* 夜、建日子に映画「秋のソナタ」みせて、あと、いろいろと活溌に意見交換が楽しめた。観て心楽しめる悦ばしい作でなく、むしろあまりにキツイ内容、母 と娘達との葛藤の作なのだが、脚本、演出、演技の「完璧」とさえ謂える成果と共に、批評・批判を加えるのは、鑑賞という名の批評の妙味で、昼間の喰って呑 んで喋っての時間よりもわたしは満たされるモノを覚えた。
2020 1/1 218
* 東京、大阪の初春歌舞伎の紹介を楽しんだ。歌舞伎座の正月は、寒いだろうが夜の部を楽しみにしている。寒ければ寒いと言うて出かけます。
2020 1/2 218
* 三ヶ日の雑煮を夫婦だけで祝い終えながら、作家五木寛之に「怨歌」と適切に聴きわけられたあの歌手藤圭子のウソのない生涯映像を、濃い共感と理解と共に見 通し聴き通した。正月気分にふさわしくないか、いやいや、真実感で徹底した若い歌人生の儚い成功と終結からは、凡百の創作を紙屑のように蹴散らす真実が痛々しく聴き取れた。感服した。
極めて短かった藤圭子の「怨歌全盛期」を、またそのリアルな生涯をわたしはよく知ってきたワケでない。美空ひばりの百の一も識らなかった。
しかも、不動の、或る切な 共感と理解とがその昔から生きていた。藤圭子の歌は、あの菊池章子の絶唱「星の流れに身をうらなって 何処を塒の」の、「こんな女に誰がした」の、あれを直に受けることで「敗戦後日 本」の地を這う呻きを「歴史的に伝えた歌手だ、と、そう、私は久しく理解し受け容れてそれを忘れなかった。
今朝の「映像と語り」を観て聴いていて、紛れもなくあの「こんな女に」と藤圭子の「新宿の女」「夢は夜ひらく」などが、当の藤圭子自身のことばで切にバトンタッチされてたと確認できたこと に、わたしは感銘し深く納得した。私は、「日本の敗戦」と「敗戦後日本の根底」を、斯く二人の歌手と代表歌とを結び繋いで、今もなお、胸の内をかぐらくも重くもしている。「戦争に負けた苦痛と無残」を背負うたのは、天 皇でも戦犯でも陸海軍でも男でもなくて、「女」だったのだと。
丹波山奥の戦時疎開先から京都の繁華へ帰ってきて、小学校、中学を終えて行きながら、わたしは胸のいっと う奥で、「こんな女に誰がした」と呻く乾ききった「女」の強いられた変容を、怖いとまで眺めていたのだ。一部の女の話をわたしはしていない、日本の女のはなしをしている。
そして、いま「令和日本」の女も男もこの機会にボケ金にボケた「精神壊滅」のアリサマは。
2020 1/3 218
* 昨夜、木村拓哉、永塚まさみ(?)、そして松たか子らの、豪奢なホテルを舞台にした三時間もの映画を楽しんだ。瑕瑾は何度か指摘できたけれど九十点近くは出せる見せる作だった。
キムタク、松たか子の映像での巧さ強さは当代中堅にあり申し分なく、女性のホテルマン(?)も適役、目を見張った。
創作にフィクションは、巧ければ美味いほど本道でさえあるが、下手な、イージィな「ウソ」「ゴマカシ」は恥ずかしい。それは映画であれ舞台であれ小説であろうと、こと創作では当然すぎる当然のこと。
* 「ドクターX」で印象につよく残っていた大門未知子から学ぶ気持ちの若手の医者と、いわくのあるその父親とが、そのまま別ドラマで息子の方が「心医」なら ぬ「命医」として父の難手術に敢闘し成功して命を救いあげるドラマを観、すこし涙し拍手を送った。ドラマの各場面にも科白にも軽く薄いウソは無かった。
* 成り行きで、ひきつづき何度も観てきた映画の秀作「三丁目の夕陽」第一 を観て、したたか泣かされた。薬師丸ひろ子、川北麻稀(?)、吉岡、小雪らの、まさしく「身内」の愛と真情に溢れた名品で、九割九分九厘、あざとい拙劣のウソが無かった。
フィクションという「うそ」は大いについてもいい、が、それを「作品」へ構築する「表現(映像)と言葉」とには徹底して、不勉強なウソはいけない。「創 る」限りは、悲愴でも諧謔でも滑稽でも、時に愚劣でもいい、が、胸にひびく「表現の誠意」が「作品」には必要とつくづく思う。
2020 1/4 218
* 昨日、キムタク主演の『教場』という警察官教育現場のドラマを観た。率直に言えば不愉快を覚えた。映画夕陽の三丁目」の方が遙かに胸に沁みる生活の実感と愛があった。
今夜も『教場』の続篇が放送され、木村拓也のコメントも含め仰山な前宣伝をしている。観客をいかにも下目に見た「エッラソウ」な姿勢で、気色わるい高ぶ り方である。「警察」なる権力補佐機能への不快感をしたたかに押しつけられているようで、キムタクの才能を買っている私にして、「ヨシャアガレ」と吐き捨 てたい。
2020 1/5 218
* NHKの秘蔵映像をみせる番組で「富士山」生成と美しさの感動編を見せてもらった。
富士山をよく知らない。中学の修学旅行まえ、三年生各組が「旅行案内のノート」を競作したとき、高い高いと聞く富士山がほんとに高いか、どれほど高いか と秦の父に聞いた。父は、ちくと頤をあげ「フツーの山」 大きく顔を上げて「富士山」と教えてくれた。父の機転の的確を、印象的に今も懐かしく忘れない。
いま住む西東京の保谷からでも、時に夕焼けの遠くに小さな小さな冨士の影はみえる。妻はすいた西武線に乗るときまって富士見台辺の車窓へ寄っては冨士山を観たがるが、めったに見えない。
わたしはこれで写真自慢だなのだが、富士山は新幹線の窓からの一、二枚のほか、何かから転写したくっきり晴れた冨士と行儀いい麓の民家との一枚しか持たない。人に貰った観光写真めく二三枚も探せばあろうけれど記憶にうすい。
* 一転 不快極まるトランプとイランの危険極まりない、無残無意味な死をともなう攻撃合戦。トランプの一枚かのように尾をふりやまぬ日本の総理。
失せろと言いたい。
* 昨晩、鳴り物入りで宣伝し放映したキムタクらの警察学校『教場』第二夜も観た、が、映画映像としての訓練の徹底美はしかと認めたけれど、見終えて残っ た思いは、やりきれぬ違和感だった。市民のために親切にこやかに奉仕してくれる交番のお巡査、お巡りさんは有り難い、が、一朝ことあれば容赦ない警棒と怖 い楯とで国民・民衆の人権制圧に暴力を当然行使し、さながらの圧政と圧制の手先に変じてしまう警官群をあまりに多く目にしてきた。
なにを意図したドラマだったのか、映像美の映画技術的追求ならよく訓練されていたが、もしやあれで政治利用の(即座に戦兵たりうる)警察国家を容認し讃 美しよう狙いなのなら、オー、そうかそうかとは受け取りにくい、むしろ文字通りに「迷・惑」する。キムタクの俳優としての才能を歓んで買っている私には、 危ない逸脱ともみえかねなかったとは、しかと書き置く。
映画的にはふつうの説明で進みがちだが、芯に、「心医 民衆のため差別なき徹底医療を心がける」意向を樹てた韓流「ホ・ジュン」の映像意図の方を、わたしは受け容れる。
* 何十年ぶりか 黒澤映画「用心棒」を観た。この作の良さより、此の作が、「七人の侍」も含めて黒澤映画が西部劇などに与えた感化を感じていた。
2020 1/6 218
* 世界のニュース、国内のニュース、それにテレビ・コマーシャル。みな不快。私に、頑なありや。いやはや。
2020 1/7 218
* 「心医 ホ・ジュン」感動のうちに終えた。いままで韓流の「イ・サン」「トンイ」「オクニョ」「馬医」など観てきたが、「ホ・ジュン」の感銘は一入であった。人間の劇としても、ウソのない自然にしてほぼ完璧の理想人を創り切れていた。
2020 1/8 218
* 朝の連続ドラマ「スカーレット」は二三度出逢っただけだが、ほぼ完璧の関西のイントネーション(滋賀弁、京ことば)を堪能させてくれる稀有の成功作。ス トーリイは知らないが会話対話述懐のリアリティはたいしたもの。それだけで懐かしい。京都の「科捜研の女」たちがだれも京言葉を話さずに徹しているのは一 つの誠意。無茶苦茶な京言葉をきかされる無残な思いはイヤほどしてきた。
* また近く始まる大河ドラマとか、明智光秀と同時代をと。何度繰り返すのか、知恵が無いのう。中世の終幕から近世の幕開きは大時代に相違ないが、信玄も、信長も、伊達も、秀吉、家康も、徳川三代も、毛利も黒田も三成も利家も、みーんな遣ってきた。残るは光秀なのか。
* 大きな時代の変転をアッというまの勝敗で果てなく大きく歴史に刻んだ十三世紀はじめ公武と東西逆転の「承久の変」に何故着目しないか。
「時代」を大きく読む努力を欠いて、派手な武闘の「事変」に踊るのだけでは、味わいが薄い。
* 朝食夕食の刻限にはテレビは、もうもう、クスリ・食い物・化粧品の広告映像で溢れ、やすい芸人たちが騒がしく浮かれ声の「ウソ」をわめき続ける。「(出任せ大声の)叩き売り芸人」「ナント・スゴーイ(など叫ぶ)芸人」「(ワケ知り顔の)さくら芸人」そして、「(お引き立てをと)顔見世芸人」「しぐさだけで(見せる)芸人」「(自分の顔しか)売らない芸人」「(売りになど)出てこない芸人」。
これらが奇妙なほど浜の真砂の芸人や俳優らの「実力」や「評価」に比例してくるから、おのずと彼等芸人としてのの品定めは、業界一般、ないし本人の意識内で出来ている。
コマーシャルも観ようで、皮肉に辛辣な「バレ」場面を見せる。
* 応援している横綱に、好きな遠藤関が巧い相撲で勝ってくれた。ウーム。
2020 1/13 218
* 京都駅から新大阪駅までの新幹線沿線のあれこれを俯瞰ふうに見せてくれ、懐かしく楽しんだ。
* 横浜中華街の紹介と案内の番組も、はでやかに、食欲を動かされた。
一度だけ、あれは美術展のついでだったが妻と門を入って、なんともかとも不案内ゆえの戸惑いで、途方に暮れたのを思い出した。フェリス女学院で講演したあ と、あのころ医学書院時代同期同僚だった粂川君も教授として在学、みなさんと一緒に中華街で歓談したのは覚えている。粂川君、明治学院大のあと、鎌倉稲 村ヶ崎から引っ越されたろうか。
横浜中華街と聞くと遠いのだが、わが家からは、直通の電車一本で終点の中華街へ行けるのだから、気軽にまた乗ってみればいい。校正のゲラを持っていれば長途の往復も退屈はしないだろうから。
2020 1/15 218
* 別作品で韓流の「心医 ホ・ジュン」をまた見始めている。役者はすっかり異なっているが、惹きつけられる。
2020 1/15 218
* 夜、池部良、淡島千景、岸恵子、浦辺粂子、中北千栄子らで、昔懐かしい限りのみごとにウソのない映写・演戯・会話で、小津安二郎監督の『早春』をじっくり堪能した。佳いモノは佳いなあと嬉しくなった。創作は斯くありたかった。
2020 1/17 218
* 日曜朝は、結局はTBS関口宏司会の意見陳述番組を聴いている。今朝の「風を読む」は「世代間衝突」の問題に意見が「吐かれて」いた。この番組は意見が 「交わされる」という覇気と妙味が無い。出来ればスポーツなど別番組へまわし、もっと切実に所論を練って聴かせて欲しいのだが。
若い人らの力が盛り上がって勢力とさえ化して行かぬ限り、良きにつけ悪しきにつけ「世」は動きかつ変わっては行かない。したり顔にいい大人たちが若い声 々の行き過ぎや短絡を咎めるのは、居眠りしながらでも出来るだろうが、若い人らの口から真剣に絞り出される言葉には、深い不安も恐怖も絶望感すらも潜んで いるのを、心ある大人はもっともっと心して聴くべきであろう。愚かしくも傲慢なプーチンやトランプの発言は、彼らが悪魔政治家の座に在る現実と自慢とをた けしか語っていないのだ。その言葉にも表情にも知性や仁愛は現れていない。
それにしても自民党首脳らと傲慢所属議員らの悪辣なまでの鐵面皮は、あれはまあ…何なのか。
* 多くが、余りにも多くが、二十世紀この方の、過剰に過ぎた経済寄与にのみ偏した科学技術膨脹と金銭経済効果の独占権力機構によって人間味の世界を甚だしく汚染してきた事実を謂うしかない。
かてて加えて、人間の言葉と表現への謙虚な愛が、いまや悪しき政治力により軽蔑抑圧弾圧されている。
「言語による藝術表現者たち」の無力、尊敬に値する成果の目に余る寡少、謂わば漱石も藤村も潤一郎も朔太郎も白秋も茂吉も虚子も実在しない、実在させない、ただただ儲け本位出版関係者、追随作者達の招いた、文字通り文化の衰弱垂死のサマ。情けない。
2020 1/26 218
* 夕食後 ダンス映画「ロシュフォールの恋」を観ながら、観終えずに寝入っていた。
2020 1/27 218
* 午前は国会審議も聴いていたが、安倍自民党総理のムチャクチャには惘れ返るのみ。イヤ!!
