* このホームページに保存されている以前の日録から、写真の移動を試みた。うまくいけば、暫定、役に立つが。
2013 1・4 136
* 南天の豊かに美しい写真が届いていて、それを機械に保存する手続きは承知しているが、写真をホームページ上に転写する手順が依然と変更されたのか、どうやっても成功しないのに困惑している。
南天は昔から好きで、いまも、我が家の庭では亡くした愛猫の「ネコ」「ノコ」の墓地を季節ごとにはなやかに彩ってくれる。南天は、葉の色・形もきっぱりと凛々しい。
2013 1・13 136
* 湯にいるとほっこりと安住する。今夜は五冊を少しずつ読んだ。入浴後の体重は44.5kg。
盛んに予告していたドラマ「とんび」を離れ、年賀状をアドレスとして記録、まだ、よほど残っている。記録し保存しておくとやはり便利。機械の破損したときにかなり多くというか、殆どを消失していたので、欠かすことの出来ぬ作業。 2013 1・13 136
* 漸く年賀状の住所等の点検を終えた。今年は去年の倍ほども年賀状を頂戴していた。機械のアジレスブックがおそらく500を優に超している。不徳なれど、わたし、孤でないとしみじみ思う。
2013 1・15 136
* ホームページ」に写真を入れる手順を見失っていて。すばらしい印形、先日頂戴した「騒談余人」印も、今日頂戴して今も掌にある「有即斎」印も、此処に掲げられないのが残念、残念。湖の本に、美しく表してみたいもの。
有り難うございます。お気持ちに素直に背を押して戴いたまま、へんに気張らないで静かに「書く」日々を重ねてまいります、病気とも静かに向き合いながら。
2013 2・1 137
* ことにホームページの文字転換が不調でえんえんと時間がかかる。仕方なく再起動してみた。もとへ戻っているようだ。
2013 2・17 137
* ひっきりなしにFACEBOOKから、わたし宛てに「いろんな声が掛かっています」と知らせのメールが来る。ところが、わたしにはFACEBOOKが開けない。問い合わそうにもメールへの返信が利かないように成っている。帳消しにしたくても、処置できない。こんなにわたしは機械のことが分からない。
いま一番困惑し落胆しているのは、撮った写真を、どうしてもホームページ入れることが出来ず、せめて月代わりの日録冒頭には新鮮な写真が入れたくても完全にお手上げ。つい以前までは簡単に出来たのに、いつからかフツと不可能に。あるいは一太郎を「承12」にレベルアップして以降なのかと邪推したりしているが。それとも、現在ホームページが抱えている写真の数が多すぎて、ということも有るのか、無いのか。
2013 2・23 137
* 岡本勝人さんに頂いた壮大な長詩を、久々に、「e-文藝館・湖(umi )」に掲載しようとしたが、掲載手順が想い出せずに、失敗。物忘れがひどすぎる。落ち着いてまたやり直す。
2013 3・21 138
* 昨日、どなたとも全く知れない肩から、ツゥイッター世間へ「招待」が来た。なにがしかの手順を追っては見たが、さだかには何事とも如何様にとも理解できないで放置してある。実態もみえず判断も届きかねている。
2013 4・6 139
* 以前に、上野千鶴子さんから、「秦さん、ツイートしたら」と奨められたとき、その意味もよく理解出来なかったが、二三日まえにどこの何方とも知らない方から「Twitter 」に紹介か招待か、してもらった。こころみに登録してみたが、いまだに、キイの扱い方もよく分からぬなりに、またどういうことを限られた字数でつぶやけばよいのか見当もつかなかった。そんな、他人のつぶやきなど聴いたことも読んだこともなかった。
それでもまぐれ当たりのように現れた「ツゥイート」欄に、次から次へ書き込んでいった。ことは簡単ではなく、ごく僅かな字数制限ゆえに推敲して制限内におさめるのはかなり難しい。だが推敲はわたしの商売のようなもの。二三日のうちに80幾つもの「記事」を送り出した。それは呟きとはずいぶんちがう。この「私語」と同じに、ひとさまに訴えたいことをおそろしく生真面目に書きに書いた、添削しつづけたもの。わたしには述懐したいことは山のようにあるが、吐いて捨てるような物言いでじゃらじゃらする気は毛頭無い。上野さんのお奨めは、わたしの思いをただ「私語」としてホームページに書きためるだけでなく、ひろく遠くまで今まで手の届かなかった大勢をめがけて述懐し主張してはどうかということであったろう。
少しは、政治家や評論家や、一般の人のつぶやきも聴いてみた。諸連絡に利用している人が多く、しかし頷ける意見やばかげた駄句にも出会った。わたしはわたしの気持ちを一貫させることで、つまらない時間つぶしからは身を避けていようと思う。何字だっけ、たしか160字ほどの超短章。それを思うまま書いてみるのも「文学」的たんれんではあるだろう。
自在に「Twitter 」の操れる人は、「秦恒平」の気概をどうぞ汲み取って下さい。
2013 4・13 139
