ぜんぶ秦恒平文学の話

映画・テレビ 2016年

* 両肩を万力に押さえ込まれたように、また、痛い。意識はあるが、失神にも近い。肩、石のように硬い。酒は飲んだが、食べ物は欲しくなかった。せめては ずむ話題でもあれば楽しんだろうが、無し。『美の回廊』の村上華岳観を読み直したり、「ユニオ・ミスティカ」を思ったり。寐て、初夢でも追うか。

* 味気ない元日が、つまらないドラマ「相棒」とともに過ぎゆく。こういう日々のつづく老境なのはもとより自明であり、だからこそ楽しみを創り創り、ごまめの歯ぎしりのように日々を歩いて行くのだ。人に求めても詮無い。自分で創るのだ。
2016 1/1 160

* 晩、もう一度、映画「沈黙」を丁寧に観た。
やはり最後の一シーンが理解できなかった。あれでは、ただの破戒に終わるのでは。わたしは、切支丹牢の岡本三右衛門(転んだとされる神父)と日本の武士 岡本三右衛門(転ばなかった武士)の妻との牢内での暮らしを、もっともっと叮嚀に描いた。信仰と人としての真実は、踏み絵を踏もうが、結果的に転んだとし ても、守られうる。神に愛や慈悲があるならそれを信じ抜くことはできるだろう、しかし映画「沈黙」のラストシーンはただの破戒ではないのだろうか。原作、 映画の「題」もよく掴みきれない。
わたしはシドッチとはると長助とを、岡本三右衛門の妻女と牢で結ばれていたパードレとの最期を「御大切」を体し得た人たちと信じて描いた。迷いなく書いた。
2016 1/2 170

* 昨夜から映画「ターミネーター」1、そして今日は、2を観た。3まで、何度も観てきたが、未来との交流を描いてわたしの最も気を入れて受け取る、緊迫の秀作。
初めて観たときは、よく出来たしかしツクリモノと眺めていたのに、回を追いしかも年を経るに従い、凄まじい現実感を加えて肉薄してくる警世警告の作と思えてきた。
こういうことは起きないと思うのが常套であるが。こういうことの、まさにあり得ると懼れて現代を謹んで生きたいとわたしは考えている。
同系の映画に「マトリックス」があり、宗教的なセンスも汲みながらわたしはウソクサイと思わず、これも険しい現代への警世警告と観てきた。
「ターミネーター」の可能性は「マトリックス」以上に険しくわわれに警告する。ふたつともが、それぞれの救世主キリスト到来を願っているとみれば、その願望とリアリティを優に今日の昏迷こそが証明している。
恐るべきは「機械」という点で、ふたつの映画はまっこう今日の危うさを指さしている。
2016 1/5 170

* NCISをつづけて二作観ていた。十時。ピアノを少し聴いて、もう、やすむ。
モーツアルトのバイオリンソナタのピアノ伴奏が素晴らしい。マリア・カラスのアリアに聴き惚れた。
2016 1/7 170

* 湯から上がって、いちばん好きな時代劇、藤田まことの「剣客商売」を楽しんだ。明日の聖路加腹部CT検査への用意などしながら「刑事フォイル」を観てい た。仕事はまたもや輻輳しているが、落ち着いて片づけて行く。次次巻の「湖の本」に未公表の小説を三作送り出せるのが有り難い。
2016 1/10 170

* も一つ、びっくりもし、思わず相好をくずした一つ。夕方家に帰ったら、おおっ! 休日で郵便配達がないのに、「寒中お見舞い申し上げます」と沢口靖子のはがき。妻ににやにやされた。
「寒さ厳しき折、お変わりございませんか。
おかげさまで 私ども科捜研のメンバーは元気に鑑定に励んでおります!
まだまだ寒さが続きますが、くれぐれもご自愛ください。
ご多幸を心よりお祈り申し上げます。  科学捜査研究所  榊 マリコ」と。
「科捜研の女」番組の宣伝でしたが、帝劇の楽屋で逢った沢口靖子のままに美しい、元気そうな写真で、思わず、にこにこ。
2016 1/11 170

* 何度も観て気に入っている映画「ダビンチ・コード」をざあっと走り読むように観たが、もういちど落ち着いて楽しみたい。映画「抱擁」などとともに、わたしのもっとも喜ぶタチの創作に類している。
2016 1/16 170

 

* なにかしら集中力を欠いて、ダル重い。腹部不穏を調整できず、仕事に手が着かない。十分寝ているので睡眠不足はないのに、ともするとうたた寝している。
からだを横にすると、モノが読める。水滸伝などに打ち込める。ゲラも読める。
床から起つと、いけない。
街歩きへ出ようともしない。メールもしない。ソーシヤルネットもワケ分からずに使えなくされている。テレビの前へゆくと、コロンボだのポアロだの NCISだのフォイルだの。かと思うと、お肌、ブルンブルン、まさに、なんと、おいしーい、などと喚かれてばかり。国会も、ダメ。
このままだと引きこもりの老鬱にやられる。
驚いたことに東京で五十七年暮らして、あそこへ行ってみたいなと思う先が、思い当たらない。
京都なら、選ぶのに困るほど歩いて行きたいも歩きに行きたい先があり、しかも何度繰り返し出かけても飽きない。
祇園、建仁寺、六波羅、清水坂、清水寺、清閑寺、小松谷、太閤坦、日枝神社、智積院、法住寺、養源院、三十三間堂、博物館、タクシーで泉涌寺即成院、戒光寺、悲田院、来迎院、観 音寺、泉涌寺本堂、泉山御陵、雲竜院、東福寺、通天橋、三門、本町、東福寺駅から四条、南座、祇園町、母校、八坂神社、円山公園、釣鐘堂、知恩院、三門、 瓜生岩、青蓮院、粟田口、瓢亭、南禅寺三門、永観堂、法然院、銀閣寺、詩仙堂、曼殊院、 タクシーで出町、墓参、糺の森、下鴨神社、同志社、御所を南へ、 鴨川西堤を三条大橋まで、先斗町を四条へ抜けて、縄手から新門前の家へ。
その紀なら一気に回れるが、どの一箇所も其処をだけ目的にしていっても楽しめる。
懐かしくて、いくらか気も晴れる。やれやれ、京都がほんとに遠くなってしまった。
ま、幾らも新しく創作し、とびきりの古典や名作を読み返し、自信のいい本を作り続けるしか元気の道がないようだ。たんに東山べの一画を思い出してみたに 過ぎないが、挙げた名どころの一つ一つにわたしは無数の物語を持っている。そんなのを書き始めたら二百まで生きねばなりまへん。                      2016 1/17 170

* けさは映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」を、選び出して、観た。構想・演出といい歌とダンスといい、そしてイエスの愛と思想の根 幹をがちっと把握した叡智といい、絶頂の映画藝術の輝きをもっている。いくらツクリの面白さや追究のスリルがあろうと、イエスの子孫を探り当てて行く「ダ ヴィンチコード」も追いつかない。基督教映画はつとめて観て来たし、優れた大作も「十戒」「ベンハー」などあったし「奇跡」のような秀作もあったけれど、 藝術としての表現の精度は「ジーザス・クライスト・スーパースター」がぬきん出ている。感動深く、観る嬉しさ楽しさも深い。ミュージカル映画としてもわたしは最高位と称えたい。
2016 1/29 170

* 映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」を観終えた。繰り返し返し観て来たが、初めてのように新しく深く面白かった。しかし…、神とは何なのか。キリストは神でないからかくも懐かしいのではないのか。
2016 1/31 170

 

* 映画「グランブルー」に泣いた。ジャン・レノが海底へ帰りたいとマイヨールに頼み、マイヨールもまたロザンナの許しを得て海底へ帰って行く。迎えに来 ているイルカ。海は命のふるさと。陸へ帰って行かねばならぬ理由をレノもマイヨールも持っていない。底知れない海への愛と諦観と。そんな男達を行かせてや る陸の女の愛のかなしさ。
底知れず大きな青い海 グランブルー
最良の表現で描き尽くした愛と海との映画、泣くまいと堪えていたが、ロザンナの「わたしの愛を確かめに行って」とマイヨールを海底へ沈めてやるあたりからは嗚咽を堪えきれなかった。
海は、畏ろしくも慕わしい。
白川狸橋から鴨川へ、琵琶湖から宇治川へ、そして海へ帰ろう、わたしは。
2016 2/3 171

* 宵の六時頃から、清盛役で大いに贔屓にした松山ケンイチ君の長大な映画を、熱いほどの共感と好感とで観た。かつての東京オリンピック開会式をいわば人 質に国家的な欺瞞と不徳と冷酷ににたいし闘い続けた独りで孤りの一東大生の徹底抗戦をまともに、まじめに、理解を寄せながら描ききっていて、わたしは強く 賛同した。やがて繰り返される東京オリンピックに対しても、わたしは、阿呆のように協賛してはいない。スポーツの祭典ならば知らず、いまやオリンピックは あしき国家的な経済行為であり政治的利用に過ぎないと見切っている。
松山ケンイチの演じた東大生の深い怨念と批判との、ちょう代え代えど裏側で元野球選手清原の無惨な崩壊、それへ蠅のタカルようにむち打ちを心よしとする ようなマスコミ報道への不快と不信も捨てられない。イヤな時代だ。だからこそ、わたしは生きねばならない。生きるのは、苦しい、だから嬉しいと思わねばな らない。
2016 2/5 171

* 朝のドラマの週間分をみていて、人気のあるのがよく分かる。女性の明治近代という点だけから観て、いまでもヒロインの開発的で聡明な生き方に憧れる人は今 日でさえ少なくあるまいかと想われる。理想化されてもいるので相応の検討や批評は必要であるにせよ、健全な「進路」と「展望」を志向して元気なことは認め られる。わるいことでない、どころでないアクティヴィティは健康に描かれている。
秦の母は豪家の末の末の子に生まれて家の逼塞零落の波をかぶり、成績優秀で向学心にもえていたのに上の学校へ進ませてもらえなかった。このことは、母の 場合わが子をついに産めなかった残念以上の悔しさだった。「あさ」のドラマを観ていて、不本意な結婚生活に身も心も埋めきった秦の母のためにも、わたしは 悔し涙をこぼした。同時に、あの、わたしの生母の、「階級を生き換えた」ような「ものすごい」までの生涯のガンバリにも、「生きたかりしに」と呻いての最 期にも、今更に驚く。
2016 2/6 171

