* 晩、建日子作の連続らしきテレビ劇「確保の女」とやら第一回を観た。今日は送り出し荷造りなどしながら、「殺し」ドラマを三つ観たことになり、ゲンナリする。
昼の、亡くなった田中好子(だったか、元三人組みの歌手、女優としては歿前の原爆劇「黒い雨」主演が凄絶の好演だった)と、もうひとり時代物も現代物も達者至極の実力女優が組み合った一作が、緊迫の筋を確かに追って、佳い読み切りだった。
それにしても、ドラマというと刑事物の殺しものばかり、センスのわるさにがっかりする。
秦建日子には、「天体観測」「ラストプレゼント」「ドラゴン櫻」「最後の弁護人」等々、殺し物でない佳作が幾つもあったが、殺しものドラマは、原作が ヒットした「アンフェア」も含めて、わたしは気乗りしない。それよりも、生き生きした時間との勝負に工夫の溢れた「映像の面白さ」が観たい。テレビドラマ 作家は勉強が足りていないのでは。殺しは看板のように出て来ても「NCIS」のチームワークは傑作だし、「フォイル」は戦争の暗さ重さを人間愛と共にみご とに描いている。日本の殺しものには、人の命の危うさや重さやいとおしさが出ない。その点、「ドクターX」を初めとする真摯につくられた医学物には心惹か れる。
テレビ映画ではあったが「紙屋恭子の青春」「船をおりたら彼女の島」「漱石悶々」など、名作まで行かなくても、しみじみとよかった。殺すのでなく、人の命を「生かし」て勇気づけ、考えさせるいいドラマが観たい。
2018 1/19 194
* 録画しておいた映画「雪国」の頭を少し観た。以前に通して観ているが、落ち着いてもう一度観たいので、板に入れておいてと頼んである。黒白の美しい画 面、あまり巧い役者ではないが池部良の代表作だろう。岸恵子はこのあとでフランスへ移住し結婚した。八千草薫もいい感じで演じている。
2018 1/23 194
* 寒い。
NHKのプレミアム映像で地球上最北の街の在る嶋、北極点へ間近なノルウェー領の嶋へ連れて行って貰った。極北の天国、自由があり差別がなく、世界中から来て住み働いている。
建日子が「タクラマカン」という芝居で、そういう世界を切望している人たちの哀しい蹉跌を表現していたが、此の嶋、この現存する再極北の街のことは識らなかったと思う。
2018 1/25 194
* 「ワイルドライフ」でキリマンジャロのサバンナに生きる動物たちの姿や足跡を見せてもらった。テレビが我々には珍しい異国の大自然を見せてくれるのは嬉しく歓迎できる。
2018 1/29 194
* 仕事もしたし、酔って寝もしたし、新聞将棋対局(今日、対局開始の場面)から先を、妻と争った。昨日は勝ち将棋に到るはずの終盤を利用し。今日はそも そもの序盤から駒を運んで、その先は、二人で出たとこ勝負を競った。ま、当然のように昨日も今晩もわたしが妻の王を詰めたけれど、手際ははなはだ宜しくな く、王手にされているのに気づかない始末、けっこう疲れるものだ。こういうことを二十番もくり返せばわたしが負け始めるだろう。
へんなテレビ番組を観ていて不愉快になるよりよほど気持ちの「健康」に良い。
* 将棋をさしながら「鑑定団」を聴いてもいたが、古唐津の茶碗が一目で素晴らしかった。佳い物はいい顔をして落ち着いている。
2018 1/30 194
* 昨晩 淡谷のり子の生涯を好意裕かによく描いた映像に感銘を受けた。兵営慰問で歌っている半ばにも特攻少年兵が舞台へ静かに一礼して還らぬ出撃に向かうのを見て、「泣かない」淡谷のり子が声を放って泣くシーンには泣かされた。
淡谷さんとは、亡き山本健吉先生と二人で、鼎談の場に赴いた懐かしい記憶がある。一場の佳い機会を得ていたのだとシンミリした。淡谷さんは自身生涯の一筋を崩さずに話されていたと思い知る。
山本健吉先生には、その晩年、可愛がって頂いた。お話を聴く機会がよく有った。二人で横浜関内まで講演に行ったりした。昭和の文藝批評家のなかでも、最 も尊敬し多くを学び取ったと思えている。根底に日本の詩歌への篤い深い親愛と理解とがあり、それが批評のみごとな文体と説得力に成っていた。
小林秀雄、河上徹太郎、唐木順三、中村光夫、臼井吉見、福田恆存、平野謙等々、鳴り響くような批評家があり、昭和の「文学」を鞭撻されていた。幸せな時代であった。
いま平成早や三十年、一代の師表の如き文藝批評家は誰なのだろう、識らない。
2018 2/1 195
* 「NCIS」 今週から新しいシリーズに入った。第一回、力作だった。なにしろアメリカでは捜査官や犯罪者の銃劇が会釈もなく出てくるが、そんなこと よりも劇の運びの速度感覚が頭抜けて魅力的。二種類の広告が何度も何度も入って癇癪を起こすのに、気づいてみると一時間の半分も経っていないいなくて、セ イゼイ四十分ぐらいのト゜ラマを実質一時間以上に優に感じさせ凄い展開で惹きつける。日本のテレビの刑事物、殺し物、捜査物はゆるゆるで、まったく映画技 術においてくらべものにならない。映画では優れた作家や監督がいたし今もいるのに、テレビ屋は不勉強極まりなし。
2018 2/1 195
* 前夜についで、また新聞将棋の盤面から先を妻と勝負し、十時からは「NCIS」を楽しもう。
2018 2/8 195
* 本の荷造りしながら、八時、テレビ劇を見始めたが、画面もセリフも進行もあまりに粗雑で低調で、離れてきた。
昼間、江口章介(?だったか)と松島菜々子との「救急救命」なんとかというのを見ていたが、時間の感覚も劇的進展も簡潔適確に無駄なく、けっこう楽しんだ。
監督のセンスのわるさか、脚本の粗雑さか、晩のドラマには失望した。連続ドラマなのに、何故、作・脚本の名前が変わるのか、解せない。作り自体が不自然。
これも、昼間観た小林稔侍の「税務調査」ものドラマは、作りは毎度のワンパタンだけれど、冗長な場面はすくなく、相応に面白く最後まで観る目をひっばった。
* 冬季オリンピック開会式の様子を、耳に聴きながら、予定し期待しただけの作業を終えた。疲れました。戴いていた美味い酒を、すこし飲んで。
今夜は、もう本を読んで、休む。
* なんと、明日から三連休と。よく有るなあ、連休が。わたしには無縁だが。
2018 2/9 195
* 愛蔵の映画「紙屋恭子の青春」にまたまた感動。宮沢りえが祇園の芸妓たかを演じて漱石を魅了した「漱石悶悶」も佳い出来だが、やはり前の映画に心底感 嘆、泣かされた。主役は、静かに深く流れた時間と時代だった、こんな素晴らしい作もできるのに、日夜のテレビドラマはむなんという薄さ、緩さ、うそくささ なのか。
池部良、岸恵子、八千草薫らの「雪国」はいたずらに冗漫・冗長、かつ退廃的で、原作の妙を生かしたとは謂えなかった。川端の作としても映画としても「伊 豆の踊子」「雪国」「山の音」に指を折るのだが、今日観た映画「雪国」には、後半、かなり退屈した。岸恵子は、ま、概して「君の名は」このかた巧い女優と は云いえない。「伊豆の踊り子」のあの学生と少女のはるかな行く末を、映画「雪国」は再現しようとしてる感があったが、くらい退廃は、雪の白さでむしろ強 調されて見えた。
2018 2/10 195
* 食事のあと、晩、もう少しだからと再開した送り作業も、三分の一ほどで疲労に音をあげた。こういうことは初めて。残るすべてを、明日以降へ持ち越した。寅さん映画を観ていたが。
* 九時半過ぎ。寝床へ逃げ込む。
2018 2/10 195
* しばらくぶりに、もう少なくも三度目、ジュード・ロウとエド・ハリスの熾烈を極めた露独の狙撃戦を観た。凄いという批評語は、こういう映画にこそ用いたい、忘れがたい映像に充ちた秀作映画と謂える。
2018 2/11 195
* 岩下志麻へのインタビュー番組を興深く聴いていた。
「バス通り裏」このかたの馴染み、東京へ出て来て、近くのフジテレビの地下廊下でコマーシャルの科白を諳誦している岩下志麻に出会ったのが、「女優」なる存在に接した最初。
何かのパーティーで篠田監督と姉上である書家の篠田さんと一緒の志麻さんとも、いっとき談笑したことがある。
後年、建日子作の連続ドラマに出演してくれたおり、志麻さんから貰ったよと、お洒落なシャツを建日子がわたしに呉れた。ほうと唸るほど品良く洒落ていて、晴れがましい思いをした。
監督として敬意を感じていた篠田監督へは本を送っているし、監督作品の録画をもらったり、時折の文通もある。
「秋日和」「五辨の椿」などから、後年の五社監督、篠田監督作品等々を機会が有れば観てきた。いつも「女優の魂と賢こさ正しさ」に感じ入ってきた。それ は今朝のテレビで話を見聞きしていてもよく分かった。小生意気に我を張り輝き損ねて脱落する贋女優も多い中で、岩下志麻は、盲女でも鬼女でも極妻でも、ひ たむきに聡明・謙虚に、美しく色豊かな役づくりが出来てみごとだった。
少女の昔に「バス通り裏」の途中からテレビへ出て来たとき、「この子、凄いほどの女優になるよ、きっと」と思いも言いもし続けた。その通りになった。
2018 2/17 195
* ロバート・デ・ニーロが父親役の、一言では言えない、しかし片時も目の離せない素晴らしい映像のラブ・ストーリイを観た。満足して、今日が行く。
2018 2/19 195
* おそろしい数のテープ録画映画が、機械で観られなくなり、場所塞ぎなので捨てると決めた。断腸の思いの名画も、思い出の魅力作も多いのに残念だが。観 られる板録画の数はさらに多いので、所詮その全部を見直す機会はもう得られまい。よほどのテープは、一作千円で電器屋が板に入れ替えてくれるとか。惜しく て二、三十は残して置いた。
わたし自身の「日曜美術館」その他テレビ出演テープも相当数残っているが、もう見直すことは有るまい。
テレビ出演の最初は、NHK「梁塵秘抄」の座談会だった。NHKラジオでも「枕草子」を語り「中世」を語り、何度も何度も個室へ閉じこめられて、よく話した。それらは大方もう「湖の本」に収まっている。
講演、対談・鼎談、座談会も主なものはみな「湖の本」に残してある。
2018 2/24 195
* キムタクのドラマ、観た。さ、休むことに。
2018 3/1 196
* ドロリドロンとした一日だったが、建日子が夕食時に来てくれて、一緒に、小津安二郎脚本・監督の、出演中村鴈治郎(先先代)京マチ子、若尾文子、杉村 春子、川口浩主演、その他にも名優たちを總揃えという旅の一座映画「浮草」を観て、感嘆また感嘆り嬉しい時間を過ごせた。このまえ、あれは妻の入院中で あったか、建日子と二人でみた山本富士子・芥川比呂志主演の「濹東綺譚」も優秀だったが、それに比してなお断然今夜見せた「浮草」は見応え満々の名品で あった、建日子も大いに乗っていた。
建日子との時間の過ごし方では、こういうのが最も有り難い。彼も、戯曲の作・演出のほか映画のシナリオを書き、製作・監督をしているのだから、観るのが いい映画であればあるほど「共感」の度も深くなる。ぜひともの用談で無いかぎり、詰まらぬ世間話をしているより「創造的な時間」を分かち持ちやすくてかつ 楽しい。佳い映画、佳い俳優達であればあるほど身に沁みて楽しめる。
ぐたっとしていたのが、生き生きと持ち直した。幸いだった。建日子も、気分良くまた街へ帰っていった。
* 三百はあろうかという映画録画から、いつも十作ほど佳い作を選んでおいて、建日子が帰ってくるたび一緒に観たい。言わず語らずそれは「創作的な批評」り交歓になるから。
* それにしても建日子くん、中 村鴈治郎(先先代)京マチ子、若尾文子、杉村春子、川口浩のだれ一人も識らず、名もあやふや、初対面で見わけも付かなかったのには、仰天した。ましてやワ キ役の野添ひとみ、田中春男、浦辺粂子、らになれば皆目。少なくも、こと演劇や映画の仕事で日々喰っていながら、そんなことってほんとに有りうるのかと吃 驚した。それが「今日的創作世界」では普通なのかと思い至れば、やっぱりそうなんだと思われもした。
