖」は観るに堪える一つと思ってきた。吉右衛門の情と愛嬌とがしっくりと表現される。梶芽衣子や蟹江敬三や時に歌昇(又五郎)などがしっかり脇を固めてくれる。
今夜の主役を演じた床島佳子らもしんみりと涙を誘った。
役者は、どんな深刻な役、命懸けの役にも、どこかに花の愛嬌がものを言うている。「オーラ」である。それなくて一人前にドラマや舞台を勤められる訳者なんていない。主役級でも、なかなか、光背のように「オーラ」を負うている俳優や女優はいない。なにより先ず手前味噌、高慢の自我を殺せる愛嬌(愛想ではない)の花がなければ、どう口達者に生意気でも、お話にならない。
* ほんとうに久しぶりに「花」ということを吉右衛門の芝居から、口にした。創作という実には花が匂ってなければならない。咲いて見えるだけではダメ、匂ってでないと。
2015 1/11 159
* 機械の輝度を2まで下げても眩しい。一日中眼をあいて水の底を歩いているようだ。危険なこと限りない。注意して生きて行くしかない。重労働も余儀ない発送を始める前に、今年初の歌舞伎座を楽しみたい。大相撲は白鵬の優勝新記録をテレビの前でせいえんするだけで我慢。なにしろ秋場所には「カーン」と場内に鳴ったというほどはげしく額から桟敷の囲いに落ちた。診療所へ担ぎ込まれたなど全く記憶にない。
2015 1・13 159
* さ、歌舞伎座で、初春の芝居をたっぷり楽しんできたい。幸四郎、玉三郎、吉右衛門そして染五郎、猿之助、勘九郎、七之助など。
2015 1・14 159
* 歌舞伎座初春大歌舞伎。昼の開幕「金閣寺」が、染五郎の松永大膳が堂々の押し出し、七之助の雪姫が美しく、ききりと勘九郎の此下東吉。ああ世代が変わったなと思わせて好成績の見応え、けっこうであった。
二番目の「蜘蛛の拍子舞」は前半の拍子舞が玉三郎を芯に勘九郎と七之助が軽妙に舞い、がらりと変わって玉三郎の蜘蛛の精がおそろしく、さらに染五郎が豪快に坂田の金時で現れ出でて、大らかにまた小味な中幕であった。
昼の切りは、高麗屋が駒形茂兵衛全面的に持ち味の「一本刀土俵入」。長谷川伸の作では唯一見られる芝居で、幸四郎の柄に合い、泣かされてしまった。つねは科白のもたつく魁春のお蔦が出色の上出来で、二階でも、後場の女房役でもリアルにしんみりと演じてくれた。高麗屋はこういう役も持ち味で自在にしあげる。
昼の部がはね、高麗屋幸四郎の夫人、染五郎の夫人とロビーで歓談、両家からお年玉までもらってきた。
夜の部は、先ず「番町皿屋敷」で、これは吉右衛門がマルはずれ。はじめからしまいまで神経質に叫び続けるばかりで、なにもかも胸に届かぬミスキャスト。播磨屋ともあろう役者が、なんでこうなのと、失笑もの。かれが討ち入りの土屋侯を演じたときも、なにかしら勘定がちがうと感じたが、今夜の青山播磨の芝居は、おはなしにならずウソクサイものだった。むしろ染五郎の兄い役放駒四郎兵衛の方が断然の貫禄だった。若い人達が確実に伸びてきている。頼もしい。
玉三郎の「女暫」は楽しみにしてきて、それなりに大いに楽しめた。
しかし大喜利の猿之助「黒塚」は再校の傑作、よく踊り、鬼女勘定の起伏も舞台の効果も、また勘九郎の気品に溢れた阿闍梨祐慶もおみごとな嵌りよう、感嘆、第一の大喝采であった。最も期待し最も酬われて嬉しかった。
* ど゜こへも寄らず、雨の中を帰宅十時過ぎ。
* 明日からは、しばらく、重労働。
2015 1・15 159
* 朝一番に、松本幸四郎丈と事務所より、玄関を埋め尽くすほど豪奢な花・華をお祝い戴いた。
今朝、御前十時には、京都で、「京都府文化賞」の式が行われる。申し訳ないが怪我と体調を慮って欠席させて貰ったが、家で、心静かに妻と二人、加門華子さんに戴いた「祝」古都千年「英勲」醸の純米大吟醸酒で杯を分け合った。岡田昌也さんに戴いた越前の雲丹、このわた。とびきりの美味。酒がひとしお美味い。
「湖の本」123巻はもとより、妻も賛同してくれて「秦恒平選集」もはや第四巻を送り終え、やがて三月早々第五巻も出来てくるという、このような華やいだ老境を夢にも思っていたわけでない。多くの知己善友の支援と飽かぬ努力とで、こういう日々を迎え送ることが出来ている。
2015 2・6 160
* 朝、友枝昭世の「菊慈童」をテレビで観る。昨夜は染五郎弁慶、幸四郎富樫、吉右衛門義経、太刀持ち金太郎の「勧進帳」を楽しんだ。昭世は「鞘ばしらぬ名刀」と評した当代屈指のシテ方、喜多流を背負っている。わたしの湖の本もずうっと応援して貰っている。
高麗屋では、観られるだろうかと待っていた「染五郎」の熊谷、寺子屋の松王丸、そして勧進帳の弁慶まで観ることができた。さ、今度は金太郎君。どこまで観られるか、それを想うと長生きしたい。歌舞伎役者は成長期のむずかしい年頃を克服してゆかねばならない。干支でせめてもう一回り頑張って待たねばならぬか。
2015 2・7 160
