* 明日明後日の昼過ぎには建日子招待新作の芝居を二つ、観にゆくのよと妻に言われた。明日は雪かもと。建日子の演劇は久しぶり。先日、テレビで「ルパン 三世」の漫画映画を見せられたが、五分で退散した。建日子の本領は一に舞台かも知れない、さ、何を観せてくれるか。楽しみ。
朝日子やみゆ希も来るといいのに。
* 明日は都心も積雪と。雪で電車のストップも困ってしまうし、寒いも滑るも危険千万、観劇はヤメにするしかなくなった。残念。
2019 2/8 207
* 日暮里まで建日子作演出の芝居を観にいった。印象は、「つか(こうへい)芝居」流にあまりに忠実げな「つか芝居」のシンの深刻味にほど遠い、いわば好き放 題な「演劇漫画」のようだった。殺陣の烈しさには感心したが、「今日日本のないし世界の諸問題」にはなんらコミットするところのない、「センチメンタルな 面白づく」で、きわどく被差別の問題などをはらむかと見せていながら、色つけ程度の彫り込みのないそえもので、「作・演出・演技」の全員がおおいに楽しん でいるとはよくわかるが、さて観終えた観客が、なにかきらっと光る日々の「生き」にかかわる「課題や感銘」を持ち帰れるといった舞台ではなかった。
まあ、「ようやるよ」という、それは一種の共感でも感嘆でもあるにせよ、そのレベルですべては停止していて、「愛」の「恋」の色を意識のツクリのようで いて、それさえただ飾り物のようでしかなかった。「面白く観たならいいではないか」と云われれば、「ハイ、けっこうでした」と応えるけれど、それだけ。
かつての「らん」という舞台に連携するのだと謂うが、「らん」をダシにして全員で「面白そうに遊んだ」というような印象、「らん」の迫力には遠く届か ず、「タクラマカン」や「月の子供」らが持っていた生のままの感動、泪をもよおした感銘、息苦しいほどの問題意識とは、べつのものに思えた。
厳しい感想だが、ウソは云えない。演出は熟達・達者で粗相ないが、科白は聞きづらく説得力に乏しかったが、運動会としてはお見事な全身の働きで。ま、それを楽しんで観てきたというのが、結論かな。
2019 2/10 207
* 松本紀保の五月芝居を、ひさびさに申し込んだ。六月の、三谷幸喜歌舞伎座初登場も、秋の「ラ・マンチャの男」も申し込んである。芝居が、動かなくてよく、いっとう気分くつろぐ。
2019 3/14 208
* 「選集」30の再校がまだ半ばへ行かない、「選集」31の新作長編の初校はこの週明けに届く筈。そして書き下ろしの小説『清水坂(仮題)』にいま苦 戦の最中にいる。「湖の本」144巻の入稿も手がけておきたいし、この十日過ぎからの、新たな循環器科の、また低血糖気味の内分泌科での 新検査データを 踏んだ診察も気が抜けない。
苦しい四月、五月になりそうだ。いちばんは食べて体力を戻すことか。今朝の体重は、術後七年余の最低であった。あんなにウマイものの食べたがりであったのに。これでは、妻を支えてやりにくくなってしまう。
春風や闘志いだきて丘に立つ 虚子
ぐあいに久しく、やってきた積もりなのだが。
六月、三谷幸喜作の歌舞伎座初登場、九月白鸚の「ラ・マンチャの男」の予約もしてある。崩折れないよう、シャンと立たねば。
2019 4/5 209
* 松本紀保らの意欲的で批評に富んだ小劇場劇を新宿御苑西木戸前で見てきた。お母さんの松本白鸚夫人もみえていて、思わず嬉しい声をあげあった。もう何 年も前から紀保芝居は欠かさず、時に同じ劇を二度も観たりしてきたが、実に舞台女優として悠々とかつ頭抜けた逸材である。
妹の松たか子は大劇場で壮大壮烈に演じ、松本紀保はあえて小劇場で卓抜の実験性をみせ、意欲抜群の「新演劇」を創造し類いない魅力を発揮する。敬服している。