いま少なくも「文学」に類する小説を書こうとしながら、紅露鷗緑はおろか、花袋や独歩や荷風や鏡花の名も知らず読んでもいない「現役作家?」がどんなにおおいことだろう。それで「構わない」のかも知れないが。そうなんかなあ。
2018 3/2 196
* 建日子からメールで、映画の題は「浮草」だったよと。此処へ、「浮雲」と書きながら。あれ、「浮雲」は高峰秀子の映画だったがなと思っていた。今今の ことはすぐ忘却。しかしこれで建日子との今晩の対話にきっちり締めくくりが付いた。彼は超多忙で動き回っているので、この「私語」の場で「対話」が成るの が有り難い。
朝日子も、と、思うのだが。
2018 3/2 196
* 昨日、建日子と映画「浮草」を観て嬉しかったのと、劣らぬ嬉しさを、建日子が街へ帰っていった後刻、妻とつぶさに見入り、魅されていた。坂東玉三郎が 「京鹿子女道成寺」始終の「理解」を、実に適切に具体的にしかも美しい語りかけで講話してくれた番組だった。録画できなかったのが惜しかった。
坂東玉三郎は、わたしの人生で出会えた、美空ひばりとならぶ、数少ない世紀の天才の一人と挙げられる。称揚よりも先に、同時代を倶にし得たのを心から悦ぶのである。
「踊る」という肉体の秘蹟を深切に分かりよく分かりよく自身実演の映像で解説してくれた。その物言いの美しさがすでに玉三郎の「藝」であり、ああ、これをも建日子に見せたかったなあと、こもごも妻と感嘆久しうした事であった。
2018 3/3 196
* 目が限界で階下へ降りると、これが「イケめん」というのかトム・クルーズが、グァンタナモの司令官大佐を証人席で激昂させ犯罪を口走らせてしまう軍法会議弁護士を熱演していた。同僚役のデビ・ムーアも懐かしかった。いい映画。
2018 3/3 196
* 歌舞伎が好きだが、能も劇場劇もむろん観る。それ以上に、映画館へは十年に一度とも入らないが、テレビではうるさく選んで、それはそれは、よく観る。録画したのも多い。
記憶力の衰えた今でこそ各三十人が限度だが、かつては海外映画主演級俳優の男女各百二、三十人の名前はソラで思い出せた。名は忘れても顔でなら、今もま だ大勢覚えている。谷崎愛のわたしである、谷崎の愛したようにわたしも映画が大好き。必ずしも海外文学、それも二十世紀文学にはことに深くないが、海外、 日本を問わず映画は充分楽しんできた。
「二十世紀世界文学全集」の、全数十巻を版元の秀英社から貰いつづけ、みな大切に書庫に入れてあるが、そろそろ図書館へか、よほどの人にか、譲らねばなあと思案している。もはや馴染まぬ海外もの全集版の小さな活字は読み切れない、それにしても勿体ない。
2018 3/3 196
☆ 溝口健二で、
木暮実千代と若尾文子の「祇園囃子」も傑作でした。 建日子
* 同じ監督の名作「祇園の姉妹」 山田五十鈴驚異のデビュー作の、「祇園囃子」は、リメーク作。
高校生頃に、震えるほどの感銘で、満員の映画館のうしろで立って観た。若尾文子の出世作で、ゾッコン惚れ込んで観にいった。よかった。木暮実千代がほんものの大スターの地位を確立して行った名品のひとつ。
早く、先行していた「祇園の姉妹」は、映画史的に高い評価の傑作で、なによりもあの山田五十鈴十七歳でのデビュー演技の、目を瞠る巧さ・ど迫力は、永く語りぐさになった。
「祇園の姉妹」も「祇園囃子」も これもまた建日子と一緒に観たいと、録画してある。
2018 3/6 196
* 気を入れて見てきたキムタクの連続ドラマ、次回で終えるらしい。近来稀に見る緊迫の上手なドラマづくり、巧みな脚本で、キムタク始めメンバーも好演で あった。キムタクは「ヒーロー」の昔から、巧い役者と内心驚きまた驚き続けていたが、今回も期待に背いていない。彼を出しただけでも彼のモトのグループは 或る役を果たしたといえよう。 2018 3/8 196
* このあと、六時、二階から降りていって、心底 胸打たれ仰天もしたのが、NHKり「究極の鮨」という番組で。銀座「きよ田」ほかの店で、真に日本一、世界一の鮨・職人と称えられた藤本(繁蔵?)の、多彩に美しい映像に出会ったのだ。
藤本は鮨店を所有し経営していた人でなく、何軒もの鮨店の「親方」を経ていって、最期、一九六二年か三年ころの「きよ田」で引退、徹底的に学んだ弟子た ちがそれぞれ二代目三代目を嗣いだ。わたしは、そういう名人藤本はまったく知らなかったが、銀座の鮨「きよ田」の二代目はよく知っていた。ごく親しかった とすら思っている。
妻ともよく行った。朝日子も、大卒の祝いに連れて行ったことがある。
二代目親方の鮨は、(藤本にみっちり仕込まれてであろう)完璧に美しくて美味かった。広い店ではなかったが、美意識の尖鋭であった藤本仕立ての清明かつ 優美なこしらえで、親方と向きあうだけで心洗われ、しかも和やかに落ち着ける佳い店だった。暖簾を分ければ「オ、はたせんせッ」といつも歓迎してくれた。
実のところ、ま、わたし如き若輩がのれんを分けて入れる店では、おそらく、なかっただろう、相客の多くが文壇の、そばへも寄りにくい大先達がたであっ た。ま、わたしはそういう事には斟酌の足りない方の無法者ではあったけれど、わたしを最初に「きよ田」へつれて行って呉れたのは、中国へ一緒に旅して帰国 後間もない時分の、辻邦生さんで、辻さんは、この親方はネ、一度でも此処へみえたお客の名は決して忘れないんだよと紹介してくれた。
その通りだった。なにか大寄せの会合のあと、当時の小学館会長が「秦さん、行きましょう」と誘ってくれた「きよ田」で、まちがいなく二代目「きよ田」の親方は「はた・せんせッ」と、ニコニコ迎えてくれた。
以来、妻と行こうが娘を連れようが、渋い顔など決してせず、いつも「おまかせ」で最良の鮨を握って出してくれた。藤田が創始の「おまかせ」という任せようは彼の手がけたどの店でも「当たり前」であった。お安くは、全然、なかった。
そうそう、その日のニュースで評判だった素晴らしいマグロを「きよ田」が入札していたという晩景であった、たまたまわたしは独りで店に入り、それと聴い てすぐ頼んで握って貰った。二カン、まさしく頬もとろけそうだったそのマグロは、一カンにつき、あれでもサービスしてくれたろうと思うが二万円ずつ支払っ てきた。不思議なもので、「うまい」と思ったが、「高い」とは思わなかった。わたしは、出来るときは「出来る贅沢も大事」なんだと、今でも、いつも想って いる。とにかくも、銀座で鮨をというのは、「高い」が決まり文句の、むかしは「極上の鮨」最盛期ではあった。
「きよ田」の二代目親方は、わたし如きかけ出し文士の動静も新聞などでよく見知っていて、東京新聞の筆洗欄はよく「ハタせんせの噂」をしますねなどと ちゃんと知っていた。女優の沢口靖子が好きだと何かで知ったらしく、この親方、あっというまにどこかへ掛け合って、今日只今でも我が家の二階や玄関でいと もにこやかな沢口靖子署名入りの綺麗な写真や、大きなポスターなどを手に入れてわが家へ送ってきてくれた。そういうことの「何でもなく」出来る「きよ田」 なんだと妻もわたしもビックリした。
からだを崩され、引退されてしまったときは、シンから寂しかった。じつは、以来、銀座で鮨は食べないと決めてしまってきた。
番組の映像では、その「きよ田」の今や三代目が、同じ店を同じ場所(でらしく)出していると知った。食い入るように一時間半の番組を妻と見ていて、懐かしさに堪えなかった。
わたしの東京暮らしの、今となってはすこし「ほろ苦いような甘いような」おはなしである。あの店で席を並べた先生や先輩らのほとんどだれ一人もいま存命でないとは、嗚呼。
* 「きよ田」と限らず、気に入って通った佳い食事の店が、店を閉めて行くのに何度も出会ってきた。あれは、寂しい。銀座のビヤホール「ピルゼン」 フレ ンチの「シェモア」 西銀座の鮨「こつるぎ」 赤坂見附のシチュー「ケテル」 新宿の河豚「田川」 池袋パルコの天麩羅の店も無くなった。
が、さて。現在只今これだけ美味食味を書いていても、すこしも食欲が湧かず、往時を想うばかりとは、なんだか命綱も心細いかとガッカリする。いかん、いかん。
* それにしても、この「究極の鮨」映像も、建日子と一緒に観たかった。「いい仕事」とは何か。どんなにいいものか。それが、しみじみと、分かるのだ。
2018 3/10 196
* キムタク ガードマンの最終回は燃えなかった。NCISのトニー・ディノッゾ父子の方がしるかに簡潔に面白かった。キムタクのドラマは実質一時間、 NCISは実質四十分、しかもはるかに前者を凌いで内容と表現をもっていた。日本のテレビ製作者達、まったく勉強不足。「科・白」の微妙がまるで掴めてい ない。
2018 3/15 196
* 今夜中に『イルスの竪琴』全三巻を読了するだろう。当然に、次は『ゲド戦記』全五巻へ向かうのだろうと思う。『指輪物語』のように映画になっ ていれば、読むよりも映画の美しい映像に溶け入ってしまうが、幸いにも、「ケ゜ド」も「モルゴン」も映画の映像には出会えない、幸いと思っている。
2018 3/22 196
* 吃る英国王の劇映画を観ながら作業していた。これは面白く観られた。
夕食後に「剣客商売」の古いのをみた。韋駄天のように空を跳んで殺気に狂う若い剣士を演じていたのは誰だろう、若い日の澤潟屋、今の「猿之助」かなあと想ったり。
2018 3/29 196
* 機械の前で寝入っていた。外出よりも、休息がいいらしい。
よく寝たあと、晩、上戸あやの佳いドラマを楽しんだ。同世代とみえる巧い女優は何人も胸にあるが、上戸あやの、自然体でしかも深く彫んで柔らかな「科と 白」とは一種、突出している。ヘタクソなコマーシャルの濁流に失笑したり苦笑したりゲンナリしているなかで、すてきに自然な身ごなしで短い時間を優しく振 動させる花の匂いで喜ばせてくれるのは、上戸あや。上戸のにくらべると、あの演技派大竹しのぶのコマーシャルなんて、グロテスクに滑稽。
不思議なほど売りに売りまくれる異彩は、だが、綾瀬はるか。別格の観がある。
2018 3/30 196
* 火野正平の「こころ旅」の映像には例外なく惹き寄せられ、思いも心も預けてしまう。何処彼処となく識らない景色なのにああ知っている、ああ懐かしいと 思う。いまテレビ番組から一つと問われればこれを挙げる。日野は体力の限りをつかってわたしたちを連れて行ってくれる「日本人のこころの風景」へ。世に蔓 延る「マスコミのハナクソ」じみた連中はもとより、「テレビ社交界を主宰」している気の、わたしの所謂「テレビ侯爵」たちと、日野正平たちこの番組の自ず からな態度や姿勢とは、ハッキリ心持ちがちがう。
2018 4/1 197
* 昨晩は「ロシュフォールの恋人たち」という軽快なミュージカル映画を楽しみ、今晩は懐かしい限りの「シェルブールの雨傘」に青春の昔のママに泪を目に溜め た。ミュージカルの最高傑作と永く思ってきたが、裏切られなかった。第三部が胸に沁み、わたしは昔のママにマドレーヌとギイとの雪のクリスマスに感動し た。うまく創られてあるなあと感嘆、余韻深々。
佳い映画は佳いなあと、若々しく胸躍る。
乱暴なのも幼稚なのもクドイのも、ヘタなのも、いやだ。
2018 4/4 197
* 「釣りバカ日誌」はわたしの最も好む身内モノ映画のシリーズで、今夜も盛大に笑わせて貰えた、近来こんなにシンから笑い続けたなんてことは、絶無だったろう。シンから共感しつつ笑えるのはこの上ない妙薬。
* 映画の前に京都の国宝めぐりをみせて貰えた。智積院、鳳凰堂、浄瑠璃寺、三十三間堂、それに京都博物館などなど、懐かしさに泪が出た。
京都 たしかに良い。昔の権勢は、権勢ゆえに同調も容認も讃歎もしないけれど、置き土産のように佳いモノをわれわれに沢山遺してくれたことには感謝せざるをえない、有り難うと云ってしまう、心から。
それに比して、近代現代の為政者や経営者はいったいどんな素晴らしいモノを後世に遺してくれたと云えるか。道路、ダム、橋、鉄道を挙げることはできる が、政治や実業の支配者個性は与っていない。それらは人類史必然の文明ではあるが、民族の個性に彩られた日本人ならではの文化とは云いにくい。
