ぜんぶ秦恒平文学の話

音楽 2015年

* ドラマ「NCIS」の映画手法のめざましさを楽しんだ。朝早くには、黒いマゴに輸液しながら美空ひばりの映画「哀しい口笛」を驚嘆しつつ楽しんだ。品のいい津島恵子も懐かしいかぎり。それにしてもひばりの歌唱の凄いほどの底力。あのころは十歳にもなってなかったろう。
2015 1/13 159

* 眼がつらくて、目をつむって音楽を聴いていた。機械にたくさん好ましいのを取り込んである。
のびのびと歌う小鳩くるみの「埴生の宿」が大好き。
「蛍の光」を聴いていると、末期の死別、斯くありたいと真実願わしい。
ふみよむ月日かさねつつ いつつしか歳もすぎの戸を あけてぞ今は別れ行く
とまるも生くもかぎりとて かたみにおもうちよろづの 情のはしをひとことに 幸くとばかりねがうなり
まったく、このようにこそ死んで行きたい。
2015 1・14 159

* BSアーカイブの優れた映像と構成で、エリック・サティの、時代から新鮮に浮遊した音楽と生涯とを惹きこまれ聴きかつ観て楽しめた。ありがたい贈り物だった。「楽壇余人」の瀟洒で皮肉な天成に魅された。
2015 1・30 159

* 美空ひばりのステージ歌唱の特集が二時間、まえの一時間を聴いて、泣いて、あとの半分は録画しておいて二階の機械の前へ来た。
ひばりは心をそこから揺さぶって懐かしい。そのわたしの思いには、永井龍男先生や笠原伸夫さんが熱く言及された「祇園の子=菊子」への思いや感覚とかっちり組み合っている。ひばりという人の魅力はわたしには祇園乙部の子への恋に似ている、という以上に同じいのである。わたしはかろうじて一編の短い「ひばり」を書いているが、それ以上に「雲居寺跡=初恋」の雪子に美空ひばりと通い分かち合っているものを自覚している。若い文学研究者がわたしを論じてくれても、とてもこういう視野がうまれてこない。研究者というより笠原さんのような文藝批評家の方が、掘り起こしも彫りお越しもずっと深く確かなのであって、それが、わたしには寂しい。いま『罪はわが前に』を読んでいても、そこにはかすかにだが「哀しき口笛」「わたしは街の子」「東京キッド」などひばりの歌声が風のように川のように流れている。まさにまさに同時代を呼吸していたのである、ヒロインたちは。

* 死なれてしまった親友たちや親族はべつとして、同時代を生きた思いのままその死を涙でしか思い浮かべられないのは、わたしには、美空ひばりとあの中村勘三郎の二人しかない。ひばりは「身内」のように、中村屋は大の大の贔屓として。
2015 2・4 160

* 黒いマゴに輸液しながら、美空ひばり特集の後半を観かつ聴いて、何度重ねても新鮮な感銘に時に涙溢れた。
先日も書いたか、ひばりは祇園の子でいえばまさしく乙部の娘達の意気と真実と涙とをもって天才歌手の生涯を完成した。そう、わたしは思う。確信する。この観想はもっと言葉を確かに追い求めていいものと思う。
2015 2・11 160

☆ 御元気ですか
日々 ご自分を励まし奮い立たせ、そして自然に、自分にとっての自然にまかせてお過ごしの様子。
お酒は鴉にとっての滋養のお薬、楽しまれつつ、飲みすぎることなきよう。これはお酒に弱い者の羨望も込めての呟きです。
ちらちら雪が舞う日もありますが、あまり外出もしないのでまずまず元気に過ごしています。
先頃書かれていたひばりの番組をわたしも見ていました。晩年の、最後の? ひばりのリサイタルの舞台は何度見ても胸に迫ってきます。
そのひばりを記述するのに鴉は祇園乙部を引用しています。甲部ではない、乙部・・そこに窺える作者の立ち位置を見定めなければ秦文学の深い理解はあり得ないでしょう。
いろいろ思うこと多いのですが、今日はそれだけを書きたかった。
どうぞ風邪ひかず、元気にお過ごしください。   尾張の鳶

* 京大に学んだ頃から、京都の深層への関心を社会学的にも歴史的にも持っていた人、片言隻語からよくわたしの「文学」への足場を看て取ってくれる。祇園乙部。わたしはいささかも享楽者でなく、幼くからいつも乙部を背に負う近隣に育ち、朝に夕にそこを通って学校に通い、そこの銭湯へ通い、そこら中を舞台に仲間とかくれんぼなどして遊んでいた。父が売った品の月賦取り立てに、乙部の奥へも使いにやられもした。親しい女友達もいた。そんな子らはきまってひばりの歌をすばらしく上手に歌った。さながらに美空ひばりだった、わたしはそれを感動とともに覚えている、よく。
2015 2・15 160