* 新宿御苑前で地下鉄を降りるなど、何十年ぶりだろう。白鸚夫人とも感謝の声を掛け合ってから劇 場を出たときは、よほどわたしは疲れていたが、二本目の杖のように付き合ってくれた妻をやはり日比谷の北京飯店へ連れて行き、先日満足した料理や北京ダッ クその他を御馳走し、久々にふたりで五階のクラブでほっこりひと休みしてきた。「北京」では紹興酒を、クラブでは18年物シーバスリーガルの残り少なく なってた瓶をカラにしてきた。
銀座から、なんだかよく分からない、近年走り始めた座席指定の急行西武線に乗って帰ってきた。
2019 5/16 210
* よほどボケてきている証拠のように、帝劇の「ラ・マンチャの男」は日付も願ってとうに予約したとばかり思っていたのが、出来てなかったと分かった。やれやれ。ま、この芝居は少なくも三公演は繰り返し観てきたので、アキラメはつくが。
物忘れはよろしくない兆候ではあるが、著しい。けれどまだガンコに頑張ると、物の名、人の名、思い出す。
2019 6/26 211
☆ 暑中お伺い申し上げます。
今夏も厳しい暑さとなっておりますが、お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますか。
襲名披露の巡業公演もお陰様で兵事に終わり、 いよいよ 初演より五十年目の
白鸚として臨む 「ラ・マンチャの男」 の稽告がはじまります。
是非お運びくださいます様、お待ち申し上げております。
令和元年 盛夏 二代 白鸚 (先の九代目 松本幸四郎)
* 「ラ・マンチャの男」は、掛け値無しにもはや現代での古典的かつ真新しい名舞台で、わたしたちは繰り 返し観てきたが「繰り返し」という印象のない、いつも新しい工夫の加わる面白いミュージカル、白鸚丈が「歌手」としても素晴らしいのに、いつも感嘆する。
未見の 方々には、ためらいなくお奨めする。
2019 8/3 213
☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く
地声だけの役者 イギリスの役者は、少くともプロである限り、三種.類の声を持つてゐなければならないと言はれるのですが、日本の役者は歌舞伎俳優をも含めて、ほとんどす べての人が一つ声、すなはち平生の自分の声、地声しか持つてをらず、若い人がふけ役を演(や)らされた時以外は、どんな役でも同じその声で片附ける、声ば かりではない、喋り方も大して差が無い、といふ事です。姿勢や歩き方、手の動かし方まで、その役者の実生活における癖をそのまま舞台で露出して、一向省み ない様です。
その癖、かつらの色とか衣裳とかには目の色を変へんばかりに神経質になります。たとへば、この役は自前の洋服で演つてくれと言ふと、それではいつもの自 分から脱け出し、役の人物に成り切れないと言ふ。なるほど御尤もと思ふのですが、それなら、地声で喋つたり、普段の癖を丸出しにした歩き方や笑ひ方では、 やはりいつもの自分から脱け出しにくく、役の人物に成り切れない筈ではありませんか。
* 昨日 七之助の「政岡」を観かつ聴いての感触がまさにソレであった。幸四郎の八汐は
みごとに変わりばえしていて感じ入った。
声を聴いただけで、ああこの役者は彼だ彼女だとすぐ当てられるのは、テレビでも毎時のことで、演劇製作、演出、創作の真実大家であった福田恆存の上の指摘は、 まことに厳しくしかも当然至極。
同じ俳優・女優の異なる舞台は、大劇場でも小劇場でもテレビでもイヤほど観てきたが、「この役、誰なの」と驚かされることは、よほ どの名優でないと、無い。むしろそれではいけないかのように、凡優たちは、異なる舞台・演劇での AからZまで を同じ顔の同じ声の同じ仕種で演じてくれる。 知名度は上がるだろ、が、役によくそった変わりばえの面白さなど、滅多に楽しめない、凡優たちでは。
