ぜんぶ秦恒平文学の話

交遊録 2004年下半期

* 一昨夜の宴会で声を掛けられた長沼毅氏から「梁塵秘抄」を歌謡として復元演奏しているような人はいないかと問い合わせがあり、すぐ桃山春衣さんの名前を思い出した。あの本をNHKブックスとで出して直ぐ、我が家まで桃山さんは訪ねてきて、これから梁塵秘抄を復元演奏する仕事に打ち込みたい応援して欲しいと、元気いっぱいであった。何のお手伝いもしなかったけれど、初志を敷延して桃山さんが頑張っているのは遠目にそれとなく記憶していた、それが長沼氏のお役に立ってよかった。長沼氏は広島大学の理系の大学院で研究生活にあるらしい若い人で。いろんな出逢いがあるもの。

2004 7・1 34

 

 

* あたふたと半年過ぎてしまった――、と、ふりかえったとき、六月十五日も知らぬ間にゆかせていたことに気づきました。

一九六〇年のこの日、新安保条約に反対して国会を取り巻いたデモの群に、武装警官が襲いかかり、樺美智子さんが殺された――。

わたくしが三宅坂にデモに行ったのは、その翌日でした。どうしてもゆくと言い張ってきかないむすめに、母は厚ぼったい毛糸の帽子をかぶらせました。警棒で殴られたら、毛糸の帽子が何ほどの役に立とう、とおもったのは後のこと、そのときは、母もわたくしも真剣でした。

チビでヤセッポチのわたくしを、デモ隊の男のひとたちは、列のまんなかに入れてくれました。両端はまっさきに殴られるし、ひっぱられるからでした。

スクラムを組んでいた腕をほどいて、こどものように手をつなぎ、道路いっぱいにひろがって歩いたりしました。「安保反対」「岸を倒せ」と叫びながら。

車も、そのころまだあった路面電車も動けなくなりましたが、怒る人はいなかった。「がんばれよ」「しっかり」という声が飛んできました。

けれど、何の障りもなく新安保条約は自然成立しました。そして、そのまま、ずるずると自動更新され続けている――。

革命はおろか、デモもストもない、静かでおだやかな日本。たぶん、じわじわ腐りつつあるのでしょう。腐りきって崩れるのが先か、テロに壊されるのが先か、と、おもいます。

革命を持たざる國に生れ來て風雨ほどほどに有りて終るか    齋藤 史

一九九〇年に詠まれています。史先生は八十一歳でした。  茨城

 

* この感慨を、このまま、私も共有する。わたしは樺さんが殺されたすぐ近くをデモの渦の中にいたのだ、国会は、あの夜民衆の波と怒号とに取り囲まれ、烈しく動揺した。だが、われわれは勝てなかった。

あれから、四十四年、それが、われらが長女朝日子の年齢である。あの夜、妻は、生まれるすぐ前の娘をお腹に抱いて、私の帰りを、六畳一間河田町のアパート「みすず荘」で待っていた。

この四十四年、自民党の政府やその取り巻きどもが、本気でしたことといえば、あのような民衆の政治的エネルギーを、何とかして衆愚化し希薄にするという一事であった。それだけだ、そしてそれは大成功した。そのためにバブルを盛り上げ、それが無惨にはじけても、もう政治を根底から批判する民衆のエネルギーが、この日本の社会から払底していた。残っていないのだ。その証拠が社民党のあの毛も禿げて水に落ちた犬のあわれさに現れている。社会党が、単独で国会の三分の一を越していたなんて。ああ、だから憲法の蹂躙だって自民や公明は平気の平左。余のインテリも、せいぜいそれに尻尾をふり、尻馬に乗って、手前味噌しか並べない。

2004 7・1 34

 

 

* 七月。  火曜日に岡崎に出かけて庭の木蓮や金木犀の木の枝打ちなどかなり大変な作業でした。大きくなりすぎた棕櫚や生垣の貝塚イブキなどの管理も考えないといけないのですが、すぐには手が出ません。家や庭の管理は面倒なものですね・・。もっともあそこが自分の家とも思えず、何処に住んでいても仮住まいの感が強いのは仕方ないことです。

ついでに豊田市民芸館で開かれているイギリスのスリップ・ウェアの展示も見てきました。「芸術新潮」で今年になって特集が組まれていました。所謂「民芸」こそ美の基準とは思いませんが、新しい美を提示された柳宗悦等の業績はずっと以前から留意してきました。スリップ・ウェア、バーナード・リーチの作品・・黄色が好きです。最近流行の和風モダンとは大いに異なっていますが、どっしり素朴な良きもの、と感じました。

ホームページで書かれていた、安保のこと、日本の将来のこと、選挙のことなど深く感じます、考えさせられます。わたしは六十年安保を地方都市の高校生であまり体験しませんでしたが、以後の社会を強い関心をもって見続けてきました。

「革命」という言葉、若い人には通じないほどの感じがします。腐っていく日本がいいとは思いませんが、平和であることは大事、これは日本に限らず世界のすべての人にとって。   兵庫県

2004 7・2 34

 

 

* 鯵、イサキ、鱧、鮎、鰻、コチ、虎魚。

根津美のはす向かいにキハチの惣菜店が、表参道交差点近くに、和菓子店と鰻店がありませんでしたかしら。紀伊国屋、ドンク、ヨックモックの喫茶、角っこにあった二階建ての喫茶。太田記念美の甘味処。武蔵境駅の近くに、茶室と庭をもった、うどん店がありましたが、フランス料理店も聞いたような気がします。深大寺そばも懐かしい。麹町のフランス料理店は、たぶん、あの店…。

30度を超すなか、エアコンなしで、五分袖を着て、ホットワインを飲んで、それでも、汗ひとつかきませんの。低調子ですわね。

日々おいしく、お大切に。  名張

2004 7・2 34

 

 

* 朝から藤村の「伸び支度」という佳い短篇を校正し、しみじみしていました。島崎藤村は男手一つで四人の子を育て上げましたが、なかに女の子が末に一人。その娘の初潮を書いているのです。隔世の感慨と美しい散文とにおどろかされます。昨日は徳田秋声の「和解」に感心し、一昨日は森鴎外の「身上話」におどろいていました。佳い作品に出逢うのはいつでも心嬉しいものです。今は正宗白鳥の「口入宿」にかかっています。

風が鳴っています。 新しい颱風に襲われませんように。強烈な雨風の時は、念頭に水のことを置き、伊勢湾や近くの川口が満潮かどうかを注意するように。なにといっても三大河の河口近く、伊勢湾へ直進してくる風は速い高波をお連れに運んできます。伊勢湾颱風の凄かったことは、その近在ではまだ忘れられていないと思います。

2004 7・5 34

 

 

* 午後から少し雨が降りましたが、今は止んでいます。

今日は、どうしてむかしの人は月の満ち欠けで月日を数えていたのかなあと考えていました。農作物にとって大切なのは太陽だし、事実、天照大御神を皇祖神として祭っているのに。

月は満ち欠けがはっきりしていて日を数えるのにわかりやすいから、という記述をインターネットのページに見つけて、それもそうだな、と思いました。

わたしは明るい月を眺めるのが好きです。

唐突な話でしたね。

藤村の「伸び支度」、徳田秋声の「和解」、鴎外の「身上話」、どれも楽しみです。うれしい。  弥富

 

* いま、国立京都博物館の館長さんに貰ったばかりの『古典中国からの眺め』というエッセイを、その中のちょうど「李白と月」という一編を、読み終えたばかりです。

日本では、月の形や位置の変化で月の呼び名が変わります。三日月から望月・満月、また立待月、居待月、寝待月とか、弓張月、有明月、上弦・下弦の月とか。

中国にはこれが無い、ほとんど満月がうたわれ、たまに残月があるといいます。月の別称は多い。しかし形からではなく意味の名前が多い。夜光、望舒、金兎、円璧、破鏡、玉鈎、その他漢字の出しにくいモノいっぱい。そして「日月」とならべてむしろ永遠不変のものとしている例が多いそうです。月を美しいとした例は、三国時代以降にはあるけれど、率では少ないのが中国的らしい。もっと昔には見られないと。しかし比喩的に月は女性にあてられています。これは世界的にそのようです、が、但しインドははっきり月を男性と見ています。

月を見るのは楽しいか、悲しいか、も大きく分かれますが、ま、月は悲しみや寂しさを触発しがちです。そのためにか、団円の月、満月が、中国では家庭的な、欠けた者の一人も居ない家庭的な満足を示すモノとして、愛される。大団円とはハッピーエンドの意味に用いています、われわれも。大きな満月に由来しています。

この逆に、家族や愛する人と遠く離れているときに、同じ月を見上げてしのびあう風は、中国にも日本にもあります。

三五夜中新月の色

二千里外故人の心   故人は親しい人、愛している人 の意味です。三笠山の月を偲んだ百人一首の仲麻呂の和歌もそうです。

李白は一千首ほどの詩をのこした詩人ですが。その三分の一で月を歌っているという、飛び抜けて「月の詩人」でした。そして李白にとっては、月は哀しみを刺戟するよりもむしろ、生きている喜びや快さを誘い出す力になっていたと、この本の著者は指摘しています。また、李白に独特な発明は、月を眺めて古人との共感・共生・共存の感覚を歌い上げていることです。 「古人今人 流水のごときも 共に明月を看ること皆な此くの如し」です。

定家卿の「明月記」や西行の花と共に月を歌った佳い歌の数々も思い出されます。

2004 7・5 34

 

 

* 何に疲れるのか、今日は機械の前でも、手洗いですらも、ついうとうとと寝入ってしまう。つまりは、目ばかり酷く使っているということだろう。湯をつかって、はやくやすもう、明日は午に卒業生クンの一人と食事の約束がある。そのあと、「ペン電子文藝館」の会議だが、なにも持たずに用意もなく出掛ける。話題は自ずから在る。

 

* 深夜に雨が来た。

2004 7・5 34

 

 

* 夜更け 夜の海峡は微かに波立ち、映る月の影をゆらりゆらりと歪めています。平安と静けさの中に吸い込まれるような淋しさを感じてしまうのはなぜでしょうか。湖の夢を見ながら海峡は闇に揺れています。おやすみなさい。   新宿

2004 7・5 34

 

 

* 卒業生クンと、昼前に会い、食事とお茶と三時間、縷々窮状を聴いた。わたしの思うところも率直にいろいろ告げておいた。

2004 7・6 34

 

 

* 秦建日子さん脚本の「ラストプレゼント=娘と生きる最後の夏」主演天海祐希は、東京上野出身、娘の従兄弟と高校の同級生で、名前で呼び合う程の友達だそうです。建日子さんとも同年ではないでしょうか。

宝塚での、面接試験で、「落ちたら来年は受けません」(大抵は来年も挑戦しますと答えるらしい)と、意表を突く返答で、その容姿、素質も含めて合格したと、伝説的に聴いています。最短距離でトップ(組の主男役)になり、溢れる贈答品は受け取らず返品、トップになるやまた最短距離で退団してフアンを惜しませ、当日フアンの待つ道を愛嬌を降り巻かずに淡々とした態度で去っていったのも初めてのスターだったとか、風説は数限りなく、一風変ったスターだった、らしい。

かなりのマタ聴きですけれど、さっぱり気質が、私の好む処です。  東京都

 

* わたしも「さっぱり気質」大好きだ。さっぱりせず、品もない。これはイヤだ。天海祐希の最近のコマーシヤル、すっきり綺麗で、嬉しく見ている。明日夜十時から日本テレビ(讀賣系)の建日子のドラマは、かなり内容はシビアでつらそうだが、佳い顔ぶれが主役を力で助けてくれそう、こころよい展開を願っている。「さっぱり」「品良く」美しく物語が運びますように。

 

* 夫に死なれて五年、泣きの涙で息子二人と暮らしてきた人が、毎日気分が乗れば人形造りをしたり、ガーデニングの真似をしたり、やっと、「私もこの世に帰ってきました」と、他用に添えて妻に電話で話していた。「みごもりの湖」の愛読者である。

2004 7・6 34

 

 

* 今日は、岐阜県にあります養老の瀧へ行って来ました。駐車場に「瀧まで1.2km、徒歩20分」の看板があり、何、と思いましたが、歩いてみれば、細かい楓が青々と空を覆って、隙間から日の筋が小川の面に射している景色のよさに、距離を忘れ、急な坂も気になりませんでした。三十メートルくらいの小さな滝でしたが、そこへ辿り着くまでの風情と、暑さの中でほっと涼めるところが、とてもよかったです。水しぶきごとマイナスイオンをたっぷり浴びていたら、炎天の下へ戻るのがいやになってしまいました。

それと、養老の瀧からもう少し足を伸ばせば、琵琶湖だということを知りました。愛知県

 

* メールを読んでいるだけで、気が生々、清々する。わたしは、京都の青もみぢが恋しい。清閑寺、東福寺、龍安寺、嵯峨野、小野。

2004 7・6 34

 

 

* 楫の音聞ゆ  清閑寺に行って参りました。夕暮れて、そよ吹く風に緑陰いよいよ深く、据えられた供養塔がひとしお謐(しづ)かでした。  鵲に渡してほしいわたしです。  冬

 

* 七夕 あの世からも声がする。

 

* 身がもつまいなどと品のない勘ぐりをする人もいないではないが、わたしは身を用いはしない。嘆きの声を聴くだけである。聴いて欲しい声やことばの持ち主のなんと多いことだろうと、わたしはそれを嘆くだけである。幸い私の耳は慳貪でも邪慳でもない。

 

* 前略 昨日の台風で草木が倒れ周囲は寂しい風景になってしまいました。

先生のお住まいの東京はいかがですか。何も無い事をお祈り致しております。

「湖の本」をお送り下さいまして誠にありがとうございました。先生はじめ皆様がお変わりなくお幸せでありますようお祈り申し上げております。

私は日々の生活も三人(両親、妹)を想う気持ちも変わりなく 相変わらずの哀しみと寂しさが続いております。

三月末から急に体調が変化し 高脂血症と高血圧治療との薬を飲み、通院しております。先日は膠原病の検査をし、今は結果待ちです。 妹も叔母も膠原病で、二人とも他界しております。

もし膠原病であったとしたら、より妹の気持が理解してやれると思いますので、心配していません。ただ 両親が生きていましたら私もなってしまったと とても悲しむかもしれませんが、出来るだけ勤務が続けられるように過ごしていこうと思っています。どうか先生もお疲れになりませんようお過ごし下さいませ。

本日は郵便局に行かず、「湖の本」代金を同封させていただきました。手指が痛いので、文字が書けずにいて、大変申し訳ございませんでした。

ここまで書いていまして なかなか出せずにいまして申し訳ございませんでした。昨日の病院結果は膠原症でないとの事で ほっとしました。右手親指に何かがあり他の病院(整形外科)に行くようすすめられました。

除草のため手を使いすぎたのがどうかわかりませんので もう少し様子をみようと思っております。

暑いです。 どうか呉々もお体ご自愛なされますように、ご多幸をお祈り申し上げております。  渋川市

 

* 愛する家族を険しい病気で喪いつづけるなかで、つよい親族からの苛酷な圧迫に喘ぎ続けてきた孤独な人である。わたしよりずっと若い、けなげに必死な生活者であるが、わたしは何の助けにもなってあげられない、かえってこうしていつも手紙で励まされ、見舞われ、さらに土地のお土産などを季節ごとに贈ってきてくださる。わたしは、ただ嘆きの声にじっと耳を傾けているだけ。それも、つらいことである。

2004 7・7 34

 

 

* 岡山の有元さんから、輝く宝玉のような大粒二種類の葡萄がずしりと贈られてきた。果物を戴くと、この葡萄にしても、山形からの桜桃にしても、あまりの美しさについ「宝玉」と譬えてしまい、智慧の無さに苦笑するものの、実感である。なんと美しい照り・輝き・色だろうと惚れ惚れと見入ってしまう。戴いた嬉しさも加味されているだろうが。

自然のものの自然の色彩といえば、その道の人には人工の添加をいってわらわれるかも知れないが、それでも瑞々しさといい姿といい、素直に見入ってしまい飽きない。果物には糖があり沢山は許されないが、それでもあの桜桃など、贅沢この上もなく沢山戴いた。岡山の葡萄も、栃木のメロンも、また桃も、西瓜も。うぶすなの恵み。忝ない。

2004 7・9 34

 

 

*「ラストプレゼント」  命がけで生んだ娘に、無償の愛を抱けないでいる母親の姿。育児ノイローゼから幼児虐待にも陥りかねない自分を回避するために、選んだ離婚の理由。

元夫に言わせた「君の我が儘には付き合えない」から推察すると、たぶん「仕事がしたい」だったのでしょう。なぜ、そのときに夫に助けを求めなかったのでしょう?

キャリアウーマンだった彼女が仕事をテキパキこなせるように育児も出来るはずだったプライドゆえに、素直に助けをもとめることができなかったのかも。

フラッシュバックする情景がトラウマになり、「娘を捨てた」という罪悪感も。そんな思いが、会いたい気持ちにブレーキをかけてしまう。

最近の幼児虐待による死亡事件の多さ。わが子への愛情欠如は憂うべきことなのですけれど、なぜ、そうなるのか。そのこととも思い重ね、「余命三ヶ月」の彼女が、娘への無償の愛を取り戻す過程を、建日子さんがどのように表現してくださるのか、静かに深く見せていただきたいと思っています。

今日も暑い日になりそうです。どうぞ熱射にはご用心を。くれぐれも、ご自愛くださいませ。   花籠

 

* 明日、E-OLD の会をもつ。電子メールとインタネットの使用できる老境が寄って、べつに電子メディアに拘泥せず、粗食ながら美酒すこし入れて、閑談清談を楽しみ、ときに政談にも冗談にも渡ろうかというつもり。もともと千葉の勝田貞夫さんと二人で、鰻を食べたり和食を食べたりすき焼きを食べたり鮨を食べたり天麩羅もあったかどうか。新宿、浅草、池袋、日比谷、銀座などで「おとこ酒」をやってきた。一度、森秀樹さんに入って貰ったが、森さんはまだお若い? のではないか。

今回は川崎の玉井研一さん(初対面)と同僚委員で久しい友人の和泉鮎子さんに入ってもらい、さ、どんなことになるか、心涼しく楽しくありたいもの。勝田さんは呼吸器系のお医者さん、玉井さんは電子計算機など理系の技師さん、和泉さんは歌人で古代古典の研究者である。わたしはお三人のどの分野にも少しずつ接点がある。そして四人共に文学という芯がある。

電子の杖をついている六十五歳前後以上の人はわたしの読者には大勢居られるはず。さしづめ同年の和歌山市三宅貞雄さんなど近ければぜひ入って欲しいが、遠い。わたしほど読者のお名前と住所を大勢心得ている文士は少ないが、向こうのお年齢はわからない。妙齢としか思われない佳いお名前の方が、一回りも高齢の刀自であったりもするのである。

だが、ま、六十五歳前後以上というのが、E-OLDの名に恰好ではないか。お人よく、話題おもしろく、さらりと淡交。それが何よりである。神戸の芝田道さんも東工大出身のプロであるが、お歳は分からない。お若いかと思われる。

2004 7・9 34

 

 

* さっき「ペン電子文藝館」で、鴎外の「身上話」を読みました。すらすら読めて、とてもいい感じでした。

今日はこれから選挙に行ってきます。転入したてなので、不在者投票です。

東京も暑そうですね。お気をつけて。

 

買い物などして、今帰ってきたところです。温湿度計を買いましたよ。部屋の中が三十三度あります。湿度は六十五%以上です。キツイ夏になりそう。

京育ちの人なら大丈夫とは思いますが、昨今の暑さは異常ですからね、世界的にも。週末のおでかけは、お水を持ち歩くなどして、くれぐれもお気をつけください。これじゃ、まるで砂漠へゆくみたいですね。  愛知

 

* 名張はまだ梅雨明けませんが、暑中お見舞い申しあげます。熱帯夜もまだしばらく続きそうですわね。くれぐれもご自愛のほど。明日は月一度の古紙回収日。手のあちこちを切りながら結わえていて、あと少しと思った途端、鋏でざっくり。冬でも80ー50の血圧、今日はどこまで下がったやら。  雀

 

* 今日は早稲田のシンポジウムを欠席なさって大正解でした。クーラーのない講堂なんて論外です。頭の中が煮えそうな暑さで、外では思考停止状態。三十分も歩けば熱中症になりかねません。

病院では、ご老人がたに涼しく佳い演奏会でした。ベーゼンドルファーは玲瓏珠の如き音色です。でも、演奏会のあとに二つ用事があり帰宅したのは夕方で、しばらくのびていました。

「満点おバカ」という表現とっても気に入りました。ぴったり。これから時々自分のことをそう呼んでみます。よいプレゼントでした。 明日のE-OLDの会楽しそうですね。暑いですので充分ご注意なさってお出かけくださいますように。 東京都

2004 7・9 34

 

 

* 「お父さん、絵を描いてください」下巻、通勤電車の中でやっと読み終えました。書評は、すでにWEBで紹介された秀作があまたありますので割愛しますが、とても興味深く読ませていただきました。画家と作家という登場人物ではありましたが、他の職業でも何ら不思議でない展開に。我が身を重ねあわせました。

さて、明日は「E-OLDの会」とか、その予備軍いやいやもう資格十分ありますが、一度は参加したい気になっています。

> 粗食ながら美酒すこし入れて、閑談清談を楽しみ、

> ときに政談にも冗談にも渡ろうかというつもり。

> 新宿、浅草、池袋、日比谷、銀座などで「おとこ酒」をやっていた。

いやあ、いいですねえ。浅草など妙に心惹かれます。ということで元気にやっています。

明日の「E-OLDの会」の盛会をお祈りします。  神戸 E-OLD

 

* 一度お目に掛かっている。タイミングがうまくあえば、遠路をおいで戴きたいと思っている人はいくらも有る。わたしの方から出掛けて行くという道もないではない。

 

* 外へ出ると、頭がおかしくなりそうなほど暑いです。無用な外出はしないにこしたことはありませんね。

「白いカラス」という映画が観たいのですが、近くの映画館ではやらないみたいなので、レンタルされるまで待つことにしました。名古屋まで行けばやっているのでしょうが、この暑さの中、駅まで行くのさえ億劫です。でも、明日はLANカードを探しに隣りの大きな街へ出かけるつもりです。日傘を手放せません。

物価が高いのかどうか、よくわかりません。食料品にはそんなに感じないけれど。もっと近隣を探検しないと。

新しい家、だんだん居心地よくなってきましたよ。今度、近所の奥さんたちと食事に行くことになっています。楽しみです。  よい週末をお過ごしください。

 

* 川口 昇様   異様に暑い日が続きました。すこし雨の欲しい心地です。

いいお手紙を嬉しく戴きました。 源氏物語のこと、胸を打たれました、よくそこまで進まれました、よそながらとても嬉しいです。

私は、今、浮舟の少し先、蜻蛉の巻を音読しています。もう浮舟のすがたは匂宮のまえにも薫大将のまえにもありません。夢の浮橋をおそい秋頃には渡りそうです。音読を初めてもうどれだけ歳月をかけたか思い出せませんが、一日として欠かさずに読んできました。旅は一泊で帰り、旅立ちの日は朝に、帰る日は夜遅くに、常の日は就寝前に、読み継いでいました。声に出して読むことで、いろんな新しい思いをしました。楽しみました。読むのが嬉しかった。 あなたのお気持ちに、かなりまぢかに私も居ると思いました。

退職と云うことを、一度は医学書院で、一度は東工大の定年で 体験しましたが、私の場合は、東工大の定年などとは云えないような道草でしたので、この方はあまりあなたと同じではありませんでしたが、私など ま、無職同然の商売ですから仕方がありません。ただもう好きなことをさせて貰っているのが幸せといえますが。

六月は二冊の本をつくって送ってで、たいへんしんどかったです。あの同窓会の日は、前日まで上巻を、翌日からは下巻を送り出すという時で、とてもよう動きませんでした。 五十人ももう亡くなっているとあなたに伺い、驚愕しました。あまりなと胸が塞がりました。死なれて死なせて、生き残っていますね、亡くなった人の分も少しでも元気に生きたいものです。

芭蕉翁は 四十から が老いと吟じていましたが、老いかどうかはともあれ、四十からがきついけれど人生の正念場でしたね。六十五までそれが続いて、なお二十五年はいろいろに老境を生き抜いて、九十卒寿で卒する、つまり死ぬるという生涯が、望ましいように思います。そううまくいきませんが、現代は、六十五からの四半世紀こそが、最も難しい、かつて無かったまさに老境だと思います。老境に老愁あるは自然として、老いなりの春愁もまだ匂っているのかも知れません。元気に生きて行こうではありませんか。

また会う折もありましょう、きっと。

明日七月十日は 「E-OLDの会」を楽しみます。電子の杖をついて電子メディアの世界を散策している老境の友どちと、閑談し清談し、時に政談も冗談も語りながら、粗食、少し美酒を配して、心涼しい時を四人(男三人、女一人)でもちます。六十五歳前後以上という見当で、明日が初めての集いですが、助走は、もう数年前から始めていました。私のホームページでそれを書くと、早速、加わりたいと神戸のE-OLDからメールが舞い込みましたよ。

あなたは、電子メールやインタネット、電子の杖はつきませんか。パソコンは若者のツールでなく、老境にこその、というのが持論です。呵々  増えていますよ、とても。どうぞ思い立って下さい、いつでも気楽に機械上で話せます。 どうか、お元気で。   秦 恒平

 

* 「一瞬元気になっても、まだ塞いだ気分がどっかり胸に居すわっていて……。気分転換の極意というものがありましたら是非教えてください。睡眠は足りていないのに、なかなか深い眠りにつけません。」こんなメールが、今頃に飛び込んでくる。「イエスの存在が魂の根幹にあります」と言える人である。

わたしにそんな秘訣のあろうわけがない。だが、少しもの思っているところに関わったことなので、自分の思いを少し整え気味に言ってみよう。

 

* 気分転換    それは、 降参 することです。

降参 というと、普通は恥辱的な屈服の意味でしか日本語では使いませんが、これが宗教的心性の 極意だといったら怒りますか。怒るわけがない、べつの物言いをすればクリスチャンのみなさんがよく言われる 「みこころのままに」 に似ています。同じです。

すっからかんに無用の拘りを棄てきって、カラッポになる、気障も見栄も飾りもプライドも、また習慣も、なにもかも、すっからかんに投げ出して、バケツをぶっちやけて、カラッポで ほんとうのソレそのものになるのです。自分(エゴ)を棄てるのです。

棄てて惜しい程のモノなんか持ってはいない、大抵。ひきずるとは拘泥するということ、襤褸(蔽)をまとっているだけのこと。

解蔽 人は「静かな心」をわざわざ襤褸で蔽っている。「解蔽」が大事だと荀子は言い、漱石はそれで「こころ」を書いたのです。

「心身脱落」 という四字は 禅の優れて大切な境地のようですが、これもまた すっからかんのカラッポで 真理のまえに 降参 する意味の筈です。

ひきずると云ってますね。まさに。自認している。しかし何をひきずっているか、よく観てごらんなさい。ロクなものはない。誇りという名のホコリ・埃。その他もろもろの拘り。襤褸。真の価値あるモノはほとんどなく、エゴの餌食になりそうなモノが安っぽくぴかぴかしている。誰もがそうなんです。

引きずっているから一新しない、理の当然です。 降参する 降参出来る これが真実の宗教的天成であり天性なのではないでしょうか。

真実 「みこころのままに」 と。 イエスに 降参しているといえますか。降参出来ずに 魂の話などしても うそくさいですよ。少し この 降参 という深い意義を思ってみませんか。

 

* むろんこれはおこがましいだけの駄弁であるが、わたしが、「降参」と語られていることに魅されていることだけを、此処に私語したに過ぎない。

2004 7・9 34

 

 

* E-OLDの会はつつがなく、和やかに。出光美術館で出光佐三コレクションを観た。遠方から見える三人と待ち合わせるには展示場は都合がいいと急に申し合わせた。

この美術展は、一点一点の質の高さでは文句の付けようもない。もともと「指月布袋画賛」を皮切りに仙厓のコレクションから肇まったのが此の美術館であり、動機はそれに尽き、仙厓蒐集では第一の質を誇っている。双幅の「馬祖・臨済画賛」など辛辣な画境である。

その余は、統一的な志向で蒐集したというより、専家の意見も聡明に聴きながら、最も善きものを惜しみなく集めたと見える。その内容の宜しさと多彩さは驚くべきものがある。

絵画は、牧谿の「平沙落雁図」岩佐又兵衛「四季耕作図屏風」また「桜下弾絃図屏風」小杉放庵の「大伴旅人図」「南枝第一春」その他、浦上玉堂、田能村竹田、ムンク、ルオー等々いろいろある。

書も、古筆手鑑「見努世友=みぬよのとも」は抜群の美しさ貴重さであり、この館に重きを成している。「和漢朗詠集」もある。歌仙切も絵巻もある。仙厓の書は繪に劣らぬ境涯に遊んでいる。

陶磁器では、さすがに桃山期の古唐津に抜群のものがあり、堂々の奧高麗茶碗にも繪唐津茶碗にも風格溢れたが、興味深かったのは近代板谷波山の独特の葆光彩磁をやや纏めて観られたこと。

もとより出光では、豪快で森々たる魅力の上古青銅祭器群が素晴らしいのだが、また仁清も少なくないはずだが、それらは今日は一点ずつぐらいに割愛されていた。

かなりの客の入りであった。わたしも一瞥また一瞥で、駆けるようにして観ては戻り観ては戻りしていたが、ま、それでも満たされて余りあった。

 

* 初対面の玉井さんとも無事に会い、みなを引き合わせてから、東京會舘一階のグリルに入った。静かで対話には洵に恰好であったし、グラスワインもよろしかったが、コースの食事が、他は概ねデザート、コーヒーまで可としても、鳴り物入りで宣伝していたメインの豚料理はさっぱり味気ない下手な料理で、かなり白けた。

四人でタクシーで日比谷へうつり、クラブでさらに閑談・漫談・歓談。ヘネシーと、響。酒はまずよし。エスカルゴで飲んだ。

三人ともそれぞれに何というか持ち味も話柄もちがい、そのアンサンブルで終始一貫するよう、気を配ったつもり。みなさん、おもしろく楽しく話されていて出逢いの甲斐があった。九時近くまでも話していただろうか。

有楽町駅に戻られる三人とは数寄屋橋で別れてわたしは丸の内線で帰ってきた。車中、興膳宏さんの中国古典の本をずっと愛読してきた。

2004 7・10 34

 

 

* 七月の京観光。  女友達二人から、別々に、続けざま、同じことを、訊かれました。

「京都へ芝居を見に行くンだけど、夜の部なの― 一人は「それまで」一人は「翌日」― 昼の、暑い、京で、どんな所に行ったらいいかしら? いつも劇場しか行かないから見当が付かなくて。」

おいおい、こらこら、ありゃりゃ‥なんて、きっと秦さんはおっしゃるわ。

恐れながら、雀がどう返事したか、メールお送りいたします。

雀のこたえ。

「市内の暑さを避けて遠出はいかが。

宇治、また、いっそ比叡、大原。 JR-CM中の高雄・栂尾よし、嵐山に鷹ヶ峰、 鴨川に沿うて上賀茂神社、貴船。 醍醐、日野、山科。

駅近のおすすめは、東寺、泉湧寺界隈、三十三間堂。

雨なら庭。 西は妙心寺、等持院。 蓮で名高い法金剛院。 北なら正傳禅寺、圓通寺、蓮華寺。 東は曼殊院、 南禅寺塔頭の天授庵&金地院、 智積院。

祇園祭・地蔵盆の雰囲気を味わう、夕暮れの六波羅界隈から清水サンへの道も、おすすめ。」

嘘は言いたないから、行ったとこしか言ゥてません。けど、なンや、えッらそー。

 

* 「名前」のもつ還元力・喚起力を涼しく楽しませて貰いました。

2004 7・11 34

 

 

* 千葉のE-OLDは昨日の展覧会で 仙厓の「布袋指月図」の飾り手拭いを買っておられた。「を月さんいくつ 十三七つ」 と。これは出光佐三の仙崖への「初恋」の作品で、佳いモノである。

お返事に少し触れたが、たとえば「茶道指月集」などとよくものの題に好まれるのが「指月」の二字で、たぶんこれは唯の風流ではない、禅の風儀であり諷喩である。みごとなメタファー(隠喩)である。

美しい天上の月。ああお月様と指をさす。月の存在を示す指先ではあるが、それは月そのものではない。とかく、月そのものをみないで、月よと指している指の方だけをみて「月をみた」と思いこむ。指し示す指に相当のただ指導書、啓蒙書を読んで、ただ聖典を読んで、真実に触れた真実に成り合ったと錯覚してしまう。ほんとうに月に達するには、ここから先の深みを瞬時に渡り超えて徹底せねばならないのだろう。

「指月」はそうであり、もう一つ図に題された「十三七つ」が、これまた広大な背景を蔵した歌謡なのである。それだけを題材にした民俗学・民族学の本がある。ただ日本だけに生まれて愛されている歌謡ではなかった。

愛らしい図であり歌であるが、仙厓の境地はさらに奥ゆかしい。

 

* 川崎のE-OLDは、皇居のお濠にうかぶ白い鳥の佳い写真に添え、E-OLD 四人の写真も電送してこられた。

2004 7・11 34

 

 

*  岩代に、日が落ちて  白い浪ばかりが目に飛込んできます。

泣きそう。

竹喬「春耕」素描の、潤んだ瞳の牛の繪を観たときも。傍に居ていただけたらと、希いました。  雀

 

* 岩代とは、謀略にはめられた有馬皇子が、斉明天皇や中大兄皇太子の遊山の先へ逮捕され拉致されて行く途中の紀の国の西海岸。もう二度と此の所までも戻っては来れまいと覚悟しながら、松ヶ枝を結んで悲愴の歌をよんだところだ。「白い浪ばかり」と、その通りの白い砂浜でもある。

わたしの「蘇我殿幻想」を手に旅に出たらしい、むろん選挙は先に済ませてきたと前のメールにあった。静かすぎる旅のようである。選挙速報に湧く日本と、上古の政変を想いつつこういう寂しい旅人もいる日本と。わたしもまた、鳶のようにその日本の空を舞う心地がする。

 

* 梅雨も明けたようにもありませんのに暑い日が多くて、、、いかがお暮らしですか? お見舞い申し上げます。

お元気かなと思いながら、急には連絡が取れないので、お会いするすべもまるでなくて残念に思います。時々東京までも出かけているのですが、いつもそのまま通過しています。

先日関西に行って、松伯美術館に行ってみました。

いろんなトラブルに巻き込まれながら、達観したり苦しんだりして、それでも何かを信じているのは、やはり幼稚なのかもしれませんね。

いつかお会いして、いろんなお話をできるようにと祈っています。  東海村

 

* 娘も息子も孫達もみなヨーロッパ住まいのようにむかしメールで聞いていたから、長期海外かなと想っていた読者のメールに、びっくりした。もう四半世紀も昔講演会で声をかけられた。お互いに、顔を見て分かるだろうかと想うほどである。

2004 7・11 34

 

 

* 湯の峰を通り、本宮へ参り、大斎原で、ぼぉっとしております。六時に田辺駅を出て、本宮前から帰るバスまで二時間もあると思っておりましたのに、もう時間です。

蝉しぐれと小鳥の囀り、ときに鈴の音、柏手の音。川瀬のせせらぎ、美しく清んだ水の色、白い河原の向こうに、青々と稲、木々伸びやかな山。暑くはなく、空は明るく曇っています。芽ぐみ育む温かい潤いの気に包まれ、全ての感覚が膨らみ、拡がっていきます。

肩に手を当て、紀の国の大気と景色に、こころを添えて贈ります。 囀雀

 

* 同じ紀の国でも、太平洋に開けた南の熊野と、紀伊水道ぞいの西海岸とはずいぶん雰囲気が違うけれど、両者をつなぐ熊野参路の中辺路(なかへじ)をバスで行くのは趣深いものであった。わたしは熊野への志が深いというのか、たまたまのことか、大学の頃の初の一人旅が紀西線をつかった熊野行で、那智の滝も、瀞のプロペラ船も、また当時は開通していなかった伊勢方面への連絡に高い高い峠を越えてゆくこわいバスに乗ったのも、この時だった。

その以降も、奈良県から真っ直ぐバスで南下する熊野詣で、中辺路からの熊野詣でをしている。小説のための、また空海取材の延長の、ともに一人旅であった。そういえば新宮で講演し、そのあとすさみで妻の両親の墓参りをしたことも。その時は妻も同行した。

雀さんの一人旅は、いかにも寂び寂びとしている。一人でなくご主人もいっしょなのか、分からない。

井上靖の旅行記を読むと、まるで孤独にひとりッ切りでの旅に想えそうなものが多いが、事実はお連れやお守り無しと云うことはなかったろう。いろんな旅の顔がある。

2004 7・12 34

 

 

* ある世界史的に最大といわれる近代の哲学者が、「哲学が役に立つのは、哲学など何の役にも立たないと云うことをハッキリ分かるため」、と言い切っています。ハシゴの最上段まで昇ることは哲学で出来るかも知れません。しかし真に大事なことは、ハシゴのテッペンより遥か先へ高くへ飛翔できるか(メタファーとして謂えば)です。

あれが明月です真如の月ですと指さすこと、それが「哲学」や「論理学」の限界です。しかし指している「指」が月ではない。「月」は、べつにある。「降参」「みこころのままに」「心身脱落」「不立文字」など、みなそれぞれにその辺に触れているのでしょうよ。

> 女のもっとも苦手な学問は「哲学」ですが、心にとめておきます。

これは浅い居直りのようなもので、エゴの分別です。後生大事に誇らかにエゴを抱きこんでやっと立っている。

そもそも「心にとめてお」くようなものを持たないのが、「降参」「みこころのままに」「心身脱落」「不立文字」ではないでしょうか。

とても佳いことを云いましょう。

E-OLDのお一人は、平均八十歳のボケ、半ボケ老人達とスキンシップのつきあいをしているお医者さんですが。

ある日、そういうオバアチャンの一人の手をじいっとにぎって、「おばあちゃんは、なにを考えていますかねえ」と話しかけた。ながぁい間かけて反応なく、それでも、「なんも考えてへん」と小声の返事。それから暫くしてオバアチャンからドクターが離れて立ってゆく、と、オバアチャンの低いひとりごとが確かに耳に入ったのです。

「考えてどうするねん…」と。

そのお医者さんも、聴いたわたしも、沈黙しました。おどろいたのです。おばあちゃんは「降参」し「無心」に近くなっている。ブッダにまぢかくなっているのではないかしらん。これは「哲学」ではない。「哲学無用」ですね。

 

* 気分転換がうまく出来ずに沈み込む人が有れば、不眠に悩む人がいる。「降参」なんかするかと言いたいほど賢い人が、辛くなるのかも知れない。「考えてどうするねん…」とひとり呟くおばあちゃん。その言葉はお医者さんに聴かせた言葉ではないだけに思わず聴き耳が立つ。

 

* ふたたび不眠症で、家族を安心させる為にとりあえずの医者通い。薬依存症の怖さを知っているだけに、そうならない為の飲まない葛藤、日にち薬で克服します、いや、努力したい。

どれ程昼間に身体を酷使しても、夜は寝付けない、こんなことに限らずあらゆる悩みは、身を持って経験しないと人には理解も助言もしにくいものです。

以前、テレビの買い替えを云われていましたが、何年かの近くに、すべてがデジタル仕様になり、それでないと使えなくなります(経済の活性化の為ともいわれていますが)。デジタルテレビはまだ非常に高価です。少しガマンか考慮の余地ありと、老婆心から。映画好きにはBSが入るだけでも、楽しめます。

私の場合はWOWを入れるとテレビから離れられなくなるのでは、との懸念から、敢えて入れていませんが、どうしても観たい映画があると、快く応じてくれるお向かいの旦那さんに頼みます。

朝から洗濯物を干しながらも今も、何故かレイ チャールズの「愛さずにはいられない(これが邦名らしい)」のメロデイーが口をつきます。曲名も歌詞も知らなく、耳に入ってくるこの心に沁みるメロデイーが大好きです。

これから、医者へ行き、その足で孫クンのつたい歩きを見て来ます。  京都市

 

* 七十に手の届いたおばあちゃんの科白としては、健康な、シャキッとしたものではないですか。しかし「降参」なんてイヤという頑固な抱き柱は抱いていそう。

 

* 「抱き柱は要らない」という思い自体が抱き柱になりかねないことを、わたしは観ている。

 

* み熊野の浦の浜木綿――白く芳る花が盛りでしたわ。

昨夜見た、岩代沖の漁り火が、まだ、目の奥にあります。久しぶりに潮風を浴び、活力を得ました。晴れていたらよほど、深い色になると思われる、ベタ凪に、円月島、白良浜、湯の崎、千畳敷、三段壁とまわり、岩代の結び松の碑を尋ねました。

駅で電車を待つ間中、耳に、波おと。

藤白坂は、すぐそばにICができて、ご本とはだいぶ趣きが違いましたが、雀も、木もれ日の藤白坂を歩いてみました。

和歌山市で、文雀さんひさかたぶりの「卅三間堂」お柳を拝見して、いま、帰りです。

2004 7・12 34

 

 

* 白浜の白い砂。いまは、お金を出して外国から買っていて、冬はネットを張って飛散しないようにしているとか。

白骨温泉の白色は、市販の入浴剤添加という報道に、塩素などもろもろ入っている水道水のうちのお風呂だって、なかなかいいンでないのン? と思いますわ。

お風呂、お好きでらっしゃいますか?