* このまま、今晩は遊んでしまうか。休むか、もう少し粘ってガンバルか。佳い映画でもあると気が晴れるのだが。
ま、ガツガツはしないでおこう。
* 二時間近く、気ままな「読み・書き」仕事をしていた。「読み」「書き」そして「読書」が私の「仕事」。「休息」でもあり、幸せなことだ。
* 「鑑定団」を観ていた。香月康夫(?)の佳い繪、虚子の佳い句と書を観た。虎徹の剣には真価が窺えなかった。ニセモノだった。
2020 1/28 218
* 昼に満州国皇帝溥儀の、夕方西郷隆盛の最期を、テレビで観て 気が湿った。
2020 1/29 218
* 「湖の本 149」の初校が組み上がって届き、放っておく気になれず、校正し始めている。内容が気に嵌って興深いので、あれれという間にはかどるだろ うが、数のキマリの「湖の本 150」をどんな創作で満たすか、これは容易ならぬ難関である。材料がないのでなく、実は幾つも有って気迷いというムダ時間 を心して警戒せねば。
追いかけて、間もなく『選集 32』の再校分もどさっと纏めて飛び込んでくる、これは大量で、時間を要する上に、
ここまで来た以上 予定完結の「第三十三巻」を腰を据え腹を決めて編輯にかからねばならない。相当に骨が折れ、気疲れしそう。体調との闘いにも負けるわけに行かぬ。
なにより、恥ずかしい、ウソ出来のヤッツケ仕事は決してしてはならない。続けて、同題、二種類の
韓国ドラマ「心医 ホ・ジュン」を心して見続けている。すくなくも創作の姿勢としてあのユ・ウィテ先生と弟子ホ・ジュンとの及びも付かぬ精神と医の技術とに敬意を覚えつつ、気分として真摯に「後続」したいと願う。「ニゲ出す」わけに行かない。
2020 1/31 218
* 根をつめた仕事して。疲れて。宵寝して。晩の映画、遠い遠い記憶のママの「OK牧場の決闘」を観た。なによりも眼が疲れ切っている。
2020 2/5 219
* 映画の中の浅間山と高原の美しさが懐かしく、高峰秀子の「カルメン故郷に帰る」を、しんみりと面白く楽しんだ。木下恵介監督一代の傑作の一つと思う。つづく「カルメン純情す」は、ハチャメチャにつっ走る。
2020 2/16 219
* 柳北ではない、ひとつ別に懸命に今原稿づくりしているしごとがあり、期限までにはとても全部はまかないきれないが、せめて半分の余まで到達できれば用 向きは達しうると、根をつめている。古活字から正しく原拠のママ字を読み取る仕事は眼に痛いほど堪えるが、こらえている。
昨日観た映画「カルメン故郷に帰る」の故郷浅間の大きなはけやかな自然にふしぎなほど励まされている。批評味にも優れてしかも心優しくもあるすばらしい 劇画であった。創作とは、あのように胸に響いて忘れ得ず、しかもおもしろい、情の篤いモノでありたい。ひとつには大きな、あるいは。ささやかな自然美に根 をおろした感慨や人間の行為で創作はありたいもの。
* テレビ画面など見えなくていいので、階下で珈琲で休息していた。
2020 2/17 219
* 昨晩、久々に、内田百閒と生徒たちの交歓うるわしいおもしろい映画「まあだだよ」を観た。
昔は、戦時戦後も通じこういう師弟の仲らいが生きていた。
2020 2/20 219
* 最低そこまでは初一段と願ったところへ仕事の手が届いた。欲をいえば第四段まであり、しかし手つだってはもらえない、この仕事所詮は私でないと出来な い。私ならその作業の内実を味わいながら煩瑣を極める読み書き・手作業にも堪えられる。そのためにも健康で、何より、目が見えてなくては出来ない。
もう今日も四時になろうとしていて、額に疲れを感じる。すこし休む。「心医 ホ・ジュン」に励まされてこようか。
2020 2/21 219
* 「山の奥にポツンと一軒」という映像探査の番組で、或る「焼酎醸造所」をめぐる感動の事実を、涙ぐまれるほど嬉しく見せてもらった。醸造所の社長さん は、産廃業者に決定的に汚され破壊されかけた深い清いみごとな渓谷をひろびろと買い取って自然の底知れない美しさと清さとを守りぬいて全国に名を知られた 素晴らしい焼酎をも創り上げてくれている、今も。「文化勲章」はこういう叡智と自然への敬愛にこそ上げて欲しい。
* もう一つ、大きな駅構内の「ピアノ」で、行きずりの人や旅人その他が、それぞれの「音楽」を楽しげに嬉しげに上手に演奏して聴かせてくれる番組が、好き。くやしいが、「文学」にはこういう即興即座に呈し得てたのしみや感銘を共有しうるう手段が無い。 2020 3/1 220
* 誰かのベスト・セラー作を秦建日子が脚色したという「頬笑む人」というドラマを観た。小説からの「脚色」ということを意欲的に試みるといいよと奨め続 けてきたが、マンガ作品からの脚色を別にすれば初めての脚色作ではないか。主人公になる殺人者とその内部劇を追う週刊誌女記者との芝居が出来ていて、ウソ くさい場面や科白もいくらか咎めたかったが、総じては及第の緊張感のまま異様な作に仕上がっていた、「つくり過ぎ」てはいたけれど。
尾野真千子はこれも脚色であったか「天空の診療所」のときも佳い役を創っていてわたしは贔屓にしてきたが、今夜も、期待にかなり応えてくれた。原作者も 原作もなにも知らない。人が人を殺すというのは人間劇ではもっとも深刻な劇だとは承知しているが、「人間劇」よりも「殺し方」に焦点を絞った創作にはどう しても乗りにくい。「春琴抄」まで出してサービスしてくれていたが、観終えた瞬間の或る空疎感は露わで、テレビから離れるともう何にも残っていなかった。 「つくり過ぎ」のうそというのは、作者にはいつも怖い、落ちたくない落とし穴なのである。まして殺人では、所詮は三面記事に陥りやすい。不思議の魅力が残 らない。
本格の創作世界へくっきりと人間批評の力量で切り込む秦建日子の次回「脚色」作を、心より期待する、あの鴎外原作「阿部一族」のような。
せっかく「春琴抄」に触れて私の読みまで紹介してくれていたのだから、本格に谷崎原作に挑んでくれると嬉しい、「猫と庄造とふたりの女」など面白いよ。
2020 3/1 220
* 九時半、原稿は順調に書き進んでいる。何故に書いているか、なにを言うべきかだけを置き去りにしてはならない。
取って置きの外国映画盤の一枚に「華氏80度」とかいう、息子ブッシュ大統領ののろまなボケざまを辛辣に暴いた一枚があり、ブッシュのいまいましさに観ていられなかった。日本の映画監督もこれくらい塩辛い批評が描けないものかね。
2020 3/8 220
* 湯を遣えと階下から声が掛かっている。大丈夫かな。
* 湯の中で「若菜上」をじりりと読み進めていたが照明が揺れ動きだし、湯から上がった。はやばや床に就くに越したことはない、十時過ぎた。
藤田まことと渡邊篤、大路恵美の「剣客商売」をあいしているのに、別に二時間の北大路欣也らの「剣客商売」もあって、こっちはテンと魅力と旨味に書けた台本、役者らで観るに堪えず。ヤはり脚本の出来が役者の脚もひっぱる。
2020 3/13 220
* 夕方 いい大人の男女とも数人ずつ、ばからしいような似合わない正装し居並んで、こどもたちが大声で元気に、あいらしく。無邪気に唄う歌を、へんてこ に合唱してくれるテレビ画面から疲れ始めた。「我は海の子」なんて歌は、こどもらがわれ鐘を叩くほど元気に唄えばコソの歌なのに。へんな二重唱か三重唱を 聴くうちにムカムカしてきた。 2020 3/21 220
* ながく愛し敬して観てきた韓流歴史劇『心医 ホ・ジュン』を感動のうちに観終えた。二度めである。これへど胸に迫る佳い連続劇を日本の作で見届け獲ていない。
2020 3/26 220
☆ 拝復
コロナウイルス騒動ただごとでなく ご無事でしようか。学校林植樹に励んだ末が杉花粉症、とんだ因果論、くしゃみ、咳と危険人物扱いです。
『湖の本 149』ご恵与たまわりありがとうございます。いつものことながら旺盛な読書欲、お風呂でも読書には感服。私など風呂でうたたね、あやうく水死の思いしたことあり長風呂厳禁であります。
『日本のいちばん長い日』にふれ、陸相阿南の軍紀違反の指摘、また鈴木首相の辞任はともかく、後任東久邇宮内閣、近衛国務省任命またGHQの政治犯釈放 等の指令に同意出来ずとしての辞任等の記事読むにつけ あの終戦決意は何だったか、父母の世代いかなる思いで過ごしたか聞かずじまいで残念です。
湖の本(知人・学生らへの=)回覧、長い療養でもう読書かなわずと言っていた知人の訃が届くなど身辺さびしくなりました。奥さんに弔句届けたところです。
折からの花ゆすり一枝棺にひそと
とんでもない花の季ですが お揃いでお大事に。 草々
三月二十九日 神戸・須磨 周 神戸大名誉教授
* 「歴史に問い 今日を傷む」と題した「湖の本 149」だった。
経済の毛虫のような総理副総理が国会で並んでいる図は、醜い。歴史など識らず 今日をコケにしつつ自利自利の「うわべ・ほなね」を晒し続けている。と
周先生のお手紙に映画の題がでていた。わたしは日本の歴史映画のなかで敗戦と降伏を決断の「日本のいちばん長い日」にいまも胸うずき、繰り返し見てものを思う。どうはでやかでも真珠湾攻撃の「トラ、トラ、トラ」にはイヤな感じに胸が痛む。
2020 4/2 221
* みごとな櫻の京都を背景に「京都人のひそかな愉しみ」とか謂うた永いドラマチックな映像を泣かんばかりに懐かしく観た。なによりも「京ことば」に魅さ れ、食べ物の、料理のよろしさに泣けた。゛なんで、こんな東京の片田舎に暮らしているのだろうとさえ思った、過剰にすぎると思いつつ。
次いで京の春の青もみぢ、秋の紅葉をみせている。コロナにウンザリの目に沁みる美しさ・
2020 4/4 221
* コロナ騒ぎを癒やそうとNHKの嬉しい心入れであったか、「京都」の食、また「京都」のみごとな櫻、櫻、櫻を堪能させてくれる美しい番組の連続に何度も泪ぐみ、懐かしさに胸を高鳴らせていた、私の識らないような場所なく、いっそう切なかった。
2020 4/4 221
* 仕事はいろいろ有る。仕事しながら、よく選ばれた映画番組なども愉しめる。「ナバロンの要塞」もう五、六度は観ているのに、後半への煮つめの宜しさを充分愉しんだ。
昨日の、京の食や櫻の美しい映像にも励まされた。
政府のボケて右往左往のかわりにテレビ各局が自慢の佳い番組で籠居の人々を慰めてほしいもの。しかし今日も又新たな感染者の数は優に三桁に届いたと伝えられる。政治不在、我欲の防備に先行する総理や副総理に国民は蟻地獄へのふちに命からがらしがみ付かされている。
野党に、見識と魅力のスター政治家が出ない不幸せ。蓮舫をもう一度たてて男共はしかと守り立てながら野党連合を造りたい。負ける奴は小理屈の仲間割れで、いつもあたら潰れてしまう、吾から。それが一ばん愚かなのに。
2020 4/5 221
* 昨日、女優岩下志麻がインタビューでたっぷりと「ほんもの」女優の日常や覚悟を聴かせてくれ、満足し嘆賞した。
私が、ほんものの「女優」と顔を見合わせた最初は、学友であった泣き原知佐子だったが、次は、新宿河田町での新婚生活の頃に近所に建ったばかりのフジテ レビの地下廊下での岩下志麻だった。「バス通り裏」のころだ、廊下を往き来しては何かのセリフを入れているようだった、わたしは野次馬のご近所人間として 遊びに行っていた。擦れ違う時の若やいだ佳い笑顔をくっきり憶えている。
凄みの名演技映画を幾つも観てきた。その下地になるものを昨日の岩下志麻は聡明に気取らずに語り続けていた、感心した。
作家になってから、何回か、パーティで会い、篠田監督も一緒に立ち話しているし、篠田さんへはずうっと本が行っていて、時に映画の映像を見て下さいと送ってこられても居た。
建日子の連続ドラマに出て貰っていた頃があり、志麻さんから建日子のもらったとても洒落たシャツを、トーサンにと横流しに呉れたこともあった。
