ぜんぶ秦恒平文学の話

スポーツ 2007年

* 浅田麻央の五位から一位への演技のみごとだったこと、その涙もともども美しかった。結果二位であったけれど、わたしたちは「優勝」に等しいと拍手した。大満足した。安藤美姫敢闘の優勝にもわたしたちは感動した。よく立ち直って此処へ出てきた、すばらしいという言葉しかない。

白鵬の優勝も祝いたいが、朝青龍の千秋楽本割り相撲とともに、落胆した。ま、苦笑いの横綱に八分の非、作戦としてうまくつけ込んだ大関にも、それでも、少し非はのこる。可憐な少女たちの前では、カッコわるい。

水泳の北島、柴田らのけれんみのない敢闘がかがやいている。  2007 3・26 66

 

 

* 画面を早送りしたように、春の選抜野球は、日大大垣と静岡常葉菊川の決勝戦で閉幕した。意外な成り行き、なじみの薄い両校の対決となり、それもわたしは見逃した。千葉県の常葉菊川が終盤の粘り粘りで逆転の勝ちを重ねてきて、決勝戦もそのように勝ち抜いたらしい。喝采。

選手たちはどう見ても孫世代の高校生。

ところが京都から東京へ出てきて、数年へても、高校野球を見ながら選手が大きい大きい大人みたいだと妻とよく感嘆していたのを思い出す。あのころの高校生が大きくて今の高校生が小さいわけがない。それが子供みたいに見える、ということが、ふとほろ苦くあわれである。彼らがではない。我らがである。

2007 4・3 67

 

 

* ボストン・レッドソックスの松坂大輔投手がデビュー戦を十奪三振で快一勝。やがてイチローとの対決もあるよし、小気味良いこと。

2007 4・6 67

 

 

* 松坂大輔の勝ち星は増えているが、いまひとつ彼の勝ち星としては彼自身物足りないだろう。難しいところだが、勝ちは勝ちで、打たれても勝てる星なのだろう。あいつは少し打たれても勝負には勝つヤツだというチームメートの信頼も、意味が大きい。

2007 4・28 67

 

 

* 大関白鵬が全勝優勝で横綱を手中にしたのは天晴れであった。また牝馬ウオッカがダービーに優勝したというのには驚嘆した。脱帽

2007 5・27 68

 

 

* アメリカのオールスターゲームでのイチローの活躍、感嘆。しかし老ルーキーといわれる桑田投手のインタビューに応じている表情や日本語にも心惹かれる。

2007 7・12 70

 

 

☆ 初のメジャーリーグ観戦  ボストン 雄

経緯はともかくとして,メジャーリーグの試合を生で観るのはこれが初めて.メジャーリーグどころか,日本のプロ野球ですら,最後に観戦したのは小学生の頃だから,もう25年近くも前ということになる.夕方になるのが待ち遠しい.

Park Street駅でレッドラインからグリーンラインへと乗り換えてKenmore駅へ向かう.グリーンラインはB,C,D,Eラインと4種類あり,このうち Eライン以外の全てがKenmore駅に止まるのだが,来る列車来る列車,どれを見てもラッシュ時の山手線のような混雑ぶりだった.やはり試合のある日の,この時間帯はこうなるのだろうか.

やっとの思いでKenmore駅で下車し,フェンウェイパークまで歩く.あたりはボストンレッドソックスの帽子やTシャツ,ユニホームを着た人達でごった返している.

まずは腹ごしらえということで,球場近くにあるPOPEYESというファストフードの店へ.CHICKEN&BISCUITSとも書いてあるので,どんな店なのだろうと思ったが,ケンタッキーフライドチキンと良く似ている.アメリカでは(特に南の方で)有名なチェーン店らしい.ケンタッキーフライドチキンは嫌いではないのだが,もう高校生の頃位から食べていない.チキンバーガーとマッシュポテトのセットを注文.野球観戦と同様に,こちらも久しぶりだが,久しぶりに食べるとなかなか旨い.

