ぜんぶ秦恒平文学の話

歌舞伎 2018年

* この正月の夢は、高麗屋三代襲名初春興行の歌舞伎座、昼夜。
いろいろが有って、今世紀になってかつて無かった「四ヶ月経て 久しぶり」の歌舞伎、とても楽しみに待っている。昼に、夜に、出し物に合わせ絶好席を用意して貰ってある。「襲名口上」の席に、腰掛けの姿だけでもいい、中学以来の友、片岡我當の顔も見たいなあ。
2018 1/2 194

* 干支の戌をみごとに手描きされたのも数枚在り、感嘆・嘆賞に絶えない。
浅田彰さん、松本(新)白鸚さん、漆藝家望月重延さん、そして東工大院卒生の為我井ゆりか教授の「戌」たちはまさに四天王、甲乙なく、美しい。面白い。松本(新)幸四郎のワンちゃんも愛らしく画けてある。
2018 1/3 194

白鸚在樹 蓬莱山
秋石・画(部分) はるか天上には 旭日

* 我が家の正月、必ず玄関にこの「松」が立つ。函には「蓬莱山」と画家自身が題している。
明けて今月、晴の三代襲名歌舞伎座舞台に奮励の「松本」高麗屋へ、慶賀・激励の一幅とも。
2018 1/5 194

* 歌舞伎座初春興行 高麗屋三代襲名披露 昼夜

* 去年九月 秀山祭 を観に出かけ、 十一月顔見世を楽しみにしていたが、妻の俄な入院手術で、舞台は息子が代わりに観に行ってくれた。
四ヶ月目の、それも目出度い襲名興行なので、二人とも怪我なく観に出たいと、楽しみに楽しみに待ち望んでいた。風邪ぎみを、こじらせたくなかった。

* 楽しんできた。新十代目幸四郎夫人(新八代目市川染五郎くんのお母さん)が挨拶に見え、新二代目白鸚夫人とも握手してこの日の到来を祝い合った。
昼の部は三列十四番の花道近い角席で、白鸚渾身の「寺子屋」松王丸と真っ向にひたと向きあう絶好席。もう何度も何度も何度も観て来た九代目幸四郎が、勧 進帳の弁慶とならんでならびなき役者ぶりで観せつづけた松王だが、さすがに今日の松王には磨きが掛かって美しく毅く哀れに泣かせた。梅玉の武部源蔵がみご とな応対で、かつて観てきたどの源蔵、どの梅玉の役よりも内へ内へ力を秘めて、立派だった。松王妻の千代は魁春が似合い、源蔵妻戸浪の雀右衛門も、それぞ れ悲しみも緊迫も行儀すぐれて美しかった。
さらに感心したのは左団次がつき合った赤づらの春藤玄蕃、なかなかに落ち着いた貫禄をみせ、大勢の玄蕃を観てきたが、出色、よしよし。園生の前は藤十郎、涎くりは猿之助がつき合い、百姓どもも幹部連中が気前よく付き合っていた。
「寺子屋」が、さすが、今日一日の白眉であった。胸へしかと来た。
「寺子屋」の前へ新幸四郎が松王丸で「車引」はいかにも時代物の歌舞伎味、梅王丸を勘九郎、櫻丸を七之助兄弟が精いっぱいに綺麗に付き合って「賀の祝」 も想わせながらの一舞台だった。幸四郎は、まずまず清新に。もの足りなかったのは配役を観て案じたとおりの弥十郎の藤原時平。図体はでかいが、肌に泡立っ てくる怖さ凄さがとても出せない。いままでも「車引」のまことの主役は此の「時平公」でこそ大舞台になり得ていた。まだまだ弥十郎には時平の凄みを出す貫 目も内心も無い、残念だった。

* 昼の部幕明きは「箱根霊験誓仇討」をこれも今や大成期待の中村屋兄弟(勘九郎、七之助)が、ま、気を入れて相務め、秀太郎が老母早蕨で、愛之助が仇役などを付き合った。まあまあの一と舞台、まだまだ力演に走る愛之助に内から膨れてくる役の大いさは出ない。

* 二番めの「七福神」は、ま、中堅の役者の顔がならんだご祝儀の所作事。又五郎の恵比寿、鴈治郎の大黒天、扇雀の弁財天、芝翫の毘沙門、門之助の福禄寿、弥十郎の壽老人、高麗蔵の布袋。さてという見どころもなくて、おめでたく。

* 昼は、流石に流石に二代目白鸚、絶境「寺子屋」の松王丸に極まり、梅玉、左団次、魁春、雀右衛門らも心籠めて美しい舞台を創ってくれた。

* 佳いマスターだった千葉さんが昨夏にわかに亡くなって寂しかった茜屋珈琲店、人が変わってそのまま開業していた。美味いコーヒーを楽しんだ。

* 夜の部は、何と謂っても「口上」に次いで新十代幸四郎の弁慶と 新八代染五郎の義経、父と子とで演じる「勧進帳」で盛り上げた。舞台中央 三列めの角 席という絶好席で、三代口上の華やかも、また「つひに泣かぬ弁慶」の大きな所作での勧進帳も、吉右衛門(幸四郎の叔父)の関守聴聞も義経「御手をとりたま ひ」も、まぢかに迫ってきて感激した。
もとよりまだ新幸四郎の弁慶は場数に練られていない。が、それだけに新鮮に爆発できる。若い感動が発揮できる。よくやった。
新染五郎は持ちまえの気品と、前へ踏み出せる役者好きの力とで、ますますの「主役」になって行くること、間違いない。

