* (歯で噛んで食べにくいので)冷えた缶ビールと熱い甘酒と摺り下ろした山芋汁で、横綱照乃富士が阿炎に負けたのを見たまま、酔って寝入って、八時過ぎ。機械を閉めに上がってきたが、閉めようにも依るか、機械に変調がある。建日子は強いて機械を閉める必要ないはず、と云う。このごろ、閉めないで夜を越すことも。願わくは、今の創作を無事に押し上げて押し切りたい。
2022 1/22
* 小説の一作、消え失せた分がどう蘇るかは今は考えず、しっかり意図と文章と整えながら先へと弛まず進めている。気が抜けないように。
しかし今日の大相撲千秋楽は、あるいは三つ巴の決定戦になるやも知れない。
* 関脇御嶽海が横綱照ノ富士に勝ち、三度目の幕内最高優勝、大関昇進を固めた。
2022 1/23
* 昨日の消失・紛失分の探索に一日かけて見つからない。心身 草臥れ果てて、全く酬われていない。我慢を抑える訓練でもしているよう。
北京での冬季オリンピックにも関心無く、いま、概して私はスポーツに冷淡。
3sと謂う。が、セックスには縁無く、逼塞の籠居でショウには行けず、スポーツは「するひと」の楽しみ、「見て」たのしむには、大きな割引がある。ことに長時間かけて決着を楽しむヒマが無い。短時間で決着するスポーツは、駆けっこと、水泳、つまり早さで決着するモノ、そして、絶好の、お相撲。
2022 2/2
* 中国での陶器オリンピックは、間違いなく不当で悪意の政見から各種の妨害が起きるのは目に見えていたので、はなからテレビでも殆ど「無視」してきた。習政権は良識と遠慮に欠けた一種の悪ガキとみてきたし、善政より悪政が千萬倍してきた「永い中国史」が今なお尻尾を大きな顔で振っているにすぎない。
この中国政権今日のザマが恥知らずに居直り続けていられる一つの大きな病根を、私は指摘しよう。中国伝統の「詩」は冠たる精美にあふれていたが、もう遠い昔話でしか無い。そして、十八世紀以降の中国にすぐれた「現代文学」は成果をを得ていない。
ロシアはああいう国ではあるが、明治の日本へ来て、現代文学の健闘と達成によって日本も一流国たれと熱祷して呉れたラフカディオ・ハーン先生の言葉に在ったように、ロシアは久しく西欧世界の野蛮国と愚弄されていたのが、一朝、プーシキン、トルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフ、チェーホフらの輩出とその文学の輸出により、すぐれた「世界文化国家」と容認されたのを見よと。
中国には、あれほどの巨大国ながら、この三、四百年に、かろうじて魯迅の程度の何人を世界へ発信してきたか。その貧困が、習近平の高慢の表情に露わに見えている。
ああしかしながら、日本は、とも思い直さねばならぬ。私、あの敗戦までの日本の文学家は健闘して下されたと誇らしく思う。戦後は、ボツポツとごく少数の名はきこえても、やや貧寒の度を温め得ているとは謂いにくいのでは。
その症例がないし証例が、やはり政治家たちの日本語に露骨に痩せ痩せて貧寒に露呈されている。吉田茂、田中角栄、中曽根康弘、小泉純一郎総理らにかすかに感じていた日本語のちからが、麻生、野田、安部、菅、串田と来てはその言葉の貧しさと無意味さとに「恥じらい」も無い。
しかし、それも一つは「国語」「日本語」「文学・文化」への「政治による自殺的な蔑視軽視に原因」するところ大きい。それを為さしめ続けてきた「現代日本文学」の力無さも大いに恥じ入らねばならない。
2022 2/9
* 中国オリンピックでの不可解に近い判定上の昏迷が案の定、次から次へ露呈。こうなることは、時期は中国と決まった瞬間から私は予期し懸念していたが、掌を指すように現実となっている。正不正にお構いなく「悪意の算術」を売り込みに回って百家争鳴くり上古来、清濁あわせ呑むという触れ込みの儘、好き勝手な我を張って里立場とを我が物に師弟のが中国と中国人のお家藝なのだ.習近平中国は何でもやらかす。平気で、当然の顔でやる。それと心得て付き合うか付き合わないか、だ。
私は中国文化文明の大いさ素晴らしさを承知し敬愛しているので、あまりに露骨に我勝手な「福・禄・壽」大事に生きている国と国民と承知の上であれ、真っ向敵対はしたくない、して欲しくないと思っている。初戦は愉快に向き合える相手ではないのだけれど。
2022 2/11
* 誰もが喜び楽しんで参加し実演できる体力の技。それがスポーツであり、百千万人中の極く少数にしか出来ない体力の技能は、万民の加われるスポーツでなく、謂わばサーカスである。驚嘆はするが、ご勝手にと、私は冬季オリンピックの「サーカス競技」に興味が無い。観てもいない。