* むやみやたらに 京都 流行だが、けっこうだが、 ただ 上澄みの一辺倒で わたしの いわゆる 「洛東巷談 京都縦横無尽」「京のわる口 京ことばの凄み」ふうの大きな半面がほとんど省かれている。それはそれで宜しいけれども「京都」の凄みも知ってていいのでは。
2018 4/14 197
* 昨日、ジョーン・コルベールのモノトーン映画「ミルドレッド・ピアーズ」を幾分の恐怖に惹かれ、妻と二人で、一気に観た。
美貌と才覚に長けた、しかし底辺育ちの母親が、その母をその出自ゆえに徹して侮蔑し憎悪さえし、華やかな贅沢社会へ憧れてやまないサイコパス(怪物)と しか謂えない美しい愛娘に、渾身の力量で男どもも操りつつ、すべての満足を貢ぎ続けて行く。その果てに娘は、母が再婚した夫とも醜関係を強行しつつしかも ピストルで殺害してしまう。
母と娘と 父親を含む男社会の醜悪な駆け引き。 こういうのを「凄い」と謂うのであろう。
怪物のような美しい娘を心から愛して 娘の醜悪な願望をすべて叶え実現していってやりながら、関わった男達をも娘に奪われる母親。
母ミルドレッドを演じたジョーン・コルベール主演映画の傑作であるのかも知れぬ。黒白映像の深さと怖さもよく出た。
妻の感想は、聞けなかった。
2018 4/16 197
* 妻は建日子と恵比寿で昼食後に、青山墓地へ妻方の墓参にと。わたしは留守居、五時半、まだ帰らない。
シャロン・ストーントウィリアム・ホールドウインの映画、セクシーだが下品な映画をみた。セクシーはシャロン・ストーンのお家藝。
あと、インスタント・ラーメンを久しぶりに自分でつくってみたが、ちゃんとはつくれたが不味かった。
2018 4/16 197
* 階下へおり、何という題のともしらず、大老井伊掃部のお籠廻りにいて雪の桜田門外にいて主君を討たれ腹を切り損じた武士(中井貴一)が、討手の只一人の生 き残りへ復讐すべく明治維新後も追い求め、他方は車引きに身を落として潜み隠れている、その二人の出会いと終末とを描いて秀逸のテレビ映画劇の後半を堪能 した。あの「阿部一族」にも次ぐかと思うほどの秀作で、立ってテレビに貼り付くように見終えた。気持ちがすかーっとした、まさしく作に「品」があり、中 井、阿部らの演技も上乗というにちかかった。最終、エンドマークになる直前に今一つの工夫が欲しかった、惜しまれた。
明治維新は大変だった、安易に明治を賛美はならない、が、平成「末期」の今日が教えられて佳い政治の熱も国民の熱も有ったのだ。できれば、もう一度観た いが、後半だけでも十二分に作意も展開も煮つめもあり、満足した。此のような「作品」への「満足」が、いちばん今は願わしい。いささか気を取り直した。
2018 4/16 197
* 上の作業しながら吉永小百合の映画「伊豆の踊子」を聴いていた。高橋正樹の高等学校の「書生さん」役は、彼生涯の出来役で、その後は無用に気張るばっ かりでほぼ観るに堪えないが、この映画ではさっぱりと初々しい。最近のイケメンたちよりよほどいい。「伊豆の踊子」の書生さんでは、ヒロインと結婚し ちゃった彼が好き。ひはり主演「伊豆の踊子」の「書生さん」はややイカツイ青年だった。
この映画観るつど、川端康成が「感動」源をむ抱いたまままっすぐ人々の胸へ撃ち込んだ名作は、やはり「伊豆の踊子」「雪国」「山の音」に尽きていて、その後は 作がだらしなくなるが希薄になるか奇に走っている。わたしの偏見かな。
2018 4/19 197
* 大好きな、ハマちゃん、スーさん、ミチコさんで、しんそこら笑い転げるのが、なにより良い。
2018 4/23 197
* 溝口健二監督 田中絹代 久我美子 大谷友右衛門らの「噂の女」を久しぶりに観た。田中絹代の神技ともいいたい絶妙に感嘆、京の島原、はなやいでなお暗い重いせかいであった。
2018 4/27 197
☆ 取りつき易い顔へ相談 武玉川より
* 的確に見ている。なにとなく自分にもこういう場面に遭遇しこういう塩梅に人を頼んだような弱いときが有った気がする、無かったわけがない。
こんな明察にならべては直にすぎて妙味ないが、私も、一句。
☆ 覚え無いとはうまい言ひぬけ 有即斎
* なにも高等な財務官僚だけの話でない、身に覚えのないひとは一人もいまい。
* 不愉快ばかりの募る政情世情のなかで火野正平のチャリンコの旅はいつみても涙がこぼれて懐かしい。心底、いいなあ と、わが日本国のみめうるわしくも 優しい凡山凡水の含んだ懐かしさに打たれ、見入っている。最良のテレビ番組、火野は最良の身内のように見える。撮影も演出も巧い。凡百のテレビドラマには 到底勝ち味のない真実 力ある美しさである。
2018 4/29 197
* 階下でニコラス・ケイジの地球壊滅の神話的ともいえそうな長編映画を見た。ともあれ、見せた。
2018 5/1 198
* 夕過ぎて、「ただいま。帰りました」と建日子が顔を出してくれた。この頃は中目黒から一本で保谷まで電車で来る。車より安心、そのうえ晩飯に、とって おき美味い酒を「うまいね」とこの頃は喜んでくれる。酒など呑んで話しあいたいとはわたしの願、そしてこのごろはバカげた世間話よりもわたしが選り抜きの 日本映画を三人でみて賞味する。まえからも一緒に映画はよく観ていたが、近頃では山本富士子の「濹東綺譚」 そして鴈治郎・京マチ子・若尾文子・杉村春子 らの「 」 次いで、今晩が、田中絹代・久我美子・大谷友右衛門(先代・雀右衛門)の「噂の女」、建日子はこの間へ自分で木暮三千代・若尾文子の「祇 園囃子」にも感銘を得たらしい。こういう対話が理にも流れず感覚や感性で触れあえ、さらにはモノ知らずな建日子のためにかなり新知見も加わると思われて、 わたしはこの時間を喜びまた楽しんでいる。
強い雨とも予報があり、八時半頃にはまた都心へ帰した。からだ、大事にして欲しい。
2018 5/2 198
* そのあと久しぶりに「ER 救急救命室」のじつに厳しい悲しい臨終の一編に引き込まれ、胸打たれた。ただただ瞑目して、何の思いも絶っている、絶とうとしている。泪も絶えている。
2018 5/4 198
* 終日、発送作業に。途中、妻が玄関外の低い石段で前向き俯せに転倒し辛うじて右手のひらで庇って幸い大過なきは得たが、大事になりかねなかった。肝を冷やした。
作業は、永く永く掛かったが、目はともかく耳はアケて置けるので、終日、取り置きの映画を幾つも見聞きしていた。「野菊の墓」「幸せな日曜日」「お嬢さ んに乾杯」「おはよう」「お茶漬けの味」等々もう二つほども、懐かしく楽しんでいた。黒澤明、木下恵介、小津安二郎らの監督映画。原節子、中北千枝子、高 峰秀子、木暮実千代、淡島千景、津島恵子、三宅邦子ら、懐かしい顔を沢山見た。
* 往年の映画からは時代のうつり変わりとともに、昔の女性たちの言葉遣いがしみじみ懐かしまれる。
* アリャラ 一時半になっている。明日も新刊の「一筆呈上」送り出す。
2018 5/12 198
* 昨夜遅くから木下恵介監督・脚本、松竹の記念作、「カルメン故郷へ帰る」を高峰秀子、佐野周司、柳智衆、佐田啓二、望月優子らで大笑いしつつ、浅間の山嶺の美しさ、敗戦後日本の故郷と東京風俗の落差が産む懐かしいほどの可笑しさを堪能した。いい「批評」であった。
2018 5/14 198
* 選り抜きの藝術性ゆたかな映画の名品に真向かってしまうと、ツマラナイてれびドラマやバラエテイなど「失せおれ」と思ってしまう。国会の委員会も、吐き気がする。 2018 5/14 198
* ぜひ観なくてはいけないが、観るも空恐ろしく辛かろうと久しく録画のママ置いてあった「沖縄最期の激戦」をインターミッションまで観て、ほとほと胸を抱えて二階へ上がってきた。言葉を喪っている。
2018 5/15 198
* 妻が髪結いさんへ出ている留守番に、「選集26」発送用意をしながら、好きなミッシェル・ファイファーにジェフ・ブリッジス、ボー・ブリッジスの映画 「恋のゆくえ」のピアノ合奏と唄とを堪能していた。地味なしかし音楽すばらしい、落ち着いて大人の恋というより愛の物語だった。三人のコミュニーケーショ ンが美しいまでに心優しく、満ちたりた。
発送の用意(十字架と呼んでいる郵袋への三種類のハンコ捺し)も進んだ。この用意がはやくに済んでいると納品(六月八日)までに、心おきなく他の重い仕 事へ取り組みやすくなる。六月二十二日には次の湖の本140、創刊三十二年記念になる巻が出来てくるので、その用意もうち重ねて行く必要がある、が、油断 しなければラクに進むだろう。大事なのは、創作の方。
2018 5/16 198
* 劇映画「沖縄激戦」を見終えながら哭いた。あんまりだ。
2018 5/16 198
* 春草の「帰樵」 カレンダーから切り離して枠に容れ、身近に置いている。吸い取られそう。
こんな夕焼けはともかく、こんな稜線をもった山は 画家の観念の産んだ境涯かと半ば想っていたが、映画「カルメン故郷に帰る」で浅間の方の美しくも懐かしくも慕わしくさえある稜線をたっぷり観られて幸福を覚えた。山にいっとう感銘を承けていた。
2018 5/17 198
* 小学生将棋の決勝戦を観て、差し手のきびきびに(それしか判じもつかないのですが)感じ入った。五年生に四年生がほとんど躊躇いなく攻めきった潔さに感心した。
あの藤井少年六段は、今日、あっさりだれかに勝って大記録スピード昇段で「七段」に成ってしまった。脚の早さ、舌を巻く。
2018 5/19 198
* 元・平凡社の遠藤勁さん、映画の広告を無数にあつめた刷った冊子を送ってくれた。この人、敗戦後の引き揚げ京育ちで高校時代まで過ごしたらしい。
☆ (前略)
今回の『一筆呈上』全ておっしゃる通りで無念すく思いです。当時「大波小波」い゛拝読し、筆者は誰だろうかと色々想像したものです。
さて同封の映画ポスター集、その後も改訂を日々行っています。
小学生の頃、親父に連れられて行った館で記憶に濃いのは「八坂会館」です。「ターザン」もの、「スエズ」「スタンレー探検記」もここで観ました。河原町や新京極の大きな小屋より、西部劇、戦場ものが多く掛った烏丸映劇(?烏丸四条、京極では「八千代館」がひいきでした。 遠藤勁 拝
* わたし、映画の思い出を喋り出したら際限がない。若尾文子の愛らしい「若紫」に痺れ、ジェニファ・ジョーンズの「野狐」に戦慄し、妻と出会ってから二 人で観ておぼえているのは、ミレーヌ・ドモンジョのもの、そしてカーク・ダグラスの北欧の海賊映画だった。感銘を受けて立ち見のなかで泣いたのは黒澤映画 の「生きる」だった。
2018 5/29 198
* わたしの好きな映画シリーズに「釣りバカ日誌」がある。昔昔に第一話を観た日から「スーさん」の幸福感をわたしのもののように受けいれた。これは明ら かにわたしの唱え表し続けてきた「身内」映画である。そしてまたハマちゃんの奥さんミチコさんを演じる「石田えり」が、これ以上の理想的な女・妻を日本の 映画は生んできただろうかと思うほど、好き。
で、録画を観かつ聴きながら、はや、六月二十二日出来の「湖の本」第140巻発送の用意に、封筒へのハンコ捺しをコツコツコツと始めた。妻が退院の日までにハンコ捺しを終えておくと、ずいぶんラクになる。宛名カードは妻に刷って貰っている。
六月八日の「選集」第二十七巻送り出しの用意は、もう全て仕遂げてある。その日までに、せめて退院していてくれると気が晴れるのだが。
2018 6/1 199
* からだをやすめて午前中を家で過ごし、これから入院手続などのためにも病院へ妻を見舞う。
ハンコ捺しなどしながら黒澤明の「羅生門」を観聴きしていたが、写真の圧倒的な素晴らしさに反し、当時の録音性能のわるさが禍してT、名優達の言葉が聴き取りにくいのが、難。海外ではおそらく科白など飜訳されていて、その御蔭で華々しく注目されたと想われる、が。
* 三時四十五分、一度帰宅。
* 「羅生門」見終え、疲れて暫く寝入る。
2018 6/2 199
