* あけましておめでとうございます。
新しい年がお健やかにお幸せな一年でありますことを心よりお祈り申し上げます。
昨年の「私語の刻」で沢口靖子さんの写真などについて「強力で最良のビタミン愛」というお言葉がございました。こんなうまい表現があるなんてと、ひそかに感歎いたしておりました。年を重ねるごとに恋のチャンスは減りますが、この「強力で最良のビタミン愛」は年々必要になります。沢口靖子さんにはずっと健康的な笑顔をふりまいていただきたいものですし、今年はさらに新鮮に輝く「強力で最良のビタミン愛」が増えて、先生を「強く引きとめる」力の加わりますことを願ってやみません。 東京都
* はやばやと新しい年の賀詞をいただきました。ありがたう存じます。
本年も変らぬおみちびきを賜りますやうおねがひ申しあげます。
めをとぢてこの深きやみに沈透(しづ)くなり
ねがはざれ 我も 我の心も
大つごもりを「ふつうに一夜をすごし、ふつうに朝を迎えます」とおっしゃるひとにして、このおうたがあるのでございましょう。
催馬楽の「榎の葉井に白珠しづくや」、釋迢空の「沈透きみゆ」、そして今、「深きやみに沈透くなり」。
わたくしはふつうにいまも仕事をしつつ、見えない新しい年へ一歩を踏み入れました。
遠くで花火が鳴っています。 茨城県
* あけまして おめでとうございます。
ご健康をお祈りいたします
<湖の本>のお陰で 楽しみの範囲が広がりました。
いつもいつも感謝しています。 愛知県
* お元気でご活躍のことと、思っております。
私も56歳になり、健康を維持するために毎日歩くようにしています。毎日1~2時間ぐらい歩いています。
どうぞお体に気をつけて、これからもご活躍ください。
みなさまのご多幸をお祈りしています。 滋賀県(甥。母方長姉の嗣子。まだ逢ったことがない。)
* あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
子供は順調に育っています。というより、育ち過ぎて、二カ月目にして六カ月児の標準体重になってしまいました。
とはいえ、日々驚くほどに新しいことをおぼえていて、変化する様子を見ることができるのは、非常に有り難いです。
いろいろとやってみたいことはなくなりませんが、今年一年は子供をよく見て行こうと思っています。
お邪魔でなければ、一度先生にも、子供を見ていただければと思います。(かわいいうちに(^^;) 東工大卒業生
* あけましておめでとうございます。
秦先生、お早々とお年賀ありがとうございます。昨年、先生にはお忙しい中、たびたびうちのイベントにお出掛けいただき、励ましのお言葉頂戴いたしました。今年もなにかとお声おかけいたしますので、よろしくお願いいたします。
お茶に引き続き、昨年秋からお花のお稽古を始めました。
これからの目標は、「静かな囃子」です。にぎやか、お祭り好きな私ですが、「音無しい音」をつくります。こんな風に思うことができるようになったのも、少しおとなになったからかなって思う ?回目の、年女です。
ありがたやまさるめでたきあらたまに 楽しき音と願う人の和 浅草 望月太左衛
* 楽しみだ。
* 小一時間に、たちまちに二十人ちかくメールの賀詞が届いた。ペンの小中理事からも。早々に出稿してもらえるらしい。もう仕事が始まっている。
さ、朝には息子達が来る。もうやすもう。静かな、温かな元日だ。朝あかねの美しいいい春に成るらしい。
2004 1・1 28
* 新年、明けましておめでとうございます。
早速、メールを頂きました。お元気にお過ごしのご様子なによりです。
当地は元旦、快晴。例年のように三上山に早朝登山し初日の出を拝みました。5年ぶり、やっと雲間から現れました。
登山者は老若男女、こもごもですが、若い人は赤々としたご来光を、携帯の写真機で撮影するのがしきり。今風に迎えておりました。
当方、少し仕事をし、それより多めに遊んで過ごしております。
さて、お聞き及びかもしれませんが、渡辺千万子さん(=谷崎松子さん子息夫人。潤一郎「瘋癲老人日記」颯子モデル)が小田原へ転居。終いの住みかとのことです。
新年がいい年になりますように祈ります。 滋賀県
* 元京都新聞社の記者さん。湖の本をずうっと最初から支援して下さっている。
* 月様 新年を寿ぐメールをありがとうございました。
年末の四日間は相変わらずの忙しさで、食事するときだけが腰を下ろせたという、16時間連続勤務は、過去最長かも。でも勤めはじめた最初の頃のように、がむしゃらに働き、疲労で元旦に寝込むということはなくなりました。
今年は、初日の出を見に出掛けました。吉野川河口近くの堤防からなので水平線からではないのですが、おおどかな太陽の姿には心新たになりますね。
新しい年もたっぷりと豊かに湖に抱かれて過ごしたいと思っています。ご本楽しみに致しております。
どうぞ、どうぞ、くれぐれもご自愛なされてくださいませ。 花籠 阿波国
* 霽 謹んで新年のお祝詞を申しあげます。
まもなく東のそらが黄ばらのやうに光り、琥珀いろにかゞやき、黄金に燃えだしました。丘も野原もあたらしい雪でいつぱいです。
朝刊の連載は、「風の又三郎」「注文の多い料理店」「セロ弾きのゴーシュ」と続き、年のおさめは「水仙月の四日」でした。雀は昨晩、“赤いけつとのこども”になつた気もちでそれを読んで、寝ました。
年賀のメールうれしかつたです。いつも、深く、あついお気持ちを向けてくださつて、本当にありがたく、心より御礼申しあげます。 囀雀
* あけましておめでとうございます。メールの御賀状ありがとうございました。
先生のご健康と『湖の本』の発展をお祈り申し上げます。
9日から3、4日間、北京へ行ってきます。新型肺炎にかかりに行くようなものだと周囲からは憎まれ口をたたかれていますが、何とかなるさと本人は楽観しています。
何とぞ本年も、お導きのほどよろしくお願い申し上げます。 九州大学教授
* メールボックスに溢れそうに賀詞が届いている。わたしはといえば、和泉委員から早々に届いた田岡嶺雲の雄叫びのような「嶺雲揺曳」の校正点検に没頭。旧かな正字の文語文の難訓・難字に、仮名遣い正確にヨミガナをつけるのは手間がかかり、みな和泉さんにあとから訂正して貰っている。
四国松山の会員からも校正が戻ってきていて、これがまたシンドイ感じ。
2004 1・1 28
* 明けましておめでとうございます。
早々にお年賀のご挨拶を頂きまして、ありがとうございました。
丁度メールを頂いている時間に私は近くの神社へ友達と初詣でに行く途中でした。除夜の鐘の音を聞きながら、久しぶりに冴えた星空をあおぎました。北斗七星が随分おおらかに見えました。
新春早々の新聞にも心の痛む記事が多いですね.秦さんのお歌は簡潔にそこを突いていらっしゃいますね。私は長い事短歌は人様の歌を好きで読む事はあっても自分で詠む事はしませんでしたが、関心がないわけではありません.今年は秦さんの「青春短歌大学」を参考にしながら、試みてみたいと思っています。
明日は二人の孫娘たちが来ます.我が家もいっとき賑やかになります。
今年もいっそうのご健筆をお祈り申し上げます。 川崎市
* 早々のお年賀恐縮です。 本年もよろしくお願いします。
暮のうちから気になっていたことを、この機会に書きます。
竹馬やいろはにほへとちりぢりに 久保田万太郎 の読みについて。
ご説おもしろく拝見しましたが、わたくしはいままで少しちがった読みをしてきました。
竹馬で遊んだ仲間、「いろはにほへと」を学んだ手習いの仲間、これがみなばらばらになって、消息がつかめない。この句碑は今、浅草寺のとなりの浅草神社の境内にありますが、これを読んだときの思いはそんなものでした。
東京の下町の子どもは、子どものうちは貧富の差、境遇のちがいを気にせず遊ぶのですが、年をとるにつれ、上の学校へ進む子、働きに出る子と、次第に疎遠になってゆく。いまだったら行く学校の偏差値の差などというのもあるでしょうね。
東京は震災と戦災で形を変え、さらに最近ではバブル期の地上げで町の解体が進み、小学校の同級生などもうどこにもいなくなった。万太郎の句はそういう都会人の悲哀をいつも湛えています。
神田川祭の中を流れけり
のような一見華やかな句でも、そうした悲哀があって、わたくしは好きです。
* メールを有り難うございました。今年もよろしく。
万太郎句のことですが、私の本文をお読み下されば、仰っている全く同じ所を一番大切に読み取っていて、その長い前段は、其処への「入り口」であること、お分かり願えると思いますが。
十三頁の、「およそこんな読みかたで十分ではあろう、が、もう一段踏み込むなら」以下に、此の句の「奧」をみているつもりです。
「もう一段踏みこむなら、やはり「竹馬の友」に懸けての、「ちりぢりに」に、子どもの昔をひとり追憶する老いごころとでもいうところを汲みたくなる。すると「色は匂へど」という、中の句がそこはかとない人生の哀歓や無常の思いへひしと繋がれて来る。竹馬遊びに、おきゃんな少女もまじっていたかと想像するのもよい。往時ははるかに夢の如く、老境の夕茜ははや心のすみずみから蒼く色褪めはじめている。かつての友は故郷にほとんど跡を絶えて訪う由もない。想像は想像を呼んで、この一句、さながらの人生かのようにずっしり胸の底に立つ。」と。
たいていはそれ以前の「表」でたちどまって終わるのですが。仰る、ほぼそのママを、わたしもそもそもの初めから、読み取ろうとしてきました。玄関から座敷の奧まで、いろいろに読める句のサンプルとして挙げているつもりです。
ただ、こういうことは有ります、わたしは久保田万太郎の実像や実体験に引かれ過ぎずに、日本列島のあらゆる土地土地でも共感の可能な、(万太郎により代弁して貰っている)誰しもの思い句として読まれて佳いのだと考えています。東京の下町に限定して読む必要はなく、わがこととして、どの地方の出身者にも愛されていい句境のあるのが、此の句の、秀句名句たる所以であると。 秦 恒平 2004 1・1 28
* Life 2003.12.31 小闇@TOKYO
若い母親が、二人の娘を連れて電車に乗ってきた。ひとりは車椅子、ひとりはベビーカー。急停車したらどちらもが車両の端まで行きそうに見える。一駅だけ乗って降りていった。乗るときも降りるときも、駅員が車両とホームの間に架けるスロープを用意していた。「業務連絡。お客様が乗車中です」とアナウンスが入る。こういう体制が整うまで、どれだけの時間が必要だったろう。
一年振りに会ったそのひとは、その頃よりずいぶん元気そうで、もともとの饒舌さを余すところ無く発揮した。私が来ると機嫌が良くなる、と聞いていた。
狭い集合住宅の四畳半に置かれたベッドは初めて見た。そのひとは横たわったまま、ベッドを操り、半身を起こしたり、足の部分を少し持ち上げたりして見せた。寝返りを補助するというエアマットのコントローラーを指し、これがあるから床ずれしないですむんだと説明する。
ベッドのレンタル料金負担額は、月額3000円。介護保険のおかげで自己負担は一割に留まっている。介護保険の存在は知っていたが、ここまで身近なものとは自覚していなかった。そのひとは「要介護4」。すべてを託した手術を春に控えている。
「どうだ、ベッドの寝心地試してみるか」。遠慮しておいた。
帰りの電車でまた、「業務連絡。お客様が乗車中です」の声を聞く。
私は二本の足で立ち、そしてときどき転ぶ。寝返りは自分でうつ。だから布団を蹴飛ばして風邪をひくこともある。
半月の照らす駅ホームは防寒態勢の整った女の子ばかり。改札の外、暮らす街は閑散として、人も車もいない。
それぞれのlife。私は私で生きていく。
2003 1・1 28
* 「たけくらべ」がかくれている。 読み過ごしたわけではないけれど、表に気をとられ、奥まで回りませんでした。たしかに。
しかし、「往時ははるかに」「老境の夕茜ははや」というのは、これも引き付け過ぎかなとも思いました。
瞠目すべきは「いろはにほへと」を「色は匂へど」と読まれているところ。
云われてみれば、これは「散り」の縁語。「色は匂へど散りぬるを」が隠れています。子どもには、たしかに女の子もいたのですね。
美登利も、信如も、正太も、見えます。
こうして、いろいろいちゃもんをつけながら、ご文を読ませていただいておりますが、これもひとつの読み方と、お許しください。
いま、ちょうど鉢木、井伊直弼、細雪のところにかかっています。 またお便りします。 佐倉市
* 又一つ 年を重ねたことに あへて気付かぬふりをし、
終の栖を探しているこの頃 老いに向かう覚悟もして 大学教員
* 賀正 メンデルスゾーン聴きながら メール拝読。
白猫とふたりきりの 訪れるものもない小家に ありがたい便り 感謝します。
さて 連れを逝した我が家に 迎える春は ありやなしや。
濁り血に 眼かすみ 耳ふさがり 世の中 修羅の巷。
お元気で ご活躍ください。 ペン会員
* 賀 正 平成十六年 元旦
晴耕雨読---現在1ヵ月の仕事休みをもらいリラックスすることに努めています。近くに、鎮守の森かがあって大樹に呼びかけたり、その樹から伝わってくる何かしらの気を感じています。その合間の---です。
アフガニスタン、イラク、北朝鮮などのことを考えると、21世紀になっても世界・人間はお互いに将来の地球の平和というものを考えないものですね。みすみす森林伐採を続ける環境破壊のようなものです。
何れ何億年後に地球が滅亡するにしても、寂しい限りです。
短いリフレッシュ休暇ですが、まちかど博物館(仮称)蔵書館オープンまで2,3年、ふたりの子供が大学を卒業するまで仕事をがんばりたいと考えています。 名張市
* 新年、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
今年は、千葉で新年を迎えました。(仕事の都合で)息子は高知の祖父母のもとにいます。
穏やかな年明けに、何かほっとした気分です。
今年は、少しでも自分の目標に近づけるよう一歩前進の年にしたいと思っています。
ただ、気負うことなく自分で納得できるものを形にしていきたいです。
暖冬とはいえ、これからが冬本番です。くれぐれも、ご自愛ください。 千葉県
* 新年おめでとうございます。
「去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの 虚子」
時の流れの一瞬を走る年始のご挨拶を有り難うございました。ご多忙の中を恐縮しております。
年末から今日迄好天気に恵まれたお正月を、秦様の闇に言い置く風景を、飛び交う会話を、爽やかな文学史観を、源氏物語の朗読を、親しみある各界の方々の素描とその著書を、時事評論をその他その他をリアルタイムで覗けることの文明の恩恵に今年も浴する我が日本の豊かさ。もったいないと思います。
読書始めは漱石全集第一巻(昭和40年12月発行)にしました。我が輩は猫である。
よい年でありますように感謝しながら。 川崎市
2004 1・2 28
* 新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
私の方も早いもので突然のサラリーマン生活終焉から四年目に入っております。急なリストラであったので、お金も時間も何の準備もなかったので、これからどうなるのかと正直不安の連続でした。(実際は現在進行形ですが。)
しかしやれることしかできないと自然体にかまえて、先の事はあまり考えないでその日暮の心境にてエネルギーのみで走ってきました。
パフォーマーとしてのアート影絵芝居(画商)の仕事は週の後半を中心に、企業内デパートショップを始めとして現在の中心は、イベントホールでの大骨董祭(京都、神戸、大阪、名古屋、今年三月には東京六本木予定)にて、月一回(3日間)位の割合で出店しております。
その他年3~4回位、嵐山の画廊(借りて)にてアート影絵芝居主催の企画展(殆ど見せ展)開催。
さらにまだまだ殆ど売上には貢献しておりませんが、仕事を通じて社会還元するをコンセプトの、チャリティーネット(京都美術品おまかせ倶楽部と言うネット店名)にて販売しております。売上の5%をお客様の希望する寄付先(例えばユニセフとかかなりたくさんの寄付先が明記されている)に、自動的に当店の売上の中から寄付するというしくみのネット販売です。
何れにしても妻をビジネスパートナーに否、代表者にしてワゴン車にて走り回っております。骨董業者の市や骨董祭中心に活動しているせいで、骨董仲間の方が画商仲間よりも増えてきている昨今です。景気もよろしくない状況ではありますが、前、あるのみです。
平和な世界を造り出し貫いていく日本国になろうとしない限り、残念ながら経済も文化も、発展の要素薄の現状日本のようです。しかしそんなこといっているより、一人でも二人でも喜びを共有できる愛好者との出逢いを求め、結果として暮らしが成立つように動いているのが、精一杯の、アート影絵芝居です。
話は変わりますが2月1日迄、東京の渋谷区立松涛美術館にて「谷中安規展」が開催されています。微力ながら強力しておりますのと、安規大好きにつき昨年末に見に行ってきました。裏切られる事の無い素晴らしい展覧会だったとおもいます。秦さんお忙しいとは思いますが、是非見ていただけたらとの思いです。
それから週の前半を中心に、京都真空マテリアルという屋号にて真空にまつわる装置や部品そして蒸着材料など消耗製品の営業活動をしております。こちらもようやく今年はもう少し発展しそうになってきましたので、これが軌道に乗れば安定してくるので、もうひとふん張りかふたふん張りというところかと思っております。代理店制度がかなりの部分で崩れてきているので、大手からの仕入れも可能な会社が増えてきているのは、個人営業としては有難い事です。
まあいずれにしてもくだらない話ですが、何をするにもお金が価値あるものとして存在せざるをえないのは滑稽では有りますが、仕方の無い事実です。ともかく今年は美と夢を求めて、より一層精進し前進するつもりでおります。
正月そうそう失礼ながら長々と近況報告してしまいました。
秦さんの益々のご発展ご活躍お祈りいたします。 京都宇治
* がんばって下さい。
2004 1・2 28
* 暫くぶりにメールをくれた卒業生、ずうっと大学にいて、無菌培養されていたか、三十そこそこの男一匹としては、心持ち人が良すぎるかも知れない。一つ一つの言葉が観念としては練れていないし、具体的な生活感にも乏しい。それで通せるならいいのだが、それでは通りにくい世の中であるが。
* 明けましておめでとうございます。東工大の文学概論でお世話になった***です。
先生、お久しぶりです。
研究の道からコンピュータ会社に就職へと進路を変更し、昨年は、人より遅い社会人1年目の生活でした。そんな私にとっては全てが新しく、全てが勉強の毎日であり、1年はあっという間に過ぎ去ってしまいました。たくさんの同期や先輩と出会い、みんな素敵な人ばかりで、刺激もたくさん受けた1年でもありました。
今年は2年目。もう「新人」というラベルはなくなってしまいます。甘えは許されず、責任も増えますが、これからが自分との本当の勝負だと思っています。周りの人からのアドバイスを真摯に受け止め、自分らしく精一杯頑張るだけですね。
忙しさに甘えて、昨年は先生のHPを拝見することは出来ませんでした。友人は、今も先生の息子さんの演劇を時折、観に行っているようです。
今年の冬はまださほど寒さは厳しくないようですが、周りには風邪を引いて体調を崩している人が多く見られます。
先生もお体は大事にしてください。
最後に、私が大好きなアーティストの最近の歌の歌詞から。
「出会いの数だけ 別れは増える
それでも希望に 胸は震える
引き返しちゃ行けないよね
進もう 君のいない道の上へ。。」 (Mr. Children 「くるみ」より)
今の私の心境でもあります。それでは、今年もよろしくお願いします。
* ***君 お久しぶり。メール賀状が届くだろうかと案じていました。みんな、もういいとしの大人になりましたね。はやりの歌詞をあげての心境、ちょっと、おさなくないかしらん。あれは高校生ふうの観念・抽象のことばで書かれている。わたしが中学の頃に、
はれやかなきみの笑顔優しくわれを呼べば
青春の花にあこがれ 丘を越えてゆく
空は青く緑もゆる大地
わかき命あふるるパラダイス 二人を招くよ
という歌が、毎週のようにベストテンのトップだったことがあります。わたしも憧れた。それにしてもこれは観念と抽象のことばでしか書かれていない。具体的な生活意識がない。
わたしの「e-文庫・湖(umi)」のなかに、佐和雪子という人が、「黒体放射」というエッセイ集を載せています。一日も欠かさず一年書き続けて、今も毎日書いている。プロなみの根性ですが、これはきみと同じ年の院卒のものすごく忙しい日々を勤務している女性です。わたしの日録「闇に言い置く 私語の刻」では、この人は「小闇@TOKYO」と名乗っています、よくその文章が載ります。自律して自立し、厳しい。
社会へ出たら自立し自律して敢然と立っていないと、心も体も病んで衰えてゆく。十分気を付けて。
広い視野で、人文系の豊かな栄養も摂取していかないと、薄く狭く偏ってしまう。気が付いたときには袋小路に頭がつかえます。意識的に、自覚的に、積極的に、生活的に、そしてものを見て考えて行動するのに、具体的に。
いつか**君とも一緒に、会いましょう。 元気で。 秦
* 自分の心境は自分の言葉で言えて欲しい。
2004 1・3 28
* 八十すぎた老母の手作りのお節料理を一品ずつ写真にして全部送ってきた人がある。開いてみるのもたいへんだ。一つ一つは妻の造っているのと少しも違わない。母上の健在である証明としては分かるが、六十近いかも知れない学校の先生のメールとしては少し幼い気がする。
* 60年安保改定反対の市民学生の危惧が現実になってしまいました。なぜ、6月まで待てないのでしょうか。
若い時は何故十五年戦争を起こしてしまったのか、全体主義になってしまうのかと、思っていましたが、こうも簡単に突き進んでしまうのですね・・・
あのような政治家を選んだ国民に責任があると思うと悔しさと諦めと・・・複雑です・・西欧流民主主義もこんなものかと・・
さて、元旦は両親の所に弟一家と私共一家が集合しました。今年、父は90歳、母は81歳になります。当日の母の手料理の一部を添付いたします。
YAHOOのフォトに私の写真を掲載してみました。クリックしていただけたらとIDとパスワードをお知らせします。
昨4月から初めて日本史を担当する事になり、近年の考古学の発掘を確かめたくて行ってきました。考古学上の時代ばかりでなく、日本史はまだまだ、検証する余地が沢山あることを実感します。
ご家族の皆様のご多幸とご健康をお祈りいたします。
* なにか自分の言葉がひたっと身に付いていない。もう何十年も「先生」をしながらこれでイイのかなあと心細い。ぐっと胸を押してくるような真率な言葉が欲しい。悩ましいものが何も感じられないのが物足りない。
2004 1・3 28
* 新年おめでとうございます。 小闇@バルセロナ
大晦日の夜は、鐘の音と共に葡萄を十二粒いただきました。いつから始まったか定かではありませんが、葡萄があまりにも豊作だったある年、お百姓さんの商売知恵から生まれたとか。「年変わりの鐘の音と共に葡萄を十二粒食べれば、その年は健康で幸せに過ごせる。」これが大当たりに当たり、以来、スペインの欠かせぬ習慣になったそうです。
鐘の音だけ聞いている分にはゆっくりでも、一鐘ごとに一粒となると、これが結構速いのです。吹き出す笑いを塞ぐように葡萄を口に押し込んで、最後にまとめて噛み下す按配。最近では、皮なし種抜きの粒も売られています。
元旦は、澄み切った朝でした。
いつもと違ったのは、プールに泳ぎに行かなかったこと。年363日開いている市民プールも、この日はさすがに閉まります。
午前中は家で、毎年恒例のウィーン、ニューイヤーズコンサートを楽しみました。指揮者リカルド・ムティの、世界平和を願うメッセージ、月並みと感じた人もいるでしょうが、あの場であれだけの言葉を述べる勇気はなかなかのものです。”same”という語を繰り返し使っていたのが、印象的でした。
恒平さん、みちこさん(漢字に変換できずすみません)のご健康を心よりお祈りしております。
* 幸せに過ごして下さい。リカルドのコンサートは、同じものを今日テレビで聴いた。世界は狭いのか広いのか。
* 新年のメール、どうもありがとうございます。気持ち新たに拝読致しました。
思い立って、勤め先の本郷界隈を散策致しました。地元で「樋口一葉展」が開催されたこともあり、菊坂近辺はささやかな賑わいを見せました。写真中心のページになりますが、「本郷菊坂路地めぐり」と題して以下のページを作りましたので、お暇な折りにぶらりとお立ち寄り下さいませ。併せて拙文も掲載しております。ウェッブ上で文章を見やすく提示する工夫を考えながら過ごす毎日です。
http://www.kitada.com/keiko/kikuzaka.html 「本郷菊坂路地めぐり1 市井」
http://www.kitada.com/keiko/kikuzaka2.html 「本郷菊坂路地めぐり2 坂の街」
http://www.kitada.com/keiko/ichiyou.html 「本郷菊坂路地めぐり3 一葉の面影 霜月の町」
http://www.kitada.com/keiko/kikuzaka-essay01.html 徒歩記1「本郷菊坂路地めぐり」
ウェッブの特長を生かした「書き方」というのも生まれつつあるようです。若者に学びたいと思います。
本年のますますのご健勝をお祈り申し上げます。
* 「ウエッブの表現」をいまや専攻される大学の先生。上のサイトを全部観てみたが、これが十六年もの長きに亘り勤めた医学書院のごく近所で、よく歩いた懐かしいところばかり。本郷界隈の文学散歩を心掛ける人には、写真も文章も絶好のもの。
そういえば昨日東京の小闇も写真をサイトに出していたが、写真と文との扱いでは、北田教授はさすがに手際がいい。楽しませてもらった。
2004 1・3 28
* それにしても三が日、遠慮会釈なく食べて飲んだものだ。卒業生が送ってくれた紹興酒も、辛抱できずに、さきほど箱をあけた。すてきな青磁の小壺が二つ。一つをあけて、東天紅の正月料理の残りで酒も旨く料理も旨く、三が日の打ち上げに恰好であった。ありがとう、岩崎君。「日比谷東天紅」の料理を注文したのは成功だった。良心的なうまいものを巧みに品揃えしてくれて、メニュも巧かった。
* 秦先生、あけましておめでとうございます。
ご無沙汰しておりました。私は、昨年10月半ばから一人暮らしを始めて、自宅が近いこともあり、お気楽極楽、悠々自適にすごしております。
冬休みに入って2日間ほどは、実家にも戻らず、家事+ちょこっとαの傍ら、久しぶりに「闇」を拝見したり、湖の本を読んだりしてゆっくりすごしました。
引っ越しの直後から、仕事の方では、一皮むけなさいとすこしばかりしごかれました。
このたびは、自分の力に固執して、そして、もううんざり、懲りました。チームで仕事をする場合は、メンバーそれぞれが持っている能力をいかに発揮してもらうか、が大事だなということを学ばせていただきました。それにしても、いやー、参りました。笑。今笑っていられるのもまわりの優秀な皆様のおかげでございます。しかし、優秀なたくさんの頭脳をもっと平和や美しい地球を維持していけるような社会の実現に(振り向けたいもの)、そのために、もっと一人一人が自分を知って、人とふれあって人の痛みを知って、そして助け合って生活できるような社会の基盤づくりに利用しなくていいのかと、最近はよく思います。
古典愛読(上)、古典独歩(一)、面白かったです。
一番印象にのこったのは、加賀少納言、でした。宮沢賢治も好きだと思いましたが、(といっても、宮沢賢治も大学卒業以来読んでいませんし、そもそも作者を問わず読んだ小説の数が少ないですが。。。)、源氏物語とそれを書いた紫式部という人には、時代を飛び越えて敬愛の念を持つことができました(翻訳しか読んでいませんが)。その紫式部が、自身の「影」と対話しながら「源氏物語」を書き、そして、加賀少納言との贈答歌が、最後の自問自答であり、そして、先生がそう読まれたことについて、深く感じ入るものがありました。私にはそれについて、共感したり、そうにちがいない、といった判断をする力はないのですが。。。
もうひとつ、谷崎潤一郎の「細雪」について。
私は小学生のころを除き、繰り返しんできた本、というのもないですし、内容を覚えている本も少なく、特に、大学生までに読んだ本の内容は、ほとんど覚えていません。その中で、谷崎潤一郎の「細雪」は、読んだ後、まるで自分の記憶の一部であるかのように、場面が鮮明に焼きついたことと、ちょうど夕刻だったことも影響しているのか、なんとも言えない寂寞感に襲われ、しばらく自分の部屋でぼーっとしていた記憶が鮮明にあります。内容は思い出せないのですが。。。
とりとめもなくなりましたが、最近はこんなことを考えています、ということで。。
秦先生に、楽しいことがたくさんある一年でありますように。それでは、また。 千葉県
* とほほ、とほほと喋っているようで、「加賀少納言」や紫式部のような所へガチンと正確に触れてくる。この人は数学者。じつにユニークな個性と余裕を持っていて、いつのまにか時代の上へ煙のように抜け出て行く。加賀少納言といい細雪といい、相性のいいことは確かだ、私とは。そういえば東工大の卒業生で、わたしの「湖の本」を全巻買って揃えてくれている、じつに有り難く実に珍しい、只一人である。
* 新年明けましておめでとうございます。
昨秋、「こころ」の「K」はなぜ死んだのか、という題で、学部の研究論集用の拙稿をものしましたが、査読を依頼した先輩に、まあ酷評され、ちょっと落ち込んでいます。それでも、四月に出ることは出ますが、先生にお送りする勇気が出るかどうか、不安です。が、しかし、勇気を持ちたいと思っております。
今、英語で書かれた「神道」という本の翻訳の仕事を頂いていて、それに追われています。実は三月に一ヶ月ほど、スロベニアのリュブリアナ大学という所に行かせてもらうことになっており、それまでに終わらないかと頑張っているのですが、ちょっと難しいかもしれません。
スロベニアでは、記紀神話について、日本語で、話をさせてもらう予定です。とにもかくにも、私のような者の話を聴きたいと言って下さる方々が、世界にいるということに、心から感謝したいと思っております。
それではまた。本年もどうぞよろしくお願いいたします。 群馬県
* 明日からはますます普通の日々に立ち返る。
2004 1・3 28
* 秦先生、大事なところ、まちがえてしまいました。一人暮らしが気楽なのは、会社が近いからではなく、実家が近いためです。
実家の両親や妹と、それから私と、互いに何かあっても行き来に40分くらいしかかからないので、気持ちの上でも気楽ですし、また実際母が何度となく私の一人住まいにやってきました。私の心の声が呼んでしまっていたようです。かきとみかんがとどいたから、持って行くよ、などといってやってきては、夕飯のおかずが机いっぱいに並べられたりしていたものですが、なるべく自分で頑張るね、かきは、そのうち食べに帰るから、というと、最近はやってくる回数はめっきり減りました。
「加賀少納言」の話を読んだときに、ふと、「ビューティフル・マインド」という映画を思い出しました。先生の好きそうな美女はでてきませんが、主人公の数学者の、若かりし頃から年老いてノーベル賞(経済学)を受賞するまでの人生をテーマにしていて、自身のつくりあげた人間たち(幻覚)に、ときには励まされ、支えられ、ときには振り回されて妻や子供が危険な目にあうこともあります。実在の人物を基に書かれた小説を映画化したものでした。
映画の中で、幻覚のために妻に危害を加えそうになり、そのまま妻と過ごすのは無理で病院に入ろうか、というすんでのところで、本当にそうしてしまっていいのか迷う妻に「私に危害を加えないか」と質問されて、「わからない」と答える、その不安と孤独の入り混じった俳優の表情を思い出すたび、今でも涙が出てきます。
* 一人暮らしは気楽なようで安易にもなりやすく、翻弄もされやすい。十分気を付け、あらゆる意味で「鍵」掛けを、慎重に、と。若い人の自宅をあえて離れた一人暮らしでは、なにかしら、女の人の場合の最終的な破綻のケースが多そうに感じられるから。自由のつもりがいつ知れず不自由に拘束され、ときに支配されてしまうこともある。
「ビューティフル・マインド」か。題を聴くだけで、つらそう。「マインド」はけっしてビューティフルにはなれない。ハートとかソウルならばとにかくも。「マインド」の機能は、迷・惑、そのもの、つまり思考・思索・論理・分別。そして自我の肥大増殖が残り、どこかで失調する。ふつう手ひどい失調にまで陥らずにすむのは、よくしたもので人間様がどこかで分別や思索を投げ出しているからだ。失調もしないかわり、たいした論理も残らない。理屈の断片だけが貝塚のように積まれ、人はのんきにそれを自分の思想だなどというが、ナニ、ただの堆積だ。これは自嘲。 2004 1・4 28
* 朝星も、雲に見え隠れする月も、時を止めたくなるような輝きです。
伏見長建寺の八臂辨財天開扉中とのこと。浄瑠璃寺の吉祥天と、はしご拝観しようかしらん。女としてのパワーを頂けそうな気がしますもの。
そのハスキーな声もセクシィでいいよ、なァんて誰も言ってくれない、ひどくかすれ声の囀雀です。
昨春、ひどい風邪をお召しのようでしたが、いかがお過ごしですか。どうか、おすこやかにいらしてください。
* あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
ご無沙汰しております。
去年は帯状疱疹、そして交通事故とほんとうに半年間くらい仕事をやすんでしまうほどの出来事がありました。その中でペースダウンをしながら自分の生活を振り返る時間をもらった気がします。時間的には失ったというよりも再度自分の時間のすごし方を考え直すいいきっかけだったと思えます。松葉杖の私に席を譲ってくださる人の優しさ。あわただしさのなかに自分を失っていた日々。本当に学ぶことが多かったです。
今は仕事に復帰して審査で各地を飛び回っています。社会人学生として論文に苦心もしています。しかしながら日々の忙しさの中でも、去年の経験をわすれないで人に感謝しながら地道にこつこつと進んでいく一年にしていきたいと思っています。 今年一年が平穏のなかにもすばらしい年であることをおいのりしております。 京都大学
2004 1・4 28
* 卒業生の中から、秦さんと昔のように絵や陶磁器などいっしょに観たいという人が出て来た。現に先日もいっしょに西洋美術館に行ってきた。わかい人達と視線をそろえて同じひとつのものを観るのは、自転車の二人乗り三人乗りのように危なっかしくはあるが、楽しい。はやく京都から帰って、何のきがねなく楽しみたい。
卒業生の年賀状は、ハガキとメールとが半々で届いている。生まれる子供、結婚しようとしている、恋の悩み、ハイだけれど漠然としたマニフェスト、着実、家庭の幸せ。いろいろある。
* この春は、湖の本の読者には、あとがきで賀詞失礼をお断りし、それに従い、すこし正月がラクであった。年賀状返礼に追われつづける正月ではシンドイもの。
* 竹西寛子さんから、賀詞とともに年始の「昆布」を嬉しく頂戴した。
* おいしいお酒に豊かに恵まれた歳末年始、心おきなく飲んできた。
* 正月と誕生日が次第にお目出度く感じられる歳になりました。
田舎大学の初期メンバーとして例外的に定年まであと2年。遊ぶのはそのあとです。
この正月は古い写真の整理とPC(デジタル)化で過ごしました。あれこれ「その後」を考えねばなりません。 福井にて
* 高校の昔からの友人で、遺伝学者として生涯をささげてきてまだ定年に二年とある。ご苦労さま。ゆっくりしたら、話したいことはたくさんある。
* 三月の地唄舞の発表会には「こすの戸」を舞います。
うきくさや 思案の外の誘ひ水 恋が浮世か 浮世が恋か ……
来るか来ないかと女の待ち焦がれる相手は、先生のように蜜の「言葉」を書ける男かもしれないと想いながら舞ってみると、私の下手な舞もすこしは艶がでるかもしれません。
* 誘はれて誘ひてぬるむ春の水浮き世のこひの道しるべせよ
2004 1・5 28
* 年賀状とアドレスブックとの調整も、かなり能率良く大方済ませた。メールが取って代わるのでハガキの方はひと頃よりかなり減り、三百枚ほどか。返礼は百枚までに力づく絞った。
* 金澤の井口哲郎さんの「さるも木から降りる」という一句がよかった。井口さんも久しい校長先生から石川近代文学館の館長さんを勤め上げられて、すこしゆるりとされた頃か。久しぶりに逢いたいなあと思う。そこへ行くと同い歳の天野悦夫君など、まだ教授の定年に二年あり、その先のことを夢見ているという。たいへんだ。昭和石油の代表取締役からとうどう降りた新制中学同期の團彦太郎君は、ときどき我當を観ている、是非今度一緒にと書いている。そういえば、同じく日立の重役から系列の社長も勤め上げた西村明男君、引退後どうしてるかなと思っていたら、なんと、このごろときどき「大学」へ教えに行っているという年賀状、ビックリだ。つもるハナシがしたくなった。
2004 1・6 28
* 年賀状を整理していて、電話番号や郵便番号やMail to の異様に小さい活字に何度も辟易した。どうしてあんなに超極小の字で表記するのだろう。一字間違っても、「,」と「.」と間違えても役に立たないのに。わたしは電話をかけるのもかかってくるのも好きでないから、メールで話せるととても助かる。たとえ真夜中でも、向こうを煩わせることなくいつでも好きなときに送っておける。何を書いたかは暫く手元に残しておける。
メールが通じたら話したいと思う相手は何人もいる。一番が、娘、そして孫娘。どんなにして暮らしているのやら。中学で出逢って姉とも妹とも愛した人達とも話したいが、行方知れない。叔母の茶室でだれよりも可愛く思っていた六つ下の人は、パソコンどころではない大忙しのおばあちゃんらしい。
2004 1・7 28
* 柳君の設計で竣工した木造個人住宅のオープンハウスを、知らせてきた。この土曜の午前と日曜だという。京都の仕事を考えると、今回は動けまい。土曜午後に約束の用でどうしても出なくてはならないから。じつは、じつは、マンションと違い個人住宅ならぜひ参考に見たいのだが。そんなに豪邸でもなさそうだし。しかし今は何も何も京都講演で、行き止まり。
2004 1・7 28
* 兵庫県のある親愛の読者が、その方の知人に、湖の本を送り付けている封筒を再利用して、べつのなにかを送られた。その封筒から私の名前がみつかった。受け手のご当人でなく、その父上が、秦恒平の本を多年買い集めておいでだということが分かった。偶然が幾つか重なって、ご縁が浮かび上がりつつある。ご縁である。私、読者、女性の詩人、その父上(秦の読者)という環ができかかっている。今もその娘さんから直接メールが届いて返信したところ。
いろんなことが、ある。
2004 1・7 28
* 明けましておめでとうございます。年賀メールをありがとうございました。
わたしは、そわそわと、落ち着かない新年を迎えています。不思議に、興味深いことがあるのですが、まだほとんどその解答を得られていないからです。
何が気になっているかといいますと、イギリスにはどうして社会階級があるのか、どうしてあんなにはっきりと体制批判ができるのか、ということです。まったく唐突な話ですが。
今、手始めに、中村光夫の「知識階級」をじっくり読み直しています。読みたいときに読みたいものを読んでいるので、楽しくて仕方ありません。
きっかけは1969年からBBCで放送されたモンティ・パイソンズ・フライング・サーカスという、イギリスのコメディ番組をビデオで観たことでした。日本を含む世界二十カ国で放送されたその番組は、あらゆるものを笑いのネタにしているのですが、特に反体制の姿勢が過激でした。確かに時代はカウンターカルチャーだったのでしょうが、その一言だけで片付けられない気がして。体制批判、また、批判を許容する気風は、イギリスの伝統なのだという気がします。源流はやっぱりマグナカルタかな、ということくらいしか、今のわたしには思い浮かびません。
ヒントになるものはないかしらんと、日本ペンクラブの電子文藝館から、題名だけ見てダウンロードしました。夏目漱石の「私の個人主義」、平林初之輔の「政治的價値と藝術的價値」、植村 正久の「宗教と文學」、宮内 邦雄の「民主主義の原点」、宮嶋 資夫の「第四階級の文學」などを。
まだとっかっかったばかりで、頭の中が混沌としています。極東の日本から何をこんなに英国のことを考えているのだろうと滑稽ですが、興味深いのだから仕方ありません。欧州の国々は密接に関わってきた歴史がありますから、話はイギリスだけでは終わりそうにない予感もします。久々に人文学です。
新年早々、勢いにまかせた内容のメールをお許しください。こんな熱にうかされたような状態ではありますが、秦さんのご健康、そして、世界の平和を祈っています。
ぐんと寒くなってまいりました。お体には、くれぐれもお気をつけくださいね。 群馬県
* 興味ふかい佳い問題意識だ。「ペン電子文藝館」がこのように利用されることを心からよろこぶ。これがわたしの願いであり、だから論説や評論も大切に選んでいる。小説だけが文藝でも思想でもない。
この群馬の人の精神は、いつも前へ前へ踏み込むように働こうとしている。でろりんと斜に構えていない。いつも逃げ道を用意しがちな大人とは、ちがう。組み付いている。
* フラクタル 2004.1.7 小闇@TOKYO
電磁波を箱に閉じこめることに成功した、というニュースを聞いた。それなりに興奮した。閉じこめた箱は「メンジャースポンジ」型の絶縁体製。メンジャースポンジ、が分からない。
正方形を九つの正方形に区切り、その中央の正方形をくりぬく。残った八つの正方形をそれぞれ九つの正方形に区切り、またそれらの中央の正方形をくりぬく。その作業を無限に繰り返したものの立体版で、「表面積は無限大、体積はゼロ」の立体だという。
こういう、目には見えないものの存在は昔から好きだ。虚数(-1の平方根)とかパルス(高さは無限大で幅がゼロ、面積が1の波)とかと同じように。
もうひとつ、そのメンジャースポンジのように、細部が自己相似からなるものも好きだ。フラクタル。つまりは細部を拡大すると、全体と同じ形というような。
昔、今よりずっとはったりに弱かった頃、当時の頼りなさげな数学教師の専門が、「マンデルブロ集合」と聞いてのけぞった。そんな言葉を初めて聞いた。それが私にとって初めてのフラクタル。今思うと、マンデルブロ集合の何を専門にしていたのか、分からない。
フラクタルに触れるときいつも思うのは、細胞分裂だ。人間も、身体の一部を切り取ると、それが全体のミニチュアになったら面白いのにと思う。もしこれが可能なら、私は何人かの好きなひとの身体の一部を手に入れ、ミニチュアになるのを待つ。普段は籠に閉じこめておき、気の向いたときに取り出して遊ぶ。私自身の一部が誰かの籠に入るのはごめんだが。
* この手のハナシの学生から聴ける場所であった、東工大のわが教授室は。それで、授業のある日は終日教授室に網を張って、学生達がいろんなハナシの種を運んでくるのを貪欲に待望していたのである。
このハナシなど、めざましいではないか。しかもここがミソだが、刺激はあっても智解は殆ど効かない。それでよけい面白い。刺激はみな若い人が運んでくれる。
2004 1・8 28
* 湖の本、味わいつつ拝読しております。長くなりますが、拝読しつつ思った雑感を書かせて頂きます。お時間のある時にでもお読み流し下さい。
四谷怪談の「岩」と「花」。
先生の解釈に膝を打つ思いでした。
歌舞伎好きの割に四谷怪談は見たことがなく、あの話の主人公が「お岩」と「お花」であると知ったのは本で読んだ時でしたが、その時に、日本人の考える女性の典型例はやはり「岩」と「花」に大別されるんだなぁ、と、実は、古事記を思い浮かべていたのです。
木花咲耶姫は、私の大好きな登場人物で、(これは恐らく女としてちやほやされ損ねてきた人生の裏返しだろうと思うのですが)子どもの名前を考えたとき、なんとかこの中の字を盛り込めないか、と悩んだこともあります。
「さく」の部分が「咲」の他に「開」「佐久」と、本によっていろいろありますが、開子と書いて「さきこ」と読ませようか・・・など。
結局、字画を少し気にしてこれは諦めて「*子」となりました。(三年経つのに子どもの名前はお伝えしていなかった気がします。)これは字画がよかったことの他に、字の雰囲気が気に入ったこと、そして山本周五郎の小説にこの名の凛とした武家の令嬢が登場した記憶があること、などがありました。
そして、子どもが生まれて暫くして、暇つぶしにもう一度、同じような作業で字を探していた時、期せずして同じ字画で気に入った字を見つけました。なぜ、名付ける時に見つけなかったのか不思議ですが、もしそのときに見つけていたらどちらを採用するか相当に迷っていたでしょう。
ですが、長女を名付ける時に「*子」しか目に入らなかったことを考えると、この子は最初から「*絢子」と名付けられるべく生まれてきたのだな、と少しばかり運命論者な思いがしました。
もう一つ見つけた名前は「*子」です。
実は、この二つの字を気に入った自分というものに、ふと「やっぱりな」とかすかに苦笑するものがあります。
覚えていらっしゃるでしょうか、私が日本の染めや織りをやりたくて高分子を志したこと。結局、染めや織りそのものではなく、それらの近傍で有機質文化財を扱う身ですが、底流に流れているのは、たおやかな有機的文化を生んだ日本への思いです。
有機物と無機物の違いは、炭素と酸素と水素と窒素が主体なのが有機物で・・・などと先生のアタマをくらくらさせるのはやめましょう。
端的に言えば、燃やして二酸化炭素と水蒸気になってしまうようなものが有機物です。石とか焼き物とか宝石とかの類いは無機物です。
有機物とは名の通りで、使われる元素が限られているため、物質の性質を決めるのが「その中でどのよう元素が組織(結合)されているか」に左右されますが、無機物の方は、様々な元素を持つものがあり、「どのような元素で作られているか」がその性質上、ある程度重要になります。
海外へ行くたびに、特にヨーロッパへ行く度に、街を歩いている時、私は妙に息苦しくなります。
なぜだろう、なぜだろう、と思ってきたのですが、ふと先日思い当たりました。街が無機質でできているのです。向こうは石の文化圏です。煉瓦、大理石など、街を構成するのがひたすらに石です。すべてがフィックスし、積み上げたものは崩れません。ゆえに、論理の積み上げもでき、科学も発展し、キリスト教が契約の概念で、と、これは既にあちこちで言われている文化論ですね。
ただ、私としては、自分としては息苦しくなるほど無機物的文化に対して違和感があるのだ、という発見が重要でした。
私の日本への思いは、不可分に有機物を専攻したことに結びついていたのです。
ここで冒頭の話に戻ります。
私は木花咲耶姫が子どもの頃から大好きなのです。
仲のよい先輩に*屋さん=鉱物学出身の人がおりますが、彼から冗談まじりに「有機物は劣化するからいや!」と言われる度に「変わっていくから面白いの」と言い返します。彼は星を見るのが趣味で、顔料(要するに鉱物です)について彼の右に出るものはいません。彼とは日本への深い愛が共通している癖に、彼は「変わらないもの」が好きです。
私にとって、花-有機物-日本、は同一線上に乗っているため、あれほど日本文化を愛している先輩が、岩-無機物-日本、というラインを作っているのを面白く思っています。一度ゆっくりこの点を語り合いたいな、と思っていますが。
そう、天孫に木花咲耶姫と岩長姫を対でめあわせようとした父神オオヤマツミは、この世が有機物と無機物で構成されていることを示していたのだと思います。
そして私は木花咲耶姫が好きなのです。意外にも彼女の芯は強く、タフに一人で子どもを産むなどするあたりも私が気に入っている所以です。
有機物は意外に丈夫なんですよ、日本の木造建造物、よく残っているではないですか。古い文書も。
そして有機的日本に思い入れのある私は、期せずして子どもの名前に「*子」と「*子」を選んでいました。
まだわからないのですが、今秋あたりもう一人の「*子」の顔を見られるかもしれません。
寒さがまだまだ厳しい折り、先生もどうぞお体を大切に。
* こういう嬉しいメールが一番に届いていると、ほうっと顔がほころぶ。いいおめでたの重なりますように。底荷の豊かな知性だということが、よく分かる。航海のやすらかさは、豊かな舟の底荷がきめてくる。
* 秦先生 あけましておめでとうございます。
私、あと一肌は脱ぎたい。30歳にしてそう思うこのごろです。まだ、このままでよいとは思いたくないとあがいています。
ところで、念願叶い、やっと開発の部署にまわされています。今やっているのは*****・*****の新型機(輸送機・哨戒機)です。慣れないもので、怒られまくっていますが、やっぱりやりがいが違って充実しています。
先生もお元気で。 南米
* 僅か三十で上がりという双六はありません、まだ一学期始まって、ゴールデンウイークにも来ていないと思うこと。
思う部署へ動けてよかったね、おめでとう。幅広く努めてください。
目の前のことしか見ていないと、目の前のことも見損じるものです。目当ての本を本屋で探していて、探し出した本のすぐ隣に、それよりももっと良い本が見つかると云うことがあるものです。パソコン型検索の弱点はそれだとよく云われていますが、豊かに活きた視野をもつように。日本語を、その魅力も長所もまた欠点も、こまやかに忘れないように。元気に、怪我なく過ごされよや。 秦
* 懐かしい青年のはるかな地球の向こう側からのあいさつ。元気でいてください。
2004 1・10 28
* 今日は、こちらで「おいべっさん」と呼んでいる、えびす祭り。暖かかった昨夜、宵えびすに参って来ましたが、人に押されて歩くといった賑わいも、昔の話になってしまったようです。
今回のアメリカでの狂牛病騒動の波紋は、牛肉だけにとどまらず、食肉関係はかなり深刻なものとなってきているようです。このはね返りがどこまで波及するのか、消費者の買い控え等もあるでしょうし、ますます不景気という泥沼は底無しになっていくようです。景気浮上とは無理でも、せめて底が見えて欲しいもの。
商売繁盛の神様に、よくよく、お願いをしてまいりました。
話は変わりますが、年末の代休をもらえることになり、22日に京都へ行く予定です。久しぶりの京都行き、嬉しいですねぇ。だって、京都はというよりも、日帰り旅行さえも、地域の役員を務めていたここ二年間、定休日(平日)の半日は諸々のことどもに費やされることが多く、遠出は無理でしたから。
行けぬものとあきらめていた「秦テルヲ展」だけをゆうるりと観てきたいと思っています。講演を聴けないのが残念ですね。空気が乾燥しています。どうぞ、お風邪を召されませぬように。 阿波
2004 1・10 28
* 都立大学人文系、奥羽大学文学部、と立て続きに文学系の学部がつぶされていきます。「文学部冬の時代」と言われて久しいですが、ここへきていよいよ本格的な厳冬期に入る様相です。憲法改悪と雁行している教育基本法改悪も、審議上程こそ見送られましたが、いずれ必ず浮上してきます。文化審議会国語科部会の答申では、「文学
復権」が謳われますが、これは藤原正彦、齊藤孝氏らによる「愛国心」教育の路線に乗ったもので、文学そのもの、あるいはその研究や教育にとって決して望ましいものではないと愚考します。
文学をめぐる情勢の厳しさのなかで、改めてその意義や意味を問い直す日々です。
新年早々暗い話題で失礼しました。どうぞ益々のご健筆を祈り上げます。文学の「力」を見せて下さい! 山形県
* 文学部問題が行政手法上の限定された問題か、日本の教育ないし文化の根本に触れた問題か、関心を深めてフォローしないと、気が付いたときはとんでもないドツボに嵌り込んでいて脱出不可能に成ってしまうかも知れない。日本ペンクラブには中西進氏など文学部社会に重きをなす人が自ら進んで副会長席にある。ペンの議題たるべきかどうか、レクチュア願いたいもの。関連の情報や意向を具体的にもっと大学当局や関係者から欲しい。立ち上がるなら広い力の結集なしには何ともなるまいし。
* ご子息の誕生日の時代の模様を懐かしく拝読いたしました。
時間は忘却するカタリシスでありますが、思い出すと今の命のように感じます。いいお父さんを持っておるなあと思います。
堂々と息子と話す姿に僕は感動しました。
話題が多く、元学生の方々の「直球」メールは紺の海に染まず漂う。いや僕が漂っていることの「鏡」のようです。懺悔ですが。僕の息子の電話で、昇進の朗報の時、「そんな大切な喜びは手紙で書け」と切りかえしましたが、僕は喜怒哀楽は時間を置けというつもりでしたが、世代が違います。嬉しいことは「噛み締めて」こそ。
「猫」は読み続けています。 神奈川
2004 1・11 28
* 夜前、卒業生クンが、恋人との間に問題発生と、なんと二時間はたっぷり電話で相談してきた。こういうときは聞くに徹して、ハンパには口はきかないが、かなり難儀な瀬戸際だと感じた。やり直すよりも、立て直せ、立ち直れと云いたい。
* 1 2004.1.11 小闇@TOKYO
「世界に一つだけの花」という歌が売れているようだ。唯一無二だからこそ素晴しい、という内容で、イラク戦争に際しては反戦歌としても使われた。私も紅白歌合戦でSMAPが歌っているのを見た。中居君、意外とうまいじゃないか、と思った。
友人の結婚式で、新婦友人が、振り付きでこの歌を歌っていた。彼女らのうつろな目が、プラカードを掲げて練り歩くひとびとのそれに重なって、嫌な気持ちになった。
私は街頭でのデモが嫌い。あんなことをして何の意味があるんだろうと思う。署名活動も同じ。それによって何か事態が好転したという話を聞いたことがない。
「赤ちゃんが乗っています」というステッカーを車に貼ることにも、同じにおいを感じる。だからなに? それでなにか変わるの?と。まあ、このへんは個人の自由なんでどうでもいいんだけど。
ちなみに、「世界で一つだけの花」の作詞作曲者は自分でも歌を歌うひとだが、彼は何年か前、「No.1」という歌を歌っていた。それが今や、「♪ナンバーワンにならなくてもいい、もっともっと大切なオンリーワン~。」
所詮そんなもんなのだ。そんなもんで「派兵反対」なんて片腹痛い。某新聞の「彼をイラクに行かせないで」並みにお粗末。
2004 1・12 28
* 山の美しさ あけましておめでとうございます。
6日に福岡に戻りました。新潟はちょうど寒波の谷間で、雪の降らない正月でした。
暖冬傾向とのことで、こちらは穏やかな冬晴れです。明日は冷え込むそうですが、去年の暮れからわりと予報を裏切る暖かさなので、意外な陽気がまだ続くかもしれません。去年はやっかいな風邪で喉をやられましたが、今年は無事に滑り出しました。ほっとしています。
7日、太宰府に行きました。
さすが天満宮は広くてきれいで、参道沿いにお土産の店舗がずらり。正直、あまりの賑わいに面食らって、ろくろく境内を見ずに引き返してしまいました。印象に残ったのは、立ち寄った喫茶店のたまごサンドが美味しかったこと。お土産を買いに行ったようなものでした。
帰りに都府楼跡を訪ねました。ここが気持ちよかった。
本殿や門の跡に礎石が残っていて、もう読み取れない明治あたりの記録文が刻まれてあります。近くの石に老人
が腰かけていたり、祖父と孫が凧をあげていたり、母娘連れが日向ぼっこに来ていたり。勤め人が昼の息抜きに散策しているのも見かけました。
「跡」だけに、ほとんど平らな野原です、が、うしろに広がる大野山、文字通りの「壮観」でした。麓から頂上へ緑がだんだん影がちになって、頂きは青空ととけあうように霞んでいました。
徒労の仕上げでもいい。自分もあの山へ。姉の帰ったあの山へ。ちょうど「みごもりの湖」を読み終えたばかりで、藤原岳が思い出されました。
今日は、佐賀との県境に立つ雷山へ行きました。
中腹に千如寺大悲王院という真言宗の古刹があります。帰化僧が聖武天皇の勅願を受けて開いたとのこと。大きくはありませんが、このあたりの観光地らしく、家族連れの参拝客を多く見かけました。
標高955mの山奥にはスキー場があるそうで、駐車場のそばにPRの看板が立てかけてありました。近くを流れる雷山川の瀬音は静かに、目を上げれば濃い緑が迫ります。山の気は、少し寒く、澄み切っていました。
山を抜け、来た道を引き返します。ゆるやかなカーブを下っていくと、佐賀と福岡をつなぐ糸島郡の町が遠く望めます。往路では目につかなかった菜の花畑、キャベツの群れ。糸島半島の小さな山たちが遥か前方に並びます。
唐津から東へ伸びるJR筑肥線に沿って、前原(まえばる)の市街地が広がっています。その町並みがようやく見えてきたあたりで東に折れ、あとは福岡まで国道を一直線。
帰りは成人式で混むかなと思いましたが、意外に空いていました。
寒さは募りますが、無理のない程度にいろいろなところへ行こうと思っています。九州にはいつまでも住んでいられるわけでなし、行ける時間と手段のあるうちに行っておきたい。そして、暖かくなったら県外、また本州にも足を伸ばそうかと。
ドライブの一番の楽しみは、山の美しさです。街を抜けるあたりで、ビルや団地の向こうからすっとのぞくシルエットに、いつもわくわくします。
新潟ではしょっちゅう海や川を見に自転車をこいで行ったものですが、今は海より山に惹かれています。近いうち、「長女論」など読み返してみようと思います。よりおもしろく読めるような気がします。
大学のほうは、3月4月の入学生歓迎のイベントをにらんで、かなり忙しくなってきています。いっぽうで月末から試験。大学の忙しさは別に苦でなく、楽しみながらやっています。試験の落ち着いたあたりに、またメールできればと思います。
それでは、迪子さんともども、どうかお身体お大切に。
* 親愛なる九大法学部の理史君から、いつもながら、きびきびと言葉の生きた今年初メールが来た。彼の運転する車に同乗して、同じ視線で一つのモノを観ているような楽しさ。理史君の文章からはいつも颯爽とした風が走ってくる。彼の若い息吹とも、九州の風光がたたえた生気とも。願うのは、いつもただ、怪我なくて、と。父上や母上にもこういうメールをいつも送り届けているのだろうか。
もともと理史君のご両親が、はやくからわたしの作品を読んでいてくださり、少年は小学校からわたしの本に手をふれ心を寄せてくれていた。なんやかやといううちに、この春には三年生ではないか。早いなあ。
* 梅原猛さんが日向神話を足でかせいでいろいろ書いていた。理史君に、あれを送って上げようかな。
2004 1・12 28
* ネグリジェ 2004.1.12 小闇@TOKYO
ネグリジェで寝ている。ネグリジェという語感字面から想像されるものよりは、ワンピースとかロングシャツと謂ったほうが近い。要は下履きのない寝間着である。毎朝、目が覚めるとかなりキワドイ格好になっている。もう三ヶ月くらいこの状態が続いていて、一向に慣れる気配がない。
パジャマだと思って買った。「婦人物パジャマ」と書かれ、袋に詰められていた。色もデザインも好みで価格も手ごろだったため、ふたつ買った。帰って一度洗おうと袋から出し、想像していたパジャマとは形状が異なっていることを知った。
昔、ネグリジェで寝ていたことがある。写真が残っている。たぶん小学校三年生の頃だ。ネグリジェ姿の私のほか、父親の釣り用ズボンを穿いた弟(ぶかぶか)、同じくベストを着た妹(ぶかぶか)が写っている。実家の居間に無造作に、しかし明らかに飾ろうという意図を持って置かれていた。二十年以上前のものだ。その頃は、まくれ上がりに困ったことはない。
当時と違うのは、丈の長さである。写真の中のネグリジェは、くるぶしまで長さがある。一方現在着用しているものは、ふくらはぎの一番太いところまでしかない。このわずかな差が、快適な目覚めに貢献しているのだろう。そういうことは、わりとよくある。
それとも、ひところ裸で寝ていた後遺症かなと思う。学生生活最後の三年間くらいは、季節を問わず、裸で寝ていた。だれかが部屋にいるときは仕方なくT シャツを着たが、たいてい裸でいた。思えばあのころが一番不眠知らずだった。その反動か。こういうことも、わりとよくある。
それにしてもなぜ、衣料品に関してはいまだに「紳士物」「婦人物」という呼称が残っているのか。紳士なんて、この世から消えてもう何年も経つだろうに。
* こういう、艶な想像の領分をリアルに提供できる文章は、この「小闇」ならで読む機会がない。今一度推敲すれば粒のいい珠になる。惜しいのは、結び。「何年も」ではつまらない。「何千年も」とあって、男が立つ。
小闇は、リードに、「私も良いワイン飲んだのですが、シノワですか?」と書いている。昨日能楽堂の帰りに、東急本店からのゆるい坂通りで見つけ、八階までわざわざ上がった店が、名前など覚えてなかったが、確かめてみると「Chinois-shibuya」と領収書にある。目敏いナ。小闇はめったにメールを書いてこない、湖の本もたぶん積んで支払いも忘れている方の人だが、ときどき、いや屡々かも知れない、このホームページのリードで、親愛にものを言い掛けてきてる、ようだ。食べ物のことが多い。いろけのない闇だ。
2004 1・13 28
* 深夜に二時間も三時間も失恋のおそれを悩んでいた青年、危機を乗り切った、元気ですとゲンキンな喜びのメールを寄越した。しっかり、やりや。
* 行く人来る人 2004.01.11 小闇@バルセロナ
若ければ、気には留めなかった。何も珍しい話ではないから。
その人は、控えめに、そして少し恥ずかしげに言った。
「ここに住みに来たいと思っているんです。」
穏やかで落ち着いた物言いに、100%無謀とは感じない。そう譬えるには行き過ぎた歳なのに、どこかしら柔らかな蕾を思わせた。よい年金生活を送って欲しいと願った。
ちょうど前日に会った人を思い出す。退職し、スペインに来て一年。日本へ帰国することになった。今さら大変だろう、と思うのは、歳のせいだけではない。その人は日本が嫌いで、当時、まるで日本から逃げてきたような感じだったから。
したかったことがうまくいかない時、誰だって失望する。でも「Aするのを避けるために、Bした」そのBがうまく行かなかったら、絶望するかもしれない。
大学時代、その大学から逃げ出す道ばかり探していた。失望はしたけれど、絶望はしなかった。逃げなくてよかった、と今にして思う。
* バルセロナがスペインのどの辺りとも自覚がなかった。東海岸とでも謂うのだろうか、あれは地中海なのか、貼り付くようにして「バルセロナ」とした分かりいい略地図を、テレビのなんだかしれない番組でバッと見せられ、フーンと納得した。
2004 1・13 28
* 渋谷は手に負えないと書いていらっしゃいましたが、成人の日の渋谷の雑踏を想像するだけで、私は眩暈がしそうです。以前は落ち着いたよい街でしたのに、人間の数と騒動はすさまじくなってしまいました。渋谷のオーチャードホールや文化村の映画館、観世能楽堂に用があるとき以外は、渋谷に出かけることをついつい敬遠しがちです。
でも、渋谷の奥の松涛は今でもひっそり静かですね。松涛の都知事公邸のさらに奥まったところに松涛テニスコートがあり、中等科の頃はそちらにテニスの試合にまいりました。スポーツ嫌いの私がテニス部などに入ったのは、ただあの白くて短いスカートをはきたいという不純な動機でしたので、弱かったことったらありません。無惨な初戦敗退を続けテニスは結局私の人生から消えました。
さて松涛から渋谷の雑踏に戻れば危険がいっぱい。世界的なテノールでワグナー歌手のルネ・コロは原宿を歩いていて若者たちからお金を脅しとられたそうです、ゆめゆめご油断めさるな。 品川区
2004 1・13 28
* 味噌汁talk 2004.1.14 小闇@tokyo
部署の飲み会。少し遅れたらそこしか席が空いていなかった。隣には、去年この部署に異動してきたひと。よく知らない。あまり話もしたことがない。どうしようかな、と、向こうも思っているのが判った。
ところが、味噌汁でエキサイトした。
「僕ねえ、妻の味噌汁が許せないんですよ」。奥さんの味噌汁は具沢山で、具は単品、せいぜい二種類まで派のそのひとには、それが許せないらしい。
「だって豆腐とかにんじんとか大根とかねぎとか里芋とかもう、そんなに入ってたら、豚汁じゃないですか」。いや豚肉入ってないと豚汁じゃないと思うけど。結婚八年、猫と子どもがいなければ離婚していたそうで。
「ところで家で味噌汁って作る?」。私はほとんど作らない。朝は週末にまとめて作ったものを電子レンジで温めるだけだし、昼は外食、夜は食べない。「作らないですね~ここ数年で二、三回ですね」「ええっ信じられない味噌汁作らないの? 飲まないの?」「飲まないです」「じゃあ何食べてんの、朝」。
納豆とか切り干し大根の煮たのとかヒジキの煮たのとかおからの炒り煮とかそんなのですよ、と、言うか言うまいか逡巡しているうち、ほかの話題に移った。けれどそのひとは、思い出したように味噌汁に言及していた。私だけでなく、周りが皆呆れ、それを楽しんでいた。
しかし。いいじゃないか味噌汁作らなくたって。何食べようと勝手じゃないか、それに何を飲んでも。その席でも指摘されたが、二時間の宴会、ずっとビールで通したっていいじゃないか。紹興酒は苦手なんだよ。
と、思いつつ、昆布とぐらぐら煮立つ鍋を横にワカメを戻し、豆腐を切り、タマネギをスライスする夜十一時。あんまり味噌汁味噌汁って聞いたんで、飲みたくなってしまった。具は三種類、これが私の味噌汁のルール。次は麩と海苔とオクラ、それからネギと菠薐草と馬鈴薯だな。
*「部署の飲み会」という体験を、ほぼ全く持たないで過ごした、勤務の昔。十数年の前半はそんなことに使える金が、足りないと言うより、持てなかったし、持つ気がなかった。後半はひたすら創作に打ち込んでいた。この小闇は、ほとんど中毒のように飲み会に加わっているみたいだ、体力に感じ入る。ロスとプラスと、どっちが多いのかなあと余計な想像もする。楽しそうだし、「いいじゃないか」。
わたしは、群れて飲み食いというのが好きでない。酒も、一人酒か二人酒がいい、男と二人では少し寒いが。なにより日々「書く」ことに捧げられていた若き日は、時間と気力とが宝であった。そして思うのだが身の回りにもそのように群れて「飲み会」をしている人が多いとも感じていなかった。それはわたしの迂闊というもの。
「ハタクンも、もう少し如才なく生きるようにしてれば、もっともっと大きな存在になったやろに」と、京都の、中学だか高校だか同期会で誰かにわざわざ席を起ってアイサツされ、ビックリしたことがある。顔もよく覚えていない同窓生であったが、そんな風に遠くから見てくれていた批評家があったのに驚き、そうなんだろうが、そりゃ無い袖のうちだなと苦笑した。
みそ汁は蜆だけでいい。澄まし汁は蛤と柚子がいい。
* それよりも小闇に、もう言ってあげなくてはならないのは、この「闇の私語」の文体が、巧みに強く固まってくればくるほど、小説の文章へ転じるのに、おっそろしく堅い難しい壁を打ち破らなくてはならないよ、と。小説はコラムではないから。
2004 1・15 28
* 高津神社のとんど焼きへ行っての帰り、近鉄劇場で「法王庁の避妊法」を見てまいりました。月の綺麗な晩でした。
以前に一度見た芝居ですが、今回は、勝村政信さんが、謎を説き明かしたい一心で、周りを振り回す“研究者”オギノ先生を描いていて成功しています。アンサンブルも良く、越後弁に笑みこぼれつつ、研究が神の領域に至ることに気付く終盤、受胎 産む 生まれる―それぞれの深さを、あらためて思いました。 大阪
* この芝居、わたしも東京で見ている。荻野式の発見。科学と摂理。たしかに、深いものに触れざるを得ない舞台であった。荻野博士の、芝居にも大事に語られる当のご子息が、わたしの勤務時代初期の執筆者先生で何度もお目にかかりよく話していたので、ひとしお懐かしい想いも添う舞台であった。
2004 1・15 28
* 京都に漂い、雪の舞う東京へ、指先まで冷えきってお帰りでしょうか。
今日は街を歩いていまして、肌を刺すような寒さに、ふと氷の冷たさでもやけどをすることを思いました。
私は外ではめったに飲みませんが、寝酒は毎晩。今夜はいただきものの越の寒梅を少し飲んで温まってやすみます。どうぞ旅のお疲れがでませんように、暖かくゆっくりおやすみくださいませ。 港区
* 十七日。こんばんは。群馬では、雪はちらついただけで、予報されたほどではありませんでした。明朝、どうなっているかわかりませんが。
京都から戻られてお疲れのところ恐縮ですが、「親指のマリア」の上中と下をお送りいただきたく存じます。急いではおりませんので、お時間のありますときに。
東京の雪のようすは、どうでしょうか。積もっていたら、お足下が危険ですので、溶けてからご発送ください。
宣教師と切支丹を迫害した戦国武将たちは、その鋭い政治的嗅覚で、欧州強国の宗教を使った巧みな占領戦略を察知していたのではないかという気がしています。この疑問に、「親指のマリア」は答えてくれますかどうか。
楽しみです。
* 嬉しいこと。こういう関心から作品に触れてきて貰えるのが有り難い。清水九兵衛さんのようにシシリアをよく識った藝術家からも、あのシドッチ世界は好きですねえ、アレが一番好きだなあといわれたことがある。わたしはシドッチも新井白石も好き。二人の「一生の奇会」がもった金無垢の燃焼も好き。
* 晴れました。一面の銀世界です。昨日は払暁から積もり始め、日暮れまですっかり降り籠められてなんともかとも動けませんでしたわ。空も山も何もかも一色に埋もれて…。京もさぞ寒うございましたでしょう。お江戸も雪という予報でしたが、いかがですか。お怪我などなさいませんよう。
こころばかりですが、月遅れのバースディ・プレゼントをお送りいたします。お疲れ直しになるとよろしいのですけれど。お仕事、ご無理なさいませんように。 奈良
2004 1・18 28
* オバ 2004.1.18 小闇@TOKYO
伯母が母とやってきた。何年ぶりかに会う伯母は、もういない祖父そっくり。もしかしたら祖母にも似ているのかも知れないが、私は祖母を知らない。そして母姉妹は似ていない。
前回母が来たときも、近所まで一緒に来ていたのに、伯母は遠慮して部屋まで来なかった。今日は苺を提げてやってきて、忙しいのにすみませんねと言い、母の案内で遠慮がちにしかし鋭い視線で部屋の中を見て椅子に腰掛けた。
どうしても母は、今の私に不満がある。理想通り育った部分もあるはずだが、その分強く、こんなはずじゃなかったとも思っている。それを口にするのを最近はずいぶん我慢しているのがわかるが、それでもときどき、出る。
つまり今、母は孫が欲しい。私の同級生が相次いで母親になったことがその思いを加速している。まあ、しばらくすれば落ち着くはずだが、今日はその外堀を埋めるような話になった。私は黙っていた。
「あのねぇ、心配したって意味ないんだよ。必ずなるようになるんだから」。言ったのは伯母。
伯母は定年まで公社に勤めた。銀行、今はもう名前の残っていない銀行勤務の夫を早くに亡くし、二人の娘を育てた。今は孫が四人いる。孫はみな女。女系家族の長である。
物言いは穏やかだったが、その迫力は凄まじいものがあった。伯母ってこんな人だったろうか。母は家のことを思い、私は仕事のことを思い、そうだよなぁなるようにはなるんだもんなぁと、力尽くで納得させられたような気がした。
伯母は紅茶を二杯飲み、帰りがけに玄関で、「あんたも身体には気をつけなさいよ」と言って、母の先導で帰っていった。伯母さんも身体には気をつけて下さい。苺、ごちそうさまです。
* ま、こういうのを「朝刊」で読むと、妙に、ほっこりとする。当人はこっちの身になってとぼやくかも知れないが、自分自身に触れて率直に状況を描写した文章は、話題が正であれ負であれ、届いてくる。わたしなどは、明らかにこの母上叔母上の方に近い思いで暮らしているから、その点、秦サンも、うっとうしく思われるにちがいない。世代のせめぎあいか、単なる慣習か。
2004 1・19 28
* 京都での秦テルヲ氏の講演も無事に熱く終わられたようで、ほっと一息ついていらっしゃることでしょう。私は急な寒さと過労のせいでしょうか。先週39 度の熱を出し、インフルエンザと診断され、土曜日から今日の昼まで48時間、薬を飲みながらうとうとと寝ていました。久しぶりのことです。
おかげで雑誌「ひとりから」の、「この時代に・・・私の絶望と希望」をゆっくりと読むことができました。感動いたしました。
晩年の義父と私はよく言い争ったものです。
「これから時代は悪くなる一方だ」「昔と比べて何もかもだめになっている。心配だ」という義父。
「昔よりよくなっていることがたくさんある。今ほど便利で清潔で豊かで平和な時代はないでしょう。女性にとっても、今のほうが自由で良い時代だと思う。これから人の英知はもっと住みよい社会を作っていくと思う」という、私。
我が家の小さな下降史観と上昇史観の対立だったのかもしれません。
今、「これからの時代はよくなるでしょうか?」という問いかけがあったら、どう答えるでしょうか?
