* 三ヶ日の雑煮を夫婦だけで祝い終えながら、作家五木寛之に「怨歌」と適切に聴きわけられたあの歌手藤圭子のウソのない生涯映像を、濃い共感と理解と共に見 通し聴き通した。正月気分にふさわしくないか、いやいや、真実感で徹底した若い歌人生の儚い成功と終結からは、凡百の創作を紙屑のように蹴散らす真実が痛々しく聴き取れた。感服した。
極めて短かった藤圭子の「怨歌全盛期」を、またそのリアルな生涯をわたしはよく知ってきたワケでない。美空ひばりの百の一も識らなかった。
しかも、不動の、或る切な 共感と理解とがその昔から生きていた。藤圭子の歌は、あの菊池章子の絶唱「星の流れに身をうらなって 何処を塒の」の、「こんな女に誰がした」の、あれを直に受けることで「敗戦後日 本」の地を這う呻きを「歴史的に伝えた歌手だ、と、そう、私は久しく理解し受け容れてそれを忘れなかった。
今朝の「映像と語り」を観て聴いていて、紛れもなくあの「こんな女に」と藤圭子の「新宿の女」「夢は夜ひらく」などが、当の藤圭子自身のことばで切にバトンタッチされてたと確認できたこと に、わたしは感銘し深く納得した。私は、「日本の敗戦」と「敗戦後日本の根底」を、斯く二人の歌手と代表歌とを結び繋いで、今もなお、胸の内をかぐらくも重くもしている。「戦争に負けた苦痛と無残」を背負うたのは、天 皇でも戦犯でも陸海軍でも男でもなくて、「女」だったのだと。
丹波山奥の戦時疎開先から京都の繁華へ帰ってきて、小学校、中学を終えて行きながら、わたしは胸のいっと う奥で、「こんな女に誰がした」と呻く乾ききった「女」の強いられた変容を、怖いとまで眺めていたのだ。一部の女の話をわたしはしていない、日本の女のはなしをしている。
そして、いま「令和日本」の女も男もこの機会にボケ金にボケた「精神壊滅」のアリサマは。
2020 1/3 218
* 心していろんな仕事・作業を把握しながら落ちなく進めないと、先で苦しくなる。要事を箇条に書きだして置いて、一つ一つ消して行くのが私の流儀。
けさもまぢかで、静かに、気に入りのジャズ・バラード。心地良い。
2020 1/12 218
* 寒い雪雨(みぞれ)。
* ぜっこうの部屋音楽は、もう、ずうっと、深夜までのジャズ・バラード「酒とバラの日々」に極めがついている。100%仕事の邪魔をしないで、安堵させ落ち着けてくれる。ジャズというのを永く喰わず嫌いだったのが申し訳ない。建日子最良のプレゼントになっている。
建日子の譲ってくれた大小ふたつのカメラは、有効に使えないと半ばはあきらめ、一昨日、ビックカメラでソニーの小さなカメラを買ったはててものの歌舞伎 座開幕への時間を惜しみ、ほとんど何の説明も受けず持ち帰ってきたが、これが何やらややこしくて、使えるまでに機械になにかと手を入れたり掛けたりが必要 らしく、参った。
2020 1/18 218
* そんなことを謂いながら、建日子に貰った静かなジャズ・バラードに誘い込まれるようにもう日付の変わった迄もモノわ書き続けていた。もう、やすもう。
2020 1/22 218
* 起床8:00 血圧 146-77 (60) 血糖値105 体重 61.75kg
2020 1/23 218
* 久々に快く宮澤明子の軽妙なヒアノで、ガルッピ、スカルラッチそしてショパン、バッハを聴いている。
2020 1/26 218
* 晩の食後 藍川由美の唄を聴いていた。
いい唄もつまらんのもあった。
2020 1/29 218
* 書斎の音楽は、建日子の呉れたジャズ盤のなかの一枚「Smoke Gets In Your Eyes :煙が目にしみる」が一等仕事を邪魔せず 音楽も静かにこころよい。いろんな人たちのいろんな演奏が17曲も入っていて変化もあり、騒がしいモノも無くて 有りがたく癒しもうけている。もう一枚「酒とバラの日々」も気に入っていて、数十枚ももらったが、この二枚だけに心身を心あずけている。
2020 1/31 218
* はやく寝てはやめに起きた。起きると、「マ・ア」が喜ぶ。
体重、血糖値、血圧を計り、機械を温めに二階へ。17曲もはいっているジャズ盤「Smoke Gets In Your Eyes」が静かに静かに鳴りだす。17曲の、どれ一曲もだれ一人もを知らなかったし、今も聞き分けようともしていない。大きな「一つ」の静かに綺麗な、 私の仕事への「伴奏」とうけとって馴染み親しんでいる。
2020 2/20 219
* 冷え込む書庫にいて、懐かしい一冊『古事記』を見付けた。此の本そのものでは有るまい、後年に懐かしく古書店で買ったのだろう(昭和十三年十二月一日 五版発行の定価八十銭とあるのを古本通例の鉛筆書き頒価は「30円」とある)が、間違いなく、私が国民学校一年生を終えて二年生進級への春休み中に、何用 あってか父に伴なわれ木津川ぞいに担任だった吉村初野先生宅を訪れての帰り際、先生手づからお土産に下さったのと全く同じ一冊、『昭和七年(一九三二)八 月に「文部省」が出している。(十二篇中最初の一巻に相違ない。)