入場する前に,手前のおみやげ屋さんで岡島と松坂のTシャツとボストンレッドソックスのロゴ入りの帽子を購入.実は大学院修士課程時代の同級生が,今,ボストンから車で2時間ほどの距離にあるウッズホール臨海実験所に実験しに来ているのだが,野球好きのお父上のために岡島のTシャツが欲しいとのことで,僕が代わりに買うことにした.土曜日に渡す.松坂のTシャツと帽子は僕用に買った.松坂よりも岡島の方が僕は好きなのだけれど,”Dice-K”と書かれているのにちょっと惹かれてしまった.

さて,球場内に入り,ビール片手に席へと向かう.試合開始前は日没間近ということもあって夕日がまぶしい.買ってきた帽子が大いに役立った.外野席だったものの,前から8列目くらいだったせいもあって,選手との距離が驚くほど近い.すぐ目の前でプレーしているようにさえ見える.もっともピッチャーやバッターは遠いのだけれど.

今日の先発ピッチャーはWakefield.ピッツバーグ出身のライアンによれば,ライアンが幼い頃,Wakefieldはピッツバーグの選手だったという.対戦相手はKanzas City Royals.恥ずかしながら,このチームは全く知らなかった.

まず,国家斉唱で全員起立し,テノール歌手がアメリカ国家を独唱.素晴らしい歌声に感動.周囲の観客も,何人かは歌っていた.日本でもサッカーの国際試合などで国家斉唱が行なわれる場合はあるが,アイドル歌手などが「君が代」を「オリジナリティー豊かに」歌っているのを見ると,とても興ざめする.

試合は,前半は0対0の攻防が続いたものの,中盤になって3点取られ,1点追いついたあとも,交代したピッチャーが打ち込まれて,瞬く間に9対1となってしまった.8回に2点返したものの,もはや完全に負け試合といった印象だった.客席はほぼ満席だったが,8回に入る前辺りから客がどんどんと減っていき,9回表にいたっては,試合に飽きた客席が,ウェーブを作って,もはや試合内容そっちのけで楽しんでいた.

一方的な試合ではあったのだけれど,レッドソックスがチャンスを迎えると,どんなささいなことでも観客は大喜びしている.この盛り上がりを体験するだけでも,レッドソックスファンになってしまいそうだ.

松坂や岡島の活躍のおかげで,レッドソックスの本拠地フェンウェイパークの話題は日本のテレビでも良く取り上げられるようだが,レフトスタンドは高い壁となっていて,「グリーンモンスター」と呼ばれている.

このグリーンモンスターの存在はテレビなどで散々知っていたが,今日改めて,この存在がホームランを阻むのに大きく貢献していることが分かった.今日,一体何本のホームランが,このグリーンモンスターによって阻まれたことか.反面,ライトスタンド側のフェンスが予想以上に低かったことにも驚く.

グリーンモンスターの存在のせいかもしれないが,今日の試合はホームランが1本も出なかった.惜しい当たりはあるものの,全てホームランにまでは至らなかった.自宅などで試合を観戦していると,ホームランばかりの試合は大味に感じられて,面白みが無いように思ってしまうのだが,こうして生で観戦すると,外野方面に飛んでくるボールには興奮させられる.この辺の臨場感の違いが,テレビと生との大きな隔たりかもしれない.

残念ながら一方的な負け試合になってしまったため,岡島は登板しなかった.ただし,こちらに来てレッドソックス関連のテレビなどを見ていくうちに何人かの選手の顔は覚えるようになったので,彼らの打席は楽しめた.

試合開始直後は強い日差しで汗が止まらなくなるほどだったが,回が進むにつれて,気温も下がり,涼しい風が吹くようになった.夜風に吹かれながら野球を観ていると,勝ち負けはどうでもいいような気になってくる.日本はドーム式球場が多いが,やはり野球の醍醐味の一つは,この開放感にあるように感じた.

