* 新年早々から妻にはややこしいスキャン作業をたくさんして貰っている。新聞紙からの復元はたいへんなのだ。しかし電子化しておくとそうでないとでは、いろんな意味から天地の差がある。スキャンの利かない手書きの資料が、日記や創作ノートなど、また貴重な通信物など、思わず天を仰ぐほど在る。棄てようかと思うが、少しでも健康が保てている間は思い切れない。悪しきサガである。
ITは、或る意味で猛毒害だと信じて疑わないが、感謝に堪えないほどの利器にも相違なく、わたしの場合は作家活動にフルに役立ってもらった。東工大教授として就任していなかったら、作家・秦恒平はとうの昔に息絶えていたかも知れぬ。機械のおかげで、何より嬉しく有難いのは、騒壇余人として、あのドクターX大門未知子なみに、「いたしません」を、かなり貫いて来れたこと。
先輩作家の加賀乙彦さんの年賀状に、「作品を御自分で出版するやり方に すっかり感心しています さすがに工学部の先生だと思います お元気で 御自愛下さい」とあったのには、わたしがいち早く、ワープロ、パソコン、ホームページといった展開につとめたのを観てられたのだろう、が、但し「工学部」とは関係なく、関係が在るとしては、親切な東工大の学生諸君とのお付き合いに恵まれたことを忘れてはならぬ。あの頃の学生君が、此の新年にも心親しい年賀状を、少なくも十数枚、二十枚近くも呉れている。
加賀さんの謂われる、「本にする」という点では、編集出版の仕事のうち「編集」は、あの医学書院から学び得た賜物であり、「出版」となっては、 ① 誰よりも何よりも妻の全面協力無くては到底出来なかったし、② わたしに真摯な創作や執筆意欲と実践・収穫がなかったら、どんなにしたくても全くあり得なかったし、 ③ 「いい読者」からの久しいご支援とご愛読無しには到底ありえなかったし、④ ことに非売限定の美しい「選集」刊行ともなれば、数十年を一心不乱に書いて書いて、それで地道にもそこそこ稼がせてくれた「時代」にも感謝しなければならない。とてもとても、チャチな自己満足では、三十年に手の届いている「湖の本」や、また「選集」出版などは出来る仕事ではない。出来た人を一人もわたしは知らない。
2015 1/3 159
* コンピューターが激しく動揺し、デスクトップが、背景を見失い、整頓させていたロゴも窮屈に整列してしまい、使いにくくなった。どうすれば、いいのか、頭が働かない。作業はいちじるしく送れてしまう、なにもかも手探りでしか出来ない。あまり雪の金閣寺の写真が綺麗なので使おうとした、その手順が間違ったとみえ、デスクトップ一面に同じ写真がびっしり並んでしまった。それを消去したら、今度は便宜に配列してあったデスクトップのロゴが、硬直したように四角く並んで、配列替えに応じてくれない。困った。
臼からの作業にきつい迷惑が生じてしまった。
もう寝るしかない。
「湖の本」入稿が出来たあとで助かった。この私語がうまく送信できるか心配。デスクトップは、とてもとても大事なのに。
2015 1・8 159
* 日当たりのいい倚子に昼寝していた黒いマゴが、首をのばしてガラス戸越しにテラスをしげしげ眺めていた、視線の先に黒いちいさいモノが小走りに動いていた。どこからどう迷い込んだのか、ハムスター。よそへやれば猫か鴉かに手もなく食われてしまうだろう。ご近所に飼い主がなく、もらい手もない。建日子が籠を送ってくれるというので、今日は、猫運び用の鞄に紙ワラ゛敷き詰めて入れ、黒いマゴを刺激しないように温かい部屋の中の植木の枝に棹をわたして掛けてある。
いろんなことがあるものだ。
コンピュータのデスクトップは回復できないでいる。不自由に慣れてしまう方が結句負担が軽いか。
2015 1・10 159
* 機械の調子がおかしい。いつ、どうなるかとハラハラ。
2015 1・21 159
