ぜんぶ秦恒平文学の話

美術 2018年

白鸚在樹 蓬莱山
秋石・画(部分) はるか天上には 旭日

* 我が家の正月、必ず玄関にこの「松」が立つ。函には「蓬莱山」と画家自身が題している。
明けて今月、晴の三代襲名歌舞伎座舞台に奮励の「松本」高麗屋へ、慶賀・激励の一幅とも。
2018 1/5 194

* 雪は、降る雪も積む雪も、たしかに美しい。そのあとが難儀。
つい先頃、新聞に応挙の名品「雪松図」の写真が出ていた。此の作は応挙のと限らず、世界の絵画ともヒケをとらぬ名品と思っている。
松に雪…。書いている長い小説は「雪と松」の物語になる。
2018 1/25 194

* 星野画廊で買った秦テルヲの、明治中期、白雪に埋もれた「出町柳」図を出して茶の間に。マッシロ・シロ。右岸(東)我が家の菩提寺(常林寺)も雪の下に。
玄関には どこやらの坊さんらしい筆で「百尺の竿ふつて松の雪払ふ」と添えだ略筆の「雪だるま」の軸を掛けている。繪は俳味あるが句はすこし重い。
2018 2/1 195

* 義妹は生彩精密写実の驚くべき達者だが、このところ「抽象画」へ心惹かれながら、難しい、出来そうにない、と姉(=妻)のもとへも言うて来ているらしい。
わたしは生来、繪心ゼロの鈍な者で、どうしようもないが、その故にかえって美学藝術学へ向かい、いつ知れず美術賞の選者を四半世紀も務めたりしてきた。美術関係の著書も何冊も書いてきた。リクツで美しいモノを観てきたと言われれば、ま、その通りなのである。

* ところで「抽象美術」というと、西欧の多くの人の名や作がつい思い浮かぶが、ひるがえって日本や中国の絵画や美術にも、独特の抽象作品がある。「抽 象」の、名よりも実において、「他」を捨てに捨てて「一」に徹し帰して行く、例えば花・鳥。花鳥画の粋は、日月や海山や空を捨て、人里を捨て家を捨て人を 捨てて、ただ花へ鳥へ世界像を究めて行く。他の一切から抽象して独自の世界を生みつつ、悟達へ通う独特な「空観」を遂げている。
概して、独特なオブジェは別として、西欧出来の抽象繪画に、魂を揺すられるほどさしたる名画は少なく、不味くすると図案化へ滑り落ちている例がまま露骨に見られる。追随者ほど、抽象と図案・デザインの差を強引に無視さえしている。
十五日、歌舞伎座の舞台に草間弥生の緞帳が出ていたが、何の感銘も得られない只の奇抜ですらない思いつきの図案のまま、色・色が騒がしかった。かといっ て、他の緞帳が良いとも思われない。美しい夕顔棚の優雅な図案化は美しかったが、他は、松尾敏男の富嶽ぐらいが一種の抽象美を見せていただけ。
模様や図案と、抽象とは、ちがうと思っている。抽象の底には技術が孕んだ世界観という哲学が働くはずと思っている。ま、わたしの誤解かも知れないが。
2018 2/17 195

* 家の内のあちこちにいろんなカレンダーを掛けてある中で、心ふるえ感動して見入るのは、菱田春草の描いた、「帰樵」の繪。
ちいさな写真だがその画面は、右上から左下へ大らかな山稜で静かに二分され、上は、しみじみとほのかな夕茜に染まった大空がなつかしく、下は、ただもう柔らかに暗がりそめた一面の広い優しい山原。
その大きな空、大きな山とのあわいの坂を、米粒ほど遠く小さく声もなく、しかしくっきりと前屈みの 夫婦が前後一つに連れ合うて、此の一日を樵りしてきた柴荷を大きく背負い、静かに静かに小さく小さく麓へ帰って行く。これぞ天、色淡う縞なして静かに広い 広い夕茜の空。これぞ地、柔らかにただ一と色となって大きく広く広く陰った山原。そのあわいを黙々と帰って行く樵り夫婦、その何というなつかしい小ささ、 たしかさ。
「ああやって、われわれも今、帰って行くんだね」
思わずわたしは、今朝も、妻に声掛けていた。
2018 3/18 196