* やっぱり遂げておきたい要事は果たして、そのあいだ向田邦子原作のドラマ「風たちぬ」を半ばまでみていた。田中裕子、宮澤りえ、田畑智子の三姉妹、そ れに母親の加藤治子という、飛び抜けた、この世代ではこれ以上は望めない演技派女優たちの競演、とっておきの録画名盤。遙かな以前にむろん観ていて、向田 流の行儀美しい昭和十四年という微妙な年頃の女四人家族の胸に迫る劇の記憶はあのり切なくて久しく忘れようとしていたが、好きな、上手な女優達に逢いたさ に何百枚もの録画から引き抜いてきた。それも、息詰まりそうでなかばで二階へ息をつきにきた。成り行きはみな分かっている。このドラマの頃、下の田畑はお 茶の水の五年生と謂うからいまの高校二年頃か。宮澤りえは海軍士官と見合いし、長女田中裕子の優秀を唄われた官僚の婿養子は、五年前に家出している。そし てこの私は、まだ四歳であった、昭和十六年師走の真珠湾攻撃のときは幼稚園児であった。よのなかがどんなに激しい自身に見舞われたか、私も年一年身に沁みて分かって行った。
* 九時半、ドラマはそのままに、もうやすもう、床についてよこになろう。
妻の明日の検査が無難に済むように祈りたい。無事なら、水曜朝の退院がゆるされるかと期待している。今日見舞った妻は、概ね、元気を回復し、熱もひき、 下痢もとまり、苦痛は訴えていなかった。ベッドの上で、わたしの責了を控えた選集校正ゲラを、「いい原稿」と喜んでくれながら、読み手伝いもしてくれてい た。
いい眠りの休息をと願う、妻にも、わたしにも。
2018 6/3 199
* 昨夜、やはり途中までの向田ドラマ「風たちぬ」を見終えた。真珠湾前夜のまだ穏和に行儀麗しい日本の家庭と女性たちがみごとに、みごとすぎるほどに描か れ、しかし戦禍への跫音に胸冷えて震えるこわさもわたしは感じていた。ドラマはそういう大戦の荒廃を描かず、戦後へとんで静かな追憶で終えていた。囲みの 輪郭の恋太い脚色と観た。
それにしても田中裕子のうまさ、宮澤りえのうまさ、卓越している。田畑智子もすばらしい力をもっている。母親役の加藤治子(加藤道夫夫人)、むろん。
女、そして女優の、さらに昭和前半の行儀美しい家庭の魅力と真価とを満喫させる秀作として、忘れ得ない。
2018 6/4 199
* 六時の配膳を見届けて帰ってきた。串団子二た串、ヨーグルト、缶ビールや少しの洋酒・日本酒で、京マチ子・森雅之・久我美子・浦辺粂子らの犀星原作「あにいもうと」を観て、休息。校正の仕事は、病院で、やすみなく進行していた。
京マチ子、ことに久我美子を、わたしは昔から好き。この映画では森雅之の「兄」も佳い。「羅生門」の森雅之より情も実もみえて男の美しさがしっかり出た。 浦辺粂子ら両親、そして兄の森、姉(いもうと)の京マチ子の中心にまだ細いが心清い心棒のように清潔な妹の久我美子が立っていた。小品とも謂える映画だ が、記憶から消え失せない佳品である。
2018 6/4 199
* 夕飯に饂飩を茹でてみたが、美味くは行かなかった。神戸の吉田章子さんに送っていただいた珍しい純米大吟醸の一升瓶の口を切った。呑むと、とろっとす るが、八時半、これから一仕事する。 とにもかくにも撫に明日の妻帰宅を待ちたい。早めに床に就こう、などと思いながらどうしても一時、二時まで本を読ん でいる。黒澤明の「七人の侍」が観たくもある。黒澤映画には、想じた聊かの難があるような気がしている。「七人の侍」は名作に類するが出だしに、三十分ま では満点の出来には思われない。『羅生門』でも『どん底』でも、後期の大作でもそれを思う。「天国と地獄」とかいった現代の警察映画の叩けば音のするよう な緊迫作をわたしは佳いと思ってきた。
2018 6/5 199
* 夕飯のあいだ、あと、 深作監督の歴史劇鴎外原作『阿部一族』を久しぶりに観て感動、感銘を新たにした。日本の、劇場映画ではない「テレビ劇」では、 間違いなく今日まで「最高の名作」と謂うてわたしは憚らない、並ぶモノをただ一作も知らない。画面の隅々まで、科白の一つ一つまで、配役の一々の表情や動 きまで残り無く記憶していながら、ウブで無垢の感銘に浸され、完成度ゆたかな脚色藝術の力に、幾度も嗚咽した。セリフのどの一つまでも完璧に書けていた。
「阿部一族」こそはわたしの反戦思想、反権力思考の不動の原点であり、六林男の無季俳句
遺品あり岩波文庫「阿部一族」
に心から哀悼と共感をささげて来た。鴎外先生、よく書き置いて下さったと感謝にたえぬ。
この一作に匹敵する現代近代を描ききった藝術抜群のテレビ劇を、まだ、一つも挙げることが出来ない。
* 劇映画「戦場に架ける橋」の途中からを午前中に作業しながら観・聴きしていた。
* わたしは夏目漱石の「心」を舞台劇のために脚色している。「竹取物語」を朗唱劇として書き下ろしてもいる。
映画のシナリオも「懸想猿」「続・懸想猿」と題し、シナリオセンターでの課題作として提出して当時松竹の副社長か専務をされていた城戸四郎さんに「80 点」と評価して貰っている。城戸さんも評価に関わられた評論家岸松雄さんも、評点に添え口を揃えて「小説家」になりなさいと奨めて頂いた。その道へ進んで お奨めにしたがって良かったと思う。それでいて、今以てわたしは創作劇でないめ優れた原作の脚色シナリオへの夢という欲というかを諦めていない。秦建日子 の舞台はもっぱら彼の創作劇であるだけに、「脚色」への好奇心をわたしは捨て切れていない。まして、鴎外の「阿部一族」や向田邦子の「風たちぬ」をまた繰 り返し観た今、そういう余分な色気に惹かれてしまう。
疲れてへとへとなのに、どうしてわたしはこうよぶんな好奇心へ色めくのだろう。
2018 6/10 199
* 催眠力のある薬を指定通り夕食後に服し、そして入浴、妻は二階で毎日のきまりのピアノ。
その間に、浴槽で寝入って沈没、あやうく顔は上げたが身動きならず、浴槽から遁れ出るのに渾身必死の力を搾りだし朦朧と浴室の外へ出られた。怖いほど危険だった。二階へ呼ぶこともできず、かろうじて手洗いの便座へ腰をおろて回復を待った。幸い徐々に回復したが。
どうか叱責しないで下さい、今後十分気を付けます。入浴中はお互いに間近い部屋やキッチンで
それとなく待機・要心することに。
* 幸い回復し、おちついたところで、松たか子らの時代劇映画「隠し剣 鬼の爪」を二人で観た。佳い出来であった。
2018 6/11 199
* 朝、不快。
* ただ、臨済に会う。
* 花柳章太郎と山田五十鈴の絶品、泉鏡花原作、桑名船津屋を舞台の映画「歌行燈」を観て、滂沱の涙にくれ感動、心身の不快を洗い流す。
2018 6/21 199
* 桑名で地方創成政策に協和した映画を建日子か創ったのは、もう大分まえ。今は、宇都宮市の「餃子」がどうしたといった映画を仕上げて公開されるらしい。
* 「歌行燈」の船津屋へは名古屋中村の料亭の若女将の「なるみ」さんに案内され、医学書院編集長長谷川泉(鴎外記念館長 国文学者)と一緒に名大小児科 鈴木栄教授一泊のご接待を受けた。そのときの女将との「閑吟集」を利しての相聞は今ではかなり広く知られている。船津屋は当時「なるみ」さん嫁ぎ先の名古 屋料亭の傘下にあり、若女将の実家は桑名の立派な貝蛤のお店生まれであったとか。
* 建日子は映画「クハナ」を創ったとき、鏡花の「歌行燈」を読んでみたが、なにがなにやら分からなかったと零していた。これは、音と映像がなければ所詮 歯が立つまい、かりに音の映像の映画を観ても、謡曲や仕舞の「間」の厳しさに素養が無くては所詮歯が立つまい、けれどこのいささか昔になったこの映画、今 度、建日子と一緒にまた観たいと思う。
主演花柳章太郎といえば、名優六代目尾上菊五郎や映画の長谷川一夫を思い出させるみごとな新派の大立者、近代演劇史でもとぴきりの名優だったが、それに 劣らず映画女優山田五十鈴は、十七歳でデビュー「祇園の姉妹」以来 まさしく文化勲章ものの名手。映画「歌行燈」の五十鈴の舞いも演技も見事に仕上がって いて、久しぶりに、しとど、わたしは泣かされた。喜多流から、この真夏の仕舞・素謡の会の案内が来ていて、能にはもう体力がないが、仕舞も謡いもわたしは 好き、行ってみたいなと思ったりしている。
秦建日子も、映画を本気で創り続けたいなら、優れた日本の藝・能・音曲を血肉にするほど識っていたほうが佳い。鏡花藝道もの随一の名作「歌行燈」に目をまわしているようでは深い豊かな仕事は出来まい。
やっと五十歳。まだこれからが勉強なのではないか。
ちかぢか「宇都宮・餃子」の映画、観せてもらう。東京新聞が取り上げてくれていたらしい、一つ一つ真剣に階段を踏んで欲しい。
2018 6/21 199
* 午後、鏡花の映画「歌行燈」に続いて康成の映画「山の音」を観た。もう何度も観てきた映画だが、原節子も山村聰も上原謙も長岡輝子も中北千栄子も杉葉 子らも、演者はみな、メ一杯によく働いて見応え有ったのだが、それなのに今日は、一倍観ていて気がシンドかった。神経質に世界が病んでいた。
筑摩で出した1972年の処女評論集『花と風』に、川端文学を「廃器の美」と題して短く書いているのは、わたしが川端に触れた数少ない例であるが、感想 は変わらない。谷崎を花爛漫と謂い、川端を雨に打たれた花と謂い、三島を豪奢な造花と比較して謂ってきた感想も、変わらない。
川端康成の作には、小学校の五、六年頃友達に借りて読んだ少女小説のようなのが最初だった。「千羽鶴」「山の音」が競うように戦後文学としてもて囃され たときには、「山の音」の方が断然良いと思った、川端文学で指を三本折るなら『伊豆の踊子』『雪国』『山の音』という実感は今も変わらない。『山の音』よ り以降の川端文学の世界も筆も、病み気味にやや薄汚いという印象をあらためることが出来ない。
* 数十年に受け取った名刺の約半分を一部残して捨てた。新聞・放送・出版から各界人の名刺、それはそのままわたしの「歴史」であるけれど、顧みて執着すべきなにものでもない。
* 建日子が上海国際映画祭に「宇都宮市の餃子映画」で招かれ、わたしも観たことのない「背広姿」で挨拶などしてきたらしい。
2018 6/21 199
* 夕食後も、映画「歌行燈」に感動しながら作業を続け、妻はさきに休ませて、いま、十一時半まで独りで発送のための作業を続けていた。また、明日、同じ作業を続ける。 2018 6/22 199
* 今宵は、妻と、鏡花の映画「歌行燈」をあらため満喫し感動した。山田五十鈴の品位の舞いの表現に感心した。
* 日付が変わろうとしている、安眠し、また明日を迎えよう。
2018 6/22 199
* テレビは、なにもかもツマラナクて、気休めにもならない。寝入ってややこしい夢でも見ていたほうが、マシ。
2018 6/24 199
* ひさびさ、何十年ぶりかで妻と新宿へ。ピカデリーの九階映写場で息子である秦建日子脚本・監督の映画、地方創成とやらの政策に副った「宇 都宮市」舞台の『キスする餃子』というのを妻と観てきた。小広い階段会場の真真ん中の席に着いたが、わたしらより前の席には二人だけの客で、背後は見な かった。映画に客を呼ぶのはよほど難しいことらしいと気の毒であった。芝居の上演時はいつも溢れそうに満員なのに。
百分間映写の前半の出が薄い軽い感じで、あとへ気持ち盛り上げていった。餃子の美味を売らん意図は掴みづらかった。「有名」プロゴルファの不調と復活のお話が併行していて、聞いたようで見たようで、ヘンにはらはらもした。二時間物の手軽なテレビドラマのようだった。
建日子の仕事としては、舞台の「らん」や「月の子供」や「タクラマカン」などの方が質的に力があったのではないか。
* 池袋へ戻って、東武の「美濃吉」で夕食、そして帰宅。
* すぐ、ぜひ観たくて録画しておいた、犀星原作、森雅之、京マチ子、久我美子らの映画ではないテレビ映画として新脚色、宮崎あおい、大泉某が競演の「あ にいもうと」を観た。なかなかのもので、兼ねて期待も大きく何度も感銘を得ていた宮崎あおいが、それなりの強い芝居でいい「いもうと」を演じきった。大泉 の「あに」も予期を大きく上まわる好演で、「ウン、よし」という納得。父親、母親も末の妹も適切で好かった。