* デスクトップに大きくトリミングしておいた、フィリッポ・リッピの「マドンナ」。 これこそ、世界史一の美しくも敬虔なブロフィール(横顔)としみじみ眺めている。六十ちかいフォルダやファイルのロゴが覆い被さってまことにお気の毒だが、幸い、眉と、両眼と、鼻と、唇とは免れ、ひとしおそこへ視線がさそわれる。崇高とも優美とも謂いようがない。
2015 2・3 160
* 弄っているうち、デスクトップのロゴ配列に融通が利き、おかげでフィリッポ・リビのマドンナの、清純溢美の横顔が最良の部分で何の邪魔もなく見えるようになった。心地よし。
2015 2・4 160
* フィリッポ・リビのマドンナの横顔を大きく、額から頬から頤まで、眉目鼻も唇も清々しくくっきり四角くファイルロゴで囲んでデスクトップを創っている。心清らかに洗われるようで、思い屈するとデスクトップへ戻って見入っている。
2015 2・11 160
* 機械を明けるとフィリッポ・リピのマドンナのじつに美しい、好機に清々しい横顔が大きく現れる。清らに、胸の底まで洗われる。
2015 2・18 160
* ヒョンなことで巻頭の、櫻の下の写真がバカに大きくなった。わらってください。直すのもまたメンドウなので、暫く、放っておく。
2015 3・22 160
* 機械の起動にイヤになるほど時間が掛かった。なにしろ今や時代遅れのノートパソコンで、孤立無援。働いてくれているのが不思議なまで有り難い。
2015 3・23 160
* この冬いらい不良メールが影をほぼ消していたのに、今朝はまたいきなり二十数本もお節介な強精薬など売り込みの不良マーク付きメールが来ている。即座に削除するだけのこと、いまごろわたしの精力を心配してもらっても、情けないが、無意味。ま、奇妙にメールボックスが賑やかなと、それもそれ、浮き世の風かと笑えてくる。
2015 4・5 161
* それにしても、日々に能力の消散と退化を具体的に感じること、こわいほど。人の名前を忘れるぐらいはいいが、今している厚意のすぐ次の段階が見えなかったりする。複雑な機械の使用など、だんだん自信がなくなっている。ホームページも、整理縮小するぐらいにしないと、もうやがて維持が利かなくなる。思えば当たり前の現象で、怯えることはない。ただ淡々と、出来ることを出来るように、大きく間違えないようにやって行くだけ。
機械のフドレス帳にも数百ものアドレスが入っているが、誰だろうと思う程度の名前は、疎遠が常態になっている名前は、消去していいと思う。機械を使い始めて以来十五年余の保存メールの夥しいこと。もう、全部消去して差し支えない「過去完了」メールなど、消去しないと何かで検索のときや、コピー貼り付けのときなど、何時間もかかってしまう。消しますよと報せるのも、一括して上げますよというのも、ヘンなもの、手間の掛かるもの。もう斟酌なく「過去完了」は整理し消去してしまおう。、
2015 4・7 161
* 手の届く本棚で始終見ているのだが、あまり懐かしくて、谷崎ご夫妻の写真をまた四月の「私語」のあたまへ持ってきた。
谷崎先生のこの眼力、松子夫人のこの優美。日本の男女容貌の理想のままに思われる。 2015 4・24 161
* いま、この「私語」のフタマにおいた写真、どの一枚もが目にしみて美しい。花は、どっちも通りすがりの道ばたで見掛けた。花が好き。葉も好き。
いま入れてみた松篁さんの金魚、水は描かれて無くてシカと游いでいて嬉しなる。
2015 5・5 162
* もう久しくメールを用いているが、送るのも受けるのも難しいことは昔のママ。十数年前、わたしがメールを使い始めたときは、まだまだ極くの少数派であり、雑誌から違憲や感想やエッセイを求められた。
久しく体験してきて、もらうメールに、少なくも対蹠的な二種類があるのに気付く。「語りかけてくる」メールと、「自分のことを語る」メールである。前者が多いけれど、後者もん数少ないながら、有る。自分が昨日は、今日はどうした、今日は、明日はどうする、とそれだけを書いてくる。
