ぜんぶ秦恒平文学の話

バグワン 1998~2003年

 

* バグワン・シュリ・ラジニーシという人をご存じですか。アメリカのオレゴンでしたかに拠点をえていたのですが、裁判によって国外に追放されました。一時、オーム真理教のお手本だと噂され、日本でも手ひどく否定的に話題になった人物だそうで、もう亡くなりました。

 わたしは、ほんの一年ほど前から、偶然に本など手にして、読み始めました。バグワンについては全く予備知識もなく、むろんオームとのことなど何も知らず関心もなく、いいえ、じつは無意味な先入見をひとつだけ持っていたのですが、いわばそれが理由で、およそ気まぐれと言うしかない出会いで読み始めたのです。

 ずいぶん昔ばなしになります、が、今はもう四十ちかい、二児の(たぶん二児のままかと思うのですが、)母親になっています嫁いだ娘朝日子が、まだ大学に入って間もない時分に、他大学生との小さなグループで、盛んにバグワン、バグワンと言いながら我が家へも集まって交流していたことがあったのです。講話集のような分厚い本が二冊三冊と娘の机に積んでありました。わたしは娘がへんな宗教団体に接近してはいやだなと思っていましたので、冷淡でした。幸いなことにというか、短期間で娘の熱は冷めたようで、ひょっとして娘は「恋」という信仰の方へ転向していったのだろうと思われます。

 

* バグワンの本はそれきり棚に上げられていました。幾変遷もあって娘が嫁ぎますときも、娘はバグワンを三冊、家に残して行きましたし、だれも手に取りもしなかった。あのオームが大騒ぎの頃も、かけらほども思い出したりしなかったのです。

 1998 4/1 2

 

 

* そのバグワンを、いったい娘のヤツ、あの頃なにに血迷っていたのかなと、ふと娘の気持ちを知りたさに手に取ったのが、去年(平成九年)でした。

そして、驚いたのです。ほんとうに驚いたのです。

 正直に言って、とてもあの頃の娘の、手に負える本ではありませんでした。その後の娘の娘時代を振り返れば振り返るほど、バグワンに娘が浮かれていたのは事実でしたが、何一つ受け容れるにははるかな距離のまま退散したにちがいない、そう信じられました。

 朝日新聞が、「心の書」を数冊選んで、週に一度ずつ四回コラム原稿をと頼んできたとき、わたしは源氏物語、徒然草、漱石の「こころ」とともに、バグワンの「十牛図」を解き語りしている講話を選んで、原稿を送りました。すると、担当記者から丁重に、バグワンに関する一回分だけは再考慮されてはどうかと電話がかかり、やがて、バグワンがかつてアメリカのオレゴンで裁判にかかり追放された頃の新聞記事などを送ってきてくれました。こだわる気持ちは無かったし、なによりわたしにはその手の予備知識も情報もなく、ただもう、本を読んでの感嘆のほか無かったのですから、原稿は引き取り、すぐ、べつのものを書いて渡しました。

 しかし、その時点でもわたしは、バグワンの説きかつ語る言葉が、じつに優れた境地にあることは信じられると記者に伝えておきました。

 原稿を書いて渡してからも、もう月日が経っています。しかし、その後も他の説法を時間をかけて読み、その示唆するところの深く遠い端的さには、驚嘆と畏敬とを覚え続け、いささかも印象は変化していない。伝え聞くオーム真理教の連中の、あんなむちゃくちゃとは似ても似つかないものだと、何の思惑もなく、一私人として、バグワンには頭をたれています。

 いまは『般若心経』を語っている一冊を読んでいます。これまでもこの根本経典を説いた本には出会ってきましたが、バグワンの理解は、透徹して、群を抜いています。

 余談ですが、わたしは、わがペンクラブ会長の梅原猛氏に「般若心経」を説いてみませんかと、二度三度勧めています。氏はバグワンの説く意味の「叛逆者」とはかなり質のちがう、与党的素質の濃厚な大度の人ですから、また特色ある説法が聴けるのではないかと期待するのです。「般若心経」は、或いは氏の試金石ではあるまいかと思っています。これは余談です。

 もし私が東工大教授の頃に、教室や教授室で「バグワン」の話などしていたら、或いはオーム寄りの者かと、物騒に思われたろうかと、苦笑しています。

 しかし、繰り返しますが、その説くところを静かに味読すればするほど、バグワン・シュリ・ラジニーシは、オームの徒なんどとは全く異なった、本質的な「生」の理解者です。

 

* しかしまた、わたしはバグワンを、まだ二十歳過ぎた程度の人に勧めようとは思わない。「知解」は試みられるでしょうが、人生をまだほとんど歩みだしていない年代では、この講話を、親切にまた深切に吸い込むことは無理です。つまりわたしの娘も、いいものに出会いながら、何一つ得るところもなく別れている、投げ出している。無理からぬことであるなと、よく分かったつもりです。

 娘が、バグワンの本をわたしに、十数年も経ったいまごろに出会わせてくれたことを喜んでいます。  

  1998 4/2 2 

 

 

 

* バグワンの「存在の詩」を欠かさず音読し続けている。世間のなかに実在し活動していたバグワンの「風評」といったものは、今では裁判記録など含めていくらか知っているが、講話から聞き取れる世界の「深さ」には計り知れぬものがあり、優れた言葉のみがもちうる魅力に溢れている。アサハラなにがしの貪欲で残虐な悪心と、バグワンの説く思想としての「叛逆」とはあまりに異なっていて、同一視など失笑の他ない。バグワンによりこんなに豊かでこんなに静かな「安心」が得られるとは、予期しなかった。

  1998 4・28 2

 

 

* バグワン・シュリ・ラジニーシの説教集を、とうどう三冊、娘が物置に片づけて嫁いで行った分厚い三冊を、ぜんぶ音読しおえた。音読という読み方には利点もあり欠点もある。最初の読み方としては、話し手の息づかいや内面のリズムが察しられるので、音読はよかった。バグワンの気息に親しみ馴れることができ、直観で、言葉の背後までを見通せるようにもなったと思う。立ち止まることがないから、知解や義解では不十分なところを沢山置き去りにしてきたが、それはそれで通過してもいいのだと思っている。

 順番で言えばティロパによった『存在の詩』」から十牛詩画を語る『究極の旅』そして『般若心経』だが、読み始めようとした頃の関心事から、まず「十牛詩」を読み出して、すぐさま、これはただものでないと観じ、敬意をはらって読みすすめ、次に「般若心経」を感嘆して読み、三番目に「ティロパ」を、深い興奮にかられながら静かに読了した。それぞれを読み終えるのに数ヶ月ずつをかけた。

 

* 娘がお茶の水に入って一年ほどして、他大学の男子学生らとバグワンを読むグループを作っていた頃、わたしは、そんなものに見向きもしなかった。案の定、グループもやがて消滅して、娘の口からバグワンのバの字も出なくなった。説教書は机の上からとうに影も失せていた。

 数年して、曲折を経て娘は嫁ぎ、また曲折を経てその婚家との音信が絶えた。

 そのまま数年して、私はふと好奇心からも、娘が学生時代のごく一時期ながら熱中していた「バグワン」とは誰ぞやと、知りたくなった。物置へ投げ込まれていた三冊を探し出して読み始め、もう娘のこととは離れ、私は「バグワン」のことばに多くを識り、また学んだ。深く揺すられた。日々に文字通りに激励をうけ鞭撻され叱咤され恥ぢしめられた。

 聖書も仏典も外典も、まこと多くにこれまで触れてきた。宗教学や神学には関心があり、かなりに読んできた。だがバグワンには多く言葉をうしなって、ひたすら聴く気になれた。これほどの透徹に私は会ってきたことがあるだろうか。

 バグワンはだが悪声にも包まれてきた聖者らしい。そんなことには驚かない。オーム真理教の徒が、あるいは有力な「種本」に悪用したかも知れない。しかしバグワンの説くどこからも、サリンやポアのごとき、ハルマゲドンのごとき、愚劣な行為も予言も出てはこない。バグワンはイエスを愛しているし仏陀も深く愛している。だれよりも近い、いや近い以上に等質の同一人とでもいいたいほどなのは、「道・タオ」の老子だと断言している。素直に聴くことができる。

 無為にして自然の老子的な達成から、最も隔たった存在なのが麻原彰晃であったことは余りにも明白。

 

* 般若心経を解いて、バグワンほど「空」を目に見せてくれたどんな人が、かつていただろうか。十牛図の詩を解いて、かれはさながらに老子を体現する。そしてティロパの詩句からあたか「も二河白道」を渡って行くものの、畏怖にも満ちたおそるべく深い平安へのすすめを説く。解いて明かす。

 バグワンの人について私は多くを知らない。ただ三冊の本が私の前に残されたのは、娘の意志とでも理解しておこうか。その三冊を読み終えて、私はすでに楽しみにして次の「道 タオ」上下巻を、池袋の「めるくまーる社」から買い求めておいたのを、また音読し始めたばかりである。

 

* 私は、自分がどれほどバグワンから隔絶して遠いかを、つらいほど思い知らされ続けている。私の読むのを時に聴いている妻が、それに気付いて思わずわらうほどである。

 この一年、私は毎日毎晩にバグワンに叱られ続けてきた。悲しいほど私はいろんなものごとに執着している。バグワンの言うところの「落としなさい」と最初に聴いたとき、私は、怖さにふるえた。うんざりし、げんなりするほど多くの「落としてしまえない」物事人を私は抱えている。その愚にはきちんと気付いているし理解もしているのに、「落とす」ことが出来ない。「落としてなるものか」とさえ抱き込んでいる。情けない。

 

* 裏千家の茶名を受けるとき、大学一年生かまだその前年であったかも知れないが、私は望んで「宗遠」と授けてもらった。「遠」の一字は私自身で「老子」から選んだ。だが、老子のいう意味からはただ程遠いだけのうつろな名乗りになっている。

  1998 11・5 2

 

 

* バグワンの『ボーディダルマ』には、敬服する。すでにこの和尚の大部の本を五冊読んできて、そのお蔭とも言えるだろうが、真意が呑み込みやすくなっている。読んできたすべてから、ほんとうに旨く要所を抄録できたら、どんなにいいだろう、自分で自分のために欲しいとは思わないが、初めての人には佳い出逢いになろうし、なって欲しいと思う。時間にゆとりができたなら、試みてみたいとさえ思う。