良く晴れた夕方に,ビール片手に野球観戦をしていると,それだけで塞ぎこんでいた気分が晴れていく.このところ,引越し関連で気が滅入っていたが,これでずいぶんとリラックスできた.

フェンウェイパークから徒歩で帰宅.

 

* 山田健太さんに券をもらって、後楽園で、巨人と広島だったかの試合を、妻と並んで観たことが一度だけ。独特の陽気にアテられた心地でわるくなかったが、飲み物のペットボトルにもテロ対策の警戒厳重だった。ああいうもんなんだろう。

野球というゲームは概して退屈だが、ドームの広いこと、その密閉されて騒然とした陽気をあれで楽しんでいたかも知れない。ネット裏の小高いいい席にいた。どっちが勝ったかも覚えていない。遠いところで選手たちがこまごまと動いていた印象だけ残っている。

やはり歌舞伎の方が席はいいし、美しいし、興奮するなあ。

2007 7・18 70

 

 

* 晩、作業しながらオーストラリアとのサッカー試合を、延長戦、PK戦まで観た。激戦というより、少しもたついた試合に感じた。

2007 7・21 70

 

 

* 『アポロ13号』の生還を観た。何度めかだが、時間が経つとまた観たくなる。劇的という言葉の真髄が見えるから。

韓国とイラクのPK戦に至るサッカーの後半四十分ぐらいからあとを観た。PK戦は、心臓にわるい。

2007 7・25 70

 

 

* 朝青龍のアッケラカンと馬鹿げた仮病帰省は、たてまえで謂えばとても言い訳のきくことでないが、一人の未熟な青年外国人を、四ヶ月にわたり異国で「軟禁」するような処置は、よほど配慮に欠けた酷な「閉門」であり、投獄にちかい。なんだか『阿部一族』みたい。相撲を取る・取らせるのが本来の道であり、角を矯めて牛を殺してどうするというのだろう。減俸はともかくとして、もっと他の、フアンサービスのボランティアに精出させてみる工夫がなかったのか。銀座、新宿、渋谷、池袋、上野、浅草などへ日替わりに数時間ずつ出して、手形をおすとか握手させるとか、老人や福祉の施設を巡訪させるなど、現実に人とふれ合いのサービスさせるなども案の一つでありえたろうに。

孤独な投獄に類した処分は、いかにも外国人の青年力士の精神をこれでもかと痛めつける無残な報復にみえて傷ましい。「力士」の本来の生理や心理を殺してしまわない限りで厳罰する他の道はありえたと思う。

ひとつには、高見山以来、小錦以来、とかく相撲世間の狭量な差別意識は不快であった。またこういうときにだけ、やたら相撲は神事だの、スポーツではないだの、聞いた風な建前の理屈をもちだしている風潮にも、かたはら痛い思いがある。そんな理屈よりも、あの長きにわたり一人横綱の重責に堪えて目をみはる強い相撲を見せ続けてくれた功績をおもえば、彼の愚行は愚行として許せないが、今少し聡明な処分が考えられてよかったとわたしは思う。

2007 8・4 71

 

 

* たなごころをさすように、朝青龍謹慎が予想通り波紋をはらんでいる。相撲協会は自身が袋をアタマにかぶってバカ踊りを強いられている。

むろん横綱がモンゴルに帰れば、これは処罰自体が崩れ去り、横綱はラクチンであるが、事実上の角界追放におわるだろう。

日本国内にとどめたいのなら、牢獄への監禁に等しい前時代的な処罰にかわる、厳しい「角界奉仕」を課するよりないのはハナから目に見えている。骨折のほぼ仮病なのは明らかだから、からだのつかわせようは幾らもあるだろう。とじこめるのでなく、人と触れさせた方が良い。鬱の解放にはそれが効く。横綱の肉体は或る意味協会のお宝ではないか。それを殺しては話にならない。四ヶ月無給といった経済的なお仕置きの方が現代っ子にはこたえただろう。髷を切るなど発作的に横綱をやめさせたくはない。