* 明日は久しぶりに街へ出る。歌舞伎座の昼の部だけを楽しんで、妻と、ささやかに何処かで乾杯してから帰るつもり。例の受賞一件はそれで、幕。立ち止まってなどいられない。
2015 2・9 160
* 二月大歌舞伎、昼の部だけを楽しんだ。幕開きの「吉例壽曽我」は変わり趣向の「対面」であり、歌六の工藤祐経、芝雀の大磯の虎をかしら分に、若い役者達が元気に晴れ晴れとした富士の裾野で対面劇を演じた、歌昇が五郎をはちきれそうに演ってくれたのは小気味よく、伸びて行く人の生気を感じた。又五郎と錦之助は若手への親切なおつきあい。成駒屋の児太郎にはひそかな声援を送った。ぜひぜひ頑張って、女形の大屋台を支えて貰いたい。かなり進境が見えていた。
* 弁当場では暫くぶりに三階の吉兆へ。銚子一本付けて貰ったのが美味かったが、酔いがまわった。吉兆如月の献立は、まことに上乗、あまさず美味しく食べきった。八寸、造り、焼物、焚合、椀盛、御飯、果物。近来になくよく食べた。
* 中幕の「毛谷村」は、ま、どうでもよい舞台と見越していたので、半ば過ぎまで、ぐっすり寝て、後半を目をパチパチして見た。この芝居そのものがわりと手ぬるい。菊五郎、時蔵、團蔵、東蔵、左團次と豪勢に贅沢な顔ぶれだが、総じて軽くて手ぬるいお芝居。ついに贔屓の左団次の芝居を睡眠の闇まに見失っていたのだ、申し訳ない。
* 極め付けは昼を締めくくる大きな所作事「積恋雪關扉」で、至極至妙の面白い美しい舞台になった。幸四郎の關兵衛実は大伴黒主が豪儀に飄然とも毅然ともやすやすと、かるがると舞い踊り、小町櫻の精である小野小町また傾城墨染を、いまや当代一の美女菊之助が、それはもう、うーっとりする夢の美しさで、婉然と、優美に自在に、まさに櫻咲くごとくまた散るごとく舞い踊ってくれて、ふたりの絡みは、もはや物語も経緯もみんな陶然として忘れさせてしまう面白さ。近来歌舞伎座での所作事上演で、一といって二とくだらない名舞台を実現してくれた。身を乗り出してわたしはあまりの面白さに我を忘れていた。
* 高麗屋夫人と帰りのロビーで暫時談笑、感謝を伝え、もう街なかをうろうろしている気も失せ、有楽町線の幸い保谷行きに座れて、妻と、さっさと帰ってきた。家で、すばらしかった黒主と小町とに乾杯。
地下鉄では、「糸瓜と木魚」初校をしっかり終えてきた。
四月には、東京の歌舞伎座でも、待ち望んでいた浪華の成駒屋、翫雀改め四代目「鴈治郎」襲名のめでたい興行が。もう今日、高麗屋の奥さんに通しの注文をしてきた。家へも案内が来ていた。
昼に、「碁盤太平記 山科閑居の場」「六歌仙容彩(かたちのいろどり)」「吉田屋」が出る。めずらしや、幸四郎が藤十郎の夕霧とともに吉田屋喜左衛門を演じると。むろん藤屋伊左衛門は、新鴈治郎。昼の部で一の楽しみ。
夜に、「石切梶原」「成駒家歌舞伎賑 口上」そして極めつけのお家藝、近松の「河庄」が当然の大目当て、そしてこの日大喜利には、敢闘染五郎が成駒屋の壱太郎と虎之介を連れ、「石橋」獅子の精で華やかにしめくくる。
藤十郎 秀太郎 幸四郎 菊五郎 吉右衛門 仁左衛門 梅玉 東蔵 左団次 魁春 芝雀等々。我當にも出て欲しいが。
2015 2・10 160
* 当代左団次と子息男女蔵との、なかなかドラマチックに感動も誘う映像をみせて貰った。これを機に男女蔵、大きく弾けて欲しいもの。柄でも口跡でも同年輩の後塵を拝していていい役者ではない。かすかに出遅れていたワケがよく分かった、父左団次の味わいに近年大いさが増していてわたしは喜んでいた。鬚の意休など、みちがえるほど大きく充実してきた。天守物語のような舞台でも玉三郎に佳いバランスを打ち出していた。男女蔵にぜひ父に追随し上を越して行ってほしい。
2015 2・14 160
* 三月歌舞伎座、昼夜にわたる『菅原伝授手習鑑』通し上演の座席券が届いた。有り難い。仁左衛門の菅丞相に染五郎の松王丸松緑の建部源蔵、菊之助の櫻丸、秀太郎の覚壽、孝太郎の千代、左団次の白大夫等々、めったにはない通し狂言の上演は、仁左衛門の襲名以来。とても楽しみ。
四月には待望の四代目鴈治郎の襲名が待っている。花の季節へかぶって想うだにうきうきする。
2015 2・19 160
* 歌舞伎座で観た法界坊の内の所作事「双面水照月」を妻と楽しんでテレビで見直した。吉右衛門の幽霊が錦之助と芝雀にからみつき、又五郎の女船頭が観音像の功力で抑え込む。こんな所作事を妻も今ではしんから楽しんで観る。ちょいと嬉しくなる。
2015 2・20 160
* 坂東三津五郎が五十九歳で亡くなったと。痛恨、哀惜、極まりなく、泣けてくる。あまりに惜しい。勘三郎、団十郎、そして三津五郎と働き盛りの名優を立て続けに喪った。どれほど佳い舞台を楽しませてもらったか。哀しい。
2015 2・23 160
☆ 坂東三津五郎 今年正月のブログメッセージ
平成27年の元旦がやってまいりました。新年明けましておめでとうございます!