船旅の白いバスタブ、秘湯の露天風呂、盥の音響く内風呂、内湯…キモチよさそうに浸かってらしゃるイメージがございます。

本日、梅雨明け。いよいよ夏本番。どうか、おからだ大事になさってください。 雀

2004 7・13 34

 

 

* 我が家に里帰りしていた娘に、女の子が産まれバタバタしていました。と言うわけで、私達夫婦にとっては初孫です。良人も自分の子供が生まれた時よりも嬉しがって眺めています。

合間を縫って秦様のホームページはのぞき、皆様の「お父さん—」へのご感想、ご批評を拝見しています。それぞれに感じ方読み方がちがってそれを読んで自分もまた考え直したりしていました。

>同年配の電子の杖をひいたE-OLDとときどき逢って歓談しています。誘いたいと思いつつ、主婦を夜分かけてはお気の毒と遠慮しています。。

夜でも全く外出しないわけではありません、が、先のお集まりのメンバー当夜の様子をHPより拝察すれば、文学、古典に造詣深い皆様にとって私は異分子? —-異分子として皆様の新鮮なお話しをお聞きしたくはあります。ご迷惑でなければ、いつか、お仲間に入れてくださいませ。

と書きつつも、秦様とはお会いせずこうして「メル友」で有り続ける方が良いのかなあ、とも思っています。私はテレビ等で秦様を拝見しているわけですが、私は一応未だ「謎?の人」であることを楽しんでいるところがあります。

人間も、私の描いた絵も、実物をお見せしたらガッカリしてくださるかも。だから、どちらがよろしいでしょうねえ——。

> ご主人は、まだまだ職場の前線にいられるのですか。お揃いで、お元気にお大事にと祈ります。 湖

もう少し現役でいるようですが、さすがに早くのんびりしたいねと言い合うようになりました。お陰様でとても元気です。

昨夜始めて孫の寝顔をスケッチしました。まるで下手くそ。毎日でも描けるいまのうちに、沢山練習しておきましょう。        杉並区

 

* PCを,娘たちと共有しているうち、どういうわけかインターネット接続ができなくなり、昨夜やっと久しぶりに湖のHPの世界に入ることができました。

3人家族を抱えて、家に帰ってからもそうじ せんたく 食事作りなどに追われる、うれしくも忙しい毎日です。生まれたての赤ちゃんは不思議なパワーをくれて、猛暑の中、8月1日川崎にオープンする施設作り、本社、新百合のカーサの3つの仕事を、なんとか元気にこなしています。(お給料も増やしました)

そうそう、大学の先輩の女性(工学部出身 短歌を作っています)に「少年」と「東工大作家の・・・」を貸したのですが、返却の郵便物に同封されていたはがきの内容をお伝えします。

>> 「湖」の本、長いことありがとうございました。秦さんのような講義と演習、どの大学でもあってよいと思います。若い作家のグループで丸々1年でなくても何回シリーズかで出前授業なさることはできるのではないかしら。ペンクラブの企画でいかがでしょう。私の学部時代は文藝的真空地帯に暮らしていたので、自分が歌を作るようになるとは想像もしませんでした。人生はおもしろいですね。向暑の候、ご健康大切に!>>

あれあれ仕事に少し遅刻しそうです!!!!   川崎市

 

* 昨夜は寝酒のワインを少し飲み、眠くて眠くて眠りの入り口にへばりついているのに、いじわる睡眠サマが入れてくれない。フンフン、原因はアレかと思いながら、誘惑の林檎、四分の一のカケラを飲んで寝付つきました。

医院で手にとった婦人画報の五月号、入居して間のない頃のわが団地の何ページかの記事があり、懐かしかったこと。当時夢の住居として、何ヶ月か雑誌に特集されたとありますが、赤ちゃん育てに多忙な当時、目にもしていませんでした。

今の天皇、皇后が訪問され、団地のベランダから手を振る写真、その階下のベランダに満艦飾の洗濯物。子供のシャツやが見えるのが、なんとも庶民的。

お向かいの仲良しさんと乳母車に赤ちゃんの四人でその場所へ急ぐ途中、人気のない広い道筋で、ラッキーにそのお召し車に出会い、美智子様は二人いや四人に身を乗り出して、手を振ってくださった。ああ、皆、若かった。

ついでに、京都の写真もたくさん出ていて、写真家の構図が面白く、幾何学的に撮った東福寺の通天橋、が特にいいんです。山科毘沙門堂、辰巳橋、泉涌寺(時々この涌が湧で、アレッと気になる時がありますが)南禅寺、勝持寺、この春行ってきた善峰さん、法然院、南禅寺、伏見稲荷の鳥居・・・キリあらへん。

お母さんは京都となると京都弁に変ると娘たちは笑いますが。

何度行っても、何処もいい。絵になります。    東京都

 

* おばあちゃんタチのパワーが、どれもみな、熱い。なまじのニュースより面白い。

 

* 遠く引っ越していった新居での生活を整えた、若い二人が、初の夏休みをどこかで楽しんで、家に戻ってきたメール。

 

* おはようございます。  朝方、いろんな夢を見ました。色つきで、脈絡のある夢でした。まだ憶えています。

今日は近所の奥さんたちとランチです。楽しんできます。

カンカン照りで干からびないでくださいね、風。

 

* こういうのをアテられるというのだろう。風は干からびないぞ、衰えるとか、吹き止むとか謂うものだと説教を垂れる。幸せで、楽しいのがなによりです。ゆったりと自然に。

心親しいメールのいいところは、ご挨拶がいらない。むしろそれは障りになる。紙の手紙だと欠かせないような文言がメールに頻出すると、過剰になりやすく、言葉が乾いてしまう。むずかしい。

2004 7・14 34

 

 

* 「ニューシネマパラダイス」は、ああ、あの映画かと多くのフアンがいますね。テーマー音楽が(これはテレビのあらゆる場面のバックミュージックに今もよく使われます)佳く、登場人物佳く、話佳く、特にフイナーレのいい事。涙がこぼれたのを私も思い出しました。

あの監督の二十台の時の作品だと聞いています。寡作で、あのいい映画「海の上のピアニスト」もそうでした。

あのトト君(彼は地元の公募で受かった素人でした)は、その後何本かの映画に出ていましたが、今はシチリアの親の経営するコンビニで働き、何時かローマへ出て、映画の仕事に付きたいと、いつか、テレビで話していました。

いい映画は何度でも観たいですね。  東京都

 

* お食事会楽しかったです。お向かいのお家の小さなお子さんたちも一緒に、海鮮レストランへ行きました。こちらの方は、魚が美味しいです。スーパーのお寿司でも違いを感じます。

奥さんたちからは、引っ越しの多い暮らしについて、いろいろ教えてもらいました。

宿舎に帰ると、お向かいの奥さんが「よかったら家で話しませんか」と誘ってくださったので、皆でお邪魔しました。「散らかってますが」と言っていましたが、うまく片付いていて感心しました。同じ間取りの我が家は、雑然としていますから。

わたしよりずっと若いお向かいの奥さんは、生まれた所から遠く離れて、二人の赤ちゃんを育て、暮らしていて、人恋しそうでした。おそらく、今回の食事会は、わたしのために催してくれたのでしょうが、お向かいの奥さんも嬉しそうでした。「また是非やりましょう」、「よかったら一緒に買い物に行きましょう」と繰り返していました。

わたしが話し相手になれるかどうかは、まだわかりません。

少しずつ、自然に近づいてゆけるなら、と思います。     愛知県

 

* わたしたちも、社宅暮らしを十年ちかく経験している。男は勤めに出で居て、留守にどんな女の生活があったのか知らないが、当時の保谷町は、農村のなかへよそものが混じり始めたような時で、近在に喫茶店も食べ物屋も何一つなかった。娘はもう社宅より前の新宿河田町のアパートで生まれていて、息子は、わたしの太宰賞受賞の一年数ヶ月前に生まれた。わずか六世帯の社宅だった。会社へ近くはなかったけれど、鉄筋三階の三階ずまい、六畳と四畳半、狭いながらも水洗の手洗いと浴室はあったし、建物も真新しかったし、有り難かった。あの社宅の北窓の四畳半で、処女作を書き始めた。昭和四十四年(1969)の受賞後一年ほどして、現在の下保谷に家を建てて移転した。

あの社宅で、朝日子と建日子とをいっしょに両腕に抱き上げている写真が好きだ。建日子はおでこに絆創膏を貼り、弟のそんな顔をみている朝日子の笑顔が、すばらしく優しい。可愛い。またやがて娘朝日子の誕生日がやってくる。

2004 7・14 34

 

 

* マオタイを一本とは、あまりのことに言葉もありません。明日病院でマオタイのことをお話しして、ドクターにたっぷり叱られなさい。そして、結果が悪くても、マオタイのせいだからと、急激に強いお薬に変えないようによく相談なさってください。やけ酒もやけ食いもなさらないで、日照りの道は避けて、しずかにご帰宅ください。一週間は少なくとも禅寺のような精進料理と禁酒。

飲んでしまったものはしかたありません。おいしいお酒でしたか。

 

* 病院に着くとすぐ血液と尿の検査を済ませ、糖尿外来に申告すると、その足で、食堂へ。明るい、池の見える窓近くでビーフシューの定食を平らげながら、建日子の呉れた『ゲド戦記外伝』に読みふける。アースーシー世界のことは、多年愛読翻読しているから「通」であるが、さらに、作者自身がこの世界の久しい歴史に補足的に幾つかの作品を書き添えてくれたのが、『外伝』である。今読んでいる「カワウソ」は、「ゲド」の物語より三百年ぐらい以前の優れた魔法使いの物語で、多くのわたしの記憶を、かっちり根固めしてくれる。なんというニクイ本だろう。

その一方で、昨夜来、ある物語のもやもやがアタマの芯で動き始めていたが、この食堂での読書の間に、ときどき窓の外へ眼を遊ばせているうち、なんだかムズムズと着想がサマになりかけてくるので驚いた。

午前中に病院に着いておいた功徳か、一時予約が、一時にはもう診察室を出て会計も済まして来た。診察のデータはたいへん宜しく、お医者様のお褒めにあずかった。血糖値に問題なく、なんだかいつも気にかけられているナンタラというものの値が、一時は入院を医師に思案させるほどだったのが、グイグイと下がり、もう一息で望ましい正常値にまで届きそうだから、「ああ、このままでいいですね、けっこうですね」と。ウヒヒ。マオタイは飲みドクであった。

2004 7・16 34

 

 

* 外は暑かったでしょう。今、三十四度あります。耐えていられるのは、湿度が五十%以下だからかもしれません。

わたしも三時くらいに出掛けます。街の駐車場に屋根がないので、車の中はいつも蒸し風呂になっています。フロントガラスに日よけをしておかないと、ハンドルが握れません。

「白いカラス」、やっていることはやっているのですが、最寄りの映画館ではなく、車で四、五十分かかる所で、しかも朝九時半の一回きりなので、諦めました。名古屋駅近くの映画館ではもっとやっているみたいですが、行く気しません、暑くて。

何より日に焼けたくないんです。この日射しでは、駅まで歩くだけで焼けそう。子供の頃、二学期のはじめには、「海に行ったの」とよく人に聞かれました。ふつうに出歩いているだけで、浜辺で焼いたように真っ黒だったんです。それからは、できるだけ日焼けしないよう心掛けています。   花

 

* 今日の都内はアタマが焦げそうであった。戸内冷房の機械熱が漏れなく戸外に放熱されているのだもの、堪らない。保谷へ戻って畑中道を歩いていると少し違う。

2004 7・16 34

 

 

* 祇園会。うねるように暑い、熱い思い出が胸元を押してくる。

 

* こんな仕事ではあり、郵便の来ない、メールも少ない「土日」や「連休」は楽しくもありませんと言うと、土日は、花が風にメールを送りますよと。こんなこと、以前はとても言える人でなかった。あんまりガチガチだから、先生と読者とはやめにして、試みに「風」と「花」にしてみた。すると、すっかりメールがラクになった。のびのびと自然になった。一つには懸案であった好きな人と異郷での共同生活や、それに伴う引っ越し転勤もこのコチコチだった人をラクにさせたのであろう。

こういうのは試みて甲斐ある一工夫かも知れない。

 

* わたしのパソコンも、インターネット常時接続になりました。ちょっと便利になりましたが、何しろパソコン自体が古いので、表示できないページも出てきてしまいます。でも、愛着があって、買い替えられません。

ゆっくりとお過ごしですか。

 

* いま、にわか雨が降って、すぐやんでしまいました。

今日はすでに日記をたくさん書きました。読んだり書いたり、ちょっと勉強もしたり、毎日時間があっという間です。運動もしないと。お隣の奥さんにソフトバレーボールに誘われています。迷っています。皆についていけるかどうかも心配です。体育は、ご無沙汰ですから。

お仕事進みましたか。邪魔にならないよう、そっと送ったつもりです。

 

* 雷です。空が光っています。雨は強まったり弱まったりを繰り返していますが、涼しくなりません。

桜姫東文章  四谷怪談  ですか。

子供のころは、こわいもの見たさで、怪談ものの映画や読み物が大好きでした。子供ってそうなのかもしれません。みんなでよく怪奇現象について話していましたから。世界の七不思議、みたいなのも大好きで、ある友人と二人で雑誌記事や聞き書きしたものを持ち寄って、こっそりレポートを作ったこともあります。でも、今はもうだめですね、怖くて。おばけ屋敷では、足が竦みます。近しい人の幽霊なら大丈夫な気がしますけど。

運動神経は、どうでしょう。スポーツテストの成績は、いつもだいたい普通でしたが。小学生のときは、すばしこかったと思います。中学生くらいから、ドンくさくなってきました。からだが重くなる年頃ですから、積極的に動いていないとそうなるでしょう。あのあたりが、わかれみちでしたね。

汗をかくのは気持ちいいので、何か運動をしていたいなあと思います。

花のメールで頭を切り替えて、原稿がパーッとはかどるといいのですけれど。

 

* ごく小さい頃は運動はダメでした。丹波に疎開し、山を越えて通学したのは辛かったけれど、いつしかに身体を鍛えていたのだと思います。敗戦後に京都へ帰ると、かなり早く走れる一人になっていました。それでも、サンカクという渾名のちっこい子に、リレーで追い抜かれました。そのサンカクに、中学では学級対抗リレーで追い抜いて優勝しました。高校では、学年二番目に早い走り手でした。高跳びも三段跳びもいい成績でした。跳び箱も得意でした。大学で体育の実技はソフトボールでしたが、サードを守って満点でした。

眼が弱くて、ピンポンのように相手が小さくて速すぎるのはダメでした。相撲は、そこそこ強かったんです。

それでいて、短歌をつくったり茶の湯を習っていたり、渾名は坊主。アタマ、マル坊主でしたから。冬は寒いので黒いマフラーでアタマを蔽っていたから、まるで弁慶みたいでした。そんな頃に、「慈子」の来迎院へ行ってました。   風

 

* メールは「ともあり、遠方よりきたる」の簡易・簡明現代版。

2004 7・17 34

 

 

* 運動が得意だったのですね。そうだったのかあ、と、感じ入っています。

むかしはみんな坊主頭だったのではないですか。どうして風だけ渾名が坊主?

最近、風の掌説を読みながら、やってみたいなあと考えています。

今日は曇りで、少し涼しいです。絶好の片付け日和。昨日、横浜の友人に、遊びに行きたいと言われました。散らかっているので、慌てています。

 

* 高校生のもう二年生ぐらいからは、みな髪をのばしていて、戦争中のように丸坊主の坊主頭は、一人だけでした、目立ちました。いつごろ髪をながくしたか忘れましたが、卒業少し前から大学進学あとまでかけて伸ばしたのだと思います。

そのころまで、東福寺と学校と泉涌寺とをしばしば往来し彷徨して、「少年」の短歌を作っていました。あの歌集はかなりに精選しています。実際には、詞書きも添え日記代わりに大量生産していました。

惜しいことに高校時代から大学時代の日記を、上京前に全部燃してしまいました。京都を棄てるいわば「推進火力」にするぐらいの感傷からしたことです。しかしノートの歌集が三冊ほど、電器屋の広告チラシの裏にびっしり清書した歌の書留など、今も残っているのではないかと思います。歌としては殆ど採れないが、あの時代が、いくらか再現可能な資料になります。

2004 7・18 34

 

 

* 高天ガ原から高天彦神社から橋本院へ参りました。ご住職夫妻に親切にしていただき、奥様がバス停まで送ってくださるのが恐縮で、高鴨神社までとお願いしました。

別天地のような風に美しい稲波、重畳する山並み。風の森などこの辺りはよくご存じでらっしゃるでしょう?      雀

 

* よく、というほど繰り返し行った先ではないが、なにか他界、それも地底の他界とつながったような、奇異に不思議な惑乱を覚えさせられた、遠い記憶がある。こわいのではない、安心にむしろ近かった。

2004 7・18 34

 

 

* ほんとうにここ数年の夏は暑くて、出歩いたら道で倒れるなんてことが、冗談でなく、あるかもしれません。此処へ越してきて、行きたいところは名古屋、伊勢志摩、奈良、京都などいろいろあるけれど、あと二月くらいは待った方がいいと思っています。

京都は、風、この前に書かれていましたね、平安神宮のお庭。花も、とても好きです。「誘惑」には、下鴨神社の由緒を話している場面がありましたね。修学旅行で行ったとき、説明を聞いたのだと思いますが、ちっとも憶えてなくて、あれをゆっくり読ませていただいて、このことだったのかあ、と目の覚める思いをしました。

秋になったら詩仙堂、曼殊院へ行ってこようと思います。うっすらとしかない修学旅行の記憶の中で、ここはとりわけ佳かった。それから泉涌寺。「慈子」の舞台ですからね。見てから読んだら、また違うかなあと思っています。

原稿が仕上がってよかったですね。明日はお芝居を楽しんでください。

ワシャワシャワシャと蝉が鳴きはじめました。あれは何という種類でしょうか。

 

* 「ワシャワシャワシャと蝉が鳴きはじめました」なんて、聴いたこともない面白い物言い。耳にありあり届いてくるのが懐かしい。

こんな佳いメールと同時に、ある人の、地方紙に書いたという原稿が送られてきた。近年、一部の作家達が図書館を攻撃して盛んにものを云っているのは、大方当たらないといろんな数字が挙げてあるのは、その点はわたしなど当初から予測していた通りのもので、むしろこの人の指摘に頷くのだけれど、困ったのはそうした作家側の言い分や姿勢を「精神主義」と括って出し、「精神主義では文化は豊かにならない」と文章に題がついていることである。

「精神主義」という言葉の意義がまったく指摘も規定もされていないので、大人の議論としては、あまりに幼稚に薄いし、そもそもこの人が指摘している作家側の諸発言など、むしろ「非精神主義」という方が当たっているぐらいに、わたしは感じてきた。

この筆者のことは名前と文章とときどきのメールで知る以外、面識の覚えもないが、いつも短兵急に過ぎ、舌足らずに思慮もやや薄く、短絡をものともしないヘキがある。ま、わが反面教師というところか。よく自戒したい。

2004 7・19 34

 

 

* わたしも昼寝をしてしまいました。ちょうど三時過ぎから四時くらいまで。目覚めたとき、汗びっしょりでした。気温は三十四度でした。暑い中、よく眠ったものです。

風は宵っ張りサンでしょう。わたしもそうです。夕食のあと、のろのろ、深夜にやっとお風呂に入ります。そうすると目が冴えてしまって、なかなか眠れなくなってしまうのです。本を読みながら横になると、いつのまにか眠っていますが、一時間経っても眠れないときがあります。昼寝は、しすぎない方がいいですね。一時間くらいがベストみたいです、わたしの場合。 花

2004 7・19 34

 

 

* きのうは最高に暑かったようですね。ご無事でなによりです。

こちらは、ギラギラ照りつける日射しという感じではなく、うすぼんやりしています。

でも、毎日暑いです。実はわたしは暑いのが好きなのかもしれない、と思い到りまして、エアコンをつけずに頑張っていたのですが、きのうになって頭がクラクラしてきたので、今日はエアコンで涼んでいます。

湿気が多いと不快に感じますが、おかげで乾燥しにくいのだと、有り難くも思っています。水質は軟らかく、髪や皮膚にやさしい、日本の風土っていいですね。  花

 

* むかし、東京の生活からときに京都へ里帰りして水の軟らかさにビックリした覚えが何度もあった。その当時、特急燕などでなければ。急行でなら。東京・京都の間で九時間ほどもかかった、もっとかかったこともある。京都駅にやっと下りて、手洗いで水をつかうと、水の軟らかいことにたまげた。このちがい何に拠るのか説明できないけれど、「水が変わる」という物言いの自然さを納得したものだ。

 

* いま知床へ飛んでいますとメールが来た。やがて九州へ十日ほどもというメールもあった。東京へ、芝居を観に行きますというのもある。暑い暑いと謂いつつ、それだからよけいに夏休みする人は多いわけだ、我が家でも、黒いマゴがもしいなければ少し長い旅もできるのだが、ま、動くまい。こんなときに、少し長く棚上げしてあった大きな仕事にまた手を付けて行こうと思う。油断かも知れないが、夏の間ぐらい飲み食いも好きに解禁して、また少しぐらいなら肥ってみようかしらんなどと、悪だくみも考えている。閑居して不善を為すの楽しみもあるべし、あるべしと。

 

* 日光、月光   日が沈み、ほどなく上ってきた三日月に、「月は涼しく中空にあり」という句を思い出しました。三月堂などでよく想像します、「あとは月光さん、任せたわよ」「バッチリまかせといて」というように、おみごとな晩への引き継ぎ美しい夕方の風情。

午下がり、雷とともにしぶくように降り出した雨も、足りません。依然、熱暑です。そちらもよほどのようで、案じております。おん身なによりお大事に。

朝明川     いまほど、三重の民放で、桑名と四日市のあいだにある宿場町、朝日町の歴史と文化を紹介しておりまして、朝明川が、大海人皇子東行ゆかりの地だというのと、法起寺などと同じ古瓦が出土した、縄生廃寺のことを知って、雀は、一度、行ってみなあかんなぁと思ったことでした。

桑名見物ついでに、湯の山温泉に浸って…   雀

2004 7・21 34

 

 

* 生き直す  昨晩のことです。台所に居た雀は、飛び上がりそうになりました。試合が終わらないうちに中継時間が尽き、TVは、野球からドラマになっていたようで、「ありがとうございました。わたし、生き直せるような気がします」と、若い女性の声…。

「何? 今の。科白?」

そういえば、先日、NHKのドラマで、「別れてくれないか。生き直したいんだ」とも。

「桐の花 声のきれいな人と見る」の句に、冬子さんを想います。きれいな声で、さらりと、「よかったわ。生き直せて」とおっしゃったのでしょうね。

 

* だれもが、多少の差はあれ「生き直してみたい」願望はもっているのだろう、妙な譬えだが人生を「校正」できればいいのにと。そうは行かない。生き直すには現在只今からしか可能ではないが、若い人に似合う言葉ではなく、中年過ぎた者の嘆息のようなもの、ましてのこり少ない老境の者にそれはつらい覚悟である。

「冬子さん」とはわたしの『冬祭り』のヒロインで、作者が「慈子(あつこ)」にもおとらず愛した真実優しくて聡明な未生の女である。幻影であり実存であった。生前の愛を死後の限られた時間に男と「生き直した」と云えば云える女であった。しかも男の尤も恐れているモノの化身ですらあった。化身は男とのなかに子をさえ産んでいた。

 

* 誘い出されたように、わたしは、秘するが花の問わず語りをしてしまおうとしている。

2004 7・22 34

 

 

* 京のタクシー運転手さんが、「駅で乗せるお客さんが、最近、神護寺、言わはるんですよ。着かない前から、水を見ただけで喜んでくれはってね」といいます。

「そうだ、京都、行こう」。このコピーが、もう10年経つそうで、天野祐吉さんは、それは「そうだ」にあるとおっしゃいます。雀は、キャンプ地に最新の便利さがあるのと同じで、新幹線を降りてすぐに古都というのが、人気の理由に思えます。

大暑ですね。資生堂パーラーのソーダ水が飲みたくなりました。くれぐれも日々ご自愛のほどお願いいたします。   雀

 

* この人、中日新聞の大きめな切り抜きを一枚送ってきてくれた。もう昔から胸に温めているよい材料があるのだが、その一本脚だけではまだ少し推進力が弱いと、抱きかかえてきた。エッセイには少し書いていて、この「いい読者」は記憶してくれていたのだろう、もう一本脚を添えるに足る興味深い地方伝承の記事であった。

2004 7・22 34

 

 

* この暑さに体調を損ねている人、平安無事を祈る。

 

* うたたねに松園ゑがく楊貴妃の ちの恋ひしさにこゑをあげしか

2004 7・22 34

 

 

* 昧爽も辞書引くまでは知らざりき

「言葉など知るんじゃなかった」。

その衝撃に、こまかなところを憶えていないのですが、どなたでしたかしら、言葉に携わる著名な方だったように記憶しております。血を吐くほどに声ふりしぼり、ヨシュアのような身悶えの末の言葉に、あぁ、この方ならもっともなことと思いましたの。

どこでみたのか、いつごろだったか、すっかりあやふやなこの頃の吾がオツム。「わからん、わからん、故人無からん」。そうつぶやきつつ、ぼやきつつ、古新聞を引っくり返していてみつけた詩を、おおくりします。

 

微風 蕭蕭として 菰 蒲を吹く

門を開いて 雨かと看れば 月 湖に満つ

 

半径の小さな世界に居て、生き方・行き方の幼い私に、秦さんはこの詩のような美しい音で、門を開けるよう催してくださいます。そして、そこにひろがるのは、ほかにはない、奥底からの光で輝いていて、豊かで、落ち着いた、しずかな活力に満ちている景色です。

未だに、H.Pに接することができない暮らしをしている私は、なにかあったンかなぁ、と心配することしかできませんが、お書きになるものは、常に吾が、粮。いつだって、次を待っております。  伊賀雀

 

* これは励ましである。こう聴いてもたかぶる何も涌いては来ないが、孤リでは生きていないと思わせてくれる。あとどれほど……。とにかくも生きていくことしかない。

 

* もうやすもう。あすも、温和な一日でありますように。

2004 7・24 34

 

 

* 三十数年振りの北海道でした。ラベンダーの盛り、層雲峡、知床。摩周湖は霧で残念。良い旅でした。昨日は街歩き。疲れて足がまだ痛いです。  兵庫県

2004 7・25 34

 

 

* 雷が鳴ってさっぱりとした風に変わり、半月が照っています。虫が長いこと鳴いています。

死後の名声を知りたいあまり幽霊になり、名声は? 全集は出たか? と尋ねる姿が、かなしかったです。

悪遺伝。自殺と自活。生まれてくるかどうか胎内で尋ねてもらえること。藝術家の心の拠りどころ、創作者としての悩み、創作と恋愛・家族・家庭生活、嫉妬……。今回のお作「お父さん、繪を描いてください」のお蔭で、全く歯が立たなかった芥川作「河童」(中日新聞連載)を、少し、つつくことがかなえられ、立ち止まり、思い集め、読むことができました。深く感謝いたします。  雀

2004 7・25 34

 

 

* 夜分恐れ入ります。今日、一級建築士の学科試験があり、合格ライン67点ののところ、78点を取ることができました。

引き続き、10/10に、設計製図の試験がありますが、頑張りたいと思います。

 

*  ようし!

無心に、そしてわきめもふらず敢闘したまえ。よしよし、ようし! 一本取った。無心に打ち込んで下さい。からだを壊さないこと。つまり食べるべきはよく食べて。朗報をありがとう。

>  頑張りたいと思います。

頑張りたい のではない。 頑張ります と。念のため。こういう物言いを断然捨ててしまうこと。すると、つよくなる。ものがまっすぐ見えます。 秦

 

* ふつうの資格試験受験者にはこんなことは言わない。こういう資格試験にかならずしもわたしは重きを置かない、が、この卒業生はいろんな難関と苦悩と失意のなかで苦闘して、今も苦闘しつつ一つの関を抜いたのだ。心から励ましたい。その意味でも、断じて「頑張りたいと思います」ではない、此処は簡明に「頑張ります」という覚悟が決まりだ。

 

* もう午前一時。こんなメールがとびこんできた。よかった。

2004 7・25 34

 

 

* おはようございます 外は雨が降っています。雨がこんなにうれしいなんてひさしぶり。もっと降ってほしいのですが、晴れるという予報に少々がっかりしています。お気に入りの涼しげな白い傘の出番がありません。

昼過ぎから外出します。今日一日、どんなふうに過ごされるのでしょうか。お仕事の合間に時々思い出して、あのおバカと笑ってください。免疫力を高めます。余霞楼の場所教えてくださいね。いつか泉涌寺などと一緒に訪れてみたいのです。  東京都

 

* 「余霞楼」とは、「太陽」に載せた小説の題で、全編、京ことばで書き通した唯一の作。戦後進駐軍に接収されていた豪家の、みごとな池庭。そこに設けられた茶室の名で、怖い小説。この池庭も茶室も高瀬川にまぢかく実在しているが、物語は、この長方形の地形をそのまま川東の白川ぞいへ移し動かして書いている。場所でいうと、少なくもモデル地は二個所が重なり合うのである。

泉涌寺とは、「慈子(あつこ)」の来迎院や御陵に行ってみたいのであろう。その他泉山には、即成院も戒光寺も悲田院も、また観音寺もある。他にも名刹がある。なにより泉涌寺は金堂も庫裡の奧にも清潔な見どころが多いし、ほんの少し山をおりれば、「伽藍づら」で鳴らした名勝東福寺一山がかずかずの明浄処を満載している。

2004 7・26 34

 

 

* 栃木から素晴らしい実入りの梨を、頂戴した。堅い皮の中はこれみな甘露。冷やしておくとひときわの美味さ。

 

* 季節外れの東福寺で、雀が一羽で、ぼぉっとときを過ごしていた日のこと。お一人で、ベビーカーを押してらした若い女性がありまして、へぇえ、京の人は、記憶もないうちから、こういった空気に浸って育つンだ、たまらんなぁ、と嘆息しました。

先だって訪れた天龍寺で、「ここに寝転ぶこと禁ず」と札があったので、この畳のお部屋、入っていいの? と驚き、もっとびっくりしたのは、妊婦さんがこういったところで編み物などしているというのですもの。

胎教がこれぢゃ、京都にはかなわんはずやわァ。  雀

 

* どちらも、眼に見えるようだ。晴れた日の東福寺の夕景はあかね色が流れて静かで。高校の帰りにもただただ佇みたくて此処へ来た。

天竜寺へは、建日子と二人だけで菩提寺で法事のあとに、行った。息子と一緒というのに甘えたのか、わたしは、いつしれず畳の堂上で、小一時間もぐっすり寝てしまい、気が付くと息子はそのままお庭を眺めていた。おやじ起きろよとも言わずに放っておいてくれた。あれは嬉しかった。

2004 7・26 34

 

 

* 今日は”やや、まし”でしたが、毎日毎日お暑いことです。

「闇に言い置く」に、井上ひさし「あくる朝の蝉」が出てきて、あっ! と。この作品は私にとって忘れることの出来ないものなのです。

知的障害のある息子を持って、その様な子は「施設」に入れるのが一番良い、と言うのが当時の常識であることをまず知りました。

多くの親が施設建設のために私財を費やし労力を費やして居られ、世間ではそれが「障害児の親」のあるべき姿のように思われていました。

私は違和感を持ちました。でもそう思うのは、単に自分が集団生活があまり好きでないから、天の邪鬼であるからかもしれない。

とにかくそれを口には出せぬ雰囲気でした。

もともと井上作品は好きで、ちょいちょい読んではいたのですが、あの「あくる朝の蝉」が入っている短編集を何故買ったのかは憶えていません。

しかしあの作品を読んで私は雷に打たれたように納得しました。

そこには、施設でどのように良くしてもらっても、もし家族と暮らせるところがあるとわかったら、一日たりとも我慢が出来ない—と書いてありました。(私の記憶だよりなので、原文とは違っていると思います。お許しを)

普通の児童施設と知的障害者の施設との違いこそあれ、そこに暮らす子どもの気持ちに違いはあるまい。やっぱりそうなんだ。私は自分の違和感の出所がわかって、すっきりしました。

ちょっと自信がついてきて、そのような考えを外でしゃべり始めた頃、ある方から”或る雑誌”に「私が子どもを施設に入れないわけ」という原稿を書いて欲しいと電話で依頼がありました。

私はおっちょこちょいにも「書いてみます」と答えてしまい、追いかけて見本にその”或る雑誌”が送られてきて仰天しました! 全国の施設の方々、施設長や職員対象の雑誌だったのです。

今更断るのも格好悪いし、さりとてさすがに何と書こうかとこわいものしらずの私も困惑したとき、思い出したのが「あくる朝の蝉」でした。

もう一度読み直し、それから私の原稿の冒頭にさっきのところを原文のママ引用させていただき、その勢いで原稿を書き上げました。

あれから10年以上経ち、今や”脱施設”とか”地域で暮らす”とかが公の場所で言われる時代になりました。

今もって「やっぱり施設が一番よ」と言う親も沢山います。でも私は、普通の場所で普通に暮らすことが理想だろうと思っています。

と言うような気持ちから、「ふつうの生活」と題したものを書こうと文章を書き始めました。どのように広がり、まとめれば良いのか、題だけが決まっていて先はわからぬままに、とにかく書いています。  杉並区

 

* ちょっとした「私語」に目をとめてもらい、こういう反響が飛び込んでくる。ブラックホールのように受け入れて、この闇に言い置く私語の空間が、各種「電気現象」の交錯そのものであってほしい。だれもが気を入れて利用して下さると佳い。

 

* 物理学のいまでは常識として、物質という物は存在しないことが分かっている。究極のところ物質として思われている物とは、無数に交錯する電気現象そのもので、その交錯自体が「物かのように」濃密な時空間を構成しているに過ぎないと。わが「山名」画伯が説く絵画とは「非限定空間」であったというのも、似ている。その実践であった「幸田」氏の肖像は、まさにそういう「物」かのように描かれていた。

2004 7・26 34

 

 

* 遠来の読者を迎えて閑談・歓談・食事をして、東京駅から見送った。今日はややしのぎやすい天気であった。話題も豊富で、楽しい佳い時間がもててよかった。

2004 7・27 34

 

 

* こんな珍しいメールも貰っていた。谷崎潤一郎作「京羽二重」に登場する祇園の極めつけ名妓「はつ子」の身よりの人。ユニークな書きぶりなので暫くそのままに紹介する。

 

* 秦さま

 

インターネットは

 

おもしろいです。

 

「奥山はつ子」井上はつ子は、私の祖母です。

 

突然失礼いたします。

 

私は旧姓 ****、今は****と申します。

 

今、私の傍らには、奥山はつ子二女の奥山**子がいます。

 

時は流れ、

 

でも、・・・祖母は元気ですよ。

 

「奥山」は随分前にしめましたが・・・。

 

祖母は

 

私たちの

 

宝です。

 

いまも

 

京の町で

 

「おきばりやす」

 

と、子、孫変わらずエールを送り続けてくれてます。

 

私は

 

いつも、

 

祖母の

 

「おきばりやす」を

 

くじけそうなとき、繰り返しています。

 

彼女が

 

谷崎さんにうたわれたころの写真おおくりします。

 

この祖母を見るたび、私は

 

祖母が私にくれたたくさんの言葉を思い出します。

 

「おきばりやす。きばってがんばりよし」

 

時代を背負った祖母の声だけに

 

いつも

 

強く励まされます。

 

http://www.kiyamachisuehiro.hello-net.info

 

HPのあどれすは近くにかわりますが、

 

?探せたらさがしてみてください。

 

たぶん、楽しいと思います。

 

「kiyamachi suehiro」

 

ここのおかみも

 

私の人生のおっしょさんです。

もし、おじかん

あったら

さがしてください。

 

きやまち

すえひろ

 

4ばんめの まご  *******

 

* 写真も見せてもらった。谷崎の絶賛が「わかる」美貌である。祇園の藝妓にはこういう感じの人が何人もいたと思う。クラスメートの母親も、背丈のある見るからに位のたかい祇園の藝妓だった。うちの東町に住み、そこから我が家の西の抜けろうじをとおってお座敷へ出ていた。都踊りで忠臣蔵ものだと、籤とらずのように由良之助の役をしていた。旦那は鴻池だと息子は自慢していた。

2004 7・27 34

 

 

* 山形、蔵王温泉で既に標高800米は比叡山程でしょうか。旅館の番頭さんは開口一番、ここは白骨温泉のように入浴剤は入れていません、と笑わせましたが、白濁のいいお湯でした。そう言えば、白骨の雪景色の露天風呂に浸かったのは、何時頃だったか、当然白濁していたけれど、あの頃はまだ自然の湯だったのかなあ、と。

大好きなのは露天風呂、木漏れ日の頃もよく、まだ日の上がらない寝覚めの頃もよく、顔を撫ぜる冷やっこい風のなんと心地ええこと、堪えられないほど、ええーわ、と妹と陶酔。

翌日、全くのフリーの日はお釜を観ようと予定をしていました。それも簡単に車とロープウエイで観るコースでなく、軽いトレッキングをしてお釜の傍まで行くと決めていたところ、インストラクターのガイドが付くオプショナルツアーを何人かの希望者と行けることになり、当日、山形地方の梅雨明け宣言もあり、好天で、永年の夢がかなえられると、久しぶりにウキウキと弾みました。

ロープウエイを二つ乗り継いで、まあ、フウフウヘイヘイと息荒く、高山植物の咲く湿地の木道と、がれ場を登り詰めること一時間余りで標高1841米の熊野岳に辿り着き、眼下にエメラルドグリーンの水を湛えたお釜、五色沼を見下ろせる「馬の背」は年中風が強く、柵もなく、気を緩めると転がり落ちるので用心が要ります。

気温12℃、は長袖を一枚重ねても、まだ寒い。可憐なコマクサの群落を周遊して、おにぎり弁当で腹こしらえをして、また同じ道を下山して、約四時間のトレッキング。当然簡単なリュックも用意して、登山用の靴も穿いていきました。ガイドを入れて11人のそのトレッキングツアーの最年長でしたね、私は。想い焦がれた恋人にやっと出逢った気分でした。ウ フ フ

その夜の露天風呂は満天の星を仰いで疲れを癒し、目を閉じると身体が宙に浮く心地でした。  東京都

 

* この姉妹、ともに七十に手が届こうというれっきとしたおばあちゃん。タフなものだ。色気もある。驚く。

2004 7・27 34

 

 

* 打ち水も、コンクリでは少し埃っぽい湿り気が立ちのぼってきます。それでも、たそがれは、縁台将棋のできそうな風が、家々の間を吹き抜け、薄墨色の空に月の光がみる間に増して、お風呂の匂いや魚を焼く匂いが漂ってきます。

近くにあった屋根つきの車庫が撤去され、雨を避け、暑さをしのいでいた何匹もの猫の行方が気になる、この頃。

寝ぬ夜半にいかにあかさん山里は月出るほどの空だにもなし (子規)

あぁ、まさしく木曾の景色! と夫婦で声を揃えました。谷の風が、樹木の命の匂いをさせて吹いてくる歌です。  名張

2004 7・28 34

 

 

* 藝妓奥山はつ子の長男という人からもメールを戴いた。「京都岩倉にて母と同居しています。母も満94歳ですが、元気で都をどりや温習会は欠かさず出かけています。先生のご著書、早速に拝読するつもりです。母ともども、いつかお目もじの栄を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。猛暑の折ご自愛をお祈り申し上げます」などとある。なんだか楽しい。

2004 7・28 34

 

 

* 今年は、暑い日が多くてと皆さんが言われるうちに、祇園祭も天神祭りも終わりました。夏休みになりましたね。8月になると、ここでは例年、林の虫の音が、変わり始めます。今年はミーミーゼミは鳴かずに、何ですかもう、カナカナが鳴いています。

懐かしいような楽しいお作品でしたので、上下楽しく拝読しました。

今回の定期検査は無事パスなさいましたか?

