* 「 mixi」 には此処との重複をさけて昔昔の「私語」から選択し再掲していて、毎日、大勢の足跡がついてくる。元日の「 mixi」 に送った再掲分を、思い切って今新年元旦の「私語」として付け加えてみようと思う。
* 称讃は、百人分で一人分。( 激励も含んだ) 批判ないし非難は、一人で百人分と受け取るべきである。わたしが出版すれば百人の称讃はすぐにも届いてくる。批判や非難はめったなことで来るモノでない。しかし、上のように思っている。この事実に堪えられなくては、創作者にはなれない。
称讃だけは受け容れ、厳しい批評からは背を向けてしまう例は、身近な実例もふくめ、その方が圧倒的に多い。脆弱い神経では当然だろう。
そんなふうに都合よく身につけてしまう安直な自負心は、猛毒である。この毒はたいした美味なので、簡単に嚥下・賞味されてしまう。毒のまわりは早く激しく、折角の才能を速やかに蝕んでしまう。
子供は褒めて育てても良い。しかし大人は、たとえ善意で褒められていても、当人の愚かさにより我から褒め殺しにあう。すこしも早く気が付いたほうがいい。謙虚も、大きな大きな才能なのである。 2006 3・22
* 文学とは、人を動かす言葉の秘儀ではないか。それは、「動かされる」という藝術体験や受容能力にも依拠しているのである。 2006 5・31
* 一両日前、親族内のトラヴルに悩んだある女性が、テレビ番組の中で四人のゲストコメンテーターや司会者に親類の誰それを非難し泣訴していた。話の中味をわたしは聞いていなかったけれど、親類の誰かがむちゃくちゃに自分の悪口を言いふらすらしいとは、すぐ分かった。
ゲストの主なるひとりの或る作家が、しかし、テレビ番組であなたがこういうふうにその親類を非難して悪く言えば、それはもうお互い様ではないか、と。
こういう論法をわたしも何十度となく聞かされたが、バカげていると思う。
理に合わないバカげたことを一方的に言いつのるバカに向かい、どんなに正当に反駁し反攻し反論しても、それは相手の域に身を落として「どっちもどっち」になるだけだから、やめた方が賢いと。
わたしは、こういう賢こそうなものの考え方が嫌いだ。大嫌いだ。
むろん無視してもいい。しかし敢然と立ち向かってもむろんいいのであり、どちらも自由で、時宜と状況に適しているならどちらの道を選んでも良いのである。
「どっちもどっち」だから恰好の悪いことは止しておこうというのは、むしろ姑息で卑怯な逃げ腰に終わりやすい。それでいて、ものかげではブツクサ愚痴がつづくなど、これぞ愚の骨頂。
人間の自由はふくざつで微妙な価値であり、時代により時に悪徳でもありえたが、悪しき沈黙はつねに姑息である。怒らねばならぬと信じるなら、怒って良い。憎むべきは憎めばこそ、愛や慈悲の意義にも近づける。
ただし、怒りにも責任があり、憎むのにも責任がある。責任を果たす覚悟が有ればそこに怒る自由も憎む自由も生きてくる。自由という基本的な人権の基本には、喜怒哀楽の美しい開放がなくてはならない。
その抑圧をよしとする考え方にはいつも力ずくの危険がしのびよる。無価値な断念や妥協が人の魂を蝕み始めるほど素早いことはない。 2006 10・6
2011 1・1 112
* わたしは出来れば明日か明後日の早めに新刊分の入稿を遂げておきたいと、暮れも元日もなく努めている。もう夕過ぎて行く。戴いた年賀状で、メールの可能な人達には、メールで返礼した。正月気分はとくに無く、このまま自然にやり過ごして行く。今年は、祝い箸の箸紙も建日子にめいめいの名を書かせ、祝い雑煮の発声も建日子に委せた。七十五叟は、もうそんなことも卒業。
* 余念無く創作の仕事に向かいたいは山々だが、今の私に余念無くの姿勢は、何事に向かってでも実に難しい。邪念はないが雑念は避けがたく涌いてくる、迫って来る。そんなさい、湖の本の入稿の仕事などは、仕事としても面白く実務上も前へ前へ事がはこばれるので気を入れて出来る。「 mixi」 とは、いまのまま続けているか、日記の体での連載を中断するか、「 mixi」 そのものから退会するかの三つがある。
2011 1・2 112
* 有楽町のビッグカメラで、此の機械の為の新しいキーボードを買ってきた。はたして適性なのが買えたか、適性に機能してくれるかは、おっかなビックリでまだセットしていない。
* 今日の幸福感。ヘミングウエイの『誰がために鐘は鳴る』を読んでゆくうちに、読書の嬉しさをふくふくと感じたこと。大久保康雄の訳のよさに引き寄せられ、好きなゲーリー・クーパーとイングリット・バーグマンとを思い浮かべ浮かべ、作中にすっかり入り込めていた。ふかく癒されていた。佳い作の豊かな「作品」を浴びる幸せは計り知れぬ。
「 mixi」 の方にも、手当たり次第、十余年もむかしの豊富な読書録を積み上げてみた。思えば去年は「 mixi」 に厖大にそういう過去の記事をアトランダムに再録しつづけてきたが、とくべつ「コメント」が書き込まれるわけでないのに「足あと」は急角度に増えて行く。冷やかしにきてやや手強くて辟易させてもいただろうが、わたしとしては、心こめて選り抜いているつもり。湖の本の二、三冊にもなる量ではないかしらん。
2011 1・7 112
* 買ってきたキーボードがローマ字仕様だったので、従来の三分の一も捗らないだけでなく、ヒラガナを捜すのに視力が酷使される。買い直すしかない。
* 此処へ来て、此処へ来て、此処へ来て。黄金ほどの大切な時間を空費している。
* ホレーショの哲学竟( つひ) に何等( なんら) のオーソリテーを価するものぞ。万有の真相は唯一言にして悉( つく) す、曰く「不可解」。殊に、人間は不可解。
* 幸か不幸か、わたしの「 mixi」 の機能不全が甚だしくなってきた。もう何年もマイミク一覧が出せずマイミク管理が全然出来ない。どんな人とマイミクなのかも確認できない。今度は日記を書こうとすると執拗にエラーとして処理され、十度も繰り返してやっと記事が書けるという有様。相当イヤ気がさしていて、退会したくて堪らない。日記の保存が、しかし07年までしか出来ていない。つづく三年分の記録保存ないし内容の確認などしていられなくて、渋々、残留している按配。 古い日記記事は諦めてもいいのだが、そうでない発言も有るかも知れぬ。とにかくもう「落として」いい時機だ、潮時だ。
2011 1・8 112
* 冷え込む。白いキーボードに朱を入れたり工夫して、だいぶ慣れた。慌てて書く必要はないのだし、古いのは明らかに老朽していたと分かる。
2011 1・11 112
* 直哉戦後まもなくの「科学の進歩」に関する発言を、今月の十四日前後に紹介し、批判や共感の声が届かないかなと期待していた。発表当時には黙殺ないし笑殺された直哉の意見であったけれど、あれから六十余年、あるいは直哉の先見の鋭さと本質的でもあるのを汲み取ることは、今日なればこそ有っていいのではとわたしは思っていた。 反響が一つ届いた。
☆ 風、お元気ですか。
直哉の言、理解できますし、共感します。
的を得ていると思いますし、誰かがこのような声を発してゆかなければならないと思います。
ですが、残念ながら、こういった言は、世間では一笑に付されてしまうでしょう。
民主党の事業仕分けで、蓮舫さんに「一番じゃなくてはダメなんですか」と訊かれた人たちの、話にならない、といった態度。苦笑。象徴的でした。
科学技術の世界には、「技術は進歩しなければならない」という大前提があるようです。
その大前提に疑問を投げかける直哉のような問いかけは、現実的でないと解釈されてしまいそうです。
二十一世紀の科学技術発展は、ITの分野に顕著ですね。
二十世紀の原爆や水爆といった、破壊につながる技術とは異なり、ITには何かを生み出す方向性は見られますが、目に見えない大きなものを破壊してゆきそうな技術ではあります。
もちろん、一番を目指す過程で生まれる新技術や発見が、思いがけず吾々の生活の利便性を向上させてきたことは、花も理解しています。
競争することで経済活動が活発になり、給料の得られることもわかっています。
が、近年のリーマンショックのように、行き過ぎた人間の欲望を目の当たりにすると、「どうして人間の欲望は底なしなのか」と悲しくなります。
人間は本能の壊れた動物だ、と謂う人がいますが、その通りかも知れません。
IT技術の発達によってワールドワイドに被害のひろまったリーマンショックを経て尚、同種類の金融商品を開発するウォール街を見ると、狂ってるとしか思えませんでした。
少し前にはやった「ロハス」や「スローライフ」は、競争原理の下に歯止めのきかない人間の上昇志向へのささやかな抵抗だったと思います。
花には、投機や資金運用などがギャンブルめいて見え、ゲームが全般的に苦手なので拒否感があります。
行き過ぎた資本主義経済に不平不満を漏らしたとき、「自分だってそういうしくみの中で恩恵を受けて生活できてるんじゃないの」と言われ、暗澹としたことがあります。
好むと好まざるに関わらず、こうしてネットを使って情報を収集したりメールしたり買い物したりしている花は、現代の資本主義経済の一部に組み込まれてしまっているんですよね。
目先のことで精一杯の吾々に、巨視的な思想を提示し、導いてくれる人が、今、必要なのかも知れません。
* コンピューターに触り始めた時から、わたしはこの利便性を、「毒性」という言葉で裏打ちしながら監視しているという気持ちだった。電子の杖は老人の非力を労るのがいい、若い世代に瀰漫的に蔓延すればするほど、この機械環境は人間の精神を毒してやまないという懼れを持っていた。いち早くペンクラブに電子メディア委員会の必要を説いて創設に漕ぎ着けたときも、過剰な毒性の行方を案じていた。
利便と云うことを花さんも云うている。「便利」は文明開化の象徴だと早くに漱石は指摘し、しかし「あぶない、あぶない」とも三四郎の廣田先生に言わせていた。漱石の人間が好きで敬愛したという直哉の健康な神経は、科学の進歩という無謬神話への「あぶない、あぶない」を言わずにおれなかった、わたしもそうである。「イトカワ」を飛ばし帰還させた科学技術に感嘆し感動するとともに、そういう技術の大方が、戦争兵器の開発ともいつも帯同している現実に気分を害してしまう。中国とアメリカとの、このところのつばぜり合いにそれが露出してきている。
直哉は、そうは嗤われたり無視されたりしていい妄語=たわことを口走っていたのでは無いだろう。
できたら、もっと声があがらないものか。
2011 1・17 112
* 山になった書籍の中からはときどき思いがけない掘り出し物が見付かる。『「オンライン読書」の挑戦』という津野海太郎・二木麻里編には、ホームページ「作家秦恒平の文学と生活」が取り上げられていた。本の出版は二○○○年、今から十一年前だ。
☆ 「作家秦恒平の文学と生活」 生活者の息づかいが伝わる創作サイト
インターネットを執筆活動の一環とする物書きはもはや少なくない。だが発信者の秦氏は一九三五年生れ。おそらく最年長の世代だろう。絶版や品切れになってしまう自著をみずから再出版してきた活動を背景に、このサイトでも自作の小説やエッセイが発表されている。表紙をスクロールするとそのまま各項目に案内される簡素なデザインで、「掌説の世界」「生活と意見」「中長編小説」などがならぶ。冒頭の「ページの窓」では自己紹介や、各項目の丁寧な解説を読むことができる。未定稿も含め、生活の息づかいが伝わる発信だ。 (二木麻里)
* 以来十余年、電子版「湖の本」全百数巻、また「 e-文藝館= 湖(umi)」には幕末から平成まで、数百ものわたしが選んだ秀作や問題作や新人の新作もが、満載されている。
日々書き継がれた日記「宗遠日乗」ファイルは、現在112。五万枚。この全日記が、暴風に遭うように、みな消えることになる。 2011 1・21 112
* 日々の日録である、作家・秦恒平の「生活と意見 闇に言い置く 私語の刻」は、必ず毎日読んでいるので、ぜひ読み続けられるよう工夫して欲しいと、アクセスされる大勢の方から熱心に望まれたことが、過去にも何度もあった。
「現在進行中の最新月分」、今なら平成二十三年「一月分」だけは、二月になれば「二月分」は問題なく読んで戴けるよう、「別サイト」を緊急用意しましたので、ご遠慮無くメール
「FZJ03256@nifty.com」
に問い合わせて下さい。
既成の「生活と意見」は過去十余年分、五万枚、すべて暫定、明日にも此のファイルでは読めなくします。
2011 1・21 112
* 「更新状況」の先頭に、以下を掲示した。
* 「平成二十三年(2011)一月二十二日現在、当ホームページ中の「作家・秦恒平の生活と意見」、「125」に及ぶ「全ファイル・約五万枚」の全アップロード停止を、暫定的に余儀なくされています。いずれは必ず復旧出来ると信じています。 秦恒平 11.01.23」
2011 1・23 112
* 『一休道歌』下巻よりバグワンに聴いている。「学ぶことと知識を集めることの違い」だ。何度も何度も何度も聴いてきたことだが、新鮮に、耳痛く聴く。
☆ 「学ぶことは絶対に知識ではない。学ぶとは知ることだ。知識は決して学ぶことではない。学んでいるふりだ。知識は見せかけ、借り物だ。 おまえは知っているつもりでいることを、いつも正確には知らない。」「学ぶとは独力で真実に遭遇することだ。知識は借り物だ。知識は何時も他者から来る。」「知識は情報の収集、蓄積だ。情報が誰かを何かを変容させることは絶対にない。」「おまえはそれらを本で読み人から聞くだけだ、それらはおまえの知識にはなる。とはとしておまえはそれでひとかどの口をきくことさえ出来る。」
「学ぶ人とは死ぬ用意の出来ている人のことだ。知識を追い求めているなら、おまえはいまも学生だ。学ぶ人であるなら、おまえは弟子だ。学生であるのはとても易しく、弟子であることは非常に難しい。そしておまえは、取り逃がし続けている。」
「ほんとうに真実を知りたいと願う人に求められる第一の誠実さは、<自分自身で知っているもの>と<ただ受け売りで知っているもの>をハッキリ見分けること、そして借り物は何であれ捨てるのだ! 自分自身で知らない限り、安らかには死ねない。」
* バグワンはこれを昭和五四(79)年より以前に話している。わたしが東工大教授に就任したのは平成三年(91)十月だ。
その当時のパソコンがどんなに未発達であったか、わたしは痛いような体験で証言できる。ところがバグワンは、なお十数年以前の『一休道歌』で、上を追いかけてパソコンについて口を利いている。先見性、予見力におどろかされる。
☆ <学ぶことと知識を集めることの遠いは何ですか~> 「その違いは大きい、この上もなく大きい。学ぶには勇気が必要だ。学ぶにはおまえの意識内の変容が必要だ。知識は何も必要としない、ごくわずかの記憶能力があればすむ。どんな凡庸な者でもそれくらいのことはできる。知識は知性を必要としない、記憶力だけでいい。学ぶには知性が必要だ。
そして、これらは違う二つのものだ。知性はおまえの魂の資質であり、記憶は頭脳のメカニズムにすぎない。記憶は生体コンピューターだ。コンピューターは、おまえの生体コンピューターが今日までやってきたことを、はるかにうまくやることができる。