 断っておくがバグワンの実像を知らない。どういう人たちをどう集めて説いていたのかも知らない。ただ彼の「言葉」に踏み込んで耳を傾けているだけだ。それで十分だ。

 荀子の「解蔽」とは、幾重にも身にまとってしまったボロを脱ぎ捨てる意味で、脱ぎ捨ててしまえたとき「心」は「静=虚心=禅寂=無心」になれるというのだが、そしてこの「虚心・無心」にわたしはまだほど遠いけれども、それでも、バグワンに出逢い、どんなに心身が軽くらくになっていることか。それを自覚していればこそ、苦しい人や、夜も眠れぬ人や、こだわっている人に、紹介したいまごころを持っている。

 もっともわたしもまだまだとんでもない「こだわり」に生きていて、バグワンに叱られ、妻にもよく笑われているのだから、そんなことを考えるのはおこがましいのである。

  1999 9・4 4

 

 

* 宗教的な題材で幾つか小説を書いてきたけれど、かつて或るカソリック作家との対話のなかで、「われわれカソリックの立場では」といった発言に出会い、思わず「あなたは『立場』で信仰するのですか」と言い放ってしまって以来、いちだんと、特定宗教宗派宗団に傾いた信仰をうとましく感じるようになってきた。問題が難儀なので深入りしにくいが、少なくも「立場」に立っての信仰など、ホンモノではなかろうと思いしみつつある。法然親鸞の教えにも傾聴しているし、イエスにも愛を感じるが、とらわれたくない。バグワンを通じて老子に聴き、達磨に聴き、ブッダに聴き、イエスに聴いていてわたしは、もう大きくは逸れて行かないだろう。宗団宗派ゆえの信仰をわたしは醜くさえ感じている。  1999 10・2 4

 

 

* バグワンの『ボーディーダルマ』も三分の二以上読み進んで、音読しない日は、旅中を除いて、無い。この巻を読み終えたらもういちど『十牛図』などへ戻って、今度もまた音読して感じ取りたい。日一日と人生をおえる日が近づいている。死にむかって、何の安心も得ていない。深い怖れを感じている。特定宗派・宗団の教えには希望がもてない。また経典や聖書を信仰することも出来なくなっている。『親指のマリア』で新井白石に言わせていた、せめてああいう「安心」を、いや「無心」を得たいが、妻に言わせれば「マインドのかたまり」のようなわたしであるのも間違いなく、これを「落とす」ことは、残り少ない生涯で可能とはなかなか思われない。バグワンに聴きつづけるしかない、そうしようと思っている。大分前から妻もほぼ欠かさず耳を傾けている。そして信服しているようだ。

  1999 11・2 4

 

 

* 前夜、バグワンの「十牛図」を読みながら突如動揺し、眠れなくなった。人は社会に追従することで己が「決断」をすべて回避し放棄し、そのように生きていない者を狂人のごとく誹り、非現実的な愚者と嗤い、しかしながら、至福の静謐に至る者はすべてそのような狂人のように愚者のように遇されて生きてきたとバグワンは言う。その通りだと思う。バグワンに出逢うよりもずっと以前からわたし自身がそのように生きたかったから、そう説かれれば本当に深く頷ける。

 頷けるにも関わらず、そのように生きることでどんなに傷ついているか、耐え難いほどである自身の弱さに気づいて、あっと思う間もなくわたしは動揺し動転してしまった。寝入っていた妻を揺り起こして苦しいと訴えた。訴えてみてもどうなるものでもない、わたしは惑ったり迷ったりしたのではなく、ただ意気地なく辛く苦しくなっている自分を恥じ、情けなくなったに過ぎない。

 1999 12・19 3

 

 

* いまの私が私自身に言えることは、バグワンに何度も叱られてきた、そのことである。ほんとうに透徹した存在は人の目には「乱心」したものと見えるであろうと。また、人は映画や物語には惜しみなく涙を流して感動するにかかわらず、同じ事実現実に当面したときには、感動も涙もなく、ただ忌避し嗤い嘲り、理屈をつけながら、真に透徹した者を指さして「乱心・狂気・非常識」の者とただ指弾する。幻影にはたやすく感動し、現実には背を向けて真実から遠のくことを「常識」とすると。そのようでありたくないと思いつつ、ときにわたしは動揺し、自身の醜悪に目を剥いてしまうのである。

 1999 12・26 3

 

 

* バグワンの、「十牛図」を語りながらの説法は、平明にみえて深切、声に出して読みながら、ひとまとまり読み終えて、思わず知らず息を出し入れする自然さで、「そうなんだよなあ」と声が漏れてしまう。難解な論議ではない、平易な談話である、すべてが。だが全身にしみ通る。奇矯な偏狭な危険な野心的な俗なものは微塵もない。かといって高踏でも浮世離れもしていない。

 もっと広い場所で、つまりは独立のページを用意して、なぜわたしがバグワンを喜んで読んで=聴いているかを具体的に語りたい気もなくはないが、それが心のとらわれになるのでは、つまらない。

 

* 人は、色んな「抱き柱」を銘々に持たずには、生きていにくい。金、権力、肩書、勲章、名誉。くだらない。わたしは、バグワンの言葉で平和な気持ちを調え、そしてまた「南無阿弥陀仏」と、念じていたい。美しいいろんなモノに出逢っても楽しみたい。美食にも美人にも、まだ少し、いや少なからず、心を惹かれるけれど。

  2000 1・31 5

 

 

* バグワン・シュリ・ラジニーシの『十牛図』を二度目読み終え、『老子』二巻の上巻を、昨夜からまた新たに読み始めた。二巻とも読み終える頃には夏が過ぎて行くだろう。

 なんとなく今日はほっこりとしている。腰のうしろが異様に痛んでいる。椅子がよくないのかもしれない、多少不安定に揺れるようになっている。ぐっすり安眠したい。それとも面白いビデオの映画をゆっくり観てみたい。「オペラ座の怪人」がふと思い浮かんだが、ジョン・ウエインの「リオブラボー」でもいい。日本製のテレビ映画では最高傑作の「阿部一族」もいいが、少し哀しすぎるかも。  2000 3・18 5

 

 

* 梅原猛氏の講演「日本人の宗教観」が電子出版されるについて、解説をと、木杳舎から依頼されたが、テープを聴いて、お断りした。

「安心」をもたらすかも知れない体験や説法は聴きたいが、信仰心すらなく「宗教」について「知識提供的」に論じたり感想を述べたものは、不安解消の役には立ってくれない。バグワンのような人ににこそ聴きたく、もう数年、一日も欠かしたことがない。

 昨日も妻に聞かれたが、わたしの求めているのは「安心して死ねる」ことだけで、必ずしも宗教ではないし、まして宗教にかかわる知識ではない。梅原氏の講演は、講演自体がとりとめないだけでなく、論旨が想像以上に平板で、胸を轟かせるようなものではなかった。話者のネームバリューだけのこのような企画が世間に氾濫して、ポイントをのがしているかと思うと、気が萎える。

  2000 3・27 5

 

 

* 加島祥造氏から、バグワンそのまま『タオ』という、「老子」を詩の文体で翻訳したような本が届いた。伊那谷の老子の異名で名高い人だが、老子を語るとは珍しい日本人だなと思っていて、逢ったときに、バグワン・シュリ・ラジニーシをお読みですかと訊ねてみたら、まさしく、ラジニーシに学ばれたことが分かった。今日のお手紙にも、ラジニーシに学んで「二十年」此処まで来ましたとある。

 ラジニーシについては、まともに話しにくいほど誤解されていて、朝日新聞は、わたしのバグワンに触れた原稿を、明らかに親切心からボツにした。アメリカから追放されたりしていたからだ。甥の黒川創にも、バグワンを読んでいると言ったら、やめた方がいいと本気で忠告してくれた。理由を聴いてみると、とるに足りない、むしろ彼が一行も読んでいないことだけが分かった。バグワンの「タオ=道」も「存在の詩」「般若心経」「究極の旅=十牛図」「ボーディー・ダルマ」も、すばらしい真のエッセイで、ほんとうに安心がえたく、静かに真実に生きて死にたいと願う人ならば、それこそ安心して読まれて佳いと推奨できる、自信を持って。

 

* 加島祥造氏も、二十年傾倒されてきた。大きい証言だと思う。宗教でなくすぐれて宗教的であり、哲学でなく哲学をはるかに超えてアクティブであり、禅に最もちかいが禅よりも日常生活を離れていない。あやしげなカルトとは天地ほども隔たった、覚者の生きたことばがマインドを透過してハートに吸い込まれて行く。ソクラテス、イエス、ブッダ、そして老子。全部を体し全部に通じながら、より現代的に柔軟で積極的である。ヒマラヤに籠もることを教えず、この我々の街に立ち返って易々と生きることを語っている。十牛図の第十。

  2000 5・11 6

 

 

* 初めて、バグワンに触れて未知の方からメールをもらった。心嬉しく。

 

* バグワンについて初めて少し触れました原稿は、ある新聞社でボツにされました。理由も聴きましたが、信じませんでした。すでにバグワンの講話に深い信頼をおいていましたので。表だってバクワンを他に書いたことは、ありません。ただホームページの「私語の刻」に、この三年来、折に触れてバグワンを読み感化を深く受けていることを告白しています。

 訳本でしか読んでいません。

 昔、大学生だった娘が仲間たちと読んでいた頃、わたしは見向きもしませんでした。娘は、嫁いで行く頃にはすっかりバグワンから離れていました。本も三冊、物置にしまって行きましたのを、数年前に、あの頃の娘は何を読んでいたのだろうかと好奇心にも駆られて読み出したのが、そのまま深く捉えられてしまいました。「存在の詩」「究極の旅」「般若心経」でした。あとの二冊は、つまり十牛図と般若心経とは、バグワンを知らない昔から関心の深いものでしたので、それにも惹かれてとりついたのでした。

 ま、そんなところです。本屋さんや訳者がかなり自在に引用を許してくれたなら、わたしのバグワン体験を語りたい思いが有りましたが、手続きが面倒に想えて、唯一人で毎晩必ず音読しています。このごろは、妻も心惹かれるように聴いています。知解しよう意味を知ろうなどとは努めず、ただもうバグワンの声を聴こうとしているだけですが。「道(タオ)老子」「達磨」なども含め、何度も何度も同じ本を音読しています、クリスチャンのバイブルのように。

 むしろ私の方があなたから教わりたいと思っています。とりあえずご返事まで。感謝。 2000 11・9 7

 

 