* 「刑事フォイル」を観てきた。しばらく、佳いピアノ曲を聴こう。
2016 2/7 171

* 土曜日の朝は連続ドラマ「あさ」を一週間分、楽しむ。
好評に乗じた好調、テキパキと場面を交換しながら「あさ」の活気がドラマに成っている。幸せな作者だ。幸せは、また実力になって行く。
幸せは向こうから来るのではない、努力して引き寄せるもの。努力のないみせかけの幸せなど泡と失せてしまう。泡を食うだけである。
2016 2/20 171

* 「刑事フォイル」を深く頷きながら観て、そのあと、京料理「なかむら」のお節料理を映像で嘆賞、さらに妙なドラマの「賀茂川食堂」最終回とやらを半ば 観ていた。ショーケン、岩下志麻が顔をもせて、ひてり、とても美しく落ち着いた若い人にはじめて出会った。人品の光った静かな存在感が宜しくて満たされ た。
2016 2/28 171

 

* 晩、録画しておいたデンゼル・ワシントンの「デジャヴ」を観た。造りすぎていて、ややこしく。ワシントンは好きな俳優の一人だが。
2016 3/2 172

* 疲れ休みに「NCIS」を二本楽しんだ。「あさ」やはつの両親が、またはつの姑が、あいついで亡くなっていた。待っては呉れない。
2016 3/3 172

* マレーネ・ディートリヒとチャールズ・ロートンのおもしろい裁判劇「情婦」を観ていながら居眠りしていた。十時になった、作業は明日にのばしておいて、黒いマゴに輸液だけして寝入りたくなった。
2016 3/11 172

* 晩 ひばりの名曲を幾つか聴き、聴くにつれ涙が溢れた。死なれたくなかったとしみじみ思う。ひばりというと、どうしても少年の頃の出逢いを思う。ああ。もういないのだな、向こうにいるのだなと思う。向こうにいる人があまりに多くなってきた。

* 天才ひばりのあとへ思いがけず建日子の作というドラマが現れ出た、が、あまりのつまらなさに逃げだした。「刑事フォイル」や「NCIS」を観ている目 には、あまりに画面の密度がぬるくゆるく、しまりなく、娯楽の域にも達していない。「人生は紙飛行機」とうたいあげている連ドラ「あさがきた」の方が客を とらえるコツを駆使し得ている。やれやれ。
2016 3/14 172

* 昨日は、初日に不甲斐ない見苦しい負けをとった横綱白鵬など観たくなくて、大相撲の時間、大好きな映画「レディホーク」を妻と観ていた。昼間は鷹に身 を換えるミシェル・ファイファーがとても佳い。夜は狼に身を換えるルトガー・ハウアーもおみごと。何と云っても物語のふしぎな哀れさと大きな展開。中世の 欧州の静かに深い風土や、おそろしい司教が支配する暗い時勢。劇的な推移はあくまでも不思議に、そして大きく展開して、鷹にされ狼にされて女と男として逢 えぬ呪いを受けてきた恋人らの呪いが溶ける。映画さのみのに、いい知れない優しい魅力があふれていて、いつ、どんなときに繰り返し観てもこの作には飽きが 無い。まったく無い。よかった。気も静かに落ち着いた。

* マスコミのハナクソのような見せ物や喋り場が目立ちすぎる当節、紛れもない他界へ誘ってくれるこういう映画に、つい心惹かれて行く。
2016 3/15 172

 

* 誰の監督作品だか確かめなかったが、録画しておいた映画「それでも恋するバルセロナ」を面白く観た。レベッカ・フォールとスカーレット・スワンソンが 競演していた。いますぐにこの映画をかたるより、しばらん翫味した上で感想を生みたいと思うが、すくなくもこの映画をみていたら、このほど來、どころか、 年がら年中日本のマスコミがバカ騒ぎして貴重な時間と金と電波と紙を浪費している「男女狂想曲」のたぐいの幼稚で非文化的非生産的な情けなさを嗤わずおれ ない。
わたしは自分たちの社会に行儀の整っていることを本心希望していると同時に、性的な人間の成熟と自由と意欲をも大切に感じている。日本のマスコミのその辺の知的な感性的な感度は、あまりに下劣だと思う。
おもしろい映画だった。これもあり、しかし「レディホーク」もなければならぬ。
2016 3/15 172

* 昼間に観た「NCIS」が一編として快調てかつ面白く、おもしろさに感心した。「刑事フォイル」は滋味ふかく静かにしかもムダなく展開して感心させるし、「NCIS」にもムダがなく、しかも佳い科白でメリハリもよく面白く緊迫にも富んで堪能させる。
どうして、こういう制作の妙を日本のドラマ作家は学ばないのか、もっと謙遜にしかも貪欲に盗めばよかろうに。いかにもトロクて日本のテレビ劇の九割九分がつまらない。

* 晩には作曲の古賀政男特輯を仕事しながら聴いていたが、ひばりの「悲しい酒」が歌唱の藝として飛び抜けているほかは、古くさくて、アホくさくて聴いて られなかった。三波ハルオの東京オリンピックの歌ぐらいなもの。おなじ古くさいなら、ナツメロになりきった昭和戦前の軽音楽風の方がマシだった。
2016 3/18 172

* 土曜の朝には連ドラマ「あさ」の一週間ぶんを何となく観てしまう。見せるちからを持っている。一代うえは、みんな亡くなった。そのことの重みを思う。
2016 3/19 172

* 息子が、秦建日子が、いま、三重県の桑名で映画を撮っている、そうだ。わたしは彼のツイッターもフェイスブックも全く読めない(完全な不具合)し、 ホームページも開けなくて、活動のさまはほとんど見えてこない。ず、今日、彼には母港であるような河出書房の小野寺社長から新刊の『KUHANA クハ ナ!』という小説仕立て一冊が送られてきた。東海地区限定で九月三日から劇場公開されるという。三重県書店商業組合推薦図書だとも帯にある。
松本来夢・須藤理彩、それに多岐川裕美と風間トオルの名前が出ている。「アンフェア」原作者が描く、笑いと涙と音楽溢れる物語だそうで、「うちら、ジャ ズ部はじめました!」という「JAZZ×KIDS」の映画になるらしい。本はまだ一行も読んでないが、殺しモノでないらしいのは有り難く、以前の小説 「チェケラッチョ」や「SOKKI」の系列か。心朗らかによめるといいと期待している。
2016 3/24 172

* 連続ドラマ「あさがきた」が終幕に近づいている。すこし淋しい。「刑事フォイル」も次で最終回、これも淋しい。
韓国の現代物は見ないと決めていたが、評判で韓流に火をつけた「冬のソナタ」を始めたので三四度観ていた。チェ・ジウの存在感のある魅力は、むかしにも遠目に感じていて写真を機械の何処かへ保存した記憶がある、すぐにはとても見つからないけれど。
2016 3/26 172

* 「刑事フォイル」の最終回をしみじみと観た。「コロンボ」だの「ポアロ」だのという薄いツクリモノとちがう。二次大戦時英国本土の窮地窮乏を背景に、 一警視正と一巡査部長と一女運転士とが、静かに、険しく、かつ優れて人間的・人格的な能力で織り上げる魅力の犯罪捜査ドラマじたいが切実な反戦劇でもあっ た。三人が三人ともまことに静かに有能なヒューマニストであった。切なくて辛くて情けなくとも、しみじみと心嬉しい劇の魅力をとともに「戦争」の過酷な虚 しさを力強く味わわせてくれた。残り惜しい。
2016 3/26 172

* 思いがけず靖子(澤口靖子)の「ネタ元」とでも謂うたらしい二時間ドラマの一時間半余りを観た。よく出来た脚本で、「科捜研」の靖子(榊マリ子)が生 真面目に一本槍の気持ちよさとすれば、このドラマでは、生き生きした社会部の感情女性記者の喜怒哀楽を元気にまじめに演じていて、「いいよ」「それでい い」などと口に出しながら楽しんで、共感して見終えた。
小さい頃からわが家へ親とよく遊びにきていて、のちのち早稲田大学のころから活躍しつつ、卒業して大手新聞の社会部記者となり着々足跡をのこしてきた娘のような「アオ」を思い浮かべていた。
我が家では、澤口靖子とはめったに呼ばない、いつも「靖子」「靖子ちゃん」で通っている。なにしろ玄関から二階、書斎まで靖子の額入りの佳い写真が六、 七枚も所を得ている家である。二人で、三人でならんで撮ってもらった写真もあるのだが、いくら厚かましくてもあまりに落差がありすぎ、「蔵」に仕舞い込ん である。
2016 3/28 172

* 東近江市五個荘での「お宝鑑定団」と聞いて、仕事をやめて観に降りた。さすがに、佳いモノが続々出た。狙仙の猿、武山の仏画、みごとなやきものたち。目の保養をした。

* という間に、三月逝くか。
2016 3/29 172

* 帰宅後に、録画しておいた連続ドラマ「あさがきた」の終幕の数回分をしみじみと観た。
NHK朝の紙芝居のようなドラマのシリーズで、おそらく最高の感動作になった気がする。
ちなみに大河ドラマでの優秀作は、異論があろうとも「平清盛」、そして「徳川慶喜」「篤姫」「お江」せががつづくか。
2016 4/2 173