大相撲も今日では、スポーツではないと言いたいなら、神事めかしたショウなのである。

伝統伝統というが、どれほどの人が相撲を伝統に溯って識っているだろう。神事とは謂うが、神事とははるかに溯ればたいてい葬祭の行事であった。野見宿禰と当麻蹴速との相撲の争いには、古墳に使用する「石」産出の占拠を氏族部族で争った背景があったと謂われている。伝統にこだわって忠実でありたいなら、相撲協会が宗教法人でなく財団法人である方がおかしいのである。

2007 8・6 71

 

 

* 朝青龍のこと、鬱陶しくなってきた。根源は、仮病の義務放棄であったことは動かない。

わたしは自分も体験しているから、「鬱」が、伝えられるような簡単単純なものでないと察している。朝青龍の現状は居直った不機嫌の押し出しに近い要するにフテた仏頂面とする或る精神医学者の推定が、正鵠をえて眞近いように想う。

ここまで力士世間の無策と朝関の我が儘とがこじれてしまっては、甘い顔もしていにくい。横綱を外して「廃業」し、モンゴルに帰すのも致し方ないかも知れぬ。こんな騒動の果てしないのは、大相撲までをイヤにさせてしまう。処罰に少し配慮を欠いたきらいは覆えないが、かりに「スポーツマン」としても横綱の行儀と心がけは悪すぎ、克己心も反省も努力も認められないのは、情けない男やなと、かなり甘いわたしでも、嫌気がさす。

 

* ある漫画家が新聞のコラムに「相撲は神事」と書いているので、どれどれと読んでみると、じつは相撲の由緒来歴もなーんにも知らないで、アテずっぽうを書いているのが数行も読まずに分かってしまう。品格の神事の歴史のと謂う連中のほとんど誰一人として、わたしに、ヘエそんなこともあったかと教えてくれた記事も文章も談話もよう示さない。恥ずかしいほどウワッツラである。

相撲取りは「江戸時代には神様だった」などとバカげた聞きかじりをレイレイしく喋るだけで、「神事」とは何事ぞ、ロクに健闘もついていない。

日本列島のかなりの広さに、笑い相撲や泣かせ相撲やジジババ相撲や独り相撲などいろんな相撲伝承や行事があり、ショッキリもそれらの伝統に繋がっている。幕内などという言葉にも戦国時代に溯る相撲の実例があり、女の怪力も伝承に混じってくる。

溯って平安時代にも、ことあれば全国から力士の公募や試合の、説話や記事は決して稀少ではない。色男の代表格の在原業平も剛強の武官で相撲もたしなんだらしい形跡がある。明らかに奈良時代以前にも角力伝説はあり、これを「神事」と絡めて謂うばあい、日本の「神事」とは概して葬祭に関連していたことも忘れがたいのである。大地を踏み鎮めるヘンバイにも関連する。怪力の不思議が神秘の力として畏敬ないし畏怖され、その奇異が女の上にも表れると、そこにも力技としての相撲伝説や伝承が生まれてくる。

昔は教科書でも教えた野見宿禰と当麻蹴速との相撲始原伝説の背後には、二人の背負うた氏族間による、古墳や墳墓用の「石材」採取の権利争奪や確執までが推測されてきた。相撲の背後や地盤には「死者の死霊」を踏み鎮める「鎮魂と慰霊の神事」、がそもそも源流していたらしい。

さらに溯れば、多く海族、川族、水族としての日本人の「風俗」にも淵源を求められることは、綱といい、まわしといい、さがりといい、また相撲取りたちの着流しで帯も締めない着衣姿までが、いわゆる漁師や海士たちのそれと同じなことからも、浦島太郎の姿に似ていることからも、優に推察できる。

但しいくら推察できようとも、そんなことは、外国人の朝青龍はもとより、れきとした日本人である相撲協会の理事長・理事も、親方たちも、まして若い関取たちも、想像だにしていないだろうし、その必要も大方有りはしないのである。ただ、生半可なワケ知りぶったマスコミ人士たちの軽薄を嗤うばかりである。