* 機械に入れてある、ないし入っているいろんな音楽が、聴きたければこんなに簡単に取り出して聴けるのだと、いまごろ識った。今朝も、魅されるように楽しんだ。今はヘンリック・シェリングのモーツアルト曲のヴァイオリンに聴き惚れている。ピアノがじつに美しく奏で合っている。聴いているからだが自然に反応して揺れ動く。
さっきは、ひばりの曲からたぶん京都の森下辰男君が選んでくれたらしいまさに「ど演歌」集に聴き惚れていた。わびしく、つらく、かなしい、つまらない歌をなんと上手に歌いきって行くことか。テレビでの「ひばり名曲集」などではめったに採用されたことのない「ど演歌」ばかりだが、グイっと身に沁みて、「にげた女房にゃミレンはないが、おちちほしがるこの子が可哀い」など、泣けてしまった。ひばりという歌手の持って生まれた「実」のある乙部感覚と共感の真実感に惹きこまれるのだ。
ああ、モーツアルトの曲が、美しい。同じ楽章を繰り返し何度も聴いている。
2015 3・6 160

* 視力の褪化に加えて聴力の衰えが目に(?)見えてきた。ながくテレビの音量は25だった。今朝、歌劇映画「トラビアータ 椿姫」を聴いていて、あの乾杯の歌を45にもあげて満足できないのに愕然とした。聴きならぬ危機が忍び寄ってきたようだ。
2015 3・7 160

* モーツアルトのバイオリン・ソナタ第24番の一楽章を聴いている。こころよく鼓舞されながら「時」に溶け合っている自分が嬉しくなる。イングリット・ヘブラーが伴奏のピアノが文字どおりに活躍している。
二楽章へ。優しい旋律。豊かな静かさ。そして三楽章、ロンド。ヘンリック・シェリングの弦にイングリット・ヘブラーのピアノが快適に働きかける。嬉しくなる。
第28番へ。軽快に、語り合うように弦とピアノがやさしいテーマを愛しみ合っている。モーツアルトは、まこと、嬉しくなる。
2015 3・8 160

* 一時間、なにもしないで、パバロッティ、マリア・カラス、マドレデウス、小鳩くるみ、松たか子の歌を聴いていた。蛍の光も。
2015 3・15 160

* 一仕事終えてホオっとしている。モーツアルトや松たか子を聴き、古今亭志ん朝の「大工調べ」を聴いて、安まった。機械の中をごそごそと歩き回ったりもして。なんと雑多にもの凄い量だろう。今日はもう校正のほか何をする根気もない。
と、言いながら「秋萩帖」三校ゲラに再校からの赤字合わせだけはしておいた。そして、黒いマゴの輸液が夜遅くなった。疲れた。
2015 3・18 160

* 晩、たまたま、十八歳未満のカラオケ王者決定戦を見つつ聴いた。審査員が採点するのでなく、カラオケの機械が得点を機械的に算定するのが興味深くて。三位までで決勝戦をし、小学五年生の少女が王者に無なったが、二位も三位もなんという歌のうまい少女達であったことか。その一方カラオケの完璧なコピー技術を作りあげるようで、歌が個性で生き生きと光るわけでない。要するに「うまい」けれど「歌」そのものが胸を打つのではない、美空ひばりの歌のように。
2015 4・1 161

* 機械に入れた音楽や歌を聴いてた。ペギー葉山の「学生時代」 芹洋子の「この広い野原いっぱい」倍賞千恵子「かあさんのうた」それにひばりの演歌。松たか子の「みんなひとりぼっち」 学生時代が懐かしかった。唱われているのは立教のキャンパスだろうが、同志社とも似通う風情はある。ペギーが気を入れているのがこころよい。小鳩くるみの「埴生の宿」も大好き。時代はうつってウス汚れどころでなく、腐敗臭もろともかきまぜた雑炊のようになってきた。清潔という美感が曇り果てている。、
2015 6・25 163