* 今日も小説にとりついていた。「Twitter 」にも書いていた。アテもメアテも無く、すでに書けてあるものをザンザンバランと推敲して制限の文字数にする、いわば練習のようなもの。知らない人たちからフォローされつつあるが、そういうことにも関心は、あまり、ない。関わるのは最小時間のいわば一服で済ませたいから。
湖の本116(二下)のゲラが出そろっている。この読みを着実に。
今朝は十時まで熟睡。今夜も、はやめに就寝。
2013 4・14 139
* 「Twitter 」を始めたのは数日前のこと。気ままな我流でもう150項もツイートしてある。短文を字数制限で書ききるという「演習」のつもりだから、他のどんな人のツイートとも全然様子が変わっている。「つぶやき」というより自在に多彩な「ひとりごと」である。字数に厳しい制限のあるのをむしろ喜んでいる。
2013 4・18 139
* 『ペンと政治』三巻に没頭していたため、小説へもとりついていて、機械の各所で未整理・未進捗が目立ってきた。なかには、どう操作するのかと迷ったり忘れたりもしている。少しずつ取り戻して行く。
2013 4・20 139
* 「Twitter 」に誘われて十日目ぐらいか、140字制限の多方面への「述懐」を、はや170項も発信した。二ヶ月もすれば1000に成ろうか。これと目指した伝達相手をわたしは意識していない。創作に類する「孤」の仕事と思っている。共感して読んでくださる方があるなら、有難い。
2013 4・20 139
* 「Twitter 」も書き、小説も。
* ああ、今日はもう視力を使い果たした。、
2013 4・23 139
* 今日は小説に時間をかけた。まだまだ、先がある。
「Twitter 」も恣に書いた。字数制限を逆手に、倍ほどの文章も工夫して140 字に取り纏めるのが面白いし、いろいろ考えさせられる。
2013 4・24 139
* Twitter に誘われたのは先月の十日頃だったか。あれから、全くの我流でツイートしはじめ、今朝で、341項の言葉・短文を送り出している。一度で140字を三度書けば400字原稿用紙の一枚強。その百倍、つまり百枚分を書いて送り出した勘定。
そのせいか、SPAMメールがひどく増えた。フォローしてくれる未知の人も少しずつ増え、とても熱心に読んでくれる人も。
すこし機械の中が賑わっている。FACEBOOKK は熱心に勧誘してくれるが、ニッチもサッチも動かない。「mixi」は、もう開こうとしても開けなくて、もう何年も遠のいている。
* 午後も晩も、ずうっと、一つの小説にかかっていた。励んでいる。
* 停頓していることもたくさん在る。最大のものが「e-文藝館・湖(umi )」の進行。さらに困惑しているのは、「闇に言い置く 私語」の保存のための校閲。もっと深刻なのは、「湖の本」既刊ほぞん原稿の機械の中での校正。校正往来でずいぶん手が入る、それが入稿原稿に反映していないのである。刊行本に合わせて修訂しておかねばならないのに。
これらには、弱っている。しかし
2013 5・3 140
* Twitter も、わたしにすれば生産的なものでなく、時間と手を割くにあまり値しない気がする。ほどよく撤退しようとも。
小説創作と、湖の本刊行と、ホームページの自在な充実と、「e-文藝館」の文学的充実と、に集中するのが本道に相違ない。
「mixi」よりは、多方面の「声」が雑然と交錯し、いくらかは汚穢な某チャンネルに似て文責は必ずしも明かされていない例が多い。その点は「mixi」の方がまだしも行儀いいが刺激もされない。
2013 5・6 140
* 夜前、機械を消しかけてふと碁を打とうと思った。以前も以前に相手にしたソフトは弱すぎてつまらなかったが、機械を替えてのちのは実に手強いとだけ記憶していた。たしかに手強かった。ああ此処へ打ってくるな、打たれたくないなと思うところへ間違いなく相手は打ってくる。参った。結局、六目半の負けになったが、善戦した気分で久しぶり面白かった。ただし碁盤の目線がぐちゃぐちゃに縦揺れしているのは気色悪かった。
2013 5・28 140
* 建日子から、姉朝日子(改名して現在押村宙枝)が「facebook」で日記など書いていると知らせてきた。
https://www.facebook.com/hiroe.oshimura
謙虚で真摯・誠実な自己表現であるならば、せいぜい書けばよい。厳しい批評も冷静に受けるがいい。
わたしは「facebook」にも登録できているらしいが、仕組みも中身もわからず、まったくログイン出来ない、有効な画面が開けないままでいるし、「mixi」も、もう何年も開いてない。つまりはあまりに時間つぶしであり、最近関わって「Twitter」も、やはりわたしには時間のムダづかいになり、すぐ抛った。
わたしには、つねに「創作」という「仕事」がある。やがては創刊三十年・百二、三十巻にもなる「秦恒平・湖(うみ)の本」のとぎれない「刊行」という「仕事」もある。