* 光について莫大な知識をもっていても、暗闇は照らせない。われわれの人生は暗闇なのである、概して。そんな中で知識の切り売りのようなことばかりしているインテリでは、我が身一つも癒すことはできず照らすこともできない、ということを、わたしは痛感している。哲学も宗教も科学も、真に照らす光は放っていない、光の知識をひけらかしてばかりいる。それでは間に合わないと、わたしは思って、じっと自分の身内を、その闇をのぞき込んでいる。かなしいかな、わたしは、まだまだ闇そのものでしかない。自ら発光していない。なにも分かっていない。手を引いてくれているのはバグワンだけである。

 ビトゲンシュタインは、その自らの哲学を、要するにそんなものは何の役にも立たないと確認するために築き上げたに等しい、体系的な哲学など、哲学学など、真の悟りの前にはただの有害な壁にすぎないが、そう「悟る」に至るに必要な存在ではあった、と言っている、そうだ。真偽は確かめないが、真実だと思う。話題を切り口だけで何となく面白げに、高尚に、また洒落て、どんなに座談してみてもそれは光ではない。いわば光について話しているだけだ。

 2001 1・10 8

 

 

* そして、小森健太朗さんにいただいた次のメールが嬉しかった。

 

* 十日の「私語の刻」で紹介されているウィトゲンシュタインの言葉は、バグワンが『究極の旅』で言及していた発言によるものかと存じます。元の出典は、『論理哲学論考』の末尾の箇所ですね。引用してみます。

 「わたくしを理解する読者は、わたくしの書物を通りぬけ、その上に立ち、それを見おろす高みに達したとき、ついにその無意味なことを悟るにいたる。まさにかかる方便によって、わたくしの書物は解明をおこなおうとする。(読者は、いうなれば、梯子を登りきったのち、それを投げ捨てなければならない)」(坂井秀寿訳・法政大学出版局『論理哲学論考』199-200頁)

 

* これをバグワンは、バグワンらしく深く読んで端的に引き、わたしはわたしの思いを添えて読みとっていたことになる。

 2001 1・11 8

 

 

* 晩、「知ってるつもり」とかいう関口宏が司会の番組で「法然」を取り上げていた。さほどの「理解」を示したものとは見えず、常識的な「知識」の取り纏めに終始していた。大方の法然論は、みな、そうである。売れているという梅原猛氏の『法然の哀しみ』も、壮大な読み物だが大差ない解説に終始している。それがいけないとは言わぬが、梅原さんも顔を出していた今夜のテレビ番組は、法然よりもよほど寸法の短い紹介番組であった。

 法然の「南無阿弥陀仏」を、ただ鵜呑みに有り難がるので、かえって、そこでコツンとものが止まっている。行き止まりになっている。仕方がないから賛嘆しておくことで終わってしまう。「南無阿弥陀仏」という六字念仏とは何なのか。ほんとうにそれは有り難いものと、例えば、今の我々は、どこまで、どう真実信仰しうるのか、そこの徹底を避けているから、悩ましい深みが見えてこない。

 バグワンの言葉に、何年も欠かさず耳を傾け続けているわたしには、法然の南無阿弥陀仏にも、常識的な通念とはべつの受け取り方が胸に宿っている。法然の易行とは、阿弥陀信仰を六字念仏に煮詰めて与えたことであるのは、一枚起請文によってもまことにその通りだが、事実は、ただ我々に対し「安心」の「抱き柱」を提供したのではなかったか。

 西方浄土も阿弥陀の本願も、仏教の創作にすぎない。法然がそんなことに気づいていないわけがない。法然の撰択本願の論の建て方はおそろしく論理的であるが、根本に、証明不可能な「信」の仮設を据えている。そんな論理的「信」の設営でいっさいが保てるとは、法然は考えていなかったろう、が、簡明無比の「抱き柱」を与えて真に「安心」させるための基礎作業としては、そんな議論めいたところも経てこなければ、至り着いた「一枚起請文」のリアリティが成り立ちにくい。「一枚起請文」の無比の簡潔は、世界の信仰のなかでも類のない、みごとにたやすい堅固な「抱き柱」を我々に授けたいという「愛」に満ちていたのである。そんな「抱き柱」など無くても安心の成る者には、「南無阿弥陀仏」も必要のないことを、宗教者法然が知らぬわけはない。

 

* 法然を否認して言うのでは絶対にない。深く深く感謝して上のことをわたしは言うのである。この正月、菩提寺「光明山」の寺報に書いた「わたしの信、念仏、法然」は、感謝に堪えないきもちを書いたものである。

 2001 2・18 8

 

 

* けさ、ある人から質問まじりのメールをもらい、答えたと言うほどではないが返事をした。

 

* おとといは花粉が舞い、昨日は雨、今雪が霧雨に。

 MIND  と  HEARTとは同義かな、英語のニュアンスは少し違うなとか、心を落すとは、執着しない事かな、と、二三日 これが頭を離れません。スポーツのゲーム中にミスをしたパートナーに、しばしば「ドンマイ」と言葉を掛け合いますね。

 

* ドンマイは、たぶん、ドント マインド 気に掛けるな、気にするなでしょうね。それが、深く謂えば心=マインドを「落とす」意味とみてよく、たんにゲームでの失策やエラー程度でなく、「生」の全面において言われているのが、バグワンの教えです。マインドはコントロールでき、裏返せばつまりコントロールされてしまうものです。そこに、あらゆる「トラワレ」が、執着が、欲が、怒りが、妬みが、つけ入ってくる。おかげで、人間は安心の状態、無心の状態に入れぬまま、ジダバタともがき生きて、死んでゆく。

 バグワンに出逢って、ほぼ七八年か、わたしは、とてもラクに、かなりラクになっています。気にしない、気にかけない。そしてハートフルに生きられるように。聖典にとらわれなくなり、ことさらに祈らなくなったし、理屈よりも、感情よりも、それらを忘れる方へ方へ自然に意識をふりむけて。

 鏡は、自分から出向いていってものを映さない。しかし自分の前を通ってゆくものは、明瞭に映しとる。しかし何一つにもとらわれず、所有しようともしない。去る者はきれいに忘れてしまい、気に掛けない。来るものはきれいに映して、そして、ただ見ている。

 無心。マインドに毒されない、ハート。

 知識、理屈、執着はマインドの特質、だからわたしは心=マインドこそ諸悪の根源だとおもい、その辺の理解浅いままに世をあげて「心」とさえ言うていれば済むような、いいかげんなマスコミの宣伝や識者の煽動を信用しないで、眺めているのです。ドンマイ。

 

* 脳、頭脳はマインド=心の源泉であり、ここにのみ関わっていると、世界を知識と分析と理論でしか捉えようとしなくなり、それも、甚だ心理的にしかものをみなくなる。人間とは心理なりのような薄い人間観におさまってしまう。河合隼雄氏のような心理学者が率先して「心」を世に広めた気がするが、他にも「脳」を大いに啓蒙宣伝した生理学者もいたと思う。ジャーナリストでは、筑紫哲也がなにかというと「心」をもちだすが、どんな意味で心を語るのかしかと立場を明かしていたことはない。二言目には「心」と言い出す人はうさんくさい、あるいは、甚だうすい。ことに仏教の方の人がまことしやかに「心」が大事だと言い始めるとき、わたしは眉につばをつける。心を滅すること、心を落とすこと、無心ということを謂うのなら耳を傾けるが。子弟の教育には「心」が大切だと、まるで切り札のようにペンの理事会で梅原会長の口走られたときも、わたしは、即座にそんな軽率なことを謂うべきでは無かろう、見ようによれば「心こそ諸悪の根源ですよ。今の世の中の収拾のつかぬ曖昧さの原因に、そういう心の安易な横行がある」と抗議した。即座に瀬戸内寂聴さんが「そのとおり。秦さんの言われるとおりですよ」と発言されて、なんだか、話はすべてぐずぐずになった。つい暫く前のことだ。

 

* 心をむげに謂う気はない。心にはどうしようもない苦しい限界があり、けっして人間の内奥の大事を簡単にゆだねるわけには行かないのだと謂うことを、わたしはバグワンに学んでいつも胸に置いている。

 2001 3・2 8

 

 

* 深夜床についてから、バグワンを小声で二三頁、読む。心=マインドをブレイク・スルー突破するか、ブレイク・ダウン破壊するか。この違いを、西洋はともに「狂気」としてしまう。東洋はこれを分別することができるものの、往々にしてブイク・ダウンした者をもブレイク・スルーした者と見錯って、狂気した者を聖者と尊崇している例がある、と、バグワンは言う。突破スルーも破壊ダウンも、ともに心マインドの外へ出ている点は同じだが、出てゆく向きが違い、たしかに悟りと狂気は似ているようだが決定的にちがうのであると、適切に、ボディーダルマの語録をバグワンは説き語ってくれる。バグワンの言葉は安定して生き生きし、ブレイク・ダウンした曖昧な揺らぎがない。心マインドに執着しそこに跼蹐していることの危険を的確に説いてくれる。

 2001 4・1 9

 

 

* 人さまの出歩いて楽しまれる連休には、あまりお邪魔はしないのを習いにしている。それも今日の日曜で終える。昨夜は三時近くまで起きていた。深夜に入浴しそれからまた本を読んだ。不眠症というのではない。

 バグワンは、「ボーディダルマ」から、初めての「一休」上巻を毎夜少しずつ音読している。バグワンはものの喩えでわかりよくしてくれる。なかでも「鏡」の話がわたしは嬉しい。明鏡止水とはすこし違う。あの鏡は月のことである。そして動揺する心のことを戒めているが、バグワンは、心=マインドは徹底的に落とせと言う。人の本性はブッダだと謂う。ブッダの本性は無心だという。無心とは澄んで無一物の鏡だとも謂う。鏡はなにものも所有していない。来るものは来るに任せて映し、去る者は去るに任せて動じない。鏡と鏡とを向きあわせにすれば、奥深いただの「無」の深みは底知れず果てしない。ブッダの境地、無心のさまは、そのようだと謂う。このイメージにわたしは惹かれている。

 人は小さな「波頭」のように生まれて生きている。一瞬ののちには「海」にもどりあとかたもない。だが海はある。波はまた立つ。 2001 5・6 9

 

 

*  あなたが、カソリックの国の方角へ向かうのだということを、意識しています。シチリアなどと聞くと、どうしてもシドッチ神父が懐かしい。それにこの二三日、コンピュータで、DVD映画「ジャンヌ・ダーク」を観てしびれています。