☆ 兄からの
なつかしい母校の写真に触発され、ささやかなお礼のしるしを兼ねて手持ち音源で「戦後日本流行歌史第一巻」を編集しました。何分にも古い音源のためノイズが耳に障りますが、中には珍しい曲も混じっているかもしれませんので、各地のフアンから届けられた銘酒や銘菓などをお供に、くつろぎのひとときBGM としてお楽しみいただければ幸いです。殆どがオリジナルのSP盤からのダビングのため録音レベルが曲ごとに異なり、音量が一定していないことを重ねてお断りしておきます。
生前、母が愛した「ひばり」の全集? を13回忌までに作成しようと意気込んでいたのですが、長年物置に入れたままの磁気テープ類は湿気や高温のため、カビが生えて再生しようにも膠着したり変質しており機器が作動しなかったり巻き付いたりで結局ミカン箱8 個分の音源はすべて泣きの涙で廃棄処分をする羽目になりました,もっと早くにパソコンの外付ハードディスクに取り込むかCD化しておけばよかったのですが、すべては後の祭りです。
屋内に保管の音源はクラシックと中南米ものが多く、懐メロはあまりないので、何巻まで編集できるか分かりませんが、歯抜けでもせめて高校時代ぐらいまでの代表曲はシリーズで纏めたいとおもっています。片目同然での作業ですから遅々として捗りませんが、CD一枚分の音源がまとまれば、ダビングしてお送りいたします。
年々親しい友人に先立たれてさみしい限りですが、それだけに尚更ガキの頃から大学時代の友人たちとは肩の凝らない付き合いを続けたいとおもっています。
先日、久しぶりに早慶戦をTV観戦しましたが、最近は早大生も随分スマートになり、応援席を見る限り、慶応と変わらないほど垢抜けしているのに驚きました。私たちの頃のライト側は黒一色で野暮なことこの上なしでしたが、そんな中でも私は蛮カラの極みでした。いまだに学生気分が抜け切らず、散髪屋などは結婚後も今日に至るまで数回行ったきりで、数カ月毎に見えるところは自分で、うしろは女房に適当にハサミでチョン切らせています。無精ヒゲも同様です。どんな会やグループでも一人くらいこんな男が居てもいいだろうと、ひとり合点しては仲間入りをさせてもらっています。
最近の不満ごとと云えば、宴会がお食事会に変わり酒の相手が居なくなったことです。( 祇園町) 新橋角の扇屋のボン佐伯武久君は日大写真科で当時、鶴巻町に近い戸山ハイツに下宿しており新宿でよく飲みましたが、私が帰洛して長い療養生活に入ってから音信が途絶えました。梅乃井の三好君の話では、彼も帰洛し高野方面に転宅したそうですが、新橋当時の酒屋が高野まで追いかけて行ったとか。肝硬変で亡くなった、と嘆いていた当の三好君も早くに逝ってしまいました。
兄も京都に戻られてはいかがですか。それとも、深くて太い根が張ってしまって最早身動きがなりませんか。
いずれにしても、身体だけは充分労わってください。今日はこれで失礼します。  京・幡枝  辰  中高同窓

* 送ってもらった音盤を聴いている。もう何曲目か、甘い声では史上一の岡晴夫が、「ああ東京の花売り娘」と情け深く唱っているところ。そして継ぎに唱っているのは池真理子の「愛のスイング」かな。ああ…次は、しみじみと懐かしいあのバタやん田端義夫り「かえリ船」じゃないか。おっ、つぎは二葉あき子と近江敏郎の「黒いパイプ」だ。24曲録音された中の三分の二が昭和二十一年の歌であり、その年はまだ秋までわたしは戦時疎開先の「丹波」で暮らしていたのだった、おお。いまは渡辺はま子が「雨のオランダ坂」をしみじみ歌いあげている。なんだか、ぜんぶ一度に聴いてしまうのがほ、もったい。「ニュー・トーキョー・ソング」を岡晴夫がうたえば、「麗人の歌」を美声の霧島昇が歌いだす。わたしは内心、岡晴夫の「青春のパラダイス」を待ち兼ねている。中学生の昔、ラジオに耳をすりつけて毎週のベストワンで歌われるのを待っていたものだ。いま聞こえているのは樋口静雄がうたう「長崎シャンソン」らしい。オオッ、笠置シヅ子の「アイレ可愛や』にかわった、なかなかの美声でもあったし歌も上手い。
たいへんなプレゼントだ、わたしがどんなに歌が、流行歌であっても、が好きであったかを身に沁みて思い出す。秦の母もはやり歌
を聴くのが好きだった。謡曲を、能舞台で地謡にでるほど心得ていた秦の父が、ラジオやテレビのはやり歌をむしろ目(?)の敵にしたのも、面白い。
あ、はじまった、「青春のパラダイス」…丘を越えて行く、若き命輝くパラダイス…と。ありがとう、辰男兄。もう深夜です。
2015 7・7 164