* わたしの「悪趣味」の一つは、若きも老いも売れている「女優」の、「人」および「演技」の実力の容赦ない品定めで。「売れない」にはもちろん、「売れ る」にはそれだけの鮮明な理由がある。壮年の内に『女優術』という本を書いておけばよかったなどと「バカ」なことも時に口にしている。おまえの即品や文章 が売れなかった腹いせだろうとわらわれるだろうが、次回、「秦 恒平選集」最終第三十二巻に載る予定、『秦 恒平 単行本等・湖の本・選集 全書誌』のもの凄い仕事量を観れば、わらいは凍るだろう。俳優と違い、「作家」の演技力は、「書いて」「版元に買われて」 「活字になり」「本にもなる」ことで決まる。それしかない。
2020 4/5 221
* コロナの行方や如何。甘い淺い期待は無効の気がする。気概をこめて万全用心すべきだろう。
* 総理の先へ先へ出て、まず都知事のかなり気の入った具体的非常対策が出た。総理はそれを聞いて大急ぎにあすに用意の非常宣言を継ぎ貼りしていることだろう。
* 我が家はただただ籠居して用心するだけ。すべき用心はやはりあれこれ有るのだ。
今夜は、ヘレン・ミレン主演、緊迫の凄みな映画「第一容疑者」前編に掴まれていた。一昨日は「ロシュフォールの恋人達」をまた、昨日は「ナパロンの要 塞」と、「スピード」で楽しんだ。佳い映画は確実に胸に来る。一年中観ていても観きれないほど選り抜きの板が置いてある。脚力は一日中の階段の上がり降り と、草笛光子に奨められた足踏み機を重用して。
2020 4/6 221
* このコロナ騒乱の時節に批評ないし解説そして建言で私が信頼をおくのは、朝のテレビ朝日で話している女医師の岡田さん、そもそも総研の彼、そして青木理さん。
今朝も安倍総理「特派員」のような政治評論家は、もはや都知事の先走りを出しゃばり同然に政府の迷惑だなどと口走っている。何なんだ、かの「田崎」某とは。
言われるまでもない「非常事態」に相違ない。われわれ民衆は ただ冷静に、何をしてはいけないか、何はせざるをえないかを思案し実行するしか、この猖獗 の感染症から身をよけるすべはないのだ。われら八十四歳夫婦は、幸いにもじっとしていられる小さな家があり、二人とも出好きではない。家の中に用事はいくら もあり、二人とも本も楽しんで読める。贔屓のテレビ番組もあり、上出来の映画の板にも不自由なく、まさしく「籠居」に甘んじてひっそりしていられる、とは いえ、100%そうも行きかねるのが「生活者」 用心して動く時は動かねば。狭い家で脚もせいぜい使ってやらねば。
2020 4¥7 221
* コロナウィルスの跳梁は専門家達の叡智と学識・技術をあつめてなお、今日、令和二年四月十一日現在、恐るべき猛威をみせつけている。敢 然、覚悟を定めて病魔の前に立ちはだかる勇気と聡明とが「安倍晋三内閣とその与党」の政治感覚に抜け落ちている憂いは情けないまで深く、国難はいまや政治 こそが招いている。病魔はそれを嘲笑っている。
日本にはいま、「民」を護るという日本語が禁じられていて、あくまで「国民」のために国民が托した政治家らの行政能力に「国と国民の安寧や安心」は左右 される。いま、その幸・不幸の無惨なわかれを、日本の国と国民とは苦々しく体験している。政権は国民生死の難儀を救護かるより先だって、一握りの「経済」 占有者らのために「政治」が動いている。病魔の跳梁の足元で、医療は崩壊しつつ国民の生業・教育も破壊されてゆき、「国の政治」は厚顔にそれを見殺しに任 せつつ国民の税金を平然抱きかかえ「お気に入りたち」にバ撒いても恥じない。
今日にも、即刻にも、政治は本来の役務「国と国民の安全と健康」第一に勤めよと、だれよりも最高責任者である内閣総理大臣安倍晋三氏にむかい猛省を願う。
* 国をあげて病み苦しむ状況が刻々伝えられ苦渋に満ちて語り合われるテレビに吐息し、かりそめに動かした別チャンネルから、おお、「荒城の月」の合唱が 聴かれ、つっと泪が奔った。あいついで「めだかの学校」が懐かしく、そして圧巻の藤村「椰子の実」を傍へ来た妻としみじみ聴いた。「流離のおもひ」と聴き 「いつの日か故郷に帰らん」と聴くともう堪らなく呻いて泣いた。帰りたい…泣いた。
「子供たちに残したい 美しい日本のうた」という番組だった。心底、私もそう願う。
* この夜中にも私は、夢うつつのまま島崎藤村のあの、まだあげそめし前髪の「初恋」の詩詞を繰り返し追っていた。美しい日本語の精髄を近代詩の最初にう たいあげた藤村。誰を尊敬してきましたかと受賞の記者会見で問われ私は一瞬のためらいなく藤村、漱石、潤一郎と答えて記者席のざわめきとともにものすごい ほどカメラノのくフラッシュを浴びた。佳い美しい日本語、確かな日本語を佳い美しうたとともに子供たちに残したいと心より願う。いま私の耳には「春のうら らの隅田川」と唄う美しい歌声が聞こえてくる。
2020 4/11 221
* 久し振りにマット・デーモンの映画を観ていた。いい出来ではなかったが。都内のコロナ患者は日曜日にして、大勢出ていた。
今日は、昨日に継いでアタマがよく働かなかった。印刷所へ「湖の本 150」口絵の案を送信できただけか。
十一時半になる。やすみたい、ぐっすり。
2020 4/12 221
* TBS関口宏(?)司会のニューズ議論番組は、時に、今朝など特に、勿体ほどの論者をそろえながらのトロい関口司会で、物足りなく終わってしまう。スポー ツへの張本コメントはきびきびと要点を衝いてとてもいいのだが、別の人気番組として独り立ちさせ、此処は、討論討議に彫りを深め、論点を抉る番組に起ち上 げ直してほしいもの。TBSには際立って優れたセンスと言葉の女子アナがいたではないか。
2020 4/19 221
* 疲れて、見さしの映画「東京物語」の後半を見始めたが、娘夫婦らに熱海へ追い出されたあたりから見苦しく息がつまってやめた、戦死した息子の嫁の原節子の優しさが懐かしかったがもう息苦しくてやめた。
* 喜多方での鑑定団も見ていたが抜群の逸物には出逢えなかった。
いま、ペギー葉山が、純真に「学生時代」を唱っている。
十時。昨日から今日へ疲れが濃く、今夜はもう床に入る。
2020 4/21 221
* 山登り体験は、無かったわけでないが、登山などとは言えない。いちばん高くて妻と登った「冬祭り」の比良山か、中学生の頃の比叡山どまり。比良へは ケーブル利用だから山登りではない。それよりも戦時疎開した丹波の樫田村での「山越え通学」の日々がきつかった。山は海より怖くはなかったが、いま、ボ ヴ・ラングレーのアイガー『北壁の死闘』を読んでいて、おぞましいほど怖くなる。何度も読んだのに読み慣れたという安心感がなく、背景にナチのゲシュタポ や親衛隊が蠢いていて怖ろしい。それで安眠を乱されている。これも読書の迫力かと納得はしているが怖がりの私にはこの手の小説へ向き合うのは刺戟である。 同様の作を四作四册だけ取り置いてあり、今度もみな読むだろう。
レマルクの作世界にも、どれもみなナチ・ドイツの重圧が哀しいまでのしかかっていて、こんな時代へ落ち込んではならぬ歎く。まさかどころでなく今の世界情勢その怖れは濃い。もっとも、いまの私達は毎日毎日「コロナとの戦争さなか」で呻いている。負けてはならない。
テレビ朝日の毎朝の分析や示唆・指導は他に卓越して深切、信頼し、慎ましいまで聴いている。過剰に戦いていてもならない。いまほど一人一人の聡明がはかられていることは無い。は
2020 4/22 221
* テレビ朝日の朝の「コロナ戦争」検討は、女優の高木さんとそもそも総研の玉川さんと、立ちゲストの岡田晴恵先生。明快、適確な厳しい政府・専 門家委員会への批判や注文も分かりよく、もっとも信頼が置けると聴いた。権威主義でなあなあのオエラガタ世間では弾かれる顔と言葉かも知れないが、折角、 健闘願いたい。
* 私も、気忙しくならず、からだと相談しながら仕事をつづけたい。昨夜のような体調を繰り返すと危険な淵へ落ちてしまう。「枕草子」今朝の第二○六段 五月の京の山里の風情に思いを慰めている。
2020 4/23 221
* 今晩は「剣客商売」に凄みがあった。
藤田まこと いい役者だった。森光子との「てなもんや三度笠」の大昔から見知っていたが。「剣客商売」は藤田まことの完成版だった。
2020 4/23 221
* 不愉快な性殺人などの古物のドラマを何故にこんな陰気な時節に放映するかと腹をたてた、懐かしいジョン・ウェインが製作・主演の「アラモ」など、敗北 全滅のアラモ砦から、わずかに生き残ったレディと幼い児二人とが勝利した全軍の敬礼を承けつつ馬で國へ帰って行く。砦を攻防の戦闘場面も凄絶だったが、う えのラストシーンは一抹の清気に映えて美しくさえあった。チンピラどもの浜辺での暴行など、この忌々しいコロナ戦争のさなかに放映したりするな、馬鹿め。
2020 4/24 221
* ひさぴさに観た映画「天使にラヴソングを」一に感動し嬉しく泣けた。音楽の魅力の純然の搏動に心打たれた。嬉しくて嬉しくて胸へこみ上げるモノがあった。
2020 4/25 221
* 海外で受賞してきた日本製の映画を何作か観ているが、陰気にじじむさい感じに陥りそうで、昼すぎにも妻の見かけていたそんな一作を、一目みてイヤにな り、すぐ、「天使のラブソング」二作目に取り換えた。これはまあ輝くばかりの感動愉快痛快作で、嬉しくて泣け感動して泣けて泣けて、何度も拍手を送った。 こんなに自然に美しい神への讃歌、他にそうは数無い。深刻がらずに自然にいいものは、ちからあるものは、胸に届いて生きの歓喜を爆発させてくれる。
うたもダンスもうまい、副主役の歌手として立ちたい女の子を黒人の曰くのあるなりすまし黒人シスターが励まして、ある文豪詩人の本を一冊その子にあげていた。
「作家(歌手)に、なりたくて、なりたくて、なりたくて夢中で書き「唱い」次いでいるきみ、きみは、もう、作家(歌手)なんだ」と励ましていた。
なかなかそうはうまい話でないけれども、励ましとして言えている。
それにしても、なんと音楽のちからづよさよ。
2020 4/27 221
* 朝のテレビ朝日でのコロナ討議は、聴くに堪えて、私自身の三月一日時点では既に直感していた厚労省「お抱え」の「専門家会議」なるものが、「サイエンス」 よりも「政府対応」に利するが先の「忖度提議機関」「政府施策への同意機関」に成ってしまうだけではという「虞れ」を、痛切に裏書きしていた気がする。医 学・科学者らが真の専門性を活かして医療と政策とへ決定的改善をつよく迫れという、いわば発言者が面を冒しての勝れた意見陳述に成っていた。私の、当初来 の予感と危惧と懼れとを裏書きしされるような発言が明瞭に相次いでいた。
* 政府は、会議は、お座なり続きな政策をただ容認し後押しの体をとらせるための、かかる「お抱え専門家会議」の、「議事録」をすら全く公開していない。「会議録無し」の会議などありえない。なぜ、それの明かすべきをさえ明かさないのか。
このおそるべきウィルス感染が、場合により、国家的な危機に際し「守勢」としても「攻勢」としても利用に耐える軍事意味を持っていると保守政治家はかたく信じているのでは無かろうか、かつての日本軍政いらいの秘め伝えられた確信として。
サイエンス一本では公明化しない出来ないという秘めた確認が、今回も、「専門家会議」より以前にそれを「カムフラージュ」として利したい政治感覚が先 だってきたのでは。私は、感染拡大の様子に怯えるのと別に、ずうっと、そう、感じ懼れつづけてきた。今朝のテレビ討議は、それを、ああヤッパリ…と肯かせ てしまう「くらい背景」を何となく透視させてくれた気がする。