 わたしが、フランスやイギリスやカソリック教会に、そして信仰の問題にふれた、生まれて初めての体験は、大戦争以上に、戦後の中学時代に見せられた天然色映画「ジャンヌ・ダーク」でした。イングリット・バーグマンでした。今度観たのはバーグマンとはまるでべつのミラ・ジョボヴィッチ主演ですが、ダスティン・ホフマンが共演していて、優れた作品になっています。国会の討論にも目も耳も向けていますが、そういう関心が白濁してしまい、映画のさしむけてくる問題の方にクリアな、リアルな実在感を覚えています。王位や教会による肉体や精神の支配をきつく嫌い厭う気持ちは、この映画で芽生えました。

 わたしは、多くの儀式や装飾を身にまとって拝跪と服従を強いる、宗教というよりも権威宗団を信用しない。仏教は釈迦をはなれ、カソリックはイエスを裏切っています。日本には法然や親鸞やのようにありがたい導師がいて優れた抱き柱を与えてくれました、が、バグワン・シュリ・ラジニーシを介して、今、わたしは禅ないしは「静かな心」に惹かれています。

 2001 5・21 9

 

 

* 夢から覚めては何のこっちゃというものだが、夢見ているうちは我ながら面白い面白いと夢に興奮していた。なんでも、「仁の風景」と題された大小相似の風景画を自分で描き、上下に並べてみると素晴らしく奥行きふかい一つの景色になったので、大喜びして画中の人といっしょに繪の中へ飛び込んで行った。なぜ「仁の風景」で、なぜ描いたのかも分からないが、ふしぎに嬉しい珍しい夢であった。だが、こう醒めて書いてみると、あとはかもない。バグワンは、このとらわれ多い生の現実を、醒めてみれば、ただ呆れるほどはかない夢なのだと、なぜ「気付かない」かと繰り返し言う。気付きはじめている。

 その先である。人生が虚仮とハッキリ気付いて、どう、自身の本性を知るか。

 2001 7・1 10

 

 

* 日々にいちばん心をとらえる読書は、やはりバグワン。一休の道歌を材料に「禅」を説いている。

 バグワンは禅=道の人である。慰安を与える宗教家ではない。自身をみつめて自我を離れ自我を落とすことを、抑制することのない真の自由を説いている。悟れなどと謂わない、そんなことは忘れてしまえと言う。悟り=光明=enlightenmentを目標や願望の対象にしていては得られるわけがないと云う。あたりまえだ。

 何一つを写していない無限大の澄んだ鏡を、身内に抱いている、抱いていたい。そんな鏡で自分はいたい、という、その希望すら捨てて持たぬように。そして、目前に去来する多くを、クリアに写し、クリアに通り過ぎさせたい。鰻を食べ、人に逢い、眠り、読み、電子文藝館も実現し、喧嘩もし、一理屈もこね、文章も書き、鼻くそもほじる。血糖値もはかる、インシュリンも注射する。メールで息子に話しかける。すべて、することはする、だが、することにすらとらわれないでいる。パソコンも昔の物語も、政治もバグワンも、ペンもパンも、ウンコもオシッコも、夢である。鏡を通り過ぎる影絵だ。ばかにもしない、それ以上のものでもない。いいものもある、つまらぬものもある。だが、それ以上のものではない、みな影絵として失せてゆく。慰安にもならないが、恐怖にもならないように。

 わたしが、光明など望む資格もないのは分かっている。一匹の野狐である。

 こんな狂歌があると西山松之助先生の本でみつけた昔、苦笑した。いまだに苦笑している。

   ある鳴らず無きまた鳴らずなまなかにすこしあるのがことことと鳴る

 2001 7・26 10

 

 

* 何度も言うが、わたしにバグワンへの縁を結ばせたのは、嫁いでゆく娘が物置に仕舞って行って、もうそれ以前から久しく顧みなかった三冊の説法本であった。三冊がその後にはわたしの意志で七冊にも八冊にもふえて、ほぼ十年近く、読まない日はないだろう。そのバグワンに帰依の現在からいえば、わたしは、無住の自在さにある種の共感を覚えているかも知れない、もう一度読み返して理解したい。少年の頃から、仏教の基督教のという区別にも、念仏の法華のといった教派の差異にも、ほとんど心をとらわれてこなかった。だが信仰心というか宗教的なセンスは信じて手放さないで来た。比較的、法然・親鸞の至りついたところを日本仏教の粋として感じ取ってきたが、それが仏陀の仏教からかなり遠く隔たり離れてきた甚だ特殊な変形であることも分かっている。宗教家の運動としてそれは少しも差し支えないことだ。ただ、法然・親鸞の教えは、基本的には慰安という名の安心の授与信仰である。抱き柱を抱かせて不安を取り除くものに他ならない。仏陀その人の教えは、禅に伝えられている決定的な脱却、端的には「静かな心」という無心、心を落としきることで知るありのままの自身、その安心。そういうことかと思われる。バグワンは、それを端的に示唆し、タオ=道を指し示しているが、それにすらとらわれるなと彼は言う。へんに「柱を抱くな」といわれているように思う。未熟なままの考えである、わたしのは。ただ、ありのままに生きていたい。 2001 7・27 10

 

 

* ゆうべ読んでいたバグワンは、こう話していた。

 

* 多くの人が巻き込まれれば巻き込まれるほど、あなたはますます考える。「それには何かがあるにちがいない。こんなにたくさんの人がそれに向かって殺到しているのだから、きっとそれには何かがある ! こんなに多くの人が間違っているはずがない」

 いつも憶えておきなさい。こんなに多くの人が正しいはずがない ! と。

 

* また、こうも話していた。

 

* 生は、どこでもないところからどこでもないところへの旅だ。しかしそれは “どこでもないところ nowhere” から “今ここ now here” への旅でもありうる。それが瞑想の何たるかだ。どこでもないところを “今ここ” に変えること。

 今(傍点)にあり、ここ(傍点)にあること……。と、突如として、あなたは時間から永遠のなかに転送されている。そうなったら生は消える。死は消える。そのとき初めて、あなたは何があるかを知る。それを神と読んでもいい、ニルヴァーナと呼んでもいい──これらはすべて言葉だ──が、あなたはあるがままのそれを知るに至る。そして、それを知ることは解放されること、いっさいの苦悶から、いっさいの苦悩から、いっさいの悪夢から解放されることだ。

 <今ここ>にあることは、目覚めてあることだ。どこか別のところにあることは、夢のなかにあることだ──。”いつかどこかは夢の一部だ。 <今ここ>は夢の一部ではなく、現実(リアリティー)、現実の一部、存在の一部だ。

 

* バグワンはこういうことを、一休禅師の、「たびはただうきものなるにふる里のそらにかへるをいとふはかなさ」という道歌を大きな見出しにして語ってくれていた。

 God is nowhere 神はどこにもいない を、無心の子供は、一瞬にして、 God is now here 神しゃまは、今、ここに、いましゅ と読み替えてしまうともバグワンは話すのである。

 2001 8・26 10

 

 

* 昨日就寝前の読書は二時三時に及んだが、一休の道歌を説きながらのバグワンのことばに驚いた。わたしが、ものを書き出してこのかた、創作動機の芯に置いてきた一つ、「島」の思想、とおなじことが語られていた。おッ、同じことを言っていると思わず口に出たほど。

 わたしは、言いつづけた。人の生まれるとは、広漠とした「世間の海」に無数に点在する「小島」に、孤独に立たされることだと。この小島は人一人の足を載せるだけの広さしかない。二人は立てない。そして人は島から島へ孤独に堪えかねて呼び合っているが、絶対に島から島へ橋は架からないのだと。「自分=己れ」とは、そういう孤立の存在であり、親もきょうだいも本質は「他人」なのだと。だが、そんな淋しさの恐怖に耐え難い人間は、愛を求めて他の島へ呼びかけつづけていると。

 そして、或る瞬間から、自分一人でしか立てないそんな小島に、二人で、三人で、五人十人で一緒に立てていると実感できることが有る。受け入れ合えた、愛。小島を分かち合ってともに立てる相手は、己に等しい、それが「身内」というものだと。親子だから身内、きょうだいだから身内、夫婦だから身内なのではない、「愛」があって一人しか立てぬ「島を、ともに分かち合えた同志」が、身内なのだと。だが、それは錯覚でもありうる。いや貴重な錯覚だというべきもの、愛は錯覚でもあるだろう、と、わたしは感じていて、だからこそ大事なのだと考え、感じてきた。

 昨夜、バグワンは、語っていた。(スワミ・アナンダ・モンジュさんの訳『一休道歌』に拠っている。以降、同じである。)

 

* ひとり来てひとりかへるも迷なり きたらず去らぬ道ををしへむ  一休禅師

 一休はどんな哲学も提起していない。これは彼のゆさぶりだ。それは、あらゆる人にショックを与える測り知れない美しさ、測り知れない可能性を持っている。

   ひとり来て一人かへるも──

 これは各時代を通じて、何度も何度も言われてきたことだ。宗教的な人々は口をそろえてこう言ってきた。「われわれはこの世に独り来て、独り去ってゆく。」倶に在ることはすべて幻想だ。私たちが独りであり、その孤独がつらいがゆえに、まさにその倶に在るという観念が、願望が生まれてくる。私たちは自らの孤独を「関係(=親子、夫婦、同胞、親類、師弟、友、同僚、同郷等)」のうちに紛らわしたい……。

 私たちが愛にひどく巻き込まれるのはそのためだ。ふつうあなたは、女性あるいは男性と恋に落ちたのは、彼女が美しかったり、彼がすてきだったりするからだと思う。それは真実ではない。実状はまったくちがう。あなたが恋に落ちたのは、あなたが独りではいられないからだ。美しい女性が手に入らなければ、あなたは醜いじょせいにだって恋をしただろう。だから、美しさが問題なのではない。もし、女性がまったく手に入らなければ、あなたはだんせいにだって恋をしただろう。したがって、女性が問題なのでもない。

 女性や男性と恋に落ちない者たちもいる。彼らは金に恋をする。彼らは金や権力幻想=パワートリップのなかへ入ってゆきはじめる。彼らは政治家になる。それもやはり自分の孤独を避けることだ。もしあなたが人を観察したら、もしあなたが自分自身を深く見守ったら、驚くだろう──。あなたの行動はすべてみな、一つの原因に帰着しうる。あなたが孤独を恐れているということだ。その他のことはすべて口実にすぎない。ほんとうの理由は、あなたが自分は非常に孤独だと気づいているということだ。  で、詩は役に立つ。音楽は役に立つ。スポーツは役に立つ。セックスは役に立つ。アルコールは役に立つ……。とにかく自分の孤独を紛らわす何かが必要になる。孤独を忘れられる。これは魂のなかの疼きつづける棘だ。そしてあなたはその口実をあれへこれへと取り替え続ける。

 ちょっと自分の=マインドを見守るがいい。千とひとつの方法で、それはたった一つのことを試みている。「自分は独りだという事実をどうやって忘れよう?」と。T.Sエリオットは詩に謂うている。

   私たちはみな、実は愛情深くもなく、愛される資格もないのだろうか?