☆ 秦兄
戦後日本流行歌史第2巻の曲の整理がまだ出来かねていますので、ご本を受け取った印に、(早稲田)大学クラス会の開催記念CD盤を、残りもので失礼ですが直近の3回分をお送りします。
家族身内で弦楽合奏を愉しんでいる者から、宴会の二次会でマイクを独占してへたなナツメロに酔いしれている者や軍国少年あがりの者などに手配りしますの で、お聴きのような何でもありの五目飯的CDにいつもなっております。それでも具の中には、今までに聞いたことがない曲も混じっていて結構楽しめると、よ ろこんでもらっています。特に本人たちより奥さん方に毎回好評のようです。わたしの顔を見知っている奥さんなどは「**さんは顔に似合わず甘い曲が好きな ようね」と云ってたよ、という友には「お前の奥さんは音楽を顔で聞くのか、器用やな。ふつう音楽はオイドで聞くもんやけど」と冗談をいって笑わせていま す。オイドは(京ことばで謂う)お尻のことではなく、スペイン語で「oido=耳」のことやで、の但し書きつきのジョークですが。
兄とちがってわたしはグルメではないので食べものには特別関心はなく、酒は大好きですが貧乏性で少量で酔える、できるだけ度数の高い蒸留酒を、発泡酒を水代わりに飲んでいます。
音楽はガキの頃から好きで、弾くことも、歌うことも譜が追えないので出来ませんが、聴くだけは何でも聴きます。草野球並みの守備範囲は、バロックからロ マン派位までと中南米ものぐらいてすが、ファドやディキシーランドから日本の民謡まで、その日その時々の気分で適当に愉しんでいます。大学時代にはじめて 入手したオープン・リールの録音機を皮切りにカセットからMDやCDにSP盤やLP盤を、ラジオのエアー・チェックと並行して録りまくりました。
磁気テープのほとんどは杜撰な取扱いでおしゃかになりましたが、それでも毎日10時間づつ聴き続けても、生ある間に二回は聴けないかもしれません。そんなわたしの道楽に、女房は「これさえなければ住み心地のよい家に住めたのに」と音源を目の敵にしています。
わたしはコレクターではありませんので聴きたい音源は買いますが、ほとんどの場合昔は磁気テープに、MD,CD時代になってからは、それらに録音しては 原盤を処分し次の盤を買う、自転車操業の繰り返しです。ですから女房の嘆くように、買うときは2-3000円でも売るときは2-300円ですから、手持ち 音源のほとんどには市場価値はまったくありませんし、それでよいのです。
そんな女房の恨み節のこもった音源の中からのCD-R盤ですが、兄のオイドを和ませる曲が数曲でもあれば幸いです。
日本歌謡史のほうは昭和20年を境として、戦後と戦前のシリーズを目論んでいるのですが戦後編はわたしの好みと、わたしのしばらくのやくざな生活時代か ら見て、精々昭和40年頃になりましょうか。日本の歌謡曲もカタカナの曲が幅を利かせるようになる一方で、流行歌が「えんか」と十把一絡げに呼ばれるよう になった頃がボーダーラインになりそうです。
何はともあれ、いつもいつもほんとうに有りがとうございます。
「流行歌(うた)は、こころの日記帳」です。お互いに聴いて往時を懐かしみましょう。  京・岩倉  辰  中・高同窓

* 音楽の盤を三枚も送ってきてくれた。ハイカラの曲もたくさん。楽しみます、感謝。
ファドのマドレデウスも、ジャズも、クラシックも、パバロッテイやマリア・カラスも、スターバト・マーテルも謡曲も平曲も演歌も唱歌も、わたしも雑食している。思い屈したときや心静かになりたいときに聴く。音量と共に聴く。
2015 7/14 164

* 原稿読みの目疲れをやすめながら、森下君が呉れた盤の一枚を機械に入れ、いろいろ聴いた。聴いた中では、湖東美歌がうたう「アメリカ橋」につよく惹か れ、狩人のうたう同じ「アメリカ橋」もおもしろく聴いた。奥山光伸の詞も信楽順三の曲もよかった。淡谷のり子の若い日の美声「鈴蘭物語」もなつかしかっ た。山本健吉先生と二人がかりで淡谷のり子と語り合った鼎談の昔も想い出された。「湖畔の宿」は曲だけでなく歌で聴きたかった。高峰みえ子だったろうか奈 良光枝だったか。べつの歌を松島詩子も唱っていたが、むかし苦手の感じがすぐ蘇ってきて驚いた。

