ぜんぶ秦恒平文学の話

1998年~2002年

電子メディア コンピューター

* 日本ペンクラブに「電子メディア問題研究会」が出来ました。言いだしっぺとして、当面、座長役を仰せつかっています。
パソコンは頭打ちとはいえ、一年で六百万台を越す売り上げです。しかし大方が粗大ゴミなみに、ゲーム機またはワープロとしてかつがつ使われているに過ぎないのが実状ですから、まだまだパソコン時代が実質を得ているとは言えません。難しすぎるのですね。インターネツトを使いこなしている人は少なく、使える人の何割もが、いわばヘンな興味や好奇心で掲示板を使ったり、アダルトのハードコア写真を収集しているのも現実でしょう。わたしだってそういうところをちゃんと見て知っています、すぐに飽きてしまい、もう近づきませんけれど。
つまり実勢はたいしたことは無いのに、しかし「問題」は、電子メディアの全分野にすでに生じ、近未来にますます生じ、遠い先には何が生じるか予想も付かないけれど生じるに相違ない問題が、山ほど考えられる。電信電話、テレビ、ファックス、ワープロ、パソコン、コンピューター。それらとのつき合いが、「ペン」の領分でも、増えこそすれ減って行くわけはありませんし、必ずしも電子メディア機械を歓迎している一方ではないのです、わたしも。
しかし時勢の大勢を、手をひろげて阻むことは容易ではないし、またそれが真に賢明なことかどうかは思案の余地があります。
どんな問題がどのように起きて、どう言論や表現に作用してくるか、問題がのっぴきならないことになる前に、拾い上げ考え、対応を考慮してゆくことは、ペンクラブとして、自然な「思想的」発想であり態度ではないかと思ったのです。
人権、著作権、出版権なども、目の前の問題になってきます。言論表現の自由も関わりますし、悪しき法権力による規制への対応も、遅きに失してはなりません。文字コードの国際的な視野における適切な見直しも叫ばれていますし、これは単に現在のわれわれだけの問題でなく、釈迦や孔子にも、日本書紀や源氏物語にも、空海や親鸞にも、鴎外や漱石にも、いいえ現在活動中の文筆家や学者研究者にも、いいえ千年後にも漢字やひらがなで思想や芸術を成すであろう人たちにも、まったく同じ条件で、大きな大きな問題になりかねないのです。
言語文字文化財は、稀少化と劣化とを免れません。世界中のだれもが、どこでも、いつでも、同じ条件でフォント化された文字で、あらゆる古今の文献や作品に接しうるほどの「電子図書館」「電子文藝館」を願って行くことも、大切な「文化」事業、国家的な大事業になるでしょう、ならねばならないとわたしは思う。
いま、研究会発足の当初メンバーをどう探して行こうかと、すべては緒についたばかりですが、思案しつづけています。いい知恵のある方はお教え下さい。
ともあれ、いまだに和服姿で、毛筆で原稿を書いているのかと、わたしのことを想っていてくれる読者もいます、が、ワープロに切り替えてずいぶん久しい、この道では先駆した一人なのです。東工大「文学」教授に選任されると、即座にパソコンを買いました。なにしろ国立の東京工業大学です。学生達の親切な指導と協力で、まだまだ今もウロウロしていますけれど、ホームページを開くまでに来れたのも、はっきり、私自身の意志と好奇心の結果です。機械を賛美する思想はじつは持っていないのですが、前へ向いて動いて行く時代に、機械に興味がわかない、それと貨幣価値の変動について行けない、なんてのは、要するに、わるく「老け込む」モトだと考えてきました。
断っておきますが、新しい機械、変わりすぎる貨幣価値、その両方への批判・嫌悪感を、わたしは決して意識の背後に置き去りにしてなど、いないのです。一種の「敵性」として認識し、把握して、しかし機械の前に卑屈に屈してしまいたくはないのです。
1998 4・12

* ホームページを「自己表現」の場にしてみると、自分が何人もの立場を共演しなければならぬ、または共演しようとしていることに気が付く。「湖の本」は、常識的な「書き手」の立場を大きくはみ出た仕事であり、破船の憂き目を覚悟しながら維持し運航して行かねばならない。無い知恵を絞って、自分をウリに出さねばならない。くるくるくるくる早変わりを演じていなければ到底、続けて来れなかった。痛い自己嫌悪や無力感とも闘わねばやっていられないときがある。高揚感や幸福感に満たされるときもある。
作者と読者と作品。
その純粋な三角関係に混じりものの入る余地もないと感じるとき、少なくも多くの書き手たちのまったく知らない境地を得ている気がする。生計を脅かすはなはだ心細い境地であるのも確かであるが、至福もある。
1998 5・7 2

* 私のホームページは、アクセスして下さる方にあまり親切ではない。こう文章ばかり長くては、沢山では、とても読めないだろう、よく承知している。私は作家であり、言葉と文字とで仕事をしてきた。ともと機械音痴だったし、図画工作の趣味もない。ホームページを「綺麗に」しようなどと、考えたところで出来るわけもなく必要も感じていない。
それでもいいという方は読んで下さるだろうし、私はホームページを文字通り「原稿用紙」に、「ノート」に、「告知板」に、また「日記のようなもの」に「使おう」としている。「恥知らず」な自己拡張を平然? とやっているに等しい。
よそのホームページ個人語りを覗いていると、アクセスカウントを稼ぎたいだけのような、また更新できずに立ち枯れのようなものが、やたら多い。四月末からカウントできるようには設えたが、それは二次的な励ましに過ぎない。それよりも、私が「ここにいる」のを、知ろうとして下さる人には「どうぞ」と言うだけだ。容量は5MB。半角で500万字、漢字やかななら半分。使い尽くすまで書き加えて行くことも出来る。誰も私を、ここから、「閉め出す」ことは出来ない。
1998 5・7 2

* 第一回の電メ研は、幸い支障なく、時間を三十分も超過するほど熱心に話し合えてよかった。緒についた実感がもてた。司会にあたって、正直のところだいぶん緊張した。
「Vチップ導入」問題は難しい。出席した総員が、いわば「否定的に慎重な」意見で一致したのが印象的だった。
一つには、現在の流れでこれが導入された場合に、国が主導の規制傾向にそのまま乗って行くことになり、たんにこの問題だけでなく同種の好ましからぬ傾向を傾向として是認してしまうことになりかねない。感心したことでないという考えがある。
二つには、こういう形で親が、大人が、家庭内で主導・指導が可能になるものなら、こんな機械的強制でなくてもじつは可能なのではないか、また、その方が自然で望ましいのではないか、という考えがある。
三つには、レーティングに応じてパスワードでチェックするとしても、器械に適応力のむしろ親より強い子供には簡単に解除できるかも知れないし、べつの場所や家庭で簡単に好奇心を増して見てしまうことは防げぬ、と言う考えもある。
四つには、子供達はみないという前提につけ込み、より放埒な大人向け番組が氾濫しかねないという考えもある。
五つには、子供への、それが本質的・人間的な親・大人との良いつき合い方であろうかという考えもある。
1998 6・11 2

* ペンの六月理事会に、第一回電子メディア対応研究会の報告をし、用意したアンケート案の承認を求めた。一部に追加の質問を加えて承認されたが、パソコン等の機械を「全く使う気はない」理事、「使わないが興味はある」理事など、いろいろだった。
大きな時勢の流れの中で、我が身の私的・個人的なことからひとまず離れて、インフラとしての電子メディアすら「視野に入れないことを、むしろ誇らかに発言する理事もあり、感心した方がいいのかも知れない、見上げた藝術家魂のようにも一瞬思えるけれども、それは「違う」と思う。
「機械」の人間に対する「敵性」「毒性」をわたしは忘れたことがない。だからといって目を閉じ背を向けて、逃げてはこなかった。使えなくても興味をもち好奇心をもった。わたしはひどい機械音痴で、全然得手ではない。自動車にも乗らない、人を傷つけるおそれがあるからだ。
だが、思えば父は「ラヂオ屋」であった。機械や器械は知らず知らず見て育った。ところが大坂門真市のナショナルの工場へ、父の命令でテレビの技術講習に一夏やられた学生時代のあの苦痛は、言語に絶した。何一つ修得しなかった、恥ずかしいぐらい。
その無能ぶりと、テレビのもつ機械的・文明的・歴史的意義への関心や興味や好奇心とは、重ならない。技術音痴だけど機器への視線は棄てたことがない。
パソコンも、わたしの表現や創作に必須のものになるだろうと、努力し意識し勉強して、やっとここまで来た。だが、親愛なる学生君の親切をきわめた指導と助力がなかったら、一太郎までは使えても、ホームページなど出来なかった、出来てももっともっと遅れただろう。
わたしは、人に機械をつかって原稿をお書きなさいと勧めたりしない。人それぞれなのだから。そのことと、電子メディアにより、これからの出版が、図書館が、著作権や人権が、廃器械処理による環境汚染が、どうなるかということ、に「ペンの人間」として関心をもつこととは、べつごとなのである。その辺を分かってもらいたいのだが。

* アンケートの下案は、電メ研の前夜に私が書いた。その5に、こういう項目を挙げているのが、わたしの真意を明かしているだろう。
5 電子メディアに関連して、憂慮するのは:
(1) 文学の変質  (2) 人間の変質  (3) 廃器械処分等による環境汚染 (4) セキュリティ破綻や野放し発信による私権・人権等の侵害 (5) 視力等の健康上の悪影響 (6) 漢字・かな・和記号等の国際利用  における決定的不足・非在による、伝達機能・保存機能の障害 (7) あいまいな著作権   (8) その他
この項目に、私の機械械への「批評」は明示できていると思う。大方の人は、これらのすべてにマルをされるのではないかと思う。電子メディアのことは、これらの一つ一つを「適切にクリア」して行くことなしに、真の文化にはならないだろう。そのことは、特定の作家が、執筆者が、編集者が、自分で機械を使う使わないの問題とは、別なのである。

* 梅原会長は、「関心をもたざるを得ない」と笑って述懐していたが、自分の著作を電子出版物にという話が現に来ていて、さ、そうなれば著作権の「制度的な事」も何もかも分からない。関心は、現実問題化してくれば、要するに、持たざるを得ないのである。
機械で文章が書けるものかといった頑なな議論は、「好み」だけのことで、そういう人には、では何なら立派な文章が書けるのか、万年筆と毛筆とボールペンと鉛筆とで、文章は変わるのかと聞きたいし、文章の生まれる脳内のメカニズムを文具や機械がどう決定的に左右するのか、説明が付くなら聞きたい。その上でなお利不利は人さまざまで、決定的には言えまいと思う。
要は拘りや好みの問題で、それは人の自由だと思うからなにも言わないが、そのかわり、機械で文章が書けるものかなどという世迷い言も願い下げにしたい。文章のよしあしは才能により努力による。道具の問題であるわけがない。
1998 6・15 2

* 何の必要があってか、テレビの多チャンネル化がもう既成事実化しているが、もっと認可されて増えて行くようである。そんなにチャンネルを増やして、コンテンツの用意があるのか。お手軽で粗悪なものの氾濫してくるのが防げるか。かつてお蔵入りの粗悪品やキワ物が利用され、粗製濫造もふえるだろう。エログロ暴力ものの専用のようなチャンネルも当然の顔をして出来る恐れがあり、そういう手合いはむしろVチップ導入をあてこむことで、存在理由にライセンスを得ようとしかねない。チップで子供は見ないはずだから平気ですとばかり、暴走を容認された顔して愚劣なチャンネルや番組が増える。
想像するだにウンザリで、この辺で誠実に言論表現の自由とは何かを考え直してみる、確認すべきは確認し直してみる必要を痛感する。こんなものは無いに越したことはないとわたしの確信している「自称自由な表現」は、いっぱいある。「自由」が勝手次第の意味になっているに過ぎず、かえって「言論表現の自由」を根から腐らせているとしか思われない。排除の論理を探ること自体を恐れすぎて、お題目にすぎて危険な全面的な「勝手な自由」を守りすぎていないか。

* ペンクラブの言論表現委員会が今日も極暑の事務局会議室であり、熱い会話が入り乱れた。児童売春・児童ポルノ禁止法も、ていねいに法文案を調べていると、気になることが多い。
もうこんなのは、バッとやめて貰いたい。グレーゾーンも多すぎる。こんな犯罪的な「表現の自由」ならぬ「勝手な自由」はやめて貰いたい。
Vチップなど、わたしは賛成できない。どっちかなら、製作段階で、制作者・関係経営者らが良識ある配慮をしてくれる方が「先」なのだと言いたい。
ところが今や多チャンネル化時代であり、制作現場はそんな良識どころか、コンテンツ造りに奔走また奔走の軽佻浮薄ゴッコをやらかすだろうこと、目に見えている。現在の民放各局はVチップ導入に建前は反対しているようだが、許認可を受ける政府の勢いにはいずれ敗退するのは目に見えているし、導入自体がいわば多チャンネル時代を言い訳の口実めいてくる。どっちを見てもウンザリする。
ほんとにこの日本、このごろ、どうなってんのと言うよりほか科白が無い。
1998 7/3 2

* ペンクラブの電子メディア意識アンケートには、結局、総計で四百二十八人の回答があった。
回答年齢は30代10名、40代25名、50代92名、60代174名、70代81名、80代20名、不明26名。合計で428名。府県別では、東京 167名、神奈川61 名、埼玉25名、千葉23名、大阪23名、京都21名、兵庫14名、長野12名、以下、愛知、滋賀の各5名他、28県と米国より計59名、不明12名、計 428名の回答であった。9県からは回答が無かった。 此の分布は、現在ペンクラブの年齢別・府県別の比率を反映しているかも知れない。

* 文字を書いてきたのは日本人だけでなく、書く文字も、書く道具も、いろいろだった、民族により、また時代によっても。文学に携わる者も、そうでない者も。文学に携わる日本人だけが、言語表記や表現に関して、あまり観念的な神秘的な幻想をもってみても、少々滑稽な気がする。
手で書いてはきたが、作者著者当人の手書きのもので読んでいた人や作品はめったになく、近世以降要するに活字で享受しておよそ満たされてきたのだから、あまり「タマシイ」と文字表記とをカルト風に関連づけるのは、神風信仰のようで説得力が無い。文学と言葉・文字とに切っても切り離せぬもののあることと、言葉を文 字に替える道具に何を用いるかが、本質的に関わっているとは考えがたい。そんな手段に影響される「文学魂」や「文体」「文章」なら、それは似て非なる未熟な事大主義にすぎまい。そういう、囚われた、理屈にならない理屈にハダカの王様のように陶酔せず、冷静に電子メディアを批判し、批評し、また効果的に付き合える人は付き合い、付き合えない人は付き合う必要は何もないと思う。批判は大切だが、歴史と現実の両面に目配 りしたい。そして、大事なのは作品です。仕事です。

* アンケートの数値的な整理が伴えば、「二十世紀末」現在の、日本のペン会員による電子メディア意識を来世紀に証言する、ともあれ、いい記録が出来たのではないかと。
* アンケート結果、概ね、注意に値する点を、不充分ながら、適宜摘録しておく。
回答者総数 428    30代10・40代 25・50代 92・60代 174・70代 20・不明 26    みごとに釣鐘型波形を描く。組織の性格から、自然か。
府県別では、東京、神奈川、千葉、埼玉の首都圏で、64%を超える。超地域性に一つの意義を帯びたはずの電子メディアへの関心が、まだ、首都圏に集中している。
機器の使用について。
ワープロ   40?60代の60%前後が所持ないし使用している。高齢者向き機器ゆえ増加して行く傾向が、70 80代にすら窺い知れる。
パソコン   若い層ほど多用していて、30代ではワープロより多い。使い始めるとワープロをしのぐ機能に、例えば水上勉氏でもラクになったと評価されている記事が某誌に出ている。現状では年代が上がるほどワープロの人がぐんと多い。地域的にはどの地域でもワープロがパソコンをまだ圧倒している。パソコンのメリットでいえば、東京から遠いほど資料収集などに使用されて自然なのだが、まだ、その傾向は出ていない。
ホームページ  使用は、6人。Eメール使用は、52人。インターネット活用者は少ない。
電子メディアとの適応について。
違和感を克服できない比率は、70 80代に最も高い。若い世代ほど「習熟可能」としている。分かりいい結果であるが、機器の簡便性が増せば、むしろ高齢適応の可能性は増すメディアであるとも謂える。
「余儀なく電子メディア時代」になって行くと受け入れている人が、各世代に平均して40%前後見られる点は注目される。
「電子メディアによる(従来の「本」とは異なる)出版形態への移行」を受け入れるとする比率は、30代にすでに44–45%もあり、現にそういう出版を実体験している人が高齢の人にも在る。そういう事態に実地に対応を迫られてくれば、受け入れたいという潜在意向は軽視しがたいものがあり、いわゆる毛嫌いより、力強く潜勢している。対応の最も迫られているのはこの問題のようである。
電子メディア対応のための情報について。
過半の会員が望んでいる。要するに技術面を越えがたい壁と見ての忌避が多い。
憂慮している点について。
どの設問にも高い憂慮が寄せられているが、ひときわ、「セキュリティの破綻や、私権人権の侵害」が各年代で60?70%台、強く懸念されている。ペンクラブとして関心を集めざるを得ない課題かと思われる。
今後諸問題への対応について。
国の政治的対応を希望する人は10%、国の干渉を排して民間でと望む人は75%。簡単ではない最重要課題だと思われる。
1998 8・26 2

* 「電子書籍コンソーシアム」の中軸になって事業を進めて行く人たち五人、ペンクラブの有志会員七人、山の上ホテルで非公式の茶話会風懇談会の機会をもった。紀田順一郎氏が熱心に斡旋された。このホームページとて公開の場であるから、一つの事業についてうかとした間違いを書き込むことは出来ない。
東工大にいたころ、ある優秀な女子学生が、社会工学の卒論に関連して、意見を聴きたいと教授室に取材に現れた。書籍型の図書館を全面的に電子化した場合の工学的効果を問うのが主題であったが、その際に彼女から聴いたビジョンは、このウカツに古くさい文学教授には、ただただ「夢物語」のように遠く疎く、いくらかはウトマシクさえあった。私はなにを聞かれても、理解も届かず、困る、まさか、とんでもない、いやだとばかり答えていた気がする。
教授室の机にはすでにパソコンが載っていたが、それはおよそ死骸同然の只の箱でしかなく、私がパソコンをパソコンとして利用ないし活用し始めたのは、せいぜい去年、深くは今年の春からで、定年退官してまる二年経ってからであった。かの女子学生の高論も卓説も、ちょうど現在のペン理事会の老諸公と同じで、聞けば聞くほどアタマにくるほど浮き世離れのした無縁の夢物語のようでしかなかった。
ところが、その女子学生のめざすところを他の大勢の男子学生たちにも伝えてみると、誰一人として否定否認するどころか、可能性は十分で、すでに実現すらしつつあると言って、私のウカツさを笑う始末だった。「電子書籍コンソーシアム」の胎動が、すでにその頃にあったのかも知れない。
「電子書籍コンソーシアム」とは、なにごとか。新しい出版営利事業体である。「紙の本」でなく、「文字表現内容・コンテンツ」を特定の精巧な液晶端末へ電子化してダウンロードでとりこみ、やや大型の文庫本を開いて行く感覚で読ませようというのである。ダウンロードは短時間にコンビニで可能にしようというのである。技術的には、もはや難儀なものではない。端末は、あたかも本の格好で頁がひらりひらりとめくられて行くように造られてある。頁を指でめくるのでなく、クリックすると自在にめくれる。精巧な液晶だから本よりも明晰な版面できれいに読める。そういう端末がすでに市販出来ようとしているし、電子メディア対応研究会で、類似の実物を東大の坂村教授に見せて貰ったこともある。
むしろ、販売や購入や著作権の設定などにまだ問題を多く含んでいる。これが実現すれば、紙と印刷製本が不要になる。本棚が不要になり、書店も一応不要になる。書籍取り次ぎも不要になる。在庫もそのための倉庫も不要になる。その限りでは、安くもなる。
ありがたづくめのようだが、なかなか。問題は山ほど在る。その辺は今日の会合でもかなり徹底的に質疑がかわされた。わるくすると、大出版による寡占と排除と俗悪へ行く可能性も濃厚にあり、なによりも読者や著者への配慮に欠けた面が多い。出版主導の名において、高級な文学が読めると思っていたのに、一部の売れるだけで無価値に近い俗悪読み物や、ポルノクラフィが端末をめがけて殺到し氾濫するおそれも、あまりにも多い。

* わたしは、例えば大学紀要などが論文単位で登録されれば抜き刷りを利用する感覚で関連文献が使えるだろう、そういうことも考慮して欲しいと言った。また大出版社が意味している「著者」はまさに一部の著者であるが、従来の出版では「著者」たりえないような著者が多い。そういう著者を排除しないで、いわば未然の著者の登場を阻まないシステムを考慮するようにも申し入れた。
いわゆる販売部数というものがこの「電子書籍コンソーシアム」では読めないよりも、読む必要が少ない。買うというかアクセスした人数が明確に分かる以上、売れなければ収入は乏しいが、コンテンツを世に出すことでは、それがファイル化さえされているのなら、どんなものもそう条件は変わらないからである。

* 著者の自費出版の窓口をあけておくこと、電話一台机一つで良書を企画出版しているような非法人プロダクションや細小出版を不当に排除しないこと、そして少なくも日本ペンクラブや文芸家協会のような著作者団体からの声を参加させうる業態を考慮するようにとを、私は、注文した。寡占、排除、俗悪、著作者と読者の無視と支配。私は、それを強く恐れる、十二分な姿勢と自覚が望まれると話してきた。
よくよく配慮して万一にもそうならないように努めたいとのことだつた。さ、どうなるか。とにかく、ここに書き留めておく。
1998 10・22 2

* 「本」が大きく変わろうとしています
ーー「紙の本」から「電子本」へーー
電子メディア対応研究会 報告
* すこし前置きを。
九八年夏に、いわゆる電子メディアに関する日本ペンクラブ会員の「実状と意識」アンケートを行いました。一応の結果をこの欄(日本ペンクラブのホームページ。)にも公表しています。
その中に、「電子メディアによる従来の『本』と異なる出版形態」を、「受け入れていく (20%)」「望まない (25%)」「印税や原稿料に準じた制度・契約面が整備されるなら、いい (22%)」「余儀なくそうなると思う (37%)」「判断できない (14%)」「その他 (4%) 」という質問と回答(複数回答を含む)の項の有ったのは御覧の通りです。「そういう事態に、実地に対応を迫られてくれば『受け入れたい』という潜在意向は軽視しがたいものがあり、いわゆる毛嫌いより、力強く潜勢している。対応の最も迫られているのはこの問題のようである」と、座長が後に指摘しています。
この点に関連して、急速に大きな「動き」が出版業界等で表面化し、「企業」として、大規模にすでに起動していますことは、報道等で、知る人には知られていますが、正直のところ「P・E・N」会員や文壇の注目があつまっているといった現状ではありません。しかし、これは漠然と見送っていていい問題ではないと、「電子メディア対応研究会」では起業の中軸とも会談・意見交換もし、また研究会で討議を重ねていますが、まだ「理解を進める」ことで精一杯といえます。
そこで、暫定的に、現状をごく概略ですがとり纏め、研究会メンバーの個々の私の判断、あくまで現時点での理解と感想を持ち寄り、ホームページにも公表しておこう、それらから、会員や一般のめいめいの判断と態度も模索していただこうということに致しました。「ホームページ」は、いわゆる「世界に告げる」最たる一手段であり、日本ペンクラブが活動し声明し主張するところも、一には会報等で「会員」に、しかしより広くは社会へ、世界へ向けて直接間接に「広報」して行くのが本来のありようと考えます。「ホームページ」を開いた趣意はそれにあり、積極的に活用して行きたいものです。

* ブック・オン・デマンド(「電子書籍コンソーシアム」起業)等の、極く概略。
「電子書籍コンソーシアム」は、いわば会社名です。現在、新潮社、岩波書店等を除く日本の有力な出版社の多くが,資格を問われた「会員」風に、集合し、出資しているようで、むろん他の業種との提携や協力もありましょうが、業態の内部事情には触れません。
但しこの事業が、明白に「出版主導」の「営利事業」であることは、事業を中枢で推進している方々から、率直に表明、強調されています。従来の「紙の本」では印刷、紙、製本、取次、書店等との連携が必要でした。「電子本」はそれらから解き放たれる意味のようにも取れ、しかし、読者、著作者、零細出版者、編集者からは、それだけに止まらぬ重い問題が、この「出版主導」「営利」表明から受け取れそうです。「出版文化」の革命的な変貌が謳われているだけに、大きな注意点かと思われます。
「ブック・オン・デマンド=BDDシステム」は、その「電子本」商法の、いわば商標的な名乗りと受けとれますので、それ以上の詮索は避けておきます。
この他に、大印刷会社系でも類似の起業化が進捗しているようですが、情報に欠けますので、これも、今は単にそう言い添えるに止めます。

* 電子書籍(電子本)とは。
「端末」といわれ、読者が個々にもつ液晶器械が、先ず発売されます。当初は五万円見当とも。液晶の進歩はめざましく、実に鮮明ないい状態で、器械に、文庫本の二まわり三まわり程大きめのスクリーンが「本」そっくりに用意され、クリックすれば本の頁がめくられて行くように、見開きで次々に本文内容=コンテンツが現れます。頁の前後への移動は、自在に、速やかに、可能です。現行の文庫本より字も大きく読みやすくなるはずです。音声で聴きながら読むのも可能で、音楽も、動く挿絵なども自在に入り得ます。文書以外に、映像・画像はもっと効果的に送り込めるでしょう。実は、文化的に価値高い「書籍出版」を、容易に、営利的な俗悪化へ導きかねない暗渠も、そこには、潜みかねません。
つまり読む(見る)「内容=コンテンツ」がどう選ばれるか、これが実に大切ですが、この点はまだ全く茫漠としていて、何も明らかにされていません。明らかにされていない現段階なればこそ、「出版主導」の「営利事業」に対し、多くの読者・著作者や、優れた小出版者や編集者たちの積極的な働き掛けが、まだ有効で、必要なのではないか。
「ブック・オン・デマンド」は、端末を先ず売り=買ってもらい、次いでコンテンツ=内容つまり「著作物や画像」を売り出します。
その売買の仕組みが、従来の「紙の本」とでは革命的に変わっています。
「コンテンツ」は先ず電子化されて人工衛星に送られ=アップロードされ、注文に応じて衛星から各地に(日本列島のとしておきますが、技術的には世界中に可能、)予め設置された特定の設備=機械に、すばやく送り込まれ=ダウンロードされます。読者=注文者は、その設置機から、希望のコンテンツを(カードかフロッピーディスクのような形ででしょうか)短時間に(自動販売機でものを買う感覚で)買い取り、自分の「端末」にセットすれば、希望のものが好きに「読める=見られる」わけです。技術上の細かな説明は出来ませんが、あらまし、仕組みはこうなると言われています。

* 実は、これ以上のことは、伝えるに足る確かなものが無く、かなり活発に「コンソーシアム」の人達と議論しましたが、制度的なものは、著作権等も含めて、まだまだ混沌としていて準備不足に思われました。
しかし九九年、平成十一年秋から初冬ごろには「企業」として正式発足すべく、それまでを「実験期間」としています。「端末」製作も、現に、もう実現していそうに聞いています。皮算用とはいえ、「電子書籍コンソーシアム」は、新世紀に入って数年内に数千億円ないし兆をはるかに上越す規模の収益事業になることを予期し計画しています。つまり「紙の本」との共存から、遠からぬ時期には「電子の本」が「本」の座を占めるものと、今日の出版業界の大方が期待しておればこその、この「起業」と見るよりありません。通産省がこの企画実験に莫大な調査費をすでに当てていればこそ動き出したこととはいえ、技術的にも、また社会工学的にも、当然必然に動き出して自然な、新たな「出版事情」とは言えるでしょう。
いわば「本」で飯を食っている人が、超然として我関せず焉とはもはや行きかねる時代でしょう。拒むもよし。受け入れるにもまた、いろんな考え方を自らに求めてゆかねばならない。そう思います。著者、編集者、出版者のみなさん、どんなものでしょうか。読者のみなさん、どんなものでしょうか。
1998 12・2 2

今年からは、情報処理学会の「文字コード標準体系検討委員会」の会議が加わる。これは、よほどのおおごとで、理事会に指名され参加はしたものの、気は重い。文字について勉強が必要になる。好奇心だけが気の支えである。なにしろメンバーの殆ど全員が文学文芸とはほど遠い技術や行政や器械関連の人たちで、ペンの電子メディア研究会のメンバーでもある東大の西垣通、坂村健両教授以外は一人も知らない。文芸家協会から出てくる中沢けい、川西蘭などという娘息子世代の作家も知らないと同然で、どうにもならない。だが、それも面白いではないかと思うことにし、しばらく参加してみようと思う。歯が立たねばさっさとやめたい。
1999 1・5 3

* 昨日は八度目の電子メディア対応研究会に文化庁の氏原国語調査官のご足労を願い、国語問題について話を聞き、すこし意見交換があった。
もっとも、話は、概ね活字印刷本時代の大詰めを整理したようなことで、新たな電子メディア時代の国語表記の問題には及ばなかった、そこへ踏み込んで行こうという気が文化庁や文部省にはいかにも希薄であるらしく思われ、物足りなかった。坂村健氏が発言されていたように、情報処理伝達の方は通産省で、文化的日本語の方は文部省文化庁でというほどの気概が欲しいと思った。
所詮は噛み合わない議論をしてしまうだけでなく、いわば文芸家協会、ペンクラブがなまじいに工業規格マーケット型の文字コード討議に参加することで、文筆家たちもそれに賛同したような体裁が出来てしまうだろうことが心配だという、坂村氏の感想が胸に重く残った。
1999 3・2 3

* これだけの言説のうしろに置くには、あまりに薄いものだけれど、昨日総会で、口頭で報告した電子メディア研究会の所見を、いわば「途上の認識」として掲載しておく。

* 一 研究会としての年度報告は、概略、会場に配布済み。

二 いろんな電子メディアが、現に私たちの日常に否応なく浸潤していますが、とりわけいわゆる「キーボード・メディア」つまりワープロやパソコンの存在や問題は、好む・好まない、受け入れる・受け入れない、に関わらず、創作や執筆に、整理や編集出版に、圧倒的な勢いで組み込まれつつあることは、否定するわけに行きません。
それどころか、従来の、紙とペンと印刷製本で出来てきた本が、電子本にとって代わられて行きかねない、具体的な動きも、現に進行中です。
大きな流れとして、「キーボード」執筆や出版が大きく割合を上げて行くことは、否定しきれない。
しかし、そうなって行くは行くとして、では、我々の国語と、用い慣れ、読み慣れてきた文字や記号で、豊かな表現が、制約無く、自在に、保証されているかとなると、少なくも現在のワープロやパソコンでは、まことに大きい不備を、背負わされていると言い切れます。
改善の努力が地道に続けられていることも、事実です。が、それは現状「情報」処理的な、あくまでマーケット・レリヴァンスつまり市場対応に優先に、概ね通産レベルでなされていまして、文芸・思想・学芸研究の「表現」「伝達」「再現」「保存」に関しては、残念ながら、まだまだ理解も対応も、後回しにされかねない。文部省・文化庁ですらそうなのですが、文筆家は、あまりにも、この問題へ、出遅れて来ました。適切な 場での適切な主張が、少なかった遅かったと、言わざるを得ない。
しかもこの問題は、ひとり日本の中でだけ解決できるものではなく、世界中の言語や文字環境の中で、器械に「実装備」可能なように、主張し、希望し、提案して行かねば済まない、いわば大きな「国際間交渉」事項でもあるわけです。
研究会は、否応なく現在、この問題に関わって勉強をつづけ、通産省や工業技術院と関連の濃い、情報処理学会傘下の、「文字コード」専門委員会で討議を重ねています。
私たちの「書き表す」ものが、あたう限り豊かに、自在に、多方向にインターネット上で、「文字化け」「欠字」「読みとり・書き込み不能」に類した、不当で不快な制限を受けずに済むように、そればかりでなく、地球上のどの地点からでも、国と人種を問わず、必要とされた「日本語」「中国語」等の文献や記録や文学を、廣く活用しまた愛読して貰える「器械環境」が、技術的に可能になるようにと、根気よく、発言して行こうとしています。
時代の前方を見通しつつ、器械におもねらず、また負かされてしまわずに、器械で書いて行こうとする人の為には、より使いやすい地盤づくりを考えて行くのが、大事な、種まき行為であろうと思います。ご理解とご支援を願いたいと思います。

以上はあくまで「途上の認識」であると断らねばなりません、確信をもつにはまだあまりに多くを弁えていないと思います。「いらいら」しないで、議論や意見交換の輪に取り込んで欲しいのです。

* 文字コード委員会でまた主催者側から暴言が出たようで、怒って、文芸家協会からの作家委員の一人が、委員の席を蹴ってやめた。もっともだとそのメールを読んだ。人と人が寄り合って議論し討議し意見を交換しようという場で、人の意見を聴くことができず、少し方角のちがう意見が出ると「いらいらする」と嫌厭の情をあらわに出し、論議でなく感情的になる、そんな人が「長」という位置にいて、自分が最後にポンと「はんこ」をおせば、それが「日本の意見」として国際的な場に持ち出されるのだと言われると、びっくりしてしまう。最初のころにメールの中にそういう発言を読んで以来、そのことが頭を離れなかった。「いらいら」などと言う感情は胸にしまい、誠心誠意の論議が尽くせなくて、何の討論だろう。私に反論されて、幹事役も委員も辞めていった人も、一つの土俵の中で反論には反論をもってすればよかった。どうも、よく分からない。
1999 4・28 3

* 一昨日、昨日、今日と、発送に集中していたが、それでも昨日は、熱暑も熱暑のさなか、三時前に乃木坂のペンクラブ会議室まで。
秋一番の電子メディア対応研究会、座長役ではサボレない。それどころか日照りの中を委員の方々に出てきていただくのだから恐縮であった。纏まる話題ではあり得ないなりに、興味深い大事な話題ーー電子メディアの「著作権」問題に、いよいよ入っていった。野村敏晴委員があらかじめ用意して下さった、関連資料の抄録を、ともあれ逐一、それぞれの思いで読み込みながら感想を語り、知る限りの情報や推測を語り合いながら、難儀で多岐にわたる巨大な未確認・未確定問題を、個々に「体感」して行く方法をとりはじめた。資料の十分の一も進まなかったが、その程度に個々に立ち止まりつつ話し合うことは出来たと言うことである。
全員が専門的な意味でいえば門外漢、しかし、全員が文筆や出版を介しての深い関係者ではあり、手探りにでも問題は朧ろに感じ取れる。そういう頼りなげな勉強を重ねて置いてから、専門家を招いて教えを請い、そういうことを更に重ねていった結果を、いい形で会員に役立つように伝えて行きたいと思っている。幸いわれわれの研究会は、和やかで、会合そのものが気持ちいい。座長役などしなくていいなら、どんなに楽しんで出席できることかと思う。がんばって、ま、歩み続けて行くしかない。

* 電子メディアの「著作権問題」は、まだ何にも定まった形が取れていなくて、難儀な問題はいっぱい予想され、現に紛争の種は播かれ放題なのだが、紛争が起きていても裁判所は判例を積み重ねる力が無くて、半端な示談や仲裁による決着をついつい取ってしまっているのが現状らしい。
1999 9・2 4

* 文字通り土砂降りのさなかに家を出て、ものの三十メートルも行かぬうちに、もうぐしょぬれ。冷え冷えとした膝下、靴の中、背中。麹町の文春西館での文藝家協会知的所有権委員会に出席。
吉村昭、高井有一氏も参加し、三田誠広新委員長での最初の会合。議題は沢山あったが、なにとなく、靴を隔てて痒いところを掻いているような、煮えたような煮え切らないような、へんな会議だった。議論らしい議論をするには問題点の把握がゆるく、遠巻きに漠然とした話を、ただ、しているだけ。マルチメディア、電子メディアがらみに全ての問題が、渦巻き流れて行こうというときに、紙と活字の本を従来どおりに出版社から、と、ばかりは考えていられない状況になっている。我々よりももっと早く、もっと厚顔に、生き馬の目も抜こうという商売の働きかけが襲いかかってこようというこれからは、もっと「攻撃的に身を守る」徹して改革的な姿勢、時代を先取りは出来なくても洞察しながらの踏み出して行く姿勢、が必要なのであり、文藝家協会だけで、ペンクラブだけで、単独に出来ることとは思われない。大きな発想の展開が緊要なのだが、根本からの対応具体案が出てこない。荷が重すぎるのだ。
1999 9・21 4

* これからの関心事は、電子メディアの文藝著作権。
マルチメディア著作権では、例えばゲームソフトの著作権のようなことに集中してしまうが、ペンや文藝家の個々の創作や執筆にこまごまと関係した著作権の勉強にかからないと、われわれは、ただもう置いて行かれてしまうだろう。
手探りでしか進めない。どこをどう手探りしていいのやらも、見当がつかない。分からない。歩いて行くしかなく、転落転倒の憂き目も覚悟しなければ成るまい。電子メディアに著作権は「無い」「成り立たない」のではないかという悲観的な思いすらある。
1999 9・23 4

* 告白すると、この「サイトへのリンク」「サイト作り」「サイトの構築と内容の更新」などと言うことが、わたしには、よく理解できていない。パソコンの主体的な技量がわたしには実は絶無にちかく、ただもう「学生先生」に教わったままをやって、メールも受発信しホームページにも書き込んで転送しているだけなのである。ときどき、秦サンはすごいなあ、「パソコンを駆使しているんだから」などと分からないことをいう人がいる。実は、何らの応用も融通も利かない器械音痴のままの使用にすぎない。尊敬されたくない。
ホームページの「欄」を、希望するだけちゃんと増やして上げますから、ホームぺージの表紙部分をメールで送って下さいと、富士通勤務の元東工大院生が親切に言ってきてくれたけれど、それが、出来ない。それなら、「ファイル」を、今度下北沢で逢うときに持ってきて下さいと、またメールが来た。悲しいかな、何をどうせよと言われているのか理解が届かない。「はいはい、焦らなくてもいいです、詳しく教えますから」と、メールで、また慰められている。「学生さんに甘えているんでしょう」と嗤われても、返す言葉がない。
そんなことよりも、さっきの大学の先生のメールには、こんな大事な感想もあったので、ぜひ書き込んでおきたい。

* 「闇に言い置く」を拝読するたび、様々な感慨が湧きます。先だっての江藤淳自死に際しての文章を拝読し、すぐ本屋で新たに『妻と私』の掲載された「文藝春秋」を買い求めました。死なれた人の痛みを思うと同時に、死を越えて行かねばならない人のつとめの方により心が傾きました。夫を見送った妻たちが皆このようにして果てたら、この世はどうなるであろうかとも。これまでにどれほどの女たちが残されて、辛くも生きながらえ新たな命の連鎖を支えてきたことかと。そう思うと、「美学」として文学者の自害を語る昨今の風潮に解せぬものの方を多く感じます。
(略)
印刷された文字だけが文学者の思索を伝えるものでなくなって久しく、こうしてオンラインで直接お目にかかれる時代に生きることを感謝いたします。

* 最後の一行は、わたしへの言及としてでなく、一般論として一つの時代の証言になり、いつか記憶に呼び起こされるものとなるだろう。こういうセンスと実践が、真摯にしかも興趣豊かに拡がって環に成って行けば、インターネットの意義が、ただ劣化へ逆落としに衰弱することなく、知性の集積と鍛錬とへ自然に膨らんで行ける希望がもてる。そのことも、ここに記録しておきたい。
そのためにも、わたしは性急なマスコミュニケーションを望んでいない。小さな環でも堅固に拡がることの方を大切に感じている。  1999 9・29 4

* 電子メディア研究会は、四日、「著作権」問題で和やかな意見交換・情報交換の勉強を続けた。野村委員の用意してくれたいくつかの先行図書や文書からの、たいへん要領を得た抜粋抄録を素直に順に読み継ぎながら、納得し合い話し合い、具体例など体験や見聞をつきあわせ、そして先へ読み進んで行く。まことに地味なことだが、抄録がよく出来ていて、それはそれで、よく分かる気がして来るし、この「問題」がいかに大きいか、難儀なモノかが、分かってくる。極論すれば「電子メディア」時代には、守り得る著作権などは何も残らないのではないかという、「著作権無政府時代」が来そうな、いや現状が既にそれに近いという「実感」をさえ持つようになってくる。
ペンの会員に、いずれ役に立つことを考えているが、現行の「マルチメディアの著作権」を扱った諸本では、どうしても、巨大な「プログラム」を対象にしていて、すぐさまペン会員レベルの体験にそぐわない。いずれは、
一、文筆家による「ホームページ」型出版と、
二、「ディスク」型出版
のための、簡単で緊要なマニュアルを用意して行くのが本筋になるだろう。文藝家協会の電子メディア委員会や知的所有権委員会でも、この線で検討してもらいたいと思うし、双方の見聞や体験に基づく集積をさらに合体して、より高次元によい指針を、会員にも社会にも呈示しうる努力が望まれる。

* それにつけても、現在、日本著作権協議会という組織があるのだが、出来得れば「電子メディア関連著作権」に関して、現在把握している、概要をなりとご講話願えないものかと問い合わせても、事務長レベルの回答として、「そんな人もいない、暇もない」とケンもほろろの応対であった。組織の実体を詳しくは知らないのだから何とも言いようがないが、組織の名称は、こういった問題にいち早く対応して、新世紀の著作と著作権の為にわれわれに先駆けて研究が進んでいなければならないのではないか。著作権台帳を作っていれば事足りるというのなら、他に、別に、しかるべき組織を起こさねばならないのではないか。
1999 10・5 4

* メーリングリストを設置の手続きが煮詰まってきて、ゆうべはその連絡の作業をこの器械でしつづけた。なにほどの時間も要さずに各委員へも連絡できた(らしい)が、もし器械抜きでならどれほど手間も時間もかかったかと思うと、パソコンは、いやコンピュータは便利だなと、つくづく思う。便利な器械はたくさん過去にも現れた。そして姿も消していった。わたしの身の傍では、ワープロがもうほとんど使われない。かつてワープロで書いておいたものをパソコンに移動させる必要上まぢかに置いているが、それがなくなれば、片づけてしまうか誰かに上げて仕舞うかも知れない。
メーリングリストの効用は、ややその煩ささもであるが、文字コード委員会のそれで覚えた。あれだけの議論が可能であったからこそ、あの程度の会合の回数でもかなり充実した「最終報告書」にまとまり得たのだと思う。
うまくすれば、ペンの電メ研は、わざわざの会議を毎月毎月もたなくても、意見交換や情報交換が利くことになるかもしれない。
ほんとうにこれの必要なのは理事会なのだ、会議時間が足りないぶん、全理事が理事会の前後にメーリングリストを活用すれば、かなりの問題はそれで、それだけで、処理できる。現在程度のシャンシャンで安直に済ませている入退会審議など、理事会当日の大事な時間を取るまでもなく、メールで十分処理できるかも知れない。ま、しかし、器械に敵意すら持っていそうな理事の方が圧倒的に数多い現理事会では、無理な相談である。十年たてば、どうか。まだ無理かも知れない。日本ペンクラブの事務局には早くからパソコンは在ったが、Eメールを利用し始めたのも、わたしが理事就任後にヤイヤイとせっついて、やっとこの一二年前からのことである。海外との連絡でも、そんなことEメールを使えばすぐに済むのにと思ったことが、何度もあった。やっと、それぐらいも出来るようになってきた、らしい。
器械に「使われている」のも滑稽な図だが、新しい日用の器械に「頑なな姿勢」でいると、精神的にも老化し硬化して行くのは確実だ。好奇心の塊であるはずの創作・文筆の士が、頑なに器械を敵視してむしろ得意げなのは、よほど滑稽に見える。それと創作の質とが帯同すると思っていたりするのは、もっと滑稽な図である。どっちでもいいことなのである、所詮。固まってしまうのが可笑しいのである。
1999 10・28 4

* 先日、突然のご好意で、ボイジャー社から「T-Time 」というソフトを頂戴した。朝日新聞の記事を観てとメールにあった。送られてきたソフトをインストールするのは簡単だったが、例によってわたしの鈍い頭は素早くは回転せず、今朝、ふとした試みからぱっと視野が開けて、自分のホームページに書き込んだ横書き・一行字数の長い長い小説が、きれいなフォントで縦書き表示されて読めると確認できた。目ざましかった。
下さった萩野さんに、手順を教えてと泣きつきかけていた矢先で、天の恵みと言える。横書きの作品や文章が、とても綺麗な単行本の頁のように変身し、スムースに頁を送って読んで行ける。すばらしい!!! VOYAGER CD-ROM「T-Time 」に乾杯だ。まだ、いろいろに使い方がありそうで、覚えて行くのが楽しみ。
1999 11・16 4

* 紀伊国屋ホールで「オン・デマンド出版」シンポジウムがあり、聴きに行った。通訳つき講演の体で、スエーデン詩人作家の「オン・デマンド出版」実践報告があった。
動機は、よく分かった。わたしの「湖の本」刊行の動機とすこしも変わらない。動機の点では、私ほど体験的に良く理解した者はいないだろう。
さて、その内容や手順・手続きとなると、手法となると、スエーデンでのことはともかく、日本では、越えなければならないバーが幾つもあり、しかもかなり高い気がした。スエーデンでは読者からの注文が、書店経由で、出来本の到来も場合により書店経由であるとなると、いかにも従来の流通に随順したもので、革新性は乏しい。よほど従来出版の圧力が強いのだろうなと察した。
また、一冊ないし数冊の製本から「可」という注文手法は斬新でも、注文のもとになる、注文の対象になる「作品」が、元会社でデジタル化されるまでの段階での、著作者の著作権益保全などがどうなるのか、ペイ・システムなどはまるで分からないままだった。コンテンツはどう用意されて、その出版契約書はどんなものになるのか。

* 聴きながら、わたしの「湖の本」が、十五年も前に構想され実践されて、刊行を曲がりなりに着実に維持してきたことの革新性を、あらためて自覚した。「作家たちは何をしているのか」とパネラーから痛烈な言葉があったが、そんなことは、遙か以前に私の言ってきたこと、してきたことである。
わたしは、出版も取次も書店もぬきに、直接わたしの作品を美しい簡素な本の形で読者たちに直接に迅速に丁寧に手渡し続けてきた、十四年も、途切れることなく。利益こそ全く上げられないが、かつがつ薄い出血水準のまま短期間に資金回収し、年に四回から五回の刊行を滞りなく実行してきた。読者に支えられた著作者としては、「オン・デマンド出版」では及びもつかない、いろんな意味でハイレベルの実績になっている。

* もう一つ。わたしは、いち早く「インターネット=パソコン」を、作品発表の、文藝公表の「場」として、実地に利用し始めた。そのことで、紙と印刷・製本による出版とは、またちがった文藝家活動の拠点を得て、従来の出版社会からの、甚だ孤立感の濃い自由ではあるのだが「自由」を得ている。その点でも、また新しい実践の形態を今後に示唆し得ていると、今日は、実感して帰ってきた。

* わたしの、この二方向の出版と実践について、従来は、概して文壇からも出版からも黙殺されてきたけれど、それどころか妨害やバッシングすら受けてきたけれど、出版の「現実」は、十数年以前にわたしが感じ考えていた「批評」と「実践」の線に沿って、さながら後からついてきているのだ、そういう実感をすら、今日は持てた。

* 津野海太郎氏、室謙二氏、萩野正昭氏らとも初対面を果たせてよかった。新宿ライオンでのレセプションで、ビールを何杯か飲んだ。
パネラーの一人だった筑摩書房取締役の松田哲夫氏とも久しぶりに出会ったが、彼の口振りから察するところ、筑摩書房はもう昔のあの懐かしい古田晁さんや竹之内静雄さんやまた原田奈翁雄さんらの筑摩書房、臼井吉見先生や中村光夫先生や唐木順三先生らの筑摩書房とは雲泥の相違を来して、出版の理想も見失いがちに喘いでいるらしい。悲しいことである。しかも商売が隆盛になっているわけでもないと言う。どうしたというのだろう。  1999 11・22 4

* 正式には日本ペンクラブのホームページに書き込んでいる。電メ研の同僚野村委員に座長として依頼した「シンポジウム」等の報告と感想とであ
り、参加していた一人としても、同感している。ここにも特に転載させて貰う。

* シンポジウム「ぺール・クルマン氏と語る─オン・デマンド出版の力」を聞いて

<11月22日紀伊国屋ホールに於いて>    報告:野村敏晴

今、オンデマンド出版というのが大きな話題になっていますが、11月に新宿・紀伊国屋ホールでシンポジウムがありましたので報告します。
オンデマンド出版は、製版や刷版をしないでパソコンから高性能プリンターでプリントをして製本する方法と考えていいかと思います。従って1部からの、300あるいは500部くらいまでの少部数出版が可能というものです。1部2000円くらいから販売可能ということです。

出席者:ぺール・クルマン氏(スウェーデンの詩人)
松田哲夫氏(筑摩書房常務取締役)
津野海太郎氏(「季刊・本とコンピュータ」編集長)

●以下ペーテル・クルマン氏の講演から(スウェーデンの現状報告)

・書店がファストフード化している。
・再販制度がなくなってから、大量に印刷されたものか、ベストセラーしか本が並ばなくなっている。
・書店の棚におかれる時間が短くなっている。
・取次の価格競争が激しい。
・スウェーデンでは本の寿命が短すぎると感じている。特に純文学や詩集が売れなくなっているし、書店に並ばなくなっている。
・以上のようなことから作家を中心にして、オンライン上のオンデマンド出版社である PODIUM出版社を設立した。これによって、1部からでも読者の注文に応じることができるようになった。
・スウェーデンでは公共図書館が重視されていて、図書館から本が貸し出されると、一回につきアメリカドルに換算して20セントが作家に支払われる。うち50%は作家基金に。

◎PODIUM出版社について

・オンデマンド出版はすぐに利潤を生むものではない。
・現状の技術・システムの上に補足的にオンデマンドを取り入れるということ。
・絶版本を再度出版するのも目的の一つ。
・スウェーデン作家協会の会員は10%が異文化民族の人たち。オンデマンド出版によって、彼らの言語で少部数出版をすることが可能になった。
・民主主義の促進のためには書店の存在が重要と考え、PODIUM出版社はインターネットで注文を受けると書店に送品し、読者は書店に受け取りに行く。
・読者には欲しい本と欲しくない本を実際に見て撰ぶ権利と必要性がある。したがって、書店の存在は重要。
・少部数の書籍化と発売を可能にするということからも、オンデマンド出版は言論の自由とも関わりがあると言える。
・誰にでも出版の機会を与えたい。
・異なった部数、異なったページ数も印刷可能。表紙もデジタル印刷。
・PORISKOPという商業出版社がありPDFファイル(デジタル送信)の出版をしている。、PDFで見て人気が出て、オンデマンドで少部数出版され、その経過から新たに商業出版されベストセラーになると言うこともある。

●以下パネルディスカッションから

・500部以上はオンデマンドになじまない。
・100人ほどのクラスや講演会のテキストを、オンデマンドで本にするということが考えられる。
・オンデマンドはメインではなくサブシステムである。ただしサブシステムのなかから生まれたものがメインシステムに移行することもあり得る。
・コンテンツをどう確保するか、印税をどうするのか。5部しか出ない本の印税を毎月払うのかといった問題がある。
・オンデマンドは少部数出版のため広告費が捻出できない。従って商売としては成り立たないのではないか。
・書店はどうなるのか。
・2年ほど前までは売れない本も市場に流せる寛容さがあった。現在は、売れるか売れないかの二者択一の価値基準になった。オンデマンド出版によってこの二者択一ではない出版が可能になるのではないか。
・アメリカでは多数の絶版本の権利を所有して商売しているところもすでにある。日本では、デジタルデータがそこまで完全ではないのでむずかしい。(責了時に訂正が入っていて、最終的なデータをそのままの形では使えない。)

●以下は当日出席した野村の感想です。

出版物の製作とインターネットを初めとする流通は、劇的な技術革新によって刻々と変化していますが、これは、作家および編集者・出版者の出版の権利、そして言論の自由の問題など多くの問題とかかわっています。ペンの会員も充分注視し、時には発言していく必要があるかと思います。
・再販制度がなくなってからベストセラーしか書店に列ばないというスウェーデンの現状が、昨今の日本の現状と(再販制度が存続しているにも関わらず)似通っていて、これは何に起因するのか興味を覚える。流通システムの問題だけではない他の原因を考えてみる必要があるのではないか。
・再販制度がなくなってから、価格競争が激しいというスウェーデンの現状は、いずれ日本も襲うか。印刷部数に対する印税ではなく、売れ高に応じた印税支払いなどの現象が出てくると思える。そこで、好条件で契約を結べる作家と、そうでない作家との差が出る。売れ行きが必ずしも品質の良さを証明しないことが問題。
・スウェーデンでは、図書館の本でも、貸し出された回数に応じて印税が支払われると言う。これはおもしろい。中古ゲームソフトの訴訟問題ではないけれど、出版社も貸し出し回数に応じて利益の配分を受けられれば、弱小出版社も少しは助かるか。でもその資金源は税金?
・少部数販売で著作権料を支払う、というのはやはり難しい。デリバリーを含めて、もちろん細かなコスト計算をしなければなりませんが、不可能でないにしても、手間がかかるばかりでやっかいかも。
・確かにオンデマンド出版は商業ベースには乗りにくいが、DTPで編集しフロッピーを渡せば本になるというのは、誰もが著作者になれると言うことで、見かけは民主主義に貢献するかも。しかし、読む人があるかないかは別問題。むしろ、資金がなく、かつあまり売れない(プロ)作家にとっては、やはり受難の時代に変わりはないかも。
・インターネットがブームで、本を読む時間がパソコンの画面に向かう時間にとって変わり、本代がパソコン代に変わったわけで、可処分所得は数年前も今さほど変わらない(むしろ少ない)のだから、本が売れなくなり、今度はその本をインターネットで売るというのは、これは矛盾しているのではないか、とも思う。
・私も、オンデマンド出版はサブシステムだと思う。インターネット、衛星を使ったデジタル送信、オンデマンド出版プリントメディア、これらのメディアミックスがどのようになされるのか、なしていくのか、ということに興味があります。
・単に書店の存続が民主主義に繋がるとは思わない。そもそも書店も出版社も直接読者と向き合っていないのではないか(志のある書店が少なくなったような気がする)。読者と向き合うために、インターネットでも衛星でも利用できるものはすればよいと思う。
・最後に、津野氏の発言にあったように、2年前頃までは、売れない本も市場に流せる寛容さがあった。今は売れるか売れないかの2者択一の価値基準になった、という言葉が印象に残っています。つまるところ、これをどうするかという問題に尽きると思います。

* 野村さんにご苦労をかけたが、大変誠実なレポートになっていて、このトレンディーな話題に関して、良く纏まった便利な整理がされている。大方の参照・参考に堪えるものとして敢えて此処にも紹介した。
1999 12・2 3

* パソコンについて功罪の論議が雑誌にも溢れ始めているが、人により活かしかたが違って当然だろう。精神の活躍という言葉を字義に即して大切に感ずるなら、わたしは自身の「精神の活躍」をホームページに刻印していると思っている。そういう場を恵んでくれた文明と時代とに私は感謝している。今日は「出版ニュース社」にやや長めの原稿を送った。概ね今年の仕事はメドがたった。九日から二十一日の誕生日まで、今年最期のペン理事会をはさんで、びっしりと予定がある。もっとも観能が三度有る。歌舞伎と新劇を観る。文芸家協会の知的所有権委員会が新聞六社とデータベースの著作権問題で二年ぶりの協議もする。とうとう京都へも行けなかったが、いやいや分からない、師走の南座へ飛び込んで来れないだろうか、曼殊院の庭や永観堂の見返り阿弥陀や祇園八坂神社の境内が観て来れたら、どんなにいいだろう。逢いたい人も。
1999 12・6 3

* ペン会員の意識アンケートを実施したときに「パソコン差別」を憂慮する声がちらほら聞こえていた。使える人と使えない人との差が出版界に露骨になるのではないかという不安を持たれていた。この一年半で、憂慮の度は現実に深まっていると観るのが自然ではないか。もうワープロがそもそも時節遅れに成りつつある。
妙なことだが、ついEメールの使える同士の交流・交感が早く濃くなり、そうでない人たちのことを置き去りにしがちになっている。年賀状はこの春は書かなかったが、それでもメールのある人からのご挨拶には、何かしら返礼していた。すこしばかりこれは危険な、心しなくてはいけないことだと思うものの、流れは大きく速くそのようになって行く。  2000 1・12 5

