ぜんぶ秦恒平文学の話

読書録 2005~2007

読書録5

* ひとり起きていて、四時半ごろに寝床で「今昔物語」源頼信の逸話など一、二語読み、「日本の歴史 大正デモクラシー」の農村問題を少し読んで寝た。
さほどわるい夢見ではなかった。いきな着流しの女玉三郎が、出没、軽快な立ち回りを演じていたり。
九時に起き、ふだんのあまりなラク装をやや改めた。建日子から、十時半に着くと電話。住所も名前も分からない人から十時に配達と指定着きの「おせち」宅急便が届く。ふたりとも、思い当たらない。
むかしバレンタインデーに、必ずゴージャスなチョコレートを必ず一つぶ選りすぐり、途方もなく贅を凝らした器に入れて、「ゴディヴァ」店から贈ってくる人がいた。何年続いたろうか。ついに誰とも知れずじまいだった。
「おせち」の人、案外ナーンダと分かるかも知れず、チョコレートのように分からずじまいかも知れない。食べ物ゆえ気にはなるが。
2005 1・1 40

* 夜前。寝ようとしていたところから、坂東玉三郎の深切な案内と解説で、歌舞伎の衣裳、おもに豪華な女衣裳をたっぷりと見せてくれて、あまりの美しさ、すばらしさ、おもしろさに寝に行くどころでなく、恍惚として魅入られた。
ところどころ玉三郎がそれを着て出演している舞台写真が出るのも、ほとんど全部を比較的何時も間近で見ているので、懐かしくも優しくもあり、接写で細部まで近寄れる色彩美、染めや織りの豪奢さ、言葉をうしない、ほおっとなってしまう。
玉三郎の言葉をよくよく吟味した美しい日本語での簡潔な解説も、聴きごたえした。西陣の織り屋などでの打ち合わせや職人気質との出逢いなども要領を得ていて、ほんとうに佳い番組であったが、出逢ったのが二時、終えて三時。これは堪らない時間帯。
寝床へはいってから今昔物語で前九年の役の源頼義らの悪戦苦闘を読み、歴史は大正時代の「日農」成立の頃の農村事情を読み、ライトを消したモノの昼の寝正月もひびいてかいっこう寝付けず、また電気をつけて、今昔巻二十六の解き放たれたような珍奇譚のかすかずに読みふけった。此の巻からはもうとてつもなく面白い話ばかりになってくる。佛教の説教臭がぬけてしまい、名もない庶民の珍妙な話がこれからぞくぞくと出て来るはずだ。
眼も休めてやらないといけないので、また灯は消したが寝られず、何も考えなければいいのだけれど、退屈なので源氏物語の巻の名を四十五巻まで思い出したり、百人一首を六十あまり思い出したり、般若心経を暗誦したり、海外映画の題を百六、七十も思い出したりして、結局寝た感触はまったくなく、八時半に起きて血糖値をはかった。87は低い。三が日の雑煮を祝い終えてしまった。
年賀状を少し書いた。少しだけ。春に湖の本を届けられる方々は失礼させて頂くとする。

* 好天。なれど、おそろしく冷え込む。下半身が痛いほど冷たい。
2005 1・3 40

* 和田傳『村の次男』鶴田知也『コシヤマイン記』はともにとても興味深い作品で、交互に一字一句句読点やルビまで手打ち再現して行きながらも、作品そのもののハートはわたしを頗る喜ばせる。ただ、容易に進捗しない、それほど、原本の活字は古く小さく、作品の量もある。二つともの起稿を終えるのにもう十日はかかるだろう。スキャンの状態が良ければいいのだが、なかなかそうは行かない。
2005 1・4 40

* 今朝も快晴。心地よい。早起きした。冷え込んでいる。三時と五時半に眼が覚め六時半には床を離れた。

* 鶴田知也の『コシヤマイン記』に引き込まれている。アイヌモシリの精気に顔を打たれるような快さがある。巧みな作でも雄大な筆致でもないのに、心優しく惹きつける魅力がある。
2005 1・7 40

* 鶴田知也『コシヤマイン記』は一種のプロレタリア文学として、深い寓意が汲み取られてい、稀有とも読める激しい切ない小説である。読まれたい。入稿した。
2005 1・8 40

* よく眠れなくて、六時半か七時前には起きて朝食した。

* 鶴田知也の小説に引き続いて、和田傳の『村の次男』の起稿と校正をしている。鶴田も和田も農民文学に精魂を籠めた作家であった。この小説もまた読ませる切ないハナシである。『コシヤマイン記』はいちばんつらい最後の一節を、わたしの手違いで二度同じ校正をしなければならなかった。
2005 1・9 40

* 建日子の『推理小説』 いい書評が「週刊文春」その他で出始めている。手法と表現の目新しさ、わたしの所謂「ト書き小説」体が評者を捉えているらしい。ただこの手は何度も使えないから、二作目がややしんどいだろう。
2005 1・9 40

* 今昔物語、全四冊のうち三冊を読み終えた。巻二十六からは、もう面白い面白い話ばかり。
2005 1・10 40

* 七時に起き、一時間寝床で「日本の歴史」を読んで、起床。家中の部屋が暖まらないほど、冷えている。快晴。機械部屋にお日様を入れないのがいけないと叱られた。なるほど。
2005 1・12 40

* 大越哲仁会員より、電子文藝館へ出稿原稿に添えて依頼しておいた別の史料原稿二つを送ってもらった。一つは、徳富蘆花の日露戦争勝利後の「勝の悲哀」と題した、ことに著名な講演。もう一つはこの戦後憲法公布にあたり当時文部省の配布した公式認識と解説の史料も。有り難い。会員自身のは「最初の私費留学生」としての新島襄を論策している。これまた有り難い。
2005 1・12 40

* 石上玄一郎「クラーク氏の機械」を起稿し、校正し、入稿した。追いかけて徳富蘆花の名演説として名高い「勝利の悲哀」のすでに起稿された原稿を、丁寧に校正し入稿した。石上の特異とよくいわれる作風は、例えば「清経入水」や「蝶の皿」や多くわたしなりのの掌説を書いてきた者には、そう珍かに特異なものとは映らない。
蘆花の演説は長くないが要点に言い及んであまさず、鉄腸にもしみいる言説で、すでに「ペン電子文藝館」に掲載してある「謀叛論」とともに、蘆花のえらさを輝かせている。
2005 1・13 40

* 文部省が刊行し、憲法施行直後の八月、主に全国生徒児童を対象に配布した『あたらしい憲法のはなし』は得難い「主権在民史料」の特級ものである。校正して行くにつれて感動が蘇ってくる。たしかにわたしたちの世代はこのように「憲法」と民主主義を学んできて、今なお、信奉している。文部省が内容を十分精査し確認して刊行している此の冊子の「憲法」尊重と遵守の精神は、今の政府与党により、むちゃくちゃに勝手気ままに拡大変義解釈されて、高手小手にねじ上げられていることがよく分かる。
しかし日本国政府は、新憲法を成立させてその精神をこの『あたらしい憲法のはなし』のように理解し解説し、国民の一人一人に、また首相以下の政治家の一人一人に遵守を求めていたのである、決してコレは民間に発生した解釈でも主張でもない。
あえて此所に「一 憲法」をあげてみる。

* あたらしい憲法のはなし  文部省著作発行 昭和二十二年 (1947)八月

一 憲 法

みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。
國の仕事は、一日も休むことはできません。また、國を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろいろ規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。
國をどういうふうに治め、國の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本になっている規則が憲法です。もしみなさんの家の柱がなくなったとしたらどうでしょう。家はたちまちたおれてしまうでしょう。いま國を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。もし憲法がなければ、國の中におゝぜいの人がいても、どうして國を治めてゆくかということがわかりません。それでどこの國でも、憲法をいちばん大事な規則として、これをたいせつに守ってゆくのです。國でいちばん大事な規則は、いいかえれば、いちばん高い位にある規則ですから、これを國の「最高法規」というのです。
ところがこの憲法には、いまおはなししたように、國の仕事のやりかたのほかに、もう一つ大事なことが書いてあるのです。それは國民の権利のことです。この権利のことは、あとでくわしくおはなししますから、こゝではたゞ、なぜそれが、國の仕事のやりかたをきめた規則と同じように大事であるか、ということだけをおはなししておきましょう。
みなさんは日本國民のうちのひとりです。國民のひとりひとりが、かしこくなり、強くならなけれは、國民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。國の力のもとは、ひとりひとりの國民にあります。そこで國は、この國民のひとりひとりの力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。そのために、國民のひとりひとりに、いろいろ大事な権利があることを、憲法できめているのです。この國民の大事な権利のことを「基本的人権」というのです。これも憲法の中に書いてあるのです。
そこでもういちど、憲法とはどういうものであるかということを申しておきます。憲法とは、國でいちばん大事な規則、すなわち「最高法規」というもので、その中には、だいたい二つのことが記されています。その一つは、國の治めかた、國の仕事のやりかたをきめた規則です。もう一つは、國民のいちばん大事な権利、すなわち「基本的人権」をきめた規則です。このほかにまた憲法は、その必要により、いろいろのことをきめることがあります。こんどの憲法にも、あとでおはなしするように、これからは戦争をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。
これまであった憲法は、明治二十二年(=1889)にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、國民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。この國民ぜんたいの意見を知るために、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらしい國民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。それで、あたらしい憲法は、國民ぜんたいでつくったということになるのです。
みなさんも日本國民のひとりです。そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたいのつくったものであり、國でいちはん大事な規則であるとするならば、みなさんは、國民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません。
みなさんが、何かゲームのために規則のようなものをきめるときに、みんないっしょに書いてしまっては、わかりにくいでしょう。國の規則もそれと同じで、一つ一つ事柄にしたがって分けて書き、それに番号をつけて、第何條、第何條というように順々に記します。こんどの憲法は、第一條から第百三條まであります。そうしてそのほかに、前書が、いちばんはじめにつけてあります。これを「前文」といいます。
この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。この前文というものは、二つのはたらきをするのです。その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。つまりこんどの憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。
それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは、「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」です。「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、少しもむずかしく考えることはありません。主義というのは、正しいと思う、もののやりかたのことです。それでみなさんは、この三つのことを知らなけれはなりません。まず「民主主義」からおはなししましょう。  つづく

* 中でも此所で重要なことは、「憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。
それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは、『民主主義』と『國際平和主義』と『主権在民主義』です。「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、少しもむずかしく考えることはありません。主義というのは、正しいと思う、もののやりかたのことです。」
この国際平和主義の中に「戦争放棄」の思想の盛り込まれてあることは、云うまでもない。この冊子は一から十五章に及んでいて懇切である。そして刊行の時期よりして、憲法制定のまさにその同時期の精神と理解とが書かれているのだから、憲法の議論はまずは此所へ立ち戻って考えるのが至当で妥当だろう。
わたしは今、日本國憲法の前文以下全条文をスキャンしおえた。これを対にして「ペン電子文藝館」の「主権在民史料」特別室の根幹にしたい。最も願っていたことの一つが、任期切れ前に果たせそう。
2005 1・14 40

* 夜前、柳田国男の『先祖の話』を全編音読し終えた。先祖とは。あらためて思うと、はなはだ難しい。死者と生者との具体的な或いは気の遠くなりそうな「関係」で、また葬法や祭祀や御霊迎えの作法に結びつけて、広く民俗を探って行くと、底知れない世界がひろがっている。しかも、それは幽界幽霊の問題という以上に、いかに生きるか、生者の問題として具体的に深く関わってくる。だれかしら親しい一人一人の死と死後とを想像し、自分はそれにどう係わって行くのかと思ってみれば、このことの問題としての大きさ重さが伝わってくる。
柳田の独特の文体にのせられて、思わぬタイブの著作と毎夜向き合ってきた。
今夜からは「祭りの話」を新たに読んで行こうと。
2005 1・15 40

* 制定当時のままの「日本国憲法」を逐条読み直しているが、これほど興味深く有り難く胸にしみる読み物は、他に、めったに有るものでない。他の何をおいても「憲法」条文だけは、日本人でいる限り我が身と生命財産権利の安全をはかる意味でも、難しい文章ではないのだから、一度通読しておいて、得こそ多けれ絶対に損をしないだろう。「国民の公共財産」としてこれほど価値高き何が他に有るであろうか。
憲法を読まずに自己の安全や権利を願うことは、むろん不可ではないけれども、自己の足場立場を弱くしているのだけは、正真正銘事実である。少なくも「前文日本国憲法」「第二章戦争の放棄」「第三章国民の権利及び義務」は、「我が事」として、即座に読んでおきたいと思う。

* 日本國憲法 前文

日本國民は、正当に選挙された國会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸國民との協和による成果と、わが國全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が國民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも國政は、國民の厳粛な信託によるものであって、その権威は國民に由来し、その権力は國民の代表者がこれを行使し、その福利は國民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本國民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる國際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の國民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの國家も、自國のことのみに専念して他國を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自國の主権を維持し、他國と対等関係に立たうとする各國の責務であると信ずる。日本國民は、國家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

第一章 天 皇

第一条  天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本國民の総意に基く。
第二条  皇位は、世襲のものであって、國会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
第三条  天皇の國事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条  天皇は、この憲法の定める國事に関する行為のみを行ひ、國政に関する権能を有しない。天皇は、法律の定めるところにより、その國事に関する行為を委任することができる。
第五条  皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその國事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
第六条  天皇は、國会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。天皇は内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七条  天皇は、内閣の助言と承認により、國民のために、左の國事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 國会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 國会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 國務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外國の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
第八条  皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、國会の議決に基かなければならない。

第二章 戦争の放棄

第九条  日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠実に希求し、國権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。國の交戦権は、これを認めない。

第三章 國民の権利及び義務

第十条  日本國民たる要件は、法律でこれを定める。
第十一条  國民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が國民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の國民に与へられる。
第十二条  この憲法が國民に保障する自由及び権利は、國民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、國民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条  すべて國民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する國民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の國政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十四条  すべて國民は、法の下に平等であって、人権、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
第十五条  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、國民固有の権利である。
すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。
公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を間はれない。
第十六条  何人(なんぴと)も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待近も受けない。
第十七条  何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、國又は公共団体に、その賠償を求めることができる。
第十八条  何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してならない。
第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、國から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
國及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
第二十二条  何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。何人も、外國に移住し、又は國籍を雌脱する自由を侵されない。
第二十三条  学問の自由は、これを保障する。
第二十四条  婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
第二十五条  すべて國民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
國は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
第二十六条  すべて國民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
すべて國民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
第二十七条  すべて國民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
児童は、これを酷使してはならない。
第二十八条  勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
第二十九条  財産権は、これを侵してはならない。
財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
私有財産は、正当な補障の下に、これを公共のために用ひることができる。
第三十条  國民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。
第三十一条  何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
第三十二条  何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
第三十三条  何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつている犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。
第三十四条  何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。
第三十五条  何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。
第三十六条  公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
第三十七条  すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、國でこれを附する。
第三十八条  何人も、自己に不利益な供述を強要されない。強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
第三十九条  何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の貴任を問はれない。
第四十条  何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、國にその補償を求めることができる。

* 「日本国憲法」は昭和二十一年(1946)十一月三日公布 昭和二十二年(1947) 五月三日施行。此処に挙げたのはその時のままの表記。憲法が、旧仮名遣いで書かれていたことがわかる。それでいて、で「あって」などと、促音は意図して表示してある。

* これを読めば、おやおや、今の政治は、大事なところで相当な「憲法違反」ないしそれに近いことをイケシャアシャアとやっているらしいことが、いやでも見えてくる。いや、しっかり見据えて是正したい。
憲法に基づいて政治を監視し是正するのも国民人一人の義務であることを最高法規である憲法は明記している。小泉純一郎や自民党が「最高法規」なのではない。「憲法」が最高法規なのである。
いま一章を是非此処に書き写しておきたい。、

* 第十章 最高法規

第九十七条  この憲法が日本國民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の國民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第九十八条  この憲法は、國の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び國務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
日本國が締結した条約及び確立された國際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
第九十九条  天皇又は摂政及び國務大.匡、國会議貝、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

* 小泉純一郎や石原慎太郎は、此の誇るべき「日本国憲法」を、しみじみ読んでいるのだろうかと疑う。
2005 1・16 40

* 昨日『大正デモクラシー』の一冊を読み上げ、第二十四巻『ファシズムへ』を今夜から読み始める。以下、太平洋戦争、戦後、の二巻で終えるが、さ、花の散る頃まではかかるだろう。日本史を読み始めたのがいつ頃か、もう見当もつかなくなったが、わたしの日々を、これはこれでしっかり立たせていた。力になっていた。
2005 1・17 40

* 久しぶりの診察日。森本哲郎さんに『吾輩も猫である』をいただき、寝る前に読み、夜中に眼が覚め続きをまた少し読んで、またうとうとして六時半に起きた。七時前の血糖値、99。

* 柳田国男の『祭の話』も大作で。いまは「祭」と「祭礼」とがちがうことを語っている。初読ではないが、この人のものは繰り返し読んで新鮮な、奧から奧、が含意されている。
例えば、神社でいえば、たいていの人は「まつり」にはめったに触れられない。「祭礼」のことをお祭りと思っている。祇園祭、葵祭、神田祭等々、ハデに見物が出て、祭礼を現に担って出る人数も多い。
しかし神社は、多いところでは一年に二百日を越すほど日々に「まつり」をしている。これはむしろ秘儀に属している。
以前、たまたま京都蹴上の都ホテルから、妻とあの三条坂の大通りを降って行く途中、粟田神社のお祭りに出くわした。石段を登り、神社前に地元の氏子が寄っていままさに「祭」の行われるのに、飛び入りで参加したことがある。
神官が何人も神殿の奧で高く長く声を発して恭しいしぐさを永く永く繰り返していた。その間には拝殿での伎楽もあった。
よく考えてみると、ああいう「祭」には、国民学校から小学校への過渡期に疎開していた丹波の村社での「祭」以外、立ち会ったことがない。子供の時の村の八幡さんの「祭」は、それとも認識しなかったのだから、無かったも同じ。さかんに篝火が深夜まで焚かれていたこと、拝殿で樽太鼓をかんかん叩きながら中野の「友サン」が名調子の江州音頭にあわせて村の者がいともさびしく踊っていた。
「まつり」は日本語である。「祭礼」は漢語である。祭の歴史は久しく、祭礼は後発した行事であった。いま祭礼を特色づけている一つに華やかな提灯があり、提灯が恰も主役のような祭礼すらある、が、日本の國にあれにつかう蝋燭が一体いつから存在したか。一体いつから提灯の地紙が、庶民の日常や晴の催しのためにああも自由に使えるようになったか。また竹を細く削り紙を貼り、雨に冒されず、伸縮自在にたためるというような技術がいつから日本に定着したか。そう考えてみるだけでも、「祭礼」のさほどに古くからあったものでないことは知られる、と、柳田は言っている。しかも「祭」はまさに神代にも溯りうる。
そんなことから柳田国男は厖大な日本民俗の層の厚さを説いてゆくのである。おもしろい、という以上の感銘が得られる。それが柳田学の魅惑である。
2005 1・19 40

* 大越哲仁会員の協力で、初期自由民権運動の中心的役割を果たした植木枝盛による、『日本国々憲案』が手に入った。欽定憲法が成る前のいわば「在野の憲法草案」として、最も優れかつ完備したもの、第一級史料なのである。有り難い。
2005 1・21 40

* 夜前、植木枝盛の「國憲案」を原史料で読んで、感銘を受けた。自由民権運動のなかで胚胎された根源の主張や理想が、当時の政局や国情とのかねあいも含めて、切実に盛り込まれている。各条々の記述に「祈り」まで籠められているかと読め、胸のつまることもあった。これとあわせて明治欽定憲法も添え並べ、極端な「対照」をいつでも誰でも観られるようにしてみよう。明治憲法はどこかで簡単に手にはいるだろう。

* この先の国民的課題は「憲法」であること、間違いなく、そのためにもわたしは、この「主権在民史料」特別室に、なるべく判断の拠点となる史料を取りそろえておきたい、それが、わたしなりにこの課題への貢献でありたいと思う。新聞雑誌等へも知名人たちの憲法改正をめぐる感想が継続取り上げられ始めている、が、歴史的な理解はあまり認められなくて、上澄みの感想に流れている。なるべくは明治以来の国民の願い、主権在民への願いを汲み取って、それを堅固な足場に発言して欲しいと思う。明治の自由民権論は決してまだまだ主権在民の民主主義とは程遠かった。
2005 1・23 40

* 柳田国男の『日本の祭』を読んでいて、かすかにかすかに記憶を呼び覚まされるときがある。夜に夜をついで日々の数えられていたことは、知識としても納得していた。王朝の物語を読んでいて、一日が朝から始まるなどとはとても思われない。そういう、実感とまではいかないが予感ないし推知は、たとえば祇園祭の「宵山・宵宮」でもう体感していたのだ、あの祭りのもっとも華やいだ時間は、祭礼当日の鉾巡幸以上に、前夜の宵山・宵宮にあることを、子供心にありあり感じていた。(遠い異国の例をあげて正しいかどうかいささか危ぶむけれど、クリスマスは暮れの二十五日と承知しながら、イヴの二十四日を盛大に祝いあうのも、それに等しくはないのか。)
正月用に蛤を買いに行くのが、わたしの恒例のお役であることは何度も書いているが。新門前の秦でも保谷の秦でも、その蛤汁を大根人参紅白の酢なますなどとともに「お祝いやす」と家族一礼して祝うのは、きまって大晦日の宵の食事からであった。お正月サンは大晦日の夕暮れにはもう訪れているのである。
柳田は言う、前夜の夕暮れから翌朝までが一続きの正月の年霊迎えの祭りであったと。だが、なんとなく、前夜と早朝とにいつしかに二分されてきた。それでも気持ちはどこか、もとのまま「一続き」に、この除夜から元朝へは床に入って寝ることもごく短くか、またはなにとなく通夜のうえで、極く早朝から「祭」の気持ちで雑煮を祝う風が、いまも多い、広い、と。
たしかに我が家でも、今でこそ平気で元朝を日が高くなるまででいぎたなく長寝しているけれど、新門前の秦では、「なんでやの」と子供心に堪らないほど元旦だけは、とびきり早く起こされ、ガチガチ身震いしながら顔を洗い、かなり厳粛に雑煮を祝ったのを憶えている。あれは、前夜の宵から元旦早朝まで「一連の正月祭」をしていたのだった。そういうふうには、なかなか思い至らなかっただけで、おそらく秦の父も母もそんな意識はなかったろうと思う。意識が有れば、あの父なら一席弁じて、説明してくれるぐらいはあったろう。
一つの証拠とも謂えるだろうか、昔から「初夢」とは元日の晩から二日の朝へかけて見る夢だと教わっていた。なんで元朝に見る夢ではないのだろうとまでは、子供なりに不審に感じた。そうなんだ、大晦日から元旦へは、寝ないで大歳神を祭る、それが古来本然の「祭」であったのなら、夢など、見ようがなかったのだ。

* 柳田は、「まつり」とは、「まつらふ」だと謂っている。その日ばかりは神霊の「お側にいて、なにかと奉仕する」のが「まつらふ」「まつる」意味だと。「まつはる」「まつはりつく」とも繋がっていようか。よく分かる。そして「祭」と「祭礼」とは、歴史も形もちがう。祭はいわば近親者が「お側にいて何かと奉仕する」が、祭礼には無関係な見物が参加する。

* いろんなことを思い出すものだ。が、ふしぎと、心身が澄んでゆく気がする。
2005 1・24 40

* 植木枝盛の、「自由民権、人権と抵抗権の保障」を謳った「日本国国憲案」と、この自由民権思想をはねのけ天皇絶対神聖を打ち出した「大日本帝国憲法」いわゆる明治欽定憲法の条文とを、対比的に「ペン電子文藝館」史料として入稿した。
おりしも現政府与党は「憲法改正」の好機いたると動き始めている。何が好機か。選挙が無いのである、ここ当分というもの。
問題は「前文」「憲法九条」だけではない、基本的人権の制約もますます憂慮される。わたしは日本ペンクラブの中にも「憲法研究会」ないし臨時の緊急委員会を設けて、少なくも一々の条文を読みながらの検討を重ねておいて、問題点を具体的に提示しうる体制を用意すべきだと考える。漠然と反対しても漠然と擁護しても漠然と訴えても、観念論か空疎な机上論におわるだろう。手を尽くして或る程度まで具体的な姿勢や主張を固めておくべきだと思う。が、さ、わたしがそんな提案をして、聴かれるかどうか、はなはだ心許ないが。
2005 1・27 40

* 会員からの長い原稿が二つ送られてきて、念のためにプリントで読み始めると、疑問個所がたちまち二十も三十も出て来る。原稿代わりのプリントがそれでは、訂正の拠点がない。二つともいったん返却して作者に点検して貰うことにする。
2005 1・27 40

* 高校二年頃、角川文庫が創刊されてまだピカピカの頃、なけなしの貯金をはたいて高神覚昇という人の『般若心経講義』一冊を買った。昭和二十七年暮れか翌新春に買っている。今、背は、ガムテーブで貼ってある。表紙の角はちぎれ総扉も目次も紙が劣化してぼろぼろ、全体にすっかり赤茶けている。
この本について思い出を語り出せばながい話になる。
よく読んだ。一つにはこれがたしかラジオ放送されたそのままの語りで、姿無き多数聴衆を念頭に話されているため、耳に入りやすい譬えや説話がふんだんに入っていて、高校生にも読みやすかった。
一つには、日吉ヶ丘という、頭上に泉涌寺、眼下に東福寺という環境に人一倍心から親しみを感じていたわたしは、知識欲にもまたもう少ししんみりとした感触からも、しきりに鈴木大拙の『禅と日本文化』だの、浄土教の「妙好人」だのに関心を寄せていたのだった。社会科の先生の口癖のような倉田百三の、たしか『愛と認識との出発』や阿部次郎の『三太郎の日記』なども覗き込まぬではなかったが、同じなら同じ倉田の戯曲『出家とそま弟子』にイカレてもいた。
もう一つは、まだ仏典に手を出す元気はなかったものの「般若心経」とだけは幼くより仏壇の前でワケ分からずに親しんでいたという素地があった。あのチンプンカンプンに少しでも通じられるならばと、勇んで『般若心経講義』を自前で買った、その本が、いまこの機械のわきに来ている。高神覚昇のことは皆目識らないも同じだったし、今も同じだ、が、この文庫本からは多くを得た。ことに知識欲に燃えていた少年は、講話もさりながら、佛教の理義に触れたいわゆる「註」の頁にそれは熱心に眼を向けた。感じるよりも遥かに識りたがっていたのだ、何でも彼でも。
泉涌寺の来迎院で、「朱雀先生」や「お利根さん」、わけて「慈子」と出逢った少年の学校鞄には、まさしくこういう知識欲も、詰まっていたのだった。

青竹のもつるる音の耳をさらぬこの石みちをひたに歩める        東福寺
ひむがしに月のこりゐて天霧(あまぎ)らし丘の上にわれは思惟すてかねつ 泉涌寺

十七歳の高校生が、まさにこの頃から短歌をわがものにして行った、いつしかに小説世界へ心身を投じてゆく、前段階として。『般若心経講義』を読んでいたのと、こういうわが『少年』の歌とはひたっと膚接している。
そして四十、五十年。わたしはバグワンの『般若心経』になかなか落とせなかった眼の鱗を幾つも落とせたと感謝している。
2005 1・28 40

* 録画の「ER」を見てから、機械の前へ来て、未来社創業西谷能雄の「編集者とは何か」を読んで大いに感嘆、すぐさま起稿校正して入稿も済ませた。医学書院の編集者時代からいつも念頭にあり、また今でもたんに編集者としてでなくひとりの人として生きて行く上でも斯くあらんと願う通りのことが明瞭に適切に語られていた。ああ、こういう人と一緒に仕事が出来たならと思いつつ、ま、医学書院の金原一郎創業社長も、長谷川泉編集長も、これに近い人達であった、わたしは恵まれていた。もっともその余はほぼ有象無象で付き合ってられなかった。いい著者達をたくさん識っていたので、識ってももらっていたので、それがわたしを幸せな編集者として支えてくれた。
2005 1・30 40

* 国木田独歩の「正直者」は短篇であるが、人性発見の「認識者」の秀作である。独歩にはむろん多くの短篇作品があり、世に定説的に迎えられたものも多いのだが、「正直者」ほどさりげない題の、さりげなさそうな作品に心をとめた人は少ないかも知れない。しかし今では神話的な重みすらある故勝本清一郎、またその犀利に厳しい評で鳴らした平野謙が、ともに独歩小説の随一かと推していたのが「正直者」で、こわいほどの作の一つである。今朝、一月十本目の掲載作として「ペン電子文藝館」に送った。
2005 1・31 40

* 山の上ホテルで宴会を待ちながらロビーで、そして帰りの電車で、しばらく放りだしていたヘルマン・ヘッセの「デミアン」にまたとりついてみた。はじめのうちが、どうしても気が乗らない。何故だろうと思った、一つの理由は高橋健二の翻訳文がわたしのセンスをかすかにささくれ立たせるのだとわかった。この乾いたような文体と書かれてある観念や描写とがどうにもミスマッチな、というより要はわたしの性に合わないらしいと気付いた。それで、それに辛抱してみようと、行きつ戻りつともあれ物語らしき入り口までは気張って読んで行こう、と。
やっとデミアンが出て来た。高橋健二の訳で、結局ゲーテがずいぶんと読めぬママになっていたのにも思い当たる。彼が訳した「ファウスト」がどうにもわたしは読めない。鴎外の訳が正確かどうかよりも、やはり彼の「即興詩人」の訳のようなぐあいに「ファウスト」が読めるなら、どんなに読みたいだろう。しかし手に入れていない。高橋健二の訳にはファシネーションを覚えないから弱った。
2005 2・1 41

* 昭和史は、はなはだ、しんどい。国際的な視野なしにはものが言えないし、見えない。中国大陸の軍閥の状況だけでも、蜘蛛の巣のようで、それへ日本、英、米、ソビエトなどが勢力と覇権を争って絡みついている。それが日本国内の経済にも思想にも政治の葛藤にも直結してくる。明治の日本はまだ把握しやすかったが、大正から昭和へ、そして太平洋戦争前へ、日本はまるで糞づまりのように息苦しい。ファシズムが魔の綱のように日本国と国民を束ね上げてゆく。
コミンテルンの指導で日本共産党が勢力を扶植して行くが、無産政党活動への強烈な政権によるテロリズムが働いている。拷問と虐殺がむしろふつうの手段として特高や憲兵や警察に普及しきっているのには、怖毛を振るわずにいられない。「主権在民」など、夢のまた夢、ただのまぼろしの如くであった。あんな世界へ、われわれは立ち戻らされてはならない。

* 沼正三の『家畜人ヤプー』完結三分冊本の最終第三巻を読み進んでいる。どんどん読んで行けるようなヤワな叙事ではない、劇薬を少しずつ口に含み含みしている感じ、ものすごい著作だ。こういう作品をともかく許容し出版できる限界点まで、戦後日本はひとまず開放された。だが、この作品のふりまく毒のはげしさは、人により思想によっては、今でもとうてい許容できない「政治性」に溢れている。読んでいて頬がピリピリするほどの刺戟がある。
「家畜人ヤプー」は性的サド・マゾの物語なんかではない、それに韜晦しつつ、強烈に日本國と日本人とを徹底批判し、むしろ傷つけ踏みにじり、それで、日本史を組み立て直そうという意図の、奥深い批評の本になっている。よくもまあ無事に書きおおせ刊行できたもの。沼正三という仮名に、徹して隠れた筆者の知性はしたたかであった。とんでもない、とほうもない、歴史的な奇書で力作で、天才の所産である。
2005 2・2 41

* 坂本四方太の「夢の如し」は、或る静かに良き昔の生活を髣髴させて、中勘助の「銀の匙」とまたちがった風情の好随筆を成している。知る人ぞ知る作で、長編、読み応えがある。ある時代のある日常を文学的に遺すという意義は、民俗学を持ち出すまでもない大事なこと。めったに目に触れることのない埋もれた秀作の一つ。全編スキャンした。また社会主義者荒畑寒村の珍しい短編小説「艦底」もスキャン。スキャナーに大分慣れてきた。
2005 2・2 41

* 幸徳秋水、堺枯川、荒畑寒村などと、先駆的な社会主義者が「雅号」を用いていて、なにとはなく、ミスマッチのおかしみを感じてきた、たいしたことではなけれども。
荒畑寒村の、大正元年、二十六ぐらいで書いた、少年時代の体験を落ち着いて活かした小説「艦底」を、起稿、校正、入稿した。短篇ながら、印象は確かで、よくモノを見た写生文とも読め、鑑賞に堪える。
次いで物故会員の長篇小説の序章と一章とを遺族の希望で起稿し校正し入稿した。「モラエス」を書いた千枚を超す長編だが、すでに第七・八章分が独立作品として展示済みになっている。
2005 2・3 41

* 高神覚昇の『般若心経講義』を、ひどい状態の原本から辛うじて第三講までスキャンしてみた。本紙がもうホロホロと頽れてくるぐらい。酸性紙はいずれみなこういう運命にある。そんな時には電子化されていると、どこかで助かっている望みがもてる。モノを書いている人は、とにかくも電子化されておくことをすすめます、と、電子メディアのプロが言っていて、本当だと思った。そう聴く前から心掛けてきた。
2005 2・3 41

* 般若心経講義を校正し始めると、兎にも角にも引き込まれて行く。おそらく高神覚昇のこれを読んだ頃からすると、わたしの般若心経への傾倒にも、ぐっと角度差がついているだろう。たとえば、「空」のことも。
高神は頻りに「認識」を謂う。認識論と空観とは仏教学では近かろう、けれど認識などしていて空かという疑念は、もうわたしも持っている。空を論理という分別で分析しよう、分かろうなどとわたしは考えない。認識ではどうにもならない、せめて喩ではあるまいかと思いながら、そんな思いつきも、わたしは直ぐ棄てるようにしている。
2005 2・3 41

* 上野から有楽町へ、鰻が食べたいというので「きく川」で。それからビヤホールへ席を替えて。快く疲れて帰ってきた。家に着くと、関西から、京菓子をいろいろ添え、佐藤通次訳、ゲーテの「ファウスト」上下と、実吉捷郎訳、ヘッセの「デミアン」とが贈られてきていた。有り難い。デミアンは読み継いで行きたく、さらに「ファウスト」が楽しみ、前から訳者をかえて読みたい読みたいと飢えていた。この作品、のめりこまなければ、はねつけられる。ゲーテを読んで「ファウスト」が読めていないなんて、お話しにならないと頭に来ていたのである、多年。
2005 2・5 41

* 般若心経講義の第一講を起稿、校正している間、すこし気分がラクだった。興にひかれて猪瀬直樹の「恩赦のいたずら」も読み継いでいった。三分の二も読んできたか。この『天皇の影法師』という彼の処女作は、他のアレコレを産み出す前提ともなったろうが、最も優れたノンフィクションであり、評論である。こういう着実な仕事に触れていると著者までちょっと好きになるからおかしい。
2005 2・6 41

* なにをする元気もない。階下で水分を補給し、本を読んでから床に入ろう。デミアンか、ファウストを読もう。
2005 2・7 41

* 深夜に読む「ファウスト」がおもしろい。冒頭で、「座長」と「詩人」と「道化」とが幕開き前の議論をする。これが、深い。
言うまでもないが座長は企業の眼で見ている。詩人は作者として当然表現の理想を、理想の表現を言う。
道化は舞台に立って演じる者を代表している。
この三者の兼ね合いは、演劇に限らない、文藝にも美術にも当てはまってくる。どの力がほんとうに強いのか弱いのか、どうバランスするのかしないのか。
ゲーテはわたしより二百年は前の人である。その頃にも、こういう議論で衆目の注意を喚起する意味があったし、たぶんギリシャ・ローマや古代の中国やアジアにでもあったのだろう。
作者が「詩人」と呼ばれていて、戯曲家とも脚本家とも呼んでいない。いまの「脚本家」や「戯曲家」たちは、詩人としての理想や自覚や才能を持ち合わせているのだろうか。持ち合わせている人もいたし、今も少数、いると思う。
「詩人」とは何か。「詩」とは何か。画家でも小説家でも彫刻家ですらも、創作者は、とりわけても言語による創作者には、たいせつな内奥の課題だ。

* 昭和に入り、太平洋戦争まで。日本は病める経済・財政の時代であった。途方もない大恐慌、いまのバブル崩壊の不況を何層倍も深刻にした恐慌が、いまから思えばウソのような、金解禁とともにやってきた。金解禁がなければまだしも、台風が来ても窓は閉じてあり桟を打ち付けることもできた。ところが、アメリカから吹いてきた恐慌の大嵐をうけて、待ってましたとばかりに「金解禁」で窓という窓も入り口もみな開いたのだもの、日本経済という家は恐慌台風にぶっとばされた。しかも政策的にデフレ政策をやった。デフレスパイラルで物価は猛烈に下がり、ものは売れない、失業者は蚊のようにわいて出た。「ファシズム」の時代は経済逼塞のトンネルの中へねじ込むように来たのである。
もしも、である。大正の末に、田中義一という歴代最悪陸軍大将の政友会総裁が「総理大臣」をやらず、その次の内閣で、井上準一という大蔵大臣が、もう少し資本主義がドツボにはまりかけていることに気付いていてくれたなら、太平洋戦争の起こる前に、日本は舵をちがう安定の方向へ切り替え得ていたことだろう。
歴史の「もし」はお笑い草であるが、歴史が「繰り返す」とは、なみでない「真理」にちかく、その「似た繰り返し」の中で、あの田中義一に並ぶ言に小泉純一郎でありそうなことに、もっと怒りと用心の身構えをわれわれは持たねばならぬ。
ほんとうに「国のため」に政治をしているのなら、ほんとうに「国民のため」にこそ政治をしているのでなければならない、と、そんな鉄則を小泉総理大臣は何より絶えず「憲法」に聴いていなければならないのに。
2005 2・10 41

* 宅急便で、ペンの会員橋爪文さんの郵便物が届いた。著書その他。
十四歳で原爆をまともに体験し、以来その体験を伝える世界的な行脚と著作で識られている人である。「ペン電子文藝館」の現状が会報に載り、電子化の作業は出来ないけれどどうにかならないかと著作の数々を届けてこられた。まぎれもない体験であり証言である。如何様にも工夫し尽力して「電子文藝館」に掲載展示したい。
かなり量もある。できるところから手を付け、的確に「反核」特別室に取り込みたい。著名作家のベストセラーのようなものはその気で捜せば手にはいるし、図書館にも書店にもある。そういうものでない、しかし見忘れてはならないこういう会員作品の、会員でなくてもこういう書き物の、必ず在る、それを、委員会は発掘してゆきたい。
2005 2・11 41

* 病気で凹んではいたが、胸に溢れる感慨や思索を強いてくるつよいモノに幾度も幾つにも触れていた。バグワンも、耳に鳴り響くハナシをしてくれていた。
柳田国男は「日本の祭」を語りながら、「木を立てる」という事の、遠く深く広い意義をつぶさに実例を挙げながら話し続けていてくれた。イザナギとイザナミとは柱をめぐって国造りをしている。諏訪の祭りはあの有名な御柱を建てることから始まる。ありとある日本の祭りの悉くが何らかの形で、木ないし御幣を以て祭場をさだめ、うつし、神を迎えて人は潔斎する。よく見ていれば気が付くのに見過ごしているうちに、それゆえにずるずると変貌し他と習合して、根源を見失うことになる。「祭り」の根源を安易に見失うことと「日本」の頽廃とが軌をともにしないかと、柳田は真剣に憂えているが、それからすでにまた半世紀が経ち、「日本」は日本の心根をむしろかなぐりすてて平然とした根無し草に漂い行こうとしている。
人は、そんな柳田国男の警告と、たとえば沼正三の「家畜人ヤプー」とが、関係有りとは思いにくいであろう、が、わたしは、柳田は原因を抉り、沼正三はその無反省なための結果を見せつけていると感じている。わたしは今、『家畜人ヤプー』の完結三巻本の第三巻の半ばを読み進んでいるが、日本人の家畜人ヤプーとしての末路のすさまじさは、言語に絶していて、しかも彼等はその境遇に完全に馴致飼育利用されている。そのことに信仰の歓喜をすら覚えている。
日本人が「日本の祭りの根底」を見失い、白人崇拝と、模倣を重ねた愚痴と傲慢の「末路ぞこれは」と、著者は提示している、そう読める。徹底的な「侮辱による批判」である。その一つの証拠に、作者は、日本人の大御神とあがめたアマテラスとは、じつは白人アンナテラスの神話的置き換えであり、日本の神話も伝統もイース国の貴族にして総督であるアンナテラスのジャバン国支配の行政手段なのである。現在の(過去の)地球からふとした事故と偶然に導かれ、未来の (現在の)、イース帝国貴族社会に迎え取られたドイツ人女性クララ・コトウィックにむかい、当の地球総督アンナテラスが、さまざまな実例と証拠とでそれを語っている。そのクララの側には、昨日まで最愛の恋人で婚約者であった日本人男性瀬部麟一郎が、イース国の絶大の科学力により強制強圧で家畜ヤプー化され、去勢され、電磁支配に四つ這いに拘束され、忽ちにイースに馴染んで行くクララの足下で、従属犬として引き回され、次なる運命に怯えながら、はやくも迎合的な期待もかけている。何の期待か。それは此処には書くまい。
柳田国男と沼正三などという観点をもった論者はいなかった。だが「日本」の「根」を確かにしようと努めた柳田の警告を安易に無視していると、沼が描いている家畜人ヤプーの飼育牧場としての邪蛮国が現前し、日本人は白人帝国イースのありとあらゆる道具家具便具に加工され使用され使い棄てられて行く。そんな因果関係を想い描かせられるのは愉快ではない、が、いかにもあり得そうに(毒々しく精緻にリアルに)警告しつづけているのが、天才の奇書『家畜人ヤプー』なのである。

* そして「ファウスト」そして「デミアン」そして「今昔物語」のファルス(笑話)に吹き出し、まさに私の生まれた「昭和十年」に至る、わが近代史の現代史と成り変わりゆく「ファシズムと大恐慌の時代」。今まで心づかなかったが、わたしを「預け子のちに貰ひ子」として南山城当尾の大庄屋吉岡家から預かるまでの、秦の両親たちは、明治三十年以来、ああ、いったいどんなに窮乏と苦辛との庶民生活を生き凌いできたかと、想えば思えば息がつまってくる。
貨幣の価値変動ひとつをとっても、とてもわたしらの想像を絶した、いやおうなしの体験を父達はして生き延び、そしてわたしを迎えて育ててくれたのだ。ああ。
2005 2・11 41

* 幸い風邪もほぼ抜けたと思う。今夜は湯にもつかり、湯冷めせぬうちにはやく寝床ににげこんで本を読もう。
田中励儀さんから「泉鏡花研究会会報」が贈られてきて、二○○二年の研究文献に目を通して、あることに気が付いた。ただ一人だけ、横田忍という人が「水の精の文学」を書いているが、ハウプトマンの『沈鐘』をめぐっての論考で、たしかに水の精にふれねば語れないであろう。数多い研究のなかでこの手の着眼がただ一人なのに、いかにわたしが何処の世間でも最小数派であるかを思い知らされる。
いっそ、晩年畢生の仕事の一つに鏡花論を根限り書いてみようかという気持ちになりかねない。

* かなり楽しんで『般若心経講義』を逐次起稿していて、ああ此の本からたくさんの言葉を与えられているなと、ときどき、くすくす笑えてしまう。この本は、この経は、空を説きながら、構造ははなはだ論理的に緻密であるから、知的興味に逸っていた高校生には、五薀皆空の五薀とは色(物質)と、受(感情)想 (知覚) 行(意志)識(意識)という精神作用との積集(しやくしゆう)であり、などと言われるだけで、そうかそうかと興奮できた。そして所詮「空」は解しがたかった。
いま一字一句講義を読み返して行くと、いくらか五十年余の年の劫が、すこしちがったことも思わせる。ああこんな玉葱の皮をむくように哲学的・論理的にせめて行きすぎると、聞慧・思慧はもとより、行足を働かせた修慧にも「知的理解のエゴ」がしつこくのこって、空は逃してしまわないか、などと。だが、おもしろいことは、すこぶるおもしろい。
全編はむりだが、出だしの第三講「色即是空」まででも、かなり読み応えがすると思われる。バグワンの『般若心経』にふれてきた人なら、あらためてバグワンの透徹に頭を垂れることだろう。
2005 2・14 41

* 森鴎外訳の「ファウスト」を見つけて、読者から贈ってもらった。一冊本でどんと分厚い。
アンデルセンの「即興詩人」を鴎外が訳したのは稀に見る美しい雅文での翻訳であった。あれは鴎外その人の創作と呼びたいほどの名訳だった。「ファウスト」は平明な近代の日本語で訳されている。このゲーテの、というより人類のうんだ近代文学中の至宝といわれる作品は、あたまから深遠だの難解だのと思いこんで「読まない」のが、読みコツで、一行一行をあるがままに読んで読んで読み進めていく平静さが、作品を興味深く盛り上げて行く。だから平易な平明な、耳にも眼にも入りやすい現代語が適切なのではないかと、わたしも、そう思う。「即興詩人」のあの訳のように美しく歌い上げられるとかえって把握の手がかりも見失うか知れない。
エッケルマンの「ゲーテとの対話」も一時愛読したのである。いま読み返せばあの当時より遥かに深く感銘をうけるに違いない。

* 高神覚昇の「般若心経」講義は、むろん「空」を語らねば前へ進まないのだが、「因縁」の事理が援用されつつ、やたら「真理」という二字が繰り返されるが、なかなか、では因縁は、空はという話に煮えたって行かずに、丹念に手探りがつづいている。その周旋のじれったさなどがまた面白さになる。この人、「真理運動」の提唱者で主導者でもあった、友松圓諦とならんで。
バグワンは、さすがに躊躇も周旋もなく、手をつっこんでモノを掴み出すように、いきなり「空」を示す。すごいほどバグワンの透徹は、犀利に確か、あらためて驚歎する。

*  上士聞道、勤而行之、
中士聞道、若存若亡、
下士聞道、大笑之、不笑不足以為道、
「老子」である。
最も上等の人士が道(TAO)を聞くと、一生懸命にそれに従って生きようとする。
中等の人士が道(TAO)を聞くと、それに気付いているようでもあり、きづいていないようでもある。
最も下等な人士が道(TAO)を聞くと、
大声で笑い出す。
もしそれが笑わないようであれば、それは道(TAO)ではあるまい。  こうバグワンは読んでいる。さらにそれの日本語訳であるが。ともあれバグワンは人間の九十八パーセントほどが中等、下等だと言っているから、わたしを含めてほぼだれもがそのどちらかである。
バグワンはこう語り継ぐ。

* 最も下等な人士が道(TAO)を聞くと、大声で笑い出す。
一番下等なタイプの人は、この「真実」、この「道TAO」とやらは、何かあるめタネの冗談ではないかと思う。彼はあまりにも俗っぽく、あまりにも浅はかで、深みに関することなど何ひとつとして彼にアピールしない。彼は大声で笑う。その笑いはひとつの防衛だ。
そういう最低のタイプには、どこででも出くわせるだろう。
老子は言う。 〝もしそれが笑われないようであれば、それは道(TAO)ではあるまい……″
老子は言う。もし第三のタイプの(下等)人が「真実」を聞いたときに、笑わないようだったら、それは「真実」ではあるまい、と。
いつであれ「真実」が明かされると、最低のタイプはたちまち笑い出すだろう。「真実」と三番目の最低の人間との間には、笑いが必ず起こる。
二番目の(中等な)凡庸と「真実」との間では、知的な理解が起こる。
第一の上等なタイプと「真実」との間には、彼のトータルな実存の深い理解が起こる。彼のトータルな実存が、ひとつの未知の冒険に打ち震える。ひとつの扉が開いた……。彼は新しい世界に足を踏み入れつつある。
二番目のタイプの人間にとっては、その扉は、開くには開くが、マインドの中でしかない。それはたんに「思考」のドアであって、本物のドアじゃない。はいって行くわけにはいかない。せいぜいのところ、それについて哲学すること、それについて考えることができるだけだ。
第一のタイプの人間は、その扉にはいって行く。
二番目のタイプの人間は、せいぜいよくて、それについて「考える」だけだ。きりなく考える。
三番目のタイプの人間は、考えることすらしない。彼は大声で笑い出す。そして、何もかもそこで終わりだ。そうして、彼は忘れ去る。
第三のタイプと第二のタイプが、人類の大部分をなしている。
第一のタイプは、世にもまれな花だ。この人類の大部分のせいで、多数派のせいで、「道TAO」を理解する人間は「ものわかりが悪い」ように見える。本当の理解の人というのは、二番目や三番目のタイプの人たちには、ものわかり
が悪いように映る。
「真実」に向かって足を踏み出す人間というのは、なんだか「後戻り」するかのように見える。世の中の人たちはこう言うだろう。
「あんたは何をやっているんですか? せっかくあんなにいろいろなことを成し遂げていたのに、今度は後戻りしているじゃありませんか。もう少しで**にも挙げられようとしていたのに、そんなことでどうしようというんです? あんたは後退しているんですよ。いま一息でゴールに着いて、大変な富や力や地位・名誉を達せられたものを、何ということをしているんです? あんたは自分の一生と仕事と苦労をぶち壊しにしているんですよ。後戻りなんかして……」
大多数の人たちにとっては、真実の人というのは、どこかがおかしくなったような人間、正常でない、異常な人間なのだ。イエスは異常だ。老子は異常だ。クリシュナは異常だ。彼らは正常の規律に合わない。

* わたしは、笑わない。だが、きりなく考えているだけだと言われれば、反対できない。どうかして、笑われようとノロイといわれようと、心得違いだと責められようと、「世にまれな花」になろうと歩を運びたい。
2005 2・16 41

* 今日もいろんな仕事をしていたが、階下の作業では二本、映画をそばで流していた。昼間のリンゼイ・クローズ主演の映画が大も忘れたけれど小味に面白く惹きつける作品だった。リンゼイが、医師で人気著作者でもある女性の内面の疲労をうまく演じていた。詐欺師集団の男達にわれから紛れ込み、巻き込まれ、被害にも遭い、しかも劇的に抜け出してゆく経緯をとても面白く見せた。
夜分のは超級バイオレンスで騒々しいものであった。ジャン・レノが実悪のマフィアを演じていた。
わたしの仕事もその間に着々捗った。坂本四方太の「夢の如し」を起稿と初校し終えた。ながいので、もう一度通読しておきたい。こういう時代にこういう生活と自然と風儀とがあったのだと、しみじみさせる。

* スキャナーは力を見せてくれている。助かる。
2005 2・17 41

* 高神覚昇「般若心経講義」の第三講までを入稿した。
我が国には久しきにわたり「説経」「唱導」という文藝の、また社会教育の伝統があった。この「高神心経」は、昭和九年夏から秋へかけ、友松圓諦の「法句経講義」とならんで洛陽の紙価を高からしめ、時代の人気を一手にさらったベストセラーでもあった。
読んでみればすぐわかるが、もともと東京放送局からの放送原稿であり、その平易にして俗耳にしたしみやすいこと、感嘆モノである。しかも最も難解といわれる経典の王「般若心経」の「空」観を説きすすめ、同時に、えもいわれぬ佛教入門とも成っている。繪こそ用いていないが、絵解き説法の魅力すら想像される按排で、もしこの語り手が、いまテレビを通じてこれを語っていれば、たぶん恰好の「絵解き説法」になっていただろう。
高神覚昇は「佛教史観」ということをとなえ、友松圓諦とともに「真理運動」を起こした実践味のある佛教哲学者で、ながく大正大学教授であった。
「般若心経」を説いた人も本も夥しいが、ま、おもしろく人を惹きつけるようなものは少なく、砂を噛むように硬い堅苦しいモノの多いなかで、高神のこの講義というより講話は、説法は、説教臭もなく講壇調の偏狭もなく、或る意味では、わたしがそうだったように、やや理窟に馴染んで哲学をかじろうかという高校生や大学生などには、実に好適の読み物であったのだと、思い当たる。どえらい感化を受けていたんだと、いま頃、何となく頭を下げているようなわけである。
2005 2・18 41

* 昨日、バグワンの「老子」で、わたしの持っている十冊近いバグワン本のなかでも最も感動的な個所を音読した。もう数度目であるが、ここを読むと胸が熱くなりいつも涙がにじむ。かなり長めの挿話であり此処に書き写すことはしにくいが、わたしは、いつも此処の挿話を自身のもっとも望ましい起点ないし原点のように感じて、ただもう受容的に「待って」いる。待つぞと待つのではない。ただ待っている。
2005 2・19 41

* わたしは、ありがたく、こういうメールにより、耳の汚れる、気色わるい世間とのバランスをとるというか、いやいや消毒され清まはっているか。はかり知れない。
マドレデウス「ムーヴメント」の歌詞を、高場将美さんの訳で、一つ、聴きたい。

* 1 あこがれ

わたしがあこがれて求めるものは
この社会の
最後の
ヴィジョン
わたしはさすらう
真実の上に
根をおろした
夢の中を

わたしが告白するのは
感受性のない印象
――そしてわたしは祈る
歌のなかに
ほんの少しの光明!

わたしがあこがれて求めるものは
たしたちの時代の
全体的な
ヴィジョン
その時代を運んでいくのは
現実とは
反対の
いろんな説

わたしは告白する
まだそれでも
すべての意志を
なくしてはいないと
人類の
すべての
写真を
今からでも撮りたい

わたしがあこがれて求めるものは
混乱の
真っ只中でも
ひとつの理由
そしてわたしは待つ
あなたが
止まって
話をしてくれることを

*「あなた」が見つからない。道に惑い、胃が痛む。もう一つ、書き写させて欲しい。

* 4 ラビリンス

わたしは孤独の迷路に迷い込んだ
感じた
動かない場所が積もった
山があるのを
そして昇った

そして目もくらむ未来の
探い谷底に
降りた

太陽を探し求めた
海を探し求めた

でもあなたはいなかった
風景の空のなかに
ここから
結局わたしは出られなかった

でもあなたはいなかった
風景の空のなかに
わたしはわからなくなった
自分が旅をしていることが

もう記憶よりも柔らかくなってしまった石に
わたしは書いた
時の文字で書いた
それを苔(こけ)が覆ってしまう

希望が
わたしたちのまなざしにくれる輝きの文字で
わたしは書いた

でもあなたはいなかった
風景の空のなかに
わたしはわからなくなった
自分が旅をしていることが

でもあなたはいなかった
風景の空のなかに
ここから 結局わたしは出られなかった

でもあなたはいなかった
風景の空のなかに
わたしはわからなくなった
自分が旅をしていることが

* わたしは、「あなた」を「=道TAO」と読む。
2005 2・20 41

* いま横浜市立大学名誉教授今井清一氏にお願いし、中公版「日本の歴史」のなかの『大正デモクラシー」の巻から「関東大震災」の一章を「主権在民史料』特別室に戴いた。この章を読んで、わたしは絶対に忘れてはならない歴史の一齣であると、呻くほど痛感し、以前からお願いしたいと思い続けていた。色川大吉氏の「自由民権 請願の波」とならべ、必読史料として電子文藝館という山原に植え込みたい。

* 文藝家協会の黒井千次氏にも二作目を依頼し、初期の代表作「時間」を出稿してもらえることになった。

* 倉田百三の畢生の戯曲「出家とその弟子」の終幕第六幕も掲載したくスキャンの用意をしている。あと二ヶ月のうちに一本でも多く優れた、大事な作品を此処に植え込んで行きたい。今年はペンの総会が五月末になったと聞いている。連休過ぎまでは仕事を続けられる。数多くより、佳い作品を。あたりまえである。
今日、坂本四方太「夢の如し」を入稿したが、えもいわれない良い文章であった。「随筆」室には長谷川時雨の「旧日本橋」の抄録があるが、それに並ぶ重みの佳篇である。自分史を書きたいほどの人には、こういうふうに具体的に率直に場面を活かして書いて欲しいと思う。すばらしい一つの手本と言える。
2005 2・20 41

* 橋爪文さんの詩集『海のシンフォニー』より十四編を「ペン電子文藝館」反核反戦特別室に掲載すべく用意した。一字一句をスキャン原稿で校正しながら、深く胸を打たれ絞られた。或る意味では、あの名高い小説「夏の花」や「廃墟」にいささかの遜色なく感銘を受けた。こういう作品をどうか「ペン電子文藝館」で掲載して欲しいとわたしに言い伝えつつ亡くなられた詩人木島始氏の霊前に捧げたい。

* 十四歳で広島原爆被爆した詩人の詩集を、心込めてスキャンし校正し、感銘を受けました。凄い体験です。
広島へ行ったとき、というのは、つまり「清経入水」を書くきっかけになった小児科学会を取材の昔ですが、わたしが辛い印象を持ったのは、原爆ドームでも記念館でもなく、ある橋の上から眺めた街の一角でした。原爆被災者のそのままに身を寄せ合って、周囲の町々から孤立している情景でした。つらい気持ちになりました。
広島という今今の街へのある厭悪感を抱きさえしました。いえ、広島へのではない、日本人の底知れない差別体質への嫌悪感でした。なんということだろうと、思ったのを昨日のことのように覚えています。
2005 2・23 41

* 今井清一さんの「関東大震災」を校正中。震災も凄いが、何と言おうと震災救護に名を借りた戒厳令、そのどさくさになされたまさにもの凄い朝鮮人への迫害と殺戮、さらに便乗して社会主義者や労働組合員への弾圧や検束と拷問。軍と警察との、いや国家体制そのもののテロリズムがこのときとばかり暴風のように、猛火のように荒れた。こういうことを隠そう、国民に忘れさせようと、政治がはたらき歴史記述が変質して行く。
2005 2・26 41

* さ、今夜はさっさと眠る。ゆうべは「二・二六事件」の顛末を読んでいて、よほど寝入るのが遅かった。
2005 2・27 41

* 新刊搬入を待っている。好天。寒冷。小沢昭一さんの『明治村から』と題した唄のディスクが、ポストに、贈られてきていた。もうかなりの回数、音信がつづいている、会ったことは一度もないが。

* いま、大内力氏の『ファシズムへの道』を読み終えようかというところ、この巻も力作・力筆で感銘を受けている。芥川龍之介の自殺が昭和二年夏のこと。「ぼんやりとした不安」と遺書に書かれていた。ぼんやりとした状態は、忽ちに苛烈な軍国主義と警察国家へ奔騰してゆく。そのなかで自然科学は世界的な仕事を続々生んでいたし、文学も或る意味では極度の逼塞から不思議な活況へ推移している。だが科学者や文士たちの根底を捉えていたのは、トータルな批評精神ではなかった。小さな自己のうちへ首をすくめて、時代の暴風をやりすごすという、または迎合するという生き方になっていた。
抵抗の精神は衰微し、多くが「転向」へ落ちこんでいった。
昭和十年暮れにわたしは生まれた。妻は十一年の春に生まれている、二・二六事件に一ヶ月余り遅れて。自分たちの生まれた時代について、あまりに無関心で無知識のまま過ごしてきた。驚愕している。
2005 2・28 41

* そうそう、夜前、『家畜人ヤプー』完結版の全三巻を読み終えた。らくらくという読書ではなかったが、或る意味では読むに値し、一度は全部通して読んでおきたい、これは、「神話」であり日本と日本人への苛烈な「批評」書でもあるとの思いを、また新たにした。柳田国男の『先祖の話』『日本の祭』とずっと併読していたのが、思いも寄らないでいた新たな批評の視座をわたしにもたらしてくれた、偶然がとても幸いした。
そして今夜には「日本の歴史」の『ファシズムへの道』最終章を読み上げることになる。いよいよ次巻は『太平洋戦争』だ。歴史と言えばわたし自身、つい近代現代はワキに置いたまま昔のことにばかりかまけてきたが、「通読」を経て、幕末から現代までも熱心に読めたのは大きな大きな嬉しい刺戟だった。
2005 3・1 42

* 歴史が『太平洋戦争』の巻に入り、読みやめられない。朝刊がポストに投げ込まれる音を聴きながら、「蘆溝橋」事件が泥沼の「支那事変」へ突き進む様々を読んでいた。軍の、ことに陸軍の大怪獣のような我が儘な暴れようで日本国は真っ逆さまに破滅へ落ちこんでゆく。内閣が次から次へ変わって行き、その一つ一つに陸軍の横暴は甚だしい。国家予算の43パーセントが軍に占められ、国民生活安定の対策にはわずか1. 数パーセントという、政治のありとあらゆる局面で軍国の国策に随順することの強要されていた時代。これでは、眠れないのである。

* このシリーズ本にも、「魯」でなく、「蘆」溝橋と表記され、さらに、この橋のまぎわに、同じ名の、小さな町村が実在したことも書かれている。この名前は、事件自体はいまなお分明でない闇をはらんで解明されていないらしいが、この蘆溝橋事件が拡大して、底なしの泥沼のような長期日中戦争になっていったことを思うと、歴史上の表記だけは、正確に定めておいたほうがいいと思う。
2005 3・3 42

* 今日は出掛けたかったのに、春眠に溺れこみ、疲れて、家の中でボーゼンと休息していた。明日も雪降りしきりそうな予報なので、もう一日だらけていようか。散髪でもするか。眠い、とても。九時。バグワンと柳田を読んで、太平洋戦争と今昔物語とを読んで、悠々逢春、今夜ははやく寝よう。
2005 3・3 42

* 黒井千次氏の「時間」を起稿し、丁寧に読み返しているところ。氏は言うまでもなく日本文藝家協会理事長であり、いわば今日日本の文藝界頭取である。黒井さんには、このまえお願いして「ネネネが来る」という小説を文藝館にもらった。
第二作をと何度かの立ち話で承諾してもらった。前の作品も佳いものだった。今度の「時間」はおそらく氏の前半期の一代表作たるを失わないのであろう、その小説の方法はかっちりと意識的で知性的で、佳い意味で観念的である。ディテールの表現は手触りもほどよくあらいめで、感性にうったえるよりも、読者からの思考参加をいざなうように、問題提起の連鎖して行く書き方である。わたしの印象をすなおにいえば、よく出来たコンクリートうちはなしの構造性のある小規模建築のようである。私小説であり、しかも構想された実験性に魅力があり、通俗なたるみは少しもない。意思と意図の目立つ純文学で、こういう作品を一字一句読んでいると、世の通俗読み物のつまらなさがハッキリ見えてくる。
こういう現代文学が一本一本堅実に植樹されることで、ペンの「電子文藝館」という山は、質実に美しく価値あるものと成ってゆく。わたしの何よりの希望は、他の理事作家達が、例えば黒井さんのようなこういう優れた作品の出稿で、此の独自のペンの文化事業を、質的に、よりみごとに盛り上げてくれること。
歴代会長はみな優れた作品を寄稿されているではないか。名前はあげないが、読んでみれば直ぐ分かる、なんだろうこれはという程度にただお茶を濁したような薄味な理事作品がけっこうある。まるで出そうともしない理事達もいる。現代文学のいわば「サンプル」サロンである意義が、理事諸公に浸透していないのはまさに責任者であるわたしの力不足だが、その挙げ句はやはり作と作者当人への読者からの失望や批評として、厳しく跳ね返ってくる。現に来ている。それがその人や作のためにも、わたしは残念でならない。
佳い作品、自愛の力作をこそ理事達は此処へ持ち出し、「存在」を示して欲しいのである、名ばかりの作ではなくて。
2005 3・5 42

* やはり和歌学の島津忠夫京都文化博物館館長からも、「特に『谷崎の歌』は私にとってありがたいものでした」と。
国文学の研究者や学会員に多数送ったので、関聨の本が読みたいなど、各地からの嬉しい反応が多い。また著書・研究などを送ってきて下さる人も次々に増えている。佐藤悦郎氏の懐かしい中河与一研究の何冊もなどことに嬉しいし、井上二葉さんの堀辰雄らを論じた視角のするどい研究書も、読ませて貰うのが楽しみだ。
「また谷崎かあと思いつつ、谷崎の味読の面白そうな小説をまた読みはじめたい」などと反響があると、ほんとうに嬉しい。わたしのワキで、谷崎先生の、河内山宗俊めく睨み顔も、少し温和に見えている。
2005 3・10 42

* 今昔物語がべらぼうに面白く、つい次々読みふけったのと、まくらもとの時計のチクタクが耳について、寝そびれたようにして早起きした。花粉かな、鼻の辺からグズついてきた。
委員会が流れたので、午後一番の聖路加診察のあとゆっくりするが、この鼻のようすでは眼へもすぐ来そう。花粉は、わたしの場合洟より眼がつらい。雨らしい、雨で緩和されて欲しいもの。

* 佐藤蘭石氏に戴いた中河与一文献は行き届いている。篤志熱心の読者がさぞ多かったろう。
生前の中河さんには、家へいらっしゃいと何度か誘っていただきながら、果たさず終えた。何といっても『天の夕顔』だった。新制中学三年か高一の頃、たしか角川文庫で買って読み、妹のように愛していた人にあげた。二人ともこの小説にイカレてしまったのが、今にしておかしいほどである。それでいて、二人はいつもケンカばかりしていた。もう五十年余も逢わない。

* 隣棟の書棚から岩波文庫の『戦争と平和』を持ち出してきた。なんだか、昔懐かしい大長編が読みたくなった。我が家にある大長編では、ドストエフスキイは読めるのに、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』がどうしても読み切れないのはどうしてだろう。訳のせいか。大きな全集本だからか。でも読んでみたい。今昔物語って、ほんと、なんて面白いんだろう。
2005 3・11 42

* 『太平洋戦争』ともなると、開戦にいたる息詰まる経緯、真珠湾攻撃からしばらくの間の息もつがせぬ日本軍の戦果また戦果の果てを知っているから、余計息苦しい。が、引きつけられ、読みやめられない。「戦争と平和」第一冊には申しわけ程度に目を向けただけで、戦争史に釘付けになったまま帰宅した。
2005 3・11 42

* 昨日猪瀬直樹氏が二冊新刊を贈ってきてくれた、一冊は『ミカドの肖像』の分厚い文庫本。彼の出世作と聞いているし、本そのものは彼の「著作集」を全巻もらっていてもう読んでいたが、その巻頭に、堤義明のコクドやプリンスホテル等のことが克明に書かれていて、初読、仰天したものだ、この勉強家の早足と周到な調査にはいつも感心する。
もう一冊はわたしもぜひ知りたかった「郵政民営化問題」を多角的に関係者達と討議し解説した一冊で、これがよく出来ている。
わたしは、はなから、小泉総理が提唱してきた二つの「改革」の成ることに期待と賛意をもちつづけてきて、いわゆる抵抗派の議論には、うさんくさい利権防衛を感じてきたが、猪瀬氏は叩かれ放題に叩かれながら渦中に流されも埋もれもしないで、よく頑張っている。スタンスは、そもそも与党的な人材ではあるのだけれど、理解できないではない。今度は郵政民営化のための視野拡張を手伝ってくれている。分かりにくかった内容が適切に分かって来るにつれて、やはりこれも本気で実現して欲しいと思う。小泉には国運を任せたくない不審は徹してわたしに根強いけれども、唱えた改革の足を引っ張るよりは後押ししてでもより良い形で実現してもらいたい、猪瀬氏のより正確な健闘を願って止まない。
2005 3・11 42

* 亡き隅谷三喜男さんの一冊から「大逆事件・明治の終焉」を頂戴した。ながく「ペン電子文藝館」に保存し展示したいと、せっせと校正している。井上ひさし会長の小説か戯曲を新たに欲しいと思っている。残り少ない任期中にいい作品を一つでも多く招待席へ送りこんでゆきたい。わたしが退いた後は、まさかにもう遠い過去の秀作を、小説だけでなく評論や随筆などまで丹念に採り上げてはもらえないだろう。ソレは仕方ないと思いつつ尽力してきた。せっかく新しいスキャナーを貰っているのだから、使える限りよく使ってご厚意にも酬いなければならぬ。
2005 3・12 42

* 食事前に「いただきます」と唱えるのは昔は普通のことで、我が家ではわたしも妻も平気でさぼっているのに、観ていると、息子はかなりきちんと「いただきます」と言うているから感心だ。
ところで、なんで、だれに「いただきます」と言うのか。わたしの子供の頃は「お百姓さんごくろうさん」という歌を幼稚園でも国民学校でも唄ったから、手もなく「お百姓さん」にいただきますと思いこんでいた。親は何も説明なしに、行儀悪く省略しそうになると「いただきますは!」と注意された。それもだんだん戦後になり、われわれが東京暮らしから京都へ帰って行くと、父も母もばらばに食べたいときに食べたいものを食べて、「いただきます」といったけじめは失せていた。子供達が外がちに成人してしまうとわたしも妻もいつか年よりに右へ倣えしてきたようだ。
それにしても「いただきます」と礼をいう相手がお百姓さんであるとは、子供心にやはり思いにくくなっていった。とくに戦後になると、「蓑着て笠着て鍬持ってお百姓さんごくろうさん 今年も豊年満作でお米がたくさん稔るよう朝から晩までお働き」などとは唄自体がそぐわないし、この最後のところの「朝から晩までお働き」という物言いがわたしはうずうずするほど不自然に偽善めいて嫌いだった。
クリスチャンなど外国映画で食前の祈りの場面をみるにつけて、「いただきます」は漠然と神様に感謝の意味であろうと思い直していった。

* だが、ただ神様に感謝ではなんだか漠然とし、形式的なご挨拶にすぎない気もしていた。そんな形式だけで、日本中ともいえるほどの「いただきます」普及は説明できないだろう。
これは柳田国男が正確に教えているように、神人共食の風から来ていたのだろう。いま各地の祭りにも残っている、たとえば芋を煮る祭りがある、大根を炊く祭りがある、餅を捧げる祭りもあり、珍しいその種の祭りは各地に数え切れないが、その際に神様にささげた同じものを人もまた同時同所で「いただいて」食べる。
お下がりという風はむしろ後世の変容かも知れず、むしろ同じ大きな竈や釜で煮炊きしたり、調理したりした食べ物を、むろん真っ先には神に祭ってから次いで人も「いただきます」風儀こそ、日本古来の地域や家庭の風儀であったから、ほぼ、例外ということが無く大人も子供も「いただきます」と手を合わせて食べてきたのだった。なるほどなあ。
わたしは、子供の頃、神様にも仏様にも生の野菜などが山と盛って祭られるのを観て、神さんかてナマのもんは食べられへんやろにと思っていたが、これは人間がだんだん手を抜いたのではないかと柳田は示唆している。生で神に差し上げることでもっとも古くからの例外は、米だけであったそうな。なるほど、洗い米 =しとぎを祭ることは今も眼にする。手抜きではなくて、米を餅にしたり飯にしたりもさることながら、米は生でも食べていた時代がたしかに有ったであろう。生で食べられる唯一の穀物だからこそ米は大切にされたのだろう。

* 柳田国男は、神を祭る作法は千変万化といえども、共通していえる一つは、木を立てて迎えること、食べ物を差し上げること、の二つだと言っている。木の方は、諏訪の御柱も門松も御幣も榊もいけ花もみなその変容を示しているが、食べ物を祭るという此の簡明至極の共通点は、そういえば全くその通りで、日本の神様に食べ物や酒を備えていない祭りようなど、見たことがない。家の中でも、わたしでも、妻でも、なにか手にはいるとなるべく先に父や母や叔母の位牌の前に持って行く。
こんなに簡明なことなのだから、もっと日頃にそういうことは自然に励行すれば好いではないかと思わせられるから、柳田はすばらしい。
わたしは神も仏も抱き柱とは数えないけれど、親しく食べ物を差し上げたりお水を上げたりは、なんでもない心嬉しいことの一つとして、自然に自分の手でもできる。行儀悪く横着せずに、「いただきます」を自然復活させて好いなと思ったりする。
2005 3・12 42

* 大逆事件の章を起稿・校正し終えた。
わたしは「ペン電子文藝館」に、この関聨の作品を幾つも既に招待している。小説の平出修「逆徒」 講演の徳富蘆花「謀叛論」 論考の石川啄木「時代閉塞の現状」 は、今や古典的価値をゆずらぬゼッタイの文献資料でもある。これら原典をもあわせ「ペン電子文藝館」で読まれながら、包括的なその同時代の優れた歴史記述である隅谷三喜男氏の今は遺文となった「大逆事件・明治の終焉」を読んで欲しいのだ。
若い健康な精神をもった人達にぜひ読んで欲しい。こういう仕事を電子文藝館に永久に保存し世界に発信できるのをわたしは心より誇りに思っている。読まれたい。読まれたい。隅谷さんの遺稿はもう旬日を経ずに本館に展示できるだろう。
2005 3・13 42

* トルストイ『戦争と平和』ゲーテ『ファウスト』と枕元に新たに並べて、二階では機械に倦むと、鏡花全集。いまはまたしても『貧民倶楽部』これが好き、お丹が好き。鏡花の心意気が凛々と出る。
この線で、やがて『風流線』上下か『芍薬と牡丹』かを読みたい。『貧民倶楽部』はもとより、鏡花はとても流し読み出来る文章ではない、逐一文字も読みももろともに味わい読んで魅惑される姿勢がいい。生意気に批評的になるくらいならいっそ出逢わぬ方がいい。

* さ、あすのために、早くやすもう。
2005 3・13 42

* 巣鴨の「蛇の目」鮓と思って歩いているうち、こぢんまりとした田舎風仏蘭西料理と看板を上げたビストロを見つけ、とびこんだ、これが、当たり。おいしくて、店の気分も良くて、サービスもよくて、大満足。こういう店を見つけてあると、三百人劇場へ通うのがいっそう楽しくなる。
太平洋戦争の終末、原爆が落ち御前会議の聖断でポツダム宣言を受諾し無条件降伏するところを、異様なほど緊迫した気持ちで、西武線で読みふけりながら、帰った。
2005 3・16 42

* 谷崎作品で最初に三作をと推奨作を聞かれたら、やはり「細雪」「蘆刈」それに「夢の浮橋」を、さらには「少将滋幹の母」「蓼喰ふ虫」や最初期の短編を薦める。「刺青」「少年」「秘密」「麒麟」「幇間」は天才の作である。異色作としては「小さな王国」を。しかし「猫と庄造と二人のをんな」は大傑作である。
2005 3・16 42

* 鏡花の「貧民倶楽部」を久しぶりに読んで、やっぱり痛快におもしろかった。二言目には「華族ぢやぞ」と高飛車で、そのくせ慈善だの慈愛だの人格だのを売り物に世を欺きながら、淫乱な風紀や苛酷なイジメを糊塗すべく殺人すら辞さないような、いわば鹿鳴館婦人達と、四谷鮫が橋の此の世の地獄のような貧民窟に不思議に君臨する颯爽とした美女お丹と配下手下たちとが、「明治」の空気をかきまぜて凄絶に対立し抗争する物語で、対立自体は図式的な構図をくずさないが、ディテールの表現や描写は徹底的に鏡花の美学でつらぬかれていて、さながら歌舞伎。あの凄艶玉三郎が演じる「土手のお六」などより遥かに美しく冴えて烈しい「闘うお丹」を、あの桜姫風に想像すれば、少なくも一方の貧民倶楽部側はあざやかに「組み立て」が出来ている。京橋の「毎晩新聞」なんぞアカ新聞という機略も片方に働かせながらの、相当緻密な陣営だ、お丹乞食はただ者でない。「天守物語」の富姫様に直結してくる。
それに対し、深川綾子だの駿河台のご後室だの、麹町のお姫様小浜照子だの、在原伯夫人貞子だのといった慈善看板の権高(けんだか)華族婦人達のほうは、ふところが甘い。見栄と体裁と底意ばかりで動いているから、サンザンお丹乞食に翻弄され、侮辱され、壊滅的にやられてゆく。勝負は、分(ぶ)も理もお丹の意気にかなりあつまる。それが鏡花であり、わたしはむろんお丹贔屓であるから、とことんすかっとくる残酷の好読み物。わたしなど、泉鏡花とはこういう作品から出発すると心得ている。「高野聖」や「歌行燈」も、ここに出発しつつ、読み込んで行くのである。

* ただし誰にもは読めない。よほどものの読み慣れた人でも鏡花ばかりはもてあます人が多い。まず啖呵が聞こえねば話にならず、戯作や歌舞伎の妙味に通じていないと、これは冗談ものの安い読み物かと誤解する。安いどころか高価にムズカシイ逸品仕立てである。だが「貧民倶楽部」は鏡花世界へのパスポート。手に入らねば、鏡花を誤解してやたら美だの情緒だの幻惑だのと言うて終わる。鏡花はそんな上澄み作家ではない、誰よりも烈しくいわゆる特権上流が嫌いな、大嫌いな、当然の姿勢を持している。それを見ないで何が鏡花か、となる。「たとえ偽善の慈善でも助かる人は有るではありませんか」という思想の人には、さぞ読みにくかろうと思われる。
この作品は明治二十八年七月に発表されていて、四月には「夜行巡査」六月には「外科室」が発表されている。深刻小説の代表作と言われる此の両作よりも、「貧民倶楽部」はズイと突き抜けて、鏡花の動機を奮発噴出させている。優れている。ぜひ気のある人は読み挑まれたい。玉三郎を髣髴としながら読むと、とてもよく見えてくるだろう。
2005 3・19 42

* 鏡花の「冠弥左衛門」は、彼の仕事として発表された、処女作。京都日の出新聞に連載された、明治二十六年。読み始めたらつい誘われてしまい、この分だと春陽堂版の美本の全集を、つぎつぎ読み進みそう。「日本の歴史」は、いよいよ最終巻『よみがえる日本』を読んでいる。「今昔物語」も、もう二ヶ月もせず本朝の全巻全篇を読み上げるだろう。「ファウスト」が面白くなり始め、「戦争と平和」も順調に惹き込んでくれる。
ああ、今日も終日眼が痒くて、さ、もう階下へ、そして寝よう。今日のバグワンと柳田国男とはもう読んだ。
2005 3・19 42

* わたしが生まれた昭和十年(1935)頃、日本は文字通り準戦時体制に置かれていて、軍部の横暴は日増しに猛烈を加え、わるい政財界人が結託して自己の勢力をのばそうと暗躍していた。学問の世界へもすさまじい干渉や弾圧の手がのび、そういう際にも軍部の走狗となり吠え廻る、ごろつき同然の「自称学者たち」もいたのである。
京都大学の瀧川事件のように、マルクシストでも何でもない、ま、こころもち自由な精神をもって学問を積んでいた法学部教授、その著書など時の大審院長 (最高裁長官なみ)が優良書として人にも推薦を惜しまなかった、そんな学者が、よしない私怨がらみにごろつき学者に噛みつかれるようにして議会の非難を受け始めると、その優良著書すらたちまち発禁にあい、文部大臣鳩山一郎は京都大学に対し、瀧川幸辰(ゆきとき)教授の罷免を強要、大学自治の原則をへし折るように反対を押し切り強行したのだった。言うまでもない鳩山一郎とは、あの民主党と自民党とに喧嘩別れしている鳩山兄弟の祖父であり、戦後には首相になった人物である。彼はそののち敵陣営から贈賄嫌疑でねらい打ちされ、弁明にこれ努めたけれど辞職に追い込まれている。
「準戦時体制」とはいかがなものか、それとも知らず、今の日本の政権与党等は、まさしく「準戦時体制」を想定した立法措置や基本的人権抑制を見込んだ体制づくりを考慮に入れて画策している。
瀧川事件では、京大法学部は全教授が辞表を出し、助教授・講師・助手に至るまでそれにならい、学生は瀧川罷免反対に立ち上がり、東大・九大・東北大なとの学生も運動を起こしていった。
だが、京大の他学部はひそとも動かなかった。他の大学も声一つたてなかった。運動を盛り上げたのは学生達だけであった。そして政府の分断・切り崩しにあうと、数人の教授達が節を曲げずに教授の椅子を蹴っただけで、他は総て政府のむろん実意なき甘言を口実に、すべて復職し、ことは絶えたのであった。大学自治の基盤は極めて軽薄であったが、問題は、今日ならどうかである、が、むろん遥かに軽薄の度は増していて、大学全体が政権の意図の前に政治的には「走狗」というに近い。学生にしても、起って烈しく抗議するほどの運動が起きも拡がりもしないであろう。
知識人はどうであったか。みな「個人の良心に従う」という美名のもとに亀の子のように首をすっこめ、何一つしなかった。
個人の良心・良識の目覚めるのを待つだけ、そのきっかけになればいい、運動の組織化は必要ないと、「九条の会」の有力メンバーである井上ひさし氏は、わたしの質問に対し明言していたが、近代史を顧みて、「個人の良心」とは、首をすっこめて身の保全をはかれるだけの亀の甲羅以上の何物でもあり得なかったのは明晰な事実であり、政権側の者はいかほど混濁・腐敗していても大慾ゆえに結局結束して常勝し、野にある者達は、ひたすら小異に拘泥対立し分散し私闘して、結局のところ「個人の良心」という墓穴に隠れ、暴風雨に曝されたのである。結束なしに勝てた政治的勝負など、只の一つとしてなかったのだから、憲法改悪に勝つためにも、力と意思とを有効に結束しなければ、ひどい結末は目に見えている。自分独りの良心にだけ恥じないのを誇って、世の中がさらにさらに悪くなるのに奴隷的に甘んじなければならなくなるのが、目に見えている。
2005 3・20 42

* ひたすら昭和十年頃の日本史に没入していて、頭の中では、そのころの絶望的な日本国転落への道筋と、近時現下の日本の危うさとが重なり重なり、堪らない気分になる。昭和十年は、一つには美濃部達吉の天皇機関説が軍と右翼と神がかり学者達との暴力で蹂躙圧殺され完全に葬り去られた年でもあった。一つの健全健康な憲法学説が、国権により削除されただけではない、それをバネにして、(以下、大内力著「ファシズムへの道」より、)陸軍は、参謀本部が中心になり、「わが国体観念と容れざる学説はその存在を許すべからず」と声明し、(川島義之)陸相は政府に強硬策を申し入れた。つづいて三月二十日と二十四日、貴衆両院は機関説排撃を決議して、ついにみずからの墓穴を掘ったのであった。
陸軍はご丁寧に八月三日、「国体明徴声明」をだしたが、それは、
「恭(うやうや)しく惟(おもん)みるに我(わが)国体は天孫降臨し賜へる御神勅により昭示せられるところにして、万世一系の天皇国を統治し給ひ、宝祚 (ほうそ)の隆(さかん)は天地(あめつち)とともに窮(きわまり)なし。……もしそれ統治権が天皇に存せずして天皇は之を行使するための機関なりとなすが如きは、これ全く万世無比なる我が国体の本義を愆(あやま)るものなり。……」
といった神がかり調だった。学問はこうして神話のまえに屈したのである。
美濃部(達吉)は著書を発禁にされ、検事局の取調べをうけた。検事はさすがに不起訴処分にしたが、貴族院議員を辞し、謹慎を余儀なくされた。そのうえ十一年(1936)二月二十一日には右翼団体の暴漢におそわれ、負傷させられた。
これよりまえ(昭和十年)八月三日と十月十五日の二回にわたって、政府は国対明徴の声明をだし、天皇機関説の「芟除(せんじょ)」を誓った。十一年一月には(天皇機関説を支持していた法制局長官)金森(徳次郎)が辞職をして、この間題はようやくけりがついた。(二・二六事件直後の)十一年三月には文部省は『国体の本義』をつくり、「我等臣民は西洋諸国に於ける所謂人民と全くその本性を異(こと)にして」「その生命と活動の源を常に天皇に仰ぎ奉る」ことが、以後の教育の中心思想と定められた。万邦無比の大和民族という選民は、実は、こういう無権利の民だったのである。
この機関説排撃は、日本の学問や思想のうえには重大な意味をもった。これによって国体は一種のタブーとされ、もはやまともに日本の社会について研究したり論じたりすることはできなくなったからである。天皇はこれによって神格化され、国民はそのまえにいっさいを捨てることを要求されるようになった。それは戦争に国民をひきずりこんでいくために欠くことのできない地ならしだったのである。

* こんなさなかにわたしは生まれ、二・二六事件、文部省の「国体の本義」表明の直後には妻が生まれていた。凄いときであったなあと驚愕する。
こういうことに全霊で触れていると、たいがいなことが只単になまやさしい、ふやけたことのように思われてくる、それもまた危険なことで、何としても「今・此処」のこの生きの命を十分活躍させねばならない。
2005 3・21 42

* イランと日本とがテヘランでサッカーを闘っている。一点先取されていた。それでも善戦していると心強く感じながら機械の前へ戻ってきた。
井上清氏の「明治維新 新しい権力のしくみ」を読んでいる。
2005 3・25 42

*「今昔物語」が終盤へ来て面白く盛り上がっている。この物語は、読みっぱなしにしないで、もう一度直ぐさま元へ立ち戻り、印象的な各「語」を再確認しておきたいなと思う。
そして鴎外訳の「フアウスト」に毎深夜感嘆している。訳文の新鮮に平易なこと、親しみやすく読み進みやすいこと。それだけでなく原作の面白いこと。どんどんと楽しめている。いまのところ、トルストイの「戦争と平和」岩波文庫本の第一巻より、「ファウスト」のほうがわたしを惹き寄せる。

* 近代天皇制の確立にいたる「新しい権力のしくみ」を、逐一、いま井上清氏の『明治維新』に学んでいる。漠然と明治維新とはいうが、どのような幕藩時代の制度と差が生まれたかを具体的に知らねば、維新の判断をもつことが出来ない。新しい権力のしくみを知ることで、「自由民権請願の波」の起こりも「憲法制定や国会開設」にいたる道筋も見えてくる。日本ペンクラブがことごとに一つの主張一つの姿勢を示してゆく背後の積み上げとして、そういう歴史の展開への正しい目配りが必要なはず。それが力となり支えとなり、つよい主張に繋がるようでありたい。文藝館にあえて「主権在民史料」特別室が必要と判断したのは、それ故である。
もしわたしがこの文藝館の事業を、いわば同業者組合である日本文藝家協会で担当するなら、こういう特別室はもちこまなかったろう。世界平和と人権擁護と確立をねがうペンクラブなればこそ、それが必要と考えたのである。
2005 3・27 42

* 小雨で、故幸田侑三画伯の遺作展にぜひ出掛けたかった、けれど、いっこう眼の苦痛が治まらずに肌寒さも感じたので、グズグズと出掛けずじまいに、そのかわり、「近代天皇制の確立 新しい権力のしくみ」を起稿校正し終え、さらに「大平洋戦争総力戦と国民生活」をスキャナーにかけて原稿に起こした。充実した仕事であり、満足している。
画展へは、どっちみち三十一日理事会のために銀座を通って行かねばならず、途中立ち寄って行くことも出来る。もし明日も雨もよいに花粉の舞いが落ち着いていれば出掛けてもいい。
2005 3・28 42

* ダスティン・ホフマンとローレンス・オリヴィエという贅沢な顔ぶれなのに、つまらない深夜映画をひとりで観てから、例の、本を五種類読み継いで、寝た。
「ファウスト」のブロッケン山の百鬼夜行が面白かった。バグワンの知識と認識を語る例話も。そして、新安保条約で国会議事堂が揺れに揺れた昭和三十五年六月の大国民闘争を復習した。変なはなし、あの問題の六月十九日が太宰治の桜桃忌であることを、あの晩わたしは毛筋ほども覚えていなかった。太宰も桜桃忌もまったくわたしのモノではなかったのである、まだあの時は。小説も書き始めてはいなかった、ひたすら初の我が子の恙ない誕生を願いながら、毎日国会デモに動員されていた。それでも、わたしのなかで、「或る折臂翁」の思いがもう胚胎していたことは慥かであった、書き出すまでに、もう二年必要だったけれど。
「戦争と平和」では、庶子ピエールの父伯爵がものものしくも騒がしい人々の思惑のなかで亡くなるのを読んだ。幸か不幸か、余儀なく映画「戦争と平和」が思い出されて、ピエールにはヘンリー・フォンダが、ナターシャにはオードリィ・ヘップバーンの面影が、声音や身ごなしが髣髴とする。二人ともわたしは大好きなので構わないけれど。
そして最後には「今昔物語」を読む。とうどう最後の「巻三十一」に入った。宝の山を踏み越えてきた実感がある。
2005 3・29 42

* 大戦末期の、極度をなお超えた国民の困窮。学徒動員。米機による無差別絨緞爆撃などを克明に歴史記述を介して辿っていると、それ自体他人事(ひとごと) でなく、国民学校の生徒で田舎に疎開していたとはいえ、小なりとも渦中にわたしも生きていただけに、身を刻むように、読書が痛い。キツい。もう少し、もう少しと息を喘ぐようにして一字一句校正している。凄い! とはこういう体験にのみ謂いたいと思う。
だが、日本の銃後にいた子供もたいへんであった、その何層倍も苛酷に、命を刻々ナチの人種迫害に脅され曝されて生き抜いてきたユダヤ人児童達の映像はもの凄いというしかない。つらいと分かっていてわたしは機会が有ればそんな映像にも眼を曝すのを半ば義務のように観じている。

* どこへも出ない。今日イッパイは、この線上の仕事を二つ三つ廻しながら各個に進めて行く。

* 「大平洋戦争総力戦と国民生活」の無惨なかぎりを読み終えた。ああ親たちは、大人達は、たいへんだった、よく育ててくれたと頭がさがる。それにしても、苛酷な軍国ファシズムの準戦時体制から無策極まる総力戦へ、そして原爆投下二発、とは、ひどかった。だが過去完了のこととは思われない。「有事」を予期した準戦時体制の準備を政府与党は明らかに考えているし、そのためにこそ支障のない、都合の良い「憲法改正と新国体」を、既に中曽根もと首相等をはじめ、具体的に模索している。
憲法を適切に、箇条によっては改めねばならないことは、制定後の時久しきを経て当然だろうが、そのどさくさに、改めてはならない憲法の生命線はぜひ守らねばならないのだが、だれが守ろうとしているのか。
学生はいないも同然、労組は無いも同然、野党は消えたも同然、知識人はただ個人の良心にだけ頼んで、つまりは亀の子のように首をすくめて安全で事足れりとしている。ああ若い人達よ、君達の子や孫達を悲惨な地獄へ向かわせるな。

* 孫のやす香は、指折り数えて今年は、この春は、大学へ入学する。どんな学生になりどんな学問に向かって行くのだろう。よき船出せよ。
2005 3・30 42

* 今年は会場関係らしいが、ペンの総会が例年より一月も遅い五月二十三日とか聞いている。それまで理事会も新体制も定まらないし、新委員会への引き継ぎもできない。四月はけっこう今年はユックリできる一と月になりそう。そう言うときに、新しい仕事も始めたいし進めたい。ものごとが流れを早め、逝くは逝き、来るは来て、新緑の季になって行く。わたしは時代を忘れて行くだろう、時代もわたしを忘れて行く。戸も窓も閉じ、どうかして静かに自身の内なる深い闇へ歩み入り、明るい道に至りたいものだ。さ、どうか。思うようには行かぬだろう。それも、それだ。
「戦争と平和」は第二巻に、「ファウスト」も第二部に。「日本史」も「今昔物語」ももうすぐ全巻読み終わる。柳田国男の「日本の祭」も読み終えた。次にはぜひ「古事記」と「世界の歴史」シリーズを読み始めたい。
2005 4・1 43

* 少しずつだが、仕事が片づいてゆく。今は蝋山政道氏による「よみがえる日本占領下の民主化過程」を読み上げてしまいたい。これで明治維新いらい敗戦後の新憲法にいたる近代の歩みの主要な部分、印象的な部分に、都合七つの論考を通して「大筋」が貫通する。「主権在民」を願ってきた近代日本の「苦闘」があとづけられる。繰り返し繰り返し読まれてもいい優れて啓蒙的な歴史記述であり、記述の姿勢は真摯でかつ国民の必要な足場と同じ足場で書かれている。
むろん中央公論社版『日本の歴史』そのものが繰り返し読まれて欲しいと声援をおしまないが、総てを拝借するのは無理な相談。そしてわたしは、この七個所の抄出に自信をもっている。だまされたと思ってでもいい「日本の近代」を知りたい人は、とくに中学高校の先生や高校大学生はこれを読んで欲しいと切望する。もうやがて、「ペン電子文藝館」の「主権在民史料」室に出揃う。わたしの任期内のいちばん今力こぶの入った仕事である。七人の先生方へ深い尊敬と感謝も、此処に。心より書き添えておく。
2005 4・6 43

* そんな中で、とうとうコケの一念のように『日本の近代 主権在民への荊の道』をまとめ上げた。
井上  清「明治維新 新しい権力のしくみ」
色川 大吉「自由民権 請願の波」
隅谷三喜男「大逆事件明治の終焉」
今井 清一「関東大震災」
大内  力「ファシズムへの道 準戦時体制へ」
林   茂「大平洋戦争総力戦と国民生活」
蝋山 政道「よみがえる日本占領下の民主化過程」
の七編。執筆諸氏に深い敬意と共感・感謝を捧げる。それぞれにわずか一章の抄出ながら、太い筋は通せたと思う。だが願わくは、原本の中央公論社版シリーズ『日本の歴史』第二十巻から第二十六巻までが、いままた広く読まれたいもの。それを心より思う。
2005 4・9 43

* 春雨を期待し、傘さして花を探ね歩こうかと言ってたのに、いま、ピカピカの快晴。あまり見ないテレビ番組に佐高信氏が顔を見せていたので、しばらく何人かのキャスターのいろんな意見も聴いていた。
佐高氏が、韓国・中国での反日デモ等に関連して、お互いに今少し歴史に学ぶ気持ち、実践が大事なのではないかと話していたのが、同感だ。
いまわたしは蝋山政道に導かれて戦後四半世紀日本の「民主化」の試煉や苦闘をひもといているが、いましも、そういう苦闘の成果を、もっと以前の息苦しかった日本へ逆歩きさせようさせようとしている施政のこわさに、具体的な相似例を幾つも通して実感する。ここをこう通ってせっかくこう成ってこれたのを、また一気に元へ戻らされようとしている、と、気が付く。歴史に学んでいるとその壮大なムダと無惨とを懼れる気持ちももてる。それが悪政に対する抵抗の力にもなる。「ペン電子文藝館」にがんばって『主権在民への荊の道』七編の歴史検討をかかげてみたわたしの気持ちが、どうか広く伝わってくれるといいが。
2005 4・10 43

* この尾崎紅葉が弟子泉鏡花に与えた叱咤激励の書簡は、胸に響くものがある。小説を書き続けようと覚悟の人に、(むろん、わたし自身にも)この上ないものと、あえて書き写しておく。改行もモトのままに、漢字も正字にしてみたが、もし化けるようなら、また読み下しによみがなが欲しいようなら、アトで加えよう。一字だけ「門ガマエ」に「韋」の入る字が機械で出せないので、便宜に「閨」の字を宛てておいた。圏点傍点などは太字にし、一字だけ二重○のついていた「脳」にだけカッコを伏して太字にしておく。

*「夜明まで」は「鐘聲夜半録」と題し例の春松堂より借金
の責塞に明日可差遣心得にて此二三日に通編
刪潤いたし申侯巻中「豊嶋」の感情を看るに常
人の心にあらず一種死を喜ぶ精神病者の如し
かゝる人物を點出するは畢竟作者の
感情の然らしむる所ならむと私に考へ居候ひしに果然今日
の書状を見れば作者の不勇気なる貧窶の爲に
攪亂されたる心麻の如く生の困難にして死の愉快
なるを知りなどゝ浪(ミダ)りに百間堀裏の鬼たらむを冀ふ
其の膽の小なる芥子の如く其心の弱きこと
苧殻の如し。さほどに賓窶が苦くは安ぞ其始
彫閨錦帳の中に生れ来らざりし。破壁斷軒
の下に生を享けてパンを咬み水を飲む身も
天ならずや。其天を樂め!苟も大詩人たるものは
その「脳」金剛石の如く、火に焼けず、水に溺れず
刃も入る能はず、槌も撃つべからざるなり、何ぞ
況や一飯の飢をや。汝が金剛石の脳未だ
光を放つの時到らざるが故に天汝に苦楚の沙
と艱難の砥とを與へて汝を磨き汝を琢
くこと數年にして光明千萬丈赫々として
不滅を照らさしめむが爲也汝の愚癡なる箇寶を
抱くことを曉らず自悲み自棄てゝ
隣人の瓦を擎ぐる見て羨む志、卞和に
して楚王を兼ぬるものといふべし。
汝の脳は金剛石なり。金剛石は天下の至寶なり。
汝は天下の至寶を藏むるものなり。天下の至寶
を藏むるもの是豈天下の大富人ならずや。
於戲(あゝ)天下の大富人汝何ぞ不老不死の藥を
求めて其壽を延べ其樂を窮めざる?!
貧民倶樂部はまだ手を着けず。少年ものは
賣口あり。十分推敲しておくるべし。
近來は費用つゝきて小生も困難なれど
別紙爲替の通り金三圓だけ貸すべし
倦ず撓まず勉強して早く一人前になる
やう心懸くべし
明治二十七年
五月九日        紅 葉
鏡花 君
2005 4・10 43

* 今日は大きな日付になる。
今ではいつからと簡単に調べようもないほど昔に、中央公論社文庫版『日本の歴史』第一巻「神話から歴史へ」(井上光貞著)を読み始めた、朱のボールペンを片手に。そして夜前その最終第二十六巻「よみがえる日本」(蝋山政道著)をすべて読み尽くした。一巻はほぼ五百頁の細字である、すごいほどの読みでであった。
啓蒙的な教科書または準研究書風の歴史記述というべく、各巻錚々たる筆者が責任担当していたので、安心感大きかったし、読み終えて、もうこれだけの日本通史は当分あらわれっこないなと思うほど、専門的にも記述態度としても充実していて、感銘を受け続けた。
知識が得たいのではなかった。もう一度「日本」と付き合ってみたかった。特に馴染みの薄かった、それではいけないはずの「近代日本の歩み」を、ともに歩み直してみたかったが、それには「神話」の昔からなおざりにせずに「通読」の結果辿り着きたかった。計り知れない無欲の体験。そして予期したとおり日本の近代は「主権在民への荊の道」であった。そのことに気付いたときに、わたしは退任するであろう「ペン電子文藝館」への置き土産として、「主権在民史料」特別室を新たに設け、この「日本の歴史」がのこしてくれた「理解や判断」を、新しい読者たちと幾分でもわかち持ちたいと強く願うようになった。その用意も仕上げたのである。もうやがて七人七編の近代日本理解の芯のところを「ペン電子文藝館」は抱き取れるであろう。一万二三千頁の読書は、あるいは生涯最大の規模で有ったかも知れないが、いい思いをさせてもらいました。感謝。

* そしてもう一つ。はからずも同じく夜前に『今昔物語』本朝編を悉く読み終えた。この読書体験からも、堪らない、とろりとした味わいがいま胸に在る。ファシネーションの或る意味の極致を得つづけたという嬉しさ。すばらしかった。
2005 4・11 43

* 六時半過ぎて散会、さっさと出て、クラブに直行し、まるでトロのようなサーモンを切らせ、「響」をゆっくりダブルで五、六杯堪能し、空腹だったのでチャーハンを頼んだ。名大におられた山下宏明先生の「平家物語と祇王などのこと」(抜き刷り)を面白く読んだ。わざわざわたしへの「学恩」を謝する献辞が付いていて、恐縮した。また同僚委員城塚朋和氏の中国煎茶器をめぐる細かに興味深い考察論文にも、思わず時と場所とを忘れた。
帰途は、貝塚茂樹の「世界の先史時代」を楽しみ読みながら、混んだ電車に揺られていた。
2005 4・15 43

* 小山内さんの「3年B組金八先生」の台本は、決定稿の台本で122頁ある。スキャナーしているより書き込んで行く方が早いかなと、やっと20頁分手打ちで書き写したが、前途遠い。普通の散文ともまた戯曲ともちがう形式がシナリオ台本にはある。それをスキャナーは受け入れてくれず、みなフラットに文字だけがベタに出て来るので、体裁を直し直ししているより、体裁を先ず決めておき、手書きしていく方がまだしも能率的。ようやく、ドラマは本題展開の場面に入ってきた。ながの歳月にテレビで数度は見たかという程度なので、登場する「役」の顔がよくは見えない。このさき、面白く展開しますように。.