* 色彩には、線とならんで、口舌の必要ない魅力がある。この日録の冒頭にわたしはいつも三、四の写真を「マイピクチュア」から選んで出しているが、今掲 げている、夜の浄瑠璃寺九体堂、咲匂う大紫と皐月、愛らしい仔猫の黒、そして晴れ晴れとした富士山。それぞれの色の美しさに、とかく騒ぎがちな日々の思い を有り難く慰められている。躑躅と皐月とはわたしがカメラに入れた。こんな楽しみも、「述懐」を託した今月の歌や句とともに今今わたくしの「述懐」なので ある。
2018 4/27 197

* 上下に入れてある、ことに花の写真、富士の写真に、清々する。ワイシャツの胸ポケットに入るちいさい写真機でもう十四、五年、手持ちの九分九厘を撮り 続けてきた。有楽町でこの小さなコニカを買ったとき、二十歳過ぎの女店員に、あなたのお祖父ちゃんにあなたが買ってあげるなら、どの機械を選んて゛あげる と尋ね、あげくこれをと選んでくれた機械を買った。よかったァと今も思っている。
おそろしい枚数を撮り続けてきたが、不具合を感じたことがない。ただしいろんな扱い方を全然憶えないので、フラッシュの不要なときもフラッシュしてい る。とにかくも小さくて軽いのがなにより有り難く、大昔、大学へ入って早々叔母から当時五万円せしめて、河原町の桜井で買った「ニッカ」は、もう久しく 使っていない。自慢の、いいカメラだったが重いのが荷になってきつかった。アルバム数十册の殆ど全部をこのニッカで撮ったのだ。今や、いい骨董品になり、 押し入れで寝ている。

* 性を主題の晩年作をと随分昔から心がけてきて今苦心惨憺しているのだが、そのために、機械のあちこち、奥道や横道や隠れ道を悪く探訪し、きわどい、な いしきれいな女写真も、けっこう取材してある。随分著名な女優も、おう、こんなの有るのとビックリの佳い写真を機械のなかに残してくれているので、これも 「取材」と割り切ってけっこう集めてある。これだけは自身で撮ったものは無い。撮ってみたいか…イヤイヤ。
2018 5/3 198

* 五島美術館から、いつもに変わらず二人招待券で、雅邦、芋銭、大観、玉堂、渓仙、古径、関雪、靫彦、龍子ら館蔵「近代の日本画展」に呼んで貰っている。東工大時代には近所の美術館であったから授業後学生を何人も連れて観に行くことも何度もあった。
いまでは都内でも家からはたいへん遠い美術館になってしまっているが、五月十六日に行けば茶室「古経楼・富士見亭」特別公開も見せてもらえるのと。しかし遠いなあ、駅からの方角も忘れてしまっている。
2018 5/7 198

* 春草の「帰樵」 カレンダーから切り離して枠に容れ、身近に置いている。吸い取られそう。
こんな夕焼けはともかく、こんな稜線をもった山は 画家の観念の産んだ境涯かと半ば想っていたが、映画「カルメン故郷に帰る」で浅間の方の美しくも懐かしくも慕わしくさえある稜線をたっぷり観られて幸福を覚えた。山にいっとう感銘を承けていた。
2018 5/17 198

高木冨子・画
秦の 実父方菩提寺 九体佛います南山城・当尾の浄瑠璃寺

慈雨の季

徳力冨吉郎・画   宮澤賢治・詩
* 上野千鶴子は「おひとりさま」という一語を表題に含めた本をもう五六册も呉れている。家事は曲がりなりに最低限は覚えて行くにしても、「ひとり」で老 耄の命を永らえて行くどんな意味・喜びがあろう。世間も國も世界も、心惹くナニモノもなく、心惹く多くの全ては過去への記憶にある。自分一人で創れる世界 はあろうと思うが、「ひとり」でのそんな営みにどんな喜びがあり得よう。
安倍、麻生、自民、トランプ、金世恩、習近平、プーチン。わたしに生きる嬉しさをささえるどころか醜悪なまで日々の立ち行く土台を破壊し続けている。もうケッコウだ。