   だとすれば、人は独りだ。

 もし愛が可能でなかったら、人は独りだ。愛はぜひとも実現可能なものに仕立てあげられねばならない。もしそれが不可能に近いなら、そのときには「幻想」を生み出さねばならない──。自分の孤独を避ける必要があるからだ。

 独りのとき、あなたは恐れている。いいかね、恐怖は幽霊のせいで起こるのではない。あなたの孤独からやって来る。──幽霊はたんなるマインドの投影だ。あなたはほんとうは自分の孤独が怖いのだ──。それが幽霊だ。突然あなたは自分自身に直面しなければならない。不意にあなたは自分のまったき空虚さ、孤独を見なければならない。そして関わるすべはない。あなたは大声で叫びに叫びつづけてきたが、誰ひとり耳を貸す者はいない。あなたはこの寒々とした孤独の中にいる。誰もあなたを抱きしめてはくれない。

 これが人間の恐怖、苦悶だ。もし愛が可能でないとしたら、そのときには人は独りだ。だからこそ愛はどうしても実現可能なものに仕立てあげられねばならない。それは創りだされねばならない──たとえそれが偽りであろうとも、人は愛しつづけずにはいられない。さもなければ生きることは不可能になるからだ。

 そして、愛が偽りであるという事実に社会が行き当たると、いつも二つの状況が可能になる。

 

* そしてバグワンは、深くて怖いことを示唆する。

 それにしても、わたしは、バグワンと同じことを考え続けて書いてきたのだと思い当たる。所々のキイワードすらそっくり同じだ。そうだ、わたしの文学が、主要な作品のいくつかに「幻想」を大胆に用いた根底の理由を、バグワンは正確に指摘しているのである。いま上武大学で先生をしている原善はわたしを論じた著書をもち、しかもわたしの「幻想」性に早くから強い関心を示して論点の芯に据えているが、じつのところバグワンの指摘した「幻想」に至る必然には目が届いていないと、作者としては思ってきた。だが彼のために弁護するなら、作者のわたしとても、かくも明快に意識していたかどうかと告白しなければなるまい。

 もう少し、バグワンの重大なと思われる講話の続きを聴きたい。

 

* ブッダたちは情報知識=インフォメーションには関心を示さない。彼らの関心は変容=トランスフォーメーションにある。あなたの世界は、すべて、自分自身から逃避するための巨大な仕掛けだ。ブッダたちはあなたの仕掛けを破壊する。彼らはあなたをあなた自身に連れ戻す。

 ごく稀な、勇気ある人々のみが仏陀のような人に接触するのはそのためだ。波のマインドには我慢できない。仏陀のような人の<臨在>は耐え難い。なぜ? なぜ人々は仏陀やキリストやツァラツストラや老子に激しく反撥したのだろう? 彼らはあなたに虚偽の悦楽、うその心地よさ、幻想のなかに生きる心安さを許さない人々だからだ。これらの人はあなたを容赦しない。彼らはあなたに真実に向かうことを強いつづける人々だ。そして真実はぼんぞくにとっていつでも危険なものだからだ。

 体験すべき最初の真実は、人は独りだということ。体験する最初の真実は、愛は幻想(=錯覚、貴重な錯覚)だということだ。ちょっと考えてごらん。愛は幻想だというその忌まわしさを思い浮かべてみるがいい。しかもあなたはその幻想を通してのみ生きてきた……。

 あなたは自分の両親を愛していた。あなたは自分の兄弟姉妹を愛していた。やがてあなたは、女性、あるいは男性と恋に落ちるようになる。あなたは、自分の国、自分の教会、自分の宗教を愛している。そしてあなたは、自分の車やアイスクリームを愛している──そうしたことがいくつもある。あなたはこれらすべての幻想(=夢・錯覚)のなかで生きている。

 ところが、ふと気づくと、あなたは裸であり、独りぼっちであり、いっさいの幻想は消えている。それは、痛む。

 

* この通りであると、少なくも「畜生塚」や「慈(あつ)子」や「蝶の皿」を、「清経入水」や「みごもりの湖」を、そして「初恋」や「冬祭り」や「四度の瀧」を書いた頃を通じてわたしは痛感してきた、今も。

 だが、バグワンとすこし違う認識が無いとも謂えず、それは大事なことかも知れない。「慈子」や「畜生塚」のなかで用いていたと思うし、請われれば答えていたと思うが、わたしは「絵空事の真実」と謂い、「絵空事にこそ不壊(ふえ)の真実」を打ち立てることが出来ると書いたり話したりしていたのである。一切が夢だから、早く醒めよ、そして真実の己と己の内深くで再会せよというのが、バグワンの忠告であり、じつは、ブッダたちの、また老子たちの教えである。そういう教えのもっている怖さを回避するために仏教や寺院や経典ができ、また基督教や教会が出来、道教への奇態な変質が起きた。バグワンはそれらに目もくれるなと言いたげであり、わたしは彼に賛成だ。それらはその名を体した人の本来とは、ひどくかけ放たれた俗世の機構にすぎない。

 いま触れた点でのバグワンとわたしとの折り合いは、そう難儀な事とも思えていない。わたしは「幻想」を創作の方法として必然掘り起こしたときに、「夢のまた夢」という醒め方から、絵空事の不壊の値に手を触れうると思っていたし、今もほぼそういう見当でいる。

 

* わたしが、ふとしたことからバグワンに出逢ったことは繰り返し「私語」してきた。もう何年、読誦しつづけていることか、しかし読んでも読んでも、聴いても聴いても、飽きて疎むという気持ちは湧かない。ますます理解がすすみ、嬉しい安堵や恐ろしい叱責を受け続けている。その核心にあたる機縁に、昨夜はじめて手強く触れ得たのは幸福であった。

 2001 9・7 10

 

 

* バグワンが、寺院の入り口におかれた「ミトゥナ像」について話していた。国会の論議がダラダラ嘘くさいと、朝から嘆いてきた人もいる。わたしも聴いていた、見ていた。男女抱擁のミトゥナ像に即して謂えば、真実に真に近づきうる瞬間をミトゥナが体現し示唆していると、バグワンは、適切に教えている。ドンマイ=don’t mind なのだ、基本の姿勢は。二が二でなくなり、一ですらなく溶け合っているそうそう長くは保てない瞬間の、無我。覚者でない我々凡俗には、その余は、ぜーんぶ虚仮=コケである、すべて。虚仮には虚仮と承知で楽しく付き合うが、覚めれば何も無い、夢。夢でないと深い暗示が得られるのは、ミトゥナのような、二が二でなく一ですら無くなったような極限でだけ。ちがいますか。国会なんて、コケのコケ。文藝館もドルフィン・キックも、みーんな虚仮である。ミトゥナ像が寺院の「入り口」に置かれる意味深さは、「入り口」を奥へ入って虚仮でない世界にまでは容易に進み得ない者には、理解が遠い。自我の心を落としきるのは容易でないが、それなしに、虚仮に振り回される幻影地獄からは出て行けない。

 2001 10・12 11

 

* 徳、孤ならず。そう聴いた。わたしは、昔からこの教えに懐疑的である。孤独な人は徳がないのか。わたしは、時には逆さまに感じてきた。不徳にして不孤、とわたし自身を律したこともあった。真に徳高きは、むろん尊い。しかし、汚らしいほど如才ない、真実は悪徳と異ならないかたちで身の周りににぎやかに人を寄せた徳人の多いことに、わたしはイヤ気がさした、今もそうだ。そんな意味でなら、いっそ世間の目に不徳と見えようが構うものかと思ってきた。

 孤独と孤立とはちがうだろう。孤立しないように。しかし孤独には本質・本真のヒヤリとした美味がある。

「強くなりたいです」という声に、わたしはシンとする。わたしも強くなりたかった。強くはなれなかった。バグワンに出逢って、だが、わたしのよわさは、よほど鍛えられた。強くなどなろうとしなくていいのでは。エゴだけを育てて終いかねない。

 

* 両手両足を車輪のようにふりまわして行動しているように、わたしは、見えるだろうと想う。事実わたしは、自分のしたいことをそんな具合にし続けてきたし、今もしつづけている。滑稽なほどしつづけている。

 だが、自分のしたい目的、例えば「電子文藝館」自体にはなにか価値があるであろうけれど、それに熱心に「従事している」わたし自身の行動自体には、何の価値も無いこと、少なくもそれに自分は価値を置かないこと、を、当然と思っている。

 人間は、およそ、どうでもいいことばかりをしている、毎日。生きる上で不可欠なのは、飲食と睡眠。それ以外はほんとはどうでもいい。どうでもいいことを、どう「して」生きるか、どう「しないで」生きるか、それが人生だが、そこのところに生き方の差が現れる。鈴木宗男のような生き方がある。老子のような生き方がある。「なんじゃい」と思い棄てられる生き方もある。「しがみついて」放さない生き方もある。どっちの生き方のために「強くなりたい」か、が問題なのだ。

 2002 3/19 12

 

 

* だが何がといえば、やはり毎夜のバグワンに心身を沈ませゆく時が、有り難い。枕元に、いま、本が二十冊ほど置いてある。「曾我物語」に入る前に「住吉物語・とりかへばや」が配本されると、気持ちはそれへ奪われてしまいそう。

 2002 3・25 12

 

 

* 親機が大破とはどんな状態なのか、本当に困りましたね。サポート体制を早急に確保できますように。

 わたしがバグワンからどんどん遠避かり???