カーリングというのを二晩、観た。スポーツという気はしないが、「手加減」の競技という感触は氷上の演技含みの「卓球」かと楽しめる。若い女性の演技に親しめる。いかつい男子には似合ってない。
2022 2/13
*「イ・サン」を、これで三度びか、観終えた。冬季五輪は、カーリングは二、三勝負日本の四人を応援しまた楽しんだほかは、スピードスケートだけに目を、出逢えば向けていた。サーカスなみの競技には関心も共感もせず。
2022 2/16
* 晩は、1000米を日本の高木美帆が近メダルの快走に拍手。冬季スポーツ大輪の花。これぞ冬スポーツのみごとな極み。なんらバカげたサーカスでない。高木の立派な努力に感動して今夜からでも小学生中学生があとに続こうとして、やればやれる。サーカスには、快い感銘が無い、誰にも真似して欲しくないと思う。
2022 2/17
* 高木菜帆のスピードスケート1000メートルの五輪新記録の金メダルは見事だった。これは紛れないスポーだ。サーカスではない。
カーリング女史のの四人が、準決勝に上がれないと落胆しているところへ、上がれる成績だったと知れて驚喜する声や姿が、佳い光景だった。はなからよそうしていたように、女子カーリングは面白く観てきた。スボーツというよりよほど知的な遊戯勝負のようだが、変化と掛引きと決断に多く左右されるのがなかなかの知的な面白さ、但し女子にふさわしい。大の男の試合とは受け入れにくい。
2022 2/18
* 昨夜、女子カーリングの日本勢、準決勝戦で強敵スイスに勝ち、決勝戦での優勝または二位を確定した。柄だけでみると、大きな小母さんと小学少女との勝負のようであったが、策と技で優った。応援の甲斐あり,大いに楽しませてもらった。わけて藤沢五月さんらの精緻な健闘に感嘆。
2022 2/19
* 咋午后から 夜中の大地震に目覚めたが恐怖よりも寝入る意思がつよく目覚めて十時半近いとは驚いた。
しかも以降も 食欲何も無く、作の先行きに道筋を見届けて書き置いたそれだけでまた寝入って、大相撲も幕の内前半は終えていた。こんなに寝たのは、中学の修学旅行から帰宅したあとだけ、よく憶えている。あれで、夜汽車を含め三泊の初旅によっぽど疲れたのだった。あれ以来の執拗な寝入り方に驚いている。東京であれほどの強い東北地震、またも原発はどうかと案じられる。津波は前ほど無かったのは、震源の深さがより多く深かったからか。
2022 3/17
* 今朝の寝起きの体重が 55キロ代まで沈下したのに、食べないのだから「当然」とはいえ驚いた。高校生時代に戻ってしまった。
* ああもう相撲も とっくに終えている。何か食しに階下へ行かねば。
2022 3/17
* 春場所前に私は 横綱照乃富士はまことに立派に申し分なく上り詰めた、もう今場所は限界をみるだろうと予想していた。そのとおりに、二勝二敗して休場、あの両脚では痛々しく、休場をいたわってやりたい。大関から序二段までさがって、屈せず横綱まで上り詰めて優勝も重ねていたのだ「最高殊勲」もので、おおいにこっちが励まされていた。ご苦労でしたと、このまま引退しても自然の成り行きと心底賞讃できる。
ただ、横綱不在となったあとの大関達がはなはだ頼りなく、土俵に大輪の花が咲くかどうか、だ。
2022 3/18
* 大相撲の解説に偉大な横綱だった白鵬の間垣親方が出ていて懐かしく。彼の取り口などへの吟味や批評は「サスガぁ」で教えれる。
2022 3/20
* 十一時半。大相撲で横綱が力強く勝ち相撲をみて、少し、酔いのまま横になったら寝入って、「九時」に妻に声を掛けられながら、寝続けて今に。五時間余も睡魔に身を預けていたことになる。入稿原稿「着」と報された安堵もあった。
機械前の此処へ上がってきたら、「マ・ア」も喜びい③手でついてきて、静かに背後のソファで抱き合うようにし私の背を見入って、「鰹」を待っている。よしよし。上げるよ。
2022 5/11
* 大関の、在れど無き低調な大相撲だが、三役・平幕に何人も伸び盛りの力士が凌ぎを削ろうとしている。
2022 7/13
* 逸の城が横綱に完勝したのを見て、そして体調不良の「アコ」と横になり、寝入って目覚めて十時。もう寝入るしかあるまい、寝過ぎるのが宜しいと謂えないが、からだがそう望んでいるのだから。メールも無く郵便も無かった。何を焦ることも無い。
2022 7/14