おっしゃるとおり、「今・此処」だけが存在すると答えると思います。
>> はてしもない一枚の澄んだ鏡のように、落ち着いて、写ってくる何の影も拒まずに和み楽しみ、去っていった何の影も追わないで、愛だけは感じていたい。そのうち、涯しない真澄の空のほか何一つ写さない鏡になりきりたい。そうなんだ、そんな「希望」を楽しんでいるのだ、わたしは「今・此処」に生きて。>>
心に沁みる文でした。涙がこぼれそうになりました。このことばを飲み込んで、明日はなんとか職場復帰したいと思っています。
インフルエンザ予防注射なさいましたか? くれぐれも気をつけられますように。 川崎市
* 今年はじめて、インフルエンザの予防注射を受けに早く行った。絶対ではないが、心理的に或る落ち着きを得ているのは有り難い。老境へ歩みいるほど、いよいよ風邪は気を付けたい。
*「秦テルヲの魔界浄土」 先生の生のご講演、はじめて拝聴させていただきました。
整理券を確保して、約一時間「秦テルヲの軌跡」展を見て参りました。どの作品を解説されるのかと一番にそのことを楽しみに、自分なりに幾つか覚え書きをいたしました。
「絶望」の前では、立ち止まって近ずいたり離れたりしながら、女の覚悟のようなものを感じて、何かに打たれたような思いで見ていました。
「母子」縦長の大きな作品、縋りつく子供を無心に抱きとめる母、慈愛の大きさに胸がつまってきました。
秦テルヲは初めて見ましたが、先生のお話を会場で拝聴でき絵の素晴らしさを、目蓋にあるうちに教えていただきました。「眠れる児」らと共に忘れることはございません。私の大切な(胸蔵品)です。
ご著書「墨牡丹」は、単行本に加えて湖の本には、第六章百枚を追加完結分が収録と案内されています。秦テルヲの時代の京都日本画家の群像を改めて読ませていただきます。
ご講演のあと、先生の周りは挨拶を交わされる方が続いておられましたので、室外に出て暫くして中を見ましたが退出されたあとでした。ご挨拶もせず失礼いたしました。
濃紺のスーツがお似合いで若わかしく、お声も後ろの席でもよく拝聴できました。
寒中 どうぞお大切になさってください。 和歌山市
* スライド映写を意図してふんだんに使ったため。場内が暗くされていて、参加者のお顔は殆ど見えていなかった。ま、そうしてアガルのを防いだのであるが、済んで、別階段から学芸課の方へあがり、そして通用口から小雨の外へ出たために、三宅貞雄さんが見えているのに気付かなかったのは、残念残念。感謝。
* 手書きと電子化 http://homepage3.nifty.com/willowbrook/ 英国
秦恒平様 初めてお便りを差し上げます。
以前平家物語や梁塵秘抄を語るラジオ講座を拝聴していたおり、古典への深い造詣に敬意を感じていましたが、その時は評論家という肩書で紹介されていたはずで、それ以上には存じ上げませんでした(ラジオ第2放送で平家物語を聴いていた時に、都の歓楽街のお話をされたかと思います。このような場所には古来からの人間の脂のようなものが染み付いていて、中々場所が移らないものであるという指摘をなさったことを、今でも覚えています)。
今回ホームページを見て、やや詳しくお仕事のことや、お考えになっていることが見えてきて、お便りを差し上げる次第です。ホームページは、ご職業がら当然なのでしょうが、その分量に圧倒されました。それでエッセイの部分からまず拝見して、秦様が出版社を介さず直接読者に本を送る試みをして長くなること、ホームページに色々な作品を収蔵・展示していることなどを知り、また文章から拝察される、行動とその根底にある考え方に極めて共感を覚えました。
*
例えば、書家石川九楊の文章を述べたエッセイです。石川九楊の文章は、一時もてはやされたときに読もうと試みましたが、直ぐに読むに耐えないものであると感じ以後全く手を出しておりません。難しげに書いてあるが、言うことは機械に頼らず手書き礼賛の主張でしょう。
それに対しての御主張は、どのような道具で文章を書くかは問題ではないし、環境についても拘泥しない。重要なのは内容であり、要はその人次第なのであるという論旨で、それはこちらの思っている通りでした。石川九楊の悪文を例にしながら、大切なのは内容で、道具は関係ないという議論の展開を興味深く読みました。
大切なのは表現すべき内容であり、手段に拘泥する必要はない、という主張を更に拡大すれば、言語という手段をも越えることがあります。私は、日本語でなく外国語でも、意義ある主張を適切に伝えることが可能と考えています。
機械か手書きか、文体は、場所は、言語はなど、手段の選択は各人の嗜好であり、他人のことに容喙する必要はありません。また、それぞれの手段には個性があり、それはそれで滋味があったり情緒を付加したりするので、否定することもありません。目的を大切にする人もいれば、手段に凝る人もいるのは、世の中の常です。しかし、正直な所を述べれば、様々な手段を用いることができれば、それはその人の容量の大きさを測る目安となると思っています。
*
もう一つ興味を惹かれたのは、日々の書き込みについてです。「耳にする限り、最も関心をあつめ毎日欠かさず読んで下さる人もあるのが、わたしの「生活と意見」を忌憚なく日々にただ率直に、筆を枉げず書き継いでいるページらしい。」という部分です。私もホームページで、余り使われていない掲示板を、訪問者との交流だけではなく、日記代わりに使ってみようと思っていたので、この記述は注意を惹きました。人は人に関心があるものです。
もう一つ、ここには大切なものがあります。ホームページへの書き込みは、それが日記の体裁を取るものであっても、自分だけのノートに日記を書きとめるのとは異なり、外部の読者を想定せざるを得なくなるという点です。書くものが、どのような形であれ公開されることになれば、そこには緊張感と責任が伴うのです。このことに私もある時点で気付いたのですが、そのこともきちんと指摘されていました。公開により文書は私的な性格を変質させるのですね。
*
ホームページに限らず、電子化した文書には様々な可能性があります。私は日本の外におります。日本語の書物を簡単に入手できず、冗費を抑える必要も考えれば、読書を電子化したものに頼るのは避けられません(これは英文など外国語の読書も同じです)。それで、これまでにもかなりものを画面で読んできましたが、電子テキストと在来の書物との比較をして、感じたことがあります。
まず在来の書物の利点。これは一覧できる情報量が格段に多く、必要なときにすばやく検察できることです。将来は電子本も改善してくることと思いますが、今の時点では普通の書物の方が格段に優れています。装丁、挿絵、写真、著者や自分の書き込みなど、情緒的なものも含めての情報総量は書物の方に軍配が上がります。
しかし、収納の問題や複製・伝達については、電子文書の方が効率的です。収納についていえば、読んだもの は、書棚に納める替わりにハードディスクに入れてしまえば、相当の分量のものが、全く場所をとらずに保管されます。
切り貼りは、自分の考えを作らず、安易に他人の意見を引用することになりかねないので注意を要しますが、人間の考えることは万古不易と思っているので、自分の主張(あればの話ですが)を根拠付けるために、適切な引用をするのを否定する必要はないのです。例えばお書きの文章に「魂の色の似た人をいつも捜している」という表現がありました。これは自分と同じである、貰おう、と感じたとします。それはホームページからコピーして文書ソフトに移すだけで済みます。
電子文書は読むだけではありません。外部から取り入れたものに自分なりの価値を付加して、それを再び外部に発信することは、電子文書であれば在来の書物と比較して、かなり容易にできます。適切な手段を選べば、個人であっても、これまでには想像もつかなかった世界に繋がることができるのです。多くの人に見てもらい、そこから新たな刺激を受けるというのは、ホームページによる方が書物によるよりも迅速であり、今後の可能性を秘めているような気がします。
*
やや長くなりましたが、このような事を考えるきっかけになったのが、お作りになったホームページでした。それで一文を草し、こんな読み手もいますという御挨拶をさせていただいた次第です。どうぞご健勝で、ますますのご活躍をされますよう、お祈りしております。
* 一昨年から英国に暮らしている壮年の人のようで、開いてみたホームページは、瀟洒に美しく創られていて、日本語が優れて正確である。バルセロナの小闇など参考になるのではと思うし、上に書かれた徹頭徹尾明晰な観想など、この方面に関心の深い東洋女子大の北田敬子教授にも読んで頂きたい気がする。
こういう方の目に触れて、こういう風に言っていただくと、逆に、私のサイトの性格的な雑駁が目立ってきて、恥ずかしい。「闇」は深く深く遠く、まぢかく。有り難い嬉しいメールを戴いた。申し訳ないが、こういう考え方やこういう表現が、これからの時代の一つの基盤を成してゆくと思うので、ふたたび「闇」の奧へ放っておく。
今後もメールを交わしながら、親愛を深めたい。
* 四国(讃岐)丸亀の****です。ご多忙の中早速のご返事感謝いたします。
お言葉に甘えて、湖の本エッセイ16 『死なれて・死なせて』1冊に、著者識語と共に、私からの贈り物である旨を明記し、下記に直送していただくようお願いいたします。本代も次回にまとめてとのこと。重ねてご好意にお礼申します。
[本の宛先]—————————————-
私事ですが、文学には若くから関心を持ち、友人には才能に秀でた詩人や歌人が多数います。でも、残念ながら私自身は文筆には自信がなく友人たちの協力者として過ごしてきました。
特に壺井繁治賞、自費出版文化賞、現代詩・平和賞(昨年)、高松市文化功労賞などを受賞した詩人・赤山勇は40年來の友人です。
彼の8冊の詩集はすべて書き下ろし長編で、その膨大な資料あつめと、本の普及活動には本人以上に力を入れてきたつもりです。
「創造と普及」は車の両輪。読者あっての著作という立場で、県内だけでも十数人の販売のネットワークを築き、それらの方々が一冊一冊と普及してきました。図書館への納入や書店への依頼も含みます。でも、普及の実務と作品への理解度が必ずしも一致しないのが悩みです。
「秦恒平の文学と生活」は驚くほどの膨大な情報量と中味の濃いサイトですね。また、ペンの電子文藝館も充実しています。これらは、私も書込みに参加を許されている関西の文学仲間のサイトで紹介しました。お閑をつくって一度、下記へアクセスして頂ければ幸いです。URLよりも直接タイトルで検索する方が早いようです。
「文学の仲間リンク集」→「詩人集団『D』」→詩人集団「D」Home pageが出ます。なお、「お知らせ」をクリックすると冒頭に、昨秋実行した「ふるさと紀行」の写真とコメントがUPされています。恥ずかしながら私の投稿です。ハンドルネームは円亀山人です。
長くなりました。また、ゆっくりお話を交換させて下さい。送本の件、よろしくお願い致します。 讃岐丸亀
* 篤志という言葉がふさわしい、こういう方々の支えで、地の塩を得て、文学の仕事の深まっているのは、よそながら嬉しいし、それどころか、私のしていること、してもらっていることが、即ちそれなのである。力及ばないために、「湖」は容易に広まらないが、深くはある。
2004 1・19 28
* 「お父さま、いくらお元気でも一日五カ所も動きまわるなんていけません」
と娘は心配し、
「お父さま、飲み過ぎです」
娘ならば、きっとここ数日の酒量に怒ることでしょう。娘はコワイです。父親に対して世界で一番手厳しいのが娘。容赦なく父親の健康チェックをします。
娘は叱りついでに、もう一つ。
「お父さま、早く眼科に行ってちょうだい。それも近所の眼科じゃなくて設備の整った病院に」
診断に少しでも不安があれば、他の医師に診てもらうことは鉄則。何もなければ安心が得られ、何かあれば早めに対処できます。とくにお父さまのような眼を酷使するお仕事にとって視力は一番大切なものです。放置してはいけません。是非他の病院へ。視力が急速に落ちた原因があるはずです。電子文藝館の校正であまりに眼をいじめすぎているためということも考えられますが、どうか診察をと、娘はやきもきしています。
それにしてもお父さまは大学病院の眼科なんてイヤでしょうね。さんざん待たされて、瞳孔を開く目薬なんかさされて色々な検査も面倒くさい、どうせろくな医者はいない、時間がもったいない、疲れる、もし変なこと言われたら気が重い……。
「お父さま、これはお父さまのためなのはもちろんのこと、お母さまのためでもあるのよ。お母さまはお疲れになるから病院についていけないかもしれないけれど、とにかくどうあっても行かなきゃ。どうしても気がすすまないならしかたないわね。お父さま、私がついていってあげるわ。私がいたら、少しは気が紛れるでしょ。病院に行く日時を教えてちょうだいな」
娘だったら、こう言って、父親をなだめすかして首に縄をつけるようにして病院に引っぱっていくことでしょう。
* いま、たくさん書けない。わたしは息をしていない。
2004 1・20 28
* ご返事を有難う御座いました。また「闇に言い置く」には懇篤なコメントを書いていただき、嬉しく思っています。
日々の書き込みを拝見していると、電子メディアの様々な可能性を専門の方が充分に論議をなさっていることが、非常に良く見えてきます。
私も実は、手紙ではできない双方向の迅速な対話の結果を、ホームページに反映させて見ようと思っています。そこに新たなページを作り、当方の文書だけではなく、それへの反応も載せてみようと考えているのです。連句を巻くのと同じようなものでしょうか。「闇に言い置く」に色々な方のメールが載っているのも同じお考えかと思います。
それでお願いなのですが、新たなページにおいて「闇に言い置く」で書いていただいたコメントを使わせていただきたいのです。個人的なメールと異なり、「闇に言い置く」のコメントは多くの人の目に触れるものと考えておりますが、念のためご了解をいただきたく、お便りを差し上げる次第です(尚、私の秦様個人へのメールは、公開されても全く異存はありませんので、そのことも申し添えておきます)。
今後ともご縁が続くことを願っております。 英国
* 今朝、客間兼寝室兼書庫兼物置の本棚にならんだ新版の岩波志賀直哉全集を見ながら、半数以上が「日記」と「書簡」なのに改めて気付いた。わたしは、それも全部読んだ。それだけのことはある、と思った。
わたしの仕事がもしも何かの形で残りうるとして、この電子版「闇に言い置く私語」は、秦恒平といういささかならず狂を発していたような作者が、それでも日々に断然生きて在ったことは示してくれるだろう。とても誇りになる日々ではないが、非力な一人の言葉は此処に生きていて、ひょっとして最大の作品となるのかも知れない。その意味で、ここに慎重に選んで採り上げられる多くの他者の声々は、じつは、わたし自身の生の照り返し(失礼)なのである。有り難いと思っている。
2004 1・21 28
* こいつァ春から 縁起がいいかどうか。
日本で一番大きな図書館へおもむきネット配信サービスの利用者登録を済ませたあと連絡が入りました。入力の手違いで生年月日が一千年さかのぼっていたのです。まもなくめでたく? 還暦を迎えますが、生年1944(甲申)が0944(甲辰)となっていたので、訂正手続きをするとの詫びかたがたの報告でした。
堅いお役所仕事ですから登録文書の交換もあります。公開データではありませんが、一度(二日間)は満年齢1059歳となり、記録は秘されたまま半永久に残るという結構な僥倖です。正月に「招福の鶴の千歳図」をかざったら早速吉祥が飛び込んできました。先週から、新収古文書の件で、平安中期のことを調べていた矢先でした。こいつァ春から、、、、きっと縁起がいいんだ。
久々に電話口で大笑いしました、やや堅めの口調だった電話対応の女性担当者もほほえんで、、、、。これで風
邪っ気も抜けそうです、たまには吉祥を早めにおすそわけしたく。 国分寺
* めずらかなことを聞いた。めでたくもあるか。
* 昨夜来の降雪情報をラジオで聴きながら、今朝の京都行きを心配していましたが、今、外を見ますと駐車場の車の屋根に積雪はあるものの、道路には雪は無く、ホッとしているところ。これから身支度をして、七時過ぎの京都行きバスに乗る予定です。道中、積雪等による支障がなければ、三時間後には京都です。
この度は、贅沢に(時間的に)「秦テルヲ回顧展」だけの京都行きですの。と言いつつも、デジカメをお供に連れているのは、なぜ?(笑)
やはり雪の京都には惹かれますもの。通りすがりの寺院の屋根の積雪だけでも被写体には十分ですからね。
天気予報では大阪方面のみの降雪情報でしたが、寒い京都のこと、期待しつつ出掛けることにいたします。
こちらで低温注意報が出ていましたけれど、東京もお寒いのでしょうね。歯医者への通院、温かくなさってお出掛けくださいませ。 徳島
* 平安神宮の大鳥居が、疏水上からの東山、粟田山が、目に見える。水をぬいていた朝の広沢池も、曼殊院も、円通寺からの比叡山も。まだ、そこそこに我が身をおいたままのような気がする。なぜか、しんしんと寂しい。春は、あけぼの。鴨川がみおろせ、東山が一望の、ホテルフジタの部屋が、あけぼのを見るのに、いちばん佳い。 2004 1・22 28
* 寒い日が続いています。お医者通いやお仕事でお忙しそう、そして少し「悲鳴」も聞こえてきそう。くれぐれも大事に、のんびりされますようにと・・。「お父様・・」の文章に託されたさまざまな思いを痛く痛く感じました。
(*娘に仮託しわたしの眼を案じてくれたメールは、むろんわたしの「創作」ではない。親切な人が娘になりかわってくれての病院眼科受診の勧めであった。「どうしても気がすすまないならしかたないわね。お父さま、私がついていってあげるわ。私がいたら、少しは気が紛れるでしょ。病院に行く日時を教えてちょうだいな」とまで書いてあった。)
寒さにはどちらかと言うと辛抱強く部屋の温度も省エネで暮せるわたしですが、さすがに風邪ひかないように、血圧の心配しないように、そして部屋にある植物のために暖かくして暮しています。
長いこと「ちゃんと」メールを書いていませんね。確かに慌しく一人で過ごせる時間が極端にない状況。そして半分は少し恨みがましく、あなたからのメールがほとんどないことも・・。
十二月に長女がシンガポールから戻って暫くして東京で短期の仕事。そして今朝再びシンガで半月位の仕事に旅立ちました。昨年娘の仕事が決まりましたと書いたのは次女の方で、これまで一年半ここから通えるところで仕事をしていましたが、これはアルバイトの待遇で、彼女は人間関係など本当に勉強させてもらったと言っていますが、遅かれ早かれ明確に方向を模索しなければなりませんでした。わたしが京都に住みたいのを知っていますから、彼女も京都にママと二人で住もうなどと職探しをしていました。
ヒョンなことから彼女にとっては願ってもいなかったほどラッキーなところに正式に採用されて・・二月半ばから東京で勤めることになりました。長女も東京で従来の会社の東京オフィスに誘われて、結局二人とも東京です。既に住む場所も決めて、目下手続きやら引越しの準備に入りつつあります。娘がニューヨークにいた時はたとい僅かでも仕事があってニューヨークに行くことはできませんでしたが、今はその点ではかなり自由です。やはり楽しみです。そして勿論、あなたにも逢える。素直にそう書いて、さてあなたは心底喜んでくださるかしら? そうでありますように。
* 逢いたい人がいつでも有る、とは、わたしの拠り所の一つだ。が、このように逢いたい、逢えると思って下さる人もあるのは心強い。わたしは根から不徳人であるが、孤立していたいなどと願ってはいないからである。さりながら、人と逢うのは楽しいばかりではない。生産される何かの有ることは確かでも、それは若ければ若いときほどではなかろうか。この年になると費消されるものを惜しむことが増している。人と逢うのは妙な意味ではないが力を要して、けっこう疲れるものだ。
最近も、つくづくあの子猷訪戴の故事を思い出したことがある。王献之が親友戴安道に逢いに水路を舟で出掛けた。逢えばどんなに楽しいであろう。楽しみをつぶさにつぶさに舟中想い描いて小王は、王羲之の子は、歓楽これ極まるほど幸せであった。そしてもうそこに親友の家が見えていながら、すうっと舟をもとへ戻したのである。逢う楽しみはもう十分尽くした、この上に何を求めようと。
古来風雅の一絶とされている。この故事の頃の王子猷らがどれほどの年齢であったか知らない、が、いまのわたしの年頃とおなじように、ふと想像する。三十代の昔に、この故事をまくらに置きながら「畜生塚」という小説を書いて、だが敢えて作中妻のある「私」は、人と結婚するという京都の「町子」のもとへ東京から逢いに行く、逢わずにおれない、と。若い「私」には子猷訪戴の故事を蹴飛ばしてしまう力があった。いま私六十八叟はそれを思い出し、苦笑を禁じ得ない。老いたなとも、それが老いの智慧かとも、いやいや理屈ではない、小王の風雅は絶して真実だとも。
逢いたいといってくれる人の存在は、たとえようなく力になるし嬉しい。事情が許す限り逢いもするだろう。しかし逢わなくていいのだとも思っている。風雅がるなど笑止で、なみの凡骨なら結局逢わないのが普通の心理である。わたしの凡庸は計り知れない。「苦笑」とはその意味である。この闇になにもかもさらけ出しているのは、凡庸な障壁を築いている気であろう、苦笑のほかない。
2004 1・23 28
* 色佳い大粒の苺を、また栃木から送って頂いた。
2004 1・24 28
* 『親指のマリア』をお送りいただきまして、ありがとうございました。代金の振り込みは済ませました。
冒頭から、清まはる心地がいたします。急かず、じっくり読ませていただきます。
来月早々、歌舞伎座の夜の部を観ます。玉三郎のお嬢って、どんな風になるのでしょう。わたしのお嬢のイメージは、菊五郎なのですが。
今年は、秦さんに逢えると、いいな。 群馬県
* 歌舞伎座、十*日に通しで観ます。玉三郎は土手のお六のような悍婦に文字通り凄みの利く役者、期待出来ると思います。菊五郎は藝がおおまかに躰も少し太り気味で、父梅幸のようになりそう。美しい女になれる役者ですがね。
本格のじいさんだけど、ますますじじいにならぬうちに、逢えるといいですね。おつとめがあるから、なにかと難しいでしょう。 湖
* 人と逢うこと、会うことについて書かれていることを胸に沁みこませて読みました。沁みこませてと書いているあたりが、わたしの微妙な揺れです。・・まだまだ煩悩だらけじゃな、と言われること予測済み。会いたい人には会う、単純に大らかに生きられたらいいのですけれど、ね。風雅・・考えさせられてしまう。 岡山
2004 1・24 28
* ハムカツロール 2004.1.23 小闇@TOKYO
自動販売機は飲料と煙草とが並んで設置されていて、そこはフロアに一カ所の喫煙スペースでもある。通称ガス室。誰もいなかったので、嫌煙家ながらそこでぼんやり缶コーヒーを飲んでいた。午後九時、金曜日。
かさかさと、コンビニの袋よりはいくらか固い音と、聞き慣れた足音がした。同僚。奴は煙草を吸いに来た。と思ったら違った。
「パン食わない?」袋の中身は確かにパン。聴けば彼の地元のパン屋のもので、今日の昼食にするつもりが上司につきあった中華のせいで宙に浮き、その時間まで持ち越されたものだという。パンはふたつ、パストラミのベーグルサンド、それとロールパンにハムカツをはさんだもの。いわゆるハムカツロール。 消灯時刻を過ぎた入院病棟のような暗さのガス室のテーブルの上に、散らばった煙草の灰を避けるようにサランラップにくるまれたふたつが置かれる。冷えた油が浮いてラップがなまなましい。「両方で350円、ちなみに俺が小学生の頃はハムカツロール50円。ベーグルサンドはその頃はなかった」。
焼きそばパンとかコロッケパンとか、パン+炭水化物+ちょっと古くなった油+ソースの組み合わせを、ほとんど食べてこなかった。実家にはなかったし、購買でも買わなかったし、今はときどき食べたくなるけれど、でもツナサンドやクリームチーズのベーグルサンドを選ぶことが多くて、コロッケパンなど滅多に食べない。
奴はそれを知っていて、じゃあ、と私が手を伸ばした先のベーグルサンドを取り上げて、ハムカツロールを渡す。
懐かしい。食べたことなどほとんどないのに。紙のように薄いハムに、分厚く均等に、そしてさくさくとした衣が纏われている。そしてソース、やや下品に。マヨネーズであえたキャベツの千切りとパセリも一緒くたになって、ロールパンにはさまれている。
そのロールパンが、美味しいのだ。給食で食べたパンのような、ちょっとジャンクな甘めのパン。
奴が言うには、そのパン屋の食パンは、2日目には黴が生えるという。最後にパンに生えた黴を見たのはいつだったか。そしていつかアルバイトをしたことのある、製パン大手の工場を思う。コンベアで食品の塊が流れてきて、すべてはアルコールで消毒しさえすればいいというような。
無言で完食した私を見て奴がいう。「次はハム玉子ロール買ってきてやるよ」。奴はプロセス部屋、私は測定部屋へと別れる。
*「会社」という、一種隠微な、時に淫靡な環境のうすぐらさを捉えている。勤め人ならだれしも、もやもやとした感覚で、体験的にこの一文の生温かな「うまみ」を、捉えて、読めるだろう。
会社という環境をふり捨ててまる三十年ちかい。誰もがそうではあるまいが、わたしには「会社」と「仕事」というものに、越えがたいほど断層が、断絶があった。会社が愛せなかった。仕事は面白かった。
只今では「会社」にお世話になった有り難さを、しみじみ頭をさげるほど自覚し感謝しているけれど、会社が「同僚」を意味するのであれば、わたしは、殆どなにものもあの当時価値として実感できなかった。それは、たぶん、わたし自身の異様な冷淡さによるのであろう。当時の老社長と、編集長で鴎外学の泰斗であった長谷川泉氏にだけ、わたしは深く学ぶものを持っていた。十数年のうちには数人の心惹かれた女性たちがいたけれど、ありがたいことにその中の三人は今も「湖の本」を支えてくれている。品良く敬意のもてる人にしか、わたしは心からは惹かれない。それにしても、わたしの根は冷えているのであろうか。
* 手作りコンサート 一月はモーツアルトの生誕月で、例年モーツアルトだけを聴かせてくれます。家でCDを聴けば、必ずナガラになるので、公民館へ出向いたこの二時間は、眼を閉じて只々聴き入り、そのままスーと寝入る一刻もありと、自在な時空です。
パバロッティーを聴いているHPを読んで、同じものを聴きながらキーを打っています。少しは共有したいもの。何度聴いても「カタリカタリ」で涙が溢れます。ツアーのカンツオーネデイナーで必ずリクエストしようっと。
今夜も独り。ナガラで、次々とオペラのアリアを聴くつもり。
明け方、色気皆無のいやな夢でした。娘の結婚式に母親の私がなんと綿帽子に白無垢姿。式半ばで気がつき、留袖を自宅へ慌てて取りに帰ろうとする支離滅裂さ。目覚めてこの深層心理はナニゴト、と、いやーな気分で起床。
佳い夢、みたい。 京都
2004 1・24 28
* 子猷訪戴の故事はずっと以前に何かで読んで、恐ろしく片手落ちの話だと、大切な部分が欠けていると感じておりました。親友の訪問を心待ちにしていた戴安道は逢うことなく帰ってしまった友を見て幸福を、友情を感じたでしょうか。とてもそうは思えません。 東京
* 思いがけず「子猷訪戴」が話題になる。この故事に関しては、わたしは昔に小林太市郎の本で教わった時から、「それでも」と思った、「町子には逢わずにいられない」と。「町子」の気持になることの方が大事で、作中の「私」は汽車にとび乗った。上のメールは、まさしくそれを衝いていて、風雅の故事に承服しないという。
2004 1・24 28
* 会わずして帰る
先日は当方のお願いを御快諾いただき有難う御座いました。
ふとした御縁でお書きになっているものを、時々拝見するようになりました。東工大でのお話、日中の作家の交流での御発言、「闇に言い置く」の持つ意味など、色々な感想が沸いてきますが、いずれ折を見て申し上げることができればと望んでいます。
一つだけ、友と会うことについて。
訪ねて会わずに帰るという故事のお話を読ませていただきました。その境には達しませんが、「何処かで健在に息をしているだけで良いのだ、それが古き友情なのだ」という一節を見つけました。偶々見つけた詩の中にあったもので、訳をつけてみました。
古き友情
ユーニス・ティーチェンス
美しくも豊かなり古き友情
親しくして永くあること
有り難き古代の象牙の手触り
年を経たワインの滑らかさ
煌きの残る綴れの光沢のごと
涙あり情けあるこそ古き友情
もはや勲の証しは無用
いや如何なる証しも要らぬ
何処にか友の健在に息ある限り
古き友情、歌のごと (柳沢正臣・訳)
加えて、メールの交換も、友と心が繋がっていると感じさせる不思議に便利な手段です。
それでは又。どうぞご自愛下さいますよう。 英国
* 光沢は「つや」 勲は「いさをし」 何処は「いづく」 と訓んだ。「子猷訪戴」の故事の指し示すところと、微妙には逸れて感じられる、が、西欧的な友情とはこうなのであろうなと思わせる。
「子猷訪戴」の故事を著書から教わった小林太市郎という美学者・神戸大学教授は、まことにユニークな碩学であり、達人であった。この人が裏千家の雑誌「淡交」に藝術論を連載されていたあたりが、わたしのあの雑誌熱中愛読のピークであったろうか。その連載からわたしは「畜生塚」「加賀少納言」という好きな作品に、つよい力を得ている。小林氏の他の論文からは、「あやつり春風馬堤曲」も生まれている。雑誌淡交のいろんなちょっとした記事からは、「蝶の皿」「青井戸」「隠沼」が生まれている。
わたしの創作を刺激したものとして「学術論文」がかなり重いことを、思わずにいられない。恩賜土居教授の論文集がなければ、「閨秀」「糸瓜と木魚」は書いてなかったかも知れない。「秋萩帖」も東博から出た小松茂美氏らの優れた論文に恩恵と刺激を受けているし、幾つもの作品が民俗学・歴史学の諸論文に莫大な刺激と恩恵を受けている。角田文衛博士の論文集はたくさん読んできて、「風の奏で」「夕顔」などは大きな示唆を得ている。
古典そのものから展開していった作品の多いこと、いうまでもない。
処女作「或る折臂翁」も、そのまま白楽天の詩を入り口にしていた。育てられた新門前の家の暗い梯子段の上がりぎわ、古い黒い箪笥にもたれて祖父の蔵書の中から小振りな白楽天詩集を持ち出し、るびを頼りにはじめて兵役忌避の反戦詩「新豊折臂翁」を読んだ衝撃を、わたしは今もそのときのように思い出す。国民学校の生徒だった。兵隊さんになりたくなかった、しかしあの時代は兵役にぶつかることは決定的な未来図であった。いややなあとほとほと辟易して、それを想像していた或る寸時の幼い記憶もある。その時自分がどんなポーズでものにもたれて憂鬱であったかも覚えている。意識下にすでに白楽天の詩は忍び込んでいた。
* だが、なんでこうわたしは、今、懐古的・回顧的なのだろう。根の根の根のところを何かしら病んでいるのか。衰えているのか。それともこれはわたしなりのインスパイアなのか。
2004 1・26 28
* 秦テルヲの軌跡 朝一番の高速バスは、駅前から三人、途中で一人。乗車人数四人という貸切状態。予約席は最前列でしたが、運転手さんが「前は寒いでしょう。真ん中辺りが暖かいので席を移動してくださってもいいですよ」と。道中の交通状態を連絡しつつ運転されていたのか「停滞が二箇所で発生しているようなので、急遽、山陽高速道に路線を変更させていただきますのでご了承ください」とのアナウンス。この的確な判断で、定刻には無事京都駅前に。
ステーションビルの観光案内所で国立近代美術館への交通手段を聞くことにしました。
「すみません、秦テルヲ回顧展が開催されている国立近代美術館へはどう行けばよろしいですか?」
「近代美術館の秦テルヲ展ですか。ちょっとお待ちください、今資料を見てみますから…。ここは今、竹久夢二展になっていますねえ…」
「えーっ、そんな!」
よく資料を見直してみると、ちゃんと出ているではないですか! 会場に展示してあった竹久夢二の作品なんて数少ないのに、名前だけが一番目立つところに記載されているとはねえ。
秦テルヲを時間を掛けて観てきました。
《血の池》《絶望》に魅入られて、思わず座りそうになった私に、係りの方が椅子をどうぞと勧めて下さるというハプニング。勿論、丁寧にご辞退を申し上げましたけれど。
苦界の女たちを描いた作品。俯ける顔、顔。その中に、したたかに上(生く末)を見据えた目を持つ女性に共鳴。心惹かれる作品はたくさんありましたけれど、一番好きな作品は《母子》。子を抱きしめながら、天に向かい少し開いた口元から発せられた言葉が…聴こえたような気がしたのは、錯覚でしょうか…。
足りない時間を補うべく、冊子「秦テルヲの軌跡」を求めましたが、実物を観てしまうと、写真は少し修正(明暗を)されているようで、物足りなさを感じてしまいます(贅沢かしら?)。
心を残しながらバス停へ。晴天の京都。雪景色のお土産はとても無理で、見目良い市立美術館をデジカメでパチリ。ところが、神戸三宮で時間待ちしている間に雪が降り出したからびっくりです。悠長に構えていたのにこれは大変! もし大降りにでもなれば交通渋滞になるかも。時計を見ると一便前のが五分後に出ます。慌てて、購入していたチケットを変更してもらい、乗車。
でも雪はそれ以上は降る様子もなく、徳島入りするまで順調に走行。市内に入り、ホッとしたのもつかの間。渋滞に突入です。ふと、外を見ると、中央分離帯に雪の名残りが。いやぁ、雪のせいで込んでんのやろか。
遅々として進まない車にやきもきしながら、平常なら十分もかからない距離を四十五分かけてバスは終着へ。バスを一便早めたこと、これ正解でしたわ。約束の時間に会合に出席できましたもの。
同席の方たちから「今日は一日中、雪降りの寒い日だったよ」。でも渋滞はそのせいではなく、八十一歳の女性一人暮らし宅を襲った強盗犯人の検問のせいだったようです。ぶっそうな世の中になってしまいました。
寒波がまたやってきそうな様子。冷えが一番体に悪いのは私も実感してのこと。どうぞ、温かくなさって、ご無理なさらないでくださいませ。 徳島市
* 四国も寒中は午前の室内温度が5度程度です。立春までしばらくはほどよく身がひきしまる程度の寒さがつづくことでしょう。
引き続くイラクへの自衛隊の派遣に伴う、テレビの映像で制服組の姿が目につきだして何か怖い気がしています。情報統制の動きといい、日の丸の小旗をふる「出征」兵士を送る映像といい、かつての白いエプロンとモンペ姿のイメージがだぶり「いいかげんにしてくれ」と叫びたくなります。命の重さを、今こそ自他ともに基本にかえって再考をと想う日々です。この寒さの中でもすでに小豆島の「島四国」の巡礼は開幕しています。主に関西、中国地方の方々のご参加です。地元の人はもう少し、暖かくなって動きだします。本「四国八十八ヶ所」も同様です。 香川県丸亀市
* このメールの人の、お遍路道や遍路墓などを探訪されているホームページも見せて貰った。
* 東京も寒いことでしょう お変わりございませんか。出雲寺紘氏からハガキがまいりました。秦テルオ展での講演会のとき、秦さんに会えて、30年来の望みが叶ったと書いてありました。「四度の瀧」というお酒を見つけられたそうですね。お元気でいらっしゃるようなので、こちらからも安心して倉敷のお酒をお送りします。寒い季節ですから品質が変わる心配もないと思います。ゆっくりお召しあがりください。2月に入ってから届くように発送してもらいます。
それにしても日本の政治はどうなるのかと心配です。小泉にかわるもう少しましな人間がいないものでしょうか。秦さんなら分かってもらえるだろうと、つい愚痴を言ってしまいました。 岡山県
* 小泉総理は全く居直ってしまい、意地にかけて、強健を恣意的につかっている。国民の声を聴くよりも、国民に自分の思うままを強いるを以て正義だと、国益だと、政治だと思っているようで、国会答弁や記者会見を聴いていても、怖ろしくなる。
今朝もわたしは思い出していた、小泉総理は、日本に総理大臣が生まれてこの方「最悪の総理」だと、梅原猛氏は理事会の席などで、極言されたものだ、三年も前か。おお、そこまで言うかと、同感しつつもわたしでもまだ幾らか小泉を受け容れるところがあった。梅原さんの洞察は当たっていると、今は、何とかしないと日本の道は奈落へ陥ると、恐怖せざるを得ない。
強弁して憲法を蹂躙することに精力の限りを尽くすような総理を、われわれは選んでいる。もしや悪法かも知れない、が゛、自分は日本国の総理大臣である、率先憲法を侮辱することの出来ない地位と立場にある、と、そう言うような本質的に立憲国家の長らしい総理をもてなかったのが、国民の、いやわたしたち私民一人一人の不徳と不能である。
憲法よりも、また民意に考慮するよりも、政府方針を強行するのが「政治」だと考える総理を、われわれは選んでしまっている。悪魔に国を売り渡したように。
小泉総理の声と姿にふれるつど、絶望に近い哀しみに捉えられて、奔って隠れたくなるが、いったいどこへ。なんという情けない國に日本は成ってゆくのだろう。
2004 1・26 28
* 心寒いとき 解決にはなりませんけれど、甘く濃いお汁粉などいかが。小さめのお餅を焼いて二つほどいれて──。温まりましたか。
お汁粉を召し上がったつもりになったら、私のそそっかしい話など。
若い頃から階段からよく落ちていましたし、私の責任ではない交通事故にも三度遭っていますが、一番の事故は一昨年家の中で貧血により気を失い転倒して、救急車というのがあります。後頭部をうって脳震盪でした。
幸い大事にはいたりませんでしたが、救急室のベッドで倒れる前後の記憶がないのにショックを受け、これ以上バカになったらどうしようと涙ぐんでいました。
その救急室に、私の事故とは別に新たに登場したのが、サラリーマン風の二人づれ。一人が腕を抱えて、もう一人がしきりにすまんと謝っていました。診断は、腕相撲をして骨折というものでした。
その経緯を隣のベッドで聞きながら、バカは私だけじゃないのかもと、妙に慰められました。
心寒いのはあなただけではない……のかもしれません。ややこしく悩むのをちょっと休んで今日こそ早めにお布団に。頭痛も早く治してくださいませね。
* この腕相撲には笑ってしまった。わたしは、ずうっと最近まで、建日子と腕相撲すると、十回が十回とも簡単に勝つ。なぜか腕力がある。いつまでのことか、分からないが。握手をしても、ちょっと肩をたたいても、力が強いとよく言われた。なぜだか分からない。
2004 1・26 28
* 本当に頑張りすぎですよ。でもいたましいとは思わない。夢中になれることがあるのは幸せなんですから。闇とか現、夢などの言葉をこの頃とくに使われているのは少し懸念しますが、それでも「鬱」についてはわたしも分かる、たとい自分に執着し、自由自在の境地に到っていなくても、鬱に負けてしまうことは、恐らくあなたは、ないと信じています。勿論、体は大切に、大切に、大切に。 兵庫県
2004 1・27 28
* 三時。太左衛さんの鼓が響いてきた。元気づけられて、やすもう。
* 秦先生、お元気ですか? 先週土曜日、トウキョウワンダーサイトで、ビデオアートとサウンドとのコラボレーションに、鼓で参加しました。若いアーティストとの「時」は凝縮され、一時間以上打ちましたが疲れはありません。空間に展示された若手作家たちの作品のパワーも加わり、ますます元気になりました。みんなが頑張っている姿をNHKが取材にみえていました。二月一日の、「おーい、日本」にでるかもしれません。長時間の番組ですが御報告させていただきます。現代の夜神楽! といえる体験で、鼓の、新たな可能性と強さが発見できました。
* 秦先生、起こしてしまいましたか。変な時間にメールしてしまいました。ごめんなさい。励ましのメールいただき、うれしいです。ますます頑張ることができます。テレビはビデオとりますので、映ったら御送りさせていただきます。ありがとうございます。おやすみなさいませ。 太左衛
2004 1・27 28
* 二度は言わない 2004.1.27 小闇@TOKYO
教師が生徒に向かって、あるいは親が子どもに向かって言うと思われている科白に、「一度しか言わないからね」というものがある。子どもにそんなこと言って、通じるわけがない。大人だって理解できないのだから。
約束を忘れられることが何より嫌いだ。「え、なんだったっけ」と言われたら、それまで。二度は言わない。優先順位というものがある。私との約束は常に一番ではない。しかしその事実と、それをあからさまにするのは別の話。
ビジネスでそれをやったらまず次から仕事は来ないだろう。親しき仲でも見る目は変わる。少なくとも私は、口にするかしないかは措いても、あとあとまでネチネチと、この手の記憶は温存する。
ま、要はすっぽかしくらって機嫌が悪いんです。
* こういう小闇が、可愛らしい。「すっぽかしくら」うのか。そうかそうか。
2004 1・28 28
* 眼科どうされましたか? すこしプンプンしています。叱声が飛んでくるかなというところも、確信犯的で。
今日は友人と神楽坂界隈を歩いていました。日仏学院のレストランで、フランス人に囲まれて、手頃で味のいいランチをとり、よせばいいのに有名な甘味喫茶で関西風に言えばお善哉を食べてしまいました。
神楽坂にはまだ古い露路が残っていて、開店前のお酒のおいしそうな小料理屋があちこちに。この街は夜遊ぶところですね。京都の露路はもっと風情があることでしょう。
明日はお稽古です。
歯医者さん、痛くありませんように。今日こそお早めにおやすみください。
2004 1・28 28
* 秦せんせー、こんにちは。京都の講演、お疲れ様でした。
私の勤めている会社は、外資の親戚なので、12月が年度末なんですよ。私のいる部署は、年度末や、年度が始まってすぐは、比較的時間がとりやすい方です。ですので、休日はちゃんと休んでいます。誘って下さい。
昔、やりましたねー。教授室で午のお食事会。今はああいうことできるかなあ。
私は、いつも遅刻してくるので(ごめんなさい)、授業中は小さくなっていましたし、先生の話をききながら、アイサツを書くことで手一杯でした。もう一人、数学科の子がいると、いつか先生がおっしゃっていましたが、その子と先生は、今交流ありますか?
東京の小闇さんも、同じだったのですよね。どんな方だろう。私のことは、(遅刻してくるなんて問題外。しかも、いつも。あかの他人。)とそのとき思って、やっぱり覚えていないか?! 外資系
* 卒業後何年か、建日子の芝居に来てくれて、スカアッとした美人に育って! いるのに感心した。教室ではアイサツを書きながら涙をいっぱい溜めていたりして、ビックリしたこともある。数学と聞いただけで尊敬した。書く気になれば個性的な世界をくりひろげるだろうと見ているが。
2004 1・29 28
* あやや 2004.1.29 小闇@TOKYO
部署の長は確か四十二歳で、小さな会社じゃ割と知られた「優秀な人」だ。だが、と続けるのが良いのか、そして、と続けるのが良いのか、若干ミーハー気味。
ある夜。隣の部署の人間から長に電話が入る。取り次ぐ。「ええっ本当? いやーありがとう、感謝するよ」。ただならぬ興奮の仕方。
どんなルートか知らないが、あややのサインが手に入ったというのだ。聞けば長はあややの大ファンで、なんとかそれを手に入れられないかあちこちに頼んでいたのだという。
職権乱用。ということよりもまず、何故にあやや? ありゃ中高生のアイドルだろうに。
長の後輩でかつ私の先輩にあたる人物に聞いてみた。「どうなんですかねあややってのは」「あややって十七歳だろ?異常だよ」。だよねぇと口にしそうになって飲み込む。「ところで先輩はどんな風がお好みで?」「最近は小西真奈美かな」「・・・」「なんだよ年齢差十二歳くらいだぞ。そんなの誤差誤差」。
小学校高学年、小田急線の駅の改札で「大人でしょ」と言われたことを思い出す。いいえ私は大人じゃありません。大人料金を支払う年齢でもないし、私の思う大人ではない。けれど三十歳を超えた今、私の描いていた大人は、ひとりたりとも周りにいない。年が同じでも離れていても。私自身もそうではない。どれだけ年齢を重ねても、あの頃の大人像には及ばない。
だってあややだもんな・・・。
* 深夜に笑ってしまった。少し湿っていたのが、元気になった。
「大人像」 ?
大人になってみると、そんなものに三文の値打ちも無いことが分かる。
大人の値打ちは、いかに「子供」を精神に保存しているかで決まる。子供のように感動し子供のように喜べない、悲しめない、怒れない大人が、どんなに多いか。また、変に大人に早成りしたがってじつは大人になど成れない若者達を眺めていると、自身のうちなる子供を見失っている例が多すぎる。根が、無いのだ。
人にもよるだろうが、あややを好きになれる大人は、一般にはヘンタイでもなく幼稚でもナントカ症候群でもなくて、弾む若い命をきちんと嘆賞し佳い意味で羨望し感動できるという、それだけのこと。
小闇の「私の描いていた(あの頃の)大人像」というのが、要するに今となれば妄想に近く、アヤシくてアヤフヤなのである。そんなイリュージョンは捨てるにしくはない。
あややでもひばりでもマダム・キュリーでも紫式部でもマリア・アテレサでも、はかる物差しはいろいろあり、或るものさしではかれば、何の区別があるわけでない。とても大切な意味で言っている。
若い東山紀之を公然と愛していると明言する、わたしよりもずっと高齢の女優森光子をわたしは肯定し、尊敬すらしている。あの魂は、生き生きと弾んでいる。ゲーテは八十すぎてハイテーンの少女に本当の愛と敬意を抱いていた。わたしはあややのサインなど欲しくない、が、あややと逢って話せる機会が有れば外さない。卓球の愛チャンにも同じような気持でいる。人間的に魅力を覚えるし、それだけ私の中に、まだ、ものに憧れて感動する少年の気持がある。今も、ある。それを喜んでいる。恥ずかしいと思ったことは無いですねえ。
2004 1・29 28
* 本日「初恋」頂戴致しました。
「墨牡丹」息つく間なく読ませて頂きました。「国画創作協会」はあのような形で立ち上っていったのですね。文展に抗う発起人の中に秦先生も連座しておられるような情熱・息吹を感じつつ読みました。どの頁も画家の画か゜眼裏に浮かび楽しゅうございました。麦僊の「春」に心揺らす佳子夫人、評する華岳。次々とドラマを見せてもらい、小花さん、相良成子の哀切の人生も華岳の筆に生きて画に映されているのを知りました。何必館も何度か訪ね、一昨年は知人が「鉄齋堂に華岳の観音さんが゛出ているから拝みに行きましょう」と誘ってくれて、手を合わせる想いで拝見して来ました。終生、初心を貫く華岳の姿勢とその悩みは六甲の山並の墨の色かとも思います。
終章、波光との対話の中、秦テルヲの悲しみも読み取れて同情しました。改めて秦テルヲ図録を読み返し、最後まで、武田五一教授、中井教授、波光、華岳、紫峰さんが推されているのを知り、秦テルヲの藝術の力を知りました。誠に多才、京洛帖、畑之婆の闊歩の有様目に残ります。絵日記も驚きです。
秦先生のこと友人に申しましたら、その人先生のフアンでして、早速「慈子」とNo42「丹波」を届けてくれまして、先生の生いたちの記も拝読させて頂きました。
寒波が居座っているようですが、ガラス越しの日射しは明るく、先生のお書き下さいました「春在枝頭」を感じつつ、お作を読ませて頂くことの幸せを感謝して居ります。 本当に有難うございました。
時節柄 御自愛遊しますように。 かしこ 京都市深草
* 先日の講演会場で声をかけられ「墨牡丹」上下巻を注文され、ひきつづき「畜生塚・初恋」の注文もあった。不況にも煽られて悪戦苦闘の「湖の本」にこうして新たな読者との出逢いがあると、嬉しい。わたしには宣伝の手段もないので、こういうお便りを借用するのも、一人でも二人でも自分も読んでみようかと思ってくださる人と出会いたいからである。
* そろそろ この寒中、洗濯機のホースを凍らせてしまい、数日、難渋しました。
今年の山焼きは、風の具合ですべて焼けなかったとかで、先日、焼き直されたそうです。昨日はもう風は穏やかで、暖かな日差し。ほわほわ花粉が飛んでるわ、と思っておりましたら、肩と背中がごりごり凝って、キモチは悪い、やたらに眠い、耳と目がかゆい、鼻はくしゅくしゅ。
大丈夫ですか?どうかお大切に。
歓抃(かんべ) 「こうべ行くのに近鉄テ変やな思ててん。かんべなんやぁ」
簪のびらびらが揺れて擦れ合うように、若い女性のグループが、伊賀神戸駅で降りていきました。
木津川のほとりの神戸神社。百地砦があった喰代。界外、摺見、比自岐、沖、岡波…雀にとっては、ふしぎな地名ばかりです。名張に越してすぐの雀が肝を消した台風は、比自岐神社の巨きな木を何本も折り、建物も壊していました。
再読のつど、ひとつふたつ、あ、あのこと…! と、わかること、また、少ォし増えた経験に援けられ、楽しみが波のように続きます。 三重県
* 花粉か。季節のたよりとはいえ、ユーウツ。
見るからに古代な地名が並んでいる。比自岐と聞くと、反射的に「ひじきおもの」が思い出される。雄略天皇の頃であったか天皇自身のことであったか、崩御のあとはなはだ荒れすさんだ霊魂に辟易したものの、鎮め役の者があいにく払底していた、という「遊部」発祥の故事の中に、漸く鎮魂慰霊、そのときに「ひじきおもの」を捧げたとある。
この人のメールには「どうかお大切に」など労りの挨拶の他は観念的・概念的なスローガンが何もなく具体的に終始し、それでイメージが生(き)のまま豊富に届いてくる。四角四面にならない。
* 燦燦とふり注ぐ光や、草花の早い芽生えを庭先に見つけると、真冬は何処へいったの、春は傍まで来ているの、と惑わされ、老人にとっての暖冬は嬉しいものの、これまた地球環境からみれば困難な問題点だと、手放しでは喜べずのこの頃です。それにしても今差し込む光がまばゆい。
孫税をしっかりと納入しています。 東京都
* 「孫税」をおさめる一方、「地球環境」も憂えて、おばあさんは忙しい。
2004 1・30 28
* 先日、(京都太秦の)蛇塚古墳にびっくりしたあと、廣隆寺へ寄ってみましたの。中学の修学旅行で行ったはず、なのに、なァんにも憶えてない。
宝物館でみる、それは、もう、いまは受け入れるほかありませんが、半跏思惟像は、遠くに見ても、間近く向き合ってみてもオーラが感じられなくて、洞ろなきもち。薄寒い風に白い骨が鳴って、(奈良の)三月堂への恋しさが急に沸き上がってきました。
聖林寺の観音も、コンクリの匣とガラスの中にあり、悲嘆の息を漏らしたのですが、対面しているうちに自分でも不思議なほど、それらが、心から消えていきました。合い性のちがいなのでしょうか。
* これは分かる。宝物・宝蔵の保存という大事のまえに、個々の尊像や仏像などの本来のありようが消え失せた、まことにおおまかな陳列として曝されている。すばらしさが噴出してこない憾みが遺る。あの宝物館は、その上に、寒い。一室にすべてが陳列されているから、一人でそこへ入る客は一種畏怖以上の恐怖にすら襲われるだろう、感じやすい子供ならあんなに怖い空間はなかろう、なにしろ見事な仏像が並ぶだけに生きて見える。この人も、ほぼ一人か二人の少ない客としてこの寒い季節に迷い込んだのであろう。気の毒な気がする。広隆寺にも、今少し保存だけでない工夫がないか。殺風景な宝物館である。
* やるべき家事も夕餉の買い物もばたばたと手早く済ませて、の――んびりとした時間を確保し、好みに過ごすのが好きなんです。
明治生まれの伯父、末っ子の父の長兄が、何処を旅しても山と川があるだけと嘯(うそぶ)いて、父が京都観光させた一度以外に故郷を出なかったそうです。平安神宮の赤い鳥居の前での兄弟の写真が証拠のように、二三枚手元にあります。明治生まれの田舎暮らしの市井人なら、それが普通だったかもしれないですね。
旅好きのこともあり、国内の目ぼしい観光地は、一度は訪れていると思っていますが。お付き合い以外の旅の地を只一つと挙げるなら、京都。
海外、ここ数年は環地中海に関心大で、地図が脳裡に描かれていますが、危険性のある処は意識して避けたく。今年は待望の春のシチリアかな、と。
どうして観光旅行をしたいのかと問うてみるに、日常生活の雑事からの逃避が先ず挙げられます。でも、ハタと気付いた事の一つに、絵画、写真、机上の空想は二次元、平面ですが、その地に立てば三次元、立体に観る事で心が浮き立つのではと。
同じ出し物でも、どうしてもテレビの舞台中継は退屈し勝ちなのに、劇場へ出向いて観ると、ウキウキと楽しい。
馬篭に行かれる寸前までは、根っからの都会人でとメールにありましたが、ウソのように、180度裏返しのように、そんなの有りかと云いたい程に、その旅を、馬篭を絶賛しています、ネ。
未知の地を訪れ、その景観、文化に触れる悦びを味わえるのは、動ける身体があっての事、とひしひし感じています。あなたは腰が重過ぎます。イタリア旅行の名紀行文を読みたいと切望しているのに、これは夢そう。ナニ、ホンの十日程の時間を作り、ゆったりとしたツアーに参加すれば、別天地、感動の旅が出来るというものです。観るも一生、観ないも一生です。
テルヲの佳い絵を身近に置けてよかったですね。父の丁度十歳の頃だなあと思いを馳せています。講演のいい記念のご褒美になりますね。 京都
* 海外へ、我が家で誰よりも行きたがったのは、妻。だが、そんなことの言い出せる時期には、つまり三人の年寄りが亡くなったあとでは、妻はもう都心へ遊びに出ても、時にひどく疲労した。余儀ない法事などの帰省でも、滅多には二泊と家を空けていない。一泊よりは二泊の方がからだにラクなのだ、が、三泊は思いも寄らない。ただもう、一病息災をわれわれは願っている。ばか息子殿は、お母さん自動車で北海道中をドライブすると楽しいよ、行こうよと母親を喜ばせたくて親切に誘ってくれるが、出来ればそれは楽しいに違いない、だが、自動車で旅行線を延ばすだけの旅が、どれほど疲れるものか、九州中の窯場を二度に分けて何泊もタクシーで走り回った平凡社の取材旅行で、また西行の跡を訪ねて四国や近畿をタクシーで走り回った「太陽」取材の旅で、よくよく知っている。妻は半日と堪えられないだろう。まだしも列車の方が、立ちも歩きも出来て心臓に優しい。
つまり、飛行機に釘付けから始まる海外の旅は、心から妻のために残念だが、今となれば夢でしかない。腰が重いのでなく、行かない、のである。意味は明白。一人旅も、せいぜい仕事がらみのものか、あっても二泊限度。行きたいが、じつは行かないのである。でも、行きたい。長い自作の小説をつくづくと更に推敲すべく、近間でいいから出掛けたい、どこかへ、二日ほどでも。しかし海外は論外、それこそ中国やソ連の時のように、井上靖や高橋たか子や日中文化交流協会が誘ってくれた、何か公式のよほどの機会でもなければ。
2004 1・31 28
* 少し、気がふさいでいて、「樋口一葉」をしていました。
「樋口一葉」というのは、封筒つくりです。お菓子や何かのきれいな包み紙、捨てるのが惜しくてしまってあります。それで、封筒をつくります。気がふさいで何もする気がおこらないとき、気持ちをほかに逸らしたいとき、こうした手仕事、それもやめようとおもえばすぐやめられる手遊びのようなことをして、時をゆかせます。
二重封筒にするのですが、重ねる紙の色やデザインをかんがえたりしているうちに、しこっていたものから解かれることもあって、まぁ、たわいないと……。
蜷川幸雄演出の「にごりえ」を観ましたとき、封筒貼りの内職をしている場面がありしました。一葉がしていたわけではありませんが、以来、わたくしの手内職は、「樋口一葉」ということになりました。
齋藤史先生の生前最後のエッセイ、亡くなられる二ヶ月くらい前に、口述筆記で残されたものですが、病院の個室での独りの時間、ご本を読むことも叶わなくて、むかし親しんだ芝居の台詞を声に出して、あそんだとおっしゃっています。その最初に口にされたのが、お嬢吉三の「月もおぼろに白魚の」でした。すらすら出てくると、ごきげんのようで、「ご新造さんぇ、おかみさんェ」や「ヤア牛扶持喰らふ青蝿めら」とやっていると、一時間くらいわけなくたってしまう、と、書いていらっしゃいます。
史先生がご覧になったお嬢は、六代目か十五代目羽左衛門、寿海あたりでしょうか。お聴きしたかった、史先生の「月もおぼろに白魚の」。
こんなことを申しあげているうちに、ふさぎの虫は退散したようです。
秦テルオ展、それと先生の講演、見逃し聞き逃して残念なことを致しました。気持ちが沈んでどうにもならない折りでした。ホームページの講演録を拝見して、つくづく、惜しいことをしたと悔やんでおります。
* 「樋口一葉」する、か。なるほど。同じわたしの西東京市、以前社宅にいたもとの住所近くに、春名好重氏が住まわれ、湖の本を介した文通などがある。春名さんの郵便封筒がいつも色目ついた手作り。自分でつくっていますと書かれていた。樋口一葉をされているのではなかろう、楽しみも加味して、とのことで。
歌舞伎座の夜の部が「三人吉三」の通し狂言。団十郎と玉三郎とも一人が、仁左衛門で。玉は初役。前に、国立劇場で、高麗屋親子の同じ通し狂言を見た。すこし寒かった印象がのこっている。団十郎の大きな愛嬌味、そして土手のお六がやたらうまい玉三郎のお嬢吉三。楽しみとは、これ。
昼の部もわるくない。「茨木」で玉三郎の鬼が伯母真柴に化ける。この玉ならではの工夫が楽しみ楽しみ。
そしてわたしの生母が生前執心していた「良弁杉由来」に父成駒屋といっしょに扇雀丈が出る。泣かされそうである。良弁大僧正は仁左衛門。佳い舞台が予想される。
2004 2・1 29
* a cup of ・・・ 2004.1.31 小闇@TOKYO
遊びに来た古い友人とお茶を飲む。彼女には、誰かに貰った高級陶器、自分では普段のマグカップ。ええ、まだ使ってるの? と言われた。確かに、もう十五年目。こんなに長く使うとは、自分でも思っていなかった。
小中学生の頃、マグカップは誕生日にクラスメイトから貰うものの定番で、そのせいでいくつもが食器棚に眠っていた。小さすぎたり大きすぎたり、色や形が好みでなかったり、唇に触れる部分が厚すぎたり薄すぎたりで、普段使いの一つを決められない。たまる一方のそれらは捨てるに忍びなく、そのままにしておいた。
だからなにも、自分で買う必要はなかった。コーヒーが飲みたければ、そのうちの一つを乱暴に取り出せばいい。別に割れても惜しくない。
なのに買った。最初の衝動買いの記憶だ。長崎屋の二階で見たそれは、やや厚めで白く、底へ向かって緩やかに窄まっている。ハートを半分に切ったような持ち手がついている。外側にはNovember、内側には11と印刷されている。誕生月。その店には十二ヶ月分が揃っていた。
昼休み弁当に添える味噌汁も、放課後のコーヒーも、研究室の緑茶もこれで飲んだ。それから、冷やした紅茶、作り置きのウーロン茶。これほど私と長く、一緒にいるものもない。
今もインスタントコーヒーの牛乳割りやココアをこれで飲んでいる。本当ならグラスで飲むべきであろうグレープフルーツジュースや伊藤園の充実野菜もこれで。でもビールは飲まない。ワインも焼酎もスピリッツも。このマグカップにアルコールを注ぐことは、今まで考えたこともなかった。
* なんとなく波長が合い好感を覚えた。わたしはマグカップは全く使わないが、京都の陶藝家田代誠さんにもらった湯呑みを、小闇の範囲をアルコールにまで拡げて、ほぼ例外なく常用している。ふっくらと厚手柔らかに焼いた手触りの温かい湯呑みは、わたしが両の掌に包んでも似合う、風格のいい大きさで、タテの長さが長すぎずにおっとりしている。荷をあけて一目惚れして、やはり十数年になろう、手放せない。「常用」ということではこれを便利に使っていて、他にもやはりいろいろと溜まっている。すこし気を励ましたいときは酒器は酒類により好みにするが、ビールだけは例の湯呑みがけっこうである。田代さんのことは、だから一日中思い出せる。 2004 2・1 29
* 椿 桜は別格としましても、椿は私の大好きな花です。安達瞳子さんや高橋治さんによく似て椿狂いの仲間かもしれません。花そのものの美しさはもちろんですが、その艶やかな緑の葉や落椿の風情、そして日本原産の、日本が世界に与えた花というところにも惹かれています。椿姫も日本からはるばる旅をしたこの花がなければどうなりましたか。
数年前から椿の歌句を少しずつあつめていました。都会暮し、マンション住まいで庭に椿を植えるわけにはいかないという事情もありますが、ノートに書きうつしてさまざまに咲いて散りゆく椿のようすを想像していますと、心豊かな別の世界の時間が過ぎて行くような気がいたします。
あけほのと名のある花の椿かな咲くをないそぎいのちしづかに
この二日、慌ただしいのになぜかカフカの『審判』を読んでいました。お笑いにならないで。一種の逃避でしたかも。大失敗。百年近く前に書かれたものですのに、近未来の恐怖小説のようにしんしんと心寒くて……。
カフカに傷つき、「グラン・ブルー」に魅了される方を想い、別世界を抱きこむ人生にしばらく泣いていました。カフカはもう戻る必要がなくなって幸福でしょうか。
どうか戻る理由を求め続けてください。
* 世中は霰よの 笹の葉の上の さらさらさつとふるよの 室町小歌
2004 2・2 29
* 物の輪郭をにじませ、身に慕わしげに細い雨が降ります。
傀儡師発祥の地といって、西宮で、毎年、今頃、文楽のセミナーが行われますの。今年は文雀さんの政岡ときいて、出かけてまいりました。
早めに行って、門戸厄神に寄りましたら、駅前に何軒もおいしそうなケーキ店があって、門前には、厄除ぜんざいに、厄除サブレ。それだけで、幸せな心地がします。
西宮からの帰りは、難波高島屋の「近代日本画展」を見ようと思ってました。駅に着いた瞬間、梅田の映画館で、ディートリッヒの写真展が始まっていたことを思い出しました。
* 広島県廿日市市にある、ウッドワン美術館のコレクションから、50人ほどが、それぞれ2点ほど展示されていた催事で、ひさびさに川端龍子の線や、佐伯祐三のしゃれた空気などに触れて嬉しくなり、また、“あぁそうそう”と眺める、色や線がありましたが、なによりも、浅井忠の「八瀬の秋」に、胸をつかれました。
それにしても、「鮭のひと」といわれてしまう高橋由一は、気の毒ですわ。
* しやつとしたこそ 人は好けれ。
2004 2・2 29
* アル原 2004.2.2 小闇@TOKYO
アルコール原理主義ではありません。
アルバイトをすることになった。原稿を書くのだ。普段も書いているがそれは給与のうち。しかし他の媒体に書くと稿料が入る。その原稿をアルバイト原稿略してアル原と呼ぶ。
ついついいつもより気合いが入る。そして締め切りよりだいぶ早く書いてしまう。推敲も丁寧。その媒体の作法が判らないので苦労もしたが、楽しく書けた。
普段書いているものがつまらないとか手を抜いているとか、そういうつもりはない。けれどこの、気持ちの違いはなんだろう。
思うに学生時代のアルバイトは、アルバイトという名の本職で、それでしか稼げなかったし、その収入がなくなるとかなりダメージが大きかった。楽しむ余裕はなかった。今度のアルバイトは違う。小銭稼げて嬉しい、ではない。楽しい。
ああもしかして、こういうことなのか。普段書いているものとは他のものを書く面白みというのは。ついでに原稿料も入ったりして。そりゃ取り憑かれもするか。
その意味ではアルコールに近い。
* 東京の小闇に、危険信号がともった。
初心もいいときに、原稿を「書くことと稼げること」を一つの地平でとらえ、小銭稼ぎのアルバイトが楽しい、と。私にもかすかな遠い記憶はあり、分からぬではない。だが、「書く」ことを、みくびっている。コラムや小さなエッセイを書くことはこの筆者には、今の力なら出来るだろう。だが、そこで「調子」に乗ると、まだ未熟な筆は、そのまま固まり、例えば優れた創作の世界や犀利な批評の世界へは、自分の手で手枷をはめ足かせをはめてしまう。文章・文体は魔物であり、みくびっていると器量が固定し、飛翔も変身もできなくなる。本当なら、今こそ辛苦して、我慢して、より大きなモノへ地道に無欲に取り組んだ方がいいのだが。アル原に「取り憑かれ」るなど、「アルコールに近い」など、コトの危うさに半ば気付いているのだから、よけい危ない。棒ほど願って針の世界だ、「書く」とは。はなから針を握って、棒になることは、まず、無い話。
2004 2・3 29
* (秦テルヲ)講演録は昨日読みました。実際の講演の声の雰囲気や気配を想像しながら、やはりその場で聴きたかった、です。本当に!! 以下は、一日で急ぎ足に笠岡、尾道へ出かけた、昨秋の「秦テルヲ」展覧会のことを書いた日記から出してみましたが、わたしの感想も、近いものがあるでしょう、か? 播磨路より
やけにしぶとい夏の残り 明るい週末だ
笠岡美術館 秦テルヲ のたうちまわる苦しみに さて彼はそして描かれた女たちは 縋り寄るところをもっていたか・・もっていなかった
やがてかくも美しい天の配剤 妻というオンナと我が子 長男を描いた小品は彼の描写力と彼の愛情を髣髴と示す テルヲは生きた
わたしは彼に同化しながら 同時に描こうとするその形のあまりの距離に絶句した 彼は描くとき幸せだったか それでもなお道程の遥かであることに絶望していたか 最後の絵日記は淡々と、しかも緻密でさえあって美しい
尾道・なかた美術館
「智内兄助=ちない・きょうすけ、は愛媛県波方町出身・・。1980年代初めから、和紙にアクリル絵具という独特な描法で、日本画と洋画との境界を越えた革新的絵画表現を創り上げました。赤や金を基調とした艶やかな着物をまとった少女、神秘的な背景、幻想的な雰囲気を漂わせる芸術世界が展開します。
1987年の第三十四回安井賞展で人気投票による特別賞、91年には第三十三回? 安井賞展で佳作賞を受賞・・・ここ数年はヨーロッパでのみ作品を発表し藤田嗣治の再来と賞賛されています。・・」
彼の絵に対する感想はまだまとまりなく混乱しているが、何より大切なことは彼自身から聞いた言葉、当たり前の至極当然な言葉だった。仕事に邁進しているということ。朝五時から夕方まで一日十時間以上、アトリエに籠ります。そうなのだ、そうなのだ。それ以上何を付け加える? 同年代の彼は今稔り豊かな最盛期の充実にある、同時に際どい地点に立っている。あなたには ものが 透き通ってしまったのかもしれない ものの内部が透視されてしまうのかもしれない あなたの視野はジャパンから いちど作品が売りさばかれるというパリまで 引き伸ばされねばならない 大いなる拡大・・そんなものいらないよと あなたは言うだろうか それでも そうしているでしょう?
紙、ジェッソの厚み、布、箔、鉛筆の線、面相筆の線、充溢する、同時に危うさも強く感じた 何が足りないのか 答えはすぐそこにあるのだ わたしにさえ容易に見えてしまう「土俗」のもどかしさ、文字のもつマイナスの要素・・これはすくなくとも絵画において 手掛かりは 好きか嫌いか それだけを本能的に察知すればいい そしたら生きる道筋が見えてくるだろう 少なくとも何がしかは見えてくるだろう
また、ある美術館の ある一つの展覧会場で
ひっそりとした会場に 画家を見送った 年老いた妻が ソファーに坐っている もうこの先 こんな風にまとめて展覧する機会もありませんでしょう
わたしも年老いました・・
地方に住む画家として一生を終えた その画家の軌跡、 画業の評価は人にゆだねよう ただその人の歩みがそこにあった
薄墨桜や 描かれた墨牡丹にも限りなく心魅かれる
あり得ない幻と憧れに 現実とすれすれの期待をこめる
そして青い花、ノヴァーリスの詩はいうまでもなく ただ花そのものに
ヒマラヤの高地に咲く青い芥子 ブルースター、モーニング・グローリー・・こう言うよりも朝顔と書けばその方が思い出に満ち溢れて清清しくはかなげ そして身近にそっと咲く露草の花
ささやかな多くのものに支えられていく
1.20 京都へ 朝早く家を出たが、JRで人身事故のため列車は一時間ほど遅れた。星野画廊で絵を見る。「出町柳」の絵も見る。これは然るべきところに・・。ちょうど画廊に入ったとき若い・・二十台の青年と星野さんが先日の講演会のことを話していた。展覧会場では美術館の学芸員だろうか、企画が地味なために新聞社などの後援など十分でない・・などと、これは知人らしき人に話をしながら作品を見て廻っていた。改めて見る。救いがないような哀しいもの・・ただし彼の描く魔界の住人たちは決して魔物ではない、そして田園風景の黄緑、仏画の表情・・。
寺町まで歩く。久しぶり、唯歩いただけ。進々堂でコーヒーとチョコケーキを食べる。四条まで下がって街の変貌を楽しんだり、悲しんだり。
* 此処にも、人ひとりが、自分の言葉で生きている。知情意の鼓動。
2004 2・3 29
* 共食い 石峰寺を訪ねました。冴える風に竹がざわざわ鳴り、落ち葉にふかふか籠る仏さまの、頬に、額に、肩に、こもれ日。
手持ちの絵画をパブリックスペースに飾って開放中の奈良ホテルで、大きな時計の鳴らすゆかしい音を聞きながら、ケーキと熱々の珈琲をいただきました。松園の「花嫁」が眼目でしたわ。
夕まぐれの白毫寺。三月堂と戒壇院の仏像。
春日大社の節分万燈籠から帰ったのは9時を回っていました。伏見稲荷参道で買った雀の丸焼きを温め、缶ビールをあけて。犬歯でカリカリかじっていくうち、だんだんなんだか猫気分。
* 日々に満ち足りて、そのうえこのように佳いところを経巡り歩いて、身心健康なら、どんなにいいことか。雀さんの共食いか。
* 羽根突きスポーツ後の昼食時、毎週、バアサン共はどんな話に饗じるのか。
今日は政治の話に終始しました。
テレビ、新聞から得るニュースを下地に、各自、それぞれ途切れず意見が出ます。
まず、イラク派遣の件、小泉首相の強引な決行に批判続出。それに沿って小学低学年の頃、長兄を甲種合格、学徒出陣で近所の神社から日の丸の旗を振って戦地へ送り、マラリアに罹り、身体を痛めつけられ、帰還後は床に臥したまま、正常な生活を送る事なくこの世を去った、と、経験者の涙交じりの戦争反対の話あり、父の出征を経験した私も同調して、未経験の人に告げたり。
古賀潤一郎の学歴詐称疑惑は、話題に取りあげるのもおぞましい行為と憤懣やる方なく。返す刃で安部幹事長が槍玉に上がり、貶めの勘ぐり合いではないか。叩けば埃が出る政治家達、真の政治家、政党はイズクに、と、本日は大マジメな論争でした。
時には、今テレビや映画で売れっ子のイケメンがカワイイと目を細めたり、旅行プラン、孫、読書等々と話題は尽きなく時間は過ぎます。
毎回、1000円そこらのコーヒー付きのランチサービスで。
常識の範囲で腰を上げるので、お店にも、他人様にも迷惑はかけていないと思うことにしています。 新宿区
* 当世主婦気楽。これが、選挙などの投票率にも世直し投票にも結びつかない。
* 市内の眼科に行った。幸い視力はそう無くなっていないと。白内障は改めて瞳孔を開いて検査したい、無いとは言えない、その気味は有るけれどと。日々の不自由は、やはり眼鏡の能力と、パソコン機械との関わりが不適切ということで、早急にまた眼鏡をつくりに出かけなければならない。
* 長谷健の芥川賞作「あさくさの子供」 興味深く電子文藝館で読みました。星子はどのクラスにもいますし、私の中にも棲んでいます。
「三女トミちゃんの自意識伝」も「e-文庫・湖(umi)」で読みました。 川崎市
* 有り難い。
* 東工大の頃に、学生に、わたしをべつに「先生」と呼ばなくていい、わたしは、呼ばれようが呼ばれまいが「先生」に拘る気は無いとはじめに告げた。それで学生達は、大方が希望したように秦さんと呼んだ。バルセロナなど、恒平さんとずうっと呼んでくる。しかし僕はゼッタイに「先生」です、そう呼びますと今でもそう呼ぶ人も半分はいる。どっちでも、気持はよく分かっている。
* 読者に対してわたしは先生ではない。作者である。「先生」とは言ってくれなくなることを望んでいる。
私の渇くように闇の芯で待っているのは「身内」である、が、それがいかに難いかも識っている。だから求めるのである。
2004 2・4 29
* 泉鏡花の香り 鬼を豆で追い出し、福を声朗々と誘いました。
鬼は自分に巣食っている鬼でもあり、福は、永遠の、求めて手に入らない青い鳥かも知れませんが。
短歌の人に、「鬼の研究」という著書がありました。老若男女、皆、自分の鬼を大切にしておるのではないか。
金沢の浅野川の風景を思い浮かべながら、鏡花の、ふるえるような「美学」概論を「闇」で読みました。 川崎市
* わたしはかつて、一人の新次だった。お秀にもまさるお秀がいた。幸せであった。新制中学の二年生だった。お秀は三年生で卒業していった。卒業後は転居していった。わづか半年。だが、今もあの当時とおなじようにお秀に感謝している。彗星がちかづくように歳月をへてお秀へわたしは少し近づき、すぐ、また遠のきあって、今は行方も知れないが、むかしのお秀をかわりなく慕っている。鏡花の新次が終生お秀を慕っていたように。そういうことも、実際にあるのだ。新次と同じわたしの気持は、斎藤野の人が書いているそのままだ。じつは、はじめて野の人の、上に上げた箇所を読んで、わたしは心底ビックリした。六十八のジジイが、瞬時ボウとなった。そういうことがあるのだ。
生まれて初めて、わたしの所謂「身内」という思いを完全に満たされたのは、あの新制中学のお秀であった。ま、そんなふうにわたしは、常識世界からはへんに見えそうな人なのである。
2004 2・4 29
* ひかりは、はる 松園の「花嫁」ですって! 囀雀さん、羨ましうございます。「人生の花」は逢う機会に何度かめぐまれていますけれど、「花嫁」は写真さえ、目にしたことがありません。キップをいただいてまいりました東武美術館での展覧会にも「花嫁」はありませんでした。奈良ホテルへ今すぐにもとんでゆきたい。それっというわけにも、ゆきません。
「泉鏡花とロマンチク」、続きを早く拝見したうございます。「斎藤野の人」というおひとから、じかに名講演をうかがっている気さえいたします。わくわく、そして、そうそう、あ、そうでしたの、などと、うなづいたりしながら。
目のお具合、だいじないようなお話、ほっとしました。でも、おたいせつにと。ご無理重ねておいでのごようすですもの。
きのう、鬼やらいをしませんでした。撒かなかった豆をおやつに少し、かじりました。身のうちの鬼への振舞い? それとも鬼打ち?
ひかりは春の一日でございました。
* 松園と想うと、すぐさま生涯の作品がそれこそ走馬燈のように眼裏を流れ出す。それはもう全く類の無いといいたいほど、別次元の世界だ。それが根無し草にならずにしかとリアルに胸に残るのは、松園さんの生きる意志力が毅く、その毅さが現世の生活の中に痛いほど根になり食い入っていたからだ。
2004 2・5 29
* 白内障の手術から退院してきたと聞いたばかりの人から、親切なメール。
* 順調です。 特に問題なく経過しているようです。よく見える! という驚きは右眼の時に経験済みですが、今は、無事に終わったという安堵の気持ちです。いくら安全確実になったといっても100%ではないですし、最悪の場合も考えましたから。 術前も術後も、血圧が上がったりせず外から見ると落ち着いているように見えたらしいのですが、やはり緊張していて、家に帰るとひどい肩こりでした。
同じ白内障の手術でも、知人の一人は、眼内レンズに度があることも知らず、医者から希望も聞かれなかったそうです。もう一人は、遠くに焦点を合わせたものを希望したのですが、医者に「近くの方が普通なんです!」と言われ、それ以上何も言えずに希望通りにならなかったそうです。たしかに平均年齢が70代後半の手術というので、その生活環境を考えると近くがよく見えるものの方が適切というのが今までの治療指針なのかもしれませんね。
私の場合は近くの眼科医院ですが、比較的話しやすい医者で、希望を聞いてくれ、今のところ満足しています。
眼科に限らず病院や医者との巡り合わせは大事なことですが、またとても難しいものですね。
私の姉は輸血によるC型肝炎を発症して、横浜で近くの開業医から有名専門医のいる県立がんセンターへとうつり通院していました。インターフェロン治療は姉のウイルスの型と量では適合しないとかで、専ら肝機能を改善して癌化を遅らせる療法でした。
一昨年東京へ転居することになり、同時に病院もその近くに変わりました。するとそこで「インターフェロンを試してみない手はない」という医者に出会い、通常の倍、1年間の辛い治療でしたが、成果あって、この1月に全快となりました。もちろんまだ経過観察は必要ですが、いまウイルスはゼロなのです。これは私の眼とは比較にならない大きな
喜びでした。
長々と私事をお話ししましたが、眼科でお悩みのことを読んでいましたので、こんな例もあるとお知らせしたくなりました。
昨年末にはメールをありがとうございました。喜びが何倍にもなりました。活動の方法についてはじっくりと考えているようです。これまでも道をまっすぐには進んでこなかった息子です。この先も何回かはやきもきさせられることでしょう。
どうぞお体も眼もお大事に。良い道が見つかることを祈っています。
* ありがとう。
* メール拝見しました。今年は、長谷健が生まれてから丁度100年になります。「あさくさの子供」は当時の世相を考えると私は亡父の一番の作品だと思っております。普段は埋もれている作品が一人でも多くの人に読んで頂ける機会を設けて頂いたことに遺族として厚く感謝しております。 遺族
* 誕生日祝に、主人が、スケジュール手帳より小さい電子手帳を寄越しましたの。しょっちゅう、あれこれ訊くのがうるさいというのでしょう。
車中でご本を読むとき、旅先の疑問解消、メールや手紙に、便利に使っています。
冴え返り山嵐荒るる常磐木に降りもたまらぬ春のあわ雪
あわゆき、いいえ、真っ白に吹雪いています。道ですれ違った見知らぬおじさんに「さっぶいなぁ!」と声をかけられました。7・8日は、必ず荒れるといわれている当地のえべっさん。
おすこやかにいらっしゃいますか。お仕事すすみますように。
2004 2・5 29
* 荒れる名張のえべっさん 疲れないようにとのお心づかい、ありがたく存じます。
伊賀の乾いた風が、ここ数日特にひどく鳴きました。吹き尽くした空に、有明の、ほのかに菜種色した、月。ところが、朝日を拝んだと思う間もなく、雪、雪、雪。今日のNHK-FM 「邦楽百番」で、津駒大夫が語る「新口村の段」、そのままに。
露店を冷やかしに出歩くのはやめて、地元老舗の福鈴最中と、地酒だけ、大急ぎで買って、熱いおうどん食べてこようっと。
明日は、本殿東西「登竜門」を開いて、通り抜け参拝という、大阪天満宮へ、いってきまァす。
* わたしの日々は、この人ほど、寂しくはない。
2004 2・7 29
* 以下の小闇の言説は、無視しにくい懸念にふれている。「検索」をインターネット機能の大きな一つに数えている人は多いはず。
* ググってミホ 2004.2.7 小闇@TOKYO
Googleがやってくるまでは、ディレクトリ検索はYahoo!、キーワード検索はgoo、新着情報検索はfresheye、どれも精度は低いけど、というのが私のなかでの常識だった。それがGoogleのおかげで、他の検索サイトを使わなくなる。優秀でかつインタフェースがシンプル。おかげでいろんなことを知りあてた。知らない方が良かったこともいくつかあるが、それはまたそれ。
ところがこのGoogleが、広告を取り始めておかしくなった。スポンサーに都合の悪いサイトを、検索の対象から外し始めたのだ。確かにそれまでのGoogleは、タダで優良なコンテンツを提供するという、どうやったって儲かるわけないシステムで、いつか広告をとるだろうということは予想できていた。しかしこれは、当初はえらく優しかった男が結婚詐欺師で、気付けば身包み剥がされたというのに近い。どうせスッカラカンになるなら、いかにも怪しい野郎にだまされた方がまだ納得できる。
ではどうするか。じつはYahoo!もgooも、今使っている検索エンジンはGoogleのもので、理屈の上ではこれらを使ってもそれなりの精度の結果が得られる。本家が腑抜けになった以上は仕方ないかと思っていたちょうど今日。衝撃的なテレビCMを見た。
gooのリニューアルCM。「吉岡美穂」を検索するつもりが「美浦」でも「美帆」でも「美補」でも、きっちり「電話してミホ」のCMで知られる吉岡美穂だと判断し、そのように検索結果を表示するのだという。なんてこった! 私が知りたいのは小学校の同級生の「吉岡美保」のことかも知れないのに!