「メールは恋文」と、十何年も昔にわたしは雑誌に書いた。そういう気味に書いたほうが、和やかになる。ひたすら自分のああしたこうしただけしか書けずに、それが行儀も趣味も良くて当然というメールからは、嬉しい懐かしい楽しい気分や親愛感は伝わってこないと。なにも、 I love youなどとべたついて書くべしなど云わない、相手への。向こうへの、優しい親しい思いやりの気持ちの伝わるように書いた方が、無難に和やかだという、それだけのこと。気が利くとか、気働きとか、要するにそういう情味が大事なのではないか、我の強い人ほど、風情の「恋文」は書けないようだ。
いいメールを呉れる人は、なつかしい。わがことに尽きる報告型のメールは、どんなに細かく弾んで書けていても、とかく、ああそうですか、で済んでしまう。相手の身や気持ちになれていないからである。
2015 5・8 162
* この古い機械、日増しにガタが来ている。受発信に危険信号が出ていると思われる。スクリーンの大きい新機を早く使いこなさねばと思いながら、眩しいのと複雑なのとで持ち腐れしている。建日子の知恵を借り、思い切って、ポータブルのスマホなどに切り替えようか。いやいや、小型で軽いノートの新鋭機も持ち腐れしているのだ、それに慣れた方が早いかも。
2015 5・16 162
* 機械の調子、非常に宜しからず。危機せまるの予感しきり。
2015 5・23 162
* 昨晩成功して、ネットからも読みとれた「e-文庫・湖(umi )」の掲示が、今日はどうしても成功しないばかりか昨晩の成功分まで消え失せてしまった。とても手に負えない。残念。
2015 6・5 163
* 私のホームページが、記録容量上、厖大な所蔵可能に創られていることは、前世紀末いらい、かなり広くに知られている。おそらく、これほど大量の記事を擁している私的な一個人のホームページはめったには実在していない。日記ひとつにしても、書き始めて間もなく中断し抛たれている例は数限りなく、それが一般である。私のように日記・日録・日乗として、ホームページ開創の1998年いらい、ほとんど一日も欠かさず記事を満載してきた他例は、聞いたこともない。しかも私のホームページは日記だけでなく、湖の本の全部(現在126巻)の悉くを収録しているし、多彩な電子文藝館も内蔵している。凄い量の「フォルダ・欄」が多くの「頁・ファイル」を擁していろいろに利用できる。そのために明けてある欄は数十できかない。
公開のためにでなく、思い切った私用のために、例えば無数の書留めや書置きを字にしておいたり、和歌集の撰なども、一々公開しないで書き置いて吟味し感想を書き添えたりできる場として活用しようと、いま、ポツポツといろいろに為し始めている。「私用」の「私語」を自在の物にしておきたくなった。「遺言」ものこしておく。愛しみも憎しみも尊敬も軽蔑も遠なしに書いておく。
2015 6・8 163
* ぼやっとしたまま、不慣れな別の機械を触り続けて、何の成果もなく機械を混乱の坩堝に投げ入れただけのようだ。お話しにならない。
2015 6・9 163
* サーバから、登録住所の間違いを電話で指摘してきた。
もう何年ものあいだ、請求書など郵便物はちゃんと我が家へ届いていて、支払いを滞らせたことも無い。
しかし、そう電話で言われて、郵便物を見直してみると番地の一部が確かに間違っていた。しかも、これまでわたし自身は不本意な思いをしたことがなかった。言に届いている郵便の我が家への宛名を確かめたりしない、その必要がない。
とにかく訂正手続きをしたいが、この手続きがややこしそうで、読み慣れない横文字たくさんな書き物の読みづらいわたしは、途方に暮れる。メールで、わかりよく教えて欲しいと、お願いしたところである。