* テレビ番組のおしなべての余りのくだらなさ。せめて佳い映画が観たい。昨日、久々にケビン・クラインの「卒業の朝」を観た。ま、なかなかのものだが、この徹した「教養主義教育」のなにかしらひ弱な限界にも、心が折れる。
むしろ今晩たまたま観た「鷲は舞い降りる」は、この間まで魅入られていた秀作の連続ドラマ「刑事フォイル」と時期も空気も同じくした、戦時下英国でのドイツ空軍の秘密作戦で、「フォイル」には勝てないが緊密な映画作りの速度感に心惹かれた。
この「鷲は舞い降りた」同題の原作は、この手の読み物の中では五指に数えうる緊迫作で、文庫本は愛蔵している。ほかに「女王陛下のユリシーズ号」「北壁の死闘」「針の眼」もう一作、すさまじいまで緻密なテロ爆破の陰謀作が凄みあった。
2016 4/3 173

* 終日、一つの仕事を苦渋を噛む心地で続けていたが、ながもちしない目をやすめるためには階下で、小津映画の「晩春」を、午後に晩に二度観た。 やはり原節子、柳智衆、杉村春子、三宅邦子、それに珍しくも懐かしく月丘夢路が、ほかでなら岡田茉莉子のやるような役をみせてくれた。「小父様」役のあれ は潮万太郎かな、めず西区とてもいい役でいい味をみせてくれた。
それにしても終幕の柳智衆父親の声なき慟哭には胸の奥を削られる気がして泣けた。
女の子を育てるのは、ほんと、つまらない。つまらなかった。
2016 4/4 173

* 浴後、「NCIS」を見ながら、寝入ってしまった。
一つには、雄町米を用いた「極大吟醸」の米の酒「桜室町 室町時代」があまりに美味くて、とめどなく呑んでしまうからで。岡山のとくべつ美味い酒で、この分では三日ともたずに一升飲み干してしまいそう。
2016 4/7 173

* スーさんとハマちゃんの映画「釣りバカ日誌」を楽しんだ。このまさしく「身内」ものをわたしは「寅さん」よりも好いている。寅さん画面はいつも哀しみに濡れていた。
2016 4/9 173

* 晩、日曜美術館で向井潤吉の繪をしみじみと久々に観た。
わたしの育った京都の新門前通りは美術骨董の店のならんだ通りで、そのショウウインドウはわたしのためには得がたい美術館であった。店から店のウインド ウに鼻の脂をこすりつけて一軒一軒見て回った。店の人に小言を食ったこともある、ウインドウのガラスが鼻の脂で曇るのだ、今にして恐縮するが。
そんな店の一軒に、向井潤吉の民家の繪がよく飾られ、ひとしおしみじみと敬愛して観飽かなかった、その懐かしい小学校・中学の頃の思い出にも浸った、今晩の日曜美術館で。

* 日曜美術館がスタートして、かなり早くから何度も呼ばれて繪の前で話した。「村上華岳」「土田麦僊」「入江波光」「国画創作協会」「京都の精華展」そ の他、光悦も宗達も光琳も洛中洛外図も北斎も、浅井忠も、清水九兵衛も、その他、数え切れないほど何度も呼ばれた。司会者が何人も代わった。あげく、梅原 猛さんらと一緒に、京都美術文化賞の選者を二十数年も務めることになった。楽吉左衛門さん、截金の江里佐代子さん、竹内浩一さんらに受賞して貰った。新門 前育ち、そして叔母宗陽にならった茶の湯が、有り難かった。たいへんなトクをした。京の昼寝に類していたか。
2016 4/10 173

* 赤穂浪士の四十七人目、寺坂吉右衛門を主役の時代劇を三回まで見てやや心惹かれている。寺坂役の上川徹也とかいうきりりと表情のいい俳優を従来の幾つかのドラマでも好感していたが、今回は和久井映見との競演で、わたしはこの女優をじつは高く買っている。このさきを楽しみにしたい。
2016 4/15 173

* ゆうべ観た「NCIS」が面白かったので、同じ画面を今日も夕方に観た。面白かった。二本のドラキはとてもこういうふうには見せてくれず、無駄口とむだな思い入れの写真ばかりで余分な時間をだらだら食っている。イヤになる。

* 四十七人目の赤穂浪士寺坂吉右衛門を描いたドラマは、静かに堅実にすすんで、次で終わる。半ばはフィクションであるが差し支えなく、情も張りも品も宜しく観ていて気持ちが良い。だらしのないムダもなく清潔。けっこうである。
2016 4/29 173

* 天皇賞レースを観、小学生の将棋の準決勝二局と決勝戦とを観た。将棋は、わたしなどには形勢も分からないが、もう詰めろ近くなってからは手に汗を握る。面白かった。
2016 5/1 174

* 時代劇「最後の忠臣蔵」六回を見終えて、きもちよく満たされた。珍しいことだ。上川徹也、和久井映美、そして中車、こころよかった。
2016 5/7 174

* 放送大学の和歌文学講義で 西行の境涯や和歌の魅力について興深く聴き惚れた。西行が和歌を介して「心の実験」をしていたという指摘に教えられる。
2016 5/14 174

* わたしの最近の熱中。Dfijeで観ている「キャッスル」のキャッスルではない、女刑事ベケット。あまりの美しさに完全に幸福、いや、降伏。ドラマなどどう転んでもよく、筋が分からなくても構わない。ベケットの顔をだけ注視している。おなじDfijeの「NCIS」はドラマそのものを愛し推服しているが、「キャッスル」は、別物。ベケット刑事にゾッコン。いつも妻といっしょに、ゾッコン。毎回の放映分を妻が予約しておいて呉れる。
2016 5/21 174

* 上の、築地明石町路傍の花、名も知らないが、撮影できた花のかたちと色の冴えが、ひときわ気に入っている。青葉との配合も爽やかで、見飽きない。 「花」の写真はみな美しく、美しいというのはまこと功徳である。今朝も、起きて直ぐ、高麗王家のドラマを美しいヒロインゆえに見入り、また「Dfile」 の女刑事「ベケット」の驚異の美貌に感嘆していた。「美しい」とは、まことに、嬉しい価値である。
2016 5/23 174

* Dfileでなく、Dlifeだと言われた。わたしにはチャンネルの記号に過ぎず、ただ「D」で済む。ここでは、美しい女刑事の「ベケット」で顔だけ眺め、もう一つは巧いドラマとして「NCIS」を楽しんでいる。
日本製のドラマはあまりにもつまらない、脚本もカメラワークも鈍重、話の妙味も速い展開も、質実で的確なメッセージも、まるで無い。チャチい。映画に、全負けしている。
チャチくても目に珍しい利点を外国ものは持っている。韓国の現代物にはまったく手も出ないが、歴史物は、風物も民俗も環境も展開も、ともあれ珍しいの で、いつも一つは長編の連続ものに目を向けている。「イサン」「トンイ」「ホジュン」「馬医」など。今は、時代は確かめられないが手の込んだ「高麗・コ リョ」王国ものを見始めている。ヒロインがなかなか愛らしい。
2016 5/25 174

* 宮部みゆき原作の「ソロモンの偽証」二回四時間、かなり引き込まれた。出来すぎというか、やり過ぎの感もなくはなかったけれど、臆せずやりぬくことで、真摯な感銘へ幾度も引っ張り込んでくれた。こういう本腰で真っ当な感動ドラマが出来なくてはとおもう。
2016 5/27 174

* 山水清明の父祖の地にダムをと国と県の方針が強いられ、町村をあげての抵抗運動の中で、一人の「父」が自殺した。自殺の十日前に父は息子を、われ独り の「好い場(京都では、こう謂う)」へ黙って連れて行った。息子は父の死後、その意味を胸に問い続けながら、ダム計画中止後の過疎化のすすむ故郷のため、 一起業家としての若い人生を懸命に賭して、父が愛した故郷を父が愛し願ったとおりの黄金の「柚子」産地へと母と力あわせて着々築き上げていった。
すばらしいテレビのレポートだった。感動した。涙溢れた。「死なれて死なせて」みごとに「生きた」。

* 山水清明の父祖の地「日本」列島を、「開発」の名で「壊滅」させまいと祈り願う。ダムがいけない、原発がいけない、などとタダ言うのではない。利に奔ってのみ、国や地方の計画が、暴走する津浪のように無辜の国民の日々を蹂躙し汚染してはならないと思う。
2016 5/29 174

* 無事、九時半ごろ、「湖の本130」綺麗に出来てきて、さっそく発送作業に入った。終日、従事。時にはテレビを観るともなく聴いている。
このところ定番で楽しんでいるテレビドラマは、Dlifeの「キャッスル」 これは読み物作家のキャッスルはどうでもよく、刑事ケイト・ベケットの飛び 抜けてシャッとした美貌を観て楽しんでいる。毅くて品が佳い。圧倒される、いや、吸い込まれる造形的な美貌、日本でなら若い盛りの頃の松坂慶子と似通う。
もう一つは変な題の「輝くか、狂うか」という高麗皇室と渤海の出らしい大商団談との絡んだ、皇位と権力支配あらそう錯綜の陰謀劇に、純愛の行方を見守 る、お話。たわいなくても、史実時勢を敷き込んだ構成と展開なので、それなりに興味深く、新知識もえられる。日本ではこういう皇室を描いた史実的な語がま るで創られない…というワケでもないが、近世以前では源平、南北朝のかい撫でで済んでしまう。去年か一昨年の平清盛の前半などが院政の朝廷を描いて出色で あった。白河、鳥羽、後白河を実像で観る気がした。
2016 6/3 175

* ヘレン・ミレン主演映画「エリザベス一世」上篇を見聞きしながら作業を九時まで続けた。あたまのハタラキもストップしたので作業もやめた。
著名な伝記作家によるあの浩瀚な「メアリー」も読み返したくなったが、あの本は建日子の方へ行っているのではないか。上の映画はじつは板に収録しては あったのに、今晩が初見だったと感じたほど新鮮だった。むろん前に観ていた。ただ後編に覚えが無く、むしろジュディ・デンチの「ヴィクトリア女王」をおも しろく観た記憶が濃い。一時期、映画での女王ものが幾つも続いて出たことがあった。脚色された創作ということを加味しても、欧州の近代史理解のためには、 この手の映画は見落とせないと思っている。英国の皇室ものは甚だ陰気で時に陰惨を極めるのだけれど。
2016 6/3 175