* 二枚目も機械に入れてみた。倍賞千恵子の「鈴懸の径」に期待したが重ッ苦しくて、よく聴いている「かあさんのうた」や「遠くへ行きたい」ほどには響かなかった。鮫島有美子の「白い花の咲くころ」も粘った感じ。笑わせる東京ぼん太を、半分ほど聴いた。 2015 7・18 164

* 眼が見えない。音楽にしよう。

* と、言いつつ、階下で小憩後、また「親指のマリア」最終章を読み継ぎ、いよいよ最後の一節を残すだけとなった。明日には読み終えて、選集第十巻「入稿」用意の仕上げになろう。

* 宮沢明子イン・ニューヨークのピアノ曲、透明感のある美しさに恍惚としている。ピアノで愛盤というなら、これ。ガルッピ、スカルラッティ、ショパン、バッハ。胸にしみいる逸品。
2015 7・18 164

* 晩、ずうっと、マドレデウスを聴き続けている。どこかの国の演歌のようなものとか聞いたが、それはもうどうでもよく、詞は分からず、ひたすら曲と歌声 とに心身を添わせたまま、いろんなことを思っている。じっとものを思うということも大事なのである。上滑りに乱暴に流されてはならない。
2015 7・21 164

* 「マドレデウス」の盤二枚をむかしむかしに送ってきてくれたのは「尾張の鳶」さんだった。世界中を飛び回ってきた日本の「鳶」の見聞はたくさんな佳いメールに満載されている。たくさんたくさん教えられてきた。

* 小鳩くるみの最高の歌声「埴生の宿」を聴いた。いまはの死を想いながら「螢の光」を聴いた。
もう今夜は疲れた、はやくやすむ。
2015 7・21 164

☆ 暑中お見舞い申し上げます。
暑気祓いに「戦後日本流行歌史第二集」をお届けします。
きょうは祇園祭後祭りの宵山ですが、本集の歌が流行っていた頃は、後祭りの山鉾はせまい三条通りを巡行していたのをおぼえています。おやじのライカを持ち出してYMCA界隈で写したセピア色の写真が二三葉残っています。
この時期の歌はどれもヒットしたものばかりですが、
8,「山小屋の灯火」近江敏郎 13,「緑の牧場」津村謙権 21,「たそがれの夢」伊藤久男 は、NHKのラジオ歌謡です。
また 9,「銀座セレナーデ」藤山一郎 12,「バラのルンバ」二葉あき子の作詞家「村雨まさと」は、確か服部良一のペンネームのはずです。
ラジオと云えば新門前の兄宅の店の出窓に 5球スーパーラヂオが置いてあったような記憶があります。
この時期の歌は詩はよし、曲よし、歌手またよしで、夫々個性がありましたね。
近所に新京極のSY京映の切符切りをしていたお姉さんがいて、岡晴夫、霧島昇、二葉あき子らの実演の時には顔パスでよく観に行きました。
縄手の源氏屋?旅館にプロ野球の選手が泊った時など サイン帳を持って追いかけ回していたのもこの頃です。
野球雑誌を見せてもらいに永田純冶君や桑山君宅には始終出入りしていましたから 選手の情報も多分その辺が出所だったのでしょう。
なつかしい日々です。
梅雨が明けて 愈々夏本番です。充分ご自愛ください。  京 幡枝  辰