* 何を何していたとも覚えぬほど、ま、休息したまま、大相撲の千秋楽、応援していた「逸の城」初優勝のインタビューまでを愉しんでいた。「照の富士」にも「隆景勝」にも勝たせたかったけれど、平幕で、とかくその茫洋の風情が安く見られているのも気の毒で、初めて土俵姿を見た以前から「負けずに頑張れよ」と眺めてきた。前にも一度優勝しかけた場所があり、可能性は優に持った「大きな力士」と認めて、茫洋の風情佳いではないかと贔屓の一人にわれから任じてきた。拍手を惜しまない。
* それにしてもコロナ禍に塗れた今場所だった。
全国でも都でも日々新感染者の人数は怖いほど激増していて、それは放置に近いまま、「経済」本位政策とやらの、要は「対策放置の暢気なお手上げ」のまま。万事「対応の適切」を擲つことにおいて自民政権は厚顔無恥である。
2022 7/24
* 秋場所、関脇逸ノ城と横綱照乃富士が勝ったので、良し。玉鷲も遠藤も勝ったので良し、「遠藤」という四股名は「高安」も同様気に入らない。土俵の美学は「四股名」にも有る。チャランポラン七の理で出てくる相撲取りは大関であろうが三役であろうが、優勝しようが、どんな相撲を取ろうが私は風格の力士と思わないし贔屓にしない。双葉山、羽黒山、白鵬、小錦、玉の海 千代の富士 柏戸、、安藝海、琴櫻、等々。少年はお相撲産の名前から「美/風」を覚えたのだった。
2022 9/11
* 大相撲は、高安と玉鷲の決戦、推していた玉鷲が二度目の優勝でカタがついた。が、あの両脚の横綱照ノ富士藤休場は仕方なく、むしろ名誉のまま引退させてやりたいほどだが、弱すぎる大関たちのていたらくで、まこと、みすぼらしい大相撲、当分は立ち直れまい。私の知る限り白鵬引退のあとあと、見映え最低の国技館、新しいフアンに湧くと謂うのは難しい。
2022 9/25
* 大相撲十一月場所はあす始まるか、もう一週間あとだろうが、妻と何度か、四人桟敷を二人で、時に「客一人」を招いて出向いたが、久しくなった。狭い我が家はなぜか、いやワケあって「お相撲さん」たちで溢れている。根本の理由は「ま・あ」兄弟の前、愛おしかった「黒いマーゴ」からかとも思うけれど、総じて我が家にありとある障子や襖を壊滅じょうたいにしたのは「ま・あ」君らに相違なく、その暴虐無惨を隠すには何かしら貼らねばならない、その貼り紙に「大相撲のカレンダー」用済みの写真が利用される。大横綱白鵬席のみごとな土俵入り写真もあれば、平幕理端全員の並んだのもあり、それも此処何年分もの用済みカレンダー写真が「破れ隠し」の貼り紙に愛用されている。相撲茶屋の呼び出し「タケ」ちゃんと、自然といつからか懇意になっていること、更にはまったく理由も覚えぬまま幕内「照強」關からも毎年カレンダーを頂戴していのだ、世の中は不思議に温かにも出来ている。むろん「根」に夫婦二人ともお相撲好きにある。本場所の「桟敷」を不祟りで閉めるあの大らかな快さったら、無いのである。
領国までの往復、西武線、山手線、総武線の乗り物を思うと居間はとてもとてもと尻ごみしているが、それでも私はもう一度と希望している。帰りの満員電車が大変なら、ハネたあと両国のあの辺で一泊してくるのはどうか、などと考えはじめている。「タケ」ちゃんの智恵、借りられないかナ。本気を謂うと、實は何部屋であれ何処かで一度「稽古場の稽古」も観てみたいなあ。
2022 11/5
* 大相撲、役力士に行かぬ知に寝入り、目覚めて九時半。よく寝たもの、というより、それほど発送に頑張った、疲れたのだろう。
ためらわす、また明日に備えて今夜は「読み」ながら寝入ろうと思う。
2022 11/18
* 大相撲の、事実は「小相撲」ぶりにガッカリする。横綱照の富士の休場は余儀なく、むしろ名誉ある引退をすすめたいが、癪の種は「大関」「カド番大関」どもの弱さ。むかしは大関と謂えば横綱並みに敬意を払い期待して相撲が観られた。この一年の大関なる力士の揃いも揃った弱さ、みっともなさ、こっちが恥ずかしくなる。
2022 11/21
* サッカーの国際試合に勝ったとかどうしたとか大騒ぎらしいが、関心の遠い外に。もうスポーツという遊び楽しみとは圏外へ出てしまった。詮無いことは詮無いことと処置している。体力も余力も無い。「読み・書き・読書」そして「創作」に、否応なく、徹しうる限り撤していたい。余は、寝たければ寝てしまう。外出したいが、まだまだ感染が危ないと。有婦無ければ近寄らない、老境、当然のこと。
2022 11/24
* 大相撲、阿炎の優勝相撲となった。貴景勝、高安、阿炎の三つどもえ戦、予想通り。横綱不在、貴景勝のほか大関のふがいなくみっともない土俵に、本場所、煮え切らなかった。新鋭が優勝したのが、せめても。
2022 11/27