國は、政府は、見ようによれば、感染と、闘うは闘うでも、また別途には、或る得難いデータ入手の実験検証体験とも受け容れていて、それが「専門家会議」なる一種の「隠れ蓑」または核心へ「寄せ付けぬ外濠」の働きをさせているのかも。
まんざらの邪推とは思いにくい。私の思い過ぎであればいいのだが。
* 昨夜、床についてまた読み継いだ『北壁の死闘』はアイガー北壁に挑む登山兵たちの死闘でも
あるが、核心には、原子爆弾完成への鍵となる一人の科学者を米と独とて奪い合うという、国家の命運を賭したアイガーでの死闘であった。「サイエンス」と 「国家・政治家。軍人」との怖い関わり合いの世界史的な一例が主題になっている。コロナ戦争も例外ではあるまい。武漢に発したコロナの凄さを、中国政府は 精細なまでデータ化し得て、それを戦時利用の道を確保に近いまで手に入れたと習近平らは「初」の戦果かのように病害体験とともに抱き取っているだろう。愚 昧な籠めトランプはそういう「サイエンス」の魔性に気付いても居ないのだ。韓国も、コロナ体験から「得た」戦果を手に入れたと笑んでいるかも。私は、陰気 な悲観論者なのだろうか。分からない。
2020 4/28 221
* 夜、ゲストで石破茂と岡田晴恵との話す討議番組は聴かせた。いかに現政府が無策、不実行、見当違いに不勉強かを相当厳しく、のこるところ薄皮一枚くら いまで批判していて、それが言い過ぎと響く一点だにないことにゲンナリした。そして疲労した。なんだか無用にモノを食ってしまったような不健康感がのこっ ている。
2020 4/30 221
* 厚労省でお雇いの「専門家会議」なる政府組織のわれわれに向けての「現状認識と指導」らしき報告を聴いたが、出て来たグラフ等の数的基盤も値も不明 で、認識説明も指導ももやもやと端切れ悪い曖昧模糊のままだった。蔓延はあきらかに一次の現象傾向と謂われた途端に東京都本日の感染者数が速報されて、 ギョッとするほどまた多い数字が報された。何もかもの「解説」の基盤になる検査の総数が意味不明に隠蔽ないしダシ渋られていては、どう判断した言葉にも信 頼がないという岡田晴恵医師の指摘にはなにも答えられなかった気がする。
2020 5/1 222
* 昨日の安倍総理と専門家会議の会見、私も感じたまま、諸方から嶮しいまで批判を浴びている。一つに、彼らの言葉に「誠・真言」が感じられず、場当たりにモノを云うていた。
けさのテレビ朝日の羽鳥番組は、その辺をよく分析しつつ追究していた。がも要は、或る歴史的にも隠されてきた機微、最後的に数字と政策とに実在する「何か」が明かされていない。
いま、世界は、じつは凄惨なウイルス戦争をしているとも云いきれる現状を抱えているのでは。
2020 5/5 222
* 沢口靖子が、東宝の新人として立つきっかけをつくってくれた学校の昔の仲良しとの、気持ちのいい清々しく微笑ましい親交のようすをテレビ番組で観た。良かった。
2020 5/6 222
* テレビ朝日の朝のコロナ討議、今朝も有効な新知見・新提言が出て討議が前向きに煮え、反動で現政府の理解や判断や対応の愚鈍さが多く炙り出され、思わ ず点を仰ぐこと再三再四。情けない。政府が率先指導あるべき点まで専門家会議に托して国民に云わせようなど、政治の本末をみずから他に托して顛倒させてい る。つまりは事態の理解と把握がもろくて弱いのだ、非力の政府というしかなく、情けない。
* 連続の韓ドラマ「大王世宗」を観つづけている。「イ・サン」「トン・イ」「馬医」「心医ホ・ジュン」をいずれも観通していずれにも心惹かれまた朝鮮半島の歴史風土や人や言葉に多く教えられてきた。今度のはまだ緒について遠くないがひときわ宮廷社会の激闘多く、時に疲労する。今日も観終えて二時、潰れるように二時間寝た。
2020 5/8 222
* 先日の沢口靖子が女優として立つきっかけ由来のテレビ番組が印象深く爽やかに心地良かったせいか、夜前、詳しくはもう忘れたが朗らかに楽しい靖子のいる賑わった夢を見ていた。もう断片も記憶を漏れ失せてしまっているが。
なんで沢口靖子が佳いのか、むろん比較を絶した明るくて正確な美貌ということがあり、帝劇の楽屋で二度会い写真にもとられ短時間といえ共有した快い記憶 もあり、手紙も貰っている。が、どうもそんなことでない「何か」を、自覚ももてぬまま抱いているらしい。人生不思議という何かがたしかに在る。奇妙のビタ ミンである、不思議とは。
* 「秦」という國の始皇帝よる中国統一に至る歴史と文物とを感嘆、テレビで見ていた。
体調、妙に歪んでいる。今、右肩に太い釘を打たれるような痛みがあり。八時半だが、もう休もうと思う。視力の急な弱りがからだに響いているのだろう、疲 れやすくて当然と思う。コロナ禍の第一波がもし平穏化して無事が見込めたら、歩くという近所への外出も考慮したい。体力も落ちているのが分かる。
2020 5/9 222
* 阿部正弘 高杉晋作 小松帯刀 の幕末を語るNHKBSの歴史番組、いま私が関心の山縣有朋前史としても、維新理解としても、面白く聴いた。
火野正平の自転車で尋ねる故郷映像とともに、佳い番組の一つ。
2020 5/27 222
* チャップリンがオールマイティの映画『ライムライト』をしみじみ観た。さすが。クレア・ブルームもよかった。老いたコメディアンと若い心よいプリマドンナとの醇乎とした恋愛ものとさえ観られて、少し唸りました。
2020 6/1 223
* けさも羽鳥番組を聴いていた。
ひとり、よく出てくる女性、学校時代の成績優秀ときこえたこの人の喋りには、出だしから仕舞いまでいっさい「句読点」がない早口の饒舌で、これが、どの世間でも、賢こがって前へ出る喋り女性のおきまり。
文章だけでない、喋りにも句読点が要ることが、アタマに無い。テレビの傭われコメント女性にいかにこの手が多いか、笑いたくなるほど。
その点、さすが優秀で年期を経た女子アナの的確と即妙には敬意を覚えることも、しばしば。優れた女優たちも然り。
話し言葉には、まちがいなく句読点が在る。それをすっとばして、あたし賢こいのよと特急電車のように居直られては、何が何だか。話し終える最後の一言の 「でしょ」「なんですよ」なんかしか耳に残らないだらしない早口は、みっともなく、聞きとも無い。ラコニックは、文章だけの妙味でなく、ギリシャの昔から むしろもの言い、口の聞きようの品格であった。
2020 6/8 223
* 晩、熊本の陣より西郷隆盛へ充てた山縣有朋の声涙くだる長文の書を半ば近くまで苦辛して書き写した。句読点無し、すべて正漢字と片仮名。とても書写は たいへん。勝海舟の「山形は正直一方の男」という評はいろいろに読めなくはないが勝海舟だけに捻った反語とは想われず、何となく何となく「わかる」気がす る。
たまたまテレビでの美空ひばり「悲しい酒」絶唱にも感嘆久しうした、毎度のことではあるが。
ついで、大好きな映画「ロシュフォールの恋人たち」の歌とダンスを半ばまで楽しんだ。朗らかにピュアなのが懐かしいまで快い映画。
機械を仕舞いに二階へ戻ってきた。十時になる。また、ほんを読みに降りて、そのまま寝入る気。
2020 6/12 223
* 朝から、昨夜に次いで映画「ロシュフォールの恋人たち」を、しんから楽しんでいた。こういう世界が好き。音楽とダンスと出逢いの妙味が何の邪気もなく楽しめる、まるでモダンな神話のように。
2020 6/13 223
* 熊本陣より私かに西郷隆盛に送った山縣有朋の書簡切々の衷情に胸打たれた、西郷は黙したまま割腹とた果てたが。勝海舟と山縣とは西南戦争のおきる前、 海軍卿と陸軍卿に任じていて、ともに征韓論には慎重にむしろ蚊帳の外におかれていた。あの勝が、「いい男だ」と評したという山縣には、備えなく無謀に挑む 闘いの無事でありえないのが分かっていた。識っていた。山縣は奇兵隊の狂介時代から日露戦争の参謀総長まで、もっぱら「参籌・策戦」に長けた知謀の将軍 だった。
或る時期、永そうなドラマで「西郷隆盛」劇を遣っていたのは聞き知っていたが、一度も見なかった。少年の昔から、西南戦争、西郷を担いだ壮士らの蹶起を、征韓論もふくめ、無謀な私計にちかいと感じていたから。
2020 6/13 223
* コロナ禍籠居で、どうしても心身に張りがない。書物のなかの別世界を歩きまわるだけ、ま、それの好き放題出来るのは幸せだが。思えば人の顔を、妻の他見たことがない。先日、日を二月も間違えて病院へ行き受付嬢に窘められた時が唯一か、その顔も忘れている。
で、いま私のしているのは、濹上の船宿へあがった気で、好きに想い描いた顔立ちの女将や妓女をあいてに散財の「お稽古」でして。京は祇園で育ちながら、 その手の体験は一切避けて通ったから、右も左も仕様が知れない。実に実に実に事細かな手引きの本がある、それもまた秦の「おじいとゃん」の遺した本にある のを、逐一読んで追体験しているのであります、フーンと感心感嘆しながら。
テレビで、夫婦議員の逮捕だの、コロナ対応の反省や二波到来の備えだのを連日聞かされていると、からだ中が皺になってくる。何が佳いと謂って、やはり 「女文化」が佳い。どんな怖いアネさんかしれないが、アベさんの何かだいじなものの間抜けた顔よりも、金与正女史の真顔を鑑賞している方が、いっとき気が ほぐれる。「雨夜の品定め」という男等の楽しみが平安時代には当然のように確立していて、枕草子だって男等に品定めして貰う女たちの嬉しさで成り立ったよ うな告白文藝である。
私にとってテレビが「ハタラジオ店」に始めて舞い込んで以来、テレビを受容の第一に近いのは「佳い女の品定め」と「大小の自然美」に胸打たれ、それに「尽 きていた」なと思い当たる。有名も無名も老若もなく、テレビにあらわれる「女優」の演技を詳細に呵責無く批評批判しながら飲む酒には、コクがある。トラマ 自体も広告自体もなんら胸打つものは乏しいが、演技力には批評をそそいで、それが「文藝」をすら養うという実感をわたしは持っている。テレビの画面でどん な美術品をみても「似せ」に過ぎない。しかし演技力は、真偽の岐れを適切的確に暴露していて、批評力を養うこと限りない。
2020 6/20 223
* 日本のドラマないし連続ドラマの面白く無さにくらべ。珍しさも好奇心も手伝い韓国製連続の歴史劇は、「イ、サン」「トン、イ」「ホ、ジュン」などに次 いで今もずうっと「大王・世宗」をほぼ欠かさず楽しんでいる。三韓の古代史は読んでいるが中世以降の朝鮮史を知らないので、珍しいのでもある。
それにしても、がくッと芯で疲れている。睡魔がついつい忍び寄ってくる。したい仕事が次々誘ってむくるというのに。どうなるのであるか。
いま、目を酷使しても続けている長々しい漢文の読みおろし書き取りは、たいそう面白いのだが、
いささかも真面目ならぬ、或いは大まじめな「遊び」の手引きなのである。ついつい終日。眼をこすりこすり引っ張られていた。いまごろ遊びの通になっても何とも手遅れであるが。
* 九時を回ろうか。階下へもう下りた方がいい。仙台の遠藤さんに戴いた桜桃で、今晩もすこうし建日子の呉れたレミ・マルタンを、少しだけ飲もう。
2020 6/22 223
* 十一時をまわっている。今日は、もっぱら読書そして『選集33』の校正に。何を読んでいたか。「戦争と平和」「源氏物語 鈴虫」スタンダールの「パル ムの僧院」レマルクの「愛する時と死する時」そして延々と時間をかけ、惹き込まれて「渋江抽齋」。校正していたのも数え切れない「読み・書き・読書」録。
途中、プライムニュースでの、いわば「韓国」批評の話し合いがシンラツでもあり的確に感じられて聴くにたえた。
2020 6/30 223
* はからずも至福の映画を観た、北斎と娘お栄との。お栄を宮崎葵が演じていて完璧だった。感動と嬉しさとで胸が燃えた。多くは言うまい、映像、忘れない。