* 面白い、興趣満々なのは、貝塚茂樹の『先史文化の発見』で、いまは中国周王朝が殷にかわって天子の政をとりだすところ。殷の発見、彩陶や黒陶の文明が見つかって行き、歴史的に確認できる最初の王朝としての殷が、起ち、また滅して行く。わたしは、殷の青銅器・祭器が好きで、出光美術館へ行って一点も出ていないときは落胆するぐらい、あの圧力の強い存在感に惹かれる。
2005 4・17 43

* 春眠暁を覚えないのでなく、覚えて起きて手水をつかい、しかし着替えるのを億劫にまた床にもどるから寝てしまう。寝てしまっても差し支えない境涯、そのラクなこと。当面の難儀仕事は片づけたし、と、夜中の読書を堪能していた。
「ファウスト」は、いよいよパリスとヘレナが幻惑のうちに登場し、なみいる男達女達の評判のかまびすしいこと。ファウスト博士は絶世の美女にこころうばわれて幻惑の場面をむちゃくちやにしてしまう。厚さ三センチ半もある文庫本のちょうど真半分まで、面白く、毎晩読んできた。鴎外訳を珍重している。
「古事記」はいま、大国主命の艶にはなやかな愛と相聞の歌声が、美しく響いているところ。これは床の中で、小声ながら音読している。註にしばしば解説されているが、大国主命の豊かに豊かな好色と、それを破綻させずに満々と保っている、それこそが「大国主」たる根源の能力・資格である、と。好色に堪えて毀れない・壊さない毅さ、内的な豊かさ、を尊しとする東洋の、日本の思想。スサノオやオオクニヌシから、伊勢物語の昔男を経て光源氏へ伝えられるまで、そこまでが好色な英雄の大雄連峰だった。それからは衰微し放埒になる。西鶴の世之介にかすかに太古・古代の脈拍は伝わっていたが、軽い。昭和の谷崎は、おそらく「台所太平記」といういわば六条院物語の戯画化におのが好色の行方を見て死んでいったのだとわたしは考えている。
「戦争と平和」では、ボルコンスキー(アンドレイ)公爵がフランス軍との悪戦苦闘の最前線に出ている。
そして「世界の歴史」はいましも周王朝が、文化と、人間の理想を、歴史に生み付けて行く。バグワンが毎夜話してくれる「老子」はまだ姿をみせない。
バグワンは、平易な物言いで、マインド(=知識・思考・分別・タダの言葉)の虚しさを適切に語っている。それに気付くこと。むろん、わたしは自分が文学・文藝・創作と称し、闇に言い置く私語と称して書きつづりまた口にしている行為の一切に、今はとらわれていない。だからそれを別に手放す必要もなく空気を呼吸するように続けているが、続けるのもやめるのも、つまり同じなのである。何も無いし何もしていないのである。それがいいのである。
2005 4・18 43

* あちこちで作事の物音が。それも春たけなわを想わせる。

* 怪異ということが少なくなったか、ひとがあまり関心を持たないか、そうではあるまいその手のテレビ番組はあるし、ホラー小説だのホラー映画だので世渡りしている人達も多いのだから怪異への興味は、相変わらず、あるのだろう。
左大臣高明の住んだ寝殿の柱に節穴があいて、夜な夜なそこから小さな子供の手が出て招くということが続いた。怖じ懼れた人達は穴の上に経を結い付けたり仏像を懸けたりするが、相変わらず。
或る者が思いついて、征矢(そや)つまり鏃の鋭い戦にもちいる矢をズブと刺し込んだら、ちいさい手の招くことは無くなった。鏃だけを節穴の奧に残しておいた。絶えて怪異はなくなった。
だが時の人達にはべつの怪訝も生まれたというのが、おもしろい。
「心得ヌ事也。定メテ者ノ霊ナドノスル事ニコソハ有ケメ。ソレニ、征箭ノ験マサニ佛経ニ増リ奉リテ、怖ヂムヤハ。」
経や佛で効験無く、武張った征矢を突っ込むと怪異が失せた。こりゃサカサマではないのかと。ドライに観ていて、相当深読みの利く説話に思われる。今昔物語には、こういう、型にはまった・はまりこんだ常識や価値観を平然と覆しているお話が満載されている。芥川のような批評の利く小説家が此処に題材を生かし得たのは、当然だった。
2005 4・19 43

* お元気でお過ごしでございますか。困難で不安の深い日々となりました。いっきに戦後に返ってきた感じがしますが、考えてみますと、戦後に見極めておかなければならなかったものが、いま改めて地下から甦っているのかも知れません。「野間宏の会」で昨年ご縁を頂いたときのものです。最近いろいろと思うことが多くなりました。お元気でお過ごしになられますよう。 合掌   高 史明

* 『野間宏の文学、そして親鸞』という講演録を頂いたので、「e-文庫・湖(umi)」の人と文学欄に掲載させて頂こうと思う。「闇に言い置く」のなかには長い時間の講演であり、一過性に埋もれてもいけない。高さんのいわれる「戦後に見極めておかなければならなかったものが、いま改めて地下から甦っているのかも知れません」という言葉には深く悲しく頷かされる。掲載に、いましばしお待ちを。よく読んできちんと掲載したい。
2005 4・20 43

* 高史明さんの「野間宏と親鸞」のお話しは、深刻な現代の問題にまでかっちり触れられて進む。かなり長いお話しなので、読み終えたら矢張り「e-文庫・湖(umi)」に入れさせてもらう。野間宏の『暗い繪』が語られている。
2005 4・20 43

* 雑誌「ひとりから」に附録で付いてきた、、生き残った特攻隊員、八十一歳松浦喜一さんの「遺書=日本国憲法を護る」を、「ペン電子文藝館」の招待席にいただけないかと、編集者である原田奈翁雄氏・金住典子さんを通じてお願いしている。

* 春陽堂版の天金豪華な鏡花全集の第一巻巻頭は言うまでもない鏡花が新聞連載にデビュー作品の『冠弥左衛門』で、弱冠二十代のたしか前半、いまの大学生ならまだ卒業していない年頃、尾崎紅葉の書生玄関番での、骨太な処女作である。新聞には尾崎紅葉の名が出ていたかもしれない。
これを読むと、紅葉がまだひわひわとしていた弟子鏡花を目して、「汝の脳は金剛石なり。金剛石は天下の至寶なり。汝は天下の至寶を藏むるものなり。天下の至寶を藏むるもの是豈天下の大富人ならずや」と激励していたのが、いくらか、分かる。その語彙と語法との豊富にして自在転変、おどろくべく分厚い。物語自体は通俗な読み物世界の如くありながら、すでに鏡花ならではの行文であり、表現であり、構想である。それはこの作品の初読の時から変わりない感銘である。
2005 4・21 43

* 夜前は、床に就いてから二時間半も五種類の本を読んでいた。歯医者を忘れていたわけではないが、八時に起きたときはかなりつらかった。それかあらぬか、歯医者の帰り道、ひどくからだが重くだるく感じられた。「リヨン」で空き腹に生ビールをああ美味いと思って飲んだのが、小瓶一本の少量なのに、よくまわった。保谷の「ぺると」でコーヒーを飲んでマスターと妻と三人でお喋りしている間も、すこしだるかった。
だが、仕事は仕事で、はかどらせている。まだ九時半をまわったばかりだが、今夜ははやくやすもうと思う。
にわかに、明日の午後、都内へ出かける用が出来た。さほどではないが、今日は風もよく吹き、眼のふちがヘンに熱ぼったい。
2005 4・22 43

* 高史明さんの「野間宏と文学、そして親鸞」を、「e-文庫・湖(umi)」の「講演録」に頂戴した。大勢に読まれたい。やはり読んで行くと、僅かながらも誤記・脱字などがあり、それを正してそして体裁も整えるために、少し時間がかかった。
また原田奈翁雄さんの電話連絡で、希望していた松浦喜一さんの「生き残った特攻隊員、八十一歳の遺書=日本国憲法を護る」を電子文藝館に招待できることになった。感謝。スキャンにかかる。日々、なぜかとても忙しい。
2005 4・25 43

* 夜前来、鏡花は『義血侠血』を読んでいる。舞台ではいわゆる「瀧の白糸」だ。もう鏡花も『冠弥左衛門』の肩に力の入ったガンバリからズンと抜け出て、おもしろい話を作り上げて行く。グウンと読みやすく、余裕も出来ている。二度三度と読んできた作だが、それが何の障りにもならず、新鮮におもしろい。
ファウストは、いま、ピロンに導かれ、ヘレナの美へと憧れて行く。
『戦争と平和』ではアンドレイ公爵の妹マリアへの求婚に訪れた心よからぬワ゛シーリィ公爵と美貌で無頼な息子のアナトーリが、きっぱりと拒絶されたところ。
『世界の歴史』は、中国の宗族の祭祀を基本にした都市国家が維持されていた春秋時代が、君臣と法と官僚とで広域制覇が成されて行く戦国時代へと、確実に推移している。孔子から墨子へ、荘子や孟子へ。筆者の貝塚博士は、「老子」を想像された存在と書いている。しかし『老子=道徳経』の紹介はかなり薄く、バグワンを読んでいる目にはやや見当が逸れている気がした。
そして『古事記』音読はもう中巻に入って、男叫びしていま五瀬命がナガスネヒコとの闘いに戦死した。カムヤマトイワレヒコ、後の神武天皇は太陽を負うて戦うべく浪速から南の熊野へ転進して行く。
2005 4・25 43

* 「生き残った特攻隊員、八十一歳」の松浦喜一さんの『日本国憲法を護る』と題した時代・次世代への「遺書」をスキャンし、半ば以上を校正しながら読み重ねていったが、みごとな論議に、真っ向の正論に、感服。この議論に、この提唱に、フェアに挑みうる政治家や論客がいたらお目に掛かってみたい。小泉や石原の顔を思い浮かべ、彼らは松浦さんの此の言説にとうてい駄弁と虚勢の韜晦以外、何も言い得まいと思った、いや彼等の詭弁は念が入っているからなあ。
このご老人の筋金の入った端正達意の名文は、やがて「ペン電子文藝館」に、できれば私の「e-文庫・湖(umi)」にも、頂戴することになるが、独りでも多くに読まれたい。これは、苦辛して揃えた七編の歴史記述とも、戦後に直ぐ文部省が正式に広く配布した『新しい憲法のはなし』ともかっちり符節を合して、末永い基本の文献となるであろう。
松浦さんは慶應義塾大学に学ばれ、学徒動員されて航空隊に配属され、特攻機に搭乗、同じ他の二機とともに姿なき索敵の飛行をつづけ、一機を海中にむなしく喪い、辛うじて重い爆弾等を手放すことで転回し帰還せざるをえなかった。まともな飛行機とは言えない、操舵すら不可能なようなシロモノであった、それは今では確実に広く知られている真実である。敵艦に遭遇することなく一機が海歿したのも、操舵不能であったからだ。
そういう体験を乗り越えてきた松浦さんには、わたしの手に入れた小冊子に数倍する立派な単行本の検証本・証言本もある。きのうわたしはお手紙とともにその一冊を戴き、夜の更けるのも忘れて読んだ。文章も検討も冷静で、荒らかな物言いはなく、平静に鋭い筆致で引き込まれる。プロの書き手がノンフィクションとして書くときに、どうしても売り物の文章、売り物の構成になって、結局味うすにも流れかねないところを、松浦さんはいささかの功名心もなく真摯に書かれる。それがホンモノの魅力と説得力になっている。
2005 4・27 43

* なんだかわたしの『閑吟集』が、はやっているみたい、で。

* 今日、わりと真剣に「文学」を考えているのかなあと想われる表題のホームページをちょっと覗いてみた。かなり大量に書かれ窓口もひろげてあるが、たとえば漱石の心論など読んでみると、要するに言い古されたことがごく狭い範囲から纏められたようなもので、何の裨益も受け得ない。
なによりいけないのは「掲示板」で、その書き込みの汚いこと、程度の低いことは目を覆わせる。これでは、たとえ形だけでも高邁にホームページをつくっていても、実質は遠く伴わない。若い人らしいが、もう少し謙遜に深く考えて、静かに書いた方がイイと思った。

* 若い会員歌人の自選の短歌もまとめて読んだが、はっきり言って、何と低調に奇天烈なんだろう、と。本など何冊も出している人だが、もっと静かに無名の歌人にも、はるかにすばらしい佳境・歌境を得ている人はいくらもいる。もし選考せよといわれれば、採らない。黙っていない。
2005 4・27 43

* やっと、小山内美江子会員の「3年B組 金八先生」シナリオの一作を入稿。さ、次は英訳された原爆詩の校正調整。難儀な仕事になるけれども。
2005 4・30 43

* 鏡花の「義血侠血」はおもいきって自然さを踏み越した人事のツクリ物語であるが、水藝人「瀧の白糸」の造形は、鏡花真骨頂に繋がって行く、大胆で、思い入れの深い佳作。これが、しばらく後の「貧民倶楽部」の「お丹」登場を促しているのは明らか。
次いで「乱菊」を読み始めた。谷崎の「乱菊物語」とは時代も舞台もお話も異なる。のっけに「おろろ」という毒虫大集団が絶世の美女を包み込んで襲うのを、どうのがれたか。こういう物語の妙は、いずれ「風流線」などへ大きく受け継がれる。

* 貝塚茂樹担当記述の世界史第一巻を、妻が横でひろげ読んで、俄然面白い面白いと乗っているのがおもしろい。
2005 5・1 44

* 昨深夜、二三年前にある女性詩人に貰った二冊の詩集を懐かしく読み返していた。

* 鋏

いままで見えていたものが
どこへ行ってしまうのか
忽然と姿を消してしまうことがある

それはたった一つの装身具であったり
生活の調度品であったり
あたたかな思いであったりする

在ることが当然であったときから
もはやないことが当然であるように
日常の心を変えていかなければならない

それはやわらかな春の日から
突然の汗ばむ日のために
衣服を脱ぎ捨てる程度のものではない

庭のバラの花を切り落とすように
何もかも断ち切る鋏があったとしても
私はそれを使いこなせない

夏がそこまで来ているというのに
色あせたままの洋服一枚さえ
まだ脱げないでいる

* 詩はむずかしいが、ときどき、詩人とのいい出逢いがある。
2005 5・1 44

* 布川鴇会員の詩稿十数編を入稿した。しっとりとした佳い詩に思われた。

* 今日ものんびり過ごした。
2005 5・1 44

* 猪瀬直樹著『ゼロ成長の富国論』が贈られてきた。忙しい中でも彼は毛筆で大きく献辞を書いてくれる。財政赤字、人口減少、労働意欲減退。この三つがいま日本をじわじわと苦しめている、これは江戸の昔に、かの二宮金次郎(尊徳)が対策した三つだ、と著者は議論を展開している。
さて、わたしに一つ「感想」のあるのは、人口減少のこと。
猪瀬氏の本文早々に、こうある。一九七四年(昭和四十九年)の人口白書に、「出生抑制にいっそうの努力を注ぐべきである」と、「世界第六位の巨大人口」をこれ以上増やさぬよう警告していた、と。
わたしは同じこの年八月末で、十五年余勤めた医学書院を退社し、そして九月早々新潮社から書き下ろしシリーズに『みごもりの湖』をだし、雑誌「すばる」巻頭に長編「墨牡丹」を発表した。つまり、もう会社にわたしはいなかった。だが、まだ会社にいた時代、昭和四十三年一月生まれの秦建日子がまだ生まれていなかった、少なくもなお二三年以前に、「人口問題」で、じつに印象深いハッキリした一つの「記憶」を持っている。
その頃わたしは雑誌「公衆衛生」編集にあたっており、編集委員の橋本正己先生がおられる芝白金台の国立公衆衛生院に、頻繁に通っていた。目黒の自然植物園の少し先にある、ちと壮麗に威圧的な大建築と振り仰いでいたが、あれが我が国「公衆衛生学」のいわば本丸であった。
其処で、あの荻野式で産まれたという荻野博士ご子息先生とも初めててお目に掛かったし、曽田長宗院長をわずらわせた『農村保健』の大きな分担執筆企画でも苦労した。
いろんな先生のお世話になった中で、とくべつ優しい方であった、小児保健室長林路彰先生のお顔を見て帰るのを、いつも楽しみの一つにしていた。
ところが、その優しい先生に、珍しくわたしは言葉強く叱られてしまった事がある。「お子さんは」「一人、娘がおります」「そのあとは」「………」で、先生は顔を曇らされ、「秦さんのような家庭が、子供を一人しか持たないとはいけません」と、それから暫くの間、日本の人口の確実に減少して行く大きな不安について話されたのである。
正直なところ、わたしはビックリしながら、むろん林先生が本気で言われているのを疑いはしない、が、確かに「実感」はもてなかった。なにしろ当時の日本は、どうなるかと思うぐらい人口膨張の一途だったから。
しかし、わたしたちは、やがて、建日子の誕生を期待した。人口問題からではなく、姉の朝日子が一人子のままでは寂しかろうと考えたのである。
上の「人口白書」が厚生省の公式見解を示していたのは間違いないが、公衆衛生院の権威ある専門家は、その少なくも数年前に既にわたしのような者にも、将来の人口減少と危機性について、ハッキリした見通しを持っていた。その是非や批評はべつにして、わたしのこれは「一証言」として書いておこう。
たぶん、このまま推移すれば、数十年先には日本の人口は五千万人ぐらいにまで半減か、それ以上に減少して行くのではないかとすら推定され、危ぶまれている。林先生はすでにあの頃危ぶまれていた。そうなっては、日本の繁栄などはるか過去の話になってしまい、それどころか極東孤立の地で、日本国の「健康な独立」が保たれているかどうかも、まことに危いのである。

* 人口減少は江戸時代農村では屡々起きた大問題で、深刻な飢饉との悪循環を引き起こし、凄惨な地獄図を諸国に展開した。またそれに対応対策した能吏も、二宮尊徳より大分以前から、実は何人も史上に現れている。
美作久世の早河八郎左衛門正紀(まさとし)、磐城白川の寺西重次郎封元(たかもと)、関東代官竹垣三右衛門直温(なおはる)、同じく岸本武太夫就美(なりみ)、常陸の岡田寒泉らで、ことに岡田、寺西は異色生彩ある「名代官」だった。寺西はことに人口確保に奇策をもって奔走し、「生めよ増やせよ」に一定の効果を挙げた。その著『子孫繁昌手引草』は、近代戦時日本にも活用された形跡がある。他国への人買い、つまり流行らぬ遊郭の遊女達を買い集めて自領の農村に縁づけて子を産ませ、それを保護支援するようなことまで熱心にはかった。
人口減少は一気に進むと、もう取り戻せない重症に陥る。危険で怖い「難病」であるから、よほど本気で食い止めないと、まんまと亡国に繋がること、必至。

* 猪瀬氏の著に関連して、もう一つ触れておきたいのは、いわゆる預金利息が、非常識なほど久しく久しく無利子状態に、都合よく放置されていて、銀行等金融機関の厚顔と傲慢と強欲にのみ利している現状。これが、ひいては財政赤字にも人口減少にも労働意欲減退にも固く結びついている機微と要所にまで、適切に此の著者の視線が差し込まれていないのは遺憾千万。
この状態はまさに政権与党と銀行等金融との合作共謀馴れ合いの、国民に対する強悪そのものなのである。旺盛な猪瀬直樹の「批判と洞察」とが国民寄りに此処へも早く及んで、輿論を正しく喚起してもらいたい。
2005 5・2 44

* 松浦喜一さんの「生き残った特攻隊員、八十一歳の遺書」と副題のある『日本国憲法を護る』を委員会校正していて、一女性委員から、「女性天皇を認めようという末恐ろしい作業」という箇所が引っ掛かりました。女性としては、削除を求めたい心境です。/そのほかの趣旨には、概ね賛同するものですが、「反戦・反核」あるいは「広場」に入れるのはよしとしても、これが「主権在民史料」になるのかという点は、疑問に思います」と。
一応もっともにも思われるが、私の見解は、やや異なっている。

* 委員の主観と短絡はともあれ、「削除」を求めるべき発言ではないと思います。これは、女性差別の問題でも発言でもなく、天皇制存続に疑念と忌避感をもつ筆者の、歴史的未来を見込んだ主張なのでしょうから。
「女帝」問題そのものにも、かなり深刻な歴史の教訓や将来への危惧混乱の懸念は在るわけですが、筆者はそういう意味からよりも、安易に天皇制の延命を手続き的に希釈拡散して行くことへの不安を抱かれていると思われます。「女性としては」はという短絡から、言説の「削除」まで求めたいというのは、性急な一種の言論の抑圧や逆差別にならないでしょうか。
また、文部省がかつて出した「新しい憲法の話」の史料性を疑う人は、現在、無いでしょうが、刊行された昭和二十二年当時すでに「史料」という感覚の持てた人は少なかったでしょう。しかしそれは「史料」でした。歴史の経過の中で確実にそう「成った」のです。
この松浦さんの「遺書」も、おそらく数年内に「史料」的意義を持ちうることでしょう。
「ペン電子文藝館」の作品は、「今・現在」の視点だけでなく、それが半永久存続なかで、どう成り行くかを予測する「先見や洞察」を持たねばなりません。それが吾々担当に期待された見識でもあるでしょう。
八十過ぎた一私民による「学徒出陣・特攻・生き残り」等の歴史的な「足場」に立った、時代と未来への「遺書」が、「主権在民への悲願」を湛えているのですから、まちがいない「史料」性の「証言」を成しています。
しかしまた「史料」という二字に拘泥するよりも、弘通性をもって、むしろ「主権在民」の「願いを結集」して行くところと「主権在民史料室」を考えて下さい。この特別室設置の趣意は、其処に重く在るのですから。  秦
2005 5・4 44

* 静岡からお茶が贈られてきて、床を出た。
昨夜も、校正もふくめ、読書で深夜、というより気象庁用語では「明け方」(午前三時から日の出まで)まで起きていた。米川正夫訳の『戦争と平和』が、今回はハカが行かず、ようやく二冊めを、今日にも終えるだろう。
従来も気付いていたが、トルストイには独特のといえるのか、ロシア作家の通弊かもしれないが、人物の行為や表情に対する「作家内心の声」による心理解剖というか解釈というか批評…そう批評、が頻出する。それが面白かったときもあった。またロシアの当時の貴族社会では、あれほどナポレオン仏蘭西との争闘に痛められながら、フランス語の使用無しには貴族らしさが表現できなかったから、会話の中に、頻繁すぎるほどフランス語が「表現効果」としても、入り混じる。それの面白かったときも、あった。
だが、今回は、その両方がややうるさい。
それと、岩波文庫の活字が小さく感じられ、しかも劣化して薄れてきている。戦後の活字本にはこの「劣化」というアキレス腱があり、一斉に本が読みづらくなりつつある。わたしを文学的に育ててくれた講談社版の「日本文学全集」百十数巻も例外でなく、版面は薄ぼんやりしてきている。こっちの視力も格段に落ちて来ていて、ダブルパンチである。

* いい作品と知っていて、往年には感銘を受けた、戦後直ぐのイタリアン・リアリズム映画などが、今はもう、少ししんどい。「自転車泥棒」「壁」「ひまわり」「屋根むなど。
ポーランド出来の「大理石の男」も、意欲作であるけれど、この私にして、この労働者世界からの強烈なプロパガンダが重く感じられる。社会的な意欲作が時代と時間に侵蝕され、ロマンスはらくらく時代を超えてゆく。この機微はじつに厳しい。
わたしは、創作生活に入った頃から、それに気付いていた。
「或る折臂翁」の道をすぐ切り替え、「畜生塚」「或る雲隠れ考」「慈子」「清経入水」「蝶の皿」「廬山」そして「みごもりの湖」「初恋」「親指のマリア」などへとつづく道を通った。時代と時間の「錆」をはねのけたかった、と、そう思っている。
その現在・現時の時代をすなおに「背景」に置いて書かれている、今日的な私小説や心境小説は、いかに今は現代的と思われていようと、作者が死んでしまうと、その日からもう過去完了へ古び始めるこわさ。これを、わたしは多くの実例で意識している。「ペン電子文藝館」での読み返しでも、身にいたいほどそれは感じた。プロレタリア作家の優れた文学作品の多くが、もう今日性を喪失したかのように湮滅直前にあるのもそれだが、同じことは新感覚派にも言える。川端が力づよくのこり、他の大勢が忘れられつつあるのは、力の差ではない、創作と時代とのかかわりようの問題でもある。
あれほどの天才的なライバルであった鏡花と秋声も、いかに双方とも優れた、いや文学としては秋声の散文のすばらしさには感に堪えるのだが、一見古い表現のはずの鏡花文学はますます光放ちつづけるだろうが、秋声文学ですら、じりじりと時代に侵蝕されてゆく。
譬えていうと、秋声世界では、ラジオであらざるを得ない、テレビは出てこないことが、ガンとしてそのリアリティ自体から限界化されている。それがリアリズムの時代基盤に置かれている。テレビやケイタイ世代からはすくい取りようのない古さが出来る。
鏡花世界では、現象からするともっと古くさいが、そんな古さは作品の中で無意味化される、いわば、みごとな逃げ道が出来ている。そんなのはノープロブレム、もっと大事なリアリティーが別に言語表現や物語や超現実性のうちに確保されている。
現代を書いているという錯覚のもとに、単に作家自身の生身をめぐる「現在」しか書いていない作品は、どんなに現世では栄誉を与えられても、時代と時間が容赦なく呑み込んで早々と失せてゆく。「現代」文学と過称し自負する、じつは単なる「現在」文学、「現代」人であるとトクトクと時めいていながら、実は只の「現在」人に過ぎない名士たちが、なんと多いことか。
現代文学と、現在文学とは、決定的に異なることが理解されていない。それはそれで余儀ない、いや必然の理由に基づいている。優れた批評家にはその視野が求められる。
2005 5・5 44

* 以下前半は、橋爪文会員の全五章長編詩「夏の響」の第二章英訳をスキャンしたママである。ヒロシマのあの日、奇しくも助け合い生きた二人の見知らぬ少年と少女の邂逅をうたう原爆体験詩の途中である。
英訳プリントではむろん詩の体裁もきちんとした英文詩だが、スキャナーでは、こう出て来る。訳者井上章子会員の責任ではない、あくまで機械による再現像であり、このままでは、とても読めない。余儀なく井上さんの翻訳プリントと橋爪さんの原作を首引きに、判読しながら、わたしが「ペン電子文藝館」の掲載原稿として起稿して行く。
II
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二章

傷つき飢えたからだを
焦がす夏
ながい夏
だが焼け野の向こうに太陽が沈むとき
涼風は空を磨き
金色の夕焼けはびんびんと
天空と大地を響かせて謳う
(生きることはすばらしい)
(生きなければいけない)

少女の全身は
生きる歓びにふるえる
(ああ 生きていることはすばらしい)

そしてこの金色の夕焼けの下
少年もまた生きぬいていた

* II
Scorching summer for the wounded and the starved
EIongated summer
But when the sun set below the burnt-out field
Cool wind poIished the sky
Golden sunset sang
Echoing sonorously heavens and great earth
“To live is wonderful”
“One ought to live”

The girl’s whole self
Shivered with the joy of living
“O, to Iive is marvelous”

And under this golden sunset
The boy tried to live out too

そしてさらに委員会はこの英訳自体に問題はないか、専門委員がチェックを重ねることになる。
この英訳詩原稿をわたしが受け取ってから、もう一月ではとてもきかない、三ヶ月もたったかもしれないが、じりじりと起稿をつづけて、たぶん、この連休末にはし終えて、英語の専門委員に寄託するところへ漕ぎ着けるだろう。
先日の理事会で、国際ペン理事でもある堀武昭さんが「ペン電子文藝館」に触れて、もしもこの収録作がつぎつぎに英訳されてそれも載せられれば、日本ペククラブの文学事業としてどんなに世界的に素晴らしいか、その対策がどうにかして立たないだろうかと希望されていたけれど、理事会の意識自体が、なかなかそのレベルに遥かに達していない。理事作品が少しも増えていないことを見ても、分かる。
堀さんの声援は嬉しい限りだが、この課題は、ほとんど予算というものの無い委員会では、望蜀遥かというしかない。裏返せば委員会委員のボランティア負担たる、たいへんなものがある。

* 頑張って、しかし、井上訳稿も入稿できた。英訳詩に日本語の原作も一つ一つ添えて読みやすくした。

* 文藝館委員会にまた一つの議題が生じてきている。喫緊の投稿という意気込みで「ユダヤ人」問題に触れているのだが、原稿はもっぱら「アンネ・フランク・ハウス」への回想を通して、ホロコーストの悲惨におよんでいる、それが全量の多くを占めている。正直の所その内容は、あまりに著名に情報豊富な問題なので、聞いて知っているような域を多くは出ない。しかしまたこの問題への、陰気にタメにするような言説が、故意と悪意とで多年に亘り繰り返し出て来る問題にも触れてあり、その辺はわたしなど極めて不案内で、教えられる点があった。
だが、何が喫緊であるか、それが分からなかった。なぜなら、現下の「イスラエルおよびアラブ」のことに一言半句触れてないのである。しかし、わたしのような門外漢でも、関心が深いのは何で中東はああなるのか、ナチによるユダヤ人受難体験や記憶は、どう生き活かされているのだろう、という点にある。それにひと言も触れず、いま「アンネ・フランク」を思い出すだけでは、なんとも味わいが薄い。それはそれは繰り返し語られてしかるべき大切な史実であるが、かなりに「知識」化している。しかしイスラエルとアラブのあの救い無く見える紛争には、やりきれない思いはだれにもあって、対岸の火事とも眺めていないのである、日本人も。さらにこれにはアメリカという国の関与も深く、その評価には容易でないものがあるのだろう。
難しい。しかし、「ペン電子文藝館」で会員により論じられるのなら、本当の意味で喫緊の要所への発言が読みたい。いちばん早く原稿を読んでの率直な感想である。
2005 5・5 44

* 『戦争と平和』で、ロシア軍総司令官の副官の一人アンドレイ公爵が、フランス皇帝ナポレオン軍との決戦の前線で、瞬時に敵兵の手で倒される。その瞬時の「感慨」が懐かしい。また、敵ながら敬愛してきたナポレオンその人により、危うくフランス軍営に救助された彼アンドレイの「感慨」が、また佳い。

*『あいつら何をしているんだろう?』とアンドレイ公爵は二人を見ながら考えた。『どうしてあの赤毛の砲手は武器も持たないくせに、逃げ出そうとしないんだろう? どうしてあのフランス兵はやつを刺さないのだろう? ここまで逃げ着かないうちに、あのフランス兵は銃のことを思い出して、あいつを刺し殺してしまうだろう。』
実際、いま一人のフランス兵が銃を提げて、相争える二人の方へ駈け寄った。依然として自分を待ち受けている運命を悟らず、揚々として洗桿を(敵の手から)もぎ取った赤毛の砲手ほ、風前の灯にひとしかった。しかし、アンドレイ公爵は、その結果がどうなったか見なかった。ちょうど、だれかすぐそばにいる兵卒が、堅い捧で力いっぱい彼の頭を擲りつけたような気がした。彼は少し痛かったが、それよりむしろ不愉快であった。それはこの痛みが彼の気を散らして、二人の兵卒を見物する邪魔をしたからである。
『これはどうしたのだ? 俺は倒れかかっているのか! なんだか足がへなへなする!』とアンドレイ公爵は考えると、たちまちあおむけにぶっ倒れた。彼はフランス兵と砲手の争闘の結果がどうなったか、赤毛の砲手が殺されたかどうか、砲門は鹵獲されたか助かったか、それを見るつもりで眼を開いた。が、なにも見えなかった。彼の眼の真上には高い空――晴れ渡ってはいないが、それでも測り知ることのできないほど高い空と、その面を匐ってゆく灰色の雲のほか何もない。
『なんという静かな、穏かな、崇厳なことだろう。俺が走っていたのとはまるっきりべつだ。』とアンドレイ公爵は考えた。『我々が走ったり、わめいたり、争ったりしていたのとはまるっきりぺつだ。あのフランス兵と砲手が、おびえた毒々しい顔つきをして、洗桿をひっぱり合っていたのとは、まるっきりべつだ。この高い無限の空を匐っている雲のたたずまいは、ぜんぜん別なものだ。どうして俺は今までこの高い空を見なかったんだろう? 今やっとこれに気がついたのは、じつになんという幸福だろう。そうだ! この無限の空いがいのものは、みんな空(くう)だ、みんな偽りだ。この空いがいにはなんにもない、なんにもない。しかし、それすらやはり有りゃしない、静寂と平安のほかなにもない。それで結構なのだ!……』(第二巻第三編一六の末尾)

* この最後の一段落には「覚え」がある。こういう思いで広い広い「空」を見たことが、何度もあった、わたしのような戦場など知らなかった者にも。だから、小説の此処へ、最初から素直に入って行けた。この段落は、さながら老子そのままの言葉で書かれている。ただ、一個所「みんな空(くう)だ」だけが、正しくは「みんなでたらめ(=錯覚・幻覚・無価値)だ」の意味であることをのぞいて。それで「みんな偽りだ」に繋がる。
勝れた先人達はこの、隠喩(メタファ)としての「空(そら)」と真実の「空(くう)」とをほとんど同義語のように話してくれる。その空を、「雲」という分別や思考、つまりマインド、を見事に払拭した無限にひろがり無限にふかい「青空」としてイメージしてくれる。人によっては澄んで広大無辺な青空を、そのまま、「鏡」のようにも譬喩している。
わたしがただ映すだけ「鏡」になりたい、来るモノは拒まず去るモノは追わない、即ち一枚の鏡であるような静寂な「湖」で在りたいと願うのは、そのためだ。眼を閉じ、闇に沈透き、闇が即ち鏡のような青空に転じる瞬時を、わたしは焦らず待っている。
アンドレイ公爵は、宮廷や貴族社会や戦争や平和の一切よりも貴い、真実の、静寂と平安のほか何もない「空」を、瀕死の瞬時に初めて見知った。トルストイは、さすが老子らにちかい視野を、覚悟を、得ていたのだ。アンドレイ・ボルコンスキイ公爵は、そのまま「軍旗を持って倒れたプラーツェン高地の一隅に、滾々と流れ出る血をそのままに横たわっていた。そして、低い、哀れな、子供らしい声で無意識にうなりつづけた。」

* (フランス)兵士らはアンドレイ公爵を運んでくる途中、妹のマリヤが首にかけた金の聖像が眼に入ったので、そっととりはずしておいたが、俘虜にたいする(ナポレオン)皇帝の優しい態度を見ると、急いでその聖像をもとへ戻した。
アンドレイ公爵は、誰がどうしてかけてくれたか気づかなかったが、思いがけなくも、軍服の上から細い金の鎖のついた聖像がかかっていた。
『ああ、どんなにかいいこったろう。』妹が心をこめて、うやうやしげに首へかけてくれたこの聖像を眺めながら、アンドレイ公爵は心に思った。『もしいっさいがマリヤの考えるように簡単明瞭であったら、どんなにかいいだろう。この世ではどこに救いを求め、あの世では――墓の下ではなにを期待したらいいか、それがすっかりわかったら、さぞいいだろうなあ! もしいま「神よ、我を憐れみ給え……」と云うことができたら、俺はどんなに幸福で、平穏な気持でいられるかしれないのだが、しかし、誰にそれを云うのだ? 漠然とした、理解することのできないカに向かってか? いや、俺はそんなものに祈ることができないばかりでなく、偉大だとも無価値だとも言葉でいい現わすことができない。』と彼はひとりごちるのであった。『それともマリヤがここにこの守袋の中に縫いこんでくれた神様だろうか? 何もない、何もない。俺に理解のできるいっさいのものが無価値でなにかしら意味のわからない、しかし、非常に重大なあるものが偉大である――ということよりほか、正確なものは何もないのだ!』(第三編一九終末ちかく。)
* アンドレイは「抱き柱」の無用と無価値を悟ってしまった寒々しい孤独の中で、よりはるかに大きな確かなものが、しがみつく「外に在る柱」としてでなく、自身の「内なる天空」のような何かとして予覚できたのではあるまいか。おそるべく大きな体験を、彼は瀕死の重症の奧から掴み出しかけている。そう感じ、そう読んで、わたしはアンドレイと作者トルストイに共感した。このように深いところを書き得ているトルストイの大いさ、それに出逢う幸せ、を覚えた。明日からは第二巻第四篇に入って行く。

* 犬養健、佐々木茂索、十一谷義三郎、今東光、菅忠雄、池谷信三郎の短編小説を読み選んで、スキャンした。倉田百三の「出家とその弟子」を加えて、この辺までをペン総会までに入稿しておきたい。今は、よほどその気を起こしても作品が見当たらないような書き手だが、その時代時代には活躍した書き手ばかり。

* 雨が来ているか、今晩は肌寒い。湯をつかいはやく休んで「ファウスト」「戦争と平和」や鏡花の春陽堂版第二巻を読もうと思う。貝塚さんの世界史は、ゆうべモヘンジョダロの遺跡を辿っていた。西印度にあれほど優れて完璧な都市性を抱き込んだ都会が造営できていたのだ、西紀前はるかに。
鏡花の二巻には「琵琶傳」「海城発電」「化銀杏」「一之巻」から「六之巻」を経て「誓之巻」等、さらに「照葉狂言」「龍潭譚」「化鳥」等の秀作が居並んでいる。

* 物故会員佐佐木茂索の「おぢいさんとおばあさんの話」は作者初期の代表作で秀作である。おぢいさんとおばあさんのいる日だまりの部屋の暖かさも静かさも或るさびしさも、それを癒すだけの情味もじつに自然に書けていて、ああ此処にも一つのお手本がある、見ようによれば横光の「春は馬車に乗つて」の若い二人よりも落ち着いた幸せと、しかしやはり拭いがたい寂しみとが伝わってくる。もし短所と云うなら、そうした宜しさの伝わりすぎてくる寂しさにあると云える。校正も終えた。
2005 5・6 44

* 佐佐木茂索の「おぢいさんとおばあさんの話」は、身につまされる挿話的な一篇だった。事情は少し違うにしても、わたしもまたこの様にして老い行く父母を京都に捨てて東京へ出て、よく手紙を書いた。それは沢山書いた。
父は、母は、どう読んだのであろう、手紙はみな母が取り置いていた。それも今はどこに蔵われているか。
次いで十一谷義三郎の「仕立屋マリ子の半生」を起稿しかけている。
さしも大型の連休も明日で終わる。妻の話では、去年の母の日に「碧い耳飾りの少女」という映画を池袋で観たそうだ。今年の母の日は明日だそうだ。いっしょに街へ出ようかな。
2005 5・7 44

* ピエールは決闘のあげく、美しいだけの不貞の妻エレンに打ってかかったし、少女ナターシャは運命をしらずはしゃいでいる。映画のヘンリー・フォンダとオードリー・ヘップバーンが、ありありと浮かぶ。トルストイの細部に至るまでみずみずしく精確に把握して行く想像力の豊かさ、途方もなく偉大である。
そしてレダと白鳥の娘、世界一美しい幻のヘレネとファウスト博士とが、いよいよ言葉をかわしている。
鏡花の「琵琶伝」は鬼気迫るムリ強いの短編。だが、嫁いだ初夜に、絶対受け入れる気のない「仇」のような夫に向かい、親の泣いての遺言ゆえ妻の座には直るけれど、決して決して節操は守らない、破れるかぎり節操は破って、愛する従兄に心身を捧げますと言い切る花嫁の、また愛するその従兄の末期が凄い。
また「海城発電」は、鏡花ではむしろ当然の作柄ながら、日清戦争の当時の一挿話として今の吾々にも実に異色異彩を放って唸らせる。わたしは、前々からこの作品には注目措くあたわざるものがある。海城はシナの都市名、つまりは上海などと同じく、この題は、異国からの特派員が母国へ発した「海城発」の電報の意味。
有名な「外科室」や「夜行巡査」より、わたしは、この異色作のもつ鏡花感覚や鏡花の足場に、眼を瞠いてきた。この赤十字社員である日本人青年のキャラクターは、「冠弥左衛門」のお波「義血侠血」の水越節「貧民倶楽部」のお丹ら颯爽たる反体制・抵抗の女性像をあざやかに「男子に反転」しつつ、のちの「風流線」の主人公へ織り上げて行く、見るも鮮やかな糸の一筋を成している。
古事記では、倭建命がついに無窮の空へ飛び去って行った。弟橘姫命の海へ投身の場面など、音読しながら声が熱くつまった。古事記は、目的自体が「系譜の追認」であるから、誰が誰を娶って幾柱の子をなしたか、だれが次の天の下を治めたかが記述の要点になっているのは仕方ないが、煩瑣なそういうところを塗りつぶして物語を繋いで行くと、それはもう、豊かに興味ある実意もある神話伝承の世界になっている。国民学校の二年生になる直前に女先生のお宅を木津の山田川に父と訪ねたおり戴いた、「日本の神話」一冊で、わたしはそれを暗誦するほど耽読したのだった。それが、不出来に出来損ないのひよひよした「あほぼんちゃん」のわたしに、自信をつけた。
もっとも、小学校でも中学高校でも、その後でも、今でも、その時代時代の内輪な何人かの「批評家」たちは、やはりわたしを目して、一様に「あほぼんちゃん」と証言している。けだし、当たっている。
2005 5・8 44

* 十一谷義三郎の「仕立屋マリ子の半生」は佳い作品だったばかりか、今日へもしかと問題の、心理の、根が届いていて思わず唸らせるものがある。しかも作品が少しも荒れていない。一組の夫婦をしかと把握している。小品というよりなく、佐佐木茂索の「おぢいさんとおばあさんの話」とも連繋する藝術性で有難かった。さらに菅忠雄の小品「銅鑼」も起稿した。

* 今日は、なにということなく、気が鬱陶しい。もう階下でバグワンも古事記も音読した。神功皇后の新羅渡りを読んだ。もう機械をとじ、トルストイ、ファウスト、鏡花、世界史へ沈み入ろう。ツタンカーメンの発掘で奇怪な原因不明の死者が次から次へ続出したはなしも不気味だったが、太古の言語解読の苦辛にも心惹かれる。一学者の探求があって一つの未知であった偉大な過去の文明が甦ってくる壮大さ。少年のように胸轟く。こういう喜びは、「TVタックル」のガサツな討論より、しっかり残る。
2005 5・9 44

* トルストイの、細部まで揺るぎない想像力と、精緻で安定した把握と。世界文学のなかで群を抜いている。小説を読んでいるという思いよりも、現実のその世界のその現場に、何の隔てもなくそのまま立ち会っている、体験しているかのよう。ボルコンスキイ老公爵の屋敷で、子息アンドレイ公爵は戦死したかと憂色深いさなかに、美しい小柄な若妻は産気づき、アンドレイの妹マリア(マーシャ)は優しい気持ちで、事態に動顛する自身のおののきに堪えている。そこへ傷つき衰えたアンドレイが、奇蹟のようにかつがつ帰還し、妻への愛をはっきり表わして出産にたちあう、が、不幸にも若公爵たる新生児は生まれたものの、若い母親は産褥に果ててしまう。
そういう、屋敷内のビリビリした空気の隅々までを、トルストイは鷲のようにつよい筆と雛の羽根のように柔らかい視線とで、あまさずリアルに掴み取り描いている。
そしてゲーテの歌い上げている「ファウストとヘレネ」との場面の壮麗・劇的な盛り上がりの美しさ、すばらしさ。
古事記の神功皇后は応神天皇を出産し、鏡花は「一之巻」を読み進んでいる。
贅沢に豊かな、これ以上が在ろうかと想えそうな世界を、夜毎に漫遊している。これが幻影なら、現実はそのまた薄い影かのように想われるが、その影を日々に「今・此処」に少しずつでも濃く懐かしいものにして行く、それが「生きる」ということだろう。
2005 5・10 44

* 菅忠雄「銅鑼」を送りこむ。
2005 5・10 44

* MAOKATさんの紀行文は日記体の長文で、私的な書留めでもあり、一時に此処へ紹介することは難しい。わたしが、ひとり、休息時に楽しんで読んで行く。
ペンの仕事が少しでも空けば、「e-文庫・湖(umi)」をまた充実させて行こうとも思っている。「ペン電子文藝館」にほとんどの精力と時間とを奪われ、余儀なく放ってあった。目をみはるような小説の書き手、感嘆する勝れた批評や文化論の書き手が現れ出て欲しい。併行して、わたしも、仰天モノの「わが瘋癲老人日記」を書きたいぞ。呵々。
2005 5・10 44

* 六時半起床、血糖値114は極く良好。雨と予報されていたのも、雨は東へ去り、曇ってすこし肌寒いが、どうやら傘なしで出かけられる。

* ゆうべはさっさと床について「フアウスト」から。もう七割がた読み進んで、フアウストとヘレネとの「結婚」の大場面は通り過ぎた。あの結婚の辺で壮麗に盛り上がり、また作意も汲み取りやすくなる。
「戦争と平和」では、厄介者のドーロホフに妻を奪われたピエールの苦悩と決闘と離婚の顛末(なんと莫大な財産の大半をそんな妻に預けてピエールはモスクワを去って行く。)が過ぎ、同じドーロホフが、美しいソーニャへの求婚をキッパリ断られ、恨みを、恋敵ロストフ若伯爵への強引なカード勝負で莫大に借財させるという、相次いで不快な場面も過ぎ、ジェニーソフの少女ナターシャへの無理な求婚も、当然母親により拒絶されている。
今は、ピエールが秘密結社フリー・マソンの試みに遇おうとしている。物語は大きく大きくうねるようにつづいて、この作品への深い敬意と愛は完全にわたしに戻っている。
鏡花は「二之巻」を読み終えた。教師ミリヤアドと時計屋のお秀。ふたりの愛をうけふたりに無垢の愛をささげるあまりに可憐な少年、新次。鏡花好みの設定で、巻はつぎつぎに続く。この一連をわたしは秀作「照葉狂言」への前哨と眺めてきたが、今回はそれを念頭から離し、素直に読んでいる。鳩時計をなかに、お秀と新次の戯れる場面や、お秀ゆえに、悩乱するほど、盲目年かさの富の市に嫉妬する新次。トルストイの壮大で緻密な世界とくらべれば、いと隙間も多い鏡花の初々しいほどの物語であるが。
そして、床に寝腹這っての、校正。そりかえるので、背骨も腰もいたむが、自稿の展開にもつい引き込まれて読み進めていた。もう終えて寝ようとしつつ、また惹かれてフアウストとメフィストテレスの対話の舞台へ、少しの間もどってから、灯を消した。二時ころか。

* さ、用意をして。木挽町へ。勘三郎の溌剌襲名の舞台を終日堪能したい。
2005 5・13 44

* 五個荘の川島民親会員の『スズメバチの死闘』を入稿した。「ぼくの動物記2」にあたり、前回とあわせて、一つの名作というを憚らない。前回三編、今回二編。筑摩書房から出した一冊が、「ペン電子文藝館」におさまった。民親さん、また新しい作品を書いて欲しい。
2005 5・15 44

* 昨日、鏡花の「一之巻」から「六之巻」「誓之巻」まで読了。この作品には深水家(後に豪家紫谷の室)のお秀、白人教師ミリヤアドという、印象的な、鏡花憧憬の的であるともに「姉さん=母さん」ふうの女人が登場するので、注目せざるをえないのだが、かなり大まかに大げさで、上出来の作とは謂えない。すべてはこの後へ来る秀作「照葉狂言」への習作というか、小手調べのような味がする。
しかし少年(青年ですらある)新次の父親は名人の金工師であり、いとしき母はすでになく、そして新次を内から外から不気味に悩ませる按摩富の市というお定まりの敵役もいて、まさしく鏡花世界の手持ちの札を惜しげなく公開、ならべてみせた趣において、問題作だとは謂える。鏡花が薄幸異色の白人女教師に愛されるような学校に、一時在籍した伝記的事実も背景にしているし、徹頭徹尾新次「少年」が、鏡花好み純粋培養されたような清純にして母性愛を誘うに足るのも、気味が悪いぐらい徹している。
大事なところだが、ミリヤアドと新次とには幻想とばかり謂えずに、実「母」を倶にしているやも知れなさそうな物語の運びがあり、するとミリヤアドは新次の「姉」で、母がわりに「弟」の未来を案じながら死んで行く人とも読まされる。そのミリヤアドの最期の新次への叱正ともいうべき誡めが、「秀」を忘れよと、ある。姉のようであった「秀」ははや豪家に入った人妻であり、しかも新次をおもい、そして現に不幸なのである。不幸の影に按摩富の市の底暗い影法師がまつわっている。どこからどうみても、上出来ではないけれど「鏡花」文学にほかならない。
この作品からすると、「照葉狂言」はこれをよほど「藝術的」に仕上げているのである。

*『戦争と平和』では、ピエールが、隠遁したように世に背いて暮らしているアンドレイ公爵を訪ねて行く。広大なキエフの自領で、農奴たちにみごとに幸せをわかち与えてきた気でいる、その実は狡猾な支配人の思いのままに操られてきたに過ぎない、大の大の富豪であるベズーホフ伯爵つまりピエールと、アンドレイ・ボルコンスキイとが、深い友情の基盤の上で辛辣に議論をかわしている。この二人がわたしは昔から好き。作の中心人物だから当然そうありたいわけだが、もう一人アンドレイの妹のマリヤにも注目せずにおれない。
世界文学や世界の映画演劇のなかから、「マリア」の名を持った十人ほどを選んで、わたしの「マリア」像を結んでみたいと企画して、出版企画も進んだことが二度あるが、わたしが怠惰で放りだしてある、その、最初の動機は、『戦争と平和』の、アンドレイの妹マリヤに得ていた。わたしが、なお気力と根気と体力をもっていたら、これは魅力あるテーマなのだが、もう、そういう思いも希釈されている。だれかやらないか。
印象的な「マリア」は、たしかに、何人もいる。映画『ウエストサイド・ストーリイ』の「マリア」もいる。ヘルマン・ヘッセのたしか『知と愛』にもいなかったか。十人ぐらい、すぐ拾える。この名にかけて作者がいかなる「マリア」世界を観じていて、総合して行くとどんな「マリア」なる世界が現れ出るものか、『親指のマリア』の作者としても、今更書くよりも誰かに優れた構築=論考で読ませて貰いたいと願っている。
2005 5・18 44

* 能は秀逸。勧進帳は一二に好きな歌舞伎だが、能舞台の「安宅」は、その「勧進帳」のホンモノの基盤=お手本というに値する高雅の格。満々員の見所へ、心身の志気を美しく開いて、友枝昭世の弁慶は、威あって猛からず、智勇兼備の静かさで一舞台を悠然と押し切り揺るがなかった。また子方の義経が、生い先見えて末頼もしい、凛々と美しい、可愛い義経で、感情移入した。謡も、また四天王以下の総勢直面の緊迫に一糸も乱れなかったのも、上等の「安宅」すばらしい「安宅」であった。楽しみにしてきた甲斐があった。
知った顔は、ただひとり馬場あき子さんだけ。顔が合い、彼女は例の親しみ溢れる笑顔と声とで、手を握りあい、わたしが「元気そうで良かった良かった、嬉しい」と。馬場さんもいつもよりずっと元気に美しくみえた。気持ちよくさよならを云い、彼女を能楽堂に残しておいて、一路帰宅。行きの電車では、校正。帰りの電車では『戦争と平和』を。
2005 5・19 44

* 夜前、森鴎外訳のゲーテ『フアウスト』を読了。第二部半ばからぐうっと盛り上げ、スピード感もともない、坂を一気に駆け上り、登りつめて終幕。
大きく深呼吸一つ。大きな体験。心して全編を通読したのは初めて。鴎外の平明な訳文に助けられた。
この大きな一冊本(ちくま文庫)は、解説が、はなはだ弱い。こちらの要請にほとんど具体的に応じてもらえない。その点、もう一つの旺文社文庫だったか、佐藤通次訳の二冊本には精緻な案内が付いているので、間を置かずもう一度この本で、今度は解説にも頼みながら読んでみようと思う。
与えられた「時間」が残り惜しいので、ほんとうの名作に、名作に、的を絞るようにして読書を楽しみたいのである。『千夜一夜物語=アラビアンナイト』は角川文庫で揃えて、昔、たくさん拾い読んだ。活字が劣化しているかも知れないが、今度は全巻を通読してみたい。
わたしはロマン・ロランが苦手で『ジャン・クリストフ』も通読できていない。むしろギリシアの『オデュッセイ』など、落ち着いて読んでみたい。ときどき特に懐かしいのが、ヘルダーリーン。

* 今日は、ともあれ、のーんびりと踊り場での休息を。窓の外は、明るいのか曇っているのか。
2005 5・22 44

* 飛行機がすべるように音響の尾をひいて遠のいて行く。鳩もないている。静かな朝。わたしは、まだ眠いのかいくらか朦朧としているが。十一時頃、有楽町まで出かける。今日から『戦争と平和』文庫本の第四巻に入る。十九世紀ロシアの宮廷や貴族社会などわたしには何の縁故もない、のに、からだの一部かのように日々わたしのなかで躍動している。トルストイの生き「生きとした狂気」が発揮している。
2005 5・23 44

*『春秋』は孔子が書いた殷史であるが、魯の左丘明の、これに優れた伝と解と註を施し断然重んぜられたのが、『春秋左氏伝』である。後の韓退之は、春秋の謹厳に対し左氏は浮誇と貶してはいるが、「史体」の創始と云われ、また国語の粋とも。
わたしが祖父秦鶴吉蔵書から持ち出し今架蔵している本は、さらに「講義」を魏の杜預に得ている。本文は大きいが解釈や講義や文法の字は六号程度でじつに小さく、眼がきりきりする。しかし「左氏伝」は読んで興趣横溢として知られるもの、なにもこんな古典籍で読まなくても、しかるべき通行本はあるのだけれど、ま、浮世離れの一服にはもってこいの貴重本ではある。
2005 5・24 44

* 雨がかなり激しくながく降っていた。
犬養健を覚えている人があるだろうか、指揮権を発動した法務大臣だった、あの頃は司法大臣であったかも。軍のテロに殺された首相犬養毅の子だが、若い頃は小説家であった。「亜刺比亜人エルアフイ」という小説を「招待席」にと思い、スキャンした。昨日の夜遅くには、池谷信三郎の「橋」を入稿した。この仕事の関係で、会員からものを頼まれることも年々増えていて、出来ることは引き受けてきたが、出版の世話を頼まれるのは、わたしでは見当違いもいいところであるのだが。
このまえ新聞に書いた「横浜事件」の原稿は、社内記者仲間で好評であったと聞いた。新聞記者と話すのは、ときどき耳おどろくこともあり、おもしろい。しかし気分良く喋っていると何を書かれてしまうかもしれない。

* 昨日の今日で、すこし眠い。はやめにやすもうと思う。
2005 5・24 44

* 昨日から新しい読書をふやした。大物である。
一つは「旧約聖書」で、厖大も厖大。せいぜい「創世記」「ヨブ記」しか読んでこなかったし、気になっていた。「新約聖書」にはむしろギリシヤ・ローマの影が落ちているはずだが、イスラムやあの中東アジア・アラブ世界に、肌身を寄せて理解するには「旧約聖書」はある種の手引きかも知れない予期をもっている。
まず創世記最初の安息日までを読んだ。文語の旧訳、この本は、実父吉岡恒の遺品から異母妹たちが選んでわたしに譲ってくれた形見の聖書なのである。
もう一つは、「千夜一夜物語=アラビヤンナイト」 もう 傑作! とはこれであることは、あらかた拾い読みしていて分かっている。角川文庫本がもうかなり劣化してきているが、ボロ本になる前に「通読」しておくことにする。これまた二十巻以上もある、が、これぐらいわたしからすれば異色な世界もなく、しかも深いところでお馴染みともいえる世界はない。いわば「色」ある世界である。ゆうべは、「女」への徹底不信に追い込まれたシャーリアル王たち兄弟王の嘆きと復讐への序幕を、面白く読みはじめてやめられず、さてさて、千夜一夜を死の瀬戸際で聡く面白く語りに語り継ぐ美女シェーラザーデの登場とはなった。
さ、これから長い長い長短のお話の連鎖となる。「明日の晩」も話が聴きたくて、王は女の頚をはねるのを延期に延期してゆく、が、一つ御意に叶わないと、一夜のセックスの明くる朝には即座に頚斬られる「死刑」が待っている。
そしてゲーテの「フアウスト」も、佐藤通次訳(旺文社文庫)二冊本を、今度は、解説や脚注をゆっくり参照しながら、折り返して再読しはじめている。
世界の歴史は第二巻「ギリシア・ローマの文明」に入っている。上の聖書とアラビアンナイトの選択は、歴史第一巻で、西暦前の中国文明に次いでアッシリヤやヒッタイトやフェニキアなど、またエジプトやイスラエル・ユダの先史時代を読んでの「照り返し」でもある。
トルストイの「戦争と平和」では、妻リーザに死なれたアンドレイ公爵が、宮廷社会や政治の裏面に嫌気して、いましも生彩に溢れた若い処女ナターシャに恋をしている。ナターシャもアンドレイに恋している。一方不実な妻のエレンとまた余儀なく家庭をともにしているピエール伯爵は、マソンの秘密結社に入って、生活と信仰との革新を願いつつも、憂鬱そうである。
この五種類の読書は、合算すると途方もない宇宙的な豊かさ美しさ真実感に溢れている。こういう世界からはじき出されるようなものとは、本気でつきあうまい、そんな「ヒマはもう無い」と思う。これらの世界を貫通する太い太い「真実」とは何であろうか。真実とまで謂わないなら「現象」は何であろうか。「男と女」。それに尽きているかも知れない。
そして鏡花は「照葉狂言」を読んでいる。バグワンは、「老子」を読んでいる。すばらしいもの、ほんものの世界にとり包まれている。ありがたいことに、清い濃い水を吸うようにわたしは「読書」からも命をかきたてられる。
2005 5・27 44

* 夜前就寝前は頭痛がきつく眼は乾いていて、かなり怖ろしいほどの気分だった。だが、「照葉狂言」も「フアウスト」もギリシア先史も旧約の「ノアの方舟」も、千夜一夜の第一夜のながいおはなしも、ロストフ伯爵家のせまる困窮も、雄略天皇の色好みと詩的な展開も、大事な本質的な問題ほど真っ先に対応し処置して、つまらないことへことへと手を出し続けて大事を先送りするなというバグワンの言葉も、みな、生き生きと読むことが出来た。
よきものを、よきことばを、シャワーのように多彩に浴びて寝に就いた。三時に手洗いに立ったときふらついていたが、もちこたえてまた寝た。八時にすらつと目覚めた。黒いマゴとしばらく遊んでから床を離れた。
2005 5・31 44

* 犬養健の「亜刺比亜人エルアフイ」という小説は、楽しめる。オリンピックのマラソン勝者なのであるが、この語り手の話題は意外な人物へやがて絞られて行く。おもわず、フーンとひきこまれて行く。
はやく「ペン電子文藝館」の新体制が動き出さないと、作品が殖えて行かない。わたしが遣りすぎてもいけないし。
2005 6・1 45

* 鏡花の「照葉狂言」には思い出がある。学研版の「明治の文学」で鏡花の巻を担当したとき、どの作品を選ぶかは任されていた。金澤の新保千代子さんほか鏡花については一家言有る研究者は多かった。「高野聖」「歌行燈」の二作はまっとうではあるが、これを外すにはしのびない問題をわたしは感じていた。どちらかを外して「照葉狂言」という声も編集部にあったかも知れないが、「照葉狂言」では感傷的な気がすこしわたしに有った。おなじ清冽な感傷を是とするなら、また少年ものでなら、わたしは結局「龍潭譚」を選んだのだった。その三作を通して、わたしは鏡花の「水」ないし「水神=蛇」へも的を絞ったのだった。
「照葉狂言」は、いかにも懐かしい作に相違ない。しかも少年貢の極端にウブな無垢さも、それを愛する隣家薄幸の広岡雪や照葉の藝人小親(こちか)の貢に対する徹した優情も、此の世のものでない不思議を纏綿させていて、自分の手で今一度世に出すのが心持ち気恥ずかしかったのである。「龍潭譚」を選んで良かったという気持ちにかわりはない。あのとき、できれば「化鳥」も入れたかった。好い作だと心惹かれたのである。
2005 6・3 45

* こんなに佳い面白い、滋味溢るる小説とは覚えがなかった、犬養健の「亜刺比亜人エルアフイ」を行から行へ嘗めるように校正している。もう少しで終える。アンドレ・ジイドに関心のある人には必読。麻布の手触りのようである。
2005 6・4 45

* 昨夜も七種類の読書を終えてから、「湖」下巻に入れている「わが無名抄 思惟すてかねつ」を赤字合わせし、半分ほど再読した。しばらく忘れ果てていた古証文だが、いい時機に、思い切りよく書いておいたと思う。わたし自身の自問自答の今なお続いている多くが、飾り気なく明かされている。反逆的な告白か、支離滅裂の述懐か。わたしの読者がどう批判して下さるかも楽しみ。
2005 6・5 45

* バルセロナ土産の白ワイン。さっぱりしていて、酔いが深い。すこぶる美味い。今晩は、この瓶を楽しんで飲み干そう。「亜刺比亜人エルアフイ」も読み終えた。京薩摩焼の周辺もアタマに入れた。月曜火曜水曜は、気持ち、早めの夏休みにもしてしまおう。
2005 6・5 45

* トルストイの「戦争と平和」ゲーテの「ファウスト」そして「アラビヤンナイト」が何の違和もなく、等質の感銘を夜毎にかき立ててくれる。すばらしいものが、すばらしい。時間つぶしをしているのが惜しくなる。かきたててくれた力を、正当な怒りや正当な権利のためのエネルギーにしなくては。
「九条の会」の運動に一万円を、明日、わたしたちは送る。
2005 6・5 45

* 目覚ましに、黒いマゴが、寝床の脇で頚の鈴を数度小さく鳴らしてくれ、すぐ起きた。七時前。古事記(欽明天皇まで。)と、バグワンの「老子」を音読。
目薬で眼圧をさげ、なにげなく手にした「救心」を、なにげなく三粒口にした、ら、舌がしびれてきた。実に小粒の三粒だが、そういえばいつも一粒だけ口に含んでいた。かつてない、辛いような、舌の左の痛い痺れにびっくりしている、歯医者で麻酔を注射されたあとに似ている。桑原。
2005 6・7 45

* アブラハムが亡きサラのために墓処をあがない求め、またサラにより得たイサクの配偶をもとめに僕(しもべ)を旅せしめて、イサクの妻となるリベカと出逢わせた。
旧約聖書。前途ははるばると遠く遠く遠いが、少しずつ読んでいる。昨日は音読した。
音読での「古事記」は、昨夜、推古天皇の記をもって読了した。上と中と下との巻に分けてあり、上巻は神代記、余は人皇記であり、神話は、ありありと面白く、また人皇記の意図はあきらかに「系譜」「系統」の確認にあるから、どの天皇がどの女によりどの男子と女子を得て、何歳で崩じ、何処に葬られたかが、可能な限り明記されている。その中にも、だが、倭健尊の伝承はとりわけて精しく美しく、また仁徳天皇など諸天皇記にみられる人間味も象徴味も美しい和歌・歌謡の記録も、生彩を放って、読む眼を洗うような新鮮な響きである。
あいついで、今夜からは、古事記に量的に数十倍百倍の「日本書紀」を読んで行こうかと思う。

* 耽読しているのは、泉鏡花。昨夜からわたしの好きで高く評価している「化鳥」に入り、往時の感銘がまざまざと甦る気配だけを楽しみ迎えて、寝に就いた。そのまえに幾つかの短編を読み継いだ中に、「勝手口」という、これまた初期作品の中でひときわ注目してきた小説を読み、またしても深く歎息し考え込まされた。「鏡花学」に必ずしも私は広く目配りしているわけではないが、この作品「勝手口」に触れた論考などを文献目録には見つけにくい。しかし、この作品は女達の生活の気息通える会話のハツラツもたのしいが、その「作意」の如何に大きな問題、深い問題がひそんでいて、私なら、鏡花を論考して行く入り口の一つに、この「勝手口」も大切に大切に据えるだろう。
誰が云いそめたか、鏡花の出世作に「外科室」の「夜行巡査」のというが、あれらは深刻小説としても一通りのもので、異色にして鏡花の本質に触れた初期作には、有名な「義血侠血」「照葉狂言」はもとよりだが、「貧民倶楽部」や「海城発電」や「龍潭譚」や、この「勝手口」や、また「化鳥」などの、異様なほどといいたい秀作を通底する、熱い昏い「怒りの血色」に触れて行かねばならないだろう。
2005 6・10 45

* 何が面白いと云って、ゲーテの「フアウスト」を、一度鴎外訳で通読し終えると間髪いれず佐藤通次訳の上下本でまた詠み直し始めた、これが、一度目よりずうっと分かって読めて面白い。興深い。悦に入っている。
「古事記」を終え、翌日すぐさま「日本書紀」を音読し始めた。古事記は推古天皇までで終えるが、日本書紀は大化改新も通りすぎ、壬辰の乱ぐらい、あるいは天武天皇そして持統天皇の藤原京ぐらいまで詳しい叙述があるはず。歴史時代に入って以降は部分的にかなり読み込んできたが、通読したことはない。
ここしばらく、長大作をあれこれ「通読」して楽しんでいる。何の目的もないけれど。読み始めてまもない「旧約聖書」がまた莫大な量であり、ことのついでに同じ一冊に含まれた「新約聖書」も悉く通読するとなると、何年かかるか知れない。
「世界の歴史」は今は第二巻。スパルタやアテネの民主主義を読み進めている。「前途遼遠」であること、が、楽しめる。

* 鏡花の「勝手口」について書き留めておきたいと思いつつ、いっそきちんと改まった論考を始めればいいのかもと躊躇しつつ、今「化鳥」を読んでいる。橋の際にくらして通行の者から橋銭をとる母子の、その頑是無げな少年の直接話法がめざましくも面白いが、この少年が母親と倶に語っている、話しているなかみは、もっと目覚ましく鋭く辛辣な批評を帯び、鏡花の面目躍如。こういう作品を吸い込むように受容できなければ鏡花を語っても、かなりの不足を生じよう。
2005 6・12 45

* 有楽町からの地下鉄では、『戦争と平和』に没頭して帰り、保谷でタクシーに乗った。ま、なにやかやいろいろ忙しげであったけれど、ま、無事に終えた。明日は休んで、明後日は関西から来るインタビュアーの質問に応じねばならない、東京會舘で。
つぎの日曜日は、太宰治の桜桃忌。学会があり、出かけようかどうか、迷っている。
2005 6・15 45

* 小田実さんからもらった新聞エッセイ二本を、「ペン電子文藝館」にもらうことにした。そういうつもりで送ってもらったものと思う。二本とも大事のところに触れていて、「ぜひ言いたい二つ」とでも総題をつけたい。
印刷所での湖の本の進行がはやく、わたしも煽られている。仕事は、こういうふうでありたい。
2005 6・15 45

* 李恢成氏から大冊上下の新刊小説を贈られた。李さんとも、わたしはせいぜい一度立ち話をして、しかも李さんは別の人物を思っていたらしかった、そんな程度の面識だが、文通はなんどか有り、お互いに作のやりとりは永く続けてきた。なにということなく、信頼と親愛とが出来ている。
わたしが『廬山』で芥川賞に辷ったときの受賞者二人の一人が李恢成だった。
2005 6・17 45

* 日付はとうに変わっている。終日作業を進めて見通しが立ってきた。機械の前でホッコリしている。もう階下におりよう。
日本書紀はイザナキ・イザナミ二神の国生みの、「一書(あるふみ)に曰く」を延々と並べている。すべて音読しているが、苦にならず、面白い。
旧約聖書は創世記で、ヤコブの生涯を語り継いでいる。語り口はちがうけれど、千夜一夜物語と世界を重ね合わせているので、ちょっとしたことに、双方への通路を見つけた気がするときがある。
世界史は、いま、アテネのペリクレスに触れている。
戦争と平和は、婚約者アンドレイ公爵の帰国を待ちわびながら、父親と二人でボルコンスキイ公爵家へ出向いたナターシャが、老公爵と令嬢マリアの前で屈辱を覚えながら帰って行くあたりを読み進んでいる。確かな叙述、確かな伏線。おもしろい。
ファウスト博士は、いましも悪魔メフィストフェレスの手助けをかりながら、無垢の処女マルガレーテを誘惑しつつある。
そして鏡花。バグワン。
黒いマゴが、もう寝ましょうよと鈴を鳴らして階下から呼びに来た。
2005 6・19 45

* 前田河廣一郎の名を憶えている一般の読者はすくないだろう。ペンの物故会員である。新興藝術派の旗手といった人ではなかったか、そういう銘をうった「叢書」の、赤らんだ装幀の古本一冊で、巻頭の、代表作と目された「三等船客」をずいぶん大昔に読んだ。荒々しい筆致の底に流れた人間理解のちからに、子供ながら魅力を感じた記憶がある。その「三等船客」をスキャンし始め、識字率のあまりのわるさに閉口しながら、少しずつ校正をはじめている。急ぐことはない。
やはり物故会員今東光の、新感覚派的な「痩せた花嫁」もスキャンし、これは先に妻に初校してもらっている。初期の、一種の感覚的にトンでいる秀作。
引き続いて、倉田百三の著名な戯曲『出家とその弟子』中の一幕分を抄録したいと思いつつ、手がつかない。
2005 6・20 45

* 今日は街で、好きな鰻を食べました、おいしかった! 名古屋から帰り電車の降り際、小さな男の子がわたしに手を振るので、わたしも「バイバイ」と振り返してきました。
今年受賞の、女性二人の太宰賞作品を読んでいます。感想は、もう少し読みましてから書きます。
三島由紀夫の話、少しだけ。
最近読んだ中では、『仮面の告白』が面白かったのです。あれにいちばん興味をひかれました。
でも、文学者が抱えている狂おしいほどの苦悩が、別の立場からは、脳内物質の分泌で説明できるらしいのです。大学で生物の研究をしている知人の話がとても刺戟的で、わたしは特に性的倒錯を主題にしている文学に関連づけ、おもしろく聴いています。
いつか風にお逢いできることを楽しみに、花はいつも元気、元気。

* 三島由紀夫の初期作品ではわたしも「仮面の告白」にひきこまれた。
角川から出た昭和文学全集は「昭和」と冠したのが新鮮で、第一回配本に横光利一の『旅愁』がずしんと一巻で出たのにとびついた。高校生のわたしは一日十五円の昼飯代を全部喰わないで溜め、この全集を買った。三島の一冊に『仮面の告白』や『愛の渇き』が入っていたと思う。大岡昇平と二人で一巻だったかも知れない。
あの全集に、太宰治が一人で一巻しめていて、少しビックリしたのも思い出す。それほどわたしは太宰に気疎かった。吉川英治の『親鸞』が全一巻で入っていたのが嬉しかった。吉川英治を加えていたところにもあの全集の個性があった。あれこそ全集全巻買い揃えて全部を読んだのである、いい根性をしていた。そして妻と東京へ出て結婚する間際に、売り払ってきた。
だが、同じ全集中の谷崎潤一郎二巻だけは、わざわざ古本屋で古本を買い、新婚生活の数少ない蔵書として大切にした。テレビもなく、わたしは、毎晩毎日谷崎作品を音読し、妻はそれを聴いていた、六畳一部屋の新宿区河田町のアパートで。
三島作品では、いつも言うが、『金閣寺』の完成度に感心し、『潮騒』は三島らしからぬ優しさに一票を投じ、晩年の『豊饒の海』などは豪華に乾いた紙の造花のようで感心しなかった。戯曲は才気に溢れておおかた面白く読み、感嘆した。
「脳内物質の分泌で説明できるらしい」話は、ちょっとおもしろそうだけれど、ほぼその手の「解説」にわたしは「折角ですが」と背を向けることにしている。
むかし、親が愛蔵のピカソだかマチスだかのデッサンを、その家の女の子がひらひら振り回して、「でも、これって、唯の紙でしょう」と言ってのけたのを聴いたある日本の知識人が、いたく「感心」して書いていた。わたしは馬鹿馬鹿しいと思い読み捨てた。花が、この話、もう少し詳しく書いてきてくれるといいが。
2005 6・22 45

* 今東光の『痩せた花嫁』を読み返している。大正十四年に「婦人公論」に書いている。谷崎が、やがて『痴人の愛』を書き『赤い屋根』を書いて「ナオミ」との仲を精算して行く頃だ。
今さんは、「谷崎愛」の人であったから、佐藤春夫には厳しかったと聞いている。わたしに似ている。今さんといえば、裏千家の雑誌「淡交」連載の利休の娘『お吟さま』の直木賞受賞で久しぶり文壇に戻ってきて、以降は河内弁の荒らけた小説や、比叡山の大僧正や、猛弁そして参議院議員当選などでケタタマシイ後半生を送ったが、青年時代はハイカラ好きなしかも無頼に耽溺した美青年であり、かれもまた「ナオミ」の尻を追いかけていた。
この小説『痩せた花嫁』には、自然大正時代の果てて行く頃の彼の居場所の匂いが漂っている。わたしはそう読んでいる。
今さんとは一度立ち話しをし、と言っても彼は車椅子だったが、秦恒平ですと名乗るとすぐわかってくれ、懐かしげな優しい感じで握手を求められ、不思議なほどわたしも嬉しかったのをよく覚えている。あれは谷崎賞のパーティ会場であった。その一度だけしか出逢いはなかったが、今さんは、しっかりやってくださいと言われたか、何だか、有り難うと言われたか。
氏も、谷崎と同じく日本ペンクラブの物故会員である。後半生、晩年の作よりも、前半生の異色の秀作としてわたしはこの作品をえらんだ。
2005 6・23 45

* ゆうべは「フアウスト」のあと、「旧約聖書」の途中で寝てしまった。七時間ほどの睡眠。今日をやすむと三日間の余裕が出来て、月曜に委員会、水曜に本が出来てきて、木曜にも委員会。土曜は国立能楽堂で万三郎の古式「葵上」。成るようにみな成ってゆく。
2005 6・24 45

* 久しぶりに、ゆっくり朝寝した。最近の睡眠は平均数時間という感じだった。就寝前の例の読書で、真っ先に手を出した鏡花の『風流蝶花形』にひきこまれてしまい、短編とはいえ一気に読まされたのは愉快だった。
物語として大成功ではない、ただ菅原という威のある姉さん花魁と清香という妹花魁の宿世の縁を思わせる緊密な親愛を軸に、人の死と、恋の怨念とを狂言廻しするように白い蝶が夢のように舞い狂いつつ、清香の遠い故郷の母の死と、菅原のいわば恋故の怨讐が彼女自身の自死とともに実現して行く。
物語自体は、ま、鏡花調というを大きく出るわけでない。ただ、おもしろいのが、鏡花の自在にあやつる花魁たちの花魁言葉。どこか玉三郎が、しのぶあたりを相手に演じている声音まで髣髴するが、はて、まだ若い鏡花はこういういなせな花魁の風流(ふり) を、いつどこで学習し得たのだろう。彼は紅葉宅の玄関をまもる貧書生に過ぎなかった、金の苦労は人一倍であったことは師匠紅葉の書簡にもあらわれている。狭斜の巷に学習に行くこと、そうは例も機会もなかったろうに。
鏡花は金沢の浅野川ぞいの裏町に育っている。父は名工であったかも知れぬ金工の職人だった。母は江戸の能狂言方の家から嫁いできた。この二親の血からすでに鏡花は多くを得ていた。
だが文学は「言葉」である。言葉は学ばねば手に入らない、まして金沢に育って江戸東京の遊所独特の物言いとなれば。
学ぶのは耳から聴いてか、目で読んでか。鏡花の学習は耽読の所産なのであろうか。
わたしは、あるナイショバナシを小耳に挟んでいる、それは谷崎と芥川、二人とも自負自慢の「江戸っ子」であった、が、此の二人が小声のナイショバナシに、「鏡花サンのあの江戸っ子(江戸言葉、遊所言葉)は、なんだかヘンだよね」と話していた。それを洩れ聞いてわたしはにんまり笑えてきて、そしてそれでよかった、鏡花の「フシ」は鏡花の天才がさせた創造の所産だ、特製の言語なんだと確信した。
なれない人は、たとえば戯曲「天守物語」などの科白は「読み」づらかろう。心ひかれた何人もの役者や演出家達がいても、彼等はそれを目で「読んで」躓いたからこそ、あれほどの名作が鏡花の存命中には一度も舞台に成らなかった。坂東玉三郎という天才役者がそれを耳に「聴い」て舞台をみごとに実現したのだ、あの戯曲を読まずにいきなりあの舞台を観てしまった例えばわたしの妻など、なによりかより「あの鏡花言葉」の精妙の魅惑に一遍にしびれてしまった。もしあの言葉が、なにかのレアルな真似であればああいう幻想世界は映し出せない。言葉を(単語ではない)みごとに創造して行くから藝術としての文学も舞台も実現する。
『勝手口』の女達の、『風流蝶花形』の花魁達の言葉の、不思議な美しさとテンポとは、さながらに音楽であって、文学が、その性根その本質に於いてけっして絵画でなく、より深く音楽である本義を痛烈に表現し切っている。夜の夜中の疲労の中ですら鏡花の成功している文学の言葉は、わたしを眠らせない。

* 「戦争と平和」は苦しい場面に立ち至っている。この大小説のなかでも読者を悲しませる最大の犠牲は、愛すべきナターシャがいやな男に惑わされ弄ばれて、アンドレイ公爵との婚約を泥まみれに破滅してしまうこと、此処へ来ると苦痛で読み進みにくくなる。蟻地獄へ誘い込まれるようにナターシャ(オードリイ・ヘップバーンの最高に愛らしい姿を想え。)が汚されて行くのだ。それは不幸な人妻のアンナ・カレーニナが美貌の将校にはしるのとはちがう、ナターシャこそは無垢の処女であり許婚の処女なのだ。
この小説には、みごとに人物、いろいろの人物がいけるが如く配置され活写されているから、一つ一つの事件にも、読者の息がまるで喘いでくる。どうにかしてナターシャが屈辱の道はずれから救われないかと願いつつ破局へ近づいて行く。話の筋は熟知しているのだからいいようなものの、その辺が名作であり、幾度読んでいようが新鮮なのである。一度読んだら二度と読まないで忘れて行く読み物とは素性がちがうのだ。

* 体験を率直に言い置こうと思う、この闇に。
昭和文学全集を買い始めた高校から大学への、昔ばなし。その中には心惹く意外な巻がまじっていて、あれがあの全集の個性であったが、一つが吉川英治の『親鸞』全一巻であったことは前に書いている。吉川英治と谷崎潤一郎とは奥さん同士の親交もあった。ある種の人気でも、身を置く所こそ異にしていても「双璧」と呼んで可笑しくない二人とも純文学と通俗読み物の大御所であった。むろんその全集でも、例により谷崎は藤村と倶に二巻分を占め、そのうち『細雪』全一巻が収録されていたのは当たり前だ。わたしは当然、親鸞も読み細雪も読み直した。そして、いかに親鸞が読み物として面白かろうとも、こういう書き方では細雪の品位と稟質とには遥かに及ばぬことをイヤほど確認させられた。
吉川英治の『親鸞』は丁寧に書かれた大作である。だが、それはお話であり読み物であり、藝術的な「ことばの魔法」を楽しませる作品ではなかった。筋書きの面白さには堪能できても、言葉の生命力に清明の透徹感は無かった、「ああ、違うんだなあ」とわたしは驚歎した。秋声の『仮想人物』利一の『旅愁』川端の『山の音』『雪国』三島の『仮面の告白』等々こそ『細雪』としのぎを削り得ても、吉川英治のお話は、それらとは明白に「埒外」であった。文藝ではあっても文学の高みへは志していないと感じられた。わたしのその後の行方を、道を、意識を、この「体験」は決定した。

* 前田川廣一郎の『三等船客』をこつこつと起稿している。三分の一も行かないが楽しんでいる。題から察しても優雅で贅沢な世間の話ではない。船底近くに吹き溜まった安い船賃が目当ての客達の、ガサツに猥雑な時空間である、が、それは小説の世界と題材のはなしで、そういう時空間を作者がどんな言葉(単語ではない)を選びながら表現しているか、それが見どころで、また感動できるモノならそれにより感動する。何段ものベッドが一部屋にかなりの数並べてあり、しかも男女混成の一部屋になっている。サンフランシスコから日本への航海で、もう、いやまだ、三日めぐらいか。
こういう航海小説は、日本の作家の名作では有島武郎の『ある女』があるが、ごった煮ににた船旅のすったもんだでは前田川の『三等船客』は秀逸、描写が凡ではない。
2005 6・26 45

* 委員会のあと、ふらりと銀座で下車し、一丁目の、へんに懐かしい地下の「第一楼」で、簡略に空腹を一応満たし、紹興酒二合とビール。「世界の歴史」は、ヘレニズム文化の拡散を、プトレマイオス王朝の推移などとともに読み込んで。まっすぐ銀座一丁目から帰る。
2005 6・27 45

* ゆうべは、明け方まで読書。つまり、どの一冊もおもしろくてやめにくかったから。大きに寝坊。
旧約聖書が、かなり古い文語訳で句読点も節約されていて読みやすくはないのだが、そのぶん、いかにも簡古におもしろく、引きこまれている。いま、ヤコブ=イスラエルの子のヨセフが、兄たちの手で売られたエジプトにいて、神に保護されエジプトで枢要の地位にある。そして七年の大豊作と七年の大飢饉を預言し、賢明にこれに備えて飢饉を凌いでいる。そこへ食糧を買うべく、父の命をうけたヤコブの子らがやってくる。
鏡花も、トルストイも、ゲーテも、日本書紀も。すべて、みな本当の本物で、読んでいるのが、はんなり(=花あり)と幸せ。こういう真実佳い「いのち」とともに、一日も長く、静かに、生きていたい。成ることは成り、成らぬことは成らない、仕方がない人生だから、よけい大切にしたい。
2005 6・28 45

* 旧約聖書がこんなに「興味深く読める」物語のような聖典とは、わたしの認識が及んでいなかった。なにしろ厖大なのでただ敬遠していた。物語の展開する点では、新約聖書より、ずっとずっと。
投げ出すかも知れぬと危ぶんでいたが、それどころか、さきざきが待ち遠しい。
「ファウスト」は、旺文社文庫の佐藤通次訳の二冊本の文庫が好いと思う。鴎外訳を非常に尊重し、従うべきはよく従いながら、何よりこの人が「フアウスト」世界と周辺の時代や文化に深い造詣をもっている。従って、脚注も適切で有難く、また下巻巻末の大量の解説も優れている。ちくま文庫の鴎外訳はいいが、解説は大いに物足りない。凡な随筆を出ない。したがって、この大きな古典世界へ少しでも親しく踏み込んで旅するには、佐藤通次訳と解説の二冊本のほうが、はるかに読みやすい。一冊本は分厚すぎて、手にももちづらい。この二種類の「ファウスト」は、関西の久しい友である鳶が送ってきてくれたもの。それがなければ、わたしはこの古典を「二度繰り返して」読み継ぐという喜びがもてなかった。

* わたしのように、もう先に望みをもたない者には、大作を同時に七冊も、就寝前に読んで行くような夜、夜はゆるされても、若い人にはむろん奨めない。せいぜい二種類。それぐらいは、大長編とゆっくり付き合い続けることはすばらしい。その様にしていつか読み上げて、またいつか読み直したくなるのがいい。
2005 6・28 45

* 昨日、「ペン電子文藝館 http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/」の「主権在民史料」室に、「坂本竜馬の船中八策」を入稿し、いま林房雄がまだ「転向」前、パリパリのプロレタリア作家であった大正最末期の短編秀作『林檎』を入稿した。同じこの人がのちには「大東亜戦争擁護論」などで世間を騒がせた。その趣意に賛否こもごもの議論の余地はあるが、単純に、かなりビックリさせてくれるこの人の「転向」人生であった。
『林檎』は、短編ながら話の持って行き方にさすがうま味がある。プロレタリア文学の右肩上がりに世間にハバをしてゆく時代であった。まさにプロレタリア「謳歌」の単純さが、読みやすさにも喰い足りなさにもなっている。

* 林のに比べて、坂本龍馬の『船中八策』は、慶応三年、彼が明快に打ち出した大政奉還後の日本国綱領を、ズイと書き示したもので、薩摩・土佐藩らの上書への、ないし明治維新への「政治展開」を明確に措定した観があり、余りに有名ではあるけれど、さて読む機会もすくない史料なので、とりあげた。明らかに二院制そして憲法制定を見越しており、万機公論に決すべしと云う後の明治天皇の五箇条のひとつをも、より国民の「公議」寄りに明記し、「主権在民」への遥かな第一歩を此処に刻印している。短いものなので、掲げておく。

*  主権在民史料  坂本龍馬の船中八策
土佐藩論が大政奉還に決定的に傾いたあと、慶應三年(1867)六月十五日、坂本竜馬(さかもと・りょうま 1835-1867)は大政奉還後の日本国「政治綱領」としてこれを廟議にも加わっていた後藤象二郎に示した。これより先、六月九日、二人は長崎より海路兵庫にいたる途中これを協議していたので「船中八策」と題されるともいう。薩摩土佐らの上書「新政府綱領八策」の貴重な基となった。幕府にかわる天皇親政を求めつつ龍馬は上下両院設置と憲法制定を見越し、主権在民にいたる道筋をすでに提示していた。『坂本竜馬関係文書』に拠る。

船中八策

一、天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜(ヨロ)シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。

一、上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スべキ事。

一、有材ノ公卿諸侯及(オヨビ)天下ノ人材ヲ顧問ニ備へ官爵を賜(タマ)ヒ、宜シク従来有名無実ノ官ヲ除クべキ事。

一、外国ノ交際広ク公議ヲ採り、新(アラタ)ニ至当ノ規約ヲ立ツべキ事。

一、古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スべキ事。

一、海軍宜(ヨロシ)ク拡張スべキ事。

一、御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守衛セシムべキ事。

一、金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クべキ事。

以上八策ハ、方今天下ノ形勢ヲ察シ之(コレ)ヲ宇内(ウダイ)万国ニ徴スルニ、之ヲ捨テヽ他ニ済時ノ急務アルナシ。苟(イヤシク)モ此(コノ)数策ヲ断行セバ、皇運ヲ挽回シ、国勢ヲ拡張シ、万国卜並立スルモ亦敢(アヘ)テ難(カタ)シトセズ。伏(フシ)テ願(ネガハ)クハ、公明正大ノ道理ニ基キ一大英断ヲ以テ天下ト更始一新セン。
2005 7・2 46

* もう日付がかわって一時半もまわった。新感覚派の旗手のごとく活躍した片岡鐵兵の意気軒昂の評論「止めのリフレヱン」を入稿した。いま、城塚委員長から「漢文」の扱いはどうしてきたかと問い合わせのメールを読んで、返辞した。漢文は、逃げられる限りわたしは逃げてきた。逃げられない場合も返り点など断念して白文にし、可能な限り 別に読み下すか大意をとって掲げてきた。
2005 7・2 46

* 新居格の「文藝と時代感覚」とを興味深く起稿し終えて確かめたら、もう早くに「ペン電子文藝館」に掲載していた。ウーム。すぐ気を取り直して稲垣足穂の短編二つを起稿し校正した。この人には『一千一秒物語』という掌の小説集があるが、わたしの「掌説」とは白と黒ほどちがう。
2005 7・3 46

* 石濱金作の作品を見つけて読む人はすくないだろう。やや刺戟のつよい「ある死ある生」を午後に起稿し、晩に校正し、今、日付の変わるところで入稿した。「清流の鮎のような」「ストレート」と評された作者であるが、この作品は、むしろややとんがったところを柔らかにまあるく書いていて、異色を帯びている。たわいなげな話でありながら、語り手の他に四人が登場して二話を成し、その五人共がさすがにくっきり個性を持ち、たわいなくない話に成っている。その辺がおもしろい。
2005 7・4 46

* 同僚委員の真有澄香さんが立派な『「読本」の研究 近代日本の女子教育』という大著を刊行された。博士論文の公刊でもあるか。心優しい行き届いたお手紙も添えていただき、有難く、恐縮している。「読本」を「とくほん」と読める人も少なくなり、また図書館や研究機関への風圧のつよさから、歴史的な史料が累卵の危うき、雲散霧消の危うさ、を招いているときであり、こういう貴重な研究が、しっかり書籍として誕生したのは本当にお目出度い。
2005 7・4 46

* 明治の「自由新聞」が『権利之源』と題した「論説」をかかげていた。当時としては優れた高度の思想で纏められ、感動の一文。「主権在民史料」として入稿した。名文だが往年の文語文なので、「ペン電子文藝館」にいれて誰もが容易く読めるとも謂いにくい。が、こういう史料を確かに積み上げ伝えて行くことに、わたしは或る種の使命を覚えている。
今一つ、明治天皇による維新の際の「五箇条のご誓文」またこれを受けて立った敗戦翌昭和二十一年元旦の昭和天皇の詔勅を、「主権在民日本」への大切な「史料」の一つとして、きっちり掲げておこうと思い立った。

* 明治元年(1968)の維新に際し明治天皇は「五箇条」の国是を以て詔勅した。越前藩の由利公正による先駆相似の五条があったが、此の「ご誓文」に、昭和の敗戦と以降に及ぶ近代・現代日本の基盤と目標が存在したことは、敗戦翌年(1946)の昭和天皇による「昭和二十一年年頭詔書」が明記、再確認している。しかし、これらの真旨が、必ずしも日本の近代・現代史にあって遵守ないし推進されたと言いがたいところに、今後真に「主権在民」の日本を実現して行く難しい課題が残っていると観なければならぬ。併記して再び三度び趣意を熟慮したい。昭和天皇の詔書はあえて平易に読み下している。

明治天皇五箇条のご誓文

一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ

一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸(けいりん)ヲ行フベシ

一、官武一途庶民ニ至ルマデ各(おのおの)其(その)志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦(う)マザラシメンコトヲ要ス

一、旧来ノ陋習(ろうしふ)ヲ破リ天地ノ公道ニ基(もとづ)クベシ

一、知識ヲ世界ニ求メ大(おほい)ニ皇基ヲ振起スベシ

昭和天皇昭和二十一年年頭詔書(全文)

ここに新年を迎ふ。かへりみれば明治天皇、明治のはじめに、国是として五箇条の御誓文を下し給へり。

いはく、
一、広く会議を興し、万機公論に決すべし
一、上下心を一にして、盛んに経綸を行ふべし。
一、官武一途庶民に至るまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
一、知識を世界に求め、おほいに皇基を振起すべし。

叡旨公明正大、また何をか加へん。朕(ちん)は個々に誓ひ新たにして、国運を開かんと欲す。ずべからくこの御趣旨にのつとり、旧来の陋習を去り、民意を暢達し、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、もつて民生の向上をはかり、新日本を建設すべし。

大小都市のかうむりたる戦禍、罹災者の艱苦、産業の停頓、食糧の不足、失業者増加の趨勢等は、まことに心をいたましむるものあり。しかりといへども、わが国民が現在の試練に直面し、かつ徹頭徹尾文明を平和に求むるの決意固く、よくその結束をまつたとうせば、ひとりわが国のみならず、全人類のために輝かしき前途の展開せらるゝることを疑はず。それ、家を愛する心と国を愛する心とは、わが国において特に熱烈なるを見る。いまや実に、この心を拡充し、人類愛の完成に向かひ、献身的努力をいたすべきの時なり。

思ふに長きにわたれる戦争の敗北に終りたる結果、わが国民のややもすれば焦燥に流れ、失意の淵に沈淪(ちんりん)せんとするの傾きあり。詭激(きげき)の風やうやく長じて、道義の念すこぶる衰へ、ために思想混乱あるは、まことに深憂にたへず。

しかれども、朕は汝ら国民とともにあり。常に利害を同じうし、休戚(きうせき)を分かたんと欲す。朕と汝ら国民との紐帯(ちうたい)は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず。天皇をもつて現御神(あきつかみ)とし、かつ日本国民をもつて他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。

朕の政府は、国民の試練と苦難とを緩和せんがため、あらゆる施策と経営とに万全の方途を講ずべし。同時に朕は、わが国民が時難に決起し、当面の困苦克服のために、また産業および文運振興のために、勇往(ゆうわう)せんことを祈念す。わが国民がその公民生活において団結し、あひより助け、寛容あひ許すの気風を作興(さくこう)するにおいては、よくわが至高の伝統に恥ぢざる真価を発揮するに至らん。かくのごときは、実にわが国民が人類の福祉と向上とのため、絶大なる貢献をなすゆゑんなるを疑はざるなり。一年の計は年頭にあり。朕は朕の信頼する国民が、朕とその心を一(いつ)にして、みづから誓ひ、みづから励まし、もつてこの大業を成就せんことをこひねがふ。
御名 御璽
昭和二十一年一月一日
2005 7・5 46

* 池田市の友人に手紙を出そうと自転車に乗った。雨も上がって、道は濡れていたが夜風は心地よかった。自転車を走らせるのに何の違和もなかった。二十分ほども近くを大回りして、帰ってきたいまは右の脹ら脛が噛みつかれたように痛んでいる。ま、いいか。
十一時。この辺で機械にさようならをして階下に降りると上等なのだが、じりじりやっている前田河廣一郎の「三等船客」が佳境へ来ている。

*「ペン電子文藝館」校正室にわたしの扱って入稿した四本の作品が出て来た。石濱金作「ある死ある生」稲垣足穂「短編二つ」林房雄「林檎」片岡鐵兵「止めのリフレヱン」である。入校前に繰り返し読んでおいたので、三本には直しがなかった。稲垣作品はうっかり一度の校正で入稿したために、数カ所に直しがあった。
四月五月で十三作、六月七月でも十三作品を起稿・校正・入稿してきた。
2005 7・5 46

* 今日もたくさん手紙やハガキをもらった。
『家畜人ヤプー』の沼正三さんから、湖の本への謝辞を添えて、署名入の著書『マゾヒストMの遺言』を戴き、ビックリ。しかもこの本、谷崎も三島も、康夫と慎太郎も登場、マゾヒストだけでない、異様な碩学の沼さんだから、ワクワクする。今夜から早速の楽しみに。
南山大の細谷博さんには評伝『小林秀雄』を戴いた。小林のことは余りに無知な私は、これまた楽しみに一気に読んでしまいたい。添えられた手紙にはわたしの今度の本に、「その奥行きの深さ、かつ語り口の闊達さ、鋭い批評性等に圧倒される思いが致しました、『折』の章など大変興味深く、次々とたどられる思考・連想の動きから、実にさまざまな事を考えさせて頂きました」とある。感謝。
2005 7・6 46

* 川端康成が、優れた小説家であるに加えて相当に透徹した理論家であり批評家であった一つの証明のような文章、「新進作家の新傾向解説」という大正十四年「文藝時代」一月号の評論を起稿してみた。云うまでもない新感覚派の文藝に対するつよい主張である。千葉亀雄が当時の文学の二大傾向を、新感覚派とプロレタリア派とに分別して以来両派の主張は烈しく衝突しながら、お互いの作品を生んでいった。わたしはこのところ意図してその両派からの記念作や秀作を「ペン電子文藝館」に送りこんできた。川端康成のこの評論は、たいへんいい参考文献になっている。

* おかげで、もう二時になる。
2005 7・6 46

* 感銘を受けながら、第四代ペンクラブ会長であった川端康成による大正十四年当時の「新進作家の新傾向解説」を入稿した。新感覚派の理論的根拠を明快に解き明かしていて、たんに時代に棹さしているだけでなく、新たに文学を創始しようとする人達への刺激的な発言にもなっている。小説をいましも書いていて新たな一石を投じたい人は、一読しておいたほうがいい。

* 明治初年の国会開設建言の波を「ペン電子文藝館」記念しておきたくて、いま、二つの草稿をスキャンした。三好徹さんに提供してもらった史料に拠っている。

* 城塚新委員長の体制もすぐに活溌にとは行かない。来るモノをただ「待つ」だけでは、過去三年半の体験からして知れている。まだ多数二十余人の委員の、どんなグループで、誰が何を分担し、どのような目標で作業が多彩に発効してくるのか明瞭に見えていない。当座は、わたしが、委員会の中で委員会とやや自立しつつ実績をつくり、新体制を支援して行く必要がある。それで、相変わらずせっせと、かなりの集注で入稿・掲載をドンドン独りで進めている。「館長」という、なんとなく自律の利く指導的利点を活かしている。四月末新年度入り以来、すでに二十七作品の入稿・掲載が実現しており、やがて委員会の活溌な始動・稼働をわたしなりに「待機」している。
「目標」を持たない仕事は、ただの遊びに似てくる。三年半でほぼ六百作を実現してきたのだ、せめてこの年度、少なくも百五十作程度は「発信」できないものかと願っている。ムダな労力をはぶき効率をあげるには、会員出稿分の「校正杜撰」をつとめて防ぐこと。完全な原稿と、校正室で何十個所ないし百個所を超えるような直しが出ていては、捌く委員長が堪らない。委員長を退いてからの自分での起稿分は、スキャンの精度を丁寧に期待し、最初に校正したあと、もう一度自分で「読み直し」てから入稿するという手間をかけている。おかげで校正室での直しをほぼ要せず、効率よく本館に挙げられる。

* 昨日一つ気がかりがあり、向山肇夫委員にその「原稿」を送付して欲しいと頼んだ。阿部真之助の「山県有朋」を入れようと云うのだ、阿部真之助は物故会員でその名も仕事も知られているが、山県有朋への視点や紹介・批評の方向次第では、日本ペンクラブとして問題を抱えかねない。
なぜなら、近代の政治家として、山県有朋こそは、日本国を軍国主義から戦争へ、また陸軍と長州藩閥との過剰な肥大へと陰に陽に推進した元凶であり、扱いを間違えると、最も反ペンクラブ的な「軍国政治家を顕彰する」といった妙な間違いになりかねない。公正で妥当な、鋭い批評の原稿であればいい。阿部にはほかにもいい仕事が多いのであるから、好んで火中の栗を拾わぬようにしたいのである。
山縣有朋に対し、どういう角度と批評で書いているか、少し心配で、必ず見せて欲しいとメールを入れた。こういう仕事をこそしてくれと、わたしは館長を委任されたものと考えている。
2005 7・7 46

* 明治の岸田俊子に「同胞姉妹に告ぐ」と題した渾身の論説がある。永く永くつづく。明治皇后に文学の講義役に入内下頃の俊子は、京都市出身のハイティーンであった。まさに俊秀の才媛であったが、一転して自由民権運動の渦中に毅然として身を投じ、女権拡張のために一貫活躍した。フェリス女学院を束ね、初代衆議院議長の夫人となり、死の前日までみごとな日記を書きのこし、端然と死んでいる。日本の近代が生んだ最高度に知性的な優れた女性であった。「同胞姉妹に告ぐ」を読み、そうして雀さんやココさんのメールを読んでいると、遠くを歩んできたと想う。
2005 7・7 46

* 鏡花全集(春陽堂版)第二巻をほぼ全編読み上げた。「琵琶伝」「海上発電」「化銀杏」「一~六之巻」「照葉狂言」「龍潭譚」「勝手口」「化鳥」「風流蝶花形」「七本桜」「山中哲学」など秀作・佳作・問題作がならんでいた。第三巻には「蛇くひ」があり、多く初対面の作があり、出逢いが楽しみだ。びっしり詰め込んだ全集の一冊一冊だが十数巻、それで鏡花の人生半ば、全作品ではない。春陽堂版全集を読み終わるのに、毎晩少しずつ読んでいても来年いっぱいかかるだろう。
2005 7・7 46

* 角川書店の佐藤吉之輔さんから『歌舞伎鑑賞俳句日記』というきれいな函入り著書を頂戴した。むかし、むかし文庫本『清経入水』を出してもらった。目次に十七句が出て、何年何月、劇場名が出ている。歌舞伎座が大方で、国立劇場が二度、新橋演舞場が一度。本文に当たってみると、新橋演舞場の花形歌舞伎の他は、悉くわたしたちも観ていたのには、いまさらに、ビックリした。国立で我當の演じた伊賀越道中双六に佐藤さん、「笠かざし相良と告ぐる秋時雨」と、佳句。どの一舞台一舞台も、髣髴と懐かしい。

* 小谷野敦氏には『恋愛の昭和史』を戴いた。「恋愛」に王道なし 不公平で、不平等なもの、それが「恋」なのである と、帯に有る。そうかも知れない。そうでない気もする。採り上げられているのは概ね知名文人達の恋愛やその表現に関して。
むかし、「消えたかタケル」を芸術生活に書いた頃、「日本俗情史」ということで企画にしようか、してくれと話が煮えていた。わたしは上澄みの感情を掬うだけでない、もっと地を這って流れる俗情の系譜を抑えておかねばいけないだろうと考えていた。今もそう考えているが、わたしは、もう手を出さない。

* 沼正三さんの巻頭エッセイ「家畜人ヤプーのこと」が興味深かった。細谷博さんの小林秀雄の伝記へも、するする入りこんでいる。枕元にはまた本が二十冊ほど積まれている。その中の七冊は必ず毎夜少しずつ読んでいる。目が霞んで来るのも当然だ。
2005 7・7 46

* 陸軍歩兵伍長松村辨治郎が明治十三年(1880)四月に建白した「国会開設の儀」を起稿し校正して、いま入稿した。「布衣」と自ら称しているのは官位をもたない一介の私民であるという意味。そういう「私」にして「兵士」が、自ら筆をとって「国会開設」と「憲法制定」を切望する気持ちが文面に漲っている。こうして澎湃と起こった声と願いの末に、実に曲がりなりにというしかない「明治欽定憲法と明治国会」とは実現した。大きく裏切られた自由民権の願いであったけれども、これを巻き起こした力は、むしろ「草莽」にあったことを我々は誇らかに忘れることは出来ないのである。
今日「草莽」在りや。情けない限りの選挙のありさまよ。しかしわたしは、郵政の問題で小泉の案が潰えてもいい、国会解散総選挙になることを切望している。
ああまた二時をまわっている。これから本を読むのである、明日の朝はシンドイかも。しかし土日月と、三日家を出ない。
2005 7・8 46

* 板垣退助らによる「民撰議院設立建白書」を採り上げる。「国会」のいわば源流だ。
現代が、「主権在民」の確立へ真実向かっている過程にあるか、その挫折の歴史を歩んでいるのかは、まだ判断が付かない。だからこそわたしは「ペン電子文藝館」に「主権在民史料」特別室を設けて、その足跡の消えてしまわぬよう、心有る読者たちには思いを新たにするきっかけと成りうるように、願うのである。
2005 7・9 46

* 前田河廣一郎の「三等船客」を日に全集見開き見当で校正し続けているが、記憶に生きていただけあり、たいした作品である。腰を据えて等身大に場面を確実に、具体的に、鷲づかみにして書き取っている。その魅力が感覚的ににおい立つように表されている。どこからどう観ても船底の三等船室情景で、はれだつ何もなく猥雑と言えばたいへんなものなのに、ものともせず描き出されていく力は、健康な肉体のはずみのような魅力を放ち始める。石川達三の「蒼氓」もしたたかな作品であったが、前田川のたちはだかる剛の者のような筆致と展開とは、男くさいことくさいこと。あせらずに、文字や表現の一々を呑み込んでみる気持ちで読み継いでいる。「ペン電子文藝館」のなかでも重量級の作品になるだろう。
プロレタリア派の代表作品とされてきたが、そんな区別は意味を喪うような作で、川端康成もこの作品と作者とを尊重した発言をしている。宮島資夫の「坑夫」といい里村欣三の「苦力頭の表情」や木村良夫の「嵐に抗して」といい、たいした作品がプロレタリア派から遺されている。遺憾にも今では忘れられかけているが、すばらしい力である。
一方の新感覚派からは、間違いなく川端と横光利一とは大作家であったけれど、論客は勇ましかったけれど、遺された小説に地鳴りのするような感銘作が少ない。なぜだろうと、川端の「新進作家の新傾向解説」や片岡鐵兵の「止めのリフレヱン」を読みながらわたしは感じていた。
2005 7・9 46

* 少し必要もあって、杉山平助の「商品としての文学」という昭和六年の朝日新聞に書いた評論を「招待席」に入れた。びっくりする、先見の明を見せている。文壇でこういう論文が昭和六年に既に出ていたことに、わたしは驚歎する。杉山は昭和二十一年の師走に亡くなっている。戦後の出版をほとんど見ていないのである。しかも的をついている。存生なら飛んでいって堅く握手したいところだ。

* いま「招待席」に切望しているのは沼正三さんの「八月十五日」という一文である。おみごとと言っておく。比較的ご近所であり、自転車で尋ねて行こうかなと本気で思っているのだが。
細谷博さんの小林秀雄評伝、いろいろ教わっている。あまりにも小林のことはよく知らないで来た。まだその批評をしげしげ読みたいというところまで行かないが。
2005 7・10 46

* 日曜の夜は閑散。はやく寝床で本を楽しもう。「出エジプト記」は執拗なエホバのこころみとパロの不服従。しかし遂にパロは屈し、イスラエルの民はエジプトを離れようとしている。映画「十戒」がありありと眼に甦る。
アラビアンナイトは、三人の片目の男達が一人一人不思議な体験を面白く語って、これから文庫本二冊目、三人目の片目の男が話し出す、じつはシェーラザーデが王に語って聴かせる。面白い。面白い。詳細な訳注が面白い。なんで絶世の美女達が黒人を選んで隠れた恋人に持つのかにも、はなはだ即物的な解説がついていて、つい、唸ってしまう。面白い。
鏡花は春陽堂版全集の分厚い第三巻に入り、巻頭の「辰巳巷談」から読み始めている。
トルストイは、ナポレオンの軍の、はや、アンドレイの父公爵や妹マリアたちの暮らしている処へ、数日のまぢかまで迫っている。緊迫の砲撃がきこえてくる。
日本書紀はいましも木花咲耶姫の一夜孕みなどについて、延々と「一書(あるふみ)」の証言を掲げ続けている。初めて知る伝承もあり、興味津々。
ゲーテは、第二部の早々、ある王の宴遊の詩篇にさまざまに蘊蓄を傾けていて、傾聴させられる。
世界の歴史は、建国期のローマが、ギリシァに比べてもまたカルタゴ等に比べても、いかにみごとに緩やかな政治体制を敷くことで、多くの危機を、賢明いや聡明にのがれ、大帝国への基盤をかためていたか、聊か意外なほどの敬意をさえ払いながら、興味深く読み進んでいる。
そして、籤とらずのバグワンには、すっかり降参し帰依して平易に深いことばに服している。
2005 7・10 46

* 一気に前田川廣一郎の「三等船客」を読み上げた。充実した作品で、満足して血の沸く思いがあった。この作品に昔触れ合ったのはほんとうに偶然で、古本がやすく買えたから買ってみただけで、前田川ともう一人の金子洋文も、それまで名も知らなかった。題をみても読みたそうではなかったが、巻頭の「三等船客」に、得も言われぬ満足、純文学の満足を得て敬意を覚えた。爾来、何十年になるか。この作品への敬意をわたしは忘れていなかった。「招待席」にと思って躊躇は少しもなく、かなり長編だけれども割愛しないでとすぐ決心した。一行一行に、緊密な視線と思いがこもっていて、校正にも力が入った。いちいち学習しているようで、その気持ちが少しも負担でなく楽しかった。ああよかった、と。
さ、次なる力作は伊藤整の「近代日本人の発想の諸形式」である。これまたとびきり優れた長編の論考で、とても有益で興味津々。このごろ、こういう優れた論考がだれによって書かれているのか、少しわたしは疎くなっている。理窟をこねただけの評論が如何につまらないか、それなりに識っている。中村光夫、伊藤整、平野謙、山本健吉等々の論文を貪り読んだ頃の昂奮は、いま誰が読者に与えているのだろう。時代を画するような、作と作者をまた新たに生動・躍動させるような評論を、いったい誰が今は書いているのだろう。

* 小栗風葉の秀作「寝白粉」には問題がある。それについて、わたしは起稿後も校正室に送りこんでからも、長く抱いたまま本館掲載を躊躇していた。で、新委員長と委員会に判断を委ねたのだが、二十数人もの委員の誰からも反応がない。
2005 7・11 46

* 一太郎のファイルを整理していて、大事な今の今必要な記録のファイルを消去してしまい、苦心惨憺して機械の中から少なくも途中までの原稿を見つけ出し、それに急遽追加して、辛うじて事なきを得た。汗をかいた。日付も変わったので、今夜はもう休息する。
伊藤整の論文「近代日本人の発想の諸形式」がとても面白く興味深く。こういうのと取っ組んでいると、前田河の小説同様に、嬉しくなってくる。吸い込むように読み進められる。
2005 7・12 46

* 山のようにメールが来ていて、「ペン電子文藝館」の校正室へもわたしの扱いの校正が五作六作とどっと出て来た。主権在民史料は、自分で読み直して、ぜんぶ本館へ挙げてもらえるように校正し始末したが、前田河廣一郎の「三等船客」は長編なので、おそるおそる三人の委員に読んで欲しいと頼んだ。みなさん、長い作品を原稿なしの常識校正=通読は、普通の校正以上にたいへんなのである。
2005 7・15 46

* 伊藤整の長い論文を、みなスキャンした。また嚶鳴社が明治十二三年頃の「憲法草案」をスキャンした。あれあれというまに日付が変わりかけている。深夜のメールは海外からとどく無数の不正メールと相場がきまってきた。
2005 7・16 46

* さて、目をさまして、また伊藤整を読み、初期自由民権期の草莽の志を「憲法草案」に読みとりたい。
2005 7・17 46

* 一気に読みました、「近代日本人の発想の諸形式」。
> しかし、その(藤村の「新生」の)やうなリアリズムの逆行的利用を「偽善」と考へるやうな芥川的な明晰な考へ方をする人間が、日本の社会で論理的な仕事をしながら生き続けることは無理であつた。
どうして無理なのか、伊藤整は説明していますが、この辺がなかなか腑に落ちません。じっくり文脈を追ってみます。
また、概観的なこの論文のみでは、登場する作家たちのすべての作品・作風を理解していないわたしには不十分です。
例えば、「藤村、鴎外、漱石、荷風、潤一郎」といった作家について謂われていることは、「フムフム」と頷けるのですが、「有島武郎、武者小路実篤、志賀直哉、宮本百合子、中野重治・・」などの作家については、表面的なことしか知らないので、「そうなのかなア」と思うにとどまります。
つづきを楽しみにしながら、この論文を読みこなせるように、読書範囲を拡げていきたいです。
風がお元気で、嬉しい花。

* なるほど近代文学を、大方の傾向を、避けずに広く読んできたわたしの興味や関心を、やや押し付けかけていたナと、反省した。わたしのようにいろんなジャンルと傾向とに狭く拘泥しないで「読んできた」人は、じつは文壇のプロたちにも、めったにいない。出逢ったことがない。学者は、専門があるからむしろ当然のように狭い。それだからこそ、作家のわたしにも、「ペン電子文藝館」の仕事ができるのだ。数百におよぶ掲載作品を、わたしは読んだものから選んできた。広く読んでいないと「選べ」ないのである。
なるほどなるほど、白樺派の大家たちも左翼の大物作家たちも、文学を志している若い人にあまり親しまれていない。すこしショックがあった。

* 現時点では、伊藤整の論文を隅から隅まで理解できません。中に登場するすべての作家の著作によく通じていないから。偏にわたしの勉強不足のせいです。
かといって、知識を得るために興味のないものを無理に読むつもりはありません。作者の血肉である作品を、知識のために読むことは意味がないと思うのです。興味を持っているときは、読んだものがすうすうと体に染みてゆき、深く記憶に刻まれます。そういう自覚が生まれての、自然な読書欲に身をまかせています。
「読んでみて」と教えてくださるのが、風であるがゆえに、興味の湧くということもありますし、手をつけるよいきっかけになっています。押し付けだなんて感じたことありませんよ。
知らないことばかりですから、新鮮ですし、そこから拡がる世界というものもあるのです。
ま、「近代日本人の発想の諸形式」のような評論を、すらすら読めるようになれたらいいのですけれど。
「三等船客」を読んでみます。
> この数日、ノンビリしています。
よかった。たまにはノンビリしてください。 花

* 知識欲から小説を読むのはたしかに上等な読み方ではない、そういう附録は読んだ跡に自然と残るだけ。花の姿勢は、当然そうあっていいことだ。
2005 7・17 46

*「嚶鳴社憲法草案」を入稿したのに続いて、小田為綱らの「憲法草稿評林」を抄録しようと、また沢辺正修らの「大日本国憲法」案の全部をスキャンした。自由民権派の主要な憲法構想は遠く新憲法を経て今日までの、主権在民を求めてきた歩みの、やはり大きな第一歩。読んでいて、興味ふかいものがある。
関聨して阿部真之助の「山県有朋」を読んだ。これは山縣批評として正鵠をえていた。あの軍国日本へ陰険至極にひた押しした政治家を少しでも過って評価していたら館長として絶対採らない気でいたが、さすがに的を射て厳しかった。それならば、好エッセイとしてむしろ積極的に採りたいと思った。
2005 7・17 46

* 伊藤整「近代日本人の発想の諸形式」を起稿しおえた。これは、「ペン電子文藝館」に実にふさわしい大きな論文として、中村光夫の「知識階級」や同じ伊藤の「求道者と認識者」とともに、文学のいい読者に必読を誘う魅力となるだろう。長い作品だが、もう一度丁寧に通読してから入稿したい。感謝。
七月に入って以降、わたしの扱いで起稿・入稿した「ペン電子文藝館」作品は、これで、十六。五月と六月の分が合わせて、十五。四月末に新年度に変わっての四月分が、四。新年度滑り出しのところをこれだけ手伝っておけば、当分休ませてもらえるだろう。自分の、したい仕事が目の前にぶら下がっている。
2005 7・20 46

* 『ファウスト』二冊本の一冊を読み終えた。ドラマは第二部に入っていて、ファウスト博士が、「母の国」(これはゲーテのかなり難しい理念を含んでいる。)に赴き、あのトロイ戦争二人の主人公、美男子のパリースと美女のヘレーネの霊姿を現世へもたらす。そこで一冊めが終えている。一度目を通読したときとは比較にならぬほど精しく丁寧に読んでいて、興ふかいことも比較にならない、じつに面白い。正直の所、こうもやはり面白い佳いものとして自分にも読めるとは期待できなかった。一度だけの通読で手放さなくてほんとうによかった。訳と註の佐藤通次の丁寧な配慮に感謝する。
2005 7・20 46

* 小田為綱らの「憲法草稿評林」を校正していたが、疲れてきたので、あと十五分で日付の変わらぬうち、機械の前を退散しようと思う。郵便局のポストへ一つ投函しに走ったとき、大きな月があかく暈をきていた。あすは雨か。
カトリーヌ・ドヌーヴの映画を、もう少し見残している。
2005 7・20 46

* 明治初年の「憲法」制定をめがけて、顕臣も、官僚も、草莽も、外国人も、競って憲法案を書いている。その代表的な例を「ペン電子文藝館」の「主権在民史料」特別室のためにスキャンし起稿しているが、なかには、条に応じて評論しつつあるのもあり、興味深い。天皇制と天皇についても、右も左も、いろんな考え方で条文をつくっている。議論の起こし方に個性がある。わたしが、日本ペンクラブのなかで「憲法学習会」をもち、憲法論争に即応できる体制をと繰り返し理事会で発言してきたのも、そういう史料を読んで知っているからだ、こういう用意があって初めて議論も出来声明も起こせる。
2005 7・21 46

* 松田存さんの「ペン電子文藝館」出稿分が手元でスキャンされている。電子化できないこういう会員からの頼まれものも、出来る限り親切に手伝ってあげたい。「能の笛方鹿島清兵衛をめぐる人々」と、もう一本。
2005 7・22 46

* 松田存会員の「能の笛方鹿島清兵衛をめぐる人々」を入稿。鹿島の能笛はしかし彼の趣味・道楽。実像は、明治にしか現れないような奇男児である。おもしろい男。松田さんの著『近代文学と能楽』所収。

* 伊藤整「近代日本人の発想の諸形式」も起稿と校正を終えた。妻に二度目を読んで貰ったが、こんなに面白い興味深い論文はめったに有るものではないと、いたく伊藤先生に感じ入っていた。さもあるべし、同感である。
「小説家・文藝批評家・詩人 1905 – 1969 北海道に生まれる。近代日本の文壇文学史を形成する上で不滅の業績を積み上げた昭和の文学者として記憶される。伊藤の批評は常に時代の先頭を切り開いて鮮明に視野を広げたが、その支えに、実証的また洞察に富んだ研究と、実作者の体験があった。 掲載作は、昭和三十五年(1960)の『求道者と認識者』に先行して、昭和二十八年(1953)二月-三月『思想』に連載。日本近代文学百年の『発想』の性質を剴切に把握・分類した示唆豊かな、独創の『日本人』論でもある。」
「求道者と認識者」は、さきに「ペン電子文藝館」に招待した。

*「ペン電子文藝館」にはすでに六百の作品が掲載されている。そろそろ、この多彩に溢れている館の、いわば「蔵書群」に対する、いわば司書役の「道案内」が必要になってきたと思う。現会員の作にはうっかり触れがたいが、「招待席」「物故会員」「特別三室」には、それが出来るし必要になってきた。掲載作品群を見渡して、「単独作品」での、また「複数作品」での、また「対照的作品」での、また「グループ」での、また「時代」での、また「文学的な主張や傾向」での、簡単でいい読みやすい「案内」が出来ると、電子文藝館を訪れてくる不案内な読者には、ずいぶん便利で親切だろう。
ただ、こういうことを云い出すと、それの出来るのは、結局殆どの作品を読んで選んで納得して掲載してきた、主として、館長のわたしになってくる。ほかには委員の中でも大学で国文学の講座を持たれている委員が三人おられる。考えたい課題として、じつは、ずうっと以前の理事会でも、他の理事からそんな話題が、要望が出ていた。だが、まだ作品数が少なかった。もう十分だ。
2005 7・23 46

* 公爵アンドレイ聯隊長がボロヂノの戦場で仏軍の砲弾に腹部をうたれて野戦病院にかつぎこまれた。前のオーステルリッツでであったかの、仏兵に殴り倒された負傷もあっけなかったが、今度の被弾もなんだかウソめくほどリアリティがある。イザとなると知識人のよぶんな智恵の廻り方が本能を瞬時停止させてしまう、そういうときにこういうふうにコトは起きる。
トルストイは、どうしてこうまでモノが見えるのだろうと呆れるほどだ。
ピエールが伯爵の富豪という身分に任せて、ごく普通人のいでたちのまま錯綜する戦場を「見物」にきて、将官や将校や兵士たちに苦々しい不安と不快をかき立てながら、本人はいっこう気付かずのめりこむように戦況に浸り込んで恐怖心すら見失っているうち、戦死累々の屍骸にとりかこまれ、ようやく恐ろしくなり不格好に馬を馳せ廻らせて逃げ出す。このピエールのある種とんでもない、ぶざまに配慮を喪った無感覚な暢気さ加減も、ピエールを識って入る読者にはとても信じられないほどの、しかしリアリティーに溢れていて、把握の強烈さに仰天させられる。ああいうバカげたことを身分に守られた特権の知識人というのはやらかすのである、ほとんど無自覚に。
トルストイのこの『戦争と平和』の書きっぷりは、才能のある作家が才能を発揮したというが程度の書き方ではない。トルストイは「書いて」いるのでなく、その現場をまさによく見える眼でまざまざと「観て」いるとしか思われない、神かのように。あの大きな歴史的戦争を細部に至るまで、心理も行為もすべてガチッと掴み取るように書いている。ディテールが具体的なので批評が概念的にならず、それこそがトルストイの意図であった「戦争」論と「人間」把握とに徹底した哲学的考察と化している。
ずいぶん戦争ものも読んできたが、また世間の大きい小説も読んできたが、トルストイの書いているのに比べると、みな、小さな機械的な想像力の不自然そうな所産かのように見落とされる。
アンドレイの二度目の重傷が、やがて大きなドラマの転回点へ作品を運んで行く。トルストイの邸宅が「ソ連作家同盟」になっていて、其処の食堂でエレーナたちと食事をしていたときに、初めてもう亡くなった講談社専務の愉快な三木章氏と通訳として同行していたらしい米原万里さんとに、声をかけられた。大声で皆がおどろきあい話し合った賑やかさを、いま、まざまざと思い出す。佳い建物だった。