みててごらん。遅かれ早かれ、人々は読書したり、大学へ行ったりするよりも、小さなコンピユ一夕ー(=ケイタイや、あれこれ)をポケットに入れて持ち歩くようになる。実際、大学は今ではすっかり時代遅れになっている。学校や大学に未来はない。コンピユーターがそれらを根こそぎにするだろう。
コンピューターを持ち歩く人は知識の人であり、自分自身の生の<体験>を持っている人は賢者だ。」
「いいかね、コンピユーターはおまえに情報を与えることはできるが、体験を与えることはできない。コンピューターに、「愛とは何か~」と尋ねることはできる。そしてコンピューターは、愛について語られたことすべてをおまえに伝えることができる。が、それでおまえが愛を体験するわけではない。体験は自分でするしかない。おまえは恋に落ちて、それを知らなければならない-。コンピューターがそれをおまえに与えることはできない。
コンピューターは、神に関するあらゆる情報をおまえに呉れることはできるだろう。だが神について知ることは、なんら神をしることではない。まったく違う。それは遭遇だ。それは個人的で、親密で、直接だ。
物知りは、たいていいつでも愚かな振舞いをする。彼はそうせずにはいられない。彼の知識が借りものだからだ。彼は知性的に振舞うことができない。神学者(バンディット)や学僧は、この世でいちばん愚かな人たちだ。
* わたしはバグワンに、それはちがいますと言えない。ちがうのとちがうやろかとも言えない。
2011 1・24 112
* 問い合わせに、たくさん、お詫びをしている。これまで交信の全くなかった方々からも。ありがたい。申し訳ない。
☆ いつも拝見しています。
少し心配していましたが 暫定的に配信していないとの事 残念です。
お体の具合も悪かったりすると 心配ですし 更新されていないと 本当に心配致しております。
私も主人もHP 更新しています。更新されていないと 心配になりますね。
先生は茶道もなさっておられた事もあり、本で拝見する機会も多く 何時の頃からでしょうか毎日お邪魔しておりました。
もう3年以上でしょうか。お考えや思いに共感する事が多くて お勉強になっています。 幡
☆ 今日もとても冷え込んでいます。お元気ですか。
振り返れば、パソコンを始めたのは、ただただ湖の本が欲しかったからです。ホームページを読みたかったからです。そうでなければパソコンと縁が出来るのはずっと後だったでしょう。
今、私語の刻が読めなくなって、あらためて思い知るのは、自分がパソコンをネットに繋ぐ理由はみづうみを読むためであったということです。
無惨に消えてしまった「生活と意見」の頁を見ながら、呆然としています。もはやパソコンは実用情報を得るもの、気晴らしのネットサーフィンか買い物をするだけの安っぽいツールに成り下がってしまったことにため息をついています。
闇の中には無数のサイトがありますが、みづうみのホームページは圧倒的な存在でした。変なたとえかもしれませんが、日々呼吸し、熱い血の流れている命ある生きものでした。みづうみを感じました。命がけの、他に類を見ない傑出したお仕事でした。その存在の大きさははかりしれません。以前からこのホームページを失う日が来たらと思う度、慄然としていました。今、喪失感の大きさにうちのめされています。
このような不幸な状況になっていることは、大きな文学者が命がけでなさっていた仕事の招いた、一つの避けがたい宿命と言えるのかもしれませんが、悲しいし悔しいし憤りを感じます。
一日も早く事態の打開されますことを切に切にお祈りいたします。そしてこの状況すら、創作の豊かな糧となっていますことを信じています。
2011 1・24 112
* 「村上天皇」ともちだすと、なんとなくオヤと思う人がいるだろう。桓武天皇、明治天皇、昭和天皇といった諡(おくりな)と様子が違うから。村上さんという知人はこれまで何人かいた。高校の女友達にもいた。ご近所の誰かさんという感じになる。
村上天皇はしかし、父醍醐天皇とならんで聖帝とうたわれた。源氏物語の冷泉の帝のモデルでもある。穏やかな色好みの、惚れっぽい天皇さんであった。おぞましいほど猟色の天皇もいたなかで、村上さんの後宮は平和であった。学も藝もあった。ちょっとニクいいたずらで後宮の女人達を閉口させたりした。穏和ないじわるサンであった。ある日も、大勢のお妃達にもれなく一首の歌をやった。ふつうに書けば、こういう歌です。逢坂の関に関守はいないよ、尋ねておいで、来たら帰さないから。
あふ坂もはては往来(ゆきき)の関もゐず尋ねて訪ひ来(こ)来なば帰さじ
ただ一人、広幡の御息所は、美事に合わせた薫き物を帝に参らせた。「合はせ薫き物すこし」所望と天皇の頼みをこの和歌に読み取ったのである。なかには、仰山に着飾って、この時とばかりおそばへ伺候した人もいたのだが。 だが、こういう心見をされては、ふつうの人は叶わないよなあ。
栄花物語にも大鏡にも出ている王朝一景である。「私語には窓を明けて」など、なにも難しくはないのだが。
* いい機会ではないか、この際、ホームペイジの全体を整備し、もっと充実させよう。これまでやや跛形に日録に重点がかかってきたが、「 e-文藝館= 湖 (umi)」 を充実させたい。また整備の手の届いていなかった個所を、充填し整頓したい。「秦恒平・単行本全書誌」「秦恒平・湖の本全書誌」も然るべき場所に。同様、年譜も、まだ万全でないが、「四度の瀧」版は、きちっと収めたい。
また「 e-文藝館= 湖(umi)」には「古典鑑賞」の部屋を新設したい。まえから念願していた。
* だが、何のために。
「ため」は無い。自分の為とも思わない。昔は、妻のため子供達のため恥ずかしくない仕事がしたかった。安心して暮らさせたかった。蔵は建ててやれなかった。そんな気は初めから無く、金をつかって遊ぶこともしなかった。ひたすら書いていた。それが自分の一生だと思っていた。
幸い、ふつうの平安な暮らしはさせてきた。娘を嫁に出し、息子が物書きで身を立ててからは、贅沢はしないし、裁判費用も必要だし、しかし、しみったれないで安楽に暮らしている。妻にもわたしにも体力が在ればもっと楽しむだろうが、うまくしたもので贅沢に遊び回る元気は失せている。
稼ぐだけならとっくに息子はわたし以上に稼いでいる。「父さん、おれに金残さなくていいよ」と、云うてくれる。
だが物書きは水商売だ、この水は甘くない。思い知るがいい、業界の非常勤雇い、定まらぬ身分でしかない。雇い主やご贔屓筋にそっぽを向かれればたちまち干上がって行くのがこの世間だ、わたしのようにこっちからそっぽを向いな物書きは、いないのである、ただ一人も。
息子よ、謙虚に努めるがいい。
ろくろくと積んだ齢( よはい) を均( な) し崩し
もとの平らに帰る楽しみ 六六郎
そんな歌で新年を述懐したのはまる九年前だった。家の中にいても外へ出ても、独りで生きている実感が身に迫る。「ろくろく」を「しちろく」まで齢を積んできたのではない、九年ほどは均( な) し崩してきた。「もとの平ら」に帰って行く。
2011 1・25 112
* いま、この「私語」を聴いてくれている人は、極度に限られている(はずだ)。
妻も息子も、夫が、父が、日記などネットで書いてくれない方が気楽で安心なのだ。裁判沙汰がイヤなのだ。わたしは、だが、イヤでは済まない。「被告」という「当事者」は、わたし独り。どんなに孤独でも「ひとり」闘わねばならぬ。娘達の思うツボであろう。大いに笑える。
笑えることは、ありがたいことだ、次から次へ、 有る。
2011 1・26 112
* 小説を書く上の「一番大切な事は、書こうとする事を自分でハッキリ頭に浮かべる事だ。」「『チャタレー夫人』といふ小説はさういふ意味でこの上ない愚作だと僕は思つてゐる。」「小さい事だが、時々の流行言葉はなるべく作中に使はない方がいい。その時は新しいやうでも流行らなくなつてから読むと、ひどく時世おくれの印象を受ける。」と志賀直哉は、『わたしはかう思ふ』(1952)に書いている。チャタレー夫人は意外に感じている。流行り言葉は当然の指摘。「大概の場合推敲はするが、 清書までに二度書くことが一番多い」とも。
推敲にその人の力が出るとわたしは思っている。
手書きの頃は、推敲で繰り返し真っ赤にした原稿を妻に清書して貰い、さらに推敲した原稿を編集者に渡していた。当然だ。
いま、この日記は推敲しない書き放しだが、月末になり他のファイルに保管保存する前にはざっと推敲する。それからさき、例えば『濯鱗清流』の時のように「本」にするときは徹底的に推敲して入稿し、更に校了までに二度三度推敲する。誤植の残るのをわたしはあまり恥じないが、ひどい文章で本にはしたくない。日録段階ではそんなに手と時間をかけていられない。電子原稿は徹底推敲を待っている粗稿かと聞かれれば肯定する。
2011 1・26 112
* 本日 平成二十三年一月二十七日
私・秦恒平=湖 の公式ホームページ
http://umi-no-hon.officeblue.jp
の中で責任編輯しています 「e-文藝館= 湖(umi)」に、「古典を味わう」室を新設しました。
日本・中国の古典の、原典や鑑賞や研究や評論やエッセイを、続々満載して行きます。
これにより秦恒平責任編輯の「 e-文藝館」 は、
近代現代文学の「 e-文藝館= 湖(umi)」と併立の体で、
日本・中国の古典文学の「 e-文藝館= 湖(umi)」にも成長して行きます。
先ずは僭越ながら、編輯者自身の書下し単行本として早く世に問い、
次いで「秦恒平・湖(うみ)の本エッセイ22」巻に収めました『能の平家物語』全部を、掲示収録しました。
日本の古典に関して筆を振るわれる方の「寄稿」「投稿」を期待します。
また優れた先人先達の論攷などを敬意をこめ、万々失礼なく「招待席」にお招きし、魅力溢れる展示に努めたいと思います。
2011 1・27 112
* 朝松健さんとは「 mixi」 出あった。一休を書かれた作品を読んで力のある人だと思った。時代小説を書く人と思っていたら、ホラーの仕事もあると。今日、リン・カーターという人の『クトゥルー神話全書』と題した本を監訳されたのを贈られた。クトゥルー神話を全然知らないが、ラヴクラフトという人のいわば創作世界であるらしい。沼正三の『家畜人ヤフー』が一種の神話世界であり、そういえば独特のそういう世界を創造した作家はほかにも何人も実在する。それなら、いきなり研究書よりはラヴクラフトの代表的な原作を幾つか先に読んでみたいものだ。やはり作品が先だろうナ。
2011 1・29 112
* 平成十八年に次いで十九年の「全・日録私語」を35セクトに分類して、また送り込んで頂いた。厖大な年々わたしの全日録記事を、おおよそ35ー38程に分類するという、当の私ですら二の足をふんで手も出せなかった仕事を、一人の篤志の読者が、私の記事と文章への愛情ひとつでひたむきに進めてきて下さった。
いま、それらの全部約五万枚分が、裁判沙汰で、更新をストップされていて、その方の作業も余儀なくストップしてしまっている。
いま、わたしは、「 mixi」 に、ただただアトランダムに昔の日録から抜粋しては送り込んでいるが、いわば随筆雑纂の体で、相当な「足あと」を集めている。それも、この有り難いご厚意が在ればこそも思う様にスイスイと出来ている。
いま厖大なそれらの分類から、その人が「家族血縁」として括って纏めているファイルを開けば、わたしの電子日記の中で、例えば娘や婿や孫に触れて、何年の何月何日に何を書いていたかが一目瞭然に分かる。裁判沙汰が起きた平成十八年八月以前に限ってみれば、婿に関しては退会の一滴ほどの言及、娘に触れてはひたすらに健康を祈り、往年を懐かしんでいるだけ。孫達にはひたすら逢いたがっている。
わたしの気持ち、この血縁家族の記事だけで本にし、広く読んで頂きたいとさえ思う。わたしは「書く」だけである。実の娘や婿に訴えられねばならないほどの何をわたしは「書いた」というのか。
* それはそれ。わたしは今は、親切な読者にこころより御礼申し上げる。
2011 1・29 112
* 「古典のなかの、からだとこころ」と題し、和歌歌謡、俳諧川柳 の からだ言葉やこころ言葉を読み込んでいったことがある。その仕事は楽しめた。「koten09 」にそれを活かしてみようと手をかけているが、読んでいる方がおもしろい。
「序」にかえてこんなことを書いていた。
☆ 古典の、からだとこころ 秦恒平
古事記や万葉集の時代、「からだ言葉」は熟していない。
胸といい乳といい腕といい、ただ肢体の名がそのまま出てくる。
「からだ」の各所が遠慮なく直視されている。
「蛆たかりとろろぎ」いる腐乱死体すら直叙される。
恋愛や愛欲にも、そのままの「からだ」が直叙される。
「からだ」が隠喩の材料に意外なほど使われないのである。
一方で「こころ」の苦悩や歓喜は、恋の場面で、生活の場面で、多彩に「こころ言葉」と熟して活躍している。
当然のように「からだ」はリアルに、「こころ」はサイコロジカルに、少し距離をおいて対峙していたようである。
平安時代にはいると、古今集にも源氏物語にも、露骨な身体部分名の直叙は水の引くように影をひそめ、ほとんど「身」の一字で総称されて、「心」と対になる。
「からだ」は卑下されたか、ときどき露骨に性的な隠語はあらわれるものの、ことに文字表現において肉体の直視はむしろ忌避されてしまう。
「身と心」と。
これはことに和歌のような短い表現には便利な把握で、そうでなくても「心身」は、いまも常用語になっている。腹、首、目鼻口、尻の肘の爪のと言っているかぎり、端的に「心」と一対には並べにくいが、「心・身」となると、無縁の一対どころか、緊密に連携・連帯した何かであると、いやでも納得できる。
「心身の発見」と呼んでよいこの認識は、ほとんど最上等の哲学とさえ成る。
紫式部も和泉式部も西行も、中世歌謡の作者たちも、また芭蕉ら近世の俳人たちも、みな「身と心」の兼ねあいに、折りあいに、また齟齬や違和に、身を揉むように心を悩ませていた。現代人の日々の悩みとて例外であるわけがない。
一方江戸時代に入って、俳諧や川柳が市民の声と言葉を喚起しはじめると、爆発したように「からだ言葉」が日々活躍し始める。
自分や他人の「からだ」がまた目に入ってきて、それも上古の人のそれとは違っていた。
「からだ」が「からだ」から氾濫したようにはみ出て、べつのとは言わないが、もっともっと豊かな「表現」を獲得していったのである。
むろん俳諧や川柳にも「こころ言葉」は多彩に豊富である。和歌や歌謡にも、圧倒的数多くは「身」であるが、「朝顔」「人目」「眉ごもり」「面影」等の「からだ言葉」は効果的に生きている。
ここでは、大きく対比し和歌と歌謡から「こころことば」を、俳諧と川柳から「からだ言葉」を、目に付くままに拾って、古典を代表させてみた。
* 「 mixi」 に、日記を寄せておいたら、コメントが寄せられていた。
☆ こんにちは。
寒い日が続きますね
我が家のセキセイインコどもも12歳になりました
>政治は政局、経済は萎縮
そういう状況の昨今、私にとって希望の言葉は、アイザック・ニュートンの言葉です。
“I was like a boy playing on the sea-shore, and diverting myself now and then finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.