今年はもしかすると生まれて一番嬉しいお正月かもしれません。
というのも子供の時からお正月は一年で一番慌ただしい日々だったからです。歌舞伎は二日が初日。元旦は両親、妹二人とも着飾るので早くから着かえさせられ、まずはうちの家族とお弟子さんで八時半ころからお屠蘇のお祝い。
その後すぐ年始回りに出かけるという日でしたから、いつもの学校の時間よりも早く叩き起こされました。
長じてからもたった一日の休みの元旦に年始回り、年始受けという日々を50数年続けてきました。
そうした中での一昨年の発病。その病気を経て小康を保っている今年は、「あ~、今年も新しい年を迎えられて良かったなぁ・・・」と、心の底から新年を迎える喜びが立ち上がってくるのです。
そして1月は私の誕生月。23日の誕生日にはなんとか59歳を迎えられそうだという喜びも重なってまいります。
ひととせの朝をあつめて飾松 大和屋
* 勘三郎 團十郎 三津五郎 なんという いと惜しさ、くち惜しさ。
2015 2・23 160
* おおよその作業を終え、今日はもう先送した大学方面からの「選集⑤」受領の礼状が届き始めている。郵送用の特製の包みが不足してしまい、注文分が届いてから、もう少し、送り足すことになるが、ともあれ一段落にほっと疲れを噛みしめている。
きりりと頭を切り換え、べつの仕事のあれこれを一つ一つ仕上げまた片付けて行く。そのうちに「湖の本123」が出来てきて、またも発送の労作業になる。その用意はほとんど出来ていない。すこし間をあけたいのだが。幸い三月は歯科のほか、病院の予約がない。この十三日の金曜には、「菅原伝授手習鑑」を通しで楽しむ。暫くぶりに仁左衛門。それに染五郎が松王丸で昼夜頑張ってくれる。、
2015 3・4 160
* 「高麗屋の女房」さんからメールをもらった。十月、「ラ・マンチャの男」の予告もべつに来ていた。松たか子が出ていないのが残念だが。何度見ても佳い芝居であり、楽しみ。
☆ お礼
日々春らしくなってまいりました。
ご体調如何でいらっしゃいますか?
第五巻届きました 主人が、「今と昔の京都の風情が伝わって来て懐かしく、楽しく読ませていただいております。」と お伝えしてと申しています。
ありがとうございました。 藤間
* 「今と昔の京都の風情」とあるのがわたし自身にも懐かしくて、いま、本になったのの頁をあけて思わず二十数頁も読んだ。今しも旧ソ連作家同盟の招きでロシアへ旅立とうとしながらの……京都清水坂、松原の野尻家、親友の吉男、手習い、六道さん、珍皇寺、苦集滅道(くづめぢ) 馬町の坂…そして安曇(あど)の冬ちゃん、順子、…お習字の先生、おもしろい小父さん、さらには「死」ということ、むかしむかし京の葬礼や柩を見送ったお茶所のこと、などなど……。はるかな旅が、静かに始まろうとしている。
2015 3・5 160
* 明日は朝が早い。今夜はさっさと寝たいが、「糸瓜と木魚」だけは再校を遂げておきたい。明日の歌舞伎座へは、「あやつり春風馬堤曲」を30頁分ほど持ち込むつもり。
2015 3・12 160
* 歌舞伎座は「菅原伝授手習鑑」の通し興行で、開幕に「加茂堤」が加わって全体の運びが分かりよく、大喜利の「寺子屋」まで通してとても上出来の狂言であると納得できる。「筆法伝授」にせよ「道明寺」にせよ、菅丞相に仁左衛門という最適最良の配役で気品豊かな狂言の象徴が静かにしかももの哀しくも際だち、とりまく若手の配役が、見えない彼の糸の先ででよく舞ってくれた。「筆法伝授」はおもしろい幕だが、染五郎と梅枝の建部源蔵・戸浪夫婦が実直に健気に演じて泣かせてくれた。魁春の奥方も凛として情味を見せた。染五郎、観るたびに内側へ力をためて行っているのが頼もしく見える。梅枝も父時蔵のあとを着実に踏んで、伸びている。
つづく「道明寺」は、浄瑠璃が重きを成してへめぐる長丁場、ただし今月のこの興行での浄瑠璃は概して、拙。名人住大夫が口を酸くして教える「音(おん)」(素人の耳には、揺り含みの発声)が全然できてなくて、まるで唱歌のように浄瑠璃を歌ってしまっていて情けなかった。それはともかくも、この舞台、菅丞相が生身と木像とで微妙を極めた変わり身を演じてみせ、秀太郎演じる三婆一の重い役覚壽を丈高く気味よくみせてくれた。
「加茂堤」と「道明寺」とで、出世街道の壱太郎が、赤姫の刈屋姫を懸命に演じてわるくはなかった、が、伸び行く壱太郎としては、大喜利「寺子屋」での源蔵妻戸浪役がしっくりと丁寧で、進境著しいと観た。