* 韓国古代史を上下二巻で勉強しておいたのが、韓流歴史ドラマを観るのにやはり役に立っている。「輝くか 狂うか」とヘンな題の進行中の高麗ドラマも、どの 時期の高麗かほぼ見当が付けられる。皇帝と執政、皇室と豪族、それに強大な商団、そしていわば対抗する地下組織、さらには「毒」の使用、秘密のシンボル等 々。
一つの半島のなかでいつも高麗、百済、新羅に三分されていたわけでなく、朝鮮時代も、高麗時代も、新羅時代も、李朝とよばれた時期も、これほど混淆し交 替し合い争い続けた半島は世界史的にも珍しい。「流れ」と「変化」とをおよそ理解していないと、ドラマの追い求めて意味するところは掴めない。韓流の現代 物には目を向ける気はさらさら無い、が、歴史がらみのドラマは、選んだ上で、というよりヒロインが気に入ればというのが正直だが、心して観ている。
日本史は、どんなに公家が武家が豪商がハバしようとも、所詮は一系の皇室をとりまく諸勢力にすぎず、あたまの整理は簡単に出来る。源氏物語絵巻をみながら江戸時代のおはなしなどとは、まず、だれも混乱しない。朝鮮半島の歴史異変にくらべて、甚だ淡泊にラクにできている。
2016 6/7 175

* 明日からの週日は、韓流の歴史劇が朝の8:15から一時間ある。明日は雨だというが、ひどい降りでなければ所沢向きに電車に乗りに出てもいいなと思っているが。
2016 6/12 175

*海老蔵夫妻が気の毒で可哀想で涙なしにおれない。抗癌剤のキツさ、わかる。二人とも堪えて何としても回復を信じがんばって欲しい。世のすべての病者と家族のために祈る。 2016 6/13 175

* 韓流の時代物「輝くか、狂うか」というヘンな題のドラマを終幕近くまでけっこう楽しんで見てきた。もう二日で終えるようだ。千年高麗をめざした時期の、中 原、渤海、契丹などの近国との緊張をも背景にした、皇帝、王族、豪族、商団、庶民、奴婢、秘密警察、秘密結社、私兵等々の葛藤が見られた。目的は聖政のな される安寧と繁栄の国づくり。異国のおもしろい動く紙芝居としてみれば、上等であったと思う。
朝鮮半島を歴史的に眺めて、各国のなかで興味有る存在は、高麗。びっしりと他国の脅威にとり囲まれながら、中国にすら再三再四手を焼かせて容易には支配 を受けなかった国だ、一時は半島全域を「高麗」の名で統治した。日本の侵攻をも追い返している。その鞏固な支配意志を、現在の北朝鮮が受け継いで「統一朝 鮮」を願っているのだろう、おなじ願いは新羅・百済併せての現在韓国ももっているから、半島の緊張は果てしなく続くだろう。
海に囲まれた列島日本、せいぜい藩どまりで、相争う「国」を列島内に分かちもたず済んできた日本国と、半島二国との、差異は大きい。
医の「ホジュン」や「馬医」などにも教わるところあったけれど、概してわたしは「皇位」や「政権政治」のありようにまっすぐ触れていた「イ・サン」「ト ンイ」などを面白くくり返し観てきた。主演女優や脇の女優達の美しさにも惹かれてきた。要するに、異国が珍しかったのだ。制度、調度、建築、飲食、祭事等 々。
2016 6/17 175

* 帝国ホテルのクラブでもらってきた佳いワインの栓を抜き、前夜祭は小津安二郎の映画「彼岸花」を妻と笑ったり泣いたりして観た。山本富士子が演技賞も のの京娘を浪花千恵子と母子で演じ、佐分利信と田中絹代夫婦に、有馬稲子と桑野通子の二人娘。柳智衆の娘に久我美子。有馬稲子と結婚するハンサムに左田啓 二。
なつかしい、おもしろい、しみじみとした戦後映画、昭和三十三年の秀作。この年の春、わたしは大学院に入り、妻は四回生、そして翌三十四年(一九五九)の春まだきには倶に東京へ出、六畳一間のアパートを新居に結婚したのだった。
以来、五十七年、太宰治賞を受賞し作家生活に入って明日で満四十七年、湖の本を創刊して明日で満三十年。
2016 6/18 175

*「ドクターX」 日本製の連続現代ドラマでは一等スカッとして小気味よく、感銘も深い。スキル抜群の外科医大門未知子のフリーランスとしての生き方にも むろんわたしは共感する。わたしは肩書きのある地位にも権能にも無縁ではなかったし推賛推賞も受けては来たが、われからそれらを望んで手をかけたことは一 度もない。いつも向こうから手を伸べて招いた呉れた。地位や肩書きにも恋着しなかった。利用したと言えば、騒壇余人として活動している限り、知名度は年を 重ねるほど各年齢層には届きかね。読んで貰える機を得ても、「この秦 恒平って、何なの、誰なの」と思われるであろうの、ま、かすかな経歴を示しているだけのこと。わたしもまた一人のガンコなフリーランスなのである。大門未 知子の好きなのは当たり前。

* 「ドクターX」の以外でわりと共感していたのは、秦建日子の作った「ダーティまま」、ちょっとばかり懐かしかった。テレビ映画としては、断然「阿部一族」そしてビートタケシの演じた「 」。外国製の連続モノでは、「コンバット」。
「コンバット」とは戦線の様子こそちがうけれど、思想的な基盤を一つにしたような、アンリ・バルビュスの小説『砲火』が、じつに佳い線をぐいぐい伸ばしていて、読んでいて、著者の積極的な批評・批判のみごとな表現力へ今まさに惹き込まれつつある。
なるほど将校以上将軍大臣にいたる体制側は、各国で挙ってこの反戦の傑作を嫌悪したが、兵士層の民衆はこれを、じつに敵味方の別なく、という以上に最前 線でドブネズミのように闘わされていた敵味方が、まさしく結束し、声高に圧倒的にこの小説をわがもののように支持した事実に、大きく頷ける。此の作は、当 然、最大級の世界文学として大きく広く顕彰されたばかりか、バルビュスの批評と思想とは世界的な反戦団体の成立を現実に産み出したのだ。
2016 6/23 175

* バルビュスの「砲火」がしみじみと、小粋なほどにさらりと面白く、デュマの「モンテクリスト伯」が組み立ての緻密な大きさで面白く、そしてテレビでの 「ドクターX」がのこと小気味よく面白い。体調の重苦しさに負けそうな中でもこういう創作の面白さがわたしを掬いあげてくれる。
2016 6/27 175

*  今日は荷造りなどしながら、当たりはずれ全く無しの小津安二郎の映画を二つ観ていた。さきのは若く美しい岩下志麻を嫁がせる父柳智衆の映画、もう一つは やはり娘原節子を嫁がせる父柳智衆の映画、甲乙無くしみじみと佳い映画。ひとつには戦後もほどない日本の「感じ」は、わたしたちが上京結婚就職した頃のそ れと大差が無く、懐かしさに堪えがたいものがある。懐かしさといえば、結婚を間近にした原節子と柳智衆の父娘が京へ、清水寺へなど旅してゆく先々の堪らな い懐かしさ。
なにげない映画のようで、濃厚に深切に造形された人間と生活の真実感には、ただただ感嘆のほかない。
じつは、この小津映画「秋日和」と「晩春」とだけではなかった、もう一つ溝口健二の「祇園の姉妹」も観て、この映画表現にもまた別種の強烈さで感嘆を誘 われた。山田五十鈴の妹芸者のまさしくもの凄いうまさ、したたかさ。祇園町では大不評の映画であったけれど、辛辣かつ自然に祇園の町と女とを彫琢して生彩 に溢れていた。

* 同じ映画を創るなら、この小津作品、この溝口作品に俄然迫るほどの至芸をみせねばただに一つの消費行為に過ぎない。
上には上がある、だから、いい加減に甘んじていてはただ見苦しいだけに終わる。
2016 7/2 176

 

* 楽しみに待っていた、「ドクターX」なのに、じつにつまらない。手術場面のほかはドタバタにすぎないドラマを、二時間もかければ大方はくだらないヤリ トリ。おまけに、ビートタケシの活舌のわるい低調な芝居を見せられる不愉快さ、何を製作者らは彼に媚びているのか、科白も満足に云えない拙劣な芝居に過ぎ ない。一時間でこそ煮詰まって足りた芝居を二時間の余も。吐き捨てたい。一時間ドラマで充分煮詰まるのだ。
大門未知子はまずまず見せた。内田有紀も健在だった。
2016 7/3 176

* なんでも鑑定団、山頭火の句が胸に沁みた。繪も、やきものも、すべて当否を言い当てていた。佳い物は胸に沁みて励まされる。鑑定といっても、わたしには、それだけのことだ。

* 山頭火が井泉水さんのお弟子だったと、再認識した。いま、わたしの頭の上にはその井泉水さんの揮毫で「秦 恒平雅兄一餐」と為がきのある「花 風」の二大字が額装されて、かけてある。
太宰賞受賞後、雑誌「春秋」に請われて、エッセイ「花」「風」を二年連載中に、「愛読しています」とお手紙を添えて井泉水先生から贈られてきた。私の、嬉しいお宝である。
文章を連載中に、畏れ多いほどの老先生から「フアンレター」を頂戴した思い出には、丸善の「学鐙」に「一文字日本史」を三年連載中に戴いた下村寅太郎先生のお手紙があった。西多幾太郎先生の高弟であられた。
高齢の井泉水先生には伊豆までお目に掛かりに出かけたことがある。
やはり高齢の下村先生とは、もうお一方西山松之助先生と、鼎談の司会をさせて頂いたことがある。
あ、忘れてはならない、岩波の「世界」に「最上徳内」を連載中、森銑三先生に激励して頂き、お目に掛かったり御本を戴いたりした。「森銑三著作集」がいま、わたしの「選集」と並んでいる。
2016 7/5 176

