ぜんぶ秦恒平文学の話

電子メディア、コンピューター 2010年

* 晴れ晴れと上天気の
いい三が日でしたね。お元気ですか。いつも、「mixi」を明けてなくても、懐かしく思い出しています。文は人なりといいますが、書いてくれるものは、あなたの風貌と確かに溶け合っていて魅力的でした。声と言葉とで話せばどんなだろう、楽しいだろうとよく想います。あなたは、そんなにも大声で飛び出すように話す人ではなかった、表情や目の色でなつかしくものを伝えてくる人でした。
いまはどんなことをしているだろう、東工大の教室でちらと話してくれた理想へ近づいているのかなと想像しています。
今年は、メールで同報という元旦ご挨拶を全廃し、静かに、年越えて行く橋を渡りました。
大晦日のホームページに、以下の述懐を置きましただけ。「mixi」にもね。
私は「いま・ここ」の日々にいます。ホームページの「闇に言い置く 私語」ときおり聴いてくださらば幸いです。

* 百福具臻  平成二十一年 (2009)木 大晦日

當寅歳のご平安を祈ります。    秦 恒平・七十四叟

来る年を迎へに立てば底やみにまぼろしの橋を踏みてあしおと

歳といふ奇妙の友の手をひきて渡るこの橋に彼岸はあるか

☆ いつも暖かな文章のメールをありがとうございます。  幸
私の考え方が古いのか、「先生」だと思うと、やっぱり、恐縮してしまいます。
でも今自分も、研究室にずっといて、研究室の学生からの呼ばれ方が「先輩」から「先生」になってしまい、気兼ねなく接してくれる学生はそれで嬉しかったりします。
秦先生もきっと同じお気持ちだろう。
と信じて、何はともかくお会いして、と思います。
ただ、もう少し暖かくなった頃がいいかと思っています。
大学スケジュールで申し訳ないのですが、3月頃が都合がいいです。
mixiは、書いていることは楽しいです。
でも、科学論文も書くのも仕事としてあります。
当初は、交互にやろうと思っていましたが、現実は異なりました。両方同時でないとダメなことがわかりました。
最近、また論文を書きたい気分になってきたので、mixiも再開できるのではないかと私の中では思っています。
mixiが早いかお会いする方が早いかわかりませんが、またご連絡します。
今日、明日は寒くなるとのことでしたので、お体には気をつけて。
2010 1・6 100

☆ 鉄路の旅  暇人
時折、東京二十三区を数え上げてみる。
東京で暮らしたことはない。
いつもすんなり数え上げられず、最後の一区二区の出てこないもどかしさが、いい。数え甲斐がある。
今日の最後の一区は、中野区だった。
大田区のこともあれば、文京区のこともある。
だが、繰り返し思い出していると、すんなり全部数え上げられてしまって、面白くなくなる。
で、東京の地下鉄を挙げてみた。
はじめ全部は挙げられなかったが、十三路線、すぐ憶えてしまった。
つづいて、東京を走る私鉄を、地図を開き、調べてみた。
東急、小田急、京王、西武、東武、京成、京急各線に、複数路線ある。
それぞれの行き先には、東京の外へ遥か伸びているものもあり、遠くまで行くんだなあ、と、興味深い。
こんなことをしていて、時間を忘れている。気づいて、自身に照れる。
空想でする鉄道の旅も、おもしろいもので。
鉄道マニアの気持ち、わかる気がする。

* わたしも似たことをする。わたしの場合は、人、ばかり。歴代天皇。外国の男女優。赤穂四十七士。百人一首の百人。しかし時間つぶしにはしない。床屋や歯医者に「たいほ」されているときなどに指を折っている。退屈な道を渋々歩いているときにも、退屈しのぎにやる。覚えてしまうとツマラない。ところが老化がすすんで、思い出せない。
歴代天皇だけは繰り返せる。そうそう般若心経もあらまし覚えている。
2010 1・10 100

☆ つづけること   梵
学生のとき、軽音楽サークルに参加していた。
みんな故郷を離れての一人暮らし、たくさんの時間を共に過ごし、気の置けない友人が幾人もできた。
卒業しても、何かの折に、顔を合わせることがある。
中に一人、バンド活動をつづけている人がいる。
忙しい仕事を持ちながら、スクールに通い、ドラムの腕前を磨いてもいるらしい。
大学を卒業してしまうと、周囲に同じ趣味の人を見つけるのは容易ではなく、やっと出あえたとしても、同じほどの意欲でひとつことに取り組んでいるとは限らない。
仕事の多忙さもある。
そんな中でも、バンド活動しているかつての仲間は他にもいるけれど、独学が普通の軽音楽において、その人の、スクールに通って、という謙虚な意欲が、わたしには眩しかった。
以前住んでいたところで参加していたバレーボールのサークルに、書道の稽古は十五年間欠かしたことがない、という人がいた。
いわゆる授かり婚で、お式のときにはお腹が大きくなっていた、という彼女のお相手は、高校を中退し、大工さんの修行中だった。
「ヤンママ」な事情を持つ人が、静かに己に向かう「書道」の時間を大事にしていることを知ったとき、つづけることの尊さを想わされた。
世俗的な野心とは別のところで、ドラムや書に取り組む彼らの挑んでいるのは、彼ら自身ではないだろうか。
声高に主張しなくてもいい。
ひとつことに打ち込んでいるなら、すべてを忘れ、没入するのみ。

* こういう感想なら、必ずしもこの人からでなくても、誰が書いても、たいていこんなふうになる。関西弁で「ええカッコしぃ」で、この人ならではのエッセンスが感じ取れない。
世のブログや、「mixi」の日記等も、ちょっと覗いても、たいがい、似ている。一般論であり、没個性の文である。「声高に主張しなくてもいい。
ひとつことに打ち込んでいるなら、すべてを忘れ、没入するのみ。」は結構な結論めくが、この程度の賢しらは、言う分には誰にでもすぐ言える。型通りなのである。閾値をちっとも越えていない。自分の皮はちっとも剥いでいない。
2010 1・12 100

☆ いとしい
愛らしいぬいぐるみのようなトイプードル「もり蔵」くんは、食いしん坊で、太り気味。
飼い主たちが、どうかしてもり蔵くんにシェイプアップさせようとし、成功したテレビ番組を観た。
ちょっと重ための3キロの体重を、標準の2.5キロまで落とすため、時間をかけて食事をするよう、わざと食べにくい入れ物でエサを与えたり、トランポリンや平均台で運動するよう習慣づけようとした人間たちの努力に、もり蔵くんは素直に応え、見事目標を達成した。
散歩途中、ラーメン店のおいしい香りに誘われ、中に入ろうとすることもなくなり、階段も一気に駆け上がれるようになった。
すべては、もり蔵くんの健康のため。
「長生きしてね」
VTRは、そう締めくくられた。
うちも犬を飼っていた。
昨年、彼は十六年の生涯を閉じた。
彼の死は、見送った身近な人の死と変わらない重さで、わたしの中に沈んでいる。
順当にいけば、自分より彼の方が先に死ぬことは、わかっていた。
大概のペットの寿命は、人より短いのだから。
自分より先に逝くとわかっているものを愛し、辛い別れを味わうことがある。
例えばペット。
自分を生み、育ててくれた親、祖父母。
敬愛する年長者。
予期される別れの辛さ如何によって、愛するかどうか決めるわけではないし、愛は、そんな消極的な判断の介入する余地のない、不可抗力なものだ。
愛すれば愛するほど、別れは辛い。
その辛ささえも、幸福の一部だと、自分は言えるだろうか、という漠とした、大きな不安を眼の前に置きながら、わたしは日々暮らしているといえる。
それに、愛の対象より、自分の方が寿命が長いとは限らない。
未来に何が起こるかは、わからないのだから。

* ネコを死なせて泣き、ノコを死なせて泣き、黒いマゴの日々を案じながら、ほんとうの孫娘やす香を死なせてしまった傷は、いまも癒えず、疼いている。よく分かっている。
2010 1・18 100

* この正月の「私語」を整えて移すさきは、「ファイル100」。一九九八年三月に「闇に言い置」きはじめて、十三年ちかい。「湖の本」100巻とならんでいる。
「湖の本102」が、早や組み上がってきた。
2010 1・29 100

* 「湖の本」の入稿や校正往来等も、すべてパソコンで、そしてメールファイル等で可能になってからは、ウソのように万事スピーデイで間違い少なく、安全に進行する。頁数少なくてどうしても入稿から刊行まで三ヶ月はかかった作業が、その気なら半分で出来る。
昔の印刷所といえば、裸電球の下で、文選から植字・下版まで繪に描いたような煩雑な手仕事の工場であったが、今は職人さんの銘々がパソコンを机に、職場がじつにすっきり機械的に明るい。
2010 2・20 101

* 凄いように「mixi」の「足あと」が右肩上がりに奔っている。いわゆる日記は書いていない、短いエッセイを選んで載せているようなもの。昔のようにエッセイの依頼を受けていれば、種は尽きぬほど蓄えてあるのを、惜しみなく吐き出している。
2010 3・15 102

* マイミクさんのお祖父さんが昔、大相撲の美男力士であったと教わった。もうよほど昔の人で、シコ名は「栃ノ花」と。
朝青龍のいない大相撲が始まっている。ごっつい鬼歯が抜けたような。
琴光喜が負け琴欧州が負け、魁皇が強く勝ち、白鵬が強く強く勝っていた。
魁皇は親方友綱、昔の「巴潟」の部屋だが、同じ名前のチャンコ店があり、妻と三度四度食べている。ある日、部屋に大関魁皇が帰ってきたと聞いて、妻は席を立ち、道路を隔てたお向かいまで追っかけていって握手してきたからエライものだ。両国駅のすぐ近くに「天亀八」というわたしも知っている老舗の天麩羅がある。栃ノ花の孫娘というマイミクさんは、その店で結納をかわしたとか。佳い感じ。
2010 3・15 102

* いま見ていたら、「mixi」に、小谷野敦氏のマイミク氏たちがずらあっと「足あと」をつけているので、ぎょっとした。何だろ。
2-010 3・25 102

☆ 人との出会い 歌との出会い  和
歌を歌い出してから、いろんな人といろんなところで出会います。
そして、それが私の歌を広げてくれます。
ちょうさんと出会って五つの赤い風船の世界が広がり、どらちゃんと出会ってPPMの世界が広がり、クリさんと出会ってレパートリー が広がり、藤村先生と出会って平和への思いが広がり、さかもっちゃんと出会って優しさが広がりました。
そして先週、ばんばらこさんと出会って新しい世界が広がりました。
桜詩   ばんばらこさんのオリジナル曲です。
唯一のオリジナルだそうですが、聞いた途端「歌いたい!」って思うほど素敵な歌です。
早速、歌っていいですかって聞くと、快く承諾してくださいました。
桜の美しさはかなさ、2番の歌詞を歌うとき涙がウルウル。
桜が大好きだった友達を思い浮かべながら練習してます。
今度の土曜日、桜の下で天国へ届くよう歌ってみたいと思います。

* この「和」さんとわたしは、一週間ほどまえに出会った、「mixi」で。「マイミク」にと誘われて受けた。小学校の、中学のだいぶんの後輩。わたしは新門前仲之町に育ち、この人は古門前石橋町で育っていまは、大阪と聞いている。
謙遜に世界を広げている人は、優しい。
2010 3・30 102

* 片づけをしていて、うっかり機械本体に大きなモノを落としてしまい、ディスプレイが消えてしまい、回復しない。いま、子機でこれを書いているが、無事に転送できるか分からない。子機でメールが使えないのではないか。
なにより痛いのは、せっかく書き起こした新作の「序章」が目下の所消失してしまったこと。周到に用意した多くの資料が見失われて、バックアップされていない。親機から子機へかなりがいどうするのだが、それら創作分をみなデスクトップにフォルダ化して置いていた。ところがデスクトップのものは、みな、子機へは移動できないらしい。参った。
ま、明日も粘って捜索するが、とにかくも子機と親機との関係がめちゃくちゃ混乱している。混乱させてしまっている。参った。
2010 3・30 102

* 昨夜三時半、機械を消したつもりで、(ディスプレーが真っ黒で状態が分からない。)寝た。久しぶりに左脚が猛烈な痛みで攣って、回復にかなりの時間 (20分ほど)悲鳴をあげた。
朝九時前、夜前読めなかった本を十冊ほど読み、朝食後に二階に来ると、ついているはずのない機械が「起動音」を出していて、なんと! ディスプレイが働いていた。バンザイ。感謝。消したはずの機械が再起動し、自力で調整回復してくれていたとしか思われない。機械本体がいつもどおりの音を発しているのだからと一縷の望みをかけていたが、幸運だった。
ああいう事態になってみると、バックアップに幾つも大きな穴のあいているのに気づく。わたしの場合、ホームページや創作類は当然必要として、他にアドレス・ブックの保存が「湖の本」のため絶対必要なのに、手が打てていなかった。青くなった。
安心しきってはいないが、ひとまず息をついて心身をやすめている。
布谷クン手製のいまや愛機を親機に、買ったままほとんど常は音楽や映画以外に使わないノートパソコンを子機として繋いで、親機の内容を子機へ移せるように設定してあったので、かなり助かったものの、移動できる範囲が限定されていて、しかも限定外に現に進行中の創作やメールやアドレスがあった。とんだザル状態。

* 後遺萎縮で、こわごわ、あれこれと保存したり場所を移したりした。保存といってもわたしの場合、大方が現在進行形で、昨日から今日へ明日へ内容が変わったり追加されたりするので、保存はしても、厳密にはそのつどバックアップしなくてはならないが、ま、いいだろうと油断が積もった時分に狼狽することになるから情け無い。
佳い音楽を聴いて落ち着こう、マリア・カラスを静かなほどの音量で。「苦い涙を流せ」から始まるのも悪くない。

* 「序章」にもう一層を添えてみた。「五つ」の断層を践んだ姿勢で、不退転の検討を我が身に加えてみることになるか。
2010 3・31 102

* 札幌の矢部玲子さんから、「観賞」に堪えるほどの蟹を頂戴した。矢部さんとは先日、法事で上京された折り、日比谷のクラブで歓談した。昨日は、「mixi」にコメントをもらっていた。今朝、それで手に取った自著のなかの後深草院二条に関する自論を読み返したりした。
2010 4・3 103

* 「mixi」で出会った古川順子さんの「美」の探訪・鑑賞記が軽妙に面白いのをかねがね楽しんできたが、「e-文藝館=湖(umi)」随感随想の部屋に投稿願い、「連載」して行くことにした。
概念的にものを観ないで、実感のまま好みのまま美しいモノに向き合った気持ちを自分の言葉と文体で、臆せず語っている。「繪とせとら漫遊」という総題はわたしがつけておいた。わたしの昔の仕事に『繪とせとら論叢』という美術論集が出ているのだけれど。
わたしの卒業生二人の、育児や家庭を書き綴ったすぐれた日記も、二つ、すでに連載されている。他にも「mixi」から、いい連載が得られるのではないか、見付かれば「e-文藝館=湖(umi)」に投稿してもらおうといつも気配りしている。
2010 4・4 103

* あわや、またモニターが真っ黒になり困った。どこかの接触が弱いのか。順調な仕事の途中でひっかかると、胸の中も真っ黒になる。
2010 4・6 103

* 仕事、仕事、仕事で、時間が飛んで行く。
ふっと息をやすめサーフィンしていると、とほうもないモノにぶつかったりする。インターネットというのは、怪物だ。怪物の才能を使って仕事をしているのだから、怪物を否定はできないが、使い方にはルールとエチケットがあってしかるべし。
少なくも、インターネットを用いて人を罵倒したり非難したりオチョクッたりするなら、(わたしがされていたのではない、わたしの知った男がされていた。それとて、例外ではない。)自分の名前や所属は明らかにしてやるがいい。「名無し」さんでは、言いたい放題の下品なことになり、人も耳は傾けまい。汚物を自身の顔に振りまいているのと変わりない。

* 「電子化ノート」し続けてきた「覚え」を、さて利用しようとなると、閲覧・翻読しやすいようプリントしなくてはならない。たいへんな量。スキャナを使えば「校正」はぜひ必要。電子化してあれば、必要な個所の再使用は簡単にできる。しかし量的な按配はどんな場合にもまたぜひ必要。そのためには、機械だけでなく、いつもアタマを柔軟に素早く使い続けていなければ、工夫も実験もできっこない。この歳になって、アタマの回転は若い頃と変わらず強いられている。それが或いは元気のモトにもなっているか。

* おかげでと云うもナンだが、櫻を眺めに上野へも東工大へも千鳥ヶ淵へも行けなかった。今日の歯医者通いでも、雨で。晴れやかには花が見えなかった。散りぎわの葉櫻にもなろうかというころ、人出もすこし引いた頃に、また隅田川の方へ出てアタマのなかをくつろげて来たいが。
2010 4・7 103

* 息をぬきに「mixi」へ行くと、びゅうッと「足あと」が増えている、が、「待ち人」は見付からない。具体的に誰を待っているのではない、ただ、誰でもいい懐かしい誰かがわたしの日記を見つけ、あららッと立ち寄ってくれないかと待つのである、が。なかなか。
2010 4・22 103

* 気儘に、したいことをして、午後を過ごし晩にも続いている。「e-文藝館=湖(umi)」も、思い立つとぽつりぽつり増やしている。いま、わたしの実現したいのは、「e-文藝館=湖(umi)」に「古典」のパートを増やしたいこと。古典の鑑賞と古典を語る、せめてその二つの「室」をつくり、存分に記事を増やして行きたい。
いまの「e-文藝館=湖(umi)」に要するに新しい「目次」をふやせば好いのだろうが、悲しいかな、その道・手続きつまり技術が、わたしに掴めない。