– Isaac Newton ”
「私は浜辺で遊ぶ少年のように思われる。私は、時々なめらかな小石や普通より美しい貝殻を見つけては喜んでいるに過ぎない。しかし、真理の大洋は、すべて未発見のまま私の前に横たわっている―アイザック・ニュートン」
心の瞳を閉じなければ精神は枯渇せず。
巷ではインフルエンザが流行っています、どうぞご自愛を
* 励まして頂いたか。 ここにキイワードとして、「心の瞳」とある。まさしく「からだ言葉」でありかつ「こころ言葉」であるが、そして幾度となく耳にも眼にもしてきたと思うが、読み取るのが難しい。「心眼」という熟語の現代的な翻訳であろうか。そして心にそういう観る働きを確かに認めている、認めてきた、という実感はあるけれど、読み取るのはなかなか難しいなと思う。
2011 2・2 113
* 「もののけ」の話は簡単ではない。
文明先進国よりももっと原始性を保存した森林や山岳や湖沼や海の人達の抱え込んだ魔や鬼や神の問題が、存外に文明の命脈を芯のところで生かしたり腐らせたり弾ませたりしているからだ。そしてこれが差別の根に絡む。
相撲は神事の文化だなどと聞いたようなことを口走ってみるだけでは、手に余る。神事とは、どこかでばけものやもののけと取っ組み合っているのだ。八百長などチョロイ話でしかない。皇帝ではない「天皇」をいまだに形ばかり奉っている日本の国技が、技倆の審判というとき、それはつまりは「おおまかに<観た>てい」にするということだ。
茶の手前で器を拭く、拭うということを再三するが、本気で拭いたり拭ったりすればかえって穢く見える。いかにも拭いたてい、拭ったていに拭いたり拭ったりする。神事とはそういうものだ。相撲はそれでやってきた。それを承知で公益法人が認可されてきた。天覧相撲などというのは何だと想っているか。それでも白鵬の連勝にも敗戦にも熱狂し、魁皇の八勝七敗にも喝采しつづけてきた。
スポーツにしたくなかったのは、力士だけでなく国民もそうだったではないか。だからこそ、力士達の土俵入りをつまらぬやめろとも云わず、三役揃い踏みも観賞してきた。あまり露骨な今度のような勝ち負けの売り買いがバレた以上は解雇が当然だが、他の連中にはいい相撲を率先取らせたいと声を上げなくて、何のための理事会かとわたしは怒るのだ。
* 「 mixi」 のマイミクさんに聞かれた、「罪なき力士なんてどれほどいるのでしょうか」と。こう答えた。
「お尋ねの趣旨通りに返事をすれば、『罪なき人間』と同じほどに。『罪なき人間』などいないなら、『罪ある人間』も。どれほど、とか、いるとかいないとか、愚問ではないかと。
この際は、名前のあがってきていない力士達には「相撲を取らせてやりたい」というのが理事達という連中のせめての道義であって欲しいということ。わたしが理事なら、そう云います。
代議士の何人かがとほうもない汚職をやっていたからと、国会議員が総辞職したという話、聞いたことがありません。 秦恒平」
2011 2・8 113
* 「 mixi」 に送った今日の日記は、清水九兵衛さんの亡くなられたあと、2007年の今時分のこと。ああ、いい時代であったなとしみじみ思う。清水坂をしきりと探訪した旅を書いているのは、久々に平家物語に取材の小説を書き始めたからであった。無残や、その作がいまなおとぎれとぎれにそれでもしりじりと書き進められているが、寸断されている。
2011 2・9 113
* このところ「 mixi」 に「あ」と名乗る不明一定の「怪」足あとがしきりに訪問してくる。またメールでも通例のSPAMでないようなむちゃくちゃに化けたようなアドレス付のが来る。むろん単純に即消去している。御苦労なことだ。
2011 2・9 113
* 「 mixi」 には、むかしの私語からこんな記事をひきぬいて送った。こっちに進歩がないのか、昨日今日に書いたのと変わらない気がするが。いやいや、そうでないのだろう。
*
* 「江戸文学」三十号が贈られてきて、ああもうこんなになるかと驚いている。「湖の本」が八十巻、十八年。
(近々に出すのは、第106巻です。 秦恒平)
われながら信じられない。この午前中にも出来て我が家に届く予定。それからが、我が家は戦場。
その「江戸文学」巻頭に深沢昌夫氏の『近松の「闇」』という論文が出ている。冒頭に興味深いのは、いまネット上で検索すると、「心の闇」が約二万八千、「闇」だけなら約九十四万六千件に達するとある。確かめてみたが、今はもっと増えている。凄い。
長崎の少女間殺人事件をひきがねに、またしてもマスコミは少女達の「心の闇」を盛んに指摘しているが、笑止にも、その「心の闇」が、そんな言葉だけの域をこえて具体的に追究され解明されたという話を聴いたことがない。出来る話ではないらしいことを証してあまりある。
せいぜい彼等が語るに落ちるのは、心とは「心理」のこと、心理的ケアというようなことになる。ケアといえば聞こえはいいが、コントロール、マインド・コントロールといえば、あのオーム真理教や統一協会のおぞましい所業と何処が違うのかと問わねばならなくなってくる。つまり、そういうことが、ますます「心の闇」をかたくなな地獄に変えてゆくのではないか。
「心を育てよう」と識者はすぐいう。「心」は育てられるモノではない、サガしても容易に把捉できないのが心という非在の機能。育てるなら「体育」の方がいいにきまっている。健康な肉体に健康な精神は宿るといわれてきた平凡そうな人類の智慧が、置き忘れられて、機械オタクを、幼稚園小学校からツクリだそうとするから、不幸な事件にもなってくる。
彼女が機械のエキスパートになる前に、校庭や戸外でかけまわる楽しさを十分体感していたら、どうだったろうと、昔を思い出し出し、わたしは嘆く。
コンピュータは偉大な「杖」である。若いというより幼い世代に「杖」は無用ではないか。放っておいても彼等は電子的な技能など、社会の波に揺られながら自然に覚えてゆく。それは彼等には「准・母国語」にひとしい。慌てることはなかったのである。
莫大な数の機械を小学校へ持ち込んだのは、政治的な利権がらみの手配であったろうと、わたしは疑わない。その段階でいわば「生徒の心の闇」は当然に棚上げされていた。
そうしておいて、事件が起きると「心」の責任にしている。政治の責任、ないしは大人社会の責任でなくて何であろう。
コンピュータは、老人にこそ適性の杖と言い続けてきたわたしの、これが真意である。
2004 6・14
* 自分が今、おそろしくカラッポに感じられる。イヤな意味でもイイ意味でもない。空腹感に似ている。戦時戦後の欠食児童であったからあの頃の空腹に快感のともなうわけはなかったが、老いてきて、満腹よりも空腹の心地よしと想われる時も自覚している。身軽という心地に近い。
荀子は心に虚と壱を説き、さらに静を説いた。無尽蔵に溜め込める心が一瞬にして虚にもなれる。無際限に関われる心がただに壱へと集注もできる。そして心はその芯に深い静を湛えているが、人はそれに気付かない。
カラッポのママデいられたら、それがいいに決まっているのかどうか。考えて済むことではない。
闇に沈透( しず) いて静かに眠るのが今はふさわしい。
2004 6・27
* 心なんて、なにの頼りにもならない。
あら何ともなの さても心や
と昔の人も身にしみて知って嘆息していた。「さても( ひと= 他人) のこころや」とは呻いていない、そこ( 底) が、深い。マインドでこだわるから嘆くことになる。
欲も深いのだ。
なんてかなしい生き物だろう、人間は。
2004 11・19
* ありやなしや シャアル・ゲラン 永井荷風訳
よしや反響のきかれずとも、物には凡て随ふ影あり。
夜来( よるきた) れば泉は星の鏡となり、
貧しきものも人の恵に逢ひぬべし。
澄みて悲しき笛の音( ね) に土墻( ついぢ) は立ちて反響を伝へ、
歌ふ小鳥は小鳥をさそひて歌はしめ、
蘆の葉は蘆の葉にゆすられて打顫( うちふる) ふ。
憂ひは深きわが胸の叫びに答へん人心( ひとごころ) 、
あゝ、そはありやなしや。
* 告白 アンリイ・ド・レニェエ 荷風訳
まことの賢人は永遠( とこしへ) の時の間( あひだ) には
一切の事凡( すべ) て空しく愛と雖( いへど) も猶( なほ)
空の色風の戦( そよ) ぎの如く消ゆべきを知りて
砂上に家を建つる人なり。
されば賢人は焔の燃え輝き消ゆるが如くに
開きては又散る薔薇( さうび) の花を眺め、
殊更に冷静沈着の美貌を粧ひて
浮世の人と物とに対す。
疎懶( そらん) の手は曉の焔と
夕炎( ゆふばえ) の火をあふらざれば
夕暮は賢者に取りて傷( いたま) しき灰ならず、
明け行く其の日は待つ日なり。
移行くもの消行くものの中にありて
我若( も) し過ぎ行く季節に咲く花の枯死( かれし) すは、
これそが定命( ぢやうみやう) とのみ観じ得なば
亦我も賢者の厳粛にや倣ひけん。
然( しか) るに纏綿( てんめん) たる哀傷の心切( せつ) にして
われは悔いと望みと悲しみに
又慰め知らぬ悩みの闇の涙にくれて
わが身を挫( ひし) ぐ苦しみの消ゆる事のみ恐れけり。
いかにとや。砂上の薔薇( さうび) の香気( かんばせ) も
吹く風の爽( さわやか) さ、美しき空の眺めさへ
永遠( とこしへ) の時の間( あひだ) にも一切の事凡て空しからずと、
我が哀れなる飽かざる慾の休み知らねば。
* 仏蘭西の詩人達も日本の詩人も、心に嘆き傷ついていた。
なんといういとおしい生き物だろうか、人間とは。
2004 11・19
12011 2・14 113
* 「 mixi」 のマイミクさんでわたしよりよほどの後輩である人が知らせてきてくれた。
☆ 懐かしい弥栄中学校。
いよいよこの春、幕を閉じるようです。
寂しいです・・・
弥栄中学校のブログから
「中学校創設から63年,その前身である小学校から数えて143年,祇園石段下で教育活動をしてきた「弥栄」も,3月末で長い歴史にピリオドを打つことになっています。
地域の方を始め,これまで本校にゆかりのある皆様にとっては,感慨深いものとおもいます。昨年来,同窓会を開かれる卒業生の方々が多数来校され,懐かしげに校舎を見学され,記念の写真を撮影して行かれます。
つきましては,来る3月12日(土)13:00から「弥栄中学校お別れ会」を予定しております。改まった催し事を企画しているわけではございませんが,懐かしい学舎に同窓会のお気持ちでお出でいただけると幸いです。広く卒業生や保護者の皆様,地域の方々,かつて勤務された教職員の方々など,お忙しい中とは存じますが,ぜひご来校くださいませ。」
* ほろりと泣けてくる。小学校も無くなった。中学も無くなる。わたしの京都が京都でなくなる。
2011 2・22 113
* なぜか知れず寝起きは、じっと堪え、仕事をはじめてやっと心落ち着く。今朝は「 mixi」 に昔の日記を送り込み、村上華岳にふれて書いた自分の文章で心静かになっていた。こういう、こころよい「もの」や「ひと」になら、たちどころにわたしは出逢える。ゆっくり話したければその人と「部屋」に入れば、なににも邪魔されない。邪魔。そうだ「邪魔」というみにくい魔性が、現世には、いるのだ。
☆ むかし、前漢かもう後漢のころだったか、いずれその時分に、趙(ちよう)なにがしという逸人があって、生前に自身の墓を築いた。墓の内には手ずから古聖賢四人の画像を賓位に画(えが)いて、自分の場処は余白のまま残し、そして折あれば世人を避け墓に潜んで、その時幽明の隔てなく、主客は自在に談笑して倦(う)むことがなかったという。
超は九十余歳、やがて己(おの)が死の遠からぬを悟ると、主人の座を負うた壁へ彩管を揮(ふる)って、生けるがままの一体の自画像を画(か)いた。そしてそれなりその墓は封じてしまった。文字にのみ伝えた史上最も夙(はや)い自画像の例として知られるが、幸いこの趙なにがしの自像墓は、何でも掘り返すのが好きな昨今の中国でも、見つけられていない。地下に二千年、気稟(きひん)の清質最も尊ぶべく、和顔愛語(わげんあいご)の今も絶えないであろうことが嬉しいと、この話をはじめて聞いて、私は羨ましかった。
が、かく言う私にも幼来、一の、墓ではないが似たような小部屋がある。それもいわば折り畳み自由、いつ何処へなり脳裡に蔵(しま)って持ち運びができる。このさい雅(が)な名前を如何様(いかよう)につけてもよいが、端的(ただ)に「部屋」と自分では呼んできた。古人多く死せるあり、理の当然ながら、この死んだはずの古人が招けば気安く「部屋」を訪れてくれる。様態(なりふり)は客の勝手だが、今日(こんにち)の風儀に、たいがい背かない。つまり気らくで、互いに堅い挨拶が要らない。君ぼくでも俺お前でもないけれど、面と対(むか)って何を訊ねても、答えてもらえる。訊かれれば私も応える。趙某が寿蔵のように、不得手に筆を用いてさながらに人がたを画く必要などない。それに気の多い私のこと、「お客」は聖人君子(えらいひと)と限らない。好きな人を好きに招(よ)びたい。
但し識らぬ人を呼びようがない。「部屋」へ入(い)り浸(びた)りでもおれない。むろん趙さんみたいに、「またですか」と奥さんに雲隠れの苦情は言われない。私の妻もなんとなく感づいているらしいが、肝腎の「部屋」へ出入りの戸口が妻の眼には見えないのだから、止めだて出来ない。
で、この数年に限っても「部屋」の客、なかなか数寡(すくな)くはなかった。ひところ後白河院(ごしらかわいん)に再々お見え願っていたし、前後して建礼門院にもお越しいただいた。お二人ともごく話し好きで、生前こそ畏(おそ)れ多けれ、この「部屋」へ「お客」となれば至って自在なもの、遠慮がない。ご一緒にと願えばお揃いででも見える。
また、繁々と近ごろ顔を合わしている新井白石氏は、藍大島のすっきりした着流しに汚れめのない白足袋で現われ、とみに熱心にキリスト教などを論じて行く。
氏は、宝永六年冬に、自ら望んでローマ人宣教師シドッチを尋問している、あの折の感想や観察を私が訊きたがり、白石氏もあれに就ては『西洋紀聞』その他に表むき書かれたのと、また調子(トーン)のちがった認識をその当時から持っておられたらしい。
シドッチの潜入意図について、万々疑念ははさみながら、だが彼を、決死の覚悟でローマからはるばる日本へ駆り立てた信心の根というものを、新井先生は心中に否定してしまえなかった。
言えば、──際限がない。が、際限ないそのような訪客との歓談や質疑の中で、ことにこの数年、しきりに望んで交際を重ねてきた、今一段ざっくばらんな人物がある。昔ふうに言うと身丈(みのたけ)「五尺二寸」「イロ白く鼻高く中セイ。」わけは──いろいろある。出逢いも、あった。出逢いから話すのが、順というものだろう。 秦恒平作『最上徳内 北の時代』の冒頭部
* こういう「部屋」が、在る。
* とにかく、この心労と体疲労に日々打ち勝って行かねばならない、創作意欲を失うことなしに。
2011 2・25 113
* 『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』ともに感銘を受けた秀作だった。はて、これは題は。「戦死した息子」というのだろうか、機会有れば観たい。
テレビのチャンネルがやたら増えて、逆にテレビへの厭悪感が増し、選局している内に、やーめたと席を立っていることが多い。よさそうな映画を録画することは妻任せに頼んである。映画はいつでも観たいが、まるまる一度に観て席を立たせないほどの作に出逢いたい。「 遺恨あり」はよかった。たくさん録画してあるがあまり観る気も時間もない。
* それでいて昨夜、ふとFACEBOOKに遊び心を起こしたのが間違い、じつにいやらしい加入勧誘の仕方で、ややこしい。結局、加入できたとも出来ないとも分からない。何一つ有効な画面もめあての画面も現れない。放棄して消してしまうと事務局からか、やたらとメールが届いてヤイヤイ言われる。よけいなことはしないものだ。画面から知り合いの二人の名前を問われるままに認めると、もうそれが「お友達」だそうで、二人から承認しましたとか。何がどう承認されて何が出来るのか、さっぱり分からない。
2011 3・1 114
* ケイタイと営業サイトとが連繋して、大学入試に巧妙なカンニングが露顕し大騒ぎになっている。軽率で愚かしい行為であるのは免れないが、そういうことの横行しうる「時代」だとの認識
が、世の大人世代に無さ過ぎた方が滑稽に見える。今回の場合、営業サイトが関係していたからバレたが、もし優秀な連中がどこ家庭の一室に待機して、そこへ正解を求めていたら、これはバレようがない。あの少年より悪辣な連中がそれをやっていない証明は出来ない。