* よそう。何を書き散らすか知れない。

* うえに挙げた三枚の写真に、思いを静めている。美しいものに見入れる喜びが、いまや何より尊い。徳力さんの版画は堅持のこの詩の全部を何枚かに作られているが、何十年かまえ、京都の姉小路の嵩山堂でみつけ、この一枚だけを買い求めてきた。十牛図の版画も買った。
「西につかれた母あれば」という思いは東京で暮らし京都に秦の両親・叔母をのこしていたわたしには四六時中思いを離れぬ苦衷であった。わたしも妻も何度 も何度も京へ奔って老いの苦境を支えたが足りることでなかった。三人ともついに東京へ引き取ったものの、つまりは順々に死なせてしまっただけ、申し訳な かった。それでも秦の父は九十一、叔母は九十二、母は九十六まで生ききった。母まで生きるのにわたしはもう十四年堪えねばならない。
もう一つ侘びのしようもない申し訳ないことは、建日子に妻子が亡いからは必然「秦」という家は絶えるのである。育てて貰って、「家」を遺せない罪はひとえにわたしが引き受けて死んで行かねばならぬ。御免なさい。
生みの母、実の父は秦の親たちよりもっと早くに死んでいて、実の兄恒彦も、父を異にした深田家の姉一人、兄三人も、とうに亡くなっている。
妻の両親は、わたしたちが結婚したときに二人とももう亡くなっていたし、その後に妻の兄夫婦も亡くなっている。
わたしの点鬼簿には記憶のかぎりの、百、二百の名がもう並んでいる。重い事実である。
2018 6/5 199

菱田春草・画   帰樵

原画では夕焼けはもっと美しいだろう、山影ももっと夢のように美しいだろう。
山麓へ ついの住み処へと 働き終えて帰って行く小さい小さい夫婦の二人。
かくも懐かしい かくも望ましい かくも美しい繪を、識らない。原画が観たい。  六月述懐写真

* 春草の画「帰樵」は胸に蔵った。ヒョイト見つけた庭の「白にら」はもうとうに季節を終えて枯れ草になっているが、白い星が目に染みるまま、上に置い た。わたしの写真は、2004年頃に買ったワイシャツの胸ポケットに入るほど小さな「コニカ」。よう役立ってくれている、じつはいろんな使いようもあるら しいのだが、何一つ頭に入っていず、ただ一通りに写すだけ。いつでもどこでもフラッシュしてしまうのを調整するすべも覚えていない。生来の機械音痴が度を 越し老いに従い増している。
2018 6/18 199

* 昭和女子大、成蹊大から湖の本受領の挨拶があり。
京・神宮道の星野画廊、祇園囃子にさそわれて「夏の風物詩」展をしていますと。いずれ図録をおくって呉れるかな、楽しみに。京都へ、帰りたいなあ。
2018 6/30 199

* 感染症内科の診療、今日で終了、主治医は定年で転院された。わたしには早くからもう案ずべき感染症などなにもなく、ま、生理検査を欠かさずしながら、 ま、先生と顔を見合うてすこし文学その他のお喋りを楽しむための、そしてアリナミンなどの健康薬をたくさん処方して貰うための通院だった、よく判ってい た。それで好かったと思っている、血液等の検査をして貰えるのは何よりだった。
ま、この科での受診は、かくて、めでたく終了。
感謝の記念に、「永楽」幕末の名人と称えられる保全作か和全作か、小品ながら藍の発色みごとに会心と見える「祥瑞写」の「湯飲」を差し上げてきた。「祥 瑞(しょんずい)」は中国磁器のなかでも藍色のあまりなめでたさを称えた通称で、和全も保全も中国の名品を実にみごとに「写す」技倆をもっていた。
2018 7/2 200

* 昨日 新潟の光明寺さんから味わい佳い蕎麦を頂戴した。
淡路の、世界的な童話画家田島征彦さんの、七年ぶり「そうべえ」の新作を頂戴した。むかしむかし朝日ジャーナルに連載の『洛東巷談』に、豪放な挿絵を担当してくれた。選者を務めていた頃に、京都美術文化賞も受けてもらった。
征彦さん描く淡路島の「閑静居」を紹介しておく。遠い海を航く船影こそないが、わが「ハタさんち」に似ているのです。