* 黒いマゴの体調を心底案じながら日々を迎えている。シンとして寂しい静かな日々を送り迎えている。

* 元気づけのように、録画してある「ベケット刑事(キャッスル)」の美貌を二人で眺めている。
ビートルズのいう「ピースとラブ 平和と愛」とは、まこと真実である。「ラブ」という「愛」を、字義どおりそのまま、本当に容認できるのなら。そのへんの混乱を人の世はまだ見極めきれていない。「世のなか」というその「世」の意味も深くは悟られていない。
2016 7/13 176

☆ ご挨拶が遅くなり 申訳ございません。
暑中お見舞い申し上げます。
庭で蝉の抜け殻を見つけたり、ゴーヤが少しずつ大きくなるのを 手に取りながら楽しんだり… 今年も夏がやって来たなあと 独りぐらしの長き日の感謝です。
「湖の本130 秦教授の自問自答」 殊に楽しんで読ませて頂きました。 いつも乍らですが、迪子さんへの感謝の思いが あちこちに伺えて 私にとりましては 我がことのようにうれしい事と 妙な気分? になっていました。
本当に 力を合わせて ここ迄 ご立派としか言い様がありません。 一読者として、お祝い申し上げます。
参院選挙も終りましたが 次は都知事ですね。「福島みずほ」さん 私も応援いたしました。
七月十日 選挙の日 私は京都へ出かけていました。同志社の「住谷(=悦治先生・経済学 総長)会」の集りで、相国寺に墓参の後 松井本館(女将が卒業 生)で懇親会と食事会でした。当時ゼミのメンバー達 東から西から25名程が集りますが、今年は選挙当日でもあり 学生時代の様に 活溌な思いが止りませ んでした。
鶴見俊輔先生のことも話題にのぼりました。市川(=夫君)が逝って十九年ですが、友は皆、健在でした。
書棚を整理していましたらー江藤淳氏が自殺ー見出しの新聞1999年7月22日(木)の読売新聞夕刊が遺作「妻と私」にはさまっているのを見つけました。座り込んで 又 ページをめくってしまいました。その年の10月末に夫は亡くなりました。
秦先生は 江藤淳さんの後任教授として東京工大にいらした事、湖の本で知りました。
本の感想など お話したい事いっぱいありますが字も乱れてきました。「信仰とは」など、興味もってよみました。
歌集「少年」は小さくて軽いので よくバッグに入れて愛読しています。
どうぞ、秦先生のご体調よろしく、迪子様も 決してご無理のございませんよう、 生き抜いて下さいませ。お祈り申しております。
同封致しました「DVD 新島襄 その心」は亡夫の友人が昨年製作したものですが、未だ手持ちがあるとか で 私も余分に協力致しました。お時間がございましたら観てあげて下さいませ。
やがて梅雨が明けましたら 夏本番です!!
お互い 一日一日 楽しい時間を過ごせます様 元気でいましょうねぇ
思いつくままの乱文 お許し下さいませ。
迪子様                 神戸市垂水区  澄  妻の高校同窓 大学同窓

* 実意と優情とのこもったこういう自在に静かなお手紙をもらうと、ああ、これが人間の素養なんだと、しみじみとする。

* 戴いたDVD「新島襄 その心」を妻と一緒に観た。
わたしは同志社、同志社という学生ではなかったように思っているけれど、結果的には、新島襄の精神を承けて、自由な市民の一人として権威的な支配に卑屈 に膝を折ることなく、よく学んで、よく励んで、自身の個性と才能をはぐくみ伸ばし続けて来れたのだと思う。総括して、良かったと思う。高三の秋に体調を崩 して、そのままどこの大学も受験せず同志社大学へ成績推薦されたのを受け容れた。だれもが秦は京大へと思っていたようだが、強いて拘泥するものを持たな かった。それで良かったのだと今もむろん我が歩みを顧みることができる。
2016 7/14 176

* いまから、久し振りに日曜夜十時の、秦建日子のドラマを観る。いい刺戟を呉れるといいが。
2016 7/17 176

* それらに続いて今日一日の感動は、TBSが見せてくれた、あの少年王ツタンカーメンの墓の奥にさらに前女王の墓が続いているのではという考古学者の推 理推測を、まずは九割がた確実にとょ梅井しつつ解説してくれたこと。「ツタンカーメン」についてはエジプト史との関連で理解し得ていたわけでなく、黄金の マスクばすりを繰り返し見せられてきただけ。それが、今夜の番組では、彼の王朝がごく稀な性格と運命に彩られていた、廃王朝ないしは抹殺されてきた王朝で あった史実も物語りめく場面までふくめながら、しかも要点と推理と追究と証明はごく科学的に大胆かつ精微に為され成されていて、興味津々だった。嬉しく なった。ウソクサイ微塵も無かった。こういう番組に出会うとテレビ有り難いと心から思う。
低調で幼稚でしかも視聴者を見下しような殺し番組など、ちっとも欲しくも見たくもない。悠久の時空を飛翔しうるか、その生き方や死に様にしんじつ励まされるドラマや報道であってくれと言いたい。

* 十時過ぎて、つよい雨を聴いている。
2016 7/18 176

* 建日子脚本の連続ドラマ「そしてだれもいなくなった」の二回目。機械のあらゆる個人情報をうばわれることで、この社会への存在証明を根底から喪ってし まうというハナシは、サンドラ・ブロックの映画「インターネット」でも、他の男優のなにかででも、観てきた。それだけに、秦建日子オリジナルといえる機械 恐怖環境の提示や問題提起が見えてきて欲しい。なににしても、昨日今日の「ポケモン」騒ぎからももう現実に人間の自己没却進行が肌に粟を生じつつある。な により怖いのは、それに人間が気付かないまま機械の餌食と堕落して行くことだ。バカなはなしだ。

* 建日子のドラマ、すくなくもわたしの求心力や鑑賞力にはなんら響き合わず、ものの十数分でテレビの前を離れて仕事に戻った。
ひとつには、出演者に、主役も含めて心惹く演技力つまり「科・白」が認められない。「科」とは身動きの意味であり「白」とはもの言いの意味。その両方で 痛切にこっちの目や耳に「おおっ」と働きかけてくる巧い役者が、ゼロに近い。それではどんな佳い脚本であっても画面が燃え立つわけがない。
歌舞伎役者は別にして、一つの見当を付けておこうか。
超級の役者は、科・白の両方が抜群で、観客を魅惑し感動させる。柳智衆、仲代達也、杉村春子ら、を挙げておく。優秀な役者は、科・白の、少なくも片方は 抜きん出ている。大勢いる。どっちもダメなのは山のようにいる。そんなのに当たると時間つぶしと覚悟して向かうしかない。
ことにテレビ画面で付き合わねばならない「白 もの言い」のほうだが、いいとわるいの区別はすぐ付く。いい方は、小声での囁きや呟きも「聞こえ・聞かせ る」ように話している。ひとかどの役者だと思っているらしい人気のある不出来者に多いのが、囁きせりふや呟きせりふを、本気で囁いたり呟いたりして「聞こ えも・聴かせも」しないで、それが演技だと思いこんでいる。いくらイケ面でも美女でも、こういう不覚の役者にであうと、肝腎の科白が両方潰されてしまう。 ひいてはドラマ総体の感興をこわしてしまう。「小声・低声」のせりふをが「小声・低声」のまま「聴かせる」俳優とそれの出来ない俳優とで、二流、三流はすぐ分かってしまう。
2016 7/24 176

* 映画「日本のいちばん長い日」を観る。泣けて泣けて泣けて堪らなかった。この日を越えて今日まで生き長らえてきた。先人の堪えに耐え忍んだかかる苦痛を無にして良いわけがない。安倍総理は、ひとり、心籠めてよくよくこの映画を観てほしい。
2016 7/25 176

* 映画「トラ・トラ・トラ」をもう何度目になるか、克明な画面をのこりなく観た。あの天皇の放送と終戦を描いた「日本のいちばん長い日」には泣いたが、 この真珠湾奇襲は壮大な、しかし空しい映画だった。先制奇襲の錯覚を夢見かねない若い人たちの浮き足立つのを懼れるとともに、奇襲されるオソレの十二分に ある極東環境から目が離せない。「トラトラトラ」の奇襲は失敗に等しい半ばの成功であった上に、真珠湾の壊滅だけに終わった。山本五十六が見抜いていたよ うに「真珠湾の不法奇襲」は米国民を結束させた。
しかし、日本への奇襲は、日本国全土の大混乱と回復不能なほどの放射線危害に押し包まれかねない、絶対にこれを懼れかつ避けねばならず、政治はそれへ集 中した叡智を働かせねばならない。決定的に、日本からの先制奇襲などということは不可能だと心得た上で、国家と国土の危害をさける道を真の政治力と国力と で計らねばならない。
働き盛りの知性達が我れ関せずのひやかし気分で高見の見物へ遁れていれば、確実に日本は今世紀後半をすら無事には迎えられないだろう。安倍総理も新防衛大臣も何を考えているのか、責任ある表明または姿勢をみせるべし、日本の危機は経済だけで保てるのでは、決して無い。
2016 8/6 177

* 映画「パットン」を観て、ドヨンと気が腐った。好きな戦争・戦闘に陶酔し没入して他を労り顧みることの出来なかった米軍、第二次欧州戦争の猛将。バル ビュスの『砲火』を共感深く読み進んで読み終えたばかりのわたしには、このアメリカのパットンも、ドイツのロンメルも、やりきれない人物。ただただ戦争が 好きでたまらない将軍など、迷惑の極まり。

* 建日子の連続ドラマが好評らしいのだが、どうもわたしは乗れなくて、見続けてやっていない。世界観も人生観も創作へたちむかうモチーフもはっきり違 う。違っていて、だから良かったのかも知れないが。洋ものでは、また始まっている「ER 救急救命医療」「NCIS」それと、刑事ケベックのすばらしい美 貌にこわいほど惹かれている。映画が観たい。
歩け歩けと云われているが、暑すぎる。十八日の歌舞伎座が楽しみ。老い鬱に落ちこまないように胸の内をくつろげたい。いま、額の左のうわっつらに指先で ふれるだけで痛い。痛む歯を食いしばってみにくい眼を追いつかって仕事しているのだ、ろくなことはない。しきりに、「間に合うように」とものを追っかけて いる。すこしも寛いでいない。
2016 8/14 177