さらには、浩瀚なホームページ(作家・秦恒平の文学と生活 http: //hanaha-hannari.jp )がある。「創作の書斎」であると同時に、そのHPには、前世紀このかた十数年、すでに数万枚・140ファイルもの日録「生活と意見 闇に言い置く私語の刻」があり、むろん「湖の本など全執筆集」も含まれ、加えて、責任編輯している幕末から平成まで六百作もの文学図書室「e-文藝館・湖(umi) 」もある。
これらをより一層充実させるに過ぎた「創意の仕事」はなく、しかもわが残年は、もう短い。とてもとても「ソーシァル・ネットワーク」と戯れてなどいられないのであり、幸か不幸か、娘押村宙枝の書き物を読む気も、機会も、無い。それでよい。
何よりこのところ気に掛けていた、「e-文藝館・湖(umi) 」の更なる充実に、心新たにまた取り組んで行く良いキッカケを建日子の知らせから得た、有難かった。
2013 5・29 140
* 「仕事」が輻輳すればするほど、問題も多く起きる。目下の差し閊えの一つが、再三嘆息している「e-文藝館・湖(umi) 」への原稿転送手順をすっかり忘れてしまっていること。よほど難儀を実感していたので、幸い、四種類の「手順略述」控えが機械に保存されていた。さて、それを仔細に参考に見ながら、それでも今夜は転送へのトバ口で何度もつまずき失敗に終わった。ま、よろしい。根気よく試み続ければ成功するに決まっている。頭もそのように働き初めてくれるだろう。
2013 6・6 141
* 「e-文藝館・湖umi 」への原稿転送、半ばまで成功しながら、肝腎のネット転送が出来ない。どこで何を間違えているのやら。
皆目 ひとりでの手探り操作で、覚束ない。辛抱して、粘って試みつづけるしかない。
2013 6・10 141
* この機械、好調ではない。機械のせいでなくわたしの操作にミスがあるのだろう。
① ffftpの転送に、なにかしら変がある。
② e-文藝館への転送が成功しない。
③ ホームページでの新しい写真の掲載ができない。
なにしろモノが多すぎるのかも。極力減量し分散したいが、ままならない。「仕事」ばかりが拡大している。
2013 6・16 141
* パソコンという機械でのメール利用が「激減」しているのは、一般にそうのように思われる。機械を開かない人が増えていて、ナシのつぶてで終わったり、わたしのように返事を割愛し、たとえばこの「私語」に任せたりする人が多いのだろう。他方では、ケイタイ・メールやツイートは病的に増えているようだ。はっきりいって「ツイート」の意味など、つかめない。貴重な時間をあんなばかげた、軽薄で無意味なつぶやきで費消するなど、堪らない。なにより時間の無意味な空費がおそろしい。創作、思索、湖の本、読書、観劇、そして日々の私語と、お酒。わが残年、それで十分はちきれそうに豊かである。交友もこれらを通して可能である。それに、人は、残念至極、亡くなったり病んだりされるのが、つらい。
2013 6・16 141
* 「原発の事故で死んだ人はない」という自民高市早苗政調会長の、必ずやるとにらみ据えていた大暴言が出た。辞職を求める。
* 安倍「違憲」総理がツイッターで、批判者を非難し返している図の愚かさにも惘れる。最高の行政公人が批判に曝されること自体、民主主義の望ましい在りり様だという理解が、根底から欠けている。「違憲」にも加えてまさに安倍「落第」総理ではないか。「公人」は批判に遭ってもそれ自体当然の約束事なのだと「総理大臣」がわきまえていないなんて、なんという程度の低い人だろう。批判されたくなければ「公人」の立場を去り、一介の「私民」に戻りなさい。
わたしは「公人」へは遠慮無く批評もし非難もする。『ペンと政治』三巻を観て貰えば分かる、徹底して「公人」の非は見逃していない。
「公人」とは。
政治家、行政職、裁判官、法曹家、企業・団体の代表者、責任者その他、少なくも世に出て「個人」としても仕事を公開している人、教育・教職者、上級研究職、文筆家・藝術家、藝能人らはみな、「公人」にほかならず、その仕事や発言は世の批判を受けても当然なのである。むろん評判もする、賞賛もする。
* 一つ、ぜひ言いたいし、社会のルールになってほしいのは、こうした公人への批判・批評のすべては、「文責」を明らかに示すべきであり、最低限度のそれが守るべきマナーであるということ。文責のない「わるくち」「中傷」等は、被害者当人も社会もアタマから無視して取り合わないというルールが出来て欲しい。わたしはあくまでそう考えている。少なくも、新聞などの公然の匿名コラム、例えば「大波小波」など以外の場所で、「文責」を明かさず、つまり「秦恒平」が書いている・言うていると名乗らずには、たとえ公人をといえど非難し批判したことは、無い。当たり前のマナーだと考えている。批判した相手との議論を拒む気もない。