* 幕間に染五郎夫人と歓談、妻は染五郎からのおとゃれな小箱のチョコレートをもらっていた。
* 朝の出がけから妻はやや体調を崩し気味だったが、夜の部も楽しんでくれた。開幕の「車引」は荒事の歌舞伎繪図。弥十郎の舌だし時平をなかに、櫻丸の菊之助(好演)と梅王丸の愛之助が染五郎の松王丸と競い合う。ラヴリンの進境は口跡と上半身にしかと認められた。ただ下半身、ことにむき出しの脚で地を踏む力強さがまるてお留守になっていて、平凡にただ起っている軽さが気になった。何度観ても愉しい一幕であり、ああ、歌舞伎はいままさにこの役者達世代に担われてきているなと思い当たらせる鮮度に満ちていた。その先頭をかすかに年かさの高麗屋が落ち着いて駆けている。昼の筆法伝授にひれ伏して喜びかつ勘当の許されぬのを泣く実直な役づくりなど、あの大怪我いらい浮つかない染五郎の気魄に溢れていた。
「賀の祝」は、切なくも哀しい櫻丸をなかにした梅・松・櫻の兄弟夫婦らを、扇の要できっちり結わえる父白大夫(左団次好演)の一幕。梅枝の櫻丸女房八重、また別して松王丸女房千代の孝太郎、亭主等をしのぐほどしっかり役を見せた。松の染、梅の愛、櫻の菊之助、甲乙なくドラマの火をかきあげて、したたか客を泣かせた。
大喜利の「寺子屋」へ来る大道筋が通しの舞台でとても分かりよく、それゆえに大役染五郎の松王丸、孝太郎の千代の悲痛が説得力をもった。この幕にだけ顔を見せた松緑の建部源蔵がきりりと質実真摯、素晴らしかった。ひっぱられて壱太郎の戸浪も好演した。
* 車で日比谷へ。クラブの美味い酒で食事し、次年度の費用を支払い、タクシーで保谷へ帰宅。十三日の金曜、幸いオオゴト無く、無事に、結婚五十六年前夜を迎えた。安田鏡子さんに戴いた盛花が颯爽とゆたかに玄関を飾っていて、しみじみ目を喜ばせてくれる。 2015 3・13 160
* 四月、成駒屋新四代目中村鴈治郎襲名舞台の座席券がはやばや届いた。片岡我當、秀太郎、仁左衛門兄弟も、松本幸四郎、市川染五郎父子もいい役どころで花を添える。歌右衛門方の成駒屋に芝翫亡く、福助も病んで寂しい。
2015 3・17 160
* 市川染五郎が、派手な写真集を送ってきてくれた。
2015 3・18 160
* 九代目松本幸四郎丈、新潮文庫版『幸四郎的奇跡のはなし』來贈、「なんだか ……チョッピリ嬉しいです。」と。大きな単行書も戴いている。繁栄とも見え、不安でもある歌舞伎界。大高麗屋。健康に健闘されたい、若い人達のご指導も願います。
近年ぐいぐいと調子を上げていた京屋の中村芝雀が父の大名跡を継いで雀右衛門を来年襲名と。成駒屋に四代目中村鴈治郎も誕生、四月にはその鴈治郎披露の舞台で、幸四郎にも芝雀にも逢う。春爛漫を愉しませて欲しい。
2015 3・29 160
* 明日は妻が、地元病院主治医の意向をうけ、聖路加での元の主治医先生の容態と今後への助言を受けに行く。独りで行くと云う。わたしも十三日昼前に聖路加で糖尿の診察を受ける。
十六日の鴈治郎四代目襲名歌舞伎座のあとは、めずらしく静かに予定のない四月。こんなときこそ…、と、金澤などへと想うけれど、新・新幹線は超満員であるだろう。
2015 4・8 161
* 帰路、聖路加からプランプラン歩いて、歌舞伎座脇の「YOU」で美味いオムレツとトーストと小ビール。市川染五郎クンに教わった店で、妻もわたしも二度目。食べ終えて、すぐとなりの「茜屋珈琲店」のカウンターでマスターと歓談しながら、美味い珈琲。出たばかりの、ある著者の五代目富十郎を書いた一冊を、マスターを介して予約した。近日の成駒屋襲名の芝居を観る日に、本、受け取りにきますと。もう始まっている襲名「がんじろはん」の看板の前で妻を写真に。
また、ぷらんぷらん銀座一丁目駅まで歩いて、有楽町線で帰宅。処方してもらった薬を駅前まで自転車で受け取りに行った。
2015 4・9 161
* 仕事はかどっていて、しかも次から次へと果てしなく目の前に現れる。形を帯びた仕事にどうだと迫られるのは当たり前だが、まだ形になってないモノまで、手を掛けよと押し寄せる。はいはいと答えておいて、さて、仕事ばかりが能ではない。明日は一日歌舞伎座に籠もる。山城屋もとより、四代目の出来る成駒屋も楽しみ、高麗屋も松嶋屋も音羽屋も播磨屋も高島屋も京屋も、みな楽しみ。成田屋の海老蔵は出ない。沢潟屋の猿之助も出ない。欲深くは望まない。
2015 4・15 161