悩ましいことは、いろいろ有ったり起きたりする。
* どこへどう落着するのか分からないが、先方の請求を入れてあれこれした。疲れた。食欲も無し。
* 今朝は六時から仕事をはじめて、一段落させたところへサーバーからの電話。ウーン。機械のキーは、ま、半ば指が自在に打ってくれる。しかし、読む方は、しんどい。
2015 6・18 163
* さ、選集⑦の出来まであと二日。ゆったり過ごしたい、怠けたりはしないで。
2015 6・19 163
☆ いつも
ご本を お送り下さいまして ありがとうございます。
秦さんの選集(第四巻)は とても興味深く 又 美しく 簡潔な文章を味わい乍ら かたつむりのような速度ですが じっくり読ませていただいています。 が、さすがに もうすぐ読破(!)します。 繪を描く者の端くれながら、希代の画家達の 繪を描く心 苦悩に触れて とても勉強させていただいています。 それにしても 秦さんて ほんとうにすごい方だと 今更のように思っています。 闘病中のお身体とは とうてい信じられないエネルギーにも驚きます。 でもどうかお身体 ますますご自愛下さいますように。
今日は 主人の新作 玉葱 を少しばかりお送りさせていただきます。ご笑味いただければ嬉しいです。
又 ゆっくり お便りさせていただきます。 草々 明 妻の従妹
* こういう来信を披露しているのを嗤っている人、多いと思う。それは構わない。なぜ、これを忙しい中でもつとめて励行しているか。
わたしは趣味で文学をしていない。一生の本業として文学を仕事にしており、その文学生涯半ばから始めた「湖の本」は今では一巻2500円も頂いて、百三十巻・創刊三十年ももう目前。しかも「騒壇餘人」をはっきり公称し、文学の世界にいながら、あえて文壇や出版とはほぼ全面離れ遠のいたままで、創作や著述は当然、本の製作も出版も配本も、みな一人で、妻と二人で、続けてきた。親しい知己、有り難い知己、いい読者だけが、わたしの誇らしい財産なのである。
この、近代文学史に類のない、純文学作家の文学活動・出版活の実績がいかなるものであるか、ありうるかは、これまたわたし自身が記録し証言しておかねばならない「文学史上の義務」がある。そして、わたしの「文学」が何であり得て何であり得ないかを、わたし以外の人の言葉で(たとえどう偏っていようとも)知れる限り相応に証ししておきたい。もののかげで、ひそひそと自己満足だけで趣味か道楽のようなことはしていられないのである。批判は幾らでも受けるが、浮かれてしていることでは、毛頭無い。
* 問題は、目が見えなくなってきていること。
* この機械もかなり怪しくなってきた。物騒な何か、寿命・時勢・頭の弱りなどとあだかも競走しているような按配。どこまで行けるか全く分からないが、走るよりは歩いて歩いて、元気に老いたい、生きたい。静かに自然に死にたい。
2015 6・21 163
* 機械のどんな脱線でか、いまの機械でフェイスブックやツイッターを開こうとしても、「インターネットエクスプローラーではこの記事は開けません」となる。しかもフェイスブックなど、一日中何十度となく例えばハタタケヒコさんが写真をとりかえましたとか、どうとかしましたとか通知してくる。フェイスブックのそれが営業手法らしいが五月蠅くて堪らない。解約したいのだけれど、その方法も分からない。耳元でうるさい蠅か蚊のようで堪らない。
2015 7・6 164
* 古い機械、愛用しているがいろいろと躓きが多くなっている。やす香の写真が可愛く出ているかなあ。
2015 7・25 164
* 少年少女がキスしている自像を自ら嬉しげに得意げに躊躇い一つ無くネット世界へ送り込んで、大勢が見て楽しみ見て喝采し見られて大喜びしている図をテレビが報道していた。