マイクロソフトのWordやExcelの自動補完機能は嫌われている。勝手にスペルや表記揺れをチェックしてそれをお知らせして下さったり、お知らせせずに先回りして直して下さったり。「iモード」はまず間違いなく「Iモード」に「正しく」直されてしまう。昔使っていたスペルチェックのソフトは、「Chiba」を必ず「China」に「正しく」直した。デジタル創氏改名。<>br これらの機能は「オフ」にできる。が、能動的にオフにしなくてはならない。漫然と使っていると、その機能の範疇から逃れられない。
ネット上で収益を得なくてはならない検索サイトが、こうなってしまうのは、資本主義社会では仕方のないことなのだろう。唯一それが通用しなかったはずなのがこの世界、潮目が変わってきている。
* この「潮目の変化」は、われわれの電子メディア委員会も傍観はしていられない。
電子メディア委員会新設を提言して、日本ペンクラブに、国際ペンにまだ無い独特の「電メ研」を創ったときから、わたしは確信していた。ペンで討議する問題の大方が、この委員会領分に触れてくるのに、歳月はかからないだろうと。バイオメトリクス、住基ネット、電子出版契約と著作権、セキュリティーと人権侵害拡大の傾向、ユビキタス、文字コードがらみのいわば新たな漢字制限傾向の潮流化。
先日の委員会で話題にし対応を考慮しただけでも、気の遠くなる問題が山積し、さらにエシュロン連合国と欧州連合との、競合的に拡大してゆく、個人秘密の権力による剥離と管理干渉の強化傾向。これらはみなわれわれの「ペン」とも、近く遠くから関わってくる。理事会に身を寄せ踏み込んでこれらに対応できるセンスや理解があるかどうか疑問は深いが、たいへんな時世にどんどんなりつつある。
* ああ、胸苦しいままに機械の前で夜更かししてはならない。闇にぬりこめて寝てしまうがいい。
2004 2・7 29
* ご近所さんからチケットがあるからと誘われて、映画「半落ち」を観てきました。息子の寺尾聡は好きだった宇野重吉を抜いたのではと思われる程、いい演技者になっていますね。
アルツハイマーの奥さんに手をかけて死なせ、自首をするまでの警部の二日間のブランクを追う物語で謎を含ませ、内部の恥部と工作もあり、辛口を云えば少しくどいかなと思う程に泣かせ場を作っていますが。
秘密を守りきろうとする優しみのある人間を描いています。
隣に座ったお爺さん(ひょっとすると私よりも若いかも)が泣いて泣いて涙を拭くので、泣き過ぎイーと思っていたのですが、気付きました。きっと奥様を亡くした老人なんだと。
今、ミシンをかけながら、イタリア映画「星降る夜のリストランテ」を観ていました。言葉の端々が理解出来る時もあり楽しく、内容も一晩、リストランテで食事をする様々なお客達のそれぞれの人間模様を写し、世界共通の悩み悦びをみせていて、面白く。只、そこに登場の日本の子供連れの家族の描き方が偏見で、いつも欧米の映画での日本人の描き方を不満に思うのです。白人第一、まだまだ残る有色人種への差別だと。
* わたしは昨日から今日に掛けて、デブラ・ウィンガーとアンソニー・ホプキンスの「永遠の愛に生きて」を観た。事実は、もうデブラが終焉の間際でやめた。
アンソニーは、イギリスの名門大学の初老の教授で、児童文学作家であり詩人でも。デブラはアメリカからきたユダヤ人の気品豊かな人妻で。聡明、そして自由な一人格。デブラの夫はアル中の暴力的な男らしく、その父親をおそれつつ気に掛けている少年の母である。そのデブラが、イギリスへ、アンソニーの講演を聴きに来る。手紙も来ていて逢って欲しいともある。ずうっと独身同士の兄と一つの家で暮らしているアンソニーたちはこの夫人の手紙にさしたる関心も寄せていなかった。アンソニーは、比較的には魂の自由を得ているが、正真正銘のイギリス紳士で名誉ある知識人、藝術家。彼の或る幻想的な児童文学が、それだけではないのだが、この女性をして太西洋をアメリカからイギリスへ渡らせた。
すばらしい映画である、もう三度は観ているのでそれとはよく知っているのに、また感動し泣かされた。最後のデブラの死をみていられなかった。彼等は、二度結婚する。一度目は紳士として、離婚してロンドンで貧しく生きているデブラ母子にイギリスの国籍を与えるために。その最初の結婚はデブラが必要からも望み、女の気持ちの分からないアンソニーは、形だけの行政的な結婚を与えれば済むのだと思いこむのである、心からデブラを愛しているにもかかわらず。デブラも彼を心から愛しているにもかかわらず。しかもその結婚は立ち会ったアンソニーの兄以外には告げられず、教授は、時にむき付けに所属する大学内社会からも非難される。
ほどなくデブラは悪性の骨癌にいためられて、治療を受けたときは、とうてい助からない、もう末期であった。愚かだったことを覚ったアンソニーは、再び、神の前に永遠の結婚式をあげたいと、病床のデブラにプロポーズする。デブラは喜んで受ける。手術によりほんの一時的な軽快を得たデブラの願いで、アンソニーが少年の昔に魅了されたという地方へ「新婚旅行」し、二人の幸福のそれは美しい最高潮となった。山の草原の雨をさけた小屋で、アンソニーは「死なないでくれ」と言い、デブラはやがて死ぬことをしっかり告げる、いまはこんなに幸せだけれど。
そこでデブラは、こうアンソニーに告げる、「わたしが死にあなたが生き残る深い悲しみ、苦しい不幸。それすらも、今のこの、大きな大きなかけがえのない幸福の一部を成している」のだと、「受け容れて欲しい」と。
家に帰ったデブラに、しばらくの幸福は続いて、予期された転帰のときが迫る……。落ち着いた美しい映像、静かなのに烈しく生動する劇的展開のこころよさ。
2004 2・8 29
* てんま天神梅まつり 通り抜け参拝を楽しみにしてましたのに、わずか一時間しか登竜門が開きませんの。がっかり。大阪天満宮の梅まつりって、初めてのようで。文枝さんが「百年目」をなさる落語会プログラムに「第1回梅香席」とありましたもの。
お参りしたあと、境内を歩いてましたら、盆梅展と同志社大学茶道部の茶席が、同じ、500円。花より団子の雀。迷わず茶席へ飛び込みました。そうしたら偶然、お茶席から帰るところの文枝さんにばったり。こいつは春から…ですわ。
2004 2・8 29
* 讃岐の****です。留守中に「歌集到着」のメールを頂きありがとうございます。また、いい年齢をして、作者が身命を賭した文学の本質をいまだ掴みえぬまま、ただただ、その深化と普遍化を願う立場での行為を、過分に評価してくださり痛み入ります。
「秦恒平の文学と生活」と共に、読みごたえのある「日本ペンクラブ電子文藝館」サイトは、じっくりと時間をかけねば対応しきれないほどです。
そのペンが、6日に「いま、戦争と平和を考える」緊急集会を開き盛況だったこと、その声明全文を「赤旗新聞」で知りました。この報道を含めて、イラク派兵反対の運動や平和を願う市民の側の動きを、大半が無視している一般マスコミとは、一体「何なんだ」との疑問がますます深まります。情報統制が知らぬ間にすすみ、気がついたら60年前と同様だったという事態だけは御免こうむりたいものです。辺見庸氏は「ペン部隊」はすでに始められていると指摘。
文学者の戦争協力への重要な役割を果たした菊地寛の出身地・香川の地方新聞(四国新聞)が、1月6日から旧作「貞操問答」の連載を始めたのには、マサカと驚いたものです。「真珠夫人」のテレビドラマがヒットした顰蹙あさましさ。それ以上に、ソフト路線から菊地の本質をじわっと再現させたい意図が丸見えです。
高松市が巨額の市税を投じて出版した「菊地寛全集」の皇国史観、侵略戦争賛美満載の4つの巻への抗議を込めた行政訴訟に賛同し、応援の甲斐なく最高裁で敗訴しました。違憲裁判は組織的取り組み(愛媛玉串料訴訟のような)ぬきにはなかなか勝てません。でも、勇気ある個人が起こした行動は記録に残り、地方紙にも載り、考えるきっかけを作りました。郷土の誇る文豪の仮面の下を直視して欲しいものです。井上ペン会長や故・松本清張氏など多くの文壇人が褒める側面が菊地寛にあったのも事実でしょうが、一種のオピニオンリーダーたる文壇のボスの言動は、一般庶民のそれとは区別すべきです。
生前の小田切秀雄氏は病床から「もっと早く、裁判のことを知っていれば」と激励の言葉を無念さとともに送って下さいました。
* 時代と共に生きるしかない人間には、時代に膚接し感染した、おできのようなものを創っている。時代を「抱き柱」にし迎合していれば、なおさらその病症は烈しくなる。保守といい革新といい、それが一つの時代の表と裏とであって、強く結びつけられた同じ一つの二つの表れに過ぎないと一度識ってしまうと、思わず苦笑いが出る。
男と女は異なるではあろうが、じつは男も体内に女をもち、女も男をもっていることは生物学や遺伝学が明示している。両性具有はむしろ本来であり、それが男寄りへ、女寄りへ、不等記号を圧倒的に開いているから仮に男になり女になっているに過ぎない。保守にも革新にも「時代」を介してそれがあり、だから転向も生じて、共産主義者が超保守主義者になったり、全学連や全共闘のメンバーがみちがえる体制側戦士に変貌してもいる。逆もある。本人たちはそれを改進改正の選択だ、声調進歩だと言うだろうが、「抱き柱」のどっち側から抱きついているかの差でしかない。自由でないことでは同じであり、そうなると、要するにどっちに投票するかだけの選択がのこされる。選挙権とはそういうものだ。
菊池寛はえらい人であったけれど、時代の病原を苦もなくのみこんでいた。菊池寛はそれで済んだろうが、エピゴーネンには菊池寛ほどの容量がないままだから、歪みに歪んでゆく。菊池寛その人を「抱き柱」にしてしがみつく人が多いという意味であり、それが自信のなさと不安とのあらわれなのである。菊池寛に限らない。小泉総理に抱きついているものも、いまだにマルクスに抱きつく者達もいる。
何という「柱」ばかりの現世であろう。いろんな名前の柱が無数に立っていて、人はどの柱に抱きつこうかとうろうろしている。キリストにしようかマホメットにしようか観音さんにしようか。赤にしようか白にしようか。金にしようか、地位にしようか。つまりそれほどに現世は不断に激震している世界なのだ、「抱き柱」を抱かないでは独りで立ってもいられないほどに。
しかし、柱のあること自体が錯覚である。そんな柱を離れ、独りで立ち歩くことはできる。自由な人にはそれが出来る。そういう人達が手をつなぐこともできる。愛し合うことも出来る。
「柱のある世界」が現実で、「柱のない世界」が虚仮なのか。さあ、この認識、この判断、興味がある。「柱のある世界」は夢で虚仮で不安の、現象世界。「柱のない世界」は無で自由で実存・本質の世界。わたしはそう思いかけている。そっちへ歩いている。おそろしい選択をしているとも自覚するが。こんなに不自由に生きていながらと、呆れもするが。その自覚や呆れが、闇の彼方へ「悲鳴」のように届くようだ。
* ここ数日の、闇に言い置かれている言葉には、負が大きく働いているように感じられてなりません。ご自身ではご自覚もおありだと存じますけれど、それ以上に、とてもとても、とてもお疲れなのだと。文章の合間から、お体の悲鳴が聴こえてくるようで、とても辛くなります。
楽しみながらのお仕事とはいえ、感情と肉体は別物ですよ。このことも、釈迦に説法なのかもしれませんけれど。
遠地で案じるばかりの身が歯がゆくてなりません。せめても元気が取り柄の、私のパワーをメールに籠めておきます。どうぞ、ご無理なさいませぬように。くれぐれも負の誘惑にはご油断なく、ご自愛ください。
* わたしの不徳である。感謝し、あやまります。
2004 2・9 29
* 落語会の始まるのが夕暮れでしたから、のんびり起き出し、朝食を摂りながら気に入りの旅番組、続いて美術番組を見、前日に買った最中でお茶にして、新聞を日曜版も全て読んで、さァてと手をつき、立ち上がろうとしたところ、彦六さんの芝居噺「鰍沢」が始まりましたの。白黒のフィルムです。座り直しました。ぞくぞくと、ひきこまれ、支度どころでありません。面白かったァ! あとえらい大慌てでしたが。
歌丸さんがなさるの、これでしたのね。一度、正雀さんの高座を見たいわ、と願っておりましたが、なお増しました。
* 稀有な暮らしぶりだと思うが、出来るのだから、けっこうなこと。すぐさま羨ましいとは思わないが、そんな気のするときも、ある、たしかに。
2004 2・9 29
* ながい付き合いの元学生クンから、ながい電話をもらった。
* 昨夜は、マンションの上の階から大量の水洩れがあって大変でした。私が轟音に驚いて上のお宅を訪ねると奥様は不在。ご主人と息子さんが噴出する水を押さえられず、非常事態にただおろおろしていました。男ってこういう時にほんとうに役に立ちません。
私が元栓を締めてくださいとお願いしても、ぽかんとしていらして。私が自分で締めて水が止まったと思いわが家に戻れば、娘が部屋の中で傘をさしながら家中のバケツ、鍋、しまいには花瓶や茶碗まで持ち出して、どしゃぶりの中を奮闘していました。
私が欲しかったのはもっと優しい洪水で、ほんものの氾濫ではありませんでしたのに。
昨夜は遅くまで拭き掃除、今朝は早くから洗い物と洗濯です。天井を剥がして工事しなければなりません。やれやれ、これで貴重な何日かが潰れます。
少し同情していただけますかしら。
* こういうのは、経験したことがない。気の毒だし、すこし笑ってしまったのは失礼であったか。
* 昨日は歌舞伎座夜の部へ行きました。疲れて、家に帰ったら途端に眠くなってしまいました。
感想は、歌舞伎座の芝居だったなあということ。三階の遠いところから観ているからでしょうか、体温の低い感じがしました。以前シアターコクーンであった勘九郎、福助、橋之助の「三人吉三」は、もっと熱かった。客層も歌舞伎座とは違い、立ち回りのときのしかけに対する反応がとても大きかったです。
環境を変えることで、歌舞伎座にある固定した視線に新風を吹き込もうというのが、勘九郎の歌舞伎座以外の場所で芝居をする理由の一つかなと想いました。
でも、仁・玉の、倒錯したお嬢とお坊には、どきどきし通しでした。
毎日寒いですね。風邪にはくれぐれもお気をつけになってください。
* よく分かる。
2004 2・9 29
* to the next 2004.2.9 小闇@TOKYO
孤独は怖くない、原則として。むしろ好き。それはきっとずっと変わらない。でもひとりじゃないから救われることはある。
こんなことでへこんでちゃ生きていけないし、これまでだって生きて来れなかった。どうせ一週間もすれば忘れちゃうんだし。でもその瞬間はやっぱり辛い。うあーっと叫んで窓を突き破って道路に飛び降りてぴたっと着地を決めたいという衝動に駆られる。でもまたやっぱり思い直して、マフラーを巻いてコンビニに昼食を買いに行く午後三時。
こういう立ち直り方はホントはとってもイヤなんだけど、でも、辛いのは私だけではない。一部始終を見ているわけではないけれど、わかるというのはこういうことだ。把握するでも理解するでもない。誰かの体温に触れたり直接の声を聞いたりしなくても、見慣れたはずのMSゴシックやMS明朝が、そこだけ少し長波にずれた光を放っているように見える。そっと眼でなぞる。
また温泉に行くんだ。もっと美味しいものを食べる。ザマアミロと呟いてニタッと笑う。私にしかできないことをやる。近くのひとりにちょっと嫌味を言われても、遠くの大勢に報いるように努力する。意地悪されても気に止めない。きっとそのうち間違っていたと気付くはず。
吐くほど辛けりゃ吐いて吐いて、しばらく安静にして、それでまた戻ってくればいいんだよ。戻ってこざるを得ないんだしね。
* 今日、ながいながい電話を掛けてきた彼に、読ませたい。小闇、でも、むりはするなよ。吐きたくなれば、受けてやるから。
2004 2・9 29
* 柿は食べなかったけれど、正午に着き、二時に辞する、その両度に鐘の鳴った法隆寺は、異国の宗教に、すがりつかずにいられなかった、古人の思いが胸に響いてきました。
式典の準備中にもかかわらず、ていねいに応対してくださった龍田神社の女性宮司さん。能の「金剛」発祥の地の顕彰式ときいて、びっくり。
いかるがで見上げる空は、飛ぶ雲を織りなした水色のヴェール。法起寺、法輪寺、慈光院、薬師寺…人の居ない寂しさも人の居る気づまりも無い程良さに、澄んだ祈りごころの湧いていくるみ仏や、場に、いくつも出逢いました。
* 横浜の昨日は非常に寒く、うっかり薄着で出て慌てました。中華街は地下鉄で繋がって行き易くなったせいか、春節から一週間も過ぎたのに赤ちゃん連れからバーチャンジーチャンまで山盛りの人出で、この街に活気が戻ったようです。軒並みの中華料理とお値段を見比べて歩くのも、タマにはおもしろくて楽しく。
今日は建国記念日でしたね。新宿は祝日の意味などそっちのけで、歩行者天国に大道芸あり、バレンタインデイのチョコレート合戦が酣です。義理チョコでも貰えば、うれしいものなのかしらね。商戦に乗っかるつもりがなくて、横目に見過ごしましたが。
* 両方ともに、日本。斑鳩、そして横浜、新宿。
* 前回お逢いしたとき、秦さんに時間の無駄をさせてしまったと、帰りの電車でずいぶん落ち込みましたが、懲りずに、また行きます。
今回は出掛けて行く気持ちが少し違います。「親指のマリア」を読んでいるせいもあります。頁を捲るたびに泣いてしまって、なかなか読み進めませんが。
あれも、これも、お話したいことがいっぱい。なんて先に言っておきながら、やっぱり口下手だったりして。
* 若ものは元気いっぱい。わたしが照らしているつもりの昔もあったのに、照り返しを浴びて元気を貰うだけになろうとしている。 2004 2・11 29
* 今日は飛鳥 帰宅した雀の、昂奮した囀りを、ビールを飲みながら、黙って聞いていた主人が、「一度、飛鳥大仏を見てみたいんだよな」と一言。交通費が浮く! 打算の雀。
今朝、ご機嫌を伺って、ドライブに誘いました。岡寺は、昨年行ったので省き、飛鳥寺、飛鳥坐神社、橘寺、亀石、石舞台古墳、帰路に、朝倉の玉列神社・阿弥陀堂、泊瀬の十二柱神社。
運転が得手でない主人と、ナビの下手な雀。喧嘩になりそうなのを、大和の風景や、寺社・み仏、おだやかに優しい人々とおいしい食べものが、やわらげてくれました。
* こういう便りに接すると嬉しい。もし時間があるなら、このようにしてご夫婦で出掛けてほしいものだ、いつも独りの「お出かけ」では、その寒さが(気楽でもあるのだろうが)こちらまで伝わってくる。このメールには、思わずにこにこした。
2004 2・12 29
* こんなにお気遣いくださって感謝しています。と同時に、ご心配かけてしまったこと、本当に本当に申し訳なく思っています。
二週間以上、歯痛とそれから来る頭痛に悩まされ、帰宅後コンピューターを立ち上げることすらしなかったのは事実なのですが、何を言っても、今の私には言い訳にしか聞こえないのも本当です。
書く題目に力が入らなくなってからはや半年、自分の書いたものが、恥ずかしくて読めなくなっていました。無理に書こうとして、言葉をひねくりまわしてしまうのか、その日はよくても、一日置くともう読めない。こんなものを書いてしまったのか、という恥ずかしさに、書けない焦りと体の不調が重なり、コンピューターに背を向ける日々が続いていました。
気持ちが落ち込んでいたわけではありません。本を読んでいました。
独立の波が押し寄せた1960年代のアフリカを、ポーランド人記者Ryszard Kapuscinski が綴ったものです。
アフリカを、などと言ってはいけないのかもしれません。彼自身明確に、「これはアフリカについての本ではない、あそこで出遭ったその人々と、共に過ごしたあの日々についての本である」と言っているのですから。アフリカはそれほど広く多様で、地理上の名前として以外、一口に括れる「アフリカ」は存在しない、と。
私にとってアフリカは、何も知らないと言っていいほど遠い大陸でした。今でも遠いです。とは言えここには、毎日のように、アフリカ大陸からジブラルタル海峡を渡って辿り着く人々がいます。仕事を求め、(大半はだまされ)ジブラルタルを渡る船に生死と全財産をかけやってきた後、不法という理由の下に仕事をさせてもらえない彼ら。彼らの祖先が奴隷として故郷から攫われ、過酷な労働を強いられてきた、その事実に思いを馳せたのは、迂闊にも今が初めてでした。
仕事は相変わらず続けています。
他の仕事が見つからない、と言った方が正しいかもしれません。
外務省の人からは、外務省の人間でないからと侮られ、外部からは外務省の人間と皮肉られ、時に心底嫌になることもありますが、「正直、ここでこんなに親切にしていただけるとは思いませんでした。」と言うような(半分皮肉ともとれる)言葉を聞くと、ああよかったと。上から、そんなに親切にする必要ないと厭味を言われつつ、私は私がよいと思うやり方を、できる範囲で通しています。組織を変える力は、組織の内部にない限りなかなか発揮できないものですから。その点に関して、私は猪瀬直樹さんの「辞めないことの意味」に同感です。変えようとして思うように変わらない責任が、変えようとしている人ばかりに向いて、変えようとしない人に向かないのは残念です。
実は、昨日、湖の本も届きました。恒平さんのお心遣いが重ね重ね伝わってきます。恒平さんも、どうぞお身体大切に。こちらではあーもんどの花がほころび出しました。アーモンドの花と言うには、あまりに日本的です。
* 書きにくそうであるな、と、案じていた。ホームシックではあるまいか、とも。文章のことを、うまいへたを度外視されても困るけれど、うまいへたで律してしまう危険はもっと大きい。書きたいことがあって書くのが大切だが、しかも、強いても書く習慣が書けるように導いてくれる機微も、一概には、無視出来ない。読み手を意識しすぎてその反応に一喜一憂するのが何より良くない。だから「闇に言い置く」という建前にもっと身をよせ、気楽になった方が佳い。誰も読んでいないと思っていていい。わたしはいまでもそう思っている。だから遠慮なく会釈もなく、好きに書いている。誰も読んでいないと思い込み、図太く、そして丁寧に、書く。
* 「私は私がよいと思うやり方を、できる範囲で通しています。組織を変える力は、組織の内部にない限りなかなか発揮できないものですから。その点に関して、私は猪瀬直樹さんの『辞めないことの意味』に同感です。変えようとして思うように変わらない責任が、変えようとしている人ばかりに向いて、変えようとしない人に向かないのは残念です。」とは、実に適切な発言で、猪瀬君は嬉しいだろう。こういうことが、このようにいわゆる評論としてでなく自分自身の呻きのように表されていれば、書いた意義はちゃんと生きているし、人の胸に届く。
このメールのように書けばいい。なんなら秦さん独りに言うように書けばいい。秦さんにむかい、ただの評論をしてみても始まらないのだから。
2004 2・13 29
* 秦恒平の草稿 神田小川町の、美術書、肉筆などの専門古書店「源喜堂」の新しいカタログ(古書目録、平成16年、第13号、草稿1739)に、「秦恒平草稿、臨床雑誌改革に関する感想、ペン書、四百字詰13枚完、京都出身小説家、12,000円」とありました。同店は、よそよりだいぶ安く肉筆などを売っております。このカタログは、カラー写真版を含む古文書、書画、肉筆モノの紹介です。前にもどこかで草稿? を見たような記憶があります。余計なお世話だったらお許しください。 都下
* ビックリ。全く記憶はないが医学書院勤務中に一編集者として上司に提出した書き物としか思われない。作家生活に入ってから、「臨床雑誌」などには全く接していないから、物書きとしての草稿でなく、社員としてのなにか建議・献策に類する物かも知れない、仕事の改革や改善には気を配る社員であったから。
そんなものがそんな世間へ出ている意味も径路もわたしには全然分からない。ただ、ビックリ。文学・文藝とは何の関係もないし徹頭徹尾無価値な物である。
2004 2・15 29
* 夜来香の咲くように闇へも書けぬ打ち明け話。congratulation!
2004 2・16 29
* こころよい、朝。睡眠は短かかったけれど。
* ご無沙汰しております。冬の寒さも一段落といったところですが、お元気でしょうか。
年末ごいっしょに国立西洋美術館でロダンの彫刻を見ましたが、先日そのロダンの愛人カミーユ クローデルの彫刻がTVで紹介されておりました。作品は『分別盛り』で、ロダンに捨てられたカミーユがすがりついているというものです。本当に絶望と慟哭の恐ろしい程の彫刻だと思いました。特に顔の表情が実際の顔よりずっと恐ろしいものになっていたと思います。
彫刻にはあまり興味が無かったのですが、絵同様に胸を打つものがあるのですね。こんどから、彫刻にも興味を持ってみたいと思います。
また美術館めぐりなど誘っていただきたいと思います。
まだまだ寒い日も続きますので、風邪などには気をつけてください。 卒業生
* 碌山の彫刻なども観る機会があるだろう。彫刻には彫刻の強い求心力がある。線画の好きな人は彫刻にも惹かれるのではないか、線の持つ精神的・意思的な魅力が彫刻とも呼応している。色彩画の色彩に見とれる人はあまり彫刻的ではない。村上華岳が言い放った「色彩は瞞着」という喝破。分かる気がする。この卒業生、またすこし動いてゆくようだ。
2004 2・17 29
* 仕事のメールが十本ほど、それぞれに処置を要した。返事のいるものばかり。なかには、困惑物のペン会員の我が儘なメールも有った。出稿の規約は守って欲しい。だが心嬉しいメールも有った。
2004 2・17 29
* 昨日の晩、恋の問題をかかえた元学生クンの電話にながく付き合って、「先生はきびしいなあ」と嘆息させながら、意識して、ハキハキと話した。ほんとは欲も得もなくわたしに慰めて欲しかったのかも知れないけれど。それが役に立つとは考えなかった。
2004 2・19 29
* そうも、読む、読む、読むの生活をなさっていれば眼がかすむのも当然です。眼科は一度きりにせず、定期的にいらして、検査も受けて、どうぞ大切になさってください。そしてこれ以上悪くしないためにもぜひブルーベリーをお試しになっては。ブルーベリーは症状の悪化を防ぎ効果があるとみなさん仰言います。
母は白内障で本が読みづらいとぼやいています。白内障等のある可能性もありましょう、早めに対処なさいますようお願いいたします お利口さんモードが抜けずつまらないメールになりましたか。ごめんなさい。
ブルーベリーよりも、さらにお眼によろしいのは春のあけぼのを見ることかしらと想いつつ……。とにかく、早めにおやすみになって眼をお休めになりますように。
* ブルーでなく、栃木から戴いた赤い苺のみごとに大粒に美しいのを食べている。まるでちがうか。ブルーベリーとやらも機会を得て試してみよう。感謝。
2004 2・19 29
* ブルーベリーのメールをこの場へ書き込んでおいたら、発売元は京都にあるという報せももらった。「参考までにその会社の連絡先を書きます」と。 感謝。
* 一方で「お説教」メールもやってくる。わたしと同年配の七十に手の届きそうな元気な女性たちは、(そういう読者もすくなくない。)ともすれば、云うことが高調子になる。ま、トシのあらわれで、仕方がない。今朝のは、「遊び過ぎ」を指摘しておいて、だが、此のわたしの場合は、
* 遊び過ぎと言うより、目を駆使する遊びに偏っているだけのこと。人間働くだけが能ではなく、心弾ませる時間を多く取るのが罪悪ともナンとも思いません。
ましてや我々『大台も近く、体調も過信できなく、何が起きてもおかしくない歳です。出来得る範囲で好みの遊楽を享受する余生を送りたいものです。これまで引き算願望だったのが、鏡を見るにつけ、重ねる歳を大切にと開き直れる節目になりました。』
『 』の部分は仲間達から送られたバースデイカードメールの返信にも大真面目に書いた一部です。
いよいよ労働開始(本の発送のこと。)ですね。自己満足にがんばらないで、勤(いそ)しんでください。
* はいはい。なんだか、ムズカシイ。「心弾ませ」て暮らす分には、人後に落ちないと想っている。ただ目に負担の多い暮らしなのはその通りで、気にしている。空をみあげ、空に吸い取られて行くような、胸ひろがる時間が欲しい。
2004 2・20 29
* 紀州の梅 2004.02.17 小闇@バルセロナ
梅干を二粒頂いた。
五、六粒期待した小瓶に、二粒。さすが紀州の梅、大きい。
帰宅して、さっそく米を研いだ。白い御飯なしに、どうしてこの梅が食べられよう。炊飯器の湯気が立ち昇るのを眺めながら、スイッチの切れる瞬間を待つ。蒸らし時間もそこそこに、熱熱の御飯をよそった。
日の丸に箸を入れると、肉厚の果肉が溢れ出るように広がった。逸る気持ちに急き立てられ、十分ほぐさないまま口の中へ。
すっかり拍子抜けした。酸っぱくもしょっぱくもない。ほとんど甘い。化学調味料のマイルドな味に制覇され、完全にはぐらかされた気分。食べやすいし、これはこれ。くれる人がいるなら喜んでもらおう。でも、紀州の梅。私が期待したものは、それなりに本物の味だった。
本来の食べ物でない餌を与えられているのは、牛や鶏、家畜だけじゃないのかもしれない。
* バルセロナでの実感。日本にいながら、何となく申しわけない気がした。
* 今にも、一時になる。
2004 2・20 29
* 「三人吉三」 昨日、鹿芝居で観ましたの。文楽「忠臣蔵」八・九段目を見たあと、裏の演芸場で。ちょうど昨日は千穐楽。最後の手締めで、久しぶりに東京式を打ち、それも、楽しかったですわ。
お江戸では、ひとりでいただくごはんばかりなので、昨夜は思い切ってニューオータニで奢りました。紀尾井ホールの辻村寿三郎「保名~葛の葉子別れ」に泣き、木挽町幕見「お祭り」で、気分良くしめました。
今日、もう一度文楽を見て、木挽町へ行き、銀ブラして帰る予定です。
あ、空也に電話するの、忘れたァ。
お江戸の文楽、次回は五月。妹背山の通しで、玉男の大判事に文雀の定高、勘十郎が雛鳥で、和生の久我之助となりました。
「遊」女ふぜいでも、頽廃しても、雀はそれまで生きて居たい。飛び回る「抜け雀」の止まり木が、秦さんから直接届けられる「湖の本」。 よるべです。
* 三津五郎の「お祭り」は、それはもうスカッとする踊りであった。結局先日の歌舞伎座で今もくっきり印象を残しているのは、玉三郎、三津五郎の二人の大和屋。そして雁治郎、仁左衛門。
囀雀さん、東京へも脚が伸びるとは、旺盛なこと。「空也もなか」とは、この人、徹底した両刀遣いとみえる。人は、それぞれ。それぞれの天があり地がある。好きにすればいい。
2004 2・21 29
* お疲れ様でした。昨日の疲れはもう回復しましたか? 二週間、何もないと書かれていますが、その分 いっそう器械の画面に向かってしまうんではないかしら? お体、そして目を大事になさってください。
こちらは器械が回復。久しぶりにHPを読みました。わたしが二週間何もないと書いても、それは常のことですが。目下身辺は寂しいものがあります。以前ご一緒していたカルテットの二人は転勤で離れましたし、一人は直接利害に係わる住民運動に忙殺され、読書会も一時解散・・。ひっそり閑の楽しみももちろん味わっていますが、さてこれで良いのかと問えば、やはり閉塞感は否定できません。もっと活発になりたいと・・今更ながら考えてしまいます。
自殺なんて考えたことないと言われたことがあります。わたしは堪らなく生きているのがつらい時があって苦しめられます。どうしようもない・・。わたし自身との付き合い方が、なだめ方がまだ分かりません。
逃避かもしれませんがまた長い旅に出たい。もっともただフラリではないので、もう少し勉強して・・前途ほど遠く・・結局まだまだ先の話になりそうです。
* することが何一つなくなった状態が来ると想って、それ自体をわたしはどう楽しめるようになるだろうか、ときどき想像している。あなたこそ、そんな時間には絶対耐えられないだろうと笑われるが、判らない。「今・此処」を生き続けて自然にそうなる日がきっとあり、待ってこそいないが、「閉塞感」なしに受け容れる気がある。自分の裏千家茶名を自分で「宗遠」と選んだのは大学にはいって間もない若い昔であった。「遠」という思いも年を経てなかみは動いているだろう。「遠く」に魅入られまいと、わたしはいま自戒している。自戒しなくても、そもそも望んでいない。遠くも近くも何のちがいがあろうか。
2004 2・24 29
* 先生 ご無沙汰いたしております。
マックからウインドウズへ変えまして、ようやくADSLを導入、昨日開通しました。新しいアドレスにて、初メールさせていただきます。
湖の本、お送りいただきましてありがとうございました。
私は今、旅行代理店という新しい職場を得まして、温泉宿のご案内などを仕事にしています、と申しあげると、また仕事を変わったのかと驚かれるでしょうか。しかし夜は早く帰れますので以前より体は楽になりました。あいにく悪性の風邪に罹ってしまいましたが、気持ちは以前に比べましてよくなりました。職場は港区芝です。
再び先生のホームページにアクセスすることができます!
これからも文学の勉強だけは続けたいと思っています。
* もうだいぶ長く、苦しい生活を強いられながら頑張っていた人の、これはハッキリ朗報に属する。よかった、よかった。
2004 2・24 29
* 個人情報 2004.2.26 小闇@TOKYO
Yahoo!BBユーザーの個人情報、数にして470万件が流出した。Yahoo!BBを運営するソフトバンクBBとその親会社のソフトバンク、まだ認めてはいないが、まず間違いない。前代未聞と言っていい。
ブロードバンド世帯は、2000万とも言われる。そのうちのADSL世帯470万。ネット関連で比較的と新しいものを好むうちの2割強、そのメールアドレスが手に入るとなると、これはなかなか「いい名簿」。ブロードバンド化したことで新たに欲しくなる、例えばそれは家庭内LANかも知れないし、大きなディスプレイかも知れないし、ネット銀行の口座開設かも知れないが、そういうものを売りたい人間にとっては、ふるいに掛けられたこの名簿を使えば、漠然と全国4700万世帯にあたるより、ずっと効率の良いセールスができる。
ダイレクトメールの「返り」は1%あれば、上等。470×0.01=4.7。4万7000人が一気に動くとなると、これはちょっとした革命と言えるだろう。それだけの価値のある情報だ。
ところがなかには、どこまで本気なのか知らないが、クレジットカードの番号が漏れていないなら、さほどの被害ではないというユーザーもいる。本当にそう思っているのだろうか。ミニスカートで下着を見せながら歩く若い女の子の言い訳に似ている。「別にその中が見えてるワケじゃないし」。確かに。でもちらちらと、しかし必死に目で追う側にしてみれば、その下着が見えているということそのものに、大変な意味がある。
昔、日経マグロウヒルという会社から、同社の看板雑誌日経ビジネスの顧客情報が流出したことがある。個人情報保護関連のセミナーなどでは必ず紹介される、「日本で最初の流出事例」だ。名簿業者からそれを買ったのはリーダース・ダイジェスト(その後廃刊)。
当時は個人情報の流出ではなく企業機密の漏洩という報じられ方であった。個人情報という概念がまだ、日本にはなかったからだ。マグロウヒルにしてみれば、良い時代だったし、個人個人にしてみれば、舐められていた時代。
内部犯行であるだろうし、ずさんな管理態勢も明らかになるだろう。が、私が一番注目しているのは「落としどころ」である。ソフトバンクBBはどういうシナリオを描いているのか。全会員に500円の商品券を配るのか、3ヶ月間の利用料を無料にするのか。出方を間違えた雪印食品という会社は、あっけなく消滅した。
私はユーザーではないが、「ベンチャーの旗手」がどう結論づけるのか、興味を持って見ている。
* 電子メディア委員会のメーリングリストに登場する「情報」が、たいそう煮詰まったドキドキするものになりつつある。追いついて行くのも大変なほど。
みーんなが「便利病」に浮かれている内に、電子メディアという化け物はエーリアンのようなマトリックス化を着々遂げつつある。その情報の機微が広く私民レベルに拡大し浸透するまでに時間がかかるが、そんなかかる時間よりずっと早足に、怪物の悪用意思は更に更に拡大し隠微に深化して行く。そのギャップ、その乖離拡大により、大きくいえば人類自滅の毒も速やかに回って行くだろう。この予言が、確実に現象化してゆくことをわたしは疑わない、微塵も。
2004 2・26 29
* こんばんは この頃、仕事中などに、ときどき手を止めてぼうっとしてしまいます。わたし、恋してるのかも。 北関東
* ほんとなら、いいことです。本気で日々を過ごすにも。恋は感動に溢れた苦痛の体験です。堪えられるかな。
* 若い人から「恋」という語彙により述懐されるのは、この頃では寧ろ極めて珍しい。おやすい「つきあい」でつい済まそうとし、あっけなく「つきあい」をやめたりもしている。たくさん見聞してきた。
いのちみぢかし恋せよをとめ と昔歌われていた。せっかちに付き合ってないで、恋をしなさい、一度の恋は百冊の読書より多くを運んでくるだろうよと東工大で学生に話してきた。
恋は甘くない。遊びでもない。万葉のむかしから、恋は、苦痛と悲哀であがなう深い歓喜ときまっている。天地を支えるほどのものである。勇気を持たない現代が、「つきあい」という擬似恋愛を安直に発明したのは、恋とは性的関係であるとのみ都合良く早合点しているからだ。性は、生きていることと同等の重いものであるが、維持の難儀な所詮は有限の心理的熱量であり、それだけに頼っていれば、安価な「つきあい」の終焉は、目と鼻との前にいつももう到来している。天地の重みに堪えられない人に恋は出来ないだろう。堪えられるかな。
2004 2・26 29
* 午前3時前、夜勤を終えて深夜帰宅。ほっと一息ついてソファに体を沈めたとき、テーブルに、家族が置いた、秦様から早速送付していただいた「秘色(ひそく)・三輪山」が目に留まり、一時間ほど読みました。私の場合、読書は、長くて十五分で打ち切り、他の本に切り替えるとか、ほかの雑務に取り掛かるという習慣があります。
一時間も読んだのは、久しぶりです。三輪山が中心ですが、大変、学ぶところが多かったです。二十八日、一泊、家内を伴って大神(おおみわ)神社に参拝することは先日お伝えした通りですが、楽しみが増えました。
とりあえず、代金を週明け送付いたします。 大阪府
* 三輪山をしかも隠すか雲だにもこころあらなも隠さふべしや 額田姫王
* ただし、わたしの「三輪山」は額田姫王を書いたのではなく、雄略天皇と引田の赤猪子とを書きながら、わたしの「母恋い」にふれた。雑誌「太陽」のあれは「織物」の特集小説であった。小説で、何をどう織るか。夕暮れ、妻と保谷野を散歩しながらはっと思いついた。この作品は府県別文学全集の奈良県の巻に収録された。
額田姫王はむしろもう一つの「秘色(ひそく)」に書かれている。姫王と後の天武天皇とのなかに生まれた十市皇女がいわばヒロイン、だがそれもわたしの根の悲しみに触れた現代の幻想小説になっている。「故国」または「湖国」と題してもよかった。これも同じく滋賀県の巻に収録されている。近江京を守った崇福寺址が幻想の舞台になっている。
ああいう手のかかった組み立ての小説は、体力勝負でもある。
「秘色」取材にはどうしても崇福寺址へ行く必要があった。近江神宮や三井寺を経て長等の山にひとり分け入ったあの日、わたしは源氏物語も毎日一帖ずつ読み進んでいた。太宰治賞選考の日まで心さわぐのを静めていた。そして「秘色」は、事実上の受賞第一作として「展望」に発表できた。第一著作集の表題にもなった。「ひそく」とは、渡来の美しい青磁を意味している。それが幻想の芯であった。
2004 2・27 29
* おはようございます。 寒さが戻ってきました。まだ二月ですもの、寒いのが自然ですね。メールのないのを寂しいことと思いつつ、HPの文章「・・寡黙を看板にかけたような、取り澄ました変わった人もいる。夢見る夢子さんのように、いい年でたわいない言葉遊びの詩人もいるかと思うと、演戯でもしているのかなこの人と思うほど、くるくると立ち回り、ことことと一人言を言い続け、子供のように、はいポーズをしてみせるような女詩人もいる。」を読んだ瞬間、わたしが「詩人」かどうか別として、ああ、このように書かれ、評されている内容は全部自分のことじゃん、と思わず知らず方言まで出てきてしまいました! 自意識過剰、ではなく、ただ表現することの意味を改めて問いかけなければならないでしょう・・。
「わたしの待っているのは何だろう。その時、その瞬間である。そのために何かに努めてはいない。ただバグワンに聴いている。繰り返し聴き入っている。死の転帰を謂っているのではない。アッと、enlightenment に出逢い思わず哄笑するその機を、である。
来ないかも知れない、そうは来るモノではない。諦めてもいないし恋い焦がれてもいない。だが「待つ」というのなら、待つのはそれである。」
待つのが死の転帰を謂うのではない、と書かれていらして・・ 本当に揺さぶられました。安易に死の転帰を語ってはいけないとも。
enlightenment 啓蒙、啓発というより、それ以上の信仰に近いところでの啓示の意味。わたしには、思い至ることも、願うこともあり得ないのかもしれない。 兵庫県
* enlightenment ムズカシイ言葉ではない。「明るくなる」こと。
譬えて謂おうか、わたしのよく謂う「闇」は漆黒の無際涯であるが、あの深い平安と思慕と無私の世界が、そのまま静かに春の「あけぼの」のように一瞬に明るむ。そういう意味でかまわない。信仰というと宗教じみる。わたしは今、宗教・宗団への関心も希望もすべて「落とし」ている。エンライトンメントとは、禅でいえば悟りであろうが、悟れるとも悟りたいとも想わない、かなう力をわたしは持たないから。ただ眼の底のこの澄んだ深い闇が、そのままの静かさと深さとで、何一つを写さない無限大の鏡=青空のように「あかるんでくる」かと、「待つ」有るのみ。抱き柱ではない。ただ「待っている」だけ。哲学でも信念でもない。哲学も知識も信条も、それはエゴの抱き柱に過ぎぬ。
* ご本嬉しく拝読いたしております。
「ちろり」は、湖の本・秦文学へ誘われたきっかけともなりました、愛読書『閑吟集』からのもの。ひとりホクホクしながら読みましたの。想像しないでくださいね(笑)。
断絶平家、後半。地名の「ナ」に連なって、ふと生まれ在所の地名が気に掛かりはじめました。盆地の郡に付いた「浦」、頭に付いているわけじゃないけれど、古い村名に付いていた「奈」。
山を隔てた隣りは、那賀(ナカ)郡。西から東へと中央を走っていた川が、流れを北に転じなければならなかった、突き当たりの地名は、沼江(ヌエ)。(お嫌いな「鵺」と同じ読みです。)洪水で増水した川が堤防を越すと湖? と化す田畑でした。今は上流のダムのおかげで余程の大洪水でもなければ、そのようなこともありませんけれど。沼と江、二つを名に持つのが納得できるような地区でした。
来週はもう弥生。息子の就職などで忙しくなりそうです。花粉症に縁のなかった私ですけれど、最近少しあやしげな気配。風が強い数日、どうぞご用心なさって、ご自愛くださいませ。 阿波国
2004 2・27 29
*「恋に疲れた女は」ってわけじゃないけれど。 午下がり、ひとり、大原八瀬に居ましたの。朝の雨に見舞われた隠れ里は、昼遅くなるにつれ、ぼんやりと山膚が霞み、互いに顔を見ぬように、おんなたちは密(ひそ)めいて往き交います。木立を縫う径に満ちる湿気や、せせらぎの音は芽ぐみを感じさせ、後鳥羽天皇を、一本の満開の白梅がお慰めしておりました。
来迎院、勝林院、宝泉院、三千院。
建礼門院陵は、斜めの陽にあかあかと耀き、夕明かりも照らさないような杉木立のなか、鎮もる阿波内侍墓。かぶりつきで観た、歌右衛門&正吾の舞台が胸の底から訴えてきました。
午前中は羽束師神社と、神山神社を尋ねました。
それから、城南宮へ。
枝垂梅を宣伝していましたが、それよりも、人すくなな本殿辺りの景色や、山の椿、松や梅の古木などのほうが、気に入りましたわ。
* 洛北から洛南へ、広くはない京都とはいえ、たいした行動範囲で、地理を知ったわたしでも、少し胸が波打ってくる。しかし、どこもそこも、みな佳いところ。
地球を千メートルもの厚みで覆ってくる大津波に所詮逃げ切れないのなら、こういう「京都」へ帰って最期を待ちたいわたしかも知れない。分からない。存外東京に殉ずるかも。京都市内から望めるあの一番高い比叡山ですら、たかだか八百数十メートルしかない。天文学的な津浪。それも無いことではない。
2004 2・27 29
* 数年にわたり戴いたメールを、一人分通して読み返して行くと、びっくりするほど深いものが表れてくる。
電子メールは、いわゆる郵便の手紙などとくらべて、本質的に「恋文」に近いもの、むしろ「恋文そのもの」になる素質の交信であるだろうと、もう数年以前、雑誌「ミセス」に書いたことがある。たしかにそういうもの、それは電子メールを貶めて謂うのでなく、本来の性質を洞察していたのだ。電子メールはむしろオツに澄ましては飾り立てられない。いいメールほど要点が具体的に、まっすぐ届いてくる。恋文とは素質的にそういうものであるが、しかしながら昔の恋文には、そうでありえない制約があった。人目をおそれ、はばかり、常におぼめかし、ほのめかして具体的に率直にとは行かないところに「表現の微妙」が生まれていた。あんなに恋文が書かれながら、「光源氏の恋文」のような本も出ていながら、本文例はすくなく、有ってもどこが恋文かというものが多い。気持は和歌にばかり託された。和歌とは、やまと歌の意味よりも「和する歌」であって、より社会的な所産であった。
これに対し、電子メールは、個と個との時空間が「一応」守られていることにより、昔の表現とは異なった「率直の美点も欠点も難点も要点も」が出てくる。それは、「表現の革命」をもたらしうるほどのもの、である。
電子メールのかたちで書かれる恋愛小説の秀作は十分期待できるし、期待したい一つである。ストーリーは「紙の本」とそう変わるまい。「特色ある電子メディア表現」は、まずは、電子メール表現の美と魅力とによるそれしか無いかもしれない。ストーリイではない。「文章表現としての新味」が望まれる。望み得る。
2004 2・28 29
* 秦先生 いつのまにか梅が全開です。季節に疎くなるのは年のせいでしょうか。あるいは雑事に追われる本人の自覚の欠如でしょうか。
ご無沙汰ばかりで申し訳ありません。昨年から今まで以上に海外での仕事が増え、国内にいることさえままなりません。今回ようやくプラハから帰国したものの、3月17日からまた海外です。それもヨルダン、ロンドン、ブラチスラバ、マセドニア、スロベニア、プラハと続き、国内に再び戻るのは6月頃になってしまいそうです。
実は電子文藝館への掲載の件で、改めてお会いし、御礼を申し上げようと思っていたので、これもずるずると先送りになってしまい、気持ちだけが焦るものですので、まずはメールだけでもお礼をお伝えしたかった次第です。遅くなりまして申し訳ありません。
そのうち、一度じっくりお話をお伺いしたいと念じております。
季節の変わり目、切にご自愛のほどお願い申し上げます。
* 恐れ入ります。ご平安に。
2004 2・29 29
* 二月二十六日の記述に「恋は感動に溢れた苦痛の体験です」「万葉のむかしから恋は苦痛であがなう歓喜ときまっている」と印象的なお言葉がございました。
今日は一日着物を着てホテルにいました。青緑色と鉄紺色の中間のような色合いの鶴の模様の色留め袖。淡い淡いオレンジ色に近い伊達衿を使い、帯は白地に金や青や朱の日輪のような模様。着物姿もいいのですが、自分では薄い色の牡丹の地紋の長襦袢が似合うなと一人鏡の前で。
着物が日常着でなくなった昨今、着物は、女が絹のとろりとした肌触りを堪能するもの、少しの贅沢を味わうもの、そして男の人に見てもらうもので脱がせてもらうものという気がいたします。
* わたしの吐き出す「ことば」がインターネットを通じ、ささがにの蜘蛛のふるまひをしている。太古の激情は平成の今もなお脈々と、生きている人には生きているのかも知れず、もうこのようにややこしい政治悪の時節には、こういう無垢の烈しさ以外に美しいといえるものは存在しないのではないか。
2004 2・29 29
* だが、人の世はそう無垢なものでは有り難い。
捨てかぬる人をも身をもえにしだの茂み地に伏しなほ花咲くに 斎藤 史
以下は、小説ではない。
* ついここ数日の話ですが、我が家に乱気流が吹きはじめました。母の弟が、母を訴えるといって、書類を持って来たのです。
もう話し合いさえ不可能な状況になってしまい、仕方なく、第三者を交えて解決しようということになりました。
予兆は、もう十五年くらい前からありました。
ずっと音信不通だったその叔父が、急に祖父母に電話で連絡してきた日のことを、わたしは憶えています。
自分は天涯孤独だと、行く先々で言っていたらしい叔父が、実家に連絡を取ってきたのは、どういう風の吹き回しだったのかわかりませんが、祖父母にとっては驚きの出来事で、わたしを電話口に呼んで叔父の声を聞かせたほどでした。
その頃、すでにわたしと妹は、離婚した母と一緒に母の実家で暮らしていました。
当時***にいた叔父は、それから毎週末実家に戻ってくるようになりました。
ほどなく、祖父が亡くなり、叔父は態度を変えました。母に「この家から出ていけ」と言いました。調子のいいことを言ってばかりいた叔父の、内側にある偽りをずっと感じていたわたしには、意外でも何でもありませんでした。
母と一緒に母の実家で暮らしはじめた小学生のときから、わたしにとって「家」という言葉は、雨露をしのぐ場所、という以上の意味を持っていませんでした。「家」という言葉に対し、それまでどんな概念を持っていたか、記憶にありませんが、「家」とは、「大地に根付いた安息の場所」ではない、わたしは根無し草だ、と強く思いました。母の実家の土地さえも、賃借しているものだと聞かされていましたし。
ですから、叔父が出ていけと言うなら、この家を出ていくに吝(やぶさ)かではありません。母も出て行くと言っていますが、母にとって辛いのは、祖母のことです。叔父が一緒に住むかどうかもわからない、ましてや、あの実のない叔父のことです、祖母をどう扱うかわかりません。
意地っ張りで、喧嘩ばかりしていますが、母は無償で祖母を心配しています。
ですが、叔父は、もしかすると祖母の受給している高額の年金が目的なのかもしれません。
ひとりになると、泣いてしまいます。
悲しいのか、悔しいのか、情けないのか、わかりません。
今は、母の支えになりたい。
そして、決着をつけて、母と祖母以外の血縁とは、縁を切りたい。祖母には兄弟姉妹がたくさんいて、叔父と似たり寄ったりの血縁がうじゃといます。血の縁を切るのは容易ではなく、母が父と縁を切ったようにはいかないでしょう。どこか遠く、わたしたちを知る人のいない遠くへ行きたいくらいです。
秦さんのことを考えます。身内。血の縁は身内ではありません。
こんなこと、秦さんに申し上げてしまって、迷惑かもしれませんね。でも、こんな世俗のしがらみより、今、わたしのこころを、おおきく、静かに占めているのは、湖の本です。 筑紫
* 有るといえば有ることですが、だからといって一般化も相対化もできないのが、家の中の、一族の中のゴタゴタです、可哀想に。ま、似たり寄たりのことをわたしも体験したか知れません、我関せずとも行かなかったし、しかし、精神的には局外にありうるように自身にし向けていました。
身内という、血縁や肉親の縁とは質的に異なる価値をいわば創造し、自身を自立させようとしてきた、そういうことが、あなたにも早くから起きていたということですね、そういう意味であなたの内なる花は、不思議な風と縁を結んでいたと謂える。
風の斯く在ることが、花の力にも喜びにもなりますように。
あなたの力でどうにかなるという公算はあまり無いと覚悟の上で、優しい最善をつくし、無用の怪我はしないように。祖母のことは祖母が、母のことは母が 心を決めるものとして、あなたはあなたのまだ先々の平安を、 生活の平安 精神の平安 からだの平安を 大切に大切に守られるように。
2004 2・29 29
*「お花きれいだね。」という息子の言葉に、春の訪れとともに息子の成長を感じております。
秦様はお変わりないでしょうか。
御礼が遅れてしまいましたが、「湖の本」の配本ありがとうございます。
古典はなかなか手ごわく、本来原作を読んだ状態で、「湖の本」に共感あるいは新たな発見をすべきなのでしょうが、なかなかそうもいきません。
自分の手に届くのは「徒然草」、「源氏物語」、「枕草子」程度で、上田秋成が怖い話を書いているくらいの知識では、御本がもったいないとは思うものの、それでも楽しみながら読みました。
いつになるかわからない約束をするようですが、秦様の御本を読みつつ「平家物語」と「細雪」くらいは読んでおきたいと感じております。
こっそり「闇」をのぞいたりしておりますが、先日頂いた「こころ」のなかで、「K」に告白させている「身内」の話が、ちらと出ていたりすると、「ちゃんと本読んでいるのか」と聞かれているようです(「私語の刻」にもありましたね。)。
今「墨牡丹」を読み始めたところです。
感想なんぞをメールでお送りできるほど十分に「読め」てはいないのですが、だんだん、秦ワールドというのか、秦様の空気を感じ取れるようになっていればと期待します。
次回の配本も楽しみにお待ちしております。 卒業生
* 最初の一行がすばらしい。幸福の美しい一つの顔が見える。父や母の幸福とは、こういうこと、こういう気持ではあるまいか。
2004 2・29 29
* あす、久しぶりに千葉の「e-OLD」勝田国手と、日比谷辺で晩飯を食いましょうと決めた。もうお一人、ま、少しお若い男性をお呼びした。少し気楽に男老境三人で鮨でもつまめればと。楽しみ。どうも、おなじことを繰り返して話すおそれが、この年になると出てくる。勝田さんを退屈させてはいけないし、視野と話題を、楽しく、くつろげうればと。三人寄れば智慧も湧こう。ご婦人がお一人混じるともっと楽しいかも知れないが。
2004 3・1 30
* 新たな表現
今年の初めにホームページを拝見してから、ずっと「闇に言い置く」を読ませていただいています。心に留めて意見を聞いてみたいという人に出会えば、その人の日々の記録にも関心を持つのは人の常かもしれません。特に28日付けの電子メールのやり取りをめぐるお話は刺激になりました。恋文との関連を論ずる力はないのですが、感じたことを二つ述べます。
ひとつは、メールの機能的特色についてです。メールでのやり取りは時間も距離も隔てられているので、相対したり電話で話したりするのとは違い、お互いをある程度尊重することができます。この点では手紙と共通するものがありますが、手紙と決定的に違うのは、即時に便りが相手に届くことです。その気になれば打てば響くような応対が可能です。メールが普及し始めたときに、メールは手紙と電話の中間であるとよく言われました。電話のような気楽さを
持ち、手紙ほどには重くない。かといって痕を留めない電話の会話と違って、記録が残る。この2点で電子メールはまさに中間形態といっても良いかもしれません。「率直の美点も欠点も難点も要点も」とお書きになっているところですね。
それに加えてパソコンを使うと、特定の人とのやり取りだけを抽出し、それを時系列に並べることが瞬時にできます。それを順番に読んでいけば、自ずとその人となりが明らかになるのは自然のことです。明らかになるのは相手のことばかりではありません。その人に向けた自分のメールを時系列で並べて読んでいくと、こちらのことも良く見えてきます。
これはメールには限りませんが、さらにはある人を中心にしたさまざまな人とのやり取り全体が、ひとつの独自の世界を作ることになります。「闇に言い置く」に取り込んだ方々の文章の中に、ご自分が反映されると書かれることとも通ずるものでしょう(その時は触発されて、私自身のホームページの日録に「我が生命の照り返し」と題するものを書きました)。
もうひとつ、大切な論点を示唆されているように思いました。それは「電子メール表現の美と魅力」、言い換えると電子メディアの文章表現への影響です。
電子メールが普及し、それを新規の手段として珍しがって使ったり論じたりする時期はもう過ぎています。メールが日常化すると、その特性を生かした使いかたを考えねばなりません。それは電子メールに独特の書き方があるのかという問いでもあります。特にものを書く人々が電子メディアを表現手段としてどう使うかは、とても興味のある点です。
以前石川九楊を取り上げられたときのご主張は、「どのような道具で文章を書くかは問題ではないし、環境についても拘泥しない」というものでしたね。重要なのは内容であり、要はその人次第なのであるというのは私も同感です。手書きからパソコンで書くようになっても、その人らしさは変わらないと思っています。とすれば、電子メールによってもその人の文章・文体が大きく変わることはないのではないでしょうか(これは文学的な表現ではなく、客観的な
記録であったり考えを順序立てて述べる文章を念頭にしているからかもしれませんが)。
今回「電子メール表現の美と魅力」、「文章表現としての新味が望まれる。望み得る」とお書きになっていることからすると、以前書かれたのとは異なる可能性を見出されたように感じられます。大切なのはその人の問題意識、つまりは書く内容であるように思うのですが、それも新しい手段により影響を受けるものなのでしょうか。28日の文章を拝見して、そのようなことを暫く考えていました。
今年は春が早めの由、とはいえご自愛の程お祈りしています。私の机の上のクロッカスが、紫の花を延ばし始めました。明日には開くかもしれません。
上の文章は長文です。短くすれば次のようにも書けます。相手にもよりますが、こちらの方が電子メール向きでしょうか。
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秦さま 28日の文章拝見しました。本当にメールは便利ですね。続けて読むとその人が見えてきます。ところで、電子メールでは新しい書き方ができるのでしょうか。ちょっと考えています。どうぞお元気で。 英国
* メールに、泣き顔や笑い顔や、あれこれ記号っぽいシンボルを挿入してくる人がいる。わたしへのメールにはそれは少ないけれど、高校生のメールには自然に出てくる。そういうのを多用すると、必然電子メールの文体になるか、文章になるか。否。それはもう問題を少しズレている。それは現象差ではあるが、文章差ではなく、まして文体差でもない。ましてましてや表現差でも実は無い。
表現は、文章でだけ変わるのでも、言い表せるのでもない。内容の「書かれ方」にもよる。その「書かれ方」にかかわって、新しい表現が、文章と内容との両面から新規にどう熟して出てくるか。外側を飾る記号のようなものでだけ示せるわけなんかない。
盛り場の少年少女の隠語のような物言いで書かれれば、即ち新しい表現か。その辺で短絡すると、新文学という看板も、提灯も、太鼓も、みな間違ってくる。見当が違ってくる。調子はずれなだけですんでしまう。
ペンをにぎって人に手紙など、まして文章など、絶対に書かなかった老人が、女性達が、電子ツールにふれて、思いの外に自分の胸の奥の奥の方から言葉を紡ぎ出してくるようになった。信じられないような「書きもの」体験を重ねて、まるでウソのように毎日毎日書いている。そこで培われる言葉と感情とは、一見年相応に古めかしいようでも、新しい息吹なのである。言葉が発見され発掘されて行く、一人一人の身内から、わき出すように。電子メールやホームページだからこそ書かれうる日本語がある。表現の新しみが期待されるなら、そういう生活体験の変化から、に期待がかかる。現象ではない、生理が変わるのでもない、いわば精神が変わってくるのである。
* 例に取り上げては迷惑かも知れないが、「e-文庫・湖(umi)」に掲載されている藤江もと子さんの「新宮川町五条」といい「灰色の家」といい、いかにもわたしと同年配の人の言葉であり文章のようではあるけれど、もしこの人が電子メールに触れず、パソコンを知らなければ、百パーセント書かれなかったであろう所産であったと、ご本人も述懐されている。
たとえばわたしは、パソコンが今消え失せても、ペンをとって書くことが可能であるが、いまではパソコンだから書ける、電子メールだからこうも謂えるああも言えると思い、しかしペンではよう書かないと云う人が、世界中にどれだけいるか知れないのである。そういう広い範囲の「時代の意識」が機械に反映し浸透し、「新しい表現」が可能になって行くことを、わたしは見通している気でいる。
だが、もう少し、もっと継続して、考えて行きたい。
* 文章も言葉も時代の枠組みに、想像以上に縛られている。文学の言葉とはいえ、明治でも、前半と後半でおどろくほど異なるし、大正となるとまた変わる。昭和の戦前、戦中、戦後昭和、平成。みなそれぞれに違う文章感覚に育まれている。だが文章生理はどうか、それは同じ日本語として質的に通有する素質を大きく分かち持ち、べつものではありえない。「ペン電子文藝館」で、各時代の作品を一字一句句読点に至るまで校正していると、よく分かる。現象は大きく異なり、しかし素質は同じである。平成のセンスで明治の文章を常識校正して貰うと、びっくりするほど単純なところで委員達も躓かれる。句読点がまるで打たれない文章に出会うと、仰天されてしまう。宛字やアテ読み、ふりがな、みないろんな時代の「顔」をして文章は書かれている。それは文章が違うと云うほどのことでなく、文章に表れる現象が時代差をもつに過ぎない。 2004 3・1 30
* 花々を揺らし、揺さぶってきた風は、いまひともとの花に、「くだけてものを思ふ」ことなど、ありますか。
* 朝一番にこんなことを問うてきた人がいる。遠くの遠くの若い人であろう。古稀に手をのべた見る影ない男に向かい、何というロマンチックな問いであろう。それでもわたしは、こう答える、「かくとだに」と。花はものの映えであり、光であり価値であると、昔々に書いた。絶えるそのときまで、花を愛する風でありたい、そよ風であろうとも。
2004 3・2 30
* 午後、クラブで原稿を読もうかしらんとアテにしていたが、曇り空で冷え冷えしていたので、結局家にいて、間際に約束の場所へ。
お二人はお互い初対面だが、すぐ馴染んで頂けると、それは安心していた。「福助」のカウンターで角席が有ればと思っていたが、椅子席に行き、それで対話に遠慮が無くてよかった。カウンターには板さんも呼び込んだそれなりの良さがあるが、三人横並びはよろしくない。しかし話が弾むと鮨がかわくので、よしあしではあった。
千葉のE-OLDさん、前よりもおっとりとお元気に見えて。お酒で眠くはなかったろうか。もうお一人は談論風発。おまけに、中国の女性歌手が日本の歌曲をたっぷり歌っているすばらしい音盤をお土産に頂戴した。勝田さんからは、早速「古典愛読」巻のディスクを戴いた。勝田さんに折角作っていただいた作品年表枠を活かして、年表制作をしなくてはいけない、これも思い出させて貰った。
あと、クラブへ席を移して、「インペリアル」をカラにし「響」を呑んだ。サーモンとエスカルゴ。談論風発に弾みがついて、ほどよいところで打ち上げた。三人が東京の真ん中で三方に散る。わたしは丸の内線に。お二人は有楽町の方へ。地下鉄では、すぐ寝てしまった。気が付いたら池袋終点、車中はカラであった。西武線では、ケン・フォーレットの「針の眼」が、佳境から山場へ。このスパイ小説の山場は、もじどおり「セクシイ」にはじまり、強い刺激を蔵している。その効果はあまり他に類例がないほどで印象深い。
2004 3・2 30
* 急に冷え込んだせいか、もともと血圧の安定しない母の具合が悪くなり、一人暮しなので、食べ物など運んでようすを見に行かなくてはなりませんでした。明日も母のところにまいります。(私が専業主婦であって一番よかったのは、父や母の健康の悪い時に付き添い、病院にもとことんつきあうことができるということかもしれないと思います。)
夕方階下のポストを見にいきましたら、湖の本がございました。大切に胸に抱え持ち帰りました。ありがとう存じます。これから入浴して美肌? を磨き清めてからゆっくり読ませていただこうと思います。
* 春風にふと誘われる気がするではないか。紙にペンや筆で書くむかしの手紙では、この最後の一文は、そうそうは書けまい、まず絶対に書けなかったろうと思う。だが、電子メールだと書ける。文面で分かる、落ち着いた上品な筆致である。ぽろりと書きすぎたのではないだろう、電子メールだから自然とこういう風に書けたのである。闇を伝って個から個への言葉だ、逸脱というようなことでなく、親愛のにじみ出たある安心の表現になる。ペンで書く手紙でなら、この人、決してこうは書かなかったろう。電子メディアでの「新たな表現の可能性」に、こういうことをわたしは読み込んでいる。電子メディアが誘い出している人間味なんだと、個性なんだと、このようにして、「主婦」が新たな己に遭遇して行くんだといえば、言い過ぎだろうか。 2004 3・2 30
* だが人の世は良き価値あるものを正しく見抜くことに、屡々躓くものでもある。書き込ませて頂く次の手紙は、思わずわたしを唸らせた。知る人は知るであろう。
* 前略 湖の本第七十八冊、ありがたく頂戴いたしました。今回の御本では「秋成生母の死と京の袋町」の章は私にとって痛切な文章です。生母の死についてはおそらく御説の通りと思います。これらの問題についてはなお考えてゆきたいと思っています。
もう半世紀近くも前の小著『上田秋成年譜考説』は、実は刊行の一年半前に完稿していました。しかし、どこの国文学出版社からも、自費出版を申し出たに拘らず拒否されました。原稿を風呂敷に包んで持ち歩いたのですが、預ってさえくれなかったのです。門前払いでした。貴重なものはお預りできないと各社で口を揃えました。そういう時代だったのですね。出版してくれた明善堂さんは実は侠気の古書店です。費用は私の持ち、取り次ぎ屋とコネがないので、私がチラシを作って、お一人お一人に売り歩いたのです。百部売るのに三年かかりました。その後の重刷のお誘いはおことわりしています。これが小著の運命だと思います。
* この『上田秋成年譜考説』という大著は、国文学研究の成果を十選べば一つに入っていい画期的な名著で労著なのである。秋成研究がここから急角度に上向きに大展開していった、それだけではない、「年譜」なるものの方法論と実践において、これほど徹底して実験的な成果はそれ以前には皆無の、おそらく以後にも数少ない成果であり、わたしはその革命的な価値に心底驚嘆し、感化され、学ばせてもらった。著者は云うまでもないが都立大学名誉教授の高田衛さんである。すばらしい先生である。まさかあの方のあの記念碑的名著がそんなありさまで世に形を得たのかと想うと、暗澹としてしまう。「運命」と呻かれる高田さんのお気持ちが胸に痛くて、それは今日一日の、心にささった棘であった。くやしい。
* 待てど暮らせど……と趙非のうたごえが耳に鳴っている。人は「待つ」ものだ、と、自分に言い聞かせる。何を待つかは人によりちがう。「来ぬ人」を待った人は多かったけれど、宇宙からの声を待っている科学者もいる。火星に水と微生物の可能性がみえたという報知も、大勢があんに待っていたモノかも知れぬ。人は「待つ」ものだ。わたしは、今…。
2004 3・2 30
* 墓と雛飾り 2004.3.2 小闇@TOKYO
明日は桃の節句。ということに事前に気付いたのは実に久し振りだ。実家にいた頃は確か毎年、雛人形が飾られていた。お内裏様と三人官女と五人囃子、それと左大臣右大臣が、水槽のようなケースに入れられたものが。
育った家は狭く、檀飾りなど望めなかった。そう欲しいとも思っていなかった。ただ、同じように狭い家に住む友達の家には立派な壇飾りの雛人形があって、それがなぜうちにはないのかと思った。両親かあるいは祖父母があまり興味がなかったのか、それともほかの家の両親や祖父母の関心が過剰だったのか。
今は当時ほどは、壇飾りは売れていない。年に一度しか使わない、収納にも装飾にも場所をとるものは好まれていないのだ。住環境は特別には悪化していないと私は思う。おそらくはそういった、「かさばる」雛人形に価値を見いださない両親や祖父母が増えたのだろう。
十年以上前、学生時代の講義中にとったメモが出てきた。講義録でもノートでもなく、メモとしか言いようのないもの。「結婚すると姓が変わる、生まれた家とは別の墓に入る」というようなことが、もっと回りくどく書かれている。
甘いな、と私は当時の私を少し見下げる。確かに私たちのいわゆる結婚適齢期にはまだ「結婚すると」多くの女は「姓が変わる」ものだ。いつまで保つだろう。好まれる雛人形の姿は、この十年二十年でがらりと変わった。仮に平均寿命まで生きるとすると、まだ五十年以上ある。結婚したからといってその形態が死ぬまで続いたとして本当に、「生まれた家とは別の墓に入る」だろうか。入るかも知れない、入らないかも知れない。少なくともどちらでもおかしくない世の中には、なっているのではないか。
* 後段の切れがすこし鈍い。まだ微熱があるのではないか。この後段の把握と認識が冴えていると面白いのに。いっそずばりと差し違えるように小闇のアンナ・カレーニナ論でも聞かせて貰いたかった。
2004 3・2 30
* 秦先生 大変遅くなりましたが、湖の本、ありがとうございました。ゆっくりと読ませて頂いております。
今日は娘の3回目の雛の日です。初雛の頃からメール差し上げるようになって、もう3年。早いものですね。
雛の祝いを、まだ離乳前で食べることもできなかった娘も、お雛様の髪を梳ってしまったり(泣く泣く膠で修復しました。)笏を花に持ち替えさせてみたり、悪戯ざかりとなりました。
前のメールで先生にお話した*子の誕生は、実はまだ先となりそうです。あのあとお医者様に行ってみたのですが、あっさり「違いますよ」とのことでした。少しがっかり、少し「もう少し仕事するゾ」。
実は先週末、姪を死なせました。
夏に亡くなった姉のたった一人の忘れ形見でした。22歳でした。
早くに父親と生き別れたために、1歳過ぎから実家で姉妹のように育ちました。
めったに化粧しない化粧下手な私が、美貌で化粧上手な姪の死化粧をすることになるなんて皮肉ですね。
ここ数年、少しわだかまりができて距離をおいているところでしたが、いつかゆるやかに融ける日が来たら
「英語で『娘が一人遺された』って、”She is survived by her daughter.” って言うんだって」と伝えようと思っていました。だからとにかく生きるんだよ、と。
でも、伝えられる日は来ませんでした。
姉には死なれましたが、姪は死なせました。
先生の書かれていた言葉の意味を、こんな形で痛感することになるとは思いもよりませんでした。死なれた時より死なせた時の方が、想いが濃いものなのですね。
まだあまり心の整理ができずにおりますが、先生の言葉をいま噛みしめている、と、それだけをお伝えしたくてこのメールを書いております。
小寒い日が続きます。どうぞお体をおいたわリ下さい。 卒業生
* ひな祭りのたよりには寂しいが、育ち行く幼い者達の元気な命を、だれもが力にし励まされたい。
『死なれて・死なせて』はわたしの主著の一冊であり、いわば、わが文学のメインの主題でもある。湖の本エッセイ16にこの題で収録してある。このメールの人が東工大に入学してきた春、わたしが初めて教室に入ってものを言い始めた春に、この本はかなり華々しく出版され、おかげで自己紹介がしやすかったし、数年のうちにこういうことが学生達との間で話題になることも度々有った。
2004 3・3 30
* 初めてメールさせていただきます。私はひょんなことから趙非と知り合い、現在、趙非の音楽活動のお手伝いしております**と申します。現在、趙非事務所としてこのアドレスもホームページm私のところで作っています。
「日本のこころの歌」のCDお聴きくださり、本当にありがとうございます。早速、趙非のメールの方へ転送させていただきますが、事務的なことなどはこちらにご連絡いただけばと思います。
普段は主に、CDや楽譜集また、ディナーショーやリサイタルのチケットなどの注文を受けたり、発送など、また、彼女が時折、上海に戻る時は留守番もしています。リサイタルなどイベントの時には、何人かのボランティア(というより、ファンと言った方がいいでしょうか)と一緒に開催の準備から様々な手配をすることになりますが。
ホームページで見て頂いたと思いますが、定期リサイタルは2/14にカザルスホールで開催したばかりですので、後は、各所の演奏会や集まりなどにゲストとして唄うということが決まっているくらいです。
ちょうど、あとふた月、上海から母と姉が来ておりますので、4月末にでもミニコンサートの案があることはあるのですが、未定です。
CDはべつに「中国こころの歌」がありますが、これも「日本のこころの歌」同様、両国語で唄っています。「日中名曲選」には、日中の二種のCDに収められた全曲の日中両国語の歌詞、楽譜、曲の解説が載っております。「中国のこころの歌」のCDをお送りすればよろしいでしょうか。恐れ入りますが、ご面倒ですがご返信をお願いいたします。
私ことになりますが、もともと音楽は遠い遠い存在で、今、こうして音楽活動に関わっている自分がとても不思議です。娘が中学入学と同時に習い始めた日本画を今でも細々と続けていますが、その絵の会での初の海外スケッチ旅行が中国だったことから、帰国後中国語を習い始めました。
そんな時、たまたま新聞記事で見つけた彼女の初のCD「日本のこころの歌」とリサイタルの申し込みは、あくまでも中国語学習のためだったのですが、これが、ただの申し込みに終らず、そろそろ3年になる彼女との交流の縁結びだったようです。
一昨年から去年にかけて編纂した「日中名曲選」では日中両国語の歌詞を中文ソフトでピン音を調べながら打ち、校正をし、カットを描くなど、十分お手伝いが出来たのですが、この楽譜集完成後は、ただのオバサンでいてはとても味わえなかっただろうという様々な体験を(営業、事務的なことは苦手ですが)楽しんでいます。ほとんど中国語
の先生と生徒、時には年上の友達としてですが。
余談ですが、スケッチに行ったグループとは別の絵の先生、F先生が、以前、目 精二 というペンネームで「異聞・みにくいあひるの子」という本を書かれたのですが、秦様のホームページにその本を紹介され、とても喜んでらしたとのことでした。現在も画廊主であるF先生には機会あるごとにお目にかかっています。
早春賦を実感する昨日今日ですが、お身体お大切にお過ごし下さい。
* いろんな人生があり縁がある。目(さかん)精二さんは画家でもあり画廊主でもあり、小説や戯曲も書いていた。わたしの「湖の本」全巻購読者でもある。繪の個展で二度ばかり会っている。「e-文庫・湖(umi)」に氏の小説を載せてある。趙非事務所の連絡アドレスを此処に挙げることは今は控える。検索すればホームページには簡単に達すると思う。
2004 3・3 30
* トルストイの小説についてのお話しを興味深く読みました。ロシヤ文学専攻のセミナーに僕自身が参加してある「作品」の輪講の場面に居るかの如き臨場感で。理工系の世界で学生、企業と過ごしてきた自分は、憧憬の文学の世界での体験はありませんが、アンナ・カレーニナのアンナを時代背景の中でどう捉えるか。トルストイの読み方へのあるヒントにもなりました。十代後半で読んだ本ですが、今また読み返す意欲が湧きます。今年は未読の「夜明け前」へと心をときめかしておる次第です。 川崎市 E-OLD
* デパートに用があり、街に出ました。たまたまあるデパートで「昔きもの」という名前で、販売展が開かれているのに引っかかりました。昔の着物のほうが、今のものより面白いのが多いのに感心しました。簪や付け下げに気に入ったのもありましたが、値段はなかなかなので、買ったつもり。帯締めに、探していた色合いのがお手頃価格であったので、購入しました。
展示の中で佳い着物があると思いましたら、みんな京都のお店のものでした。舞の先生はご自分の会のときには京都へ衣装を借りにいらっしゃいますが、やはり京都の底力は大したものです。
着物の値段は天井知らずですが、このようなリサイクル品だったら私にも買える掘り出し物もあるでしょう。いつか見立てていただけたら、などとふと考えて笑ってしまいました。女の着物選びにつきあうなんて、恥ずかしいにきまってますもの。
これから大慌てで夕食の支度です。昨夜飲みすぎていらっしゃいますから、私から一言「今日は控えめに。」
* 昨晩のE-OLD二人とも、秦さんのサイトはオープンにENLIGHTEN してあり、たいへん分かりが早いと。はるかな遠くへも「昨夜飲みすぎ」が即座に伝わっている。電子メディアである。
2004 3・3 30
* ちらちらとHPを拝見していたら私の名前が出てきて、あらあら。決して迷惑ではございません。全くその通りで、電子メールあっての今の私です。
理系学生だったこともあって、若いときから読むのも書くのも横書きに馴染み、その上文章を書いてから「ああでもない、こうでもない」と間に言葉を挿入したり、クローズを追加したり、ひとかたまりごっそり順序を変えたりする癖があって、手書きの原稿は、異動を示す矢印や、囲って異動先へと引っ張る線でぐちゃぐちゃでした。
それがワープロ機能を使えば、一挙解決。私にとっては本当に革命的な書き易さ、使いやすさだったのです。
秦様にメールを送るようになったきっかけは、それまで夫に代わって「湖の本を受け取りました」と絵はがきなどを出していたのをメールにしてみた、と言うことだったと思います。
やがてメール特有の語り易さから、夫の代理ではなくて私自身が秦様とメール友達のようについ気楽にお話しをさせてもらうことになりました。
でも、それが私の拙い文章を読んでいただくところまで発展するなど思いも寄らぬ事でした。「ちょっと読んでいただけますか」と送る勇気が出たのもメールだからだったと思います。
最近携帯でメールを交換し始めた友人とは、彼女が川柳に堪能なので、限られた文字数で伝えるのに川柳を真似て5・7・5で返信してみました。そうしたら添削した返事が来て、今彼女を師匠に川柳修行をしています。
この年令になってこんにいろいろ楽しい事が出来るのはメールあってのこと、今やメールあって、私です。
* さもあろうと思う。「便利」だけのことではない、どこかに開放のキーが隠されていて、ながいあいだ或る意味で抑圧していた錠前がとかれている。わたしの体験からいえば、このサイトの読者はとうにご存じのように「花籠」さんという関西の女性がおられて、これは本姓ではない名乗りである。ただ自身が名乗るだけではない、わたしのことを「月様」と言ってこられることがある。これは、花籠と月とのかかわりを出典により心得てのいわば確信的愉快犯である。見る人から見ればダアというところだろうが、メールの功徳であるに決まっている。
閑吟集の花の定座に据えられた極めて美しい歌謡=室町小歌の歌詞はこうである。
花籠に月をいれて もらさじこれを 曇らさじと もつが大事な (三一○)
大学のお堅い先生方は遠慮されているが、「ちろり管見」のわたしから見れば、花籠も月も女性と男性そのものを謂うているのは明白で、この小歌は「性」の最高潮を幸せに持した小歌なのである。「閑吟集」を語った私の著書では、この美しい小歌の解説また最高潮に熱が入っている。そしてこの熱い読者は、承知のうえで自身のハンドルネームも「花籠」とし、そしてわたしを「月様」と、戯れだか本気だか、呼んでこられる。むろん四国在住のこの読者をわたしは見たことも触れたこともない。「月様」はどうかやめてくれとも伝えていない。こういうセンスから一人の女性の内部に新しい言葉が、物言いが、表現が開放され誕生してくるのではないかと想っている。
メールとは「恋文」である、と、わたしがまだ電子メールがこうまで普及していない時期に喝破しておいたのは、これである。
むろん、これはある種の危険や頽廃と背を合わせていることにも気付かねばならないだろう。出会い系サイトで犯罪に巻き込まれるような、電子メールによるヘンに自己都合に走った思い込みは、その危険と頽廃を情けないほど軽薄に体現してしまっている。アンナ・カレーニナに触れて、ある人はメールで、「アンナのこと、現代の女性には違う可能性も十分にあり得ますが、その分『遊び』に傾く可能性も」と、警告を忘れないでいる。メールにより開放される或るモノが、遊びに行くか、人間の真摯な開示に行くか、これは微妙に難しい最新今日の課題だ。
2004 3・3 30
* トイレの棚 2004.3.3 小闇@TOKYO
職場の女子トイレには棚がある。最近のオフィスにはないかも知れない。でも私の勤める会社のような、旧態依然とした組織には、必ずある。その棚は下駄箱のようで、個人個人のスペースが決められており、そこに歯磨きセットとかヘアブラシとか化粧品とか生理用品などを置いてある。
最近はその棚の脇に、ロングブーツが置かれていることがある。トイレにロングブーツ。シュールな風景ではあるが、職場ではサンダルに履き替える誰かが通勤に履くブーツなのだろうとは思う。
女子トイレとはこのように無法地帯である。
棚に置くものは自己責任で管理する。ときおり、私の棚の生理用品の数が減っていることがある。必要があって誰かが借りたのだろうと思う。返してくれればいいと思う。けれどなかなかそうはいかない。少なくとも学生の頃はこうではなかった。一つ減ったなと思うと、翌日二つ増えていた。美しき日々。
今日夕方、トイレの鏡に映る自分の顔色があまりに酷く、ちょっと色でも乗せるかと、棚のフェイスパウダーを取ろうと振り返った。そこにはあるはずのパウダーがなかった。数年この棚を使い続けて、初めてのこと。治安も悪くなったものだ。
私の使いかけのフェイスパウダーで、盗った彼女が満足するならそれでいい。むなしいよね、よりによって、トイレの棚から盗るなんて。そうですねと言うように、ロングブーツの左足が、音を立てて倒れた。
* こりゃ、おもしろい。こういう光景や述懐は、男には珍である。記録に値する。
2004 3・3 30
* 目覚めれば雪かと戦いていましたが、こんなに晴れて、得した気持ちです。雑用を済ませて、大人しくヤモッ(家守っ)ています。
こんな光の中ででも老眼で眉を書くのに苦労します。昔からお化粧に無頓着、構わない方でした。ただの不精者。今、廻りの同年輩から、外出時には睫毛をビューラーでカールさせてマスカラを塗り、アイラインを入れ、アイシャドウも、と聴いて驚いていますが、私にはとっても出来ない。そんな人から、眉ぐらい書いたらと言われてしまいました。なる程あれだけ悩ませたへの字の太いげじげじ眉が、今や鋭角もなく人格どおり(?)穏やかに名残を留めている程度。若い頃は髪を長くして、当時流行のポニーテール、只、美容院へ行きたくなく、ラクでそうしていたけれど。ふさふさとカラスの濡れ羽色、あまりの太さに恰好がつかなかったのに、今や鬘が欲しい程です。
まあ、どうでもいいことだけれど。
一念発起で目のお化粧たっぷり、別人の顔でお目見えしましょうか。ムリムリ。
春のうきうき気分になりたいですね。
* いまにも七十の、つぎつぎに孫が生まれて、「ばばになれ ばばになれよと 子らの愛」と嬉しい悲鳴をあげている、いいお婆さんのメールである。 四条五条の橋の上 老若男女 貴賤都鄙 色めくありさまは げにげに花の都なり とある謡の文句が自然とうかんでくるぐらい、いまや老婆(失礼!!)も色めき立って、元気。E-OLDの春漫々か。
えらい時代になったモノだ、めでたい、と付け加えておく。
2004 3・4 30
* 趙非が歌うこころの歌といい、こんな神話といい、(ヤマトタケルは、歴史的には存在の全く確認されていない、ただ神話伝承の、悲劇的な架空の英雄である。)素晴らしモノにも溢れている人の世であるが、鶏のインフルエンザの無道な蔓延拡大や、海外の多発同時テロや、鬼のような虐待親たちや、凄まじいことも多すぎる。
詩人の仁科理氏から、例年の、四国ボンタンを大きなダンボール箱に一杯頂戴した。これはもう上品そのもののうまさで、ほおがゆるんで、にこにこしてしまう。暫時、凄まじい厭なことも忘れる。ご馳走様。
2004 3・4 30
* 雪の果て 天の庭に咲き誇る、大輪の牡丹。その白い花びらが、風に千切れ、淡雪となって舞っています。春隣。菱餅を食べました。
昨日は、暗越に、枚岡神社と追分の梅林を巡り、奈良へ。春告鳥の囀りが満開の梅の香にのって聞こえてきました。
二月堂に登り、杼のような紫雲が、たなびく黄昏の空に息を洩し、下で待つこと半時間。明かりが消され、舞踊「達陀(だったん)」で知った、あの松明が、階を上がってきます。
藍から墨一色へと移る空に噴きあがる、炎の、色。杉と竹のはぜる音。煙。匂い。
踏みならす沓の音。…感嘆。
2004 3・4 30
* 東京毎日新聞と改造社を創立した山本実彦の「改造十五年」を読み終えた。あの「円本」を創出した出版人だ、また日本にアインシュタインを招待し、筆舌に尽くしがたい感化と感激で日本中をゆるがしたのも、この山本であった。いま講談社や小学館や文藝春秋のように改造社を覚えている読書人は半減しているだろうが、大きな存在であった、戦前は。もう少し文章に落ち着いて丈高いものがあるとよかった。
2004 3・5 30
* 湯浅俊彦氏の長文「電子タグ問題の議論に向けて」を読みました。すこし思ったところを書きます。
湯浅氏が指摘されていますように、利便性ばかりが強調され、影の部分を隠そうとする意図が働いているように思います。これは来月から適用される消費税の表示方式と根は同じではないでしょうか。内税方式に移行する目的は、近い将来の消費税の値上げをカムフラージュしようとする意思が働いていることは明白です。
電子タグに内在する情報は、プラス(正)といいましょうか、正しい情報として、まず、あるように思います。IT関連業務を生業としてきた私から見れば、電子タグに負の情報を埋め込むことは容易であり、その場合の影響や社会混乱は、鳥インフルエンザの騒ぎなどの比ではないことは容易に予見できることです。
例えば、農産物に電子タグを付け、海外の生産者の情報を入れたとします。やがて流通の過程で、国内の生産者の情報にすりかわれば、国内産として疑われることもなく、以後流通します。
悪意がなかったとしても、個人情報が間違ってインプットされたとして、それが電子タグの類に記録され、本人の知らぬところで読み取られた場合などもどのような事態になるか、怖いですねえの一言で済ませられるものでしょうか。
当分、目が離せないことだけは確かです。 兵庫県
* この指摘は、わたしの恐れている「毒」の部分を、適切に示唆されている。じつに簡単に(と言いたい)悪用が可能な、悪用して私民を食い物にしたい権力や行政や悪商人や悪漢達には、こんな便利な仕組みは無いであろうとすら思われる。怖いことに、そうなのか怖いなあと思う頃には、テキはもう悪用の準備を仕上げている。この「差」のところで、人の世が急速度・急角度に奈落へ誘われ行くのである。若い人達。どうするのですか。
2004 3・6 30
* 昨夜TVで「たそがれ清兵衛」が放映されました。私は昨年の11月に、明石の幻堂出版の中野さんという方と、勝手に映画を観る会というのを立ち上げて、神戸湊川新開地にあるパルシネマ
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/dragonfly/index.html
という映画館で見ました。
宮沢りえが好演していて、この女優は、かつていろいろ話題を提供しましたが、それだけで終わったのではなかったのだと、いい女優になったと、そう感じました。
で、神戸湊川新開地というのは、昔は東の浅草と並び称せられた、映画や演劇で賑わった街でした。その映画の灯を消したくないと、パルシネマの支配人の小山さんという方が、自ら選んだ名画を2本組にして、安い鑑賞料で誰にも楽しんでもらおうと、提供している映画館なのです。映画は、TVでなく、できれば映画館の大画面でみたいものだと思った作品でした。
いま、神戸垂水界隈では、いかなご漁が最盛期を迎え、各家庭から「いかなごの釘煮」の甘ーい香りが漂ってきます。一種の佃煮ですが、温かいごはんに載せて食べるのも、酒のアテにするのにも適しているようです。
気が向いたら、作ってみようかと、そんなことを思っています。
ではまた。 神戸市
* 期せずして同じ西からの便りが届く。宮沢りえは話題だけの人ではなく、天成の演技者であり藝のふかいものを、からだでかっちり把握し、目をみはるほど柔らかに、そう、美しい花びらのように女を、役を、にじみ出させる。中堅で天才的な女優は、田中裕子、大竹しのぶ、そして宮沢りえ。こう挙げてしまうともう根こそぎしたように他にすぐ思い浮かばない。あたりまえで、天才がごろごろいるわけがない。
* ときどき、いかなごの釘煮を贈ってきてくださる、例えば神戸大学の先生などがある。うまい。その釘煮がこのメールにあるように各戸でしんみりと手づくりに煮られているとは知らなかった。街じゅうのいい匂いが届いてきた。
2004 3・6 30
* 毎朝、「おはようございます」と、ほぼそれだけを伝えてくれるメールがある。一日の始まる実感が届いて、思わず笑みもわいてくる。顔の見えないメールって、なんと玄妙なものだろう。
* 見仏記 長谷寺と室生寺のあいだ、山岸を背負った戒長寺で、思いもかけない見仏をしました。
茜微かな日の光が社寺を照らし、眼下の眺望も寂しみを増す刻。本堂扉の錠前に帰ろうとした時、お寺の方が出てこられ、花の時期でもないのにと、内陣まで、秘仏もすべて、蝋燭の灯だけで見せてくださいました。いつの間にか鴬の声がし、止んで、静静、雨の音。
陰りも冷えも限界となり、心残りに御堂を出ましたら、とっぷり暮れ、朧月。
「また霙になるな」
呵呵と 、ご住職。
* 創作のよう。
2004 3・6 30
* 切りますよ 2004.3.6 小闇@TOKYO
結局のところ切るのだがいろいろ訳あって、主に面倒なため、切ろうかどうしようか悩むことがある。髪の話。私だって昔、といってもこれまでの人生のほんの一瞬だけ、肩胛骨より長く伸ばしていたことがあった。そう話すとたいていのひとは驚愕し、写真を見せると絶句する。
長い髪が部屋に落ちているのが嫌だし、短い方が乾燥も手入れも楽なので短くしている。そう極端に短いとも言えないけれど。でも伸びてくるとちょっと迷う。このまま伸ばしてこんな風に一つに結えば、またこれはこれでいいかも、楽かも、と。
で、「髪切るかどうか悩む」と口にすると、実は伸ばす切るについてのmyブームは去っているのだが、「切って短めの方が可愛い」なんて思いも寄らぬところからコメントがあり、続けて「けど、勝手にしろ」なんて言われたりして。
まあ答えとしては「ええ勝手にしますよ」、なんだけど。
験担(げんかつ)ぎ、という言葉がある。髭を剃らなかったり髪を切らなかったりチョコレートを絶ったり酒を飲まなかったり。何かをかなえるために。
こういうのは私のキャラじゃない。だから。
髪がナンボのもんじゃ。伸びたら切る、ということです。今日切りました。すっきりした。
* こんな私語も、誰に宛てるとなく、自然とパソコンの誘い出す「恋文」なのであろうよと、そう想う。
2004 3・7 30
* 昨日、戌の日で。 戌妙見の三寶寺から、法蔵禅寺へ。西寿寺は、くすぐったそうな山を背負って、素敵に甘くあたたかく、「こんなお墓なら好いなぁ」と思う一基がありました。
近くの食堂でお午を食べながら、めくった観光パンフに、法然院と霊鑑寺の椿の写真を見、クルマをたのみました。椿はまだ早くって、それに霊鑑寺は非公開だなンて。でも、俊寛もこの暮色に佇んだかしらと想ってみたり、大豊神社を見つけたり、と、収穫あり。
泉屋博古館の春季展(金銅仏)が始まっていました。今度は「蝶の皿」を読んで、哲学の道を歩きにきます。
2004 3・9 30
* ひゃっひゃっひゃ。 よろこんで戴けてよかったです。銚子は、「盛りの春」でも「薫風の頃」でも、いいと思います。晴れて暖かい日がいいと思います。「一泊」! 最高です!! 目に見えるようです。
ところで、JR東日本の“ジパング倶楽部”というサービス(65歳以上、全国2・3割引き・・)をご存じですか? なければ資料お送りします。
或る老人ホームの老女の文集を見せて貰ったので、CDにしてお礼にしました。
「不滅の戦艦『大和』よ・・幾千の命いだきて・・海に眠るなり・・」とありました。「若き水兵の願い」というのもありました。もしかしたら、ご主人は大和に乗っていたのかも知れない、と思いました。
やっと春です。でもお気を付けて、お元気で。 e-OLDM
2004 3・9 30
* 御礼・早速照合しました。 添削までしていただき有難うございます。メールをすぐプリントし、やはりプリントした私の原稿につきあわせ赤を入れてみました。(真っ赤になったらどないしょ、と思いながら。)
成る程……自分なりにはいろいろ考えたつもりでも、指摘されれば、「そや、確かにおかしかったわ」とか、「おお、すっきりした」とか、悩んだところをすぱっと書き替えてあると「そうか!」と霧が晴れる思い。
それにしても、今までいかに ”ええ加減に” 言葉を使い、文章を書いてきたか、絵同様、こちらも過ぎた日々の迂闊さを後悔いたします。て、に、を、は も、現在・過去の使い分けも(自分では一生懸命気を配っているつも
りでも、)あいまいなままに書いて、しろうとならこんなものでよい、と甘えて来ました。
そもそも、あれこれ考えても、どうしたらよいのかよくわからないのです。
出来ることならば、学生だったあたりまで戻って勉強し直したい気持ちですが、それも叶わず、でも秦様に出会っていなければ、こんな反省すらしなかったでしょうから、今からでもしっかりと、一度に全部は無理だけれど、一つずつ、一つずつ、大切に書くように心がけようと思っています。
文章のリズム、と言うものにも思い当たるのですが、これはもっと難しい。私自身の普段の言葉遣いからして好い加減なもので、いろいろな要素が入り交じって雑ぱくで、それが書き言葉にもつい顔を出します。なんとなく気楽に書けるメールの文章から入って、普通の文章を書くときの壁とでも言うものでしょうか。
「あんた、甘うみたらあかんのやで」と、自分に言い聞かせています。
ともあれ、これからも蛮勇をふるって書いてみますので、よろしくお願い申し上げます。どうも有難うございました。 杉並 E-OLDW
追伸
秦様が多分大学3年の頃だと思いますが、女子高から大学文学部へ移った****という先生(言語学が専門だったような)をご存じですか?