* わたしのカメラ歴は大学生のころ、惚れぬいて、叔母に買って貰ったニッカカメラから始まる。その機械で何十年も、何十冊ものアルバムを満たしてきた。これで、かなりカメラは腕自慢なのである。今月「私語」の冒頭においてみた「ご近所」の花と森と空ともちょっと自慢なんです。これは、デジタルです。
デジタルカメラに乗り換えたのは、一つには、もう前のカメラが手に重くてで。もう一つは、パソコンに連動させて作品を気儘に保存したかった。胸のポケットにも入る小ささも、五百万画素も、素人にはほどよくて今も愛用。使い始めたのは2004年11月から。
「mixi」を、性懲りなく続けているのも、記事を載せ続けているのも、ついでにいろんな写真を一枚ずつ出せるからで。
作品ほどの意識で撮る物と、便利に記録しておく物とは、立ち向かい方がちょっと違う。それに、例によって機械音痴というのか、マニュアルを根気よく読まないために、そして紛失してしまうために、やたらいつでも機械がフラッシュするのを、取り止めることすら出来ない。機械の「操作」がなーんにも出来ない。最小限度に最初に設定されているまま、不足も言わず使っている。デンチの充電だけ律儀にする。
2010 5・2 104

* さ、気持ちの上では寸暇もゆるがせにせず、「いま・ここ」にうちこむこと。怠けているとよけいに身を苦しめるのは体験からも明らか。また暫く、「mixi」はワキに措くか。
2010 5・8 104

☆ お元気ですか。
ゴールデンウィークにはパリを予定していましたが、諸々の事情により断念して、母の世話と部屋の整理などを少しやって過ごしました。
二〇〇六年の「私語」は今四月に入りました。四月三日の記述で、「mixi」で孫の日記を読んで「胸が痛む」という文章にあたり、これから益々……と滅入ってしまいました。(自分の生活でも母とも娘ともなかなかうまくいかないので落ち込むのですが。)
「私語の編集」作業は八年目に入りましたが、この「私語」というの、間違いなくみづうみの「最高の作品」の一つとの思いを深くします。インターネットのホームページ上の「私語」という形態は、日記やエッセイや論考や歌や句や私小説の混在している「何か新しい文学のかたち」です。何度も読んでいるものをさらに読んでも、一度として飽きることなく毎回新鮮です。わたくしがみづうみの愛読者ということをさしひいても、これはほんとうに偉大な達成、しかも現在進行形のものです。
それから、わたくしが、みづうみの新しいお仕事もどんなに待ち焦がれて楽しみにしているかお察しくださいませ。
今年は寒くて春の訪れが遅いと嘆いていたら、五月早々蒸し暑くなってきました。五月半ばはもう単の季節でしょう。寒さにも暑さにも弱いので大変です。
みづうみはくれぐれもご無理なさらず、雄々しく、お元気にお過ごしくださいますように。  揚げ雲雀

* 「mixi」に思い切ってアトランダムな「私語・抄」を連載し続けているが、「足あと」は右肩上がりにぐんぐん増えている。私の日々のことばが、遠い世間へ揚げ雲雀の羽ばたくように飛び立ち続けている。感謝。
2010 5・10 104

* 今日明日はすこし落ち着ける。発送用意を少しずつ進めるかたわら、むしろこの機械の操作にへこたれていた。いつもの通りに扱って転送するのに転送できない。五度も六度も繰り返したが出来ない。ま、機械も暫くしたらこっちを素直に向いてくれるだろう。
チャーリー・シーン主演の「ホットショット2」とかいうお遊びのアクションものを観たり聴いたりしていたが、映画はたわいないが、すてきに色気の美しい女優が出ていて、名前はとても覚えられなかったが、久しぶりに少なからず熱くなった。もうひとり結局は敵役で似た女優がいたが、似ていても、色気のタチと品とが違っていた。
2010 5・27 104

* ただ人惑(にんわく)を受くること莫(なか)れ

* 神、佛にも拘らないという、それって、凡夫には容易でない。拘らないと謂うことにも拘らないでいるように。思いをひろびろと遊ばせて過ごすように。

* もうよほど以前からわたしは、いわゆる世間づきあいを、絶っているとまでは謂わぬが、それに近い日々を送っている。わたしから世の中へ開いた窓は「湖の本ぐらいといってよく、それで、幸せとともに苦楽も感じている。余のことは、ヒト、モノ、コトともに、触れあうにしても極く稀薄に過ごしている。
それでも、まさか善意ではあるまい、判読不明の怪文書は、やはりメールとして舞い込んでくる。
「人惑」とは、佛や祖師に拘泥するのを戒めた言葉だが、常平生の暮らしにも、わけのわからない正体不明の「人惑」はどうしても避けることが出来ないし、そういう悪意の迷惑は、みな「文責」不明の怪文書として届く。情けない人達(複数か、複数を装った一人二人か不明だが。)である。
今朝も、メールが舞い込み、おそらくここ当分しつこく増えることだろう。メール、は宛先のアドレをは正確に書かねば届かないが、発信元のアドレスはデタラメが効くらしいので、悪戯はし放題、判明しない。判明しないという隠れ蓑に隠れてやる行為は汚いし、性根・心根はもっと汚い。ひとごとながら、恥ずかしい。しかも、これらはみな文面そのものも、とうてい日本語として判読できない化け物なみのデタラメばかりで、ムダな労力ではないか。正確なのは、わたしのメールアドレスへ向けて届いてくること、それのみ。
「mixi」のでも、奇妙な二三人グループが、いやらしく「足あと」をつけてくる。ごくろうなコトだ。

* こういうとき、水滸伝の豪傑たちが懐かしい。宋江、呉用、関勝、秦明、花榮、魯智深、武松、張清、戴宗、李逵、石秀、燕清等々。彼らには礼譲あり信義ありつねにまっすぐ清明であった。
2010 6・2 105

* 夕食後に新しい機械を開梱し、電源を入れるまでは入れたが、不慣れなキーボードで行き詰まり、はるか設定へも運用へも届かない。機械は苦手だ、使い慣れるまで行くか知らん。軽量の華奢な機械だ。
わたしの場合、何よりも字が、言葉が自在に書けるようでなければ役に立たない。習うより慣れろの初歩に帰っている。ただしこれに時間を取られたくない。その点、今此の永年使ってきた機械には何とも云えない愛着がある。
2010 6・9 105

* 建日子が選んでおくって来てくれた軽量のソニーの新鋭機VAIOパソコンが、さっぱりどうにもママならない。ウインドウズが画面に現れない。わたしの場合、とにもかくにも文字と言葉とで文章が書けなければ話にならないが、ワードでもいい一太郎でもいい、そういう画面に到達しない。マニュアルをよく読むべしだが、いま、とても読める根気がない。宝の持ち腐れの有様で手に負えない。今の此の機械から新機へホームページを移転し、インターネットも出来るようになるのは、ハテ、何時のことやら。首をすくめている。
2010 6・10 105

* さて不愉快仕事の第二段階を、今日で通過したい。
もう今朝は、「湖の本」新刊の刷り出しが届いている。月曜には出来本が届いて、すぐ「発送」という筋肉労働になる。
もう三日、出来るところまで不愉快仕事と付き合う。愉快ではないけれど、すこし観点と姿勢とをかえれば、あたかも「不愉快コンチェルト」という創作性の濃い楽曲を自ら構成している気もする。コレって、コレも創作の「実験」みたいだと思えてくる。
このファイルが重くなるので、七月から九月分までは暫定「iken0-5.html」に一括移転した。十月には、★★夫妻によるわたしの「ホームページ壊滅工作」が以後一ヶ月近くにわたり実現した。法廷命令により「回復」され、しかし直ちにわたしはサーバーを見限って息子の配慮下にホームページを移転した。
この問題は、実に社会的にも重大で「反響」も凄いほどだった。わたしは作家であり、思想信条・言論表現の自由と権利、著作する人格権のもとに多年活動してきた。ましてホームページには著名な著作者達を含む多数作品の掲載されて「e-文藝館=湖(umi)」も含まれていたのが容赦なく悉く「消去」されてしまったのだ。
その問題の大きさに鑑みて、当時のわたしの日録から要所を此処に部分再録しておくのである。

*    *

★ 平成十八年(2006)十一月五日 日

* 朝、インターネット稼働せず。メールも開けない、送れない、記事の更新もできない、「MIXI」も開けない。

* あきらめて世田谷の国立能楽堂「友枝会」に。「お目当て友枝昭世の「花筐」が始まるまでの休憩中に、堀上謙さんに声をかけられた。ホームページを連日読んでいて心配している、あまりのことに声もかけにくくて。夫婦して心配しているが元気か、大丈夫か、と矢継ぎ早に。ウーンと心が萎れた。
次いで馬場あき子さんともしっかり立ち話。元気か元気かと先輩の馬場さんに心配させているのも、みな、わたしの置かれている理不尽な苦境をご存じなのだ。馬場さんと堀上さんとは親しいお仲間。馬場さんは相変わらずお元気そう。もう四十年ちかいお付き合いになる。優しくされて、やり心は萎れた。
あわやという一瞬、早大教育学部教授、小林保治氏とオオウと廊下ですれ違う。夕日子(娘の仮名)たちの仲人さん。

* 次ぎに萬と万蔵との狂言「牛盗人」まで二十分。わたしは、どこか気が萎えていて、休憩の二十分をガマンできないと感じたので、あとの「猩々」もともに失礼し、国立能楽堂を去ってきた。
池袋で、最上等とふれこんだ黒豚のトンカツを食いながら、当面気がかりな校正に熱中、しかしさすがに豚が美味くて、もう一人前追加しビール生搾りを二本。

* 辛うじて機械復旧していたものの、まだ不安定で不安。

☆ バルセロナの京   恒平さん、多摩川到達おめでとうごさいます。サイクリング記、わくわくしながら読んでいます。
野川公園に行き当たったところで、私も思わず地図を探してみました。恒平さんを追いながら、すっかり一緒に走っている気分です。
ついに多摩川に到達したときには、グーグルアースで是政橋を確かめ、とても嬉しくなりました。
多摩川には、大岡山(東工大)にいた二年間、どれだけ頻繁に通ったことでしょう。二子玉川園の駅を降りてから、土手に出るまでの逸る気持ちが、恒平さんの奮闘を読んで、甦ってきました。
とてもとても懐かしいです。  京

* みな、これは、激励なのである、わたしへの。堀上さんが能楽堂の廊下で、溢れるようにして口を切ったのも、ホームページを読んでいるとあんまりつらくて秦さんに声のかけようがないというのも。そうなんだろうと思う。
アイサツのすべが無い、それほどむちゃくちゃになっていて、何で…と呆れてしまいながら、状況の烈しさに思わず目を覆いたくなるのだろう。それが分かっているので、優しくいたわりの声が掛かると、またひとしお気が萎える。
少女の頃、実の父に、病死した母のあとを追って自殺されているわたしの妻は、だから決して自ら死ぬというようなことは言わない人であったが、先日、「こんどばかりは、そんなわたしでも、もう生きているのがいやになりそうだったの」と、ほろりと漏らした。夕日子は父のわたしだけでなく、家裁への提出文書には、母親への容赦ない憎念をさえ書き込んで憚らない。どうなっているのか。

● (承前)  ★★夕日子の申立て条々に答えて 以下に終える。
交流の途絶 時期未詳
インターネット上で、「孫への呼びかけ」を開始。詳細は別紙。
プライバシー侵害、名誉毀損、迷惑行為、未成年者への精神的加害。  ★★★夫妻

* このインターネットの時代に、祖父母がわりなく逢えないでいる可愛い「孫」に、もし、仮に事実呼びかけたとして、その心情と方法とに、何の問題があるだろう。成長した子たちの自由な判断や行動を妨げている親こそ可笑しいとすべきだろう。
また「時期未詳」というかかる具体性を全く欠いた提示、それ自体が「虚言」であることを証している。

時期未詳
★★夕日子の過去の著述を無断改変の上、無断で自営利サイトに公開。
著作権侵害、著作人格権侵害、プライバシー侵害

* 「ねこ」その他の「秦夕日子」名の殆どの著作は、すべて秦家の娘時代のものであり、嫁いだ娘を実家に記念すべく、いずれも「親族」死者に対する「供養」の欄に収録していたし、多年に亘り、一度の異議も受けていない。

* 掲載作は、すべて編輯者であり父でありプロの作家である秦恒平が、作品の出来をいささか評価し、誤字または不体裁等に編集行為を加えて形を整え、あえて「公開と保存」をはかったものであり、無名の作者の作がすこしでも「いい読者」の目に触れるよう親心ではからったもの。
親として十分許される範囲の配慮であり、事実これにより読者からも「秦夕日子」の名は記憶もされ、作品も相応に好評を得ていたのである。こういう夕日子の態度は、情理に欠けた非人格的な言動として、笑止である。 (太字は、原告主張を示すためか、傍線でチェックしている個所。)
これら作品は、初めて掲載に苦情があったとき、即座に全部消却した。いい読者に「読まれる機会」を、狭量に拒み、惜しいことをしたものである。
なお秦のこのサイトは「営利」目的のものでは全くない。公開作品の総てが秦の思想と主張にもとづいて、すべて「無料公開」であることは広く知られている。

● 2006年1月
★★夕日子が匿名で連載していた著述を無断改変の上、実名を特定して無断で自営利サイトに転載。★★夕日子の明確に判別できる顔写真を併載。
著作権侵害、著作人格権侵害、プライバシー侵害、肖像権侵害

* 多くの作家志望者が「羨望」した、父親による好意の裁量であったが、当初来、作者の申し入れがあれば当然削除すると明示してあり、読者に事情を明らかにしてとうに削除済み。当該頁を参看あれ。著作者以前の{習作水準}にあるものを、あえて「e-文庫・湖(umi)」にとりあげた父の配慮も理解できない思い上がった物言いに失笑する。自称「女流作家」である由、これにも失笑する。

● 2006年7月以降
インターネット上で「★★は娘殺し」キャンペーンを展開。詳細は別紙。

* 孫・やす香の死と同時七月二十七日より直ちに、私は、自著『死なれて死なせて』 (死の文化叢書・弘文堂)の一冊を「MIXI」日記に連載し、死なれ・死なせて死を悼む「mourning work 悲哀の仕事」(精神医学の述語)に宛て始めた。同時に日本語を誤解している★★夫妻の「理解」にも備えた。
さらに念を入れ、八月三日には、同じ「MIXI」日記に、「死なせた は 殺した か」という一文を書き、★★夫妻に理解を求めている。
「死なせてしまった」という自責の念をしめす日本語が、どうすると手を掛けて「殺した」「殺人」「下手人」の同義語になるのか。ふとしたことで「死なれた」親を、また子や孫や教え子を「死なせてしまった」と嘆いて自身を責めている人は世に幾らでもいる。★★★は、かりにも哲学を教える青山学院の大学教授、夕日子はお茶の水の哲学に学んだ学士ではないか、しっかりし給えと言いたい。
以下に「MIXI」に書いた一文を添えるので、自身の日本語理解の貧しさを反省して欲しい。

「MIXI」2006年08月03日 「死なせた は 殺した か」 そんな単純なことではない。 湖

そのむかし、わたしの「身内」の説(文壇・学界では秦恒平の「身内」の説として知られている。)を、小学生のように誤解したいい大人(=★★★氏)が、人も驚くヒステリーを起こしたことがあるが、今度は、私の著書『死なれて死なせて』の、その「死なせて」という意味が理解できずに、(舅姑である=)わたしたち老夫妻を名誉毀損で刑事・民事ともに訴訟すると「警告」してきた。

我が子やす香に自分らは「死なれた」のに、それを「死なせた」とも言うのは、「殺した=殺人者」と言われているのと同じだ、謝罪文を書けと言うてきたのである。
やす香の血を分けた祖父でも祖母でもある、わたしや妻も、何度も何度も、今日も、只今も、あのだいじな「やす香を、手が届かないまま可哀想に死なせた、死なせてしまった、自分達にも何か出来ることが有ったはずなのに」と、繰り返し悔いて、泣いて、嘆いているというのに。
どうなってるの。
べつに講義する気ではないが、わたしは、わたし自身孫やす香を「死なせた」悲しみのまま、いち早くすでに「MIXI」に『死なれて死なせて』を連載して、わずかな心やりにしている。
やす香のお父さん 逆上する前に静かに読めば、大学の先生たるもの、「死なれて」「死なせて」の意味の取れぬわけ、あるまいに。
人が、人を、「死なせ」るのは、いわば人間としての「存在」自体がなせる、避けがたい業苦であり、下手人のように「殺す」わけではない。いわば一種の「世界苦(Welt Schmerz)」に類する不条理そのものである。大は戦争責任をはじめとし、ぬきさしならない身近な愛の対象に「死なれる」ときは、大なり小なり「死なせた」という悔いの湧くのが、状況からも、心理的にも、あたりまえなのであり、むしろそういう思いや苦悩を避けて持たないとしたら、その方がよほど鈍で、血の冷たい非人間的なことなのである。
本来はまずそこへ気づき、落ちこみ、苦しみ、藻掻いて、そこからやっと身や心を次へ働かせて行く。むずかしいことだが、そこに生き残った者の生ける誠意があらわれる。
しかし、そういうキツイ自覚には至りたくない。身も心も神経もそこから逸らして、そういう痛苦には「蓋をして」しまい、辛うじて息をつく。無理からぬ事ではあるが、「死なれた」という受け身の被害感にのみ逃げこんで、「死なせた」根源苦に思い至らないようでは、「人間」は、その先を、より自覚的に深く深くはとても「生きて」行けないのである。
人とは、死なれ死なせて、その先へ真に「生きて」ゆく存在だ。ティーンの少女でも、分かるものには分かる。
連載合間の妙なタイミグではあるが、余儀なく、『死なれて死なせて』の刊行時後記を含んだ、湖(うみ)の本版のあとがき「私語の刻」をこの位置へはさむことにする。
「死なせた は 殺した か」。バカな。そんな単純な事じゃない。