*「出エジプト記」の出エジプトを終えてからのエホバ神の、イスラエルの民へのさまざまな要求がいまえんえんと続いている。ウヘェーッという感じ。
日本書紀は神代を抜け出て、神武天皇即位直前の「カンヤマトイワレヒコ」の、大和へ進む悪戦苦闘が叙されている。土着の勢いをいろいろにたばかり討って行くところで、わたしのあまり好きになれない大和朝廷成立前記である。騙し討ちが双方の戦略になりがちで、陰気なのである。

* それに比べると『千夜一夜物語』の不思議な魅力、飽きもさせず荒唐無稽のおもしろい体験談が、いろんな連中の口から、やすむまもなくつぎからつぎへ止めどなく語り継がれて行く。休んでしまったら、只一人の本当の「語り手」である美しいシェーラザーデは(介添えの妹をのぞいて)只一人の聴き手である王様により、縊り殺される運命にある。
この物語は、文字通り大勢の体験談連鎖でつづくのだが、単純な連鎖ではない。幸田露伴の『連環記』に似ている。露伴翁は千夜一夜物語の話法を小規模的にじつは取り込んだのではないかと想像してしまう。一つの話題が環を書いたように元へ戻ると、すぐそのまままた別の環を描いて次なる別の話題が進んで行く、それが露伴『連環記』の胸を張った手口・語り口なのだが、その同じ手は『アラビアンナイト』が千夜一夜にわたり駆使している。譬えて云えば、ペンをもち、ひたすらグルグルグルグルと同じ所に環を描き続けるかのように、話は進んで戻ってまた進んで戻って話しつづけられる。その中に、ヘンチキリンだが要所を衝いた詩句・詩篇が鏤めてある。世界史の中で桁外れに豊かで巧妙で底知れない最大の「おはなし」美女が、シェーラザーデなのだ。
だれかのメールに「エジプト」が舞台とあったが、エジプトも含めて少なくもアラーの神の「世界」が本舞台である。
この物語で、若かりし日のわたしが最初に覚えたのは、ことに美少年や美男の形容に「満月」の用いられることであった。日本の古典に満月を人間の肉体美に推しあてた表現は記憶がない、三日月のような眉とか目とか謂うようだが。

*『フアウスト』の骨格の太さ強さをますます魅力的に感じ、ほとんど詩句の一行一行を舐めるように読み進んでいる。幽霊の美男パリースに嫉妬してフアウスト博士は強引に彼を消そうとし爆裂にあい、卒倒したまま悪魔メフィストフェレスに厄介をかけている。メフィストはフアウスト博士のもとの書斎へ横柄に立ち返って、現世の研究者や学者を嘲弄している。
それにしても日本の有力な学者さんたちは、どうして、ああも延々地位をもとめ転々し恬としてしかも陰気な顔つきなんだろう。現役の地位にいないと、うかと引退してしまうと、「位階勲等の栄爵」が舞い降りてこないからだと解説めく噂を聞いた。なるほどなるほど。お利口なことだ。

* 笠間書院が中世物語の『松陰中納言』を贈ってきてくれたのが嬉しい一方、挟み込みの月報に、今井源衛さんが一年も前に亡くなられていたと初めてしらされ、仰天した。悲しい。永く九州大学におられ、定年退官されていた。物語文学の研究者としてすこぶる剴切な論説で旺盛に読者を刺激して下さったし、わたしは「湖の本」を介してかげにひなたにずいぶんのお力添えを戴き続けたのである。
ああ、こういうふうにお別れしていたのか、わたしは知らずに本を贈りつづけていたのだ。ご遺族も黙って受け取っていて下された。頭を垂れる。
わたしには、学会でも大勢の知己がある。なかでもお名前に「衛」とつく角田文衛、目崎徳衛、今井源衛三先生には、それぞれに異なったしかし温かいご教導と親愛とを賜り続けたが、目崎先生が先に、ついで今井先生があとを追われ逝かれた。
長谷川泉さんのことも思い出す。今井さんと長谷川さんとはかつて清泉女子大学で同僚であられた。
しかたないことだが、大勢の恩人に死なれて死なれて死なれてきた。なるほど「点鬼簿」とか「掃苔録」とか、ある時期が来ると書きたくなるわけだ。どのような人に力を添えてもらいながら生きてきたか、息子や娘や孫達に遺しておく必要を、にわかに感じ始めている。

* 世界の歴史は、ついにシーザーも、アントニウスとクレオパトラも死に、シーザーの養嗣子オクタヴィアヌスの時代とともに共和政のローマが帝政へ大きく転じようとしている。なんとも言えず興味深い。

* 鏡花はいまは「通夜物語」を読んでいる。このあたりの鏡花は一つの停滞期か。
2005 7・24 46

* 会員の望月洋子さんの電話を受け、「ペン電子文藝館」への出稿の手伝いをすることになり、望月産の出世作、新潮選書『ヘボンの生涯と日本語』の第一章をスキャンしてあげた。メールで送り、校正起稿は望月産に任せた。
2005 7・24 46

* 昨日の台風は、ついに一度もなにも感じないまま、読んだり書いたりして夜更けになり、それから八種類の大作を順々に読み進み、少し恢復してきたのかも知れない黒いマゴの相手をしてやり、あけの四時にはおきまりの外出に玄関のドアを明けてやって。文藝館のことでも委員長と必要なメールを交換したり。校正したり。あまり眠らなかった。いま、少しあくびが出た。
2005 7・27 46

* なんだか長与善郎の「竹澤先生といふ人」が無性に読みたくなってきた。高校時代に憧れるように耽読した。武者小路の「真理先生」や「馬鹿一」よりはるかに前のこと。さ、今読んで胸にしみとおるか、もう受け付けないか、少し予断ならないが、あの頃はもう無性に理想的に感じたものだ。
2005 7・27 46

* 明治十三、四年に書かれたと観られる、小田為綱ほかの執筆「憲法草稿評林」を遅々起稿している。元老院による「国憲」第三次草案を各条かかげて、それに対し小田為綱自身と観られる前後二様の、また別人と観られる今一人(あるいは複数)の、批評・評論が書かれてあって、たいへん読み応えがする。一つには、元老院といういわば国権の最高機関の意を体した「国憲」草案が提示されているのが参考になり、この各条へ加えた自由民権思想からする「評論」であることが、貴重。
ことにこの「評林」は他に例のない「廃帝」ないし「政体変更」までも視野に入れた議論を試みていて、ヨーロッパ各国の憲法へもかなり広い適切そうな目配りをしている。主権在民を冀求するものには参考になる、傾聴に価するところの多い明治初年の所産であり、こういうものを観ればみるほど、たとえば「九条の会」の努力などが、ただただ憲法改正反対のムード醸成により大きくかかわるだけに終わりかねないのを怖れる。この「評林」のような討議もまた欲しい。それも有志がバラバラに自慰的にやっていては纏まった力にならない。
2005 7・28 46

* メールで送られてきた、ほぼ百枚ほどの小説を読んだ。読み終えてほろりとする個所もあった、きもちのいい、しかし淡泊、明らかに長すぎる額縁小説であった。或る話題で始まりその話題で締めくくられる。その間に同様・同味の思い出がタップリと経時的にサンドイッチされている。小津安二郎の映画のシナリオのようで、それは譬えが良すぎてそうはうまく行ってない。何よりも「愛おしく」書かれている人の「外形の記憶」に頼らざるをえないという、内面を端折った書き方になっていて、それも実に淡々と抑制した筆づかいであるため、人間も事柄も「活・躍」していない。
しかし、題の「夏みかん」に絞られてくる収束はけっこう綺麗にため息の出る切なさで書かれている。伊藤左千夫「野菊の墓」や嵯峨の屋御室「初恋」の息づかいに遠く繋がりそう。しかし、ああいう名作と比べられる出来には、まだ、成っていない。六、七十枚にまで絞り、物語のどこかに強いメリハリを設け、起承転結の体でいうなら、強い「転」の工夫を大小二つも用意すると、快い読後感の短編が出来上がる、かも知れない。
なによりこの作者のためにイイと思うのは、作品を下支える或る文学的な「明るさ」「光源」を見つけたらしい気のすることだ。文学・藝術はファシネーションで人を魅惑する。いかなる材料を書いて、創って、いてもである。
2005 7・28 46

* 電子文藝館で、「寝白粉」と「三等船客」を読みました。
「三等船客」では、石川達三の「蒼茫」を、やはり思い出しつつ。骨太な作品でした。おもしろかったです。
「寝白粉」には、ムウと考えさせられました。
あの「新平民」の扱い方は、当時の感覚としては普通だったのかも知れません。そういう資料として読むことはできます。
藤村の「破戒」を、「藤村という知識人にしてこのていどの認識だった時代をあらわす資料的価値しかない」と云った人がいました。
差別表現に敏感になった今日では、常識的な意見かもしれません。ですが、それがために、文学としての価値がまるでないとは、言えないと思います。
差別問題と文学と。判断基準は一つではありませんから、難しいですね。
「寝白粉」は風葉の代表作なのですか。ほかに佳い作品があれば、そちらの方が無難と思いますが。
今日はバレーをして、疲れました。
ほんとうは用事に出掛けたいのですが、一旦家に入ってしまうと、出るのが面倒になります。「中日」という物言いが身にこたえるほど愛知県の日射しはガンガンですし。
もうすぐ八月なのですね。早いなあ。
昔の暦ではそろそろ秋に近づいていますが、現代は、これから夏本番という感じですね。 花

* すっかり書き忘れていた話題を、この読者が持ち出してくれた。「中部日本」出身の小栗風葉「寝白粉」のことである。
先日の電子文藝館の委員会に、わたしから提出して、もう一年半も「校正室」に店ざらしのこの作品を、本館に「掲載」してよいと思われるかどうかの意見を請うてみた。事前に二人三人が、メーリングリストで意見を下さっていたのは、此処へも書きうつしたか、どうか。
掲載するのに大きな問題は、「今では(こんなこと)無い」のではないか、掲載していいのではないか。そういうことだった。
先日の委員会で、何人かの委員が発言された。
おどろいたのは、この作品のついに「近親相姦」にいたっているのを「あさまし」とは読んでも、近親相姦に追い込まれるまでの、強烈に社会的な「人間差別」のむごさ・あさましさには、あまり、いやほとんど、理解や感受が届いていないこと。ひどい例では、たとえば身体的ないわゆる普通の差別的表現と、この作品の書き表している、身分という以上の人外差別とを、まるで同レベルにものを云われる理解の薄さ。愕いた。
表現としての「片手落ち」の「目暗(めくら)」のというのとそれとは、比較にならない別ゴトである。そもそも近親相姦は浅ましくも厭わしい限りであるけれど、それは広い世間には起きている当事者間の悲劇でこそあれ、先天・世襲の不当差別とはまるきり問題がちがっている。「寝白粉」問題は、そんな近親相姦にまで必然兄妹を追いやって行く、社会そのものの差別意識の「あさまし」さであらねばならない。
またさらには、そんな人外の差別など、とうに過ぎ去りし明治の「昔昔」の世相や偏見によるもので、今ではほとんど問題ないだろう、知らない、と云う人までがあった……。なるほどね。だが、日本の実態はまだまだそんなワケに行かない。
作品の掲載は差し控えたほうがいいのではと云う意見も、有った。それもよく聴けば、ある種の団体的な力がその掲載を目の敵にして暴力的に抗議してきた場合に、日本ペンは、ないし文藝館の委員会は「対抗できないから」というまでの意見であり、その先へは半歩も出ない。判断がストップしている。
この風葉「明治」作品に書かれているのと全く同次元・同様の現れようで、今なお強烈に人が人に差別されている「平成」の現実の、なお多く多く日本列島に実在していることには、ほぼ誰も、誰一人も遺憾の実感や見聞を持っていないらしい事に、わたしは「ああ、やっぱり」と心から愕いたのである。そういう「幸せな人達」の討論で終始したのである。
「寝白粉」は佳い作品か。佳い作品だと思うという人が多かった、てんで分からないらしい人もいたけれど。
非常に大事な応酬もあった。文学として現に優れた達成を得ているのに、差別問題などでその評価を左右するのは本末転倒であろうという発言があった。
正論に似ている。しかし、それは狭い正論であろう、「幸せな人は不幸せな人のことは気に掛ける必要はない」という議論に繋がりかねないのも恐ろしいことだし、ま、その辺は別の議論にゆだねてもいい。しかし、わたしがこの「寝白粉」を文藝館のために選び、起稿し、校正室にまで送りこみながら、本館への掲載を長く躊躇ってきたのは、「人権」のためにも闘っている筈の「日本ペンクラブ」が、また協賛する「電子文藝館」が、いかに「寝白粉」が風葉代表作の一つであり魅力の文学表現であるにせよ、他にも作品の無いわけでないのに、このように深刻な問題含みの作品をわざわざ公に持ち出していいものだろうか、という「ペン」の事業上での配慮と不安であった。
一例を謂おう、かつての副会長であった現役の某作家から、優れた作品であるからと、「反戦反核」特別室のために推薦された作品があった。櫻井忠温作「肉弾」である。往年の話題作で、わたしも朧に記憶していた日清か日露かの戦争に取材した昔の小説であった。念のために読み直してみた。明白に戦意昂揚、侵掠も肯定、外国国民への侮蔑表現もいっぱいの、しかしながら力作に相違はなかった。
「ペン電子文藝館」はたんなる文学全集でも図書館でもなく、日本ペンクラブが国際ペン憲章に賛同した思想団体としての文化事業である。いかに力作であれなにも好戦文学を進んで世に広める役はしなくてもいいと、わたしは委員長権限で握りつぶした。当然のことだ。
文学作品として優れていれば何の問題もない、差別のどうの、戦争のどうのという外的問題に煩わされ、評価をあやまるのは間違いである、論外である、と、本当に「言える」のだろうか。作家である前に一人の人間で一人のペン会員であるわたしは、そんな文学・藝術の至上主義者には安閑とはなれないのである。配慮の出来ることは配慮してみる、それが知性ではあるまいか。
或る一人の委員から、これはかなりのレベルに達した小説で、その意味では掲載の価値は十分あるが、作者の姿勢から云うなら、「人外・制外の差別」をただ単に「手法的に利用」して物語をおもしろく創っており、その意味では、これに後続して世に出た例えば藤村の「破戒」ほどの自覚も批評も持っていないのは明瞭であり、読み終えた時の感想には「イヤ」なものが混じっていたという発言が出た。それがわたしの思い、わたしの躊躇と、しっかり重なっていた。
ちなみに、わたしが掲載候補作「寝白粉」に書いて提示した略紹介は、こうである。

* 招待席 小栗風葉  おぐりふうよう  明治の小説家  尾崎紅葉の愛弟子  此の掲載作は作者の力量を示す一代の代表作の一と謂いうるとともに、その題材の扱いや表現に、今日の認識よりして異様に不穏当な遺憾極まるもののあることは覆いがたい。編輯者はこれをつよく憎むと同時に、此の作に見せている作者文藝の才には感嘆の思いも深い。読者は心してコレを取捨されたい。作者の意識認識は愚劣である。しかも文藝の結晶度はすぐれて堅い。

* これは「委員会向けの討議資料」でもあった。普通にいつもどうりに書いていたら、誰も問題にしないで、掲載可能であった、委員長館長判断でわたしはそうしてもいっこう構わなかった。だが、一年半店ざらしにして誰かの反応を待った。何も出てこなかった。それでとうとう委員会議題にしてもらった。
その議論では、掲載問題なしの意見が多数を占め、やめたほうがいいを圧倒していた。それはそれでいい。わたしが、愕いたのは、差別される人達の身になって、この問題を考える姿勢や言葉が、ついに誰一人からも出なかった事実である。そして、関西と関東では、問題意識も現実もちがうのだと片づいた。それにもわたしは内心驚愕した。藤村の「破戒」を識らない委員もいてこれにもビックリした。それでいいんですよ、寝た子は起こさない方がイイという、毎度の声が耳の奧の闇へかすかに届いていた。そうかも知れない。

* さきに届いていた愛知県の一読者のメールは、藤村の「破戒」についても触れつつ、そして文学の価値が差別問題がらみでのみウンヌンされるのは間違いであろうと正しく言及し、しかし、「寝白粉」には、「ムウ」と絶息させるものがあると認め、もし他に良い作品があれば、それに差し替えた方が「電子文藝館」として妥当穏当なのではないかと語っている。わたしの認識を、うまく代弁してくれている。
委員会の、このような問題に対する認識を知りたくて、提題した。
電子文藝館への作品掲載には、こういう慎重な、視野のある判断がぜひ必要なのである。
会員提出の原稿は、今の内規では絶対に審査できない、する気も、権限も、資格もない。しかしその余の作品については、目の前に原作・原稿さえあればよく読まないまま、無反省にホイホイと進めてはならないのである。まして少数であれ多数であれ一つ一つの掲載作品が、謂われなく人を傷つけて良いワケが無い。電子文藝館委員会はそういう「責任」を自覚してやってきた、わたしはそうしてきたし、今後もすべきである。より良いものを選ぼうという利用者への真のサービス精神なしに、「電子文藝館」を拡充する意義など、何も無い。パブリックドメイン(公共財)なのである、「ペン電子文藝館」は。

* 一任された「寝白粉」は、館長判断で掲載を見合わせ、他に匹敵する風葉の佳作を探してみる。
2005 7・28 46

* 話し疲れてもいたし、この上クラブで酒を呑んでは堪らんと思い、一直線に帰宅。一つには、「世界の歴史」のローマ帝国にキリスト教が誕生しようやくヘレニズムとヘブライズムが組み合い、そしてわたしの好きな哲人皇帝マルクス・アウレリウスが登場しようという辺りを電車で読みたくて堪らなかった。
2005 7・29 46

* 或る読者から「ペン電子文藝館」の作品に対する佳い批評的感想文が投稿されてきて、委員会でも感謝し評価して、これを機に、「ペン電子文藝館」に、「読者の庭」を設け、掲載作品(群)や作者(群)を自在に論じたて投稿を受け入れ、むろん厳正に審査して掲載して行こうということになった。
素晴らしい呼び水になるのではないかと期待している。投稿者に文章や用字をもう一度念のために点検してもらった。
この試みはきっと成功するだろう、成功させたいと思っている。この「読者の庭」から優れた批評家が誕生して欲しい。少し機械環境上の用意をしてから、まず此の委員会で歓迎された三十枚ほどの投稿から掲載して行く。感謝している。
2005 7・29 46

* 鶯谷からタクシーを使って浅草寺裏へ。四時半についた。ひさご通りの「米久」に直行、一人前、その代わり「トク」のすき焼き。御飯など遠慮。お酒一合。ぺろりと美味かった。このまえ「米久」へと思い立ち、生憎定休日で果たせなかったことがある。玄関で太鼓がドンと一つ鳴る。客は一人の意味か。すき焼きはさっさと片づけて、お通しの肉の佃煮でゆっくり酒をのみながら、ローマ帝国がじりじりと坂を転げ落ちていくあたりを読み進めた。

* 花屋敷から浅草寺へ。まだ日盛りの中で花火目当ての人がカビのようにひしひしと本堂にこびりついていた。路上にも溢れていた。夏空が高く、少し曇っていた。露伴の「五重塔」は名作だと云われるが、わたしはさほど好きだったことがない。そう思いながら塔をみあげてきた。

* お目当ての「ローソン」で、智恵も働かずに、なんとなく「サントリー」のダルマを一壜買ってしまった。またなんとなく「リッツ」を一函買ってしまった。自前でこれを飲み出したら花火どころじゃなくなっちまうと思い、缶ビールの心持ち大きいのを一つ買い足しておいて、そのビルの屋上へあげてもらった。今晩は太左衛さんは留守だけれど、是非どうぞと三度も親切にメールをもらっていた。
ここまで、汗みずくであったけれど、屋上は流石に風が流れていた。六時、まだ誰もみえてなくて太左衛さんの弟子筋の人が椅子を出してくれた。茣蓙に坐るより椅子が大助かり。サントリーのダルマは、「寄付」のつもりでその人に渡してしまい、缶ビールを少しずつ口に含みながら、屋上の夕明かりで難なくローマ帝国史を読んでいた。
追々人も見え始め、世話をしてくれる人から酒の肴やビールの追加などいただいた。隅田川の上流と下流といってもそうは離れない二つの場所から、夥しい花火が競うように打ち上げられる。わたしの居るところは、上流の花火が目の前に、手で掬ったり受けたり出来そうな絶好の場所。六時半、四十五分と、上と下、互いに迎え打ちに小手調べの打ち上げが始まり、七時になるともう宵空へ無数につぎつぎと打ち上がる。
取材か、客を乗せてもいるか、ヘリコプターの音も絶え間ない。

* なんと綺麗なものだろう、花火とは。感傷に襲われることもなく、心地よくいくらか米久の酒とローソンの、また振る舞いのビールとに酔い、とろりとした気分で歎声を放ち拍手をしながら、双眼鏡もデジカメも使って、ひとり大わらわに花火を楽しんだ。
八時半にきっかり終わる、終わり間際の乱れ打ちの華やかであったこと。一つ一つの花火の工夫や華麗さをいま此処で書き表してみせるサービス心はないが、やっぱり一人ででも、来て良かったと想った。
太左衛さんのお嬢ちゃんが母親の名代できちんと挨拶に来てくれたし、帰りには一人でエレベーターまで見送って、帰り道の混雑ぶりを案じねぎらってくれた。さ、もう高校に入ったろうな。行儀も良く浴衣も似合い愛想よろしく何より気働きが行き届いている、まだ幼くさえあるのに。もう何年も引き続いてみているが、すっかり大人しい少女になった。気持ちよく、さよならをして。

* 晩の奧浅草の賑わいを楽しみながら、帰りはもう鶯谷まで歩くと覚悟して歩いた。一人なら何でもない。入谷まで来て、ああ去年豪勢に喰った欧羅巴料理の「ビストロ・KEN」は此処だなと確認したし、他にも食欲をそそるいい感じの店は幾らもあったけれど、自重してどこへも寄らず、鶯谷駅から真っ直ぐ家に帰ってきた。
帰りは「戦争と平和」を読む。ナポレオンがモスクワへ入城しようとし、勿論降伏したロシア貴族団の出迎えがあると期待したのに、モスクワはもはやカラッポ。そういうところを読んでいた。アンドレイは重傷を負い死んだと伝えられているし、伯爵ピエールも、けったいな彼ならではの、混乱と冷静と分別と動顛のカオスのなかで、人の逃げ落ちたモスクワにうろついている。そして、アンドレイは実は瀕死のからだを偶然にも前の婚約者ナターシャのロストフ家の親切に抱き取られており、それをナターシャだけが知らされていない。
トルストイの「戦争と平和」やローマ帝国の歴史と隅田川の花火とが、何の撞着もなく互いに不純にもならずに、わたしの脳裡にきれいにおさまってくれる。それが安心というもの。
2005 7・30 46

* 七月最期の最後の仕事として、小田為綱による「憲法草稿評林」を、ついに入稿した。まことに天稟烈々の雄志にあふれた憲法論であった。こういうものが明治十三、四年に書かれていた。主権在民の道への強い一石であった。最終末部での、彼が熱誠のマニフェストを採録しておく。心ある人は読まれたい。
ああしかし、わたしの視力は小さな文字とルビとを懸命に追いに追いかけて、霞んでしまった。もう二時だ。

* 世人或ハ代議士院ノ外ニ華族院ヲ置カンコトヲ論ズルノ皮相者アリ。余ハ夢ニダモ想ヒ能(あた)ハザル程ノコトナレドモ、筆次試(こころみ)ニ之ヲ略論セン。欧洲諸国貴族院ヲ置クモノ往々之レアリト雖ドモ、常ニ君主ニ諂事(てんじ)シ、之ガ威権ヲ助ケ、平民ノ自由ヲ抑制スル階梯トナラザル者少シ。独リ英国ノ貴族ハ、漸有ノ権力ヲ以テ能ク君主ノ暴政ヲ扞制(かんせい)シ、保守ノ老練ニ因テ平民ノ競争ヲ抑停(よくてい)ス。是レ彼ノ貴族ガ千二百年代ニ於テ、平民ト相合(貴族ノ力十分ノ九ニ居ル)シ、彼(かの)有名ナル「マグナカルタ」(ノ約定ハ千二百十五年ニ在リテ、人民ノ代議士ヲ下院ニ出セシハ〔千〕二百六十三年ナリ)ヲ約定シテ人民ノ権利ヲ伸達シ、代民院ヨリモ早ク貴族院ヲ創立シ、且(かつ)積約(せきやく)ノ威重ニ因テ今日ニ至ル迄君民政権ノ権衡ヲ保テルハ、独リ英国時勢ノ由来ニ於テ止(や)ムヲ得ザル所以(ゆゑん)ノ者ニシテ、我国華族ノ如キ無気無力ノ者ト年ヲ同(おなじう)シテ論ズべカラズ。夫レ我国華族(大小名)ハ藩政奉還迄ハ非常ノ権力ヲ有(西南ノ大藩ニ限レドモ)シ、間接若(もし)クハ直接ニ朝政ヲ可否改定スルノ権ヲ有セシガ故ニ、好機会ナル藩政奉還ノ際ニ当り、同族相一致シテ立憲政体ノ創立ヲ皇帝ニ請願セシナレバ、今我輩人民ガ千辛万苦之ガ創立ヲ図ルニモ及バズ、夙(つと)ニ其成蹟ヲ見ルニ至ルべカリシニ、国家ノ盛衰安危を見ルコト痛痒相関セザル者ノ如クニシテ、此(かく)ノ如キ好機会ヲ閑過[看過]シ、今ニ於テ些(いささか)ノ感覚ヲ起ス者アルヲ聞カズ。如何ゾ如此(かくのごとき)無精神ノ華族ヲシテ、人民ニ大功アル英国貴族ト一般、国家ノ大権ニ参決スルノ権利ヲ特有セシムべケンヤ。ヨシヤ吾輩平民ガ代テ大権ヲ皇帝ノ掌裏ヨリ分取シ来リ、分(わかち)テ彼レニ与フルモ、之ヲ使用スルノ方法モ知ラザルべシ、之ヲ保有スルノ気力モ無カルべシ。
然ラバ則チ代議士ノ一院ヲ以テ足レリトスルカ。日ク、否(い)ナ。若(も)シ代議士院ノミヲ創立シテ立法ノ権柄(けんぺい)ヲ専有スル時ハ、偏(ひとえ)ニ民権ノ過強ニ失シ、政柄(せいへい)ノ権衡ヲ得ズ、却テ国家ノ安寧幸福ヲ保ツコト能ハザルニ至ルべシ。余友小野梓氏ハ代民一院(方今希臘<ギリシア>国ニテハ代民ノ一院而已<のみ>ヲ置ク)ヲ以テ足レリトスルノ説ヲ唱へ、或ハ雄弁ノ舌ヲ鼓(こ)シ、数回ノ演説ヲナシテ、或ハ椽大(てんだい)ノ筆ヲ揮(ふるつ)テ若干ノ論文ヲ著(あらは)セリ。然レドモ江湖賛成者ノ少ナキヲ以テ之ヲ見ル時ハ、政学上ノ理論ハ少(しば)ラク之ヲ措(お)キ、方今我国ノ輿論ノ容レザル所タル知ル可(べ)キナリ。又史ニ頼(よつ)テ之ヲ徴スレバ、独逸(ドイツ)古制ノ如キハ三院ヲ置キ、方今瑞典(スエーデン)ノ如キハ四院ノ旧法ヲ改メズ。此(こ)ハ是レ上古封建時代ノ遺物ニシテ、今日開明ノ人情ニ適セザルハ論ヲ俟(また)ザルナリ。故ニ余ハ長城氏等ノ起草ニ傚(なら)ヒ、稍(やや)其方法ヲ改メ、代議士院ノ外、別ニ元老院ヲ創立スルヲ以テ可トスルコトヲ主張シ、兼テ江湖諸有志ノ賛成ヲ請ハント欲ス。
余ガ引用スル各国憲法ノ如キハ、僅ニ記憶スル所ノ者ニ限り、他ノ諸書ニ就キ牽捜(けんさう)セシモノニアラザレバ、素(もと)ヨリ読者ノ意ニ飽カシムルニ足ラズト雖ドモ、余ハ只(ただ)一ニ証例ノ一助トナサンガ為メニ過ギザレバ、読者若シ各国憲法ノ諸款ヲ遂比(ちくひ)セント欲セバ、世自(よおのづと) 其書ニ乏シカラズ、自ラ就テ之ヲ覓(もと)ムべシ。
余ハ今筆ヲ閣(お)カントスルニ臨ミ、数言ヲ陳ジ、他日憲法起草ノ委員トナルべキ諸人ニ告ゲント欲ス。嗟(ああ)諸有志ヨ、試ニ欧洲各国ノ歴史ヲ繙(ひもとき)テ見ヨ。古来民権ヲ拡張シ、憲法ヲ約定スル、啻(ただ)ニ紙上ノ議論若(もし)クハ請願ヲ以テ之ガ創立ヲ得、又君主ノ恩恵ヲ以テ設定セラレタル憲法ノ鞏固ヲ得シ者、夫レ幾希(いくばく)カアル。眼ヲ転ジテ近古我国ノ形勢ヲ察セヨ。恐レ多クモ一天万乗ノ皇帝ニシテ、一進一退皆武門ノ束縛ヲ受ケ玉ヒ、僅カニ爵位ヲ除任[叙任]スルノ権ヲ有スルニ過ギズ。夫(それ)サヘモ多クハ将軍ノ上奏ヲ可スルガ如キ有様ニテ、朝廷ノ権威ハ極微極衰ニシテ、数郡ヲ有スル一小諸侯ニモ如(し)カザリシガ、徳川氏ノ末路ニ至り、時勢ノ風潮ニ攪起セラレタル諸有志四方ニ輩出シ、幾苦幾辛ヲ嘗(なめ)テ、卒(つい)ニ此朝政復古ノ盛業ヲ成(せい)スルニ至レリ。而シテ此成業ヤ他ノ計術アルニ因ルニアラズ、名議[名義]ノ正シキト有志者ノ身ヲ以テ国家ノ犠牲ニ供スル百敗不撓ノ精神トニ外ナラザルナリ。今ヤ諸有志者、民権ヲ拡張シ、自由ノ権ヲ保有セント欲ス。宜ク天稟(てんぴん)ノ権利ヲ復スル正義ニ頼り、彼欧洲各国人民ガ各自ノ身産ヲ国家公共ノ為メニ抛指シ、幾多ノ人命ヲ民権自由ノ犠牲ニ供セシガ如ク百敗其志ヲ回(めぐら)サズ、斃(たふれ)テ息(や)ム矣(い)ノ精神ヲ以テ百方智略ヲ逞(たくましく)シ、誓テ民権ヲ回復スべキナリ。夫レ吾輩ハ治人ノ誘導ヲ受ケテ只管(ひたすら)之ニ依頼スト世人ノ嘲笑ヲ蒙リタル羅馬(ローマ) ノ人種ニモアラズ。彼藩政ノ時ニ当リテハ、仮令(たとひ)成文ノ法制ハナキニセヨ、常ニ間接若(もし)クハ或時ニ於テハ直接ニ政事ニ参与シ、藩主ヲシテ人心ニ背馳シテ施政スルコトヲ得ザラシメ、且天子ガ身体自由ヲ得、政権ヲ復セシ改革ヲモ成就セシモノ共ナリ。況(いはん)ヤ今我国今日ノ文化ハ、英国千二百十五年、「マグナカルタ」ヲ約定セシ頃(こ)ロニ比スレバ、其開進度、智者ヲ待タズシテ知ルべキナリ。嗚呼(ああ)有志者ヨ、尚早論者ノ盲説ニ誘惑セラルヽコトナク、蹉跌(さてつ)ノ万死ヲ顧ズ、公共ノ事業ヲ勉メ、後人ノ続カザルヲ慮(おもんぱか)ラズ、天稟ノ性分ヲ尽シ、大東洋中ノ一孤島ニ於テ金甌 (きんわう)無欠ノ最良憲法ヲ約定シ、遠ク英国ノ上ニ駕シ、全世界万国ニ向テ誇称センコトヲ勉メテ惰(おこた)ルコトナカレト云フ。  〔「小田為綱文書」〕
2005 7・31 46

* ペンの物故会員の一人である十返肇の、昭和三十年代に、つまりわたしが小説を書き始めて作家になって行ったより半時代ばかり早くに書かれた、「『文壇』崩壊論」「批評家の空転」を読んだ。伊藤整の「近代日本人の発想の諸形式」に次いで「求道者と認識者」とが書かれた時期に重なっている。そしてこの十返の二論説また実に優れている。同時代に即して、見誤り安いはずの所を的確にとらえて説得する力はつよい。こういう論も又「ペン電子文藝館」には貴重な宝になる。

* 城塚さん扱いの野田宇太郎による「パンの会」回顧という風のエッセイを「校正室」で読んだ。明治四十一年ごろから、白秋や吉井勇や木下杢太郎や、また谷崎も加わって、藝術至上主義の文学集団が異彩を放った、その評論の一部を抄出されている。城塚さんがいた頃に「六興出版」で本になっていた。

* ふと時計をみるともう日付が変わって二時半になっている。宵寝していたのをすっかり忘れ、そろそろ十一時ぐらいかなあと思っていた。いやはや。
2005 8・1 47

*「戦争と平和」全八冊の岩波文庫版を六冊読んできた。瀕死のアンドレイとナターシャとの再会は読みながらも心から待望していた感動の場面で、みごとな筆。それ以上に、ピエールが燃えるモスクワに隠れて居残り、フランス将校の命を救い歓談しまたひとり惑乱して街上に彷徨のあげく、モスクワ放火犯かのようにフランス兵に逮捕されるまでの心理や言動の、いっけん不自然なようでおそろしいほどリアルな把握と表現には驚歎、讃嘆、言葉がない。深く呼吸して呼吸をとめ、瞠目のまま思わず知らず無心に首を振ってしまう。

* 世界史は、初期キリスト教会史に入っていて最も興味深い。グノーシス派など異端信仰の登場にわたしはかねて興味を抱いてきた。哲人皇帝マルクス・アウレリウスがキリスト教をつよく抑えたことも知っていた。しかもその皇帝の「自省録」をわたしはわたしの主人公の一人であるシドッチ神父に「愛蔵」させることで、自分の気持ちにある種の意義を添えたかった。
2005 8・2 47

* 八時に起きた。五時間足らずの睡眠。
まず急ぎたい論考に取り組み、次いで「ペン電子文藝館」に新しい「立て札」を二本立てた。しばらくは「館」のおおまかな道案内である。「開館と沿革」「館の構成」そして「歴代館長」「物故会員」のこと。おいおいに作品へ触れて行く。
明治の国会開設や憲法発布の直前に数多く生まれた、各界の憲法草案や自由民権の上書なども、昨年末の新設以来数多く貴重な史料を「主権在民史料」室に集めてきた、が、少し趣のかわる、岸田俊子(中島湘烟)の『同胞姉妹に告ぐ』をそろそろとりあげたい。
明治十七年五月から六月へかけて「自由燈」に書き続けた文章で、方面こそ異なるけれど、正岡子規の「歌よみに与ふる書」に似ていて、女権確立をねがう気概のマニフェストである。わが故郷京都の近代女性で、わたしはこの岸田俊子と上村松園とを最も優れた閨秀として敬愛している。
2005 8・6 47

* 「戦争と平和」は一つのクライマックスを、粛然と越えた。二日前から「それが始まった」という言い方で叙述されるアンドレイ公爵の、死生の「門」の厳粛さは未曾有の表現、いや絶後でもある表現で。わたしは、深夜、呼吸を忘れていた。
ひきかえ、「千夜一夜物語」の或る大臣兄弟と子孫の物語のおもしろいことは、堪らない。はじめてこの本をあっちこっちと自堕落に拾い読みしていたときには、挿入された無数の詩というか歌謡というかの面白さが、少しも解せなかった。訳もずいぶんでたらめに感じられたが、整然と順にしたがい読み進むと、このエエカゲンそうな詩句たちの顔つきが興味深い音色で耳に入ってくる。そして、荒唐無稽にみえる、事実荒唐無稽に違いないはなしのもつ底知れない面白さを堪能させてくれる。
仲の良い兄弟が仲の良さのあまりに、同じ日に互いに結婚し、互いに初夜に妻に子をみごもらせ、生まれた男の子と女の子とを結婚させようと「約束」するのだが、そのあとがおかしい。兄は弟に持参金はいくらかと問い、その多い少ないから本気の喧嘩をはじめてしまい、兄の留守に弟は家出して行方知らずに、兄弟はながの別離となってしまう。二人はまだ結婚もしていないのに、である。
こういう突飛な物語が奇想天外に展開するのに、そのリアリティを疑うより早くその面白さへ引きずり込まれ、読者は、シェエラザーデの話を「聴きづけて飽かない王様」とおなじ立場に立つのである。

* この按排では夜更かしは過ぎて過ぎて、もうアケ白む頃に寝るハメになる。今日は余儀なく午後四時頃にたまりかねて仮眠し、食後もさらに仮眠した。中・朝のサッカーで中国男子が二対零で勝った面白い試合をみた。今は日・韓男子が闘っているはずだ。
2005 8・7 47

* 熱帯夜で眠りにくかった。七時半には眼が覚めてしまった。その前の四時間あまりでも何度も眼が覚めた。仕方なく「丹波」を読み進み、「京薩摩」対談に手を入れていた。三時間と寝ていない。外出して、少し本格の栄養をとろう、体重も血糖値もさほどではない。夏バテの方が困る。わたしは小さい頃から夏は元気、秋ぐちには降参のタチであった。
2005 8・9 47

* わたしの愕くのはアラビアンナイトでなく、旧約聖書のエホバの神さま。
「出エジプト記」の後半から今「レビ記」のはじめまで、数限りなき細緻を極めた、民への命令(掟)。金銀の底抜けの要求、獣肉・獣脂・獣血にあふれた荘厳と火祭と供御。その香気の生臭さ。延々とまた延々とその要求と禁令とが続いている。
これに比べれば古事記や日本書紀のわが三貴神にせよ八百万の神々にせよ、人間に対しては何にも要求したり強要したり禁令したりしていない。そもそも日本の神話時代には、神ばかりで、人間がちっとも登場してこない、不思議なほど。

* 眠たい。明日は休む。明後日は歌舞伎。
2005 8・9 47

* 夏はもう終わりかけています
hatakさん  札幌も暑いのですが、この月曜ぐらいから、日中炎天下のうちにも、どこかに、かすかに、秋の気配を感じてしまうようになりました。北の夏は爛熟して終わるのではなく、ふっ、と気がつくといなくなってしまうのです。
「ペン電子文藝館」の「読者の庭」、私のオリジナリティを活かして、小論を書いてみたいと思っています。ネットで遺伝子配列や論文や特許情報を常時サーチしている読者としての視点がうまく表現できれば面白いのですが、どうなりますか、減らせるのは睡眠時間しかないので、興に乗って破綻しないよう、自重していきます。
『戦争と平和』残念です! 最後の「歴史論」をおいて、ピエールやナターシャやマリアやニコールシカ小公爵のことをもっと語って欲しかった。作中人物に「お別れの挨拶」をしないまま読み終わってしまいました。 maokat

* 『戦争と平和』は、マジに「戦争」を主題にしたひとつの「論考」なんですね。読者のねがいをいれるよりも遥かに広大な願望が、強烈な動機が、トルストイにはあった、「戦争は、どう起きてどう終わるのか」の「事理学論文」なんですね。
わたしも過去の読書でたいがい最後の所はナゲましたが、今度は読もうと思っています。そこへ行くまでにも、トルストイの筆は、戦場場面や戦争・戦闘・作戦展開の批評で耀いていました。端倪すべからざる鋭さで、戦争と平和が大波動する複雑怪奇な事情を腑分けして行くトルストイに、舌を巻き続けました。
愛すべき主人公達の物語はこの作品では上等なお添え物なんですね。
すばらしい作品です。藝術的な熟成では「アンナ・カレーニナ」はみごとですし、思索的には「復活」が素晴らしいけれど、小説世界の巨大さ、細部の表現の生彩まで、「戦争と平和」はとにかく骨太です。読まれましたこと、嬉しく、また年を経てきっと立ち戻り、べつの感銘も得られることと思います。
「読者の庭」楽しみにしています。三、四十枚で、求心力の論旨を、気負わずオモシロク展開してください。筆名か本名かは任せます。
わたしは、夏のうちの夏バテか、睡眠不足の祟りでしょうね、今日は枕から頭が上がりませんでしたよ。maokatさん、お大事に。気がつくと夏はふっといなくなっている…。いい表現ですねえ。 hatak
2005 8・10 47

* 長門の清酒、栃木のぶどう、そして奈良漬の大きな一樽、そして色川大吉さんの新刊を頂戴した。感謝。
2005 8・13 47

* せねばならぬ仕事に手をそえず、今日は三島由紀夫の「女方」を読んでいた。大岡昇平の「母」「父」にも心惹かれている。生田長江の戯曲「天路歴程」にも、倉田百三の戯曲「出家とその弟子」にも。また高見順の長編「生命の樹」にも。このところおちついて映画も観ていない。しかしイランとのサッカーの前半を観た。日本チームが好調に働いて一点先取して前半を終えた。後半は失礼したが、二対一で勝ったらしい。
2005 8・17 47

* 色川大吉さんの「昭和自分史」を読んでいる。
高見順の「生命の樹」も読み出した。通俗な私小説仕立てであるが、独特の饒舌体で言葉が口から滾れるぐあいに話し続けている。以前に読み、初期作品とくらべてどうかと惑った記憶がある。凛としたリアリティはない。私小説を、小説としてはぐらかして書きすすむことで、やはり俗な私小説を免れてはいないと感じるのだが、プロの書き手の長編を、出だしのところで決めつけるのはよくないかも。
秋元千恵子さんから歌人上田三四二評伝をもらっている。上田さんとは浅くはないご縁があった。秋元さんの筆致はきびきびと気持ちがいい。短歌で鍛えられた人には優れた文章家が少なくない。北沢郁子さんのエッセイなど、いま一段深みがあり懐かしみに富む。
2005 8・18 47

* 昨日のメールだが、いま見た。
今というのが早い。ほぼ一睡もせず本を読んでいて、四時頃に起きて機械の前へ来た。それからずうっと三島由紀夫「女方」に惹き込まれるように。とくに秀作とも言わないが三島の気が入っているのが一字一句ずつ校正しながら読み進んでいるととてもとてもよく分かる。面白い。
校正に倦むときれいな花の写真を何十枚もスライドショウで楽しむ。そして朝雀(じつは昨日の夕雀)の声を気持ちよく聴いた。
2005 8・19 47

* 三島の「女方」に惹きこまれて読んでいる。
寝ぎわに読んでいる本では、「アラビアンナイト」がいま面白い。ついつい頁を繰りすすんでしまう。
が、いちばん感嘆しているのは、自分も信じにくいほど「フアウスト」の第二部第三編あたり。藝術的な風に大きく煽られ、広大な世界へ自身も組み込まれているような。脚注の道案内を頼りながらであるが、面白い。ああこんなにも大きい大きい藝術世界であったんだと、つくづく首肯。早くも、「フアウスト」を三度つづけてまた読み返しそうな予感にとらわれている。
「戦争と平和」は、トルストイ懸命の戦争と平和=ナポレオン論に突き進んできている。おそろしいような、これは大論文。
『世界の歴史』は、中世の法皇権の確立過程を、ベネディクト修道院等の活躍とともに、読み進んでいる。
旧約の「レビ記」では、エホバのモーセを通してイスラエルの民に要求し続ける戒律や奉仕の夥しさに呆れながら、じっと我慢して読み続けている。
鏡花は「辰巳巷談」「玄武朱雀」「蛇くひ」「黒百合」「通夜物語」などと読んできたが、短編「蛇くひ」に戦慄し感嘆したぐらい。ほかに名作に出会えない。第四巻にうつろうと思う。
「日本書紀」はいま第十一代の垂仁紀。神武天皇が実在したかどうか、以降綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化の第九代までは「架空の天皇」だろうといわれる。第十代の崇神天皇が事実上「歴史的天皇」の肇ではないかとも。そしてこのあとも何人もの天皇の実在が否認されている。いま読んでいる垂仁天皇の治世には四道将軍のこと、埴輪のことなど、史実らしき確認の利くいろいろがある。だが第十二代景行天皇の実在に学者は否定的で、皇子日本武尊の実在も、胸をうつその伝説の生涯があるにかかわらず、否認されている。
バグワンは、やがて「老子」上下巻をまた通りすぎて行く。
そして、これに読み足して色川大吉さんの「昭和自分史」と高見順の「生命の樹」も読み始めた。これでは睡眠がとれなくても当然か。やれやれ。
2005 8・19 47

* 三島の「女方」を仕上げた。必ずしも傑作ではない、三島由紀夫らしい優れた読み物であるが、さすがにと感じ入るものを魅力的にもった小説。息子に送ってやった。
2005 8・20 47

* 京都へ五時前に入る。車中で、中澤かねおさんの作品を通読した。
2005 8・22 47

* 角田光代さんが、近作二冊と手紙をくれていた。 この教え子の作家になってからの作品に接するのは、これが初めて。妻の方がさっさと持って行ってしまった。
2005 8・23 47

* トルストイ「戦争と平和」の物語、オードリー・ヘプバーンのナターシャ、ヘンリー・フォンダのピエールの物語が、大詰めを迎え、そしてこの大作の動機 (モチーフ)である戦争と平和=ナポレオン論も、精魂込めた論議に入る。今度は避けずにそれも読む。
数度目の読書でわたしはトルストイの関心の核心「戦争と平和=ナポレオン」へ興味の焦点を重ねている。だが、それはそれ、劇としての「物語」はすばらしかった。この物語を偉大な通俗小説ととなえた日本のわが先達たちのちいさな「さかしら」を、わらいたい気持ちがある。
その一方で、今日のわが文藝雑誌などの貧寒と倦怠感は、気の毒なほど。ま、『戦争と平和』や『アラビアンナイト』や『世界の歴史』と同時に読み比べられては、泉鏡花ですらアプアプしているのだもの、当然か。
鏡花の「鴬花径」も、なんだか夢魔にうなされた譫言のようであった。全集(春陽堂)第三巻は、所詮短編「蛇くひ」の詩的高潮を以て代表させるほか、堅固な成功作は見当たらない。
荒唐無稽であるにかかわらず『千夜一夜物語』には比類ない独自の磁場が出来ていて、容赦ない強力がわたしをひっつかんで、物語へ引き摺り込む。気が付くとどんどん頁数がはかどっていて、つまり夜更かしになる。確かな確かなものが在るのだ、語り口の奧に。いま読んでいた時期の鏡花作には、その「確かさ」が欠けている。出たとこ勝負に奇態な日本語を、乱れた蜘蛛の糸のようにふきだしている、だけ、とも言える。

* いま一つ新しい「やまとことば」の本も、わたしは読み始め、引き込まれている。
2005 8・25 47

* 読書に興奮し、眠りづらくなり、二時間ほどで起きてしまい、「朝まで生テレビ」の議論のための議論もいやになり、すると幸いジョディ・フォスターの「羊たちの沈黙」の途中にぶつかった。この映画のジョディ・フォスターはすばらしく、アンソニー・ホプキンスにも不思議な魅力がある。二人の心の通った緊迫のドラマに惹かれるのだろう、気持ちのわるいストーリーなのに緊迫ゆえの清潔感がある。しょせん「朝まで生テレビ」など、したり顔の俗人どもの我は我はを見せられるだけ。それよりは「表現」されているものの美や緊迫に心を惹かれる嬉しさを取るのは当然だ。

* 同じことをより嬉しくいうなら、ああ何という「ファウスト」の感動だろう。むかし、初めておろおろと頼りなくこのゲーテの作にふれた時、第一部はまがりなりに掴めても、第二部には途方に暮れたのだが、しかもわたしは「結婚」という一語で第二部の性格をなんとか感じ取っていた。ギリシアとゲルマンとの「結婚」という風に。そしてそれは間違ってはいなかった、よほど正確であった。少なくもギリシアの美の極致であるヘレーナといわばゲルマンの智の巨人であるファウストとは、魔法の世界でではあるが結婚して「子」をなしている。その「子」がイカルスかのように冥府に堕ちて行くとき、母ヘレーナもまた我が子に付き添って去って行く。そのあたりまでの壮大な詩の展開には魅了という言葉の真髄がはたらいている。ファシネーションの極限の表現と言おうか。わくわくして、胸の高なりが鎮まらない、これでは眠れない道理だ。だが、幸せを覚える。
「アラビアンナイト」もまた然り、「旧約聖書」の尽きる事なきエホバの戒、モーセの指導にも圧倒される。さらに「景行紀」に鳴り響くいまや日本武尊の叙事詩の展開。「バグワン」も、また。

* で、わたしは四時前から起きていて、機械の前で、だいぶ仕事もした。していて、二三度気がついたがADSLの調子がよくない。ピキピキと間歇音がしている。わたしの機械のせいか、サーバーの方で何かしら整備しているのか分からない。これが悪くひっかかると、メールが使えなくなる。機械のことは、ワケが分からない。
2005 8・27 47

* 保谷に着く直前に、昨日から読み始めた中河与一の『天の夕顔』を読み終えた。複雑な感想ではない。筆致やはこびと同じく、かなりおおまかに書いてしまえる。中学か高校の初めに読んで感動した。少なくも五十五、六年経て読んでみて、少し恥ずかしく照れてしまう。ヒロインの表現も典型的というより概念的・理念的な設定の所産と感じられる。浪漫的というキマッタ看板に作者は酔ってしまっていないのだろうか。あらすじを書くような筆の運びは、或る意味で参考になり、藝としてうまい。こういうふうに書いて欲しいといまどきのややこしい小説の書き手にちょっとお手本に見せたくもあり、必ずしも推奨する気はしない。昭和の『滝口入道』(高山樗牛)みたいな気がしたというとアテズッポウ過ぎるだろうか。わたしは、こんな風に男も女も洗い清めた瀬戸物のようには書けない。
2005 8・31 47

* 中河与一『天の夕顔』の余韻が身内にある。
どんなきっかけで、どんな版で読んだかも忘れているが、はっきり覚えているのは、この小説は、わたしが独りで読んだのでなく、「妹」と二人で読んだのだった。
なにもかも書いてきた周知のことであるが、わたしは新制中の二年生三年生ころ、いまの何必館主(京都現代美術館)梶川君の三人の姉たちと、わたしの人生を左右したかと思われるほど深い気持ちで親しみあった。姉はわたしより一つ上級生であったから「姉さん」と呼んでいた。下二人はわたしの一つと二つ下の学年にいた。「天の夕顔」は、経緯は全く記憶にないが、そのうち一つ下の「妹」と読みあって、二人とも大いに感動したのであった。だいたいこの妹とは、「ケンカ」していた時の方がずっと多かったけれど、この本に、いやもう一冊「細雪」を読みあっていた頃だけは、不思議と気持ちが寄り添っていた気もする。
それからはもうポーンとなにもかも途切れてしまい数十年になるのだから、そして可愛かった一番下の妹は亡くなったとすら風の便りに聞かされているのだから、往時渺茫、あまりにはかない。
今度読み返してみて、しかし、あの時代、あの年頃の、読書好きな少年少女であれば、この作品に感動しない方が可笑しいかも知れないという気がした。
当時わたしは、もう源氏物語は与謝野晶子の導きで繰り返し暗記するほど読んでいたけれど、もともと、宇治の物語で大君が薫を振り切る話だの、ジッドの「狭き門」でアリサがジェロームだったかを拒みきる話だの、ゲーテの「若きゥェルテルの悩み」でヒロインが青年ウェルテルを受け入れずに死へ追い込んで行く話だの、またバルザックの「谷間の百合」にしてもそうだったが、その手の「心こわき女」をあまり好きにならなかったものだから、小説を書き始めても、とても「天の夕顔」みたいな恋愛を書く気はしなかった。だから、というのも可笑しいが、中学生の昔、わたしは「姉さん」を「姉さん」とは別の恋の対象のように想うことなど、わたしの方で強く避けていたと想う。「姉さん」はむしろわたしには「母」であった。恋をする可能性は妹との方にあったろうけれど、どうしたものか、いつもきつい「ケンカ」ばかり。のちのち聞くと周囲の眼には、そうでもなかったらしいのだが。

* 「天の夕顔」の著者中河与一を、小説を書き始めたわたしは、むろん忘れるどころではなかった。初の私家版を造ったときも、すぐ住所を調べて謹呈した。折り返し「遊びにおいで」と手紙でお誘いがあった。その後も二度三度あった。その後の長い間、亡くなるまで本もお送りしたし、簡単な文通もあったけれど、ついに一度もお目に掛からなかった。気後れでないにしても、何かしら「ご迷惑」を憚る気持ちが、誰方との場合にも、先に動くのだ、わたしは。瀧井孝作先生のように突如お電話が来て、「すぐいらっしゃい」では、八王子まででも即座に出かけて行くしかなかったけれども。
中河与一という作家には、経緯は知らないが、かなり公然と戦後文壇から「逐われ」ていた印象が、いや事実が、あった。そういう「文壇」なる権力をわたしは今でも嫌っている。ワケは分からないが、明らかに世界的に高く評価された名作「天の夕顔」の著者ではないか、と。中河さんは横光・川端とならんで「文藝時代」の同人の一人であったのだ、もともとは。
この作品、国内の文壇には全面黙殺されたが、与謝野晶子、永井荷風、佐藤春夫その他、「文壇」外の優れた文学者や詩人や知識人らには絶賛された。海外では、カミュその他著名な大勢の文学者から、実に公平に高く称讃され、翻訳され続けたし、わが国内でも、わたしや「妹」のような少年少女に至るまで、江湖の読者を爆発的に獲得し、永く今日まで版数を重ね続けている。それに優に価する名品なのである。
しかしこの著者は、日本文学社会では極端な不遇の人であった。通俗虚名であったからではない、その逆の、極北に位置するほど清潔無比、高邁な精神的な恋を書いて成功していたのである。
とはいえ、今日のシブヤやシンジュクにたむろする少年少女たちの目に、この恋がどう映じるかは計り知れない。存外ものすごく受けるのかもしれない。そして何かが変わるのかも。日本浪漫派の重鎮安田与重郎は、「解説」で、文学とはいかなる価値かを高らかに説き、文壇をつよく批判して、いかにこの作品が優れているかを胸を打つ熱意で書きつづっている。その核心部分では深く聴くべき言葉がある。(わたしは日本浪漫派の思想に与しうる性向を持たないのだけれど。)
わたしは一度中河さんの谷崎論を書評したことがある、が、忘れた。さほどの印象を持たなかったのであろうか。
2005 9・1 48

* 『日本書紀』という名は「日本書の帝紀」の意味である。「日本書」とは日本の歴史のこと、「魏書倭人伝」とか「韓書」「後韓書」というの類。日本書紀では、天皇帝王の治世で巻が送られ、記事も帝政の経年で書かれてある。その定例を読んでいると「朔」という字が必ずあらわれる。何年何月の「朔=ツキタチ=ついたち」に、と。昔の暦では一日とは「月立ち」であった。今では京都の月行事の「八朔」にこの字がその意味でのこっている。
2005 9・1 48

* トルストイ「戦争と平和」は、本編が第十五篇まであり、アンドレイ公爵に死なれたナターシャは、アンドレイの妹公爵令嬢マリアと暮らしている。そして伯爵ピエールの来訪再会により、衝撃の、しかし予定調和にも似た新たな愛の確認ができる。マリアはそれをいとおしく眺めているところで終える。
が、そのあとへ「エピローグ」が二篇書き加えられ、その一編は、幸せな幸せなナターシャとピエールとの、また結婚したマリアとニコライ・ロストフ伯爵 (ナターシャの兄) との家庭生活が、生き生き描かれて、ピエールを熱烈に尊敬している少年ニコーレンカ・ボルコンスキイ若公爵(亡きアンドレイの遺児、マリアの甥)の目で、未来が、ソッと覗き込まれるように、この人達の物語は明るく結ばれている。
MAOKATさん、此処までは読んだのかな。
そしていよいよエピローグ第二篇として、戦争と平和の議論が始まる。其処を、今夜から読み進める。
2005 9・2 48

* 昨日、三好徹さんに頼まれた「わたしの森敦」「思い出すこと 井上靖と大岡昇平」の二篇を、わたしの「e-文庫・湖(umi)」から取り出して、ひとまとめにして「ペン電子文藝館」に送りこんだ。併せて三島由紀夫の「女方」に略紹介を入れ、入稿した。今は著者希望で、会員望月洋子さんの『ヘボンの生涯と日本語』から、第一章「ヘボン維新前夜の日本へ」を入稿すべく通読している。新潮選書のこの本は讀賣文学賞を受けた。望月さんの伴侶であった渡辺実元京大教授(国文学・国語学)が、わたしの実父方の遠い親戚に当たるらしい、くわしいことはよく知らないのだが。
同じような親戚筋の人がもう一人ペンクラブにいる。
2005 9・2 48

* 和泉式部の歌をメールで読み、わたしもすこし思うところを書き写してから、階下で、寝床で、八種類の本をつぎつぎ読んで、灯を消したのは一時半ごろか。
三時半頃一度起き、五時半には黒いマゴに、あちこち噛んで起こされた。起きなさいというのだ、踵や二の腕や頬をかるく噛みに来る。ま、いいかと起きた。妻も起こされた。このマゴめ、人を起こして少し食べて、自分だけもののかげへ引っ込んでまた眠る。

* 夜昼顛倒の暮らし、よくないよと黒いマゴは教えてくれているのだろう。
2005 9・4 48

* 出がけに、男性の二百五十枚はあるか、小説一編のプリントが届き、鞄に入れて出かけた。
2005 9・9 48

* 成瀬巳喜男監督の映画人生を、現場のいろんな証言で構成された映像番組を、おもしろく観て、それから八冊の本を順に読んで、寝た。そして黒いマゴに四時半に起こされ、六時前に起きて連載エッセイの用意をしたり、「ペン電子文藝館」原稿の校正をして送ったりしていた。さっさと投票に行き、昼間すこしやすもう。
2005 9・11 48

*「憂愁」の化身を追い散らして、フアウスト博士の言い切るこんな言葉を読んだ。(佐藤通次訳)この場面のフアウストは王者のごとくあり、欠乏と罪責と困窮の化身たちには近づくすべがない。ただ「憂愁」だけはものを言い掛けるが、フアウストは拒む。
原作者ゲーテは、この場面のフアウストは自身で百歳と考えていることを側近の友エッケルマンに話している。

おれは、ただもう世の中を駆けて通った。
どんな歓楽をも、その髪の毛を掴んで捉えた、
意に満ぬものは突き放し、
逃げ去るものは、勝手に逃がした。
ただもう、望みを掛けては、ただもう、望みを遂げ、
また、あたらしく願いをいだいて、勢いよく、
生涯を駆け抜けた。はじめは威勢がよかったが、
今では賢く、思慮深くやっている。
地上の事はもう十分に知りぬいた、
天上を見わたす道は吾々には鎖されている。
目映(まば)ゆそうに天上へ空しく眼を向けて、雲の上に
自分と同じ者がいると想うのは、莫迦者だ!
足をしっかと踏みしめて、今・此処で周囲(まわり)を見まわすがよい、
有為な人間に、この世は口をつぐみはせぬ。
なんで永遠などへさまよい入(い)る要があろう!
人が認識するものは、手に掴まえることができる。
こうして地上で日々を送ってゆくがよい。
幽霊が出没するとも、かまわずに我が道を往(ゆ)け、
進み行くうちには、苦もあろうし、楽もあろう、
どうせ、どの瞬間にも満足したりせんのだ!

* 安易には読めないが、ゲーテの毅いものがあらわれて、深夜わたしを背を押すように近づいた。
2005 9・11 48

* 那珂甲子雄さんの書き下ろし長編小説「夏はすぎても」を「e-文庫・湖(umi)」の書き下ろし長編・小説の二つの欄に掲載した。
「e-文庫・湖(umi)」肇めてこのかたの力作(投稿)長編であることを疑わない。秀作と言い切っても佳い。
作者は名の示すとおり一九二四年、大正十三年甲子の生まれ、今年(二○○五)はもう傘壽も過ぎておられる、しかもこれは末尾脱稿歴の示すとおり、今日只今の創作であり、筆力の確かさに驚く。「夏」の一字に託されたのが、人生の夏という以上に、あの敗戦の夏であることは察しがつく。大きな川の流れのように書かれながら、作者はたんなる経時的記録構成を排し、全編にアヤをつけている。新奇でも珍奇でもないが、動機のつよさが表現によく反映している。こういう才能に嗅覚の及ばない当節出版・編輯のちからを、思わず慨嘆する。未萌の若い書き手たちよ、刮目して批評・批判し、励まれたい。:敬老の日に先だちて掲載。  湖

* 那珂甲子雄・・・  甲子  05.9.14
ありがとうございます。小学四年生だったころ、歴史の時間で、遣唐使・小野妹子の話になりました。そのとき先生が黒板にわたしの名前を大きく書き、「子」という字を女の子の名前に使うようになったのは武家社会に入って以後のことで、その前までは男子にも頻繁に使われたものだ、と話されました。
ある同人のWEB から誘いがかかったことがありました。もちろんメールだけの交信でしたから面識はありません。年齢を聞かれ、「名前からおわかりのとおり、甲子園ができた年です」、と答えましたところ、「お父さんは余程のプロ野球ファンだったのでしょうね」という返信に、足を遠ざけてしまいました。
「中かねお」と思ったこともありましたが、先達に「中勘助」があり、「中」一文字に未練は残りましたが、あやかり根性と思われるのも嫌で、あきらめました。
「那珂 甲子雄」 後尾の「雄」がじゃまな気もするのですが、いかがでしょうか。 なお、HN の「甲子」はそのまま続けたいのですが・・。
長いものをお煩わせいたし、感謝いたします。もう、つぎに書くものに手をつけました。
かっ、と照りつけています。少し暑いようですが、軽装でいられるのがなにより。
夏ばてのなごり、お気をつけ下さいますよう・・・   甲子

* 全編を出来る限り丁寧に読み、改行の曖昧なところ、不審な化け記号などもみな私なりに斟酌して落ち着けまして、「e-文庫・湖(umi)」の小説欄と書き下ろし長編欄の二個所に掲載しました。 おみごとでした。
私には苦になりませんが、未熟な読者は時制(テンス)にやや立ち止まるだろうと思います、が、安易に経時的に書かない力技に務められた気魄で、成功していると思います。会話の多用と練達とが、全編を、佳い小説の空気で包みました。
感謝します。「e-文庫・湖(umi)」が重きを加えました。 湖
2005 9・14 48

* 聖路加へ行く妻にくっついて早く家を出た。銀座一丁目で別れて地下鉄をおり、さて日射しのギラギラする銀座通りにヘキエキし、以前歌舞伎座の帰りに寄った地下のイタリア料理の店に入って、スペシァルランチを注文。ちいさいビールと、可愛らしい女の子がわたしの顔を見ながらなみなみとサービスしてくれる赤ワインを二杯。そして中世ヨーロッパの歴史を楽しんだ。
2005 9・15 48

* 一昨夜に、ゲーテ『フアウスト』の二度目を読み終えた。一度目は鴎外訳で、二度目は佐藤通次訳と補注を参照しながら。いかに鴎外訳でも、ちくま文庫には有効な注も解説もなく、ただもう読むだけの不親切本だが、旺文社版の佐藤訳は鴎外訳に敬意を払いながら専門家らしい「注・解説」が親切で、とても助けられる。やはりそれがないと、今日の日本人にラクに読める大作ではない。
おかげで、二度目の感銘はさらにさらに深まって、陶酔感覚すら屡々あじわうことが出来た。大作の構成・構造、ゲーテの意図や動機や主題までかなり掴めたと思うので、躊躇なくもう一度今度はディテールの表現や詩想・思想に立ち止まり立ち止まり読み直そうと思っている。
大学の一般教養で「教育原理」を講義された志賀教授が、口を酸くし、われわれは耳を蛸にして「フアウスト」を話され、また聴いた、が、なにもあの大教室ではつかめなかった。
一度だけ何かの本(高橋健二訳)で通読したが、あいまいな受容であったから、今度友人から本を贈られて読み直すまでにこの作品はほとんどわたしのからだには爪痕の一つ二つのほか残していなかった。すばらしい体験を与えられて、譬えようもなく感謝している。
2005 9・17 48

* バグワンの「老子 TAO道」上下巻を音読了のあと、次はまた『ボーディダルマ 達磨』を読み始めている。
「仏陀の道には果報などというものはない。なぜなら、果報を求める欲望そのものが貪欲な心(マインド)から来ているからだ。仏陀の教えのすべては無欲であることの教えだ。」
「瞬間から瞬間を内発的に生きよ。」
「<道>に入るには多くの小道がある」などとボーディダルマが言うことはありえない。「真理に至る道がある」とすら達磨は言わない。「彼の全アプローチは、”あなたこそ真理だ”ということだ。どこにも行く必要はない。むしろ”行く”ことなどやめなければならない。そうしたら真理の在る”我が家”にとどまることができる。」「すべての道が誤った場所に向かう、というのがボーディダルマの姿勢(アプローチ)だ。」「どんな修行も必要ない。あなたは現在在るべき場所に在る。」必要なのは早くそれに気付くことだ。「ボーディダルマはほかの誰よりも『信ずる』という言葉を嫌う。信念などけっしてあなたの眼にはなりえない。それがもたらすのは光でなく、先入観や意見や観念だけだ。」
そういうことをバグワンは言いながら、達磨の言説と伝えられた文献のなかの、虚妄・誤解と、金無垢の真実とを、厳正に選り分けて行く。バグワンの透徹がすばらしい。また数ヶ月、わたしは達磨にも聴きバグワンにも聴きつづける。
2005 9・18 48

* 今日は惘然と遊んでいた。一日中、機械の前でうとうとしていた。気が付いてみると「ペン電子文藝館」の仕事の手を全く止めている。すると、わたしの時間はこんなにラクなのである、ラクだからよいということはなく、それならそれで、すべき仕事は山になっているが、この時期、本当に心身をやすませる必要がある。ゆっくりした気分でいたい。
日付が、わずかに動いた。もう、やすもう。いま鏡花は「湯島詣」を読んでいる。トルストイの「戦争と平和」論は遅々としているが、読み飛ばさないで思考を受け入れ受け入れして読み進めている。旧約聖書もじりじりと読み進んでいる。「世界の歴史」は快調に、いましも第一回十字軍の聖地奪回と暴虐のかぎりを。
ポーランドとコサックの闘いを描いた映画「隊長ブーリバ」はややドラマとして単調だったが、写真は綺麗。ユル・ブリンナーは嵌り役。トニー・カーティスはすこしとらえどころのない俳優。ヒロインのクリスティン・カウフマンも温和しすぎた。しかし映画の舞台キエフや大草原の時代は興味深い。コサックという「戦争と平和」の軍隊内ではやや下目にみて白人に追い使われているが、果敢な騎馬の兵士たちであり、匈奴やフン族やデーン人や、蒙古やタタールなど、いろんな強烈な闘士たちのこともあわせ想われる。裁くとはまた一味異なるアジアとヨーロッパのあわいに拡がった草原世界のことは、詳しくない丈に興味も津々。
2005 9・19 48

* 昨夜は潰れるように寝た。バグワンと日本書紀は音読し、『ファウスト』は読んだが、もうそれ以上はダメだった。

* 七時半に起き、キッチンでひとり全集版『日本書紀』三冊の上巻「解説」に読みふけった。上巻本文は昨夜に読了、今夜から中巻に入るので、本をしまうまえにと思った。
「解説」とはいえ、専門家が分担して書いている学術的なレビューであり、分量も今朝読んだだけで文庫本のうすて一冊に及ぶだろう、とても興味深く、吸い込まれるように、いや吸い込むように、二時間ほど、傍線をいっぱい引きながら、夢中で読んでいた。読んだ限りは概ね理解しアタマに入った。本文をいましも応神紀最後まで読んでいたからだし、また先だって読んだ(もうずいぶん以前とはいえ)『日本の歴史』最初の数巻の記憶が有効に生きていた。こういう論説文にくらべると、昨今の評論やエッセイ・小説のほうがよほど呑み込みづらく感じる。

* 一つ、私としたことが長く見落としていたことに気付いた。
主に神の名前の末尾についている「ミ」の音である。わたしは長い間「山津見(ヤマツミ)」「海津見(ワタツミ)」を山の民、海の民と読もうとしてきた。それで適切な場面の多いのは事実であるが、「ヒコホホデミ」の「ミ」などに注意が足りていなかった。
「やまツみ」「わたツみ」の「ツ」が「0f=の」である以上、これは「山の神」「海の神」であり「み」という神が水神である蛇神・竜神なのもあたりまえであった。神武天皇のいわば本名として「ヒコホホデミ」がいわれており、父は、その母で海神の娘である「トヨタマ」が蛇体に身をかえて産んだ「ウガヤフキアエズ」であり、母は「トヨタマ」の妹「タマヨリ」である。そして「とよたま」の夫がまた「ヒコホホデミ」の名を持った。彼こそはあの釣り針を求めて海宮にいたり「ワタツミ」の娘「トヨタマ」を妻にした「ヤマサチ」即ち火遠尊であり、降臨した天孫「ニニギ」の子、母は「ヤマツミ」の娘「コノハナサクヤヒメ」である。二重三重に「山の蛇」「海の蛇」を肉親にはらんでいた神の子として人皇第一代に神武天皇は即位せしめられている、神話的・歴史的に。
むろん、推古朝から天武朝を経て数十年にわたる日本書紀編纂者たちの、壮大深遠な、意図周到な架空の創作であった。
神武天皇から仲哀天皇にいたる十四代天皇は、歴史的には架空の所産、日本書紀の意図には、「応神・仁徳」朝を以て我が日本国歴史時代の創始を、暗に確認、する大修史事業であったらしいと、研究の成果や到達は、かなり明快に結論している。
2005 9・24 48

* 一時。やすもう。巻が変わって鏡花の先ず『湯島詣』は佳い作品だった。神月梓は例の鏡花風で男性としてそう頂けないが湯島の藝者蝶吉の造型は天衣無縫しかも情実備わって、姿も言葉も心根も気負いもお見事というしかないハツラツの活写を得ている。読んでいてなるほど鏡花が描きたくてたまらない女性であり、例えば明らかに『歌行燈』のヒロインへ繋がる。彼女が伊勢の海でひたすらいじめられる場面と蝶吉の痛苦の場面は呼応している。また蝶吉の切符には溯って『貧民倶楽部』のお丹に繋がっている。
『湯島詣』は悲劇である。心中ものである。鏡花がこのようにして作中のいとおしい男女を二人とも殺してしまう性癖は初期作にすでに見えていた。『歌行燈』の如きはハッピーな一例で、さてこそ名作の資格もそこにあった。
さて、『湯島詣』の次に一台の代表作として『歌行燈』にならぶ『高野聖』が出て来る。これにもわたしは夙に注釈を書いて公にしている。よく心得ているのでとばして味読の作品へ行くかどうか。階下へ降りて気合いで決める。
2005 9・25 48

* 鏡花全集をぱっとあけたら『葛飾砂子』があらわれたので、それを読み始めた。眠かったのに目がパチンとさめて読み進み、強いて電気を消したけれど寝つきにくかった。床へ入ってから、つい文庫本(四種類)を先に読み、次いで大判の旧約聖書と鏡花全集になる。おもしろいのを最後にすると眠さが飛んでしまう。最後に『戦争と平和』終末の論文か、聖書「レビ記」の際限なきエホバの掟か、にすれば睡魔を呼び出しやすいか、な。

* 音読の『日本書紀』は第二冊めの冒頭、仁徳天皇を読んでいる。応神・仁徳陵の巨大なことは世界的に知られている。この二人の大王(天皇)から日本の確実な歴史時代は肇まったと学者たちは言う。なかば神代の神武はもとより欠史八代は架空としても、わたしは永らく第十代崇神天皇からは歴史時代かと想っていた。天皇たちの長い長い和風の名前をていねいに腑分けしてゆくと、神武天皇から十四代仲哀天皇までの名前が、後世からの潤色・造作であることが透けて見えるのである。逆にいえば伝説伝承をもとにもしたであろうが、実に苦心の創作・脚色がなされていたということ。日本武尊の事蹟も、なにらかの民族の記憶を繍いこんだはなはだ優れたフィクション、タペストリーの繪なのであった。それもまた、佳いではないか。

* もう一冊のバグワン音読は『ボーディ・ダルマ 達磨』である。実在の大覚者達磨和尚の名で、三つのそう長くない法話が遺されている、が、達磨自身の述作ではない、弟子筋の「記録」やさらにその解釈や翻訳を経てきたモノである。釈迦もイエスも達磨も、真に悟っていた人達ほど自身の手で書いたものは何一つ遺さない。その名で伝わる「言葉」はすべて後世の記憶に基づく解釈や翻訳以外の何者でもなく、当然(悟ってはいない)筆録者たちの未熟な賢しらや誤解にまぶされている。覚者にはそれが見える。バグワンにはそれが見える。経文や本文のどこが達磨から真に出た言葉か、どこが後世の善意の誤解によるまちがった解釈や翻訳かがバグワンには分かる。(わたしは、それを信頼する。)この本は、そういうおそるべき「腑分け」本なのである。わたしは、ただただ無心にバグワンに聴くだけである。声に出して読んで耳に聴くのである。
2005 9・26 48

* 世界の歴史を読んでいると、ときどき眼の覚めることがある。ヘェ、そうなのかと。
中国史で、「公侯伯子」の爵位の起こりや、「郊外」の初出にフーンとおどろいたり、ブルジョアよりもはるかに遠く、古代ローマにすでに「プロレタリア」の称呼が通用していたこと、「達者(パーフェクト)」という言葉がキリスト教のある種の混乱期にある種の覚者の意義で通用していたこと、など。
求めて得る知識ではないが、自然に飛び込んでくると、ひとしお興がり、楽しむ。嬉しくもある。
むかし、「徳(バーチュゥ)」とは、たとえばコロンブスやマゼランのような大航海時代の「船長」こそが備え、また絶対に備えていなければいけない資格であったと教わり、あれが、「一文字日本史」の冒頭に「徳」を置いた動機になった。
先日観た映画で、潜水艦の艦長が戦死し、引き継いだ副長が、敵攻撃から身をかわす必死の漕艇に際し、ウカと、「おれにもどうすればいいか分からないが」と口にした。
後刻ベテランの士官(チーフ)にものかげで、「ああいうことを艦長は絶対口にしないで欲しい、それが兵士の命を危険に陥れるからです」と警められていた。艦長は「徳」つまり、絶対に深く広く正しい判断と言葉と人格を持っていなくてはいけなかった、今も、そうであろう。
「徳」乏しく唇薄き政治家に率いられている「国の不幸」の身にしみる秋(とき)である。
2005 9・29 48

* 妙なことを言うようだけれど、ゲーテは、不朽の大作『フアウスト』のなかで、「男と女」につよい関心を披瀝し続けている。
第一部がフアウストとグレートヒェンの悲劇的な恋の経緯であり、それに倍する第二部がフアウストとヘーレナとの時空を超えた恋慕の出逢いと別れであってみれば、当たり前のことであろう。
その上で場面場面に立ち止まってよく耳を澄ませば、聴かずにおれない厳しい至言にしばしば出逢う。例えば、今は世俗の大学者をもって任じているかつての学生ヴァーグネルは、悪魔メフィストフェレスを前に神妙に述懐している、「今までわたしは年寄、若者、いろんな人にいろんな問題を持ち込まれて、赤面させられてきたのです。一例を言えば、『霊と肉とは、こんなに見事に適合して、けっして分離しないように、堅く結び合っている、それなのに、しょっちゅう日々の生活を辛くしている、それをこれまで誰ひとり会得した者がない』というようなことです」と。
老碩学に化けている悪魔は、即座に「お待ちなさい! それを問うほどなら、むしろ『男と女とはなんでこう折合が悪いか?』と問いたい。あなたなんぞには、所詮この点は分かるまい」と突きつける。霊肉一致なんかではない、もともと男と女は一体であったはずでないかと、悪魔の皮肉はきつい。作者ゲーテは往々悪魔メフィストフェレスの口を借り、痛いまで辛辣で厳粛である。
「男と女とはなんでこう折合が悪いか?」
これほど普遍的な不審を、他にそう多く人間は持たない。この難問を突き抜いて行くのも名作『フアウスト』根底のモチーフであろう、少なくもその一つの。
ペネイオス河の下流で、レーダと白鳥の相愛を幻想するフアウストその人の詩句は、うっとりするほど美しく艶めかしい。
彼はやがて、探し求めた「フィーリュラの名高い息子」ヒーロンの通りかかるのを呼び止め、その背にのせられ、憧れの世界へと運ばれるが、フアウストはその背中でヒーロンに問いかけるのだ、ヒーロンの出会ってきた最高の男(ヘラクレス)のことや、「いちばん美しい女」について話してくれと。
「なんと言う!……女の美などはつまらんぞ、とかく凝り固まった外形に堕しやすい。美としてわしが褒めることのでききるのは、いそいそとして生を喜ぶ心から湧くもののみだ。美女は自分だけがいい気になっているけれど、優雅こそは抗いがたい魅力を人に及ぼす、いい例が、わしの背中に乗せてやった時のヘーレナだ」とヒーロンは答えている。自分があの「ヘーレナ」と同じ背中に乗っていると知りフアウストは感激する。
「女の真の美は凝固した外形の美にはない、活きた優雅(=エレガント、グレースフル)のうちにこそあるとは、レッシング、ゲーテ、シルレル等の見解」であったと佐藤氏は訳注に書いている。ファウストは美(ヘーレナ)、メフィストは醜(魔女)へのいわば愛欲をもって作品世界を宏大に飛翔しているのだった。
『フアウスト』は形而上学へ希釈される観念の作ではない。
男と女との情念を殺さずに昇華される、信仰の告白なのである。
それに似た信仰をわたしは、遠い昔、例えば百人一首、伊勢の御の歌などに教わっていた。

* 難波潟短き蘆のふしの間も逢はでこのよを過ぐしてよとや  伊勢
2005 10・4 49

* 輪島ときくと反射的に「鏡花」と想ってしまう。とくにこれという作品を思い出すわけでもないのに。「海」を感じ、そして「泉」の姓、それから出たに違いない「白水郎」という名乗り、それが往古「あづみ」の海士たちの名乗りでもあったこと。そういう一連の聯想が脳裡で飛沫(しぶ)くのである。

* きのう、鏡花研究者である委員から、受け持たれている学生(一年生)の、鏡花感想のレポートを送ってきてもらった。よく書けていた。「読者の庭」にすぐ掲載するには、具体的な作品にまだ触れていないのだが、もし、その学生に、鏡花の作品論なり鑑賞的な感想文なりを纏めてみたい気があるようなら、「ペン電子文藝館」に現に掲載されている二作品、小説「龍潭譚」と戯曲「海神別荘」に関連した、幾つか、ポイントになる「質問」をあげ、答えてもらえるといいがと、委員に返辞しておいた。一年生では、まだそれまでの気はないかも。

* 鏡花全集はいま第三巻の「湯島詣」「葛飾砂子」についで「註文帳」を読んでいる。まだ佳境に入らない。
2005 10・5 49

* 能村登四郎さん最晩年の句集「羽化」と、文庫本になった生涯の選句集を、嗣子である能村研三氏より贈られた。嬉しく。文庫本を早速鞄にいれ、午後一番の電子メディア委員会に出席した。
2005 10・6 49

* 加賀乙彦さん、李恢成さん、小沢昭一さんらの新刊も戴いている。堂免信義氏の『日本を滅ぼす経済学の錯覚』もおもしろい。
旧約聖書はとうどう「レビ記」を読み終えた。この延々のヱホバの訓戒集にはかなり音をあげたが、読み飛ばしはしなかった。時間をかけた。
2005 10・6 49

* 朝日子著作の「徽宗」をスキャンして読んでいるが、よくこれだけを二十歳前に書いたと、正直の所おどろいている。独創性をいうのではない、課題が「人物中国の歴史」の一人なのであるから、根底は「調べ仕事」になるが、調べたことをどう表現するかは才能である。朝日子には、穏和な文章のこだわりなさと、調べ仕事をナマのままに書き並べて済ませない、強いていえば藝術的なセンスが育とうとしていた。
小さいときからいろいろ書かせて、どのように推敲するかを教えていた。この一文は、二十歳になったときの、父親へ提出した卒業論文なのであった。平明に書けたいい文章を読むのは楽しい。いま楽しんでいる。
お茶の水女子大の卒業論文は「ムンク」であった。これも読み直してみようと思う。やす香を抱いてパリで暮らし始めた記念は、いま「e-文庫・湖 (umi)」に載せてあるが、「パリ通信」という私信めく文集も朝日子は保谷の家に置いている。これも読み返して復刻しておいてやりたい。
朝日子はいま碁打ち仲間との交信を楽しんでいるらしい。碁にふれた川柳だか俳句だかのコンクールで、末席の方に駄句を入選させている。そういう境涯もまた心身健康ならいいであろうが。
2005 10・7 49

* 朝日子の書いた「徽宗」をスキャン校正し終えた。ほう、といろいろ教わった。よく調べ、よく参考文献をかみ砕いて、二十歳の筆とは思えない、気負わずゆったりと書かれた、しかも悲惨な一皇帝の人生であった。この皇帝の悲惨は自ら招いたと言えなくない。君臨する人としても政治家としても、最低に無責任な皇帝だった。そんな人物がなぜ「中国のルネサンス」と題した一巻に数人の一人として採り上げられるか。彼の稀有の藝術家たる才能のゆえである。彼の宸筆と確認される「桃鳩図」は我が国愛好の国宝に指定されている。朝日子は、その辺をよく調べよく考えて評価し、興味深いエピソードなども採り入れて、ほう、ほうとわたしを喜ばせた。
同じ『人物中国の歴史』で、もう一人、「李陵」に就いてもわたしは朝日子に代筆させている。それも読み直してみたい。せいぜい大学一二年の時にこれらを書いた。原稿料名義のお小遣いも欲しかったのだろうが、今となればそんな金銭づくは意味薄れて、これを、これらを朝日子は間違いなく「書いた」ことが大きい。青春の意気が生彩を放って此処にのこっている、それが大きい。父親の身贔屓でなく、そう思う。
2005 10・7 49

* 竹西寛子さんの「兵隊宿」を読んでいる。 2005 10・11 49

* 昨夜思い立ち、ツヴァイクの「メリースチュアート」(残念なことに新潮文庫本上巻だけしかない。)アンドレ・モロワの「英国史」上下巻を読み直してみたくなった。二度も三度も読み、わたしの英国観をかなり作り上げた観がある。

* 鏡花の親戚筋であるはず、松本たかしの俳句をまとめて読み始めている。生前親しくして頂いた「みそさざい」上村占魚さんの先生の一人。登四郎俳句も読みかえしかえししていて、このところ俳句とも和歌とも仲がいい。
2005 10・12 49

* 高田欣一さんの「西行」論の続きを聴いた。待賢門院兵衛の名がまず出て来る。堀川の妹だ、西行と親交のあった高名の歌詠み姉妹である。ふしぎに親類か何ぞのように親しみを覚えるのが待賢門院をとりかこむこの三人だ、崇徳院を加えてもいい。白河院を加えてもいい。

* 高田さんは西行の歌から、紫式部の名を出し小野小町にさかのぼり、また業平と伊勢の斎宮との有名な相聞なども引き、「うつつ」と「ゆめ」とを差し向かわせながら繰り返し「夢」の「現」に対する優位ということをかなり大事に語っている。これは、同様の和歌と歌人達に触れてモノの言われるとき、かなり広くいろんな人の用いる論の行方であるが、その先へもっと深くは、前へも奧へも突き抜けない、行き詰まりの議論に陥っている。
「うつつ」など在りはせず、「ゆめ」もとより在るわけがない、優劣の在る道理がない、と、その空・無に「気付いたとき」に、「覚めたとき」に、初めて「うつつ」も「ゆめ」も在ると謂えば謂えるるのかも知れない、それだけのことであり、小町はともあれ、紫式部も、また和泉式部も、そして西行も、それが分かっていたであろうとわたしは思っている。

* 高田さんのエッセイは、じつに佳い。こういう文章が「通信」というプリント形式でしか余に配布できないことが、とても口惜しいとわたしは感じる。四半世紀早ければこれは高田さんの代表作かのように時代に受け入れられていただろう。インターネットへ推し流れて行く潮流は、こういうフェイマスな仕事を容易に認知しようとしない。それでいいのかと、電子メデイア委員会でわたしは、たらたら不平を述べたものだ。誰かは、リッチとフェイマスとは両輪だと謂っていたが、理窟に過ぎない。「情報」はもてはやされるが、例えば高田さんのこういう正しく「エッセイ」は、出版社がそもそももう受け付けないのである、惜しいことに。

* ヘーレナとフアウストとは、母となり父となって「詩」と「活力」との象徴である愛子オイフォーリオンを得るが、何の羈束もうけいれないオイフォーリオン、愛らしい児童からたちまちに青年戦士となり、まっしぐらに天に飛翔して、イカルスのように羽根をうしない父と母のあしもとに堕ちる。ヘーレナは子の呼び求めるのにしたがい、ファウストに別れを告げて地底に去って行くのである。
わたしは今日、もっとも美しい個所を読んでいた。
2005 10・12 49

* 前京都国立博物館の館長をされていた興膳宏さんから、研文書院刊「日本漢詩人選集 別巻」の『古代漢詩選』が贈られてきた。先ず読んだ「あとがき」がおもしろく、おのずとこの別巻の成る経緯も知られた。
それよりなにより、日本の漢詩は和歌の隆盛と尊重におされ、かなりワリを喰ってきた。致し方なき点もあるが、当然とも言いかねるのであり、興膳さん、その辺を力説されている。この一冊、また座右の書に加えたい。
試みにこのシリーズが本巻で採り上げている十七人の日本の漢詩人の名前に、趣味を感じつつ、此処に並べ直しておきたい。
菅原道真 が古代でただ一人。これでは別冊に「古代漢詩選」が当然必要になる。
中世にとび、 絶海仲津 義堂周信  の禅坊主ただ二人。これも寂しい、一休さんなども欲しいが。
わたしはもともと、しかし、詩禅一味だの画禅一味だの茶禅一味だのというお題目は信用していない。あれらは禅である前に、禅趣味に過ぎない。
次いで近世に入り、ぐっと増える。
伊藤仁斎 新井白石 荻生徂徠 服部南郭 柏木如亭 市河寛斎 菅茶山 良寛 頼山陽 館柳湾 中島棕隠 広瀬淡窓 広瀬旭荘 梁川星巌  人選に異存はない、けれど、詩をつくるために詩をつくっていた人が近世には多い。和臭の詩も少なくない。日本人が日本人めく英語やフランス語で詩を書いて得意であったような時期が近世であり、いやどの時代も外来知識とはおおかたそんなものであり、そうだとすると、わたしなどは万葉集以前に、孤独に熱中されていた少数の詩人の漢詩が懐かしい。興膳さんの本はその辺をかなり大きく補って下さる。あえて増補別巻の意義であろう。
ことの序でに別巻が目次に採り上げている上古・古代の詩人達の名を拾っておく。
大和・奈良時代には  河島皇子 大津皇子 文武天皇 大伴旅人 山上憶良 大伴池主 大伴家持 下毛野虫麻呂 刀利宣令 長屋王 安倍広庭 百済和麻呂 藤原房前 藤原宇合 山田三方 吉智首らがあり、大友皇子の名前も欲しいところ。
平安時代には  嵯峨天皇 有智子内親王 淳和天皇 朝野鹿取 良岑安世 小野岑守 菅原清公 巨勢識人 滋野貞主 空海 島田忠臣 そして 菅原道真に到るわけである。
2005 10・20 49

* 軽い鬱ならば、自然に任せるより、きっぱり拒否する働きの方が大事です。一歩下がれば二歩つけ込んでくるから。
うつをもし自覚したら、つとめて うつ的な匂いのするなにもかも遠ざけ遠のいていた方がイイ。「うつ診断」なんて、自分から蟻地獄へにじりよるようなもの。
わたしは、軽いときは喰うか呑むか。次は娯楽性のある映画。最後はなるべく長いオモシロイ小説を読み始めて、読んでいる間はウツなど忘れていてやる、ことにします。若い頃からです。結構うつに襲われる方なのですが、回避の方法もいろいろ覚えました。
モンテクリスト伯 という長いオモシロイ小説は読みましたか。 風

*  > きっぱり拒否する働きの方が大事です。
そういうものなのですか。意外でした。
うつと長年おつきあいなさってきた風のおっしゃること、聴いておきます。ま、お気に入りのDVDやビデオを見るのは、いい気分転換になります。
「モンテクリスト伯」は、ジュニア版を読んだことがあります。 花

* ジュニア版とは「巌窟王」みたいなものだろうか。この小説は、原作のママがいい。世界一面白い小説だった、とすら言える。気鬱のときは、この作品の持っている噴き上げる豊かさと毅さと明るさとが気分を救ってくれた。わたしは前半しばらくの、エドモン・ダンテスの不幸のところをさえ、楽しむようにして読み返し読み返ししてきて、飽きたことがない。遠のいていても、いつも、彼処には心強い物があると感じつづけているのだ。誰彼なしに古文の光源氏は薦められないが、翻訳のモンテクリスト伯は誰にでも大いばりで勧められる。乱暴でも下品でもなく、壮麗な大構想をもっている。
2005 10・20 49

* 秋扇や生れながらに能役者  松本たかし
代々の宝生流座付能役者の家、松本長の子と生まれて初舞台もふみながら志半ばに病弱で藝道をはなれたたかし述懐の代表句である。愛弟子上村占魚の『松本たかし俳句私解』に多くを教わりながら句を書き写していた。
2005 10・23 49

* 青井史さんがとうどう『与謝野鉄幹』を、稀有の大冊にし出版した。馬場あき子のもとを離れて歌誌「かりうど」を主宰し始めてから、まさに果てしなく根気よく書き続け、この巨人の生涯を覆い尽くしたのは偉業であり、顕彰に値する。いま、一つ二つ優作の推薦を求められているが、恰好の大作が目の前に成ったのがよろこばしい。
2005 10・25 49

* 能村研三氏に貰った亡き登四郎さんの最後の句集『羽化』を側に置いて、機械にほっこりすると箱から出して、一句一句ゆっくり読んで行く。最期の句集が『羽化』とは何という佳い題であろう。「淡淡」と題された平成八年九年の句から好んで書き写す。
白絣着やすきほどの黄ばみかな
終りしと思ひしころの遠花火
白服の旅一度きりに終りけり
秋風の銀座にいくつ路地稲荷
七夕の竹負うて来て孫の家
露滂沱たる中に音あるいのちかな
朝の間にきく盆経をよしとせり
盆燈籠とうに捨てたる家長の座
老人に追ひ抜かれをり秋の暮
新藁の束を貰ひて富むごとし
穴惑ひめく逡巡のわれにもあり
何かゐて小春の池の水ゑくぼ
うすき肌着重ねしごとき小春の日
羨(とも)しとも息長き鳰の水潜り
母の世の玉虫いでぬ錆箪笥
残菊や老いての夢は珠のごと
牡丹散りし後の風雨のほしいまま
肉色に殻透き若きかたつむり
ちちははのあまりに杳(とほ)し迎へ盆
苧殻折る音やさしくて折りにけり
秋口までといふ約束のありにけり
晩景に逢ふたのしさの白絣
羊歯叢にたしかひそみし蛍かな
月の下椅子二つあり誰もゐず
湯壺まで這ひ来し葛の花もてり
墓洗ふ月射すころを思ひつつ
とつくりセーターより首出して今日始まる

* 衝撃のまま、瞑目。    月の下椅子二つあり誰もゐず  登四郎
2005 10・25 49

* 『フアウスト』の冒頭に、「劇場での前戯」というのが出る。この作品はいわば詩人ゲーテ畢生の詩劇に創られている。それは劇場の舞台にいましもかけられて見物が観ているかたちに、演出指示やト書きまでも「表現」されている。「劇場」劇であるからは劇場側の関係者は「座長=経営者」「座付詩人=創作者」「道化方=俳優たち」の三者であり、三者が、開幕前にそれぞれの思惑や主義主張を述べあい議論しているのが、この「前戯」である。
言うまでもない、一つの興行・創作・演戯論として、かなりシビアな内容になっている。ゲーテは詩人の立場からだけこれを書いていない。座長にも俳優にもしっかりモノを言わせて、詩人はいささかタジタジ気味とも読めるのが面白く、またわたしにはチクチクどころでなく切り刻まれる思いがある。
訳としては佐藤通次訳が深切だが、鴎外訳の新鮮な口語にすばらしく驚かされたので、「ペン電子文藝館」の「翻訳」室にこの部分を一藝術論として大切にとりあげたい。漢字は今日のモノに、しかしやはり仮名遣いは鴎外の時代にしたがいたい。

* 『フアウスト』全編の理念はおそらく終末部で天使等がうたう、「誰にもあれ、たえず努め励む者。/その者をわれらは救うことができる」という二行に看取できる、しかもここに表れる至高の愛は聖母マリアによって表現され、全曲を結ぶ二行は、「永遠にして女性的なるもの/われらを牽きて往かしむ。」である。
此処に、ゲーテの基督教への批評もありまた人間の文明への洞察もあり、形而上学の原点もうかがわれる。ゲーテの、もし有るとして信仰の基盤には、女性=母性への世界史的な洞察がある。ゲルマンの森林と地中海を囲む大地への信仰がある。フアウスト博士は、聖母の愛にゆるされてあるグレートヒェンの愛、またヘーレナの美によって、天上へ誘われ救われて往く。
七十への間際にして、繰り返し、ゲーテの作品に浸され得た。
また昨夜、ついにトルストイの『戦争と平和』も、最後の歴史と人間まですべて読了した。最終の「議論」までを読み尽くしたのは今回が初めてで、トルストイという人にさらに深い敬意を覚えている。ロシアへの旅で、場所を替えながらトルストイの邸宅や書斎などを観てきた感銘も、この読書に有難く生きて加わった。

* さ。いつもの臨戦態勢に入って行く。機械へ近寄る回数が減るだろう。
2005 10・28 49

* チャン・ツィーイの中国映画「LOVERS」を中途からテレビで観た。この女優は「恋人の来た道」で可憐に好演した印象的な美女。うって変わった武藝の達人としてめずらしい闘技を、美しい自然の緊迫のなかでふんだんにみせてくれた。概して中国映画はみないのだが、現代物でないのと主演女優に惹かれた。
明日からに備えて、幾らかまだ用意は足りていないのだが、気長にやるつもりで今夜はやすもうと思う。
「千夜一夜物語」も、西欧の「中世史」も面白い。まだ「フアウスト」の前半も読み返している。「日本書紀」はいま雄略天皇紀。最も個性的な天皇の一人。面白い。弱るのは「旧訳聖書」で、まだ叙事詩としても物語としても展開せず、ユダヤの部族ごとの人数を克明に数え上げたり、掟を説いたりしている。じりじりと読んでいる。バグワンの「ボーディダルマ」は強く胸を打つ。説得の力というより、感じさせる真率さと深さに、感動。
2005 10・30 49

* 高麗屋から、夫妻の著書がどっさり贈られてきた。『俳遊俳談』や『高麗屋の女房』など数えて十冊。市川染五郎時代の珍しい『ひとり言』もある。(他に松たか子さんの『松のひとりごと』など三冊もある。)入会が決まると同時に「ペン電子文藝館」へ加わってもらうが、作の選択は任された格好で、骨折れそう。楽しんで読んで行く。

* 藤間紀子様  ご本たくさん戴きました。お嬢さんのもあり微笑みました。高麗屋さんの染五郎時代のが珍しく、嬉しく。
沢山の中から作品として選ぶのはたいへんな宿題になったと思っていますが、今回は、私の思いで適宜選ばせてもらいます。何度にも分け、少しずつ展観させてもらおうと思います。 有り難う存じます。
ペンの事務局長に、二十五日の「ペンの日」七十年に、「入会」を歓迎してお招きするよう申し置きましたけれど、むろんご公演最中のこと、お気に掛けて下さいませんよう。時候がら お大切に。「ペン電子文藝館」秦 恒平
2005 11・3 50

* 泉屋博古館へは脚の便がわるいとみて諦め、予定通り牡蠣フライでビールをと、ニュートーキョーに行った。牡蠣はやはり美味かったから、大ジョッキのビールもじつにうまかった。シーフードのパスタは余分であったかも知れないが、そのおかげで居座る時間がとれ、甲子さんにあずかって読んでいた小説を、また読んだ。
今まで読んだ甲子さんの他の三作より、この作がいちばん完成度の高い短編に感じられた。ごく幼い男の子のめから親たち大人の世界を眺めるというむずかしい書き方をわざわざ選ばれている。そして成功している。それにともなう瑕瑾はある、が、小説の力学や美学を歪めるほどではなく、やむをえない。むしろ、それらを蔽いとり、この作は深みも優しさも静かさも、あるもののあわれに光っていると感じた。しかも「時代」の鼓動が正確にとらえられている。ビックリするうまさである。川端康成賞の候補作ぐらいの妙味がある。
2005 11・4 50

* 『戦争と平和』は作者の述懐も訳者の解説も、ことごとく一旦卒業した。
『アラビアンナイト』は第三巻を終え、文庫版の四冊目に入り、『世界の歴史』も今日にもヨーロッパの中世史を通過して行く。文化的にはともかく、政治社会史的にはイギリスの先進性は認めざるをえない、フランスよりも相当前を歩いていたし、ドイツときたらフランスよりもまだひどく遅れていた。それぐらいなことは高校で世界史を勉強した頃からわかっていたが、西欧または欧米のものの考え方や仕組みが知りたいなら、あんどれ・モロワの『英国史』と『米国史』とを或る程度纏めて承知していないと、本質をずらしてしまうとも感じたころに、わたしは新潮文庫でその二種四冊を買って読んだ。それを世界史と並行して、トルストイのかわりに読み始めている。
気が付いてみると、『日本書紀』『旧約聖書』『世界の歴史』『英国史』『アラビアンナイト』そしてゲーテの『フアウスト』が毎晩のきまりの本になっているのは、ひと言で言えば「歴史」を泳いでいるようなものだ。小説は鏡花全集で、今は『高野聖』これはもう、ぞくぞくする。たいへんなものだ。
そしてバグワンの『ボーディダルマ』には、わたしが抱きつくのではない、バグワンにわが全体(トータル)が掴まれている。すばらしいというしかない。
2005 11・4 50

* 「千夜一夜物語」の最長編物語を読み進んでいる、この一話だけで百何十夜をくだるまいかと想われるが、それはどっちでもいい。
今日読んでいたその中で、ある国王の皇女が、ふとした不幸から流浪と困窮を経て絶世の美貌奴隷として、じつは異母兄である大公の妃になりかけている。奴隷売りの売り言葉に、女は万般の学問に精通しているというので、大公シャルルカンはそれを試してみる。女奴隷は、世の中のことは大きく四部門に別れているが、最初に大切な政事について申し上げますと言い、まさに滔々と政治論を披瀝するのが、すこぶる面白く、イスラム世界が政治と宗教を分かつよりも積極的に一体化しようとする「理由」がかなり明快に大まじめに説かれていて、なかなか教えられた。
じつはまだ政事を語る長広舌の半ばにあり、すぐにどうこうは言えないけれども、この「千夜一夜物語」のじつに端倪すべからざる土性骨に触れた心地がする。「知識」として受け売りする気は全くないが、なんという面白い本だろう!