* 歌舞伎座、四代目中村鴈治郎襲名興行、昼夜、楽しんできた。夜の「河庄」で新鴈治郎、力演し成功していた。梅玉の兄がよろしく芝雀の小春の充実したリアリティにも感じ入った。「吉田屋」では、まだ物足りなかった。なにしろ父藤十郎、仁左衛門、前の勘三郎らの名演が目に焼き付いている。藤十郎の夕霧もさすがに一世一代、つまりはもう限界へきているので、玉三郎あるいは菊之助、七之助のような女形と競演すれば新鴈治郎の伊左衛門が引き立ってくるだろう。幸四郎の喜左衛門は珍しく、舞台半ばでの幸四郎と二人だけでの「襲名口上」も佳かった。
夜の部の「口上」の演出は、両花道をつかって幹部の総出演、わたしも乾杯しながら祝ってきた。
「六歌仙」「石切梶原」など手堅いもので、仁左、菊五郎、魁春、梅玉、吉右衛門、左団次、芝雀らが軽妙に色々に舞ったし、幸四郎の石切梶原は申し分ない千両役者。
大喜利、染五郎を芯に成駒屋の二人の跡取り壱太郎、虎之介での「石橋」は、若い気力が爆発した。
昼開幕の「碁盤太平記」の山科閑居は、「仮名手本」の山科閑居に比すべくもない騒がしい構成で、扇雀の由良之介が科・白ともに生硬。孝太郎の妻女がきちんと女形に成ってきた。
芝雀の小春が上出来、印象に濃く残った。
2015 4・16 161
* 染五郎が、勘九郎、七之助とで、七月、「阿弖琉為(アテルイ)」を演じる。わたしの『最上徳内』とは時代がよほど溯って、あの坂上田村麻呂を思い出させる。どんなに創っているか、楽しみに出かけようと。
2015 5・15 162
* 六月歌舞伎座昼夜の座席が用意できた。「新薄雪物語」の昼夜通しが楽しみ。昼の開幕に真山歌舞伎、吉右衛門で前にも観ている「天保遊侠録」は海舟の父、勝小吉のおはなし。夜の大喜利は菊五郎と左団次の老夫婦で「夕顔棚」とは、涼しい楽しみ。
七月新橋演舞場の染五郎「アテルイ」も、日が決まった。
今月は、レマルク唯一の戯曲を紀伊国屋ホールで、俳優座劇団。好演を期待している。 2015 5・16 162
* 「吉備の人」有元さん、美味しそうなお餅を送って下さった。お餅は「二つ」も食べれば他にたいして食べなくても十分「一食」に足りる。体重を67キロ台に保つことを健康体の基本に置いている。もう少し減らしてもいいが、体力を落としてもならず。
しかし、なによりも「歩く」を初めとして「からだを使う」こと。出不精になり、家に居座って「読み書き」仕事ばかりでは弱る一方。誘って貰ってでも出歩かねば。
明後日の桜桃忌は、木挽町へ出て歌舞伎を楽しみます。
2015 6・17 163
* 思い静かに、今日は終日木挽町で歌舞伎を楽しむ。少し遅くなるが、重金敦之さんに教えてもらった店へ、行ければ行ってみたい。
22015 6・19 163
* 幸い、雨という雨にはあわなかった。
* 昼の部。 先ず青果作、勝小吉・麟太郎父子を書いた世話歌舞伎、以前に吉右衛門で観ておもしろかった。今日は橋之助。わるくはないが大声になると声にひび割れが生じて芝居の熟度を落とす。魁春の小吉の姉、姿美しく。ま、特段の感銘作ではないが、楽しめた。締めの見せ場で小吉と八重次(芝雀)を包んだ大道具の景色が情があって好かった。
次いで、今日は昼の部から夜の部へ通し狂言『新薄雪物語』、これは凝った歌舞伎で、各幕各場面がなかなか魅する。しかも菊五郎、幸四郎、吉右衛門、仁左衛門、歌六、團蔵、高麗蔵、魁春、芝雀、時蔵などと役者を大きく揃えてくれたのは大サービス。しかも外題の「薄雪姫」には、梅枝、児太郎、米吉という若手の女形を共演させてくれた。想定外の児太郎が、青果劇の向島芸者とともに、薄雪姫でもひとかど、ひとくせのきりつとした女形ぶりで魅してくれたのは嬉しかった。成駒屋のためにも奮発してほしい。
陰腹切っての幸四郎、任左衛門、それに奥方魁春が「三人笑い」の場面、しんどくも面白く競演の花火が咲いた。「重たいお役」で、家でも無口なんですよと高麗屋の奥さんとの立ち話でも話題になった。幸四郎の幸崎伊賀も仁左衛門の方も、あの陰腹の長丁場で笑うのは大変だ、それにしても「薄雪物語」、ようやるわという歌舞伎歌舞伎記で、けっこう見映えがする。
昼の弁当場は、躊躇いなく「吉兆」を予約しておいた。「水無月之御献立」が、すこぶる美味い。八幡巻きの八寸、鯛湯引きの造り、多彩な焼物、焚合せ、さらに強肴、酢物、新生姜ごはん、そして沢煮椀、菓子にはわらび餅。いくらかを黒いマゴのみやげに持ち帰った。