小説が、同じ設定、同じ表現、同じ描き方で同じようにしか人間が書けないの では、困る。おなじ事ではないか。一冊の本に何作も入っていて、え、みな、この一人の作家の作なのと惘れさせるほど藝が大事なはず。
2019 8/16 213
* それでも十二日には、秀山祭。久しぶりに、しかも、新幸四郎の弁慶と寺子屋の源蔵が楽しめる。三月には、体調を損じ、舞台途中に、タクシーで帰宅した。そういうことの無いように願う。
十月には、二世新白鸚の帝劇「ラ・マンチャの男」のいい席が用意されてきた。楽しみ。
もう一つ期待しているのは松たか子の新しい舞台だが、座席、余り希望が持てそうにない、人気だからナア。果報は寝て待とう。
2019 8/29 213
* 五島美術館より秋の「筆墨の躍動」展へ、俳優座劇場より十一月の稽古場公演に、招待される。
2019 9/2 214
* 十一月、松たか子が池袋の大劇場で公演の、座席券が確保できたよし通知有り、手を拍った。待っていた。からだを労りながら、九月、十月、十一月と歌舞伎や芝居を楽しみたい。怪我なきを願う。
2019 9/4 214
* 十一月顔見世の案内が届いた。
江戸は十一月の給金直し、京の顔見世は師走。幸四郎、染五郎父子の「連獅子」が夜の部に。
明日は、初世吉右衛門と初代歌六記念の秀山祭、十月は白鸚の「ラ・マンチャの男」 十一月には池袋藝術劇場で、待ちかねた松たか子の主演舞台と、歌舞伎 座顔見世。加えて俳優座稽古場公演への招待が来ている、が、動けるかナ。十二月には、勘だけれど、国立劇場の案内があるのでは。
2019 9/11 214
* 昼下がり、市の小さいバスで保谷駅へ出、銀行から「ラ・マンチャの男」への支払い送金し、またすでに大きく欠損の出ている「湖の本」入出金郵便通帳へ当面の補充分を用意した。
地下鉄で銀座松屋へ、弱り気味老夫婦の鰻での昼食をホンの少し。わたしは蒲焼きでお酒少々。
2019 9/12 214
* 師走の国立劇場は、白鸚の「盛綱陣屋」と。おもしろい歌舞伎である。予約。今月は、「ラ・マンチャの男」がある。十一月には、松たか子の芝居がある。病院と劇場とが、私の外出
2019 10/3 215
* 帝劇での松本白鸚「ラ・マンチャの男」に感激をまた新たにしてきた。もう歳を重ね隔てては数度も観てきたが、一度も期待を裏切られたことがない。前から三列真中央の角席という絶好の席をもらっていた。目の弱い私も不自由なく胸を熱くして観終えてきた。嬉しかった。
* 朝、餅一つ。午、食わず。観劇後も結局何も食べずに帰ってきた。ほんの少し晩飯には蕎麦を啜った。さすがに空腹感はあるが、食べたくもない。
2019 10/10 215
* 昨日の「ラ・マンチャの男」には二度三度と泪を拭った。白鸚がまだ染五郎の名ではじめて演じたのが、一九六九年であったと聞いている。私が『清経入 水』で第五回太宰治文学賞を受けた年だ。満五十年が経ち、わたしはたぶんまだペンクラブの理事時代にはじめて、そう、あれはアルドンサを松たか子が演じた 時に観た。以来何度も繰り返し観て、新たな感動を得続けてきた。
胃全摘の八時間手術を受けた年の八月にも感動して観た。
在るとみえて否や此の世こそ空蝉の夢に似たりとラ・マンチャの男
と詠み置いている。今度も胸に堪えることばをしかと聴いた、何度も。
高麗屋とのお付き合いももう久しい、大方の舞台を観続けてきた。三代襲名も祝った。上に掲げた松の栄えを祝って京都以来愛用してきた淡々齋好みの「末広棗」は、もうよほど昔によろこんで当時の九代松本幸四郎丈に贈った品である。