宮崎葵は薩摩から江戸城へ入った「篤姫」でしっかり記憶し、ついで、朝の連続ドラマで主役の妹はるの姉役を好演して忘れがたくなり、ついで現代版の「あ に・いもうと」の妹を兄の大泉と競演して唸らせた。今夜の北斎娘は完璧の達成だった。田中裕子と並べて良いと確信できた、私も幸せであった。北斎役もおみ ごとであった。「藝術」主題のしかも至福の父娘をしっかりとらえて描き切っていた。
過去に、テレビ映画では「阿部一族」に感じ入り、今夜、北斎とお栄とに心嬉しく暖かく羨ましく胸打たれた。佳いモノに出会う幸福を満喫した。
2020 7/10 224
* 朝早に床を出て「マ・ア」と、キッチンに坐り込んでテレビをつけると、びっくり、文化庁がつくった『日本遺産」とい う連作の早朝番組で「奈須野」を解説の途中だった。先日「詠」さんから慨嘆の手紙をもらっていた関連の内容が美しい映像とともに紹介され、女優の斎藤由貴 が訪ねていた。山水と大農園の美しさはたしかに目をうばうものがあり、間違いなく時の総理大臣山縣有朋のおそらく首唱にしたがい、まさしく日本の農村離れ のした整然広大の農園が、みるからに美しい生鮮野菜やみごとな果物を栽培していて、その種類・品質と生産高とは想像を超えていた。しかも「山縣有朋記念 館」には、五代の子孫にあたる山縣有徳氏が来客の斎藤由貴を和やかにもてなしていた。建物のありようはまさしく瀟洒に美麗の西洋風で、まさしく「日本離 れ」がしていた。
那須高原のかかる整然たる開発を、番組では「明治貴族」の発想と尽力で成ったと解説していて、詠さんが名をあげていた乃木希典の、勲章をたくさん胸にし た軍服姿も、係わっていた一人として写されていた。ほかの顔写真まで記憶しきれなかったが、最後に、そんな「明治貴族たち」を束ねる態に、第二次山県内閣 の総理大臣有朋像が大きく映し出されていた。詠さんの書かれていた「事」はいわば「史実」であった。史実をどう読んで評価するかは私の荷にあまるが、一例 が、敗戦後吉田茂のワンマン大磯道路などと比して、那須の「山縣農場」ほかとの行政価値はどう較べられるか、あの奈須高原のみごとに広大で整然ととした大 農園には、比較にならぬ大きな「明治貴族」の特権行使でこそ成し遂げ得た大開発であったのだろう、それはそのまま今日の大規模農業の現実としてひきつがれ ているのだった。「農」に「根」の思いのある人と『椿山集』を読み終え即座に感触していた私の想いとは齟齬はしていないのである、が。
2020 7/12 224
* コロナ対応の声が百家相鳴の態に混乱しつつもある。
今日の昼の、ビートタケシ番組に顔を出した京大の助教氏 元厚労省とかの老女史の曰くも云い方も、不快を極めた暴言で。顔つきも歪んでもの言い高慢に下 品そのもの。コロナなど何でもない、感染しても何でもない、マスクなどまるで無用と。
万一にその通りで仮にあっても、あのてのもの言いには汚臭が立つ。タ ケシはじめ番組製作者にも、人をえらぶ用意は親切であってほしい。
2020 7/12 224
* 朝日テレビ朝九時のニュース討議番組を現在一等信頼して、時間を惜しまず見聞きしている。コロナ現況は、政府対策の遅さ拙さも手伝う感じに、ごくの近 未来の憂慮事態を放置または逆行の状態にある。岡田晴恵医師らの的確な指摘に、政治はもっと謙虚に耳を傾け傾聴すべきだろう。
2020 7/13 224
* テレビで宮内庁参与の五百旗部氏の今日の世界観、納得しえて傾聴した。前半に話していた医師のコロナ禍対策へのもうガマンできないという率直な警告に も肯いた。埼玉県知事の決意表明等も熱と本気があった。おなじ事は、朝の番組での岡田晴恵医師にも言えた。今日はこの四人の発言に頷いた。安倍総理、菅長 官、西村大臣、そして小池都知事、まるで、ダメ。
* 疲れてしまうわけに行かない。まだまだ「仕事」がある。
2020 7/14 224
* 明日から、四人の枡席に客一人、砂かぶりに客入らず、大相撲。前夜祭めいてテレビが前の横綱稀勢瀬乃里を呼んで、決まり手の「上手投げ」をテーマにい ろいろ、たくさん話題をそろえてた愉しい番組をみせてくれた。白鵬も、往年の懐かしい名力士や名取組みもみせてくれた。いっとき憂さを忘れていた。「上手 投げ」が必ずしも絶対に強くて有効とばかりは云えないのにも教えられた。
2020 7/18 224
* フィンランドという國のみごとさをテレビで具体的に教わった。聡明な國だ。そのまえにトランプの大写しの顔を見せられていた。その違い、清水と汚泥のよう。日本を愛している気の私にして、比較されては恥じいる。情けなくなる。
わたしは思いつきでなく、政治は聡明な「女」に任せたいともう何十年も思い、ときに口にしてきたが。問題は「聡明な女性」とは、だ。上皇后さんのような 方であればと願うのだけれど。分からない。無理じゃなあ。北條政子や日野冨子ではマッピラ願い下げ。日本の歴史ですばらしい政治をリードできそうだった女 性を一人も思い付かない。与謝野晶子??
* 昼食後 あれれと思うまに三時半、だが一時から一時間は、欠かしたことのない韓國ドラマ「大王・世宗」に見入っていた。今まで見てきた韓国歴史劇の うち、「医師ホ・ジュン」と列ぶ感動と啓発の秀作。日本の歴史劇で、たえて、かほどの問題作に出逢えない。
日本では未だ、天皇を主役の歴史劇が一度も出来 ていない。比較的には、後白河院か。たいした個性の大物であったけれど、聖帝とは行かないナ。
なにより、日本の天皇で海外・他国との折衝や闘争が あったのは、明治天皇までは朝鮮出征、応神天皇(神宮皇后)、白村江で敗退の天智天皇、蒙古襲来の亀山天皇しか無い。その点、三韓・朝鮮の王たちは、歴世の中国に、威力と文明とで脅かされ、苦難を嘗めつづけたい へんだった。
2020 7/20 224
* 韓国歴史劇『聖王・世宗』の完結を見届けた。馴染まぬ他国の歴史劇でありながら、日本の『阿部一族』と拮抗した優秀な長い歴史劇で、ことに後半へ入っ ての二十数回ほどは感涙を誘い続けて立派だった。この王は、あの朝鮮独特のハングル文字をみずから創成して国民を文盲からすくい上げた人であった。世界史 の中でも冠たるの一例と讃えるに足る。
* 大相撲の途中、贔屓の遠藤がドジな負けをくったところで湯に漬かって、トルストイ、レマルク、スタンダールを読み、あと、そのまま、機械の前で寝入っ てしまい、九時になろうとしている。それでいいと思う。いまは無理強いにからだとあたまとを遣いすぎないのが無事な気がする。身を躱すように、コロナ禍を 避けたい。寝入ってしまえる、それを今の、ちからとしたい。急がない。
2020 7/24 224
* テレビ朝日の 信頼のきくコロナ討議 それでも どうにもならず 我々は頑固なほど現況の籠居に徹しているほかない。八十代半ばの夫婦暮らしだからそれも出来るが、毎日出かけるしかない若い人たちの無事を祈る。
せめて私は 心行く「仕事」を推し進めたい。第二幕ヵら舞台が大きく廻る、廻ろうとしている場面へきて第三幕への変わり映えをと願いつつ。
それにしてもコロナがこんなに列島を苦境へ押し込んでいる今にして、国会は開かない、総理の記者会見も対策表明もない、こんなバカげた政府って過去近代日本に、在ったろうかと惘れる。
民主党の野田内閣が痴呆的に政権を安倍に奪われた時、私は即座に、「逼る国民の最大不幸」と予見した。情けない、正確無比に予見どおり。政権に公然追従するばかりの学者を集めていては、より正確で精確ななにも掴めない。
2020 7/29 224
* 大相撲、横綱白鵬は、今日は「負ける」と思ってテレビから離れ、予感のママに一敗し、翌日も、あ、今日も負けると直感、立ち去った。やはり負けた。そして、休場。
贔屓で永く気に掛けていた元大関照の富士が、序の口からまた勝ち上がってきて幕内の裾まで来た。応援していたら、優勝しそうな活躍、おおいに良し。脚に 怪我さえなければ確実に横綱だったのが、序の口まで落ちて、しかも立ち帰り、なんと幕内最高優勝かも。こういうのに感動する。
* 朝の、童謡などの行儀の佳い合唱番組にも、ことに「からたちの花」や「この道」などに泪溢れた。子供のころ 童謡を毛嫌いしていたのに八十五になり感動を抑えられないとは、感傷ではないと思う。私が成長したのだと思う。
2020 8/1 225
* 照の富士の相撲見にゆく。
* 元大関照の富士 堂々の上手相撲で関脇御嶽海を下し、十七枚目にいて五年ぶり幕内最高優勝。序二段まで下げながら、両脚の怪我にも克ち、苦しかった五年の苦労に自身酬いた。最高に偉い。私も、それはそれは嬉しい。
2020 8/2 225
* 七時半か ら三十分、必読とかたく信頼している歴史学者の「日本国」論に教えられ、頷き、首肯き読み、納得して、床から起った。土曜の朝は読売テレビがアクのつよ い、ド強度の自負自慢で引き回す司会者番組。停頓しないテキパキは歓迎するが、マスコミで司会進行を勤めるとはこういう頑強専横でないと長くは席が保てな いんだろうなあと、うたた気の毒にも、ウトましくもなる。
それにしても、総理、政府、大臣、都府県知事、市区長、そして医療の専門家、周辺識者らの、真っ向微塵のドサクサ、支離滅裂。コロナもさぞ嗤っているだろう。
最大限の「籠居」に徹し、自身の別世界に夢見を楽しむほどの打ち込みで、暮らしつづけてられれば、有難い。
幸い、「別世界」は、幾重にも私有し、好きに展開できる。
2020 8/8 225
* 嵐寛壽郎と聞いて、久々に「寅さん」を観た。ほろり、ほろりとした。大笑いもした。よく、嬉しく、出来ていた。
2020 8/8 225
* 午後 はからずも長編の映画『日本沈没』を途中から観入っていた。地球の組成と活動から来る日本列島の壊滅を描いて説得力を持っていた、力強く見せ て、俳優達の顔ぶれも懐かしかったが、私は、それを地学的な自然の激現象とはべつに、これこそが謂うなれば「戦争に負ける」という姿なのだと想ってカタス トロフの烈しさと歎きとを観つめていた。
2020 8/10 225
*八月も半ばへ来ると映画「ザ・ロンゲスト・デイ」に見入ることになる、もう何度見てきたか。ジョン・ウェイン、ロバート・ミッチヤム、ヘンリー・フォン ダ、またクルト・ユルゲンスなど懐かしい顔がわんさか出る。激烈で大がかりな場面の大方を記憶しているのだが、見始めると離れられない。
そして敗戦の日、お盆になると、「日本のいちばん長かった日」を観ることが何度も何度もあった。今年も、テレビがやれば観てしまうだろうな。
2020 8/12 225
* 「京の食と人と行事」に取材して美しくも懐かしくい番組が、例年放映されている気がする。今日も、パン屋や菓子や焼き物や鱧の骨きりや植木やそして大文字などを多彩に巧みに組み合わせて、京ことばも懐かしい佳い映像に、思わず泪がこみあげた。
京都へ 帰りたいなあと、つくづく思う、しみじみ思う。もうダメと判ったなら、躊躇わず東京駅へ駆けて新幹線に乗りたいとまで思う。
2020 8/15 225
* 遠雷が鳴っている、五時。撮っておいた松たか子とアベサダの「スイッチ」というドラマを見た。この二人の芝居は十分楽しめたが、作劇自体はいまいち引き込まれずじまいだった。
2020 8/16 225
* 映画「戦場のピアニスト」 もう何度めかだが、感銘。しみじみと人と藝術とに感謝した。
* つづいて祇園の芸妓、舞子の映像を楽しんだ。京の「祇園」は私には「よそ」ではない。新門前通りの秦家に預けられて東京へ発つまで、祇園とともに暮ら し呼吸してきた。わたしが通った弥栄中学はもともと祇園町が子弟のために肝いりの市立小学校が、戦後新制六三制のもと市立弥栄中学となり、わたしは有済小 学校から進学した第一期の一年生であった。教室には「祇園の子」が男女とも何人もいっしょだった。思い出話をはじめたら大きな本が一冊書けてしまう。