著書『死なれて 死なせて』の跋(私語の刻)  秦

こう書けば、一切足りていたのである。
「死なれるのは悲しい、死なせるのは、もっと辛い。しかし、だれに、それが避けられようか。避けられないのなら、どうかして乗り越えねばならない。それにしてもこの悲しさや辛さは何なのか。すこしも悲しくない・辛くない死もあるというのに。愛があるゆえに、悲しく辛い、この別れ。愛とは、いったい何なのか。」
これだけの事は、これだけでも、理解する人は十分にする。そのような別れを体験したり今まさに体験しつつある人ならば、まして痛いほど分っている。
だれに、それが避けられようか。避けられないのなら、どうかして乗り越えねばならない。そのきっかけに、もし、この本が役にたつならどんなに嬉しいかと思って書いた。 (略)

単行本に上の「あとがき」を書いたとき、わたしは、その十月一日付け東京工業大学の「作家」教授に新任の辞令を受けたばかりで、ありがたいことに授業は翌春四月の新学期からと言われていた。そして四月の授業を開始のちょうどその頃、朝日新聞の読書欄に、この新刊は「著者訪問」の大きな写真入りで紹介されていた。学生諸君に自己紹介のまえに、新聞や、テレビまでが、わたしを、この本とともに紹介してくれていた。本もよく売れて版を重ねた。「死なれる」「死なせる」は、「身内」観とともに、わたしに創作活動をつよく促した根本の主題であった。
笑止なことに、親子とて、夫婦とて、親類・姻戚だからとて、容易には「身内」たり得ないと説くわたしの真意を、粗忽に聞き囓り、疎い親族や知人、遠くの人たちから、お前は「非常識」に、親子、夫婦、同胞、親戚を「他人」扱いするのか、そんなヤツとは「こっちから関係を絶つ」と、手紙ひとつで一方的に通告され罵倒されたりする。「倶に島に」「倶会一処」の誠意を頒ち持とうとは、端(はな)から思いもみないこういう努力の薄さから、どうして「死んでからも一緒に暮らしたい」ほどの愛情が生まれよう。真の「身内」は、血や法律で、型の如く得られるものではあるまいに。
「身内」はラクな仲では有り得ないと、「生まれ」ながらにわたしは識って来た。
誤解を招きかねない、場合によって破壊的な猛毒も帯びた我が「身内」の説であるとは、さように現に承知しているが、また顧みて、どんなに世の「いわゆる身内」が脆いものかは、夥しい実例が哀しいまで証言しつづけている。その一方、あまりに世の多くの人が、とくに若い人が「孤独」の毒に病み、不可能な愛を可能にしたいと「真の身内」を渇望している。
よく見るがいい、人を深く感動させてきた小説(源氏物語・心・ファウスト・嵐が丘等)や演劇・映画(天守物語・真夜中のカーボーイ等)のすべては、わたしの謂う「身内」を達成したか渇望したものだ。根源の主題は、愛や死のまだその奥にひそんだ、孤独からの脱却、真の「身内」への渇望だ。あなたは「そういう『身内』が欲しくありませんか。」わたしは「生まれ」てこのかたそんな「身内」が欲しくて生きて来た、「死なれ・死なせ」ながらも。子猫のノコには平成七年夏に十九歳で死なれた。九十六歳の母は平成八年秋に死なせてしまった。
この本の出たあと、読者から哀切な手紙をたくさん受け取った。ひとつひとつに心をこめて返事を書いた。いかに「悲哀の仕事=mourning work」でこの世が満たされていることか。愛する伴侶に死なれ、痛苦に耐え兼ねて巷にさまよい、日々行きずりに男に身をまかせてきたという衝撃と涙の告白もあった。この本の題がいかにも直截でギョッとしながら、大きな慰めや励ましを得たという便りが多くてほっとした。たくさんな方が、悲しみのさなかにある知人や友人のため、この本を買って贈られていたことも知っている。 (後略)

思い出す。この単行本が本になって、いよいよ東工大で初授業の頃に、すでにわたしたち娘の父母、初孫やす香の祖父母は、婿の★★★から乱暴に「離縁」され、以来十余年、まことに不幸で無道な別離を強いられた。
同じその人物が、「死なせてしまった」の意味も掴めないで、今度は「殺人者」といわれたなどと、刑事と民事と双方で娘の父母、やす香を心から愛した祖父母を「告訴」すると言ってきたのだから、また呆れてしまっている。 どうなってるの。 「MIXI」より

● 北里大学病院に対する営業妨害、 ★★

* 北里大学病院から一言半句も、その様な抗議など受けていない。何の根拠とどんな権利とで★★夕日子氏が「営業妨害」などと言えるのか、北里大学と連名での正式回答を求める。われわれは病院主体とただ一度の接触もしていない。

● 著作権侵害、著作人格権侵害、プライバシー侵害、肖像権侵害
● 故人・遺族に対する名誉の毀損、未成年者への精神的加害
● 各種違法、非道行為に対して抗議を行ったところ、それらの私信もすべて改竄のうえ、事実無根の解説を付けて公開。
● 私文書偽造、私信開示、名誉毀損、プライバシー侵害、著作権侵害、肖像権侵害等々

* 事実を正確に物証を提示して発言すべきである。知る限りの文字と言葉とを口から出任せに羅列した愚癡の申し条に過ぎない。

● 秦恒平・迪子によるこれらの行為はすべて、★★夕日子に対し幼少より継続する虐待のバリエションです。秦はこれを「愛」と呼びます。どんな残虐な行為にも、ひとかけらの自責の念も湧きません。それどころか、「愛」を拒絶することこそ「悪」だと主張するのです。★★夕日子はこの抑圧的ドグマの中で成長し、結婚後長く、被虐待による心的後遺症に苦しみました。今は、その抑圧構造を離脱した「悪者」として、日々ネット上で公開リンチにあい続けています。

* この前段については、冒頭に写真等を添えたくわしい秦の主張で、総て覆し得ている。「虐待」「残虐な行為」の何一つも具体的に語らない、ただの一方的な出鱈目な言葉の羅列。こんないい加減で野放図な物言いからなら、どのような「家庭教育」や「躾け」ですら直ちに「虐待」「残虐な行為」になってしまう。これぞ娘の親に対する名誉毀損である。
「日々ネット上で公開リンチ」に遭っているという実例を、夕日子と向き合って、いちいち検討してみたい。「日々」も過剰なら「公開リンチ」も品がない。よほど我と我が「心の鬼」に疼いているのであろう。

* むしろ逆に糺したい。「MIXI」の「木洩れ日」「思香」名義での「隠し」日記に、実の父親を「性的虐待者」などと人権侵害・名誉毀損の虚言を書き散らしてきた、あるまじき無礼・非礼は、どうその事実を証明して主張するのか。明快に答えて欲しい。

* 或る識者は、夕日子氏はただもう遮二無二ものを言い募ろうとし、必ずやどこからどう観てもウソでしかない「性的虐待」までを言い立ててきますよと以前から「予言」していた。

* またある人は、およそものごころついて二十年(四十年!)も暮らしていれば、どんな家庭・親族でも、お互いにバカを言い立てる気になれば何にでもこじつけられるもので、四十六歳のインテリ夕日子氏としては、じつに幼稚にこどもじみた無意味なことばかり言い立ててますねと嗤っている。同感である。

● 現在、私(=★★夕日子)は主任児童委員として、被虐待児を保護する立場におります。虐待は肉体的な傷害をもって初めて発見されることが多く、心的被害、性的被害については、その発見・保護が難しい分野です。また、たとえ一時的に保護を受けたとしても、「親子」の関係は一生涯ついて回ります。措置期間が過ぎれば、結局、「親元」に返されてしまう。「私は親なんだぞ」という脅迫が、多くの子供たちを傷つけ、しばしば暴発の事件に至ります。他人ならば処罰、夫婦なら離婚という措置があるのに、親子の呪縛は一般に、いずれかの死をもってしか、解除されないからです。

* 「主任児童委員」氏にぜひ尋ねたい。秦の日録に、やす香の「病気に悩む日記」の一部が掲載されているのを、プロバイダに愁訴し、こともあるに、秦の厖大なホームページを「全消滅」させた、その本当の「意図」は何処に在ったのか、と。
よう答えまいから、代わりに追究することにしよう。

* ★★やす香が、2006.1.11日以来、自身「MIXI」に半年に亘り報じ続けた、「痛苦の劇症日記」を逐一読み直すといい。痛苦の初記述から入院に至るまでの六ヶ月、実に、ただ一度も父親にも母親にもその悲惨な苦境を「労り・案じられた」旨の記事が、やす香の日記に無い。たったの一行も無い。それどころか苦痛を背負ってやっと遅く帰宅したやす香は、「スパルタ母さん」のウムを言わさぬ言いつけで、母親自身が犯したダブルブッキングの請負仕事を、急遽「半分」手伝わされたと慨嘆していた。やす香が「母親」に触れた記事はその他には殆ど全く無いのである。

「やす香日記」をふつうに読んで、あまりの悲惨さに愕くとき、この「両親・家庭」の冷淡きわまりない「病状放置」としかいえない所業こそ、文字どおり「虐待」「残虐な行為」に等しい印象を与えてくる。「主任児童委員」で「虐待児保護」の★★夕日子氏よ、ひた隠しに此の半年間の「冷淡な虐待行為」に反省の弁を欠いてきた理由は、この大言壮語を「自ら裏切っていた」からではないのか。

* そればかりでない。全く同じ期間に書き継がれていた、主任児童委員「★★夕日子の<ぬぼこ>名義のブログ日記」が存在する。二月二十五日(平成十八年、やす香行幸が祖父母と雛祭りをしていた日である。)に初めて立ち上げたそのブログの中で、夕日子が「やす香入院」に至る六月半ばまで、トクトクと書きつづった日録・著述には、ただの一個所・一行も「我が子を案じる」記事が無い。名前すら無い。全然無い。

記事は大方が、玉川学園あたりの地域「コーディネータ」としての奔命に終始していて、重い病状に悲鳴を上げている我が子には、ひたすら無関心、ひたすら無視、愛ある一顧だに与えていた形跡が無い。精神的・肉体的な具体的な「虐待」「残虐な行為」ととられても全く抗弁できないであろうほど、平然、我が子をネグレクトしていたとしか読めない。

親に労られる感謝と安堵の影一つ言葉一つない、死を目前にした「★★やす香日記」と。

我が子を案じ労るただ一度の行為も、愛の言葉も、温かくさしのべる手も、優しい視線も、それどころか我が子の名前すらも影のささない主任児童委員「★★ 夕日子日記」と。 この二つの日記を「合わせ鏡」に逐一日付を追い照合・検討して行くと、「主任児童委員」の「虐待児保護」の自負たるや、極めて偽善的にいいかげんなことが、やすやす暴露されてしまうのである。

よく安いテレビドラマにある、社会的・教育的に地位ある母親(父親)が、我が子に対しては愛ある一瞥も与えず放置し無視し虐待していた、まさにその顕著にヒドイ実例を、町田市在住主任児童委員・★★夕日子氏は、現に事実演じていたと断ぜざるをえないほど、二つの「日記」の「合わせ読み」は、ミゼラブルなのである。

その事を実に端的に示しているのは、この母親夕日子が、娘やす香の「入院」をいつどうして知ったか、「ぬぼこ」名義、夕日子本人の「ブログ日記」七月一日記事であり、唖然とする。半年にわたるネグレクトのそれが「終点」にほかならなかった。★★夕日子氏と夫★★★氏とは、まだ未成年である我が子の「愛育」責任から、目を放し、手を放して顧みなかったのであり、その大きな逸脱と無責任を人に見られまいと、六月以来ひたすら「恐怖」していたのではないのか。
だから「死なせた」という、語彙としては尋常な言葉にもまさに跳び上がって激昂したのだろう。
それが、秦恒平のホームページを「全抹殺」に出た何よりの狙いであったろうと私は推量している。当たらずとも遠くはない真相と想い、怒るのである。

そこで、★★夕日子主任児童委員、虐待児保護に任じると自負する人間の、「七月一日」日記を掲げてみる。一読歴然としている。もう旬日にして「肉腫」と決定的に診断されるほどの愛児を、母親は、まるで深切に顧みたことが無かったのが分かる。我が子がたいした病気とも直観できていなかった、それよりも地域の「仕切り仕事」に夢中であった。「虐待」を語る人間の資格など、全然無かったのだ。

Posted by ぬぼこ(=★★夕日子)  at 08:40 | 娘 |
並行宇宙 [2006年07月01日 (土)]

ふれあいサタデーに向けて駆け回る私に 一本の電話が入る。
体調不良で でも、「どこも悪くないですよ」と言われつつ、幾つかの病院をめぐっていた長女の その「不調の原因を突き止めてくれた病院」がある そこに入院するという電話。

ありがたいニュース………・のはずだった。

だがその病院に駆けつけて以来 私はほとんど病院を出ていない。洗濯のために家に2回帰っただけ。
仕事に大穴を開けたあげく、幾つかのオファーをキャンセルする。

流れていた時はすべて断ち切られ、過去はすべて邯鄲の夢であったように、並行宇宙での活動であったように、
今の私に繋がっていない。

こちらが夢ならいいのにと思う。
ふっと目覚めたら、梅雨の蒸し暑い空気のよどむ、自室のベットの上ならいいのにと思う。

だけど、病院にパソコンを持ち込んで、私は試みる、この宇宙と、あの宇宙をつなぐように 病院の窓際に座る私が現実であると同じように (玉川=)がくえんという街と、そこでの活動を 私の現実として取り戻すために。

ブランクはたった2週間だ。
二者択一でなくていいはずだ。

私は負けずに進んでいこう。娘が闘っているように、私には私の闘い方があるだろう。

この直前の「ぬぼこ」日記の日付は、六月十四日。その日の記事内容にも、それ以前の大量の日記にも、やす香の「や」の字も見当たらない。そして七月一日の「二週間前」に至り、「体調不良で でも、『どこも悪くないですよ』と言われつつ、幾つかの病院をめぐっていた長女」と、 これだけだ。
やす香はあの激痛の苦境の中で、なお斯くも孤独に、医者へ、病院へ、這うようにして出掛け、この日、やっとやっと「その『不調の原因を突き止めてくれた病院』がある そこに入院するという電話」を、初めて母親にかけている、嗚呼。
夕日子には寝耳に水だったようだ。いろんな状況から、これが六月十六日頃と推量され、六月二十二日には愕くべきことに、やす香自身が「白血病」と「MIXI」に告知した。これが、事実だった。

「目を離していた」どころではないのだ。

「ブランクはたった2週間だ」と主任児童委員は言う。

何の? やす香の病状から「完全に目を離していた六ヶ月」の「ブランク」の意味とは、とても取れない。玉川学園あたりの「ふれあいサタデー」のことだ、しかも「(娘と「ふれあいサタデー」とは)二者択一でなくていいはずだ」と断言している。重みはどっちも同じという価値評価だ。これが、孫を見舞った自分の母親にむかい、白血病なんて「なおる病気よ」と呟いた夕日子の「子・やす香の命」にかけた、語るに落ちた「価値判断」だった。夕日子のこの「ブログ日記」は、むろん全記録してある。

● しかしながら、私★★夕日子が求めるのは、長年にわたる虐待や親族内の紛争への裁定ではありません。

* 当然である。虐待の事実など、事実「皆無」と、本人がいちばん承知しているからだ。主張できるワケがない。
そして過去の両家紛争が持ち出されれば、未完未定稿の仮題小説「聖家族」が、フィクションながら取材たしかに真相を適切的確に示唆表現していて、「暴発(妻・夕日子の批評)」した夫の言語道断な非礼と乱暴とは総て明らかになり、「謝罪」必至の事態になるからである。みごと、語るに落ちている。

● 現に今も日々継続されている、純然たる違法行為についてのみ、抗議し、対応を求めております。改善されない場合の法的措置は当然の権利と考えます。
また、このようなネット上での虚言常習者に対して、極めて繊細な個人情報である長女の病状鋭明など、断じてするつもりはありません。

* 孫・やす香の半年にわたり、また死に至るまでの事情は、「★★夕日子ブログ」が「娘」と題した六回のカテゴリにより、ほぼ明らかにしている。凡そ想定内のことであり、今更賛意・不賛意を述べ立てても孫の命は「死なしめ」られており、戻って来ない。
言葉の正しい意味で「極めて繊細な個人情報」とは、ウソ偽りない生前の「やす香「MIXI」日記」をこそ謂うのである。「主任児童委員」で「虐待児保護の専門家」を★★夕日子が厚顔に僭称するなら、まず我が子の「病悩日記」を繰り返し読誦して反省するのが先であろう。

● 私は、「愛」を騙る秦の暴力から、長女を守りきることができませんでした。そして今また秦は次女に対して、「愛」を振りかざし襲いかかろうとしています。14歳という年齢で最愛の姉を失った次女が、これ上、心に傷を負わされることは、絶対に防がなければなりません。しかし現に今もたくさんの誹誇中傷記事がインターネット上に掲示され、次女の心を責めさいなんでいます。

* まさしくこれを「責任転嫁」という。

親に秘して自発的に祖父母を再々訪問し、ともに食べ、ともに観て楽しみ、ともに買い物して、嬉しかった、やす香。高校の卒業にも、大学の入学にも、外遊にも、誕生日にも、お祝いや小遣いを祖父母が微塵惜しまなかった第一の理由がある。過剰なアルバイトで躰を毀して欲しくなかったから。そしてやす香は素直にいつも感謝してくれていた。
それでもやす香は「金欠」を訴えていた「MIXI」に。
「病院にいけばお金がかかるだろうな」と自身の懐を覗き込むような可哀想な言葉も日記に読み取れる。親の裁量すべき領分ではないのか。

* 大事なことを言おう。
やす香が「過剰な」アルバイトに奔命したのは何故か。やす香は「一言」でいつも我々に言った、「★★という家を出て「独立したいから」と。祖父も祖母も叔父も直接やす香の口から聴いている。この年頃にはありふれた希望であるが、自分に無関心でいながら抑えつける親に不満と寂しさをもち、しかも「NO」と言えない無念をいつも抱いていた。
祖父達がもし「愛を騙る暴力」の存在であるなら、何故やす香や行幸に、両親に秘して遠方祖父母の家を訪れてくる衝動や理由が在ったろう。来なければ済む、それだけだ。
だが長女やす香だけでなく、次女行幸も、繰り返し姉とともに訪れ、お年玉に期待し、誕生祝いにも大喜びし、嬉々として雛を飾り、白番のおじいちゃんをみごと碁で負かし、メールアドレスを替えれば必ず祖父母に知らせてきたのである。

○ 2006.2.25の孫二人 行幸(仮名)の誕生日前祝い。  写真
○ やす香と祖父とは、この日「マイミク」の握手!
○ 冗談に大笑いのやす香は、もう、病んでいた。

* 同じこの日から、母夕日子は町田「がくえん」の「仕切り」役?