* なによりも時代が変わり環境が変わっている。ペンの仲間達が「環境環境」と鬼の首を取ったように騒いでいた「環境」は、わたしがいつも指摘して嗤っていたように、自然環境の一点張りだった。そうではない、人間の環境には自然だけでなく、今日
は「機械環境」が猛烈に力を持っていて、それが人間精神を傷つけまた無感覚化してしまう、その怖さを認識しなくてどうして「文学」が対応できるかと。わたしが、「電子メディア委員会」を世界のペンに先駆けて提案し実現した根の深い理解はそれであったが、今期理事会や阿刀田執行部は理解できず、安易に言論表現委員会に吸収させ、潰してしまった。「言論表現」の問題は余りに広大、しかし「電子メディアが引き起こしてくる問題」は具体的にそれ以上にますます広大になる。両輪両翼で対応しなければ追いつかないのに。
* 今の今もわたし自身が背負い込まされている裁判は、やはりネットサイトでの言論言説の問題が根・源になっている。わたしは、もはや世界大のネット社会では、せめて最低限度のエチケットとして「文責を明らかにして発言し言論し批評し合うべし」と考えている。「書いてはいけない」などという愚かしくも古くさい制限に閉じこめ切れる機械環境ではない。
日記にしても、いまやノートブックに手で書く日記が標準ではない、「 mixi」 のような「facebook」のような大公開の場ですら、人は日記を書いている。個人のサイトで、親が情愛豊かに息子や娘や孫達の平安を願ったり苦言を述べたりするのが裁判沙汰になり賠償の問題になるなど、それがもし法律なら、徹底的に漏れなく摘発して不均衡に陥らぬようにすべきだが、そもそもそういう発想自体が時代後れに過ぎている。
文責を明記して討議や討論に堪えられる批評行為は「あたりまえ」であらねばウソだろう。
* いまわたしは娘や婿の強硬な要求で「生活と意見」と題していた全部を「更新出来無く」されている。そうしない限り「和解」の席に着かないと言うのだ、裁判所も代理人も「和解」に入ろうと願うなら一時的暫定的に、従って欲しいという。
ところで、総量五万枚に及ぶわたしの「生活と意見」を、冒頭から慎重に読み直していると、すでに七年分三十数ファイルまで来て、婿の実名はおろかマーキングしたものも皆無、娘の旧名(娘は三年前に、親が付けた朝日子という名を放棄し、改名している。今では朝日子は親や弟の記憶の他に実在しない。)はむろん沢山出てくる。どういう出方であるか、今、全部を拾い上げているが、万人が万人の目に、思いに、微塵の悪意もないどころか、両親や弟の溢れる愛に朝日子が包まれていることだけが明確になるだろう。なぜそれらが裁判沙汰に成りうるのか。なぜ賠償金の根拠になるのか。いずれ全部を明白に示したい。わたしの日録は何人もの人が手元に記録していてくれるので、現在のわたしが思うまま改竄したりしていないことも、容易に証明できる。
* 新世紀に入って時代は急角度に急速度で変わってきている。わたしが東工大で初めて買ったパソコンに一太郎をインストールするのに、四角い小さいディスクを二十数枚使わねば成らなかった。容量は1G しかなかった。やっとホームページを学生君に創ってもらえたとき、世の中にケイタイなどまだ影もなかった。平成十年だ。十三年には新世紀に入り、いま平成二十三年。どれほどの「機械環境」か、若い人ほど知っている。しかも若い人ほど十二三年前のホンのまねごと時代など、全然知らないのだ。
* いまわたしを裁こうとしている裁判所の関連の法律がどのようなものであるのか。それを思う。徹頭徹尾、わたしの裁判は「ネット裁判」なのである。撲った、傷つけたでも、ダマしたでも、ない。そしてそれはわたしだけの問題だろうか。時代の問題である。週刊誌が取り上げるなら、そういう根底の「時代」を問う取り上げ方をすべきであった。
2011 3・6 114
☆ 湖の本 京と、はんなり 2011年03月11日10:26
マイミク「 秦 恒平氏」から頂いた「湖の本」を今、読んでいます。
秦氏は、小説家 (「清経入水」により1969年第五回太宰治賞) その他いろんな経歴を持つ中学校の大先輩です。
京都の気質を色々な角度からするどく衝かれた随筆集ですが、とても興味深い本です。
京都で生まれ育った私ですが、なるほど、うんうんとうなづかざるを得ない個所がいっぱい出てきます。
たとえば、「一緒にせんといて」という言い回し、子供の頃から使いなれた言葉ですが、気随な自己中心的と解説されています。そう、気がつかないうちに他人とは別やと隔たりをつけているんですよね。
知らず知らず使っていた京都の日常語から、京都人の気質をバッサバッサと切り込んでおられます。
さすが、京都で生まれ育ち、東京へ出られた氏でないと気がつかれない観点です。
他の県の方が読まれると、京都人の本音が良くわかる本であり、京都の方が読まれると、自分では気がついていない京都人特有の気質が分かる本だと思います。
機会が有れば、ぜひ読んでみてほしい一冊です。 和
* お役に立てば何よりです。
2011 3・11 114
* なにもなにも、「臨時」のような按配に浮き足立っているのは、よくない。いま、ホームページを現時点分までバックアップを二つ採った。
2011 3・12 114
* 二月の「日乗」を一太郎に移した。
2011 3・26 114
* 『名前とは何か なぜ羽柴筑前守は筑前と関係がないのか』という、えらく長い題の小谷野敦氏の本を貰った、と思うまに妻が病院へ持っていき、入院中に面白がって読み終えてきた。目次を見ただけで何が書いてあるか分かり、実際に読んでみても新たに教わるものはなかった。知識欲のある優等生は、たいがい昔からこういうことに関心を持つ。うちの息子の小学校は、小学生なのに「卒論」のようなことをやらせ、息子は気張って「名前」を論じ? た。それも『ゲド戦記』その他、「名」の持つ神秘性に触れながら、日本の有力氏族の名字に関心を持ち、せっせと書いていた。
諱や諡や号や通称や、武家名など、名前への興味の持ち方には選択肢がたくさんあり、歴史好きの子供ならなおさら興味をそそられる。わたしの育った京都では、近辺根生いの家などでは、奥さんにも女中にも「替名」がついていた。名を替えるという行儀に子供の頃から馴染んでいたのである。
そういえば「 ペン電子文藝館」 を創設の頃、同僚委員の森秀樹さんは、「百姓名を読む」という論攷を呈示されていた。
* 小谷野さんの本でガッカリしたのは、「秦」「漢」氏らに、ことにわたしの縁あって称している日本列島での「秦氏」に、まるで触れてないこと。日本の秦氏は、べらぼうに多数の苗字を派出して、ま、昔から有名であり、法然上人も、長曽我部という大名も「秦氏やで」と、昔、秦の父に教えられた。島津も桜田も井出も和田もなどと聞いたことがあり、井出孫六さんに電話をもらって「同族ばなし」に花が咲いたりしたこともある。
真偽を調べるまでの興味はないが、それよりも、名前に関しては、大津父とか馬子とか不比等とか家持いった「古代な名前」の時代に、どんな幼名や通称があったのか無かったのか、或る時期から急に、なぜきっぱりした良房とか道長とか義家とか時宗とか家康とか吉宗とか隆盛とかいう諱ができたのか、それでいて、天皇の諡など、桓武だの清和だの光孝だの難しげだったのが、なぜ急に一条だの堀河だの鳥羽だのとくだけていったのか、上流下層とも女の子には名付けたのか名付けなくても済んでいたのか、遊女や花魁の名はどんな変遷をしてきたかなど、興味は尽きないのであるが、「武家名」に関心を絞ったらしい小谷野さんはほとんど触れていない。ほんとうは「名乗る」「名を問う」ということ等にも踏み込んで小谷野説が欲しかった。そこには名の本質の不思議があるし、名分論や「無名」の意義も湧いて出るだろう。署名・無署名の問題も小さくない。
また「丸」名乗りにも、小谷野さんの「糞」説だけでなく、もっと深刻な背景があるだろう。犬や牛馬にも船にも丸がつき、仮名手本の松王丸、梅王丸、櫻丸もある。
* 中宮が先で皇后があと、とあるが、后、妃、夫人の制より先に「中宮」があったか。光明子は中宮と呼ばれたか。円融帝のときが始めではなかったか、中宮の制は。
* ま、それほど名前はポピュラーでもあり神秘でもある。
* 小谷野さんは、最後に「匿名」という点に、纏めて触れている。これにはわたしも関心がある。
小谷野さんは触れていないようだが、上古の「童謡 わざうた」中世の「落首」なども含めて、匿名は一つの文化でもあるし、便所の落書きなみに品性下劣で卑怯なヤツもある。
ことにネット時代に入ってからの「匿名」の犯罪的なあくどさはひどいものらしいが、わたしは一切そういうバカげたものは覗きもしないし、見ずにおれないという人の気が知れないが、他方こと「公人」に対してわたしは、政治家も創作者も学者・研究者も藝人も公務員も、甲乙なく実名をあげて批評すべきは批評してきた、ただし自身の実名をいつも隠すことなく、文責は全て明かしてきた。不服があれば聞くし、必要なら議論・討論をすればいいという考え方である。おかげで、自分の婿や娘に訴えられて五年越しの裁判沙汰とは、愚かしすぎる。むろん訴え出る方がである。
ただし、わたしにも「匿名」原稿を書いていた時期がある。その頃はまだインターネットもホームページも無かった。新聞社にまともに依頼され、有名な匿名欄に何年ものあいだ書いていて、多いときは月の三分の一ちかくもわたしの原稿が出たほど。おそらく、全部まとめると「湖の本」の一冊もあるだろうか。
文藝より、むしろ時事問題を熱心に取り上げて批判し続けた。そして数年してすっぱりと切り上げた。べつに理由はなかった。むろん匿名には匿名の歴史文化性を認識していたので、なんら後ろめたさも持たなかった。
ネット時代の最低限、絶対に守りたいエチケットは、なにを書くにも文責を明かしておくことだと、わたしは裁判所に向かっても明言している。
2011 4・3 115
* FACEBOOKというところから、ときどき知人のメッセージや何かが届いていますと知らせてくる。利用されていませんねとも言ってくる。利用も何も、どうログインするのか、どうすれば何が読めて何に使えるのか、皆目分からない。わたしが鈍なのだろうが、どう連絡をもらっても、誰かがどう声を掛けていて下さっても、わたしにはそれが何方であるかすら確かめようがない。
2011 4・20 115
* わたしの生活史に大きな割合を占める一つに、ワープロからパソコンへ、ホームページへという「電子メディアとの付き合い」がある。それにも勝ってより久しいのが「 湖(うみ)の本」 の刊行であり、前者と後者とはいつしれず緊密に互いに関与し合ってきた。そしてその久しい経緯を証言している沢山な新聞や雑誌への寄稿、そして講演記録等があり、積み上げておいて顧みると、人によれば黴くさいほど歴史や古典や古典藝能・民俗等にまみれるように暮らしてきた、いまでも和服で筆で原稿を書かれますかなどととんでもないことを聞く人もあるわたしの、もう一面の、「機械の時代を先取りし、また読んで批評し関与してきた」別の面が現れてくる。伝統の最先頭で沸騰する現代、と、わたしは早くから口にし書いて、自身の視線もそのそこの「いま・ここ」に注いできた。いやいやでもあるが政治にも眼を背けてこなかった。その点では、わたしを誤解してきた批評家も読者もいたのである。
2011 5・2 116
* 「 mixi」 でわたしは「マイミク」を増やそうとしていない。なにかしら設定に故障が起きていて、自分にマイミクさんが現在どれだけ有るかとも一覧できない。もう二年余も直らないまま、直してくれないままになっている。それはそれで、どうでもいいと忘れている。
マイミクさんの書いている日記は、優先表示されるので、読みたければすぐ読める。それも、ほとんどわたしは手を出す時間もないが、そのなかで、東工大卒業生で、わたしの教室にいた二人の、今は「おかあさん」の書く日誌は最も愛読して、いつ読んでも心温められている。この二人ともただ「おかあさん」ではない。一級の研究生活者でもある。加えて表現が佳い。わたしの「 e-文藝館= 湖(umi)」に、二人ともお子さんの成育を記録した日誌をすでに載せてくれているが、ほんとうは、その「続き」も欲しくてならぬほど読ませるのである。継続は「ちから」だと謂う、ちからが人柄とともに心地よく表れている。
二人に共通して言えること、二人とも精神も知性も、若々しい。 2011 5・10 116
* 「静かな心が欲しいけれど」という十六日に掲示しておいた読者・主婦「甘夏」さんの述懐は、「 mixi」 にも転載させてもらい、勢いよくひろく転載され続けている様子。たいそう多くを力強く代弁して貰っていた。
☆ 今回の大震災に関する秦さんの折々のご発言に全面的に共感しています。
「靜かな心が欲しいけれど」も、全くそのとおりと共感しながらも気が重くなります。
岡山でマスカットの初物がデパートに顔を見せました。ほんの少しですがお届けします(最盛期のものとくらべると味は落ちると思いますが)。明日くらいに到着と思います。 吉備の人
* 恐れ入ります。有難う存じます。
* 「 e-文藝館= 湖(umi)」の随感随想欄に『きみきみ、我が子』の掲載されてある富山悠紀さん、「のびのび、我が子」の続稿を寄せられ、歓迎した。東工大で三年生から飛んで大学院に進み、のちに東大の先生になり、お母さんにもなって「 mixi」 にお子さんの成長を簡潔的確な筆で記録し続けていた。愛読していた。東大から転勤転進ののちも責任ある多忙の中で書き継がれていたのを、取り纏めて送って来られた。ありがたい。連載ものに、こうして自発的にあとを継いでもらえるのは、有り難く、また頼もしい。
組み体裁の微調整は追々して行くが、とりあえず新稿を掲載した。内容は完全に信頼している。
* 全く同様に、続稿を期待しているのは、やはり「 mixi」 で愛読している井川馨さんの『ざっと、オーライ!』です。
☆ re: ありがとう。
秦さん ありがとうございました.
今ほど本日ひとつめの講義終了し,ほっとしていたところです.
今朝は遠足のお弁当作りでいつもより相当早起きしてもうぐったりです.毎日お弁当を作っていらっしゃるママのことを尊敬しました.
のびのび...まさにその通りに育ってくれています.
筆者名(筆名)の件ですが,ネット上ではできればいただいたペンネームのままでお願いしたいと思います.
育児記録の一つとして,という意味合いが強く,mixiでも公開先をマイミクのみに限定しているということもあり,公開となった場合は防護壁を一つ持っておきたい気持ちなのです.
文字になった記録を息子が読んでくれる日を楽しみにして,続けます.
取り急ぎ. 富山悠紀
2011 5・18 116
☆ ばかばかしくて声もでないな
と思っている人が日本における絶対的多数だと思います。
みんな自民は選びたくなかったから、自民は先の選挙で負けたのに、その事実を棚に挙げてどうしてあんなにえらそうに首相を責められるのかなあ。
とも思うし、
あの大物政治家は一体何がしたいのか、自分が首相になりたいのか なれたとして一体何をどうしてくれるのだ
今は誰が首相になっても、今の首相と同じようなことしか多分できないし、しないだろうとわたしたち国民は思っているわけです。
ぶっちゃけ誰が首相であっても大同小異で、これ以上悪くなることはあっても、劇的によくなることなんてきっとないだろう。
それなのに不信任だの、辞任しろだの、アホすぎてお話になりません。
一般のレベルではみーんな↑こうしたことを言ってるのに
政治家だけが「首相がかわらなきゃ」「首相を変えなきゃ」とかいって勝手にあたふたしていて、なんで? って思う。
誰のための政治家?
なんのための政治?
いっそ全員で責任とればいいのに。
組織の話ですが、みんなそれぞれに偉くなりたい組織では、互いを助けないなと私は感じています。
非常に小さいところではありましたが、私はかつてそういう組織を経験したことがあるのです。誰かが苦労していたり、困ったりしていてもあまり助けようという意欲は持たないし、
「自分の責任でやるんだよ」的な空気がむんむん漂っていました。
失敗なくやって当然。失敗があればその人の責任。
同じ組織にいるのに。
失敗する前に周りが助ければいいのに。
そのうえ、みんなが(特に上の人々は)自分の正当性と有用性をアピールするためにマニフェストばかりふくらんでいって、無駄な仕事が増え、そのために動くだけで精一杯になり、本来自分がなすべきことに手が回らないという本末転倒さ。
わたしはこっそり上の人々を殿上人と呼んでたね!