田島征彦・畫  淡路の閑静居

2018 7/13 200

* わりと、すんなり機械稼働してくれいる。

* いずれ上野の池之端で撮ったのだろう、上に出してある「蓮」の写真が、われながら好きで、動きやすい心を静めてくれる。八坂神社の西楼門から撮った 「石段下四条の夜色」もわれながら、胸に沁みる。高木冨子さんの「浄瑠璃寺夜色」の繪も、観るから懐かしい、いわばわが生気と正気の拠住となっている。原 作畫は観ていない、もらった写真を観ているのだが、これで十分。
写真というのには、こころ捕らえてくる魅惑があり、溺れたくはないが、いい写真を撮りたい、撮れるととても嬉しいという魔にいつも憑かれる。わたしの撮った写真のここ十五年の「作」は一枚のこらず、ワイシャツの胸ポケットに入る小さなコニカ・ミノルタ「DIMAGE X50」 で撮ってきた。わたしには機械など選べない。有楽町の大きな店で、孫娘ほどの若い店員に、あなたのオジイチャンに選んで上げるなら「どれかナ」と頼んだら 上のカメラをすぐ選んでくれた、以来、十五年ちかくこのファインダアーからなにもかも覗いてきた。充電器も電池二本も即座に買ってきた。愛機である。

* 写真機には憧れた。
とても欲しかったが、大学時代でもカネというものを月に数千円、小一万もロクに持てなかった。辛うじて叔母の代稽古で小遣いを稼いでいたが、 父よりは金主と頼みいいこの叔母に、強請りにねだって五万円という金額をなかば強奪し、河原町の「さくら屋写真機店」のウインドウで何ヶ月も垂涎の的で あった「ニッカ」カメラが買えたのだった。昭和三十年になるならずの頃で、思えば、ライカマウントの分相応な高級品だった。むろん、重くもあった。
中国へ作家代表団にまじって出掛けたときは、軽量の安いカメラを持っていったと思う、ソ連の作家協会に招待された時も重いニッカは置いていった。

* 花の、やや逸らした角度からの美しい接写が好き、やや得意でもある。

* こんな感想をただ書いていても、わたしの「書く」楽しみ、書き飛ばさない「楽しみ」は、止めどない。随感随想の「文藝」連鎖と、ホームページ前置きに書いている通り。
ただ、これをやりすぎていると、仕事の進行に障る。
2018 8/24 201

* 五島美術館から、阪急の小林一三、東急の五島慶太という『東西数寄者の審美眼』なる豪奢な図録一冊が送られてきた。逸翁美術館、五島美術館が選りすぐりの名品集、なんとも嬉しい超絶の眼福である。
今夜、ゆっくり、美しい写真を楽しもう。東工大へ出ていた頃は学生も連れてよく上野毛の五島美術館へ出向いた。もう今はあんまりも遠くなったが。懐かしい。

* 出展されている里見勝三の風景畫 観たいけれど京都まで行けず残念と星野画廊主人にメールしていた。懐かしい返信をもらった。

☆ 秦先生
随分前(11月3日)に、久しぶりにお便りを頂戴していながら お返事も出せずに失礼していました。

前回10月に開催した黒田重太郎の明治期の素描展が好評で、最近企画した画廊の展覧会としては大混雑の日々が続きました。

10月末に展覧会終了後、11月6日の滞欧作品展の開催日までに素描100点を倉庫にしまい、改めて大きく て重い油絵の額およそ40点を倉庫から引きずり出して陳列する仕事。これらを3日間で終えました。その最中には横須賀美術館での矢崎千代二展に貸し出す矢 崎の油彩画とパステル画30点を倉庫から探し出しておかなければなりませんでした。11月7日(展覧会2日目)の午前中、横須賀から来た集荷クルー4人が狭い画廊で集荷作業。展覧会を見に来た人も驚く大混雑の会場でした。
先生からメールを頂戴したのはちょうどこの大混戦の最中で、お礼のメールを差し上げる暇もありませんでした。お許しください。