* 昨日はバグワンに、あの有名な「拈華微笑」について眼から鱗の落ちるはなしを聴いた。絵画にも画題としてよく採り上げられているが、画家達はこれを何と思って描いているか、ちと尋ねたくなった。釈迦が一軸の蓮の花を手にもち、くるりとまわしてみせた。一人の無口な高弟が笑い出した。釈迦はおおいに認めて悟りのシルシとしてその蓮を与えたのである。「拈華微笑」というが、笑いの程度は分からない。哄笑ではなくても、にやりと声もなく笑ったかどうかはべつごとで、つまりその弟子は「笑った」のである。その弟子を釈迦は大悟したのだと認知し称讃した。
こういうとき、われわれ凡俗は、何故かと口にする。それしか反応のしようがないのだ。
バグワンは的確なことをわたしに告げてくれた。有難いことであった。
2005 11・6 50

* 懐かしい人もいた、卒業以来初めての人もいた。来ていていい人が欠席しているのもいた。年は偽れない、男も女も正に、古稀。それでも健康で又こうして逢いたいと願う人達が多い。わたしは、シンとしていた。もうこれ以上望んでいない自分に気付いていた。
「過去」というのが、わたしには寂しくなっている。この先へ先へ、あしもとを見ながら、トコトコと歩いて行く自分があるだけだと想う。世界中を、死ぬまで旅して廻って楽しみたいと言う友人には、げんきやなあと思う。まだまだ月給を稼ぎ続けていたい人にも、やはり、げんきやなあと思う。
二次会に誘われて行ったクラブで、六人ほど、それはもう上手に演歌の数十曲をうたいまくって、ますます燃え上がる男子女子には、ほとほと、ほとほと、感心してしまう、げんきやなあ、昔の七十とはえらい違いやと思う。ディスプレイに浮かぶ煽情的な男女の写真、そして演歌の歌詞という歌詞の、うーん……。しかしこのようなメロメロの歌詞を、メロデイを、間違いなく日本のインテリも、そうでない人も、おしなべてあまりに深く濃く心身に刷り込まれていて、自民党を大勝ちさせるような日々の意見や生活態度がそこから生まれているのだから、わたしなど超少数派は、あまり口を利く余地はないなあと惘れていた。
それから、さらに何人もでどこかへ流れゆくのには、一人「さよなら」して、四条通をノンビリ歩き、そうだ懐かしい「梅の井」の鰻を食って行こうと縄手の店に入った。出来たら、いつか、この店の主人と「京の町衆」といった対談を企画したい気がある。
そしてどういうかげんか、予期していたよりも、特上の鰻重も赤出汁もすこぶる美味くて、重かった酒の氣もすうっと抜ける心地。そのまま烏丸の宿まで、町歩きをたのしんで帰り、そして入浴、スイと寝たと言いたいが、読み継いでいる「千夜一夜物語」がすこぶる面白く、一時過ぎまで読んでいた。
2005 11・8 50

* 『松本幸四郎の俳遊俳談』から、「役者幸四郎の俳遊俳談」と題して掲載されている随筆全十六編をスキャンして校正を始めた。大判の八千円もする大倉舜二撮影の写真集でもあるが、高麗屋自身の俳句と随筆集である。なだらかな達意の口語でおのずからその系譜や世間や家庭や歌舞伎・演劇が語られ、口跡を聴くようである。あれこれ混ぜないでこの一冊に集中して保存し伝達するのがうま味があると判断した。
ことに十六編中の「奥入瀬谿谷をゆく」という何でも無げな紀行の一文が佳い結晶度で、それに惹かれて全部を採った。そこへ行き着く経過をもていねいに見たいと思った。役者としての家筋にこの上なく恵まれて大きくなってきた人の、またそれなりの苦心も深く、批評の余地もむろん無いではない中で、ユニークな俳優半世紀を堅固に立派に築いている。
わたしは少年の昔からほぼ一貫して播磨屋、高麗屋系の芝居に馴染んできたのだが、はっきり言って近代の歌舞伎でそれが本流であったかどうかは微妙で、だからこそわたしは関心を失わずに来たのだった。「ペン電子文藝館」にいちはやく小宮豊隆の「中村吉右衛門論」を招待したのも、そういう思いが働いた。
2005 11・12 50

* 幸四郎の本の表帯に、「神の春とふとふたらりたらりらふ」という彼自身の句が引かれているが、「とふとふたらり」はもしや歌舞伎台本の何か手控えにでも拠っているのか。能の「翁」または「神歌」に名高い呪言・呪詞である。「鳴るは瀧の水」ともあるように瀧ないし激湍・奔流などとの近縁が推知されている。とすると「滔々」「蕩々」あるいは「どうどう」に近く、仮名遣いは「とうとう」「どうどう」で、すくなくとも「とふとふ」という仮名遣いは当たらない。これは気になった。
ついでもう一つ初代吉右衛門が祇園の茶屋「吉つや」に遺している句の一つに「冬ぎりや四條をわたる楽屋入」があると幸四郎は書いている。その軸も写真で出ているが、字は微妙に小さくて読み切れないのである。
おそらく、四條大橋を渡って、または四条大通をよぎって南座へ「楽屋入」するのであろう、「冬」だから明らかに南座の顔見世興行以外に考えられない。わたしはこの初代吉右衛門の顔見世興行で生まれて初めて南座顔見世歌舞伎を観たのである。
しかし「冬ぎりや」という句語が解せない。これは「冬の霧」か「冬限り」を歎息した「や」でしかありえないが、前者でも後者でもピンとこない。鴨川に霧がたたないでもないけれど、京の市内で、ことに南座の近辺で暮らしていたわたしの記憶では、「霧」を口にしたり嘆じたりしたことは、まず、ない。大通りで霧をみた記憶はない。四條大橋の上で川霧をけっして見ないとは言わないが、乾燥のすすんだ冬期、秋霧のようには冬霧は立たない。「冬霧」という用語もまず簡単には見ない。
わたしの率直な感想では、これは、「冬ざれや」ではないのだろうか。
叩けば鳴りそうな乾いた底冷えの京の師走は、よく「冬ざれ」という実感を催したものだ。胴震いのする冬の寒さと奇妙に乾いた空の明るさ。まして四條の橋の上では、ぞくっと来る。
冬ぎりと冬ざれ 写真では判明しないが、走り書きだと混同の可能性のあるひらがな二字ではある。「気になった」と言っておく。
2005 11・12 50

* 昨日ペン会員の俳人が「四人」という同人雑誌を送ってくれた。「文学散歩旅行私記(その六京都・洛外コース)」を高杉勲という方が書いてられ、「京都生まれ、京都育ちの作家」「秦恒平の小説『慈子(あつこ)』相当な量の深切な筆を用いておられるのに、驚き、感謝した。
2005 11・13 50

* 東大の西垣通さんから、「ペン電子文藝館」へ佳い会員出稿があった。今朝いちばんに読んだ。西垣さんのように、現会員から、めいめいの「代表作」と自負されるほどの作品が出揃ってくればどんなに充実するだろう。こういう思いを率先して若い理事諸君がもってくれるといいのだが。一般会員から力作が入り、理事作品にほんの間に合わせが並んでいては、情けない。
2005 11・15 50

* つよめに振ると痛みが両側頭に巣くっているのが分かるけれど、気分はよほどよく、少し冒険かも知れないが入浴し、そのかわり早く寝ようと思う。
歌集「少年」をもう明日は手放していいところまで入念に繰り返し読んだ。また「役者幸四郎の俳遊俳談」に「付(つけたり)」の「父幸四郎(先代)との対話」をスキャンし校正しておいた。二三の不審個所について、いま夫人に問い合わせのメールを入れておいた。
2005 11・15 50

* 福島美恵子会員の自選歌「きまじめな湖」をスキャンし校正し入稿した。秋元千恵子会員からも自選歌が届いて、やはりスキャンし校正したが、秋元さんの四冊の歌集からの自選歌はとても立派なもので感心した。よく選歌されていて一首一首が粒だって光っている。胸板を敲いてうったえて来る。うったえる、それが「うた」の原義であろう、しっかり現代を生きている自覚とまたそれだけに痛みも鬱も深い大人の短歌に成っているので敬服した。いま、入稿した。「地母神の鬱」と表題した。
2005 11・16 50

* 妻は聖路加へ、わたしは留守番して、気になる連載「本の少々」随筆を二本、送った。また「高麗屋の女房」さんと、エッセイの不審個所でメールを往来。一等気にしていた初代吉右衛門の句が、わたしの希望どおり正しくは「冬ざれや四條をわたる楽屋入」であったと確認され、ああ、それで佳い句が佳い句になったと安堵した。
奥さんの出稿作品も『高麗屋の女房』から中ほどの一章分を全部もらうことにし、『私のきもの生活』から「付」を少し出してもらうことに決めた。
幸四郎丈が前回湖の本の『日本を読む』を「座右の書」にしていると聞いてよろこんでいる。わたしの書くモノはかなり伝統藝能や庶民の歴史と交叉している。どこかしら交響しあうものがあるだろうと望んでいる。
2005 1・17 50

* 『フアウスト』の詩句(科白や歌詞)の一行一行に立ち止まるという読み方で、わたし自身の人生体験と内的に交叉するところを、朱の傍線で確認している。こういう読み方も出来る大いさを持った作品だ。
ほんの一例だが、「劇場での前戯」の冒頭で(フアウスト劇を上演する)劇場の「座長」は、観客というのは「ひとつびっくりさせてもらおうと思っている」と言い、そのために座席に「ゆったりと腰を据えて、眉をつりあげ」ていると言うのだ。
眉をつりあげこそしないがわたしも、木挽町や三宅坂や千石や六本木で、また息子達の劇場で、そういう気持ちなのは間違いない。手短に、しかし的を射ている。
なにも演劇だけのことではない、あらゆる藝術・藝能の場で、読者も観客も聴衆も同じ期待をしている、「ひとつびっくりさせてもらおう」と。これほど簡潔な一つの創作論があるだろうか。忘れがたいことである。
「びっくり」の中味はむろん客により千差万別。それにどう応えるかでリッチとフェイマスも分かれてくる。ゲーテの底知れぬ大きさは、のっけからこういうふうに出て来る、まだ、「フアウスト劇」は始まりもしていないのに。
朱の傍線を引いたこの佐藤通次訳の文庫本上下は、またわたしのわたし自身による自己批評の証跡になるだろう。この「私語」の場所から、手ばなせない本である。
2005 1・17 50

* ゆうべも、読書で、しっかり夜更かしした。
世界史はいま中国の「晋朝」の頃を読んでいて、つまりわたしの『廬山』恵遠法師や、好きな陶淵明また王羲之・王献之、泰安道らの生きた時代。場所も紹興・会稽など訪れたところであるから、親しみ深く、また此の時期の歴史・政治・社会も文化も、かなりにハチャメチャに無残な場面多く、つい、身につまされて読み進んでしまう。
その上に『アラビアンナイト』が途方もなく面白く、読み出すとやめられない。全編のなかでも大長編の、まるで蛸の脚のように話の拡がって行く野放図な物語の組み立てようにあっけにとられながら、ひきずりこまれている。「ひらけゴマ」などと絵本のたねにされて、子供の読み物と誤解される気味もあるが、どうしてどうして、これぐらい露わなエロスと大人たちの欲望の赤裸々に渦巻く説話世界は他にあるものでなく、それでいて、アラブというのかイスラムというのか、何とも言えない美意識も世界観も、怒濤の勢いで読者の胸の奥へ突入してくるから、こりゃもう、かなわない。少し纏めて千夜一夜物語について自分の感想を書き留めておきたい気がする。
『雄略天皇紀』がまだ盛んに続いている。モロワの『英国史』もおもむろに佳境へわたしを誘惑している。そして『旧訳聖書』がすこしずつ煩瑣な掟の草むらから抜け出て行きつつある。鏡花は、少しずつ読んでいる。
2005 1・18 50

* 寒さに脅されてマイセン展は遠慮した。会期中に行けばよい。
「高麗屋の女房」を思うさま選んで読んで、校正した。
日本の藝能は、根底に死者の鎮魂慰霊があり、転じて生者の偕楽成の興行が表裏膚接している、それが基本だ。高麗屋の文藝にも奥さんの文藝にも痛切にそれがあらわれ、彼等の歴史と日常とは、死と生とに綯い混ぜられているのがよく分かる。だから常人には味わいがたい、涙と感動と輝きとが見える。先代幸四郎の死、その夫人松派小唄家元松正子の死、そして藤間夫人実父の死。その大きな死の影を深々と背負ったまま、幸四郎夫妻や役者の子供達も、「舞台」に立ち続ける。毅い人達の世界に触れたのを喜んでいる。
役者達の世界をよくないと非難する人もむろんいる。批評のものさしはしかし安易な一本だけではないのである。
すくなくもわたしなどは、あくまでも役者の舞台に力づけられ楽しませてもらえば有難い。この夫妻の文藝は、終始知性と感性のバランスの上に清潔であった。それで足りている。
2005 1・18 50

* 高田衛さんから、ちくま文庫『八犬伝の世界』を戴いた。馬琴の大長編は『近世美少年説』しか読んでいない。『椿説弓張月』は簡約されたもので読んだだけ。八犬伝を前から全巻読んで見たかった。どこかで本を探さなくちゃ。高田さんの本をさきによんでしまうと『八犬伝』読みのウブな楽しみが喪われてしまう。先に原作。
砂子屋書房の『能村研三句集』を戴いた。能村登四郎の「沖」後継者である。俳句の世界には世襲の後継者、多いようで多くはない。

* 小田実さんから、彼の作「玉砕」をイギリスの放送局でつくったラジオ劇のディスクを戴いた。作品は「ペン電子文藝館」に掲載されている。
2005 11・22 50

* なぜか夜中に目が冴え、灯をつけて『フアウスト』をすべてまた読了した。今は手に入りにくいらしいが、佐藤通次訳の旺文社版は、ほんとうに良い本であった。しばらくなお座右に置いて部分的に詩句に親しみたい。ついで、『千夜一夜物語』角川文庫版の第五巻の原注をこまかに読み終えた。あけがた、新聞配達の頃にまた枕元の灯を消した。起きたら八時半、たいして寝ていない。
2005 11・24 50

* ときどき、手安めのために、貰ってそばにある松たか子の『松のひとりごと』を読んでいる。過不足のない達意の文章で、きっちりと、清(すず)しげにいろんなことを述懐している。なかなかのもので、豊かな内面か、具体的な記述を通して感じとれる。物書きとして書いていない、俳優であることに根をおろして、その体験をとても素直に書いている。
俳優のモノでは小沢昭一のを最近戴くに任せて読んでいるが、この人は徹して談義調。それはそれなりの体臭というモノで、いいときも臭いときもあるのは余儀ない。
松たか子は若い魅力を自意識からでなく文章の根から吸い上げている。簡単にできることではないのだが。
2005 11・24 50

* 例によって一万円の会費が払ってあっても、わたしは、大混雑の中で立食できない。ほとんど飲みもしなかった。そして八時半、疲れているのでタクシーで帝国ホテルへひとり移動し、クラブにやっとひとり落ち着き、強い酒で、おきまりの角切りステーキ、エスカルゴを食べ、ほうっと一息ついた。空腹での強いお酒がジンジン身に沁みた。キープしてあるウイスキーの一本は、1990年余市で蒸留のNIKKA。アルコール分が67%もあり、わたしはそれを生のママ飲む。生のママでないと、せっかくの酒の香も味もうすまってしまう。ま、毒をのんでいるのと変わらない、愚の骨頂だけれど、ときどき此処へにげこんで、ひとり放心したり、お行儀のいいホステスと仲良くお喋りしている。此処だとまず誰とも出会わない。
しかし以前一度だけ、家のすぐ近所の人が、某出版社勤めの接待のためかなにか数人で来て客をもてなしているのと鉢合わせしてしまったことがある。

* 千夜一夜物語を読みながら帰宅。
2005 11・25 50

* いま、アンドレ・モロワの『英国史』に引き込まれている。イギリスがイギリスに成るまでに、あの島国にはラテン・ケルトの人達と、アングロ・サクソンの人達との久しい烈しい角逐があった。北欧からの仮借ない侵入もあった。
わたしは、イギリスという国に親和的な気持ちも、とくに反感ももっていないが、民主主義ということを考えるとき、この島に発展した政治思想や仕組みには思い惹かれる多くが、他国に比して、確かに在る。学ぼうというほどの気はもうなく、しかし、せっかく大部の「世界の歴史」を読み進めているのだし、西欧の纏まった歴史ならイギリスとフランスとを別途に読んでみたいと思い立ち、書架の本を枕元へ移動させた。モロワの記述には独特の風格が感じとれる。
いま「世界の歴史」は、インド。
インドは、その「歴史」を統一的に把握することの実に困難な、ケッタイな国である。歴史感覚を受け入れなかった国とでも言おうか。隣の中国はこれまた「歴史」そのものを実に愛好し編史・修史の事業は古来夥しいし、日本もそこそこ歴史編纂には国家的に取り組んできた。むしろ近代以降に権威と良識あるそういう修史の発起が国民的に起きてなかったのが、歴史的怠慢とすら思えるのだが。
インドは、まさに摩訶不思議。「0」を発見し、いまだに公然と階級差別し、佛教を追い出し、核爆弾を保有している。インド史のなかで、ゴータマ・ブッダを除いて何人の偉大な個人の名をあげうるか、わたしは、アショカ王、達磨、そしてバグワンを挙げ、ガンジーもタゴールもそれに較べて小さいと思っている。いま、インド古代の推移を追うている。

* アラビアンナイトは、いましも小動物たちを主人公や語り手にした寓話の数々を並べている。小動物の口や振舞いに寄せて語られる説話は、圧政や虐政の時期にうまれやすいだろう。権勢の暴威をかわすには、鴉や狐や狼や鸚鵡らに話させるのが無難。千夜一夜物語は、こういう寓話の宝庫でもある、語り口も巧みで読み手を引きよせる。

* 建日子の家に行ったら、河出書房からもらったという新刊のル・グゥインがあって、「お父さん、読むだろ」と貸してくれた。よろこんで持って帰り読み始めている。ワクワクする。
鏡花の『高野聖』を読み終えた。やはり、心うばう魅惑。そして新しい「発見」ももてた。それは、書いてみようか、誰かに書いてもらおうかと思う。妙味のしたたり落ちるいい切り口である。

* 鳶から、「南総里見八犬伝」を送りましたとメール。オゥ嬉しい。
2005 11・28 50

* 『南総里見八犬伝』岩波文庫全十巻を買いかいととのえて、遙々姫路から送って来てもらった。有難い、有難い。早速第一巻の冒頭を音読。『近世美少年説』を全集で読んだとき、導入の壮大と深遠奇怪なことに驚嘆したが、行く先々で世話に流れ、やや冗長に竜頭蛇尾の観を免れなかったが、こちらは結城合戦に始まり先ずは平明に入って行く。戦場から父に別れて結城義実が落ち延びて行く先の運命と、八犬士登場のあたりから幻怪味を深め拡げて行くはず、これは黙読か音読かと迷うが、外出時に携行すればマサカに音読はしにくい。なににしても、折良く『戦争と平和』『フアウスト』の二大作を十分に読み終えたところであり、嬉しいバトンタッチになった。『千夜一夜物語』との好一対であり、楽しみ。

*『日本書紀』は、顕宗天皇紀についで仁賢天皇紀を読み進んでいる。この「オケ・ヲケ」兄弟天皇は父を雄略天皇に殺されて丹波から山陽道へと逃げ隠れ、人に使われて暮らしていたのを見つけられた。皇統を問うときには問題はらみの二天皇で。
ことに仁賢天皇は、天皇として初めて諱「大脚(おおす)」を明記されている。それまでの天皇に諱は現れない。仁賢が兄で、顕宗が弟であったが、清寧天皇の皇太子に挙げられたのは当然兄が先であった、が、兄は固辞して弟を先ず即位させ、その皇太子となり弟天皇の死後に即位している。弟の先帝顕宗には諱が伝わらない。小さい問題のようで、気になる事蹟であり、実在如何の確認に気になるところがある。
そして次へ来る武烈天皇が、さらに次へ来る継体天皇が、さらにその後へ続く安閑・宣化両天皇との継嗣関係がすべてフクザツで、次の欽明天皇との皇統に、いささか難儀そうな波瀾がある。この辺の皇室はややこしく、神武以来の万世一系など、夢のまた夢に過ぎないとされている、歴史学では。
2005 1・29 50

* 二時に放免されたので、帝劇モールの「香味屋」に入り一揃えの定食を。ちいさい生ビールと赤のグラスワイン。感じの佳い昔ながらの洋食屋で、店内には落ち着いた高級感があり、わたしは贔屓にしている。ご自慢のビーフシチューとメンチカツ、その取り合わせ皿をメインに、オードブル、コンソメスープ、牡蠣グラタン、サラダ、パン、そして小味なデザート、美味いコーヒー。「南総里見八犬伝」をびゅんびゅん読み進みながら、店内に相客は無く、のうのうと食事も読書も楽しんだ。
2005 11・30 50

* 八犬伝に引きずり込まれている。この分では十巻は早いかも知れない。予想していたより淡泊に読みやすい叙事。大作の焦点が比較的明瞭に活かされて行くだろうから、その求心力に身を寄せていると感情移入しやすい。
2005 11・30 50

* 泉鏡花、「海異記」は怖かった。今日は「吉原新話」を。  冬

* わたしは「海の鳴る時」を昨夜読んだ。粟生の井口さんのお世話で金沢の文学館へ講演に行ったとき、ご案内いただいた鏡花ゆかりの宿を、あの辺を、思い出しながら。
2005 12・2 51

* 東京はあまりにデカイ都市だけれど、交通網に恵まれてもいて、移動が苦にならない。車中で読む本を持っていれば、時には、電車になるべく長く乗っていたい気がすることもある。都心から上野へ、また浅草へという移動は、このごろのわたしには、都心から渋谷や新宿へ移りうごくより、不思議に気楽である。一つには食べ物の店に気に入りの有ると無いとでもきまってくる。渋谷にも新宿にも、心静かに、鄙びていても美味くて落ち着くという店を今は知らないのである。
2005 12・2 51

* 栄光館といえば、同志社のシンボルの一つ。いちどだけクリスマスのキャンドルサービスのような催しに入ったことがある。
従妹は風邪をひいていないだろうか、わたしは今、少し頭痛がしている。かすかに熱っぽい。まだ九時前だけれど、やすもう。『八犬伝』も『英国史』も『インド史』も『千夜一夜物語』も面白い。鏡花は初見の短編類を読みあさっている。
七日には国立劇場、十日にはコクーン。よく寝ておくにしくはない。明日、もう一押しもすると一仕事が上がるところへ来ている。今夜ムリすることはない。
今夜から息子の猫クンが同居。黒いマゴとはもう馴染みの従兄弟のようなもの。
冷蔵庫に隠れていた缶ビールを見つけてチーズで飲み、少し気を持ち直したが、もうやすむ。
2005 12・4 51

* フアウスト劇の始まる前に、内々「詩人」「道化」に顔を合わせ、「座長」はこう期待している(『劇場での前戯』)、「すべて(舞台=舞台が)清新溌剌として、含蓄があり、しかもおもしろいというのには、どうしたらよいでしょう?」と。あげく「そうした奇蹟を十人十色の見物に起こさせるのは、詩人だけです」と作者に水を向けている。
この前に商売人の彼はいわゆる見物=受容者たちが、「ゆったりと腰を据えて、眉をつりあげ、ひとつびっくりさせてもらおうと思って」劇場=作品の前へ来ていると言い、「連中はべつに最上のものを見慣れているわけではない、だがおそろしくたくさん読んでいる(=情報だけは持っている)のですな」と、「客」を見抜いている。「詩人=作者」へプレッシャーをかけている。
「詩人」は、それがイヤだ。
「おお、あの雑多な群集のことは言わんでください、あんなものを見ると、詩人の霊は逃げてしまいます」と半ば悲鳴をあげる。観客を喜ばせるだけにピカピカした安手なことは出来ない、「上光りするものはただ瞬間のために生まれ、真正のものだけが後の世までも残るのです」と。
「道化役=俳優」は実際家であり、しかし演技表現による藝術面も担っている。彼は即座に言う、「後の世がどうのということは願い下げにしたいですな。たとえば、わたしなんぞが後の世に構っていた日には、いったいだれが当世の人を慰めてやります? みんなは慰みが欲しいし、また慰めてやらなくてはならんのです」と。
そしてこうだ、「空想という歌い手に、あらゆるコーラスをくっつけるんです、理性よし、悟性よし、感情よし、情熱よしです、しかし、いいですかい、おどけを忘れちゃいけませんぜ!」
笑いを取れという指令は十八・九世紀にすでにかくも至上性をもっていた。そしてその上へ「座長」は追い打ちをかける。
「ところで何よりも、盛り沢山ということに願いたいね!」

* ウーン、「詩人」センセイの分は、まことに悪い。ゲーテ大先生は、芝居の始まる前に作者たる自身の立場を我から追い込み、追い込み方も、苛酷なまでに厳しい。
「座長」はほとんど居丈高だ。
「いろんな事件が眼の前に繰りひろげられ、見物は口あんぐりと見惚(みと)れるという風にできさえすれば、それであなた(=詩人・作者)は広く大衆を掴んだことになる、人気の立つことはまちがいなしです。大勢をこなすには、嵩でゆくほかはない、そうすれば銘々がけっきょく何かしらを捜し出します。数を多く出してやれば、選り取り見取りというわけです。  一つの作を持ち出すには、さっそく幾つにも刻んでください!  手軽に工夫をして、手軽にお膳立てするのですね。纏まったものを出したとて、何になります、どうせ見物がむしり取ってしまうのだから。」
たまりかねた「詩人」は叫ぶ、「そんな細工がどんなに下劣なものであるか、真の藝術家にどれほど不似合いなものであるかを、あなたは感じておられん! いかがわしい先生がたのやっつけ仕事がどうやらあなたの金科玉条になっているようだ。」
だが「座長」は、軽くはねのける、「そんな悪口を言われたって、わたしは平気だ。だれを相手に書くのかを、目をあけてみてごらんなさい!」

* まだまだ続く、三者の論争は。まあ、なんというゲーテのきつい「批評」だろう。この三人の間では「詩人=作者」は孤軍孤立して半分泣き言に聞こえてしまうほど。
『フアウスト』は幕の開く前から、なんもかとも面白い。建日子などは「座長」でもあり「作者」であり役者をつかって「演出」している、ゲーテに少し賽銭をあげてみてよかろうに。
2005 12・5 52

* やがて九時半。昨日の楽吉左衛門の茶碗がまだ眼裏に在る。今朝、もう、バグワンと継体紀とを読んだ。あと一時間ほどで三宅坂国立劇場「天衣紛上野初花」通し狂言に出かける。
2005 12・6 51

* 八犬伝は岩波文庫の第二巻めに入って、読み始めるとひきこまれて行く。今夜は他になにもせず、休息し、本を読んでぐっすり眠りたい。もしうまくすると、このまま二十日の京都行きまで、のんびりできる。
2005 12・10 51

* 目下のところ『南総里見八犬伝』に『千夜一夜物語』が気圧されている。
アラビアンナイトは波瀾万丈の大長編物語を過ぎ、短い動物説話群を過ぎて、たまたま、やや退屈な悲恋物語の途中なのである。
アラビアンナイトで特徴的に気付くいろいろの有るなかで、「月=満月」に譬えられる美男美女の多いこと、悲歎しても歓喜してもやたら彼や彼女達は失神し卒倒すること、わが平安朝の公家や女房達の和歌応答にたけていたように、たちどころに詩句を駆使して真情をのべること、教主に権力があつまり「アラー」の神は絶大であること、魔神の現れる世界であること、貧しいモノは極端に貧しく豪奢に暮らす者たちの贅沢は言語に絶すること、飲食や香料や衣裳の多彩なこと、農の印象はほとんどなく商人と工人の世界であること、夥しいまで奴隷のいること、など印象深い。
ロマンチック。そして信仰にかけた妥協のない絶対の重さ。キリスト教嫌い。あのままでは、ヨーロッパとアラブとの平和は、容易に成就しないと、歎息される。

* 鏡花全集(春陽堂版)第三巻は、『高野聖』以外に秀作があらわれない。読めども読めども駄作。ただただ書きまくっているけれど、それが鏡花調であるには相違ないけれど、筆は走っても想が分散放恣に流れるばかりで、主題や動機へ収斂しない。鏡花ものが、「選集」されざるをえないこと、「よく選ばれた選集」で読むのが結局賢明なこと、よく分かる。駄作でも何でも書きに書いてプロだという考えの人は多いけれど、わたしはそんなプロになど、ちっともなりたくない。鏡花の駄作は、大正期の潤一郎の不成功作より始末が悪い。作者は薬物にラリったようにブレーキから手を放した書き方をしており、やたら妄走し、やがてクラッシュの残骸としての作品が、ハンパに残る。「そういう鏡花」もしっかり観て、その天才を(天才に相違ないけれど)評価しないと、ミソもクソも一緒にしてしまう。彼の愛読者にはそういう人もいたのである。

* 応神天皇以降の日本書紀では、何といっても、朝鮮半島、百済や新羅や任那地方との折衝・交渉・戦闘・外交に大きな焦点の一つが出来ている。言えることは、複雑な国と国との位取りにふりまわされた「不信と離反と闘争」の繰り返しであること。日本国は海を越えての侵掠は受けていない。むしろ優位に侵攻し前線として南端の任那等を経営して百済を助けたり新羅を責めたり高麗と折衝したりしているけれど、安定していない。いつも揉めている。日本の高官の中に明らかに他国の賂(まいない)を取っている者もいる。
その一方で、日本は、半島を経て入ってくる文物や文化から学ばねばならぬものを多く持っていた。菅原道真の進言から遣唐使を廃して一種の鎖国に入った平安時代まで、日本の極東政策は、懼れや不安を抱きかかえ、容易でなかった。今日と、少しも変わらない。同じなのは、あの頃も今も「日本は優位」にあるという不自然な勝手な思い込みだけ。
粟散の辺土の危うい背伸びを、平安時代は、賢か愚か、辛うじてかわして地に足をつけ独自の文化に華咲かせたが、平成の自民政権は、国民をどこへ連れて行くやら、これまたハンドルもブレーキからも手を放したラリった政治をしているのではないか。
2005 12・13 51

* 車中でもう次の「湖の本」の校正をはじめ、また八犬伝の運びの巧みさに魅されて、退屈がない。坐っていれば脚も痛まない。
しかし、京都行きは大丈夫かな、荷物をもてば痛みは増すだろう…、成るように成る。
2005 12・15 51

今日の東京の街なかは寒いほどではなかった。保谷でタクシーの列に並んでいるときも、八犬伝を読みながら、トクに冷え込むことはなかった。少しアルコールで温めてはあったけれど。
脚が痛んで気が乗らないが、有楽町では空腹だったので地下鉄に乗り込む前に、ビール少しと赤ワインとで「香味屋」の洋食を食べてきた。椅子に坐らないと痛みが堪えられなかった。
地下鉄、やっと坐れて、たすかった。有楽町線は乗ってしまえば保谷まで行ける。これにもたすかる。
2005 12・15 51

* 第二巻を終わりかけて、八犬士の五人までがもう登場した。第二巻のあとへ岩波文庫で八巻分のこっている。どんな展開になるか、結城の家運はあらかた知っているけれど、八犬士の活躍が期待される。馬琴先生、読ませてくれる。
2005 12・16 51

* ペンクラブ広報室松本侑子さんの評論「赤毛のアンに隠されたシェイクスピア」を電子文藝館に入稿した。
2005 12・18 51

* 八犬伝は、岩波文庫の第四冊めに入った。アラビアンナイトも今は、ロマンチックな面白い王子と王女の恋物語を楽しんでいる。鏡花は「註文帳」を読んでいる。この物語の凄みがうまく伝わってくると嬉しいが。日本書紀はいま大王といわれた欽明天皇紀。いよいよ佛教公伝の目前。英国史は、征服王ウイリヤムにより、サクソン・デーンの島国にノルマンの王朝が幕をあけて、中世的な折り合いをつけている。
世界史は、いま大同石窟を創り出した北魏が、洛陽へ遷都していったあたりを面白く読んでいる。大同は、紹興とならんで、最初の訪中国時の大きな嬉しい目玉であった。大同へも紹興へも、戦後日本人として初めてその地を踏んだといわれた。まさにそれに相違ない五体の痺れ震えるような歓迎、熱烈に凍り付いたような歓迎、であった。大同の駅を出た瞬間、吾々の一行が自覚したのは、自分達が大きな擂り鉢の底に立ち、周囲にはびっしりと幾重にも取り巻く現地中国人の視線そして沈黙があったということ。
しかし大同の旅泊は、寂しくもまた興奮に満ちていた。そして市街の巨大な九龍門、そして上華厳寺、下華厳寺の豪壮・華麗。底知れずひろがる炭鉱。その上に、二キロに及ぶ奇蹟の大同石窟五門に充満した大小の石仏達の偉容・異彩。
わたしの感動は、帰国後に「華厳」一作に結晶した。あの小説は、わたしの心の震えを刻印して、完璧であった。
そしてバグワンに聴く日々はつづく。つづく。
2005 12・29 51

* 石川布美さんの訳になる『娘たちと話す 左翼ってなに?』が、よく書けている。島田雅彦の解説の一文にも心惹かれ、共感した。この人の思想に賛同する。

* 「九条の会」来信。梅原さんや小田さんや鶴見さんら九人の言葉も入っている。

* 戦争の放棄
第九条
一 日本国民は、
正義と秩序を基調とする
国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
二 前項の目的を達するため、
陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。
国の交戦権は
これを認めない。   日本国憲法より
2005 12・29 51

* 松尾美恵子作『北条政子 女の決断』が叢文社から刊行された。この原稿を松尾さんが送ってこられたとき、一気に読み込み、こういう作柄が、題材が、好きかどうかはおいても、これは間違いなく売り物になる、本にしたい、してもいいと思う版元がきっと見つかるだろうと思った。安心して、出版できる作品の候補という気持ちで、一字一句手を加えたり苦言を呈したりしないで「e-文庫・湖(umi)」へすぐ公表した。
作品のつくりを支える措辞と文体にほぼ間然するところがなかった。松尾さんにもその時そのように言うて励ました気がする。そしてそれが一冊の本になって出版された。そのかんの事情も、この版元の性格なども何も知らないけれども、ほぼ適切な定価で売り物になって世に出たのは、松尾さんの「文藝」の力であったと思う。お祝い申し上げる。この前に帯に推薦文を書いた『異形の平家物語』は研究色の評論、今回は小説。しかしこの人には、『ランボー(ある地獄の季節)構成論』(牧書房)や、ブルーメール賞を受けた 『ロートレアモンの論理 「マルドロールの歌」解釈』(ZOOプランニング)のような研究・批評の本もある。志確かに野にひそんだ佳い書き手の一人としてわたしの記憶にいつも有る。出あったのは、沢山送られてくる詩を書く人達の同人誌のなかで、なにか気になってその後「連載」を読み継いだのであった。『異形の平家物語』を纏めるときは、かなりうるさい註文を言い続けたが、じつに柔軟に対処され、着々と纏まっていった記憶がある。
歳末の、慶事。
2005 12・31 51

* 昼前に出かけて、無くてはならない京都の雑煮用白味噌と、蛤とを買い、文房具を少し補充し、西武八階の「伊勢源」に入った。なぜか鰻が食べたかった。で、特上の鰻重を註文し、生ビールで口を示してから、店内で見つけていた濁り酒「津軽の風」をコップに注いでもらった。病みつきになりそうに美味い濁り酒で、ほろほろと酔いが出た。鰻も美味い美味い。このシーズンにかぎり一度に四本しか手に入らない濁り酒だと店の女将は言い、つまりわたしはちいさな幸運を得たのである。
ご機嫌で地下におり、すこし私のために酒の肴を買い足して、帰った。
往き帰りに八犬伝。面白い。
2005 12・31 51

読書録6

* 歌壇も混迷を深めているようです。 歌人 山形市

* 電話して、この高橋光義さんの『哀草果秀歌二百首』を「ペン電子文藝館」にもらう。いま校正しているが、館でもピカ一級の選歌である。
2006 1・3 52

* 哀草果短歌の校正が楽しい。とくに前半の歌のよろしいこと、嘆賞嘆賞。
2006 1・3 52

* 四人でなにくれと少ししみじみ話もしてみたかったが、建日子は急ぎの仕事を抱えてきており、顔が合うと、さて、あらたまった話にもなりにくい。
ま、結局そういうことは諦めて、二日目の晩もわたしは校正の能率をがんがんあげ、そして持参の『八犬伝』をどんどん読み、四人でわけて呑んだ売店のワインにすこし酔ったまま寝入った。
2006 1・6 52

* さ、今日も日付が変わった。本を読んで、寝よう。このごろ夢に「八犬伝」の文体がうねって出て来る。ああも長大に七五調の美文を読むのであるから、つまりは音楽を聴き続けているようなもの、しぜんメロディーになり耳の底に残る。ま、まだ半分にも到らない第五巻(岩波文庫版)の前半を読み進んでいる。正直、おもしろいです。
2006 1・11 52

*「解釈と鑑賞」へも送稿して受け取られたし、産経新聞への送稿も、校正も順調。これで京都美術文化賞に授賞した三人の「美術展」テープカットへも、心おきなく行ってこれる。せっかくの受賞者展であり、選者の一人としてなるべく観ておきたいが、去年は欠席した。幸い、往き帰りの列車で校正という集中の要る仕事が進む。家では、静かに校正できる机も場所も無くなっていて、ついつい遅れる。タイムリーな列車の旅は有難い。
二日の旅のうちに「八犬伝」も間違いなく第五巻を読了するだろう。あまり急いで読んでしまうのは勿体ないのだが、ついつい誘い込まれる。
何度も言うが、七五調の「きこえ」のよろしさに魅惑されるので。夢にまで文章の感じがうねりにうねる。優れた文体の伝染力であり、源氏・平家や、雨月や、また鴎外・露伴や潤一郎の文章は、読めばその晩に夢にあらわれる。高価で高貴な幽霊の魔力だ。
2006 1・16 52

* 今日の委員会で、同僚委員から、なんと昭和十三年一月三十日日曜日の「京都日日新聞」を頂戴した、これにはビックリし感激した。
「鴈治郎追慕興行」が大きな記事になっていて「期待される菊五郎の船弁慶と暗闇の丑」がトピックスになっている。「関西側に菊五郎一座を迎へ二月開演する」とありその「狂言手引」の記事に仕立ててあるらしい、まだ記事は読んでいないが、というのも、総ルビの活字はちいさく、新聞紙は赤茶色く色変わりしているからだが、酸性紙でないとみえ紙の劣化は幸い感じられない。
開いて読むのが勿体なくてたまらない。わたしの生まれた昭和十年十二月二十一日から数えると、二歳四十日の新聞なである。正直の所、当時わたしが何処でどうして誰の手に育てられていたのやら、識らないのである。まだ秦の家に預けられてもいなかったのは確かだが。
この新聞の四頁(三から六頁、一と折)、わたしには、文字通り「お宝」である。舐めるように、細かに、昔風の惜しんだ云い方で言うなら、「たまいたまい」読んでみる。惜しいことに、一、二面そしてたぶん七、八面が欠けているので、その日のメインのニュースなどは読み取れない。
森さん、ありがとう御座います。これも、貴重なお祝いを戴いたわけで。感謝。
2006 1・16 52

* 「新しい書き手」の小説が舞い込んできた。一挙に三作。一番長いのは、三、四百枚ほどあるだろうか、それを読み始めている。
ユニークで、筆はよくこなれている。「のようというのだ」などに気配りして推敲すれば俄然佳い作品に纏まるだろう。コンピュータを作中にとりこんで、リアルである以上にシュールな構想と味わいに才能を感じる。くどい書き方でなく、行間に不思議な風が流れている。不思議な異界へ爽快に流されてゆく感じの、「e-文庫・湖(umi)」には、かつて例のない、あるとすれば昔、娘朝日子の書いた文章の感じに似ている。読み進めるのが楽しみ。
2006 1・17 52

* どこへ行く気もなくすぐホテルに帰り、いきなり地下の「アンカー」というバーへ入って、例の「ブラントン」をダブル、そして度数六十度近い名前を忘れたが「ミロなんとか」いったやはりバーボンをダブルでゆっくり楽しんだ。いつ来ても音楽もない静かな静かなバーで、行儀の佳い若い女性のバーテンが言ずくなに付き合ってくれる。わたしはほとんど此処でも口は利かない、ただ酒を呑んでいる。
出ると目の前に「桃李」という地下の中華料理店があり、なにとはなしラーメンが食べたくなり、入って、また一合紹興酒を呑んだ。
部屋に帰ると、服を脱ぎ散らし、浴槽で「八犬伝」をのんびり読み、(これをやると怒る読者がいる。)すぐベッドに乗ってまた続きを読んでいるうち、寝入ってしまった。眼が覚めたら一時頃だった。そのまま七時半まで寝たが、部屋が乾燥し口があまり渇くので夜中に一度洗面所でうがいをした。水も呑んだ。この水が美味かった。
2006 1・18 52

* 夜前、「イギリス史」と、中国の「随」の破天荒な治世とを読んだあと、『南総里見八犬伝』岩波文庫の五巻を読み終えた。ついに八犬士が出揃ってきた。今朝起きて、床の中で第六巻冒頭、犬江親兵衛仁が神女伏姫に愛育され、いましも姫の父里見義実の危急を救ったくだりを、面白く読んだ。続きが読みたい読みたいとなり、しかも音読に堪える筆の巧み。西欧の『モンテクリスト伯』に匹敵する巧緻の構想、加えて神変不思議。
物知りの標本のような馬琴ゆえ、うそかまことか面白いことを瑣事ながらいろいろ教わるし、舞台がいまの主に東京都中心の関東一円で、地名がいまに通っていて、それも珍しく興を惹く。まだ当分のあいだ楽しめるのがありがたい。
2006 1・20 52

* 今日は家内と俳優座の芝居をみてきました。昨日まで京都に二日いました。京都はちらちら小雪が舞いましたが、むしろ風情でした。
ボランティアですか。この言葉、広範囲に使われるようになり、見当がつきませんが、何をなさいますか。
わたしは、もうもう、自分のしたいことをするだけです。自分のしたくないことはもうしなくていいだろうと見捨てています。分別はなるべく用いず、喜怒哀楽にすなおになろうとしています。政治にも藝術にも人間にも、分別というマインドトリップに陥らず、感情を解き放とう放とうとしています。それがラクだからでもありますが。
正月早々この二十日間はあれこれしていましたが、明日から十日ほどは出歩く予定なく、ラクチンです。本が読めます。いま、日本書紀とバグワンの「ボーディダルマ」を音読し、他に旧約聖書、千夜一夜物語、英国史、世界の歴史、そして南総里見八犬伝と鏡花全集とを必ず寝る前に読んで、その外にもいろいろ読んでいます。どれもみな面白く。テレビの映画もいいのがあると観ています。今夜は「ペリカン文書」をもう何度目になるでしょうかね、それでも楽しんでいました、昼間の芝居よりずっと立派で。
糖尿病は良くなりはしません、インシュリンを朝昼晩夜と注射しながら、摂生もせず、好きに喰って呑んでいます。ま、元気にしているほうだと思っています。超音波で上腹部を検査したら「脂肪肝」だそうで。運動しないのだから当然でしょうと思っています。
井口さんが自在にインターネットがつかえて、いろいろ話し合えるようになるのを楽しみに待っています。 お元気で。  湖
2006 1・20 52

* いま一番感じ入っているのは、送られてきている小説の一作で、まだ読み通していないけれども、不思議な手応えがある。
一読して、あ、これは買い手が付く、少なくも本にしてイイと思う先が現れると思ったのは、先日本になって届いた松尾美恵子さんの『北条政子女の決断』で、題材に惹かれる惹かれないにかかわりなく、送られてきた文章の運びのほぼ間然するところない筆致に確かさがあり、読ませる「勢い」があった。
今度のそれは全く作風がちがうし、少なくももう一度二度は適切な助言のもとにディテールを推敲した方がいいけれど、もはやそれ自体はあまり問題ですらなく、物語の運びに、さ、これはわたしが不慣れで確信できないモノの、よほど独特の材料で、思い切った書き方で、淡々とかつ意表をついており、若い適当な編集者に読んでもらえれば「乗る」人がきっといる気がする。いて欲しいなとわたし自身希望し期待する、が、まだ一作品の三分の一も読んでいない。それでいてそう思わせる力が、作品のなかみと、作者の無欲の筆致・筆力に隠れている。
2006 1・21 52

* 同志社の田中励儀教授から、岩波版の新編「泉鏡花集」完結に伴う別巻二巻が贈られてきた。完備している。この版は鏡花作品の舞台(府県・地方)別に新編成された斬新な企画で、田中さんのような気鋭の研究者たちがすばらしい探索と理解の軌跡をみせた佳い全集であった。
田中さんの担当した巻々をわたしはみな頂戴してきた。装幀も造本も編集も改題も立派に出来ていて「岩波書店」として誇っていい仕事になっている。
この完璧で斬新大胆な企画からすると、谷崎学者達の非力と志の低さも手伝うのか、『谷崎潤一郎全集』はいっこうに完全無欠に近い全集が出来ない。これは版元も、学究も、関係者達は恥じていい。(ひそかに大々的に進んでいるなら前言撤回するが、噂にも聞いていない。)谷崎の研究者達が大きな志で協働してゆかない、小さくあちこちに割拠して、目に見えない無意味な力競いをしているのかもしれない。指導的な学者・研究者をもたない谷崎潤一郎の不幸である。藤村にも鏡花にもある研究雑誌すら出せないでいる。いったい、いま、谷崎学を真実大きな仕事でリードしている「身の盛り」の研究者はいるのか。いないのか。
2006 1・25 52

* 国際ペンの前理事であり、日本ペンの同僚理事である堀武昭さんに、新著『「アメリカ抜き」で世界を考える』を頂戴した。
「反米」を叫ぶだけの時代は終わった。より大事な世界の潮流に、「非米」が、しっかり強まっている。「非米」という「もう一つの世界」は可能か。アメリカ中心の覇権主義を批判的に検証し、新たなパラダイムを目指し連帯を始めた世界の「非覇権主義」の動きを、ダイナミックかつ堀さんならではの冷静な視野と視線からレポートされていて、ひろく読まれたい強い大きい提言になっている。克明に目次の項目の一つ一つにたちどまり想像力を働かせるだけでも、このマニフェストは今日に価値あるものとわたしは感じた。早急に読み進み読み終えておきたい。

* 小松の井口哲郎さんの作、昭和三十六年また三十九年に放送されていたラジオドラマの脚本二作「能登の火祭り」と「ホトケの後裔(すえ)」を戴いて、おもしろく読んだ。
能登島の火祭りに、もう亡くなった、井口館長の前の新保千代子館長(石川近代文学館)に、わたしはわざわざ連れて行ってもらったことがあり、ドラマの、声と言葉と音響で表現されている場面が、なつかしく浮かび上がった。昭和三十六年八月の放送なら、わたしたちは娘朝日子を育てながら、新宿区市谷河田町の「みすず荘」から北多摩郡保谷町の医学書院社宅に移ったころであろうか、わたしが処女短編「少女」や中編「或る折臂翁」を書きだすまでに、もう一年ほど間があった。
三十九年の「ホトケの後裔」は好評作であったらしく、ムベなるかなと想う取材と表現である。平家物語に名高い「仏御前」は加賀の出だといわれ、謡曲にも謡われている。井口さんは「ホトケ」にまつわる地元の伝承や記憶に足場をかためながら、現代の男女を介して人間の「こころもとなさ」をさらりと批評されていた。さらりと、は、井口さんのお人柄であり持ち味であり、だがそれだけで井口さんを語り終えてしまうのも軽率であるだろう。

* 井口さんの脚本から、またお手紙から、耳にとまった二つを書いておく。一つは火祭りの能登島の人たちが、対岸の北陸本土を「大陸」と呼んでいて、ビックリした。多くのことを想像させられた。
もう一つは、学校の先生であったろう井口さんは、その当時気が進むと懸賞のラジオ劇を書いたそうだが、懸賞稼ぎの書き手がいつもいて懸賞をさらっていった、それはたいてい「井上やすし」か「藤本義一」だったとお手紙に打ち明けておられる。井上靖が、小説であれドラマであれ「懸賞」をかせぎまくった猛者だったことは知られていて、その動かぬ一証言を聞いたことになる。藤本さんもそうだったのかと、興ふかく聴いた。
井口さんは秦さんに読ませるだけだといわれるが、日本ペンクラブの会員であり、「ペン電子文藝館」にどちらかをちゃんと保存保管しておきたい。

* 井口さんとは、もう何十年になるか、もっともお付き合いの永い読者であり知己である。どれほどお世話になってきたか知れない。そしていま退隠のときを迎え、インターネットにやっと眼を向けられて。
わが有力なE-OLD党がまた一人増えたと言っていい。わたしより幾つかの長者である。
2006 1・26 52

* 仕事のあいまに「長い小説」に読みふける。わたしの夢に在ったような小説だ。注意深く読み返せば、文章としての推敲はさほど難作業には成らないだろう、壮大な構想のディテールにおける補強や修訂は、この作者の力なら出来るだろう。まだ全一編を読み通すのに数日かかりそうだが、物語世界に惹きこまれている。
むろんこの手の作品は、今日の若い書き手世間にはむしろ数多いのかも知れない。わたしが、「精経入水」や「冬祭り」や「北の時代」を書いた頃の文壇には、こんな異界・他界と交通自在な小説は、ほぼ絶無だった。幻想という名にかけ、美と倫理ということをいわれるのが常のようなわたしの文学であったが、美と倫理はともかく、幻想性は昨今の映像作品を通してでも、むしろ普通にちかく普及しているのではないか。あとは独自性というところに勝負があるのだろう、その点でもわたしのいま読んでいる新人の長編は、題材においてユニークな、類のない創意工夫を示している。
作品が重苦しくない、世界がはんなりと透明に明るくて、読み通すのが楽しみ、毎日それがアタマにある。二十代では書けないだろう、もう少し、いやかなり知の蓄えがありそうな世代にあるらしい。
2006 1・26 52

* 読み上げた小説は、ほぼ四百枚あった。大きな破綻なく書き継がれていた。ナミの作品ではなかった。『ゲド戦記』を引き合いに出すのはル・グゥインに失礼だが、サン・テグジュペリの、評判ほどに思わない『星の王子様』より、わたしにはストーリイの運びや題材が面白かった。
率直にいえば、遠心力のほうが求心力より以上に働いているため、運ばれるストーリイがやや拡散して強力に引きこまれるということが、やや乏しい。エンディングにも今一段の壮大な盛り上がりが期待される。人物関係をたえず頭の中で組み立てまた組み立て直しながら読んでいた。
ちょっと類のない題材からの物語化で、まだ雑炊に似たバラツキもあるにはあるが、巧みに更に火をとおせば、渾然とした佳い味の粥かスープかが出来るだろう、意欲はよく生きて働いている。
一種の創世記ふう・神話ふうな史譚とも謂える。なにをメッセージしたいか、その辺が求心的に芯になってほしい。
さ、これを、どうしたものか。とりあえず、もう一つの短編か中編か、を読み始めている。
2006 1・27 52

* 送られてきた小説のうち百三十枚程度の小説を読んだ。この作者の美徳は、はんなりとしたファシネーションの軽やかさと透明感とを、作品に自然に表すことの出来ること、そしてディテールに至るまできちんと表現できて、ところどころにはっとする美しいイメージを象嵌できること。ムリ書きや渋滞感を感じさせない。
いわゆるリアリズムではない。美しいガラスに映った向こうの世界かのように書いている、情景も、人物も。それがリアルな世界にない謂うに言われない哀情とも優情ともなって読者に柔らかにせまる。
この短編ないし中編の完成度はかなり高い。そしてそのロマンチズムの底を脅かすほどの思想性または批評の昏さが、重い碇になっている。この作品を、わたしは無意識に以前から読みたかった。
2006 1・27 52

* 堀武昭様
『「アメリカ抜き」で世界を考える』を賜りました。時宜に必中の佳い御本だなあと、その日の私のサイトで紹介し、そして読み始めて、かなりブルブル興奮しながら読み終えました。いつもながら、たくさん教わりましたし、受け売りでも人にぜひ吹聴したい誘惑にかられます、おゆるし下さい。
七十になり、また新たに思いましたのは、「逃げ腰では、とても」ということでした。この地球上、いまや逃げ込める場所もなく、逃げ込んでどうなることかと、どんなにイヤなことがあろうとそれとも向き合って生きようとまた思い返しました。母の亡くなりました年齢までですと、私はもう二十六年生きねばならず、三十歳から五十六歳のようにはムリと知れていても、「逃げ腰では、とても」やってゆけるワケがありません。ことに、この現代です。これからの未来です。それだけにいい人や、美しい楽しいモノ・ゴトと、ひとしおよく付き合って行きたいと。
そういうときに指針の一つとなる、示唆にあふれた御本の、平静で透徹した論旨と筆致とに、感心いたしました。ありがとう御座いました。
お大切にお過ごし下さい。   秦 恒平

* 田中励義様
(岩波版)新編・鏡花集 完結を心から頌えます。すばらしいことです。私は、おもわず「谷崎全集」はどうなってるんだぁと歎いてしまいました。私流の最大の称讃と羨望だと受け入れて下さいまし。
別巻二冊頂戴し、特製特大の佳いピリオドが打てたなあと、美しい仕立て本を、箱から出しては入れ出しては入れして、頂戴した日からさわりまくり、手当たり次第に読みふけっています。紅葉先生に関わる鏡花と風葉とのインタビューなど、嬉しくてなりません。そして新出の作品群もその気で観ていますと気付くことなどあり、有難い。
なにより年譜、これは作家研究・作品研究の到達点を示すものと思い、また言ってきましたが、その思いを新たにしました。有難いことです、これあってその上に個別研究が生気を得るのですから。ありがとう御座いました。
心より御礼申し上げます。そして、ますますご活躍なさいますように。
私は、春陽堂版の全集を第三巻まで読み進めました。
夜、仕事を終えますと、まずバグワン・シュリ・ラジニーシの本(今は「達磨」)と、「日本書記」(今は「欽明紀」)とを音読し、寝床にもぐってからは、「旧約聖書」(今は「申命記」)と「世界の歴史」(今は「唐」)と「英国史」(今は「獅子心王リチャード」の没)と「アラビアンナイト」(今は全体の四分の一ほど)と「南総里見八犬伝」(今は半ばを少し超えて)を、それから鏡花全集(今は「三枚続」)とを、必ず、少しずつ読み進めまして、そのほかに読みたいものを読んで、そして、寝ます。そういうことの心おきなくできるのが古稀の功徳なんでしょうね。呵々  秦生
2006 1・28 52

* 我よりも長く生きなむこの樹よと幹に触れつつたのしみで居り   斎藤 史

* 仮に「幹」とでも作者を呼んでおくが、「幹」から送られてきた三編の小説の最初に書かれたという八十枚ほどの小説を最後に読んだ。連載中のブログに、一回分を二つ行き方を変えて書いたりなど、いかにも習作であるが、厳しい勝負世界の内容を、不思議にシュールに、しかも生活そのもののなかで表現している。作中単身赴任の寂しい「男」を「父」として面倒をみにくる「娘」の活気には、不思議に目に見えない「はたらき」がある。たわいなげなオハナシのようで居て、凄みのきいた背後の闇をかかえ、そこから人生を厳しいとも温かいとも読み取らせる「複眼の照り」も有る。四百枚の長編とも百数十枚の中編とも異なった、しかも双方の基盤になっていそうな体験が描かれているようで、「幹」がやがてまた新たに書くと予告しているブログ小説を、わたしは楽しみにしている。
2006 1・28 52

* あけがた四時まで『八犬伝』を読んでいた。何冊もの読書の最後にこれを読むのは、読めるだけ読んで楽しもうというハラだから、夜前も、もう寝ようと手水に立ち、床に戻ると、尿意も退治したことゆえ、もう少し読もうと、また先へ進んで、四時になった。いや四時に手洗いに立ち、灯を消したのは六時であったかもしれない。

* そして、ゆっくり寝た。夢に、なんだか背丈ほどある機械物を、うかとしたことからこまごまと解体してしまい、途方に暮れながら、ウーンと唸りながら、また間違いなく組み立てていた。奇蹟だと思いながら、ハラハラした。
何の夢だか知らないが、たわいない。そんな夢のあいだに、宅急便が校了紙を玄関まで取りに来てくれたのも知っていた。安心して寝ていた。
2006 1・29 52

* いま、わたしのアタマを占めているのは、「幹」さんの、読み終えた三編の小説。どうするのが、いいか。
好機は、逸してはならない。作者と話せれば。
いま、妻が熱心に読んでいる。
2006 1・29 52

* もう会期の切れる当代の「楽茶碗」を、もう一度観に行きたかったが、美ヶ原への留守二晩のあいだに黒いマゴが額や耳を傷めていたらしく、改善しないので獣医に診せに行った。完治にはしばらくかかるらしく、五日に一度ほど投薬を受けに運ばねばならない。
発送の用意もまだ半途、じりじりと手を付け、前進を怠けることはできない。六日の木挽町までに用意をほぼ終えておきたい。
めずらしくもう十日以上都内へ出ていない。おかげで心おきなく夜更かしして、いろんな本読みを楽しんでいる。
2006 1・30 52

* 十数年両親とは離れている娘朝日子が、自分のブログで「小説」を書き始めたことを、弟の建日子に報せてきて、それを建日子は誰のサイトとも言わず、わたしに報せてきた。
誰のとも分からないあやしげなブログになど触ってみる気はないと返辞すると、まあ、そう言わず覗いてくれと強って言われ、建日子自身の「隠れ書斎」なのかと思い、あまりお遊びに手を広げていないで、当面の大事に一心に集中したらと返辞した。電話がすぐ来て、「朝日子が書きだしたんだよ」と言う、わたしは、びっくり仰天した。作品の出来がどんなであれ、嬉しかった。
読みにくいブログ原稿を、長い時間と手間をかけ、読みやすく一太郎に転記して読んでみた感想は、この「私語」に、つづけざま、たくさん書いた。何度も書いた。しかし朝日子の作品だとは言わなかった。言えなかった。弟が父親に伝えることを、姉は、朝日子は、「厳重に禁じている」からだと建日子は言う。それでも建日子は伝えてきたのである。
朝日子は、それを予想しなかったろうか。わたしに伝わることを期待していなかったろうか。朝日子は、以前からわたしのホームページは見ているのである、それは分かっていた。わたしが、今度の朝日子三作品を珍しくたいそう褒めている、評価していることも知っている。そう思う以外にない、直接に確認出来ないが。そしてその事に関して、姉が弟のところへ「なぜ親に伝えたか」と、怒ったり、苦情を言ってきたりしていないことは、妻から息子に確認して、分かっている。
朝日子は問題にしていなかったようだ、が、建日子は、姉弟の関係がわるくなるので、おやじたちはあくまで知らないことにしておいて欲しいと繰り返した。親心として、なかなか理解しにくいことだった。

* 一月二十八日、朝日子の二つの仕上がり作品を読み終えた時点で、わたしは、嬉しい気持ち、驚きの気持ちを建日子にメールした。全文を挙げる。

* 建日子へ  父
この間は、朝日子のメールもともに、朝日子の「創作」を読む好機を贈ってくれて、心より礼を言います。
朝日子が碁の仲間との、チャットか掲示板かに「ちょこちょこ書いている」という情報は、彼女の碁友という男性から、ちょうど去年の今頃に報せてきていました。
わたしは、そのとき、書いている「そのもの」を一部でも読みたいと頼んだのでしたが、朝日子を憚って、何処に書いているとも、此のようなものとも、見せてはもらえなかった。わたしは失望のあまり、朝日子には細切れの空気抜きのような文章は書いてほしくないのです、しっかりしたものの書ける力があるのだからと、やや八つ当たり気味の返辞をしたものです。
今度、四百枚前後の長編『こすものハイニ氏』(わたしの付けた仮題です。原題は「こすも」)と、百三十枚ほどの『ニコルが来るというので僕は』を、多大の興味をもって通読し、正直、感嘆しました。
この二作とも、初稿のままでしょうが、水準をしっかり超えた、慎重に手を入れれば独り立ち可能な、売り物にもなろうと思う作品でした。
両作とも朝日子の仮名・無署名のブログに、一日も欠かさず書き継いでおり、前者は十ヶ月も連載し、構想的に大混乱させることなく綺麗に書き切っています。文章も、せいぜい一度二度の推敲でぐんと良くなるほど、朝日子本来の文章センスが生きていました。一種独特の魅力を、ファシネーションを、はんなりと発揮していました。まがうかたない才能の所産でした。
後者の中編は、今年の建日子誕生日に脱稿されていました、贈り物として上等なもので。文学賞に佳作入賞してもおかしくない、ピンとした、ロマンティツクでもあるが不思議な批評性を根に秘めた一編の物語、かなり独特なものでした。父は感心しました。
朝日子と逢えなくなって十三年ほどですが、じつに嬉しい「再会」でした。
十数年、わたしには、朝日子にも書いて欲しい、書けるのだから、という信頼が強く根づいていました。弟が活躍すればするほど、へんな雑念はもたず無心に「書き表す」嬉しさを朝日子にも味わって欲しいと、それこそいつもいつも思い、母さんとも話し合ってきました。
朝日子は、その願いを、大晦日も正月もなく少しずつ書き続けるという、父さんの思い通りの仕方で、無欲に無心に新世界を紡いでいたた、書きつづけていた。完成度のかなり高い、ユニークな文学世界を。
あの悲劇的な醜悪な事件このかた、こんなに嬉しいことは初めてです。自発的に「書いた」「書き続けた」「よい作品になった」のですから、父は、言うことなしの満足で、感謝です。
作品の感想は、父だからという身贔屓なしに、一人のきつい「読み手」としての平静な批評です、称讃です。ウソは言わない。
こんな喜びを、建日子の配慮から得られたことに、もう一度お礼を言います。おまえからも、さらに励ましてやってほしい。
これらの作品は、好機を得て、よく出来る親切な編集者に読んで貰いたい気持ちです。
方面の全く異なった「創作」で互いに屹立出来るかも知れない 秦建日子と秦朝日子。 おまえはヘキエキかも知れないが、父さんと母さんの夢が一つまた出来ました。しかしそんな世俗のことはともかくも、朝日子が期待通りの力を発揮していたこと、それも肩に力の入らない清明な纏まりのいいものを、なにより自発的に書いていてくれた事、で、わたしは大満足です。嬉しい。
もういちどこの弟と姉とに、感謝します。
建日子。さしつかえなければ、このメール、朝日子に転送してやって下さい。  父
朝日子。あわてなくてもいい、書きたいこと、書かずにおれないことを、しみじみと、心行くまで書きなさい。苦しみをも楽しんで。  父

* 建日子は、だが、朝日子にこのメールは伝えない方がいいと言ってきた。よく理解できなかったが、作品への称讃やわたしたちの喜びは、ホームページを通して伝わるのだからと諦めた。
母親は、妻は、朝日子は父親のホームページを見ているのだから、それを通して話しかけてやってと提案し、わたしもそうしようと思った。このメール時代に、なぜ朝日子とわたしとの間に「個と個」との対話や交感が不可能なのか、建日子にずっと以前から頼んできた「朝日子のメルアド」をなぜ教えては呉れないのか、ほとほと理解できなかった。もし親と姉娘とを引き離しておく必要が有るのなら、朝日子の小説ブログをわたしに強いても教える建日子のはからいは、真意が汲みにくかった。

* そのうち予告通り、二月一日から朝日子の新作がはじまった。だが、(起こる頃だと)心配していた「運び脚の重さ」や行文のちいさな「杜撰」が重なり見えたので、早く注意して、より良く書いた方がイイと思い、妻も賛成していたので、「私語」として、作品書き出しの一部に、すぐ気の付くダメ出しを、具体的に書いた。むろん朝日子の作に、とは、ひと言も触れなかった。
だが建日子は折り返し咎めてきた。自分は、弟は、即座に姉に対し、父にサイトを報せた「信義違反」を「詫びました」と言ってきた。咄嗟に、この際もっと大事なことがあるのにと思った。大事なのは姉弟の関係というより、これを好機に、朝日子と親たちの多年「喪ってきたもの」が回復出来ないか、みなで深切に情意を尽くすことではないかと感じた。もともと、吾々一家と朝日子との間に、何一つ喧嘩の種など無かったことは、経緯に照らして明瞭なのだから。朝日子は「状況」に対し殉じたのであり、わたしは理解していたから、それでよいとして、朝日子に向かい久しく一指も動かさなかった。古稀に辺り歌集『少年』を妻から送っただけである。
ところが、わたしがホームページに、すべて、ああいうことは書かない方がよかったと建日子は断定する。父親の「独善」だと。朝日子は、「少なくとも父である秦恒平からだけはアドバイスされたくないと思っているのは明白です」、と。
現に朝日子は書きかけていたブログを閉めている。
父への、みごとな一刺しであった。

* そうなのか……。わたしは、建日子のメールを読んで、瞬時に積年の鬱を散じた。すべて忘れること、少しも不可能ではない。こういうことも有ろうかと、自分の胸にも問うていた三句が、幸か不幸かムダでなかった。

冬の水一枝の影も欺かず   草田男

一筋の道などあらず寒の星    湖

己が闇どうやら二人の我棲めり  遠

呵々。  (朝日子の作品に関連して私語したすべて、愛情も称讃も懸念もウソ・イツワリなく、そのまま機械に保存しておく。)

* 建日子がどんなことを思っていたか、書いているので読んでやれと妻は言う。わたしに宛てられたものではなく、建日子の外向きの「私語」である。わたしの「私語」と同じで、その手のモノは、読みたければ読み、気がなければ触れることもない。わたしに直に宛てて別に、今朝も建日子のメールが届いていた。それは読んだのだ。それとブログの物言いとに齟齬あっては可笑しいわけだ。建日子はわたしに宛てて言っている。
朝日子の作品にふれて褒めるにせよ貶すにせよ、ホームページに、すべてああいうことは、書かない方がよかった、と。父親の「独善」だと。朝日子は、「少なくとも父である秦恒平からだけはアドバイスされたくないと思っているのは明白です」、と。
それで足りている。
嬉しさの余り、ことが「小説・創作」でもあることから、わたしが出過ぎた、と。そういう咎めである。「独善」だと。
分かった。
わたしはそういう「独善」が好きだ。自分の熱いいい性格だと、独善的に肯定している。朝日子も建日子もそういう「独善」に愛されてきた。育ってきた。よかったではないか。これまでもそうだったように、この先も、その場その場で「おやじのせい」に出来る。親は「壁」という、それがその悪い方の意味である。良い方の意味があるのかないのかは、銘々に考えたらいい。

* 二月は、ただただ寒い。
2006 2・7 53

* さ、早めにからだを休めよう。「アラビアンナイト」が面白いし「八犬伝」も面白い。旧約聖書も読み良くなっている。鏡花の「三枚続」はかなりごちゃごちゃしている。それよりアンドレ・モロワの「英国史」が興趣に満ち、記述も簡潔、要領が良い。イギリスという国の特異性がこう巧に記述されているのには、再読ながら感心している。そして「大唐国の繁栄」ぶり。少し胃に凭れるほど。
いま一番熱心に読んでいる一つは、堀武昭さんの『「アメリカ抜き」の世界を考える』洞察の本。素人なりに漠然と、しかしきつく実感してきたいろんな私の思いを、信じがたいほど広範囲にこの本は裏書きし、支持してくれる。つまり私の思いを相当に代弁してもらえている。熱心に二度目を読んでいる。
2006 2・8 53

* 元名古屋大学の山下宏明さんから、大著『琵琶法師の平家物語と能』を頂戴した。わたしの『能の平家物語』は文士のエッセイだが、これは研究者の労作。拝読をたのしみに、今夜からベッドサイドブックスに加える。山下教授に招かれてNHKラジオで平家物語を話し合ったことがある。お目に掛かったのはその一度きりだが、湖の本の欠かさぬ講読者の一人でいてくださる。
わたしの心づよさは、国文学、歴史学、現代文学の錚々たる学究と、大勢知り合っていること。いちいち会いはしないが、とても身近に感じられる頼りになる方を、多年のうちにずいぶん多く存じ上げている。わたしの書庫にはそういう知友から戴いた貴重な著書が数知れず増えている。だいたいわたしは本を買わない方なのに、書庫は満杯で通路にも歩けないほど積まれてある。まあ、よく読んできたものだと我ながら呆れるほど。
2006 2・12 53

* いま『千夜一夜物語』が好調に面白い。素地から浮き上がる図形だけを見つめているような読み方で、背景の「アッラー神」世界についてはおよそ何も知らないわたしだが、物語られている、気の遠くなりそうに美しいといわれる王子王女らの数奇の恋の幾変化が、奇妙とも深甚とも哲理ともよめる数々の詩とともに、極彩色に装飾されていて、それでいて胸にもたれないのが有難い。
アラビア人の名前がうまく覚えられないが、一人のお姫様にして他国の王女を娶って男装の王となり、災難に遭って流浪の夫王子と宮廷で邂逅し、夫に男装の気付かれない儘、当の恋しい夫王子にわざと男同士の性愛を強いて困惑させる割るふざけのあたり、詩篇も盛りだくさんに、露骨で、滑稽で、軽妙に面白かった。その王女で男装王で元妻の名が、たしかヴドゥル姫であったか。
旧約聖書の『申命記』を読み進んでいて、エホバ(わたしの新旧約聖書文語の一冊本では、そう在る。)の徹底支配世界が、「アッラー」神への徹頭徹尾の帰依とみえるアラビア世界と、わたしの頭の中で無責任に重なってしまう。

* 『八犬伝』もいま八犬士が勢揃いして、さ、やがていよいよ安房の里見侯に初見参するのではないか。

* 堀武昭さんの本の、徹して正鵠を射たアメリカ・イスラエル批判に頷き頷き、赤鉛筆片手の深夜の読書も、目を冴えさせる誘引力。
2006 2・13 53

* 必要あって、冷える書庫へ今日は二度入る。用事のほかに、ああこんな本がある、こんなのをじっくり読んでみたいなあと思うのを何冊も見つけ、誘惑された。
分厚い滋賀県の『神崎郡誌』上下、これも分厚い山城の『加茂町誌』。腰をすえて読み出せば、身内の血が煮えてくるかも知れぬ。
2006 2・14 53

* 世界史が、今夜から『イスラムと中央アジア』に入る。『アラビアンナイト』のお蔭で、イスラム世界が妙に親しい。その上、いま堀武昭さんの本を熟読中で、どうしてもアメリカ・イスラエルよりも、西欧よりも、気持ちがイスラムやアフリカの方へ寄って行く。『八犬伝』もやがて第八巻に入る。八犬士の全員が安房の里見家中に顔を揃えた。これからは文字通り南総の里見家幾変転の物語になるのだろう。
『旧約申命記』で、イスラエルの民にのしかかる神エホバの、すさまじい個性! に驚き続けている。
2006 2・17 53

* ある高名な小説家の遺児が、父親の文学や生活を書かれて、わたしも戴いて読んだ。かなり時日をへだてて、あの本の中の一部を「ペン電子文藝館」に欲しいと頼んだら、あの本は読み返すたびに自己嫌悪で死にたくなるほど、とても「書けていなかった」「恥ずかしくて」と、断られた。燈台もと暗し。身近な人なら書けるという保証はなく、参考にはできても正鵠を得ていない、むしろとんでもなく見間違えている例は、その手の近親の著作にはまま見受ける。
2006 2・18 53

* わたしの「孤室」に訪れた人たちがもう二十人あまり、その中で、息子を見つけた。平凡でへんな「ニックネーム」だが「ブルー」などとしていなくて宜しい。
ところでその秦建日子の小説第二作が、講談社から出て、題して『チェケラッチョ!!』なんのことだか? 第一章が「父の押し入れ」だって。
読んでみるとベラボーな速度感で、完全無欠のタメグチ小説。語り手は女の子。姉がいる。英語の話せない二十歳の姉が日本語の話せない四十歳の米兵とアッケラカンと結婚式をあげ、父親は押し入れに籠もって結婚式に出なかった…。舞台は沖縄であるらしい。
これは、わたしの読者も読みたいかもしれない。才能は、いやこんな物言いは渋谷や歌舞伎町や原宿でウンザリするほど拾えるだろうから才能の尊称はもったいないが、それを駆使に駆使して速い速い。その文体が珍しいのか珍しくないのかわたしは知らない、むろん逆立ちしても私には書けない。書けても書かない。
だが、本気で読み出せば機械仕事の途中の今にも、まるまる一冊簡単に読んでしまえる程度の、厚紙に刷ったいまいまのお安い本である。「読ませる」という力と勢いとは十分有る。
作品そのもののことは、第一章だけ読んでなにも言えないが、時間つぶしがイヤで、一応本はそばへ置き、父親からの「紹介文」をさきに書いておいてやるとした。なんだか、この夏にも映画化されるとか。マスコミの鼻くそみたいなものになりませんように。

* 小説では、作中の父親はしばしば一升瓶を手に「押し入れ」に隠れるとある。「押し入れ」を、『北の時代最上徳内』の冒頭から繰り返し書いている「部屋」と同じと観ることはできるが、建日子は読んでいないだろう。だが、感じてはいたのだろうか、むろん小説と我が家とは別物だが。

* 我が家の姉娘の結婚式は、先方父君が逝去直後だった。当時帝国ホテル支配人であったわたしの読者にたすけられ、式場もきまったし、来賓の多くもわたしからお願いした。
それより以前に、年齢からするとわたしたち夫婦へずっと近い熱烈候補者を娘が連れてきて、ああ、それは避けたい(理由は有った。)と、私も妻も心を痛め、たまたま早大の小林保治氏に紹介された教育学部の助手君と会わせてみたら、あっさり娘は若い美男子に乗り換えてしまったのである、それが娘の結婚への経緯だった。
結婚後に生じた不祥事は、尾をひいて今に至っているが、分かりよく謂えば「学者の妻の実家は、娘の夫を経済(家と生活費)支援するのが常識」という、わたしから謂えばバカげた要請を当然「断った」ため、「妻の親」はひどい暴言を浴びせられ「絶縁」を言い渡されたというワケ。
わたしたちは、親子よりも夫婦の横軸を大切にする思想なので、娘が離縁されて戻されるより、娘を諦める(引っ張らずに手を放す)道を選んだ。「親に勘当された」と娘がいまも言うらしいのは、そのためである。
わたしが、娘に望んでいるのは、一つ、健康でいて欲しい、もう一つは才能を活かし心行く人生を送って欲しい、その二条に極まっている。
娘は、何が有ろうと私たちの娘で、建日子の姉である。みんな、心から愛している。夫の存在は、きれいに脳裡から削除されている。
息子には息子の思いがあるだろう、その思いがいくらか今度の戯作に反映しているとしたら、わたしも好奇心をむけて読んでみよう。文体も推敲も利いている。推敲の苦労を避けるために一文が極端に短い、これまた建日子の得意な「ト書き」小説風を貫いているようで、『推理小説』と行き方はかなり異なっている。新鮮。みなさん、読んでやって下さい。
2006 2・19 53

* 山下宏明さんの大冊『琵琶法師の平家物語と能』も、堀武昭さんの『「アメリカ抜き」の世界』も、赤ペンを手に、最初から克明に読んでいるので、同様にしている世界史の『西域とイスラム』アンドレ・モロワの『英国史』上巻との四冊は、どの頁も赤くにぎやかになる。自然読むのに時間をかける。
いまは『アラビアンナイト』が快調。『旧約聖書』もおもわず歎息したり噴いたりするほど、面白い。
鏡花の『三枚続』は読み取りにくく、粘り読みしている。だが岩波版『鏡花集』補巻におさめられた、例えば師紅葉を語る鼎談やインタビューでの鏡花証言は、すこぶる貴重、興趣も満点。
『日本書紀』は推古紀に入り、聖徳太子や蘇我馬子らの時代になる。仲哀天皇や神功皇后の伝承時代に始まる我が国と朝鮮半島との交渉の、繁雑このうえない推移に、眼をむいている。この間の日本史とは、半島との軋轢・葛藤・戦闘・外交の経緯でほぼ埋め尽くされている。それも初期の任那経営からジリジリとした後退し撤退してゆく経緯あらわ、これが天智天皇のときに決定的な敗北と撤退に到るわけだ。
『八犬伝』は、そろそろ高田衛さんに戴いた大冊『八犬伝の世界』と併読に入る。原作を読まずに研究書ではシンドイので、友人にプレゼントされた原作文庫十巻をやがて七巻の終わるところまで一気に読んできた。そろそろ高田さんの講義を聴きながら原作を読み上げてゆきたい。
とどめは、やはりバグワン。『ボーディ・ダルマ』に推服している。

* そして昨日は秦建日子の『チェケラッチョ!!』も一冊読み終えた。
推理小説に次いで今度は幼少読み物。詳しい感想はじかに作者に伝えた。
手短かに言うなら、終始タメグチできびきびと面白くよく書けており、「読ませる」藝とちからに感心したが、筋書きはやすいテレビドラマなみの、イマドキ演歌。息子の作でなければ読まない。わたしの読まないようなモノほど、間違いなくよく売れる現代日本だ、大成功してほしい。
2006 2・20 53

* 久しい読者のお一人の田中荘介さんとの出逢いは、ふとしたことであったが、詩とエッセイとを書く人と知ったからで、それに惹かれたからであった。最近、日本ペンクラブにも入ってもらった。
この二月に古稀。二・二六事件の三日前というから、明日、誕生日。田中荘介詩集『少年の日々』を出版し自祝されている。「ありがとう」「しあわせ」にはじまり「そふ」「そぼ」「ちち」「し」「ふうけい」で結ばれる二十二編の詩がならぶ。佳い。

* ゆれる   田中荘介

少女は
廊下の窓の敷居の
上にのっかって
ひざをくんで
スカートがすこし
めくれあがって
白い下着が
わずかに見えて
こっちを見ていた

教室の中から
見える
少女の表情は
逆光のため
さだかでなかった
背景の
櫻の木の枝が
かすかに
ゆれていた

* わたしの古稀自祝の歌集『少年』巻頭歌が、
窓によりて書(ふみ)読む君がまなざしのふとわれに来てうるみがちなる
高校に入学したばかりだった。「うるみがちなる」はわたしの過剰な視覚だったろうが、けぶるような視線だった。松園の「娘深雪」を観たとき思いだした。田中さんの少女もスカートをはいているから戦時の国民学校時代ではあるまい。敗戦し、時を置いて京都の母校へ復帰したとき、もんぺでないスカートの少女 (まだ数少なかった)がどんなに眩しかったことか。

* そぼ    田中荘介

早く目がさめると
離れのへやの
祖母の
寝ている布団に
もぐりこんだ

祖母がしてくれた
むかし話は
起伏にとみ
ひきこまれた

くり返し聞く
石童丸の話は
父に会いにいくところで
いつも泣いた

ときには
やわらかくぬくい
おちちに
さわった

* 田中さんは人も知る「播磨国風土記」研究の人でもあり、著書もある。おばあさんに聞いたむかし話にもまじっていたのだろうか。最後の四行が、肌に粟するほどはずかしい。嫌悪ではない、深い憧れで。わたしは今でもそうだが、「おちち」という言葉がはずかしくて、口に出来なかった。「おちちにさわ」りたかった。残念なことに生母の「おちち」は全く知らない。さらに残念なことに養母にはほとんど「おちち」が無かった。祖母はいなかった。
2006 2・22 53

* MIXIに、八日にわたって連日「心」論を書き続けている。漱石の『心』論ではない。まさしく「心」を、まっしぐらに論じようとしている、少なくも語ろうとしている。場所も場所、場違いすぎて、反応は全く期待していない。立ち往生する怖れも大いにあり、とは言え、いまぶん順調に書き進んでいる。少しずつでも、三十枚をもう越したかも知れない。短く毎日区切れることで、いい働きができるかも知れない。
MIXIの中に、作品は読めないが小説を書いている人、かなり熱くなって書いている人もいるようだ。読んでみないと分からないが、いい若い書き手に出会いたい。すぐれた読み手にも出会いたい。そう思うようになった。
いまのところわたしより年寄りには出会わないが、年輩の人もいる。二三日前のわたしの「静かな心」のためににコメントして、伊勢物語第一段の「春日野の若紫のすり衣しのぶのみだれ限り知られず」という和歌を書き込んだ人など、いい年のようであるが、どういうことか。
「返歌さほどならず」とわざわざ書き添えてあったのは、例の「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに」に当たるが、「さほどならず」というのは、べつの返歌を要求されたのか。即座に一首。
みちのくのしのぶもぢづり誰ならで色染む花としるや知らずや
2006 2・22 53

* 娘朝日子のブログ連載小説を、こつこつとダウンロードしては読み、また同様に読み継いでいたあれでどれぐらいな期間であったか、幸せだった喜びが、いまもともすると甦ってくる。
毎日、ブログをひらくのが楽しみだった。どこかで会って飯を喰おうが話をしようが、そんなのとは比較を絶した、小説を介した娘との日々の対面だった。十数年見ない顔が行間に行文にありあり見え、声まで聞こえるようであった。
ま、わたしが出過ぎたのであろう、亀が頚をすくめるように、新しいブログ作品そのものが中途で消え失せ、行方知れない。どうか、わたしを気に掛けないで心行く創作を続けていてくれるよう、心から願っている。
弟の活躍ぶりに立ち向かう必要など少しも無い。書いて生きればいい。
いったい誰が朝日子の小説を読んでくれるのか、いい読者にも恵まれて欲しい。そして、心身ともに、健康に。

* 一時半ごろに床に入り、それからの読書がはかどりすぎ、眠れなくて、また真夜中から明け方へ読み継いでいた。『八犬伝』は文庫本第八巻に入り、鏡花『三枚続』も読み終えた。何が何して何とやらといった小説で、戸惑いつづけていたが、終幕で意外に情緒を揺すられた。
だが感動を新たにしたのは、たまたま持ち出した『伊勢物語』で、ぱらんと開いた半ば辺から読み始めたが、和歌のいいこと、何度も何度も読んでいる伊勢だが、しみいるように和歌の美しさ面白さ、また雅びな優しさに、目は冴え冴え、そして五時半に黒いマゴを外へ出してやり、六時前には起きてしまった。
2006 2・23 53

* きのう、秦建日子の「処女作」の機械にファイルされていた小説らしきものを、読み直してみた。こういう調子、こういう表現から、彼は彼の表現手法を獲得しつつ磨いているんだと、(ぜんぜん巧くなかったけれど)興味深いモニュメントであった。わたし自身でいうと処女作『或る折臂翁』に当たっていた。
2006 2・24 53

* 昨夜おそく読んだMIXIの二十歳前の女の子の、いちびった露悪ぶりに、魘された。そう思っている、知っている、している、だからそれを公然人前に書き表したとて、何がわるい、という理窟でもあるのか。
早稲田の文藝科ゼミで学生達に小説を書かせては読んでいたとき、「男は坊や、女は獣」とたくさんなへたくそな作品から実感していた。よほどましなのに、今活躍している角田光代がまじっていた。
伊勢物語の冒頭に、そのころ、ちょっと気の利いた女たちは機会あれば「いちはやきみやび」をしたとある。女からの「ナンパ」である。いまどき二十歳前後のさかしら女は、意識して露悪を演戯しているらしい。漱石は『三四郎』の美禰子のような無意識の露悪をやる「猛獣」も書いたが、無意識どころでないから、吐きけがする。
「獣」そだちかと見えたような三十代セクシーの表現など、いまも作品一つ読んでいるが飾らずに、だが美しく書こうとしていて、カタルシスもある。
2006 2・27 53

* 届いていた小説の、決して短くはない一作を、読んだ。書くことを重ねていくと、うまくなる、まちがいなく。気になることは幾つあっても、全体の動きで「読ませ」る。運びに、ギクシャクした渋滞が出なくなっている。おはなしはかなり驚かせもするが、私小説ふうの筆触に仮構の体温もかなりよくリアルに保たれ、三十そこそこか独身女性の性的な内面生活や「つきあい」の機微や情意が、しっかり書き込まれている。露骨でもなく、わるく隠してもいない表情の平静には、つよいものが感じられる。しかも意表に出て、性的な恋愛の主な相手が初老の男に書いてあり、若いいくつかの「つきあい」も、併走するようにワキを締めている。「書けて」きたなという気がした。
ただし、まだ、少し遠心的にちらばるところが残り、語りの絞られて行く、いい意味の速度をあえて停滞させている。その気味がある。身動きや気合いや温度差などディテールに、さらに精確に微妙な想像力が届いてくれると、推敲での磨きは、まだ十分かけられる。まだ作品の肌に小刻みなザラつきがのこっている。
しかし、腰のすわった、風変わりともみえる恋愛感情は、ほぼ読み手に伝え得ていて、わるくない読書であった。もっと良くすることが出来る。
2006 2・27 53

* バートン版全訳『千夜一夜物語』は本文の破天荒に面白いのはもとより、各巻末に豊富に付された「原注」が、また途方もない佳い読み物なのである。そこまで舐めるように読み尽くさねば意味がうすれる。
例えばヒンズー教徒によると、恋患いには十段階あるそうな。
一 見惚れ  二 心を惹かれること  三 情欲が生ずること  四 不眠  五 痩せること  六 感覚の対象に対する無感動  七 恥辱心の喪失  八 思考の乱れ  九 意識喪失  十 死 と。
十番目は論外として、フフフと思い当たる人は多いだろうし、なんだ今更と思う人もあろう。
今日の実情は知らないが、アラビアの男は三度離婚して、三度、離別した女を取り戻し妻に出来たという。最初の二度の離婚では男は無条件で女を復縁させることが、権利として認められていた。三度目だけはちょっと難儀だった。離別した女が誰でも別の男と再婚し、その上で新しい夫がその妻をまた離別した場合に限って、前の夫は権利としてその離別された女をまた妻とし引き取ることが出来たという。前の二度の離婚を、後の三度目の離婚を、どっちであったか大離婚、小離婚とよんだという。
丁度今、そのややこしい離婚制度にからまれた数奇の物語を、大いに楽しんでいる最中。今文庫本の七冊目を読んでいるのだが、全体のまだ三分の一に達していない。物知りになろうという気はなく、尻から忘れて行くが、すっかりアラビアンに親和的になっているから可笑しい。これもアメリカのブッシュ嫌いの裏返しか。「アッラー」の世界のおもしろ可笑しいのに対して、旧約聖書「申命記」の神の、焼き尽くす烈しい怒り、妬み、支配の掟はどうだろう。絶え間なく、二言目には、エジプトでの重い軛を解きはなってイスラエルの地に導いてやったことが言われる。徹頭徹尾選民意識の確認確認また確認の上に微細なまでの掟が与えられ、違背の罪責はまことに苛酷。
フゥッと大きな息をハキハキ読み進んでいる。

* さ、やすもう。明日は早めに出る。
2006 3・2 54

* 春陽堂版の鏡花全集第四巻では『湯島詣』『高野聖』の代表作のほか『海の鳴る時』『葛飾砂子』『政談十二社』『風流後妻打』そして佳作『註文帳』『三枚続』についで、『女仙前記』『きぬぎぬ川」』の前後編を読んでいる。これも好きな作に指折れる。
第五巻には『薬草取』それに大作『風流線』『続風流線』などが待ち受けている。なるべく初めて読む作品に佳いのが有って欲しい。

* さすがに眠い。日付の変わる少し前。もう機械から離れる。
2006 3・3 54

* 高田衛さん(都立大名誉教授)に大冊『八犬伝の世界』を戴いてなかったら、『南総里見八犬伝』は読まずじまいだったかも知れない。折角の研究書を、原作を読まずに読むのはムリだと思い、さきに原作をと思い立った。
だが、わたしは、書店へ出かけない人。古典全集によっては入ったのもあるか知れないが、全集本は手に重いしなあ、文庫本はあるのかしらんと躊躇していたら、岩波文庫十冊の新本をポンと揃えて贈って下さる方があった。感謝にたえない。
すぐ読み始め、ゆうべで九冊目に入った。高田さんには、いよいよ「御本を読みにかかれます」と、おそおその礼状を出した。
原作は漢体文で総ルビ。ものしり馬琴の真骨頂を、物語の興趣を壊さない程度に発揮し、克明な叙事。一つには発端から完結までに数十年をかけて逐次発刊しており、巻をかえるつど、必要なくり返しも決して辞さないから、はなしが分からなくなることはない。馬琴は、そういう叙事の徹底反復にかけて「神経質なほど大胆」なのである。
独特のねじ込んでくるような筆致は、夢にも現れる。時代も手伝っているが、やはり馬琴の粘液質がよきにつけあしきにつけ猛然と作用している。全体にこれぞ「説明」につぐ「説明」の堆積、はなしが説明的に進むから、分かりはいい。しかも、ところどころ、やや和文というより、江戸の音曲の歌詞にちかいとびきりサビの利いた「美文」が飛び出し、うっとりさせてくれる。暗誦したくなる。谷崎潤一郎もそんなことを言い、例を挙げていた気がするが、『太平記』の文体や叙事も馬琴に感化しているか、どうか。
もう一つ、この文庫版にも、たくさんの原作挿絵が入っていて、これが悉く、傑作。頁を繰りつつ繪の出て来るのが楽しみで、次の挿絵のところまで読もうなどと読んで行くと、読みははかどるはかどる。そして睡眠不足になる。
同じ興趣を、『千夜一夜物語』でも毎晩楽しんでいる。こちらはまだ半分にも達しない。
だがその何倍も何倍もの大長編は『旧約聖書』だ、こりゃスゴい! やがて「ヨシュア記」に入り、旧約の歴史が動いて行くだろう。『新約聖書』のおしまいまで読み通すのに古稀になったわたしは喜寿を迎えるかもしれない、米寿にもなるかしれない。

* むかしは、あたりまえのこと、猛然たる知識欲で読書した。その甲斐はあったでもあろうし、ときに有りすぎた気味もあった。
今は、知識を得たくて読書することは全くない。「今・此処」でのわがレスポンスを自身に確かめるように楽しんでいるだけ。ああ昔なら、この知識をさっそく活かして何か書いたろうなあと思いつつも、もうそんなメンドクサイことはしない。おもしろいなあと思うだけ。覚えていればそれもよく、読むしりから忘れてもちっとも構わない。ただ斜め十行にトバし読みはしない。紅いペンをいつもそばに、本によっては真っ赤になるほど傍線を入れたり書き込んだり。それとても、楽しむための補助線。
名大名誉教授の山下宏明さんに戴いている『琵琶法師の平家物語と能』など、碩学が心行くまで書きこまれた完くの研究書だが、じつに面白い。こういうのに当たると、とてもその辺のやすものの小説など読んでいられないから堪らない。そうかそうか、そうだったかと初めて手に入れる知識も満載の大著であるが、知識を今更創作用に役立てようという気はない。出会った嬉しさを満喫し、楽しむだけ。わたしが「生きている」嬉しさを感じ得られれば足りている。
この間、いちばん年若な友人が、メールの最後に書いてくれていた。「以前は少しでも長く続けてほしい、書き下ろしなど出してほしいと思っていました。今は秦さんのつくりたいものを、思うまま、ご健康の許すまま、つくっていいただければいちばんと思います。秦さんの作品が手元にある、いつでも読める。それが何よりの幸せです。」と。
甘えるのではないが、わたしの心境は、彼の言葉にほぼ随っている。いまのわたしは、何でも好きに出来る。ありがたこと。
2006 3・8 54

* 八犬伝に読みふけって、寝そびれた。ずいぶん読んだ。そのまま起きて、「静かな心のために」の二十四日めを書いて送っておいた。朝から、MIXIに若い女の子のいちびった記事が出ていて、気色が悪かった。
2006 3・10 54

* 花粉か風邪か、大きな嚔を連発する。ゆっくり湯につかり、「八犬伝」を貪り読もう。そういえば、このごろ映画も観ていない。今夜はアンジェリーナ・ジョリイの「トゥームレイダー」がある。録画を頼んでおこう。
2006 3・12 54

* 存じ上げない年輩と思しき男性から、「e-文庫・湖(umi)」に掲載願えまいかと小説が届いた。喜んで読ませて貰おう。
2006 3・12 54

* 「八犬伝」が文庫本十冊の十冊めに入った。好きなおやつの残り少なさを歎いた子供の頃の気分。

* 堀武昭さんの『「アメリカ抜き」で世界を考える』(新潮選書)が、書き込みと傍線とでまっかになった。だいじなことを沢山教わった。もともと、アメリカだけでなく、歴史的に覇権をふるった世界大国の国際善意などという妄想にふけったことのない、わたし。ことにこの四半世紀のアメリカの横暴・暴虐に、また卑屈なまで追随している日本の政権には、ヘドが出そうであった。わたしひとりの偏見ではなかったことを、論理的にも実証的にも、とてもきちんと教えてくれる好著であったのを感謝する。

* 昨日の結婚記念日に、あだかも祝儀のように、伊原昭さんの『色彩学事典』の大著が贈られてきた。このご婦人の老碩学とも、一度もお目に掛かった記憶がない。ま、わたしは大体、どなたともお目に掛かったことのないのが普通なのだが、伊原さんの「色」をめぐる克明な研究書は、過去にも何冊か頂戴している。どれもみな辞典ないし事典として利用可能なきちんとした調査や究明の本で、活用度が優れて高い。高価な本であり、嬉しいは当然、さらにさらに恐縮。
2006 3・15 54

* 榛原六郎作『石火のごとく』を「e-文庫・湖(umi)」の「書き下ろし長編」に掲載した。歌人であられた亡きお父上への「供花」としてきっちり、きっぱりと書ききった、優れた純文学。まさしく一の mourning work である。
2006 3・15 54

* 鏡花集の第四巻を通過し、第五巻の巻頭「起請文」を読み始めている。此の時期の鏡花には、ものに憑かれて書きまくっている嫌いもある。うまくあたれば突出して面白く、ひとつ間違うと何が何だか分からず、ただもう超近視眼的にその場にくっついた書きザマに飆風が舞う。いまの「起請文」もそういうもの。此の巻では、久しぶり「風流線」「続風流線」という鏡花随一かも知れぬ長編に再挑戦する。

* がくっと首を前へ折るように眠くなった。明日を考慮してはやめに寝よう。
2006 3・17 54

* 東京の今朝は好天。ペン理事米原万里さんから歌集「少年」へ手紙をもらった。東大教授上野千鶴子さんから新しい著書を戴いた。
2006 3・18 54

* 久しぶりに桶谷秀昭さんの新著を戴いた。

* 『南総里見八犬伝』ももう残り少なくなっている。惜しい気分だが一気に読み切って行こうと思う。日付変わってもう一時。やすもう。
2006 3・18 54

* 六時に起き、日本書紀とバグワンを音読し、MIXIに記事を送り、一つ感想を書き、朝食して洗顔など済ませ、荷物を点検。
もうすぐ京都へ向かう。明日、仕事を済ませて、無事、明日のうちに帰る。

*『南総里見八犬伝』を読み終えた旅であった。岩波文庫の第十巻ののこり少ないのを持って出た。新幹線で読み、河原町の鮓の「ひさご」で読み、烏丸の「寒梅館」で読み、ホテルの部屋で読み、二日目の、青蓮院まえのレストランで読み、帰りの新幹線で、ことごとく読み終えた。
作者の詳細な跋も、幸田露伴らの附録の感想も読んだ。いろいろ謂えば言えるだろうが、日本の稗史小説の最高傑作であること、疑う余地がない。これまで読んでなかったのが、ちょっと悔しい。有難いおもしろい大作を読んだ。完全・敢然主義の馬琴先生に、いくらかヘキエキもするが、その「徹底」の誠意に深い敬意を覚える。文学的感動ではない、創作力への、オドロキという敬意である。
2006 3・23 54

* 二時間ほど寝て眼が覚め、鏡花の「起請文」を読みきり、続きになるか「舞の袖」へうつり、また並行して「風流線」も読み始めた。「続風流線」もあり大作。筆致も腰が据わっている。
また灯を消して寝入ったものの、六時過ぎにはとうどう起きてしまい、機械の前で仕事をはじめた。いまひとつ明るまない天気で気も晴れていない。
2006 3・26 54

* 六時半に起き、いろいろと事を前へ運ぶ。

* 旧約聖書は「ヨシュア記」に入っている。神エホバの熾烈で酷薄なほどの先導と支援のもと、ヨシュア率いるイスラエルの民たちが、諸国に侵攻し王から国民の子女に至るまで徹底的に殺戮してゆくのを読んでいる。「神」とは、また「信仰」とはこういうことであり得るのか。文字通り「凄い」。雫ほどの共感も読んでいてもてない。一歩退いても、理解できない。

* 昨日、門玲子さんの新著『私の真葛物語』を戴いた。只野真葛は、江間細香にならぶ江戸時代の女流文人であり、思想家の一面ももった人だ、門さんならではの迫り方で説きほぐして行く一冊とみた。彼女の『江間細香』は名著であったが、今度の本は筆致にもさらに磨きあり余裕あり、優れた労作に思われる。
この、私よりもわずか年嵩な人は、主婦として夫の転勤についていった先で、ふとした共感と興味とから、馴染みも何も、また漢文や古文書の素養も何もないところから、頼山陽と親しい江間細香の伝記研究に取り組み始め、未開拓の江戸女流文学史の扉を、みごと開いていった。精緻で清冽な文章家で、その著は優れて文学の香気を帯び、大きく顕彰もされてきた。
主婦から初めて大きな分野を切り開いた女性を、門さんのほかに、例えば一方流平曲の演奏技術を習得し後進に伝え、現に精力的な公演活動で気を吐く橋本敏江さんも識っている。二人とも「湖の本」の久しい読者であるが、それ以上に気迫と品位にあふれた藝術家であり研究者である。二人とも、夫の転勤先でたまたま目的に出会い、しかも本格的に大成していった。尊敬している。打ち込むと謂うことのすばらしさを、もののみごとに結実させた。ひゃらひゃらした遊び半分の趣味ではなかった。苦心苦労も並大抵ではなかったのである。
志ある若い人たちには、すばらしい先達である。
2006 3・29 54

* 就寝前読書は、『八犬伝』と堀武昭さんの『アメリカ抜きの世界を考える』を終え、いま、音読のバグワンと日本書紀「舒明紀」。寝床では、相変わり無く、旧約聖書「ヨシュア記」 モロワの『英国史』 世界史は「西域とイスラム」 『千夜一夜物語』 山下宏明著『琵琶法師の平家物語と能』 そして鏡花集第五巻のなかの「舞の袖」。
予備軍に高田衛著『八犬伝の世界』 上野千鶴子著『生き延びるための思想』 門玲子著『私の真葛物語』 渡部芳紀著『太宰治』 が置いてある。
2006 4・2 55

* 堪え難い眠さこらえきれず、昨夜は九時頃にかつがつ『日本書紀』と「バグワン」だけ音読し納得して、就寝。十一時に、一時半に、四時前に目覚め、一時間ちかく寝腹這ったまま鏡花の「薬草取」を読み終えて感嘆、山下宏明さんの琵琶法師の平家物語研究を、モロワの『英国史』ヘンリー七世を、「世界史」の突厥等を、すさまじい征服史の「ヨシュア記」を、そしてべらぼうに面白い『千夜一夜物語』を次々に興の尽きぬまま読み継いでから、また眠った。
七時半に起床、血糖値は108、正常。多少掌にジンジン感。
2006 4・10 55

* 秦建日子が、引き続いて講談社から小説『SOKKKI!』とやらを出したらしい。二月に『チェケラッチョ!!』を出したから、順調に出版が続いている。
十年ほども、年四冊ないし六冊ずつ出版しつづけた父親に迫れそうか。まだ新刊は手にしていないが、この息子が早稲田で「速記」部に属していた頃の<目も当てられない体験が、私小説風に活かされたか、フィクションとしてハジけたか、なにしろ「速研」という各大学横並びの組織活動は、我が家にも影響深刻だった。連日連夜・深夜の「アッシーくん」出動であったし、女の子たちの長くて頻繁で、死ぬの生きるのという電話の四六時中絶えなかったのが「速記」の時であった。建日子が「ばかかッ、お前」と、売れない物書きのおやじに怒鳴られつづけていたのが、あの頃だったなあと、懐かしいやら可笑しいやら。
その速記研究会が新刊の応援に大きな紹介記事を書いてくれて、「すごく嬉しい」「すごく嬉しい」とホームページに作者は書いている。さもあろう。
但し作家たるもの、「すごく」「すごく」はどうかねえ。漢字で書けば「凄く」だが、これは凄惨を意味する鳥肌立つ漢字。お岩さんに抱きつかれたではあるまいし、街中のギャルと同じ物言いは、日本語を正し豊かにして行くのが役割の「物書き」先生としては、オソマツだよ。

* 今日の郵便物で秦建日子作『SOKKI!ソッキ』が著者謹呈で届いていた。いま、113頁まで読んだ。息子の本でなければ読まないか、この辺で失礼する、が、やはり読んでみたい。『坊ちゃん』だってこんなふうに書いてあると、言えば言えるのかも知れないが、建日子くんのは、漱石先生と比較するには推敲が足りない。気になるよけいな文字や措辞がたくさん続出する、が、フイクションの進め方は明快で明朗で、ところどころこの作者の長所であるおもしろい物言いが表現効果をもち、全編が時には軽率に、時には軽快に、時には軽妙に弾んでいる。どうみても「軽」の字ぬきには語りにくいから、これは「ライト・ノベル」か。
語り手の大学一年生男子と、ヒロインであり語り手を速記部に勧誘した先輩女子は、軽いけれど、それなりに造形されている。この女子が、また女子への後輩の好意が、恋が、最後までうまく表現できていれば、ま、成功…と思い思い、ここまで読んできた。まだ半分来ていないから「楽しみ」ということにしよう。
この文章とお話の運びは、やはり若いプロの物書きのそれであり、推敲がきちっと出来て磨けていれば、文藝の魅力ももっと期待できるのだが、まだ純文学の藝術品にはほど遠い。だが把握と表現との均衡と、「読ませる」テクとは、ちゃんと出来ている。頼もしい。
私小説の匂いはあまりしていない。それは、よかった。この作者、私小説ムキではない、創作した方が力が出るのではないか。
小休みして階下におり、ふっと進行中のテレビドラマなど目に耳に入ってくると、やに「感じ」がちかいので、ああ、やっぱりそうかと、秦建日子の読者としては気が腐る。テレビドラマのノベライズみたいな軽さではないと思いたいが、それでは、困る。やはり漱石先生の『坊っちゃん』は名作なのである。何が。どこが。それは秦建日子氏が自分で見極めた方が良い。

* MIXIで知り合った人の「ライト・ノベル」本を二冊、送ってもらった。若い読者ムキのためか、目が痛いほど二段組みの文字が小さい。それはそれは小さい。裸眼で読むにも眼鏡で読むにもあまりに小さい。特製の鉢巻き眼鏡で読むしかない。
ああこういう本を盛大に売り買いの市場もあるんだなと感じ入っている。こういう市場での書き手デビューの方を夢みている人の方が、圧倒的に数多そうだと実感する。こういう中からも本当にチャーミングな名作が幾つか出れば、ガーンとレベルは高くなり、IT時代の新文学・新文藝に定着しないでもないだろう。要するに「名作」が出て来れば引っ張られる。期待はソレだ。ともあれ、何とかして読んでみようと思うている。
2006 4・10 55

* 200頁めで力尽きて、また休息している、『SOKKI!』読みは。いくらか斜めに流したいところもあった。佳境は、まだこの先にありうる。読み継ぐ気は、むろん、持している。
何というか、現代の若いリアルをとらえるセンスは、「溌剌」という表現を以てしていいほどだ、が、その一方その現代はあくまで「流行現代」であるから、不易に長持ちの保証はない。数年、十年、十数年も経ず、全体におそろしく古びてしまうだろう、分からなくなってしまうであろう物言いや譬えが、平然とあちこちに使われている。
作品は使い捨ての読み捨てで構わないという、消耗を前提に容認した鮮度の出し方、日に日に刻々に古びて行くのは承知の助という書き方、になっている。わたしなどの、せいぜい留意し注意し避けた点であるが、この作者は大胆に消費的で、今通用すればそれでいいという行き方だ。裏返せば、どうすれば今々の若い読者に売れるかを心得ている。売れればいいという書きザマに徹している。
それと、映像化される際の効果を勘定に入れてあちこちの場面がつくられている。わたしなど、映像化できるならしてみろと思いつつ言葉で表現していたところが、映像化しやすいようにように場面が描かれている。それが今様のフツーの在りようであるらしい。

* 十一時前。『SOKKI!』読了。若い人達の恋愛小説として、感情や言葉の入れこみ様も破綻はなく、描写の粗い手抜きは二度三度感じたものの、それもメリハリのうちぐらいな感じで、わりと気持ちよく読み終えられた。
最後の甘いところも、作者の持ち前であり、本人は哲学だと思っているだろう。それなら、それでいいでしょう。さすがに「ドラマ」を書き慣れていて、落とすところへ話を落として、意外にソフトランディングした。ソツがなくて、少し拍子も抜けたけれど纏まりは良い。額縁はすこし薄い細い感じで必ずしも上等に美的ではないが、ま、この辺が分というものか。いい意味でのセンチメントをいやみなくうっすら涙のように溜めて、一篇の小説になった。
三十八歳か、作者は。もう少しも若くない、が、気は若い。その若さに半分羨望し、半分呆れた。こういう小説は、わたしにはとても書けなかった。仕方がない。新しいのか普通なのか分からないが、漱石が『三四郎』を書いた新しさも、その当時としてはこんな風に同時代人に受けたのだろうか。
三十八、この作者と丁度同い歳で、わたしは、『みごもりの湖』と『墨牡丹』を、同時に世に問うた。もっと書ける、という気持ちが静かに湧いてくる。息子と「同時代人」として「作家」になっているのを、幸せに感じる。結局建日子は、素直に生きてきたんだなあと思われて、それも良い気持ちだ。
ちょっと悔しいのは、もっと丁寧に推敲していれば、(そんなに難しいことではないのに。)陳腐な決まり文句やうたい文句の幾らかは省けて、更にスッキリ作品世界が統御できたろうにと、惜しい。まだまだ「のようというのだ」の無神経な頻出もあり、例えば「忠告する」でいいものを、「忠告をする」式の安易な弛みなども。
一度気が付けば二度と犯すワケのない推敲のポイントに気づけないまま、無神経にあちこちに放置されている。クリアされていれば、もっと律動感の内在したシッカリした文章になっていたろうと惜しい。
2006 4・10 55

* 夜前も、くらくらしてしまい、早く寝た。寝ながら、読み終えた秦建日子作『SOKKI!』を反芻していた。
じつは前の『チェケラッチョ!!』は、もう粗筋すら忘れているが、この小説はそんなことはないだろう、若者達のむら気な付き合いでなく一応「恋」が書かれていて、筋が通っている。一抹もののあはれも書き留められてあり、なによりヒロインがある種の玉の輝きを帯びて存在している。女が、というより、作者が語り手にのせて「感じ」ている一人の女が、ちゃんと伝わるように書けている。語り手も、一つの個性として、印象的に明瞭であるし、周囲の「友人」たちの書き分けも、疎かにもアイマイにもされていない。「人」を比較的よく観て掴んでいる。そういう長所を支えているのが、またそういう長所により支えられているのが、叙事の溌剌感になって、作品が、上等かナミかは別にしても、とにかく生き生きと生きている。「読ませる」勢いが、そこから湧いている。
三島賞作家でわたしが好意を持って読んできた作家がいる。名前を瞬間度忘れしてしまった(久間十義)が、その『海で三番目に強いもの』という、題からは想像しにくいがデパートで万引きする少年たちの物語を、筆致にも惹かれわたしは一冊まるごと「ペン電子文藝館」に貰ったことがある。
秦建日子の作品は、前作も今度のもむろん全然異なった作柄ながら、不思議と気持ちで通っているものがあり、それは少年や青年達の呼吸を、リアリティを失わずにしかもイデアールに把握しているということだろう。少なくもそれが創作の姿勢として歪んでいないということだ。大事なことである。
2006 4・11 55

* 珍しく七時間つづけて寝て、六時に起きた。バグワンを読み、日本書紀を読んだ。聖徳太子の子、山背大兄王の一族が蘇我入鹿の圧迫に、抗することなく、自決した。
2006 4・13 55

* 理事会散会の脚でまっすぐクラブへ行き、シャンペンをサービスされたあと、ブランデーをダブルで四盃、つまりボトルに残っていた分を綺麗に飲み干してきた。目の前でサーモンを切ってもらったのがやはり美味く、主食がわりに、子供みたいだと思ったけれど、料理長おすすめ、スフールのパンケーキを、階下のレストランから取り寄せて食べた。先日妻と来たとき、通りすがりに店頭で「写真」をみて、今度来たらアレを食べようと思っていたのであるが、クリームがつき、アイスクリームもつき、蜜の苺もついていて、甘い甘い食い物であった。平らげたけれど。
高田衛さんの『八犬伝の世界』がすこぶる面白く、読みふけってきた。そして一路帰宅。いやいや池袋の「さくらや」で道草を食い、帰宅は八時半。
2006 4・17 55

* 猪瀬直樹氏 新刊を三冊揃えて贈ってきてくれた。闘いの日々かのようである。孤独な闘いと言っているが、そうではあるまい。言論表現委員会でもねばりづよく闘って欲しい。できるかぎりわたしも手伝う。――
2006 4・21 55

* いま電子文藝館へ「ユダヤ」に触れた会員原稿が来ていて、事務局から目を通してと、送られてきている。論旨にもその展開にも妙なところがあり、いい作品(評論またはエッセイ)とは思わない。しかし、言論表現の自由を尊重しつつ読めば、この程度の、この範囲の論説を、編集室が掲載しない理由はない。不出来と言うことからすれば、会員原稿が皆上出来なわけではない。しかし電子文藝館の建前では、出稿意思のある会員の作品は、個人を誹謗中傷するものでないかぎり審査しないことになっている。一つを審査して掲載せず、一つを審査して掲載する、その尺度を、会員の権利として追究されたときに、提示できる理由は「校正杜撰」か「個人の誹謗中傷」意外にありえない。審査の権能を会員が同じ会員に対して誰も持ち得ないからである。
わたしはそういう理由で、質的な意味では感銘をえられないけれども「出稿したい」という会員の権利を否認することは出来ない。
2006 4・22 55

* 榛原六郎氏の、志賀直哉の小説に厳しく触れた論説を読んだ。「読者の庭」への寄稿として好適。「ペン電子文藝館」委員会で検討してもらおうと思う。
2006 4・28 55

* 四月が逝く。北国にはまだ櫻のたよりがあるが、東京は藤か。

* 船堀で近代文学の学会がある。鏡花の「草迷宮」について「ペン電子文藝館」同僚委員の真有澄香さんが発表する。名古屋へ助教授赴任して初の研究発表かも知れないので顔をだそうと思っている。それならあと一時間ほどで出かけないと。

* 「草迷宮」はひときわややこしい小説で、しかも長い。統括的に筋を立て通して読みきるのは、容易でない。鏡花文学は「喩」であり。明確に言い切らないまま、多彩に能弁なのである。
真有さんの発表は、作中にあらわれる「わらべうた(童謡=わざうたと読んだ方がいいとわたしは思う)」の「ウタ」に即して作品を読み解こうという提唱であった。
それも一つの選択肢であるが、むろんそれで「草迷宮」がすっきり把握でき切るわけはない。「三浦の大破壊(おおなだれ) は魔処である」という第一行におおきな示唆があり、それを読み解くには、いわば基盤に多くの神話と民俗とが仕掛けられてある。「ウタ」はそれを読み解くための「喩」として活用されている。「喩」のとどく遠さや広さは計り知れぬものがあり、わたしなどは、水を介し海を介して深い海底世界からごっそりと大きく読み取ろうとする。古事記のヤマサチ神話や謡曲の海士の伝説や、鏡花自身の作品群にも類似相似の発想作品はいっぱいあり、男女の主人公やワキ役達にも、とうてい「草迷宮」だけで完結しようのない溢出した世界が「鏡花」その人に属している。それを追究するのは、とても一時間程度の研究発表ではムリなはなしで、結論的に大きな時計の一つ二つ三つ程度のゼンマイを外してその性質や働きを述べるに止まるのは致し方がない。
文学研究者の読みと、わたしのような愛読者の読みとは、かなり違ってくるということは、学会発表を何度か聴いて心得ている。わたしは、自身の「愛読」自体を自分でかなり無責任に楽しめるが、研究者は方法を立て、的を絞ったり方面を限定したりして、細かに追究する。分解に急であるが、分解したものをもう一度組み立てることで「作品」がどう新しく読めるようになったかを、トータルにもう一度さし示せなくても仕方ないとしてある。研究発表は概してそんなものである。わたしらのようには、自由自在に「想像」の翼もひろげ多方面に飛翔することは、むしろ、あまりゆるされない。たいへんだなあと同情するし、意外に豊沃な収穫にはならないのである。それで、わたしは、あまり学界へは出かけなかった、過去にも。
ま、質疑の時間に、わたしも、折角参加したことではあり、いろいろと「念仏」をとなえて、みなさんをヘキエキさせたと思う。
二次会にも加わり、ビールに酔っぱらって、そこでもロクでもないことを喋ってきた気がする。
しかし、楽しい半日であった。

* 都営新宿線の船堀駅というのはかなり遠かった。
2006 4・30 55

* 馬場あき子さん『歌説話の世界』、島田修三氏『「おんな歌」論序説』、米田律子さん歌集『滴壺』、宗内敦氏の著書二冊、雑誌「サン(舟ヘンに、山) 板」の新刊、わたしの文章の掲載された「解釈と鑑賞」、また「淡交」や「茶道之研究」、「ぎをん」それにペンの会報等々、連日の郵便物もどっと。ふうと息を吐く。
松嶋屋からは、七月上村吉弥が歌舞伎座に出勤という通知も。これで七月も歌舞伎が観られるし、八月には例の納涼歌舞伎の案内があるだろう。
ほかに劇団昴の福田恆存作「億万長者夫人」に招かれているし、俳優座の招待もある。ガップリ四つ、お互いにいい新劇を見せてほしい。このところ俳優座は通俗読み物なみの芝居が多く、老舗の筑摩書房がマンガで躓いていった頃をふと想わせて心配だ。昴のこのまえの「チャリングクロス街84番地」はすばらしかった。
2006 5・2 56

* 八重桜  高尾の桜保存林(山)を歩いてきました。いろいろな桜250種1700本もが静かに咲き誇っているのです。もうあらかた葉桜になっていましたけれど、八重の幾種類かは咲き残っていて、ひたすら風に散っていました。
いやはてに鬱金ざくらのかなしみの
ちりそめぬれば五月はきたる   (北原白秋)
今晩はバイブルを読んでいて、夜更かししてしまいました。 ゆめ

* このバイブルは「旧約」のことだと思う。わたしは二三日前に「ヨシュア記」を終えた。モーセからヨシュアへ。それはイスラエルの民達の、エホバに叱咤され激励され威嚇され憤怒されながらの、あくなき「産業」拡大の、侵寇また攻略の展開史であった。わたしの読んでいる聖書は文語文であり、ことにこのモーセからヨシュアへ展開するところではエホバの「予約」による「産業」の二字に大特色が観られる。今日の産業革命以降の産業ではない、それは生活と生産とを基盤化する国土と人為との全体を意味している。その「産業」確保のために、エホバはイスラエルの各部族を叱咤激励し庇護支援して他信仰の種族部族の国をほろぼし、烈しく殺戮し殲滅し続けて行く。
そのようなことは、九州から東征した天孫族たちもまた同じであった、規模も気迫もまるでちがうけれど。古事記の中巻というのは、おおかたが征服の歴史である。ただし、国を挙げ人を挙げてではない。また旧約のようには日本の古事記に信仰は語られていない。ヤマトタケルに典型的に観られるように、個人としての英雄の手にすべては委ねられていたのである。モーセやヨシュアをヤマトタケルと同じには観られない。

* 昨夜、高田衛さんの定本『八犬伝の世界』を読了した。鳶に岩波文庫『南総里見八犬伝』全十冊の新刊本を贈られて、すぐ読み始め、読み終えて、高田さんの本にとりついた。この本を先に頂戴し、しかし原作を読んでなくてこの本を読んでも順序が逆だと思い、原作を手にしたいと此処へ書いたとたんに岩波文庫を贈られた、どんなに感謝したろう。
手広く古典は読んでいる方で、馬琴も『近世美少年説』全巻、また『椿説弓張月』もおおかた読んでいたのに、八犬伝には縁がなかった。これは残念で、少しばかり恥ずかしい思いでいた。全十冊は充実した読書体験であったけれど、初読である、ほんとうの読書とはまだ言えない。高田さんの周到に緻密な解釈と鑑賞にもつくづく感謝、おかげで全巻が水のしみこむように体内に流れ込み、美味と化したのである。三度四度作品だけを通読しても、いまのような旨い思いは出来なかったに違いない。それは、源氏物語を二十度は通読してきた者の体験からも言える。源氏の面白さも、多くの研究論文との併読がものを言って身に付き、また自身の読みも創られていった。
鳶には、鴎外訳ほか二種類の『フアウスト』も貰った。これもたいへんな恩恵だった。香さんには岩波文庫の『モンテクリスト伯』全巻を戴いた。そういえば小学館版の二期にわたる百冊の『日本古典文学全集』も、もう少し小型版の「古典文学撰集」も、みな版元の厚意で全巻貰っている。とても自力では買えなかった。前の会長に感謝して言ったことがある、わたしのお礼は、これをみな「読む」ことですと。
2006 5・4 56

* 『千夜一夜物語』の角川文庫版第八巻を読了、註までも面白く読んだ。まだ三分の一。
2006 5・8 56

* 午前、郵便局へ自転車で。山下宏明さんの大著『琵琶法師と「平家物語」の能』をじりじりと朱筆片手に読み進めて「俊寛」まで読みすすんだが、あまりにお礼が遅れるので謝状を書いた。
山下さんは琵琶の「語り」の演奏技法や語りの綿密な理解を書かれて、かつて読んだことのない実地の文藝論になっている。それに惹かれて読んできた。この本をもっと早く読ませて頂いていたら、わたしのコレまでに書いた、能や、平家物語についての観察も、もうすこし深みを増し得たかも知れない。
また高田衛さんにも『八犬伝の世界』に今一度感謝の気持ちを書いた。
その葉書を二通出してから、市内に出来ている新道をどこへ延びているのだろうと、おおかた北の新座市の奧を予想して自転車を走らせたところ、案に相違して西のひばりヶ丘駅北側へ達したのにはビックリした。少年の昔に、京の三条大橋から北山を眺め、疎開していた「丹波」は「山城」の北だからあの山の向こうの方かと想っていたら、なんと地図では真西の方角にあたっていて驚いたのに似ている。
西武線に沿いつ離れつ東久留米駅との真ん中あたりで線路を南へ越え、「南沢」とか「竹林公園」とかの地名を目に入れながら、迂回しつつ、ひばりヶ丘「学園町」から馴染みの「ビストロ・ティファニー」の近くまで経巡っていった。家まで戻って、ほぼ四十五分ほどの小さな旅で、かなりの起伏の道も自転車を乗りすてずに頑張れた。
午後には歩いて市内での用事を幾つか済ませてきた。
機械の前に戻ったとき、酒を飲んだわけでもないのに、座ったまま睡魔に負け寝入ってしまった。

* 島尾伸三さんから新刊をもらったのが、相当な問題作のようで、気を入れて読もうと思う。(親子に介在する)「愛は悪」であると言い切っている。子の親への「憎しみ」を語るのは不当にタブーであったのを「敢えて語ります」というふうに始まっている。読んでなるべく正しく批評したいが、とにかくも問題作のようである。
島尾さんは、人も知る作家島尾敏雄の子息で、母上もものを書かれた。伸三さんも写真家であり作家である。奥さんも写真家で、お嬢さんも作家で造型家である。わたしよりだいぶ若いひとだが、優れた個性。長い付き合いであり、敬愛している。
2006 5・9 56