気に入らないことが少しくらいあっても、国のために政党とか党派を超えて一緒に知恵を出し合ってやるべきとき、というのはあって、それは「今だ」と思いますが。
何が現状において一番優先してなされるべきかを判断できない政治家は、国を危機に陥れるよ。
そういう意味ではみーんな、議員みんな政治家として失格ではないですか。
世襲でもなく、利権のためでもなく、国に資するためとの意識を持って、テレビの中の人たちには働いて欲しいと思いますし、それはそのまま私の所属している業界についてもいえることでございます。
反省。 桜鯛
* 「 mixi」 では、こんな毅い声もきちんと聞こえてくる。ありがとう。お互いに、もっと耳を澄ましあって聴こう。
☆ 私が実際に、ガイガーカウンターで計測している情報です
計測方法。
午前と午後に同じ場所で、地表に向けて計測します。一回の計測で二度計測して、その安定値と最大値を書き込みます。
ちなみに、震災以前
数十回計測していましたが、山形は311 以前は0.05~0.09μSv/hでした。警告音は一度も聞いたことがなかったです。
しかし、震災後は警告音は頻繁に鳴ります。
実際に計測していた私から見れば、新聞などで毎日報告されている線量は、去年の数値なんです。今は、昨年の数倍…
* これも「 mixi」 の親しい仲間からのレポートで、厖大に線量測定の実際が報知されていて、じつに大勢が参考に視ていると分かる。「国民の一人一人」が憂慮と賢慮を示し始めて広がっている。
永田町の人よ、気付けにかかる「地の塩」を嘗めよ。
2011 6・7 117
* 「 mixi」 のまたもや恣な機能改悪があり、おかげで、またも作業がしにくくなった。めざましく「足あと」が増えていたが、数字など無意味なのであり、どういう人が「足あと」を付けてくれているかが大事なのだ。誰かとの出逢いが在るかも知れない、たとえばもう一人の孫娘との、と、それを期待してきた。それが全く読み取れなくされたのは、つまらない。退散すると決めた。
役に立たないことに時間をとられるのは堪らない。
2011 6・14 117
* このIT時代にも、ガンとして手をそめていないのが、ケイタイとツイッター。鬱陶しい。不必要に関わりたくない。どっちも文学と縁が余りに稀薄。メールには実用性だけでなく、いいメールには文学に間近い匂いがある。
2011 7・19 118
* 中国の新幹線大事故は、開業した当日から予言していたことで、被害者にはまことにお気の毒だが、中国政府の幼稚さには惘れるばかり。まだまだ何が起きるか知れない。
それよりノルウエーの凶暴な狂気のテロが怖かった。マトリックス世界が、まさしく狂い始めている。
そのなかで、わたしは、少しずつだが「創作」し進めて行く態勢に入っている。柔らかい革のソファの上にまでダンボールなどが乗っていたのを整理排除し、洗濯の済んだ夏用の白い敷物を敷いた。冷房の下で、このソフアは安眠を確実に約束してくれる。心身のために、まずいい場所を用意した。
* 先ず裁判のことだが、わたしは、悪質なホームページーへの妨害( 全壊という前例がある。) があるのを考慮して、常に全面的バックアップを用意し続けてきた。判決のよほど前からは、公式の http://umi-no-hon.officeblue.jp を大きく組み替え、かつ外への発信量を減らしながら、此のサイトをあえて多用してきた。
此のサイトでは判決されている「広告」などの必要は無いので、無用な記事は二日間だけ発信しておいて消去した。無用なのだから。
* 判決が出て、わたしが苦渋を嘗めているかと案じて下さる向きがあるか知れないが、それは、ご心配無用です。
先ず「お詫び」広告も、裁判所の作文に署名したまでで、内容は、書き添えたとおり、およそ無意味。そして、他に「詫びる」何一つ無い判決であった。
日記の削除など、およそ、わたしには何でもない。書くべきはその時に懸命に書き、しかも、はや五年も前の日記など、だれがわざわざ溯って読むわけがなく、ただ保存されていただけ。いずれ『バグワンと私』や『文学を読む』や『濯鱗清流』のような「本」になってこそ喜んで貰える、それら厖大な記事の「宗遠日乗」は貯蔵庫であり、削除個所などはおよそ今は無価値と化している。「 mixi」 日記でもそうである。
書籍本に関しては、指定個所を「削除しない限り」今後同内容での再版はできないという判決であるが、すでに「本」の役割は果たし終えている。ありがたいことに『かくのごとき、死』が電子版として残ることを判決は全く禁じていないし、「聖家族」などという紙の本は、もともと存在すらしていない。
「慰謝料」等は軽額とも謂えまいが、合算しても最初要求されていた「損害賠償」とやらの五分の一額にすぎず、いとしい孫の霊前に贈るものと思えば何でもない。そして「余の請求はすべて棄却」されている。
加えて氏名のマスキングなど事実上無意味と判決に加えられず、さらに、かかる近い親族間の多年の軋轢を起こした根本は押村高の暴発と裁判所ははっきり指摘し、判決文を結んでいるのである。
まことに上の「鳶」さんの謂うように、五年の歳月を掛けて娘や婿は「何を得るところがあった」のだろう。わたしにはほぼ穏当で負担の軽い判決なのである。勝った負けたなどはもともと論外の愚行であった。
* 当分の間、まだまだ、このサイトを主に常用して、差し障りのない記事を、http://umi-no-hon.officeblue.jp にコピーしつつホームページを運用して行く。
「 http://umi-no-hon.officeblue.jp 」 では、「行雲流水」欄のなかに「宗遠日乗」の当月分、そして裁判所指定個所の削除を全部終えた「生活と意見」七ヶ月分が収めてある。
2011 7・25 118
* 七月日記は、すでに昨日までの分、誤変換等を直し、日付順に直して、「日乗」ファイル118として別に保存用意した。次の日曜で、慌ただしかった七月が走り去って行く。
2011 7・28 118
* 六さん
メール便は久しぶりなので、これで届くかなあと心配ですが。お元気のことと思います。いつも、有難う存じます。
さて今日、
「こころ」とはなにか を郵便で受け取りました。「mixi」で書いてられるのもむろん知っていました。
率直に申して、この考察には、魅力を覚えません。
七十年、まさに心にかけてきた問題で、繰り返し繰り返し答案を書きつづけてきた実感をもつ私には、残念ながら「おおそうか「「そうであったのか」と新たに教えられる喜びが得られないのです。
今の私には、「心とは何か」という、いやほど繰り返しまた読んできた「辞書・辞典」水準での詮議穿鑿や一般論には、関心がもう無いのですね。何も得られない。己の死生に思い惑い苦しみながら、願わくは「心」になど煩わされたくない、どうしたらいいのだろうという、いわば「悲しみ」にこそまみれてきたからです。「もらひ子」の境涯を知った幼年から、漱石の「こゝろ」を読んだ中学生の頃から、『バグワンと私』の最近まで、輾転反側して「こころ」からの自由を願い続けてきた者には、物足りないというより索漠とした作文のように感じられるのです。ごめんなさい。
「mixi」を始めたとき、一機会かと、己れに強いてすぐさま、ぶっつけに、まる一ヶ月「静かな心のために」と題して述懐した数年以前も、わたくしには「心」のことは「なにか」ではなく、「いかに」して静かに無心へと深み行けるかという「死生」の問いでした。
おなじような、なまなましい「あなたご自身の呻きや歎きや煩悩」にまみれて「心」が問われているかと期待したのでしたが、「概念の処理に終始」されていては、所詮マインドという心の分別に過ぎず、ハートという生き生きとした鼓動のことばとは受け取れないのです。したがって結びに近く宣言されている、どんな「責任」を引き受けられるのかが、あなたの文章からは見えないのです。
率直に申しました。お気に障りませんようにと願っています。さらなるさらなる精到と透徹のご覚悟をいつかまた読ませて下さい。 私は、元気に過ごしています。 秦恒平
2011 7・28 118
* これまで、メモリとかいう親指の先のようなものを、まるでよう使わなかったのが、つかえるようになった。それへ、大量のコンテンツを保存して、現行の親機を少しずつ身軽にしてやりたい。それでわたしの「仕事」環境興も明るく整備できるだろうと喜んでいる。
厖大な裁判関係資料や記録や陳述書やメール、日記など、年月別に、誰から誰へなど、及ぶ限り克明に整理のついたものを、綺麗に一括して保存できた。文書のママのものも残り無く年月を追って整頓保存してある。機械には一通り残して在れば足る。
その調子で、機械使用当初からのあらゆるメールも、また宗遠日乗の全部も、機械の外へ保存しておけば足る。必要が出来れば建日子たちがいつか開いて活用するだろう。写真も、機械の外へ出しておいて足る。
いま、三台の機械が、なんとか穏やかに温和しく働いてくれれば、安心して「しごと」に向かえる。
2011 7・29 118
* わたしの公式ホームページ http://umi-no-hon.officeblue.jp において、またしても、一方的に、何の事情説明もなく「秦恒平」作の小説等、また別作者名による小説までもが、サーバーにより削除されましたので、其処では、「日録」掲示を全面中断します。http://umi-no-hon.officeblue.jp からのお問い合わせは、直接 秦のメールへお願いします。
* 削除・抹殺された作の題名は、このホームページ内に掲載されてあった、「 e-文藝館= 湖(umi)」に所収の ① 奥野秀樹作「私小説」 ② 秦恒平作「逆らひてこそ、父」 ③ 秦恒平作の挽歌「かくのごとき、死 孫の死とある作家の一夏」などです。
六月末判決で、 ①②は、全く問題にされず、判決外に「棄却された」全てに該当し、また③は、判決において「紙の本としての再刊」を禁じられただけで、ウエブ上の掲載については明瞭になんら禁じられていないのです。
著作権者としてサーバーに強く抗議します。
2011 7・30 118
* この機械からも子機のノートからも、メモリに保存しておいて常は困らないコンテンツを、たっぷり移動させた。機械の負担を軽くできるのではないか。バックアップとしても安心できるように期待している。
2011 7・30 118
* 公式ホームページに対し、重大な侵害がまたしても為されてきたことを記録し、厳重に抗議する。
今朝、秦建日子を通じて、サーバー から次のように連絡が来た。
このサーバーとは、裁判中も十二分の協力関係を保ち、むりな註文もよく聴いてきた。しかも、サーバーは、係争中であるので「判決」を待ち、それに従いますという約束であった。弁護士からもそう聴いていた。
ところが、何の話し合いも熟慮期間もなしに、いきなり、下記のように通知してきた。
★ From: <no-reply@l
日付: 2011年7 月29日15:35
件名: 【】運営しているウェブサイトについて
秦様
平素はレンタルサーバーをご利用いただき誠にありがとうございます。
さて、今回連絡させていただいたのは【http://umi-no-hon.officeblue.jp/】の
アドレスで公開されているウェブサイトについてです。
独自ドメイン【officeblue.jp 】でご利用いただいているサーバ上のウェブサイトにおいて、権利を侵害する内容があるとして、
侵害情報の削除依頼がございました。
弊社において内容を確認したところ、利用規約に違反する内容が確認できたため、利用規約第9条に基づき、該当情報がある
以下のファイルについて表示することができないように措置を行いました。
① ● http://umi-no-hon.officeblue.jp/emag/data/hata-kouhei17.html
② ● http://umi-no-hon.officeblue.jp/e_umi _essay39.htm
③ ● http://umi-no-hon.officeblue.jp/yamana10.htm
④ ● http://umi-no-hon.officeblue.jp/koppe0-1.html
上記のファイルは現在お客様にて操作することができないようにいたしております。
そのため、お客様にて編集や削除を行う場合は、お手数ですがご対応内容をご記載の上、以下のお問い合わせフォームよりご連絡をお願いいたします。
尚、利用規約違反につきましては、サービスの利用停止ならびに契約解除事由となります。
今後のご利用につきましては、利用規約に沿ったご利用を行っていただきますようお願い申しあげます。
* 改善要望も熟慮期間も具体的指摘も何一つなく、いきなり「消した」という通告であり 挙げられているのは、
② は、電子版湖の本エッセイ39「かくのごとき、死」で、
①は、「 e-文藝館= 湖(umi)」に掲載の秦恒平作・愛孫挽歌の「かくのごとき、死」で、
③は、創作欄 長篇としての「かくのごとき、死」であり、
④にいたっては、奥野秀樹作『私小説』として発表されており、その内容も、裁判の判決とは明らかに局外、原告の押村夫妻とは無縁の「奥野秀樹」による私小説仕立てのフィクションである。
六月末地裁判決主文は、作品「かくのごとき、死」について、、『4 被告は,別紙目録4 記載の書籍のうち,別紙名誉毀損関係一覧表4 -1 ,4 -2 及び4 -3 の「表現」欄記載の各記述部分,別紙名誉感情関係一覧表4 - 1,4 -2 及び4 -3 の「表現」欄記載の各記述部分並びに別紙著作権(複製権)関係一覧表2 -1 ,2 -2 及び2 -3 の「かくのごとき,死(甲4 )」欄記載の各記述部分を削除しない限り,同書籍を出版又は頒布してはならない。』と書かれている。
この判決文は、この前項の「聖家族」について判決されたのと明白に異なり、「インターネット上のウェブページへの掲載などの方法により、公開又は閲覧に供すること」を、当判決主文は、全く「否定・否認していない」のである。わたしは此の判決に従い、「記述部分の削除はせず」、その代わり、当判決より以降、本文そのままで「同書籍を出版又は頒布」することはしないと応えている。いわゆる「紙の本」として再版・出版はしない、しかし、「2」項の『聖家族」判決文とは判決内容が明白に異っていることを、確認している。判決文は、書かれている以上にも以下にも読まずに受け入れることと担当の牧野弁護士からも教えられている。
* いずれにせよ、サーバーは、通知一片でこれらを待ったなしに一挙にホームページから消し去る暴挙を敢えてしているのは無道と言わねばならない。裁判の判決に従うと言いながら、著作権を斯くもやすやす侵害する権利をサーバーは許されているのか。
2011 7・30 118
* 有楽町まで出掛けた。妻のために最新鋭のノートパソコンを買った。一体になったスキャナーとプリンターも付けて。いろいろに調整して一週間ほどで製作している本社から届く。機械に習熟して、わたしの仕事も手伝って欲しい。とはいえ、妻も若くない。無理は強いられないが、機械の性能は、三台使っているわたしの機械のどれよりも新しい。どこまで使いこなしてくれるか、やはり期待している。
2011 8・4 119
* 妻に買ったピカピカカ のノートパソコンと、プリンタ・スキャナー一体機とが、届いた。わたしの今使っている親機は、はるか昔に卒業生の布谷くんが秋葉原で部品を買い集めて造ってくれた、マニュアルも何もなしの、ウインドウズ98に「ME」を加味した古強者。これへ比較的新しい子機、さらに新鋭のもう一つ子機が連結してある。「HP破壊活動」防止対策を怠れないので、コンテンツのバックアップには気を付けに付けている。妻の新鋭機はそのどれより新しい。「プリンタ・スキャナー」でたくさん手伝ってもらえるよう、機械の強みを身につけて欲しい。「プリンタ・スキャナー」一体機があるなんて知らなかった。わたしのは別々なので、場所も取るしコードも交錯する。やれやれ。