* 文芸家協会でわたしも委員を務める知的所有権委員会の責任者三田誠広氏に、ペン電メ研責任者としてこんなメールを送った。

* 三田さん  こんにちわ。 秦恒平です。   唐突ですが。
この一両日にわれわれのメーリングリストに入ってきた情報です。ご存じのことでしょうが、「声」として届けておきます。
電子メディア上の文芸著作権が、固めようもない現状のまま半端に、一方的な既成事実が積み重ねられて行くのは、試行錯誤時代の在りようでもありましょうが、座視もなりかねる問題です。
事の性格上、ペンクラブでは、対応して行ける基盤も、また意欲も、やや希薄です。協会の「知的所有権委員会」「電子メディア対応委員会」に期待せざるを得ません。
ペン会員らの具体的な声など、こういう形で折りごとに、三田さんまで届けたく、汲み上げて下さらば幸いです。
それよりも、例えばメーリングリストに、協会委員会の方にも加わっていただき、協会とペンとが包括的に意見交換の出来る「場」を用意しておくなども、差し支えない範囲では有効ではないでしょうか。ペン電メ研のリストには今は委員十三人が加わっているだけですが、最大三百人までの余裕があります。協会会員とペン会員とを兼ねている人の場合、なんら問題ないと思います。紀田順一郎氏、坂村健氏、西垣通氏らもリストに入っています。この件も合わせお考えいただければと、まだ私一存のことですが希望しています。
以下、参考まで。

通信衛星を使う電子書籍コンソーシアムのグループとは、別にインターネットを使って、電子書籍を販売しようと言うグループ(角川、講談社、光文社など8社)の「電子書店」が、今春からスタートとします。
読者は、グループのHPを見て、読みたい本を探し、パソコンや携帯用の端末に取り込んだ上で、書籍を読みます。
本のメニューや価格などは未定と言うことですが、近く加盟出版社が著作権者の許諾を得て、発表するそうです。
若い人の本離れの防止、視力障害者の読書の機会をふやすなどを、メリットとして、強調しています。
< 本のメニューや価格などは未定と言うことですが、
< 近く加盟出版社が著作権者の許諾を得て、発表するそうです。
という部分ですが、
電子書籍関係の著作権の権利意識が希薄な上、法整備が進んでいないなかで、いっぽうでは、インターネットやデジタル・データ放送などの形でドンドン外堀が埋められて、個々の著作権者との許諾交渉で、既成事実が積み重ねられて行きそうです。早急になんとかしなければ、と思います。
以上追加します。   (倉持委員)

岡村久道氏のHPに行って、一部を読んでみました。
電子メディアと著作権の関係は、法整備がまだまだ進んでいない、というのがよく判りました。
文芸よりもむしろ音楽での著作権が主で、その関連から文芸はこのように考えられる、というスタンスですね。
厖として、雲をつかむような話ばかりですので、電メ研での討論は、なにか具体的な事例でやってみたいものだと思い始めました。 (村山委員)

* 日本ペンクラブは言論表現の自由を守るとともに、世界平和に貢献しようという、詩人、出版人、編集者、随筆家、作家らの世界組織であり、日本文芸家協会は文筆家の職能を維持する互助組織である。著作権等の問題は、広く観れば言論表現の自由と権利の問題ではあるものの、どちらかといえば協会がしっかり守るべき専念領分なのははっきりしている。しかし出来る限りは、会員も相当に重複しているのだから、協調協力できるかぎりはその力を綜合してゆくようにすべきではないかと、わたしなどは考えている。そっちはそっちで、こっちはこっちで、それでもいい問題と、そうでなくそっちもこっちも一緒にやれること、やった方がいいことも有る筈だ。
ペンクラブには国際的な折衝が欠かせず、現森山事務長は日本人という以上に世界人であり、まさにうってつけ、かけがえない人材だが、国内向けにはご本人が「作家の名前もよく分かりません」と漏らされるほどで、これは仕方がない。で、もし、そこを補完して、行動力も判断力もある有能な男性事務次長ができ、協会の勝田氏らと友好緊密にいろんな基盤的交流がはかられれば、協会のためにもペンのためにも、どんなに良いことだろうと、双方の会員であるわたしは、願っている。残念だが、現在のペン事務局はそういう建設的な広い活動には、協調・協和の点からも、堪え得ないのではないか、給与や時間の問題もあろうけれど。
2000 1・19 5

* デジタルメディアによる出版をして行きたい或る企業から、「デジタル出版権」について、ペンクラブ電子メディア対応研究会「座長様」と名指しで案内があった。メールリストを通じて委員には報せた。
好意的に情報を寄せてもらったのだと推測できる。要するに、「19日付けのTV報道」で、角川書店その他出版各社コンソーシアムが電子出版に取り組むと報じられたが、作品については「各作家に断った上で」とあり、「権利ビジネス」という視点が出版社側に「欠けている(故意なのか、無知なのか)と感じ、メール」をもらったものと察しられる。つまり、「擁護されるべき「権利」は作家の方々に属するにもかかわらず、「一切合切の権利は出版社にありという形で、なし崩し的に既定事実化されることを危惧」したからと言うわけである。この危惧は、むろん重要なポイントである。
これらに関連して、今日、電メ研委員のお一人からメーリングリストに「意見」が出ていた。いわば時代と社会に組み込まれた最現代の、我々文筆家にすれば最重要の話題であり、そのご意見と、少しく意気消沈ぎみのわたしの発言とを、あえて併記しておこうと思う。

* 電子書籍著作権の基準作り
インターネット、デジタルデータ放送、光ファイバーなど、電子書籍の展開は、電子メディアの可能性が広がるに連れて、これからも数が増えてきそうです。
それに伴って、法整備の後ればかりでなく、著作者の権利意識の希薄さなどという現況の中で、座長前便にあるように、「業者」主導で、さまざまな働きかけが、個々の著作者に、出てくることが予想されます。
文芸家協会、あるいは文芸著作権連盟、あるいは、ペンクラブなど、どこかで、電子著作物の著作権交渉の基準を、早急に作る必要があると思います。
出版社を含め「業者」は、それぞれの思惑で動いてくるでしょうし、著作権者の方は、電子書籍についての「コモンセンス」のない状況で、個別に、不充分な対応を強いられ、何時の間にか既成事実を積み重ねられてしまう恐れがあります。

* 仰るとおりなのです。が、誰がそのために動こうとしているか。問題は、そこにあります。
日本ペクラブは、それはペンの主な仕事ではないと判断しています。「世界平和や人権・環境」に貢献したいと言う。
ペン憲章が掲げている「言論表現の自由」の基盤には適切な著作権のあるべきことが、また電子メディア著作権などまるで「無い」に等しい現状のままで、行き当たりバッタリ業者の蚕食に曝されて行くだろう「時勢」の大事など、あまりペンクラブ理事会では認識されていません、もっぱら「政治権力」への監視などに力が入ります。
電子メディア時代へ身を寄せた洞察が希薄である以上、これはもう手の施しようがない。職能団体である文芸家協会に任せて置いていいという意識が、暗黙に、みなに働いているのかも知れません。本当に任せられるのならいいのです、が、少なくも主管すべき、わたしも委員である「知的所有権委員会 三田誠広委員長」が、その目的で検討を重ねているわけではありません。
問題の大きさは分かっているとしても、誰も、何処でも、動き出していないようなものなのです。
われわれの電メ研も、座長私の非力もあり、このままなら存在理由が薄れて解消するものと、残念ながら予想せざるをえません。有志小人数の勉強会をつづける程度では、会員の役に立てません。役に立たねば無意味になりますが、巨大な暗闇を覗いている感じで、白馬の騎士も現れません。
ただ、一度、電子メディア対応の場が失せてしまいますと、この、大きな、最現代の課題を、わが「日本ペンクラブ」内で組織的にまた立ち上げるのは、容易でなくなると怖れています。しかも、ぽこっと抜け落ちたままで「済む」分野ではない。
御提言の「電子書籍著作権の基準作り」に、われわれは、何をどう寄与すればいいのか、ご発言下さい。
* すぐにお二人から発言があった。わたしのこのページは、電子メディア関連の広い範囲の人にも読まれているらしいので、「声」としても、敢えて転載させていただこうと思う。

* (意見) 私など、現在は組織に所属したジャーナリストで、自分の著作物も、去年の春に、1冊出しただけで、著作権はあるものの、多額の印税などが入ってくるような立場にない人間ですが、新しい電子書籍に関わる権利関係で、ペンも文芸家協会も、当事者が、すくみあって、結局なにもせずに、「行き当たりバッタリ、業者」にいいように蚕食されて良い訳はありません。
文芸家協会の「三田委員会」、ペンの「秦委員会」で、それぞれ基準(試案)を、つくるしかないのではないでしょうか。
私に具体的な考えがある訳ではありませんが、ペンでも必要があって、「秦委員会」をつくったのでしょうから、我々としては、我々なりにこの問題について、勉強の成果を、いずれ発表すべきでは、と思います。
> 一度、電子メディア対応の場が失せてしまいますと、この、大きな、最現代の
> 課題が、わがペンクラブ内で組織的にまた立ち上がるのは、容易でなくなると
> 怖れています。しかも、ぽこっと抜け落ちたままで済む分野ではない。
秦さんのおっしゃる通りです、
私も非力ながらも、提言だけはまとめなければならないのではないのか、と思っています。
アメリカあたりでも、活字の著作権を基に、著作者側の弁護士が、著作者に有利なように、電子書籍の著作権を打ち立てようとしていると、聞きました。現在、「秦委員会」のなかでは、権利としての著作権の恩恵に一番遠いところにいる私ですが、この問題の本質を考えた場合、やはり、やらなければならないのではと思います。

* (意見) 私も印税とは遠いところに身を置いていますので、発言しづらい面はありますが、一読者、一市民としても電子メディアにおける著作権は考えなければならない、と思っています。
ひとつ提案なんですが、わが電メ研と文藝家協会の三田委員会とで、合同の会合を持ってみてはどうでしょう?
両委員会とも問題の認識はあるわけですから、いずれ同じ席を持つことが必要になってくるだろう、とにらんでいます。
昨年末から今年にかけての電子メディアの動きを見ていると、そろそろその時期かな、と思うのですが…。

* 呼応するかのように、私からのメールに三田委員長からも返事が今日届いた。要旨を摘録すれば、「電子出版は今後、急速に普及すると思われます」との基本的な認識。次いで日本の作家は、契約書がなくても「印税一割」と不文律の慣習で守られる状況の中で仕事をしてきたので、「権利意識が希薄」という認識。そして、電子出版の印税については、いまのところ実験段階と考えて「様子を見たいと思っていますが、著者自身がワープロで打った原稿をインターネットで配信するだけなら、印税9割でもいいのではないか」とも言われている。共感する。最後に、実験に参加している「各社の印税の実状を把握した上で」問題提起をしたいと。今後とも「情報があれば教えて欲しい」とも。
希望をもちながら、歩一歩を進めて行くしかない折りに、一つの展望をもった三田氏のメールで、有り難い。
2000 1・21 5

* 昨日「文学界」からアンケート依頼があった。「原稿を手書きしているか、機器を使っているか」といったアンケートで、大まかな質問だった。簡単に回答できた。
わたし自身は、1983年に東芝トスワード一号機を購入の当日から、執筆と創作には、ワープロを専ら使用し始めた。1996年以降パソコンに移行し、現在は、NECの二台のノート型機器を用途により使い分けている。わたしには、ワープロの時代はもう過ぎた。

* こんな質問がある。「機器を使うことで、手書きとの変化はありますでしょうか。たとえば推敲、構成などのプロセスに何らかの変化は生じましたでしょうか。手書きと比較して、長所短所など、お感じになることはございますか」と。
機器による文章・文体の変化は無い。機器の使用前後で、だれ一人変化を指摘できた人もいない。手書きでなければという絶対的な利点は、無い。機器を用いて得られる利便は多々あるが、不便もある。文章・文体・表現は、手書きだから、機器だから、良い・悪い、良くなる・悪くなる、というものではない。機器には確かに多くの利便は有るが、それで文学・文章・表現が良くなるわけでも悪くなるわけでもなく、手書きなら良い文学・文章・表現が保証されるわけでも全く無い。文はむしろ人に属している。書く手段は、好みと慣れにすぎない。また個人的な事情での選択にすぎない。

* 次にこんな質問がある。「雑誌、本という紙に印刷される形だけでなく、電子本、インターネット上の雑誌など、メディアの世界では様々な変革が見られます。これからの十年二十年を単位として、執筆、出版などの形はどのように変化するとお考えですか。」
こういう問題の把握に多面的に取り組むのは、例えば日本ペンクラブの電子メディア対応研究会などの仕事であり、いま座長として公式に安易に答えるのは控えたい。
だが、私個人の対応では、一つには、紙の本による表現と公表の場を、私的にも確保すべく、「秦恒平・湖(うみ)の本」を十四年来、六十数巻に及んで継続刊行をなお維持し、一作者として固定の一定数の読者との間に「文学環境」を確保している。
今ひとつには、新世紀の潮流を見越して、インターネットのホームページによる、創作・執筆と作品館設営に既に取り組み、相当に拡充して行ける用意がある。現在数千枚の各種原稿が、実験的に多彩Iにページを埋めている。
紙の本とインターネットの本を両輪にした、わたしのこの方式は、かなりの確度で、未来の文筆家活動の姿を占えるものと予感している。
紙の単行本は、高級品的に大切に求められて、価格は相対的にさらに高くなり、占める割合は漸減して行くだろう。
電子本が、形式内容の両面で落ち着いて定着するには、試行錯誤のかなり長期間を経なければならないだろうし、その間に、なによりも電子メディアの特質に即した新たな著作権益保護と確保の新体系が工夫され法制化されねばならない。
三十年すれば、書き手はいろんな技術を手にして、従来紙の本型の出版・編集の桎梏を脱し、自立的に電子メディア上で作品や文章を読者へ直接提供する例が増えてくるだろうが、紙の本時代のような印税・原稿料収入に匹敵する収入手法の保証は容易には得られないだろう。また、電子本の自由化が放縦に進んだ場合、「批評」や「編集」の機能で、文学・芸術の質がどう維持できるかは、最大の難問となって残り、わるくすると、混濁と低迷の永い季節を経なくてはならないかも知れない。
紙の本が、堅実に生き残って欲しく、その為には現在の出版・編集・流通の在りように、よほどの理想の回復や反省と改革がなければならないが、期待は全くもちにくい。

* さてアンケートの最後に、「文学界」二月号に載っていたという石川九楊という書家の文章に対し、感想ないし反論は有るかと質問が来ていた。どうやらこれが眼目の質問であるのかも知れない。二月号を改めて取り出してみたら、載っていた。「書家によるワープロ徹底批判」と銘打った『文学は書字の運動である』という題の文章で、目次には、「ワープロを使って日本語の文章を書くことは、必ずや思考の混濁と頽廃を生む」とも付記してある。じつは他のマスコミ記事で、文学界とも二月号とも気付かず、なにやらこの石川氏の文章に仰々しく触れたものを、ちらと見ていた。「ほい、また始まった」と思っただけで、忘れていた。わざわざアンケートされるようなこととは夢にも思わなかった。
下らない話ではないか、手書きしようと機器を使おうと、大きにお世話で、まして「文学は」などと押しつけのそれも書家のご託宣など、聴きたくもなかった。時々あぶくのように現れる、不勉強な高慢天狗の譫言に過ぎないのは、読む前から分かっていた。

* しかしまあ、せっかく雑誌を貰っているのだから、読み始めてみた。だが、気が乗らない。読ませるような文章ではない、読み通す根気を惜しいと思うぐらい、案の定、ばかばかしい。すこし、関わってみようか。

* 「ワープロを早くから使い始めた詩人や作家がこれに対し違和感を感じ、捨て始めた」と、いきなり書いてある。
おおまかなものの言いようで、機器を早くから使い始めた人が、いきなり全面使用していたのか、(そういう人もいる。 )手書きと併用していたのか、(そういう人もいる。)全面使用から、手書きとの用途別の共用・併用に割り振って落ち着いたのか、(そういう人もいる。)すら押さえていない。これでは単に我が田に水を引くための立言であって、事実は、もう機器が手放せないと告白している作家も著述業の仲間も、少なくない。いやはっきり言って「捨て始めた」人に出会うよりもずっと「使い慣れてきた」人の方が身辺には多い。そして、むろん、こんな数の多い少ないなど、何ら「文学」にとって本質的なことではなく、要するに好みと便宜とが選択されているのである。「書く」手だてに何をどう選ぼうと、その限りでは大きなお世話なのである。
大事なことは、手書きか機器を用いる(この場合ある程度習熟していることの必要なのは当然で、同じことは例えば毛筆についても言える。)か、それが、「文学」の質を左右する問題なんかでは、全くない、ということである。そういうアホなことを言う人は、「文学・創作」をよく知らないことを暴露しているだけだ。

* すぐ続いて、「文章作成機にせよ、個人用電子計算機にせよ携帯電話にせよ、現代商品は、どこかにいかがわしい暗部をもっている」とある。
この程度の認識で、何かたいしたことを指摘したつもりなのだろうか。近代の産業社会と資本主義社会に割り込んできたさまざまな機械器具の類が人間に対して、多大の利便とともに、ある種の深刻な敵性・毒性をもはらんで、人間の自然と精神に影響を及ぼしてきたのは、ほぼ常識に類している。すでに百年前に、「ロボット」といった批評的な佳い戯曲が海外で上演され、日本へも輸入されていた。俳優座が最近再演したし、作の意図と批評はむしろ百年前以上に尖鋭に現代を刺していた。ここで石川氏の語彙に乗じてものをいえば、その「いかがわしさ」を、どう意識的に捌きながら用い使って行くか・行けるかの上に、「近代・現代」という歴史的な現実は築かれてきた。
大なり小なり、われわれは、我々の手で創り出したものの敵性・毒性との、巧みな、ないし聡明な「共生」を、意図して目論んできた。それを必要悪であったと謂ってもかまわないが、そういう自意識をあまり肥大させたいともわたしは思わない。このいわばパラドックスを否認否定する道があれば、よろしい、行くがいい。それは石川氏が得手の隷書や篆書や甲骨文字で、現代から未来へ思想的・実践的に自己表明して行けると言上げしているのに似ている。だが、わたしは活字体でけっこう、電子文字でも差し支えない。それでも、わたしは、きちんと「文学」できる。
それでいて断って置くが、隷書や篆書の美に冷淡なのではない。わたしが芸術表現の分野で最も深く敬愛しているのは、いわゆる書、好みでは古文古筆の書である。昔の漢字やかなの書なのである。だが、自分の文章は機器でも書き、ペンやボールペンも使うし、必要なら毛筆でも使っている。
「文学は書字の運動である」などと、お節介であやふやな書家の観念論を押しつけられたくない、大きなお世話だ。

* 「現代商品は、生まれた時から、自由と共同を求める人間の潜在意識(自覚されない意識、意識以前の意識)に違和感を感じさせるほどに不吉なのである」と石川氏の論旨は続く。
この「現代商品」という曖昧模糊としたもの謂いは、これは何だろう。新しい思想はもとより、新しい物や手段の誕生が、どんな時代のどんな人々にも双手をあげて歓迎されたとでも石川氏は思っているのだろうか。それなら誤解である。よほど便利な道具ですら、慣れるまでは、まがまがしく無気味で不吉なしろものでありえたことは、日本での電信電話の開設当時を思っても分かるし、未開族のシャーマンらが、いちはなだって文明の道具に警戒を示すのもそれだ。我々の社会にあっては、むしろ石川氏のようなものものしい根拠のないもの言いこそが、「不吉」な、カルト言説に属するだろう。ここへ、「阿頼耶識」のようなものを持ち出して曖昧な認識を修飾しようなどというのは、ただ大袈裟で、そんなことを謂うなら、古来、人間は、いわば「不吉」と「不安」の海をはるばる泳いで、現代まで来たのだと言ってしまった方が、当たっている。
言って置く、「現代商品」によって人間は「不吉」に悩むのでなく、人間存在それ自体の行動や思弁が根に「不吉・不安」をはらんでいたのである。不
吉の原因を人間の「外」に、「外の条件」に押しつけてとかく言うなどは、ものの分かっていない証拠のようなものである。

* すぐ続いて、石川氏は今度は、「本来、人間の生と生活を豊かにし、率直に喜んで歓迎すべきーーいわば垂涎の的であるべきーー商品が」と、まるで前言を裏切るような楽天的・断定的なもの言いで、さも本音らしい「商品」観を露出させている、が、なんという寸の短いものの見方だろう。しかもその上で、そういう「商品が、気のりのしないまま購入と使用にかり立てられるということ自体が、現代商品の反人間性、反社会性、反文化性を証している」と言い出す。安直な言葉遣いで、とうてい「文学」がどうのと言い立てられる人の文章でも議論でもない。ここではワープロやパソコンが目の敵にされているようだが、もし「購入と使用に」ほんとうに「かり立てられ」ているというなら、もう一度言うが、それは機器商品のせいではなくて、人間自体が持っている「衝動」にこそ問題がある。「商品」は、人間でなく、社会でなく、文化でもない。それを擬似人間(ロボット)化するのも、社会性を与えるのも、文化にしてしまうのも、「人間」自身であり、「機器・商品」ではない。そしてワープロ・パソコンにかぎらず、人類が最初に道具を持ち始め、器械を作りはじめた時から、同じ問題はつきまとって、文明の陰陽を生み出してきたのである。何万年の道具や機械の文明史の中で、うまれてわずか五十年のコンピュータにだけ食ってかかる図など、配慮の視野の狭い人だなと思わざるを得ない。「不吉で不安な現代の機器商品」としてなら、もっと露骨にテレビなどの長短を言うこともできる。石川氏の「商品」論はすでにして視野狭窄の愚をはやばや露呈している。

* もののまだ一ペイジも読み進まないのに、こんなに安直なことが語られているのだから、あとを読むのは、まず百パーセント時間の無駄だと確信している。しかし、せめては三ページぐらいは読んであげないといけないだろうか。廿四、五ページあるらしいが、最後の最後をふっと見ると、「だから、だから墨を磨れ」と結ばれてあるではないか、推して知るべし、やはり付き合わない方がマシのようだ。

* ひとつだけ追加しておこう。
石川氏は三ページ目へ来て、こんなことを書いている。それまでのところでも、機器の「漢字かな変換」などについて、もっともそうな非難を並べているが、初期ワープロの頃は、漢字の数の少なさにこそ参ったが、実は「漢字かな変換」の珍妙さや煩わしさには、笑ってしまうわりに、特段の妨害は受けていなかったし、器械を替えて行くにつれ、ソフトの方も改良も著しく、今では、変換の自在さや誤差範囲そのものまでが、けっこう利用価値になっている。機器での執筆に習熟している人にとっては、石川氏の、鬼の首をとったようなことごとしい議論、「日本語にとっては、決定的に歪んだ操作と仕組を強いられる機械」だの、「日本語と日本文化に奇怪な現象をもたらす」だののまさにモノモノしいもの言いは、ご大層にという他はない。これは「日本語と日本文化」と「日本語で書く」ことに、ながく心を砕いてきた一人として言うのであり、わたしの全著作の質と量とを賭して言うのである。

* で、石川氏は、更に、こういうことを言う。「作品をつくると言うことは、集中し、持続し、その極点で白熱することだ。この白熱を通して、過去を突き破る現在がほんの一瞬姿を現わす。電話がひっきりなしにかかってきて、思考の流れを絶えず乱される中で、まっとうな詩や小説が書けるとは思えない」と。

* これだけ読んでも、石川九楊氏が、少なくも独り合点の、美文家だとわたしには分かる。よほど酒に酔っぱらっても、この前段のような青臭いことは、この年になると書けない。創作について固定観念はもったが、体験は積んでいないらしい若者が、早口で大急ぎにものを言ってのけたという按配で、気恥ずかしい、が、ま、若い人なのであろうと、聴くは聴いておこう。こういう感じ方も、あり得ていいだろう。
だが、石川さん。「電話がひっきりなしにかかって」来る状況と、「思考の流れを絶えず乱される」こととは、必ずしもいつも同次元にはないのです。ほんとに「書く」気になっているときは、脱却もまたそう難儀ではない。体験を話したい。

* わたしは、小説を書き始めてから約十二年、医学研究書と医学月刊誌の編集者だった。後半は末端の管理職も兼ねていた。多忙も極限にいた。一人で百数十点の単行本企画と取材を担当し、月刊数誌の発行責任ももっていた。その中で小説を書き始めて、作品「清経入水」により太宰治賞を受けた。「蝶の皿」「畜生塚」「慈子」「廬山」「閨秀」そして「みごもりの湖」「墨牡丹」などと、書いていった。批評やエッセイも、「花と風」「女文化の
終焉」「趣向と自然」「谷崎潤一郎論」などと次々に本にしていった。
これらの全ては、だが、勤め先のあった本郷の、昼休みなどの喫茶店で、昼飯屋で、よその人と相席も厭わず、喧噪のさなかで書かれたのである。家ではものを調べ、勤務中の寸暇を惜しんで、あらゆる場で、取材先の教授室や院長室のドアに持たれて立ったままのこともあり、バスの中のこともあり、四人席の三人は知らぬよその人と相席の喫茶店ででも、ラブシーンの演じられるラブ喫茶の位席でも、平気で書いた。それでも石川氏のいう「極点の白熱」は暫くの集中でいつも得られたのである。「思考の流れを絶えず乱される」ことからのがれ得ていたのである。
会社を辞めるまでの私の全著作は、斯くおおかたが喧噪のさなかで書かれていたが、多くの人が、私のそれら作品が微塵もそういう喧噪の混濁に毒されていないことを、「静かな」特色に数えてくれた。うそだと思うなら、そんな「中で、まっとうな詩や小説が書けるとは思えない」と言い張りたいなら、どうぞ、上に挙げたどの作品でも、読んでみて下さればいい。

* わたしと同じような環境をものともせずに書かれた、作家や作品が、必ずしも少なくないことは、調べれば分かるかも知れない。それほど特別のことだとは思っていない。
創作にはいろんな「手」があり、芥川のように考え抜いてから書く人もあれば、石川淳のように暗闇に飛び込んで行くように書く人もいる。尾崎紅葉のように徹底推敲で仕上げる人も在れば、初稿のままで人に渡す人もいる。そもそも「推敲」という手段そのものが示すように、文学の場合、「作品をつくると言うことは、集中し、持続し、その極点で白熱することだ。この白熱を通して、過去を突き破る現在がほんの一瞬姿を現わす」などといった過程ばかりでは、必ずしも、ないのである。「書」のことは言わないが、「文学」の場合は、「電話がひっきりなしにかかってきて、思考の流れを絶えず乱され
る中で、まっとうな詩や小説が書けるとは思えない」などとは、必ずしも限らない幾種類もの「白熱」の仕方も可能なのであり、明らかに石川氏はよく知らないことに関して、勝手なことを言い過ぎている。
そして、その上に、まだ、こう付け加えているのだ、そんな「思考の流れを絶えず乱される中で、まっとうな詩や小説が書けるとは思えない。文章作成機 (ワープロ)を打つことは、これと同じことに帰す」と。
ほんとうに創作に打ち込んでいるときには、たかが機器を使っているかいないかなどで本質的に拘束されるような隙間もない。万年筆のペン先が割れて字がかすれたり、インクがもれたりする程度の迷惑も、ほとんど意識しないで済んでいる。なぜなら、所詮はペンにせよ機器にせよ、書字の道具以上のものとは評価していないから、そういう手段として機器をこのわたしに付き合わせている、つまりわたしが「使用」しているから、である。

* 文学の創作には、「口述」という、筆記とはべつの方法も使われる。谷崎の「夢の浮橋」は口述作品であり、作者自身の書字によっては書かれていないが、いい作品になっている。他にも例がある。公表前に親しい人に「読んで聴かせる」方法を、志賀直哉はじめ白樺の人たちは、ことによく用いていた。これも書字とはひと味ちがう書き方である。わたしは、いきなり作品を録音機に吹き込んで、更に推敲して行く方法も、時々取ったことがある。いろんな「手」がつかえるのである。
だが、「手」をつかうのは、人たる作家であり詩人なのであって、そこに内奥のもし秘儀が在るとせよ、それは決してペンや筆や機器の左右できるところではないのである。是非に「墨を磨り、」「書字」して「文学」を、などということを決定論風に突き出して言い募るのは、書家のとは言わない、石川九楊氏一人の、論理を欠いた好き勝手に過ぎない。どうぞご勝手に、但し好き勝手に押しつけないで貰いたい、ハタ迷惑になる。
石川氏の願いどおりすれば、作家が「手書きした原稿の文字」のまま読者も読めなければ、意味が無くなるのではないか。それを「活字」に置き換えたものを読むのでは筋道が逸れているのではないか。
だが、文学は、「書く」だけで完結するのではなく、「読む」という行為も創造的に加わっている。「書くのは書字」だが「読むのは活字」でもいいのか。「書字」という書く行為にこだわるなら、読む行為も「書字」でとならねば一貫しない。書字と活字では、字の素質が随分異なる。だいいち、そんなことは不可能であり、ま、無意味な話になろう。

* 以上は、三ページだけのおつき合いでウンザリしてしまった弁である。それだけのものだと、お断りしておく。
2000 2・8 5

* こんなメールを受け取った。二月八日に書いた石川九楊氏の「文学」論の見当違いに関連してのものであり、お許し戴き、ここへ書き込ませていただく。

* 「私語の刻」を何日かごとに、とぎれることなく必ず拝見しています。
文学界のアンケートに絡んで、書家の石川九楊氏のことが、2・8に取り上げられていました。(石川氏の)「書家によるワープロ徹底批判」という文章に、秦さんは「石川氏徹底批判」をされています。私も、秦さんの論調に基本的に同感しました。
鉛筆もワープロも、同じような、文章を書く「道具」として使えれば良い、使えなければ困る、と私は思っています。
その後、職場で「週刊朝日」(2・18号)を読んでいたら、この「書家によるワープロ徹底批判」の、まさに「尻馬に乗った」記事が目に付きました。「ワープロを捨てた作家たち」です。
私もワープロを使いますが、ワープロ(パソコンのワープロソフトも含む)の不便さ、器械としての馬鹿さ加減も承知していて、決して「絶賛派」ではありませんし、「習熟派」でもありません。
ところが、この記事に出てきた作家が、なんと「電メ研」顧問の井上ひさし氏、文芸家協会の中沢けい氏らなのには、びっくりしました。電子書籍の問題について、ペンクラブやら文芸家協会やらを代表する研究会、委員会の一員として、おふたりは、この問題を検討しているのではないでしょうか。個人の立場は、個人の立場ですから、どのように発言されても結構ですが、そういう議論を、それぞれの「検討の場」に反映させておられるのでしょうか、と思いました。
ワープロの是非を含めて、何が問題点かをプロの文筆家の人たちは、もっと率直に議論すべきではないでしょうか。
「週刊朝日」の記事には、最後に、この記事をまとめた記者の、ワープロ、パソコンに対する違和感という「思いをスカーッと晴らしてくれた」(ここに、この記者の発想の原点があります)という石川九楊氏も、当然出てきます。
ついでに、この記事の、お粗末の極みは、中沢氏の写真を、歌人の道浦母都子氏と、取り違えていることです。ご本人にも会わずに、電話、FAX、あるいは「メール」だけで取材をして、記事を書いたのではないでしょうか。

* 最後の写真取り違えの一段については、雑誌を見ないわたしは何とも言えないが、このメールを貰った人はこういうことには詳しい職掌の人である。

* わたしは、ワープロのパソコンの、それが便利の不便のといったことには、全く興味がない。便利な人には便利なのであり、不便な人には不便なのである。気に入った人には気に入っているのであり、嫌いな人は嫌いなのである。そんなことが何の問題であろうわけもない。
わたしにとっての問題は、それが「文学」「創作」「表現」と絡めて言われていることで、それならばマトモな議論を展開してくれと言いたい。石川氏の言い分は、「したり顔の見当違い」でなんの価値も無い。尻馬に乗る人たちも、要するにワープロ、パソコンの好き嫌い論を出ていないのではないか、文学の創作の実体験はない人たちではないか。
井上氏や中沢氏がワープロを「捨てた」というのが細かな点は分からないが、何が不思議だろうか。捨てようが、また使い出そうが、手書きと併用しようが、そんなことは勝手であり自由である。わたしだって、先のことまで拘束されていないし、心境の変化もあって構わない。好みと選択にすぎない。どちらが「文学」のために良いという決定論は出来ない、書き心地が良ければ何を選んでもいいのだ。そんなことで文学の質が左右されるなどと言う議論の方が荒唐無稽に近い。小説はぜひ機器でお書きなさいなんて他人に勧めたことはない。勧められたこともない。出来が絶対ですよなどという人がいても、その絶対という言葉の使い方に頬笑むだけのことだ。アレルギーのようなものだ。わたしにはそんなアレルギーはない。文学・文芸を考えるときに、そんなことに煩わされはしない。もっと大切な勉強が他に有るだろう。「文学」は機器にも手書きにも質を保証されたりしない。
2000 2・11 5

* 今日の仕事はかなり機械的な手順仕事であったから、そばでテレビをつけていてもよかった。それで昼には、ジーン・ケリーとデビー・レイノルズの懐かしい「雨に唄えば」を、見るともなく聴いていた。フレッド・アステアの「雨に歩けば」も面白い音楽とダンスが楽しめたが、これはデビー・レイノルズが可愛らしく、ダンスも歌もよくて、おっとりと品のいい映画だ。サイレントからトーキーに移る頃の映画作りで、なかなかトーキーに人がなじめず、サイレントこそいい映画の条件のように不服を唱えているのが、今まさにワープロやパソコンに不服の泡を吹いている人たちのことを思い出させ、笑ってしまった。そういう人は汽車が走っても飛行機が飛んでもラヂオが鳴っても騒いだのである。騒いで悪いわけがないが、時代と環境は動いている。明治の人と平成の人とでは、おのづとそこに感性差も洞察推察の基盤差も有るはずだ。人間を悪くした点では、テレビなど功より罪の方が深い気がしているが、テレビを破戒したいとは思わない。コンピュータとて功も多きいなりに、罪も莫大とはいえる。わたしも、そう感じている。だが感嘆もしている。「文学」「創作」と直かづけして、短絡的に議論をカルトなまでに脱線させるのとは、べつごとである。
絵画の世界では、従来感覚と手法でもはや語れないほど、電子メディアに関わった新絵画世界が生まれていて、それを是非するのは、よほど大きな美学・芸術学的な課題である。しかし、広い意味のコンピューター・グラフィックから世界的な賞に値する業績が出てきている事実も無視できない。わたしなど、やや保守的に感心しないでいる、写真利用の絵画も飛躍的に増えている。
そういうものと比較すれば、手書きの文学と機器で書く文学とには、それほどの差異は現実に生まれていない。かりに意図して差異を「創造」しようという人がいたとして、それはそれで、なんら咎められるべきではない。
要するに作品がいいかわるいかであり、手書きか機器かは、その評価とはべつなのである。当たり前のことである。
2000 2・12 5

* 「本とコンピュータ」のインタビュー、東京會舘喫茶室で七時まで。あらましは原稿で渡してあったので、補足的に。なにもなにも過渡期の話で、確信を持って話せることではない。何を話しても、まともに受け取れ自分のこととして考えられる人の少ないのが、「電子メディア」の話題である。いくらか空しいが、さりとて放っておけることでもない。
2000 2・15 5

* コンピュータないし電子メディアに関する「悪声」は当分いろいろに続くだろう、続いて当然なのであり、異とするに足りない。但し歴史的な先方視野をなるべく正確に見て取り、見当違いな反応は少しでも避けて行く知性や理性が必要だろう。
コンビュータないし電子メディアで恐ろしいのは、ハッカーの悪質ないたずらが、厳しい取り締まりや処罰の対象にされる・されない程度のことではない。
いわゆるサイバーテロリズムが現実的に恐怖の的に今やなってきており、さらに加えてそのサイバーテロそのものを、武力行使の一環に「当然取り込む」と宣言し動き出したアメリカの戦略姿勢ーーまさに制圧を計りつつ、行使をも計って行く姿勢ーーが、本当に恐ろしいのである。国防省のスポークスマンは、敵方のコンピュータシステムの破壊攻撃は、核攻撃よりも「優雅」だと話していたが、それは、サイバーテロに核攻撃なみの「効果」が期待できることの「確認」宣言でもあった。具体的なそのシミュレーションは破壊と惨劇をありありと実感させ、多少でもコンピュータに慣れた者なら、ウソだとは思われずに戦慄にとらわれる。
「核」「核」と、原則にしたがい鸚鵡のように単純な抗議声明を出しているだけでなく、サイバーテロリズムという核なみに恐るべき「電子メディア」問題にも目覚めなければいけないのではないか、本気で「世界平和」を望むのならば。
2000 2・16 5

* 青山のテピアホールで、日本文藝家協会のシンポジウム「活字のたそがれか?ネットワーク時代の言論と公共性」があり、参加した。
司会は電子メディア委員会の島田雅彦氏。パネラーは国会図書館から、書店から、新聞社から、そして弁護士、電子メディアのプロ、さらに作家二人と詩人弁護士。
パネラーによるバラツキは致し方なく、全体には大事な問題に多く触れていて、良かったとも言え、また、要するに、どうにもならないほど先行きは難儀と分かっただけでもあった。出口のないトンルネに入ってしまい、ただもうワンワンと怯えているが、何に怯えているのかも判然としない。

* 「電子図書館」という言葉が、人により状況により、まちまちに使われている。図書館の電子化と電子図書館とは、ちがうだろう。電子出版と電子本もちがうだろう。概念が、その人・人の理解なりに使われているので、理解が、収束されにくい。
図書館機能と電子メディアの連携では、わたしなどは、むしろ、劣化破滅寸前の、刊本になっていない「貴重な文書文化財」の保存を、ぜひ視野に入れて欲しい。言うまでもないが、漱石や鴎外などの作品を今さら図書館が優先して電子化に奔走してくれる必要はない。広い公共化もたいせつだが、一般の力では及びもつかない、しかし時機を失しては破滅存亡の危機にある文化財保存にぜひ力を入れて欲しい。それらがネットワークの恩恵と無縁であって良いとは思わない。

* ネットワークなど、せいぜいここ五年のはなしである。わたしが「湖の本」を考え始め、始動し、軌道に乗せてから十五年。作家によるいわば「産地直送」方式の出版を、わたしは、着実に維持し続けてきた。六十二巻の実績は、たんなる道楽の域を超えて、これを不成功と退け得る人はいまい。
そういう実践者の思いで聞いていると、なんだ、今頃そんなことを言うているのか、やっと、そんなことに気がついてきたのかと思うことも多く、珍しげない発言がいっぱいあったが、あたかもそれが時代の最先端のなお先取りかのように発言されていて、おやおやまあと、妙に可笑しかった。
「紙の本」についてもそうだが、電子メディア利用の出版活動についても、先日来、この「私語の刻」で書いて思い、また予測してきたことと変わったことは、殆ど話されていなかった。電子メディア著作権の殆ど実質無効に近い現況や未来性のことも、課金システムの難しさも、紙の本の高級化保存傾向も、著作者の経済権確保の容易でないことも、みんな、わたし程度の者の思い至っている範囲を出ていない。そして、大事なことは、具体案が全く出てこないことだ。

* 電子メディア出版契約書づくりなどは、まさに、今を失しては、またしても、これまで以上にひどいめに著作権者があうのは明白なのに、その為の組織的対応に踏み出そうとも、協会とペンとが協同してとも、ちっとも具体的な提案がない。展望もない。動きが、ない。それでは、題目をならべているだけで、つまりは単に評論しているだけに過ぎない。評論など百万だら並べても、屁の突っ張りにもなりはしない。戦略なき闘いは負けるに決まっている。

* 「活字のたそがれか?ネットワーク時代の言論と公共性」という、この、ぼやんとした把握の弱さが、下手な小説のように、弱みの全てを明かしている。いっそ「ネットワーク時代に、著述者(著作権者)はどう立ち向かうか」その具体的な対策や対応を語り合うべきであった。図書館と新聞社と書店などは、話題を散漫にしただけ、思い切って省いてよかった。その方が、問題の火の粉を真っ向にかぶって、会員たちの会場も、もっと白熱しただろう。こんなシンポジウムを企画するのなら、そもそも「知的所有権委員会」が一度も招集されないのがおかしい。もっと衆知を寄せあつめて、より良い企画で、狙いを定めて開催すべきなのだ。

* 個々のパネラーの発言に、学んだことや、聞きたいことが沢山あるが、それは、ここでは省く。せめて文藝家協会で、シンポジウムの遣りっぱなしでなく、何がこれから必要かをさらに話し合って、たんなるガス抜きシンポにしてしまわないで欲しい。

* 「平成太郎の館」の代表片倉啓文氏から、ホームページ作品を縦書きにしないかとお勧めを受けている。メールを立て続けに頂戴しており、なかなか、わたしにはそのメールを「読みとる」のも難しいのだが、勉強しなくてはなるまい。
今日パネラーとして出ていた中村正三郎氏のホームページも、ぜひ観てみたい。一日に十何万とアクセスがあるそうな。そういう話はときどき聴くし、「マスコミュニケーション」の意味を承知しているから、それ自体に驚きはしないが、なぜそうなるのか、観て分かれば面白いなと思う。わたしのこのホームページなど、ま、まる二年して一万アクセスに大接近の程度であるが、ま、「倉庫」などというのは、覗き込んでもともと面白いものではない。保存館ホームページと、もっと読みやすい美しく創ったもう一つのホームページをもつのも面白いだろうか。
2000 2・22 5

* オームの、諸官庁コンピュータに働きかけていた隠然とした接近工作は、サイバーテロへの足がかりとして見れば、容易ならぬ破壊活動がすでに始動しかけていたのだと、驚き、また呆れる。サイバーテロの恐ろしさについて、この頁で、「二月十六日つづき」の項にはっきり言い置いているが、あの通りの心配の種が、アメリカならぬ我が國内でももう蠢いていたのだ、それにしても、なんという迂闊な認識だろう。官庁のお偉方も、ペンの理事諸公と同じに、コンピュータなど「別世界の無縁な話」ぐらいに思ってきたのだろう、年齢と経歴から見てある程度無理のない話だが、もう、そんな甘ったれた事の言っていられる時節ではない。好き嫌いはべつのことである。いやでもインフラに浸透しきって、我々の日々の暮らしにコンピュータは殆ど隙間なく機能している、分からぬ人には見えていないだけのこと。
2000 3・1 5

* 午後、久しぶりに今年最初の電子メディア対応研究会。プログラムの専門家である中村正三郎氏のお話をたっぷり聴かせてもらう。出席のみなさんがたいへん楽しみにされている、わたしも、むろん。

* 気がつかずにいたが、「文学界」四月号に例のワープロ・パソコンに関するアンケートが出ていた。昨日あるコラムで噂になっていたので、おやおやと思った。わたしは、あえて返事は出さなかった、前半分を山梨近代文学館館報にエッセイとして寄せ、後半はホームページに書きおいた。結局は、「文学界」の出る大分以前に、この「私語の刻」で語り、またあるコラムにそれを寄せたわたしの「短い纏め」で、この問題はみな尽くされていたようなものだ。石川九楊氏の気張った「文学」への発言が、「文学」「創作」の何ものも知らないままの空語であり「うわこと」に過ぎなかったことを、大勢の文筆家達はちゃんと心得ていたようだ。
人間の歴史をある程度謙虚に学んできたものなら、器械に対しておそれと違和感とをしかと抱きつつ、可能な範囲で平静に付き合って使って行く。そうせざるをえない時の流れを批評的にみつめて生きているからだ。器械は万能でも善でもない。その限りで器械を文化とも社会の基盤とも道具とも使いこなして行くのは「人間」であり、器械に言う文句はまず人間に、まずは自身に向けて言うべきなのである。それをいちばんに器械に、そして他者に吐き掛けた。「見当違い」とわたしが石川氏に言うのはそこである。
2000 3・17 5

* 電メ研に、電子メディア技術者の中村正三郎氏を招き、話を聴いた。なるほどなと思う点と、文藝・文筆の徒、創作者としては堪らないなと思う点とが、当然かも知れないが、混在した。技術的には、また電子メディア時流の趨勢を読む点では多く聴くに足りたけれど、創作のオリジナリティーや著作者人格権等の、文筆関係者としては大切に守りたい方面への、「そんなものは」という気味の軽視には、気に掛かるところが幾つもあった。
こういう考え方が時流化して行く中で、何かしら根底的なものを守って行かねばならないのは、たいへんだなあと感じる。
しかし、それを最も先端をゆく技術者の口から聴いたということは体験的に、大事なことであった。電メ研に小説家が、わたし一人しかいないのを、心細く感じた半日でもあった。

*  自信もってお勧めしたいのは、自分の作品は出来るだけ多く、器械に入れておくこと。それが、胸にこたえた。励行したい。
2000 3・17 5

* いま、電メ研のメーリングリストでは、先日中村正三郎氏を招いてお話を聴いた、その内容に関連して、感想や意見が活発に交叉している。できれば、中村氏のお話を整理した上で、委員各位の発言を、そのまま、ホームページに転記してもいいのではないか。役に立つ論点や視点の呈示が可能なのではなかろうかと思っている。
「文学界」へのアンケートを、わたしは敢えて提出しなかった。四月号には多数の識者の回答例が挙げられている。参考になる議論も含まれているが、なにの参考に、どう生かすかとなるとあまり意味はない。
しかし引き続いての、先日文芸家協会のシンポジウムを纏めたような、あの日座長の島田雅彦氏のインタビュー記事は、一読に値いすると思う。
2000 3・22 5

* 中村正三郎氏の「文筆家」への助言に、出来る限り作品を「電子化」しておくといいという一項があった。同感だ。そうしたくてホームページを渇望したのだった。いよいよ小説を中心に実行して行こうと思う。いきなりホームページに書き込むか、一太郎やワードに書き溜めて行くか、併用しようと思う。長編を、小刻みな新聞連載の感覚で書き込みに精励するのもいい、『みごもりの湖』や『慈子(あつこ)』を考えている。手がけているいくつかの新作は、当分はわたしひとりの楽しみで密かに書き進めておきたい。
2000 3・23 5

* 雑誌「本とコンピュータ」五月号でインタビューを受けた。雑誌の宣伝に寄与するとは思わないが、ここにそのまま書き込んでおきたい。

* 電子空間の「闇」に書く  ーーインタビュー 秦恒平さんに聞くーー

――秦さんは、一九八六(昭和六十一)年から、それまでに出版された自著のうち、主に品切れ・絶版本を私家版として復刻・再刊の、「秦恒平・湖(うみ)の本」というシリーズを続けられています。プロの作家である秦さんが、このような試みを構想されたのは、何がきっかけでしたか?

わたしは、六九年に太宰治文学賞を受賞以来、小説も批評もエッセイも、書くものは次から次へ残らず単行本になるという、新人としては最も恵まれた文学作者の一人でした。年に四、五冊が出版され、著書は各社より百冊近く出ています。そのこと自体が、善し悪しは別にして、一つの「時代」を証言し得ているでしょう。現在なら、わたしのようなタイプの純文学の新人が、そんなふうに迎えられるのは容易でないはずです。それほど、恵まれていました。
ところが本はたくさん出せたんですが、すぐ品切れして、簡単には増刷されない。出版の楽屋裏もわたしは永く体験しています、これはムリもない。しかし、そのうち、「本が売れない」という言葉が、「出版・編集」の愚痴ないし本音から、なにかしら、言い訳ないし「多く売れる本は売るが、売れない本は売らない」口実か戦略へと、すり替わり始めたんです。編集者たちは作者に、「売れる」ことを一に要求しはじめました。他方で読者は、「あの本が読みたいのに、手に入らない」と作者にまで愬えてきました。八〇年代に入るにつれ、水かさの増すように、その感じは強まりました。このままでは読者が気の毒だし、作品も可哀相……。
では、作者である自分に「何ができる」だろうと考えたとき、版元に在庫を置く余裕がないのなら、作者が読者に、希望の本を自ら「手渡し」しよう、「直送」しようと思ったんです。そんなふうに、書き手が身を起こす、動かすということが、のちのち、何か目に見えない可能性になって、一つの「前蹤」を創るかもしれぬという予感がありました。

――どんな本をつくろうと考えられましたか?

「在庫」をある程度確保し、「読みたいのに本が無い」という読者の嘆きを少しでも解消するのが、根の発想でした。宣伝なんて出来ません。取次や書店とも無縁。作者から読者へ直接「手渡す」のですから、手元の読者名簿だけが頼りでした、アドレスは、さあ、三百とは無かったでしょうし、そういう人はわたしの本を既に買って持っています。思えばアテハカもない見切り発車でした。ずいぶん苦労しましたが、支持や応援もびっくりするほど有りました。本造りという面では、幸い、作家以前に出版社勤めで医学書の編集をしていましたから、企画も編集も校正も、本をつくる技術は持っていたわけです。
まず考えたのは、簡素に美しい、重くない本にすることです。あまり分厚くしない。旅行カバンなどのすき間へすっと入ってくれるサイズで、厚い堅い紙は使わず、手触りの良い軽い本にしたかった。色も使わない。白い表紙が汚れやすいと心配する読者もいましたが、せいぜい汚して何冊も買い替えてもらいたい。(笑) 泣き所は、サイズからも雑誌に見えちゃうことでね。実質は、はっきり単行本なんですが。
作品。これは、たっぷりありました。それを自在に編成し直し、本文もよく整え、同じ装幀、同じ組みで、A5判の百三十頁前後に一冊を仕立てています。長編は二冊ないし三冊に分冊しています。年に四、五冊、編集から校了まで、そして発送も自分でします。手伝ってくれるのは妻だけ。制作費と送料その他にかかる経費が、全部は容易に回収できません。僅かですが不足分は持ち出しています。それでいいものと最初から覚悟していました。その意味では、きちっと成り立っています。

――それからの十四年間で、通算六十二巻(創作四十二巻、エッセイ二十巻)もの本を、ご自分の手で出版されたわけですね。「こんな仕事が、今年の桜桃忌には満十四年になる。その息の長さ。たとえ代金が全部は回収できなくても、『本』そのものに旅をさせることで十分購えていた。」と書かれていますが、いい言葉だなと思いました。

この本を手にとった人が、右から左へ紙屑籠には捨てないでくれるだろうという自信を持ち、一巻一巻をていねいに配本してきました。作家が自身でこういう出版をしていることを、各界に、ただ識ってもらうだけでも、一つの「批評」になるのを意識していました。この本が、現に、売れている・買われているという事実、それで刊行が維持継続できている事実も大事なことですが、こんな「作家の出版」が何故に必要になったかという「出版」事情を広く識ってもらうことも、批評的にたいへん重要なんです。
宣伝・広告は事実上できなくて、すべて読者の支持・応援が頼りです。それがなければ維持も継続も不可能でした。こんなに永く続いてきたのは、いい読者のおかげです。
配本のつど、読者には一人残らず手書きで、宛名と挨拶を入れています。大変な作業ですが、魂の色の似通う作者と読者とを直かに結ぶ、これはもっとも象徴的な交感作業なんでして、「湖の本」の一等の魅力だとも読者は言ってくれます。

――執筆にはかなり早い時期からワープロをお使いですね。

八三年、東芝「トスワード」の高価な一号機でした。二行しか画面に表示できないものでした。(笑) 買ったその日から実地に使いました。長い連載小説の中途でしたが、作品のどの箇所から器械書きに替えたか、分かる人は一人もありませんでした。文体とはそういうものです。以来二十年、自分の作品は、何万枚もの原稿のすべてを、器械の画面で創りだしています。抵抗感もむろんあります、が、克服できないものでは全く無かったですね。
九六年頃から、パソコンを使うようになりました。パソコンは原稿用紙でもあるし、作品のための文字通り「文庫=文業保管庫」として使ってきました。

――その原稿用紙や倉庫の延長として、九八年四月から「作家秦恒平の文学と生活」というホームページを始められた。ここに、長編・短篇の新作の書き下ろしを載せたり、エッセイや講演録を転載されたり、「湖の本」の告知などされていますね。

新しい機能の「原稿用紙」が、また自身専用の「文庫=作品所蔵館」が欲しかったんです。さらにコンテンツの公開の利く「作品展示館」も。いろんなアーキテクチュアで多彩にホームページを装飾する洒落っけは最初から無く、ただもう「文章」の、書ける、保管できる、展示できるホームページ、「作家秦恒平の、文学と生活」が率直に表現できるホームページを欲していました。
もう一つ、これは大事な点ですが、多年勤勉に働いたおかげで、なんとか余生は暮らして行けると思います。だから金を稼ぐ気はかなり薄れています。ホームページの文章がお金に化けることなど、ほとんど期待していません。その点、若い「これから」の作家たちとは、生活して行く立場がだいぶ違っていると言えましょうか。趣味的だなどとは決して思っていませんが。
国立の東工大で、四年半、「作家」教授を勤めまして、理工系の優秀な学生諸君と大勢親密につき合ってきた。それがなければ、コンピュータとのご縁はあり得なかったでしょう。大学に誘われたとき、何が何でもコンピュータに近づきたいと内心切望していましたが、それでも、ホームページ開設に辿りつけたのは、定年退官してなお二年後ですものね、そこまでが実に難しかった。現在わたしのホームページには、文章ばかりが約四千枚か、優にそれ以上入っています。院生で、我が器械の先生が、「秦さん、1メガバイトとは半角百万字です、かな漢字なら五十万字ですよ」と教えてくれ、5メガバイトのホームページをつくってくれた時の嬉しさ、忘れることはないですね。今は17メガにしていますが、限度の50メガまで、自分の作品で埋め尽くしたいと、本気で思っていますよ。

――ホームページでは、「生活と意見」という欄で、日々の生活を綴ってらっしゃいます。インターネットで公開の日記を載せることで、読者との距離感が変わってきたという感覚はありますか?

「生活と意見」には、「私語の刻・闇に言い置く」という副題をつけました。まさにあの通りで、器械の奥は独特の「闇」でしょう。実際にすぐ目の前に読者の姿、顔かたちが見えていたら、あのような日録はなかなか書けないですよ。ところが、ありがたいことにパソコンを覗いている限りにおいては、人の顔は全然見えない。濛々たる闇ですから。そこへ向かって書く。話しかける。
一方で、ワープロは文房具だけれども、パソコンは明らかに自己表現の手段であると同時に、他者の参加を受け入れるものでもある。だから、私語のときのつもりが、いつの間にか、他者との対話のときになり変わっています。それが、佳い。嬉しい。
インターネットは、事実はそうでなくても、可能性において転送した瞬間に世界中で読むことが可能なものです。自分で日記帳に日記を書いていたときには、ついいい加減に書かれ過ぎていても、パソコンでは厳しく己れを律しざるをえない。何か言われても責任はきちんと持たなきゃいけないわけですよ。おかげで読者が、漠然とだけれども、莫大に広がったという、錯覚ではあるが、実感はありますね。

――ホームページをつくるときに、どういう点に気をつけてらっしゃるのですか?

作家は、精神が、活発で生き生きしていなければならない。ホームページも、日々に新たに生きて、緊張し更新していなければ無意味です。「自分は生きているぞ」という日々の刻印なんですね。一切は「闇に言い置く」遺書同然であり、本質的に「私語の刻」を器械の前で持つのですから、他人の存在を気にすることは微塵もありません。しかも他人にも見られ得ることを識っています。そこに鋭い緊張が生まれます、しかし意識しない、拘束もされない。まして筆を枉げるなんてことはしないのです。創作も日録も、文学・文藝です。よそからの妨げは受けないと、ぐっと気を入れていなければ、「言葉」がウソになってしまう。表現は虚構でいいが、書き手の態度にウソは困るのです。
インターネットでは「闇に言い置く」行為が、そのまま世界に呈示するのと同義語なんですね。こんな緊張感は、そうあるものじゃない。じつに嬉しい、全く新しい「原稿用紙」であり「発表場所」じゃありませんか。文体がダメになるの、紙とペンとでなければどうの、などというヘンな理屈は、文体や思想を持ちえていない人や、文学言語の魅惑=FASCINATIONのよく分かってない人の、ウワゴトだと思いますね。

――ホームページで作品を発表することと、紙の本の出版との違いは何でしょうか?