夜の部も「新薄雪物語」、そして大喜利には、左団次・菊五郎の所作事「夕顔棚」が絶品のおもしろさ、なつかしさ。老夫婦をしみじみと和やかに踊ってくれた。左団次のいちばん佳い顔が見られ、菊五郎と懐の深い藝がとことん楽しめた。里の若い衆が踊って出たなかで、父三津五郎をうしなった巳之助がみごとな踊り上手を確証して魅せたのが大収穫だった。満足満足、木挽町の雨はやんでいた。
* 重金さんに教わったフレンチの店は惜しくも時間切れ、で、銀座表通りの「瀬利菜」へ入った。わたしはローストビーフとフランスの赤ワインが美味く、妻はアスパラなどのサラダ、ガーリックの栄螺にイタリアの赤ワインに満足していた。アイスクリームも。
* 最良の桜桃忌だった。帰宅して、頂戴した桜桃をふたりでしみじみ味わった。たくさんな郵便も届いていた。気がかりだったサーバとの登録訂正問題も解決していた。中途半端な不愉快が、すっきりと事終えてくれた。
* さ、選集⑦の出来まであと二日。ゆったり過ごしたい、怠けたりはしないで。
2015 6・19 163
* 朝いちばんに、高麗屋から色も涼しい「ほおづき」の鉢が送られてきた。感謝。
2015 7・1 164
* 聖路加の妻の診療が順調なように願っている。ゆっくり留守をしながら、敗戦直後の流行歌を思い出多く聴いたり、そのまま、撮りためた多年四季の花の呼びかけてくるような綺麗な写真に見入ったり。黒いマゴが、背のソファで機嫌よう寝入っている。おっとりと心静かな時間に私もありついて、ありがたい。週明けには染五郎、勘九郎、七之助の新歌舞伎を楽しみに行く。
2015 7・8 164
* 明日は午に聖路加で検査と診察、引き続いて、新橋演舞場で染五郎、勘九郎、七之助らの「アテルイ」を楽しむ。病院から劇場への綱渡り、無事に渡りたい。
染五郎は、九月歌舞伎座の秀山祭(曾祖父初世中村吉右衛門の記念興行)にも、金太郎クンとともに出演、昼の部を、もう予約した。演目が気に入った。
2015 7・12 164
* 染五郎、勘九郎、七之助らの「アテルイ」 おもしろく観てきた。アテルイは坂上田村麿と烈しくたたかって屈し、都へ引致されたアイヌ族の英雄、平安初期の正史にも名前が出ている。それだけの正史をほとんどマンガチックに大脚色して活劇仕立てにした破天荒・放埒な作り話でありながら、批評の的をたくみに設定して、神ないし帝というまぼろしに操られ、ないし利用して闘いあう者らの、信頼し合う人間同士としての理解・自覚、それでも蹉跌し勝者・敗者の歴史が生まれてしまう悲喜劇を、なかなか巧みに脚色していた。すくなくもこの舞台、戦前・戦中なら作者も演出家も、役者達も、関係者全員が禁獄されたであろうほど露わな「帝・都」批判をおめず臆せず歌いあげていておどろかされた。
まだ三十年余のむかし、まだその頃、大きな総合雑誌の編集者から声ひそかに、「秦さん、天皇には触れない方がいいですよ」と注意されたことがあつた。今回「アテルイ」の舞台は、そんな幾昔か、といっても敗戦後年を経ていてなおかつ「天皇に触れた言説」が禁句めかされたのとくらべると、モーレツとさえ謂えた、そしてそれはわたしには首肯できる批判であり非難であり虞であった。そのような舞台を観られたのをわたしは喜ぶ。
わたしの江戸時代後半の「最上徳内」は、さながら舞台「アテルイ」で強引に創られた坂上田村麿の自然体に相当している。小説の造りは或る意味ベラボーでも、そこで描いたアイヌモシリの歴史は、とうてい軽視も無視も成らないもの。その意味では毫末も荒唐無稽な作り話はしなかったのである、
* 座席まで、愛らしい染五郎夫人が挨拶に見えた。若き高麗屋のアテルイ、真摯な熱演。中村屋兄弟の田村麻呂と鈴鹿(アラハパキ神)も大健闘で楽しませたし、いつもの歌舞伎座か武器とは大違い、萬次郎や弥十郎や亀蔵、宗之助、橘太郎らも破天荒の活躍でおおいに役者自身が楽しげでよかった。稽古が行き届いていて、場面がはげしく移動していっても弛み緩みみせずに小気味よく展開したのも演出のお手柄だった。
観客が照明具を配られていて、終幕のところで盛り上がりスタンディングオベーションも。
しかしおそらくアラブの混乱等も念頭に置いていたに違いない、神や帝をぬきに「人間と人間」とで争いをなくして行こうとの舞台からの念願や主張が、はて、しっかり受け取られていたろうか。それでも、こういう趣旨が「カブキ」として虞れげなく打ち出せている事実にわたしは拍手を惜しまない。
* 日比谷のクラブに入り、例のエスカルゴ、角切りステーキで遅い晩食。妻は赤ワイン、わたしはブランデー。
ゆっくり帰宅した。手紙などたくさん。それも置いたまま、就寝。