* なんとなく天気同様に気が晴れない。『千夜一夜物語』がおもしろい、そのぐらいしか気が晴れない。

* 男に、絵に描いたようなふるいつきたい美しい奴隷女が、六人。肌の白いのと黒いのと鳶色のと黄色いのと、そして豊満なのと細身なのと。めいめいが美しやかな詩句で、主人の男を心からよろこばせる。
アラビアンナイトでは、我が平安朝の和歌に巧みな男女の比でなく、時と場合に応じ縷々みごとに具体的な、あるいは観念的な、警句のような譬喩のような、さまざまな詩を口にする。
即興で創作している場合も、記憶した詩人の作の吟唱もあるが、これが何より『千夜一夜物語』の一つの大特色。そして「満月」のように美しい女も男も、歌ったり聴いたりしながら、忽ちたわいなく失神し、卒倒する。当然、男女の恋や愛が纏綿している。
で、六人の女達のそういう詩の吟唱や創作の才は、妙なる身のこなし・くねらしも相まち色気むんむんで、読者も酔わせるが、あげく美女達は、ご主人様による「品定め」を望む。
ところが主人は、なんと意地の悪い、互いに、対照的な一組ずつの女達に、自身を最大級誇って褒め称え、同時に相手方を完膚なきまで「こきおろせ」と命じるのである。これには「読者」という無責任なワキの者も、手に汗して期待を隠せないのは、読者のわたしもまた男だからにきまっているが、ナニナニと乗り出すおもしろさ。
あげく、白いのは黒いのを、黒いのは白いのを、肥ったのは痩せたのを、痩せたのは肥ったのを、黄色いのは鳶色のを、鳶色のは黄色いのを、遠慮会釈もなしに苛酷にこきおろしつつ、いかに自分は美しく魅力的かを高らかに艶やかにもの凄くも歌いあげて、やまない。
これには、眼を剥いていろいろと教えられた。なるほど、なるほど。
だが、結局は主人の男が仲を取り持ち、みな仲良くさせておいて、終夜遊びに遊び痴れるのである。チクショー。

* それで終わらない。本のうしろの細字の註の中には、アラビアふうの「美女」の批評と定義とが縷々解説してあり、付け加えて美女たるものに必要な「黒いもの四つ」「白いもの四つ」「赤いもの四つ」「長いもの四つ」「広いもの四つ」「圓いもの四つ」などと延々と説いてある。何だか当ててごらんなさい、いやはや的確なもので、感動する。

* こういうのを読んでいる時は、鬱気味に沈みかけているのを、ふと忘れる。わたしは少年の頃から、鬱っぽい初期には食べたがった。それで直らないと何かを観て面白がりたかった。それでもダメなときは面白い本を夢中で読んだ。いまは、どの手もあまり効かないが、なにかと「一つ」になっている気分が、いちばん力になるようだ。だが、何かと一体化することにはいつも危険もともなう。自身を傍観し観察し突き放して知らん顔をしてしまう方がいいようである。
2006 5・10 56

* 寝苦しかった。島尾伸三著にむやみと煽られたからかも。
2006 5・11 56

* 高麗屋にもらった文春文庫『弁慶のカーテンコール』は、ほんとうに短い、二三頁ずつの役者幸四郎ひとりごとで、ざっと見にたわいなげであるが、なかなか。書き込んだエッセイや議論に役者の真価がよくにじみ出ていて、読み進むにつれ、淡い色をしっかり塗り重ねると澄んだ濃い色になるように、感銘が深まる。キザでない真面目さを、おめずおくせずキッチリ言い切っている。体験の度合いと拡がりとがすばらしいのだから、当然だろう。そこが短所だと言う人もあろうが、それはへんなないものねだりに過ぎない。この幸四郎の真価を、あえて口を歪めて物申すことはないだろう。
2006 5・14 56

* 会議が延び帰りが遅くなったが、行き帰りに、松本幸四郎丈にもらった光文社智恵の森文庫「カーテンコールの弁慶」一冊を読み終え、つくづく感心した。
見た目は片々たる短文の集積ではあるけれど、一編ずつ読み進んで行くにつれ、この著者が第一級の歌舞伎役者・俳優であるだけでなく、優れた一人の人間であり藝術家であることがよく納得でき、胸を打たれ続けたのである。
なにより、立場上もこの人は、或る何か大事なモノを「伝えられ」「承け継いで」「鍛え磨き」さらに「伝えて」行く姿勢をもっている。あたりまえのことだ、歌舞伎役者なら誰でも同じさとは軽く言わせない、独自の力強さで、幸四郎はそのことを語っている。
独自さとは、何か。かれが歌舞伎以外のジャンルでも活躍しているからとか、藝が佳い工夫が深いからとか、その程度のことを押し越え、幸四郎がすべて「本気」なこと、其処がじつはあまりに当たり前で、だからいちばん素晴らしいのである。
両祖父七代目松本幸四郎、初代中村吉右衛門への、また両親八代目松本幸四郎と正子夫人への、なみなみならぬ尊敬と愛情との敦さ。彼は繰り返し繰り返し又繰り返し語ってやまない。また夫人藤間紀子さんへの感謝と愛情の深さ。それらがまた子息市川染五郎や娘二人への期待と慈愛に深く熱く反転して行くその誠実さ。それはただの身贔屓などというちゃちなものでは全くない。たんなる家族愛でもない。それらを打って一丸とした歌舞伎ないし演劇ないし藝術的な人間への自覚と責任が、彼の語る日本語を飾り気なく素朴に適切に引き締めている。
ひとつ読み違えれば、ただの藝自慢とも身内自慢ともあるいは高慢とも傲慢とも、それこそ軽薄に読み違えるムキも有るかも知れない、が、それは間違いである。間違える人の至らない間違い、恥ずかしいような間違いである。
これはただの藝談でも世間話でもない、自問自答の体裁をかりた、真の意味でのエッセイなのである。
貰った初めは、わたしはすこし軽くうけとり、歌舞伎役者の隠し藝かのように気楽に読もうと思っていた。なにしろ好きな芝居の世間であるのだから。
ところが、そんな軽率な読み始めが、前にも書いたが、淡い佳い色の塗り重ねられて行くやさしさやおもしろさで、わたしは、意外な言葉の真実に触れていったのである。嬉しい体験であった。
わたしは、この文庫本に、私自身の署名でわたしの息子秦建日子に贈り伝えたい気がした。彼が、これを謙遜な真っ白い気持で読んでくれるなら「嬉しいな」というほどの気持を抱いて、あらけた言論表現委員会から我が家に帰ってきたのである。
2006 5・18 56

* 一度も会ったことも、だから口を利いたことも、文通すら無いのに著書での交感のもう久しい一人に、俳優の小沢昭一氏がある。この人には沢山な文庫本や音楽のCD-Rがあり、わたしはずいぶん頂戴し、読んだり聴いたりしている。なかでも『わが河原乞食考』は快著であり、端倪すべからざる世間を、目の当たりに拡げて見せてくれる。じつに面白い敬愛に値する労作。
いま、わたしはそれをかなり「批評」的に眼を光らせて読んでいる。小沢さんの藝能論の淵源に、一つ大事な大事な視点の抜けているのではないかという穿鑿をしようというのである。まんまと確認できたら、初めての手紙を書いてみよう。書かずに済めば、やはり書いてみようと思っている。
2006 5・19 56

* 一人一人が自身の微力を疑って抛棄すること、これが、いちばんおそろしい道をえらぶことに繋がると、人間の歴史は教えているように思います。メールを嬉しく拝見しました。どうぞ、日々お元気にお大切にといつも願い居ります。
ぶしつけな原稿を書きましたが、お叱り無く、ほっとしています。
『人間の運命』は、自身の蔵書で読むということが出来ませんでした。あの原稿を書き、新しい気持で心してまた読んでみたいと思っておりました。
わたくしは、毎日、なるべく長大な作を何種類も読みつぐようにしています。それを読んでいる内は生きつづけたいと願いまして。何十巻の日本史や世界史や、旧約・新約聖書や、千夜一夜物語や、日本書紀や。戦争と平和も、源氏物語も、フアウストも、南総里見八犬伝も、モンテクリスト伯なども、その様にして読み上げてきました。『人間の運命』も、いつも念頭に願っておりました。
ひどい雨と聞いていましたのに、今朝はうって変わった五月晴れ、なんとなくほっとしています。
いつもいつも、有り難うございます。
こころより御礼申し上げご平安を祈ります。  秦 恒平
2006 5・20 56

* この夜中の体調には、すくなからず驚いた。読書と関係したろうか。
昨日だった、今年定年退職して名誉教授になり悠々自適の日々に入ったった高校時代の友人が、いや夫人が、手紙に添え、琵琶湖近江のご馳走二た種といっしょに或る資料をいろいろ送ってきた。友人の姉の一人の嫁ぎ先家系の、或る一面で岡倉天心研究に資するたぐいのものであった。姉上夫君の父親にあたる人を中心にした系譜ともいえたし、中にはその一代を語る一冊の本も入っていて、わたしはそれを、おそく床に入ってから読みはじめた。その前に日本書紀の斉明紀とバグワンの語るボーディー・ダルマ批判を音読してきた。
そして床に行き、その『三郎』と題された本(私家版)を読み始めたのだったが。それはまあ、なんとも息くるしいばかりにわたしの生い立った昔の、子供ごころに切なかった思いをそっくりかき立てる中身であった。わたしはほとんど息を喘がせたのである。
それで中断して、例の何種類もの本へ、次々に目を移していった。女王エリザベスの時代、イスラムのカリフの昔の東奔西走の軍事、旧約「士師記」の血腥い侵攻伝承などなど。
そのころから妙な違和感を覚えていた。いろんな本で血が騒いで心も揺らいでいるのだろうと思い、眠くなっているのだとも思い、そのまま眠ってへんに夢見の悪いのもイヤだと思って、妻が息子の置き去りの荷物の中から拾ってきていた小説、ペリイ・メイスンとデラ・ストリートの、ハヤカワミステリー本を、また手にとった。そしておきまりの法廷場面ちかくまで読んでいって、なんだかからだのゆらゆらする感じと、異様な空腹感に襲われた。手洗いに立ち、もう寝ようと思った。
廊下に出ると、ゆらゆらと自分が揺れて手先に及ぶ気がした。血糖値が低そうだと思い、咄嗟にキッチンで計ってみると、限度は越していなかったが、就寝前の数値から見るとまさに半減の急降下を示していた。からだが甘味を欲しているらしい。わたしは四国から戴いた紙袋の菓子を一袋戸棚から出して、あけた。
前々日の外出時に鞄に入れて出掛けたのと同じ菓子と思ったら、またまるで違う顔をした、やはり昔のカンパン系の菓子味であったが、人が、うまくないねと言ったアレよりはずっと旨い味で、おやおやとわたしは嬉しがった。それを食べながら、茶も飲みながら、わたしはもうしばらくペリイ・メイスンを読んでから、眠さに身を明け渡した。

* ま、それだけの話であるが、ヘンな違和感は忘れていない。ああいうことがあると、記憶した。
2006 5・21 56

* 劇場を出ると大雨。かろうじて地下鉄で表参道から有楽町へ。「きく川」で鰻をおいしく食べて保谷へ帰った。土砂降りの中で、かつがつ幸運にタクシーに乗れた。
家に帰ると、松たか子と幸四郎の親子書簡。今月は高麗屋が娘の書簡に応えている「オール読物」が贈られてきていた。お父さんの文章はいっぱい読んでいるので大なり小なり耳に入っている。お父さんの方が少し緊張気味で、すこし勝手わるそうにぎごちないか。その点、先月号の娘の方が、ドーンと遠慮無くつよいおやじさんにぶつかっていっていた。
2006 5・24 56

* 夜前、アンドレ・モロワ最良の代表作といわれる『英国史』上巻(新潮文庫)を、とうどう読み上げた。ちょうどエリザベス朝の終焉で大きな一区切りがついた。
イギリスという島国が、ヨーロッパで、いかに異色に富んで風変わりな弱小強国であったかが、かなりよく飲み込めた。人類の近代・現代の創造に、イギリス風個性がつとめた役割は、政治・経済(資本主義・覇権主義)にも、またいわゆる主権在民思想にも立憲君主制にも議会制度にも、途方もなく大きい。そしてシェイクスピアに代表される人間理解の厳しさ。
下巻が楽しみ。そしてむろん彼の「フランス史」「アメリカ史」が待っている。みな昔に通ってきた道だが、新しい思いで通り直したい。
憲法や共謀法等で感想や異見をわたしがもつのは、現代法の専門家に準じた知識からであるわけがない。わたしの認識や判断や意見の下敷きには、人類の歴史への思いがあり、それによって得てきた、鍛えてきた「人間」への思いがある。条文の実際など、また運営の如何など、を知識として知る知らないは、存外に問題としては軽い。「人間の運命」や「人間の幸福」についてどう身を寄せ心を用いているかが、はるかに大事な理解や直観や警戒心を生む。うすっぺらな紙切れ同然の目先の知識や勉強だけでは、足りるわけがない。そこが真に「現代人」として生きるか、今をときめく「現在人」として知性を失うかの分かれ道である。
現在人は掃いて捨てるほどマスコミをうごめいているが、現代人は少ない。「今・此処」に生きるとは軽薄な現在をアプアプ呼吸する意味ではない。運命としての現代を、歴史的に実存在として生きるのである。
2006 5・26 56

* 「群像」の鬼編集長といわれた大久保房男さんから、『終戦後文壇見聞記』を頂戴した。俳人で亡くなった上村占魚さんと大久保さんは仲良しであった。三人で鮨を食いに歩いたりし、もう久しいおつき合いである。湖の本を送ると必ずご挨拶がある。「新潮」の元編集長坂本忠雄さんも、小島喜久江さんも、「文藝春秋」出版部長だった寺田英視さんも、「講談社」出版部長だった天野敬子さんも、「岩波書店」の野口敏雄さんも、一流の編集者ほど、じつにこういう際のご挨拶はみなさんみごとなものである。「河出書房」の小野寺優さんもきちんと手紙をくださる。
大久保さんには御本もよく戴いているが、小説はさておき、『文士と文壇』『文藝編集者はかく考える』「理想の文壇を」『文士とは』等々、主張や意見に異見なくはないが、一貫してすばらしい意気が、どの頁にも漲っている。願わくはこれがもう「過去完了」さなどと言われたくないものであるが。若い出版人・編集者たちに今少し真摯に拳々服膺してもらいたいものであるが。それならば、わたしは「湖の本」など刊行していなかったろうに。
2006 5・30 56

* 昔の「群像」編集長大久保房男さんの新刊『終戦後文壇見聞記』(紅書房)を貰いました。当然のように氏は「私小説」支持者で、私小説と私小説作家について編集者の立場から生き生きと思うさま述べています。図書館にはそう早くは入らないかも知れないし、すぐ入るかも知れませんが、必読本かと思います。索引も付いていて便利です。
鬼といわれた名編集長でした。この十五年ほど親しくしています。
「終戦後」とは、氏の定義では終戦から十五六年、その間の日本文学を氏は最も高く評価しています。一徹です。異見や異論ありますけれど、真摯な文学愛に貫かれた編集長でした。今はこういう人はいないなあ。彼の時代は本当に「過去完了」したかどうか、読み取って下さい。いい参考書です。
2006 5・31 56

* ペン理事会、総会には出たが、そのあとの立食の懇親会は失礼した。とても立ったままうろうろと飲み食いする気がしなかった。

* 空腹を感じていたので、一直線に銀座四丁目のフランス料理「レカン」に入った。
この店はとにかく行儀がいい。一人一人がプロなので、ワインといっても「料理にあわせて」とだけ頼めば済む。
食前にドライシェリーをストレートで。そしてあとは赤ワインにして、オードヴルからデザート・コーヒーまで、フルコースをゆっくり食べた。今日は涼しい感じのダブルでネクタイもきちんと。うまいものを、ゆったりと。そんな時はこの店が、いちばん、しっくりする。
開店して三十年ほど。せいぜい五度ほどしか来ていないが、最近にも一度、一人で本を読みに入っている。今日もフルコースかけて、大久保房男さんの新刊に読みふけってきた。いやもう、おもしろくて。
終戦後の作家達、文壇人達は、ほんとうに貧しかった。だがわたしはもっと貧しかった。
「レカン」とはと、書中に、どしどし現れる戦後の有名作家達には、小僧、生意気に贅沢なと怒られそうだが、なんの、たかが食い物ではないか。出来なければしないし、出来れば何のこれしきが贅沢なものか。
わたしもまた、今日という時代に痛切に個性的に思うまま生き、誰にも媚びない物書き文士の、まぎれない一人であると思っている。口だけ達者なとは言わせない。最低の貧しさから、自分の脚力と筆力とだけでゆっくり歩んできて、どんな先輩作家達にも出版社にも、媚びも諂いもしなかった。わたしはわたしだ、その自覚を喪っていない。けちくさい勘定はしない。ばかげた遊びもしない。
2006 5・31 56

* 早起きして早めに出掛けたが、路線の事故でおくれ、予約の九時半にあわや駆け込むあんばいであった。
視野検査をしてくれたのが感じのいい人で、検査自体は疲れるけれど気分はゆったりした。人間は感情的なんだなと思う。感じのいい人だとラクで、そうでないと気が草臥れる。
そのあとドクターの診察に随分待たされた。読みたい本をもっていたのでガマンできたが。視力はだいたい前回検査と同じく、眼圧も問題なく、やはり糖尿病の方のナントカの値が高いための影響は出ているが、緑内障・白内障とも悪化はしていないし、糖尿病ゆえの症候は眼科的には認められないと。ま、よう分からんが。半年後にまた様子をみましょうと、緑・白ともに前回同様の点眼薬が出された。
瞳孔を開いたので、病院の外へ出ると、真夏日の照りつけに視野は白くまぶしく、どう移動する気にもなれず、それでも銀座で下車、フレンチの「モルチェ」二階で、130g のステーキ・ランチ。オードヴル、スープ、そしてデザート、コーヒーまで、適量。赤のワインをグラスで一杯。
この店で大久保房男さんの本を読み終えた。
ま、昭和四十一年まで、文字通り二十年「群像」編集者としての見聞記で、きわめて主観的な主観で貫かれ、一刻ではあるだけに、こ本人もいわれるとおり「一面」的なのはやむをえない。あくまで群像・講談社また慶應・三田また同時代・同世代への身贔屓の濃厚な叙述になっている。関係者や同事態の作家や評論家達に異論のある人もさぞ多いことだろう。
幸か不幸か、わたしが太宰賞をもらって文壇にデビューしたのは、大久保さんが退かれて三年後の昭和四十四年であったから、この本の内容とはかすりもしていない。しかし書かれていることは、よく分かる。何といってもわたしの少年・青年時代から、結婚して、ようやく、孤独に、どんな師も仲間もなく小説を書き始めたころにあたっていて、相応にいろいろ「勉強」熱心だったから、出てくる作家達の名前や作柄に分からないという人も作も無かった。
そしてその後知り合った各出版社の編集者たちのことも思い出され、わたしは当初講談社とはあまり縁がなかったけれど、デビューの頃の各社の各文藝誌の「風」ともいろいろ思い合わせて、ひとしお面白く読み終えた。
ただ、いま小説に志を持っている人達に、にわかに読んで貰ってもたいして役には立たないかも知れぬという気もした。第一次の戦後派作家から次世代の戦後派作家までが書かれていて、いまも健在なのは阿川さん安岡さん三浦朱門さんぐらいではないか。その後の世代には一指も染められていないのであるから、今の人達には馴染みがう無さ過ぎるだろう。奨める気であったが、ムリには奨めない。

* 食事の跡、たまたま銀座でニュースキャスターの轡田氏と立ち話を少し。その脚で保谷へ帰ってきた。暑いことであった。
2006 6・1 57

* 芹沢光治良さんのご遺族から記念碑的大著『人間の運命』を全巻、大きな箱におさめて頂戴した。すぐ、読みに入る。
「ペン電子文藝館」や「電子メディア」委員会の同僚、高橋茅香子さんには、新訳の、チャンネ・リー作『空高く』と題した大冊を頂戴している。これには先行するもう一冊があり、以前に頂戴し拝見している。つづきの気持で読ませて戴く。
甲斐扶佐義氏からは写真集「京の美女たち」が届いていた。美女はホンモノの方が佳いにきまっている。
2006 6・3 57

* ソファで一時間ほどまどろんでいた。機械に音楽をインポートしてあり、夢の伴奏をしてくれる。自転車で走ってくるように言われていたが、また出掛けてもいい催しもあったが、疲れも少し溜まっていたようだ。メールで寄せられた、すくなからず刺戟のある長い小説を読んでいたのも響いたかしれない。
2006 6・6 57

* この頃の読書で、顕著に心惹く一冊は、やはり、小沢昭一『わが河原乞食・考』で、えもいわれず共感する。いわば最底辺、どん底の藝をつぶさに見極め、具体的な「対話」と「見分」によって眼前に髣髴とさせてくれる。歴史的な直観では、ひょっとしてわたしの方が遠くへ視線を送っているかも知れないが、むろん、わたしの場合は書斎にいながらの幻視や推察が主になる。しかし小沢さんの取材は、現場に足を運んで、現にその人やあの人と話しあい言葉を交わしながらの証言や考察になる。わたしには現場や同時代の証言を絶対視しない用心があるけれども、概してそれら証言は当然ながらじつに強いものを帯びている。それにもわたしは素直に聴く。小沢さんも素直に聞こう尋ねようとされている。貴重な仕事である。
2006 6・11 57

* 昨日、一つの良い原稿が送られてきた。一般のクレバーな「いい読者」ならきっとここへ行き着く筈という読書の感想が、気張らずに、過不足なく書けていた。「ペン電子文藝館」の委員会に送った。
むろん論題に対して網羅的な目配りはできるわけもなく、関心の焦点をけれんみなく絞って、その限りで論旨はほぼ尽くしていたし、しかも一刀両断のような断案に偏しないで、問題の両面に適切に評価をしてあるのが気持ちよかった。題して「私小説という小説」。
2006 6・16 57

* 河出朋久氏の「白葉集第三」や、若い作家朝松健氏の小説を、戴いた。栃木の佳いメロンを五つも戴いて、一つ賞味、とてもうまかった。
2006 6・16 57

* 小沢昭一氏の『わが河原乞食・考』が抜群に面白い。朝松健作『暁けの蛍』も読んでいる。
2006 6・20 57

* 夜前、おそくまでかけて、半ばまで読み進んでいた朝松健氏の『暁けの蛍』を、満足感、敬意もともども、たいそう興深く読み上げた。この一作しか知らない作者であるが、この一作、堅実な才能の開華を想わせる。感想はあらためて書ければ書こう。
「MIXI」で知り合った若い作家。デッサンの確かな、構想力のある人。予期していたより遙かに真面目な追究の所産であり、幸い世阿弥にも一休にもこの時代にも、わたしの思いは浅くない。ほぼ嘗め尽くすように作意のすみずみまで賞味させてもらえた。
2006 6・29 57

* 「世界の歴史」の『西域とイスラム』を読み終えて、『宋と元』へ。中央アジアの歴史はきわめて繁雑に紛糾し、とても一度読みでは頭で「繪」にならない。責任筆者の歴史叙述にも少し工夫がなかった。
それに較べると、アンドレ・モロワの『英国史』は示唆豊かに要点をおさえ、また厳しく批評していて、筆致も展開もすこぶる滋味と興趣に富む。イギリスという難しい面白い国の個性を、こんなに暴き得ている他田にどんな著述かあるのか知ってみたい。
日本書紀は「天武紀」の下巻を進んでいる。壬辰の乱も平定され、都は近江からまた飛鳥に転じている。いま吉野へ行幸、天皇・皇后が六人の異腹の男子を懐に抱いて行く末の協調を誓わせているが、そういうことを心配してかからねばならないのが心配の根であり、この誓い、いずれ無残に破綻して行く。つづく持統天皇紀で『日本書紀』三十余巻のすべて「音読」が終わる。もう少し。

* 京都への往復にどの本を持って行こうか思案している。通算の米壽をかぞえる「湖の本」の本文は責了にして行こうと思っている。
三好閏三氏(祇園梅の井主人)との対談は異色のものになろう。
2006 7・3 58

* 乗車時間を十時過ぎという早い時間にムリに決めて、眠れずにべらぼうに早起きまでしていたのが、万事につまづいた。新幹線では、茫然と眠っていた。
目ざめた時はマーガレット・ケネディの『永遠の処女』を読んでいた。この角川文庫本は昔から手元にあるのに何度読み始めても読み進められなかった。旅に持ち出すには不味いかなあと案じていたが、意外や、すらすらと今回は興に乗って面白く読み進んだ。旅の連れにして成功した。
こういう経験はやはり角川文庫の『嵐が丘』で昔味わった。何度読みだしても入れなかったが、数度目にすうっと入って行き、そしてわが愛読ベストテンの上位にランク出来る名作になった。『永遠の処女』は二十世紀に熱狂的に読まれた一作で、作者がまだ若かりし頃の二作目か三作目ではなかったか。まだ半分に行かないが、これを読みたいばかりに旅中退屈するということがなかった。
2006 7・4 58

* 帰宅してみると、作家の近藤富枝さんや読者の岡部洋子さんたちにご馳走を頂戴していた。郷土出版社からは京都の文学の一セットが寄贈されてきていたし、讀賣新聞大阪から原稿依頼も来ていた。
あす一日は休養する。疲れというのは溜まるモノのようである。
2006 7・5 58

* 光文社智恵の森文庫の『古美術読本』二「書蹟」の巻の編著が出来てきた。井上靖在世の頃、先生の推薦で随分いろいろ私は仕事をさせてもらった。枕草子や泉鏡花も編纂したし、淡交社の『古寺巡礼』にも書いた。そういえば、「建仁寺」の巻も智恵の森文庫に入っている。「書蹟」には、岡倉天心、幸田露伴、青木正児、小林太市郎、三条西公正、小松茂美、安田靫彦、武者小路実篤、高村光太郎、村上華岳、会津八一、北大路魯山人、亀井勝一郎、吉川英治、宮川寅雄、山本健吉、井上靖、大岡信という豪華な顔ぶれで編んだ。わたしは本のお添え物の「序」を書いただけである。なつかしい。
2006 7・5 58

* 先に早く検査を済ませておいた御陰もあろうか、一時の予約だが、十二時半には名を呼ばれて一時には会計も終えていた。検査結果は、なんと、格別の改善ぶり。アクトスのせいもあり体重は少し増え気味でもむしろ当然、前回い「八台」といたく叱られた値(ヘモグロビン?)が、「七」ちょうどにめざましく下降改善されていて、ドクターはご満悦であった。アクトスでむくんでも腎臓への影響は心配しなくてもいいと。それでもアクトスは一応おやめとなる。体重の増え気味に嫌気がさしていたが、この季節とこの薬剤投与からすれば自然増で問題はないと。よしよし。自転車運動は卓効を奏したようであるが、運動過多で疲労したり、その結果事故死したりしないでくれと、命の心配をしてもらい、恐縮した。わたしとしては、あれぐらい野放図に飲み食いしていたのに状態改善というのは、バカされたような気分だが、儲けもの。

* 銀座ニュートーキョーで生春巻で乾杯。ケネディーの『永遠の処女』がおもしろく、寸刻の退屈もなし。池袋のさくらやで「ランケーブル」を買い、ついでに豪華版のロースカツ弁当を二つ買って、帰宅。
2006 7・7 58

* マーガレット・ケネディの『永遠の処女』は、小説を読むという嬉しさをたっぷり感じさせてくれるしファシネーションに溢れている。まだ年おさない娘の作品としては才知に溢れて、生き生きとした会話を書いている。彼女の戯曲的な才のなせるところと解説されている。
ルイス・ドッドとフローレンス・チャーチルの対話の中で、天才的な作曲家のルイスは二十歳前にサーカスの楽隊でコルネットを吹いたりサーカスのための曲も作っていた経歴を、令嬢フローレンスに打ち明け、「僕の様式はいまだにその名残を止めている」と言うと、フローレンスは即座に、「ジャーナリズムと同じようなもの」ですねと応じ、「どんなにその人が文学的でも、ジャーナリスト上りの作品にはそれがでてますわ」とルイスをたじたじとさせる。なかなかの批評家。
新聞記者や記事を書いていた雑誌記者あがりの作者は少なくないが、このフローレンスの言うようなところを、わたしも感じてきた。それがわるい、よいの問題ではないが、筆致にそれが出てくる。読みやすいが味は浅いのである。
2006 7・7 58

* 昨日京都の星野画廊が送ってきた図録、「忘れられた画家シリーズ30」『没後78年増原宗一遺作展』「夭折したまぼろしの大正美人画家」は、正真正銘のすばらしい発掘で、眼を吸い取るほどの画境。岡本神草や甲斐莊楠音らを凌ぐ凄みを描いて、なまなかの美人画とはとても謂い得ない天才を輝かせている。秦テルオともどこかで魂の色を通わせているが、恥ずかしながら是ほどの画家の名前も作品もまったく知らなかった。鏑木清方門の師も一目置いたであろう画人で、ひと言で言えば、最も佳い意味で「凄い」し、人によれば「怕い」であろう。「春宵」「舞妓」「藤娘」「手鏡」「五月雨」「七夕」「夏の宵」「夕涼」「浴後」「両国のほとり」「落葉」「鷺娘」などとならぶと、尋常な美人画の題目であるが、一作一作はもっともすごみのある、鏡花や潤一郎の大正の作に通底する悪魔性も隠している。
「夏の宵」という二曲の屏風が凄い。この一冊しかない『宗一画集』のなかに黒白の図録として遺された「舞」「三の糸」「悪夢」ことに蛇をからませて立つ「伊賀の方」の二図や「誇」はその美しい凄さに肌に粟立つ心地でいながら、深い官能美は、やはり鏡花にも潤一郎にも共鳴する。こんな画家に出会うとは、ただもう、驚嘆。
こういう極めて貴重な掘り出しの仕事を、夫妻でつぎつぎにやって行く星野画廊の業績は、文化勲章ものである。これを京都で見てこなかったとは、痛嘆。

* この天才画家増原宗一の発掘に較べれば、偶々手に入れた「オール読物」五月号の「発掘! 藤沢周平幻の短篇」なんてものは、「無用の隠密」も「残照十五里ヶ原」もただの通俗読み物を半歩もでていない。手慣れた措辞に渋滞のないところは、他にも満載されているくだらない通俗小説のヘタなのに較べれば、三段も五段も優れているのだけれど、こと文藝としてみれば講釈の達者という以外のなにものでもない。これでも比較的藤沢周平は何作か見る機会があった方だが、おはなしの上手以上の感銘など雫も得られなかった。藤沢にしてしかり、「力作短編小説特集」など、どこが力作なのやら、まことにくだらない。「オール読物」に載っている作品は「つまらない」と言うのですかと、このまえ、自称エンターテイメントの、大家らしき人に顔色を変えて迫られたが、この号で見る限り、優れた作は優れた作ですよとすらも、ただ一作として言いがたかりしは、如何に。

*『初恋』から読み始めました。
先生、素敵なご本をありがとうございました。
谷中いせ辰の和紙(水色の鹿の子)でカバーを付けて読んでます。
清冽な文章! 本当にもう、凄いです♪ 引き込まれます。気づけば、両の眼を大きく見開いて読んでいて、目がぱりぱりに乾いてしまいました。
電車で読んでたら危うく乗り過ごしそうになり、買い物でも、直しに出していた洋服を忘れるところでした。日常生活の全てを道端にバラバラと落として歩く・・・。本を開いたとたん、人生を小説に持って行かれちゃう・・・。そんな感じです。  百合

* こういう思いをわたしも潤一郎作でひしひし味わった。こういうレターを書きはしなかったが、谷崎潤一郎論を思う存分に書きたいばかりに小説家に先に成りたいと本気で考えた。『吉野葛』『芦刈』「春琴抄」『少将滋幹の母』『武州公秘話』『細雪』『猫と庄造と二人のをんな』などだけでなく、初期の短篇や、大正時代のあれこれでさえも、わたしは活字に唇を添えてうまい味をのみほしたかったのである。そういう思いをさせてくれない軽薄な読み物など、どうでもいいのである、わたしは。時間つぶしに過ぎない。熱狂して読んだ作品を列挙したらたいへんな量になるが、むろん読み物もたくさん読んできた末に断言できるのは、そういう感銘作の中に読み物は一つも入っていない。それらから何か魂の糧をえられたという覚えは全くない、ということ。
2006 7・7 58

* 歯医者のあと、「リヨン」でうまい昼食。ワインは赤。
ケネディの小説を読むのが嬉しくて仕方ない。こんな不思議な気持になるのは久しぶりだ。二十世紀といえどもわたしの生まれるより前だろう。イギリスにまだ「イスラエル」の自覚と理想の揺曳していたのが分かる。
小説とは無関係であるが、英国はあれで、ローマ公教会、イングランド国教会、清教会などが組んずほぐれつの闘争を繰り返した国で、トーリ党、ウイッグ党の軋轢も甚だしかったが、理想の清き「イスラエル」を本気でイングランドに建設しようという熱烈な信仰が、政治的にも渦巻いた時期がある。おもしろい国である。
なにしろ王様が純然のイングランド人ではない時代が永い永い。王様の信仰と国民の信仰とが真っ向ぶつかりあうこともしばしばで、しかもイギリス国民の「議会」主義は根強い。王様に強力な常備軍のあったことが少なく、君臨すれども、議会を招集し解散する権力はあれども、議会の決議無くして好き勝手に王は金も使えなかった。フランス国王から小遣いを貰っていた王もいたのである。
そういう国の貴族社会も、根を辿れば複雑な出自である。騎士も領主も農民出も商人出も、僧侶もいるから難しい。
オースティンの『高慢と偏見』も優秀な藝術であるが、この国のゼントルマンやレディたちのうごめく小説を通して見て取れる「英国像」はいかにも懐が、深いと謂うよりも、ややこしい。だから面白い。
2006 7・8 58

* マーガレット・ケネディの『永遠の処女』を夜ふけて読了した。ひとかどの名作であった。若い女性の才気の作らしいある堅さや鋭さがきららかに光っていて、手づよいモティーフが十字架のように交錯している。サンガーの世界とチャーチルの世界との真剣勝負とも読める。そこから、簡単に割り切ってもなるまい重いテーマが露頭する。ベースに優れた「音楽=藝術」がズシリと岩盤をなして横たわる。好く書けている。
長い作品が優れた音楽効果をあげ、四章に分かれたシンフォニイになっている。さらにさらに大きく深く盛り上げ描ききるもう少しの力が作者には、さぞ欲しかったであろうが、好く書けている。すくなくもわたしは、とてもとても楽しんで読んだ。こころ惹かれて読んだ。
大勢の人物を描きながら類型の描写に堕していない。読み進むにつれて人物の一人一人への共感が深く目覚めて行くのは、優れた作の特質というものであろう。
ひさしぶりにやすらかにかつ興奮して嬉しい読書を楽しめた。批評と言うことを忘れさせてくれる読書。長い永い旅に心身をひたしてきた喜び。
2006 7・11 58

* アンドレ・モロワの『英国史』は、大陸の絶対王政とはみごとに相貌を異にし、王の権威と権力をも議会が左右できる政治体制へ、それが「国民の権利」として堅まった時期を、敬意と羨望とを痛いほど覚えつつ、読み進めている。
「世界の歴史」は、ちょうど宋の太祖が、中国史上最後の禅譲・革命で天子・皇帝におされ、めざましい王権の拡充を智恵を絞って実現している辺りを読み進めている。唐末から宋初をつないだ五代十国の歴史など、つい目をそむけてきたが、今度はつぶさに読んでみて、そこにも歴史の必然の働いていた面白さ厳しさを納得した。
芹沢光治良の『人間の運命』は第一巻の半ばを過ぎ、主人公「森次郎」少年と生家や環境との、ことに父の、また協力した母の、天理教信心と実践によって、一家一族が大きな波瀾と没落にあう運命を、読み進んでいる。
小沢昭一氏にもらった新しいエッセイ集も、ほぼ読み終えて、高橋茅香子さんの翻訳の大作、久間十義氏のルポふうの小説も面白く併読している。
『アラビアンナイト』は、短章がつづくと少し意欲が落ちてくる。荒唐無稽なほどの長篇がおもしろい。
鏡花全集は、本の重いこともあり、寝床では読みにくいけれど、じりじりと。
旧約聖書は、文語での翻訳に句読点がずいぶん節約してあって、読み取ってゆくのに苦労しつつ、これまたじりじりと頁を進んでいる。何といっても、今日のイスラエルの、ほとんど暴虐としかいいようない攻撃的な聖戦思想との関連で、ズーンと重い気分になりながら読む。
「聖書」と受け容れるのは、少なくも、現在進行中のあたりでは、とても難しい。
日本書紀は、天武天皇によるまさしく「現代史=現代政治」そのものを音読している。いまは「八色の姓」の整えられた辺を読んでいる。
バグワンは、最初に戻って『存在の詩』を音読し続けている。やす香 やすかれ、静かに在れという思いをこめて読んでいる。やす香の耳に届いていると信じたさに。

* 国際政治や国内政治やいろんな事件への目配りも欠かしていないが、さすがに、ウンザリもしている。ながい電車に乗って遠くへ走りたい気の萌すのも、じっとしているとそのまま全身が石のようにかたまりそうに感じるから。
いまこそ、静かな心でいたいし、そうしているつもり。つもりは、つもり。
2006 7・18 58

* いま、戴いた本が文字通り山と積まれている。
読みは、文学は鏡花全集と芹沢さんの『人間の運命』と『千夜一夜物語』を、読み物は久間十義氏の『聖ジェームズ病院』を、芯にしている。エッセイはモロワの『英国史』、そして叢書世界史の『宋と元』、日本書紀の『持統天皇紀』と旧約聖書の『サムエル前記』。バグワンだけは、繰り返し繰り返し籤取らずの別格。その他に、この三倍は出を待っている。
読むだけでなく、書いている。からだは、めっきり衰えて今日も気息奄々に近いけれど、頭は働いている。
2006 8・2 59

* 久間十義さんの『聖ジェームズ病院』を読了、力作で面白かった。
人間の把握や造型は、またほのかな色模様など読み物風にやや型どおりであるが、ストーリーの組み立てや彫り込みはリアルを損じることなく、なによりも大柄に堂々と書き込まれていて、いわば作品の姿勢や根性に対する信頼のもてるところがとても良かった。信頼し安心して物語の展開に踏み込んでつきあうことが出来た。
医学書院の大冊『治療指針』『薬物指針』など、わたしにも大いに懐かしい出版物が参考文献の頭に挙げてあり、ああいう記載のこなし方としては、おみごとと手を拍つ心地。「病院」「医師」「ナース」「関連企業」「癒着」「接待」等々、みーんな編集者時代に大なり小なり深くも浅くも見聞してきた。その忘れる事なき体験も大いに手伝ったから、わたしだけの深読みの楽しみも加わっていたと言えば言える。
力の大きな書き手で、わたしは、なぜかこの人の本は「読みたい」と思い、何冊もねだるようにして貰ってきた。姿勢がおやすくないのと、最初に読んだ文学作品の印象がよかったのである。
犯罪がらみのルポルタージュふう読み物であるけれど、とにかく堂々と、しかも細部の手が抜けずに佳い意味で説明的にも確かなため、これほどの大作でも筋が混乱しない。そしてこの作家は、根に珍重すべき「優しさ」をいつも謙遜に蔵していると見え、好もしい。浮かれ調子に堕さない。
2006 8・4 59

* そんな中でも、鳶さんの配慮で手にした、念願の(上巻だけは読んでいたが)ツヴァイク『メリー・スチュアート』に夜遅く没頭している。ツヴァィクの評伝はマリー・アントワネットもフーシェも面白くて繰り返し読んできたが、メリー・スチュアートというスコットランド女王の生涯は、堪らなく刺激的で胸に食い込む。モロワの『英国史』という下地も出来ていて、イングランドのエリザベス女王とのかかわりの奇々怪々にも目は釘付けになる。

* 妻も、わたしのよく使った手にならい、ながいながい面白い本に没頭して読み終えるまではイヤなことを忘れ去るのがイイと思う。『モンテクリスト伯』など、ぜひ奨めたい。
2006 8・7 59

* 天野哲夫さんの大部の二巻本を頂戴した。早速、まえがきから読み始めている。読み終えるまでは、他に心労するのはやめ、成り行きのまま、信頼できる人達の助言にしたがいながら、事態を、むしろよそごとに「観察」し、ときに「批評」し、ひとつの笑劇のように観ていたいが。
2006 8・9 59

* 日本近代政治史家で「震災」「空襲」の研究家として著名な、横浜市大名誉教授の今井清一さんから、『大空襲5月29日 第二次大戦と横浜』そして「日本の歴史23」『大正デモクラシー』新版を戴いた。嬉しいお手紙がついている。有り難く披露させていただきます。

* 暫くの酷暑が台風の余波で飛んで行き、ほっとしております。もう一年余り前になりますが、ご高著「日本を読む」上下と「わが無明抄」を頂戴し、ありがとうございました。
ちょうど「横浜から見た関東大震災」の仕事に追われていて、ぽつりぽつりと拝見しましたが、個々に見ても、また連ねて見ても面白く、またそこから自分なりの考え方を展開させたくなる点でも、読み甲斐がありました。
ただ、どうお礼を申し上げようかととまどい、今日にいたり、失礼いたしました。
先にご覧くださいました小著『大正デモクラシー』の、活字を大きくし解説を付した改版がちょうど出来ました。
私は震災と空襲を研究しており、毎年七月末に開かれる空襲戦災を記録する会全国連絡会議への出席を楽しみにしていて、今年は今治に行って来ました。
ご本のお礼を遅ればせに申し上げると共に、この改版と横浜大空襲に関する『大空襲五月二九日』をご覧に供します。
暑中ご自愛をお祈りします。  8月8日   今井 清一

* 「ペン電子文藝館」の「主権在民史料室」を新設したとき、幾つかの企画をもち実現した中に、大きな「柱」にわたしは、「憲法」論議と、日本の近代史の、大づかみでいいから「通観」できる歴史記述を切望していた。それで、全巻通読し感銘を受けていた、学んでいた、中公文庫版「日本の歴史」の26巻の、それぞれ責任執筆者の異なる末7巻から、各一章をひきぬいて、全七章分の略式「日本近代史の流れ」を、大切に史料室におさめ、インターネットで発信した。わたしの秘かな志であり、自慢のしごとになった。その時今井清一先生からは、もちろん『関東大震災』の章を頂戴したのだった。

* 中公版の『日本の歴史」が、版を新たにしたとは嬉しい。
わたしは若い人にほど、超古代からもいいけれど、この日本の「現代」がむごく歪められ、かち得た人権を着着奪われつつある今日、真っ先に『明治維新』から『近代国家の出発』『大日本帝国の試練』『大正デモクラシー』『ファシズムへの道』『太平洋戦争』『よみがえる日本』の七冊をぜひ「読破」しておいて欲しいと切望する。
このシリーズの執筆姿勢と魅力は、学問的であると同時に、権力機構への迎合がほぼ全く見られない、新鮮な視角と見識にある。字の大きくなった「新版」で、もういちど通読し直したくなった。

* この略式「日本近代史」の思いつきを助けて頂いたのが、『近代国家の出発』を責任執筆されていた東京経済大学名誉教授の色川大吉さんであった。この巻にもわたしは感動した。
「主権在民史料室」を「ペン電子文藝館」に建てようとすぐ思いついた。実現した。そこには、明治の憲法論議も多く取り込んである。
色川先生からは『廃墟に立つ』と題した『昭和自分史』の一九四五ー四九年の大冊を戴いた。変な物言いであるが、ドッカーンと胸に響く歴史記述であった。

* 天野哲夫・沼正三代理人さんに戴いた『禁じられた青春』上下も「はじめから」して身震いの来る興奮の第一波が感じられる。『家畜人ヤプー』の著者・代理人さんたる人が、手紙に添えて「何故御高名な秦様が、私如き怪しき物書きに、かほどまでご興味をお持ちなのか解しかねます」などと言われては恐縮する。わたしは最も早い時期のあの本に、著者もよろこばれた一風変わった角度からの「書評」を書いて、あの本のブームにかすかに一役買っていたし、「私如き怪しき物書き」というみごとな自負に惹かれるのである。
およそ考えられる限りの世間の美徳と真っ逆さまの、現代の天才が沼正三だが、そのまま天野哲夫さんに通じていると、わたしは読んできた。
この本も読み進めるのが大なる楽しみ。
2006 8・10 59

* 今井清一 先生   秦 恒平
雷鳴とどろいて、「夕立」ということばを、久方ぶりに思い出しました。落雷などの障りはございませんでしたか。

このたびは、御著二冊「大正デモクラシー」「大空襲5月29日」を戴き、ご鄭重なお手紙までも賜りまして、ありがとうございました。

中公文庫版の「日本の歴史」が、新版になっているのですね。これは私、何度もものにも書いて希望してきたことで、欣快至極です。
いろんな日本通史を読んできまして、わたしはこの、全26巻本を、最も姿勢といい内容といい信頼し愛読してきました。若い、これからの日本に当面しなければならない心ある人達に、ぜひ読まれたいと希望します。
全巻を一頁もとばさず、朱筆片手に順に読み通した私のような読者は、数あるまいと想います。ことに、明治維新以降の日本近代史の七巻に、私はそれはたくさん教えられました。
恥ずかしいことに平安時代や鎌倉時代や、とにかく昔の歴史にばかりうちこんでいた私が、日本近代史をしっかり読みたいと思ったのは、いわば「手遅れ」の「遅蒔き」でしたけれど、多大の感銘を得ました。読みながら、毎日毎日唸っていました。
日本ペンクラブで責任者を務めております「ペン電子文藝館」に、すぐさま「主権在民史料室」を特設し、色川大吉先生のお口添えを得たりして、いわば「略・日本近代史」をシリーズから再構成させていただいのが、電子文藝館に展示中の、最も心行く仕事となりました。あらためて、深く御礼申し上げます。

「日本を読む」のような戯文にお目とめ下さいまして、嬉しい、有り難いことでございます。図に乗りまして、甘えて、もう二冊お送りさせて頂きとう存じます。
日本人の「からだ」と「こころ」とに関わる躍動するセンスを、暮らしを流れる血潮のような具体的な「ことば」を介して把捉しようと試みました。お笑い下さい。

京都で育ち、少年時代じかに大空襲に遭わずに終戦を迎えましたが、私の通った市内の幼稚園運動場に一発爆弾が落ちました。
あの時代は遠くなったか、とんでもなく。またまたイヤな空気です。
日本ペンクラブですら、政府の資金援助をアテにして事業をしようというアンバイで、憮然とすることの日々に多いのには閉口です。

お大切にお過ごし下さいませ。  06..08.12
2006 8・12 59

* こんな日頃であったけれど、妻は、永田仁志氏から贈られてきた中西進さんの文庫本『日本語の力』にはまりこんで、心やりに一度読みまた二度目を読んでいる。面白いという。万葉学の大家中西さんのいわば研究余話であり、上出来の美酒の滴りのようなもの、面白くてあたりまえ。そういう気にはまる本に出会う、それが幸せということの一つである。妻は、もう一冊、友だちに贈られたらしい、草の花、木の花をめぐる、写真も入ったエッセイ本を読んでいて、いつも枕元にある。我が家のつねの風俗で、行儀がいいかわるいかは別にして、変わることがない。
新刊本がぞくぞくと贈られてくる。研究書も評論もエッセイも小説の大作も絵本や写真集もある。詩歌句集も雑誌も常のように届く。目を通さないということがない。返礼を失念することもあるが、その点メールの可能な方は、御礼も、ちょっとした感想も言いやすい。
一冊読んだら次の一冊という読み方を、わたしはしていない。いつも八冊ぐらいを併行して少しずつ前進するが、混乱しないし感興を殺ぐこともない。おのずと興をひかれれば、就寝前だけでなく外出時に持ち出す。読み物はそれで通過して行く。文庫本が軽くていいが、時に久間十義作のような大冊も持ち歩く。

* books をなぜ「本」と呼んできたか。ま、「本当の本物」を示唆し得て、人の思いの芯の所で太く大きくそそり立ちうるものだからだろう。そうでないものも「本」あつかいされるから混乱しているが、そんな混乱の中から確かな「本」を見つけ出せるかどうかは、人それぞれの「本」の思想に依る。
いまも興味津々読んでいるアンドレ・モロワの『英国史』など、りっぱな「本」の太さを発揮している。
2006 8・14 59

* 「千夜一夜物語」の「黒檀の馬」が、おもしろく展開している。
2006 8・21 59

* 小沢昭一さんから岩波文庫の『放浪芸』を贈ってもらう。小沢さんの本を、もう十指できかぬほど戴いていて、どれも興趣に富んでいる。思いもよらなかったいい出逢いを、これで、何年ものあいだ喜んでいる。
2006 8・24 59

* 暫くぶりに夕方から新有楽町ビルの故清水九兵衛追悼展に出掛け、奥さん、ご子息八代目六兵衛さんにご挨拶してきた。京都でのご葬儀に弔辞を求められていたが、ちょうどやす香の永逝と時をともにしていたので失礼させて頂いた。ついこのあいだ、京都美術文化賞の授賞式や晩の嵯峨吉兆での理事会でもご一緒してあれこれお喋りを楽しみ合ってきたのに……、はかないお別れとなった。
会場は、さすがに文学系の人は一人も見かけなかった、そのまま失礼して久しぶりにクラブに行き、66年もののすこぶるうまいブランデーを、サーモンを切って貰って、たっぶり呑み、そのあとクラブの特製だという鰻重を頼んで食事にしながら、九大の今西教授にわざわざ送って頂いた、或る古典の、ながい研究論文を半分近く読んできた。
アイスクリームとコーヒーをゆっくりと。クラブは客が多かった。ホステスを二人も連れ込んでいる社用族もいた。

* 一回のアーケードで、妻に腕輪にもなる時計を土産に買って帰る。この夏は旅もならず、さぞ気もくさくさしたであろう、元気を回復して貰わねばならぬ。

* 車中は、文庫本の、アラビアンナイト。どんな雑踏も満員も忘れてしまえる。
2006 8・25 59

* 久しぶりに荷風の短篇『勲章』をスキャンし、校正している。荷風など読んでいると、心持ちが落ち着く。会員から預かっている作品もあり、とりこんでいてつい棚上げしていたが、きちんと処置したい。
今まで繁雑・混雑の極みであった機械部屋の右ワキが、わたしの工夫からとても明るくすっきりして必要な本へも手が出やすくなった。もっともそれは椅子から振り向かない限りの話で、いちど振り向くと、まだ、かなりひどい有様。だが、片づくであろう希望は見えている。
2006 8・26 59

* 芹沢光治良のご遺族に戴いた『人間の運命』は近代日本文学の一二の大作で、わたしは、ぎっしりつまった六冊本のようやく第二冊めに入っている。一冊目は第一、二巻を収めていて主人公森次郎の少年時代を、生家と天理教に奔った父母との、また母の縁家石田家等との、入り組んだ漁村での暮らしを書いていた。富士山麓、沼津に近い海浜の貧しい漁家と信仰との問題点が具体的に執拗に説明的に縷々書き綴られて行く。
そして第二冊目では次郎は貧窮に追われる好学真面目な一高生であり、大学も目前に、時代の動乱にも恋にも文学にも、そして経済生活にも奔命の日々を過ごしている。悠揚せまらざる、しかしこれも私小説であるが、印象は西欧の教養小説に近い。
2006 8・26 59

* もう過ぎた多くは忘れ、次の仕事へ取り組んで行く。

* 正岡子規に「死後」というエッセイがある。死を主観的に考えると、ことに彼のように重篤の病につねに苦しんで臥していれば、堪らない不愉快と恐怖とが輻輳して煩悶する。客観的に死を考えるのは容易でないがも不可能でもない。主観から客観へかろうしで転じて行くことで、子規は、死ぬことと、死後の処置されよう、葬られようについてあれこれ弁舌し文筆する。面白いとも謂え、つらい読み物でもある。
死に間近にいての文筆家の日録では、よく、わたしは、子規と中江兆民と女性である中島湘烟を対比的に思い出す。湘烟の微動だにしない死への足取りに最も畏敬の念をおぼえたものである。兆民も子規も、比してのはなし、やや騒がしく、しかしそこが懐かしくもある。湘烟女史の達観は人間離れしている。
2006 8・29 59

* 昨日、とうどう『日本書紀』三十巻を全巻音読し通した。これは黙読していては途中で投げるオソレ有りと、最初から音読した。読み終えてみて、ウン、よく読んだという満足感がある。
日本国が、大昔から朝鮮半島ないし中国と、善縁も悪縁もいかに深いかを、しみじみ知った。決して粟散のむ辺土として東海に孤立していたのではない。ひしひしと外交関係に揺れに揺れていた。戦闘含みのきつい駆け引き・位取り。淡泊に互いに遠慮して付き合ってきたとはとても謂えない。しぶとい、あくどい、かなりこんぐらかっただましだましの付き合い方をしながら、体面を気に掛け気に掛け、実力行使もしたし、脅したりすかしたりされ合い、し合っていた。神話の時代からすでにそれが始まっていた。
そんな中で国の律令体制と本格の都づくりへ、半歩一歩ずつ近寄って、日本書紀の「最現代の政治」が日々実践されて行く。想像以上に福祉にも気を配っている。秩序というものを位階や冠位や服装で創り上げて行く努力。
その一方では瑞兆を重んじ、風雨の神などへの祈祷も欠かさない。そして徹底した紀年経時の歴史記述のスタイル。
読んで良かった。古事記はその前に読んだ。
さ、今度の古典は何を読むか。長い長い『太平記』を読もうか。
2006 9・2 60

* 『日本書紀』に次いで、バグワンとともに日々の「音読」本に『太平記』を選んだ、昨夜から。
書紀は同じ古典全集で三巻だった。『太平記』は四巻有る。今年中に読めるだろうか。「太平記読み」は「平家読み」なみに中世に流行した。その気なら音読は大いに楽しめる。
昨夜、『千夜一夜物語』文庫版をまた一冊読み上げた、次は第九冊めかな。これは二十数冊ある、まだまだ楽しめる。ゆうべ読み終えた長編の説話は、純然の恋愛もので、二頁にもわたる長い抒情詩が続々々とあらわれた。この「詩」を喜んで味わう気でいないとアラビアンナイトはトータルに享楽できない。惜しむらくは、その翻訳があまりにあまりにヘタなこと。詩だけは、一流の詩人に翻訳して欲しいなあとつくづく惜しむ。
恋情も悲嘆も歓喜も愛欲も善悪も闘志も、その表現や耽溺も、アラビアンナイトは徹底している。それが嬉しい。
2006 9・3 60

* 藤間さん  オール読み物 (松本幸四郎・松たか子父娘往復書簡) 戴いて、その日に読みました。感謝。
さてなにを書こうかと思い泥むとき、自然に手探りめいて、とりとめない中身をあれからそれへと繋いでゆくことは、物書きなら、誰も、何度も何度も思い当たる「ハメ」を知っています。
しかし、そういう文章が中身散漫で味ないか、不味いかというと、意外にそうでない場合があります。そんなときに限って、書いている当人の気づかない、これまで知らなかった或る「波」に運ばれていて、あとで自分で驚くほど新鮮な表現や思いを、創ったり吐露したりしている場合があるものです。とても、いつもいつもというワケには行きませんが、(松)たか子さんの今回の書簡は、それに当たるような満足を、ご本人も後で自覚されたのではないでしょうか。
この体験は、いわば、かつて知らなかった、一度も気づいてなかった「曲がり角」を余儀なく曲がるハメになって、思いがけない視野を得たのと似ています。ものを書きながら、「世界を拡げた」というかすかな実感をもちうるのは、存外に、そういう時なんだと思います。
今回のような息づかいは、書き手への、思いのほかの親愛感を読者によびおこします。レールの上を走っていないからですね。私は筆者の「思い」の「流れよう」を、面白く感じながら読みました。
あの新感線ヘビメタの舞台「メタル・マクベス」も、微笑ましく思い出しました。
秀山祭、楽しみにしています。 お大切に。
うまく予定が折り合えば、染五郎丈の舞踊の会にも、私一人で出掛けたいなと思っています。私は舞踊が好きなんです、若い頃から。  秦生
2006 9・3 60

* 三好閏三君との「美術京都」対談の速記稿が届いていて、これの「手入れ」だけは、とても家では出来ない。昔から速記原稿への手入れはイヤに気の重い仕事で、それも速記そのものも頼りないが、人が適当に順序を付けて纏めてくれている原稿の場合は、ラクなようで、気のシンドイこともおびただしい。固有名詞などが聴き取れてなかったり、とほうもないアテ推量がしてあったり、何を自分が喋ってたのか見当がつかないこともある。
ま、今回は、案じたよりも筋が通っていて、半日外で暮らして、およそケリがついた。まず、出掛けた甲斐があった。
国文学の、ある物語を、トホウもなく精細に論議し論証した大論文も、熱心に読んで大いに煽られた。なまじな小説を読んでいるよりもツボにはまって精到隈なき論文というのはすこぶる読んでいて、快感。しまいに、チクショー此処まで読みますか、脱帽ということになる。
評論は面白くて正しければよく、論文は正しくて面白いのが最高。

* すてきにカラッとした上天気で、暑くはあったが、湿度は低く、助かった。
2006 9・5 60

* 重陽。こんな言葉を覚えたのは幾つぐらいであったろう。紫式部日記の初めの方で菊の花の露を話題に道長と紫式部とにやりとりがあった、あの辺を初めて読んだ頃が懐かしい。日吉ヶ丘高校の教室で、時間外に二三人で読み合っていた。更級日記を先ず読み、紫式部日記に移ったように覚えている。
あの高校には、岡見正雄先生がおられた。京極裏寺町のお寺の住職で「ぼうず」と皆が呼んでいたが、太平記などの精到隈なき研究で知られた「室町ごころ」の大学者であることなど、当時、誰も知らなかった。この先生の、古典を朗々と読みあげられるだけの授業に傾倒していたのは、学校中でわたし一人であったと思う。「古典」とはあのように読むものとわたしは会得して継承した。
2006 9・9 60

* ながく気に掛けていた四国香川県の会員薄井八代子さんの力作『お止橋 金毘羅物語』をスキャンは、長い作だけれど丁寧に二度校正して、入稿できた。香川菊池寛賞の受賞作とある。
推敲し文体もはこびも本格に書き直し書き上げれば、鴎外作品の或るもののように、凄みの歴史小説に成ったろう。材料に頼って読み物に終始したのがとても惜しまれる。それでもなお二度読みを苦にさせない面白さがあった。
2006 9・10 60

* ニューヨークの超高層ビルの二つを、吶喊した航空機が瞬く間に崩壊させたのは、何年か前の今日ではなかったか。以来、世界は病んで崩れつつある。日本も病み頽れつつある。いま譬えていうなら、世界は操縦機能をみうしなった航空機のようにあてどなく彷徨飛行している。われこそ操縦士と操縦桿にしがみつくアメリカの、濃い色眼鏡の視野狭窄は、危ない限り。しかし、アルカイダも何のアテにもならない。
墜落するならすればいいと自暴自棄の声なき声がもう上がっているとも懼れる。「危ない、危ない」。漱石が、三四郎君の先生が、近代日本の行く手をそう警告したときとは、比較にならない大危機がとうから来ていて、危機慣れさえしかけている。「危ない、危ない」。
そういうとき、じぶんではもう何も出来ないのではないか、それならいっそ黙って目撃しながら、世界が爆発する前に死にたいものだ、などと情けないところへ頭を隠そうとする自分に気づいて、それが情けない。見るほどのことはみな見終えたと嘯いて平家の勇将知盛は海の藻屑と沈み果てたけれど、何ほどのことを見たといえるだろう。
あれから八百何十年、人間の賢いような愚かなような歴史は、知盛の想像を絶した世界を演出しつづけてきた。気の遠くなる永遠を人は当たり前のように期待しながら諸変化を受け容れてきたけれど、もうもうドンヅマリへ来ているのではないかと懼れている人は、たぶんまだ少数であろう。人はもっとノンキに創られている。それが幸か不幸かは分からない。
ああ、イヤになったと、しんそこ思うことが、数増えてきただけは真実である。
宗教は働いていない。哲学は生まれても来ない。政治は権力と利益をとりあうゲームになっている。そして隠微に増える暴力的な犯罪。

* いま宋の大政治家「王安石」の事蹟を学んでいるが、思えば中国の歴史に、少なくも理想の働いた唐末までとさまがわりし、いわば資本主義が勃興して中国的思考を大きく変転させたのが「北宋」であった。儒や老や佛がまがりなりに政治の内側に働き得た時代は、宋により覆され、しかも宋は、北から南へ、そしてモンゴルの強力に潰えた。そんな中で渾身の政治力を発揮しようとした世界史的な大政治家であった、王安石は。
しかも彼は中国の歴史の中で、政治家としてはおろか、人間としても最低の者として後世までそれ以上は無いほど悪く悪く否認され続けた。
彼は中国人の九割以上を占める農民の声を聴き、僅か一割に満たない数で勝手な世論を構成していた士大夫(知識人=官吏・地主・大商人・名族ら)の既得権を抑えようと、数々の「新法」を発揮し励行して、いくらかの成果をあげた。しかし士大夫階級の抵抗は強かった。そして新旧両法党の混乱が「宋」という王朝を毀してしまった。
王安石の改革を指示した宋の神宗は、英邁な帝王であった。だが、士大夫の最たる一人は皇帝を責め、「政治」というのは「士大夫の利と安穏のためにこそなさるべきです」と諫言していた。そういう発想の政治が、世界的に、宋代以降にうまれて、今のアメリカも日本も、「ひとにぎりの利権の持ち主のための政治」がなされている。只一人の王安石もあらわれない。
いちばんひどいのは、知識階層が、政治におもねっていること。
2006 9・11 60

* いま、東京都以外の大きな街は、ふつう「市」と呼ばれている。大阪市、神戸市、名古屋市、横浜市、西東京市などと。この「市」のことを特に顧みて穿鑿することはまず無い。
宋の頃まで都街は、主として「坊」に区分されて、その広い一画は高い塀で囲われ、門はごく僅か、晩になると閉じられて坊の者は出入りを堅く制限されるのが普通だった。
そんな坊から成った都城のなかに、商業専一の区画がありそこが「市」であったけれど、重農・農本の国から商業資本に重く大きく傾いていった宋の頃から、坊の門戸が開かれがちに、いつか坊の壁もとりはらわれた。都城そのものが「市」的繁昌に包まれて行く時代へ変わっていた。吾々今日のナニナニ市にも、そういう史的推移の定着のあとが疑われもせず残っているわけで、人間万事が「金」の世の中に変わってきたのは、決して今今のことではなかった。

* 神ならぬ、これだけは人間の創作といえる最大の便利な難物が「金銭」だが、漱石をして、どんな善人だっていざとなると悪人になりますと言わしめたのが、「金」であった。なんだつまらないと言った青年に対して、漱石はそういう平凡の中の厳重な真実に気が付かなくてはいけないと窘めていた。

* 音読しはじめた「太平記」は、どんどん読める。読誦事態に適した文藝に出来上がっていて、なんとも快く朗読が利く。少々の字義になんぞ立ち止まっていない、はんなりした気分にも近く、どんどん楽しんで読んで行ける。夜中の三時四時になっても太平記とバグワンとは必ず音読している。
2006 9・14 60

* 四国の薄井八代子さん会員出稿の『お止橋』では、序の口で蜂須賀支配と土佐の土豪たち、ことに祖谷(いや)の平家落人勢とが衝突し、本編では讃岐金毘羅での僧徒と社人たちとの神仏衝突が、隠微に繰り返されて、果ては惨劇に到るが、その背後でも、武家藩支配と公家文化との怨憎の確執も歴史的に根深い。
不倫は文化だと、バカげた顔付きで奇妙の名言を吐いたタレントがいたが、人と人との衝突にも同じ意味合いはあるだろう。船が前進するのにローリングがぜひ必要なように、人は人と衝突しながら伸びる側が伸びて、脱落する側はそれに気づかず只もう消耗してしまう。消耗するぐらいなら衝突してはいけないし、衝突に勝とう勝とうというのも聡明ではない。衝突しているその事件の奧から、まるでまた別のエネルギーを聡く汲み取って、ローリングするように別の側へ伸び上がって行く意志が大切。そのためには、自身の立場もふくめ、事態をなるべく広い視野で眺めている落ち着きが大切だと思う。
『お止橋』という悲劇的な小説は、だがそこに権勢の衝突という、小さな人間の個々のちからではどうしようもないモノが根底に居座っているときの、絶望的な状況をも指摘し得ている。作者には失礼だが、森鴎外にこの材料で書いてもらいたかった。『阿部一族』に匹敵する名作が期待できた。そういえば、映画『山椒大夫』の原作も森鴎外だった。柳田国男の同題の民俗学的追究が加味されていたのかどうかは、にわかに判断しかねるが、「日本」を書こう思うほどの若い人は、柳田民俗学をどうかしっかり通過してこられるといいと薦めたい。取捨は、その人人の才能しだいでいい。
2006 9・15 60

* フランス語の詩の朗読に敬意を表そうかとも思ったが、がっかり気疲れしていたので、親睦の例会は失礼し、日比谷の「福助」で久々鮨を堪能してきた。二合の酒の上にクラブへはよくあるまいと、お利口に地下鉄に乗り帰ってきた。宋の南渡、世界史上最も悲惨な皇室の悲劇といわれた「靖康の変」前後、そして南宋杭州の「行在」史を面白く読み返しながら。
2006 9・15 60

* 太平記が面白く、サムエル前記も面白くなってきた。これから元の歴史に踏み込んで行く。そして英国史は近代の佳境に入っている。芹沢さんの『人間の運命』もじりじり進んでいるが、同じなら『ジャン・クリストフ』と併行して読んでみたくなっている。
2006 9・16 60

* 家の近くからまっすぐ南下四十分、三鷹駅ちかい玉川上水に行き着く。今日はそこから西へ西へ西へ上水に沿って自転車で走り、小金井公園の西まで走ったところで、公園内を北行。幾らか試行錯誤しながら北へ東へ向かう内、田無の街区を北へ通り抜けて、新青梅街道を北原から保谷新道へ出て、難なく帰ってきた。二時間あまり。疲れもせず、悠々と。
妻もいっしょなら大喜びしそうな武蔵野の緑蔭がいたるところにある。知らぬうちに自転車の上で鼻歌が出ている。しかし今日は強い颱風が日本海を北上していて突風つよく、二度ほど自転車ごと揺らいで危険だった。その気で堪えていたので持ちこたえたが。また「かりん糖」を買って帰った。

* 用意してあった湯につかり、「金」の滅亡、チンギス・ハーンの勃興を読む。元寇は成功しなかったが、いま日本の大相撲は、横綱朝青龍を筆頭に、かなり海外からの力士達に圧倒されている。一時はハワイ勢が強かったが、いまはモンゴルやブルガリヤやロシアなど。その傾向、わたしはいささかも忌避しない。強い力士が来てくれて相撲がオモシロイ。日本の力士がさらに強くなればそれで済むことだ。
2006 9・18 60

* また浴室でチンギス・ハーンの没後、中国に「元」王朝の成ってゆくまでを読んでいた。西トルキスタンに出来ていた世界の大十字路のことは、前巻『西域とイスラム』で読んだ。
2006 9・19 60

* 高麗屋の奥さんから、今月も松たか子との父娘往復書簡の載った「オール読物」が贈られてきた。今月は父松本幸四郎の手紙の番。すぐ読んだ。
幸四郎の文章はかなりの量を読んでいるが、今月の感懐は、舞台と、舞台外ないし劇場外との、微妙な「合間」の時間の不思議や奥行きについて語り、先月の娘松たか子の書簡になかなか見事に呼応した、佳いものだった。初めて語られる話題にもいくつも恵まれ、読みでのある文章で感心した。

通用門出でて岡井隆氏がおもむろにわれにもどる身ぶるい 岡井 隆

この歌にもどこか気の通う、仕事こそ違え、歌舞伎役者・演劇俳優の秘めもつ「合間」のおもしろさ、確かさ。
八月は、こういう大物役者が、京都で集中して映画やドラマの撮影にも組み合う暑い時季だが、その間の、ご夫婦でのこころよい銷夏や、不思議の出逢いや、黙想や、うまそうな味覚にも、じつに手配り美しく触れられていた。手だれのペンである。
その高麗屋から、昨日は、十月歌舞伎の通し座席券がわれわれ夫婦分、届いていた。幸四郎は熊谷、そして初役という髪結新三。団十郎も仁左衛門も。芝翫も。楽しみ。

* 小田実さんに新刊の『玉砕』を戴いた。戦争の真の苦痛を人間の誠の問題としてガンガン掘り下げている。イギリスでティナ・テプラーらが劇化し、ラジオ放送した音盤も、以前に貰っている。関連の英文のエッセイは「ペン電子文藝館」にも掲載した。
今度の新刊には、巻頭に、「私の『玉砕』へのかかわり、思い」という長い文章が作者により新たに書き足された分がまた読ませる。ドナルド・キーン、ティナ・テプラーの文章も寄せられて三人が共著という造りになっているが、小田さんの一筋が太く貫通している。岩波書店刊。
わたしは、小田実が、日本ペンクラブを引っ張ってくれないかと、本気で期待しているのだが。
2006 9・23 60

* アンドレ・モロワの『英国史』、おもしろい。いま「第六篇君主制と寡頭制」の「結論」に近づこうとしている。イギリスはいろんな革命を実験し実見してきたが、宗教も政治も議会も産業も経済も、みな革命し、またそれらを綜合した独特の「感情革命」をも遂げていた。「第五篇議会の勝利」を経てきて、とうどう「第七篇貴族政治から民主制へ」手が届いた。
イギリスの歴史を嘗めまた噛み砕くように読み継いできて、日本の民主制の未熟な退潮反動傾向を観ていると、ああまだ時間が、実験も体験も、あまりに足りんわと頭を掻いてしまう。
しかし歴史というのは、なにも五百年掛けた先駆を五百年掛けねば後輩は学べないという情けないモノでもない。だが、現実はあまりに情けない。
2006 9・24 60

* 秦建日子の新刊『アンフェアな月』(河出書房)が、著者と版元から贈られてきた。『推理小説』の続編であり、「刑事雪平夏見」と副題がしてある。大売れ篠原涼子の拳銃を向けた写真が「応援」の弁を、帯に述べてくれている。
お世辞にも心静かでなどいられない派手な表紙絵。だが相談されたとき、わたしはこれに票を投じた。単行本の表紙は、つまり題と作者の名がくっきり見えていること。その狙いによく合っている。背表紙も明瞭、これで良い。なかを読むのはこれから。
建日子は今三十八歳と九ヶ月。わたしが医学書院を退社して草鞋の一足を捨てた年齢と、ぴったり重なる。あのときわたしは新潮社新鋭書き下ろしシリーズの『みごもりの湖』を出版し、同時に当時大判の純文藝雑誌「すばる」巻頭に長編『墨牡丹』を発表。いよいよの独立に、気を引き締めていた。そしてその先を一心に歩んでいった。そういう歳なのだ。建日子のますます真剣な健脚と勉強とを、心から願い、この上梓を心底喜んで祝う。
2006 9・26 60

* 手塚美佐さんの句集『猫釣町』を戴く。帯ウラの自選十二句の大半に傾倒した、拝見が楽しみ。永井龍男先生にも師事されていて、永井先生のご縁で「湖の本」を最初から、ご兄妹で応援して頂いている。岸田稚魚さんの主宰されていた俳誌を嗣いで主宰されている境涯たしかな方である。
この表題の「猫釣町」が分かる人は少ないのか、意外に多いのかどうだろう。「むかし巴里のセーヌ川ほとりにあったという難民(政治亡命者)の吹き溜まりに由来しています。巴里の人々はそこに住む難民のことを、「釣をする猫」と蔑みました。釣をする猫たちが棲む町、すなわち猫釣町です。私の住む町も人で不足の農家や工場をあてにして異国の人がたくさん移り住むようになり、いつしか猫釣町になりました。漂流する者として私もまた猫釣町の十人の一人にほかなりません」と、作者。
萩供養残る燠とてなかりけり
冬蝶となりて遊びをもう少し   美佐
2006 9・26 60

* 日本文化資料センターという出版社は、かなり稀覯の珍本も出してくれるところだが、昨日きた、前にも来ていたと思うが、宣伝広告物に『雅親卿恋の繪詞』が入っていた。巻子本・桐箱入、原色複製だが六割縮尺しているほど丈が高い。室町時代の枕繪で、繪もまず上出来だがその時代の口語が男女咄嗟の詞としてかなり豊富に出ていて面白い物になっている。よくもあしくも男女の行き着く姿がむかしといまとで大違いとは言えないまでも、やはり資料的には貴重な絵巻、それも原本に忠実に複製しているという。一本買っておくかなとふと電話で残部を問い合わせたりした。玉のさかづきの底抜けなんてのは、七十すぎても疎ましいではないか、呵々。
2006 9・26 60

* 太平記の音読は毎夜楽しんでいる。ちいさきときからお馴染みの人の名や場面が次々に現れるが、ゆうべはちょうど阿新丸(くまわかまる)が佐渡の父日野資朝卿配所へはるばる訪ねゆく件り。昔講談社の絵本で小さい心臓が飛び出そうにどきどきさせた少年だ。
そういえば、「ペン電子文藝館」にとうどう佐々木邦の小説が招待された。創設の企画説明をしたときに、鴎外や漱石も入るが佐々木邦も入りますと言ったら、当時の梅原会長に佐々木邦なんてと軽蔑発言されてしまった。
いやいや佐々木邦はそんな作家ではない。それほどの作家ではないかも知れないけれど、わたしは、少年の頃古本屋での立ち読みには佐々木邦をねらい打ちに読みふけっていた。立ち読みには恰好の読み物だったし、記憶にも残っている。
山中峯太郎も震えながらよく読んだ。『見えない飛行機』というのが何故か震えるほど怖くて心惹かれたのを忘れない。佐藤紅緑なんて、みな忘れたが。

* 中国の歴代帝国のなかでも「宋」は、けったいに不出来な帝国であったけれど、歴史を大きく変えた文化国家でかつ重商資本主義型の帝国として、また前半の北宋から南渡領国を半減して南宋を成し、その間に世界史上帝室の悲劇としては最悪無惨な靖康の異変も体験した。北地から遼に金にそして元に攻め立てられて、最後にフビライの「大元」に完膚無きまで攻略され滅亡した。その滅亡は平家が壇ノ浦で潰滅したのとそっくりよく似ている。そしてその悲惨さへの挽歌が、例えば「正気の歌」などが、なんと我が幕末の攘夷思想に巧みに取り入れられて、明治維新への足取りを刺戟していたことなど、歴史はいろいろに老いた私をまだまだ新たに刺戟してやまない。面白い。

* ミケランジェロであったか、石礫をにぎった美しくも力有るダビデ像があった。あのダビテに相違ない、いま、旧約聖書の「サムエル前記」はダビデの、執拗に王に憎まれ懼れられて殺されんとする姿を読んでいる。

* 『雅親卿恋絵詞』を二万八千円、買うことにした。わたしの蔵書の中に一点ぐらい優れた筆致の古典枕繪巻があっても、自然。届いて、そのいかさまにガッカリするか、リアリティに感嘆するか、楽しみだ。
2006 9・27 60

* 建日子の『アンフェアな月』も含め何冊もの読書のあと、二時半頃電気を消したが、一時間ほどで、急激な低血糖症状があらわれ、経験がもう二三度はあり、急いで計ってみると過去最低の「56」とは、危険そのもの、ショックを起こしかける数値。すぐさま砂糖を補い、いただき物の葡萄を十粒ほど口にした。すこぶるイヤなイヤな違和感が長く残り、血糖値はもち直してからも気分わるかった。
だが、朝が来て生活していると、午前中にすっかりリバウンドし、昼前に「202」まで上がっていた。
北海道の方から、大きな毛蟹三バイを頂戴した。感謝。
午後、二時五十分から四時四十五分まで、自転車で石神井台を大回りしてから、井草、善法寺公園を一周し、千川上水を西向きに遡行、武蔵野大学前までうんと走ってから、柳沢方面へ戻っていった。相当な走行距離ではないかと思う。今日は少し疲れた。ボトルの水分を一本必要とした。いつもは口も付けないのだが。江古田の百円ショップで手に入れた方位磁石が役に立つ。
帰って血糖値を計ると「85」は上等だが、一気に下がりすぎている感じも。
入浴して、「大元」帝国論を読む。
2006 9・28 60

* こんな話よりわたしの心を呼び寄せてやまないのは、こういう時だから余計そうなんだが、バグワン。
それから好きな歌人や俳人の歌集、句集。
『井伊直弼修養としての茶の湯』という研究書を手に取ってみる。するとすぐ世外の人となり、なぜか亡き白鸚や松緑の顔が思い浮かぶ。歌舞伎舞台の『井伊大老』やテレビドラマの『花の生涯』を思い出すのか。されば連想は歌右衛門にゆき、あれは淡島千景であったか、に、行く。
人にも逢いたい、芝居の日もはやく、と。しかし難儀な糖尿診察が待っていて、不快なだけの「調停」や「審訊」もある。難儀で不快なことほど、踏み込んで受け取らねばならない。

* わたしにしても強い人間ではない、が、弱さに甘えたり逃げこんだりはしていられない時がある。ほんとうに弱いとほんとうに逃げこんで頭をかかえてしまうが、頭を上げていなくてはならないときはちゃんと頭をあげて当面するしかない。しかない、のでなく、おそらくそれが当然の精神衛生というものだ。楽しいことしか楽しめないのでは楽しみの味は単純だ。時には苦みや鹹みも楽しみとしたい。
2006 9・28 60

* 昨夜おそく、建日子がきて暫く歓談、また戻っていった。床に就いたのは二時半。それから何冊も本を読んだ。
太平記では資朝卿についで俊基朝臣も鎌倉の手で斬られた。源平盛衰と南北朝の物語は少年の昔から網羅的に頭に入っている。
音読しやすいのもあたりまえ、「太平記読み」は「平家読み」についで室町時代以降盛行した。ほんとはもっと声を張って読みたいのだが真夜中のこと、憚る。
漢文、唐詩、宋詞、元曲と謂う。元という帝国は極端に尻すぼまりに衰えた国だが、ジンギスカンの子孫の帝王達には、歴代酒色にすさむという悪癖とも宿痾ともいえる遺伝があった。ああいうモンゴル第一主義の北方民族も、手もなく中国化してしまう中国の懐深さに感嘆する。
宋というのはダメ帝国でもあったけれど、どうしてどうして、とても無視できない「文化」と勝れた官僚政治があった。「科挙」という制度のよろしさを宋ほど仕上げた帝国はなかったし、人物も多彩に豊かだった。
2006 10・1 61

* 昨夜電灯を消したのは三時半。宋史、遼史、金史、元史「四史」の研究史など面白く読んでいた。
旧約聖書と千夜一夜物語の対照感覚も、相変わらず刺激的。
太平記は後醍醐の笠置蒙塵。幼稚園前だったか、町内会の遠足で笠置の岩屋までのぼったが、菊人形で歴史の語られていたのが怖くて、泣き出したのを覚えている。あの日は母と一緒だった。母が紫地にの縦縞の着物を着ていたのも懐かしく思い出せる。
そしてバグワン。

* もし人が自由であれば、その人は自然である。道徳的であろうなどと考えたりしない。道徳とは、いいかえれば掟としての法の意味にちかい。自由な人は法に従えなどと人にも自分にも言わない。自然であろうとすら言わずに自然にふるまう。
法的・道徳的人間は、自然じゃない。そうはなり得ない。もし怒りを感じても彼は自然に怒ることができない。法にすがり道徳をふりかざす。もし愛を感じても彼は自然に愛することができない。法に触れないか、道徳に障らないかと逡巡する。道徳や法にしたがってものごとを律したい人の、自然でありえたためしはない。
人が自身の自然にしたがってでなく、道徳や法のパターンに従って動こうとするとき、その人はとうてい自然であることの最も高い境地には至れない…と、バグワンは、そう言っている。
わたしはバグワンに日々ひたすら聴いている。
我が家にバグワンをもちこんだのは大学時代の夕日子だった。仲間と瞑想・瞑想とさわいでいたが、本をちらと開いてみて、これは彼女や彼等にはとうてい手に負えないと感じた。あっというまにみな抛たれて、パグワンの本は物置に投げ込まれたまま夕日子は結婚した。
娘の結婚後に、それも夕日子のいわくの「暴発」のあとに、わたしは物置からバグワンを救出し、以来今日まで正月と言わず盆と言わず、ときには旅先でも、欠かさず三冊五冊七八冊に増えたバグワンを、毎晩毎晩音読してきた。学ぼうとしてではない。わたしの思いでは世界史的な優れた人だと感じているので、ただただその言葉を聴いている。バグワンによって何かを得ようなどとちっとも願わない。ただただ読むのが嬉しくて読みに読み次いでいる。
2006 10・3 61

* 芹沢光治良の『死者との対話』は、あの戦争に駆り出された学徒、また敗戦後の悩み深い学徒たちの、「哲学」というものに対する深刻な「不信」を、一つの、主要な話題にした問題作であった。
京都で学生だったわたしは、大学院で哲学研究科に籍をおいたが、あっさり見棄ててきた。少しの悔いもない。恩師は、きみは教授になれる人だから院に残りなさいと何度も言われたけれど、頭をさげて、妻になる人と二人で東京へ出てくる方を選んだ。そして小説家になった。
哲学は、美学は、わたしの「魂」に何の役にも立たない。わたしは広い意味での「詩」人になりたかった。そしてただ「待つ」人、「一瞬の好機=死生命」を待つ人になろうとしてきた。

* 繰り返し書いてきたけれど、二十世紀最大の哲学者といわれた或る哲人は、ヴィトゲンシュタインは、哲学の最大有益の効用・効果を喝破し、「哲学が何の役にも立たないという<真実>をついに確認したこと」こそ人間に対する大きな「哲学の貢献」だと言っている。含蓄がある。哲学の否定ではない、哲学の「先」への示唆だ。
その通りだと双手をあげてわたしは賛成する。
あれが「月=真如」だと指さす「指」は、なんら「月」ではない。哲学はその「指」にやっとこさ成れはしても、そんな指や手で「月」は捉えられない。そんな哲学で、人をほんとうに深く高く救いあげた事例は、世界史上ただの一例もないのではないか。「南無阿弥陀仏」の一言の方が、まだしも無数の人を安心させた。しかし「念仏」というつまり「抱き柱」を人に与えただけであり、一種の催眠術的な宗教効果であったに過ぎない。むろん、それでも、なみの哲学より遙かに優れて人を安心させはした。ありがたいと思う。
2006 10・4 61

* 申し込んでおいた『雅親卿恋絵詞』が届いた。フフフ…。幸か不幸かもうわたしの役には立たぬ。
以前、或る国立の大学教授お二人と小学館版の「日本古典文学全集」にかかわって、鼎談したことがある。そのときに一人の先生が、用の済んだ後の歓談のために、それは見事にやわらかに描かれた枕絵巻を持参して見せてくださった。あれにはだいぶ負けるし、なにより原本のかなり精巧なしかし複製に過ぎないのだから仕方ないが、巻物で繪と詞とを我が物で読むのは初体験。妻には見せないが、いずれ息子にやってしまう。息子は見ないかも知れないが。
2006 10・4 61

* ようやく秦建日子の新刊『アンフェアな月』を読み上げた。十日もかけたか。
これだけ読むのに時間をかけさせた、それが、今回の本の顕著なマイナス点であろうか。それはわたしがいろいろに忙しかったからか。
端的に言えば、前作同様、前作よりももっと、映像用の大胆なコンテ、一篇の物語の動的なシノプシスに類していた。作者の得手を存分発揮した、要領のいい「ト書き小説」であるところは、前作『推理小説』よりも徹している。時間に追われてやっつけてしまうには、この作者にこの手法は効果的に向いている。
「ト書き」は、簡潔に動的に映像・画像や演劇の舞台が目に見えるように把握する、まさしく「文藝」の一種であり、この著者は、多彩に経験的にその「藝」にたけている。
文体の動的な統一をこの方法は、一見とりやすそうで、実は実に難しい。いいかげんにやったなら、収拾のつかない「説明羅列」に陥る。
それにしても作者は、その「演劇」手法の得意技で「小説」を終始するトクをとったけれど、また、それにより喪うソンの方も犠牲にしたのではないか。その「思い切り」のよさで、作品が自律し自立したけれど、文学を読む喜びとしては半端な印象も否めない。
この作者は、前作『推理小説』で、初めて「ト書き小説」といういわば文藝の新ジャンルを開拓して見せた。それは事実として動かない。だが、在来の文藝、優れた文藝がかかえもった、「読む喜び」「読ませる魅力見」の味わいをも、此の手法で発揮するには、まだ「文藝」そのものが足りていない。当然、はなはだ「読む喜び」は希薄になっている。走り書きの「あらすじ」を走り読みさせられるような錯覚に陥る。
とはいえ、字句や章句のなかには、ずいぶん面白い、耳目を惹く「表現」が意気盛んに、しかも落ち着いて散らばっていて、決して索然としたただの「ト書き」ではない。新味も深切味も文章として決して味わえないわけではない。大げさに認めて言うなら、「新しい文体への、これも試み」かなり「有効な試み」であるのだろう。大事な意欲の表れと解釈することで応援しておく。
だが、ちぎれちぎれにしか読ませなかった散漫な弱点はやはり覆えない。譬えて謂うと、投げ出された一つかみの、くしゃくしゃの紙切れ、それがこの推理小説の原体。その紙の皺を興味を持ってのばしのばし、作者と読者とで前へ前へ歩いて行くのだが、最後に、すうっと最後の皺をみーんなのばしきって見せて、あれれ、たいした紙ではなかったんだ、と少し拍子抜けする。結果として、面白い珍しいお話を堪能したという程の思いは、させてもらえなかったのである。秦建日子の作だからわたしは読んだけれど、人の本なら読まないか、途中で厭きていたかも知れない。
今度の作では、前回とちがい、作者の「述懐」がときどきややペダンチックにでも露出していて、それを面白い、興有りと受け容れるか、深みもなくちっとも面白くないと見棄てるか、どっちに読者がつくかは、わたしには一概に言えない。わたしという読者はそこへ行くと、やはり特別の読者であり、おお建日子はこんなことを言うか、思うかと、次元を異にした興味にもひきずられる。
さて女刑事・雪平夏見が、前作でよりも一段と魅力的であったか、というと、難しい。すこし水気をふくんで、あの硬質に乾いた、敲けばカンと鳴るような魅力はややうすれ、普通に近づいたのではないか。この作者が昔に田中美佐子という女優を使って書いていたテレビドラマの女刑事程度へ、気分、退行していたかなあとも思うが、映像ではどうなるのやら。
それにしても、こういう風に、実験的に文藝・文学を作って行く意欲は、凡百の推理小説氾濫の中では、すぐれて良質に満たされているのは間違いなく、孤独では有ろうがその意欲は金無垢にたいせつなものと、わたしは声援を惜しまない。
しかしまた、この作品のように、はなから安直に映像化期待に隷従した文藝・文学は、わたしには、本質、頽廃現象であるという基本の評価をくつがえすことは出来ない。息子と同じ年に『みごもりの湖』を書いていたとき、「映像化」など、できるものならしてみろ、できるもんか、とわたしは思っていた。新潮社の担当編集者が映画化権がどうのこうのと話していたときも、腹の中でわらっていたのを思い出す。
秦建日子のさらなる新作をわたしは、だが、楽しみに待っている。そして旧作ばかりでなくわたしの新作も読ませてやりたいと心掛けている。

* 建日子には、わたしがいま「MIXI」で連載している「講演集」の、ことに文学・文藝に触れたものには目を向けていて欲しいと願っている。夕日子にも同じである。同行の我が読者にもむろん同じ気持ちでいる。
2006 10・6 61

* 入浴、「宋学」「朱子学」を読む。すこぶる興味深し。宋以前、中国には体系をもった哲学は存在しなかった。佛教の体系に比して、儒も道も思想の構造としては散漫だった。北宋にいたってやっと周学が成り朱子学が成った。十三世紀の思想体系としては宋学は世界に冠たる重量を誇っていた。禅宗とは想像を超えた親縁関係にあるが、朱子学は、禅とちがい絶対の境地よりも、時間・空間・運動などをトータルに相対化した把握に長けて実践的である。理を謂い礼を謂い、生活に理想の規範を与える。あくまでも儒で、禅とは質的に異なっているが、通うモノをもっている。
禅の達磨だと、瞬間から瞬間を内発的に生きるというところを、宋儒なら、無極から太極へ、太極から無極へ動き静まり、それが生活だと謂うだろう。中庸、そして礼と理と。想像したよりも宋学の境地は現実に足場をおいて難解ではない。達磨なら「あなたこそ真理だ、どこへ動いて行く必要もない、行ってはならないのだ、真理は我が家にあるのだから」と言うが、宋学は「運動」に世界の働きを、また人の働きを観ている。
2006 10・7 61

* 快晴と強風のなか多摩川をめざして三鷹駅から南へ調布市内を走ったが、なかなか川に出逢えず、また回れ右して、武蔵境駅の南の方から延々北行、二時間四十五分ほど走って帰宅。入浴して、「宋」の時代の文化を復習。

* 茶碗があるのだから中国人も茶をのんできたことでは、大の先駆者であった。いろんな茶の製し方も飲み方も識っていた。古典には『茶経』もある。
ただ飲茶のふうに、日本の茶の湯のように「作法」を創り上げたかどうかははっきりしない。中国はある時期には他を圧して佛教の勢力がつよかった。しかし結局生き延びたのは禅宗だけであったと謂えるかもしれない。
禅院には学僧たちの日常を律する「清規(しんぎ)」がつくられ、これが宋儒のとくに大切にした中庸の礼または理にちかい規範であった。宋の大学等では学生達の生活の規範として、清規に類した「学規」を用意した。
学規といえば、我が家の玄関には、会津八一がかつて自宅にかかげて寄宿の学生達を律した、八一自筆の「学規」(複製)が掲げてある。
禅宗の坊さん達は座禅の睡魔をはらう卓効の飲料として茶を愛好したから、清規においてやや飲茶、喫茶の作法めくきまりが無いわけではない。日本の茶の湯の、作法としての濫觴はその辺に求められていいのかもしれない。
八一の書いた「学規」を、わたしに下さったのは、もと日中文化交流協会の理事長を務められた宮川寅雄先生であった。わたしは両三度先生のお宅を訪ねているが、そのつど、いろんなものを頂戴した。南洋の土で唐津の作家の焼き締めた渋い湯呑みは逸品である。先生が自作の、天山ふうに焼いた筆架も洒落ているし、ドンキホーテのような乗馬の仙人像もとぼけている。画もなさり、「杜ら」と署名の何枚かを頂戴している。非合法時代の強烈な闘士でもあられた先生は、温厚そのものの文人で美術史家でもあられ、先生の晩年、可愛がっていただいた。わたしも甘えて何でも申し上げた。
宮川先生や井上靖先生の頃の日中文化協会は、存在自体に貫禄があった。白土吾夫さんが専務理事でどっしり要を締めていた。みな亡くなってしまった。
今日、文藝家協会の会報ではじめて知る迂闊さであったが、巌谷大四さんが、もう一月も前に九十歳で亡くなっていた。嗚呼なんということ。井上先生夫妻といっしょに中国へ旅したお仲間の、長老であった。井上先生、白土さん、巌谷さん、清岡卓行さん、辻邦生さんと、あの一行の半数が亡くなってしまい、井上先生夫人、伊藤桂一さん、大岡信さん、私、そして協会から秘書として同行の佐藤純子さんがのこされた。
あのとき訪れたのは、北京と大同、そして杭州、紹興、蘇州、上海。思えば遼や金の、また南渡した宋の故地であったのだ。あの旅のことは昨日のことのように覚えている。
二十年目に訪れた中国では、西安が珍しかった。秦の兵馬俑もまぢかに見てきた。院展の松尾敏男さん、バイオリンの千住真理子さんらと一緒だった。

* 茶のはなしにもどるが、茶の功徳として上げられる、一は覚醒効果、二に消化薬の効果、三に性欲などを抑える効果。そんな茶を飲んでいる坊さんに、上の功徳をきかされ茶をすすめられた牛飼いは、ヘキエキして断ったそうな。一日中働きづめ、夜眠れないのでは地獄。貧しくて僅かしか食えないのに食い物が腹の中で消え失せても地獄。まして性欲がなくなればほかに何の楽しみ、女房にも逃げられてしまう。ハハハ。
2006 10・8 61

* 『太平記』の音読に快く惹かれている。いまは巻第三、東国勢がいよいよ赤坂城の楠木正成に当面する。子供の頃にどんなにか惹き入れられたか。少し思い上がって言うのであったけれど、二十年前にわたしが「秦恒平・湖の本」を旗揚げしたときから、この「出版への叛旗・謀叛」と叩かれた実践を、「わが赤坂城」と自覚し名付けてその旗を今も降ろしていない。二十年、八十八巻まで来てまだ落城していない。まだ千早城は健在に温存されているのだから、我ながら健闘してきた。六波羅の両探題と目していた東版・日版の今がどんなであるかわたしは知らないけれども、わたしは、湖の本の実に山中の小城にもおよばないささやかな闘いを通して、単に事業としてでなく、一人の男として自由自在に生きられる喜びも得てきたと思う。

* 湊川の戦に果てた正成をわたしは「あかんやっちゃなあ」と嘆いたこともあるが、正成は、昔から今まで好きである。身近である。しかしながら太平記の称賛する正成とは異なるべつの正成像、実像のあることをも、わたしは積極的に受け容れている。
太平記は憚ってそうは描かないけれども、楠木が鎌倉の被官であったこと、根は鎌倉方に在ったこと、鎌倉に背いて後醍醐天皇との間に連繋が出来ていったこと、それはそれで少しも可笑しいとも、卑怯だとも思わない。この時代降参と反逆とは少しも珍しくない当然の処世であり、そういうことをしていない有力武士の方が少ないぐらい。
それに正成が「悪党」と呼ばれる悪党の意味は少しも悪人の意味ではなく、この時代を特色に満ちて生きた一部土豪や下層武士たちのじつに興味有る処世を謂うたまで。
わたしには、なにより正成たちが、観阿弥世阿弥など猿楽の徒とも血縁というにちかい連絡を保っていたらしいことも、すこぶる面白い。彼の武略・知謀の根底には、根生い地生えの民衆の支持もあったことを推定しなければ理解が拡がらない。
「あかんやっちゃ」とわたしの嘆くヤツが、この南北朝・太平記の時代にはいっぱいいて、尊氏も義貞も北畠もみんな例外ではないけれど、正成のそれは、共感に値するモノも最後まで持ち得ていた。生き疲れたんやなあと思っていた、子供の頃から。湊川にたつ途中、「わが子正行」を「青葉しげれる」櫻井の駅で故郷に帰した「訣別」の真意にこそわたしは感じ入って、その後の南朝の善戦に固唾を呑んだ。
幼稚園国民学校のはじめごろ、近所の子供達の競って唄ったのが「青葉茂れる櫻井の里のわたりの夕まぐれ」であった。源平合戦と南北朝。やはり時代の覆いかけていたネットからは、遁れ得なかった。それでもわたしは、軍国少年とはほど遠い心根を抱いていた。同じ頃にひそかに読んで胸の奥に畳み込んでいたのは、白楽天詩集の厭戦・反戦の長詩『新豊折臂翁』でもあった。「京都」育ちのわたしを、文学へすすませた原動力は、「平家」と「折臂翁」とであった。
2006 10・9 61

* なんとかして多摩川へ到達してみたいと思い、二時五十分に家を出て西へ南へとひたすら走って、小平霊園を南へ抜け、一橋学園駅から国分寺市へ南行したもののどうも多摩川の気配は遠すぎる感じで、またも断念し、国分寺市から三鷹線を東へ向かい、少しずつ北へ東へと帰って行った、新小金井街道を北へ、また小金井街道を北へ、花小金井四丁目から新青梅街道を田無方面へ戻って行ったが、またしても左へ折れ込んでいったのが失敗、道に化かされてまた新青梅街道に逆戻り、仕方なく礼の保谷新道をかけぬけて元の保谷市役所前を通り帰宅。二時間四十分を越えていた。血糖値を前後で計ったところ、運動後は半分以下に減っていた。
入浴して、世界の歴史を読む。
2006 10・9 61

* 昨日芝居への行き帰りに読んでいたのは、今井清一さんの『大空襲5月29日 第二次世界大戦と横浜』だった。巻頭の「第二次世界大戦と戦略爆撃」のつぶさな世界的実態にふれ、慄然とした。「ペン電子文藝館」の「反戦反核特別室」に戴きたい。

* 宮崎市定さんの責任編輯された「世界の歴史」の『宋と元』を再読して、また新たに多く眼の鱗を払った。面白かった。ゆっくり時間を掛けて読み終えたが『宋』という帝国の世界史的意義にとことん触れ得て大満足。夕日子に下書きさせた「徽宗」ほど物哀れな末期を遂げた帝王はすくないが、宋というと彼の帝王としてのイメージの不出来が印象をかげらせがちなのだが、一方、彼ほどの優れた帝王画家は古今に類が無く、わたしは少年の昔から彼の筆と伝えられる「桃鳩図」や「猫図」にイカレていた。お見事と言うしか無く「国宝」ありがたしという気になる。
宋の絵画はたとえ議論が在ろうが、北のも南のもわたしは敬愛し親愛する。精到くまなき白磁や赤繪や青磁などの陶磁のすばらしさ、書風の個性的な大展開、宋詞から元曲へ展開する白話文藝の絶頂。そういった文化的なことには多年に仕入れた知識があったけれど、優れた「科挙の実施」による中央集権の官僚政治体制の独自さ、製鉄の飛躍的な発展を基盤にした商工業の画期的な拡充、そして印刷に置いても羅針盤試行においても、火薬の使用においても、宋は、ヨーロッパ近代の漸くの追随を尻目に数百年も先んじていた。
そして朱子学という思想体系。それらはいろいろの批判や批評を浴びながらも、現代の吾々の今日只今にも具体的な看過や影響を与えていて死に絶えて乾燥した博物館型の文化でも文明でもなかった。
そういうことを、またしみじみと感じ得たのは、別に今更にわたしの日常を変えるような何ものでもないけれど、頭の中が少し新鮮に帰った気さえする。

* さ、歯医者に出掛ける時間になった。
2006 10・11 61

* 久しい付き合いの元阪大教授中村生雄さんの編纂された『思想の身体 死の巻』をいただいた。孫の死をめぐる「MIXI」状況などを思い合わせ、感慨あり。「死」の環境がインターネット時代にはいって激変して行く状況に初めて言及されている。昭和天皇の崩御にいたる電波による報道とは、また大きくサマ変わりして行くことを、わたしは、孫やす香の「MIXI」日記、やす香と親とによる病名公開と、死への経緯の「MIXI」での公開、知人とだけに限定されない国内外からのコメントやメッセージによる参加、また祖父であるわたしのホームページ「闇に言い置く私語」公開など、きわめて顕著な新現象として「死」の時代の大きな烈しい変換に一頁を開いたことになる。多くの批評や検討や推移がこの先にあるわけだが。

* 珍奇絶倫『小沢大写真館』昭和の「色」の世界をいただいた。小沢昭一氏のこの関連の著書は何冊も戴いてみな読んできた。「日本俗情史」という分野が拓かれねばならないと、わたしは一九六九年文壇に顔を出して直ぐ、「芸術生活」に『消えたかタケル』を書いて、提唱した。小沢さんの一連の仕事はまさにそれで、単なる芸能史を広く深く越えている。

* 「たとえ十二部経を暗誦できようと、そのような者は生死の輪廻を免れえない。解放の望みなきままに三界に苦しみを受ける。」達磨
「教師(ティチャー)」たちの誇るどれほど多くの知識も、それは頭脳(マインド)を多くの言葉で満たすが、彼等の「存在」は空っぽで虚ろなままだ。大博識の学者というのはたんに知識のある愚か者でしかないと、ほんとうの「師(マスター)」はその存在そのもので分からせる。ブッダもイエスも。達磨も。老子も。

* 芹沢光治良『人間の運命』をじりじり読み進めている。いわば証言としての関東大震災で「人間」がひきおこす「恐怖からの凶暴」が、じつに無反省に無自覚に世の中を大混乱の不幸へ導くさまに、戦慄する。地震災害以上に「人間」が悪意とともに意図してもちだし、「大衆」があらゆる知性と判断を見失って付和雷同し追随して拡大させる人間性の凶暴化。おそろしい。

* そういう「人間の悪」に文学でふれ現実に生々しくふれていると、生の希望は、糸のようにやせ細る。いかに苦い味も楽しもうという姿勢でいても、イヤになる。生きていることが恥ずかしくなる。そういう「悪」が、ほかならぬ私自身の身の奧からも生まれ出ているのであるから、自己嫌悪は痛切。自分の血をすべて絞り出しどぶに流したいほど。
2006 10・17 61

* 幼い日の娘の写真を見ている間は、老いた父と母はひととき心癒されている。なんという皮肉なことか。

* だが必ずしもそれだけではない、『千夜一夜物語』を文庫本で読み始めると、わたしはあっというまに他界に翔んでゆける。午前・午後、葬儀からの帰りの電車で本をポケットから出すとたちまち、わたしはシェヘラザーデのお噺に溶け込んでしまい、気が付くとクツクツ笑っていたりする。四百十九夜「男女の優劣についてある男が女の学者と議論した話」には吹きだした。わたしの妻にもどうか、こういう何かしら別世界をもって溶け込み、何の意義もない不愉快を押しやり押し払って日々過ごして欲しいと思う。

* ブッダは無益な修業をしないと、こんなことは、達磨だから言える。獅子吼とはこういう言明をいう。

* 無心の本性は根源的に空であり、清浄でも不浄でもない。心(マインド)のレベルであれこれしている限り、だから当然、無心にはなれない。心はいつも思考で溢れて在る。心とは思考の容器にひとしい。そしてそんな心の働いている過程は、清いか汚いか、なにしろ容易に空ッぽに成れないのが心(マインド)である以上、それは清浄か不浄かのどちらか。心はけっして二元対立を超えることはできない。いつも賛成か反対かであり、いつも分割・分別されていて、分裂症の状態にしかない。けっして全一(トータル)にはならない。なれない。二元対立を免れうるのは「無心」という静かな、心ではない心だけだ。それは曇りなき大空のようなもの、トルストイの『戦争と平和』でアンドレイ公爵が戦場で斃されて見上げていた無限の青空がそれだった。

* いまわたしのマインド(心)の世間は黒雲が渦巻いておはなしにならない不浄な世間だけれど、わたしはそれがそういう世間だと知っていて、無明の闇にいる自分を感じているが、そこから抜け出せるときを持っていないのではない。雲に目をむければひどいものだが、雲と雲のかすかな隙間を通して広大無辺の澄んだ大空を垣間見ることもそれに気づくことも出来る。そのとき★★●も★★夕日子もない、何の価値もないただの雲屑とすらも意識しないでいられる。
それなら大空になればいいではないかという催しがあるにしても、まだそれが理であり言葉であるあいだは、わたしは慌てて覚り澄ますフリなどしたくない。まだマインドで分別してなんとかしようなどと思う自分を完全に否認し得ていない間は、ま、現世風に闘わねばならず、苦しまねばならない。
2006 10・18 61

* 黒いマゴの夜中の出入りに、二度睡眠を中断され、六時半には起床。前夜は日付が変わってやがて床に就いていたので問題はない、いつもどおりバグワンも太平記も英国史も『人間の運命』も、そして「ルネサンス」もみな読んだ。この「ルネサンス」という文明現象ほど或る意味で怪奇にフクザツなものはない。イタリアという当時の半島文明の政治的・藝術的異様の対照を眺めるだけでも、思いあまるややこしさがある。悪の権化のような、しかも勝れて有能な君主や商人達の、底知れないキャラクターを評価し得ないまま「ルネサンス」を安易な決まり文句で分かった気になる危険さこそ、思うべし。
小沢昭一さんの怪著にもクツクツ笑わせられながら、黒いマゴが電気スタンドの上に寝ていて消せないそのまま、例の夢路に滑り込んでいった。

* ブッダは戒めを守らない。彼はどんな戒律にも従わない。彼は最大限の「気づき」をもって生きているから。ただ静かに眺め、自らの全存在がすべてに応答するのをゆるしている。彼はまるで鏡のようだ。ただ映し出すだけで、ほかにはなにもしないとバグワンは正しく語る。「なにもしない」ということを言い換えると、「なにをしてもしないと同じ」だということ。
わたしは座禅したまま暮らせる状況にいない。それなのに強いて座禅をしてみてもそれだけでエゴの業に陥る。すべきと感じたことを為すべく為して「なにもしていないと同じ」一面の鏡のように生きて在ることが、不可能とはわたしは考えていない。そこに偽善的な世間のリクツを持ち込まない方がよほどいい。
2006 10・19 61

* 「夏の夜の夢」はおもしろくつくられたシェイクスピア人気の舞台だけれど、原作のふまえた「夏至」前夜の民俗などに、日本人は没交渉であり、その一点からも原作の妙味を汲むことは容易でない。粗筋を追うばかりになり、またそれでは日本の今日只今を利発に刺戟する何ものも殆ど無い。これはもうハナから覚悟して掛かるしかなく、その覚悟で観る分にはけっこう面白い筋書きを孕んでいる。
演出の妙味と福田先生の訳とにすっかりよりかかって観てきた。十二月には名作「八月の鯨」を再演してくれるらしい。わたしの七十一の誕生日ぐらいに観られればいいが。

* 巣鴨へもどるつもりが逆向きに三田線に乗ったので日比谷でおり、「きく川」で鰻を食ってきた。ツヴァイクの『メリー・スチュアート』と小沢昭一さんの珍奇絶倫『小沢大写真館』を、仲良く半分ずつ読みながら行き、読みながら帰ってきた。どっちもおもしろい。
2006 10・25 61

* 日本でいちばん長続きしている雑誌。それは、丸善の「学鐙」で。鴎外も漱石も書いていた。日本の知識人ならここへ一度は「足あと」をつけたいところだ。その歴代編集長のなかで名声のひときわ高かった北川一男さんを偲ぶ会に、わたしは裁判の煽りでどうしても出られなかった。今日奥さんの編まれた『塔の旅』という遺稿集が贈られてきた。エッセイを書く人のお手本にしたい多彩で且つ端正な名文家の精髄。しかし何よりも最後に病床で原稿用紙に自筆された奥さんへの「金婚」を祝い感謝されている乱れ文字の美しさ。感動。
この北川編集長にわたしは、『一文字日本史=日本を読む』をまる三年間にわたって、また谷崎論を三連載、その他にも東工大を退いたときなど、計四十回以上も書かせて貰っている。大きな恩人のお一人であった。偲ぶ会への不参、まことに心苦しいことであった。

* もう一冊の特筆ものは、元「群像」の鬼といわれた名編集長大久保房男さんの新刊『日本語への文士の心構え すぐれた文章を書くために』である。お説の相当量はくりかえし教えられてきて心身にすりこまれているが、なおかつ堪らなく面白くタメになるからつい笑ってしまう。妻はわたしより先に一晩で読み上げてフフフフと笑っていた。わたしはいま笑っているが、けっして軽く見て笑っているのではない。身を縮めてじつに心して照れ笑いをしているようなもの。そこが門外漢の妻とは違い、臑の傷が痛んでこないかとハラハラしているのである。
ひとかどの作家が平気で書いていると、そこは実例に事欠かない大久保さん、出す出す、 「馬脚を出す」「札片を撒く」「溜飲を晴らす」「古式豊かに」「自前を切る」等々等々、笑ってしまう。いつどこで笑われているかと思うべきであるが、あまりのことにガハハと笑う。
この本、読み終えたら人にあげよう。
2006 10・30 61

* いま二階では徳田秋声を読み、階下では岩野泡鳴を読んでいる。沢山な併読の一つずつに加えて楽しんでいる。秋声の大作はたいがい感心して、昔に読んだ。「足迹」「あらくれ」「黴」「爛」また「仮装人物」「縮図」など。いずれも、或る意味でもの凄い。「凄い」はわたしは佳い意味でふつう用いないが、この場合はつよい褒め言葉でもある。で、今は短篇を楽しんでいる。「風呂桶」「或売笑婦の話」「和解」とか。
あの川端康成が「現代日本の文学者のうち、作家として、私の最も敬ふ人はと問はれたならば、秋声と答へるだらう。現代で小説の名人はと問はれたならば、これこそ躊躇なく、私は秋声と答へる。――この答へは、昭和八九年の頃からいつも変りなく、私のうちにあつた」と『仮装人物』を語りながら書いている。一流の文学者である、安いご挨拶ではありえない。川端康成のこれもまた良い意味の凄みである。わたしは「最も」と強調は控えるにしても秋声の小説を尊敬している。郷土のライバルであった、私が贔屓の泉鏡花より、下位に秋声を置くようなことはしない。
岩野泡鳴は、日本の近代文学の爆発物である。これもまた強い強い意味で「凄い」人で作で、この人の乱暴を極めた長編を太い鎖をひきずるように五連作も読もうものなら、たいがいな破滅型無頼派の書き物など甘いやわいものだと笑いたくなる。

* いま、しかし、いちばん面白く読んでいるのは中公版「世界の歴史」の『ルネサンス』だ、ことに会田雄二さんが執筆担当している冒頭の百頁ほどのおもしろさには肯かされる。再読三読で文庫本には黒のボールペンで一杯傍線。その上に新しく赤いボールペンで線を引き、入浴しながら夢中で読む。高校で必修の世界史を教えないまま卒業させようとした学校が数多くバレてきて大問題になっているが、高校生には日本の近代史を必修にして欲しいし、世界史はギリシァ・ローマの歴史とルネサンスとを必修にして欲しい。一年間で世界史を教えるなど無理なことだ。同じことは日本史にも言えるが、日本史は明治維新から敗戦後のオリンピック辺りまでを誠実に大きく歪めないで若い人達に伝えて欲しい。そのためには本当に優れた本が欲しい。

* 今日はもうとことん不愉快な事や不愉快な、いや可哀想なヤツのことは棚に上げている。眠くなったら早く寝床に行き『人間の運命』や『千夜一夜』や『英国史』や『旧約聖書』を読みたい。その前にバクワンと『太平記』は音読。その前にもう一本よく冷えたビールがのみたい。
十一月は次の歌舞伎座まで十日ほどカレンダーが白い。贅沢にお金をもって、数日、一人旅して来れたらいいのだが。