「緒言」を此処に持ち出しておく、と思ったが紙も活字も「劣化して」か機械が受け取ってくれない。しかし書き写してみる。
☆ 緒言
過般の欧州大戦乱世界人心の上に未曾有の動揺を経験せしめた。此の間に在つ我が國民も亦思想上堅実を缺くものあるを示すは、邦家の為洵に憂ふべきことである。
此の時に際し国民精神を作興して皇國の丕基を鞏うするは刻下の急務にして、之が方途は諸政に亘つて頗る多端ならんも、深く古を溫ねて道を明かにし、肇國 の精神を不抜に培ふことは流弊の源を治る所以である。この意味に於て我が古来の文献中、特に愛誦すべき十二篇を擇びて日本思想叢書と名づけ江湖に薦む。
本篇は学習院教授次田潤氏に委嘱し、原文校訂編の外之れに解説を試み讀誦に便ならしめたものである。 昭和七年八月 文部省
* 企画と刊行は第一次大戦後にあたり、「此の間に在つ我が國民も亦思想上堅実を缺くものあるを示すは、邦家の為洵に憂ふべきこと」とは、軍国化して行く日本を承服しない勢力を見ているのだろう、当局官憲の思想と団結への弾圧はとみに嶮しくなって行く時期に当たっている。わたくしはそういう皇国を背景の警察国家をまったく支持しない、今も。
それにも関わらずこの先生に戴いた『古事記』は、まさしく生涯で強いて一冊と限られればこれを挙げるしかないほど愛読しまた愛読してほぼ諳誦したに近 かった。私の「國史(歴史)」好きはまったくこの一冊『古事記』により醸成された。国民学校一年生で読めたのか。らくらく読めたのである、この次田潤教授 の一冊は、「古事記解題」「古事記序解釈」についで「古事記 上 中 下巻」の「口語訳」で出来ていて、さらに全三巻「古事記」の「直訳」も揃っていたの である。私はいわば「神話」語に寄って先ず日本の古典語へ近付いたのだった、ほぼ諳記していたから、国民学校二年生の教室で「だれか、お話しをしてごら ん」と先生に望まれればいつも即座に教壇へ出て「神話」を「お話し」したのだった。
わたしは兵隊嫌いの戦争嫌いで 軍国主義をなんら望まなかったことは生涯の処女作小説が「徴兵忌避」の白楽天詩によっていた通りである、が、「古事記」 神話をいささかもウソだアリエナイという調子で侮蔑しなかった。現在只今の思い出もあるが、どこのどんな「国民」も自身の「神話」を愛して自然当然とわた しは自覚している。ギリシャ人もローマ人も自身の言葉で語りつがれた「神話」を軽蔑などしていない。神話への自然な国民愛と軍国支配主義・帝国主義とはイ コールでなく、ただ悪しき政治支配の思想が「悪用」したに過ぎない。
* いい本を買い入れておいたと、わたしは今この古色蒼然、表紙も反り返った古書を慈しむ目で手にしている。「お正月」の唄が好きだった。「今日のよき日 は大君のうまれたまひしよき日なり」という天長節の唄は全校合唱の中でむにゃむにゃ云うていたが、紀元節の「雲にそびゆる高千穂のたかねおろしに草も木も なびきふしけん大御代を」と唱うのは、神話の範囲内と詞も曲も容認して唱っていた。私は、国民が独自の神話をもって愛するのはなんら咎める気がない。
* 私は、真夜中眠れないと、よく唄の歌詞を思い出している。流行歌は、ない。子供の頃の唄か、白状すると、金鳶輝く日本の栄えある光り身に承けて」とい うあの忌まわしくもある「紀元は二千六百年」の歌ではなく、「見よ東海の空明けて 旭日高く輝けば 天地の生気溌剌と 希望は躍る大八洲 おお晴朗の朝雲 に 聳ゆる富士の姿こそ 金甕無欠ゆるぎなき わが日本の誇りなれ」という富士讃歌 これは、八十余歳になってなお、少なくもこの一番に限ってはこれこそ 国民国歌にしてオリンピックでもせいぜい唱って欲しいと思うのである。「富士山」が嫌いな人に出会ったことがない。「君が代」より盛大に晴れやかではない か。私は国際社会にあって日章旗は必要と思っているし、国家には「君が代」「や「さくらさくら」のなよびかなのより、「おお晴朗の朝雲に 聳ゆる富士の姿こそ 金甕無欠ゆるぎなき わが日本(国民)の誇りなれ」が、格別に元気で相応しいと思っている、悪用する政治を断乎斥けねばならぬのは、何事も然り。
2020 3/15 220
* 老夫婦ともに草臥れて。急ぐまいぞ。急くから疲れる。なにごとも、これまでの倍の時間をかければよい。
コロナはとてもまだ下火とはいえまい、よくて横這いか。世界、海外、欧米がピンチにある。世界のせまさをウイルスが思い知らせる。