神事っぽい体裁と行儀をそなえた「スポーツ」でよいではないか。高校野球の選手たちが、試合の前後にホームベースを挟んで一斉に敬礼挨拶し、勝ち校の校歌吹奏には負け校もベンチ前で起立整列して敬意を示している、あれのような精神だと思う程度でよろしいではないか。行儀の良いのは気持ちが良い。朝青龍の振舞い、行儀が悪すぎる。目に余ってきた。モンゴル側での誤解の多くにへんな斟酌をして後味をいっそうヒドイものにするぐらいなら、朝青龍の才能は惜しいけれども切って捨てて自業自得と訓えた方が良いだろう。「横綱」を時刻での私企業の「看板」に使われている方がよほど筋が悪い。

2007 8・20 71

 

 

* 絶不調や、のがれがたい恥辱や失意に堪えてきたスポーツマンがどれだけいたか知れない、が、横綱朝青龍ほど、なさけなくふてくされてしまった男、いただろうか。信じられない。

難病に陥ったのでも命に関わる悪疾に襲われたのでもない。現にあんなに元気にサッカーにうち興じていたのは、数週間前のことだ。仮病で横綱の義務を放棄し、しかもバレバレのお遊びを底抜けに無邪気そうに楽しんでいた。無邪気どころか、日本中をダマシての仮病帰国だったのだ、バレて驚いて日本へ戻ったが、正式にきちんと謝罪もしていない。

切腹を命じられたわけでもない、命には何の別状もない処分を言い渡された。わたしは、「自宅謹慎」など処分としてバカげている、もっと謝罪にふさわしい適切な償いを相撲ならびに相撲フアンのために、からだを動かしてさせるべきだと思った。だが、何にしても精神の不安を起こしてしまうようなそんな処置・処分であるとは思わないし、そんなに情けないひ弱い「横綱」であったのかと、バカバカしくも意外でならない。

このままモンゴルへ帰国させれば、ていよく仮病で遊ばれた上に、どうぞとばかり「長期休暇」を与えてやるだけの結末となり、それなら綺麗に廃業させればいい。これだけ相撲と力士と男の意気地とに、きたないケチをつけられて、土俵に祭り上げる必要はもう無くなったのではないか。

わたしは、日本の相撲世間の、海外力士たちへの必ずしも温かくなかった空気を嫌ってきたが、朝青龍の場合は、彼自身が土俵に汚い泥をかけて足蹴にしたのありで、日本人からの仕打ちに抗議したのでは全くない。モンゴルの人たちに、それを見過ごしてもらっては困る。失点は真っ先に最も大きく朝青龍にあり、しかも彼は、この世界の最高の地位を占めている。その責任を彼がウソで足蹴にしたのである。

 

* 野茂やイチローや松井や松坂や……、横綱は彼らのような高給は与えられなかったけれど、だからといって彼らの精神力と朝青龍のそれとを比較していけないわけがない。そうそう桑田投手のような達人もいた。かつては橋本聖子という努力努力に命を削った、みごとな女子スケーターがいた。棒高跳びのブブカや、走りのオッテイがいて、衰えと闘い、最後の最後まで感動させてくれた。

朝青龍はそういう人たちと比べられても遜色ない高い地位にいて、しかもヘニャヘニャになって、ふてくされている。情けないではないか。その情けなさに、わたしはもう鬱陶しさの限界にきた。相撲と横綱とに、こんな大きな汚点をのこした力士はかつて一人もいなかった、もう朝青龍を惜しいと思わない。とんでもない弱虫だった。

 

* 惜しいと思わないことでは、この私自身のことも、有る。自分のことで惜しいと思うコトもモノも、何も無い。そうなんだ、朝青龍のことなんかどうだっていいんだ。お笑いだ。

2007 8・21 71

 

 