* 今日観てきた野川のなんとか公園、夢にもう一度観てみたい。
2006 11・1 62

* 岡山からお志の、すばらしい桜鯛を戴いていた。落ち着いて、明日、ご馳走になる。家にいま生憎酒が無いんだから。最良の酒を買ってきて、何よりも好きな魚の鯛を、心行くまでご馳走になりたい。
馬場あき子さんからも新しい歌集を戴いていた。
2006 11・2 62

* 字を書く根気なく、湖の本の発送用意に一日取りくんでいた。バグワンと太平記を読んで、床につくことに。『太平記』は呉王越王の闘いを語っている。児島高徳が隠岐へ流される後醍醐天皇行在所の庭の桜樹に、有名な詩を書いた話の、いわゆる「付(つけたり)」だが、短編小説ほど長い。太平記はこういう「付」に面白いお話が多く、社会教育の効果をあげていたと想われる。
いまは「世界の歴史」も近代へ歩をすすめつつあり、面白い。芹沢さんの『人間の運命』もじりじりと読み進めている。もう機械から本の方へ移動しよう。
2006 11・11 62

* 呉王夫差 越王勾踐 字が合ってたかな。会稽の恥を雪(すす)ぐ話は、太平記で読むのが俗耳に入りやすい。美妃西施の苛酷な運命。双方の王に侍する真の忠臣たちの苛酷な明暗。わたしの音読の原則は最低、見開きの頁を次ぎへめくるまでは必ず読むのだが、ここは興に惹かれて長く読む。それでもまだ半ば。中国の話に触れて書こうとすると、漢字再現に行きつまる。時にハンレイ無きにしもあらず、ではしまらないなあ。
2006 11・13 62

* 愛読書のなかでも『ゲド戦記』に並んで熱愛する作に、パトリシア・マキリップの三部作『星を帯びし者』他がある。鏡花研究で力あった脇明子さんの訳を頂戴して以来、何度も読み返してきた。播磨の高木冨子さんから英語の原本三冊も贈られている。この機械、いつきちんと直るのかわたしには分からないが、それまで、この好きな本を、英語と日本語訳とで出来るところまで読み進めてみようと思い、隣の家から持ってきた。
初巻は「THE RIDDLE-MASTER OF HED=星を帯びし者」 ハンディな英語辞書が身のそばに欲しいが。
2006 11・14 62

* 『星を帯びし者』を英語本と日本語訳本を手に重ね持って、ヘッドルーペをつけ、(さもないと小さい字がもう読めないから。)一気にと言いたいが二度にわけて八頁読み進んだ。マキリップの文体とまでえらそうに言えないけれど、英語のクセに少し慣れないといけない。だがとても新鮮にディテールまで読み込めるのが有り難い。修飾語のふんだんに使われる英語で、いちいち辞書を当たっていると興ざめするので、そこは翻訳本の理解を借用してしまう。ハヤカワの文庫本で三巻九百頁ほどある大作、これを読んでいると、わたしは確実に現世から「おさらば」して不思議の国に生まれ変わり「ヘドのモルゴン」といっしょに果てしない「旅」をつづける。逃避のようでわたしにはそうでない。より確かに自分と向き合える世界へ踏み込んで行く、少年のように。此処にもまた「すこしちがったゲド」がいる。マキリップもまた『ゲド戦記』のアーシュラ・ル・グゥインに傾倒している。
煩わしくて英語を読むなんて事は久しくわたしの読書から失せていたが、願ってもないことに英語本のペーパーバックスを三冊揃えて貰っていたのだし、読み上げるには相当な日数を要するだろうから、通過し得た頃には今少しわたしたちの置かれた状況も、よかれあしかれ、動いているにちがいない。バグワンふうにいえば、これはリアクションとして欲したのではない、内心の望みにレスポンスしているという気持ち。

* このところ芹沢さんの『人間の運命』が進んでいる。感想は読み終えてにしたいが、主人公森次郎は初恋の女性に背かれ、べつの節子と結婚式はあげたがまだ夫婦になっていないまま、二人してやがてパリに遊学する。次郎はとびぬけたエリート官僚の地位を休職して振り捨てて行くのである。変わった小説であり、変わった主人公であり、まだ半ばに達していない。
わたしは『ファウスト』ならつづけて三度も通読するけれど、どうしても、何度試みても読み通せない西欧の長編をもっている。ロマン・ロランふうの教養小説というか、真面目そうな伝記的な作品である。芹沢さんの『人間の運命』も、もし図書館で借り出していたら深入りできないで離れていたかも知れない、が、読み終えてみなければ確かな感想は言いにくい。
しかし、乗ってきた。
次郎は有島武郎に若い頃に傾倒しているが、有島の文体にある西欧文学の匂いに、時としてヘキエキするのと少し似かようものがこの大長編にある。「唖者の娘」にも通じる物言いでなければと『死者との対話』で主張していた芹沢光治良について書いた論説で、わたしは、最後に、それでもなお、「文学」の問題にはそう単純化しきれないものもあり、それはまた別に論じねばならないと書き添えた。
2006 11・15 62

* 『人間の運命』全七冊本の四冊目に入った。頭脳明晰な本だと感じる。はなはだガンコに変わった個性の主人公だと思う。
血の熱いような冷えたような、その見極めがつきにくい。『死者との対話』でも感じていた。自身の感情や理性や概念にビクともブレない目盛りが確定していて、それで他を測ることは、かなり厳しい。文体も生活も個性も対蹠的に異なるけれど、或るガンコさにおいて志賀直哉とも共通する、志賀さんのそれよりは、やや西欧の体臭をともなったグヲンとした唯我独尊も感じられる。その辺に共感の手づるも見えている。
芹沢さんの主人公、感情移入という同情や同感や共鳴が他へ向かうこと、比較的微弱。自律の精神で他も律して行く。きわめて真面目、それが堅い物差しになる。それで敬愛されまた顰蹙もされている。理想と思い、しかし拒まれて失恋したマドンナがいて胸を離れないでる。そんな初恋の「加寿子」との交際も、恋愛と呼ぶには文字とことばとが優先して、それしかない。敬愛はあろうが文通でしか育てられていない概念的な恋心は、読んでいても胸ときめかない。時めいてリアルなのはそんな擬似の恋が破局に陥って行く時であったり、妻が地金を露わに、ブルジョアの令嬢のエゴイズムから感情や言葉を爆発させるときである。少なくもこの作ではまだ女性が親身に身に添ってこない。
典型的なブルジョワの世界に抱え込まれるように身を置きながら、自身は極貧に育った漁村の秀才という根を抱き、「森次郎」のコンプレックスは鞏固に残存している。中学、高等学校、帝大とすばらしい秀才で終始し、在学中から文官としての試験も通過し、官庁に入ってもいちはやく高等官に任官しているが、理想を持してゆるがず、官職を抛つように結婚してパリへ旅立つ。ブルジョアの「丸抱え」といえば繪に描いたようにその通りで、その代償のように妻も得ているが、妻を愛しているかといえば、否認するしかないような微温的な伴侶感覚。価値観の物差しを日本よりもパリにおいたような、日本のインテリにときどきある「奇妙な世界人」志向がつよい。
そして何よりも顕著なのが、数え上げても何人も何人もの「男の大人」に此の主人公は愛されてきた。そういう「少年」の素質を、ぬきがたい「個性」の一つに「森次郎」という主人公は抱え持っている。

* 『ブルジョア』は芹沢さんの出世作で「改造社」の懸賞当選作だった、いちはやく「ペン電子文藝館」にも戴いている。しっかりした骨組みの確かな、生きて優れた小説であった。もっと昔に『パリに死す』を読んだ記憶がある。日本人の作家でノーベル賞の候補に噂されたりその推薦委員を務めたりしたほど、むしろ日本でよりも国際的な作家だった芹沢さんであるが、その日本語は、堅い主張にも支持され、平易で説明的で読みやすいが、ディレッタントのものという批評も受けてきた。文章を読んでいる嬉しさは希薄。
『人間の運命』では、パリを中心にした芹沢氏の西欧世界とそこでの学びや暮らしを読みたかった。だが、意図的に其処はすべて割愛されて、「日本」国内での「運命」に的を絞った旨が、第四冊目の冒頭に書かれている。すくなからずガッカリした。五年の在仏、そして肺結核との闘病と夫婦違和。それが日本へ帰って行く船の中でこじんまりと説明的に回想されていて、ああと目を覆う夫婦の、いやブルジョア妻の夫に対する批判や無理解が書かれている。ああこうなるのかと、五年の空白部に想像がはたらく、が、そこはフィクション小説『ブルジョア』でかなり補いがつく。『ブルジョア』を読んでいて良かった。
名古屋の鉄道社長の娘を妻にし、妻の実家にさながら取り込まれたような「森次郎」は、まさしくブルジョアの蜘蛛の巣にからめとられた悩ましい小虫のよう。その辺を、昨夜遅くまで読んでいた
2006 11・17 62

* 『人間の運命』では愕かされることが少なくない。ことに仰天したのが、「小説を書く」ということへの、妻を始めとする舅や義父らの強烈で容赦のない軽蔑・侮蔑の念で。
極めつけの秀才主人公「森次郎」が、名古屋の電鉄経営者の娘と結婚し、農林省の高等文官の職を棄ててパリへ留学、ソルボンヌ大学で経済学を学びつつパリ在住の文化人たちと親交を重ねる内に、その卓越した文才により友人達の信頼や敬愛もえて、演劇や小説創作に気分的に馴染んで行くのだが、不幸にも重い結核にかかりスイスの高山療養所へ入る。
この時の妻の、罹患した夫を責め立てる激昂にも驚愕したが、才能豊かな友人達から、共著で文学活動をしよう、小説を書けと熱心に奨められていると妻に告げるや否やの、狂人を見たような恐れ軽蔑と必死の拒絶ぶりは、ゾッとするほど凄かった。
かろうじて日本へ帰れば、ナニ不自由ない妻の実家での「抱きかかえた」ような生活であったが、自立を願う次郎はふとした契機にうながされ、改造社の懸賞小説に『ブルジョア』を応募し、一等当選してしまう。だが家庭内の風当たりのきつさは凄まじく、そんな「恥さらし」な真似をされるより「ぶらぶら遊んでいてくれる方がよほどマシ」だと袋叩きにされている。また嘱望されて講義に出ていた中央大学経済学部からも、朝日新聞に小説を連載するなどトンデモない大学の恥辱とばかり、バッサリ馘首されてしまう。
むろん、理解を示し応援し高く評価して、世界へ出て創作を続けよという人達もいる。が、彼の人柄と能力に魅せられたように応援する義父一家も妻の親族も、ことに後者は容易に容易にそんな「ふしだらな真似」を聟殿に許そうとはしないのである。

* 鴎外漱石から直哉や潤一郎や川端や三島や大江健三郎にいたる文学史を心得ている人達には、思いも寄らないことのようであろうけれど、わたしの読者で小説を書きたい書いている人の中にも、ガンとして本名でそんなものを世に出すことなんか出来ません、親類が何というかと、それが当然のように息巻く人も現にいるぐらいだから、芹沢さんの例ほど露骨であるかどうかは別にしても、そういう傾向はまだ残存しているに相違ない。
末は大臣か、大将か、博士か。そういう「時代」がたしかに有って、それがそうでなくなってきている現実への憂慮から、もういちどそういう価値観世間へ戻したい強い意向。強い念願。それが現今の政治屋どもの深層心理を刺戟しているのではないか。日本はそういう国のように想われる。

* いま、とにもかくにも『人間の運命』に読みふけっている。全七冊の第四冊目を足かけ三日で読み通してしまいそうだ、長くかけていた頃は一冊に三週間も要したのに。
2006 11・19 62

* この機械部屋のすぐ近くへ、等身大に夕日子が来て立っている夢を見た。三十台の半ばに見えた。声をかけて、夢は醒めた。それから暫く『人間の運命』を読み継いで、また寝た。
芹沢さんの『ブルジョア』が懸賞小説一等当選作であったことは知られている。「懸賞小説」でデビューしたことを、作家としての「汚点」になったと、芹沢さんに女の愛情を臆せず表現していたらしい林芙美子は、露骨に惜しんでいる。もっと文壇人と付き合わないと「孤立」して、書く場所が無くなると芹沢さんに助言し、書き手の集まる銀座の「おでんや」へも誘ってもいる。芹沢さんは重い肺結核の予後を養う日々であったこともあり、常にそういう誘惑から身をのがれ断っているが、文壇からはブルジョアの坊ちゃん作家と眺められ、家庭では、謂うもおぞましい小説家風情を、妻からも舅からも嫌悪・侮蔑され続けている。
芹沢さんの暮らしている「家」は、林芙美子などの眼でみれば、絵に描いたような宮殿のような邸宅であり、舅は浜口雄幸の旧友、名古屋を中心とする私鉄の大社長で、一時期民政党代議士でもあったし、芹沢さん自身も余儀ない成り行きで総理令嬢のフランス語の個人教師もしていた。
ややこしいことに、その芹沢さん本人は、沼津我入道(がにゅうどう)の貧漁村のもと網元の育ちで、それも両親が天理教へ家産のすべてを抛ち零落しきっていたから、貧の極を味わい尽くしていた。ただ人並み優れた秀才故に他人の情けに幸運にあずかりつづけ、貧苦に喘ぎながら目をみはる最高学歴をかちえていったものの、そのコンプレックスから容易に抜け出られない人であった。しかも真面目、しかも或る意味で頑固な人柄に出来ていて、融通が利かないことでも超級の堅物。終生思いは世界にありパリにあり、藝術そして人間精神の自由にあって、核心に文学への底知れぬ自負と愛とがある。
芹沢さんの作品を読めば察しがつく、彼はあたかもフランス語で下書きして日本語に置き換えるような「文体」を身につけ、文学的な日本語の伝統から謂えば、明るくて軽いハイカラな文章感覚を抜きがたく持っていた。読みやすいが、「晦渋の妙味」はうすい。日本語文学の文章として、こくがない、ためがない。さらさらと行ってしまう。それは希少価値的な珍しさと同時に、文壇は一つの異物感を投げ込まれたように不快ガル人もいたのである。

* 芹沢さんの社会観、政治観、ヒューマニズムにも、「日本」という足場からすれば批評されていいある種の「色」が頑固についていて、百パーセント賛同しかねる個人的な限界もある。いみじくも彼が謂うように、パリのセーヌ川は、川をへだててブルジョア世界とプロレタリア世界に截然と分かたれているというが、芹沢さんは明らかに自身をブルジョアの側に自覚し生活してきた。しかしそれを可能にしていた財力は、小説家(藝術家)芹沢光治良を「家の恥辱」としか考えない妻の実家、舅の手から恩恵されていた。彼を真実息子として愛した義父にしても、初めは小説家「森次郎」を容認しなかった。ブルジョアとしては逸脱も甚だしい嘆かわしい仕事へ落ちこんだものと観られていた。
「ブルジョア」という言葉は、決して貴族的な由来にはない。マニュファクチュアを階層化して行けるほどに実力をつけた「商工業」由来の財産家・富豪の意義を根にもっている。芹沢さんを貧の底から拾い上げて養い続けた篤志の人達は、すべてそういう意味合いのブルジョアたちで、例えば白樺の人達のような華族的背景とは少し、いや全然ちがっている。白樺の人達は華族・貴族世間に間近く、人も彼らをブルジョアとは呼ばない。
芹沢さん自身は、ブルジョアの上澄みの恩恵をたっぷり吸い込んでいるけれど、なんら本来の意味のブルジョア生活は結婚以前には体験してこなかった、そこへ取り込まれただけである。優秀な学歴と能力を、ブルジョア達に惚れ込まれ取り込まれた寄生者なのであるが、それが芹沢さんの意識にあり、またともするとそれも意識から薄れかけもし、実にややこしい立場に立っている。

* 間違いなくしかし「森次郎」という主人公は、大人の男性に好かれる。嫌った人は一人しかいない、それは初恋の令嬢の父親だった、徹底して嫌われた。そして恋人もまた父の側について、彼を背き棄てた。令嬢の父は「森次郎」を事実無根の「社会主義者」ゆえに認めなかったが、事実は、その貧しい「育ち」ゆえに排除し差別したのだろう。「育ち」には天理教がらみの、しかもそれだけではない数奇の背景や遠景が纏わりついていた。そのコンプレックスは根強く彼を苦しめ続け、そういう思いに苦しむとき、「森次郎」はおのれを、「すでに死んだ者として」生かしめようと努めざるをえない。それが「日本人」森次郎の生き方だった。
フランスでなら、世界でなら、そうでなく生きられると信じ憧れながら、日本で日本人に混じって生き苦しく生きたのである。

* 芹沢さんは、「自分」の他は「他人」だと明瞭に意識している。親も親族も、である。そして少なくも今までの処、かれが心底から「身内」を欲したり探したりしているようではない、あるとすれば「親友」であるが、親友にも容易に心をゆるせず絶えず動揺し、価値判断の堅い目盛りから少しでも逸れると、絶交、これまで、最後だ、と思う。バグワン流に謂えばまさに「分別と思考」の徹した「マインド人間」なのである。家庭のなかでも「死んだ者として生きている」から、冷ややかで概念的で、愛情といった感情の熱度ははなはだ低い。『使者との対話』でわたしがかすかに感じていた或る違和感は、『人間の運命』を読んで行くにしたがい、みごとに説明されて行く。一例を挙げれば、ほぼ一冊で千枚あるであろう全七冊の『人間の運命』第五冊の半ばを過ぎて、ただ一度も「我が子」のことが書かれていない。結婚して早くにフランスで第一子をえており、帰国後にも少なくももう一人は生まれているらしいのに、この父親である森次郎という小説家から、我が子との関わりも、我が子への思いも、まだ、ただの一度も親密に書かれていないのは、そうと気が付けば一種冷や水をかぶったような異様な感じだ。欠落。非在。そう謂うしかないほど徹底している。
かつて日本人、日本文学では見たことも聞いたこともない一つの「存在」としての主人公、小説家、人間がこの「大河」というにふさわしい教養小説のなかに実在していて、おどろかされる。
おおざっぱに味わいの濃くない教養伝記ものにみえて、実は巧緻なまでに組み立ての利いた大建築物の小説になり、はじめのうち一冊読むのに二十日も一月もそれ以上もかけジリジリと読み進めていたものが、第四冊にかかってからは、二三日で読み上げていることでも、牽引力が分かる。「大河」という云い方でかつ藝術的達成感もしっかり備えた、これは、近代日本でも初の「大河小説」の名にふさわしい。だが、まだ二冊半ものこしている。読まされてしまうだろう、加速度もついて。トルストイやロマン・ロランの名があがっているように、明らかにその方の同類小説である。
決して決して『モンテクリスト伯』のようなものではないが、佳い意味でも少し抵抗のある意味でも、「ブルジョア」という言葉は作家芹沢光治良には運命的だ。日本の近代作家のとても持てなかった可能性を豊かに持つとともに、どこか日本の近代文学の佳い意味の魅力から逸れたタチの日本文学だとも謂わねばならない。

* 英語と日本語訳とを二つの手にもちながら読んでいるマキリップの『THE RIDDELEMASTER OF HED 星を帯びし者』は原本で二十三頁、訳本で三十六頁め、第二章にすすんでいる。架空の創造世界のなかへいよいよ旅だって行く「ヘドのモルゴン」。どんなに深遠な苛酷な世界が荒々しくも魅力的に伸縮し深呼吸するかを、わたしはもうよく識っているのだが、それでも新鮮に魅され惹かれ、あらがえない。ピュアな文学の感動が在る。ル・グゥインの『ゲド戦記』に対し、わたしがマキリップのこの魅惑の小説を『ヘド戦記』と読んでも、けっして間違っていない。慌てず、焦らず、じいっと堪えたように静かにヘドのモルゴンとの「旅」を重ねよう。それにしても形容詞の多い英文だ。辞書を引いていると滞るので、脇明子の達意の訳を参照しながら、先へ先へ追ってゆく。
2006 11・20 62

* 委員会はこれということも無く。
帰りに日比谷の「福助」で鮨をつまみながら『人間の運命』を読んで、読みながら帰ってきた。雨に降られたが親切なご夫婦に傘を貸して頂けた。明日、親戚といわれる本屋さんへお返しに上がる。
映画「デイ・アフター・トゥモロー」を観る。ありうることとして観た。
2006 11・20 62

* 『人間の運命』第六冊目に入ったが、時代は昭和十年代。わたしの生まれて最初の、敗戦に至る十年間だ、何から何までほとほとイヤな時代。
生まれる一月前、昭和十年十一月に日本ペンクラブが発足し、島崎藤村が初代会長、芹沢光治良は「会計」役の理事を頼まれている。引き受けるとすぐに、林芙美子がやってきて、そんな役を引き受けたのは宜しくないという。「藤村」派だと思われてしまうのは文壇渡世のために不味い、ペンには菊池寛が入っていないが、彼の文藝春秋に睨まれては作家として損だからと窘めている。
やがて菊池寛肝煎りの日本文藝家協会でもやはり会計を頼まれ、芹沢さんはいったん断る。ところがまた林芙美子が来て、菊池寛には楯突かない方がいい、ぜひ引き受けるようにと本気で助言している。芹沢さんも林芙美子の「処世」の真剣さにほだされ、引き受けている。
そんなことばっかり気にしながら文壇文士たちはモノを書いていたかと思うと、笑止で、時代もわるいが、これは時代の問題でなく、物書き達のいじましさの問題であるから、読んでいてもうんざりするのだ。
しかし当時のペン例会には、必ず特高が参加し監視したと知ると、これは「時代」のおぞましさ。
日本には、民衆のために本当に良いい時代なんて「時代や時期」は無かったんだと、いつも思う。そして今また一段と「日に日にひどいじゃないか」と情けなくなる。
破産した夕張市の市民達はどう生きて行くのか。文科省の、社会保険庁の、労働や雇傭の現場の、だれの、かれのと眼がまわりそうに責任を問いながら、政治・行政の各場面を見回して行くと、ほとほと、生きながらえて行くことに、希望どころか、暗澹としてしまう。
わたしには芹沢さんの体験が無い。だから確信して謂えることではないけれども、芹沢さんのようにはフランスを中心としたヨーロッパ各国のすばらしさを、簡単には認められない。だがそれでも、そういうヨーロッパを一方の念頭にしかと置いてなされる「森次郎」や、彼の優れた学友達からの、「ひどい日本」への批判や批評に対し、あまりに正当で到底反対し得ない気がしている。適切な指摘にイヤでも頷かされてしまう。
わたしはけっして芹沢さんの「理性」に全部賛成ではない。その理性があまりに概念的に棒立ちしていると、この人は繪に描いたような「マインド人間」だなあと、多少滑稽に感じたりもする。それにも関わらず、十に八つは芹沢さんの日本と日本人批判に頷くし、その一方それだけ非難するなら、非難を貫く実践があってもいいのにと思ったりする。それほど彼の「在日世界人」としての日常はには、情けないほど日本人的な妥協もたっぷり読み取れる。金持ち喧嘩せず。そういうところが物足りない。
2006 11・22 62

* マキリップの英文を、五十頁まで読んで、これが翻訳で読むのと同じほど、楽しみ。いや翻訳なら読み飛ばすところを叮嚀に読んで行くので、ちがう楽しみがある。この大好きな長編小説を原文で最後まで読み通せたら、どんなに心行くだろう。よほど時間を掛けてもいい、読み進みたい。
2006 11・23 62

* 芹沢さんの畢生の大作といえば間違いなく『人間の運命』であり、近代日本文学が生んだ最大の長編小説の一つ。ご遺族から全巻をお贈り頂いたのを好機に読み始め読み進んできて、感想は読み終えてからと思っていたのに、その日その日に書き置かずにおれなくなり、気儘に「闇に言い置く 私語の刻」に日記してきた。
あまりバラバラになるのもどうかと、まだ途中、とはいえ、全七冊本の第六冊半ばへ来ているので、途中ながら最近分まで「MIXI」日記へも持ち出しておく気になった。

* 芹沢さんは、日本で最初にノーベル文学賞の候補になったり、その推薦委員になったり、フランスの最高文化勲章を受けたり、日本ペンクラブ会長を務めたりした世界人であるが、日本の文壇ではかならずしも適切な待遇を得ずにおわった、大きなエクリバン(作家)であった。ロマンシェ(小説家)ではないと自覚していた。ロマン・ロランらに繋がり理性と自由とを生き抜いて、世界の視野から「時代」ことに「日本」と「日本人」とを痛切に批評しえた稀有の人であった。『人間の運命』はただならぬ大作であり、その批評が今日只今の日本と日本人とを切実に衝いている意味でも貴重な大仕事であった。
島崎藤村の『夜明け前』『東方の門』を事実上受け継いだ日本の近代史とすら言いうるが、晦渋ではない、芹沢さん独特の明るい平明な叙述で「日本の運命」を優れた視野に書きおさめている。
わたくしは必ずしも芹沢さんの理性や自由の理解に全面与(くみ)するモノでなく、文学・文体にも容易に陶酔しはしないが、じつに「立派な姿勢の文学者」であったことには惜しみない敬愛いや尊敬を捧げている。
いま、この大作に日本人が心して触れることは、一芹沢光治良の問題でなく、現下の日本・日本人ないし「わたくし・あなたがた」の問題だと信じている。こういう文学が日本の近代・現代に置かれていたということを、改めてよく考えてみたい。
2006 11・24 62

* 筑波大学名誉教授小松英雄さんから『古典再入門』を頂戴した。「『土左日記』を入りぐちにして」と副題してあるのが、実は思うところあり、ひとしお嬉しい。「教室で習った古文 教えた古文をリセット」と、帯にある。小松さんの本ならこれに掛け値のないこと、太鼓判。この人の古今集の読み直しはすばらしい衝撃であった。「目からウロコの連続」をいまどき保証できる国文学者はこの人ぐらいなもの。すぐ読み始める。(と思ったらさっさと妻が持って行き、いたく愛読。今は亡き目崎徳衛さんの『紀貫之』と併読で盛んに面白がっている。)

* 医学書院で、主任を務めていた頃のデスクに、中島信也という早稲田を出て来たほんの少し若い部下がいた。学生の頃からハードボイルドの翻訳などしていて、わたしの京都の中学で一つ上の、秀才山下諭一らと仲間であるらしかった。山下ユウちゃんも中島君の先輩格、ハードボイルドの畑でもう名を売っていた。わたしの最初の私家版を「いい道楽だね」と評したのも山下先輩であった。
中島君から「秦さんも書いてみませんか」と誘われても、あまりに行き方の違う方面で、仲間に加われるとも加わりたいとも思わなかった。それよりも彼に頼まれ、担当していた親しい産科医を奥さんに紹介し、その甲斐あってか子供が出来たと聞いたような記憶がある。
おなじデスクに小高光夫君がいて、中島君は自分の名前と小高君の名前を混ぜ合わせ、小鷹信光という筆名でたくさんな翻訳本をハヤカワなどで出していた。日本ペンクラブにも在籍していたような退会したような、記憶はアイマイだが、何かの折りに本を贈ったかして、細い縁の糸は繋がっていた。
そして昨日、五百頁も越す早川書店刊『私のハードボイルド』という「固茹で玉子の戦後史」資料と回想とを贈ってきてくれた。昔の同僚のために乾杯した。
あまりに畑が違いハードボイルドの消息には疎いわたしであるが、帯をよんでみると「固茹で玉子野郎=ハードボイルド・エッグ」とはもともと「ケチん坊」の意味であったとか、戦前に初めて「ハードボイルド」を日本に輸入したのは『丹下左膳』の原作者だったとか書いてある。村上春樹とレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』の関係は? などともあるから、秦建日子の方が読みたがるかもしれない、いやいやわたしもチャンドラーなら、東工大時代に通勤電車で何冊も読んでいた。
中島君が退社したのとわたしが太宰治賞をもらったのと、どっちが早かったか、忘れている。彼の方が一足早く独立したのではなかったか。

* 医学書院ではわたしの太宰賞と同年か次の年だったかに雑誌「宝石」でミステリーか何かの賞をとった人がいた。いまどうしているか知らない。またやはり一時期わたしの課にいた中川史郎君が「群像」に作品をだして芥川賞候補になったことがあるが、その後そのまま棒を折ったようである。ずうっと遅れて、ずうっと後輩の樋口君が出て、今も「三田文学」などで評論家をやっている。われわれの編集長長谷川泉は、森鴎外研究の泰斗であった。
2006 11・25 62

* とにかく、なにもかも、じりじり進む。そういうときは、そんなもの。じりじりに、焦れてはいけない。気をつけたい大事なことは、じりじり進むのが「習慣」に従うのではないということ。
昔は、習慣を重んじて日々に予定を立てては予定をこなしていった。悪いことではない、したい仕事を意欲のままに進めている場合は、ことに。
だが、ただ単に習慣づけた予定は、自在で自由な「今・此処」の在りようを空洞にし無意味にしてしまう毒をもちやすい。習慣に従い予定をただこなして満足していると、とんでもない空疎の前に、心身を、餌食に差しだしているのに気付く。
習慣で、予定したこととして「本を読んだり」しない。読みたいものを、読みたいから読む。きまりだから読むのではない。英語に手こずっても読みたいから「ヘドのモルゴン」を楽しんで読む。バグワンも『太平記』もみな同じ。

* 勝田さんが、また「マウドガリヤーヤナ」なんか読み返したいと言われていた。わたしもふと読み返したくなり「MIXI」に連載することにした。「マウドガリヤーヤナ」の分かる人には興味を惹くだろう。読みやすい利きやすい語り口で語っている。
2006 11・26 62

* 文藝家協会から来ていた事務局伊藤女史と、没後著作権「七十年」問題で、宴会場でそうとう熱い議論をした。折り合えなかった。
福引ではやばや湯布院や別府のラーメンが当たってしまい、すぐ会場からおさらばし、東京會舘からタクシーで帝国ホテルに移動、クラブでうまいコニャック、また痛烈なウイスキーを呑む、マスターにサーモンをきってもらい、そしてエスカルゴ。酒好し魚好し。千夜一夜物語を文庫本で読み進めた。今夜は客が大勢、わたしのように一人でゆっくり食事している人はいない、みな数人連れの懇談会で。
バニラのアイスクリームとコーヒーとで仕上げ、やはり『千夜一夜物語』を読みながら帰った。
2006 11・27 62

* 異例の五時半からの電子メディア委員会には、日本総研の大谷和子氏を招いて、「プロバイダ規制法」周辺の問題をレクチュアしてもらった。わたしはわたしに起きた問題を持ち出し、理解と今後の適切な対応対策を強く求めた。

* 食欲が無く、木村屋でパンを買い、銀座一丁目から千夜一夜物語の長編「巨蛇の女王」を読みふけりながら帰宅。
2006 11・29 62

* 日付が変わってからもう一仕事し、バグワンと『太平記』とを興深く音読、そのあと、寝床で『人間の運命』全七冊の第六冊(第十一・十二巻)を読みきった。
この一冊(二巻)は、単独で読んでも感動するにちがいない。作者の芹沢さんが、多年の結核罹患から意志的についに脱却し、決然、日中戦争の「戦野」に自らの決意で立つところから始まっている。いわゆる「従軍作家」としてではない。中国の「本質」を現地で感じたい、不幸な戦争状態がどう早期に健康に停止する可能性があるか、あるならその実現に働きかけたい目的であった。この人は従軍記者として軍のために動くのを、海軍に対しても陸軍に対しても拒みぬいている。
そして、太平洋戦争の末期までが書かれている。

* これまでの各巻から、目立ってこの一冊は、質的にも飛翔を遂げている。「作家の生」の意欲が、何というか、従前とは異質と思われるまで高揚・昇華され、「此処」へ来て芹沢光治良の「真価」がすばらしく魅力的に光放ちはじめる。苛酷な「准戦時体制」ないし「戦時下」での文学者また文化人・知識人の理想的なありようを、これほど「人格」としても「行為者」としても貫きえた、幸せな、強靱な、日本の作家をわたしは芹沢さんのほかに多くは知らない。別の意味で別の場面で、熾烈に苦闘した軍国日本の犠牲者たちはいた。勝ち抜いた人も斃された人もいた。
そういう人達を観る目からは、あるいは芹沢さんは「一種の特権階級」かのように見えるかも知れないが、そういう見方は、じつは、全く彼には当てはまると思われない。運命に誘われて身を置いたブルジョア世間の中で、綺麗なことをあえていえば芹沢光治良は泥中一輪の蓮花のように、個性と信念とを一度も曲げなかったのは確かである。いささか滑稽なほどに思われるぐらい、芹沢光治良という針はやすやすとはブレなかった。「エクリバン」に徹して西欧の人文主義の伝統を日本人として立派に身につけていた。
なにより心に鳴り響くのは、真摯な学徒・学生達が、芹沢邸に「生死のオアシス」をもとめてさながら蝟集し、芹沢さんはそういう若者達にすべて逢うこと、若者達の苦悩をすべてひたすら聴いて対応すること、心から能う限り不安に戦き惑う若者達を聴き手として、語り手として、また所蔵の音楽や美術の藝術の魅力で常に馥郁ともてなしていること、だ。
背景には若者達の死命を制する戦場と戦闘との現実が、刻々、空谷の跫音のごとく迫っている。まさしく「命がけ」の日々の中で若い学徒は悩み悶え覚悟をさだめ、またさだめきれず、学校から追い立てられて戦陣へ応召して行く。制度をすら超え、まさしく彼らは「徴兵」の現実に当面し、あまりに確度高く「死」を免れ得ない前途へ追いやられて行く。
そういう若い魂を実に誠実に人間的にしかも微動もせず時代に媚びずに、この作家は常に個と個との直面で成しうる総てを努め、また与えつづける。
あの記念碑的な問題作である『死者との対話』へ確実につながる日々が、生き生きと書かれ、わたしは、何度も目頭を熱くし、また襟を正した。

* 芹沢さんがこの大作で用いている記述の方法は、わりと「手の内」まで読みとりやすい。『死者との対話』は敗戦後直ぐの実感一気の秀作だが、この畢生の超大作『人間の運命』は、まさしく作家晩年の力作であり、その意味で過ぎ来し「時代」は一応「過去完了」し、莫大に用意されたであろう資料や体験や記憶が、ジクソーパズルのピースを埋めこむように適宜適切に「配置」され「運用」されている。速筆のためでもあろう、その手際はしばしば透けて見える。まちがいなく大きな文学作品でありながら、そのぶん、またルポルタージュ風の報告性も濃厚になり、受け容れる感動はむろん優れて人格的で精神的であるが、文学としての純熟とはすこし離れた味わいでもあって、わたしは、それを無視しても看過してもいない。
しかし、そんな追尋が無用に忘れてしまえるほど、この一冊二巻の響かせる「人間」また「作家」のありようは、総て瑕疵・瑕瑾を大きく覆い包んで、なお高らかなのである。すばらしい。

* こういう作家でこそありたいと、私の内にも冀(こいねが)う疼きがある。あの昭和の戦前・戦時はあまりに不幸に展開していたが、芹沢さんと学徒・学生達との「魂の饗宴」には、至福といいたい「身内」の愛があった。それはただ読者、ただフアンと謂ったレベルではない。互いの運命を共有しあい祝福しあいたい「渇望」然として現存する「身内」愛であった。
若い人達には死んで行く戦きとともに、「今・此処」に師とともに「生きるすべてを噛みしめたい」ものが疼いていた。一方芹沢さんには、そのような若い魂・肉体に「死なれ」また「死なせ」るかも知れない辛さ、悔しさ、憤り、祈りがある。
時まさに「戦争」なのである、人間をかくも脅かし、またかくも輝かせていたのは。
もう一度言うが、芹沢さんのように戦時を誠実に生きた強い作家(エクリバン)は、あの当時他に誰一人いなかったであろうと、控えめながら、ぜひ書き添えたい。

* 勢いで、やっと海相ウインストン・チャーチルの名の出て来たアンドレ・モロワ『英国史』の最終章を読み進み、また巨人エラスムスを、いわば分母に据えたような近代の人文主義から、ルターの宗教改革へ進んで行く欧州の沸騰をも、興味津々読み進めていて、低血糖症状の違和感に陥り、あわてて寝床から起きて血糖値をはかり急いで少し食べ、そして寝入った。三時過ぎていたが、七時半には起きた。夜中に食べたぶん、血糖値は少し高かった。

* 昼飯までに今日の用事をかたづけ、恵比寿へ出掛けるまで、出来ることをしておきたい。
2006 11・30 62

* 芹沢光治良は、自身を「ロマンシェ(小説家)」ではなく、『人間の運命』を書いたことによりフランスで謂う「エクリバン(作家)になった」と「自ら信じる」と書いている。フランス語に疎いわたしに正確な語感はつかめない。文藝評論家林寛仁氏は、「生きること」=「書くこと」であるような人生を真剣に生き、文学がただ娯楽の暇潰しに終わるべきでない、読者をしてその魂を揺り動かし、目覚めさせ、生きる喜びを感じさせるものでなければならない、という「確信」が芹沢さんの表明からうかがい知れると解説していて、『人間の運命』全七冊の第六冊など、その気迫がたしかに感動を誘う。
が、では「ロマンシェ 小説家」とはどう違うのか分からぬ限り、「エクリバン 作家」の上の定義的解説は受け取りにくい。
日本語での「作家」二字ほど、いまや安い「自称」はなく、それもジャンル広大、美術家も漫画家も染織工藝家も猫も杓子もみな「作家」と自他ともに呼んでいる。「自称」作家がむやみにいる。どうしようもなければ「作家」としておけばいいというほど、安直で意義不確かな「肩書き」なのである。
わたしも必要な時と場合とで「小説家」「作家」を併用してきた。ものにより「評論家」「研究者」とよそから肩書きをくわえられもしてきた。フランス語の「ロマンシェ」も口はばったくわかっているとは言えない。
しかし芹沢さんの謂われる意味でなら、「エクリバン」の意気に強く呼応したい気がある。名乗り方、呼ばれ方はいかにもあれ、「生きること」=「書くこと」であるような、人生を真剣に生き、文学が、ただ娯楽の暇潰しに終わるべきでない、読者をしてその魂を揺り動かし、目覚めさせ、生きる喜びを感じさせるものでなければならないという確信を、わたしは頑ななほど持してきた気でいる。「そうでなければ書かない」というぐらいにも。
そんな頑ななほどの気持ちは、わたし自身をかえって縛っていることもよく知っている。もっと気儘に気楽に「書くこと」を「遊べば」いいじゃないかと自分で自分を窘めたり賺そうとしたりもしているけれど、文学がただ娯楽の暇潰しに終わるのは御免蒙るという気はやはり強い。書かない言い訳に過ぎないと嗤われても、気にならない。
2006 12・11 63

* 凛々師走。朝、かなり冷える。血糖値、108。良好。本郷方面へ出掛ける。

* 三好徹さんの新刊『政・財腐蝕の100年 大正編』が目近に在る。明治編も前にいただいた。厳然たる事実、だから堪らないこの百年。
2006 12・12 63

* 高麗屋の奥さんから、松たか子の「みんなひとり」という歌盤の、まだ市場に出ていないらしいのを貰った。竹内まりやの作詞そして作曲。
詞から、よく気持ちが伝わってきて。嬉しく頂戴した。感謝にたえない。
松たか子自身の作詞作曲も二つ。しなやかに心優しい詞句で、文章を読んでもハッキリしているが、この若い女優さんの才能は、舞台の上だけでなく、文藝でも突き抜けたものを持っている。思いが一段と正しく深まれば、落ち着いた気品が文章にしっかり添うだろう。父幸四郎丈との二年予定の往復書簡も気が入っていて、とても興味深い。お父さんも娘に胸を貸し、とても気張っている。娘は本格的に真っ向語りかけてたるみも騒がしさもない。とても佳い。幸せな父と娘の取り組みをわきで見ていると、おもわず涙ぐみそうになる。
あんまり親子でまともに視線を合わせすぎると、「観客=読者」が、話題から、いい親子の芝居から、往復書簡という空気の外へ置いてゆかれかねないのだけは、斟酌されたい。わたしたち読者もその中に楽しくゆったりと入っていたいから。
2006 12・14 63

* マキリップの英語読み、進んでいる。急いで進みたいとは思わぬ。荒筋は十分知っているのだから、原文の英語の味を(口はばったいが)一語一語胸に納めたい。
2006 12・14 63

* 夜前おそく、アンドレ・モロワの名著『英国史』上下二巻を読了した。本はわたしの書き入れと傍線とで真っ赤になった。以前にも二度読んでいるが、今度はゆっくり時間を掛けた。しかも休みなく興味津々いろいろ納得して読んだから、すっかりイギリスの歴史が好きになった。
英・独・仏・伊。みな中世以来のヨーロッパでは偉大な文化的行跡をのこしてきたが、いま日本国の政治のていたらくを情けなく嘆くばかりの毎日に、英国をストレートに礼讃する気もしないけれど、歴史的に「絶対王政」をゆるさず、王よりも議会がつよく、しかも概して帝国としての安泰をゆるがすことなく、国民の利益や自由をほぼ尊重し優先さえして政治体制をつねにそれに合わせ、バランスよく融通させてきた英知に感嘆する。羨ましい。
明治政府が、ドイツよりもイギリスの政治と制度と歴史を学んで近代日本の道を付けていてくれたらと、つくづく残念に思う。
ローマ法王とも背き、つねに距離をおき、英国独自の「国教」をもちながら、新教徒を育みまた追い出し、世界の植民地と英帝国との政治的な関係もじつに「うまいこと」やってのけて、国運を傾ける大波乱にはついに巻き込まれなかった英国。
わたしは法王・司教らの腐敗した公同大教会も嫌い、絶対王政も嫌い。イギリス人のことはむろんよく知らないが、歴史では英国はすばらしく多くを教えてくれる。
イギリス留学から帰ってきた上尾敬彦君にいろんな話が聴きたくなっている。

* 年内に確実に『人間の運命』も読み上げる。

* 小松英雄さんに頂いた「土左(土佐は流布名)日記」を素材の『古典<再>入門』はいわば「日本語読み」の論攷・論著で、妻がわたしより先に持っていって読み通し、ついでに目崎徳衛先生の『紀貫之』も読み上げたらしい。引き続き、わたしも読む、ただし伝記はもういい、その本もわたしの赤鉛筆書き入れで真っ赤になっている。
楽しみにしているのが、昨日戴いた小田実さんの『終らない旅』真新しい書下ろしの長編小説。短編集や論説本は何冊もらってきたが、長編小説は『玉砕』に次ぐ。京都の河野仁昭さんからは『京都の明治文学』を貰った。この人は着眼のうまい書き手で、題で感心させる。大正も昭和も平成も書ける。
もう一冊、ほほうと声の出た来贈本が桃山晴衣さんの『梁塵秘抄うたの旅』だ。わたしがテレビで中西進さんや馬場あき子さんと「梁塵秘抄」を話し合い、それからラジオ講座で九時間ほども話して「NHKブックス」で『梁塵秘抄 信仰と愛欲の歌』を出版した、その頃だった、まだうら若いほどの桃山さんが家に尋ねてきて、梁塵秘抄を、音楽と歌唱として復元したいという熱心を、元気にしかし謙遜に話して行った。
この本は、あれ以来の桃山晴衣の足取り本なのであろう、すこし落ち着いて読みたい。こうして一途に歩いてきた篤志の人がいる、後白河さんも本望に思われていよう。
2006 12・16 63

* クライヴ・カッスラーの作三種その他を含めて、鳶さんからセルバンテスの『ドン・キホーテ』などを戴く。カッスラーは東工大に通っていた頃愛読した作者の一人で、届いた本は新刊か、みな目新しいのが有り難い。久々にこういうのも読んで鬱散しなさいという御厚意であろう、感謝。
2006 12・20 63

* 『人間の運命』は、いま、戦後の疲弊と学徒達の復員などが書かれている。芹沢光治良という日本人作家の、不思議で或る意味異色・異風のセンスに度々驚かされてもいる。何の躊躇もなく日本の木造家屋でなく、一日も早く西洋風のコンクリートで出来た家に住みたいと、一ミリのブレもなく本気で語っている。一例だが、これに類する好みや意見や思想が平然と自然に出てくる。わたしを驚かす場合も、つよく賛同させる場合もある。論じるに足る、論じやすくも思われる大長編だ。
『千夜一夜物語』は余りにも空想的で、しかしその空想の度はズレテ婬した語り口、破天荒な展開に、十分驚かされる。長編「巨蛇の女王」を読み終えて、次は例の「船乗りシンドバッド」に入る。
2006 12・20 63

* 画家ドガの名高いダンスデッサンなどを、これも優れた詩人ポール・ヴァレリーが美しく語りついで、清水徹さんが訳された本がある。『ドガダンスデッサン』、訳者に頂戴した。
昨日は金澤の「お父さん」画家が述懐の長い手紙を読んで、ほろりとし、また亡くなった石久保豊・白寿媼の遺していた病床日記も読みかけ、わたしの名前も出ていて、ほろりほろりした。
2006 12・21 63

* 秋山駿さんに『私小説という人生』を戴いた。『かくのごとき、死』にまた一つの新たな時代の新たな私小説の芽を読み取られのかも知れない。
花袋の『蒲団』『生』も藤村の『家』『新生』『嵐』も直哉の『和解』『母の死と新しい母』も瀧井孝作の『無限抱擁』「結婚まで」もみな私小説であり、それらを論じた優れた論攷から多くを学び取って文学の道に歩んだ後輩は多い。
しかしそれらの全部に共通して言えるのは、どの作家もどの批評も、例えば「MIXI」のようなメディアを知らず、ケイタイもパソコンも事実上知らなかった。そこに書かれ語られた「私」と、今日インターネットを場にして双方向・多方向のウエブ世界を場とも方便とも用いられる私小説の「私」とでは、よほど性格が変わってくる。或いは少しも変わってなどいないのか。そういう論議が「文学論」として成り立ってくる。『かくのごとき、死』はそれを予見させる一つの「報告書」に仕上げてある。
2006 12・22 63

* 芹沢光治良作『人間の運命』全巻を、夜前、読み遂げた。
わたしは昭和十年に、日本ペンクラブの誕生とほぼ同じ頃に生まれた。作品は戦後のサンフランシスコ講和条約調印の少しあとまで書かれている。やはり私自身が生活してきたこの十数年、うしろの二冊四巻分に、最も心動かされた。ただ最後の巻は収束を急ぐためか筆があらく早くなり、天理教の「教祖様」といった執筆に打ち込んで行く作者に違和感ももった。父の子「森次郎」という主人公には必然の仕事といえるけれど、エクリバン「芹沢光治良」にはどうであったろう。ぞくぞくと戦地から帰ってきた彼を深く敬愛した学生たち、死んでいった学生達は、天理教教祖論から、なにが得られたのであろうか、それを読んでいないわたしには何とも言えないが。
読み終えて、じつに「男」たちを捉え得た作者だと思う。真の父ともなり、真の兄貴ともなった「田部」氏や「黒井」閣下、また最後まで文学を軽蔑した俗な企業人で好色無惨な舅、天理教に尽瘁し心酔した子だくさんの極貧の実父、政治に野心も持ちながら民間信仰にものめりこんで右往左往の兄、パリの優れた友「大塚」など、枚挙にいとま無く「男」たちの影はみごとに濃い。女では、小説を書く夫を一族の恥辱としか考えない妻の「節子」以外は、少し類型的。林芙美子らしき女作家がわずかに皮肉に印象にのこった。
この作家は女への情感がほとんど働かない。よかれあしかれ「男」に向かう。
思想的な分析や、むしろ「好み」「クセ」に類する異色への感想は、慎重に考慮しなければならないだろう、手短かに片づけてしまうことは出来ない。

* これだけの大作を読ませて下さったご遺族のご配慮に、わたしは深く深く感謝する。わたしは、この作を知らぬままに過ごさなくて、ほんとうに良かったと感銘を受けている。この感銘は無類で、弧りそびえ立つ。谷崎や川端や鏡花や、また鴎外、藤村、漱石、志賀直哉らから受けてきた文学の感銘とは、明らかにかなり異質の感銘である。前者の大勢からは文学的な、芹沢さんからは文学者的な感銘を得たのだと、今は仮に書き置くことにする。「エクリバン」をわたしは「作家」というべきでない、「文学者」と呼びかえて至当に思う。
2006 12・23 63

* 一頁大のドレのエッチングと見開きに、長編『ドンキホーテ』の粗筋を詩的にあざやかに抄約した文庫本は、見るからに読むからに精緻に藝術的意図の発揮された一冊で、大判であればさらにみごとであったろうが、文庫本で持ち歩けるのが、繪がすばらしいだけに楽しい有り難い鳶の贈物だった。まずこれを存分に楽しみ、そして原作を読むことにした。

* 高麗屋父娘の往復書簡、「オール読物」の今月は、松たか子が肩の力をぬいて、こころもち甘えるように「幸四郎の娘」であることを父に語りかけている。その演戯力は柔らかにつつましく、この筆者の聡い美点がよく行文に表れている。さすが父娘とも優れた演技者たちで、「具体」のもつ説得力や魅力をよく知り、観念の遊戯には落ちこまない。ツボということばがあるが、ツボを無意識にもおさえられるのは、行文にもおのずと働く演技力なのであろう。
2006 12・24 63

* 「The Riddle-Master of Hed」を少しずつ、己の名も言葉も喪ったモルゴンの旅の速度にあわせるように読み進めている。いまモルゴンはアストリンと二人で旅立った途中、二人の商人に襲われて傷つきながら、かすかに自身の名の隠された存在を身内深く感触している。
辞書をひきながら読むべきだろうが、感興のそがれるのを懼れ(言い訳っぽいが)脇さんの訳本と原作とを重ねて両手にもちながら、楽しんでいる。むろん英文の読みを主にしている。
2005 12・24 63

* 秋山駿さんにもらった『私小説という人生』の冒頭は、田山花袋の『蒲団』で、出だしからたいへんこの作が褒めてある。裏返しにすると、花袋の『蒲団』を藤村の『破戒』と並べ論じて、日本の近代文学の大きなマイナスの線路切り替えを語られた中村光夫さんの『蒲団』評価への「アンチテーゼ」のようであるが、これはもっと先へ読み進めないと軽率に言えない。
とにかく花袋は、一時ないしかなり長い期間、軽蔑にちかい扱われ方をしていたのだが、わたしの評価はちがっていた。なにより初期の『田舎教師』『時はすぎゆく』や晩年の『夜の靴』に感嘆していたし、『蒲団』にも、そうは嗤われていいどころか、或るたまらない佳い感じの巧まざるおかしみもあり、フランス文学やろしあ文学の勉強の仕甲斐が巧みに表されていて、決してバカになんかしてられない作物だと考えていた。だから「ペン電子文藝館」にも、煩をいとわず、私自身の手で全編スキャンし、校正もして、掲載した。いい作品じゃないか、忘れちゃいけないよという気があり、それが秋山さんの感想と呼応していたらしいので、ちょっと嬉しくなった。
2006 12・25 63

* 「MIXI」に『好き嫌い百人一首』を連載し終えた今、小松英雄さんの『古典再入門』を読み進めていて、ちと、立ち止まったところがある。叮嚀に読まなくてはいけないので即断しないけれども、小松さんは、すくなくも徒然草の時代に「法師」と謂うのは、蔑視したクソ坊主ふうの呼び方であり、敬意あるべきは「僧」とか「僧正」のたぐいで呼んだと切論されている。鉾先は多くの学者の理解や、古語辞典にも及んでいる。
すると徒然草の筆者を「兼好法師」と呼ぶのはとんでもない失礼に当たるわけだ。時代がまちまちで兼好よりはみな古いにせよ『小倉百人一首』には、坊主めくりが出来るほど僧籍の作者少なからず、遍昭、行尊、慈円のほかは、例外なく「西行法師」「寂蓮法師」「俊恵法師」など「法師」と呼ばれている。蝉丸は、あれは猿丸大夫とともに埒外の例外的な存在。
で、定家卿にしても子の為家にしても、まさか西行や寂連や俊恵をクソ坊主よばわりするわけがない。小松さんの説が或る「時代を限定」していたものと理解した方がいいのだろう。或る限られた時代にならば、「法師」とあるだけで読者はすでにクソ坊主、不出来な坊主と予見できたはずと小松さんは書かれているのだろう。「時代」とはそういうものでもある。
よく似たことに、「竹取の翁」や『竹取物語』がある。今の我々は竹を取るのをなりわいにする翁とだけ理解してこの呼び名を迎えている、が、書かれた最初の頃には、この呼び名や物語の題を見聞きしただけで、その時代の読者は、そこに竹取ゆえの「賤視」を働かせていたはずと、たしか柳田国男は書いている。柳田の説は当たっていたとわたしはこの『竹取物語』を読んできた。こういう機微は、時代の推移とともに希薄になる。それを重く咎めることはしにくい、機微とはその謂いのつもりである。
* 「ペン電子文藝館」に、文学作品としてはたいした秀作と称賛を惜しまぬまま、ついに「掲載」を委員長判断でとめてしまった明治期、小栗風葉の『寝白粉』という小説がある。わたしのように、その辺の問題に、世情や伝習に、幼来くわしいものには、とてもその露骨な差別描写を自身の手で公開に堪えなかった。だが、おどろいたことに、委員会の委員・会員のかなり多くが、そのなまなしい差別描写を差別描写としては読み取らなかった。もう時代の勢いに吹かれて、幸か不幸か風化していたのである。
ま、それでもわたしは、それを電子文藝館に掲載しなかった、自分で読み自分でスキャンし、自分で繰り返し校正していながら、やはり載せ難いと判定したのである。
2006 12・25 63

* 金澤の松田章一さんから泉鏡花記念館が主催した一般観客による感想文集成『鏡花を観る』が贈られてきた。七月の歌舞伎座、あの鏡花の四戯曲を観ての感想文を選考されたものだ。好企画だ。実のところわたしは、やす香の悲しみがあのとき無かったら、自分で書いてみたかったのが、この四戯曲論であった。
選者のなかの松田さんも田中励儀さんも「湖の本」の久しい読者で、劇作家としても文学研究者としても親しくお付き合いしてきた。読者でも友人でもある。田中さんは大学の後輩でもある。松田さんは私に『私の私』という講演の機会をつくってくれた人である。
で、まだ感想文はほとんど読んでいないけれども、かなり多数の関心が「山吹」に集まっているようで、「山吹」の部だけ別立てになっている。ただ、かなりの数の「佳作」中に、『山吹』を題名に含めた感想は二つしかない。このことに総じてわたしの興味も関心もある。
「夜叉が池」も現代劇であるが、関心が「山吹」に集まっているのは何故だろう。そして深く厳しく舞台を観ているだろうか。一つだけオシマイの所に出ていて読んだ「山吹」感想の一編は、わたしから見ると見当がまるで外れていた。ほかのはどうか。
すでにかなり堅い見方を「私語」しているわたしは、ことが鏡花論である、厳しく興味深く読んでみたい。「海神別荘」論のいいのがあれば、「ペン電子文藝館」に欲しい。
2006 12・29 63

読書録7

* マキリップの『星を帯びし者』の英文を、うまいものに少しずつ箸を付けるようにして、六十数頁読み進んだ。海で襲われて声も記憶もうしないアストリンに救われたモルゴンが、イムリスの宮殿で、自分の額に刻まれたと同じ三つの星の輝いている古代の竪琴に出逢い、誰の手でも音を発しなかった琴の音をひびかせる。そしてヘドの領主モルゴンであると記憶をとりもどす。畏怖の念にだれもが静まりかえっている。一つの関所をモルゴンはくぐり抜けた。彼の旅は、悠久の時の奧へ険しくも感動的に進んでゆくだろう。

* 英語本も、脇明子さんの訳文庫本も、字がちいさい。わたしはヘッドルーペの御厄介になって読んでいる。
2007 1・2 64

* 室内のまぢかに、大きな鉢のシクラメンが純白に群れ咲いて、緑の葉むらが豪奢なスカートに見える。むかしまぢかい大泉に暮らしておられ、仲良しだった井上温子さんがとうに引っ越していった関西から贈って下さった。やす香への弔意ともわたしへの慰めとも。
雨も風も、通りすぎたか。もう階下へ行く。寝床で、小松英雄、小田実、清水徹、秋山駿氏らの単行本と、世界史、セルバンテス、千夜一夜、旧約聖書、そしてツヴァイクの『メリー・スチュアート』を併行して読み進んでいる。おまけにカッスラーも。混乱はしない。
2007 1・7 64

* 冷えた朝。

* 『太平記』の音読は楽しい。いま後醍醐先帝が配所の隠岐を脱出しようとしている。楠正成の赤坂・千早での敢闘、大塔宮の潜狩なども、少年の昔の記憶を丹念に辿るふうで、なつかしい。黙読では太平記全巻を読み通せるかどうかやや覚束ないが、音読だと惹きよせられる。
ツヴァイク一大の力作『メリー・スチュアート』が、あたりまえだが、面白くなって行く一方。『旧約聖書』は「サムエル後書」に入った。小田実さんの長編小説『終わらない旅』がグイと走り出そうとしている。いまのところカッスラーの読み物よりも小田作品が惹きつける。
妻は高橋茅香子さんの訳本に夢中。
2007 1・9 64

芝居がはねて、タクシーで日比谷のホテルへ。クラブで例の、今夜はブランデーに終始。妻は、グレープジュースを立て続け二杯。これが卓効の疲れやすめになる。美味いサーモンをいつものように切って貰い、またシーフードのマリネも。ほっこりして、帰路に。歌舞伎座を出たときは寒かった。帝国ホテルを出たときは温まっていた。車中、妻は安息し、わたしはカッスラーの『オケアノスの野望を砕け』をほぼ読了。
2007 1・11 64

* 紀田順一郎さんからメールを貰った中に、「中公版『日本の歴史』についてのお言葉があります。私もあのシリーズは通史もののベストで、以後の類似企画には陰りが生じてきたと思っておりました。わが意を得たという思いです」とあり、嬉しかった。学問的にも最悪の水準とペンの理事会の席で発言した学者があり、呆れて顔を見返したことがある。何を考えているのだろうと思った。一万四千頁、読んでの言とは思えなかった。わたしは全巻を読んでいる。今となっては望みうる最良の志で一貫されていると、わたしは、ことに幕末から現代までの八、九巻の熟読を、若い人達にこころから奨めたい。
2007 1・12 64

* 九大の今西祐一郎教授が『和歌職原抄』を下さる。有り難いことに、『神皇正統記』で名高い南朝の忠臣北畠親房の原著『職原抄』版本も付されてある。
聖徳太子の官位十二階制定このかた、日本の官僚社会は、ガチガチに位階官職の世間である。「官職相当」の位階にかかわる知識は、その世間に生きる人達には米の飯ほど必須であった。『職原抄』はその簡要の専門解説書であるが、さらに要領・要点を、百六十五の「和歌仕立て」に覚えやすくしたのが『和歌職原抄』。分かりよく謂えば、官職上の「位取り」を慣習的にまちがえず心得させるのに、和歌の体を手引きに利用する。
公家にとどまらず僧綱、武家その他に及んでいて、古典を読むのにとても便利に使える。「官職位階は昔から色恋にも劣らぬ人間の関心事であった」とある「解説」第一行が、多くを言い尽くしている。「位こそなほめでたきものはあれ」とは清少納言のウソ偽り無い実感であった。『源氏物語』をはじめ登場人物が実名であらわれることは、ほとんどない。光君、薫大将のような綽名か、頭の中将や大将の君というふうに、衛門督や左大臣や頭中将というふうに、官職や位階で呼ばれていて、その「昇進」が、物語の年立てに重要に関わってくる。「官職の事は先づ彼職原抄を学知よりよろしきはなきとぞ。しかれども職原抄ひとりよみがたし。唯これをこゝろえんとならば先此和歌職原を暗(そらん) ずるにあるのみ」と序にある。
右大臣 相当りたる 位をば 従二位とこそ いふべかりけれ
左大臣に あたるくらゐは 正二位ぞ 近代はまた 従一位も有
といった感じに、和歌仕立ては各般に微細に及んでいる。およそ「今日」には金輪際役立たないようなものだが、さにあらず、今日でも、総理は総理、外務大臣は外務大臣で足り、官庁や企業でも、局長、専務等だけで通用している世間はある。ま、とにかくも古典世界の逍遙にはよい手引きであって、「和歌」仕立てを便宜に用いている。さまがわりの「和歌徳」ものとも謂え、茶の湯の『利休百首』なども、この類。
今西教授のご厚意で多彩にこういう基本書を頂戴し続けてきた。ありがたいこと。
2007 1・13 64

* いまツヴァイクの『メリー・スチュアート』に、興奮状態。旧約と千夜一夜と世界史も、相変わらず惹きつける。ドレの画の『ドン・キホーテ』も楽しんでいる。
いまわたしを新たに誘惑しているのは、なんとホメロスの『オデュッセイ』で、とうとう本気で挑戦してみたくなっている。どうも、訳の日本語に馴染めず学生の頃から何度も投げ出してきたが、ヘンなはなし、カッスラーの読みもの『オデュッセイの脅威を砕け』を読んでいる内に気を催してきた。たわいない。ホメロスを読めてないのが、久しい読書歴の中で欠けた醜い疵のように思えていた。『ファウスト』もあんなに愛読したのだし、ホメロスもそろそろ「退治」してやらねば。
2007 1・15 64

* ほっこりと疲れている。疲れながら、こまごまとした、しかししなくては事の前に進まない仕事を、あれをやりこれをやりまたそれをやって、一日が経った。仕事とはそういうもの。そんな間にマキリップの英語を読み、湯舟でカッスラーを読み。
極端にSPAMが増え、まともなのの五、六十倍。イヤになる。ホームページや「MIXI」の更新に影響が出ない手順が分かれば、いよいよメルアドを替えてしまおうかな。しかし年鑑類など、ずいぶん沢山な変更通知が必要になり、それが煩わしい。
2007 1・15 64

☆ オデュッセイの本はお手元にありますか? なければ送りますが、如何? こちらのは筑摩の世界文学全集の1、昭和45年版 高津春繁訳です。  鳶

* たぶん在ったはずと。書庫を探します。なかったら、頼みます。
カッスラーの、ダーク・ピット版がべらぼうに面白くて、読み進むのを惜しんでいるくらいです。『オデュッセイ』をぜったい読みたいという気にもさせましたから、読書の功徳、どこへ転じるかしれません。
ドレのドン・キホーテ画も楽しんでいます、が、ツヴァイクの『メリー・スチュアート』を始めから読み直していて、これにぜんぶ持って行かれそうです。フランスの女王が夫王に死なれ、ただのスコットランド女王に戻りましたが、彼女の紋章にはイングランド女王である主張も描かれていますとか。これからつづく、イングランドのエリザベス女王とのながいながい暗闘。
世界史の読みは、いまその辺をもう通り過ぎ、英国の短かった絶対王政が、議会とジェントルマンたちにより潰されて行くところです。英国史ほど、立憲天皇制民主主義国日本の学び甲斐のある歴史はないでしょうに。なにをやっているのでしょう、われらの「日本」は。
民主党の三人男が、嵐の船の上で演じてみせる「生活維新」とやらいう愚劣な芝居を観ましたか。情けない。
あれで何か訴求力があると信じ、演じているのですかねえ、あんなヘタクソな茶番を。そもそも「維新」などという文字も意義も死語にひとしい。「野党全共闘」をでも敢行しない限りとうてい勝てない与党との戦を前に、具体的な政策と政略、高度の説得がなければならぬ、今。あれでは皮肉なことに高度の利敵茶番にすぎません。
脱線しました。
お元気で。 鴉
2007 1・16 64

* 昨夜は少しく寝そびれて、夜中にも灯をつけて本を読んだ。寝る前に読んだどの本にも心惹かれてついつい量が進んで興奮したらしい。そんなに何冊も何冊も同時に読んでこんがらからないかと案じてもらうけれど、全然そんなことない。
只今は、就寝前にキッチンでバグワン『存在の詩』と『太平記』とを音読し、床に就いてから、順不同で、旧約聖書の「サムエル後書」、千夜一夜物語の「船乗りシンドバットの冒険」、ツヴァイクの『メリー・スチュアート』、世界の歴史の「ピューリタン革命」、ドレ画の『ドン・キホーテ』、小松英雄の『古典再入門』、秋山駿の『私小説という文藝』、小田実の『終らない旅』そしてカッスラーの『オデッセイの脅威を砕け』を順繰りにみな読んで行く。興が乗ってくると一冊を読み続けてしまうので、全体に時間が長引く、と、寝そびれる。
きのうは一通り読んだ後にまたツヴァイクとカッスラーとを読み出した。
『メリー・スチュアート』は文庫本のカッスラーよりも活字が小さい、が、訳の日本語がいいので先へ先へ読みたくなる。ついでにシェイクスピアの英国歴史物を全部読んでみたくなる。横で妻の読んでいる高橋茅香子さんの翻訳小説も、面白そうで気になる。

* 今朝も、わたしを「鬱寄り」ではないかと心配してくれるメールが来ていたが、自分ではちょっとちがう気がしている。外へ外へ、もっともっとと動いて行かないのは、怠け者めくけれども、心の虚、壱、そして静というありようからすれば、あくせくするよりよほど安楽で、リラックスできていて、だからほぼ無心にいろんな本の世界にこころもち静かに溶け込めているのではあるまいか。
2007 1・19 64

* 六時半頃めざめて、そのまま寝床の中で『メリー・スチュアート』『旧約聖書』『終らない旅』『古典再入門』『私小説という文学』を読んでいた。どれもみな頗る興深くまた面白い。一つだけ、挙げておく。
をとこもすなる日記といふものををんなもしてみむとてするなり
よくよく知られた土佐日記の書き出しで、誰が読んでも名文ではない、印象のよくない悪文に読める。そして国語の先生方はこぞって、男の書く日記を女も書いてみようとするのです、などと翻訳して教えてくれる。
小松英雄さんは、氏の鼓吹し主張される、そしてあまりに当然な和文の複線構造理解から、そんなばかげた理解はない、端的に、「男文字で書く日記を女文字で書いてみよう」という紀貫之のまえがきだと読まれる。ひらがなという女文字は土佐日記の金看板。その「をんなもし」を和文の複線構造としてきっちり明瞭に隠していて、そのまえの「をとこもす」が音声的に「男文字」を示唆しているのは明らかであり、作者がやや悪文の謗りを覚悟して、和歌の神様らしいセンスで「をんなもし」「をとこもす(し)」そして日記との関連を表明したんだと云われると、目から鱗を落とした気がする。それならこのまえがきの意義がきっちり立つからだ。本文がいっこう女の筆付きと読めない理由も氷解する。作者が女に化けて書いた日記ではなく、漢字漢文で書く日記を女文字つまりかな文字で書こうと思うと和文の含蓄力に寄せて表明したと。
明快である。そして明解だと思う。
他の作からも紹介したいと思うが、またに譲る。
2007 1・21 64

* 行き帰りにはクライブ・カッスラーの『オデッセイの脅威を砕け』を読んで。このダーク・ピット主役の一冊がめっぽう面白い。ホメロスの『オデッセイ』を是非読みたいと思わせた上に、なんと、あのシュリーマンのトロイ遺跡大発見にたいする、詳細で具体的な反論が、ケルト族文明・文化のグローバルな移動と伝播の説得とともに、二の句もつげない迫力で展開されるのだから、いやもう、とことん興奮させる。まだ読み終わらない。明日の「ペン電子文藝館」委員会へももちあるいて楽しめる。
2007 1・21 64

* 「オール読物」今月の高麗屋父と娘往復書簡は父幸四郎の番。はずれず、はずさず、娘松たか子のよびかけに真っ直ぐ向き合っているのに感心する。意を迎えた何もなく、情愛あって溺れるところはすこしもない。歌舞伎役者の子への「いじめ」回想なども含みながら、その克服過程の回顧が、巧みに娘への話題に斡旋されている。同じ俳優という日常がしっかり出来ている中で、父も娘もお互いに、まっすぐ自分の仕事に精進している姿勢を見合っていて、それをことさら日ごろ口にしあうことなくても、自然とお互いを励まし合っている。父は娘を想っているし、娘は父を敬愛している。高麗屋の親子には、ときにせつないほど、求道という弦が鳴っている。父も娘も藝の戦士である。
もう一つ別のところで、娘松たか子が父幸四郎について一文書いている。それもよかった。
たかぶらない、強いて抑制もしていない、いかにも静かに聡明に父の見るべきを見、父に感じるべきを感じながら自省の実情を措辞に浸透させている。優等生ぶっていない。真っ正直だ。この若い女優、とても精神が柔らかに、聡明なんだと思う。贔屓目でなく文才にも感心する。ものを感じ取るレンズが、きれいに開いている。蜷川演出のジャンヌ・ダルク「ひばり」が、ますます楽しみだ。
2007 1・21 64

* 委員会はふつうに終えてきた。
話し合ってなにかしらコトが決まった風なときは、それを実施し実現して行く「ツメ」が必要になる。ただ話し合って、いろいろ議論があり、それはいいとか、そうしたらいいですねとか。それがそこまで止まりでそのまま流れ去っては、話のための話にしかならない。会議は、何かしら事業を前進させて行く、そのために話し合ったことは実施して行くためにありたい。顔を合わせて話し合うのが楽しかっただけの社交会議で終わらないようにしたい。

* 帰りに、鍋で、浦霞と萬歳楽とを二合ずつのんできた。クライヴ・カッスラーをほぼ読み終え、保谷駅で食パンと餡パンを買って帰った。

* なぜ、こうねむいのか。
2007 1・22 64

* 『和歌職原抄』を戴いた九大今西教授のご叮嚀なご挨拶、痛み入る。

☆ この度は、ご挨拶抜きで拙著をおおくりするという無礼にもかかわらず、「文学と生活」上において、身に余るご紹介をいただき、ありがたく、またうれしく存じました。心より御礼申し上げます。
編者の意図を十二分にお酌み取り下さり、さらに一般的にわかりやすく敷衍していただき、編者冥利に尽きます。
実は、私、自宅ではいまだにインターネットに加入しておりませんので、今回のお言葉も、東京大学の長島弘明さんから教えてもらったという次第です。
三月には『蜻蛉日記』についてのこれまでの文章をまとめて出版する予定です。(以下は相次ぐ研究上のお話ゆえ、秘匿したい。秦 )また、偶然、古書店で宣長の『古今和歌集遠鏡』の稿本に遭遇し、それが筑摩版全集などに所収の版本とかなり相違していることがわかりました。すでに、九州大学附属図書館のホーム・ページ上で、版本とともに画像データベースで公開しております。何かの折りにご覧いただければ幸甚に存じます。
意を尽くしませんが、日頃の失礼をお詫びかたがた、御礼まで一言申し上げます。  敬具

* 篤実で精緻な学術成果が、わたしのような野次馬なみの門外漢にもどんなに「おもしろい」かを、いつも教えてもらい感謝している。長島教授は近世文学の優れた研究者。まだ東大の学部生だったころからの久しいお付き合いに助けられている。助けて貰いながら、しっかり怠けている秦さんを、こうして暗に鞭撻して下さる。痛み入るというのは、ただのごアイサツではない。お詫びである。
2007 1・24 64

* ドレ画の「ドン・キホーテ」を読み終えたので、大作の本編に入った。地ならしが出来ているので、面白く読める。
また新しく、ル・グゥインの河出版の新作小説も読み始めた。
一昨夜、昨夜と、夜更けまで橋本博英画伯の全作品画集をじっくり拝見した。瀧氏の一代記と批評とも全部読んだ。しっかり身にしみて画伯の全容を抱きしめた心地がする。

* ねむくてガマンできない。
2007 1・25 64

* ダビデがエホバの怒りもあえてして人妻のマテシバと寝、二人の仲の最初の子をうしなう。だが、のちに、ソロモンを儲けている。旧約聖書が「サムエル後書」なかば、活況を見せている。

* 優れた女性が激突した史実は、数多くない。
我が国では清少納言と紫式部とが並び立ったとははいえ、面と向かい合ったわけではない。少納言が退職した後へ紫式部が就職してきたような時列であり、一方的に紫式部が娘の大貳三位あいてに猛烈なかげぐちを叩いただけで、まともに激突という場面は無かった。紫式部の夫になった男を、清少納言がちょっとしたことでおちょくった事があって、紫式部は面白くなかったのだろう。
この二人にも、珍しく共通の好みを示したことがある。二人とも「梨」の花を好んだが、梨の花は寂しくて映えないと、同時代はあまり評価していなかった。紫清大輪の二名花、個性強烈なこの二人ともが、寂しく白い梨の花を佳いと眺めていた。わたしには、これが懐かしい。

* 海外でも、よほど優れた女性二人が歴史的に激突した例となると、ざらには見つからない。
何と言っても最大・最強の一例が、イングランドのエリザベス女王とスコットランドのメリー女王の命を賭した衝突だった。
メリー・スチュアートは生まれて直ぐ、もうスコットランドの女王であり、やがてフランスの王太子妃となりフランスの女王にもなった。メリーはその紋章に、自分はイングランドの正当な王位継承権ももった者だとデザインし、それがエリザベスとの確執の原因をなしていた。
エリザベスの方はいわゆる庶子身分から王位をうけついでいて、その地位確保の危うさはなみたいていでなかったが、しかも英国史上もっとも安定した王朝の繁栄、王権の安定、国民や議会の協調を実現した女王だった。
あらゆる歴史のドラマのなかでも、この二人の運命的な角逐は華麗で残酷ですさまじかった。伝記を書かせれば他の追随をゆるさないツヴァィクの『メリー・スチュ
アート』はとりわけ目をみはる力作で、最高級の文学的・藝術的成果である。二人の天才的な女王がゆくはてのカタストロフは、凄惨でもあり強烈なものがある。ツヴァイクの『マリー・アントワネット』も面白いが、歴史的・文学的な意義からは『メリー・スチュアート』とは雲泥の差であろうか。
2007 1・26 64

* 一昨日にトラヴルが起き、落胆のままたくさん本を読んで、さて寝付けなかったので、起きて原稿用紙に手書きで「私語」しはじめた。五枚書いてから、二階へあがり未練な試行錯誤をつづけたが成果なく、寝床に戻って、『イルスの竪琴』をまた英語で読み続けた。
寝入ったころで宅配に起こされた。栃木から苺を頂戴した。そのまま起きてしまうには疲労があり、気が付くと午後になっていた。
2007 1・29 64

* ヘドのモルゴンは HIGH ONE に仕える不思議の竪琴弾きと二人で、果て知れぬエーレンスター山の奥へ、命の危険を冒して新たに旅に出た。この旅は「長い」とわたしは知っている。英語を読み日本語訳を読みまた英語を読んで、次へ次へゆっくり進んでいる。モルゴンがよく分かってくる。パトリシア・マキリップの構想力の破綻の無さに感嘆。
2007 1・30 64

* 二月になった。例の「寝る前読書」に惹き込まれ、目がさえて、また灯をつけマキリップ作の英語『イルスの竪琴』、小松英雄さんの「土左日記」論、そしてツヴァィクの『メリー・スチュアート』を、耽読。気がついたら七時前。起きて血糖値をはかる。97。

* 目のさえた理由に、書きたい小説のことがあった。世に問いたい、称賛が得たいというのではない。だれにでもない、建日子に、父が老境の小説作品を遺したくなってきた。それだけだ、だが深夜それが強い熱い衝迫になり、健康なうちにという思いに身をひきしめた。床から高くさしあげた両の腕に電灯が照って、このごろ気づいて気にしていた痩せと弛みと無数の小じわ。しみじみとしてしまった。
「きれいな手をしてますねえ」と、昔、あれは伊豆の飲み屋で、店の女だったか隣客だったかにほめられ、自覚のなかったことを意識させられた思い出がある。会社あげて慰安の旅の宴会から逃げ出し、湯の町の小店でひとり飲んでいたときだ。
その手が、二の腕が、すっかり痩せ衰えている。そのようにわたし自身がやせ衰えてきているのに相違なく、そのまま衰え過ぎてはのちのち建日子を励ましてやることが出来まい、それでは可哀想だ。
夜中しきりにそんなことを想っているうち、少し苦しくなり、灯をつけて読書へのがれたと言えば言える。

* しかし本のどれもかも面白くて、手離せなかった。
キッチンで寝る前いつも音読してくるバグワンと『太平記」は別格。いま枕元へ置いて、みな少しずつ併読している本が、ちょうど十冊。
旧約のダビデをじっと黙視している。ミケランジェロの彫刻が頭に刷り込まれてある王ダビデの登場から、旧約聖書がまた劇的に活動し、ついつい先へ読んでゆく。わたしの新約・旧約一冊本の『聖書』は文語訳で、必ずしも納得しやすい訳文でも組版でもなく、とても疲れるが、それでも勢いがついている。
旧約は、しばしば戦闘と殺戮の反復であり、イスラエルまたユダヤの、神エホバに先導された征服・聖戦の連続には、今日のイスラエル国にいたる膨大な時間差を忘れてしまうほど、実事性濃厚、驚かされる。ダビデという青年王、かなり陰翳ある登場の仕方で、気になる人物だ。
何度も言うているが、旧約に比して『千夜一夜物語』は、途拍子もなく「気のいい」物語。いま「船乗りシンドバッド」の五回目か六回目の旅を読んでいる。もはや呆れもしないで楽しんでいる。
『メリー・スチュアート』は、著者ツヴァイクの颯爽としてかつ重厚な包丁さばきを喜んでいる。みごと日本語にしてくれている訳者古見日嘉にも感謝。翻訳の巧拙は、海外文学の摂取に大きくものを言う。
同じ事が、『ドン・キホーテ』にも言える。セルバンテスの大冊が、何の呻吟もなくすいすいと面白く読め、思わず頬をゆるめている。まず間違いなく、この大作も読んでしまうだろう、なによりドン・キホーテが好きになってしまっている。「ラ・マンチャの男」を舞台でおもしろく見せてくれた松本幸四郎たちにも感謝しなくてはなるまい。が、もともと、わたしは、何度も接しているハムレットより、噂なみにしか親しまなかったドン・キホーテにこそほろ苦き好意を寄せてきた。ドレの版画本にも巧みに誘導され、ドン・キホーテを読み進める下地ができていた。ツヴァィク、セルバンテス、それにドレもを贈ってくれた「鳶」に感謝します。
小松さんの『古典再入門』に調子がでてきた。著作がスロースタートだというのではない。私の内側で対応して、ひとりでに動き始めた個人的な「関心」があるのだ。うん、いいぞこれはという感触で、わたしは今、刺激されている。うまく襟髪を掴んで振り落とされないまま自分の意図に旨くつなげたい。
近代のヨーロッパ史では、オランダやイギリスの面白さからすると、ルイ十四世の絶対王政の叙述は、つまらない。いわゆる王さんとたち貴婦人と策士の「宮廷」は不快で、つまらない。議会や国民の歴史の方がはるかに興味深い。

* もう一冊ぜひ取り上げておきたいのが、ル・グゥインの新作、『なつかしく謎めいて』で、まだ三話ほどを読んだだけだが、作りも中身も新鮮。「次元間移動」という「旅」で訪れる先々の国の住民・住人たちと地球人である語り手の接触・関係・観察・批評が読めるという作りだ。「新・ガリバー物語」のような進行自体は『オデッセイ』このかた前例がいろいろあるにしても、ル・グゥインの「訪問先」は、さすが特色豊かな「国」や「都市」や「住民」の個性を呈していて、読んでいる眼がピリピリ刺激される。よほど本気で接しないと、次元と次元の間へ振り落とされてしまう。
2007 2・1 65

* 昨日から今日へかけていちばん気がかりだったのは、一日で視力が異様に落ちたこと。機械が新しく、つまり眩しい。どの眼鏡をかけても字が霞んだ。
それで就寝前の読書を、バグワンと太平記はべつにして、寝床では今夜は一冊だけときめ、迷わずマキリップにした。この小説はなぜかたまらなく私を魅する。
このさながらの神話は、現実の地球世界でない別世界を書いている。HIGH ONE の王国がいくつかの領主領に分かれていて、ヘドはその一つのちいさな島国。宮廷もない農業世界。領主のモルゴンも弟のエリアードも妹のトリスタンも、ふつうの農家族を事実出ないのだが、近い過去にこのきょうだいは両親を一時に喪っている。モルゴンが、ケイスナルドの魔術の学園に「不思議」を学びに行っていた間の海上での不幸だった。モルゴンは父の領主権を受け継いだ。
彼モルゴンの額には不思議な三つの☆が刻まれている。彼は生まれながらに、王国のいまなお解かれていない神秘を、自らのその額の☆に「謎」として享けているのである。
物語は、たまたまモルゴンが手に入れた美しい竪琴にいや増しに不思議を奏でられながら、壮大に悠遠に緻密に織り上げられてゆく。物語そのものが神秘をはらんだ波瀾の旅路としてある。安穏ではない必然の行方に、彼は危険も身いっぱいに浴びながら誘われ続ける。森林や砂漠や沼地やいくつもの宮廷とともに、おそるべき命の危険を旅ははらんで、額の☆三つ、竪琴の☆三つの不思議をともない、ひたすら続く。わたしは、まだ始まってまもない、すでに再び三度の身の危険に遭ったモルゴンと旅をともにしているのだが、道連れにも事欠かない。いまはHIGH ONEに仕える竪琴弾きのデスや、女領主モルゴルの娘で近衛兵をひきいる美少女ライラがいる。ヘドのモルゴンの旅路の至りつく先には、運命に約束された未来の妻レーデルルも待っているであろう。
こういう長編の何がおもしろいかと嗤う人もあろう、劇画の原作本みたいだと。その実はそうなのかそうでないかも知らないが、わたしにはわたしの「読み」がある。もう何度も渇きをいやすために読み返し、こんど初めて原作の英語で読んでいるのだが、日本語訳で読み急ぐよりも、いわば「一語一会」の精微なおもしろさに、つい心を牽かれて、昨夜もその一冊と限り寝る前の一時間半を読みふけっていた。夜中に起きてまた続きを読んでいた。
身内の深いところでともすれば騒ぐモノを、わたしは、そうして静めていた。そして七時前には起きて朝の仕事をはじめた。
2007 2・3 65

* 原本の電子化原稿を校閲しながら、合間に、岡下香という死刑囚の獄中歌集『終わりの始まり』を読んでいた。口語短歌「未来山脈」の編集発行人光本恵子さんから送られてきた。この人との縁で作歌に入ったらしく、口語での非定型であることも作者の実意・実情を吐露しやすくしたであろう。
友達と鬼ごっこして遊んだと綴る十才の孫の文字が 時々かくれんぼ   岡下 香

* もう明日になった。眼も乾いている。
2007 2・5 65

* この数日、誘惑に負けて『メリー・スチュワート』についつい読みふけってしまう。こんなにワクワクと胸ぐらを掴まれる面白い読書には、抵抗できない。
彼女には外に敵はいない。語弊あって、それは事実とははなはだ異なる物言いながら、メリー・スチュアートの敵は「彼女自身」なのだ。その知能、その美貌、その運命、その激情と感性。彼女は自身と闘い、歩一歩、自身の可能性のすべてによって打ち負かされて行く。
生まれながらにスコットランドの女王だった。スチュアート家の、あのエリザベスに格段に勝る王家の正嫡だった。フランスの女王ともなり、イングランドの王位継承権を暗に主張してエリザベスの心肝を動揺させもした。二人のうわべは姉妹よりも親しく、下には仇敵を憎む女と女の敵愾心。
イングランド女王エリザベスには、夫フランス国王に死なれてスコットランド女王として故国に帰ってきたメリーが、フランスやスペインからの求婚を受け入れられては困るのだった。国家的な脅威だった。エリザベスはメリーの縁談に執拗に異議と妨害を試みつつ、ついには同じスチュアート家の王筋の貴族を夫にと従妹のスコットランド女王に奨める。あげく、まさか推薦はして来まい、推薦してもまさか受け入れまいと、駆け引きの候補者ヘンリ・ダーンリというエリザベスお手つきのお古青年がのこのことスコットランドへ求婚に出向く。格式だけは上等、人間は「蝋の心臓」のバカモノ貴族。
ところがメリー・スチュアートは、一目でこのイカモノを夫に引き受けてしまい、エリザベスは嘲弄されたかのように激怒する。この夫婦に子が、まして男子が出来れば即座に英国王の継承権をもって他でもないエリザベスの地位を覗うことになる。だが、厚顔にもダーンリを夫にとメリーに奨めたのは、イングランド女王自身なのであった。
ところがまたこのヘンリ・ダーンリは、たちまちメリー女王の倦厭の的となり、しかも二人の間には王子が生まれる。夫も子もないエリザベスのあとを襲いイングランド国王を約束されるのは、この王子だ、いつか歴史はそれを実現してしまう。だが、そこへ達するのはまだはるか後年のこと。夫ダーンリを徹底的に嫌い抜くメリーの宮廷は、宗教がらみにも、貴族の特権がらみにも、女王メリーの性格絡みにも、ほとんど七転八倒の波瀾がつづいて行く。
その修羅の乱麻を快刀でさばくように著者ツヴァィクの論策と筆致は、みごともみごと、読者をさも唖然とさせながらドンドン前進してゆくのだから、二頁三頁ずつ読んでいてはとても満足できない。眼鏡の上から頭にルーペの鉢巻きをして真夜中まで読みふけってしまう。つい夜も明け方になりにけり、それからまだもう少しわたしは他の本も読む。中に、必ずマキリップの英語本が加わり、『ドン・キホーテ』も千夜一夜も旧約も加わったりするから、わたしは殆ど夜中の睡眠をとっていない。有り難いことに、読んでいる間のわたしは静穏で、平和で、思い乱れることがない。

* 浄瑠璃の原作を読み返して行くと、先日の「仮名手本忠臣蔵」のどこをどう割愛して時間の調整をしていたかがよく分かり、面白さを「足し算」してくれる。加古川本蔵の娘小浪と大星由良之助の息子力弥とが許嫁にであること、塩冶判官の刃傷を抱き留めて憤懣を遂げさせなかったこと、それが障りになり両家の縁組みは不可能化しているのを、「道行旅路の花嫁」で母と娘とは山科の大星家へ押しかけの強談判に出向いて行くのが「山科閑居」。この部分を省いての「通し」興行であったのはすぐ分かっていたが、ほかに「お軽勘平」の粗忽な逢い引きなどの発端部分を、すべて清元の「道行」におっかぶせて省いていた。これはほぼ、常套。
浄瑠璃とは、という講義を今朝も起き抜けに全集の巻頭で読みふけって、おもしろく頭の中を整理してもらった。
2007 2・9 65

* 湖心に島があり堅固に孤立した城がある。女王はそこへ監禁されてしまう。
寵臣を、目の前で貴族たちに惨殺された女王メリーは、首謀者であった夫王ヘンリ・ダーンリを徹底的に厭悪し、自分を犯した情夫で実権者であるボスウェルと共謀のうえ、派手に爆殺してしまう。ボスウェルと結婚し彼に「王」の称号を与えたいが為に。すでにボスウェルの子をメリーは宿している。
誰の目にも、スコットランド国民にも各国の宮廷でも、「王」にして夫であるヘンリ・ダーンリを殺害したのが「女王」と情夫ボスウェルだとハッキリ映っていて、どんな小細工の弁明ももう通用しない。そして女王は屈服し、ボスウェルは勝算のない戦陣から逃亡する。無事に逃亡させるというのが女王が貴族たちの前に、国民の前に屈服する取引条件だった。

* ツヴァイクははっきり指摘している、シェイクスピアの、ことに「マクベス」また「ハムレット」にいかにメリー・スチュアートの行跡が濃厚に映写されているかを。頷かざるを得ない。
一巻の評伝の三分の二にまで近づいて、しかし、もう、メリーの未来は気の遠くなるほど永い監禁の歳月と無惨な末路でしかない、が、そこでこそなお彼女の「人間」がのたうちまわって「個性」を発揮するであろう。
わたしは新潮文庫二冊本の上巻だけを古書でもち、「廃位」の前まで読んでいた。下巻が手に入らぬまま歳月を無にした。こんなとき「鳶」は、いつも親切にわたしの読書欲に助力の手をさしのべてくれる。贈られてきた一冊本の訳が佳かった。八ポという小さい字の大冊だが、ヘッドルーペに助けられて昨夜も、籤とらずに、しっかり二章分読んだ。

* それから、佐日記を主材の『古典再入門』、世界史の「プロシャ」兵隊王フリードリヒと哲人王フリードリヒとの、がむしゃらな先軍主義の展開、『ドン・キホーテ』、旧約のダビデ王を読んで、おしまいに、とっておきの英語版『イルスの竪琴』を楽しんだ。
灯を消したのは四時半。暗闇に眼をあいたまま自分の創作の「その先」へ本気で踏み込むタイミングを思案しながら寝入ったようだ。スキーのジャンプと同じだ、踏切のタイミングを急いでも遅れても危ない。しかも見切り発車するしかないのが、「書き出す」ということ。
2007 2・13 65

* 二階で、林晃平さんの大作『浦島伝説の研究』を読み始めた。「序章」が明瞭な認識で、動揺がない。教えられた。
大部四十数巻の『参考源平盛衰記』もまた二階で調べ始めた。
2007 2・14 65

* 読み始めた『浦島伝説の研究』があまりに面白く、少し興奮状態。それと『メリー・スチュアート』の言語道断な苦境。まんまとエリザベスの網に落ちた猛禽。
2007 2・16 65

* 松屋のなかであったから、上の食堂街で「つる家」の和食。医者に叱られると、これで最後にするかとすこし贅沢にうまい昼飯を食うことにしている。上撰白鶴を、一合、少し控えた。
昨日から林氏の『浦島伝説の研究』に魅了され、ペンを片手にどんどん読み進んでいる。評論ではない全くの研究書だが、周到で緻密、しかも論旨の運びは明快で、「正しくて面白い」のが研究論文の最良のものというわたしの思いこみに、ぴたっと嵌っている。倦かせないのだから、すばらしい。
日本書紀、万葉集から今日まで「浦島子」ないし「浦島太郎」のことを知らぬ日本人は少ない、それほどポピュラーでなおかつ抱え持った内懐の深いことも希有な文化的複合であり、源氏物語や平家物語の広大な深遠な読みにも関わってくる。
2007 2・16 65

* ツヴァィクの『メリー・スチュアート』が、終幕にちかづいている。
運命の底知れぬ仇敵。従姉妹同士で、手紙では「お姉様」「愛する妹」と呼び合っているエリザベスとメリーとの、身の毛よだつ死闘。一人はイングランドの王座にあり、一人はスコットランド女王でありながらイングランドに捕獲された、幽囚の身。
凄絶な闘いが、かくも不平等な境遇において実に二十年ちかくも継続し、それこそは二人の「女と女」の、「性格と性格と」の死闘と謂うしかない。
渦巻く嵐の吸引力は文字通りもの凄くて、診察室で医者に命の危険を威嚇されていても、食べ物の店で懐石やまた鰻を食って飲んでいても、電車の中でも仕事部屋にいても、どうしようもない女の血闘、ことに困った困ったメリー・スチュアートの不屈の「女性」が、いやいやエリザベスの蛇のようにからみつく嫉妬と憎しみと怖れもが、数百年後の東洋粟散の辺土の一読者わたしを、緊縛して放さない。
ことは、全てと謂えるほどメリー・スチュアートの運命と性格に負うている。気の毒といえば気の毒な面もあるが、自業自得で落ち込んで行く敢為と自尊の人生。生まれながらに「女王」であったメリーは、無惨なイングランドの「ギロチン」に怖れるより「女王」としてでなく死ぬことの方を怖れる。凄い抱き柱だ。囚われのメリー女王が、地位も王国も伴侶も恋人も一切の名誉も、敵味方となく股肱の貴族たちも、我が子も失い尽くして、なお最後の最後に、無惨なまで酷薄に、最高に礼儀にかなった口調と言辞とで、憎きエリザベス女王の最も負い目とした「女」の不毛を、底の底まで告発して完膚無き書簡は、およそこの世で人の手で書かれた「手紙」の、最も凄まじきモノであった。

* 暗鬱。それだ、今のわたしは。しかもこんなに興味深く面白い読書はザラには無い。多年執着して読みたかった。わたしは満たされてもいる。
2007 2・18 65

* 何となくガッカリしたまま、機械から離れたのが、もう一時半だったか。階下でバグワンの『存在の詩』を何度目になるだろう、全一巻「音読」し終えた。
なにもかもを脱ぎ捨てた、いやそれでは格好がつきすぎる、半ばは剥ぎ取られたように、わたしは寒い。ひどく震えている。歳月を掛けてここまでわたしはバグワンに聴いて歩んできた。なにも疑っていない。ただこのまま歩一歩の道を辿って行く。

* さて京の両六波羅はついに明け渡された。篠八幡に祈って出撃した足利高氏自身がもっと激戦するのかと想っていたが、『太平記』本文にはさほどに現れない。むしろ播磨の赤松円心らの軍勢がねばり強い戦を京中や郊外で繰り返してきた。
『太平記』は快適に調子よく音読できる、当たり前といえば、当たり前。

* 床についてからの本は、もう的を絞っていた、『メリー・スチュアート』を読み上げてしまおう、と。
彼女の前半生、フランスの女王からスコットランド女王の時代も、めざましい波瀾に富んで「驚倒」の二字に感想をゆだねたいが、真に劇的なのは、二十年にちかいイングランドでの幽囚生活である。
倦く事なきエリザベスへ女王への挑戦・挑発そして陰謀。
だがそれに輪を掛けたイングランド女王の、偽善と憎念と陰謀の数々に、貴族・議会・教会・国民もこぞって、捕獲したメリー・スチュアートの「首を落とす」断罪が画策される。「エリザベス暗殺の陰謀」を、当のエリザベス自身と大臣・官僚・貴族たちとで巧みに協議画策し、陰謀に夢中のメリーがそれを許諾し承認したという「メリー自筆書簡」の奪取へまで、じつに周到に事は運ばれ、それが動かぬ証拠となり、貴族法廷で死刑がきまる。決まる、が、さ、その先の「エリザべス対エリザベス」の内心の闘いが凄まじい。どちらが被告だか分からない。
「神」がゆるした「女王」身分の生命を、同じ身分の女王が、まして臣下身分の者たちが奪っていい、どんな歴史的口実がありえたか。前例があったか。そんな前例を女王自身がつくりだしてしまった、それからあとあとへのエリザベス女王自身の「責任と名誉」とは、どうなるのか。
ギリシャ・ローマの昔から、暗殺はしらず、王・帝の死刑は取るに足らない微々たる例しかなかった。
一つ間違えば、女王による女王の未曾有の断罪は、エリザベス自身の命運にもかかわるだろう。もしエリザベスに何か不用意な事故が起きれば、ないし死んでしまえば、その瞬間に、ほかならぬ「メリー・スチュアートこそがイングランド女王に即位」することになる。たちまちに政変は力関係を変えてしまう。そういう二人の微妙きわまる間柄であり、ことに王位の尊厳を王自身が死刑という形で否定し破壊するという容易ならぬ前例を、ヨーロッパ中の宮廷社会環視のもとに、どんな口実をつけてエリザベスは公然提出できるというのか。
いかに偽善に満ちた確信の演技で、エリザベスがメリー断罪の執行指令に署名したか。しかもその執行後、敢然とそれは自分の本意でも指示でもなかったと怒りだし、異議を唱えだし、そのうちに、自分でもその怒りが不動の事実そのものと信じ込んで行く、それほどのヒステリー特有の自己欺瞞・自己確信。
エリザベスは、しかし、それをやってのける。いや、愛する妹の断罪を自分が許すわけがないではないかと自分でガンとして思いこむ。
その右往左往と厚顔な自己催眠的名演技による断罪前後のエリザベスの振舞いは、或意味で見事と謂うしかない。
しかしながら断罪されたスコットランド女王にしてチューダー王朝とスチュアート王朝の嫡流であるメリー・スチュアートの、死を賭して仇敵エリザベスを心理的に追い込み圧倒してゆく誇り高さはどうだろう。いつのまにかカソリックの「殉教者」として自己是認して行くすさまじい自己愛。殉難・殉教の女王として死装束のすみずみまで用意し尽くされた気丈で確信に満ちた最期のさまは、信じがたいほど見事に統制されていた。圧倒的な自己主張であった。勝者は自分だと言うように。
そして真っ黒い覆面二人の大男の、三度にわたって振り下ろされる大斧の血も凍る結末。
そして、その後のイングランドとスコットランド。

* 呆然と息をのむしかない希世の名著、人物評伝・ノンフィクションの冠絶の名作。読み終えて途方もなく満足し、また人間というものの凄まじさに、また新たな底知れぬ恐れを抱いた。
小説より奇の程度でなく大小幾百の小説がとびかかっても、面白さにおいてはね返してしまう高度の面白さ。一つには古見日嘉の翻訳がすばらしかった。
言って置くが、所詮漫画本や通俗読み物に読みふけるしか力のない人には、この優れた洞察と探索に依拠した考察や理解は、歯が立たないだろう。それを乗り越えうる読書人にはワクワクする知的興奮と幸福と、また不幸への謙虚さもこの本は与えてくれる。
なにしろ主役がメリー・スチュアートとエリザベス女王である。二人の「性格」は、ほとんどオリジナルの深みをさえ帯びて典型的であり、白熱する。
エリザベスは、あの、ややこしいが輝かしくもある「英国史」歴代の帝王のなかで、最も秀でた安定した時代を造りあげている。彼女にはフランスもスペインもローマ法王庁も何とでも出来た。
だが、しかし、あの世へ行ってからでも、かの誇り高き女王の中の女王メリー・スチュアートには、所詮勝ちきれなかったろう。

* それにしても何とイヤなもんだろう、王だの女王だのというシステムは。
我が家の手洗いで可憐に咲いているスイートピーほども、メリーもエリザベスもわたしは敬愛しない。

* それから、さらにマキリップの『イルスの竪琴』を読み出した。英語が難解なため、かえって世界に惹かれて読み進めたため、もう寝なくてはと気づいたとき四時半をまわっていた。
七時前に目覚め、また少し『世界の歴史』を読んだ。ロシアのエカチェリーナ女帝の亡くなるまでを。この人は我が国の「北の時代」とも関わり大きかった。
目を休めている内に九時に。起床。
2007 2・19 65

* 四時に目覚め六時半に起きた。マキリップを読んでいた。
2007 2・20 65

* もうほどほどにやすんで、明日、松たか子のコクーン芝居『ひばり』に、体力と視力を温存しなくちゃ。いまも腰掛けたままとろとろうたた寝していた。寝入ると、しかし、ロクな夢をみない。今日の明け方もイヤな夢に苦しんだ。起きてしまい、『絶対王政と人民』を読み上げているうちに不快感を追い払った。
2007 2・21 65

* 出がけ、高麗屋の奥さんから、毎月の父娘(幸四郎・松たか子)往復書簡の四月号が送られてきた。今月は娘の順番だったなあと思いつつ、帰ってから読もうと渋谷東急文化村へ。
シアター・コクーン。ジャン・アヌイ作、蜷川幸雄演出の『ひばり』は、期待を裏切らない秀抜のジャンヌ・ダルクを、松たか子が清純しかも毅然と演じ、心底感嘆させた。
先ずは「松たか子讃」を述べておく。劇としての問題点は後から。
2007 2・22 65

* 寝る前に、往復書簡を一度ざっと通読。「ひばり」に触れていて面白かった。
2007 2・22 65

* 建日子がふらりと来て、いろいろと話し込んで。
建日子が家にいると、ほっとする。『バグワン』読みと『太平記』読みとを建日子はじっと聴いていた。
2007 3・2 66

* 機械は、わたしの椅子からいうと鍵の手北向きにモニター付き布谷君作の旧親機があり、西向きに今遣っているXPのノートパソコンと98の古いノートパソコンが二段に置いてある。
二台の機械の奥は、作りつけのがっしりした本棚。鏡花全集や森銑三作品集や、唐詩選や老・荘、古文真宝などの漢籍や日本史大事典六巻やキーンさんの文学史全巻、古寺巡礼京都全巻、そして平家や徒然草や蕪村・秋成などの背文字が、ざあっと見回せる。本は書庫にも東・西二軒の中にも充満し、おまけに湖の本の在庫。わたしたち夫婦は「本の家」に間借りさせて貰っているのと同じだ。
2007 3・3 66

* 三時半に寝て、六時半に目が覚め、しばらく中國の「明」史や、チムールやその他北アジアの英傑たちの歴史を読んでいた。妻と寝ている黒いマゴの手をにぎったり、手先をマゴに噛ませたり。八時に起き、湖の本の校正。
妻をきのう自転車にのせて春散策に出たのは失敗だった。わるいことをした。だいぶ疲れてしまったらしい。
2007 3・4 66

* 太平記は、いましも新田義貞の軍勢が鎌倉へ乱入、ついに北条政権、鎌倉幕府が撃滅されようと。
太平記は、すさまじい合戦につぐ合戦で、勇壮というより時に酸鼻を極め、武士たちが、潔いとはいえ凄惨に次から次へ討死し、割腹し、命果てて行く。
かつて、平家物語には見ない「血」が太平記ではどすぐろいまで流れると書いたことがある。そもそも平家物語の中で「割腹」「切腹」の場面を、粟津での木曽最期のあたりでしか、他ににわかに思い出せない。
極言かもしれないが、十二世紀の平家物語の死闘で、敵の頸は斬るが、まだ自身切腹という死の行儀が一般に成立していない。
ところが十四世紀の太平記の戦闘では、ここぞに及ぶと武士は、名誉を重んずる武士はなおさら、ためらわず腹をかっ斬っている。主が割腹すれば、従も、ぞくぞくと後を追っている。
三百年の間に武士の倫理が、どうおぞましくとも、どう潔くとも、ともかく凄絶な行儀を確立してきている。
そして不思議なことに、予期したこともなかったのに、ときどき、太平記を声に出して読んでいるわたしの声が感動に震えてくる。涙も溢れたりする。

* ドン・キホーテは頭の「おかしい男」に想われがちだが、そう想う者たちのほうが「よほどおかしい」ときもあるのを、セルバンテスは残酷なほど厳しく表現している。たしかにありとある騎士物語を読破のあげくその世界に完璧なほど自己同一化しているキホーテは異常であるけれど、その異常を通して、泰然と昂然と彼は世俗世間の愚昧と傲慢と無知を「批評」している。それに気づけばこそこの大作は生き生きとおもしろい。加えてサンチョ・パンザのキホーテとは逆さまを向いた率直な俗欲のおもしろさ。弥次喜多のような「悪人」ではない、愛すべき俗人の素直さ。たいした人間の「把握」だ。

* 中国の歴史では、割勢された「宦官」たちの国政を壟断して憚らなかったあれこれに、ひっきりなしに驚かされる。わたしは、概して漢や唐より、宋やことに明の歴史にいま興味があるが、明時代はことに宦官の害がひどかった。
だが宦官は中国だけのものではない、むしろ世界的に有力諸国では顕著な例がたくさん見られる。それよりも驚かされるのは、あれほど中国の文化文物や法制を憧れ真似た我が国には、忌まわしき宦官の制が、纏足もそうだが、ついに芽生えもしなかったこと。これは誇ってもいいことではないか。
2007 3・6 66

* 『終わらない旅』は小田さんの代表作の一つに加わるのではないか。そうそう『ロリータ』が家にあった、映画は観たがナボコフの原作を読んでいないのは怠慢に類する。また楽しみができた。
バランスのとれた乱読は、むしろ自身にいつも奨めているが、このところ視力をかばい、就寝前のベッドでの読書を三四冊に減らしている。
2007 3・8 66

* 花粉が洟へ来ている。
田島征彦さんに昨日新しい繪本をもらった。「じごくのそうべえ」のシリーズ三冊目。元気な繪だ。
四月歌舞伎座、昼の部も松嶋屋に追加注文。どうも勘三郎と仁左衛門との「男女道成寺」は見逃したくない。
ものの下から六年前の「AERA」の表紙が出てきた。たぶん中国の映画女優なのだろう李英愛の大きな顔写真だ、大昔の物言いをすれば「スコブルつき」の「トテシャン」で、よほど見惚れ見惚れたので、本文は棄てても表紙をはずして眺めていたに違いない。今観ても気持ちのとろけそうな美女で、降参する。
きれいといえば、吉永小百合のいまいまのコマーシャルの寝顔が、すてきに綺麗に撮れているのに、中年過ぎてからのサユリストは、満悦。いやはや女優は化けるなあ。
今朝のテレビ、音羽屋の娘・寺島しのぶが外国人と結婚するという話題。寺島は話題性だけでなく女優の力量も群を抜いた逸材だけに、舞台や映画から遠ざかられるのは困る、彼女はとても家庭生活だけに甘んじる人とは思わないが。
問題は、男の子が生まれたときに歌舞伎役者として育てるという音羽屋の「期待」だが。ま、そんな成り行き、わたしの年齢では見届けられまいが。
この番組の司会者役のひとり、東ひづるとかいった女優は、デビューの昔からちょっと別格の存在感で目を惹いたが、達者な可塑性で、知的にも感性的にも巧みに化ける。この「生彩」が、女優志願者には欲しい。かしこぶっては固くなりダメなんで、バカにもはじけられる素直な聡さ謙虚さが、成功している女優にはなべてみられる。それがオーラになる。じょうずに伏し目のつかえる人と、ともするととがった顎をあげてしまう人との、差。
2007 3・10 66

* 六時前にめざめ、床のなかで『宇宙誌』『世界の歴史明国の経済』『ドン・キホーテ』『旧約聖書 列王記』そして英語の『イルスの竪琴』を読み進んだ。
「鳶」に送ってもらった『宇宙誌』は、湯川博士の中間子発見から語り始められている。偉大な自然科学のむしろ現代・未来像のようであり、記述は明瞭で冗漫でなく、おもしろい。こういうのを読んでいると、しょうもない身の憂さなんか忘れてしまえますと「鳶」はメールに。そうかもしれない。が、読めるか知らんとしばらく放ってあったが、読み出すとじつに興味深い。
ニュートリノの研究でノーベル賞を受けた博士と、山の上ホテルのパーティで椅子に並んでおしゃべりしたなあと思い出す。いま、そのニュートリノの発見やクオークの発見と理解などを、本に教わっている。
明の経済発展は、都市の展開と農村のマニュファクチュアルな発展が結びつき、大資本の「客商」や地場の「土商」たちが、隋王朝以来の大遺産である四通八達の運河網を利して、多彩な物産を運輸・拡販してゆく。
日本人は、聖徳太子と小野妹子との遣隋使で隋にまず触れるが、一般には評判の悪いごく短期の隋国ながら、言語道断に大規模な運河をあの廣い国土に通しに通しまくったいわば帝王の道楽が、今世紀にいたってなお中国経済への計り知れない遺産としてモノを言い続けていること。歴史の面白さである。
運河は、道。道は、不思議な文化だと思う。古代は絹の道、近代は海の道に多くを負うた。「道」は、不思議な生き物だ。
ドン・キホーテは、崇拝かぎりない彼の「ドゥルシネーア姫」のすばらしさを、まこと簡潔に美しく旅の道連れ相手に語っていた。荘子の夢に見た蝶を連想した。
さて王「ダビデ」はついに死に、いよいよ「ソロモン王」のときとはなった。ま、それにしても「粛清」の次から次へ相次いで、それがみなエホバの意思に出ていることは。

* ヘドのモルゴンは遙かなるエーレンスター山をめざし、豪雪の深林にいましも垂死のていで立ち往生している。ヴェスタと呼ばれる巨大な鹿がいまあらわれて、凍えたモルゴンにふと顔をよせてきた。

* 早朝に読んで、深夜ははやく睡魔に身を任せる方がからだにも眼にもいいだろう。

* 音読している『太平記』は、いましも新田義貞の義兵に攻め込まれた鎌倉幕府潰滅のとき。血みどろの死闘のさなか、最期の執権北条高時入道の側近の武将と一党とが、相次いで凄絶に討死し、また枕ならべて壮烈に割腹死を遂げて行く。
太平記の合戦の描写はあまりに華麗に残酷ではあるが、感銘も深い。
この本、音読していてつぎへつぎへと興を惹かれつづけるけれど、「黙読」ではこの大量の装飾文は読み切れないかもしれない。何度もこころみては結局拾い読みで退散してきた太平記を、「音読・朗読」のゆえに、きっと最後まで楽しんで読み切れるだろうという気が、今、している。
2007 3・12 66

* 夕食にクラブへ向かったが、途中気が変わり、中華料理の小店に入り、ささやかな料理と紹興酒とで、ゆっくり露伴に読みふけってきた。家を出るときわざわざ書架から引き抜いた来た。もう三十年ぶりぐらいの再読ながら、内容は熟知していて、それでも新鮮で、文学・文体・文章の生彩に惹かれ、面白くて面白くて、往きの電車からもうわくわくし、委員会が早く果てるととにかく続きを読みたかった。クラブよりもその店の方が明るくて静かなこと、料理もひと味すぐれていることを前に一度入って心得ていた。紹興酒も飲みたかった。
帰りの西武線は立ったままの満員だったが、その中でも読みやめられず、露伴の妙に浮かされたようであった。久々に文章の夢を観るかも知れない。鴎外の『渋江抽斎』と露伴の此の作とは読んだ夜中に文章を夢見た記憶がある。幸せな体験だ。
2007 3・12 66

* ペンの帰りにお目当ての露伴作を読み上げた。三嘆。悠々の名作であった。痛切に刺激された。嬉しい読書だった。
2007 3・15 66

☆ やっと『宇宙誌』がHPの記述に現れて、読んでくださっていると知りました。「文学的なことばかりでなく、こういう見方も・・」と「不遜なもくろみをもった仕掛け人??? 鳶」は、鴉の反応が楽しみです。
ほとんどの日本人にとって(絶対的な神を抱かない人にとって)、宇宙の誕生や進化論は、宗教の教えからくる呪縛や限定的肯定にとらわれないで読み進められる本です。
当たり前と思われるかもしれませんが。けれども、例えばアメリカは、意外なほど宗教に左右されている社会で、「進化論」を公立学校で教えるな、云々の議論が盛んですし、彼らにとっては此の『宇宙誌』も、おそらく、「とんでもない本、人を惑わせる本」の類に入るのではないでしょうか。新しい知識を得ると同時に、やはり世界観、人間観まで大きな影響がありますから。
わたしはもともとは生物や地質、宇宙に関する事柄に興味があったようです。が、如何せん、数学が苦手で、理科系の人間ではありません。時折科学の本を読み、テレビの科学番組もかなり丁寧に見ます。新しい発見には夢が膨らみます。数式や専門的なことは理解できなくても、凄いなあと・・携わっている人を尊敬してしまいます。
これはコンプレックス? 謙譲の心? 分かち難いです。
数日冬に戻ったような日が続いています。青春切符で琵琶湖一周に出かけたら、雪景色に出会えるはずですが、まだ身体を第一に考えてしまいます。と、言っても、自分で把握できる範囲での、ちょっとした症状で何も心配していません。甘やかしているのです。
近くの白木蓮の花が寒さに震えています。  鳶

* ほうと思った。科学的な事実や発見への、またその科学史への好奇心は、わたしにも強い。自分に不足した側面をいつも補えるようにと、知解しかねるほどの数学や理論物理学や天文学や、みな興味はたやしたことがない。そして感嘆する。
大学の一般教育でも「自然科学」という授業には興味をもって出た。テレビを観る楽しみの一翼に、科学番組は敬意や憧れとともに、ドラマなどよりも確かに在る。
贈られた『宇宙誌』はかなり分厚い文庫本。装幀がいまいちで、題もあまりそっけなく思えたのと東京大学の先生である著者になじみもなく、またフォント (字体)にも気疎かったので、ま、しばらく放ってあった。むしろ妻が興味をもつだろうと思っていた。
たまたま湯川博士の中間子論がわたしたちの生まれた頃ことでもあり、ふっと読み始めたら予想に反して実に読みやすい。たちまち赤ペン片手に読み進み読みふけり、もうずいぶん本が真っ赤っかになった。わたしに読まれる本は、歴史でも何でも白い綺麗な本のままには残らない。あとから読む人の意欲をそいでしまうほど真っ赤に傍線がひかれてしまう。ただ黙読より頭に入り、またの読み直しの時に傍線部分だけでも要点は斟酌できるので、やめられない。
いま、コンピュータのところへ来ていて、ま、わたしの最も近寄りたい、近寄りやすい記述である。
2007 3・16 66

* 竹内整一さんの平凡社新書『はかなさと「日本人」』が贈られてきた。あとがきに、わたしと『みごもりの湖』ほかの作を介して竹内さんの思いが深切に書かれてある。懐かしい気持ちで胸が濡れた。感謝。早速一冊読ませていただく。
2007 3・17 66

* 竹内整一さんの『はかなさと「日本人」』の冒頭に、いまどきの小学生中学生にアンケートして、自分の生きているうちに人類が滅びると思うかと尋ねると、六割ほどもイエスと答えるらしいと、ある。もう以前のはなしだが此のアンケートを報告していたのは、わたしの甥の黒川創だと書いてある。
小・中学生に問うにはムリな質問ではなかろうかと、わたしも思う。それでもなお六割が早晩人類は滅ぶであろうと子供ごころに言いうる背景が現に在るということは、小さな問題ではない。竹内さんは現代の「無常」に問いかけている。

* 竹内様  新刊のご本を頂戴し、あとがきも読みまして懐かしさに胸を濡らしました。農学部前でたまさか出会って、もう何年が経ちましたことか、日頃支えて頂きまして、答案を提出する心地で「湖の本」をお届けしてきましたが。
昨年は孫をはかなく死なせるという痛い目に遭いました。生にも死にも、日々の、もの、こと、ひとの送迎にも、「はかなさ」はつきまとい、しかも厚顔に図太くも居直ったザマを、見て、見せて、過ごしているていたらく、わらうにわらえない始末です。
この数年、もう少し永くか、わたしを捉えて悩ましてくれる思念は、「抱き柱はいらない」ということと、「果たして可能か」という高慢なものです。この物思いのまま、終焉に、はたして「間に合う」だろうかと、堪えるように居ます。親鸞仏教センターから、竹内さんの名前にもふれながら原稿依頼がきました。死なれて・死なせてといったことで話せということのようですが、今も抱いたこの難問へまで筆が及びうるであろうかと歎いています。
またお目にかかる機会もやと願っています。ご本、よく読ませていただきます。心よりお礼申し上げます。お大切に。
原善君、消息に触れず多年を経ています。    秦 恒平
2007 3・18 66

* 血糖値108。正常。好天。予約しておいた散髪に。すこし待つ間、千夜一夜物語で「女の狡知」を連綿と話し次ぐのを読んでいた。『千夜一夜物語』はどことなし長閑で大らか、どんな話になってもとくべつ不愉快ではない。
散髪されているあいだ寝ていた。目をつむったまま海外女優の名前を百八人まで指折り数えているうちうとうとと。お天気、上々。
2007 3・21 66

* 野島秀勝さんから岩波文庫創刊80年最新刊ド・クインシー著『阿片常用者の告白』に次ぐ続編を贈られた。古典である。

* 発送の用意など手が着かずにいるが、疲れ気味なので、はやく休もう。
金星の表面温度が千度ちかい焦熱と知り、惑星探査機はほぼ太陽系惑星を尋ねて旅を完結させているとも知った。明國と清國とが、総髪と弁髪、「髪」型の闘争をしていたことも、知ってはいたけれど、事新たに歴史的に確かめてみる面白さ。
2007 3・21 66

* 『宇宙誌』がおもしろく、つぎつぎと惑星に関する最新記事に驚嘆している。月、水星、金星、火星、木星、土星まで読んだ。惑星探査機のすばらしい成果にしんそこ感嘆。もってきたささやかな知識を豊富に塗り替えてもらった。本が傍線で真っ赤。

* マキリップ『星を帯びしもの』の英語原作も三分の二を過ぎて、いま、ヘドのモルゴンは、狼王ハールに痛い説教を食らっている。モルゴン自身はあくまで自分は、真っ先にヘドの領地支配者であり、また謎解き人であり、そして「星を帯びしもの」でもあると言い張るが、ハールは「NO」と。生まれる前からそなたは「星を帯びしもの=スターベアラー」以外の何者でもなく、そのことに今しも違和を露呈した全王国の「運命」がかかっている、それほどの危機に世界は遭遇しつつあるのだ、と。目覚めよと。多くても五頁ほどずつ楽しんで、のめり込んで読んでいる。

* 世界史は、清の、順治帝を過ぎて、世界史的な名君の一人康煕帝の時代を、興味深く読み進んでいる。太宗いらい、清の建国がこんなに確乎とした足取りをもっていたのかと、実は眼から鱗を落とし落とし、おどろかされてばかりいる。
どうも「清國」はその末期から近代中国への交代期に先入見が出来ていて、妙に情けない國のように感じがちで来たのだが。焼き物ぐらいにしか関心が向かなかったが。
少なくもその前半期の皇帝たちの姿勢ないし施政に対し、たいそう「失礼していた」と悔いてさえいる。
2007 3・27 66

* 九大今西祐一郎教授の『蜻蛉日記覚書』を頂戴した。
『蜻蛉』は、「日記」という名の、文学史初の「私小説」であるとわたしは位置づけている。楽しんで読ませて頂く。
先日の東大竹内整一教授の『はかなさと「日本人」』や、故実相寺昭雄の自伝小説『星の林に月の船』も興味深く読んでいる。
「オール読物」の往復書簡は今月は父幸四郎。雑誌が送られてきた。今日のうちに読む。
2007 3・27 66

* リングのある惑星。その目をむく組成の不思議。もし地球に、衛星の月のほかに土星や天王星のようなリングがあったら、夜空はどんななだろうかなどと子供のように夢をみる。
何十億マイルもの太陽系の端まで惑星探査機が行っている。だが銀河系からみれば太陽系なんてひとしずくほど…と教えられると、妙に嬉しくなる。子供にかえったような嬉しさだ。

* 幸四郎が娘にあてた今月の往復書簡は当然のように松たか子主演の『ひばり』に触れていた。それは、自然なこと。
それでも、今度はすこしわたしにも思うことがあった。
「親娘私信の往来」なら、これでいい。十分いい。幸四郎がもし自分のブログをもっていて、そこで親娘で「私語」しているなら、それでもいい。
しかし雑誌「オール読物」は読者に読ませる出版物であるから、読者を置き去りに、もしもしてしまうことがあれば、それは観客を置き去りにした芝居と同じことになる。
藝談もむろん聴きたい、舞台の苦心にも興味は尽きない。しかしどうしても話題が、劫をへてきた大俳優の「過去」の閲歴がらみに自画自賛ふうに読み取られかねなくなると、自然、読者は、これまでにくりかえし聴いてきた、読んできた話柄をまた掴まされることになりやすい。書簡執筆者の常に「読者」を念頭にした叙事に、オオッと喝采したくなる目の覚めるような工夫やサービスが欲しくなる。
読者は、幸四郎や松たか子が、現代日本や国際社会や法律などにどんな関心を持っているかも知りたい。『ひばり』のような優れた演劇に出逢ったのだから、この際、神や信仰や宗教観なども聴いてみたい。藝人と宗教感情には久しく流れてきた歴史の水脈もあるのだから。また仲間内の仲間ぼめにとどまらない、新しいまた伝統的な藝術・藝能のフラッシュに、どんな個性的な視線をとばして、どんな内心の批評をもっているかも知りたい。
東京や京都といった都市へ、また地方の自然や生活や風習へ、また役者という立場からみた日本や海外の歴史への思い入れとか、さらには趣味の俳句をはじめ日本の詩歌のこと、とりわけ日本語のこと。また音楽のこと、歌唱藝の楽しさや苦心や、そういうことも話し合って欲しい。
また庭先の季節の色や花や、たとえば役者の日常に必要不可欠であろう「書」についてとか、目新しい見聞録とか出逢いとか、「言葉」と「しぐさ」つまり「科・白」の微妙な、みどころ・ききどころとか。そういう読者の思いや嬉しさを肥やす話題もほしい。
雑誌という場での往復書簡は、私事の披露と同時に、読者と分かち合うそういう公開性をもっている。
そんな気が、した。

* 梅原猛さんと二人で編集顧問をつとめている雑誌「美術京都」がようやくNO.38を出した。この号の巻頭で、梅原さんが陶藝作家秋山陽を迎えての対談『<土>とは何であるか』がとても佳い。面白い。
この村上華岳の墨の繪を表紙に置いた年二冊の雑誌は、巻頭対談と、六、七十枚も量をさしあげる長い論考一作とで、構成している。その方が意を尽くせるからだ。この号の論考は、京都工藝繊維大学大学院教授である並木誠士氏の、『中近世絵画史における扇絵』。これも面白い。
団扇絵についても誰かに書いて貰おう。
2007 3・28 66

* 今西九大教授に頂戴した『蜻蛉日記覚書』は、『土佐日記』冒頭の、例の「をとこもすなる日記といふものをゝんなもしてみんとてするなり」の意義理解から書き始められている。この部分の書かれたのは、小松英雄名誉教授の近刊『古典再入門』の刊行以前であるだろう、と想う。
小松さんは『土左日記』の読みを主材料にして瞠目の新見を展開されていて、明らかに此処に今西さんが要約されている理解とは正面衝突する。俄然として読み進むのが楽しみで。

* 日本の小説で、ああこれは名品・名作だなと思える作には何年も出逢っていない。最近読んだ露伴の『連環記』ははるか以前の作であるが、読み直してじつにみごとな大文学であった、圧倒的な文学作品であった。ああいう感動をいまはだれも与えてくれないが、研究や論考の中にはときどきそういう鮮鋭な収穫があるから、どうしてもそちらへ気が惹かれてしまう。
蜻蛉日記はいうまでもない仮名書きの日記ふう私小説である。土佐日記もまた先駆した同種の文学作品であり、蜻蛉を論じる今西さんの念頭に終始土佐のあったろうことは当然だろう。小松論考を一方に控えながら、今西論を玩味嘆賞させてもらう。
2007 3・28 66

* 昨日おそく、猪瀬直樹氏から文庫本『ピカレスク』(文春文庫)が贈られてきた、感謝。単行本で出たときも貰い、とても面白く読んだ。猪瀬氏の本の中で一、二と言いたい追求度で、興味津々というにとどまらない、率直で正確度の高い仕上がり。
「太宰治」という過剰な偶像を相当程度まで正当に批評し得ていて、内心に想っていたいろいろを、ずいぶん代弁してもらえた気がした。ピカレスクとは思い切った題だが著者の容赦ないしかし偏見もない見方が出ている。
太宰文学のよさ、長所は認めている、わたしも。心酔は、だがどうしても出来ない。わたしをこの世界におしだしてくれた有り難い名前であり優れた作者であることはよく分かっている。好きな作家ではないというに過ぎず、そんな好き嫌いは文学としては意味をもたない。希有の人である。
猪瀬氏のターゲットには井伏鱒二もあがっている。これまた太宰賞に一票を戴いた先生であるが、猪瀬氏の追究にも同感できるところがある。純然の文藝批評家でない自由さがみごとな成果につながった氏のこの作品は、多く読まれるに値している、愉快でないと読む人も少なくはないだろうが。
著者の猛勉強の威力が結実。こういう面の猪瀬直樹をわたしは敬意をもって好いている。
2007 3・29 66

* つくばの和泉鮎子さんに頼んで、以前にながく連載されていた和泉さんの「小侍従」論を送ってもらった。もういちど通して読んでおきたかった。
宅急便で届いたのですぐ開封し、鞄に入れて家を出た。往きと帰りの乗り物の中で、また途中乗り換えのところで喉をしめしながら、全編を一気に読み通した。
これは佳い仕事だ。前にもそう思ったが、これがどこかで本にならないなんて犯罪的だと思う。小侍従という和歌の名手の環境がかなりクリアに多面的によく捉えてあるし、和歌の魅力が魅力満点に読み込まれている。中西進氏が「あの人は才媛ですよ」とわたしに褒めていたが、その通り。もう惜しいことに若くない、わたしとどっちがどっちという、E-OLD。しかし気迫は若い。「ペン電子文藝館」の委員として最も信頼できる委員の一人である。
2007 3・29 66

* 昨、就寝前の血糖値が近来になく異様に高くておどろいた。応急処置して、今朝はまずまずの高さ。これから聖路加での検査をうけに出かける。

* 二種類の検査を、順調に終えた。ひとつは両腕、両足首、足指に強い負荷をかけた血圧検査のようであった。首尾はむろん何も分からない。
若い華奢な女性の検査技師が、足首が細くて綺麗ですね、うらやましい、などと妙なところを褒めてくれた。初体験。
もう一つは、中年の女性の医師か検査技師かが、頸になにか塗りつけ塗りつけ指で押したりさすったりしていた。検査用紙にはechoと書いてあった。これも首尾は一切不明。で、解放されたのが二時半。
聖路加ちかくは桜が八分咲き。いっとき暑くなり、いっとき冷えはじめ風が吹いた。松屋のうえに上がり「つる家」で和食。ここの白鶴上撰はうまい。徳利が貧相でないのがいい。料理もたいへんけっこうでした。食べながら『宇宙誌』を読みふけっていた。帰りの有楽町線もうまく西武線直通が来てくれて、半分本を読み、半分寝ていた。保谷では風が冷たく、タクシーで逃げ帰る。
2007 3・30 66

* 平家物語世界は空気が清んでいる。多くの死も戦も語られるけれど、陰惨にならない。むしろ平治物語のほうが船岡山の死刑など、むごい場面を見せる。
太平記は、繰り返し書いてきたことだが、いましも通読・音読、ことに凄惨の感を深める。鎌倉の滅亡、諸探題の滅亡を力を尽くして物語る筆の運びは、「凄い」というならこれを謂うべし。いまの若い人たちが「最良」かのように批評語にしている「すごい」「すごーい」は、血しぶきの散る無残な戦場や、追いつめられて女も子供も逃れる方なく、或いは水に沈み或いは壮烈に割腹、打ち臥しならんで死骸の山をなす有様にこそ用いられていい物言いだった。
幽霊のまざまざと姿をあらわして生前の惨状をなげく。しかも愛し合った男も女も業火にさえぎられて闇夜の水の上で悲歎する。そういう場面が、もうずいぶんつづいた。鎌倉幕府の滅亡とは、まさに修羅の惨状。
平家物語に出てくる和歌は、頼政といい忠度といい名人級の和歌。
太平記の和歌は、よっぽど落ちる。こういうところからも、時代が読める。美意識も死生観も読めてくる。

* 京大名誉教授で中国語学者、京都博物館の館長をつとめてから引退された興膳宏さんから、「漢字」がらみの興味深い本を贈られた。日頃あたりまえかのように用いている漢熟語の、じつはとてつもない誤用・誤解を、面白く正してもらう本である。興膳さんの著では、とびきりとりつきいい啓蒙もの。「糟糠の妻」とか「忸怩」とか。あなた、どう使ってますか?