中一の時、京大から来られたばかりの松下先生に、私達はみっちり現代文法を教わりました。と言っても生徒の方は不熱心で、お若い先生をからかったりしていましたし、文章の書き方にはそれ以後もまるで無頓着に今日まで来てしまいました。その他にいろいろ教科書を離れた ”変な授業” もあって、そちらは楽しかったです。
結構可愛がっていただき、卒業の時「あんたには世話になった」と言って、出町の鍵屋でお汁粉をおごってもらいました。「なんでですか?」と聞いたら、「授業でそろそろまとめに入ろうと思ったとき貴方に当てると、世話が掛からず助かった」と言うのが理由、そんなこと私はまるで気付いていませんでした。
* アクティヴなお人のよく現れているメール。昔々のクラスメートの夫人であるが、杉並住まいで遠くもないのに一度も顔を見たことがない。この言語学の先生は、知らない。
それよりも此のメール、大事なカンドコロに幾つも触れている。文章を書く人、推敲する人には示唆に富んでいる。書く文章に、その人の日頃の物言いが自然反映する。アバウトな人はアバウトに書き、がさつな人はがさつになりやすい。音楽に造詣があるようでいて、いっこう「文章もまた一種の音楽」である意義の掴めない人もあり、メール文とすこしちがう文章文のセンスを見逃している人もいる。「壁」という言葉が使われているが、この壁は、高いし分厚い。ことに、エッセイふうの文章と小説の文章との間にたちはだかる「壁」は、よく気を付けた方が佳い。似ていても、ちがうのである。
* 春はあけぼのの候へと時の移ろいを感じます。武蔵野の夕焼け空には鴉がよく似合い、牧歌的風景を想像します。
自分史を書くことへの「文章読本」ともいえるコメントを読ませて頂きました。
これまでの生活の積分の中にも忘れえないその時と場所・時代背景が微分として光り、そのことを「書いてみたい」と思うことがあります。小説・随筆・評論その他を書くときの「心の持ちよう」として秦様のコメントは貴重な指針と感謝しています。
この事をいいたくてメール致しました。 神奈川E-OLDM
2004 3・10 30
* 福田恆存先生の夫人のお手紙に、こんな懐かしい「私的な思ひ出ばなし」一つがあった。七十年余も昔とある。この方から、わたしは、先生ご存命の昔から今なお「湖の本」刊行にお力を戴いている。
* 七十年余も昔の事、名古屋の街なかにありました母の実家へ遊びに参りますと、店の子どもが祖母のことを「ごっさま」と呼んで居りました。子供心にどういふ意味かと思つて居りましたが、後年古文に接して、あゝ、女御、御達、の「御」と同じなのだと気附いて何とも嬉しかつた事がございます。 店の横からお勝手を通り抜けて奧へ入り、池をあしらつた坪庭も蔵座敷も、といふ 落ち着いた町屋は 昭和二十年の春に消えて了ひましたが、あの懐しい言葉、 今もあの地方のどこかに残つて居りますでせうか。 寒暖常なき頃日、何卒御自愛くださいますやうに かしこ
* 豊臣秀吉は、小田原長陣にさいして愛妻おね夫人にあて、あまり退屈ゆえどうか淀殿をこちらへ寄越してはくれまいかという、微妙に面白い手紙を書いた。その宛名が「五さ」となっているのを、東大のえらい学者がおねさんの侍女のことと解釈し、以来、孫引きが続きに続いて、国立東京博物館の大きな「日本の書」展にわたしが講演を依頼された時も、展示にはまだそう解説されていた。
わたしは、柳田国男に教わって、それはとんでもない誤解だと知っていた。「五」という文字は宛字であり、「ごさ」とは、「母ちゃん」「奧ちゃん」ふうの妻への敬ったような照れたような呼び方なのである。秀吉は言うまでもない尾張中村、今の名古屋市にゆかりの出自。あの地方では「ごっさま」また「ごうさま」は既婚女性へのうやまった物言いなのである。まさしく女御や御達や、またはのちのち姉御だの、さらにひろがり良家の娘を「ごんしゃん」と呼んだ白秋詩にも懐かしい用例のあるように、決して侍女の名前などではないのだった。「ごさ」の「さ」も、「かかさ」「あねさ」の「さ」で、「ちゃん」に近いのである。
わたしは例の講演の際、それに触れて安易な孫引き反省を関係者にうながし、一つには「ことば」というのを、「文字」に引き寄せられてのみ読みまた聞くべきでなく、日常の言語生活を発音・発生・発語からまずよくよく「聞きこむ」べきであることを言い続けてきた。『古典愛読』にも触れていた。福田夫人のお手紙は、まことに美しい情景と共に佳い傍証を成して下さって、嬉しい。
2004 3・10 30
* 藤原審爾の「一人はうまからず(昭和60年毎日新聞社)」を読んでいたら、こんな文章がありました。
『このところ厄介なことがおこっている。先頃北陸へ出かけ、造り酒屋をまわっているうち、実にうまい酒にめぐりあった。吟醸の菊姫という、石川県鶴来(つるぎ)の酒である。この酒のうまさは群を抜いており、少々持病にわるくても飲みたくなるほどである。二十数年、独りで酒をのむことなどなかったのだが、このところちびりちびり飲みだしている。のむたび、よろしいと思い、これを越える酒はないものかと思う。それにしても日本酒のうまさは、アルコールなど添加しない前のうまさであるゆえ、庶民の手にはとどきかねる。なんとか国民に、骨身にしみるようなうまい酒をのませるようにつとめるのが政治というものだが、今の政治には税金のことしかない。みんながうまい酒をのめるようになるよりも、今のうまい酒がこの日本からなくなるほうが、よほどはやそうである。』
メールで問い合わせてみると、特約代理店で求めることになっていました。岡山では2店の代理店があって、そのひとつがたまたま高校時代の教え子(47 歳)の店でしたので、今日久しぶりに訪ねてみました。今日中に入荷するがくせのある酒で、松任市の「天狗舞」という酒のほうが一般的だと思うと言いました。それでも彼は自分であちらこちらの酒を飲み回って美味しいと思った酒を仕入れているのだと言っています。秦さんが今お酒を飲まれてもよい状態であれば「天狗舞」と「菊姫」とのいずれかをお送りしたいなと思います。お手数をおかけしますがメールでお知らせください。
* ありがたい、親切な便り。いえ、いけませんと、これも親切な横やりを入れる人も有るか知れないが。鶴来は白山の麓、菊姫はあちらでも知られた名酒。天狗舞もきびきびした旨い辛口であるが、比較的手に入りやすい。菊姫はそうは置いていない。泉鏡花の雰囲気をつたえた「菊姫」さんに久しぶりに逢えるかと、酒飲み、けっこうあつかましい。感謝。ただし、どちらも出回っているものは、醸造用アルコールを添えてある。
* 「蝶の皿」をあらためて読んで、「余霞楼」と同じ震えを感じ、背筋に寒いものがはしりました。こわいのは、なにより忌み嫌い大の苦手にしていますの、なのに、秦さんは、やらかい言葉でこわぁい話をつづられます。
それでも、湖の本5「蝶の皿」、8「墨牡丹」(下)、エッセィ5「京のわる口」、各一冊お送りくださいませ。 奈良
* なるほど。これもまた、感謝感謝。
* 勝田さんから「ジパング」の割引制について親切なお知らせにあずかった。
* ジパングについて。
新幹線を含むJR線を通算で(往復とか)201km以上利用する際に、運賃・料金が、利用3回目までは2割引、4回目以降は3割引になる。
この割引は年間20回利用できる。
一部割引にならない列車・設備・期間がある。(「のぞみ」は特急券はだめ、「ひかり」「こだま」は大丈夫とか、連休・お盆・年末年始はだめとか。)
年会費 個人:3,670円 夫婦会員:6,120円 (入会金なし) などと、いろいろ。
蛇足:往復運賃というのは、普通でも1割引きなんだそうで、ジパングでさらに2・3割引になるそうです。
お元気で。 勝田貞夫
2004 3・10 30
* 好天なれど風はげしく。だが暖かくなった。花粉も少ない。
* 東京の小闇の次の「私語」は、もはや常習犯罪となった顧客情報漏れを介して、その先へ拡大する「個人情報被害」に嘆息したものだ。
* ゴミ袋の中身 2004.3.10 小闇@TOKYO
ジャパネット「たかた」からも顧客情報が漏れていた。テレビ慣れした社長の会見での態度、営業の自粛など、対策も、ちょっと穿(うが)ってみたくもなるほど見事だった。どこかのCEOとは比べものにならない姿を、商売人と投資家との違いというひとがいて、なるほどと。
ファミリーマートローソン三洋信販ソフトバンクBBジャパネットたかた、と来て今日は郵政公社と三井住友カードである。正直、昨日までは私と無関係だった。しかし今日の2社は、どまんなか。どっちにも、ばっちり握られている。特にカードは致命的。どこまで漏れたか知らないが、そもそも同社はまだ公には流出を認めていない、が、カード番号はもちろんだけれど、毎月の電気代や先月西武百貨店にいくら納めたかや、アマゾンドットコムへの上納額や、一週間で 10kg痩せる薬や、盗撮ビデオやアダルトサイトの利用料金などをそれで支払っている事実が公になったら。もちろん後ろの三っつは嘘ですよ。
こう考えるとソフトバンクBBの漏らした内容は、ちょっとほかとは質が違うように思える。住所氏名、電話番号、メールアドレスなどは、ほかの業者からも漏れる可能性はある。ソフトバンクBBは、ヤフーIDを漏らした。これでどの個人がどんなものを、オークションで売り買いしたかが解ってしまう。
スーパーでの買い物籠の中身と同時に、捨てるゴミ袋のなかを見られるに等しい。
昔住んでいた街で、収集日を無視してゴミ出しをしているひとがいた。それが誰なのかは解らなかった。ある日ゴミ収集所近くに住むだれかの堪忍袋の緒が切れて、ゴミ袋の中身を検証したようだった。
ゴミ袋の表には、その中に入っていたらしい携帯電話の明細が貼り付けられていて、その個人名はラインマーカーで強調されていた。
私はその日シュレッダーを買い、ゴミの収集日を再確認した。
それでもこれだけあちこちで個人情報が漏れていては、もう、何を基準にどこを信用して、どんなサービスを使っていいのか解らない。いっそのこと個人情報はすべてオープンにし、漏れてもなーんも問題ないだってもともとみんな知ってるっしょ、という世の中にするしかないのかも知れない。そんな世の中には暮らしたくないけど。
* この様にまるで「あたりまえ」に落ちこんで手の付けられぬ事態になって行くのが、「情報」の性質だ。人間さまはなにしろ「覗き本能」をもっている。我が身から漏れてはイヤだが、人のは漏れてなくても覗こうという。そんな本能に乗じて情報が売り物になり大金に結びつくなら、いいじゃないかと暗躍する手合いは減るわけがない。なにしろ国家というお上が第一番の覗き屋なのだからお話にも何にもならない。住基カードはもうぼろぼろの金網のように成りつつあるが、被害だけ拡大して、私民は何のトクもない迷惑ものに成り終わるだろう。馬鹿げている。世界にはエシュロンやその追随の巨大盗聴国際組織が出来上がっている。だから気にしても始まらないとは言ってられない。
2004 3・11 30
* 「あやつり春風馬堤曲」で、少しお痩せになったせんせいが、球磨焼酎をたくさん召し上がる場面がありましたでしょう。最近「樽御輿」というのを勧められました。好きなカルヴァドスに似て気に入りです。
「蝶の皿」から「廬山」へ導かれました。これほどの文藝が、芥川賞に達しなかった、そういうレヴェルだったと、嗟嘆しました。
当時の付箋には「ご継続給われば幸いです。」
あたたかな雨に、珍しく書店のドアを開け、「なごみ」の表紙の懐かしさに、思わず手に取った朝でした。懐かしいあの頃。そして、いま、ありがたく。
2004 3・11 30
* 瀬戸内の春の風物詩「いかなごの釘煮」をお送りしました。
昨今、食材に関しまして、マスコミが賑やかではありますが、あやしげな食べものではありません、安心して賞味ください(笑)
レシピも、いろいろ出回っていますが、昨日は海のしけが強く、地元垂水漁港の舟は出ず、淡路漁港から直送のイカナゴを、幻の醤油「尼の生揚げ」を使って煮ました。
ごはんに載せるのが最もおいしいと思いますが、酒のアテにもひょっとしたら合うかもしれません。
* いやもう、旨いこと。嬉しいことに、加賀の「菊姫」松任の「天狗舞」も、揃って岡山の読者から送られてきた。口福これに過ぐるあらんや。有り難う存じます。
2004 3・12 30
* 今度はパソコン画面の前に私のプリント済みの原稿を持ってきて、手を入れて下さった箇所に、前回同様赤を入れて行きました。
それにしても、筆を入れて下さったあとを読み返すと、少し変わっただけなのに、私が書きたかった事がきちんと書かれていて、どうして秦さんには、あの時、あの頃のことが、実際に体験した私以上に、わかってしまうのだろう?
まるで秦さんのお話を私が聞かせてもらっているような気がするのです。
正直に言って、とっても不思議な気分です。
自分の下手な料理が、最後のひと味を素晴らしい手で加えてもらって、とってもおいしくなって、もっと食べたい、もっと食べたい、とそんな厚かましい欲求がわいて来ます。すみません。
うまく言えないのですが、とっても嬉しいです。
これからどうなって行くのか、私はどうすれば良いのか。こわくもなって、ため息をついています。
変なメールですが、御礼の気持ちで一杯です。
*「推敲」とはそういうもの。そういうものと気を入れて、繰り返し推敲し納得したときが脱稿であると分かって欲しい。一度目の書き上げなどは未完成も極まっていると、よく自分の目の前の文章を睨み返すこと、かな。
2004 3・12 30
* 気の毒に、お身内に危篤の報がせまって、とびたつように明早朝には遠い国まで行く人がある。人は、ただ安らかなだけ、幸せなだけでは済まない。わがこととなって事はけわしくきびしく、いたく身に迫る。旅と人のわざとの、おろそかなく、また少しでも平安であれと祈る。
2004 3・12 30
* 浅葱色に明けた空に、半分欠けた月が残っていました。
北陸では、雷神を斥候に、冬将軍はその到来を雪起こしで、退去は春雷で告げ知らせます。はだれ雪が黄沙で覆われると、春が近づいているのを実感します。
関西では、お水取り、比良八荒。
昨日に引きかえ、かなり暖かくなりそうです。お大切になさいませ。
明日香村の発掘現場、三箇所同時に現地説明会があるとか。先ごろ旅したばかりの地だけに、えッらそうに、ふんふんうなずきながら記事を読んだり、ニュースを見たりしております。
2004 3・13 30
* ごきげんの春 こんにちは。春が来ましたね。南もずいぶん暖かくなりました。
春休みの半分過ぎたところですが、サークルの関係で週の半分以上は大学に通っています。バイクで10分とかからないので、まっすぐ行くのはつまらないと、わざわざ遠回りします。これがなかなかおもしろい日課になっています。
遠回りといってもせいぜい市街地の中心部ですから、さすがにほとんどの一般道を通りました。だから飽きるかというとそうでもなく、何度も通ってよく馴染んだ大通り、だんだん馴れていく郊外の道、ふと見つける裏道、どこを通るにもそれなりの楽しさがあります。ときどき迷子になり、まずいぞと頭で言い聞かせながら、焦りのどこかでそれも楽しんでいます。
たまの遠出に近辺の街を走ると、どこへ行っても視界の隅を山々の稜線が流れていきます。九州という土地自体、でこぼこした台地のようなもので、平野がほとんどないのかもしれません。山と山の谷間に盆地があって、そこに人が住んでいる。海沿いは、山のふもとを強引に埋め立てて街をひらいたという感じです。
九州とはそもそも山の支配する「島」であって、人は山に逆らわない暮らしを営んでいる。故国越後平野との違いを日々に感じます。
先日、ふと「青春短歌大学」を手にとりました。東工大生たちの回答にかなり近かったこと、半分驚き、半分納得でした。
もともと理系の分野に興味がないわけでなく、むしろ数学は得意なほうで、また案外メカと相性がいいようです。文系を選んだきっかけは、秦さんとの出逢いに尽きます。もし秦さんの作品を高校生になっても読んでいなかったら、理系に進んだかもしれません。
改めて思いました、すばらしい短歌や俳句がたくさんあるのだなと。好きなものを挙げればきりがないですが、今ひとつ選ぶなら、
父として幼き者は見上げ居りねがはくは金色の獅子とうつれよ 佐佐木幸綱
父があと二年で定年を迎えます。近日中に最後の赴任先が決まるそうです。僕が小学生だったくらいまで、本庁では「剃刀の**」で通っていました。管理職に就いてからは、美術館や福祉センターの統括役を勤めています。
ながく行政の現場でエッジを切ってきた父にとって、地方施設の所長などの「外回り」は、決して満足できるポストではなかったでしょう。しかし、学芸員や教師など、どちらかといえば堅物な人たちを相手に、いい刺激を与えていたのではないかと、贔屓目でなく思います。
酒が飲めず、上司とのつながりなどはほとんどなかったようです。だから上に媚びるということは徹してしない人です。公務員としては不器用かもしれません。しかし、自分への厳しさは、ほかの誰より優れています。父の厳しさに、僕は一生かないません。
父も幸綱のように「うつれよ」と願っていたでしょうか、それはわかりません。まだ「幼き者」にとって、今でも立派に「金色の獅子」です。最後の二年、無事に勤め上げてほしいと思います。
その父が「みごもりの湖」をふと書店で見かけたのが、「藤田家と秦さん」の始まりだったとのことです。一読して「なんだかよくわからなかったが、これはなんともいえずおもしろい」と思ったそうです。
僕が七歳のころ、亡くなった祖父母の実家を売り離して新潟市に出てきたのですが、マンションになるからとほとんどの本を手放して、秦さんのものだけは手元に残していました。以降四度の引越しを経て、そのたびに秦さんの本も一緒に引越してきました。「みごもりの湖」「慈子」、「秘色」や「墨牡丹」、ほかにもたくさんの小説、エッセイ。数々の「秦さんの初版本」が、実家の居間にくつろいでいます。
春は花の匂いがふっくらと流れてきて、外に出るだけでとても気持ちよくなります。秦さん、花粉症なんですよね。僕は花粉には全然苦しんだことがなくて、とにかくお気をつけてと言うしかありません。
暇を見つけて、また遠出してみます。いいお土産話ができればと思います。
それでは、迪子さんともども、お身体お大切に。 九大法科
* 秦さんは幸せな人ですねとときどき言われる。そう思う。この青年に、わたしはいつも優しく励まされているのだ。ちっともむくいていない。すっかり甘えている。どうか、バイクでの怪我だけは用心して下さい。その余はきみのことは、なにも心配していない。
九州……。なにもなにも平安無事でありますように。
2004 3・13 30
* 遠い広島県の山の奥の方から、昔々の東横短大での生徒だった人から、次男が中学を卒業しました、自分は電子メールを特訓中です、はやくいろいろお話ししたいと、短いメールが来た。この子は、等々力の教室でもピカピカのすてきに美しい生徒であった。結婚して埼玉県に暮らしていたが、もう大昔に故郷の広島県の奧に帰って行き、なんだか地元自治活動で活躍しているような便りももらっていた。この人も「湖の本」を最初から応援してくれている。
広島も遠いが、九州はまだその「むこう」である。九大法科の理史君はその福岡でバイクを駆っているという。その近県のどこかでは、人が病んでいると。熊本にも、沖縄にも思い出す人達がいる。
* 秦の母方従妹からも返事の返事が来た。
* 結婚してからずっと金閣寺のすぐそばに住んでいます。船岡の実家から歩いても15分くらいの所です。
娘が二人、長女は40才、六年生になる女の子が一人、次女は38才で六才の男の子と三才の女の子、三人の孫がいます。二人とも京都市内に住んでいるので始終やってきて賑やかなことです。ちなみに私は64才になりました。
船岡の方は建て替えて三番目の妹一家が居ます。妹は三人、それぞれ結婚して市内に住んでいます。
父の悲願だった福田家を継ぐことは誰もかなえることが出来ませんでした。亡くなる前、一年ほどは現実のみさかいもつかなくなっていました。
母も亡くなってから三年がたちました。
「秦ラジオ店」ははっきりと覚えています。よくお邪魔してテレビを見せてもらうのが楽しみでした。
そちら(東京保谷)へ行かれる前に、母とお訪ねしてお別れしたのが、叔母さんたちにお会いした最後です。
2004 3・15 30
* ロンパース! 2004.3.14 小闇@TOKYO
乗り遅れたのは承知で、友人の出産祝いを買いに行った。正しくはその娘の誕生祝い。よく行くデパートの初めて降りるフロアは私を拒んでいるように見えた。何がどこにあるのか解らない。どんなものがあるのかが解らない。そもそも新生児に何を贈ると喜ばれるのかが解らない。
大変に仕事熱心な店員により、私がぼんやりと頭に描いていた上下つながった服とおそろいの帽子を購入するまでにしかし、30分ほどしかかからなかった。臙脂や渋いオレンジやあるいは生成りのような色合いの、リボンもフリルもレースもないシンプルなものでもいいかなと思っていたのだが、そんなものは実際の選択肢にはいっさいなかった。現実は厳しい。ピンクの小花柄の、フリル満載のものを買った。これはこれで可愛いのだ。その場から送る。
翌々日彼女から、新人ママから、お礼のメールが届いた。「超キュートなロンパースをありがとう!」
とっくりをタートルネック、チョッキをベストと優しく言い直される世代のひとたちの気持ちがわかる気がした。ロンパース。私は売り場にいるあいだ、「つなぎ」「つなぎ」と連呼していた。心の中でだけでよかった。
そして今日も、それほど怖くはなくなったフロアで、また別の出産祝い、正しくはその息子の誕生祝いを買う。新人ママに電話する。ちょっと言ってみる。「ロンパースでいいかなあ」。
ロンパースにこだわるのはその合理性故である。暴れてもはだけることがない。乳児向きの服ではないか。色やデザインを選べない以上、私はここにこだわりたい。
今の時期のロンパースは祖父母×2から山のように送られてきたので、夏物を、と、リクエストされる。名前にその色を持つ彼のため、売り場でいちばんきれいなそれを買った。来週持っていく。
* 困ったちゃんではないか。よその子の「ロンパース」より、自分の子の「ロンパース」を買わんのかなあと、余計なことを思ってしまった。
わたしなど、今でも「自分の子」が欲しい、このままでは秦の親たちに合わせる顔がないという、それが大きい動機だけれど。そればかりでもなく、子供がいれば楽しいだろうなあと思う。黒いマゴがいるだけでもこんなに嬉しいのだもの。ま、そういうことは、夢になった。
「くらむ」という個人誌に小説を書いている倉持正夫さんの近作は、重い病気をして退院してから、奥さんと二人で福祉施設を探し回られる話で、じつに読むのが辛かった。子供がない。自分達のそう遠くもない寂しい限りの行く末をいったいどうすればいいのか、二人でいる内はとにもかくにも、一人が欠ければ、そして二人ともいなくなれば、さて…という話になる。
わたしたちには、幸い建日子がいるし、まがりなりに嫁がせた娘や、その孫娘もある。それでも、建日子からは孫はもう期待できないだろう。船岡の従妹三人がいて、父(私には伯父)が思い残した福田という家を、ついに誰も嗣がなかったと書いているのに、わたしはやはり胸をつかれた。どうでもいいではないかと、自分や他人は思うことが出来ても、あの伯父さんは寂しかったろう、そしてわたしを育ててくれた父や母や叔母も心外に感じてしまうだろうなあと申し訳なく想う。
2004 3・15 30
* 今HPを拝見し、私の「ひまわり」を読んでいただき、その上思いもかけぬ高い評価をいただき、びっくり、ドキドキしています。
振り返って読めば、結局「忘れ得ぬ人々」を書いていたようにも思います。文中には殆ど出てこない父母を含め、今私が絵を描いていることを沢山の人が喜んでくれているに違いない、そう私は励まされています。
お礼にかえて。 2004/3/16
* 描きたい人が描き、書きたい人が書き、それが好結果に繋がるのは、やはりそこに人間の謙虚と努力があるからのことで、どのような者も、それ以上の手助けは、はたから出来るものではない。
助言に応えて、自分は「意識して硬い感じに書いていました。まあ、並の婆ちゃん、付け刃で一朝一夕に書けるものでもないでしょう」というぐあいに反応してしまう書き手もある。謙虚のつもりかも知れないが、そうは伝わらない。そもそも意識(意図)して「硬い感じに書く」なんてことは、プロなみの台詞であろうし、そんな「意識(意図)」になど、何の意味もない。素直でない。一朝一夕に書けるものでないぐらい分かり切ったことだから、口にしても始まらず、逆に、それを弁明めかしく口にすることで、或る過剰で余分な自意識を露呈してしまう。書く文章にもそれが露骨に出てくるからこわいのである。努力する素直さを、自分の手で押さえ込んでしまう。硬くなりやすい人ほど、「自分」を表へ出して書くよりも、顧みて適切に他(人)を書いて行くことで、自然と自身の影像 (シルエット)が文章中に立つようにするといいのではなかろうか。
2004 3・16 30
* 忠盛の生まれた平家発祥の地といい、浅草、大須とで「日本三観音」ともいう津(三重県)を、観光してまいりました。ここも、漁の網にかかった観音さんです。
藤堂高虎、谷川士清、宮 発太郎、結城宗弘と、いろいろ知って楽しかったです。
城跡近くで、レトロなたたずまいの洋食店のデミグラスソースに舌鼓を打ちました。
名にし負う、結城神社のしだれ桜は素晴らしく満開で、藤棚ならぬ梅花の棚の下は、夢の中にいるよう。メジロがはばたくたび花びらがはらはら、僅かな風に、かおりがふわり。北村西望作の狛犬が天を睨んでいました。
旅装お尋ねに、おこたえ。
清潔感と慎みと。つとめて品よくと。安全へのご心配、恐縮です。お気遣い感謝いたします。
ブラウス、スカート、カーディガンにロングコート。ハンドバッグで、足元はウォーキングシューズです。
美術館・博物館のとき、また京や奈良の寺社巡りは、和服が多いです。暖いようでも、三十三間堂など特に、洋服では震え上がりますし、座りこむことも多いですから。 囀雀
* どんな姿形して雀さんは飛んでいるのだろうと、好奇心が湧いて尋ねてみた。和服の方が冬の社寺では寒かろうと想像していたが。
* 暖かくなりました。庭の椿、みつまた、ミモザ…など心地よげに咲いています。
昨日のHPにお母様のことが書かれていて胸衝かれる思いで読みました。大変な一生でした、けれどこれ以上一歩も引けない生き方でもあったろうと、いっそ潔く気持ちはさわやかだったろうかと・・勝手な感想ももちながら、でも少年のあなたはお母様から避けよう、逃げようとされたとこれまで書いています。わたしは女の、お母様の視点からものを見てしまうので、ああ、やはり哀しかったですよと思わず書いてしまいます。それでもお母様は歌に書かれているように、いつもいつも子供たちに思いを寄せていましたね。
お体くれぐれも大切に まずそれのみ願います。花粉症にも・・悩まされませんよう。
2004 3・16 30
* 春や昔 秦先生 あたたかな日が続いております。春ですね。今年の桜は早いとか。
残念ながら、ちょうど開花と予想される頃、私は日本を一週間ほど離れなければなりません。
以前にも同じようなことがありましたが、そのときはやや桜が遅れ帰国時に満開の段葛が迎えてくれました。期せずしてポトマック川の桜と、鎌倉の桜、両方を楽しめましたが、今回ばかりはどうもうまくいきそうにありません。
訪問先は初めてのローマ。桜はどのくらいあるのでしょう。本当に残念です。
春になると、たくさんのことを思い出します。
本当は、春になると、ではなく、季節が巡ると、なのかもしれませんが。
昨日は久しぶりに京都に泊まりました。巽橋のそばのおしゃれな小料理屋さんで「中京のぼん」に奢ってもらう、という「おいしい思い」をしてきました。
彼に言わせると、町家を改造して小料理屋にする場合、成功するのは東京資本や名古屋資本だそうです。京都の方は? と尋ねると「壊し方が中途半端」とのことでした。伝統は守るなら徹底的に守る。壊すならとことん壊す。そう語る彼自身は前者なのですが。
姪の事があり、先生のご本を幾册も読み返しました。
京都で数日時間がとれるようなことがあれば、大原まで歩いてみたい、と思うようになりました。大原は鎮魂の地のような気がします。
今回の件からなかなか立ち直れず、先生のご本を読みながら涙することが多い今日この頃です。
お父様 ほんとは一番愛されたと姉妹はそれぞれ思っています (利根川洋子) の 作者はどういう方なのでしょう。いえ、お教え頂かずに自分で少しずつ解きほぐしていくのも楽しみというものかもしれません。
この歌を読んだ時、電車の中で涙が止まらなくなりました。
なんという素晴らしい父上なのでしょうか。片方だけ愛している、と周囲に思わせるどころか、どちらも愛されていない、と思わせてこの世を去る父が多い中で、二人の娘に「それぞれ」「一番愛された」と思わせる父性。ただそのことだけで、その父上の人生は十分すぎるほど大成功ではないでしょうか。そしてそれを感じ取れる娘二人の豊かさ。父の贈った愛が娘の人生へのはなむけならば、娘のこの歌は父へのはなむけですね。
この歌からは「はなむけ」という言葉が浮き上がります。
ところで、お手数おかけいたしますが、
先生のご本を送って頂けませんか、「秋萩帖」上下と「慈子」上下を。
「死なせた」思いがどれだけ自分というものを掘り下げていくか、いま噛みしめています。
おそらくローマへは、先生のご本と「こころ」を持参していくことになると思います。
姉妹のように育った姪はたくさんのものを私に贈ってくれていたことに、今さらながら気がつきつつありますが、最後に大きなものを贈ってくれました。
ニ度と死のうと思わない、という気持ちを。
先生もどうぞお体を大切に。「祈ることしかできない」という言葉を、本当に実感を持って痛感しています。
* 著者として、そしてこの人との場合には「教授」として、こういうメールを受け取るとしみじみとする。おそらく路上ですれちがっても私からこの人の顔はもう見分けられないかも知れない。教授室で顔を合わせた数少ない機会の他には大教室の学生の顔は覚えられるものでない。にもかかわらず、十年かその余も、われわれは、何と無く一緒に生きてきた気がする。それを「結」んでしっかり繋いでくれるのが、此処にも挙げられているような、数々の短歌や俳句や井上靖の詩であったことを、その余韻が弱まるよりも蘇るように少しずつつよく浸透して生きいきしていることに、わたしは感動する。それこそが私の願いであった、時間が経ってなお力をもつもの、それは優れた「詩歌」である。
利根川洋子の短歌は虫食いにはしにくかったが、この人がこう感じ取っているその通りの優れた表出である。ああ、ちゃんと通っていたのだ、胸奧の宝にしてくれていたのだ、と嬉しい。
* もう以前に、「青春短歌大学」下巻を送り出したとき、こんなメールを、大切な読み手の一人に頂戴したことがある。わたしの願いを、的確に代弁してくださっていた。褒めちぎられていた部分は引かないが、こんな言及があった。
* 先生が『青春短歌大学』でなさろうとしたことは、日本の詩歌を、若者のみずみずしい心に直接届けること、そして彼等の人生に新しい色を加えることだったのでございましょう。先生の「学生諸君の内奥を、真実挑発し刺激する」ことはきっと成功なさいました。
工学部のキャンパスは私の知る限りにおいてどこか実験室の殺伐とした雰囲気が漂います。先生の授業を受けた生徒さんたちは灰色の映像の世界から生き生きした彩色の世界に飛び込んだような衝撃を受けたであろうと思われてなりません。先生は多くの学生さんの視野をさっと拡げてしまわれました。
さらに、『青春短歌大学』は私のような中年読者の胸をも疼かせ滾らせてくれました。この中の詩歌は十代、二十代の新鮮な感性で触れるだけではあまりに勿体ないものです。私も大学生の頃にこんな授業が受けられたらよかったのにと羨ましくなりましたが、当時の私には理解も実感もできなかったろう多くの歌句と先生の解釈は「猫に小判」であったにちがいありません。
私が二十代であったら、切々と胸に迫ることはなかったであろうという歌句はたとえば次のようなものです。
雪女郎おそろし父の恋恐ろし 中村草田男
捨てかねる人をも身をもえにしだの茂み地に付しなほ花咲くに 斉藤史
東工大で先生の授業を受けられた学生さんには、この本を是非繰り返し読んでほしいと思いました。学生さんたちが、先生の本当の大きさ凄さをわかるのはこれから四十代、五十代、六十代になってからだろうと推察しつつ、私も先生の『青春短歌大学』などのご本とともに少しでも成長してゆけたらと願っております。
「彼や彼女たちの未来が楽しみなために、一年でもわたしは長生きがしたい」というお言葉にある先生の身にしみる人間愛に、私は胸が熱くなりました。「教えるということは希望をともに語ること」という言葉のように、先生は若い魂と希望をともに語ることのできる数少ないかたです。
『青春短歌大学』は久しぶりの感動的な読書となりました。ありがとうございました。
あとがきにペンクラブ電子文藝館の事業を「良い樹を一本一本植えて行く」仕事と表現されていますが、この荒れ地に一つ一つ希望を植えて行く地道な営為を「知の巨人」の仕事と言わずして何と言えばよろしいのでしょう。
「知の巨人」というのは立花隆さんによく使われる形容ですが、本当の知性というのは立花隆さんのような難しいことを理解し説明する能力のことでしょうか。先生のように明日を担う世代を励まし希望を与えることこそ真の知性だと私は捉えています。ですから、私は秦先生のような方こそ「知の巨人」と言う表現にふさわしいと思うのです。(きっと先生はそんなことはないとご謙遜なさいますでしょうが。)
* わたしはそのような「巨人」でなんか、ない。過褒も過ぎたものだ、ただ、わたしの授業から、もし卒業生の中に佳い芽がふくとしたら、それは何年も何年も経った頃だというこの人の指摘はその通りで、それがそのままわたしの願いであった。たとえ少しの人数にでも、そのようにわたしの思いが生き延びて行くのであれば、わたしは「講義」など「概論」などしないで、とりとめなく話す中から、可能ならばキラキラと砂金の粒を拾って覚えていて欲しいと思っていた。だから私自身の言葉よりも、もっと多く強く、優れた作者達の「表現」を手渡し伝え、またその表現を若い人達に分かち持って欲しくて、あんな「虫食い」をつくり、学生諸君に呈しかつ挑発し続けたのである。
* ローマへ旅立とうとする今日のメールの卒業生は、文の末に、一句を書き添えていた。
君知らぬ木蓮ほころび二七日 典子
姉妹のように育ち、死なれた人へのおもいであろう。はつはつと春を生きづく木蓮。「君知らぬ」とは喪失感の直叙であろう。この亡くなった若いひとはこの世で生ける甲斐ある恋をして逝ったのであろうかと、ふと思う。初句が「恋知って」だといいになどと不謹慎に祈ってしまう。「二七日」は、あえて「にしちにち」と読んでよく、「ふたなぬか」もいい。二十七日の意味ではなかろう、「ふたなぬか」とは意義が逸れる。
恋知って木蓮咲いてふたなぬか もあり得ようか。
2004 3・17 30
* スペインの卒業生から特報が入った。
* スペイン総選挙 「小闇@バルセロナ」
恒平さん 休止状態の小闇ですが、とても興味深いことがあったので、是非お伝えしたく……。
この日曜日3月14日に、スペイン総選挙がありました。選挙権のない私が、「経験した」と言うのも可笑しいのですが、今まで経験した中で、これほど興奮し、これほど面白かった選挙は初めてです。
3月11日(木)に、マドリッドで列車爆破同時テロがあったことはご存知でしょう。これが、間近に控えた総選挙に大きく影響するのは明らかでした。ただ、どんな風に?
スペインバスク地方のテロ組織ETAの仕業なら、現在の与党保守党PPに有利に、アルカイダの仕業なら、PPにとっては打撃的に。その効果は見事180 度異なってくるはずでした。
PPはこの選挙戦、打倒ETAを前面に打ち出すことで支持率を上げていましたから、ETAの犯行となれば、PPの正当性が立証されたも同然です。(PPがETAを権力づくで抑えようとすればするほど過激になるのは、少し考える
と分かることなのですが。)
逆に、アルカイダの犯行となれば、それがイラク攻撃への報復であることは明らかで、唯一イラク攻撃に賛成の票を投じた党、PPこそ、今回の惨事(死者 200人、負傷者600人)を招いた責任がある、と。
結果から言うと、PPは、列車爆破の起きた3月11日(木)当初から、イスラム系組織の仕業と考えられる証拠や情報を掴んでいました。
しかし、いや、だからこそ、首相自ら、メディアや外国の政府機関に電話をかけてまでETAの犯行を強調したのでしょうし、検閲の入ったニュースは(ほとんどのスペインメディアがPPの傘下)、ひたすらETAの名前を垂れ流すしかありませんでした。イスラム系組織が犯行声明を出し、ETAが非犯行声明を出した後々もです。
選挙が終わるまではETAの犯行、選挙が終われば次のように公表されることが目に見えていました。 「本日、我々の優れた捜査により、アルカイダによるテロであることが判明した」と。
憤懣と無力感のうちに3月12日(金)が終り、土曜の昼も過ぎれば、PPはこのまま選挙を乗り切るかのように見えました。
それでも、、国内、国外からのあまりの批判に、耐え切れなかったのでしょうか。13日(土)夜9時のニュースで、初めて、列車爆破同時テロに関しイスラム系5人を逮捕したことを伝えました。ETAの可能性が未だに高いことを強調しながら。
その夜、PPの事務所前に集まった抗議の人々は、バルセロナで7000人、マドリッドでも千単位。
PPが負けたのは、テロがイスラム系組織による犯行だと判明したからではないでしょう。たとえ、PPが国民の八割が反対したイラク攻撃を強行しても、たとえ、その報復として起こった列車爆破同時テロで、何の罪もない市民が死んでも、PPがもし、初めからイスラム系組織による犯行を認めていたなら、支持数は減ったとて、野党には落ちなかったかもしれません。
PPが負けたのは、ここまで情報を操作し、国民を汚く欺こうとしたから。
14日(日)、普段は選挙に行かない(特に若い)人々が繰り出しました。どうせ投票したって何も変わらない、って思ってたけど、今回ばかりは行かなくちゃ、と。
変えられるんですね!。
独裁政治と民主政治を同時に少し齧ったような日になりました。
* そう。「変えられるんですね!」なのだ、日本でも変えなくてはならない、此処で一度は。
田島泰彦さんや天方直人氏らのイラク派兵を衝くシンポジウムの纏めにも、「とにかくも政権政府を変えること」が第一の方策だとしてあった。選挙で変えるしか日本の国は変えようがないし、誠実に考えて行為すれば、「変えられるんですね!」と手が拍てるのだ。東工大の教室でも、わたしは事あるつど選挙には行こうと言い、正しい選挙が出来るじつにその基本は「日本語=国語教育の適切」さにあると解いた柳田国男の言説を口にした。良い判断は、「よく国語を理解して駆使し思索し発言できる」かにかかつていると柳田は説いていた。賛成である。そう信じている。「文学教授」の基本の確信であった。本質において優れた、万葉集も源氏物語も徒然草も、たけくらべも心も暗夜行路も細雪も伊豆の踊子も、子規も白秋も朔太郎も、晶子も茂吉も、虚子も登四郎も、そのために読むのだと考えていても間違いではない。美しい深い国語の駆使能力こそが、正しい選挙判断を可能にし、少しでも良い政治と私民の幸福を招きうるのである。類型的に右へならえし、卑俗に媚び、ながいものにただ巻かれ、リッチをめがけてそれゆえに口当たりのいいだけの低級な日本語では、いけない、ほんとにいけない、のだ。
だれがどんな意図で情報を操作していて、それがどれほど欺瞞に溢れているか、その判断を、選挙で活かさなくてはならない。変えられる!
* 藤江さんの「ひまわり」読みました。HPのマガジンの方に載せられていたので、彼女の三部作の第二にあたるとか、「書かねばならないことはこれからです」という、その重さにも思いがいたります。
これまで読ませていただいた彼女の文章から書き方、構成などおのずから一貫したものを感じます。自然に彼女のお人柄が偲ばれます。やはり「文は人なり・・」と怖い。但しいい意味です。文体が途中で変わるのも気になりませんでした。
絵が好きで、描く人であることの共通性から そして自分を振り返りながらさまざまなことを感じました。
わたしが油絵の具を初めて使ったのは大学を卒業してからでした。それも自分が買ったものではなく、借りた絵の具で一枚の絵だけ描きました。まあ、人は、それぞれのものや人とのめぐり合いで人生を描いていくわけですが・・。
描きたいもの・・自然の輝き、生きる喜び、と書けるのが凄い。ダウン症の子を育てて、決して気楽な道筋であろうはずなかった、その人の根底にある強さ、明るさを思えば、わたしの悲哀なんぞいとも簡単に吹き払われてしまうものでしょう。やはり先輩でダウン症の子をもった知人のことも思い出さずにはいられませんでした。
「途中でやめたりしない。」
そうです、そこに尽きます。あきらめないこと、それこそが希望を意味するのですから。 兵庫県
* ダウン症の子を育てるのは容易なことでない。その大変さは、ともすると他のなにものも犠牲にしてしまう言い訳になりがちだ。「ひまわり」の作者は、自分自身の人生を、望みを、じつに自由に自然に立派に確保し充実させて、それをちっとも誇ったりしない。この子供さんとの共生そのものをも自身の生きのありのままにして、この母親はダウンの子をもつ母親としてのボランティアや理論活動にも参加し活動してきた。原子力発電関連で夫君の公的活動とも夫人として帯同することもあったろう。気楽に遊んでいた人ではない。精神の自由とよく言われるが、いかにもとらわれの少ない確かな気骨を感じさせる。
2004 3・17 30
*「ひまわり」、読ませていただきました。人のものばかり読んで、自分の方が疎かになりそうなのですが、藤江さんのものは、楽しみにしていますので。
山内画伯からの返事は、「描く」を「書く」に直して読みました。
藤江さんの新たな決意に、私も今励まされています。
それでも、自分の肩の力を抜くのは、難しいですね。 バルセロナ
* 花また華の、京の宵 夜、降り始めた雨の音で目覚めるのが好き。朝、ひとの活気を触れ知らせる轍の響きに、起きるのが好き。
弥生美(術館)でしか見られないと思っていた“高畠華宵”ですが、来月、KYOTO「えき」で展覧会があるそうですの。ちょうど、その日から、前から一度行ってみたいと思っていた、大西清右衛門美術館で春季展が始まります。心が浮き立ちます。
三重県立美の「上村松園展」にくる「母子」、常設を日本画に変えての兵庫県立美「東山魁夷展」も見たい。
*「生活」と、まるで記号を用いるほど簡単に口にするけれど、じつに人により所によりいろいろなのが生活だと分かる。生活にもスタイルがあり、はたからとやこう云うのは間違いだろう。その人その人のハートに触れるのが肝腎か。
2004 3・18 30
* 心嬉しいメールが届いた。待っていた。大きく大きく息をして、じっと眼をとじている。闇に、安らかに。
* 詩を送ってきた高校生に、井上靖の「北国」全編を贈る。
2004 3・18 30
* 「ひまわり」を 何回となく 読ませていただきました。 しっかりとプリントして。11枚にもなりました。
先ず一番に感じたこと 自分をしっかりと持っている方ですね。 そして行動なさる方 まわりの騒音に左右されずに自分の正しいと思った生き方の出来る人。 ご立派です。
文中に懐かしいもろもろが出てきて京都時代を彷彿とさせていただきました。 平安高校の優勝など・・・そのころ私は平安高校にデッサンの勉強に行ってまして、優勝を拍手でお祝いした記憶を残しております。 今でも平安が出場すると懐かしい思いです。
ひまわり は永遠のテーマですし 私も毎年描くためにひまわりを植えています。 その年のできにより絵も影響するみたいです。なかなか気にいった伸び具合になってくれません。ときには農家にいただきにいったりもしています。
また私も小学5年生のときおねだりして父に 油絵の具買ってもらいました。とても高いものでして我が家にとっては父に悪いなーととても思いました。
そしてついていた先生の自宅とたしか光風会の研究所のようなところ 金閣寺に近いところに 毎週日曜日通っていました。一人で早く起きて電車に乗り画材をもって 気取っていたかもしれません。 何か似ているような気がしました。
それからの私は藤江さんとは大きな大きな違いとなっているみたいです。池田先生も伊谷先生も京展も関西二紀展もわかります。
さて 絵についての姿勢は私もおおいに学ばねばなりません。
対象をよく観ること よく知ること 対象に愛情をもっていること などなど。 神奈川県
* 聖路加へでかける。藤江さんに刺激されたというのではないが、ながく掛かってきた「絵」の仕事を、とにかくも仕上げてしまいたい。家の近くへ、鳩が来ては啼く。あのなきごえが好きである。
2004 3・19 30
* 藤江もと子さんの「ひまわり」を読みました。
とても気持のよい文章でした。
「この人に逢いたい、と思わせる、それが作者の愛情」と、瀬戸内寂聴さんがおっしゃっていて、ああそうかと、ほっとしたことがあります。まさにそれです。
藤江もと子さんはもちろん、「ひまわり」に登場する方々にお逢いしたくなりました。
ファシネーション、ですね。 群馬県
2004 3・19 30
* こんばんは ご無沙汰しています。と言っても、私のほうは毎日「湖」を訪れています。
おからだの具合、本当に気がかりです。入院はつまりませんから、十分気をつけられますように。
「ひまわり」も拝見しました。藤江さんの人柄の伝わってくるすばらしい「自分史のスケッチ」です。「自分史のスケッチ」がどんどんすばらしい画集になっていくのにもかかわらず、私は「書けない」毎日です。「書く」ことにこれほどすくみ、恐れを感じたことはありません。もういちど構図から練り直さなければならないようです。
仕事のほうはさまざまな壁は出現しますが、なんとか一つずつ乗り越えながら過ごしています。昨年は売上高10%増にとどまりましたけれども。明日はカーサの卒園式。30数名の子どもたちがこの小さな施設から幼稚園へと飛び立っていきます。あいにくの雨天になりそうですが、子どもたちの姿をビデオに納めようとする両親たちで、カーサは満員になることでしょう。3年半前に不安な気持ちで始めたこの施設が、今では定員いっぱいの子どもたちの歓声に包まれているのも、温かくよい職員たちに恵まれたことによるのだと感謝しています。「受験を目的としない幼児教室」が、地元の両親たちの理解と熱い支持を得られたのはうれしいことです。
5月には川崎駅前の ラ チネ チッタというイタリア風の映画の町に、2号店 「カーサ デル バンビーノ チッタ教室」をオープンします。
では おからだ お大切に お大切に・・・。 川崎市
2004 3・19 30
* 今日会う筈であった親しい若い友人のことを、いちばんに思い出す。きみの大切な人生だ、きみ自身の手でつかみ取れ。 生きているだから逃げては卑怯とぞ幸福を追わぬも卑怯のひとつ (大島史洋) きみはそう生きている。わたしは支持する。
2004 3・20 30
* 私語を拝見してびっくりしました。入院なんて……。ひどく落ち込みました。
あなたは患者としては劣等生で努力賞のあげられない患者でしたから、しかたありません。そろそろお医者さまに叱られる必要がございましたのでしょう。あなたがお仕事に注ぐ力の何十分の一でも、健康管理に使われたら、すぐに症状も良くなること請け合いです。
この病気は一進一退。知り合いにも闘病中が何人もいて、皆元気です。おどろおどろしく言われていますが、死なない病気ですし、節制によって改善いたします。
いま、あなたの心がけは大変よろしく、お約束の守られますように。ただしお好きな天麩羅はカロリーが高すぎます。甘味をたまに、少しとることにして天麩羅はなしというのはいかがでしょう。とりあえず二週間ほどガマンして実行されると効果がわかるのではないでしょうか。
あなたは明日から段々良くなりますわ。
* 筋違いのドクトルであるが、こういう眼の光ってあることも、ちからである。感謝。
* 秦先生 お忙しい中、早速にご本をお送り頂きましてありがとうございました。きっと出版社にいらした頃のお仕事ぶりもこのようにご迅速だったのだろうな、と、僭越ながら思ったりしております。
私の拙いメールをお褒め頂いて恐縮です。思いついたまま書いているだけですので、毎度長いメールとなって押し付けがましくなっていることには気がついているのですが、中々直らないものですね。
ただ、もし私のメールの中に先生に評価していただけるような部分があるのだとしたら、それは先生が引き出して下さっているものです。
以前に、先生の文章を読んでいると心の平仄が整う、と申し上げた記憶がありますが、先生に文章をお送りする時も、あまり文章が乱れないよう気をつける心持ちになります。実際に、乱れていないかどうかは保証の限りではないのですが。
文章というもの、言葉というものは、相手あるものである故に、相手の色にどうしても染まって表出する気がします。それゆえに私には相手が見えない事務書類の作成が辛くなります。
相手の色が明瞭に見える時、私の中で紡ぐ言葉の色もその色に染まるようです。
蚕というものは、糸を、吐き出すのではなく引き出すのだとご存知ですか。蚕は繭を作る時期になると体の中にゼリー状の物質を持ちますが、この物質を口からきゅっと引き出すことで、その瞬間に分子の配向が整って糸となり
ます。蚕の体の中に糸はないのです。
言葉というかけ橋も、引き出すその瞬間に配向が整う糸のように思います。
幸いにも、私には心の表出を受け入れてくれる人が何人かおります。
新幹線の中で読み終わった本の感動を伝えたくて携帯メールすると、適確にその次のお薦めを教えてくれる人、自分が見た仁和寺の梅を写真で送ってくれる人、姪の葬式の夜にぼろぼろと泣きながらメールを打てる相手。
こう書いてみると、メールというものに、随分と依存しているのが改めてわかりますが、彼らに向けて文章を書く時、やはり自分の文章を汚さないでおこう、と無意識に心がけている自分がおります。
言葉というものは、自分で選んでいるものでなく、相手が選んでくれる部分も大きいのではないでしょうか。
先生のおからだが、ご不調のようで心配しております。先生の存在そのものが、私の「日本語」の鍛練になっているような今、本当にお大事になさって下さい、としか言いようがないのがもどかしく。
どうぞご自愛下さい。 鎌倉
* 教授室で、男どもの、揶揄半分のなにやかや批評を、ものともせず静かな沈黙と微笑で退けていたこの女子卒業生を忘れない。あの日のあの場から一度も会っていないが、気持はこのように通っている。このメールには、やはりこの人ならではの把握や表現が随所に見られる。メールは、ただに片言隻句や笑ったり泣いたりのマークにいそんしてのみ特色化されるものではない。むしろ「相手」への認識がさまざまに思いがけぬ言葉の橋を引き出せる可能性をもつ。
柔らかい花びらのような魅惑の質的表情が、匂うようにさらに言葉のつなぎを染めてくれば、こういうメールは、そのまま「文藝」になってゆく。
話題問題の「週刊文春」の記事が、そのような「言葉」と思いとでは書かれていなかったという意味の深さに、おもいあたらねばならない。
* オハヨウサン 早起きしたので、「私語」を覗いてみました。
体調、気懸かりな様子で心配です。歳のドンズマリの頃は体調不調でも、不思議に次の大台に乗っかると新たな息吹で、調子よくなるものです。沢山の例をみています。
暖かくなったら自転車運動を始めませんか。私はそのおかげで、体重の値、とてもいいです。
友達間で「地中海ヨーグルト」が流行っていて、種が次々と輪を大きくして行きます。昔、グルジアへ行っているでしょう。名だたる長寿の国、そこが発祥です。そちらからある学者が種を持ち帰ったのが、日本での始まりだとか。お向かいさんにもお分けして、即刻の効果ありと大層悦ばれました。
お彼岸です。お墓参りに行き、ついでに美術館を覗いてくるつもりです。それにしても寒い一日になりそうです。
夕刻からは又亭主留守の娘と孫を一泊させて、賑わいます。疲れます。
どんなお見舞い言葉も、服の上から背中を掻くようなもので、自己管理以外にないと思います。でも心配しています。 京都
* ありがとう。
2004 3・20 30
* 秦です。 さて、あなたは書き継いでいますか。
受け取っているほぼ終わり近くまで読んであります。基本の感想は、説明されていて、場面の描写がほとんど無いということです。
映画や芝居に喩えると、ナレーションだけが聞こえてきて、ト書きばっかりが書かれていて、登場人物達が交わす会話も行為も聞こえてこない、目に映じてこない。事実にだけとらわれているので、事実を効果的に伝える工夫がされていない。誰かがあなたに好意をもった・もっていたとして、それをストレートにそう書いても面白くも何ともない。場面にと、シーンにと、その人やあなたの言葉や表情で行為で表現しなければ、「場面」は、立ってこない。その時、あらわなウソをつくのはどうかと思うけれど、真実をつかむための「創作」はむしろ必要なのです。
盛んに「かくありし事実」を説明しているから、場面を欠いた、感興の湧かないト書きばかりになる。「かく在るべかりし真実」を、うまい脚色もまじえて「表現」するのです。
ある日のその時、事実は湯呑みで番茶を呑んでいたにしても、それをティーカツプで紅茶を飲んでいた程度には替えてもいい、但しほんとうにその方が「真実感」を効果的に伝えうるならば、です。
それと、自分が知らぬ間に同級生から「慕われていた」とか、自分のおばあさんは「上品」であったとか、そういうことほど、もっと間接的に「他」をもって語らせるようにしないと、イヤミになってしまう。自分へ話題を引き付け過ぎずに、むしろ話題や描写の重点を、他へ、他へ、他人へ、他のコトやモノへ、うまく手渡してしまい、そちらから回り回って自然と「自分」が現れ、表されてくるように、
謙遜に、謙虚に、するように。自分の実生活は、謙遜で控えめでいつも人のうしろにいた、なんて書きながら、文章の初めから終いまで、ひたすら「自分」の説明と肯定以外になーんにも書かれていないのでは、ジコチューの地金が露出も甚だしいわけで、これは、ものを書き始めた人の先ず真っ先に落ちこむ落とし穴ですから、あなた一人が恥ずかしがることではありません。
ま、それぐらいを素直に聞いておいて、どんどん書くように。
「自分」史とは、「他人や他のモノゴト」によって証言してもらう歴史なのです。だから、自分をいきなり書こうとせず、例えば、家族や友人や、関心を持った事件や感動した自然や芸術や、憎いアンチクショーなどを、ありありと書く内に、自然と立ってくる自身の影像(シルウェット)を、辛抱よく「待つ」ことが大切でしょう。十度も十五度も書き直してみる根気が大切です。むろん、そんなことをするどんな意味があるかと批評的になってみるのも、実は大事ではあるのです。必然的な仕事とは、それを超えて成り立ってくるからです。
* その、十度も十五度もの仕事をそろそろ手放さねばならなくなってきた。
2004 3・20 30
* 今は家の中に私ひとりで、好きな音楽を聴いています。昨日マリア・カラスを買われたようですが、肌の粟立つようなすばらしい歌でしょう。あなたが京都に育まれたことが天の意志であるように、マリア・カラスがギリシャに生まれたことにも意味があると私は思っています。マリア・カラスは女神の一人ですもの。
* ほんとうにそう感じる。マリア・カラスの大いさ、一枚の録音盤からもまざまざと。立派なものは、まぎれもなく立派である。
ポルトガルの、マドレデウスたちが演奏し歌っている「ムーヴメント」にも、ほとんど酔っぱらってしまう。ヴォーカルのテレーザ・サルゲイロの歌声、蜜のようだ。ギターもベースも快く鳴っている。
2004 3・20 30
* そちら昨日は、冷えたようですね。雪? どうかおすこやかに。
残雪の嶺嶺がぐるり、なかにひときわ白山が美しく輝くまち、石川県、小松。仏御前のさとへ行って参りました。反転して海へ。水平線もきりりと、日本海とは思えぬほど、空も海もあおく晴れて(この時期、まったく珍しいのですよ!)、
安宅の関跡は、松原と砂浜のわたくしには懐かしいしい景色のまんなかにありました。
團十郎の翁に清められ、すっきり知的な三津五郎の富樫も佳く、囃子もノッて、「こけら落とし」にふさわしい舞台でした。
越後の実家へは寄らずに伊賀に帰ります。
* いま、もっぱら加賀前田百万石の農政に根をおろして「日本の歴史」を読み進んでいて、小松界隈も多く話題になっている。小松は心友井口哲郎さんの在地、ひょっとして井口家はこの近在では、かつての「十村(とむら)」役をされたお家柄かもしれない。井口さんのご案内で「あなむざんやな兜の下のきりぎりす」と吟じられた実盛の兜を見に行った日など思い出す。そう、あれは井口さんが館長時代、石川近代文学館主催の「鏡花」講演に招かれたときであった、鏡花ゆかりの懐かしい宿を用意していただき、手厚くもてなして貰った。
井口さんもメールをなさると、いくらでも話し交わしたいことがあるのに。
北陸は金沢近在しか知らない。新潟市へ一度だけ「NHK日曜美術館」撮影のために出向いたが、大きな川岸のホテルに一泊し、他の何処も知らぬままに帰っていった。新潟への思いは容易に果たせないでいる。
2004 3・21 30
* 今夕には、上野の奏楽堂へ。大学での友だち女優の原知佐子のご亭主は、実相寺昭雄氏。氏と、他の二人が芸大を退官につき、記念の会を、実相寺氏構成・演出でやるからおいでよと誘われている。奏楽堂は漱石の小説などにも出てくる由緒の名跡。芸大教授達の退官なら、楽しい催しであろう、原知佐子もなんだか出演するというから楽しみである。幸い天気も晴れやかに回復している、会の後先に上野の山の桜を見てこれるだろう。花より団子は断念し、コレステロールに障らない桜も楽しんでこよう。
2004 3・21 30
* 親子三人で夕飯はしっかりと食べにやって来て、食べて食べて、楽しませてくれて、水を引くように夜更けに帰りました。「泊って欲しい?」と云うのが娘からの愛情表現かも。「明日は家族水入らずでお花見でもしてきたら」と返事をして、今日夫は泊りで出かけたのをいい事に、一人でヤモリです。
睡眠時間をしっかり取り、家事にも半分取られて、自由時間が少なく、一日が早い事。読みたい本もやりたい事も際限なくあって、ヤモリの日も中途半端で日が暮れてしまいます。
「I will close my eyes.」
現役の同じ歳頃の女性ジャズ歌手が好んで必ず唄うというジャズナンバーだと、昨日冊子で読みました。最後の詞が、「逢えなくても目を閉じて、心の目であなたを見つめる」とあります。是非聴いてみたい。 淡路島
2004 3・21 30
* とうとう雪になりました。 夜もきっと冷えますわ。ご自愛くださいませ。
繰り言みたいに、この時期、いつも「みごもりの湖」を読みます。昨日、京へ向かう電車の湖岸側のデッキに立って、(中)を読み進んでいました。槙子さんが、幸田さんに出会うシーンで、たまらずご本を閉じてしまいました。窓の右端から、三上山が見え始めるところでした。
2004 3・22 30
* 深夜であるが。ぎりぎりの瀬戸際からの声がとどく。若い人である。
* 生きているだから逃げては卑怯とぞ幸福を追わぬも卑怯のひとつ 大島史洋
追うべき幸福ではないと実感したら、引き返すように。そう伝えたら、「こころの声に、耳を傾けて。その声に従うのみです」と云ってきた。
むろん、花は後悔するために咲いたりしない。後悔しないために花は咲く。若い人の恋はそうであろう。それでいいと思う。が、それにしても、またしても「こころ」の声にとは。「こころ」こそいちばん頼れなどしないのに。心は一瞬にしてまっさかさまのことを云う魔物のようなもの。それぐらいは、若くても体験的に知っているだろうに。
「こころ」とは、鏡のように澄んだ青空の前を、ひっきりなしに去来する「雲」のようなもの、別名は、思考・分別。澄んだ無限の青空が、人根源の本来か。だが青空を、ともすれば隠そうとして働く黒雲白雲のような、所詮はよそから来ては去って行く「こころ」が自分なのか。少し本気で考えてみれば分かるではないか。何のために、人は「無心」という澄んだ在りようを理想にしてきたか。
「こころ」より「からだ」の方が信頼できるかも知れない。「こころの声」ほどアイマイでいい加減で頼り無くて変わり身の早い悪党は、世の中に他に無いのではないか。
頼めるほどのものは、そう、有るものではない。頼むとは、それに抱きつく・しがみつくこと、わたしの謂う「抱き柱」だが、そんなものに所詮は頼っていられないだろう。自分で自分を騙すような真似になる。
考えを強いて、押しつけている気はなかった、向こうは若いのだ。若くて惑っているのだ、「こころの声」にしたがい戻れない橋を渡りたいというのだ。ああ、「心の声」にしたがうなんていう実体のない恰好の言葉でなく、ただ眼をとじて深い闇に沈透(しず)いてみるといい。そこに何が有るか。そこに自分がいるか。心なるものが存在するか、其処には。肉体すらその闇には無い。
闇は無限定に深い。その闇が、そのまま澄み切った青空に、一枚の何も写さぬ鏡になる、か、どうか。わたしは、日頃じっとそれを「待って」いる。努力して頑張って成れるようなことではないし。
* 後悔のないように。これだけは、一貫しています。
こころの声。
わたしは、不確かな声を聞こうとしていましたね。
* 若い人は、そう呟いてきた。人生は危ういのか。黙。
2004 3・22 30
* ケーブル奉行 2004.3.20 小闇@TOKYO
職場で席替えをした。今回は机間異動だけでなく、レイアウトも若干変わった。この2年ほどで、ディスプレイが液晶にかわったのが大きい。向かいあった席でディスプレイのおしりがぶつからないように机の間隔を広げていたのが、その必要がなくなった。机を詰めるついでに、その間を這うケーブルをまとめ直す。
4つの机からなる島には一人ずつ、ケーブル奉行がいる。あの島とその島のケーブル奉行は普段からマメで、率先して掃除機をかけ結束バンドでメッシュボードにくくりつけ、見事な配線振りを披露している。我が島のケーブル奉行はというと、這い回るケーブルとそこにたまった埃を呆然と見下ろしていた。
奉行の座を奪うことにした。
ゴミを拾う。ペットボトル、缶、クリップ。床から生えている内線のモジュラーケーブルとLANケーブルを残し、すべてのケーブルをいったん抜く。掃除機をかける。親の敵のようにかける。再配線。まず電源。床のコンセントには4つのタップを繋ぎ、一つの机に一つのタップを割り当てる。内線電話。床に散乱していた、本来はマグネットで机に貼り付けられていたはずのローゼットに磁石をガムテープで固定し机にピタッ。ケーブルの先にもテープを巻き、そこにローゼットに書いてある番号をメモ、あらかじめ決められたとおり各机の電話機に挿す。LAN。三つも転がっていたハブを一つに。ケーブルは机一つあたり二本。色で誰のどのマシンにつながっている物か、わかるようにする。
君の服は埃だらけだけど、その分床がきれいになったなあ、と元奉行に言われる。ああもしも私が前日から奉行なら、黒い服など着てこなかったのに。別の島の奉行には、意外と手早く働くね、と言われる。他にやる人がいるときは私は何もしないの。でも、誰もやらなかったら私がやるしかないでしょうが。でも言わない。口を開いても埃を取り込むだけだから。
* このところの小闇では、これが、らしかった。
2004 3・23 30
* 若い人もほんとうにいろいろである。男も女も。そして老人だっていろいろであるに違いない。よくよく見ていると、みな、それぞれに闘っている相手は、孤独、か。孤独はいいのである、すばらしいクスリだ、が、孤立してはいけない。
恋というのは心でするものだと、ある人は云う。そうかも知れぬ、が、違うのと違うやろかとも思う。心が人を幸福にすることはない。無心なら、べつだが。
人は痛々しいまでに求めるけれどけっして「静かな心」なんてものは無いのだ。無い、と確信したある瞬間に無心が来る、かも知れない、永遠にそんな境地は来ないかも知れない。わたしは、いまいちど「風」を考えてみたいと思う。「日本の美学」に書いた「風」の説は半端であった。
* 風は、吹いたり、やんだり、するものです。吹こうがやもうが風に実体はない。無いものです、存在としては。風は、待ってもいないし、わすれてもいない。花を咲かせ花を散らせ、しかしそれもまた新たに花咲くために、です。花は繰り返しのシンボル、風は実存の譬喩。
花はすなおで、美しい。ねじけていなくて、やわらかい。
花は、いま、幸せでしょう。
胸の内に、思いの底に、懐かしく静かに深い闇を知ったことは花のいのちを久しくすると思う。すこし強くなり、無用の柱に抱きつき泣きつかずに独りで立てるように、歩けるように。
少なくもあと五十年が花を、それこそ待っている。
ごく自然に、常のママに風に抱かれて美しく花咲きますように。無心に。
2004 3・23 30
* 角田光代という若い作家が活躍している。この人が、早稲田文芸科のゼミ教室で、いきなり作品がとりあげられ褒めて貰ったと、よく人にも話し、最近もものに書いていたそうだ。「アエラ」であったか。その「とりあげ」た先生は、私である。担当教授が外遊の間、助けてくれませんかとゼミ指導の依頼があったのは、東工大へ行くより幾年か前であった、そうそう建日子が早稲田法科に入学した年であった。つまり「湖の本」を出し始めた年だ。結局、二年間付き合ったのである、文芸科とは。角田光代はその二年目のゼミ学生であった。どこかにその原稿が残っているかも知れない。いま、彼女一人が志望を伸ばして行っている。ほかに、研究者になり教壇に立って、いまも「湖の本」を支えてくれている平澤信一君や、社会人として地の塩のように努めている優しい女子卒業生もいて、おつき合いが続いている。若い人こそ伸びて欲しい。
2004 3・24 30
* 三鷹に居た頃、帰省するたびに、長いトンネルを抜け、目を射る白銀の世界に向かって、「長いトンネルを抜けると、そこは、雪国だった…ァ!」と、こころで叫んだものです。
トンネルを抜けるときの、椀ものの蓋を開けると同じような、あの高揚感っていいですわねぇ。
山科だった、湖だった…人それぞれ、あるのでしょう。
京都の先は、福井と金沢しか停まらない特急列車でしたが、ひと駅ひと駅、ホームの駅名看板が読み取れる速さで、「とおのねぶりの」と思わず口をついて出た、和邇、蓬來。安曇川を過ぎる頃、雪の残る碧い山波が見え始め、膝がしらに冷気が乗っかってきました。ぼさぼさと、穂をほぐしたような草はらに、険しく骨ばった山。
「近畿でありながら、空だけ北陸だ」と書いた人があります。永原で、湖が後方へ去り、小さな白い梅の花に、冬を惜しみたくなる、近江塩津。
新幹線は移動。旅には成りませんわ。
* ごもっとも。「トンネルを抜けるときの、椀ものの蓋を開けると同じような、あの高揚感」とは、うまい。
2004 3・24 30
*「女王陛下のユリシーズ号」を最後に少し読んで、ゆうべは比較的早く一時半過ぎぐらいには電気を消した。源氏もバグワンも今昔もみな、それぞれに胸にしみた。そして今朝六時前には起きてしまい、寝静まったなかで、「宿木」の巻すこし、バグワンを少し読んでから機械の前に来て、夜の間に届いていたメールを読んだり、「ペン電子文藝館」の校正を終えて送ったりした。
例の文春問題で、わたしの発言趣旨に端的に「賛成です」という委員の声も届いていた。近県の温泉の案内をいろいろ送ってみました、休養を、と、旅行会社に最近勤め始めた読者からのメールも来ていた。ずいぶん苦労をした人だが、ようやく正社員勤務へこぎつけたようだ、ただしたいそう忙しいらしい。旅行会社は、たいてい忙しいものらしい。
2004 3・25 30
* 数日前、何かにぶっつけられたかして、折れて垂れ下がっている桜の太い枝から、手折ってきたちいさな一枝、そのふくらみかけていた莟がひらきました。でも、お日さまの光のあたらぬ、ただ、あたたかいだけの部屋の中で咲いた花は、かあいそうにさびしい色をしています。
「文春問題」にかかわるご意見、共感しつつ拝読いたしました。
こういう問題に情緒的なことで、不適当かと存じますが、少女のわたくしに父が、「慎みと、はにかみをわすれるな」と申しましたことを思い出します。
「週刊文春」に限ったことではありませんが、ズカズカ、人の居間、果ては寝室に土足で入り込むような、慎み、たしなみのない、品性に缺ける書き手と、それをよろこぶこれも品性に缺ける読者がいるということ。やりきれぬ思いでいっぱいでございます。みンごと、奇貨居くべしとばかり、官憲の介入を招いてしまったではありませんか。
わたくしとて、野次馬根性の持主、えらそうな口は利けたものではありませんが、出版人に節度を求めるというのは、無理なことなのでしょうか。
ついでに、不愉快なことをもう一つ。
「裏びでお」何とかというところから、利用料というのでしょうか、料金の支払いを請求するメールが来ました。
払わなければ、住所を調べて取り立てにゆく、その際は住所を調べる調査費と交通費を合わせて支払えというものでした。
わたくし、びっくりして知人に相談しましたら、けっこう、そういう身に覚えなき利用料請求というのが横行しているそうでございます。「相手にするな、放っておけ、連絡先や相手のメールに返信したりするな」という処方箋? でございました。
世論調査の対象になったことも、福引きにも当ったことありませんのに、こういう、奇妙なものには当ってしまいます。つまらぬことをお聞かせしてしまいました。
*「裏びでお」だか何だか、この手の悪質なメールは横行し氾濫しているのではなかろうか。わたしは少しでも不審を覚えるメールは、たとえ間違ってどなたかに失礼するオソレが有ろうとも、断然削除して開かない。タイトルなしで送られてくるメールも、よほど確信の持てるアドレスでない限り受け取らない。メールボックスに記載のアドレスやネームと照合することもしているし、悪質そうなアドレスは控えておく。極めて紛らわしい知人の名前とそっくり酷似したのがくることもあり用心した方がいい、微妙に変なのがすぐ分かる。入ってくるメールを惰性で「受信」してしまわぬように門前払い可能な設定にしておく方がいい。
2004 3・26 30
* お返事ありがとうございました。
若返ったろうなんて、とんでもない。20代の女性、しかもコンピューターのプロたちの中で、疎外感を感じながら耐えて働いております。
先生こそまだまだお若いではないですか。出会いもたくさんおありでしょうし。
せっかく先生とお知り合いになれましたのに、なまけもので恥じています。ああ、才能があればなあ、と思います。
ずっと以前お目にかかったとき、小説はだめだ、と言われて以来ひどく落ち込みました。夫のことで悩み、友人や先生に暖かく励まされながら、2年間も生活が乱れてしまって私は馬鹿でした。長く精神が地に倒れたままでした。
今から起き上がっても遅いでしょうか。
母は(私の)夫との同居をいやがり、老人ホームへ行くと申しております。春はまだでしょうか。
* 短いメールだけれど、たくさんなことが自然に書かれていてこれはもうこのまま小説世界の梗概にもちかいことを此の人は気付いているだろうか。
* いままさにインドへ飛んでいる飛行機から、「お元気ですか。桜が散らないうちに帰ります」というメールも来ていた。いろいろに生きている人の多いこと。わたしは、ただ鏡一枚のように、去来する雲を映している。
2004 3・26 30
* 今、寝起き。ベッドからまっすぐ座った器械の前。すばらしい目覚ましに逢いました。何度か独りであるいたことのある道、詣ったことのあるみ堂が、そして『慈子』が、みづみづとたちあらわれてくる……。
今日はこれから身支度をして、舞の稽古にまいります。今朝の「湖」からのお声、プリントさせていただきます。バスの中で、もう一度、今朝の「湖」の世界に、ゆっくりひたりりたくて。
* 作品「慈子」を「ペン電子文藝館」にいれたのを、かつて、愛読者に強くとがめられたことがある。いまも、「みごもりの湖」や「親指のマリア」など、絶対に機械で読まれたくありませんとと言う人がいる。作品は、というより、そこに書かれた人達は、もうそういう読者の所有に帰している。冥利に尽きる。
2004 3・27 30
* 夕方、日比谷まで出て人と会い、鮨で、一時間あまり歓談。久しぶりという気分が先立ち、さて、させる特別の話題もなく、のんびりした。昨日制限しておいたので、少し、いや少し多めに、お酒も飲んだ。別れてから、一人で、もう少し禁断のビールと余計な食べ物で、しばらく、持参の原稿を読み、酔って眠気がきたところで有楽町線で、保谷までつづきを読み読み帰った。途中から眠さに負けた。保谷駅からは車に。
これから、気分を換えてピアーズ・ブロスナンの007でも楽しみ、今夜は早く寝よう。
と、思ったが007が何度も見ていて、もうケッコウというものだったので、やはり厨川白村の「小泉八雲先生」校正をと、機械の前へ舞い戻った。
2004 3・27 30
東京小闇の、私語に灯の色あり。大きな夜桜、そして六本の蝋燭。
* 二親等 2004.3.25 小@tokyo
私が温泉でくつろいでいるときに話は動き始めた。その夜ジージーと鳴く携帯電話に知らぬ振りを決め込もうとしたが、液晶の画面を確認したら弟だった。弟から電話なんて半年ぶり。仕方なく出る。なるほどと思う。じゃあまあやろうか、と。そう、言い出したのは弟なのだ。
期日は、実際の日にちよりほぼひと月遅れ、弟が学会(not創価)で帰省する三月下旬と決まった。母は「とりあえずお母さんでやっておくから」という。妹からは音沙汰がない。
日が近づくにつれ、何を贈るか、食事はどこでとるかなど細かい話を詰める。食事は家で。これは母に任す。贈る物については弟がいくつか候補をあげてきたがどうも頷けない。妹からは音沙汰がない。デジタルカメラとプリンターを提案すると、弟妹からは「悪くはないが、使いこなせないのでは」とレスポンスが返ってくる。じゃあ何を。
妹にくす玉を作ることを勧める。この手の物は妹に任せるに限る。昔私が彼氏を家に連れて行き、両親が渋い顔で迎えたときも、妹は「いらっしゃい××さん」「××さんようこそ」というポスターと色紙の鎖で家の二階を飾っていた。
遠くに暮らす、いまやただ一人の学生である弟には、帰省以外の何も期待しないことにする。すると「いつも姉・妹に迷惑かけてすみません」と言う。わかっているなら近い将来三倍返しして欲しいものだ。
発端となった弟の電話以降は、携帯電話のメールで打ち合わせた。それも今夜で終わる。
たぶんくす玉を割るそのシーンを撮影したデジカメデータを、その場で印刷するだろう。テーブルには母の作ったちらし寿司とマリネと刺身とが並ぶだろう。そして父はビールの500ml缶をひとりでは空けられないだろう。
明後日、父の還暦の祝い。
* 還暦祭 2004.3.27 小闇@tokyo
箱を二つぶら下げた私が16時に着き、鞄とガーメントケースを提げた弟が17時に着き、箱を一つ抱えた妹が18時に帰ってきて、父の還暦祭は静かに始まった。刺身、揚げ物、煮物、サラダ。いつもの帰省メニューと同じだけれど、いくらか盛りつけがきれい。それとビール、妹だけは牛乳。
350mlのビール缶が7本空いて、昔話になる。
弟と妹は、「8時だヨ!全員集合」を知らなかった。父と私は妹が小田急線の新宿駅で電車とホームの間に落ちたことを知らなかった。
赤飯と吸い物。赤飯は妹と弟だけ、吸い物は全員に渡る。
妹の箱からケーキ、蝋燭は6本。あれほど60本にしろと言ったのに。「お店の人に『60歳』と言ったら『じゃあ大きいのを6本』と言われた」とのこと。まあ仕方ないか。
一人一本、蝋燭に火をつける。父だけが二本。電気を消して、弟はデジカメ、妹と私は携帯で、蝋燭の火が消されるその瞬間の写真を撮る。
弟と妹は小学校時代の、私の知らない先生の話をしている。
父は会社からもらったペアの腕時計を私たちに見せる。
そして父は引き出しから封筒を三つ取り出す。妹と弟と私に一つずつ。「わざわざ集まってくれたから」と。
残っていた箱。一つはデジカメ。一つはプリンター。弟と私とで梱包を解いて使い方を教える。パソコンを介さず簡単に印刷できるようになっている。久し振りの集合写真を印刷。プリンターから吐き出されるまでじっと見て待っている。
一週間だけ帰省する弟と休日出勤だった妹を置いて、両親を置いて23時30分、私は実家を後にする。赤飯の入ったパックを提げて。
ベッドタウン特有の暗い道を歩く。駅へ近づき灯りが増えて、そのど真ん中に見事な桜。私がここから通いここへ帰っていた頃にはなかった桜は、春に実家へ帰る理由そのもののように闇に浮かんでいた。
* ハタさんは、こういうのばかり紹介すると小闇は顔をしかめるだろうか。小闇「黒体放射」の源泉であろう、率直にわたしは羨ましいのである。親はみななく、兄も、姉たちも。そして…。
2004 3・28 30
* 湖の本を注文してきて読んだ人が、「ムムム」とメールに書いてきた。それは何ですかと聞いたみた。
* うーん。
>共感ですか、不審ですか、反感ですか。
一言では表せませんが、主に共感です。
「誘惑」と「隠水の」。
これからもっと文脈を追いながら読み直しますが。
事実かどうか人に訊かれる、とありますね。
事実を嘘のように、また、嘘を事実のように、それでいいと、わたしは思っています。そこから立ち上がる真実を読みたいのですから。
趣向、大好きですよ、謎めいていて。
その謎にすすんで身を投げ入れて読むのが好きです。
* 恋文かも。
2004 3・28 30
* 波うさぎ 案内してくれた湖北の友人に、以前、三重県の温泉を訊かれたことがありましたの。週末、湖北の家を発って、月曜に京・五条のオフィスへ出るのなら、湯之谷か榊原ね。一応、赤目にもあるけど、と返事をしました。
雪のようやくとけた頃、湯之谷へクルマを駆ってきて、景色も湯も良かった。ただ、御在所のロープウェイが雪の季節を終えた点検の、初日で、乗れなかったのが残念と笑っていたのを思い出し、どの路で? と聞きました。永源寺の奥から、鈴鹿越えと言うのですもの。「みごもり…」に出てくるみち。息をのみました。
湖畔にて 心当ての須賀谷温泉が満室で、前回の旅で利用した長浜駅前のホテルに居ります。
いつものように、眠れず、3時半頃から、カーテンを開け、ご本を読んでおりました。いつ、明るくなったのか、わかりませんでした。
快晴。
「みごもりの湖」読み終えました。「此の世」は、家に帰って、旅のおさらいをしてから、読みます。
湖西経由で帰京しました。 白髭神社と浮御堂だけ、寄ることができました。
小谷寺を見付けられなかったのが残念でしたが、前日、渡岸寺で手に入れた地図で、あらためて心に決めた観音さん数箇所へかまいり、タクシーをたのみ、海津へ行きました。長い長い桜並木。古いトンネル。ご本尊には会えませんでしたが、み寺から、漣寄する、春霞におぼろなうみを眺めて、いっかな飽かず、ぽちゃんと、飛込み、包まれたい気持になりました。
京は、桜、桜、桜、人、人、人。
空気の味が違うのに、一瞬、息を止めました。
浦島 名張へ着きました。ここも、桜、桜、桜。湖北はまだ蕾が固かったのに。 雀
* 浦島 という喪失の自意識が傷ましく想われる。そんなことではいけなかろう。心身の平安を祈る。
2004 3・29 30
* 身代わり 2004.3.29 小@TOKYO
たったひとりの神も八百万の神も信じない私だが、通勤に使っている鞄のポケットには、御守が入っている。一年限定。今年、私は大厄なんだそうである。知らなかったし知ろうともしなかったが、だから、と御守を渡されたそのときに、ひめりんごの樹を思い出した。
私が通っていた幼稚園では、卒園児にひめりんごの幼木を贈っていた。私も貰った。小学校に入るまでの二週間の内に引っ越した先の社宅で、庭に植えた。呆れるくらいに育ち、毎年秋にはたくさんの実を結んだ。すっぱくてすっぱくて、そのままではもちろん、ジャムにしたってとても食べられたものではなかった。それでも毎年、実は成った。
その脇に弟が、食べたネクタリンの種をこっそり埋めたのは、次の引っ越しの前の年だった。
引っ越し先にもひめりんごは連れて行ったが、もう実は成らなかった。枯れてしまった。親は新しい苗木を買って庭に植えてくれたが、それも保たなかった。
弟のネクタリンは堂々たる樹に育ち、毎春見事な花を咲かせた。
義務教育期間に向き合う世間は、狭い。誰かひとりとうまくいかなければ、それは社会全体とうまくいかないことを意味する。人付き合いが嫌いな私がなぜ最も難しい時期の転校を、何事もなく、そう何事もなく過ごせたのか。
ひめりんごが身代わりになってくれたという仮説。
手元の、祖母の遺した着物の端切れで包まれた御守と、窓の外の桃の花とを見比べる。もうないひめりんごのことを想う。最期には私の背を越えていた。夏に咲く白い花。目を閉じる。
あのひめりんごの一葉があれば、今、どれだけ心強いだろう。
勝手口を開ける。つっかけを履く。桃の木の枝を折る。御守と一緒に包み直す。鞄のポケットへ入れファスナーを閉じる。大厄だからね。
* なにとなくもの柔らかになっている。弾力が出ている。佳い意味で肉が付いてきたのかな、この小闇。
* 元気です。 元気、というといかにも溌剌と活動している感じですが、変わりがないという程度の意味です。
このところ連日ウイルスメールが入って不安になりパソコンを開けないでいました。しばらくぶりでホームページを拝見すると、tokyoの小闇さんの文(二親等)が目にとまりました。1週前の日曜日に義兄二人の古稀祝いをしたばかりでしたので、共感をもって読んでいましたが、最後にきて、え? 還暦 — それは去年の私でした。私はそちら側の人間で、書いていらっしゃるのは息子たちの世代の方なのだということに、あらためて思い至りました。お若い方だということは解っていましたが、自分が年を取ったことをつい忘れて。
年甲斐もないことをすることの多い日々です。
お体大切になさってください。 千葉県
* 「それは去年の私でした」に、思わず笑ってしまった。この人などわたしよりも幾つも若いが、わたしなど輪を掛けて「年甲斐もないことをすることの多い日々」と思い知っている。ただ、それをイヤとも気が負けるとも思わぬことにしている。いやいやそんな意識的なことでもなく、とみに自分が少年の昔を昨日今日のことに背負っているという実感がある。似て非なるものとして老愁と春愁を分別しつつも、二眼レフのレンズ焦点が重なって行くようにようにと、むしろ自身を唆している。
* 熟睡八時間。まだ、眼がショボショボしています。こんな疲労感のある時に、どこかに潜む動脈瘤が破裂するのだなあ、と思いつつ、願わくば病みつかず、例え明日であっても、コロリと潔く、おさらばしたいものと願っていますが、どんな天運が待っているのやら。遠望でなく、出来得る限り、一日一日を心地よく過ごせたらと願っています。「今・此処」です。
健康管理が後手後手な私を知っているお嫁ちゃんに、乳がん、子宮がんの検診を強く薦められました。でも、受けない。悪玉コレステロールの値はおろか、体重計の値以外は何も知らずで、大抵は話題の外にいる自慢にもならない今時珍しい人種です。まあ、周りに迷惑をかけない為に、今年は市の検診は受けるつもりです。
お花見はどちらまで?