* 東久留米駅で、共産党の宣伝班につかまり、ひとしきり意見交換してきた。自公に勝ちたいなら、少しでも抑えたいなら、野党共闘にもっと本気で取り組まねばお話にならない。いったい誰が野党の味方なのか。味方を糾合しなくてどうして議席が稼げるのか。莫迦みたい。
2013 6・19 141
* 剣呑で物騒で無思慮な犯罪、少年が加害者であったり被害者であったりのイヤなニュースばかり。なぜこういう日々がうち続くのか。それは、あまりに多くの人が、自身と向き合わず、他へ他へ、他所へ他所へ向いているからだ。FACEBOOK TWITTER MIXI そしてケイタイだのスマホだのブログだのと、バーチャルにとりとめなく、他者へばかり、しがみつくように向いてしまっているからだ。いじめもそうだ、復讐もそうだ、反撃もそうだ。自己喪失。
自分自身ともっと誠実に向き合い、真にせよ善にせよ美にせよ、せいいっぱい自分自身の内から、深みから、底から、日ごと掴み取ろうとしていれば、無用な軋轢も殺意も敵意も沸き起つまいに。悲しいことだ。人間が人間味を見失っている。自分をほうりなげておいて実体の希薄な他者へ他方へ機械を頼んでただただすり寄っている。なんとバカげたことだろう。「闇に言い置く私語」により自身と向き合いつづけている、わたしは。だから或る程度までいつも満たされている。
2013 6・28 141
* じつに根気よくもうマル二年ちかく「Facebook」から連絡してくる。それほど昔にわたしは入会していることになっているらしいが、わたしには自覚もなくその後フォローの手だても分かっていない。放置のママ連絡を受けているばかり、それでも今日、自己紹介ような欄に書き込みが出来たかも知れない、やはり出来てないかも知れない。どうでもよい。「Facebook」でのわたしのアドレスはこうで、「タイムラインへの移動」はこうで、メール送信はこうで、などと教えられているが、それが何を、何の機能を意味しているのかも、機械音痴のわたしには伝わってこない。所詮時間つぶしという確信が手伝ってつまり関心がもてないのだ。それでよい。
2013 6・29 141
* おお、久しぶりに写真画像がHPに取り込めたではないか。楽しみが増えるぞ、わたし一人の、ではあるが。
2013 6・30 141
* 昨日自分の「e-文藝館」にようやく一文を掲載した、掲載手順を記憶喪失してどうにも成らないでいた。よしよしと思い、お預かりしている作を掲載しようとして、また、つっかえている。ああ、老耄われを捉へしか。
それでも、( それでも、と、この頃二言目には書いている。言い訳がましい。) とにかく一度成功した。写真をホームページに転載するのも一度、二度成功している。なんとか、なんとか試行錯誤しては隘路をすり抜けている。妙なもんだ。
2013 7・5 142
* 昨日、小松市の八代啓子さんから、お手紙を追うように、金沢の、見る目も涼しい名菓、それは美味しい冷菓を頂戴した。
また四国高松市の星合美弥子さんのお手紙を受けとった。
メールは送っても、機械をあけて見ない人がよっぽど増えていると想われる。手紙や葉書でないと用の足りない時代へ逆戻りなのか、それもあろう。メールを送るのも受けるのも鬱陶しいと感じ始めている人の多さを感じる。分かる気がする。
「facebook」から五月蠅く、明けてみよみよと報せてくるが、明けられないのだ。それでもマグレのように少々人の書いている記事の読めるときがあり、ところが何とくだらない譫言ばっかりか。メールではまだ「文藝」の芽が育たぬではないのに、唾でも吐き散らすような「twitter 」や「facebook」の物欲しげな独りごとのバカらしさ、幼稚さ。いまの世の中を軽薄にしているのは、キミたち自身じゃないですか。「濯鱗清流」にほど遠い濁世間よ。
2013 7・7 142
* 機械にいっぱい溜まっている写真を一日整理していた。そうでないときは寝ていた。暑さが凄く、負けてしまうと危ない。水分補給を励行している。
ものを言えば唇が苦々しく痺れるだけ。「なんじゃい」と他界へ逃避している気分。
2013 7・9 142
* 昨日あたりから、「FACE BOOK 」 との連携がほぼ可能になったらしく、しかしまだ勝手がわからず全面的に受け身のママ。しかし東工大時代の学生諸君の何人かと繋ぎがつきかけている。三田大介君、中野智行君、柳博通君等々。文章の送り入れ方など分かっていないので、このままに推移する。気分はけっして暢気でない、レマルク「愛する時と死する時」の爆撃の惨状・惨劇などが今のことのように胸を揺すり立てる。過去の史実では済まない、今日の覚悟こそ問われている。
2013 7・17 142
☆ ご無沙汰しております.
Facebookもお使いになられるようになったことをホームページで拝見しまして,リクエストさせていただきました.
秦先生でしたら,従来通りホームページにお書きになられた方が,内容,分量,読み手の範囲,あらゆる面から良いように思います.