やす香と屡々メール交換したわたしの記録には、「やす香生彩」と大切に名付けて、今でもすぐ開ける。やす香の声が聞こえてくる。
★★家の母親・夕日子、父親・★★★は、言葉を憚らないで謂うならば、つまり娘達二人に、はっきりと「背かれていた」のであり、事実は動かしようがない。その理由は★★夫妻が謙虚に自問自答すればいい。祖父母が憎い孫なら、嬉々として保谷の家まで繰り返し訪ねて来る道理がない。親たちが、祖父母に「嫉妬」しているというだけの話である。出鱈目をどう言い募っても、やす香行幸ケも、おじいやん、まみいのもとへ「親にナイショ」ででも敢えて来た、断然来た、来ていた、のである。

* 次女行幸に対して、「愛」をふりかざし襲いかかろうと?
知性のかけらも無い何という滑稽で笑止な言い草であるか。やす香入院中に、行幸は、「梨を持って見舞いに来てくれてありがとう」と、自分からメールを呉れているし、返辞も送った。秦の日録に明記されている。そしてそれ以降は、やす香の病変急で、誰もが泣きの泪、祖父母に行幸と口をきく機会は皆無だった。
そしてその後はもう何の接触もなく、「行幸さんのことも忘れず案じてあげて下さい」という多くの「声」にも、我々は敢えていささかも動いていない。上の言いがかりは、口付きの卑しさまでが馬鹿げている。

* ★★★はかつて我々に向かい、自分は「人間として自由な教育」を受けてきたと広言した。けっこうなことだ。
しかしながら彼は、我々から娘や孫への手紙を、何度途中で奪い取り勝手に送り返してきたことか。娘が持っていた父の著書の全部を書架から奪い取り、自身で荷造りして送り返してきたのも★★★の仕事であった。娘はすぐ電話で謝ってきて、「残しておいてよ」と頼んでいた、だから、そのまま残してある。やす香に贈った冬の衣類まで奪い取り送り返してきた。
これが「人間の自由を尊重」する男の、ルソーに学び教える大学教授の振舞いか。高校生になったやす香の、大学生になったやす香の、当然の「自由行動」も許せなかったではないか。

* はや中学生で、何の問題なく祖父母を一人ででも訪れうる次女行幸の自由を、今も何故妨害しているのか。やす香は、親の「それがイヤ」と全身で語っていた。死なせてしまったやす香のそんな「内心」をほんとうに可哀想に思う。これは★★両親のまぎれもない「虐待」ではないのか。もしこれを親の躾けや家庭教育の範囲内というなら、夕日子未成年時の言い分もすべてそれになってしまう。自分は虐待され自分は虐待していないと厚顔に言うのか。

* 「NO」と言いたかったと、やす香は繰り返し日記にも書いている。譬えにもこれが祖父母への「NO」なら、彼女は親に隠してでも喜んで祖父母に逢いに来る理由が無かった。「家を出たいの」「だからアルバイとするの」とやす香はあんなにムリをしていたのである。両親の愛の乏しい「虐待」から守ってやれなかった祖父母の「死なせてしまった」という嘆きは、此処にも根ざしている。

● このままでは、過去40年継続された加害・違法行為が、未来においても我が家族を苦しめ続けることになります。
適切な麻酔策のご呈示をお願い申し上げます。 主任児童委員  ★★夕日子

* お互いに「没交渉」となればいい。我々はそれで十分だ。
中学生の行幸は、やがて大人の判断を自身で持つだろう。行幸にまかせ、われわれは一切干渉しないが、行幸が大事な孫の一人、亡きやす香の妹であることを、むろん祖父母は重く意識している。だが干渉はしない。★★夫妻とは没交渉がいい。それが何よりいい。 以上

★ 平成十八年十一月二十七日 月

* やす香が遠く逝って、今日で四ヶ月になる。『マウドガリヤーヤナの旅』をやす香に贈る。そう思って校正を終え、身のそばのやす香の写真に目をむけたら、双の眸がきらきらと輝いて笑んでわたしを見る。
惜しいお前をわたしたちはこの現世で喪った。泪はかわかない。

* 荀子は、人が身にまとうて膨れあがっている「蔽」つまり襤褸を「解」つまり脱ぎ捨てよと教えていた。およそ似たことは、優れた先達の多くが語ってきた。価値ありげに抱き込んでいたハリボテの多くが、音を立てバラバラと身を離れ落ちて行く、そんな感触にいまわたしは「襲われ」ている。
当然ながら素肌には寒い。漱石流の表現を借りれば「寒い=さびしい」に繋がる。この寒しさを堪えて通過して行かないと襤褸は身を離れない。この寒さに堪えるのを、断念だの諦念だのと勘違いしてはならない。それでは字義どおりの退屈になってしまう。退屈してはいけないと思う。「今・此処」に踏み込んで素肌で立って前へ脚を運ばねば。
容易でないとわかっている。心身脱落へ、さびしがらずにむしろ憧れ寄りたい。

★ 平成十八年十二月十三日 水

* 口を一文字に結んで、胸、腹で深呼吸している。なにかを持して待つのであろう。

* 君閑かに泉壌に入り 我劇しく泥沙にすてらる 天の東と地の下と 聞くに随ひて哭始を為す  菅公
友をうしなった菅原道真の長詩の末尾、太宰府の「西」を、西東京の「東」に置き換えて、やや、私の懐にちかい。

* 第三回の調停にわれわれは出席しなかった。代理人に依頼した。報告はまだ無い。
われわれは「相手方」の和解代案を読み、「見解」「回答」「和解新案」を代理人に託した。調停の場に提示されるかどうかも一任したので、結果は知らない。
相手方は私に「ウェブ上十日間の謝罪文掲載(謝罪文文案付き)」「★★夫妻に対し各五十万円、計百万円の賠償」その他を要求していた。 拒絶。
代理人の報告を聴いて、われわれの「見解・回答・提案」を、必要なら此処に明らかにするが、相手方はわたしたちが相手方案を受け容れないなら調停を切り上げ、告訴し訴訟に踏み切ると言ってきている。そうなれば、むろんそのように対応・対策する。

* 今回調停に先立ち、わたしが敢えて新刊『かくのごとき、死』を出した理由を、明かしておきたい。

一、 上のような相手方の謂われない要求を、「事の経過」自体により闡明にしたかった。
相手方がプロバイダにはかり、我がホームページの厖大な全部を削除させたがった理由も、その「内容」を不利と感じ続けてきた反映であった。
結果的に、核心に相当する六月二十二日から八月半ばまでの日録を、慎重に「紙の本」に再現したことで、相手方の暴状は、「流れ」においてハッキリする。ハッキリさせるなら、今、であると確信していた。

二、 上と重なるが、わたしには、多年親愛の大切な読者があり大事な先輩知人知友もある。また組織の同僚もある。そういう人達に、事態を明白に正確に伝えて、知って欲しかった。わたしのそれも務めであるから。

* この二点では、すでに圧倒多数の理解の声や言葉が寄せられている。ことの経過に、私がたに遺憾な落ち度のたぐいは無いと確信しているが、三百四十頁を超えた「流れ」総てがその事実を明かしている。
「湖の本」は、匿名の怪文書ではない、新時代の「私小説的文藝」として心して真剣に提出した「署名」ある「作品」であり、虚偽も捏造も犯していない。亡き愛孫・やす香への、これぞ「mourning work 悲哀の仕事」「人の業」「挽歌」であり、読者のある人は言ってくれている、「やす香さんは、永遠にこの本に生きて行かれます」と。

三、 その意味でこの『かくのごとき、死』一冊は、単なる「私事」の公開ではない。今度此の本で世に問うたのは、むしろ文学・文藝の問題である。
わたしは文学者として「斯く生き」そして「斯く書い」た。その恥なき証しの本である、この一冊は。何より大切にそれを自覚している。わたしは誤魔化さない。

四、 配本に際しわたしはこう考えていた。
『戦後日本の小説論が優れた探求を遂げたのは事実ですが、電子ツールの「表現」を知らなかったのも事実です。「私小説という小説」のまさに頑張った事実も事実ですが、その「私」は、紙と活字媒体のコアな読者に当面していたに過ぎません。死も愛も喜怒哀楽も。
しかし今、パソコンとケイタイのインターネットは、そんな「私」を瞬時に世界大に開示しうるのが現実です。愛する孫娘の不幸な「かくのごとき、死」を通じて、「私」「私事」の表現が変容・拡大して行く一「報告」としてもお読み願えれば幸いです』と。

五、 最も大切なことを言わねばならぬ。わたしは、「法」よりもはるかに大切な価値「気稟の清質」を、「生き方」としても「人と人との繋がり」にも、観てきた、今も真正面から観ている、ということ。
建前は法治国家であり、だれもがその私民・市民であるとはいえ、人間には、時に、いや、常にとわたしは言う、「法」をも超えて大切な「情理と人格」の問題がある。少なくも娘・夕日子にはそれを知りなさいと訓えたい。

* 人も知る聟・★★★は、早稲田の教育学部助手を経てパリに学び、早大理事であった亡き父上をつぐ教育哲学等の現在教授であり、ヨーロッパの人文主義の系譜にある一学徒かと察している。ところが、不思議なことに、その学習が身についていないというのだろうか、日本語の理解が貧しいのか、とんでもない誤解からかんたんに「暴発」する。

十数年前には、小説家であるわたしの文学上のモティーフである「身内」という言葉を粗忽に誤解して、途方もなく「暴発」し、わたしたち舅・姑にむかい聴くに堪えない罵詈雑言を手紙で繰り返し続け、ついにはわれわれは彼から姻戚「離縁」され、その結果娘や孫との今に至る十数年の断絶を強いられることになった。不幸にもそれがやす香の無惨な死去に影響してしまった。

* わたしの「身内」の説はかならずしも容易でないから、当座の浅慮・誤解にも同情できなくはないが、若輩の無礼ぶりはあまりといえば下品で愚劣だった。呆れた。

しかも今回のやす香の不幸な死に、「死なれた」悲しみもさりながら、「死なせた」悔いと自責も深いとのわたしの言葉を、「死なせた」とは両親を「殺人者」であるというものだ、秦は「殺人者キャンペーン」で★★夫妻を名誉毀損している、「法」に訴える訴える訴えると、手をかえ品をかえ、言いがかりをついに「ハラスメント」にまで押し広げて、脅しつづけたのである。

* わたしには「死の文化叢書(弘文堂)」の一冊に『死なれて死なせて』と題したよく読まれた著書があり、こんな浅薄な誤解を青山学院大学の哲学系の教授が犯すなど、どう思っても不審に堪えない。「死なせた」「死なせてしまった」など、気をつけていれば、テレビからでも日に何度も聞こえて来る普通の物言いではないか。

* まこと心貧しくも★★★・夕日子夫妻は、ことあるつど、「法」の力でわたしを叩きつぶすと言ってきた。争えば「95%の勝訴」だともトクトクと言ってくる。
具体的に挙げる。

わたしが、病苦に喘いでいた孫やす香の「MIXI」日記を、一個所に纏めて多く文章に引用したのは、日記の「相続権者」である両親の権利を「法」的に犯している、と。
当の娘・夕日子と、父親であるわたしのごく穏やかに仲よい旅写真などをホームページに載せると、「肖像権侵害」だと「内容証明郵便」を寄越し、「法」に訴えるぞ、と。

* その娘がとうとう小説を書き始めたと聞いて驚喜し、苦労して片々たるブログから延々再現し、わたしの編輯している「e-文庫・湖(umi)」に仮置きし、「いい読者」たちに少しでも読んで貰えるようにはからい、日記では作の出来を褒めたり助言したりした、そのすべてが、父による「高慢」な著作権侵害・名誉毀損・財産権侵害であって、民事刑事の「法」に訴えると威嚇してくる。いと簡単に、繰り返し言い立ててくる。

「法」「法」「法」の一点張り。情理の具足がまったく無い。アカの他人ではないのだ、親と子とである。どこに、告訴や訴訟に及ばねばならない何があるか。この「私語」ファイルの末尾に敢えて掲げてある、久しい親和の写真や夕日子自身のハガキなどを見れば簡明に分かる、一目瞭然、★★達がどんなにムチャクチャを言っているか。

* 寂しいことに「人格」が全く感じられない。何もかもの物証・挙証が彼らの「人間失格」「人格障害」を自白しているかのようではないか。だが、これを読むやいなや彼らはまたしても名誉毀損だ、「法」に訴える、と言ってきかねない。

★ 平成十八年十二月十五日 金

* 『かくのごとき、死』を出版した気持ちを、あらためて箇条で自覚しておく。数え上げる何にも増して、可哀想なやす香の死に当面した、わが「悲哀の仕事  mourning work」であること、言うまでもない。そして、

一 やす香の、まさに「生死」苦闘の経緯を闡明すべく。
二 読者・知友に心事と事実を。
三 斯く生き 斯く書く 自身を、ごまかし無く。
四 電子化時代の新しい「私」「私事」の表現、新「私小説」の行方をさぐる、一報告。
五 「法」は法。しかもより大事な「人間の情理と気稟の清質」を尊信する。

* 老境をこういう不幸な方角へ歩まねばならないのは残念だが、すべて私の不徳。運命は甘受する。
こうも考えている。大抵の老人は過ぎ去った過去の蓄積や堆積の記憶でものを言う。そんな老人の一人である私は、過去完了ならぬ現在進行形の只今湯気の立った事件と直面しながら、「老境」の今・此処に身を処して、考えたり動いたりしているのだから、人生劇場の最現役ではないか。一種の「天恵」だ、と。ま、なるべく「ゆったりと自然に」日々を送り迎えて行こう。願わくは戦友である妻の心身が豊かに安くありますように。またこれまで以上に、働き盛りの秦建日子のたすけも頼まねばならないかと思う、気の毒に思うが助けて欲しい。

* どっちもどっちとあっさり嘲笑う人も、どんなに多いだろうか、想像に余るが、そういう毒にこそ当たらずに生きたい。分かる人には言わなくても分かる。分からない人にはいくら言っても分からない。中学生だった昔にしかと耳に聴いたある人の声を、いまも、わたしはしかと聴いている。

* 調停委員から最後に伝えられたという「弁護士報告」によると、要するに「相手方は<賠償金支払いの無い案は呑まない>ことを伝えられました」と、ある。つまり「金」ですよと、何人にも予測されていた。賠償金だの謝罪文だのと、理由のない話である。
三回ぐらいで終わる「調停」は「いくらもあるんです」と、弁護士さんは言う。わたしたちは裁判所でただ一度も★★や夕日子の顔も見ていない。大の大人が莫大な勢力と時間をつかつて、ほんの「おしるし」の鼠も出たかどうか。具体的に「五十万円ずつ百万円欲しい鼠」が出たじゃありませんか、と。なるほど具体的だ。

★ 平成十八年十二月十六日 土

* 夜前おそく、アンドレ・モロワの名著『英国史』上下二巻を読了した。本はわたしの書き入れと傍線とで真っ赤になった。以前にも二度読んでいるが、今度はゆっくり時間を掛けた。しかも休みなく興味津々いろいろ納得して読んだから、すっかりイギリスの歴史が好きになった。
英・独・仏・伊。みな中世以来のヨーロッパでは偉大な文化的行跡をのこしてきたが、いま日本国の政治のていたらくを情けなく嘆くばかりの毎日に、英国をストレートに礼讃する気もしないけれど、歴史的に「絶対王政」をゆるさず、王よりも議会がつよく、しかも概して帝国としての安泰をゆるがすことなく、国民の利益や自由をほぼ尊重し優先さえして政治体制をつねにそれに合わせ、バランスよく融通させてきた英知に感嘆する。羨ましい。
明治政府が、ドイツよりもイギリスの政治と制度と歴史を学んで近代日本の道を付けていてくれたらと、つくづく残念に思う。
ローマ法王とも背き、つねに距離をおき、英国独自の「国教」をもちながら、新教徒を育みまた追い出し、世界の植民地と英帝国との政治的な関係もじつに「うまいこと」やってのけて、国運を傾ける大波乱にはついに巻き込まれなかった英国。
わたしは法王・司教らの腐敗した公同大教会も嫌い、絶対王政も嫌い。イギリス人のことはむろんよく知らないが、歴史では英国は善悪ともに余りに多くを教えてくれる。
イギリス留学から帰ってきた上尾敬彦君にいろんな話が聴きたくなっている。

* 年内に確実に『人間の運命』も読み上げる。

* 小松英雄さんに頂いた「土左(土佐は流布名)日記」を素材の『古典<再>入門』はいわば「日本語読み」の論攷・論著で、妻がわたしより先に持っていって読み通し、ついでに目崎徳衛先生の『紀貫之』も読み上げたらしい。引き続き、わたしも読む、ただし伝記はもういい、その本もわたしの赤鉛筆書き入れで真っ赤になっている。
楽しみにしているのが、昨日戴いた小田実さんの『終らない旅』真新しい書下ろしの長編小説。短編集や論説本は何冊もらってきたが、長編小説は『玉砕』に次ぐ。
京都の河野仁昭さんからは『京都の明治文学』を貰った。この人は着眼のうまい書き手で、題で感心させる。大正も昭和も平成も書ける。
もう一冊、ほほうと声の出た来贈本が桃山晴衣さんの『梁塵秘抄うたの旅』だ。わたしがテレビで中西進さんや馬場あき子さんと「梁塵秘抄」を話し合い、それからラジオ講座で九時間ほども話して「NHKブックス」で『梁塵秘抄 信仰と愛欲の歌』を出版した、その頃だった、まだうら若いほどの桃山さんが家に尋ねてきて、梁塵秘抄を、音楽と歌唱として復元したいという熱心を、元気にしかし謙遜に話して行った。
この本は、あれ以来の桃山晴衣の足取り本なのであろう、すこし落ち着いて読みたい。こうして一途に歩いてきた篤志の人がいる、後白河さんも本望に思われていよう。