* 夜開幕、芝翫と愛之助の「相撲場」はまだサマにならず、大喜利の所作事、雀右、鴈治、又五の「三人形」にはすこし心を残したが思い切って、幸四郎夫人 に弁慶・義経を祝う声を掛けておいて、これまた久々に帝国ホテルのクラブへ走り、ゆーっくり、妻は遅めの夜食とおしゃべりを楽しみ、わたしはとっときのブ ランデーが嬉しかった。
車を使う必要もなく、地下鉄と西武線とで、ネコ。ノコ。黒いマゴたちに留守を頼んでおいた我が家へ。真実、ほっこりした。高麗屋おみやげの鶴屋吉信の京菓子が美味かった。
2018 1/11 194

* 「選集第二十四巻」の送り出し用意を完了。
昨日、「湖の本138」のあとがき念校が届いていた。責了で送り返せば二月一日には本が出来る。
今朝は「選集第二十六巻」の零校が大冊で出揃って来た。「選集第二十五巻」は、もう一両日で初校が戻せる。
平成三十年が確実に始動して行く。何としても目も弱く疲れやすく知らぬ間につっ伏して寝入っていたりするが、それもよし、やすみやすみ息長く仕事を楽しみつづけたい。
もうよほど前、わたしたち夫婦が元気な内に染五郎(先代、新幸四郎)クンの「弁慶」が観たいものと、お母さん=幸四郎の奥さん(新白鸚夫人)と9Hロ ビーで立ち話を楽しんだが、その願いは幸いもうとうに叶っている。今度もまた新染五郎クンの「弁慶、観たいですね」と昨日も笑い合ったが、そのためには少 なくも卆壽いや白壽まで頑張らねば叶うまい。
ま、春長、気長に、気を付けてくらすこと。気を病めば清新を喪う。清新を喪えば世界はうす暗くなる。たださえくらい世の中、自身内心の世界は快活でありたい。
2018 1/12 194

* 機械が順調に温まってくれないと、容易に操作できない。やれやれ。辛抱辛抱。発送作業の用意が順調に行けば行くほど、気も体もラクになる。
三種の挨拶を書いて人数分を印刷し、独りずつらカットして置かねばならない。今、印刷を終えた。この作業と、カッターで切り分ける作業がしんどい。
ついで郵袋を註文し、届いたらすぐ、各種のハンコを捺して置かねばならず、数があって相当な労力を要する。
その間に宛名印刷の可能な先を印刷しておき、郵袋に慎重に貼っておかねばならない。
数量があり、総じては嵩も張り、それねいろいろに分類しておかねばならず、芯が疲れる。
以前はすべて手書きの挨拶をしていたが、今は手も痺れて字が書けず、失礼している。
十九日には選集第二十四巻が出来てきて送り出し、追いかけて、二月一日予定の湖の本138発送開始へ用意を遂げておかねば成らず、むろんその間にも、進行中の校正往来や原稿用意は欠かせない。
常は無いことに今回は二月半ばへの二十枚原稿の依頼を受けてしまっていて、この依頼がかなり重たい。
こういう全部を、二月半ばの歌舞伎座、高麗屋襲名興行二月の芝居までにみな仕遂げておかねばならない。 終えれば、すぐさまに「選集第二十五巻」の納品が迫ってくるだろう。
2018 1/14 194

* 高麗屋三代襲名二月興行、正月に勝る充実で、終日満ちたりた。

* 昼の部、開幕ははんなりとお祝いの所作事を、梅玉を芯に、若い人たちがおめでたく。
さてお目当て一番「一条大蔵譚」は、新幸四郎にぴったり、自信満々の好演で、彼にとって、生涯数指の内に数えられる「本役」となるだろう、共感と称賛の 拍手を惜しまなかった。二列、花道近い24・25の角席は、主役の彼から終始真っ向むきあう絶好席で、身を乗り出し、うなづきうなづいて楽しんだ。幸四郎 もいかにも楽しげに熱く面白くまた賢く好演、大蔵卿のつくり阿呆は彼のキャラクターに嵌った柔軟で堅実な境涯で、初演の頃から巧かったが、十代目襲名を好 機にさすが見事に手入れが行き届いて、史実を背負って難しく組み合うた舞台を、ひとしお劇的にした。
さすが時蔵の常磐御前。松緑、孝太郎の鬼次郎・お経夫妻も見応え確かな助演で、襲名興行堂々の一幕となった。秀太郎・歌六の勘解由・成瀬夫婦も、渋くて確か、まことに嬉しい一芝居だった。
あとの幕間で、若い幸四郎夫人に、「よかったよかった」と、ニッコリ。

* 次がまた、満場を涌かせて、市川海老蔵が十八番の随一鎌倉権五郎の「暫」とは。「えらいサービスやなあ」と妻もニッコリ。大きな大きな花道芝居では、 まぢかに目も合い、好漢海老蔵の一皮も二皮もむけた大きなゆとりの存在感に夫婦してのけぞるほど大満足、満場も大喝采で酔わされていた。独特の海老蔵「割 れ科白」の欠陥まで不思議に今日は柔らかみに化け、この途方もない豪傑の愛嬌になっていた。ま、成田屋はこれでいいのだろぅ、「どんどんよくなる成田の太 鼓」と、今は亡き父団十郎にも云うていたが、子息の此の海老蔵、やがて団十郎襲名のころには捉まえどころに困るほど途方もなく大きくなっているだろう。

* 松嶋屋の女形孝太郎が、出会うたびぐんぐん大きく成っているのを頼もしいと見てきた。舞いも踊りも、科白も、しっかりと。

* 昼の大喜利、期待していた吉右衛門の「井伊大老」これはガッカリした。井伊とも有ろう者の最期とんった一夜の、愛妾しず(雀右衛門)とのあまりに感傷 的な向き合い方、疑問を超えて変テコだった。この芝居、初代白鸚のまさに生涯最期となった舞台が、しんしんと雪の夜の深い深い静かな舞台が忘れられず、新 白鸚が幸四郎として最期の舞台で見せてくれたときも、運命と時代を見通した切ないが剛毅な覚悟が見えて素晴らしかったのに較べ、吉右衛門今回の井伊大老 は、ただただ往時を偲んでしずとともに感傷に溺れたような騒がしさ、これは断然、いけなかった。