* 天皇の放送で敗戦と知った丹波でのあの夏休みの日、国民学校四年生のわたしは蜻蛉のように両手をひろげて、農家の広い前庭を駆け回った。広 島、長崎への想像を絶した爆弾投下の報もともあれ知っていた。幼稚園時の海戦このかた、戦争に日本は勝つとも負けるとも想ってなかったが、勝てそうにはな いと少なくも二年生頃には感じていた。教員室の外廊下に貼られた世界地図で赤い小さい日本列島と緑の大きな大きなアメリカをみながら、ふうっと何かを呟い たとたん通りがかりの男先生に壁へ張り飛ばされた。あの時と所と感覚を只今もありありと、まざまざと、色も空気の重さまでも思い出せる。
日本映画が第二次大戦を描いてわたしを金縛りにするほど引き込んだのは、敗戦の日の「玉音放送」に至るまで、近衛兵らの反乱などを強烈に描いた題はうろ 覚えだが「日本のいちばん長かった日」で。柳智衆の鈴木総理、三船敏郎の阿南陸相、昭和天皇の声はあきらかに当時の松本幸四郎、若手の大勢がみごとに競演 して緊迫の映像を燃え立たせた。昨日、同題で新版が放映されていたが観るに堪えないほど大半の出演者達がへたクソで、おおかたの科白が生きて届いて来な かった。流石に森繁久弥、森光子は観せてくれたが。
2016 8/15 177

 

* 先日、撮っていったマゴたちのなかなか佳い写真を三枚、建日子が送ってきてくれた。
彼、連続中のTVドラマ、今日の世の中への「批評性」がみえ、好評をあつめているらしい。いまのところわたしは乗れなくて、観てやれていない。そのうち通して観る機会があるだろう。
2016 8/15 177

* 映画「紙屋悦子の青春」はすこぶる上質上等の作品で、感動のままに酔った。たった五人の、まことに静かな九州の言葉での対話、対話で紡がれる、しかも 毫末の停滞も退屈もなく、戦争という惨禍の重みをひしひしと身に迫って思わせる迫力には、ただ敬服した。「作品」の美しさ深さ豊かさ、ああ、こういう風に 映画は創られ得るのだと感嘆した。そのまえに、「そしてだれもいなくなった」というウソクサイ作り話を三回分続けて見て聞いてのあとの、けれんみなく誠実 を究めてごく普通に作品の澄みわたった感動作、それが映画「紙屋悦子の青春」であった、たった五人の出演者の真率な演技の自然さと時勢のけわしさとに、涙 を怺えられなかった。
「作」と「作品」とはまったく別次元のもの、「作」は世にみそもくそも溢れかえっているが、「作品」を湛えて胸を打つ創作はめったにない険しい現実を、あらためて、まざまざ思い知らされた。
なんの目的意識もなしにただ録画しておいたのが、大当たり、近来、これほどの優れた創作映画に出逢えたことがなかった。
2016 8/22 177

* 比較的気に入っている俳優達の夫婦役が、「もらひ子」への愛情ゆえに、実の母方との難儀な駆け引きに苦汁を嘗めているドラマを見ていて、辛くて逃げてきた。
妻はこのところ「ER」と「ポアロ」づくめ。前者には惹き込まれるが、どうもポアロの芝居は臭くて苦手。
2016 8/25 177

* お宝鑑定団に「嵯峨本」の徒然草上篇が出て感動した。もう一つ、持ち出されたのはとんでもない中村彝のニセものと直ぐ判ったが、解説の中で彝一代の秀 作という以上に日本の近代肖像画中の絶品というべき「エロシェンコ」像が観られたのにも感動した。室町期に溯る信楽の壺や、富本憲吉のさすがにとのけぞっ た美しい皿など、いい「お宝」の観られた一時間であった。
いいものが佳いというだけでなく、いいものを観ると心揺さぶられて嬉しくなるということが大事。何の感動ももてないまま、眼も燦めかないまま、タナボタ のように美術骨董を欲しがられては、なによりも品物が可哀想。いま、正直そのことにわたしは気を病んでいる、どうしようかと。せいぜい少しでも分かる人に 上げてしまいたい、それとも商人の手に委ねたい。ネコに小判の儘「お宝」気分になられてはイヤだ。
2016 9/4 178

* テレビでは、都知事と都議会との話題で、ややこしい。何のために猪瀬君はそんな話題に顔を晒しに出てくるのだろう、彼はきれいに「政界餘人」と身をひいて、広義の文学や歴史の分野で持ち前の才能を発揮、日本の紙価を高めればよい、その気なら出来なくないのだから。
ミレンがましくテレビに顔を出して、脛に傷もつ凶状持ちのように扱われている愚は、目を覆いたくなる。
猪瀬君。なんでそんなにテレビに出たがるのか。むしろ「凶器」としてのテレビを批判すべし。
2016 9/7 178

☆ 前略
館造の嵯峨本『方丈記』の原寸、カラー複製を造りましたので、お送りいたします。
秦 恒平先生     今西祐一郎  国文学研究資料館館長

* 先日のお宝鑑定団に同じ「嵯峨本・方丈記」が出ていて、流石にとおもう超高価な鑑定がされていた。「嵯峨本」のなかでも光悦筆・宗達下絵の歌巻など億 という単位を下るまい、高校・大学のころから「嵯峨本」という江戸初期出版の精美をつくした意欲に深い敬意を払っていた。
戴いた原寸原色「嵯峨本・方丈記」の嵯峨本を流麗の文字、まことに読みやすい。いわゆる写本ではない、あきらかに当代の「読者」を意識し期待した木版字での出版物であり字粒も大きい。原点文庫本を片手にもてば此の嵯峨本の文字、難なく読める。すばらしい。有り難う存じます。
今西館長のご厚意でこれまでも資料館刊行の貴重本をずいぶん沢山頂戴している。有り難う存じます。
2016 9/14 178

* 怪我多くなさけないほど負けた大関豪栄道が全勝優勝したのは、えらい。来場所も優勝すれば横綱昇進に何の異議もない。が、ひとつ異議がある。本名の「豪太 郎」君は好い。しかし四股名の「豪栄道」には、わたしの美意識にはガマンならない。このまえに優勝した「琴奨菊」にもおなじ事を感じていて、彼らの人柄は べつにし、こんな四股名の日本力士を応援する気にはとてもなれないで来た。大阪の大先輩力士大錦や山錦にならぶ清冽の名のりをよく親方と相談して付け替え て欲しいと希望しておく。

* 先日、日本語でのもの言いに拘わる調査結果が話題になっていた。詳しくは知らないが、関わって一つ日頃の注文をのべておく。NHKをはじめ各放送局 が、率先し得意げに、あまりに符牒めいた悪語を用いているのは、日本語を美しく保ち育てる役目もあるはずの公共放送として悪行というに近い、すなわち「シ ブゴジ」等々の類いで多く書き出す気になれないが、各局で競ってこの手を言いひろげている。
放送局に「日本語」をよりよく守り育てる自覚と節度とが無いのは実に恥ずかしいが、世のいわゆる「俳優」として名のある実績のある人たちにもおなじ事を つよく希望しておきたい、わたしは、ちいさかったころにだが、外国の演劇や俳優には国語を見守り育てるという天職があると聞いて、子供心に感じ入った。
今日、日本のテレビ番組からどんなに乱雑で時に猥雑な「汚い」日本語が吐き出し続けられているか、身のちぢむ不快を覚えることが多い。ユーモアや健康な 笑いを尊重する気は十分持ち合わせているが、ただただダラシない放言や言葉いじりは、少なくも日本語で生きている役者や公共放送には心してヤメテと言いた い。
2016 9/26 178

* 晩は八時から気に入りの海外ドラマ「NCIS」に引き続き前回をうけて二回目の「夏目漱石の妻」を観ていた。この漱石妻を演じる尾野真知子がいい。漱 石役も、岳父役もいい。このドラマ仕立てがすこぶる佳い。もうあと二回続くという、楽しみ。漱石奥さんの「思ひ出」も息子の「父の思ひ出」もはやくに愛読 してきた。
ことに今夜のは、夏目家に猫がはいりこみ漱石に気に入られる。黒い猫で、うちの黒いマゴより図体は太いがクロネコらしい眼光は似ていて懐かしい。怪作 「我輩は猫である」が出来て行くのだ、漱石は猫にたすけられて「病識」にも導かれつつ佳い仕事のほうへ歩んで行く。全四回ではもったいない。

それにしても尾野真知子、(建日子脚色の「天空の診療所」に出ていた。つまり、うちの娘の一人。われわれは建日子作のドラマに出演していた俳優は息子、 女優は娘と、年齢に関係なく認識することにしています。)このところ俄然の活躍で、いずれも好演している。夏目鏡子役、これ以外に考えつかないほど、実感 できる。よろしい。
2016 10/1 179

 

* 九時、どんなものか知れないが尾野真千子主演のドラマ「狙撃」を観てみる。

* もったいぶって下手な脚本に音を上げ、サヨナラしてきた。テレビドラマは一時間で、時間と競走して創り上げた方が良い。妙に威張り腐って辛気くさいドラマはごめんだ。
2016 10/2 179

* ショウの「聖女ジャンヌ・ダルク」は「シェイクスピア以後の英語で書かれた最大の戯曲」とさえ言われている。今夜は、読み耽りたい。わたしの勘ではこ の戯曲、ミラ・ジョボビッチ主演の映画「ジャンヌ・ダルク」の原作であるかと思われる。あれはいい作であった。ダスティン・ホフマンも異色の登場だった。
はるかにそれ以前には、新制中学三年生のころ学校が映画館で全生徒にみせてくれたイングリット・バーグマンの「総天然色」「ジャンヌ・ダーク」がいわば 映画体験の原点、根底の感動になった。ジャンヌ・ダークがわたしに棲みついたというほど。わたしの西欧の歴史へ関心の芯にこの聖女が居坐ってきた。松たか 子がコクーンで大熱演したみごとな「ひばり」、あれもすばらしく印象的なジャンヌ・ダークだった。あの舞台一作だけでも、わたしは、松たか子を最も優れた 名優の一人に数える。
2016 10/5 179