ホームページが即「出版」だとは思いませんが、一つ一つの作品にきちんと体裁を整え、プリントアウトすればそのまま本として読める形で提供したいと思っています。そのためには、一行字数の設定とか、そういうことも丁寧にしないといけない。よほど丁寧にやらないとと、いろんな工夫をしてきました。最近いただいた、T-Timeというソフトなどを使ってみますと、画面上で縦書きに綺麗に内容が読み出せて、横書きのものが俄然生き返ったように読みやすくなりました。あれは嬉しかったな。
いつかはホームページの内容を、自分で自在にCD-ROM化して行くこともできればいいなと願っています。そういう作品提供の仕方へも移れるよう、用意しておこうとっています、まだ今は、そういう技術も手段も持っていませんが。
紙の本の、きちんと装幀された従来の本=ブックという固定したイメージは、変わって行くと思っています。
前にも書いたことがあるんですが、「本」とは、いま手にしている「ブック」の形自体を謂うのでなく、中身の質の意味なんですね。物事のまん中に、中心に、デンとして在り、誰もが頼り得て、寄りかかり得て、それを信頼することのできる、本質的で本格的な「何か」が「本」だったと思います。そういうふうに、いっぺん「本」という理念をブック以前に戻して考えていく。すると、電子メディアによる表現も、明らかに新たな「本」と理解され、受け取られ得ると思う。
電子本も、現在のCD―ROMやフロッピー・ディスクのかたちは過渡期的なもの、かなり短い期間でいろいろに変わっていかざるを得まいと予想しています。環境は、すこぶる流動的に推移していると眺めています。

――作家がホームページで作品を発表するだけでなく、インターネットを使って自分の作品を積極的に販売していこうという動きが、エンターテインメント系の作家を中心に起こりつつありますね。

インターネット上で売る売らないは、今は技術的にも法制的にも過渡期なので、確かな基盤が築かれるまでは、試行錯誤を繰り返していくしかないでしょうね。インターネット上で作品が売れ、作家の生計が成り立つには、なによりも、正確な課金方法の確立と著作権確立との、両面から、懸命の環境づくりをして行かねばならない。現状では、山ほど克服の必要な難所・関所が予想されます。一人一人の書き手がバラバラで解決して行ける問題とは思われません。
電子メディアの著作権がどのようになるか、明確なビジョンをもっている人がなかなかいない。Aという作品をCD―ROMにして千枚売った、その印税は、という程度ならまだ紙の本の著作権に準じて処理できます。もっとややこしいのは、映画と同じように、電子メディアの大きなプログラムのなかに文筆家が巻き込まれていく場合です。たとえば、電子百科事典や電子新聞などにおける文筆家の著作権ということになると、作家だけでは手に負えない。これは法律家や専門の研究者たちの協力も得ながら、ほんとうは文筆家団体がその辺にしっかりした展望や希望を持って具体的に動きはじめなきゃいけないんだけれども。

――二月に、日本文藝家協会が「活字のたそがれか?ネットワーク時代の言論と公共性」というシンポジウムを開きましたね。

出口のないトンルネに入ってしまい、ただワンワンと怯えているが、何に怯えているのかも判然としないことが判然とした、そういうシンポジウムでしたね。電子メディア著作権の殆ど実質無効に近い現況や未来のことも、課金システムの難しさも、紙の本の高級品化保存傾向も、著作者の経済権確保の容易でないことも、みんな、わたし程度の者のとうに思い至っていた範囲を出なかった。そして、大事なことは、具体案が全く出てこなかったいことです。
電子メディア出版契約書づくりなどは、まさに、今を失しては、またしても、これまで以上にひどいめに著作権者があうのは明白なのに、その組織的対応に踏み出そうと、協会とペンとが協同してとも、ちっとも具体的な提案がない。展望もない。動きが、ない。それでは、題目をならべているだけで、つまりは単に評論しているだけに過ぎない。評論など百万だら並べても、屁の突っ張りにもなりはしません。戦略なき闘いは負けるに決まっている。
「活字のたそがれか?ネットワーク時代の言論と公共性」という、この、ぼやんとした把握の弱さが、下手な小説のように、弱みの全てを明かしていたと思う。いっそ「ネットワーク時代に、著述者(著作権者)はどう立ち向かうか」その具体的な対策や対応を語り合うべきでした。せめて文藝家協会で、シンポジウムの遣りっぱなしでなく、何がこれから必要かをさらに話し合って、たんなるガス抜きシンポにしてしまわないで欲しいです。
日本の文筆家団体は、今もってコンピュータなんて別世界のことみたいとか、文学が器械で書けるかなどと、寝ぼけたことを言っているエライ人が中枢に居座っているところですからね。わたしは日本ペンクラブの電子メディア対応研究会で座長をやっていますが、理事達の反応は、いたって鈍い。電子メディアでの文学や文筆の著作権問題に、深い危惧と理解とを示して対応に本腰を入れるには、手遅れ必至と怖れるぐらい、時間がかかりそうです。その間に、またしても「出版主導」「作家服属」型の電子メディア・システムが着々とつくり上げられ、書き手はまたも先々まで苦労することでしょう。作家が「奴隷で裸の王様」であるのは、運命なのかな。
どっちにしても、「電子メディアには著作権は成り立たない」なんてことになってしまいます。それならば何としても「紙の本」方式を死守したいと、たださえ頭の固い文学者は思いこみ、機械では文学はできないのだということになる。こういう議論は、物事の過渡期に、新しい物の出てくるときには、どんな時代にもどのジャンルにも足をっぱるかたちで現れたものです。
このあいだ、ジーン・ケリーの『雨に歌えば』(一九五二)という映画をたまま見ていたら、映画がサイレントからトーキーに変わる時期の珍妙なエピソードが笑わせてくれました。活動写真に声が入るなんてとんでもない「邪道」だなんてね。いまのわれわれからすれば、それの克服されて来たのを知っている安心感があるから、笑って見ていられますが、電子メディアのこれからの問題を、さてほんとうに克服できるかどうかという点では、とてもすらすらと楽観的な言葉を吐くことはできません。私なんかも、秦さんはパソコンを駆使して」なんて言われるけれど、一指か二指ぐらいしか動かしてない。九指まではなかなかいかないです。(笑)そんな有様ですから、いまは断定的なことが言えないですね。

――さきほど、秦さん自身は、経済のことはもうあまり考えなくてすむとおっしゃいましたが、これから出てくる若い作家は、電子メディアによって生活しなければならなくなるかもしれませんね。

そこが問題なんです。紙の本が百パーセントいままで通り続くのならば、ある程度その人の努力と運次第で作家生活へ入って、本もたくさん出してもらうことができるかもしれない。ところが、電子本になってくると、出版社は、まず、たとえばマンガなども含めて映像的なものや、知名度の高い著者の声価の定まった作品など、損をしないで済むものから手がけるのじゃないでしょうか。インターネットにのせても、注文の来そうにないものはハナから除しようとするでしょう。内容のダメなのが排除されるならいいけれども、質的に良いものを持っているけれどお客さんのつきそうにないものが、まるで蚊帳の外に置かれたまま、その傾向のまま電子本がシェアを増やしていくと、相対的に文学・文章の質は低落していくことになる。
もう一つは、若くて生活力を持たない人たちに、どれだけのペイバックが可能であるかという問題です。紙の本時代のような、いわゆる「保障印税」(印刷した部数の印税を保証する)は、容易に確保されないでしょう。そうなったときに、新進未然の作家たちは、どういう文筆生活ができるのか。否応なく兼業作家を強いられてしまうでしょう。本業が別にあって、ホームページに作品を載せ、細々でも自分に収入が入る仕組みをつくっていくしかないのか、そんなことでいいのか。これから出てくる若い書き手には、かなり苦しい時代になるんじゃないかな。

――ただそこで、その困難を乗り越えていくエネルギーや情熱、新しい才能が生まれてくるかもしれないですね。

「紙の本」時代にいろんな作品があったように、電子本の時代になって、それと匹敵し、あるいは陵駕していく作品が、そこを「場」に生まれてくればいいと思います。ただ、いい作品が生まれてくるかどうかは、書き手だけの問題ではないんです。その誕生を手助けする筈の出版や編集への質的な信用が、ここ十数年のあいだにどんどん失われつつある。その信用を回復しようとする気魄や理想が、編集者たちの中に、まだまだ戻って来てない気がしますね。編集と編集者との意識と能力との革新が、いまこそ大事な時点なんだけど、そこがねえ、希望がもちにくい。
それから、本には読者がつねに必要なんですが、たいへん良質の読者と、それほどではない読者とのあいだの乖離現象が、さらにひどくなって来ています。

――昨年秋に、前スウェーデン作家協会会長のペーテル・クルマンさんが来日し、それにあわせてオン・デマンド出版についての講演・パネルディスカッションを行ないました。秦さんはこの催しにいらっしゃいましたが、どういう感想をお持ちですか。

時宜に適った佳い講演会でしたね。書き手が「自ら動いた」という点を先ず画期的に感じました。ただクルマン氏らの場合、既成の「出版」と、つかず離れずどころでなくひどく遠慮して、いわば革新の気迫や自負にほど遠い。隙間産業並みの位置に身の程を自ら限定しているな、と感じました。それと、一番大切な著作者の法的権益保全への対策や主張を、まだ後回しにしていることも、少なからず危うい見切り発車のようにも思いました。逆に言えば、ヨーロッパでは、基盤を広く深く固めないままに建物を建て急がねばならないほど、現実に書き手も読者も、さらには小出版社も追い込まれているということですね。その点では、日本のオンデマンド出版には、より良いシステムをと、期待をかけざるをえませんね。
話を聞いて、わたしの「湖の本」型の「作家(個人ないし少複数)の出版」を腕のいい編集者が助けたほうが、少なくも純文学のいい作品と読者とを確実に掘り起こせるんじゃないかと思いました。大部数は期待しないが、力量と文学の純度をもった作家なら、必ず熱心な固定した愛読者を持っています。「売れない」といわれた作家が自ら「売って行く」道のあることは、「湖の本」の維持と持続という多年にわたる事実が示しています。純文学作者たちが、廃物扱いにされている自作を自力でデジタルに置き換え、オンデマンド出版に託しても、作品は甦りの機会を得ることでしょうね。動かなければ出逢えない、そう思いますよ。

――これからの作家活動について、お考えになっていることは何でしょうか?

わたしは、現在のままで躊躇なく、創作もエッセイも批評も続けて行きます。ホームページでは、必要が生じればファイルを幾つでも増やして、内容の多彩と充実をはかりますが、「文学と生活」に徹して脱線しないだろうと思います。ビジターは増え続けています、だからと言って路線を変える気はありません。わたしの精神が堅固で活発ならそれが反映するだけ、それ以外のことは望みません。
その一方で、私家版「秦恒平・湖の本」は、ま、赤坂城が落ち辛うじて千早城を守っている段階ですが、もう暫くわたしに気力と余力の在るかぎり、稀有の「文学環境」として続けたい、続けて欲しいとも言われています。ものが「本」として提出でき、新作発表の「場」にもなり、しかも継続購読の固定した有り難い読者にしっかり支えられ、在庫も用意していますからね。しかしデジタル化についてももっとアクティヴに考えたいし、オン・デマンド出版にも電子書籍にも力を貸して欲しいという気はありますよ。
ともあれ、こういう「文学と生活」であるかぎり、嬉しいことに、何の拘束も受けることなく、確実に創作と出版の自由自在を堪能することができ、感謝しています。独善に陥らないことだけを、心して自分に課しています。紙の本と電子の本とを自分の両手に持っていて、誰にも奪われないことを、愛読者に感謝しています。コンピュータと出会えたことにも、心から感謝していますよ、わたしは。   (聞き手 萩野正昭)
2000 4・12 5

* 神戸の方の、存じ上げない方から、わたしの使用してきた「ーー」という二倍ダッシュは、このように途切れず、繋がった「――」を使った方がいいと忠告してもらった。じつは、わたしもいやだなあと思いつつつい面倒で「ーー」で済ませてきた。面倒でも、だが、通常記号の一倍ダッシュを二つ使ってきちんとしようと思う。感謝。
2000 4・13 5

* 一般にEメールでは、このホームページに書き込ませて貰っているこういうメールは珍しいらしい。しっとりと書き込まれてくるこういう交信よりも、もっと気ぜわしくはしたなく投げ交わせるのがメールのメリットと思っている人の多いことは、某誌のアンケートでも知れていた。多少、それもある。全部がそんなでは、ない。人次第、相手次第、興味と関心のありどころ次第で、一概に言えない。わたしも両用に使っている。心喜ばしいのは、やはり丁寧に書きこまれて内容のある実意のあるものが嬉しい。

* 書き込み中の旧作の、文字校閲をきちんきちんと送ってきて下さる読者もある。これは有り難い。キイに馴れない不器用な手先がしばしばミスタッチしているのを救って下さる。わたしのためにも、作品のためにも、読者のためにも、有り難いことで、感謝している。

* 単語登録ということをワープロ時代はしていたが、このパソコンでは手段を知らないため、一度ででない「清経」なども、一度一度「せい」「けい」と打って出している。こういうところを、マニュアルを調べてでもキチンとしないのが、わたしの本質的に怠け者である証拠。「めんどくさがり」なのである。そのくせ「せっかち」なのである。

* 「秦 恒平様 貴サイトの存在を知ったのは、ごく最近のことです。『私語の刻』をすべてダウンロードして、ゆっくり読み進めているところです。なかに散見する社会的・政治的なご発言には共感、というよりも指針を見出す思いがすることもしばしばです。
それだけでなく、この日記には、何というか、日本の文化の今が、さまざまなレベルで写し取られているようで、私にとっては大変おもしろい読み物ともなっています。
小説の方は、率直に言って、私が好んで読んできた現代文学とは色合いの違う作品世界で、少し時間がかかりそうに思います。もっと、御作の美学・設えに理解が進んでから、活字本を求めさせて頂こうかと考えております。」という嬉しいメールも飛び込んできた。「私語」から芽生えて何らかの「対話」世界の拡がって行く嬉しさを日々に感じている。
2000 4・14 5

* 明日は電メ研、来週にはペンの総会がある。委員会報告をしなければならないが、正直のところ報告すべき内容を持てなかった。明日の研究会に諮る「案」を以下のように用意しメーリナグリストに載せた。「基本的に支持します」と東大西垣通教授の返信があった。

* 日本ペンクラブ電子メディア対応研究会 2000年総会座長報告・案

1999年度の当研究会は、率直に言って会員のために何かが出来たというより、力及ばず何も出来なかったと報告せざるをえないのを残念に思います。研究会は、ほぼ毎月行ってきました。加えて委員が随時に器械の上で意見交換できるメーリングリストも設置し活用しています。専用の器械も一台購入できました。確かに委員間ではいろいろ勉強できました、が、成果を取りまとめ報告する事自体が不可能なほど、ここ一年の「電子メディア」問題は多岐に複雑にしかも猛烈な速度で展開し、初歩的な理解や情報収集にすらなかなか追いつけませんでした。具体的に会員のお役に立てないでいることを遺憾に思います。

情報処理学会の「文字コード標準化委員会」に参加していましたが、第一期の検討を終え報告書作成後は、現在休会中、第二期開催も未定で、日本ペンクラブに再度参加要請があるかどうかも分かっていません。
多彩な各種「文字セット開発」に加え、「文字コードの世界的な標準化」も格段に改善されようとしています。「漢字」表記の拡大可能性はかなり現実化し、器械の受容能力に問題はない。国際社会における「漢字や日本文字・記号」等の表記に、ねばり強く具体的な「提言」をし続けて行くことが肝腎で、その点、文筆団体の一層の関心と活発な意見陳述が更に必要になっています。「表現者」として発言しない限り、「技術系」の適切な理解は容易に得られないことを、文字コード委員会に参加し痛感しました。また参加し発言し続けてきたことの無駄でなかったことも実感しています。

電子書籍の端末受信、電子化文書・作品等のオンデマンド出版、インターネット上での自在な乱交叉など、各種情況が実現しています。しかしそれに伴う電子メディア上での著作者権利保護システム等は、緒にすら着いていないと言えます。経済面だけでなく、殊に重要な問題点は、電子的に公表される「文章・作品」が例外なく「恣意の改竄可能」に曝され、防備も不可能という実状にあることです。例えば著作権期限の切れた過去の優れた文学作品が、恣に継ぎ接ぎ改編されたり、改題されて極端なパロディ化する怖れもあり、極論ながら電子メディアでの著作権、ことに人格権は有名無実に帰するだろうとの危惧すら言われています。電子メディア著作権が新世紀社会で形を得て行くには、少なくとも、文芸家協会とペンクラブとの対策的な協議・協力が急務であろうと提言します。

インターネットの意図的な破壊工作が、戦略的なサイバーテロリズムの手段ないし目標として、核兵器よりも優雅で効果的との評価がすでに米国防省でなされている現状です。ペン憲章の願う、平和や人権、環境保護問題と「電子メディア」とは密接不可分です。単にこれを書字表現の手段とのみ関連づけて認識を誤ることは避けねばならず、グローバルに拡がった「電子メディア問題への適切な関心と対応」は、今や、日本ペンクラブの大きな新たな一課題になってきていると思います。この際、現に二百人を越す当会員のEmail を活用し、研究会のメーリング・リスト(三百人まで参加可能)になるべく参加してもらって「拡大研究会」が実現出来ればとも考えています。

日本ペンクラブが独自の「ホームページ」を開いていることご承知の通りですが、これは会員向け会報でなく、公衆に、広くは世界に開かれた「メッセージ」であり、しかしアクセスを期待するには、相応の「魅力」をもつ必要があります。梅原会長以下、文筆・創作者団体である以上、アクセスする公衆の期待は、著名な文筆家の「文章」でありましょう、それに惹かれて「ペンの声明・活動」等もより多数に伝えられるのが本来の願いですが、国際組織でありながら英文のアピール一つなく、活動の記事空白の委員会すらあり、魅力を発揮しているとは言いかねます。この際「掲示板」という窓を外へ開いて、ビジターの忌憚ないペンクラブへの「声」を取り込んで行きたいと考えています。

以上、概略を申し上げ、いささか所感も添えました。
2000 4・19 5

* この「私語の刻」の一つの働き、最初から考えていたわけでない働き、に気づいている。亡くなった兄恒彦の適切な名言に「個対個」で付き合おうというのがあり、わたしは服膺してきた。兄とは兄と、甥たちとは一人一人の甥や姪と、と。それはまた他の多くの知人や友人とも同じことであった。まさしく「個対個」で付き合ってきた。
だがホームページに「私語の刻」を持ち始めてからは、わたは自身のかなり多くの「個」の面を、同時に多数の、特定・不特定の多数に同時に明白にし続けてきたことになる。「個対個」でなくなったのではない、より細やかな「個」を自分で自分に表出せよと命じることになっている。そう思うのである。「私語の刻」に実現された「わたし」と、例えばよりこまやかに「メール」などに表現されている「わたし」とが自然に表れて両立している。建前と本音といった乖離があるとは思わない。それでいて「メール」はやはり「個対個」である。そこでしか洩らせないものが有る。問題は、メールを有り難く思うぶん、つい、メール交信の出来ない知人や友人と相対的に疎遠になつてはならないと自戒している。メールの可能な人は、そうでない人よりもまだ遙かに少ないのだ。
2000 4・19 5

* 雨の電メ研に出かけた。
メーリングリストの一効果であろうか、具体的な問題がらみに、意見交換が今日はことに活発で、議事進行に渋滞を覚えずに済んだ。
希望に満ちた話は、この畑では、いまや、あまり出せない。山積する難問の影に脅えてしまう一方であるが、その中でも、やはり、委員により、鋭く異なる意見が出てくる。出版から、編集から、器械・技術面から、また経済性や権利面から、いろいろ有る意見の中で、容易に上がって来ないのは、「文学表現」の基本的な尊厳を守る立場からの声であり、今日、高畠二郎委員がその点に触れて烈しく語られたことに、わたしは感銘を受けた。
電メ研には現在、小説作家はわたし一人しか居ない。小説家の立場を独りでカバーするには、わたし自身が特殊に過ぎる。同じ小説家だからといって、他の作家たちがわたしの基本的な考えにみな同調されるとはとても思われない。そこに苦労があり、無力感ももってしまうのだが、新聞記者で編集者だった高畠さんに、「文学の表現」が恣意的な改訂や改竄の危険にさらされて本当にそれでいいのかと切言されると、やはり、わたしは感銘し共感するのである。
しかし、高畠さんの声は、かき消されて行く声のようであり、わたしも、誰かの言をかりれば、今や「天然記念物」らしい。実は、だからこそ、あえてこの「電子メディア対応研究会」をわたしは理事会に提言し、発足させた。文学の根を時流にただ軽率に洗い流させるためにではない、根を守りたいと思ったからだ。だが、正直なところ、プツンと心根が切れてしまいそうになっている。

* そんなことをして、道草が過ぎるという声も事実聞くけれど、それには患わされない。わたしが判断することである。それにもかかわらず、わたしを深く誘ってやまない別世界の現にあることは確実で、電子メディアの議論を斡旋しながらも、わたしを胸の底の方でぎゅっと掴まえていたのは、例えば送られてきた大阪の三島祐一氏の『蘆刈』論だった。論文を読みかけていて読み切れていなかった。読んでしまいたいと、高畠さんの発言に感動しているときにも、一方にそれが有った。それはわたしの、何と謂えばよいのか、生きることそのものに直接関わるほどの関心事だった。そういう種類の関心事が他にも有る。幾つもある。そしてその方面では心根の断たれることはないだろうと分かっているが、電子メディアについては、強いて頑張らねば容易に心根が守りきれない。そのことが今、私の意識をピリつかせている。
2000 4・20 5

* いま神戸の親切な友人からメールが入り、このペイジの末尾に入れた筈の塩尻峠での往年の写真が、実は見て取れない、ホームページに転送できていないことが分かった。その理由も修正方法も教えてもらったが、教えられていること自体が理解できなくて歯がゆい限り。スキャナをいじって手探りの手当たり次第、何かを理解してやっていないから、暗闇で鼻を摘まれたのも同然、すぐには手の施しようがない。この分では、ご機嫌でマチスのデッサンを二枚も入れたつもりなのもいていないのだろう、残念。暫く、ご猶予を。  2000 5・2 6

* 繪と写真とのために悩ましい二十四時間だった。「通りすがり」の人まで親切なメールを下さり、解決方法を指示してもらったものの、それが何のことか、どこにそれがあるのか分からないのだから、手の打ちようが無い。それでも終日ごちゃごちゃ触っていて、出ない写真の「?」の箇所をクリックしたら、何か見たことのないウインドウが表れたので、そこでいろいろ当てずっぽうにやってみた。何の自信も手応えもないが、今はマチスの繪が出ている。転送してみてどうなるか。これだから、わたしは決してパソコンを駆使してなどいない。ただ「分からない」ことも楽しめるようになっていて、粘ることを覚えている。やはり初心者では無くなっているらしい。
2000 5・3 6

* すばらしいマチスの繪 !! とメールが来ている、さすれば、わたしの手探りが奏功したらしい。ありがたい。「ほら貝」の加藤弘一さんも心配してメールで助言をいただいた、感謝。「私語の刻」がただの私語でなく、いろいろに反響するのが嬉しい。
それにしても、マチスのデッサンは、天下一品。学生時代から心酔していた。
これは病みつきになりそうで、繪は入れない文字だけでいいと言っていたのが、変節しそう。2Gでは容量が小さいと感じ始めたのだから我ながら驚いてしまう。ホームページの17MBも、また増やすか。

* 自分でも幾らか気づいているが、この「私語」に「楽しむ、楽しい」という感想や意向がかなり頻発している。わたしの、これでも近来ラクに生きている「表れ」であろうか。けっして昔からこうではなかった。昔は「苦しむ、苦しい」方へ方へ顔も気持ちも向けていた。パソコンでも苦しみながらよく粘ったし、今もねばり強く向き合っていて、それを楽しみにしている。こういう姿勢はわたしを随分ラクにしてくれた。パソコンに関しては一人では絶対にダメだった。田中孝介君や林丈雄君はじめ東工大があったればこそで、就任した最大の報酬のひとつが「パソコンのある日々」と化した。大岡山へ足を向けて寝られない。

* 四十余年前の我が写真が、だが、まだ送信できてないらしい。気恥ずかしいから削除してもいいのだが、すこし悔しい、諦めないで最初からやり直してみる。小声で言うが、自分でも忘れていたのを久しぶりに見て、懐かしさも添い、ちょっと佳い写真なのだ。第一に細い。減量を強いられている今のわたしにはクスリなのである。似顔繪の山藤章二さん描く「秦教授像」のふくらみようとはえらい差だ。
2000 5・4 6

* 写真が転送できない。三度ほど試みた。困った。
「ほら貝」の加藤さんが「ページのソース」の見方を教えて下さった。フーンと感心した。こんな所、かつて一度も観たことがなかった。そこで直せるのかといじくつたが文字変換などは出来ないらしい。さ、そうなるとどこで直すのかな。加藤さんの新書『電脳社会の日本語』はいただいていて、赤いペンを片手に読んだのだが、その気になっていなかった事柄で、記憶していなかった。今夜読んでみる。「ファイル、編集、表示。表示の中のソースまたはペイジのソースを」と手順で伝えられると、たどり着ける。もしこれが「ソースを開けて」とだけなら、まずわたしにはいつまでも理解できないだろう。マニュアルを書く難しさ、読む難しさ、身にしみる。
2000 5・4 6

* 写真が転送できない。三度ほど試みた。困った。
「ほら貝」の加藤さんが「ページのソース」の見方を教えて下さった。フーンと感心した。こんな所、かつて一度も観たことがなかった。そこで直せるのかといじくつたが文字変換などは出来ないらしい。さ、そうなるとどこで直すのかな。加藤さんの新書『電脳社会の日本語』はいただいていて、赤いペンを片手に読んだのだが、その気になっていなかった事柄で、記憶していなかった。今夜読んでみる。「ファイル、編集、表示。表示の中のソースまたはペイジのソースを」と手順で伝えられると、たどり着ける。もしこれが「ソースを開けて」とだけなら、まずわたしにはいつまでも理解できないだろう。マニュアルを書く難しさ、読む難しさ、身にしみる。

* 今夜遅くに息子が帰って来るという。いっしょに飲むことは出来ないが、嬉しい。ところが今電話が来て、仕事のうち合わせが長引いていて、ひどく遅れるか、行けないか、微妙と。テレビの実務はいわばかげの仕事で、表向きは一般相手になみの時間帯で披露するのだから、とかく深夜に仕事がずれこむのは、ある程度やむをえないのだろう。健康なことではないが。

* 今日は妻にオーソン・ウエルズの「第三の男」をビデオに撮って貰った。晩の映画も観なかった。自転車にも乗らず、水泳もせず、街へ出て京都行きのキップも買わなかった。それでも写真転送に成功しなかった、やれやれ。

* このごろ、いたずらか間違いか、ときどき短い無言電話が入って迷惑している。商売柄、特定多数が相手なので、見当の付けようもない。

* 五月五日 金 こどもの日 晴れ

* 昨夜、さらに粘って、ついに四十一年昔の写真を「私語の刻 1」末尾にやっとねじ込んだ。写真自体は、たいしたものでも、ことでも、ない。親切な幾つもの声に励まされながら器械の前でたくさん「対話」できた、それが嬉しい。写真は気恥ずかしい。もっと小さく入れるつもりだったが、どうしても小さくするすべが分からなかった。トリミングは出来たのかも知れないが、原板の構図が、いかにもバスの窓から写された感じで、それを残したかった。
また一つ、前に進んだ。この年齢になって毎日のように嬉しいことがあるというのが嬉しいではないか。感謝。

* 今朝もらった親切なメールを、わたしと同じように苦労しながら器械をつかっている人のためにも、ここへ書き込ませて貰いたい。

* 今、「私語の刻」を拝見したところ、末尾に20年前のお写真がきちんと表示されました。峠を一つ越えられましたね。
「ソース」というのはニュース・ソースという時の「ソース」(源泉)でありまして、コンピュータの世界では設計図というような意味で使っています。
出版の世界にたとえますと、ソースは印刷所に渡す赤字指定のはいった原稿、ホームページの状態が刷り上がって、製本のすんだ本にあたります。印刷所にあたるのは、ネットスケープやインターネット・エクスプローラのようなWWWブラウザです。
今回、なかなか写真が表示されなかったのは、最初に原稿にいれた写真指定の

file:///C|/windows/TEMP/image3G3.JPG

が、プロバイダ(biglobe)に転送した写真のコピーの方ではなく、パソコン内部にあるオリジナルの方を指定していたからです。
秦さんのパソコンのブラウザは、同じパソコンの中の写真をとってこれますが、読者のブラウザは秦さんのパソコンの内部から写真をもってくるわけにはいかないので、写真が表示できなかったのです。
ネットスケープのブラウザにおまけでついてくるホームページ作成ソフトをお使いのようですが、この辺りの不親切さはおまけの限界かもしれません。もうちょっと親切なホームページ作成ソフトがあるかと思います。ぼく自身はソースを直接自分で書いているので、どういうソフトが使いやすいかはわかりませんが、パソコン指南役の学生さんにお聞きになられるとよいでしょう。
中村正三郎さんが作品の電子化を進めるようアドバイスされたのはその通りだと思います。
一つ、注意しなければならないのは、ハードディスクが故障すると、せっかく電子化したデータが消えてしまうことです。最近はデータが巨大になっているので、フロッピーではバックアップしにくくなっています。
CD-Rとか、PDとか、MOとか、経済的なバックアップ手段はあるのですが、もし火事や地震にあったとしたら、やはり消えてしまいます。電子データは本当にもろいです。
いろいろ考えたのですが、一番確実なバックアップ方法は、作品をホームページとして公開することだという結論に達しました。自宅が丸焼けになっても、プロバイダに転送したデータは残りますし、もし第二次関東大震災が起きて、プロバイダが燃えたとしても、どこかの読者がホームページの内容を保存している可能性があります。
杞憂と思われるかもしれませんが、機械はいつか必ず壊れます。バックアップはこまめにされておいた方がよいですよ。

* 紙の本でも、書架に自著を何冊保存していてもダメになる不幸は考えられる。親切な愛読者で、あの人なら二揃えずつ揃えていて下さるなどと秘かにアテにしていることもある。ホームページを作品の「保存庫=アーカイヴ」にというわたしの根の発想には、それがあった。うっかり操作ミスで割愛してしまった作品ファイルを、ホームページから逆にダウンロードして復旧した覚えが二度もある。ワープロでは絶対に出来なくて、パソコンだからこそ出来たことである。双方向に情報の生きている凄みを実感した。電子版の「湖の本」シリーズはけっして夢ではないし、現に作品の書き込みを読んで、紙の本版の「湖の本」を注文してこられる方がぽつぽつ増えてきた。わたし流儀の「ブック・オン・デマンド」がささやかにでも稼働し始めている。
それにしても、土に水のしみ通るように、前記のメールは、深切に書かれてある。こういう日本語でマニュアルが書かれたらいいなあと切望する。
2000 5・5 6

* 連休最後の一日になった。田中孝介君のメールの指導で、写真が小さくできた。それでも、最初戸惑いがあり、しかし、自力で思案したことがあった。ものの分かった人には滑稽なほど初歩的なことだろうが、開眼の一手だった。「\」の使い方を初めて自前で覚えた、悟った、のだ。これまで、意味を考えたことがなかった。おかげで、「iken.htm」が「メモ帳」を経て「ワードパッド」で出せた。これが出来なかった。
「D:\homepage\index.htm」は呼び出せていたのに、同じことで「\iken.htm」が頭に湧いてこなかった。頭が固いのだ。
それでもまだまだ、山のように、したくても出来ないことがある。それもよしと思うようになった。一つ一つ覚えてゆけばよい。
2000 5・7 6

* 電子メディア対応研究会に、三十分早く行き、ペンクラブホームページの表紙組み替えを村山副座長、倉持委員と相談。引き続いて定例の会議に。

* 従来、著作者の著作財産権はもとより、著作人格権がだいじに言われるとき、ひとつは出典明記、今ひとつは作品の同一性維持が、大きい柱であった。二次利用される際に作品のいわば原戸籍を正確に明かしておくのが前者で、句読点に至るまで、原作を変改しないことが後者であった。
但し後者の場合、新仮名遣いに、また新漢字に変更する例は増えていた。古典の場合は現代語訳されることもある。
それだけでなく、著作権保護期間を過ぎたものの、ある種の変改、例えば長大な作品は刈り込んでいいのではないかという意見が、或る委員からまた出た。例えば中里介山の『大菩薩峠』のようなあまりに長すぎる物は短くし売っても構わないのではないかと。賛成の声もあった。だが、わたしは、容易には承伏しかねる。横光利一の『旅愁』は長いからと前半だけで全集に採られたりするが、生まれて初めて自力で買い始めた角川版昭和文学全集の第一回配本は『旅愁』全編で一巻、満足した。前半だけだったらどんなにガッカリしたことか、後続巻の購買をやめてしまったか知れない。
源氏物語を、紫のゆかりだけで筋を通し、玉鬘の並びの巻は割愛した源氏物語が流通しても「いいではないか」という意見に、「いいでしょう」とはよう言わない。まだしも宇治十帖だけをひとまとまりに読むことは可能だが、しかし、それに源氏物語と題するのは不当だと思う。そして、やはり宇治の十帖だけでは本質的に物足りなく欠陥物語に終わることも歴然としている。
トルストイの『戦争と平和』の巻末の戦争論は、たしかに読みづらい付録のように思われるにせよ、割愛したテキストを『戦争と平和』として売られるのは、原作者の本意を大きく傷つける。買うわたしも承伏できない。買った読者がそこを読まないのは自分の勝手だが、削る権利が後生に有るとは思わない。
私の作品には、別筋を幾つも撚り合わせながら大筋を運ぶものが幾つか有る。例えば『慈子』の徒然草関連の叙述、また『風の奏で』の原平家誕生に関わる叙述を、読みやすいように省かれたのでは堪らない。後生に、気儘にこの筋は削りますなどと言われるのは叶わない、化けて出て祟るぞと言いたくなる。同一性維持の願いには原作者の深い気持が籠もっている。

* もっとも、電子メディアの上では、それが勝手次第に、したい放題に踏みにじられたとして、どう防ぎどう権利が守れるかとなると、実はお手上げなのである。自由自在に勝手に出来て、誰の所業と知られまいと想えばそう出来る。裁判すればいいではないかと暢気なことを言う人があるが、外国からの操作も簡単なので、訴えるべき相手が捕捉できず、出来たとしても争いようが途方もなく難しく、それだけの費用や神経の負担に耐えられないことになる。つまり電子メディア上では著作人格権などという厳かなことばが、単なる道化に陥る。

* 電メ研の構成員は漸くこういう視野も持ち始めているけれど、さて、その視野の中に有効な提案や方法を構築できない。奔走してくる土石流にスコップで立ち向かうような情けなさである。続けて行かねばならない、投げ出すことに意味はない。だが、正直投げ出したくなる。
2000 5・12 6

* こんなメールを、心したしい読者から貰った。微妙な問題に触れられていて、これは、独り占めに出来ない。

* 私は秦様の「闇に言い置く」に想を得て、いつの頃からか自分のサイトで日記を公開するようになりました。日記は一日三行、毎日と決めました。
八ヶ月ほど続けたところで、私の書く内容に憤慨した読者のお一人から厳重抗議を受けて、一度閉鎖のやむなきに至りました。「不特定多数が読む場」にものを書くことの責任について考える契機となった出来事でした。
加害・被害の関係というものが、常に痛みを受けたと感じる側からの申し立てによって初めて成立するということを再認識し、ことばを書く者がそのことを強く自覚しなくてはただの主観の放縦な垂れ流しに堕落しかねないことも、痛感いたしました。
そのコーナーを閉鎖するときの痛みによって、私は抗議してきた人の痛みを知ったと思います。暫く茫然としておりましたが毎日何かを書いて公開するという習慣がそう簡単に捨てられるものではありません。書きたい気持ちは募るばかり。そこで、長く書くから夾雑物が混じるのだと思い至り、いっそ歌にしようと思い定めました。秦様の『歌って何』を持ち歩いて拾い読みしながら、それでもまともに歌を勉強したことのない私は、「これは短歌と呼べるようなものではない」事を、重々承知の上です。
そして春が来た頃、同じ過ちを繰り返さぬ覚悟で、また「日記」を開始いたしました。平凡な人間が、一人の女性であることも自覚しつつ、私の目から見た世界、私が肌で感じること、私の目に映る美しいもの・哀しいものを一日ひとつずつ拾い集めているような次第です。
時折エッセイも書きます。
それ以外はお伝えするのも憚られるような他愛のない趣味です。いつぞや秦様のページで「美空ひばりは下らない歌をこの上なく見事に歌う」といった趣旨の記載を拝読いたしました。私の贔屓は、今国語審議会の委員も務めているシンガー・ソングライター中島みゆきという歌手です。彼女の書く詞は谷川俊太郎氏などにも「詩」として評価されています。私は私の耳と読み方で、この同年生まれの歌い手に強く惹かれるところがあり、時々コメントを書くのが楽しみです。
こんなところが私の日常です。嘗て秦様にいただいた

さまよはないで
かがみにおなり
うつしはしても
みだれはしない
ゆくはゆかせて
くるはこさせて
しずかにひかれ
くもらぬやうに
さびしいひとよ
さまよはないで

という詩句が時折耳の奥で鳴ります。その度に、感謝を新たにしている日々でございます。 ことばというものは、有り難いものですね。どんな宝珠にも敵わぬ力を持って輝き続けます。さまようことが多いものですから、余計に。
本日は自分のことだけ書きました。こんな一方的で身勝手なメールがあるでしょうか。ふとどきものめとお叱りを受けることを覚悟して、送信ボタンを押します。
御身お大切にお過ごし下さいませ。またサイトへお伺いいたします。

* ネットに日記を公開する風は、よほど流行しかけているのかも知れない。作品は書けないが「日記」ならと。
それは、だが、考えが薄い。
ネットに向けて書くものは、すべてが公開であり、言葉であれ画像であれ厳しい自覚で裏打ちされていないとまずい。自覚の最たるものは誠意であり、かつ純正な主観に貫かれている強さであり、また優しさである。なまじいに客観的にというのであれば、それは解説に過ぎず、そんなものは存在し得ない、不可能なことだ。自分の言葉で自分の思いを率直に語る勇気がなければ、どこか飾った、どこか歪めた「日記」など公開すべきではない。
読む側でも、そんなものは永くは読み続けえない。
わたしは、あくまで「闇に言い置く」自覚と態度を崩さず、率直に書く。むろん人それぞれにいろんな考えもあるだろう、だから自分の考えているとおりに書く。抗議を受けたこともないが、受ければ誠実に応じるつもりだ、議論をしてでも。
2000 5・14 6

* 午後、小川町まで出向いて、雑誌「サライ」のインタビューを受けた。電子メディア関連のおはなしである。一時間半ほど写真を沢山撮られながら思うままを話してきた。何ということなしに、いつのまにか、パソコンにかかわる取材を、もうこれで何度受け、何度書いたり話したりしてきたことか。聞き役をしてくれた宇野正樹氏は、このホームページを実際に見渡してみて、類のなさに驚いたらしい。
2000 5・17 6

* ペンの電子メディア研究会では、専用機械で日本ペンクラブのホームページを点検し、そろそろ広報委員会に「ホームページ広報」の仕事として預けた方がいいのではないかと話し合った。幸い、内容充実し、文芸家協会のホームページ以上に実質的に活躍している気がする。この段階にまでホームページ「創設」段階から進んできたことで、わたしの理事生活は役目をもう遂げたと思いたい。もう一仕事に、Eメール使用会員と電メ研との交流を図りたいが、どうなることか。
2000 6・9 6

* 器械の調子=輝度がわるく、回復しない。さしづめなにをすればよいのやら。仕方なく、階下の、ウインドウズ95を使っている。メモリが小さく、遅い。もし機械に予備がなければ、にっちもさっちも行かなくなる。機械に付き物のネックだ、依存するなら不時に備えて置かねばならぬ。
2000 6・11 6

* 器械が無事に直って戻った。眩しいほど明るい。結局十日間ほど入院していた。別の器械で書いてはいたものの、プリンターに繋げてなかったり、不便だった。この間に、ホームページへのアクセスが、また一段階増えてきた。この数日二日で百以上になって行きつつある。微々たる数字とはいえ、なにしろこのホームページは、字バッカリで溢れているのだ、とても読める、読みやすい、ものではない。それが毎日五十人以上の訪問を受けているのだ、恐縮する。今日は、この一両日休んでいた小刻み連載小説の「催促」まで受けてしまった。
2000 6・28 6

* 昨日、パーソナルメディア社がOSとしての「超漢字2」を寄贈してくれた。前からとても関心を持っている「超漢字」だが、ハードディスクをトロンのOSに分割するのには、この器械では容量にやや不安がある。わたしのパソコンは、何としても一つには仕事の保管庫= アーカイヴであり、また新作の原稿用紙でもあるから、それらの「ホームページ」のために最大の安全と容量をつねに確保して置かねばならず、バックアップにも細心の配慮が要る。
その一方で、パソコンの機能を、能力の及ぶ限り使って楽しみたい別の希望もある。ゲームなどは不必要だが、世界の文字はなるべく多く見たいし、器械で繪が扱えればどんなに佳いかと思う。「写真」をデッサンやスケッチの代わりに、下絵の代わりに利用する画家をわたしは認めていないが、新世紀絵画の可能性は、ますますコンピュータ・ピクチュアにむかうだろうと、或る美術雑誌のアンケートに答えた。
まだ、マスタープランがもてないので、次の新しい器械をどう買うか決めかねているが、旅行に持ち出せる小型軽量のにも魅力を感じている。「超漢字2」の入れられる大容量器械にも惹かれる。自分でパソコン自体を好きに創って行けばという若い友人の示唆にも惹かれる。
2000 7・2 6

* 午後、仲良しの元学生君二人の案内で、はじめて秋葉原電気街で、買い物。器械を修理に運ぶときは昭和通口へ出ていた。電気街は、雰囲気がまるでちがっている。ここへ独りで来れば、半日ぐらい釘付けだなと思った。
MOのための買い物で、布谷君が予め目星をつけて、安い買い物を見つけて置いてくれた。MOでバックアップを確保し、外付けハードディスクの負担を解除することで、全体の容量を倍増させようという、わたしの希望。もう一つ希望を持っていたが、一度に遣ってしまわずにと、田中君にも布谷君にも言われ、MOだけの用意をしてきた。これを私一人の力でうまく接続できるかどうか分からない。やってみる。出来れば、パソコンに収容している全部がバックアップ出来る。どんなに安心か知れない。
このあと、作品や「私語の刻」を全部、ディスクに保存して、希望の読者に譲って上げることを考えている。そのための用意もしたい。
2000 7・15 6

* MOの取り付けとコピーとに、成功した。メールによる布谷智君と田中孝介君との一致した連携指導で、わたしのポカミスが自分でも分かり、容易に修復できた。まだ、未解決の「フォーマッタ」未使用のことがあるが、「リムーバル」でホームページ分がMOディスクに全部コピーできたことは確実。大前進した。外付けディスクと階下の器械とMOディスクとに、さらにエクスプローラーやビタミンEYEにも全ファイルが保全されている。安心度が大きくなった。
2000 7・16 6

* ウインドウズ95のノートパソコンを、妻に譲った。わたしも、すこしただけ、「指導」「助言」できるようになっている。自分のつかっていた器械であるから、何とかなるだろう。ただ設置の定位置が、狭い家では定めにくい。
2000 7・17 6

* 「電子メール」で手紙が「どう書かれているか」が、ペンクラブでの会合でも話題になる。いろいろな書かれ方のあるのを、わたしは、日々に実見している、実に多彩。この読者である友人の久しぶりのメールも、電子メールという「場」にマッチしていて、心持ちがズカッと出ていて、知性の縁をこぼれ落ちてはいない。外側のことも内側のことも、あれもこれも取り混ぜながら渋滞せず、ハメを外さない。ひゅっと鳴るような瞬間風速の涼味もある。
この人のメールアドレスにリターンしても新たに返信しても、例外なく届かずに戻ってくる。器械にはそういう稀々の気まぐれもあるので困る。これを返事にしておく。断っておくが、餡は、断然「粒餡」の方が好きで、小豆が好き。「漉し餡」は、たまたまの話。  2000 7・19 6

* 階下で妻に譲った機械が、いつも食卓に出ているので、つい無責任にいじくりまわしているうちに、メールの設定も、わるいことにFFFTPの設定まで、痛めてしまい、階下では、メールも、ホームページからのダウンロードも出来なくなってしまった。なんとか回復したいが、手探りで遣っているから、よけいひどくなる。故障まで楽しんでいるのでは、どうしようもない。
2000 7・23 6

* 電子メディアの差別事情
デジタル・ディバイド、要するに電子環境下での受益格差または差別の問題が、急角度に頭をもたげ始めている。受益とはオーバーな言いようながら、大あり小あり、しかし無視できない。
電子メールの便利に慣れると、用事の交信だけでなく、私信の交歓でも、つい器械の使い合える同士が優先される。大事な友だちも、その人がメールに馴染んでいない、パソコンや携帯電話とは縁遠い暮らしだと、比較の問題だが、つい間遠になり、疎遠になって行きかねない。真夏のギラギラ照りの下をポストへ郵便を出しに行くのは、老齢、ラクでは
ない。手書き、宛名書き、切手の用意、みな、なかなかの手間だ。パソコンが、むしろ高齢化社会の利器かといわれる意味は、使い始めれば納得できる。いながらに交際を温め、世界を覗いて駆けめぐれ、調べ仕事にも、広範囲に、素早く、貴重な史料も入手できる。
すでに手書き原稿を持ち込むとイヤな顔の出版社・編集者が増えている。日本ペンクラブ理事会は、入会資格審査に「電子の本」も「著書」と認めると、画期的な新たな判断を示した。それはいい。が、従来は「紙の本」「手書き」でなければとしていたのが、いつか「電子の本」「電子書き」でなければと、「デジタル・デバイド」が横行することも考えられる。器械を「使わなくてもいい」が、せめて「使えるように」して置いた方がと、作家予備軍のみならず、高齢文筆業者にも、奨めたい。但し視力は大切に。

* エシュロン、知ってますか
米国軍は、グローバル(地球大)にあらゆる個人(正にあなたもわたしも)の電子交信までを傍聴・盗聴・記録し、世界戦略に備えていると、精度の高いレポートをテレビ朝日のニュース番組が放映していた。日本の三沢基地にもとうに物凄い設備が出来ている。
このような諜報活動ないし組織=エシュロンは、第二次大戦以来米軍が渾身の力で行ってきた事業の、途方もない拡大継続であって、現に、おそろしいほど大規模な盗聴設備のネット網は世界に張り巡らされている。
そんなことが可能かと考えるだろうが、金とその気と、それに必要な、例えば暗号解読の語学者や数学者ら優秀なスタッフをもてば、技術的に十分可能、とくべつ困難なことではない。普通の人間の神経ではそこまでやらないし、やれないだけの話で、軍や國の意志になれば、やれてしまう。ま、盗み聴きは人類悠久の業の一つなのだ。
この前の日本やドイツの敗戦も、要するに軍事情報を筒抜けに傍受し暗号を解読していたアメリカに負けた。エシュロンのやっていることは、そのそっくり延長であり、「超」拡大なのである。これは、はっきりと、アメリカという独善超大国による地球人への人権侵害であり、露骨な戦略行為であり、平穏な生活環境の蹂躙なのである。人権問題でアメリカが中国へイチャモンをつけていたことなど、チャンチャラ可笑しい話なのである。
世界平和と人権・環境問題に殊に熱心なわが国際ペンや日本ペンクラブは、例えば三沢基地でのそのような徹底した盗聴行為に対し、どんな判断をもつのか。
2000 7・29 6

* 妻にも、メールやインターネットが使えるようにと、階下に置いた器械を台所へ譲り、さて、設定やら何やらしてやろうと、気張って触れば触るほど、器械の調子がガタカダに崩れだし、インターネットはどうにかなったが、メールは仮パスワードまでついたのに、使い物にならないだけでなく、バックアップに大切なわたしのホームページ転送用のソフトを、どうしようもなくこじれさせてしまった。ウンウン唸るばっかりで「先輩の権威」はぶざまに失墜。やれやれ。愚か者の毎日である、なんとなく、ゆるしてもいる。夏ではないか。夏休みがあってもいい。
2000 7・30 6

* MOディスクは、威力を発揮している。640MBのディスク容量だから、わたしの理解が間違っていなかったら、一枚のディスクで、漢字ひらがななら、320X100万字が書き込める。我がホームページは、物凄い量といわれながら、せいぜい400字原稿用紙で、まだ六、七千枚、260万字、ぐらいだろう。全ページが簡単に納まっている。湖の本の既刊64冊分をすべて合計して書き込んでも、池に小石を投げ込んだ程度だ。信じられない。むろん映像が入ればべつだが、それでも莫大な量の映像まで可能。驚いてしまう。クラッシュのおそれは無いではなく、二枚にバックアップしておけば、安心して器械のハードデスクを軽くしてやれる。外付けハードディスクの使いでも、増えてくる。

* 「作品をホームページにとりいれるのに、スキャナーを使えないでしょうか。スキャナーで粗入力してから、横に直して、丁寧に校正をする方法もあるかと思うのです。全作品を入力されるのでは目を壊されてしまいます。」
こんなメールを読者から今朝貰った。
これは、何となくあり得るのではないか、あればいいのに、と願っていた思う壺にハマったナイスな助言である。スキャナは用意してあるから、例えば既刊の「湖の本」から、スキャナで移せたら、そしてほんとに校正ができるものなら、こんなに有り難いことはないが、出来るものだろうか。
ペンクラブ事務局に書類を送ると、メールでもファクスでも、それが、内容は同じで組み替えて会議で配布されてくる。「スキャナをつかえば簡単ですもの」と聴いた気もするが、突き詰めてこなかった。手順が知りたい。
これが可能になれば、一字一句を書き写してゆく時間が大幅に節約でき、力を他へまわせるだろう。一字一句書き写すのも楽しみは楽しみだが、あまりに時間が惜しまれる。
この親切なメールの、正に朗報と化してくれるよう切望している。

* 器械のことは、ヨッポド苦手とみえ、いや頭がわるいのだが、階下の妻に譲った器械は泥沼に使ったように、新しいメール一つがまだ作動しない。マイクロソフト・エキスプレスをつかい、biglobeへ登録済みになったのに、アドレスも貰ったのに、使えない。エラーになる。「サーバが見つかりません」と来る。いやになる。もう何日、同じことを繰り返していることか、やれやれ。
2000 8・8 6

* もう一つ、嬉しいことがあった。昭和の同年生まれ、千葉県の方らしい男性から、今朝の「私語」を聴いて、親切なメールを寄越して下さった。感謝に堪えない。こういうメールであった。御親切を記録させていただく。同じような希望の人にも参考になるのでは。

* 文字読み取りについて
秦 恒平様 はじめまして。いつも拝見させて戴き、膨大なホームページに心より敬意を表し、厚く御礼申し上げます。
「清経入水」「廬山」などなど、本当に有り難うございます。
闇に言い置く 八月八日 火 の中に、「作品をホームページにとりいれるのに、スキャナーを使えないでしょうか。」のお話を読み、やはりキーボード入力をされていたのだと思い、OCR (Optical Character Reader 光学式文字読み取り装置)についてメール致しました。
OCRソフト:キーボードからの入力の代わりに、コンピュータへ自動的に文字を取り込む入力システムとして、長文の入力に利用される。パソコンでは紙に書かれている文字をイメージ・スキャナを使って画像データとして取り込み、OCRソフトとよばれるソフトウエアを使って文字データに変換する。(パソコン基礎用語辞典より)
実は、私は全くの独学でマッキントッシュですが、一度やってみたことがあるだけで、具体的にお教えする力はありませんが、文字読み取りの認識率はかなり良く(95%くらい?)、実用に耐えると思います。東工大の若い方に、こうしたいとおっしゃれば、実現は早いと勝手に想像しております。
益々のご健勝ご活躍をお祈り申し上げます。****(1935生)拝

* グーンとイメージが膨らんできた。若い友人たちに教えを乞い、ぜひ実現したい。またCD-ROMに、完成作品を自力で入れて行く装置と作業も、ぜひ早く実現したい。新作への有効な推力にしたい。
2000 8・8 6

* 今日、日本ペンの電子メディア対応研究会から、「メール使用の会員」諸氏を対象に、一斉に、以下のアンケートを送った。すでに返信が届き始めた。アンケート案は、わたしが作成し、そのまま研究会で承認された。回答は、電メ研座長のわたしのもとで一括収集する。
このホームページでも、公開し、お気持ちのある人には参考までに回答をいただければ有り難い。

* 質問の趣旨  日本ペンクラブは、言論表現委員会が中心になって、「一億総表現者の時代 – ネット社会でわたしは”わたし”をどう表現するか」というタイトルで、シンポジウムを開催致します。(日時:9月14日午後6時30分開演・場所:アルカディア市ヶ谷。内容は、会報と日本ペンクラブホームページでお知らせしています)。言論表現委員会と連携して、電子メディア対応研究会でも、これに関連した皆様のご意見・ご所感を取りまとめ、「日本ペンクラブ・ホームページ」に編集・掲載し、文学・文筆に関わる「今の思い」を体験的に伝えたいと考えています。電子メールならではの、端的で率直な声をお届け下さいますようお願いします。
<質問>
<A> 先ず、「電子メール」をご使用の皆さんにお尋ねします。
1) “わたし”の表現に、電子メールを、どう、役立てておいでですか。一般会員の参考にもなりますよう、なるべく具体的にお聴かせ下さい。
2) 電子メール使用を思い立った動機をお聴かせ下さい。技術的に難渋されましたか。
3)電子メールで書く「文章」には、何か特徴があると感じられますか。
4)電子メールの最大の利点と欠点を一つずつに絞ってお聴かせ下さい。
5)他人にも推奨されますか。
<B>次に、「インターネット」をご利用の皆さんにお尋ねします。
1) “わたし”の表現や、資料・情報の蒐集に、インターネットを、どう、役立てておいでですか。一般会員の参考にもなりますよう、技術や手順にも触れ、なるべく具体的にお聴かせ下さい。自身ですべてなさいますか。他人に任せていますか。
2)極めて有効ですか、まあ有効ですか、たいして役には立ちませんか。いろんな意味で何が難しい問題になり、どう克服されてきましたか。
3)他人にも推奨されますか。
<C>次に、ホームページをご運営の皆さんにお尋ねします。
1) “わたし”の表現に、ホームページを、どう、役立てておいでですか。作品の公表、文業の保存、意見の陳述、事業の広報、他者との交信等々、一般会員の参考にもなりますよう、ぜひ具体的に、今後の期待も含めて、お聴かせ下さい。
2)ご自分で設定しましたか。委嘱されましたか。更新など、自身ですべてなさいますか。他人に任せていますか。
3)ホームページが、ネット時代の、「新たな文学・表現の場」に成りうるとお考えですか。何を「特色」として設営されていますか。
4)ホームページでの「課金」「広告掲載」を希望されますか。実施されていますか。具体的にお教え願えればと希望します。
5)ホームページは、”わたし”の表現に、極めて有効ですか、まあ有効ですか、まだまだですか。
6)他人にも推奨されますか。
7)最近に設営の方は、URLを、お書き添え下さい。ペンクラブのホームページにリンクを希望されますか。
<D>最後に、他の機能の利用等についてお尋ねします。
1)パソコンでは、音楽・絵画等の表現も可能ですし、豊富な編集機能も含まれていますが、そういう面で、活溌に”わたし “の表現を実践されていたら、一般会員の参考にもなりますよう、ぜひ具体的に、今後の期待も含めて、お聴かせ下さい。
2)インタネットでの盛んな商取引や投資が可能になっていますが、それも「表現」との関係で利用されていますか。
3) パソコンの利用は、高齢者に難し過ぎる・不向きだとお考えですか。
4)いわゆる「電子本」も公表・発売したいとご希望ですか。
* 恐れ入りますが、一応校正の上、メールでご送信下さい。誤伝を避けたく。
* 氏名・都道府県・年齢をお書き添え下さい。
* ホームページ等への公表を匿名にしたい方は、お書き添え下さい。
* 回答は、A-1  B-2というふうに仕分けて、簡潔にお書き下さい。
2000 8・9 6

* アンケートの回答がどっと届き、その形式的な統一の作業に追いまくられた。いずれペンのホームページに掲載するが、メールの会員には纏まった内容を返送して行ける。読んでいて、以前のアンケートよりも遙かに熱気が感じられる。興味深い。いい参考資料になりそうだ。