開催している滞欧作品展に来るお客様は少なく 拍子抜けの有様。それでも京都画廊連合会ニュース12月号の編集など雑用は絶え間なく襲い掛かるので、始終バタバタしています。
時折 先生の HPを拝見して、逆境にもめげずに変わらぬ仕事をされているご様子に心打たれ、私もやらねばと尻を叩かれています。

先生が興味惹かれる絵が画廊にゾロゾロと並んでいますが、残念です。
残念なことはもう一つ。今年が国画創作協会創立100周年というのに、記念する展覧会が京都では開催されませんでした。笠岡の後は和歌山県立近代美術館で現在開催中です。私が発見した作品なども数多く並んでいるのですが、それらと再会する時間があるかどうか思案中です。

奥様にもよろしく。   星野桂三

* もっとも信頼し、活躍を期待している画廊主ご夫婦、京都へ帰る大きな楽しみの一つが神宮道の星野画廊に立ち寄ることであった、平安神宮の朱い大鳥居が みえ、三条通と交差して心嬉しい粟田坂や大樹の聳えた青蓮院。まぢかには中学高校での友人達が男女とも何人もいた。すこし西へむけば白川が流れ、もとの粟 田校の脇道を東へ向かうのもしみじみと佳い古道であった。
またも里ごころがついて、長嘆息。
2018 11/21 204

* 堂本印象畫の、題は「澄秋」と箱書きされていて、まさしく、残り柿。気分で、いろいろに見える。日々に冬へ傾いて行く季節の澄んだ空気が、赤い葉の一枚、赤い実の一つ、刺すような小枝と幹で印象づけられている。五雲の、土の匂う松茸を画いた「秋香」も好きだが。
いま、軸物はうっかり掛けられない。「マ・ア」が恰好の標的のように跳び付くから。やれやれ。
玄関には、今、星野画廊で買ってきた、よく熟れて黒う色がわりのした「柿」四つの極めて地味な、しかも目に沁みてくる小さな額繪と、洋画の池田良則さんに戴いた祖父遙邨画伯の大きなリトグラフ「黄金の秋田」を、列べて掛けている。
茶の間には、亡き友富永彧子の「花」の遺作、もひとつ、絵手紙の元祖になった友人が、花と言葉を描いて洒落た縦長の額を掛けている。わが家でなんとかな るのは、壁だけ。床も畳も、卓の上も棚も、危険なほどモノが積まれてある。それらを泳ぐようにかき分けるように歩いています。遊び甲斐ありと喜んでいるの は、仲良し兄弟の元気な「マ・ア」たちだけ。
2018 11/25 204

* 堂本印象畫の、題は「澄秋」と箱書きされていて、まさしく、残り柿。気分で、いろいろに見える。日々に冬へ傾いて行く季節の澄んだ空気が、赤い葉の一枚、赤い実の一つ、刺すような小枝と幹で印象づけられている。五雲の、土の匂う松茸を画いた「秋香」も好きだが。
いま、軸物はうっかり掛けられない。「マ・ア」が恰好の標的のように跳び付くから。やれやれ。
玄関には、今、星野画廊で買ってきた、よく熟れて黒う色がわりのした「柿」四つの極めて地味な、しかも目に沁みてくる小さな額繪と、洋画の池田良則さんに戴いた祖父遙邨画伯の大きなリトグラフ「黄金の秋田」を、列べて掛けている。
茶の間には、亡き友富永彧子の「花」の遺作、もひとつ、絵手紙の元祖になった友人が、花と言葉を描いて洒落た縦長の額を掛けている。わが家でなんとかな るのは、壁だけ。床も畳も、卓の上も棚も、危険なほどモノが積まれてある。それらを泳ぐようにかき分けるように歩いています。遊び甲斐ありと喜んでいるの は、仲良し兄弟の元気な「マ・ア」たちだけ。
2018 11/26 204