一つには、そういう映像が後々の自身の生活、結婚生活や家庭生活や親子生活や社会生活で決定的な禍になりうることにまったく気付いていない。少年少女の 恋が結婚や家庭や親子へ直結するパーセンテージはあまりにも低い事実が頭に入っていない。入っていてもそれが将来に持ち込む悲劇や不幸の種になると想像が 出来ない。ムリもないが哀れすぎて、ここでもネット機械と社会との害毒の濃さ、精神環境の破壊されて行く恐ろしさを思わずにおれない。
悪政治への抗議の意思表示や行動はむろん目下最も大切だが、こういうネット社会の害毒に多する啓蒙や宣伝、その必要の自覚は、たとえば東工大卒業の諸君 なども、むしろ現代人世界への義務ではないのだろうか。フェイスブックなどを盛んに多用し楽しんでいるらしい卒業生諸君のにちじょうらしきセンスにもオピ ニョンにもフィロソフィーにも、その手の自覚や責任感はかなり希薄に想われる。残念なもどかしいことだ。
少年少女らのキス公開映像は、もっと過激にむき出し化されてゆき、帯同して盗撮などの陰湿も或いは営利化しかねない。
わたしは個と個との信頼や哀がさせる行為に「ワイセツ」「猥褻」という評価は無意味と考えている。太古来、未来までも老若貴賎のする身体行為や性行為に 差別はない、ただ公開していないだけのこと。朕でてあれ上であれ下郎下女であれ差はない。無いと見て間違いと断定できるだれ一人もいな。無意味な無差別な のである、要するにそれはネット社会へ触れまくようなことではないのだ。
政治家が美辞麗句を操ってウソクサイ政策を弄んでいる間に、青少年の精神環境は機械のために腐敗を促進されている。それが人類を破滅へ運んで行くことを洞察も直観も出来ていない。
* ペンクラブの理事をしていた頃、一つ覚えのように「環境」をいう李じたの環境というのが「自然環境」一辺倒なのにわたしは惘れていた。自然環境はむろ ん大切。同時に人間の精神環境、ことに機械環境の破滅的な爛熟傾向が、どんなに世界を、日本を、日本の青少年や家庭を腐らせて行くかを懼れねばと、それを 言うのは、理事の中で私ただ一人でいつも失笑・無視された。起ち上げた「電子メディア委員会」も、洞察を欠いた執行部役員のほとんど悪意で潰されてしまっ た。キスやその他の性行為をスマホ世間に投稿し、それが多数の鑑賞者を得ている現実、これは、言論ではないが「表現の自由」の行使だと、やがて言いきられ て蔓延しかねない。わたしは、ねっとしゃかいではこういう事態や現象が「精神」の廃亡ら繋がるのをはっきり予測して言論社会の健全を考えねばならぬペンク ラブにこそ専門の「電子メディア」委員会を一度は創り上げたのだだった。だが、「言論表現委員会」で足りていると潰された。しかし電子化の世界では「言 論」と無恵那に強行暴発できる「表現」が生まれる。「キスシーン」の嬉々としてのネット公開に「言論」は要らないのだ。
2015 7・29 164
* 機械がかつてない危機に陥った。一太郎保存している超大量のファイルが開かない。書きかけの新作小説等も画面に再現できなくなっている。単純なよたし の機械いじりミスなのだろえが、まったく手の施しようがない。さわればさわるほど混乱し機能停止する。幸いホームページもメーネルも働いているが、ワープ ロ機能の一太郎にストライキをやられてはわたしの仕事は大停頓する。
もう、いい加減にしろとという機械からの退職慫慂か。ま、曲がりなりに、消え失せたものに魂を消すことなく、できることをやって行くしかない。やすめ、と謂うことだろう。
なにしろこの機械は、WWWで、信じられないほど錯雑名回路で情報が走る。どんな具合でヒョイと道が通じることもある。
困るのは、根気よく機械の出す情報の字が、この弱り切った眼で読めない、読みづらいこと。