総理は、、、、、とか、いろいろと、よく冗談を言われますが、多分人の心もいろいろなのでしょうね。

夏ばてなさらないように祈っております。  茨城県

 

* 貴船菊が咲き出しました。本日、名古屋御園座でまねき上げときいて、大阪松竹座公演が終わっていたことにガクゼン。松嶋屋三兄弟の「俊寛」見はずしたァ。

友人が「シブヤの助六って感じがしたわ」と言うので「渋谷の海老様でなくて」と笑ったのが6月。ストリート系、イケメン、ともいわれたようですが、名古屋では、尾上菊之助の揚巻が注目の的。京都南座顔見世の「助六」は、どんな配役になるのでしょうね。雀

 

* わたしも御園座の菊之助揚巻に多大に夢見ている。新海老蔵の助六が「渋谷の助六」とは歌舞伎フアンも厳しい厳しいが、それは親爺団十郎も心配していたように、心配はあたっている。わたしも名古屋まで海老蔵の助六はごめんだが、玉三郎ではない菊之助の揚巻には期待がかかる。この間の舞台で、あんなに綺麗であった。あんなに惚れたのだ。観に行きたいなあとひとしお思うのであるが。

2004 7・29 34

 

 

* まだ断続して強い雨が降りついでいる。風はよわい。此の颱風は極めて稀に太平洋を東から西向きに通ろうとしている。こういう颱風には記憶がない。

今夜は、もうやすもうと思う。世の中の、すべてお疲れの人。水害のオソレある人は気の毒であり用心して欲しいが、そうでない人は、雨を聴きながらすずしくやすまれるように。

2004 7・29 34

 

 

* 恒平さん。 天災ではありませんが、忘れたころに来るのが私のメールのようで・・・。恒平さんがお元気の様子はHPを見ればわかります。私の方も、ま、幸い息災というヤツで・・・。船旅で2週間かけて北欧を巡って帰国したばかりです。ちょうど結婚30年(やっと)になりますので。

大分前に恒平さんからE-Magazine「湖」に書いてみないかと薦められました。「京の青春」とか・・・ですね。

こちら(カナダ)の日系新聞や日本(北海道)の雑誌には小文を連載で書いてはいますが、文芸作品的なものにはほど遠く、人様のお目にかけるような代物は書けそうにないので、聞き流してそのままになっていました。

ただ、考えてみますと、私の家族・・・婚後30年の妻や28、27歳になる息子達には、私の生い立ちは知られていませんし、私の死後、読ませて、フムフムと頷かせるようなものを後に遺すこともあっていいのではないかと思い始めたことがひとつ、もうひとつは恒平さんが「早春」で書いているあの時代に、いちばん近いところで付き合っていた友達の私が、どんな風に少年時代を過ごしていたかを知っていただくのも(恒平さんにとっては)案外興味があるのではないかと思ったり・・・で、書き始めたのがかなり前のことなのですが、気が向くたびにワープロ文をつないで「早春譜」(上)をどうにか脱稿しました。

引き続いて弥栄中学時代の(下)に入ったのですが、これが終結するのはいつのことやら、ま、急がぬ旅ではあるのですが・・・。今、恒平さんがひんぱんに出てくるところにさしかかっています。この後を書き継ぐことが出来るかどうかも自信のないままに、とりあえず別メールで送稿してみます。/// カナダ

 

* ファイルで、「早春譜」と題した少年期の自伝が届いた。その「上」に読みふけって、正午もとうに過ぎた。外出はサボることになった。

「下」に入ると、われらが弥栄新制中学の時代になる、とある。「上」では筆者の粟田小学校時代とともに、学区の自然と伝統、また太平洋戦争時代の家庭や親族のことが、わたしも知っている友人達の名前なども、適切な叙述で走馬燈の繪が流れるように渋滞なく、出て来る。此の「闇に言い置く」私語の中にもよく登場する杉並の藤江もと子さんの夫君藤江孝夫君の名前もちゃんと出て来て、隣校粟田小学校のことはよくは知らなかったので、ほう、ほうと驚いたり懐かしかったりする。中学でわたしと同級、いつも副委員長役で協力してくれた安藤節子さんが、此の筆者の小学校の教室ででも副委員長をしていたとか、人柄も好意的によく書いてある。委員長の安田洋という人とは一度会ったことがある。粟田では伝説的な秀才の一人であったが、同志社中学へ進学したそうだ。安藤節子も最初は同志社に進み、二年生のあいだに公立のわが弥栄へ、そう、戻ってきた一人だった。

 

* 此の筆者はむろん、わたしの「丹波」「もらひ子」「早春」という『客愁』第一部を識っている。第二部の「罪はわが前に」も識っている。二部は小説だが、一部は記録であり、此の筆者の筆致もそれに近いけれど、記録の手法は少し違う。此の人のほうがはるかに客観的に多く広く目配りしている。読んでいても、あの当時のわたしが全く目配りの気すらなかったいろんな世間や時代のことにも筆を用いてある。わたしは、ほぼ徹して自分の「内景」に関わることにしか関心がなかった。

同じ驚きを、わたしは、弥栄中学新聞に彼が書いた署名記事を読んだあの昔に、新鮮に身に受けた。

彼は、たとえば金閣寺だか法隆寺壁画だかが燃えたことにちゃんと触れていた。触れ方はひととおりであれ、わたしなど、ほとんど念頭にものこしてなかった「よそ」の事件だった。わたしは「自分」を見ていた。世間も社会も政治にもほとんど目も向けていなかった。

だれも信じないだろう、あの当時の友人達は。なにしろわたしは「ワンマン」という渾名をもらい、だれがどう見ても目立ち屋であったし、火の玉のような委員長であり生徒会長であった。いっぱい顰蹙を買っていたにちがいないのだ。だが、わたしは「自分」の内側に悩みも哀しみも憧れも怒りも蓄えていた。外の世間は、その自分にふりかかる火の粉である限りにおいて存在し、払いのけられていた。ふりかからない限り、火の粉などどうでもよかった。自分の内なる青春にのみ恋していたのである。

此の筆者の早春譜「上」を読んでいて、あの隣学区の小学校内で、数人の男子による女生徒「陵辱」事件が起きていたと知り、仰天した。高校中学ではない、小学校で? これはわたしの持っていた性成熟度に関する常識を揺るがして余りある。わたしがかすかな恥毛を感触して慌てたのは、中学の修学旅行にでる直前、三年生の二学期半ばであった。夢精したのは高校へ入って一年もしてからだった。

筆者は、これを私の慫慂にしたがって書いたと言っている。勧めたのに相違ない。読んでいて、だが、このままには公開しきれない微妙過ぎる社会的・歴史的問題が出て来る。わたしの『客愁』一部でも、一度は書かざるをえず、しかし、きわどいところで「割愛」したまま手元にだけ保存している「記事」がある。此の筆者の作品でも、それをどう処置するかが難しい一課題になる。

まずは、「下」を読みたい。

 

* こんにちは。 こちらは(颱風が近いわりに)今のところいいお天気なのですよ。

昨日、蛤を酒蒸しにして食べました。濃厚で、とてもおいしくて、幸せな気分になりました。

岡本かの子の「家霊」を読みましたよ。新潮社の「岡本かの子集」で読んだことがありましたが、今回またいい作品だなと思いました。「岡本かの子集」におさめられている作品はどれも好きですが、わたしは特に「鮨」が好きです。

風が健康であるように、祈っています。 花

 

* 桑名の蛤か。

 

* 早春譜「下」は、書き始めてまだ本の少しで中断し、推敲も未了としてあるが、わたしとの出会いの場面もある。自分が人目にどう映じていたかなど、誰もそうそうはこうして知れるものでないから、うわッと思う。なるほど、そういう思いをわたしはどれほど人にさせてきたことかと、今更に恐縮する。

わたしの『客愁』では、友人達も大事な人達もみな仮名で通したように記憶しているが(記憶違いかも知れないが)、この作者は、自分一人は仮名に、他はすべて「実名」としている。それで、わたしには実に分かりやすい。

2004 7・30 34

 

 

* クリーム色の光沢を放つ化粧煉瓦を張りめぐらした弥栄中学校校舎は一階から始まって上階へ一、二、三年生の各クラスが入る。誠は学年に五組ある中の二組にクラス分けされていた。

新学期の第一日目が始まる。わが教室はここかと見定めて入室すると授業開始にはまだ時間があり、運動場に面して開いた窓際に三人の生徒がたむろしていた。いずれも見知らぬ顔でどうやら有済小学校から進学してきた連中らしい。テレ半分の曖昧な笑顔で近付くとそのうちの一人が愛想よく声を掛けてきた。その後、半世紀を超える付き合いとなる秦恒平との出会いだった。人懐っこい笑みに両八重歯をのぞかせて秦が口数の少ないあとの二人を辻幸男、大野耕太郎と紹介してくれた。けっこうおしゃべりと見えて秦がこう続けた。

「一時間目は国語やけど、この寺元先生ちゅうのは有済校から来やはったんゃ。最初に手ぇ上げて本(教科書)読んどくと覚えがようなるで」

授業が始まると、前言に違わず秦がひるまずいちばん先にさっと手を上げた。ためらいなどとは一切縁のない外向性の少年と見える。ひきずられる形で誠が二番手に続いた。

学業全科に優れ、何かにつけて目立つ存在の秦のことを有済校時代から同級だった女生徒たちはなぜか「宏一(ひろかず)さん」と呼んでいた。宏一から恒平へ・・・その改名に小さな疑問を抱かぬではなかったが、誠は穿鑿するでもなく、自分とはおよそ性格の異なるこのクラスメートを新しい友人の筆頭に数えていた。

それからというもの、秦は週に一、二度の頻度で柚之木町の誠宅に顔をみせるようになった。いつも大きな大人用の自転車にまたがり、現れるたびに「なんか、本、持ってぇへんか」と僅かに残った我家の文芸作品を次々と借り出していった。実のところ、戦前の文学作品を揃えていた読書家の兄の書庫は既にほとんど空に近い寂しさだったが、それでも復員後に改めて買い求めたものだろう、まるでザラ半紙に辛うじて印刷のインクが乗ったような河出書房版「川端康成全集」や、姉の蔵書から佐々木邦のユーモア小説などを選んで荷台に積むと秦は意気揚々と引き揚げていった。川端全集は「伊豆の踊り子」のほか「禽獣」「花のワルツ」「十六歳の日記」などの小編を収録していた。

 

* ハッハッハッと笑ってしまうしか収まりがつかないほど、さもあろうなあと納得する。「誠」君はまさに個対個で見ているから、前後左右へひろがり拡がっているわたしの世界の全部はとても見えていない。人が人を見るとはそういう営為である。

(一)他人も自分も知っている自分、(二)自分は知り他人は知らない自分、(三)他人は知り自分は気付いていない自分、(四)そして他人も自分もまだ知らない自分。

この四つで「自分」は出来ていると、東工大の教室で、学生の一人が書いていた。受け売りかも知れない。が、わたしもそれをときどき使う。

云うまでもないが、自分では、(二)の自分 をいちばん自分に近いと考えているものだ。そして(三)にも少しずつ気付かせられて、ヤバイなと自覚するものだ。分かりの良さそうな(一)は、存外に誤解に近く、自分の自分像と他人からの自分像とは逸れたりズレたりしているもので、アテにならない。付き合いの上での妥協像が此処でかなり捏造されるものだ。

いちばん大事なのは、無論(四)であり、まだ中学高校大学ででも、みな、銘々にこれを「可能性」の名において所有している。その暗闇の可能性をうまく引き出せるか、そのままに死蔵してしまうかは、その先の長い人生にものを言うだろう。中学時代にこれがみんな外へ出てしまうことは、天才かそれだけの者かどちらかであろう。晩成の人はこのあたりでは、とても「自分」を小出しにしかしていないものだ。

どんな時期にも、(三)の自分を他者から気付かされるのは、コワイものである。しかし勝れた人がそれを見つけて教えてくれるという教育は、此処の自分に関わってくる。ここで謙虚でないと大きく成らない。それはまた(四)の自分を掘り当てて光らせることに繋がる。

その意味で、自分のことは自分にしか分からない、自分のことは自分だけが知っている、一番よく知っていると言いすぎる人を、あまり信用しない。そんなことは、むしろ有り得ないと思っているし、それでは(四)の自分が、よかれあしかれ、現れてこない。

 

* さしあたり「上」を「e-文庫・湖(umi)」に入れたいが、それでも、配慮を要する表現や個所に少し手をかけざるを得ない。

2004 7・30 34

 

 

* 明日は隅田川の花火。今年も太左衛さんにお招きを得ている。花火の季節が来ると、「死から死へ」を書いていた頃を思い出す。

* 下関の俳人出口孤城さんから純米大吟醸の逸品「獺祭」を二本頂戴し、あれれというまに二本とも呑み干して、お礼も申し遅れていた。電話がかって来た。ガハハと笑い合って酒好きはそれで分かるから、有り難い。贈った酒が呑まれないのではつまらなかろう。呑み過ぎてよろしくないのも分かっているが、やっぱり冷えた名酒は水のようにうまい。感謝。下関は颱風接近の気配に荒れてきていると。

 

* 風炎  風が強くなってきました。雨も降っています。今朝から、颱風情報と首ッぴき。そちらはお変わりございませんか。夕立なンて風流なものじゃない、突然の雨にほとほと参るわと、関東のあちこちから、友人がいって寄越しますので、秦さんは、と心配しております。

越後の親に電話しましたら、居所のないフェーン現象の暑さに、冷房に浸るよりない毎日で、そんななかでも病院へは定期的に行かなあかん。互いに「手伝いも見舞いも行けないから、無事で元気でいるように」と。ふえ~ん。  雀

 

* 紀伊半島の内陸部で雨と風がキツイ容子。駄洒落どころでなく三重・和歌山、四国、中国、九州は未曾有の雨が襲いそう。隅田川の花火もあすは雲が低いかもしれない。お連れが二人出来た。

2004 7・30 34

 

 

* 不眠になやんで、またさびしくてでもあろう、寝酒に酔う、酔っぱらうという女性の現にあることが、ときおり夜中に来るメールで分かる。クセにしてしまわないといいがと思いつつ、やりすごす。少しはいい。わたしも不眠のためでなく、しかし寝際にきゅっと少し口にしたいときがある。私の場合、読書が寝酒に相当している。

2004 7・31 34

 

 

* まだ時折ざあッと雨が来る。ふと、やむ。今晩の花火はどうかしらん。

 

* (藤崎誠名義の自伝)二度繰り返して読みました。柚の木町だから、***さんと分ります。佐藤勝彦さんはその辺りでしょう。眼を瞑っても浮かんでくる場所ですが、舗装されていない暑い白い砂の道が何故か浮かびます。

粟田湯の前の西村てるおちゃんとは何度か一緒に遊んでいますが、あちらは覚えているかどうか。

藤江さんから、高校卒業した年の夏、**ちゃんの肝いりで志賀高原の京大ヒユッテを借りてもらっていますが、最近、知り合いだったのかと聴きましたら、ただ京大に行っているのを知っていただけだ、と云っていました。

当時同期生であっても、友達になるチャンスは、同じクラスになった時だけで、クラスが違えば、余程近くても下校後は付き合いませんでした。同じクラスになるのが因縁というのでしょう。ましてや学年が違うと、まるで知らない人ばかりで、特に小学生の頃は。勿論中学生の頃も。人にもよるでしょうが、あまり記憶になく、関心もなかったようです。

生徒会の関係で、あなたと団さんは別格でしたが。

粟田焼の安田玲子さんの名は何故かよく知っていました。その後、友達のお姉さんと堀川高校で親友だったとも聴いていました。弟さんの洋さんは記憶にありません。多分、関りがあったのでしょう、苗字の違う同級生の男の子の案内で、その粟田焼きの窯場へ行った覚えがあります。安田さんが福井の高浜にある海浜別荘を粟田校に寄付されていて、一般解放もあり、何度か利用しています。弥栄からも中二の夏休みに先生が希望者を引率してくれてそこに泊り、われながら驚きの3000米の遠泳を達成しています。西村敏郎先生達の誘導でした。

粟田校が日本最初の小学校とは初耳です。洛中にあると思っていました。

縁あってあの地に育ち、こうして離れると、人はただ京都、というだけで関心を持ち、話を聴きたがり、こちらも、あの名所の近くに暮していたのよ、と嬉しい気分になります。妹は、阪神間の池田の男性と娘の結婚式で、京都東山で生を受け、との仲人さんの言葉に、晴れやかさと誇らしさを感じた、といいます。

でも、根っからの京都人は鴨東の***と云えば、「それでどの辺」ともう一度聞き直すでしょう。同和。あの頃はそう云わなかったけれど。

粟田、有済地区の住民、母親達の井戸端会議ででも、あれこれ勘ぐり勘ぐりの噂話が、渦巻いていたように思います。多くのある事、ない事も聴いてきました。

いつか、あなたは何百年のツケが周ってきている、といいましたね。このツケは同じ年数を経ないと、解消されないと思うのです。**ちゃんのご主人は京都市役所で、この担当の責任者を永く務めて、夜昼ない無理な陳情で体を壊しました。そんな経験があり、逆に歩み寄れなくなる、と本音を吐いていたそうです。多分、一部の人でしょう、我者顔に、それをかさにきているのは。***ちゃんは、偶然、同級生の訴えの講演を聴いて、泣いたといいます。今も、表面だって、声高に云えない難しい問題です。

もう何十年昔の話、作中の女児が陵辱された事件は、前後から推察するに、加害者は****でしょう。当時の近辺の情況を知っている者からは、察せられます。

キレイ事は第三者には簡単に云えます、が、現実には根深く、まだ京都の町に取り付いています。聴き合わせなどは、まだあります。薄紙を剥ぐように永い時間をかけ、その差別が消えるまでは、まだまだのようです。この「早春賦」では、その辺りをどうするかが、あなたの思案のしどころなのでしょう。小説ではないので、まさか、適当に化身させるワケにもいきませんものね。やれやれ。

終戦後にあの中の闇市へ初めて母と入って、美味しいもんを食べた経験も同じくしています。

三条神宮道角の「須原写真館」で小学校卒業記念に写真を撮った、とあります。多分、今もある筈。横の抜け路地で、ビー球やめんこで遊んだ、二、三歳年上のお兄さん、シロちゃんが、今はご隠居さんで元気かなと、懐かしい。

姉は戦時中は二年程休校していて、五年生から、私の一級上に復学して、つまり、あなた達と同級です。父は病弱の上、共学なんてとんでもない、中学からは近い華頂へ通わせましたので、弥栄でお眼もじ叶いませんでした。(ア ハ ハ)

ピアノを弾く小川千代子さんは我が家から近く、同志社へ行った話はよく聴いていました。植治、小川治平衛さん、平安神宮の神苑、円山公園、無鄰庵、お隣の並河邸等々、水を取り入れた庭、と折しも、今、九月号の家庭画報で特集していますが。

皆さん、記憶がはっきりしているので、驚きです。私の国民学校、小学校時代は印象的な出来事が断片的に記憶にあるだけで、なんとボヤーとした子供やったのか、今さらゆうてもオソイ。  三条白川

 

* カナダから送られてきた「早春賦」はそのままで直ぐ「e-文庫・湖(umi)」にとは行かないので、京都在住の同窓で、ファイルメールの送れる人に、送った。これはその一つの反応。

 

* メールを戴く前にHPを覗いていたので、この「早春賦」のいきさつはわかっていました。筆者も多分あの方だろうと。

夫に見せる時の便利も考慮して、とにかくプリントアウトして先に私が読ませていただきました。と言うのも、夫は今週は出張で不在なので。明日帰ってきます。

小学生の夫の様子もさることながら、他にも知った名前が出てきて興味深く一気に読ませていただきました。

粟田学区の特殊性は今も変わりなく、いろいろむつかしい問題があるのだと「古くからのお家やないとおさまらへんから–」とPTA会長に推された義姉が言っていました。秦さんがe-文庫・湖に収載するについて”配慮を要する”とおっしゃるのもその辺かな—と思っています。

もう一つ、個人的には、夫の個人情報がかなりまちがっています。彼は次男ではなく三男、理学部ではなく工学部卒、会社も公社ではありません。小さいときの記憶が不確かなのは良いけれども、大人になってからのプロフィールがあまり違っていると、作品自体が不確かなもののように思われても来ると感じました。せっかくの作品なので惜しいと。

やんちゃ一方の子どもが長じて原子力の世界で頑張っているとさえわかれば日経新聞の「私の履歴書」や「交遊抄」ではないのですし、そう詳しい事は不要なのではないでしょうか。

今年の暑さには本当に閉口しています。お身お大切に、お過ごし下さいませ。 杉並

 

* これも一つの反響。

2004 7・31 34

 

 

* ソニービルの前で会い、すぐ地下鉄銀座線で浅草へ。ものすごい人出は、例年に同じ。天気は回復して花火には絶好。

卒業生君は、彼女を同伴して、いとも元気。彼女、小学校の先生だという。うん、これはよしよし、リアリティあり。さっさと結婚してしまえと、安心してそそのかす。二人とも仲良し。迷子にならぬように手を繋いでついてこいよと言ったら、その後はずうっと手を繋いで、幸せかと聞くと二人とも、ウン、うん。けっこうです。

雷門のすぐわきの「三定」で特上の天丼。これは実質的におみごとな天重で、わたしは、禁制の天麩羅なれども、えたりや応と、満喫した。こってりと美味く食った。ビールは三人で一本にした。支払いの時に、カウンターに置いてあった子持ち猫のちいさな作り物を買い、いい記念にしろと若い二人にやった。グッド・ラック!!

仲見世から浅草寺本堂前に出て、さらに奧の言問通りを越えていった。

太左衛さんは、金澤公演。前もって彼女からよく連絡をつけて貰っていて、難なくめざす屋上へあげてもらった。その前にビルの下のローソンで、缶ビールや四号瓶の酒を二本、おつまみなどを仕入れていった。

例年のようないろんな接待や仕出しは今年はなく、人数も少ない。わたしたちのために新たに大茣蓙一枚が供されて、屋上の一角で三人のびのび坐り、わたしのためには椅子まで出されて、らくらくと、目の真ん前に打ち上がるみごとな花火を、立派に美しい花火のかずかずを、嘆声とともに堪能した。例年よりもひときわ見事に感じたのは夜空がぬけるように晴れていたからだ。いやいや、すばらしかった。

 

* 酒は一本しか飲まなかった。缶ビールは各一つ。残ったのは二人が持っていった。帰りにどこかで酒盛りでもするのだろう。日比谷線地下鉄入谷から二人を横浜方面へ帰し、わたしは、行き当たりバッタリの洋食の店に入って、ハーフボトルの赤ワインで、エスカルゴや酒蒸しの浅蜊やオムレツを食った。バター、でパンも。エスプレッソも。

そういえば、去年は一人で花火をみせてもらい、帰りには「米久」ですき焼きを食ったのであった。食べていると機嫌が良い。なんでこんなに食欲があるのだろう。

鶯谷まで歩いて、女達にいっぱい声をかけられながら、さらさら捌いて山手線で池袋へ。そして保谷へ。

2004 7・31 34

 

 

* 田中勉氏から英文の長い手紙を受け取って、おおよそそのまま読解できることに自分でもびっくりした。福盛君が愛妻を亡くされたという、哀悼にたえない。

 

* 深夜に書いています。

こんばんは。この時間、風は起きていらっしゃるのでしょうか。

芥川の「一塊の土」を読みました。今度は堀辰雄の「ふるさとびと」を読んでみますね。

今日は颱風の影響か、雨が降ったりやんだりしていました。ざぁっと音がしたので外を見ると、空は晴れていました。その繰り返しでした。こちらへ来てから、そういう奇妙な天気が多いです。

これから眠ります。おやすみなさい。 花

2004 7・31 34

 

 

* 以下感想を述べて行くと、朝一番の今から深夜までもかかりそうな気がする。ちょっと棚上げして、届いている今朝のべつのメールを読みたい。

 

* 昨夜は花火のカップルにあてられてやけ食い、というわけではございませんでしょうが、それにしてもよく召し上がりましたこと。

カロリー過多のみごとな天丼に酒につまみ沢山、とどめは赤ワインにエスカルゴ。オムレツに浅蜊の酒蒸しにバターにパン。エスカルゴにもニンニクの効いたバターたっぷりですから、ドクターが傍にいらしたら悶絶なさいましたよ、きっと。健康のため、厳しいご節制の一日をお過ごしくださいませ。     ナース?

2004 8・1 35

 

 

* 以前にお薦めくださった『石を磨く』注文していたものがやっと届いたので読み始めました。読んで面白く観て感心という佳いご本ですね。星野(桂三)さんという画商はどんな方かしらと興味も湧きました。素敵なご本教えていただいてありがとうございます。しばらく楽しめそうです。 『石を磨く』の帯につけられた四行の推薦の文章は本文以上に素晴らしいと思いました。

……石のなかから、玉に磨いて掴み出す。

……玉を、石のままには見捨てない、柔らかな愛情。  東京都

 

* かみのちから

「たけッちゃん、なぁ」の “なぁ” を、下がる言い方で読んでおりますが、合ぅてますか。雀なら、上がる言い方をいたしますが。

生命のちからをいただきに、大神神社に行って参りました。

祓神社のせせらぎに、また、狭井のご神水に、三輪の神様がお出ましあそばし、大サービスの月次祭ですわ。

なで兎をなで、巳ィの神杉に詣でて帰ってまいりましたの。

PL教団(富田林)の花火大会だそうで、浴衣姿の女のコが電車にわらわら。今宵は、満月。ちからをいただけそうですわ。  雀

 

* 三輪の神様がほんとにお出まし? わたしを威している気かな。

PL教団の花火は、いまは知らないが、三十余年昔、富田林まで娘朝日子と二人招待されて行った年のそれは、驚くべき豪奢な大量の大花火で、美しさももとより、爆発音の轟きの深さと重さに圧倒され、朝日子などしまいに自分のお腹をしっかり両手で庇っていた。あのころわたしは雑誌「芸術生活」の常連筆者だった、掌説や短篇や美術論を連載していた。「廬山」という佳いツクリの単行本が出来たのも芸術生活社からで、帯の推薦文を永井龍男先生に戴いたのが嬉しい懐かしい思い出である。その肉筆の原稿もわたしが貰った。

2004 8・1 35

 

 

* 「夜の蝙蝠傘」が文藝館ではまだ読めないようです。岡本かの子「家霊」芥川龍之介「一塊の土」堀辰雄「ふるさとびと」読了。

岡本かの子、芥川龍之介、さすがです。短編とはこうあるべきなのですね。お見事と深い深いため息をついているところ。「ふるさとびと」は一読してやや散漫な印象でした。病状が悪かったのでしょうか。

作品選びの切れ味に脱帽です。作家の力比べをしています。これでは現役の作家の方々はビビリますでしょう。  電子文藝館の読者 1

 

* 私はあまり迷わずに、岡本かの子の「家霊」のほうに軍配をあげます。この二作の比較に限ってのことですが、岡本かの子は豊かで濃厚、林芙美子はどこか貧しく薄いと感じました。この二人の育ちのちがいというものだけではなく、人間性や文学観のちがいで、私は豊饒なもののほうを好むということだと思います。

林芙美子の「夜の蝙蝠傘」は面白く読みました。改行のない文章には驚きましたが、書き出しなどじつにうまいなあと感心しました。この作品ももちろん私にはお手本の短編です。

冷めた夫婦のやりきれない雰囲気がよく出ています。腐った人生、煮え切らない男の一風景がねちねち描かれていました。でも、オリジナリティーに欠ける、どこかで似たような話を読んだという印象を受けてしまいます。記憶がまちがっていなければ、私は昔読んだ、戦後の生活を描いた椎名麟三作品などの薄まった感じを思い出しました。

岡本かの子の作品には潤沢に溢れるもの、より強い個性の輝きを感じます。女流の持つ花もあり、よさも出ています。文体も艶があり好きです。泥鰌の食べ方など秀逸だと思いました。

岡本かの子にはその文章や食べ物の扱い方に谷崎潤一郎の影響などを色濃く感じますが、心酔していたのでしょうか。よく影響を取り入れたと思います。

林芙美子のように、同じ生活の桎梏をテーマとしていても、かの子には救いや明るさやユーモアがあります。作品のイキのよさもこちらのほうが数段上かと思いました。

瀬戸内晴美の「かの子繚乱」は大変面白くて、夫の他に愛人二人と同居生活をしたというかの子という人物には興味がありましたが、作品は食わず嫌いでした。林芙美子のほうも放浪記の印象が強すぎて読んでいませんでした。しかし、まあどちらの女流文学者も、大したものです。あらためて、不勉強を恥じています。佳い読書の機会をお与えくださいました。   電子文藝館の読者 2

 

* 読者としての好みからも、かの子勝 としたのはイイと思うけれど、芙美子の読みに不確かなものも残っている。朝からも関わっているように、いま「ペン電子文藝館」委員会では、この作品が「反戦」作品として読まれていいのでないかと議論が起きている。この短篇の芯が、戦争で奪われた「脚」一本に置かれているという読みである。ただの冷えた夫婦ものではないオリジナルが、奪われ失せた「脚」の、本来そこに在るべきであった空虚空間自体のむずむずした痒さ。その辺に戦争の痛みもひっかかっている。モノを言っている。

芙美子が、妻の「町子」側から書かず、わざわざ良人の英助から書いているのは、「巡査」との場面が書きたかったからかも知れない、ここの会話は重要だ。作品の真実感を成している。ありそでなさそなリアリティーを把握して好い表現をつかんでいる。

芙美子もかの子も手垢の付いた表現をしていない、全く。文学の香気。放浪記の女と大個性の女とのちがいはあるけれど、芙美子も勝れている。此の読者の判定で「かの子勝」に異存はないが、「持」に近いか。「数段上」とまでは思わなかったが、こういう鑑賞の仕方も読者には自在に許されている。

2004 8・1 35

 

 

* 隅田川の花火、よかったですね。うらやましいです。

こちらでも、少し前に長良川の方で花火があったらしく、若い女性の浴衣姿が駅の周辺に見られました。花火なんて、もうしばらく見ていません。お祭りも行っていません。あの賑やかな夜の雰囲気の無性に恋しくなることがあります。

颱風の影響はほとんどありませんでした。今はとても涼しくなっています。

それより、風が階段から落ちなくてよかった。落ちていたらと思うと、ぞっとします。気をつけて下さいね、ほんとうに。

明日は午前中のうちに職安へ行くつもりです。

擦り傷、お大事になさってくださいね、風。  花

 

* たしかに大切なことを書き忘れていました。脚のことは、読みながら何度も感心していたのです。なくした脚に感覚がある、というのは今でこそ医学的にも証明されていることですが、林芙美子の時代には知られていないことでありましょう。取材したのか、それとも作家の想像力なのか、とにかく、この切断されて失われた脚はリアリティを感じました。また、終戦と同時にいまの陛下が御退位なすって皇太子殿下に天皇を譲られたら、世の中ぱあっと童話的に明るいのじゃないかという英助の言葉も強く印象に残りました。林芙美子の気骨と評価したいと思います。

電子文藝館の読者 2

2004 8・1 35

 

 

* おはようございます。先生、メールありがとうございます。(花火の晩は)ほんとうにおかまいできず、失礼いたしました。お手伝いの男性は、近所の、お茶のお稽古の先輩です。いつもなにかとご親切にしていただいています。(昨年から先輩のおすすめでお花の稽古も始めることができました。)卒業生のお二人、結婚前の思い出のひとつに、花火大会が加われば幸いです。また、先生にお目にかかれる日を楽しみにしております。暑い毎日、お体大切になさってください!私もがんばります!  太左衛

 

* 太鼓でも小鼓でも大鼓でも、無類の技と力と新鮮な発想とで、列島の東西南北をかけめぐる素晴らしい創作者。そして、このように親切で謙遜な人である。ありがとう。

 

* この数日のメモ。

見たもの、聖杯展、エルミタージュ展、マンマ・ミーア、この歳になって初めて舞台のナマでミュージカルを見た。昔からミュージカル映画は大好きだったのになぜだろう・・舞台で見るのは初めて。

劇団四季、汐留。終わりにはstanding ovation

体調不良、痰が激しい。

家に着くと 庭先の金鎖、英語ではゴールデン・シャワーと言うが、鎖よりシャワーの方がおよそ響きがいい。もっともシャワーをシャワーと訳すか、にわか雨と訳すか・・。そのひょろひょろ伸びた細い幹の先端になんと幼いツバメたちが眠っていた。

鳥たちの体重は驚くほど軽いのだろうか・・初めは三羽もいたけれど、今は二羽になったよと夫が言った。宮本武蔵の水墨画だったかしらん、鋭く細い枝先に鳥が止まっている絵があったが・・まさにその図で、しかも彼らは毎晩そこをねぐらにすべく戻ってきている。生きるものの強さ、けなげさに打たれる思い。

網戸には蝶々が張り付いて今夜一夜をここで眠るらしい。

雨戸を閉めないで眠った。朝早くツバメたちは一日の業に飛び立って姿なく、蝶はカーテンをそっとわたしが動かしたのに気づいて一瞬のうちに飛んでいった。

洗濯物を干している間に藪蚊に肩を刺された。

新聞を整理する。中野孝次、中島らも氏死去。中野氏は肺炎、78歳、この五月に出版されたばかりの彼の「セネカ 現代人への手紙」がちょうど読みかけになっているが、本の冒頭から時間ないぞ、と急きたてるように時間の大切さを彼が語っているのが印象的だった・・彼自身の持ち時間が殆んど残されていないことを知っていたのだろうか。

らも氏は階段から落ちて意識不明になって一週間後の死だった。52歳、死すべくしての死だったのだろうか?少なくともそのように彼らの死はあった・・。

元気なのにまだ痰が絶え間ない。部屋の片付け。

東京で読み始めたアストゥーロ・レベルテの「ナインスゲート・・呪のデュマ倶楽部」を読み終わる。以前読んだときの方が面白かった? ダーク・ピットのシリーズ「マンハッタンを死守せよ」・・娯楽に徹して読んでいた。

夕方雨戸を閉めようとした、その瞬間指にショックを受けた。蜂だ、以前テクノに暮した時生まれて初めて蜂に刺される経験をした、その痛さを再び感じた。どうしよう、と少しうろたえたが、経過をみていたら我慢できそうだったので安心。アンモニアがないのでどうしようと聞いたら「そりゃあ、おしっこをかければいいんだ。」まさにその通り、アンモニアだもの・・。かけずに痛みは耐えられたが。

翌朝、窓枠に足長蜂の死骸が一つあった。わたしを刺して自分の命を捨てた蜂。刺されたおまえは死ななかったのに。

E(娘)に荷物を送る。商品開発を中心にしていける状態になって、さていよいよ彼女にとって良い状態が得られそう・・これまでのデザイン画、資料を送ってと頼まれた。N(娘)にはお気に入りの青いタオルケット。裏ごし器を入れるのを忘れてしまった。20キロ以上の荷物になったが一つにしたため結果として送料は安かった、1580円!