それほどメッセージ性の強くない写真や愚痴を掲載するにはFacebookが適当というだけだと思います.
宜しくお願い申し上げます.
ご承認くださいまして,ありがとうございます.
お言葉もありがとうございます.
目は,お辛いことと拝察します.
眼科というのは,もっと画期的な治療がありえるのではないかと,いつも思います.
ともかく,先生のホームページを拝読するのが日課ですので,楽しみにしております.
老議院についても,いろいろ思うところはあったのですが,考えがまとまらず,失礼しておりました.
今年の夏は暑いようですので,ご自愛ください.失礼いたします. 鷲 愛知
* 手探りで試行錯誤していた「FACEBOOK」で東工大の卒業生諸君から「声」が掛かってきたのは懐かしい嬉しいことであった。手続きがまだ読み取りきれないので、わたしの方からは自覚的になにもまだ出来ていないし、「鷲」くんの助言を有難く聴いている。今日一日で七、八人もと連携できたようだ。
2013 7・18 142
☆ こんばんは。
メールは便利ですが、日々、塵の積もるような量にウンザリしています。家のPCメールチェック回数は段々に減って、最近は気が向いた時だけになりました。
仕事は、パソコンの電源onで始まり、パソコンoff で終わります。今では業務の多くの時間がメールのやり取りになりました。便利なツールですが、思いのほか細やかなやり取りで疲れます。
最近は目の不調を理由に、せめて自分の時間はパソコンやメールに生活を支配されないよう、むしろ意識して離れようとしている、そんな私です。
また暑さが戻ってきました。冷房の生活もあり、咳や食欲不振など不調の方が増えています。
最近、湖を傷めつける苦い液は消化液の逆流のご様子ですが、この季節、食欲は絶対に守りたい砦。粘膜保護剤や消化剤は効能違いで多種類ありますので、次の診察時に主治医に症状と頻度を必ずお伝えください。消化剤は案外よく効いて、ささやかなのに大胆で驚くことがあります。
「美味しい」は幸せなことですね。これからはそんな一時を積み重ね、元気な免疫増やせますように。祈っています。
くれぐれもお大事に、湖。 珠
* 「せめて自分の時間はパソコンやメールに生活を支配されないよう、むしろ意識して離れようとしている」のは聡明なこと。スマホやケイタイやパソコンでのメールに占領されてしまい、日増しに「マトリックス」世界に人間が奴隷化され、凶悪な心ない犯罪環境にも無神経に濫用されている。電車の中でも半数以上がメールをしたり読んだり遊んだりしている。こういう機械は世間の狭まり行く老人には電子の杖として有効だが、年幼い子、若い子には「毒」になると十数年前から繰り返しわたしは書いてきた。業務上の有効や必要や進展はともかくも、無用の「毒」を無反省に呷っているなど、いい大人の場合、知性の衰弱としか思われない。
* すこし集中を欠いて、気怠い。宵のうちに七册を手にし、トルストイの『イワンのばか』を読了した。一つ、日本と海外の小説らしい小説を加えたい。機械と碁を打つか。
2013 7・19 142
* 「facebook」を見ていると、ほとんど「日本語」が働いていない。鳥の囀りのほうがよほど美しく気も晴れる。せっかく参加する以上、そのようなお喋りには加わらず、わたしの「創作、批評、述懐、主張」を書き置く、ないし連載する場として、好きに利用するとする。かつて「mixi」でもそうしていた。
プロフィールには、細川弘司画伯が描いてくれたクロッキーを用いた。写真の送り込み手順にまだ自信がない。
「twitter」では字数制限が厳しく手間が掛かるので、適宜にやはり「述懐、主張」を送り込むことにしている。
時間つぶしは御免である。
2013 7・24 142
* ニュースを聴いても読んでも気がくさる。
機械に溜め込んだ写真を整理したりしていた。トリミングの利くエプソン・ファイルマネージャーを使って大いに便利していたのに、どこかへ機能が失せてしまい、同じエプソン・ファイルマネージャーなのに、トリミング機能が無くなっている。図像のコントラストや明度や彩度調整もできなくなった。
できないづくしで謂えば、相変わらず新しい写真をホームページに送り込めない。
また、原稿を、e-文藝館に送り込む手順を失念したまま稼働させられない。
よほど頭もわるくなっているワケだ。
仕事のために必要あって、江古田の書店で時刻表をひょいと買って帰ったが、みれば超細小字で、虫眼鏡でも読めない。フゥー。手元の本で、まあ読みやすいのは、歌集句集の新刊本・単行本ということです。
2013 7・26 142