 そう解釈されるのは単にメールのことばを鵜呑みにされていますよ。

 わたしが「勉強」し我が身を何かに駆り立てようとしているのは、生きている証拠。生きる僅かの努力です。それだけの単純なこと。落ち込んで無気力だったら・・嫌でしょう?そういう無気力ではなく、異なる意味で無常観を抱えて転変をみつめて、生きる根底で、わたしの内部で、バグワンの言葉は静かに響いていますよ。

 

* 勉強に、我が身を「駆り立てる」のでなく、勉強を「楽しんでいる」のでは「生きている証拠」になりませんかね。所詮無益な夢だもの。無常とはそういうことでしょ。そんな無常から大きく目覚めて、常の定(じょうのじょう)の体(てい)で、帰れ海へ、ちいさな波よ、かすかな波頭の一つよ、と。

 なににしても「駆り立て」ればシンドク疲れる。疲れるとはマインドの餌食になっていること。ドント マインド、ドンマイ。そういうこと。どこへ急ぐ。いまここを、自然にゆったり楽しんでは、たとえここが地獄であろうと。ま、そういう気持ち。

 

* 楽なことと楽しむこととはちがう。楽なことなら楽しめるというわけではない。

 2002 4・26 13

 

 

* バグワンは「習慣」で生きるな、習慣は落としてしまえと言う。きまりにしたがい、原則や作法をきめて線路の上を往来するなと。「死んだ生き方」だという。わたしもそう思う。昔からそう思っていた。こうあらねば、ありつづけねばとは、自分に強いない、固定しないから、自由に発想できる。小学校の頃から、決められた宿題よりも、自由研究が好きで、夏休みが済むと、成果を職員室にいろいろ持ち込んだ。なにかちがうことを考えてみようみようとしていた。人によれば、それは正道でない、横道であり邪道に落ちることだと言うだろう。だが、習慣に強いられるのは、自分自身とのつきあいかたとして、なさけない。人に決められたレールの上を、いや、自分で決めたことでも惰性的にハイハイと右往左往し繰り返しているのは、死んでいるようなものだ。自分で自分に強いている習慣でも同じ事だ、自縄自縛になる。習慣にとらわれないで自在でいたいから、私家版を創ったし、「湖の本」を実践したし、東工大にも飛び込んだし、「青春短歌大学」も発想したし、「電子文藝館」も創り上げた。まだこの先に何が出てくるか、わたしにも分からない。たのしいではないか。ただ、なにをするにも、それが「習慣」となりわたしを縛らないようにと気をつけている。

 2002 5・14 13

 

 

* バグワンは、このところずっとティロパの詩句を語る『存在の詩』を、もう三度四度めを読んでいるが、心底、動かされる。よろこびを覚えて帰服する。多くの宗教は、わたしの謂う「抱き柱」を与えようとする、神だの仏だのと。バグワンは根底から「生きて在る」ことを示唆してくれる。「抱き柱」をなどとは全く口にしない。地獄の極楽・天国のなどというまやかしも謂わない。まっすぐ、生死の本然をどう生きるかを語る。その安心感と的確とは、身内のふるえを呼び覚ますほどで、卓越している。真に宗教的であるが故に、それは宗教を超えた印象を与える。それが安心を呼び覚ます。

 2002 5・31 13

 

 

* 「抱き柱」というのは、わたしの造語である。信心の信仰宗教は、要するに人心に「抱き柱」をあてがってきたというのが、私の理解である。神や仏がそうであり、鰯の頭もそうである。壮大な神学や宗学、教典がその柱の周囲に積み上げられる。「南無阿弥陀仏」の一声でもいいという法然や親鸞の教えはもっとも徹底した易行の、しかしこれも簡明な「抱き柱」である。保証は、抱いて縋っての安心だけである。理屈は抜きである。天国や地獄を信じよといわれてもどうにもならない。

 わたしは法然や親鸞にまぢかな柱を、久しく抱いていた。抱こうとしていた。もっとさまざまな柱は用意されているが、要するに信心の強度や純度がなければ役には立たない。そもそもそんなものが役に立つだろうかと思い始めたのは、バグワン・シュリ・ラジニーシの徹して「禅」に同じい死生観に感銘し始めてからだ。わたしは、いつしれず「抱き柱は抱かない」日々に入ってきた。自分がひとかけの浪がしらのように在ることを思い、一瞬の後には大きな海と一つになっているだろうと思う。虚無的にものを投げてしまうのでなく、自分が真実何であるのか、そう思うその自分という意識も落としてしまったときに、何で在るのか。そういうことを、「分別」でではなく、知る瞬間がくるであろうと「待つ」姿勢すらなく、待っている。

 だが、多くの人は「抱き柱」が欲しい。信心はうすくても形だけでもほしがる。そんな人に「抱き柱はいらない」というわたしの姿勢は、途方に暮れてしまう別次元の観ががあったかなと案じていた。正直に書いたが、誰にでも勧めたいというお節介の気持ちはない。わたし自身の思いなのであった。

 2002 7・9 14

 

 

* バグワン・シュリ・ラジニーシ

 秦恒平様 はじめてお手紙をだします。昨年より「闇に言い置く」を読んでいます。バグワン を検索中に先生のページに出会いました。

 僕は、昭和11年生まれ、技術分野で会社を定年、文学青年のまま現在に至っている人間です。電子計算機開発の企業世界卒業です。

 太宰、花田清輝、鶴見俊輔、奥野健男、などの各位の書き物を読み、「京大学派」が西ならば、東は「東工大自由人」の感があると日頃感じてきました。

 昭和58年買って読まなかったバグワンを、60過ぎて、読みました。

 人間の「業」を人間自身が「昇華」しようとする「傲慢」を、彼の「話」に老荘思想の如く魅かれながら感じます。

 オーム教と比較されたこともあるそうですが、バグワンは「自信」にあふれ、例えば、太宰の「壊れそうな花びら」に通じるところは無い。

 一月に一度でも先生のバグワン随想 といいますか、チラリと・・・バグワンについての書き置くの「行」を期待したいのですが。お疲れ、ご多忙の毎日をかえりみず失礼のメールですが、バグワンの話を聞きたい。失礼の段 謝です。

 

* メールを有り難う存じます。同世代の方からバグワンに触れて頂いたのは珍しく嬉しく存じます。

 もう十年ほどには成りましょうか、一夜も欠かさず、バグワンの言葉を私自身の声に置き換えて、少しずつ少しずつ聴き入り、繰り返し繰り返しいささかも躓くことなく聴き入っています。「存在の詩」「般若心経」「十牛図」「道・老子」「一休」「達磨」その他、手に入れたものを順繰りに。私が読み、妻もこの頃近くで聴いています。

 オームなどとの関係は、絶無と思います。いささか語彙的な模倣はしたかもしれませんが。

 バグワンは透徹していますし、私は、つとめて彼を、知解し分別しない、したがって変に信仰することもない。何かを「解釈」するために読んではいません。安心のためにという方があたっています。バグワンに抱きつくことはしていません。一緒に呼吸しています。

 私にならってバグワンを読み始めた人はごく稀で、あまりつづいていないようです。そんなものでしょう。怖がっている人もいましたね。私は「喜んで」います。

 二十年ほど前、大学生の娘が、仲間と騒いで読み始めていたとき、私は一瞥もしませんでした。娘もやがてバグワンの何冊かに埃をかぶせて、物置に放り込んだまま嫁ぎました。偶然にみつけて、あの頃、娘達はなににかぶれていたのだろうという好奇心から開いてみました。すぐ、これはと感じました。そして、座右のバイブルとなり、友となり、手放していません。バグワンは、やっと二十歳になる娘には無理だったろうと感じました。哲学として知解してしまえば、それだけのもので終わりますから。

 嫁いだ娘の、父親達に呉れた大きな贈り物になりました。

 私語の刻に、ときどき触れますが、「説明」してはいけないと思い、ふみこんだことは言わないでいます。

 また話しましょう。お元気で。

 わたしは若い人達と仲良くしていますが、殆どが東工大の卒業生です。徹して理科ダメ人間でしたのに、有り難いことです。コンピュータを使えるように教えて貰いました。いまもなお。

 2002 7・17 14

 

 

* 「恐怖」というものが無ければ。だが、人間は恐怖する生き物であり、だから希望を持ったり絶望したり、努力したり怠けたり、する。祈ったりする。善行に励んだり悪徳に走ったりする。「恐怖」の最たる最終のものが「死」であるのは、確実。死への恐怖のない人に、上に上げたような分別も無分別もまったく必要がない。ありのままに生きて死んで行くだろう。ありのままに自然に湧くようにして出来る「感応」の行為は、なにかの分別・無分別という「恐怖」や「過去来の知識」に催されてする「反応」の行為とは、まるで「べつ」ものだとバグワンは云う。

 たいがいのことを、われわれはリクツをつけてしようとする。これはコレコレだからいいことだ、わるいことだ、と。またコレは神仏の嘉されることだからしよう、これは他人がどう思うか不安だからよそう、などと。心=マインドはそのように分別をつけるが、それらの分別の至り附くところは、得体知れぬものへの「恐怖」であり、しかし真に恐怖すべきものの真実在るかどうかをすら、人はほんとうは何も知らない。ただ怯えている。

 

* 鉱物・金属も疲労することは飛行機の事故などで周知である。組織体も構造体も疲労する。罅が入る。寺田寅彦は人体の罅を研究課題にした。人体にも罅が入ると寅彦先生に教わったときは、子供心に驚きながら納得した。納得できると思った。心も疲労してひび割れる。心を病んでいる人、心の疲れ切った人の多いことには驚くし、自分でもやすやすと心萎れさせてしまう。心は頼りにならないし、リクツをつけて無理に頼りにするのは愚かなことだと思う。

 心とはすこし距離をおいて、すこし冷淡に、平静に付き合った方が佳い。心の教育だのというのを聞くと、何をこの人は根拠に云うのだろうと軽薄さに驚いてしまう。心や愛は、或る意味からは害悪であり障碍であると釈迦は断定している。疲労した心、罅の入った心に無理な負荷をかけて「頑張る」愚かさに気が付きたい。「無心」とはそれは真っ逆様の奔命にすぎない。

 2002 8・13 14

 

 

* バグワンは、ブッダの言葉として「思考の被覆」ということを云う。これは荀子の「蔽」と同じ意味であろう。思考の被覆をとにかくこそげ落とすように、はぎ取ってはぎ取って自由=無にと、バグワンは適切に語り続ける。荀子は「蔽」を、つまり心に覆い掛かる無数の襤褸を「解」つまり脱ぎ捨てねばと説く。怨憎会苦。また嫉妬や怒り。さらには名誉欲や知識、見識の高慢。思考は、ものを分断し分割してかかる特性を持っている。さもなければ機能しない。それは犬であると、他から分ける。それは正しいと、他から分ける。それは美味しいと、他から分ける。この分けることに秘められた習い性の「毒」に気が付かないと、人間はただの「分別」くさい「分割屋」になり、ものごとを、分けて分けて分けて、分けきれない小ささの前で縮こまる。トータルにものに向かう、いやトータルのなかにとけ込むことが出来ない。むしろ常にそれに逆らい続けている。思考の被覆、蔽、はそうして雪の降りつむように「心」を不自然な純でないものにする。ハートやソールが、思考機械のマインドに変質する。そして気にする、こだわる、惑い迷う。