秦の家のあった新門前通りの東の梅本町には祇園甲部でとびぬけた芸妓で、「都をどり」に忠臣蔵がでると決まって「由良之助」役の人のいわば隠れ家があっ た。西の西之町には祇園芸妓舞子たちの藝を総理錬成する井上流家元の八千代はんのお邸が今もある。今の八千代はんは私の少し後輩にあたり、兄上は観世流の 有名なシテでしかも大学で同専攻の先輩だった。今の八千代はんにはわたしの「湖の本」を応援してもらってもいる。
そしてわたしの仲之町ずまいの真隣り、祇園町へ抜けて行く抜け路地に入ったすぐ際には祇園甲部で知られた練達の「男衆(おとこし)」の住まいがあった。
* わたしの文壇へ送り出してもらった出世作は間違いなく異本平家の『清経入水』だが、その後に親密に識者に認められて強い足場になったのは短篇の『祇園 の子』だった。永井龍男先生はこういうのが十も十五も出来れば「たいしたもの」と人に話されていたと聞いた。笠原伸夫さんはとてもありがたい文章で「祇園 の子」を賞讃して下さった。それらはみな祇園乙部の女の子たちを書いていた。祇園町には甲と乙との地域差がわたしのこどみの昔から確然と区別されていて、 しかし同じ中学の同じ教室でいっしょだった。祇園に抜け路地一本で地続きの町に育っていたわたしの「批評」の眼は、そんな教室や校舎や運動場で磨かれ鍛え られた。ただの綺麗事ではけっして済まない世界であった。「小説家になるしかない人だね」と亡き詩人の林富士馬さんとの対談で判決されてしまった思い出も ある。八坂神社の西楼門から夜の繁華の四條大通りの写真を私が懐かしむのは、ただ懐かしいだけの趣味では無いのです。
2020 8/19 225
* 夕食どきに撮り溜めてある中の、いわば「心芝居」とでも題された洋画、オムニバスふうに幾色物であいが巧みに一色に大きく纏まって行く「せりふ劇」映 画が洒落ていてシンミリもして面白かった。ちゃんと撮っておいて佳かったと思う映画・洋画が二、三百も遺してある。画面はきれい、なのに見る眼のちからが ン済み弱っていて、いけない。 2020 8/24 225
* 昼に、イングリット・バーグマンのとびきり綺麗な「追想 アナスタシア」のもうラスト、あたまツルッツルのグレン・グールドと、ちまたへ消え失せるまでを観た。バーグマンは、中学生の昔から大好き。
晩には例の「剣客商売」を。わるくなかった。
映像は楽しめる。がたがたと騒がしいのも、余りに陳腐な出来合わせもイヤだが。当節出来合わせ今今の日本製テレビ現在ドラマは、九割がたが陳腐。「剣客商売」や「鬼平犯科帖」の方がまだしも上等。デーモン未知子の手術がまた観たい。
機械の前では、気を静め機を待ちたいときは書架から白川静博士の浩瀚な『字統』を引き抜いて読む。すばらしく教えられる。
2020 8/27 225
* 火野正平の自転車旅に心慰む。政治家どもの汚らしい右往左往など観たくも聞きたくもない。
やすみやすみに、やすんでいる。半歩も外へ出ないので、総身はただ冷房感覚。23度を25度に上げてみた。ともすると眼をつむってしまう。
2020 8/30 225
* 撮っておきの板で、午前に一つ、午後にも一つ映画を観た。「ラインの仮橋」という初めて出会った獨仏の戦争を厳しい背景にした作がことに上出来だった。女たちが力と知恵を合わせエゴと傲慢の男共に徹底的に打ち克って行く午前に観た一作も面白かった。
昨晩、「オペラ座の怪人」は、以前から繰り返し観てきたバート・ランカスターの仕切って出る作よりはよほど捻子が緩んで粗雑だった。
和洋とも映画作品にはコト欠かぬほど録画板は何段もの段抽斗にびっしり溜まっている。佳い作は繰り返し何度でも観られる。
政治屋どもの権勢をめざすろうろ顔をテレビで見るなど、不愉快千万。見ない。
2020 9/1 226
* 必要な宛名書きを進めながら、午後、映画「デイ アフター トゥモロー」を聴きながら観ながら過ごした。この手の「地球・気象」危機ものでは、起きる なら「これ」だなと感銘を覚えてきた力作で、何度も何度も観てきた。映画にもロクでもない駄作もあるが、テレビの駄作過多よりは「客」を待つ仕事だけに観 られる作、忘れられない作はたくさん在る。近代が与えてくれた新藝術としてわたしは映画に感謝している。
が、日本人で「映画」を最も早く最も本格的に評価し愛されたのは谷崎潤一郎先生であった。シナリオも書かれ、制作にも手を染められ、家族で出演もされている。『痴人の愛』のモデルにもなった先夫人の末妹は、たしか葉山三千子とかいう女優でもあった。
* テレビでは、今、火野正平が懸命に走ってくれる自転車での「心のふるさと」めぐりを愛している。それと、文化や歴史や自然美を、外国の市街や自然を映してくれると観ている。
嫌いなのは。 言いたくもない。
何人もの人気者が演じてきた「銭形平次」をいま、風間杜夫が演っていて、往年のだれよりもすっきり・きびきびと「いい男」ぶり。いい脚本で本格の芝居をさせたい。もう昔と言えるが明治座で、妻と
、風間とも一人のつか・こうへいの弟子と二人主演の舞台を見に行ったが、つまらない芝居だった。
書く方のでしであった秦建日子渾身の作・演出で、現代劇でも時代劇でも幻惑劇でもいい、二人の佳い舞台劇が観たい。
いまはコロナ禍で、映画も舞台も仕事にならないだろう、本格の書く創作で充実して欲しい。
もう久しく、繰り返しになっても観ている時代劇がある、藤田まことの「剣客商売」、これは太刀筋のよろしさも本格によく写していて、脚本もキビキビとムダがない。連続劇では出色の出来を楽しんでいる。
現代劇の「相棒」で、澄ましていばっているあのちいさな役者が、時代劇で着物を着て刀をつかうと、バカバカしいほどヘタクソで、笑える。ヤメた方がいい。
2020 9/3 226
* 思いがけず、ロッサナ・ポデスタで撮り置きの「トロイのヘレン」を観た。見覚えのない繪で、見せてくれた。
ホメロスの超長大な『イリアッド』を半ば近くまで読み途中だが、この神話物語の筋書きは承知していて、画面に生彩がなければ退屈するが、この初めて観た と思える一巻は、要は荒筋の荒筋に過ぎないけれど、ヘレンが美しくて、けっこう楽しませてくれた。ホメロスを読み継ごうと思わせてくれた。美女の代表格に はクレオパチラの名が上がるが、わたしは神話への親炙のおもいからヘレンこそと昔から思ってきた。ゲーテの『ファウスト』にも取り込まれてある。ブラッ ド・ピットがアキレスを演じる「トロイ」はやはり撮り置きの板で、何度も観てきた。今日のは、安い味ではあるがロッサナ・ポデスタという愛ずらかな顔で全 体を惹き立てた。
2020 9/5 226
* 「月夜の宝玉」とでも謂うたか、「ベベ」こと、ブリジット・バルドーの若い若い肉の魅力だけが横溢の、とりかこむ風景も珍らかに美しい映画を、撮って 置きの板から観た。なまじ説教も諷刺も余計な遊びもない、ただただブリジット・バルドーの懐かしい映像美だった。それで佳いのだった。
2020 9/6 226
* 夕食後、また撮って置きの板で手に触れた一枚を機械に入れて、映画『フィラデルフィア』を観た。トム・ハンクスとデンゼル・ワシントンの競演がみごとな裁判劇で、エイズ、ゲイへの差別が主題。アカデミー賞受賞が当然と思われる緊迫の名畫だった。唸った。
その気になれば、素晴らしい藝術の魅力や迫力にはいくらでも出会える。出会わないでいる勿体なさを思ってしまう。
佳いもの、それを、それだけをいつも求めて出会いたいと願っている。願いは叶うのである。もっともっと、それを願うべきではないのか。
2020 9/6 226
* 昨夜九時から、また、『パッセンジャー』と題した比較的近年作の初めて観る映画にも満足した。広大な宇宙飛行機内で冬眠化されている数千 の乗客のうち、若い男女二人がたまたま解凍されてしまっての地球時間でいうと90年間もの「ドラマ」であった。なにかしら奇妙なリアリティも感じとれて、 不思議な感銘があとに残った。
* 映画、いいものは断然いい。板に撮った演劇は味気ない、が、映画は映画館に行かなくてもほぼ同様にいいものはいいと味わえる。近代が呉れた大きな贈り物だ。
2020 9/7 226
* これ以上の市街戦映画を観たことがないというほどのモノを観てぐったりした。
九時。もう機械を離れる。
明日には三校のゲラがどさっと届くだろう。また当分、念入りの日々がイヤ応なく続く。そういう日々がわたしの日々だと思っている。みな誰もがそういう日々を持っているのだろう。
2020 9/9 226
* 昨夜、アララと途中から「大仏開眼」な る歴史ドラマが目に入り、早くはやくに書いた『みごもりの湖』を懐かしく思い出し出し恵美押勝琵琶湖西の「討たれ」迄観ていた。私の歴史現代長編小説より は遙か後年の作劇であったが、吉備真備を正面に持ち出していたのは、史実は兎も角も、新鮮だった。ああ、こういうドラマも書かれていたのか、最近はこんな 力作観られないなあと慨嘆も。
2020 9/13 226
* 早く亡くなった柏原兵三さんの原作とは覚えてなかったが、一見の昔から感銘深く忘れがたかった映画「少年」をやはり感動や共感や記憶を喚び起こされながら 観た。縁故疎開した四年生だから全く私と同年敗戦の歳の「少年」だ、田舎の学校でのもろもろ同じ体験が湧くように思い起こされ、厳粛でさえあった。ああい う時代やったなあと、つくづくと。
2020 9/15 226
* 映画『女の園』を、かなり感じ入って観た、観るのは、ごく若い学生時代の初上映のころ以来三度めぐらいか、かつてはてんで失笑ものと思っていたと思 う、が、こう老々になって見直して、なかなかのものと見直した。「時代」と、「女子大」や全寮制なるものは確かに捉えられていた。出演の女優達が、女子大 生としてはトウは立っていたが、主演の高峰秀子、高峰三枝子はじめ、久我美子も岸恵子も、みなみな余りに懐かしい顔であった。こういう映画が創られていて 当然で必然であった「時代」の顔もよく見えた。この「女の園」とは、太閤坦にある京都女子大(私はそこの京都幼稚園に通ったし、女子大同窓会百年記念に講 演を頼まれたこともある。)と聞いていて、事実かどうかは知らないが、京都にある女子大らしいとは映画でも理會できた。女子高も女子中もあり、小学校や中 学のの女友達の何人もが入学していたし、かなり身近に実感しやすい学校だった。京都では、同志社か京女かと評判されていた。そういう懐かしさにはたいして 添わない映画であったけれど、女優大勢の表情も声音もみな懐かしかった。
映画という創作の良さも面白さも再認識できた。ああ遠い昔になったなあとも、しみじみ思えた。
* ここらで白状しておいていいかも知れない、長編『ある寓話』の終始の語り手「東作」は、久慈子爵家の庶子であり、異母姉である子爵家の娘・久慈芳江 (はるえ)は、実在の久我侯爵家実子であると聞いていた女優久我美子に「宛て」てある。実名は「はる子」、女優としては「よし子」だったとも聞いていて、 わたしは女優久我美子がむかぁしから好きであった。映画『女の園』では久我美子の役は、もと華族の令嬢でもあった。はじめてこの映画を観たころは、そんな ことは何も識らなかったが。
2020 9/16 226
* 昨夜、撮って置きの映画、幸田文原作成瀬みきお監督の「流れる」を観て、心底から仰天した。何よりも 顔ぶれ。田中絹代 山田五十鈴 高峰秀子、岡田麻里子、杉村春子、中北千栄子、栗島すみ子等々の文字通りの 競演。落ちぶれていく柳橋界隈芸妓置屋の日々 が残り無く精緻に描かれていて、トップスターたちのしどころの見事さに驚嘆し続けた、ことに山田五十鈴と田中絹代、杉村春子の超級演技力。もういまどきこ んな達者には出会えないなと唸り続けた。