☆ 秦先生
めっきり寒くなりました。いかがお過ごしでしょうか。
私のふるさと栃木市の地酒「杉並木」をご送付申しあげました。高校、大学の先輩が造っております。ご笑味いただけましたらさいわいです。
『湖の本』142号「書の魅力」を拝読、まさに共感いたしました。
妻は60年以上書を親しみ書家の端くれですが、私は流れるような「続け字」となると、まったく読めません。
先月、奈良市の書の美術館を見てきました。ただ眺めるだけ、さりながらいい時間、空間にいっとき身を置くことができました。
妻も「書の魅力」を拝読致しました。我が意を得たようです。
日ごとに寒さが厳しくなっています。くれぐれもお体おいといくださいますようお祈り申しあげます。
神奈川・鎌ヶ谷   篠崎仁

* 書家と画家と競作のカレンダーを上村淳之さんから毎年戴いている。現代の書家の書を味わうのはじつに難しい。優れた書蹟は、リクツ抜き瞬時に即、胸へ響いてきてビリビリと嬉しくなるのだが。
2018 12/18 205

* 国立近代美術館の工芸館から、近代工芸の名品、人間国宝の「棗」 すべてみせますという、いつもの「二名様」招待が来ている。わたしもいろんな棗・茶 器が昔から好きで、幾つか大事に所蔵してきたので、「行きたいなあ」と思うが、たかが竹橋なのに、遠いなあとビビってしまうのが情けない。一人では妙に心 細く、妻をあまり長く歩かせたくもない。案内の写真をみていると蒔絵のハデハデしいのが目立つが、棗や茶器は むしろ、すがた・かたちの気品にわたしは惹 かれる。こんな派手な繪のモノで茶碗や茶杓と品良く「置き合わせ」られるかなあと、ちと心配。自己主張してしまうと工芸はむしろ自分を殺してしまいかねな い。
けど、観たいです。会期はわたしの誕生日から来年の紀元節まで。

* 九時過ぎ。 もう限界。
2018 12/25 205

* いま、宝の持ち腐れになると困惑しているのが、中国産・製の古墨五の一式、どの一つにも華麗に先賢の故事を美しく題して彩画してあり、一つ一つがずしっと重い。総じて二キロもあろうか五つともに一函に収めてあり、中国語で、製産発行の鑑定と証明もついている。
なぜにわたしがそんなのを所持しているかはこの際打ち明けないが、わたし自身は、書には深く篤く惹かれるものの無類の悪筆で、毛筆など年に一度も持たない。
よほどもよほど趣味深い愛好の人に差し上げたいが、書に深い愛と技倆の人を、実は一人も知らないのである。

* ことのついでに付け加えておく、中国政府の招待に「日本作家代表」の一人として渡航のおりに蘭亭を訪れて買ってきた、名高い王羲之「蘭亭序」の佳い拓本が、押し入れに逼塞していた。
もう一つ、これも大物だが、「唐周昉簪花仕女図部分之四  榮寶齊木版水印」堂々の一軸がある。榮寶齊は北京で最高の古美術商で、訪中の客は必ずのように案内される。この名高い唐周昉による原画は、たしか大英博物館の秘蔵品かと。美術史的にも「源氏物語絵巻」に匹敵する声名高い大きな名画の「部分」を軸装してあり、濃厚に美しい。
眼も鑑き、愛好の人に差し上げておきたい、が。

* いまぶん 東京でなら五島美術館と根津美術館には縁があり、いざとなれば、茶道具や書画もふくめ、受け取ってさえ呉れるなら、みな寄贈し処分を任せてしまいたいと思っている。深い理解も篤い愛もない手に、「お宝」かのように渡っても仕方がない。
2018 12/26 205

* 朝いちばん 玄関に 俳味のやや短かめ、大らかな「雪だるま」の墨畫を掛けてみた。「マ・ア」が飛び付きませんように。
居間の正面 観音様のわきへ 高麗屋三代襲名祝儀、私名宛てのめでたい幾品を、戴いたままに飾った。
古備前の水指 銘「餓鬼腹」とあるごつい存在感のを同じ棚に置いてみた。

* 飾った鏡餅、ものの見事に「マ・ア」に食い付かれ、散々。参りました。参った。 2018 12/31 205

上部へスクロール