 

* バグワンは、思考するなといったバカは云わない。思考は生きるための有用な機能であり道具である。手段である。機能や手段や道具に「使われるな」と云うだけのことだ、たいへんなことだけど。道具はいつもそばに置いて、必要に応じて用いながら、それと悪しく一体化してしまわない。わきに、そばに、置いておくように。思考が自然に生きて働いている者と、思考をウンウンと用い使って生きている者とは、べつのもの。拘束的な思考は過去から来る、規範や習慣や誤解の形で。それに従っているだけで自分が自然に生きていると思いこむのは、とんだ見当違いだとバグワンは云う。そういう思いこみは、自分が自分で、呼吸なら呼吸をコントロールしていると思う錯覚と同じだ。試みに息を止めていられるか。自分のもののようで、誰も自分の呼吸=命そのものを自由になど出来ない。自分なんてものにとらわれて過大に過信しているところから、大きな間違いが歪み歪んで肥大し増殖する。

 

* ま、こんなことは、言葉にしてみても始まらないし、それが間違いのもとになる。なにも考えずに観じているものの有る、それでいいようだ。「なんじゃい」と、さらりと思い棄てて、しかも静かに努めたい。楽しみたい。祝いたい。

 2002 9・2 14

 

 

* バグワンは、もう幾めぐりの読み返しになるか、このごろは「十牛図」をとりあげたのを、すこしも変わりない新鮮な感銘に突き動かされて、読み進んでいる。このまえが「般若心経」そのまえが、さらにそのまえがと、バグワンに触れるわたしの旅は、十冊ほどの本を、終わり無き輪をつたい行くように繰り返し繰り返しつづく。勉強心ではなく、薬を飲む気持ちでもなく、お経を読むのともちがう。無心にただもう、一夜に二三頁ずつ音読しわが耳に聴いている。バグワンの言葉は深く透徹している。出逢えてよかった。

 2002 9・27 14

 

 

* 福田歓一さん(元東大法学部長)から、わたしの新刊『からだ言葉こころ言葉』にお手紙をもらった。本をお送りすると、必ず読んで感想を下さる。今度の本では、最後に入れて置いた「からだ言葉と日本人・ことばと暮らし」のところで言い及んだ、「正座」ということばと慣行にふれておられる。前から「正座」が気になっていたと。

「私の年になると不祝儀など弔問して正座が本当につらくなります。早くから椅座に馴れたせいもあるかと思いますが、八十になろうとする身にはもう立つことがむつかしく、(秦の謂う)由来を学んで、明治体制が江戸時代の武家のならいを強制したこと、それには旧民法の家族法もあります、が二十一世紀に残る災厄のように感じました」ともある。わたしなどより年輩の方から、正座についてこれほど明瞭に辟易の発言をされたのは珍しい。

 わたしは茶の湯を習い始めた少年の昔から、脚の甲高にもよるが、正座がつらくて、じつは「先生」をしていた昔でも、時間が長びくと胡座を余儀なくされた。茶会に出掛けるのもかなり苦行になった。お道具拝見などで、延々と時間が延びる悪習慣に懲り、大寄せの会はひとしお逃げたくなった。

 その体験から、わたしは日本人の座り方に疑念をもちはじめ、利休の時代までに正座習慣などとうてい日本人の日頃に認めがたいことに気付いたのである。老若男女、階級を超えて、正座は尋常な座法でなく、極度の謙譲(如来の脇侍)や、極度に強いられた卑賤、罪人以外に、正座などはしていないと多くの例証にあたって確認した。茶聖といわれる利休の座体を何点もの肖像画や彫像にあたっても、正座例は一点もない。しかし孫の千宗旦が八十代の画像になって正座で描かれる。同時代の尾形光琳描く国宝「中村内蔵之助像」も正座である。ともに元禄の頃で、この頃からは日本人の日常に正座が普通のようになる。

 江戸の武家の城内作法が整い、主従関係が強化され、また厚畳の建物が、またそれに相応した衣服の変化が出てきて、ようやく正座が市民権をもちはじめ強制力も持った。

 そしていつのまにか、この、韓国人ならあらわに「罪人の座り方」とわらうような座法を、日本人は「正」座と名付けるようになった。わたしは、この「正座」ということば、物言いに不満をもった。裏千家の「淡交」誌に連載を頼まれた大昔、はじめて私が利休居士の像に正座例などないことを指摘し、茶を点てる姿勢が正座でと定まっていったのは、時代が下がってからではないかと疑問符をつけた。映画で競うように利休が主人公になったときも、その点からの批評をわたしは書いている。   

 

* からだで覚えると謂う。正座で脚が辛かった、身にしみるそんな体験が、なんでもない、だが大きな事に、気付かせた一例である。人の思想は、こういうふうに作られて行く。知識だけで出来る思想はたかが知れている。

 

* 昨夜もバグワンを読んでいて、頷いていた。論理は、ちいさいものにしか通用しないと。小さいモノゴトには論理は大きな顔をして幅をきかせるけれど、命の底へ触れて行くようなことになると、生死のことや無心のことや、思いも及ばぬ不思議を前にしたとき、論理は何の役にも立たない。そういうものにくらべて論理がいかに小さいか狭いかはハッキリしているのに、人は論理にとかくしがみつくことでエゴ=心を守ろうとする。

 2002 11・9 15

 

 

* バグワンを読んでいて、ふと立ち止まった。これは訳語の問題があり、訳語にとらわれるより意義を深く酌むべきだと思うが、彼は、たしか「孤独ローンリイ」と「独りアローン」を見分けて、孤独は毒だが、独りは全くのところ望ましいとする。私の物言いに言い直すと、「孤立」は毒であり「自立」は望ましいのである。その辺は、それで解決するだろう。

 バグワンの独自の説得では、孤独な男女が孤独のママ出逢って結婚しても、二人とも孤独の毒から免れるわけがないという。お互いの孤独の毒を相手の存在に肩代わりさせ合うだけで、孤独は失せたように感じ合っていても、そのかわりに不幸を抱き込んでいるのだと。幸福な愛ある結婚は、自立した独りと独りとで達成できるものであり、お互いに妻や夫のより豊かな「独りアローン」を成さしめ合えるのが大切なはずだと。孤独孤立に泣く男女は当然のように相手にそれを癒して貰おうとして自分の不足を放置する。孤立感は支え合われたようでいて、それでは自立した者の充足はうまれっこないから当然のように不幸の坂をすべり落ちてゆく。支え合うというと言葉は佳いが、自立した者同士だからより確かに支え合えて幸せがありうるので、「独り」に成っていない半端者同士ではどんなに疵を舐め合おうと癒えて健康にとは行かないと、バグワンは言うようだ。

 これは、深い洞察である。自立し「独り」に成れる前に、孤独をただ嘆いて寄り合っても、根本の姿勢が出来ていなくてどうして孤独の不幸が無くなるものか、孤独も不幸も、見かけの安寧の下で崩れを増しつつ倍加してゆくだけであると。厳しい指摘であるが、わたしも、その通りだと思う。此処の安易な誤解が安易な結婚に繋がり、そして夫婦ともども孤独の不幸を、うわべ仲よげに、増長している例が多いのではないか。

 2002 12・5 15

 

 

* 暮正月のようなけじめへ来ると、メールにも、例年のように、恒例・常例として、おきまりの、といった文言が増える。いいかえれば「習慣」である。もともとの意義の生き残った習慣ばかりではなく、意義など褪せ失せた「習い性」ともゆかない惰性のようなのも、情緒のただ安全弁になっているものも多そうだ。一種の安心をあがなっている。

 わるい工夫ではない。が、そんなのが無反省・無意識に増えてゆくと、いつのまにか「生きて」いるというより「習慣」に支配されているだけのような日々を送り迎えることになる。

 繰り返すことは、日本のようなきちんとした四季自然を恵まれた国民には、いわば体内に備えられた機能とすら言えるけれど、ただ習慣で繰り返すのと、繰り返しの一度一度を「一期の一会」として繰り返すのとでは、雲泥の差がある。後者ほどの繰り返しでないものは、わたしは、もう重んじないことにしている。無意識に繰り返して得られる程度の安心にはよりかからない。断崖にかけられた桟道を一足一足踏んで行く人生なのだから、安心より不安の連続なのは本来の自然。うかと習慣に泥(なず)んでしまうと崖から落ちる。繰り返すというなら、それほど良き習慣なら、「一期一会」の気持ちで繰り返すよりない。

 むかしから、何百度も繰り返し言ってきたが、一期一会とは一生に一度きりのことではない。一生に一度きりのこと「かのように大切に」同じことを繰り返すぞという表明である。優れた茶人は「一期一碗」とも謂った。茶人は生涯何千度となく茶をたてて、なおその一碗一碗を「一期の一碗」としておいしくたてたのである。

 

* ただの習慣で繰り返していたことが、いっぱいあった。多くは、やめた。どんなにラクになれたろう。バグワンを読みつつけている、それなどは私の一期一会である。ほかに。もう、そうは、思い当たらない。「闇に言い置く」この私語もわたしには習慣ではない。

 2002 12・29 15

 

 

* 何度めになるか、バグワンはまた『存在の詩』へ戻った。「求めざれ!」と。たとえば「神」は求めるものでない。求めない者のもとへ訪れてくるのが、神。そうであろう。なにも求めず、ただ「いま・ここ」で、いろんなことを為し楽しみ喜びながら、静かに、闇の奥へ歩きつづける。行いはするが、期待はしない。

 2003 1・31 16

 

 

* 「ゆったりと、自由に」「ゆったりと、自然に」とバグワンは言う。この「ゆったりと」が大きい。自由ガルのも自然ガルのも、まがいもので、それでは、とても、ゆったりとなんかしない。

 2003 2・15 17

 

 

* だがわたしを本当につかんではなさない真の魅力は、バグワン・シュリ・ラジニーシである。

 2003 3・8 18

 

 

* バグワンを、わたしは、繰り返し繰り返し何冊も読んできた。多くを求めず、同じ数冊の本を繰り返し音読し続けてきた。死ぬまでやめないであろう。もし中でも一冊をと言われれば、どれを座右から放さないだろう。いつも「今」読んでいる一冊が、最も真新しくて懐かしく思われる。

