* 朝、友枝昭世の「菊慈童」をテレビで観る。昨夜は染五郎弁慶、幸四郎富樫、吉右衛門義経、太刀持ち金太郎の「勧進帳」を楽しんだ。昭世は「鞘ばしらぬ名刀」と評した当代屈指のシテ方、喜多流を背負っている。わたしの湖の本もずうっと応援して貰っている。
高麗屋では、観られるだろうかと待っていた「染五郎」の熊谷、寺子屋の松王丸、そして勧進帳の弁慶まで観ることができた。さ、今度は金太郎君。どこまで観られるか、それを想うと長生きしたい。歌舞伎役者は成長期のむずかしい年頃を克服してゆかねばならない。干支でせめてもう一回り頑張って待たねばならぬか。
2015 2/7 160
* 友枝昭世の会、招待状。「井筒」と。感謝。
2015 2・24 160
* 夕方、ほぼ「湖の本123」送り終えた。アトは追加分だけ。よく働いた。目も手先も利かず、ご挨拶書きを省略させてもらった。
* 月末まで、これで、なんとか息が出来る。二十八日に友枝昭世の能「井筒」が観られる。梅若能の橘香會からも招待が来ているが、万三郎の能が無い。
2015 3・18 160
* 一仕事終えてホオっとしている。モーツアルトや松たか子を聴き、古今亭志ん朝の「大工調べ」を聴いて、安まった。機械の中をごそごそと歩き回ったりもして。なんと雑多にもの凄い量だろう。今日はもう校正のほか何をする根気もない。
と、言いながら「秋萩帖」三校ゲラに再校からの赤字合わせだけはしておいた。そして、黒いマゴの輸液が夜遅くなった。疲れた。
2015 3・18 160
* 「選集⑧」に長編を全部入稿。
⑥を一週間ほどで「責了」に、⑦も初校を了えて要再校に。
そのうちに「湖の本」へ新長編がどさっと一括初校出になるだろう。
冷静に、しかし大車輪に「仕事」進める。この花粉では、花見になど行けない。
幸い、今月は、二十八日昭世の能「井筒」へ出かけるだけ。これは楽しみ。
2015 3・25 160
* 九時。もう機械仕事に耐えない、目が。明日、能「井筒」みえるかな。聴く方に気を入れよう。
2015 3・27 160
* 少し冷える。千駄ヶ谷の国立能楽堂へ。午後三時開演と。めずらしい刻限で、出向きやすい。能は「井筒」 シテは友枝昭世、当代もっとも見映えのする名手。「鞘走らぬ名刀」と昔からわたしは称えている。
* ワキとして屈指の活躍を続けた宝生閑の背をちぢめて老いたのが目に痛かった。
間狂言の萬蔵のしんねりむっつりと長たらしいのが興を削いだ。
囃子はすばらしく、喜多の地謡はいつも美しい。
昭世の井筒、云うまでもない。11列の2という絶好席を貰っていた。それでも目は利かず、目をやすめやすめ音曲や謡をじーっと楽しんだ。昭世の会、見所の嬉しいのは一に静寂、まつに清寂、むだな拍手で感興を殺がないでくれること。じつにすぐれた緊迫と陶酔とが得られる。昭世の指導のよろしさだと感服する。
* 堀上謙さん、馬場あき子さんと逢う。かなりこっの躰にバテがあり、十分話せなかったが、馬場さん、選集の美しいのを褒めちぎってくれた、羨ましいとまで。
帰路は、めずらしく代々木までゆっくり歩いて、山手線で池袋へ戻った。終始、間があれば「秋萩帖」を読んでいた。
朝も昼もあまり食べていなかったので、保谷駅から「和可奈」へ寄り、肴で「神鷹」の燗と冷やを飲んだ。家までは歩けそうになく、駅まで戻って車に乗った。
帰ってから、ぐっすり寝入った。そのまま、機械の前へ戻らず、夜更けて床で校正し読書して、朝まで寝入った。
2015 3・28 160
* 今日は「鷺」を読み、「孫次郎」を読む。
室町末期、名高い松屋三種というと、徐熈の描いた「鷺」、大名物茶入の「松屋肩衝」、そして「存星寶尽四方盆」と極まっている。とほうもない、名品中の名品であった。
「孫次郎」とは、金剛流に伝わる能面のすこぶる著名な名昨である。
こういう美術工藝の名品名作を在に得てわたしが小説を創り出すのは、簡明に謂って、それらにまつわる美しさや由緒来歴や伝説を私が好むから、古典や能や歌舞伎や古美術や民俗に、趣味ないしそれ以上の愛好を自覚しているから、である。