咲いたと聴くや、もう夕刻の風に花吹雪の千鳥ケ淵近くの大通りでしたが、まだ、まだ一週間は楽しめますね。
花見時は慌しい。 淡路
2004 3・30 30
* 市川新之助が海老蔵を五月に襲名する。その「襲名口上」のある夜の部は避けて、昼の部の座席を頼んでおいたのが、届いた。「勧進帳」の弁慶を、辰之助の松緑襲名の時のように新海老蔵がやるのかと思って期待していたら、親爺の団十郎がやり、息子は富樫で張り合うという。それも楽しみではあるけれど物足りなくもある。やはり弁慶で新しい海老様芝居を披露して欲しかった。それもあり、夜の部は捨てて、一つでも演目の多い昼の部を欲張った。花道寄りにまえから四列めという身も弾む佳い席が来ている。嬉しい。
四月も、ある。楽しみにしている。「小闇」が、「私語」のキャプションに「春休みなのね」などと書いている。ちょっと図星。
2004 3・30 30
* 東工大院卒生が参加しているミュージカル劇団もまた公演するので見に来て下さいと案内が来ている。この前は編集部が舞台、今度は看護師役でソロも増えていると。
林丈雄君はどうしているだろう、いいパパ役に徹しているのかな。
* おしゃべり! 何でもいいからって、ムツカシイ。
今、夢中で話してしまうことといえば、やっぱり、コメディグループ、モンティ・パイソン。
先日放送された007。MI6で、おそらくMの部下筋にあたるQだか何かの役で、ジョン・クリーズという、モンティ・パイソンのメンバーが出演していました。
今後の007では、Mがリタイヤするらしく、ジョンの役割が大きくなるそうです。
加藤茶さんが、シリアスドラマに出ているいかりや長介さんを見て、「今にも金だらいが落ちてきそう」と言っていましたが、わたしも、ジョンが今にも”バカ歩き”しそう!と、007の中では、ありえないと知りつつ、内心わくわくしながら見ていました。
バカ歩きとは、ジョンが、身長196センチのながーい手足を存分に使って繰り出すもので、「バカな歩き方省Ministry of Silly Walk)」は、モンティ・パイソンの名作スケッチなのです。
35年前のパイソンズのスケッチには、他にも、
「全英プルースト要約選手権」ですとか、
「古代ギリシャ哲学者チーム対近代ドイツ哲学者チームのサッカーの試合」
など、ちょっと文系心をくすぐるスケッチもあります。
うーん、やっぱり、花の匂ふやうにおしやべり、とはいきませんでした。
* うーん。やっぱり若い人のおしやべりは、ムズカシイ。
2004 3・30 30
卒業生、読者、友人4a-2
* またおしゃべりさせてください。
昨年から、鉄腕アトムのことを考えていたんです。
最近とみにロボット業界の躍進めざましいのは、昭和26年には近未来だった2003年4月7日をとうとう迎え、アトムは生まれなければならないと、みんな頑張っているからではないでしょうか。
原作のアトムの誕生に合わせて、「鉄腕アトム」の新シリーズが毎週日曜の朝に放送されていました。ときどき見て、ときどき泣きました。人間の役に立つようにと造ったロボットが、不測の事態で人間に迷惑をかけると、人間はたちまちロボットを邪魔者扱いし、迫害します。アトムは大好きなお茶の水博士と親友のけんちゃんを守るため、人間とロボットの衝突を回避しようと奔走します。わたしはいつも「人間なんかのために、そんなに頑張らなくていいよ、アトム」と思いました。
テーマは人間とロボットの共生ですが、ロボットは、あらゆるマイノリティに置き換えることができます。それに気づいたとき、手塚治虫という人は、大事な種を蒔いてくれていたんだと実感しました。
* 身勝手に鈍感なためか、わたしはビートルズにまるで無縁、何も知らない。サザンオールスターズなど徹頭徹尾騒音以外の何ものでもないメイワクだった。同じように鉄腕アトムも手塚治虫とも結縁しないできた。この若い人のメールのまえでどんな顔をしていいのか、途方に暮れる。
* 大神神社 中野美術館の、華岳、波光、麦遷、竹喬、浅井忠をうっとりと見たのち、花盛りなのに人すくなな、秋篠寺、法華寺、押熊の小さな寺を彷徨い、三輪サンの月次祭に。
日は暮れかかり、露店は仕舞い支度。参道の店のおばあちゃんは「かえってゆっくりお参りでけて、ええわ」。
なで兎を撫で、巳ィさんの杉にお御酒と卵をお供えしてきました。
「これでしまいやから、押、し、売、り」と、おばあちゃんから、ゆで玉子を七つ二百円で引き受け、月うさぎという名のお酒を買いました。
あったかい地の玉子が、おいしかったですわ。
* ここへ来ると、もう皮膚呼吸のように世界が間近に在る。「人すくな」と濁音を避けた物言いにも好感をもつ。濁音は音韻上の語勢で余儀ない言葉の力学ではあるが、避けられるかぎり避けたい。むかしの本文で「かかやく」など珍しくない。「かか」が本来だからで、洞穴の奧に光った蛇の目の大神の発光のさまを「かかやく」と謂った。それが「かが」となり、「山かがち」などというヘビの名にもなった。濁音が効果をもたぬ限り、語源の確かな場合は清音を尊重している。
* 次はインド・ムンバイへの旅のメモであるらしい。女性の「日記」をもらうのは最高の好意のしるしと、あれは何で読んだのだったか。テキトーに要所を摘んでみる。
* インド・ムンバイへ インドといえばお釈迦様ゆかりの地を辿る旅、そして聖なる河ガンガーを訪れる旅・・をまず考えるでしょうが、真っ先に行きたいのは、アジャンターとエローラの石窟寺院なのでした。
広大なインドを思えば長い時間を過ごしたいのですが、暑さに弱く消化器官に自信がないので・・ちょっとインドの耳を齧るような短い旅です。
ようやっとムンバイに夜遅く着陸、やれ嬉しや、飛行機から降りて飛行場の地面に立つと、空気の澱みや、熱気にふわっと取り囲まれ、インドに来たと実感しました。
一時間ほど、深夜の、さすがに人影少なくなった道を車は走ってホテルに。部屋に入ったのは深夜三時頃でしたろうか。眠るほどの時間がありません。翌朝はアウランガバードへの飛行機に乗るのに五時に朝食、五時半出発です。眠いです、疲れています・・。
深夜の街で気づきました。そして朝まだ暗い通りでも気づきました。もぞもぞうごめく気配があります、あちらに、こちらに。
白い衣服だったらミイラに見えますが、ごろごろ横たわっているのは人、人、生きている人。地面に、小屋の屋根の上に、箱の上に。
その脇を人が往来し、煮炊きし、排尿さえ。
犬と同じ、或いはそれ以下。なぜか哀しくなる以前に受け入れていた。受け入れるしかない、その現実。いえ、わたしは微笑んでいた。受け入れられません、悲惨をそのまま受け入れられません・・人間はどこでも生きられるのね、熱帯の暑さが恩恵なのか、熱帯の優しさが生存条件・・・
般若心経の色即是空、空即是色。この表裏一体になった一対の言葉が・・やはり分からない。感想でよければ、何となく分かると言えるかもしれなかったが、やはり仏教の教えの中枢にある言葉が、わたしに分かるはずがない・・。そう思っていた。
先日古本屋で『色即是空』という書名の本があった。ヌードのピチピチした女たちの写真集だった。まさに色、そのもの。そして副題にはこう書いてあった。
「Body Is Soul.」
色即是空とは、Body Is Soul.である。
色も空も容易には理解しがたいのに、Body Is Soul.は、瞬間にわたしの意識に、認識に入り、溶け込んだ。Bodyは肉体、身体、そして物質的な目に見える物すべて。Soulとは目に見えない、抽象的なものすべて。殊に魂。マインド・心ではなく、スピリット・精神でなく・・・魂。からだは、たましいだよ。たましいに「い」一文字足せば「痛ましく」さえなるが、その痛ましい感さえある身体がすなわち魂と言い切っている・・それは、わたしには理解できた。身体は愛であり、セックスであり、魂である。
そう思えば逆のSoul Is Body.たましいはからだ、それだって、わたしには理解できる。
心、精神、魂、身体で 「今・此処」を 生きること。
アウランガバード駅、物売り、坐って輪になって談笑しながら列車の到着を待つ人、倒れている人、子供を抱えた女たち、物乞いする人 デジカメで写真を撮っていると、人に囲まれた。
冷房が効いた一等の指定席から一歩離れれば現実が押し寄せる。一歩も離れなくても現実は充満している。
清掃を生業とするスードラの少年が来た。正座した形で車内を這ってきたので、最初はいざりの物乞いかと思った。が、彼の足は存在した、あった。立って人に接してはいけない、這って清掃しなければいけない、そう定められている、いつから? ずっとずっと昔から。しっかりした、美しいと言っていい顔立ちの少年、彼は必死な表情で何かを言っている。
どうぞ清掃させてください。どうぞ、どうぞ。
彼の切実・・目の前の現実、事実、彼の目の美しく哀しい、それが・・。
真実とは・・インドとは何か、ヒンズーとは、カーストとは・・仏教の遺跡を辿ってください。何故仏教が生まれたか、インドがさらに理解できるでしょう、ジャイアンさんは言った。そういう彼はヒンズー教徒であるのを誇りに思い、よきカーストに生まれたことを幸せだと思っている。
暮れていくデカン高原。天女の形の雲が空に舞う。落ちていく太陽は喜びの沸騰、悲しみの静けさ。
船着場の泥の干潟にごみをあさる二人の少年。観光客を乗せて突堤をゴトゴト走る「トロッコ電車」、観光客に尻尾を振る犬、土産物屋が立ち並ぶ石段。
上って石窟に近づくあたりに子犬が三匹いた。二匹は母犬の乳房に立ち上がるようにして乳を飲んでいるが、いま一匹は地面に横になっている。眠いのか、もう生命力が尽きようとしているのか、おそらく後者の方だ。二匹に乳を吸わせた母犬はやがてやや離れた地面に坐った。もう一匹に目もくれようとしない。命の掟のままに悠然と生きているとしかいいようがない。子犬はやがて最後の一息を吐き、小さな肉の塊は塵芥の中にぽいっと捨てられるか・・。
金属の容器を頭に載せた老女たちが写真を撮らせてペンやらお金を要求する。
石窟は規模としてはアジャンター、エローラと比較にならないが、彫刻はいい。
プリンス・オブ・ウェールズ美術館で細密画や彫刻を見る。他のツアー・グループの親爺が近寄ってきて「エローラのカーマスートラの彫刻は少しでしたなあ、イヤー、カジュラーホーのはもっと良かったですわ。」と言う。初対面のおばさんにそんなこと言わないでくださいな。おばさんにだって恥じらいも誇りもあるのですけどねえ。
インドを訪れて、二度と行かないと思う人と、はまって病みつきになる人の、二種類があるといわれる。わたしは後者に近いだろうが、それは予測できたことだが、はまりもしないだろう、病みつきの段階までに到らないだろう。あそこに暮せるか? 恐らくわたしは暮せない。
* 人の精神生活は、日常具体の生活と溶けあいながら、おもしろい模様を描いてみせる。
2004 4・1 31
* 秦先生、昨日、3月20日付けの私語の刻を読ませていただきました。
まず第一行目に私であろう「若い友人」について書いておられて、非常に嬉しく思いました。同時にご迷惑をおかけしてしまった、という思いに駆られました。
* 日付の変わるまぎわにこんな書き出しで、メールをもらった。ひとつの判断と決意が書かれていた。四月二十五日にぜひ逢いたいとも。
* 諒解 あなたのあらゆる判断を、全面支持します。
今・此処 を大切に 明日 へ進まれよ。出逢いを大切にされよ。
四月二十五日 日曜日 あけておきます。楽しく逢おう。 秦
* 今朝は包まれたようにうっとり暖かく目覚めました。
最高のお花見日和でした。ほんとうはお稽古など休んでしまいたかったのに、今日のお稽古はどうしてもお休み出来なくて……自分にプリプリしてます。近くのホテルの桜並木も心なしかうなだれているように見えました。
会議はいかがでしたか。毎日パソコン画面で原稿ばかり読むのはよろしくありません。少しでもご負担を軽くする方法はないものでしょうか。いつも心配です。
>> 弥生尽。穆々和春。前田夕暮はこう高らかに歌った。この歌声のすばらしさは、微塵の「かなひたがる」もないところに有る。
木に花咲き君わが( )とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな 前田夕暮
>>こんなおおらかな名歌を、当今、絶えて眼にも耳にもしない。世をあげて「かなふ」ことを忘れているのである。春四月はどこから来るだろう。若者達よ、胸を鳴らせ。
この歌を贈られた「妻」はなんと幸せなことでしょう。私は前田夕暮のこんな歌にもぐっときてしまう。
吾が髪の白きに恥ずるいとまなし溺るるほどに愛しきものを
前田夕暮がどのような人だったか何も知りませんが、愛する幸せを生きた人のように思います。
それではこれからもう一仕事。寝るまえにもう一度ご挨拶します。
* 日付の変わる前に今夜はやすもうと思っていた。意外に疲れが出ている。花疲れという美しい言葉のあるのを思い出した。茅場町駅からペンの本部までもみごとに満開の桜並木道なのであった。それを書かずに喫茶店と濃いエスプレッソのことを書いていたのは、抜かっている。
肩さきへ揺れて桜の匂ひ顕つ街なかの道にひとの名をよぶ 湖
* 花ぐもりとも思わない晴れやかな昼間であったが、さきほどから、沛然と深夜の雨の音を聴いている。どれほどの人がもう床に就き、どれほどの人がまだ起きているのだろう。零時半をまわった。やすませてもらう。
2004 4・1 31
* 夜通し降っていたかと思うほど、いつも雨を聴いていた。濡れて出掛けるなどは遠慮するが、雨を聴くのはいつも好き、慈雨の季(とき)と観念する。もう雨はあがり、風のものうつ音がしている。
* 昨夜はよくお休みになれましたか? お疲れがとれたか胸を痛めて心配しています。私は夜ふかしして強い雨音を聴きながら、桜が散ってしまうとため息をついて少し酔っていました。お花見しなかったせいかもしれません。
今日は妹のコンサートに出かけ帰宅は四時頃でしょうか。
みづうみの波のしずかに美しい一日でありますように。
* とっぴなことを言うけれど、なくなった秦の母にも、こういうメールを書かせてやりたかった。まったく自己を表現しない、閉ざされた生涯をそれが普通のように思いこんだまま九十六年生きた人である。「電子の杖」に身をあずけて思うまま夢を見させてやりたかった。自分の想いを自分の言葉に自在にのせて電波で闇の奧へ放つ、こういう美しいことばを、電子メールは誘い出している。手書きの手紙では、こうはなかなか書けない。むしろ平安の昔の「こひぶみ」がこんなであったろう、当然ながらむかしの「こひぶみ」は実例がほとんど全く残っていない、かすかに和歌のかたちでしか。やみへむけてほのめかすのが行儀であったから。
平成の男女は電子メールで、まさに情の往来が楽しめる。静かな流露。これは携帯族メールとはたぶんなにもかも違うもの。「電子文藝」の萌芽へ佳い「批評家」が意識してフォローして行けば、時代の先端に一つ新文化の「窓」があくだろう。
2004 4・2 31
* 非常に遅まき乍ら健康食に目覚めたお人に、一言。
私の健康食と云えば、六、七年は続いている牛乳に黄な粉を入れて飲む事と、市販のにんにく卵黄を一粒とそれだけ。
今は地中海ヨーグルトに黄な粉だけを入れています。
200グラムのヨーグルトに黄な粉とブルーベリージャムでも入れて、毎朝、如何ですか。美味しいですよ。今、テレビでもその効用をやっていました。
* 昨夜はクラブで酒を飲み、その上に早くも戒をやぶってエスカルゴ、角切りステーキ、パン、アイスクリームと、栄養過剰。帰って二度はかった血糖値が270 250。じつはインシュリン注射器を持たずに出掛けていたので、朝のあと、夜まで注射していなかった。そのわりにはマシと思うのがフラチであるが。けさは111。空腹時に限れば、まずまず理想的に回復している。自分を甘やかすことにばかり長けて行く。反省の仕方が不真面目ですと叱られないうちに、反省しておく。
* こういう面白い人もいる。「俗仙」と尊称しておく。
* ほまち商い・反古しらべ 秦さん、すみません、不義理続きで。
* 知人に「ほまち」といわれた「商い」を始めて、ほぼ一ヶ月。ネットオークションに、反古から見つけた発掘品、目の利かない古書肆や道具屋から抜いてきた古いモノ(いわゆる「セドリ」)を価値付け、出品している話である。
「ほまち」は、分かりやすくいうと、本業の稼ぎ以外の余禄、内職、へそくり、密売…………私の場合は、急ぎ働き、タコ足か。いや、実は、肥えてない土地に種苗の区別もなくやたらめったら植え付けては実らず、恒産と恒心のバランスを欠き続け、卵が先か鶏が先かよくわからなくなっていて、気が付いたら、そうなっていたという按配かも知れない。研究、著述もはるかに途半ばである。
* 「幕府勘定方の下役に雇われ居たる蜀山人といへる人は、根が学者丈に吏勢に掛けては存外迂闊にして其の用を為さず、上役の人々之を気の毒に思ひ、何ぞよき使ひ途は無きやと思案の末、遂に竹橋御門楼上の反古しらべに従事せしむることとなしぬ、此の所は勘定方の古帳簿類を年々積み込む所にて、古帳簿の中には随分肝要の書類もあれば之を調て、棄つべきは之を棄て、保存すべきは更に之を保存せん為、扨は蜀山人に(太田猶三郎といふ)此の役を受持せしめたるなり、蜀山人之より毎日右の楼上に出仕して怠りなかりけるが、一日退屈の余り、五月雨や日もたけばしの反古しらべけふもふる帳あすもふるてう、と口吟みたる等とありしとか、右は反古しらべの欄名此の故事より出しものならん」。
これは小輩が発掘所蔵する、井上通泰の稿本「反古しらべ」の巻頭の詞(原文読み下しママ、読点を振った)。
* ネットオークションは対面販売ではないので、写真三葉(三ファイル)に添える説明の出来が大事。アカウンタビリティ=説明責任、インフォームド・コンセント=事前内諾、も肝要である。が、紙幅は限られている。
一点私のキャッチコピーを紹介すると:
「希少古文書・孝明天皇葬列記録・京都泉湧寺迄」「22.8x16センチ。墨付16丁。」表紙には「御葬送泉湧寺 『御新粧記』」。
孝明天皇は前年(慶應二年)十二月崩御。葬儀は翌慶應三年正月二十七日。添書に「御遍筋 蛤御門より烏丸通
南~泉湧寺」、御所より泉湧寺迄の道筋と、御所出車時刻と同寺到着時刻が記される。本文内容は葬列明細。配列にそって(図ではなく、図示に代わる)配列諸役名(雑色を含め)が全て記される。巻末に御列奉行として十名の実名、伝奉列奉行名、奉行名等。同寺は現在、真言宗泉湧寺派総本山(東山)、古より皇室と縁が深い(中世以来の歴代天皇御稜地)。明治初年の「神仏分離」「廃仏毀釈」までは天皇家は仏教と関係が密であった。孝明天皇の葬儀も僧侶によって行われた。つまり明治維新以後の天皇家と(俗に言われる国家)神道の関係は明治以降に造られた部分が大きい、という事実が本希少記録からも掴める。 」
ま、こんなもんです。退屈の余りではなく、結構ハマってます。裏返すと「表現の場」と言えなくもなく。
ネットオークションは、出札、入札双方の打算・思惑・嫉妬・見得・見栄を込めて、「コワイモノ見たさ」「新しもの、珍しもの見たさ」「お宝探し」の気配を、管理者の警戒水域すれすれで、限りなく浅く、広く、速く交信続ける巨大なフリーマーケット。まさにブロードバンドの(すでに庶子ではなく)申し子となりつつある。行き着く先は不明でも、雲行きが怪しくとも、ひとの心の奥底に一種の「モノノケ」(=コワイモノ)見たさがある限り、不安と期待をないまぜにして、間違いなく、増殖しつづける。たまりたまっていた「気色」「懸想」が一気に噴出したと見たほうがいいだろう。とうの昔、平城京からスタコラ逃げ出しても永くモノノケにおびえ続けた平安の都の例を出すまでもなく、百夜の歴史は繰り替えすが、ここにきて前例の数百倍、数千倍の勢いであからさまに内なる外なる「モノノケ」が数珠つなぎで足並みをそろえてきた。
蜀山人は能吏であれこれ出世したらしい、溜め込んだ「反古しらべ」のノウハウも生かし? 南畝、四方赤良などの号で永く文藝界で活躍したが、私もそろそろ見習って「ほまち」のかたわら筆を執らねばとも思う。
* 藝はない。雑然混沌のまま吐露吐瀉してあり、アリストテレスの説けるカタルシスとはこれか。
* 与喜地、与喜山、吉隠川 美旗古墳に咲いた桜は落語「あたまやま」を連想させます。夜半の雨と、この嵐に、花吹雪どころか、小枝ごと千切れそうですわ。
長谷寺へ行くとき越す川が、吉隠(よなばり)川という名ということを、昨日、知りましたの。「いつかみごもる日まで」とお書きになってらっしゃいましたが、。隠る…こもる、そして、名張のもと、なばる…ですのね。
昼は汗ばみ、暮れて冷え…お仕事の外出を案じております。お大切に。
ゆたゆたと 車中に射し込む光が眩しく、凹みをくっきりと浮き立たせます。ご本の活字を、目を細めて、読みすすめておりました。
雛会式の奈良法華寺は、色とりどりの花が咲き満ち、童子50数体の祈りの指先に立つ、十一面観音は、いちだんとはなやいで見えました。佐保路の観音めぐりは、陸の、竜宮。
「鬼面哄笑」、渡岸寺十一面観音の暴悪大笑相をみたときの衝撃が、特別。なにか、ほかにない感じでしたわ。
* 雀さんのメールには、別世界をのぞく想いを持つ人もあろう。テレビの旅番組を楽しむ人は、行けない自分の代わりを委ねている気だろう。似た心地で想像を楽しんでいる。 2004 4・2 31
* これはわたしの従妹から。
* 桜が満開になりました。明日からあさってにかけて人と車の大渋滞になることでしょう。
お花見は毎年、近くの平野神社です。明日は「観桜会」 お菓子とお抹茶がいただけます、孫と一緒に行くつもりです。
八日が小学校の入学式ですがもう桜は終わっているでしょうね。孫の太郎が一年生になります。男の子ってかわいいですね、やんちゃで甘えたで。3才の妹に負けないようまだ抱っこをねだります。向こうのおじいちゃん、おばあちゃん、おっちゃんにも可愛がられて、幸せなことです。ピカピカの黒いランドセル、身の丈につりあうようになるのは何年生でしょう。
叔母さん(恒平の母)が新門前に居られた頃は、父(船岡山の伯父)もよくお邪魔していたようです。その折に叔母さんから聞いてきたことを、私たちによく話してくれました。恒平さんが結婚して東京へ行かれたこと、生まれたお嬢さんのお名前が朝日子さん、だとか。
先日も田村さん(母方親戚)のお宅に伺いました。丸太町通りの第二日赤の前です。従姉妹(メールの主のわたしの従妹の)の、八十代と七十代の姉妹で住んでられて、お元気にしておられます。
そのときにも恒平さんの話題が出ました。
田村の伯母さん(わたしの母には姉)が亡くなられたとき、ちょうど(恒平が)京都に来ておられて、お葬式に来て
もらったこと、奥様(迪子)のお兄さんが有名な方で、テレビで名前をよく見たとか。
父(伯父)の若い頃の古いふるい話など、頭の中がごちゃごちゃになりそうでした。
新門前に居られた頃の恒平さんと、なんら変わることなく、私たちの中には親戚としての恒平さんが、しっかりと存在していますよ。
* 感謝する。
過去に、いろんな仕方で、わたし方「親戚」からの接触は相当回数続いた。ものぐさで冷淡なわたしが、あまり取り合おうとしてこなかっただけで、なにかの機会に顔を合わせたりすると、先方は、驚くぐらいわたしのことをよく知っていたり、気に掛けていてくれたりした。
(妻の方面は別としても、)わたしには、私自身の「親戚」を三方向にもっている。
秦の父は叔母と二人兄妹で、叔母は死ぬまでわたしたちの身近に同居もおなじであったから、親同然に過ごした。秦家にも祖父以前の親戚があったに違いないが、皆目知らない。
秦の母方には、母の兄や姉が何人もいたというから親戚は少なくないのであろう。大方知らない。
そしてわたし自身には、死んだ兄の北澤恒彦と遺児が三人いて、その一人が今日もウイーンからメールを寄越した。恒彦はわたしと父も母も同じ、実兄である。この他に、母方には父の違う姉と兄が四人いた。もう一人も此の世にいない。この母方の阿部家を通じては、ずいぶん広範囲に「親戚」の有ることはおぼろに知っている。また父方には、母の違う妹が二人健在で、それぞれにかなりの人数の甥や姪がいる。往来はほとんど無い。
さらに父方の吉岡家を通じては、わたしの従兄弟や伯父伯母、叔父叔母などの関連で、数えきれぬほどの「親戚」が拡がっている。おっそろしく社会的に高い地位や栄誉を得ている人達もいる。だが二人の従兄から「湖の本」を支えて貰っているぐらいで、あまりわたしからは触れ合っていない。
言うならば、ま、わたしが傲慢にひとり生きて来ようとした人生であった。あの自決した兄とでも、四十半ばまでは、兄から何を言ってこようと取り合わなかった。だが、みな、概ね気に掛けてわたしの消息をよく知ってくれていたのに驚く。上の、秦の母方従妹の言うとおりなのである。
頭を垂れるばかりである。
2004 4・2 31
* 群馬から出て来たやや若い文学の友人と上野駅で会い、久しぶりにたっぷり、歓談。脚を伸ばして浅草寺仲見世から駒形橋の対岸へわたり、河岸沿いに、墨田桜祭りの土手を吾妻橋までゆっくり遡行、歌舞伎舞台の書き割りのような満開の桜を遠近に眺めてきた。それからまた上野に戻って、喧噪の花見客のまんなかを宵桜をみあげみあげ、山を下り、別れてきた。忘れがたい交歓の小半日となった。
* 川べりはまだ満開だった。上野はやや過ぎていた。ことしは堪能するほど花を見た。
2004 4・3 31
* 蕪村が読んだ句。「さしぬきを あしでぬぐ夜や おぼろ月」。
こころが暖まる、温まるような「闇」を見て、読んで居りす。 川崎E-0LD
2004 4・3 31
* 筍をたくさんいただいたので、茹でて春の味を楽しみました。歯ごたえよりも、春のものらしいほろ苦さや独特の香りが嬉しくて味わいます。明日は筍のやわらかい部分だけ使って、絹皮(姫皮)ご飯を作る予定。これは筍がたくさんある時だけ作れる贅沢なお料理でなかなかおいしいの。
* おいしそう。
2004 4・3 31
* 春雨降り染む朝に、音もなく花雨は細く降り、すぐ前の山まで霧に埋れています。桜で霞む駅前に、漂い流れる、珈琲の香り。
いつも、好みの選曲をするラジオDJが、さきほど、ダイアン・シューアをかけました。
目覚まし。
デビュー版から数枚は、発売を待ちかねるようにしてレコードを買っていました。彼女の歌声は、おセンチなだけの春愁にパンチ、でしたわ。
お江戸の気温も低そうですね。春風邪などお召しになりませんよう。
* 冷えている。膝下が、少し痛いほど。
2004 4・4 31
* 東工大で花見をしてきました。 秦先生 こんばんは、**です。
暖かくなったり、寒さが戻ったりと不安定な天気が続きます。いかがお過ごしでしょうか。
先週大学時代の山仲間と一緒に、東工大で花見をしてきました。
東工大もだいぶ新しい建物ができ、様子が変わってきましたが本館前の桜並木は昔のままでした。桜の下で友人と酌み交わす酒はおいしかったです。
日が落ちると寒くなってきたので、熱燗を作り夜が更けるまで盛り上がりました。
四月から私の研究していました事業が子会社に移り、私も出向ということになりました。
ここ一ヶ月、入社以来これほど忙しかったことはありません。早く新しい環境に慣れて、余裕を作りたいと思います。先生もお元気でいらしてください。
* 出向。新天地で活躍して下さい、気持も新たに引き締まってることでしょう。それもまたきみの人生設計の一つの「型式」、そこへ「実体」をうまく組み立てることを忘れぬよう。出向の忙しさを口実にして人生の方を等閑に付さぬように。
また落ち着かれたら、逢いましょう。
幸福を追いかけて下さい。 秦
今年は沢山の花見をたのしみました。東工大へは行けなかった。
* 昨日の雨で今年の櫻もをはり。
あと幾年生きてこの世の花を見る
下の句できません。このまま俳句もどきにしておきませうか。
家のそばにある、ひともとやまざくらと、東京にまゐりましたときの往復のバスの窓から見た隅田河畔のさくら並木。それがわたくしの今年の花。
ある文を読んでゐて、引用されてゐる萬葉集のうたの表記が新かなづかひに変へられてゐるのに出逢ひ、びつくり仰天しました。
旧かなづかいなんかじゃ読みづらくて誰も読みやしない、いまどき、どこでも新かなにあらためている――そんなことばも、聞かれます。
でも、それでよいのだらうか、と、旧弊あたまの持主はおもうてをります。
新かなづかい、――『日本国語大辞典』によれば、「昭和二一年一一月、内閣が告示した――といふ、あの奇妙なかなづかひ、実際に文書にあたつたわけではありませんが、文部省のお役人数人が、極く短期間にやつつけ仕事でしたものと、聞いてをります。「やつつけ仕事」は、うそいつはりなどといふ反論があらうかと思ひますが、「極く短期間」といふのは確かです。
わたくしのやうな素人から見ましても、矛盾だらけで、本当に日本語を知つてゐる人のなさつたお仕事かと、はじめは首をかしげ、次第に腹が立つてきます。
たとへば、「ズ」と発音するものは原則として「ず」と表記する。けれど、「かなズかい」の「ズ」は、「つ」の濁音ゆえ「づ」。でも「稲妻」は「いなずま」です。
「いなづま」の項、手もとの『広辞苑』(紙の第二版、及び電子は第五版)、『大辞林』(紙の第一版三刷)にはありません。「いなずま」と引かないと、「稲妻」にたどりつけません。
「地面」は「ぢめん」でなく「じめん」「地主」は「じぬし」。
同じ音に重なりゆえ「鼓」は「つづみ」、でも「少しづつ」とはならず「すこしずつ」。
とりあへず、濁点のそれも思ひついたものを二三あげてみましたが、こんなこと、とくご存じの先生に申すなんて、どうかしてゐます、わたくし。
むらさきのにおえるきみをにくくあらばひとずまゆえにあれこいめやも
いずれのおおんときにか、にょうごこういあまたさぶらいけるなかに……
こぬもかなり ゆめのあいだの つゆのみの あうともよいのいなずま
こんなになつてしまつたら、とおもふと、ぞつといたします。 (「人妻」は、「ひとづま」派と「ひとずま」派に別れてゐます、字引は。)
いつもの木の芽どきの不安定、お読み捨てくださいませ。
昨日は花冷えどころか、花ざむの午後を、東京阿佐ヶ谷に出向いてをりました。
「慈子」の色に咲きますかしら、都忘れが莟をつけました。
* 仮名遣いに関しては、心情からも理論からも主張からも、わたしは、福田恆存さんの意見に全面的に賛成である。福田さんの日本語の仮名遣いに関する著書は、とりわけ『私の国語教室』は驚嘆の名著。何としても復活へ導きたい仮名遣いの「正しさ」を説いて情理相伴っている。このメールの人の嘆きは、わたしの嘆きでもある。
2004 4・5 31
* はねてから松屋の屋上階でマゴの新しい首輪を買い、ゆっくり店をみまわってから、高輪方面からくる建日子達と待ち合わせた。途中、久しいおつき合いの島田正治メキシコ風景画展に立ち寄り、久闊を叙し、墨の繪を楽しんだ。島田夫妻とはほんとうに久しぶりだが、そんな気は少しもしなかった。
2004 4・5 31
* アイロン台 2004.4.4 小闇@TOKYO
アイロン台を買い替えたのは去年のこと。人型にカーブを描いているものにした。それまでは、平らな板に脚がついたのを使っていた。洋間の木の床の上で使っている。日曜夜のアイロン掛けの効率という意味では、これ以上のアイロン台はない。
実家のアイロン台は、平らな板だった。脚がなかった。
小学校の六年間を過ごした社宅には六畳のDKの他に六畳四畳半三畳の和室があった。テレビは六畳の部屋と四畳半の部屋にあり、三畳には父が、四畳半には祖父が、六畳には母と私と弟と妹が寝ていた。
祖父は私が物心ついたころから年金生活者で、ときおり競輪に出かける以外は家にいた。四畳半の、モノクロのテレビはつけっぱなしだった。でもそこで、何かを見た記憶は私にはない。
平日の夜はテレビを見ることなど、夢にも思わなかった。火曜八時だけは例外。NHK歌謡コンサート。「南国土佐をあとにして」「上海帰りのリル」。産まれる前の歌に私が妙に詳しいのはこれに起因する。
それ以外は、八時消灯が当たり前だった。母もその時間に寝ていた。
土曜の夜八時だけはどうしても、「八時だヨ!全員集合」が見たかった。半分も見せてもらえなかった。母が同じ部屋で寝ていて、どうしてこっそり見ることができよう。母の機嫌のいいときだけ、見ることができた。土曜の夜はこれ見よがしに、自発的に計算ドリル漢字ドリルに取り組み、その褒美をと思っても、叶わないことがままあった。
そのとき母は、タンスとテレビの間にアイロン台をはさみ、私からは見えないようにして、何かの番組を見ていた。音声はイヤホンで聴いていた。シーンが切り替わるたび、天井に跳ね返る光の濃淡が変わる。それが何の番組なのか、知るよしもなかった。私は眠ろうとせず、その光の切り替わりだけを目で追っていた。
よく、子どもの頃のテレビの話をすると年齢の差を感じるというけれど、私は同世代のテレビ好きのひとの話にはついて行けない。悲しいとも悔しいとも思わないが、そういう場面にぶつかるたび、私はそうやって育ったのだなとあらためて思う。
いかりや長介が亡くなり、追悼番組として「八時だヨ!全員集合」のダイジェストが放送された。たまたま実家にいた私は食い入るようにそれを見ていた。母が言う。「お母さんこれ好きだったの、結婚する前から番組が終わるまでずっと見てた」。私には見せずに、アイロン台の向こうで。「だってお父さんが見せたらダメだって言うから自分だけ」と。当時の私が聞いたら許せなかったろう。でもここにいる私は、当時の私には想像もできない、すれ違ってもそれとわからない私なのだ。
弟と妹は「八時だヨ!全員集合」を知らなかった。「ドリフターズって『かとちゃんけんちゃん』のこと?」と。でも、アイロン台のことは覚えていた。
* この一文に、なぜかほろっとした。
2004 4・6 31
* 今日は春うららという表現がぴったり。近所の桜は花吹雪を降らせながらまだまだ華やかです。買物に行き、心嬉しく静かに過ごしていました。
詳しくはありませんが、私は美術も映画も関心があってとても好きです。お得意の分野とまたちがったものを観ていると思います。
今まで観た映画の中でほんとうに魂を揺り動かされる感動をおぼえたのはケネス・ブラナーの「ハムレット」とジェラール・ドパルデューの「シラノ・ド・ベルジュラック」でしょうか。名作の映画化というのは落胆することがほとんどですが、私にはこの二作鳥肌の立つほど凄かった。とくにケネス・ブラナーのハムレットは画面に登場した瞬間にもう涙が溢れました。四時間を観おわったあと、異様に興奮してしまい映画館から家まで歩いて帰ろうかと思ったほど。観客が映画館でスタンディングオーベーションをしていた映画は私の経験ではこの映画だけです。この二作はビデオではなく是非映画館で観てほしいと、友人に宣伝しています。
眼の負担が少しでも軽減されますように、お仕事ご無理なさらずに。
* わたしはもう徹頭徹尾の「テレビ映画館」派で、つまり市中の映画館にはなかなか行けない。だから観るのは、どこかでヤスモノ映画になり、そんな中で掘り出しの出逢いを愛おしんでいる。映画館で人が総立ちになるような映画ともぜひ出逢ってみたい。いま、気に掛けて観たいと思っている深夜も深夜に放映中の、「24」などは、面白いけれども上等な作品ではない。まさしくサスペンス。そのテレビ映画すらあまり観ていられない。
* 甘楽の桜は満開をちょっと過ぎたようです。家の前の土手では、これから桃が咲くでしょう。濃い色の花が満開になると、壮観です。
「24」はファーストシーズンの前半が終了しました。どんどん面白くなってきます。DVDは、セカンドシーズンまで発売されているようです。アメリカにはいいドラマが多いですね。
今日は図書館へ行きました。書きたいものの参考になるかしらんと、ポー、ワイルドなど。楽しみです。
ずいぶんとお疲れのようですね。たまには睡眠をたくさんとって、お体をやすめてくださいね。
* 久しぶりに昨夜から今朝へよく寝た。寝たなあとの実感有り。朝明けごろからだろうか、こころよく少し悩ましくさえあった。花どきというものであろう。
* 又花の雨の虚子忌になりしかな
縄手の権兵衛でのっぺを食べて出たところで、雨粒が顔を打ちました。霊鑑寺の特別公開と聞いて京へ出てきましたの。安養寺、法然院(谷崎さんの桜が色美しく咲き誇っていましたわ)、真如堂、金戒光明寺、尊勝院、京都御苑の枝垂れ桜、白川沿い、そして、木屋町通りと、京の桜に酔い、大西清右衛門美術館と、京都駅ISETANの「高畠華宵展」も楽しみました。
* 佳い句だが。だれの句か知らない。囀雀さんの自作なら、おみごと。これはまた贅沢な、瓢亭か菱岩の懐石膳か花弁当を覗いたような風情だ。京の固有名詞のもつ命のようなものが、ぱあっと匂ってくる。
* 新宿の伊勢丹は京都展でした。
聖のさくら生八橋を買ってきました。お寿司の「ひさご」は行列です。京都へ行った帰りは大抵、京都駅伊勢丹地下の此の店(ひさご)の押寿司を、新幹線でのお弁当にします。懐かしくて、美味しくて、満足します。
* わたしはあまりコマーシャル仕事はしていない。京の「ひさご」鮨(河原町四条を百メートルほど北へ上がる、西側)は、珍しくそれに似た真似をしたことのある馴染みの店。死んだ兄に紹介されて以降の久しいつきあいである。後発の鮨屋だが、夫婦してとても勉強家で、間口のちっとも広くないうっかりすると通り過ぎそうなこの店は、いつも人が並ぶのである。良心的な店で、鮨も旨い。
* お仕事の輻輳ぶり、そして、
>> 「ナンジャイ」、遠山に日の当たった枯れ野に身を捨てて、昼寝でもしてこよう。
>> 思ひ回せば小車の 思ひ回せば小車の 僅かなりける浮世哉
という御心境。
「伯母捨」、さぞかしと、お思い申しております。
* 閑吟集の小歌はなかなか面白い。深読みも効くし、浅い走り瀬の清水のように酌んでもいいのである。浮き世だから疲れるのか憂き世だから疲れるのか、世の中がうまくないから疲れるのか。いろいろなのである、だから「生きている」というわけか。
* ウイーンの甥がなんだか難しいことを聞いてくる。返辞に窮するわい。なんとか返辞もしてやらねばならぬが。
* 深草少将の嘆き死にとは、小町に恋焦がれて死んだという意味と解しましたが、正しいでしょうか。大伴黒主の詐術については広辞苑でも少し言及があるのですが、詳しくはどういうものですか。小野於通の読みは。
下句の鈍い二音繋ぎの聴こえの重さとは、どの部分のことでしょうか。
「日本語「花」と「色」・・・汲める。」とは、理解できる、ぐらいの意味でよろしいですか。
今日、私は「ほんやら洞」のウィーン版を作ることにしました。そこを拠点として翻訳家として生きていこうと思います。院の卒業はまだ3年かかりますが、今までで日本人の卒業生は一人ですので、苦労する甲斐があると思ってます。どうか叔母様とともに、お体にお気をつけください。朝日子さんも健日子さんもお元気でしょうか。草々 猛
* 秦先生 こんばんは。
昨日は名古屋に出張しておりました。名古屋の桜はちょうど満開で、車窓からですが楽しむことができました。3年半も住んでいましたので、名古屋に行くと懐かしい気分になります。
出向しても住所は変わりません。所属が変わるだけで同じ千葉で研究をしております。ただ、出張の機会が増えましたのでその時には東京の実家に泊まっております。東京に行く機会が増えましたので、機会をみつけてお会いしたいです。♪♪♪【T Nem】♪♪♪
* 『石を磨く』出版の件 先生お力添えの「帯」が大きく存在感を増し、当初期待していたものよりうんと立派な本になりました。実際は少し気恥ずかしくなっています。
本当に有難うございました。
既に明日メール便にて送付する手配はしていますが、もしもご入用の場合には、ご遠慮なく、何冊でもお申し付け下さい。 星野桂三
* そぅやろか。違うのと違うやろか。 石かて、見る人が見たら玉になる。
星野画廊主人は、光る非凡を、平凡の奧から、石のなかから、玉に磨いて掴み出す。
眼力の発光するとき、星野桂三の姿勢に先入観の硬さはない。欲がない。有るのは
玉を、石のままには見捨てない、柔らかな愛情。その成果がこの本に結晶している。
文が書ける。把握が強いから表現も確かだ。日本ペンクラブ会員に迎えたのも当然。
2004 4・7 31
* アメリカからまた池宮夫妻が来日、今度は大阪松竹座で鴈治郎の「曽根崎心中」を観ると。十日土曜のお昼をホテル・ニューオータニでどうかと誘われ受けている。その日の内に京都へ移動すると。九日というお誘いであったが、この日は大事な先約。
2004 4・7 31
* 日本もアメリカもイラクもみんなお互い様なんです。もちろん拘束なんてするもんじゃないと思います。だけどモスクを爆撃したアメリカ、そのアメリカにおいおいと着いてまわる日本政府にうんざりなんです。ブッシュは正義だなんだ言ってますが、結局やってることは9・11を起こしたテロリストと同じじゃないですか。報復はまた新たな報復しかうまないんです。
お互い考え方は違うのが当たり前なんです。隣りの人と考え方が違うように、人によって話す言葉も違うし宗教だって違うんです。でも人は人じゃないですか。殺しあっていいわけないんです。
「日本人」が殺害されたとか拘束されたから怒りをおぼえちゃダメなんです。私たちと同じ《人》が…こんなめにあってるって思うべきなんです。
日本人とか何人とかっていう枠にとらわれてるから戦争になるんです。同じ日本人である前に同じ「人」なんです…
アメリカ人でもイラク人でも殺されているのはみんな人なんです! 動物の共食いを見て残酷と感じるのに、人が殺しあっていてなぜ残酷だと思わないんですか?
政府はなぜこのごに及んでまだアメリカに助けを求めるんですか?
わからないことだらけです(>_<) 高校三年生
* なにもかもが、どっと固まって起きている。
* 目下はひたすら情況を「眺めて」いよ。いま、「言葉=情報・噂・デマ」に頼るのはいちばん危ない。みな、ウソに近づいてしまう。
>> 「ナンジャイ」、遠山に日の当たった枯れ野に身を捨てて、昼寝でもしてこよう。
>> 思ひ回せば小車の 思ひ回せば小車の 僅かなりける浮世哉
逃げて避けるのではない、アワテモノになって慌てないのである。
イラクの拘束問題、今何が大事だろう。クチに泡を吹くことではなさそうだ、眼を閉じて闇に入り、闇をとおりぬけ、遠山に日のあたりたる枯れ野に風を聴くことだ。
2004 4・8 31
* 北海道から 秦さん
「自衛隊はイラクで人道復興支援をしているのだから撤退する必要はない」
では、人道復興支援というものは、国民の生命より大切なのですか? 官房長官の詭弁に怒りを覚えます。「国民の生命より日米同盟が大事」というホンネが露呈しています。
イラクに送られた自衛隊は北海道の部隊です。是非はともかくとして、旭川や千歳にいる家族の心配はいかばかりでしょう。加えて今回人質になってしまった二人、千歳と、札幌市内にいる家族の気持ちを考えると、胸がふさがります。
これからコンビニへ行って、首相に自衛隊撤退を求めるFAXを送信します。
* 官房長官のバカ発言に、いつもながら吐き気がしてくる。
起こるべきことが起き、訓練をこなした自衛隊員でなく一般人の拘束、何をさて置いても人命を尊重する措置をとるべきなのに。国益云々でなく、早い決断での救助を祈るのみ。
首相は自分の子供がその立場にいると仮定してみるといい。
朝から爽やかでなく、胃が重い。あれこれと想うに。 東京
* 七十前のおばあチャンのメールである。たしかに重苦しい。
* ここは、トコトン狡猾なほどの手だてを国に望みたい、「テロ憎むべし」「自衛隊撤退の必要は無い」などと記者会見で正式に早々に云うべきではなかった、アメリカはこれを「言質」として直ちに「確認」し、感謝したという。バカなことをするものだ。そういう態度決定は最後の最後まで口にせず、ねばりづよく各種のルートを求めて現地で奔走しなくてはならぬところ。ショウもないことだけはペロリと口をすべらして得意顔では困る。総理は向こうのテレビに出演して話すべきだろうし、此処を一つの好機とみて「撤退考慮」をちらつかせる狡猾なほどの手だてを大車輪につかうべきだ。所詮外交は「悪意の算術」である。
とらわれの三人の真意や本意や見解や立場は関係ない、日本国としての真情をいま一番表明しやすい時であり、面子を超えて「撤退」を表へ出せる絶好機だという判断も持って欲しい。
すべては、イラク派兵が「憲法」を蹂躙したことから始まっているという、根源の認識が、選挙民の共通見解になって欲しい。小泉純一郎という逸脱した総理の、「政治家としての大罪」が問われねばならないのである。
* 吾々は、いまは、だが、注視を事としていたい。
2004 4・9 31
* お元気ですか。
土手の桃が咲きましたよ。
早速カメラ持参の人が現れはじめました。この花は桜より長く楽しめます。
朝、玄関を出て、濃い桃色の並木道がつづいていると、こんなふうに花を愛でる日がいつまであるかなあと、はかない気分になります。何が起きてもおかしくない昨今ですからね。
* 桃の花、大好きです。芯から励まされる艶やかな濃い花色が好きです。大伴家持の桃苑の歌を覚えていますか。
春の苑 くれなゐにほふ桃の花 下照る道に出で立つ娘子(をとめ)
好きな歌です。あなた、和歌を読みますか。和歌や歌謡のよさが胸に入ると感性はほんとうにこまやかになります。
桃の花をみたいな、土手にのぼって景色を眺めたいな。なぜか群馬県にはむかしから縁があり、いちばんよく行って(図書館などで)話している県です。桐生、大間々、富岡、渋川、高崎、伊勢崎、赤城。
なにかと物騒、大事に気をつけて過ごされるように。
2004 4・9 31
* 正午、ホテル・ニューオータニでロスの池宮夫妻と会い、「なだ萬」でご馳走になった。お酒を最少におさえたが、好きに飲んで良ければ、ひとしおの献立であった、おいしかった。「なだ萬」は今はこのホテル一角に根拠をうつして、此処が本家本元になっている、さすがに最良のスタッフで固めているのだろう、満足し満腹した。あと席に追われることなく、悠々と三時間も腰を据えて和室で話し合った。
わたしはいささか前夜来疲弊ぎみであったけれど、克服できたのは、なにしろ何十年来の仲良い遠来の客であるうえ、炬燵がこいに脚をおろせるラクな和室が落ち着けたし、料理と食器に申し分のないのがわたしを鼓舞した。床がけ「随處樂」の色紙は、さながら池宮夫妻のモットーのようなもの、近藤悠三の広口大きめの花瓶に盛った葉桜の風情も優しかった。
夫妻はその脚で京都へ。
わたしは、銀座松坂屋裏の画廊「宮坂」で、嵯峨厭離庵裏にすむ後輩画家藤原敏行君の個展を見に行った。品格正しい美しい花鳥画家で、こういう一点一点が「なだ萬」「吉兆」などの個室の壁にはまっていたら、どんなに料理の味も深みを増すことだろうなどと想った。欲しくもあつたが、あの格の正しい例えば白椿でも牡丹でも、大きさは丁度良くてもいかにも我が家が事実以上の陋屋になってしまう、繪に家が負けてしまいそうと、少しいじけたほどであった。
和光で時計に電池を入れてもらったが、常は五百円ぐらいなのに今日の時計はよほど特殊なのか二千円もかかり、二十分ほど待たされた。で、待ち時間を利用してとなりの店で、映画「マトッリクス」三部作のDVDを見つけてまとめ買いした。木村屋でロシアパンとやら少し見た目のうまそうなのも買った。よれよれの軽い革鞄をほとんどカラにしていたので役に立った。
銀座一丁目から地下鉄一本で保谷へ帰り、覆うように疲れが戻ってきていたので、家までタクシーをつかった。
2004 4・10 31
* 桃の並木は、会社に出かけるわたしを迎えるように、玄関前から続いています。桃は土手の右側に、左側は、葉桜が花びらを散らしています。細い裏道なのに、わざわざ人が見に来るようになりました。
大伴家持の歌、佳いですね。
和歌になじんで来なかったけれど、最近しみじみとします。恋の歌は、特に。
* 若い人はいいなあと、どこにいても、素直に思うようになった。「恋の歌は、特に」などと、わたしなど胸に思っていてもなかなか字には出来ない。井上宗雄・武川忠一編の「和歌の解釈と鑑賞事典」や山本健吉編「日本詩歌集」それに万葉集や百人一首の本など、この機械のある座右にも手放したことがない。心の底からくつろぐのである和歌を読んでいると。千二百年もそれ以上も前の和歌にありありと自分の思いを代弁されていておどろくこと、しばしばある。くやしいなと思った年頃もあったけれど、いまは、嬉しくなる。
毎晩源氏物語を音読し続けてきたが、和歌のところへくると胸が波立つほど共鳴する。源氏物語の魅力の何割かは、和歌の優れていること、面白いことにある。
きのう、中納言朝忠のかなり気の毒な、
逢ふことの絶えてしなくは中々にひとをも身をもうらみざらまし
をあげつらったが、一つ前の、権中納言敦忠の歌は、つらいと嘆いてはいるものの「逢ふて逢はざる」朝忠からすれば、対照的に幸せそうである。
逢ひ見ての後の心にくらぶれば むかしはものを思はざりけり
「逢って契りを結んだあとの、このせつない心にくらべると、逢わない前の物思いなどは、しなかったも同然の、何でもないものでしたよ(武川忠一)」といわれても、後塵を拝した朝忠には凱歌のようにひびくだろう。百人一首の配列では、四十三番目に敦忠、四十四番目に朝忠とならび、これが対に据えてある。歌合わせふうにいえば、断然わたしは……と、あとは云うのを控えておこう。これは情の世界である。
ただ人は情けあれ あさがほの 花のうへなる露の世に 閑吟集
小泉純一郎には 情が感じられない。あの人には、オペラも音楽も歌舞伎も 要するにお飾りの楽しみでしかなく、薄情冷淡が本然の根性らしい。なにはあれ、イラクで人質になっている三人の親族達と会って、ともに一掬の泪をそそいでやればよかろうに。理にも情にも敗北していることを知った無情の醜態だと、家族会見をすげなく「拒絶」した彼が、わたしは厭わしい。
2004 4・10 31
* 歌 葛西アナ司会の番組の新企画。榊莫山書の円、○を、己の心と見て、いま、ご自分の心中を占めているものを其処にかいてください、と。第一回のゲスト、梅原猛さんは、思った通り、墨くろぐろ、大きく、× をお書きになりました。秦さんも、そう、かしら?
数回のちご出演の、堺屋太一さんは、円グラフに。万博自慢の話の果て、広田三枝子の「♪こんにちは、こんにちは」をリクエスト。彼女の歌が先と、初めて知りましたの。可愛らしい前半と、パンチの効いた後半の歌いぶりが彼女らしくて、好かった。
* わたしの思いなら、墨を消す白墨をつかい、○ そのものを消したい。
2004 4・10 31
*「24時間以内に解放」のニュースを今見ました。未確認ながら、ご家族にとっては取りあえず安堵の情報でしょう。
様々の意見の中に、危険と云われる箇所へ勝手に入り込んでの事故だから、国策の派遣自衛隊の撤退の必要なしとありますが、その危険をも返りみずボランテイア精神で入っていった人、となぜ理解しないのか、フシギです。
身の危険は承知の人達であったとしても、救助には万全の措置をとるべきだと感じていました。フワフワとジコチューに浮わついた若者の溢れる日本では、ま、稀有な、こんなに骨太の若者を是非とも救ってほしい。
忙しいですか。大事にしてください。
ぴりっと利くスパイスの抜けたお料理を食べているように、日々味気なく。せめて一言のメールでも届けてくれると、エキスになるんだけれど。日々に疎くなるのはイヤ。
*「人質解放か」という情報をわたしも心の底からよろこんで、凝ったところを瞬時にほぐされたような、ふわっとした安堵感に酔っている。正夢であることを心から願いたいし、また関係者の尽力にも感謝したいが、これこそはゲタをはくまで気を弛めずに。またそれみたことかなどと小泉首相等が豪語していいことでないのは、厳に云っておく。根源には総理の犯罪として、あの田中角栄とは比較にならない「憲法蹂躙」があって、すべてはソレに発している事態を、代議士達も国民ももっと凝視すべきところ。
確実な生還を祈る。
*「人質解放か」という情報をわたしも心の底からよろこんで、凝ったところを瞬時にほぐされたような、ふわっとした安堵感に酔っている。正夢であることを心から願いたいし、また関係者の尽力にも感謝したいが、これこそはゲタをはくまで気を弛めずに。またそれみたことかなどと小泉首相等が豪語していいことでないのは、厳に云っておく。根源には総理の犯罪として、あの田中角栄とは比較にならない「憲法蹂躙」があって、すべてはソレに発している事態を、代議士達も国民ももっと凝視すべきところ。
確実な生還を祈る。
* 春半ばというのに春逝くような慌ただしさでイヤな世の中です。ついつい此の世でないところへ、隠れてしまいたくなる。人のいい仕事にばかり追われていますが、せめてその無償の時間が清々しい。
昨日は、接待のつもりで出掛けたロス遠来の夫妻に、ホテルニューオータニの「なだ萬」を、チャージした和室でゆっくりご馳走になり、三時間も歓談してきました。あまり体調も気分もよろしくなくてガマンして出掛けたのでしたが、料理の美味しさにひかれ、五十年来の旧知ならではの話題にも、思い惹かれて、元気になって別れてきました。その人達は京都へ発ち、鴈治郎の芝居その他、たっぷり日数もかけて上方を満喫してから帰国の予定。夫は私たちより十、妻も三歳ほどは上の人達で、立ち居もゆっくりの杖姿に感慨はありますが、「濡れ落ち葉つきの旅行え」と双方で笑いながらの仲良さは、見ていてもきもちのいいものでした。
帰りに、高校の後輩画家の個展を見てきました。気持の洗われるような品格に富んだ、揺るぎない花鳥小品でした。美術賞を献ずる作品ではないが、どの一点を置いてもまわりが静かに輝くであろうような「気稟の清質」に満ちていました。何処にも属さずひとりで制作しています。嵯峨面を復活させた家のあるじで、お父さんも佳い画家でした。わたしの「夕顔」という小説には夫妻で登場して貰っています。
眼が乾いて痛みます。かるい頭痛も。毎春季の持病のようなものなんですが。こめかみがいつも疼いています。老愁への深切な誘いでしょう、当然のこと。
マトリックスの三部作、DVDを買ってきたけれど、不思議に早く観ようと云う気がしない。つい、掌で顎を支えて眼をとじてしまう。するとすうっと眠気が来て、すうすうと寝息に変わって行くんです。
あなたも孫クンも元気ですか。わたしは、ま、気持だけはね。食べる機会飲める機会はなるべく機械的に避けている、と、なんにも楽しみがない。色気さめ、食いけ叶はず、お金の縁も、絶えて久しい、花の春。そのあと、なんでだかこの頃、すぐ、ああコリャコリャ と我が身を囃しますよ。 遠
* 覚悟 2004.4.9 小闇@TOKYO
みながあちこちでいろいろなことを言っており、わたしがここで闇に言い置いたところで何も変らないだろう。それはわたしが一億何千万かの一である日本人にほかならないからで、私の言説が、国家の将来を左右することはない。あってはならないと思う。仮に私がイラクで拘束された邦人の家族であったとしても。
身内の出発を止められなかった「家族」に国家の行方をどうして左右することができよう。
私には、親兄弟親類縁者が今回の3人のようなことになった場合、だから自衛隊を撤退させろとは言えない。自衛隊派兵の是非は別だ。ただ、個人と国家は別だと言いたいのだ。人名は地球より重いだろうか。言葉づらは美しいが、それは10gは10cmより大きいと言っているだけで何の意味もない比較であり、ただ笑われる結果を導くだけだ。
もちろん無事で解放されればそれに越したことはない。生きて焼かれろとは思わない。けれど自衛隊の撤退と拘束された3人の生死は話が別である。
月曜は新聞休刊日。この日曜、新聞に関わる私の知人はすべて、号外のために出社している。仕事なのだから当たり前だ。そういう覚悟が、3人とその家族にあったかどうか。私はそれが疑問なのだ。
* ずいぶん元気そうな発言だけれど、遺憾にも、わたしはほとんど首肯しない。一私人の言説が国家を動かした例は有るし、それを諦めれば、そもそも「選挙」も無意味になる。無意味だと思う知識人が、意味も無意味も考えない人達と一つの船に乗って、大切な場所から流れ去るから、国家や権力が好き勝手を甚だしくする、それが根底にある。
頓服の速効薬が旨い具合に転がっていないのは事実でも、一人の発起からびっくりするような重要で大切な立法や条例化に繋がった実例は少なくないし、北朝鮮の拉致問題でも、ここまで来ている。一本の指がいつか大釣鐘を揺らすことは楠木正成が少年の日に実験した示唆に富んだ故事である。これが仮に科学的に証明できない説話であったにしても、心事的には説得の魅力をもっている、それは大事なところだ。
三人の縁者と国策の問題を「単式」に付き合わせて「事」を思うのは短絡にすぎず、複雑な方程式の一部に、新たにこの三人の問題が付け加わったのである。そういう全体像の中で議論は必要なのであり、問題意識を、現前の現象とともに、根底の推力にもむけて、観察と洞察とは両面へ射し込まれねばいけないだろう、むしろ根底に何があるかの認識は大切で、悲しいかな、広くはブッシュの人間に、近くは小泉の性格に、いま日本人を巻き込んで狂わせている毒素のあることは、認めざるをえない。ブッシュは平然と国連をコケにし、小泉は平然と憲法を足蹴にする姿勢から、すべて行動してきた。それが自民与党のソレという以上に、小泉純一郎の「人間」に発した毒被害として拡がっているのが悲劇的なのだ。彼周辺の他の政治家発言は、保身と党利党略に過ぎない。
そういう事態では、やはり三人の囚われ人の生命と自衛隊撤退という選択肢とは、絡みついている。若い人の元気な突き放した物言いは単純すぎるし、短絡も過ぎて、「情けの乾いた形式論の放言」のように聞こえる。話は別のようであり、しかし「別にしてはおけない」私人の心情、その底にあるものを政治家達に深く汲み取らせねばならない、とわたしは考える。
聡明な政治判断なら、かこつけて撤退してしまうことで、三人の事件を活かす道も無くはない。所詮、「今の憲法のもとでは派兵は不可と」いう原点の原石を、小泉内閣のブッシュ支持が無謀に蹴飛ばした事実に、何の相違もない。「悪意の算術」でしかない国際外交にあって、日本もその辺はジコチューに満ちた「悪意の聡明さ」を発揮してかかればいい。わたしは、今回も裏取引の中で「テロに貢いだ」も同然の相当なものの運び出されたであろうことを推測している。わたしは、それを咎めないのである、三人が助けられるならば。この年になって、ジャンヌダルクではあるまいし、生身の若い人達が焚かれる図など見たくもない。
そう思って、わたしは、意見を言うよりも黙って注視するときだと書いた。政府が「三人のため」に頑張ったなどとも思わない。彼等に対し悪態をついていたに違いない。派兵と対米追随という「顔」を潰したくないから頑張るに違いないと、わたしの推測も、外交に似た悪意に満たされていた。それでよい。
2004 4・11 31
* 見舞ってくださり、ありがとう。わたしは、いまも、眼を閉じてふうっと暗闇のなかに沈んでいたりします。それが安息です。
むかし、あれは『北の時代=最上徳内』(湖の本32 33 34)でした、「部屋に入る」と謂っていました。こちらから襖を開けて入ると、向こうから襖をあけて人が入ってくる。向こうは一人でないときもある。時には光源氏と紫の上であることも、後白河と建礼門院とであることもある。香のくゆる茶室ほどの部屋で、なに変わりのない普通の知人のように普通の言葉で歓談し、またそれぞれの襖から出て行く、そんな「部屋」を書いています。どうもそれは今謂う「闇」に似ていましたね。おそらく、その作品の中にも書いていましたが、それは前漢の人趙岐が生前に墓をつくり、墓室の四面に信愛する四聖を描いて、生前から好んで其処に入っては聖人達との対話を楽しんでいたとかいうのを、わたしか識ってての発想だったかと思われます、もうよく覚えていませんが。むしろ「清経入水」序の夢が原型かも。あそこではまだ部屋は虚しかった。
わたしの「部屋」にはわたし以外の主人はなく、客は自在。今もそうです。部屋へ私が呼び入れるほどの人は、実在と非在とをとわず、それが「身内」です、私の。その「部屋」は、私のよく謂う「島」に相当して居る。そして「部屋」の簡素に白い襖は、どんな喧噪の場所ででも、どんな時でも、たちどころにわたしが願えば目の前にあらわれます。入れば、鉄壁の清明他界です。
別の言葉でいいかえれば、その「部屋」はまた、「遠山に日のあたりたる枯れ野」とも同じですね、わたしには。この「枯れ野」は、現実という娑婆世界のほんの地下室かのように、少しの下方に、ひろびろと、さびさびと拡がっています。上の俗世で「ナンジャイ」と思うと、すうっとこの広い枯れ野に独り降りてしまうのと、むかし、そのようなことを私に呟いた年下の少女がいました、中学に。
このごろは、「ナンジャイ」と云いたくなることの多すぎる世の中ですね。
秦恒平は半身を他界に隠して好きに往来しているような作家だと、とうに亡くなった文壇批評家が言いました。その人がわたしに加えた批評の中で、幸か不幸かいちばん的確であったのかも。彼は、あいつは半分死んでいると云ったのでしょう。ま、確実に半分は生きているわけです。呵々
よけいなおしやべりをしてしまった。適当に忘れてください。
2004 4・12 31
* 葉桜 今日も夏日とか。寒暖を繰り返して、春は逝きます。
海外のリゾートで、二人だけで結婚式をする息子の、昨夜遅くの成田からの携帯メールを、今、読みました。実家へは顔を出す暇もないセキニンを負わされた中堅どころのエンジニア―。請われてやむを得ず、この年末頃からあちらの敷地に住むとなれば、ますます遠ざかるでしょう。永らくは母親の服の端を握って離さなかった甘えん坊だったなあ、と親なんて寂しいものですよ。
娘の孫は十ヶ月半、離乳食をよく食べて10キロ近くの体重になりました。よく動くので抱っこは大変ですが、表情が豊かになり、無心な今が一等可愛いのではと思います。この土日は初めてのお泊り、近間の海へ行ったらしい。お父さんのダイビングのお付き合いだとか。どんな旅が出来たのでしょうか。 淡路島
* 親なんて 寂しいものですよ とは、珍しく本音がにじみ出ましたね。子に言わせれば子も寂しいなんて云いますが、これはあなたの実感が真実でしょう。こういう時は、その「寂しさ」も子を持った親の大きな大きな喜びの小さな一部分なのだと思えばいいかも。子を持たない者は絶対にその喜びを知らないんですからね。ま、元気で過ごされよ。
アチラの敷地 とは海外勤務とかではなく、お嫁さんの家の方へ取り込まれるという意味ですね。気持はわかります、息子をお婿さんにとられた気分。娘を嫁に出したあのフクザツな喪失感を思い出しますが、まして男の子だもんね。わかります。嫁さんの実家からの支援や庇護を求める男が増えていると云うこともあるし。それが常識だと言い張る男すら居るし。やれやれ。
ま、気落ちせずに、せいぜい孫クンと仲良くなさい。 遠
2004 4・12 31
* イラクの拘束されている人質三人は、解放されないでいる。それだけが事実で、あとは曖昧な情報がとびかうだけ。やはり自分のからだの一部分が危険な目に遭っているという実感は免れがたい。本来なら起きなくて済んだ惨事であり、勝手に行ったのだ自己責任だとはこの場合は云えない。責任という言葉を使うなら、やはりブッシュに、追随して反省のいささかもない小泉に問うしかない。しかも今は責任問題と云うより、やはり生きた三人の命がどう世界の面前で扱われるのかという厳しい現実を注視して祈るしかない。人の命は地球より重いかと東工大でわたしは学生につきつけた覚えをもつ。だが、この際は、そういう「無意味」な比較の問題ではない。殺させたくないという実意にいたたまれないだけのこと。その思いは或いは地球よりも重いであろう。
* 人質とは、何とおぞましいことばでしょう。
解放されるというニュースになみだがぼろぼろこぼれましたが、そのあと、何のうごきもないとのこと。ご家族の方々は搾木にかけられているような思いに耐えていらっしゃるのでしょう。
救助の署名運動をしているひとに、「そんなの自己責任でしょ」と言い放ったひとがいたとか。それはまだよい。麻生太郎という大臣は「あの人たちは危険を承知で出かけたんでしょう」と。雪山に登って遭難したのといっしょにしている。いまの日本、いや世界でむしろ敬意に値するたましひが失われようとしているのに。何という無知蒙昧、何という暗愚、何という傲岸、何という冷酷、何という想像力の缺序、等々、ありったけの罵詈雑言を浴びせても足りますまい。
わたくしたちは、こういう低劣な人間に、この国の政治、行方をゆだねているのですね。わたくし自身は彼や彼と目的を一にするヤカラを、ただの一度も議員に選んだことはありませんのに。
何という理不尽。
虜になった三人が早く、解放されますように。
* ここで自己責任などというのは、現代人としてもセンスがあまりにわるい。民間のこういうボランティアに対するほんとうの理解が有れば、そんなアホなことは謂えない。むろん、それにもピンがありキリもあるに相違ないが、かれら三人をキリだといえるか。それは小泉や麻生や政権に癒着した手合いに対して謂えることである。このメールが正しく指摘しているように、彼等は天候の悪い雪山に不注意に登って遭難したのとは、ちがう。 2004 4・12 31
* 憂しと見し世ぞ 読売新聞の社説には、「人質解放問題によって、日本の国益にかかわる重要な政策が損なわれるような事態は避けなければならない。」とありました。官房長官は「<人命は地球より重い>時代ではない」と言っています。
どこかで聞いたようなセリフです。60年前の沖縄戦です。
「(米軍による沖縄上陸)問題によって、日本の国益にかかわる重要な政策(国体護持)が損なわれるような事態は避けなければならない。」「作戦上必要ならば国民の命を捨て石にしても構わない」という論理です。この論調の行く末がどうなったかは、歴史が示しています。沖縄に住んでいた15万人が死にました。
地元沖縄のマスコミは、的確に指摘しています。
「イラク日本人人質事件を通して見えたことがある。日本の政府は国民の命を守らない、ということだ。人命よりも国際的面目、はっきり言えば、米政府にどう思われるか、ということの方が重要なのだ。」
人質に向かって「危機に陥ったのはおまえの責任だ」という国は、また戦争になれば、「住民は邪魔だから射撃の嵐の中へ出ていけ!」と言うのでしょう。いや、もう既に言っています、「人質は、イラクでアメリカと共にしている戦争の邪魔だ」と。
対岸の火事ではありません。場所が日本に移れば、「邪魔だ」と言われるのは、今度は私たちの番です。
やっぱり自衛隊は引っ込め、国民の生命を第一に考える人に政治をまかせましょう。でもそんな人っているのかな? 北海道
* どうかこの「闇」を覗いてくださる方々、サイトをお持ちならサイトへ、メールでなりと、この私の友人の声を広く遠く飛ばしてください。またこのわたしの「私語」で、「政治・政策にかかわる」秦の意見は、同感であれ批判のためであれ自由に引用してください。
* テレビを観ると人質ニュースばかりでうんざり。私は国境なき医師団の吹けば飛ぶような「寄付のみ」サポーターの一人ですが、この団体の活動もスーダン、チャド、ブルンジ、ウガンダ、ハイチなど世界各地の内戦地帯近くに国よりも早く行くのですから、いつも危険と隣り合わせです。場所は忘れましたがイラクではないややこしい地域で人質になって、長い間解放されていないメンバーもいるようです。
こういうボランティアに携わる人々には当然自己責任においての相当の覚悟はあることと思います。今回の日本の方にも危険や死の覚悟はあったことと思います。ただ、自分たちが政治的に利用されるとまでは想像できなかったので、これはいたしかたないことだったように思います。昨夜の筑紫哲也さんの、政府は国民を守る義務があるというコメントに賛成します。 東京都
* 日本はとうに「民主主義」の国ではなくなっているのです、権力政治家達がまず民主主義を「憎悪」しています。すべてにそれが明らかですが、「私民」は、「それ」をこそ自己責任に於いて是正する勇気と聡明を持たねば。しかしながら、その様な勇気と聡明とを欠くことにおいて、実は「私民世界」が成り立つ、成り立ってしまうことも、世界史的一般です。つらいところですね。 秦
2004 4・13 31
* 散々な春です。再挑戦しましたが、今年は一次で敗退しました。
+失恋を引きずっているのと、+仕事のうまくいかなさと、+制作のうまくいかなさ、やらで参ってしまい、現在は一ヶ月の休暇を頂いています。このメールも家から書いています。学校にはなんとかかんとか行っています。あとはずっと横たわっています。ちょっとした病人です。そんな、かんじ。 卒業生
* 引きずってはいけない、若いのだから。不用なものは削除して落としてしまい、必要なことは完璧にリセットして、一新した気持で当たらないと、未練なままの不具合になります。一月も休めるのなら、寝ていないで戸外へ出て、出逢いを求めるべきです、人か、自然か、文化かは分からないが、あなたの果報は、寝て待っていても訪れない性質の物です。そんなことではないかと心配していました。
あなたの失恋が、失礼だが、性的失恋か心の失恋かは分かりませんが、どちらもあなたが望むなら比較的容易に癒せる物で、絶対の落ち込みではない。
新たな出逢いを恐れないように。わたしのそばには好伴侶を切望している男性も何人もいます。動かなければ出逢えない。これは若い人には真実です。あなたに活気を呼び戻すのは、辛くても新しい恋かも知れない。それが仕事や勉強に生気を吹き込むでしょう。
起って歩きなさい。ちいさな自分の殻を城のように勘違いしてはいけない。
もっともっと私にも話しかけてくるように。
2004 4・13 31
* なんと珍しく、昼寝をしていました。いま半分夢見心地のよい気分です、***川まで用事で出かけて汗ばむ陽気に疲れ、三時くらいから眠ってしまったらしい・・。
マードレ・デウスがお好きと読みました。珍しいこと。じつは、わたしもいつも聞いています。聴いているよりも、やはり聞いて、です。音、音楽にまともに向き合っている時間は意外と少なく、やはり用事をしながら、本を読みながらです。掃除をするときはリッキー・マーチンのCDをかけて、終わるまでに掃除も終えようとリズムに合わせて頑張ります。想像してくださいな。タンゴも好き。ラテンがやはり好きらしいです。
マードレ・デウスの魅力は彼女の声ですね。クラシックの、声楽の歌い方からすれば技術的な問題点はおそらくあるでしょうが、引き込まれる清々しさは断然、です。魂を懐かしい手で柔らかに慈しまれるような安息があります。女性的なもの、と言えばそれでも十分分かりますし、あの大好きな沢口靖子さんが歌が上手で歌ったらこんな声を出せるのではないかと、そんな思いもします。手元にイタリアで借りてMDに落としたものが一枚、あと数枚CDをもって
います。送ってさしあげましょうか。
昨日、そして今日のHPで書かれていることに、深く共感しています。人質のことは言うまでもなく。敢えて言えば日本を離れて見たいくつかの世界の国の現実を思うと、たとい多くの矛盾や問題を抱えていても、わたしたち日本人はなんと豊かに暮しているのだろう、ということです。驕るアメリカも然り、です。石油は日本にとって「生命線」であるためイラクの平和はわが国にとっても重大な関心事であると政府は語っています。そのための、そしてアメリカに追随するためのイラク派遣。現時点で撤退して終わる問題ではありません。早い時点で国連での確かな方策がなされることを願っています。ぎりぎりで生きている多くの人たちをまず考えて欲しいと思います。
人間は本当に「進歩」していません。ペシミスムに陥りそうになるのを辛うじて、せめて些細なことであれ何かしなければと思います。
書くのが最後になってしまいましたが、「部屋」の話、半身を他界に隠して好きに往来しているような作家というくだり、死と対等にバランスできるのは恋や愛だということ、まる・・○や●・・を白墨で消す話・・○もまた無際涯であらねばならないと、生きるとは限りなく滑落することだと、いう話、すべてすべて身につまされ素直に内部に沁みこむ思いがしています。本当はこのことだけを書けばよかったのです。 播州
* 底荷の厚さを感じさせる佳いメール。
* 秦先生、お久しぶりです。 ****です。
大学時代の先輩(秦先生の授業を取っていたそうです)と結婚して、ふたり暮らしをはじめて、おとといで一年が経ちました。つきあいが長かったのと、相方が尋常じゃなく気が長い人のおかげで大事件もなく、がんばって生活しています。
今の会社の働きぶりは、上司曰く、「生意気だけど働かせたらがんばる人」なのだそうで、去年の査定は、「よくがんばった」をもらいました。
二年前に、神戸の会社から、今の会社に移りました。
今の仕事は、平たく言うと市場調査をやっています。 気まぐれな人間の行動の裏にある真のニーズを取り出すために、日々インタビューなどの修行をしています。
人に伝える日本語の表現や、コミュニケーションすべてを考え、製品に対する仮説(アイディア)を出していくので、勤務時間は朝起きて寝るまでずっと続いている感じです。
とはいえ、ひとつの仕様で世界のユーザすべてを相手にするデジタルカメラや文書管理システムを扱えるのは、日々刺激的です。
絵の展覧会は見逃すことが多かったり、信じられないほど入場料が高かったりで、最近行ったのは山種美術館で小倉遊亀さんの絵を見たくらいでしょうか。普段はテレビで日曜美術館や美の巨人たちを見て楽しんでいます。
仕事以外で打ち込んでいるのは、スキューバダイビングです。
二年前からダイビングに夢中になり、新婚旅行もダイビングのためにモルディブという南の島に行き、一日二回、島から出るダイビング用の船に乗って珊瑚礁の海を潜っていました。今年も二月にサイパンの、本当に青い海を
潜りました。
先生の日記は時々読んでいます。 先生が紹介してくださった小闇さんのサイトはよく読んでいます。
二月から、Webで日記(Blogというのですね)を書き出しました。
小闇さんのように素敵な文章はとても書けませんが、日々のことを忘れるのが悔しいので備忘録として書いています。
久しぶりなので、本当に長くなりました。先生、お体に気をつけてお元気で!