ある未発表の小説の中でわたしは、会社の相談役に隠居して息子夫婦と孫娘とに経営をまかせてているが、このマゴ娘というのがコンピュータの達人で、車内 の全部の機械機構を采配している。そういう孫娘がほしくて堪らなくてそんなことになっている。もう東工大生は頼めないし、、どうにもならなくなったら新し い機械を使うしかない。
* ほとほと、疲れた。これで視力清明ならきりっとしていられように。
2015 8/22 165
* 機械 絶不調で困惑している。二時に寝て六時に起きて、機械に向き合い苦闘していたが。一太郎があんまり引っかかるので、古いソフトが置いてあったのをもう一度インストールしてみたが、さて…。
2015 8/27 165
☆ 送信文の処置など
どのように対応したらよいのか全然わからなくて悩んでおりました。新しいパソコンの立ち上げの速さは驚異的なのですが、それ以外は、ウィンドウズ8・1と格闘の真っ最中なのです。
メールについても新しいアウトルック2013が今までと勝手が違い、とても使いにくくて、ご不便をおかけして申し訳ございませんでした。 案山子
* 新しい機械のうわさを聞くにつれ、よそながら、困惑する。だんだん、機械世間から押し出されてしまいそう、それも仕方ないこと、機械が引き際を必然用意してくれるのかも知れぬ。
それなら、また昔へ帰って、ペンで用紙に大きな字を書けばいい。自前の秦用箋、たっぷり残っている。
2015 8/28 165
* 難儀な機械と辛抱よく組み合い、はらはらしながらさして実りも手応えもなく試行錯誤を錯誤たくさんに重ねてきた。なんとかするとか無い。
2015 8/28 165
* しばらくぶりに建日子が帰ってきて、われわれのコンピュータを少しく調整していってくれた。
2015 8/31 165
* ここ数ヶ月執拗に不良メールが毎度毎度たくさん割り込んでせっせと削除してきたが、ふつっと量がへってくれている。
2015 9/5 166
* 一つまえ、この「私語の刻」のデスクトップには若かった建日子の「演出」している横顔を大きく入れていたが、何かのヘマで消えてしまったあと、現在は 苦心して、フィリッポ・リッピ描く「マドンナ」の横顔だけを大きく入れ、仕掛かりの「仕事」ロゴの満載で、さらに顔の前方だけをくっきり囲って出してあ る。清潔なプロフィール(横顔)が崇高なままに優美に静かで、仕事にかかる前も途中でも、いろんな思いが繁ってくるとこのプロフィールに見入って平静を取 り戻している。原画は幼子を抱いていておおらかな画面なのを、マドンナ(聖母)の横顔だけに引き絞ったのが気に入って、ほとんど崇拝している。
2015 9/21 166
* 「だれそれが、近況や写真をどうした」の「メッセージがあるのリクエストがあるの」「だれそれがツイートしたの」とひっきりなしに伝えてくるフェイス ブックやツイッターの五月蠅さ。わたしが一度は参加したからではあるが、実はこの二つの、いや「mixi」も含めて三つとも現在理由は分からないがわたし の機械では開けない。だから何も読めないし書けない。退会したいがそれも出来ない。
少なくも、わたしへ宛てて連絡できていると思われている方は、これらソシアルネットからでなく、直接わたし宛てメールか郵便を下さい。失礼があってはい けませんので。それにしても、害あり益も多大ではあろうがソシアルネットにすっかり中毒して健常な日常生活を溺れさせているらしい人の多さに、愕然とす る。建国環境か亡国環境か。電車のなかで周辺の縦覧に七八人が機械にのめりこんでいる姿を見ると、わたしにはほとんど半死人世界かと見えてくる。
* 憎まれ口ついでに言うておきたい、どこよりもNHKで耳に障り他局でも同様な傾向は、何と謂うのか知らないが、やたらな「縮め語」の乱発である。個々 の日常会話では一つの文化現象でむかしからどの時代にもあったけれど、いま公共放送が率先日本語を乱し汚すのはまことに疎ましい。例語をあげるのも鬱陶し いので一つだけ謂えば分かって貰えよう、すなわち「シブゴジ」「アサイチ」「フタテン」など。放送局が率先その手を乱発するのは、「日本語放送」局の言葉 に対する見識としては程度が悪すぎる。なにをほめるにもおどろくにも「凄い」しか知らない日本人の質的低落はとめどがない。