* 辰兄 ありがとう。

* さっそく、夕食時 「選集⑨」後半の妻と、昭和22 23年の全24曲を聴いた。これは憶えがないという曲はなかった。戦時をはなれて戦前の歌謡曲を なつかしむような感傷的でロマンチックでずっぷり歌謡曲の作詞作曲伴奏の多いなかから、流石に「戦後色」「戦後調」をしっかり歌いだし歌と人の時代の「漸 速前進」をはっきり予感・実感させてくれる感銘曲が、少なくも三曲はあった。
一つは笠置シズ子の「セコハン娘」(結城雄二郎・服部良一) 身につまされた。わたしは上に兄のいない一人子だったのでセコハンという意味すら当時は知 らなかった。聞き過ごしていた、が、七十年近く歳をとって、身にもつまされ胸疼いて悲しく聞いた。次は、菊池章子の「星の流れに」(清水みのる・利根一 郎)で、これはも少年ながら耳にやきついて忘れなかった名作。ウソクサイ感傷的歌謡曲とちがい、「こんな女に誰がした」と、真っ向バンパンガール悲しみの 境涯、女の呻き怨み、戦争・敗戦・家族離散の悲惨を、全身で表現し切っていた。見喪った妹をなげき一目会いたい母を恋いつつ赤いルージュをつかって街に立 つと聴いて、妻も思わず叫びをあげ、わたしは声を漏らして泣いた。
この歌、忘れてはならない。
子供ながら身に沁みたものが、後に、「月皓く」のような創作にもなった。「こんな女に誰がした」と、またしても呻かせたいのか、安倍内閣と自民与党の智慧なきヤカラは。
そしてもう一つは、笠置シズ子の「東京ブギウギ」(清水勝・服部良一)だ。これはもう次世代、あきらかに美空ひばりという天才を呼び出す歌声というに尽きている。譬えはどうかと思うが洗礼をうけに現れるイエスを待つ予言者ヨハネのようにがっちり唱ってくれる。
歌は、歌謡は、悩みも望みも多い「時代」へ、前向きに沸騰しつつ交響してくれねば、意味は薄い。うそくさいツクリ歌ではダメだ。
2015 7・27 164

 

* 夜通し、「セコハン娘」と「星の流れに(こんな女にだれがした)」の言葉とメロデイとが眠りを波立てた。寝ている間もわたしの脳か心かは激し い喜怒哀楽に揺れる。或る意味では健康な反応なのでもあろうと堪えている。静謐な眠りをわたしはほとんど知らない、昔から知らない。想像が眠りを揺りたて る。思案にも耽る。あきらかに眠っていながら、わたしはわたしを試み続けている。「木ヘン」の漢字を三十字、「サンズイへんの漢字を」「クサかんむりの漢 字を」二十字などと。人は思うだろう、カンタンだと。やってごらんなさい「木ヘン」の漢字を三十、たちどころに言うてごらん。出来ない。「サンズイへんの漢字を」「クサかんむりの漢字を」たちどころに二十も出せる人は、まずいない。やってごらん。
わたしの掌小説に「数をかぞえる」はなしが有る。わたしは、昔からその「ヘキ」があり、いまでも、歯医者がわたしの歯をがりがりやりつづけて いると、指を折っている。歴代天皇の名を順に呼び出しているのだ。かと思うと百人一首の歌を、作者の名を五十あげよと自分に命じたり。外国映画の男優女優 の覚えている名を数えたり。少年時代は源平藤原北条足利徳川歴代の名をみな覚えていた。そのなごりの波が今も夢を揺らすのだ。あまりつらいとリーゼ(安定 剤)を一粒服する、三日に一夜ほど。
わたしのこの頃に、喜怒哀楽の喜は残念だがすくない。怒は突出する。哀も噴出する。楽は、努めて創りだしている。まだ日々に衰えていると思っていない が、年々にとまで老衰の感覚が引き延ばせているか、そうは問屋がおろさないと観念している。そして、何にとも言い得ぬまま、「間に合いたい」とささやかに 願っている。         2015 7・28 164

* もう機械をしめようというときに、音楽や唄を聴く。主にピアノを聴く。トランペットの曲にも好きな一つがある。マドレデウスを幾つか聴く。しめくくりは、ペギー葉山の学生時代、芹洋子、倍賞千恵子、それから小鳩くるみの「埴生の宿」で終える。
やすらかに眠れますよう。
2015 8・7 165

* 九時半。松たか子の唄を聴いていた。さ、もうやすもう。
2015 8/10 165

* もう何年も、気がつくと聴き入っている歌がある。松たか子の呉れた彼女自身が唱っている曲で、聴き入りながら詞を書き取ろうとするのだが、難しい。まちがっているだろうが、あらましは酌み取れる。

☆  みんなひとり   松たか子が唱う

ふたりだけでいい  あなたのような人が  いることに感謝

夢がとおく見えて  肩落とす夜は  電話をかけてよ

恋びとともちがう たいせつな友達  代りが利かないわたしの相棒

みんなひとりぼっち  さがし続けるのは  たしかな絆とその明かし

だれかのひとことで  あしたも頑張ると 思えるなんて すてきサ

わけもなくふさぎ プチ鬱な自分が 嫌いになる日も

あなたの笑顔の 大きなちからに  励まされるんだ

どんな強いひとも  弱さを隠してる

外には出せない  傷かかえながら

みんなひとりぼっち

それを知るからなお  あなたの大事さが分かるよ

心の片隅で 気に掛けてくれてる  恋よりもつよい味方

あ、たまにはわたしを  あ、たよってもいいよ

生まれるときはひとり  最期のときもまた独り

だから生きてる間だけは

ちいさなぬくもりや  ふとしたやさしさを もとめずにはいられない

(英語での唄が すこし 続く)