2011 8・11 119
* ふとしたことで、吉田健一先生に書いて戴いた「『閨秀』を読む」を機械の中で取り出し、読み直した。この、「朝日新聞・文藝時評」の全面をもって書かれた批評は、或る意味では太宰賞をもらったより以上に嬉しい絶賛であったと同時に、「小説」という創作の秘儀をあらためて教えて戴いた貴重な教科書であった。たんなる作品批評ではなかったのである。
* 文学とは何であるか。このところそれが念頭の問いであった。
問うまでもなくわたしはかなりの確度で、確信をもっている。確信を支えられた一基盤、それが吉田先生のその一文であり、その背後に小林秀雄、河上徹太郎、中村光夫、臼井吉見、唐木順三のような方々の存在が、失礼な言いぐさであるが「 うらうち」されてある。吉田先生はそういう先生方を代表して書いて下さっており、わたしは初歩の印可状を頂戴したと感じた。
何度も書いてきたが、これより三年半前、東京會舘での授賞式の会場で、わたしは選者のお一人河上徹太郎先生とお弟子と自認さえされていた吉田健一先生お二人だけの小卓に近づいて、今夜の御礼を申し上げた。お二人ともすっかり出来上がったようにお見受けし、吉田先生の、ときに発せられるポパイのような笑い声は会場内に異響を放っていた。
そのとき、わたしは、河上先生にふと聞かれたのである、「で、きみは、これからどうするのかね。」
わたしは酔っていなかったが嬉しくて浮き浮きしていた。
「自分なりのものを、しっかり書いて参りたいと思います。」
河上先生は打って返された、「そんなもの、あるのかね。」
雷にうたれ、私は青くなった。
「そんなものがすでにあるなら、太宰賞なんかやらんよ」と言われたのだと、瞬時に悟った。歓喜も感激も吹っ飛んだ。吉田先生がヒイーヒッヒーと笑われたかは覚えていない。
一年半後には瀧井孝作、永井龍男先生が『廬山』を芥川賞に推して下さり、三年半後に吉田健一先生はいま謂う『閨秀』評を書いて下さった。あたまから冷や水をぶっかけて下さった河上徹太郎先生は、創刊された或る文藝誌の巻頭に『初恋 雲居寺跡』を書いたとき、人づてに、あれでよいと伝えて下さった。
以来、そして今でも、わたしは、答案を出し続けている。免許皆伝など、なかなか。
* 世に創作・制作されたものは掃いて捨てるほどあるが、それが「作品」であるかどうかは別ごとだと、わたしは考えている。単なる「作・作物」と「作品」とはまるでべつのモノ、コトだ。人が誰もみな「人品」を備えているとは言えぬ。画がすべて「画品」を備えているとは言えぬ。
男が書こうが女が書こうが、何がどう書かれようが、それが「作品のある」「作品に富んだ」作であるかどうかは、まったく小説や文学・文藝の秘儀に属している。その「品隲」は、読み手の力量、ないし読む人の人柄による。
* なぜこんな古い話を持ち出したか。
一つにはいま読んでいる『上野千鶴子に挑む』のなかの、栗田知宏氏の「第五章 表現行為とパフォーマティヴィティ」に触発された。その冒頭で筆者は、上野さん他に二人の、つまり三女性著の『男流文学論』なる本に触れていた。書名の噂は知っていたが、相当に昔の物で、読みたいとは思わなかった。今も、みたことが無い。
わたしには男流は初耳でワキにおくが、「女流」文学なる名乗りも実質も実感してこなかった、筆者・ 作者が女性であるというに過ぎない無意味な、むしろ女性の作家達の「かたまりたい気持ち」はわかるとしても、さして価値も名誉も何もない「自差別」ではないのか、ヘンな意識だなと思っていたのである。
わたしは女性蔑視からは遠い男の一人だと本気で自覚しているし、紫式部や清少納言はいうまでもなく、額田王も小野小町も、女性の創作者や書き手を、敬愛こそすれ男側から差別的にみたこともない。ましてわたしは、上野さんの謂う「ミソジニー 女嫌い」ではない。
「ジェンダー」という認識や意識や社会学的な意義はほぼ認知していても、こと文学・文藝として男も女もなく優れた文学かそうでないかだけが私には大切だ。男流文学、女流文学の差異を言説するのはもとより自由で、事と次第では時勢や思想と関わりとても有意義だが、文学の「質」の問題としては何の関係もない。文学を「社会学的」に「歴史的に」考察するのはむろん可能でまた必要でもあるが、「文学」の質を「社会学その他」で評価できると簡単に思われては困る。それはあくまで社会学的評価に過ぎない。
* ま、そんな次第で、『男流文学論』には関心がなく、上野さんが吉行淳之介の文学に怨みつらみがあってもモットモだと思うと同時に、怨みつらみという社会学で吉行さんの文学の文学的評価は無理だと思う。物指しが違いすぎる。
わたしは、昨日一昨日と、或いは荷風作でありうるなあと思える『戯作・四畳半襖乃下張』を読んでいて、男なる「けもののサガ悪しさ」こそ感ずれ、「文学」の名でものの言えない「ボロクソ」だと思っていた。作品のみごとな『墨東奇譚』とは全くならびようがなく、同じこういうエロスを書くにしても、もっと優れた別の達成が可能ではないかと思っていた。
「女こども」を社会学的に露骨に下目に見扱っていて、しかも文学としては優れた作品・作者が無いわけでない。いっぱい、ある。しかもそれが、小説の秘儀をしかと現じていて、男であれ女であれ、読者を感嘆させる。そこに文学の文学ならではの本質がある。小野小町、伊勢、道綱母、紫式部、和泉式部、清少納言らにはじまり、樋口一葉、田村俊子、岡本かの子、林芙美子、円地文子、佐多稲子、網野菊等々から今日の曾野綾子、竹西寛子らに至るどの一人にも、男の女のという差異からその文学に接した、感じ入った覚えがない。女らしい視線や表現に感心することは有っても、それは男の場合にも謂えることで、それをすぐさま女流・男流とはとらえない。文学の秘儀の自在な表れ方の差異に、個性的差異に過ぎないと想っている。
* 社会学としての『男流文学論』や、政治的勢力団体としての「女流文学会」にも、わたしは何の異存もないが、「フェミニズム文学批評は文学という『ジャンル』そのものを解体するにいたった」という上野さんの豪語などはず失笑を誘う。「女性の文学はけっして貧しい(貧しかった)とは言えない」という上野さんのプロテストなども、歴史上の事実に即して、量はおくとも、 質においてはいまさら何をというぐらい、それは社会学的誤認に発した言説に過ぎないのである。まして、「正典化された文学というジャンル──これこそ上野が『男流』と呼ぶ文学であろう──に対し、一女性がいかに書く主体になるかについての理論的貢献をもたらした」と、上野さんは「フェミニズム批評」を評価しているのだと、この栗田氏は言いきっているけれど、わたしには「正典化された文学」という意義が明晰に受け取れない。
「正典」との同義語として「男流」文学と上野さんは言っていると筆者は明言しているが、そうなると、これは昔から有る「広義の純文学」「広義の読み物」の区別などとは無縁に、即ち「正典= 男流」を等記号で同一視していると思われる。栗田氏は、上野さん等の功績の一つかのように、いわゆる在来の「文学」以外の無数にネット社会で書き出された雑文なみのものも「文学」の範疇に入れ混ぜたことを「特記」しているが、「正典化された」の意味が依然分からない。「文学全集」に採られるような…の意味か。いやいや。かつての講談社の日本現代文学全集には、たしかに吉川英治や山本周五郎ですら加えられなかった。直木賞作家では井伏鱒二だけでなかったか、入ったのは。しかし、女性の作家はしっかり選抜されていた。これらがたとえ「正典化」の意味であるにしても、「即・男流」という限定は誤解に過ぎない。
今日では著明な文学全集にも「読み物」作家は入っている。むしろ純文学作家よりも威張った感じであるが、さて、読んでみれば「読み物」は「読み物」を出ない。優れた「作品」を備えた文学作家の作こそが、つまりは「正典化」されやすく「古典」にも成ってゆくのは、自然の趨であり「文学・文藝」の眞の魅力であって、男流だの女流だのという「社会学」は、文学の質的秘儀には指一本触れ得ていない。当たり前の話であり、「佳い物が佳い」のであり、その批評のちからには男女差・ジェンダー差は無い。おのずからそんなものは別途の学術であり論議であり、文学の質的秘儀とは無縁な詮議・論理に過ぎない。
いわば「散文」世界の代表のような社会学である。それはそれなりの大きな価値を生み出すだろう。その一方で文学はもともと広義の「詩」の範疇内にあり、言語的な特質で謂えば広義の「喩 メタファー」「表現」である。男か女かと謂った算盤ではじきだしてみても、「喩」の秘儀は開かれない。 (『男流文学論』を知らず読まずに言っていることを附記しておく。)
*栗田知宏氏の論文で今一つ、これは私自身の文学営為からも、口出しをさせて欲しいことが、ある。
たしかに、「作品の価値は(=作物の世評は、と謂うべきか。秦)決してその作品の内容だけで決まるのではない。それを称揚し、 推薦する批評家の存在があってこそ、(=こそ、という強調は或いは言い過ぎか。批評家にもいろんな意味でピンからキリまである。秦)作品に価値が附与され、権威となる。(=批評家の黙殺をものともしなかった秀作も、騒がれたけれどたいへんな駄作も、ある。秦)この閉鎖的なメカニズムを正面切って批判することは、文壇や文学研究とは距離のある社会学者の上野や心理学者の小倉(千加子)だからこそ、可能であったのかもしれない」と謂うてみることは一応可能だが、そんなことなら、少しクレバーで読み巧者の一般読者は日々にやっている。
また、「文学作品は、編集者、批評家、書店などといった文化仲介者の『媒介』によって生み出され、流通し、読者に届くものである」という栗田氏の断言は、近代現代において、たしかにあらまし謂えることはあるが、古典時代はもとより、たとえば
微小なりと雖も私の「秦恒平・湖(うみ)の本」 の場合、編集者、批評家、書店などといった仲介者の『媒介』無しに、作者自身の手で四半世紀を超え継続して百八巻まですでに「読者」の手に届き続けている。社会学者たるもの、文学流通の一社会現象にも目を配って論証・ 論考して欲しい。
私には、文学の「流通」に関しても、紙の本と電子の本とについても発言した「仕事」がある。「一般の人々がインターネットの世界で作品や批評を書くという行為に参入するようになった今、文学も批評もますます既存の絶対的な権威を失いつつある」という栗田氏の言も、半面の事実でありそれに就いては作家の私も早くにいろいろ発言しているが、もう半面、栗田氏のいうような実質の価値と内容を帯びたいったいどれほどの作や批評が書かれて、そのために「既存の文学世界」が震えているのか、わたしはネット社会のそれらに関心を持ってすでに十数年、かなり熱心に見回っているけれど、顕著な成績に出くわしたことは無に近い。この辺、
かなり栗田氏の議論、裏付けを欠いて薄く、性急な気がする。
むろん、「時代や環境の急速な変化のなかで、『文学を社会学する』作業は『流通』や『媒介』といった観点から、メディア論や若者文化研究などとも接続した、テクスト批評に留まらない多くの観点からの考察を必要としている」とは、全くその通りと申して、だからこそそっくり論者に返上したい。
なによりも、文学に触れる限り、優れた文学を聡明に「読み」取り、「こころを動かす」という勉強も並行して「社会学」されることが願わしい。
* とにもかくにもわたしの日常生活へ「文学」が戻ってきている。嬉しいことだ。
昨日は、頂戴した竹西寛子さんの『五十鈴川の鴨』表題作を、静かな思いで深呼吸するように読んだ。
「誰よりも早く、カリール・ジブラーンの『人の子 イエス』を認めてくださりありがとうございました」と、みすず書房から礼が届いていた。「 湖(うみ)の本」 の中の「『静かな心』という言葉が響きました。静かな心で本をつくっていきたい」とも。すばらしい編集者の大勢出て欲しい時代なのである。
2011 8・12 119
☆ 秦先生
超漢字,頂戴しました.
確かに驚きました.「次には手書き原稿の山をいただくのでは?」と思いました.いえ本当に,お急ぎでなければ入稿いたしますので
お申し付けください.一応,出版社時代は校正もしておりました.
原稿といえば,ふと,父の原稿のことを思い出しておりました.
59歳で亡くした父は,人工心臓の研究者だったのですが,晩年は歴史にはまっておりまして,古田織部についての小説を書きました.それを懸賞に送るということで,兄弟で清書させられました.
ただ,いかんせん,読んでいて面白くない.何故だろうと思うに,色気がない.小説中に出てくる女性が,誰かの茶碗の使いにやられた女性一人で,しかもその役どころが文字通り茶碗を運ぶだけ,というものでした.
学者らしく,大量の文献に基づいて厳密に考証しているという意味では真っ当な原稿なのですが,誰かが更に小説として書き直してくれたらいいのにと思いました.
さて超漢字でありますが,もちろん坂村先生のお仕事や日米摩擦,超漢字については知識としては存じておりました.OSマニア (主として Linuxや FreeBSDなどのUNIX系が多いですが) としても興味深いです.是非,インストールさせていただけたらと思います.
外字を使うことなく日本語を正しく計算機で扱うためには必要なソフトであると認識しております.超漢字は今の僕にタイムリーです.いえ,好時機です.思うに,「固有名詞の機能を疑わない」と竹西氏に指摘されておられた秦先生の,いかにも先生らしいソフトですね.
考えてみたら,妻が速記者をしていた衆議院では Windowsを使っていますが,足りない漢字などはどうしていたのでしょうか.妻の友人の共同通信社では専用の日本語入力装置を使っていたようですので,問題が少なそうですが.Windows 環境ではモリサワなど写植機のフォントを使っていると考えるのが妥当でしょうか.
まだ使っていないので,はっきりとは言えませんが,超漢字は( 日曜) 小説家や( 日曜) 詩人における( 日曜) 作曲家にとっての DTM (デスクトップミュージック) ソフトのようなものと考えたら良いのかもしれません.
何かを製作する環境という意味であります.
最新のバージョンといただいたバージョンとの違いは,どうやら VMware というWindows や Linuxなど別の OS 上で動く仮想環境がついているかいないか,というところのようです.僕は普段から Windows, Linux, Mac上で VMware を使っていますので,そこに超漢字を放り込むだけで基本的には良いはずです.
仕事で日本語を書いている雑誌などでは,たとえば「豊穣なイメージ」と書いたら「豊じょうなイメージ」と校正されて帰ってくるような状況ですので,仕事よりも( 日曜) 製作に使わせていただけたらと思います.
などなど,日本語について考えるきっかけとなりました.
しばらく実際に使用した上で,また感想をお伝えできればと存じます.
今は盆休みなのでありますが,来年度に立ち上げる研究室の計画書を月末までに仕上げねばならず,ドタバタしております.仲間が二人も立候補してくれて,少なくとも三人のグループが出来そうです.これはありがたいのですが,現役の研究者を二人引っこ抜くとなると,現在の彼らの上司筋への根回しが必要となります.技術論とは関係のない,疲労するやりとりを休み前まで延々としておりました.
私も先生とお会いしたいです.
こちら方面にお越しになることはあるのでしょうか? その際は,必ずご連絡ください.万難を排して参上いたします.
まだまだ暑い日が続きますので,ご自愛ください.