* わたしも、書いてみた。
2000 8・10 6

* OCRだが、スキャナーを買った時に、e-typist LE2 が来ていた。一度インストールしたが、使い道も調べないで無用と思い削除していた。復活させた。さて、これからが問題だ。日々、気ぜわしく、落ち着いてマニュアルが読めるかどうか。しかし一歩前に進んだと思っておく。

* ペン会員のアンケート回答を整理しながら読んでいる。教えられる。わたしのホームページのように一途に文藝・文章というのは、やはり少数のようだ、やはり。
インターネットの活用の所が、人それぞれである。わたしの場合、ホームページやパソコンライフが、単独にそれだけで意味をもつというより、冊子本「湖の本」との連携に意味も特色も有効性もある。器械だけでは、わるく言うと遊びに終わりかねない。ホームページが冊子本を吸収して行き、同時にホームページから新たな冊子本が誕生し、安定して売れて行く。それが有り難い。
2000 8・11 6

* パソコンは、これだけ日々に接していて、なお、舌を巻くことに次々に遭遇する。表皮をこする程度にしか、まだまだ使えていない。
平成三年十月に東工大に私の部屋をもち、「工学部」教授の研究費をもらった。大学生協でワープロを買い、翌春には新入生用にパックされた推奨品のパソコンも買った。が、なるほど、これは失敗だった。黒白のエプソン、ウインドウズ3.1だった。95がもう出ていたかどうかも知らなかった。新入生に奨めるぐらいだから、親切ないいものだろうと勘違いしたが、「在庫一掃」のたぐいであったと学生君達に笑われた。
さて、この黒白エプソンが全く動かせなかった。長い間、二年以上も、机の上に放置されていた。内蔵されていた麻雀牌を使ったゲームぐらいしかできず、モノクロでは、実に味気無かった。なにかをインストールしようにも、今と違い、MS-DOSを入れ一太郎5を入れるのに、マニュアルの冊数も夥しく、インストールの必要なフロッピーディスクの枚数も、二十枚を下らなかった。歯が立たなかった。
ワープロは、とうの昔に、東芝トスワード一号機を、70万円近く支払って買い、即日用が足せた。パソコンはワープロの「三十万倍難しい」とわたしは音をあげ、見かねた林丈雄君が、すべてインストールしてくれた。林君とは、総合Bの授業で初めて逢った。最初の時間後に「ぼくは先生の授業は合いそうにありません」と言ってきた。「いいんだよ。余所の教室へも行ってごらん」と返事した。しかし翌週からも彼は欠かさずわたしの教室に来て、熱心だった。教授室へもしげしげと尋ねてきた。あげく、林君は死骸然として動かないパソコンを見かねたのである。わたしを鼓舞しなくてはと思ってくれたのであろう。インストールが完了するまでに、なんと七時間かかった。
しかし、この器械をわたしは「使え」なかった。文章なら、慣れたワープロで十分だった。パソコンで何がしたいのだか、何が出来るのだか、これが定まらない限り、手のつけようがない。つまりパソコンとは、どんな器械なのかが分かっていないから、使い道が、私の中から湧いてこなかった。見つからなかった。
林君の次に、吉田篤司君というちょっと風変わりな個性的な学生が、教授室に、じつに頻々と訪れ来るようになり、この学生君のパソコン扱いたるや、わたしには神業に見えた。こんどは彼が、我がエプソンを「グレードアップ」すべく大いに手伝ってくれて、新しい一太郎もインストールしてくれた。ディスクの枚数が凄かった。それでも黒白は黒白のままである、吉田君はこの器械に癇癪玉を屡々破裂させ、こういう「ボロ器械」を買ってしまった秦サンは「あほや」と、大阪弁で繰り返し非難した。それほどの器械であった。
わたしは家の方にカラーのいいディスプレーを買い、この器械を家で接続して、はじめて「色」で識別できる麻雀牌の「青海」ゲームを満喫し始めたが、金縛りにあったように、「文筆」の仕事ではまだ器械を活用出来なかった。かろうじてニフティーマネージャーでメールが使えるようになったのが、いつごろからであったか、記憶が定かでない。
ご褒美めいた、臨時の研究費が二、三百万円もどかんと加算されたのが、講義二年目が済むか三年目の初め頃で、わたしは、これで新しいNECのノートパソコンを買った。むろんカラーで、当時としては新しい佳いものだった。生協で45万円前後を支払った。
だが、まだ、わたしはパソコンをどうすれば自分の仕事に活用できるのか、とんと方途がつかめなかった。一太郎で文章をつくろうという気になかなかなれなかった。ワープロが、自分の「手」のようにすっかり馴染んでいたからだ。
そのうちに、退官の時が来てしまった。情けないことに、いい先生たちに恵まれていながら、器械の「グレードアップ」には熱心に金をかけていながら、持ち腐れの「宝」を抱いたまま、わたしは国立東京工業大学を去って行くハメになった。
そのころは、まだ田中孝介君というすばらしい「先生」に出逢えていなかった。田中君を後に紹介してくれた布谷智君が、もう東工大から去って行く私との「対話」を求めて、しげしげと教授室に訪れ始めたのが、平成七年の晩秋頃からではなかったか。あの頃の教授室は話し込みに来る学生達で、じつに賑やかであった。

* 退官後も、幸いに多数学生君達との親交が継続された。メールというものが、じつに役だってくれた。メールを設定してくれたのは、我が家へ遊びに来てくれた林丈雄君が最初だったと思う。おかげで、つぎつぎと教室での仲間達がわたしのアドレスに訪れはじめて、大学時代と殆ど変わりなくよく付き合った。親交に大いに側面から役立ってくれたのが、息子秦建日子の芝居の公演だった。わたしは息子の応援も兼ねて学生達を招待した。劇場で会い、前後に大いに飲み食いして歓談した。そんな機会に、布谷君が、親友の田中君を誘ってきてくれた。田中君が、まさにコンピュータの「専攻」生であると紹介された。田中君もわたしの大教室での授業に出ていたが、数百人もの大教室では、とても学生の名前と顔とは結びつかない。
西銀座の銀座小劇場での芝居のあと、大勢で、鮨の「こつるぎ」に入って、盛り上がった、その中に布谷君と田中君もいっしょだった。わたしは田中君に、パソコンの指南を懇請し、こころよく田中君は承知してくれた。すばらしい出逢いであった。平成九年の内だったろうか。

* OCRで、『慈子』を、一気にだいぶ書き写した。スキャンの手際が巧く行けば、もっと多く出来るだろう。ただ、今つかっているe-typistの性能はよくなく、識字率はかなり低い。頻繁に校正し直さなければならない。勝田さんの話では、もっと性能のよくなった新バージョンが出来ているらしいので、ぜひ手に入れたい。池袋のさくらや四階で手にはいることはもう見て置いた。
今、湖の本版『慈子』の約五頁を書き込んだ。一字ずつ手で書き込んでいたときは、よほど気の乗った時でも二頁がやっとだった。時間は計っていないが、能率的にOCRの方がいいのは明らかだ。よかった。新たな「湖の本」の入稿にも効率よく利用できるのだ、凸版印刷は早くからわたしの入稿コピー原稿をこの方法で組んでいたのだと、やっと、今、思い当たった。ウーン。
2000 8・21 6

* ゆうべ、どう間違ったものか、バリバリバリと音響を発してレーザープリンタが破損した。用紙を機械の内部へ送ってくれなくなった。プリンタがなくては、羽根をもがれた鳥のような気分だ。参った。機械は修理のときが一番困る。
2000 8・26 6

* プリンターが使えないとどんなに不便かが分かる。しかたなく、必要なものを息子の機械に送り込み、ファックスで送り返してもらい、それをコピー機でコピーしている。ワープロだとプリント出来るので久しぶりにワープロを使ったり。
プリンタ本体が紙詰まりというエラーメッセージだが、紙は詰まっていない。紙をきちんと先へ送れなくなっていて、途中でガチンとストップする。
ロアカセットが買ってあったので、機械の下に入れてみた。セッティングが必要らしいが難しそう。それが出来て、こちらから用紙を出せば、プリント出来るかどうか、はかない望みを持っているが、どうもこのエプソンプリンタとは相性が悪くて、新設定するのに自信が持てない。汗が噴き出す。
2000 8・28 6

* ペンクラブの「電メ研」アンケートは、回答者が四十人を超えた。二五パーセントの回答率は、予想を超えている。内容も充実し、一つ一つ、わたしが自分で書式を調え整理しているが、読み応えがある。もうすでに半分程度は、日本ペンクラブのホームページに掲載している。いずれ全部を掲載する。
2000 8・30 6

* ここでは、行アキの風情を殺して書き写しているので、申し訳ないが、こういうふうに「あとさきなく」みえても、自然な流露感で伝えうるメールが、十分可能なのである。わたしは、「メール」の文章が、表現が、どのようにあり得るかに関心があり、電メ研のアンケートにもそういう設問を試みたが、簡略と粗略の可能性だけでなく、器械の無機質に屈しないしなやかな表現も十分出来ると感じている。
2000 9・1 7

* 溶けてしまいそうな暑さだった。暑い盛りに出て、池袋さくらやで、 OCRの、性能のよくなっているらしいe-typist のヴァージョンアップ・ソフトと、インクジェットの性能のいい、早い、米国製のヒューレットプリンタを買い、提げて帰った。保谷駅からタクシーに乗ろうかと思ったが、運動代わりにと、重いブリンタを右手に提げ左手に持ち替えしながら、炎天下を、千四百歩歩いて帰った。しかし、目指した二つとも手に入りよかった。

* プリンタは玄関に投げ出したまま箱も開けていない。晩、OCRソフトを器械に入れ、試行錯誤の連続で数時間、疲労困憊。およその見当が付いたし、たしかに前のより日本語認識の精度がいい。いちばん頭に来るのは、本を見開きでスキャンし、認識させ、名前を付けて保存するまではいいが、同じことを次の頁でやって、前頁つづきに「追加保存」しようとしても、繋がってくれない。「追加保存」という項目があるのだから、やってみるのだが、追加されずに前頁分が消え失せてあとの頁しか残らない。
前のヴァージョンでもさんざん同じことで無駄骨を折り続けたのだが、今度のは、もっとやりにくい。たぶんわたしの操作ミスだろうが、マニュアルにも、その辺の痒いところに手の届く手引きが無い。一回一回ファイル名を付け替えて、「ワード」の画面で追加貼り込みをやるものだから、なんとも能率が悪い。そのうち眼から鱗が落ちることだろうと望みをかけている。

* エプソンのプリンタは、用紙を多くさし込みすぎたのが悪かった。器械の奥の方で、用紙を送るバーの一本がはずれ、空回りか何かしているようだ。
買い置きのロアカセットを器械の下にセットしてみたが、今度は、それがセット不十分らしく、作動してくれない。カセットは本体と別に独自に用紙を取り込む設備になっているのだから、セツトさえうまく行けばそっちで印刷できると皮算用したが、目下は成功しない。大学にいたもう六年ほど昔のレーザープリンタで、設定が難しく手に負えない。
買ってきた新しいプリンタがうまく繋がって呉れるといいが。
2000 9・2 7

* OCRを活用した。半端で未熟な「使い方」をしているらしいと気づいているが、ゆっくりマニュアルを見ていられない。おいおいにもっと効率よく使い勝手を改善して行けるだろう、これまでもそうしてきたように。しかし、とにかく「使って行く」ことで活かすのが一番だ。第六十五巻、記念の巻の入稿には、OCRを活かした編集が役立つだろう。
2000 9・3 7

* OCR、精度が段違いに良い。むろん能率もすこぶる良い。利器であるナと、つくづく思う。おかげで、これを使えば古い新聞原稿の文字の薄れてきたのたなど、救い出せるのではないか。初出は、ほぼ欠かさずに保存してあり、コピーもとってある。未刊の原稿だけでも、単行本に換算すれば廿冊分ぐらい右から左にすぐ纏められるほど量もある。OCRに取り込んでおけば、ホームページを随時に充実させることも容易い。
大容量ハードディスクの器械が欲しくなってきた。池袋さくらやで、ああ、これがいいなあ、欲しいなあと思える器械があった。
ワープロのフロッピーからパソコンへ移す方法を、田中孝介君に教えられた、あれは莫大な恩恵だった。おかげで、大事な長編原稿をほとんどパソコンに吸収できた。『客愁』第一部の三部作もすべてワープロから転写したものに入念に何度も手を入れて湖の本にして行った。パソコンと湖の本とが、緊密に車輪を揃えて仕事を膨らませてくれている。
2000 9・4 7

* 文筆家達にアンケートの中で「電子メールと文章」について訊ねてみると、殆どの人がブッキラボーになりやすい、冷たい感じになりやすいと警戒していたが、わたしは、それは人によるので器械のセイだとは全く考えていない。ただの便利な道具と思う人は事務的にしか器械に期待していないのだろうが、わたしは、「表現」して行くことで器械と付き合おうとしている。そういう人が創作者の中には、また創作しなくても心に余裕と優しさのある人には、いる。この頁でしきりに人さまのメールを紹介させてもらうのは、アンケートに出てくる大方の回答とはちがった、また優れた表現者・利用者が幾らもあることを示しておきたいからだ。
電子メールは「恋文」であると、以前雑誌「ミマン」に書いたが、あながちに面白ずくを言うたのではない。そういう気持ですら、いろいろに表現可能であり、事務的な交信にだけ便利な器械ではないのである。文学・文藝に到達して行ける可能性は薄くないと思っている。
2000 9・5 7

* 妻の電子メールがやっと受発信できそうなところへ来た。わたしの方へテスト送信してみると受け取れている。ただ、何となしわたしのNIFTYとは手順がちがう。正確にやれているのかハッキリしない。

* OCRの精度は高い。気を入れてスキャンすれば、活字本の99パーセントは認識している。校正し補筆もできるので、原稿が出来た段階からあとは、入稿後がすこぶるラクになる。入稿に相当の時間をかけても追いつける。六十五歳の通巻第六十五巻を、面白いものにしたい。

* 日本ペンクラブ 電子メール使用会員の皆様   (2000.9.6 記)
電子メディア対応研究会より、去る8月、約170名の、現在メールを活用されている会員の皆様に、アンケートのお願いをしましたところ、8月末までに44名の方からご回答をいただきました。ご多用中有り難く、御礼申し上げます。まこと示唆に富む実情がありありと窺え、新世紀にのぞんで貴重な「証言集」になったと喜んでおります。九月十四日開催のシンポジウムでも、有効な材料になるであろうと期待しています。
44名のご回答につきましては、日本ペンクラブホームページ「電子メディア対応研究会」の欄に、すでに、全て掲載させていただきました。ご報告にかえたく、是非ご覧下さい。
日本ペンクラブHP/URL: http: //www.mmjp.or.jp/japan-penclub
なお、研究会での討議を経て、何らかの総括を得たいと予定しています。追ってペン・ホームページでご報告申し上げます。
本来、ご回答の内容は、むしろ、電子メディアにつよい関心を持たれながら、まだ使用に踏み切れない、または使用の気持は無いが実情には関心がある、一般会員の皆様にこそ参考ないし活用されて欲しいもので、電メ研委員一同の希望もそこにありました。理事会の同意を得て、ぜひ、然るべく「会員への周知」を考慮したいと考えています。
また、メールを活用し、会員の皆さんのいろんなご意向・ご意見がペンクラブ全体に反映することを「電メ研」は期待しています。ご遠慮なくご通信下さい。
電子メディア対応研究会 座長・理事 秦 恒平                       FZJ03256@nifty.ne.jp

(以下、日本ペンクラブ事務局よりお願い)
来る9月14日に、アルカディア市ヶ谷で主催・日本ペンクラブ・言論表現委員会シンポジウム「一億総表現者の時代 – ネット社会でわたしは”わたし”をどう表現するか」を、開催致します。ネット関係の専門家を交えたパネルディスカッションが中心になりますが、電子メディア対応研究会秦恒平座長より随時みなさまからいただいたご回答を盛り込んだ感想などを報告致します。お近くにお住まいの方、お時間のある方は是非、会場に足をお運び下さい。 ペン会報・ハガキ等ですでにお知らせしておりますが、あらためてシンポジウムのご案内をさせていただきます。ご来場の程、お待ち申し上げます。 (以下・略)

* アンケートの回答そのものが興味深いが、量も多く、会員の署名回答でもあり、少なくもシンポジウム以前にここに転載公表するのは問題があろう。ペンのホームページを覗いて欲しい。
2000 9・6 7

*二ヶ月ぶりの電子メディア対応研究会、顔ぶれも揃い、和やかに話し合われて、気分のいい会合だった。アンケート結果という具体的な話材が出揃っていて、話しやすかった。だが、さて、そこから、どう動くかとなると道筋は混濁、嶮しいと感じるばかり。
高畠二郎委員がインターネットを始めていて、これで、全委員がパソコン・ユーザーになった。高畠さんが今日は雄弁で、おもしろかった。元気になられてよかった。新聞三社に『冬祭り』を連載していた頃の事務局長で、ずいぶん助けてもらった。湖の本を始めるときもいちはやく北海道新聞で報道してもらい、その時からの読者がいまもたくさん継続してもらっている。
2000 9・8 7

* さて、十四日のシンポジウムまで、ひっきりなしに外へ出る。浜木綿子の帝劇、中村芝翫一世一代の娘道成寺や可愛い子方の口上など歌舞伎座昼夜、そして、若い友人との美術館のはしごなど、楽しみが主である、が、十三日の晩には、イーブック(電子書籍)の会社へ初出勤して、スタッフとの企画会議に参加することになっている。こういうのは初体験、なにを期待されているのか大いに心許ないが、一年契約、お役に立ちそうになければサッサとクビにして欲しい。
2000 9・8 7

* OCR ご進展のご様子、嬉しく存じます。
それで、ご本を読んでいて気が付き、OCR の実際を体験してみようとやってみました。エッセイ 『神と玩具との間』一冊で、 420K バイトでした。取り込みはしましたが、校正はまだです。メールの添付ファイルでお送りすれば出来る筈です。
しかし、私が、勝手にこういうことをしていいものかどうか、とまた気が付きました。お伺い申し上げます。
お許しがあれば、単純作業で少しはお役に立てるかな、と、これまた勝手に考えました。(「親類」の停年おじさんはひまですから) 迷いましたが送信します。

* 何という有り難いメールだろう。「校正」など、とんでもない、それはわたしがして当然で、スキャンした本文がそのまま届くだけでも、どんなに有り難いか、自分の手で、本を見開きごとにスキャンし保存して行く時間の長さを、身にしみて覚えているだけに、言葉にもならない。それにしても、どうして、湖の本一冊分がそんなにも一度にスキャン出来るものか、不思議な気がするし、有り難いよりも申し訳なく感じている。
じつは今朝小説『華厳』を湖の本からスキャンしはじめたが、見開きで三頁しかとれなかった。中国みやげの中国歴史小説で、自負・自愛の中編である。一両日後から小刻みに連載して行くつもり、だ、が。
2000 9・9 7

* 千葉の勝田貞夫さんが、わたしの『猿の遠景』が好きですとメールを下さった。作品のOCR複写をどんどん手伝って下さり、湖の本で三巻もある『神と玩具との間』をもう全部複写してメールで送ってもらっている。どうすればそんなに早く出来るのか、魔法でも使われるのかと驚くばかりである。嬉しい。有り難い。奥さんと一緒に玉三郎を観てこられたともメールにある。いいなと思う。歌舞伎でも帝劇でも俳優座でも、妻といっしょなので、安心し、落ち着いて楽しめる。一人ではつまらない。もっとも能だけは付き合ってくれない。目の玉がデンクリ返るほど眠くなるというのだ、わたしでもそうだが。
2000 9・12 7

* 「イーブック イニシァティヴ ジャパン」の企画会議に、初参加。スタッフを紹介されて、ビールで歓談三時間。注射はしたが、食べずにビールばかりを呑んでいた。よろしくないことであった。
一年契約にサインしてきた。わたしの何が役に立つというのか分からないけれど、社長もスタッフもわたしよりだいぶ若い。仲良く歓談が続けられれば、むしろ私の側にメリットが生まれよう。企業にこんふうに参加するとは夢想だにしないことだった。好奇心がどう満たされるのか、具体的な負担や義務は何も負うていない。

* 雨のお茶の水など、会社にいた頃以来のこと。ああこの辺は、などと「思い出」を甦らせたりして。

* あすの言論表現委員会シンポジウムを、側面から支持しようと、電メ研で実施したアンケートを取りまとめた「座長報告」を書いて、委員の皆さんにメーリングリストで意見を求めた。賛成の回答が多く届いている。アンケート回答をそのままここに掲載するのは、署名原稿ゆえ躊躇っているが、わたしの「纏め」はいいだろう。それなりの資料性もある。以下に書き込んでおく。

*  電メ研実施アンケート回収の概要報告        座長 秦 恒平

日本ペンクラブの「現在電子メール使用の会員」約百七十名を対象に、回答は四十四人。
質問・回答の内容上、数値等に置き替えては纏めにくく、通覧した感想を概略述べる。
質問は、大きく A  電子メール(通信) B インターネット(検索・取材) C ホームページ(表現・表出・広報) D  その他の問題 に分けた。
パソコンの利用と「自己表現」とは、今は概ね、こう分かれている。

<A> 「電子メール」

1) どう、役立てているか。
原稿送付、校正往来等の事務交換・打合せ、取材・質問・意見交換等、「実務通信」的な利用が大半を占める。他方、海外家族友人や知人友人たちとの親密な「交際交信」に大いに便利を感じ楽しんでいる人も多い。この後者から、新しい文藝・文学の「芽」のふく可能性が感じられる。
2) 思い立った動機。技術的なこと。
簡便、迅速、安価、個と個の密度等が挙げられ、パソコンへ入って行く最も大きな動機となっている。回答の殆どが、期待を裏切られることなく、満足し活用している。
3)電子メールの「文章」に、特徴があるか。
手紙よりラクで便利とする「実務」的な使用者は、「文章」意識は低く、即座・当座の達意を重んじ、時に簡潔ゆえの冷たさやぶっきらぼうに走って、失礼や感情的誤解を招く怖れも実感している。他方、人と人の「交際」を大切にしている人は、相手によりさまざまな「表現」を享受しあっており、従来の手紙以上に、親密で、新たな「表現」意思が働こうとしている。器械の故に文章文体が、変わる変わらぬといった心配や意識は、総じて稀薄。
4)電子メールの最大の利点と欠点。
迅速・簡便・安価・原稿保全・同文同送・親密・実務的・即答を免れる、等を利点とし、わずかな不注意で意志疎通に粗略な齟齬・不十分・失礼を生じること、過度になると応接に追われること等の欠点も意識されている。
5)推奨するか。
極めて便利と感じている人が多く、推奨する人は「実務」「交際」の両方に多い。奨める相手方だけでなく、自分にとってもメリットが増すからでもある。

<B> 「インターネット」
表現・表出への関わりで言えば、これは概ね、目的有っての「検索」「取材」に大いに活用されている。漫然としたサーフィンを楽しんで、風任せに「世界」を探訪している人は、少ない。むろん、それも大いに可能ではあるのだが。
極めて有効に使用できる人と、その域に至っていない人との「有効度」判定に、際立った「差」が出ている。利用・活用に慣れれば慣れるほど、インターネツト利用の「検索・取材」は著しい効果を挙げている。学者・研究者・ノンフィクション系筆者には、不可欠のものになっている。
1) 資料・情報の蒐集に、インターネットを、どう、役立てているか。
人それぞれの目的や関心により探索の「方向」こそ違え、習熟に従い、また検索情報や検索方法の効率化・的確化にしたがい、少なくも基礎調査段階の能率は、「一年かかるところを数分で」と強調できるほどの、効果を挙げている。情報の精粗を判断し、勘が働いたり要領を得たりするのにも、習熟度・使用頻度がものを言っている。使用を重ねて工夫と勘とが働けば働くほど有用になると言えようか。
2) 有効度の実感。
1)に同じく、慣れた人ほど、効果を極めて大きく見ている。
3) 推奨するか。
「こんないいもの」を商売敵の他人に推薦などするものかという回答者が二人いた、ほど。1)2)に同じことが言える。

<C> 「ホームページ」
設置している絶対人数はまだ少ないが、前回調査時に比し、格別増加している。だが、その利用は、いわゆる「自己宣伝」「広報」に大きく傾いている。「表現」本位に、自分の作品・文章をホームページ上に専ら掲載公表している例は、まだ少ない。
「チャット」「掲示板」を利用し、不特定多数との接触・交信・グループ化を試みている例は増えている。また、作品よりも「日記・日録」の更新・公表により、自己の声・言葉を発信し続け、ホームページの目玉にしている例が増加している。
その一方、ホームページを、原稿用紙・発表誌・著書・作品全集・作品保存庫・作品展示場として、徹底的に「表現」の場として用い、膨大な「コンテンツ」を擁した「アーカイヴ」の役をさせている者も現れている。
学者・研究者・調査者がどちらかといえば、インターネツトの検索能力を活用するのに対して、今後、作家・詩人たちは多く「ホームページ」を自己表現の有効な場として考慮して行くのではないか。電子時代の文学の新人も、ここから生まれてくる可能性は大きいと見たい。
ホームページの生命は頻繁な更新にあるが、更新を欠いて忽ちに立ち枯れのホームページも一般には実に多い。腰が据わっていない限り維持も成功もかなり難しい。
1) “わたし”の表現に、ホームページを、どう、役立てているか。
「作品の公表、文業の保存」派は、少ない。「意見の陳述、事業や著述等の広報宣伝」が多く、「他者との交信」の場にしている人もいる。さまざまな変化・変容を先々に期待させる。まだ極めて可塑的・試験段階的であり、大方が実験を試みている段階か。更新し維持して行くための、「内・外」の能力が大きな問題になる。
2)設定。
ホームページ設営もいろいろで、簡単なものは、今では簡単に一人で出来るが、複雑な作りのものには、設計者を委嘱している例が多い。更新まで他人に委嘱している例もある。
3)「課金」「広告掲載」
関心を示した人は少なく、課金を実施している人はなかった。電子メディアでは金銭的なインカムは期待されていない。いや、期待できないという判断が一般のようである。それでもいいのかという別問題もある。
段階を踏んだ解決には、文筆団体の大きな結束と推進が何より必要であり、これの放置は、未来に大きな禍根をのこすだろう。
5)”わたし”の「表現」における、有効度。
おおかたがなお「単なる自己宣伝」の段階にあり、ホームページを「表現」の「場」として「方法」として認める理解は、極く未熟なままである。
6)推奨するか。
人の勝手という意見が多い。ホームページをどう使って行けばいいのかの、定見が成熟していないからでもあるが。

<D> 「その他」
1)パソコンでは、音楽・絵画等の表現、豊富な編集機能等。”わたし”の表現に活用しているか。
そこまで、行っていない。
2)インタネットでの盛んな商取引や投資等。「表現」との関係で利用しているか。
利用者は殆どいない。関心外。
3) パソコンの利用は、高齢者に難し過ぎるか・不向きか。
高齢者にこそ有用で、適切な指導・助言者があり、器械が更に進歩すれば、少しも難しくはない、とする意見が六七割以上を占めている。
肉体的な衰えをカバーして、広大な世界へ「旅」を可能にしてくれる「有効な電子の杖」になるものと、わたしも考えている。「e-young」よりも「e-old」に希望がもてる。
4)いわゆる「電子本」も公表・発売したいと希望するか。
希望者は多いが、まだ、「電子本」のビジョンすらよく定まっていない。「電子本」も著書と認めると画期的な判断を下した日本ペンクラブは、さらに「電子本」の質的・形状的「定義」を試みて行くべきだと思われる。

* 大纏めはできないが、PENの社会に、「表現・伝達」のための電子メディアの浸潤は、急ピッチに進みつつあると言える。
更に、他に、ペンクラブとしてこの畑で見のがしてならない「電子メディア」問題は、公権力による盗聴・傍受等の「セキュリティ侵害」問題であり、また「サイバーテロリズム」への警戒と監視と素早い反対運動であろう。事は、自分がパソコンを使うか使わないかといった私的なレベルの話ではない。電子メディアの或る意味では危険極まりない網に伏せられた人類社会である。傍観は許されない時代に入っている、「核」に劣らず。
また、電子メディア上の「著作権」確立、文筆家の「利益保全」対策も、今、ゆるがせにしていると、将来、臍をかむことになる。文芸家協会との提携協議を兼任理事は率先発議して欲しいと思う。         二○○○年九月十二日

* 「e-BOOK」で話してきたことだが、わたしは自分を「e-OLD」と呼ぼうと思っている。そういう意識で、高齢社会の電子メディアを考えて行きたい。同時に「e- YOUNG」「e-MIDDLE」の電子メディアの在りようも考えねばならないだろう。この言葉が、普通名詞として有用に使い分けられながら、問題を豊かに解決して行けるようでありたいが。
2000 9・13 7

* シンポジウムは盛会で、はなしも良く噛み合い、大成功といつていい盛り上がりを見せた。電メ研アンケートも、いい形で報告でき、「e-OLD」の時代かもしれぬ事、高齢者や身障者にパソコンは「電子の杖」になるであろうといったわたしの言葉も、新鮮に受け取られていた。

* 言論表現委員会と電メ研と合同の二次会も和やかに盛り上がり、わたしは、盛大に呑んで久しぶりに午前様のご機嫌で帰宅した。あれこれ片づけている内に、もう二時半。パネラーの弁護士牧野氏をペンクラブに迎え、電メ研委員に入ってもらうことに取り決め、書類を深夜のポストに入れにも行ってきた。森秀樹委員から、もう今夜の会合をよろこぶメールが届いていた。こんな優しいメールも届いていた。
2000 9・14 7

* シンポジウム二次会で、わたしが今も京都くらしで、東京の会議会合には、保谷に仮の家をもっていて、そこから出席していると思っていたという人がいた。まだ、こんな風に思っている人がいるんだと愕いた。それなら佳いのだけどという気もあった。
早乙女貢氏は、わたしが、事実上の京は祇園育ち、女の中で育ったのだということが、信じられないと喫驚していた。わたしのことを氏はまったくの堅物だと思いこんでいた。そうかも知れない、が、まるで違うかも知れないではないか。ひとのことなど、簡単に分かりはしないのだ。
森さんの、こんな「批評的感想」は、なかなか聞きたくても聴けないものである。すこしくすぐったいが、ま、鞭撻とも受け取り、申し訳ないが、書き取らせていただく。

* 秦さま  今日はお疲れさまでした。
牧野さんのメンバー入りは、うれしい限りです。秦さん、西垣さん、牧野さん、それぞれの開明のお考えに我が意を得たり、の気持ちです。
秦さんの魅力は「スノッブのようでスノッブではなく、それが何かと尋ぬれば。。。」
「はんなり、はんなり」でありましょうか。
辛口の『創』の篠田氏に、電メ研はなかなかご活躍を、と、ちょぴり持ち上げられ?、まんざらでもありませんでした。ジレッタントとお答えしておきましたが、さほど気張らぬ「半可通」もなかなかいいものです。秦さんの「はんなり」に通じるもの大なり。
電メ研のみなさまもいい方々ですし、いろいろ勉強になります。
「e-OLD」も「電子の杖」も、いいえて、妙です。さすが、りゅうせき、ながれいし。。。今後ともよろしく。
名児耶明氏の「よろこびあふるる老人の仮名・俊成」を読み返しながら、永い一日をしまうところです。
御身大切に。

* 有り難う存じます。
2000 9・14 7

* 昨夜おそく、むかしの学生君から親切に、なにか器械のことで困っていませんかと問いかけてきてくれた。いろんなことが、ある。最大の関心事は、ホームページの index.htm を、どういう組成であるのか理解して、なんとか自力で、ファイル=頁を大増補してみたい。小説もエッセイも講演も湖の本も私語の頁も、膨らめば今の何十倍にもなる。千葉の勝田さんの親切な応援で、湖の本のもう十冊ちかくがスキャンされ、今日は『死なれて・死なせて」が届いて、みな校正待ちの状態。新作にも豊富に場所が欲しい。新しい腹案、試みも、脳裡に膨らんでいる。体裁は今のままで良く、ドカーンとファイル数を倍にも三倍にも用意しておきたい。
ホームページの書き込みを始めた頃、田中孝介君に、一ファイルの分量がこんなに多いホームページというのは例が無いですねえと呆れられた。どうやら、其処に一番の特色が生まれてきているようだ。「アーカイヴ=所蔵庫」「ディスプレー=展示場」「e-BOOK」「e- DIARY」そして「e-MAGAZINE」を考える時機ではないかと。
2000 9・21 7

* ホームページ、大増頁計画を思い立ち、希望プランを昨日おそくに布谷智君に伝えた。実現すれば嬉しいが。
2000 9・23 7

* 布谷君からホームページ改造のプランが届いた。が、さて、その先がどうなるのか、どうしていいのか、見当が付かず、問い合わせている。全く新しいファイルを多く増設しようとしている。既設のも大幅に増頁している。アーカイヴとしての充実だけでなく、新しい「e- magazine 湖=umi」を、わたしの名で編輯しようと考えている。「e-mails 湖=umi」も記録に遺そうと思う。許可が得られれば、他の人の佳い書簡も保存したい。さ、どうなるか。ホームページ容量も倍増を考えている。
2000 9・24 7

* 「イーブック」の方、会社へなかなか顔が出せないので、スタッフたちと、メールで意見交換をすることにした。その方が思案した意見が言えるし、何を言ったかの記録も残せる。会話では不十分な思案も、書くとなると、お互いに煮詰め合わねばならない。いい方法ではないかと思う。
すでに昨日、二人と、それぞれにメールを送り合い、質問などにわたしなりの返事を送った。試行錯誤をかさねることになるだろう。
2000 9・24 7

* 器械がひどいことになっていて、対談速記の手入れをしていた一太郎liteが、どうにもならず怪我をしたらしく、折角丹念に手を入れていた原稿が、すべて消滅したに等しい状態にある。こうして、ホームページもメールも何とか復旧したに係わらず、一太郎は回復していない。今は、他の何よりもこれが困る。現在、こういうエラーメッセージが出ている。どういう意味か、どうすればいいか、おわかりの人は教えて下さい。
警告は、「プログラム開始エラー  TAROLITE.EXEファイルは欠落エクスポートJSMISC32.DLL: 580にリンクされています。」そしてまた「C:\JUST\TAROLITE\TARORITE.EXEシステムに装着されたデバイスは動作していません」と。「必要なDLLファイルMFC42.DLLが見つかりませんでした」とプログラム開始エラーも出ている。

* 何としてもTAROLITEの中の「対談」原稿を救出しなくてはならない、対談の直しだけで、相当の原稿量になっている。やり直すのはとも無理な気がする。

* 器械は怖い。こういう事態になると、ほんと、どうしていいか分からない。困った。こうなった理由も分からない。
2000 9・27 7

* ほとんど徹夜してあれこれやってみたが、一番大事だった「対談」速記の手入れ原稿を喪失してしまった。発言 56回の45回分を、ほぼ完璧に手入れし充実させていた。気合が入っていた。それをすべて喪っただけでなく、器械の全体が不安定で、今しがたはメール送信も出来なかった。絶不調の危険きわまりない状態にある。MOと外付けに、ホームページをはじめ、原稿類を避難した。
このNEC  LaVie、どうも端から、不調つづきであった。わたしの扱いが悪いのだとは分かっているが、困惑甚だしい。妻に譲ってあるウインドウズ95へ緊急避難して、さ、どうするか、えらいことになった。
それでも、だましだまし、今もこうして使っているが、これが無事転送できるかどうかは、やってみないと分からない。
2000 9・28 7

* 器械の故障で「対談手入れ」の仕事はサッパリの憂き目にあったものの、考えようでは、大方の他の仕事が片づいていたのは幸いだった。たとえ器械は使いにくくとも、やりなおしは利くのである。その時間もある。十月、京都へ発つまでにはきちんと片づけられるだろう。
2000 9・28 7

* 神戸の芝田道さん、千葉の勝田貞夫さん、そしてほらがいの加藤弘一さん、消息のこのところ途絶えていた林丈雄君にも、器械の混乱を案じた親切ないろんな手立てを教わった。有り難い。教えてはもらえないが心配してくれたメーラーも少なくなかった。有り難いことである。幸い、器械は動いている。林君にいろいろ電話で告白したが、それはいけませんと言われることを、幾つかやっていた。「DLL」という大事な何かが働かないと警告が連発されてお話にならなかったが、問題の起きた一太郎liteを「再インストール」してみたと言うと、それもへたにやると危ないと脅かされ、縮んだ。事実はそれでなんだかかなり回復し、しかし、肝心の原稿だけは全滅して見つからない。
じつはもう一つ、一太郎でパスワード付きで書き込んでいたファイルも行方知れないのだが、ヒヤヒヤする。
もう一つ、やった。デフラグという機能で、長時間かけてハードディスクの最適化を試みた。さらにスキャンデスクというのも、やはり長時間かけて動かした。そういうことを、昨日の深夜に思いついてやったのが、よかったのか、わるかったのかも、分からない。作業の進行をじいっと待ちながら、福田恆存作の戯曲『明智光秀』をぜんぶ読み上げてしまった。これが面白かったので、トクをした気がした。
林君など、器械をひらかせ、電話から電話で、ファイルとフォルダの「検索」の細かい実地指導をしてくれた。見たこともない画面がまたしても現れ出て、わたしは舌を巻いた。扱った日時までみな現れ出たのには仰天した。それを全部メールで送れと林君は指示してくれたが、ちょっ待って頂戴と辟易もした。九月二十七日から八日までを検索して、269件も内容があり、彼は、全部点検して消えた原稿が残存していないか調べてあげると親切そのものだが、さ、そうなると、わたしはマルハダカを覚悟しなければならない。いやもう、凄いことになるものだと、面白くもあった。
対談原稿は、やっと、半分近く書き直した。明日の間には合わないが、見通しは立った。ひょっとして対談は二回でも量的に足りるかも知れない。

* 今日、実に久しぶりに、十年どころでなくご無沙汰であった人と電話で話した。電話をし終えて気がつくと、はじめからしまいまで、パソコンの話をしていた。向こうでも大いに気が動いていたからではあるが、林君にも笑われたが、わたしもエライことをやっているものだ、まさに「e-OLD」だと苦笑してしまう。しかし、電話では本気で奨めていた。なんだか、うすぐらく逼塞したような日々であるらしいので、よけい奨めたのだが、遠からず嬉しいメールが舞い込むかもしれない。
2000 9・29 7

* デフラグを敢行したのは不味かったと、加藤弘一さんに注意された。ハードディスクの「いわば大掃除」をやる作業なので、例の残したかった対談手入れのファイルなどが率先して消去されたであろう、もう見つかるまいと。
「多分、ファイルを修復するスキャンディスクと勘違いされたのだろうと思いますが、デフラグはハードディスクの大掃除でして、削除データの残骸を完全に抹消してから、ファイルの並べかえをはじめるので、今回のような場合には絶対に使わない方がよいと思います。
ソフトウェアの再インストールは基本的には有効な手段ですが、自分で作成したデータを、そのソフトウェアのはいっているフォルダーの下のデータ保存フォルダーに置いている場合、データ保存フォルダーまで新しく作り直すという困った措置をとるソフトウェアがすくなくなく、そうしたソフトウェアでは作成したデータがすべて消えてしまいます。(一太郎がこういう乱暴なことをやっているかどうかはわかりませんが……)。
これを防ぐために、昔からパソコンを使っている人間は、データ専用フォルダーを別に作り、カスタマイズ機能によって、そのフォルダーをデータ保存フォルダーに指定していることが多いです」と。
いや、参った。貴重な助言で私しておくのは勿体なく、参考にされる方もあろうと、加藤さんに申し訳ないけれど、ここに引用させて貰う。感謝に堪えない。言われるとおりの「再インストール」の影響らしきものも出ている。おお、器械よ。
なんとか、だが、そのままではあるが器械は使えている。
2000 9・30 7

* 布谷君が次の三連休のどこかで家に来て、ホームページの改造増頁の面倒をみてあげようと言ってくれている。ありがたいことだ。ぜひ、それまでに、C:\ディスクの容量を増やしておきたいが、またやみくもに削ってはえらいことだ。
2000 9・30 7

* 電メ研委員に新しく弁護士の牧野二郎氏を迎えた。おかげで今日の会議には柱というか骨格が立ち、急に話し合いにリアリティーが生まれた。有り難い。パソコンを使わなかった唯一人の高畠二郎さんも器械を揃え、やがての着手が目に見えてきた。

* ペンクラブに入会のための資格審査に「電子本」も対象にとは決まっているが、具体的にはどういうものを提出できるのか。私案として、 ?インターネットに既に公表していること。 ?長編短編、また小説、エッセイ、批評、研究等の量的規準として、四百字原稿用紙換算で三百枚以上相当を以て「著書一冊」と数えること。 ?審査のために、CD-ROMの形で三枚、同内容のプリントアウトしたものを三セット提出。 ? 「詩歌」の規準は慎重考慮をまって、当面は保留とする。 ?会員推薦の前に、最低三名の予備審査で二名以上の賛同を得て、初めて理事会に提出される。予備審査は公正にかつ不可欠の手順とし、審査の三名は内容により理事会でそのつど適切に指名委嘱する。  以上を諮った。委員会で合意を得た。

* 予備審査に、「審査料」をという意見も出ていた。それはともかくとして、紙の本の場合でも、本当は「予備審査」が厳正になされるのが筋だと思う。入会の承認までに、少なくも三ヶ月以上がかかるという位でいいのではないか。作品の審査に当たる者も「固定」しないで、理事が回り持ちに分担するぐらいでないと、特定個人が「権能」を持つようになるのは好ましくない。現に多少そのようなイージーな仕方が出来ていなくもない。
2000 10・6 7

* 若い友人が来て、ホームページ拡充の手だてをして行ってくれた。妻のメールも設定していってくれた。近くの寿司「和可菜」で歓談し、七時半頃に保谷駅から見送った。
さて、帰宅して、自分でやってみると、出来ない。手順まで書いたのだが、途中からの手順であったものか、とっかかりが掴めなくて、どうしようもない。やってもらわずに、やり方を教わったのだが、自分でやってみると、分かっていたようで手に入っていなかった。もう少し粘りたいが、そのうちに全部をムチャクチャにしてしまいそうな怖れもある。表紙が、幾種類も出来てしまい、なんだかひどいことになっている。

* 妻のメールがどんなぐあいか、やはり悪戦苦闘しているらしい、階下で。むずかしいものだ。よく分かっている人との落差があまりに大きい。
さあ、と、喜んで張り切って「和可菜」から戻ったが、今は唸っている。もう少し粘ってみよう。
2000 10・7 7

* 昨夜は、結局願いのままにはホームページ改造が実現しなかった。ただ布谷智君に教わって、何故かが分かったように思われる。残念ながら、まだ、その手だてがわたしに掴めず、その「何故」を解消できないでいる。以前にも同じところで苦労した朧ろな記憶があり、田中孝介君に手引きして貰った古いメール記録を探し出し、学習し直す必要がある。もう一歩のところで足踏み。じれったいが我慢して、何かを覚えねば。慌てずに、ねばり強く付き合わねば、この器械と仲良くは成れない。

* 妻のメールの方は、受信には成功するのに、発信は「不可」と警告されつづける。メール設定は「難しい」「難しくない」とペンのアンケートでも回答が大割れしていた。わたしの経験からも、ニフティーマネージャーでのニフテイ設定はラクなものだった。しかし、 BIGLOBEは何度も何度も試みてきて、アドレスの取得は出来るのに、取得したものを用いての受発信に「成功」しているとは言えない。受信したことも発信できたこともあるのだが、コンスタントに安定して使えない。ニフティのように明確な手順が掴みにくい。布谷君もメール設定は必ずしも易しい手続きではありませんと話していた。
2000 10・8 7

* 消えた「対談」手入れ原稿を、とうどう元のところまで回復した。回復と謂うより気を入れて新たに書き直した。八割五分がた出来たところで消し去ってしまったことになる。もう一息がんばって、旅の前に仕上げておきたい。この三連休はそのためにもくつろいで仕事が出来、ありがたい。
2000 10・8 7

*もう深夜。布谷君の指示を得てやってみたが、index2.htmを送り込めない。なにか、また、わたしが間違えているのだろう。今夜もまた断念して、明日を期する。「開いて」「選択して」といった簡単な言葉に躓いてしまう。それがどんな手順や操作を意味するのかが、具体的に分からない。
2000 10・8 7

* じりじりと前へ進むが、一気には行かない。布谷君から希望どおりの表紙と目次の整然としたプランが届いたけれど、布谷君の次に指定している指示が、手順として理解できなくて、前へ出られない。モノのたとえが、指示されている意味は大略理解できても、それを実行し実現して行く手順が分からない。茶の湯の作法として、では「お茶を点てて」と指示されても、それには、何段階もの手順を踏まねばならないが、分かっている者にはそれでハイと返事できる。分かっていない者は、指一本動かしようがない。マニュアルを読んでも読んでも、何も出来ないと初心者の泣くのは、それである。いままた布谷君の方へ泣きついている。ほんとに恐縮とは、これである。

* 妻のメールは、どうやら、ついに道が開けたように思われる。一台の機械でわたしもそれなりに別に使っていた BIGLOBEを明け渡して、私の分を削除したので、大きく前進した。布谷君の設定していたところを、一つ、わたしが勝手に変更して、手順がさらに明快に改善された。また、アドレスが半角記入されていないところが見つかり、改めた。
これで、ほぼ実感をもって行けると感じた。

* 対談も、もう少しで、一応手入れを終わる。湖の本の校正も進んでいる。この三日間はなにとなく緊張も収穫も試行錯誤も重なって、それらに集中できてよかった。明日からはまた過密にいろんな用事が輻輳する。

* わたしのホームページは超大冊に拡大される。いずれ表紙が、目次が、うまく新転送できれば、びっくりされるだろう。コンテンツを期待して厖大量のファイル数を用意した。しばらくは大方明いているが、どんどん入って行く。

* その中で、どんなものになるか、わたしの編輯雑誌が出来るよう、用意した。ホームページのなかにもう一つホームページを「入れ子」にした感じになるが、中身は、人に入れて貰おうと思っている。長短篇の創作でも研究でも随筆でも詩歌でも。欄を分けて、単純に積み重ねて行く。署名してもらうが、ペンネームでも差し支えない。原稿料は出せない。いずれきちっと「要領」を作り、編集者になって、寄稿を頼むことになる。投稿も歓迎するが、編集権も行使する。長い時間かけて創り上げたい。

* 布谷君の電話での指導で、転送への道が、いま、ついた。もう少しの手直しを経て、完成に至るだろう。布谷君のせっかくの連休をすっかりわたしのために使わせてしまった、恐縮の極み、しかし嬉しい。妻からのテストメールも届いて、布谷君から返事をもらっていた。ウーン、刺激的な日々である。
2000 10・9 7

* なぜか、この頁のあたまの似顔絵とうしろの写真が消えてしまっている。さ、どうすれば戻るのか。いやもう、いろいろ、あるものだなあ。
2000 10・9 7

* 久しぶりのパレスホテルだった。四時に「イーブック」の磯江さんと逢い、ほぼ二時間一階の喫茶室で、双方の情報交換。思いつくままにいろいろ話し、これはと思う資料もコピーするようにと渡した。とにかく文学世間のことをあまりにも「イーブック」スタッフは知らない。それでいて文学的な世間に出版の足がかりを得ようと言うのだから、大変な話だ。幸い、感じのいい人たちの集団なので、わたしでも役に立つ範囲で、役立ちたいとは思っている。
2000 10・11 7

* ついにホームページ拡充プランが、布谷智君の莫大な厚意と親切とで、完成した。すでにINDEXの転送も終えているが、3という数字を1に換え、従来の1に別の名前をつけて、脇の座へ移転しなければならない。

*  [ページの窓] 2ページ [湖の本の事] 3ページ [電子版・湖(うみ)の本] 20ページ [電子版・湖の本エッセイ] 20ページ [掌説の世界] 2ページ [生活と意見 ー私語の刻ー] 20ページ [中長編小説] 20ページ [エッセイ選]   15ページ [短編小説選] 10ページ [講演原稿選] 8ページ [東工大余話] 8ページ [秦恒平の電子書簡・輯] 3ページ [秦恒平年譜] 5ページ [秦恒平作品書誌および年表] 8ページ [e-magazine 湖(umi) = 秦恒平編輯] 8ページ [雑輯] 2ページ の内容をもつ。
それぞれのページの意図なども、もう目次に書き込んだ。さらにコンテンツのすでに入れられるもの、移転の必要なものなどの調整作業が欠かせないので、今しばらく現在のままで、ものかげで調整してから、適当な時点で公開する。
幾つも目玉をつくったので、化け物じみるが、原稿用紙にして公表誌にして著書にして作品書庫にして作品展示場である「ホームページ=作家・秦恒平の文学と生活」の意向や意図は、かなり表現可能な準備は整った。

* 成功するかどうかは分からない、「e-時代」にさきがけた「e-magazine湖=umi」の成り行きが気になる。こういうことを基本的に考えている。
「このページを、広く提供します。但し、文学・文藝としてここに公表して良しと編集者・秦恒平がほぼ信頼と責任の持てるレベルの、創作・エッセイ・研究・批評等を、ページを分けて、積み重ねるように収録し続けて行きます。連載ものも、可。編集権は行使し、原稿料・掲載料は、一切、無。掲載原稿に何の装飾も付けません。そのかわりこのホームページでは、プロの作家・批評家・編集者また学者・藝術家を含めて、「優れた佳い読者」が期待できます。寄稿は、電子メールまたはCD-ROM でお送り下さい。編集者からの注文等は電子メールで致します。」と。
性急な結果は期待していない。永い目で見守り、いつ知れず、豊かな内容の文藝・文章が集まっている、というふうでありたいと。さ、どうなるか。
2000 10・12 7

* 天気だと佳いが。ホームページの新表紙を転送して置いた。東工大の昔の昔の卒業生である芝田さんから「感想」と「助言」が来ていたので布谷君に転送した。では。京の秋を楽しんできたい。
2000 10・13 7

* 新ホームページ増設分のページ転送を、現在必要と思う分だけ実行した。少しずつ書き込んで行くが、まだ初稿段階で手入れ中ないしさらに検討の必要なものも在る。いずれにしても、思い切って「文庫」機能を高めてみた。器の段階であるが、中味を盛って行きたい、その用意も有る。
2000 10・16 7

* 今日の一の体験は、九州大学の今西祐一郎教授から貰った九大図書館所蔵の「貴重資料(絵入り本)画像データベース」を、器械で、つぶさに鑑賞したこと。「九州大学情報基盤センター開所記念」の逸品(CD-ROM)で、「源氏物語歌繪絵巻」「曾我物語」「しゅてんとうし」「ふんせう」「竹とり物語」「いせ物かたり」「文正物語」「たまも」「中将姫」「たなばた」を挿し絵ももろともに「原色」「原型」で収めてあり、中世から近世初頭へかけての所産。「奈良繪」と総称される画風に装飾された物語やお伽草紙の優品揃い。曾我物語がことに佳い。パソコンという器械の中から、遠き古の文化的な懐かしさが香り出てくるのだ、しばし、どころか、長時間、時を忘れていた。
今西さんにも、前の今井源衛名誉教授にも、ふとしたご縁から、よくしていただき、貴重な研究書や資料本をたくさんこれまでにも頂戴している。研究書が、読書ではいちばん面白く興奮できる。
こういうデータベース化の成果が、各大学や研究期間で着々挙がってきていて、有り難いことに九州大学ではこれらをホームページに公開し、無料で大勢のまえに提供してくれている。だが、研究施設や研究機関によっては、ちらりと見せて、それ以上は有料という扱いのところもある。これはどんなものか。せっかくの電子的な成果をまたも秘蔵秘匿してしまうのでは、ネット文化が縮かんでしまわないか。
2000 10・20 7

昨夜はよく降った。昨日は降りかけてから外出した。さくらやでアクロバットというソフトを買ってきた。布谷君のつよいお薦めが前からあった。インストールしたものの、マニュアルは全編細字の英語で何十頁も。こりゃかなわん。何にどう使うと、わたしは便利するのか、聴いたが頭にうまく残っていない。少しでも、ホームページのためのスグレモノであってくれるといいが。具体的にどう使うのか、だ。
2000 10・24 7

* 布谷君の新たな目次箇所の改造INDEXを、転送した。また一歩進んだ。

* 雑誌「e-m湖」とは別に、「雁信」と題した電子メールの往来の頁が、日々に膨らんで行く。ここもバラエティーに富んだ興趣ある頁に育って行くだろう。電子メールというと、とかく冷たい事務的なものと思われているが、その方面の実益も大きいが、また一方で、手書きとはすこしずつ味わいを異にしながら、内容も表現もある書簡文藝が可能なのではないか、そういう思いで特にホームページに新設してみた。「文学と生活」との、今では少なからぬ重みも持った世界になっている。ときどき、訪れて欲しい。
2000 10・29 7

* このごろは、おや、すこし細くなりましたかねと挨拶される。そのわたしの「私語の刻」の似顔絵が、豆粒のように消えかけていた。復活したら、昔の、最高潮のころのわたしのようにふっくらと横へ頬が張っている。冷やかされている。
田中幸介君からのメールが、原因を教えてくれた。布谷智君に報せた。自分で直してみようかと思うが、自信がない。こういう、やりとりも、日々の活気でありおもしろい。「雁信」の頁の口上に、「不徳ナレドモ孤デハナシ」と書き入れた。
2000 10・30 7

* 週末には電メ研が予定されている。電子メディアは、まずハードの技術的な面や構築面で関心が深まり、文字コードをめぐるアーキテクチュアで、その方面の国際的な苦心があった。文筆家も一定の発言で、遅れていた場へ、ま、割り込んでいった。文字セットやフォントの開発も進んだ。いろんな経緯が精粗さまざまに綯い込まれて、問題は複雑怪奇になっているけれど、「電子出版」があちこち具体的にかなり動き出してきた中で、「表現」問題が、これから、もっとややこしく意識されて行くはずだ。原稿用紙やワープロの画面ではない、インターネットという途方もない多方向性の「暗闇」のなかで、文章活動がかなり刺激的に拡大されて行く。悪意の中傷などは論外としても、それにも被害は甚大だけれど、そういうものでなく、例えば、わたしのホームページ活動のような、根に悪意もなく、金銭の利害も全く度外視したような、衛生無害に一応見えているものであっても、インターネット本来の性質から、存外な波紋が広がって行かぬでもない。いや、広がり得るだけの凶器的な素質を電子メディアそのものが優に内蔵している。
だが、薬品に治効と毒性とがあるのに似て、厄介なことに、毒性は避けたいが薬物の否定は叶わないように、コンピュータを初めとする電子機器も、もう無くしてしまうワケには行かぬほど、インフラ化している。そうなると、毒性にどう対応できるかの議論をなげだしておいて、機器やメディアを冷たく評論していても、今言った一面に限って言えば、ただの口舌に終わってしまうだろう。しかも、もっと他に厄介な問題を機器もインターネットも抱えていて、文筆表現とは別の次元でのおそるべき劫火を放ちかねない、いや、すでに煙も火も立っている。
それでいて、また、すばらしい機器と性能との成果も挙げているのがコンピュータであり、インターネットである事実も否認しがたい。問題を生みだしているのは人間であり、どう器械をワルモノにしてみても逃れがたい厄介な根性というものを、人は銘々に持っている。議論の根はそこに据えるしかない。