* 映画「戦馬(直訳)」を観て、泣いた。人間同士の関係に純真無垢にこころを打たれる嬉しさは容易に得られないが、人と動物との無垢の愛には胸打たれて しまう。「聊斎志異」には、人の人ならぬ生き物との真摯で無垢の関わりがあたりまえのように無数に描かれている。不自然がそこに無いのに胸を打たれる。
2016 10/8 179

* 九時半まで 茫然として機械に触れていたが。もうやすもう。明日は、建日子が監督した映画を見にゆこうかと話しあっている。
2016 10/9 179

* 池袋で、秦建日子監督の映画「クハナ」を妻と観てきた。映画館で、独り、わたしが拍手を送ってきた。建日子の優しい持ち味のまっすぐ温かく出た佳い作 品であった。映画監督でなく、はっきり舞台演出家の「表現」におめずおくせず終始して、映画のスクリーンが舞台の場面場面に見えて、まさしく劇作家秦建日 子をマル出しの演出、それはそれなりに躓きなく成功していて面白く観た。なにより不愉快にまゆを顰める何もなく、まるで映画リアリズムからは懸け離れてい たが、堅固な写真を畳み込んでドラマを創っていたのは、ウン、それでいいよ今回はと、納得できた。子供達を上手に生かして描くのは秦建日子のあるいはお家 藝になっているのかも知れない。ダンスはなかったが、建日子が昔から好きなジャズ演奏をドラマの表舞台にしていて、音楽の躍動はホンモノの感動を喚び起こ していた。今回はこれで上等と思ったので、わたしは独りで拍手を進呈した。おそらく心ゆく仕事であったろうなと、納得出来た。初の映画として、成功してい たと思う。

* 映画館は、かつてやはり妻と「真珠の耳飾りの少女」を観たところだった。ルミネのその八階が食堂街としてむかしの何倍もの店がたち、若い客に溢れてい るのにビックリした。映画の後、「ライオン」でステーキを注文したが、肉の味がしなかったのは残念。ビアホールで美味い肉をと求めるのが間違っていたか。
それでも、いい半日を池袋で楽しんで、心地よく、黒いマゴたちのため小さな鉢の花を土産に買って、二人で帰ってきた。

* 急に秋深まってきて、ウカとしていると冷えを覚える。
2016 10/10 179

* ショウ戯曲の大作「聖女ジャン・ダルク」読み終えた。いい作に出会えたと、感謝している。ミラ・ジョボビッチの映画も見直したくなった。
とほうもなく重たい全集本ではあるが、ソフォクレスやエリオットの戯曲も読んでみたくなった。
2016 10/10 179

* ダスティン・ホフマンが神を、ミラ・ジョボビッチがジャンヌを演じた映画の秀作「ジャンヌ・ダーク」を気を入れて観た。バーナード・ショウの戯曲の優れていることを納得した。
イングリット・バーグマンの主演映画を新制中学でみた決定的な感化は、わたしの世界から神・仏はともあれ、教会・教団・宗派そして聖職を称するものらをほぼ決定的に掃きだしてしまったこと。
2016 10/11 179

* ドラマ「漱石の妻」の最終回、見応えがあった。尾野真千子の夏目鏡を演じたみごとさに舌を巻いた。漱石役も納得させる存在感で十分引き込まれた。ドラ マじたいが立派に書けていて、演出も、らすとやや甘いのをのぞけば、賞讃に優に価していた。こういうドラマを創って欲しい。
2016 10/15 179

* 昨晩、建日子のなかなか巧みな戯画っぽい「劇画」を観てきたまま、今日、すこしだけ連続ドラマの「夏目漱石の妻」を観ていた。記憶の限りでいえば、今 年なテレビで観たドラマでは此の「夏目漱石の妻」が第一等、映画では、題をすぐ思い出せないほど、静穏に、哀切に、温かくしみじみと描き撮られていた反戦 映画が第一等であった。「劇」するから演劇だといいたいなら、その「劇」とはそもそもどんな劇であるのか、静かに考えてみる時も持ち合わせねばいけない。
最近、だれかが嘆いていた、自作の「詩」を「絶叫」して読みあげる会があるのだと。わたしも昔、そんなのに出くわし、ばからしさに会場を立ち去った思い出がある。詩でも演劇でも小説でも、絵画でも、真実大切なのは、「何」か。
2016 10/22 179

* 帰宅、今夜も「大門未知子」の外科手術ドラマを楽しんだ。手術場面だけが惹きつける。
2016 11/3 180

* 夕刻、「百合子さんの絵本」というすばらしいテレビ映画に感動した。薬師丸ひろ子と、中車、じゃなかった香川照之という好きでじつに美味い二人の戦時 劇。ノルウエーの駐在武官として露独事情の探査を命じられた、その実は該博な西欧知識により第二次大戦への日本軍突入を危ぶみ続けて左遷されていた香川と その妻とは、ドイツの動きを対ソ連と観測して、的確な情報を夫婦協力して送り続けていたのだが、陸軍参謀本部は英独戦先行と呼んで香川情報をハナから疎ん じ続け、ソ連の対日戦線への参戦情報まで、ヤルタ会談情報まで握りつぶしていた。

* むろん原作も脚本もその時代背景も鮮烈であるが、なによりも巧い女優・男優が演じるとこうも感動を盛り上げるかと、涙あふれるのにも堪えて、じつに気 持ち深くかつ嬉しく観おえた。一昨日の松本紀保らの能様式の舞台劇「治天ノ君」といい、今日のテレビ映画といい、秀逸というに尽きた。佳いモノは佳いので ある。卑俗なガサツなものでは胸に疼いてのこる感動が湧かない。ことしは、もう一本、劇映画のなんとかいう題の戦時モノに感心したのも忘れがたい。「作」 は世に山ほど溢れている、が、真に「作品」に富んだ創作はめったには無い。創作者はこのことを、「作品」という「気品」をシカと追求し表現せねば、無意味 というに近いことを真実心がけたい。
2016 11/5 180

* なんとなくホッコリしてしまい、晩は、久々にクリント・イーストウッドの「ダーティ・ハリー」など二本も映画を観た。観続けさせるちからがあった。 「ローハイド」の昔にもまかろに・ウエスタンの頃にもさほど思わない俳優だったが、監督もはじめてからのイーストウッド映画には敬意を覚えていた。「ター ティ・ハリー」は監督作ではなかったと思うが、おもしろくて力のある作になっている。トランプ大統領騒ぎより、楽しめた。
2016 11/9 180

* やがて九時。今日の予定は終えた。明日も、発送の作業を主に。さっきまで手を働かせながら、「スーさん」「ヤマちゃん」の映画を観るともなく聞いてい た。二人も佳いが、「ミチコ」さんが昔から大の贔屓、それも交替する前のケレン味なく生き生きした女優が好きだ。この映画は、わたしの「身内」観に好適の モデル。「寅サン」のものあはれは無いが、あんまりあはれが過ぎると苦しくなる。「スーさん」「ヤマちゃん」は佳い。羨ましい人が多かろう。
2016 11/12 180

* 歴史に取材した文学と、時代読み物とは、まったく別と思っている。亡くなった元「群像」の鬼編集長大久保房男さんは徹底して時代物、歴史物を嫌われ た。わたしは時代物は低俗だが、佳い歴史小説は有り得ますと抵抗していた。しかし大久保さんの姿勢には基本与していた。講談社の日本文学全集には吉川英治 も入っていなかった。直木賞作家で入っていたのは井伏鱒二ただ一人だけだった。それほどの厳しさが文学の名において守り抜かれていた。もうあのような厳格 な文学全集は編まれない。

* そんななかで、テレビドラマの時代もので、藤田まこと、山口馬木也、堀島しのぶの「剣客商売」は愛している。本格の歴史ものでは、鴎外原作の「阿部一 族」を超えたテレビ映画には出会えない。劇場映画では優れた作品がいろいろあり、それはもう文学でなく映画芸術なのである。「羅生門」「七人の侍」「近松 物語」など。ほかにもいろいろ。しかしテレビドラマでは、時代物の九割九分が屑である。もっとも現代物の九割五分も屑である。電波が勿体ない。
2016 11/13 180

* 大門未知子の手術には、ドラマと知りつつも熱い気持ちで見入っているが、その余のドタバタはいっそ不愉快で面白くもない。寺島しのぶの出る「剣客商 売」の方がよほど気持ちが良い。美しさが欲しいなら、連続ドラマの澤口靖子の超一級の美貌に見入っている快さこそ最良。下品な人間がたむろして下品に振る 舞っている「ドクターX」は下剤つきの腸閉塞のような悪夢。内田有紀のような美貌がきっちりワキにいてくれるので少し救われる。
2016 11/17 180

* NHKのBSプレミアムで「恋する一葉」という佳い番組に出逢い、妻と、感動しつつ見通した。画面を通じて言われている大方は、ほぼ全部は知識として 持ち合わせており意外ななにものも無く、思いを新たにした嬉しさであったが、しかもなお「文学の人・樋口一葉」の「存在感」の大いさと毅さと確かさを再確 認できた歓びも感銘も深かった。大きな人は、年齢にかかわらず出だしに於いてすでに大きく確かでブレていない。一葉のまわりには、まことにさまざまに男ど もがあらわれたが、真実惚れたのは二流作家の半井桃水であり、真実知己の思いを持ったのは斎藤緑雨ひとりであったろう。しかしまた正岡子規の讃歎の弁も、 鴎外、露伴、鏡花、また文学界の連中の称讃も本音に相違なかった、ただその本音のかずかずも一葉貧苦のたすけには成らなかった。じつに一葉は緑雨の見抜い てかつ奨めたように、貧という「怨み」を「冷笑(あざわらひ)」に換えて「まっすぐ」闘い抜いた。「たけくらべ」「にごりえ」の只二作だけであっても、そ の基盤に生涯の日記と短歌とをもち、比類無い近代作家、いやしくもよそ見をしない純文学藝術家として屹立しえていた。