* ソシアル・ネットワークには、早くに「mixi」 次いで「twitter 」 さらに「facebook」に 曲がりなりに加わった形だが、「mixi」はとうに放擲して何年にもなる。もはや開こうと試みても開くまい。「twitter 」も「facebook」も、時間をかけて関わるには私自身にモチベーションが無い。ホームページで十分に足りている。時間が惜しい。自分から開いてみようという気にならないし、人のつぶやきやことばを多少見てみてもほとんどが無意味なもので、日頃を忙しく真剣に過ごしている人ほど「ただ加わっているだけ」の感がある。当然と思う。内容のある、鼓吹力のある世間への発信に真実努められる人には大いに活用して貰いたい。無定見な若い人たちには、ただ軽薄な麻薬の濫用なみお遊びにすぎぬと見える。ばかげている。
むかし、「北の国から」のなかで、初期の携帯電話機能に毒され中毒症状を起こした少年のぼろぼろの姿を作者が適確にうつしだしていて敬服した覚えがある。その少年はまだ当時は希少の例だったが、いまや日本人の何割もが、それも若者の多くが、またインテリのなかにも、無批判に毒を嘗め毒を呷っている例が、目を覆いたいほどいる。これもまた間違いなく日本の悪しき「違憲」政治による「国民の最大不幸」現象にほかならない。
2013 8・5 143
* 「facebook」からメッセージなどといろいろ伝えてくるが、わたしの不馴れで画面で確かめ得ていない。失礼あらばお許し願う。
わたし自身の「文学と生活」「生活と意見」は厖大な公式ホームページ(hanaha-hannari.jp/)に尽くしていて、「facebook」等にはその一部を転写しているだけ。時間が惜しいのでそれ以上に深入りはしないようにしている。一の願いは実は無事と元気とを心より願っている「たづね人=孫娘」。京都の立命館大学に進学したのではないかとかすかに洩れ聞いている。元気でいてさえくれればそれで十分。
2013 8・6 143
* 入れ入れとやいのやいのの督励に辟易しながらごそごそと機械に触っているうちに、「TWITTER 」にも「FACEBOOK」にも呼び込まれていたが、要するにこのホームページに屋上屋を架する思いうせず、またそれ以外に、新規につかみどころない世間に割り込みたい願いもなく、機械的に此処に挙げてある「闇に言い置く私語」ばかりを無造作に送り込んできた。およそそれらは「TWITTER 」にも「FACEBOOK」にも似合わない言説に思えたが、似合う「ことば」の持ち合わせも無いのである。
おかげで、もう、やいのやいのは無くなるだろう、わたしの気持ちははなから、「TWITTER 」にも「FACEBOOK」にも冷淡だった。「mixi」経験で見当がついていたのである。
時間や余力が有れば、優れた未知の本や再会を期したい本たちと出逢いたい。
2013 98・10 143
* 「twitter 」が教えてくれた。
☆ 金子勝氏 (twitter)
3.11から2 年が経つ。福島原発事故は収拾できない。忘れていけないことは、翌12日の原子力保安院の中村幸一郎審議官の記者会見。彼は「炉心溶融が進んでいる可能性がある」と発表したが、その夜に更迭。メルトダウン隠しと国家犯罪が始まった。
☆ 福島第1原発「炉心溶融が進んでいる可能性」 保安院 2011/3/12 15:30
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経済産業省の原子力安全・保安院は12日午後2時、東京電力の福島第一原発1号機で原子炉の心臓部が損なわれる「炉心溶融が進んでいる可能性がある」と発表した。発電所の周辺地域から、燃料の核分裂に伴うセシウムやヨウ素が検出されたという。燃料が溶けて漏れ出たと考えられる。炉心溶融が事実だとすれば、最悪の原子力事故が起きたことになる。炉心溶融の現象が日本で確認されたのは初めて。
記者会見する経済産業省原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官(12日午後)
保安院は同日午後3時半、圧力が高まって爆発による放射性物質の大量放出を防ぐため、格納容器内の減圧作業を実施した。圧力が「午後2時を境に急激に下がりはじめた」(保安院)という。
周辺地域から検出された種類は、いずれも本来は金属容器で封じ込めている物質。炉心溶融で大量に放射性物質が出れば、被曝(ひばく)の被害が広がる恐れもある。
保安院は今回の炉心溶融について「放射性物質の広がりを計算した結果、現時点では半径10キロを対象とする住民避難の範囲を変更する必要はないだろう」と話している。
震災にあった1号機は、核燃料棒を冷やしていた水位が下がり、露出していたとの報告もあった。
燃料を包む金属容器は高温に耐えるとされる。溶けたとなれば、燃料周辺が相当の高温にさらされたとみられる。金属容器ばかりか原発の圧力容器や格納容器を溶かせば、放射性物質が外に漏れ出す。
原発の運転中は、炉心で核燃料が核分裂を起こしている。発熱反応が連鎖し、冷却水を蒸気に変えてタービンを回し、発電している。
冷却水があるうちは熱が一定に保たれるが、本来の水位が下がると燃料が生む熱の行き場が無くなる。最悪の事態では、原子炉の心臓部である炉心溶融が起きる。