失礼いたします. 鷹
* ペンにいた間に、東大の坂村健さん、西垣通さんと 電子メディア委員会や電子文藝館委員会で、懇意になれたことは、精神衛生としても大きな喜びだった。坂村教授には、よく、ここぞという時に適切に激励し支持して貰えて心強かった。「 ペン電子文藝館」 の創設や開館またその後の運営に坂村さんのお弟子さんのたいへんな助力を戴いた。今も感謝して忘れていない。
2011 8・13 119
* 妻の新鋭機が着々作動し始めている。初出の、ことに新聞原稿等の劣化が甚だしい。少しも早く電子化しておかないと読み取れなくなってしまう。スキャンを渇望している原稿類が山積の有様、いささかゾッとする。
2011 8・13 119
* 妻は新鋭機に付属機の連繋等で思案投げ首、ぼやきながら悪戦苦闘している。
2011 8・15 119
* 今日も小説に手をつけていたが、妻の機械が文章の読み取りスキャンに成功してくれたので、昔昔からこれがぜひ欲しいと願っていた名市大・谷口さんのまだ院生の頃の論攷「秦恒平『誘惑』の逆説 絵屋槇子をめぐる人々」という論文を真っ先にスキャンしてもらった、これは面白い論文なのである。
劣化している新聞の記事や原稿からスキャンし始めてもらえそうで、愁眉を開いている。
2011 8・16 119
* 階下に新鋭機が出来て、ことにスキャナーが目を瞠るほど働いてくれる。スキャンの場合は「あとの校正」が絶対必要だけれど、とにかくも劣化の激しい新聞紙の記事をスキャンして置いて貰えると消失の愁いがない、校正用の原稿としてそれまで保存しておけば足る。なにしろ機械の性能が上がっているのだろう、出来が速い。
おかげで今日もたくさん「仕事」が出来た。仕事に弾んでいると、小説へのひらめきも飛んでくる。
2011 8・19 119
* 「湖(うみ)の本」 読者でマイミクさんである高校の先生だった人が、生徒チームを率いての「短歌甲子園」戦歴を「報告」していた。高校生なのにこんなに幼いのかとも思ったが、日吉ヶ丘高時代を思い出せば、変わりない。個人戦決勝まで進んだという一首にわたしも一応一票を入れてみるが、感想を添えてみよう。
君の胸わたしの内で鳴りしかと振り向けば若きぶなの幹あり(内藤)→個人戦決勝へ
わたしもこの歌を採りますが、「鳴りしかと振り向けば」は説明になり、「うた」のしらべとひびかず、窮屈。
総じて文語、のなかの「わたし」が効果であるか違和であるか。君を「きみ」としていたら「わたし」と呼応したのでは。
「君の胸」という持ち出し方が、寸づまり。「きみの胸のわたしの」と「の」の連ねで諧調を生む道もある。
きみの胸のわたしの内で鳴りしかと振り向けば若きぶなの幹あり
こう連ねると、「鳴りしかと振り向けば」が佶屈とした説明調から抜け出せ、上三句に音楽が生まれるのでは。とても佳い歌になる。字余りを懼れすぎてはいけない気がする。
しかしこの「ぶなの幹」はチャーミング。嬉しくなります。 秦恒平・湖
* この生徒にわたしの『少年』を贈りたいものだ。
どんな専門歌人が審判をしているのか知らないが、「短歌甲子園」とは。やるものだ。この傾向は、いよいよ短歌を「作り出すモノ」にし、「生まれ湧き出る詩」とはべつモノにしてしまう懼れももつ。
* 上の次報で、内藤さんの歌が優勝したと読んだ。おめでとう。選評も聴きたいものだ。
2011 8・21 119
* 便利さに繋がる謂わば「文明」の側からは離れようと思う。「文化」の問題や話題に、偏ってでも、意識を添わせたい。
「文明」としてはしたたか今も向き合う此のコンピュータの世話になっている。なり過ぎなほど、これが間違いなく私の「仕事」を助けてくれる。いま私のなかで醗酵し発光して膨れている「仕事」はとても手書きでは追いつかないほど多い。早く、多方面が同時並行で書けて、電子化のおかげでうまくすれば知友や読者や子供達に遺して行ける。
いまいまの「文明」の話題は機械的に乾いて、量ばかり多いが、心を深く潤してくれない。人間的なよろしさがそこでは涵養も伝達もされずに、軽薄に賑やかなだけで、花がない。花に見えれば乾いた造花のようだ。そして結局批評がなく、歿批評の自己満足に甘えて増殖して行く、いまいまの「文明」は。
そんな「文明」の恩恵にも多くはあずかりたくないし、その生産にかかわりたくもない。機械的にでなく人間的にほんとうのものに触れていたい。
人は嗤うだろうか、たとえば父・北大路の拝一刀と同行している手押し車の倅大五郎の、あの澄んだ「目」に匹敵する「文明」を最近わたしは知らない。天涯のかなたへ飛んでまた苦心惨憺帰還した人工衛星にわたしも純粋に感動したけれど、大五郎の目は、もっと複雑な「人間」の哀歓を湛え過激と信頼を湛え、「文化」と人間の歴史が織りなした久しい歎きも喜びもを瞬時に見通させる。たんなる時代劇の子役ではない。
2011 8・23 119
* だれからと分かっているのも含め、悪意に満ちたホームページへの妨害、またネット世間の中での「悪戯」というしかない中傷・捏造等のあるらしいのを、かすかには聞き知っているが、一切無視。無いに同然、関知したことでない。
わたしのしたいことは、ホームページを整備し、秦恒平としての創作、日乗、思想的所産、そして参考文献や資料を、及ぶ限りきちんと読者や知友の前に残し置くこと。「我意」の所行と承知の上、静かに打ち込んで、いわば「雑行の禅」と成したい。どこまで出来るか、残りの命との並走であるが、成るべくが成せればそれでいい。
併せて、「 e-文藝館= 湖(umi)」を、いよいよ充実させておく。妻の新鋭機とスキャナー連動のいいこと、わたしの機械でなら十日もかかりそうなスキャンを二三時間の内に仕上げて「校正」に手を付けてくれているのには仰天した。紙の劣化しつつある「参考文献」等のスキャンに希望が持てて有り難い。
2011 8・28 119
* 大正末に編纂されている「文藝」読本がある。明治大正のいい小説・戯曲・詩歌が選ばれている。わたしのスキャナーではなかなかうまく取れなかった、手間がかかりすぎた。が、今度の妻の機械だとすいすいきれいにスキャンできる。この宝庫が十分「 e-文藝館= 湖(umi)」に活かせる。手始めに、二葉亭四迷の小説「平凡」を校正する。
2011 9・6 120
* 昨夜もさんざんの容態で、ひっきりなしに耳から頭へズキズキきつく痛みが響いた。自分が何をしているか、 何時頃なのかも朦朧とフラフラとワケ分からず、結局痛み止めのバファリンとと安定剤二錠をのみこみ、それで寝は寝たが寝たまま痛みは感じていた。はっと気が付くと午后二時半ごろ。
* それから、ペンの山田健太氏に返辞を書いた。押村夫妻がペンクラブに言論表現委員長を訪ね、縷々述べ立ててきたらしい。「 判決」がおり、履行義務を私は悉く終えたアトになって、まだ、この夫妻達は何かしら陰気に蠢いている。どういう気なのか。あまりに五年も掛けて得た「判決」が遠く物足りなく不服であるらしい。
妻が山田書簡の要点を拾っておいてくれたのに以下随う。
押村高・宙枝夫妻の ペンへの要望
① 違法行為をやめさせてほしい (「判決主文」の指示には百パーセント応じている。作家活動において、秦に信念に悖る違法行 為など何も無い。)
② ペンとしての責任を明らかにしてほしい
③ 書かれる側の人権配慮を会員に徹底してほしい
山田健太言論表現委員長の対応
① ペンクラブは表現の自由の」団体
② 個々の作品の善悪をはんだんする機能はないし、すべきでない。
③ 作品の違法性が裁判で争われた場合も、その是非を判断する立場にない
適切な判断で、一言もさしはさもうと思わない。
* 秦は、いかなる創作・著作の執筆も公開・ 刊行も、どんな人・団体の支持を求めてしてきたことはない。
事が、言論表現・ 思想信条・著作の自由・権利を侵されるという事態が起きたときは、ペンクラブは率先「討議・対処」すべき立場にあることは、会員・一般に限らず本来の使命と考えて二十数年言論表現委員会にも十数年理事会にも出席してきた。
平成十八年九月のビッグローブによる秦のホームページ全破壊に関しては、当時たくさんな議論があり、多方面の声もあがり、官庁筋との意見交換もあった。結論は、 出したくても出せないほど、法制度自体にむちゃくちゃに脆弱なものがあり、適切な法改正こそが急がれねばという辺で話が止まり、なにもかも腰砕けであったと記憶している。そしてその後法制度もむろん、何ひとつも適切改善へと進展していないのでないか。
明らかだったのは、あのとき、サーバーが、なにもかもひっくるめて厖大な無関係記事まで消去した暴挙があった。中には、「ペン電子文藝館」 の先行成功形の「 e-文藝館= 湖(umi)」に、数百人に及ぶ著作権者多数の作品が含まれていた。
あの当時押村夫妻が何をサーバーへ持ち込んだにしても、全体の万に一つにも当たらないことであった。さすがにサーバーはとにかくも一旦全復旧し、それを確認した時点で、即座に契約をわたしは破棄した。弁護士の示唆も得ていた。
いまだに誤解があるかも知れないが、サーバーからの事前通知も確実な手段での確認も只一度として、本当に全く無かったのだ。
また月替わりには、日付を逆に積まれていた日記は、日付順に直して保存ファイルに移転保管されるのもわたしの永年の習慣で、何かしら故意に記事を動かしていたなどということを耳にしたが、心外な誤解であった。
したがって、本当は残念至極であったのだけれど、「削除事件の白黒」が決せられたなどと全く考えてられなかった。今も。
しかしあのようなサーバーの暴挙にこそ、ペンは「問題点」を極力追究検討しておかないと、今後の電子メディア社会で著作者達はひどいめに会い続けるだろうと思っていた。「電子メディア委員会」がぜひ必要、だから創設した私の判断には、それがあった。
私は、裁判中も、「表現の自由の団体」であるペンや協会は、重大事あらば、少なくも「問題点を検討して体験の普遍化」により将来を顧慮されるのは、会員のためにも当たり前のことと思ってきた。
だが、裁判中に自己の正当性の主張に「ペン」を持ち出したりはしない。
但し、それと同時に、わたしはずっとペンの理事として、また委員としても多年働いている真最中にあった。私の考えの中に「ペン」憲章や、ここ数十年のペン会員( 理事・委員) の誇りが働いていても何の不思議も無かった。ペンは、どうあるべきか、どう働くべきか。それは三百六十五日、私自身の課題として念頭にありづけたのは間違いでない。
* なによりも斯くあって当然ではないのか。
裁判は終了し双方「控訴無く判決を受容」した。押村夫妻は父・岳父の手から、僅かながら妥当な各「百万円」もすでに受領している。
望ましいのは、この際、知識人らしい思慮と良識を用いて一切を水に流して、亡きやす香の霊のためにも孫みゆ希の未来のためにも二十数年来の確執を解くべきではないか。
働き盛りの教育哲学の青山学院大学教授や町田市の児童教育に参与しているらしい妻が、裁判も過ぎた今もなお手を携えて日本ペンクラブに、古くさくなってカビの生えたような話題を持ち込むなど、よほど目先の見えない行儀の悪さではないのか。
2011 9・7 120
* 予想していたいちばん難儀なポイントで手探りにもことが運ばない。わたしの手にはやはり負えないか。根気よくアタックしたい。
2011 9・8 120
* わたしは人のネット上の仕事を妨害する真似はしない。しかし妨害されれば幾重にも幾段にも無道さに対抗し、別の新たな道をつけてゆく。道を付けながら多彩にネットの妙を押し広げて行く。
2011 9・14 120
☆ 近況報告など
秦先生 お久しぶりです。
今日、mixiの退会手続きをしました。
時間がなくてログインさえすることも出来ず、何人かからは メッセージも頂いていながら返信も出来ず・・・・これでは かえって迷惑かとも思い、思い切りました。
仕事の忙しいのは今に始まったことではないですが、下の子の保育園の建て替えで、仮園舎が遠くなったり、新居の建築を今年の4月からはじめていたりで、平日はほぼ睡眠時間は3~4時間程度、体の方も少々やばいかなぁと思いつつあった今日このごろ、案の定、人間ドックで精密検査に引っかかり、緑内障の症状も安定せず再手術の検討も通告されてしまい、ずっと心に引っかかっていたmixiをもうこの際退会しよう! と思い 切った次第です。
mixiで交流の幅をと思っていたのですが・・また異動等で時間の出来る職場に行くこともあれば再会したいと思います。突然退会の手続きを取りましたので、ご説明と近況報告を兼ねてメールさせていただきました。
最近の先生のHP、体調がすぐれないようで大変気になります。うちのA さん、Y さんには「おじいちゃんは4人居るんだよ」と言っています。2人は、私と妻の父、もう一人は仲人を頼んだ高校の恩師、そしてもう一人は秦先生です。
お体をご自分でもう少し気にかけていただけると良いのですが・・・
P.S 本当は子どもたちの写真なども添付したいところですがアナログ家族なもので、未だにフィルムカメラを使っています。気軽に電子データの写真がありません。ご容赦ください。ちなみに、地デジ難民ですし(どうせテレビなど見る時間も無いので関係ないですが)・・・・ 丸
* からだに異常の無いよう、視力のより健常に有りますようにと心より心より心より願います。
二人のお嬢達のこと、なんと嬉しいことを云うてくれるか。機械の中の写真を眺めて手を振っています。
「 mixi」 は、遠からずわたしも全面撤退するでしょう。ほんとうの人間関係にしてはあまりにバーチャルに過ぎます。意見の交換がきっちり出来るかどうか、微妙すぎますし。
2011 9・17 120
* 「作家・秦恒平の文学と生活」=「公式ホームページ」のURL を、向後、
http://hanaha-hannari.jp/
とする。「総目次」もこの際、より分かりよく整備して行く。
従来の、
http://umi-no-hon.officebllue.jp/
には悪意の被害があらわれ、今後も危ぶまれるので、現状を維持しつつ、より無難な「活用」をこころがける。
* ホームページは、私の文学・文藝活動の有力な基盤として創設十五年来多彩に働いている。妨害に臆することなくバックアップ対策も慎重に重ね重ね講じながら、いっそう充実を図って行く。
「作家・秦恒平の新作」
「宗遠日乗 闇に言い置く私語の刻」 平成十年三月以降日々、本日まで数万枚。ジャンルに応じ次々編輯刊行されている。
「電子版・湖(うみ)の本」 創作・エッセイ 「清経入水」「蘇我殿幻想」以降、現在第百八巻「バグワンと私」まで。以降も継続。
「作家・秦恒平 全創作・著作・発言集成 年譜その他」
「作家・秦恒平 参考文献集纂」
「作家・秦恒平責任編輯 e-文藝館= 湖(umi)」 古典・幕末以来平成まで作家・詩人・批評家等、文豪より新人まですでに五百人・六百作に及ぶ大読書館。日々充実を加えている。
2011 9・20 120
* 昨日今日、SPAMならぬ「ウイルス」攻撃の報知が相次いで入ってくる。記録している。
2011 9・20 120
* 例の「60日間」掲示期限終了を機に、しばらく御無沙汰していた牧野総合法律事務所宛て、報告のメールを入れた。牧野さんの返信もあった。
2011 9・21 120
* 捜しものは相変わらず見付からないまま、また、もっと今が今に大事に取り纏めた創作資料が見付からない。よくよく衰えが進んでいるのか、身辺にモノが多すぎるのか。広い場所で整頓できているとは言えない、狭い上に、モノの上に下にモノが、つい、置かれて記憶から落ちてしまう。やれやれ。
ま、また手間・ヒマを掛ければ再度の取り纏めが不可能ではないのだと半ば諦めている。たいていのものが機械の中へ電子化されてあるのでそれが出来る。
2011 9・29 120
* いましも妻は懸命に「秦恒平参考文献・輯」に連日連夜取り組んでくれている。「論攷」「書評」「批評」「世評・アナウンス」に分類して、保存してきた限りを電子化してくれているところだが、その総量の多いこと多いこと、出てくるわくるわの何というか「頼もしさ」に、妻はスキャンし、校正して読み、或る意味で楽しんでさえいてくれるようだ。まだ、百の一つにも当たらないほどで、「湖(うみ)の本」創刊以前の、以後も含めて、どんなふうに秦恒平の創作・著作・人間が批評され観察されていたかがこわいほど覿面に読み取れてくる。有り難いことだ。
今日はたまたま見つけた「古典遺産」№33という1982.10月の雑誌巻頭で、「座談会・秦恒平著『風の奏で』を読む」という長篇を手渡しておいたら、興がわいたか直ぐさまスキャンし、一通りの校正までしてくれた。平家物語研究者として知られた今はない梶原正昭教授をはじめ加美宏、小林保治教授三人で、わたしの小説を専門の研究者・学者の立場から大量に読み合わせてもらっている。
おそらくわたしの熱心な読者でもこんな文献には目も触れたことないだろう。表題などのデータだけでなく、出来る限り本文内容も読んで貰えるように用意しているが、なにより総量の多さにわたし自身が仰天している。嬉しい悲鳴である。
2011 9・30 120
* 疲労が濃い。夕食後に二時間、からだを横にし読書していた。読書は次々に皆興深いのに、身を起こし機械の前へ来ると、気が付くとうたた寝している。もう休む。
林丈雄君から機械のことでいろいろ助言されているのに、どういうことをどうすればいいのか理解が届きかね、情けない。わるいアタマが一段とわるくなっている。
遠い遠い昔の亡き給田みどり先生の歌集に、身を沈透くように読み耽る
2011 10・7 121
* すこし身体が軽い。インシュリンを多年打ち続けているので体重減は望み薄いが、血糖値は( いささか我流も加味し) コントロール出来ている。
* 生命力は明らかに減退している。
生きて甲斐ある「時代」かと問えば、内心はためらいなくノーと答える。何か、是非是非したい、しつづけたいことがあるかと問うても、内心は、強くイエスとは答えない。
この「時代」から欲しいモノ、無い。この「時代」に自身の手で付け加えたいモノ、無い。ちいさいが熱い願いや希望は持っていても、「時代」とも「日本」とも「世界」とも鋭く交叉していない。「公」の社会へ視線をなげ視野を探ってみて、得たい物も与えうるモノも見当たらないし思い当たらない。手を延ばして与えられたいという何もほとんど思い当たらない。私としては有り余るどころか、足りない欠けていると明瞭に意識していても、では足りれば幸せになるかというと、そんな自覚が持てない。
足りないモノは足りないまま、もう、このままでよい。しょせん独りでしか立てないちいさな島に生まれてきて、幸いに何人もの人たちと立てているのなら、それ以上は望まない。望むな、という奥深い声に聴いている。
「環境」ということばで久しく自然環境をばかり人は口にしてきたが、わたしは、現代の自然環境は「機械環境」に蚕食され腐蝕して行く、もう、 そうなっていると諦めてきた。
風光明媚の自然を堪能するときにも、人は魂よりも各種の機械でそれを受容し、喜怒哀楽をケイタイで伝え合って、www という網に絡められることにこそ「安心」を得ている。他と「機械的につながり」さえしていれば安心な時代とでも謂えるのだろう。
人間という精神環境の機械的腐蝕の時代を、いまや人はこれを待っていたとばかり謳歌しているみたいだ、「 mixi」 だ「facebook」だ「チャンネル2」だ「ツイッター」だと。新しい機械が生産されると長蛇の列でとびついてゆく。しかし、そこから「私民」環境にどんな美事な成果があり得ただろう、何も思い浮かばない。「革命」 いっそそれなら歓迎するが。
もう、「一人の世界」は不要かのようだ。一人立つなどというのは古くさくなったのだ。広大なネットの網目に結ばれていれば安心なのだ。ネットが大事なので、人は、自分は、記号なみに漠然と繋がれていればそれで構わないのだ。
環境とは、世界とは、「機械」のことであり、機械の網目に掴まれていれば世界民としての市民権は得ているわけだ。おお、マトリックス。
* わたしも、そうでないどころか。
だが、イヤになっている。もうこういう世界から「せめて一人」「せめて身内だけ」の「元始」に目覚め返ったらどうだろう。グチに過ぎないと、鋭くわたしを突き刺す奥深い声がある。その痛み、せめて自覚していたい。
2011 10・9 121
☆ おじいさま、おばあさま、こんにちは。
お葉書頂戴いたしました。メールをいただいていたなんて、申し訳ありません。私のパソコンのゴミ箱に自動的に入っておりました。
どういうわけか、頻繁に使わないアドレスからですと、勝手にゴミ箱に入ってしまいます。最新の機能も困ったものです・・・
今、探し出して救出、やっと読むことができました!