* 夜の部の圧倒的な舞台は、大喜利 仮名手本忠臣蔵「祇園一力の場」で、二代目新白鸚の由良之助はまた一段の磨き、深切かつ豪放のまさに大名跡を体現して、ああ流石と感嘆。
さらに加えて、わたしたちを驚喜させたのは、仁左衛門(足軽寺岡平右衛門)と玉三郎(遊女お軽)兄と妹との寸分の隙も揺れもない絶好調「じゃらじゃら」 の所作。その美しさ確かさ懐かしさ。もうもう、この二人でのこんな名演は、これが見納めかも知れないという感傷に、胸も目も濡れて、感激した。二月襲名興 行絶大の極めつけであった、二列24 25の角席というこれまたこの舞台のための絶好席を用意して貰え、嬉し泪にも濡れた。

* 夜開幕の「熊谷陣屋」は、新幸四郎ががんばったが、がんばりように熟した深みが出ずに強張り、化粧も陰気な「キムタク」に似て見えて魅力に欠けた。父 先代の熊谷は「藝術」として純塾の哀れさ毅さが魅力だが、新幸四郎が熊谷でそこへ到達するには少し時間が掛かるかも。なにしろ熊谷以外の配役はベテランの 手だればかりで、わたしらももう何度も何度も「熊谷陣屋」は観ている。染五郎の頃の熊谷を一度観ていて、その時も、「寺子屋」の松王丸より固いなあ手こ ずってるなと感じたが、今回もそのままだった。左団次の弥陀六 菊五郎の義経 また魁春の相模などは流石であった。いい芝居なのだ。

* 襲名を祝う木挽町芝居前での「壽三代歌舞伎賑」は、総出のおめでた、わたしにとり特に嬉しかったのは、中学以来の旧友、松嶋屋の御大片岡我當が病躯を おして襲名お祝いに舞台へ出てくれたこと。目も合い、会釈してわたしは用意の乾杯。主役の高麗屋三代へも乾杯、かすかに新白鸚さんの会釈を受け取った。両 花道をつかっての、立ち役 女形 双方からの祝辞も面白く聞けた。
幕間には白鸚夫人ともお祝いの歓談、妻は無事退院を誰からも祝われていた。

* 高麗屋の番頭さんらにもお祝いと感謝の声を掛け、歌舞伎座を出た。寒くなく、すぐ、くるまで日比谷のクラブへ。歓迎され、チョコレートをもらい、「な だ萬」の弁当をとって。美味い、洋酒。いつもの美味いアイスクリームで締めて、疲れもなく元気に帰宅。どの電車でも座席を譲られ、感謝感謝。
2018 2/15 195

* 義妹は生彩精密写実の驚くべき達者だが、このところ「抽象画」へ心惹かれながら、難しい、出来そうにない、と姉(=妻)のもとへも言うて来ているらしい。
わたしは生来、繪心ゼロの鈍な者で、どうしようもないが、その故にかえって美学藝術学へ向かい、いつ知れず美術賞の選者を四半世紀も務めたりしてきた。美術関係の著書も何冊も書いてきた。リクツで美しいモノを観てきたと言われれば、ま、その通りなのである。

* ところで「抽象美術」というと、西欧の多くの人の名や作がつい思い浮かぶが、ひるがえって日本や中国の絵画や美術にも、独特の抽象作品がある。「抽 象」の、名よりも実において、「他」を捨てに捨てて「一」に徹し帰して行く、例えば花・鳥。花鳥画の粋は、日月や海山や空を捨て、人里を捨て家を捨て人を 捨てて、ただ花へ鳥へ世界像を究めて行く。他の一切から抽象して独自の世界を生みつつ、悟達へ通う独特な「空観」を遂げている。
概して、独特なオブジェは別として、西欧出来の抽象繪画に、魂を揺すられるほどさしたる名画は少なく、不味くすると図案化へ滑り落ちている例がまま露骨に見られる。追随者ほど、抽象と図案・デザインの差を強引に無視さえしている。
十五日、歌舞伎座の舞台に草間弥生の緞帳が出ていたが、何の感銘も得られない只の奇抜ですらない思いつきの図案のまま、色・色が騒がしかった。かといっ て、他の緞帳が良いとも思われない。美しい夕顔棚の優雅な図案化は美しかったが、他は、松尾敏男の富嶽ぐらいが一種の抽象美を見せていただけ。
模様や図案と、抽象とは、ちがうと思っている。抽象の底には技術が孕んだ世界観という哲学が働くはずと思っている。ま、わたしの誤解かも知れないが。
2018 2/17 195

* 月末には、三代襲名興行を立派に一月二月と遂げられた高麗屋の三人連名で、わたくしども夫婦へまで感謝のご挨拶があった。恐縮した。
2018 3/1 196

* 昨日、建日子と映画「浮草」を観て嬉しかったのと、劣らぬ嬉しさを、建日子が街へ帰っていった後刻、妻とつぶさに見入り、魅されていた。坂東玉三郎が 「京鹿子女道成寺」始終の「理解」を、実に適切に具体的にしかも美しい語りかけで講話してくれた番組だった。録画できなかったのが惜しかった。
坂東玉三郎は、わたしの人生で出会えた、美空ひばりとならぶ、数少ない世紀の天才の一人と挙げられる。称揚よりも先に、同時代を倶にし得たのを心から悦ぶのである。
「踊る」という肉体の秘蹟を深切に分かりよく分かりよく自身実演の映像で解説してくれた。その物言いの美しさがすでに玉三郎の「藝」であり、ああ、これをも建日子に見せたかったなあと、こもごも妻と感嘆久しうした事であった。
2018 3/3 196