* 『かくのごとき、死』の分厚さにはみな驚かれ、しかも読み切りの早いこと、一気に通読して震えたと云われる。書いた私はふるえっ放しだった。

☆ 十四年前、『死なれて死なせて』を読んで 私はいたく慰められたことを忘れられません。 「死なせる」痛みを 人とわかちあうことができてなかったら、 どうやって生きていけばよいのでしょう。おからだを大切に、書きつづけてくださいますように。  世田谷区

☆ 漱石の『心』の「先生」は、「K」を死なせたのだという一文を新聞で読んでから、湖の本を送っていただいている私です。「死なせた」という言葉のニュアンスが私なりにわかります。が、このことが裁判沙汰になるなど、しかも実の娘さんから、ということは驚きです。こんなことまで人は自分自身でひき受けられず「外在化」してしまうのですね。情けないなあと、と思います。  名古屋市

☆ 衝撃で言葉がありません。このようなことが有る筈ないと、心が痛いです。私は娘や孫に対して傍観者では居れません、骨を削り、血を流しても、守る!! と思います。動物的本能です。教養、理性、何の役に立ったと云うのでしょうか。理不尽な事柄に寛容や許容は不要です。先生の平安を唯々お祈りするのみです。どうかお体もご大切に。  玉野市

* たった今届いた読者のお便りに、こういう趣旨のものが多い。いつもはただ払い込み通知が、今度ばかりは身にしみて物思われるあまり、いろいろと書いてきて下さる。

* 「MIXI」に無数の縁遠い人から「足あと」がつくのは、或る面で醍醐味にも繋がる。想い寄らなかった発見につながる。先日鹿児島市在住の男性が「足あと」をくれたので表敬したところ、幾編ものエッセイを読むことが出来たが、玲瓏と美しい述懐で、感嘆。一編一編に夥しいコメントがついているのもムベなるかなと。
好きな本に『自省録』とあり、この名で知れるのはマルクス・アウレリウスが最良だと思うが、コメントにメッセージが返ってきて、そうだと。嬉しくなった。じつはぜひ読みたい題名の日記一編があり、まだ読みに訪れてはいないが、そう話してやるとその「題」に妻も満々の関心をよせていた。

* その一方で、ふと顔色の曇るような「足あと」もひょこっと混じって、一過性でない。なにしろ誰であるかは全く分からないシステム。しかし、だれにも一人は「MIXI」に推薦者のマイミクがいるのが原則。だが時にマイミクをもたない、プロフィルも書かない相手から「足あと」のつくことが、もう両三回あった。これはいやな気分。で、その「足あと」人のマイミクを見て行くと、およそ様子は知れるが、こういう人も混じってくる。
メッセージを送ってみた。

* むらっちさん。 七月末には亡くなって、もう数ヶ月経った「思香」さんを、今も「唯一のマイミク」にしている「アルセー」さんを、これまた「唯一のマイミク」にしている「むらっち」さん。
「思香」は、私たちのかけがえない優しい孫・★★やす香のハンドルネームでしたが、可哀想に我々身近な大人の愛の至らなさから、むざむざ「死なせて」しまいましたことは、ご存じなのではありませんか。
ただ「死なれて」悲しいのではなく、あたら目も手も届かず「死なせた」というつらい自責に、祖父母は、いまも、優しい笑みをうかべた遺影を目に、泪のかれるときがありません。

もう、ほんとうに、やす香(思香)を、「MIXI」の雑踏から安らかに静かに逝かせてやってもらえないでしょうかね、いつまでもまるで「幽霊」のように扱わないで。これって、かなり心ないことですが。

「むらっち」さんは、やす香の両親が、――大学教授の父親と大学で哲学を学んだ母親とが――、手を携えて祖父母を、自身の両親を「法廷」に引き出そうとしているのを、ご存じでしょうか。その理由の最たるものは、祖父母がやす香を「死なせた」と云うのは、やす香の両親を指さして「殺人者」だと云っているのだ、名誉毀損だ、というのです。

「死なせた」という言葉は、決して「殺した」の同義語でないぐらい、子供でも知っています。ニュース報道でもテレビドラマででも、頻繁に耳にする、普通の、しかし、「自責の辛い」重い言葉です。

自責のゆえの逆上でしょうか。それとも日本語が読めない・聴けないのでしょうか。それともやはり根の愛が涸れているのでしょうか。

「むらっち」さんのことは知らないから何も分かりませんが、私のところへ「足あと」を重ねて残してくださるのは、私から「何か」がお聴きになりたいのですか。どうぞ率直にお尋ね下さい。答えられることは答えますよ。

私たち祖父母が心の中で「もしや」とほんとに望んでいるのは、「むらっち」さんか「アルセー」さんかが、★★やす香の心許した親友で、やす香の想い出を私たち祖父母に分け与えて下さる方なら、どんなに嬉しいだろう、ということ。
もしそうならそれも、どうか率直におっしゃってください。感謝します。
もしやす香の父親や母親とのお知り合いであるのなら、どうぞ「思香」ならぬ「亡き娘やす香」を、これ以上悲しませ、はずかしめないで欲しいと伝えて下さい。 湖

* 以前にも同じような理由から問いかけた「足あと」人がいた。当然かもしれない、梨の礫で、その名前はわたしの「MIXI」からは消えていった。むろん 「思香」名義を相続した気だろうやす香の母親か父親かであることも邪推できる。十分出来るが、やはり「やす香の親友」「やす香のボーイフレンド」だったら嬉しいがと「おじいやん」は願うのである。

*    *

* これで、やす香死後早々に起きた見苦しく聞き苦しい娘夫妻の★★家と祖父母のわが家との紛争(民事調停期 2006)の「点検」
を終える。この「点検」はこの年平成十八年六月から十二月に到る七ヶ月の日録(やす香の癌入院と死。その後の民事調停と不調を含む。)を、いわば「顧みた」のであるが、私の都合や主張に併せて「顧みた」のでは無い。これらを私を訴え出た原告の娘夫妻
は「証拠」の一種として正式に提出し、この膨大な、概算だが四百字原稿用紙32000枚の内容の極々一部に、この個所が「名誉毀損」に当たるとでも云うように傍線でチェックしていた、そういうチェック(太字にしてみた) の在る当日分の「文脈」を探るように、私自身の参考・記憶の回復のためにも、網羅してみたのである。紛争と全く無関係な記事は、また上のチェックの存在しない日々の記録も、省いた。またチェックされた個所に関する意見・感想・反論等は一切しなかった。

* 作業の単純を願い、最も頻繁にファイルの開きやすいこの欄に、数日掛けて開陳してきたが、バラバラでは再利用に煩わしいので、七ヶ月分を一括して、どこかへ纏めたい。
六月二十二日の「白血病」告知の日から、裁判沙汰の「脅迫」(弁護士の言葉)が始まった八月十三日頃までは、日記文藝(一種の私小説)として「湖の本」シリーズに『かくのごとき、死』と題し既に出版されている。本意を云えば、十二月に到る上の抄出分は、何の躊躇いもなく日記体私小説の『かくのごとき、逆上」とでも「題」し前巻に倍する大作として世に出せるとすら見なしている。
ま、暫くは現状で置く。

* 一つ気になるのは、「★★側の傍線」と証拠資料に特定してあるチェック個所(太字で示した個所)の「意図」が、★★には「不満・不服・異論あり」「名誉規則の賠償に相当」の意味なのかどうかが、今一つピンと来ない。中には、★★は論外としても、娘が読んで理會した、納得したという我々へのメッセージかしらと思ってしまいそうなチェックも在ったということ。
逆に、彼らからの非難として尤もだなと思えるチェック個所など「皆無」の印象を強く持ったことを書いておきたい。
2010 6・11 105

* 新聞や雑誌にときどき匿名であることが呼び物のコラムがある。あれは一種の文藝を要する書き物で、誰にでも出来るわけでない。わたしは或るメディアの正式の依頼を受けてかなりの期間、そういうコラムに書いたことがあり、湖の本の一冊分近くは在るだろう。かなり面白い稼ぎであった。
だが、プロとして書くそういう特定の場以外でわたしは、「匿名」原稿は一切書かない。わたしの「書く」場所は、著書と新聞・雑誌等の依頼原稿と、ホームページ「作家・秦恒平の文学と生活」の中の、日録「闇に言い置く私語の刻」以外に存在しない。★★夫妻はわたしが「匿名」で自分たちの名誉を傷つけると主張するが、依頼の署名原稿・著書以外にホームページに書くのも「mixi」に書くのも、前者は表題に「作家・秦恒平」と明瞭に名乗っているし、「mixi」でもプロフィールに「秦恒平」ハンドルネームは「湖」と明記してあり、経歴も著作等も明らかにしてある。
前出の「匿名欄」以外に、わたしが匿名で★★らを攻撃した文章があるというなら提示して欲しい。それを云うなら、娘「夕日子」が父親を誹謗して憚らないブログや「mixi」などは、本名の明示のないアレもコレも匿名のものだ。天に唾している。わたしは文藝としての匿名欄以外は、メールであれ、電子化の文であれ、文責を明かすのを当然の当世のエチケットと信じ励行している。
2010 6・11 105

* 新しいパソコンが、ニッチもサッチも行かない。そもそも東工大の昔、機械の使い始めから、変わりなくNECの機械に慣れきっていて、他社の機械だと手も足も出ない。しかし、今度のソニーは使いにくいというのでなく、ハナから使えない。機械にどんなソフトが内蔵されているのかも分からない。建日子の電話ではなんでもOFFICEというのを使うそうだが、わたしの今の機械でも、かつてOFFICEに手を出したことがない。お手上げ。前夜、日付が変わってからいろいろに触れてみたが、ダメ。
そのせいか、寝苦しくて四時半に目が覚めてしまった。眠れない人のメールが来ていて苦笑した。

☆  睡眠薬をのんでから。 砂
真夜中に、メールというのもよろしくないのですが。星野画廊に、石原薫さんの絵が、そろってあるそうです。機会がありましたら、ご覧になってください。若いころに観たきりなので、いま観たらドンナかなと、思っています。亡くなった麻田浩さんと、同じ頃の人ですが、この方もはやくに亡くなりました。存命なら、どんな絵になっているかな。
南アフリカでの、ワールドカップの試合もみました。日本では考えられない熱気です。もう寝ます。おやすみなさい。

* 眠くなってきた。
2010 6・12 105

* 新しい機械、プロダクトキーの入れ方を合点して入れるところまで行き、まだ文章は全然書けないが、映画は撮っておきのCDを入れて観ることが出来るし、音楽も同様に機械で聴ける。そんなことは全く目的外であり、ホームペイジをこれへ移して、インターネットが家の外でも出来るようになりたいのである。そこへ行くには、まだよほど前途長い。道が見えない。足さぐりで少しずつ進めるところへ進んで行くだけ。
2010 6・13 105

* 今年の一月三十一日にふとした思いから初めて、昨日まで約百五十日ほぼ欠かさず「mixi」日記に連載中の随感随想は、そのままでたぶん「湖の本」二冊分に相当している。
量だけでなく、毎日毎日、「mixi日記一ページに文学・哲学・宗教・思想を残した人間が文字を通して語りかけてきます」と或る人のコメントを下さっている内容になっている。造形も演劇・映像も女も京都も食い物も政治も歴史も日々語っている。つまりそれはわたしがわたしを語って、自身の「索引」を書いている。厖大な量のホームページ「私語」のアトランダムな書き抜きだけれど、それぞれに自問自答を加えて粗雑にならぬようにしている。
いただいたコメントにお返事を書いたはずが、送信を間違えるか忘れるかしたようで、出ていない。ごめんなさい。
2010 6・14 105

* 建日子、夜前帰宅、わたしに呉れた新しい「優秀機」じつに軽い新機にインターネット等の手続きを全てしてくれ、此の機械から、ホームページなどを移転してくれた。その機械は何処へでも持ち出せるので、隣の書斎へこもって仕事が可能だし、どちらの機械からも内容を簡単に双方へ移動・移転できる(らしい)、まだ実地に試みていないが。
以前から何に使うのか分からない小さい細いチップのようなものを持てあまして棄てずに抽斗に入れていたのが、なんとも便利で強力なツールらしいことも分かった。名前も知らない、聞いても覚えにくい。
おかげで、もしこのまま入院しても、携帯電話を持たなくて済む、此の機械でも自由にメール交換出来るらしいし、ワープロソフトを用いて書き仕事も出来る。ホームページも使える。建日子自身が今使っている同様の機械より遙かに軽量で機能は数倍も十倍もいいんだとか。
ありがとう。

* 建日子、明けの四時頃まで台所で自分の機械を使い続けていた。わたしは、眠れなくて。血糖値を計ると、44、これは低血糖の新記録。なかば茫然のまま、白砂糖を二匙嘗め、カステラを一切れ、ミルクをカツプ二杯、サクランボを数顆、口にして回復。白砂糖って、なんて美味いんだ。やっぱり戦時の、砂糖無し幼児のからだをまだしているのだろうか。

* 九時、建日子の車で妻もともに、新宿へ向かう。昼過ぎまで牧野事務所で打合せ。
54階の聘珍樓で三人で昼食後、建日子とビルの下で別れ、大江戸線で帰ってきた。梅雨の晴れ間というには、あまりぎらぎら照りつけていた。
2010 6・21 105

* 一日、親機械と新機械との折衝をはかろうとつとめたけれど、なにも出来なかった。新機械にインターネットのためのツールが届いたけれど、これまた立ち往生。危なっかしくて手が出ない。機械への冒険心や根気がなくなっているのかも。
2010 6・24 105

* 送られて来た、EM EMOBILE の説明図が読み取れず、危なっかしくて手が出ないまま。新機のインターネットがそれで機能しないため、期待している仕事は出来ないまま。いまもだいぶ執着して説明図を読み取ろうとするが、ヘタをして痛めては元も子もなく。ぐっと辛抱して、またも降参。機械はなんとややこしいのだろう、と、思う前にこつちの頭脳が軟化しているのだと観念する。
2010 6・26 105

* 昨夜から「FFFTP」の「ファイル一覧がダウンロード出来ず」、ホームページの転送が出来ない。ホームページの方に故障があるのか転送ソフトに故障があるのか、分からない。手の施しようがない。

* 不愉快仕事も避けて通れないので、平成八年(2006)八月から十二月の記録、日付順に整理した3000ほどのものを引き出しやすいようにさらに整理していた。「思香」(やす香の「mixi」ネーム)「木漏れ日」(娘の「mixi」日記)を用いた聞くに堪えない記事が、読んで惘れた人達からの転送で溜まっているのにもいまさら驚いた。
悲しみの余りとはいえ、人は逆上するとこうだろうかと客観的に驚く。だが逆上するようではとてもまともな物書きにはなれない。
2010 6・30 105

* 七月である。同じ日に娘が生まれ孫娘が亡くなった。孫娘の癌死を悲しんで挽歌『かくのごとき、死』(湖の本エッセイ39)を出版したら、娘と婿は名誉毀損だと私を訴え出て、謝罪せよ、と。膨大な損害賠償金を払え、と。
マゴの死から、四年。此の七月十三日、わたしは法廷に被告として呼び出され、証人席で直接訊問を受ける。

* 今日久しぶり都庁前に牧野綜合法律事務所を訪れ、十三日のための打合せ。前夜から息子が保谷に来てくれ、朝十時の約束に、車で連れて行ってくれた。

* ベテラン弁護士は、致傷や詐欺盗難等でなく、現役作家である祖父が、孫娘の白血病入院から診断違いの肉腫死までの四十日を、衝撃と悲歎のまま哀悼の挽歌を書き綴ったことが、実の娘や婿に訴えられ裁判沙汰になるなど、他に一つも、「聞いたことがありません」と云う。わたしも、無い。
婿は、青山学院大学国際政経学部の教授。娘は、町田市の主任児童委員で、地元第五小学校のボランティアコーディネーター。職員に名を連ねているれっきとした公人で、インテリである。教育・教導に携わる公人である。しかも恥じて、婿は週刊誌取材
に「高橋洋」の偽名を用いてウソを言い放し、娘も町田市に本名を伏せて★★*枝の仮名で勤めている。

* 問題の著書『かくのごとき、死』は、このホームページの中で、(この「生活と意見」のiken0-2 としても)簡単に読める。「秦恒平・湖の本エッセイ39」として、むろん無料公開してある。「長編」文藝の一冊としても、公開してある。
四十日、悲しみをこらえ孜々として書き表しておかなかったら、二十歳の誕生日を目前に、あたら有為の人生を病魔に散らした孫娘の「生き死にのあかし」は残らなかった。やす香は生きていた。もっと生きたかった。生きてしたいことを生き生きと祖父母にも友達にも語っていた。やす香は生きていた。わたしは、愛する孫の「挽歌」をうたい「墓碑銘」を書いたのだ。
この本が娘や婿を攻撃の目的で書かれたモノでないことは、どんな読者にも明歴々であると思うが、読者という裁判員にどうか審判願いたい。