二月から、飽きず、機械の側ではいつもじャズ・バラーズの17曲が鳴り続けている。仕事や気分の邪魔はせず、鳴っているのを忘れているほど気は落ち着く。『椿山集』まるまる一冊もこれを聴くと無く聴き続けているうちに書き写せた。
2020 3/20 220
* どんよりと疲れを身に溜めてるが、今日はこころもち気楽に半ば目をとじている。視力の衰えは何とも致 しようなく、視野もキイの字も滲んで霞んでいる。コロナの脅威をすなおに懼れて「籠居」を縦まに、それでもやっぱり、手書きの古原稿を読み、本を読み、お 便りを楽しんでいる。好きなジャズ曲はもうこの二ヶ月ちかくいつみ機械のちかくで静かにわたしを落ち着かせてくれる。
2020 4/2 221
* コロナウィルスの跳梁は専門家達の叡智と学識・技術をあつめてなお、今日、令和二年四月十一日現在、恐るべき猛威をみせつけている。敢 然、覚悟を定めて病魔の前に立ちはだかる勇気と聡明とが「安倍晋三内閣とその与党」の政治感覚に抜け落ちている憂いは情けないまで深く、国難はいまや政治 こそが招いている。病魔はそれを嘲笑っている。
日本にはいま、「民」を護るという日本語が禁じられていて、あくまで「国民」のために国民が托した政治家らの行政能力に「国と国民の安寧や安心」は左右 される。いま、その幸・不幸の無惨なわかれを、日本の国と国民とは苦々しく体験している。政権は国民生死の難儀を救護かるより先だって、一握りの「経済」 占有者らのために「政治」が動いている。病魔の跳梁の足元で、医療は崩壊しつつ国民の生業・教育も破壊されてゆき、「国の政治」は厚顔にそれを見殺しに任 せつつ国民の税金を平然抱きかかえ「お気に入りたち」にバ撒いても恥じない。
今日にも、即刻にも、政治は本来の役務「国と国民の安全と健康」第一に勤めよと、だれよりも最高責任者である内閣総理大臣安倍晋三氏にむかい猛省を願う。
* 国をあげて病み苦しむ状況が刻々伝えられ苦渋に満ちて語り合われるテレビに吐息し、かりそめに動かした別チャンネルから、おお、「荒城の月」の合唱が 聴かれ、つっと泪が奔った。あいついで「めだかの学校」が懐かしく、そして圧巻の藤村「椰子の実」を傍へ来た妻としみじみ聴いた。「流離のおもひ」と聴き 「いつの日か故郷に帰らん」と聴くともう堪らなく呻いて泣いた。帰りたい…泣いた。
「子供たちに残したい 美しい日本のうた」という番組だった。心底、私もそう願う。
* この夜中にも私は、夢うつつのまま島崎藤村のあの、まだあげそめし前髪の「初恋」の詩詞を繰り返し追っていた。美しい日本語の精髄を近代詩の最初にう たいあげた藤村。誰を尊敬してきましたかと受賞の記者会見で問われ私は一瞬のためらいなく藤村、漱石、潤一郎と答えて記者席のざわめきとともにものすごい ほどカメラノのくフラッシュを浴びた。佳い美しい日本語、確かな日本語を佳い美しうたとともに子供たちに残したいと心より願う。いま私の耳には「春のうら らの隅田川」と唄う美しい歌声が聞こえてくる。
2020 4/11 211
* 仕事のそばでは、静かなジャズのかわりに、繰り返し「美しき歌・こころの歌」の第三巻を歌ってもらいつづけていた。さっきは鮫島有美子が何度目かの 「春」や「千曲川旅情の歌」の「小諸なる古城のほとり」を歌い終え、今は合唱団が「夏の思い出」で尾瀬の水芭蕉を歌っている。ひばりの気張って歌う「人を 恋うる歌」に都はるみがガンバッテ「嗚呼玉杯」を歌うのも面白かった。
不快で苦痛な今日の現実から逃亡しているのではない。斥けているのである。
2020 4/13 221
* 朝いちばんに機械を明けて、私のHP「私語の刻」のアタマで三枚の写真、京祇園白川辰巳橋からの花櫻、東京築地明石町で通院の通りがかりにふと撮った 名を知らぬ紫色の花、そして高木冨子の美しい「浄瑠璃寺夜色」を目にすると、しみじみ嬉しくなり、気も静まる。美しいモノをいつも身近に胸に目におさめて いる有り難さを、この悩み深い当節なればこそ思う。
それにくらべ、盤を替えて鳴り始めた森繁節の「城ヶ島の雨」小沢昭一のウッとくる「美しき天然」ひばりの「出船」また森繁の「ゴンドラの唄」鮫島有美子 の「波浮の港」藤山一郎のうっとうしい「影を慕いて」ひばりの「国境の町」高峰棚三枝子の「湖畔の宿」など、頽廃に近いメロディの連続にはウンザリしてい る。感傷にのみ訴える呼び声には力が無い、ことに今のような難しい時節には。「枕草子」の元気なおしゃべりの方が活気をかきたてて呉れる。