台風一過の青空とは程遠い空模様。強い風、時折強い雨。滝野社の平公園に蓮の花を見に出かける。花弁が五十、六十枚もある花、白の花びらの先端が微かに薄紅を帯びている花・・など。風に吹かれて蓮の裏葉が白く波のようにうねった。蓮の花を、いつか絵に描けるだろうか。

帰りに骨董市に立ち寄った。雨にたたられてほとんどのテントは品物をしまい、三軒ほどに濡れてもいいものが少しばかり雨に打たれて並んでいる。テントの奥の商人もくたびれきった顔をして腰掛けている。空はいつまた降り始めるかもしれない暗さ。人も、物もわびしかった。    兵庫県

 

* 鑑賞にも堪えるこういう「メモ=表現」を読んでいると、この人の優れた「詩」性を感じる。インテリジェンスとも謂える。ファシネーションということを生活の中で体感し得ている人の文彩である。少しも無理な不自然がない。そして、しっかりと大人。

一個所、「生きるものの強さ、けなげさに打たれる思い。」という感想は、わたしなら、書かない。

この、いい読者とは、十数年の知己であるが、その倍ほども文通してきた気がする。十年ほども昔か、それも倍ほど昔に感じるが、関西から上京されたときに池袋で一度会った。会ったと言うより、あわや会いそこねるほど百貨店の西武あたりで、ひどく出会うまでに苦労したのを覚えている。世の中で詩人でもなく詩人達の仲間でも何でもない一人の主婦であるが、わたしは詩人と感じている。懐かしい感じのこういうメールをいつも楽しみにしている。娘二人が東京で生活し始め、ときおり二人合宿の見分に来ては折り返し帰って行くと聞いている。久々にまた出会うかもしれない、とった年に驚きあうだろう。

2004 8・2 35

 

 

* 暁 鈴虫の鳴き声で目が覚めました。たった一日で、夢の中の自分の精神状態までが変わったことに驚きました。

颱風は、害どころか、気温を下げ、一日半たっぷり風のない雨を注ぎ、しっとり染み透ってようやく冷えましたの。

ところで、天海祐希さんの「ラストプレゼント」を、建日子さんがお書きになってらっしゃるのを、今日、初めて知りましたの。ドラマは見ないものですから。ごめんなさい。

お風呂上がりに、CSの松山容子さんの剣豪姫様ドラマを見て、気分好く床に就くことは、時々ありますけれど…。

 

* 囀雀さんの名張あたり、颱風が酷くはなかったかと案じていたが。この人は、とにかくも水分を得て清まはることの必要な体質らしい。松山容子の剣豪とは、あの「琴姫」ものか? また来た。

 

* 入口は、「清経入水」 でした。

三輪からの帰り、気になっていた「額田部」を訪ね、美しい仏に遇いました。

富雄川は難波からの富の小川。

先日、終了した中日新聞の連載「東海の考古学」(森浩一)で、「水」をのみこむだけで余程さまざま解るものと驚きました。先日の熊野も葛城も、身近な木津川、初瀬川も。雨女といわれるのもなにかの縁と、水分、龍、丹生などの神社を訪ね、一方、十一面観音にひかれてあちこち訪れているうちに、雀は、水運・海運がどれほど大きいものだったか、歴史は年表や図でなく、人の生きた日々なのだと感じています。

 

* 颱風は西日本に停滞しているようですが、この辺りは被害なく、それどころか涼しくなりました。昨日も、一昨日も、エアコンなしで眠れるほど。我慢しているわけではありません。昼間もエアコンをしなくても、乾いたいい風が窓から入り込んでくるので快適です。ほんとうに過ごし易くて、機嫌よくなります。この気候がずっとつづくといいのですけれど。

もちろん、外に出てしまうと暑いですよ。

くらくらするなんて、気をつけてくださいね、風。

わたしは至って健康ですが、体力に自信があるというほどではありません。

 

* 昨日今日の明け方は、パジャマ代わりのTシャツに短パンでは、タオルケットを引き上げても冷気を感じる程。こんな汗をかかない朝から始まると、一日の体調がいくらか落ち着きますが、今日も日中は30℃を越えそうですね。

私は、暑い日差しの日でも、日焼け対策万端で自転車を飛ばして、一挙両得の孫通い(娘は手助けに喜び、ばばは孫の顔を見られる。内孫だと、そうはいきません)。

そんな日はエレベーターのないマンションの四階までの急階段を二度は往復せざるを得ないせいか、食欲旺盛なのに、目方は一、二キロ上下して、人からも痩せたねと云われますが、体調は快適です。

メール、また下さい。  淡路島

 

* 意識して幾つかメールをこう並べてみると、よく人が透けてみえる。

大体は、いや殆どは、わきめもふらず自分の言葉で自分のことを報せてくれている。それでいいと思う。時に稀に、この「私語」サイトに転載されている他者のメールに触れて、ものを言ってくる人もいる。

メールは、メーリングリストのように大勢に同報されるのもあるが、通常は「個と個」との通話になる。それだけに、とても上手に情のあるナイショゴトに類するような片言隻句を、ユーモラスに、巧みに織り込んでくる人のメールにはつい惹きこまれる。

ユーモアは難しい。言葉のゾンザイが親愛の印とは限らない。TPOを心得て自然に臨機応変に生彩有るメールが来ると、思わずニッコリする。

2004 8・2 35

 

 

* 小泉は「濁る」ンでしたかしら。   昨日、朝刊の“日歯連側「野中氏の仲介」”の見出しに、小さく雀は囀りました。「森は隠れる、野中は荒れる、中川渡る人もなく」。今朝の「阿呆陀羅経」に、びっくり。

ところで、市の広報に、青山町の由来が書いてありました。

古い時代から、阿保村・上津村辺りから青山峠までを「阿保の山」と呼んでいた。阿保という所に住んでいた一族集団が淀川を遡り、移住して住み着き、阿保と名付けたと考えられ、万葉の古歌に、「阿保山之 左宿木花者 今日毛鴨、散亂 見人無二」と詠まれているそうです。

 

* 文意は前後に別れている。その前段の「森は隠れる 」以下の戯れ唄は、思い違いかも知れない、あまりに昔で記憶を確かめきれないが、此の「私語」に書き込んだだけでなく、某新聞の匿名コラムに書いたわたしの駄作ではなかったか。清新に見えていた小泉も俄然「濁」ってきたと結んでいた気がする。思い違いかも知れないが。三年ほど前になろうか。びっくり。

 

* さてこの古歌、どう読むかなあ。「あほやまの さくらのはなは けふもかも ちりてみだれて みむひともなく」だろうか。「左宿木花」に別の決まった読みが有るかも知れない。いずれにしてもこんな風に読むと、森も野中も中川も小泉ももはや散々という介意が汲めて、雀さん、やるものだ。

2004 8・3 35

 

 

* 林芙美子の小説など。  多摩 E-OLD

休みなく仕事に追われる若いカミさんに毎日メシをこさへている。

おとついは、所要で出かけた都区内から材料の野菜をいっぱいぶら下げてきた。それで、きのうは朝から張り切り、ジャガイモと筍と鶏肉の煮っころがしを作った。筑前煮風までいかないが、ふだんこういうものが足りなかろうと、五人前ほど作った。圧力釜の急ごしらえにしてはうまく出来た、ヤッター。

毎夜遅いカミさんは、熱帯夜から解放されてまだ大の字でうまい(=熟睡)をむさぼっている、日曜じゃないけど、ま、いいか。

味見をしようと、ジャガイモの次に筍に食らいついた瞬間、ピュー、ヒャー、熱湯に顔面を直撃された。細い(よく崖に生えてるいる)筍を切らずに丸ごとぶっこみ煮したので、節の中の水分が熱湯のままっだった。思わず蛇口をひねって水をかけた。脣の皮がむけてしまった。

毎度おなじみ、カミさんは遅起き、食べる間もなく、箸もつけず、料理は私が朝昼とメシがわりにした。まだたっぷり残っている。、、、、煮なおしものを晩飯に出した、うまいぞー、月見のごっつおうだ。

なんか芋がねばねば糸ひいているヨー、鼻の効かないカミさんは時折り古いものを食わされていて、警戒心を抱いている。

じ芋だから粘りっ気があってうまいんだぞー、台所でぬか漬けを切りながら、声を返した。

煮物は半日で悪くなっていた、芋はむろんジャガイモだった、ボケも進んだものだ。ネタも安過ぎた、古かった。クソ面白くないが、腹をこわすのは怖いから全部水気を抜き新聞紙に二重にくるんで、棄てた。

ぬか漬けの胡瓜と谷中生姜のつかり具合が上出来で、粗餐もまた楽しからずや、でおさまった。口げんかには発展させなかった。まん丸お月さん、ノンノさまに久しぶりに手を合わせた。ごめんなさい、食べ物を棄てて。

二晩続けてのうまい、明日からまた猛暑がぶり返すというが、今朝は早く気持ちよく目がさめた。

鶏鳴。起きしな、気になっていた林芙美子の「夜の蝙蝠傘」を一気に韻文詩のように画面で読んだ。これぞ、プロの売文家、小説家、流石、りゅうせき、ながれいし。芋の煮っころがしのような話だが、それがまたいい。男と女のそれぞれの語りも生きている。平凡な営為のなかに人情機微があふれていた。創作ではあるが作り事ではなかった。「反戦室」にあげるかどうか? 僕は、それはちょっと、ごたいそうな気がした。

昨夜、寝しなに、弱視のカミサンが僕の顔をれいのごとく、インド人のように暑苦しく接近視して言った、「アンタは、脣が焼けて赤くはれてても可愛いね」と。アホ臭いけど、二人だけの話だった。林芙美子の小話も同じなような、たとへ火の出る所帯をしても、火事さへ出さなきゃ水いらず。これは都々逸でしたっけ。

 

* 句読点を補い適宜改行すると、こんなに面白く読める。おもしろい、おじさん。芙美子の作品の扱い、ま、この読者の感想が適切であろう、「反戦室」にまで入れると読み手も意識し、芙美子の味が逸れるだろう。このままで、その辺も読み取ればどうか。

2004 8・3 35

 

 

* 「湖」が繋いでいる。   ***さんに、滞っていた六冊の「湖」を届ける事ができました。一年に四冊出版として一年半分ですか。

実家に夫婦で現住所を移し、殆どを父上と同居して看病をされて何年でしょうか。安らかに逝去されて、落ち着いた様子でした。

最近はボケ老人となった親を自宅で看送る例は少ないのですが、回診してくれる医者に恵まれ、心優しい娘に恵まれて、永年住み慣れた自宅で天寿をまっとうされた様子を聴き、心ならずも老人病院で逝かした父母を想い、心痛く、泣いてしまいました。

久し振りの出会いで、京都の事、映画の事、今読んでいる本の事、と尽きなく心弾みました。

大きな団地から偶然一緒に別の団地に引っ越した往時の繋がりで、今は、お互いに違うお友達を持ち、一緒に遊ぶ仲間でもないのです。「湖」が繋いでいると云えます。東京都

 

* 感謝。

 

* 鴉になった。クロウしているからか。 WHITE CROW  なら「めったに無いもの」ですが。「いたずら者」の意味であろうよ。

 

* 鴉さんありがとう、本当にありがとう。ほぼ一週間、今はほとんど症状はなくなりましたが、ゼロではありません。二か月に一度薬をとりに行く病院に念のため診てもらいますから、どうぞ心配なさらないで。とてもとても大人にほど遠い鳶ですよ、わたしは。もう一度ありがとう。

2004 8・3 35

 

 

* こんにちは。昨夜の酒の肴のお味はいかがでしたか。

今日は少し陽射しが弱まっています。昼食のあとに郵便局など近所の用事をすませてすぐ帰宅する予定。家の中の雑用が片づかないので、今日は気合をいれて頑張ります。

二つ質問です。

* 写真も見せてもらった。谷崎の絶賛が「わかる」美貌である。祇園の藝妓にはこういう感じの人が何人もいたと思う。クラスメートの母親も、背丈のある見るからに位のたかい祇園の藝妓だった。うちの東町に住み、そこから我が家の西の抜けろうじをとおってお座敷へ出ていた。都踊りで忠臣蔵ものだと、籤とらずのように由良之助の役をしていた。旦那は鴻池だと息子は自慢していた。

時々この「籤とらず」という言い方をなさいますが、私の知る限り当地ではこのような言い方を聞きません。広辞苑にも出ていないので、言葉の意味、ニュアンスといったものを教えていただけませんでしょうか。

それから、もう一つの質問です。「旦那は鴻池」という自慢は当時の祇園独特のものですよね? 祇園以外の京都の庶民感覚ではこういう「旦那」をもつ女に対して、軽蔑のような評価、陰口などなかったのでしょうか。

「祇園の子」で甲部と乙部の間の格の違いなど描かれていました。しかし、もう少し世間を広げると、祇園の甲部も乙部も関係なく祇園そのもの、藝妓自体への蔑みはどの程度あったのか、なかったのかお教えいただけると幸いです。

とても気になることなのです。

 

* こういう質問が来るのではないかと予感があった。

 

* 祇園会の鉾巡幸では、まいとし神意をうかがう神事の籤引きがあり、それで数ある鉾行列の順番を決めているが、稚児を乗せた「薙刀鉾」は籤を引かずに例年第一番の先頭を堂々巡幸する。「籤取らず」に決まっている。京の大人なら無意識にも常用してきた言葉で、「広辞苑」等が挙げていないのはむしろ杜撰であろう。

 

* さて祇園の藝妓と旦那のことは、わたしとて通ではない。ただ、祇園と抜けろうじ一本で背を合わせた新門前通りで育ったし、新制中学は祇園花街の真ん中にあって通学していたのだ、知識でなく肌身に感じていろんなことを覚えている。なにしろ戦時下の国民学校=小学校に入学したたちまちから、教室の中で男の子等は「好きやん= 好きな相手」を物色するようなしないような、けしからんかどうかは知らないが、そういう心的環境に相違なかった。国民学校時代はとなりの祇園町の学校は異国なみであったにせよ、親たちとの日々では、いやも応もなく祇園はご近所でありお馴染みであった。秦の父は若い時分御茶屋の台所にいすわってくるような道楽者で、母を泣かせていたという、聞いただけの話だが。わたしが貰われてくるより昔のことだ。

親たちは祇園の、当然ながら甲部の方の藝妓の名前など知っていた。母は、そういうことにかけてはミーハーで、皇室の閨閥も、祇園の藝妓の噂も、文士達のスキャンダルも、きれいに平均して、ぽろりぽろりとわたしにも喋った人だ。俗っぽい耳学問は父よりも物知りそうな母から来ていた。

 

* 戦後の、祇園町に新設された新制中学に通い出すと、今まで以上に地域の極めて独特なカオスに驚いたものだ、それを此処では蒸し返さない。『丹波』『もらひ子』『早春』などに、その他『祇園の子』や『風の奏で』などに出て来るから。

外から見れば祇園は祇園、遊郭は遊郭、甲部も乙部も同じだろうと、よその人は云う。わたしも内心のリクツとしてそう云ってのける気持ちがなかったわけでない。しかし現実には差があって、厳然としていた。甲の女の子と乙の女の子とが、あまり口も利き合わないことに、入学して比較的早く気付いていた。三年になると、乙部のお茶の息子と甲部のお茶屋の息子とが、仲は悪くないのに、わたしも含めて修学旅行では仲間同士に班をつくっていたほどなのに、甲と乙との差異を露骨によく言い争っていた。まぢかに観ていた。また旦那の違いが藝妓の勢いの差になるのも当たり前で、露骨な物言いとして「大阪のだんはん」「鴻池のだんはん」という対立も傍で観ていた。大阪のとは、大阪から通ってくる普通の「だんはん」の意味であった。わたしたちはその「だんはん」など見たことはないが、息子達の母親は見知っていたし、いやでも比較できたのである。甲と乙とのちがいは、親たちはいとも端的に「藝妓」と「娼妓」とわたしに教えた。それ以上の説明は中学生にも無用だった。

むろんわたしには甲乙の差別は無い。乙部にも甲部にも今でも仲良しがいる。

中学区域は、三つに大きく地域分けされていた。大きく祇園花街と、わたしたちの新門前のような普通の町屋街と、というふうに。その意味では甲も乙も祇園であったけれど、その祇園をうちの親たちが軽蔑したり差別したりなどはしてなかった。甲部一流の藝妓など、腹の底では知らないが名士なみに名前を口にしていた。「きれいにしたはる」のだ、その余のことは玄人でも素人でも窮極大差なしという合理的な分別があった。たしかに、そうだ、要するに「性」にまで及んで理解するなら、藝妓でも娼妓でも素人女でも何の差も有りはしないだろうから。女の売り買いということでいえば、明治からこちらの市民社会でも、大方女は売られたような嫁ぎ方をした人は無数であったのだから。

叔母の茶や花の稽古場には、文字通りいろんな人が稽古に来ていた。中には可哀想な差別を受ける少女も来ていて、わたしなど、それとなく庇ってそうはさせまいと気にかけたものだ。だが廓の人に対しては、だれも差別しなかった。極端にいえば『月皓く』のヒロインのように街に立っていた人もいたが、それにもあまり気にしなかった。一つには戦争に負けて占領軍が街々に浸透してきた頃の風俗の変容甚だしく、それが沈静してきても余波はまだあった時節。生きるに苦しい大人達の社会であったから、みなが殊更には口をひらかなかったとも謂える。

廓の文化というものにも、われわれは眼を背けていたわけではない。佳いモノがそこに在ると分かっていた。

そもそも、ま、職業でそうごたくさとえらそうに他を貶めてみても、所詮はおんなじようなシロモノという自覚がある。いうなれば、おんなじ京都人やワイといった大層な敷延の仕方を知っているのだ。父などにすれば、店の品を買ってくれる人は、買ってくれない人より甚だ親しむべき人種であった。

よく母も父も「神も仏もあるかいな」と言い切ってわたしをビックリさせた。それは京都の町ぜんたいにもたぶん多少の程度の差で謂えたことだと思う。乳の気分で翻訳すれば「紳士も乞食もあるかいな、奥さんも藝妓もあるかいな。お客さんならその人が上や」となる。

その点、泉鏡花の花柳界もので、狭斜の巷の女達が被差別感に堪えて凛然と立とうとしている悲壮感に初めて触れた頃、わたしなどは、やや意外に感じたほどだ。

但し誤解されてはいけない、京都は貴賤都鄙の集約されたやはり強烈な差別都市には相違ないのであり、その差別が歴史的にあまりに苛酷であることだけは、今もなかなか問題が大きすぎる。海外からはるばると届いた『早春譜』の「e-文庫・湖(umi)」掲載に悩んでいるのもその配慮からである。それから較べれば、秦の母ではないが、皇室や宮家も伊藤博文も祇園の名妓はつ子も上村松園も谷崎潤一郎も世間にごろころの妾も旦那も、みな同じ地平線にならんでいた。それだけに、そこから洩れ落とされた差別の実在に、わたしは愕然とし、それが文学へ向かう一つ懸案となったのである。(うまく謂えたかわからない。あとで読み直す。)

2004 8・3 35

 

 

* 大波小波   あのコラムの名を、いままで、気にしたことがございませんでしたわ。

「妬いてやがンなァ」「そンなンぢゃァ、ねェよ」。さきほどまでCSで、松緑、海老蔵、梅幸の「与話情…」を、手を叩いて見ておりました。子供じみた遣り取りも、‘ひ’とも‘し’ともつかない発音も、間ァも、痛快。

「巧きァいいッての、なァに言ってやが(鼻濁音)ンでぇ!」。悪態をつく江戸口調の秦さんも、すきです。

 

* やはり「大波小波」に書いていたらしい。もう三年ほど前からはこの匿名コラムには書きやめている。闇に言い置くこの「私語」で足りるからだ。匿名欄の稼ぎはびっくりするほどイイのだが、こういうこともホトホドで良かろうと起稿をやめたのである。週に三度も掲載されていた頃があった。湖の本の一冊分にもなるほど有るだろう。

 

* ご丁寧にありがとうございました。夏風邪をひいてしまい、一日休養していました。9、10月は女優さんのアルバイトの方の舞台が始まるので、忙しくなります。

この18日には、荒川区出身の水泳選手、北島康介さんをアテネでの決勝現地時間にて応援する会がありまして、区長などお偉い方々が集まられます。なぜか私が徹夜勤務をしなければなりません。時々通し勤務もやらなければならず、その時は14時間働きます。お役所の仕事がこんなに大変だとはびっくりです。では、先生も酷暑にお気をつけくださいませ。  田園調布

 

* 菊之井、たん熊、美濃吉等々六種の酒肴をそれぞれ壜詰めにした中元の品を戴いた。同じ京都の同じ高校から出て来て孤軍奮闘しながら小説を書いてきた人の、新しい職場からの声である。区の吏員として文化企画事業などに携わり初め、わたしもほっとしている。ひと頃はほんとうに元気がなかった。、

2004 8・3 35

 

 

* 素敵なメールをありがとうございます。

早速、東京にいる妻に転送して、「こんなメールを貰ったよ」と伝えました。

妻からも、「とても喜んでいたと先生に伝えて」とメールが帰ってきました。

その際、妻から 『本当は「あること」が書きたくてこっちでメールを書こうと思ってたところへ・・(中略)・・取り敢えず返信、ですが、もしあなたが「どーしても知りたいっ!!!」というなら仕方ない、教えてあげるから返事をしてらっしゃい。ふっふっふ。今日のはスゴイぞ。』などと思わせぶりなメールが付いていて・・・・。というわけで、後で妻に電話をするのが楽しみ、楽しみ!

他人に言うと「そんなのは今のうちだけだよ」なんて言われますが、「言いたい人には言わせておけ!」とばかりに二人で親ばかをやっています。  茨城

 

* re  いましも、あなたにメールしたくてウズウズしていたところ。

それは、葵ちゃんの写真が、このディスプレイの間近に飾られまして、この葵ちゃん、可愛くて可愛くて、見ていると仕事にならないほど可愛いんだから、タマラない。家内もしげしげと階下から来ては、「ウワァーッ、なーんて可愛いんでしょう、あなたいい子ねいい子ね可愛いわね」と言いっぱなしです。これが真に迫って実感でね。わたしも、葵ちゃんに目を向けるのが嬉しくて楽しくてしようがない。都合で写真の葉書を、わるいが、横にして、葵ちゃんとは真正面に向き合っています。すばらしい!

それを早く言おう言おうとしているところへ、きみのメール。二重に嬉しく。ありがと。東京へ帰って行くハゲミがつくねえ。しかし、車の場合もどんな場合でも、油断して怪我しないように。葵ちゃんを聡明に見守って、「子育て」なんて生意気は言わずに、しっかり我が子に育てられなさい、二人とも。

**君たちのことは知っているんだろうね。隅田川の花火へ連れて行った。二人とも、おお甘。君達、コーフクかいと聞くとふたりとも「ウン」とさ。降伏! リアリティーがあるぞと感じました。うまく行くといいね。花火で別れたアトは、ウンでもスンでもないんだけどね。ハタのことが目に入らないのかな。ハハハ。よかった。

そっちへは一度だけ建日子の車で家内と行きました。こっそりと娘や孫に会いに。十何年も昔のこと。水戸へは近いのでしょ。水戸はとても佳い街です。 お元気で。 奥さんと愛くるしい葵ちゃんとによろしく。 湖

 

* こんばんは!

厳しい暑さの毎日ですが、ふうふう言いながらも元気にしています。どこへも出かける気にもなれず、時間があるとパソコンを見るか、本を読んでいます。

子供を生んでからも、やせっぽちで棒のようだと言われていましたが、五十台に入って少しずつ太り始めました。と言っても若い人のようにきれいには太れませんね。ご多分にもれず九号のスカートがきつくなってきました。甘いものやアイスクリームも我慢してるのですが、お腹は引っ込みません、トホホです。

お手すきの折で結構ですのでお送りいただけますか。

湖の本  22 冬祭り 上

23     中

24     下

27 誘惑

以上、よろしくお願いします。

「罪はわが前に」電子版で読みました。

特に下巻、叔父さん、伯母さん、叔母さんの実像がリアルに現れて、小説だというも忘れてのめりこんで読みました。いい読者には程遠いですが、お許しください。

前回、一筆箋に書いていただいた「風尚自遠」どういう意味ですか、教えてください。

暑さ厳しき折からお身体お大切にお過ごしください。   船岡の従妹

 

* 秦の母の姪で、ごく小さかった頃に何度か会ったことがある。校正未了の電子版で上中下三巻はずいぶん読みにくかったろうが、従妹には秦の父や母や叔母の記憶があり、さぞ驚いたろう。へんな従兄を持ったと呆れたのではないか。

 

* 静かな夜です。

アマゾンからバグワン「存在の詩」を発送したという連絡がありました。明日届くことでしょう。ゆっくり三頁ずつ読みたいと思います。きっと正しく理解できないでしょうが、お導きいただけましたら嬉しく思います。

お騒がせした一日でした。どうぞ忘れて、ゆっくりおやすみください。  一読者

 

* 「存在の詩」 手に入りますか、よかった。いい出逢いが有りますように。

>> きっと正しく理解できないでしょうが、

もうすでに身構えている。出会う前からどうしてこういう防禦の姿勢で硬くなるのか、これが「さかしら」の最たるところです。綿のように柔らかに、曙の空のように初々しく素直にモノに向かわないと、バグワンの物言いでいえば、とてもとてもだいじなものごとを、まんまと「逸らして」しまいます。むしろ、この本との出逢いを、わくわくと純粋に待ち喜び、素直に全身を波打たせてほしい。それと、これは聖典でも哲学でも説教でもありません。そういう迎え方をしない方が姿勢が硬直しません。

なんだったら、しばらくの間は、だれか敬愛するご存じの大人の「声」でお聴きなさい、心から嬉しがって。それなら間違って踏み迷わないでしょう。

どうか、理解する・知解する姿勢は綺麗に「落とし」て、ひたすら言葉を、柔らかに「聴く」よう、心から勧めます。急いで一度に沢山読んでもムダです。じいっと堪えて、少しずつじりじり進むこと。

>> お導きいただけましたら嬉しく思います。

無用の挨拶です。わたしも、何も把握していないのですから。自性で入って行くしかない。ああこれはと感動する言葉に、納得の行く言葉に、沢山出会うと思いますが、その感動や納得に囚われてしまうと、「エゴ」が出て、清んだものを濁らせます。エゴを捨てて落として、ただ読んで聴くように。繰り返し繰り返し。

指導ではなく、あなたより十年早くふれた者の、だいじな実感をただ伝えるのです。湖

2004 8・3 35

 

 

* 昨夜の従妹のメールに、まさか無いだろうと思う反応がもう有り、ビックリもし苦笑している。

従妹のメールの最初の挨拶に、「厳しい暑さの毎日ですが、ふうふう言いながらも元気にしています。」とあった。この「元気にしています」を見咎めた読者がいたのだ、冗談にしても、すばやい。

『お父さん、繪を描いてください』下巻のうしろの方で「作家」が女性と別れる場面がある。別れ際に、こう告げている。

「元気でいろよな。それから、どうしても思いあまる気分になったら、『元気にしています』と、メールにそれだけ入れるといいよ。わたしからは、何も言わない…」

これを捉えて、この「従妹」という人は、実は…ですか、と推測してきた。思わず、吹いてしまった。

「兵隊さんお元気ですか。僕も元気にしています。」戦時中、戦地の兵隊さんへの「慰問袋」には、必ずこう書き出すようにと先生に教えられた。

手紙や、メールでは、この二つのゴアイサツほど数多い決まり文句はない。真率にいわれていても、あまりに頻繁なので、つい其処は読み飛ばしがちになる。

で、逆手に取り、今度の自作の中で、「元気にしています」を、いわば恋文の暗号と化してみせた。「思いあまる気分」にもいろいろあるが、いろいろに読めるのは、尋常すぎるただのゴアイサツより、よほど佳い。作中一度も実用されていないけれど、作者の遊び心であった。

こういう遊び心が、わたしには有る。実の姓名ではどうしても堅苦しいメールの人には、好き放題に替え名をつくってしまう。すると、ちょっと意外なペルソナが生まれて、匂うようにメールが優しくなる。

従妹の注文してきた『冬祭り』では、高校時代、クラスメートの誰一人にも知られず親しいという設定の、同級生男子女子の意思疎通に、幾つか珍な工夫をさせている。わたし自身がそんなことをしていたわけでは無い、作品の中での遊び心であるが、その暗号が、作の展開に大きな役をしてくれた。

此の「元気にしています」はそれと同じではない、が、あまりに陳腐な挨拶語に、双方納得の濃い意味を持たせてしまうと、艶な別効果が生まれてくることは期待できる。若い人達の繪記号などにもその役が有るのかも知れない。

それにしても、この「従妹」という人は実は…という追究に、一度は笑い、そして少々困惑した。何十年も会っていない養母方の姪、従妹、に相違ありません。

しかし、こう此処に書き表してしまうと、この先、すべてのメールからの「元気にしています」を読むとき、かなりくすぐったい気分になるかも知れない。ま、いッか。幸か不幸か、そんな取り決めは誰ともしていない。メール文藝を予期しているわたしの言い分は、こういう決まり切ったゴアイサツはなるべく抜きにしていいのでは、ということ。

2004 8・4 35

 

 

* 『元気にしています』  大変ご迷惑をおかけしました(笑)

急いで本を見てみました。ありました、いかにいいかげんな読み方をしているのかと反省しています。

思いあまる気分にもならず、小説のヒロインにも、似つかわしくない従妹より。

2004 8・4 35

 

 

* 電子文藝館出稿しました。

お暑うございます。

「スズメバチの死闘」をやっと打ち終え、出稿要領に基づき、きょう8月4日、事務局宛送付いたしました。不慣れなため、何かとご不便をおかけするのではないかと案じておりますが、校正はしっかりとしました。よろしくお願い致します。偶然にも、今日は母の祥月命日。感無量です。ありがとうございます。弾みをつけて書きつづけていきます。

PC,いよいよ猛勉強の段階かな、と、始めます。苦笑しております。いづれホームページもと・・・。

夏休み、田舎家には都会から千客万来、悲鳴をあげております。

今年は、4月以降、ほぼきっちり2週間、季節の推移が早いようです。蝉も蝶も畑の野菜も。

夏のお疲れが出ませんように。

一度お会いしたいものです。

また連絡いたします。 取り急ぎ。 不一    滋賀県

 

* 五個荘の会員。むかし、ときどきお母上ひとりのお留守に、泊めてもらった。石馬寺があり、ここは『みごもりの湖』ヒロインたちの故郷である。瀧井孝作先生を尊敬されていた佳い先輩作家外村繁が五個荘から出られていた。外村さんの本が、わたしのこの長編小説で、大事な役割をになっていたのを思い出す。

このメールの人の邸には、狸がよく訪れた。静謐な空気を湛えて奥深い印象の在であり、ワコールの塚本家など大きな近江商人の本家がひっそり閑として立ち並んでいる。新幹線ではいつも、懐かしく眺めて通る。

2004 8・4 35

 

 

* 紙上巡礼    小雨が朝から降り続いています。仏像解説本は早々に音を上げ、入江(泰吉)さんの写真は、添っている文が心に染まず、白洲(正子)さんの「十一面観音巡礼」ばかり読んでいます。

舞台となる場所の地図をコピーしに、コンビニに行ってきたのですが、前を歩いていた男性が、片方だけシャッターを上げた地酒とどて焼きの小さな店の前で傘をすぼめ、縄暖簾のかかった引き戸を開けながら、

「ひょっとして一番かなぁ」

「ええよ、入って入って」

迎えたのは、焼きおにぎりなど美味しくつくりそうな手の、おかみさん。

もぅ、そんな時刻だんねんなぁ。  大和

 

* 名張市史別冊の発刊等について   この前、喜志の大阪芸大に通学している娘が、大学の近くで開催されたPL花火大会を観てきました。近代的な花火が次から次に打ち上げられたとのことでした。

また、三輪(大神)神社もわが沖津藻の名張から電車で25分のところにあります。

人事異動での私の初仕事は、『おきつもの名張 今と昔』の市制50周年記念誌の販売で、市民からの評判がよく1,400部が売れました。遠いところからの注文では、埼玉県民からありました。

妻が加入しています短歌同人誌「風」の講師を探しており、秦先生が近くでお住まいならご推薦したのですが、残念です。

元気に公私とも頑張っています。先生もご健勝で創作活動等頑張ってください。失礼します。  名張市

2004 8・4 35

 

 

* (作中に用いられていた)外村繁の作品は「澪標」。あの辺りは三、四度ドライブをしています。

「湖」で読んでいた友人は、あの山が・・・と説明していました。近くの日野富子が籠もったと云われる「明王院」へは好きで二度行きました。

「みごもりの湖」は一等好きな作品なのです。

駅近くのヨーカ堂の中の本屋で眼に付き、パラパラと立ち読みしたのが、初版「昭和49年)の頃でしょうか。

子供を置いての里帰りが年に二度は出来る頃、京都の駸々堂で購入したのが、昭54年三刷のハードカバー。昼間はせいだい親孝行をして、夜は一人をいい事に、一気に読んだのを、昨日のように想い出します。

その後、そう多くの人にではありませんが、簡単に紹介する時は短編「慈子」を。

更に読書好きな人には、長編「みごもりの湖」を貸しました。

今日も、友人達と歩く道筋で、一人の仲良しの高校時代の恩師である中西進さんが、何かの話題で出て、それに繋がり、昔に「みごもり」を貸した相手だけに、しっかりと作者の名が出てきました、と、とたんに道中は一週間のブランクも溶けて失せて、あれこれと他愛ないおしゃべりをして埋めながら。もう二十五年以上続いた友人です。

これは余談ですが。

あれは作家になられての初期の頃の作品だと思いますが、何作目だったのでしょうか。その後に数多く書かれる小説のテーマのすべてが、凝縮されていると想うのです。書きたいものが、これもこれもと貪欲に、急流の勢いに乗るように書けたのではないか、と、生意気な云いかたですが、そんな筆致を感じました。

まあ、ワカランチン、そう簡単なもんやあらへん、と口を尖らせて頭をこずかれそうですが、私はそんな感じで読みました。

行きつ戻りつする程難解でなく、神隠しのように消えた人を追う話も、先に興味を持たせ、見知った京都のあちこちが描かれて、故郷恋しいその頃の私には、胸が締め付けられる程、嬉しい読み物でした。

身を入れなかったけれど、多分大マジメに通ったお茶のお稽古も、久々に想い出してとても親近感を覚えました。

「籤とらず」  これこそ、「京の昼寝」そのもの。こんな応答を読んでいる、と、なんだか面白い。

これからお風呂に入って、「ラスト・・・」を観ます。     大阪府

2004 8・4 35

 

 

* 用事が色々あり、外に出かけて湿度と暑さに気分が悪くなって、寝込んでいました。今も消耗している感覚が残ります。今年の暑さは戦後最高だそうですが、こたえています。

お眼の具合いかがですか。心配です。パソコン画面はちらちら揺れていますので、あまり長い時間集中なさいませんように、休憩しながらお仕事をゆっくりなさってください。

今日「存在の詩」が届きました。教科書のように左表紙の横書きなのでびっくりしています。今日は集中できないので読みませんが、楽しみにしています。

おやすみなさい。夜のみづうみは静かでひんやりしていい気持ち。  東京都

 

* 存在の詩  冒頭の「海からの風」など、もっとあとで読んでよく、ヘンに解説的な予備知識をもたずにいきなり第一話へ、ワケ分からずに飛び込んでいいように思います。

ティロパを、バグワンはたいへん高く迎えていると思います。ティロパの「マハ・ムドラーの詩」は、一種の聖典ですが、少し難解な隠喩の詩かのように、すんなり自然に読んでから本文に、ひたる気持ちでお入りになるといい。

バグワンのことばには、是認的に語られている行と、結果として否認的に語られている行との自在な混在を、直感で感じ分けてゆくことになります。

翻訳に不信感や批評意識をもって、ナンクセをつけてイラつかないように。総じて言えば、この翻訳者の翻訳はじつに自然でみごとなんです。なじむまで、早合点で焦慮しないで。落ち着いて、むしろ声に出して読んで、いや「聴いて」ください。わたしは、一行残らず常に自分の声で、耳に送りこんでいます。眼と耳と口とで、読んで聴いて話しているのです、バグワンその人になったかのように。  これだけ言っておきます。  湖

2004 8・4 35

 

 

* こんにちわ 風。 今朝は雷が目覚ましでした。ああ、こわかった。雨は小降りになりましたが、依然風強し、です。大雨になっているのはもう少し西の、紀伊半島のようです。東京は晴れているのですか。

林芙美子の「夜の蝙蝠傘」を読みました。反戦作品と思って読めば読めますが、ちょっと違う気もします。眼目はやはり英助の内省ではないでしょうか。反戦ともとれる一面を持っている作品、と思います。わたしは当時を体験しているわけではないけれど、この作品の書かれた頃、すべての日本国民の上に、どんな形であれ戦争の影は落ちたと思っています。ですから、この頃の作家の作品に戦争の影響のあらわれるのは自然なことだと思います。ということは、やっぱり反戦作品なのかしらん・・・。むう、わからなくなってきました。

どちらかに決めなければならないのなら、、、僅差で「小説」です。

外出できるといいですね、風。

 

* 自然で穏当な読みでは無かろうか。

 

* 新涼を待ちわびて       夜半過ぎ、激しい雨音で目が覚め、雷が近くに落ちたのに飛び上がりました。朝方には、ダムの放水をしらせるサイレンが鳴り、まだ稲妻と雷鳴が治まらず、雨も降りしきっています。

好いなァと思った十一面観音の写真に「盛安寺」とあり、もとは、お作にたびたび登場する近江大津京の「崇福寺」に祠られていたというので、体調が落ち着いたらまずここへと決め、それで、昨日、地図をコピーしに行ったンですの。

雨で気温が下がり、だいぶ楽になりました。そちらは照り土用でしょうか。

あさっては立秋。おん身ますますお大切に。  雀

 

* 徳島が雨に荒れていた。心配している。九州へ行くという人も。舅の新盆には家に三百人も人か寄るとか、お嫁さんは、さぞ忙しかろう。

 

* > 徳島の颱風禍ず凄まじいと報道しきりで、心配しています。おけがはありませんか。

剣山山系に近い場所では大変なようですが、おかげさまで市内にいる私方には影響もなく過ごせました。

さほどの影響も無く通り抜けたノロノロ颱風の後に、あのような暴風雨が待ち構えていたとは! 自然のしっぺ返しと、つい思ってしまうのは「ディアフタートゥモロー」を観たせいだけではありませんわ。

被害に遭われた方々、復旧作業に力を尽くしてくださっている方々の安全を、一日も早く元の生活が営めるようになられることを、ただただ祈るばかりです。  花籠

2004 8・5 35

 

 

* いろいろ仕事もしメールも読み、送られてきたなかなか上手な小説も読んだ。ペン会員出稿の長い長いノンフィクションも読んだ。あんまり長い、なんとかしてとメールで頼んだりもした。あっというまに日付も替わり深夜に及んで、少し空腹。今時分食べたりすると、ますます体重は危機に瀕する。夏は疲れるからとリクツをつけてしまう。56度の中国のスピリットで、ライチ酒をカクテルにすることを覚えて、みな呑んでしまった。いじぎたないのである、往年の欠食児童は。飲み食いして精神衛生をやっている、悟りなんて来るわけないか。

 

* 嬉しかったのは、ごく若い人が、海外体験のいい感想文を生彩豊かに送ってきてくれたこと。

 

* 上野美術館めぐり、ご一緒できたらどんなに楽しかったでしょう。オムライスも大好きです。お元気でいらしてください。おケガもなさいませんように。階段は要注意の場所です。ディラン・トーマスやヴンダーリヒにならないでください。 おやすみなさい。

 

* (創作を)早速読んでくださいまして、ありがとうございました。

一人称と三人称の違いについて、よく考えてみます。

香水は実在します。正確には日本語ではなく、名詞でもありませんが、話の中では「幸福」としました。

指摘していただいたことは、納得がいきました。それらの点を踏まえて、手を入れていきます。お時間を割いていただきまして、感謝しています。

2004 8・5 35

 

 

*「幸福」という小説を送ってきた作者の、下記は、動機である。つよい動機であり、未婚既婚の女性も男性もふと胸をつかれはしないであろうか。作品は、第一稿としてはかなりよく行き届いている。東京の、またバルセロナの「小闇」さんたちに此の小説、読んで欲しいと思う。ほかにも、強い反応の出て来そうな何人もの人が思い及ぶ。

 

* BBCの「アッテンボローの鳥の世界」を、NHKで見たことがあります。世界中のさまざまな鳥たちの生態を取材したとても興味深い番組でした。その中で鳥の求愛行動(ディスプレイ)を紹介していました。いろいろな形態がありましたが、雌にアピールするため多数の雄が集団でディスプレイをする種類の鳥がありました。その集団の中で、雌を得られる雄はごく僅かです。雌は優れた雄だけにOKの返事をするからです。ほかの雄はかわいそうですが、一匹ずつディスプレイするより効率がいいのだそうです。よりよい遺伝子をつたえようとする、厳しい自然の摂理だなと思いました。

人間も、実はこれに近いのではないかと思います。女性は「いい男」に群がっていますし。実際に、一夫多妻の国や部族はあります。かといって、一夫一婦より一夫多妻の方がいいのだとは思いません。精神的に強いられる負担が大きいですからね、いろいろと。

昨今、少子化傾向に歯止めがかかりませんが、この深刻な社会問題に対し行政は、働く女性が安心して子供を産み育てられるような雇用形態の創出や保育施設の充実なんてことに重点を置こうとしていますが、ほんとうのところ、身体に危険の及ぶ場合などを除いて、好きな人の子供だったら女性は産むのではないかと思うのです。

家父長制は崩壊し、女性の社会進出は拡がり、結婚するしないも、子供を産む産まないも、女性が選択できる場合が増えました。

でも、結婚して子供を産むという慣習に従わなくてはならないからと、消極的に結婚している人たちも多いのではないかと感じます。(「できちゃった婚」の増加はその一例ですね。今では、全体の25%が「できちゃった婚」だという数字を聴きました。)そういう中で、「ほんとうはこの人の遺伝子を遺したいのではない」と、女性の中の遺伝子が訴えているのではないかという気がするのです。

少子化を問題にするとき、社会のしくみのことばかりで、女性の内面には言及されないのを、はがゆく感じていました。確かに行政の領分ではない、とすれば、藝術の領分じゃないか、と思うわけです。

ススんでる国フランスでは、籍を入れないで共に暮らすカップルがとても多く、また、彼らが出産するケースが増えて、その子供をどのように嫡子として認めていくべきか法律の整備をすすめているというニュースを、もう何年も前に見ました。

結婚して子供を産むのが当たり前みたいな世の中ですが、いろいろな葛藤があるのだなあと思います。

こういったことは、「みごもりの湖」の中で鋭く示唆されていますが、わたしはわたしの思うところを書こう、というのが今回の動機です。少子化問題に一石を投じてやるぞ、という気合いだけは十分だったわけです。

長くなりました。今日は晴れています。   愛知県

 

* 颱風、無事通過しました。少年の頃は颱風が接近すると喜んでいたのですが、いまは、古い家のあちこち、大丈夫かなと接近するとゾッとします。

今日から巌谷大四の甥にあたる巌谷鷲郎君が中学2年の息子さんを連れて遊びに来ます。大学での同期生で息子さんは何でも昆虫が好きで、で、ならば民親にということらしいのですが、最近は昆虫網をふりまわしていると保護団体さんとか、苦笑ものです。先生の「みごもりの湖」の舞台、君ヶ畑の方へも川遊びでもと思っております。車の運転ができますので、いつでもご案内できるようになりました。機会があれば是非に。  滋賀県

 

* 懐かしくて、ウズウズする。近江なる湖国は、わたしの妣(はは)の国、母国なのだ。謎多き原郷。

たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江といへり   河野裕子

 

* まだ若い若い人から、重い問いをかけられ、今、粛然としている。問いの重みをわたしはながく負わねばならない。

 

* 東工大院卒生の垂水めぐみさんから、今度は「主役」抜擢とお誘いの通知が来た。前に編集者たちを演じた音楽劇公演はとても面白かった。ナースを演じたのは行けなかった。

 