* なんとこの人のサイトが「日だまりに言い置く」なので、わたしは、クククク、クツクツと笑いがとまらなかった。闇、小闇、日だまり と変奏曲、愉快ではないか。相当、小闇に刺激を受けたらしい。そんな人がもう数人いてくれるとわたしは退屈しないが。
この人も、教室の頃以降一度も逢っていないから、十年できかないだろう、しかし印象の刺激的な個性で、たしか、飛び級で院へ飛んで行った一人である。神戸で「容器」の研究に取り組んでいたとき、製品見本を中身入りで送ってきてくれたことがある。学生の頃から美術の好きな学生であったから、美術展の招待券があまりそうなときは送ってあげた。美術展へ一人でこつこつと出掛けてくれる東工大生は珍種に属した。やはりわたしの学生と結婚していたとは知らなかった。
ホームページ、ちょっと開いてみると、流石に東工大院卒、技術的に多彩なサイトに創れている。楽しんでいる。小闇とはだいぶ行き方が違っていて、目先が変わる。
2004 4・13 31
* ご報告 秦先生へ ご無沙汰をしております。
四月を挟んで色々とあり、ご連絡が遅れてしまいました。
まず、何よりご報告したいのは、4月12日に子供が産まれました。妻が入院したのは4月8日ですから、出産までに5日間。
大変でした! 理由があるのかどうかも分かりませんが、「なんでこんなに大変にならなくちゃいけないの?」と思うくらい。私も金、土、日と3日間病院泊まり込みでしたが、妻は食事もとれず、夜も眠れず・・ですから。
でも、出産後、妻の口から「次に産む時は、もっと楽に産めるように頑張る!」と言われると、そのバイタリティに驚くと同時にそういう妻の元気さに救われている部分が大きいなぁなんて思います。
もう一つのご報告は、4月1日で異動をした事です。異動先は、つくばにある難しい名前の研究所です。「研究所」と言っても、私の業務は、研究所全体の予算や人事・組織のとりまとめ的な役割で、“研究”自体に従事する訳で は無いのですが・・・。
これまでとは全く畑違いの仕事にかなり戸惑ってはいますが、まぁ少しずつ慣れていけば良いかな・・・的な。時間的余裕はこれまでよりありそうで助かっています。
つくば、ということで当面、所在を都下の今のままにするのか、つくばに移すのか、妻や子供の事もあり、決めかねています(今は、つくばに泊まったり、東京に帰ったりという感じです)が、まぁ、いずれにしても、なるようにしかならないかなぁ、と、今は気の向くままに行ったり来たりしてい ます。
取り急ぎ、ご報告まで。また、みんなで食事に行けたら、と思っています。
* おめでとうを、十回も書いたものと、読んでくれ給え。おめでとう。
なにより父親に成って、成れて、おめでとう。赤ちゃんと奥さんに感謝し給えよ。よかったね。「子育て」などとえらそうに考えず、子供にむしろ育てられて行くのだと、謙遜にお子さん達を愛してあげてください。これで、碁でいうなら、家庭という自陣に妻子という「目」が二つできて、もう大丈夫。あとは意欲的に拡充してください。我がことのように嬉しいです、わたしも。
さてお仕事の方も栄転おめでとう、こっちはこれからこういう曲がり角を幾度も幾度も曲がり曲がり、より広い通りへ出て行くのだと想います。曲がり角の豊かな人生はコクのあるものです。平然と平静に受け容れ受け容れ、たくさんの路傍の景観を胸に頭に蓄えて行ってください。よかった。歩一歩、問一問と謂います。淡々と、坦々と、眈々と歩いて行ってください。
つくばというのだけが、少し悩ましいでしょうね、奥さんの日々をうまく助けてあげられるように智慧を出して下さい。
こころもちラクになりそうという時間を、うまく使って欲しいが、こればっかりは皮算用かもしれない、ヒマにはならんものです男の上り坂は。ま、きみのことです、安心しています。そして盛んな祝杯(わたしは小さい盃で)を挙げられる日の近いことを。
二十四日に***君が逢いたいと言ってきています。
わたしは、相変わらずの日々で、励んでいるとも怠けているとも、見よう次第ですが、そんなことはどうでもよろしく、私が今・此処に「生きている」ことは明らかです。
ご両親もさぞお元気に、きみを誇らしく愛されていることと思います。みなさんのますますのご平安を心より願います。
* 卒業生が父親になり母親になりの報せが、たてつづけに四つ来ている。「我が子とのように嬉しい」と変換ミスをしたけれど、そうかけ離れて遠い感慨ではない。
2004 4・14 31
* たぬき 雲ひとつない晴天。カラスの声ばかり聴こえてきます。
一時間も間違えて早起きしましたが、気分は上々、だからといって即刻動くほどの働き者でもなく。
昨日、一週間ぶりに顔を合わせた友人達とは、拉致拘束の三人の即刻の解放をと、同意見で終始しました。あの三人こそ捨て身のボランテイア精神であっても、家族たちの救いたい気持ちはまた当然のことと。そんな家族たちへの数多くの卑劣な中傷に対する批判と怒りと恥ずかしさと。
事のついでに。歴代党首とは一味違った初期の若々しい例の首相には共感も好感ももったが、人気最高の頃には、もう見限るように「人となり」に不審を覚え始めたとみな肯き合い、最近の発言も違和感多々、ああいうのが世間で云う「たぬき」ではないかと。人生ながく生きると何匹ものたぬきに出会ってきたなあ、と、つくづくと。
グレーからブルーの空へと爽やか。ひやひやとまだ寒いけれど、今日の一日、働き者になりそうです。 京都市
* 高齢婦人たちですらこういう気持の昨今。しかしこれが、若々しいつよい世論にまで盛り上がらない。なぜだろう。
一つの日本事情に、恥ずかしいほど「学生」が無力で因循なことが挙げられる。いまほど日本の学生が、非社会的・背政治的・脱力状態の時代は、明治以来初めてだろう。歴史的に見ても、多くの国で、なにか天下分け目の大事に際会すると「学生」という力が、少なくも発言し、行動し、世論を刺激した。正しい機能であった。学生の分際でなどという考え方がまちがいなのであり、時代をひっぱってゆこうとしているインテリジェンスの「世代」として、学生サンは、昔からそれなりに世人に認知されていた。今は別だとニゲをうつほどのなネックが有るわけではない。学生達があまりに怯懦に、しみったれ、ジコチューで勇気を欠いている、それだけの話。
こういう時代へ傾斜し崩落するであろう予感どころか、目前の現実が、わたしの東工大教授の数年にも、日々まさまざと実感できた。大学当局は学生運動と自治の姿勢に対し、ほぼ全力でブレーキをかけようとし、学生達もいっそ同調していた。恥ずかしいことだ。わたしは何度も彼等に疑問を呈したが、火の消えた炉の灰のように学生は発言すらしたがらなかった。大学というのは、本来自治の精神でこそ成立し、それがヒューマニズムを世界的に鼓吹した。
ところが大学人が率先そこから撤退して、学生たちの頭を勉強机にのみおさえつけて事足れりとしてきたのである。大学当局が文部省の子分に甘んじた。質的低下は当然だ、質とは、見識であり意志の意味だから。
また「不幸」なる一つには、かつて学生運動で活躍した先輩達が、社会に出るとやがて身をひるがえして支配陣営の側に寄り添い、そのような学生エネルギーを抑圧する言論で、自分達だけの自由と声誉と実益を、マスコミ社会で手中にし、利便と実益を確保しようと狂奔した。なんとその「手合い」が多く、今もテレビなどに顔を売っていることか。バブルの黄金と代償に政治的エネルギーを売り渡しただけでなく、自分のあとから蜘蛛の糸を頼んで登ってこようとする後進を、学生や働く人達を、みな無気力の沼へ蹴落として彼等は恥じなかったのである。あげく、卑怯にも「撃つべきには媚び」、本来「守るべき無辜を罵倒し虐める」ような思慮せぬ愚民を列島にはびこらせた。
スポーツと芸能とだけをおいしく与えておけば、若者は政治的な力にはならないと賢く踏んだ政権与党の知恵者に、かつての闘士たちもまんまと載せられ、私民の政治力を根こそぎ抜き取るべく粉骨してきた。社会党のみじめな現状は証拠だ。久米宏を追い払い、その後任をなんとか久米の二代目にすまいと、はや叩き屋があちこちに顔を売り出したのも証拠だ。
むしろ海外からのジャーナリストの声に聴くことが、大切になっている。彼等は、意見の内容はべつとし、媚びずに率直である。今の日本がほんとうに「自由」の国だとは思われないと呆れていた声音と表情とに、わたしは消え入りたいほど恥ずかしかった。
2004 4・15 31
* 惜春 仁左の知盛は、刺さっている矢を抜いて、己の血を舐めると聞きました。義経が、三津五郎さんでも勘九郎さんでもなく、福助さんというのにも、びっくり。
雀は、妹山背山を見つつ、混雑の吉野を迂回して、トンネルを抜け、峠を越え、黒滝、洞川、天川へ。大和の天河弁財天まで翔んで行ってきましたの。
一本の枝垂れ桜が、満開。人は居ないし、空気も水も浄(す)んでいて、佳かったですわ。
山のそこかしこに揺れている淡い桜色も、これから緑に覆われていきます。
惜春。
どうか、日々お大切に。
* 別天地……。これははたして実在の雀か。
2004 4・15 31
* それなのに、これは何ということだ。
* ニュースを聞いて。 わたしはめったに怒る人間ではないけれど、今はテレビを見て怒っている。情けないと思う。
小泉首相、人質解放を良かったと語った後で、現地にまだ残りたい人がいるがと記者が質問すると、どれだけの人が大変な思いをしたか。勝手だ・・というようなことを語った。「個人責任だろ?」とか、「人様にご迷惑をおかけした。」などの声がやたら不気味に日本社会に鳴り響いてきている。小泉の発言はそれらに勢いをつけている。
アメリカのパウエル長官は・・アメリカの立場をわたしは決して擁護しないが・・日本人人質の解放を聞いて、困難とわかりつつ、勇気をもってこのような場所で活動している人々を誇りに思うと語った。
なんという違いだろう、これは。
週刊誌の見出しには、親は共産党とか、彼女は資産家のお嬢様とか・・いかにも興味半分、ひやかし半分の文字が並んでいた。日本社会にある閉鎖性、互いを縛りあう澱んだ空気をわたしは心から遺憾に思う。真摯に生きようとする精神を黒ずませ萎縮させていくこの国を憂う。 岡崎
* 言葉通り、この人は温厚に落ち着いた読者の一人、それだけに怒りと云う以上に情けなさが迸っている。
2004 4・16 31
* 二月ごろには出産と聞いていたのに連絡のない卒業生がいて、ずうっと案じていた。出産だけはほぼ間違いないとしてもやはり神秘的なことで、何が起きるか知れない、聞くに聞きにくくてその親友サンにとうとう問い合わせた。安産ではあったのである、が。
* 秦先生 ご連絡が遅くなり大変申し訳ございませんでした。ご本のお礼も申し上げなくては、と思っていたの
ですが、体調を崩してしまいご連絡することが出来ませんでした。実は私の産後の肥立ちが悪く、入院をしていました。私自身気がつかないうちに無理をしていたようです。産後、体調が悪いと思っていたら、39度の熱が出ていて、
それが1週間も2週間も続いていたのです。幸い、ひどいことにはならず、後遺症も残るような病気ではなかったので今は治っているのですが、そのときに胃をすっかりこわしてしまったらしく、まだ胃痛と、そして頭痛に悩まされています。産後で、体力も落ちているところに病気だったので、回復が思うようにいかないようです。最近やっと日常生活も普通に出来るようになってきたところです。
ご連絡できずにいたこと、ずっと気になっておりました。今日、退院後初めてメールを開き、先生に喜んで頂いたメールを拝見しました。本来は私からお知らせしなければいけなかったのに、すみませんでした。
子供は、2月の17日に2806gで元気に産まれました。男の子です。名前は**、元気におおらかに育って欲しいと願ってつけました。とっても安産で、分娩室に入ってから15分程度で産まれてしまいました。産まれたときには、主人にそっくりだったのですが、今はすっかり肉がついたせいか、私の子供の頃に似てきたようです。だいぶ子供らしくなってきて、顔を近づけると目が合ったり声を出すようになりました。産まれた当初はふにゃふにゃしていて、つぶしてしまいそうで抱くのも気を遣うようでしたが、子供の成長は早いものですね、今では随分としっかりしてきました。
(写真を添付します。すみません・・・ご迷惑でないといいのですけど)
子供の話をすると、きりがなく、だらだらと長くなってしまいますね。
自分の子供というのは、本当に可愛いものですね。
私は子供好きなほうなので、他所さんの子ももちろん可愛いのですが、自分の子はまた全然違うものですね。見ているだけで、心の中にぽっと明かりがともるような、そんな気持ちがします。そんな気持ちを与えてくれるわが子に感謝しつつ、一緒に成長していくことができればいいなと思っています。
長くとりとめもない文章ですみません。メール、どうもありがとうございました。またメールします。
2004 4・16 31
* 人質を批判して被害者に救出費用を負担させよというニュース番組にはびっくり。アラブ世界から見たら、アメリカ一辺倒の日本の印象を少しでも良くしたのは、ストリートチルドレンを助けてきて、ひどい目にあったのに「イラク人を嫌いになれない」と言ったこの人質のお姉さんではないかしらん。
パウエル国務長官ではありませんが、「リスクを背負う人がいなければ世界は前に進まない」のに。よけいなことをするなというのは、つまり、この際は、いいことなんてするなというのと同じ意味になってしまいます。頭にきた! 私はミッションスクールで、自分が痛むまで与えなければ愛の行為ではない、と叩きこまれて育ってきたので。 東京
* 政府筋からのこの関連の報道には深刻に首をかしげざるをえない。小泉総理は、あんなバカげた見当違いの小言を言っている前に、「憲法違反」という罪状を突きつけられている総理だと謂うことを、恥じなさい。「軽犯罪法」を犯して犯罪者であるなら、法律の中の「法王である憲法」を犯せば、大罪人ではないか。
大罪人が総理の地位に平然として在りうるのなら、法破壊活動を私民はゆるされるべきだという理屈になる。「分からない」のはこのことであり、総理の行動を、法に照らして憲法違反とした正式の判決ではないか。最高裁判所がだまっているのも解せない。
法廷で争う権利は小泉純一郎にも当然ある。下級裁判所の判決とはいえ、法の裁きにとにかくも謹慎の意を態度で示せと決めつけておく。
日本の民度の低さといえばそれまでで痛み入るが、どうも政治家の襟度の醜さや誠意の欠如ばかりが目立っている。「寝食を忘れて」解放に取り組んだは事実と思っておくが、それが政権への不安や、アメリカへの気兼ねからでなかったとも言えない、与党と小泉政府であることも明らか。総理は、イラク聖職者から、「小泉さん、あなたより遥かに熱心に有効に、私の方が日本人の命を守りましたよ」と、痛烈な皮肉をくらっている。実情がそうであろうことも明らかなようで、小泉首相、感謝状でも書いたら。
2004 4・16 31
* 青山緑雨 一昨日は津から名古屋へ出ましたの。わずかに昇る道の先、閑静な住宅街のなか、桑山美術館は、ありました。
幾種もの燈籠が印象的な庭を、秋になれば京ほどに紅く染まりそうな、小さな葉のもみじが、あおあお透す初夏のような光を浴びながら、歩む先に、茶室。
洋風の建物の二階にも茶室がしつらえてあります。屋上は展望テラスです。まるで別荘にお呼ばれしたよう。
展示は、栖鳳ほか、明治以降の水墨画で、落ち着いた声音で、奥から言少なに応えた受付の男性のほかは誰も居ず、しばし、夢のなか―。
* この落ち着いた目配りと語感のままに、もしなにか新たな物語がはじまれば、静かな別世界が創り出せるだろう。ここまでを書き出しに、滾々と場面や人影が動き出しそうな衝動を覚えなくはない。むかしむかしの私自身の文学世界が再現されるかもしれない。ただし「再現」に、わたしの興味は薄い。自己模倣こそはマンネリズムの同義語であるから。
2004 4・18 31
* そんなことを書いていたら、「こころ」絡みにこんな珍しいメールを受け取った。教室以来、久々の初便りである。こういうことが、まだ有るのだ、嬉しいではないか。
次の土曜には、べつの卒業生クンと日比谷辺で昼飯を喰う。その時に話題になるかも知れぬ事をと思って、今も「私語」していたのだった。
* 秦 先生 こんにちは、****です。
以前(といっても、もう10年くらい前になりますが)、先生の東工大での科目を履修し、漱石「こころ」、および「道草」などの三部作におけるレポートを書きました。そして、それについて大岡山商店街の鰻屋(現在はつぶれてしまっていますが)で、先生とおおいに議論しました。覚えていらっしゃらないかもしれませんが、私にとっては、よい思い出として、いまでも記憶しております。
先生のホームページを拝見させていただきました。と同時に、あのころのことを思い出しましたので、ついメールさせて頂きました。
あの頃、先生は私に熱く「こころ」の解釈を語って頂きました。当時の私は、「先生」の「私」への想いに関する先生の意見がどうしても納得がいきませんでした。「先生」が細君を残し、それを「私」に託したという考えです。いえ、託したというより、細君と「私」は自然に惹かれていたという解釈です。
しかし、時が過ぎて、私も結婚した今、それは許容される論ということが分かりました。また、その辺りの先生の話を聞きたいところです。では、今回はこれで失礼します。
2004 4・19 31
* 穀雨 何度か転校したわたくしは、すぐにお喋りする仲良しさんとは、深まりも長続きもせず終わることを、幾度も経験しています。
一度読んで「わかった」なンていえるようなジャンク本は、巷にごまんとあります。
秦さんのエッセィは、よく練られた濃茶を、黒あんと練り切りの上等な生菓子でいただいたように、理由はわからずとも魅力を感じ、ずっしりとして、アクがなく、あとあとなにか胸に残ります。
頭の痛くなるエッセィの内容を、小説でまた描いてくださることで、受け入れ易くなり、思考を導き援けてくださる両輪も、ありがたく存じます。今日は暦の「穀雨」の弁。
* そうなら、いいのですが。
* 早急のお返事ありがとうございました。
今でも、そんなに元東工大生との交流をおもちなんですか? 驚きました。
私は就職後、一年後に退職し、また学生生活に戻りました。現在は、東京大学の博士課程に在学しています。当時の専門は、機械でしたが、今は生物学を研究しています。不思議なもんです。
先生と、ぜひお話をしたいです。
暇は、いつでもつくれますので、ご都合のよろしいときに、お声をかけてください。よろしく、お願いします。
* この人には文学作品にもしっかり手をかける元気があり、研究分野の移動からも広やかな関心のハバやフカミが感じられる。新たなどんな議論がまた二人で展開出来るか、わたしも刺激されるだろう。幸い「私語」に耳をむけてくれているらしい、此処には世代を問わない「問題意識」の断片がころがっていると思う。その辺からの話題の交換を少し経ながら、久しぶりの再会がやがてあるだろう。
2004 4・20 31
* 滴凍翁 正木美術館の「千利休図」が、存命中に描かれたものとは存じませんでした。
しぶい茶道具のなかに、江戸の蒔絵棗や、仁清の茶入、屏風が華いだ風をたて、なかに、逸翁のうたが添えられた、口径7センチ程の碗が目をひきました。
「やはら可(か)き唇(くちびる)に似たる均窯(きんよう)の杯色(さかづきいろ)に五月晴(はれ)けり」。
一休のかなを初めてみました。室町時代の山水画のあちこちに小さく描かれている人物を探していくうち、リカちゃん人形で遊んだ頃を思い出しました。畳のお部屋でひとり向き合っていたい。「ただいま」と、画中の人に話しかけたい。 雀
2004 4・20 31
* 青山吹 柔らかな鴨脚樹の芽が、往く春の空いろを愛しく感じさせますが、いささか暑過ぎるようなここ数日。どうかおん身お大切に。
室生の龍穴神社と、室生寺の南門仏隆寺に参りました。真っ直ぐ本堂へと延びた、苔むす石段に桜の花びらが散り敷き、白と紫の藤が咲いています。
桜の古木。開祖入定所という石室。唐から持ち帰ったいわれの茶臼。ご本尊の十一面観世音。
あたりの景色も大和らしく、のんびりひろびろ。頭にも心にも、なにもないひとときを過ごしました。
* ご無沙汰しております。*****です。
早速メールいただき、ありがとうございました。毎日が慣れない赤ちゃんとの生活で、バタバタとしており、ご報告もさることながら、返信さえも遅れてしまい失礼いたしました。
先生からおめでとうの言葉をいただいて、とてもとても嬉しかったです。
予定日より二週間早い二月九日早朝に出産いたしました。 女の子です。
本当に痛かったのが二時間くらい、の超安産でした。陣痛の始まりから出産まで、すべて主人に一緒にいてもらうことが出来ました。「立ち会い出産」というより、一緒に産んだというほうが正しいくらいです。日曜日を選んで出てきてくれたのかもしれません。赤ちゃんに感謝です。
娘は、とても元気です。
最近は目を見てお話してくれるようになってきました。
なんだか何でも見通されているような感じで、こちらの背筋が伸びる気がします。
物の本に因れば、母親の笑顔が大切なのだそうで、二人の間に訪れてくれたことに感謝しつつ、笑顔をなるべく絶やさないようにしようと思っているところです。
主人はあやすのも、お風呂に入れるのもとっても上手です。
なんだか責任ある預かり物をしているようで、正直、手放しでかわいい! といえないところがあるのですが、二人で大事に育てて行きたいなあと思っています。
二人で、というのには、はばかられるくらい、既にたくさんの人の手を借りているのですが。。。
HPときどき見に行かせていただいていますが、先生、どうぞお身体お大切になさってくださいね。いい気候ですが、日によってかなり気温が違いますので。
それでは、またメールいたします。
* 東工大にいて、教室の頃から理想的なカップルと見え、理想的にゴールインし、理想的に仲良い家庭を堅実に造っている二人である。めでたい。嬉しい。
2004 4・21 31
* 仏隆寺 大和茶発祥の地、また、赤埴源蔵出自の地だそうですの。莚に展げたぜんまいを揉んでいた手を止め、本堂を案内してくださりながら、お寺の奥様は、「室生寺には?」とお訊きになりました。いいえ、これから、とお答えいたしますと、
「そうですか。私共もこれから参りますが、今日は二十一日ですから、きっと賑やかでよろしいですわ」。
長谷寺は牡丹、室生寺はしゃくなげの好時期。覚悟して行ったものの、参道も駐車場もさほどの混みようもなくて、ここでもまた、のォんびりしました。
* この読者のこういうメールが、私語の闇を彩るいわば「点綴・日本風景」になる。書き写しながら、遠い清い空気を吸わせてもらっている。東京が日本だと思いがちだが、その思い込みは危険すぎる。
2004 4・22 31
* 朝黎明 お早うございます。
「E-OLD歓談」のお誘いを心から嬉しく思います。
不思議なご縁で「闇に言い置く」のページと出会い、文学を見直して読むことの姿勢を、小説と作者の思索過程、若い世代の方々との交流、社会時評、歴史と文章を書くことの「深遠な体温」を感じさせていただいております。
京都・奈良・琵琶湖の話しも惹き付けられて読んでいます。
「酒」も好きです。
全集を読んだのは漱石と太宰治だけ、読書量は足元にもおよびませんが、「闇」の中で光る一字、一文章に、文学に命を掛けた方々の真摯な姿に、感動します。もしも、酒を傾けながら源氏物語、明治・大正文学の魅力などを肴にして過ごす時間がもてるなら、人生至福の時間です。嬉しいですね。話題にはこだわりませんが。
池袋、新宿、上野界隈へは絵画展その他で時々出かけます。絵画も「肴」になりますね。
「ささやかな会」はありがたく、ご都合に合わせて、場所はどこでも馳せ参上致します。
嬉しいメールであります。 神奈川川崎 E-OLD
* 千葉のE-おじさん、勝田さんと何度も逢って歓談してきた。川崎のこの方とは出会っていないが、「E-OLDの会」をもつには恰好のお仲間のように想っている。六十では若い、六十五歳前後からの「E-OLD」とときどき歓談できると、色気はともかく、人と時代の味は楽しめるのではなかろうか。勝田さんにも聴いてみなくては。
2004 4・23 31
* 列島の南西方面へ二泊のツアーでしたが、充分リフレッシュ出来ました。あさって頃には古稀せまり、ナンドキ、あれもこれも叶わなくなるかと想い、焦りも出るこの頃です。でも、元気。
今日、三歳下のわが妹は、京の稲荷山から東へ山越えに泉涌寺、清水に出て、将軍塚は敬遠(野犬が多く危険)して一旦国道へ出て、又山科へと山伝いに歩くそうです。京都ではこんな楽しみが簡単に出きるのですね。「布団」の上からの眺望は素晴らしいでしょう。チョット羨ましい。 淡路島
* 六月中頃に高校の同期会をするから帰ってこいと案内が来ていた。同期の桜たちもみなもう散り際かと想うといささか恐れ入る。
むかし見し桜の色ぞ恋しけれ いまも桜は花と咲けども 遠
* 新潟から車で一時間近く、瓢湖のほとりにある、娘の夫の実家に行ってまいりました。先週の土日のことです。自然というよりも、よく手入れされた池のような美しい湖に、白鳥は十羽ほどしか残っていませんでしたが、鴨のむつまじいカップルがたくさん遊んでいました。鴛鴦夫婦といいますが、鴨もいつも夫婦で行動するのだと知りました。
お母様の心づくしの手料理と、お父様のハンドルによる近くの山のドライブで、はちきれそうなおなかをした娘と私を歓待してくださいました。新緑と山桜がまぶたに残り、「やまびこ街道」と命名された五頭の山道の両側に立てられた句碑をみんなでにぎやかに批評しあったのも、よい思い出。 娘の夫の出張中の小旅行であり、娘の出産前の最後の旅行でした。
仕事は忙しく、また新たに開く施設を任せようと思っている若い人のリーダーシップ、人間関係に疑問を感じることがあり、頭を悩ませています。保育施設の現場監督は保育に情熱があり、まじめで、環境整備などもきちんとこなせることが大切と思って、今の施設の現場からその実績を買って選んだのですけれども、三十歳も年長の人に対して取り返しのつかぬほど失礼な言動をしてしまいました。年長の人は母の知人でもあるので、この週末は人間関係の調整をしなくてはなりません。互いに「コミュニケーションがとりにくかった」と言っていますし、年長の人は彼女と合わないので施設のアドバイザーを降りるといっています。年長の人は、あの人は直らないと言い切っているのですが、現状ではその若い人をリーダーにするしかなく、今後教育の必要があります。私はどちらも信頼していたのでこのミスマッチに悩んでいます・・・・。
私のことばかり書いてしまいました。お元気そうな様子は「湖」で拝見しています。お酒を程よく楽しまれよい日々を送られますよう。 神奈川県
* いまどき、企業を軌道にのせて拡大一途にあるというのは、独特の見識があるのだろう。ものを書くという志望までにはなかなかその遑もあるまい。繁盛の時は繁盛を堅く確保されればいいと思う。
2004 4・24 31
* 少し冷え冷えとする夕方五時のソニービル前で、建築家である卒業生君と会い、夕食し、九時までクラブで話し合った。同じだけ飲んだが、若い彼は眼もあかないほど酔ってしまい、わたしの方は、帰りの電車でもずうっとしゃんとして自作の校正を一段落させてしまった。彼はこの日頃酒が続いていたのだろう。
* 話は、元気なわたしが追究し、若い彼が応戦し防戦する展開であった、逆でないといけない。
建築家だから「建築」の話に彼の言葉が集まるのは、それで結構なようであるが、それが先ず気になった。
仕事の上の真面目そうな話題に限られて、多彩な話題が若い人の口から飛び出さないときは、視野狭窄と心気退行のおそれが、ある。面白かったことや、アッタマに来たことや、理解に苦しむことや、イラクや小泉や憲法やテロや、アメリカや北朝鮮や、思わぬ発見や驚きや、うまい店や、いい女や、美術やスポーツや、旅先の見聞や、お洒落や、体重や、視力や、まあ、なんでもかんでも、うわっと沸騰する世間や他人や自己への関心が有って、そして「建築」で、良いのではなかろうか。昔は彼はそういうタイプであったのに、そういうのが、とんと出ない。休火山のように、「建築」についての観念的な考えをぼそぼそと追っている。そういう話を会社の人ともしたいが、と言うが、真面目に、だがとても抽象的に建築的思考への姿勢がストレートに語られるだけでは、会社の中でも、あまりいい聴き手は居ないのではないか。直の仕事のハナシは、先ず以てあまり人を面白がらせない。話題として効果的でない。仮にそこへ行くにも「回路」がある。回路をたくさん持っていると、人間が面白くなる。そういう人や話題には、へえ、と思わせられる。感心したりする。
ちょっと心配なので、まず、ぶちかました。それから、かなり、つぎつぎとぶちかました。彼とは、教授室時代からそういう風に話し合ってきたから、ケンカにはならない。
* 挑発の議論にも及んだけれど、相手はおとなしく、気の毒になった。わたしはまた、遠慮しない。
* 日本の都市美をそこなっている、いろんなモノがあるだろうが、例えば大通りの「看板」の大氾濫を、建築家はどう考えいているのか、などと言い出す。彼は、都市美も町並も看板も、建築家の問題では「ない」と言う。与えられた地面・地所が建築家の場所だと言う。それだから困るんだよ、それだけのコトを設計図上で観れば、すてきな建物かも知れない、が、両隣やお向かいや町並みとのハーモニイが考慮外に置かれている。しかし、「そういうもの」だと言われると、乱杭歯のような大通り小通りがガチャガチャ出来ているのもムベなるかなと憮然とする。都市や集落に対する総合的な景観のフイロソフィーや社会的な構想への参加意識が、建築家から払底していては困るなあと、わたしは慨嘆する。あの看板のひどいことは、汚らしいことは、どうだろう。
そんなことでは、おそらく建築家たちは、たとえば話題の「道路」問題などに対しても、関心が無いのではと畳みかけると、もぐもぐ何か言いたいようだが、「道路は、要するに敷地外」で、建築家にはなにの権利も無いということらしい。それはそうであろうが、建築と道路とが切り離して存立出来ないことは明白だ。すりゃ、日本の大小の道路に関しても、建築家に、は問題意識や社会的な働きかけの意志が必要だぜ。政治的な紛糾などへもむしろ発言して行く責任や文化意志があってしかるべきやないのか、などと、センセイはムチャクチャ攻め立てる。ハハハ。
* ま、今日は刺激して奮い立たせようという戦略で出向いたのだが、過剰であったかも知れない、気の毒をした。またまた機会は何度もあろう。男の子達、少し世間に埋もれてお疲れ様である。
2004 4・24 31
* メールありがとうございます。そして、ご心配いただきましてありがとうございます。
体調が悪く、そのせいで気持ちも落ち込んでいる今のようなとき特に、心配してくださる方がいらっしゃることや、その励ましの言葉が心に染み入ります。
今まで病気に縁がなかったせいか、健康のありがたさをこれほど感じたことはありませんでした。これを機に、自分の健康を過信せず大事に暮らしていこうと思いました。秦先生がおっしゃるように、それが子供への愛情でもありますものね。
いつか秦先生にもうちの息子を見ていただきたい、と思います。そして、そのときには私も元気いっぱいで、秦先生といろいろなお話が出来たらと思っています。
またお会いできる日を楽しみに・・・。先生もお体にはくれぐれもお気をつけください。
* 健康の申し子のような人だった。ショックも大きかったと思う。本格に回復し、そして坊やの未来をよく見極めて「戦争」や「徴兵」に暴走しかねない世の中へもちまえの聡い精神を活躍させてほしい。むろん、国は断然守らねばならない、平和憲法もそれを放棄などしていない。しかし政権という名の「私された公」の利益や保身のために「私」が無道な危険に売り渡されることには、頑強に抵抗し、そういう「公」ではない、明白に「私」たちの為に奉仕する「公」へと、迅速に首をすげかえるべきだ。その手段は民主主義の国では何より「選挙」なのだと心得、子供達にもその意義をしっかり教えて欲しい。みんなが「俺の知ったことか」と言ううちに、どんな「俺」たちも例外なくドツボにはまる。
2004 4・25 31
* どうもありがとうございました。 昨日はいつにも増して厳しい話題が多く、こちらも自分で考えて一段落させた思いがあった分だけ、逆に何を反論することができようか、と一言も口にできなかったような状態でした。
酔っていたわけではありませんよ。
先生の話から、さて自分は何をできるか、と、ぐぅーっと考えさせられていたのです。そして反論するエネルギーがない自分を悔しく思っていました。
先生の言われたことは、私もこの二ヶ月間くらい自分の中で反芻し、自分がどうしたいか、自分がどのように相手に見られたいか、どういう関係を作りたいのか、ということを考えてきました。
結論は、自分にとって大切なことを大切なまま感じ取れるように、自分を持っていこう、ということです。
今も含めてこの数年間は、自分に与えられた仕事を、期待以上に応えていくことだけで精一杯でした。与えられた仕事へのベストな回答を出すことのみに集中していたとも言えるかもしれません。
しかし、その回答を出すために考えなければならない条件を減らしていたのではないか、と思います。より教養といいますか、自分のどこかに沈殿するような知識を得ることをせずに、目の前に見えるある事象の見え掛りから、そのことを判断し、スピーディに解決するという一見、合理的なやりかたに、満足していたのかもしれません。
今は、先生の言葉に反論するすべがありません。
しかし、本来の自分といいますか、楽しい自分をちゃんと作りますよ。
いえ、作り始めました。
先日、他のヒトにも同じようなアドヴァイスをいただきました。そういう人生のタイミングなのだと思います。社会に出てがむしゃらにやってきて、ふっと我に返るようなタイミングとでもいいましょうか。まだまだ5年で早すぎるとは思いますが、早いも遅いも関係なく、そういう機会があればそこで方向変換もいいかな、と思います。
考えていなかったことを考え、考えすぎていたことをスパッと捨てる、そういうことから、考えないで、感じる自分の内側を表にしたいな、などと考えてます。
今後ともよろしくお願いします。
* 大学や大学院を出て社会に身を投じ、三十になり三十過ぎてきた人の苦渋がにじみ出た、なおまた混迷、そして当分はのがれうべくもない混迷の渦の中からの精一杯のアイサツである。身に受けて痛くて堪らない同窓生、少なくあるまい。「かなふはよし、かなひたがるはあしし」と云うまでもなく、「自分がどうしたいか、自分がどのように相手に見られたいか、どういう関係を作りたいのか、ということを考えてきました」という述懐の中には、「かなひたがる」しか生きて行けない世間の苦しさが、にじみ出ている。しかも、「考えていなかったことを考え、考えすぎていたことをスパッと捨てる、そういうことから、考えないで、感じる自分の内側を表にしたい」と彼は「かなふ」姿勢を模索している。思わず目頭が熱くなった。のびのびと行くように。そういってあげるしか無いのだ、わたし自身があぷあぷしてるのだもの。
彼に限らない。いつでも会いましょう、話し合いましょう。
2004 4・25 31
* 「新」三年生 ごぶさたしています。講義がはじまって二週間というところです。
新学期、新学年、新入生。今の時期、大学はみんな「新」がくっついて、なにかとにぎやかです。GWを過ぎると落ち着くでしょうが。
三年生になっても「新」はやっぱり「新」です。講義は何をとろう、そっちのゼミはどんな感じだ、午後は休講だから遊びにいくぞ。もともと陽気な仲間たちですが、陽気がいくらか割り増しになっているようです。
刑法のゼミに所属しています。春から夏にかけて、このゼミでは必ず模擬裁判を開きます。検察、弁護士、裁判官、それぞれ班を組んで役割を担います。被疑者や傍聴人の役もあります。
ちなみに僕は被疑者の役。交差点で小学生二人をはねて死なせてしまった運転手になります。
この模擬裁判は、従来の「過失致死」と新しく設けられた「危険運転致死」の問題に挑むことをテーマとしています。
「危険運転致死」は、飲酒運転やあからさまな信号無視を「過失」以上に罰する規定です。「過失致死」より量刑は重く、当然より厳しい判断基準の求められる概念です。
実務では、「危険運転致死・傷害罪」の起訴に対する弁護手段がまだまだ開拓されていないという問題があります。どのように弁護を展開させたらよいか。おもしろくなりそうです。
福岡県の最も西に位置する糸島半島は、海岸のきれいなことで有名です。昨日、仲間たちとバイクで一周してきました。
以前、海より山に惹かれている、と書きましたね。あれは撤回します。海と山、どちらも僕を惹きつけてくれます。
この糸島半島、土地自体はほとんどが小高い山の連なりです。いきなり崖、そして海。整った海水浴場もありますが、砂ひとつないまさに「海岸」がほとんどです。左手に山、右手に海。走るには極上のコースでした。
友達とも驚き合ったのですが、20kmほどをまったくとまらずバイクで走り続けるということは、市街地ならかなりくたびれてしまう行程です。往復で100km少々でしたが、思ったほど疲れはありませんでした。文字通り、「快適」でした。
バイクに乗る人たちは、「ツーリング(=touring)」という言葉をよく用います。広島までバイクで帰省したとか、12時間かけて京都まで行ったとか、なるほど、立派な「旅」です。僕自身は本格的な「ツーリング」の経験はありませんが、昨日は「旅に出る」という感覚に、少し触れた気がしました。
ここ二ヶ月ほど、「片想い」に悩んでいます。
簡単に言えば、恋人のいる女性に恋をしてしまいました。よくある話です。しかし、なかなか。
好きな人に想いの届かなかったことは、何度か経験しています。しかし、想いは届かないとわかっていて好きになったことは、一度もありませんでした。
彼女は僕を友達と思っていて、自然に親しみを寄せてくれています。僕が彼女に気持ちを打ち明けたら、彼女は驚き、戸惑うでしょう。僕に対して自然な親しみを持てなくなるでしょう。何より、彼女は苦しむでしょう。
僕の悩みは、この「きっと彼女は苦しむだろう」の一点にあります。気持ちを隠し通すのは、僕がつらい。しかし、打ち明けてしまったら、彼女がつらい。
これまで、大した恋はしてこなかったようです。この恋は手ごわいぞ…
気温が急に上がったり、また下がったり。陽射しはすっかり春なのに、思ったより厄介な四月ですね。
先々週くらいに少し風邪をひいてしまいました。負けるものかと普通に暮らしていたら、いつのまにか治りました。男は風邪をひくな。僕もそう思います。
秦さん、風邪に限らず、お身体を大切にしてください。書き続けてきた長編創作、読める日を楽しみに待っています。
それでは、迪子さんともども、どうかお元気で。
* 嬉しくて、また春愁少し悩ましきメール。恋の神よ、この生き生きとした好青年を、優しく鍛えたまえ。ついでに、こちらの老境をも鼓舞したまえと縋ってみるか。
2004 4。25 31
* ウキウキするメールでも来ていれば煙草代わりリラックスも出来ようが、生憎と、用事のものの他、企業から顧客の皆様へといった、麗しいお言葉ばかり。
中に、就職運動中の殆ど何も識らない大学生からの相談があっても、生憎わたしに「就職のお世話」は出来ない、力がない。希望している方面もわたしの関わってきた人生とはよほど異なっている。
2004 4・27 31
* もう大丈夫です。 案じてくださいまして、ありがとうございます。
一日中パソコンに向かう仕事特有の疲労が溜まっているのだと思います。キーボードよりマウスを使うことの多い仕事でして、最近は、右手が鋭く痺れて、いうことをきかなくなるときがあります。姿勢や手首の角度など、体に負担の少ないようにやっているつもりでも、疲労は蓄積されてしまうのでしょう。
ま、だましだまし、やっていくしかありませんね。
他人事ではありませんよ。お仕事、ほどほどになさってくださいね、ほんとに。
客観的に見たら、具体的な不安のあっていい状況下にわたしはいるのですが、それは皆無と言っていいほど、落ち着いています。お陰かな。
静かに。いつもそう仰います。
わたしも、斯くありたい。
手許にある湖の本を、好きなときに開いて、好きなところを繰り返し読んで、うーん、と考えたり、あれ、こんなこと書いてあった、と発見したりしてます。
寂しくて、烈しくて、厳しくて、やさしい横顔を見る気がいたします。
* メールならではの自然発生の、無意識に出ている恋文である。自然に気持ちよく書けている。厚かましいかもしれないが、そのように読んでいる。おそらく便箋にむかいペンを持ってではこう書けないことを、メールは自然に書かせてしまう。ファンレターだと思うのはたぶん寧ろ間違い。或る意味深い自己愛の表現なのであろう、自分で自分を癒しているのである、自然に。自身の日々と、思いとを。そのためにわたしの本や作品などが少し役立っているなら、それも嬉しい。
手もふれあえない遥か地方の読者。休暇もろくにとれない忙しい小さなコンピュータ会社づとめに勤しんで体調を損じていた人。こういう「恋文」には流露の効能がある。流露するもの、それが貴重だ。銀行やホテルからくるご挨拶とはべつものである。
* メールの交換を通じて擬似恋愛を進行させ続け、それが自ずから一編の創作された恋愛小説になって行かないものでしょうかと、相談ではないが、示唆した人もいた。大分以前だ。必ずこういうことを思いつく人がいて、それどころか実践している人たちも、世間に少なく有るまい。携帯電話のメールが写真入りでこんなに蔓延し氾濫している社会現象が、この示唆または思いつきに「場」のあることを示している。それらしい擬似作品が、広い世間にはもう出ているにちがいない。或る意味の精神的衰弱現象。或る意味で先進時代のさらなる先取りも可能な現象。ただ作品が成されるためには、烈火の如き才能が先行しなければダメだ。さもない限り、オリジナルは不可能である。
2004 4・27 31
* ごぶさたしております。 千葉 E-OLD
二三日前、佐渡の「鼓童」という太鼓を叩く人たちと「玉三郎」演出で公演を創って行く過程と舞台を、テレビで見せてくれました。玉三郎ってぇのはやっぱりすげぇやと益々好きになりました。
も少し前、京舞の「井上八千代」(先代の)も見ました。飛び上がるような迫力のある五十代の頃の舞姿に感動しました。テレビのおかげです。
電子文藝館の「厨川白村:小泉(八雲)先生-ラフカディオ・ヘルン」いいですね。講義をしたヘルンも偉いけど、それを書き写して世に出した当時の学生さん達も偉い! と思いました。
ほんとは、世の中で起きていること、身の廻りで起きていることに腹が立ってもどうにもならず、やり切れない気持ちです。『なんじゃい!』とも言ってみるのですが。
またお逢いしたいですね。とろいおじさんも「賛成」です。
背の高い木の上で藤が揺れています。田圃に水が入りました。春が過ぎて行きます。天候不順くれぐれもお大切に。
* E-0LDの会が出来そうだ! 還暦すぎてパソコンを愛している美女を一人か二人捜し出そうかな、お仲間に。美女とは美人の意味ではない。精神の豊かな人。
* 吐きけのする仕事なんぞすぐやめてしまいなさい、と、云ってくる人がある。はいと答えるのはたやすいが。日付もとうに変わったし、春の嵐はまだ鳴動しているし。眼はじんじん痛むし。なんだか、シャクだ。階下で「マトリックス・レボリューションズ」でも見て、夜更かしを楽しむか。昼間に抜いたフランスワインの白がのこしてある。そうだとも!
2004 7・27 31
* メールを書いていたら、メールが来ました!
数日器械に触らない日が過ぎて、とても久しぶりの感じで画面を見ています。連休を前にして、と言っても混雑するところにわざわざ出かけないだろうと・・なにも格別変わらない休日が始まりそうです。
山独活、こごみ、ぜんまい、たけのこ、鯛やほたるいか・・ささやかな喜び。もっともひたすら料理しなければなりませんが。
春の嵐の後の今朝もまだ風が強く、庭の藤の花がしきりに散り始めました。先週既に牡丹の花は盛りでした。季節がやや早くめぐっています。
この世のさまざまなことを見続け考え、我が日常に思いをいたし・・ため息がでます。
以下はHPに書かれたことへの共感もこめた、少々の異議ある感想です。
> 「あの更級日記の著者が少女の頃に源氏物語に恋いこがれ、ことに浮舟に憧れて后の位よりも浮舟のようでありたいとかき口説いていたとき、高校生であったわたしは、この一点に限り著者の気持ちを承け引くことができなかった。いぶかしかった。わたしには、浮舟のようにたよりなく薫と匂との間にただよい宇治に身を投げたがるな女は好きになれなかった。」
更級日記の菅原孝標の女が少女だったからこそ、恋に恋して二人の貴公子から愛される状況に恋し憧れたのではないでしょうか。万葉集にもありましたね、二人の男から愛されて自分は池に身を投げた乙女が。身を投げたがるのではなく身を投げるしかなかった・・その弱さ、愚かさを否定はいたしませんが。決してしあわせとか賢明とか聡明いうのでなく、揺れ動く、そのロマンに少女は、いえ女は現実にはなかなか在り得ないからこそ憧れるのでしょう。繰り返し愚かさ云々は言いません、人間の感情はいかようにも。
> 「むろん、この紫のゆかりの中で忘れがたい一人は、藤壺である。光源氏の義母であり光源氏との仲に冷泉天皇を生んでいる。源氏が女として真に理想的に愛したのはこの藤壷であり、そのことはしかし二人の賢さと強さとで秘め隠された。だが紫上が藤壺の姪で生き写しであった意味はあまりに深い。紫上が源氏の妻になり、そして望んでそこへ戻って死んだのは、二条院。即ち生母桐壺の実家であり、源氏が此の邸でこそ「思ふやうならむひと」つまり義母藤壺とともに暮らしたいと渇望した邸であった。紫上は此の邸を「わが子」かのように最も愛した匂宮に遺し与え、匂宮は此処へわが子の生母中君を迎えているのである。
藤壷は意志と愛との女人であった。また忘れがたい物語中の最高位置をしめたヒロインの一人であった。
「マトリックス」のトリニティーを見ているとき、わたしは藤壷と紫上と中君との三位一体の聖母像を感じることがある。わたしのわたしらしい放恣な想像であるが。
藤壺は幸せだったか、この問いにわたしの答えは断じてノー、です。実らぬ恋というとき、片思いは別として、現代では結婚するかどうかが実る実らぬを分かつメルクマールになるのでしょうが・・藤壺は本当に最初から源氏を愛していたのでしょうか? 男女の愛を願っていたでしょうか? 源氏の片恋・・そして突然の思いもかけなかった訪れ。
確かに藤壺は意思と愛の女人でした。その意思は、秘密を隠し通さねばならない、つらく厳しい意思でした。愛があればあるだけいっそう耐え難い、しかし毅然と生きなければならない愛でした。咎められ貶められることを絶対に避けなければ我が子は世継ぎの皇子の座を蹴落とされるでしょう。見方によっては穢れた、烈しい裏切りの、卑屈の愛でさえありました。どんなに源氏にとっての理想の女であっても、彼女自身は一日たりと安穏に時を送ることはなかったでしょう。源氏の、或いは男の身勝手な愛・・と、つい書いてしまいたくなるのです。それでも尚それだからこそ藤壺は悲しみの聖母になり、最高のヒロインでありました。
先日、昭和五四年七月号の「太陽」京の茶室を見ていました。懐かしい「余霞楼」が掲載されている・・その目次のあなたの写真に初めて気づいたのです・・目次のページを開くことはめったにありませんので。「なかなかの出不精」とあって、「(各駅停車で)指宿まで行くつもりが(我慢成らず)熊本で下車・・何処も見物せずに(銭湯に飛び込んだだけで)すぐまた京都行き列車に飛び乗った。」と紹介されていました。出不精は変わりませんね。年月が加わったのだからいっそう出無精、ですね。
* 更級日記をともだちと三人で輪読し始めたのは高校二年だった。「高校二年の少年」が、孝標女の少女心に理解を示して「浮舟」というかなり頼り無い女性に愛顧の一票を投じる気がしなかったのは、自然だろうと思う。今のわたしの評価ではないと一応ことわっておくが、今も少年の心はそうは失っていないと思う。いまから恋もし、いつか家庭をもとうという高校少年である、出逢う女が浮舟のようにゆらゆらでは叶わないと思っていた。だから反対に桐壺、紫上、中君ないしは明石上や玉鬘のような、聡明で愛も豊かでシッカリした女人を年少の読者として愛し、葵も六条御息所も、その余の女達も、二の次とわたしは思っていた。孝標女が少女らしいのなら、女らしいのなら、わたしはかなり音なの聡さに対して求めるところ多き少年らしかったのではないか。
では、と、なる。次の項にも出てくるのだが、では光源氏は理想的な男なのと反撃が来る。いつもそうだ。
谷崎潤一郎は「光源氏嫌い」だと晩年に書いている。どの辺まで本音だったろう。谷崎ほどは云わないが、わたしも源氏を批判し非難できる。
では嫌いか。嫌いではない。理想か。理想でないことは、ない。伊勢物語に仮託された在原業平ないし昔男は好色の男の代表のようであるが、よく読んでいると、業平は女に対して無道であったことは殆どゼロである。紫式部がこの伊勢の昔男を光源氏造型一の理想的な下敷きにしていたことは、充分考えられ容認できる。但しリアルな小説世界に生きた光源氏は、歌物語の伊勢の昔男ほどには無難には行っていない、達していない、至らぬ隈々も数々見受けられる難儀な男性ではあるが、多くの場合、男と女との一対一の絶景において想像すると、出逢いにこそ無残な力が使われたことも想像せざるを得ないけれど、男女の双方に酌量されていい愛と配慮とは、思ったよりよく行われている。源氏は棄ててはならぬ女をまず棄てていない。わたしは、谷崎ほど光源氏が嫌いではないのである。
まして、わたしのように現代語訳での少年時の初読みこのかた、「物語の主筋」を、「母に死なれた子が母に似た人を愛して生涯を遂げた物語」と思っている者には、共感は、たいへん深い。共感させるそれは人格である。「半神的な人格の魅力」が、多くの女を惹きつけたと結果的には読める物語として、紫式部は充分書ききっていて、朝顔の宮のような源氏拒絶に、必ずしも強い快哉などは示していない。作者は聡明で安定した女を他の誰それよりも美しく書いている。少年のわたしはそれに賛成だった。「浮舟」はことに危なっかしい女と映じた、少し酷な物言いだとは今は思っているけれど。
* さて「藤壺中宮=薄雲女院」を「幸と不幸」というはかりではかるのは、少し見当が違うと思う。同じ球技だからと、ピンポンと野球との技術を比較検討するような次元の違うことになる。それに人は概して不幸でも幸福でもあり、その面では縄を綯うような存在である。
なにより藤壷の物語に於ける絶対使命は、「王権」の天子に、光源氏(と)の子を即位させることにあった。「王朝」の女の私的な恋の幸福よりも、「王権の地位を確保し実現するのが幸福たる最大の証」であり、それを「恋人光源氏と力を協せて成し遂げたことが最高の幸福」であった。輝く日の宮、若く魅力的な女人藤壺が、桐壺帝よりも遥かに若々しく美しく才能にも神秘にも恵まれたたんなる源氏の継子を「男としても」深く高く評価していたのはむろんであり、しかし、それとても王権の神秘を一致の意志により「二人して確保」した幸福とは、この時代として、他とは比較にもならぬ重大事だった。現代ではない。それぐらいの覚悟と認識は生きていた。それほどにも藤原系王権に対する皇(宮)系王家の王権奪回と確保には、時代の底意が働いていた。紫式部は終始其処を批評していたと思われる、それが「源氏物語作意の最大のもの」だったとすら読める。
だから光源氏や紫上の二条院も六条院も、「王権の拠点」としてものすごく深く意識され機能していたのである。その要の位置にじつは藤壺の「愛と意志」が働きかけていた。わたしはそうこの物語を読むわけで、彼女を女としてすら不幸であったなどとは考えない。藤壷は「比類なき幸福をこそ隠した」のである。余りに重大に幸福であったからである。世間は藤壺を「幸い人」とは云わなかった、逆にその一事からも、いかに「隠し通された幸福が大きかった」かが、分かる。ちがいますかね。
「幸い人」と物語の中で名指しで呼ばれた二人のチャンピオンは、「紫上」と「宇治中君」とであり、もう一人は「明石尼君」である。この三人の幸せとても、やはり非藤原氏からの王権の奪回や確保を根深い下敷きにした「幸い」なのであった。宇治十帖での、藤原系夕霧と薫との、光系匂宮に比して何ともいえずくすんでいる在りようも、むべなるかなと思わせる。
* はい、これが「少々の異議」への補足説明であります。呵々。ありがたい嬉しいメールであった。どなたか、さらに闇の彼方から、新たな「異議」のもたらされることを楽しみに望みたい。
* 風吹く夕方に。 「補足説明」を読んで、思ったままに書きました。見当違いばかりでしょうが読み過ごしてください。
絶対の使命、と言われてはもう反論の余地などないのですけれど、藤原系王権からの皇系王家の王権奪回・・それこそが物語全体を貫くテーマ、これは以前から理解していました。
二人の絶対使命、作者が、源氏、藤壺二人に課した絶対使命ですね。
ただし、殊に藤壺個人の意識の中では、絶対の使命と居直るわけにはいかなかったでしょう。あくまで二人の愛の形見の子を育てること、しかし「罪の意識」の方が強かったと思います。「比類なき幸福をこそ隠したのだ」と書かれていますが、わたしにはまだ理解できません。
藤壺は女として、「罪」によって身ごもった子を、その胎に孕んだ時間をどう紡ぎ、どう思い続けたか、男性には理解できない部分があると思います。生まれた子が源氏に生き写しと言われ、どれほど胸苦しく薄氷を踏みしめる思いを感じ続けたか・・やはり単純に幸せだとは思えません。苦しみの方が大きかったでしょう。・・単純な幸福ではないのですよ、比類なき幸福なのですよ、と繰り返しおっしゃる声がします。
少なくとも「公明正大」な人たちの幸せから吹き飛ばされたところで、本心は誰にも明かせず、悩みを秘し続けなければならなかっでしょう。源氏もそうでした。「比類なき幸福」という覚悟した苦悩と絶対の使命ゆえに、決定的に結ばれた二人だったのでしょうか。
その意味でも比類なき幸福・・なのですね?