戦後女子大のドラマ「女の園」にも胸打たれたが、成瀬演出、隅田川辺の色街の日常と、それを押し流して行くむ時流の険しさにも胸打たれつつ女優競演の凄みにも感嘆した。
いい映画はいいなあと、戦後日本映画の黄金期が懐かしかった。ビートタケシ監督映画等がとかく話題の頃から日本映画の画面は貧相に薄く汚れてきたのではないか。ひとつにはシンの演技派と観られる冠たる女優が数少ないのかも。
すぐれた映画の衝撃力には、舌を捲く。
2020 9/18 226
* 小津安二郎映画の撮って置き「おはよう」を懐かしく観た。久我美子が出て佐田啓二と組み、三宅邦子と柳智衆夫婦のおもしろくてガンコな兄弟少年が事実 上の主役といった映画。杉村春子ら脇役もかっちり固まっていて、わたしたちが東京へ出て来た時節、テレビが家庭にすこしずつ入って来る来ないという時節の 荒川ちかい集住地区の日常が描かれていた。なまじいの劇映画よりもよほど佳い。
先日観た「流れる」は凄いまでに完璧な出来の花柳界だったが、「おはよう」はじつにフツーの田舎っぽい都市庶民の暮らし。しかし時代の空気は的確に表わされ、身につまされるまで懐かしく観た。佳い映画は佳い。昔の作ほど、佳い。
2020 9/19 226
* 自堕落というではないけれど、仕事らしい仕事もせぬまま、小津安二郎の映画「お茶漬けの味」を楽しみ、晩には篠田正浩監督・岩下志麻、それに真田大介らの江戸の真の夜と芸術的爆発を描いた名作「寫樂」を、十二分に楽しんだ。
楽しんだのだから、それで良し。いい映画は、佳いのだ断然に。十時。もう機械は仕舞う。
2020 9/20 226
* 昨夜、久々に、三、四回目になろうか黒澤明の『羅生門』を観た。なにより黒白画面の奥 行き深い輝く美しさに魅された。この制作当時の日本映画の録音のワルサは、撮影の見事さに比して百の一ていどのひどさだったから、当時の日本の観客はいら いらしたにちがいない、私もそうだった。けっして高くは評価しにくかった。しかし海外のコンクールへ出ればこのままの上映ではなかったろう、字幕がついた ろう、そうまると受け入れが断然ちがう。黒澤映画の真価が精鋭の武器のように観客を射抜いたろう、京マチ子の凄さも、森雅之の男という不器用動物の真相 も、三船敏郎のむちゃくちゃも圧倒的な説得力に生きて、その上にあの土砂降りの雨にゆらぐ羅生門の不思議な美しさも、完璧に生きたろう、グランプリに輝い て何不思議もない名品が厳然と在ったのだ。なっとくを新たにした。佳いものは佳いのだとあたりまえのことを思った。この映画は。芥川の原作とはもはや懸け 離れた等本映画藝術の最初の粋となった。
2020 9/22 226
* 黒澤明最期の脚本を映画化した『雨あがり』をもう何度目か知れず、やはり深く感動して見終えた。何ともいえぬ佳い映画で、三船敏郎の息子というのが殿 様になってでるのはご愛想であったが、宮崎美子の妻女役が輝くように立派に落ち着いていて、タレントの端くれと思っていたのがみごとな存在感なのに初めて の出会い以来驚嘆を重ねてきた。いい役を身につけて演じるとこんなに立派に立つかと感嘆する。
2020 9/22 226
* 芸能畑での自殺が目立つ。竹内結子のようなさきざきの期待できる女優までが。建日子作の連続ドラマで主演してくれていた。建日子劇に主演してくれた男 女優たちは、ウチでは「むすこ・むすめ」と数えている。竹内結子には花やぐ期待をかけていたのに、痛ましいことになった。
2020 9/27 226
* 映画に比してロレンスの『息子と恋人』は胸のつまる精微な哀しみのまま収束あるいは消散して行きそうで、読むのが辛いほど。たいへんな長編でありなが ら書き起こしから一糸乱れない心理作で、かほど執拗に「読ませ」て的確な愛憎作を、数多い世界文学で他に思い出せない。なによりも母親モレル夫人の造形と 表現のみごとさ哀しさ、これはもう「誤解をおそれず謂う」なら、息子ポオルのミリアムやクララとの恋より、彼と母との恋愛のように読めて、痛いほど胸を打 つ。もう二章ほどを読み残しているが、ロレンスという作家の表現のちからに身震いしている。
2020 9/29 226
* 起こるべくして起きた米大統領選のオクト・サプライズ、トランプのコロナ感染・入院。女性顧問との「濃厚接触」とはね。
昨夜まで『モサド』という飜訳本を読んでいたが、私には得るところの何一つない本とわかり断念した。
「モサド」には、かつて人気のアメリカ・ドラマのヒロイン格で活躍した、強烈に武闘に強い美女、モサド首脳の娘という設定という好感度の美女がいて、これは欠かさず観ていたのだが。
この本ではエジプトとイスラエルとの絶え間ない武力抗争のなかで、ナセル元エジプト大統領の女婿が自国の最高機密をイスラエル側に売るスパイになって、 ついには暗殺された「史実めく事実」を書いた本なのだが、なんら自前に感触しうる美点もない書き物と分かり、読み継ぐのを断念。わたしは人気の映画でも 「007」シリーズはあまり好まない。
2020 10/4 227
* 先日、『神様のくれた時間』という面白い映画に嬉しく満足した。今日は夕食後に、『パリの真夜中』とでも謂うのか、アメリカからパリへきた自称「作 家」氏の途方もなく且つ嬉しくなるような奇想の彷徨映画を心底楽しんだ。大笑いもした。建日子といっしょに観たかった。建日子の顔も見たい。
「創造力」と「想像力」とには、かくも豊かなまだ見知らず手も触れられてない「世界」が待っている。陳腐な味も姿も薄いツクリものをムリに、手軽に、 作っててはダメということ。文章での場合は、把握表現の確かさ美しさ弾み、そして時世を超えてわたってゆく、かつて無い新鮮味。
2020 10/4 227
* 九時になる。録画しておいた『ドクターY』を観てみたい。「X」だったあの「群れを嫌い」「権威を嫌い」の卓越した手術医米倉涼子のお手伝い程度らしい出演は残念だが、麻酔医内田ゆきに陽が当たるらしいのは賛成、歓迎。
2020 10/5 227
* アメリカ製のバカげたニュース、日本では政治やドロボーの押し付け支配・押し込み傷害の危ないニュース。月と火星の最接近などという美しい写真に癒や される。連続テレビものでは、火野正平クンの自転車で故郷への旅と、子供達へ伝えたい童謡合唱と、駅のピアノ番組が、佳い。とても佳い。
2020 10/8 227
* 佳い演奏と合唱の番組を、つづけて二つ聴いていた。そのまえには世界の「絶景」を眺めていた。正平の自転車「故郷」がつづけは、テレビはそれ以上要らないと思うほど。
2020 10/10 227
* 「ドクター Y」の初回を今晩も一度見た。何と云っても「外科手術」のドラマティクな凄みには、安いドラマづくりなど忘れて感動する。泪もこぼれる。 受けるなら最高度の外科技倆とアタマの働く手術グループにこそ命を預けたいとしみじみ願われる。仙人でも禅僧でもない、患者ならそう願って当然のこと。麻 酔の城之内先生、外科の加地先生ががんばり、ゲストであるのか「ドクター X」のさすがな着眼などにも妙味を覚えた。医学書院で15年半も編集者をしての ドクターやナースとのつき合いも懐かしく思い出せる。文藝の出版社務めでなくて私の体験としては断然よかったのだと思い当たる。
2020 10/11 227
* 引っ越すのを苦にしない人がある。わたしは、思うだにお手上げになる。ちっと、羨ましくもあるが。
この歳(もうすぐ八十五)になりうらやむという気持ちは浅ましくも俗でもうす汚くもあるけれど、もうしばらく前から羨ましい男のデレビ番組があり、つい 見てしまいながら犬が唸るように羨ましく僻んでしまう。顔も役もよく知った馴染みの五十代ほどの俳優が独りで街歩きして、ふいと食い物矢の暖簾を肩で撥ね たりする。そして、まあその店自慢そうな美味そうな食べ物を飯も汁もお茶になるまでじつに美味そうに嘆声をもらしてしたたかに食う。そして、舌なめずりす るほどにまた外の道へ出て向こうへ行く。あたまに来るほど羨ましいが、さて、食っている一々のかなりのモノがわたしは必ずしも好きでない。肴は煮ても焼い ても大方気に入らず、鍋の鱈のほか、魚は刺身でしか食えない。肉のゲテ物は全然ダメ。野菜はキャベツていど、どの季節の青いのもみなダメ。料理屋でいそいそと手を出すのは吸い物。これが、たいていお代わりが利かない。卵料理にはいつも嬉しそうに手を出してたのに、このごろ卵の味が舌にこない。妻に気の毒。
それにしても、テレビの彼氏の、食通でなんとも美味そうに食うことは。黙って、いつも眺めているだけ。
2020 10/11 227
* 「朝はどこから来るかしら」と唱ったことがある。たしか「希望の國から」ではなかったか。毎朝、朝食(と云うより私の場合大量の服薬なのだが、)のあ いだに見る各局のテレビ番組で「希望」を感じて心はずむこと、まず、全く無い。不正、犯罪、事故、天災そしてとめどない國内外の悪政と混乱と。
見なければ、よい。然り、しかし週間に引き摺られチャンネルへ通電してしまう。
「愚や愚や汝を如何せん」
* 「暴君」の嫉妬と狡知と虚偽のいかなるかを観察せよ。一般に「貴族的な人(地位と権力の人)」には多かれ少なかれ「親味の愛情」が欠けている。 マルクス・アウレリウス(ローマ皇帝)
* 「末は博士か大臣か」と明治の人は本気だった。今日、「博士」って、何? というようなもの。「大臣」になど間違っても成らぬがよい「人間毀損」の代名詞か。斯く「謂う」ことが、情けない。
2020 10/12 227
* {ドクターX」の「第二回」めだった再放映は、「味覚障害」の発見と手術とで、感動編。病源の的確な発見と診断、そして外科手術の絶妙は、ドラマはドラマとしても、そんなの跳び越えて、真実感動させてくれる。
2020 10/16 227
* 上野樹里の「朝顔」再放送を久し振り懐かしく観た。実にサッパリとして情もありセリフも佳い、好きな女優さんの、娘に欲しいランクの高い一人である。
今は、デッカイ男らと格闘中だけれど、また、老少となく女人が書きたい。澄んだ水に顔をつけて、わたしの記憶の池を泳ぎ回っているどんな人らに 手をさしのべようか。 2020 10/17 227
* 韓国一年ドラマの『大王世宗』最終回を見直し、したたかに胸打たれ泪した。最良最高溢美の大王だった。いくつも韓国の一年ドラマを見てきたが、王様も のでは『大王世宗』が、民間ものでは『心医ホ・ジュン』が頭抜けて感動編、日本の大河ドラマで、これらに匹敵した感動編はひとつも無い。この比較だけで は、日本のテレビ劇界は、韓国劇の遙か後塵を拝している。
真に民衆を、国民を、主人公とみる原点の人間思想が薄弱で、地位身分や武力武術の讃美にただ堕しているからだ。いくら「忠臣蔵」といえども所詮は「君 臣」の埒に跼蹐の劇であり、国民の幸福など考えられていない。平家物語も太平記、尊皇攘夷倒幕なども、所詮は「サムライ」ものに過ぎず、真の感銘、真の思 想とは結びつかない。
* いま、心底より「トランプ・アメリカン」を軽蔑し唾棄する。こんなムチャクチャな暴君が文明国に現れ出てノシ歩くとは想像できなかった。
* バカげてみえても、超級の診断能力と手術技とで瀕死の命と患者たちを救い出す、あの単発で連続の『ドクターX 大門未知子』には、根柢に「群れを嫌い 権威を嫌い」抜く ド根性の正しさが諷刺と軽蔑に直結していて、わたしには「サイコー」の出来映えだった。
2020 10/25 227
* 朝の、政治と国際ニュースの概して疎ましい限り。加えて大声で叫び続ける「なんと広告」の煩ささ。ひどいのは一と広告で数度も「なんと」「なんと」と喚く。「なんと広告」を蔑む。同じように政治家の「まさに・まさに演説」(前の安倍総理に著しかった)も信じない。
2020 10/27 227