* 瀬戸内寂聴が番組の中で語っていた、一葉その人の女と男のあれこれなど、かりに何が在ろうと問題ではない、真実大きいのは一葉が断然として優れた小説 を書いたという「それ」だと。まことに、その通りである。優れた作品の書き遺せない作家など、商売人として以外には、無意味なのである。
2016 11/18 180

* 高野山に籠もって谷崎が『武州公秘話』を書いていた頃を『紙と玩具との間』で論じていた辺りを丁寧に読み返しつつ、たまたま妻が録画しておいてくれた 市川崑監督の映画『細雪』を観た。何度目かでありながら、新鮮に面白く観た。胸のつまるほどの感銘も得た。岸恵子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子と いう顔ぶれ。目黒の雅叙園で篠山紀信が彼女らの写真を撮ったときにわたしも立ち合い、豪奢な写真集にわたしの細雪の読みを入れた思い出がある。四人の女優 ともその際に出逢って、言葉も交わした。
大きな作品であった『細雪』というのは。なまじいな姿勢でははじき返されてしまう凄みの世界でもある、美しさそのものに凄みが秘められていた。
2016 11/24 180

* 今晩の「大門未知子」の手術へむかうドラマ、気持ちよく感動できた。
2016 11/24 180

* しばらく顔が見られなかったTBSの膳場貴子アナウンサーが天皇の生前退位にふれた報道番組にいい表情を見せていた。たんのう退位問題にかかわる政府 が任命した「有識者会議」の有識者なる中には、ただもう弁舌をこととするだけの半端者が数人ならず加わっていて、佞弁をとかく揮いたがっている。膳場貴子 のような聡明な言説こそ報道の世界に望まれる。
2016 12/3 181

* 荷造りはなかなか難しい。本を傷めたくなくて、それで気遣いする。初日、妻との分業も、ま、順調。合間に、機械での書き仕事も出来ている。

* 作業しながら、板に落としている映画「紙屋悦子の青春」を見るともなく聞いていた。絶妙の会話劇に終始しながら、戦時下素晴らしい日本の一家庭生活に 触れながら、何度もこみ上げる感動に打たれていた。小林薫と本上まなみの夫婦も、夫の妹で妻の同級生の「悦子」も、悦子を愛したまま沖縄奪還の特攻へでる 明石少尉も、明石の友で悦子に求婚する青年も、みな抜群の静かな好演で、胸をゆるがす声と言葉と情景であった。どんなドンチャカ劇よりも劇的な品格を漲ら せたまさに人間たちのドラマであった。こういう映画に出逢うと、幸福を実感できる。映画では、今年、これが一位、ドラマでは尾野真千子主演の「夏目漱石の 妻」に指を折る。舞台では、松本紀保の「治天ノ君」か。
2016 12/5 181

* ギリシア神話に材をとった人間ペルセウスの活躍の物語を見た。
中学生からでも、副読本に「ギリシア神話」を奨励したいと思っている。西欧社会の生活の隅々にまでさまざまに浸透しているのではと思うから。ゼウス、ネプチューン、ハーデス三神のまだ以前にも神話はあった。
2016 12/5 181

* チェルノブイリ震撼の現状と近未来予想をレポートされて、寒々とした。こういう映像をこそ若い人たちに見て欲しい。
近い将来のテロリズム戦闘は必ず原発を標的にしはじめるだろう、原発の稼働に前向きに動こうとしているフランス、そして日本の原発が怖いと、わたしは真実おそれている。
2016 12/6 181

* 「和可菜」寿司の肴でやまと櫻の純米吟醸を楽しみ、浴室で、源氏物語「螢」巻、無門關、サフォン「天使のゲーム」 椿説弓張月を読み、湖の本133再校をゆっくり読んだ。
そのあと、もう何度目になるか、ハリソン・フォードの映画「エアフォース・ワン」を、やはり引きこまれて観た、この主演者には馴染めないのだけれど、彼にはこういうガンバリものの秀作が重なる。
2016 12/7 181

* 今夜の「大門未知子」の手術話、とても面白く胸に響いた。もう一回でまた中休みらしい、惜しい。はやく戻ってきて欲しい。
2016 12/8 181

* 劇場を出たのが四時過ぎ。車で日比谷へ走り、今度は「MIK man in cat」というたわいもないが笑えもして人と猫との映画劇を観てから、クラブに入ってゆっくり食事し談笑休息して、九時までに帰宅できた。息抜きの一日になった。
2016 12/10 181

* 宵のうちに好きな「剣客商売」を画面ににじり寄って観ていたが、今夜のは、乗れなかった。退屈した。なかみが薄いのに一時間、時間をもてあましているのだ。
ふと思い出した。むかし井上靖、巌谷大四、清岡卓行、辻邦生らと中国政府に招かれて旅し、北京、大同や杭州、紹興、蘇州、上海をまわり、帰国後に大同華厳寺壁画に取材した小説「華厳」を書いた。
一緒に旅した伊藤桂一さんが「読みましたよ」と云われ、「ぼくらだと、秦さんのあの小説一編で、三作も四作も書きます」と笑われた。
あ、それがいわゆる「時代・読み物」小説家の「方法」なんだなと悟った。わたしは、そういう薄い仕事はしないと感じた。
伊藤さんも亡くなってしまった。もう同行した人では詩人大岡信さんと日中文化交流協会秘書の佐藤純子さんと私だけになってしまった。
2016 12/11 181

* 午前中 懸命に仕事に励み、昼過ぎ、録画のドラマ「漱石悶々」を楽しんだ。宮沢りえの祇園のお多佳さんというのが嬉しかった。新門前の秦家でも「お多 佳さん」の名は親しく伝わっていた。茶屋「大友」へも近かった。豊沢悦史の漱石もわるくなかったが、宮沢りえの祇園の「おかあさん」役は凛々しく美しく懐 かしかった。
見おえてしみじみ思った。
朝の内、潤一郎と丁未子夫人のものあわれにに付き合っていて、午後は漱石。
もし千人の女性に、潤一郎を読み漱石を観て、どっちがと聞けば、千人が千人とも漱石に好感の手を挙げるだろうな、と思う。だが、その潤一郎からは昭和初 年の「吉野葛」「武州公秘話」「蘆刈」「春琴抄」「猫と庄造と二人のをんな」や「細雪」が生まれた、のちには「少将滋幹の母」や「鍵」「夢の浮橋」が生ま れたが、漱石の晩年からは「道草」「明暗」しか生まれなかった。「猫」や「それから」「門や「こころ」という漱石の文学世界をわたしは深く敬愛している が、谷崎文学の豊饒とはやはりくらべがたい。
むずかしいところだなと、しみじみ思う。
2016 12/14 181

 

* 「大門未知子」劇、おもしろく観た。
2016 12/15 181

* マリリン・モンローとロバート・ミッチャムという極めつけの「帰らざる河」につかまり、立てなかった。
2016 12/20 181

* 先週の大門未知子のドラマ観てきた。理屈には成らないが、圧倒的に難しいらしい手術に、「失敗しない」が売り言葉の大門が辛うじて母子ともに安定の結果を 創り出す。文字どおりに手術が創作行為になっている。命の綱渡りに、息を呑まされる。ドラマに過ぎなくてもこういうドラマには換えがたい誠の感動が迸る。
2016 12/20 181

* 欠かさない連続ドラマ、大門未知子の「ドクターX」今期の最終回になる。「北の國から」の昔から好きな内田有紀との緊迫の最終回が期待される。そわそわしている。

* 最終回、もののあはれ有った。東帝大の結びはマンガ過ぎていたが。
女外科医、麻酔医のはやいカムバックを待つ。
2016 12/22 181

* 時代読み物嫌いなわたしが謂うのは変かも知れないがどらま「剣客商売」で亡き藤田まことが演じている秋山小兵衛の老境に心惹かれて羨ましい。おそろし く若い女房(小林あや子)も羨ましくなくはないが、なによりも、その居ずまい起たずまいの静かで、深くて、清やかで、かろがろとした風情が懐かしいのであ る、藤田まこと以外にも誰かしら以前に秋山小兵衛を演じていたけれど、それは全くダメ。ただの時代劇だった。一子大治郎も妻の三冬も、藤田と共演の山口万 木也、寺島しのぶが断然宜しく、小兵衛と匹敵して、最近亡くなった平幹治郎の田沼意次役も佳いのだ。
もう藤田にも平にも会えないが、この「剣客商売」の何回かは保存して置く。藤田「小兵衛」と秦「恒平」とは音は近いが、似ても、似つかない。が、悪に走った愛弟子黒田を、涙を呑んで斬って落とす剣客小兵衛一滴の涙を忘れないだろう。
2016 12/23 181

* 放送大学を聞くこと有り、高橋和夫のイスラムや中東を語る講義は愛聴している。話が自然でよく分かる。西洋美術史を独り合点でべらべらと喋りまくりながら要点のすこしも纏まらず伝わらない講師もいる。
2016 12/27 181

* 疲れが溜まってか、晴れ晴れとせず、ひき沈んだ不快感を払いきれない。着のみ着のままでいいフラーっと独り旅に出たい気さえする。しかし仕事は投げ出 せない。日々、余命と残年を擦り減らしている。心がやせ細って行くようで、情けないが、来る新年になにも期待していない。仕事の他に、楽しいという時間が まるで見えなくなっている。
老鬱かな。
沙翁の毒の凄い戯曲より、いっそ若い日々の憧れへ帰って、谷崎全集を読み直そうか。それには眼が弱りすぎている。
いっそ画面の大きい映画を映画館へ見にいこうか。テレビには飽き飽きしている、ニュースも不快、ドラマも映画もサッパリ面白くない、テレビ画面では人の顔もキッパリ見えないのだから。
2016 12/29 181

* 最良のフィクション「ホビット」を宵からとびとびに見ていて、いましがた見おえてきた。
もう、新年になった。静かに安らかに迎えた。
2016 12/31 181

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