* こういうことが、一例、言えるだろう。例えばである。わたしが「私語の刻」で人を名指しで批評したり批判したりは、これは或いは政治家であり、あるいは作者であり、またタレントやアクターであり、普通の批評行為であり問題はない。しかし、日録の中で、例えば、今日どこそこで誰それと同席し、歓談した、議論した、飲食したと書くとして、インターネットでは、紙のノートに一人で書くのとはちがい、闇の中へひろく記事が投げ出される。いつ、どこで、だれと同席していたとだけでも世間に知られたくない人も、場合も、あるだろう。それはもっともである。
自分はかねがねA氏とは疎遠で、A氏の嫌いなB氏と親近している旨をB氏周辺で吹聴していた、周知のことだった、とする。これは架空の話である。
ところが、実はA氏と会い談笑裡に楽しく飲食した由が、はからずもA氏のホームページに記載されていた。なるほど、これは困惑したろうが、誰の目にも触れないかも知れないし、だれもじつはそんなことを何とも思わないかも知れない。
問題は、ではA氏は、これにより意図的な「迷惑」をかけたのだろうか。知人の名をあげて記載し感想などを記載したのは、何かの違反行為だったろうか。
非合法の地下活動者なら、そういうこともありうるだろうし、なにかやましいことがあれば、むろん困るだろう。そうでなくても、自分の名前など出されたくない書かれたくないという感情は、自由である。嬉しい場合もあるにせよ、ま、あまり軽々に触られたくはない。だがそれが、基本的人権の保証する自由かといえば、そうまでは言えないだろう。こと繁き社会で例えば「名指しで噂をされる」ことなど防げまい、あれと似ている。そこまで過敏にはなりきれないだろう。この電子メールと携帯電話の時代では、人の噂など無際限になっていて、それは、機器の問題であるより、人間の問題なのである。噂している現場に突き当たって、いやなら、やめてと言うしかない。そして、やめさせることは出来るものだろうか。
だから、そんな相手は避けてしまうという手は、ある。だが、なにから、どれほどの害が避けられるというのだろう。電子メディアに罪を押しつけてみて、さて、何がどうなるのか。かかったか、かからなかったかも分からない火の粉を、大わらわに払いのけることは、なかなか出来ることではない。
ファックスは、人の紙を盗むように使うという人がいた、が、盗むとしたら、人のしたことだ。盗まれる紙をセットして通信を待っているのも、ファックスではなく、それを設置して役立たせている人だ。
だから「避けている」のです、通信を、交渉を、交際をという人が、事実、しかし世間にはいるものである。窮屈だなと、すこしばかり気の毒な気がする。もうすこし、やわらかい人間関係がいいなと思う、言うことはちゃんと言うにしても、である。
2000 11・4 7

* e-Bookの人と池袋で長時間話してきた。事業の伸展していることは判ってきたが、契約面で、問題を抱えている事情もよく見えてきた。一つ間違えば著作権者との間に難儀な問題を生じるだろう。一つ間違えばどころか、そもそも最初から方角がまちがっている。手順がちがう。今のままでは、電子本の出版社が、冊子本の出版社の下請け化、ないし従属・隷属にちかい関係の儘で仕事をして行くことになり、一つには、それでは電子本の独自性はだせず、一つには、著作者の権利を無視しすぎている。
従来の冊子本出版物を機械的に「画像どり」して電子本化を急ぐから、版面権という、法的には未決の主張をたてにされて、既成の出版社とコンテンツに関する一切の契約をしてしまうことになる。それでは、原著者抜きの話になる。原著者との折衝はすべて原出版社に一任というようなやり方では、原著者が何も知らないうちに、電子本へ作品を二次利用、三次利用されている例も生まれてくる。あくまでも、原著者との契約が先ではないか。途方もない話だとわたしは警告した。
こういう、ドサクサのうちの悪慣行がすすむことは、理系出自の電子本関係者たちの、初歩的な文系出版環境や慣行に対する無知にも起因している。
2000 11・8 7

* 電メ研。研究会所有のパソコンを、持参。会議室に置いて各委員会に活用してもらうようにした。

* 今日の研究会は、じつに内容があった。専門家に入ってもらうと、こんなに内容が充実するかと、前回に続いて牧野二郎委員の分かりいいレジュメをもとにした、縦横の解説に聴き入った。
2000 11・10 7

* アクロバットという高価なソフトを勧められて買ったものの、インストールはしたものの、何にどう使えばスグレモノなのか少しも分からず放ってある。マニュアルが、べらぼうに小さな字ですべて英文では、読もうという根気が出ない。ずいぶん不親切な売り物だなと思う。マニュアル問題もわが電メ研でいちど、暮らしの手帳のようにやってみなくちゃなるまいか。
2000 11・12 7

* メールの送り方に「RE」送りがある。その題名に、例えばわたしから「**様 秦」と送ったのを、そのままリターンしてくる人が、けっこういるのに驚いている。わたしは、そういうことはしない。
2000 11・14 7

* ライコスジャパンがわたしのURLをリンクしたいと言ってきた。頼んできたと言うより、通知してきた感じ。
2000 11・16 7

* ほら貝の加藤弘一さんから、ソフト「アクロバット」の利用の仕方を親切に教わった。感謝。なにしろわたしのパソコンの第一画面にはずいぶん多くのアイコンが並んでいるのに、うまく使えていない、少しも使えていない、使い方を全然知らないものがいくつもある。WZ という字の付いたアイコンが五つもあるが、ろくに使っていない。写真のものも、そうだ。アウトルックもエクスプレスもエクセルも、アドレス帳に名前はたくさん登録しても、どうしてもそれを用いたメール発信が成功しないし、エクセルの表やグラフ作成など、考えも及ばない。そうかといって削除してしまうのも癪で、だいじそうに置いてある。山ほど在るプログラムの中の大方が役に立っているのかいないのかも分かっていない。
こんなことを言うのは、それでも曲がりなりにパソコンと付き合っていられるのだから、そうも初心者が技術的に恐れなくてもいいのではと言っておこうというだけだ。親切な方がこの暗闇の奥をたくさん歩いて居られる。それも信じていいだろうと言いたいのだ、感謝して。
2000 11・19 7

* 文芸家協会から電話連絡で、また一つ会議の通知。
電子メディアによる出版契約では、デジタル会社との中に割り込んでの、出版社による著作者権益の蹂躙傾向が著しく出てきていると、電話で聞いた。さもあろうと憂慮される。電子的な二次利用契約を安易に交わしてはならない。著作者たちも現代の烈しい流れに眼を開かなければ、新しい世紀にまた新しい奴隷の貸し衣裳を、お仕着せ=押し着せを、着るハメになろう。新興のデジタル会社が、旧出版社の下請けプロダクションの地位に甘んじようとしているとしたら、情けない話である。それもこれも「版面権」というありもしない幽霊におびやかされているのである。「自前の版面」を創り出す努力の姿勢がないからの話である。
2000 11・20 7

* その一方では、この器械の能力のまた新しい一つでも二つでもを覚えて新しい楽しみを得たいなあと、マニュアルを辛抱よく読んでいる。マイクロソフト・エキスプレスでも、マイクロソフト・アウトルックでも、まだ、どうしてもアドレスブックに入れた大勢のアドレスに宛ててメールが送信出来ないでいる。随分試みているし、受信したことはあるのに発信しない。こういうときに、癇癪もちの昔の父なら「この器械はおかしぃゃないか、器械がおかしい」と当たったろう。このごろのわたしは謙虚になり、絶対に自分の扱いが、手順・手続きがワルイのだと思うようになっている。そして、投げ出さないでしつこくストークする、泣き言も並べて。
2000 11・26 7

* 三時から文芸春秋で、新聞七社と文芸家協会による新聞データベースの原稿利用に関する例年の協議會。大人らしい温厚な意見交換があって、ほぼ前年の約束を一年延長することになった。新聞社がデータベースにより全記事を「歴史的」に保存したいのは理解できるが、在来の縮刷冊子版とはちがい電子化されることになると、著作権者の著作の無際限な二次三次多次にわたる再利用に歯止めが利かず、かつ無料使用になる。公共性ということを楯に取るだけでそのようなことを野放しにはしておけないという原則が、一方に有る。しかしまた、原則を言い募るほどの状況が把握できていないし、新聞社もそれで利益配分するほどの利益は上げていないと言うのも現実だろう。そこで、原則は明記し、現実に応じて短期間の約束事を繰り返し協議しつつ、現実の変化に対応して行くより仕方がない。そういうことを、私は言い、そのように話はまとまって散会した。
協会側委員の一人に早稲田の文芸科ゼミでわたしの教室にいて単位を取った角田光代が加わっていた。今は女流作家である。教室で提出作品を読んで批評したことがある。十三年ほど前のことだが、まだ少女のような委員であった。挨拶された漢字が学生の頃と余り変わっていないカワイラシイ作家であった。 2000 12・7 7

* 午後には今年最後の電メ研で、乃木坂のペン事務局に出向く。そのあと、お茶の水で電子出版協会の講演会があり誘われているが、そこまで時間的に間に合うかどうか分からない。できれば電メ研の委員がたと歳末の談笑が楽しめるというのもいいのだが、これまでも、意識してそういう方へはお誘いしないことにしてきた。めいめいに忙しい事情のある人たちである。
2000 12・8 7

* 上野重光氏から贈られてきた雑誌の『白川』という小説を読みながら、乃木坂の会議室へ。今日も牧野二郎氏の講話をたっぷり聴いて、おどろくことばかり。ジャスラックのことなど、これまでもいろいろに聞いてはいたが、約款の内容にわたって説明されると途方もないことで、すぐさま言葉も出ないほど。二時間の会議時間があれれというまになくなった。出席の顔ぶれもほぼ定まって、これはこれで良いのだが、折角仕入れた知識や見解をどう会員のみなさんに分かつか、その方策が立たなくて困ってしまう。一委員として参加するのなら実に楽しい電メ研なのだが、あまりに話題がひろくて収拾が付かないのには座長としてへこたれてしまう。

* 副座長をお願いしてきた村山精二さんと帰りが一緒になり、二人の忘年会の体で、日比谷のクラブへ誘って、十七年もののバレンタインとクラブサンドイッチなどで、ゆっくり談笑、有楽町まで歩いてから別れた。
2000 12・8 7

* 電メ研の野村委員から、メーリングリストで、サジェストがあった。これは紹介したい。

* しばらく前に読んだ本に、『出版社と書店はいかにして消えていくか』(小田光雄)というのがあります。出版業界では結構話題になった本で、読まれた方もあるかと思いますが、これはお勧めです。
再販制度の問題、委託制度の問題、新古書店の問題など、出版社と書店と読者と著者と、流通を取り巻く問題が、出版の歴史を幕末から振り返りながら執筆されています。
再販制度に賛成の方も反対の方も、真に読者と出版者と著者が向き合うためにはどうしたらよいか、示唆に富むものがあります。
大量消費社会の中で、委託制度に守られて甘えてきた、出版社と編集者と著者が、本当に読者と真剣勝負で向き合う時が来ていることを、あらためて認識させられます。

* 野村さん。この二回の電メ研は、あなたに一番お役に立ちそうな話題だったので、惜しかった。お忙しいことと想っています。ご健闘を。次は一月二十六日の三時です。やはり牧野さんのお話を聴くのを芯にして会合したいと。牧野さん、
アテにしてご免なさい。よろしく。
野村さん、この本はどこから出ていますか、普通の書店で買えるのですか、高価な本ですか。
著作を中に置いて、読者と著者とが仲介なく直接向き合えれば、余分な手間と費用と時間がかからずに、より親密に「創作・執筆」と「読書」とを肝心要の本題にできると思い、わたしは「湖の本」を始めました、十五年前に。ただし家内での手作業なのとわたしの力不足もあり、経済効果を度外視せざるを得ない仕事というのが現状です、が、決定的な挫折もせずに超低空飛行してきました。
経済的にはそんなようで参考にもならないのですが、他方、作者・著作・読書・読者という、「本」をめぐる本来純粋形の「連携」から現状の「出版」を見直す・批評するという一つの「実例」は、途切れなく提供し続けたと思っています。編集・出版・取次・書店などは、上の連携からみれば後発の工夫であったでしょう、それにはそれなりの近世・近代の要請が有ったし、有用でした、が、そのシステムが永遠不変かのように固定化し権力化さえしてきたのが、わたしには鬱陶しかった。
これが新世紀には変容して行くのか、出版支配はやはり何の反省もなく経済原理一本槍で継続して行くのか、いま、大きな分岐点・過渡期に来ていると感じています。
野村さんお薦めの本が、その辺でどういう本質的な批評を「出版」に対して、著作者の立場からも読者の立場からも頷ける内容を成し得ているかに、関心があります。在来「出版」の掌の上でだけ便宜に、現状補綴的に論じられている物なら、これまでもありました、が、電子メディアのこともしっかり眼中手中に把握しての、根底からの討論や示唆が出来ている本なら、待望の本で、すばらしいのですが。手に入れてみたいものです。
委員のみなさんの、新世紀の「本」の流通に関する夢のようなご意見をでも、うかがいたいものです。秦恒平
2000 12・10 7

* 電メ研のメーリングも賑わっている。東大の西垣通委員が「小説」を出版されたというのも話題を明るくしている。まだわたしは手に入れていない。
2000 12・22 7

* 懐かしい昔の女子学生さんから、パソコンを新しく買い足すについて、二月頃まで待ってみたらと助言があった。理由も書いてあった。歳末にと思っていたが、それが無理なら、二月でいい。べつの学生君からは、「NTT Docomo が出しているSigmarion(シグマリオン)なんて、良いかもしれませんね。Windowsの小型版を内蔵し、PHSのカードをつければ外出先でもホームページが見られます。ただ、後は使い勝手と通信費ですね。小さいということは,それだけキーボードも小さいということになりますから。意外と外出先でまでネットに繋げたくなることも少ないですし、携帯電話(i-mode)やPHS(エッジ)の方が意味があるかもしれません」と教えてくれている。「IBMのThinkPadをと言いたいところですが、何分,高価です。その点を除き、持ち歩くことを考えていらっしゃるのでしたら、X20という機種が今,非常に人気があり、薄くて軽い上にハードディスクは20GBです。ただ、ノートパソコンは使い勝手が命ですから、量販店に行ってみて何度も触ってから購入されるのが良いと思われます」とも。心を惹かれる。IBMのThinkPadはとてもカッコいいので前から気になって仕方なかったが、これまで永く NECばかりで繋いで来たので、なにかと不便があるのではないかなどと躊躇してきた。
だれかがパソコンで映画が観られるという話をしていた、電車の中だったか。CD-ROMようのものをつかうのだろうか、今使っているこの器械で、簡単に、独り映画が観られたりしたものなら、わたしは、ずいぶん出不精に成ってしまうかも知れない。

* メールをくれた昔の女子学生さんは、今はパソコン情報の一線のジャーナリストだ、が、そろそろ彼女なりに、内面の、別の鉱脈を掘り当てていっていい時機かもしれない、そういう気も当人に動いているようにメールから汲み取れた。賛成だ。正月早々に逢って話せる機会がありそう、楽しみが一つ出来た。
2000 12・27 7

* 年賀状がまたたくさん届いて返礼を書いていた。メールのアドレスを新たに添えてくる人が多い。七十近い人の賀状に、きちんとした横文字でアドレスが書き添えてあると、頼もしい。e-OLDの進出だなあと思う。そして、メールのいいところは「個と個」での対話であり、閑吟集ふうに謂うと、闇の「籠」である。浮き名がまったく洩れないと謂う望みはないが、それでも「籠がな、籠がな。浮き名漏らさぬ籠がな、なう」と昔の人の謡っていたのが、ひょっとしてこの「メール交信」の意味かとも取れる。

* ペンの理事会での、まあ、無用なわたしのガンバリを、だが激励する賀状も同じ理事仲間から届いて、恐縮し、しかし、少しほっとしてもいる。
2001 1・3 8

* 年賀状の住所をアウトルックのアドレス帳に詳細に入れていった。昨夜からはじめて、五分の一か六分の一ぐらい。面倒な作業だけれど、やってしまえば、あとあとは便利になる。一人一人とすこし向き合う感じなのも、人によるけれど、総じて悪くない気分である。十日ほどかけ、タバコのかわりに書き取って行く。
2001 1・10 8

* こんな親切なメールも貰った、が、正直のところ、後の半分以上は、何を言われているのか、どうしていいのか、意味もよく分からない。いかに呑み込みのわるい機械音痴かと、我ながら呆れて情けないが、また人に教わり教わり、良くして行くよりあるまい。
「ところで、『私語の刻』ですが、ホームページのつくりというか体裁として、少々見づらい点があり、次の二点は改善された方がよいのでは、と思うところがあります。
一つは──
過去の「私語の刻」を、時間順に読もうとしますと、今の並び順では、5⇒2⇒3⇒4⇒6⇒7⇒1になりますが、これは時間順に(1は別にして、)並べておいた方が見やすいと思います。
もう一つは──
各ページに、一日ごとに「ブックマーク」が張ってあると便利で助かるのですが。それがあれば、他のページから秦さんの「私語の刻」にリンクをはるときに、秦さんの○月×日の記述によれば として、目当ての日に飛ぶことができます。目次代わりにも便利で総覧しやすくなります。いわば、見出しごと(節ごと)にしおりをつける機能です。
ホームページ制作にお使いのソフトは存じませんが、「ブックマーク」という機能はついていると思いますので、是非お試しください。

* 察してもらえるだろうが、こんなありさまだからこそ、わたしの日々は刺激的に新しい。お顔こそ見ないが、繰り返し交信している内に、なんだか年来の友のような気分になれる。もっとも、半面、手書きで返事の必要なそれが、ついつい後回しになるのは、これぞデジタル・デバイドで、気を付けているが、ついお留守になる。
2001 1・12 8

* 買おうかどうしようかと思っていたドコモの「シグマリオン」は、不具合のため回収していると、渋谷のビッグカメラで聞いた。店頭から姿を消していた。池袋のさくらやには置いてあった。不具合があるのではと尋ねると、あるという。それなのに売っているのはどんなものか。がっかりした。キイの感じはそんなに使いにくいほど小さなものではなかったが、やめた方がいいという声も熱心に掛かっていた。今となれば急かなくてよかったということか。
2001 1・14 8

* 理事会が休みだと、こんなにもと思うぐらい、気がラクだ。言論表現委員会もお休みなのである、今月は。だが電メ研は休まない。休んでいられない、出来れば任期中にまとめてみたい用件がある。この分野の用件は、追いかけようもないほど日毎に先へ先へつぎつぎに疾走して行くマラソンランナーたちのようであり、わたしなど、名前ばっかり電メ研座長など名乗っていても、テレビでよくみるランナーのわきを沿道で駆けているああいう市民と同じことをやっているに過ぎない。それでも、たとえばペンクラブの一般会員や理事達の大方にくらべれば、いろんな情報を手に入れ、少しずつ咀嚼しているのは確かなので、それを、いい形で会員達に手渡せればいいがなと願っている。その用意を研究会のみなさんにお願いしている。メーリングリストで日々の討議も重ねている。

* シグマリオンは不具合で回収中と渋谷のビッグカメラで聞いたが、不具合分の回収とは別に、新規出荷分はもうそれも解消しているから大丈夫ですよと教えられた。キイの大きさは、実物でみて、小さいけれど使えなくはないと感じている。短文には佳いが、秦さんのように長文を書くにはどうかなという声も届いている。ま、旅先であれ、そう長文を纏めて書くかどうか。ひとつには備忘のメモ、それも文章表現での「即座の記録」につかうだろうと思う。むかし、旅には小さいマイクを持ち歩いて、感想や属目を吹き込んで帰った。『北の時代』では大いに役に立った。だが、吹き込んだモノを、紙やノートや原稿用紙に書き起こすのは大変な労作であった。その代わりが、シグマリオンのような軽そうな器械で出来れば、旅先でマイク替わりに便利に使えるかも知れない。画面が明るいかどうか、カラーまではのぞまないにしても、バックライトが十分明るくないと目につらい。使い疲れる。むかし東芝ワープロのモノクロ器械が、信じられないほど画面が暗く、アタマに来て東芝製品から離れてしまった、それも、ワープロをやめてパソコンへと熱望した一動機だった。目が大事なので、画面の暗いのとフォント表示のあんまり小さいのは、辛い。

* だが、それよりなにより「e-文庫・湖」の増頁が完了しないことには。すでに、なにもかも出来ているかのようでありながら、自分で自分のホームページを出してみて、増頁したファイルを開こうとしても、Not Found The requested object does not exist on this server. The link you followed is either outdated, inaccurate, or the server has been instructed not to let you have it. Please inform the site administrator of the referring page.と出てくるだけ。英語は読めるけれど、対して成すべき手順が把めていないのだから、愚かしいハナシである。もういちど、学生君達にいろいろ貰っている「教科書メール」をよく読み直し、最初から、やり直すしかない。
2001 1・15 8

* 中西進さんから、会長か理事長かをされている全国大學国語国文学会のシンポジウムに、「創作者」の立場からパネラーとして出てくれないかと、わざわざの電話を戴いた。「IT革命は国文学研究の(質)をどう変えるか」と。ウヘェという感じだが、理事会は大賛成だというのでは、引き下がれない。いろんな学者の顔が忽ちに思い浮かぶのである。役には立つまいが、学者でも研究者でもないのだから、気楽な野次馬役をさせてもらおう。中西さんに誘われて生まれて初めてテレビという場所に出、「梁塵秘抄」について新間進一、馬場あき子と四人で話した。以来久しいお付き合いであり、今もペンの理事会で隣り合うことが多い。俳優座といい中西さんといい、みな三十年の作家活動からのご縁である。大事に思っている。
2001 1・16 8

* わたしのアタマと、この器械とが、いま、もっとも乖離している気がする。豆粒のような似顔絵も大きく元へ戻せないし、「e-文庫・湖」の増頁がもう一歩まで来ていて、きちんと教わっているのに恐くて手が出ないし、「マイクロソフト・アウトルック」のアドレスブックからはどんなに試みてもメールが受発信できないし、教わりながら出来ないでいることが、多すぎる。手が縮んで、やろうという気になれない。困ったものだ。
2001 1・22 8

* 似顔絵の豆粒、林君にこうせよと教わっていたものの、「どこで」こうせよなのか分からずにいた。加藤弘一さんが「表示」「ソース」という指示を下さり、これこれの箇所を削除するようにと、林君と同じことを教えられた。やっと、その箇所に到達した。が、反転させて削除しようとしたが、消えてくれない。また頓挫した。お茶の水橋の上にいてお茶の水駅が目に入らないでいるようなことを、わたしは、やっているのに違いない。しかし、盲目的にいじくりまわせばロクなことにならないのもイヤほど体験しているので、撤退。すぐそばでプリンターの緑とオレンジのランプが三つ、間断なく点滅したままである。これを何とかするのが先だが、慌てるとまた器械を壊してしまう。現にすぐそばには以前のエプソンの大きなプリンタが破損し、虚しく場所をふさいで腐っている。やれやれ。
2001 1・23 8

* やはり、いじくるしかないので、プリンターをああもこうもいじくっているうち、カートリッジホルダーが器械の中央に出てきてくれ、急いでインクを取り替えた。点滅がやみ、緑のランプ一つが静かに光っている。ほっとした。これで昼飯に階下へ降りて行ける。
2001 1・23 8

* 苦心してメールを自力で開通させた、届いていますかと初の連絡があった。メール開通は、けっして易しいものでなく、わたしもニフティーマネージャーは使い慣れているが、BIGLOBE Mail は悉く失敗したまま、むだにアドレスを抱えている。ようやったなあと、他人事ながら感激してしまう。
2001 1・23 8

* 林君に、いま、教わったとおりにした。「私語の刻」冒頭の似顔絵は、復活した!! 一歩、前に出た。次は「e-文庫・湖」の増頁だ。
2001 1・23 8

* 明日の電メ研、あまりの問題山積に気が重い。司会して、取りまとめるなど、どうすれば出来るだろう。
2001 1・25 8

* とって置いたはずの、電メ研メーリングリストの内容が、読むだけでプリントできていないことに気づき、昨年末の分からプリントしただけで、えらい嵩になった。ここのところ、かなり有効に活用され、情報や資料や意見の交換が多かった。明日の会議開始までにこれらを順に通読しておかないといけない。たいへんな量である、が、これに沿って会議するのがいちばん有効だろう。チャットふうの私的なメーリングリストには参加していない。そういうグループもいっぱいあるが。電メ研のと文字コード委員会のとだけでも、厖大な交信量になっている。便利といえば便利だし、かなり騒がしいものでもある。一般には、仕事のメールと私的なメールとどっちが多いのか分からないが、わたしの場合はどっちも多く、私的なのは楽しみにし、仕事のは役立てている。
2001 1・25 8

* 電メ研を、なんとか会議らしく進められて、ま、ほっとして、疲れた。頭の中が磁気嵐のようにざわついている。帰りの地下鉄も、ぼやっとしているうち先に原宿方面がきたのでふらっと乗ったが、日比谷方面を待って、いっしょになった高橋さんと日比谷まで行ってよかったのだ。反対の明治神宮への電車に乗って、ほうっとしていたら、乗り越して代々木公園まで行ってしまった。急に空腹になり、新宿で降りて、和食で、すこし酒をのんだ。周縁身分のシンポジウム討論を読みながら。やっと落ち着いた。大江戸線をつかって練馬経由で帰った。ロシアでかぶっていた毛の帽子がすてきに温かくて、じろじろ見る人もあるが、無視して、まるでエスキモーの顔をして電車に乗ってきた。温かいに越したことはなく、格好のおしゃれなどあまり考えない。じじむさい話だが。
2001 1・26 8

* 千葉の勝田さんに、また、『閨秀』などのスキャン原稿を送っていただいた。

* お元気なご様子で何よりと喜んでおります。
息子さんのお知らせ、ありがとうございました。いつでしたか、秦建日子作『孫』をテレビで拝見した後、専門家のおやじさんは厳しいんだなぁと「私語の刻」を読んでおりました。『孫』の中で、車椅子に乗った息子が、いかりや長介の父親に向かって、「おやじ、ありがと・・」と言った場面一つで、田舎のおじさんには充分満足でした。
『pain』を、見てみたいと思います。
創作シリーズ11、12、13、お送りします。一つ読んではホーッとし、すぐ次を読んではもったいないような気がして、ゆっくりやっています。それぞれに浸ることが出来、いいのですが、『閨秀』の中で、姉のこまが嫁ぐ日母にしがみついて「おおきにどしたな、お母ちゃんおおきにどしたな」と繰返し泣いた場面が忘れられません。
『電脳社会の日本語』(加藤弘一著)読みました。著者に敬意を表します。e-old には、益々わからなくなりましたが。
「身分的周縁シリーズ」手に入れました。神道者、神子、三昧聖・・面白いですね。素人にはすこしくどいですが、読んでみる気になってます。
いつもいろいろ、本当にありがとうございます。
今年もご多忙と思いますが、くれぐれもお大事に、ご健勝をお祈りしております。

* こういうメールが貰えるようになっただけでも、パソコンに馴染んでよかったと素直に思う。「e-OLD」たちが「電子の杖」をついて、村中で楽しみあっている地方のニュースも今日テレビで見た。森内閣の「IT革命」政策など何事とも正体も意図も不明だが、「e-OLD」たちの「電子の杖」をなるべく軽く丈夫に使いやすくしてもらいたいと思う。
2001 1・27 8

* ホームページは、わたしにすれば、大きな発信手段であり、表現意図を具体化できる広場の意味をもつ。だが、コンピュータにより発信ばかりするわけではない、受信受益の貴重な情報、いや、言い方を変えれば情報の吾なりの貴重化の作業がある。インターネットによる多彩な、いや多彩でなくてもいいが、例えば、「オンライン」で出来る読書や検索・情報調達の有り難さが、ついてまわる。佳い表現のためにも、それが役立つし、役立たせたい。インターネットで投資しよう、物の売り買いを使用という気もなく、見知らぬ人との出逢いを不自然な、いかがわしい手段で求めたい気もさらさら無い。だが、せめて日本の大學の研究成果や、貴重な所蔵文書や、論文・論者のリストなどは、手に入れて、私の場合ならば、ま、素人の好奇心や知的欲求をせいぜい楽しませ満たしてやりたい。もはや、そこから栄誉や功名につながるものなど望んでいない。いわば養生のためにそういう便宜に大いにあずかつて喜びとしたい。

* けさは、京都大学電子図書館に入って、今昔物語を、図版と活字版とを同じ画面で左右対称にし、しばらく読んでいた。この図書館だけでもおそろしく楽しめる。同類のサイトは、当然ながら幾らも有る。隘路は、オンラインで読み続けるには電話代がかかるということで、そこで、いまは盛んに「マイライン」を宣伝競争しているようだが、革命的にやすくなって欲しい。わたしは今のところ、電話線でも器械ソフトの面でも、まだ何一つ工夫していないで、昔のままに目的のサイトへ素朴に訪問しているに過ぎない。そのうちに、より廉価で効率よい組み合わせや組立てが出来てくるだろう。アドレスに、宝の山のようなサイトのURLを一つまた一つと追加して行くことが、発信だけでない受信面でのわたしの拡充に繋がって行く。浮かれないで、謙虚に役立てられるようにと願っている。この技術音痴・器械音痴のわたしがこんなことを言うのは厚顔も極まれりで人は嗤われるだろうが、存外真面目に願っている。
2001 1・28 8

* 林丈雄君に「編集」「置換」という手段を教わって、混線していた「e-文庫・湖」増頁案は予定どおりに無事決着した。ほぼ三ヶ月近くかかった。どこかのところで、わたしが布谷智君の設定してくれた段取りを、間違えてか、イージィにか、不十分に実行してしまったのだ、おっかなびっくりの退け腰のままわるく触って失敗していた。その修正が自力では結局出来なくて、林君の助言が解決へ導いてくれた。布谷君や林君の手引きがなかったら出来なかった。
此処まで来ての問題は、「e-magazine」のと限らず、今後も絶対必要になる「各欄の増頁方法・手順」を、統一して整備保管することには「失敗」したことだ。思い出し思い出し「箇条書き」にしておかねば、同じことを繰り返してしまうが、これが難しい。
2001 2・4 8

* トロン「超漢字3」を頂戴した。最新の完備品で有り難い。二月になれば新しい器械の買える環境らしく、大容量器械を手に入れたら、トロンとウインドウズとに「分割」という手順を教わり、はやくこのOSを試みたい。こんなメールをもらっている。パーソナルメディア社の気持ちを少しでもと、紹介しておく。

* 白点や歌記号、おどり字などを搭載しました。もっとも仮名合字や特定分野の記号類など、まだまだ不十分なところがあります。
超漢字をお使いいただいて、搭載されていない文字などがありましたら、お手数ですがご連絡ください。TRONプロジェクトでは、「TRON文字収録センター」という機関を設け、文字の収集に努めています。
目下、超漢字のワープロで書いた文章を、そのままインターネットに掲載できるソフトを開発中です(Windowsなどで読めない文字は、自動的に絵に変換されます)。秦様のような方にこそお使いいただきたいソフトです。完成しだいお送りします。
パソコンは、機械そのものに興味を持つ人も、その機械から生まれる文化を享受する人もいるという点で、しばしば自動車に喩えられます。
しかし現在のパソコンは、文化を享受するためにまず構造に興味を持たなければいけないのが実際だと思います。これは、パソコンが未成熟だということです。
私どもはパソコンを道具にしたいと考え、日々努力しています。超漢字をお使いいただき、率直なご意見をお伺いできれば幸いです。(自動車と同じく、超漢字にも”必修の”操作方法や概念があります。使い方で御悩みの際には、弊社サポート部までなんなりとご質問ください。 また、操作方法の講習会なども開いております。)
2001 2・7 8

* 一太郎11をインストールした。当分は不慣れである。
2001 2・10 8

* 容量の乏しい機械に一太郎11を入れ、なんだか異様に機械がギスギスしている気がする。
2001 2・12 8

* 神戸の芝田道さんから『DSLならできる超高速インターネット』という本をいただき、読み始めている。NTTをマイラインにして、このADSLがどれだけわたしの仕事に有効になるのか、まだ見当はつかない。光ファイバーまでの数年をどんな技術革新が我が手元に届いてくるのか。
2001 2・14 8

* 一太郎11に、「プロフェショナル」という新しい機能が出来ていて、是に慣れて、使い勝手よく気持ちのいい文章が書けるといいなと思っている。
2001 2・15 8

* 午後は、電メ研に。懸案の報告書をほぼ仕上げた。もう少し手を入れて、今期最後の三月理事会に提出すれば、とにかくも座長の任期を終えることが出来る。みなさんのご協力に感謝したい。どういうものを作ったかは、いずれこのホームページでも披露したい。
* 会を終わって、ほっこりした。わたしひとりが乃木坂駅へ戻り、家に電話したら昨夜の夜更かしで妻は疲れていた。食事は外で済ませてきてというので、銀座かなとも思ったが、先に来た明治神宮への地下鉄にのり、山手線に乗り換えて新宿で下車、深切につくった肴三種で日本酒をゆっくり飲んだ。ご飯の代わりに稲庭うどんをあっさりと。酒と食事の間に谷崎の戯曲「本牧夜話」「愛なき人々」を読み上げ、寒風に巻かれながら大江戸線で練馬経由、帰った。きもちよく、くつろげた。
2001 2・16 8

* ホームページが現在どれほどの使用量になっているのか分からないが、現在、17MBの申請がしてあり、まだまだ余裕はあると思うが、新しい器械を手に入れたら、30MB程度に増量したいと機会を待っている。もう新しい器械は各社売り出したのだろうか、買い時は来ているのだろうか。
2001 2・23 8

* 会談後に例の東武地下の「仙太郎」で最中をひとつ買い、食べながら、「さくらや」へ。もう各社の新製品は売り出されたので、古い器械を効率よく買われるといいですよとメーカー筋から声が届いていた。新製品は、安定するまで不具合などが出やすくむしろ慎重に避けたほうがいいとも。
で、売り場に小一時間も居座ったけれど、ワケが分からなくなるほど、たくさんのノートパソコンが並んでいる。お手上げで、むろん、素手で帰ってきた。
少なくも20Gほしい。メモリは多い方がいい。薄くてCDROMドライヴやFDDが別売りになっているのは避けたい。画面はやたら大きくなくてよい。新しい器械をまたまた最初から設定したりコードを繋いだりするかと思うと、ゲンナリする。今の外付けのハード類をどうするか、どこへどう二台の機械を並べるのか。いやもう、分からない分からない。
2001 2・28 8

* 単行本の十冊以上も、わたしは、まだスキャン原稿を校正しのこしている。校正は簡単なものでない。ホームページに差し込むためには組み付けのうえで配慮しながらの作業になり、容易な仕業ではないが、むろん、放ってはおけない。莫大な時間がかかるので、かなりの重圧であるが、はかどれば、ホームページはさらにさらに充実するのは分かっている。やらねばならないとは分かり切っているので、プレッシャーに堪えている。校正術にたけた仕事の正確な助手が欲しいと思う。 2001 3・3 8

* 電メ研、懸案の「報告書=電メ研メモ 1」を、今日、書き上げた。力及ばぬながらも、一つの形には成ったとおもう。議論の種にされたいものだ。
電子メディアと表現=著作者と電子メディア、といった方面へ研究会は今後進んでゆかねばならないだろう。よりペンクラブらしい問題に直面してゆかねばならない、その一つに総務省コードの問題が大きいと確認しあった。これは、はっきりペンクラブの問題だと考えられる。そのためには、議論に堪えられる資料や情報をあつめて頭に先ず入れて行かねばならない。文字コード委員会でも、これについてはよく話し合いながら学習したい。 2001 3・8 8

* ちょっと急に一筆書きたくなりました。というのも、会社から帰ってテレビをつけていたところ、画面は見ていなかったのですが,非常に共感する意見をおっしゃっている方がいました。
その方は、
? IT革命を米国の物真似で行うのではなく,真似るならその精神「率先して挑戦する」を真似よ。
? ブロードバンド(高速インターネット回線)も良いが、それよりも前に,役所の書類のフォーマットを全てネットから引き出せるとか、漢字の問題といったことを先に行うべき。
? 日本は携帯電話を生かした「日本型IT革命」を行うべき。
というようなことをおっしゃっていました。あまりに興味深かったので最後に名前を見ると,その方こそ「坂村健」さんでした。
それとは別にもう一つ、経済専門家のリチャード・クーさんが次のことをおっしゃっていました。
「バブルの時も今も、日本人の貯蓄率(給料から貯蓄に回す金額)は変わっていない、これはもう遺伝子に組み込まれているとしか言いようがない」と。
その後、森首相の経済政策は間違っていない、もっと税金投入を行うべきだとも。
クーさんの「遺伝子発言」には共感しますが、仮に税金投入が必要だとするならば、もはや資本主義の限界,拡大再生産の限界のような気すらします、(資本主義の権化のような会社に勤めていて何ですが)。株価もバブル以降最低を記録したとかニュースでは騒いでいますが、はっきり言って、実質とは乖離した雰囲気に左右されるだけの相場に何の価値があるのでしょうか? (今日の12000円割れは、PCの心臓部CPUを作っているインテル社の業績が悪化したせいらしいですが、高々PCの一部に全経済を動かす力なんてありません !!)。
最後に。
仕事の方は来週末で落ち着きそうです。よろしければ、新しいノートPCの件も含め、いろいろお話しできれば、と思っています。先生の24,25日のご都合はどうでしょうか?
それでは,花粉症お大事にしてください。

* 東大の坂村教授は電メ研に委員として加わってもらっている、太い頼みの綱。メールのもと学生君とは何度か話題にしたことがある。携帯電話のことは使っていないので実感はないが、?のことは、とくにわたしには関心がある。文字コード委員会を舞台に漢字の問題も、総務省コードなども、議論を要する大事である。
ちょっと「書きたく」なる、そういう自覚や意識が、日々の埋没から生気を救い出す。わたしは聴き手としても、ここにいる。こうして声と言葉を発してほしい。書ける返事は書くし、忙しくて返事を省くときでも必ず届いた声と言葉には耳も目も思いも寄せている。
2001 3・13 8

* 今期最後の日本ペンクラブ理事会があり、先だって会員の選挙で選抜された三十人の来期新理事候補による新会長選出会議があった。来月の総会で承認を受けるまでは仮定のことである。わたしが中に入っていたことはまさに余儀ない事実であり、二月末までに内示があった。そのときすでに日本ペンクラブを代表して、情報処理学会の文字コード専門委員会委員に委嘱されていたし、おこがましいが、この任務を日本ペンで引き受けるとしたら、現状他ににわかに適当な人が見つからない。投げ出していい役割でなく、「表現者」「人文学研究者」からの発言と寄与とが期待されている時期であり、これを放棄する気にはなれなかった。そのためには理事でいることが必要だろうと考えていた。
なにほどのこともない、中の者の思うほど日本ペンクラブが津々浦々で識られているわけではない、が、また幾ばくかの仕事をしてもいる。わたしの日々の生活が、理事生活でスポイルされるのはいやだが、そうでなく在ることも気構えひとつで不可能でない頃合いを、四年つとめて、いくらか分かって来ている。如才なく付和雷同したり手をすりあわせたりして仲間に入っていようとは思わないが、少々嫌われようとも思ったことは発言して役に立てるだろうと、この地位にへたな理屈をつけて引き受けることにした。

* 今期最後の理事会では、次のような「電メ研メモ」を提出し異存無く承認されたので、全会員に配布し、また日本ペンクラブのホームページにも掲載する。ひろく関心を喚起したいので、ここにも公開しておく。研究会の勉強をこう取り纏めることが出来て嬉しい。議論されて欲しい。

* 2001「電子出版契約の要点・注意点」に関する報告書

日本ペンクラブ電子メディア対応研究会

(内田保廣 紀田順一郎 倉持光雄 坂村健 城塚朋和 高橋茅香子
高畠二郎 中川五郎 西垣通 野村敏晴 牧野二郎 莫邦富 森秀樹
副座長・村山精二  座長・理事 秦恒平)

「出版」という私たちの職業にとって大きな関心事が、前世紀末このかた、電子メディアの拡充と浸透により深甚の影響を受けてきたことは、ご承知の通りです。
影響の範囲も内容も日ごとに複雑の度を増し、当座の対策すら正確に示すことができません。時勢の速やかなことに驚くばかりです。
しかし、手を拱いておれない「問題」は、もう目前に幾つも幾つもあります。中でも大きな一つが、従来の冊子本(紙の本)出版とは、いろいろに事情を異にする電子本の「出版契約」問題です。草創期とも過渡期とも激しい流動期ともいえて、各所で各種の試行錯誤がばらばらに進められている現状です。とても、ややこしい難問です。
しかし、そういう時期にこそ、よく押えて置かねば将来に悔いを残しかねない「要点」が在ろうと思います。今は事細かにものごとを決めつけても効果は望めませんが、おおまかにでも、アバウトにでも、この程度は心得ていた方がいいと思える範囲は、事柄は、指摘も示唆も出来るかも知れません。しなければなるまいと考えます。
電子メディアに関心や関係をもちながら、なお多くは馴染んでいない会員にもご理解いただけるよう心がけながら、以下に、「電子出版契約の要点・注意点」を、あらましを、パンフレットに取りまとめました。多くの不備は承知していますが、せめてここ暫くはお役に立つようにと願い、「電子メディア対応研究会」で討議を重ねた一報告書です。
(文責 座長 秦 恒平)

電子出版契約の要点・注意点

はじめに:電子出版と電子本の定義と仕分けについて
?. 電子出版の基本的な要点・注意点
1.冊子本(紙の本)出版と、電子本出版とは、全く「別の物・事」と考えましょう。
2.「排他的独占権」の契約は努めて忌避しましょう。
3.電子本の著作権使用料(いわゆる印税率)は、十分注意して契約しましょう。
4.著作権使用年数(出版期間)は、現状では「短期」契約しましょう。
5.著作者人格権の確保を十分心がけましょう。
6.こういう差異にも、留意しましょう。
?. 通常書籍(冊子本=紙の本)出版契約に意図して含まれがちな、「電子本」出版契約の「要注意点」
1.電子出版への二次利用や排他的独占権契約に、安易に同意しないで下さい。
2.「原作」としての二次利用の「排他的独占権や優先権の設定」にも、安易に同意しないよう十分注意しましょう。
3.コピー(複写)に関する「注意点」を挙げてみます。
4.以下のような条文には、よく「注意」しましょう。
5.契約内容に納得できない場合の心構え。
おわりに:

はじめに:電子出版と電子本の定義と仕分けについて

* 電子出版には、大別して、
? CD方式=CD-ROM(ドーナツ型の円盤)による販売・購入方式。
? アクセス方式=版元へアクセス(接続)してユーザーの器械にコンテンツ(作品等)をダウンロード(取り込み)する課金・支払方式。
の二種類があります。つまり、同じく「電子本」と謂いつつ、?CD方式本には具体的な形があり、製作(在庫)部数も販売前に認識できますが、?アクセス方式本では、物の形として存在せず、販売の数字は、アクセス購入(支払い)されて初めて表され得ます。
これは、基本的な大きな差異なので「注意」の必要があります。
今一つ大きな「仕分け」の注意点があります。
「出版」といえば、冊子本の場合、出版社と著作者とは「別の」存在でした。しかし電子出版と電子本の場合、さきの、?CD方式本も、?アクセス方式本も、必ずしも「出版社」に委託して作らねばならないわけでなく、著作者(個人またはグループ)の器械に「ホームページ」等を設け、そこに表出されたコンテンツ(作品)は、理論的にも実際にも、比較的容易に、上の二種類の「電子本」として、ユーザー(読者)の手に手渡す(販売する)ことが可能なのです。すでに実践例も少なくありません。
この場合は「出版契約」問題は生じません。著作者と読者との間に「売買」の取り決めが適宜成されるか、無料提供されるか、だけです。無料で公開提供されている「電子出版=電子本」の、想像以上に数多いのも実状です。
* まず、電子出版とその契約、著作権をとりまく問題の全体像をつかんでいただきたく、できるだけ具体的なケーススタディとして、対策の要点・注意点が、順次、項目別に列挙してあります。数多く各社各種の「電子出版契約書」を比較検討した内容です。

?. 電子出版の基本的な要点・注意点

1. 冊子本(紙の本)出版と、電子本出版とは、全く「別の物・事」と考えましょう。
* 二次利用の形で、冊子本契約書に、別途「電子本」化を版元に一任するふうの文言が入っている契約書例があります。
電子メディアでの著作権が模索途上にある今日では、どちらも「本」の出版ということで「安易に混同」されがちですが、質的にも技術的にも経済面でも「全く異質」と見られる「紙の本」と「電子の本」とを、どさくさに同一視した安易な契約・約束は、極力避け、両者には「明瞭に一線を画して」おこうとお薦めします。「電子本」と「冊子本」とは「別契約」ということを大事な基本の認識としたいと提言します。

2.「排他的独占権」の契約は努めて忌避しましょう。
* 「排他的独占権」とは、著作者が、契約期間内に同じ作品を他社でも出版するのを禁じた出版社の意向です。初版部数への印税支払い等が約束された従来の冊子本出版では、妥当な約束として定着していました。
* しかし電子出版の場合、殊に初版部数や最低保証部数の算出が全くできない ?アクセス方式の場合など、「排他的独占権」契約を結んでしまいますと、アクセス数が無く、従って収入が全く無くても、新たに他社での出版を試みる自由と権利を失います。作品が無意味に埋没するおそれが生じます。初版製作部数を保証されない限り、事情は、?CD
方式でも同じです。
* 契約書条文に、「排他的独占権」という文言が書いてあるとは限りません。例えば、「甲(著者)は上記(電子出版)の利用に関する権利につき、自ら行使し、あるいは第三者に対して許諾してはならない」などと謂った文言で抑えられている例もあり、注意して欲しいと思います。
補足1:例えば契約有効期間が短く(半年ないし一年と)設定されている場合は、排他的独占権を出版社に与えても良いかという考え方もありえます。言い替えれば、出版環境や条件に予期し得ない激変も予想できる電子メディア出版の場合は、「出版契約期間」を永くても「一年間」に限定して対応するような姿勢が必要と思われます。冊子本時代の「三年ないし五年」といった長期契約はぜひ避けたいと考えます。また契約延長も、いわば自動継続でなく、そのつど内容をより適切に「更改する姿勢」が必要と考えます。
補足 2:例えばA社が、甲の著作物を、?CD方式で出版したところ、契約に「排他的独占権」が明記されていないのを理由に、B社が、同内容の著作物をインターネット(?アクセス方式)を通じて重ねて売り出したため、競争の結果、A社のCDはまるで売れずA社は大損失を被ったという、こういった場合も無いとは言えません。このためにも、「出版権」の期限を適切に短くし、その期限内の「排他的独占権」を容認するという妥協も考えられます。適切な期限の短さ(長さ)は「半年ないし一年」が穏当かと考えられます。データベースでの原稿二次利用に関する日本文藝家協会と大手新聞社との契約も、目下は「一年」ごとに協議し更改する約束になっています。

3. 電子本の著作権使用料(いわゆる印税率)は、十分注意して契約しましょう。
* 冊子本(紙の本)の場合、製本部数×定価の例えば10%というふうに著作権使用料が支払われましたが、電子本の、とくに?アクセス方式の場合、こういう算定が事実上不可能です。 ?CD方式の場合は、売り出されるCD-ROMに定価が付けられますので、冊子本にほぼ準じて考えることが可能です。紙の本では、製版組版製本その他倉庫保管費や運送に至る諸経費がかかりますが、?CD方式の電子版だと、現在の技術では格段に製作経費は廉価に済み、いわゆる印税率に準ずる数字は、少なくも数十%を求めても不当とは考えられません。
まして、?アクセス方式での配信の場合など、極端な場合、直接製作費はゼロにさえ近く、極めて安価に済むことも考えられます。著作者が、自身の作品を、電子メディア(通信・CD-ROM等のディスク)を用いて版元に提供した場合など、80%ないしそれ以上を支払われていいのではないかとまで、極論されるほどです。
これらは、「冊子本との大きな差異」として、ぜひ、著作権者は念頭に置いていていい「要点」です。
* 外国では、40%(あるいはそれ以上)の契約例も事実行われているようです。
* 日本では、版元による15%程度の著作権料提示が現にされている例があります、が、上の事情からも、不当に安過ぎると思われます。
* インターネット配信、つまり?アクセス方式での著作権料は、可能性として優に50%以上100%にも近い「当然権」を著作者は持ちうると考えられますが、冊子本のいわゆる初版部数に相当する「算定基準」が把握できないという、難しい未解決の問題があります。
算定しやすい、?CD方式の出版をと希望するか、特に?アクセス方式の出版の場合は、最低保証部数契約に相当する「具体的な交渉」が事前に成立していないと、「保証の見えない出来高払い」となり、経済的にごく不利・不安定な出版になりかねません。金額の多寡にもよりますが、契約内容の確定が難しいものになります。
補足1:最低保証部数(最低保証金額)の設定のある場合も、アクセス数や販売部数のその後の推移の「確認可能」な「取り決め」が、ぜひ必要です。そうでないと、著作物の著作権が野放しに、行方知れずに他人手に渡ったままになる恐れも生じます。出版契約期間を短く限定して、更改時に、正確に、判断や判定を、契約を、し直す姿勢が必要です。
補足 2:直接経費・間接経費を問わず製作費不明で不審ののこる場合などは、著作権も、暫定使用料といった臨機の提案により、「更改交渉の余地」を残しておくことが必要かと思われます。
補足 3:?アクセス方式の場合、ダウンロード(読者の取り込み)に対して精確な「課金」技法の確定していない場合、売上算出は「概ね不明」となります。契約に際しその可否と確認とを怠っては、契約自体が無意味になります。売上が確認できる場合、売上額またはアクセス数に応じた「段階的」な著作権使用契約を結ぶことも可能かどうか、考慮・交
渉に値します。例えば、売上げ100万円までは30%、101?200万円までは40%、201万円以上は50%など、と。
補足 4:その月ごとの、または妥当な期間ごとの「売上報告義務」を契約事項に加えておくのも有効です。
補足 5:インターネット配信の場合、?アクセス方式の場合、個別の作品配信に対する流通・製作コストは、技術的には安いものですが、システムの設置・開発等に要する初期費用や改善・改良・保守の経費には、各社の良識と姿勢でバラツキを生じます。
また経済利害だけでなく、どんな営業内容か (マンガ・図像出版と文芸・文字表現との比率など) までよく見極めて折衝した方が、著作権者として賢明かと思われます。

4. 出版契約期間は、現状では「短期」契約にしましょう。
* 繰り返しますが、冊子本(紙の本)と異なり、電子メディア環境は、少なくもここ当分めまぐるしく変動して行くと思われます。長期に固定的な出版契約はつとめて避け、こまめに短期更改の申合せを重ねましょう。半年ないし一年契約を目安にと、重ねてお薦めします。
* 電子出版では「排他的独占契約条項の無実化」を考慮し、契約期限が一年を越す場合など、「途中解約の可能条項」を設けるようお薦めします。

5. 著作者人格権の確保を十分心がけましょう。
* 著作権者「氏名」の表示方法は、契約時に確認しましょう。
例えば「本著作物の電子出版利用における著作者表示の有無及び方法は、乙(出版社)が任意に決定することができる」といった条文は、必ずチエックが必要です。著作者人格権の放棄に直結の危険性が濃厚です。
電子出版の場合、とくに引用が膨大になる「編集もの」の場合など、引用部分にそれぞれの著作者氏名を表示するのが煩雑なため、他の著作者と纏めて目立たぬ場所に単に一括表示されたりします。どれ・どの部分が自分の著作なのかが不明・行方不明になる怖れが頻々と生じます。事前に「氏名表示方法を確認」し、よく納得して個々に合意・契約する必要があります。
* 著作品の「同一性保持」は、堅持しましょう。
例えば「甲(著作者)は本著作物の電子出版利用において、乙(出版社)またはユーザーが本著作物に修正・加工等の変更を加えることを了承する」といった条文には、厳重な注意とチェックが必要です。これを見のがしますと、自作とは全くべつものに変改・変形・歪曲された商品の、著作「責任者」になってしまいます。

6.  こういう差異にも、留意しましょう。
* 電子出版を版元に委託する場合に、次の2種類は少なくも分けて考慮しましょう。
?二次電子化本: すでに冊子本(紙の本)で出版された著作品、または雑誌・新聞等の文字媒体に公表済みの著作品を、「再度新たに電子出版する」場合。
?新電子化本: 冊子化や活字化を経ず、「最初段階から電子出版する」場合。
* ?二次電子化本の場合、冊子本の版元出版社または活字媒体版元との間に、
?-A:契約関係や版権等がなお継続・残存ないし留保されている場合と、
?-B:契約関係や版権はすでに消滅しており、相互に「元の版元」というある種の情誼や認識だけの残っている場合、  が、あります。
?-Aの状況では、さまざまの問題が生じ、既成の契約事項かのように出版社の意向が押しつけられる危険性もあり、ここでも、「1. 冊子本(紙の本)出版と、電子本出版とは、全く『別の物・事』と考え」て、「慎重に新契約」を結びましょう。
「冊子本」と「電子本」とでは、あまりに「出版」の姿形も手順も質・量・経済問題も異なるからで、安易に、何事にせよ他者(出版・編集・担当者)に「一任」してしまうことは、著作権者の立場を自ら放棄することに繋がってしまうからです。この点に関しては、後でも、改めて言及します。
?-Bの場合は、最初に、また繰り返し提言しましたように、「冊子本(紙の本)出版と、電子本出版とは、全く『別の物・事』と考え」て、以前の版元関係に拘束されることなく、自由に適当な版元を選んで「新規の契約」をすべきです。
* 冊子本(紙の本)の新規出版契約に際しては、契約内容を「紙の本」だけに限定し、将来の二次利用や電子化に関する「安易な事前の取り決め」を、(たとえ便利・好都合に思えても、電子メディア環境がもう少し安定し確定するまでは、)慎重に避けられるよう、つよくお薦めします。「冊子本(紙の本)出版と、電子本出版とは、全く『別の物・事』と考えましょう。」

?. 通常書籍(冊子本=紙の本)出版契約に意図して含まれがちな、
「電子本」出版契約の「要注意点」

1. 電子出版への二次利用や排他的独占権契約に、安易に同意しないで下さい。
* 「甲(著作者)は乙(出版社)に対し、本著作物の全部または相当部分を、あらゆる電子媒体により発行し、もしくは公衆送信することに関し、乙が優先的に使用することを承諾する」といった趣旨の条文に従いますと、冊子本の著作権契約に無条件に電子本の契約権が取り込まれてしまうことになります。たとえ「具体的条件については、甲乙協議のうえ決定する」とあっても、電子出版は電子出版として別途の出版契約を必要に応じて交わすこととし、簡明な分かりいい契約内容にしておきましょう。
* 著作物の将来を未然に安易に一任しますと、他社からのより有利ないし魅力ある電子出版の条件提示に、可能性を閉ざしてしまうことになります。著作と著作権は、極力著作者の配慮下に「フリーハンド」に所持されるよう薦めます。
補足1:出版不況の中で、苦労して出版した版元が、二次利用を他社に持って行かれたくない気持ちの現われと解釈できる条文例ですが、強引な「取り込み」「囲い込み」「ツバつけ」には相違なく、このような受諾を強要の契約条文で電子本著作権が冊子本契約の中へ未然に押さえ込まれることは当然避けるべきです。著作者と版元との自然な信頼関係のもとに、電子本には電子本の「新規」契約がなされるべきで、自由競争の本来にもその方が適っています。この烈しい流動期に、異質の本の出版権を一つの契約書に盛り込むことは、少なくも著作者には簡明でもなく、有利でもありません。著しい不利と不自由に繋がりかねません。
補足2:作品を社のホームページ等へ無断で二次利用する出版社もあります。著作者がこれに慣れて油断していると、電子出版も契約なしにで既成事実を作られてしまうことになりかねません。出版社の姿勢をホームページで確認しておくことも必要でしょう。

2. 「原作」としての二次利用の「排他的独占権や優先権の設定」にも、安易に同意しないよう十分注意しましょう。
* 他社からの映画化やアニメ、ゲーム化など提示・折衝の道が閉ざされます。
補足:二次利用について許諾契約を結ぶ場合、二次利用の著作権使用料も著作者の納得のゆく具体的な協議で決める必要があります。

3.  コピー(複写)に関する「注意点」を挙げてみます。
* この項には特に注目して下さい。こういう趣旨の条文をもった契約書に出会う場合、十分慎重に回避ないし拒絶しないと、著作と著作権の将来を大きく拘束され侵害されてしまう恐れがあります。
一例として、「甲(著作者)は、本出版物の『版面』を利用する本著作物の複写(コピー)に係わる権利(公衆送信権を含む)の管理を、乙(出版社)に委託する。乙はかかる権利の管理を、乙が指定する者に委託することができる。甲は乙が指定した者が、かかる権利の管理をその規定において定めるところに従い、再委託することについても承諾する。」などと有ります場合、現在自分は「冊子本=紙の本」について契約しているつもりが、同作品の、将来の「電子本化」についても、いわば身ぐるみ出版社の自由な処置(転売・販売。二次・三次利用等)に委託一任しますという契約になり、出版の自由に関わる「選択肢の全てを放棄」するに等しい結果を招きます。
これは、「版面権」という名の、法的には今なお認知されていない架空の権利の名で、あたかも「版面使用料=著作権料」かのように、電子出版と冊子出版との間で、著作権者をまるで棚上げの経済協約が成される「素地」を作り出します。この形で、著作者のあずかり知らぬ交渉のもとに、いつの間にか自作が、冊子本出版社の自由裁量で、気ままに、どこかで、電子出版されて行き、気が付かないでいると著作権料も全く入らないという「闇慣行」を生んで行きかねません。
この恐れは、すでに各社の契約書条文面に、密かに、かつ露骨に、拡がろうとしていて、ゆゆしい問題です。厳重注意を必要とします。
* 例えば、(社)日本文芸著作権保護同盟の会員ならば、上記のような条文の契約書に署名すると「二重契約」になる恐れもあると、法の専門家からは、指摘されています。