輝く日の宮・藤壺は世の人の目からみた輝かしさの中だけでなく、二人の領域で闇を抱いたからこそ、いっそう源氏にとって輝く日の宮なのでしょうか。
「幸い人」たちの幸いは世の中に明らかにされ、場所を、位置、地位を得たものです。
隠された愛や意思には、付きまとう「寒さ」があります。これは現代とて同じ。現代の方がいっそう一夫一婦制のもとに形式上では厳しいものです。いとも簡単に不倫と言われますから。婚姻制度そのものへの問いかけになってしまいます。ただしそれは源氏物語について書き始めたことからはまた違った方向の問題意識ですし、それに物語で作者が書きたかったこととは恐らく全く次元が異なる問題なのでしょう。
* 先の「補足」の際に、わたしは意識して、「半神的な人格の魅力」と書き、「神秘」という言葉もあえて二度三度つかった。これがメールでいわれている「罪」の意識に関わってくる。
「光る君」と頌えられた源氏と、「輝く日の宮」と頌えられている藤壺とは、物語の構想上も、神話の元始の神々が、たとえば、いざなき・いざなみがそうであったように、「対」構図の男女になっている。源氏物語の原構想に「輝く日の宮」巻が予定されていたと云われる所以であり、この二人は、そして藤壺中宮は、紫上や明石上や宇治中君のような普通の人間の女を超えた存在として、物語の「動機」自体の中で要請されている。一つには、藤壷という人は、桐壺更衣が自身の死に代えて後宮へ呼び寄せた、しかも桐壺に生き写しの高貴の女人であり、源氏には生母ではない継母・義母であった。これは意味深い。藤壺は子への母の愛とともに、母に本来内在する息子への女としての愛をも桐壺から引き受けていた。花の色から「紫のゆかり」といわれる所以であり、二人は太い強い線で直結している。そういう二人の女のバトンタッチを必然の可能にしたのが、夫であり父である桐壺帝の、やむにやまれぬ桐壺更衣への強烈な愛欲であったことは、桐壺の巻にしっかり書き込まれてある。よく読み取れる。
* したがって、源氏と藤壺の「罪」の意識は、半分の人間としては「心理的に」悩ましくも苦しいものであったけれど、神秘の世界に半身を根ざしている半分の「神的意識」においては、常識を遥かに超えた罪障への対処がありえたし、それが直に「王権」の神秘とも膚接し得た、と、わたしは考えている。
一つの顕著なあらわれとして、普通の心理的人間としては二人の男女とも再三冷や汗をかいて「罪」をおそれているけれど、不思議なほどそれが最も口うるさい宮廷社会でほぼ全く表面化しない。隠してもバレる世間である、宮廷も都も。ところが、けろりとして誰も咎めていない、噂にもなっていない。これは面白い事実である。
須磨明石への流謫すらも、この「罪」によるものではなかった。それどころか、問題のさなかに在った桐壺帝自身が、妻藤壺をも子の源氏をも、生前と死後にあって一度も二人を罪人として咎めていない。この事実は、じつに雄弁なのである。
物語の動機としては、父帝にこそ子の源氏に対し生母更衣を「横死」せしめた負担があり、それを「補償」するために、藤壺入内の後にも光君と后との接近を、公然と許していた。須磨や明石で、亡き帝が不思議を示して窘めたのは、むしろ罪もなげな宮廷の天子朱雀帝に対してであった。
こういう基底のレベルでの「物語意志」を読み取らないと、大きな前提や構想を見落としてしまう。つまり光君と藤壺とのことを、「人間の世間」レベルでのただの男女の「不倫」「罪」「苦悩」「不幸」などでだけ解釈してしまうのは、二人の関わりを、単に心理的な日常的な恋愛や情交のレベルへ押し落として受け取ることになってしまう。あまりに常識、それも今日的な常識や良識で割り切ってしまうことになる。むしろ、そんな方面は、深い宿世の道理や衝動や運命の前では、少なくも此の二人に関して云うと、「薄すぎる」のである。「王権の行方」をめぐって父帝と母后=理想の恋人と源氏とに「神秘の契約」が交わされたかのように、物語はあたかも進んだのである。
もとより後の女三宮事件は、この「罪」へ下された「罰」と読む説が在ったには相違ない。わたしは、だが、あまりそんなことは考えてこなかった。むしろ藤原系の朱雀帝とその愛娘三の宮に、藤原嫡系の柏木と不倫させることで、「皇系源氏と藤原系との対立」構図を、その以後にも鮮明に新たに提示したのだと読んでいる。それが宇治十帖での「薫大将と匂兵部卿との象徴的な対立構図」になって、物語はさらにドラマチックに盛り上がる。
紫式部は、おそらく彼女が愛しつつ描いた「紫のゆかり」の女たちや、明石上らに、いわゆる「不倫」をさせていない。光源氏の多情好色の恋を作者はやんわりと非難はしつつも、それが不倫だという方面からは指弾していない。これは、何を意味しているのだろう。いわば源氏永遠の「理想の女人藤壺」にだけ、今日でいう不倫を行わせた。それは男源氏が暴力的に藤壺をレイプしたのだといった言い訳を、そもそもの最初から「まるで無用」にしている物語の構想や要請があったのであろう、と、わたしは考えている。
それについて、上のように、わたしはさらに「補足説明」を重ねてみたのである。現代との直の類推は大方の人物には利くけれど、光源氏と藤壺と、もう一人光直系の物語世界の相続人である匂宮とには、あまり短絡使用しない方が穏当であろうと思う。
2004 4・28 31
* 連休初日 ゴミ捨てに外へ。期待の宿根の赤い花が一輪咲いていました。ただ水をやるだけなのに、けなげで、好き。
気温、湿度低めの皐月晴れ、この一週間は例年どおりに混雑する外への予定はゼロ。
その昔は、市井のおじさん達とは一線を引いて「別」視していた政治家と先生。多分その昔はそうであったと思う。政治家は国の為、先生は生徒の為に尽くす人と。
何時からこんなに様変りをしたの。
少し前の新聞に、塾のテストで、リンカーンのあの言葉を、「自民の自民による自民の為の政治」と書いたわが子は勿論×をもらったが・・・というお父さんの投書を読んで、その中学生に拍手したことがありました。当然、わざともじってのことに違いなく。
この度の年金不払いの件は、自民を問わずのもぐら叩きの有様で、この言葉、おなじ穴の「狢政治屋の狢政治屋による狢政治屋同士の為の強欲狢政治」と云い変えたい。お前あれ一人で食べてしもたやろ、いや食べてへんでの仲の悪い(仲のいい?)兄弟喧嘩の類いをみているようで、あほらしやの鐘が鳴ります、キン、ケン。カン(金権漢)。
* 京都のおばあさんの怒りがドカンと来た。「あほらしやの鐘が鳴る」というのは、今は知らないが、子供の頃に子供同士でも捨て台詞にしていた。鐘の鳴る丘 という菊田一夫のラジオ劇から来ているのかどうか知らないが。
2004 4・29 31
* みどりの日、爽やかなよいお天気でした。
主人と二人、東山の方を歩いてきました。東福寺の広さと壮大な建築に目をみはり、人影も少ない通天橋からのもみじの新緑を堪能しました。秋の紅葉がすばらしいだろうと思えど、この橋が人で身動きできないくらいになると聞くと、二の足を踏んでしまいます。
みてら泉涌寺、山懐に抱かれた静かなたたずまいのお寺ですね。京都に生まれ育ちながら、まだまだ行っていないところが多々です。
今熊野観音寺で御朱印をいただき、三十三間堂まで足をのばしました。
ゴールデンウィーク、我が家は暦どおりの休みですが、人と車の混雑を思うと出かけるのが億劫になります。
写真、届きましたでしょうか、なにしろPC操作の覚えが悪いもので。昨年の秋の次女の娘の七五三の時のです。
右端の洋服が私、次女夫婦と三才の彩、六才の太郎、和服の方は次女のお姑さん、趣味の多彩な京美人です。
こんなたあいのないメールご迷惑かと思案しつつ、まあ、たまにはいいのではと勝手に判断してエイャ~と送ります。 従妹
* 洋服の従妹を写真で見ると、若く、わたしより十あまり下に見える。そんなはずはないのだが。幼い日の面影がかすかに記憶にある。次女が、母親より背のすらりと高い和服姿で清潔な表情をしている。二人の子の親とは見えない。七五三か。なんとなく、親類からのこういうアプローチが物珍しい。へえと思い眺めていた。
ご主人と東福寺や泉涌寺や観音寺というのが心嬉しい。せっかくだから即成院の阿弥陀さんや戒光寺のお釈迦さんを拝んで行かれると好かった。
2004 4・29 31
* 今日は友人の家へ行きまして、可愛い可愛い赤ちゃんに会ってきました。
長い睫毛がくるんとカールしていて、おしゃぶりをくわえています。人見知りしないので、ほんとうに可愛いです。
あたたかい気持で帰ってきました。
夜の空気はひんやりしています。東京は、もう少し暖かいのでしょうか。
* 優しい気持ちになってのメールだとよく感じ取れる。「優しい気持ちになるんです」という美しい言葉を、いつだったか、だれからであったか、ずいぶん昔、もう二十年ほども昔に聴いて、胸を打たれたことがある。だいじなことではなかろうか。優しい気持ちにして上げることは容易でないし、望んですることではない、それでは、かなひたがる。しかし優しい気持ちにしてくれる人は尊い。
2004 4・29 31
* 朝刊にこんな句がありました。
のっそりと猫ゆきしあと椿落つ
このところ朝の冷えがきつく。ご自愛を。いつもの体調低下に加えて風邪。一週間寝たり起きたり、のっそりと過ごし、「猿の遠景」を読んでいます。
さきごろ三箇所巡った美術館のひとつは、頴川美術館。20日発売の切手、森狙仙「雨中桜五匹猿図」の原画を見たくて。
「『婦女遊洛図屏風』はよかった。けど、大和文華館でいちばんよかったのは、中庭の筍。はい、お土産」と笑いながら、主人は、気に入りの店の“三笠の山”をのっそりしている雀に手渡してくれました。
* 椿だけは、「散り椿」が珍しがられるほど、散るよりは「落ちる」花だ。耳に落ちる音ものこっていそうに想われる。
落ちざまに虻を伏せたる椿哉 という誰だかの句はつくりすぎていると思うが、落ちる椿の音に印象を得たのは漱石の「草枕」であった。「草枕」は題がよく、小説としてもオリジナルの香りがする。高浜虚子が小説家として認められたのにも「草枕」の感化はおおきかった。
2004 4・30 31
* ルンペンさん? より
東京ブラリ、原稿ゲラを外で校正されるのを楽しまれている様子が目に浮かびます。
いつの間にか、わたしはルンペンさんになってしまいましたね。おっかさんは目下かなり休業中、連休も子供たちは戻ってきません。おくさんは最低限、低空飛行でしょうか? ルンペンさんといっても本当のルンペン、漂泊者になれないことが徹底しない弱さ・・まあ、そこまでい「いじめないで」下さいな。昨日は深い赤の薔薇の木を買って幸せでした。
むくれているかと懸念? された理由はなんでしたろうか・・? わたしの感想に対して書かれた事柄を読んでわたしがむくれたと思われたのでしょうか? むくれていませんよ、HPを読んだ後も。
むくれようがないのです。それどころか感謝ですね。わたしの愚かな浅い読みにこれだけ答えてもらえたのですから。嬉しいです。
源氏物語の世界の必然を現代の一人の女がどのように解釈しても、それはそれ、不足な解釈に終始するしかないのは、もう分かりきったことで・・仕方がないから我流の解釈、現代の自分たちにひきつけて理解していくしかないから。女たちは源氏を読みながら皇統継承の必然を考えるより先に、源氏に係わった同性の女たちの人生をわが身に引き寄せて喜び悲しんで、生き方の一つの指針としているのが大方ではないでしょうか。源氏という古典から精一杯汲み取りたいことは同じですけれど。
若い日にはただ浮舟が匂宮に宇治の川船に乗せられていくロマンチックな逢瀬の情景を夢見たかもしれない、紫が源氏と初めて契りをもった翌朝のことを想像しながら顔赤らめたかもしれない・・そして中年、老年と歳を重ねていけば自然にまた違った読み方を見出していきます。
源氏と藤壺との間に関しては深い宿世、神秘の契約とあらためて姿勢もあらたに考えてみたいと思います。・・源氏は女と契りを結ぼうとする時、嫌な言い方をすれば女をレイプする時、前世からの縁、宿世などという言葉で口説きますけれど、レイプかどうかは微妙です。当時の男女が近づく方法も、また恋愛という近代になって作られた言葉、あるいは概念とも異なる心理に動かされていたことも事実ですから。源氏にだったら「レイプ」されてもいいと多くの女は思うかもしれませんが、でもそれだけでは哀しいですね。
深い宿世に生きたいものですが、さて一生かけていったいどれほどの人がそれを感じ取れるか・・茫洋としてはかりがたいものです。恐ろしい問いかけです。
円地文子氏は現代語訳を出来る限り忠実にしたいとの態度で作業を進めたが、薄雲の巻では藤壺が三十七歳で亡くなる時どうしても彼女の思いを書かずにはいられなかった、敢えて敢えて自分は書き足した・・というようなことを語っていました。
それにしても藤原道長、彰子中宮に仕える紫式部が皇統継承を基底骨格とする物語を書いたということは凄い、凄絶、と息を呑まずにはいられません。
元気に、大切にお過ごしください。
* 現代の「女たちは源氏を読みながら皇統継承の必然を考えるより先に、源氏に係わった同性の女たちの人生をわが身に引き寄せて喜び悲しんで、生き方の一つの指針としているのが大方ではないでしょうか」とは、大方それに相違ないと思うし、それは、それで構わない。奨めてもいいことかも知れない。
絶対に容認できないのは、円地さんが、「現代語訳を出来る限り忠実にしたいとの態度で作業を進めたが、薄雲の巻では藤壺が三十七歳で亡くなる時どうしても彼女の思いを書かずにはいられなかった、敢えて敢えて自分は書き足した・・というようなこと」である。それは「なまみこ物語」のような名作の中でなさるべきことで、源氏物語の「現代語訳」の中では、決してしてはならないこと、現代や後世に対して源氏物語を故意にねじ曲げかねない仕業なのである。エッセイや創作の中でなにをどう解釈されてもいいが、それはむしろ望むところだが、現代語訳は成ろうなら成るべき限りを忠実に願いたい。解釈して私物化してはいけない。大恩ある円地さんには申し訳ないが、こういうことこそは「女の賢しら」である。牛売り損なうの伝である。
* 親しい「いい読者」と古典や藝術や時事に触れ合うてこうして話し合えるのは、楽しいこと。「湖の本」には「いい読者」がいっぱいで、そんな中から、もうどれほど大勢に日本ペンクラブの会員にもなってもらったろう、そういう有資格者も数えきれずおられる。わたしの幸せであり、遠慮も容赦もない話題の此処への提供を「闇」はいつも待望している。おそらくは「闇」を連日連夜覗きこんでくださる皆さんも歓迎されていることと想像したい。それも含めて「闇に言い置く私語」なのだから。「創作」であり、おそらくはまた一つわたしの「代表作」として遺されるものなのだから。
2004 4・30 31
* もう十年も前になりますか、無作為に送られてきた電通の新聞広告に関するアンケートが、パソコンを始めた頃から年間何回かのネットモニターの制度に変り、今回は生活周辺の問に今、三十分かけて送信しました。
まあいい加減なもので申し訳ないのですが、「今・此処」に若い気持ちが保てるかと、面白がって続けています。
例えば携帯電話も運転免許も持たず、電化製品も壊れないと買い替えない根っからの関西人、この一年で何も購入していないなんて、アンサーとして失格ではないかと思いながらも、精神的な質問には返答しています。性格は「真面目、几帳面」を選択しました。
買いものにも出かけないで、キリテ カナワのオペラのアリアを聴きながらミシンかけたり、イタリア語のビデオで初歩から復習したりして、しっかりヤモリをしていますよ。 E-OLDW
* 事実はどうか分からないにしても、この「闇」を訪れるE-OLDのMもWも、機械を開けばゲームにうつつをぬかしているといった風情が、ほとんど窺えない。実際は分からないが。妻も機械をあけると、校正の手伝いをしてくれている以外は、数少ないメールの往来以外では、よくトランプで遊んでいる。よく厭きないねとひやかしているが、わたしも、機械がさわれるようになった極く当座は、麻雀ゲームでよく遊んでいた。だがみな厭きた。今はときたま碁の勝負で眠気をとばす程度、ゲームのソフトは機械から全部削除してしまってある。
2004 4・30 31
* 半永久的 2004.4.29 小闇@TOKYO
「半永久的に・・・」というフレーズを聴くと、生来の底意地の悪さが眼を覚ます。永久というのは時間をx軸にとった場合右方向の最果てのまたその先、と言う意味である。点には落ち着かない。ずーっとずーっと向こう、だ。数式にするならlim(x→0)1/x=∞。ここで1/xのxを2*xに置き換えても、無限大は無限大である。無限大は2で割っても無限大。永久も半分にしたって永久。
だから「半永久的に使える優れものです!」と言われると、永久なのかそれとも限界があると言いたいのかどっちなのかとても気になる。「半」とか「的」とかで逃げないでほしい。
とはいえ、自分が原稿に書くとしたらやはり「半」とか「的」とかつけるだろう。どんな加速試験をしたところで永久の証明はできないからというのは建前で、便利だから。
数字で説明するのは難しいが、こういう言い抜けも結構多い。「もう、終わったも同然です(終わっていない)」、「あとは書くだけです(書けていない)」、「気持ちの上ではカタが付きました(他の部分は未解決)」。
そして例えば「終わったも同然」と口にしてしまうと、そこで思いがけずパソコンが壊れたり、これを逃すわけにはいかないデートに誘われたり、イラクで日本人が人質になったり、未納三兄弟が実は八人だったりして、終わったも同然のはずが手をつけていなかったも同然に転ぶ。
こういう状況を、「永久と半永久の間に墜ちる」と私は表現したいと思う。仕事は、順調です。
* しばらくぶりに面白く読んだ。
小闇の「私語」を読んでいると、当たり前だが、わたしとは食い物や読み物や音楽の趣味などもムチャクチャ違っている。だから面白いのだろう。
上のようなリクツは、東工大の卒業生達ならは何でもない会話に属するのだろうが、わたしにはコタエルのだ、だから面白いのである。わたしでも簡単に言えたり思えたりすることを、小闇はめったに云わない。だから読まされているのである。
もう久しく小闇の顔も見ていないが、ジイサンになど見向きそうもない日々の馬力。活力。どうしてあそこまであんな風に書くかなあと男子どもを遠くで慨嘆させている。気にするな、小闇よ。
朝まで生テレビをやっていると小闇の「四月逝く」の私語に出ていた。さ、降りよう、階下へ。少し聴いてから寝よう。おやすみ。 2004 4・30 31
* 今日はいいお天気ですね。
でも花粉はまだまだ。アレルギー体質は、ほんとに辛い。先日、ごっつい防塵眼鏡とマスクを買いました。
おととい会った赤ちゃんのことを考えて、ほくほくしています。
一歳になったばかりですが、とっとっとよく歩くんです。
ジュースの入ったほ乳びんを、わたしに向かって高く差し上げたので、持っていたコップで乾杯しちゃいました。
親が携帯電話で話すのを見て憶えたらしく、携帯電話を耳の辺りに持ってきて、うあうあ言ってみたり、とても可愛い。他人のわたしが可愛くて仕方ないのだから、親はさぞかし、と想います。
* わたしの孫娘が話しかけてきたみたいに可愛らしく読めるが、三十直前ぐらいのしっかりした大人。文学にもセンスがあり、東工大の卒業生ではないが、理系の「手に職」ももっている。文面にも感性はやわらかく開かれてあり、結婚して親になりたいと無意識にも思っているかと感じられる。深くは読みきれないけれど。
2004 5・1 32
* この時期の特徴なのか、突如としてびっくりするような遠くへ転勤して行く、あるいはそれに伴い転居して行く人がいる。たんに余儀ない事とも、大きな人生途上の選択とも、意義が見えて来るには時間が必要だろうが、思い切って踏み込んで行く意志は大切だ。うまのはなむけ、と云う言葉がふるくから在る。元気に幸せに行くようにと言葉や気持ちを送っている。
2004 5・3 32
* 桜井、三輪へ行ったときは、忘れず、みもろ最中を買って帰ります。八木駅での乗り換えの合間に買うことさえありますの。旅先の和菓子屋を覗かずにいられない雀は、好いものがないとき、最中を買います。仙太郎の粒餡は、砂糖の量がよほどなのですわね。冷凍庫で凍りませんもの。
毒にならないよう、お好きなものを上手に召し上がって、お健やかな日々をお続けくださいますように。
* 朝は龍安寺の庭を歩いてきました。汗ばむほどの陽気です。
昼前からは、金閣寺から御室への観光道路も西大路通りも、金閣寺の駐車場待ちの他府県ナンバーの車で大停滞です。バスに乗るのも大変で、観光シーズンは歩ける範囲しか移動できません。
「私語の刻」毎日読ませていただいています。
それからお礼が後先になってしまいましたが、奥様の「姑」の載った「湖の本」船岡の母のところへお送りくださっていて、みんなで読ませていただきました。ありがとうございました。
わたしたちの知らない父(=伯父)や叔母さん(=母)の若い頃のことなど、興味深く読みました。叔母さんの少し声高の話し方や、顔つきまでも思い浮かんでくるようです。
昔から読むことは好きでした、頭に入ったかどうかは別ですが・・・小説やエッセイも少しずつ楽しみに読ませていただきます。
銀座での若い方とのお食事いかがでしたか。楽しい時をお過ごしになられたことでしょう。 従妹
2004 5・3 32
* 以下、日本列島の平均的連休の日々とは言えまいが、平和そうなサンプルを成してはいるだろう。
* 連休
29日。黒いピンが体中に突き刺さっていて、痛みに身動きできないほどでしたが、永い間に散らかった部屋から思い切って物を捨てることにしました。
片付けはあまり得意でなし、気の重い作業。たまたまそこに娘の置いていったロシアの「タトゥー」のCDがあったので、かけてみました。いつもは特に感動するというものでもなかったのですが、この日は特別。彼女たちの歌が心の内にあるどろどろしたものを流し、何かを突き破るパワーを与えてくれて、涙が溢れてきたのです。ピンが1本 また1本抜けていく気がして、大きなごみ袋2袋ほど、不要なものを捨てることができました。けれどもまぶたは翌朝まで腫れてしまいました。
30日1日は仕事。
2日。高校時代の友達に誘われて、日帰りで京都に行ってきました。どうしてもテレビで放映された加山又造の描いた天龍寺の龍と、東寺の五重塔の特別公開を見たいというのです。あわただしい日程でしたが、昼過ぎに新幹線で京都に着き、天龍寺の中にある昼の懐石料理を味わった後、法堂の龍と対面しました。龍は難しいですね。下手をすると円山応挙の描いた虎のように、実際に見たことのない生き物であるだけに、迫力を出そうとすればするほど感動から程遠いものになる気がします。東山魁夷、平山郁夫も候補にあがったと聞いて、京都出身ということばかりでなく迷うことなく加山又造が選ばれたのではないかと思いました。私にとっては心を鎮めてくれる龍であるように感じました。
東寺の五重塔の中は、思いのほか細やかな彩色がされていて、僧の座っている台と脱いだ履物がが立体的に遠近法を用いて描かれているのが珍しく思われました。
その後四条通をそぞろ歩きましたが、お酒の一滴も飲めない彼女と一緒では「千花」もすどおり。祇園の裏通りに出て、この辺を幼いころによく歩かれたのかもしれないと思いましたが、観察力の貧しい私にはどこをどう歩いたか、うまく説明できません。すみません・・・。
駅までタクシーに乗り、駅弁を食べながら、老いた親のこと子どものことなど話しながら帰りました。
3日 11時半に、母と娘夫婦とサントリーホール近くのイタリアンレストランで待ち合わせ。ウィーン少年合唱団の初日の公演を聴きました。23人と小編成だったのと旅の疲れが残っていたのか、天から降り注いでくるような天使の歌声のシャワーは聴けませんでしたが、特にソロが美しく澄み切っていて心洗われる思いでした。アンコール曲の「あかとんぼ」は何か今の子どもたちから忘れ去られた童心、日本の心が抒情的に歌われ、涙がにじみました。
4日。85歳の伯母の誕生日。母 伯母 私で和食のレストランに行き、誕生パーティをしました。ほしがっていた針箱と本を数冊買い、母と伯母にピンク色の大きなアジサイの鉢を母の日のプレゼントに求め、夕方まで自宅に戻って、お茶を飲みながら歓談しました。伯母が 母が、元気でいるから仕事に打ち込めること、怪我せず病気せぬように、と伝えました。
あと1日で連休も終わりです。そろそろ仕事に頭を切り替えなくては・・・。緊急電話が日に1・2本。黒いピンも数が減った程度で、全部抜けることはありませんでした。私の連休のご報告です。 神奈川県
2004 5・4 32
* “闇”を覗き見るのが、楽しみになっています。いろんな方のやりとりが面白くて。
でも、メールはどうも、気おくれが先に立ってしまいます。
とてもお忙しくいらっしゃって、たくさんの校正もこなしていらっしゃって、きっと忘れておられるだろうと思っていましたのに、とつぜん自分の名前が目に飛び込んできまして、ドギマギしました。ありがとうございます。
思い出せば、あの延慶本の本も、先生に原稿をお送りしたところから、始まったのでした。ほんとうに、感謝にたえません。引越し荷物のままのダンボール箱をひっくり返して、本を探し出し、今日、大阪中央郵便局からお送りしました。いままで、3冊出版し、共著が1冊あります。
自己紹介、どんなふうにしたら、いいのでしょう。昭和 * * 年生まれで、自分の年を思うたび、なんで、こんな年になったのか、とびっくりしてしまいます。若いときから、ずっと書いています。小説もいくつも書いて、同人誌に発表してきました。コピーライターまがいのことをして、生活費を稼いできましたので、自分の好きなことを書くのは、自前でいいと思っていました。でも、いつか、自分の好きなことを好きなように書いて、それが売れるようにならないかな、と希望していましたが、最近はアキラメの心境です。
8年前に離婚して、大阪で、野宿者支援活動をしてきました。昨年は神戸でひとり暮らしの叔母の介護をしていました。叔母を見送り、また、大阪にもどって住居を定め、仕事場へは週1~2回通っています。
東女鏡、お送りしてしばらくたち、自分でも足りないところがわかってきました。承久の乱へなだれ込んでいくところ、もっと盛り上げられなかったかなと考えています。
タイトルは、これでも悩んだ末で、最初は、「鎌倉のざわめき」というのでした。ほんと、シャキッとしないです。
「e‐文庫・湖」に掲載してくださったご好意、重ね重ね感謝いたします。 大阪市
* メールアドレスの一部のrni を mi と書き写したのがメール戻りの原因であった。これは、ありそうな。ま、わたしよりはだいぶ若い。
2004 5・4 32
* hatakさん 「連休。まだ二日間もある。もういい。」お暇でしたらお目にかかりたかったなぁ。例年はラボで過ごす連休ですが、今年は四月末に出張に出てしまったので、珍しく外を歩いてきました。
連休前、雨の霞ヶ関でプロジェクト設計会議。今年度の研究計画をプレゼン、質疑応答。長いこと遺伝子を操作する「神の領域」に手を染めているが、ニッポン国はこの領域に踏み込むのか退くのか、結局農水官僚の口からははきとした回答なしでした。この日の夜からの出来事、少し長くなりましたので、ファイルでお送りします。
一月より学会誌の編集幹事をしていて、ゲラ刷りの校正をしています。驚くほど沢山のミスが見つかり、最終校正者として恐怖を覚えます。
今年になって、『赤と黒』を熱中して読みました。『恋愛論』はまったくロジカルじゃないので、イライラしてきて止め(「恋愛走り書き」とでもしてほしい)、『ゴリオ爺さん』へ読み継ぎ、『谷間の百合』がいま終末のところにさしかかっています。
論文を書こうと夜から出てきましたのに、もうすっかり夜が明けてしまいました。家に帰って少し寝ます。 札幌
* 空海の茶臼 MAOKAT
五月の連休を前に、久しぶりに東京に出てきた私は、装いを新たにした品川で、京都の家元玄関の宗匠にお目にかかった。
寿司をつまみながら、話題はいろいろ。
「生命体同様、非生命体である人間の文化情報(ミーム:meme)も、〈変化を伴う由来〉という意味で、進化をし、跡に系統を残す」という話は、文系の先生方にいつも受ける。利休以来四百年、茶の湯の点前は間違いなく進化している。点前する人は???、そもさん。
翌朝地下鉄が動き出すのを待って早朝の羽田から伊丹へ。「大和茶発祥の地」に惹かれた旅。
近畿圏の鉄道網に知識無く、丹波橋から近鉄を京都線、天理線、大阪線と乗り継いでゆくのも珍しい。
室生口大野から臨時バスで室生寺へ。シャクナゲは少し過ぎたが、古さびた金堂が杉の古木に映えて良い。石段上の五重塔は、計算され尽くされた完璧美。先の台風被害は杉の精の嫉妬がなせる技と思われるほど。奥の院裏手に、親切に床机が据えられていて、絶景を愛でつつ弁当を広げる。汗もみるみる引き、「高い山から谷底見れば」の気分。
山を下り室生寺門前の賑わいを抜け、今度は反対側の村の上道へ向かう。このあたりから既に路傍の植木が茶になっている。家屋敷に続いて、なだらかな斜面に自家用茶園が散在。五月の日射しに茶摘み前の若芽が萌えている。「地産地消」は昔は当たり前だったと改めて思う。
道標に導かれ、西光寺、腰折地蔵と、過たず室生古道を進む。木漏れ日に山気涼やかにして道穏やか。だが、行程4キロは、なかなかの長歩きになった。
眼前に突如現れたカトラ新池は碧深く引き込まれそうな色。
ようよう辿り着いたカトラ峠役行者の石像脇に、寄進の東屋があって格好の足休め。室生寺参道で求めた草餅がするすると胃の腑へ入る。冷えた特産大和茶も美味い。
見上げると、化粧気の無い屋根裏の棟に、墨で尺寸を刻んだ木尺が残されていた。修理に備えての事か。簡素な東屋に職人さんの手のぬくもりを感じる。
峠を過ぎると道は急な下りとなり、足が勝手に動いて止まらない。音を上げそうになった頃、ふっつりと古道が途切れ、アスファルトの広い道に出た。眼下に水車小屋が優雅に回っている。右手の参道を上がると、目指す仏隆寺に着く。天然記念物樹齢900年の古桜が咲く時季には気づかないかもしれないが、ここも石段脇の植え込みはお茶の木。
簡素な門を入って五色の幡鮮やかな本堂に参詣する。さて、本堂脇「大和茶発祥伝承地」の石碑を見るに、弘法大使が唐から持ち帰ったお茶の種子を高弟・堅恵(けんね)が仏隆寺境内で栽培したことから、ここを「大和茶発祥の地」としている。今から1150年前の話である。ちなみに、奈良県農業技術センターの調べでは、現在の大和茶の栽培面積は全国第10位、荒茶生産量は全国第6位とのこと。茶農の老齢化に伴う生産量の減少を食い止めるべく、行政が努力した結果が数字に現れている。ただし品種は「やぶきた」なので唐渡りの茶樹ではない。
堅恵大徳の廟とされる平安時代の「石窟」を拝見後、庫裏で案内を請い、本堂に上げてもらう。
鍵善良房の商標そのまま、L字型をした鉄鍵を持って現れた「お寺の奥様」は、これも是非見ていきなさいと、私を人気のない本堂の片隅に導き、古い漆塗りの木箱を開けた。そこには手擦れて鈍い光沢を放つ寺宝の茶臼があった。
弘法大師が唐から持ち帰ったという茶臼は、ちょうど釣り釜ほどの色形をしていて、側面に向き合う格好で、引き手側に牡丹、対面に唐獅子の浮き彫りがある。引き手の材も良く細工も細やかである。ところが、上臼の一部に、欠けて金漆で繕った跡があった。寺宝として仏隆寺に伝えられていたが、その由緒に色気を使った人も多かったようだ。色白の寺の奥様は、この茶臼に纏わる土地の古い言い伝えを教えてくれた。
この茶臼に目を付けた、山向こうの大和松山藩の藩主織田長頼は、ある時茶会で臼を借り、そのままいくら催促しても返さなかったという。すると城内で夜な夜な獣のような声がし、物が壊れる事件が起こった。いつしか、茶臼の獅子が怒って、寺に帰りたいと暴れているのだという噂になり、遂に茶臼は寺に返された。金の繕いは、茶臼が城内で暴れた時、物に当たって出来た欠けの跡だという。
殿は本当に茶臼に執心だったのか、それとも粗相に気が引けて茶臼を返しにくくなったのか、今となってはわからない。茶臼の獅子が暴れた話は、当時の寺院と領主の関係も垣間見え、面白い伝承だが、うがった見方をすれば茶人の姑息な浅知恵とも見える。実際390年経った今でも、貸した道具を傷物にしたのなんのと、茶人の悶着は尽きないのである。やはり、点前する人の方は全く進化していないらしい。
その後茶臼は一時寺を離れ、国博(奈良)へ納まっていたが、また戻って現在は本堂の片隅で静かに眠っている。奥様の代になっても、京の茶舗から高額で買い取りたいとの引き合いが来たり、大流派の家元が訪れたりするという。
上臼と下臼の咬合部分には板が嵌め込まれ、臼を回しても溝は摩耗しないようになっていた。奥様は「回してみますか?」とおっしゃった。引き手を握り、反時計回りに軽く回すと、暗い本堂の隅で唐獅子がゆっくりと踊り出した。漆黒の臼の割れ目から、鮮やかな緑の抹茶がこぼれ落ちる様が目に浮かび、しばし陶然とした心持ちになった。「私がここに嫁いで来てから、まだ一度も実際にお茶を挽いたことはないんですよ」と、奥様は白い歯を見せて微笑んだ。本堂を出、大和茶のお薄を一服頂戴して、ようやく夢から覚めたような気になり、正気に戻った。何のことはない、私もすっかり茶臼に魅入られていたのだ。
最前から庫裏の軒先に燕が来ては矢のように飛んでいく。軒には去年の営巣の跡も見えている。奥様に「軒に燕が来てますよ」と告げると、「あぁもうそんな季節ですか、燕もかなわんのですわぁ」と顔を曇らせた。糞害かとのんびり考えていると、「巣立ちの頃に、軒先に蛇がぎょうさん来てねえ、雛を頭から・・・」となんともいえない顔で目を細めた。奥様の細い目の奧が無感情に光り、私は茶碗を持ったまま、射竦められたように身動きが出来なくなって、蛇に飲まれる雛となった。
* おもしろい話題。
ただ推敲がきびしく、話題にくらべて、かえって少し叙事の文章が痩せている。もっとふっくらでいい。勝手にかなり改行を入れた。すこし様子が見えやすくなっていると思う。
作者におつき合いの出来たころ、相当きびしく推敲を強いた。少し度が過ぎたかな。
この人は茶人。それに寄せて分かりよく云えば、利休の逸話に、露地に塵一つ無く、拭ったように清めていた親しい席主にむかい、黙って少し木を揺り、風情の葉を落としたという。風情の葉であり、ごみではない。ごみは取りのけたい…が。
またこうも言えようか。生き物にはある種のヌメリがある。脂気というときたなげだが、生きているあかしのようなもの。それもみなごしごし拭い去ると、度が過ぎると、生き物の感じが冷たく硬くなる。すっきりしたようで、じつは痩せる。ファシネートな魅惑は存外にそのぬめりのような、あぶらけのようなものに在る。それをごみや汚れとして取ってしまうと、文章がややこわばる。
この仏隆寺辺は、おなじみの囀雀さんの地元である。彼女の短いメールは、短さが加えてくる不自由がありそうで、しかも今いう、ぬめりやあぶらけ風の「生き味」を殺していないので、清い風に吹かれるようなよろこびを覚えることがある。全部とは云わないが。ひょっとして短さの制約を、述語部分や形容などの思い切りの良い節約で相殺している効果かもしれないのであるが。
さすがにMAOKAT氏は理系研究者、ものは具体的に観ている。観たものを整頓して行く。その整頓という推敲の段階に、呼吸の余裕をのこされると、観察がさらにやわらかにふくらんでファシネーションを呼び込むのではなかろうか。
2004 5・5 32
* 角を矯めて牛を殺す
「角を矯めて牛を殺す」になってしまいましたか。校正は難しいです。
大学生の頃園芸実習で林檎の木の剪定をしたことがあります。
枝を払う事に熱中していると、落としてはいけない枝、来年実をつける枝まで剪ってしまったものでした。
私、なにごとにつけても「やりすぎ」のきらいがあります。気をつけねば。
今年はアルゼンチンへ出張の予定もありますので、また何か書いて送ります。
米軍のイラク侵攻は腹立たしいことですが、ファルージャに派遣されている米兵の半数は沖縄の基地から投入された海兵隊です。モスクを襲撃したのも沖縄の部隊。死んでいくのも沖縄の部隊です。沖縄本島北部(キャンプハンセン、キャンプシュワブ)は、戦時下です。
* 雨の粒足音の如く
闇で闇に木霊するような屈託のない闇の木霊を読みました。
石田波郷。空海。楽しい闇であり、宮本武蔵のような気迫も闇に感じます。秦さんの「弟子」(僕も自分でそう思っているところがあります)の方々は世代感覚の違和感を和らげてくれるように「価値観」は違うが「親近感」があります。
秦さんに共感したことは、「司馬遼太郎」の小説感でありました。「文学」は魔物であり、おいそれと手を出すことへの躊躇。
明治の作家漱石が大事にしたことは「如何に書かないようにすること」だった、ということを「闇」で知った。
雨脚の温度の世代に飛ぶ蛙
秦さんへのメールです。 川崎 E-OLDM
2004 5・5 32
* 睡眠不足と疲労とで顔の奥の方がいたるところ痛み始めている。待っているメールがなかなか来ない。もう、いやだ。寝たいから、寝る。
2004 5。5 32
* さきの松尾さんのことに触れて早速、こんな反応のメールがあった。
* 世に出たいとは、思わなくなりました。
以前は、例えば文学賞のようなところで認められないといけないのではないかと思っていました。
今は、せめて書けるようになりたいという気持だけです。
金井美恵子という人が、「太宰賞に応募したのは石川淳に読んで欲しかったからで、ワープロのある今だったら、読んで欲しい数人にプリントして渡す」と言っていて、当時のわたしは、「この人、また何を強がっているのだろう」と思ったのですが、今は同感です。
* > 世に出たいとは、思わなくなりました。
これは一種の「退歩」かもしれない。松尾さんのメールに、「若いときから、ずっと書いています。小説もいくつも書いて、同人誌に発表してきました。コピーライターまがいのことをして、生活費を稼いできましたので、自分の好きなことを書くのは、自前(自費出版)でいいと思っていました。でも、いつか、自分の好きなことを好きなように書いて、<それが売れるようにならないかな、と>希望していました、が、最近は(世の中が厳しくて)アキラメの心境です」と書いています。この人は、「これからでも打って出る覚悟」で書く気です。
はやくに厳しさを断念していては、いいものは結局書けない。鬱勃たる野心は、若き創作者にはものすごい力です。エネルギー。
> 以前は、例えば文学賞のようなところで認められないといけないのではないかと思っていました。今は、せめて書けるようになりたいという気持だけです。
賞に執着するのは禁物ですが、世に認めさせてやる気概無しに質の高い志は続きません。
> 金井美恵子という人が、「太宰賞に応募したのは石川淳に読んで欲しかったからで、ワープロのある今だったら、読んで欲しい数人にプリントして渡す」と言っていて、当時のわたしは、「この人、また何を強がっているのだろう」と思ったのですが、今は同感です。
いわば成功者のホザク、罪深い発言です。こんなのに共感していては、棒ほど願って針のまたさらに低い小さい水準で自足してしまうことになります。つまり「じぶんなりに」という弁解をもう用意しているようなもの。
おそろしい瀬戸際にいますね、あなた。
* 常識的に賢く云えば、わたしでも大抵の文学志望者に向かい、金井さんと同じに云うかもしれない。が、本気の人にはこんな残酷な水はぶっかけない。同じ残酷なら、やってやってやっての失敗をでも、奨める。これは残酷なことであるが。分かっているが。
わたしは受賞までの七年、「太宰賞」の存在も「展望」という雑誌すらも知らなかったぐらいで、文学賞にありつきたいなど試みもしていなかったが、三十前から、せめて四十歳までに一作でもいいから「売れて」原稿料というものがほしいものだとは考えて、その考えに励まされて一日と雖も書かないことはなかった。世に出てやるという気概は持っていた。世に出ている人達より劣るなどとは思わなかったのである、作柄がひどく孤立しているとは悩ましかったけれど。
2004 5・6 32
* 一ヶ月の(病気)休暇を終え、本日出社しました。でもまたすぐ休みに入るかもしれません。お返事ありがとうございました。
私の失恋は心の失恋、しかも片思いです。まだまだまだまだ諦めがついていません。とても苦しい。
大学の方には行っています。秦剛平先生というまるでご親戚のようなお名前の先生がいらっしゃいます。作家である青野聰先生の授業を今年はとることにしました。生徒一人一人に曜日があてがわれ、その日の新聞記事の中からひとつだけを選んで、なにがしかの文章を書いて提出する、という、少し秦先生の授業を想い出すような授業です。最後にまとめて、「2004年」の冊子にしたいそうです。面白い風体の先生です。安部公房「砂の女」/ガルシア・マルケス「予告された殺人の記録」/深沢七郎「楢山節考」を授業では扱っていくようです。まだ始まったばかりです。
絵の方は、デッサンとドローイングの講評が今日あります。静物画が同時に始まります。
* 苦しみながら、とにかく粘って粘ってやっている。スポッとトンネルから晴れやかな空のもとへ出て行けるといいですね。恋は数十冊の優れた読書体験にまさるだろう、恋をおそれるなとわたしは若い学生諸君に何度も話した。そのとおりであってくれるといいが。
2004 5・6 32
* お案じくださいました件、やっと、片づきました。ストレスのせいだそうでございます、どの歯が痛いのか、歯茎が病めているのか、口の中がじわーっと痛くて、好きなおせんべいを勢いよく、パリッと噛めません。首から上で自慢できるのは歯だけ、虫歯はひとつもありませんのに(もっとも、これは自慢にならないそうでございます。未開人に近いとやら)。でも、少しづつ、よくなってゆくようでございます。
知らぬ間に花も終り、気づけば樹々のみどりは盛りあがり、近くのたんぼには水がはられ、早苗の植えわたされているところもあります。あっぷあっぷの半病人も、心地よい風を感じられるようになりました。
ベランダに咲いた濃紫の都忘れが、「慈子」の色にひらきました。お案じくだされましたこと、とてもとてもありがたく、それを支えに何とか乗り切ることができました。 茨城
* 薫風の季だが、木の芽どきなどとも謂う。みな元気でありたいもの。
2004 5・7 32
* 回復 奮発せよと言われてもさすがに昨日は気力なく打ち臥していましたよ。頭痛がおさまって悪寒がなくなったので、今しがた耐え切れずにお風呂に入りました。どうしても汗ばんだ体を洗い、シャンプーもしたかったのです。あまり食欲はないものの、ミルク、コーヒー、体にいいかなとニンニクのしょうゆ漬け、らっきょう、サプリメントなどを食べて・・・ポーとしていますが・・早く元気になりたいです。
本日の詩に関する記述、奮発する以前に、深い反省を促すものだなあと、いささか嘆息しつつ読みました。詩に限らず、深く厳しく美しいとは何と遠いものだろうか・・と。 兵庫
2004 5・7 32
* 一転して夏日ですね。 空き腹を抱えて、暑い中を帰ってきました。健康検診センターは当市のはずれ、センターのある中央部まで行くのに小一時間もかかる上に、田舎で適当な食事処がありません。空腹で出かけねばいけないのが、検診を嫌う一番のワケ。美食家ではないけれど、胎内時計が正確で、空腹がガマン出来ない「ヤシンボ」です。
腰痛は初期の頃ほどに落ち着いてきました。お気遣い有難う。運動の利点でしょうか、血圧測定で、アラ、理想的ネ、と保健婦さんが呟いていました。おまけに体重が家で量るより余程下回っていたので、ご褒美にケーキを買いました。医者二件を済ませて、まあホット一息。後は歯医者通いを思い切らねばと。
「東女鏡」気の惹かれる読み物です。急いでは読めませんが。
人間のアホブルは純真で好ましいけれど、多くの政治家は畜生(たぬき)のアホやから、サイテイ。 淡路島
* 福田官房長官辞任。民主党の菅直人のアホスケ。今からやめても見苦しさだけが残る。彼の未払いが発覚したときに、即座に此処に書いた、すぐ辞めて自民党の何人かを差し違えの辞任に引き込めと。それだけが民主党の立ち直れるチャンスだと。まんまと地位に恋々、福田に先を越されて、ますます痛手は血を噴いて大きくなった。菅直人がこんなアホだとは、情けない情けない。自民党の狡猾な手練手管に好きなようにかき混ぜられている野党。まさに、政治屋世間は、サイテイ。
2004 5・7 32
* 頭痛はいかが。 今日は暑い一日でした。こんなお天気のせいでしょうか、私も頭痛でした。辛抱強くガマンなさるのでしょうが、私の場合は吐きたくないので薬のお世話になります。お蔭ですっきりしました。頭痛、早く治りますように。
遅くなりましたが、本日湖の本の代金を振り込みました。金額が二千八百円とありまして、あまりの安さにびっくり。以前のご本だとはいえ廉価にすぎます。今の代金で、二冊分の四千円振り込ませていただきました。間違えではありませんので。
次回の湖の本の配本楽しみです。上下巻二冊いただけるようで嬉しく思いました。上巻だけでオアズケなんて絶対いやですもの。もし分けての配本予定でしたら、私だけは二冊一緒にいただけませんでしょうか。あまりわがままは言わないつもりですが、読者としては貪欲です。 東京都
* 六月の歌舞伎座は助六があるのですね。玉三郎の揚巻は見てみたいです。九月の御園座も玉三郎だといいけれど。
玉三郎は七月の歌舞伎座で桜姫東文章をやるらしく、これは江戸まで行かないとかな、と考えています。
しばらくは此の周辺を探訪・探索するつもりです。仕事見つかるまではゆっくりしちゃおうかな。好きなことをしながら。
頭痛、よくないですね。目の使い過ぎですか。心配です。お大事になさってください。 愛知
* さて、歌舞伎座。 襲名披露ゆえ、海老蔵には、弁慶をやって欲しかった勧進帳ですが、それを抜きにすれば、團十郎の弁慶に海老蔵の冨樫、菊五郎の義経と、なかなか見ものの舞台でした。特に、團十郎が良かったですね。かなり、ステージパパで、息子の襲名披露の舞台をなんとしても成功させようという気迫がありましたが、海老蔵は、ちょっと、過保護という気がしました。大きな役者になるためには、「父離れ」が、必要かも知れません。 千葉
* 勧進帳はあえてパスしたが、昼の部には暫があるはず。どれほど大きく新海老蔵が出てくるか楽しみ。
楽しみついでに、無理だろうと半ば諦めつつ、六月の襲名興行も「通し」で今日頼んでみた。人気沸騰で、申し込みも遅いし、ダメモトのつもり。六月は夜に助六があり、玉三郎の揚巻は、いまではこれ以上ない美しさ、仁左衛門襲名の助六でも、玉の揚巻にボーゼンと酔った。昼には口上があり、夜だったか昼だったか、勘九郎の武部源蔵で仁左衛門が松王。菊五郎・菊之助で吉野山・狐忠信も楽しみ。とらぬ狸の皮算用で今回ばかりは座席アテハズレかも知れないが。想っているだけでワクワクする。もうもう、国会も政党政治も、吐きけがする。
それでも、もし、明日にも「銀座四丁目交差点へ来て下さい。そこで声をあげて国会に向かって粛々と歩き出しましょう」と、米原万里とか吉岡忍とか誰々とか同僚理事や委員から誘い出しの連絡が来れば、わたしは出掛けて、驥尾に附したい。
イラクでの米軍による暴虐無残な捕虜凌轢の写真も、事実なら、堪らない人間への侮辱だ。黙っていられない。
米原万里役員にちょっと耳打ちした。
2004 5・7 32
* 奈良へ行くたび、期待に胸ふくら雀で、氷川神社隣の古美術店に立ち寄ります。
昨日は、丈高く切った雪の下を一本、壺に。別の花入れには、小判草に、紫の小花を取り合わせ、挿してありました。薔薇や蘭で填められるより、こういう驚きを得ることのほうが嬉しい。
十輪院のみ仏の中で、ロダンの「考える人」も裸足で逃げそうな、立て膝にげんこつで考えている半跏思惟像と、アフロヘアのような五劫思惟阿弥陀仏像に驚きました。五劫院のはもっと大きいときいて、想像しただけでも吹きそうでした。 三重縣
2004 5・8 32
* 苧環 お江戸では、さぞ可憐にいとけなく、(文楽の)簑助さんがお三輪を遣ってらっしゃることでしょうね。
秦さんのお作にたびたびあらわれる、縫、繍、織に関わるイメージと、黄金の針の描写は、雲母のような楽(がく)の音が、天頂から降ってくる感じがして好きです。
疋田(ひけた)は、中野美術館の辺りですのね。
「京都より静か」と題したサライの奈良特集号は、大和文華館、松伯美術館まできていながら、中野美術館がありませんでしたの。悔しいのが針の先ほどあってから、ほっと笑みがこぼれました。これでまた、あの静けさが保たれますわ。 囀雀
* NHKの政治討論会や田原番組で、幾重にも吐きけをこらえていたのが、いい薬をのんだように気持ちの佳いメール。ほっとする。
もっとも、なんでと云われるとわたしにしか伝わらないメーッセージだからということになるか。妹背山のお三輪、引田(ひけた)の赤猪子を書いてあけの雲をさながらの織物に縫い繍いてゆく幻想の「三輪山」それに掌説のなかの「蝶」などを織り交ぜて、しづの苧環繰り返し「むかしをいまになすよしも」と、作者を、さらにうながしている。愛読者の優しさと厳しさが伝わってくる。
中野美術館は、ちいさい宝石箱と譬えるのがいちばんふさわしい。ちいさな名品をきらきらと展示していて、静謐そのもの。あの美術館をあそこにちゃんと見つけて知っている愛好者は、そう、あまり人には知られたくないと思っていようけれど。
2004 5・9 32
* 稚拙合戦 2004.5.10 小闇@TOKYO
何より驚いたのは、各紙夕刊で一面に持ってきていたことである。ここまでこの手の話が浸透していたとは驚いた。
匿名性の高いファイル交換ソフトを開発していた男が逮捕された。容疑は著作権法違反幇助。
ファイルの交換ならメールに添付したり、メッセンジャーにのせたり、あるいはFTPを使ってもいい。このソフトの最大の特徴は、公開のしやすさと匿名性。ほしいファイルがあれば、それを自分の名を明かすことなく容易に手に入れられる。どこから手に入れるか。同じソフトを使う見知らぬ誰かのパソコンの「公開用ハードディスク」からである。
理屈の上では、交換するファイルは、自分の卒業論文でも自画像でもオリジナル曲でもあり得る。つまり著作権が配布者に属するものだ。しかし実際のところは、違法にコピーされた音楽や映画、録画したテレビ番組、スキャンした写真などが、大半を占めている。結果的に、著作権がほかにある作品の複製物の流通を、容易にさせた。
もうひとつ、このソフトの特徴を挙げるなら、著作権を侵害するおそれがあることを開発者自身が理解していながら、そう発言してきたことである。
個人的な意見ですけど、P2P技術が出てきたことで著作権などの
従来の概念が既に崩れはじめている時代に突入しているのだと思います。
お上の圧力で規制するというのも一つの手ですが、技術的に可能であれば
誰かがこの壁に穴あけてしまって後ろに戻れなくなるはず。
最終的には崩れるだけで、将来的には今とは別の著作権の概念が
必要になると思います
作者がこう言っている。
彼に間違いがあったとすればこの点だ。JASRACやACCSのこれまでのやり方を支持できるかどうかは別として、法治国家で法に疑問を抱き行動するなら、それなりのやり方があったはずだ。志はまた、別の話。手段が、間違っている。
ロジックは、子どもを殺された親がその犯人を殺すのと同じ。気持ちはわからないではないが、それはやってはならないことだ。
今は下火になったが、肺ガンになった喫煙者が煙草会社を訴え、肥満体の人間がファストフードの会社を訴えたことがあった。そのナンセンスさと同じ臭いがここにある。
フィリップモリスやマクドナルドは、利益さえ上がれば顧客が「ガンになってもいいと思った」「肥満になってもいいと思った」とは口にしなかった。法治国家で負けないための手段としては、正しい、言い換えるならば当たり前のものだ。
今回の逮捕劇のもう片方の主役は京都府警である。ずばりこのソフトで内部資料を流出させてしまった署員のいる団体であり、また、大手ゲーム機メーカーのお膝元である。これらの情報はこれ以上の何も意味するものではない。京都府警は今回逮捕に至った理由を「著作権法への挑戦的な態度」と説明した。
では、そういう態度でなかったらいいのか、ということになる。
一躍有名になったこのソフトの名前は、Win「ny」。以前使われていた、Win「MX」の進化版という位置づけである。さて、またこれが進化した、 Win「oZ」が世に出た場合、京都府警はどうするのか。WinoZの開発者は、「著作権法への挑戦的な態度」など表には出さないだろう。そして静かに違法ファイルは交換され続ける。
今回は、どちらの戦い方も稚拙であると言わざるを得ない。公判の維持は困難を極めることが予見される。しかし今後長く続くであろう闘いの初戦としては、京都府警の完敗である。
* 電メ研でこういうことも論議しておきたい。
2004 5・11 32
* 成田屋休演 7月の大阪公演と、入院・休演とが、同時に報らされましたの。仁左の「俊寛」は、見たかったものでしたし、成経:秀太郎、丹左衛門:我當と、三兄弟揃うのも見所です。で、船乗り込みも含め、期待してましたの。変だなと思ったのは、我當さんと段四郎さんがご一緒で、急の代役には困らないこと。「井伊大老」などは特に。
大事なく、一刻もはやい団十郎の舞台復帰を祈る雀です。
* 十八日には、成田屋の伊勢音頭 貢の役を観る気でいたので、病気休演は残念、まして新海老蔵襲名初公演の真っ最中であり、いささかステージパパの噂もある気のいい団十郎としてはさぞや気も病んでいるだろう。貢は梅玉あたりが代役で張り切ってくれるだろうが、それも楽しみ。だが夜の部の弁慶はどうなるのか、まだ知らない。代役に適任を得ても、富樫役の新海老蔵は寂しかろう。いっそ弁慶に転じてとは行かぬものか。それはムリかなあ。
2004 5・11 32
* 親と離れて暮す同世代の友は、私もですが、父親からの電話に、まず母親がもしやどうかしたかと案じると話し合います。
先だって、朝早くに父が電話を寄越しました。来月、叔父の運転で、母と鳥羽へ行くことが決まった。伊勢と二見に寄り、鳥羽で泊まる。翌日、叔父たちと別れ、三井寺近くに宿を取って、琵琶湖経由で帰るので、一泊、そちらに頼む。
一方的な話しぶりは年ごとにひどくなり、詳しい事が飲み込めません。霧のなかなか晴れない朝でした。「おとうさん出かけたから」と口癖の、母から電話で、さまざま分かりましたわ。父は、国技館へ行ったのだそうです。日帰り霜鳥関応援ツアーですって。
兄弟がそれぞれ病気のために外出もままならないなかで、一番先に大病を患った父が、こうもあちこち出かけて過ごしているのは、有り難いといえば有り難いことなンだけどねぇ、と、母のこぼす話は、どれもこれも、(気楽そうに近畿一帯を飛び歩いている)雀が受け継いでいる、父の性癖の故。
冷や汗三斗。雀の主人はあはあは大笑いで…。 囀雀
* この冷や汗は、せいぜい五勺程度であろうか。
2004 5・12 32
* 五時半起床。 もう菜種梅雨、どんよりした一日になります。気温程良く、今ごろは高鼾でお休み中の筈。
夜中の仕事が進みましたか、こうもりさん。日にちが改まった頃から目がランランとなってくるのでしょうね。私のオフザケに、まともに弁明してくるのだから。マジメに仕事(も)している、と分っていますよ。仕事あり、悩みあり、だけどお遊びもあるから此の世は楽しと思わねば、これからの*十年を飄々鯰で生きていけない。
プレッシャーなんてぶっ飛ばし、鬱もボケも病気も追っ払って、生きたいもの。永年の生活習慣、今更改める必要もなく、それでよければ、それでよし、と好きにするのが何よりの健康法でしょう。
さ、私の一日はもう始まります。
* 遥かな西の空からとんできて、これで喝を入れてくれたつもりだろう。わたしも含めておくが、名付けて説教世代か。
* 昨夜の「私語」の、皇太子の記者会見がらみに、ゾッとしないメールが舞い込んだ。
似た話を、あまり遠からぬ以前に、外国人の口から聞かされ、というより噂を確かめられイヤな思いをした。それと同じ手の話であった。ことは(わたしに伝えられた話によると、)イェロー新聞や暴露本でしか扱わないタチの気色の悪い噂であり、むろんわたしはデマな噂かそうでないかなど知らない。善意よりは悪意が押し出している話題なのは、確かだと思う。その外国人はさぞ不思議に思いわたしにも確かめたのであろう、わたしは単にそんな話題に耳を貸さなかった。
今日のメールは長いものだった。わたしは内心にこう呟いていた。
* 昔、ある人(妻)と京都のお寺を歩いていたとき、道の先に汚物がありました。だまって背をかるく押すようにして通り過ぎましたが、そのあとすぐ、「きたない」と、その人は口にしました。その場では黙っていましたが、後刻、ああいう際に「きたない」という言葉やその発語の方が、よほど「きたなくはなかろうか、」分かり切った汚さをもう一度口にしたり耳にしたり念押ししなければならない二人ではなかろうにと窘めました。わたしは、そういう人間です。くさいものにフタではありません。無用の口舌であると思うのです。
あなたの長いメールは、わたしにはその「きたない」に相当しています。あなたの「見聞」が事実かどうかではない、それは、わたしたちの話題として「人・品」ともにふさわしいのだろうか、と。それは道に汚物が落ちていたどころのことでない。そんな方面になぜあなたが殊更に関心しなければならぬのか、そんな情報にまで自身目を通しているのかと、奇妙な気がします。
少なくも黙っているべきではないのかな。「へんな批評家はおやめなさい」という言葉でわたしが何度かあなたに懸念したのは、こういう点です。
わたしは、今の天皇家には、比較的親愛を「持とう持とう」としているのは、分かっているでしょう。お笑いぐさだと否定されても、その是非・実否より何より、そんなお節介をしていただく必要は全く無いのです。それはわたしの判断ですから。議論の議題ではないのですから。
いま、とても暗澹とした、インクで気に入りの服を汚したような気分です。
* 小泉首相や神崎代表や菅代表などをコテンパンにやっつけても、それは、本来の言論表現の自由の意義そのものだが、それでもプライバシーには触れない。皇室が政権政治家と同じかそうでないか判断を控えるけれど、よしなき話題を無用に吹聴したくはない。
2004 5・13 32
* 毎日の絵の制作のプロセスを自分なりにワードにいれております。文学的な価値についてはゼロでしょうが。 いつか読みなおして今の苦労と楽しみと嬉しさを味わえたら とそんな自分史?を書いています。
フェルメールはしっかりと観ました。すばらしいのひとことです。離れられませんでした。早い時期にみました。幸せを感じました。
今どうしても観たい絵 ボナールの展覧会です。6月末までです。早く行きたく思っていますが。なにぶん100号にかかりきりで気持ちのゆとりがございません。
今度の絵はとても明るい絵になりそうです。いいのかどうなのか? 怖いです。まだしっかりかかりそうで。ばて気味なからだをサプリメントをいれながら 頑張っております。これからも聞いてくださいませ。私の苦しみやその他を。 横浜
* 繪を描くにしても小説を書くにしても、創作には人それぞれのスタイルもあろうけれど、通有の苦痛も歓喜もある。苦痛や歓喜の受け取り方にも人により温度差や落差がある。ながいこと「絵描き」の小説にとりくんで、辛かった。
2004 5・13 32
* 修学旅行 雨が強くなってまいりました。
鳥羽と尾鷲の間の山中に住む、親戚の新築祝を表向きに、雀が離れたがらない名張の地を見たいというのが、本当の理由と思われる、両親の伊勢参りです。
叔父の立てた計画を伝え聞くと、朝7時、中頸城の自宅を出発→1時半、伊勢到着(伊勢神宮参拝、二見夫婦岩)→4時半、鳥羽のホテル到着。
翌日、鳥羽真珠養殖見学→親戚宅訪問→午後4時鳥羽駅到着。
まるで大阪か奈良の修学旅行みたいと言って、あッと気が付きました。叔父は高校の教員を停年まで勤めあげたんでしたわ。
鳥羽で一泊、名張で一泊、三井寺の辺りに保養所があるからそこで一泊して帰る。そう、父は言いますの。宿は大津か、水泳場のある辺りかと尋ねても曖昧で、宿の電話番号を聞き、かけてみましたの。そうしたら、最寄りの駅は、比叡山坂本、湖へ向かって徒歩15分といいますから、まさに、保養所。名張で泊めて、翌日そこまで送り届けるとなると、観光している暇あるかしら。それより、両親を宿へ送ってのちの、雀一羽湖西の旅のほうに俄然ひきつけられております。あくまで親不孝な雀でしょ。
* この囀雀サンとは、秦さんの「創作」でしょうという人が増えてきている。さてさて。
* ご無沙汰いたしました。
ずっと、いつも何かにつけては気になっていましたが、なんとなく、お話もしにくくて、なんとなく時間だけが過ぎていきました。お元気だろうと思いながら。
私は、これもなにようでか、長谷寺へ行きました。久しぶりでしたが。ちょうど花の盛んになりかけたころでした。
四度の滝というお酒のことは聞いたことがあります。でも、美味しいのかどうかは? 地元に、翔という酒がありますが、強くて、私は余り飲めません。このところ、花薫香というお酒が高くなっているけれど美味しいですよ。梅桜桃(ゆすら)はご存知ですか? 香りがよいお酒。女好みといいますか。
飲みにいらしゃいますか? どこが良いのでしょうね。 袋田
2004 5・13 32
* 風が、羨ましい。風のようにふらり吹いて、向かいの席に座って、お顔を見ていたいな。
「パッション」というキリストの映画を見ようと思いつつ、予告編での痛そうな磔場面に怖じ気付いています。
「トロイ」は二十二日から。
その前に「ギリシア」という本を読んでおきたくて、昨夜は、その本を持ったまま眠ってしまいました。
* こういうふうに電子メールの恋は表現できる。しかし電子メールでなくてもこのままたとえば堀辰雄のような小説の場面に組み入れて、違和感、あるだろうか。無いと思う。無いと思えるところに電子メールの恋表現の実は可能性が生まれている。文藝批評家は、新しい電子時代の表現に対応できるE-経験を積んでおかないと的確な批評や鑑賞が出来なくなるだろう。
2004 5・14 32
* 「国宝にヒビ」と書かれた團サマの休演 神戸の博物館へ伊能忠敬の地図を見に行き、三宮のデパートでゴンチャロフの生チョコを買って、雀は梅田で途中下車。
米朝、文枝、春團治出演の落語会は、露の五郎さんが代わりをつとめ、トリの文枝さんはマクラで、「トリといえば聞こえはええんですが、時間調節係ですわ。押しとったら端折らンならんし、短こかったら伸ばす。時間気にせんと好きなように演りたい」と、こぼしながら、おはこの「天神山」をなさいました。
おいしいチョコに、好きな噺家の好きな噺。目福、耳福、口福で、喜色満面、帰路についた雀です。
* いながらに遠地のようすが知れてくる。気取らず楽しげな、短いメールのお手本のような書き方。
* 昨日は久し振りのおのぼりさんでした。お向かいさんの誘いでサントリー美術館でエミール ガレのガラス展を観ました。初風炉の時期ですか、着物姿の人を多く見かけました。弁慶橋を渡って、紀尾井町の清水谷公園の辺りを薫風の中をのんびりと少しお散歩しました。歩きました。
たった一時間半で行けるのに、外国有名ブランド店が並び、異国を思わせます。東京は広いナ。
これから恒例「狭山茶」を買いに、狭山へ行ってきます。みな、悦んでくれます。 埼玉
* なんてお勉強家サンかしらと鼻高自惚れ雀。半日かかって、欽明天皇から桓武天皇までさらいましたの。秦さんのお作のおかげです。深く頭を垂れます。
NHKの今度の正月ドラマが、大化の改新とのこと。榛原の葛神社、朝倉の白山神社、春日神社、それから忍坂へ。粟原寺跡、石位寺、おくつき、生根神社、押坂山口座神社と巡り、帰りに、等彌神社、聖林寺へも寄って、一日中飛び回りました。
おっさか、あうばら。観光案内所でいただいた地図にはふりがながなく、全部つけなきゃならないからかしらと思うほど、他所者にはキビシイ地名ばかりです。
余花を見ました。
偶然が重なり、幸いにも有り難くも、石位寺の石仏に対面できました。白鳳特有の、穏やかでおおらかなあたたかさが心を満たし、帰りに寄った聖林寺の十一面観音が、心にしみてこないほどでした。
山畑の奥へ延びる小径には、せせらぎが沿い、ちょろちょろと、また、しゅるしゅる逸るものも顔を見せました。細い躰に黒い線の、粋な姿の糸蜻蛉。黄色と赫の存星のような羽を持った蝶。オパールのような羽の蝶。漆黒の揚羽。
奥に、大伴皇女墓、鏡王女墓、舒明天皇陵。
緑盛んな頃の御陵が、一番好き。
* 存星 なんて。茶人だなあ。一陣の清風。
2004 5・14 32
* 今日は家を出ないと決めて、一日中、家事をしていました。私は家事が好きです。片付けたり、掃除したり、なんだかんだと一日過ぎてしまいました。お料理は今日はしませんでした。上司も、夫も、家族もみんな東京でいないので、開放感で一杯です。当然仕事もお休みですし、滴るような緑の庭で、何かが一日中さえずっていました。時々こんな日があると楽しいですね。
お体はお大事に、今は糖尿も管理がきちんとしていれば、大方は大丈夫ですが、それでも十分お気をつけてお過ごしください。私は相変わらずすぐに感染症で、やられています。痛みが出るとつらいですね。鎮痛剤のお陰で、何とかなっています。
車は日常生活の一部分のようになっています、いつでもおのせいたしますよ。
家には、余りいません。遊んでいるわけではありませんが、連絡はどなたにも携帯でお願いしております。そちらに携帯のないのが残念です。お作品楽しみです。 那珂
2004 5・14 32
* ケシ 風が裾を捲き、単衣で良いほどの陽射しでした。
神戸の博物館で間近に見た忠敬の地図は、清・静な絵心が、好い空気を漂わせていました。
併せての「神戸ゆかりの芸術家たち展」に、以前見かけた華岳の繪を期待していたのに、ないンですもの、がっかりして、岩屋の県立美へ向かいました。
「東山魁夷展」への行列は引きも切らず、常設のコレクション展だけ見ることにしました。華岳絶筆墨の「牡丹」だけでなく、同じ華岳の「円相罌粟」に惹きつけられました。画面奥まで広がった罌粟の赤い花が、人を消し去って浄土をつくったように見えて…。
* 華岳に、ひたっと寄り添ってものの感じられる観手(みて)に成っている。わたしが最初、そうであったように、この人もわたしの「墨牡丹」を読むまでは村上華岳を識らなかった。あとは自身の思いから、繰り返し繰り返し華岳や周辺の藝術家たちにハートで接してきたようだ、いまでは藝術体験の分厚さ豊かさは想像を超えている。わたしなど、遠く及ばない、その質の透明度において。
わたしなどいろんな思惑でものに接している。それはエゴのさせるわざなのである。
* こういう清いメールに触れた後で、自身の年金未納を追究する記者たちに答えている薄ら笑いのわが総理大臣の、醜い表情と言葉とに接したのは、痛恨そのもの。言葉はきたないがまさに「蛙のツラにションベン」「馬耳東風」「厚顔無恥」な、「責任?全くありあません」には、反吐が出る。これが国民の頂点に立って政治の舵取りを任せている総理大臣だとは。気品というものが、その眼に澄んでいない。テレビにうつる公人としての彼の眼は、ひたすらウソをつくために死魚の目のように濁っている。
国民よ、眼を覗き込むのだ。
で、その帳消しにと北朝鮮へ。それはそれで成果を期待するが、することなすこと七月の参議院選挙と政権延命への対策、党よりももう小泉自身の私利私略以上の何物でもない。情けない。いま、人類にあって最も唾棄したいのは彼小泉純一郎だ。いやもう、彼ではない、此処に生きて呼吸している自分自身を唾棄したい。
2004 5・15 32
* 卒業生の、またも「片思い」に疼きつつ希望を持っているメールが来ていた。美しい言葉で語られている。美しいというより、上古の物言いでなら、うるはしい、か。「希望」は、人間の持つ最良の強みであり最悪の弱みである。そしてうるわしい言葉は、リアルとの間に隙間を生みやすい。餅を焼くと、焦げて硬い皮とやわらかい中身との間に浮き上がった隙間が出来る。自分のうるわしい言葉に酔ってしまわず、「今・此処」に一つの肉体としてシャンと立ってモノを見詰めたいと、わたしは、自分に課している。自分の心がいかに瞬間瞬間にゆすられて右往し左往し定まりがたいモノかを、わたしは悲しいほど痛感している。それは波打つ波頭に過ぎない、心理に過ぎない。
2004 5・15 32
* 新緑に溢れた庭先から。 メール明日書きますといってから、もう二日ほどが過ぎてしまいました。空しく日が過ぎますのが残念。ごめんなさい。
とても長い時間が過ぎた気がします・・五月に入ってからあまり元気なく暮していましたから。まだ気力なく・・咳や痰に苦しめられては外出も思いとどまり、ただ鬱々と過ごしたくはないなと思っています。気になっていたことから書きます。
先に源氏物語のことを書いた折に、円地氏の訳文に触れて彼女が「書き足した」云々にわたしが言い及んだので、「絶対に容認できない・・女の賢しら・・」とあなたは書かれました。自国語の古典から現代訳という作業は、それが外国語からの翻訳というものとは自ずから異なってくる側面が大いにあると・・考えさせられました。言語構造の異なる外国語からの翻訳ではどうしても忠実に訳せない部分がしばしば生じますが、古典については意外に見当もつかないほどにわたしは無知に近い・・。現代訳、翻訳から音楽の演奏など、「再生芸術」と言われるもの全体に問題意識を拡げたら、途方もないことになってしまいますが、円地氏の、その箇所だけに限って言えば確かにあなたの指摘が正論だろうと思われます。私自身は当時・・昭和47年頃、その部分に納得し、記憶にとどめていたわけですが。女の賢しら、と書かれてしまうとちょっと悲しいですけれど。
念のため文章を探しました。
薄雲のなかほどでしょうか、「宮、いと苦しうて、はかばかしうものも聞こえさせたまはず。御心のうちにおぼし続くるに・・」のあたりです。円地氏の源氏物語巻四、27ページでは次のようになっています。
宮は大そうお苦しくて、はかばかしくはものもおっしゃれない。お心の内でお思いつづけになると、前世からの宿縁に恵まれて、高い位につき、この世での栄華も並ぶ人はないほどであったが、また心に秘めて、ついに満たされない思いも人には増さっていたこの身であったと、しみじみお思い知りになるのだった。
あの若い日に、藤壺の御簾や几帳に紛れながら何ごころもなく自分にまつわって来た世にも麗しい皇子・・・天つ空から仮に降り下って来た天童のように光り満ち、匂い満ちて清浄無垢に輝いていたあの少年は、いつか物思いのおびただしすぎる若人の姿に変って、ある時は枝を露に撓められた桜の花群のような悩ましさに頚を重らせ、ある時は精悍な隼のようにまっしぐらにねらい撃つつよさ烈しさの悲しみに怯えて、羽ぶるいしながら自分を捕え、揺すぶり、二つを一つにして見知らぬ境に連れ去って行った、二人はたしかに一つのものに変って、幻の世界にいた、でも私はただ一言も、あの人に言葉で許すとは言っていない。私はいつも何かを盾にしてあの人を避け、とうとう避けとおして命を終る日まで来てしまった。言わなかった私自身はあの人のうちに生きているであろう、それでも私はそれを言葉になし得なかった運命が辛い、主上こそこの満たされぬ思いの形見であられるが、主上御自身はこのことの仔細をゆめにも御存知になっていらっしゃらないのを、宮はおいたわしくお思いになり、これだけがとけがたい執念として、亡き後にもお心がかりとなりそうなお気持がなさるのであった。
「あの若い日に」からが特に円地氏が書き添えたところです。藤壺の感懐にしてもあなたの観点からは、違ったものが浮かび上がるかと思います・・書いて欲しいなあと思いますが・・。
さて、メールでの「書いていますか?」というご質問に、なかなかご期待に添えない・・と書くしかありません。先にも書きましたが、書き溜めたものがほぼすべて推敲以前のことばの堆積で、収拾つかないのです。掬いとるは掬い、他は思い切りばっさりと棄てないと、一度は追い詰めないと、いつまでも進めません。
「詩のようなものではいけません。自己満足に終わるな。詩は深く、厳しく、美しい。」重い言葉です。
絵を描くことも含めれば、もうこれは自分の能力以上のことを、しかも細々やっているようでは何も成し遂げられないでしょう、それは分かりながら・・成し遂げるという言葉を拒否しています。何も成らずともよし、ただし逃げず、退かず、そんな境地でしょうか?
「京都に住みたい」も遠のいたでしょう、と言われますが、わたしの気持ちには寸毫も変わりありません。住みたいところに住むのも幸せの条件の一つ、と今も思います。京都以外ないのではありませんが、せめてもう少し望む場所に住みたいと、これは痛切な想いなのです。自由ならそれこそ羽が生えたように飛び回るでしょう、そのための根拠地として京都に住めたら最高・・・すべて見果てぬ夢ばかりです。でもいつか実現させたいですね。京都を離れてからの時間の長さに嘆息です。
ゆっくり書いていたら、もう早々と午前の時間が過ぎようとしています。すぐ疲れるのです。また書きます。
大切に、元気にお過ごしください。
* 円地さんの「解釈追加」について「女の賢しら」とした「女の」は、わたしの瞬間の怒りが発した言い過ぎで、賢しい男も遣りかねない。円地さんの理解はこの理解でも成り立つとして、それは絶対に他の、自身の随筆や批評や創作のなかでなさるべきことであったと、よろしくないこと、と今も改めて思う。紫式部はけっしてそういうことは書いて説明などしていないのであるから。後世の読者を「創作」により魅了してもいいが、「現代語訳」に追加するのは、今風に云えば明らかな「著作人格権」への侵害であり原作への越権・越境である。
このメールの人の京都時代とは、主として京大在学時代の京都なのだろうが、わたしはその頃はもう東京で暮らしていた。その頃の京都、じつに懐かしい。あの頃の京都がわたしに小説を書くようにと唆してやまなかった。いま、わたしを唆しているモノは、何であろう。インスパイア。それは神の息吹にひとしい。それが「ハート」なのではなかろうか。
2004 5・15 32
* 小闇に、主婦之友創刊の石川武美の「言葉」を読んで貰った。八割方賛成。編集者に金と力のあった昔のことか、と。今では広告がいかに取れるかで雑誌はまかなっているようだ、と。ま、よけいなお節介とは思ったけれど。
* 編集者にお金と力があったというより、創業経営者=トップに、志と行動力と覚悟があった。たいていは金なども無かったのです。
現存社では、岩波、講談社、新潮社、改造社、平凡社、主婦之友社、淡交社、中央公論社など、また第一書房の長谷川巳之吉のような理想的な出版人も(「ペン電子文藝館」出版編集特別室で)取り上げてきましたが、みな、なまなかの作家批評家の文章よりも迫力をもっています。創業者はつよい。
本来出版社は一代で店じまいし、志と意欲の人がまた創業して苦労するという行き方が望ましいのでしょう。平凡社の下中弥三郎や岩波茂雄や新潮社の佐藤義亮など、読ませます。時間のある折、読んでみてください。瀧田樗陰も。
技術系の雑誌などは別にしても、日本のオピニオン雑誌のジャーナリストが、八割九割も広告スポンサーの前に腰抜けになっている現状です、新聞はもとより。明治の新聞も、やはり創業者の烈々の意思が強く、むろんそれだけでは長くは続かない。しかし長く続けばいいというものでないのが、ジャーナリズムの牙城です。楠木正成のようなゲリラ精神が薄く、みせかけの繁栄を追うているように見えます。ジャーナリズムが健康で烈火の意思を示していたら、ここまで悪くせずに済んだろうと思える問題が、日本の問題が、あまりに多いですね。 秦
* 実感である。
2004 5・16 32
* フェルメール 「闇」の中に北欧の画家の色彩が鮮やかに浮かび、京都岡崎の星野画廊で展示されたであろう秦テルオの個展の絵が想像され、京都御苑にある白雲神社で個展をされた上御霊在住の日本画家の「御門」の墨絵を思い出しました。
老若男女の行き交うメールを読み、声に共感し、羨望し、旅ができる不思議さをふと感じます。真空の波動を聞く「恍惚」の時間。
「宇宙のビッグバン」で元素が生まれその元素どもが「人間」を作ったという「知識」と科学的「知見」を知りました。
人間の「凄さ」と「恐ろしさ」を新たにします。祖先は「ハード」。こうやってメールする自分は元素が造りだす「ソフトウェア」かと尊大に思います。
今日も雨そぼふるような日曜日。
スタンスある政治論、絵画あり、脳だけではない「体」の教育論あり、心地よい通奏低音の広場であります。
18日は東工大の「「芸術講座2004」イマジネーションを抱きしめて」を聞きに行きます。ロジャー・パルパース教授の司会ですが、二回目です。最近感銘しました厨川白村の小泉八雲を、氏は「旅する帽子ー小説ラフカディオ・ハーン」として著している。読んでいませんが知りました。 川崎 E-OLD
2004 5・16 32
* これには、少しお面をかすられた思いも有る。同じこととは考えていないけれど。ただ子供というのと、ぜひ男子というのともちがうだろうし。
わが家でも、たしかに育ててくれた「秦」の家を、むざむざあと絶やしたくはないという、極めて私的ながらわたしには深い義理の思いがあるから。だが息子はどだい独身なのだからどうにもこうにもモノの云いようがない。だが以下の「小闇」の言い分はよく分かる。さて、この大闇が小闇に「まだなのか」と一度ぐらい聞いたかどうか、覚えていない。「櫻子」の話はしたことがあるが。
* あのひとのこと 2004.5.14 小闇@TOKYO
他人のことには興味のない私だって、彼女を追いつめたものには憤りを感じる。一日も早く元気になってほしいと思う。
ずいぶん親切なんだな、みんな。と同じくらいの強さで思う。男児ができないからって責めるな、という声は、確かにその通りで私もまあ生まれて初めて署名に協力してもいいかなと思うくらいの正論だけれど、お堀の向こうに住まう彼女にそういう思いを抱けるのなら、こちら岸で、同じような言葉や態度にいたたまれない思いのひとに配慮できないのはなぜなんだろう。
弟と、長子である私は五歳違う。母が子宮外妊娠などを経たからだが、この間のプレッシャーは、「その辺で遊んでいる子どもを連れ去ろうかと思ったほど」だという。子供心にそれは感じていた。私のアルバムに残る五歳以降の表情は、今よりもっと荒んでいる。
それは、仕方のないことではないのか。楽しみにしていたデートの朝、カーテンを開けたら雨が降っているように。 私の母の話など、所詮昭和時代の市井のある家のことだと、言おうと思えば言える。それから約25年。お堀の向こうとこちらという事情があるにせよ、これは彼女とその取り巻きだけの問題ではなくて、もっと大きな動きの「象徴」であると私は思う。彼女の義妹はそれなりに年を重ねて独身である。これもまたこちら岸では、そう珍しいことではない。
これは、心身症にでもならなければ許されないことなのだろうか。彼女を責めるなというその舌の乾かぬうちに、あなたはまだ母にならないのですかと問われることの、文字通りの矛盾に、私は何より呆れる。悲しくも辛くもない。ただ呆れる。
2004 5・17 32
* ご心配かけてすみません。糖尿のこと、血圧のことなどわたしよりもよほど大切になさらないと。わたしは少しずつ良くなっています。ほぼ日常の暮らしに戻りつつありますので、どうぞ安心してください。四十になるあたりまでは毎年寒くなると必ず風邪で熱を出していましたが、少し水泳をしてからは久しくそんなこともなかったのですよ。泳ぎは平泳ぎが出来ないのですからあまり上達もなかったのですが、かなり丈夫になったのが成果でした。いずれにしても大きな病気もしないでここまで生きてきたのですから感謝しなければなりません。
マードレ・デウスにずっと感じていた或る崇高さが、恐らく、昨日表現されていました「嘘偽りのない愛情と世界苦」なのだと分かりました。 兵庫県
* お見通し ご配慮嬉しく拝読いたしました。昨日、當麻(たいま)から磯長(しなが)をさすらって、今朝は風邪心地でしたの。
二上山にみとれ、當麻寺や石上寺を訪ね、御陵を巡るうち暮れてしまい、もうとっくに門を閉めているだろうと、諦め半分で叡福寺へ行ってみましたら、石段下の石灯籠が常夜灯の名の如く、灯っていました。薄紫の花が咲く階を上って、扉のない門を額縁に、御廟の三重なりの屋根が目に飛込んできたときの感激のまま、灯籠の仄かな灯りも清楚な境内を、美しい夢の中にいるかのように漂いました。 三重県
* いま雨が降っています。
海老蔵の目玉を、双眼鏡で覗いたのですか。
わたしの楽しみにしているのは、海老蔵より玉三郎の揚巻です。九月に名古屋へ来るといいけれど。烈しい雨足を聞きながら想っています。
2004 5・19 32
* 小さい太郎 朝刊の名作連載が、太宰治から新美南吉にかわりました。
「ごん狐」では、ごんが償いをし始めるときの台詞が、「おれと同じ一人ぼつちの兵十か」だったことに感慨深い思いでした。そして、「小さな太郎の悲しみ」の、一人ぼっちの太郎は「丹波」の秀樹と重なり、「西の山の上に一つきり、ぽかんとある、ふちの赤い雲を、」みている太郎が、「島」に一人立っているような気がしました。 名古屋市
* 知らぬ人には分からない、「丹波」はわが少年期の戦時疎開を書いた記録の手記で、自分を秀樹(ふでき)と名乗らせてある。そして「島」はわたしの中心の思想を載せている。底知れない鬱ぎが影をひろげてゆくようでオソレもするが、根源への懐かしさにも惹かれる。なにもなにも無意味に無意義になりきればいいのである、すると鏡は白くなり、空は青くなり、海はあらゆる波をのみこんでしまう。
2004 5・19 32
* 台風は午後から明日の朝にかけて烈しいと聞きました。今日は、外出なさらないほうがよろしいかもしれませんよ。
無理をせず、明日から本格的に荷物の梱包をはじめようと思っています。わたし一人の荷物なら、なんとかなるでしょう。母はそのあとで此の家を出て行く予定です。
家の中の嵐は、相変わらず吹き荒れています。もう慣れました。この家族は離れて暮らすのが一番よいのです。
湖の本を抱いて行きます、遠い新しい土地での新しい生活へ。お元気で。 群馬
* 半世紀も前に京都をあとに妻と東京へ出て来たのを思い出す。
2004 5・20 32
* たぶんわたしは、まわりの人を疲れさせるよほどイヤな何かを持っているのだろうと思う。碌なものではない。大学の頃の、専攻もなにもちがう或る知人が、はるか後年に何かの機会に、一読者としてわたしに漏らしたことがある。大教室などで一緒だったらしい。彼は云った、あなたには何というか、あたりを払って独り在るというか、謂いようのない威力があった。気軽に隣の席へ座れなかった。みんながそうであったかのように、あなたはよく一人で座っていた。そういうあなたを、みなが知っていたと。
話半分に聴いても、それはわたしの徳でなく不徳が謂われていたのである。聞きながらわたしは、それを否定できなかったのを覚えている。わたしは人を疲れさせる。そして一人になる。あの頃からわたしはそんなわたし自身を知っていた。他の人なら「身内」などと難しいことはいわなくて済むのだろう。
2004 5・20 32
* 風雨はひどくない、風の音はほとんどなく、雨も静か。六時半に起きた。ごく若い人の、深夜に勉強しながらの屈託のなげなメールが届いていた。日本中に、こういう少年や少女が何十万人といるのだろうなと想う。みながみな、それぞれに幸せでありますように。
2004 5・21 32
*「ハートとは、ソウルとは、<からだ>なのだ」「からだがハート」
佳いことばにめぐりあいました。
それと、今度の「湖の本」。とてもとてもたのしみで。
お頸のあたりの異常、どういうことでしょう。気遣われます。
今朝四時に寝て、八時に起きて、舞と謡の稽古に行ってきました。うちで予習もおさらいもしてゆかなかったので、散々でした。師匠に申しわけなく、はずかしくて。時間にも気持ちにもゆとりがなくては無理、もう、やめようかな。そう思いながら、帰りのバスでとろとろ。
仕事らしい仕事もしていませんのに、落ちつきなくドタバタ暮らしております。お芝居も映画も文楽も観ず。
文楽をたのしまれたのですね。それにしても文五郎や山城小掾の舞台をご存じとは、お羨み申すというより、ただただ、おどろくばかりでございます。父に連れられていっただけ、その気がなかったものですからさっぱり覚えておりません。愚かとも口惜しいとも、言いようがありません。やっと、先代の喜左衛門、越路大夫、紋十郎あたりは覚えており、打たれましたけれど。
光孝天皇のお子で雨夜内親王という姫宮さんのことを書きはじめたところです。仁明天皇から醍醐天皇あたりにこうした話が集中しているのにも、興味を惹かれます。
でも、この姫宮さん、実在のおひとではなさそうです。命日が西行と同じ日なのも、このおひとの実在、いよいよあやしくおもわれて。
あちこち、読んだり尋ねたりしているときのたのしさ。締め切りは背中に貼りつきそうに迫っています。いつも手際がわるくて、ことに、ここのところ、気持ちがふはふは落ち着かなくて、やっと、雨夜の姫宮さんにとりかかれたところです。
「湖の本」、たのしみにお待ち申しております。おからだ、どうぞ、おたいせつになされますよう。 筑波
* この人の原稿に障らぬように多くを省いたが。「雨夜さん」にはわたしも出逢っている。たしか『秋萩帖』を連載の最中ではなかったか、うろ覚えだが、藤原敏行などとの縁でこの盲目の伝承者を少し書いていた。こういう話題で声が掛かると、おもわず世離れてほうっと気がくつろぐ。このところ、びりびり、びりびりと暮らしていた気がする。それもまた佳いのだが、のんびりもまた有り難い。
* 布谷君もメールをくれた。来週の内にも久しぶりに逢おうと打ち合わせている。逢いたい人はいつもいる。逢いたいと言ってくれる人もいる。
* 眼をあいて暮らす世界より、眼をつむって確と手に触れてくる世界の方が男には親しめた。安らかで、美しかった。 (光)
これはあなた。何を見ていらっしゃるのかしら……。 あなた、さあ眼を閉じて……おやすみなさい。
* こんな深夜にこんなものを読んでいる人が空の彼方にいる。一瞬例の不正メールかと思うほど心当たり無くてわたしは戸惑ったが、まちがいなく「光」とは、わたしの初期の掌説の一編である。
* 光
ああ愉快、愉快――と、こんなふうに言ったことがただの記憶のかけらになり切っていた。男の子らしいいたずらをまんまと仕了せた時、また男の子らしい生真面目な仕事を成し遂げた時、すこし胸を張って、こんな言葉を使ったものだった。
男は、久しく愉快を感じたことがなかった。
毎日毎日、男の心には不等記号が愉快より一層多く不愉快の方に開かれ、もはや頑なに生活の下絵をつくっていた。
一、二、三、四――、歩けば男は歩数をはかっていた。一段、二段、三段――、昇れば階段の数をかぞえていた。
一人、二人――、道行く人影を男は意味なく数えていた。そして一日の暮れてゆくのを二時、三時、四時と、呟き呟き見送っていた。
数えられるものばかりが多く、数えても数えても、あまりに虚しくて男はしかとした印象を何事からももたなかった。俺は何をしているのだろう――、そう考えることもあった。答えは見当たらず、男は自分が無数の数の一つであることだけを朧ろに知った。
数の内か――。それは救われたような空々しいような気もちだった。
男は眼をつむることを覚えた。
眼をつむってしまうと、たちまち何一つ数えようがなかった。濃い闇の中では凝り堅まって確かな手ざわりで自分が自分に生き返った。静かな秩序が、整然と歩調をとって男の中で高らかに活躍した。
男は眼をつむって嬉しそうに歩いた。だが、十歩も行けば不安がはっと捉えてきた。眼をあけてみて、男の胸はときとき鳴った。男はほぼ真直ぐ歩いていた。危なげはなかったのだ。
十五、二十、三十歩とやがて安らかに男は自分の闇を支配して進めるようになった。歩数をかぞえることもやめて、男は大きな充実にとり包まれ、むさぼるように一足一足愉快に歩いた。
走ろうとすれば走れた、だが眼をあけて見る外の世界は、あまりと言えば狭苦し過ぎた。
広い場所、人のいない場所を探ね歩いた。そのような場所があればふっと眼をつむって、男は自在に足早に確実に、あたたかい陽ざしへうつつに顔をふりむけ、悠々と愉快に歩きまわって過ごした。眼をあいて暮す世界より、眼をつむって確と手に触れてくる世界の方が男には親しめた。安らかで、美しかった。ただのくらやみだったこの世界にあざやかな光と色彩が満ち溢れていて、紛れもないものの像を日ごと男の眼の底にかたちづくって行った。
或る日も男がこの新しい領分をのどかに満ち足りて歩いていると、一人の少女に出逢った。遠い以前、男が男の子らしい清々しい声で、ああ愉快、愉快と言っていた頃愛していた、その少女だった。昔通りの微笑を優しくふりむけ、少女は、あら、あなたもいらしたのと叮嚀に挨拶をした。あたくし、もう二年になりますの。それから、もっと早く来て下さると思ってたわ、と言った。
男は少女の傍を少年のように歩いた。ああ嬉しい、と少女は昔のように可愛く甘えて男を見上げた。
男は黙っていたが、幸福だった。闇にぱっと光が射して、なにもかも明るく、はっきり見えた――。
崖を踏み外した男の死体は直ぐ見つけられた。
引き取り手のない死顔が愉快そうに微笑っているのを、人は無気味だと思った。
* この掌説を、わたしは昭和四十二年(1967) 二月に書いた。連日書いた九日九編、の二日目に、光でなく「闇」と題して書いている。そして第四冊目の私家版『清経入水』の巻頭掌説集「繪」の一編として活字にした。いうまでもないが此の私家版をアテズッポーに送り出したのが、まわりまわって「清経入水」が、知らぬうちに第五回太宰治賞の最終候補に差し込まれていた。
それにしても原題が「闇」であったとは忘れていた。そしてこれは、畏しい作品。たんなる咄嗟の思いつきのお話しのようでいて、実は書いたときはそれに相違なかったのだが、わたしのよほど深い根の部分から生まれていたことは、私が今も「闇に言い置く」ことを文学の、創作や執筆の姿勢にし覚悟にしていることでも明白。この何処の誰とも知れないたぶん女性は、さながらこの作中の「少女」の呼びかけるようにわたしに眼をとじて眠れと誘っている。
2004 5・22 32
* ご無沙汰しております。
昨年の十月に母が亡くなりました。その後は公私ともにめちゃめちゃに忙しい日々が続いておりますが、大学は定年まであと2年あります。それまでにダウンしなければ、続けたいと思っています。
夏休みは母の実家の処分のための整理に行かなければなりません。これがどれほど大変かを考えると今から、憂鬱です。この家に父や母の残していったものの整理もまだできていませんのに。 東京
* この人はわたしと同年だから、つまり古稀の定年ということか。ご本人も学生もお気の毒なことだが、大学教授であることに、崇高なほど執愛をもった人だ、きっと敢闘されるだろう。それにしても大学の先生というのは、よほど先生であり続けたいらしい。生活のためか、地位の魅力か。学問か。母上は、鷹揚な歌人であった。
* 今日、関東の一角から遠く名古屋の近郊へ引っ越していった読者がいる。もう無事に新居に入って一安心しているだろう。
そしてはるばるピョンヤンの学生生活から日本へ渡ってきて、久々に親の胸に夢を結んでいる若い五人もいる。夢のまどかなれと祝福したい。
ここで立ち止まることはできない。残る三人、十人、数百人のあること。見送りもされず、逆に見送らされて茫然と「十九秒間」立ち竦んでいた我が国の総理大臣の、あの期に至って初めて臍を噛んだあの屈辱の表情、あれは小泉一人のものとは思わない。ドツボにはまったとは、ああいうのを謂うのだろう。
2004 5・23 32
* オハヨ 夜の内に雨が降ったらしいけれど、何も知らない。
もう、外の葉っぱも掃きました。
草木の露は程佳い光を受けて、いま五月。
白川夜船サンはどんな夢をみていることやら。いい一日でありますように。 西多摩
2004 5・25 32
* 青葉が眼に沁みます。もう洗濯物も乾きました。じーと家にいるのが勿体ないほどの好天ですね。
しばし根仕事の手を止めて、騙されたと思って、音楽を聴きながらでも、DVDを観ながらでもいいから、両手一緒でも片手ずつでも前へ三十回程、後ろへ三十回、回してください。痛ければ、軽く、回数を減らして。急がば回れといいますやろ。
最低一度、朝晩二度、日常、続けられれば、いいけれど。肩こりに効き目抜群。運動不足で書斎派の人には最高の方法だと思うけれど。
血流をよくする為には、痛み止めを飲んでも何の解決にもならないでしょう。 京都
2004 5・25 32
* こんばんは。 疲れました。 今日まで、朝から晩まで動きっぱなしの五日間でした。今日は洋服を掛けて収納できるケースを買って来ました。これでやっと、散らかっている服を整理できます。
こちらへ来てから、連日買い物に出かけていますが、新居はまだまだ整いません。昨日の夕飯は、ダンボールをテーブル代わりにして食べました。
今週のうちに、名古屋へ行ってみようかと考えています。最寄り駅には、快速がとまるので、十五分で着くようです。家から駅までは、歩いて十分か十五分といったところでしょう。
新居の周囲は住宅ばかりですが、道路が狭く辻が多いので、道順は心許ないです。
駅近くに駐車場があり、夜遅くなるときは、駅まで車を利用した方がいいかもしれません。駅周辺で、ひったくりが頻発しているらしいので。
明日は出かけなくて済みそうなので、また片付けに勤しみます。
お仕事、ほどほどに。
秦さんのメール、とてもほっとします。不安な新生活ですから。
そうですね、わたしはもっと気長になった方がいいですね。
これまで何回か引越しを経験していますが、すべて自分一人のものでした。今回は、自分の荷物だけ片付ければいいという訳ではないので、ちょっと勝手が違い、焦ったり疲れたりしているのかもしれません。
明日からは、ゆっくりやることにします。
これから、スカッとする映画でも見てみようかな。
楽しいこと、していらっしゃいますか。 愛知県
* 東京へ、ほとんど身一つ、いや二つで出て来たときの新生活を思い出す。六畳一間、ラジオの空き箱に風呂敷をのせて御膳の代わりにした。窓にカーテンもなかった。
2004 5・25 32
* 待っててね。 そんな童謡がありました。ここに暮しておりますと、大黒屋光太夫、松浦武四郎に関する記事を、時折見かけますの。ずいぶん「最上徳内」を読んでいないので、たえられない飢えのような`読まねば’という気がしておりましたところへ、伊能忠能の地図を見たものですから、なおのこと思いが強まりました。
ところがご本は一冊一冊、文字を追うだけでも時間が要り、気が済むまで読んで、違う世界のお作へ気を変えるところまで到るのは、はなはだ困難。
今は、羽が疲れてしまうまで、お作『蘇我殿幻想』のなかの「飛鳥」を飛んでみますわ。
一分へ。 お書きになってらした通り、無量寺、称名寺が並んで建つ、右脇から、竹藪の細い道をたどると、有間皇子墓がございました。
西大寺駅で降り、菅原神社と喜光寺へ、そして霊山寺、竹林寺、円福寺。最後に、般若寺へ。
喫茶店のママ、食堂のご夫婦、お参りの近所の方、ご住職と奥さん‥温かで、マナー優れた人々に出会いました。お話が弾み、考えていた半分も廻れませんでしたけれど、こころが温かくなる佳い旅でした。
*「一分」などという所へはふつう、ま、足が向かない。よくまああんな墓まで見つけてきたことだ。雀さんは立地条件に実に恵まれている。名張と聞いても何処と見当のつかない人が多いが、奈良へも大阪へも京都へも名古屋へも伊勢へも、羽をらくらくと伸ばせる。いたるところ史実と伝承との宝庫なのだ、羨ましい。
2004 5・25 32
* 東京會舘で読者と歓談、二時過ぎまでこころよくおつき合いした。池袋に戻り「船橋屋」で天麩羅と甲州の酒「笹一」を枡に三杯、知れたモノ、二合とはあるまい。保谷に戻ってパンを買い、「ペルト」でエスプレッソを淹れてもらい、モカを二百グラム買って帰った。
2004 5・26 32
* 定家 先達て、泉屋博古館分館で、展示室に入るなり、「こぬひとを」と、たった五文字、その墨色と手跡に、まるでキューピッドに射られたようになりましたの。松園の「砧」の繪が、目の前に現れ、文雀さんの「きぬたと大文字」をおもい、正面から動けませんでしたわ。
佐竹本の「こひしさは…」も心に響き、帰るみちみち、「こぬひとを」「こひしさは」と呟いておりました。
日なたと日かげが、オセロゲームの盤上のように、めまぐるしく代り合う木陰に寝入る白い犬の、風にそよぐ和毛を思わせる、このところの月。
* 文雀とは、人間国宝の文楽人形遣い。この人の天下一のオッカケであるらしい、囀雀さんは。この名前はあんまりメールが来るのでわたしが呆れ半分にメールで贈った名乗りであるが、うまく付けたモノだ。もっとも文雀の実感はほとんど無かった、なにしろ文楽を数十年観ていなかったから。きっかけは別にあった、大坂の成駒屋中村扇雀丈が電子メールが出来る、アドレスはと教えてくれたのがこの久しい読者で、そのお礼と諧謔とから「囀雀」という名を差し上げたのであった。
ここに引いた定家の歌は云うまでもない百人一首の「まつほのうらの夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」であり、これに松園の「砧」をあてがうあたり、たしかな理解である。
* テレビを聞いているともうもう脳の腐るような話題ばかり、それを高声に男や女が交替に叫ぶように喋るのだから、堪ったもんじゃない。同じ囀りでも雀さんのはやや気取っているが爪びきの静かな音楽に近い。
* 今日は地唄舞のお稽古です。蜻蛉模様の水色の浴衣が似合うと褒められています。(舞いの褒めようがないので、いつも着ているものとかポーズを褒めていただきます。先生もご苦労なこと!)
ところで、私の以前からの疑問。世論調査の信憑性です。
日本テレビが視聴率買収して問題になりましたが、そのニュースを観てああやっぱりと思った人は多かったのではないでしょうか。氷山の一角が現れたのです。何でこんな番組の視聴率が高いのか、ずっとふしぎでした。
それと同じで、世論調査にもある種の、与党寄り結論が出るような操作があるのだろうと思っています。アンケートが真実無作為に選ばれた人に対してなされているのか。
少なくとも、政府に批判的な意見の持ち主は、災い恐れてアンケートに参加したがらない傾向にあるということ、言えますでしょう。そうでなくては、小泉首相の訪朝成果ありと考える人の数字は、私には信じ難いものです。
今、バッハなどの宗教音楽を聴いています。「主よ、人の望みの喜びを」等々、人間の魂の仕事の崇高さ。午後は躰を動かし、気分転換して。
* 世論操作ということは、独裁政権でない限り、政府筋にはそれが「政治」の代名詞ぐらいに、いつも念頭にあるだろう。うまく行くときは黙っており、うまく行かないと焦れてマスコミに八つ当たりする。
そもそも最近いちばん奇怪に思うことは、「政府批判」はけしからんという政府筋やその取り巻きの発言。
民主主義では、またそうでなくても、政府は「批判される存在」でなければならない。国民は政府を常に批判できる姿勢で居なくてはならない。権力や公を、自由に私民が「批判」できてこそなんとかまともに政治は機能する。「批判」を抑え込む政府ほど危険で暴虐なモノはない、どんな獰猛な悪獣や怪獣より怖ろしい。その意味ではブッシュ政権も小泉政権も、金正日政権やフセイン政権に、明らかに限りなく近づこうとしている。国民は、政府に背く権利、批判できる権利を政体の前提として確保している。だが、その種の権利を奪い取ろうと、権力はつねに躍起になる。それが「歴史」なのだ。余儀ない闘いを真摯に闘い続けていないと「私民」はすべてを失い、まるはだかで徹底的に縛られる。イラク捕虜虐待の写真を思い出すがいい、権力とは、つねにあのような図で私民たちの基本的人権を侮辱し蹂躙したい願望を潜在的に抱いていて、ぎらりぎらりと顕在的に実現して行くのである。
「政府に批判的な意見の持ち主は、災い恐れてアンケートに参加したがらない傾向にある」かどうかは難しい判断だが、日本の或る程度の教養知識人の基本の性格に、お上に追従するのがトクという意識や姿勢の陋習として有ることは、疑いようがない。阿諛と追従が中身のない日本の学歴インテリたちの基本傾向なのは、情けないほどことごとに感じさせられる。彼等は、日本のオピニオンリーダーになることに身をもって責任を感じていないこと、つまり学歴を重ねたことの真実の意義を抛擲していることは、甚だしいモノがある。ながいものに巻かれるために大学を出ているのである。どんな優秀な技術や知識をもつていようが、基本で欠格なのである。
「選挙」に行くヤツなんてバカですよと、政治哲学の先生の放言し冷笑するのをわたしは此の耳に聴いたことがある。あのときの思いを蘇らせることほど、不快な記憶は無い。
小泉訪朝で彼の支持率がさがるとは想えなかった、操作しなくても率はきっと上がる、そういう国なのである日本はと、常々情けなく身にしみている。衆愚と責めてはいけない、なによりも知性と責任を欠いた余りに多くの「エリートこそが愚」なのであるから。衆はそれを照り返しているに過ぎない。
* 先日、メールをさしあげましたとき、器械がいやな感じの音を立てました。それぎり、言うことをきいてくれません。今の器械に、まだ、馴染んでいないのでございます。大学の先生になって海外に行った人――わたくしの器械のセンセイ――が、日本の家に置いたままにしてあったのを、ゆずってくれたものなので。
あわててインドネシアまで電話して、いろいろ、指示を仰いだり、向こうから遠隔操作してもらったり。
でも、だめでした。
仕方なくというか、イライラしながら、あちこちのキイを叩いていましたら、何かのはずみで、ポンと治りました。きつねにつままれた感じです。
くださったメール、また「湖のお部屋」でのおことば、うれしく拝見いたしました。
ご著書にたしか、雨夜さん、お姿を見せていたはずと、わたくし、琵琶法師と関係づけて、『風の奏で』に尋ねていました。時代からいえば『秋萩帖』でございましたのに。何度か再読をくりかえしていましたのに、どこを読んでいましたやら?