* 秦先生   垂水です。猛暑が続いておりますが、体調は如何でしょうか。

この度、また劇団の公演をやることになりましたので、お知らせ致します。今回は「主役」に選ばれましたので、格段に出番が増えました。主役を演じるなど、滅多に無い機会なので、是非私の晴れ姿を観に来て頂ければ幸いです。今回は、日本劇作家協会理事の篠原久美子さんに脚本を書いて頂きました。篠原さんはご存知ですか? 劇中劇として、現在ホットな話題になっている「女の平和」が出てきます。

作品名; 「リューシストラテー この町で」  ※リューシストラテーとは、ギリシャでの戦争を止めようとする女性の名前。「軍隊を解く女」という意味があります。

 

* 昨日、新聞で見た大学生の投書を思い出しました。

広島での「核廃絶」の為の「国際平和シンポジュウム」に参加して、澤地久枝氏の講演に勇気づけられた、という。チリの詩人ネルーダの、一千回生まれても、この国(チリ)に生まれて、この国を愛したいという内容の詩を引いて、日本を、もう一度この国に生まれたいと人々が思う国にするために、種をまく人でありましょう・・・と。

気候も含めて、何がどうなってこの国はこう、住み難い国になりつつあるのでしょうか。

それに絡んで、明日の対中国戦の中国サポーターの動向も心配です。

と、その新聞ベージに「吉祥天像図」の記事がありました。薬師寺所蔵の図ですね。昔、国宝展で観て図録もあります。あのぽっちゃり加減が、太った頃の母に似ていて、渾名を呈したものです。

国宝展や美術名品展といえば、あの崇福寺の舎利容器と大抵並んで、羽曳野市、誉田八幡宮(これも最古)の日本最初といわれる、五世紀の透彫の鞍金具が展示されます。

聞きかじりによると、母方の何世紀も昔のご先祖さんは、多分その誉田の八幡さんのお抱えで、こんな鞍金具を作っていたのでは、と思われます。むかし、一人で祖母の所へ戦時疎開をしていたのは、そのまん前の家でした。観るたびに、ご先祖さんに会った気分でいるのも、何かロマンチックでいいでしょう。

今日は「イルポステイーノ」を久し振りに観ます。

グウグウとオナカが鳴り出しました。一人でお昼です。  京都市

 

* ぼさっ   姨捨(おばすて)は小泊瀬(おばつせ)、葬送の地といわれて、初めて「あ…!」。言われなきゃわかンない、言われるまで気が付かない、そういう「おにぶ」で「お馬鹿」な雀は、あるお寺で、ご本尊でない十一面観音にひきつけられ、へたりこんで、ぽぉっとなっていたとき、ご住職がおっしゃった「計算も作戦もない、純粋な快感に満ちているとき、ひとは菩薩になっているんですよ」に、救われましたの。

明日は島ヶ原の夏祭りだそうです。正月堂と呼ばれる観菩提寺と、隣の鵜の宮神社を訪ね、夕方からは露天や花火を楽しもうと思っております。 雀

2004 8・6 35

 

 

* ウービー・ゴールドバーグ主演の「天使にラヴ・ソングを」をキッチンで独りで観ていた。初めてではないが。佳いところへ来て佳い歌声が上がると、声に隠れてクーゥッ、クーゥッと、喉を鳴らして感動して泣いていた。音楽には弱い弱い。若い瘋癲だと苦笑した。

 

* 天使にラヴ・ソングをわたしも見てました。好きな映画です。ステレオから音を出して歌を聴いていました。

最後の場面ではこみ上げるものがありました。続編はもっといいです。場所はハーレムになって、生徒は黒人。ローリン・ヒルという、若い佳い歌手が出ていました。

NHKでは森山良子さんがニューヨークでブルーノートのステージに立っていました。これもよかったですよ。 花

2004 8・6 35

 

 

* ちょっと面白いですよ・の返信  秦さん、西村さん

残暑お見舞いいたします。

連日東京は猛烈に暑いです。ご無沙汰しましたが、皆さんお元気の様子、何よりです。

私も今春会社生活から完全開放され、旅に、観劇に、美術館巡りに結構忙しく楽しんでおります。

6月半ばから3週間ほど、ニューヨーク、ブラジルのリオデジャネイロを駆け回ってきました。もうニューヨークではこれが最後と思って、メトロポリタンに時間をかけましたし、ブラジルではイグアスの滝をたっぷり楽しんできました。

帰国早々、余りの暑さと時差ぼけでパソコンの立ち上げに失敗して、メールアドレスを含むすべてのメモリーを消失してしまって、復旧に一苦労しました。ようやく最近回復しましたが、過去の記録をことごとく失いました。これも新たな人生をスタートさせる機会と考えております。

いただきました『早春賦』、懐かしく読ませてもらいました。最近時々京都に帰っておりますが、都ホテルに泊まるたびに、粟田周辺を散策して、おてるさんの旧宅、東君のクリーニングの店、藤江さんの時計屋、井上君の八百屋を覗いてみます。

先日も粟田口から青蓮院のなかをよこぎって、知恩院を抜けてみました。読ましてもらって、一層懐かしく思いました。

もう出てから四十五年になりますね。勉さんの自伝とは、おてるさんのメールで思い当たりました。私も続編を待っています。勉さんはお元気でしょうね。まだトロントですか。

昨年から時々我當君の舞台を観にいっていますが、秦さんも東京公演の時には必ず顔を見せているとの事、一度次回機会があれば、西村さんも交えてご一緒して、舞台の後食事でもしませんか。この次は10月の国立劇場だそうです。いかがでしょうか。皆さんにも是非お会いしたいと思います。

先ずは御礼まで。

それにしても今年の暑さは大変です。くれぐれもご自愛のほど。   千葉県

 

* 昭和石油の副社長ないし社長までやった團彦太郎君のメール。やっとこさ激務から解放されたらしい、このまえ東京會舘のロビーでぱたりと会った。おてるさんとは、日立製作所の重役からやはり引退した西村明男君。片岡我當丈も、それにこの「私語」によく登場して下さる藤江夫人の夫君藤江孝夫君も、みな市立弥栄中学、同期の同窓。藤江君は原子力の方で今なお会社のトップで頑張っているらしい。我當君もむろん。わたしは、はて現役というのかどうか、引退したわけではないが気分はゆったりしている。文藝春秋のグラビアの「同期生」で写真におさまった仲間である。

十月の国立劇場は「伊賀越道中双六」通しで、我當松嶋屋の家の藝である。むろんもう申し込んであり、まだ日も席も決まっていない。その気になれば調整して貰えるかもしれない。二度見ても構わない。

2004 8・7 35

 

 

* 今は明石に住む文字通りの旧友が、手紙と、同窓会の写真数種とともに、「飢え 私の昭和史」と題した原稿用紙四枚の手記を送ってきた。「サザンカ」「ツバキ」「ベコニア」「アジサイ」という順に四つの花に寄せながら書いている。簡潔な、人柄のあらわれた素樸な手書きの文章である。

2004 8・7 35

 

 

* 「幸福」、読んでみたいと思いますが。

(読んでくれるといいと、)そうお考えになったのは、私たち(二人の「小闇」)が、同じく今創作に取り組んでいる身であるからなのか、あるいは、夫の子を産まない女であるからなのか……。

前お話ししたテーマを置いて、今、別のものに取り組んでいます。書きたい内容が具体的なので、これは何とか終わらせたい。

うまく書こうと思ってはダメ……と。難しいけれどその通りだな、と。

そう思っていては何も書けないから。    バルセロナ

2004 8・8 35

 

 

* 活気と生彩。このごろわたしが一番願っていること。その声に聴こう。

 

* 北の九州。 こんにちは。今年は暑いですね。おかげでビールがおいしいです。

去年は冷夏と言われて、なんのことはない、九月に暑さが盛り返してきて。大学は八・九月と夏休みなのですが、去年の九月はサークルの用事でほとんど学校に通っていました。八月は暑いからオフにして、九月に活動しようと決めていたのに、みごと裏目に出ました。

今年の残暑はどんなものでしょうか。去年以上に九月は忙しいので、早く涼しくなってほしいものです。

そう、九月といえば、ゼミ旅行というものがあって、彼岸の前後に韓国へ行くことになりました。はじめての海外です。二泊三日で四万円かからないとか。福岡からは、新潟より韓国のほうが近いそうです。船に乗ったことがないので、酔わないよう気をつけます。

参議院選挙は、民主党に入れた甲斐がありました。ただ、あれだけ呼びかけていても、投票率は伸びないものですね。福岡は前回の衆院選から民主有利が続いていて、投票率も若干増えましたが、九州全体ではまだまだ自民党の力が強く、若者の腰も重いようです。

ひとつ足枷になったのは、住民票の所在だと思います。僕は福岡に移しているので問題ありませんが、住民票を地元に置いたまま福岡に住んでいる人は、帰省しないと投票できません。これを理由に投票しなかった知人が少なからずいました。住民票にこだわらず、住んでいる地域で投票できるようにすればいいと思うのですが・・・。

毎年、この季節は、北九州市の小倉(こくら)競馬場が盛り上がります。普段は東京や京都のレースを映像で見るだけですが、夏場はローカルの競馬場が使われています。八月から九月にかけて、函館・札幌、新潟、そして小倉でレースが行われます。

福岡市からは片道で優に二時間かかる遠出ですが、先日、ちょっとがんばって行ってきました。

やはり、目の前を競走馬が駆け抜けていく迫力は違います。最後の直線は時速60kmほども出るそうで、落馬して命を落とした騎手もいるぐらいです。僕の行った日は、総賞金で二億円を獲得した優駿が小倉に来ていて、ほとんど座れないほどの人出でした。ちなみにその二億円は、どうも調子が悪かったらしく、見せ場なく敗れてしまいました。

どんな名騎手でも、馬の気分には逆らえないもので、走る気をなくしたらもう勝ち目はないそうです。賭けたほうは走ってもらわなければ困りますけどね。父は「しょせん馬畜生の走ることよ」と悟ったようなことを言っていますが、懲りずに毎週馬券を買っています。

同じ福岡県でも、福岡市は佐賀県にほとんど隣接する西端、北九州市は関門海峡に面した東端。間に山が三つくらい挟まっています。

北九州市といえば、八幡製鉄所のあったところで(今はディズニーランドばりの巨大な遊園地になっています)、昭和のころは「北九州工業地帯」と名づけられたほどの工業都市でした。

政令指定都市でもあります。福岡県には百万都市が二つあるというので有名でした。今は人口が百万人を切っているらしく、若い人はどんどん福岡市に流れていると聞きます。競馬新聞の記者も最近小倉の街がさびれてきたなどとコラムに書くくらいです。

九州大学にも、北九州出身の人はたくさんいます。略して「キタキュウ」と呼んでいます。やや荒っぽい、しかしはっきりものを言う人が多いです。いわゆる博多弁をあまり使わず、むしろ大阪や広島の影響が強いようです。

この北九州市、実は戦後の昭和38年にできた街です。この地方には、もともと五つの市がありました。城下町の小倉、港町の門司、鉄の八幡、石炭の若松・戸畑です。この五市を合併して北九州市が生まれました。これら五市は、今でも区として名前を残しています。そういえば、林芙美子が門司の出身と聞いています。

本当は山口県下関市も合併の構想には組まれていて、さすがに県の違いから合併はかないませんでしたが、市民も行政もかなり強く望んでいたそうです。その甲斐あって、海峡をはさんだ交流はとても盛んで、両岸から花火を打ち上げる花火大会など、合同のイベントも多く催されています。

北九州の街は、福岡とはずいぶん違う印象を覚えました。福岡天神はいかにも九州の代表都心というたたずまいで、駅やビルの充実ぶりは全国有数だと思います。いっぽうの北九州は五市の寄せ集めだけあって(?) 商業地が広範囲に分散しています。

小倉北区が一番栄えていますが、小倉駅から突然モノレールが走っていたり、小倉城の真ん前にファッションビルが建っていたり、散漫というかごちゃごちゃというか、ちょっとおもしろい景観でした。

実際に行ってみてはじめてわかることですが、福岡市からは、佐賀市や唐津市に行くより、少しだけ時間がかかります。九州なのだけれど、少し九州から外れている街。なるほど、「九州の北」ではなく、「北の九州」なのだなと感じています。

「ラスト・プレゼント」、三話から見ています。三歳のとき、父方の祖父が膵臓癌で亡くなりました。見つかったときには手遅れで、父いわく「言語を絶する苦しみ」だったそうです。建日子さんは、どう描くでしょうか。ドラマの終わるころには、涼しくなってくるかな。

気象庁からは残暑が厳しく九月半ばから涼しくなると予想が出ています。が、どうも気象庁の打率が悪いですからね。残暑は長引く見込み、なんていきなり言い出しそうで心配です。

気象庁といえば、新潟の豪雨は全然予報されていなかったことで、驚きました。実家も親戚も被害はまったくありませんでしたが、被害のあった三条市など大きな街で、かなりの損失と思われます。各地の豪雨被害、行政は積極的に支援してほしいものです。

来週から少し帰省します。福岡に戻ったら、またメールします。

この暑さです、おからだお大切に。水分をたくさん摂るといいですよ。トイレが近くなるのですが、これは新陳代謝が活発になっているのだそうです。僕など年中何か飲んでばかりで、すぐトイレに行きます。全然太らないのはこのせいかもしれません。

そういうことで、迪子さんともども、お元気でいてください。

 

* 生彩に富んだこういうメールを青年からもらう嬉しさは、ちょっと言葉にならないほど。若い人達と一緒に生きているという励みはほんとに大きい。深い。

2004 8・8 35

 

 

* 団彦太郎君のメールが転載されていました。懐かしい限りです。50年を超える昔、花見小路の角にあった(今もある)「ノーエン」という軽食喫茶の店の二階に彼の住まいを訪ねたときのことや、「ひこさん・・・」と呼ぶ母上の声など、今も耳の奥に残って・・・。

藤江さんからの事実誤認のご指摘は汗顔のいたり・・・こちらではこういうのを Embarrassment といっています。「お恥ずかしい」といった意味におとりください。(井上君も末っ子ではありません) 秦兄は作品の中で ”人の記憶というのはあやしい、いや、大いにあやしい・・・” と言っています。実名で書く時の危険はその辺にもあります。書かれたご本人にとっては不愉快なことでしょう。孝夫兄とは入学の小1(矢守学級)から一緒で、5年(近藤学級)、6年(島田学級)まで同クラスで睦んだ忘れがたい旧友です。

例の問題は私の小学校時代を振り返るときに、避けては通れないデコボコ小道であり、キレイごとで済ましてしまってはウソになります。ところが弥栄中学時代になるとその Interaction は陰を潜めてしまいます。(下)を書き進めてもあまり出てきそうにありません。

こうした作品は実名で通すと、結果的に旧友のプライバシイに踏み込んで、心ならずもその人を傷つけてしまう恐れがあり、その辺の Maneuvering をどうするかですね。///   カナダ

 

* 「キレイごとで済ませてしまってはウソに」といわれてある点、悩ましい。済ませてしまわない、しっかり触れて行く側は、わがことと考えていないからそれが出来る。済ませるという表現は措くとしても、触れて欲しくない、まして「キレイごと」の逆の仕方でなんか吾が身の上に触れられたくない心情は、厳然とあるだろう。歴史的な斟酌や理解を欠いた、置き去りにしたままで、たとえば地域差別の実情などを性急にもちだすことは、やはり心ないあやまちを深めることになる。おそれるのでなく、わたしにはそれを「敢えてする」資格も気もないということである。「表現」の問題としてもよくよく気を配りたいし、当然の配慮だと思うのである。問題は少しも改善され解決されていないならなおさらである。むずかしい。

2004 8・8 35

 

 

* 本ありがとうございました。

秦先生へ  こんばんは、***です。 本を送っていただきながら感想が遅れてすみません。上下巻、読みました。非常に重い内容だったと思います。 本の感想は改めてお送りします。

実は本日、会社の後輩の女性が亡くなりました。

不治の病を一年余りわずらっていて、いったんは回復したのですが、体力が落ちていたためなのか、別の病気が原因で亡くなりました。それほど親しいわけではなかったのですが、体力抜群で、関西弁がにぎやかで楽しい人でした。

何より心に重く感じているのは、自分より若い人が先に逝ってしまったことです。それも30歳にも満たない年齢で。普通に暮らしていれば、こんな若い年で亡くなることはないのでしょうが、病気は恐ろしいと思いましたし、なんて過酷な運命だと思いました。

先生の本にも書いてありましたが、こういうときには、何故か、バッハを自分で弾きます。なんか、すっと心が安らぐ気分になります。

バッハの音楽はベートーヴェン以降のように、個人の感情をあらわにするということはないです。悲しみ、喜び、といった豊かな感情表現に満ちていますが、自己の感情が作品を覆いつくす事はありません。

これはバッハが教会のオルガン奏者などを務め、宗教的な信心が深かったからだと思っています。確かプロテスタントのM ルターだったと思いますが、

”音楽は神から与えられし、すばらしきもの”

という言葉が残っています。神を信じ、神から与えられたものとして音楽をとらえれば、きっと謙虚な音楽になると思います。

また、悲しい音楽であったとしても、神に祈りをささげ、神に救いを求めるようなものであれば、それは絶望的というより安らかな音楽になると思います。

バッハの音楽においては、自己の感情と宗教的な信心、そして作曲家としての理性のバランスが非常に取れています。そのため、弾いていても感情過多になることがないです。

また本の感想は後日お送りします。それでは、失礼します。

 

* 此処にも死なれて生きようという無垢の感性が。感じるものをたくさん感じ、「今・此処」を深く観照しながら歩いて行きましょう。

みんな、元気でいて欲しい。むろん、妻も、わたしも、子も孫も。

 

* 黒いマゴが明け方に元気いっぱいご帰宅、ご機嫌でノドをならして毛づくろいなど。目がさめてしまった。冷やしたお茶に梅酢を多めに垂らして呑み、空腹感はそのまま二階の機械の前へ来て、二つの佳いメールと出逢った。どうしてるかな、元気にしてるかなと想っていた男性二人、何とはなく安心。福岡から、千葉から、カナダから、札幌から、千葉からと、建日子のもふくめて男性たちのメールもしっかり胸に触れる。

 

* 団さんのメールを読みました。中学時代(三年生後半を除いて)が無欲太平で大好きだったので、懐かしい。 例の「早春譜」後半は是非読みたいです。てるおちゃんなんて、どんなになっているのかしら。 いろはにほへと

 

* 母子をたった一泊させただけなのに、大人を十泊させる程の体力が要り、疲れました、が、可愛いです。楽しいと声を挙げて笑う(大人顔まけの高笑い)し、「ちょうだい」というとニコニコと「アイ」と持っているものを渡してくれます。

食欲旺盛、順調な生長で助かります。

三食、洗濯、12キロになって、ダッコもタイヘン、下ろしてもタイヘンのテンテコマイで、預かるばあちゃんは、ここでけがをさせないようにと神経が細ります。この年の婆ちゃん業は、シンドイシゴトですワ。  古稀ちかく

 

* こんにちは! ご本(「冬祭り」上中下、「誘惑」)受け取りました。サインまで入れて頂きましてありがとうございます。また楽しみが増えてルンルンです。先ほど送金してきました。

連日35度の猛暑、ひたすら耐える毎日、早く涼しくなって欲しいものです。

我が家の主人も昭和十年生まれです。姉三人、兄一人の五人兄弟の末っ子。

すこぶるヘンな人ですが、わたしもイケズで口答えばかりするヘンなヨメと思っていることでしょう。

友達に言わせると、仲がよくて何の悩みもないように見えるそうです、アハハノハ

お身体お大切に。    従妹

 

*  風 心配してくださって、ありがとうございます。だいぶよくなりました。

たくさん眠りました。眠っても眠っても、まだ眠い。この眠気はどこから来るのでしょうか。

睡眠はこれくらいにして、ちょっとずつ体を動かしていきます。 花

 

* 今度はたてつづけに女性のメール。みな、若くない。

いとこ同士で、なんで今頃家族の紹介と想われるだろうが、つまり、それほど久しくも久しくお互いに遠いところにいたのである。  2004 8・9 35

 

 

* ゆうべは四時間と眠らなかったので、午後には少しく潰れるように眠っていた、二時間ほど。

 

* わたしは、眠れないということには縁がありませんで、とにかくよく寝ます。畳の部屋で横になると、ころっと眠ってしまいます。夜になると元気になるたちで、実家にいる頃は、母によくいやがられました。夜更かしするから、いつでも眠たいのだと思います。仕事中に寝るわけにはいきませんが、今は家にいますので、つい眠ってしまいます。眠れば眠るほど眠くなる気がします。あんまり寝過ぎは、いけませんね。

録画しておいた「クルーシブル」という映画を見ました。テレビ放映された映画を、久し振りに見た気がします。

関東にいたときは、午後に12チャンネルでやっている映画が楽しみでした。何が放送されるか確認して、見たい映画だったら録画予約をして会社へ行ったものです。深夜にもいろんな映画が毎日のように放送されていますよね。でも、こちら名古屋近郊では、まず午後の12チャンネル相当の映画がありません。深夜も、あまりやっていなくて、残念。

関東でのチャンネル番号がこちらでは何番に相当するのか、いまだによく理解できていません。そんなにテレビを見ているわけではないのですが、映画だけは見たいなあ。

食料品などを買いによく行く最寄りのショッピングセンターの、いちばん端っこにレンタルビデオ店があるのですが、歩いて行く気になりません、暑くて。それほどショッピングセンターは広いのです。食料を買ったら、一度車に戻って、車でレンタル店まで行くという方法もありますが、そこまで車に頼りたくないんです。でも、スーパーから出て来てレンタルビデオ店までの距離を見ると、げんなりして、結局そのまま帰宅してしまいます。

ああ、でも、いろんな映画を見たくなってきたので、そろそろレンタル店の会員にならなくちゃかな、と思っています。

たわいのないことを長く書いてしまいました。  風がお元気ですように。 花

 

* 本棚の残本から探し本を物色していたら、沢山の映画のパンフレットの中から「ニュー シネマ・・・」をみつけました。

イタリア文学者の弁によると、隠されたテーマが二つあるとか。

見過ごせないマフイア。共産主義者たちがドイツへ移民として出て行く場面があるが、これはマフイアが職を斡旋する土地柄であり、共産主義者、社会主義者には職を与えなかったからだ、と。

シチリア島は地理的に常に他民族の侵略を受け、その支配下で、又、統一以後はナポリ以北の人に、そしてマフイアからの暴力支配を受けている、それら総てを跳ね返す意味で、「島を離れろ」とアルフレードおじさんは、これだけは、映画からの借り物のせリフでなく自分の言葉でトトを諭し、現に高名な文化人たちは「島」を離れている、と。

この作品の脚本、監督は、33歳の時、驚きです。映画と同じくシチリア島出身。

最後のローマの試写室で、フイルムを受け取り「いい作品ですね」と映写する技師が、ヒッチコックがチラリと自分の映画に出るように、本人の出演だそうです。

今朝観た「私語」のなかに、「みんな元気」でいて欲しいの言葉がありましたが、その時に、あの映画を見ようと思いました。

「みんな元気」

同じこの監督が引き続いて脚本、監督した作品です。だから、まだ三十半ばでしょうか。

妻を亡くして一人身、結婚以来四十五年のシチリアに住む七十四歳の年金暮らしの老人役は、マルチェロ マストロヤンニ。

本土の、それぞれの都会に住む五人の男女子供達の家庭を尋ねる旅に出るが・・・、子供達は皆、父親の理想に合わせて、仮の幸福な生活を見せながら、現実にはいろんな問題を抱えた生活をしている。

死を眼前の老父の悲哀を、見事に描いています。

寡作なのかどうか、永らくブランクがあって、この次に日本で上映されたのが、あの「海の上のピアニスト」です。

 

* なんという「通」なんだろう、家庭の普通の主婦で、おばあちゃんで、もうすぐ七十になる人と聞いている。「さよなら」のオジサンの、アトが継げるんじゃないの。

 

* 今しがた、ニュースで、西東京市に刃物騒ぎのあったことを知りました。お近くでしょうか。心よりご平安をお祈りいたします。

日が昇る時刻が少しずつ遅くなってまいりました。暁闇は水底のよう、と詠じた句を見ましたが、ここ数日はまさに、そんな夜明けを迎えております。今朝は少し肌寒く、しばらく鼻をぐすぐすさせておりました。 三重県

2004 8・9 35

 

 

* 秦先生、おひさしぶりです。

ごめんなさい、「お父さん、繪を描いてください」下巻の代金をお送りしないまま、先に読み終えてしまいました。

なまなましいというか、人間ってこわい、というのか、うまくひとことで感想をまとめるのは難しいのですが、知り合ったころから眉間にしわのよった、気の強い、執着の強い、感情の起伏の激しい妻の描写や、悪い人ではないのだけれど、煮え切らなくて人に振り回され、状況に流され、過去の栄光に引きずられたままそれにのみこまれ、でも欲望にまかせてすることはする夫の姿が、実になまなましかったです。

ひとごとではない?(というと、心配されてしまいそうですが、とりあえず今はとても幸せです。あれ! 小説の二人も最初はそうだったか!)

上巻の払い込み票に、夏がおわらないうちに、ぜひ! と申し上げたのですが、なんとも配慮が足りませんでした。炎天下、ひっぱりまわすのはどうかと反省しております、が、どうしたものでしょうか。私のほうは、夏のあいだでもすずしくなってからも、いまのところ大丈夫ですので、何か、おすすめのうつくしいものなど、あったらおしえてください。   卒業生

 

* この感想、えもいわれず、この人の感じ方をそれらしく伝えている。声が聞こえ顔が見えるよう。率直で、繊細、感情豊かなこの卒業生に誘われるのは、とても楽しみ、いっしょに国立工藝館など佳いかな。

2004 8・9 35

 

 

* 薬が効いたのか、今は熱が下がっています。何だったのかな。知恵熱だったりして。

「ぼくの動物記」を読んでみます。

動物は好きです。NHKなどで放送される、動物に関するドキュメンタリーを見るのも。

先日、オーストラリアの自然を取材した番組をやっていました。おかしな踊りでディスプレイする雄の鳥はおもしろかったし、求愛してくるしつこい雄にパンチした雌ワラビーや、海に飛び込もうとしているところをアザラシに睨まれて慌てる子ペンギンたちは、とっても可愛かったです。

動物園へ行きたい。

風、校正がんばってください。 花

 

* 先生、どちらも捨てがたいですね。美術館には、めったに足を運ばないので、どちらもとても新鮮に感じると思います。

わたしも、うつくしく? しっかりとした足取りで、おばさんへの道をあゆんでいます。

次の土日(14、15)はまだ予定を入れておりません。必要であれば、金曜日に休暇を取得することも可能です。先生のご都合はいかがですか。

たべものも、今だに食べ盛りなので、何をいただいてもおいしいです。(牡蠣だけは苦手なのですが。)

もちろん、先生のすきなものは、なんでも好きだと思います。夏ですが、体重も増えています。笑。

先生は大丈夫ですか。どこか、よいところをご存知でしょうか。  卒業生

 

* 二年、三年生の教室にいて、今はIBM勤務の研究職、わたしの学生では事実上いちばん先輩格の数学専攻美人であった。東工大の女子学生は、記憶する限り独り残らず、みな、びっくりするほど優秀でしかも専攻の他にも銘々に自前の「文化」を所有していた。この人には詩性と文彩があり、一晩で七、八十枚ものおもしろいエッセイを書いてみせてくれることもあり、ラジオ劇を幻想的に構成演出し放送するようなことも出来た。この人と同じ教室にいた、先日ミュージカル劇で主役に抜擢された、見てくださいと言ってきた院卒生も、一方で大手の硝子企業で研究職を勤めながら、歌ってダンスして素人の域をとうに脱した演劇活動を現に楽しんでいる。

 

* 大学受験を控えた高校生の、むしろ優秀な生徒たちの中にである、例えば、あえて偏差値50程度のラクな大学に入学し、そこで「余裕」ある大学生活をしながら、周囲に流されず大きな志望へむかい独自の研鑽が出来ないものだろうか、などと夢を見るけれど、それは本当の「余裕」というものではないし、またよほどのど根性がないと、そんな甘い勘定で「研鑽」は出来ないものだ。

たとえば東工大のような優秀大学で、一日が三十時間ならいいのに、一週間が十日あればいいのにと真実嘆息するぐらい勉強の時間に追いまくられながら、なお、いつ知れず意志的につかみ取っている「文化」の「余裕」が、本当の余裕なのである。退いてつかむ「余裕」は、ほんとうの余裕とは言いにくい。踏み込んでかちとる「余裕」に、輝きがある。

わたしは、どちらかというと、病気を口実にあっさりと退いて「余裕」の大学生活を送った一人であるから、なにもえらそうなことは言えないけれど、同志社程度の大学で「余裕」を本当に生かすには、それこそ不退転の意志力が必要であったし、結果として世の中に出てのハンデは小さくなかったと今にして思う。同じ専攻の一年先輩で、あんなに活躍している筒井康隆にして、これと似た嘆息とウップンを吐いていたのを読んだことがあり、思わず苦笑した。あの大学では、仲間との切磋琢磨はなにも無かった、将来への暗い不安と懊悩とだけ。

もし切磋琢磨というなら、その不安や懊悩と自己切磋であり、自己琢磨であるしかなかった。

気の迷いに負けてしまわず、日々の重圧と闘うしかないなら、闘い抜いてゆくのが若い時期のライフスタイルというもの、俗なことでも卑しいことでもない。理屈をつけて退いてゆく弱さの方にかえってある種の卑俗さは、ある、といえるだろう。

 

* 秦さんとの美術館たのしいな、食べるのも大好きと言ってきている働き盛りの女性卒業生も、そんな中の一人であった。みな、今もめちゃくちゃに忙しい人達だ、逢えるときに逢うのがなによりの出逢いなのである。わたしは、私に逢いたいと言ってくる卒業生に、ノーと言ったことはない。まだワリカンにしたこともない。それが楽しいからだ。

2004 8・10 35

 

 

* ピザを食べました。スーパーで売っている、家のオーブンで温めればいいタイプのものです。

わたしはチーズが好きで、ピザやグラタンはもちろん、チーズ春巻、チーズはさみカツなど、チーズと名のつくものは、それだけで食べたくなってしまいます。特に、トロっととけているのが一番好きです。でも、ちょっと食べ過ぎると、花の顔(かんばせ)にブツブツができてしまいます。油っこい宅配ピザはとても危険なので、もうしばらく食べていません。がまんして、がまんして、ほどほどにあっさりしてそうなものを選んで、ときどき食べます。

というわけで、今日はピザを食べてしあわせ。

 

*  食いしン坊雀のつぶやき

青い薔薇が咲き、種無し枇杷がなる、日本。

でも、食糧自給率は、食べられるものをじゃんじゃん捨てていながら、たった40%ですのね。

水害見舞いに訪れた小泉首相も、住まいの惨害より、田畑の被害より、産業施設を心配して見にいらっしゃ

いましたわ。田畑がダメなら他産地のを、外国のを買えばいいと…? まるで、パンがなければケーキを食べればいいじゃないのと言った、マリー・アントワネットと同じですわね。  クイシンボ雀

 

* その通りだ。ほんとに、政治や行政のやっていることは、分かりにくい。

2004 8・10 35

 

 

* ごみと電気  作業員4人がやけどを負い、消防士2人が殉職したRDF発電所の爆発事故から、1年。朝刊の三重県版で「それぞれの日々」と題した連載が始まりましたが、その第一回の日の一面記事は、「美浜原発で4人死亡」。

RDF専門家ではなかった、企業。補助金申請の締め切りのために見切り発車した、県。RDFパイオニアと輝いていた北川三重県知事は、先駆ではなく、逃げ馬で。情報隠蔽の苦渋の、報告書。ゴミ処理に頭を抱える自治体と「止めれば一億円の損」という関電とは、一つアナのムジナ。

毎日ゴミを出し、電気を使う側が他人事(ひとごと)でいるのも、同じ…かな…。雀、反省。

 

* 暗い朝  昨夜はムシムシのせいだか、ナンのせいだか、眠りが浅く、最近になく爽やかな目覚めではないので、オハヨ! とあいさつし難い今朝です。瞼のあたりがまだ物憂い。コーヒーで眼を覚ますッか。元気出してっと。

テレビドラマ好きの孫の母親に聴くところ、日本テレビのあの時間は癒し、ホノボノ系ドラマの放映と決まっているそうです。彼女も時間を作って、観ていますよ。

ゲック(月曜、九時、週の始まり、若者も早目の帰宅をする)は恋愛物と周知のように。観ているようです。

今朝の新聞、テレビ投書欄には、ほめ言葉の「ラストプレゼント」がありましたよ。

偶然に二つの小説が届いたから比べる状態になったのかと思いますが。まだ、しっかりと読んではいませんが、ざっと通読した段階で、内容に関しての私の好みは「復活祭」です。以前の同じ作者のドイツもの (「e-文庫・湖(umi)」小説)を、非常に楽しく読めたのを、思い出します。

体育館へ行ってきます。  気の若い祖母

 

* 久しぶりにお題をいただき、短歌の時よりも、小説の方が得意なためか?、嬉々としてとりかかりました。

先生のお望みどおり? 読者として、他の文学作品を前にしたときと同じに、率直に(ちょっと容赦ないかも)感想を述べます。

「復活祭」、「幸福」、ともに(「e-文庫・湖(umi)」小説)涙ポロポロ泣かされました。

ぐっときたのは、「復活祭」では、妻に呼ばれた子供の名前が「りさ子」だったあたり、「幸福」では母に子供のことをうちあけ、前日に生むことを反対していた母が、翌日は、それもあなたにとっては幸せかも、といっていたあたり。

男と、母と、の心情に反応したのだと思います。(どちらも未経験ではありますが。笑。)

「復活祭」では、りさ子が病気になって、恋人にその事と自分の想いを手紙でうちあけるあたりからは、とくに、ぐんぐん引き込まれて文体はまったく気にならなくなりましたが、特に最初の方、過去の回想に入る前までが、よみづらかったです。作文の課題を連想してしまい、先生のお題でなければ、素敵な後半にたどり着く前に、このあたりで読むのをやめてしまったと思います。

途中の心情の描写が、とても好きでした。

いかにも、幸せな大好きなお姉さんの気持ちに呼応するかのような、夢心地な感じの以下の表現:

「三人は夜の街を深々と流れるアーレ河の橋を歩いて渡り、夜の闇を素地に点々と明るい繪柄のようにぽつぽっと浮かぶ幾つものショーウィンドウを眺め眺めゆっくり歩きました。現実のものでないどこかしら幻想の世界を、ただ酔うたように漂うていた」

「コンサート会場のベランダからは、ベルンの街の夜景が洒落た胸飾りかのように一望できました。闇の遠くにアルプスの山々を窺うことこそできませんでしたが、高い峰からはひんやりした夜気が胸深くにまで流れ込んできました。見下ろす街の灯は天然の楽音、華奢な星座のように瞬きつづけ、美しさにぞくぞくする総身を私は姉の腕にとり縋って堪えました。」

幸せの絶頂の中、ところどころ、その後の暗転を暗示するようなところ、「私は頭上から鋭い一撃をふりおろされたようでした」といった表現が、とても印象に残っています。

「幸福」の方は、とても読みやすかったです。気持ちがそれることなく、一気に読み終えました。

気になったのは、それぞれの登場人物について、描写がものたらなく感じました。どういう関係で、どういう人で、という部分を、行動や発言とか、反応などを通して、もっと知りたかったです。そして、その人たちのからむ結果、何が浮き出てくるのか、という部分です。

「幾度ものぼりつめた極みで身を顫わせた甘い痺れが足下からかけ上がり、わたしはきりきり痛む胸を掌で押さえて眼を瞑った。逢わない時間にどれほど悲しい思いをしていても、逢って感じ合う躰はほんとうだった。」という部分にも、場面的にクライマックスであるゆえに、すこし安易な印象を持ちました。

追伸 「幸福」についてですが、

見知らぬ人に、自分の知らない普段の姿を写真にとられ、それを大事にもっているくだり。Kシステムの女性が登場すること、その人の雰囲気とそれにコンプレックスを抱くあたり。最後の、住田からの電話での、ふたりのやりとり。お母さんが、大変娘の帰宅をよろこんでいるあたりの描写、みな気に入っています。やるなーという感じ。

すくなくとも住田に「私」の存在はうけとめられていたというのか、住田のやさしさを感じました。住田にとって「私」はどれほどの大きさの存在だったのだろう、とか、すぐにはわからなかったけど、あとから、考えさせられました。

以上、とりいそぎで、多少雑なメールになってしまいました。お許しください。  卒業生

 

* むかし、市川の大町という梨畑の中の診療所にいたことがあります。そこの知り合いから、今年も梨が実ったと、みんな元気でやってると、一箱送ってくれました。それで秦さんにもと思い手配を致しました。ご笑納ください。暑いですね。お大事に。 千葉

 

* おはようございます、今しがた梨を賜りました。家内と早速一つ、分けて頂戴しました。甘露十二分、あまく爽やかな口すずしさに、笑みこぼれました。お心入れ、感謝申し上げます。

相変わらずの熱暑にも、かすかなさしひきが感じられ、バテてうとうとしたり、起きて熱心に仕事したり、たまには街へ出ます。もとの学生が誘ってくれますと、いい機会になります。結局美術館が涼しくて好い気分ですが、あまり大きい館はくたびれます。あそこへ行けばあれが有る、見られる、と分かっているこぢんまりした佳い美術館がいいですね。ブリジストン美術館など、品質の高い常設があり、好きな方です。骨董・古美術の館は若い人とはムキません。

本を読んでいまして、私の好きだった 鰻 天麩羅 鮨 というのはつい口をついて出る御三家でしたが、京男としては妙な成り行きで、この三つの食べ物は、文化文政ころに大人気の江戸っ子歓迎メニューだったそうで。東京にこう長くいついた隠れ動機であったるかと、呵々。

またお目にかかりましょう、遠からず。

「ペン電子文藝館」や「e-文庫・湖(umi)」、ご退屈の折、覗いて下さいまし。 お元気で。 秦恒平

 

* では、めったにない貴重な時間は、人だかりのしないところで、ぜひに、ということで金曜日を希望します。ついでに13日の、スペシャル・ディということで。

見たいものは、では、疲れと消化不良を避けて、コンパクトな方を希望します。コンパクトでも、十分時間がかかってしまうかもしれません。笑。

広やかな方も、捨てがたいのではありますが。

14時ごろ、Goodです。待ち合わせ場所は、お店などの座れるところがよいでしょうか。それとも駅などわかりやすいところがよいでしょうか?

追伸、

先生、私は研究職ではなく、エンジニア(Systems Engineer)なんですよ。とっても泥臭いしごとです。

あと、優秀かどうかはかなり? です。数学は、詩的で情緒的な(ぷぷっ)私にはとっつきにくく、”すばらしいものなんだ”と自分に思い込ませて勉強しようとかなり努力しましたが、ぜんぜん手につきませんでした。しかし、授業にろくに出なくても卒業しているあたりは、ある意味優秀かもしれません。どうだ!

 

* 「ぼくの動物記」を読んでいました。自分の子供のときにした遊びやいたずらを、いろいろと思い出しながら。

誰の所有かわからないまぐさ畑でごろごろ転げまわって薙ぎ倒し、通りかかったおばさんに怒られたり、通学路の竹薮に入って引っこ抜いた筍を剥き切ってしまったり(もったいない)、糸を出しつづける毒蜘蛛を枝に引っかけながら歩いたり。用水路では、かならずタニシやざりがにを捕まえました。ざりがにをバリバリ手で千切る友人がいました。子供って残酷ですね。

「ぼくの動物記」の主人公は、意識して無邪気な日々と決別している感じがしますが、わたしにはそういう意識はありませんでした。

それと、気づいたことが二つ。

13P 上から5行目 「振るまわし」は「振りまわし」ではないかと思いました。

15P 上から11,12行目 「あざやかに夏を咲いていた」 こういう言い回しもあるのですか。 花

 

* あとの言い回しは、これは優にあり得る。前のも原作のママの、現地訛り。こういう愛読者からの指摘は、しかし、有り難い。確かめてみることが出来る。

2004 8・11 35

 

 

* 秦先生。暑い日が続きますが、お元気でお過ごしでしょうか。

ようやく結婚式の場所と日取りが決定いたしました。

大変あつかましいお願いかとは存じますが、もし、お時間に余裕がございましたら、是非ご出席いただきたいと存じます。

結婚式は、彼女と私の意向により、神前でも仏前でもなく、人前での式となります。会ったこともない神や仏の前ではなく、心から信頼する方々の前にて誓いの言葉を述べたいと考えておりますので、可能であれば、披露宴の前の結婚式からご出席いただければ幸いです。

なお、先日、近くに用事があり、自転車で東大泉の自宅から保谷駅の先までいったのですが、先生のご自宅付近まで、15分くらいでした。思ったよりも近いのにビックリしました。今度先生にお暇な時間がございましたら、ご挨拶にお伺いしたいと思っています。

立秋を過ぎたとは言え、まだまだ夏本番と言った今日この頃、寝苦しい夜が続きますが、お身体ご自愛下さい。

p.s.