4.  以下のような条文には、よく「注意」しましょう。
* 例えば「万一本著作物について、第三者からの権利の主張、異議、苦情、損害賠償請求等が生じた場合には、弁護士費用を含めて、甲(著作者)の責任と負担においてこれを処理し、乙(出版社)にはいっさい迷惑、損害をかけないものとする。」といった趣旨の条文に出会うことがあります。
かりにこれが著作物の内容に原因する「著作権侵害事件」や「人権侵害事件」にかかわる問題であったにしても、「出権」を建てて出版を是認し推進した「版元」が、こうまで全面的に責任回避する姿勢には問題があり、著者と出版社との間にあるべき信頼関係が一方的・予防的に回避されています。
ことに電子メディアにおける出版には、著作者と版元とで一致協力して当たらねばならぬ予想外の問題の出現も考えられるのです。
* 「納入された収録媒体(ディスク等)に瑕疵が発見された場合には、甲(著作者)は乙(出版社)の選択に従い、甲の費用をもって速やかに瑕疵のないものと交換、瑕疵の補修、または瑕疵の程度に応じた代金の減額に応じるものとする」というような取り決めは、いわゆる原稿授受によって約束が成り立つ冊子本出版とは無関係な事項であり、仮にディスク等を原稿として渡す場合も、このように一方的に著作者にのみ経済負担がかからねばならない理由はありません。条項から外すようにお薦めします。
* 電子メディアの参入で、出版物の販売数量の把握は、将来ますます複雑に分かりにくくなって行きます。よく納得が行くまで確認して契約することをお薦めします。
? CD-ROM(ドーナツ型の円盤)による販売・購入方式=CD方式の場合、名目上は発行枚数を基準とするものの、試視聴用、見本用、寄贈用、販売促進のため等に配布され、乙(出版社)に利益の発生しないもの、流通過程での破損、汚損等の事由によって破棄処分となったもの、及び卸売店・小売店から返品されたものは、すべて著作権料の対象から減殺するといった条項を鵜呑みにした場合、その確認等に著作者の判断はとても及びません。そのために曖昧な数字を一方的に押しつけられる危険も生じます。「製造=販売=著作権料の対価数」を、極力分かりよく取り決める折衝・協議・契約をぜひお薦めします。
まして、? 版元へアクセス(接続)してユーザーの器械にコンテンツ(作品等)をダウンロード(取り込み)する課金・支払方式=アクセス方式の場合は、契約に際して、法律家等の立ち会いと助言を求めるなども考慮しないと、まことに曖昧模糊とした取り決めにより著作者の権益を見失いかねません。十分注意しましょう。
補足:「試視聴用、見本用、寄贈用、販売促進のため等に配布され乙に利益が発生しないもの」を印税部数に計算するか否かは意見の分かれるところではないかという議論もあります。冊子本の場合も電子本の場合も、要するに、よく「具体的に申し合わせ」るべきであり、一方的に出版社の言いなりにならぬようお薦めします。

5. 契約内容に納得できない場合の心構え。
契約条文や項目に、不当・不審ないし曖昧で納得できない場合は、はっきり契約文からの「削除」を要求しましょう。
また安易に、投げ出すように「署名捺印」してしまわぬように。もう、そういう時代では無くなっています、ことに電子出版の場合はあまりに危険です。「電子メール」上でのいわゆる「電子署名」にも厄介なトラブルを引き起こす可能性があり、十分注意し判断されるよう、お薦めします。

おわりに

まだまだ不足している「要点」「注意点」の多いのを恐れますが、最小限度とご承知の上、機会ごとに目を通して下さい。認識違いなどの指摘を受けることもありましょう。また、改めて、より適切なものを用意して行かねばなりません。
「緊急」の『電メ研メモ』とご承知下さい。会員各位におかれても、どうか、更なる討議の声をあげて下さるようお願いし、期待します。    (2001年 3 月 作成)

* こういう具体的な「手引き」の、この分野では最初のものになったと思う。さらに適切なものに改訂増補を要するであろうこと、むろんである。上と同文を、このホームページの「雑輯 2」にも掲載保存しておく。

* 理事会議案で他に気になる大事なことが二三にとどまらなかったが、中でも、日本ペンクラブ新館建設問題は、座礁している。だいたい、地下もある地上三四階のビルを、かりに建設費一億でと思えばはなから一億五千万用意して、さらにその一割ほどは加算される覚悟でかかるのが、家を建てる常識的な心構えというものであろう。わたしが、自分の家を建てるときは、そう考えて取り組む。設計した計画を、いいほうへ、いいほうへ充実させてゆくのはまだしも、わるくやすく計画を値引き後退させるなどは、いい不動産建設への気構えとしては、もともと粗雑で杜撰としかいいようがない。見積もりを取ったら、当初予算の、おおきいところは1.7倍もして、二進も三進もゆかぬところへ早くも落ち込んでいる。会員の募金で金集めなどというのはドロ縄の最たるもので、皮算用に泣くよりは、賢明に計画を凍結して出直すのが本筋だろう。課金ならとにかく募金ではとうてい追いつくまい。登山途中の天候激変、下山こそ聡明な対策なのである。常識である。諫早の水門どころではない。金のでどころは無いのだ。武士の商法と昔はいったものだが、根が世間知らず頼りない文士の算盤である。いま出ているような数字から察して、強行すれば引くに引けない惨状を呈するであろう。見込み違いは明らかである。緊急を要する問題であろうかと言いたい。

* 例会に出て、長谷川泉さんと話したり三好徹氏の井上靖との思い出話を聴いたりして、どこへも寄らず、いや目に付いた来季用の上着を買い込み、有楽町線で保谷に戻った。例会の席ではワインばかり飲んでいたので空腹を覚え、「ぺると」でのコーヒーだけでは物足りずひっそり閑とした「フィレンツェ」で珍しい菜の花色のパスタをつくってもらい、入荷していた最高の赤ワインをグラスでいっぱいもらって、すこし温まって帰宅。冷たい風が出て、昼間の暖かさと様変わりしていた。
2001 3・15 7

* 東洋女子短大の北田敬子さんに戴いた、ことばを考える会共著の『対話』は興味深いインターネット考察で、読み始めて、やめられない。北田さんの巻頭論文のわが「e-文庫・湖」への転載を許してもらえたので、早い時点でスキャンしたい。北田さんはロマンチックな詩人でもあるが、この学術的な散文の的確で明晰に読みやすいことにも驚嘆している。一つには日々に感じていることで、分かりが早いとも言えるが。今朝一番にもらった北田敬子さんのメールも、ぜひお許しを得てここに紹介したい、多く広く読まれて欲しい。私のことに触れた箇所よりも、インターネットやメールの「表現」にかかわる箇所がことに大切だと思う。そして、それにふさわしい「工夫」のますます必要であるという点も。これは、大げさに言えば画期的なところに深く触れた「希望」のメールであり、引用されて佳い内容に富んでいる。
日々に幾つも内容のゆたかに佳いメールが届く。だが、問題も無いわけではない。自筆の手紙でも肉声の電話でもない電子メールには、ワープロ書きの郵便とはまたちがった表現上の問題や事故も起きやすい。わたしは、それに興味を持つ。興味は尽きない。

* メールをありがとうございます。
随分のご無沙汰の上に、突然拙い本などお送りいたしましたご無礼をお詫び申し上げなくてはと思っておりましたのに、「私語の刻」でも触れていただきましたこと、何と御礼申し上げたらよいでしょう。秦様の元には数々のご本が送られて来るに違いありません。見つけてお読み下さったことに重ねて深く感謝いたします。
> 御本の巻頭論文、さっそく拝見しました。こういう検討がいろいろに始まってゆか    >ねばならぬ時期と考えていました。わたくしの電子メディア研究会でも、その方へ     >関心を振り向けようとしています。
秦様のご紹介下さる数々のメールを拝読しておりますと、メールそのものが貴重な作品である場合のとても多いことにあらためて驚きます。元学生さんとおぼしき若々しい文体、長く深く読書と思索を続けてこられたに違いない達意の文章、軽妙洒脱な含蓄ある短信など、「雁信」のページはおことば通りさまざまな表現のショーケースのようです。全く書き手のことを知らなくても、文が自ずと語る場合のいかに多いことか。それが手紙ではなくメールだから可能になったのではないかと思えてなりません。少なくともああして公開され、不特定多数の人々に共有されることで幾度も新たな命を与えられることになる文章は、インターネット時代の申し子といえましょう。「書簡集」として大仰な装丁を施され書店に並ばなくとも、余程多くの読み手との出会いに恵まれるに違いありません。
皮肉なことに、最近メールのやり取りや日記、雑文などをそのまま活字にして出版する風潮も出始めています。私は店頭でそれらを立ち読みしますが、まず買うことはありません。紙の上に印字されたとたんに、オンラインではさぞ生き生きしていたであろうことばが、平坦な駄文の羅列に見えることが多いからです。メールはいわば生きたままやり取りされる鮮魚のようなところがあります。こちらの海からそちらの海へ。あるいは湖から湖へ。その泳ぐ様をモニター上で知らぬ者同士も自由に眺める贅沢をする。それが秦様の「雁信」のページと、私は感じております。
想像いたしますに、それでも公開されない文章の方がずっと多いのではないでしょうか。書かれた文脈を外れると意味をなさないものや、プライバシーに関わることを多く含むものなど、個人から個人に手渡されて役目を全うするメールは数限りないと思います。そうして人の目に触れずに幾千万の文章が、日々綴られラインを行き来していると思うだけ
でも圧倒されます。これまでも手紙の行き来は無数にありました。しかし、これほどまでに個人が自由に書く時代は嘗て無かったのではないでしょうか。消えるには惜しい文章がネット上を行き交うとしたら、その実践の上に、表でひらく精華もあるはずと期待できるかも知れません。
「権威」が印刷され出版されるものだけを認知する時代は、そう長く続かないようにも思います。
> ホームページの試みも、いろんな方の電子メールをあえて取り纏めて公開させてい
>ただいているのも、いくらかはその資料を提示したいからで。どのように「表現」が   >質を変えるのか変えないのか、新しい書き手の登場にむすびつくものかどうかと、「e-    >文庫・湖umi」はいま呼び水・誘い水を一心に用意しています。
新聞紙上でも秦様の試みが取り上げられているのを拝読いたしました。高揚した面もちでその切り抜きを手渡してくれたのは、パソコンともインターネットとも無縁の暮らしをしている私の母です。母は目が悪いので、今からモニターと格闘するのは無理でしょう。強いるつもりもありません。私でさえ長くモニターばかり睨んでいると目がショボショボしてきて、頭痛にも襲われます。
やはり電子本の普及には、画面上での読みやすさが最大の課題ではないでしょうか。縦書きや、エキスバンドブック形式など、様々な試みも進んでいますが、未だ幾つものステップを踏まないと読みやすい表示に辿り着かないのが少々辛いところです。
秦様のサイトにお伺いして私がいつも思うのも、この点です。誠に不躾な物言いをお許し願いたいのですが、「e-文庫・湖」にある作品の配列、レイアウト、目次、リンクなどが、今少し整備されたら、読者はさらに増えるに違いありません。ウェッブデザインという分野と文学とは、歩み寄り、手を携えて進んでいくものではないかと期待しております。私もこのことに関心とエネルギーを注ぎながら数年暮らしております。
ある長さを持って初めて意味をなし感興を呼ぶ文学特品に相応しい表示(アウトプット)を考案していくのは是非若い人々の進出し開拓する分野として発展して欲しいものです。特に、女性はこの分野に適性を持つ人が多いように思います。私事になりますが、自分の個人サイトの「新・三行日記」というものの背景画像を、私はあるときから小学六年生
の娘に任せてみました。毎月変わります。彼女は誰にも教わらずに体得した画像ソフトを自在に使いこなして、その月に相応しい背景を提供してくれます。書き手である母親の注文にも耳を傾けて、工夫をしてくれます。彼女自身も自分のサイトの主催者ですから、親子とは言え私たちは同志、あるいはライバルでもあります。この切磋琢磨を楽しみつつ、私は次の世代の動向に注目しているところです。
捨てたものではありません。比べるのは余りにもおこがましいと十分自覚しつつ、秦様がご子息の舞台に感じていらっしゃるであろうことに少し似ているかな、とも想像しております。
> あなたの巻頭論文などもこう新刊でなければすぐにも頂戴したいぐらいです。おゆ    >るしがあれば、嬉しいことです。
掲載して下さるのですか。(それとも私の読み違いでしょうか。)もし掲載していただけるのなら、光栄です。手元のテキストファイルを整備し直し、近日中にメールに添付してお送りいたします。また、私自身のサイトにも同文の掲載を予定しておりましたが、それでも構わないでしょうか。
ネット上に散らばる幾多のサイトが呼応し緩やかに連携を保ちつつ、新たな言語表現の地平を切り開いていくものなら、この時代に生まれた幸運を祝ってもよいような気がして参ります。本日お送りいただきましたメッセージに強い励ましをいただきましたこと、あらためて深く御礼申し上げます。
春未だ浅い日々、何卒ご自愛専一にお過ごし下さいませ。 北田敬子
2001 3・18 8

* ほら貝の加藤弘一氏から、メールで、電子メディアのいろんな問題点を、懇切に指摘してもらい、有り難い。もともとわたしには荷の重いことばかりのある世間だけれど、文筆家の中からもだれかが接点を繋いでおかないといけないのだろうと、逃げ出さないように心がけている。教わった中にはわたしだけで利用しては惜しい、もつと大勢にも知られたい問題点・要点もある。
2001 3・25 8

* 単行本『対話』のなかで、「書かれる話し言葉 -インターネット上に見られる新しいコミュニケーションスタイル-」と題した西村由起子という人の論文を読んでいる。なかなか佳い。誕生する新しい対話表現の実例が面白い。少なくもわたしの交わしているインタラクション・メールには殆ど現れてこない例ばかりなのも面白い。漢字で気分を説明したりしている。「独りでした・・・(泣) 」といったのが、たしかに掲示板などで見受けられる。擬態語・擬音語も。(クス)とか(プンプン)とか。わたしのところへは、六十すぎたお一人が、この手の擬声語やツッコミをときどき挿入してこられる。気の若いおばあちゃんのようである。論文では、「斬新な表記方法」と評価してある一面もみえるが、陥りやすい「言葉の潰瘍化」現象とも謂える。わたしは避けている。
2001 3・26 8

* ペンクラブのメール会員に、電子本の出版契約に関する「要点・注意点」をペンのホームページに掲載したので見て欲しいと、同報メールを事務局に頼んだ。メール会員が日増しに増えているはずだ。
YAHOOから、わたしのサイトを、わたしのために、どことかへ登録しましたと報せてきた。よく意味は分からないが、ホームページ「秦恒平の文学と生活」を開いて満二年。何の宣伝も売り物もなしに、いつしかにアクセスが26000近くなってきた。右顧左眄せず、信じたままを愚直に続けてきたのが、よくもわるくもこのような現在へ導いてきたのだろう。
2001 3・29 8

* 東大の西垣通教授から岩波書店版『インターネットで日本語はどうなるか』が贈られてきた。
多言語情報処理や機械翻訳はどこまで進歩しているのか、と帯に書いてある。さしあたりそんな難しいことは、見当もつかない。「日本人にとって英語とは何か」も、興味はあるが当面パス。だが「コンピュータの可能性と課題」には目を通して置かねば。
わたしにも関わりのあるのは、「日本語はどうなるか」だ。ここでは、「インターネット多言語情報処理環境」と「ナショナリズム対グローバリズムを超えて」が、論じられる。文字コード問題にも当然触れられるだろう。たぶん、分からず屋の文筆家発言はかなり窘められているかも知れないが、或る程度は余儀ないことであり、或る程度は我々との関心のずれも読みとれるかも知れない。
世界語のなかで「日本語」の位置づけなど論じられているとしたら、そういう日本語の在りよう
べつに、わたしなどは、日々に「日本語」を用いての「表現」や、また東洋語の「再現」「研究」について、さらには、それにつれて日本語の表現力にどんな質的影響がもたらされるであろうか、などに強い関心を覚えている。委員会等でのわたしの発言は、基本的にここを土俵にしていた。
文筆家たちは、このコンピュータ世界ではひどくひどく出遅れた。いまなお大変に遅れている。知識もなく、やつとあとを追い始めたとき、知識を持って先行していた人たちは、はるかな先まで走っていた。その人たちのコンピュータや文字問題を語る言語は、後続車からははや外国語に等しいほど難しかった。だが、いや、だから、我々はあまりに出遅れた分をハンデにしながら、考えたり、語ったり、要請したりせずには済まなかった。いやもう、その出遅れたるや、おそるべき程度に出遅れていたのであるし、それと同等に、先行していたコンピュータ知識人たちは、広義の日本語・東洋語文筆家たちのことを、アタマから蚊帳の外に放り投げ過ぎていた。それは、ハッキリ言って勝手が過ぎたものと咎められて仕方ないとわたしは思っている。
あげく、あまりに狭い範囲での狭い実用のためのコンピュータ言語をあやうく固定化しかねない有様であった。「表現」の微妙な価値など考えてもいなかったし、読書や研究を無視した「実用」だけの一人旅であった。「表現」と同行二人ではなかったのだ。
やっとそれに気づいた我々の側が、知識の不足は覆いがたい迄も、気のつく限りの故障を申し立て、希望し、大声を上げなければ、先行していた関係者は聴く耳すらあまり持ちたがらなかった。それはわたしが実感した事実だ。だから、早く言っておかねばならぬ事を、適切な言い方すらわきまえ得ないまま、とにかく言って置く必要が是非あったから、文筆家のごく少ない人数は、誰彼なく、機会あるごとにいろいろ発言したし、その発言もばらばらで、矛盾も撞着も無知も失見当もあった。それが分からずに言うのでなく、分かっていた。わたしなど、何を言うときでも、己れの無知は承知の上だ、だからトンチンカンを言っているだろうが、理解すればすぐ改めるからと、いつもいつも断り断り発言してきたものだ。
そういう段階を、われわれは、まだ抜け出てなどいない。わたしは、少なくも、抜け出ているとはよう言わない。だから「講習会」ハイ有り難うと受けるのである。
西垣さんたちの議論は、とても深い。学問的であると謂えよう。それに学びながら、しかし、まだまだ日本語の文筆家もその団体も、おめず、臆せず、希望を述べ意見を述べ故障を言いたて愚痴も言い立てて頑張るべきである。なにも、この十年、二十年で片づく問題とは思われないのだから、現段階では知識人の厄介がる技術的な煩雑なども、電脳優秀人がうそのように解決してくれる時もあり得るのだから、専門家の前にあまり遠慮ばかりしてひれ伏すべき段階とは思わない。
器械で日本語や東洋語を読んだり書いたり、研究したり表現したり、そんなとんでもないことを始めたのは、つい昨日のことで、結論じみた議論などなくも我々からは出せるわけがない。分かっていることは、このコンピュータは、しぶとい文明であり、インフラとしてかなり長期に人類社会に生き延びる可能性をもつと思えることだ。今日の専門家の理解であれ、百年後には、子供の目にも子供以下に見られてしまうかも知れないほど、状況は激しく変わるだろう。進むだろう。それぐらいのことを思いながら「言語」「日本語」「東洋語」の運命や力を永い永い距離でみるならば、今は目前のこぜりあいも盛んにすればよく、また茫漠とした大きな空想に類する不経済な視野すらも持って良いだろう。
わたしは、そう考えている。

* 共立出版から「インターネット時代の文字コード」という編著も出て、文字コード委員会で購入を勧められた。おそらく最善の解説と指導とが書かれ語られているであろう、が、こういう時期の一つの特徴として、問題を整理したい意向の中に、ある種の固定化や狭隘化、大きな大きな文化的展望の欠落なども有って不思議はない気もしている。謙遜に勉強しながら、とかく専門家のそれゆえに陥りやすい盲目ということも有るのは、どんな学問や専門の領域にもみうけることである。ことに言語や文字ともなれば、思いがけない文化的な視野と視点とが隠れているものである。それを懼れて、専門家はとかく問題の範囲を絞ろう絞ろうとし、大事な指摘や関連問題などを、今はそれは無関係だと過度に排除したりする。それが「専門的」という意味だと言わぬばかりに。だが、少なくも文字や言葉による理解や表現に関わることは、十の所を三十にも五十にも汲み取らねば済まぬこともある。例えば文字コードも、そのごく限局された技術的な課題・話題に過ぎない。文筆家にとっては、「文字コード」をたとえ主題にしていても、それはいわば通路のようなもの、越えねばならない老の坂のようなもので、「表現」とか「研究」とかいう本能寺は、べつにある。それへのメリットを絶えず考慮していなければ済まないから、文字コード問題にも関与するのである。そういう趣旨の「講習会」も、逆にしてあげねばいけないのかも知れない。怒られるかな。幸い、わたしたちの電メ研には、西垣さんも坂村さんも委員として参加していただいている。しっかり学んでゆきたいし、ご指導をぜひ願いたい。
2001 3・29 8

* 階下で原稿書き込みの仕事をしていたウインドウズ95の器械が、よく分からないが故障または大破したらしく、使えない。直前にフロッピーディスクに念のためにバックアップして置いたので原稿は九割九分助かったが。妻のEメールをはじめわたしのいろんなものがどうなったか、分からない。大方は二階のこの器械で仕事しているので、差し当たっては問題ないが。修理に秋葉原へまた運ぶかどうか、とにかく大故障が四度目の器械で、そのつどの修理費は大きかった。機械を買ったときはまだ大学にいた。生協でも当時43万円ほどした器械だが、今度修理代を払うと総額がモトの買値を上回るだろう。困ったものだ。しばらくは今のこの器械を大事に大事に使おう。「年内には、Windows2000の新版がWindowsXPとして発売されます(XPは評判がいいです)。 WindwosXPでは、簡単に(ユニコードが)使えるようになるらしいので、発売までお待ちになった方がいいでしょう」と加藤さんに教わっている。年内がいつの話になるか、そういえば文字コード委員会でもそんな話をちらと耳にしていた。待とうと思う。
2001 4・4 9

* 電メ研、もちろん初めてのことだが、ワインのある会議になった。倉持光雄さんが勤務先の甲府から「予告」の甲州ワインを二本、高橋茅香子さんもスペインの旨いワインを一本お持ち下さった。今日は懇談会ほどの気軽な顔合わせを予定していたからでもある。一応三月末で任期が切れていた。新しい任期は次の総会や理事会があってのこととなる。それで、今日はオブザーバーに参加希望の池内ひろ美さんにも加わってもらい、二時間半、いろんな話題で意見交換と交歓の時をもった。今日の話し合いも踏まえて、二十七日の総会で委員会報告をする。

* たまたま倉持氏と帰りが一緒になり、久しぶりでもあったので名残を惜しんで近くの「サンキエーム」で食事と白ワインとを、また楽しんだ。歌舞伎の話などの出来るお相手で、年久しい付き合いでもあり、話題にはことかかない。今日ばかりは、料理よりお喋りの方が冴えていた。
2001 4・6 9

* チャットという場所で、いい大人達が内緒話のような、かげぐちやぐちのようなことを話し合っているもののコピーを見せられたことがあるが、消費的な、サマにも何にもならないものだった。個と個と。それが基本だと亡き北沢恒彦は教えてくれた。そう思う。上の二つのメールも、ひたすらわたしにだけ宛てられている。分かっている。それをこう紹介するのはある意味で重大なルール違反なのであるが、わたしは、このインターネット時代に、日本語表現のためになにかしら或る主張も提言もしたくて、これを敢えてしている。
2001 4・14

* 札幌の真岡さんの文章に、こう添削してみてはと送った原稿を、元原稿とていねいに照合し、線で見せ消ちにし朱字で書き分けるなど、一目瞭然にしたのを見せてもらった。おもしろいものになっているので、貼り込もうとしたが、うまく行かない。「画像変換」という窓が出てくる。テキスト原稿に直すと、真岡さんの作業がフラットになってしまう。
残念。我が技量では、出来ないことが出来ることより遙かに遙かに多い。
2001 4・17 9

* 人に教わり宮崎学という人のホームページに出ている、目森一喜という人の「個人情報保護法」を論評した記事を読んだ。まことに興味深く、かつ示唆するところ多いもので、読むに値した。「サイバーポリス」の発想と現実化への憂慮にも触れられていて無視できないものを感じる。

* 電子出版契約に関する要点・注意点が、好評で感謝を伝えてくるペン会員がもう何人もある。五月の「本とコンピュータ」主催シンポジウムでも話題にして欲しいと申し入れた。
2001 4・23 9

* 明後日には布谷君の勧めで、とうとう専用機を組み立てることに決め、秋葉原に彼の先導で買い物に行く。どんなことになるのか、どういうことを布谷君は頭に置いているのか、実は容易に見当もつかない。楽しみであるのは確かだ、しばらくは、だが緊張が続くことだろう。身震い、いや武者震いがする。 2001 4・26 9

* 理事会で説明し、総会に報告した「電子メディア対応研究会」の報告を掲げておく。すでに総会場で会員に配布し公開されている。

*    <2000年度 電子メディア対応研究会 総会・理事会報告>

座 長:秦恒平
副座長:村山精二
委 員:内田保廣、紀田順一郎、倉持光雄、坂村健、城塚朋和、高橋茅香子、高畠二
郎、中川五郎、西垣通、野村敏晴、森秀樹、莫邦富  (座長以下14名)
顧 問:井上ひさし副会長
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<研究会> 2000年度は研究会をほぼ毎月、計11回ひらき、「電子本」出版契約問題をはじめ、多方面の議題・話題
で意見交換を重ねた。
(電メ研開催日:5/15、6/9、7/12, 9/8, 10/6, 11/10, 12/8, 1/26, 2/16, 3/8, 4/6)

*5月:日本ペンクラブHPをリニューアルした。

*8月:言論表現委員会のシンポジウム開催に合わせ、メール所有会員約170名を対象にアンケート調査。44名からの回答は、全て日本ペンクラブ「電メ研」HPに掲載している。(質問は、大きく A  電子メール(通信) B インターネット(検索・取材) C  ホームページ(表現・表出・広報) D  その他の問題 に分けた。)いわゆる「e-OLD」「電子の杖」に対する会員の関心の深まりが印象に残った。Eメール使用報告の会員は200人を超え、ホームページを開いている会員ももう数十人に達している。

* 10月:「電子本」の規定  ペンクラブ入会の資格審査に「電子本」も対象に加えるとまでは、すでに承認決議されいるが、具体的にどういうものを「電子本」として提出できるのか。電子メディア対応研究会は、これを、下記のように意見統一し、10月理事会で承認をえた。
・インターネットに、現に、公表していること。
・長編短編、また小説、エッセイ、批評、研究等の量的規準として、400字原稿用紙換算、300枚以上相当を以て「著書一冊」と数えること。
・審査の用に、ディスクの形で3枚、同内容のプリントアウトしたものを3セット提出すること。審査は、分野により、理事会が複数理事ないし会員に委嘱することがある。
・「詩歌」の規準は慎重考慮をまって、当面は保留とする。
・申し込みには理事、会員2名の推薦を要することは、紙の本に同じ。

*3月:「電子本の契約」について、前年11月に研究員として加わった専門家の牧野二郎弁護士の解説をもとに、積み重ねてきた討議の実用に耐える取りまとめをはかった。その集約として、3月、小冊子『2001「電子出版契約の要点・注意点」に関する報告』を作成し、4月までに全会員に宛て、送付した。さらなる討議と改訂を得たい。職能団体である日本文藝家協会の仕事であるが、重ならない会員も多く、アンケート等での要望に応えようとした。

<提言と動向>

1. 1997年の提案と折衝により、「日本ペンクラブ・ホームページ」が稼働して以来、電メ研の運営により、ペン声明をはじめ各委員会等の活動内容が目をみはる充実とともに世界に発信され、今や不可欠のペン機能を果たしている。電メ研はなお格段の発展を具体的に企図しており、この際、正式に電メ研内にホームページ編集室を設け、より便利に検索可能な、より多彩に文学・文藝的な工夫を実現してゆきたく、編集室活動の承認を得たい。かなりの電子メディア・テクを要するので、電メ研で実現するのが適切と判断している。
2. 情報処理学会文字コード専門委員会の第二ステージが2000年末に発足し、日本ペンクラブからは電メ研の秦座長が参加と、2001年2月理事会で決定。パソコン等の機器における漢字利用度の拡充に関し、文筆家の意向を積極的に伝えながら、より有効な方向へ国際世論にも働きかけるべく、進んで会議に参加している。漢字の約2万字ほどが国際
的に標準化された文字コードで機器に実装されようとしている段階にすでにあり、従来の不便と不満は、関係者尽力により、かなり軽減に向かっている。
3. 電子メディア上の著作権上のトラヴルはますます増加してゆく恐れ多いが、対応には、経験事例を重ねて行く必要があり、より具体的な報告を会員からも得たい。
4.  ペン活動との関連で言えば、個人情報ないし人権の保全を脅かす多くの技術的な危険、さらには国際的なサイバーテロリズムによる情報壊乱の危惧、いわゆるIT革命による人間工学的な不自然な環境変異等にも懸念と注意とは欠かせない。日本ペンクラブとしても人権と環境と表現の各方面から、さまざまに不可避の対応を迫られてゆくであろう。
この際、「電メ研」の略称はそれとしても、正式に「電子メディア委員会」としてはどうかと提言する。
5.  電メ研としては、電子メディア機器の普及にともない「日本語表現」にどのような新たな問題点の生じているか、生
じてくるかに、特に大きく関心を置きたい。 以上

* 上で二つの提言をした。一つは、ホームページのさらなる充実のために、この際「電メ研」のなかにホームページ編集室を設けたい。もう一つは、新世紀ますます多面化してくる電子メディア問題に日本ペンとしてさらに意欲をもって取り組むべく、この際、電子メディア対応研究会を、電子メディア委員会としてはどうか。
結果として、梅原新会長と執行部は、現状これを二つとも否認した。
前者は、会報委員会との折り合いが付いていないと。
後者は、電子メディア研究「小」委員会とすると。「小」とはどういう意味かと質問者が何人かいたが、何の意味も無いと。何の意味もないことに抵抗するのも無意味なので、何一つ抗弁せず受け入れた。
ものごとには時機がある。時機熟さずと見えた以上、ことは何も本質を揺るがすわけでなく、そのように新会長以下執行部が「見識」を示したのだから、黙って受け入れておけばよいと判断した。
2001 4・27 9

* 秋葉原電気街口に一時に行き、布谷君の奮闘で、専用機組み立てのための部品を沢山買い込んだ。一部は宅配に託し、他は持ち帰った。わたしには、もともと組み立てという発送そのものからイメージ出来ないのだから、わたしが選んで買うなんて出来ない。お金を預け、わたしはコカピュータ館のどこか椅子席のあるところで雑誌を読んで待ち、布谷君が餌をはこんでくる親鳥のように三度も四度も戻ってきては品物をわたしに預けて、またどこかへ行ってしまう。そんな風にして、結局約三時間余。駅で別れて、荷物を保谷へ運んで帰ってきた。

* さて明日は布谷君が家まで来てくれる。作業が少しでもしやすいようにと、機械部屋をまた模様替えして大汗をかいた。重い日立製のディスプレイを隣家の書斎からまたこっちへ運び戻した。建日子の使っていたらしい空の棚も、役立つだろうと、妻に手伝ってもらい、運んだ。家に帰ったとき妻は少し疲労していて、夕食も寿司をとって済ませたが、食後にけっこう力仕事を手伝わてしまった。ずいぶん力を出してくれた。
2001 4・28 9

* 身辺をかたづけて、なんだか、ちょっといい感じの部屋になったみたいだ。うまくすると、あすは、わがパソコン生活の、また大きな曲がり角になりそうだ。

* 最初の機械は、エプソンのノートで、ウインドウズ3.1だった。研究費をもらってすぐに買った。新入生用のサービス・パックを生協で売り出していた。21万円ほどであったが、白黒だった。買ったものの、にっちもさっちも行かず死骸同然の箱のまま放棄せざるをえなかった。どう力んでみてもわたしにはインストールできなかった。二年ほど放置してあったのを、先日結婚式を挙げた林丈雄君が引き受けて、教授室で、MSDOSや一太郎5を、長時間かけて入れてくれた。それをじっと見ていてワープロの30万倍難しいと痛感した。
白黒の機械はやはりわびしかった。それで仕事になるなどいう実感がもてなかった。麻雀ゲームですらパイの識別がなかなかつかない。それで、日立のすこし贅沢なディスプレイを家に買い、機械を持ち帰って繋いだものの、まだまだパソコンをどう使うという手勝手も衝動もなく、ゲームばかりに時間を費やしていた。仕事には十余年来のワープロばかり使っていた。
で、今度は43万円ほどのノートで、ウインドウズ95のNECを生協で買った。学長が特別の研究費をボカッと呉れたので買う気になった。CDROMが使えて、ウソのようになにもかもラクになった。エプソンとディスプレイは不用になった。この95でわたしのパソコンは「仕事」のために稼働しはじめた。もっぱら一太郎を使っていたが、それでも、大学に在職中は、じつは、まだまだワープロの方を使っていた。ワープロはインタラクティヴではない。わたしはインタラクティヴなパソコン機能に恋いこがれるようになっていった。その必要度が切実に増していると自覚したのだ。
かくて退官後から、布谷君の紹介で田中孝介君と相い識り、もっぱら田中君の親切な支援で、ノート95が活躍し始めた。東芝ルポで膨大に作っていたフロッピー原稿がパソコンへ移転できると、その方法を田中君に教わったのは革命的だった。これで、ホームページを創り出し、紙の本版「湖の本」のほかに電子版「湖の本」が創れると確信できた。そして田中君は鮮やかな手並みで、たちどころに私の望む表紙繪とともに、第一期のホームページをわたしにプレゼントしてくれた。あの嬉しさと言ったら無かった。太宰治賞が二度目の誕生日としたら、湖の本創刊は三度目の、そしてホームページ「秦恒平の文学と生活」を打ち出したのが、四度目の誕生日のようにわたしは今も思っている。
この機械ノート95は、だが、よく故障した。わたしの扱いも悪かったと思うし、田中君には夜に日をついでメールでものを教わり続けたし、ディスクのクラッシュしたときは蒼白になって、田中君の救援を懇請した。彼は保谷まで足を運んでくれ、様々の方法を駆使してホームページを救出してくれた。そして池袋「さくらや」につき合ってもらって今のウインドウズ98のNECノートLaVieを新たに買った。今よりもだいぶまだ機械が高価であった。
この機械で、ホームページは、林丈雄君、また布谷智君の工夫で、リニューアルを繰り返し、ずいぶん拡充され、その勢いで去年の十一月半ばから「e-literary magazine 湖umi文庫」を創刊することが出来た。
そして明日には、また新しい器械が、初めてのデスクトップ型の専用機が出来ると布谷君は言う。わたしは、まだその実感のわかぬままワクワクしている。嬉しい。

* 「日本文藝家協会のホームページのリンクで、秦さんのホームページを知りました。私よりも年輩の方で、これほど電脳空間を使いこなしておられる方を知りません。水上勉さんもメールを楽しんでおられるようですが・・・」というメールを、協会に新たに入会したという人からもらった。かりにも、こんなことを言われるとすれば、それは、東工大の学生諸君のおかげであり、わたしの手柄ではない。有り難い。
2001 4・28 9

* 組み立ての新しい器械が作動した(わたしはまだ使い出せていないが、)。獅子奮迅の勢いで布谷君は頑張ってくれた。第一段階は、組み立てだった。次に、数え切れないほどいろんなことをやっていた。大方は見ていても分からなかったが、ウインドウズ98も2000もインストールされ、40Gのディスクが入った。昨日のうちに模様替えをしておいてよかった。放置してあったソニー17インチのディスプレイがみごとに役だってくれた。ディスプレイが立派なので、どの器械も所を得て美しく見える。二時前から作業が始まって、夕食をはさんで布谷君が雨の保谷駅から帰っていったのは、もう十時半だったが、まだ、彼はもう少しし足りないと言っている。簡単な仕事ではなかった、むろん、わたしには何一つ出来ようとは思われず、ひたすら傍観していた。手伝えることも余り無かった。林丈雄君が最初の機械にインストールして呉れた日も、七時間かかった、大岡山から渋谷まで一度買い物にも出ていったけれど。吉田博史君に手をかけてもらったときも、田中君にいろいろと実現してもらったときも、ただただわたしはじっとそばで見ているしか身の置き場すらなかったのである。
今、正直のところ、布谷君が新しい器械と今までの器械を連結して、どんな魔法をかけてどれほどのことが出来るようにしてくれたのか、全容は見えていない、途中でDVDが設置されてトムハンクスの宇宙映画アポロが写されたときは、美しい画面に感動した。いっぱい説明してくれていたと思うが、正直のところ、どれだけが耳に正確に入っているのか自信がない。現にひとりで機械の前へもどって、大きなディスプレイにホームページを呼び出したものの、新しいキイボードに慣れていないので、咄嗟には何も進められなかった。

* さて仕方なく、今までの器械に戻ってメールを点検してみたが、ニフティーが働かない。オープンのエラータだそうで、これまでに一度も見たこともない警告が出てくる。接続し、「バスワード確認」した後に「接続処理エラー(接続処理中異常発生)Winsockでエラーが発生しました。(Openエラー)」と警告している。これは、わたしには処置出来ない。しばらくメールが読みとれないと思うが、静観する。
このホームページへ入るのにも、ストップを食らった。何かを何かで共有しているが、よろしくないと「強く推奨」してくるので応じて再起動したところ、ここまで入ることができた。この「私語」をうまく転送できれば、布谷君にも通じるものと期待している。
この程度の躓きは、これほどの大事を敢行した以上二つや三つは当然の不具合として、またわたしの不慣れとして生じるに違いないと予期していたので驚かない。新しい家を建てたときは当分の間家がミシミシと音を立て続けたものだ。いずれ、おさまるようにおさまるだろうし、それまでは機械に手慣れたい。

* 今日が、パソコン生活の中で、ホームページが開かれた日以来の画期的な一日であったこと疑いなく、いい思いをさせてもらった。布谷君に心よりお礼申し上げる。みまわしたところ、わたしの機械部屋は、ふしぎなほど端然と落ち着いたから不思議である。

* 案じた通りFTTPが「cannot」と出る。新しい器械と、この機械とを連結していることで、何か問題があるようだ。連結して手いるコードを外してみようと思う。
2001 4・29 9

* 電話機能がダメになり、ニフティメールとHP転送とが出来ないという最悪事態になってしまった。わたしの活動はほぼこの二つによってインタラクティヴを機能させているのだから、最悪の状態である。参った。布谷君は明日来てくれるという。それまでは何もできない。
難しいものだ。二台を強いて連結機能させるより、それぞれに使えるようにしておかないと、こういうときに、二つとも潰れて、もう一方で作業を代替続行ということが出来ない。致命的。

* どうしても、異常な状態が回復の兆しもみせない。ソケット関連の異常のように感じられる。二台の機械をLAN風に繋いだのではなかろうか、それが不具合になっているのでは。このLaVieを「ノート」と、新機を「デスク」と呼ぶとして、布谷君の設定のままで起動の場合、
1. ノートが動いていないとデスクは稼働状態に入らない。
2. ノートのネットスケープ起動にも「リソースの容量不足かネットワーク接続のダウンか」で、と警告が入る。アクトン接続を外していれば、この警告を無視してホームページが開けるし、書き込みも出来る。
3. しかしFFFTPでのアプロードにコネクトしない。更新不可能。
4. ニフティ通信は、接続からパスワードの認定まで進めるのに、そのあとで「Winsockでエラー発生」し交信状態に入れない。受発信不可能。
5. デスクは無かったものと思えば済むが、ノートは稼働しないとにっちもさっちも仕事にならない。ホームページとメール。この二つがインタラクティヴの「窓」だと痛感する。
6.  二台は絶対に切り離して置かねばならない。
7. デスクにフロッピーディスクのドライヴが無いのに気づいた。これは、非常に不便。
8. マニュアルが全くないので、手引きしてくれる手がかりがない。
9.  プリンタは異常なく使える。

* ついにニフティを新たに再インストールし設定を試みたところ、やっと、メールが開通回復し、受信分が読みとれた。つぎは、この「私語」などをFFFTPで更新出来るかどうかだ、が。
2001 4・30 9

* 終日ああでもない、こうでもない、やっぱりダメという徒労の努力を繰り返し続け、夜に入って、もうこの一手だろうと、ノートパソコンとデスクトップとの連結を切り離し、ニフティサーブをもう一度ノートの方へ新たにインストールし、設定を最初からし直してみた。
なんと、理由は分からないが、メールが回復して、溜まっていた受信分をぜんぶ読み、そして、これでホームページの更新も出来るのではないかと試みたら、新たなニフティサーブで更新にも成功した。インターネットエキスプローラも使用可能に回復して、アクセス数もちゃんと見た。27509Iになっていた。よくもこんなホームページにと、有り難い。

* よく粘った。二機共倒れは厳しかった。今までの一台は、なんとか救出できた。新しい器械も、布谷君の手で個性的な自立した一台に育てたい。デスクはデスク。ノートはノート。それで行こうと思う。
2001 4・30 9

* 新世紀の元旦を迎えたのがつい昨日に思われるのに、もう、メーデー。こころもち冷えているが気持ちいい晴れた日差しに窓が明るい。この器械、ノート・ラヴィは朝からおとなしく働いてくれている。

* この粘り たいしたものです。それは今に始まったものでもないと私は思いますヨ。惹かれるもの(関心のあるもの)に対しての粘りは人並み以上にスゴイと。
白状すれば、そこが又、私の惹かれるところデス。マジメニ ホント。
まずは メールの送受信再開がクリアー出来ておめでとう。
もう あなたはパソコンのない老後は考えられなくなっていますね。
先日 頻繁にメール交換をしている同年輩の友人(彼女とは毎週新宿で会うんですよ)が、息子から譲り受けの器械が壊れてしまい、パソコンのない日は 我慢出来ないと即刻高価だけれども新品を購入したと言っていました。遠くに住む初孫の情報や、写真にかかせないらしい。そんな時代になりましたね。

* お褒めにあずかって照れている。このメールで感じるのは、後段のオバアチャンの「パソコンのない日は我慢出来ないと即刻高価だけれども新品を購入」「遠くに住む初孫の情報や、写真にかかせないらしい。そんな時代になりましたね」という所。まさに「e-OLDの電子の杖」が生きている。器械が無くてはにっちもさっちも行かない生活というのが良いものだとはわたしは考えていないが、器械が無くなったらどう生活を切り替えて立て直すかには、覚悟が要る。わたしは、昨日のような場合、それも一つの「好機」という気持ちももっていた。それを契機に、また手書き時代へ戻れば良く、電話と郵便の生活にも帰れる用意は必要だと思っている。いまは一心に器械という馬を乗り回しているが、馬には乗るだけでなく、いつか下りるのがむしろ本来だろうと、そういう気持ちはいつももっている。しかし、このおばあちゃんの気持ちもよくわかり、頷いている。
2001 5・1 9

* 昼前に布谷君、またご足労願い、ノートと切り離したデスクトップの方の仕上げをしてもらった。DVDを観られるようになった。音楽も落語も聴けるようになった。いま志ん生の、好きな「天狗裁き」を笑いながら、今までのノートでこれを書き込んでいる。また自前のCD-ROMを焼き付けることも出来るようになった。40G。ウインドウズの98と2000とを入れてもらった。
何もかも全部布谷君がやってくれた。有り難いとも何とも言いようがない。ノート一台とちがい、大きなディスプレイと洒落た顔をした本機とスピーカーが並び、まことに格好がいい。あとは、キーボードの使用に慣れなければいけない。

* 夕過ぎて、下保谷の「フィレンツェ」で夕食した。料理よりワインが旨かった。ワインよりも、布谷君との落ち着いた四方山の会話がのんびりとして楽しかった。保谷駅でどうやら無事に有楽町線に乗ったのを見届けて、なんと、保谷駅から家まで、歩けば十五分の道を、ゆっくりゆっくりとだが、駆け足で駆け通して帰ったのは、もう二度とあるまいと思っていた奇跡的な出来事だった。走るなんて、昨今、ものの十メートルも無理だったのに。生きていると、おもしろいことが、あるものだ。だが、おかげで今はへとへとに草臥れている。草臥れきったまま落語を聴いて笑いながら、のんきにこの「私語」を書いていた。ゴールデンウィークである。
明日は、中学時代の友人に会う。横須賀に住んでいたが、故郷の金沢に帰るという。名残を惜しむことになる。その前に、早めに家を出て街でとも一人歩きを楽しみしていたが、この数日の睡眠不足と今の疲労とを考えると、明夕まではしっかり休息するのが賢明なようだ。
2001 5・1 9

* 雨の冷え。 居籠もりで、新しいデスク機と前のノートとの調整に。どっちをどうと使い分けを決めたいのだが、プリンタのことやスキャンのことがあり、決めにくい。布谷君の基本の考え方であった「二機連携」がうまく行くなら、そして不具合が二機同時にということがないのなら、それが一番有り難いけれど。
肝腎のホームページがうまく新機に移せなくて、今日は終日もたもたしていた。そうはいえ、容量の心配なく、たくさんなソフトをインストールした。新体制を確立するまでには相当な期間がかかりそうだ。

* 幸い九日まで、わたしも連休できる。ここのところ六日間、奮闘の日々であった。疲れているのも道理である。
2001 5・3 9

* 終日、機械のまえにいて、必要な仕事と連絡の幾つかを片づけたが、新しい機械で、どうしても、ホームページの転
送が出来ない。FFFTPの設定が幾らいろいろに試みても、電話は繋がるのに、最後のところでcannot login host
www2s.biglobe.ne.jp と出て前へ一歩も進めない。ノートでホームページを進行し更新している限り、大方の関連の仕事も
ノートで続行することになり、この分ではデスク機の活躍にまだメドが立たない。気長にやるよりない。

* そうこうしているうちに、六月のシンポジウムが駆け足でやってくる。
2001 5・4 9

* 何なのだろう、どうしてFFFTPで転送出来ないのか、分からない。
2001 5・5 9

* 毎日、ホームページを拝見していると、ちっともご無沙汰しているよう気がしませんが、ご無沙汰しました。
「湖」の発信局改造のご様子、すごいと思いました。あの方はきっと神さまです。
「風の奏で─平家寂光一上」(スキャン原稿)お送りします。おじさんには知らないことだらけで、立止ってばかりいて捗りませんが、いちばん楽しい時間です。
「超漢字3」は、いいです。電源を入れて20秒で立上がります。(わたしのMac G3は1分25秒かかります)厖大な漢字はともかく、ハイパーテキストの機能で、註が付けられ、註のまた註といくらでも関連事項をその場に付け加えられるのが何より魅力です。これで「平家物語」や「湖の本」を遊べる!とほくそ笑んでいます。
緑が精一杯の色をして、いい季節になりました。お元気でお過ごしください。

* 有り難くて楽しい、また好奇心をそそられる千葉の「おじさん」の声である。疲れが和らぐ。「超漢字」わたしも今度の機械に、入れてみたかった。デモンストレーションもみているので、面白さは分かる。別OSのトロンになる。ウインドウズとの兼ね合いを機械の中でどう領国分割するかが問題で、わたしの手には負えない。
2001 5・6 9

* さて肝腎の新機でのホームページ運用は、まだ成功しない。ホームページがおさまるところへおさまっていないのか、転送ソフトのFFFTP設定が間違っているのか。ソフトは、もう考えられる限りのバリエーションで試行を繰り返しており、しかし土壇場で「CANNOT CONNECT」と出てしまう。

* 布谷君の二機を繋いでくれていたのが不具合かもしれないので切り離してきたが、試みにまた繋いでみた。
音楽の聴けるのがいいし、いずれディスプレイの大きい画面で映画が観られると、うんと気分が晴れるだろう。DVDで気に入った映画を一二枚手に入れてきたいが、そういう店に行ったことが無く、どこへ行けばいいかと池袋辺での物色を楽しみにしている。欲望しているのではない。成り行きが成るがままに楽しいのである。
2001 5・7 9

* 夕刻から新宿紀伊国屋ホールでのシンポジウムを聴きに行った。「編集者、わが電子出版を語る」「電子出版の未来・実践編」の二部構成。前半は平凡社の龍沢武氏の司会で、岩波書店、みすず出版、平凡社、文藝春秋の中堅編集者が話した。後半は「本とコンピュータ」の津野海太郎氏の司会で、九月からの第二期「本とコンピュータ」の拡大編集同人達が話した。前半のメンバーは、体験談が主であり、それぞれに、よく謂って一隅を照らしてきた体験から、展望と謂うより姿勢と力点とを探り取ろうとしていた。
紙の本から切れているとも、まだまだ引きずっているとも、当然ながら過渡期的な模索に悩んでいて、パネラー一人一人の話の取り柄をつかみ取るのに、聴いていて苦労だった。著者と読者とがせめて一人ずつ加わっていたら、編集者達の言葉を別角度で受け止め展開できただろうにと思った。同感するところも多く、首をひねる話も何度も聴いた。本は考えているが、本を書く著者、本を読む(買う)読者に対するケアの感じ取りにくいやりとりが続いていたのが、残念だった。
後半は、襲名口上のようで、面白いが、話のための話を蹴鞠のように往来させて、趣向はいいが、室謙二氏の「電子メディア」による出版は金には成らないという推論に実感があり頷けたが、総じてレトリックに富んだ口演会で終わった。

* 近くのビアホールでの打ち上げにも誘われて参加し来た。久しぶりに文藝春秋の田崎?氏に会った。平凡社の関口秀紀氏にも。パネラーだった岩波の小島潔氏、みすず書房の尾方邦雄氏、平凡社の龍沢氏、また柏木博氏とも和やかに多くを話せたが、声がかれた。主催者の津野さん、室さん、萩野さんらのおかげで、刺激に富んだ一夕を楽しんできた。問題は山ほどあるなと感じられただけで満足しよう。
2001 5・10 9

* 午後二時に予告されていたとおりに布谷智君の電話をもらい、リモートコントロールでFFFTPの不調に立ち向かったが、延々、何としても動かず。
ところが、「CANNOT CONNECT」の上に「530」が不正確である旨の警告も出ていて、それを伝えると直ちに、布谷君はそれはパスワードのことだから、あらゆる記憶に当たってそれらしいものを見つけるように指示してくれた。わたしにはこの数字の意味、見当もつかなかった。修理の専門家相手へのメッセージらしいが、こういうのもマニュァルに入れて貰いたい。
電話でのやりとりと不成功の連続に、もうほとほと疲れていたけれど、もう一度調べなおした。それらしいパスワード候補もあてがってみたが、やはりダメ。わたしは、頭からBIGLOBEメールのパスワードと思いこんでいて、「ホームページ」そのものにパスワードのあることを考えもしなかった。なにしろ、立ち上げたその日から全てを田中孝介君に委ねていたから、そういうことに気づいていなかった。田中君に注意されて記録はしていた。それで助かった。このパスワードで、FFFTPは、重かった腰をやっと上げてくれたのである、バンザイと叫ばずにおれようか。ホームページが稼働してくれなければ格好のいい新しいデスクトップも大半の意義を失うところだったから、ほっとした。だが、まだ安心はしていない。実地に使い慣れてみなくてはならない。布谷君、ありがとう、心より感謝しています。
2001 5・12 9

* FTTTPはパスしたが、転送すべきホームページの在るべき位置が定まらない。ネットスケープ コミュニケーターのバージョンが、ノートのよりデスクトップは布谷君によりアップされていて、格合いがちょっと違いとまどってもいるのだが、ノートのホームページをデスクのどこへ貼り付けると適当なのか、一から始めようとして、これにもまたとまどっている。つくづく未熟・不得心者なのである、わたしは。
2001 5・12 9

今日はひどく刺激の強い一日だった。ま、新しいコンピュータもネックを一つ通り抜けたし、文字コード委員会の方ともそれなりの応酬があった。他にも有った。手荒い波の往来の中で、水底に重りを垂らし、アプアプはしないよう気をつけている。
2001 5・12 9

* ADSLが話題になる時節で、以前には神戸の芝田道さんから著書を戴いているし、どんなものか、田中孝介君にも教えて貰っている。もうわたしより詳しい人の方が多かろうけれど、以前に教わったところを紹介しておこう、役に立てばいいことだから。

* DSLとは簡単に説明すると、今ある電話回線で高速にインターネットを接続できる技術となります。将来的には、各家庭に光ファイバをつなげることになると思いますが、それまでのつなぎとしての技術と私は考えています。
DSLにはいくつか種類があり、家庭用としてはADSLという種類の技術が使われています。
どのくらい速いのかといいますと、現在の約24倍になります。この値はサービス提供会社により若干異なります。
ただ、(今年の二月半ばの話であるが、注)サービス開始からまだ日が浅いため、サービス提供地域が非常に限定されています。先生のお宅はまだの開始されていませんでした。
このサービスの利点は、高速にインターネットにつなげられるということと、24時間つなぎっぱなしにしても月々5?6千円しかかからないということです。24時間、高速にインターネットにつながる環境があると、生活ががらっと変わるかもしれません。
もし、先生のお宅の地域でサービスが始まったら検討する余地は十分あると思います。

* もうすでに戸別勧誘のJ?COMが玄関まで来ている。ニフティーからも勧めてきている。機は熟してきた。在来の諸設定に何らかの変更等の手順上の影響が出るのかどうかをよく確認しながら、加入したい。階下に妻もべつの機械を持ったときなど、いわば二口といったことになるのか、まだわたしはよくは呑み込んでいない。まだLaVieを芯に使っているが、そろそろ新機デスクトップ(布谷君は機械べつに適切な命名を薦めてくれる。)へ重点を移動したい。「駆使」どころかまだちょっとも機械の仕組みが分からない。文字コード委員会からファイルで送られてくる資料を開くと、WZ?EDITORに全く読めない文字が現れたりする。きっとナミの文字に直せる仕組みがあるのだろうが、途方に暮れて本文のままメールにして欲しいと頼み返すしまつである。こういう未熟の種が山ほどある。

* 二階の機械部屋が、もう、暑くなってきた。季節のめぐりにはいつも脱帽し感謝する。
2001 5・13 9

* これから新機「やすか=姉孫」で初の更新を試みる。この一行が無事に送れるか。

* 結論からして、更新に成功したと思われない。インターネットエキスプローラで読み出してみても更新されていなかった。繋いであるもう一台の旧機「みゆき=妹孫」にはちゃんと入っている。LANは効いていると言うことである。まだ、やすかとみゆきとの関連や留意事項が頭に入っていない。さっき試みたときには、みゆきに繋いだMOも、外付けディスクも使えなかった。マイコンピュータにアイコンも現れなかった。この理由も分からない。

* 今、J-COMが玄関へ来て加入を勧めていった。説明を聞いていても全部は頭に入らない。ADSLではなかった。ケーブルテレビの会社であるらしかった。テレビのチャンネルの増えるなどは歓迎できない。またニフティやビッグローブのアカウントネームの変更になるのも叶わない、という気がした。しかし光ファイバーが来ているのだと言う。この辺も、芝田さんに戴いた本を調べたり、聞いたり、尋ねたりして決めたい。
今「保存」しようとクリックしたら、そのあと「保存」二字が白転してしまった。同時に「上書き保存」も白転した。「みゆき」の方ではこういうことはかつて無かったが。
2001 5・13 9

* さて新機の「やすか」は、まだホームページとFFFTPでの転送が噛み合わず、旧機「みゆき」で出来ることが出来ないまま、閉口している。「餅」は目の前にあるが焼き方が手に入っていないのである、何としたことか。
新機「やすか」は、どういうメリットからか、全体40Gが四つに分割されているらしい。Cのウイン98、Dのウイン2000。これが、各5Gずつ。その他に15GずつEとF二つの空き地が用意してあるらしい。この意味がまだよく把握できない。とにかくも新機で、安心・安定してホームページ活動が維持継続できるようになりたいが。ADSLの加入などはその後のことである。

* ぐったり疲れているのが分かる。暑さである。明日はペンクラブの理事会。
2001 5・14 9

* いろんな日程に追われて落ち着きがない。隘路である。溜まったものの大きいのが流れてしまえばどっとラクになるが、この時期は流れるよりものの詰まるときで、腹のはった気分ににている。いま、また思いついて、パソコン二機を連結し、MOをデスクトップへ移してそこから改めてホームページとFFFTPを、win-cに貼り付けてみた。そしてこれを書いている。無事に転送できればOKであるが。