* いま此処へ、いちばん書き留めたいのは、しかし、バグワンの言葉。だがあまりに大事、あまりに微妙、あまりに謂えば謂うほど言葉は適切を欠きそうで、身動きもならない。
2007 4・2 67

* 熟睡していた。八冊の本を次々に読んだあと。
清王朝の、ことに順治、康煕、雍正、乾隆帝らの渾身の「善政」意志に、眼から鱗をおとして驚いている。明の頃、たった一人の寵妃の一年消費の金額で、清一年の宮廷費がまかなわれ、余儀ない外征にも一文の国民に対する増税もなし。それどころか康煕帝は晩年に一億両の大減税を実施しているし、雍正帝の頃に清国の財政基盤は確乎としたものになっていた。しかもこの親子、ものの考え方では対蹠的だった。それも面白かったが、満州に基盤をもったこの征服王朝が、いわば実に忠実な中国への「入り婿」「押しかけ聟」として、漢民族以上に中国的に努力したという学者たちの評価にもおどろいた。わたしなど、清は、歴代王朝でもいちばんのダメ王朝だったような、理由の乏しい「印象」を永くもってきた。恥じ入る。
こんな知識も、さて、いまのわたしに何の「役」にもたたない、が、だから無私に楽しめる。嬉しくなる。
『宇宙誌』がそうだ。
分厚い文庫本のどの頁も真っ赤に傍線。つまりわたしが驚いたり感嘆したり眼から鱗をぼろぼろ落とした証拠の足跡のようなもの。他の人にはもう読むに読めない本になってしまっているが、いまは地質学の変遷に仰天しているところ。
いかに地球といえどもいつかは冷え固まって死ぬのだろうと漠然と思っていたが、地球はエネルギーを再生し再生して行く能力をもっていて、その秘跡を成しているのが「放射線物質」であり、放射線の発見はまさしく偶然というしかない偶然によったこと、しかもこの発見は歴史を革新したのだと謂うこと。興味深い。
理系の学生なら寝言ででも言えそうなことを、この紫式部の弟子である七十過ぎた老人は、いまごろ教えられて唸り続けている。「バカみたい」と嗤う人がどんなに多いか知らないが、こういう毎日、悪くないと喜んでいる。
どの一冊どの一冊も角度のちがった視野のかわった嬉しさを届けてくれる。そして有り難いことに、このご馳走は体重をふやさない。ただ視力にはこたえる。
2007 4・4 67

* 歌舞伎座の夜の部は、すべて予想通り。
『実盛物語』は後年の加賀篠原の実盛最期までをきちんと視野に入れた手際もむまとまりも佳い歌舞伎で、当代断然の立役者仁左衛門がすっきりと丈高い実盛を小気味よく演じ、孫である千之助を天晴れ手塚光盛に仕立てて一緒に乗馬の晴れやかさ、こころよい歌舞伎で楽しませまたほろっともさせる。
源氏の白旗を死守した母小万を秀太郎が献身的に演じ、じつは小万の父瀬尾という儲け役を、坂東弥十郎が堂々と演じ振舞い、幼い孫の手塚太郎に討たれて、後の木曽義仲股肱の臣たる「初手柄」にさせてやる。その義仲は、つい今し方、亡き源義賢の未亡人葵御前(魁春)のお腹に生まれたばかりなのである。
亀蔵も家橘もそつなく、まちがいのないきちんとした舞台で、仁左の魅力は花満開の美しさ。
二代目中村錦之助襲名の「口上」は、親族方の上席に播磨屋中村吉右衛門や兄中村時蔵。後見役は中村富十郎で大きく決まり、列座は中村雀右衛門、中村芝翫、それに松嶋屋三兄弟など賑々しく。錦之助という名前が晴れやか。妻の誕生日にうまくはまっておめでたい。
そして夜食は「吉兆」で、献立よく、少し乾杯。
その錦之助にうまくくあてがった狂言が、『双蝶々』の「角力場」。なよなよとした二枚目の若旦那と、天下の大関取り濡髪長五郎(冨十郎)に挑む素人角力の放駒長吉と二役。新・錦之助、これをなかなか気前よくやってのけ、危なげなく新鮮であった。
「角力場」はおもしろい場面で歌舞伎味も濃く、さすがに師匠冨十郎にがっちり演じて貰えて、弟子の錦之助、眦を決する意気があった。不安なかった。
大切りは、待ってました中村勘三郎の『魚屋宗五郎』で、出色の女房時蔵とともに勘三郎芝居を堪能させた。
一人の妹を奉公させた屋敷の主君に斬り捨てられたうらみを泥酔しながら盛り上げ、ついに屋敷へ駆け込んで行く強い流れを、中村屋は、息をのばさず集中して、眼光に、魅力の芝居を表してみせた。ま、中村屋だものという安心な期待があり、期待を決して裏切らない愛すべき役者なのである勘九郎、じゃなかった勘三郎は。
勘太郎も七之助もそれなりに熱演した。片岡我當がかれらしい役どころの温厚で賢明な家老職を丁寧に演じ、新・錦之助は綺麗な綺麗な殿様役。
満足して劇場をあとに、そのままクラブに入り、サービスのお祝いシャンパン、そして例のブランデー。妻が自祝の気持ちで18年ものの「山崎」を買ってくれた。クラブ年度替わりのサービス品に佳い赤ワイン一本をうけとって、電車に揺られ持ち帰った。電車ではわたしは『宇宙誌』を、妻は猪瀬直樹著太宰治論の『ピカレスク』に熱中。
2007 4・5 67

* 作業がぐっと進んだ。あと五日かけて、全部とは行かないまでも九割がた発送用意は仕上がるだろう。
午前中作業の片手間に、デニス・クエイドの『ドラゴン伝説』を、午後は植木等のばかばかしい映画を聞き流しにし、つづいて、今も連続ドラマ「ER」に出ているインド人女優が主演の『ベッヵムに恋して』をちらちら観ていた。
晩には、イングリット・バーグマン、イヴ・モンタン、アンソニー・パーキンスという豪華版で、『さよならをもう一度』をとくと楽しんだ。画面で四十歳というバーグマンの美しい悩ましさ、愛の歓びと哀しみ。幸福であることの、女にも男にも共通の難しさ。なかなか綺麗につくっていた。
ゆっくり湯につかって、『宇宙誌』『世界の歴史』を楽しみ読んだ。
2007 4・7 67

* 早く床を出た。夜前もおそかったので眠気ものこるが、書庫の上でチューリップが二十ほど横に並んで咲きそろい、日射しもここちよい黄金色なので、そのまま朝の血糖値をはかった、106。良い値だ。昨日は95だった。
『太平記』全四巻の二巻めに入った。なかみたっぷりで音読のし甲斐がある。読んでいてこころよい「文学の音楽」を堪能できる。いよいよ建武の親政を迎えようとしている。
子供の頃は、何が何でも「青葉しげれる桜井の」と高唱していた。正成一族の忠にみちびかれて後醍醐天皇をついつい尊崇していたが、成長するに従いわたしのなかに此の天皇への物足りなさ、不信とまで謂わぬにせよ不審が募っていった。
太平記をもう読んでいたわけでない、が、父の蔵書の通信教育教科書らしき『日本国史』を、綴じがバラバラになるほど熟読し、祖父の蔵書の『神皇正統記』や『啓蒙日本外史』にとりついたりしているうちに、後醍醐をはじめ南北朝時代の大勢をみな何となく「あかんやっちゃなあ」「あかんやつばっかりや」と想うようになった。
「あかんやつ」の意味には、じれったい、はがゆい、惜しい意味もあれば、なさけない、いやらしい、好かない意味もあった。要するにこの世界の芯にいた後醍醐天皇に敦厚の「徳」を感じられないのが問題だった。正成や義貞や名和長年や菊池の一党や北畠らが、わたしには可哀想に想われた。
武家社会をおもえば尊氏らの意向は汲めたけれど、京都からの視線で謂えば、大塔宮がはやくに足利高氏の台頭を警戒して軍勢を手放そうとしなかった気持ちが分かった。はては鎌倉の牢で直義に殺される護良親王という人は、よきにつけあしきにつけ此の時代を左右した一人のキーパーソンのように想われていた。

* 昨日から思い立ち、鈴木大拙の『無心ということ』も音読し始めた。講演速記なので音読の方が胸に落ちやすい。

* 『イルスの竪琴』は、狼王ハルの特訓で、モルゴンが心の奥までひらいたりとじたり、また他者の心の奥まで分け入ったり、さらには極寒の森をはせめぐる大鹿に身を変える術などを周到に身につけ、いよいよ世界の奥の奥まで、根源の「違和」の因をさぐりにまた旅立つところへ来ている。
形容詞も動詞も見たこともないような英語がいっぱいで難渋するが、本文に眼をこすりつけるほどこまごまと読んで行くので、翻訳本をおもしろさに任せて読み流して行くのとは比べものにならないほど、作の世界と意図とに密着できる。
2007 4・8 67

* 鈴木大拙の角川文庫『無心ということ』を音読していて、さすがにバグワンの話と符合することの豊かさ、嬉しくなる。大拙さんは禅人であり、しかし念仏の妙好人にも理解の深い世界的に著名な深い深い境地の宗教者であった。
その大拙さんが、宗教の極地は「畢竟浄の受容性」にあるというのは当然至極で、バグワンも常にそれを「女性性」に喩えている。帰依とか、バグワン独特の語彙でいえば「降参」や「明け渡し」などもそうだ。
我=エゴを完全に落とせずに無心とか空とかは、ありえない。努力したり、自意識で強いたり、理に落ちれば、無用の知識も割り込んできて、「本性清浄の受容」のあり得るわけがない。宗教性にふれるもっとも基本の理解は、これ。
バグワンはそういう我執=エゴの根底を「心」と睨んで徹底批判するが、大拙さんも、アッシジの聖フランシスの言葉をかりながら、「今のキリスト教者(= 宗教者)はみんな<心>がありすぎて困る」と言い、この先はわれわれへの出題のように読めばいいが、「死人のように、死んだ人のように、死骸のようにならないと駄目だ」と。
「死骸になれば、どこかにもって行って、立てておけばそのままに立っている。しかし推し倒せばまたそのまま倒れる、そのままになっている。人が何を言っても怒りもしない、笑いもしない」と。
また聖ロヨラの言葉を借りてこうも話している。「今、神様が出て来て、そこの海辺にある、櫂もない帆もない捨小舟、それに乗って大海に出よと命ぜられるなら、即座に出てゆく。なんら躊躇することをしない。後は神のままにされて動く、波間に沈むなら沈む、大洋に浮かび出るなら浮かび出る、どこへどうなるかわからぬが、それでよいというのです。宗教生活にはそういうところがあるのです」と。
「ところが、困るのは人間には分別意識(心)というものがある。知識というものがある、そうして何かにつけて理屈をつけたがる、そこから始末におえぬということが出て来る。」「宗教には、何のかんのと、理論はこうだとか、論理はそうでないとか、そういうことを言わぬところがあるのです」と。

* カソリックの教会が歴史的にやってきた教義の穿鑿や儀式化が、みな、それだ。南都の仏教も、天台・真言も、念仏ですらも同じようなことをやってきた。
バグワンはいかなる宗教宗派にも属さず、ひろく見渡してかつ端的に宗教性を抱いた人間の深い安心と無心とを語り続けてきた。わたしはただただ聴き続けてきた。あたりまえな話だが、大拙さんもしかり、優れた達者・覚者は、究極するところ同じ境地にいておなじ理解を語ってくれる。そう分かってくる嬉しさは喩えようもない。
2007 4・11 67

* 相当昔の難儀な文語訳で『旧約聖書』を読みついできて、ソロモン王の時代に達しているが、『千夜一夜物語』を読んでいて、アラーなみにその「ソロモン王」を尊崇きわまりなきものとする説話にも遭遇する。聖書読みのなにか適切な手引がないかなあと願望していたところ、昨日隣棟の書庫をのぞいているうち、かなり本格かつ浩瀚の『総説旧約聖書』が買ってあったのを見つけた。『聖書学』は伝統的に「緒論」や「神学」など三部門に大別されて研究されるという。その「緒論」は聖書世界に入って行くに不可欠の地ならしをしてくれている筈。こんな良い本が在ったんだと、今までの宝の持ち腐れをすこし悔いた。ま、それはよい。有り難い。
『オデュッセイ』も見つけた。わりと親切に各頁に注のついているのが有り難い。何度か途中までも行かずに投げていたが、今度はたぶん通読するだろう。もともと神話伝説や幻想世界ものには心親しみ多く触れていて、『オデュッセイ』も日本語訳になじめていたらもっと早くに親しんだに違いない。同じことはゲーテにも言えた。訳に親しめないので『ファウスト』にも永くはねつけられていた。読みたい『ヘルマンとドロテア』などもそれで読み通せていない。
翻訳は語学力だけではダメ。日本語が美しく正しく書けない訳者につきあたると、あたら泰西の名作も、一生の不作になってしまう。 2007 4・12 67

* 大拙さんとバグワンとをあわせ読んでいると、覚者の「覚」たるゆえんがレンズの焦点を一つに結ぶかのように、みごと重なり合うから感動する。ことばは異なってもまったく同じことが話されている。
もし異なる点を謂うなら、大拙は宗教を語って「信」を口にしている。講演の聴衆が主として真宗の僧侶たちらしいからそれが話題になるのだろう。
バグワンは宗教性をたいせつに語るが、めったに「信」の一字に言い及ばない。無や空を謂いつつ、大拙のいわゆる「本性清浄」を話してくれる。何かを信じて救われようと謂うところからバグワンは離れているし、たぶん禅人である大拙もそうだろうと推測できる。わたしの言葉でいえば「抱き柱」を彼らは抱かない。抱けば「抱く」「抱きつく」という「我」がのこる。のこれば信は全うできないのではないか。大拙の謂う信には、抱きつけ、縋れと謂うニュアンスはない。そういう我は一切なく、帰依し、基督者のよく口にする「みこころのままに」にある、あれる、かどうか、だ。

* 只管打座(しかんたざ)と禅の人は謂う。ひたすら座って居よと。アッシジのフランシスの、心が邪魔をする、死骸かのように在るがいいというのは、それだろう。死骸はなにもサマをしない。良い格好をしようなどとしない。大拙はこれを生き物の猫にたとえて謂うている。
猫はなにをされても超然として、されてよし、されなくてよし、在るも去るも何に構うという気もなく在る。人間はああは行かない生き物だが、そういう生き物のママで宗教の境地には至れるものでないと。
バグワンもまるで一枚の紙に裏貼りするように同じことを話している。このとうてい渡れそうもない白道を、渡れば向こうは「彼岸」だなどといちいち言う人間は、学者であって、すべてを受動的に明け渡している者はそんな理屈は言わずに、ただ渡って行く。渡れてしまう。つまり「摩訶不思議」とはそれだと、大拙はさらりと話している。
2007 4・13 67

* 近日、ひときわ胸をうった作物に、俳誌「安良多麻」を主催される奥田杏牛さんの編まれた『奥田道子遺句集 さくら』がある。
七十句ほどの小冊の文庫本であるが、吟じてみて、境涯のいかにも俳句にしっくりなじんで、語の斡旋の淳にして瀟洒なこと、舌を巻いて全句共感した。奥田主宰が雑誌を編まれる傍らで、数年前から夫君に強いられるようにして「埋め草」なみに作句されたものというが、信じがたいほどの純熟。まず、俳句の集にふれて、こんな思いの恵まれることは希有である。享年八十三。ご冥福を心より祈りつつ、もっと読みたかったと歎かれる。
杏牛さんにお願いして「e-文庫・湖(umi)」に戴きたいと思う。

* 今は『宇宙誌』にいかれてしまっていて、感想を書きたくて仕方なくても、あまりにこっちがたわいないので、書くにも書けない。
ずうっと『世界の歴史』を読み継いできて、今は清国の歴史を追っているが、『宇宙誌』の一冊は、それがそのまま実に内容の豊富な「また一面の世界史」を、ないし「人類史」を、「精神史」を、「科学史むを成していて、地が雨を吸い込むように頭に入ってくる。
読みながら、それでどうしょう、こうしょうなどという功名心は何も無いのだから、純然読書が楽しい。これが頭に入ってきたおかげで、文学・藝術も、政治も風俗も文化も、自然も、まるで色彩のかわった視野や視角で捉えられてくる。新鮮な体験がからだの奥の方で不思議な歌をうたっている。その気持ちは、「嬉しい」ということばで表すのがいちばん近いようだ。
2007 4・20 67

* 昨夜遅く遅く、松井孝典著『宇宙誌』を読み上げた。最後の最後へきて、少し身震いするほど感銘を受けた。今年になって読んだ本の中で、ツヴァイクの『メリー・スチュアート』露伴の『連環記』とともに、こんなに熱中した本はない。前の二冊は少なくとも以前に洗礼をうけているが、今回の『宇宙誌』は初めて。書店で題を目にとめても買っていない。
ツヴァイクもそうだったが、「鳶」さんの贈り物だった。感謝、感謝。
こんなに猛烈に惹き込まれるとは思わなかった。わたしのなかに、まだ相当な好奇心が、新鮮な驚きを歓迎する気持ちが、残っているらしい、有り難い。本が傍線で真っ赤になってしまった、浴室でも愛読したので少し湯気にも当たった。見つけたら、白い本を買い足そうと思う。建日子にもぜひ読んでほしい。きっと役立つだろう、彼には。
世界観とか人間観とかいうが、すくなくとも一つの基盤にこの本が教えてくれた一切が在ると無いとでは、厚みが違ってくる。
もとより文系の文系人が理系の最先端知識に驚嘆しているのだから、東工大の学生諸君には笑われるかもしれないが、宇宙が一秒に何万キロも膨張しているとか、ビッグバンとか、宇宙の始原のかたちはわずか一センチほどの球とか、時空間が歪んでいるとか、そのために事実はまっすぐ走っている惑星が円軌道のように見えるとか、実はこの手の新知識はむしろ驚けばしまいなのだが、宇宙観と人間観との必然に向き合い重なり合い、そこに哲学や宗教や機械の問題がしのぎを削るように「歴史」を作り上げてきたこと、そして宇宙がかくある「何故」の本質に、「命=人間」をかくあらしめるためであったろうという究極の見解が、優れた科学者たちの精神からわき起こってきているという結びには、魂を揺すられた。
この本は、絶対にキワモノでなく、それどころか優れてみごとな啓蒙の力量をそなえた筆者による、懇切な、まるで「私向け」かと思うほど親切に書かれた本である。興味や関心を宇宙に持つ人なら、だれでも読む気で読み切れるだろう。

* そしてまた読み始めているホメロスの『オデュッセイ』の、読み出せばこんなに面白いものであったのかと、今にして迂闊に久しいミス・チャンスを恨んでいる。
いまから女神アテネの助力を得ながら、帰らぬ父オデュッセイを息子テレマコスが捜索の船出。彼の家では、無道な求婚者たちが、オデュッセイの妻、テレマコスの母に婚儀を迫っている。テレマコスの船出は一年の猶予をえての賭の冒険になるのだろう。
この読書の思い立ちも、「鳶」さんの贈り物であったカッスラーの読み物『オデュッセイの脅威を暴け』が引き金になった。
さらに同じ人の贈り物である『ドン・キホーテ』も興深く読み進んでいる。

* 昨夜ほとんど眠れなかった、至極の読書にもう二つを少なくも加えねばならない。
一つは、『旧約聖書』を読み進めるのに、あまりにわたしに旧約世界への予備知識が乏しすぎると思い、幸い書架にあった『総説旧約聖書』という研究書を読み始めているのだが、おかげで地理・地勢も、旧約の編成も分かってきたし、「モーセ五書」の成り立ちに対する研究史を、いま、ことこまかに読んでいって、ああなるほどと道を開かれるうれしさ、つい時間をかけた。やはり本が真っ赤になってゆく。
もう一つは、これまた「鳶」さんが贈ってくれたマキリップの『イルスの竪琴』三巻の英語本、その第一巻『星を帯びし者』を逐一英語をおって読んでゆく深呼吸での感慨、面白さ。一度電気を消しても、またつけて読み継ぎたくなる。とても翻訳本を読むのとでは頭にしみとおる密度がちがい、面白さもちがうのだ。

* もう一つは、清国が、いよいよ太平天国の大乱に見舞われる。この巻の担当筆者のザクリザクリと中国、その歴史と文化と中国人を解剖し論評する角度も切れ味も、とほうもなく興味をそそるのである。
中国人は、所詮「福禄寿」だと説かれて、たしかに飛び上がりそうに教えられる。また、ここで触れなおしたい。

* そんな按配で、いま、眠い。風強く、戸外は明るい。「雄」くんの日記がおもしろいだけでなく、考えさせられた。
2007 4・22 67

* 夜前も三時頃まで、いくつもの本に読みふけっていた。読み散らしているのではない
2007 4・23 67

* 一日読まざれば肌垢を生ずというが、読むから垢が生えることもあると徳田秋声は金釘の字で全集の扉に書いている。もっともそうな警句である。もし読書が知識と野心への欲にのみこびりついていれば、秋声の言はほとんど正しいであろう。
読書が無心に楽しく嬉しく、あたかも書物でもって心地よいシャワーを浴びている、そういうわたしの場合のような読書は、垢を洗い流すのである。洗垢。そういう楽しさを知るようになって、わたしはこだわりなく本を喜んで読んで読む。垢を洗うシャワーのように、だ。

* 亡き純文学作家島尾敏雄の孫娘にあたる島尾まほさんの著書を、お父さんの伸三氏に頂戴した。伸三氏も作家で写真家、奥さんも写真家、まほさんは作家で、若い美術家でもある。若い人が活躍するのははたで見ていてうれしい。その人が謙遜で勉強家であればなおさら。
松たか子さんのエッセイ集を読んでいた。のびやかに語り、謙虚。
2007 4・24 67

* 大関琴欧州のような男と飛行機で旅している夢をみていたらしい。もう思い出せない。

* 夜前は、島尾まほのエッセイ集をきもちよく読んだあとは、マキリップの英語だけで済ませ、寝入った。脚には寝てやるのがいいような気がした。
まほさんのエッセイは、二十代の半ば前ぐらいで書かれているようだが、のびやかに、佶屈感のないこころよい文体で、筆者の佳い「人」が溢れ流れ出て読み手を誘う。プロのにおいもアマのにおいも抜けたすてきな才能だなと舌をまく思いで楽しんだ。同じ今、松たか子の『松のひとりごと』にも似た感触を覚えている。もう松たか子には、想の起こし方に「書いている」という意識がくっついているが。
2007 4・28 67

* 島尾まほの『まほちゃんの家』を夜を徹するようにして読み上げた。この「文藝」、端倪すべからざる技倆を発揮し、全編を通して、いつしれず一人の少女の内・外そして家庭・家族・身辺を立体的に浮き彫りに。
しかも柔らかく温かく、かつ批評的。作者の存在感をみごとに表している。
なによりも文章表現の、自然で一種独創をしめした個性の光は、魅力にみちている。かなり五月蠅いわたしもほとんど文章に苦情のもちこみようがなかった。いまプロの書き手でも、これほど簡潔に十分に意を表して新鮮な文章の書ける者がどれだけあるだろう。國の大きな顕彰をうけている著名な作家ですら、手あかにまみれた文章をとくとくと公開している時代だ。
なんだこんなものと、口調の平易を勘違いし、オトメチックな随筆と読みとばすようでは大違い、したたかな文藝・文才を示している。独自性のある、これは読ませる「私小説」を完成した作品である。びっくりした。魅了された。これを書いた作者はティーンではない。二十代の半ばにある。

* 松たか子の『松のひとりごと』はすでに少女のころから数々の舞台に主演して実力を高く広く認められた舞台女優の、ゆたかな感性と知性とが、穏やかに謙遜に内省の言葉を語り継いでいる。広い意味で「藝談」に属する好エッセイで、それなりの身構えと心構えとで高ぶらず書かれている。なまじな文人のものより内容にあや(曲折)がある。
こういう豊富な才能の静かな発語にくらべると、今日若い未熟な女流作家の、不要に挑発的で生硬な言辞などにテレビなどでふれるのは、かなり気恥ずかしい。

* 正直に告白すれば、『旧約聖書』は読み進めば進むほど、どう読んでいいのか途方に暮れていた。『総説旧約聖書』の深切な研究成果に、ことこまかに学び初めて、たいへん教わった、地理もまた文藝学的にも、こと細かに今も教わりつづけている。新約『マタイ伝』のあの冒頭の長い系図が、いまわたしの道案内の一部をしめている。そこへすらわたしは長く気づけなかった。
2007 4・30 67

* ルソーの有名な『告白』は読み始めてまだ日を経ない。ほんとうに優れて面白くなる作かどうか、まだ見当がつかない。率直に飾らずに書いていると著者は言っている。幼少の頃の記事などは整理がすぎていて、具体・具象の興味にはまだほど遠い。

* 世界史の明・清を、またインドやイスラムをやがて通り過ぎようとしている。此の巻では担当筆者がはきはきと中国ないし中国人を論評してくれ、興味をそそられた。ことに久しく久しい中国人の歴史を通じて、彼らの人生観・処世観を一貫して謂えば、実に「福・禄・寿」に尽きているという断案に唸らされた。
「福」とは子孫を得ること、「禄」とは地位ないし財の豊かなこと、「壽」はむろんあくなき長命の願い。じつは他に理想も思想もなにも無い、在って無きに過ぎない、「福禄寿」の満足こそが中国人には理想なのだと。徹した現実・現世の満足。
なるほど彼らの隠すに隠せない中華と覇権の姿勢は、此処に、此の願望・欲望に根ざしているのか。
中国は一貫して世界の王者の意識を捨てなかったし、今なお彼らはさの再認識の度を強めている。中国の、他国を「朝貢国」と遇して断乎変更しない中華姿勢は、徹底している。贈り物をもって礼を厚くしてくれば、応えて多くの、貢ぎ以上の下賜品を与える。それがそのまま有り難い「貿易」になるという他国と交際の仕組み。頭を下げて持ってくれば、受け入れて、それ相当のものをむしろ余分に与える。先に持ってくるのが「外夷」の朝貢國なのだ。応じて与えるのが「中国」なのだ。
中国ほど王朝は変遷変更されながら歴史的な態度を大きく変えない國は世界中他に無かったと、この世界史シリーズではどの筆者も繰り返していた。なるほどねえ。

* で、しめくくりはマキリップの『星を帯びしもの』を、夢中に読み進んでいた。この三冊本を翻訳で何度読み返してきたことか、そのつど変わりなく深々と深呼吸し感嘆・没頭してきた。だが原作の言葉で逐一読み進めて行く面白さは、いままでの読みの何倍もの迫力そして濃やかさ。英語を読むなどと謂う煩わしい真似はまずしてこなかったわたしだが、この大作を毎夜、こんなに夢中で読むとは思い寄らぬ儲けもの。
ヘドのモルゴンは、アイシグの鉱山地底深くの暗黒の中で、底知れない陰の刺客たちと死闘してきたばかり。ぞくぞくする怖さと迫力。

* そんな次第で寝もせず六時前に床から起きてしまった。戸外は澄明な朝日子にかがやきわたり、人ひとりの影もなくまだ寝静まったご近所をわたしは痛む脚をひきずりながら、しばらく、ひとまわり歩いてきた。気持ちよかった。やがて朝一番の宅急便が若いともだちからの旅の土産を届けてきた。
2007 4・30 67

* 今朝、石牟礼道子さんから「われらも終には仏なり」と副題した一冊の対話本が贈られてきた。『死を想う』と題し、死は「とっておきの最大の楽しみ」と帯に出ている。そこまで言うかとおどろくが、読んでもないと何も言えない。「いつかは浄土へ」というような願いは、無い。一片のわたしは、波。海に入れば海になる。それだけだ。それまでは嬉々と念々に死去し念々に新生したい。
2007 4・30 67

* 「世界の歴史」の『明・清』の巻を読み終え、次は第十巻、『フランス革命とナポレオン』だ、当然やがてアメリカの登場になる。近代の大きな展開。
このシリーズ、小活字で各巻五百頁を越す。少しも慌てないで一巻に数ヶ月掛けても、じっくりじっくり楽しんでいる。世界史をよく知らずに「現代」をよく理解することはとても無理。

* 夜前は、いつもの音読、バグワンと、大拙『無心ということ』、『太平記』に加えて、ルソーの『告白』それとホメロス『オデュッセイア』も音読してみた。
ルソーが、どうも、まだ、乗ってこない。
それに対し、ホメロスの面白いこと快適なこと、黙読よりひとしお身にしみてくる。声と言葉とで読むそれ自体が、嬉しくなる。ニンフのカリュプソーの愛に捉えられて、絶海の孤島をどうしてもぬけだせなかったオデュッセウスは、女神アテネらの助力でやっと脱出したものの、またポセイドンの憎しみに妨害され、大海の嵐に海へ投げ出されたがまたべつの女神に救われ、アテネにも導かれて、べつの島浜にやっとはい上がった。
オデュッセイはトロイでの戦勝からの帰国中、なぜか神ゼウスらの怒りにふれ、果てしない大海の放浪に悩まされつづけるのだが、その経路が学問的に「問題」にされている、らしい。カッスラーの現代小説の中で、その経路がどうも北アメリカの西の湾あたりに克明に推定されていて、俄然わたしは興味をもった。そんなことなら、停滞していたホメロスの読みを再開したいと。
その欲心が幸いし、訳文にもすばやく馴染んで、今は物語に真実魅されている。映画『トロイ』も役に立った。あの映画のショーン・ビーンの風貌を思い描きながら、荒波に翻弄されて運命と闘っているオデュッセイと、わたしも行をともにしている。

* 『星を帯びしもの』も深夜わたしを眠らせない。アイシグの山の地底深くで不気味な敵と闘わざるをえなかったヘドの若き領主モルゴンは、さらなる旅をエーレンスター山へと目指して、今しも出発のはなむけに、狼王ダナンから、ふとしたおりの瞑想境のためにと、いながらに「樹木」に成る術を習っている。大鹿のヴェスタに変身するよりずっと易しい、「静かに」なればいいだけだと王は言う。「あんたは成れる」とも。わたしがこの物語で最も心惹かれて羨ましいのが、此処だ。静かに一本の立木に成れる…。なんと素晴らしい境地だろう。「静かに」成れば、成れる。これは教えられる。
2007 5・2 68

* 名古屋市大の谷口さんから、脚のけがのお見舞いと、最近の研究論文数本が届いた。ありがとう。

* 明治学院大学名誉教授の粂川光樹氏の大冊、最近笠間書院から出された初の単行本『上代日本の文学と時間』も贈られてきた。医学書院に同期に入社した四人の一人で、彼は一年もするかせぬかで退社し、わたしを大いにうらやましがらせた。フエリス女学院の先生の頃に、わたしを呼んで講演させ、中華街でご馳走してくれた。のちに明治学院大に移った。この方面の研究者とは識っていた。古事記、日本書紀をつづけて音読して間もないこと、楽しみにこの大著に敬意をもって向かいたい。
医学書院で、入社してすぐわたしが主任を務めていたデスクに配置された、中島信也君(筆名・小鷹信光)の、これも早川書房刊の大冊『私のハードボイルド』も、堂々の半ば研究書の印象すらある自伝ふう歴史本であった。彼も医学書院に初出社の日を顧みてあんな情けないイヤな日はなかった、一日も早くやめたいと思ったと書いていて、あまり似ていたので笑ってしまった。
彼は徹底したハードボイルド畑の訳者・筆者で、仲間も、著書もびっくりするほど多いはず。わたしとは、ピンからキリまで方面のちがう書き手で交叉点はなかったが、共通の知人である書き手は少なくない。ペンの委員会や理事会で、彼の本に顔を出していた書き手とも何度も一緒になっている。
退社は、どっちが早かったか覚えない。中島君は会社に入るより前から、大学時代からもうその方面に地歩をもち仕事し始めていた。彼がデスクにいたちょうどその頃、わたしは昼日中東大国文の研究図書室に身を隠し、夢中で徒然草文献に読みふけっていた。その勉強から、書き下ろし長編の『慈子(斎王譜)』が生まれた。無我夢中であのころは勉強した。大学の勉強などものの数でなかった。仲間など一人もいなかった、妻のほかには。いや、編集長重役に長谷川泉がいて、わたしは、長谷川さん、あんなに忙しくてしかも森鴎外はじめ三島や川端の研究と啓蒙者として沢山な研究書・著書を持っているのだもの、自分もやれると、いつも気を張っていた。幸せな環境だったと今にして思う。
他に医学書院からは、わたしの知る限り、後輩に評論家樋口覚が出ている。先輩で上司だった畔上知時氏も優れた歌人で、何度も自著で紹介している。
2007 5・4 68

* ルソーの『告白』がだんだん面白く展開して行く。まだ彼は、少年。今の日本や世界を眺めていると、ルソーの思想は、お伽噺めく空想のように思う人が多かろう。しかし、ルソーの思想と先導なしにフランス革命が成功したとは全く思われない、思われていない。彼の思想は、人民の力を構築し爆発させるだけの素朴すぎるほどの起爆力に溢れていた。人民の、不平等格差への絶対的な怒りを彼自身が共有していた。彼は貴族でもブルジョアでも学歴人でもなかった。つらい格差に揉まれて熱烈に独学した天才的な思想家だった。体験や実践の天才でなく、直観と洞察で人間の本性を鼓舞しうる思想力をもっていた。わが日本のいまの社民党や共産党には、ルソーの確信と怒りと理論とを、ホンのかすかにも受け継いだ思想家が、完全不在。なさけない極み。土井たか子も社会党を投げ出し、失敗した。
2007 5・6 68

* 毎夜読んでいる『総説旧約聖書』は、本格大部の研究成果。わたしなどにはかなり高度にすぎた精密なものだが、例の、頁をペンで真っ赤に汚しながら食いつき、いまいわゆる冒頭「モーセ五書」の解析と諸説を読み進んでいる。同時に『旧約聖書』本文を、もうずいぶん先まで読んできて、おかげで方角も知れない曠野に、道案内がついた心地がしている。
たまたまそういうことになったのだが、もう一つ、『世界の歴史』は「フランス革命とナポレオン」を亡き桑原武夫さんの啖呵を切るような筆致で読んでいて、気がつくと、併行して読んでいるルソーの『告白』が、うまいぐあいに対になってくれている。ルソーのもだんだん面白くなっている、幾クセもある文体で述懐であるが。
今日の流行り言葉でいえば、ルソーほど、人間・社会・政治の「格差」「不平等」を心底憎んだ人はいないだろう。わたしなど、その一点でルソーの歴史的・今日的有意義を思い、日本の政治家の口へ「ルソー」をねじ込んでやりたく思う。
同じくは、『千夜一夜物語』世界にも啓蒙的な解説本があればなあと思いつつ、文庫本の各冊に詳細な「註」をも、克明に楽しんでいる。まだ半途にいる。
2007 5・12 68

* 江古田駅西の武蔵野稲荷に参ってきた。そのころから急に脚が痛み出した。
二時半、そのまま江古田駅に向かい、池袋から有楽町線で新富町までゆき、そこからタクシーに乗り三十分遅れで電子文藝館委員会に参加した。
そのあと、今日で一応総員任期切れの辞職。八人の委員が残り、近くで一夕の歓。朝からほとんど食べていなかったが、その店でもビールと焼酎のほか何もほとんど食べなかった。あと、一人で銀座から帰宅、「千夜一夜物語」を面白く。
2007 5・14 68

* 俄然、鈴木大拙が難しくなってきた、理解が届かない。ところがバグワンの方は的確に胸に響いて、ストンストンと腹に落ちてゆく。透ってゆく。沈透いてゆく。ありがたいと思う。
2007 5・14 68

* 一昨十三日、パトリシア・マキリップ『イルスの竪琴』の第一巻『THE RIDDLE-MASTER OF HED = 星を帯びし者』を原作本で読み上げた。脇明子の訳本で三百頁以上ある。いつ読み始めたか忘れているが、ほぼ一夜も欠かさず、何冊もの読書のしめくくりに、この英語を少しずつ楽しんできた。訳本で何度も読んでおり、ストーリーは頭に入っているが、細部の言語的な感銘は原作を逐一読み通してゆくことで、もっと深く密着でき、おどろきも、発見も納得もやはり原作の表現にはすごみがある。
ヘドのモルゴンは、ついにエーレンスターの奥山に「HIGH ONE」を尋ね、その玉座に、見てはならない顔をみつけて、世界もくつがえすほどの「シャウト=叫び」を放つ。深夜についにそこへわたしもたどり着き、モルゴンの叫びを聴いた。
第二巻を昨夜から読み始めた。
2007 5・15 68

* 『太平記』を読んでいた数日前、「一事一会」の四文字に出会った。注はなく、現代語に訳してある部分をみると、ごく生活的なその文字通りの意味に訳してあった。事も出来事、会もいわば会合。会得するの「会」ではなかったし、「一期」という背景も感じられなかった。もちろん、太平記は堺の茶人武野紹鴎らの時代に相当先行している。この四文字を念頭に、禅に接していたのちの紹鴎や山上宗二ら茶人たちが「一期一碗」と言いはじめたのか、さらに時代がくだって井伊直弼の「一期一会」に達したかどうか。注目していい。
2007 5・16 68

* 心嬉しいことがあった。
医学書院時代の後輩で、わたしのデスクに配属されてきた同僚中島信也君、筆名小鷹信光君が大著『ハードボイルドと私』で評論部門の推理作家協会賞を受けていた。新聞で見つけた。この著は十分それに値すると、もらったときすでに独り思っていたが、適切に実現した。推理作家協会というのはわたしには無縁世界だが、知人には大勢会員がいる。我が息子の秦建日子も現にそうであるらしいが、ペンの同僚の阿刀田氏も猪瀬氏も此の本に名前の見えていた権田萬治氏も、その他大勢が入っている。ま、仲間内、内輪の賞といえども、心ゆく心嬉しい受賞の報に胸が温かい。
2007 5・17 68

* 桶谷秀昭氏から新潮新書『人間を磨く』、小沢昭一氏からちくま文庫『色の道 商売往来(平身傾聴裏街道戦後史)』をもらった。
桶谷さんの本の帯には「人を嗤う人間になるな」とあり、小沢さんのには「真実は、陰・脇・裏にある」とあって、介添人のような役で永六輔氏の名も出ているが、全面小沢さんが「色の道」の商売人たちにインタビューしている。この人はインタビューの名人で、同様の本をもうずいぶんたくさん戴いている。貴重な資料本も含まれていた。
まずは対照的な二冊だ。「胸を打つ40(編)の深い思索」で桶谷さんの本は、ある。まだ両方少しも読んでいない、昨日に貰いたて。ありがたいというか、書庫と二軒の家屋とに溢れている本の少なくも半数は、いやもっとかも知れない、みな、人様に贈られた本。わたしは基本的な辞典、事典や、どうしてもと思う全集や古典こそ自身で揃えるが、小説単行本のたぐいは著者に戴いた本を、人と内容とを吟味して架蔵または手近に積んである。玄関にも階段にも戸棚にも床脇にも積んである。ふしぎにどこにどんな本があると覚えている。
いろんな本を、研究書、小説、詩歌、批評・評論、随筆、地誌、歴史、古典全集、古文献それに、個人全集・事典・辞典まで、久しく贈られ続けてきた。わたしがそれらをよく「読む」からであろう。わたしと人さまとのお付き合いでは、書籍の贈答が最も豊富多彩。愛着も深い。役にもたくさん立てた。よほど畑ちがいでなければ、いまわたしが必要とする程度のことは大方書庫へ入れば見当がつく。堅いのも柔らかいのも右から左へ、いろんな顔と本とが混じっていて、それもわたしの「顔」であり「世間」である。
そして日々にもらっている、いろいろなメールや手紙やメッセージも、いわば寄贈された書籍世界と、範疇としては同じ人間的な質に満たされていればこそ、わたしは敢えて此処へ遠慮しいしい置かせてもらっている、むろん聴して下さる人のものに限っているが。
人は、われ一人の思いこみでは、まず間違いなくまっさきに「自分自身」を見間違え見失う。相対化ということには、相対化なるが故に、蓋然性以上の精度は求めにくいのは知れたはなしだが、絶対化よりは誤謬に距離がもてる。根本において人は孤独で、そうあって自然当然だという想いがわたしにはある、が、それでも日常的にわたしは、自分を滑稽に絶対化しない道を歩いている。自分で眺めている自分なんて、眼をそむけないで暴くように眺めれば、ずいぶんと醜悪で、ねじけて、汚れているものだ。居直ってそれを肯定も容認もしないで、柔らかに静かに生きて死んで行けるようにするにも、わたしは大勢の人に手を貸していただきたいと願っている。
2007 5・19 68

* 十分眠らなかった。『フランス革命』が興深く、手放せなかった、一度は灯を消して寝ようとしたのだが、また灯をつけ読み始めた。桑原武夫担当のこの一巻、なまじな小説より百倍もおもしろく刺激に富んでいる。
フランス革命というとバスチーュにはじまり、ルイ十六世の処刑 王妃マリ・アントワネットの処刑、そして恐怖政治とぐらい概略は知っていても、ほぼ日を月を追うかのように推移・経過の必然を詳細に覚えていたのではない。
岩波新書で『フランス革命』を、ツヴァイクの『マリー・アントワネット』『フーシェ』を、モロワの『フランス史』を読んできたが、桑原さんの歴史としての記述のおもしろさはまた格別。
ことにロベスピエールという人材の大きさや重さを、はじめて共感ももろとも教わった。これまではへんに恐れるように名を記憶していた。ルソーを愛読した希有のこの革命家に畏敬と共感をもったのは、桑原さんの学恩である。ルソーのような、ロベスピエールのような哲学・思索・洞察・実践者を「日本」はついにもてなかった。
ルソーの『告白』も桑原武夫訳。訳がいい。夜ごとに佳境へ。全二巻の岩波文庫を読み終えたら、『エミール』よりも『社会契約論』『人間不平等論』など読んでみたい。
睡眠を奪ったもう一つは、やはり『イルスの竪琴』第二巻。英語を逐一追っていると深夜の睡魔に降参しそうなものなのに、あとをひくようにいつまでも手放せない。この物語のもう一人の主人公レーデルルという公女の魅力をこの巻では先ず追って行くのである。
『オデュッセイア』と部下たちの、神にのろわれた苦難の海行が、神話的に続いている。もっと昔に読んでおきたかった。彼ら受難の大海放浪はトロイからの帰還時のこと、せいぜいあの海域でのこととわたしは多寡をくくっていた。だが、カッスラーの読み物の中で、それがアメリカの西海岸にも至る大航海であったとつぶさに示唆されていて、俄然読んでみたくなった。読み始めると、そんな詮索を超え、やはり神話伝説のおもしろさに毎夜惹かれている。
旧約聖書は途方もなく麻のように乱脈、殺伐としている。エホバ神への契約の恐れが、その導きとともに、時に血なまぐさく続いている。この大昔の訳本では「エホバ」としてあるが「ヤハウェ」が正しいらしく、『総説旧約聖書』にしたがえばイスラエルの神の名は、古くは「エロヒーム」など今一つ二つべつのの名でも呼ばれていたそうだ。すべてわたしの初めて歩いてゆく道である。
ついでというのではないが、会社へ同期で入社した粂川光樹君の、明治学院大学名誉教授としての大著、『上代日本の文学と時間』も読み始めていて、これにも教えられる。視野をひらかれ深められている。感謝。
万葉集の全ての歌を、そして出来たら八代集の和歌をぜんぶ「音読」予定に組み入れたくなった。
そして桶谷秀昭さんの『人を磨く』も半分ほど読んだ。桶谷さんらしい。

* 読書は、わたしには今は「シャワーを浴びる」ような爽快な楽しみ。「知識という垢」はむしろ洗い流される。良い本は、ああ生きていて良かった、良かったと思わせてくれるし、そのどれもこれも直には体験できない世界。天に輝く星星を眺めているような嬉しさ。それだけで、足りている。「今・此処」がきれいに洗われ拭われ、無心を無のまま満たされる。
2007 5・21 68

* 『太平記』がおよそ成ったとき、日本の中世は太平どころか、ほど遠くなっていった。平家物語、太平記、そしてわたしはさらに応仁の乱のころへ次なる関心を重ねて行こうとしている。

* フランス革命はおびただしい恐怖政治の犠牲の血を流し続け、ロベスピエールもサン・ジュストも断頭台に果てた。彼らは「サン・キュロット(長いズボン)」のしかも小ブルジョワや農民の支持を得て、革命の完成に奮迅の努力を重ねたが、「キュロット(半ズボン)」の貴族や大ブルジョアの権力支配へ落ちついて行く歴史の流れを、阻みきれなかった。基盤が狭く薄かった。「キュロット」は多く殺戮されていたが、「サン・キュロット」の力を突き抜いてブルジョア資本主義への動向を決定的にする勢力は、「平原派」と呼ばれる中間勢力として多数残っていた。
わずか五十日後には断頭台に斃れる運命のロベスピエールら「モンテーニュ派」の巨人たちが、革命の「絶頂」として実現した「革命祭典」の演出は、それはそれは大がかりにかつ緻密な意向で構成されていた。責任編者の桑原武夫さんも謂っている、まさしくそれは近代オリンピックやまた北朝鮮の好んで行うあのマスゲームのみごとな濫觴・嚆矢というべきものであった。「恐怖政治を必要とした思想」には少数の権勢により人民大衆の支配が二度と為されてはならないという「不動の理想」が働いていた。理想は、だが、持ち堪えられない。
フランス大統領選に敗れたロワイヤル女史には、どの程度かは確認できないがこの理想が生きていたかと見受けられる。当選したサルコジ大統領は、むしろフランス革命を事実上終結させた軍政皇帝ナポレオンとブルジョア資本主義との継承意志が見て取れなくない。
2007 5・22 68

* たしかな記憶に限って言うと、ナポレオンにふれ合ったのは、『モンテクリスト伯』と『戦争と平和』で早かった。前者では、彼はひとたび敗れてのエルバ島逼塞から再起を期していた。後者ではモスクワへの侵攻と冬将軍への屈服・敗退が壮大に描かれていた。
いま「ナポレオン」を読んでいて、当時のフランスの情勢理解に資するのは『モンテクリスト伯』であって、そもそもエドモン・ダンテスが船主に依頼され雌伏のナポレオンに密かに使いしたのも、その結果ダングラールやフェルナンに密告されたのも、検事ヴィルフォールの手で冤罪のまま死の牢城に絶望的に禁獄されたのも、この検事の父が親ナポレオン派であり、王政復古に出世の望みを抱く息子はこれを王に注進するなど、微妙なところが物語の展開自体で解説されていた。なんだか懐かしくなって、またもやあの『モンテクリスト伯』が読みたくなってきた。
わたしは低俗な読み物を低俗と言い放ってはばからない頑なな男だが、それは低俗だからであって、優秀な読み物は歓迎してきた。世界的にはわたしは『モンテクリスト伯』に匹敵するなら大歓迎としている。国内的にはなかなかそれほどの大傑作には出会えないが、直木三十五の『南国太平記』には引き込まれた覚えがある。
2007 5・25 68

* よく寝た起きぬけの暫くは脚が軽いので、出来るときはつい寝坊する。
午後一番に「臻」くんが機械を見に来てくれる。晴れていて気持ちが良い。腫れていてと、機械が、さきに謂う。気持ちわるい。
夜前、思いがけず録画の映画に引き込まれて二時になり、それから本を読んだ。音読の大拙、バグワン、太平記三冊のほか、世界史とマキリップだけにして寝たが。
『ナポレオン』が政治にも天才的であったことはわかるが、その天才は彼一人の権力構成がいかに正確で強圧的であったかにあり、王政・王党を倒した「革命」精神を利しつつ、自身、世襲是認の終身第一統領から帝政へと強硬に駆け上ってゆく。彼が、国民に「自由」はいらない、「平等に扱えばいいのだ」と謂うとき、頂点に立つ彼の絶対強権下での平等にすぎなかった。
あやしげな政治屋ほど、ともすると彼の天才ぬきに、凡庸に、ナポレオンの強権支配をまねたがる。みな、そうだ。好き勝手に憲法をかえたり勝手に解釈したりしたがる。
『フランス革命とナポレオン』の経緯をていねいに見返していると、いままさに日本国民として迫られている憲法改悪へのあしどりの、隠された、いやもはや露わに露わな政権の強権意志が目に見える。ナポレオンは「宗教協約」をローマ法王と結んで、さらに強権城を守る堀を確保したが、そのローマ法王庁がとほうもない教権・強権により中世を近代へ自壊させたことはだれもが知っている。ナポレオンとローマとの一見「美しい」取引ははなはだ強度のエゴを互いに持ち合っていた。いま安倍自民が、権力志向を徐々に露わにしている創価学会系公明党と巧みに結託している。似ている。歴史的な脈絡をちゃんと得ている。おそるべし。
そして「第三身分」の我々は、またもまたも闘わねばならない、条件はなはだ悪く。
この際政権が真剣に恐れて弾圧を着々派嘗ている対象が「インターネット」にあることを、われわれ国民・私民は、絶対忘れてならない。われわれに身を守れる武器は他にない、「インターネット」しかない。他のすべては権力が握っている。マスコミをすらも。
2007 5・27 68

* 東京會舘への往復に『千夜一夜物語』第十三巻を読み終えた。このところ、ずうっとアラビヤンナイトが面白い。

* ペンの理事会、総会、理事会、懇親会に出て、懇親会の乾杯を待ちかね、乾杯だけし、さっさと帰ってきた。
「きく川」で久しぶりに鰻を食い、本を読みながら「菊正」を二合、おいしく。
2007 5・30 68

* いま、最後の仕事の打ちの一つに、E会員渡辺通枝さんの随筆を読んでいる。この人は「随筆」欄の最初の出稿者で、現在八十半ばになる。最初に原稿をもらった頃のこの人の随筆は、まだいくらかたどたどしくて表現も淡泊すぎるか説明的になりがちだった。
それがどうだろう、今回送られてきたそれぞれに短い二十編は、いわゆる「随筆」のお手本のように無垢に澄んで、表現も美しい。ほろほろと何度も優しさに泣かされもする。こんなふうに随筆は書かれる。むかしの網野菊さんや森田たまさんを思い出す。共通しているのは「生きている日々」の美しさ、人柄の無垢だ、それが読み手をしたたかに感動させる。しなやかに清いのである。
なかなか、だれも気張るものだから、または気取るものだから、とても、こんなふうに自然に具体的に書けない。佳い文章に出逢えたなあとわたしは喜んでいる。人の仁があらわれている。もう一週間もせぬ間に「ペン電子文藝館」に送り出せるだろう。
ついこの間、わたしの『初恋』もふくめていっぺんに三編を送った。その気になれば、わたしの仕事は早い。あと何人かぶんがお預かりしてある。わたしの読みと仕事を信頼してくれる人たちだ。早く済ませたい、が、慌てても仕方ない。
2007 5・31 68

* ゆうべも遅くまでたくさん本を読んで、眠い。 おもしろい録画映画があれば観て、無ければ湯につかってナポレオン凋落の経緯を読むか、千夜一夜物語の面白いあとを読み継ぐか。
『オデュッセイア』もついに「帰国」し、この先の展開が気になる。思い大判の本なので湯につかりながらは、ムリ。なんだか奇妙な味わいのルソー『告白』も、けっこう先を誘ってきている。
「日大」の谷崎話が麻疹休校で気抜けしてしまった。学生たちが何を聴きたがっているのかが分からない。
2007 5・31 68

* 日付が変わる。わたしは、これから、だ。一日の終わりに思うには妙なものだが、人の人にもつ意味や重みというのは、当然ながら変わる。
エドモン・ダンテスにおけるダングラールは、もともとエドモンに悪意を持っていた。彼が陰謀でエドモンをいやしく陥れて地位を入れ替わるのは、むしろ予想される成り行きであったが、エドモンはそこまは察してもいなかった。わたしがあの長編小説で最もイヤなやつだと思い続けてきたのはダングラールである。フェルナンにはまだ従妹メルセデスを想いエドモンを陥れたい恋情があった。恋はくせ者、彼への軽蔑はダングラールへのそれよりはうんとマイルドだった。むしろ、のちに検事総長にのしあがるヴィルフォールの、エドモンを容赦ない冤罪に陥れることで地位と権力へ平然と這い寄って、掌を返すように動き出す偽善は、はるかに軽蔑に値する。ダングラールやヴィルフォールに似た奴ばかりで、人間の世間は、上古このかた動かされてきた。肩書きと権力とのためには彼らはいつも平然と、自身の判断をすら自身で裏切る
2007 6・4 69

* 深夜三時まで、いつも以上にどの本も楽しんだが、断然『オデュッセイア』が面白くなって。オデュッセウスはついにイタケーの自分の国、自分の故郷に帰り着き、女神アテネの助力も得て我が子テーレマコスとももう再会した。いよいよ愛妻ペーネロペイアのまだそうとは知らず夫をまちこがれる我が家に入ろうとしている。物語は佳境の半ば。一気に読んでしまいたくなる。

* ルソーというのは変に捻れた陰翳を身にまとった男で、率直だ率直な告白だと繰り返し言い訳しているけれど、いくらか気味のわるい面がヌッ、ヌッと顔を出す。生涯気に病んでそれで「告白」を書く気にさせられたと言っている、或る純真無垢の少女に盗みのぬれぎぬを押しつけ自分の罪を免れ通した話など、ゾッとする、いやみったらしさ。行為もそうだが、書き方も気色が悪い。ルソーの思想家・啓蒙家としてのえらさはよく分かっているだけに、この違和感はなんとかしたいものだ。
2007 6・5 69

☆ よかった  花
脚がだいぶよくなられたようで。つづけて安静にし、もっとよくなってくださいね。
講演も、新刊入稿も終えられたとは。さっぱりしたでしょう。
お元気ですか、風。
花も、散髪してさっぱりしましたよ。
美容院が混んでいたこともあり、四時間近くかかってしまいました。
帰りしな、ホームセンターに寄ったら、健康そうなパキラが売りにでていたので、買ってきました。前から、いいのがあったら買おうと思っていました。
幹をねじったり編んだりしたものがよくあるけれど、不自然だし、ちょっと気持ち悪いですね。買ったのは、幹がまっすぐ伸びているものです。ねじってあるものに比べ、葉が、きれいにすっと伸びていましたよ。
お天気の日がつづくといいですね。風にいただくメール、いつも楽しみ。
花は、元気元気の毎日です。

* 我が家にパキラが葉を茂らせた初めは、いまはハワイで二人の子のいいお母さんになっている読者に贈られた、ガラスの鉢植えだった。植え替えをしたほどずんずん大きくなった。季節の爽やかさをはんなり送り届けて、このメール、まだ五月の薫風を抱いている。

☆ おはようございます  春
昨日の講演のお疲れはでていませんか。脚の具合はいかがですか。
今日は、近くにパリなみにクロワッサンのおいしい店があるので、そこに買い物に出かけるくらいで何の予定もありません。朝食においしいクロワッサンとエスプレッソがあるとご機嫌です。
と言いつつ、今朝の気分はかなり落ち込んでいます。新聞で小田実さんの病床インタビュー記事を読んだせいでしょう。「生きているかぎり、お元気で。それが私の気持ちだよ」……。そうですね、小田実さんに感謝を。
お元気ですか、湖。今日も一日お元気で、お幸せにお過ごしください。
お願い。もし可能なら谷崎の講演原稿を読ませてください。ホームページに載せていただいても電送していただいても。
もっとも、一番熱望しているものは「私語」全部の復活ですけれど。

☆  梅雨入り前の晴天!  ゆめ
先生、おげんきで大学に出講されたご様子、よかった!  その谷崎の講義、できるものなら私も受けたいくらいです。
『湖の本エッセイ 40 愛、はるかに照らせ』は、時々ページをひらいて先生の解説を読むのを楽しみにしています。最初に『梁塵秘抄』(NHKブックス)に出会った時と同じように、先生の解説は他の本とはひと味違うな・・としみじみ思いながら・・・。
再就職の仕事は少し慣れてきましたけれども、役所の事務なのでかなり煩雑で細かく、覚えるのは案外大変です。会場の受付はネットシステムが導入されて4年になるのですけれども、まだ手動と機械が混在していて、そのため二重作業になっているからです。当節のパートとか嘱託とかというのは、給料だけのことで、仕事はしっかり正職員並みに責任を持たされます。
先日教えていただいた井上靖の「娘よ・・・」という詩、私にとっても少し胸の底が痛くなるような作品でした。演劇ワークショップのために作品を書いているとき、無意識に父との記憶の断片がエピソードとして入ってきたりして、自分でも驚くときがあります。そんなとき、好むと好まざるとにかかわらず、そこから一生逃げることはできないのだなあ、と痛感します。
梅雨入り前のひととき、どうぞおげんきでお過ごしくださいね。

* また大学に講座をもったのではない、あり得ない。その気がない。
2007 6・5 69

* ナポレオンは大西洋の孤島セントヘレナで死んだ。歴史の必然を最大限に体現した一人の人間。

* 『ナポレオン伝』の著者スタンダールは言う。桑原武夫の要約に従う。
人間が未開状態から脱するときの最初の政体は専制政治であり、それが文明の第一段階である。
貴族政治がこれにつぐ。一七八九年以前のフランス王国は、宗教的・軍事的貴族政治であった。これが第二段階。
代議政体はきわめて新しい発明で、印刷術の発見の必然的産物だが、これが第三段階である。
そして「ナポレオンは、文明の第二段階が生み出した最高のものである。」
スタンダールの目は、この天才に対する偏愛によって曇ってはいない。ナポレオンはたしかに「革命の子」でありつつも、「第二段階」を脱却しえなかった。内心つねに人民(の結集し団結する力)を恐怖していた彼は、民主主義を理解ないし実現することはできなかった。

* あのように卓越した資質をふまえて、あのようにつよい自信をもつ人間は、もともと民主主義には適しないのである。彼は平静な時代でも、「第二段階」の「名君」にはなったであろう。要するに彼は人民の政治的発言を封じておいて、しかも人民の利益を洞察し、これに満足を与えたいと考えた。そして、その方針は或る程度まで成功した。それはつまり「家父長的」ということである。そう、『世界の歴史』第十巻の桑原責任編集巻『フランス革命とナポレオン』は言う。説得される。
そして再び、凡庸で程度の低いナポレオン批判に対し、スタンダールは静かに言い切る、「俗物には、精神的とは何かということがわからない」と。

* わたしはこの巻を読み終えるよりずいぶん昔に、ソブールの『フランス革命』のほかに、『フーシェ』の評伝を読んできた。わたしが、あらゆる人間のなかで最も厭悪し軽蔑する人間の彼は最悪の代表者であり、フランス革命の全経過ですべての巨人や賢者や才能を裏切り続けて地位と権力を得たヤツである。ナポレオンが二度目の退位宣言に署名を余儀なくされたのも彼の大臣・警察長官であったフーシェの反逆ゆえであった。

* なんとこの世間には、フーシェのように狡猾に立ち回って、地位と権力と虚名へすり寄って行くヤツの多いことか。われわれの身の回りのちいさな組織においてさえ、そういうイヤな例は見られる。それの見えない目は、見ようとしないだけのことだ、阿諛であり追従である。派閥への無意識ないし意識的な追従と自己喪失が働くから見えない、いや、見ないのである。
2007 6・5 69

* 『オデュッセイア』と『イルスの竪琴』『千夜一夜物語』そして『ナポレオン』があまり面白くて、読み過ぎて、目が冴えて、やっと寝た夢には死んだ母が例になくながなが話しかけてきて。五時前に起きてしまった。
2007 6・6 69

*「怨み」を、文学の動機や主題にしてはならないと言う人が、少なくない。「怨み」がときに「愛」の変形であることも知らない、人間をよく知らない人の薄い物言いである。 「葛の葉葛の葉 憂き人は葛の葉の 怨み(=裏見)ながら恋しや」と室町小歌は謡う。
漱石『心』の「先生」は、父の遺産を奪った叔父への怨みを、決して捨てなかった。あの作品の動機の一つは「金」であり、同じ「金の怨み」を動機にした紅葉の『金色夜叉』よりも、あるいは怨みの根は深い。
大好きで無条件に受け容れてきた『モンテクリスト伯』は、怨みと復讐で大筋が山と盛り上がる。『嵐が丘』も、ま、そうである。いうまでもない「愛」がフクザツにからんでいる。そのフクザツさの質が作品を文学に育てあげる。
『心』の「先生」の金の怨みにだけは、愛はからんでいないと誰もが思うかも知れない。「お嬢さん」ははなからそんな怨みの埒外にあると見える。それでも「先生」ははじめのうち、「お嬢さん」や「奥さん」が自分の財産をねらうかと疑っていた。
それよりも、微妙なべつの「愛」が『心』に認められていい気がしている。大事なポイントだ。この小説に愛の対象は「お嬢さん」一人と読まれてきたが、ていねいによく読んで読み漏らさなければ、「先生」は遺書の中で、十七歳ごろ、生まれて初めて目の覚める思いで「女」に出会ったと告白している。まさしく原体験であった。
作者にしても「先生」にしても、よほどの原体験でなければ、わざわざ、たとえ数行にせよ書き加える必要のないさりげない筆で、だが、明らかにわざわざ書いてある。この「女」体験と、叔父への「怨み」とに或る見えない脈絡が想像できるなら、『心』という小説は、またまったく別のもう一つの物語も生み出せる。
話が逸れた。
いま夢中で読んでいるホメロスの主人公「オデュッセウス」という名前は、「怨みの子」の意義を帯びている。彼のまだ幼い頃の根の太いエピソードに由来しているが、『オデュッセイア』というこの物語そのものも、凄絶の復讐へ絞られてゆく。ペネロペイアという愛妻、テーレマコスという愛息の名誉と安全とがかかったオデュッセウスの復讐劇に盛り上がる。
「足洗い」という章がある。「オデュッセウス」の名の由来がみごとな脈絡のなかで力強く語られながら、神の配慮から落ちぶれた乞食姿のオデュッセウスは、ついに帰り着いたわが館のなかで、それと心づかぬ妻ペネロペイアと語り、帰らぬ夫を恋いこがれて待つ妻の好意で、かつての乳母から汚れた足をあらってもらう。足には隠しようのない昔の傷があり、乳母は気づき、しかし彼は固く口止めしてまだ顕すときでないと乳母をいましめる。すでに息子だけは父の帰還を知っている。だが彼らは館の中でどうしても果たしたい「怨み」の「復讐」をのこしている。「愛」ゆえに、である。消しがたい足の傷に触れて「オデュセウス」という名の由来が巧みに語られている。

* もう語りやめておく。しなくてならない、またぜひしたい仕事が「戻れ」と誘っている。おそい昼食をしてこよう。

* 夕方、疲労して、昨日もそうだったが、二時間ほど昏睡した。何をして過ごしていたのか、あっというまにもう日付が変わってしまった。
2007 6・7 69

* オデュッセウスと子のテーレマコス、忠実な豚飼いと牛飼いとは、彼らの屋敷を野放図に占拠しトロイ出征から還らぬオデュッセウスの妻ペネロペイアに無道な求婚をつづけつつ飲食にふけり続けてきた「求婚者」たちを、女神アテーネの助力をえて、完璧に復讐を遂げた。夫妻の対面は、今夜、読む。こんなに面白い叙事詩をいままで自分が未読であったとは、いっそ恥ずかしい。
2007 6・8 69

* 戦略爆撃の歴史は浅い。だがその過酷な爪痕は、ゲルニカをみても、重慶をみても、そしてわが広島・長崎をはじめとして全国津津浦浦に及んで惨憺たるものがあった。飛行機は戦争の歴史を真っ黒に塗り替えた。東京大空襲、大阪大空襲、横浜大空襲。日本にもう戦力のないことを見極めてからの容赦ない兵器実験の殺戮に航空機は使われた。小田実の『百二十八頁の新聞』と一対たらしめるべく、いまも『戦略爆撃と日本』という今井清一氏の文章を校正している。だれもが読んで記憶して戦争に反対しなければならない。
2007 6・8 69

* 『ニューオーリンズ・トライアル」という「銃」を主題の裁判映画をおもしろく二日掛けて観た。ジューン・キューザックとレイチェル・ワイズの若い二人を芯に、ダスティン・ホフマンとジーン・ハックマンの大物が対決する。銃社会を維持すべく陪審員を大がかりに監視し籠絡し勝つためには超巨額の金を動かす、その悪辣な策士社会をジーンハックマンが好演し、弁護士ホフマンも陪審員の一人キューザックと恋人レイチェルも死力を尽くす。
陪審員制度の背後にこんな闇社会がほんとうに蠢くのかどうかは知らないが、わたしは今毎夜、「アメリカ」がアメリカとして成り立ってゆく歴史を読み続けていて、頭の中でその興味が幾割かを占めている。アメリカの歴史をよく知ることは、今日を批判する前提としてほぼ絶対的に必要なこと。
世界の映画で日本で観られる多くがアメリカ製、そしてフランス映画がついでいるようだ。アメリカ製の現代映画は、どんなにくだらなくてもアメリカを証言していると思って観てきた。『勇気ある追跡』でも『ダンス・ウィズ・ウルヴズ』でもそうだ。『ダーティー・ハリー』も『ランボー』も『ダイ・ハード』もむろん『マトリックス』や『アメリカン・ビューティ』もそうだ。
アメリカ史に触れて行きながら、映画好きのわたしの楽しみは色濃さを増す。

* 今井清一さんの「第二次世界大戦と戦略爆撃」は日本国土が「米軍機の初空襲」を受けるまでのまさに歴史を記述したモノで、学究の筆は感情的に激することなく、しかも事実を抉ってあまさない。小田さんが書いていた「ボアされた(注がれた)」ゼリーのようなナパーム焼夷弾の開発もきちんと説明されている。無辜の文化都市ドレスデンが米空軍の戦略爆撃により一挙に五万人の市民を焼き殺したことも、広島長崎をのぞいてなお東京、大阪、横浜などの大空襲は上回る死者を出していたことも、淡々と記述されてゆく。今井さんのお許しを請い、「ペン電子文藝館・反戦特別室」に残してゆくわたしの「思い」である。「主権在民史料」もぜひ増やしていって欲しい。
私の校正を終えた。妻にも読んで貰う。

* 望月洋子さんの中村真一郎の思い出を書いた江戸文学論もスキャンした。わたしに託されていた「ペン電子文藝館」への出稿申し出分は、あと四国の薄井八代子さんの分だけだと思ったが、薄井さんのモノは少し調整を必要としている。
2007 6・9 69

* 朝、六時頃に起きた、もう眠い。夜分すんなり、その日のうちに寝入るよう、読書の時間帯や方法を変えた方が健康に、ことに眼のために良いかと、ときどき思う。しかし明日にお構いなく夜更かしして本を好きなだけ読むというのは、老境のとっておきの楽しみでも。
2007 6・10 69

* 夜前『オデュッセイア』を読了。むろん引き続いて『イリアス』を読む。旧約聖書の『列王記』を今日明日にも読み終える。旧約・新約を読み通すのにいちばん時間がかかるだろう。しかし読み通すのが、とても楽しみ。『総説』を併読、ていねいに勉強しながらじりじりと読んでゆく。
2007 6・11 69

* 平曲の海道落と千手とに関心を寄せていた。能の熊野で母重篤を告げてくるのが、平家物語の本にもよるが、熊野の妹侍従であったとしてある。そして東海道を引かれてゆく囚われの重衡を池田宿で慰めたのが侍従となっている。ただそれだけのことであるが、ものあわれでわたしは身にしむのである。橋本敏江さんが演奏の海道落、千手、期待の好演。
2007 6・11 69

* 「江戸文学」が「誤読」の特集を送ってきた。読書とは誤読の集積である。正読というのは幾何学的に謂う線のように、概念としてのみの存在にちかい。

* 鈴木大拙の講演は「義・理」において面白いが、なにとしても仏教から語り宗門宗派から語り信心や座禅から語る。仏教学になり哲学になっている。知識または知解を求めてくる。むろん頓悟や横超や徹底や無分別や無心を語ってくれるが、マインドでの応接になってしまう。
バグワンは有りがたいことに教派や教義をいわない。わたしならわたしの苦や迷や分別を指さして厳しく語ってくれる。バグワンを聴くのにわたしは仏教徒でもジャイナ教やキリスト教や回教徒である必要がない。教義を経典により勉強せねばならないなどと彼は決して言わない、それは分別と知識とに陥って大事なところを見失うだけだと言い切る。さりとて、念仏や題目をすすめることもない。おまえはもともとブッダなのに、ただそれに気づいていない。それだけだ、夢の中にいるだけだ、めざめよ、と。抱き柱としての信心や信仰を彼は強いない。それはむしろ危ないという。

* 弱い自我しか持てないモノの方が自我を落とせやすいと考えるのは間違いだとも彼は的確に警告する。自我に徹し、そのために苦しみ抜いたモノがついに自我を一切拭い去り脱落せしめ得るだろうと謂う。この機微、怖いところだ。

* 弱い自我しか持てないモノの方が自我を落とせやすいと考えるのは間違いだとも彼は的確に警告する。自我に徹し、そのために苦しみ抜いたモノがついに自我を一切拭い去り脱落せしめ得るだろうと謂う。この機微、怖いところだ。

* わたしの文学修行の一端が、講談社版『日本文学全集』百何巻かを毎月一冊ずつ書架にならべてゆくことであったこと、そのために生活の窮迫もおそれなかったことは、何度も書いた。その第一回配本が谷崎潤一郎集であったから買い始めたのである、谷崎と藤村と漱石とは二巻分配本予定だった。一人一巻には錚々たる作家が並んでいたし、詩歌も評論も戯曲も随筆も収録され、さながらに近代文学史であった。わたしは作品を読む以上に数百人の著作者たちの年譜を繰り返し繰り返し熟読した。作品に対し先入観をえげつなく持たせずに、作者への理解が得られた。よく書かれた年譜は最高度の研究成果に等しいのである。

* こういう大全集のおしまいは「現代名作選」ということになる。鴎外や露伴や漱石や藤村や潤一郎や志賀直哉らからみればまだ遙か下界に近いところで頭をもたげている作者たちの作品がそこに揃う。講談社版の「現代名作選」は上下二冊第百五・百六巻が用意されていた。二の方が、つまり最も新しい作家たちである。
いま手近にその巻を持ち出していたので、目次を観ると、感慨に堪えない。
阿川弘之「年年歳歳」金達壽「塵芥」大田洋子「屍の街」山代巴「機織り』島尾敏雄「夢の中の日常」耕治人「指紋」埴谷雄高「虚空」井上光晴「書かれざる一章」三浦朱門「冥府山水図」西野辰吉「米系日人」杉浦明平「ノリソダ騒動記」長谷川四郎「張徳義」小島信夫「小銃」安岡章太郎「悪い仲間」吉行淳之介「驟雨」霜多正次「軍作業」松本清張「笛壺」有吉佐和子「地唄」石原慎太郎「処刑の部屋」小林勝「フォード・一九二七年」深沢七郎「楢山節考」大江健三郎「死写の奢り」開高健「パニック」城山三郎「神武崩れ」福永武彦「飛ぶ男」大原富枝「鬼のくに」で一巻が編んである。
一の方の最後が芝木好子の「青果の市」だった。昭和十六年下半期の芥川賞作品だ。つまり一の方は明治から太平洋戦争までだった。
そう思って二の方を見ると、水上勉も曾野綾子も瀬戸内晴美の名前もない。直木賞作家はたぶん一人も入っていない。読物作家、エンターテイメント作家、推理作家などは此処に全く文学作家たる市民権を得ていないのが分かる。
この二の発刊は昭和四十四年六月、じつにこの年この月にわたしは小説「清経入水」で第五回太宰治賞をもらっている。作家として登録されたちょうどその頃の、上の人たちがなお新人作家であったことになる。むろん、わたしは全編読んでいる。

* たまたま手近な第九十二巻を手に取ると、河上徹太郎、中村光夫、吉田健一、亀井勝一郎、山本健吉の五人で一冊。批評家五人、すばらしい顔ぶれだ、熟読し勉強したものだ。いま河上先生の「私の詩と真実」巻頭の一文を読み返しても、清水を顔にあびるよう、凛然とする。批評が文学になってる。
もう最期を予感されていたころの中村真一郎さんが、ある人に、一点を凝視し、「こんな世の中になっちゃあ、文学はもう終わりですね」と溜息とともに吐き捨てて去っていったという文章を読んだところだが、わたしが十年間日本ペンクラブ理事会に出ていて感じ続けたのが、それであった。

* くだらない雑文ですが読んでくれるかというメッセージをもらった。よくある。「くだらない雑文には、興味も、割く時間もありません」と断った。遜っているつもりにしても、そういう姿勢は気持ち悪い。
2007 6・14 69

* 久しぶりに朝七時の血糖値が、112。正常値。四時間と寝ていない。
相変わらず大拙、バグワン、太平記をキッチンで音読後、床に座り、ルソー、イリアス、旧約歴世記、総説旧約、アメリカ史、英語のマキリップ、そのあと小沢昭一の淫猥にアケスケな文庫本を耽読してから電灯を消した。
2007 6・16 69

* 壺井榮について書かれた会員エッセイを「ペン電子文藝館」に入稿すべく読んでいる。時代と闘い家庭と闘いなにより貧苦と弾圧と闘って『二十四の瞳』などを書いた壺井榮だ。地味な作家だがまちがいなく一時期を風靡して人気作家になった。
2007 6・18 69

* 小沢昭一さんの「平身傾聴 裏 街道戦後史」下巻の『遊びの道巡礼』を先に読んだ。けしからず面白かったが、無差別には人に奨めにくい。上巻の『色の道商売往来』を読み始めている。「ちくま文庫」はこういう本も出すようになった。亡き創業者の古田晁さんの頃なら想像もつかぬ「きわもの」めく出版だが、小沢さん一連の探索や開発には意義がある。いや意義の何のといってはかえってうさんくさくしてしまう。わたしはめっぽう面白く読んでいると、それだけでいいこと。筑摩の本音は分からない。
2007 6・18 69

* 四国の会員薄井八代子さんの『壺井榮二題 手さげ袋・花一輪』をスキャンして校正した。これは立派な仕事で、長くはないエッセイ二篇が感動させる。壺井榮のためにも心嬉しい回想で、この書き手の小説を前に二作読んできたが、上超す感銘を受けた。それぞれの首尾相応も確かで、佳い一作を「ペン電子文藝館」に加えることが出来る。薄井さんはすでに九十五歳だが現役で地元記念館の講座など担当されているという。敬服。

* 佳いものと出逢うのは、気持ちいい。
2007 6・19 69

* これまで何千と書いてきた原稿の中で「日本の色道」について頼まれたものは、われながら不出来であった。私の身内に西鶴の世之介ふうの、また平成の小沢昭一流の「色の道」は舗装されていないのだと思う。
無関心なのではない、西鶴の名作も愛読するし小沢さんの本のおそらくとても「いい読者」の一人に違いないと思う。でなければ小沢さんも次々へ本を下さるわけがない。ゆうべも、英語の小説をいいキリまで読み進んだ後に、また小沢本『色の道』にずいぶん刺激された。フウーッと真夜中に息を吐いたほど。
2007 6・20 69

* さ、今夜も本を楽しんでから寝る。ろくな夢も見ないので、起きての読書の方がいい。
2007 6・23 69

* アメリカの歴史を読むのは二度目だが、わたしの生まれた年からちょうど三百年前ぐらいが、建国の沸騰期。他の諸国とちがい何かしら歴史記述もからっとして、物珍しい。
植民地から独立戦争、合衆国へ。しかし各州の自立性も日本の府県などとは全く違っている。名に覚えの大統領が、ワシントンから何代目かまでつづく。アダムス、ジェファソンやアンドルー・ジャクソン。モンロー。ことにジャクソンのアメリカ民主主義のいかにも健康な樹立ぶりなど、好もしい。また学びたい。いまのブッシュ政治など、建国時のアメリカの理想からすると、頽廃もきわまれりという凄さ。

* ジャクソンはほとんど学校教育もまともに受けていない。大統領としての裁決に、All Correct と書くべきを Oll Korect と書いて、以来、「OK」という物言いが広まったなど、面白い。オーライより、オッケーの方に戦後児童のわたしらは馴染んできた。こんなところに語源ありきとは。
とまれかくもあれ、此のジャクソンという大統領からは、原点に返るほどに学び直したい多くがある。官僚登用における「インスポイルス・システム」と「メリット・システム」との柔らかに懸命な混用なども。
彼は、官僚には真面目でさえあれば他に特別の才能はいらない、それよりも官僚が同じ地位にしがみついて固着し、頽廃し、怠惰と犯罪に奔る方がよほど国を危うくすると考えていた。大は政府・自治体から、小は団体・組織・企業まで、まことその通りだ。勇退し退蔵する人間はきわめて少ない。とびつき、しがみつき続けたい。そして官軍きどりに威を張りたがる。とてもOKではない。醜い。

* 上尾君がイギリスにいた頃、わたしはアンドレ・モロワの『英国史』を読んでいて、彼も向こうで読んでいたようだ。いまハーバードにいる「雄」君も、在米中にアメリカの歴史をおよそ頭に入れておいてはどうかなあ。わたしが今読んでいるのは、中公文庫の第十巻ぐらいか『新大陸と太平洋』という一冊。これなら簡単に手に入るのでは。新潮文庫にたしかモロワの『米国史』もあるが、中公文庫の方が明らかに読みやすい。
2007 6・24 69

* 午後、校正しながら長々とひばりの番組を観て聴いて楽しんでいた。ゆうべ小沢昭一の『色の道』を多大の興味と満足とで読み終えたが、小沢さんが永六輔と二人三脚で熱心に追いかけてきた世界と美空ひばりの世界とはかなり膚接している。ひばりは権威や権力に背を向けながら自身で名声を築き上げた。好きな理由の一つ。ひばりは日本語を生かして歌ってくれる。大好きな理由の一つ。ひばりはわたしたちと同世代。親しめる理由の大きな一つ。わたしが死にかけたなら、構わず、ひばりのレコードを聴かせて欲しい。
「悲しき口笛」「東京キッド」「越後獅子の唄」「わたしは街の子」「リンゴ追分」「お祭りマンボ」「津軽のふるさと」「港町十三番地」「ひばりの佐渡情話」「哀愁出船」「哀愁波止場」「悲しい酒」「ある女の詩」「一本の鉛筆」「おまえに惚れた」」「愛燦燦」「みだれ髪」「川の流れのように」「城ヶ島の雨」「恋人よ」「昴」
読物小説もひばりの唄ほど日本語が美しく確かであれば許せるが。ひばりの歌う歌詞などおおかたはつまらない、けれど音楽音声としては天才的に日本語を把握し表現して決定的。
2007 6・24 69

* 小沢昭一・永六輔著『色の道商売往来』『遊びの道巡礼』は、先ずなによりインタビューおよびリライトの名著だった。出版の世間には同業の、名も定評もある何人もの編集者が棲んでいる。だがこの二人は、これが本業でないと大方の人は知っている。それが隠し味になり「名著の味」が行間・紙背ににじんでくる。そして内容。
常識を良識と心得ている人たちには「けしからん」と怒られそうだから奨めない、が、「人間なるもの」に根から興味を持っている人たちには、その興味に不可避の底荷をしっかり入れることにはなりますよと、吹聴しておく。
2007 6・25 69

* ヘレン・ミレンの『エリザベス一世』前編を観た。開幕すでにスコットランド女王メリー・スチュアートは、息子にも裏切られイングランドに幽囚の身になっていた。
この前編は、処女女王エリザベスと愛人レスター伯との、ややこしい友愛とも擬似愛ともいえる内縁を縦軸にしている。
フランスからの求婚者カソリックのアンジュー公との、彼女としては相当望ましかった結婚は、国民の反感により成らない。
司教や貴族たちの陰謀に負けたフリをして、ついに女王メリーを断首の刑に葬り、そしてスペインの無敵艦隊に勝利したのと、レスターの死とをラストシーンに、後編へ繋いだ。
ツヴァイクの希世の名著『メリー・スチュアート』やモロワの名著『英国史』を、さらに世界の歴史を熟読したあとで、この劇映画自体は、さほど賞賛できないおおざっぱな平凡作に見えたけれども、とにもかくにもわたしはこういう歴史映画はつとめて、好んで観る。
神が与えて戴冠した隣国の国王を、同じ隣国のそれも「世界一の親友、姉妹」と言い交わし書き交わしていたイングランド国王が、まんまと断頭の刑に死なしめた。これほどのドラマは空前にして絶後であったこと。その土壇場で演じたエリザベスの狡知の悲嘆は文字通りにもの凄かった、ツヴァイクの筆で。
今夜の映画は、それには遠く及ばなかったが、みものであった。  2007 6・25 69

* べつに昨日の芝居は関係ないと思うが、明け方に凄い夢を見続け、最後の最後、危機的な間際に、妻が驚いて飛び起きたほど「シャウト(叫び)」を放った。
魔は退散し、負けずに免れたと自覚して、そのまままた寝入った。
夢は、不連続に連続して長かった。
最初、何人かでまとまって或る金融機関との交渉があり、折衝は危うくなにもかもご破算にされそうな詐欺まがい。のこり限られたごく短い時間で家に帰って相当な金額をまた持ってこなくてはならぬハメにあった。
豪雨の中びしょぬれで家(現実の我が家と違っていた)に駆け戻ったところ、外囲いから、出入り口への横長な前庭が、背丈も及ばぬ草に充ち満ちていて、水の底を游ぐように掻き分けて行かねばならなかった。
夢はとぎれて、
気がつくと、見渡しのひろい街中であった。が、何故か、あっちでもこっちでも、どこでもかしこでも、みな人は駆け足でどこかへ急いでいた。わたしは自分がどこへ行こうとしているのか、走り出すべきかどうか、判断できなかった。
また気がつくと、四角にひろびろとした田舎の、右下から右脇へ通ってゆくだらだら坂を、すぐ先を行く一人の背を追ってわたしは歩いていた。その人はペンの委員会で前から副委員長の、今度も副委員長の某氏であった、わたしは追いついて何か彼に訊こうとしていたようだ、が、ろくに会話もせず夢がとぎれて、あらま、道連れは中村吉右衛門に似ていた。四角いひろやかな田舎の景色は同じで、自分の家がこの景色の中にありそうで無いのが、小じれったかった。わたしは吉右衛門ににた背の高い男にもたれかかって、自分の家が見つからないと言うと、彼は笑って、あるいはにやりと嗤って、あっちだとあごを振って言った。
あっちとは、まるで壁一枚の裏側をでも謂うくちぶりで、ワーンと舞台がまわるように目の前が「あっち」に変わったが、この「あっち」は、もう広やかな田舎風情ではなかった。広くはあるが巨大な地下へ口を開けた、堅苦しい大廊下に似た感じのハイウエイ入口のようであった。連れの狐のような剽悍な男は、はやすでに道の先へ一目散にかけこんで姿を消していた。くらい大廊下のようなハイウエイのような、地下へ潜ってゆくと見えた大トンネルが、実は、びっしり立ち並んだ赤黒い鳥居のとんねるだったとわたしは気がついた。
わたしは京のお稲荷山にかかった果てしない鳥居のトンネルが、昔から怖い、嫌いだ、ものの数分も行くと肌に粟立ちはあはあ息を吐いて外へ逸れて出る。参ったなと思うひまもあらばこそ、だが、もうわたしは吸い込まれていた。決心してわたしはその赤い闇の穴へ我から吶喊し、両足を前に勢い猛に滑り込んだのだ。凄い速度で、暗やみの底をわたしは一個の紡錘のように身を保ち、奔り抜け奔り脱け、幾曲がりも奔り続けて、明るい日の下の水錆びた汚い水たまりに、池に、投げ込まれていた。いやらしい池であった。水面にやっと顔をだすと、岩や石の池のふちに、ちいさな子供たちがいて、可愛げなくわたしを思い切り嘲り、嗤い、みな人の子の顔をしていたがじつは気味悪い狐たちだった。やっと池から這いあがった。そしてこれは記憶が不確かだが、なんでも池の縁のやや小高く岩や石を積んだ胸の辺に赤い一つかみの袋がひっかかっていて、それをどうしても手に入れないとわたしは助からないのであった。
ところが、小高いその岩山の上蔭から、一人の中年女のまっちろい平たい顔一つが、無表情にも、侮り脅すうにも、しらーっとした顔だけでわたしを睨んで待ち迎えていた。見るもおそろしい顔、頭髪が蛇でないのがもうけもので、その人の顔した顔も人間でなしに、まぎれない実は劫を経た白狐だった。わたしは、だが、子狐たちに邪慳に邪魔されながら、どうあっても手に入れたい赤い袋へ、じりじりと足場悪く近づいた。しかし女の無表情にこわい顔もわたしに近づいてきて怖さ限りなかった。
わたしは、されでも頑張った。向こうの手が遮るのとわたしがとびついて手に掴むのと同時、わたしは瞬時に手触りというものの感じられない赤い袋をつかみ取るとたちまち女は形相を変えた。なにか紫色とも青黒いとも先の曲がった太い枝さきをわたしへもの恐ろしく突きつけてきた、わたしは激しく「シャウト」し、はげしく池水に落ちた。水に藻掻きながら負けなかったぞとわたしは思い思い夢の外へぽかりと出た。五体がなんだかボテーっと太って感じられながら、また引きずられるように眠気に落ちていった。

* 夢は夢にすぎない、わたしは囚われない。英語で読んでいる『イルスの竪琴』でいまヘドのモルゴン、星を帯びし者は、エーレンスターの山奥、High One の宮殿ではげしくシャウトしたまま行方知れなくなっている。婚約者のレーデルルや友のライラや妹のトリスタンらがエーレンスター山へ向かおうとしている。世界は、たががはずれたように乱れ始めている。多くが憂い、魔は蠢いている。
そんな読書の影がわたしの夢にもこう伸びたのか。
2007 6・29 69

* 秦の祖父の箪笥や長持に沢山な漢籍があった。ごついのは辞典・事典の類となぜか韓非子の立派に装幀した「枕」ほどの本があった。兜虫の肌色した、なかみは知らないが本の姿や色に圧倒され尊敬した。和綴じの本も小さな文庫ふうのもあり、和綴じの唐詩選五冊と文庫の白楽天詩鈔は子供ごころに最も親しめた。
白詩に接していたことが、わたしを創作生活へと長い期間掛けて押し出した。反戦詩の『新豊折臂翁』を繰り返し読んでいなかったら、あの六十年安保の年にしきりに小説が書きたいとは、また三十七年七月末突如として処女作『或る折臂翁の死』を書き出しはしなかったろう。
漢詩や漢文にはひょつとすると和文の古典より早くに心惹かれていたのではなかったか。白詩だけでなく唐詩の絶句など、よく朗唱した。さすがに漢文はらくに読めるわけがなかったが、同じ蔵書の中の頼氏による訓みくだしの『通俗日本外史』という大冊がわたしのお気に入りの朗読本であったし、おそらくその感化はわたしの文体に相当色濃く残っているのではないか。
久しく漢詩や漢文に遠ざかっていた、が、近年、興膳宏さんの本を重ね重ね頂戴し始めてからまた昔の好みを思い出しかけている。京大教授から京都博物館の館長を務められていた興膳さんは中国文学者。「湖の本」を介してこういう方とご縁の出来るのがわたしの嬉しい余禄というもの。いまも氏の著書を毎晩の読書に加えて、本を赤い傍線でたくさん汚している。
2007 6・30 69

* 加茂といえば、一つには当尾を思い出すが、今ひとつは後醍醐の笠置蒙塵、そして楠木正成。と、なると今も毎夜欠かさず音読している『太平記』に行き着く。全四巻本の二巻目の半分まですすみ、新田義貞、北畠顕家ら官軍は今しも三井寺を攻めている。天皇は比叡山に隠れ、都は逆徒にして征夷大将軍の足利尊氏が占拠。ここで尊氏は情勢を見失って、やがて西国へ遁れゆかねばならないだろう。
この膨大な大冊はとても黙読では読み切れない。音読すると快調、いささか陰惨で平家物語とはだいぶ意趣であるにせよ、たいした名文である。昔の人はこんな文章を暗誦しては型にはまった美文を書きたがった、その誘惑に嵌って得意だった連中はぜんぶダメになったのである。露伴のように、自身の偉大な文体を創出しなければ文学には所詮成らない。
2007 6・30 69

* 『オデュッセイア』もしかり『イリオス』ではことにしかり、神々の人事に干渉してさながら遊戯のごとき観のあるのに、聞き識っていた事ながら、かなり呆れてさえいる。映画の『トロイ』は明らかに『イリオス』の映画化と思われるが、あそこでは神々の恣なチョッカイをぜんぶ拭い去って、人間である英雄たちの物語に創っていたのに今更に気づく。
ギリシァでは、神と人との共在と交感と共演が、つまりは人間の運命を為している。ふつうは神の意志や行為はまた戯れや怒りは目に見えないのだが、ホメロスの叙事詩ではみな見えているところが、妙に卓越した感じを与えるのだから面白い。

* 『旧約』の「歴代志略上」で、いま、ダビデによるヤハウェ(わたしの本ではエホバになっている。)への傾倒と帰依・称賛が語られている。そして『総説』では「士師」であり預言者であるサムエルにより、イスラエルに初の王サウルが立つにいたる意味が解説されている。『総説』を併読し始めて『旧約聖書』世界が構造的にも地理的にも歴史的にもよほど明瞭にあたまに収まってきた。

* 南北戦争の、さながら犠牲となり、アメリカ合衆国を守り民主主義を守りぬいた第一等の大統領リンカーンが、一俳優の凶弾に斃れた。「南北戦争」の経緯・推移、じつに興味深く一気にみな読み通した。建国後、ワシントン、ジェファソン、それにジャクソニアン・デモクラシーのアンドルー・ジャクソンら何人もの優れた大統領に恵まれた若きアメリカの幸運を思う。
リンカーンらとくらべるなど噴飯ものとはいえ、我が国いまの総理大臣の人と政治の紙より薄く低級なことよ。彼は日本を、国民を、ドブに捨てる気か。「人民による、人民のための、人民の政治を地上から絶滅させないため」に安倍自民党政権は何もしていない。その真っ逆さま強行している、あざとい欺瞞の言葉で。
2007 7・1 70

* 夕食後、しばらく昏睡。起きて浴室で、アメリカ史、南北戦争後の、リンカーン暗殺後の、アメリカ史上「再建の時代」といわれた困難な、乱脈な数十年に読みふけった。戦争では大健闘したが大統領としては暗愚であったグラントら凡庸な指導者がつづいたのも不幸であったが、北部の利に固執する共和党と、南部の白人支配に固執する民主党との軋轢も、奴隷制廃止後の黒人問題で混乱を招きに招いていた。だんだんと、今日の日本の与党政治の党利党略に先駆していたようでなさけなく、目前日本の民主主義政治の、いかに脆弱で未熟であるかを、ふつふつと思い知らされた。
2007 7・1 70

* 手近な倉田百三の本を手に『愛と認識との出発』の冒頭を読み始めて、往時渺茫、この本を熱心に教室ですすめた社会科の先生を思い出していた。この先生は「現代社会」の試験でついにわたしに百点以外の点を出さない人であったが、いささかの詩人でもあった。わたしは倉田百三では戯曲『出家とその弟子』のほかは多く読まずに通過した。『愛と認識との出発』に感激するには、わたしの側にもうべつの価値観がうまれていて、泉山来迎院の縁側に寝そべりながら、こんな家に「好きな人をおいて通いたい」などと想いふけっていた。百三はわたしには真面目すぎた。今の思いで謂えば思弁過多であり、バグワンの言葉で謂えばあまりに「マインド」の人であった。マインドが堂々めぐりしていた。

* いま、近くも同じ思いを鈴木大拙の『無心ということ』を読みながら感じている、百三の感傷とは大いに違うにしても、大拙さんの説くところ、結局「哲学」なのである。論理的に無心を語るのであるから真の無心にはとうてい近寄れない。理で無心を捌いている。大拙さんである、透徹しておられるに相違ないが、言葉になると、もちゃもちゃと持って回った論説なのである。哲学なのである。「なんだかワケがわからないであろうが」ともののとじめごとに謂われる、それだけが納得できる。
バグワンは論説しないで「直指」してくれる。彼は「気付け、覚めよ」とはいうが思弁や考慮や哲学は否認する。遠ざける。そんなものどれほど積み上げても徹到・透過の邪魔にしか成らないと言う。わたしもそう感じている。

* 国木田独歩の「山林に自由存す」という詩を読んだのも高校の頃、ひょっとして教科書であったろう。わたしはこういう言葉もあまり実感にならなかった。「市隠」という語を望ましく知った・覚えたのはもっと後年にしても、市街をのがれて山林に隠れたい者には「自由」は分からないであろう、「山林での自由」は変形した自我の執着にちかかろうと思った。バグワンもおなじことを言う。

* 悟りを求めて修行だの苦行だのということを「必要」と考えてしていても、しょせん透徹することは難しいのではないか、やはり自我の執着の不自然な行為ではないか。難行の果てにその虚しかったことに気づいて初めて無心がおとずれる。最適例は、仏陀だ。ありがたそうな経典をいくら読んでみても「気づいて」いない、「目覚めて」いない者には何の役にも立たない。どう知解してみても爽やかにラクにはならない。「気づき」「目覚めた」者にだけ有り難い経典はああそうなんだと保証をあたえるだけだと、バグワンは言う。まったくそうだろうと思う。
名選手や名人や達者は、経典を学習するひまに自身の仕事を鍛錬し達成し、それを通して気づき、目覚めに達してゆく。そういう人がそれから経典にふれるとじつに鮮やかに納得が行くのだろう。経典を抱いて山林に隠れてみても、目覚め・気づきは約束されていない。執着があるだけ遠回りになる。
「今・此処」に生きて満たされていること。バグワンはそれを哲学や論説として語ったりしない。
2007 7・3 70