 いまは、バグワンの原点かなあと感じる『存在の詩』を、半ばまで読んでいる。五度か六度めになるだろう。屡々、胸の鼓動のおさえがたい感銘を受ける。だが、概念的な摂取にしないために、言葉としてはなるべく忘れ去り、胸の鼓動だけを嬉しく覚えている。「ブッダフッド」と「禅」とに最も「詩」的に深くふれながら、バグワンは語りかけてくれる。

 2003 4・2 19

 

 

* 土田直鎮氏の「王朝の貴族」は浄土教の章で閉じられた。空也(市聖)、寂心(慶滋氏)、源信(恵心)、そして往生伝。夢中で「往生要集」を読んで、浄土教の感化は小説を書き始めてからもわたしから離れなかった。法然に、親鸞に、また一遍に、のちのちの妙好人たちにまで思いはひろがり行き、浄土三部経を繰り返し繰り返し翻読し読誦し、そういう中で法然の「一枚起請文」に尽きてゆき、親鸞の「還相廻向」に気が付き、そして、私自身の看破である「抱き柱は要らない」というところへ到達してきた。バグワンに、そして不立文字の禅に、いまのわたしは深く傾斜し、自分の課題を眺めている。

 座談会文学史で夏目漱石も島崎藤村も最終的に「禅」へ歩み始めて、その到達には差があった。谷崎潤一郎は宗教的な回心の何ものも語らなかった人だが、生前に作った夫妻の墓石には「空」と彫り「寂」と彫らせている。文字の趣味に過ぎないのかも知れず、深い思いがさせたことかも知れない。

 漱石は偽善とエゴイズムをにくみ、藤村は偽善者、エゴイストと罵られたこともある。漱石は露悪を指弾しながらそこに「現代」を見出し、藤村は露悪の浄化にかなしみを湛えて家の根を思い、国土の根を思って歴史に眼を返していた。漱石は肉を書かずにかわし、藤村は肉におちて肉を隠そうとした。潤一郎は、『瘋癲老人日記』の最後まで肉を以て肉に立たせ、一種の歓喜経を書きながら亡くなった。

 2003 4・26 19

 

 

* 今日もいろんなことをした。あんまりいろいろで、忘れてしまいそうなほど。忘れてしまっても、ちっとも構わないのである。覚えていなければいけないような、何ほどのことが有ろうか。

 道元は、日本の仏教に愛想を尽かし、禅の本道を学ぼうと宋に赴いた。そして、天童山に入ったある日も、一心に古人の「語録=本」を読んでいた。ある坊さんが何のタメにそんなものを読むかと尋ね、道元は、古人が修行のあとを知って学びたいからだと答えた。坊さんは「何のタメに」とまた聞いた。郷里に帰って衆生を教化したいからだと道元は答え、さらに「何のタメに」と聞かれて、道元は衆生のために役に立ちたいと答えた。「僧のいわく、畢竟してなにの用ぞ」と。道元はついに窮して答え得なかった。

 禅を「言葉」に学ぼうとしていたからだ。それは「行」ではなかった。彼はついには「只管打坐」へと極まって行った。

  親鸞にも似た話がある。彼は念仏の多念一念論議でも、徹して「一念」がよしとした人だ。南無阿弥陀仏のただ一念で足ると人に教えてきた。ところが、ある時に、衆生救済の奮発として浄土三部経を千度読もうと発起した。すぐ、恥じてやめた。南無阿弥陀仏の一念でよいと信じていながら、なぜに経典の読誦にこだわったろうと。親鸞は生涯にこういう「惑い」に二度襲われたと反省している。

 

* バグワンは、経典や聖典に頼ってそれを「読む」行為に甘えてしまうのを、著しいエゴの行為として、いつも戒める。わたしは、つくづくそれを嬉しく有り難く聴く。何かの功徳を得ようと読む聖典などは、ただの抱き柱に過ぎない。それあるうちに打開はあり得ないと思うからだ。バグワンは聖典や経典は、真に打開し「得た」人にとってのみ意味のあるもので、そうでない者にとって真実の導きには決してならぬどころか、そこでエゴがあらわれて躓きを繰り返すに過ぎないという。全くその通りだとわたしは思う。

 それでいて、バグワンを繰り返し「読み」つづけ、大部の源氏物語を毎日「音読」しつづけ、夥しい量になる「日本の歴史」を欠かさず「読み」続けたりしているのは、迷妄・執着のかぎりのように思う人もあるか知れないが、全くちがうのである。わたしは源氏を読んで心から楽しんでいるだけで「畢竟してなにの用」とも関係がない。それは「日本の歴史」についても同じであり、ましてバグワンはただもう読む嬉しさで読んでいるのであり、一時の道元のように、バグワンの教えを「学ぼう」「識ろう」としてでは無い。学んでみても始まらないことをわたしは知っているし、覚悟している。わたしは、ただ待っているだけである。待っていて間に合うとも間に合わないとも、わたしには何も分からないが、それは仕方ないこと。バグワンの声が耳に届くのが嬉しくて楽しいから読みやめないのであり、他の本もおなじこと。何も求めていないから楽しいし、何もいまさら覚える気もない。自然にゆったりと、無心にしたいことをして楽しめればよく、まだまだそんなところへわたしは達していないけれど、達しようとして達しられることでもなく、恥じてみても始まらない。

 2003 6・6 21

 

 

* 疲れて衰えがちな気根を潤してくれるのは、これらの読書のさらに根の所で、毎日毎日胸に響いてくる「和尚」バグワンの声と言葉である。これほど透徹したものを伝えてくれた人はいない。もうわたしにはあらゆる聖典が事実問題として無用である。なぜなら聖典を読みとる力など、今のわたしに有るべくもないから。enlightened=悟りを得た人にだけ聖典は微笑とともにうなずき読まれ得るもの、そうでない者には却って読めば読むほど自身のエゴを助長し、いわば抱き柱に固執させるだけだとバグワンは云い、ティロパも云う。その通りだとわたしも今は思っている。聖典に読みよりかかる人達の切実さを否認しないから「およしなさい」とは決して云わないが、聖典を読めば救われるなどということは誰が保証しうることだろう。

 わたし自身、例えばバグワンの言葉に耳を傾けていたら「悟れる」などと、つゆ思っていない。わたしはわたし自身に目覚めて行き着く以外に、どうにもならないだろう。バグワンはわたしを静かにはしてくれる、が、それで至り着くのでもなく、そもそも至り着くべき目的地などが遠くに存在しているわけがない。目的地が在るとすれば、それは既に「わたし」のうちに在る。だが、それが──まだまだ。

 

* 会う人ごとに「お元気そうですね」と云われる。そう見えるのだろう、たぶんに。しかし、わたしは衰えている。

 

* 僕は(  )へてゐる    高見 順

 

僕は( )へてゐる

僕は争へない

僕は僕を主張するため他人を陥れることができない

 

僕は(  )へてゐるが

他人を切つて自分が生きようとする(  )へを

僕は恥ぢよう

 

僕は(  )へてゐる

僕は僕の(  )へを大切にしよう

 

* 教室の諸君には難解な出題であった。

 2003 6・25 21

 

 

* だが、やっぱり、わたしの日々を、しっとりと香水でひたしてくれるような安心は、バグワンにより得られている。ほんとうは、此処でも、バグワンに聴いて心嬉しいこと、それを、そればかりを、心行くまで書き綴っていたいのだが。

 2003 7・3 22

 

 

* 戴いたビデオで、バグワン最晩年の説法を一時間半、じっと聴いた。云われる一つ一つの話は、ほとんどすでに音読して胸に通っている。ただ師の風貌や声音には初めて接した。ゆっくりと英語で。それに同時通訳がついて。聴きやすい。話されている何十倍もをわたしはすでに繰り返し聴いている。聴いて聴いて、いる。

 2003 8・1 23

 

 

* いま、いちばんしたいのは、この「私語」を少なくも当分やめてしまい、べつに、「バグワンに聴く」というファイルをしみじみと書き継いで行くこと、かも知れない。

「最大級の導師」「とうとう人類がかちえた真の王者」かどうかなど、世評はわたしの知るところでない。わたしの魂にビリビリと響いてくる存在だから。だれかにバグワンの押し絵を「伝えたい」のではない、わたし一人の安心と無心へのそれがおだやかな静謐の時になるだろうと思うからだ。ためらわれる唯一の理由は、そんな対話が、「知解」という「分別」へわたしを突き落としかねないのがこわいこと。

 2003 8・2 23

 

 

* 同じ音読もう十年余のバグワンは、今また「般若心経」を読み進んでいる。ゆうべは「知識」への本源的な批評を読んでいた。なにの花ともしらず眺めた花の美しさ、その瞬間には花と人との深い融和と一体感とがある、が、一度びその花がバラである、ナニであると知ったとき、人と花とに「距離」が生じる。この「距離」という精妙に微妙で正確な指摘をわたしは直感的に全面的に受け容れる。そのようにして我々は余儀なく大事な幸せを手放さざるを得ず生きてきたと思う。知識は、まず何より知っているモノゴトと知らずにいるモノゴトとに、分離や分割を強いる。つまり「分別」という一つの距離がいやおうなく現れる。心は、マインドとは、「分別心」そのものであり、これを高く旗印に掲げるが、人の不幸はこの旗印のもつ詐術に気付かず、大事なモノゴトを実は捨て去ったことに気付かずに、もっと大事なモノゴトを手に入れた、獲得したかのように錯覚し評価する。だが、それは底知れぬ「もっと、もっと」という蟻地獄に身を投じて、しかも本質的な関心にはほとんど何の役にも立たない・立たなかったことに、死の間際になるまで気付かないのである。

 分別をのみコトとする知識=論理では、人は決して静かな無心には至れない。知識を棄てる非論理や無分別の底のトータルな静謐が大切なのだと思う、わたしも、バグワンとともに。譬えての分母はそれであり、それゆえに分子は自在に多彩に活躍してゆける。分子とは、政治への関心であれ、湖の本や電子文藝館であれ、無数の人間関係であれ、それは夢であり絵空事であり虚仮である。分かっている。分かっているから活躍すればいい。分かっているから楽しめばいい。しかし大切なのは分別や知識ではない、それらが引き裂いてきた夥しい亀裂や分裂のみせている深淵の凄さを、一気に棄て去れることである。人は嘗てに「真っ黒いピン」を我から無数に身に刺し、その痛みに耐えかねて奔走している。ピンはもともと刺されては居なかった。刺したのは自分である、それも分別や知識や打算で。

 ピンは抜き去ることが出来る。だが難しい。わたしのこういう言辞もまだ分別くさいと我ながら思う。

 2003 10・5 25

 

 

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