神代の昔から「いもせ 妹・兄」の夫婦神が幾組みも居流れる。兄と妹の不思議に当たり前な愛の深さを描いた室生犀星の着眼にあらためて敬服もした。
2018 6/26 199
* 夕刻へ、豊田四郎監督の映画『台所太平記』をこころもちシンミリした気持ちで妻と観た。森繁と淡島千景の「先生夫妻」はきれいに穏やかにおさまってい て、その抱擁の中で、手練れ主演級の何人もの女優女中が活溌に働いていた。乙羽信子 森光子 京塚昌子 淡路恵子 水谷良重 団令子 大空まゆみ もう一 人**淳子がいて しんがりは中尾ミエ まで、ま、いろいろ。その出入りのうちに戦後40・50年代の世情も去来する背景としてほの見えていた。
谷崎先生をじかに存じ上げる機会は得られなかったが、松子夫人とは、お亡くなりになるまで、わたしも妻もごく懇意に親しくしていただいたので、思い願っ ていた以上に綺麗に冴え冴えと演じてくれた淡島千景作中の「奥さま」に、つい、ほろっともし共感も賞嘆もしながら、こころよく観終えた。
わたしの印象で、松子夫人にいちばんちかい感じの歴代女優では、断然田中絹代に指を折るが、さすがに淡島千景、丈高くも優しく、清々しい佳い「奥さま」であった。
2018 7/1 200
* 気象学の岡田武松をめぐる検討・評価の座談を観聴きし首肯いていた。機械の前へ来て、機械の温まるあいだに『浮生六記』に心惹かれ拾い読みしながらいろいろと教わっていた。
最近の戴き本で川端善明さんの『影と花 説話の径を』は研究者のいたり着かれた談話の妙に溢れ、佳い読み物である。たくさんな示唆が得られるだろう。いま八十五歳の京大名誉教授の談、聴き入りたい。
2018 7/5 200
* 渡邊淳一原作の「化身」という映画を、数日来、二度にわけて観た。あらわな性行為の映像におどろくよりも、こういうことの当然できるらしき通俗エロ読 み物「作家」先生の、どハデにいろんな超能力? に驚嘆した。宝塚を出て、たちまちこの映画で清楚なまっ裸をくりかえし披露していたおとなしそうな女優の 放胆な生き方にも、演技以上に仰天した。淡島千景が、モテる作家先生の死んで行く母親役で付き合っていたが、『台所太平記』の「讃子奥さま」役の方が遙か 見事にけっこうだった。気の毒だった。
2018 7/6 200
* もの知り競いがテレビ画面で流行っている。こわいようなもの知りが高校生にも大学生にもタレントたちにもいるが、「それがどうした」と眺めている。ものを 知るないし識るメリットは、そこからシッカリした人生智や思考・思想が生まれてくるのでなければ、何であろう。おっそろしいもの知りだが、アベノミクスの 批評も出来ず、トランプ政治への批評もできず、民主政治と選挙・投票との関わりに態度も信念も持てないただ片々のモノシリなど、むしろただ「病的」のレッ テルに過ぎない。
* 「病的」の見本のような事例はこの世ないし人の世にはいくらもあり、ありすぎる。
そんな数多いテレビ番組の中で、わたしや妻を感動させるのを 二つ 挙げれば、火野正平らチャリンコ組の旅で見せてもらえる、日本の国土・故郷の自然な懐かしさ、もう一つは、写真家岩合氏の写してくれる「ネコのいる風景」に尽きる。
この双方の「自然」は、わたしたちの目や肌身に触れてくる自然な風と花と空気の優しさ、変わりなさ、そこで人も動物も生きている嬉しさであり、人が、動物も、心ゆく安らかな生き方をしてゆく基本の場と道とがある。おのずからそれが優れた強い思想の基盤になる。
人は機械的な不自然に安易に泥(なず)みやすく、つい、われをもひとをも、不自然ながんじがらみに自らをまた他者をもしばって、当座の不自然な安全を贖おうとする。自然な安全をはかる努力や工夫をしないで、自縄自縛で重苦しい安全を贖おうとばかりする。
イージイとはそれを謂うのでなくて何か、とわたしは思う。
2018 7/10 200
* 午前中、テーブル仕事をしながら、テレビで、何故敗戦直前の日本国土に過酷をきわめた無差別絨毯爆撃が敢行されたか、当時邊は米国陸軍に属していた空 軍将官たちの空軍自立を渇望する余りの理性を欠いた強烈極悪の意嚮が平然強行された凶悪こういであったことの証言が、べいこくで畝残されていた多数の公式 証言録からも明らかになった事実を、肌に粟立つ思いで見もし聴き入りもしていた。
そのような米国の人道に背いた凶悪な没義道に対し、日本は今以て謝罪も得ていないし、米国の安全保障政策に追い使われて今以て敗戦国のと待遇を免れぬ莫 大な出費と犠牲を強いられている。強いられているのは、明白に敗戦後日本の「保守」政治であり、その度合いは悪化しつつ今日の安倍政権に到っている。
若い人たちよ。兵役の義務化が平和より戦役のために復活してくるまで、日本と自身の運命に目も心もとじて甘えて暮らす気か。わたしは心より若い世代と家庭のおぞましい近未来を案じている。
2018 7/19 200
* 十時からの、「グッド・ドクター」が近来にない出色、おもしろく創られた感銘篇になっている。先週が第一回、ぜひ第二回も観たいと待っていた。犯罪も のにアキアキしていて、医療モノに気持ちを寄せて行く。しかも主役のドクターが、優れた医療と診断能をもち善意の人物でありながら自閉症というめずらかな 設定も二回ぶん観て、成功していると思う。助演の女医(上野樹理?)役を以前から好きなのも工合がいい。
2018 7/19 200
* 気分優れぬママ、 晩は、成瀬監督映画「驟雨(原節子・佐野周二・小林桂樹・香川京子ら)」「夫婦(上原謙・杉葉子・三国連太郎ら)」を続けて観てい た。われわれの新婚より二、三年前の東京が舞台で、二つとも、堅実なリアリティで、倦怠期じみた夫婦生活をいい演技で面白く笑わせもし、楽しませてくれ た。
2018 7/21 200
* 午後建日子帰って来て、マコ、アコと遊び盛んに写真を撮り、機械仕事をしながら一緒に向田邦子原作映画「風たちぬ」を観、夕食して、いま、宵寐している。
宵寝からさめてまたひとしきり仕事をしていたが、用が足りたか都内へ戻っていった。怪我するなよ。
2018 7/22 200
* 何度も横になりながら、必要な作業もそれぞれに進めた。テレビも観ていた。ここしばらく日本映画のいいのを見続けていたが、洋画にきりかえて、久々 に、実に久々に、メル・ギブソンとウォールディン・ホーンの、わが家ではたんに「ギャー」と呼んでいる「バード・オン・ワイヤー」とかいう超娯楽作を観 た。晩には、つづきもので「グッド・ドクター」三回目を観た。
熱中慢性状態のような気分でいるが、マコとアコとに大いに刺激もされている。仲良しで元気旺盛でヤンチャ。油断も隙もならないが、気は晴れる。
2018 7/26 200
* スベンサー・トレーシーと、魂を抜かれそうに「美しいかぎりの」エリザベス・テーラーで、ヴィンセント・ミネリが撮った「花嫁の父」を、ひさびさ、大笑いしつつ胸に堪えて見入った。
映画という「表現」の、限りない、しかも確実な魅力を感じさせてもらうと、胸の底から嬉しくなる。
日本製テレビでの、殺しもの、刑事もの、犯罪もの、時代ものの、軽薄を極めて視聴者を下目に見たたヘタクソ・ドラマは、観ない。観るものか。幸い、気に 入った海外、日本の秀作映画が二百作は保存してあり、好きに選んで何度でも観られる。このところ日本映画の優作を楽しみ続けたので、これから海外のよく創 られた娯楽作を選んで楽しみ返したい。「読み・書き・観る」これからの時間をひとしお大切に愛おしみたい。
2018 7/27 200
* 昼間、見かけていた上戸彩の「浮草」を観終え、夜遅めから録画してあった宮澤りえの「紙の月」を半ばまで観た。
この二人こそ、めったに画面の中で一緒には出会うまいが、鬼気迫る微妙で深刻な演技者としては真っ向の好敵手であり、凄惨におそろしい女を身を退くほど 精緻に怖く演じる。上戸彩のこわさに、一度休んで今日中途から見終え、宮澤りえの女も、とても正視にたえないほどの巧さに、中入りの休みをとって画面から 逃げた。美味い女優は、もの凄い。男ではそんな身震いをさせる俳優はいない、いなくていいのである。怖いというのは女のもちまえ、それあっての女文化なの だ。
2018 7/28 200
* 昨日半ばで息めておいた宮澤りえの「紙の月」を見終えた。こういう怖い映画は身に堪える。上戸彩も凄かった、宮澤りえも凄かった。だれもが気軽にくち にする「すごい」ではない。字義通りに凄惨なドラマであり凄絶の演技力であった。この二人はコマーシャルも抜群に巧い。五体に生気がみなぎって柔軟、しか もアタマがいいのだと思う。
2018 7/29 200
* 笹をゆる風と文月を見送りつ
ゆくもとまるももののあはれや
* 当代芝翫の道案内で京の地獄や極楽をともに歩んだ。平等院、即成院、松原橋、西福寺、珍皇寺そして、浄瑠璃寺。しみじみと画面に見入った。七月を見送 るに相応しく、わたしのこのホームペイジ「生活と意見」の私語を導いている美しい夜色浄瑠璃寺の深い色に身を投じたいとも願った。
2018 7/31 200
* 「NCIS」の再放映を面白く観てから、このところ気に入っている「グッド・ドクター」にも観入ってきた。
もう十一時過ぎている。 今日も長く書いている小説を前進させた。足を停めず、書き進みたい。
もう機械を離れよう、幸い明日も明後日も、今月は、月末まで病院通いもない。炎暑の日々、出ないのが予防の最有力。怠けるなどとビビらず、せいぜい涼し くからだをやすめながら「読み・書き」そして「観て」過ごしたい。老いてとはいえ、ありがたい日々である。美味いお酒も戴いている。
2018 8/2 201
☆ 台風13号
台風が犬吠埼を掠めてゆっくり北上している様子。西東京は如何でしょうか。
こちらは先日の台風12号の時も何故か殆ど雨は降らず、暦の上では既に立秋ですけれど、連日38,39,40度など暑く、外に出ると皮膚感覚の違い、灼 かれる感じがします。今日も空は真っ青、39度の予想です。室内でひたすら過ごします。あまりに暑い日が続くので朝夕水撒きしているのですが、庭の樹木の 葉が落ちたり、小さなものは枯れ始めてしまいました。
普段二時間の番組などは殆ど見ないのですが、映画『日本のいちばん長い日』、NHKのドキュメンタリー・ドラマで『華族・最後の戦い』を続けて見ました。
終戦前後のことは実体験として捉えることは出来ませんが、漠然とした知識や理解以上のものを欲しい・・と思います。憲法や天皇制、或いは中国や韓国朝鮮 問題など考える時にどうしても必要なこと。昭和史の発掘には目を逸らせませんし、毎夏、この時期には戦争に関係した番組が多いので、重い気持ちになります が 意識して見ます。
カナダに住む友人は、シリアからの青年をこの一年住まいに引き受けました。その間のことを「4人の青年との生活は一言でいえば 「oncein a lifetime experience。・・物書きだったら、風刺喜劇が書けます!」と述べています。
さまざまな国で相変わらず不幸な出来事が続いています。シリア青年の背後には大きな悲劇がありますが、この一年の彼女を巻き込んだ風刺喜劇、その重みも軽さも現実なのだと思います。
家に引きこもっているので絵の方もほぼ一段落し、本を読む時間が増えました。
読み返すと以前には分からなかったことがフッと鮮明になることもあります。
原善さんの著作の解釈もその一例でした。折口信夫に関する『執深くあれ』もそうでした。かなり以前に読んだ本についても同じ感想がありました。
HPにあった八坂神社から見る四条の夜景の写真を思い起こします。
夏を乗り切って清々しく秋を迎えたいとしきりに思う毎日です。
どうぞ元気にお過ごしください。くれぐれも大切に。 尾張の鳶