* 少し続けて「横綱・朝青龍」の鬱陶しさや弱虫ぶりにジレていた。その部分を「mixi」に送り込んでいたら、それぞれにコメントが来ていた。数少ないのであるから反応一般とはいえないけれど。

 

☆ こんばんは。「困るなあ、こういうオバさん。」です。

上の(朝青龍関の)お話,冥界のわが祖父に,私の「部屋」に来てもらったら,どんな話が出来るかな,と思いました。

祖父は,大正時代,平幕の関取でした。高校時代に大学相撲と某部屋から誘われ,本人は進学するつもりでしたが,実兄が親方に篭絡され,支度金を in my pocket してしまったとかで,入門のやむなきに至ったそうです。

巡業も,外地にまで渡った当時,相撲取りになるにしては「まとも」な家の子だった祖父は,寄ってたかって兄弟子にたかられたのを初めに,世の中の裏の裏まで見ることになったそうです。26歳で馴染みの藝者と「でき婚」したのを機に,さっさと足を洗って「堅気の衆」に戻った…というのは,本人の弁ですが。

さっき,祖父と思しき声が,こう言っていました。

「親方や兄弟子の言うことが聞けねえ様な奴ぁ,さっさと叩き出しちまえ!」

「どうせ,横綱の落とす金が惜しくて,親方も迷ってんだろうが!情けねぇ野郎だ。」

蛇足ですが,祖父は,当時の相撲界に反発し,独自の巡業を打つなどした「天竜」関に同調していたこともあります。  麗

 

* 男どもの夏場のファッション鈍感を撞いてきた(まだ若い若いらしい)おばさん、から。お祖父さんと話し合う「部屋」とは、相撲部屋ではあるまい、「麗」さんのことだ、わたしが「徳内」さんとよく出会っていた、あのような「部屋」でであろう、懐かしいこと。

 

☆ 湖様  瑛

13世紀に世界史上最大の大帝国を築いたチンギスハーンの騎馬民族の末裔の国モンゴルは果てしなく広がる草原を連想し、司馬遼太郎の「草原の記」を思い出します。

湖さんの「朝青龍考」を読んで溜飲が下がる思いがします。 さわやかな天声人語を読んだ気持であります(同意だけのコメントで内容に乏しいですが暑気払いができました)。

今日の暑さをものとはせずに過ごせそうです。

2007 8・22 71

 

 

* 今日一日の颯爽と気持ちの良かった事件は、応援してきた「佐賀北高校」の夏甲子園の全国優勝。信じられない逆転満塁ホームランも、しかし、先日からの一試合一試合を顧みても、優勝の栄冠が信じられてくる。来るべき筋道をしっかり歩んで掴んだ優勝旗だと。快哉。

2007 8・22 71

 

 

* 忙しくしている。涼しくなってくれるといいが。

 

☆ 「瑛」さんの驥尾に附いてのコメントでございます。  香

ずつと前、お相撲を観る(テレビでですが)のが、好きでした。自分が小さくて力無しですので、舞の海と、あんこ型ばかりの今のお相撲さんの中ですつきりした筋肉質で美男の寺尾が、好きでした。

二人の関取が土俵を去つてから、お相撲に興味を失ひました。たいした相撲ファンではなかつたのです。

それでも朝青龍騒動には、腹が立ちます。朝青龍にも相撲協会にも。

湖さんの「鬱陶しくなってきた」「弱虫」を、弱虫連中(相撲協会も弱腰、弱虫)に叩きつけてやりたい。

2007 8・23 71

 

 

* 四時間ほど寝て、起きたら、世界陸上の男子マラソンがゴールインしていた。団体では日本が金メダルだって。団体?