息子さん(秦建日子)脚本のドラマ、楽しくというか、毎回涙しながら見ています。昔、先生にチケットをいただいて観に行った劇の主演をしていたと記憶している築山さんが、出ているというテロップが最後に流れているのですが、どうにもどの方だったか思い出せません。顔を見れば思い出すかもと思いながら見ているのですが、目に涙を浮かべ、タオル片手に見ているせいか、何故か分かりません。まぁ、あれから九年くらい経っているので、思い出せないのも仕方ないかと諦めております。

ドラマ、今後とも見せていただきます。  卒業生

 

* 生きているだから逃げては卑怯とぞ( )( )を追わぬも卑怯のひとつ  大島史洋

この漢字二字の虫食いに、原作どおり書き入れた数少ない中の一人、とても心地よいコメントを添えて答えたのがこの人だった。印象深かった。決断と敢為、合気道国内チャンピオン、院卒後の軌跡もみごと意欲的に自己開発し行動し成功させている。教室以来、優に十年。おめでとう。お祝いに参ります。もう関口君、林君、丸山君、米津さん、上尾君ら、指折り数えて六人目の結婚式、披露宴。

 

* 先生、出会うことが肝心、わたしは携帯電話を持っているので、念のため、お知らせしておきます。出会えなかったときは、お手数ですが、先生の方からご連絡お願いします。私はかなり、方向音痴です。

おお、場所が近くて、ナイスです。

小さいころから、何度か絵を見につれていってもらっても、ぜんぜん反応しませんでした。昨年かおととし、彼と一回だけいった美術館でピカソを見て、ああ、これ好き! というのがいくつかあったので、そろそろ、絵に目覚めないかしらん、とちょっと期待しています。以前、先生に(五島美術館に)つれていっていただいたのをきっかけに、焼き物、陶器とか磁器といった小物たちが、とても表情豊かに見えるようになった気がするので・・・。

先生は、古美術、骨董の掘り出し物をみつけてみたいのではないですか? 私も、もしかしたら、物のほうがなじみ深く、楽しいかもしれません。ああ、これ使ってみたいとか、これ飾ってみたいとか、ぬすんで帰りたいとか。先生が目を光らせて掘り出し物を探すのについていくのは、とても楽しそうです。

とにもかくにも、殺伐としたお仕事の世界を脱出して、美しいものに会いたいです。とりあえず、お会いして、行き先もしくは行く順番を相談しましょう! どちらの展示も、20時までのようですので、あわてなくてもよさそうです。

待ち合わせは、以下のお店の中から決めておいて、メールでご連絡いただくのもよいですし、携帯に連絡いただくか、伝言を残してくだされば、そちらに向かいます。

メールは、明日も見ます。

 

* まさしく夏休み気分でのんびりしている。眠気が来ればごろりと寝ている。

 

* 身にしみる美味でした、さすが金澤の打菓子、目をほそめて歎声とともに堪能しました。糖尿も何のその。うまいものはうまいですねえ。お礼、大々的に申し遅れました。ごめんなさい。雑誌も拝見しました。

このところの体調はいかがですか、なにより怪我を重ねることなくいろいろ頑張って下 さい。

「ペン電子文藝館」にこういう人のこういう作品はどうかなどと教えて下さい。だいぶ充実して、よく読まれています。金澤近在からもペンクラブに何人も入ってもらいました。

お大事に。ありがとう御座いました。  West-Tokyo Hoya e-OLD

 

* 秦先生 びっくりしました。メールいただき、ああそうか、こういう形でのお付き合いも可能なんだなーと、改めて現代の利器に驚き、雲の上の存在だった先生が身近に感じられて嬉しく、時々はお邪魔させていただきます。

干菓子を喜んでいただき恐縮していますが、ご病気には確かに良くないですから、今度は酒の肴にします。お酒も控えていらっしゃるのでしょうか? こう暑いと喉を潤さずにはいられません。程々に嗜んで、酷暑を乗り切りたいものです。

先生のホームページは「お気に入り」に登録してありますので、いつでも見られるのですが、膨大な量なのでつい後回しにしてしまいます。ごめんなさい、今後はもう少し真面目にクリックします。

色々思うことが多過ぎて、整理しながら少しずつ書いていますが、遅々たる歩みで、先生のエナジーが羨ましく、少し元気を分けていただきたいくらいです。 では、奥様にもよろしくお伝え下さいませ。  金沢市

 

* 栃木の葡萄をたくさん頂いた。びっしりの一房をまるまる食事代わりのようにそれだけ賞味させて頂いて何食分もある。巨峰の大きなのをたっぷり頂戴し終えたら、相次いで今度は小粒のが密生した豊かな房。果物はほんとうにうまい。甘い。気が、すずしくなる。

2004 8・12 35

 

 

* あすは一年に何度とない十三日の金曜日。それならスペシャルデイにしましょうよと卒業生が誘ってくれた。美しいモノに出逢って、うまいものを食って、いい酒をのみたい、暑気払いに。

 

* 図書館に行きました。勉強している若い人が多かったです。

おもしろそうな本を見ていると、時間の経つのが早くてびっくりしてしまいます。

昨日の「ラストプレゼント」はよかったですね。泣かされました。わざとらしい俳優の出ていないのもいいです。次回が楽しみです。

早くすずしくなるといいですね。 花

 

* 有難うございます。

先生にメールを書くとき、いつも自分の語彙・表現力の少なさを感じてしまいます。

先生からのメールになんと書いてよいやら、とにかく、嬉しいです。

なお、私の下の歌への回答は、「幸福」ではなく、「自分」と入れたのを覚えています。私にとって一番印象に残っている歌です。たぶん今でも理想の「自分」を追っている面はあると思います。

あれから十年余、変わったようで、人間の本質は変わらないものなのでしょう。そして、良し悪しは別にして、これからも理想の自分像を追う気質は変わらないのかもしれません。

生きているだから逃げては卑怯とぞ( ) ( )を追わぬも卑怯のひとつ  大島史洋

結婚を控え、理想の自分像を少々見失いかけている今日このごろのような気もしています。きっと、結婚をし、家族ができると、理想の「自分」を追うのではなく、理想の家庭=「幸福」を追うということなのかもしれませんね。

大学生の私には、まだ実感としては分からなかった「幸福」という回答だったのかもしれません。

現在、招待状を作成中ですので、完成しましたらお届けにあがります。よろしくお願いします。

 

* ああそうであったか、それもまたこの人らしいなあ。そして、こういうことは、一つの課題として言える。「自分」とは、やはり、何なのだろうかと。「自分」を軸にして眺めたり触れたり関わったりする外の世界。そんな世界は無いんだよ、夢に過ぎないと突きつけられたときの「自分」は、どれほど確かなものなのか、どうか。

2004 8・12 35

 

 

* 化政期の文化を読みながら有楽町へ。

東京古美術EXPO2004。

東京国際フォーラム広い地下会場いっぱいに百に余るほどの古美術・骨董の店が展示。あまりに多彩でみんな見切れない。値段が総じてむやみと高価。しかし大いにわたしには楽しい見物だが、一緒の卒業生にはすこし可哀想かなあと、できるだけ一つ一つを等方向の視線で観て感想を分かち合うようにした。なにしろ、見た目は高級の夜店なみに見えても、値札は碗一枚に三千万円もの価格がついていたりする。二、三百万円ならざらにごろごろ出品されているのだから、丁寧に観て行くと眼の法楽。むろんかなりの雑器も出ているけれど、それらは直ぐ見分けがついて立ち止まらせる力は無い。陶磁器、調度、漆工藝、金工藝、木竹工藝、硝子工藝、装身具、照明具、家具、刀剣、絵画、版画、書から盆栽や絨毯や、茶道具は山ほども。

掘り出すも何もない、値段的には佳い物はまるで手が出ないし、手の出そうな値段では買う気もしない。それで、何の欲も得もなしに楽しんでみて行けたのだから、ま、言うことはないのだつた。京都から昭和初期の版画等を出展していた伊藤隆信さん家族とも挨拶して、およそ三分の二も観たかどうかで、会場内の広やかに天井の高い高い休憩場で、二人でビールを呑み、この前逢ったのはいつだっけなどと、のーんびり楽しく話し込んだ。

もう七年八年にもなるだろうか、銀座の和食「金扇」で食べ、さらに好きだったビヤホール「ピルゼン」で呑んだ気がする。気が置けない、文字通り生彩に富んでぐずつかないし、よく笑うしよく話してくれる。酒も飲める。仕事の話も恋人の話も家庭のことも、話がなにも停滞しないので、とても気が明るい。屈託は有るだろうが、屈託までが普通のことのように伝わる。爽やかな瀬を水がはしるように話題がひらけて行く。十三日の金曜日もへちまもまるで無い。

 

* ブリジストン美術館も、今日は時間延長なので、行きたいです、ではと、タクシーで直ぐついてしまう京橋のブリジストン美術館へ行った。

ここはもう西洋美術ほぼ初めてという出逢いの人には最良の企画。マネ、モネ、ルノワールから20世紀へ「巨匠たちのまなざし」展。馴染みのわたしには常設と大差ないのだが、IBMの女性エンジニアには、予期したとおり、それ以上に楽しんで貰えた。レンブラントやアングルの時代では、どうしても絵画の背後に神話や信仰や伝承がからんでそれは初心の視線を妨げがちになるが、コローやミレーへくるとそういう拘束がゆるく、ないし失せてくる。印象派へ入って行くと、繪はわかりよく見やすくなる。そんななかで、このお連れはルノワールやモネには関心をほとんど示さなかった。ゴッホやセザンヌに目が向き、マティス、ピカソことにジョルジュ・ルオーにいちばん強い共感と賛嘆の眼を注いでいた。そういう感受性であることに、わたしは、ああ連れてきてよかったと嬉しかった。アンリ・ルソー、デュフィー、ジャコメッティー、ザッキン、関根正二、中村彝(ツネ)、のような画家や彫刻家に立ち止まる。館が客寄せにパンフに写真を大きく出しているどの繪にも、わたしの連れはたいした関心をついに示さなかった。これは、初心の人と美術館に何度も来たなかで、特異な体験だ。まぎれもない美術への鋭角の個性が感じられ、そして当人は何よりもこの美術館へ来てよかったと展示全体に心から満足していることも、そばにいてよく看て取れた。とても気分よく、甲斐があった。

もともと、学生のころ、数人づれで五島美術館に連れて行ったときも、この人は、衛視がもう時間ですと再三言うのも聞こえないように、気に入った物に見入っていたのをよく覚えていたし、あのただ一度の体験で、以降やきものなどへ目をむけるようになりましたと、「出逢い」を喜んでいた人だ。

先生といっしょに、また「うつくしいものがみたい」というのが、今回のデート希望の主眼であった。美しい佳いものを実に半日かけて山のように観た。多すぎて消化不良になってはいないかと、むしろわたしはそれを心配するのである。

 

* ブリジストン美術館からそのまま銀座へ歩いて、あっさりもいいけれど、今日は「こってりも好きです」というので、一丁目のフランス料理「シェ・モア」に入って晩飯にした。この店はグルメの西村京太郎が一押しだったわたしも繰り返し顔なじみの名店、すばらしい岩牡蠣の特別セールもしていたので、それも加えて貰って(連れの彼女は牡蠣だけはダメというので、わたしだけ。)、まず、シェリー、それと佳い赤ワインで「こってり」と美味いコース料理をなんと九時半までかけて食べかつ話した。今日はもうその気で出て来ていたので、「シェ・モア」を出ると散歩がてら日比谷へ歩いて、「クラブ」に入り、レミ・マルタンをブランデー・グラスで静かに呼吸するように一二杯。もう十時半ちかくになっていたので長居せず、有楽町駅に送り届けて、わたしは都合よく地下鉄直行、保谷まで帰った。車中、ずうっと蕃社の獄など、江戸洋学の受難のながれに読みふけっていた。あやうく午前様にはならなかった。

2004 8・13 35

 

 

* 夾竹桃が咲き、百日紅が咲き、飛行機の白い機体が、青い空を滑るように過ぎてゆきます。

暑さが続いているお江戸ですが、お変わりなくお過ごしでしょうか。

島ヶ原の正月堂と、うの宮神社へ、そして、木津川に沿って、燈明寺・御霊神社、笠置寺、海住山寺、恭仁宮跡と旅してまいりました。

赤目の滝を岩に置き換えたような笠置山には息を呑みます。

島ヶ原が佳かったですわ。お寺の奥様、宮司さまもよくしてくださいましたの。

空気がからりと変わりました。どうか日々ご自愛のほど。 雀は元気です。

 

* ぱあっとまた目先がべつの景色で映え晴れる。笠置山……、なんと懐かしい。

2004 8・13 35

 

 

* 開会式をご覧になったのですか。それでは、まだお休みかしらん。わたしは今朝の再放送で、たくさんの聴いたことのない国の選手が入場してくるのを、地図片手に見てました。

お盆といいましても、特に何もありません。夏休みはもう少し先です。

さっき、ちょっと昼寝をしてしまいました。夜になると元気になるのですが、いけないと思って床に就きます。そうするとちゃんと眠れて、朝は起きるのがつらい。そして、午前中にうつらうつらしてしまいます。悪循環に陥りそう。

オリンピック期間中、自己管理お願いしますよ、風。

 

* 五輪会期中は覚悟を決めてしまい夜と昼を顛倒させてしまうか、それもわたしの場合は不可能ではない、その気になれば済む。自由業というほどの業もしていないし、気楽なのだ、ただ外へは出られない。次の火曜日は楽しみの納涼歌舞伎。勘九郎のお岩をすぐ目の前に震えてこようと楽しみにしている。そのあとは、月内に何の予定も作っていない。

 

* 鳥は木によるさかなはかかり、人は情けの蔭による――中日新聞の連載小説が、幸田露伴「幻談」になりました。雀は、小三治さんの落語を連想しております。

文枝さんを聴きにまいりましたら、前に「青菜」が出まして、マクラに柳蔭の説明がありましたので、本みりんと麦焼酎を合わせ、氷を入れてみました。いけまンな。

お墓参りにお出掛けかしらと思いつつ、メールいたしました。五山送り火の日、雀なりの心のお墓参りをしに京にまいります。お目文字叶えば嬉しうございます。とはいえ、お逢いしたら、きっと倒れちゃうわ。

 

* 倒れてもらっては困るし、お盆は、家で父や母や叔母の位牌に声をかけ、冥土の近況などを問うにとどめる。

 

* ときどき次のような「難解」そうなメールが舞い込む。悪文の見本のような物だが、なにかしらかすかに言いたそうな声と言葉も聞こえている。酒に酔ってろれつが廻らないのかも知れないが。べたヅメのメールに改行という判断を加えてみた。すこし何かが見えそうな。

 

* 拝啓 バタバタしてる間にもうお盆です。僕の30代は、20代の遅れを取り返すべくまさにバタバタ。滑稽な程余裕すらなく、人より途方に(途方もなく?)遅れていた有様でした。

人は自分自身が判明せぬように頑張りたいと思っている。しかしながらそう強い人はごく僅かで、「止まったな。」と思うとき、誰かに告白して、垂れ流す如き泣き言を言いたくなる。また我慢して進む。しかしながらいつかそれも止まる時が来る。「精神の死。」そんな顔は見たくないものである。それが自身でなく友人の顔であっても。「俺のとこにも死神が来たか。」と思いたくなる。

彼は短い時間で描いたスケッチに告白とともに自分のすべてを描いた。ただガツガツした30代。休息もあまりなかった。帳尻があるとしたらまだまだである。

40代をいかにして生きるべきか。自身の肖像を自身で描くために。そろそろ「私」として生きてゆこう。

「見出す」仕事。誰でも出来ることでない。継続されたキャリアが今にあってこそ。

威風堂々とした肖像画今しばらくその宝物は閉まっておくべきだと思っております。  都内の道具屋主人

2004 8・14 35

 

 

* 終戦記念日は、

今年で59年。

来年は60年。

玉音放送を聴いたのは、八歳の折の微かな記憶だったけれど、それが全面降伏の敗戦だと知らされた事は、しかと記憶にあります。

集団疎開の場合は生徒達を集めて聴かせたようですが、あの縁故疎開地で、児童が個人的に玉音放送を聴いた経験は、おっしゃるとおり、貴重だと思います。

毎年、この頃には、あのつらかった、もっとつらかった父母たちの戦中戦後の生活を思い浮かべて、戦争のない世界を望んで止みません。

魂鎮めのお盆がその翌日、これはせめてもの慰めというものでしょうか。  京都市立弥栄中学の友人

2004 8・14 35

 

 

* 終戦の日ですが  こんなニュースを聞くと、ほんとうに59年前に戦争は終わったのか、あやしくなってきます。

沖縄の大学に墜落した米軍ヘリコプターは、幸い一人の死者も出さずに済みましたが、前回の墜落(昭和34年沖縄県石川市立宮森小学校、死者17名、負傷者121名)と同様な惨事になっても何の不思議もないものでした。

「普天間基地から飛び立った米海兵隊大型輸送ヘリコプターCH53Dが沖縄国際大学に落っこちた」というのは、遠い土地のことで想像が及ばないかも知れませんが、これはつまり、「羽田飛行場から飛び立った軍用ヘリコプターがディズニーランドに落っこちた」ということです。たまたまディズニーランドが休園日だったから、大惨事にならずに済んだだけです。

私にはこのニュースの重みが、なぜ「ナベツネ辞任」より軽かったのか、理解できません。

もっと大きな問題は、はっきりした根拠がないまま米軍によって事故現場が封鎖され、沖縄県警や消防、さらには大学学長でさえ、事故現場に立ち入れないという異常な事態です。これは、占領ですが、地元が何をいっても、外務省、防衛施設庁は知らぬふり。

私は米軍もさることながら、何もしようとしない、日本政府とマスコミに不信と怒りを覚えます。

青森空港ではついに民間航空機へ自衛隊員が戦闘服のまま乗り込んでいます。その自衛隊員も、旭川や千歳に戻った後は、米軍と同様、劣化ウラン弾による被爆後遺症に苦しむことになります。

イラクでの民間人に対する「自己責任」発言。

日本国政府は、自衛隊員であれ民間人であれ、決して守ってはくれないのだということを、再確認した終戦の日でした。  maokat

 

* 日本のマスコミは、この人の言うように、ディズニーランドに落っこちない限り、たいしたことではないという報道の姿勢なのだ、マスコミがこれだもの、政府は苦いひと言を公式に米軍に伝える誠意もない。国と国民とをまさしく「我私」している政治の姿勢なのだ、それでいて戦没者の前でウソくさい空涙のフリをしている。天皇は二度と戦争による惨禍の内容にとお言葉を読み上げていた。イラクでなら構わない、沖縄でなら構わないという意味ではないでしょう、ことの重みを正しく測れる判断力がマスコミに欠けていて、政府や政治の無能は救われる。誰なんだ国民の生命と安全を安易な政治に売り渡しているのは。

2004 8・15 35

 

 

* (卓球の)愛チャン勝ったのですね。試合のはじめのところでずいぶん(2セット)リードされていたので、見るのをやめてしまいました。

柔道は、テレビの前で拍手、拍手でした。準決勝でベテラン選手相手に諦めなかった横澤さん、素晴らしい。

試合の勝ち負けより、力いっぱいたたかっている選手たちの清い姿に魅力があります。いい選手のいい試合を見たあとは、気分よく眠れますね。

風は、夜中の男子サッカーをご覧になってしまったのでしょうか。あれをご覧になっていたら、気分よく眠れなかったのではないかと心配しています。

 

* サッカーのイタリア勢、巧いこと、速いこと、的確なこと、それを賛嘆して観戦。あのイタリア相手ではあれで十分に善戦。ペナルティーキックを見事一発ゴールに突き刺して見せた日本に、スカッとした。

北島選手の水泳百平泳ぎの金メダルには興奮した。よく勝った。そして何といっても横沢の勝って取った女子柔道銀メダルの輝きはすばらしかった。強豪サボン相手のあの大逆転の一本勝ちは、まるで夢。ああいうことがある。昔のサッカー、ドーハの悲劇のあの逆さまであった。内柴の柔道オール一本勝ちにも拍手を惜しまない。

2004 8・16 35

 

 

* 今夜は大文字。瞼のうらの夜空に炎の大字が燃えてくる。

 

* メールを戴いた頃、わたしはぐっすり眠っていました、疲れていました。オリンピックがあっても・・何があっても、毎日ほぼ同じペースでわたしは暮しています。サッカーの予選敗退が残念、体操男子は頑張っていますね。柔道や水泳の北島の活躍など。

このメールの前に書いた「日記」? をそのままコピーします・・ちょっとおさぼり?

8,16朝 ずっと器械に向かわなかった。誰かがいる空間の中で器械を開くのはあまりに落ち着かないから、いっそ何の作業もしなかった。

よく料理し、みなよく食べてお盆休みは終わった。帰国ラッシュも帰省ラッシュもあまり関係なく・・娘たちは乗った新幹線に最初から座席を確保できて、大都会へ戻っていった。指定席を買わないと落ち着かなくて嫌だとNはいつも言っていたが、「ママの、行き当たりばったりでいつも順調、というのも少し見直してあげる」という感想?!

お盆本来の意味、ご先祖様のこの世に戻ってこられる云々が、子供たちの頭にはとんと抜けている状況、この家にはそういうものがなにもない状況が、いいのか、悪いのか・・大いに欠落している面だ。仏壇を飾り、茄子や胡瓜で牛、馬を作り・・あれは本当に懐かしい。そして今夜は大文字の夜、魂送りの夜。

>> 資質あふれ、熱い炎のように、真摯。洗練? 美? それが「詩」ではない。噴出するメタファ。闇に対峙する炎。憎しみに等しい愛。後悔に等しい希望。悟りにひとしい情念。

感想をもらったのは送って一日も経たない時であった。 感謝。

ただし少なくとも、言える。わたしは憎しみはもたない、情念は溢れるが悟りはもたない、と。

この批評の、殊に第一に関して、さて例えば「あなた」という呼称だけでも間違いなく読んで理解してもらえるだろうか。このあなたは自在な使い方で、あなたの対象は一人ではないし、それは物に対してさえ、自分自身に対してさえ使われている「あなた」であるから。敢えて注釈も説明もつけないのは言い訳のように響くからで、だが記した方がよかったのかもしれない。

2,3に関しては改めて今朝読み直して欠点も多く見つかる、言葉自体、行の使い方、構成そのもの・・煩わして済まないと思う。

「鳶」があっと言う間に「使われ」始めた・・。これには参る。個人的に使われている場合には、幼い頃、父がわたしを呼ぶ声のようで近しいのに、それはあくまでも内側に向けての呼びかけで、知らない人の目に触れる文字ではないから。知ったら姉などは大笑いするだろうな、「おーい、トンビ! トンビの歌はピー・ひょろろ、じゃん。」と。

鳩の歌のほうがいい? チェロの名曲にある・・。

暫く一人を紡ぐ時間が欲しいと今日は思っています。図書館から借りてきた本を思いっきり読みたいけれど・・!

鳶のうた以前の「交響」の最後のあたりの再考を指摘されてから既にかなりの時間が過ぎていますし、うた2,3も気に懸かります。

お体くれぐれも大切に、大切に。  兵庫県

 

* ジョディ・フォスターの映画を観ていたが、も一つ火がついてこないので機械の前へ戻ってきた。

2004 8・16 35

 

 

* 左大文字  午後七時頃から、衣笠街道町にある法音寺の親火台で護摩木が焚かれ、点火法要が行われます。その火で大松明一基、手松明約40本ほどに順に点火され、火は山上へ運ばれて送り火が点火されます。

同時刻に街道筋の25ヶ所のかがり火にも火が入ります。

炎に魅せられて山の上り口まで、松明の行列に付いて歩きます。

麓近く見上げていると、点火とともに炎がめらめらと上がり、火床や周りの樹木の陰まで浮かび上がり、見ているわたしの顔までも照り映えそうです。

暑かった今年の夏も去っていきます。

午前中に常林寺(=秦の菩提寺・萩の寺)へ行ってきました。前の御住職さんが墓前まで案内してくださいました。

冷たい薬草茶をごちそうになって、主人共々少しお話させていただきました。話題は自然と恒平さんのことに。クシャミ出ませんでしたか(笑)。

お彼岸の頃には萩の花がきれいでしょうね。

お身体お大切に。    母方従妹

 

* 感謝。夏逝くというこの季節感、気温は気温としても京都の盆の風はまたすこし異なる呼び声である

2004 8・16 35

 

 

* 帰りました。 とても疲労していて胸苦しく、今日はこれだけでごめんなさい。……

おはようございます。昨夜は九時過ぎに不整脈で処方された安定剤を飲んで就寝。夜中の二時頃腹痛で目覚め、それからは苦しく眠れず五時頃まで「私語の刻」を読みつつトイレの人となる情けない状態でした。朝方うつらうつらして八時に起床。躰中が痛く熱を計ると高い。これは精魂尽き果てた疲労か単なる胃腸風邪か不明ですが、自業自得。床に寝ているのもしんどくて、起きてご挨拶を送ります。

歌舞伎、楽しまれてください。今日一日、佳い日でありますように。

 

* 無理不自然のアトは、よく休む、それしかありません。安定剤に頼りすぎないで、たっぷり水分を。そしてアリナミン。

いま、卒業生から21年ものの「竹鶴」が届いて、にこっとしています。家に酒類が払底していました。なんだか、ふらめんこディスクも二枚添えてありました。

今日一日は、ただただ、やすんでください。滋養をかみしめるように、ゆっくりと「ティロパのうた」を、試みに数頁読んでみてはどうですか。知恵の働く頭は使用しないで、清水をただただ口に含むように。そして、眼をとじて闇に入り、ゆっくり静かに呼吸して 息が入った後、息が出て行く直前、 その「交点」を「感じ」つづけていると、深い静かさが来ます。

 

* 前の青山学院大学内藤学長さんから、例年のようにすばらしい韮崎の桃を頂戴した。なんという桃の美しさ。

 

* 池田良則さんから今度の作品について佳い手紙を、またアメリカの池宮さんから妻に、情のこもった佳い手紙を頂戴した。また冥土の友からも。

 

*  フラメンコ注意

追伸   フラメンコですが、気が向いたときに、気楽に聞いてみていただければ、幸いです。

濃い~ですので、あたらないように、ご注意ください。(私は、ポトロがとくに気に入っています。)

 

* もう大昔、今は作家梅原稜子さん、当時は「婦人公論」編集者の阿部智子さんに誘われて道玄坂のレストランでまぢかにフラメンコを観たのを思い出す。怨念論とか長女論とかを書いていた頃だ。

 

* 先日はお忙しい中、東京古美術EXPO2004にお越し頂きまして本当にありがとうございました。

秦さんにお会いできるなんて、まさかの夢の中のワンシーンの出来事でした。秦さんの若々しいお姿にお目にかかることができ本当に嬉しかったです。カフェテリアにてお茶をお誘いする事もできず、大変失礼しました。

今度はもう少しゆっくりとお会いできます事、楽しみに致しております。

お蔭様で楽しい4日間を過させて頂き、無事に月曜日夜に京都に帰ってまいりました。

秦さんの益々のご健康とご活躍お祈り申上げます。

Aug. 17, 2004        アート影絵芝居    伊藤隆信・春美

2004 8・17 35

 

 

* お芝居いかがでしたか。 こちらはひねもす雨もようです。

ゆうべ野球と男子体操の団体決勝がありまして、ビデオに録画しておきました。

オランダ相手の野球は思わぬ苦戦でピッチャー交代、リードされたまま中継は体操に切りかわりました。

この体操が眠気の覚める試合っぷりで、プレッシャーのかかる最終演技をきっちり成功させたのを見終えたときには、息も絶え絶えでした。二位のアメリカをぐんと引き離しての優勝でした。よかったあ。

野球も後半盛りかえしたのか、勝って、まずまず、です。次の相手は強敵キューバですね。

はじまる前は、こんなにオリンピックに夢中になるとは思いませんでした。選手たちのかがやきに比す何事もない社会情勢なのでしょう。

つつがなく元気に残暑をのりきってくださいね、風。 花

2004 8・17 35

 

 

* 京の送り火の日、千本釈迦堂、えんま堂、十二坊蓮台寺と巡り、熊野神社へ寄って、祇園「銀の塔」で夕ごはん。外へ出ると、夕闇。新月ですものね。

建仁寺の脇を抜け、子育て地蔵、六波羅蜜寺へ。

寿延寺、見つけましたよ。

宮川町の舗装された綺麗な大通りは避けて、路地を歩くと、手書きの、地蔵盆スケジュール表が貼り出されています。

三三五五、人が道に出てきました。

「暑いときは出たらあかんよ」と手押し車のおばあさんに声を掛ける初老の男性。

「どないしてはったぁ」と同じ年延えの女性同士。

「あ、点(つ)いた」と幼な子の声。     囀雀

 

* 雀さんは、まるで、わたしの代わりに京を歩いてくれる。

ひと言のごアイサツもないメール。これがメールではなかろうか、メール文藝の名手。

この読者が、はじめてメールをくれるようになって数年、初め頃は盛り場の少女なみであった。うるさい、さわがしい口調の雑文だった。読者としての出会いは、しかし、茶の湯の「なごみ」で、もっと昔から。手紙をもらい始めたその当時はたしか東京中央線沿線に暮らしていたらしいが、夫君の転勤かなにかで伊勢伊賀大和のほうに移住。メールの表現は急速に変わって、上のような美しい風情を具体的に描いてきてくれる。小説の佳い一場面のように生きた京ことばが聞こえてくる。

 

* アテネが夜のあいだに、琵琶湖の水に触れてきました。海みたいな波が、少しこわかった。犬を連れた人と、釣り人がちらほら。静かでした。

帰りの山道、道路際で小鹿がこちらを見ていました。バンビですよ、バンビ。野生の鹿とのはじめての遭遇でした。

帰ってきたら、もう野球がはじまっていました。

きのうの愛ちゃん、安心して見ていられました。よかったですね。 花

2004 8・18 35

 

 

* 秦先生、十三日の金曜日は、貴重なお時間、しかもほぼ一日を独占してしまいました。ありがとうございました。とても楽しかったです。消化まではいかなくとも、もうすこしあの一日を咀嚼してからと思い、お礼のメールが遅れました。

お会いしているときには、あまり自覚がなかったのですが、どうも自分が見えなくなって混乱してくると、台風のように先生に接近していくみたいです。今回は、10年前のように、何十枚ものお手紙を持参して泣くこともなく、台風も温帯低気圧になっていましたが。先生の方は、お気づきだったかもしれません。知らぬは本人ばかりで・・・

うつくしいものとの出逢いについて:

ブリジストン美術館に一歩入って、ドアのそばにあった彫刻を見た瞬間、「ああ、こっちのほうがわかる」とほっとし、嬉しくなりました。

ということで、「古美術EXPO」はやはり消化不良みたいです。先生が解説を加えてくださり、後から他のものと比べてみて、ああなるほどと思ったものは、よく覚えています。

常滑のつぼ、江戸の三筆といわれたうちの一人(近衛信尹)の書、あかるい茶色の柔らかな風格のある茶器。絵の方は、予想通り、今までとちがった反応をしている自分に気がつきました。「古美術EXPO」でも、絵がおいてあると、ちゃんと反応していたような気がします。機が熟してきたのでしょうか。余裕がないと感じられないのだろうと思いました。

生まれついたときから、持ちあわせている人もいるのかもしれませんが、私は少しずつつかんでゆく余裕、です。

今回、ほかのものとは別格に感じられたのは、ルオーでした。ルオーのものは、たしか、3点ありました。2点しか思い出せないけれど、3点ともみた瞬間好きだと思いました。ほかの画家のものは、無条件にというわけにはいきませんでした。マティスの赤にはやられました。赤いベッドルームの絵がなぜか気にいりました。あでごのみ、なのでしょうか。

そのほかは、おそらく先生が「闇に言い置」いてくださったとおりだと思います。モネ、ルノワールは私の趣味ではありませんでした。

絵でも、小説でも、人の心に強く訴えるものは同じなのでしょうか。表現したいことの大きさと理解の深さ、把握と表現の強さ・・・。

おいしいお料理とワインをいただきつつ、「書きたいと思うことがない」という私に、先生は、「でも、あなたは、わかって欲しい(表現したい)というようなものは、あるよね?」といわれて、「ん?!」と思いました。

そうか、そういうことか。結局、私も旗をかかげたいんだ。文化・藝術の薫り高き小島に。そして、美しいなあ、佳いなあ、あそこにいけば癒される、あそこにいきたい、と、小島を見つけた人に思われるような、そんな旗をかかげたい気がする。

この(会社の)仕事をずっと続けていくのだろうか、ほんとうにしたいことは、こんなことではないんじゃないか、そんな風にときどき迷っていました。では、家庭を築くこと、子供を育てることは、すくなくとも今の仕事より、捧げがいのあることだろう、とも思いました。しかし・・・うすうす気づいてはいたけれど、やはりそういう問題ではなかったようです。

今の会社は会社として悪くないし、今の仕事がぜんぜん自分に合っていない、というのではない。すくなくとも今、会社をやめたいとは、やっぱり思っていない。(会社にいきたくない、なんでこんなことしてるんだろう、とはしょっちゅう思います。笑。)

ありがたいことに今の状況からだと、前向きに生きていれば、これから何をして生計を立てるかは後からついてくる問題だと思える。(お気楽・無謀、ともいう。)

だけど、生計をたてることを主体にして後ろ向きにやりたいことを考えてしまうと、それに縛られてしまう、ということなのか。

今回もうひとつ発見しておかしかったのは、普段、何か書きたいとか、書くことをほとんど意識していなかったつもりだったのに、先生に話をしている中で、「今年の芥川賞をとった、二人の若者の作品をよんだのですけど・・・」とか「自分には書きたいと思うことがない」などという発言を、しょっちゅう繰り返していたことです。あれ、忙しかったのに、芥川賞2作とも読んだのか、私は・・・と思うと、おかしかった。すくなくとも、自分を表現するための手段として、文章を読んだり書いたりは、小さな習慣にしようと思いました。

先生をみていると、精一杯、そのときそのときを楽しんで、緊張感をもって生活されているのだなあと思いました。10年前より、お若くなられたような印象すら持ちました。もうすこし、楽をしてもいいのではないかと思うくらい、すきがありませんでした。

しかしながら、私にとって、あとから何日かかけて咀嚼しなければならないほどの一日になったのは、先生がそのように気を使ってくださったからだと思いました。ほんとうにありがとうございました。

 

* だれもが「逃げこみたい場所=アジール」を内心に願っています。いわば「抱き柱」です。抱き柱=アジールと「聖域」とは同じではないけれど、「アンタッチャブル」という意味の聖域は、往々にしてそのまま逃げこめる安全な場所=アジールになります。あなたは、そういう「聖域」を一方で批判したいけれど、他方では、危なくなれば抱きついて逃げこめる「柱」「アジール=逃げ場」の意味にもしている。

言葉の意味を用いて創造してゆく文学では、この「聖域」を棄ててかかる覚悟が要請されている。それあるが故に筆が曲がるとか及ばないとかいう「聖域」をもった文学は、妥協の産物なのです。強いて書けという意味ではない。書かなければいけないなら自己責任で書くということです。その責任が作者の名前でもある。

発表するしない、出来る出来ないは時の運としても、草稿の段階から書くべきは書くという「聖域排除の覚悟」が必要だというのが、自分を「晒す」という意味です。趣味藝なら晒す必要は無いのですが。

誰がどう言おうと、どう描かれてある中身が醜かろうと、それが真実に肉薄しているのなら、キレイゴトの何百倍もいい。自分を守っているものはダメなんです。人間は醜い存在かも知れないから、書かれることが醜いのは自然かも知れない、が、そこに徹底があれば、逆転して美しくなることもある。四谷怪談の南北は、言語に絶した醜悪で強悪の人間を描きながら、一種凄絶な美と感動とを書き上げています。あなたの身近な人が「醜い」と批判する批判がどう当たっているか、躊躇わずに長い作品を送ってくれるといいと思います。書かれている作中の女の醜さでも構わないし、作者であるあなたという女の醜さであっても、ちっとも構わないし、驚かない。

「泣きながら書いている」とありますが、いけません。書き終えてから泣くのはいいが、書いているときは炎のように熱く氷より冷静に、鬼のように聡明でなければ。泣いている分、その泪は、自分を甘やかし、いたわり、飾る泪に変質してしまいやすい。すぐ泣き止めて、自分の仇は自分だと思い、自分自身を攻撃に攻撃し締め上げなさい。すっ裸になりなさい。そのつもりで書くことです。

2004 8・18 35

 

 

* カマロン・デ・ラ・イスラの「ポトロ」などフラメンコの曲を聴いている。バルセロナの人であったらしいが、故人であると。「濃い~ぃ中身」と聞いていたが、いま機械の中から鳴り響く音響は、楽器もボーカルもタップも、なるほど、すばらしい。呉れるのはこれだけで足りていた。「竹鶴」の21年ものなんてはり込み過ぎです。何か晴れの時がくるまで栓も抜けないもの。

2004 8・18 35

 

 

* 東海道は、尾張一宮から、伊勢国(桑名、四日市、石薬師、庄野、亀山、関、坂下)近江国(土山、水口、石部、草津、大津)山城国(京都三条大橋) と続いています。関というのが、古代重要の三関の一つ「鈴鹿」の関です。有名な、関が原の関は「不破」の関です。大津と京三条の間の関が、知るも知らぬも「逢坂」の関です。

この一連の通路が、歴史的に東国から京都へ到る便利とされた東海道筋ですから、たぶん旧道はいまも利用されていると思われます。

彦根というと、湖東でも相当に北寄りへ出ていますね。彦根は有数の譜代井伊家の城下町、佳い町ですし、南隣に近江商人達の能登川町、五個荘町がすぐです。

ついでに三関とは、不破、鈴鹿と、湖西から越前へ抜ける「愛発(あらち)」の関。

鈴鹿山系は名うての大山脈で冬場は閉じこめられます。もし通るときは要心して下さい。山は荒れる世界です。つねは深く静かですが。

北島康介の二冠には驚嘆し賛嘆します。(福原)愛チャンは初経験として「上等」です。それよりもキューバに勝ってオーストラリアに負ける「野球」が不安です。「長嶋ジャパン」とか、気が、甘いのでは。それにしても楽しませるオリンピックです。生き生きします。

 

* 鈴鹿山系はとても険しく、冬期に通行止めになるのは頷けます。それでもちゃんと国道が何本か通っています。状態の悪い国道もあるけれど、306号はよいと思います。道幅は広いですし、距離が短いので比較的ラクです。でも、ガードレールの外は深い谷でした。むかしの人は歩いて越えたのですね。冬のあいだの東海道は、人の流れが止まってしまったのでしょうか。

彦根の方へ出ましたら、路肩の地図に「中山道」とありましてびっくりしました。草津で東海道に合流するとか。そんなに西の方までのびていたとは、知りませんでした。

ひとり旅、いいですね。でも、まだまだ暑くなるようですから、無理をなさらないで。

アテネの「野球」が心配です。体操男子も、個人では調子が出ませんでしたね。団体戦で燃え尽きちゃったのかしらん。柔道は連日の快挙、今晩もありますね。

どうも、午前中は眠くなってしまいます。サイクルがずれているのかな。夢は、見るときと見ないときと(見ても忘れているのかも)いろいろです。

うかうかしていると、オリンピックがはじまってしまいます。その前にいろいろ用事をしてしまわないと。わ、風が強くなってきましたよ。

 

* 誠という字はそれなりの意義をつたえてくれるが、真言を、まことと訓むと、それも意義を成している。ことばは大切なツールであるが、どうしても過大・過少に流れやすく、その「過」の部分から腐ったり錆びたり空気が抜けたりする。過とは文飾であり、質実の逆意である。上のメールなど、少しも気張らず淡々と自分の言葉を呼吸するように送り出してくれている。こういうふうに「まこと」がふつうに話せて書けるのに、人間関係は、たくさん時間をかけねばならない。馴れればいいのでもない。しかし飾っていては「かなふはよし」と行かない。むずかしい。率直に自然に呼吸するように。むずかしい。

2004 8・19 35

 

 

* 方方する日、茫茫とした日。山に沈み、姿の見えなくなった日が、綿菓子をちぎって散らしたような雲の端を萱草色に染めて、風炎の一日が暮れました。

なにしたと言えない一日暮れてった  (鈴木きょう子)

京の前日、奈良の大文字へ出かけましたの。

薬師寺から大安寺へと見仏しまして、軒の燈籠を見ておりましたら、「サライ」の奈良特集で存じあげました、東大寺長老 筒井寛秀さんのご署名が目に留まりました。

染筆は、「無事」。

お江戸は、大層な気温のようす。おん身ご案じ申しあげます。 囀雀

2004 8・19 35

 

 

* もうだめ。きのうは日中眠くて眠くて仕方ありませんでした。(オリンピックは、)いい試合ばかりですから、見ずにいられなくて。今夜も柔道があります。野球はカナダと、女子サッカーは準決勝だとか。ふう。

どの国の選手でも、敗者は気の毒になります。精一杯やったのになあと。わたしが剣道でものにならなかったのは、こういう性格が原因かも知れません。

なんとなく、日射しのぎらぎら感が減ったような気がします。秋の気配です。 花

 

* 健康な主婦として健康に日々をすごしている人の、うまいワインを口に含んだような気持ちで、一日のおわりに息を憩いながら書いてくるメール。動揺も成心もない。酔ってもいない。

真夜中に「安定剤ではなくブランデーを飲んで酔っていますよ。大丈夫、お酒に弱いので大した量じゃありません」というようなメールも来る。この人に限らない、孤独感と不眠。現代をひろく鈍雲のようにおおう病気だ。もっと、もっと、もっと欲しい…という「もっと病」は際限なく人を苦しめる。人は何一つもたずに生まれ、何一つもたずに去って行く。それなのに人はなぜ「もっともっともっと」と欲しがるのか。

2004 8・20 35

 

 

* そして、こういう祈りも、ある。

 

* 奈良燈花会。  春日大社の石燈籠と釣燈籠に火が入り、大仏殿の窓が開かれ、東大寺の万燈が、お身拭いされた大仏を照らします。興福寺の東金堂も、大文字の火が消えるまで扉を開け、揺れる万燈のなかに仏像の黄金色が幻想的です。

大安寺で、頂いた由緒書に「額田部の額安寺がここのルーツなの? こないだ行ったばかりだわ」と驚き、燈籠にまた驚いていると、奥様が「大文字の火はここから発って、慰霊祭へ行列するんですよ」と教えてくださいました。飛火野での、神式仏式合同の慰霊祭ののち、20:00、高円山にあかあか「大」の字。 囀雀

2004 8・20 35

 

 

* 今朝のテレビニュースを見て、金、自由形? と思いました。何かの間違いかと。素晴らしい。

オッティは開会式で見たような気がします。今回も出場しますか。

ブブカの無敵だった頃をよく憶えています。跳べなくなったときのことも。著名人が子供たちに特別授業する番組が教育テレビでありまして、ブブカの回を見ました。ブブカはソ連崩壊後、経済の混乱によって満足な食料が手に入らなくなり、6メートルが跳べなくなってしまったそう。それからはいろんな苦労があったみたいです。授業の中で子供たちから、ロシア経済に対する社会の不満は大きいというレポートを受けて、「それでも自由にものを言える社会はすばらしい」と言ったブブカがとても印象に残っています。

> うそイツワリのない選手達の顔と身体。

ほんとうに、それがオリンピックのいちばんの魅力です。

柔道男子60kg級で優勝した野村さんがテレビのインタビューでひょうきんに話しているので、伊達公子さんは「試合のときの険しい雰囲気とずいぶん違いますね」と他人事のように素朴な感想をもらしていましたが、伊達さんも試合のときはこわかったのになあ、と、ちょっとおかしかったです。

今朝はちゃんと起きまして、以前ビデオ録画しておいた番組を見はじめました。そうしたら、いつのまにか眠ってしまいました。なんたること! 花

2004 8・21 35

 

 

* お祝いと発注です。  四国・丸亀の****です。大変遅くなり失礼しましたが、『湖の本』18周年・80冊発行の節目を迎えられ心よりお祝い申し上げます。私のような単なるお付き合いのみで18年を過してしまった者でも、大きな「湖(うみ)」の一滴の雫であり得たのかと自問しています。

思えば職場の女性ばかりの「古典研究会」に黒一点として参加し、『平家物語』を講読している最中の第1巻「清経入水」発刊でした。確か10冊ちかい注文をした記憶があります。あれから18年、当時のメンバーも全員退職し、現地研修で奈良大和路などを案内したことなどを懐かしく思い出します。

さて、その頃から多くの女性が短詩型文学に取り組んでいるなか、抜きん出た存在であった一人が、このほど歌集を出版しました。『関貞美歌集・赤埴の道』(短歌新聞社)です。地元新聞(四国新聞)歌壇選者や短歌教室講師などを務めたこともあるベテランの第一歌集です。以前、歌集『心宿』を贈らせていただいた真部照美さんと同様に、職業を持つ主婦の大変さが思われます。

そこで、お願いですが彼女あての贈り物として『青春短歌大学』上・下各1冊をお送り下さいますか。代金4千円は、以前のように次回配本の際、私あてに併せてご請求いただくということで、よろしいでしょうか。OKの場合、私からということで下記にご送付のほどを。

 

* 感謝します。

 

* 祭りの当番  美しい月でした。今日は、ひなかになっても涼しいですわ。そちらはいかがですか?