2019 10/11 215
* 白鸚丈、「ラ・マンチャの男」を無事、盛大に打ち上げられたと、礼を副えての来信。お疲れ様。佳い舞台でした。「中村仲蔵」「シーザー」「サリエリ」なども観てきた。セルバンテスは数度も観てきた。師走の、盛綱も楽しみにしている。
来月には、大楽しみ、松たか子の芸術劇場があり、幸四郎・染五郎で歌舞伎座の「連獅子」もある。三日には、友枝昭世の能「井筒」、能の見所はラクでなく、脚の便も国立能楽堂へはやや重いけれど、屈指の美しい能、観えにくくても、耳を澄ましよく聴いておきたい。
2019 10/29 215
* 午后へかけ「選集」第32巻のため少し根をつめ、頸周り固くなり、疲れで目もふさがってきた。今夕は歯医者の予約。すこし根気を和らげてから出かけたい。
明日には「湖の本」137三校が届き、「湖の本」138の初校も届くという。歳末へかけて目一杯の忙しさになる。
これは楽しみの方だが、今月には池袋芸術劇場での松たか子公演、また歌舞伎座では幸四郎・染五郎父子の「連獅子」がある。聖路加で前立腺の診察もある。うまく乗り切って行かねば。私が保っても妻が疲れ切ってはハナシにならない。二人分気を配らねば。
季節はずれに新芽が立つようにあれをこれをしたいという創作の欲も。浮つかぬように。
2019 11/6 216
* 午后、池袋の藝術劇場で、松たか子主演、野田秀樹作・演出の「Q」を観てきた。感想は明日に。
帰宅後、連続の「ホ・ジュン」録画分だけを観て、二階へ。ところが機械に向かいながら寝入り、ソファに腰かけて眠りつづけ、それでも堪らず階下の床で熟睡し、気づいたら十一時半になっていた。
2019 11/13 216
* 昨日の松たか子主演の、野田秀樹作演出の「Q」というカブキ芝居は、徹底して新幹線ひかりなみの烈しい「語り・喋り」と、役者達大勢の間断なく且つ能率的に洗練された出し入れとの妙味を「演劇」本来として味わったと云うに尽きる。
本質的な「演劇」の美と願いとは、整然と調った物語・筋に在るのではない、あくまで肉体の運動と言葉の躍動とにある。野田秀樹はそれを心得ていて、バカ らしいほどな八方破れな大筋を、ひたすら役者の運動と言動の活気・活溌で表現しきっていた。見終わって、あれは「何」であったなどと問い返しても明瞭な 「主義主張」は読み取れず観てもとれずに、しかし人と人との「闘い」「戦い」の惨めなほどの哀しさや疎ましさは心裡にのこる。ロミオとジュリエットをめぐ る争い、源平紅白の戦闘、太平洋戦争、敗者たちの悲惨等々へのいわば「告発と抗議」とが「Q」クエスチョンされていた、と、ま、そんなふうにも意味付けな がら、超満員の大劇場を出て来た。とても観やすい、舞台との交流も適確にになだらかな絶好席を用意して貰っていた。久しぶりの「松たか子劇」を楽しんだ。 毎年は演らない、のに、もう五、六度はいろいろの舞台を観つづけてきた。渋谷の大劇場で、ジャンヌ・ダークを圧倒的な科白劇で演じ尽くした「ひばり」な ど、忘れられない…と。これは、あくまで、私の感想。
* 昔も昔、あれは、とにかくも東山時代か、太閤時代の大河ドラマを観ていて、「今参り」の若女ふうに突如初登場した知らぬ女優を観た瞬間、電氣に打たれ たように「えらいモノが現れた」と思った。松たか子という名も知らず、まして高麗屋の娘とも知らず、ただ「立ち現れた」その素質の底深さにむしろわたしは 呆れていた。あれ以来の、松たか子との、一度として、口をきいたことも出会ったこともないつきあいになる。彼女の、あのトルネード投法の野茂投手を賞讃の 文章に出会ったときも、野茂贔屓の私、心底から共感し嬉しがったのを覚えている。
2019 11/14 216