* 仕事のある息子と別れ、妻と新宿から上野広小路に流れて、天麩羅「壽ず亭」で、遅めの昼食、御徒町から池袋経由で帰ってきた。

* 昨日の「mixi」日記に、こんな題の古証文を書き改めておいたのを、思いついて、転写しておく。

☆ 花と自殺と   湖
* ファシネーションとは何だろう、と、いつも考えているが、譬えば、花が即ち、ファシネーションではない。花だけでファシネーションはうまれない。花の、香や、匂いこそが、ファシネーションになる。花の色やかたちではない。
「身内」とおなじだ。それだ。理屈や言葉でどう穿鑿しても、ファシネーションも身内もわかるわけがない。匂い合うように、わかる。そういう文体が、そういう文章が、欲しい。

* わたしは「自殺」というカードを最期まで大事に手にしていたいと思っている。自由というか、権利というか。よほどの全身全霊をあずけるに足るトータルな何ものかが、さあ、そんな自殺のカードは手放してわたしに預けなさいと言ってくれば、喜んで手放すだろう、が、かたくなにそれが悪とか善とかましてや道徳的な理由で「是非」する気はすこしもない。
ほんとうにそうしたければ、少しも躊躇なく、そうするだろう。だれかにゆるされる事ともゆるされない事とも思っていない。

* 「今のところ、わたくしは、人生はどんな苦くまずい味のものでも、最後までとにかく飲み干さなければならないと信じています。最後の最後まで生ききることが人生や命を真実愛することだと思います。」とまで、わたしは堅くは考えていない。
もういい、もう十分と言い切るのはエゴの声であろうけれど、「ほんとに、もういいよ」という内奥の声が聞こえることもあろうではないか。
自殺は、「みこころのままに」という受容を「拒否する姿勢でもありましょう」とは、正しい認識のように思うものの、その「みこころ」が「もういいよ」と決して言わぬでもあるまいとわたしは予感している。一瞬の好機を待っている。
そう。わたしが本当にこころから待っているのは「もういいよ」のゆるしではなかろうか。
2010 7・1 106

* もう限界。
林君から、転送ソフトへの助言が届いている。が、やはりうまく行かない、言われている通り、が、出来ないので閉口。落ち着いてやらなくては。
2010 7・10 106

* 夜前遅くに帰って来てくれた建日子、すぐわたしの新しい機械にインターネット可能の設定をしてくれた。あとは、慣れて慣れて覚えて行くことに。感謝。

* さ。
2010 7・13 106

* 昨夜の「mixi」日記に、例によって「抱き柱はいらない」ということを書いた。
バグワンは、「手放し状態にならなければ」と言い、「明け渡し」ということもよく話す。とても大事なこととと理解は出来るが、これがほんとうに容易でないのだ。どう容易でなかろうとそうでなくてはならない。「エゴの強い人間は瞑想に入って行くのがひじょうに難しい」といわれると、身に痛く分かる。つらい。
「教義を待ってはいけない。」「真の教えはまったく教えなどではない。それは伝達だ」とバグワンは言う。
2010 7・14 106

* 建日子の呉れた機械は、いまのところ「お蔵入り」に近い。
インターネットの設定が建日子は出来たよと言っていたが、慌ただしく口であれこれ説明されたときが、法廷の前夜・深夜で全くアタマに入らず、マニュアルも有るのやら無いのやら。
いちばん困るのが一太郎で字が書けない。 ATOKが利用できなくなっていると機械に警告されている。ホームページが読めず・書けず、文が書けず。むろん機械は優秀なのだろうが、わたしに新しい機械の記号やロゴを呑み込む力が無いのだ、参った。参りました。十数年、機械に触れ続けているが、出来ることしか出来ない。路線を逸れると闇雲に分からない。だんだん分かって行くより、だんだん老いて理解が摩滅して行く。新鋭機は私にはムリだったか。建日子にわるいことをした。じりじりと、何か一つ、又一つと覚えて納得して行くよりないが、機械を壊したくないと、臆病になる。軽いけれど、持ち歩くメリットが今のところなにも手に入っていない。
それでも、名前のどうしても覚えられない、そうそうなんとかメモリーというのの使い方だけはほぼ実践して覚えた。此の目の前の機械から、たくさん、新機に移してみた。しかし、インターネットはどうしても使えない。出るエラーの意味も分からない。
「http://umi-no-hon.officeblue.jpが使えません。新しいhttp://umi-no- hon.officeblue.jpに移転したのかも知れません」なんて全く意味が分からない。
2010 7・15 106

☆ ミクシーが続いているのに、と。安心しました。近くニューピオーネをと思っています。  吉備
2010 7・15 106

* 調べれば日付も分かる。階下から足音高く階段を駆け上がり、のけぞる息子の勉強机(わたしが高校時代から愛用してきた机だった。)に、出刃包丁の刃先を叩き込んだことがある。剔れたその刃傷はいまも机に歴然と遺っている。一瞬後、大学生(高校生だったかも) の息子は、顔を蔽ってあのとき泣き声をあげた。わたしは刃物を引き抜いて静かに立ち去った。何一言も言わなかった。逆上していたのでは無い。息子(息子には息子の言い分があったろうけれど)に対し、百万言にまさるこれが一番と、落ち着いて考慮し流し場の下の刃物を掴んだ。
卒業し、就職し、つかさんと出逢い、作家秦建日子の今日が出来た。超多忙の建日子が、十三日の法廷傍聴席へも、前夜来時間を割いて最後までいてくれた。「親孝行を」と母親には話していたそうだ。姉の分もと思ってくれているだろう。

* このコトを、法廷で娘は、父の「自分への家庭内虐待の典型例」のように証言していた。娘にそんなことはしていない。むろん、してもいいのだ、考えがあってなら。獅子は時あって子獅子を谷へ蹴落とす。その冷静と愛とを、だれも虐待とは謂わない。
わたしは何かの折、娘のジーンズというのか知らないが、上着の袖を目の前で裁ち鋏で切り落としてみせたことがある。そのときも、高慢な娘に対し、無言のそれが一番だと考えた。だが、失敗。娘へのこの例は、役に立たなかった。
またこんなことが一度有った。高慢の度を過ごして言い募ってくるとき、そうかそうか、これぐらいやらないと効果はないなと、わたしは書き仕事していた最中の、愛用の座卓を、目より高く目の前の襖に叩き込んだことがある。鴨居に今も剔れ傷が残っている。これも娘には無効だった。そして、やはり家庭内虐待の典型例にあげて訴えていた。誰かの科白だった、「バカか、お前。」

* わたしは人に教えられた、昔。
「分かる人には云わんでもわかるの。分からん人にはなにを云うても分からへんのえ」と。
言葉は説明や説得の道具としてはあまりに足りない。「問答無用」とは思わない。だが「話せば分かる」というのも、あまりに暢気だ。それが分かっているから、わたしは親獅子として庖丁を机に突き立て、鋏で袖を切り落とし、机で襖をブチ抜く。
わたしの力ずくは、子育ての何十年、この三度きりである。その時はもう姉も弟も子どもではなかった。ふつうなら十分親と節度をもって立ち向かえる年齢で、息子は高校から大学へ、娘も大学生から社会人にすらなっていた。そういう真似を親にさせては当人達が恥ずかしかろう年齢であった。
東工大で、ある学生は、高校時代の先生から聴いた「十七にして親をゆるせ」という言葉を、感動とともに大教室で報告し、学生達はどうっと揺れた。そういう年齢だった。

* われわれの娘は、法廷の証言席で、二度、極度に、顔をそむけた。
一つは、弟さんは活躍されている著名な作家ですねと弁護士に聞かれた時、顔を歪め、ものの数呼吸おいて渋々「はい」と答えていた。憐れで、わたしは泣けそうだった。
また「ハイミセス」の企画で、もうやす香の母親であったこの娘が、父と瀬戸内を数日旅して、雑誌に公開された和やかで楽しげな父娘の写真を弁護士につきつけられたとき、娘は顔を歪め、正視できなかった。憐れでわたしは泣けそうだった。
旅には、「同行を強いられた」などと云っていた。からだの弱い母親の代役だったのだ、断る気なら、当たり前だ、簡単に断れた。そもそもこういう「旅企画」に出て行くなど、わたしは気が進まないのだから。だが、娘は道後の宿でも、鞆の宿でもそれは楽しそうだった。みんなと、カラオケの歌をそれなりに歌う娘など、父親は初めて観た。柳井の町では、醤油づくりの大樽の上へ上げられ、こわがる私のへっぴり腰を編集者やカメラマンと嬉々として下から冷やかしていた娘の顔、よく覚えている。

* 病的な人間は知らず、わが家のように、狭くて狭くて余裕のない家屋での、ご近所迷惑なほど談笑家庭、四人が四人ながら鼻先を付き合わし合わし暮らしていたのであり、反抗期は反抗期なりに、追々息子は勝手に上手に育っていったが、娘は親に過剰に求めて自律がきかなかったようだ。
祖父が孫娘やす香と「マイミク」になった頃、四年前だ、べつの場所で娘は弟に打ち明けている、「世界広しと言えども、わたしの作品を分かってくれるのは、あの人だけかな」と。
「あの人」とは、むろん「おやじ」と弟は言い切っている。娘の夫★★★は口を歪めて「実の娘に嫌われるのを知りながら」と云うが、07.09.09に娘の弟・建日子は、父に向かい、「もう百万遍も俺は言ってきたよ」と、こう、繰り返している。
「朝日子はお父さんがめっちゃくちゃ大好きなんだよ。その大好きなお父さんから良きにつけ悪しきにつけて、例外というモノもコトも無しに愛されたいヤツなんだよね。是々非々の愛では絶対にダメ。しかしおやじは、いいときは手放しで褒める、しかしダメな時やモノやコトにはきちっとダメを出し、半端にはうけいれないでしょう。俺はそれでいい。朝日子は、それでは絶対に不満。そして褒められたことや愛され可愛がられたことは忘れても、ダメとつきはなされたことは覚えに覚えて、それが積もって、今では憎さ百倍、何としてでもお父さんに復讐し勝ちたい。そういうビョーキなんだ。仕方ないんだよ」と。
何で仕方ないのかは分からない、が、憐れで、わたしは泣けそうだ。

* その息子が電話を掛けてきて、ゆきずまっている新機械のインターネットの設定などを、いちいち、開いた機械の画面に即して教えてくれた。すこしずつ様子が知れてくる。あたまの硬く朽ちかけてきている父親は、ハイハイとすなおに息子に聞いている。機械の画面が表情をいきいきと変えてくる。ありがたい。
2010 7・16 106

* 熱暑のさなか、卒業生の田中孝介くんが自転車で来てくれて、転送ソフトも新しいのにとりかえ、忽ちに不調を直してくれた。ありがとう。これで、もともとのサイトが、転送可能となった。ついでに親機と子機との相互移動も可能なようにもとへ戻してくれた(はず)。これは実用して確かめねば。まるで魔法使いだと、感嘆。
歓談して。かるい午食もいっしょにして、昼前には、午後も忙しい人に悠々帰ってもらえた。
2010 7・19 106

* 新しい機械、購入手続きをしてATOKの新しいバージョンを買ったのに、なんだか「キー」と称する数字をメールで送ってきたけれど、さらにややこしい手続きがまだ必要らしく、その意味も手順もつかめないまま、またもやに立たずにお金だけを支払ったという始末。仕方なく、いままで使ったことのないIMEを使うことにして慣れようと。
これで、どうやらひらかなモードで文章が書き込めそうだ。じりじり、と、一つずつ前に進む。機械と付き合うのは、思えば十数年それで来た。根が、父のラヂオ屋稼業を嗣ぎようのなかった、機械音痴なので
2010 7・21 106

* わたしの此の親機械は、なぜか分からないが「音」が出ない。静かなのである。音楽も映画も繋いだ子機の方で楽しむ。親機は布谷君が秋葉原を駆けまわってパーツを買いとのえてわが家で組み立ててくれた機械。マニュアルも何も備わっていないし、ウインドウズ98とウインドウズMEとが入っている、今で謂うと大時代の古物なのだが、快適に働いてくれて馴染みに馴染んでいる。子機のノートパソコンのほうがずっと新しいし性能もいいらしいが、もっぱら左翼にいて、バックアツプしてくれている。
この両機にスキャナとプリンタと電話が連動している。そおっと、仲よく仲よく付き合っている。
今は右翼に、つまり右手のとどくデスクに建日子が買って呉れたじつに軽量のSONY VAIOが在る。まだ持ち歩いて活躍してくれるには到らないが、文章を書き慣れたなら、性能がもう一段二段つかめて納得できたら、隣棟の書斎へ持って行こうと思っている。
2010 7・22 106

* 「mixi」に、「ペン電子文藝館」を企画し創設し運営した時期の記録を連載している。どういう精神でこの仕事をわたしが日本ペンクラブに持ち込んだのかを、歴史としてきちっと記録しておきたいからだ。今なら、これらの記載が真実であったことを改めて分かってくれる同僚委員達も理事達もいてくれるから。
2010 7・23 106

* 今月は、ホームページに、一水会堤彧子さん会心の力作を選んだ。元気な繪。心より平安を、快癒を祈る。

* ところでこの十日ほどにウイルス・メールが100ほども集中的に襲い来ており、悉く駆除されまた封印されている。いまもまた5個ものウイルスを駆除しましたと報せがあった。昨日と今日で30を越えている、こんなに数多いのはこのところの目立った特色であり、その大方が或る同じ発信者によっている。何か「個人的な悪意の集注」でもあるのかと疑わしくもなる。そういうことをしたがるタチの者も世の中にはいるのであろう。なんという不毛なことと嗤えるが、ホームページの全容を一挙に削除されるような例に、一度は遭っている。用心しなければならぬ。
2010 8・1 107

* 朝、ウイルス駆除通知が固めて5本。6本、7本。10本。昨日から今日へ30本に迫っている。 ウイルス発信者の大半、いや、より数多くが「一つの同じ名乗り」である。情け無い、しかもヒマな人である。
2010 8・2 107

* 出掛ける日は、わたしは早くにバタバタ家を出ない。二三時間で出来るだけの「仕事」を一つ二つ三つぐらいしておいて、心おきなく出掛ける。
父のことを書いて前へ進め、スキャン原稿を二三校正し、「mixi」の日記を新たに送り出し。
日照りは相当であったが、風が吹いて意外にしのぎやすく。例の気になる帽子が頭上で日ざしを防いでくれる。かなり気になる帽子だが役に立つ。
2010 8・3 107

* 林丈雄君から、ウイルスメールのことで、親切にいろいろ教えてきてくれた。感謝。ま、数に驚かず、ほっといていいだろうということか。なんとなく安心した。
2010 8・4 107

* 十三日の金曜日が、日本国の禁忌でないとは承知しながら、ちかぢか十三日の金曜が来ると頭の隅に有った。今日だった。
* 私の「生活と意見」を述懐している、此の、「闇に言い置く 私語の刻」は、言葉通りのもので、先ず「読者」を期待して書いているという性質のもので、ない。
どなたでも自由にアクセスされてよく、自由に去られてもよく、ただ私の「文責」だけは明らかにしてある。「作家・秦 恒平の生活と意見」である。
その上で今日あらためて書いておく、ここ当分は、余儀なく私の今置かれている迷惑な立場、即ち、実の娘(本人が地裁の証人席で認めている)とその夫とにより「裁判の被告席」に置かれてある現実に即して、余儀なく、去る七月十三日東京地裁で実施された原告・被告への「訊問と証言」とを、事実どおりに此処に掲示・保管して行くので、そういうのを読むののイヤな人は、(実に実に不愉快なものであることは、間違いなく請け合う。)どうか随意、アクセスしないで此の場から遠のいていて下さるよう。強いるのでも願うのでもない、ご随意にと言うだけのこと。
読まれてから不愉快だと私に小言を言われるのは、「私語」のたてまえ困惑するという、それだけの話である。

* 地裁の法廷は秘密会ではない。傍聴席は公開され、だれでも自由に入れる。禁止されていない。当日、私の妻と息子とが二人だけ傍聴席にいて、原告夫妻側は誰一人来ていなかった。
誰にも公開されていると云うことは、かりにマスコミが入っていて即日証言内容が報道されても構わない仕組みであり、日本ペンクラブの理事会に各新聞記者が傍聴していて、必要なら理事発言や決定事項などをすぐ報道しているのと、全く同じ。秘密会では無いとは、そういう意味である。むろん、裁判官からも代理人からも何らかの「制限する」申し渡しなど、何も無い。このことを先ず明瞭にしておく。「証言速記録」は、裁判所が厳格に内容を確認の上、公式に発行するもので、関係者の恣まな要約でも抄録でもない。これも確言しておく。

* 開廷されると、原告被告とも「宣誓」する。
「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います。」と音読し、氏名の項に「自筆署名し捺印」する。そして個々に証人席に立ち裁判長に対面したとき、改めて「虚偽証言をすると処罰される」旨、念押しがされる。これを先ず書き表しておくのは、以下原告夫妻の「証言」を逐一、「父」「舅」として私・被告が検討するにあたり、重要な大前提なので明確にしておくのである。

* 「私語」であるゆえ、初めに私一人の「ガス抜き」をしておきたい。
原告「★★★」「★★▲▲(証言中、すでに三年前十一月に★★「朝日子」から「▲▲」と改名届が家裁受理されているとのこと。)」の上記「宣誓」に基づく「証言」内容が、仰天するほど虚偽に満ち、真実憤怒し惘れ返っているという気持ちだけを先ず明記し、確認しておきたい。
もとよりそう云う以上は、言葉を尽くして逐一証拠等を挙げ、正心誠意「反論」「証言虚偽の証明」に尽くすという事である。不愉快極みなく、しかし落ち着いて事理を尽くして行く。

* 最初に原告が一人ずつ証人席に立ち、まず原告弁護士から質問し、次いで被告弁護士から質問する。裁判長は進行指揮にほぼ終始。次いで被告の私が立ち、先ず被告弁護士が質問し、次いで原告弁護士が質問する。弁護士は各二名付いていた。
で、断っておくが、ほぼ三人による長時間講演を細かく区切って記録したような「速記録」であり、それへ、私が逐条「反論」を書き加えて行くので、思いの外大量になる。
読む人の気持ち次第では、「事実は小説より奇でおもしろい」と読む人もあろうか。
いやいや、事実上、この私の「生活と意見 闇に言い置く私語の刻」は秦 恒平の「私小説」同様に読んでいるという反響は『濯鱗清流 秦恒平の文学作法』上下巻(湖の本エッセイ47.48)の時に沢山戴いていた。

