ぜんぶ秦恒平文学の話

能・狂言・古典芸能 2017年

* 強い地震もまた福島沖で。かくて、二月は逃げて行く。「選集第二十巻」の初校を終えた。この巻は、第十三巻と同頁数、最も分厚い一巻になる。まだ再校 が必要。そして「選集第二十一巻」も前巻を引き継いでもう初校が組み上がっていて、手が着いていない上に、「湖の本134」の初校も今日届いている。
三月は、いろいろある。肺炎の予防接種二度目を受けるし、歌舞伎も、楽茶碗展も友枝昭世の能「三輪」にも招かれている。聖路加へも二度通う予定。春陽気で心身盛り上がると好いが、寝入っているのが安楽という昨今、反省も要る。
2017 2/28 183

* 明日は夜分へかけて友枝昭世の能「三輪」に招かれている。寒さの晩に千駄ヶ谷まではすこし冒険だが、「三輪」はまことに神々しくも美しい能で、ぜひ出 かけたい。四月早々には同じ喜多流の精鋭香川靖嗣の「隅田川」が招いてくれている。村上一郎と初対面があった喜多能楽堂。
2017 3/21 184

* 清まはりたい。
2017 3/21 184

* 夕方から千駄ヶ谷まで出かける前に疲れてはいけない。三時前だが、もう仕事は休んで、気も晴れ晴れと出向きたい。謡本「三輪」に目を通して行くか。
2017 3/22 184

* 明日は午後、久しぶりに喜多六平多記念能楽堂へ。野村萬の狂言「文荷」 香川靖嗣の能「隅田川」に招かれている。目黒駅辺も東工大へ通った昔からはずいぶん変わっているだろうな。
2017 3/31 184

 

* 目黒へ。喜多の能楽堂へ。手術以来、出向いたことが無かった。遠足に出る子供のような気分です。開演前に馬場あき子さんが話すらしい。なんだか、照れくさい気がするが。

* 香川靖嗣の会、予告通り馬場さんが三十分ほど能「隅田川」を、全編にわたってほぼ懇切に「解説」した。能楽堂へ来てくれる数寡いであろう「初心の人たち」には「親切」かも知れない。しかしながら初心者にも加えて、当日の演者のためにも、「親切が過ぎた」のではないか。
初心の「読者」は、あるいは本を買って、まずお尻の「解説」から読むとことはままありうるので、それは、ま、強くは言わない。だが、要するに解説者から いまいま聴いた言葉を、物語を「後追い」するように「能」を観ることにはなり、観能体験の処女性を端から抛ってしまうことには成りかねない、が、ま、初心 者にはそれもいいでしょう。
問題は、親切な「馬場解説」に直ぐ引き続いて「隅田川」を能舞台で演じた人たちは、いったい「何なの」ということになる。
わたしは小説家として小説を読んでいただく前に、「どうぞ先に、<解説>からお読み下さい」などと恥ずかしいことは言えない。
しかし今日の舞台で謂うなら、残念ながら香川靖嗣らの能「隅田川」は、馬場あき子の見解「隅田川」をさながら後追いに「繪説き・繪解き」してくれたよう な感じに、どうしても、なった。馬場あき子の今々の「名調子」がしっかり見所の耳に残っているのだから、場面場面の演能が、「なるほど、解説の通り、そう ですか、そうなんですね」とナットクするための「隅田川」になってしまっていた。とかと、本当は解説の有無にかかわりなく、新鮮に、ウブに、自前の初体験 を持つ方が良いのではないか、と、わたしは感じている。
本日の「会」の主目的が「まるで」舞台と演説とで逆転していた。「能をごらんの前に、解説を聴いて下さい、解説された通りに分かりよく演じますから」といった仕儀に、結果としてなってしまっていた。
親切で分かりよいことだけが大事なら、それも悪くない。
しかし、わたしは、小説や評論やエッセイを提供しながら、「どうぞ先に、解説から読んで下さるように」などと、よう言わない。観能の初心者には、斟酌の 余地はある。しかし演能者が「解説」をなぞってしまうに同じい結果になるのは、少なくもわたしは観ていて、へんにお気の毒な気がした。