自分が読みたくて堪らない小説を、人は容易には書いてくれないので自分で書いてきた、という意味の大半は、いまいうような世界への趣味・愛好が、いつも 私自身を刺激し誘惑していたからだと謂える。いまどきの小説家で、そういう古典的趣味を生活の下地からしっかり身に帯びている人は、めったにいない。ほと んどが知らない、ないし趣味を持ち合わせていない。当然にも、だから私が読みたい世界を小説に書いて読ませて貰えるわけがなく、そんなに読みたいなら、自 分で書く、創る、しかない。
「選集第九巻」の私の短編小説の世界は、文字どおりに、そういう「日本の古典的文化世界」なのである。「竹取翁なごりの茶会記」「加賀少納言」「夕顔」 「月の定家」さらに「鷺」「孫次郎」「於菊」など、その通りであり、更に加えて、「修羅」十二篇の短編小説は、みな、古美術と能と現代とのコラボレーショ ン小説になっている。私にすれば、書いても読んでも、面白く楽しく嬉しくて堪らない。
だが、当然ながら、こんな半面も露骨にあらわれる。即ち、そんな美しい趣味世界とは無縁無知識の人には、小説自体が「むずかしい」「分からない」「読み取れない」ということになる。蔵が建つほどの多数読者には、はなから、恵まれるわけがない。
いまごろそれに気づいたのではない、初めからそれと承知で、しかしわたしは、あくまで自分が読んで楽しくて嬉しくて面白い、しんみりと没頭できる界をこ そ「小説」としてに書き続けたかった。「騒壇余人」と名乗り、「湖の本」を創刊して三十年も本を出し続け、しまいには非売品の「秦 恒平選集」まで創っているのは、私家版の昔から今日に到るまで、迷いがないからである。
文学の創作には、こういう依怙地に頑固なところが在って当たり前なのだと思ってきた。
2015 7/23 164
* 俳優座から十一月公演、美苗作「ラスト・イン・ラブソデイ」の、友枝会から十一月一日公演、昭世の「砧」 萬の「磁石」 大風の「経正」などの招待が来た。
妻の従妹の後藤明子さんから都の美術館での「中美展」へ招待が来た。
2015 10/1 167
* 上の能面「十六」を少年の面(おもて) と見える人はめったにあるまい。十六才で戦死した平家の公達敦盛や知章の能にシテのつける面であるが、これの撮影の時、依頼したカメラマンに密着し、ファ インダーを覗き覗き、最終的に、艶冶に優美な女とみまがうこの角度をわたしが決めたのである。こんなに美しい「十六」の写真は例がない。佳い感じに、ぞ おっとする魅力に釘付けにされる。「面」写真の常識の、真正面から撮った「十六」は、ポチャンとした少年顔をしている。上の「十六」面は、わたしの「発 見」「創作」なのである。
2015 10/29 167
* 明日は、「鞘走らぬ名刀」の友枝昭世「砧」に、千駄ヶ谷の能楽堂へ。萬の狂言もある。好きな「経正」もある。
明後日は新劇陣による近松の「心中天網島」を上野へ見に行く。早野ゆかりの小春。これも期待している。来月は、歌舞伎座も俳優座もあり、秋たけなわ。
2015 10/31 167
* 国立能楽堂に入ったとき、少年友枝大風の能「経正」の中途だった。姿はよかった。いいシテに成るだろう。
野村萬の狂言「磁石」、喜劇として笑えるものではないが、萬の狂言顔が見られるだけで、ケッコウであった。彼ひとりの姿態だけで狂言になっている。
視野のいい席をもらえていた。
能「砧」の昭世は、前シテをまこと稀有にあたりまえの女に演じてドキドキさせ、後シテは怨みの女を徹して演じながら一転、法に救われて立ち直り、端倪すべからざる痛烈な幽霊を見せた。さすが。
馬場あき子と掌を握りあって、互いに「懐かしい」おもいを 分かちあいつつ、労られ労られ別れてきた。なんだかもう私が死人のように見えていたようで あった。昔を知った人がいなくなるばかりで。懐かしい、と。たしかに、そう。思い出せる限りの顔、顔が、能楽堂にいない。「ああ、来てくれてたのねえ」と いう馬場あき子の寂しさがわかった。
「鵺」は失礼してきた。能楽堂の外へ出ると、もう、一歩一歩をゆっくりゆっくり踏みしめて歩くしかなかった。思えば、朝、トーストの僅かなカケラを口に しただけでも夕方五時過ぎまで何一つ食べてなかった。空腹感は覚えたが食欲はまったく無く、咳き込まないよう飴を一粒と水を一口。それだけて帰ってきた。
* 卵の出汁巻きを少し食べ、特醸の三千盛を二三杯あおって機械の前へきたもののそのまま寝入っていた。
2015 11/1 168