2007 8・25 71

 

 

* 大阪の世界陸上をしめくくる女子マラソンは、土佐礼子の孤軍奮闘、絶望と観た遅れだしの四位から、じりじりと中国三位の選手をまた追い抜いて、燦然価値ある銅メダルを獲得した。今回世界陸上唯一人の日本選手個人のメダルでもあり、立派なことだった。

* あの輝きにくらべれば、横綱朝青龍の甘えた不埒なモンゴル逃亡といい、まんまとそれをゆるした師匠朝潮、協会理事長北の湖らの醜態、またマスコミのなさけなさといい、ウンザリも通り越し、バカげている。即刻「解雇」でよい。その点、石原都知事の断罪に同じい。もう一度土俵に上げて相撲が見たいなどと思わぬ。

なぜ、マスコミは北の湖にインタビューしないか。なぜ全理事や横綱審議会委員にアンケートしないのか。このままで行くと、北の湖という真の大横綱にも拭いきれぬ土をつけてしまう。

2007 9・2 72

 

 

* 秋場所大相撲の「四人枡席」の券を突如頂戴し、嬉しい驚きに、いま、息を呑んでいる。

2007 9・6 72

 

 

* 妻と私は、今日、戴いた「四人枡席」で、大相撲秋場所十二日目を楽しんでくる。もったいないが、どなたもお誘いしなかった。

2007 9・20 72

 

 

* 同じ有楽町線の新富町でおり、妻は聖路加受診、わたしはタクシーをつかって国技館へ。

 

* 真っ先に、相撲茶屋の感じがよく分かり、興味深く。

案内されて、西真正面の桟敷に入った。

妻と二人だけで見せて貰おうと決めて、よかった、正解だった。四人入ったら、お互いに一時間で音をあげそう。二人だと脚がのばせて、悠々。

テレビで察していたより遙かに遙かに土俵がみやすい。歌舞伎では欠かせない双眼鏡が要らない。国技館という建物かなかなか機能的にうまく造られているのだと感心した。

 

* わたし一人、先ず十一時過ぎに入った。まだ広い館内の桟敷、砂かぶり、一階二階席を通じて、客は五、六十人。じつにノンビリと楽しかった。

三段目当たりの相撲が次から次へとつづくから、退屈全く無し。

貴乃花がりゅうとした佳い姿勢で向こう溜まりの審判をつとめていて、行儀の良さに感心した。また彼のスマートになっているのにも。

昔懐かしい審判達を一々確認した。

但し西真正面のため審判も背中、土俵に上がって仕切る西方相撲取りも背中。ただし相撲になれば土俵は円くて、テレビでよりずっと臨場感豊か。相撲はテレビ桟敷が最良というのはウソだと、直ぐ分かった。

 

* 四人席を頂戴していたので、茶屋のシステムはどういうものか見当がつかないなりに、いきなりわたし一人の桟敷に、お弁当だけでなく、無慮十種類ぐらいの食べ物が四人前ずつ積み上げられ、飲み物は好きなモノの飲み放題みたいで、仰天した。

妻が診察を済ませて駆けつけるまで、わたしは相撲は楽しむ、呑んで喰い、呑んで喰い、とにかくも山と積まれた茶屋到来の品々を少しでも減らそうと大わらわに飲食。こんな結構な有り難いことは、そうあるものでなかった。お相撲にお招き下さった群馬の渡辺さんに心から感謝申し上げます。

 

* 妻は二時にかけつけ、まだ場内は満員にホド遠かったけれど、確実に時間を追い取り組みを追うに連れ人が入ってきて、フーンうまく盛り上がるもんだなあと感じ入った。また広々とした館内のあちこちから、女性の声で贔屓力士の名を呼ばわること、賑やか賑やか。男の声も大きいが、女の声も能く響く。妻もだれであったか、勇を鼓して力士の名を叫んでいたのは、この時節柄めでたくも楽しそうで、妻のために喜んだ。わたしは取り組みに手を打ち笑いころげ、そして喰って呑んで休むまがなかった。