* なにげない歌の詞であるが、よく聴き入れば酌むに足るものがある。恋人を求めているのでなく「身内」を信じて頼り合おうとしているのが、この手の歌のたわいなさを超えている。そう聴きながら、ときおり、この頃はしばしば松たか子の声に耳を澄ましている。
2015 9/12 166

☆ 「わけもなく」の続きは、
「わけもなくふさぎ プチ鬱な自分が嫌いになる日も」です。
松たか子の歌なら今は「空の鏡」なども浮かびますが、
それ以上に想うのは、中島みゆきの「二隻の舟」という歌です。  名古屋  雲

* これはとても聴き取れなかった。高麗屋の奥さんを介して原盤を貰ったのがよほど昔のこと、すぐ機械に入れた。で、この歌詞が誰かの作か松たか子自身の 言葉かもわたしは知らない、唱っているのが松たか子だと思い入れて聴いてきた。ペンクラブへ理事推薦したわたし、松たか子のエッセイや対談などもわりと読 んでいて共鳴するものを多く感じてきた。あの野茂投手を声援していた文章などとても嬉しかった。

* 中島みゆきは文士の中にも贔屓の人がいたし、むかし原善が我が家へしげしげ訪れてきた頃、選り抜きですといい中島みゆきの歌を持ち込んできた。何度か 聴いたが。うまいと思った、が、しまいに(原善の選曲してきた歌の全部が)すっかりイヤになった。陰惨に絡みついてくる歌声と情緒とを、陰気な凄みを、わ たしは気質的に嫌った。松たか子とは、対照の外の遠くにいる歌手と思って敬遠している。
結婚披露のBMに中島みゆきの歌を流し続けた新夫がいて新婦を歎かせた噂もむかし聞いたことがある。
2015 9/13 166

* 宮沢明子のピアノ、小鳩くるみの「埴生の宿」 ペギー葉山の「学生時代」 そして松たか子の「みんなひとり」など聴いて、仕事終えた。
2015 9/13 166

 

☆ 松たか子の唱う「みんなひとり」は、
作詞作曲は竹内まりや、夫の山下達郎共々、とてもよく知られてれているシンガーソングライターです。
英語部分も、共感しつつ聴いています。
「Everybody needs to be needed
Everybody wants to be wanted
‘Cause everybody knows that we are all alone
Let me give my gratitude to you
For always being there and smile for me
Many many thanks to you, the best friend of mine
Many many thanks to you, the best friend of mine 」   名古屋  雲

* なるほど。
2015 9/18 166

* ヘンデルのメサイアを機械に取り込みながら、いま、マリア・カラスを聴いている。からだが全然働こうとしない。
2015 10/10 167

* 時代と政治に対する不快感が身に巻き付いて、明日への溌剌とした希望が持ちにくい。つまり自分の「仕事」へ逃げ込もうとする、それがいやだ。そういう 仕事は生彩を喪いかねない。いまわたしを和らげているのは、誰の曲、誰の演奏と知れないピアノ曲だ。一曲終えて拍手が湧いている。浅井菜穂子であるらし い。ちからづよい演奏、深い音色だ。嬉しくなる。                                2015 10/10 167

 

* 眼が見えないので、音楽をいろいろつまみ食いしていた。ピアノ曲はグレン・グールド、ホロビッツ、ピレシュ、 バイオリンは千住真理子、そして五十嵐喜芳の「オー・ソレ・ミオ」でスカッとした。
2015 10/18 167

* マリア・ジョアォ・ビレシュのピアノがすばらしい。仕事の手をとめてしまって耳を傾けている。身内の力が沸き立ってくる。この盤を送ってきてくれたのは東工大の卒業生子松君だった。元気にしているかなあ。
ピレシュのモーツアルト、シューベルト、そしていまはショパンのノクターンを、瞑目のままピアノで聴きながら、きもちよく、うとッとしかけていた。なぜピアノが好きなんだろう。
2015 10/21 167