* いま並木路子が昔のあのままの声で「リンゴの唄」を聴かせて呉れている。あの声とメロディにどんなに敗戦直後の途方に暮れた思いを励まされたことか。 「並木路子」という名が八十五歳へあるいている私の内に今も生きているのだ、たいしたことだ。どんなに気取った歌詞を書かれ聴かされても感傷に訴えたがる 演歌調は、歌声の佳い伊藤久弥の「あざみの歌」でも、歌の上手い岡本敦郎の「さくら貝の歌」でも聴いていて気味が悪い。まだしもまっすぐ気を励まして悲し みと励ましを歌いあげる藤山一郎の「長崎の鐘」の方がまっすぐに泪をさそう。美声の奈良光枝「青い山脈」でも、ツクリものめく歌詞のため、新鮮と響いた一 時の効果に時代を超えてゆく命の強さが無い。
天才ひばりの歌唱力は「白い花の咲く頃」の感傷を実感へ引き寄せ、「川の流れのように」は絶唱に位置している。高校へ入學の日に運動場に流れていた二葉あき子の「水色のワルツ」は素直になつかしいけれどかなりはずかしい。
* 盤を替えて聴いた歌のなかで、小鳩くるみの絶唱と謂いたい「埴生の宿」に私自身の実感があり、感激、二度三度も聴き惚れた。
もう一つ、伊藤京子の「螢の光」に予感も実感もこめてしみじみとした。私は、昔にも書いたが「螢の光」という歌詞の唱歌は、ただ卒業式のような別離の感 傷歌ではなく、いくやま川の人生をわたってきて、「いつしか歳も過ぎ(杉)の戸を「あけてぞ」今は世、互いの世を生死異にして別れ行く歌だと聴いている。 じわっと実感もいよいよ深まってきた。自分の手で「過ぎの戸」を明け自分の声で「蛍の光」をうたいながら別れて逝けるといいのだが。
2020 4/14 221
* またもとのジャズをサイド・ミュージックに機械仕事を今日も続けねば。
ファビュラス・ベーカーボーイズとか謂ったろうか、あの兄弟のピアノで、ミシェル・ファイファーの唱う映画が好き、あの映画のピアノと唄の部分だけ、音でほしいなと思う。
2020 4/15 221
☆ お変わりありませんか 秦兄
コロナ禍で世界中がパニック状態ですが 兄の身辺は日録の「私語」からは 大事もなく察せられ安堵しています。
「湖の本 149 流雲吐月・歴史に問い、今日を傷む」のお礼に、昭和21年からはじまったNHKのラジオ歌謡でも編集しようかとテープの箱をひっくり返していたのですが、昨日の日録を見て選曲を止めました。
「あざみの歌」詞 横井弘、曲 八洲秀章(昭和24) 「さくら貝の歌」詩 土屋花情、曲八洲秀章(24年) 「白い花の咲く頃」詩 寺尾智紗、曲 田村しげる(25年) を聞いていて「気味が悪い」と書かれては、こりゃだめだと思ったからです。これらはいずれもNHKラジオ歌謡の初期の作品で音楽学校出の実力者が歌う曲だ けにうーんと唸りました。「歌はすべてTPOのムード音楽」というのが私の口癖ですから兄はきっとこれらの曲を聴く気分でなかったのでしょう。
すくなくとも戦後間なしのこの時期には 今風に言ういわゆる演歌はまだ登場していなくて 歌謡曲や流行歌と呼んでいて これら3曲は抒情歌として親しまれていた曲でしょうに。
近ごろは ポップス系以外の歌謡曲を押しなべて演歌と呼んでいますが、小節をきかせた歌い方は1960年代の美空ひばりあたりからで、童謡や唱歌や抒情歌といわれるジャンルは小節(メリスマ唱法の一つ)を多用して歌うことは余りありません。
そんなことで堅苦しい理屈は抜きにして、その日その時の気分によって聴き分けたら音楽は「音(オン)が苦」にならないので 音源を悪く言わずに、聞く気分が曲にフィットしなかったと納得してくださいというのが音楽好きからのお願いです。
(* まったくその通りで、そのとき私は抒情の気分になれなかったのです。生と死とに掴まっていたのです 秦)
ところで、15日の日録に Michelle Pfeifferの、ピアノ伴奏での歌が聴きたいとありますが、米映画「The Fabulous Baker Boys 邦題・恋のゆくえ」で歌っている曲をこのメールの添付ファイルに付けておきますので聴いてみてください。
添付ファイルの曲名の左の●印をダブルクリックして 開いた画面の開く(O)をクリックすれば聴けるとおもいますのでお試しください。 京・岩倉 辰 (中・高の同窓)
* 感謝感謝。 不手際で機械に弱い私の機械処置でうまく聴き出せるといいですが。
2020 4/16 221
* 音楽を楽しむべく添付ファイルをと捜したが森下兄からの受信メールに附属してなかった。
九時、もう何するにも疲れたので、歌声の好きな倍賞千恵子の「かあさんの歌」を聴いた。つづいて大津美子の「ここに幸あり」は、わざとらしく唱って、歌詞はあまりに陳腐。まだしもザ・ピーナッツが歌詞は陳腐ながら「心の窓に灯を」とすなおな合唱の優しみの方が受け取れる。
この盤では、やはり倍賞千恵子の「遠くへ行きたい」の読みの「演」歌が美しく、そして 岸洋子の「希望」という苦渋の境涯、ペギー葉山「学生時代」の開 け放しの懐かしさ、そして芹洋子が爽快に唱いきる「この広い野原いっぱい」など、何年も昔に味わったものだけが甦る。音楽に歌詞はほんとに必要なんかしら んという根深い疑念を吹き消してくれる歌声が聴きたい。