さすがに三段目から幕下から十両へ来ると、相撲が大きく強くなる。幕内になるとてんで貫禄が違うのに感じ入った。

土俵入りもはなやかに面白い。色彩は、呼び出しと行事の装束や衣裳もそうだが、幕内になると締め込みの色や下がりの色がにぎやかになる。懸賞もかかる。

高見盛の人気にはおどろいた。むかし林家三平の寄席人気におどろいたのと似た驚愕だったが、その相撲が又おもしろかった。

豪榮道と謂ったか、今場所優勝すると九十年ぶりの初入幕優勝と聞いて、大声援したが猛者の安馬だかなんだかにつりあけられ、土俵にたたきつけられて二敗になったのは残念だった。

横綱の白鳳はなかなか晴れやかでよろしかった。やっぱり朝青龍が此処へ出てきていたら興奮したろうなあと、無数に並べた優勝掲額の朝青龍をながめまわして、やはり初場所には戻ってこないかなあと願った。あまり気に入ったので、初場所も見ようよと予約を入れてしまった。

かえりに、さらに「お土産」という大きな袋が四つも届いて、とてものことに持ちきれない。茶屋が宅急便で送ってくれることになった。またまた愕いた。景気のいいことではある。気も晴れた。

 

* 凄い人の流れでどう帰ろうかと気を揉んだ目の前で、車から降りる人があり、これ幸いと新富町まで車を走らせ、有楽町線で一気に保谷まで。幸い妻一人は座り席があった。わたしは保谷まで立ち、さすがに終日脚腰を折っていたので、あわや攣りそうに何度もなったが、持ち堪えて帰宅。

 

* だが、メールをひらくと、なんともイヤーな仕事を命じられていた。一度に一日の楽しい気分がすっとんだ。深夜まで、仕事。

2007 9・20 72

 

 

* 大学対抗女子駅伝は仙台で。立命館の一年生トップランナーが区間新記録録で快走すれば、二番手の四年生も区間新記録で走り抜け、どう眺めても立命館のぶっちぎりは決まりと思えたので、仕事へ。

また一休みのあと見た野球の早慶戦は、延長どんかづまり十二回ウラのツウアウト満塁、ツウストライク、スリーボウルから慶応の四年生が粘り抜いて内野安打のサヨナラ勝ち。まれに見る好勝負であったけれど、早稲田の継投策の失敗といえる。七回まで無失点好投のハンカチ王子をおろしたのが運の尽き。慶応の完投投手はよく投げ抜いた。

2007 10・28 73

 

 

* みなさん優雅な日々で。

わたしは、絶叫に近い連続の咳き込みで、喉から血が出そう。痰は少し減り、凄い声でも言葉になりかけているが、夜中も咳に襲われる。

 

* それでも今夜は、すこし気分を開放して日台野球を最後まで楽しめた。ノーアウト満塁からのあざやかなスクイズといい、つるべ打ちといい、星野仙一監督の用兵はことごとく図に当たった。選手もよく応え、おみごと。対韓国戦とはまた味のちがった緊迫の好ゲームで、大差になったとはいえ決して台湾は弱いチームではなかった。

2007 12・2 75

 

 

* 日韓野球の善戦を堪能した後、欲も得もなく、昨夜は寝た。明け方まで、何度も烈しく咳いた。夢も見た。

 

* 咳き込みは言語道断、ひっきりなしに熱が来て汗を掻いて冷える。咳く。洟も止めどなくかむ。そうしながら、黙々と手仕事は欠かさなかった、夕方四時過ぎて今日は一段落した。

2007 12・3 75

 

 

* 正月の初場所の、わりと佳い桟敷がとれたと、相撲茶屋から連絡がきた。楽しみ。

楽しめることは、求めて楽しみたいと思うようになっている。あと十日ほどで七十二歳になるのだ、それぐらいで老齢とも高齢とも思うまい、老境に入っているだけのことと。新しい小説が書けていい状態にも、あると言えるようになった。書きかけのモノも、あらたに書き起こすモノも、着手可能になってきて、来年は、少し毛色の違った「小説の年」でもありたいと思うのである。

 

2007 12・9 75

 

 

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