* わたしも、こころして、リメーク映画『日本のいちばん長い日』を姿勢を正しながら妻と観た。もっくんが昭和天皇を、役所広司が阿南陸相を演 じていて、以前の同題映画とは場面の演出がそうとう違っていてほとんどの役者が早口に言語不明晰だったが、こういう空気感の出し方もあると同感も共感も喪 わず観続けた。八月にこういう映像に触れるのは、同じ危機を幼い(十歳)ながら友に越えてきた身には務めのような気がしてしまう。それとともに、切実に思 うのである、実感するのである、
戦争に負けてよかつたとは思はねど
勝たなくてよかつたとも思ふわびしさ 恒平
軍国主義の「建前」になってしまう天皇制を、「国体」として悪用し続ける國になっては、絶対にいけない。悪しく歪んだ陸軍を強硬に傲慢に育てたのは、長州の山県有朋総理元帥であった。忘れてはならぬ。
NHKのドキュメンタリー・ドラマで『華族・最後の戦い』というのには気づかなかった。華族の復活は厳 格に阻止しなくては、だが今に大きな「持ち出し」として日本の保守政治はおもむろに自身を飾り立てたがるに相違ないとは、もう、すくなくも三十、四十年前 にわたしの予測し危惧し嫌悪してきたこと。新しく立たれる次の天皇さんの、憲法とともに在る決意と叡智を期待して已まない。いまの「皇太子」さんを、わた しは、いまの天皇ご夫妻の良き後嗣として信愛している。だが、とかく周囲がうごめきやすいのが皇室の難。美智子皇后さんの存在は、「平成」の国民には有り 難くいつも心和んだ。その感化が、賢く、ただしく新時代に承け継がれますように。政権との適切な距離は正確に保たれますように。
2018 8/9 201
* 疲れて腰も痛く、晩は、マリリン・モンローの「バスストップ」を観て過ごした。モンロー映画では今晩のもふくめ「帰らざる河」「美女と野獣」を好印象でおぼえている。
* 十時半、もう躰を横にしたい。
2018 8/14 201
* 「ラインの仮橋」という、ちょっと角度の変わった、アズナブールら主演の仏独戦争映画を観た。地続きの國と國の戦争という、日本人の感覚では掴みきれ ないところに巧い視点を据えて、血腥い凄惨な戦闘場面のない、いっそ田園地区の生活感が生かされた、巧みな、巧んだ、愛憎劇だった。
甲子園の夏野球もときに楽しむのだが、心情的に馴染んだ平安や近江などの試合は、むしろ避けて観ないでいる。過剰な興奮は歓迎できないので。
2018 8/17 201
* 十一時に。
* 昼間に観た映画「ハドソン川のモスコー」 昔懐かしい、今でも身にしむ佳い作だった。このところ久しぶりに見直したミシェル・ファイファーらの「レディ・ホーク」も良かった。
2018 8/18 201
* 先日、ひさびさに、好題とはいえない「冒険者」という胸に沁みる映画を録画盤で観た。アラン・ドロンとリノ・バンチュラ 此の作は此の二人の最高作と 想いたい、世ばなれた「冒険者」ながら、好感に満ち満ちて美しい「身内」愛を分かち合っていた、そこへ一人、モダンアートの若い女性がまぎれこんで、二人 の男と一人の美女レティシア(=ジョアンナ・シムカス)と三人の純潔清明な「友愛」トリオが成り立って、観ていても幸福感にしびれるのだが、悪意の攻撃に 遭いレティシアが先ず撃たれ、ドロンも撃たれ、バンチュラが孤高の愛情をふるって復讐する。
静かに優しい佳い映画で、何度観ても胸にしみるねと妻とも共感した。
佳い作の佳い「作品」に心打たれたいと、この歳になると渇くように願われる。作に「作品」が無ければ、ダメ。ミシェル・ファィファーらの「レディ・ホーク」もいい「作品」の魅力で画面が光っていた。
2018 8/22 201
* 偽書視されてきた武田の「甲陽軍鑑」が信玄腹心の武将の讃歎忠節のいわば克明を極めた見聞と記憶の口述筆記であったらしいとこれまた克明な国語・言語。口 語学からの研究で明かされてきた経緯をNHKテレビが伝えてくれた。感動もののみごとな追究、みごとな人間劇が窺い知れて手を拍ち感謝した。「研究」と は、かかる徹底した着眼・探究・発見・発明のかつ正しくて面白い仕事でなくてはならぬ。
* 文藝研究を片端とはいえ垣間見ていると、ちいさな端っこ作品のちいさな穿鑿で事足れりとした、植木いじりのようなのが目立つ。
作の真の重要さを深く見きわめて採り上げつつ、大きな、作家的、時代的、文学史的視野から新たな研究の沃野が獲得されて行くのでなければ、小さな植木鉢を弄っているだけに止まる。
2018 9/1 202
* 昨日から、監獄を新年恩赦ででてきたリノ・バンチュラが、精緻な計画で宝石店を襲おうとしている、しかしこの上なく洒落て優雅に巧緻に彫み上げてゆく フランス映画に、感じ入っている。監獄の歳末に囚人らが映画を観ている、その映画が、音楽も、あまりにも有名でわたしもよく覚えていて一瞬それを観るのだ なと思いこんだが、はらっと場面は監獄から特赦へ、そして緻密に手の込んだ犯罪の実行へと移り動くその推移の洒落て可笑しくておもしろいのが佳い味になっ ている。
こういう作品に出会うと、まあようあんなバカドラマばかり日本のテレビは作っていると呆れかえる。
ま、先の木曜晩の「グッドドクター」はよかった。やはり文字どおりに「命がけ」のドラマは胸に響いてくる。
2018 9/2 202
* 夕食の前後、糊のように粘った疲労、と感じていた。
晩の仕事のあと、映画「オペラ座の怪人」を観て感動に身を委ねた。この作には何版かあるようだが、バート・ランカスターとテリー・ポロちの版が最高に優れていて歌も美しい。歌を聴くだけで滂沱の涙を流す。
素晴らしかった。これで、こころよく眠れるだろう。
2018 9/2 202
* クロード・ルルーシュ監督の「男と女の詩」(1973)が、フランシス・レイの音楽とともに同じ監督の「男と女」(1967)の一シーン(白黒)から始まっているのを教えてもらった、おおかた察しはついていた。
リノ・バンチュラというい俳優の丈夫で長保ちの実在感が好き、ことに、あの、アラン・ドロンとの「冒険者」が。
昨日、もう一度「オペラ座の怪人」で、テリー・ポロと怪人との「フアウスト」絶唱を聴いた。何十度聴いても感動する。
2018 9/4 202
* 晩、ロシア映画であるかは分かりにくかったが明らかにロシアの小説に取材の「オネーギンの恋」を、画面の美しさにも物語の必然にも惹かれ、楽しんで見おえた。佳い映画は佳いという感銘だが不動の信頼にそむかない作品であった。疲れているときには、佳い映画は妙薬。
2018 9/4 202
* バート・ランカスターが座の支配人、テリー・ポロがクリスティネを歌いあげた「オペラ座の怪人」とはまったく別版の「オペラ座の怪人」も録画で観てみた、が、前者が断然の感動編、後者はややこしい上に「もののあわれ」も乏しく、歌いあげる見事さでも格別に劣っていた。
2018 9/5 202
* 昨日、「スペイン映画」だと思うが、バルセロナを舞台に、題は「オール アバウト マイ マザー」とある映画を観、感嘆した。あらくれて生き抜く女たちと母たちとが、なんらの感傷も過剰も頽廃も敗北も勝利もなしに、澄み切った空気そのもののよ うに烈しく静かに画かれていて、まぎれもないそれは「劇」的でいっそ美しい感動に満ちていた、感心した。ああ、こんな名作も有るのだと、出会いを喜んだ。 何をでなく、どう画いたかが決定していた、映画のシンの感度と感銘とを。
* 何となく何となく、十日(選集27出来)まえの気分の調整のように安楽に過ごしている。木曜の晩には「NCIS」の新版と「グッドドクター」が続くの を楽しみにしている。どっちも、「どう」創っているかの点で見応えあり感動もある。やすものではない。やすものは、かりに力作でも観やすく読みやすくて も、ダメ。
2018 9/6 202
☆ トド ソブレ ミ マドレ!
「スペイン映画!」「バルセロナが舞台!!」
「オール アバウト マイ マザー?」 聞き覚えがな・・・と思った瞬間、あっと思いました。
「トド ソブレ ミ マドレ」です!
嬉しいです。私も好きで、もう何度も見ています。
ちょうど2週間前にも見たところだったので、感動を分かち合ったようで、ますます嬉しいです。
バルセロナの 京
* 快哉! 街がバルセロナとあったから 「京」を想っていて、元気であれと念頭に極めて優秀な映画作品に感銘を受けていた。独りの折に観ていたので、妻にも勧めたら妻も一人観てやはり強い感銘を覚えたという。はからずもバルセロナと西東京とで交感出来ていたのも心よい。お元気で。
* 映画といえば、昨日午後、はからずも途中からギリシャ神話劇「タイタンの闘い」を二人で観たのが面白かった、というよりゼウス、ペルセウス、アテナら の神話世界を追体験できて不思議と懐かしく、また読み返したくなった。前半を観られなかったのが惜しい、があらましは受け取った。凄い場面をしっかり映像 化してくれていて、「指輪物語」などの映像家と同じ手に成ったのかもなど想像していた。
映画を見始めると、それも秀作に出逢えると。テレビの画面の大方はただ疎ましい雑世界としか見えない。
2018 9/8 202
* 昨夜、もう床に就くまえ、たまたま録画を拾い出して観た「大通りの店」という、題の意味も不明な映画、言葉は英・仏・独のいずれでもなく、その街には ユダヤ人が多く暮らしていて、しかもいましもナチスの親衛隊に占拠されているとだけは、すぐ分かった。そう分かってからの映画劇の進展は、いっそげらげら と笑えるような家庭的滑稽などを繰り広げながら何らの過激も騒動も無げであったのに、徐々に地獄相を帯びて恐怖と哀切の劇境へ陥ちこんで行った。説明はし ないが、身の毛もよだつ映画、屈指の名篇であった。
街中から、ひとりひとりユダヤ人の名が呼ばれ強制収容所へ送られて行くさなか、一人の、根はごく気の良いアーリア人男と一人のユダヤ人老婆との文字どおり「命懸けの混乱と葛藤」が悲惨な結末へ陥って行く。もう一度見直すのが、怕い映画。
こういう場面へ、われら日本人の暮らしが落ちこむことなど決して無いと、今、本気で楽観できるのか。日本は、かつて他国を占領はしたが占領されたこと が、無い。いや無いとは実は今日只今言えはしない、現に今しも、昨日も今日も明日もアメリカの帝国主義支配に国中を「防衛」という悪しき美名のもと占領さ れており、それも、いつか、そんなにも遠からずにアメリカと交替して、より征服欲に満ちた想像もならぬ暴虐の足下に国土と生活とを占拠・占領されないとは 否定しきれない。そんな危なさに「日本國」の政治は叡智と勇気とを見失いフラフラしている。われわれは、国民は、「私たちの私」は、この頼りない「公」を 正そうと分かっていなくてはならないのだ、身に沁みて。昨夜の、何処の國の誰が創ったともわたしには分からぬ映画「大通りの店」など、心して「わがこと」 のように誰もが観たがいいと、本気で思う。
2018 9/9 202
* 蒸し暑いなか、汗にまみれ懸命に荷造りなど。
作業しながら、日本の青春純愛ものというところか「膵臓が食べたい」を観聴きし、 今度は、大人の「恋のゆくえ」を天才的なジェフ・ブリッジス、好きなミシェル・ファイファーと、ボー・ブリッジスのトリオで、抜群のピアノと歌を楽しんだ。
手伝ってくれる妻の疲れをよくよく勘定に入れ、ゆーっくり、やすみやすみ作業することにしている。
2018 9/10 202
* 秋場所が始まっているが、わたしのスモウ熱はすこし退いているか。
喰う楽しみが激減(なにしろ半人前の面の半分で苦しいほど満腹してしまう)で、楽しみは読書と映画(映画館へ行くなど論外、猛烈に採り溜めてある録画であるが)と、ふたりのマコとアコ。この兄弟、麗しい限りに仲が良い。われわれにも懐き切っている。
西棟から、新井白石著の名高い語源辞典『東雅』を機械の側へ持ってきた。白石先生はかなり強引でもあり、また物に即して過ぎたる嫌いあるけれど、断然乎として面白い読みをなさるので、せいぜい受け売りを楽しもうと。残念ながら、「心」には触れていない。
2018 9/10 202
* 八時。もう疲れ果てた、休む。