* 転送に成功した。MOでの貼り付けが効を奏しただけでなく、FFFTPでのちょっとした手直しがものを言った。悪戦の経験も生きた。四月二十九日に、布谷君が機械を組み立てに家に来てくれて以来、二十日めに、高いバーを越えた。半年ほど苦闘していた気がする。

* 布谷君と電話で、細部の疑問を調整した。周辺機器が、余儀なくデスクトップにMO、ノートにスキャナと外付けとプリンタ、と分かれているので、当分は或程度の不便は免れないが、もっぱらデスクトップで基本的な作業はできることになった。感謝にたえない、また充実感に恵まれている。ホームページの容量を、とりいそぎ、30MBにまで増量しておきたい。
2001 5・19 9

* 「メル友」犯罪の多発が表面化している。情けない。軽率に逢いたがるのが、いちばん問題だ。人間同士、逢えばいいというものではない。逢わなくていいと想っている人間関係もあり得ることを覚えたほうが、いい。わたしは、だれとでも気持ちよくメールで話しているが、ほとんどの人と逢ったことがない。読者と作者とはそういう間柄の「身内」と思っている。だからこそ、個と個との直面が、架空の個室で、可能になる。わたしは、それをさえ電子の「闇」に解き放とうとしている。
上のような特に飾りも気負いもない日常的なメールの自然な往来が、わたしをいわゆる作家生活とはべつの次元べつの日常に運んでくれるのを喜んでいる。

* 今日、ホームページ容量を30MBに増量申請した。日本語で1500万字が可能になる。文学・文藝で満たしてゆきたい。
2001 5・21 9

* カウントが出せなくなった。理由が分からない。アクセスの数に意識を持ちすぎるのはよろしくなく、直しようも分からないので、当分放っておく。
2001 5・23 9

* 機械の操作では三年間に山ほど田中君はじめ林君にも布谷君にも、また通りがかりの人たちからも読者からも、教えてもらってきた。その一つ一つが「教科書」なのだが、量が多くてプリントしたものが参照しにくくなっていたのを、整備整頓し始めた。 適当に見出しをつけて分類しておくと参照しやすい。マニュアルよりも役立つだろう。「アクセス・カウント」が消えてしまっている。以前にもこういうことが有ったし、教わったはずだが、それを見つけたかった。
2001 5・25 9

* アクセスのカウントが出来ていないので、文字どおり「闇に言い置く」だけでいる。へんな励みをつけられることが無く、この気分のまま、ある日、一瞬に、「やーめた」と、機械をぜんぶ解消してしまうこともありうる。そういう願望が胸の底でいつも疼いている。リセットである。ちっとやそっとではやめられないという気持ちもある。
いちばん読まれているであろう「私語の刻」を、非公開にしてしまいたい内心の誘惑は、いつもある。独りになり、わたし自身の内奥を孤独に見つめる日々を持った方がいい、外へ外へ扉を開きすぎている、という気がある。自然な流れの中で、いつか、きっぱり決断することになろうか。だが、曝して生きよと励ます声も心の奥にある。
2001 5・27 9

* 出版と電子メディアにかかわるオンラインの国際討議に参加するよう、要請されている。乗りかかった船である、参加してみようと思う。日本語で発言すればきちんと英語に翻訳してくれるそうだ。
2001 6・4 9

* 電メ研は、和やかではあったが、疲れた。
ペンクラブのホームページをどうするかという議論で、大勢としては、現状のホームページは本来が広報のそのものであり、広報委員会の管轄に正式に移すべきであろう、広報性は現在のママでも何とかなっているので、その余の工夫はしてもよくしなくてもいい、広報委員会に委ねて済むこと、と。

* その上で、全く発想を異にして、今ひとつ別途のホームページを構想しようと。いま、ここには、まだ書かないが、わたしのその提案はかなりに共感賛成を得たようであった。今少し想を練りたい。
2001 6・5 9

* アクセスカウントの修繕が出来ないまま、放置している。数に気をとられないでいるのも良いことだが、すかすかと空を踏む気分でもある。故障の間はカウントされないで居るのか、知らぬところでされ続けているのか、知らない。
2001 6・7 9

* 先日の電子メディア小委員会で提案し討議した「構想」を私案として書き纏めてみた。理事会の理解は容易には得られまいと思う。研究班のみなさんにもメーリングリストで伝えたが、もともとこの案は一般のユーザーにも向けているので、思い切って、以下に公表しておく。

*  電メ研提案 日本ペンクラブ「電子文藝館」構想 2001.6.15理事会に。

* 六月五日の研究会で討議の結果、以下のように提言する。 座長 秦 恒平

* 日本ペンクラブ・ホームページ活用は、型通りではあるが現在支障なく行われ、委員会活動等の広報内容は充実している。強いてリニューアルの必要はないと考える。
ホームページによる「広報活動」は、現状のまま「広報委員会」に委ねるのが適当で、従来通り事務局による交通整理ないしATCによる入力・転送で、技術的・運営的に何の問題もないと思われる。ホームページ利用による「広報」は「広報委員会」に返したい。

* 「電メ研」は、日本ペンクラブによる「電子メディア活動」の一環として、PENの名に背かない文藝的・実質的な「ホームページ活用」に当たりたいと、具体案の検討に入っている。会員による「日本ペンクラブ・電子文藝館」のホームページ上での創設である。

以下、「電子文藝館」構想の大要を示したい。

* 発想の原点には、日本ペンクラブが、思想は思想としても、本来文藝・文筆の団体であるというところへ足場を固めたい希望がある。さらにはまた、日本ペンクラブ会員となっているいわゆる地方・遠隔地会員にも、会費負担に相応・平等の「何か」特典が有って然り、今のままではあまりに気の毒という思いがある。「会員である」事実を、本来の「文藝・文筆」の面で実感できる、極めて経済的な「場」として、「ホームページ」を活用しない手はないのではないか。

* 日本文藝家協会には、会員共同の「墓」地が用意され、希望者は、生前ないし没後に、夫妻の姓名と会員生涯の代表作名を一点刻み込んで、永く記念できるようにしてある。だが莫大な費用もかかる。
しかし、もし我々のホームページに適切に「電子文藝館」のファイルを設定し、そこに、会員自薦の各「一作・一編・一文」をジャンル別に掲載してゆく分には、ほとんど何の費用もかからないで、直ちにみごとな「紙碑・紙墓」を実質的に実現できる。作品の差し替えも、随時、簡単に出来る。

* それのみか、アクセスする国民その他の、自由に常に閲覧できる優れて文化的な「場=電子文藝館」にも成る。人は、具体的な作品と数行の略歴により、筆者がどのような文藝・文筆家であるかを即座に知ることが出来る。もし会員になれば「電子文藝館」に自作が掲載できるのだと分かってもらうのも、一つのメリットと成ろう。

* 即ちこの「電子文藝館」に作品の掲載されることは、そのまま自身が日本ペンクラブ会員たる事実を、世界にむけて発信することになる。会員の一人一人が「その気」になれば、すぐにも我々のホームページ上に「電子文藝館」は実現し、収容能力に不安は全く無く、維持経費は極めて軽微で済む。

* 掲載は現存会員に限らない、遺族の許可や希望が有れば、過去の著名な会員の作品も適切なファイルを設けて、積極的に収容した方がよい。さしあたりは、島崎藤村以下歴代会長の各一編を順に掲載できれば、極めて大きなアピールとなろう。不可能なことではない。電子メディア時代ならではの雄大構想になる。

* 会員の自薦作であるから審査は不要とする。すでに慎重審査を受けて入会を許可したプロフェショナルな会員である以上、掲載作には筆者が自身で質的に名誉と責任とを負えばよろしく、ただ作品の長さや量にだけ、一定の約束(例えば、一作限定、二百枚まで。短歌俳句は自撰五十、詩は適宜、とか)を設ければ済む。申し込みの順に適切に積み上
げて行くのが公平な扱いになる。目次と検索索引は工夫できる。

* 会長以下、役員・理事諸氏が率先作品を提供されれば、直ちに「呼び水」とも「評判」ともなり、寄稿希望者は漸次増えてくるに違いない。一年で三百人が集まれば、それだけで偉観をていするだろう。さらに「電子文藝館」が充実すれば、ここから「日本ペンクラブ」の質の高い選書・叢書すら出版して行ける可能性も生まれる。
なによりも、会員各自が「自信・自負の作品」を集積するのが趣旨であるから、文字通り「日本ペンクラブ」の価値ある「大主張」と成ろう。
こういう本格・本来の事業が、文筆家団体の雄である「日本ペンクラブ」に是非必要ではないか。ホームページを活用すれば、簡単に、金もかからずに出来るのである。

* 但し、原稿料も出さず掲載料も取らない。アクセス課金もしない。収益は一文もあげる気はない。
また重大な点ではあるが、電子メディアについてまわる著作権侵害の危険はある。この点は「覚悟の上で掲載作品を各会員が自薦」することになる。作品の差し替えはいつでも簡単に出来る。退会者の作品はその時点で削除する。

* 寄稿は、原則としてデータファイルの形で担当者に送信して欲しい。少なくも手書き原稿は、事務的な手不足と煩雑からも扱いかねる。最低限度、スキャナーにかけられるプリント状態で寄稿してもらう。手間のかかるものほど、掲載に時間のかかるのはやむをえない。

* 「日本ペンクラブ・電子文藝館」は、設営に、アトラクティヴな相当な技術的工夫を要するので、またファイル構成や編成にも機械操作の技術をともなう編集実務を必要とするので、「電子メディア小委員会」が委員会内に「編成室」を組んで担当したい。日本ペンクラブの大きな財産に成るようにと期待している。英断による即決をお願いしたい。
内閣にも電子マガジンの出来る時代である。     以上   文責・秦

* 会員はもとより、一般のユーザーからも、より良い助言や批評が得たい。早くも賛同と期待のメールが次々に入っている。
2001 6・11 9

* いま、加藤弘一さん、林丈雄君に教わっていたやり方に布谷智君の助言を加味して、やっとカウントを復活させた。途絶えたのが五月二十三日からで、五月二十二日「28679」だった。その当時まで、一日に「50ないし80」くらいの増加だった。今開いた数字は、だが「28725」で、故障以来およそ一日分に不足する程度の新しい数字がカウントされている。故障した段階でやはり器械のカウントはストップしてしまうらしい。「30000」に達しているか、ごく近づいていると想っていたが、こういう数字はアテにはならぬことが分かった。同じこういう故障で放置した期間が、かなり長期間、過去に、二回あった。現在カウント表示の数字は全然アテにならない。
2001 6・17 9

* またカウントが故障している。「index.htm」を開いて必要なことを書き込み、保存して転送しようとすると、保存の前に警告が出る。「この頁に関連づけられているファイル、vpack\Count.cgiは保存することが出来ません。ファイルが正しい位置にあるか確認してください。保存を続けると、この頁はの内容は、vpack\Count.cgiにはほぞんされません」と。保存しないわけに行かず保存し転送したら、またもカウントは赤い×マークが入っている。本文の末尾の「戻る」などはもう全部が働いていない。無くて済むものは無くていいかと無精者の本音が出ている。
2001 6・19 9

* 布谷智君の奮闘と親切で親機が稼働し、とてもとても仕事がすすむ。二台をネットワークで繋いである効果がまだ生かせない、生かしようがよく分からないけれど、多少の不便を越えてフロッピーディスクを頻繁に入れ替え差し替え二台を有効に使い分けるようにしている。スキャンもプリンタも外付けも、まだ以前から使っているノートパソコンに繋がっていて、親機からは使えない。ノートパソコンでも、それらを使おうとするとネットワークをはずしておかないと働かない。何かが問題なのであろうと思う。
2001 6・20 9

* 「本とコンピュータ」は、日本語の雑誌を出し、英語版も編集している。英語版がインターネット上で次々に国際討議の問題提起を続けていて、ダウンロードして読んでみると刺激的になかなか面白い発言や意見に満ちている。わたしも割り込んでみることにした。と言うのも、例えば出版を俎上にあげながら、ほとんど徹頭徹尾「編集者・出版社」という一括の視点から語ろうとしているのが解せないのだ。もうそれは時代遅れであろう。本来の「作家・編集者」というチームに立ち戻って、コッテージ・インダストリーの出版が可能なネット時代がもう来ているからだ。編集者は出版社のバブル増殖と壊滅の過程で自己破産し、編集者は存在しなくなり出版資本に使役された出版社員だけに変質変容したのだ。下請けを追い使いながら、前年同期プラス何十パーセントかの生産高アップに追い立てられて、ベストセラーという名のガラクタ生産に誇りもたちからも失っていった。原稿の読めない・読まない編集者なんてものは無意味な存在になった。
だが、今や、「作家と編集者」という小さいが優れたチームが出来れば紙の本も電子の本も、出版社抜きの出版で仕事が出来る、効率高く出来る時代が来ている。編集者も作家も、出版社の外へ抜け出て誇り高い仕事をすべきときだ、不可能ではない端緒をわたしの「湖の本」は神でも電子でもつけている。十五年、六十七巻、まだ千早城に退くことなく頑張っている。そろそろ六波羅探題を陥れ、鎌倉幕府をうち倒し、名和がたち菊池がたち、がんばれる時勢ではないか。そんなことを、今だからわたしは言いたい。
2001 6・20 9

* 今、日本文・英文とも国際討議の場に、わたしの原稿をアップロードしたと担当編集者の通知があった。日本語の題は、「ネット時代に 作家として編集者として」と。 「作家から編集者へ」という気持ちであった。
http://www.honco.net/100day/03/2001-0622-hata-j.html で見て欲しい。
英語のタイトルは、ストレートに、「Publishing without Publishers」となっている。
わたしの発言までに、アップトゥデートなもろもろの発言が並んでいる。
2001 6・22 9

* ペンの同僚理事森詠氏から電話、推理作家協会が実施した電子出版に関するアンケート資料をファックスで送ってもらった。見ると、大手の出版社あてに質問を発してあり、予想できたような解答がほぼ並んでいて、新味はとくに無かった。会員の関心は高いに違いない。しかし、この問題は出版社、それも在来の紙の本の出版社に尋ねてみても、ほんとうは仕方が無いというか、少なくも書き手のためにはならない。印税一つをとっても各社「15%」とか「企業秘密」とか答えている。
今はそういう話をお伺いしている時機でなく、積極的に書き手の方から、著作者の方から、斯く在るべしと言う姿勢や要望を作り上げてゆくのが必要なチャンスなのだ。われわれの電メ研が制作した「電子出版契約」パンフレットに則りながら、より優れた内容のものに著作者が自ら作り上げてゆかなければ、時勢に処するを大きく過ってしまう。出版社に聞くのも一つの前提だが、前提のまま、そんなものですかと納得してしまってはいけないだろう。紙の本と電子の本とは「性質を異にしたまったくの別物」という認識から意識的に一歩二歩を前へ踏み出し、強い姿勢で、著作者の権益をもうこれ以上は見失わないための対策を、つよい意志を持たねばならない時代だ。電子本は、その気になれば自分でつくり自分で優に売り出すことも不可能ではないのだから。発想の転換期なのである、今は。
2001 6・27 9

* 電メ研。「日本ペンクラブ・電子文藝館」について検討、構想の各部分を具体的に補強し、べつの発想を追加していった。全会員の業績データベースも着実に積み上げて、日本ペン会員の実質的な名鑑と著作・著述を完備したい。このわたしの提案にも強い賛同の声が。研究会のなかでは声も言葉もが通じるが、理事会はどうか。

* かねがね気にしていることがある。会員になるためには、理事一人と会員一人以上の推薦が必要とされている。推薦の発議は、理事が、理事会でする。わたしも、就任以来何人もの人を推薦してきた。推薦に値すると思ったからである。また、わたしの仕事柄、値すると思う人たちとのつき合いは、多方面に、廣い。会員を増やしたいという要望がむかし執行部からも出た。こころみに、その時、こういう人なら推薦したいなと思った人名を書き上げたら、二百人ぐらい有った、その挙には出ないで済ませたが。
ところが、この推薦行為と、理事改選の選挙とが、どこかでジワリと絡んでくるのは、事実あり得ぬことでなく、もし「再選」効果を意図しつつ、特定の、ないし各理事が一種軽薄な「宣伝行為=推薦行為」をあえてするようになると、そういう悪慣行が、意識の有る無しを越えて定着してくると、結果としてそれが選挙運動となり、得票数に陰気に結びつき、つまり理事改選に情実的にからみついて、そのために理事の「有意義な交代」が進まなくなるのではないか、顔ぶれが「わるく陰湿に固定」してくるのではないか。わたしは、自分の意外な二選三選の事実ともからめて、どうも、よろしくない傾向がこの「会員推薦のからくり」には纏い付いているなと、ずうっと感じてきた。
じつは、これと関連するかと思われる「実話」を耳にした。或る役員理事が、自分の推薦で入会した会員たち数十名に囲まれて、毎年のように名目親睦会を繰り返しているというのである。良いことではないか、という感想が有っても理解できぬでは、ない。しかし、これは、理事会の、ないしペンクラブの内部に、特定個人理事の「支持派閥」「選挙母体」が形成されているのと、何ら変わりない。会員にして貰ったことを恩義と感じ、その推薦理事を半永久的に理事に推し続けようとなれば、まさに「**派」総会のようなものが出来ているのと変わりがない。有志の親睦会ですよ、何がわるいかと開き直られれば、それも如才のない「政治力」というものであろう、格別返事のしようもないし、これ以上口は挟まないが、気持ち悪い・薄気味のわるいイヤなことが麗々しくやられているものだとは、少なくも「わたしは呆れている」と、此処に書いておく。やりそうな親分と子分でやっているという感じだ、今のペン理事会の空気にわたしのしばしば感じてきた或る漠然とした違和感を、ああこれか、と説明がついたような「実話」であった。耳が汚れた。

* 少なくも今後も選挙により理事を選ぶ制度を続けるのなら、理事の再選に対して、ある程度の歯止めをかけて、少なくも一期は引き下がらせる慣行などを作るべきではないか。地位占拠に節度と止めどが無くなると、人間的に汚れてゆくことに繋がる。

* 昨夜も三時に寝て、今朝は七時に起きている。夏疲労も溜まってゆくだろう。今日の会議が二つという掛け持ちも過剰なので、どちらかを休みたい。真昼間三時間の文字コード委員会、いつもは宿題が来るが今回は来ていないので、この方を休養にあてたい。

* 電メ研を創設したとき、わたしのアタマには、ホームページを開設のほかには、会員への技術的なノーハウの提供サービスなどがあった。この三月に配布した「電子出版契約の要点・注意点」はピッタリそういう配慮で生まれた一成果であったが、このごろは、もっとべつのことを考えている。電子メディアによって、日本「PEN」クラブの「活動」といいうるどんなことが可能かと。
金を稼ぎめあてのお安い出版企画は、それなりに別物として、電メ研の出来るのは、有用で有意義な壮大な「データベース」の充実がその一つではないかと思う。すでに理事会に提案した「日本ペン・電子文藝館」は大きな構想であり、成熟成長してゆけば大きな文化資産に成る。さらには、現存全会員の「業績リスト」を世界へ発信したい。これは日本文学や日本の文筆家団体にかかわる、実質的な「研究」の基礎資料となるもので、どんな会員がどれほどの仕事をしてきたか、しているかを世界に示すことが出来、ジャーナリスティックにも有用性は高い。研究の基盤はこういうデータベースによって整備されてゆくし、電子メディアはそれを常に世界へ公開しておけるし、拡充が常に自在に可能である。わたしは、こういうことを考えている。
ペンの執行部は、どんな理由もあげられずに無意味に「小」委員会としているけれど、これからは、電子メディアの活躍する時代であり、最も機動的な「大」委員会の一つになってゆくだろう。
さしあたり、「電子文藝館」がうまく始動し、これに広告収入が見込めるように育ててゆけば、専従職員を配置して日本ペンクラブの大きな看板にして行ける。わたしは十分可能だと信じている。その理由の一つに、わが「e-文庫・湖」の短期間での充実経験を挙げたい。
文学文藝の愛好者が、何か読みたいなと思いつけば「電子文藝館」を開いて、好きな一編を読んでから一日を閉じる、そういうようでありたい。ほんとうのアンソロジーである、貧相な発想ではない。
2001 7・9 10

* 機械の操作に負われていて、何となくあちこちにガタのきているのが放置してある。いろんなことを、この際、手直ししたいのだが、ヒマもなく技術も覚束なくて動けない。
1 ホームページのファイルを、さらに大増強したいこと。ところが、教わった手順を、きれいに忘れている。どこかにマニュアルが出来ているのも見つけ直すのが大変。
2 コンテンツの量が膨大になっているので、便宜な、検索の手段をと前から注文されているのに、手がついていない。
3 「e-文庫・湖」そのものに、新しく表紙をつけ、自立独立した存在感を持たせてやりたいが、これは、わたしの手に負えない。
4 写真や図版が出任せに消えたり出たり、勝手気ままになっている。写真類を出し入れする「手順」を性格に覚えて使いこなしたい。
5 ホームページ容量を30MBに申請し受理されているはずだが、INDEX.HTMに入っている要領なのか、マイホームページの homepageやFFFTPにあらわれる全部が消費量なのかが分からない。後者だとすると30MBは優に突破しているのだが。
6 二つの器械がネットワークになっていて、ホームページ内容は同時に転写されていて安心で有り難いが、その他にはメリットは何も無いのだろうか。今のところ、おや、こういうことも出来ているのかと思い当たった利点が無いのだが。プリンタもスキャナも外付けも、古い器械に付属していて、ネットワークを取り外さないとスキャナも外付けも働かない。
7 ファイルの各末尾に、はじめ、田中君はすべて「戻る」マークをつけてくれていたが、いつしれず、「戻る」機能はぜんぶ失せたままになっている。
8 WZEDITORをインストールしないと、例えば勝田さんからメールで送られてきたスキャン原稿をファイルから展開できない。ところが、新しい器械で何度試みてもWZEDITORをインストールしようとすると器械が凍り付いてしまう。今は仕方なく古い器械で開いて、CDに入れて新しい器械に貼り付け直している。

* これら問題点をクリアして行くのはこの先容易ではないが、器械は使えている。新しい器械にすっかりといえるほど慣れてきた。

* この三つは、もし「日本ペン・電子文藝館」が発足すれば、直ちに必要な対策になる。会員の中で、こういう設営や運営に自信のある人材を委員会に迎えるか、新たに会員に推薦するか、それも大事なことだが。
2001 7・12 10

* その次には、わたしのパソコンないしホーページに関して、親切な、なるほどと思う解説付きのメールを戴いた。難しいけれど、分かるような箇所もある。いささかパニックにも陥っている。また田中君や布谷君や林君のチエを借りなければ済むまいか。みな忙しくなっているからな。もう一度東工大に就職しようかな。

* 7月12日の条、拝見しました。
> 1 ホームページのファイルを、さらに大増強したいこと。ところが、教わった手順を、
> 2 コンテンツの量が膨大になっているので、便宜な、検索の手段をと前から注文されて
> 3 「e-文庫・湖」そのものに、新しく表紙をつけ、自立独立した存在感を持たせてやり
> 4 写真や図版が出任せに消えたり出たり、勝手気ままになっている。写真類を出し入れ
> 7 ファイルの各末尾に、はじめ、田中君はすべて「戻る」マークをつけてくれていたが、
以上、四点はホームページ作成にお使いになっているソフト(Netscape Composer)のリンクの設定がわかりにくいことが原因になっていると思います。
「検索手段を」という読者の要望の背景には、一つ一つのページが大きすぎることがあると思いますが、大きくなってしまうのは、自由に新しいページを作り、リンクできないからではないでしょうか。
新しいページをリンクするのも、現在の目次とは別の「e-文庫・湖」の目次を作るのも、また写真や図版をページに貼りつけるのも、すべてファイルの関連づけの問題に帰着します。Netscape Composerはファイルの関連づけが難しいようです。
たとえば、冒頭の似顔絵ですと、画像の位置を

と指定すべきところが

となっています。  また末尾の「戻る」は

 

と指定すべきところが

 

になっています。
専門用語で恐縮ですが、相対指定すべきところが絶対指定になっているのです。
譬えで言いますと、「朝食前30分に血糖値を測る」が相対指定、「日本標準時7時30分に血糖値を測る」が絶対指定です。
相対指定なら朝食時間がずれたり、ニューヨークやロンドンのような時差のあるところに旅行しても大丈夫ですが、絶対指定では必要なデータがえられないことになります。
Netscape Composerは関連づけるファイルの位置を絶対指定で指定するために、秦さんがお使いのNECのマシンの中ではちゃんと画像が見えたり、目次に「戻る」ことができても、Biglobeのサーバーに転送すると、画像が消えたり、目次に戻れなくなります。言わば、ニューヨークで日本標準時を使うようなものです。
絶対指定を相対指定に直しても、Netscape Composerで編集すると、相対指定が絶対指定に書き換えられてしまうよう
です。多分、Netscape Composerは、相対指定・絶対指定の違いがわかることを前提としたソフトなのでしょう。Netscape Composerは無料でついてくるおまけソフトですから、痒いところに手が届くというわけにはいかないのは仕方ないです。
Netscape Composerをお使いになる限り、この問題はずっとつきまとうでしょう。
この際、IBMホームページ・ビルダーのような、痒いところに手が届くことを売りにしている、初心者にもわかりやすいソフトを導入された方がよろしいのではないでしょうか。一万円近くしますが、無駄にする時間のことを考えれば、結局は安あがりだと思います。

> 6 二つの器械がネットワークになっていて、ホームページ内容は同時に転写されていて

特別な意味はないのではないかと思います。ひょっとしたら深い意図があるのかもしれませんが、こういうシステムはごく一般的だからです。
プロやヘビー・ユーザーの場合、マシンは朝から晩まで、電源を入れっぱなしにしておくのが普通です。月曜の朝に立ちあげたら、金曜の夜まで電源を切らない会社もすくなくありません。そういう感覚からいえば、LANでつないだコンピュータを、たいした意味がなくても、常時動かしておくのは、当たり前のことです。
データをバックアップするためでしたら、バックアップする時だけサブのマシンを立ちあげるとか、あるいは一台のマシンにハードディスクを二つ入れ、ミラーリングという方法で、常時同じ内容にしておくという手もあります。しかし、コンピュータのプロの感覚からすれば、二台のマシンを平行して動かしておく方が自然のようです。
このあたり、初心者の感覚との間にズレがあります。
コンピュータは決まった使い方がないので、どうしても感覚のズレが生まれます。それも理系と文系、上級者と初心者、企業人と自宅ユーザーというように、さまざまなズレが複合します。
以前、Acrobatの説明の際に書こうかどうか迷ったのですが、Acrobatは企業では必要不可欠なソフトですが、物書きに必要なソフトではありません。
企業の場合、どこにどんな見出しがあって、会社のロゴをどこに置くかかといった文書の体裁が重視されます。AcrobatはマシンがWindowsであっても、マッキントッシュであっても、Unixであっても、常に同じ体裁で文書を表示することができるので、企業内の文書交換の手段としては、なくてはならないものになっています。
しかし、物書きにとっては文書の体裁はどうでもいいわけで、Acrobatが必要になる場面はほとんどありません。Acrobat入稿に対応できる編集部もないでしょう。
Acrobatの購入を勧めた方は、よかれと思って勧めたのだと思いますが、企業人の感覚と物書きの感覚とのズレはいかんともしがたいものがあります。
コンピュータに関してアドバイスを受ける場合は、感覚のズレがありうるのだということを意識された方がよいかと思います。

> @NIFTYのADSL申し込みをした。

ADSLをお使いになるのでしたら、中村正三郎氏の「ウィルス伝染るんです」(廣済堂)をお読みになった方がよいと思います。セキュリティの常識について、非常にわかりやすく解説してあって、このくらいは知っておかないと、まずいでしょう。

* 親切懇切な解説で、わたしよりも的確に読みとれる読者が多いだろう、わたしは、いささかパニックに見舞われながら、うーん、なんとかスルゾーと思っている。感謝します。
と、もう、べつの方角から親切な助言が届いてきた。

* html文書の中で、写真や目次の場所を指定します。その場所の指定がNECのパソコンの中を指してしまったために、ホームページを訪問した人には写真が見えなかったり、目次に戻れない現象が起こってますよとアドバイスされています。
要は絶対指定とは、住所を含めた場所(位置)の指定方法である。一方、相対的とは自分を中心にした場所(位置)の指定方法です。ですから、前者はNEC のパソコン(住所)のなかの写真Aという表現、後者は単に写真Aという表現になります。
更にNECのパソコンの中を指してしまうのは、Netscape Composerを使っているからで、IBMホームページ・ビルダーを導入されてはと提案されていますね。
結論としては、住所になっている部分を外せばいいことになります。例えば、

 

では、file:////Nec lavienx lw/d/homepage/ が余分に付いています。これを取って

  となればいいのです。ソフトを変えるというのも一つの方法ですが、私の経験ではIBMホームページ・ビルダーでも、パソコンの中を指してしま
います。
どのようなソフトがいいか、元学生君に相談されてもいいですね。でも皆さん自分が使っているのを推薦するでしょうね。
ちなみに私は、Hyper EditというHTMLエデッタであるシェアウェア(気にいったらお金を払う)を使っています。このソフトのホームページは  http: //www.dicre.com/ です。
秦先生のホームページに関しては、写真の1枚や2枚見えなくても、私は困りません。本文が読めればいいと思っています。
また、目次に戻れない件についても、ブラウザの戻るボタンをクリックすれば元のページに戻れますので。
なんだか解決にはなりませんが、とりあえず
2001 7・14 10

* ホームページについての『親切懇切』な解説のメールを貰えて、本当にありがたい事ですね。試しに、「ページのソース」(表示→ページのソース)を見てみたら、確かに『ご指摘』の通りになっていますね。HTML を知らないおじさんには、よくわかりませんが、秦さん『なんとかスルゾー』で直せましたか?わかってる人には何でもないことなのでしょうが、おじさんは辛いですね。『東工大の方々』もお忙しいでしょうし、秦さんもお忙しそうですし。少し夏休みだあーってぇのがあるといいですね。ご健闘ご成就をお祈りしております。猛暑にもくれぐれもお大事にしてください。

* 毎日、秦さんのHPを楽しみにしておりますが、専門文芸誌から全国紙?ジャーナルへ、個人商店からスーパーへ、タイトル、テーマ、品数増えつづけ、千客万来、インタラクティヴ傾向益々顕著、これを独力・一手引き受けでは、うれしい悲鳴を通り越して、と、いささか気がかりです。
いかな、博覧強記、思想堅固、闊達自在、人間アーカイヴ秦恒平でも、おのがじし、身を処しうるかどうか。オープンな「場」について、「私語の刻」だけではもう難しいかも知れませんね。ここはもともと「闇に言い置く」ひとりごとの頁だったはずかも知れませんし。
秦さんのHPが繁盛する理由:
1)動きがある(変化に富んだ話題が、早いテンポで展開する、つまり、回答の書き込みが早い)
2)新しい(人はとかく「野次馬根性」が強く、新鮮な話題に飛びつく)
3)身近に感じるものが並ぶ(自分(読者)に関係あるものが増えれば、当然、反応も増えていく)。ただし、落ち着いた感じの「e-文藝」への反応は少なく、もっぱら、ジャーナルな「私語の刻」に集中している。
4)親近感を感じればこそ(もとより、秦氏独断の投げかけではあるが、共通性、普遍性が多いというか、掘り起こしているというか)
5)具体的な内容(抽象的なモノより、日々のカレント・トピック、それも具体的な各論、総論が増えてきた)
6)気がかりなもの(各人が抱えている問題や悩みが掘り起こされれば、当然、リアクションも増えていく)
7)対立するもの(人は、結果のはっきりしているものより、拮抗しているものに興味を示す。寝た子を起こすこともよくあ
る)
8)ユーモアのあるもの(楽しいもの、うれしいものには、ひとりでに興味がわく。硬軟とりまぜて)
9)欲求に訴えている(話を聞いてくれる(聞き上手)、返事がある、というのは、相手の欲求を満たす度合いが強い)
これ、「お客の心を開かせるセールス・トークの秘訣」なり(坂上肇『ひとをひきつけるセールス・トーク』より)。
身近な「現代(作家)のスター不在」があるやも知れませんね。微風・順風をよしとせず?「風穴をあけつづける」作家・思想家は、「風通しをよくしたい」と願う筋からあまたの支持を得、期待をになうことになりましょう。ひっきょう、結果のいかんにかかわらず、衆愚(そして、お客、弱者、善男善女)の代言者となる。そしてスターともなりうる。「衆愚」とは片腹いたきことはなはだしくも、逆説的には、アテナイの民主主義を愚弄した暴言と思えばスッキリしましょうか。
好みで言うと、「古典」「文藝」「美学」の兄貴分たる秦さんには、その方面をきっちり確保し、続けてほしい。新芽を育む責任もありましょう。カレント・トピックのインタラクティブな「場」については、二つ三つテーマ分けしてはいかがでしょうか。間口が広がっても、少し整理されましょう。そして、「闇に言い置く」の「闇」が「あらゆるものをとりまき、呑みこむ闇」なら、これからも、「ぐつぐつ煮えたぎる大釜」の底を覗いてまいります。あとは、御身大事にと願うばかりです。

* 自分自身をも含めて、わたしは、ただ「見て」いるだけである。つきつめれば、みな、どうでもいいことであり、だから気負って抛つことも必要なく、ねばならぬことは何もない。興のあるうちはつづけ、尽きればやめる。もてあましているエネルギーを垂れ流しているとも言えるし、好き勝手に休憩しているとも言えるし、これが一種の瞑想であり座禅であるとも言える。芯の一点にいれば存外に静かである。

* 和歌山の三宅貞雄氏に今、鮑をあしらった三種の酒肴を頂戴し、お礼も申し上げず機嫌良く朝酒をやってしまった。まだ十時過ぎである。あすは、またしてもペンの理事会。E-文藝館、図書館の問題、国立墓苑問題、いろいろ有る。低めの血圧が少し上がりそうだ。
2001 7・15 10

* 日本ペン電子文藝館の構想と推進とが、理事会満場一致で承認議決された。どういうものか、わたしの構想をあらまし、ここに掲載して置きたい。

* 電メ研 提案 日本ペンクラブ「電子文藝館」構想 2001.7.16
六月五日の研究会で討議の結果、以下のように提言する。 座長 秦 恒平
「電メ研」は、日本ペンクラブによる「電子メディア活動」の一環として、PENの名に背かない文藝的・実質的な「ホームページ活用」に当たりたいと、具体案の検討に入っている。会員による「日本ペンクラブ・電子文藝館」のホームページ上での創設である。

以下、「電子文藝館」構想の大要を示したい。

発想の原点には、日本ペンクラブが、思想は思想としても、本来文藝・文筆の団体であるというところへ足場を固めたい希望がある。さらにはまた、日本ペンクラブ会員となっているいわゆる地方・遠隔地会員にも、会費負担に相応・平等の「何か」特典が有って然り、今のままではあまりに気の毒という思いがある。「会員である」事実を、本来の「文藝・文筆」の面で実感できる、極めて経済的な「場」として、「ホームページ」を活用しない手はないのではないか。

日本文藝家協会には、会員共同の「墓」地が用意され、希望者は、生前ないし没後に、夫妻の姓名と会員生涯の代表作名を一点刻み込んで、永く記念できるようにしてある。だが莫大な費用もかかる。
しかし、もし我々のホームページに適切に「電子文藝館」のファイルを設定し、そこに、会員自薦の各「一作・一編・一文」をジャンル別に掲載してゆく分には、ほとんど何の費用もかからないで、直ちにみごとな「紙碑・紙墓」を実質的に実現できる。作品の差し替えも、随時、簡単に出来る。

それのみか、アクセスする国民その他の、自由に常に閲覧できる優れて文化的な「場=電子文藝館」にも成る。人は、具体的な作品と数行の略歴により、筆者がどのような文藝・文筆家であるかを即座に知ることが出来る。もし会員になれば「電子文藝館」に自作が掲載できるのだと分かってもらうのも、一つのメリットと成ろう。

即ちこの「電子文藝館」に作品の掲載されることは、そのまま自身が日本ペンクラブ会員たる事実を、世界にむけて発信することになる。会員の一人一人が「その気」になれば、すぐにも我々のホームページ上に「電子文藝館」は実現し、収容能力に不安は全く無く、維持経費は極めて軽微で済む。

掲載は現存会員に限らない、遺族の許可や希望が有れば、過去の著名な会員の作品も適切なファイルを設けて、積極的に収容した方がよい。さしあたりは、島崎藤村以下歴代会長の各一編を順に掲載できれば、極めて大きなアピールとなろう。不可能なことではない。電子メディア時代ならではの雄大構想になる。

会員の自薦作であるから審査は不要とする。すでに慎重審査を受けて入会を許可したプロフェショナルな会員である以上、掲載作には筆者が自身で質的に名誉と責任とを負えばよろしく、ただ作品の長さや量にだけ、一定の約束(例えば、一作限定、二百枚まで。短歌俳句は自撰五十、詩は適宜、とか)を設ければ済む。申し込みの順に適切に積み上げて行くのが公平な扱いになる。目次と検索索引は工夫できる。

会長以下、役員・理事諸氏が率先作品を提供されれば、直ちに「呼び水」とも「評判」ともなり、寄稿希望者は漸次増えてくるに違いない。一年で三百人が集まれば、それだけで偉観をていするだろう。さらに「電子文藝館」が充実すれば、ここから「日本ペンクラブ」の質の高い選書・叢書すら出版して行ける可能性も生まれる。
なによりも、会員各自が「自信・自負の作品」を集積するのが趣旨であるから、文字通り「日本ペンクラブ」の価値ある「大主張」と成ろう。
こういう本格・本来の事業が、文筆家団体の雄である「日本ペンクラブ」に是非必要ではないか。ホームページを活用すれば、簡単に、金もかからずに出来るのである。

但し、原稿料も出さず掲載料も取らない。アクセス課金もしない。収益は一文もあげる気はないが、ないようが充実してくれば企業広告をとれる可能性は十分ありと見込んでいる。

また重大な点であるが、電子メディアについてまわる著作権侵害の危険はある。この点は「覚悟の上で掲載作品を各会員が自薦」することになる。作品の差し替えはいつでも簡単に出来る。退会者の作品は、退会理由によりその時点で理事会審議する。

寄稿は、原則としてデータファイルの形で担当者に送信して欲しい。少なくも手書き原稿は、事務的な手不足と煩雑からも扱いかねる。最低限度、スキャナーにかけられるプリント状態で寄稿してもらう。手間のかかるものほど、掲載に時間のかかるのはやむをえない。

「日本ペンクラブ・電子文藝館」は、設営に、アトラクティヴな相当な技術的工夫を要するので、またファイル構成や編成にも機械操作の技術をともなう編集実務を必要とするので、「電子メディア小委員会」が委員会内に「編成室」を組んで担当したい。日本ペンクラブの大きな財産に成るようにと期待している。

なお「電子文藝館」の商標登録をすでに手配した。     以上   文責・秦

* 一部理事の声も上がっていたように、真実、軌道に乗り実現し成熟してゆけば「画期的な」事業となる。
2001 7。16 10

* イー・アクセスという会社からADSL設置のためのツールなどをもう送りつけてきた。中は見ていないが。さて、ADSLにどれほどのメリットが見込めるのか、どう使いこなして怪我をしないようにするか、またまた好んで難しい段階に入るようなとまどいもある。同じやるなら、より有利な設定が望ましいが。分からない。登録番号とともに「お申込みの回線は、NTT適合調査を通過いたしました」と、言ってきている。
2001 7・20 10

* イーアクセスの下請けから連絡があり、ADSLの工事にはいるにつき使用器械の型式などを教えよと言うので、「組み立て器」だと言うと、器械の外へまでは工事可能だが、器械に機能しないかもしれないと言う。機能しないかも知れぬ工事などしても始まらないので、とにかくペンディングした。
2001 7・21 10

* 森林伐採について書いたところ、三年前に書かれていた森秀樹さんの以下の「一言」が送られてきた。わたしの失念であった。

* 少々、頓珍漢な感想ですが、一言。  森 秀樹
本と紙と自然保護について。あまり、こういう議論がありませんので。
本日(三年以前のハナシです。)某大学の「先住民と環境保護」についてのセッションに参加しましたが、そこでは、ペルーほか南米の熱帯雨林の環境破壊の報告がありました。毎年、(これは主に焼畑農業、伐採の結果ですが)、四国に相当する面積の密林が消滅しているというのです。今から10年以上前に、世界の「熱帯雨林保護」の国際NGOに参加していましたが、問題のターゲットは、日本が圧倒的に伐採、輸入しているアジアの熱帯雨林の保護でした。今も状況はほとんど改善されていないでしょう。
そのころ、同会の一般説明会では毎回、こういう話が披露されました。「新聞の紙を少なくするだけで」、毎日数万本の木を切らずに済むと。紙などの資源として、無尽蔵に木が切られ、そして、かなり再生されずに遺棄されている現実があります。リサイクルの実効はまだまだ十分ではありません。結果、地球の温暖化が進んでいることもありましょう。
返本率6割などとうわさされる出版の実情について、地球の「生きとし生けるものすべて」の大切な共有財産である「紙の資源」、「本と紙」(新聞や広告チラシなどの紙の媒体についても)を一考すべきではないでしょうか。紙に代わる本の情報媒体が発展するのであれば、百年大計の「地球規模の環境保護」を前向きに検討すべきです。紙の消費を少なくする道も一考すべきでしょう。これは、「本が大きく変わる」「ゆくへ定めぬ本の道かな」とかいう、一種のセンチメンタリズムとは、一線を画す論議であると思います。情報の伝達は、文字を持たなかった時代から、常に「目に見えぬもの」が動いていたような気がしています。
たまたま「紙」が伝達の使命を大きく担うようになった。それが今は「電子」にとってかわられるようになってきた、ということではないでしょうか。
話がそれますが、著作者(ここではライター)の「著作権」についても今は、「紙に写された字」だけではなく、瞬時に地球をかけめぐる、目に見えない、不眠不休の、多分枯渇しない資源による、極めて経済的で生産的な無体の存在が対象になりつつあると、認識すべきではないでしょうか。

* そう、確かにわれわれの電メ研はこういう認識から、遅々とした歩みを歩んできた。そのつもりでいる。
2001 7・25 10

* 明日の外出と電メ研。電子文藝館の初討議、小人数になるだろうが、せめて心涼しく済みますようにと願う。話題がとりとめなく拡散したり、横道に偏跛に突っ込みすぎないように願う。恐ろしい量の討論メールが溜まっている、かなりを自分で書いたのだが。目を通し直すだけでもたいへん。編集者・記者・出版者といわれる「E」会員の仕事をどう表現するかをよく考えて興味深いファイルを創りたいが。
2001 7・26 10

* 今日はADSLのために人が来てくれたが、送られてきていたUSBモデムは、ネットワークで二台を繋いである機械には適合しないと分かり、帰ってもらった。ルータモデムというのでないとダメらしい。素人を相手にするなら、もうすこし会社も説明してもらいたい。役に立たないモデムだけを抱えて、いつ、ADSLが使えるものやら皆目知れない。
2001 7・30 10

* メール語が、手紙より電話より対話より格別にブッキラボーに伝わりやすいとは、体験者の証言も多く、もはや学説としても通説化していて、わたしも同感だ。だから、微妙に、表現にも語尾などにも気をつけているのだが、それでもメールで叱られた怒られたと感じる人は、ごくごくタマにだが、いる。なんで怒られるのかと理由を問われても、問われたこっちはキョトンとしてしまう。そういうことも、ある。

* 七月も行ってしまった。
2001 7・31 10

* 久米宏のニュースステーションが、地球規模の米軍事施設による徹底盗聴機構「エシュロン」を、初めて、かなり纏めてレポートしていた。仕事を中断してもテレビの前に坐った。つい先日、某紙夕刊に以下の記事が出ていた。

* 国際盗聴組織エシュロン   七月十五日本紙朝刊解説欄で、初めて、米国主導の通信傍受ネットワーク「エシュロン」が取り上げられた。いや、初めてというのは当たらない。昨年八月の大波小波欄で「ハタ迷惑」氏は早くも「エシュロン、知っていますか」と警告を発していた。衝撃を受けたが、以来一年間、新聞雑誌で追求される気配もなかった。とうどう、それが、出てきたことに改めて衝撃を感じている。
当初は米軍事目的を主としたグローバルな大盗聴ネットであった。一年前にすでに、世界中のいわば、わたしでも、あなたでも、の電話・ファクス・メールが傍受できること、その盗聴行為は、商業上の秘密採集から国際犯罪捜査情報の流通、要注意個人・公人の交信傍受等に及んで徹底網羅の可能なこと、が示唆されていた。日本では米軍三沢基地にエシュロン設置の推測も、テレビ放映のなかで明白に言及されていた。
それがさらに拡充され、現実に稼働しつつあるオソレが指摘されてきたのだ、本紙でも。個人情報保護法だの人権擁護法だのときれいな名前の、そのじつ極めて個人拘束目的の法が成立を急がれているが、はるかに輪をかけて危険なサイバーテロは、地球を、いや、われわれ個々人を陰険に覆い取ろうとしている。どうする。(大迷惑)

* まず確実に、じつは電子メディア研究委員会が、ひいては日本ペンクラブが声をあげねばならない、今や核にならぶ大事な平和と人権の問題は、この「エシュロン」と、それに繋がるグローバルな盗聴による情報収集を「是」としている多くの政権の姿勢なのである。わたしに言わせれば「電子文藝館」などは、ごく大人しい文筆家の営為。しかし「エシュロン」は、世界でのアメリカの一人勝ちを現実にしつつある、恐怖の世界制覇戦略であり、現実のものである。ヨーロッパでは大騒ぎしているのだ。ところが日本国政府も、国民の個人情報奪取と管理のために「エシュロン」情報のおこぼれにあずかろうとしている、と見られる。テレビは、重信房子逮捕の背後にもこれが働いたと解説していたが、田中真紀子外務大臣は「エシュロン」の存在自体「承知していない」などと国会で答弁しているが、真実なら怠慢であるし、何かを隠しているのなら、極めて危険な崖から日本国民は突き落とされかけている。
日本ペンで、これに関心を寄せてきたのは、これまで猪瀬直樹氏とわたしとだけで、ひそひそ話のレベルであった。だが、もう、そういう段階ではない。
2001 8・8 10

* ADSLの二度目作業員が来てくれたが、またしても、こんどはハブとケーブルが用意できていないと言って、何も出来ずに帰っていった。いま、布谷君の組み立ててくれた機械と、もともとのNECノートとは、なんでも「チョク」で繋がれていて、ルータモデムを使って二台共にADSLが機能するためには、「チョク」をはずし、ハブとケーブル三本で新たに繋ぎ直してから設定しなくてはならんのだと言う。そんなことはわたしにはアタマから分からないし、予測も出来ないし、どうにもならない。組み立て機械であるための悪条件なのか何だかも、わたしには分からない。分かっているのは、いつまでも出来上がらないことであり、しかも開通による費用は支払わねばならないと言うことだ。やめてしまおうかと思ったが、もう一度我慢して、次の二十七日にもう一度来て貰うことにした。

* 早速神戸から。「今回はルータタイプのADSLモデムを持ってきたようですね。でも、何か不親切なようです。韓国があれほどDSLが普及しているのは国がモデムの取り付けまできちんと面倒をみているからだと何かの記事を読みました」と。「もう少しの我慢です。きっと、利便性が高まるはずですから」とも。

* 機械のことは全く難しい。しかし勉強しているヒマもなかなかとれない。パソコンのマニュアルや参考書を読むよりは李清照やバグワンや古典や藤村を読みたい。原稿を書きたい。一粒一粒の滴をためるようにしか機械の技術は覚えない。一つ覚えると前のを忘れる。それでいいと思っているから進歩しないのを嘆いたりしない。
2001 8・18 10

* のぞみの二時間あまりで、電メ研のメール往来を読み直し始め、他委員のと、加藤弘一氏のと、わたしのと、に三分して置いたうち、他委員のとわたし自身のとをまず読み通し、朱線や書き込みを終えた。大変な量である。同量ほどの加藤氏のメールを次いで読むことに。
2001 8・20 10

* 親機が故障して使えなくなっている。子機で作業しているので、何となく気持ちまで不安定。メールを沢山親機に貰っていたのは一応ざっと見たが、それも今は読み直せない。メールは子機で最小限度の用事だけでつかい、余は、この「私語」で様子をつたえることにしたい。
2001 8・23 10

* 暑い日が、出がけより帰りによけい蒸して、疲労した。ひとつには親機が故障の度をまし、マウスが使えないどころか、電源すら入らなくなった。死骸のように、うなり声も上げない。参った。大事の仕事をいろいろに展開しているところなので、復旧しないとダメージは大きすぎる。今はノートパソコンを使っているが、容量の心配がいつもついて回る。よけいな心配はなげうち、明日の電メ研に備えて今夜はさっさと寝よう。
2001 8・23 10

* 真夏の電メ研、熱心な討議で時間を忘れて、一時間以上も超過した。今朝のうちに急いで用意して置いた取りまとめが役立ち、議論も相談もそこそこハカが行ったものの、フォーマットその他デジタル立ち上げへの作業は「まだまだ」だという。コンテンツの方の議論はかな進行した。具体的な出稿依頼段階へ入って行かねばならない。間をあけず、ゆっくりゆっくり継続して前進をはかる。こういう仕事は、それだ。急いでも一気には動かない。
帰途、旨い酒を、きもちよく少し飲んだ。  2001 8・24 10

* 明日布谷君が来てくれる。機械復旧の成るのを切望している。新しく知ったアドレスなどもみな分からなくなってしまっている。 2001 8・24 10

* 午後、IBMの布谷君が千葉からはるばる西東京まで訪れてくれ、親機の不具合を点検してくれた。結果的に、ウインドウズ2000の不具合が判明し、危険を慮り削除した。40Gのうち5Gを切り捨てたことで、ウインドウズ98を救った。初めて「今昔文字鏡」をインストールした。全ての作業に五時間かけ、そのあと、妻も一緒に歓談の晩食を楽しんだ。九時過ぎ、保谷駅まで見送った。ありがとう、布谷君。
2001 8・25 10

* 今朝は十時に、ADSL設置に業者が来てくれ、三度目の正直で、無事に終えた。インターネットがラクに早く見られる。このメリットがどう仕事や楽しみに生かせるか。ほぼまる一ヶ月をかけて、ここへ辿り着いた。二台の機械のネットワークも有効になった。今日来てくれた杉本青年はテキパキと作業手早く適切で、気持ちよかった。
2001 8・27 10

* 気がかりな用件を幾つも一気に片づけて、ADSLを利用して、ルーブル美術館へ潜り込んだりしてきた。オンラインで放置しておけるのと、メールを繰り返し使ってもいいしつながりが早いので、精神衛生がすこぶる良い。時間をとられないように気をつけていないと、ますます機械の前にいる時間がながくなる。

* オンデマンド出版について、感想を求められた。感じていたとおりに返事してみたが、誤解に基づくトンチンカンであったかどうか。

*  まるで下請け  秦 恒平
ひとつには、書き手・読み手、双方の利用者が、「オンデマンド出版」というネーミングに語感上のとまどいを持ち、「我がもの」という親しい思いが持てないでいるのでは。「オンデマンド」という日本語もないし、カタカナで書かれたこれは英語でもない。初めて見聞きしたとき、このままでは日本語の日本では、成功しそうにないなと思った。
やっていることは、出版と販売と、二面が截然と分かれている。
出版面では、デジタル化のついでにサンプルの「紙の本」をまず見せている・作っている。その紙の本に似せて、注文に応じ即座に「簡易製本」して売っている。そう見えている。
だが、双方の利用者に、どういうふっくらした「利」が生じるのかは、明瞭になかなか見えてこない。版元のうまみも含めて、どのサイドにも「利」の設定や提示がハッキリしていないように、遠目には見てとれる。版元・書き手・読み手、三方とも「得ナシ」商売に見えるのは、わたしの誤解かも知れないが、したたるほどの魅惑がこの商法に、今のところ、感じ取れない。
いわば「簡易出版・簡易注文・簡易製本」のすべてが、いわゆる「紙の本」時代の掌から、抜け出せないままの、デジタル利用なのだ。だが、利用が、大いに活用といえるほどの活気に盛り上がって行かない。何故か。著作の提供者からも利はちいさく、注文する顧客には「本を手に入れたぞ」というほどの満足に遠い製本であり、また中味の薄さ。
この「薄み」の解消には、「大量」の広範囲なサンプル(著作)提供で、不特定「大多数」の客の関心を呼びこむ以外にないのだが、そんなキャパシティーを今の今、どんな版元も、ちょっとやそっとでは持てないだろう。
根のところで、「オンデマンド版元」に、書き手と読み手との「下請けサービス」といった姿勢が取られている。だが、多くの「デジタル出版」が旧・紙の本出版社の下請け化しているナサケナイ現状と、これも軌を一にしているのかも知れない。デジタル時代の全く新しい「読書産業」を、形式・内容ともに堂々と工夫豊に創出する気概と誠意こそが必要な時機と、わたしは、見ている。
2001 8・28 10

* オンデマンド出版について、メールが来ていた。たいへん教えられた。

* 「私語の刻」にある「オンデマンド出版」を拝見しました。「三方得なし」について一言。
以前、オンデマンド印刷(オンデマンド出版も含まれる)の勉強会に少しかかわった経緯から、しいて「得」や「利」が奈辺にありやと考えれば、コピー機メーカーだとは言えましょうか。
彼らの側からすると、オンデマンド印刷・出版は、(時代の趨勢はあるものの)、少部数、短納期を旗印にした中小軽印刷会社、一般企業、出版社、プロダクション向けの大型コピー機の大セールス戦略であります。オンデマンドの特徴は、旧来の大型印刷・製本機にかけなくても、ほどほどの見栄えで出来上がる軽印刷であるということです。コピー機で本ができる、というキャッチなのです。重厚長大型の、足腰の重い印刷・出版が時代についていけなくなってきた、ということでもありましょうか。
でも、最近、この流行語(あえて流行語と言わせていただきますが)は少し色あせてきた感がありますね。オンデマンド出版の現況はよくわかりませんが、軽便なオンデマンド印刷はかなりサービス網が増えてはいるものの、飽きっぽくて新しもの好きの消費者向けの、新しい合言葉(流行語)は、ADSLなどを含めた「ブロードバンド」にとって替わられたようです。
オンデマンドが業者誘導の発想であるのに対して、ブロードバンドはユーザーの利便が最優先されていましす、出入力のコンセプトの違いもあります。ブロードバンドというのはつかみどころのない言葉ですが、自分のPC,ITシステムを超速で構築する、わかり易くいうと、各種端末でインターネットや情報入手をできるだけ早く広く便利に使えるようにする、ということです(通信料に反映する基本的な通信インフラの整備はままだまですが)。
オンデマンド、ブロードバンドにしろ、米国からの輸入語、そして、仕掛けはいつも、ハード、OS、ソフトのメーカー、通信会社ですね。まず、モノを大量に売る。仏に魂を入れる、遣い勝手をよくするかどうかは、かかって利用者にありましょう。書斎や茶の間でかなりのことが出来る時代がやってきました。これは実にありがたいことです。
でも、足るを知らぬココロの行く末、いつも便利で新しいモノに追いかけられる、急かされる、という怖れはありますね。置いてけぼりもかなわないなあ、というのが正直なところです。

* 加藤弘一さんが「施行一年目の盗聴法」と題した文章を、ホームページ「ほら貝」に書いておられる。誰しも見過ごせない内容であり、お許しを願い「私語」の列に加えさせていただこう。一人でも多く、目にし、考えてもらいたい。

