ぜんぶ秦恒平文学の話

秦恒平の文学作法

文学作法 2006年

* 謹賀新年 二○○六年 元旦 七十路(ななそじ)に踏ン込んでサテ何もなし 有るワケが無し夢の通ひ路   七十郎 歩みこしこの道になにの惟ひあらむ かりそめに人を恋ひゐたりけり 十六歳 萬福脩同 心よりご多祥をお祈りしま […]

文学作法 2005年

* もう一度二階へ来たのは、旧冬の続きのバグワンをもう少し書き写してみたかったから。訳者さん、めるくまーる社さん、聴(ゆる)して。 * 「意識」は、最後には「死」を意識するようになる。もし意識が最後に死を意識するようにな

文学作法 2004年

* ペンの古参理事の一人から、「ペンの力を信ずるのは、どうも楽観的にすぎる気がしてきました」とある。日本列島に只今只一人の真の「文豪」もいやしないのに、ペンの力の信頼できる道理がないでしょうと返事を書いた。このような状態

文学作法 2003年

* 歌の意味がわからない、だから昔から文学なんて嫌いだったと、中学時代の一年後輩がやけくそのような「悪態」をついてきた。笑った。京大の理系を出た「傲慢無礼」が昔からウリの後輩である、東工大生のほうが相当優秀だぞと笑ってや

文学作法 2000~2002年

* 主客とも余情残心を催し、退出の挨拶終れバ、客も露地を出るに、高声に咄さず、 静ニあと見かへり出行ば、亭主ハ猶更のこと、客の見へざるまでも見送る也。扨、 中潜り、猿戸、その外戸障子など、早々〆立などいたすハ、不興千万、

文学作法 1998~1999年

* 小説のなかで、「事実」にはあまり執着しない。自然でさえあるなら、弁慶に小野小町への懸想文を描かせてもいいと思っている。ルーベンスの筆力はすばらしく、彼が描けば、エンジェルの腹から腕が生えていても不自然には見えまいと謂

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