この事態を受け、保安院は自衛隊に給水支援を要請した。大量の水を使って熱を冷ますためだ。
過去の大きな原子力災害も、炉心溶融が原因のものがあった。1979年には、米ペンシルベニア州のスリーマイルアイランド原発にトラブルが発生。緊急炉心冷却装置が働かず、高温になった燃料が炉心を溶かす大事故につながった。
* 国は隠す、政府は隠す、東電をはじめ原発関連企業も隠す。「隠す」ことが大きな犯罪そのものであることを彼らは恥じない。かくて大きな、いや大事な、いや一大事が進行して行く、現に進行している。対応と、自警を謬ってはならない。
* 話題一変。この使っている機械( パソコン) に、一過性か定着か、幾つかの異常や機能不全兆候が見えている。機械は使い慣れたころからだいたいこういう風になってくる。なんとか誤魔化し機嫌をとりおそるおそる長生きしてもらうように付き合ってきた。こっちの技術が百点満点にはるかに程遠いのだから、半ば以上は諦めて付き合っている。
2013 8・13 143
* 偶然というしかないが、何年ぶりかで「mixi」の画面が開いた。だが、みーんな昔のままの昼寝の夢のよう。何か書き込むという気にもならず終えた。
2013 8・15 143
* しつこいと感じるほど「FACEBOOK」がおなじ事や似たような連絡を寄越す。あけてみると、まるで知らない、興味も関心も覚えない人たちの名と写真とが湧くように画面を流れる。また「ことば」での人との「やりとり」なども出てくるが、こんなたわいないほどのやりとりに、何かご当人達には生き甲斐があるのかしらんとビックリする。わたしは、片言での人との会話などに興味も関心も持てない。それで、この日記から、文章を取り纏め取り纏めて「送稿」しておくだけ。だれも読みはしないだろう。一人でも気を入れて読んでくれる人がいたなら、それでわたしの思いは満たされる。「TWITTER 」は一度のつぶやきを140字に限らねばならない、それに時間も手間も取られるので、書き込みはしないことにしている。人の「つぶやき」には、まさにピンからキリまである。幸いピンの人たちの言葉だけが連絡されてくる。それは「TWITTER 」の長所。しかし「FACEBOOK」には相当に長い記事でも送り込める。それが長所。読まれるか読まれぬかでいえば、今の知人の範囲内では読まれないままに済むだろうが、ま、「闇に言い置く」自己表白のコピーなのだから、先の反応などちっとも気にしない。次から次へ此処で書いてある文章を貼り付けるだ、手間も時間も掛からない。
2013 8・29 143
* 「中2病」といわれる剥離現象が目に余る。「IT」というメディアに全面依存した少年・青年のわるふざけだ。成人式で暴れていたあれとの違いは、「IT」というメディアに全面依存した顕示行動であること。要するに、生身の人と人の付き合いを喪失し、機械の中で幽霊同士のふれあいに溺れている。
「付き合う」という言葉が、躰と躰の性的ふれあいを互いに容認する符牒になっていた。思えばそれは「恋」喪失のじつに安易な代替現象であったのだが、狭い世間ではそういう安直な「付き合い」が黙認され認知されていた「時代」が、このところずうっと続いていた。そういう、謂わば安直な「はだかのつきあい」すら今や溶解して、よかれあしかれ生身の「ふれあい」をすら無残に掻き落とした、「IT」というメディアに全面依存した幽霊たちの淵に子供も、かなりの大人達も、沈み込んでいる。性の解放はよかれあしかれ戦後日本のおおきな活性源であったが、「IT」というメディアは、よかれあしかれなまみの人間的興奮である性関係をすら得も云われない毒の働きで溶解してゆきつつある。おそろしい時代だ。まさに機械が人間を蚕食し幽霊にしてしまう。
2013 9・1 144
* 手に入れた岡村宇太郎の「椿と猫」から猫を切り出し、ダメだろうと半ば諦めながらこのホームページへ送り込んでみたら、入った。情けないほど失敗してきた一つが、成功した。もう一つは、「e-文藝館・湖(umi )」への原稿転送。これがまた出来るようになると俄然わたしの精神は活況を取り戻すだろう。一つ、また一つと行きたい。宇太郎の猫、いいでしょう。
2013 9・4 144
* 「FACEBOOK」「TWITTER 」煩わしいほどいろいろ連絡が入るが、手を出さない。無くてもいいものだ。
2013 9・15 144
* 秦建日子が、当分、フェイスブックやツイッターのために時間を浪費しないとブログに書いているらしい(母親から聴いた)のは良いことだと思う。ひっきりなしに「お知らせ」と称して当然のように流してくるメールの全部が単なる繰り返しの無意味な連絡に過ぎないことに嫌気がさしている。退会の方法を知りたいぐらいだが、わたしの手に負えない。そんなことに関わり合っている時間がむちゃくちゃ惜しい。要は、放っておけば済むだけ。
2013 9・25 144
* 「e-文藝館・湖」への「入稿」を試みたが、どうしても成功しない。機械がどうかしたか。そうなるとわたしには手に負えない。