* 地謡は、よかった。若い笛の一噌幸弘はよく吹いた。ワキに、多年付き合った宝生閑の不在がじつに寂しい。子方の出る「隅田川」だった、塚の中で「南無 阿弥陀仏」と高称する梅若丸・大島伊織少年の声に、たまらず涙を流した。梅若が塚からあらわれて母と対面してまた消え失せるなど、やり過ぎのようでもある が母と子との熱い願いがなさしめると思えば、共感を惜しむなどという気になりにくい。こういうところ、「隅田川」という能の、すでに世阿弥の域をはみ出て 歌舞伎のしばいをはっきり予兆している。概して物語を「語り」で説明してしまう能ではある。船を漕ぎながら船頭がおおかたを喋ってしまう。都から我が子梅 若を隅田川まで追ってきた母狂女の存在感、実在感がとかくすると弱くなり、それを最後で子方の死者梅若丸が墳墓から現れ出て助けるという按配、か。

* 能に先立ち短い狂言の「文荷」は、野村萬の神技にちかい太郎冠者、これには驚喜した。びっくりするほど(は、自分に比べても言い過ぎだが)老境を感じ はしたが、まさしく「狂言」美の権化と光っていた。若い二人は遠く及ばないから舞台そのものを賞められはしないのだが。しかし久しぶりに萬に逢えて嬉し かった。

* 喜多能楽堂へは、四十八年昔に馬場あき子さんに誘われたのが初めてで、太宰賞をもらったばかりのわたしの「清経入水」は新鮮な話題にされた。次の機会 には桶谷秀昭や村上一郎を紹介された。おいおいに喜多節世や後藤得三、喜多実、新しい喜多六平太らとも懇意を得ていった。見所では数十年のうちにそれは大 勢の知己を得てつき合いを深めたが、だんだんに亡くなられて、今では、意の一番の馬場あき子としか出会えない。実に寂しい。むろん今日も言葉を交わしてき たのは馬場さんだけ。実に寂しい。

* しかしながら夢うつつに舞台を遠望しながら、もやもやとした煙が渦巻くようになにかしら新しい私の物語へ柔らかく結晶して行く予感にもわたしは恵まれ てきた。うまくすると、むかしむかし「畜生塚」や「慈子」を書いたように能の小説が倦まれてくるかも知れない。そのためには、わたしは、一日も長く生き続 ける覚悟をしなければ。

* 目黒駅でも、駅を出ても、能楽堂へうかと迷いそうなほど、街の顔が変わっていた。しかしよくよく観ていると懐かしい街角や道路や建物も、そのなかに、 東工大を退官の日に学生数人と食事した中華料理の「香港園」もちゃんとあった。日比谷のクラブへまわる気で居たのをやめて香港園へ入った。谷崎論の「夢の 浮橋」「蘆刈」を持って出ていたので、紹興酒などでゆっくり再校ゲラを読んだ。家からそう遠くにいるとは感じなかった。ただ、さほど食は進まず、しかしこ れ以上に呑むと危ないと思い、目黒から池袋経由で帰った。今日もなんども坐席を譲って貰った、よほどひ弱によろけているのだろう。
2017 4/1 185

* 漆藝作家望月重延さんから新匠工藝会の、喜多流シテ方友枝昭世さんから能「松風」などへのご招待があった。
2017 10/2 191

* 五日に国立能楽堂で友枝昭世の「松風」に招いて貰っていた、が、体力的にも千駄ヶ谷までは辛く、能一番といえども気力で見所は舞台と立ち向かわねばならない。失礼があってはならず、今朝早くに速達で招待券を送り返して、詫びた。
2017 11/2 192

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