2015 9/24 166
* ソシアルネットを何もかも全廃している。やたらと「通知」はあるが、何一つ読めなくなっているし読む気もない。目下の校正は「選集」第十一巻に集中し ている。この巻には「もらひ子」と「早春」とが入れてある。よく覚えているうちに書いて置いたなと思う。記憶ちがいの事実ちがいがたとえいくつか有ったと しても、実感としてウソを一つも書いていない、まさしく「こんな私でした」と隅から隅まで断言できる。事実と違うのは、大方の氏名が替えてあることだけ。 徹して実感的正確たを期した私小説であり、読んでいてフーンフーンと面白がれるのは私ただ独りであるだろう、それで良い。昨日も今日も明日もこうして「私 語」している内容や志向と、上の二編とのあいだに、直線曲線の不同はあれ切れ目無く繋がった正確や気質や好悪の感覚が脈打っている。これらを基らにどんな 悪口を言われても否定も弁解もしないだろう。まさしく「こんな私でした。」 2015 9/30 166
* 誰かに「源氏物語の恋文」という本があり、著者に貰っている。近藤富枝さんだったと思う。本に何が書いてあったかに関係なく、源氏物語の恋文で失態を 冒しのは源氏の正妻女三宮に宛てた柏木のもので、もらった方の女三宮にも、ほかならぬ夫の源氏に読まれてしまうという決定的な失態を演じている。見れば紛 れもない柏木のものと源氏には分かってしまい、源氏はこんな恋文の書き方に柏木の浅々しい心根をみて、怒りもしながら軽蔑するのだった。人に読まれて露わ な恋文と分かるような書き方をしてはいけないというのだ。
それと関わりがあるかどうかはともかく、現代のメールにも当然の作法は働いているに違いない。
聡明と浅はかとの差はあるだろうと想う。
* 無関係だが以前から気付いていることがある、メールアドレスのこと。いろんな工夫があるように見受けるが、わたしのアドレスは、まことに無意味な当初 からの宛がいぶちのままで、hataのhaも無い。多年メール往来のある人以外、即わたしからのメールとは分からない。同類の人がすくないとも思わない が、自身の姓名をはっきり出したり、分かりやすく示していたり、生年月日まで入れている人もあるらしい。
おもしろい分かれようで、読み取れる何かが在るのかどうか。
わたしは文士の中でも機械にふれたのは断然早いほうであったから、一時期、その方の原稿依頼をたくさんうけていた。たしか「ミセス」には、メールは恋文 ほどに気をつけないと、口調の冷たさでケンカになりかねませんよと書いたこともある。メールは恋文のようにと思っているだけに、メールアドレスに自分を露 わにするのは避けた方がいいと思っていた。そうでない人の方が、実は多いことにすこしは驚いているのである。数百も控えてあるアドレス帳をざあっと見なが ら、ここから何か「人間像」の差異や傾向が読み取れそうな気がしている。
2015 10/28 167
* ツイッターやフェイスブックで、わたしに呼びかけて下さる何人もの事のあることを、それぞれに事務局からか伝えてくれるけれど、遺憾ながら、いま、私 の機械では、そのどちらへも連絡が利かない。何故かも分からない。建日子が来て、インターネットエクスプローラーなんてのはダメだ、と、何だか、グーグル 何とかに替えたよと機械を弄っていったあと、どうログインしようとしても拒絶されてしまう。
そんな次第ゆえ、わたしに連絡をと思われる方は、直接に所謂メールを下さいますように。ツイッターでもフェイスブックででも「言いたい」ことはさまざま有るけれども、使用不能ではお話しにならない。