* 法廷の「速記録」が代理人を介して送られて来たのは、三日ほど前で、幸い「湖の本」104の入稿を果たしておいて、さて著者の「父」小説を進めかけた間際であったので、残念ながらそっちは延期。

* 先ず、「法廷速記録」を扱いやすくスキャン電子化しておき、文面内容はむろん変害せず、組体裁を明快に読み取りやすく整備しておいてから、原告「★★ ★」の「証言」を、徹底的に読み込んで行った。そのあと「★★▲▲」分を三分の一程度まで読み込み、妻とともに、あまりの虚言に満ちた「ひどさ」に言葉を喪い、それで、此の場への「掲載・保管」を覚悟した。私たち秦家の生活を多年にわたりよく知り、当時の娘・朝日子をよく知った人達も、まだまだ数多い。
で、先ずは「★★★」分を先に検討し、現在初稿のみ仕上がっている分を、もう一度よく読み返して、順にまず「★★★」分の全文を此処に、「闇に言い置く 私語」の内として、提示し保管すると決めた。アクセスして読む・読まれぬは、私の知るところでなく、アクセスする方の随意である。だからといって掲載内容を「いいかげん」なものには決してしない。

* 驚いたことに「★★★」は、証言のなかで、自分は「私人」であると明言、「青山学院大学国際政経学部教授」である「公人」の立場をはっきり・あっさり無視しているが、大学教授が「私人」で済むわけがないことを、体験からも確信している。大学教授であるが故に破廉恥な行為を公開追及され地位を失っている例は、まま有るではないか。
また「東京都町田市教育委員会」に勤務していると証言している「★★▲▲」もあたりまえに「公人」であり、夫も妻も、ともに学生や児童の教育・教導に責任を持つ「公人」であること、私は信じて疑わない。

* これまでわれわれの確執は、双方の言い分を一つの「場」で均等に付き合わせる機会を得なかった。噛み合わないでいるという「逃げ道」を持った按配で、アイマイと言えばアイマイに傍観・遠望している人も多かった筈だ。
だが「法廷」でのこのような「訊問と証言」とは、少なくも形式だけ調った「対等の場」での「宣誓発言」である。意味は明快で、重い。
この際を利して、双方の言い分を検討し合うのは一種の「対質」であり、「公人」同士の対論・討論が望ましいとしてきた私の希望・意見の、ともあれ一つの、十分ではないが、実現とみていい。
そのつもりで、アクセスして読み、関心を持たれる方は、それなりに大いに討議され批評され、場を広げて戴きたい。
ことに、私もまた「公人」である。私の場合は、著作家の団体や、読者や知人たちの場で、また原告の場合は、少なくも青山学院大学の理事者層、教授・教職員層・学生さん、父兄会らの間で、大いにこの不可解な裁判の実態認識を展開して欲しいと願うし、同様に東京都町田市市民、ことに教育関係者・父兄たちの間に同様の認識を展開してほしいと願う。

* また原告の二人も、われわれ被告家庭のアクセスを拒絶しておいて、こそこそと秘められた物陰で陰湿に中傷や捏造記事をふり蒔くのでなく、私たちにもしかと読み取れる公開の場で、堂々と、そのかわり一つ一つに極力データのある証拠を挙げて、自身への理解を世に堂々と訴えればよろしい。インターネット時代の典型的な一つの「事例」になるだろう。ペンクラブにいち早く「電子メディア委員会」設立を提案実現していた理事・私の予見も、そのようにして一つの時代の「証言」に結びつく。
適当なもし一つの場が出来れば、連載討論をも進んで私は受けて立つ。

* もう一つ、はっきり断っておくこと。

* 家庭内の私事ではないか、秦さんも「ほどほど」「いいかげん」に娘夫妻をあしらい、「黙殺」していれば好いではないかという類の善人ぶり・大人ぶりの勧めは、いま、この際は受けられないと云うこと。
もとより「それ」が私の基本の考えであった。婿が暴発した昔も、私は返事一つしないで黙殺しつづけた。そのあげく婿は「姻戚関係」を断つと通告してきたのである。
姻戚を断つだの裁判沙汰だのにする「何事であるのか」という大方の感想や感触は、当初から、私たち夫婦=両親=祖父母また作家である弟・秦建日子の共通した考えである。
だが、現実には、★★夫妻は私・秦恒平を「被告」として裁判に及び、紛糾は丸四年に及んだ果ての、此の「七月十三日」法廷での初対面であった。「抗争上の対抗措置」をふり捨て、ただ為されるがままに委せていれば、一度は蒙ったように「全文学活動の根拠地である私のホームページ」は壊滅され、またこの父親は「二十年四十年にわたる虐待・性的虐待者」と言いふらされ、そしてこの際の「証言内容」のような露骨な虚偽で穢され続けるのである。

* 私たちの家庭は、大様に遊んでいるのではない。ふりかかる火の粉どころでない損害と、「懸命に抗争」している。それも、それをかぶる理由は道義の問題として皆無と信じているのである。ただし、いずれ後期高齢者に手を掛けた私も妻も、体力衰えて「暴害」の前に崩れるであろうが、だから諦めて放棄することは、この裁判の収束まで断じてしないと云うことを、明記しておく。

* では、お見苦しい限りのケンカ沙汰で「私語」が無頼に満たされることを予告し、そういうことのお嫌いな向きはアクセスをお控え下さるようにと申しておく。

* 今日は、ここまで。
2010 8・13 107

* それでは本来の仕事コースに戻る。「私語」も、ふだんに戻る。刻一刻老い衰えてゆく自覚は深い。それだからこそ、思うままに思って、書いて、また思いながら思いを淡いモノに澄ませてゆきたい。

* 田中孝介くんの神業で、目の前でたちまちわたしのホームページが出来た日から、おおむね「日録」はホームページの「作家・秦恒平の生活と意見 闇に言い置く私語の刻」に移動し、大学ノートには暮れ正月やよほど気の向いたときだけ少し書いた。それももう殆ど書いていない。細心のノートがどこにあるやらも忘れるほど、パソコン生活は徹底している。

* いま、押し入れで大学ノート時代の日記帳を大量に発見した。全23冊。
第一冊は昭和36年(1961)十一(十二)月初めから始まり、第二十三冊は平成十九年(2007)元旦の記事まで。「平安でありますように。今・此処の推移に自然にゆったりと在り度い。 来る年を迎へに立てば底やみにまぼろしの橋を踏みてあしおと」とある。
それより、四十六年昔の日記の書き出しの一節は、こうだ。このノートには日付が一切無い。一行空きにさまざまに書いている。今の「私語の刻」のそれは一応日付をもっているが、書いて行きようは同じだ。
そしてごく日記風の記録は、原稿依頼や進行状況、受発信、電話、来訪者、滞在者、外出先、会合、旅、美術館や劇場等々、それらはダイアリーの方にほぼ漏れなく記録されてある。仕事の管理はさらに別の進行表を月々に作っていたから、どの作がどう進行して人手に渡ったか、活字になったかも分かる。
で、最初の書き出し、一節だけ挙げれば、こうだ。満二十六歳。朝日子はもう生まれている。もう新宿から、保谷市の社宅に移っていた。

* 書くということは自分を何か呪文でも唱えて金しばりにするようなものだ。書きたい と思ってきたことが心の中に重なりあって もうその幾分かはくされかけようとさえするほど醗酵していても、筆をとるとその遅さに投げ出してしまいたくなる。ノヴァーリスの 青い花 の中で、真実の文字を書かない書記の文字が何かの神秘的な液中に浸すと いっぺんに消えてしまうさまを読んだが、そんな液体は我とわが心の中にもすこしはあるものらししい。
何も 小説を書こうとか詩を書こうというのではない。れっきとした研究論文にちかいものを意図していても 追究の仕方が弱いのか、書いた文章への趣味的な好悪感がつよいためか すぐに嫌気がさして破いてしまう。ところが、こんなふうに、思いのままに筆を流しているのは苦にならない。いつも いつも こんなことをして私の筆はだらしなくなってしまうのだ。
だが、ゆらゆらと書き流したものは、心が遊んでいるためか後々までも比較的リズムをのこしている。たまさかとり出してみてもそうは死滅していないことが多い。  以下略  昭和36年(1961)十一(十二)月初め

* 小説を書き出したのは、この翌年の七月末だった。すでに書きたい書きたいという気でいたらしい。翌年になると日録が「創作ノート」を兼ねてくる。創作ノートというものが、別に七、八冊保存して在る。歴史的な内容の作には創作ノートが有効だった。だが手書きのノートというのは克明な利点もあるが、顧みての検索や活用がしにくい。年表などはノートがいい。

* ちなみに日記で言うと、大学ノート以前に、もっと小型のノートで大学時代から結婚ごろの日記が少なくも十数冊残っている。いわゆる手帳は、医学書院入社つまり結婚と同時の一冊から今日に至る半世紀以上の全部が残っている。受けた全郵便物も同様保管してある。これを整理して不要なものを処分しないとたいへんな量になっている。知名人や大事な知人・読者からのそれらが埋もれている。いま必要なのは兄恒彦や姉千代らからの親族の手紙を見つけ出したい。
こういう全てに拠ってわたしの詳細な自筆年譜は可能であった。
2010 8・17 107

* 「mixi」の足あとが、また大台にのってしまって。わたしの述懐がいい意味で広く届くのは嬉しいが。やはりマイミクというシステムはありがたい、その方たちに声を届けるのは嬉しいが、無縁の人からの「足あと」を追ってみると、百に九五は、ヘン。イヤ。そういうものなんだ。
2010 8・21 107

* http://umi-no-hon.officeblue.jp の転送が出来た。サーバーで何かを変更していた。建日子から連絡があり、試みたら簡単に済んだ。やれやれ。
2010 8・31 107

* やす香のお友達のお母さんという方から、「mixi」のマイミクにというご希望が来た。かえって御迷惑を掛けるかも知れぬと、ご遠慮した。
2010 9・8 108

* 仕事に掛かろうかと思いつつ、と、手を出した直哉の日記、明治四十五年から大正元年へかけて一年半分ほど読み耽ってしまった。荷風の日乗はいずれの読者を期して書かれている。潤一郎の「日記」と冠したものは大方発表のための随筆である。
直哉のは快も不快も即座の存問であり述懐であり、「いま・ここ」の感懐である。人に読まれるとは思っていない。

* わたしの此処に書いている「私語」は、荷風のように何れか後年の読者を待ってなどいない。何処かへ作物として出すための文章でもない。直哉のそれに近く、しかし大きく異なるのは「秘した私記」でなく、「闇に言い置く」よう
に書きながら即座に実は世界へ公開された述懐である。ホームページやブログの日記は、昔の文人たちのそれと多きにタチがちがう。わたしは荷風のようには書いていない、潤一郎のようにも書いていない、直哉のように率直に書いている。しかも書いて直に表している。文責は明記されてある。ウソを書けばすぐさま顕れる、そのことに堪えられるように書いている。

* いま、わたしはこの場に即座の述懐・日乗を書き、「mixi」には、七年八年十年前の日記を、やや内容的に取り纏めて公開している。その何年間かの間隔に大きなブレはないようだ。芯棒は徹っていると自身感覚している。
所詮は、すべて「即今の遺書」である。これらに書かれた一行一行が「在りし日々の私の真意」であると、もし機械技術がこの先も安定して伝わるなら伝わるであろう。他方、こんなものも、どんなものも、人間の営為の悉くが壊滅するであろう時機を、かすかにわたしは実感し、幾らか期待すらしていて、なにかしらモノが「残る」「伝わる」などという期待自体「をはかない夢、バカげた」話と嗤ってもいる。要するにあれもこれも愚かしい演戯に過ぎない。
ま、そんな演戯のなかで、例えば直哉の若い日々の日記を読んでいて受け取れるモノを、わたしは小気味よい、シャンとしたモノの一つとして快く愛している。
そこには「男」が生きているし、優れた「人間」が生きている。
男として腐り、人間として見下げ果てたヤツと汚く袖擦り合うて過ごす歳月も、また余儀ない今生であるならば、せめてスカッとした人生の夢を先達・先人と共有していたい。濯麟清流。それだ。  2010 9・19 108

* このところ余裕無くてメッタにマイミクさんの日記をひらいてなかったが。

☆ 太陽の軌道    馨
ムスメ小学校4年生。

理科で太陽の軌道について習っています。
と言ってもそんなに複雑なことではなく、夏になると高度が高くなり、北側から太陽が出る、冬になると高度が低くて南側から出る、等、大人から見ると「あたりまえ~」な内容です。
その中で、「かんがえてみよう」的な問題があり
「1年中、太陽の軌道が変わらないとしたら、どのようなことがおきますか」というような内容。
模範解答としては
「一年中、昼の長さが同じ」
「影の長さが一日中変わらない」
「毎日、同じ方角から太陽が出る」など。

ムスメの解答。
「しょうぶ湯やおはぎやぼたもちやカボチャを作ろうと思わなくなる」

・・・・。

ハハとして、子どもの教育について、深く反省。
ムスメのアタマの中、季節というのはその折々に作って食べるもの or イベント企画で区切られているらしいです。
ちなみに、小さなツッコミどころとしては、日本語もおかしい。
しょうぶ湯は入るもの、冬至のカボチャは煮るもので、全部まとめて「作る」でくくるな!
と、もう親としてはどこから手をつけていいかわからないです…。

* ハハハ。上等です! いまにも後期高齢者になるおじいちゃんには「模範解答」が正しいのかどうかすら覚束ないが、「ムスメ」ちゃんの理解は腑に落ちます。もう一度こころよく笑いたい。ハハハ
2010 9・29 108

* 「mixi」の連載のために、古い以前の「私語」をサーフィンしていたら、こんな記事が出ていた。今、必要なので此処へ再録しておく。

* 理解に苦しむ   秦恒平

* 平成十八年(2206)八月四日付け 娘★★朝日子が夫と連名で、「e-文庫・湖(umi)」自身作品の掲載削除を求め、削除しない場合、「刑事・民事の訴訟」をもって父・義父を告発すると実印つきの手紙を寄越した。
掲載の趣意と真意は当初から欄外に明記していた。作品への或る程度の評価と共感や過褒ともいえる好意がなければ掲載し保存をはかるわけがなく、「むろん本人が掲載して欲しくないと言ってくれば外せばよい」と考えていた。

いきなり親を「告訴」とは、すさまじい。凄い時代になった。
なおこの作品を読んだ際の、作家としての、父親としての驚喜と激励のことばは、秦の当時の「闇に言い置く私語の刻」にくわしく、また大勢の読者もそれを知っている。突如「告訴」されるに相当するものか、読んでくださればお分かりになる。
欄外の紹介を掲げておく。

「コスモのハイニ氏」
この小説は習作のまま作者★★朝日子が無署名で 2004.9.21 – 2005.7.27 ブログに連載していたもの。インターネット上での無署名作品の盗難等難儀な事態をぜひ防ぐべく、当座、編集者(秦恒平・父・小説家)一存で此処に保管する。編輯者だけが知らないともいえるが、これは類のない題材で、一種の創世神話かのように物語られている。「こすも」(原題)なるモノが、不思議の多くを担っていて、かなり壮大に推移し変異してゆく。ほぼ十ケ月、一日の休むこともなくブログに細切れに毎日連載した、わずか二作目、事実上は一作目といえる処女長編の習作としては、行文にも大きな破綻なく纏まり、身贔屓ぬきに言う、相当独自な長編小説一編に仕上げてある。作者は1960生まれ。現在名は★★朝日子だが、従前の筆名のままに。編輯者の長女である。   2006.2.9 仮掲載

「ニコルが来るというので僕は」
この小説は習作のまま作者★★朝日子が無署名で 2005.8.18 – 2006.1.8 ブログに連載していたもの。インターネット上の作品盗難等の難儀を防ぐべく、当座、編輯者(秦恒平・父・小説家)の判断で此処に保管する。たわいなげなきれいごとのようでありながら、不思議な批評を底ぐらくはらんで終末部へ盛り上げてゆく。ブログに細切れに毎日連載した、わずか三作目の習作としては、行文に破綻なく纏めて独自の小説一編に仕上げてある。作者(現在の本名は★★朝日子)は、編輯者の長女、仮に筆名としておく。   2006.2.9 仮掲載

「天元の櫻」
この小説は、習作のまま作者(★★朝日子)が無署名で 2004.3.3 – 2004.3.29 ブログに連載していたもの。作品の盗難等の難儀を事前に防ぐべく、当座、此処に編輯者(秦恒平・父・小説家)一存で保管する。この作品はまだ小説の体裁を堅固に備えていず、小手調べの習作めいているが、物語は囲碁の勝負ただ一局を芯に据え、十分巧んで運んであり、なかなか面白い。ブログに細切れに毎日連載した、作者最初の習作としては、一風ある準小説の一編に仕上げてある。ないし仕上がる可能性がある。
原題は「櫻」である。これも編輯者の一存で仮題にしてある。 2006.2.9 仮掲載

* 朝日子本人の希望であるので、三作とも、「e-文庫・湖(umi)」の読者へ割愛の事情を添え、作品は即、削除した。

* ★★家は加えて、この『生活と意見』(闇に言い置く私語の刻)の全部を削除せよと言ってきている。どういう根拠と権利があるのだろう。質と量(何万枚に及ぶだろう。)の両面から、厖大なわたしのそれこそ「著作」なのであるが。