* 粘り抜いて、わたしの「言葉は心の苗である」という文学エッセイを、「e-文藝館・湖(umi )」に送り込めた。少し続けて試みて、正確に自在に運用できるようにしたい。いつかは、1000作ものコンテンツを選び挙げたい。その目標点はもう眼に見えている。
2013 10・8 145
* 詩といえば、岡本勝人さんからお預かりしながら、何としても「e-文藝館・湖(umi )」に掲示できなかった大長編詩を、繰り返し試行錯誤をかさねたあげく、とうとう、今夜、転送に成功した。お預かりしたのは四月上旬だった。半年もの間、わたしは放置していたのではない、が、何としても何としても忘れてしまった掲示の手順が取り戻せなかったのだ。ほおっと、一息ついた。
2013 10・9 145
* 新聞、テレビのニュースは、だが、反射的に顔を背けたいようなことばかり。
高校生女子が二十一歳の男に、自宅内の押し入れに入り込まれていて、予告通りに殺された事件など、ことが若者の無残さゆえ何倍も胸のうちを黒ずませる。この事件についてはぜひ書いておきたいことがある、のに、気が進まない。ひとことでいえば。ああ、言い出すのも疎ましく情けなくて言葉がのどもとで焦げ付いてしまう。
電子メディアを遊具にしてしまう文明の愚。ろうじんにこそ電子の杖と助けになり得ても、若い人たちのためには猛毒になってしまうと、このホームページを開いた前世紀末にすでにわたしは深い濃い懸念を書いたり話したりしないでおれなかった。
ま、今日は書く気がしない。
2013 10・11 145
* FACE BOOK の「友だち」をほぼ全面削除した。「友だち」とはそんな軽薄なものでないからだ。事実上FACE BOOK からは脱退した気持ちで居る。
2013 11・9 145
* 撮り溜めていた写真の整理をしていた。それが、どこかへ隠れてしまった。機械はややこしい。
2013 11・12 145
* なんとかかとか可愛い太郎 次郎 小次郎の写真はねじ込めたが、これまではエプソンのファイル・マネージャーで自在にトリミング出来たのに、このソフトが全く働いてくれなくなり、ディマージュ・ビューアでは映像処理がただただ複雑なのにトリミングは利かないと来ている。不格好な写真を入れるハメになり、太郎たちに申し訳ない。いまわが家で、黒いマゴに次いでの大の人気兄弟です。
2013 11・16 145
* 機械の調子もわるいが、わたしの調子もすこし歪んでいる。機械はまともに始動してくれないし、わたしは日付を間違える。日付などどうでもいいと思っているならそれはそれだが、日付は軽いモノではない。年月日を正確にしておくことは、ある種の義務である。
機械の方は負担増の度を越えているのではないか。子機へ移せるかぎりは移す工夫をした方が良いと分かっていて、なかなか手が回らない。
2013 11・27 145
* ソシアルネットとは、「mixi」は、とうの昔に、「facebook」も「twitter 」も、全然といえるほど「手を切って」いる。関わることも覗くこともしていない。わたしにとっては意義もなく、プラスもない。無用の時間をそんなところで割くより、「仕事=創作・出版・執筆」のために、たださえ残り惜しい時間を大事に大事に用いたい。
2013 12・9 146
* TWITTERに、猪瀬直樹都知事について「秦恒平は何を考えているか」という書き込みがあったと報せてきた人がいた。「T witter」でつぶやけるには字数の限度があり、また「TWITTER」で「つぶやく」そのことにそもそもわたしの関心は薄い。「つぶやく」という日本語には「かげで誹る」意味がある。かげで誹るよりも、誹るべきは文責を明かして自分のホームページ上でなるべく意を尽くして書く方が善い。
猪瀬君に関しては、友人としても都民の一人としても既に繰り返し書いている。
2013 12・18 146
* 妻の機械、破損。心せわしい歳末になりそう。修繕屋にきてもらい、長時間かけて辛うじて復旧。
2013 12・26 146
* 有元さんに頂戴した「八海山」を九日で、しかと頂戴した。美味かった。
今日、小田さんに頂戴の「近江の美酒」の封を切った。美味い。ひょっとすると今日飲み干してしまいそう。気分良く酔って、いまはキイを押しながら半分余はまなこを閉じている。
いま隣の大画面では映画「ディープブルー」を映し続けている。好きな、しかし半ばは深い畏れをさそうあまりに美しい海の映像である。よくも撮ったと思う。
今真向かっている機械「NEC LaVie」と、映画を映している大画面の「DELL」(子機)と、ソニーの小さい精鋭機(別機)とを、いちおう「併用」しているが使いこなせているのではない。子機も別機もさしたる役には立てられずせいぜいバックアップにしか使えていない。いつまで機械を使い続けるのか、なにもかも一切手放してまったく別の最老後を迎えるのか。
* 機械の前でいつしか居眠りしていた。
2013 12・31 146