2020 4/16 221
* 岩波文庫の「日本唱歌集」をなにかというと手にとってみる。昔は、短歌・和歌そのもので唱歌が書かれていたりする明治十七年の小学唱歌「四季の月」は四季ともども平明な、愛唱して胸に抱いていてもいい和歌四首で
雨すぎし、庭の草葉の、
つゆのうえに、しばしは やどる
夏の夜の月も
などと。
子供向けの教訓的な唱歌の歌詞にもみえてイヤだが、一般に唱われる歌詞の三番、四番辺へくると妙に国策や政見へ誘い込みたげなの、ちょくちょくとあり、わたしは、その辺は鉛筆で本にバツ印をつけてしまう。明治四十四年の「日の丸の旗」になると、
白地に赤く 日の丸染めて ああうつくしや 日本の旗は
は、同感するのだが、
朝日の昇る 勢い見せて ああ勇ましや 日本の旗は
となると、日清・日露の戦争を勝ちぬいた殊に日本陸軍鼓吹の気が露骨になる。
* やれやれ。身も心も疲れやすいが、疲れてはならぬ。
2020 4/18 221
* 八時半になる。今日は、ボヤーッとしながら機械の中の夥しいフォルダやファイルをせせり歩いては書きさしのいろんなアイデアものを拾い読んでいたりし た。疲れてはいけない、むしろのんびりしていたいと。幸いに尻を叩かれる要件はなく、こんなときこそ放心の世界を漂えばよろしく。二つ、三つ、いやもう幾 つかハリに掛かってくる手応えがあった。ひとつ「ハラスメント」という話題を、美しくも抉るようにも書いてみようかと思ったり。
傍の音楽は、今日は朝から、グレン・グールドのバッハ協奏曲1、2、3番が繰り返し鳴っている。もう一枚べつに協奏曲三つの盤があり、さらにフーガの技法とゴールドベルク協奏曲の盤もある。モノーラルが私にはありがたいのだが、グールドのピアノの冴えには凄みがある。
もう、目があかん。
また明日のためにも、心身やすめねば。
2020 4/20 221
* グールドの元気なピアノが鳴りつづけている。さて、さて。八時。朝食して、今日もいろいろ遣ってみましょう、元気に元気に。
2020 4/21 221
* 倍賞千恵子の「かあさんの歌」「遠くへ行きたい」 岸洋子の「希望」 を 聴いていた。
私は生みの母を知らず求めず育ち 知ってからもはねつけ続けた。そのかわり想像(創造)の世界で好きにいとおしい母に向き合えた。わたしは妙なひとで、 「そう」想ったらもう「そう」なれる。去年、『オイノ・セクスアリス 或る寓話』を書いたと時、わたしの化身である吉野東作氏は、自身がさる子爵と祇園の 舞子から生まれたと書いて、その舞子「久鶴」像を手に入れた。
いまもこの仕事場にその「母」は額の中で落ち着いていい顔の舞妓でいつも近くにいて呉れる。部屋に出入り起ち居のつど胸の内で「おかあさん」と呼びか け、それで気がらくになる。なれる。人からみれば、気持ちわるくなんたる酔狂とわらわれようが、わたしは、「そういう人」としてこんな爺にまでなった。そ れでよかった。
2020 4/21 221
* 喜多方での鑑定団も見ていたが抜群の逸物には出逢えなかった。
いま、ペギー葉山が、純真に「学生時代」を唱っている。
十時。昨日から今日へ疲れが濃く、今夜はもう床に入る。
2020 4/21 221
* 海外で受賞してきた日本製の映画を何作か観ているが、陰気にじじむさい感じに陥りそうで、昼すぎにも妻の見かけていたそんな一作を、一目みてイヤにな り、すぐ、「天使のラブソング」二作目に取り換えた。これはまあ輝くばかりの感動愉快痛快作で、嬉しくて泣け感動して泣けて泣けて、何度も拍手を送った。 こんなに自然に美しい神への讃歌、他にそうは数無い。深刻がらずに自然にいいものは、ちからあるものは、胸に届いて生きの歓喜を爆発させてくれる。
うたもダンスもうまい、副主役の歌手として立ちたい女の子を黒人の曰くのあるなりすまし黒人シスターが励まして、ある文豪詩人の本を一冊その子にあげていた。
「作家(歌手)に、なりたくて、なりたくて、なりたくて夢中で書き「唱い」次いでいるきみ、きみは、もう、作家(歌手)なんだ」と励ましていた。
なかなかそうはうまい話でないけれども、励ましとして言えている。
それにしても、なんと音楽のちからづよさよ。
2020 4/27 221