ジェフ・ブリッジスとミシェル・ファイハーを、もう一度、半ばまで観かつ聴いた。もう、からだを横にしたい。
2018 9/10 202
* 送り作業のあいだに、たまたま放送した懐かしい映画「シェルブールの雨傘」を聴いていた。ホワイトクリスマスのラストシーンがとても好ましく、今日も胸にこたえた。
2018 9/11 202
* 烈しかった米国でのいわゆる9.11航空機テロ四機のうち、目的らしきを達成しないまま墜落し全員が死亡した四機めのリアルを極めた映像映画を息を呑 んで観た。凄いとはこういうことを謂うのである。死に臨んでの信仰という心裡の無意味なまでの頼りなさと真剣さとにも胸を衝かれていた。
2018 9/12 202
* 九時から 「NCIS」と 最終回「グッドドクター」を 十分に楽しみ、観入った。
前者は一時間のうちべらぼーに数多い広告に時間を奪われながら、えーっと驚くほど濃い内容がリアルで情感ゆたかに展開される。短時間ドラマづくりの手本 のよう。後者は、主演クンとワキへついた女医の上野樹里で、「ドクターX」などをしのぐ感動編を誠実に打ち出してくれた。
2018 9/13 202
* 鈴木貫太郎総理、戦争終結への渾身の舵取りを多くの資料や写真と共に感動に耐えぬママ見聞した。ほんとうによく支えてくれたと感謝に堪えない。こういう日本人である政治家も曾てはいたのだ、今は、恥多きウソくさい政治屋ばかりの国会、官邸。情けない。
2018 9/16 202
* 建日子、午後、見舞いに帰宅。仔猫たちとも再会し、キッチンで機械仕事をせっせとしてから、和加奈の鮨など喰って、忙しそうにまた都心へ戻っていった。
* そのあと「NCIS」を二人で暫くぶりに楽しんだ。ギブスのチームの優れた「人間劇」に感じ入った。「事件劇」はどう造り立ててもウソクサイのだ。以 前の「ドクターX」大門未知子劇も、事件をこなしてゆく「人間劇」になっているので高視聴率をとっていた。このあいだまでの「グッドドクター」も明らかに 事件劇であるよりも「人間劇」として成功していた。テレビ世界を概してえすっぺらにウソクサクしているのは、「人間」でなく「事件」に引き摺られているか らだ。自民党総裁選などのばからしさも人間のの聡明や高貴とり無縁な「事件劇」の薄さがバカげているのだ。
2018 9/24 202
* 骨休めに音楽クイズ番組を気楽に聴いていた。
建日子はカーサンの顔色は白いより淡黄色いのではと観ていた。壊死していた胆嚢は幸い摘除してあるが、脂気には気を付けねば。
わたし、気怠い疲れが溜まっていて、睡い。よく眠ることがいまは大事らしい。
2018 9/24 202
* しばらくぶりに湯に漬かれた。昔から何度も観た若いセガール一の快作「ハード・トウ・キル」を観た。
2018 9/25 202
* さ、そろそろ、雨になるか風が来るか。
* 床の枕脇の山積みの本の整理に、また力仕事に励んでカタをつけた。
機会の仕事もつづけて、九時になる。「大門未知子」のドラマを観に階下へ。
2018 9/30 202
* ジョン・ウェインの映画「ハタリ」が気分のいい佳作で楽しめた。いいヒロインにいい脇役が固めていて、動物たちもご苦労ながらうまく映画を合作してくれていて、なによりもウソクサクなかった、よかった。
2018 10/4 203
* わたしの無条件に受けいれ唯一気に入っている時代物の連続ドラマは、「剣客商売」。惜しいことに主役の役者が亡くなってしまい再放送ばかりをみるハメに なっているが、ともに剣客の父子嫁や若い母の情愛が清潔に美しく、申し分のないカメラワークで、江戸の風情を京都や琵琶湖などに借りて写しだしている。
これとくらべれば、「相棒」などの出来のいい方の犯罪ドラマでもせせこましく臭いと感じる。とにかくも気の低い犯罪ものは観たくない。
2018 10/4 203
* 疲れのまま、ナスターシャ・キンスキー主演の、長い、つらい映画「テス」を観た。観ながら、必要な手仕事もしていた。疲れた。
十一時、もう、やすむ。
2018 10/5 203
* ひと休みのおりにドラマ「春子の人形」を観て泣いた。田中裕子のこの上ない絶好の演技は毎度のこと、芦田愛奈といったかあの子がこんなに大きくなったかと思う春子役をりっぱに美しく演じて、広島原爆劇の悲惨をドラマの格調を高め高めよく演じて呉れた。
こういう秀作も創れるではないか、凡百の愚作作者や演者たち、なにより制作・演出家たち、ちっとは勉強して呉れよ。
2018 10/6 203
* ほんとうに久しぶりに、けれど少なくも五度目ほどになる映画、ロバート・ミッチャムとクルト・ユルゲンスという大好きな二人の名画『眼下の敵』を感動 しつつ観おえてきた。いい映画というのは、何度観ても何度観ても魂を揺るがせられ感銘を新たに出来る。映画藝術の妙味であり美味であり真実館である。凡百 映画ゴッコの駄作がみな塵のように風に吹かれ四散してしまうのに比し、映像の真の名作は、厳として生き残って感動を新たにし、生きる力をわたしたちに貢い でくれる。
2018 10/7 203
* 入浴後、はからずも銀幕に唱う美空ひばりの特集番組があり、釘付けになって心底聴き惚れていた。敗戦直後の同世代から昭和をともに生きた。最も敬愛する藝のある天才歌手であった。
2018 10/7 203
* 米倉涼子の新しいドラマを観るつもりが、疲労のまま、寝入ってしまい十一時を過ぎている。両脚へのきつい攣縮が兆して目が覚め、水分の不足を自覚、ま た夜分の薬用やインシュリン注射もいま事終えてきた。頸筋のうしろに強い凝り痛みがある。四の五のなく、今夜はこれで寝入れるように用心するが賢いよう だ。
現在、ことに仕事の上の遅れは無い。創作の進展と推敲のほかは、二十五日からの新しい湖の本の発送、厄介な難儀は「選集28」責了後の「郵送」のための 宛名手書き。六百頁を越す大冊ではあり、今年最期の越えるに骨折れる大きな山場になる。多くは妻に頼らず自身で片づける。
2018 10/11 203
* 録画しておいた篠原涼子の失格弁護士ドラマ初回を面白く観た。わたしは外科医としての大門未知子が徹底して患者の命を救うべく「失敗しない」手術に喝采を惜しまなかった。そこには医師の本領があった。
だが、弁護士は必ずしも、ないしは大いに、正義や真実と無縁に、巧妙な時に狡猾な調査や法廷技術で闘い、ただ勝ち負けに奉仕しているらしいのを、半ば忌避しときに軽蔑さえしている。検察についても全く同じである。
わたしは人が人を裁く裁判の正義を、よほどウロンなものと眺めている。そんな職に就かなくて済んだのを感謝している。弁護士資格を剥奪されているヒロイン、というアイロニーを当分眺めてみる。
2018 10/13 203
* 小津安二郎監督の「東京暮色」 胸にしみ入る映画だった。だれもだれもが哀れにしみじみと生きていた、独りだけは死んでしまった。
想えばわたしも孤りの境涯を四、五歳から血縁のない家の子として大きくなったが、幸いに深くは悩まなかった、幼いなりの哲学を身に帯び、そして血縁の外で真実と信じられる愛を創作していった。有り難いことであった。
2018 10/14 203
* 相変わらず食欲がない、少し口にするだけで腹が張ってしまう。夕食の時、録画してあった小津安二郎の監督映画、「東京暮色」に次いで「早春」を観た。 しみじみした。池辺良、淡島千景を芯の夫婦役に、いつもの小津組みの懐かしい男女俳優たちが出揃って、隙のない佳い脚本と例の小津調の写真とで、しんみり とサラリーマンたちの日々と哀歓とを綴りあげていた。岸恵子、浦辺粂子、中北千栄子、杉村春子ら女優陣が脇をうまく造形してくれた。男優達も渋い佳い出来 だった。ああこんな時代を歩いてて来たなと東京の風景が懐かしかった。
2018 10/15 203
* 九時前。九時からの、米倉涼子ドラマ「リーガルV」と謂ったか、二回目を観に降りる。
* 一回目も鮮やかだったが、二回目も抜け目なく面白くみせて、米倉涼子の才能と共に脚本家の柄にも大きく頷けた。「ドクターX」と同じ脚本家かどうかは 分からないが、ともに娯楽作としても凡百の思いつきアルバイトの域をしかと抜きん出ていた。この調子で次々を楽しませて貰いたい。弁護士資格を「剥奪」さ れている元弁護士の敏腕辣腕という発想もこの際は受け容れやすい。わたしの弁護士嫌いをアクティヴに納得させてくれる。
2018 10/18 203
* 連続ドラマ「リーガルV」は、セクハラの冤罪・無罪についで微妙なパワハラを扱っていた。「パワハラって、何?」という簡明な問題提起もしていた。
2018 10/19 203
* 今晩、録画しておいた『あにいもうと』を観て感じ入った。笹野高史と波野久里子の両親、息子(兄)に 大泉某 娘(妹)に宮崎葵 で、犀星原作を現今に写して、結構な、んなり確かな、こころよい力作であった。テレビ劇に、「原作小説を脚色」の、また一つの 佳い作品を加えてくれた。
兄妹たちも、父と母も、生き生きしていた。
ただ、問題の妹がいわくのあったインテリ学究との結婚式にまで到るのはやや甘いという不安も残しはしたが、演出が石井ふく子とあっては、ま、そんなところへ落ち着けたいのだろう。
原作ものでは、やはり鴎外の『阿部一族』が突出した名作で追いついたと思うモノはまだ観ないが、荷風の『踊子』など印象に濃い。
くだらない思いつきTVドラマなど乱作しているより、脚本書きを自称している人達、原作小説の脚色という「読みの深さ・確かさ・みごとさ」で腕を磨いて欲しいものだ。 2018 10/21 203
* ラジオに電源を入れたら静かなピアノ曲、ショパンのノクターンだったらしいが、終えてしまった。いちばん欲しいクラシックの演奏を聴き損じたらしい。つぎは誰かサンの歌劇が始まるらしい、序曲めく演奏が続いている。
きのう観た宮崎葵らのドラマ「あにいもうと」のように、いま、しきりと、ほんとうに佳いものに触れたい。ウソクサイのはいや。軽薄で雑駁なのもいや。映 画「ウエストサイド ストーリー」「シェルブールの雨傘」がまた観たいし、ジェフ・ブリッジス兄弟やミシェル・ファイファーらのピアノと歌が、いま、聴き たい。
* ラジオを鳴らしていると、わたしが軽音楽の世間を全くと云うていいほど知らなかったことに気付く。そもそも、あの喧しかったビートルズの音楽をわたし、百パーセント識らない。意識したことが全然ない。徹して美空ひばりばっかり。
2018 10/22 203
* 「湖の本」142、納品。すぐ発送作業に掛かる。六時、夕食前に作業を一段落と同時に血の気が引くように一気に疲れが出た。貧血か低血糖か、要するに過労 の疲労。それでも、夕食を攝ったあと、また仕事を再開。九時からの「リーガルV」が終わるまで、作業を続けたい。
機械の前で居眠りに落ちていた。階下でしばらく横になってからまた作業を続ける。ラジオがピアノ曲を聴かせる。階下での作業しなからのテレビはなんとツ マラナイばっかりか。ピアノの音色はなんて佳いんだろう。もう八時前。作業はあきらめて明日へ持ち越そうか。両掌が音たてるように痺れている。
2018 10/25 203
* 妻が歯医者への留守に映画「ロシュホールの恋人たち」を楽しんで見終えた。「シェルブールの天傘」は歌のミュージカネルだった。これはダンスのミュージカル。フランソワズ・アルヌールのほかにジョージ・チャキリスやシ゜ーン・ケリーがダンスを観せてくれた。
機械の側へ戻ってくると、グレン・クールドがバッハを演奏してくれている。
2018 10/29 203
* 野球の日本一決勝戦がありドラマ「リーガルV」が流れた。「NCIS」を観た。プロ野球はいまや監督の名も選手の名もチームの名すらも憶えていない。むか し「フロ野球」と称して、銭湯へ行くと脱衣の番号を大下や川上や藤村の背番号で取り争ったが、成人してからはプロ野球というと、野茂、イチロー、マーク ン、ダルビッシュ、大谷サンなど米国へ行った大リーガーの活躍にしか興味が無い。
2018 11/1 204