* 新十代目幸四郎丈の新刊本が送られてきて、妻がさきに、面白がって読みはじめている。清新の気に溢れ、写真をみていても心よい。
俳人奥田杏牛さんの新句集、わちしの一文も差し挟まれている『箇中箇』も紅書房から送られてきた。
待ちかねていた源氏物語の文庫版第三巻も今西祐一郎さんの周到な註釈も楽しみに、「澪標」巻から楽しんでいる。長島弘明さん註釈の雨月物語は「青頭巾」 という怖い一編へ来ている。いくら怖くても純文学である「気稟の清質」最も尊ぶべく、「ほんもの」は「きよら」であるなあと感嘆をひしひしと新たにする。
何度も触れているが読み進んでいましも「四谷怪談」を語っている羽生清さんの古典を語るエッセイ『楕円の意匠』の「読み」の新鮮、かつ感覚深々と美しいことにわたしは舌を巻いている。
小村雪岱の瀟洒な挿絵を、連載初出のままに抱き込んだ鏡花「初稿」の『山海評判記』をとびきり美しい本で読み進む嬉しさにもしみじみ頭を下げている。
2018 3/25 196

☆ 羽生清 著 『楕円の意匠』 四 蛇鱗紋 -舞台の奥-  より抄・引用

あわや、お組が法界坊に組み伏せられようとしたとき、要助の身元引受人甚三郎は自分の掘った落とし穴に落ちた法界坊から吉田の家宝「鯉魚の一軸」を取り 返す。そして、要助とお組を逃がす。二人が歩き出そうとすると、野分姫の霊が現れ祟りで動けなくなる。「鯉魚の一軸」を開くと威徳に恐れをなして霊は消 え、二人は無事に立ち去る。穴から出てきた法界坊は甚三郎に傘で打ってかかるが逆にやられる。

甚三 思い知ったか。
法界 チエヽ、殺さば殺せ。思いこんだるあのお組、生きかわり死にかわり、恨みを晴らさでおくべきか。

強欲な法界坊に翻弄される二人の美女。野分姫が死に、お組は逃れる。甚三郎はお組と要助を葱売りの姿にして「隅田川」の土手へ逃がす。凄惨な殺戮の場が 一転して桜花咲く隅田川に変わると、これまでの騒々しい喜劇は怨念劇舞踊「双面水照月(ふたおもてみずにてるつき)」になる。

名にし負う、月の武蔵に影清く、霞を流す隅田川、
岸を分くれば下総と、昔は言うても今もなお、
よしある人の言問はば、色在原を都鳥、群れ寄る波に
せかれては、伊達な浮世を渡し守。

そこで野分姫ゆかりの袱紗を焼いて回向をすると、お組がもう一人現れる。

松若  ヤアくそなたもお組、こちらもお組、コリヤどうじゃいのう。
お賎  ほんにコリヤ、こちらもお組様、あちらもお組様。
松若  お組が二人になつたわての。

お組と同じ娘姿に潜んだ二つの霊。お組と見まごう振りの奥から、突如、野分姫の怨恨と法界坊の執着が顕れる。殺された娘と殺した僧との霊の合体。異様な のに、舞台の禍々しさを懐かしく想う私がいる。そもそも、私と他者の間が、そんなに明快に分離できるのか。いつも行い澄ました私を生きて疲れてしまった人 間たちが、舞台にとけ込んでいる。自分の殻から出てきた観客の気が一つの波長に揺れて動く。そのとき、人は誰にでも成る。
性別も年齢も国籍も関係ない。人間であることさえも。狐でも蛇でもかまわない。いっとき、そのような時間を持つことで、私は、私であることを許される。 その私がさまざま登場人物と一つになって楽しむ小説や芝居。殆ど、疑問を感じずに読む本や観ている映画、その鑑賞を可能にしている根拠は私の奥にあるさま ざまな私ではないか。
安珍の清廉が清姫の情念を駆り立てる。二人は光と影、一心同体。それを見せる『隅田川続悌(すみだがわごにちのおもかげ)』。(中村=)仲蔵が、初代新 七に望んで、立役でも踊れる鐘入までをつけた葱売りの所作を書いてもらzた曲のため、この芝居は今日まで生き永らえたといわれる。
「道成寺」から生まれた「双面水照月(ふたおもてみずにてるつき)」。だから、法界坊は鐘を曳いて登場し、最後は鬼になる。
清姫と安珍は「双面」。清姫の業を引き出したのが安珍なのだから、安珍に無罪は許されない。無意識の偽善は女の側にあるばかりではない。存在自体が罪で あるような良い男、業平も源氏も女たちの潜在意識が要求していた役割、女たちを喜ばせ、悲しませ、生きていることを感じさせる役割を果たしただけかもしれ ない。
安珍と法界坊、口説かれて逃げ回る模範僧と女に目のない破戒僧。どちらが罪深いのか。己の成仏のため娘の命がけの願いも無視する身勝手。それは、「あは れ」を知る雅男(みやびお)の対極にある。女は「この世で男にまとわりつき、あの世で成仏のさまたげになる」などと、己の弱さを他人のせいにし逃げ回るの が名僧か。
娘と見れば、野分姫もお組も諸共に妻にしようとする法界坊は、業平や源氏に近いけれど、雅な「いろごのみ」が嫌らしい「いろきちがい」に変わるのは、い つだろう。引用に次ぐ引用で、古典的な教養なしに芸能は楽しめない。実は現在を楽しむ能力を持っていたら、古典の方は自然に身に付く仕組みになっているの かもしれない。
法界坊は、乞食坊主。高僧でありながら、吉田家の姫に狂う清玄を登場させて、言葉を批評した南北作の『桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしよう)』 (文化十四年・一八一七)。
序幕、高僧清玄による剃髪の時を待つ桜姫の前に、かつて一度の契りで子までなした盗人釣鐘権助が現れる。