ご示唆をいただきましたのに、原稿を渡してしまって、山科の宮さんを活かせませんでした。ホームページに採録するときに、書き足したいとおもいます。御霊さんという面も。
今日はこれから大学の図書館に「兵範記」を読みにゆきます。崇徳院周辺の流罪になったひとたちのこと、やはり、ちゃんとした資料で確認しておきたいので。
崇徳院の側近のひとり藤原教長の流罪地、なんと、霞ヶ浦なのでございます。昭和初期に干拓されて今は地続きになっていますが、「浮島」という島に流されていたようです。「浮島」という地名が残っているばかり、昔日のおもかげないと聞きましたが、行ってみようとおもいます。わが家から遠くはないのですが、日に何本かのバスを乗り継がねばなりません。
きっと、デジカメをぶらさげた方向オンチが、教長さんやーい、と、うろうろすることでしょう。
* 面白い時代ではないか、最先端の機械の不具合や回復を通して、千年千五百年むかしの伝承や史実が探求されて行く。この人など、東京住まいなら恰好のE-OLDの会員なんだが。話題が豊富で厚みもハバもある。この人ならお人も年齢も申し分ないのだが。
* 布谷君が家まで来てくれて、軽い昼食のあと、コンピュータを点検してくれた。メモリとディスクとを調べていますと云うが、わたしには何をしているのか理解できない。だいじょうぶですと保証されるとやはり安心だ。へんなところは無いではないけれど。CDRを使えるようにしてくれた。うまく利用して行きたい。
一緒に日比谷まで出て福助で鮨にし、二人で二合の酒をわけた。そのあとクラブに入り、布谷君はワインとブランデーを、わたしはブランデーだけを呑み、歓談。
2004 5・27 32
* 日が傾くにつれ、雨もよいになってまいりました。いかがお過ごしでしょうか。
六月五日から数日間、唐招提寺御影堂が開扉され、鑑真和上坐像とともに障壁画が公開されると知ってから、待ち遠しくてなりません。
「東山魁夷展」では、引ッ剥がした残酷さに居た堪れず、すぐに展示室から出てきてしまいましたから。
収蔵庫の仏像は監禁に、美術館の茶道具は遺骸に見えます。生きやかに、生きて息しているところをみたい。
* 今、友達と神戸で田中一村展を見ています。
朝のメール嬉しく読みました。今しがた、夕方六時五十分、バスを降りて畦道を歩いて家に戻りました。部屋が暗くなってきました。
田中一村は以前見たことがありましたが、再び友人の誘いで神戸まで。 さて、いまから用事をこなします。
* わたしの読者や友人であれば自然当然に好むところも近い。美術は、現代のも古典時代のも、鑑賞ものも宗教的なのも、洋の東西を問わずに分かり合える人達が多い。文学でも、歴史でも、伝統藝能でも、同じである。「湖の本」世間というものが現にあるが、それは私の作品だけでなく、日常の意見や感想や生活をも介して気持ちの通い合う世間になっている。そして排他的ではないから、少しずついろんな人達が遠くからも近くからも声を掛けてきてくれる。差し支えのない限りは、なるべくその声声を私しないようにしている。
2004 5・28 32
* 新緑もあっという間、もう梅雨の気配さえ漂ってきました。
この二十七日、右の奥歯を抜きました。大きな仕事が始まると、太い黒いピンが歯の根を傷めるようです。
新しい施設の契約も進み、スタッフの最終面接も終わり、いよいよ八月オープンに向けての忙しい日々が続きます。
なぜ、仕事を広げたいと思うのでしょうか? 自分でもふと思います。しなくても良い苦労を重ねて歯を一本失い、黒いピンの数をさらに増していく日々。
喜びもありますが、自分で自分をいためている気さえすることがあります。 お客が入るのだろうか? 事故なく日々過ごせるのだろうか? スタッフの人間関係は円滑に行くのだろうか? 子どもたちや親たちが喜んでくれるのだろうか? そんなかすかな不安はよぎりますが、今回も必ず成功するという予感があります。
文学とも絵画とも・・・ あらゆる藝術ともかけ離れた「仕事」という創造にのめりこんでいくのです。あほな人やと思ってください。
イタリア風の小さな街に美しい子どもの家ができ、子どもの歓声で溢れることをイメージしながら、黒いピンだらけのハリネズミのようになって過ごしています。 川崎
* エリザベス・シューの出ている「セイント」という映画を半分観ながら、発送の作業を続けていた。そうイヤな映画ではなく、そこそこ楽しんでいた。
今日も、いろいろと前へ用事を押し出していった。わたしの事業は、上のメールの人とちがい、営利とは滴ほども関係がない、あるとすれば、少しでも気と手をぬけば出銭がふえ、赤い血が全身に滲む意味で、非営利に関係がある。気にしていない。気にしたりすれば、わたしもこの人のように、針鼠のように、痛い黒い針を全身に刺したまま飯を喰い、外出し、仕事をし、本を読まなくてはならない。わたしはもう、稼ぎたい儲けたいなどと云うことをてんで考えていない。わたしにはそういう能力のないことを可笑しいほど知っている。むしろ怪我や病気をしたくない。
2004 5・28 32
* さきほど「私語」を拝見。沸騰するお怒りごもっともと……。でもこんなお話しはやめましょう。
今、純白のパジャマ姿でパソコンの前に坐っています。このパジャマ、買ったときには気づかなかったのですが、じつは上着が長くてボタンの数がとても多いのです。男性泣かせのパジャマなんですよ。
メールに登場した田中一村は私も好きです。題名は忘れましたが崖の上にいるアカショウビンの絵が、画家の自画像のようでとても心惹かれます。
* 今昔物語に引き込まれ行くにつれ、いま、法華経をまた読み通してみたい、できれば声に出して全巻読誦してみたい気持ちに傾いてきた。浄土三部経は繰り返しその様にして読んできた。法華経は一度黙読で通しただけだ。
以前から「湖」の日本語には美しい音楽が流れていると思ってきました。このように音読なさっていらしたことが血肉となって、あのえも言われぬ音楽が奏でられると感銘を受けました。お薦めの音読本を教えていただけますか。
頚や肩の痛みはいかがでしょう。
ご迷惑でなければまたこんなつまらぬお喋りをお許しください。
佳い夢をみてくださいますように。おやすみなさい。
* 一日の終わりに、平和なメールが花びらのように舞ってきた。
2004 5・28 32
* バルセロナの小闇が、久しぶりにメールをくれた。あの小柄にさえ見える長身の、ということはとてもスマートな学生が、キャンパスで出逢うと笑顔で駆け寄ってくるような学生が、いま、バルセロナで、家庭と勤務と創作の暮らしを日々に満たしている。教室ではじめて出逢ってから十余年、だが、二十年も三十年も仲良くしてきた気がする。どの卒業生ともそういう気がするから不思議である。
バルセロナが京都に縁の濃い人とは知っていたが、「馬町」とか国家安康の釣鐘でしられた「方広寺」とかの名前を彼女から聞いたことはあったのだろうか、とても新鮮。
* 湖の本「古典愛読・古典独歩」が無事バルセロナに届きました。特別関心を寄せてこなかった古典の世界ですが、恒平さんの話を聞く(読む)度、ふっと覗いてみたくなります。日本にいたなら~のに、と言うつもりはありません。本が簡単に手に入らないと言うのは、読まないことへの都合よい言い訳と思っていますから。ただ、よっぽど読みたくない限り、強いて手に入れようとしないのも本当です。
電子文藝館の「閨秀」も、読ませていただきました。 懐かしいです。
京都が舞台になっている恒平さんの小説を読むと、いつも懐かしい感触が広がります。描かれてある街の片隅が、時代は違っても、私の過ごした京都と重なるからでしょう。自分が生活したどの土地より、京都馬町(うままち)を想う時郷愁を感じるのは、これもきっと母のせいなのでしょうか。方広寺石階段の幅広い欄干は、よく見ると、中央が磨り減って艶やかなのが分かります。大人になってから、それに気づいた時のおかしさ。子供達がズボンやスカートを擦り切らす傍ら、石も磨耗していたんだなと。あれは、そんじょそこらの公園の滑り台より、よっぽど面白かった。
東山安井の金比羅さんの絵馬館にも、思い出があります。小学二年生を終えた春休み、訪れた私に、何を思われたのか、館長さんがひとつひとつ説明しながら回ってくださいました。絵馬が馬屋の形をしていること、願い事の絵馬では、神様どうぞお乗りになって、願いを叶えにやってきてください、という意味で、馬が左を向いていること、お礼の絵馬では、神様が無事帰途に着くようにと、馬はその逆、右を向いていること、馬と一緒に猿が描かれているとなおよいこと(なぜよいのかは忘れました)など。
あれ以来、切実な願い事には、厚紙を絵馬型に切り取り、馬の絵を描いたものでした。左向き、右向き、左、、、、最後の馬は、大学一年の終りに描いた左向きの馬。その館長さんとは数年間文通があり、それも途絶えた五、六年後、散歩しながら立ち寄ってみると、亡くなったと知らされました。
京都にいる時はとにかくよく歩きました。清水(きよみづ)さんから、祇園、東福寺までご近所さんのような感覚で。恒平さんと知り合ってからは、迷い込んだ袋小路から、ひょっこり小学生の恒平さんが出てきそうな気が何度したことか。
ところで、次の湖の本(創作シリーズ)の注文をお願いします。
11 畜生塚・初恋
20 隠水の・祇園の子・余霞桜・松と豆本
21 四度の瀧・鷺
お支払いの方は、「古典愛読・古典独歩」と合わせて八千円振り込ませていただきます。日本の郵便局から海外の口座への直接送金はできるのに、海外から日本の郵便口座への直接送金ができないため、今のところ振込みは母に頼んでいます。手違いがないとよいのですが。
小説は書いています。蝸牛のように。三度違う場面から書き出してみましたが、まだ冒頭でつかえています。ぱっと浮かんだ案で「書ける」と思ったものの、これは自分史ではなく小説なのだから、筋立てをよく考えない限り、何が主題なのかわからなくなりそうなことに気づきました。同じところを往ったり来たり、ひねくり回してばかりいるのではなく、もう少し思い切りよくどんどん書いてゆくことが私には必要です。
闇はいつも覘いています。 京
* わたしは「馬町」の坂の途中にある、京都幼稚園のバスに送り迎えされていた。高校の学区域で、あの近在には懐かしい人達の名前がいくらも今ものこっているし、小説にも書き込んでいる。ことに新聞小説の『冬祭り』の舞台は、まさしく馬町や正面(豊国神社や方広寺へ向かって正面の意味の地名)のあたりに深く根ざしている。あの人はあの小説を知っていたのかなと、ふと思っている。
この人のように海外に日々を送る人達に、「ペン電子文藝館」の作品が歓迎されている例をときどき手にしている。嬉しくなる。と同時に、お節介になるか邪魔になるか知れないが、ときどき「新展示作品」の簡単な紹介をするといいのかも知れないが、方法は難しい。そのために、特に「招待席」作品については、人と作品の「略紹介」に心を用いている。
* 出かけてみたい所の、資料や切り抜きの置き場を、戸棚の隅にこしらえ、月末に整理しておりますが、昨日、「庭園散策―岡崎―」というパンフが出てまいりまして、今月、まだ一度も京へ出かけていないこと、京を忘れていたことに、驚きました。
平安神宮神苑、無鄰菴、織寶苑、都ホテル京都、白川院、洛翠、清流亭、野村美術館・碧雲荘、金戒光明寺、聖護院、永観堂禅林寺、南禅寺、天授庵、金地院、青蓮院、知恩院など、今月いっぱい、特別公開や割引などありますの。
雨の予報に、出かけてみたくなりました。
* みな、たちどころにその場に在るように思い出せる名前ばかり、強烈な誘惑である。朝早くから、拉致と北朝鮮問題、イラクでの襲撃遭難事件、など生々しい話題にふれたあとで、こういう清やかな方面からの慰撫や鼓舞を受けると、かろうじて立ち直れるような気持ちになる。
話題が急にかわるが、こうしてキーを打っている自分の二の腕がずいぶん細くなっているのに気付く。背中も腰も肩も、慢性的に痛いのだと気付く。むかし茶の湯の稽古に熱中していた頃、どんな座り方をしていても、そのまますうっと静かに、何の力もかけず姿勢も変えずに立ち上がれた。いま、立ち居がらくに行かないから情けない。
* 恒例、ご近所さんが1年分のお手製梅ジュースの大量の残滓、ミキサーにかけたものを届けてくれました。
あれ、もうこんな季節なのね、と悦んで頂戴して、今、大きな無水鍋で焦がさない様に弱火でじっくり時間をかけて梅ジャムを製作中、甘酸っぱいいい匂い。大半を冷凍保存して、これから半年はバンのお供です。
捨てていたと聴き、もったいないよと頂いて、もうかれこれ十五年、私の風物詩です。
「コールド マウンテン」
お向かいさんがどうしても観たいというので、付き合いました、が・・・南北戦争の話はまあ気を惹かれないけれど、あの眼に魅せられた「レニーグラード」のジュード ロウ、「ブリジット ジョーンズの日記」ではポチャッと可愛い女の
子、レニ ゼルウイガーが自ら売り込だと聴く、体当たりの田舎娘の演技で確か助演女優賞を貰っていたと思うし、きれいなニコール キッドマンも観てもいいかと。
長い映画でしたが、つい寝込むような気を抜く場面がなく、一言で云えば佳かった。戦争の悲惨さを骨子に、終盤の恋人同士の三年ぶりの再会の情況は不自然なオハナシだ、と思われ、ハッピー、そしてアンハッピーエンドだけれど、やはりアメリカ映画、救われない話で終わってもいない。
バージニア州、コールドマウンテン、実際にあるのか、その場所で撮っているのかは分らないけれど、人と人との争いに相反して、自然の景観が素晴らしく美しく。先日観た「真珠の首飾りの女」と同様に、最後に一粒の涙が出ました。
梅ジャムが出来ました。
* 台所仕事のかたわら、こういう交信が無数に飛び交っているかと想像すると、WWW(ワールドワイドの蜘蛛の巣)が目に見えてくる。遠方の友人や知人と、こんな風に気軽に話せる、手紙を書き交わすということが昔は不可能であった。電話代もかかったし、ポストへ通うだけでも面倒で、つい手紙を書くのも三度に二度はやめていた。手軽と云うことなら若い人達の携帯メールは、半分は記号と決まり文句の簡易通信らしいが、パソコンのE-OLDたちはいつ知れず文章・文体を身につけて行く。表現の喜びを無意識にも感じている。それが大きな事だと思う。
* 梅の実の熟れのにほひの目に青く日の照る午後の遠きおもひで 宗遠
2004 5・29 32
* 愛知をよくご存知ですね。
自分の車を持って来たので、あちこち出掛けてみます。そうしているうちに、道を覚えるでしょう。名古屋は、栄町というところが繁華街みたいですね。ミニシアター、美術館、ライブハウスなど、たくさんあるみたいです、ぴあマップによると。
* 愛知縣をよく知っているわけではない、ただ早くから中日新聞にご縁が出来、『冬祭り』をながく連載したり、講演にも何度か行っているし、読者も多い。日帰りで出掛けられる遠さ近さで、一泊することもあった。名大や名市大のお医者さんと編集者時代に幾つか一緒に仕事もした。他の都市よりは比較的心親しく感じている。そういうこと。名古屋近郊に住んで自分の車があれば、(暇とお金があれば、特に)楽しみの多そうないい処と想われる。ただ颱風にはよく襲われる。この群馬からはるばる新居を得て移っていった人の街は、金魚と文鳥の街だと聞いている。
* 大和から抜けられない。 富山の水墨画美術館から借用しての、特別展開催中の松伯美術館と、展示替えしたての中野美術館をはしごして、華岳、紫紅、波光に染まった心のまま、崇道天皇陵から圓照寺宮墓、正暦寺へと参り、さらに弘仁寺、帯解寺へ寄り、龍王山、三輪山を車窓に見ながら、桜井まで、JRに乗りました。
暑さに堪らず、近鉄乗換えの通路にある居酒屋に飛込み、ビール。
板さんが、桜井、榛原、室生、曽爾、御杖、菟田野、大宇陀を網羅したガイドブックをくださいました。
正暦寺を今まで知らなかったのが悔やまれます。清まわりますねぇ。
* こういう「通」の先輩もいる。この人も、もともと新潟の人が大和に魅せられてほとんど金縛りにあっている。しかも、この人は電車とバスだ。大変な行動力で、病弱そうに云うのが信じられないほど。
2004 5・30 32
* 蛍袋咲く逍遥の小径 松伯美術館では、この春の三重県立美術館「松園展」に出なかった「鼓の音」、下繪でしたけれど「人形つかい」左隻と「青眉」を見ることができたのがよかった。
企画展の水墨画は、栖鳳と竹喬が二点、大観、観山、春草、古径、龍子、青邨、紫峰、波光、華岳の、特徴の感じられる一点ずつ。
中野美には、麦僊、華岳、波光が出ていました。
「やっぱり水墨画に踏み切れない」。最後となった個展で、淳之さんにこうおっしゃったと知って、和歌山で始まる「小野竹喬展」に行ってみたくなった雀です。
* 東京の小闇が「闇に言い置く」の、「しばらく更新を、休みます」としてから、もう何日になるか。病気でないといいが。
2004 5・31 32
* 闇は宇宙でありましょう。
関西の珍しい地名を見て、探し、ああそこかと思う、だだそれだけでおおげさであるが新しい発見である。
闇を覗き、そして豊かな方々の言葉を聞き、多少は「化粧」をしていましょうが艶なる香りのたちこめた文章に浸る。平成の源氏物語が闇に見える気がします。
「メールの模様」。
女性の話し言葉には「着物の柄」が見えます。男はそんな事はなく野球なら「直球」です。若い男の直球はあら削りであります。色んな模様が織り成す「闇」。 川崎 E-OLD
* 朝一番のメール。源氏物語とは痛み入るが、女性のメールに多少は「化粧」をしていましょうが、艶、とは鋭い。文章=言葉とは、過不足なくということの出来ないサガをもっている。それが化粧になる。とても濃い化粧もあり、あまりに淡泊な化粧もある。だからおもしろく、だからよくもよくなくもある。それが女の筆に多く出ることは、ま、そういうモノのようである。出た方がいいか、出ない方がイイか。出ないわけには行かないのである。だから文章は、表現は難しい。E-OLD、鋭い。
* 雨がひどくありませぬように。静まれ、と。
2004 6・1 33
* だから…好き
悪いコトまだできる齢さくらんぼ(74才 男)
誕生日かつ丼八五◯円(78才 男)
ミニスカの美脚目で追いけつまづき(70才 男)
「もう空いた曜日がないぞ医者通い」なンておっしゃっていながら、このセクシィさ。惹かれます。60ではいやらしく、80といわれたら、なんだか無理してそうで、雀はこういうのが、す・き。
本日、ひとつきぶりに、京へ行ってまいりました。お作のなかでお教えいただいた、轉法輪寺や安養寺(弁天社の宝塔も含めて)を訪ねましたら、ご住職の応対も、優れた仏も、有難く、幸せでございました。
* ああそうですか。私へのメールである、私も此の仲間入りということか。
2004 6・3 33
* 帰宅早々、またお仕事漬けの一日でいらしたのでしょうね。「湖の本」で新作が読める読者は誇らしいし最高に幸せですが、力仕事と雑用をさせてしまう日本の貧しい出版事情が情けなく悲しくて……。
どうぞお身体痛めませんように。あまり夜ふかしなさらずにおやすみください。東京
* むしろ、これは秦の生き方でしょう、志のひくい出版に屈従したくないだけのことです。そういう、おばかです。
2004 6・3 33
* 見るから美しいしゃぶしゃぶ用の牛肉が、阿波の「花籠」さんから、沢山贈られてきた。メールも。
* 月様 ご無沙汰のうち、はや水無月(本来の陰暦にこその、雅語ですけれど)を迎えてしまいました。
京への旅。ようございましたね。
でも、もう少しゆうるりと、でもよろしかったのではと。数日来お疲れのご様子、どうぞ、どうぞくれぐれもご自愛なされてくださいませ。ご本楽しみにお待ちいたしております。 花籠
追伸 動物性食品を控えられているとのことでしたから遠慮しておりましたけれど、湯通しして、あっさりと冷シャブにでもと、お肉少しばかり送らせていただきました。今日の午後には着くと思いますので、どうぞ。
* 初めてのメールも届いていた。なんとなく分かるが、すこし、難しい。
* 絵を見てくださって有難うございました。 言い訳や、補足を言葉でする誘惑に、すこしだけ負けて。
描こうとしたのは、「虚」みたいなものですが、うまくいきませんでした。エフェソスに海はなく。めずらしく、形も色も余り迷いませんでした。「遺跡」である必要は、ありました。それが死んでいる(進行形)ということで。本来は、ここから始まるのでしょうね。
2004 6・4 33
* 「花籠」さんご厚意の特上しゃぶしゃぶ牛肉を、妻と戴いた。少しずつ何度にも御馳走になります。妻は今日は、若い人といっしょに息子の芝居を観てきた。わたしは明日の打ち上げ舞台を付き合うと決めた。国立劇場の「鳴神」から引き続きに。
2004 6・5 33
* お見舞いありがとうございました。
昨夜はよく眠り今朝も六時に起きたものの、また寝てしまい、午近くまでうとうとしていました。(朝のメールは二時間遅れで届いていました。)
眠って治らない頭痛もありますが、今は爽やかにしています。ご心配なく。でも、急に夏のような気候になると躰が順応しなくて、夕方までぼやっとしていました。あまり体力を過信なさいませんように。疲れを感じる前に休憩なさって。
昨日の「私語」を拝見して、昼と夜にお酒つきの鰻と天麩羅には、さすがにムムっときました。こんなカロリー過多の食生活をしては、減量した分もすぐ戻ってしまいます。とくに天麩羅はいけません。入院と脅かされたことを忘れないでくださいね。
明日は歌舞伎にお芝居にと華やかな一日。どうぞたっぷり楽しまれてください。お大事に、お元気にお過ごしくださいますように。 品川
* 少し太目のハリネズミは、相変わらずせかせかと毎日動いています。お返事をしようと私がもぞもぞしているうちに、京都に行っていらしたのですね。
本当は京言葉でと思ったのですけれども、さて、実際に文面にしてみようとすると、ほんとうに難しいです。いかに私が京言葉を知らないかを実感しました。3 歳児レベルの物言いしかできないような気がします。というわけで、標準語を使うしかありません。
京都の人に、東京の人には冗談や軽い言葉が通じないといわれました。京都だと、スカートのチャックを閉め忘れた人に「あいてるやん」と言えば、通じるそうです。けれども東京で「あいてますよ」と注意してあげたら、その人は顔色を変えて「そういうことは人の前で言わないでください」と言ったそうです。
体重は3キロばかり減らしました。あまり見かけは変わらないと思いますけれど…ね。
土日もなんとなく親や娘、親戚との集まりも含めてつぶれることが多く、ウィークデイはハリネズミ状態で……。来週は娘の吉報も、そろそろ……? 神奈川
* 曖昧のなき仙人掌の花の色(小林草吾)
ほんの五分ほど歩いただけでも、花を咲かせた鉢を並べたお宅を、何軒も見ました。
蕾だった立ち葵が、あれという間に咲き、燕の子が、昨晩の月のようなまン丸い口を開け、さざめいています。湿度が上がってきました。明日の予報は雨。
緑の滴りがいちだん増したように見えます。
酔胡王面、紫地鳳唐草丸文錦の復元・公開の記事を見て、京にこれだけ通っていながら、まだ一度も京の国博に足を踏み入れていないことに気が付きました。おろそかでした。 伊勢
2004 6・5 33
* 唐招提寺 鑑真和上忌に一日遅れましたが、御影堂の魁夷さんの障壁画が胸に落ちて、雀は泣きそうでした。ひと通り見てまわっただけで、二時間があっという間。――
光明皇后御忌の法華寺で、激しい雷雨にあい、ご本尊のもとで雨宿りしてから、佐保路三観音を巡り、正暦寺へと参りました。せせらぎ、鴬の音、木々の緑‥ 傾く日の光を受けながら、ここでも、時間を忘れました。
帰りの電車が、もうじき名張に着きます。
* 小さな紫陽花が、玄関のそばで咲きはじめました。
いま、少し蒸し暑いです。
「トロイ」という映画を、桑名の映画館で見ました。「イリアス」のような高い調子の作柄ではなく、身近に楽しめる娯楽作品でした。いちばんオイシイ役は、ブラット・ピットの演じた、とても若々しいアキレスでした。権力に服従しない強い戦士って、いいですね。
エリック・バナの演った、理知的なマッチョのヘクトルもよかったです。
三時間ありましたが、まったく時間を感じませんでした。
「イリアス」は伝説かもしれないけれど、きっと似たようなことが実際にあったのでしょうね。戦で死んだ大勢の人をとむらう詩だったのかなあ、平家物語みたいだな、と想いながら泣いていました。
明日は町の図書館へ行ってみます。
西東京の風は、そよそよと吹いていますか。 愛知県
* 発送始まりましたでしょうか。奮闘しすぎでお腰など痛めませんように。 ところで、私の記憶ちがいでなければ昨日も天麩羅をお召し上がりではありませんか。少なく食べてよく運動する……神様は不公平ですが、こちらも忘れずにご奮闘ください。
* 「船橋屋」と書いただけであるが、これまでの「私語」では天麩羅の店と書いてきた。恐れ入る。
2004 6・7 33
* さっき町の図書館へ行ったら、休みでした。月火の、週休二日でした。次はちゃんと開館日に行って、学研版の「歌行燈」をさがします。
明日はまた桑名の映画館へ行ってみようと思います。車で、木曽川も長良川も越えて行きます。
「ビッグフィッシュ」という映画を見るつもりですが、道を憶えたいという目的もあります。複合映画館が大きなデパートの中にあるのですが、このデパートが、新参者にとっては巨大な迷路です。まず立体駐車場で迷ってしまいます。何とか入庫できても、目的の道路に面して出庫しないと、とんでもないところへ走って行ってしまいそう。この辺りは巨大なショッピングモールが多くて、方向感覚の無いわたしには難儀です。
冷凍しておけば大丈夫だからとたくさん戴いた蜆を、お味噌汁にしました。半信半疑で煮てみたら、ぱっぱと貝が開いたのでびっくり。死んでしまっていたら、開かないはずでしょう。以前、凍らせた蛙を水に戻したら泳ぎ出した映像を見たことがありますが、それと同じで仮死だったのかしらん。不思議。お味は、ふわふわで美味しかったですよ。
今のところ表札は無いけれど、郵便は届いています。大丈夫と思いますが。
蒸し暑いですね。「団扇」で風を感じています。
* さりげないが巧く書かれている。「お味噌汁」「はずでしょう。」「のかしらん。」「お味は」「美味しかったですよ」「蒸し暑いですね。」など、自然に柔らかな若い人格が出ている。みな当たり前のようで、この辺で過剰になったり過少になったりするのが普通である。「団扇」で風を感じています など、いわばナイショゴトのような物言いにも、自然にはんなりしたものがわたしには伝わる。引っ越した先をいかにも楽しみ始めた感じが伝わってくる。
* 繪を描く或るひとと二三度メールを往復したけれど、じつに難しい。こっちに繪が描けないから、ますます難しい。
* 絵を見てくださって有難うございました。
言い訳や、補足を言葉でする誘惑に、すこしだけ負けて。
描こうとしたのは、虚みたいなものですが、うまくいきませんでした。めずらしく、形も色も余り迷いませんでした。遺跡である必要は、ありました。それが死んでいる(進行形)ということで。本来は、ここから始まるのでしょうね。
日本語に問題がありました。 モチーフや題材は、他(わき ? )において。道は、まっすぐか、登り坂か、下っているのか。水平線を、高くしたり下げてみたり。そういうことをした後、すっかり絵を拭き取ってしまう。そして、はじめから組み立て直すという事をしませんでした。平行して描きだした小さな絵は、いまそれをしています。
絵をかくとき、画面上で、操作を、私はしています。水平線の上下も何度でも。書いては消し全体に問い掛けます。そこで主題まで問い掛けられることになります。
* 繪を自分で描く・描ける人になら簡単に分かることだろう、かすかに私にも察しは付く気もする。が、「繪」と「画家」の長編を書き上げた今にして、この (作品とは無関係なべつの画家の)メールは、とても難しい。
2004 6・8 33
* 「いつも通り、観世桂男さんのまげものミュージカルで、笑いあり涙あり。楽しんできました。」と、女友達からの劇団岸野組公演の報告とともに、テアトル・エコー次回公演のたよりがありました。
村上豊さんが描くチラシも愉快な、エコーの次回作は、江戸深川の裏長屋で、七月七日の井戸替えにからむ人情喜劇とのこと。熊倉一雄、納谷悟朗、沖恂一郎、安原義人、火野カチ子、重田千穂子、渡辺真沙子ほか。おしげちゃんが常盤津の師匠というので、「お江戸でござる」エコー版かしらと、雀は笑み笑み。 7/20~8/4 恵比須エコー劇場にて。
* 劇場へ行くと、よくもまあこんなにと思うほど演劇・芝居の新しいチラシを山ほど手渡される。どれもこれも、つまりは大洋に浮かぶ一つ一つの三角波のようなもの、タイヘンだなあ。
2004 6・9 33
* 「週刊 京都を歩く」は是非読んでみたい。本屋に売っているものでしょうか。「慈子で描いた幻の里」なんて、嬉しくて身震いしそう。読みたいファンがたくさんいらっしゃるでしょうから、「私語」でも宣伝なさるようにオススメします。
フランスでは若さのみの日本とちがって、一番美しい女性の年代は五十代と考えられているそうです。女の子は早く五十代になりたいと思っているとか……。私も美貌輝く五十代めざして、これからお稽古に参ります。
やさしくて甘い、褒めてくださるメールが大好きです。 甘えるわたくし
* なんでもかんでも褒められつけている子は、真実を観なくなり、ほめことばに飢えてしまうと謂う。ウソでもいいから褒められたいというのは危険なこと。貶されるとキレる。あの親友を殺してしまった少女も、髪型でも何でも褒められていれば凶行には及ばなかったかも知れないが、それも時間の問題であったろう、か。
このメールの人は知的な人で、これは半ば以上諧謔であるけれど、一つには、わたしが発する遠慮のない「わる口」への予防線かも知れません。
2004 6・10 33
* (桑名の)映画館から(運転の自動車で)無事に帰れました。千本松原の場所も確認しました。今度行ってみます。
映画「ビッグフィッシュ」は、虚構と事実についての映画だと、わたしには見えました。
ロマンチストで物語好きの父親は、自分のしてきた冒険を息子の枕元で奇想天外に語って聴かせるのですが、息子は大人になると「そんな作り話でなくて、本当の親父を知りたい」と、父親と距離を置いてしまいます。死期の近い父親は、「わたしはいつだって本当の自分だった」と言いますが、息子は悲しいほど信じられなくて、父親の過去の事実を辿りに行くんです。
物語る人の嘘と真とを考えて、ちょっと、しんみりしました。
暑い中、本の発送作業をなさっているのでしょうか。
花からも、涼しい風を送りたいです。
* 創作もする人で、昔からメールもよくもらっていたが、どうも堅苦しい。気張ったメールになる。一工夫してもらい、わたしの著書にちなんで、自分は「花」と、わたしを「風」と呼ぶことに取り決めたところ、それでメールがイッペンして自然になり、それどころかうんと佳い感じになった。「花からも、涼しい風を送りたいです」など、優しいラブレターになっている。また観た映画の重い主題も、適切に捉え伝えていて、興味が湧く。
* 小鳥と木 秦さんの連載が終わって、一年ほどで「なごみ」の購読は止めてしまいましたが、温泉の旅を連載してらした池内紀さんが目に留まり、その後、気付く範囲で見聞、拝読しております。
先頃、雑誌の対談で「大木になって辺りを睥睨するよりも、小鳥のように飛んで、せいぜい、木の枝で羽を休めるぐらいが人間の生理に自然なのではと思います」とおっしゃってたのが、なんだか雀への励ましのようで、嬉しくなりました。
雀にとって、秦さんは木。どうかご自愛のうえ、日々おすこやかに。 囀雀
* この人にはわたしの方から名乗りをさしあげ、(ま、いわばメールのストーカーなみにこまめにメールが来る。)それがやはりこの人の「表現」を一新する働きをした。「雀」とみづから名乗ることでどこかに自覚と抑制と風情が出来て、メールの中身も言葉もすっきりした。これだけ広く多く翔びまわってモノや土地に触れているのだから、今一歩体験を掘り下げた感想や発見が有っていいのではという批評を聞いたことがあるが、囀雀さんにはそれは野暮なハナシであろう。そんなことはどうでもよく、ただ携帯をつかつて「秦さん」に短いメールを何度も書くだけでイイらしいのである。
「花籠」と自ら名乗って「月様」とくるメールは、むろんわたしの命名でも提案でもない。顔を見る機会の全くない遥か遠方四国の読者。チョー・セクシイな閑吟集小歌からの名乗りで、こっちは「月」様と呼ばれている。分かる人には分かって、うわぁーッ、大胆! ということにはなっているが、メールは自然に親しい感じに書けている。こういうことが、メールという微妙なものの微妙な効果になってくる。
久しい読者であるから、住所電話つきフルネームが分かっている。それでいてこういう替え名は、それなりの楽しみかたをもたらしている。招待を隠すためのデタラメなハンドルネームとは全くものがちがっている。
2004 6・10 33
* 版画の木田安彦氏から、氏がラベルを創った赤ワインが贈られてきている。桜桃忌までとっとこうかと思っていたが、いたく呑みたくなった。一昨日、たくさん呑もうと思っていたのだが、昼食に小一合、晩はクラブにも寄らなかった。昨日は家で呑まなかった。家に酒を置かなくなったからだ、有るとあるだけ「退治する」と称して幾らでも呑んでしまう。
2004 6・10 33
* お稽古で心地よく運動してきました。秋の色増す華頂山を見て、長楽寺の濡れた紅葉を箒でお掃除などしてきました。今はおいしいコーヒーをいれて一服。
発送作業は山を越えましたでしょうか。ご無理のないよう、時々甘い何かをちょっと味わったりなさって。
盆栽はお好きですか。大好きです。盆栽専門の高木盆栽美術館というのがあるそうで、一度は行ってみたいなと思っています。『北の時代=最上徳内』に登場した盆栽は今もあるのでしょうか? 実物がなくても似たようなものがあれば是非観てみたいものです。
*「京の四季」のお稽古が、はや「秋」の風情であるらしい。華頂山も長楽寺もものの十分とかからないわが山庭であった。
突然の盆栽におどろくが、わたしの短篇「松と豆本」が懐かしく思い出される。埼玉の大きな盆栽業の総領息子が、何を思い立ったのか、どうしても私の短篇で「豆本」を創らせて貰いたいと家の玄関までいきなり来られたある日の晩景を思い出す。出直せと言ったら、ちゃんと出直して、その間に必要な本ツクリの勉強にも通い、みちがえるほどの顔付きでまた現れた。『喪心』という短い小説をあげて、いつかきちんと箱入りの豆本が出来て届けられた。
それで満足したか、その後稼業を立派に継いだと聞いた。最上徳内のなかに書いたすばらしい盆栽の大作のことも、彼から聞いたか彼の呉れた盆栽の大写真集に出ていたか、忘れた。
* 松と豆本 急いで読みました。愛読者の盆栽職人さんなら、さぞセンスのいい盆栽を創られることでしょう。豆本は読みにくいので好きではありませんが、どんな作品か見てみたい。埼玉ということは大宮の盆栽村のかたでしょうか。
盆栽は活け花のようなもので、「無残に不自然なもの」とは思いません。一つの鉢の中に四季折々の山の息吹、森の姿が広がる小宇宙だと思っています。
華頂山も長楽寺も、東山でさえ実物を知らなくて、ただ京都の固有名詞の匂いに憧れています。いつか一カ所だけでも京都を案内していただけたら……どんなに幸せな時間になるでしょう。夢見ています。
* 京都では、作中のヒロインたちがいつも、入れ替わり肩先にとまっている。さもなければ、妻と一緒。わたしに京都を案内してもらったような人は、いない。小さい頃の娘。大きくなってからの息子。それに亡くなった作家の杉森久英さんとお元気な巌谷大四さんを一緒に、ぐらいか。
* 盆栽は生け花どころか、あれほど人工の極をつくして作り上げる植物は珍しく、思うままの枝振りや幹の太さ細さや花を創作するために、職人達は無残に手を尽くして、自然のママを、超自然の自然さへと変害してゆく。その経緯を一度観たり識ったりしてしまうと、心底愕かされる。それでもなお、それは巧みな技術と息づまる長時間(期間)との「魔法」のようで、仕上がりのすばらしさには、ため息がつかれる。結果を鑑賞すれば盆栽はみごとにすばらしく、経緯に接すれば胸も冷え縮かむほど、すさまじい。「家畜人ヤフー」という小説で、ヤフー=日本人の健康な肉体が、各種のみごとな家具に変造されてゆく無残さを読んだとき、ありありと盆栽の凄さを思い出した。手の込んだ大物の盆栽ほど、凄い。
しかもなお盆栽の美しさには心底惹かれる。
謂えるのは、だが、あれは自然に見せる不自然さの極致、或いは不自然さの極限を愕くべく自然そのものに見せる趣向の所産である、ということ。
2004 6・10 33
* お元気でいらっしゃいますか? 昨日御本が届いておりました。有難うございました。今日はちょっと外に出られないので、明日か明後日に送金させていただきます。
先週、私は札幌での学会に参りました。なかなか思うようなデータが直前まで揃わず、最後はかなり駆け込みになってしまったのですが、どうにか間に合いました。そんな状態でしたので、北海道を楽しんでこようという余裕はまるでなかったのですが、実際に向こうに行ってみると、そんな準備など不要なほど充分に堪能することができました。魚介類のうまさはこちら愛知県(岡崎) ではなかなか味わえません。
学会終了と同時に足を延ばして美瑛・富良野まで行ってみたのですが、どこまでも続く広い大地に、文字通り心が洗われる気持ちでした。富良野ではラベンダー農園に立ち寄りましたが、まだシーズンには早かったものの、一面に咲きわたる花々を愉しむことができました。
正直あまり田舎は得意ではないのですが、北海道には住みたいと真剣に思ってしまいました。札幌辺りの研究所に勤めて、週末は車でどこかへ行く、などと勝手な将来のプランまで立ててしまいました。しかし冬の厳しさを知らないのにそんなことを言うのは甘いのかもしれません。寒さには耐えられそうですが、雪かきや雪の中での車の運転は辛そうです。
しかし、いずれにせよ、いい思い出ができました。
これからどんどん暑くなりますが、どうぞご自愛ください。有難うございました。 岡崎 卒業生 研究職
* これは男子。東大の院を出てもうかなりのキャリア、だがメールは、なんとなく可愛らしい。岡崎などという、民俗と文化と歴史の巣のようなところにいるのだもの、車が使えるのなら特に、最先端の研究生活とともに、地誌的な探訪に手がかりをつかんでゆけば、芋づる式に凄みに富んだ興味深い見聞が、いつしかに、もう一本の強い脚(素養)となり、学殖をいやますであろうに。
2004 6・10 33
* 赤尾 忍坂のとなりですね。
選別し、穴を穿ち、糸を通す―21世紀の今でも、真珠は、人の手を費やす工程が多いんですという、鳥羽からの中継を見たばかりでした。テレビ画面いっぱいに映し出された、首飾りや腕輪の、色鮮やかなガラス、なまめかしいひすいの美しいこと。
小さな古墳に撒かれた玉の、あまりに大量なことに言葉を失くしました。
鳥羽→初瀬→近江へ、両親を案内する予定が、母の膝の調子が悪くて取り止めになりました。葛城、飛鳥、そして滋賀里へと、思いを馳せた、漏剋の日でした。 雀
2004 6・11 33
* 「I can’t stop love for you 」 今朝大好きなこの曲や幾つかの聞き覚えの曲が流れて、四歳で盲目になった歌手レイ・チャールズが73歳で亡くなったとか。曲名は知りませんでしたが、何時聴いてもこのメロデイーはえぐられるように心に沁みます。
* こんな一節が長いメールの書き出しに挟まっていた。歌手も歌もわたしには見当もつかない。しかし、さりげなくなにげなく恋文でも貰った気分にさせるではないか。人は、言葉や文章を勝手気儘に聞こう読もうと思えば出来るもののようである。
2004 6・11 33
* あたァりィ 先だって、暑さに耐えかねた雀は、コンビニで、懐かしい「ホームランバー」(棒つきアイス)を買いました。舐め終えると、棒に、「ホームラン!もう一本」。「ご当選おめでとうございます。一本無料で引きかえることができます」ということでしょ、分かりやすいこと。
人よりよほどくじ運の悪い雀ですけれど、時々、懸賞に当たります。で、その添状の文面が色々ありましてね、コレクションしている人がいるのではないかしらと思うほど。
今日、届いたのなど、「おめでとうございます。ご当選致しました!」 !マークは、こちらがつけたいわ。
* 敬語と丁寧語とはもうお手上げ状態。人間関係も薄くなっている。
* お元気でよかった。 先日、名古屋でテーブルやソファなどの買い物をしました。家の中はまだ段ボールだらけですが、徐々に片付いていくでしょう。
名古屋は大きな街ですね。夜、雰囲気のいいレストランがありました。風と来たいなって、通り過ぎながら想いました。
* 自分の責任で引っ越したことは、昭和三十四年に京都から東京へ。ま、両方とも大都市であることにかわりなく、二度目は昭和三十六年に、新宿区から北多摩郡保谷町の社宅へ。当時としては思い切った田舎へ。三度目は昭和四十五年に同じ保谷市内の西武池袋線南から北へ。上のメールの人は群馬高崎の奥地からいきなり名古屋近郊への引っ越しだから、よほど変わり映えがしているだろう。
* 先生 こんにちは! 朱虹です。
お本を注文します。お手数ですが、発送宜しくお願いします。
先生、沖縄にいらっしゃる機会ございませんか、なんだかとても先生にお会いしたくなりました。
HPで公開している日記ですが、一貫性がなくて、気まぐれに更新しています。
僭越ながら6月分と友達を悼む文をここに貼りつけます、読んでくださると幸せです。 かしこ
* 東工大の頃、わたしの研究生ということで配属された中国から来ていた朱虹さん。中国の大学で漱石を勉強してから、夫君とともに東工大へやってきた。夫君の琉球大学赴任につれだち今はお子さん達とも一緒に沖縄に。日本文も上手になった。なつかしい。紹介かたがた転載しておく。いずれ「e-文庫・湖 (umi)」に入れておく。
* 東京 朱虹
1月23日 喪の夜
“天皇、皇后両陛下が間もなく那覇空港にご到着の予定”のニュースを聞いているうちに私の乗っている飛行機が那覇空港から離陸した。
“宮内一徳さんを偲ぶ会”に参加するため、私は一人で東京に向かう。
2:30東京に到着、些細な事でもお手伝いをしたいと思ったが、足手纏いにならない自信がないため、数時間一人で東京を彷徨うことにした。
何せ東京は八年ぶりだ、切符の買い方も忘れて、少しうろたえた。
会いたいお友達がいないわけではない、ただ今回は宮内さんのために来たんだから、なんとなく、一人でいたかった…
八年ぶりの東京は凛々しく、風も冷たかった。
日本プレスセンターの会場で350人の方々がそれぞれの思い出を胸に宮内さんに献杯、献花した。私はパネルにある宮内さんのお写真を自分のカメラに収めてから一人でこっそり会場を抜け出した。お世話になっていた方々とちゃんとお話もお別れのご挨拶もできなかったが、後でお手紙をだそうと思っている。
高層ビルの谷間を歩きながら、夜空を見上げ、ネオンが憎いと思って、悔しい涙をこぼした。私の敬愛する宮内さんがもう本当に東京のどこにもいない…
24日 六本木ヒルズ
妹たちに見送られて、再び東京に向かう。
11時30分に日比谷公園に入った。
記憶の中の絢爛な紅葉がなかったけれど、紅梅が優しく高潔に咲いていた。老木を眺めながら公園のどまんなかにある喫茶店で朝のコーヒーを飲む幸せな時間を送る。
午後、日比谷線で六本木ヒルズに向かう。展望台にのぼりたかった。しかし、食事した後、空が少し曇ってきたため、自主的にあっさりと断念した。もし、いま東京を俯瞰できたら、過去から未来を見渡す新鮮な視点を獲得できたかもしれない、でも、私はまだ自分の現在をじっくり見つめ直さなければならない、また来られると信じて、あえてその体験を未来に持ち越しにした。
夕方、渋谷にあるホテルに向かう途中、私は雑踏の中で自分を取り囲む暖かいものを感じとれた。もしそれがなければ私は寂しさに潰されただろう。混雑さが普通じゃなかったけれど、渋谷の夜は斬新で、素敵だった。
25日 あばよ東京
三日目、八時過ぎに目が覚めて、はっとした。せっかく東京に来たのに、寝坊だなんて時間がもったえないと思った。
信じられないほど穏やかで、居心地のいいお天気に恵まれたので、早めにホテルを出て、渋谷界隈でサンドイッチの朝食を食べて、それから代々木公園を通りぬけ、更に明治神宮から表参道、原宿、千駄ヶ谷へと歩いた。東京の空気を吸いたい、東京の土を踏みたい、東京の風情を目に収めたい…足が棒になるまで歩きつづけた。
電車を乗り換えていくうちに東京に居た頃の記憶と感覚が少し蘇り、嬉しかった。
夕方、御茶ノ水の駅前で子供達にお土産の文房具と絵本を買う、しかし、買ったもののどれもこれも沖縄ででも手に入りそうなものばかりだった。
羽田空港のレストランで時間つぶしに次々とお別れする若いカップル達を眺める。悔しいけれど、とても愛しく切なく見えて、もらい泣きになりそうだった。愛し合っている人達にとって、時間と空間の隔たりがとてつもなく憎いんだろうな…
離陸する際、私は限界まで首を伸ばして東京の夜景を見続けた。遠いようで身近く感じたり、また近いようで遠ざかって行くように感じたりして、とうとう遠近感がわからなくなった…
空を飛んだ以上は、もう“遠い”も“近い”もないかもしれない、あるのは心に残り、そして、心の支えとなるもののみだ。
6月9日 膝が笑う
午前中、雨が止んで、空も微かに晴れたので、マウンテンバイクに乗ってみた。
小学校中学年の頃、早朝の中国武術の稽古は市外の太子河のほとりでやっていたので、先輩の自転車に乗せていただいたりしているうちに、自分も乗れるようになった。故郷は大陸の広い平原にあって、道がとてつもなく平坦だった。
東京にいた頃も長原街道や神保町あたりをよく自転車で走ったけれど、きつい坂がたくさんあったように思う、気のせいかな。
マウンテンバイクは初めてだ、何度か転びそうになったけれど、なんとか馴れた。一時間半ほど乗ったかな、その間、自転車とすれ違う事はなかった。
「こんな地形と気候じゃ~ぁ」、「相棒」を押しながら歩く、歩きながら納得する。
顔を真っ赤にして疾走しているうちに、雨がとても激しくなった。ガソリンスタンドの屋根の下で雨宿りをしていたら、「どうぞ、中のほうでゆっくり休んでください」と親切に言われた。少し休んだけれど、雨が止みそうもないので、レインコートをつけて雨の中に突入した。
雨水に負けないぐらいの量の汗が顎から地面にしたたり、情けないほど自分の体力の無さを痛感した。
大学に行きたかったけれど、丘の上に聳え立つ琉大附属病院がいつもより高く見えて、断念した。膝が笑ってるが、決意が固かった、近いうちに絶対に登るから、と。
激しい雨の中でブレーキが効かないのが分ったし、車の視野に自転車が入っていないこともよくわかった。それと手袋はもっと薄めのものにすべきだし、タオルも絶対に必要だと…いろいろわかった。
ガラスの中にとても格好悪い人がいて、よくよく見たら、映っているのは自分だった。
体力がついてきたら、相応しい服装を買おうと思っているし、格好悪い動作も少しは改善できるかな、期待していいかしら…
それにしても、自分の生活空間に「山あり、谷あり」で、それもどうしても登りきれない“山”とブレーキの効かない“谷”であることがわかった。
雨が一向にやまない理由は4号さんが接近してきたからだ。台風が過ぎ去ったらもっともっと乗りたい!
6月8日 困惑
マウンテンバイクを買ってしまった。
楽しみにしていたのに、今日は雨、雨、雨の止まない一日となって、とうとう乗れなかった。明日は晴れるかな、もし路面が乾くなら、風を切って乗ってみたい。
ところで、殺害されたさとみちゃんのお父様の会見を見たのはちょうど一週間前だった。痛々しく胸に応えた。あれから御手洗さんの顔ともう一人の顔が何度も脳裏を掠める、実は、中一の時、私の同級生の男子生徒も同じく同級生に刺し殺されたのだ。
些細な事で口論し、激情して取っ組み合いの喧嘩になり、一人が病院に運ばれた。まもなく死亡の知らせが学校に入った。鉛筆を削る小さなナイフが彼の心臓に当たったらしい。凄い衝撃だった。1センチでもずれていたら、と、みんなが悔やんでいた。
数ヶ月後のある日、殺された同級生のお兄さんが憔悴した顔で私の家に現れた。父は彼の担任だった。父と母がどんな言葉で彼を慰めていたのかは覚えていないが、押し殺した声で苦しそうに泣いていた彼の顔が今も忘れられない…
暴力衝動で同級生の命を奪ってしまった男は今生きているのか、出所したか、どんな生活を送っているのか、私には興味がない。人生の節目節目で、時々、もし殺された同級生が今も生きているならどんなにいいんだろうと思ったりする。
ショックだったけれど、子供達は当時、その事件を通して、親や教師から加害者にも被害者にもならないためにはどうすればいいのかを明白なアドバイスをいただいたように思う。
しかし、今、親の立場にいる自分がこの小学生の「理由なき殺人」を前に、適当な言葉が見つからず、戸惑うばかりだ。社会の反応やマスコミの情報に対しても消化不良が起こっている。確かに価値観が多様化し、社会が複雑になり、物事が迂闊には言えない、と、自分自身も思う。しかし、ここまで、こんなにまで大人がおろおろしていいのかな…
小学生がこんなにも複雑になってきたのか、これが所謂「普通」なら、本当に怖い!…
2004 6・11 33
* 雨風は大丈夫でしたか。 お気楽雀も、体調を保つのにまごつくこのところの気候です。
ひとつひとつの作業を篤実になさる秦さんのこと。長雨から暑さに向かう時節、お疲れを残されませんよう、おからだ案じます。ご本が少々とどこおっても、お元気でいてくださることが、一番の大事。お仕事調整なさって、どうか毎日お健やかにいらしてください。
* 感謝。とはいえ、これは新刊の督促でもあろうか。じつは今回に限り相次いで上下巻を造ったので、代金を前もって予納してくださっている方々には上下一包で同時に送らせてもらうことにしたのである。本来先に送られるべきが下巻の出来を待っている。手間も省け送料もじつは大きく省けるので、たださえ厳しい版元として、少し息が付ける。二冊一度に送りつけても苦情のでない人にもそうさせてもらっているが、つまりはまだ上巻すら届いていない。下巻は週明けの月曜に出来る。
今日明日は、その上下巻一緒の発送先への予備的な作業をしておくことで、万一にも間違いのでないようにしたい。その用意が出来ると思いついたので、今から取り組む。結句、それが私たちのからだのラクにつながる。あすの京都の同窓会は断念。
* 大変ごぶさたしております。湖の本、お送りくださいましてありがとうございました。まことに勝手ながら、振込みは月曜にさせていただきたく、よろしくお願い致します。母がバスで転び骨折しまして、ばたばたしておりました。
私もいろいろありましたが、知人の紹介で転職しました。区の役所が運営している、**サニーホールというところで働いています。お芝居や落語やコンサートのお手伝いをしています。
いろいろご心配をおかけしましたが、これでなんとかやっていけそうです。ありがとうございました。 田園調布
* 朗報。旅行業社の勤務は時間的にも過剰で、この人には向かないであろうと案じていた。お母上の骨折はまさに痛い事態だが、母一人子一人で長くやってきて、しかも現在家庭内にこじれた問題を抱えていると聞いてきた。そういう人が意外に少なくないのではないか。この人もそんななかで創作を続けている。
2004 6・12 33
* 健康です。ひとつはなんだか惰性になっているので見直したい。他に書きたいものができたので、時間をそっちに割いているのもひとつというところです。 小闇@tokyo
* このところ小闇が「闇に言い置く」を更新していない。健康かどうかだけを心配していると聞いた返事。この趣旨に、わたしは賛成だ。もう転進していい頃だと暫く前から思っていたから。
次も卒業生の便り。少しわたしもハッパを掛けられている。
* 元気です。秦先生。連絡せず、申し訳ありません。僕は元気にやっています。
4月に先生に言われたことを糧に、自分改造計画実施中です。面白い自分へ。
それは、2-3月に先生に言われたこと、「相手に誠意を尽くし、自分にも誠意尽くす。」という言葉を基に、さらには「心ではなく、身体で」という言葉を基に、生活を組み立てるということになると思います。
仕事も多忙を極めておりますが、驚くほど順調で、自分が仕事できる(と、思える)環境が急激に整いつつあります。昨年来喧嘩ばかりだった上司も私の能力を認めつつあり、ほとんど任せきりの状態になっております。昨年後半がウソのようです。(笑)
今思えば、何かが完全に狂っていたのでしょう。
悔やむことはありませんが、生きていくということはわからないなぁ、とつくづく思います。
そう、ホントに悔いてはいません。たまに「なぜ?」と、思い気分が重くなりますが、なぜという理由もないのだと思い始めています。
それは、過去に向かって「なぜ」と問いかけることが無意味なのではないか、と感じているからかもしれません。
「なぜ?」は現在に向かって問わねばなりません。刻一刻と変わる現在に問いつづけることしか意味がないと感じ始めています。
とすれば、なぜと問うことは、答えを未来に見つけることに他ならないのではないでしょうか。
先生の言われたように、僕は多くのことを学んだのかもしれません。
あとは面白い、穏やかなパートナーに早くめぐり会いたいですなぁ。
話は変わりますが、先生の長編ものすごく楽しみにしています。以前、先生と○と話をしたときに、「退官されたら小説を書くとおっしゃっていたのに、実行されていない。是非、長編を書いてほしい」と、先生に伝えたことがあります。
そのとき、先生は「これから長編を書くなら傑作以外書く意味がない。」と、おっしゃってました。僕はその時、言葉を理解できませんでした。今でも「本当にそうだろうか」と、考えています。
確かに傑作を創る気がなければどんな場合もダメだと思います。しかし、それでも「今、ここ」にいる、先生や私の表現はされるべきではないか、と思います。
その疑問に応えるように、こうやって長編を先生は書かれたのですから、小説の中に答えがあるのだと思います。
その答えとはなんなのか、これを知りたい。
小説という「作品」と、秦恒平という「小説家」の独立した二つの事柄及び、その関係という点で、非常に興味深い読み物と期待しております。
では。
* ウーム と唸っています。答を「未来」に求めるかどうかは措くが、『「なぜ?」は現在に向かって問わねばなりません。刻一刻と変わる現在に問いつづけることしか意味がないと感じ始めています。』はいい帰結であると思われる。歴史に学ぶのはいいが、自身の過去に問う姿勢は危うい。自身は「今・此処」に在る。
2004 6・12 33
* 霑被 「蘇我殿幻想」にきまりをつけ、梅原(猛)さんの「古事記」を読み始めたところです。
東大阪での「近代日本画‐京都画壇」展が、明日終わってしまうと思った朝、「切符一枚あるンやけど」と、女友達から文楽への誘い。電車に飛び乗り、すぐに雀は本を広げました。
隣席の若い男性が、窓の彼方を眺めたままいるので、視線を向け、雀もそのまま、降りそぼつ山中の風景に、ただ見入るばかり。
日本橋で文楽、花園で日本画。帰りは、駅ごとに停まる電車の窓から、頂霞む生駒の山、雨の手数にあう田園の景色を楽しみました。
2004 6・13 33
* 新作長編小説の上巻を拝受、お礼申し上げます。主人公の妻が逝くなったあたりを読んでいます。人生の一番辛い場面です。後半と下巻の小説の展開をはらはらしながら楽しみにしています。
春の創画展に橋田二朗先生の作品が無く、係りの人に尋ねましたが、ご体調優れないのでは、こんな事ははじめてです、と。すぐ、ハガキでお尋ねさせていただきました。気にかかっていながら其の後はご無礼のままです。お元気に秋期展のご創作に掛かっておられるのかと改めてご健勝を念じております。
私語の刻 毎日楽しみに拝読させて頂いています。6月9日以降、今日はもう3回開いていますが止まったままになっています。私のパソコンの不具合かと、或いは先生の機械の具合か、など、気になります。思いきってお問い合わせする次第です。
梅雨の晴間、今日は快適な一日になっています。ご無理なさいませぬようお大切にお過ごしください。 和歌山
* 妻にもいわれ、仰天して調べたら、やはり六月九日以降の転送が出来ていない。欠かした気はなかったので愕いた。どうもネットスケープの調子が悪い、幾度インストールし直しても穢い感じの漢字群の付着した「エラー窓」が開く。それを退治してからでないと「私語」の頁へたどり着けない。たどり着けるだけで助かっているが、とても面倒くさい手順になっている。なんとか「転送」は確認できたが、布谷君にも直せなかった故障。ま、なだめなだめ機械と付き合うしかない。
* それより橋田先生にお元気がないというのが、気になる。
2004 6・13 33
* 気持ちよく晴れて風も爽やかな一日。主人の運転で「勧修寺」「随心院」「毘沙門堂」と行ってきました。
勧修寺の庭園の池の睡蓮が見ごろでした。人も少なくてのんびりとした一日でした。随心院の側で食べたお蕎麦がおいしかったです。
帰りの車の中で、ふと恒平さんのHPのことが頭にうかびました。「私語の刻」九日から止まったままが気になっていました。機械の故障なら良いけど、お身体こわされたのではと。
帰ってすぐにパソコン開きました。
わぁ~~、どこかにつかえていたのですね、安心しました。夜にでも楽しみに読みます。
わたくしの本は、みなさんのが終わってから、ゆっくりで結構です。 京の従妹
* 蝶蝶夫人の焔? 花園ラグビー場隣の美術センターでの「近代日本画‐京都画壇」は、明治から昭和までの京都画壇約40人の作品が並べられた、収穫多い展示でした。
帰宅した雀を迎えたのは、シャボンのかおり。
「ダンナの友人が『君の日本人のワイフに』とくれたアメリカ土産です」と、友人から石鹸がふたつ。イタリア製でした、が、立派な外箱には「マダムバタフライ」と書かれ、山水画と、松園描くあの「焔」が美しくプリントされています。その「葵上」めく女人を型にぬいて作られた石鹸なのですが、こんな恐い形相の石鹸をギフトにする感覚がわかりません。友達の彼女同様、???でした。
* 世間は広い ?
2004 6・13 33
* 先週の日曜日は、雨の世田谷文学館に行ってまいりました。
そこで行われた大学の同窓生の小さな会合で、「湖の本」について少し紹介させていただいたところ、注文がありました。どうぞよろしくお願い申し上げます。
27「誘惑」 代金は私のほうにご請求ください。
実は六月九日、娘に赤ちゃんが生まれ、昨日退院。先方のご両親もいらして、大騒ぎです。改めてゆっくりメールします。 川崎市
* おばあちゃんの誕生。おめでとう。
2004 6・13 33
* 今日は長良川と揖斐川に挟まれた千本松原へ行きました。
おおきな松の幹がぐぐっと傾いて、枝を伸ばしていました。河川敷はきれいに整理され、公園はあるしキャンプ場はあるし、見晴らしはいいしで、格好のレジャースポットになっていました。
江戸時代に治水工事を行い、命を落とした薩摩藩士たちが祀られている神社にお参りもしてきました。由緒が書いてありましたが、短すぎてよくわかりませんでした。
どうして薩摩藩だったのか、どうして幕府は治水の任を与えておきながら工事を妨害したのか。その屈辱から切腹した人の方が、工事中の事故で亡くなった人より多いんです。
神社の近くに郷土史料を置いている図書館があるので、今度行ってみようと思います。今月の御園座は、この薩摩藩士たちの話を上演しているようです。
発送用意、お疲れさまです。楽しみにしています。 弥富
* この千本松原の悲劇ほど無残なものも少ない。小説にも芝居にもなっている。少なくも関ヶ原での薩摩軍の奇跡的な敵中突破の帰国、そして千本松原での薩摩藩の嘗めた苦渋と屈辱、そして薩摩軍を主力とした江戸幕府の烈しい追い落とし維新、は、シリーズに繋がった三題噺である。創作に志のある人。少し自身の目や耳で確かめつつ、読んで歩いて調べ始めると、実に多くの地誌が次々に展開して見えてくるだろう、と、見学を奨めておいた。
* 帰ってきました。 旅先では嵐のあとの澄んだ晴天で、それがかえって悲しいほどでした。
何日か「私語」の更新がなかったので機械に故障でもありましたか、ご体調くずされていないかしらと、とても心配していました。帰宅して真っ先に長い「私語」を拝見し、ほっとしています。なんだか色々な恋文が飛びかいとても楽しそう……。 東京都
2004 6・13 33
* ありがとうございます。
秦先生、 HPが更新されてなくて心配していましたが、機械のほうが調子が悪かったのですね。良かった良かった。僕もそうですが、林君も心配して僕に確認のメールをよこしました。
先生に送った文章で、一文だけ、これは言わんとしていることが曖昧だな、と思っていた部分が「未来」の部分でした。やはり即座に突かれてしまいますね。過去-現在-未来という流れにのせて書けたらと思い、つい勢いで書いてしまいました。
私の真意は、常に「今・此処」で問うことのダイナミズムというか、エネルギーにこそ意味を見出したい、ということです。そうすることで創り出される未来に問いの答えは・・・やはり、ない、ですね。いつも問いだけがあるのです。つまり未来に関しては蛇足でしたね。
* そう思うよ。林君が。嬉しいねえ、なつかしい。いいお父さんもしているだろうなあ。
2004 6・14 33
* こんばんは。河村です。少々遅くなってしまいましたが、本日4000円入金いたしました。
現在上巻を読み進めております。確かに私の胸に響くところあり、毎日少しずつ楽しみに読んでいます。
さて、来週末(6月25日)に引っ越すことになりました。実は、先生のお住まいの保谷のご近所です。
また、先生には大変ご心配をおかけしておりましたが、結婚することとなりました。改めて正式にご報告させていただきます。
最近、真夏のような陽気など、気温の変化が激しく、お身体にはお気をつけください。
* 青葉うつ音もかぐはし慈雨の季(とき) 遠 おめでとう。
* 合気道のチャンピオンであった河村浩一君は、スペイン遊学の成果を生かして、今は、特定非営利活動(NPO)法人 スペイン文化交流センターサラマンカ の理事長である。教室の頃から真に頼もしい人だった。
メール:npo.salamanca@mail-box.jp
HP:http://www3.to/salamanca/
2004 6・15 33
* 目をあげるとタジマモリの島が、「ほぃ、おはよ」とでも言うかのように、窓のすぐ脇に見えました。夏至が近いのですね。御陵も、池も、手前の小さな田も畑も、格闘家の盛り上がった力こぶのうな陽射しに真向かいの、緑、緑、緑…。
京へ向かう列車の中で、雀はご本を読んでいます。
この坂道のてっぺんからどんな景色が見えるのか、それが知りたくて駆け登りたい気持と、奥でりりと鳴った床しい音に走ってゆく、白い仔猫を見ながら、人懐かしい小道を歩いていたい気持の両方が、笑いあって両肘を引っ張っている感じです。
* このコントラスト。幸か不幸か、人はかぎりなく遠ざかって行ける非在・非現実の国をもっている。もてる。藝術が、願わくは真に人を励ましうるものであればいいが。
2004 6・17 33
* 発送はお済みになりましたか。ゆっくり肩凝りをほぐされますように。
『お父さん、繪を描いてください』の山名の妻や、『聖家族』の婿など異様な人との格闘を、私ほど共感を持って納得している読者は、そう多くないでしょう。私は啓子や吉村ふうの人間に苦しみぬいてきました。
啓子が死んでも解放されなかった画家山名の悲劇は、今の私の状況と似ていなくもありません。
ある作家の方が「寅さん」の映画を観ることができないと書いていました。笑うどころか、家族に問題を起こす人物と思うだけで震え上がってしまうと。こういう人が一人いるだけで、周囲をめちゃちゃにします。人生によくあることと言えばそれまでですが。 それでもいつも大きな幸福の中に自分はいると思っています。半端でない苦しみも、愛と幸福の一部です。 東京都
* ふうと肩で息をしながら、十日余の奮闘からようやく解放された気で居る。それでいて、なにの衝撃波に打たれているのか、からっぽになった胃の腑にどっとモノが殺到しているように、いま、わたしは少々落ち着かないでいる。
或る意味で危険な、「バケツ、ぶッちゃけ」衝動に近い。なにもかもぶッちゃけてカラッポになりたいと思うのである。西行が可愛い娘を床下へ蹴ッころがして出家したという話を思い出すと、西行さんに失礼ながら、バケツをぶッちゃけたかと想ったものだ。
とにかく胃の腑がビリビリしている。ながいながい坂道をへとへとに駆け上ってきて意外と平凡な峠の景色をふと見てしまった「悔い」のようなものが有るのだろうか。
なにも、そんなたいそうなハナシではないだろう。出来るだろうかと思っていたことが出来てしまった解放の反動に、心身が小刻みに揺れて船酔いに似た気分なのだろう。何であれ、今は衝動的に「バケツ、ぶっちゃけ」をやらかしかねない。あぶないのは、メール。何を書くかわからんという気分。変調メールが舞い込んだら、秦はいま狂っていると想ってください。
2004 6・18 33
* 朝一番に、山形の「あらき蕎麦」芦野又三さんから、輝くように照った桜桃を、たくさん贈っていただいた。太宰賞以来三十五年めの桜桃忌である。二度目の誕生日である。
この三十五年が小説家秦恒平のうえにどのようなものであったかは、まだ言うべき時ではない。無事にといっても多難にといっても真実に少しずつ逸れるだろう。心から言えることは、その半ば以上をわたしは「湖の本」作家でもあった、ありえたということ。十八年、八十巻の本を刊行し続けられた、そして記念の結び目に書き下ろしの長編小説を今しもおおかた送り出して、思い凪いで湖の空は晴れている。言うとすれば、わたしは幸せに過ごしてきた、自由に生きてきた、という二つだ。
* 以前は三鷹禅林寺での太宰治の会にも出たし、人山とカメラの放列に包まれて太宰治の墓参もしていた。今はもうひとりで、妻とふたりで、心入れの「さくらんぼ」を戴くだけでよい。
おりしも颱風は南海を北上していると。この季節にはそれもまた自然なこと。季節から受ける挨拶としては巨大に過ぎようとも、悪政から受ける被害の深刻にくらべれば、無心の戒めとして注意深く迎えるべきであろう。
2004 6・19 33
* 先日はお言葉ありがとうございました。
義弟はある大手デパートのリストラのための早期退職に応じ、再就職活動中の心労・過労死でした。私は再出発を祝うくらいののんきな気持ちでいて、その衰弱ぶりにどうして気づかなかったかと今更しようのない悔悟の念に駆られて辛い思いです。でもあまりこれを言うと一番身近にいた家族をさらに苦しめることになります。
彼は頭の回転の速い会話の楽しい人で、本好きのところも似ていて、「お互い連れ合いより気が合いますね」などと冗談を言い合っていました。妹は自分があとに残るとは思っていなかったようです。初めむしろ怒りの感情のほうが強かった彼女が昨日初めて「寂しい」と言いました。
こればかりはどうにもしてあげられない・・・。
幸い仲の良い家族で二人の息子が一生懸命母親を支えています。
求職活動中に外で倒れましたので手続きや後処理が大変でした。さらに彼は以前から葬儀等は行わず静かに納骨してほしいと希望していまして、その遺志通りに実行するのに大変なエネルギーを要しました。こういうときには夫が迅速に快く動いてくれるので助かります。
どんな亡くなり方でも家族や周りの人間はこんな辛い思いをしなければなりません。いずれ死は避けられないものですが、だからこそ、今死ななくてもいい人たちを、人たちが、テロや戦争で殺したり、死んだりするのを止めてほしい、強くそう思います。
『死なれて・死なせて』に目をやるだけで辛くて、まだ手に取れません。 お体お大切に。 千葉県
* 死なれるのは堪らない。
* 散髪してきた。颱風の煽りか、ものの鳴る音は絶え間ないが、晴れ上がって青空は澄んでいる。
2004 6・20 33
* お久しぶりです、秦先生。こんにちは。湖の本、「お父さん、絵を描いてください』上下巻届きました。
そう言えば、今日、「父の日」ですね。僕は、親父に、剣道の稽古帰りに、酒屋によってかなり、値のいい! 赤と白のワインをプレゼントすべく購入しました。
秦先生、の本に挟まれた挨拶に、「一度逢おうか」と。胸にずしんと来ました。正直申し上げますと、僕は、今とても秦先生にお会いする立場にいないからです。 と同時に、凄いタイミングだな、とも驚きを隠せませんでした。
簡単に言うと、僕は、今再度、休職の身にあります、と同時に、今の会社を辞めるつもりでおります。
話すと長くなるのですが、 (大略) 逢って頂けるのであれば、僕は喜んでお逢いしたい限りです。
* 父の日に父上にワインが買ってあげられ、武道の稽古や試合にも敢闘でき、最高級の資格試験にも大いに有望な人なら、何をしてでも、苦況を脱していける。ぜったい大丈夫だ。大きな企業のなかでの成功だけが人生であるわけがない。
根が自由人なのだ、君は。才能を、自立して自身の配慮下で大いに養い発揮すればよろしい。「エヘン」と威張れるほどでないのは残念だが、わたしも脱サラ人間である。根は神経質に過ぎるところもある。コッチの行き先はそう長くないけれど、しばらくの間、君に付き合おうか。
* 熊野へ。 「三枚起請」に気を取られて、うっかりしておりましたが、熊野古道世界遺産登録記念のイベントで、文雀さんが「卅三間堂棟由来」をなさいます。ひさしぶりの、おはこお柳も嬉しい上に、和歌山市で開催中の「小野竹喬展」とはしごできる日程なのも嬉しくて。
道成寺はぞっとしないけれど、紀三井寺、粉河寺は詣でたい。そして、五條~橋本~藤白と、有間皇子の跡も辿りたい。白浜では、遊び盛りの双子のパンダも見たい。湯の峰温泉、熊野本宮…。旅は、前日までが楽しいと申します。ほんとですわ。
* これはもう雀どころか、熊野鷹の羽ばたきだ。
2004 6・20 33
* 朝一番に凄いごあいさつ。
* じっとりした蒸し暑さに、六時前に目覚めてしまいました。
谷崎でしたか、電車に乗って自分が寝てみたいと思う女性と何人出会えるか数えてみると、どこかで言っていたような気がします。(間違っていたらごめんなさい)女ではこの発想は成り立ちませんが、妄想力たくましい物書き男ならそんなゲームも楽しめそう。
* 谷崎がそこまで露骨なことを書いていたとは記憶がない。ま、退屈な車中でひとの顔を見ながら小説まがいに空想することは、物書きになら女の人でも有るだろう。それにしても、何を言いたのか、何を言われているのか、闇の奧からの礫として、手厳しいというより、かなり、いやらしい。「女ではこの発想は成り立ちませんが」など言いながら、現に唐突にこう発想して文字にしている人は、どこのだれやら、女性らしい。
わたしを激励でもしている気かな。当たっていないと抗弁する気もないほどスケベーに近似しているのは事実だろうけれども、機械の闇には、いろいろ棲息しているモノだ。
次のは男性である、なんだか、頭の芯がややこしくなる。
* 梅雨を通り越して、夏になってしまったような天気が続きます。いかがお過ごしでしょうか。
先週になりますが、鎌倉に紫陽花を見に行ってきました。有名な明月院は確かにすばらしかったですが、もうひとつ覚園寺(かくおんじ)というお寺がすばらしかったです。お坊さんが1時間ほどかけて境内を案内してくれるのですが、紫陽花の種類が多く、楽しめました。
また足利尊氏が建てたというお堂も、簡潔な美しさがありすばらしかったです。ほかには鎌倉特有の岩壁に穴を掘ったお堂がありました。
帰り際、鏑木清方の美術館に寄ったところ、名作『朝涼』を展示していました。朝もやがかすかに立ち込めるような中に美人が一人。すがすがしさを感じるすばらしい絵です。今度は『樋口一葉の墓』が展示されているときに行ってみたいと思います。 卒業生
* 少しずつこの卒業生の感性の幅がひろがっている。千葉暮らしの若い男性が、ふらりと鎌倉へ紫陽花や清方をみにゆく、そのたたずまいは、東工大の昔から知っているだけに、不思議としみじみする。
2004 6・21 33
* 大きな木の根方に、線香花火のような花をつけた蚊帳吊草が、一本…。あちこち颱風被害が出ているようですが、影響はございませんか。お疲れのございませんよう、ご平安をお祈りいたします。
先だっての今年初の真夏日以来、ただでさえ低い血圧がなお下がって、オツムまでなかなか血がまわりませんの。暑さおさまる秋のお彼岸まで、あと三ヶ月。長いわぁ。 三重
* あらわに言いたくないのだが、わたしには、晩秋から初春へ、仲春から仲秋へと一年を丁度二分して、明瞭に或る体調が分かれる。絵に描いたように間違いない周期がある。わが「はなごよみ」である。
2004 6・21 33
* 虫鳴くや河内通いの小提灯
「井筒」の井戸、その脇の蕪村の句碑に、艶めいた始まりの古社巡りでしたが、最後は大神(おおみわ)神社で、松・杉・榊の三つの茅の輪をくぐって、めでたくかしこ。
夏至を過ぎたばかりで、どこの参道も薄青い明るさがいつまでも残り、湿度の高さが、まるで朝靄のような風情をつくりだしていました。
そちらも暑いようですね。どうかお御身お大事に。 大和
2004 6。24 33
* 六月の日記をある人から贈られて、それを紹介しようかと用意したが、ま、よそうと思い割愛した。今度の長編への感想が日を重ねて少しずついろいろに書かれていた。
2004 6・25 33
* 忙しくお過ごしですか。わたしは散髪してきました。
数年前まで、記憶力には自信がありました。憶えるのも思い出すのも早かった。
それが明らかに衰えてきています。衰えた、と言うと怒られそうですが、自分の中での相対ですから、仕方のないことです。憶えるにも思い出すにも、これまでより努力が要るようになるでしょう。
「日記」をつけてみようかと思いました。
「つまらない」、「何かおもしろいことないかなあ」という呟きを、人から聞いたことがあります、高校生のとき、そしてごく最近も。わたしは、そういうことは自分次第なんじゃないか、と思ってきました。
「おもしろきこともなき世をおもしろく すみなすものは心なりけり」 という高杉晋作の辞世の歌を肯定してきたので。
下の句は、確か晋作を看取った尼僧が詠んだものだったと思いますが、近頃、この「心」はやっかいです。日々の暮らしがおもしろしいのはいいけれど、おもしろく生きなければならないと自らに負担をかけるのは本末転倒ですから。
世を、「おもしろいかおもしろくないか」のものさしではかるのは、味気ないですね。
朝起きて、会社へ行って、仕事して、帰宅して、寝る、というのがわたしの繰り返さざるを得ない日常でしたし、これからも大きく変わるとは思えません。そういう中で、日々を積み重ねてゆくことこそ尊いと、この頃思うようになってきています。
日々の暮らしから春夏秋冬まで、繰り返しを慈しみながら、その裏側には、大層似通っているようで一つ一つ別ものの日々を儚(はぐく)む気持ちもあるでしょう。
「尋常な平凡な時間」と格闘している意識はありませんけど、もしかしたら格闘しているのかも、と思ってしまいます。
何だかうまく説明できませんでした。
花は、風を想って、過ごしています。 尾張
* この人からこういう述懐のメールを貰ったのは、長い期間にはじめてのような気がする。これがこのまま日記の書き始めになるという事であろうか。とてもよくその「人」と「内景」との見えてくるメールで、快く、繰り返し読んだ。
2004 6・27 33
* タイトは、スカートだけにして。 生魂さん、高津さん、そして、天神さん。今月末の愛染さんを皮切りに、浪速の夏祭りが始まります。高津神社「高津の富亭」での夏祭奉納寄席に、特別ゲストとして、毎年、文枝さんがお出になります。
ル・テアトル銀座の「暗い日曜日」を見てきた友人が、「こんなチラシ貰ったけど」と寄越したのは、7/17~19に銀座で繰り広げられる「大銀座落語会」。なかに、文枝さんの名があって、どうやら、昼は銀座、夜は高津さんという日程。
体調を心配するお仕事が、ファンにはいちばんこたえますの。秦さんは、なさいませんよう。
* このメールの人の予定表もきわめてタイトのように想われる。そちらもどうぞと申したい。
2004 6・28 33
* 少し気温が低く、今朝は汗ばまない寝起き。
這い上がれない深さの窪みに一人ころがり落ち、孤独で助けを待つような気持ちです。
七月一日で孫が満一歳を迎えます。人からは、早いねと声をかけられますが、子育てに専心のママと少しだけ援護のババには短いようでいて永いシンドイ一年でしたし、まだ三歳まで続くレールです。食欲旺盛、体重十キロ、伝い歩きにあと一息、高バイで自由に動きまわり、昨日は覚えたてのバイバイを得意顔で披露しました。ママのお仕込みだそうです。初靴も用意しました。
自分の子供にも一人の人格と、本人に任せる付き合いをしてきました、子供の頃からも今も。助けを求められた時に、添うだけ、と自立させていました、といえばリッパにみえますが、ただの私の怠慢だっただけのようにも想えます。結果は別ものとして。
ましてや、孫には親がついています。可愛いい盛りの幼児、三歳まで、とババは割り切っています。両親がついているんだもの。 淡路
* いい家庭、いい夫婦親子孫の家族に恵まれ、何人めかの孫クンもこんなに可愛くて、幸福そのものに想われる。それなのに、初めの方の一行に漏れている「孤独で助けを待つ」述懐は、何なのだろう。
こういう裂け目を一つの心身に抱き込んで生きている人の多い現代。新聞やテレビの、報道またドラマなど、のひび割れて乾燥しきった環境。「環境」とは自然環境でしかないような議論が多いが、ちがうだろう。
すべてが機械化してしまいかねない人間環境に問題の根はある。「今・此所」の足下によって豊かに養われる幸せを見捨てては、つらい。
2004 6・29 33
* こちらは暑いでしょうね、きっと。盛夏が思いやられます。
お祝会はいかがでしたか。
わたしは、何もしていないようで、一日があっという間です。効率が悪いのかも。そろそろ時間割りを上手にしていきたいところです。
玉三郎の「桜姫東文章」が楽しみですね。以前国立劇場で見たことがありますが、本人も「どうして僕が」と言う染五郎の桜姫でした。きれいでしたけど。あれは「女」の芝居、と思っています、とても性的な意味で。玉三郎が「しんどい」のはそこかも、なんて勝手に想像しています。玉三郎は、「戯作者を一人挙げるなら南北」とも言っていました。怪談ものは見たことがありません。怖がりなので、ためらいます。
日記、書いていますよ。まだ三日目ですが、これは続けれらそうです。
夜になると、涼しい風が窓から入って来ます。風、元気でいて下さいね。
2004 6・29 33