* 夜前はほとんど眠った気がしないので、十時半、もうやすもうと思う。夜に読む本も、夕方の内に読んでおいた。バグワンと大拙と太平記の音読だけしてからだを休ませたい。今日は午前中脚も痛んだ。自転車で走る元気がなかった。建日子たちに心配させたか知れない、眠いだけだから心配しなくて好いよ。
2007 7・3 70

*「歴代志略上」と『総説旧約聖書』とがうまく時期的に重なってきて、けっこうへこたれていた旧約世界に、いま、かなり嵌っている。興がっている。『太平記』の音読も好調、読むことそのことが面白い。わたしの声楽である。この「楽」はラクでも楽しいのでもある。
2007 7・5 70

* 林晃平さんの『浦島太郎』の研究書からはたくさんを学んだ、教えられた。そう都合良く簡単にさらに教えて貰おうなどは厚かましい話であり、こっちの手に入っていないと質問のかんどころも簡単にはつかめない。久しく浦島太郎にはある野心を抱いてきたが、まだまだ道は遠いなあと慨嘆するのみ。
2007 7・5 70

* 夕食後、ストンと二時間ほど宵寝した。湯につかりながら、インディアンとのアメリカ人、ないし連邦政府との互いに苦難多かりし折衝の歴史を読んだ。
アメリカでは、黒人と比するとはるかにインディアンの方がよく待遇されている事実に驚かされた。少なくも一応対等に受け取られている。インディアンを母親に持つ人がフーバー大統領の副大統領にもなっている。売買の対象にしてはならない農地を一人当たりに与えられて、狩猟・漁労の生活から農業への画期的転換もなされてきた。インディアンは白人と闘って決して負けてばかりは居なかった、勝つことの方が多かったという。連邦政府は、インディアンとの戦争では出費ばかりかさみ、時には一人のインディアンを殺すのに平均二百万ドルも使っていた。これは、ひどい。
インディアンに与えられた農地の経営に白人が雇われていた例もあり、時には三千人ほどのインディアン族に与えられた土地から、莫大な石油が出たり金を掘り当てたりしている例もある。
不幸な烈しい戦も無数に繰り返されたインディアンと白人とだったが、むろん、あくどいのはいつもと言えるほど白人側であり、インディアンの英雄たちの反抗も熾烈であった。連邦政府が徐々にインディアンに州民と同等の特権や市民権やアメリカ人としての立場を認めていったのは、はるかにその方が賢明な措置であったから。
その点、黒人問題は、南北戦争が済んでも根本的ないい解決に到っているとはいいにくい。
今度の大統領選挙に、黒人大統領か女性大統領が出来る可能性があるといわれる。すくなくもブッシュの党には一度退いて貰いたい、が、とにもかくにもアメリカの現代が、日本の現代、世界の現代に大影響しすぎるのは、避けがたい不幸でもあり、なんとか不幸中の幸いな展開が期待・希望される。
2007 7・7 70

* ラクロの『危険な関係』はたしか岩波文庫にも昔から入っていた気がする。読まないが、読んだような気にさせさせられる作で、『クルーエル・インテンションズ』は原題での映画化作品と謂えるだろう、きわものの駄作であるが、ただヒロインのサラ・ミッシェル・ゲラーが破天荒の悪女でありながら、とてつもない美女、いや美少女で、義弟の美少年ライアン・フィリップも、リース・ウィザスプーンも歯が立たない。それだけは値打ちモノの映画で、ときどき一人でこっそり観てもいいなと思わせる、実にけしからぬ味の映画、こんなのをテレビで放映するかなあと呆れさせた。
映画を観はじめて、およそ人間関係も、先の見当も、すぐついた。日本語でよく似た、ながい小説を読んでいた気がする。ヨッポドちがうけれど谷崎の『卍・まんじ』にもちかく、こういう人間把握からとほうもない地獄も表現できるだろうと思う、ラクロの原作を読みたくなった。同じ意味でナボコフの『ロリータ』も読んでみたい。我が家のナボコフ本には『ロリータ』が入ってなくてガッカリした。映画化されたスー・リオン主演で脇にジェームズ・メイスン、シェリー・ウインタース、そしてもう一人名優を配した『ロリータ』は、今日の『クルーエル・インテンションズ』より数段上出来だった。ケビン・トレイシーとアネット・ベニングでアカデミー賞をとった『アメリカン・ビューティ』も、筋はずれるが渋い良い映画だった。
こういう映画からみると、あの古き良き時代だかどうだか『若草物語』などは、もう夢の彼方という感じになった。原題の女はスカーレット・オハラの後を嗣いで追っている。
2007 7・10 70

* おしまいにマキリップの英語をゆっくり読んで。ヘドのモルゴン、星を帯びしもの、の生存が見えてくる。はるかアイシグの山宮に王ダナンを訪れたレーデルル、ライラ、トリスタンの三人に、王はモルゴンが今なお命の危険を懸命に避けながらいることを伝えた。すでにこの世界の巨大な破綻と終末へのおそれは現実となり、望みの少ない最期の闘いがもう始まっている。何としても世界は救われねばならない。
何としても世界は救われねばならないという闘いに、挺身する存在としては『ゲド戦記』のゲド=ハイタカがいた。映画『マトリックス』も何としても世界を救わねばならぬ闘いであった。それだけ世界の奥の奥の底に狂いが生じていた。
いまわれわれの世界にもまちがいなく同じ「狂い」が露骨に見えている。だが誰がモルゴンやゲドのように闘っていると謂えるか。そもそも一人の超人の渾身の力で、現実地球世界の人間が起こした狂いが直せるとは思われないが、良き、本当に良き指導的な力なしには難しい。
その力が見あたらない。仏陀もイエスもいない。神の名においてなされる正義とやらの不正きわまりない乱闘と混乱、底知れない転落地獄。
* マキリップのあと、さらに校正をつづけて、二時半過ぎに寝て、六時半に起き発送の作業を進めていた。
2007 7・11 70

* きのう有楽町のビルの書店で『ゲド戦記』の第一巻「影とのたたかい」を買ってきた。去年の今頃、それは、やす香の病床にあった。最初に見舞いに行ったとき持参、ママに読んでもらい、そしてきっと無事退院して自分で保谷に返しに来るんだよと「約束」したのだったが。
第一巻の欠けたままのを惜しみ、機会が有れば買っておきたかった。なにともなし、ホッとした。そして昨夜からまた読み始めた。ル・グゥインの『ゲド戦記』とマキリップの『イルスの竪琴』とはわたしのまるで聖書のようになっている。そこにわたしのほんとうの故郷が在るかのように。

* 水のただ流れるように日々を送り迎えている。なにをしようとか、したいとか、しなくてはならないとか、思っていない。思わないまま、あれもし、これもし、している。していることはしていないこと、していないことはしていること。同じこと。
2007 7・12 70

* 自転車走の効果があがってか、いつも気にされる値が、一パーセントも下がっていて、ドクターは上機嫌だった。諸検査の結果も、問題なかった。
一時には病院を解放されたので銀座へとってかえし、汗みずくティーシャツ一枚でフランス料理の「レカン」にとびこんだ。せめて備えのジャケットを持って席入りをと頼まれてそうしたが、むろんそんな暑いモノは着なかった。
料理は、涼しく、うまかった。茄子はいやよというのを知っていてくれて、すべて言うこと無いメニュ。ドライシェリーと赤のワインとで。オードブルは新任の料理長が一皿べつにウナギを小粋に焼いてサービスしてくれ、、メインはすてきに美味いフィレ肉をえらんだ。冷製のスープも凝っていて満足。例によってデザートも幾種類も選ばせてくれたし、エスブレッソはダブルで、さらにシングルでとサービス満点だった。わたしみたいに行儀の悪い、つまり服装の簡略な客はなかったのに、ハンサムな若い料理長が出てきて名刺交換までした。馴染んだ店は馴染めば馴染むほど居心地がよくなる。「世界の歴史」の第十二巻をゆっくり読んで、好い昼食を満喫。
2007 7・13 70

* 今日世界史の暗澹たる一時期、ブルボン王政復帰を、堪らない思いで読んでいた。
ナポレオンのワーテルロー敗退とともにフランス革命は、ルイ十八世のブルボン王政復古により完全に蹂躙された。一切を「革命以前に戻す」という、とほうもない「正統主義」のまえにフランス革命で得た人権と自由と平等は、亡命していた王と貴族たちの悪しき政治家の手で完膚なく奪い尽くされてしまう。
歴史の容赦ない揺り戻し。こんな時代に遭遇したフランスの民衆はどんな気持ちであったろう。王や貴族が奪われていた領地や財産や封建的特権を当然奪還したのだという理屈を、わたしは聴く気にならぬ。王とか貴族とか政治や制度の特権者を、わたしは徹底的に嫌う。吐き気がするほど嫌う。自身の努力と寛容によって才能によって得たものではないからだ。
2007 7・13 70

* ゆうべマキリップを思いの外長く読み、それからまた『ゲド戦記む』第一巻も読み進んだので、寝たのは明け方。そして七時半に起きた。血糖値、118。まずまず。そのまま作業に入った。
一日宛名ラベルを封筒に貼っていた。その間に、メル・ギブソンの『パトリオツト』を観ていた。アメリカ独立前の英本国と植民地十三州との激戦。メル・ギブソンには秀作『ブレイヴ・ハート』もあるが、歴史感覚と自由な人権の主張に敏感な、これも彼らしい優れた意図の感銘作。凄絶な展開の中にハートの熱がみなぎった。
2007 7・18 70

* 旧約聖書を「創世記」で覚え始めると、どうしても神話にひきずられるが、それが一種の人類史であり、時を追うてイスラエル史になってゆく。それだけなら古事記や日本書紀とおなじだが、日本の神代記にはじまる日本史には「神と人との契約」をほとんど持たない。しかし少なくも旧約では、モーセの時から神と人との契約が重い歴史的原理となっている。
預言者サムエルが、人と神の間に立ち、曲折あってサウルにより、またサウルに代わるダビデとソロモン父子によってイスラエルに王政が出来てくるが、そもそもサムエルに観られるように、「神こそ王」という人王支配否認というつよい抵抗があったこと、その抵抗を経て人王の王国が実現してゆく経過には、神に授けられた王位という契約がまことに重いものに成ってくる。イスラエルやオリエントに限定でなく、この思想は、近代のヨーロッパ王政にまできっちり引き継がれる。「神の意志」「神の裁き」それがイスラエルの興亡にも、後世の王国の興亡にも影響している。
わたしは今、ソロモンの王国を聖書で読みながら、ソロモン王国の成立と衰退の必然を『総説』に学んでいる。両輪ゆえに、とてもアタマに入りやすく、とほうにくれるほどややこしかった旧約世界がいま視野に収まってきている。
それにくらべると『イリアス』には手こずっている。難しいのではない、呉某氏の訳が日本語になっていないので索漠としてしまう。高津春繁氏の『オデュッセイア』は名訳といいたいほどで興趣をそそったが。『イリアス』訳は文藝に達していない、たぶんもう投げ出して、『ドンキホーテ』に戻ろうと思う。
実は角川文庫版『アラビアンナイト』の大場某氏の訳もよくない。とくに詩がひどい。ただお話の面白さに救われて、いま文庫十四冊目をやがて終えようとしている。もう十冊ほどある。

* 今夜鈴木大拙『無心ということ』を読み終えるが、この本には教えられもし、また限界も覚えた。バグワンの端的な透徹とはよほど差がある。

* ルソーの『告白』三冊の一冊目が半分ほど、なかなか乗れない。しいていえばまだ少年時代なのであろうが、書いているルソー自身は年がいっている。その年のいったルソーの性格が、とにかくも変に気味わるくて。早く二冊目三冊目へ進みたいが、遅々。つまり、まだ、面白くならない。
ルソーのえらさは歴史的によく知識しているから投げ出しはしないが。それよりブルボン王政復古とともに、ルソーの墓も暴かれたということを他の本で読んでいる。怒りと同情とで、グッときた。
2007 7・19 70

* 予定通り、手近の全集ですぐにも読める万葉集、古今集、新古今集の全歌を、明日から音読し始める。気が向けば一日に何首でも。もともと和歌を詠むのは好きだから苦にならない。むしろ後撰集や千載集なども読みたいのだが、国歌大観を持ち出すのは重すぎるし。字もあまりに小さいし。
2007 7・19 70

* 二十日から『萬葉集』の音読を始めた。音読をつづけているのは、『太平記』と、バグワンと。
黙読は、いま、『旧約聖書』の「歴代志略 下」と『総説・旧約聖書』『イーリアス』『千夜一夜物語』ルソーの『告白』『世界の歴史』のアメリカ、ル・グゥインの『ゲド戦記」第一巻、マキリップの『イルスの竪琴』第二巻を英語で。大拙の『無心ということ』は音読し終えたところ。これらを一括、わが就寝前の読書。
2007 7・22 70

* どの本もおもしろくて夜更かしし、あと眠りはしたが浅く、暗闇に溶け込んでいたり、しらしら明けを感じながらかなり永く床の上で静座していたり、仰臥のまま両脚を十五度ほどあげて三百数えたりしていたが、五時すこし前に起きてしまった。
映画『PROMISE』の後半を観ながら、自分で素麺をゆで、冷やし、朝飯にした。朝飯前の血糖値は、103。
2007 7・23 70

* 何の気なし、もう書庫へ戻そうかと手近にとりあげた「徳田秋声集」の、ふと『あらくれ』というかな文字の題が懐かしくて読み始めたら、やめられない。ぐいぐいぐいともってゆかれ、手放せない。「すごい」ということばをわたしは褒め言葉には使うべきでないと思っているが、しかもよくよくのときに「すごい」という感想で称賛の気の沸き立つときがある。今が、そうだ、散文の魅力のとほうもない膂力にガシッと捕らまえられた、それが嬉しいというほどの思いなのである。
こうでなくては文学はいけない。どこにもゆるみなく、けったいな俗な物言いもなく、派手な場面も筋も無いのに、文章そのものの魅力で小説が読めてゆく。「読まされる」嬉しさである。
秋声がそういう散文を書く超一級の大家であることはヤマヤマ承知で読み始めて、覿面に引き込まれ、「すごい」と思ってしまう。幸福な読書である。優れた文学は必ずこういう嬉しさを、滴るうまみのように恵んでくれる。
秋声も鏡花も、これほど対照的な作家はいないが、幸いにわたしは両方から同じ喜びを受け取れる。漱石と鴎外ともしかり、露伴が然り、潤一郎と直哉がまたしかり。
しばらくぶりに秋声の美味にしたたかふれ、嬉しくて叶わず、書きおくのである。
これでは書庫へまだ返せない。

* なんでこれが此処に在るのだろうと、わたし本人がワケ分からずに、すぐ手のとどくところに『神宮便覧』という、手帖大の一冊がある。とうとう手に取ってみた。
たぶん「神社」に関する簡便な事典かなと想っていた。いつか、どこかの古本屋で買っておいたのか、祖父の蔵書のとばっちりが飛んできて此処にあるのか。
開いてみると見当違い。伊勢の皇大神宮の詳細な「便覧」であった。「昭和三年十月」とある凡例をみると、中に「一、本書ハ神宮諸般事項ノ概要ヲ記シ、主トシテ大正十二年ヨリ昭和二年ニ至ル統計ヲ掲載シ併セテ写真版ヲ適所ニ挿入シテ事実ノ一班ヲ識ルニ便ス」とある。祖父の持ち物とは想いにくい。表の見返しに丸の朱印で青木とある。わたしがどこかで拾い採ってきた本のようだ、おそろしく詳細な資料で「便覧」の名に恥じないが、さて役に立てようもない。書庫へ入れる。
2007 7・23 70

* 秋声の『あらくれ』を読んでいて、話の筋には心弾むハデな喜びは何もない。凡な文章とハッキリちがう一つは、改行のたびに奇妙な「つなぎ文句」をほぼ一切入れないことだ。
凡作では、改行のつど、「とはいえ」「だがしかし」「そしてそれから」「もっとも」「以来」といった安易な「つなぎ文句」が乱発される。こういうのをみな省いて端的に新しい段落を書き起こし、その方が文章が潔白に強くなることに気づかないと、「言い訳・・説明」型のくどさで文章が汚れてくる。

* 秋声のクセのひとつは「ような」「ように」の比較的安易な多用であろうか。「ような気がする」はたいていの人が無反省に使う悪習だが、「ような」と「気がする」は即ち「気味重複」している場合が多い。「ような」「ように」は大概の場合不要か、有って文章を緩く弛めてしまう。
人それぞれに、クセになった瑕疵はある。個性的という印象にまで育っている例もある。そこまで持ち前の力に出来るなら、瑕疵も特長になる。
2007 7・24 70

* 安心な小車に乗ってやすやす引かれて行くように、秋声の『あらくれ』は、散文の魅力を惜しげなく恵んでくれる。読み出すととまらない。
生みの母とむちゃくちゃに仲の悪いお島は、そこそこらくに暮らしている他家へ養女にやられていて、やがてそこで入り婿を迎えねばならない気配になっている。
出だしのしばらく、お島の心境が思い出ともともに淡々と叙されていて何の景気もないのに、よく煮染めた野菜のようにほんのり甘みもともない、至極口当たりが良い。おいしい。魔術のようである。
秋声のこういう名人藝には、彼と出会って、ほどなく、わたしはしみじみ感じていた。
改造社版のいわゆる「円本」の古本を、版変わりながら三冊、古本屋で買って持っている。一冊が円本のアイデアを改造社にやったといわれる谷崎潤一郎のもの。他の二冊は「佐藤春夫集」と「徳田秋声集」とで、この安い買い物に心から喜んだ。値が安くてではない、荷風のも秋声のも代表作が持ち重りするほどドサッと収録されていたからだ。だが『あらくれ』はまだその秋声集に入っていなかった。後に上京して買い始めた講談社版の「日本現代文学全集」で出逢えた。こっちには優れた短編がたくさんな上に、長編『仮装人物』絶筆『縮図』が入っていてわたしを雀躍させた。
春夫のには、魅惑の代表作『田園の憂鬱』『都会の憂鬱』や、おもしろい『星』のような異色の読み物も入っていた。
本を手に入れることが、宝石を手にする心地であった。古本屋は、他の何処よりも大事な店で、立ち読みも出来た。数え切れないほど出逢ってきた大勢のヒロインたちのなかで、『あらくれ』のお島は、十指の一つに折って数えたい一人になった。

* 志賀直哉型の散文と徳田秋声の散文とは、よほど素質を異にしている。私小説を書く人は大なり小なりこのどっちかに感化されている。または知らぬうちに追随している。だが乗り越えられない。
直哉の散文は、粗く織って風通しのいい、しかも優れて堅固で淳良な風合いの布のように出来ている。
秋声のは、砧でうったように、流れ豊かに波打つ布地の感触である。
この、私の抱いてきた印象は常識的には両作家さかさまに想われそうだが、そうではない。
2007 7・25 70

* 『あらくれ』を読み進んで行くと、いろんな興味が湧く中でも、人間関係のデッサンの正確さに感嘆する。お島には、実の両親やきょうだいたち、育ての両親や許嫁に擬されていそうな作という男、両家に出入りの人たち、育ての母の情夫やその弟などがいるが、その一人一人の表現だけでなく、その一人一人とお島との感情の距離や濃淡の差が、言うに言われないリアリティで適確にとらえられている。不安定な行文が全然露われない。
書かれたのは大正四年、書かれてある生活や風俗や人情や言葉はおおかた明治末年のものであるから、それなりに今日のそれらと比べようもない時代差は歴然としているが、それが文学作品を現に「読んでいる」障りとは、ちっともならない。むしろ、ほほう、ほう、と興味や好奇心や納得に励まされている読者心理に気づくのである。

* なかなか『細雪』や『山の音』のようには書けるものではない。書こうというほどの人は、たいがい書いている中身からみれば秋声の余類にちかいが、どうしてどうして秋声の散文とは天地ほども魅力において届かない。こういう優れた人の優れた散文に、だれも心から親しんでいない。もったいない。
秋声には書生っぽく肩肘をあげた、張った武張った物言いは、全然無い。柔らかく腰をおとし、視線はひくく書くべき「今・此処」に丁寧に据えて叙している。砧でうったような波打つ柔らかさと、筆触の名人藝とがある。書いてあることは庶民生活のさらに低い、さらにまずしい面に膚接しているのに、ちっとも行文は卑しくなく汚れていない。谷崎愛のわたしが感じていたのと同様に、秋声にも活字に唇をそえて呑みこみたいうまみが光っている。ことに『あらくれ』には光っている。
2007 7・26 70

* 今日明日のうちに読み終えようと、『ゲド戦記』第一巻「影との闘い」を読み進めてきた。とても、やす香は病床で読んでもらいようがなかったろう。明日は、やす香の諦めきれない一周忌。せめてと、読み聞かせるように今わたしが読んでいる。
おそらくやす香の写真は、一枚でも母親や妹は欲しいのではないかと、ダウンロードできるように「mixi」にすこし載せてやっている。
2007 7・26 70

* さ、新刊が何時頃に届くのか、届くまで落ち着かないのがいつものこと。夜前は、二時頃に階下におり、それから例の本を九種類全部読み、一度灯を消してからまたつけて、英語のマキリップの続きを読んだりした。七時に起きた。少し眠いが。血糖値、116。落ち着いている。

* やす香の一周忌までにと思っていた『ゲド戦記』第一巻「影との戦い」は二十七日に日付の変わるころに読み上げていた。何度読んでも優れた作。第二巻はたしか娘・夕日子がお茶の水での何かの教室で読んだか使ったかしたらしい英語版が書庫に置いてある、あれを、マキリップと同じように読んでみよう。
『ゲド戦記』をアニメ化したという評判は聞いていたが、観る気がしなかった。右から左に軽い気持ちで脚色できる世界ではない。 2007 7・28 70

* 「オール読物」の高麗屋父娘往復書簡、毎月奥さんから送って貰っていて、今月はお父さんの番。齋クンの初お目見えという初の話題で、幸四郎丈の筆が新鮮に弾んでいる。
やがて月が変われば、松たか子の舞台が楽しめる。八月の納涼歌舞伎は中村屋三役の、少しサマ変わりの『裏表先代萩』が通しで観られる。
2007 7・29 70

* しばらく前から『萬葉集』全巻をと、音読を楽しんでいる。新古今集まで、我が家に刊本で揃っている勅撰和歌集を全部読み通しておきたい。萬葉集は、者によりすこしずつ「読み」がちがう。むかしに覚えたとおりの読みでないと、オヤッと思ったりする。
2007 7・31 70

* 平家物語では那須与一が扇の的を射たり和田義盛が遠矢を射たりする。太平記にもそっくり似た場面が兵庫の沖で描かれている。楠木正成等が湊川で討死にするのを直前に、さもはなやかに哀惜するかの、とびきり佳い描写で朗読していて、沸き立ってくる興奮がある。『太平記』はいまそんなところを読み進んでいる。
『万葉集』は巻二の挽歌。文武天皇の崩御に近侍の廷臣ら哀悼の二十数首のならんだのを夜前、音読しおえた。和歌が、「和する歌」である意味が朗唱していてよくわかる。これだけ万葉学が進んでいるようでも、全てを漏れなく読み進めていると、まだ訓みの定まらずに放置されたままの詩句が幾つもあるのにおどろく。漏れなく読んで初めて知ることだ。
バグワンでは、経過する過去現在未来の現在ではなく、優れて実存的な「永遠の現在」の語られるのを小気味よく聴いて感銘した。

* アカイア勢とトロイア勢との死闘・血闘が、目に見えぬ背後では、ゼウスをはじめ取り巻いている神々のいわば双方贔屓の駆引や確執であること、まざまざ。
「神意」が人の生死をまさしく裏付けしている「ホメロス的な事実」に、呆れたり頷いたり。これは旧約聖書に見える神とイスラエル・ユダとの「契約」とは、様子が根から異なるものの、ともに「神意」というはたらきが「裁き」「ゆるし」につながる人類史上の顕著さに、ふかく愕かされる。大きな意味ではこれは、人間の神にツケをまわした自己都合の、自己弁護なのかもしれない。
2007 8・4 71

* 猪瀬直樹氏の中公新書『空気と戦争』を貰った。豪快に署名がしてある。佳い題で、示唆に富んで怖い題でもある。「空気」が読めないということは、安倍総理にも典型的に見られるように、どこへ事態をわるく引きずってゆくか知れず、戦争という「巨大な社会的・文化的複合」の生起には「空気」が多大に影響する。そこまではすぐに察しがつく。さ、それを彼がどんな材料でどこまでどう論策してゆくのか、彼の著作のフアンでもあるわたしは、辛辣な批評の爪も磨きながら、興味津々読み進めたい。感謝。
2007 8・4 71

* 世界の、また日本の「歴史」をつぶさに顧みつつ悔しいのは、あまりに大多数私民の惨めに虐げられ続けてきたこと。フランス革命以後の近代社会は現代に至るまでいわゆるブルジョア優位の、本位の政治体制で商工業金融資本主義を擁護し続けてきた。農民や零細労働者の生活の悲惨は、反革命以降の近代・現代の覆い隠しようのない現実であり、日本列島でもようやく身の置き所のなさに気づいた人たちの抵抗で、先日の自民大敗を実現した、やっと実現した。小泉純一郎の政治は、西欧の近代史への露骨な追従であったし、冷血な政治手法であった。わかりよくいえば十八世紀のイギリス・トーリ党のブルジョア擁護・農民差別政治の、ほとんど模倣に近かった。

* わたしがしてもいいのだが、本来なら社民党筋の勉強家が試みて論策すべきことがある。少なくも明治維新以降の日本で、できれば室町時代の國一揆等の挫折このかた、「民衆はなぜ負け続けるのか」を地道な踏査であとづけ、そこから学び取るべきを学んで民主主義を再構築しなければ、所詮日本は過去の悪習へあとじさりあとじさりして私民は軛にかけられてしまうだろう。
2007 8・4 71

* 妙なものだ、湊川での楠木正成・正季の自害を音読するのが苦しかった。声がつまった。「七生報国」の四字をどれほど聴いて見て読んだか知れないが、太平記に拠る限り「報國」でなく「後醍醐」のために、ないし天朝のために生まれ変わって闘うといっている。太平記の主人公は「後醍醐天皇」という学説はすでに重きをなしているし、太平記中一貫して言行の始終が称賛されているただ一人は「楠木正成」である。正成への贔屓にはほとんど掛け値の必要がない。彼は後に幽霊となって神剣奪還にあらわれたりするはずだが、精神は一貫している。太平記はあれほど大部の大作だが楠木正成にだけはほぼ首尾一貫の表現に意図的に成功しているようだ。
だが後醍醐天皇はいただけない。足利尊氏も新田義貞もいただけない。名和長年や菊池武時には少年の昔に血を熱くしたとほぼ同じように今もその最期までを見届けられるが、後醍醐と義貞への往時の賛嘆は今はサンタンたる変貌を遂げてしまった。アキマヘン。あかんやっちゃナア、と変わっている。
それにしても湊川の血戦と兄弟刺し違えての自害に声がつまるとは予期していなかった。参った。「青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ 木の下かげに駒とめて 世の行く末をつくづくと しのぶ鎧の袖のへに 散るはなみだかはた露か」と、幼稚園から国民学校へあがったころ熱唱した気持ちがまだ生き延びていたとも謂えるが、「悪党」正成の痛快な力量に、また「大和猿楽」とのひそやかな近縁に、懐かしい思いをもちつづけたのでもある。水戸光圀や頼山陽や近代の天皇利用者たちの大楠公賛美とはわたしの場合終始異なっていた。その辺を考えると、今はことに正成といえども所詮は「アカンヤッチャなあ」となる。
わたしが正成の逸話で終始印象的であるのは、多聞丸時代に、大きな釣鐘を指一本で揺らして見せた話だった。可能かどうかの実否よりも、大釣鐘といえども、あまた度び繰り返し押して引いていつづければ、必ず指一本で動き出すという少年正成確信の逸話であった。後生の脚色か拠るに足る実話かは知らないが、わたしは少年なりに感心してこれに聴いたのである。今も聴いている。だからわたしは国政の動くのを願い「一票」を空しくしないのである。わたしの息子は先日の参院選挙を、仕事を理由に棄権した。事前投票もできたのに。それではダメだ。

* 猪瀬直樹の『空気と戦争』も三分の一ほど読んだが、行文粗略で静かに諄々と説けていない、がさつに騒がしい。いかに言っている内容がかりにマトモであろうとも物書きがヤッツケの仕事で「本」にする功をあせると、こういう騒がしい上っ調子になる。処女作ともいえる『天皇の影法師』などに比し、「末」路を走っているようで、期待はずれ。いかに講義録とはいえ、講義録だからこそ、学生たちとの真の交感・感応の聴き取れる佳い文章を書いて欲しかった。まるで街頭でのプロパガンダのように騒々しい。
しかし、もう少し、辛抱して読み進めてみる。
2007 8・5 71

* 『記紀』に聴くかぎり日本の神は三貴神はじめ八百万の神さまも、なみの人間に対し教訓的な接し方も強要的な接し方もしていない。およそ神のいる場所に人間も同居し近住している気配がほとんど全くない。神と人との対話も交渉も具体的には認められない。
ギリシァの信仰に関連した教養番組を昨夜おもしろく観た。そのあと例の『イーリアス』も読んだ。此処では神様と人間である英雄たちとは緊密に影と形のように棲み分けながら関連している。そもそもゼウスというダントツに強力な主神は、ほとんど恣に人間である美女たちを犯して数多く子を産ませている。誰もがそれを知っている。多くの神々が、男神も女神もあっちに味方しこっちに味方して人間を贔屓している。ゼウスもほとんど没義道に介入していて、人間たちはそれをそういうものとして受け容れて悲喜こもごもに生きている。オデュッセウスのように或る神に憎まれ或る神には庇護されながら、トロイ戦争の後の帰国に、何年もを大海のここかしことさすらわせられている。すべてはしかし「神の意志」に帰するとして人間は歎いたり悶えたりしながら「神の裁き」に堪えて忍んでいる。
『旧約聖書』を「歴代志略下」まで読んでいると、神と民族との「契約」関係が強烈なのにおどろく。なにも「ヤハウェ」が唯一の神なのでなく、しかしヤハウェは自身が「選」民した民族に対しては是伝いに我のみを神とせよと厳命し、その限りに置いて多大の庇護を与え、場合により厳しい罰をくだしている。旧約の世界を辿っている限り、預言者はいても女神も救世主も現れない。しかし、この世界にヤハウェとの契約を実現すべき責任者としての「王」系の一族が連綿と認められていて、新約聖書世界にまで受け継がれる、らしい。イエスの時にいたり、神と精霊と子と、そして子の母なるマリアが登場する、らしい。わたしの二つの聖書への接近は、連携し継続してでなく、そのときどきにバラバラに読んできたから、「らしい」という付記が必要になる。今はまだ新約聖書世界について感想は言わない。
『千夜一夜物語』はひたすら面白いが、このイスラム世界には、「アッラー」なる絶対神が始終人間の言動の基盤に、背後に、頭上に在り、同時に多数の魔神も実在する。キリスト教世界とは不倶戴天の険悪な対立のようであるが、旧約の王者ソロモンは伝説的にこのアラビヤンナイトの世界でも尊崇信愛されている。ややこしい。ここでは神と人とは、帰依と庇護とのかなり現世利益ふうの約束関係かのように見受けられる。アッラーが唯一の神であるわけではない。また帰依すればいろんな民族であってもイスラムの民になれる、らしい。新約のキリスト教でもその点は、旧約のヤハウェのように厳格に選民しているわけでない。世界宗教への道は開かれてある。

* 仏教には「神」はいちおう存在しない。存在してもそれは仏とはべつの力でしかない。仏は神でなくあくまで人が仏になったのである。キリスト教もイスラム教も神は人を教導し規範を与えているが、人に向かい神になれ・なれるとは言わない。
仏教は人に仏に、ブッダになれ・なれると教えている。生きて向かう目標を仏は人に自身と同じ境地へと導いている。そこが、まったく他の世界宗教とは異なっていて魅力にも説得力にも富んでいる。仏教も顕密をとわず仰々しい儀式化をみせてはいるが、基本のところは、人それぞれの性と死との実践のなかできまる。禅がもっとも基本にある。わたしはバグワンに多く聴いてきてそのように感じている。そこには「契約という抱き柱」はあり得ない。「帰依という抱き柱」すらありえない。あり得るとするのは、有り難い方便である。「信仰は高貴な方便としての抱き柱」であり、わたしはそれを否認する気は毛頭無いが、それへ抱きつきたくはない。

* ルソーの『告白』がじわじわと興味をそそりかけてきた。フランスは、いま『世界の歴史』では「七月革命」がまた実現した。シャルル十世が逐われた。当然の帰趨。
2007 8・6 71

* 夜はマキリップの英語、第二巻の「レーデルル」の物語にひきこまれて、眠いはずであったのに、なかなか本が置けなかった。
2007 8・8 71

* 『イルスの竪琴』第二巻半ば過ぎて、婚約者レーデルルと「星を帯びしもの」のモルゴンとが、ようやく再会。世界を建て直す熾烈な闘いが、第三巻へかけてこれからながく続く。
『イーリアス』では不徳の指揮王アガメムノーンと英雄アキレウスとの確執が続いている。映画『トロイ』のアキレウスを演じたブラッド・ピットの顔が重なってくる。
2007 8・11 71

* 「ペン電子文藝館」で同僚委員だった眞有澄香さんから勉誠出版刊人と文学『泉鏡花』を戴いた。この人には鏡花の著書がもう一冊有り、他にも学術研究の大著が二、三ある。着々と地歩をすすめている。「小伝」を半ば近く読んだ。そつなく纏めてある。
江古田の日大からはわたしの教室での話を関東に載せたおで「江古田文学」が届いていた、が、興はすっかり褪せていて、見る気もしない。谷崎文学については十分に踏み込んで愛読している人たちとともに話し合いたい。わたしの読書計画では、谷崎全集前巻のまたの読破が予期されている。それが実現したらわたしは新たなノートをとるかも知れない。
2007 8・12 71

* 『千夜一夜物語』が文庫本の十六冊めに入っている。十五冊めの辺と限らず、年老いても子を授からない王様立ちの歎きに歎いて不思議を招く物語の数多いことに驚く。
『世界の歴史』はフランスの二月革命、六月事件を読み越えて行った。
『萬葉集』は巻三の「譬喩歌」を読み継いでいる。悉く音読しているので、いいなと思うとつい二度ずつ読み返している。黒人の歌がよかった。人麻呂の長歌短歌もやはり大きい。
『閑吟集』についで『梁塵秘抄』の原稿作りも進めていて、やがて全六章の三章半ばに達する。『梁塵秘抄』はNHKラジオで語った口調のママに原稿が再現されている。『閑吟集』は倣うていの口話体で書き下ろしたのである。

* 気のせく仕事へ手が着かず、すこし弱っている。
2007 8・16 71

* 就寝前にたくさんの本を、少しずつ読もう、その本も、気儘にあり合わせたものでなく、「超」の字のつく長編ばかりを読み通そうと思い立って、ずいぶんの歳月になる。
一つの長編に読みふけると、他の仕事をフイにしてしまいかねない。それで、かえって棒を折ってしまいかねない。棒を折るぐらいなら、根気よく時間をかけて確実に読み通したいと思った。
一冊ずつではない、一晩に何冊も何冊も併行して読んで行こうと決めた。多いときは十冊を越えていた。少なくも七、八冊。
そうと決めてしまえば、べつに強迫されるわけでない。源氏物語はむかしからその手で繰り返し読んできた。一日一帖と決めていた。これはかなりきついが何かしら「励み」にもなった。
毎晩、少しずつでよいと決めてあると、何種類でも一夜に読み進められる。頭にもきっちり入る。一例が、買い置きの中公文庫『日本の歴史』二十六、七冊。全巻、赤鉛筆片手にあたまから読み終えた。小さい活字でぎっしり、一万五千頁はあった。『旧約聖書』「新約聖書』も「創世記」のあたまからいまは「歴代志略」下巻を読んでいる。半分にまだ達していないが、レベルの高い参考書までそばに置いて併読している。ユダヤの世界がかなり明るんで見えてきている。
『南総里見八犬伝』はみな読み上げた。『千夜一夜物語』二十何冊も、「第一夜」からずうっと来て、やがて「第八百夜」になろうとしているが、なんて面白い読み物だろう。イスラム、アラブの世界がやはり独特に開けてくる。
そんな具合にはじめて、もう随分な数の大長編を通過してきたし、内の二三冊、「バグワン」は籤とらずに、もう一冊二冊も必ず「音読する」ときめている。『源氏物語』全巻も『日本書紀』全巻も『古事記』も、みな音読した。今はバグワンといっしょに、『太平記』と『萬葉集』とをおもしろく音読している。黙読分は毎晩七、八冊。ホメロスも、セルバンテスも、またツヴ
ァイクの『メリー・スチュアート』も、『戦争と平和』も『ファゥスト』も『志賀直哉全集』も、毎晩かけて面白く読み通した。
「知識」を求めてではない。賢くなりたいのでもない。心の栄養とも生き甲斐とも思っていない。あえていえば、日ごろ夜ごろの何にも囚われたくないから、そうしている。何かに抱きついたり縋りついたりしないで済むように、そうしている。譬えれば戦時中山なかに疎開していた子供の真夏、昼は盛大な蝉の声に、夜は蛙の大合唱に呆れたように小さい耳を預け切ってていた、あれ、と同じである。あれら蝉も蛙も、その気になってしまえば一種の静寂というものであった。清寂とすらいえた。今のわたしに、読書は蝉や蛙に似た多彩な「シャワ」ーに似ている。

* 「励み」ということを、永い間本気でそれはよく考え考え自身にいつも仕向けてきた、が、もう、励むという気、いつからか、していない。しない。
* 今日は理由もあり、気が沈んでいる。湯につかって、うっとり本を読んでこよう。西欧のブルジョア世界が革命と反革命とのめまぐるしい交替のなかで「動揺」しつづけている。
2007 8・19 71

* 『ゲド戦記』第二巻「欠けた腕輪」も読み始め、ルソーの『告白』に附された桑原武夫の解説も読み始めている。
『千夜一夜物語』のキーワードの大きな一つが「愛恋」無限なら、『旧約聖書』では神ヤハウェ(エホバ)との過酷なまでの「契約」励行。ところがこの契約をとかく破る。破れば神の跋も仮借無い。民族が他国の捕囚となり苦吟する歳月も永い。千夜一夜の満月の輝くような王子たちも王女たちも、男たちも女たちも、数奇に翻弄されつつ互いに恋し恋患いして、悲嘆や歓喜に泣き叫び、失神し、蘇生し、接吻し抱擁し互いに抱きついてはなれない。
* 『萬葉集』は巻三の挽歌を声に出して読み、次いで『太平記』で後醍醐や新田兄弟らの二度目の比叡山籠居を声に出して読んでいる。この間に七、八百年の歳月が流れている。昨日一昨日は叡山から南都への長い牒、つまりは後醍醐方へ参戦勧奨の手紙、またその長い返牒を読んでいて、萬葉人の哀慟を伝える言葉と、南北朝前夜の延暦寺や東大・興福寺の文飾の限りを尽くした坊主たちの言葉との、おそろしい差異に、そう何と言うてよいか、愕然、いやいっそ憮然とした。一口で人間といい歴史というが、簡単なものではない。歳月を隔て処を隔てて、なかみもことばも同じ「人間」同じ「歴史」同じ「言葉」と思いこむのは、誤解である。
2007 8・21 71

* 一八七一年の「パリ・コミューン」の偉大な逃走と悲惨を極めた壊滅とを読んだ。或る意味ではほぼ百年前のフランス革命を乗り越えて行く優れた理念と方向とを持っていたが、また民衆の闘争のかならず陥って行く杜撰さも抱いていて、それゆえに反動王政の狡知と実力の前に凄惨な死の破滅を体験した。
「民衆の闘いは何故敗れるのか」 いま、この歴史的な反省が具体的になされて、その反省の積み上げから賢く学ばねばいけない、もう最期の機会かもしれない。だが、誰も本気で自分は民衆の一人だとも本気で考えていない、なにかしらバカげた錯覚で自分は別だと思っている。

* バカげたはなしだが、例えば去年の夏の甲子園以来、いったいわれわれは何人の「王子」を称賛してきただろう、「ハンカチ王子」「はにかみ王子」「なんとか王子」と。どうしてこうも人は「王子」だの「王女」だの「王さん」だのが好きなんだろう。そんなものが真に人のタメになったことなど、一度だってありはしなかったろうに。なさけない。
2007 8・21 71

* 世界史が、「ブルジョア」の世紀から「帝国主義」の時代へ入って行く。十九世紀後半から二十世紀前半へ。わたしが生まれる頃までの「百年」ほど。とても興味がある。
明治維新から、わたしの生まれる一九三五年ころまでの「日本史」は読んだ。これから「世界史」を読む。

* ルソー『告白』の、巨きな内蔵されたオリジナルに、少しずつ気がついて行く。創造的な内発の実感・主観が「世界」を変えて行く、自然な変革力。外から来る暴力的な歴史や時代の「枠」を、魔法のように溶かし去る生き生きした人間主体の実感力。
2007 8・22 71

* 用があり、芹沢光治良の大長編『人間の運命』をまた隣から運んできたのを、出逢いというか、妻が拾い読みの内にいたく面白がり、第一巻から熱中しているようだ。
この作は、かつて、日本人小説家としては、世界一名の通った、海外での盛名のほうが日本の文壇でより遙かにぬきん出ていた世界作家の、晩年畢生の代表作で、「創作された小説」であるが、「完備した自伝とも私小説とも」いえる、芹沢文学の特質を最大限に発揮した名作になっている。
いろんな点で、日本の文壇文学とはずいぶん、顔つきも声音も体臭も異なる。思想も異なるし作の環境も異なると謂えるだろう。しかも日本の私小説の伝統にむしろ背をむけた作風なのに、いわば赤裸々にこっちが照れるほど真正直に書かれてあり、おそらく、架空の人物は実は一人もいないのではないか。
文壇作家の林芙美子や平林たい子との初対面や、その後芙美子の、昔言葉で謂えば「モーション」のかけ方など、なかなかの書きようで、芙美子ぶりは、臭いとも、難儀とも、可笑しいとも、辟易のていに言葉優しく書かれているのだが、表記名は「林扶喜子」、またお連れだった平林たい子は「平森たき子」としてある。他にもこの手の例は少なくなかったと思うし、実名も沢山出て来る。
日本の小説で、実在の人物をこういうふうに擬似ないし実名のママ書き示す例が実際にどれほどあるかと思ってみると、近代の作品数はべらぼうに多いし、随分多読してきたわたしも、そんな目で一つ一つ読んで来なかったから、すぐさまとは行かないけれど、先ず思い出すのは『人間の運命』だった。
名前の擬似例も多いが、数えきれぬ登場人物のおよそ全員が特定できることだろう、谷崎の『細雪』でも漱石の『我輩は猫である』なんぞも同様であった。
森田草平という漱石の愛弟子の一人は、有名な「青鞜」創始の平塚らいてうと心中未遂事件を起こし、その顛末を『煤煙』に書いたとき、たしか、ヒロインの実名「明子」を、「朋子」ときわどく形示していたのも記憶している。こういう例、拾えば随分多かろう。記憶のある方のお教えを請いたい。
2007 8・31 71

* 『ゲド戦記』は第二巻のアチュワンの指輪で、闇に「喰われし」大巫女であるアルハの、地底の迷宮(ラビリンス)での「闘い」を、今しも読み進んでいる。
残念ながら英語の原書が書庫に埋もれ、見つからない。
奇しくも『イルスの竪琴』第二巻でも、海と炎の娘レーデルルが、闇にまみれ、死の世界から無数にあらわれてきた敗者王たちに取り囲まれ、懸命に闘っている。アルハもレーデルルも、世界の頽廃と破滅の危機に直面しながら、精神の健康と強靱に魅力を保ち、いささかも誇りと平衡とをうしなわず、落ち着いて、きたない手はつかわない。
それにくらべると『太平記』で死闘をつづける尊氏も義貞も、また後醍醐帝も、妄執の鬼のようでしかない。闘いようそのものが、醜い。

* 十九世紀後半から二十世紀前半の世界、発明と発見との「便利」という大毒をはらんだ「文明」開華の世界をのみこむ「帝国主義」むきだしの野望。
世界史は、あまりに身近な、自分自身の七十余年の人生にもう密着してきて、読んでいても、息が喘いでくるよう。
『旧約聖書』は、また大きな区切りを越えていった。今暫くすれば、詩篇やヨブ記などへ到達する。『総説・旧約聖書』を便りの道案内に、なんだか原野・曠野を旅している心地である。
『イーリアス』は、正直の所もう、いつ打ちきってもいいほど。叙事詩としての性根も手法もみえて、物語の展開にもさらにきわだった展開は期待しにくくなっている。
『オデュッセイア』で十分ホメロスの魅力は味わった。また大冊『ドンキホーテ』に戻っていいだろう。
むしろルソーの『告白』を続けて行こう。人間も叙事も、どっちも「一種異様」な告白のおもしろさである。ないしは、おもしろくなさ、でもある。訳者の桑原学派の人たちはたいへん聡明に持ち上げている。説得されるが、簡単に売り言葉に説得された読書は危ういものになりやすい。落ち着いてルソーとは付き合いたい。
2007 9・1 72

* わが幼年時代の雑学の仕込み先として、絶大に楽しませてくれた『日用百科寶典』は、文學士玉木昆山閲、小林鶯里編、東京の尚榮堂刊、明治三十九年八月に編纂者小林識の「自序」があり、目次なみの詳細な「索引」が本の前についている。
奥付はなく、うしろに「諸君は小川尚榮堂出版図書を悉く讀まれしや」と、図書目録がずらあと満載してあり、これまでが、今となっては興味深い。本文は一 ○八三頁ある。
「凡例」には、「巻中を類別して左の二十類とす。」とあり、國体及皇室 教育 宗教 文学 国文及国語 英文法 歴史 地理 法制 経済 社会 科学 数学 商業交通 農工藝 軍事 生理衛生 家政 音楽遊戯 雑  とある。国際海外知識は項目として意識もされていない。
ここしばらく、この「寶典」の薄れた活字を霞んだ眼で追ってみようと書庫の奥から持ち出してきた。酔狂なことだが。

* ときどき繙いて、浮世離れのした我一人の思い出をたのしんでやろう。
2007 9・1 72

* 今日数える皇統では、後二条、花園、後醍醐、後村上、長慶、後亀山 そして百代後小松天皇と続いて、北朝の光厳、光明、崇光、後光厳、後円融天皇は数えない。
しかしわたしの愛読した『日用家庭寶典』では南朝の長慶天皇を数えずに、上の北朝天皇たちが数えてある。南北朝のことは、明治三十九年の本にして、なお結着されていなかったのだ。
2007 9・2 72

* ルソーの『告白』が岩波文庫の中巻に転じた。第二部と謂うらしい。第一部は青春時代と謂う気であるのか。ずいぶん、われわれの今日の生活とはかけ離れすぎた暮らしのパタンで、おどろかされることが多かった。一言でいえば「へんなひと」である。ただ歴史上のルソーの存在の重さ大きさを先入主として識っているので、最後まで読みたいと思うのだが、出来れば他の著書にもこの際触れたい。『エミール』は書庫にあるが、『社会契約論』や第ベストセラーだった小説『新エロイーズ』なども。

* 旧約聖書は『エズラ記』を読み進んでいる。千夜一夜の『バッソラーのハッサン』がむやみと面白い。思いをとろかす魅力がこの物語本にはある。『太平記』は心傷ましめる。
ル・グゥインの『アチュワンの腕輪』にずんずん惹きこまれる。パトリシアの「レーデルル」の巻はもう少しで終える。みごとな進行で、アンの宮廷に役者がつぎつぎ乗り込んでくる。グゥインからもパトリシアからも、病む「世界」に対する思いを通して厳しく伝えてくる、警告。じっと聴いている。
2007 9・6 72

* いまアチュアンの地底の闇の大迷宮(ラビリンス)奥深くで、「闇に喰われしもの」である大巫女アルハと、魔法使いゲドとが、直面しようとしている。わたしは、その闇の濃さが懐かしい。うすっぺらな、ろくでもないものばかりを見せつけるような光よりも。
2007 9・7 72

* 早く起き、パグワンと太平記と万葉集とを音読。バグワンには、持つな、捨てよと聴く。
2007 9・8 72

* 江古田のブックオフで、グレアム・グリーンの代表作の一つと、ジョイスの『ダブリン物語』を買ってきた。これはめっけものであった。
2007 9・8 72

* 京都南山城古寺探訪と題してある略地図には、一休寺(酬恩庵)、法泉寺、観音寺(大御堂)、蟹満寺、神童寺、海住山寺、禅定寺、山城国分寺(恭仁宮跡)、現光寺、笠置寺、岩船寺、浄瑠璃寺(九体寺)の名が上がって写真も。木津川は東から西へ流れ、もののみごとに木津で眞北へ折れて北流している。川の東に沿ってJR奈良線が、川の西に沿って縒り合うように近鉄奈良線とJR学研都市線が走っている。

* その近鉄山田川駅に、国民学校一年生の折の吉村ひさの?先生が住まわれていて、何の用でか、その学年を終えた春休みに、秦の父につれられ、はるばる山田川まで先生宅を訪れた記憶がある。大人の話にすっかり退屈していたが、帰り際、先生は私に「古事記」を訓み下した古本を下さった。日本の神話にどっぷりつかった最初で、あの春休み中に、同じ本をわたしは何度も何度も何度も繰り返し読み、ほとんど暗誦した。二年生になり、わたしは日本神話を、先生に命じられ教壇にあがって「話す」役を、何度もつとめた。泣き虫のダメ一年生が、元気に立った転機であった。
2007 9・8 72

* 昨夜も遅くまで励み、それから読書。
ル・グイン『ゲド戦記』第二巻の「アチュアンのリング」にひきこまれ、眠さもすっとんだ。ついに地底の少女テナーはゲトとの「信頼」をかためた。この巻だけを脚色すればいいのに。
『イルスの竪琴』英語の第二巻も、レーデルルの敢闘を経て、アンの宮廷の広間でクライマックスを迎えている。この作者の構成力と破綻のなさに感嘆する。辞書をくるのは時間が惜しくて脇さんの訳本をそばに置いている。英語では英語ならではの細密な表現や描写が、難渋してもとても楽しめる。アチュワンの原本も見つけたかったが。
この二冊を読んでいて、いつも念頭へさしかけてくるある種関連の感化は、映画の『マトリックス』三部作だ。
この世界の病根を抜くことを、ゲドも、星をおびし者も、また映画の主人公たちも、命がけでやっている。安倍内閣はどうだ。アメリカはどうだ。イラクはどうだ。北朝鮮や中国はどうだ。汚い、と思う。

* グラッドストーンという自由党の宰相が、イギリスの十九世紀末から二十世紀へかけて数次の政権で活躍した。
この人は、ビクトリア女王に嫌われながらも圧倒的な国民の支持を何度もつかんで、三次もの「選挙法改正」で、貴族から農民に至るあらゆる所帯主に選挙権を確保し、主権在民の議会主義に大きな前進をもたらした。
徹底的にいじめぬいてきた属国アイルランドの国民にも同情し、あらゆる反対を押し切って、アイルランドの自主独立への画期的な路線をつけたのも、彼、グラッドストーンだった。
自由党は、軍の統帥権を、国王から議会へという目の覚めるような大改革のために、上院の横暴を実に我慢強く繰り返し押し返して、断然実現した。
その点、日本の貴族院はひどい存在で、日本を戦争へかりたて、天皇の名で、大きなわるさをした。なさけない。
必ずしも好きなとも言わないイギリスであるが、議会政治の歴史を確実に積み上げてきた一面には心からの敬意を覚える。

* ジャン・ジャック・ルソーってなんて、奇妙な個性だろう。たぶんに鼻をつまみたくなる、『告白』第二部を読み進みながら。

* えっ。雨か。今日は新宿に出なくてはならない。
2007 9・9 72

* バスを待たず、通りがかったタクシーで保谷駅へ、そして東京駅へ、さらに京都へ。新幹線車中で、入念に午後の「対談」の心用意。それから「世界史」を読み継ぎ、またグレアム・グリーンの『事件の核心』を読み始めた。
2007 9・13 72

* 大伴家持と数多い女性達、ことに坂上大嬢らとの相聞歌に優れて佳いものがある。心惹かれる。
『太平記』も、世界史のビスマルクの平和も、根は醜い。
夜前、『イルスの竪琴』の英語版第二巻を読み終え、今夜から第三巻に入る。
2007 9・18 72

* アカデミー賞で九冠を獲た映画『イングリッシュ・ペーシェント』の原作、M.オンダーチェの『イギリス人の患者』、まアイザック・ディネーセンの『アフリカの日々』を友達に貰った。
麻田浩展の画集も手に入った。小さな写真になってしまった写真は写真だが、会場の大作が目に甦り、おもわず歯の根を噛む心地がする。
古くからの元気旺盛な繪を描く友達が、過労で入院したと。七十になってグループなどの過剰な人付き合いに振り回されていては、体も堪ったモノでない。聡く一人になることに、勇気をもちたい。
2007 9・19 72

* 唐木順三先生の『日本人の心の歴史』上下は名著であるが、ことに引用されてある多くの詩歌文章を拾い読むだけで、いまわたしには、足りている。先生の地の文はそれら詩歌や文章の背後から、おのずと立ち上がり耳に聞こえてくる。
百人一首の昔から和歌には苦もなく心惹かれてきたが、このごろ、いよいよますます和歌にも俳諧にもこころをひかれる。万葉には真率の喜怒哀楽がわきたち、平安和歌には室内遊楽の余裕の奥に、ふしぎな弧心の奏でを聴くおりがある。それが増してきている。私の昨今を反映しているのだろう。
2007 9・20 72

* 睡眠をけずり地獄を巡り歩くような、ダンテめく仕事をしながらも、精神は静かな平衡を保っている。だからモノが書けるし、本が読める。どんなに疲労しながらも読書をわたしは楽しんでいる。

* バグワンはまた『十牛図 究極の旅』に戻っている。もう何度目になるか、五度は音読している。
「牛の探索(尋牛)」から。

☆ <牛>というのは エネルギー、活力、ダイナミズムの象徴だ。牛はまさに生命そのものを意味する。
牛はおまえの内なる力 おまえの潜在力を意味する 牛はひとつのシンボルだ それを覚えておきなさい

☆ おまえはそこにいる おまえには生命もある
だが、おまえは生命が何であるかを知らない
おまえはエネルギーを持っている が、おまえはどこからこのエネルギーが来て どんなゴールにこのエネルギーが向かっているのかを知らない。
おまえがそのエネルギーなのだ!
それなのにまだ おまえはそのエネルギーが何であるのか気づかない おまえは知らずに生きている
おまえは根本的な問い 「私は誰か?」を問うていない その問は牛の探索と同じものだ 「私は誰か?」── これが知られない限り どうして生きてなどいられよう? そうしたら、すべては空しいものになるだろう。
なぜならば、最も根本的な問いがまだ問われず まだ答えられていないからだ。
おまえが自分自身を知らない限り 何をやっても空しいに決まっている。
最も根本的なことは自分自身を知ることだ。
ところがなんと、われわれはその最も根本的なものをのがし続け 些細なことにこだわり続けてゆく。
(スワミ・プレム・プラブッダ氏の訳に拠っています。)

* なんだ、そんなの哲学の最初歩じゃないかと言う人は、まんまとのがしてしまう。それは、これらの言葉を知識で処理する姿勢だ。大事なのは知識ではないし哲学なんかではまして、ない。「今・此処」を生きて立ち向かうことでなければ、「私は誰か?」も空念仏にすぎない。牛を探しに旅立つことは、いわば知識や哲学や倫理の積極的な放棄なのだ。抱き柱の放棄なのだ。
念のため。バグワンは「おまえ」などと呼びかけてはいない。「あなた」といっている。わたしがそう聴いているだけ。

* 『万葉集』は第五巻に。『太平記』は、新田一党の凄惨な最期をむかえる敦賀金ヶ崎城が、まだ僅かに活路を保っている。音読こそ最良の二冊である。

* 『旧約聖書』は「エレミア記」をもう少しで越え、やがて律法・預言書へ入ってゆく。それで昨夜は二時半を過ぎてから、『総説』の方で、先だって予習もした。モーセにはじまる古代イスラエルの優れた預言者たちの基本の性格を、唯一絶対神との深い関わりで、勉強。おもしろい。
『イーリアス』はなかばのところ、トロイアのヘクトールの勇戦の辺で停滞している。しかし『世界の歴史』の「帝国主義」の猛烈な拡大ぶりは肝の冷えるほど凄く、ゆうべはスエズ運河をめぐる英仏の死闘、エジプトの苦難の歴史に、引きこまれるように読みふけった。
『千夜一夜物語』は一に指を折りたいほどロマンティックな長編の伝奇物語を今しも通りすぎ、一心太助のようにやんちゃでへんてこな漁師の物語、ほとんど内容の同じ二篇を読み終えた。精緻な補注すら「読み物」として楽しめ、何の懸念も無しに別世界へ誘い込まれる嬉しさは、こういう時、わたしには頓服の魔薬である。
ルソーという人物は、『告白』中巻をどう読み進んでも好きになれない、ケッチな(京都のスラングで、けったいな)ヤツだ。ちっとも面白くなって行かない。桑原武夫の学派にまんまと担がれているかのようだが、そうも言えない人物でルソーがあるのは、間違いない。しかし人には奨められない退屈な、ただ長たらしい本だ、『告白』は。
グレアム・グリーンは伊藤整の訳にひかれているが、まだ『事件の核心』に至らない、けれど、これは先への展開と深化とに確かな期待がもてる。
何と言おうとル・グゥインの『ゲド戦記』第三巻が名作の吸引力、読み出すと先へ先へ持って行かれる。世界の均衡があやしく歪みかけている。危機である。ゲドとアレンの働きはいのちがけになる。映画『マトリックス』が重なって見えてくる。
同じことは、英語で読み進んでいる『イルスの竪琴』第三巻にも言える。運命のような深い愛にむすばれたモルゴンとレーデルルとの世界危機への死闘のときが迫ってくる。英語の読みが、だいぶはやくなっているかなあ。
まだ有る。岩波文庫で『止観』を読み出している。禅に、もう少し作法的にも触れてみたいから。だが容易でない。
加島さんの『求めない』にも鎮められている。
そして最後に、鳶に送ってもらった『麻田浩展図録』の絵を、一点だけ、深く深く細緻に覗き込む。
やっと電気を消し、黒いマゴと「ゴッチン」してから、寝に就こうとする。すぐ寝ることも、暗闇に瞠目していることも。
2007 9・25 72

* 二時まで、眼を霞ませながら数多く読みふけり、おしまいに、『ゲド戦記』。アレン王子と大賢人ゲドとの、世界の歪みを救いに生死の世界のさらに奥への危険な危険な、ぜひ必要な旅の話。
そして最期の最後はいつものようにマキリップの英語最終巻『風の竪琴弾き』に、夜前はひきずりこまれて、二十頁近く読み進んだ。一度灯を消したが、また灯して読み継いだ。眠くなっていても、この本にたどり着くと読んでしまうから、不思議。

ひとり、灯火のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。

兼好さんのお説、まったくごもっとも。

同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじかりければ、つゆ違はざらんと向ひゐたらんは、ただひとりある心地やせん。   兼好

ついこうなってしまう。
妻でなければ、ま、ひとり見ぬ世の人を友としたくなる。いい傾向ではないのだが。
2007 10・2 73

* 東大の上野千鶴子さんから『おひとりさまの老後』を、日大の尾高修也氏から『壮年期・谷崎潤一郎論』を頂戴した。
2007 10・5 73

* バグワンに聴いて、ああやはりこれだと、胸に思いがおさまった。
このところ万葉集の巻五で、山上憶良の「詩文」に引きこまれている。日本の「文豪」として山上憶良は最初の一人だと実感する。
太平記は、後醍醐帝の一宮が魂を奪われた恋人・御息所との出逢いのほどの、優艶きわまりない和文を音読し、いささか上気した。太平記はまこと音読でしか読み通せない魅力を、凄みに通う魅力を、もっている。
いましもわたしの底知れぬ不快を癒すのは、ひとつ、見ぬ世の友‥。ふたつ、何のためらいも、うたがいもなく、わたしの横に立っていてくれる人‥。
2007 10・5 73

* 藤村庸軒が利休の孫・千宗旦から利休についていろいろ聴き、庸軒の女婿久須見疎庵がまたそれを書き表した『茶話指月集』は、屈強の茶の逸話集で、おもしろい。いまどきは知らず、利休といい宗旦といい容易ならぬ達人であった。
このところ、機械の前で、やや思い屈すると手に取り読んで楽しんでいる。
2007 10・7 73

* マレーネ・ディートリッヒ、ゲリー・クーパー、アドルフ・マンジューの映画『モロッコ』に感嘆。映画ファンに久しく愛されてきた理由が分かる。ディートリッヒの魅力と貫禄、その所作の美しさ、豊かさ。史上最高の女優哉と思わせる存在感の美しさ。
むりな筋立てだとは思うけれど、それを成り立たせる表現の力。映画の純文学か。
すこし見かけていた例えばショーン・コネリーとキャサリン・セタ・ジョーンズの泥棒映画゜エントラップメント」など、どれほど金を使って作ってあっても商業映画の通俗読み物の域を出ない。同じならシャロン・ストーンの氷の魅惑と美しいセックス・シーンの『氷の微笑』の方に、極限の悪に膚接した魅力があるが、モノトーンの『モロッコ』が描き出す必然の力には勝てない。『情婦』のディートリッヒも立派なものであったが、『モロッコ』の彼女には愛を覚える。ゲリー・クーパーもアドルフ・マンジューもともに好演してくれた。
映画の端的な魅力に比べると、翻訳で読んでいるグレアム・グリーンの『事件の核心』は核心に入ってくるのが遅い。同じグリーンの『情事』には、もっと求心力があり、胸にこたえて感銘が酸のように身を灼いたものだが。
2007 10・7 73

* 明治時代に大和田建樹という、実に活動的な文士がいた。唱歌の作詞もするし美文も編むし博文館から「通俗作文全書」といったものを何冊も何冊も盛んに編集出版した。相当な有名人だった。いま覚えている人はほとんど有るまいが。
いまここに『日記文範』という一冊があり、古今の佳い日記文を親切に聚めて楽しませる。四六版のハンディなつくりで、中身は本居宣長の『菅笠日記』にはじまり、充実。『家長日記』『中務日記』『蜻蛉日記』『讃岐典侍日記』などへも溯っており、珍しい編も少なくない。
そればかりでない、本文の上欄を利して、柏原益軒や新井白石等、近世三十大家の短文がみごとに厳選してある。おもむくままに時々手にして、見ぬ世の空気をめずらしく呼吸しているのだが、編者大和田の「はしがき」も、気に入っている。


おのれ八つ九つの頃なりけん。父は京都詰とて。一年ばかりも家に在らぬ事ありけり。母は其日々々にありたる事を。細大漏さず記しおくるとて。或日おのれに讀み聞かせたるに。何がしより芋の餅を幾つ貰ひしとといふ事あるに至り。子供心にこんな事まで書いてあるとて。いたく笑ひしを。さな笑ひそ。かゝる事を書きてこそ。父上も家にある事まで委しく知ろしめし。又人さまの御親切も貫くわけなれば。御身も成長して後日記かゝんには、さる方に心を用ひよとて。其ついでに、日記かく事の必要を説き聞かされしは。四十年来わが身離れぬ教訓とぞなりぬる。
青年に至りて廣島に遊学せしに。いまは世に亡き小山壽といふ友を得たりしが。父上の命なりとて。日記かく事一日も怠らず。或日学校の教師なる英国人が寄宿舎に来り。畳の上に両足投げ出しすわりしが可笑しかりしとて。畫をさへ添へて父上のもとに郵送せんとせしをおのれにも見せしが。共に見て討ち興じたる事ありき。その時母の教へを思ひ出でゝ。おのれは未だ履行せざるに。友は既に履行しつゝ。しばしば父上を喜ばせもし。笑はせもしつらん事を羨みたりしは。これはた十とせを三つ重ねたる程の昔になりぬ。歳月流るゝ如く。一日の怠は百年かへらず。おのれも三十の頃よりは附けたれども。その前のが有りたらんにはと。後悔せらるゝ事こそ多けれ。前車のくつがへるは後車の戒め。青年諸子に勧めんとすること。獨り日記のみにはあらねども。
午の十一月三の酉の日     編者しるす

* 明治四十年八月十三日の発刊本であるが、「はしがき」は前年に書かれている。句読点の「、」を全く使わない。明治の頃には例があった。
こういう時代の書き癖を知らないと、例えば「ペン電子文藝館」の委員校正でも、よく不審をもらす人がいた。それにしてもあっさりとした事例で趣意をとおした、うまい「はしがき」だ。
具体的に具体的にとわたしは人には言う。なかなか出来ないのだが。つい観念的に書いて気分良くしているものだが、後々になれば、具体的な記事には間違いなく勝ちが生きるが、観念的なのはカビの生えていることが多いと案じられる。
2007 10・14 73

* ルソーの『「告白』に、ディドロやダランベールの名前が出始め、ぐっと興味深い時期に入ってきた。
グレアム・グリーンの『事件の核心』もようやくヘレンと副署長との出逢いに濃い、くらい味がにじみはじめ、グリーンならではの、せっぱ詰まったせつない虚無と懊悩の恋が深まってゆく。俄然深追いを誘われる。
旧約は『ヨブ記』に入って、戦慄の体験が食い込んでくる。しかも彼の信仰のひたすらとは離れたところで、茫然と私は佇む。『総説旧約聖書』との併読で助けられる。
後醍醐の一宮と御息所との数奇の恋と苦難と悲劇的な末期は、ながい一編の物語として独立して読めたが、つらい一編であった。
そして今は、尊氏等の怨嗟と憎念の的となった比叡山を滅ぼすことの是非を彼らに問われた、玄恵法印の衒学のきわみの感歎に値する大雄弁がはじまっている。衒学は気の毒、おそるべき学殖とはいわないが、おそるべき才覚と詞藻。これは弁慶の勧進帳の百倍にあたる咄嗟の延暦寺擁護の弁説であり、すこぶる面白い。

* だが、ゆうべも心に残って深く頷いたのはやはりバグワン、そして『ゲド戦記』でのゲドとエンラッドの王子アレンとの生死をめぐる簡潔な対話であった。簡潔だけれど千万言にあたいした。
ル・グゥインと言う人はあきらかにどこかでバグワンと交叉している、思想的にも語彙の上でも。何度繰り返し読んでも優れた作家だなあと感心するし、ありがたい刺激を受ける。本気で受け取れる。
マキリップの英語も最終巻の三分の一ちかくへ進んできて、モルゴンとレーデルル夫婦のいわば決死行。それはゲドとアレンとの果て知らぬ海上の旅と似ている、彼らは底深い山野の旅であるが。
万葉集も読み進んでいる。全巻の音読はあたりまえ、この先和歌の時代にはいるのが楽しみ。
もう一冊、観世栄夫さんの自伝的演劇論の遺著『華から幽へ』も楽しんでいる。

* 眼はつらいが、良くなるものと信じて、点眼で堪えている。本は読めるうちに楽しみたい。今日は、国立へ幸四郎の俊寛を片目で見にゆく。早く帰ってくる。
2007 10・17 73

* 今夜から息子の新しい連続ドラマだとか。題も覚えられない、なんだかガサツな出演者の前売り口上を、さっき、ちらと見聞きした。しょせん静かに人間の内奥の闇を覗き込む手の仕事ではない。

* 十時から半過ぎまでみていたが、浴室へ。
第一次第二次バルカン戦争から、オーストリア皇太子夫妻の暗殺までを読み、さらに第二次インターナショナルの推移を読んだ。帝国主義の支配者側の強欲非道の暗闘をイヤほど読んできた。これから暫くは、下からの抵抗の動きを読んでゆく。日本からは日露戦争のあと、片山潜が参加している。議長と二人壇上に立ち、万雷の拍手が五分は鳴りやまなかった有名な話は聴いてきた。
2007 10・18 73

* 午になる前に、妻と歯科医へ。そして江古田駅ちかくへ戻って蕎麦の「甲子」で天麩羅蕎麦の昼食。
この店は、堅固な蔵屋敷のように出来ていて、設えが風情に満ち、飾った絵もひときわ面白く、置いた雑誌もよく吟味され、大きな卓も椅子も、そして用いているやきものの食器なども、すべて立派なのである。
蕎麦もいいが、酒と肴のいろいろがいい。肴というより、上品な惣菜。ただし今日は酒も肴もとらないで、あつい汁蕎麦に、大きな海老天麩羅が二本。
で、江古田駅で妻とわかれて、わたしは千駄ヶ谷の国立能楽堂へ。梅若の橘香会。時間をはかって、その前に、喫茶店「ルノアール」で世界史を小一時間読んだ。ひっそりと静かな店内。
2007 10・20 73

* 独特の議会制度を打ち樹てていったイギリスという國には敬意を惜しまないが、近代の「帝国主義英国」の強欲で狡猾であくどい独善支配も群を抜いていて、他国を一段も二段も抜き離している。ことにインドへの徹底的な苛斂誅求にはおどろくほか無い。
インドという國がまたややこしい。中国はあれだけ大きな國だが、中国の歴史には意外に単純なわかりいいものがあり、とんでもない誤解は避けて通れるのだが、インドはあまりにややこしく、ややこしさの中に我々の常識とはよっぽどちがった、よく謂って伝統、わるくいえば理不尽が多すぎる。支配者イギリスのコモンセンスからすれば径庭の甚だしい差異も、彼らをしてインド人蔑視に向かわせたに相違なく、だからといってその狡猾に過ぎた統治の貪欲は、明らかに非道。
だがインド人社会のあのカースト問題だけでなく、言語を絶した女性差別のさながらの生き地獄ぶりにも、憤慨を抑えることは出来ない、わたしでも。
よくもあしくもイギリスという國は、歴史で謂えばつい最近までまこと世界を牛耳っていたんだなあと、愕きながら世界史を学んでいる。毎日、毎日がおどろきである。
だが、その手のオドロキは、いわば啓蒙されているだけで、表面的である。いささかもどう学ぼうとイバレルことではない。じつは物知りになったというほどのことですらない。擦過傷をうけてその痛みで、ああ生きているんだ俺はと自覚する程度である。

* だが『ゲド戦記』やバグワンや、また『ヨブ記』から受けとる自覚は、身内に食い込んでくる。血管注射のように痛く受け容れる。鈍感に慣れて枯れてゆく心身のために、わたしはそういう種類の読書を、まだまだ大切にしている。
2007 10・22 73

* 読んで欲しいと「小説」が送られてきた。中編という規模だろうか、書き出しから、簡潔な、佳い文章で書かれている。少し時間を掛けて読む。

* 「mixi」では、「甲子」老の旺盛な筆意と表現に敬服している。「mixi」でのこまぎれでは作品が惜しい。少しも早く「e-magazine 湖(umi)=秦恒平編輯」に手を尽くしたいと思う。四国の「六」さんはどうされているだろう。
2007 10・25 73

* バグワンの『十牛図 究極の旅』は、第三「見牛」に入った。いま、就寝前に三冊を音読し、床に入ってから九冊を順次読んでから灯を消している。
いま『千夜一夜物語』がべらぼうに面白く、観世栄夫の遺作自伝『華から幽へ』も興味深く読み進んでいる。
この家の近くに、昔、喜多流の宿老後藤得三さんが住まわれていて、榮夫さんは観世流を離れて一時、後藤得三の藝養子になっていたことがある。わたしたちが気さくな後藤夫人と親しくなっていたころは、もう栄夫さんは観世流に復帰のころで、能以外の劇界での多彩で旺盛な活躍はよく耳にしていた。後藤夫人からも良く彼の名前がおもしろそうに口をついて出た。
栄夫さんとのご縁はそれだけではなかった。彼は谷崎夫人の娘さん、恵美子さんと結婚していたから、谷崎潤一郎のお婿さんでもあった。その方角からもわたしは榮夫さんとご縁を繋いでいた。
観世に復帰されて最初の『楊貴妃』から最期に近い『邯鄲』までわたしは幸いたくさんな彼の能をいつも見せて貰えた。『景清』や『檜垣』や、小町の老女ものなど印象に濃い。舞台や映画にふれあう機会が意外に無かったけれど、能は観てきた。彼の生涯を載せた分母は確実に「能」であった。やはり「能」であった。
ひとまわりは私より年かさであったけれど、おだやかにいつも応対して下さり、「ペン電子文藝館」に谷崎作の欲しかったときも、お頼みすると「秦さんがなさることなら、なにも問題ありませんから。どうぞ」と簡単であった。恵美子夫人もいつも親切にしてくださり、夕日子がサントリー美術館への就職を熱望したときも、谷崎夫人の口利きで、じつは、この観世夫人恵美子さんが親しい自分の友人を動かして、只二人の採用の一人に夕日子を押し込んで下さったのだった。夕日子の結婚式にもその三人が揃ってお祝いに参加して下さった、谷崎夫人には新婦側の主賓をお願いしたのであった。列席の尾崎秀樹、加賀乙彦、長谷川泉、紅野俊郎、藤平春男といった人たちが、松子夫人の主賓を、とても歓迎されていた。わたしも嬉しかった。わが谷崎愛のひとつの結晶のようにそれはそれは嬉しかったのである。
2007 10・26 73

* 「ヌル・アル・ディンとミリアム姫」という『千夜一夜』でも屈指のロマンティック長編を電車の中で読み終えた。夥しい数の詩篇が挿入されていて歌物語にもなっている。想像以上に『アラビアンナイト』には読んでいて照れてしまうほどの純愛物語が多いが、純愛であっても、なお濃密にからだで愛を交わしていて、それはもう耽溺というにも近い。そういうところがこの物語の健康に美しいところで、わたしは好きだ。
むかし中河与一の『天の夕顔』を読んだとき、プラトニックに共感していたが、近年に読み直したとき、プラトニツクにわるくこだわっているのがむしろ愉快でなかった。囚われているのはどっちだろう、と思ってしまう。
2007 11・2 74

* 『マスルールとザイン・アル・マワシフ』『アリ・ヌル・アル・ディンと帯作りのミリアム姫』という相次ぐ二編は、千夜一夜物語のなかでもかなりの長編で、ともに、綺羅星のように恋愛詩を織り交ぜ、輝かしい歌物語に仕上がっている。「濃厚な純愛」と謂うと撞着して想われかねないが、それがそのように成り立っていて、何の矛盾もないから面白い。かえって「濃密に清冽な」と謂いたい印象を与える。恋愛はこれが本当だなと想わせる一途さを、文藝として生かしている。面白かった。
ミリアム姫は「フランス国王」の王女でありながら、奪われて奴隷女として市場に出され、自身で、美貌の貧しいヌル・アル・ディンを見つけて一目で愛し、乏しい有り金でムリに自分を買い取らせ、アツアツの夫婦になり、夜ごと熱愛し合い、妻は才藝を発揮して夫を富ませる。しかも自ら基督教を棄てて真摯な回教徒に改宗する。
だが運命はそう簡明ではなく、幾波乱にも見舞われる。だから読まされる。
マスルールとマワシフも、もっとフクザツな運命に翻弄され、文字通りな波瀾万丈に鍛えられ熱愛の度をひとしお高めて行く。凄いような美女のマワシフは、世界でもっとも強暴な魔王最愛の娘なのであり、とても人間の男とは添い遂げ得そうにないのだから、ややこしい。
まあ、これら男女の美貌の表現力はどうだろう、また才藝力量の豊かさは。物語の桁外れな破天荒は。
もうすこし訳の日本語が適切で、ことに挿入詩が美しく訳されていたら、魅力は十倍したであろうにと惜しい。
2007 11・3 74

* オーストリア皇太子夫妻がセビリアで暗殺された。ハプスブルグ家の衰退一途を象徴していたような皇太子と、彼に愛されて三人の子をなしていた宮廷不遇の妃との最期だった。オーストリアとドイツはセビリアに過酷に迫り、ロシアとフランスはセビリアの背後にまわる。第一次大戦の火ぶたがあがる。もう現代史といわねばならない。
2007 11・5 74

* 老大家である鶴見大学名誉教授岩佐美代子さんの、克明な労著である『文机談・全注釈』を頂戴した。
鎌倉時代の「楽人」の遺した、いわば音楽史ふうの説話物語であり、口伝とも見識とも随筆ともいえる多彩な大作に、現代語訳と、詳細な語注や論考や関連付録や索引が付いている。むろんわたしは初見、読み進むのがとても楽しみ。ちょうど文永・弘安、つまり二度の蒙古襲来時期の成立。
「大鏡」の趣向を踏襲したようなつくりでもあるようだ。

* 去年亡くなった親しかった歌人青井史さんの遺歌集『天鵞絨の椿』が、ご子息の手で編まれて上梓された。一冊を有り難く頂戴した。
題が佳い、青井さんを彷彿とする。年をへだて二度も癌に冒されたとは思われない、艶やかに元気そうな和服姿に何度もペンの例会で会ってきた。むしろ体格は豊かに見え、ときに、ひやかしたほどなのに。美貌、心懐かしい閨秀歌人であった。
声援し続けた「鉄幹」研究で、たしか日本歌人クラブ評論賞を授賞し、それが最期になった。わたしの編んだ詞華集にも幾つも歌をもらっている。師匠の馬場あき子の雰囲気をいちばん美しく受け継いだ感じの佳人であった。主宰歌誌「かりうど」の収束も潔く見事だった、感心した。まもなく死なれてしまった。

響灘とよむを聞きて戻り来つ一瞥がよし故郷といふは

夫の作る酢豚少しずつうまくなり老後という時間始まりてゐる

死の日まで言はざる言葉一つもち椿は渾身の朱の色を燃す   青井 史
2007 11・9 74

* 『ゲド戦記』第三巻「さいはての島へ」を読み終えた。
王子アレンと大賢人ゲドとの死の暗黒世界への決死行であった。生死を隔てる扉を不死を欲望するあしき魔法が開いてしまい、よう元に閉ざすことができぬまま、世界は混濁し衰弱しつつあったのを、二人は果てしない旅の果てにその扉にたどり着いて、ゲドは渾身の力でやっと扉をもとのように閉じ、封印した。世界は元気を回復した。王子アレンは久しく空位であった王位につき、ゲドは故郷ゴント島の森ふかくに姿を隠す。だがゲドは持てる大魔法使いとしての力の悉くを使い果たしていた。
なぜか、わが家から第四巻が欠けている。建日子が持ち帰っているか。どこか書店で、新しく探してこなくては。大きめの本屋さんも、入ってみるととても見られた物でない本ばかり溢れていて、欲しい本ははなから諦めるしかない。「本」でない本があまりに多くて、「本」というにふさわしい本ものは書店でも少ない。

* 江古田のブックオフで買ったグレアム・グリーンの『事件の核心』も読み終えた。真っ向からのカソリック小説。この作者は、葛藤をへてカソリックに入信した人。『愛の終わり』ではさほどその臭みはなく、耽溺するように愛読したが、今度のこの作品は消化不良な気がした。むしろ旧約の『ヨブ記』だけを引き抜いて、読みやすい翻訳で熟読してみたい。
いま傾倒するように読みふけっているのは、観世栄夫の遺著『華から幽へ』で、自伝風の経歴譚をぬけだし、能楽の体験にねざした「藝」の言説になると、俄然として興味津々。
ルソーの『告白』は、どうもこの人物の臭みがたまらない。告白でなく、むしろ論考が読みたく、また『新エロイーズ』などの小説といわれるモノが読みたい。

* 妻が、ついに芹沢光治良の超大作『人間の運命』を読了したという。わたしが半年掛けたとしたら、妻は三分の一ともかけず、朝と言わず夜と言わず熱心をきわめて読みふけっていた。口を開けば「次郎さん」であった。
わたしにしても、そのつど作のいちいちを思い出すから、これだけでも夫婦は厖大に話し合い批評しあったことになる。妻には、向いた文体で向いた叙事で向いた表現であったようだ。ひとこで「おもしろかった」のだ。すぐ繰り返しもう一度読めば、いろんな意味で妻の財産ができるだろうに。
折しも作者の息女である岡さんから、来年か、おそくも再来年にまた「ホール」で話して欲しいがと、お手紙を戴いた。わたしもまた読み返すかな。
2007 11・10 74

* 「ことばは沈黙に 光は闇に 生は死の中にこそあるものなれ‥‥」
ル・グゥインは、この、太古の詩句に託しつつ『ゲド戦記』を書き起こしている。詩句もまた『ゲド戦記』の創作であるけれど、古来あらわれた多くの「覚者」たちの覚悟に同じい。真理は、ことばで語った瞬間に真理でなくなる。闇がなければ光は生まれない。死は大海であり、人の生はその一風波にすぎない。瞬時にまた大海に帰る。
ル・グゥインの見解(けんげ)は、みごとなまでバグワンに接している。
2007 11・11 74

* ゆうべ夜遅くなってバグワンを読んでいて、また眼から鱗を落とす思いがした。
わたしは、遅くも会社勤めした頃から、なにより「集中力」を胸の内で誇っていた。最近でもまだそのケが無くない。
集注、あるいは瞬発の決断、自分でつけてしまう決断、も。それでものごとが一気に運んだり展開したりした。ものすごい失敗はしなかった、それは、これからするのかも知れない。
とにかく集中力でわたしは、もの、こと、ひとに向かう「べき」だというほど窮屈に「今・此処」を働かせていた。

☆ バグワンに聴く 「十牛図」講話から 訳者・紹介者の星川淳氏に多大に感謝しつつ゜

集中というのは意識の狭隘化だ 集中された心はほかのすべてに対してごくごく無感覚になる
それに対して瞑想とはこういうことだ
起こっている「一切に」醒めること どんな選択もなく ただ無選択に醒めていること──
十牛詩の作者(=十牛図の作者でもある)廓庵禅師はこう歌う。
私は鶯(ナイチンゲール)の歌を聞く
太陽は暖く、風はやさしく
岸辺の柳は青々としている
ここlこ
牛の隠れる余地はない!
これほどまでの感受性のもとでは どうして牛が隠れられよう?
牛(=無垢無心の本来のおまえ自身)が隠れられるのは
おまえが一つの方向に集注している場合だ
そうすると,牛が隠れられるたくさんの方向ができてしまう
だが,おまえがどの方向にも集中していないとき あらゆる方向に開いているとき どうして、どこに牛が隠れられる?
ビュ-ティフルな詩句だ
もうそこには牛の隠れる余地はない
なぜならば,隅から隅まで あなたの意識に落ちこぼれはないからだ
そこには一つの隠れ場所もない

集中を通しては,かえって逃避の可能性がある
あなたは千と一つのほかのものを犠牲にして 一つのものに目を見はる
瞑想の中では,何ひとつ括弧でくくり出すことなく おまえはただただ醒めている 何ひとつ脇に寄せたりしない おまえはただただ「間に合う」。
もし鶯がうたえば おまえはそれにも間に合う
もし太陽が感じられれば おまえのからだに触れて暖かければ おまえはそれにも間に合う
もし風が通りすぎれば おまえはそれを感ずる おまえは間に合う
子供が泣く 犬が吠える
おまえはただただ醒めている
おまえはどんな対象も持っていない

集中というのは対象を持っている
瞑想には何の対象もない
そして、この選択なき覚醒の中で <心>は消え失せる
なぜなら,心が存続できるのは 意識が狭い場合に限るからだ
もし意識が広かったら 大きく広がっていたら 心は存在できない
心は選択とともにしか存在できないのだ

おまえが 「この鶯の歌はきれいだ」と言う その瞬間、ほかの一切は締め出され 心がはいり込んでいる
それをこういうふうに言ってみてもいい
<心>とは意識の狭隘化状態だ
意識はごく狭い回路を流れる
トンネルだ
瞑想とはただ広々とした空の下に立つこと
すべてに間に合うのだ
ここに 牛の隠れる余地はない!

宗教的探索は科学的探索とは違う
科学的探索、問いかけでは おまえは集中しなければならない 全世界を忘れるほどにまで集中しなければならない
好例はいくつもある
ただ科学的探索では 「牛」は見つからない。 探索にもいろいろある。それは事実だ。

* 集中力で済むことも有る。現実生活では大切な働きになる。しかし心を解き放って、無にして、落としきって、静かに一切と溶け合う「とき」に、「牛」がありあり感じられる。そういう「とき」をわたしは置き忘れがちなタチだ。
2007 11・11 74

* また、とびきり面白い、また長い長い小説を読み出してみよう。
2007 11・13 74

* 西銀座の旭屋で、やむなく、版型のちがう『ゲド戦記』第四巻を、きのう歌舞伎座への前に手に入れた。これに気持ちは膨らんでいる。『太平記』は新田義貞のなにとなく物足りない最期が迫り来つつあって、陰気。
2007 11・15 74

* 待合いで、たくさん世界史の「第一次世界大戦」総力戦の国際状況推移を読み進めてきた。東洋では対中国支配に日本は漁夫の利を得て、ほとんど狡猾なほど悪意の算術で外交を切り回していた。いまの日本の外交と大違いだ。高価な金銭を支払って大量の石油を買い、それを外国の戦争行為への支援に無料で提供し、しかしそんな戦況はちっとも好転していない。それを称して「国際協力」だと。失笑ものである。
第一次大戦のころの露仏英三国協商に加わってイタリアも、ドイツ・オーストリアを裏切り、さんざ断り抜いてきた日本も、中国の利を固めると戦勝後の講和へ加わるべく、ちゃっかり参戦に踏み切っている。列強も、ドイツも、社会主義者まで内閣に加えている。
いまは、孤独な平和への提唱者だったロマン・ロランの挫折し掛けながらも、ねばりづよく「平和への良心」たろうとする発言や行動を見守っている。すぐれた知識人や文化人の多くも戦争に協調を唱える人たちが多かった。だが、国民の疲弊は各国ともに目を覆うばかりのひどさ、日増しに深い。タンク、飛行機、潜水艦、毒ガス。戦場だけが被害を受けるのではなかった。

* 最近、テレビで、小沢昭一がインタビューを受けていた最後の最後の一言に、「戦争はいけません、しちゃいけません」と語っていたのが、胸にしみた。また今、毎夜読んできた亡き観世栄夫さん傘壽直前の遺著、『華から幽へ』でも、実に力強く、戦争への反対を語って、平和のためになら何でもする、何でもしてきたと言い切るのを、繰り返し聴いた。生きがたい時代を、真摯に生き抜いてきた真の「大人」真の「藝術家」真の「藝人」の性根の確かさ太さに、こころからの敬意と共感をわたしは覚えた。

* 歴史に学ぶことを忘れてはいけない。忘れはて、また気も付かないでいるどんなに多くの大事なことに、気づかせてくれるか。

* むろん、気づくだけでは何にもならない。今年ノーベル賞を受けた地球温暖化を警告し続けてきた団体の責任者、インド人の博士が創り上げた「報告書」の科学的な重みを縷々述べていたのを、わたしも聴いた。だが、問題は「報告書」に従って起こす決断であり行動でありその遵守であるが、そのためには強烈な「政治」の施策と指導と達成がなければいわば紙片の山を築いたに過ぎなくなる。それが問題だ、各国の政治が糾合されて一致団結して「報告書」を「活かす」のが、問題だ。
が、わたしはどうにも楽観できない。人間を、人間のエゴと怠慢とを日々に思い知るとき、わたしは、だんだん集団としての人間の誠意が信じられなくなっている。その人間たちが形成している国家のエゴイズムは、もっと甚だしい。そこで蠢いている現代の政治家たちのエゴイズムたるや、さらにさらに甚だしい。
三十年で北極がなくなるというコマーシャルがすげない程、当たり前な声音で流されている。誰がその暗い意味について、おそれ、うれい、たちあがり、手を打って、実現するのか。
若者よ。知性の人たちよ。体力をもった人たちよ。才能と実技にたけた若き有名人たちよ。その個人技をりっぱに達成したときには、人びとが盛んに拍手しているその瞬間に、一言でいい「地球環境」について世に広くうったえ勧めて欲しい、政府と政治家とを動かしましょうと。昨日の野口みずきのマラソン力走は素晴らしかった。あのすばらしさが生む影響力や感化力で、一言アピールしてくれたら、信じられない力への一押しになるはずだ。彼女にはわるいが、ただゴールを新記録で走り抜けただけでは、それでおしまい、それだけだ。人々を感動させたのは素晴らしいが、感動した人たちの、人間の「寿命」が残り少なくては、やはり、はかないではないか。
2007 11・19 74

* 幸四郎・染五郎フアンと思しき人たちの「mixi」足あとが増えている。歌舞伎フアンは決して少なくない。
幸四郎・松たか子が親娘で往復書簡中の、毎月の「オール読物」今月号が、一昨日「高麗屋の女房」さんの手で届いていた。今月はお父上の番で、国立劇場で「俊寛」を演じていた最中の手紙であり、冒頭から俊寛の話題であった。
高麗屋は、「俊寛」の型が、初代吉右衛門で大きく完成したことを書いておられ、まさにその通りだったと思う。そして今も俊寛を演じるのは、幸四郎・吉右衛門兄弟と、この間の演舞場の中村屋がもっぱらであり、中村屋のお父さん先代勘三郎は初代吉右衛門の実弟で、兄の薫陶あってやはり俊寛を大事に演じた人であった。むろん今の高麗屋のお父さん、先代幸四郎も俊寛はとびきりの当たり役だった。
今回の娘あての手紙で当代幸四郎は、繰り返し「俊寛の人柄の優しさ」を強調されている。
また、他の総勢が赦免の船に乗ったあと舞台で、独り残された島娘の千鳥がかきくどく場面についても、たいへん貴重な証言をされている。
あの千鳥の場面を、高麗屋はかつて「長い」と感じていたと言う、が、現在ではべつのことを思って、あの間の長さに意味深いものを認めている、と。
あの「長さ」は、一度は船に乗せられた俊寛の、このまま行くか、それとも船には千鳥を乗せてやろうかと惑い迷う葛藤の時間なのだ、と。
これには教えられた。あ、あ「いい読み」だなと思った。

* 一方 俊寛の「優しさ」ということであるが、言うまでもなく彼が船を下りた決断には、少将成経や新婚の千鳥への思いあまっての配慮がある。
同時に、たとえ京へ帰れても、もう我が愛妻東屋は死んでいるという、すべて詮無き絶望も在る。優しさと絶望とどっちが大きいと比較はならないが、絶望には亡妻への愛の深さの裏打ちがあり、それもまた俊寛の優しさへ帰ってくる評価ではある。
ただ、「優しい俊寛」像は、あくまでも戯曲の作者近松門左衛門の、解釈というよりも創作であり趣向であり、十二世紀の実像俊寛がどうであったかとは、全く別問題なのである。
平家物語諸本を調べ読んでて、容易に読み取れるのは、俊寛のいわば剛情我慢であり、我執偏屈であり、決していい人柄には書かれていない。また鬼界島に流されて以後も、成経、康頼ともに神仏への祈願行業に熱心であったのを、俊寛独りは見向きもせず頑なで無信心であった、少なくも信仰厚い高僧善知識とはとても見受けがたい人物であったと書いている。
もともと鬼界島への流罪は、公の罪ではない、清盛一人の怒り・怨みに発している私刑なのであるが、ことに俊寛に対する清盛の憎しみには、そういう俊寛の性質もかなり加わっていたらしく読まれる。彼一人を鬼界島に置き去りにする憎しみはいかにも過酷な、わざとの仕打ちであり、それが、ひいては「平家悪行」の最も象徴的な行為と世人の目にも映じて、ここから急激に平家は衰運へ滑り落ちて行く。
平家物語での実にそういう微妙な位置に俊寛事件は大事に布置されている。同時代人の目に、俊寛は平家を呪い落としたのである。その点で、讃岐の崇徳天皇と鬼界島の俊寛とは、並び立って平家の栄華を呪う大怨霊だった。金毘羅と厳島への信仰もついに平家一族の海没を救い得なかったのである。

* 俊寛のそんな怨念を、みごとに清く救いとったのが、近松門左衛門であったことになる。彼は、貞女東屋の自裁、千鳥と成経の祝言という二つの虚構を用いて、俊寛に絶望と慈悲心との二つをあたえ、餓鬼道、修羅道の苦をさながら現世でもう味わい尽くして、のこるは往生浄土のみと、自ら鬼界島に「居残った」のであり、ここに平家物語の「置き去り」俊寛ではない、別の新たな俊寛像を創作したのだった。
高麗屋さんの「俊寛の優しさ」発見も強調も、近松の「居残り」俊寛において、正確な「読み」になる。船へ未練の「おーいおーい俊寛」で終わっては近松の趣旨に添わない、それでは平家物語の無惨な俊寛のままになる。
演舞場の勘三郎も、国立劇場での幸四郎も、近松俊寛の「絶望と優しさ」に共感した頓生菩提のけはいを漲らせて、わたしを喜ばせたのであった。
2007 11・25 74

* マキリップの英語版『イルスの竪琴』第三巻もじりじり読み進めて楽しんでいる。同じく『ゲド戦記』第四巻も。
旧約の『ヨブ記』をもう読み終える。『総説・旧約聖書』は、預言者エレミヤについて読んでいる。
『アラビアンナイト』は、今手にしている巻を通過すると、九百何十夜かにたどり着く。今は大臣と王子とのしかつめらしい賢人問答が続いている。
世界史は、一次大戦後を左右する、クレマンソーとロイド・ジョージと、ウィルソンとの会談が始まろうとしている。
はっきり言ってルソーの『告白』は、つまらないと言うより好きにならない。よほどへんな性質の人だ、ルソーというのは。
いま床に就いてからは、これだけを読んでいる。就寝前の音読は『万葉集」巻八、『太平記』がもうすぐ二十巻を終える。バグワンの『十牛図』は道半ば。
2007 11・26 74

* 猪瀬直樹氏から新刊が送られてきた。
日本の人口が、去年をピークにもう可逆の可能性もなく、このまま世紀末には五千万ほどに減るという。ほぼ四十年前に専門家から警告され、二人目の建日子を生むことにしたあのころからの私には「常識」なのであるが、まだまだ地球温暖化問題ほども、人は日本の人口問題に怯えていない。
わたしは、来世紀は、つまり百年もしてもし日本列島の寿命があったにしても、日本国はどこかの大国の植民地、いまのアメリカの属州的地位よりもっと被支配的な鉄鎖に喘いでいるだろうと考えている、もしも人口問題に適切な対策を持たなければ、の話。
「対策」というのが難しい、増えはしないだろうから。増えないで減って行きながらの「対策」である、政治家がまだそれに神剣に発言しているのを聴いたことがない。
猪瀬氏の本の出だしは、問題提起が利いている。なんだか、懐かしい気分で読み始めている。

* 国文学者の島崎市誠氏から漱石と関連周辺を論じた一書も贈られてきた。たしか『こころ』論がご縁でもう長くお付き合い願っている。論題が「漱石」である、ぜひ読みたい。
2007 11・26 74

* バグワンと万葉集と太平記とは、朝のうちにヒドイ小声でもう読んでおいた。太平記は二十一巻、いわば第三部に入った。後醍醐は吉野に逼塞し、護良親王は鎌倉で討たれ、楠木正成は覚悟の戦死をし、新田義貞と北畠顕家とはほとんど犬死にし、南朝側の第一次の主役たちはほぼ姿を消している。ひとえに後醍醐天皇の不徳の反映である。太平記自体はまだ半分残っている。麻のように乱れた主役不在の皮肉な「太平」の記になる。読みたい欲はかたっと落ちるが、乱世とお付き合いをする。
2007 11・28 74

* 何故かわが家にも新約聖書と讃美歌集とがあり、秦の叔母がある時期に人から貰っていたものではないかと察しられる。一編の小説がそこに横たわっていた気もする。
二書ともに今もわたしの座右にあり、新約聖書は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ傳だけは何度も読んだ。般若心経はべつとしても、仏典とは、もっと遅れて出逢っている。
いま私は「旧約聖書」の「詩篇」を読んでいる。旧約を読み、新約聖書を全部読み通すまで、まだ数え切れない歳月を要する。
知識は求めない。救われを願いもしない。ただ無心に読んでいるだけであり、それで足りている。
2007 12・5 75

* とても快調という体調ではなかったが、『ゲド戦記』第四巻を読み終えたところで、第五巻を、楽しみに鞄に入れて病院に行った。これがあればかなりの時間を待たされても苦にしないでおれる。
久しぶりにナースの新担当、とても懇切な面接で恐縮した。優に三十分。こりゃタイヘンだ、後続の人は。懼れていたほどひどい血糖値でもヘモグロビン値でも悪玉コレステロール値でもなく、先月より少し値高い程度で済んだ。
2007 12・7 75

* 『ゲド戦記』は一巻が面白く、二巻は更に面白く、三巻はさらにさらに面白く、四巻も、人はどうであれ十二分に面白い。そして五巻の華麗さは、またひとしお。わたしは、まるでバイブルかのようにもう何度繰り返し読んできただろう。
ゲド、テナー、レバンネン、テハヌー、ハイタカそして龍のカレシン。
マキリップの「モルゴンとレーデルル」の英語も、おもしろく進んでいる。
2007 12・7 75

* 子規の高弟というよりも「客分」のような先達に、内藤鳴雪翁がいた。明治四十年十一月に博文館から出た『鳴雪俳話』一冊が、私が少年の昔から家にあり、今もこうして手に取ることがある。
夜前、なにげなく多く採拾されているいろんな発句俳句を拾い読みしていて、いささか趣味に投影させていた。明治元年には京都に遊学していた人で、後に文部書記官にも任じていたが、つまりは子規の盟友だったとだけ覚えている。
文字通りいろいろな視点から述者の好む又は批判する句を多く取ってあるなかで、季節はずれながら、目に入った一句にたちどまった。

中間の堀を見てゐる涼み哉  木導

「中間=ちゅうげん」は、邸奉公、武家奉公している奴・小者のことだが、いいしれぬ彼または彼らの境涯が物静かに見えて、興を惹かれた。伴をしてきた主人の用の済むのを待っているとも、仕事の合間の休憩とも想われるが、たんに「堀をみてゐる」一句の働きのたしかさ、よろしさに感心した。
「涼み」「涼しさ」の句は少なくない。みな、かなりに、句にする前から「趣向」している。これが過ぎるとかえって暑い。
こんな雅な本ともいっしょに育ってきた。建日子は、たぶん読むまいなあ。本の処分を考えるとき、今にして頭が痛い。
2007 12・8 75

* 吉田博歌集『にび色の海』を戴いた。友人のご主人、理系の老学究である。八十近いとうかがっている。
全編を拝見して、近年から作歌に臨まれたということも分かるが、歌のセンスに、初々しい抒情味と、久しい人生を歩んできた人の把握の深さとが、こころよく入り交じって読めるのが個性的で、好もしい。
全巻をおおって、断然重みを成しているのが、全五章のさらに前に置かれた一首であり、じつは初めにこれを読んで、一瞬畏怖し緊張した。これほどの歌で一巻がうずめられていたら、ちょっと怕いなと。

一刷けのあかねを乗せし朝の潮いさりを終へて舟帰り来ぬ    吉田博

優れた写実味をもちながら、述懐の深みに久しい「人生」を静かに省みた自愛が溢れている。なにごとでもない情景と見えて、措辞のたしかさだけが表現しうる象徴性をもっている。他者にも自身にも丁寧に懇切に生きてきた人なのだなという感歎を、わたしは全編を通読して惜しまなかった。
歌の巧拙はいろいろに批評できるであろうが、此処に紛れない「私史の玉」が光っていると思った。
2007 12・9 75

* 咳喘息で声もつぶれ、しばらく音読が出来なかった。今夜も未だムリだろう。
あと三週間の今年だが、すこし落ち着いて半端にうち捨てられてきたものを、こまめに元の軌道へ戻しておこう。思い切ってすべきことにだけ集中してきたが、大方は、本来ならしなくて済んで当たり前のことだった。今の私だから出来たことだが、もし勤務などあったら対応できていなかった。
2007 12・9 75

* たくさん本を戴く中で、ちかごろ感心したのは、横手一彦さん・長崎総合科学大学の研究、『被占領下の文学に関する基礎的研究』論考編・資料編二冊、及び大著『敗戦期文学試論』一冊である。
コロンブスの卵のように、こう目の前に見せられて、「ああ、こういう視野も視座も視線もありえたはずだ、有り難い仕事だな」と賛嘆した。
モノの譬えにも、あの被占領下にどれほどの文学作品が、文学的論策が「発禁」ないし厳重指導をうけて日の目を見ずに終わっていたか、「資料編」は目をみはる事実を、ほぼ網羅してくれる。
日本国が占領軍による被占領状態、GHQの支配下にあったときが、有る。「敗戦」という事実の前に喘いでいたときが、有る。それをすら、われわれは忘れかけている。志賀直哉の『灰色の月』や徳田秋声の『無駄道』のような一体何がといぶかるような作者や作品を介して、「敗戦」が省みられ「検閲」の爪痕が具体的に指摘されていると、思わず粛然としてしまうものを、わたしなどは年齢的にまだあのころ小さな少年であったにかかわらず、身内に抱えている。

* 優れた批評と思想とに導かれて成ったこういう研究書を、わたしが「私」していては勿体ない気がする。横手さんについては、何も知らないが、何かの機縁でこういうご本が戴けたことを、誇りにすら感じる。

* 喜多隆子さんの歌集『系統樹の梢』は、この人の第三歌集になる。最初の歌集から戴いている。古代史の巣のような「大和」の奥深くを呼吸している歌人で、措辞も表現も個性に富んでいる。大和には、東淳子さんのような優れた歌人も暮らしているが、それをいうなら吉野山にも大きな歌人がさながら蟠踞している。「大和短歌」といってもいい近代短歌群が、前川佐美雄の昔から在る。わたしの生母も、その末の末流にいて歌を作っていた。

* 喜多さんの一冊の中で、これは大和短歌とは関わりない一首ながら、ふと目にとめたのが、

母妹に養はれつつ養ひき 子規山脈に女岳(めだけ)なかりき   喜多隆子

という批評の歌、慨嘆の歌で。
子規門には短歌に伊藤左千夫、長塚節らがあり、俳句に高浜虚子、河東碧梧桐らがあり、そういう彼らの末へ行くとことに俳句には幾らかの女岳も目立ってくるが、第一次の山脈には、なるほど「女岳」は皆無にひとしい。何でもない指摘とも大きな批評とも着眼とも謂える。
洛陽の紙価を高めるわけではないが、歌壇には喜多さんばかりでなく、日本国土にしっかと根付いた表現で、ゆるぎない個性と達成をかかえた女歌人はまだ何人も実在していて、虚名にうわずらない地の塩の味わいで「日本語を磨いている人」たちがいる。実にくだらない歌しかつくれない人もいるが、じつに確かな言葉の持ち主もいる。

* 四半世紀をこえて親しくしてきた多摩の詩人に中川肇氏がある。中川さん、最近『一行詩集』を出して贈ってきて下さった。無季の句も多く混じっていて、ただそれだけのことではない思いから、「一行詩」とされたのだろう、わたしは全編を読んで気に入った詩に爪印をつけていった。年代の新しい作、古希に近づき古希に達した近来の詩に多くそれが附いたのは、めでたいことであった。箱入りの佳い趣味の本で愛蔵に堪える。半世紀以上も昔の作には、

春の土手校長の子と喧嘩する    中川肇

がある。見えるようだ、が、わたしは「春」を推敲できないかしらとも思った。近年の作では、

身にしむや頼みの綱の主治医老ゆ
秋の蝉みんな空見て死んでゐる
待宵や切ないほどのまた明日    中川肇

などへ来る。最後の句にあえてほのかな春愁も読みとりたい。

* 岩波新書、藤田英典編『誰のための「教育再生」か』が著者連名の挨拶付きで贈られてきた。『なぜ変える?教育基本法』のいわば第二弾。「いまの改革では学校は崩壊する」とうったえた研究報告の声である。
2007 12・11 75

* 同僚理事の倉橋羊村さんから『おはよう俳句』を、関西の笠原芳光さんから『日本人のイエス観』、ペン会員のつつみ真乃さんから句集『水の私語』を頂戴した。

毛布にてわが子二頭を捕鯨せり   辻田克巳

こんな句を倉橋さんの本ですぐ見付けた。笠原さんの本を今夜から読書のうちにすぐ加えてみる。『総説・旧約聖書』『旧約聖書』そして『日本人のイエス観』とならぶとわたしの関心を示唆するようにみえるが、関心は関心にしても関わりようはあっさりしている。無心の関心である。
2007 12・13 75

* 今井清一さんから、『横浜の関東大震災』というご本を戴く。
2007 12・14 75

* 戴いた四国の玉井清弘氏歌集『天籟』をしみじみ読んだ。
はじめて玉井さんの歌集に出逢い、朝日新聞の短歌時評でとりあげて、もう四半世紀に近い気がする。この人の短歌を読んでいると、短歌という述懐の確かさが信頼されて、嬉しくなる。本ものの文体が毅然と立っている。女の人では、米田律子さんや北澤郁子さんの短歌にもそういう意味の感懐をもつ。
ずいぶん不確かで味ない歌集もいくらもいくらも在りすぎて心許ないけれども、けっしてそんなのばかりではない。ただ、これらの歌人より世代を一つ二つ若くしたときに、そこから確かな安堵をどれほどの歌人が得させてくれるか、その辺わたしは不案内である。求めて探しに出歩いてもいない。
2007 12・16 75

* 何度も手洗いに立って咳き込んだ。ラクな会議ではなかったが、空腹にもたえかね、また用事もあったので、帝国ホテルのクラブで、ブランデーで海老フライを食べ、来年用のダイアリーを受け取って、帰ってきた。食べ物も酒も、いまひとつ胃の腑にしっくりしなかった。
往き帰りに世界史の「第一次世界戦争」を読み終えた。世界史は、あと二巻になった。
2007 12・17 75

* なにかしようしようと思うより、ゆっくりしなさいしなさいと自分に勧めている。やすめるときに、よくやすめばいい。
昨夜『ゲド戦記』を五巻「アースシーの風」まで充足感で読み終えた。世界史は、いよいよ、ヒトラーとナチスへ来た。
2007 12・18 75

* たくさんなクスリ負けではなかろうか、視力がくらく落ちている、霞んでいる。しばらくやすんでいたバグワンや太平記の音読もまた始めたのに。
新しく、つのるほどの気持ちもあって、また、『夜の寝覚』を読み始めた。源氏をくりかえし読んできた眼には、読み患うことのほとんど何もない、いっそ平易な古文である。ワケがわからないが、すこぶる懐かしい物語世界である。
是に比べると、成り行きで読み進んでいるものの、ジャン・ジャック・ルソーの『告白』など、なんていやみな読み物だろうと思う。岩波文庫三巻本の下巻に入っているが、気分的には棄ててしまいたいほど。
2007 12・22 75

* 就寝まえに 『夜の寝覚』を読み始めると、どきどき胸がさわぐ。「中君」という、いわば日本の小説で女主人公としてすっきり独り立ちした最初のこの女人に、よほどわたしは心惹かれているのだ、『ゲド戦記』を通して読み終えて、今度はこの作がわたしの街日の読書群の芯になる。

* あっというまに眼が疲れて霞んでくる。「サンテビオ」をさすと一瞬に視野がクリアになる。ドライ気味なのであろう。
2007 12・23 75

* 師走の街は、黄葉がまだ足下にまぶしい。寒かったが、心静か。はげしく咳き込むこともなく、右目の潤み霞みもほぼ平常に戻ってきて、乗り物に乗っている間は夢中で世界史の「ニューディール」と「スターリンの大粛清」を読んでいた。そして「榛名」で佳いメニュのフルコースをゆっくり楽しんだ。シェフの面倒見がとてもよく、辛いめの、重いめの、シェリーと赤ワインも美味かった。わが歳末はおだやかに過ぎてゆく。感謝。
2007 12・26 75

* 原典『平家物語』を聴く会から、巻第一を贈ってきてもらった。喜多郎のテーマ曲ではじまり中村吉右衛門が「祇園精舎」野村萬斎が「殿上闇討」その他「祇王」を平野啓子が、「鹿谷」を片岡秀太郎が、語っているらしい。DVDのようだ。亡くなった梶原正昭さんらが監修している。お付き合い久しい山下宏明さんらが推薦されている。事務局の古場英登さんから鄭重な挨拶を戴いている。恐れ入る。
2007 12・26 75

* インドとパキスタンとの核保有をグズグズに容認してしまったのは、核戦争の脅威をよほど現実の物にしてしまったと、わたしは歎いてきた。中国、北朝鮮、そしてロシアも。東アジアは核の帯で締め上げられている。
わたしの世界史は、恐慌とニューディールのアメリカ、大粛清と一党独裁のソ連を通りすぎ、いよいよ満蒙で牙をとぐ日本軍国主義の俄然擡頭の時代、田中義一内閣の時代へ来ている。凄い、としか言いようがない。
いっそ『千夜一夜の物語』世界が、懐かしいアジールのようですらある。
『太平記』は、後醍醐天皇も吉野で崩御。護良も正成も義貞も顕家も武時も長年も、みーんな死んでしまって太平記はまだ半ばに達したかどうか。
いまわたしの読み進んでいる本でいちばんアホらしくなっているのはルソーの『告白』だ、ルソーという書き手のキャラがイヤになっている。
2007 12・28 75

* 昨日、日本史には女性崇拝の騎士道の顕著例は見あたらない、その意味でもドラマ『瑤泉殿の陰謀』に注目したと書いた。それを妻と話題にしていたときも、むろん『南総里見八犬伝』のことが出ていた。
ただしあの場合はただに慕わしき女性ではなく、厳格にいえば八犬士たちの「母」が崇拝されている。無垢の無欲のまま女人を思慕し拝跪し男が身をささげた高貴なほどの事例は、残念ながら見あたらない。坂崎出羽守には欲と面子がある。「狐忠信」の静への思慕などを辛うじて数えておくか。
第三部も、おもしろく観た。
2007 12・31 75

* 『三四郎』の三四郎が『それから』の代助、『門』の宗助になるのではない、これはよく読み誤られている。野々宮宗八が代助の前身であることは、美禰子と野々宮との関係を正しく読んでいれば容易に分かるのだが。三四郎は『こころ』の「私」の前身なのである、わたしの読みでは。
2007 12・31 75

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