わかぎゑふが書いていたのですが、京男のひさうちみちおが、「今年は地蔵盆の当番なので、劇団の活動は一年間できません」というのを、東京出の劇団員に理解させるのが難しかったとか。

島ヶ原で聞いたのは、もっとすごくって、今は5~6年に一度回ってくる修正会(しゅしょうえ)の役が、昔は、男子一生に一度当たるか当たらないかという程のものだったそうです。当たったらまず家を大層立派に建て直し、それはそれは騒ぎだったとうかがいました。 囀雀

 

* 邦楽日和、耳正月   TVを点けたら、超絶技巧の三味線と箏だったのでびっくり。「芸能花舞台」中之島欣一さんでした。

今日は、午前のNHK-FM「邦楽百番」で‘私の思い出の曲ー寶山左衛門ー’として、昔の名人勢揃いの「英執着獅子」が流れ、ひさしぶりに長唄を、それも、うっとりする音を聴きました。清まわります。 囀雀

 

* 室生寺の石段下に、7~8才位の女の子が二人、座り込んで。繪を描いてる、と思う間に「こんにちは」と、はきはき大きな声で挨拶されてしまいました。

「こんにちは。夏休みの宿題?」と言った雀に、いささかむっとして。

(今日これで何人目ぇ。―ったく、良ぅ見てやぁ)

(あ、すごい!カンバスじゃない!鋲で止めてある。)。

「習い事です」。

帰りにはもうどこにも姿が見えませんでした。

秦さんが、ジョイナーばりのファッションで徒競争してらした頃、山名さんは、きっと、こんなふうに、繪を描いていたのでしょうね。  囀雀

 

* 日本は、オリンピックだけじゃ、ない。

2004 8・21 35

 

 

* 夏疲れのないようご無事にとお祈りいたしております。季節の変わりめ、どうかおん身おいとのほど。

今日は、旧暦の七夕――かくて春過ぎ夏闌(た)けぬ。秋の初風吹きぬれば、星合の空をながめつつ、天の戸わたる梶の葉に、思ふ事書くころなれや――‘お逢いできますように―’

 

* 不徳であるが孤ではないといつも感謝し、ながく生きてきた。「逢いたい人がいつでもある」と繰り返し書いてきたのは、わたし「が」逢いたいと願う人が、たとえ逢えなくても、いつどんな年代にもかならず在った、それが日々生彩の気のささえであったという意味。あたりまえの話、わたし「に」逢いたい人がいるとは考えてこなかった。我ながら「へん」な人、「いや」なヤツという自覚があるから。

こういうメールをはるか闇の彼方からいただくと、恐縮する。折にかなうというか、今宵、旧暦の七夕。七夕の懐紙を久しぶり居間に掛けたくなった。

2004 8・22 35

 

 

* 波立って。  お久しぶりです。このメールの形式がニフティと相性がよくないようで、きたなく並んだ文字で受け取られることを想像すると、重い気持ちになります。

それと、「書く」こと「読む」ことからますます離れていく私自身に、何か生きる本質を忘れているような気がして、もっとざっくばらんに言えば嫌気がさして、メールを打つ手が重くなります。

でも、生きていることだけはお伝えしたくて。来週日曜日、川崎の施設のオープニングセレモニー。まだ準備が十分ではなく、職員の気持ちもなんとなくばらばらで、不安な気持ちのままあと1週間という日にちだけが迫ってきます。

半日ほど黒いピンを抜いて、庭の草抜きをしました。2ヶ月近くほうっておいた庭はノウゼンカズラのつるで緑色に覆われていました。ベイリーフの枝が枯れてきていたので、これも思い切りよく切りました。強い香りがどろどろした頭の中をすーっと通り過ぎていきました。今日はいくらかしのぎやすい日で、ぐっすり眠れそうです。

お元気で お元気で お過ごしくださいますよう。   神奈川県

 

* 感想。  ことが成功しそうだと、「もっと、もっと」と手がひろがり、少しキツクなると懐疑に陥るのは、儲け仕事だけにかぎらず、また貴方だけに限らず、ごく普通の心理ですから珍しいこととは聴きませんが、ま、しんどくなってきそうな時機なのだろうなと思います。

事業家として手を広げて成功し業界に重きを求めたい貴方が確かに実在しており、一方事業の意義と理想を信じている貴方もいて、さらには老後のための安定を確かにしておきたい希望者たる貴方もいる。黒いピンを満身に突き立て、ハリネズミのように奔走しないと、そのどれにも到らないのは確かでしょう。

それに対し、いわば文化的余裕人としても生きたいと願っている貴方の願いは、本質的かのようで、実はそれはそんなに切実な課題ではなかろうと想います。黒いピンの奔走を後ろめたく感じているだけか、黒いピンがこのところ痛すぎるか、ちとヘバッテいるという「現実への悲鳴」のようなモノではないかと想われます。

むやみと手を広げてただただ苦痛を増やさず、ピンを抜ける僅かな時間や機会を上手に創ろうとする意志を喪ってしまわなければ、まだ、やって行けるでしょう。あなたの社会的虚栄心は(有って当然であり)簡単には抜けるピンでないでしょう。

問題は、貴方に全面的に信頼出来るほどの右腕が創れていない、創れないことが響いている。右腕がいなくても、例えば映画「釣りバカ日誌」の「スーさん鈴木社長」における「はまチャン」のような存在や趣味を持てないでいる余裕の無さも響いている。こんなわたしとのメールの交換が、わずかにあなたのオアシスになっているのかも知れないと想うと、おいおおいおいと声が出ます。月にせめて数日は、完全に仕事からも家族からも解放された「遠山に日のあたりたる枯野」へ降りて行くことを勧めます。 湖

2004 8・22 35

 

 

* メールや私語で読む限り、ダウン傾向のようですが、それともとっぷりと夏休みの湯船に浸かっているだけでしょうか。昼夜転倒がいい筈がないでしょうが、体内時計は、この爺ちゃん、なかなか一筋縄ではいかへんわ、と諦めて従うてはるのやろ。

心躍る程の佳い事がある訳もなく、規則的に、淡々と過ごしています。

残り少ないこの世、自らを鼓舞し探索しないと味気ない年寄りになります。こんな時、若い頃に聴いた私のお婆ちゃんの言葉を思い出します。

「歳とるとなあ、それだけでもむさくるしいのやさかい、せいだい気イつけて、やつさんとあかんのや。」と髪の毛を梳いていましたっけ。

陰で「やつし」と呼ばれていたお婆ちゃん、今、その歳になり、肝に銘じています。「やつし」は何も風貌だけでなく内面にもと思いつつ。

暑くても食欲は全く落ちないけれど、汗をよくかくせいか、体重はよしよしの横ばい。  淡路島

 

* 「やつし」とは「やつす」気のある人の意味で、「やつす」は自分をきれいにみせようとする意味である。過度を咎めるわる口や陰口に使われやすいが、軽微なときは、一種の「心がけ」のよさとして、揶揄半分のほめ言葉にも使える。「やつさはって、なんぞえぇことがおしたんか」などと。ここでは、この人後者の意味で言っている。七十のおばあちゃんの「内面のやつし」とは、何ごとならん。まさか源典侍みたいに色めくのではあるまいが。

2004 8・23 35

 

 

* 困るといえば、メールで「質問」される中に、困惑することがときどき混じる。

尋ねられることには数種ある。

事務的なこと、たとえば「湖の本」の入手方法とか、京都へ行くがどこを見てくればいいでしょうなど、事務的・日常的な問い合わせ、これは全く問題ない。すぐ返事できる。

ついで執筆仕事や作品に就いて。これも、すでに出ている作品の「読み」のことや書誌的な質問には、だいたいすぐ答えられる。次に何を書くか、今は何を書いているかなどは、返事できない。小説のこれは事実か事実でないかなどという質問にはむろん答えない。ご想像に任せるのである。また他の同業作者達の人や仕事に関する質問は、まして現存の場合、事務的なことでない限り、軽率に返事はしない。

その人の日常や心情上の悩みを聴いたり助言を求めたそうであったりするときは、わたし自身圏外にある場合は、あたう限り何かしら思いついた返事を差し上げている。気休めにもならないか知れないが。

困るのは、数多くはないが、わたし自身への、心情的・個人的・私的な質問。質問する方は簡単だろうが、困惑し時に迷惑する。メールの領分をはみ出ている。メールが有効なのは「述懐」まで。探索や議論はむり。なぜなら、メールは、所詮は言葉に過ぎないから。

言葉で生きているわたしが「所詮は言葉」と言うのである。言葉を頼みすぎては、あやまつ。無論、勿論、論外、言外、言語道断、言はぬが花、言ひおほせて何かある、言はで思ふぞというところがあるから、人間は人間の分にかろうじて踏みとどまれる。

2004 8・23 35

 

 

* 雨中の蘇我倉山田石川麻呂。  国立劇場で「伊賀越道中双六」の通しが上演されると知ったときから、雀は待っておりました。昨日、鴈治郎さん、我當さん、秀太郎さん、山田庄一さんが、揃って、鍵屋ノ辻をお訪ねになりましたのに、雀は佛陀寺へ出かけておりましたの。がっかり。

前回、推古天皇陵や叡福寺など訪ねた折、場所が分からなかった佛陀寺(ぶったいじ)は、住宅地の中ですのね。イメージ崩れちゃうなぁとブツクサいいながら、門をくぐると、駐車場と住宅と改修されたお寺にのしかかられるように、古墳がかつかつ囲われていて、いたましかったですわ。 囀雀

 

* 大和の当麻寺境内につくられた土俵で小さかった建日子と相撲をとった。それから竹内峠越えに河内まで歩いた。鴬がしきりに啼いた。すぐそこら二上山が見えていた。仏陀寺は椿が咲いて石川麻呂の墓といわれる巌と深い苔の上にめざましく散っていた。あの寺は郵便受けが「秦」サンであった。

建日子は覚えているだろうか、懐かしい父と子との二人旅であった。あの足で京都にとまり滋賀県の五個荘や能登川まで行ったのだ、そして米原からこだまで帰った。わたしの生母の歌碑もあの旅の途中でみた。仏陀寺のことは「蘇我殿幻想」に書いた。

2004 8・23 35

 

 

* 「命なりけり」  メールありがとうございます。オリンピックも甲子園も島根のインターハイも、若い人達は一心でいいですね。夜中にそんなにみている秦さんの一心もえらいですけど。

オリンピック放送は、結果のわかっている昼間のテレビじゃ面白くありませんからね。

処暑、虫が鳴きはじめました。田圃も黄色くなりました。いい秋でありますように。  千葉E-OLD

2004 8・24 35

 

 

* 歩くほかないですよ、「あの山のてっぺんですから」。

見上げて、雀、「磐船神社ですものねぇ」。

急な山道に汗だく。行こか退こうかどないしょという長さに半べそ。「山のカミサマ、返事してくださァい」。聞こえたかと思いました。鳥居です。社前から、コンクリの道が高貴寺へ伸びていましたが、お社にお参りして、そのまま引き返しました。

観心寺は雨上がりで、お寺も周囲の山も風情があってよかったのですが、鬱蒼とした森のなかを後村上天皇の御陵へとのぼってゆく、苔むした長い石段を上り下りするのに、かなりの緊張を強いられました。 囀雀

 

* 露草の花の色が溶け出してしまうかと思うほど降りました。

室生寺から、急に太子町の話になってごめんなさい。こもりくの旅も囀りたいのですが、こむらの筋肉痛に促され、南河内の話を続けます。

前回は、当麻寺から竹内街道。今回は、古市駅から石川を遡って太子町へ入り、まず、佛陀寺へ。表札は、まさしく「秦」。

用明天皇御陵、敏達天皇御陵、磐船神社、正一位の建水分神社、観心寺と巡りました。

敏達天皇陵、後村上天皇御陵、磐船神社で、歩いた歩いた。飽き性で根気のない雀に、こんな執念深い面があるなんて。オッドロキー。 囀雀

 

* 雀さんも、何一つリクツもグチも云わず、目覚めをただひたすら待っている人のようである。歩き行者として歩いているのでなく、息を喘がせながら楽しんでいる。それが美しい。

 

* 楽しめましたか、十分に。 オーストラリアであれ何であれ、ああ貧打では勝てません。あれほど素晴らしい投手陣を擁しながら、野球もソフトボールも何かしら順当なところへ落ち着きました。野球は銅メダルも心配なぐらいです。野球は予選一位だったことを褒めていいし、ソフトボールは決勝に勝ち上がって銅メダルを褒めていい、順当なところです。

中国とのバレーの死闘が生きてくれるといいですが。男子のハードル、女子のシンクロ、男子のマラソン、男子のリレーなどがまだ楽しめるでしょう。

夏もソロソロと逝くようです、暑さはまだまだ一月余も残るでしょうが気配は秋にちかづいて。

少しずつまた生活のネジを巻いてゆっくりと普段の生活へ態勢をつくります。これでもう一週間家に籠もっています。夏安居(げあんご)と云いますが、ノンビリしていました。

2004 8・24 35

 

 

* おはようございます。きのうの野球(長嶋ジャパン)の惜敗のせいで、気の晴れない朝です。とてもがっかりして、わたしは野球に期待していたのだなあと気づきました。

天気は快方に向かっているようです。少し涼しくなってきましたね。早く涼しくなるといいな、と言っておきながら、いざ秋の気配がしてくると寂しい気がしてしまいます。

これから近所の奥さんたちとお出かけです。風は、まだお休みかしらん。 花

 

* まだおやすみどころか、なんと七時台のペン会員の電話で起こされてしまい、そのまま、朝飯は梨の半分と小さいクロワッサン一つだけで済ませて機械の前に来ていた。

 

* わたしはこの人ほど長嶋ジャパンに「金」絶対というプレッシャーはかけていなかった。キューバに予選で勝ったときはおやおやと嬉しくなったけれど、オーストラリアに負けたときはやはりここでとりこぼすかという脆さを感じ、一つ取りこぼしてもダメな決勝リーグはさぞ厳しかろうと予期していた。それが絞っても出ない貧打に露呈したのだから、どうしようもない。銅メダルがもし取れたなら順当なところと思う。

もともと「長嶋ジャパン」ということで騒ぎすぎていた。長嶋茂雄が病気で倒れたとき、ああいう態勢で感傷的に象徴化し、臨戦態勢を新たに強化しなかったのは、長嶋のためにも選手たちのためにも、ウェットに過ぎていた。星野仙一の名が新監督として上がっていたが、わたしはむろん星野に率いて欲しいと思った。長嶋代行に甘んじた中畑コーチの立場は微妙すぎた。

2004 8・25 35

 

 

* きびだんご   吉備路をもう一度ゆっくり旅してみたいと、長いこと思っています。

大原もいいし、美しい繪を見に、岡山にぜひまた来てと、玉野に住む女友達が残暑見舞いのメールをくれましたが、昨夜たまたま見たJR提供の番組が、岡山も、女性に人気の倉敷も、全く無視して、一日目は吉備津駅から総社駅までレンタサイクル、二日目は、雨のせいもあって、足守駅から観光タクシーを利用するというもので、黒媛の如き美女リポーターの魅力も加わり、旅心がわきました。いちばんは、黒媛塚。そして、秦寺跡。 雀

 

* このあとへ、「ご一緒に自転車で遠乗りしたいですわ」と結ばれているが、自転車どころか、今日も昼過ぎてから今にも五時まで、正体なく寝ていた。五輪バテ、本格のようである。わたしだけではないようである。岡山へは編集者の昔に小児科学会の取材に一度だけ行っている。なまこも火照りも美しい備前の徳利を奮発して帰ったことだけを覚えている。

 

* 薬  堅田でしたかしら。「玉露を何杯も喫むような」ご当主というところがございましたでしょう。お参りを終えた雀に、お茶を勧めてくださった、島ヶ原の、うの宮神社の神主さまに聯想しましたわ。

大きな火鉢にたっぷり地元の炭がおき、お宮の800年経つ井戸の水を、戦後間もない頃、古道具商で見つけて通いつめ、6万で購入したという鉄瓶(その上質さに唸りました)で沸かし、童仙房産のお茶を一滴二滴…。

境内の気と、神主さまの風情に、仙薬をいただく気分でしたわ。

秦さんの「クスリ」には、及びませんけれどね。 囀雀

2004 8・25 35

 

 

* オリンピックのテレビ観戦でお疲れのようですね。あと数日、お体を大切にして楽しまれますよう。

七月の暑さを思えば・・過ごしやすくなりました。季節が一ヶ月ほど早く廻っている感じですが、再び台風が日本に近づいて、今週末は天気が心配されるとか。先の台風の時も数時間でしたが雨風激しく、門扉が少し壊れました。

先週は大阪で開かれている「祈りの道」吉野・熊野・高野の名宝展を見ました。ご存知のように世界遺産に登録されて、熊野古道ウォーキングなどちょっとしたブームになっていますが、この展示、実に見応えあるものでした。しかも前期・後期の入れ替えでほぼ一新されるらしく、もう一回行かなければならないようなのです・・。

三十年も前、栗田勇氏の「熊野高野冥府の旅」を読んで以来、紀伊半島、「南」は常に気に懸かっていましたが、まとまった形で目の当たりにできたのは、感動でした。我らが山河は、滔々と流れ受け継ぐものをなんと深く厚く抱いていることでしょう。文書、仏像、神像、曼荼羅などなど、どれをとっても素晴らしかった。

東京でも開かれますのでどうぞご覧になってください。

以下は日記から四百字にまとめようとした「練習」? つい長くだらだら書いてしまう文章を削るのも、大事なこと、当たり前と言われそうですね。

 

◎ 衣裳とはアクセサリーが「肥大化」したものだと読んだことがある。大きな特徴あるアクセサリーと半裸ないしほぼ全裸のアフリカの部族人たちの写真を見ると、そうも考えられる。が、寒冷地はもちろん、この日本でさえ夏以外の季節には、衣裳ではない衣装・衣服は生命維持のために必需品、まず、衣服ありき。そして「衣裳」・・わたしたちにとって「衣裳」は・・おしゃれは生存のためでなく、ファッション、遊び、「自己表現」・・いかに「わたしの」個性を見せるかという、いわば「対象化されたわたし」の自己満足・自己充足の行為。そしてヒトのメスが強く美しいオスを確保するための求愛行為の手段の一つでもある。

何故唐突にこんなことを書いたか・・夏服最終バーゲンの案内、秋物新作の展示案内、友人の「ここら辺で買うなんて本当に流行遅れよ、大都市で買いなさい。」という助言・・殊に季節の変わり目に、女はわが身に纏う衣装を考えずには暮せないらしい。

 

◎ 駅の階段を昇ろうとした時だった。萎えて汚い作業服の男が、声をかけてきた。一瞬警戒心がよぎったが、男の顔を見ると・・疲れた、やさしい表情だった。向けられた視線が強いのか、弱いのか・・分からなかった。ひどく真剣な口調で彼は言った。

「こんな天気では外の仕事は恐ろしく疲れる。」

わたしは返す言葉もなく動揺した。

「あんたのようなきれいな服は着られないや。何処に出かけるのかね?」

彼は何をわたしに伝えたいのだろう、誘いたいのだろうか? たとい誘っても、決して自分を振り向きもしないだろう女たち、女、女、みな鼻であしらって、軽蔑するか、無視するか、そういう女たちの群れ。

「体を大事にしてくださいね。」わたしはやっとそれだけ言えた。自分のしらしらとした冷たさにも気づいて・・だって女は逃げること、警戒し近寄らないことを学んできた・・。男は黙って背を見せて階段を降り、去っていった。

 

一人旅に出たいとか。

昨日は誕生日でした、年齢はもうストップしたいです、が。 鳶

 

* 吉野熊野というと敗者の政治エネルギーが、とぐろを巻くように隠れるまさに「隠国(こもりく)」の体であった。十津川道への入り口のようなあたりで凄惨に殺された光仁妃や皇太子のことをわたしはながいあいだ想いつづけ、結局書けなかった。その頃に能面の「生成」にかなり脅かされた。

西行の旅といい、掌説に書き留めた熊野道での無惨といい、なにかしらわたしはあの世界に置き忘れたままのモノを持っている。

 

* 短い文章にも、改行と句読点の効果は生かしたい。

 

* 「鷺」を読みました。  今日はくもりがちながら、過ごしやすい気温になりそうです。佳い月が、漂う雲に隠されもせず、時間まで輝いて、沈みました。

お目覚めいかがでしょうか。朝は夜の続きというようなお仕事をなさる秦さんだから、少し、心配。でも、よほどのことを成し遂げてのことでしょうし、実りのお時間をお過ごしのことと存じます。わくわくと、待兼山の囀り雀。

名古屋へ向かっております。メナードでの「墨牡丹」の展示が、この日曜までなンです。車内で、スマートなふるまいのビジネスマンと隣りあい、吉兆。

 

* この人のメールはすべて携帯電話からのもののようだ。それで短く、それで具体的。「鷺」は「ASAHI」に書いたわたしの短篇。古美術の名品をいくつかからみ込めて、かなり凝っている。世にも美しい老婦人との幻惑の性愛も書いた。「墨牡丹」はむろん村上華岳を謂うのだろう。

 

* 注文です。 湖の本6,7,8 『神と玩具との間 上中下』と、15 『谷崎潤一郎を読む』をお願いいたします。急いでおりませんので、外出なさるついでで結構です。

ヘンテコに短かった髪が、やっとのびてきました。頭のテッペン辺りはまだ短いのですが、もう少しのびたら今度はどんな風にしようかな、とヘアスタイルのカタログを眺めています。

花は、ちょっと長めの髪も好き。

2004 8・26 35

 

 

* 31度という予報でしたがやはり名古屋はムシ暑い。

小牧市のメナード美と、名古屋市立美の「日本の木版画100年」を見て、大須で遅い食事をとり、栄まで歩いたら、すっかりばてまして、県立美「国吉康雄」は、割愛。

華岳の牡丹は、1919年「牡丹花」、1934年「牡丹遊蝶図」、1937年「牡丹之圖」と、三点も出てましたの。隣の、土牛「紅白牡丹」より、杉本健吉70才の「牡丹」の繪のほうが、余程華岳に相対していると見えましたわ。

丸善の名古屋栄店で、丸善の便箋と原稿用紙を、ありがた涙で買いました。懐かしいお江戸日本橋の匂いがします。  囀雀

2004 8・26 35

 

 

* 奥さんを事故で、意識のないまま辛うじてもちこたえている友人の手紙をもらった。それはもう言うに言いがたい状況であり、しかも彼は淡々と手紙をくれていて、その境涯の痛切と彼の人なみなみではないみごとな介護ぶりに、わたしは驚嘆し泣けてしまって、返辞の書きようがないのである。奥さんはぱっちり目を明いて、呼びかければいましも答えてくれそうだという。だが、それも虚しく、彼はそんな奥さんに呼びかけ呼びかけ日々自宅で介護して、もう病院を頼っていない。言葉がない。

2004 8・27 35

 

 

* 三点の牡丹。   若いときのは、鮮やかに色華やいだ、咲き誇る富貴の花。万人の視線を浴び、華岳も、観察して描いている感じです。

次の繪は、蝶が来ようが来まいが、人がどちらを見ていようが、ひとり、穏やかに自然のまま咲いている、ごく淡い色を施された花。

最後の繪に、天女の裾裳のいっとう端が、地を離れる瞬間を連想しました。あッと叫んで手を伸ばして、指の先に触れる寸前、大輪のあの牡丹の花が、空気に透け、一筋の香りとなって天に上っていくイメージ。

「残していくもの」は、さらさらと触れた、あの手触りだけ。  雀

 

* 牡丹のほかの、お気に入り。  以前、松伯美で、展示を観終えて、女性グループと一緒に各地の展覧会ポスターを見ておりましたら、一人が「かがく? 知らないわ」と言いました。メナードでも、繪の前をすっとすぎる人が多く、せいぜいが「水墨画ね」。その分、椅子に腰かけた雀は、好きなだけ眺めていることができましたが…。

似た空気を持つ、真っ白な女の首が、別室にありました。部屋へ入った足を、そのまますさりそうになったのは、舟越保武さんの「N嬢」―。

佐伯祐三が三点ありました。若くて強引で、親しい温もりが迫る孤独と、切なさ。好きです。

 

* フジタで。  お江戸での雀の宿は、ギンモンドが多いのですが、昨年の師走、お江戸のなにかが雀を乾かせ、たまらなく積もって、“京で、「水」に触れて帰ろう”と、チェックアウトのとき京のギンモンドを頼みましたが、急なことで空きもなく、カード会社に照会して、取れたのが、ホテルフジタ。

雀一羽に、東側4階のツイン部屋は広すぎて、ごく淡い灰色にするする明けゆく朝の窓に東山をながめながら、「鷺」に、あッ! と思いましたの。  囀雀

 

* よく囀る。しかし声音は好い。

2004 8・28 35

 

 

* わたしの好きな、琵琶湖上、人造飛行機(鳥人間コンテスト)コンクールを、例年のように大いに楽しんだ。二年連続優勝、三年目は準優勝の東工大が、今年は失敗した。そして颱風の影響で競技も中止になった。発進台の上ですでに強風に尾翼を吹き折られた機もあった。

 

* 夏の風物詩  テレビで「鳥人間」をやっていました。これがあると、夏休みが終わる、という実感が湧いてきます。

こちらは雨は降らず、ムシムシしていました。明日は雨になるかも知れません。

トラック競技で日本や中国の選手が上位にくい込んでいますね。110Mハードルでは中国の選手がダントツで優勝したり、足の長い外国の選手と一緒に小さな日本人が走って決勝に残ったりするのを見ると、感慨深いものがあります。テコンドーもこれからですね。

ご一緒にオリンピックをずうっと見ていた気がします。  花

 

* あの風の競技が純然と好き。何のてらいもなく、科学的であり人間的だから。最も優良番組の一つだと思う。一つにはいつも東工大の頑張るのも楽しみで。今年は失敗したが。琵琶湖大橋まで飛ぶようになったとは。胸も膨らむ快感・快適である。個人プレーでなく、みなが一致協力しているのもすばらしい。物の見事に失敗するところまでが、気の毒だがまた痛快に面白い。あれはやらせでは絶対ない。それが気持ちの佳い理由の一つだ。精一杯やって、精一杯成功したり失敗したり。潔い。

2004 8・28 35

 

 

* おはようございます、風。  ゆうべは新体操の決勝を見てから寝ました。イタリアは水色のユニフォームがきれいで、演技もいちばん好きでしたが、優勝できませんでした。それにしても、選手は皆手足が長くて細かったです。

風はきのうの外出ですっきりしていらっしゃいますか。

花はさっき向かいの家の奥さんのところにジャガイモを持って行って、ナスと交換してもらってきました。

 

* おしまいの一行がいい図ではないか。なにげないこういう「平和」が脅かされることのないようにと、思わず天を仰ぐ。

2004 8・29 35

 

 

* 機械を通して数百枚の小説が送られてきた。あたまの三、四章を読んでみた。推敲という点では甚だ雑な書きっぱなしであるが、或る、底知れないマグマが感じられ、かなりどす黒いけれども可能性の大きい音響が(これが音楽に変わればすばらしい)胸板を叩いてくる。ところどころに目をむくような異色の表現や観察や字句が燦めく。しかし何ともまだ雑草の原っぱのように荒れている。荒れというのは、必ずしもマイナスであるわけはなく、「荒れ」の魅惑も有るものだ、それを美味く温存しながら徹底的に推敲し文藝としてすっきりと仕上げれば、ある種、こわい創作になり咆吼するかも知れない。まだ少ししか読まないのだから多くは謂えない。

書かれてあることの実と非とにかかわらず、思い切った仮構を介して、作者は思い切り「自画像」を露表してはばかりなく、そのすさまじい意気込みが、この後に成功するのか惨敗するのかはまだ分からない。しかし、こういう意気込みからモノは立ってくるものだ。きれいごとの生ぬるさは無い。ひょっとして醜悪を極めるかも知れないほどだが、醜悪も惨虐もまた美の範疇にあることを作者がよく自覚し統御しているかどうか、だ。題されてある「悲惨愛」とは、あまりにあまりで、別の好題を工夫したい、が、根気よく没頭して推敲するに値している。期待する。

 

* 四分の一ほど読んで、物語の先行きに或る程度の見当がついてきた。展開に勢いがあり、言葉が言葉をたぐり寄せて行くので、表現のいいわるいを言うより先に事が運んで行く。「読ませる」とは一つにはそういう意味であり、長編らしい構造を持っていて展開は三重奏のかたちをとっている。自分の大胆さにたじろがず、なにか目に見えない者をねじ伏せるように挑みかかっているのは作者の性格や生地が出ているのだろう。

あらっぽい印象で言うと、谷崎潤一郎の、大正期の、書き殴ったようないくつもの長編の執拗な展開ぶりに近いかも。谷崎は、たとえ駄作でもずしんずしんと地を轟かすように書いた天才だと三島由紀夫は追悼していたが、大正期の谷崎は、秀作でなくても実に勢い猛にこってりと書きすすむことで読ませた。活字に唇を添えて啜りたいとわたしは谷崎愛を表明したが、この作詩屋の場合、むろん比較になどならないけれども、この送られてきた長編にはそういうつくりものとしての体臭が漂い、強引さで拙さを隠蔽しながら力走しているところ、可能性であろう。

大正期ではないが、谷崎昭和初年の『卍』は或る種の堪らない作品であり、だから文藝の凄みがあり、古典的な作品よりもいいと臼井吉見先生は評価されていた。

なににしても谷崎作品は分厚い。「分厚い」とは何であろうか。わたしは、谷崎愛といいつつも作風としてはむしろ鏡花に近いと何人かに言われてきたが、それはわたしが谷崎の『卍』タイプの分厚さを、意識して避けてきたこととも関係する。

しかし谷崎の文章と文体が与える安定した華やぎは、駄作でもずしんずしんと地響きがすると三島の言った「大きさ」と直結している。

だから、この作者の場合、叙述の勢いを殺さずに、文章に対し如何なる自己満足に陥らない冷静無比の推敲が出来るか、勝負はそれだ。それが必要になろう。その上でごっつい駄作で終わるか、血の臭いのする美しい秀作になるか、だろう。

2004 8・29 35

 

 

* 池田良則氏が、後援している金剛宗家永謹の東京能の入場券を送ってきてくれた。珍しい能である。「RIMPA展」も始まる。

 

* 凄い風に家が揺れる感じ。暴風雨圏に入るのはこれからなのに。今年の夏は台風がよく来ます。 姫路

 

* 月様   今回は市内のあちこちに被害が出ています。我が家も七時過ぎから停電。ラジオを聴いていると、県内延べ三万戸が停電しているとか。近くの、徳島大学南常三島キャンパス横を流れる助任川が氾濫して、大学前の国道が冠水しているとも。瞬間風速54.1メートルを記録。ラジオから入る被害状況に聴き入っています。花籠

 

* そとは嵐です。さっきバタンと音がして、網戸が外れました。向かいのお宅が早々に雨戸を閉め切っていたのはこういうことかと、慌てて雨戸を閉めましたが。凄まじいです。鉄筋コンクリートの宿舎が揺れています。

そちらに颱風の影響のありませんことをお祈りしています。 花

 

* 広範囲に強い風が吹き強い雨が降っている。みんな、怪我の無いように。建日子らも。朝日子達も。

 

* 武庫の山を見てきました。毎年、夏を送るように、神戸のホールで「東西落語名人会」がございます。いつも(桂)文枝さんがトリを取られますので、水餃子のおいしい店に寄るのも楽しみに、参りますの。舌鼓をうちながら、雀はおかみさんに「十面埋伏」の意味を尋ねました。

「初恋の来た道」からずっと見てきた、主人もお墨付きの映画「LOVERS」。劉徳華の時代ものというので、久しぶりに映画館に行く気になりました。

ところで、歌丸さんや小三治さんて人気あるンですね。ひとことも聞き漏らすまいと客席はクラシックコンサート会場ばりの緊迫感。疲れました。

雀はいつもどちらも笑えないのです。今回、小三治さんの「あくび指南」に、あくび連発。春團治さんの「代書屋」に笑い転げ、文枝さんの「三枚起請」に気分良く家路につきました。

さて、「世界の三大料理」というのは、フランス、中華、そしてその国の料理だそうですが、「料理」に限らないようですわ。箕面の滝に寄り道して神戸へまいりましたが、竹生島では「安芸の宮島、大和の天川、近江の竹生島、相模の江の島、陸前の金華山が、日本五大辯財天」。箕面では、宮島と竹生島と「うっとこ」が日本の三大辯財天と…。

2004 8・30 35

 

 

* 少し以前に、テレビである人が、太平洋戦争中の撃沈王だったと云われた老人から、つい最近こんな話を聴いたと話していました。

ある時電車で隣に乗り合わせた学生風二人の会話に何を話すのかと興味津々で耳を傾けたと云います。一人がもう何十年も前になる第二次世界大戦の話を切り出すと、相棒はそんな戦争が日本にあったのかい、と返答をして、あんぐりと開いた口が締まらなかったとか。

昨年、篠田正浩さんが監督としては最後の引退作品「スパイ ゾルゲ」が上映されていました。CGを駆使して戦時中のまだいい雰囲気の残る銀座を撮った場面もあり、とても観たい映画でした。最近早やばやとBSで放映されて、録画して観ることが出来ました。

スパイ、映画で云えば「スパイ大作戦」や「ロシアより愛をこめて」に代表される「007」物。マタハリ、川島芳子もそうだったかな、そしてゾルゲが浮かびます。

先の学生程ではないけれど、第二次世界大戦に関しては戦争経験者のはしくれとしての程度で、大雑把にしか知識を持ち合わせていませんが。

ゾルゲ博士はジャーナリスト。父はドイツ人、母はロシア人で、ドイツ国籍者としては秘した共産主義者。ドイツ、ヒットラーのユダヤ人迫害に強く反発を覚え、日本のドイツ大使館から得る情報をロシアに流しているスパイでした。他国民が侵入、私欲を貪り、現地人の悲惨な生活を強いられた貧富の差のある土地での生い立ちが、公平な政治思想とみられる共産主義、スターリンに傾倒させていました。当時、朝日新聞記者の、モックン扮する尾崎秀實(ほつみ)は、共産主義者ではないが、日本の軍国主義、関東軍の支那への強引な侵略を内心批判していました。世界戦争に巻き込まれれば多くの人が死に国が滅びる、阻止しなければ、と。

尾崎とゾルゲとは勤務地の上海で出会い、支那を救うには、日本の情報が欲しいと持ちかけられます。容易に入る情報を流したが報酬は受け取らず、スパイの意識がなかったと後に述懐しています。

尾崎はそのキャリアから、請われて政府の満鉄の経営に加わり、極秘の書類もより容易く手に入れられる立場となり、それらはゾルゲを介してモスクワに送られました。後にはロシア側は、ゾルゲを二重スパイとみなして情報をあまり信用しなかったそうですが。

理想の世界て、どんな世界なんだろうと考えさせられます。

映画に描かれたままを真実と見るならば、ゾルゲも尾崎も共産主義に命をかけて、理想郷を求めて止まなかったけれど、その後のソ連共産主義の崩壊を知らない。社会主義も民主主義も、極端に傾くのが問題なのでしょうか。

それとも永久に消えることのない人間のエゴが問題なのでしょうか。ただ、願うのは、再び世界戦争のない平和なのです。

ジョン レノンの平和と戦争反対を願う「イマジン」がタイトルバックにに流れて、観てよかったなと思える映画でした。付け加えれば、父の元会社の軍隊物の持ち道具も沢山参加していました。

今しも、オリンピックの閉会式を終え、日本のメダル数の多さは国を背負わなくなったのも一因だと。そんな時代になったとも云えるのでしょう。

娘が体調を崩したので、マンションへ泊り込みで手伝い、その後何日か看て、昨日元気になって家に帰りました。

「RINPA」展は東京まで行ってでも是非観たいです。

本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳の国宝、紅白梅図屏風の絵が好きで、その額をダイニングに掲げています。この構図のひらめき、自由さがとても佳いなあ、と飽きずに毎日眺めます。

そう、もう初秋。私の辞書には、「秋」の縁語に「飽き」は見当たりません。  京都市

 

* たいした、おばあさん。

2004 8・30 35

 

 

* 嵐のあと  メールありがとうございました。メールに、「家の中へ風を持ち込まないように、隙間無く」と書かれてあったのに少し笑ってしまいました。 YOUは、花に対する風でしょ!

