* 喜多流宗家十六世喜多六平太(喜多長世)さんが九十一歳で亡くなられた。
もう永くあまりに永く、流儀の何かの事情あって、宗家長世さんの能を舞台で観ることが出来なかった。惜しくも口惜しくもあった。職分会がここ久しく喜多 流を支えて立派に充実していたが、やはり、宗家の演能が観られないのは異様であった。心穏やかに「天寿を全うし」ての逝去であったか、哀悼の思いには事情 など何も識らないままの痛みがある。先代喜多実さん、兄の後藤得三さん、次男の喜多節世さん夫妻、みな亡くなり、いままた世嗣六平太も。東京へ出て来て、 能といえば久しく私には喜多流しかなかった。数々の名手が、みんな亡くなり、友枝昭世らその次世代職分がしっかりと喜多の舞台を守り抜いていて頼もしい、 だが、せめてもう一度長世さんのふうわりとした能を観ておきたかった。
2016 3/18 172
* 十一月、喜多流友枝昭世の能「野宮」国立能楽堂招待、俳優座の早野ゆかり「常陸防海尊」稽古場公演招待 があった。
十一月は歌舞伎座顔見世月で芝翫一家襲名の舞台だが割愛し、松本記保の「治天の君」 松たか子のコクーン公演を予約してある、聖路加も二科診察予約があり、たぶん加えて「湖の本132」も「選集第十七巻」の発送も賑やかに逼ってくるだろう。
日本ペンクラブも、二十六日のペンの日に、何だか表彰するのどうのと言ってきている。これは、ま、従前の名誉会員にしてくれる意味であろう、永年会費を払い続けた会員であったと、それだけのことと思っている。
2016 10/12 179
* さ、十一月の松本紀保、松たか子 姉妹、それぞれの異色の舞台が楽しみ。
久々に、名手友枝昭世の能舞台にも招んで貰っている。
早野ゆかりが主演の俳優座稽古場公演にも、観てほしいと招かれていたのに、申し込む機会を逸してしまった。惜しいことをした。
それもこれも、しかし健康しだいのこと。十一月七日には「湖の本」132が出来てきて送り出さねばならない。いま、発送用意が怠れない。無事に間に合う といいが。送り出せるといいが。建日子に気働きのいい嫁さんがいてくれたらなあと、心底、希望してしまうが、ま、仕方ない。妻にひどい疲れが溜まらないよ うにと心底祈っている。
2016 10/29 179
* 明後日は独りで、能「野宮」へ。堀上謙さんがいないと思うと寂しい。多年、能楽堂で顔を見て快く言葉を交わしてきた何人も何人もの先達や先生に死なれている。
おりしも私家版の長編「斎王譜」が本になってくる。謡曲「野宮」は作中に原流を成して流れているのだ、名手友枝昭世の舞台、しみじみ観入ってきたい。せめて能楽堂で馬場(あき子)さんに出会えるといいが。
2016 11/3 180
* 能「野宮」は日曜日、演能二時間。野村萬の狂言まで観て、失礼する予定でいる。
2016 11/4 180
* あすは、怪我無く疲れすぎずに、昭世の能「野宮」を堪能してきたい。
2016 11/5 180
* 能「野宮」へ、出かける。往復、怪我なきを期して。
* もう、能に魅入られるには老耄 体力が足らなくなった。視野は良かったのだが舞台へ視線が遠く、しっかり見えないので疲労も加わり、二時間余の能が観られなかった。先日の「治天ノ君」は最前列に席を貰っていたので二時間以上の舞台が苦にならなかった。
はじめて能を観たのは高校生のおりで、観世流大江又三郎の大江能楽堂だった。金剛能楽堂でも観ていた。以来六十年余、とうとう能の「卒業」を余儀なくされた気がする。
疲れたので、野村萬の狂言と友枝雄人の能は失礼して国立能楽堂を辞してきた。
秋晴れの千駄ヶ谷から、新宿御苑にも沿い新宿高島屋まで杖をついてゆっくり歩いた。十二階に上がって、「つな八」で天麩羅を。しかし、あんなに好きだっ た天麩羅がほとんど口に合わなくて。校正しながら出てきただけはおよそ食べては来たが、美味くないというよりむしろ苦痛だった。これは「つな八」の責任で はない、わたしの口も腹も異様なのだ。
満員の山手線、親切な若い女性に席を譲ってもらった。
池袋で降り、なにとなく間近な東武デパートへ入り、仙太郎粒餡の大きなお萩を一つ買い、一口味わってから西武線で帰ってきた。
ひまさえあれば石版画の詩人、織田一磨について読んでいた。
2016 11/6 180