* Smoke Gets In Your Eyes ジャズの、静かに、懐かしい感じのメロディが部屋を包んでいる。この部屋、八十四の爺いどころ か、まるで多感な高校一年生の勉強部屋のよう、とてもよその人には見せられない。どういう趣味か、昔、毎日のように仕事の客や読者が尋ねて見えた時など、 「書斎をみせていただけませんか」と乞われ、拒絶するのに往生したが、あの自分の仕事部屋は簡明にすこし取り澄ましていた。いまのこの部屋は、谷崎先生ご 夫妻のお写真にお気の毒なほど、書籍と機械以外に、かぞえてみたら五十近くも、金原社長に戴いた肖像や妻の写真や、大小の書の額や、亡き孫やす香や美しい 若い沢口靖子の大小しろんな写真や小さな風景画や好きな京の絵葉書や、小説には必要になる京都市地図等々が、そればかりか、上村淳之さんに例年戴く書と繪 のカレンダー写真の気に入ったのや、神仏のお札や、ことに猫の「アコ」が狙っては銜えて走る気に入りの犬ころやゴジラの人形や、ま、雑沓をきわめて、こよ なく私を落ち着かせる。
2020 4/27 221
* ジャズというのは、乱暴な限りピアノを叩きまくる喧しい下等な音楽なのだと、つい最近まで、建日子がよいしょ「ハイ、ジャズです」と袋に入れたり函づ めで持参してくれ、で、何枚か聴いてみて、じつにここちよく静かな吹奏楽器の音楽、ピアノ伴奏ももの静かに優しいことに気付いて、いらい、仕事のそばで鳴 らしっぱなしは「ジャズ」に限ると相成った。事実、こんど「湖の本」百五十巻の記念の仕事は、思い立ってから、祖父の遺したくれた本をまる一冊手打ちで機 械へ書き写し、前後へ原稿を書いて我ながら時節柄なかなかの一巻になし得たぞと自信も持てたのは、すっかり惚れ込んで聴き流しに聴けるジャズのお蔭であっ た。歌がなく歌詞のひどさに邪魔されないのが有難く。ありがとう、建日子に、感謝。
2020 4/27 221
☆ 秦 兄
その後体調はいかがですか。前にメールで映画のBGMを添付送信しましたが受信不能だったようですので今回は別の方法でテスト送信してみます。
これなら下のURLにカーソルを持っていきCtrlキーを押しながらクリックするとYou Tubeの送信画面が出ますから支障なく受信できるてしょう。
曲目はYou Tubeの画像からJ.S.バッハの4台のクラブサンのための協奏曲BWV1065です。パイプオルガンの音色と奏法をお愉しみください。第一楽章の途中からの奏者の足元にもご注目を。
無精者は読書とパソコン相手に退屈もせずに平凡な日々を送っています。
支障なく受信できたらその旨返信ください。 京・岩倉 辰
* 残念ながら
私の機械操作の無知故と思いますが、何ともなりませんでした。
この方面からの お心遣い ご放念下さい。 この古機械が ようまだ精一杯よう働いてくれると、胸を撫で下ろしおろしの毎日です。機械に余分の負担はかけられない段階にいます。
お元気にされてますか。 せめてのびのびと、この難儀な日々を、楽しまれますように。
そばの音楽は もっぱら 静かなジャズを鳴らし続けています、いつも、終日。
疲れやすく、体重は減り続け とても元気とは言えませんが仕事の手は休めていません。
京都が静かでありますように。 兄も お大事に。 秦 恒平
2020 5/19 222
* 今朝は、今朝もといえるかも、「子供達に残したい日本の歌」を、白秋や八十や秋田方言で懐かしく聴き惚れていた。合唱のはいごの日本の山野・故郷の風 景にも目をとめ、ああ何としてもこの穏和に静かな懐かしい日本の国土を蹂躙させてはならないと目に泪をためて思っていた。
レマルク小説の、パスポートもいかなる証明書ももたず故国を追われて異国の国境から国境へ逃げ回る避難民たちのようになってはならない。渡って身を遁れ る国境が海のほかないのだ、日本人達は。しかし征服者等は容赦なく大陸の奥地へ労働力として大々的に追い払いかねない、歴史にその例は何度もあった。
聡明で、英明で、「悪意の算術」と私の謂う「外交」に精到した人材を育て持たないと、日本はただた「アレ・アキレ」たと歎くだけで、足元の故国の地を喪 いかねない。他の何処より、中国をおそれよ。ロシアをおそれよ。竹島、尖閣、対馬、沖縄、北海道、太平洋の島々を、歴史を重ねつつ虎視眈々狙い定めている 國が「無い」などと寝惚けていて済むのか。
2020 5/23 222
* 細菌学 感染学 の微妙に果てなく底知れぬ展開をもつことを日ごと専門家はテレビで教えてくれる。そしてその病害展開がいかに内政・外交にかかわるも のかを、地球地域を東西南北に四分してそれぞれの曰く謂いがたい実情を介して思い知らされている。「日本」の地域情況だけでモノを謂うていても背後の複雑 怪奇は計り知れない。克服なのか共生なのか、細菌やウイルスとの妥協なのか。
* こういうとき、置き忘れてならないのが、「美しい」モノ、コト、ヒトとの触れ合いかと思い当たる。美術とはたやすく触れ合えぬ今だけれど、我が家の狭 い庭にも佳い草葉は群れ花も咲いている。アコもマコも家中をかけまわる。老夫婦は つかれたら横になり、それぞれの読書と仮眠に憩うている。建日子や朝日 子はどうしてるかな。
* とはいえ、朝から、今まだ九時にならないのに、芯の疲れが眠けの渦巻くように自覚される。