* わたしたち夫婦は、この広い世間では「極めつきの少数派」であると自任している。広い世間の「常識」と称する多くとわたしたちは、いや私だけは、と妻のために限定しておくが、かなり背馳している。多数決で勝ったことなどなかなか無い、総選挙もしかり、である。。
わたしは、世間の常識に勝とうなどと、ちっとも願わない。気の低い常識とやらが、わたしからモノを奪い取りたいのなら、寄ってたかって、どうぞとも言わないが、「勝手におしやす」と思っているし、自分は行けるところまで自分の思うままに行く。
その「思うまま」なるわたしのあらゆる思想が、この「ホームページ」に集中している。それを全く読まないで、見ないで、不当にあっさり型どおり断罪したいというなら、「大いに不当」だと鳴らすけれども、また、きれいに人生一巻をしめくくれば済むことと思っている。
ホームページなんて、何であろう。
なるべく広い場所に出て議論出来るなら、わたしは手元に蓄えた豊富で正確な資料を駆使し、書けるだけ書き、話せる限り話して見たいのである、なるべく大勢の視・聴者の前で。わたしに喪うモノといえば、経費と健康ないし命だけである。特別惜しいモノではない。
名誉なんて、問題でない。識る人は識ってくれている。十分だ。
2006 8・4

* 以来四年二ヶ月。わたしは今以て裁判所で婿と娘との被告として、上記の「著作権侵害者」として多額の損害賠償を求められている。
理解に苦しむ。
2010 10・1 109

* これは、「湖の本」と無関係。研究・教育者でもある東工大卒業生ママの、故郷富山で元気に続いている子育て『きみきみ、わが子』最近の一篇。

☆ お祭り男
三連休の中日,町内の秋祭りでした.
前日,息子を近所の祭事用品を扱う専門店に連れて行き,法被を調達.なぜかオレンジ色の鯉口シャツも一緒に買わされました.一応,江戸っ子ですので...
当日,戸数が少ないので,昼ごろからの獅子舞開始でした.
遠くから聞こえる太鼓と笛の音にそわそわした息子.身支度を整えて,探しに行くことにしました.見に行くと...やっぱりハマっていました.一軒終わって,次の一軒,しっかり”若連中”の後をしっかり追いかけました.
途中で,息子の保育園のお友達も合流.さすが生まれてから4回目の獅子舞のその息子の友達はお祭り大好き.手にはパパお手製のお獅子を持って参戦でした.本物の若連中を”メジャーリーグ”のようにあこがれのまなざしで見ながら,リトルリーグの2人(息子と友達)は脇で”自主トレ”していました.
夕方前に自宅にお獅子登場.家の中に入ってくるお獅子に息子は半べそ.
それでも,興奮冷めやらぬ様子で帰って行ったあともいろいろお話してくれました.
夜,”もう一回見に行く!!!”と再び鯉口シャツ&法被に着替えた息子.小雨のなか連れていくと....暗闇に現れたのはお面をつけた天狗役のおじさん.息子,号泣&悲鳴!!ライトアップされた天狗vs.獅子の姿に“おうちに帰る....”と泣きべそでした.
息子の中では怖い思いをさせた天狗が悪者.獅子は強いはず!と思っていたらしく,翌日町内だよりにあった”獅子殺し”の写真を見て“なんで?お獅子がねんねしたの?”と納得がいかない様子.
年々,若い人が減って,祭りの存続が危ぶまれた時期もあったようですが,小さなお祭り男たちが近頃増えてきているそうです.小さな小さな祭りですが,残していきたいものです.
2010 10・15 109

* 「mixi」日記には、新たな文章は入れずに、昔のHP日記からなかみを吟味して再録している。マイミクの方にはおよそ通用しても、「mixi」一般のミーハーさんたちには面白くも何ともないだろう、それでもマイミクでない人達がかなりの「足あと」を付けて下さる。ああ誰か懐かしい知り合いだといいと胸を弾ませても、数百、千に一人二人のほかは、ガッカリしてしまう。このガッカリに「mixi」世間の或るリアリティーが感じられる以上、苦笑してでも「足あと」に付き合うしかなく、マイミクさんは有り難いなと思う。
2010 10・19 109

* サーフィンしていて、出会った。

☆ いとしい
愛らしいぬいぐるみのようなトイプードル「もり蔵」くんは、食いしん坊で、太り気味。

飼い主たちが、どうかしてもり蔵くんにシェイプアップさせようとし、成功したテレビ番組を観た。
ちょっと重ための3キロの体重を、標準の2.5キロまで落とすため、時間をかけて食事をするよう、わざと食べにくい入れ物でエサを与えたり、トランポリンや平均台で運動するよう習慣づけようとした人間たちの努力に、もり蔵くんは素直に応え、見事目標を達成した。
散歩途中、ラーメン店のおいしい香りに誘われ、中に入ろうとすることもなくなり、階段も一気に駆け上がれるようになった。
すべては、もり蔵くんの健康のため。
「長生きしてね」
VTRは、そう締めくくられた。

うちも犬を飼っていた。
昨年、彼は十六年の生涯を閉じた。
彼の死は、見送った身近な人の死と変わらない重さで、わたしの中に沈んでいる。
順当にいけば、自分より彼の方が先に死ぬことは、わかっていた。
大概のペットの寿命は、人より短いのだから。

自分より先に逝くとわかっているものを愛し、辛い別れを味わうことがある。
例えばペット。
自分を生み、育ててくれた親、祖父母。
敬愛する年長者。
予期される別れの辛さ如何によって、愛するかどうか決めるわけではないし、愛は、そんな消極的な判断の介入する余地のない、不可抗力なものだ。
愛すれば愛するほど、別れは辛い。
その辛ささえも、幸福の一部だと、自分は言えるだろうか、という漠とした、大きな不安を眼の前に置きながら、わたしは日々暮らしているといえる。

それに、愛の対象より、自分の方が寿命が長いとは限らない。
未来に何が起こるかは、わからないのだから。

* まことに。

* 建日子の呉れた機械が、まだ思うままに使えない。腫れ物に触るようにおっかなビックリで触るからかも。こいつステキ! と思いこめるメリットを二つも三つも掴み取って自信を持ちたいのだが。
2010 10・30 109

* 今日は、卒業生ママの「mixi」日記を読む。お子さん達が生き生き育って行くのが目に見え、嬉しくなる。
2010 10・30 109

☆ 熱中症のこと
湖 様   丸山君の結婚式でお会いした秦先生! と思い出すまでしばらくかかってしまいました。失礼しました。
今年は本当に暑かったです。ですから歳のせいではないのですと思いたいですが、実は3週間前、今度は峠の登りで生まれて初めてギックリ腰をやりました。
ギックリ腰までシンクロすることはないよう、ぜひお気をつけてください。  「mixi」

* 「mixi」の中で、東工大の卒業生と思しき人が日記に「熱中症」にやられた事を書いていたので、思わずメッセージしていたのへ返信である。こういうふうに出会えると「mixi」も楽しい。
「ギックリ腰」は何度かやっているが、今ではほぼ慢性化した腰の痛みとの付き合い方に、ああかこうかと智慧を絞っています。
ちょっと自慢ですら有ったほど雄大だった尻も太ももも膝下も肉が落ちて細々としてきているのが、頼りない。そのわりに上半身が細まらないので、不格好の度は飛躍拡大。誰に怒るワケにも行かない。
2010 11・4 110

* 機械の収容量がとてつもなく多いのを、整理して行こうとしている。ほとんど無意味な雑事のようでも、すさまじいほど多数の文業を、幾つもの「撰集」に大分けし、その一つずつをまた何巻もの巻何分類して収容しておくと、再利用や調べの参照にとても役立つ。
この作業は、しかし、ホームページの中の110巻に及んでいる厖大な「私語」の分類とは別の用であり、そっちは、有り難い篤志の読者のお世話になり、別途に精細に分類作業が進んでいる。もう2006年にまで届いている。
わたしが自分でしているのは機械の中に溜まりに溜まっている過去の創作や評論や随筆や講演や対談やインタビュー等の、また知名氏や知人や読者らとの交流の記録類である。これらは、ホームページには加えていないいわば私用の「文蔵・ふみぐら」である。

* そんな仕事は、それなりに時間も手間も喰うけれど、不愉快な用事とはちがい、煙草をまったく吸わないわたしには、ある種の骨休めになる。
2010 11・14 110

* 「mixi」の、多くのプロフィールを見ていると、「作家志望」と書いている人達に大勢、あまりに大勢出会う。もし本気で真剣にその気なら、「mixi」日記やツゥィッターなどでひゃらひゃらと空気抜きをし自身の言葉を甘やかしていては絶対にダメと、わたしはハッキリ言う。孤独に堪え、真剣に優れた作を「読み」かつ打ち込んで「書き」なさいと。
2010 11・19 110

* 「湖の本」を本の形で続けることが、不可能ではないが、難しいことは分かってきている。知恵を貸そう手を貸そうかという親切はいろいろに聞いているが、実際には有効なことと想われない。わたしと妻の手で始めた仕事は、わたしと妻の手でそう遠からず収束しなければならない。ただ、「出」を待っている作物はまだまだ在る。新しく出来ても来る。手を借りることは現実に難しいが、智慧は借りられるだろうか。

* 「書籍版」で体力が尽きたなら、此のホームページの中にいまも全巻存在しているように、「(電子版)秦恒平・湖(うみ)の本」としてなら、わたしの意識が明晰で気力もつづく限り、幾らでも書き遺しておける。そう思えば、なんと有り難い時代であることか。
ただ、そのためには、現在のホームページを、さらに歴史的な鑑賞と褒美に堪えるよう美しく便利に改造できるなら、「相当な費用」を掛けても、立派に再構築し整備したいと思う。良心と美意識と最良の技術を持ったまさに機械建築の「匠」の智慧をこそ借りたいと思う。空想でなく、期待している。
2010 11・27 110

* ウィキリークスによる米国外交機密文書のリークが大騒ぎなのは分かる。
ただ、これも「マトリックス」現象。機械環境の管理や支配の根底の難しさを露呈したに過ぎない。いまや文明社会の人士は、機械環境を利して「生活」していながら、こういう事に仰天しているのは、国も関係者も、理解が浅い。こういうことの起きるのがネット社会なのであり、だからわたしは、日本ペンクラブといえども、もう言論表現委員会だけではコト足りぬ時代に向かうのだから、いち早く「電子メディア委員会」がぜひ必要だと提言し、やっと委員会が出来て最初の責任者になった。わたしが委員長を辞して人に譲ったら、やがて委員会自体が無くされている。
サイバーテロ、サイバーポリス、それに加えてサイバーリークスが大々的に表面化した。だが、そうなる前兆はじつはメールやホームページ・ウエブやブログや、ケイタイや、いろんな放埒な「めちゃくチャンネル」の普及ないし瀰漫化に、だれもが予知していたのではないか。国家の外交機密にして斯く然り。そんな時代、人間の創り出した機械環境は、、考えられるあらゆることを可能以上の氾濫状態まで爛熟させている。
そしてその幾分かは、むしろ自然当然の時代の推移を示しているだけになっている。

* わたしはこのホームページで、政治家はもとより、藝術・藝能・文藝等々の「公人」の大勢を、実名で率直に評判し批評しているし、また親族や友人知己や読者の名前も、さほど遠慮しないで出している。
但し、わたしは某新聞の売り物でもある匿名欄以外は(それももう、十年以前に退役している)、一切全てを「文責」を明かして書いたり話したりしていて、卑怯な変名や偽名や匿名は全く使わない。それが最低限この時代のマナーであり、エチケットであり、道義の責任だと承知している。もとより家族や親族のほかは、私民・私人を名を挙げ非難し批判し厳しく批評することはしない。しか大学教授や教育機関に所属した「公人」は別である。

* ネット社会のいい一面の一つには、国などの「公」とともに「公人」への批評の権利を、皆が平等に持てて、ことあれば声を上げて良い点にある。また、ぜひ、そうであらねばならない。フイリッピンの政変などはそれで可能になったと聞いている。
では、この時代の「公人」とは何か。
かりにも、新聞・テレビ・雑誌・書籍等で意見や表現行為や自作を曝している者は、「公人」の責任感をもち常に批評を受けるものと自覚していて当然である。そしていまや、ネット社会の人間として、かりにもブログやケイタイやツゥィッターを通じてモノを国内外に言い放っている者は、「自分だけは別」などと逃げる資格はもう自ら放棄しているに等しい。そういう機械環境を「世界」として生きているのだから。リスクも負わねばならぬ。
だが、いや、だからこそ、変名、無名、匿名等で他に論究してはならない、まして譏ってはいけない。その辺の週刊誌も、仮名の公人をつかって実名の公人を貶めるようなことに軽薄に荷担してはいけない。
2010 12・5 111

* わたしの此の機械にもいよいよ末期の衰弱が来ているのかも知れない、ときどき、オヤと異様を覚える時がある。思えば、卒業生の布谷君が秋葉原を奔走して部品を買い込み、わが家で組み立ててくれた機械のまま、もう何年経っているだろう。
ひょっとして此のディスプレイやキーボードに限界が来つつあるのか。かなモードでの文字の転換にやや時間がかかったり、何度もコンコンとキーを叩いていたりする。
容量はどうかと調べてみた。ホームページで見ていると150Gもあり、まだ35Gも使っていないように機械は示しているから、容量過大で危ないとは思いにくい、素人考えだけれど。
2010 12・12 111

* わたしが、今も心中に深く憂慮し懸念しているのは、亡きやす香の妹・みゆ希のことである。
みゆ希は普通の学齢でいえば今年は大学一年生として、どこかの大学で青春を謳歌していて自然。しかし、かいもく様子が知れない。
高校生になった一時期自身のブログや友達のブログに姿や言葉を見せていたが、もう行方も知れなくて心配している。高校は、目白辺とは知れていたし、高校の名前も知れていて、みゆ希はそこでパフォーマンス科というのに学籍を置いていたのは、暫くのうち盛んにいろんな友人や先生の写真などをブログにのせ、キャピキャピとした若い人の言葉でツウイットしていたが、今は全く見付からない。進学したのか就職したのか、好きな歌唱の技藝をどこかで学んでいるのか、分からない。叔父建日子の仕事にことに興味を寄せていた子であるだけに、叔父と連絡してくれると嬉しいし安心できるのだがなあ。

* 両親と祖父母との確執や裁判沙汰に、もともとみゆ希は無関係で、だから姉のやす香と共に祖父母の家へも繰り返し訪ねて来ていたし、叔父が作・演出の芝居にもみゆ希は率先して観に来ていた。だが、やす香の入院で、姉妹が祖父母と仲よくひそかに交流・交歓していたことが、やす香の「mixi」やケイタイからすぐ両親に知れて以降は、すべてが窮屈になったのか、やす香入院中はみゆ希のメールも来ていたが、やす香死後はぷっつりと音信が途絶えている。

* 初めてやす香が祖父母を訪れ来たのは高校二年生だった。当時みゆ希は中学生。いま、そのみゆ希も大学二年にすらやがて進んで普通の年格好。知性のある意志も確かな子であった、落ち着いてものを見て見分けることも十分出来る子だ。
わたしが、「mixi」に籍を置いて退会しないでいる一番の理由は、いつか、やす香が訪れてくれたように、みゆ希も少女期を脱した意識と知性と配慮とで祖父母に、普通に、連絡を呉れるだろうと待っているからだ。
裁判所へは、早くから、みゆ希の自由を親は束縛しないでもらいたいと、わたしたちは心からうったえ続けている。やす香の分も祖父母として心からの愛情をかけたい、しかし、不幸にしてわれわれの健康も年齢も、もうそう長くは恵まれていない。

* そう思いそう願いつつ、わたしは「mixi」に、なるべく内容のある日記をと、連日「述懐」の文を送り続けている。わたしの「mixi」ハンドルネームは、もちろん「湖」で、みゆ希は知っている。
みゆ希のお友達、やす香のお友達や町田市地元の人からも、なにかしら片端でも、元気で仕合わせに過ごしている只一人の孫みゆ希の便りが届きますように。
2010 12・22 111

* ところで、余儀ない要事の一つともいえるが、『かくのごとき、死』を、打ち込んで丁寧に読み直し始めた。孫やす香を痛恨哀惜の「挽歌」として出版したが、わたしを被告として訴え出た娘と婿とは、執拗にの著作を攻撃してやまない。やす香両親への名誉毀損であり亡きやす香への侮辱であるという。販売も配布も再刊も許さないという。裁判所が斡旋の和解にも決して応じないと云うらしく報告が来ている。

* はたして、この日記文藝の、何が、何処が、娘や婿への名誉毀損で、愛しい孫の尊厳を傷つける侮辱であるのか、もう一度、自分の目で確かめたい。そして、もし、よろしければ、このホームページにアクセスし続けて下さる国内外の大勢の方にも、どうかもう一度、読み確かめて頂きたいと切望するのである。この一作は、作家秦恒平のやす香を記念するかけがえない「著作」「創作」であり、「文藝表現」である。これが許されなくて作家は、創作者には「何が在る」といえるのか。

* 口はばったいが、もう半ばを読み進んで来て、謂わば「孫娘の死と作家の一夏」を内容とする、文藝古来の此の「挽歌」、少しも恥ずかしくない日記文学に成っていると想う。
どうか原告に近くおられる青山学院大学や早稲田大学近縁の先生方、学生諸君達、またお茶の水女子大・高校の人達、また町田市民や教員委員会の人達、ご親族の方達に、ぜひ原告側に立って頂いてもよいので、心静かに読んで頂きたい。孫を愛し娘を労り想う祖父の、父の気持ちに、邪慳や悪意があるかどうか、忌憚なく呵責なく読んで頂きたい。ご意見を聞かせて頂きたい。
もう二三日のうちに、此処に、このファイルに、ほんの極く極く若干の修正も加えて、一挙、全掲載します。私語の日記は、ファイルを通例の移管先に移して、便宜、年内、書き継ぎたい。
2010 12・23 111

* 今日は終日、どうしても通り抜けたい要事をしていた。それが今日明日のだいじな「いま・ここ」に他ならないから。
* 集中のおかげで、いつもの現行ファイルに、思い切って、『かくのごとき、死』全編の読み直し原稿を、一挙に全再掲した。思うところは、察して頂けると信じる。
2010 12・24 111

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