心づかねば引きしむる、はずみに腕の入れ墨に、
鐘に桜も有明の、灯に一目見たばかり、どんな顔
やら殿御やら、知らず別れたその跡で

盗みのついでに自分を犯した顔も知らない男に思いを募らせ、去り際に男の腕に見た「鐘に桜」の入れ墨を自らの腕に施した桜姫。二度と男に会えまいと得度 しようとした矢先の再会に、二人は人目を忍んで抱き合う。この桜姫は清玄が愛し心中を企て一人死なせてしまった稚児白菊丸の生まれ変わりだったのである。 それを知った清玄は盗人権助の罪を着る。

* 「日 本の美意識はどこから来たか」と問いながら、この著は、美しい構成で、遠く「古事記」では黄泉比良坂や吾妻に「言葉の霊」を問い、伊勢物語と業平の「道中 の景」を問うて愛の深秘に迫り、歩を運んで源氏の六条御息所から四谷怪談へまたぐ愛の計り知れぬ懼れをまさぐった後へ、この日高川と隅田川にくりひろげら れる美意識をさながら自身「体験」してみるかのように、なおなお著述後半へ思索されて行く。この著者の意識の原点は「古事記」にあり、それは日本の古典展 開の揺るぎない大きな原点であることをわたしも共感している。源氏物語や平家物語を語るに当たっても、深い思いは古事記に探らざるを得ない、そんなこと を、どれ程の人が心得ているのだろうか。
神話と物語 怨霊と幽霊 島原と吉原…。合わせ鏡の対比から「日本」の男と女が抉られてゆく羽生清よさん(京都造形藝術大学教授)の洞察と方法、そして述懐の文章には、びっくりさせるほどの独自性がある。「名著」だと敢えていう所以。

* 上に取り上げられた舞踊やお芝居のいずれもをわたしも妻も繰り返し耽美してきた。あの勘三郎が演じた法界坊のごときは、「平成中村座」の「松」の席、われわれの顔がくっつくほどの真近へ宙をとんできて、笑いながら妻のペットボトルからお茶を含んで去っていったものだ。
「櫻姫東文章」は、受賞のすぐ後に某劇団のアングラ公演へ招待されて初めて観た。怖い芝居だったが底光りして美しかった。のちに紀伊国屋劇場で新劇の人た ちの、そしてむろん歌舞伎座でも何度も観てきて、羽生さんの挙げられているこれらはみな、これこそ「もの凄い」しかしまたじつに「美しい」世界なのであ る。
わたしは「四谷怪談」は怖くて遠慮してしまうのだが、この本での羽生さんの「お岩」への愛と共感の深さには教えられた。そしてこの著者は、ここでも私が 観てきたとヽ視線・視点で「四谷怪談」の根を「古事記」に見抜いておられ、敬服した。これは、そうなければならぬ視点なのである。

* 自分の今の仕事に停滞を来しているしんどさも手伝い、いろんな優れた著作にいまわたしは心身を浸し続けてもいる。
2018 4/18 197

* 襲名興行中の新・十代目松本幸四郎君の「市川染五郎時代を総括」という気味の、取材者による一冊が送られてきた。
とにかくも早く舞台が観たい。
2018 5/19 198

* やっと、地方での襲名興行に今年前半の一段落があったか、高麗屋「松本白鸚』名で今夏八月の歌舞伎座案内が届いていた。例年通りの三部制、新幸四郎と 染五郎の出勤、真夏の三部通してはしんどいかと、通し狂言の「盟三五大切(かみかけて さんごたいせつ)」 裏忠臣蔵とも裏四谷怪談とも謂える「ど歌舞 伎」を楽しもうと、藤間さんへ、座席二つをすぐお願いした。
2018 6/16 199

* じつにじつに久しぶりに成駒屋福助の配役されてある九月秀山祭の案内が、松本白鸚名で来て、胸を熱くした。子息児太郎が雪姫という大役、その「金閣寺」で父福助は慶寿院尼で。無事の舞台をと願っている。また籠釣瓶や助六などで豪華な立女形ぶりを見せて欲しい。
猛烈な暑さが残っているに違いなく、昼の部だけを頼んだ。
をに。二つめに「鬼揃紅葉狩」ははや仲秋の派手舞台。切りは吉右衛門、新幸四郎で「河内山」 いずれも見馴染んだ出し物だが、そのぶん寛げるだろう。
2018 7/14 200

 

☆ 今年の夏は
殊の外猛暑の毎日でございますが、お変わりなくお過ごしでしょうか。
一月から始まりました襲名披露興行も四月、六月、七月とお陰様で無事に終わり、唯今 十月歌舞伎座公演に向けて克電させて戴いております。
十一月には新開場する京都南座へ高麗屋三代襲名披露でお伺いします。
是非お運びくださいませ、お待ち申し上げております。
平成三十年 盛夏                  二代 白鸚

* 白鸚さん 十分にお大事に。
十代幸四郎(前の染五郎君)はもう、八月、九月の舞台を早く予告していて、わたしたちは楽しみに観劇の当日を待っている。おそらく十月にも出るだろうし、新装の京都南座こけら落としにも。一年、ぶっ通しだったと思う、からだ、重々労って怪我の有りませんように。
2018 8/5 201

* ずいぶんな日数をかけて「湖の本」141発送の用意をしてきた。今日、気づく限りの九分九厘まで出来て、西棟の玄関に一部受け入れの儡地をだけ空けておかねばならず、これが力仕事で、腰へ来る。しかしそのままにはしておけない。ウーム。
ちょうど一ヶ月後、九月十日には「選集」27巻が出来てくる。600頁の大冊。数少ないとはいえ送り出す荷造りは、数多い「湖の本」なみ、ないし以上にシンドい。
にしても、明日と明後日の二日は手放しにくつろげる、ただし以降の力仕事に備えてのこと。いま、妻もわたしも二日と続けての外出はすまいと心している。発送を終えると久々に夏歌舞伎が楽しめる。わるく草臥れないように用心している。
2018 8/7 201