機械のまぢかでは、静かなジャズバラードが、終日。建日子が呉れたもののなかで、この音楽機械とジャズCDとが、いっとうわたしを癒やしてくれる。
五月が、今日でおわる。
2020 5/31 222
☆ 秦先生 おはようございます。
思いがけず、嬉しいメールをありがとうございます。
表をしめた歌舞伎座の前を通ると寂しい気持ちになります。
浅草も一時期、人っこ一人いない風景が続いていました。今月になり、やっとの人出でほっとしました。
浅草は、最近オリンピックめざして作られた小さな宿がたくさんあります。ぜひ、隅田川にちなんだ作品、お願いいたします。
隅田川が育んだ文化を盛り上げようと、台東区、墨田区が新たに協力連携しています。私も近年、両国のシアターカイさんでいろいろさせていただいております。
この6月7月も、国際舞台芸術祭が行われます。7月7日に出演します。
http://www.theaterx.jp/20/200613-200712p.php
長年隅田川を見ていますが、 シアターカイさんに行くために昨年初めて両国橋を歩いて渡って隅田川をみました。
「ああ、大川だな」と今までとは全く違う川の姿を見ました。
最近 シアターカイさんに行く時は両国橋からいくようにしています。
先生の作品、楽しみにしております。
よろしくお願い申し上げます。
追伸
今年は花火大会中止です。
残念ですね。
また次回。 望月太左衛
* うてば響く人である。太左衛さんの鼓、太鼓。心身を一気に血の奔るような確かさ、美しさなのです。
2020 6/3 223
* 晩、熊本の陣より西郷隆盛へ充てた山縣有朋の声涙くだる長文の書を半ば近くまで苦辛して書き写した。句読点無し、すべて正漢字と片仮名。とても書写は たいへん。勝海舟の「山形は正直一方の男」という評はいろいろに読めなくはないが勝海舟だけに捻った反語とは想われず、何となく何となく「わかる」気がす る。
たまたまテレビでの美空ひばり「悲しい酒」絶唱にも感嘆久しうした、毎度のことではあるが。
ついで、大好きな映画「ロシュフォールの恋人たち」の歌とダンスを半ばまで楽しんだ。朗らかにピュアなのが懐かしいまで快い映画。
機械を仕舞いに二階へ戻ってきた。十時になる。また、ほんを読みに降りて、そのまま寝入る気。
2020 6/12 223
* 静かなジャズバラードが部屋を満たしている。落ち着く。
2020 7/20 224
* 朝の、童謡などの行儀の佳い合唱番組にも、ことに「からたちの花」や「この道」などに泪溢れた。子供のころ 童謡を毛嫌いしていたのに八十五になり感動を抑えられないとは、感傷ではないと思う。私が成長したのだと思う。
2020 8/1 225
* 朝のコロナ事情 を聴いて、階下で校正のあと暫時ねむり、二階へ来て、機械をあけたりメールを読んだりしながら、やはりうとうとと睡っていた。夜の睡眠時間が短かったと思 わないが、暑さと冷房と「マ*ア」の夜働きで、熟睡しにくかった。機械のそばで、ジャズ・バラードの「The Dats of Wine and Roses」が、このところ終日静かに聞こえている。
2020 8/11 225
* 朝の十時半になろうとして、まだ、眼をいたわってウトウトと閉じ、マウスとは辛抱よくつき合い、鳴っているしずかなジャズをただ受け容れている。からだは火照っていない。
2020 8/17 225
* ウカとすると{熱中}に負けそうに。前兆は、かすかに気が遠くなりそう。
十時間近くも床にいたのに夜中の寝覚めが頻回で熟睡感が淡い。起き抜けにもう腹の芯あたりから疲労感がある。やれやれ。
ジャズ吹奏音の静かさに身をまかせている。さ、仕事。
2020 8/22 225
* 建日子の呉れた<ジャズ・バラードの「Smoke Qets In Your Eyes」が、建日子の呉れた機械で朝から夜まで、手の届くところで静かに鳴りつづけている。この音色がなかったら、時には心寂しいかしれない。建日子ゆ ずりの「お古」で、これがいちばん嬉しく重宝している。
2020 9/8 226
* 終日、時をおかない静かなジャズ・バラードを、今朝は Smoke Gets In Your Eyesから、 The Days of Wine and Roses に取り換えた。建日子の贈り物。しぜんと彼のことも思う。
2020 9/26 226
* 懐かしい童謡の合唱番組を二時間も聴いて観て、たくさん泣いた。「親をたづねて」なく濱千鳥の歌などを、どれほど人に隠れて此の「もらひ子」は独り唱い独り泣いていたことか。