「アマデウス」の舞台、是非ご一緒させて下さい。その日は都合良く何も予定がありませんでした。
おじい様おばあ様とお会いできる素敵な日! 今からとても楽しみです。
その後、おじい様の体調は戻られましたでしょうか。あれから気になりながらも、バタバタしているうちに時間が経ってしまいました。
最近は、論文執筆とアルバイト、家の片付けで時間が過ぎておりました。
本当に大変失礼いたしました。でも、ネコさんの可愛いお葉書を頂戴でき、嬉しかったです。
本日は取り急ぎお返事まで。 莉
* 一年のパリ留学から帰ってきた、やす香の親友から。
* 機能ばかりややこしく新しくしながら、「頻繁に使わないアドレスからですと、勝手にゴミ箱に入ってしま」うようなものを高価に買わせるなど、本当にメイワクだ。わたしも、大事なメールが不良扱いされ、あわやボツにするところを救い出した経験がある。それと、最近は、機械に入っている普通のメールをめったに開かないという例も増えている。
昨日の妻の機械での大量原稿喪失は、妻だけでなくわたしの気も腐らせる。秦恒平の作に対する数十、それ以上もの、校正も済ませた「書評」原稿を瞬時に喪失し、呼び出せない。おそろしいほどの、妻の視力・体力ロスである。精査すればきっと見つけ出せ救出出来るのだろうとわたしは体験的に感じているが、遺憾にも妻の新機は、同じ会社の機械なのに已にわたしの手にとても負えないのだから、情けない。妻は泣く泣く一からやり直しかけている。
わたしは、人も呆れるほど昔の儘の機械を親機としてメインに使っている。ややこしい使い方はしない。古なじみの親しさで、ただ、容量はしっかり取ってある。しかしいくら「FACEBOOK」から連絡があり、開いて読んでくれと云ってきても、この機械が余りに古くて通用しないらしいと分かってきた。そういうソシアルへの興味も関心も実は失せていて、これ幸いと放ってある。
2011 10・21 121
* 新しい機械(Lavie Windows7)に不慣れな妻が、延々と手伝ってくれていた作業ファイルを、理由不明で消失してしまい、わたしも、ガッカリしている。ま、有りうることで、わたしも何度も似たような落胆と憤激を繰り返してきた。使い慣れた古い機械に親しんでいるのは、そういう失敗がもうめったに起きないからで。新しい機械は、怖い。
わたし自身はなんとか機械の内容を簡素化したいと、余分なものは消していっているが、バックアップは省けない。
2011 10・21 121
* 美しい保谷野の秋色を写真で入れたが、何故だか転送できなくて。どうしてよいのか分からない。わたし独りで楽しんでいる。
2011 11・1 122
* まだ未整頓で混乱したままではあるが、ホームページの中で「秦恒平の参考文献輯」を見て頂くと、「書評」「批評」「世評」の原稿が、もう幾らか電子化され、とにかくも掲示されつつある。要するに発表当時の「同時代評」等の「纂集」に手をつけたばかりで、出し尽くすまでには相当な月日を必要とする。手の出せるところから妻が手当たり次第自分の機械へコピー原稿を電子化し、また校正してくれている。校閲もまた適切な配列もまだまだ遠い先の仕事だが、作が、どんなに批評され書評され評判されていたかは、個々の原稿でもよくわかって、本人の私でさえ、へええと驚いたりムカツいたり喜んだり出来て面白い。煩雑で数知れない作業に妻は打ち込んでくれている。有り難い。妻は妻なりにしごく興深いしごとであるらしい。
* それにしても、わたしのホームページ、ただただ素人臭く厖大に築きつづけてきたけれど、年が経ち、かなり混雑・混線もしかけている。一つにはわたしがまるで未だに機械操作に未熟なセイもあるが。なんとかしなくてはいけない。
2011 11・10 122
* 「 mixi」 日記の回収がたいへん手間のかかる作業で、だが放り出して真の闇に放棄もイヤ。毎日掲示していた年の分量に音をあげ、もっと回数少ない今年分を片づけてしまおうと、一、二、三ヶ月分を手元の一太郎に引き取った。「 mixi」 は「足あと」の見えていた間は、それなりに気の弾みもあったが、それがなくなり、「イイネ」などという片言のような反響などどうしようもない。ともあれ、早く片づけて「 mixi」 の過去を消却したい。
2011 11・16 122
☆ 十二月になりました。 播磨の鳶
12.2 冬寒の東京ですね。寒暖の差が激しくお体に障らないようにと願います。こちらはまだ少しだけ緩やかな感じで、庭の柿の実を干し柿にと吊るしていましたのに黴が生じている始末。果実は成り年と成らぬ年( こんな単語あったかしらん?) があり、今年はレモンの実が素晴らしく結実しました。まったく無農薬、自然のままのレモンを楽しんでいます。
もう師走になってしまいました。相変わらず落ち着かない日々を過ごしています。
『光塵』では、『少年』に収められていないために初めて読む歌の数々に、そして俳句に、さまざまな思いをもちました。毎月巻頭に掲載される俳句の面白さに微苦笑し、深刻さに頷きながら、鴉の別の本領をも垣間見てきましたから、このような形で纏められた
ことを快く受け取りました。
先日、美空ひばりのことに触れていらっしゃいましたね。あの番組を娘は偶然見ていて、何より彼女の歌唱力の確かさ凄さに驚き感心していました。歌詞をしきりに記憶していました。「人生って不思議なものですね、悲しいものですね・・」とか、川の流れのようにとか・・普段歌謡曲にはおよそ興味を示さない彼女に美空ひばりは新鮮強烈だったようです。
徳川秀忠に関する記述も大いに納得しました。
ダヌンツィオの名前が出てきました。やや意外かと驚きましたが、日本文学との関連と考えれば、納得も。彼の文学は現在日本でどれほど読まれているのか、まったく疑問ですが、森鴎外の訳に始まって彼の文学を受容してきた日本文学の系譜も、殊に三島由紀夫
に関連して無視できない重さをもっていますね。イタリア・ファシズムの先駆としての彼の奇異なる生涯を思うと、その華麗さ、挫折、文学的力量にかかわらず、「敬遠」してしまいます。
三島由紀夫が生田長江訳の『死の勝利』をもとに『岬にての物語』を書いたこと、三島の唯一の翻訳出版はダンヌンツィオ『聖セバスチァンの殉教』であったこと。
そして楯の会の行動にダンヌンツィオの影響が強くみえること、市ヶ谷駐屯地の本部バルコニーから、三島がおこなった最後の演説がフィウーメを占拠した時のダンヌンツィオの演説に似ていること。改めて確認しつつ「あの日」を思い起こします。大学の構内で友人たちとニュースを知った時の衝撃・・今は昔の感さえある「あの日」が亡霊のように思えます。
ダヌンツィオが若い日に、パリでドビュッシーと出会ったのは一つの「救い」「宝石」のようにも思います。このところドビュッシーの「月の光」をしばしば聴いています。ベートーベンの「月光」とは異なる魅力、時代背景の変遷も感じます。
12.3 昨日の
伊勢うつくし逢はでこの世と歎きしかひとはかほどのまことをしらず
さらに百人一首の親しんできた歌
難波潟みぢかき蘆のふしのまも 逢はでこの世をすごしてよとや 伊勢
あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまとたびの逢ふこともがな 和泉式部
いずれもいずれも人の哀憐の愛恋の真実であると、そして「老境には胸に沁みる感懐」に至るまで、既に既にあまりに存分に過分に胸に沁みこみ侵食された感懐でもありましょう。
「うつくし」は、美しくもあるにせよ、より深く愛おしく共感する意味であると書かれています。そのようにありたいと誰しも、そしてわたしもそのようにありたいと焦がれてきました。月日の容赦ない経過は、わたしたち生き物の無残をくっきりと姿を浮かび上がらせてきます。それにしても和泉式部のようにまっすぐに愚直なまでに純粋に生きられなかった自分なのに、彼女のように生きたかったなどと、およそあり得ないことも暫し思うのです。
一人器械に向かえる時間が極端に少なくなり、メールを書けませんが、鴉の無事息災を遠くから祈っています。冬の寒さに負けず、暖かく「優柔不断」に楽しんで過ごされますように。
* このように書いたり書いてもらえるなら、メールという伝達捨てたものでない。「書く」だけの行為は容易だが、豊かに「よく書く」には容易ならぬ人格を要する。
ダヌンツィオのことなど、無関心でなにも知らなかった。
「優柔不断」に「無事息災」で、か。なるほど。
2011 12・3 123
* ようやく、寛いでいるのだと思う。わたしも妻も、かつてなく、昏々と眠る。一日の大半を眠っている。
孫やす香の名で「白血病」が「 mixi」 に突如公開され、まもなく「肉腫」という決定的な悪病まで公開されてこのかた、丸五年= 六十ヶ月嘗め続けた苦渋は、われわれ祖父母夫婦の寿命をすりつぶして出来た毒の味であった。
愛孫の「かくのごとき、死」が、なにゆえに祖父( 母) を被告席に置くに値したのか、しかも実の娘や婿の手で。わたしたちは今もって理解しがたい、不徳ゆえと譏られても仕方ないのだが。
しかし、ようやく今年六月末、結審した。余震はなお二ヶ月ほど不愉快に続いた、いまはやっと静かになっているが。
そして、めったになく一ヶ月の余もわたしは病臥の日々を送った。ようやく往年の歌集『少年』を引き結ぶていに、老後の述懐『光塵』を送りだすことが出来た。わたしも妻も、かつてなく、昏々と眠る。一日の大半を眠っている。ようやく、寛いでいるのだと思っているが、まだこの先は分からない。
幸いにとは謂えまい、不幸にしてと謂うべきか、この間にわたしはやす香病状に同時に追い縋るように、結果は「挽歌」と帰した日記『かくのごとき、死』(「 湖(うみ)の本エッセイ」39 )を書き、長篇フィクション『逆らひてこそ、父』上下巻(「 湖(うみ)の本」50 51)そして『凶器』(「 湖(うみ)の本」 通算101)を書き下ろし、また思いをこめて詩歌鑑賞の『愛、はるかに照せ』(「 湖(うみ)の本エッセイ」 40)を出版してきた。失神しそうな苦悶や憤怒のなかでこれらを懸命に「書く」「書きつぐ」「本にする」ことが、わたしを強く起たせていた。残念ながらほかの方面の創作へこころを遣る余裕は無かった。そしてバグワンに助けられ、ありがたい大勢の知己のちからに支えて貰った。
* 喪っていた時と力とをどう取り戻せるか。旬日ののちには七十六歳になるが、ありがたいことに、今日その数字は致命的な「老」には幾ばくかの余裕をはらんで見える。正月早々の人間ドックがなにをわたしに告げるのかは分からぬが。
思いに凝って、 身に代えても取り返したいとただ願うのは、ただやす香である。『光塵』 66 70 72 75 76 78 84 90頁に書き残した孫やす香を悼み想う祖父の歌のすべてが、この五年の地獄苦を清めてくれている。
2011 12・4 123
* 『濯鱗清流 秦恒平の文学作法』上下巻エッセイ47 48 『バグワンと私』上下巻通算107 108 『詩歌断想』通算109 と、五冊、ホームページの「宗遠日乗」から抄録し編纂した。かならず先ず跋である「私語の刻」から読み始めるという人多く、それにも最近の「日乗」を取り込んでいる。この日々に欠かしたことのない日録である「生活と意見 闇に言い置く私語」が、秦恒平の文藝として、創作として受け容れられているのを示している。心して書いており、この厖大で自在に遠慮なく書き積んできた「宗遠日乗」は、わたくしの最大の作物として死後へ遺せると思ってきた。
ただし「宗遠日乗」として集積してある分は、文字通りの雑纂、つまり書きっぱなし。
それを文学とかバグワンとか詩歌とかに集約するから「 湖(うみ)の本」 の一冊一冊として体を成す。それが出来るようになったのは、真実有り難い読者の精魂を込められた分類作業があったからだ。
全部が全部「 湖(うみ)の本」 にはしていられない、それだけで更に百巻を要するだろう。わたしは、いずれ、さきの読者の手で分類された形を斟酌し、『分類・宗遠日乗』をもこのホームページ中に立たせて置きたい。
2011 12・7 123
* 朝、東京新聞「筆洗」が目に留まった。
☆ 2011/12/14東京新聞【筆洗】
およそ現代アー卜には縁がないが、文化面の美術評に触発され、日本を代表するメディア・アーティスト三上晴子さんが制作した「欲望のコード」展(東京・初台)に足を運んだ ▼暗い展示室に入ると、ざわざわと音がして、壁に整然と並ぶ九十個のセンサーと小型カメラが一斉に動き、天井から吊された六基のロボットアームが追い掛けてくる ▼監視されている不気味さが消えない。撮られた映像は、インターネットで公開されている世界の監視カメラの映像とともにデータベース化され、昆虫の複眼のような巨大なスクリーンに映し出される ▼本来、人間が設定した目的のためにプログラミングされた監視カメラとコンピューターのシステムが、意志=欲望を持って私たちを監視し、記録し始めたら…。抽象的な作品に込められた意図を、本紙で児島やよいさんが解説していた ▼< 乗る降りる買うことごとく記録され我より我をスイカ知るなり> 吉竹純。少し前に東京歌壇に載った短歌だ。記憶ではなく、集積されたデータが行動を把握していることへの違和感の表明だろうか ▼ネットで書籍を買うと、蓄積されたデータから読書傾向が分析されお勧めの本を紹介するメールが届く。自分が一つのデータとなって格付けされているようで気味が悪くなる。そんな日常に慣れてしまってはいないか。自問を繰り返している。
* 2011/10.27『「 湖(うみ)の本』109「あとがきの末尾」に
生命力は明らかに減じている。生きて甲斐ある「日本の今日」かと問えば、内心はためらいなくノーと答える。足りないモノは足りないまま、もう、このままでよい。しょせん独りしか立てないちいさな「島」に生まれきて、幸い何人もの人たちと立てているのなら、それ以上を望まない。望むな、という奥深い声に聴いている。
「環境」ということばで久しく自然環境をばかり人は口にしてきたが、風光明媚の自然を堪能するときにも、人は魂の眼より各種の機械でそれを受容し、喜怒哀楽もケイタイ等で伝え合って、www という網に絡められることに「安心」を得ている。他と「機械的につながり」さえしていれば安心な時代とでも謂うのだろう。新しい機械が生産されると長蛇の列でとびついてゆく。しかし、そこから「私民」環境にどんな美事な成果があり得ただろう、何も思い浮かばない。「革命」 いっそそれなら歓迎するが。もう、「一人ある世界」は不要のようだ。一人立つなどというのは古くさくなった。広大なネットの網目に結ばれていれば安心なのだ。ネットが大事なので、人は、自分は、記号なみに漠然と繋がれていればそれで構わないのだ。環境とは、世界とは、機械のことであり、機械の網目に掴まれていれば世界民としての市民権は得ているわけだ。おお、マトリックス!?
わたくしは、やはり、 一人で、小説が書きたい。
* 上の二つの記事は、暗い深い痛みをわかち持ちながら呼応していないだろうか。
2011 12・14 123
* ふつうでは、とてもわたしの望みの漢字がすべては賄えない。漢字検索して、ふつうでは出せない漢字を探し出してはプールしておくが、それもそのままは本文に移せず、コピして貼り付けたりしている。どれほどプールしてあるか現状で数えたら991字あった。慵? 輒軈竊澀奠啣??蹕鑿躱覦薹薺など、常用しなくても時には是非必要になる。ハテナマークのは、コピーして貼り付けるしかない漢字。
2011 12・23 123
* 妻の手で電子化された「秦恒平・参考文献」の「書評」「批評」「世評・アナウンス」「論攷」「事業」別の未校正スキャン原稿が、まだ一部であるが、すでに厖大量実現している。来年にも引き継がれる作業だが、これらによってわたしの「仕事」が相対化される。ほぼ全部が、作の発表公開とほぼ同時期の批評で。これで作と、作の受けてきた批評とが、相呼応して保存できる。
ただこれからスキャン原稿を厳密に校正し、作と対応して順序に応じて整頓しなくてはならない、それまたたいへんな作業量。
2011 12・25 123