2015 7・13 164
* 明後金曜には、しばらくぶりに歯医者へ。週が変われば、これもしばらくぶりに歌舞伎座の昼の部へ。帰りに、うまく時間があえば朝日にいた食の大通重金さんに紹介されたフレンチへ寄ってきたい。食欲がうまく湧いてくれればいいが。
2015 9/2 166
* 明日は歌舞伎座の昼を楽しむ。せめてかえりは雨が上がっていて欲しい。
2015 9/6 166
* 歌舞伎座秀山祭昼の部、「双蝶々曲輪日記」のめったにお目にかからない「新清水浮無瀬の場」で幕が開いた。まことにたわいない芝居で、さしもの梅玉も ひょいひょいと盆踊りでも踊るようなお手軽な芝居をしていた。魁春が出、芝雀が出ていて顔ぶれはいいが、ラチもない舞台に終始。
二番目は染五郎の更科姫じつは戸隠山の鬼女にからまれた八字ヒゲの余呉将軍、尾上松緑演じる平維茂。これはまあいつ見てもだれで見ても楽しめる所作事 で、前半に大勢の更科姫侍女や腰元達がいならぶのが華やか。ひときわ侍女の米吉も腰元のなかの中村しのぶが目立って美しかった。染五郎の更科姫は巧みに舞 い鬼女は凄かった。山神の役で出た高麗屋の金太郎君が、ああおおきくなったんだと感心する颯爽の所作を披露してくれた。あとで、お母さんの染五郎夫人に褒 めておいた。
三番目が、これまた珍しい、しかもかなりに見映えのする時代物「競(だてくらべ)伊勢物語」の第五、六幕で、これはもう作家秦 恒平好みの筋立て、いささか奔放に過ぎた脚色ながら、紀有常生誕一二百年の狂言だとは見栄が大きい。業平が慕った維喬親王が敵役をフラレていたりして珍な ものだが、役者のしどころは豊富で、菊之助が大奮闘、それに負けず東蔵がまた大熱演で、又五郎、染五郎も無難に役どころをおさえ、それらの上へ吉右衛門が ドッカーンと乗っかかる。大播磨屋にすればらくなはでなとくな役で、舞台を浮つかせずに重石に成り得ていた。
* ハネてのあとのお目当てにしたフレンチは、六時から。二時間半を銀座で費やす体力はわたしにも妻にも切れていたので、松屋の宮川本廛で鰻にビール。さ けを呑む元気がなかった。銀座から一本で七時前に帰宅、タクシーを待つ間かすかに雨。往きも帰りも車内で「有楽帖」の校正がはかどった。
2015 9/7 166
* 十月は帝劇「ラ・マンチャの男」 十一月は歌舞伎座顔見世の夜に高麗屋父子に松緑が義経で加わる勧進帳、太刀持ち何金太郎が出れば三代勧進帳だが。楽しみ。
十二月、国立でのやはり幸四郎が伊右衛門、染五郎が小岩さんという寒い時季の四谷怪談と知らせが来た。ウーン。
十二月は我が家は祝い月、ことに今年の二十一日は私の「傘壽 八十歳」。やはり四谷怪談は遠慮と決めた。歌舞伎座の方のまだ様子が知れないが、松嶋屋の我當か美吉屋の吉弥が出てくれるといいが。
2015 9/9 166
* 休みに降りた階下で、録画してあった亡き中村勘三郎の「髪結新三」を懐かしく面白く楽しんだ。同じ舞台をわたしたちは歌舞伎座で堪能している。白子屋 の番頭忠七に亡き芝翫、矢田五郎源八に仁左衛門、大家には亡き富十郎という豪華版に加えて新三に角科される白子やお駒は玉三郎、中剃りの勝には染五郎。何 度もいろんな役者で観てきたが、まずは最高の顔ぶれ。だが肝心要の勘三郎亡く、成駒屋も天王寺屋も亡いのだ、ひんなにも面白い芝居を観せてくれたと言う に。松嶋屋の仁、大和屋の玉の健勝を祈らずにおれない、若き高麗屋の染五郎には歌舞伎を背負って大活躍して貰わねば。ことし顔見世の高麗屋父子の勧進帳、 楽しみにしている。
2015 9/23 166
* 高麗屋から、十一月吉例顔見世(十一世市川團十郎五十年祭)、夜の部の座席券が届いた。幸四郎弁慶、染五郎富樫、松緑義経という楽しみの「勧進帳」がある。
仁左衛門の真山歌舞伎「仙石屋敷」にも期待している。そして海老蔵の「河内山宗俊」は初めて。幸四郎、吉右衛門らの宗俊が目にあるのを若い海老蔵があの 老獪な河内山をどう演じるか、楽しみ、楽しみ。開幕は、梨園の御大坂田藤十郎が、梅玉、染五郎、松緑を率いて出て「江戸花成田面影」とは、さきごろ早世し てしまった成田屋團十郎も、素晴らしい美男子だった十一世團十郎もひとしお懐かしく、舞台半ばの趣向に、嗣子海老蔵をはじめ、長男の初顔見世も祝って、尾 上菊五郎、片岡仁左衛門らが賑々しく顔を見世て呉れる。楽しみの極み。
2015 10/20 167
☆ こんばんは
朝夕は冷えて参りました。
先日は ラマンチャ、お出かけくださいまして ありがとうございました。