* 安川さんの呉れたラヴェルのピアノコンチェルトのNo1と2とをすぐに機械に取り込んで聴いた。しっかり聴いた。佳いと思いまた繰り返し聴きたいと 思った。わたしより一年下の安川さんは、いまはどうか知らないが、ピアノを教えていたような人であり、画家としてもグループ展に連年作を出しつづけている 人である。まさしく美学藝術学の専攻生であった。わたしの入学した年に四年生だったかに、京観世のシテとして活躍した片山慶次郎さん(五世井上八千代の叔 父さん)があり、一つ下ぐらいに華道池坊の家元がいた。上村松篁さんの息子もいた。小説家になったのはわたし一人だった。わたしに、書きたい書きたいでは あかんよ、書かないとと強烈に尻を叩いた同期に、造園家重森三玲の息子がいた。さきに死んでしまった。彼の曰く、書いていればこそ、ある日突然にたとえば 「新潮」から見せろといわれて見せることができる。書きたい書きたいで書かないのでは寝言に同じと。まさしくその通りだった。わたしは書いて書いて私家版 にして、そのあげく「新潮」編集長からある日突然に電話や手紙で呼び出しが来たのだった。「黒い画集」で花の咲いた女優原知佐子は、わたしを美学藝術学に 誘い込んでおいて入学半年か一年で日活へ出ていってしまったが、太宰賞の授賞式には大きな花束で祝って呉れた。一年後輩、安川さんらと同期の妻も大喜び だった。
2015 10/29 167

* はからずもものの下から掘り出した、グノー作曲の歌劇「フアウスト」のCDが見つかったので、CD三枚の一枚目を聴いている。機械に取り込めるといい が。歌詞も含めた詳細な案内書がついているので、何が歌われているかはほぼ察しうる。「フアウスト」は少なくも数回は読んでいるので、面白みはつかんでい る。歌劇として全編が聴き取れるなら、なんとうれしいことだろう。
いま第一幕、どうやらメフィストテレスが登場したらしい。
2015 11/14 168

* 夜、入浴後に「刑事フォイル」を楽しんでから、機械へ来て、グノーの歌劇「フアウスト」を聴きながら、心身をやすめている。
明日は、午後、聖路加で胸部循環のCT検査を受けてくる。診察はないので、早めに解放されるだろうが、月曜なので帰りに美術館、というのはムリだろう。 食べ物の店も、三時過ぎではまとみな店ほど開いていまい。三笠会館のイタリアン、東京駅の沼津の鮓か、丸の内外のビアホールでイタリアンか。校正が出来て 明るい、気軽な店がいいならレバンテか。ところが食欲はあまり無いのだ、つい飲む方へ気が走る。

* さ、黒いマゴに輸液だ、もういちど「刑事フォイル」の一番新しい前後編を、観ながら。

* 「フアウスト」の歌が佳い。こんな佳いCD盤をいったい、いつ手に入れてたのか知らん。
2015 11/15 168

* 眼が見えないと仕方なく音楽を聴く。聴き始めると、仕方なくどころではない惹きこまれて次から次へ聴く。グノーの「ファウスト」をはじめに、マリアカ ラスを聴き、宮沢明子のピアノ、菅野茉莉子のピアノ、グレングールドのピアノ。体のすみずみへ音の魅力が栄養のようにしみ通る。
さ、もう機械から離れよう。黒いマゴの輸液をして、TBS十一時ニュース・トゥデイ膳場貴子さんの顔を見、声を聞いてから、やすもうと思う。
2015 11/20 168

* 夕食のとき、ショパンやバッハのピアノ曲を日本人の演奏で、幾つも聴いた。いま、となりの部屋で妻がいつものようにピアノを鳴らしている。
2015 11/28 168

 

* ピアノ曲に堪能してから、岸洋子の「希望」を聴き、マリアカラスのソプラノを聴き、ペギー葉山の「学生時代」を聴いた。
なくした幼いやす香を描いた妻の鉛筆画を目の前に見ていると、…
2015 12/7 169

* なんにもなく、なんにもせず、八十の誕生日が過ぎて行く。モーツアルトのバイオリン協奏曲、シショパンの幻想即興曲、宮沢明子のピアノ、そして小鳩くるみの歌「埴生の宿」を聴いていた。
2015 12/21 169

* たくさんピアノを聴き、「オーソレミオ」や「学生時代」など歌も聴いた。メールボックスに溜まった出し入れメールの整理もしたが、仕切れなかった。
わたし自身は、仕事の数多いメールに神経を使うので、めったに自分からは送らない。気に掛けすぎると時間をとられるのが分かっている。むしろ心嬉しく戴いたメールをあらましここへ再録し、ときに挨拶を添えるぐらいで失礼している。
2015 12/26 169

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