* ホームページ以外は一太郎を使ってものを書いているが、機械にドンなわたしは、一太郎画面のマッシロに両眼を灼かれてギラギラと視野が眩しく燃えてく る。どうかしたら、ホームページと同じような視野にすこしは優しい色調にならないかと願うのだが、調節の方法が分からない。ホームページの文字のバックは 浅い緑色に文字黒、それも最近はサイズを上げている。それと同じに出来れば入稿作の読みが楽になるだろうに。よまずに入稿は出来ない、選集一巻分は原稿用 紙で千枚にかなり大きく剰るのである。
堪え兼ねて、読みかけの小説をホームページの中の予備頁に貼り付け直して読むことを思い付いたが、眼には格別優しくなってくれた。一太郎で画面の色調整がどうかして出来るといいが。マニュアルを読むなどの眼の苦労が堪えがたいのである。
試みて、出来そうで居ながら、実際には成功しない。
* で、一太郎は諦めて、積極的にホームページ画面を利用してみようと思う。可能のようである。
2015 12/6 169
* 機械の操作ミスで、大量にはならなかったが、ミスして、仕掛かりの仕事を消却してしまった。やれやれ。 2015 12/8 169
* もう一つは、「ハッカー」のますますの、当然ながら破天荒なほどのわが世の春が来ている事実認識である。わたしがも日本ペンクラブ理事時代に、率先 ホームペーじを導入し、ペン電子文藝館を企画し開館してめざましい実績を積み上げる一方で、コンピュータ世界の猛毒、つまりはサイパー・テロリズムの凶悪 犯罪、サイパーポリスの強引な人権侵害を慮って、世界に魁けた「電子メディア委員会」を立ちあげたのだったが、理解に欠けた執行部は「言論表現委員会」が あるのだからと、潰してしまった。よく見るがいい、ネット社会でいまや不可能はないほどのテロ攻撃は、むしろ過酷を極めた悪質な知的ケ゜ーム化して、テロ とポリスとの戦争が起きているが、ポリスはとうていテロリズムにひとしいハッカーのスキルには追いつけないだろう。
わたしは、いまは、あの方舟時代の再現を待っている時代に見えている。神は必ず強烈に人類を誡めて破滅へ追い込まれるであろうと思いかけている。
理事会で、しきりに自然環境問題を叫ぶ理事はいたが、上越す害悪が機械環境の面で人の暮らしを汚染するとわたしは言い続けていつも失笑されていたが、青 少年だけでないいい大人たちのいわばスマホ狂い、ケイタイ狂い、ハッカーを最良の世渡り能力と見はじめている時代が露わに出来ているではないか。
* もう止そう。ひどい時代の末期をまつことは在るまい。
2015 12/26 169
* 冬休みという懐かしい言葉を思い出している。
* 機械が温まらないうちは、起動してくれない。焦って触ると混乱してしまい話にならない。きまりの進行を辛抱よく十五分も待ちに待って、やっと普通に作 動できるようになる。それでも馴染んできた愛機。機能のいい大きな新しい機械の方はまるで使いこなせなくて、ネットも使えない。それはそれで良いではない かと思っている。ポータブルの良い機械も使いこなせなくて。申し訳ない。
2015 12/27 169
* このわたしのホームページ「私語の刻」をどれだけの人が見ていて下さるか、知らない。ひとつだけ、その訪問者のみなさんをガッカリさせない点がある。 1998年3月このかた、この日録を訪れて記事がないという拍子抜けをさせたこと、ほとんど全然無いということ。やがて十九年になるが、こんなに書き続け ているのは、忙しい人からいえば秦はヒマだからと言うだろうが、わたしは「騒壇余人」でこそあれ、全然ヒマ人ではない。無数のホームページやブログが開店 してすぐ休業になっているのは、要するに書く言葉が、書く事が、見つからない失語失業状態になるからに過ぎない。泓泓としてわき出す水源が無いからであ る。
2015 12/29 169