* 白鸚さんから、十一月新装の南座へと誘われていて、仔猫たちを建日子が預かってくれるならいっしょに行けるかなあなどと、成りそうにないハナシもしているが。暑い夏も永ければ寒い冬も早いかとビビってしまう。
2018 8/9 201

* 九月から、宅急便の大幅値上げに次いで、郵便局のユーメールも目をみはるほどの値上げを決めてきた。出版の仕事を始めたときから、潰されるとしたら送 料値上げだなあと思っていたが、値上げ攻勢容赦ない。けれど、「潰れ」はしません、われわれが健康でさえあれば、まだ何年でも。そのためにも、わたしは杜 門の暮らしを改め、歩きに出なければ。病院かよいも減り、歌舞伎座への脚も、この上半期は余儀なく遠のいていた。思い切って、独りで(仔猫がフタリもい て、まだ留守番は出来ず。)新幹線に久々に乗ってみるか。というワリには、じつにマッタクいろいろと忙しくもあるのです。
2018 8/13 201

* 十月の歌舞伎座案内が届いた。先の勘三郎七回忌追善と。もう七年か。惜しい惜しい役者だった。九月は毎年初世吉右衛門追善の興行。此の名優吉右衛門 と、当時福助だった後の名優歌右衛門との「籠釣瓶花街酔醒」を南座で観たのが、わたしの、ほんものの歌舞伎を楽しんだ最初の体験だった。今度七回忌勘三郎 の父に当たる先々代勘三郎がまだ「もしほ」といい、現二代白鸚の父初代白鸚(先々代幸四郎)がまだ染五郎だった。
歌舞伎との縁もほんとうに久しくなった。能舞台との出会いとも、どっこいどっこいだった。茶の湯はもう叔母の代稽古もしていた。
通った新制中学(弥栄中学)は、四条大通り東末・祇園石段下、南座の東、花街祇園の真ん中に在った。同級に、現仁左衛門の長兄松嶋屋の片岡我當君がいた。父君先代仁左衛門がそのころ「我當」で、現我當は「秀公」を名乗っていた。
当時の関西歌舞伎は、市川壽海を頂点に、鴈治郎(先々代)富十郎(先々代)簑助(のちに先々代三津五郎)、のちの延若、女形の我童らが活躍していた。今日最長老文化勲章坂田藤十郎(先代鴈治郎=先代扇雀)らは、もう一つ下のまだまだ若い世代であった。
いやはや、わたしも「爺い」になったものだ。

* 十月、昼の部を高麗屋に依頼。
2018 8/13 201

* いろんな仕事を、余命残年と秤量しながら、なんだか「競走」ように進行に思い悩む。
なによりも書きかけの長い小説、難しい小説の二つ、発表するしないは別にしても、納得ゆく仕上がりに気が急く。より長い方の、謂わば「オイノセクスアリ ス」は、四百字用紙換算で千枚を超しつつあるかも。思い切り搾りながら、しかと書き込みたい。本舞台は、むろん、両作とも、京都。
十一月新装南座のこけら落としは高麗屋三代の襲名興行で、白鸚さんに誘われている。
2018 8/14 201

* 昨晩、二月この方ひさびさの歌舞伎座夏芝居へ。第三部は、新幸四郎(前の染五郎)の源五兵衛、七之助の小万、獅童の三五郎で、あの「四谷怪談」と同腹 同時進行のような義士外伝、鶴屋南北の秀作通し狂言『盟三五大切(かみかけて さんごたいせつ)』を観てきた。これまでも二、三度は芝居馴れた大きな役者の舞台を観てきたので、今回、若手というよりも「少年」歌舞伎のようにやや薄味 でバタバタの舞台運びになっていたのは、ま、世代交代のこの頃とて、やむを得ないが、なかなか芝居が怖くも成らず、頼りなかった。
新幸四郎の安心して観られる源五兵衛、このところ進境目覚ましくてついに「助六」の総角もやろうという美形の七之助は、ことに前半深川芸者ののセリフに 妙と工夫があり面白かったが、肝腎の三五郎は終始「おへた」でもの足りなく、少年俳優達の一人に埋没しがちであったのは情けなかった。

* 「盟三五大切」はいかにも南北歌舞伎のかぶきにカブイた妙味の戦慄に惹かれたい芝居で、ありとある歌舞伎のアクと趣向と反骨とが生かされている。羽生 清さんの『楕円の趣向』一冊の大尾はこの芝居を、映画「修羅」と歌舞伎と平和憲法との絡みで彫みあげた好論攷・好エッセイになっているが、チラと関西味も 燦めかせながら野放図なまで江戸の暗闇を切り開いた歌舞伎。またまた同じ幸四郎の源五兵衛で、よくよく成熟・造形された小万、三五らとの凄惨な舞台が観た いもの。こわがりのわたしは『四谷怪談』は苦手なのだが、「三五大切」や「櫻姫」などは何度でも肌に粟しながら観たい人である。

* 木挽町まで、カンカン照りの銀座・西銀座を歩いたのがこたえて、脱水気味に、もうまっすぐの帰路では左脚が攣れてきたり、かなり草臥れていた。視力も落ちていて、四列目中の角席という近間からも舞台の表情が滲みがちだった。
長時間の初とも謂える留守番を、黒いマコも兄のアコも、大過なく待ち迎えて呉れてホッとした。
2018 8/16 201