* 「施行一年目の盗聴法」 加藤弘一
盗聴法(通信傍受法)の話題はずっとマスコミから消えていた、が、施行1年目にあたる8月14日、新聞各紙は、警視庁が「通信事業者貸与用仮メールボックス装置」(仮メールボックス)と称する新システムを16台設置し、年内に稼働させようとしていると報じた。8月16日発売の週刊文春には、さらに詳しい記事が掲載された。
現行の盗聴システムは、盗聴対象者が加入しているプロバイダに、盗聴対象者のメールボックスの内容をフロッピーにコピーさせる仕組だが、これでは、プロバイダのメール・サーバーを使っている対象者のメールしか盗み読みできない。
専用線に費用のかかった数年前までなら、これでもどうにかなったが、最近はADSLやケーブルTVの普及で、月額数千円程度で自前のメール・サーバーをもつことができる。対象者自身が管理するメール・サーバーでは、現行方式では手も足も出ない。
と、書いてもわからない人のために、思い切り単純化していうと、メール・サーバーとは郵便局、メール・ボックスとは私書箱のようなものである。
これまでなら、(警察当局は、)郵便局に対象者の私書箱を見せろと要求すればよかったが、対象者自身が個人郵便局を開設したらお手上げである。対象者自身にメールを読ませろと要求したのでは、盗み読みにならないからだ。
そこで、郵便局から郵便局へ流れるすべての郵便物(データ)を、自動的に複写し、そのコピーを警察のコンピュータに送るようなシステムを動かすことにしたわけである。
道路を走る自動車のナンバー・プレートを自動的に記録しデータベース化するNシステムが、いろいろ「成果」をあげているが、データを自動車に見立てれば、(このやり方は、)「インターネット版Nシステム」と言っていいだろう。
当然、盗聴対象者以外の人のメールはもちろん、どんなWWWページを閲覧したかとか、サーチエンジンでどんな言葉を検索したかまで、全部、警察のコンピュータに保存される。大容量の記録手段は急激に安価になっているから、無際限に蓄積できよう。
何度も書いてきたことだが、電話の盗聴なら、手間・暇がかかり、データの蓄積・再利用はなかなか困難だが、電子データの場合は無際限に蓄積しても、一瞬で検索できる。
警察OBの興信所所長が、警察のデータを横流しした事件が次々と発覚したが、横どり電子データが蓄積されてくると、今後同様の不正がおこなわれるだろう。ライバル企業がどんな研究をしているかといった、データをほしがるところは多いから、警察OBは大変な資金源を握ったことになる。
メールの盗み読みを電話盗聴の延長で考えてはいけないのである。

* 日本ペンクラブ言論表現委員会で「盗聴法反対」を討議していたときも、再々口をはさんで、電子メディアでの盗聴、ひいてはサイバーポリスの現実に立ち上がりつつある脅威に対しても、せめて予防的に声明に書き加えたいと発言したものだが、言論表現委員会(猪瀬直樹委員長)ほど先端で活躍している委員達でも、まだまだ電子メディアには冷淡で、話題は脇へ脇へ避けられていった。日本でも三沢基地内に一根拠を置いている米軍の世界的盗聴機構「エシュロン」のことも、わずかに猪瀬君が関心を持ち始めていただけで、誰もまだ知らなかった。だが、電話での盗聴に限度のあること、しかしインターネットを逆用した電子通信盗聴があらいざらい徹底的に可能であること、どれほど厖大な量であろうと容易に検索をかけうること、その影響が産業にも政治にも科学にも甚大に影響するぐらいは、このドンなわたしにも見通しは付くことであった。日本ペンクラブに「電子メディア研究会」を委員会として提案し立ち上げたときから、わたしの「パソコン」遊びかのように冷ややかに揶揄的にみていた人は少なくなかったらしいが、時代の読めない人たちであったと言うしかない。
コンピュータは、文筆創作者には「表現」の場と方法に影響してくるし、言語文化財の保存にも関わってくる。しかし、ペンの関心からいえば、それにも増して、平和や人権を根底から脅かしたり、またそれに貢献し得たり、広大なちからで、影響してくる。サイバーポリスが、旧内務省や憲兵隊と同じか遙かに強大な力をもって国民の権利を狭め抑え奪って来るであろう事は、もうすでに着々と法制化がすすんでいるのだ、具体的に。さらには、大規模なハッキングによるセキュリティー破壊のサイバーテロが、人類の安寧を破滅的に脅かしうることも、映画やSFの絵空事でなく、現実の懼れとなってきている。機械のことなどいともいとも暗いわたしが、笑止なことに電メ研の委員長になっているのは、そういう時代の読みでは、少しでも目が奥へ向こうへ走っていると自覚しているからであり、こういう目が、日本ペンから欠けて落ちてしまうのは危険だと思うからだ。文字コード程度のことは、おいおいに前へ進んでゆくが、人権への脅威には闘わねばならない。
心底、もっと若い人に、この場を、適切に手渡したいと思う。だが、若い人には目の前に現実の仕事があり、それ自体が道半ばもいいところなので、気の毒で無理が言いかけられない。やれやれ、仕方ないかと冷や汗を流している。
2001 8・29 10

* 印刷・出版の業界事情というのは、見えているようで、なまやさしくはない。いろんな通がいて、それぞれの観察や認識をしている。わたしなどは、ただ感想を述べているに過ぎないけれど、感想はいつも持っている。持たない方が気楽なこともあるのだが、持たされてしまうということもある。
「オンデマンド」に関して、森秀樹さんから観測と分析のメールを戴いた。これは優れて役立つ、大通の弁であるようだ、但し「オンデマンド」ないし「オンデマンド印刷」に傾いている。「オンデマンド出版」という、現在ないし近未来の「出版」にかかわる「オンデマンド」は、現在のところは混迷しているのかもしれぬ。道が開けその道を歩んでいるという印象が乏しい。後ろにも前にも道がよく見えていないのかも知れない、それはわたしの感想である。森秀樹さんの「オンデマンド」説を以下に紹介する。

* オンデマンド出版について、秦さんのご意見はうなずけるものです。
大雑把に書きますけれど、大きな(あるいは必然の)流れがあります。
オンデマンドは、もとは、印刷世界で言われていたPOD(プリント・オンデマンド)から出た言葉で、元は、ITすべてに先行してきた米国の語。オンデマンド印刷、オンデマンド出版は、訳語ということです。
大きな(あるいは必然の)流れというのは、21世紀を迎える数年前から始まったIT時代の幕開けに、すでに、生き残りをかけた印刷市場の戦いが始まっていた、ということです。出版社主導で、下請けと共同作業をする出版印刷も例外ではありません。
いま、全国多くの中小印刷会社は(ぶらさがっている家内生産的な製本会社も)、必死に、生き残りをかけ、自前で、自宅で、街で、会社で、役所で、必要なときに必要な量だけプリント、コピー(簡易製本を含む)できる=オンデマンド・プリント形態になれてきた顧客(ユーザー)にたいする、営業・販売戦略に取り組んでいます。出版はやや別物ですが、印刷を中心にとらえれば、同床にあるといえましょう。
オンデマンド印刷の市場は、「縫合市場」といわれるように、カウンタービジネス(米国資本のキンコーズなど)、複写業、印刷業、インハウス(企業が自前で行うオンデマンド印刷・製本)、官公庁、学校群、と大きな棲みわけがありましたが、ここに、新たに、出版社、書店、取次ぎ店、人材派遣業などなどが、参入してきております。
大型コピー機メーカーの雄は、米国のゼロックス社(日本では、富士ゼッロクス社)で、一台、1千万~2千万円台のオンデマンド処理(印刷・簡易製本。データ処理)可能な大型コピー機を、すさまじい勢いで販売しております。日本のメーカーも手を変え、品を変え、競争に大変です。新製品開発・販売の連続で、2~3年で古くなるといわれる中古のオンデマンド用大型コピー機がだぶつきはじめております。
いま、全国の中小印刷業は、数千万~億単位で資本投下したオフセット印刷機のローンに苦しみ、その中から、少部数、短納期の「オンデマンド」の要求にこたえられる、新しい(大型オフセット機より安い)大型コピー機の導入検討を迫られております。たとえば、いままで入っていた会社や役所などから、「必要な部数だけ、早く安く納品してほしい。あとは、追加で、データを少し直して、いつでも印刷・製本できるようにしてほしい」と求められます。コストの高い大中オフセット印刷機で印刷、そして製本を外注していては、間尺に合わないものの、泣き泣きコスト割れで受けているのです。
従来のまとまった部数の受注でかろうじて単価をおさえてきた中小印刷業は、少部数、短納期に対応できない大中オフセット印刷機処理のコストパフォーマンスに悩んでいます。手間がかかりコストも高い大中オフセット印刷の需要が落ち込み、オンデマンドのニーズが増える一方。それに加え、自前でオンデマンド処理できるユーザーが増えつつあるならば、どうしたらいいのか?といったところです。
印刷業の泣き言を代弁するように聞こえるかも知れませんが、やはり、大きな流れとしては、オンデマンドでしょう。
出版についても、大量に印刷・出版して単価を抑えてきたものの、無駄もかぎりなく多く、これからは、何らかの「オンデマンド」あるいは「電子出版」に漸次移行せざるを得なくなると考えます。最大手印刷会社ならば、戦略的に、いかなるケースにも対応できる、つまり顧客を拾いまくる手立てがあります。むろん、オンデマンドも電子出版も、あるいはその先も読んで、対応を十分に進めております。
オンデマンド出版については、大手の出版社といえども、大きなくくりでは、IT革命先行の大手印刷業、大手コピー機メーカーの戦略の中から脱して、単独でことを進める体力はまだまだ持たないでしょう。その中で、出版社がコンテンツ業を死守するか、紙の出版にこだわり続けるか、先述した「縫合市場」あるいは「電子競争」に取り込まれるかは見えてきません。
キーワードとして付け加えるなら、やはり「アウトソーシング」だと思います。リストラで失業者がちまたにあふれていく。企業はさらにスリム化を迫られ、何らかの部分で低コストの外注をせざるを得ない、と考えます。その中にオンデマンドが含まれるかどうか?
いまは、オンデマンドは「紙」への出力を対象にした「軽印刷・製本」の域を脱しておりませんが、その先に何があるか、来るか、なかなか読めないのが実状でしょうか。
2001 8・30 10

* 触るも触らないも、メールの設定ひとつ、わたしは何の役にも立てないことが段々に判明し、面目ないはなしである。ゆっくり慎重に一月も欠けて機械と戯れていれば、妻にもどうにかなるであろう。パソコンはなまやさしいものでない。一つには、わたしはNECの機械しか触ってこなかった。SHARPに代ると、なんだか、ものの名前も位置もいろいろに違う。芝田道さんの本をみていたら、「アカウント」ひとつにも、五つも六つも別の呼び方がある。初心者は堪らない。主要な用語ぐらい各社統一してはどうなのか。
2001 8・30 10

* 妻のメールが再開された。いい機械だ。インターネットも使える。見たこともない機能が満載されていて、勿体ないほどだ。
2001 8・31 10

* 携帯電話をわたしは持たないから使用もしない。妻は持っていて外出時に携行しているが、その妻の電話に、頻々とではないが、へんなメールが舞い込んでくるらしい。
読者のなかにも深甚の被害を受けている人がいて、例えば、と、そのままをこの機械へ転送してきてくれた。「ランダム配信の為、不要の方は削除して下さい。お詫び致します」とあるが、ヒドイ。こんなのが、じゃんじゃん携帯電話にメールとして飛び込み、その受信代も支払うのでは堪ったものでない。家族だけの受発信専用に設定し直したというが。(以下実例は略)
2001 9・4 10

* コンピュータ・ウイルスのレッド・コードが暴威をふるいつつあること、被害が拡大しつつあることをテレビが報じていた。ウインドウズの2000 を破壊しているらしい。95や98やMEは被害を受けていないらしい。わたしの機械の中の2000が、98とのネットワークではあるが、何にも使ってもいないのに急に破損したのは、何であったのか。電メ研メンバーの中でもコンテンツがつぎつぎと消えてゆくと緊急信号を呉れた人がいる。
こういう助言も研究会内部で得ている。役立てばいいので、ここへも書き込む。

* ウィルスにやられたら、フォーマットし直してシステムを全部入れ直さなくてはなりませんから、皆さん、くれぐれもお気をつけください。
ウィルスには潜伏期間があります。ワクチン・ソフトをお持ちの方は念のためにチェックしてください。お持ちでない方は、この機会に買っておいた方がよいと思います。
なお、ウィルス感染はメールだけではありません。ADSLやケーブルTVをお使いの方は、ファイヤー・ウォールを設定していないと、或る方法でウィルスを送りこまれてしまいます。
最近のワクチン・ソフトにはファイヤー・ウォールがついているものが多いですから、これからワクチン・ソフトをお買いになる方は、ファイヤー・ウォールがついてくることを確認された方がよいでしょう。

* こういう攻撃が、国対国、組織体組織で起こってくる可能性、なんてものではない、すでに現実に莫大に起こっているし、増えようとしている。
コンピュータに侵入という映画の中のスリルはおなじみだが、昔は、見ていてもおとぎ話のように思えていた。どうしてどうして、もはや現実の脅威にすでになりきっている。もし疾走する新幹線の重要な制御装置の中へ悪意で侵入されたり、飛行機の操縦機構に侵入されたり、ダムの水量コントロールに侵入されたり、巨大都市の送電機構に侵入されたり、こういうことは、あり得ないどころか、有りえて当然の世の中になってきている。わたしが前々から折に触れて口にしたり、ものに書いたりしている「サイバーテロリズム」である。或る意味では「核」攻撃にも匹敵する脅威と思われ、もし世界平和を本気で口にするのなら、この方面からの国際協定が急がれねばならぬ筈だが、これはおそらく各国の思惑により成り立つまい。超巨大盗聴機能「エシュロン」をかかえた米国、そのおこぼれを期待している日本や英国が、本気で動くわけがない。
こういう事態に、どのように、例えば日本ペンクラブは、国際ペンは、対応するのか。
わたしが、日本ペンにこそ、いちはやく電子メディア対応の委員会が新設されねばと提唱したのは、単に表現や文献の為の文字コードや電子文藝館のためだけではなかった。もっともっと根底から、人権と平和を脅かしてくるサイバーテロやサイバーポリスの陰険な蠢動と破壊活動に対し、どう闘うかのともあれ拠点でありたいと思ったからだ。その意味では、委員会に、もっとそういう意識の高い「戦士」や「闘士」が加わってほしいのだが。時代の前途を見据えたそういう若い「闘う意識」に、この委員会を、いつか委ねたいのが、ほんとうは私の願いである、が。
2001 9・4 10

* 早起きし、必要に迫られて、電子版・湖の本の大増頁を試みたところ、あんなに手順が分からんと苦にしていたのに、じつにすらすらと十頁分増やせてしまった。転送も終え、これで、勝田貞夫さんのご厚意によるスキャン原稿も、「未校正」ながら、どんどん書き込んでおける。増設の手順は、忘れないうちにと、ノートした。元気が出てきた。
2001 9・5 10

* わたしは二階の器械部屋で一日の大半をすごし、妻は自分の器械を仕事場にもちこんで、カードゲームに夢中。もったいない!! 「e-OLD夫婦」の、平和な「コンピュータ別居」の日々が始まっている。
十一時半。読書のベッドへ行こう、少し早いけれど、明日がある。
2001 9・9 10

* こういう後ろへ少し殺伐とするが、加藤弘一氏からこんなことを教わった。これは、私しておくよりも廣く知られていてよいことだと思うので、お許しいただき、書き込んでおきたい。

* 独自ドメインで運営すると、アドレスから、使っているブラウザ、OSまで、アクセスログに自動的に記録されます。
個人を特定するつもりなら、クッキーという技術がありますが、拙サイトでは使っていません。しかし、企業サイトではクッキーはごく普通に使われていますし、個人サイトでも意外なほど使われています。
また、JavaScriptを切るとわかりますが、アクセスログのとれない間借りサイトでは、ログをとるためのスクリプトを動かしているところが非常に多いです。
ブラウザのツール→インターネット・オプション→セキュリティ→レベルのカスタマイズで、クッキーやJavaScriptを「ダイアローグを表示する」に設定して、ネットサーフィンしてみるとわかりますが、とにかくあの手この手でアクセス情報を集めているサイトの多いことに驚かされます。(なお、 ActiveXはきわめて危険ですので、切っておくのが常識です)。
拙サイトでは普段はレンタル・サーバー側の用意したレポートをながめるだけですが、電子文藝館の実験段階では部外者アクセスのチェックと、画像を大量に貼りつけたページで、読みこみにどのくらい時間がかかるかを確認する必要があったので、ログを解析しました。
インターネットの現状をご存知ないので、驚いたのだろうと思いますが、ネットサーフィンしたら、情報の垂れ流しと覚悟した方がいいです。

* 実を云うと、語義すらみながみなわたしには分かっていないけれど、なにやら、やはりと云うか当然と云うか、ウームと唸ってしまうほど、インターネット世界に対し、無常感をふと覚えてしまう。なんだか、イヤ気がさしてきた。
先日、元の学生君がメールで、「ADSLですか。ネットワークの高速化・拡大化が目指すものは、『全体との一体化』なので、恐くて使う気にはなれません。(それこそコードレッドなどのワームやエシュロン機関の格好の餌食です。)」と書いていて、ドッキリしたのだが、追い打ちを食った気分で、かなり滅入っている。「ネットサーフィンしたら、情報の垂れ流しと覚悟した方がいいです」という加藤さんの警告、具体的にはどういうことか及びもつかないなりに、たいへんなことだわいと嘆息してしまう。「闇に言い置く」なーんて気取っているけれど、「闇」でもなんでもない、真っ昼間のあからさまに、見えるところではなにもかも素裸に見えてしまい、見られてしまっていると、そう心得ていなければ、 GOOD(グー)どころか「愚」の骨頂なのである。
やれやれ、心いやしき盗み見世界の住人であるということか、パソコンで、インターネツトをいじくるとは。「サイト」の「サーフィン」のと格好いいことは云っても、ウインドウからののぞき見であり、度を越した手合いは悪質な盗み見の快感にふけり出すのであろう、良い面も大きいが、いやな悪い面も多彩に多すぎ根が深すぎる。
2001 9・11 10

* うっかりMS-DOSモードに切り替えてしまい、戻し方が分からなくて、支援を乞うた。折り返し的確な助言が届き、簡単に直ったが、昔、医科歯科大学の前の道でお茶の水駅を人に尋ねた、あのあっけなさを思い出した。コロンブスの卵か。だが、わけが分からないと、真っ暗闇の途方に暮れてしまう。よかった、感謝。
2001 9・14 10

* 例会に出は出たが、顔なじみはいなかった、長谷川泉氏ぐらい。梅原会長に促されて、乾杯後の雑踏相手に「電子文藝館」の宣伝を一席。そして、退散した。帝国ホテルまでの距離が今夜は遠く感じられて、そのまま清瀬行きの有楽町線で一気に帰宅。桂氏と高橋昌男氏と坂上弘氏の鼎談「江藤淳の文学」を面白く読みながら。
メールをいくつも処理し、返事をすべきはし、理事会の纏めを書いて、メーリングリストで、仲間の委員に通知した。加藤弘一氏はめでたく今日の理事会で正式に会員として入会を承認された。氏には、今日の文字コード委員会に代理で出てもらった。この人こそ最適任の文字コード委員会である。力強いこの仲間を、わたしは、エッセイ会員でもあるが、新世紀にふさわしい「Digital Editor」でもあると、紹介して推薦の弁を述べた。
2001 9・17 10

* シンポジウム「いま、表現があぶない」とは、何も句読点の打ち方とか、誤字・宛字がひどいとか、文章が下手すぎるという問題ではない。正しくは「いま、メディアがあぶない」というのが適切であった。メディア規制の問題に話題が絞られていた。だが、語られている「メディア」はおおかた従来の「紙」メディアであり、新聞・雑誌・放送等が語られていたが、月の裏側のようにティジタル・メディアの問題は、どのパネラーも一応置き去りであった。新聞も雑誌も放送も、みな、家庭の外のメディアであり、家庭に外から持ち込まれてくるメディアであるが、今では、家庭の中がら発信する「自分のメディア」としてのパソコンなどがあり、極めて個人的なものでありながら、インターネットを介して、或る意味では世界へ拡散し飛翔してゆくメディアの保有者なのである。そのメディアの問題を、そのメディアにおける表現の問題を、われわれはもはや忘れてはならず、在来メディアとの比較においても軽く見ては間違うだろう。

* 司会の猪瀬直樹から、会場発言を求められていて、おそらくパネラーとして壇上にいる皆が、この電子メディアには触れないで議論するだろうと予測されたので、わたしは、少し論点を逸らしたり冷ましたりしかねない懼れは感じながらも、あえて、次のような話をした。

* 言論・表現・人権をこのように話題にする際、従来の活字型表現からだけでなく、それ以上に差し迫った危険性も帯びているインフラとして、インターネットにおけるデジタルな表現にも、身を寄せた注意と問題意識を持ってもらいたい。
二十一世紀は、サイバーテロによる破壊戦争、及び、サイバーポリスによる、個人情報占拠・収奪の時代へ傾いています。もはや漢字が足りないとか、風俗が乱れるとか以上に、大がかりに、国家間的な情報収奪、自国ないし自国の警察権力による、セキュリティーの侵犯傾向が、途方もなく強化されて行きます。
すでに、米国の軍事的な必要に発した、地球規模もの根こそぎ大盗聴機構である「エシュロン」の情報収集が、日本の、三沢基地ですら、非公式の秘密裏に、大々的に進められている事実は、誰にも否定できない。加えて、此の国の警察は、あの盗聴法に基づくデジタル通信情報の傍受と集積を、警察行為として実施する姿勢と方法とを、もう、具体的にウムを言わさず、準備していると報じられています。
実施された際の個人生活や企業活動、また思想的信条や調査活動に及ぼす制約、ないし抑圧・弾圧の危険は、計り知れない。
今、ある人の書いた文章の中に適切に引用されています、元自治大臣・国家公安委員長の白川勝彦氏の発言に、傾聴すべきものがあると思うのです。少なくともこの白川発言を、この場で、心新たに聴いておきたいと私は思います。白川氏はこう言っている。
「この法案の本当の狙いは、国中のコンピュータを管理下におくこと、なんです。パソコンを持つ人は、みんな個人情報取扱事業者になるから、『あなたのパソコンから、個人情報が漏れているかも』と嫌疑をかけるだけで、警察はそのパソコンを持っていくことができる。 役人たちは、自分たちと無関係なところで、インターネットが急膨張していくのが、怖いんです。彼らは、自分たちの手の届かないものごとが存在するのが、一番嫌いな人種です。そういう彼らが、なんとかインターネットを自分たちの手で管理し、取り締まる方法はないかと考え出したのが、この法律なんです」と。
私は、日本ペンクラブの言論表現委員会で、この法律への反対姿勢を打ち出したその瞬間から、これは、個人情報「保護」どころか、コワモテの個人情報「支配・収奪」法に化けて行く陰険な布石であると、何度か発言してきました。ある人の適切な指摘にありますように、「インターネット空間には、無数の個人情報が飛び交い、瞬時に検索され、蓄積される。この法案が通れば、政府は、それを一元的に管理し、支配できることになる。政府に批判的な民間団体や個人も、容易に取り締まることができる」と、まさしく、これが、ここが、大きな問題点であり、闘いを挑むなら、ここだというのが、日々に更新して、18MBというほど巨大なインターネットの文字サイトを展開しつづけている私の、ずうっとずうっと考え続けてきた要点です。

* 時間がゆるされるなら、具体的な話もしたいところだが、それは無理であった。猪瀬司会者のほか井上ひさし氏ら五人のパネラーの発言は、概ね分かりよく、問題点をよく洗い出してくれて聴き応えがあつた。米原万里さんの話が、今ひとつ浸透していなかったと思う。この人はヤジはうまいが、マトモに話させると分りにくい。なかなかいいシンポジウムであり、時間がもう三十分あり、会場との討議も重ねられればと思うものの、ああいうものだろうなと、無事の終了をよろこんだ。とは言え、この手の話題で、電子社会のメディアをはずして、なんだか昔の活字レベルでのメディア論議は、古くさいなあ、こんなことでいいのという気がしてならなかった。白川勝彦の指摘など、もっともっと聴く耳をもって聴いておそれ、対処を考えねば、うそではないか。
会場から質問が出ていたのに、猪瀬氏らはなんだか、うにゃうにゃ返事していたが、「情報公開法」とは、市民の個人情報を「公」が管理して行くぞという布石法に過ぎなかったし、「個人情報保護法」とは市民の個人情報を「公」が収奪して管理して拘束することを妥当化する布石法なのである、露骨に、あからさまに。それが、根本なのである、と、わたしは直観してきたが、事実は正しくそう動こうとしている。シンポジウムが、ただのガス抜き自己満足で終らぬようにする、どういう戦略があるのか。考えねばならないのはそれであり、それなしでは、要するに「評論」しておしまいである。

* 関係者だけの、近所での打ち上げに出て、なんだか、最後まで腰を据えて飲んでしまった。やれやれ。
2001 9・18 10

* 何かこの器械=親機に重大な事故が起きていると見える。インターネットエキスプローラが利かなくなり、子機のノートでは、ネットワークがすべて働かず、インターネットもメールも、また困ったことにホームページも使えなくなっている。子機は、かなりの機能を失っている感じ。ADSLが崩れている。ネットワークしていない。原因はわたしには分からない。まだ親機はとにかくインターネットがネットスケープで使えているが、へたをすると、器械そのものが壊滅状態に成るかも知れない。可能なかぎりMOに避難しておくが、メールや「闇に言い置く私語の刻」が途絶えたり消滅したときは、よくよくの事態に嵌っているものと思って欲しい。Firewallは建てたつもりであったが、それでも何かに侵略されたのか、単に故障か。分からない。
2001 9・26 10

* この親機ひとつで、はらはらしながら作業中。器械が、スクリーンの向こう側で何を考えて、どうわたしのことを眺めているのか、察しもつかぬ。器械の思惑などすとんと落として、平静に現状を維持して続けて行けるように気を持ち直している。成るように成るものだ。
2001 9・27 10

* マイクロソフトの関連会社バウングローバル社から、英文和文の契約書を添えて、この、わたしの「ホームページ」全体を、日本語研究のために全面的に自由に使わせてもらえないかと申し出てきた。日本語を「CORPUS」として徹底的に解剖分解しながら、日本語の成り立つ語法や語彙の特徴を検討しようというらしいが、「CORPUS=屍体」とは、すさまじい。なるほど、そういう「ことば」をミンチにすりつぶすようにしながら言語の味を探ろうという材料観的な方法論は成り立つであろうが、それにしても謂いも謂うたもので、驚いた。むろん文書をもっと丁寧に読んでみようと思っているし、仲間や専門家の意見も聴こうと思うが、現段階の第一感でわたしは、一切「承諾しない」と返事してある。
2001 9・27 10

* 器械では、選びだした佳い写真だけでなく、インターネットで検索すれば、じつに醜悪をきわめたポルノ写真も、押し寄せる津波をあびるように、その気なら、見られる。そして、不思議なほど何の情動も覚えなくなっている自分に驚いてしまう。「きたねえな」と思いつつ、こういうのも「人間」の姿なんやなあ、赤裸々なんてものが、全部が全部美しいわけではない、秘めたり隠したりしておいた方がよっぽど値打ちものの赤裸々もあるのだと、イヤでも分かる。気障なことをいえば「不浄観」を行じているようなものである。
不浄観を、谷崎先生の名作『少将滋幹の母』の新聞連載の昔に、小倉遊亀の挿絵で、読み覚え、見覚えた。新制中学二年生であったか。若く美しい愛妻を権勢の甥に奪い去られた老耄の公家が、世のはかなさを悟りたいと、日ごと三昧場で腐乱不浄の女の屍に眼をさらすのであった。インターネットのどぎついポルノ写真は、わたしには、幸か不幸か「そんなもの」としか映らずに、てんで動じない。なんだか不浄観を成就しちまってるような、一抹ナサケナイ行者めく気分なのだが、あれらの猥褻物展示は、しかし、無くせるものなら無くした方が世の為だなという気は、確かにする。だが、無くなるどころか、悪貨は良貨を駆逐して、増える一方だろう、ティジテルな映像画像のこれが弱点だと謂っていい。どぎつくどぎつくやって行く以外に訴求力はだんだん低下して行くからだ。エロとバイオレンスとは、どうしてもそうなる。愚かな話だ。北野武の映画でも、もうそのドツボに嵌っていて、気の毒のようなものだ。
そんなわたしでも、美しい女の裸像には心を惹かれる。蒐集に値するヌード写真があれば、恭しく保存したい気も無くはない。が、まず、インターネット提供のアダルトものは、とてもとても、お話にならない乱痴気騒ぎ。ADSLなどの繋ぎっぱなしをいいことに、そんなところへ埋没するのは、愚でもあり危険でもある。あんなのと付き合ってては、若い世代が恋ができず、「付き合う」という言い方の性的関係だけで消耗して行く性風俗の氾濫も無理がない。
インターネットにも、まぎれなく暗部、恥部があり、困ったことに秘所に隠しておけない。谷崎先生の「陰翳礼讃」とは、もう無理な時代なのかと、ナサケナイ。
2001 9・28 10

* どうやらこの親機に何かが侵害してきたらしいと、 McAfee.comが告げてきた。告げてきただけで、それ以上のメッセージも対応指示もしてくれない。様子を見て、暫くこのまま待つ。
2001 10・3 10

* 楽観はできないが、どうやら、インターネットエキスプローラーの厄介な侵入者を一掃したような気がする。清潔な画面に戻せた、と思う。パネルコントローラのインターネットオプションを操作してみた。もし、成功していたら、新しい獲得があったことになる。まだ、アテになるかどうか確信はないが。 2001 10・4 10

* 電メ研は、一時過ぎから、ぶっ続けに続いて、ほとんど終えたときはグロッギーであった。久しぶりに甲府の倉持光雄
氏が参加された。庶幾した目的はおおかた果たした。ATCの山石裕之氏が来て、いよいよ実験版を引き渡すことになっ
た。こまかな打ち合わせも出来たと思う。経費的な折衝は事務局長にすべて委ねた。七月理事会以来、数次の会合とメ
ーリングリストの討議とだけで、よくここまで持ち込んで来れたと、いまさら顧みてほっとしている。

* かなり気張っていたのだろう、途方もなく疲れた。帰りの電車で途中下車してでもどこかで本でも読んでゆくかなあと
思いはしたものの、胸苦しいほど、胃のあたりまで、けだるかったので、そのまま池袋経由とにかく帰宅した。家には家で
仕事が待っていて、休息は無し。見るつもりだった映画もみないうちに、十一時過ぎた。今日はこのまま休みたい。
2001 10・4 10

* 電メ研、今日の会議は、前半と後半とに分かれる。業者委託に入らねばならぬ前半の会議が、なんとか無事に行って欲しい、が。早くから出掛ける。昨夜も三時頃まで馬琴を夢中で読んでいて、六時には目覚め、起床。林芙美子をおもしろく校正したりしていた。器械の中の息抜きソフトを削除した。息が抜きたければ器械から離れて眼をやすめるようにしようと。
2001 10・5 10

* 駅から家に帰る途中の喫茶店「ぺると」のマスターが、じつはコンピュータのプログラマーだと前に聞いた。彼にときどき相談していたが、今日、突如として、ホームページのリニューアル案を圧縮したファイルで送ってきてくれた。初めて解凍という手順を用いてテスト版を見てみたが、とてもすっきりし、いつでも簡単にいろんなファイルを即座に選んでジャンプ出来る。ただ、画面を左右に二分割しているので本文画面が狭くなり、城景都の佳い繪の効果が少し弱くなる。他にも一つ二つ注文は有るが、全体として、すっきりと美しい使いいいサイトになっている。欲をいえば、ホームページの中に取り込まれているとても大きな塊である「e?文庫・湖」部分にだけ、索引式の便利な組み立てが出来るといいがなあと、感想をメールで送り返したところである。
いろんな親切に取り巻かれている暖かさを、我が身の不徳に照らし見ても幸せなヤツだなと思う。不徳而不孤。有り難いことである。
2001 10・8 11

* 「MacAfeecom Peersonal Firewall データベースに不整な変更が加えられています」と警告が出ているが、どうしたとも、どうせよとも分からない。ソフトが防御してくれた報告であり、そのままにしていていいのか、どうか。分からない。加藤弘一氏の話では、頻々としてこういう機械への妨害攻撃というものがあるのだそうだ。分からない。
2001 10・13 11

* わたしの機械にハッカーが入り込み「裏口」を作ったらしいと、加藤弘一氏からの恐ろしげな警告。
<「MacAfeecom Peersonal Firewall データベースに不整な変更が加えられています」とあるのを拝見して、急ぎ、メールします。MacAfeeのファイアー・ウォールは使ったことがないので、確かなことは言えませんが、極めて危険な状況にあるようです。すでに裏口を作られているかもしれません。MacAfeeのファイアー・ウォールがどうなっているかわからないので、ウィルスチェックをやり直すくらいしか思いつきませんが、システムを作ったお弟子さんに緊急に相談された方がいいです。> という。
「ぺると」のマスターは、<ハッカーにやられたのかも知れません。セキュリティーの隙間をかいくぐって、外部から秦さんのパソコン内部に侵入できる入り口を作られてしまったのではないでしょうか。(裏口のこと)至急、専門の人に見てもらったほうがいいと思います。>とも。
「裏口」とはどういう意味で、なにが危険なのか、何のトクがあっての侵入なのか、皆目分からない。邪魔くさい、パソコン全体を解除し断念してしまおうかとも思う、一つのチャンスかも知れない。とにかく、お手上げ。ワケが分からないので恐怖感も湧かないのだけれど。トクトクと、陰気に、機械自慢でこういうことをやりたいヤツがいるということか。しかしわたしの機械になど入り込んで、なにのタシになるのだろう。

* いまのところ、取り立てて何処にどうという不都合が起きているとも思わない。微妙に、こころもち機械が重くなっているだろうか。それも強いて言えば、である。「ぜひみて下さい」というメールをあけたらぜんぶ記号であったので、即座に削除したことがあった。その後に同じメールは来なかった。そんなことが絡んでいるというのも、実感は持ちにくい。
どういう「危険」「不都合」が起きるというのか、それだけを教えてくれる人は教えて下さい。最悪の場合は、また原稿用紙とペンの生活に戻れば済む。だが、実感がない。加藤氏に熱心に薦められた「ファイアウォール」とは、いったい何の役に立つのかも、こうなると、化かされたように分からない。
2001 10・13 11

* また、y0083m@livedoor.com のアドレスで「宜しくお願いします」というメールが入り、開くと全面に数字とアルファベットとの羅列なので、すぐ削除した。覚えのないアドレスで、名乗りのないメールには、いま、神経質になってしまう。わたしにも難なく読める文で送って下さい。

* >>私の機械にハツカーが入って「裏口」を作ったらしい恐れありと
ADSL等の常時接続では、よく聞く話ですねえ。
「裏口」というのは、おそらく、ルータのFireWall設定が壊されちゃったってコトだろうと思います。でもひょっとしたら、FireWall(あるいはウイルス感知ソフト)に「謎のファイル」が引っ掛かっただけかも……。
まずはルータのFireWall設定を見直して、何か異常があったら直すか、もう一度イチから設定し直すのがよろしいかと。
(今いろいろ調べてみたんですが、これ!という解消法が捜せなかったので、抽象的なことしか書けなくてごめんなさい……)
>>いっそパソコンなんてやめちゃいますかね。
んもぅ先生??!(笑)
こんなのに負けてやめちゃうなんて悔しいですよ。続けましょうよ。私なんか「もしハッキングされたら逆ハックしてやる!」ぐらいの勢いでネットしてますよ。私だけでなく、教え子さんや機械に詳しい人たちもきっと応援しますから、できることから少しずつ……ね。

* 即座に親切なメールを戴いた、感謝。
機械の過敏反応で、実は何でもないなーんてことを願望し、対処の能もないので、放置してある。ルータの云々も業者が設定しているし、わたしの買い足したソフトもワケが分からないものなので、勉強心のない話だが、とにかくボヤーッとしている。

* わたしのパスワードを用いて勝手な買い物など金銭的な被害を与えうると電話で教えてくれる人がいた。カードでおろせる口座には、用心して必要最少額程度しか入れていない。カード会社と銀行にも連絡してある。パスワードを替えた方がいいとも教わった。裏口から入ればパスワードも盗めるのなら、替えてもすぐ盗めることになるのでは。
問題は、ADSLでインターネットを使うのがいけないのだろうか。それは何となく感じとして、ありえなくない感触。世界を相手にしては勝負にならない。機械作動が早いので助かるとは思っているのだが。このあたりは、『DSL』の著者芝田道さんに教わろう。
なんだか、騒然としている、生活が。

* また電話で、ウイルスには潜伏期間があり、一週間もすれば、出るものは出てくるだろうとのこと。ただ、パスワードで、ハッカーが中をいじくることは可能としても、金融カードの番号などは読みとれないだろうと。さほど心配はないのではないかとも。どうもいろいろである。愉快なのかなあ、そういういたずらが。
2001 10・14 11

* 三時から東京會舘で日本ペンの理事会。テロ問題で、声明を採択。いろんな問題が輻輳していたが、電メ研からは、必要なことは書面で提出してあり、質疑がなければ即ち理事会承認を得たということになる。みなが辟易の長談義を延々とされるより、この方がよっぽどスマートに決着する。「電子メディア対応研究会」からスタートした電メ研が、「電子メディア研究小委員会」を経て、今日の理事会で、「電子メディア委員会」とすっきり名称決定された。理事会席上で、出席理事の全員に電子文藝館への出稿依頼状を手渡した。正宗白鳥、志賀直哉元会長のご遺族より、作品掲載快諾の手紙が届いていた。嬉しいこと。かくて確実に仕事が前に前に進んで行く。井上ひさし副会長からも、原稿依頼「しかと承りました」と。心強い。
2001 10・15 11

* 今晩、McAfeeのウイルススキャンで、また以前と同じ内容の「警告」が出た。「MacAfeecom Peersonal Firewall データベースに不整な変更が加えられています」と。十月十二日か三日だったから十日経っている。潜伏期間がすぎて悪さを始める気か、何なのか。 2001 10・24 11

* McAfeeは使ったことがないので、確かなことは言えませんが(また警告が出たのは)やはりかなり危険な状態だと思います。
ファイアーウォールというのは都市を囲む城壁のようなものです。城壁が破られていないかどうか、守備隊が定期的に点検し、ソフトによっては修復してくれるものもあるようですが、その定期点検で抜穴が見つかったということでしょう。
潜伏期間ということではなく、穴が開いているという警告ですから、抜穴をふさがない限り、定期点検のたびに警告が出ると思います。
問題は穴がどうしてあいたかです。原因は行儀の悪いソフトが間違って穴を開けた、外からの攻撃、内側からの攻撃という三つのケースがあるでしょう。
外からの攻撃にファイアーウォールが易々と破られるというのは考えにくく、内側からあけられた可能性の方が高いと思います。
内側からというのは、城壁を築く前に、山賊のアジトが都市内部に作られていたか、メールなどでウィルスが忍びこんだかして、出撃のための抜穴を作られたケースです。この種の内側からの攻撃手段をトロイの木馬といいます。
山賊が活動する際は、一台のコンピュータを秦さんとネットの向こうの犯罪者が同時に使うことになるわけで、動作が通常よりも重くなることもあるようです。
いずれにせよ、なりすましを防ぐために、パスワードを変えるぐらいはやっておいた方がいいです(トロイの木馬なら、変えてもまた盗まれますが)。
御心配なら、テキストだけをバックアップして、ネットワークに繋がったコンピュータ全部を真っ白にし、インストールし直した方がいいでしょう。
不安をあおるだけの結果になってしまったかもしれませんが、あの警告は無視しない方がいいでしょう。

* 加藤弘一さんから再度の助言だが。わたしの機械に木馬を送り込んでも陥落させたいどんな価値あるトロイがあるのだろう。だれか陰湿なユウレイのような木馬とともに機械を運営して、わたしの作品やら何やらが滑稽に書き直されて仕舞ったりするのなら、迷惑だけれど、また滑稽におかしい状況とも言える。経済的な迷惑がかかるのならさっさとこんな機械はうっちゃってしまうけれど、そうでない限り、ユウレイ君に何が出来るのか見てやりたいとも思う。変なことがこの機械で、ホームページで起きたらわたしの発狂ではなく、ご苦労な「ハッカー氏の作品」が現われたものと思って欲しい。
2001 10・27 11

* @ニフティの調子が悪く、メールも使えず、ホームページの転送も出来ない。なにか方式を切り替えるようなことを伝えてきていた。その時期での、向こうの作業のせいならいいが。帰ってきたら動いてくれていますように。
2001 12・12 11

* 機械は、或る点まではやはり先方の事情で解決していたが、或る点からはこちらで「設定し直す」用事が出来ていた。サポートへの、通じるまでながく永くかかった電話相談のおかげで、簡単にことは解決した。二十ちかいメールが入っていて、その中で四本ほどはウイルスのおそれある要削除ものであった。夕食を挟み、ことこまかに必要な返事や対応に時間をかけて、はや九時前になっている。
2001 12・13 11

* 釈然とはしないが、不調だった機械を、あれこれと試み試みて直してしまった。なぜ直っているのか分からないが、とにかく何かを替えてみたら直っている。ワケは分かっていない。
2001 12・28 11

*「突然で失礼ですが」という「題」で覚えのないアドレスのメールが届くと、わたしの場合、有って自然な立場にいるものの。このウイルス跋扈の時節にはやはり気楽に開くのは怖い。思案の末、削除する。当方にもし失礼が有れば許してもらわねばならぬ。もう馴染みのアドレスだけで察しのつく人は何の問題もないが、こういう初めての場合、願わくは、せめて姓名は明示して欲しい。よく組織からなにかしら依頼や要望の手紙が届く場合も、個人名で責任者名の入っていない文書は、よほどの例外は除いて、わたしはそのまま破棄してしまう。特別非公式の場合は、メールでわざと名乗らないで出す場合や、べつの分かり合える名乗りで代用することはあるが、それは親しい相手だから出来ること。
また、目上の人には、例えば谷崎様と姓だけにしても、自分は秦恒平と書く。谷崎先生の私にあてた手紙があったとして (残念だが、奥さんのものは多いが、先生はもう亡くなられていたから無い。が、)名乗りに谷崎潤一郎とあれば恐縮して嬉しいだろう、谷崎とだけでも十分納得する。しかしその反対は決してあり得ない。それは作法である。こういう作法も、若い人からどんどん崩れている。年の行った人でも忘れてかけている。メールの時代になって、どうでも良かろうに流され、例えば、reメールの際の題名を一応吟味して、内容に応じて書き換えてくる人の少ないのには驚かされる。「新年を迎えまして 秦恒平」と送った年賀メールへの返礼が、そのまま返された例はイヤほどあった。あまり尊敬できることではなく感じた。むろん、内容によってはそのままの方が良い「題」や「要件」もある。わざとそうすることも多い。とりあえずは一考するように、わたしは、している。それでも失礼はあったことだろう。  2001 1・5 12

* 今日は大きな作品を二つスキャンし終えた。電子文藝館の展観現況をいつでも確かめられるように、「一覧」も作成した。戸川秋骨といえば、北村透谷や島崎藤村の僚友であった「文学界」時代の大先輩に当る。この人の文語文の「自然私観」を校正している。
英詩が原文で入っていて、これが、スキャンしてみると日本文にひきずられて全部文字が化けてしまっている。手書きするしかない。分かる人には、それはこうすればと道が知れているのだろうが、わたしは、不器用に覚え込んだ一本道しか行けない。
入稿原稿も、わたしの願ったとおりの配字などでATCに組み付けて貰うには、全部フロッピーディスクに入れて、それを郵送している。電子メールだと、太字も大字も、字サゲも、みんな平板に変わってしまって届くらしいからだ。ファイルして送れば佳いのですよと言われるけれど、今もってそんな方法も覚えていないのだから、怠惰なものだ。ばかばかしく初心の手段なのであろういろんなことを、わたしは、未だ覚えないままパソコンを使っている、駆使どころか。恥ずかしくなる。
2002 1・7 12

* 年度替わりで、今度こそわが電メ研も「予算」請求をしなくてはなるまいか。毎年各委員会は予算を得ている。電メ研=電子メディア委員会は、去年は「いいよ、いらないよ」と考慮外にした。事務局の経費か予備費の範囲で済むと思ったからだが、電子文藝館がスタートしては、そうも行くまい。こういう手当はとてもわたしの性にあわない。グレン・グールドの弾くバッハのピアノコンチェルトをずうっと聴きながら、米原原稿を通読していたが、そういうことの方がラクチンである。
このあいだから、隅々まで覚え込むほどベートーベンの三大ピアノソナタをグレン・グールドで繰り返し聴いてきた。ベートーベン、バッハ、モーツアルトと、月並みな好みだろうが、尽きない魅力である。
2002 1・15 12

* 真冬には珍しい大雨が降り続いている。気温が低ければ大雪だったか。おとといの花嫁からも、親友からも、気持のいいメールが届いていた。遠い西の方からは、ふと思い立ち、明日からツアーでアンコールワットへ、とも。十通ほどは、かためて舞い込んでくる。電子の杖のE-OLDは、いながらに大勢に出逢う。
2002 1・21 12

*いま、松下電器産業株式会社から日産火災損害調査株式会社宛の「PC設定変更 動作確認手順書」「第一版平成14年1月9日」なる文書がファックスで延々と届いていて、閉口している。いつやまるかと見ていたが、用紙一巻きが費えてしまうほど。何なんだ、これは。新手のいやがらせか、何かの途方もない間違いか。
2002 1・26 12

* 二台の機械がネットワークしている筈だが、その効用を機能的に操作するすべが知れず、つねづね、一代は外して使っている。今日久しぶりに繋いでみたが、長い時間いじってたわりに、結局何も出来ないことだけが分かって落胆した。集中的に使っている方の機械が、 WZEDITORを受け付けず使えないために、MOに収めたモノの多くが活用できないでいる。またよそから送られるファイルが開けなかったりする。新しい WZのソフトを買ってくるのは簡単だが、機械との間に相性がないのでは仕方がないし。「秀丸」というのを布谷君が入れて行ってくれたが、WZの完全な代りには成れないようで限界ありげ。

* さ、明日は久々の電メ研である。かなり込み入った討議の日になりそう。
2002 2・3 12

* 疲れた。あんまりいろんな相談があり、時間足らず、何をどう決めたのやら、呆れるほどアタマが働かなくて、もう夜の十一時になるのに、会議の輪郭もうまく書き記せない。ま、いいか。
考えてみると、さほどに混乱していたわけでも、議論が沸騰して収拾がつかなかったのでもない。一と一で二と、三に三をかけると九と、そういう具合に割り切った結果が出にくい会議なのでくたびれた、わけである。
わたしが、原稿の内容にそって事細かにレイアウトし、一太郎ディスクに書きこんで、業者に渡す。わたしとすれば、その通りやってくれればいいんですと言いたくてそうしているのだが、いろんな分りにくい経緯や機械的事情が介在し、結果的に、電子文藝館に発信掲載されると、それが、受信者(読者)の千差万別の機械により、必ずしもわたしの意図していた通りには届かなくて、とんでもない、私などにはどうしても理解しきれないほどの変容が先方で出てしまい、文字が化けたり、行間がとんでもなく広がったりつまったり、字の大きさが勝手に大きくなったり小さくなったり、する。このパソコンという機械はそんなものなのだ、というのだ。
これを聴いただけで、いくらか予測していたトラブルではあるが、だがそれはトラブルというのとも違う、機械環境のいたずらで出てしまう変化変容であり、「おいおい勘弁してくれよ」と言いたいが、誰に尻の持ち込みようも無さそうなのだ、じつに燻った気分になる。たいそうに用意したつまりはマークシートなんてものが、逆に途方もなく邪魔をすることになっているらしく、「やめてんか」と嘆かれる。わたしのホームページみたいに単純簡明なツクリだと、こういう高等な混乱は起きていないと思うと、機械とは、なんてややこしい生き物だろうと思ってしまう。
結局PDFという方式でやることになった。いや、ほんとはどうなったのか、わたしには分かっていない、明確には。そうやれば、よほど問題点が改良されるという話し合いだったので、「それで行きましょう」と無責任な責任者として決めてきた。賛成してきた。混乱して疲労したので、もう、そのあとは、何を司会しどう会議が進んでいるのやら、うつつごころが無い有様。
だが、電子文藝館の、発足以来の急速な充実と展開とは、いくらかの驚きを以て委員会でも再認識されていたようであり、有り難かった。どういう人のどういう作品が既に掲載になっているかを丁寧に一覧に作って周知をはかっているのは、それが一番分かりいいからである。
ここまでは、発起人としてのわたしの意欲も意地もあって、かなり苦しくても頑張ってきたが、いつまでも続けられる事ではなく、委員会内での協力関係が進まねばならない、その点は今後に期待するより無い。高畠委員から、ともあれ、もう当分は遅疑することなく電子メディア委員会の中で電子文藝館も維持し続けて行きましょうという発言に、励まされてきた。

* 電子メディア委員会の仕事は、多岐にわたっている。この時代、政治も外交も経済も警察も芸術も企業も、ITに触れずに済む領域は無いのだから、この委員会は、サイバーテロやサイバーポリスも含めて、世界の全分野を視野におさめていなければならない。電子メディァ対応研究会を私が提議し発足したときから、そんなことは、分かり切っていた。しかし、手近なところからと、いろいろやってきた。
さて、もう四年五年になるが、正直のところ、今後長きにわたって日本ペンクラブ電子メディァ委員会の仕事の遂行できる委員長には、例えば猪瀬直樹氏のような、私などと段違いに広い情報取材能力のある人が、新たに見つからねばならないだろうと、もう前から思ってきた。この段階まで委員会を運んできて、このままだと、委員長の能力不足で電子メディア委員会を潰してしまいかねない、より適格な人に委ねないと、電子文藝館はともかく、電子メディア委員会を、まんまと萎ませてしまいそうな気がしている。
2002 2・4 12

* 朝からネットワークの効用を少しでも手に入れたいといろいろ触っていた。子機では機能している WZEDITORが、親機では全く役をなさず、再々新たにインストールしても、子機から親機に「ネットワーク移転用」を使ってコピーしてみても、開けば即座に機械が凍り付いてリセットするしか無くなってしまう。今日の試行錯誤も通じなかった。このおかげで、MOに保存したかなり多数のファイルが読み出せない。布谷君が「秀丸」を置いていってくれたので辛うじて読めるものもあるけれど、よそから送られてきたファイルが引っかかると、どうにもならない。一番今困惑しているのはこれで、かりに、さくらやで、同じソフトの新しいのを買い直しインストールすればうまく行くと分かっていれば簡単なのだが、みすみすお金がムダになるのも詰まらない。
2002 2・7 12

* 千葉の勝田おじさんが、わたしの作品年表のために、パソコン上で便利な表組みを繰り返し工夫してくださっている。まだ、うまく、仕上がらないが、送られてきているサンプルは実に佳いのである。この表枠がそのまま利用できて、どんどんと書き込めれば最高なのだが、記入されてある内容の文字だけはコピーして貼り付けられても、肝腎の表枠が例えば一太郎に貼り付けられない、消えてしまう。記事内容は寧ろ新たに書き込めればいいので、表枠が勝田さんの創られてあるまま、幾らでも書き足して行けて、しかもその各欄に必要記事が書き込めれば、どんなに有り難いことか。
わたしの年譜は「読める」ほど詳細だが、作品年表も厖大で、どっちも昭和六十年(1985)で途切れている。あとのものを書き起こすのに、パソコン上に表枠が出来ていれば、遺漏なく書いてあるカードを書き込んでゆけば良く、むろん、漏れの挿入も可能、新たに書き増し書き増しして行ければ、どんなに便利だろう。千葉のE-OLDは意欲的に試行錯誤してくださるが、保谷のE-OLDは意気地無く、「表」などというものにチャレンジしたことが一度も無い。
2002 2・9 12

* 言論表現委員会は、田島委員の「人権擁護法」への、山田委員の「サイバー犯罪防止条約」への、レクチュアが主で、充実した勉強だった。人権擁護の名においてまさに地引き網で悉く拾い上げるように報道と言論表現とをがんじがらみに法的な規制と処罰の前に引き据える法律、また同様に電子メディア社会を法の名で制圧しようと謂う世界的な潮流。おそるべきものがある。

* それにつけ、わたしは、かねて考え及んでいたことをもう実効に移さねばならぬ時機が来ていると思うのである。
わたしが日本ペンクラブの理事に就任したときは、ホームページはおろか、電子メールすら使えないに等しい事務局の状態で、理事会全体にも、その方面への認識や配慮はゼロであった。とんでもないことだと思い、就任してやがて、私は、電子メディア対応委員会を提案し、電子メディア研究会として独立が認められた。直ちにホームページを立ち上げ、会員の意識調査アンケートを実施し、情報処理学会の文字コード委員会にも参加した。また電子的な場での作品集を、紙の本と対等に入会資格として認めるという決議をとり、ついで、電子出版契約書をめぐる実務的なガイドを製作して全会員に配布し関心を喚起した。そして、昨年末に開館した「電子文藝館」を提起し企画し実現し、順調に動き始めている。電メ研は、今では、電子メディア委員会として言論表現委員会等と対等に存立している。そして、総会のつど、電子メディア委員会の視野には、漢字の標準化や電子出版など「表現」に深く関わる方面だけでなく、「エシュロン」に象徴されるような電子的巨大通信傍受のグローバルな浸食行為を初めとした、サイバーポリス、またサイバーテロ、その他サイバー犯罪等による人権と言論表現や平和・環境への抑圧傾向の一切が入っていることを示唆し指摘しつづけても来たのである。
此処らまでは、委員長たる私の意欲と能力とで、ともあれ漕ぎ着けえたのであるが、もう、この先は、私の行動力でも判断力でも、ましてゼロに近い情報収集力では、とても問題の急激な拡大に追いつかないし対応できない。今の委員会のメンバーでは、残念ながら、私より以上に積極的・具体的にこれに対応できる意欲ある委員は、残念だが、一人もいないと謂わざるをえない。

* と謂うことは、これ以上、私の委員会がこのまま存続していると、日本ペンクラブに於ける折角の「電子メディア委員会」が形骸化するか機能不全で潰れてしまう懼れがある。だが、そんなことでは絶対に困る時代に、日本ペンクラブ自体が当面していると考えている。
何とかして、現在の電子メディア委員会に、本来の電子メディァ問題に専門的な視野と情報と意識とで取り組める態勢をつくらねばならない。猪瀬直樹氏ではないが委員会の「構造改革」をしないと、委員会自体が有名無実の障碍・邪魔者になりかねない。

* かねて考えていたように、今日の山田健太委員のレクチュアは、グローバルな視野と情報と判断に基づいた適切なもので、私もさもあろうと深く頷いた。わたしなどは、「エシュロン」は大変だとまでは分かって言い得ても、その先へは一歩半歩も進めなかった。今の委員会は、その点では、今日のレクチュアレベルからすれば、大人と子どもとの差よりもまだ開いているのは明白で、こういう人にこそ、日本ペンとしての電子メディア問題を、より正しくリードしてもらう以外に良い道は無いのではないかと、強く実感したのである。

* わたしは、意欲を棄てたのではない。ますます意欲をもっているが、出来れば適切な配慮と情報に導かれる中で協力するというのが正しい姿勢だと思う。理事だから、委員長だからとは全く考えない。少なくも、私がその地位に在るために、大事な問題が停滞するかも知れぬという懼れは断固として自ら払拭する義務があると思っている。ただ、今現在の委員会では、安心してこの電子問題を委ねられる人材はいない。みな年齢が行きすぎている。

* およその考えは、吐露した。あとは、自分の考えと具体的な対応を考案して、委員会にも理事会にも諮りたい。先日の委員会では、電子文藝館は、もう当分はこの委員会で面倒を見ないといけないでしょうという総意であったし、わたしも、そう考えている。村山副委員長に、とうざ、電子メディァ問題の方を束ねて担当してもらおうかとも提起していたが、率直なところ、今日のレクチュアをしてくれた山田健太氏の協力を得て、電子メディア委員会内部に、その方面へのペンの対応を慎重考慮し、具体的に啓蒙活動や抵抗運動などして行ける道を探る方が確実だと考える。また、委員も、意欲と協力に応じて構造改革するぐらいな姿勢が必要だろう。つくづくと、今、それを思っている。そう思った以上は、私は、邪魔にならないように自身を慎みたいし、うまく道を開きたい。

* 今は読み返さないので支離滅裂に展観ミスも続出しているだろうが、「言い置く」ことである。この趣旨は、山田氏のレクチュアのあとで、その内容を、では日本ペンクラブはどう生かして対応しなければならないかという観点から、足下の急務として思うまま話し、問題提起として聴いてもらった。
2002 2・12 12

* 電子メディァ委員会の「構造改革」案も下書きを始めた。
2002 2・18 12

* 昨日、よそへ宛てたメールがわたしに届いていた。ドジなことだと思っていたら、なんと、今日はそのドジな人宛にペンの事務局宛のメールを送ってしまった。ドジの上塗りのようなもので、訳分からずに恥じ入っている。気をつけないといけない。
2002 2・21 12

* 昨日、電子メディア委員会の「構造改革」案をメールで委員諸氏に伝えた。これから議論が始まる。
2002 2・22 12

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