* 気象予報の「神」とも称えられた島川さんという存在の偉大さを教えられた。日本であの史上最大のと謂われる伊勢湾台風を島川さんは予告し、懸命に避難 勧告をと関係各方面に働きかけたのを完全に無視され、今も語りぐさの最大被害が起きた。彼は気象庁を離れてNHKで「気象予報」をしはじめ、今日の予報精 度と方法の基盤をつくりあげた。最大級の讃辞にふさわしい功労者とはこういう人を謂うのである。
* もう一つ、今日のテレビのニュースに、気がかりな、韓国での日本に向けた「若者」事情があった。長崎の原爆投下をシャツの柄にとりあげて、反日感情をむき出しにし始めていると。
日本人にヒロシマナガサキの原爆は「敗戦」を象徴する最大の惨害だったが、朝鮮半島では日本の支配から「解放」されたいわば「勝利」の象徴とも謂える一面を持っている。
南北朝鮮の対立が宥和のうごきをもてば、帯同的に朝鮮半島での半日感情は歴史の記憶とともに沸き起こる。
さきざきと謂わず、もう目の前にこの難儀は現実性を増しこそすれ、容易に解消へ向かいかねる。日本人と日本国政府とは、この容易ならぬ明らかな悪感情と の、誠実で有効で力強い外交力をますます必要とするはず。日本国と日本列島とを無惨な最期へみずから追い落とすことのない知恵を要する。わたしのような老 人がでなく、まさしく「若い人たち」こそが真剣に対処し続けねば済まぬこと。
スマホ呆けのさまなどを観ていると、ただただ肌寒く、いっそ余命・残年のない老境に安堵して仕舞いかねない。いけない、いけない。
2018 11/12 204
* 津川雅彦と朝丘雪路夫妻への告別の会で、奥田瑛二という俳優が、弔辞で、生前津川に「藝術至上主義」を語りかけて痛罵され、「エンターテイメント 人を喜ばせる」のこそが俳優の天職だと叩かれたと語っていた。
これはまこと考慮と反省とに値する問題点で、津川の認識は、天の岩戸前のウヅメの舞遊びこのかた「遊藝者」たちが処世の鉄則なのであった。またそのゆえ にこそ遊藝者たちは神代このかたついこの戦前まで、優に二千年を人外視の痛烈な迫害と侮蔑・差別に地獄の苦しみを負い続けてきたのだった。それが日本の歴 史の「倫理に悖る」過酷な一面なのであった。理解できない人はわたしの著『日本史との出会い』ちくま少年図書館の一冊その他関聨の論著を読まれたい。
「人を喜ばせる」とは、じつに単純に分かりやすそうで、歴史的にはじつに複雑を極めた人間社会の負荷・負担の一面でもあったのである。「遊藝・藝能」の 人がまさしく地に這う境涯から、あたかも貴族・華族かのようなめざましい転換を体験し実現し得てきた「人間の、日本人の歴史」の或る意味凄まじさは、静か に心深く顧みられ、いかなる意味ででも「人間の人間による人間差別」は切に非難し解消されねばいけない。いまや社会の強者然と高慢化しつつある、その実た いした「藝も能もない喧しいだけの自称藝能人たち」にもそれは逆に言わねばならぬのである。
「藝術至上主義」などという名目が、いまもかすかにでも世渡りしている現実は、苦笑に値するとわたしは思っている。この人間社会に、「至上」などという 価値観をばらまくことほど罪なものは有るまい。「アメリカ・ファースト」などと蛮声を張りあげるバカな大統領がその醜くも露骨な実例である。
驕るなかれ。ほんとうに「人を喜ばせる」とはじつにじつに難しいことと心得て、むろん小説家も含む藝能・遊藝の人は、恥ずかしくない「藝・能」を渾身磨 かねばならぬ。亡き津川雅彦は、よくガンバッたなとわたしは眺めていた。惜しんで余りあるあの美空ひばり、中村勘三郎を思い出す。
万葉歌人たちや、紫式部、和泉式部、西行、兼好らこのかた、文学・文藝の歴史とて別でなく、西鶴、近松、芭蕉、秋成、蕪村らを経て迎えた、明治大正昭和の文豪達の「藝術」にわたしは感謝を忘れない。真実「喜ばせ」てもらったからである。
藝能人が浅い感覚から「藝術」をはねのけて驕ってしまっては大きく間違うのだとも、よく優れた先達に学んで欲しいと思う。
2018 11/22 204
* 階下のテレビで、音楽のCDが聴けるようにし、昨日から、ピレシュのピアノでモーツアルト、宮澤明子のピアノ曲集などを。テレビの画面からは、九割が た 絶えて 観て嬉しい良かったと思える、気持ちの美しく静まる番組がない。不愉快を強いられるだけのほうどうやバカ騒ぎばかり。きりっとして時局へモノ 言う知識人・志操の人の声も聞かれない。つまりはなにもかも、コマーシャルの一切もふくめ、ウソクサイ。なら、画面は消して いい音楽、心地良い音楽を聴 き、そして優れた小説やオッセイを読み返し返し、せめて怪我なくからだを動かし元気に過ごすのが、何よりと。
* テレビでは、 比較的、池上彰氏の諸「解説」で案内される世界事情・現代事情に教わっている、高橋英夫氏の中東事情の案内や、他に名前は出さないが数人余の信頼できるジャーナリスト、事情通のいるのも分かっていて、それらには静かに聴く耳を明けている。
政界、ことに与党に飼われているような政治評論家の言説は、蒙御免。
* 火野正平らの自転車での「こころ旅」には惹かれる。静かに伝えられる伝統芸能や美術には、心を寄せている。むろん、懐かしい「京都」にも。
時に、とてもいい映画、この近日では西田敏行らの「学校」 などが観られたのを、徳としている。「命」をまもり、「不正」を憎むモノは受けいれたい。
殺しもの、刑事もの、すべて犯罪ものは、拒絶。
芸人と自称の無芸人がかたまって無意味にバカ騒ぎしているのは、すべて唾棄。
2018 12/3 205
* 朝食のまま録画してあったカッコいいイーストウッドの「ダーティ・ハリー」の一つを観てしまった。映画作りの巧さ、主役の適確ないし芝居の的確で確実な映 画作品になってくる。画面の移動に微塵のスキもムダも無い、これが日本のテレビの日常愚昧劇の学び取れないところ。いい「劇」とは、みごとに「劇的」と は、「時間」が正確に躍動して生きるということ。
2018 12/11 205
* 疲れて階下へ降りるとバカ騒ぎの俳句教室とやら、参加者の駄句ぞろいは不思議でなくもともと俳句読み味わって覚えたというより、いくつかのきまり常識のまま苦心してひねるのだから、佳句のでる余地はよほどの偶然以上にあり難い。それはそれで仕方ない。
困るのは女先生の、はなはだ低次元な添削指導が世にみちびく俳句誤解の懼れである。俳句はたかが五七五三句で、短歌和歌よりやさしい創作と想わせかねない、しかし俳句は短歌よりも自由詩よりも遙かにはるかに表現難儀の「おそるべき詩」なのである。
せめて番組のなかで、出題に相応の真実名句と思いうる例を一句はかならず参加者にも視聴者にも読ませて欲しい、その名句をどう女先生が取り上げてみせうるか、わたしはそこが知りたい。
* こんなことを言うと怒る人もあろうが、すぐ手元に稲畑汀子編著の『ホトトギス虚子と一○○人の名句集』がある。「ホトトギス」は近代俳句の久しく王城であった。
しかし、わたしが歳月掛けて一人一人の一句一句を繰り返し読んで行って、「名句」と思しきは極めて稀れ、一人四十句、人により倍の句が並んでいて、名だ たる俳人たちにして、十句にも爪印のつく人は極めて稀れ、名の通った人にしても数句に足りないということが多いのであり、それほども俳句の表現と世界は険 しいのである。しかし、それを理解して行かないと「芭蕉」も「蕪村」も「子規」も「虚子」も自身の宝にならないのである。
「俳句の大衆化」というつもりだろうが、俳句は根が大衆の表現であった、ただ、テレビ番組のような軽薄な仕方でではなく、よほど厳しい自覚や適切な指導のもとに理解を深め表現を磨いて、俳句世界の和歌や短歌とはまるで異なる妙趣を画いていけたのである。
桑原武夫は「第二藝術」と批判したのは、俳句が安易な理解と表現で独自の「詩」境のあるのを見損なっている俳壇を嗤ったのであり、わたしだって嗤う。
虚子の句を噛むほど読んで力とす
これはわたしの俳句ではない、わたしの虚子愛なのである。
人病むやひたと来て鳴く壁の蝉
遠山に日の当りたる枯野かな
桐一葉日当りながら落ちにけり
春風や闘志いだきて丘に立つ
白(はく)牡丹といふといへども紅(こう)ほのか
夕かげは流るる藻にも濃かりけり
一面に月の江口の舞台かな
手毬唄かなしきことをうつくしく
大寒の埃の如く人死ぬる
大根を水くしやくしやにして洗ふ
深秋(しんしう)といふことのあり人も亦
虚子一人銀河と共に西へ行く
去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの 高濱虚子の句
2018 12/13 205
* 暦こそちがえ 日付の今日は、討入りか。
初世松本白鸚が幸四郎時代の、しかも出演面々の顔ぶれのなんとも懐かしいかぎりの映画が録画してある。
長いが、観るか。
八月十五日とこの日とはなにとなく胸の内の区切りになっている。
* 忠臣蔵「花の巻」「雪の巻」を観終えてきた。超長編をラフに珍しい感じに編輯したものと観ていた、それはそれでも良かった。八代目幸四郎の大石、中車 の吉良、原節子の大石妻、三船敏郎の玄蕃、司葉子の遙泉院、その他に志村喬、星由里子、池内淳子、新珠三千代等々、とにかく幾昔かのスターたちがわんさと 出揃っていて懐かしい。
* 忠臣という好みも思いも縁を持ちたくないが、公儀の片手落ちへ敢然とした叛逆精神をわたしは大切に感じている。それがために赤穂義士の映像は飽かず観るのである。
2018 12/14 205
* 「リーガルV」最終回を見直した。今回だけは、力が有った。概して「ドクターX」に及ばなかったのは、これが犯罪なのに、あれは命の尊さ有り難さと死と がヒタと表裏していて、いくらバカ場面がハバをしていてもなお感銘を受けずにいられなかった。弁護士業は権力にも膚接していてイヤラシイが、医師は名医凡 医にかかわらず病気や命との懸命の応接がある。もともとドラマ純然の感銘では勝負にならないと観ていた。その通りだった、ただ、米倉涼子は終始美しくて強 靱で颯爽としていた。他の一部メンバーのガンバリも多とするに足りていた。
この程度の見応えをいつも確保の「現代」ドラマを、最低、創って欲しい。
本格に組み上げた歴史劇は観たいが、安直な時代劇は一つも要らない。
2018 12/16 205
* からだの芯まで冷え、腹具合も変。出歩く妙案もない。仕事にうちこむのが一等のビタミンか。それともラジオを浴室に持ち込み 音楽を聴きながら湯で寝入るのも。こんなことをすると、またまた叱られるか。
* 仕事をしたり、またまた「リーガルV」最終回を観たり、いたずら「マ・ア」めらを水鉄砲で追い回したりしていた。
2018 12/16 205
* 夕食後、すこしやすみたくて、ジャック・ニコルソン主演の映画「恋愛小説家」を愉しんだ、さて何という主題でもお話でもないのに、洋画では近来にない逸品だった。クセのつよい名優ニコルソンの傑作映画というに足りた。満たされた。
2018 12/17 205
* 超大作の映画「クレオパトラ」を三分の一ほどまで観た。これもまたシェイクスピアの歴史劇に拠っているが、映像の豪 奢に驚き、エリザベス・テーラー演じるクレオパトラの美しさ・凄さにも気押される、が、かれらの覇道にはそれなりの理も読み取れるが、一転、梟悪リチャー ド三世らの『薔薇戦争』を活字で読んでいると、逃げ場もなく、惨逆のえげつなさに段々気が滅入ってくる。生き地獄の観がある。「王位」などという無意味な 発明で人間は底知れず堕落して行く。英・仏人の文化的卓越を認めながら、皇族貴族らのバカらしい狂いざまには惘れてしまう。日本になかったとは謂わない が、無くてほしい、絶対に。不安は、だが二十一世紀といえども、有りかねぬ。
2018 12/24 205
* 文字どおりの超大作映画「クレオパトラ」まことにしっかりと画かれて劇的に優れた作品であった、通して観たのは初めて、いささか甘く見せ物かと思っていたが、堂々と充実の大作であった。満足した。シェイクスピア劇の精華である。
2018 12/25 205