* 散髪も出来なかったまま、明日、秀山祭の昼の部を観に出かける。
夏バテに輪が懸からずに済みますように。
2018 9/5 202

* 歌舞伎座。
「金閣寺」で、児太郎が父福助久々の復帰に見まもられ、懸命に大役、実意に富んで可憐優美な雪姫を好演した。松緑の松永大膳、大柄に、いっそ実直なほど 泰然と演じて好感をもった。辛抱役縄目の狩野尚信を新幸四郎、気を入れて美しく歩んで見せた。梅玉の羽柴筑前は年齢が軽みへ出ていた。
福助、病気で、五年は、あるいはもっと永らく観られなかった。坐ったままの老い尼ながら座頭役ともいえる役をなんとか無難に演じてくれた、「待ってました」と思わず声が出た。盛大な拍手、皆が復帰を慶び祝っていた。今日、最大の嬉しさであった。

* 二つめは幸四郎の戸隠山の鬼女に錦之助が平是茂で対峙の所作ごと、以前玉三郎の舞台で面白く観たが、舞台の造りが今日のは淡泊で、尋常に終えた。

* 切りは、これまた何度も観てきた狂言ながら、ま、御大といえる吉右衛門の「河内山」で、ここでは、損な役の松江侯を新幸四郎が完璧に見事に楷書で演じて、おお立派と感じ入った。帰りに夫人の挨拶を受けたときにそう告げて、いい芝居に感謝してきた。

* 有楽町まで歩いて、ビックカメラで、不調故障の家電話機を新調、帝劇したの「きく川」で妻が所望、久々に鰻を食べてきた。二枚の鰻が私には多く、飯は まったく食えず、なじみの菊正宗でを満足。帰りの途中乗り換えの電車、二度とも満員の中で席を譲られ感謝、有り難かった。

* マコとアコの兄弟は十時間余の留守番、ま、二人だもの淋しくはないだろうが、帰れば喜び迎えてくれる。
2018 9/6 202

☆ 台風の影響へのお気遣い、
ありがとうございます。統治は、その進路のド真中に当り、とても心配していました。ただそれが、足が速いのと、深夜に及ばないだろうという予測で、たと え真面に来ても耐えられるだろうと思っていました。夕方六時頃、風が強くなりました。前庭の松、直ぐ近くの神社の松、杉のゆれに、その強さを感じながら、 小枝と落葉が地面に散り敷いた程度(私の認識)で終ったようです。
風速十メートルを超えると、二階の寝室がゆれます。この夜も階下にふとんを敷かねばならぬかと思っていたのですが、午後九時過ぎには風も弱くなり、安心の夜をすごすことができました。
その後は、テレビのニュースで知る、災害の大きさに驚き、それを被った人たちの辛苦はいかにと、心を痛めるばかりでした。
それに重ねての北海道地震、何ともことばがありません。
八日九日は、鎮守の秋まつり、雨でじょんがら踊りの会場は小学校の体育館に移りました。
今日は日本列島、あちこちで雨、「白露」を感じ取っています。

高麗屋の襲名披露は、口上と勧進帳をテレビで見ました。新幸四郎は一生懸命、富樫は安心のバックアップと見ました。ただ大物を揃えた四人衆は、何か重々しく――と思いました。
「事のついで」に申しあげれば、勧進帳を初めて見たのは、終戦後間もなく、小松の映画館で鏡獅子との二本立て――映画でした。
七代の幸四郎の弁慶に、十五代羽左衛門の富樫でした。鏡獅子は六代目菊五郎です。この二作(二本)の印象は強く、七十年経ったぬ今でも思い出されます。その後、何人の弁慶を見たことか、前進座や市川少女歌舞伎を含めて、それぞれに心に残っています。
とるにたらないことを書いてしまいました。そういうわけで、台風は、耳に気圧を感じた程度で終ったことをご報告――お見舞いのお礼といたします。
本日気温はそんなに低くないのに寒さを覚えます。今までが暑すぎたせいでしょうか。
お二人は、どうぞお大事にと申しあげておくれましたがお礼といたします。
九月八日  白露の日   井口哲郎  (前・石川近代文学館館長)

* 穏やかな井口さんの息づかいがかおのずと文体を成して、わたくしは、声を聴くほどに大いに寛がせて戴いた。
それにしても七代目幸四郎の弁慶、十五代羽左衛門の富樫 また 六代目の鏡獅子とあっては、映像とはいえ 垂涎の思い。わたしが京都南座で初めて顔見世 を見せてもらったのは、高校一年生であったろう、初世中村吉右衛門が、のちの勘三郎、のちの八代目幸四郎、のちの六代目歌右衛門らを引き連れて関西へ乗り 込んできた師走だった。籠釣瓶の斬れ味におどろき、なにといっても花魁八橋の道中の豪華さに驚嘆した。
もっともその以前、まだ新制中学での演劇大會で、上級生たちが「修禅寺物語」をそっくり演じたのを観ていて、あれが歌舞伎体験への入門だった気がする。 その舞台には松嶋屋の娘が出ていたのだと後々に聞いた、気がする。松嶋屋の長男我當、今の秀太郎や仁左衛門の兄は、わたしの学年にいた。
顔見世へよく出て来た高麗屋八台目(初世白鸚)は、わが家のすぐ東に定宿を持って、そこから、夫人や、若い若い今の白鸚や吉右衛門を連れて、南座へ出勤していた。時に電器屋のわが家へ寄って乾電池など買って行く相手をわたしがしたことも有る。高麗屋贔屓の遠い遙かな起源である、呵々。
2018 9/11 202

 

* 友枝昭世の能「卒塔婆小町」への招待を戴いている。十一月四日一時開演と。だんだん能会もからだで受け取りにくくなって行くだろう、これが最期かも知れぬ知れぬと思いつつ、昭世の能であるだけに出掛けたいと思っている。
今月は、久しぶり先代幸四郎、新・二代目松本白鸚の舞台を観に行く。
昼夜といいたいところだが妻の体力を考慮すると、夜の仁左衛門、七之助の「助六曲輪初花櫻」は諦めた。
昼は七之助らの「三人吉三巴白浪」大川端庚申塚の場、勘九郎らの「大江山酒呑童子」そして白鸚、七之助・勘九郎そして歌六らの「佐倉義民伝」といささか重いが、亡き懐かしい十八世中村勘三郎の七回忌追善とあれば、気を入れて参る。