* ジーン・ハックマンの「フレンチ・コネクション 2」を、面白く見通した。この複雑味の男優を私はけっこう高く買っている。
十時前。もう、やすむ。床では、全訳版の『チャタレイ夫人の恋人』に魅されている。『史記列伝講義』も読む。目は疲れ方は張っているけれど。
2020 10/29 227
* 二時間ほども 播磨屋の口跡で、京都の、超美的贅沢世間の交際ぶりを見せてもらった。舞台廻しの役どころを、昔馴染み、新制中学で同級の女 友達が嫁いだ、料理の「浜作」三代目が演じていた。、二代目の奥さんになった洋子ちゃん、洋子洋子と呼び捨てにしていた彼女の着物姿も、久し振りにみた。 二代目はわたしの一年か二年先輩で親しかった。先輩、洋子ちゃんにゾッコンだった。京都の「ええし」らの超贅沢など珍しくもなく、テレビ画面での昔をしの ぶ女友達を見たのが懐かしかった。
2020 10/31 227
* このところ ホビット映画(先代・版)を二本見ていた。映像の素晴らしさ、物語のふしぎさ。好きなのである。まさしく別世界に居れる。こういう嬉しさを貢いでくれるのはこの『指輪物語』 ル・グゥインの『ゲド戦記』 そしてマキリップの『風の竪琴弾き』
しかしロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』にも、源氏物語の「總角」巻にもいま魅されている。
更に新たに読みすすんで興趣を覚えるのが『史記列伝講義』 耳馴れた熟語や箴言にしばしば出会う。これはもっともっと早くに読みたかった。
2020 11/1 228
* すこし寒気がしたので、階下で、映画「鬼の爪」を観た。松たか子の代表作といいたい痺れるほど佳い作品で。息をのんだ。こんな上手い女優がいるのに、なんでああもへたくそな女優も多いのだろう。高島礼子でも見劣りがした。こういう上出来の映画を次々に見せてほしい。
2020 11/11 228
* すこし独り言したかったが、もう目がつぶれている。まだ七時前。しかしもう、ぐっすり寝入りたくもある。
昨夜の松たか子のような佳い映画なら見たいが。大きな画面のテレビなのに近くへ席を寄せないと見にくくなっている。
* 「剣客商売」が、大路恵美が三冬時代の古いのを再放送している、一橋家による父田沼意次毒殺の計画などあり、娘が父へ、父が娘へ想いを寄せ合って行く 佳い一編を見た。音羽屋娘の三冬もいいが、大路恵美もこの三冬役ではいかにも情感の女剣客に成れていて快い。優に男勝りの剣客となれば相応の稽古を積んだ のだなと感じ入る。概して侍モノは好かなくて、播磨屋の「鬼平」と藤田まことの「剣客商売」しか見たくない。
現代物の連続では「科捜研の女」は見ないままで沢口靖子をこの上なく是とし贔屓にしていて、他は「ドクターX」の手術だけを気を入れてみてきた。他に は、コレと贔屓のものはない。やはり佳い映画にト゜ラマは勝てない。映画は客が入らねば商売にならない、そこが勝負と、昔、シナリオ研究所へ通って、佳い 監督や脚本家に教えられた。
2020 11/12 228
* トールキンの『指輪物語』を選んだ。「ホビット」映画はほぼ全部撮れていて、なにかというと観ている。活字本でも大長編繰り返し読んできたが、よくよ くの好きで、繰り返して飽きない。しかつめらしく堅く論じたていの社会派小説は、疲れるのでほとんど読まない。小説というと「別世界」に心惹かれる。
2020 11/20 228
* 今朝のテレビでみた京都清水寺 永観堂 嵐山の紅葉のうつくしさに感嘆し人出の多さに仰天した。コロ ナ感染には多寡をくくっているとも、キャンセル料を惜しんで居るとも、紅葉の美に真実惹かれて居るとも。紅葉と桜と。ほんとうに甲乙つけがたく、また京都 の底知れぬ自然の美がじつは文化の美だとも納得できる。
感染の暴発なきを誰々のためにも願う。
2020 11/23 228
* ホビット映画のビルボ・バギンズ篇の後半『最後の決戦』を妻とゆっくり、映像の美しさ不思議さに感嘆しながら見た。ビルボ版にはこの前半もある。
いままた読み出している『指輪物語』は、ビルボの跡継ぎフロドとサムの新たな旅立ちから始まる篇で、これは、たいそう厳しい烈しいシンドい長旅の物語に なる。映画盤は出だしの一枚が録画されているが、さがせばもう一、二枚の板がみつかるだろうが、この方は、トールキンの本で読んで行く。気持ちのわるい 「ゴクリ」なる生き物が出てきて、これと映像で付き合うのが、かなりしんどい。
2020 11/23 228
* 「九時から朝日」の羽鳥司会、玉川、宮川氏らの調査力と判断抜群の番組は、ことに事コロナに関しては見聞せずにおれない。その的確な指摘や発言の大方に、うなずかざるを得ない。裏返せば、いかに政府の判断や推理のわるさ鈍さが見えてきて肌寒くなる。
2020 11/24 228
* 昨夜九時頃から映画の指輪物語「二つの塔」を見始め、あまりの長さに妻も「マ・ア」も寝てしまい、わたしは最後までみた、零時過ぎていた。物語はまだ 大事な目的のこの先の旅が長い。しかし、わたしが実にこの手の物語に根気の良い感受性を開ききっているかが分かって、ワラッテしまう。しかも床に就いてか らは、ホビットのヒロド・バギンズと従者サムとの遙かな旅立ち物語を読み始めている。現下菅内閣の判断や決断や国民への思いやりある対策には、聡明と的確 な親切とが欠けている。いち早い内閣の交替、すくなくも政治家として実力ある大臣へ首のすげ換え内閣改造の素早さが望ましい。
* クリント・イーストウッド監督主演の「運び屋」映画、滋味掬すべき秀作に例によって感嘆した。たいした映画人。
2020 11/26 228
* 『指輪物語』のフイルムには、ビルボ・バギンズの「前編」が四作と、甥のフロド・バギンズの「後編」も、四編あるのではないか。我が家に全部揃ってい るか、最後の一編が或いは見あたらないかも知れないが、超長編映画の傑作なので、何度観ていても飽きないのがありがたい。
* テルさんに、今している仕事などメールを書いていたが、疲労に負けて途絶。両の肩が石垣のように堅く重い。ま、そこそこ仕事ははかどらせたのだから、休もうと思う。酒が、いま、わたくしに良く効くのか重く障るのかも分からない。「ホビット」と別世界へ旅してくるか。
2020 12/2 229
* 休息の時は 飽きず 「ホビット」を観ている、
2020 12/5 229
* この一週間の余もトールキンの『指輪物語』にひかれ、文庫本で、また映像で楽しんできたが、映像のほう、ビルボ・バギンズの前篇についで、ヒロドとサ ムらとの後編もすべて丁寧に見直した。感動感銘もふかく、映像美はきわだっており、歴史物語の大きな構想美と丁寧な登場者らの劇構成にもなんども泣かされ る佳い場面があった。この上こそ構想と映像と物語の巧緻と美と雄大は、他に思い出せない、つまりは映画史の絶頂に位置した一作として、何度見てきても印象 深い。
2020 12/6 229
* 毎朝 テレビ朝日の羽鳥番組を見聞きするのだが、出演の発言者たちが的確に話してくれるにつれ、むかむかして「政界」「内閣」とはゴミ捨て場のようにしか人の集まってない場所かと情けなくなる。菅内閣は現状では「ゴミ溜まり」に思われる。
コロナの医療現場は、そして罹患者らは、気の毒に、歳が越せまいと案じられる。
私にしても、二十年の糖尿病、十年近い癌という基礎疾患の持ち主である、コロナの火を大わらわに消しにかかってくれる政治、行政、徹底支援こそ必要と 願っている。当面の経済は、現金を給付しつづけ、コロナ禍を少しも早く乗り切ってからしっかり回復をはかれば良い。その気なら政府には出来ること。しない で済まそうとしているだけ。
新聞・テレビ等のマスコミが、いま挙って効果的に「世論」をもりあげ、政権・政治家たちの良識を揺すってくれること、期待する。
毎朝毎朝の「見・聞」が、ほんとうに不愉快。
* 若い人たちの声と力とが「国会」を揺るがそうともしていない。
国会を取り巻き、「キシを倒せ」と、事実「キシを倒した」こともあった。六十年昔。以降、「経済」を餌に戦後統治型の保守政権が国民の政治力を圧殺しようとし続けた。保守政権が果たした政治とは「それだけ」だった。歴史を「忘れ」た国民は、脆弱におちる一方になる。
2020 12/11 229
* 日野正平が、自転車で自、今治市、しまなみの伯方島へ渡っていた。伯方にくっついた隣りに能島があり、能島の海底では『花方』の「颫ぅ」ちゃんの親族たちが、私の生母らもいっしょににぎやかに暮らしている筈。「颫ぅ」ちゃんも帰っているだろうか。いやいや、いまも此の私の部屋でおとなしく本を読んでいるのかもしれぬ、ウカとは呼ばないが。
2020 12/15 229
* おととい、きのうと、途中でちぎったようにしてプーシキン原作の映画「オネーギンの恋文」を面白く観ていた。なかみはよく分かっている。写真のロシア がそれは美しく懐かしい気がして忘れがたいが、つくりは甘くない。辛辣に手厳しいが、それがプーシキンの味だろう。当時ソ連作家協会の招待でモスクワ、レ ニングラード、そしてグルジアを旅したときもプシキンとは触れ合った。泊まったいいホテルのすぐそばの公園に像も建っていた。近代ロシア文学を分け拓いた 作家だ、あとあとへすばらしい作家たちが続いた。映画は英国がつくっていたので、風景も俳優もロシアでは無いのかもしれないが。
2020 12/26 229
* ベネチアのカーニバルがコロナ禍に襲われ中止されて行く日追いの映像は、人類の世界史と大感染病との繰り返す葛藤を底知れず想わせ、寒気のする、しかも美しい厳しい映像だった。
日本ではとうどう国会議員の、容赦ないまで険しいコロナ急死が出た、当然のように関連の感染と発病と不幸が国会へ侵入するだろう。
それにしても、何という日本政府のコロナ禍認識の手ぬるさだろう、国家的・社会的・歴史的な大行事のベネチア・カーニバルは僅か二日で「中止」を決定した、それでも蔓延が防げなかった。
日本は、正月休みをむしろ利してこそ、いまこそ緊急事態宣言し、各都市もロツクダウンして、コロナと強烈に睨み合う時機であろう。
2020 12/29 229
* 討入りのこと聞かざりき十四日と思っていた、のに、仕事なかばたまたま階下で、長谷川一夫・淡島千景『忠臣蔵』山科の別れに出合い、以降苦心惨憺赤穂 浪士ら吉良邸へ討入り本望を遂げたまでを、泣かされ泣かされ泣かされながら観終えた。何度観てきたか数えられぬ、それでいて泣かされた、泣かされた。
一つには、劇の劇性の絶巧にもあるが、もう一つは、長谷川一夫を芯に、京マチ子、若尾文子、淡島千景、山本富士子ら女優たちの懐かしさ、鶴田浩二、勝新太郎ら男優たちの懐かしさにマイった。同じ青春を共有してきた俳優たちである、思い出は幾重にも輻輳する。
それにしても忠臣蔵というのは朽ちる気配ない日本の「劇」の大当たり真骨頂と受け取れる。凄いということばを用いて不当でない、実に数少ない日本の演劇の至宝と想われる。
前半も観たかった。ま、しかし、変り種を幾つ観てきたことか。忠臣蔵と聞くとほかの用をちょっと待たせてしまう。
2020 12/30 229
* 久々に映画「マリア…」と歌いあげる、ジョージ・チャキリスら名作のダンス・ミュージカルを観た、戴いた鴨鍋に舌鼓をうち、戴いたお酒の「杉並木」に酔いながら。そして、また寝入って、気が付くと八時半。いまからゆっくり湯をつかう。
* 髯もあたった。映画「真昼の決闘」で、ゲイリー・クーパーとグレース・ケリーに久々に会った、懐かしい。名前を覚えられているのは奇跡のよう、じつはグレースの方は最後まで名前が出なかった。
このごろは、俳優などの忘れた名前を懸命に思い出すのがゲームのようになっているよ、呵々。
2020 12/31 229