童謡の詩に、たくさん日本語表現への美しい道を案内されていた。百人一首と優れた童謡とが、私の、最初の日本語の「先生」であった。秦の親たちに幼稚園 にいれてもらい、戦争の日々を迎えて山奥へ疎開し、進駐軍の無数に往来する京都へ帰って少年は民主主義と、新制中学へ入って社会性と自主性を習い、そして 「ほんとうの身内」という身に沁みる出会いに恵まれた。たった半年で、そんな往時は渺茫と、わたしはやがて八十五になるが少年の懐と疼きとは、いまも涸れ ていない。つい近作である「オイノ・セクスアリス 或る寓話」も、「花方 異本平家」も、出来不出来など知ったことでなく、ただ少年の往時とともに懐かし いのである。
2020 10/3 227
* 今朝、二年ほど以前に録画の「昭和の歌」番組を聴いたなかで、「秋櫻」「愛燦々」はやはり佳品だったが、会場もともに合唱のもっと昔の「故郷」には、 いつものように胸にこみあげるものがあった。「ちちはは」も「ともがき」も大方はとうに、はやく、居なくて、「呼ばれている心地」に身が前のめりになるの が切なかった。
友よきみもまた君も逝つたのか われは月明になにを空嘯(うそぶ)かん
と歎いたのは2011年10月だった。胃癌発見の二ヶ月前だった。
以来、九年のあいだに、更に更に更に懐かしい人たちが去って逝った。「兎を追った」ことも「小鮒を釣った」こともない京都の街なか育ちだが、「ふるさと」「ちちはは」「ともがき」と聴くだに、我が身が残り物かのように、さびしく、うち震える。
新制中学一年の音楽教科書にフォスターの「オールドブラック・ジョー」があり、少年の気概で「今から生きるのだぞ」と激怒したが、あのジョーを呼ぶ歌声や言葉が「まぢか・みぢか」になったなあと感傷に身が揺るぐ。
2020 10/13 227
* 子供達に伝えたい唄をけさも聴いていたが。サトーハチローの「ちいさい秋みつけた」の一句に感じ入った、この発見この表現が「詩」というもの。
2020 10/16 227
* 鳴らしづめのジャズを「The Windmills of Your Mind」に替えている。やや烈しい音とリズムだが惹くモノがある。
毎朝のボヤキなどやめ、一ッ時、機械の温まるのを瞑目して待つことに。
2020 10/17 227
* 「風のささやき」と題されたジャズ・バラーズの一枚「ささやき」どころでなく、途中、花火を打ち上げるような音が続いて、面白い。何を敲くのかな。建 日子の呉れた一箱八枚のうち、三枚が気に入ってて、交替しながらもう何ヶ月も日々に鳴らし続けている。歌詞というのが無く、全然仕事の邪魔にならないのが 有難い。クラシックの樂曲よりもジャズの気ままな感じが、鳴らしっ放しにいい。
2020 10/20 227
* 今日は暖かい。力仕事のせいか、も。機械の前へきて、何にも手が着かない。ぐったり眼を閉じていた。いま聴いているジャズ、催眠効果も抜群。
* 倚子のまま、あ、寝入るといくか気付いたまま寝入っていた、夢にもジャズが。
2020 10/21 227
* 安心しきってぬるめの長湯など、寒気もし、しにくくなってきた。晩秋、夜寒む。
機械のせいもあり、人さんとの折衝も対話もない。
読書の中で はるかな世界へ遊びたい。いま真っ直ぐ想ったのは、『失楽園』か、鴎外訳の『フアウスト』 中国ものは読み継いでいる『史記列伝講義』で十分、日本のものでは『宇治十帖』がよろしく、そして漢文の『柳橋新誌』がいい。
音楽は聴き続けているジャズバラードで十分、毎日、そして終日、同じ盤に親しんでいる。わたしは音楽奥手で、大学を出るまで、美空ひばりにしか反応でき なかった。大叔父にあたる大学の吉岡義睦教授に、音楽にも親しみなさいと、たった一度、河原町三条のあたりでご馳走になりながら、聴いた。
賀を
2020 11/17 228
* 建日子の呉れたジャズバラード八枚の内、三枚を無くてならないもののように毎日、朝一番から夜のおやすみまで、静かに鳴らしかつ聴き続けている。この ところ「風のささやき」と題してあるのをもう一ヶ月の上も、聴きかつ鳴らし続けて、これの無い日々、この仕事部屋は考えられない。こんなに効く精神安定材 は無いなあ。
2020 11/28 228
* 朝機械にふれる手の冷たさ、マウスの右手にちっちゃな手袋。左はそのまま、の、手先の冷えが痛いほど。入ってすぐ25度に設定の部屋暖房が、十分もしてやっと稼働温を送って来始めた。
気に入りのルーム・メロディは、もう、すっかり、The Windmills of Your Mind(風のささやき)と決まって、朝一番から 夜最後まで、静かに部屋を満たしつづけている。読み書きのじゃまにはならない。建日子の呉れた盤であ り、鳴らしている機械(何と謂うのやら、電機屋で育ってながら分からない)も建日子のもらい物だが、シンプルに洒落たデザイン、嵩の小ささもすこぶる気に 入っている。
2020 12/26 229