* それにしても、妻も同伴で歌舞伎を大いに楽しんできた今世紀初めからして、なんと大勢の役者に死なれてきたろう。
2018 10/7 203

* 今日は、久々に前の九代目松本幸四郎、染五郎に名を譲って二世松本白鸚の「佐倉義民伝」などを観に出かける。十八世中村勘三郎七回忌追善興行。

* 花道芝居に絶好、大高麗屋演じる木内宗五の芝居にも絶好の前二列目の席で、暫くぶりの芝居を堪能した。白鸚夫人とも久しぶりに立ち話、「佐倉義民伝」 にはしたたか泣かされた。高麗屋の藝質に嵌っており、妻女の七之助も存在感たしかに好演、歌六熱演の雪の渡し場から宗五直訴まで、けっして浮き浮きする芝 居ではないが初世白鸚とみまがうほどの現白鸚渾身の熱演であった。直訴を受けるだんまり勘九郎の将軍家にも存在感が出来ていて、父勘三郎の追善公演に、孝行兄弟、りっぱな成長を見せてくれた。

* ことに勘九郎中幕の「大江山酒呑童子」は父勘三郎を懐かしく懐かしく思い出させる倅なりの力演で、踊りもやわらかに美しく、おもしろく、佳い役者ぶり を目近に楽しませてくれた。酒の飲みっぷり、けっこうでした。錦之助の一人武者も力演で、舞台に焦点の一つを創り得ていた。

* 此に較べると開幕の「三人吉三巴白浪」大川端庚申塚の場の例の三人吉三は、七之助のお嬢はまあまあとしても巳之助のお坊は貧相、獅童はヘタと来て、今まで見てきたつらねでは貧弱そのもの、がっかり。

* それにしても、役者だけでなく囃子方に到るまで、ずいぶん顔ぶれが変わって若くなっている。こっちが年取ったというだけの話しだが、これは致し方なし。「酒呑童子」の合間をうずめて踊った美形のなかで児太郎の魅力的な成長をまた確認したのも頼もしかった。
扇雀の頼光さんも、落ち着いてサマ良かった。

* 雨にも降られず、三時ではねて、そのまま三笠会館まで歩き、「榛名」のフレンチは時間外ではずれたが、なら、と秦准春の中華料理、これを妻がよろこん で呉れたのは何よりだった。わたしは久しぶりに佳い紹興酒を楽しめた。ほっこりと、骨も休めながら、ま、ご馳走であった。
その脚で、丸ノ内線、西武線で五時半には家に着いた。「マ・ア」大喜びで番の食事にありついた。
甘えること甘えること。
2018 10/11 203

* 歌舞伎座の壽初春大歌舞伎案内が届いている。昼に、久々白鸚が一条大蔵卿、それに十代目意欲の「吉田屋」伊左衛門を、と。七之助の夕霧ではまだもの足 りないが、好きな狂言。それに二番目で復帰の福助が「吉例壽曽我」で工藤奥方「梛の葉」で出るという。応援してやりたい。新年の幕開きは芝翫と名も魁春の 「舌出三番叟」というも景気がいい。
夜の吉右衛門、幸四郎らの「絵本太功記」にも惹かれるが、つづく「勢獅子」や「湯島掛額」ではもの足りず、昼の部だけを楽しみたい。 もう予約を頼んだ。
2018 11/8 204

* 今度の外出は、十日の歯医者。二十七日ごろに聖路加の内分泌科へ、それが今年外出の仕納めか。誕生日は、ここ何年も祝いらしい何もしてこなかった、今年は歌舞伎も正月までお預けです。
2018 12/6 205

 

* 正月十日の歌舞伎座の席がきまった。年明けの楽しみ。
2018 12/15 205

☆ 事始めが過ぎると、
慌ただしくなって来ました。
十四日 三年ぶりに 南座の顔見世に行ってきました、やはり南座は宜しいです、役者は、代替りで、少し、物足りなかったけど。
出し物は、寺子屋、新口村、鳥辺山心中等でした。
先日のお軸の「無事」は、縦二字で、鵬雲斎の大きな筆でした。
今年も無事でお誕生日が迎えられますこと、昨日お祝いの品、(桃のしずく) を送りました。
楽しんでください。    京・北日吉    華

* ありがとうよ。
南座、行ってみたいな。役者は代替りで、少し、物足りないという気持ち、わかる。たとえば新幸四郎が本幸四郎に大きく成るにはどうしてもしばらく客の方でも踏み込んで待ってやらねばならない。
襲名とは大きな化け時だが、成長への即効薬では決してない。
2018 12/16 205

* 歌舞伎座の初春芝居 郵便局から、席料を払い込む。自転車なら二分とかからないが、歩くと十分ていどかかる。杖無しの往復で、腰が痛む。
2018 12/17 205

☆ おはようございます。
クリスマスイヴに 素晴らしいメッセージをありがとうございました。
主人(=二世松本白鸚丈)が、当然の事とはいえ、本当に素敵なお言葉の数々、ありがたいねえと喜んでおります。
(高麗屋三代の=)襲名の準備から入れると、三年くらいかかりっきりの毎日、お陰様で無事に終わり、主人も、体も元気に勤めることができて ホッといたしました。
何より 多くの方に応援していただきましたことは、感謝、感謝です。
これからまた前に進んで 新たな白鸚としての舞台を勤めて欲しく思っています。
先生も 奥様共々 どうぞ冷えない様に、お風邪にお気をつけて下さいませ。
新年(=の歌舞伎座で)お待ちしています。   藤間

* 恐縮です。
2018 12/27 205

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