掛け違って ご挨拶できずに失礼しました。
又 御本 第九巻お送りくださいましてありがとうございます。
あっという間に九巻になり、先生のパワーに驚きますし、がんばらねばと励まされます。
隆子(=松たか子)にもお届けいただきお礼申します。 高麗屋夫人
* 十月の「ラ・マンチャの男」に次いで、吉例顔見世の来月は、「勧進帳」。歌舞伎役者のすさまじいほどの体力と藝道執心にこそ感嘆する。奥さん(おかみさん)も「共働き」と。お大事に。
来年の松たか子X野田秀樹の舞台も待ち遠しいほど楽しみにしている。 2015 10/23 167
* 高麗屋の市川染五郎君から、新刊の、写真美しく文章もおもしろい新著を贈ってきてくれた。「姉と妹」そして亡き「勘三郎お兄さん」のはなしが良かった。中村屋の、きみの「目が溶けている」という褒めた批評の意味深さに、立ち止まる。
もう、吉例顔見世の幕があがる。父幸四郎の弁慶に富樫で立ち向かう染五郎。期待し楽しみにしている。
* 明日は、「鞘走らぬ名刀」の友枝昭世「砧」に、千駄ヶ谷の能楽堂へ。萬の狂言もある。好きな「経正」もある。
明後日は新劇陣による近松の「心中天網島」を上野へ見に行く。早野ゆかりの小春。これも期待している。来月は、歌舞伎座も俳優座もあり、秋たけなわ。
2015 10/31 167
* 新春の歌舞伎座案内が来た。
夜の部、開幕の梅玉、松緑、橋之助の「猩々」についで幸四郎、魁春、金太郎、左団次らの「二条城の清正」が嬉しい。さらには玉三郎の願ってもない扇屋夕霧で、新鴈治郎の「吉田屋」が目出度いかぎり、歌六の喜左衛門に吉弥の花車役も嬉しい。我當の吉田屋で観たかったが。大喜利はしっぽり新内の「直侍」に染五郎と三千歳の芝雀。この雀、この一二年ぐんぐん佳いので楽しみ。東蔵の丈賀もみもの。
夜だけにする。昼の番組には再々出会っているので。
2015 11/7 168
* 新春の歌舞伎座を予約した。二条城の幸四郎、吉田屋の玉三郎、直侍の染五郎、楽しみ。
2015 11/8 168
* 新年の歌舞伎座、席がもらえそう、連絡があった。いつも舞台の進行と緊張が満喫できる席を選んでもらえている。二重三重に楽しめてとても有り難い。幸 四郎忠義のの清正に孫金太郎が秀頼を演じるのが心嬉しく、また、見映え随一の二枚目染五郎の直侍には痺れるだろう。鬼が大笑いしてももう気持ちは新年の春 へ動いている。
2015 11/9 168
* 今日の歌舞伎座は夜の部なので、出かけるまで発送の仕事をしてもよかったが、昨日奮励の疲れがしっかり遺っているので、「本日休日」ときめている。眠気がのこっている。
* さんさくわといひし花あり山茶花と
いふ人もあり愛(うつく)しきかな 遠
* 「仙石屋敷」の梅玉、そして内蔵助の仁左衛門。さながらの科白劇に、十分泣かされた。吉田弦二郎の作とか。
今日は、仙石のほかに松江侯も演じた梅玉の気張らない上出来が印象にのこった。
父の弁慶に懸命に立ち向かった染五郎の富樫は懸命に盛り上げていって勧進帳を光らせた。ただし松緑の義経はいたって不出来で、位にも力にも哀れにも、ちいさく足りなかった。
海老蔵の河内山は、落第。なにしろ吉右衛門、幸四郎を何度か観ている。はるかに届かない。
* 十時半、帰る。「鮎や」の鮎甘露煮すこぶるワインに合って美味い。疲れぬける。 2015 11/11 168
☆ 体調は
如何でしょうか、南座の顔見世行って来ました。鴈治郎襲名口上は大勢並びました。東からは時蔵、橋之助、海老蔵、等です、勧進帳は海老蔵の弁慶、迫力があって良かった。愛之助の富樫、壱太郎の義経で、まさに世代交代かな?
今月はお誕生日傘寿でおめでとございます。
大した事故もなく此処まで来られて良かったなと思っています。
お祝いに伏見の清酒「桃の滴」を送りました。私の好みのお酒です、ご賞味下さい。
暮れ迄ご無理の無いように、来年も良い年になります様祈ります。 華
* ありがとう。
勧進帳、まだまだ小さな交替で、海老蔵も、染五郎も、高麗屋の幸四郎、播磨屋の吉右衛門の域にまで専念邁進して欲しいですね。まだまだ世代交代とは行か ぬでしょう。勘三郎、三津五郎がなくなり福助が病んで、なかほどの所の空白がどう埋まるのか、大阪の成駒家に頑張って貰わなくちゃ。
2015 12/10 169
* 一月の、きわどく手術で日を替えて貰った初春大歌舞伎の座席二枚、届いた。入院を無事に乗り切って、「二条城の清正」を楽しみに観たい。
2015 12/18 169