昨日は夕方にならないうちから雨戸を閉めましたが、それでも換気扇やどこからか分からないけれど風が入り、家中に風の音がして揺れました。

台風一過、暑いです。庭の木が折れ、藤棚が倒れ、長い時間の強風で山吹、コスモス、紫蘇、そのほかの葉が萎れ枯れました。めったにないことです。庭の手入れをして、洗濯してほっとしました。台風はまだ北海道のあたりでしょうか、被害が最少で済みますようにと願っています。 鳶

 

* おはようございます、風。 今朝は青空です。東京はだいじょうぶでしたか。颱風被害はありませんでした。よかった。昨晩はさすがにちょっと怖かったです。 花

2004 8・31 30

 

 

* 暑かった一日が暮れてゆきます。今日は二百十日でしたのね。昨日の名張は、列車の遅れが出た以外、特に被害もなく済みましたが、そちらはお変わりございませんでしょうか。

さて、正雀さんの「豊志賀」が佳かったンです。

怖がりの雀は、怪談は、読むと聞くほかは、したくないのですよ。歌舞伎の「豊志賀の死」の、神谷町また福助さんの写真を見るだけで、トラウマ。

正雀さんの高座を目の当りにしたのは初めてですが、仕草や声音、言葉つきなど含めて、綺麗で丁寧で深切で、植物のような柔らかな芯を感じる藝でしたわ。 囀雀

 

* この「私語」にいろんなメールを転載してきた。妙な申しようかも知れないが、「闇」の湖を彩る山河や木や花のように、また鳥のように、たしかにわたしは「利用」してきたのである。

これを一切やめてみたらどうかとも、ふと想うことがある。わたし一人の述懐と意見と記録とに限られ、深い闇の井戸を覗き込むようなまさに「私語」だけになる。それもいい、とも想うが、いろんな声が立体交差することで闇のママにも体温のある世界がカナタに見えてくるのも悪くないと思っていた。

2004 8・31 35

 

 

* 今日も真夏日、ぎらぎらと暑い、防災の日。昼前にすこしユラユラきたのは気味が悪かった。穏やかな秋到来と願いたい。

 

* 届きました! ついに届きました! これで私も「お父さん、繪を描いてください」が読めます。ホームページの「寂しくても」がどのような本になったのか、かなり楽しみです。あれを読んだ時、最後は山名の死を暗示して終わるのではなかろうか、と思った覚えがありますが、皆さんのコメントから暗示だけで終わらなかったことが分かっています。恒平さんが、なぜ敢えてその道を選んだのか、興味あるところです。肖像画は、間違ってもその瞬間になる前に見ることないよう、下巻を開く時は、かなりどきどきしました。

明日から休暇に出かけます。戻ったら、感想を交えてメールします。  バルセロナ

 

* バルセロナへ船便だとこんなにかかる。地球は大きい。けれど着くとすぐの電子メールは、あっというまに此処へ届く。地球は小さくもなっている。

2004 9・1 36

 

 

* モーパッサンを読んだことがありますか。短編小説の真の名人。長編もあり、それぞれ凄い。微塵の甘さもなく苛酷なほど人間のとらえ方が厳しく正確です。それでいて縮かみません。ロレンスは代表作の「チャタレー夫人」を座右に置くこと、イイと思います。いいと思うモノは必ず繰り返し読むこと、薬のように。書く手もとめないように。二百五十枚前後の作品に挑戦してもいい。

2004 9・1 36

 

 

* 震災忌   地震があったそうですが、つつがなくいらっしゃいましょうか。

朝なゐに、の、おうたをおもいます。おすこやかに、お幸せに。

紅花を活けて鍵屋の辻の茶屋

おしろいの刷毛のようと、芭蕉が詠みましたでしょう。山形が有名ですが、上野でも紅花育てられてますの。

暑さのきつい、出水の多い夏でしたわ。(中日)朝刊の連載が、露伴「幻談」から同じく「観画談」にかわりました。「嚢中自有銭という身分」―いいなぁ、なりたいなぁ。

に、ではなくて  の、でしたわね。ごめんなさい。ボケナス雀

 

* 浅間山噴火だと。びっくりしましたが、そういうこともあろうかと予期もしてました。毎日眺めていましたから。麓の町村は大噴火の被害に幾度も遭っていて、土石に埋まった鎌原(かんばら)には資料館があります。

浅間山は長野との県境にあり、実家のあたりからは離れていますが、心配です。このままおさまってくれるといいのですが。

ラストプレゼント、天海さんがいいですね。あの人は宝塚のとき、とてもかっこよかったんです。格別の男役でした。それが今では自然な女性に見えます。

今夜は早めにやすみます。おやすみなさい、風。 花

 

* 浅間の噴火がなにかの連鎖反応を呼ばないで欲しい。長野の方へ休暇の旅をしている息子もいる、なにもかも安全でありますよう。今朝感じた地震もこの余波であったらしい。

2004 9・1 36

 

 

* 昨日の残暑は堪えましたね。外出中は、冷房を利かせ過ぎで長袖が欲しい程の屋内と外との温度差に閉口しました。

夜のニュースの浅間山噴火には驚きましたが、まだ安心出来ない様子で、天災ばかりは防ぎようなく、マグマ様のご機嫌穏やかにと祈るばかりです。

奥多摩の山から線香ほどの一筋の煙の立ち登る活火山の浅間を見定めて、ヘー近いもんだ、としかと確認したのは、まだ小学生の子供らを連れてよく山歩きをした頃の事です。登山禁止の立て札のある麓のヒュッテに泊まったのは、もう十年以上前だったかしら、と思い出されます。

もっと驚きは、つい三日程前に老夫が東京在の九十何歳の叔父を同伴して、その近郊の本家の法事から帰ったばかりだった事です。くわばら くわばら。佐久の草笛、耳やさしい音色で聴きたいものです。  東京都

2004 9・2 36

 

 

* 「マーラーの恋」を読了。まじめな話、よく書いた。作者としてこれを書かずには死ねないと謂った動機を、よく仮構のなかへ注ぎ込んで、書くべくよく書き抜いたと思う。力作であり、問題作に育つ根が出来ている。大学世代の性と性生活、それも専らに女子三人を通して華麗に描いていて、むろんポルノ小説ではない。荒削りに、素材の膚もあらわな全くの未製品ではあるが、よくよく考え抜いてがっちり構成され、谷崎の謂う「構築的美観」をも、未完成ながらまずまず孕んでいる。ある面できつい切ない限界も持っている。どうにかならないかと思う。けれど、それでいて、大きな、まともな「文学」になりうる素質と才能とで書かれており、この初稿分にさらに多くを「書き加える」必要はない。この範囲内で、作品を「文学・文藝」に研磨し交響させる、センスのいい、根気も良い、うまい「手入れ」がほしい。

この作品、かなりの「音楽」をもう鳴り響かせている。耳を聾するまだ雑然の「音響」にちかいけれど、音楽へと統御されうる素質を抱き込んでいる。無用の雑音をカットし消して行くだけでも、見違えるものになるだろう。

大学生、それも一流校なみの大学生達の「性」ないし「性生活」が、臆面もなく材料にされている。それ自体は珍しいことでない。わたしが早稲田文芸科で、今活躍している角田光代らを指導していたとき、学生の提出してくる作品の多くは「性」がらみであり、しかも男子学生は「坊や」のように性的関係を悩ましく描き、女子学生はけだもののように露骨にはげしくそれを描いてきた。この寄稿された長編に生きている学生達も、この作品自体も、だから、わたしには珍しくない、が、書いているのはもう学生ではない。大学生を子にもった年齢の主婦なのである。

作品世間は中流の上ほどの奢りと華とに満ちていて、学生達は何校か横並びに、始終クラシック音楽の演奏機会をもっている。作中の音楽の扱いはすこしも軽薄でなく、ごく知的に要領を得て書かれており、はなやいだバックグラウンドを呈している。ジャズでもボーカルでもなく、マーラーであり、モーツアルトであり、ストラヴィンスキー等である。下品そうななにものもない、わるくいえば小贅沢なお上品社会なのであるが、その何もかもがエロチックの匂いに噎せも饐えもしていて、質実な風情は希薄、そこに展開する悲劇も喜劇も惨劇もが、みんな計算ずくに仕組まれていて葛藤するのである。それなりに、相当な作者の腕前である。

リアリズムではない、概念と観念のまるで生肉(なまにく)そのもの。新鹿鳴館ふうに舞台はぎらぎら飾られていて、作者の筆はそのなかで意外にこまごまと描写にも表現にも批評にも働いている。燦めくイイ表現が随所に見られ、そのわりに手垢だらけの俗句が少ない。それは、いい。だが不満はたくさん有る。一つ一つ立ち向かうしかないのである。

 

* ともあれこういう意欲作が飛び込んできたのは、少なからず興奮ものであった。

 

* 黒髪どころではないとお叱りいただきましたが、運動不足解消と気分転換として健康的に楽しく舞ってきました。帰宅してコーヒーを飲みながら美しい音楽を聴いています。ヘンデルのオペラから女性二人のデュエットを集めたもので心が清まるようです。心からお詫びしなければなりません。書いたものはただお目汚しでしかありませんでした。少なくとも、女をこういうものとして見たくないと思われたでしょう。読む人を不快にして見たくないものを強引に見せたようなものかもしれません。

でも、書いたことを後悔していません。書いたから、自分のある部分を知り、そして棄てさり、生き続けて良く変わることができたと感じています。あのようなものは一生に一度しかかけない無謀な賭けのようなものでした。ご指導でこの作品をなんとか低俗なポルノから脱却させたいと願っています。

2004 9・2 36

 

 

* 散歩は、三歩の事ではありません。

もともと決定的な内蔵疾患もなく、神経も細やか過ぎる程細やかなのに、反面ず太くもあり、心身ともにリッパ過ぎるのです。だから、糖尿病にもなったとも思えます。例えば生来胃腸疾患のある人は、腹六分目を余儀なくされるからです。今必要なのは、面倒がらずに「書を(ほんの少し)捨て、外へ出よう」でしょう。

食べるを畏れず、さあ、秋、足が痛くなる程散歩をすることを是非にと。

かく云う私は、どれほど健康の為であっても、首にタオルを巻いて夢中のウオーキングは大キライ。アハハ。楽しい目的を作って歩くなり、自転車を転がすのが好きなのです。

家に籠もりがちで、間延びの外出は、世の中の進歩に付いていけなくなり、頭でっかちのホンマの浦島ハナコや太郎さんになってしまいます。例えば、初めての駅で、乗り継ぎのような複雑なキップを買うのに、モタモタ、ノロノロと液晶画面を指打っているばかりでは、後ろにい並ぶ若者の舌打ちや失敗したアの声を聴くこと請け合いです。やれやれ、歳は取りたくない。

頑張って外の空気を楽しみましょう。

 

* たぶん当たっているのだろう、けれど、おおきにハバカリさんである。「気が向いたら、声を掛けてください」なんて、こんなお婆さんにかかれば、顔が合えば初めから終いまで「みのもんた」のごたくさとエラソーに説教だくさんな番組のようになり、徹底的にシラケルことは請け合いだ。この手の説教は家内だけに任せたい。色気がない。

 

* 古城。  女友達から、「『温泉コンサルタント』見てね」というメール。三津五郎さん主演のサスペンスドラマです。湖の美しい夕焼けが何度も映り、雀が旅した彦根や長浜、竹生島に、満室が残念だった須賀谷温泉から、小谷城跡まで登ったのには驚きました。

友人が聞いたところによると、城も好きだけれど、城跡はもっと好き、とのこと。わかりますわ。

越後高田は石垣だけの公園でしたの。そこに、何年か前、城が復元されたのですが、セットのような安っぽい城に、♪高田の春は爛慢と古城を包む春霞 とうたわれた景色が、台無しですの。 囀雀

 

* 卒論に引用させてくださいませんか。

貴著「猿の遠景」大変賛同の気持ちで読ませていただきました。私は**芸術科学大学で日本画を専攻していますが、「猿」をモチーフにして作画している関係で、卒論に「『猿図』に学ぶ表現の精神」というのを書き始めています。

「猿図にまつわること」で一章を構成したいと思います。

そのなかに「猿の遠景」に出てくる「猿図」舶載の事情分析等先生のお名前と共に書かせていただきたいのです。この簡便な電子画面でお許しをいただこうとは思っておりません。お手紙や論文をお送りする為のご住所が教えていただきたくて失礼とは思いましたがメールさせていただきました。どうぞよろしくお願い申し上げます。

2004 9・2 36

 

 

* くろがねの秋の風鈴   ご無沙汰しておりまする。早や長月。平安文学へ誘われる時節へと闇の時間がきらびやかに流れます。

ご紹介の「饗庭篁村」という方は饗庭孝男(「文学としての『俳句』」の著者)の先祖でしょうか、とふと思いました。老若男女の皆様のたまには「たわごと」であっても、真摯に向き合いすぱっと切る語感は、無常観であり無常観でないものを感じます。  川崎E-OLD

2004 9・3 36

 

 

* こもりくの雨雫。  稲が刈り入れられました。

何年ぶりかしら、頭痛がします。鎮痛剤を飲んで、とろとろしておりましたら、雷鼓と細い稲光。灰ひといろの空から音高く雨が落ちてきました。

先月、初瀬と室生の川をたどる古社寺巡りをしたこと、少しずつメールしてゆきますね。

堂守のおばあさんからお話を伺ったり、ご神木の根本で、斜面に建つお堂と山の気を背に受けながら、眼下はるかに青垣を眺めることを続けるうち、日が傾き、懐かしさを伴って、此の世に戻らなくともいいではないかと取り籠む怕さが、ひたひた迫ってまいりました―。 雀

 

* おかげさまで 今日やっと作品を搬入いたしました。 2点。 10日まで採否の結果はわかりませんので それまで北海道の知床半島へ行こうと思っています。レンタカーをかりて 廻ろうと予定しています。

今回の制作は随分と疲れ果てました。自分の力のなさも、いやというほど身に沁みました。

これからはしっかりとエンピツデッサンをしなければと。 お元気で。  横浜

 

* 「マーラーの恋」の作者に動機を問い、返辞がメールで届いた。

 

* 短い期間に、あのように気の晴れぬ重たい作品をお読みいただき、本当にありがとうございました。私語と夕方のメール、涙が出るほど嬉しくいただきました。

悍馬のような欠点だらけの作品です。作品としての限界や欠陥に一つ一つ立ち向かい、根気強く書き続け、もし一つの「文学」にすることができたらと願います。どうぞ、厳しいご意見とご指導くださいますようにとお願いいたします。

作の動機となったものはいくつかあります。急いで書きますのでうまく謂えませんが、主要なものは二つでしょうか。

一つは、人間は愛されないことによってではなく、愛し得ないことによってこそ真実絶望し傷つくのではないか、という問いです。

もう一つは、女(男)は本当に男(女)を愛し得るのか、男女の愛は不可能ではないかという、心底からの疑問です。

性が介在する男女の間に真実の愛は可能か、という疑いに衝き動かされました。性は、人間の愛の不可能を隠し、見えなくして、気づかなくするためのものではないか。  男女には性があり、性愛はあっても、それがはたして真実の愛情に育ち得るのだろうか。

また別の問い方もあります。性のない男女に愛は存在できないのか……。性のないことは愛の入口にも入れないということか?

そして性のない「藍子」と性を謳歌できる「千晶」を創り、二人の観察者である「沢子」を配しました。

何かを振り切ることができたように思います。

 

* 四百五十枚ほどはある作品。功名心に駆られずゆっくり四百枚に近づけながら、作品の生命線を聡明に断たぬよう手入れが利けば、望みはある。

2004 9・4 36

 

 

* 十一月の結婚式と披露宴への招待状を持参し、自転車で突如玄関にあらわれた卒業生。途方もない恰好でバテていたわたしは仰天して、へんな恰好で迎えた。我が家に来客を招じ入れたのは本当に久しぶりで、今では入れて上げようもないほど、ものに埋もれている。

おめでたいご挨拶であり、慶賀の意を謹んで表し、小一時間、四方山の話にうち興じた。

2004 9・4 36

 

 

* こんにちわ 風。今朝は新日曜美術館のギュスターヴ・モローの特集を見ながら、ウィンスロップコレクションを見たときのことを思い出していました。

それからソファで眠りました。からだが睡眠を強く欲していたので、そのようにさせてあげました。目がショボショボするのは、また何かの花粉に反応しているせいもあると思います。

コスモスはまだですが、毎日青い朝顔が駐車場のフェンス一面に咲いています。雨露に濡れて、とってもきれいです。 花

 

* 雨瀟々。雨の日の あめうつくしき秋桜 には少し早いが。

雨しとど萩はかすかに風はらむ

 

* 家にいるとつい機械の前にくる。ここでは大きなゲラを拡げての校正は出来ない。階下へ降りるとテレビがある。外へ出たくても、雨。用もたず、雨に無用の炎を打たせに歩けばいいのだが。今日辺りから、秋の個展や何かが開き始める。見て欲しい逢いたいも有るのだが、花とおなじ、花粉のつらさこそ無いけれどからだは睡眠を欲している。機械の画面がくらく感じられる。

まっくろに鴉め雨にうたれゐる

ヤイ鴉 なぜそこにいる雨の屋根

きらはれて鴉はひそと死んでいた

 

稲妻と書いてあはれや雨の午後  湖

2004 9・5 36

 

 

* 隣町に兼好終焉の地があるというので出かけてまいりました。青山町種生、国見の草蒿寺で晩年を過ごしたとか。山懐のせいか、法面崩落で通行止めというので、別ルートで参りました。寺の跡と塚がありましたが、、国見というだけあって、眺望優れ、今日のような「霧立ち上る秋の夕暮れ」は、アトリエの雰囲気たっぷり。

少し離れたところに、もとは熊野飛龍権現といった「飛竜神社」があります。雷鳴は低く響き続け、雨は時に激しく、今しも山の向こうから金色に輝く竜が現れそうな、佳い景色でした。 雀

 

* 地震前のメールのようだ、かなり大きい地震が伊勢熊野の沖であったらしい。

 

* 無事ですよ かなり大きな地震でした。一分近くゆれていた気がします。なかなかしずまらないので、ちょっとこわかったです。

今回の颱風も、相当大きいみたいですね。この辺りは大丈夫ですが、名古屋市内は冠水しているところがあるみたいです。なんだか散々です。

風、夏バテですか。そういうときは、ゆっくりお休みになってください。わたしも夏バテ気味なので、睡眠をしっかりとろうと思っています。 花

2004 9・5 36

 

 

* 「今回の(ロシアでの)学校立てこもり(虐殺)の結末、どう考えますか?」 これは、わたしからすれば孫のように若い少女の詰問であり、以下は少女の意見である。この意見の前では、わたしのブツクサの愚痴は何の意味もなさなかっただろう。

 

* 人間は弱い生き物です。あらゆる神の存在は、私たち人間に安らぎを与え、支えとなったことも確かなのです。その神々ですら争いの原因としてしまう私たちの愚かさといったら…。

戦争を考えるとき、互いの国の宗教、歴史を知ることは大切なことです。しかしそれ以前に、人間として、人の死を悲しむことをやめてしまってはなんの意味もありません。いくら事件背景を知ったところで人の死になんの感情もいだけなければ、その人が平和を目指して動くことはないのです。

ことの悲惨さを犠牲者の数でしかはかることのできない今の社会では、悲しみはいつのまにか怒りとすりかわり、その怒りもまた他の利益を手に入れたいがための戦争の理由と化しているのです。事件の被害者はもちろん、テロリストたちでさえ犠牲者なのです。彼らが亡くなったあと彼らの死は報復の理由として利用されるのです。ブッシュをはじめとする報復だなんだと言っては戦争を正当化するいわゆる国のトップが、一番人の死を実感できていないのです。それを国民に正義だなどとと言いまわり、彼らの悲しみまでもを利用している。報復による被害者は民間人や兵士です。報復をうけた国のトップは再び彼らの死を理由に戦争をおこす。常に私たちは利用されているのです。

こんな悲しいことありますか?

 

* こういう感想を伸び盛りの人に持たせてしまう人間社会、国際社会は、しかし既に制御のきかないグローバルな悪意凶暴の猛獣になっている。教団・教派も哲学も役に立たなくなった。もともと人の幸せの役に立つよりも、不幸せに目ふさぎする方が、信仰を売る聖職者多くの、たぶん哲学者も結果として同じ、役割だった。少女が嘆くような状況を改めうる力は、ほんとうは、民衆・大衆の、叡智とは言うまい、不満や恐怖から立ち上がる圧倒大多数の力でしかない。しかし民衆はあまりに十二分に政治的エネルギーも牙も爪も抜き取られてしまっている。

たとえば「学生」の蹶起しない国で、国々で、国民的な、民族的な、国際的な、世直しへ動けた例はない。

日本でもかつては学生が蹶起した。しかし一度立ったことのある学生も、保守社会に吸収されると、くるりと後ろ向きに、すぐ、民衆の衆愚化や無力化をはかる政権の走狗となり、テレビの前面へ出て例えば「コメンテーター」になる。政府へいつも顔を向けながら、こころばかりの批判意見をお愛想のように本音に混ぜておく。

戦前から敗戦後へかけて、「転向」ということが盛んに論じられた。鶴見俊輔のした仕事の大きい一つはその研究だった。だが同質同様の「転向」は、その後もインテリのなかでぞくぞくと跡を絶たず、政権は安心してそういう転向者たちを、マスコミ世間の前線に放任して代弁させている。かつては「団結」という言葉を働く人や若者や学生が叫んだが、今では民衆への支配層が大まじめに口にしている、そんな時代だ。そこから、「ブッシュをはじめとする報復だなんだと言っては戦争を正当化するいわゆる国のトップが、一番人の死を実感できていないのです。それを国民に正義だなどとと言いまわり、彼らの悲しみまでもを利用している。報復による被害者は民間人や兵士です。報復をうけた国のトップは再び彼らの死を理由に戦争をおこす。常に私たちは利用されているのです。こんな悲しいことありますか?」という少女のもっとも過ぎる悲鳴が起きる。ブッシュを助けているのは、じつは今では誰もかもなのである。

 

* 言葉を用いれば、だいたい少女のこういう言葉は出て来る、いくらでも、あちこちから、誰の口からでも出て来る。しかし言葉ほど今日欺瞞的なものはない。いい良さそうな言葉を口にすれば、ではどうなるか。伝染力や説得力があるか。聖職者が話しても哲学者が話しても教育者が話しても思想家が話しても、ただ言葉の死骸が山と積まれて終わりだ。言葉では、だめだと皆が内心思っているが、言葉だけをせいぜい許されていて、手足にはとうに縄や錠がかけられつつある。美しい名前のじつは苛酷に人の手をうしろでに縛り足には枷をはめる法律が、もうどんなに多く出来ていて、われわれはそれを見過ごしに甘んじてきたか。

言葉はもう役に立つにはあまりに弱くされている。むしろあのブッシュ批判の映画のように映像のほうがまだしもものを言う。

わたしは少女の深い思いが、ただ言葉により希釈され拡散されてしまうことを恐れる。怒りを胸に深く蓄えよと、おそろしい示唆をしたくなる。ものごとをあまりに一般化してしまわないようにとも言いたい。

 

* 「人間として、人の死を悲しむことをやめてしまってはなんの意味もありません。いくら事件背景を知ったところで人の死になんの感情もいだけなければ、その人が平和を目指して動くことはないのです」とは、たぶん、これ以上もなく正しい言葉だろう。

しかし、人間の「死」は、難しい。日々に無数の死があり、死としては同じ帰結だが、それへ至る道筋も死に様もあまりにちがう。それをひとからげに「死」「死者」と読んで間違いではないが、少しも正しくもないのである。ほんとうに「死なれた」者、「死なせた」者には、死とは特定されたもので、一般の死にも特定の死にも同じように悲しみを注げるようには人間は創られていない。もし死は総て同じと言うなら、人は悲しみの重さに即死してしまうか、それとも、悲しみを知らなくなるかのいずれかだろう。夫や妻や我が子や親きょうだいや恋人の死と、新聞紙上の報道死とが同じに人を襲うかどうかは、よぎなくも体験や経験や実感が教えている。のこすは、死を通しての深い実感がより広く深く遠くへ及ぶことの可能なように、真実に生きる、生きて死の重みを覚えることが大事なのだ。それが先だ。それは言葉では覚えられない。『死なれて・死なせて』という本を書き、自分の文学の一つの大事な主題に「死」を置いてきた、それがわたしの動機である。

言葉でものを書きながら、わたしは言葉を過信しない。それよりも悲しみなら悲しみの体験から得る真実の実感を大事に思う。ひとは「死なれ。死なせ」て初めて生きることを心身に刻みつける。

この少女には、身近な一つ一つの体験から、言葉を越えたものを具体的に掴んで欲しいと思うし、怒りは深く蓄えて、言葉に載せて蒸散させぬようにと助言したい。

 

* 書いている途中に少し長い地震が来ていた。

2004 9・5 36

 

 

* 風がものを鳴らし、日は照っている。

 

* また地震。 おはようございます、風。

先日ほど大きくはなかったけれど、三度目ともなると気味が悪いです。まずいときに、まずいところへ来てしまったのかも。まだ晴れていますが、風は音をたてて雨戸や郵便受けを叩いています。

すっぱいのは好きですが、おめでたではないと思いますよ。

ドレッシングは、ふるえの来るほどレモン汁をきかせたのが好きです。中国人は肉まんに香醋だけつけて食べるそうですが、香醋は、わたしにはにおいがきつすぎます。日本の酢をたっぷり、醤油とラー油で食べるのがいいですね。すっぱいものは、酢の物、マリネ、みんなおいしい。こんなことを書いていたら、食べたくなってきました。今夜はサーモンマリネにしようかな。

二三日前も、無性にラーメンが食べたくなって、インスタントの長浜トンコツを作りました。これがなかなかおいしかったので、また作ろうと思っています。チャーシューとのりと紅しょうがと白髪ねぎをのせて。

花は食欲旺盛、元気です。

 

* 地震、颱風、暴風雨。温暖化防止に懸命でないツケが天災に連繋しているかと思う。

 

* 中間地点、新幹線浜松駅、十分差の到着でホームでお連れたちと待ち合わせ、翌夕は同じくまた上り下りに別れ、一人東向きに帰路につきました。

もうあと何年こんな楽しみに出会えるやろか、と、浜名湖が目前の展望風呂に汗を流し、上げ膳据え膳にアルコールがちょっぴり入って満足満足と、川の字の床の上で気がねのないおしゃべりを遮断させた、あの地震。夜中におまけがもう一つ加わって仰天ものでしたが、どこでアクシデントに遭っても「しゃーない」と開き直れる歳やわ、と寝ぼけ眼で即意見が一致し、再び深い眠りに入りました。が、いやいや皆、まだまだ親として姑としてそして祖母としての役目は、でしゃばらず、求められれば(頻繁)快く担う現役であり。よくしゃべり、よく食べて気分は若くて、刺激を受けます。レディの永いお付き合いです。

二人から、忘れていたような京言葉が飛び出すと、「モッカイソレユウテ」とせがむ私は、もう東京人かも。

 

* 昔の七十婆と大違いの太平楽、七十でも八十になってもレディのつもりなのも、太平楽。けっこうなことだ。「モッカイ」とは、「も、一回」。「しゃーない」とも言っている。気散じなレディズではないか。

2004 9・7 36

 

 

* 葛の花が道にこぼれ、彼岸花が茎を伸ばしています。雨で崩落、地震で落石。交通止の道が増えているところへ、また、颱風。そちらは随分と蒸し暑いようですが、お元気でしょうか。

高階に猫と花火を見てをりし (林 朝子)

土曜の夜、雀は、雷の音とも花火の音とも夢うつつに寝入っていましたが、颱風がおさまった夜空に花火が上がったそうですの。10分あるかないかの、見ていた主人も夢うつつの―。

報道されない余震が気味悪く続いておりますが、溜息や愚痴同様、ぶつぶつと小出ししてくれる方が安心ですわ。黙ったあとが恐いから。

 

* 颱風ニュースは、すさまじい風雨を映していますが、当地はまだ強風だけです。外出ついでにビデオを借りてみたかったのですが、止めました。

なんだか体を動かしたくなってきました。運動不足なんです。お隣の奥さんの参加しているグループに行ってみようかと、真剣に考えています。ほんとうは、自分ひとりで出来て、時間も自由になるものがいいのですが。

まずは名古屋探索を運動の代わりにしてみます。

風の校正は捗りましたか。今日は何を召し上がったのかしらん。 花

2004 9・7 36

 

 

* 下弦の月。  野分あとの空の明るさ、風の軽やかさ。お江戸は強い風が吹いたようですが、ご無事でしょうか。ご平安をお祈りいたしております。

今宵は、月が見えそう。夜が徐々に延び、目の前のお仕事だけでなく、さまざまな「下ごしらえ」にご出精のことと存じます。

中秋の名月まであと二十日。あちこちの雑誌が京都特集を組む頃となりました。月や紅葉をご覧になる、誰にも内緒の、お気に入りの場所が、おありなのでしょうね。

長閑に心寛かにおん身おいといになるひとときが得られますよう。 雀

 

* 早寝。  ゆうべは眠くて仕方ありませんでした。真夜中頃には天候穏やかになり、静かに眠れました。風も早くおやすみになったのですか。

ブログをしている友人が何人かいまして、なかなかおもしろいものもあります。つづけているわたしの日記は、マル秘です。ふっふっふ。

洗濯を終えたら図書館に行ってきます。ロレンスを借りてくるつもりです。お元気で、風。 花

 

* 二人とも、東京から眺めればほぼおなじ近畿に暮らしていて、わたしの日常とはまるで交叉しないけれど、メールのおかげでご近所の感じがする。呼び名というペルソナが、こんなに役立つ。普通の郵便では逆立ちしてもこうは書けない。ひとつにはわたしが、きわめて抽象的な存在であるのだ、いわゆるメルトモでない、いわば腹ふくるる前に声や言葉を放てる穴の闇のような。わたしはわたしで、根の掴めない寂しみから、こういう声に救われている。銘柄のちがう酒のようなもの。

 

* 初瀬への旅

長谷駅は夏の日差しが満ち、いつもなら一、二台客待ちをしているタクシーも、係の人も不在でした。階段を下り、初瀬川にかかる橋を渡ると、目の前に与喜山の深い緑色。天満宮の朱い鳥居がよく映えることと見上げつつ、`今日は、この奥の天神さんへ詣でます。のちほどお参りいたしますのでごめんなさい’と、長谷寺へ折れ、門前にいるタクシーに乗り、川を遡りました。

都祁村との境辺りに、笛吹奥宮と標識が出ています。葛木笛吹神社の由緒書にあった「大和笛吹の社」はここかしらん。すぐ際が、化粧川。先には化粧壺。

都祁は、水分神社や小治田安萬侶の墓など、別にゆっくり訪ねたく、Uターンして、目的の、小夫の天神社へまいりました。

天照皇大神と大来皇女命を中殿に、春日大神と応神天皇を東殿、道真を西殿に祀ったお社から望む眺めに言葉失く、顕宗記に符合しているという、ご神木の大欅も、見事。

「倭笠縫邑・泊瀬斎宮伝承地」と彫られた新しい石碑が、道標に立てられていました。

「三輪のそうめん、笠の蕎麦」とはいえ、まだ花さえ咲かない季節。泊瀬川を下り、瀧蔵神社へ。ここは桜の古木でしられ、途の眺望も、素晴らしくよいのです

本地主の瀧蔵神社本殿後ろの杉の大木が、何本か伐られているのがまず目に入りました。風雨の被害なのかは分かりませんが、以前は、階の下から拝みましたのに、その道は木に塞がれ、急こしらえにコンクリの道が、本殿の背中をぐるりと回るようになっていて、扉を目睫に、思いもよらないお参りをいたしました。

初瀬川に合流する、芹井川の川上には高籠神社と高尾神社、萱森川の上流には高オカミ(雨冠に龍です)神社があります。萱森を訪ねた折り、合流点の天落神権現を見落としていましたので、芹井は次回にのばし、落神権現に行ってみました。

天落神は山に三社、川に三社あり、いま、磐座は初瀬ダムの底。

牡丹の時期はここを通るという、天神山の東側(トンネルです)の道を吉隠川に出て、初瀬街道を東へ。今地主の天満宮には結局お参りせず、車内から謝りました。

♪南は赤埴佛隆寺。  この春、桜の散り敷いたこの寺を訪ねました。もう少しすると、長い長い石段の両脇を彼岸花が赤く染めますわ。室生寺を通り過ぎ、川が宇野川と名を変える辺りの小さな橋の向こう岸、大きな銀杏をご神木に、ひっそりと田口水分神社がありました。

室生寺の四門

♪東は田口の長楽寺。  ここは改宗させられていますのね。法要の準備中で、ご本尊は拝ませていただけませ

んでしたが、佛隆寺同様、石段の上にある眺めの良いお寺で、善い空気を胸に入れて、

♪西ィは大野の大野寺、と 。クルマで室生寺へ向かうと、道筋からこぼれ落ちてしまうのですが、境内の枝垂れ桜と、川越しに拝む磨崖仏で有名。雀は、これに気を取られ、大野海神社を知らずにいたことが恥ずかしい。ほンの駅前なのに、高台の本殿は空気も清々しく、石段の両脇に向かい合う杉のご神木がまた佳いの。

♪北は名張の丈六寺  ここだけ、平地のお寺。良弁僧正供養塔といわれる五輪塔ほか、古い石がたくさん。越してすぐに、赤目にお住まいの愛読者の方をご紹介下さいましたでしょう。このすぐお近くのようでしたが。

ご出版の冊子をお持ちになって、わざわざお訪ねくださった日、たまたま雀は奈良に遊びに行っておりましたの。暑い日でしたわ。お詫びの葉書をすぐお出ししたのですが。

大野寺と丈六寺の真ン中に「長谷寺試みの観音」といわれる万行寺がありますが、明日、また。

つづく   雀

 

* メールが初めて使えるようになったという意味か。小説のようなものを書いていて、むかし手紙を何度かもらったが、その手紙のあんまりハイに騒がしいのを窘めたら音沙汰なくなった。最近自作を編集した小冊子を送ってこられた。

 

* ご無沙汰しております。

ご多忙中連日と拝察しながらも恥を偲んで始めて(パソコンの)打てた嬉しさを先ず先生に打たせて戴きました。

社会の変転の凄さに震い落とされています。

けれど物書きのはしくれとして何処までも自分なりでいい。一生懸命についてゆきたくて・・。深くご自愛をいのって止みません。  愛知県

 

* 文学老女か中年か判らないが、若くはないと思う。小説が書きたい、自分を「物書き」と自認しているのなら、メールはもっと静かに書かないと。物書きとしては、少なくも「はしくれとして何処までも自分なりでいい」など完全に間違っている。物書きには「はしくれ」もまんなかもない。佳い作品かどうしようもない作品かだけがあり、「自分なりでいい」などと自分に都合良くバーを勝手に上げ下げしてはいけない。そんなものが仮に在るとして、トルストイや漱石や潤一郎やバルザックのかかげているバーの高さが、「あなた」のバーの高さなのであり、それを越えようとしないといけない。「どうせわたしなどは」と思うなら、あなたは物書きでも何でもない趣味の人でしかない。言葉ははではでしく大仰に用いないことだ。

2004 9・8 36

 

 

* ラストプレゼントのようなドラマは設定が苦手で、普通なら絶対敬遠するのですが、建日子さんの作品ということで何気なく観て以来、惹きこまれています。とくに娘が夢中で観ていて嬉しく。

日本のこの手のドラマのちゃちなことは耐えがたいものがありますが、この作品は佳いなあと思います。まっすぐで甘そうでいて決して甘えなくて、真実に触れている。心に伝わります。来週最終回でほっとしています。苦しくて、そろそろ天海祐希さんを終わりにしてあげたいのです。

このドラマはよい脚本を得て、天海祐希さんの代表作になるかもしれません。以前桐生夏生さん原作のドラマでその演技力に感心していましたが、回を追うごとに明日香のしぜんに美しく、澄んでいくことに魅せられました。

「ER」でグリーン先生が脳腫瘍の再発、診察も困難になり今日で病院の仕事が最後という回で、観終えたあと、私はしばらく口もきけませんでした。ドラマとわかっているのに、何年も観てきたドラマなので、数日間友人に死なれたくらいの重さで落ち込みました。胃薬まで飲みました。バカでしょ。それだけ真に迫るドラマだったのだと思います。

きっとラストプレゼント最終回も胸に堪えるでしょうが、明日香に拍手しながらさよならと見送ってあげたいと思います。   東京都

 

* 今日のバグワンで印象に残っている言葉。

 

もし地上が地獄であるとしたら

その創造者はあなただ  94頁

 

思考は暗闇のようなものだ

それは内面に光のないときだけしのび込んでくる。     99頁

 

もう一人のわたくしに、もっと早くに読ませてあげたかったと思いました。 都内

 

* バグワンは、箴言をただ拾って満足しないように。たえず自分の来し方の「生き」や「姿勢」と照らし合わせ、自問自答を丁寧に繰り返しつつ、ほんとうに感銘を受けた時はそれを知識として記憶したりせず、感じて感じて受け取りながら、強いては字句や語句として覚えたりしないように。執着せず、いつかまた繰り返し読んで出逢い直せばいいので。それでも、ずいぶん、叱られているような気持ちになったのを思い出します。 湖

 

* 関東の方が早く涼しくなるみたいですよ。 風、暑さでへたばらないでください。

ロレンスは、ざっと見て文庫本が見当たらなかったので、「チャタレイ夫人の恋人」の入っている全集を借りてきました。手強そうですが、興味のあるものの方が入りやすいと思ったので。

掌説を一つ書きました。どうしてもチャレンジしてみたくて。風や川端康成の掌の小説を参考にしています。一週間試みるつもりです。

こっちはなかなか涼しくなってくれませんが、花は元気です。

 

* 掌説は 言葉数を費やさないこと。簡潔に心地よく速やかに。音楽のように停滞せず。粗筋のようにならぬこと。コントではない短い小説であること。思い切って天涯や他界にも遊ぶこと。思ったことも無いようなことを、胸の奥の闇から引きずり出してやること。現れ出てくる物に驚いても、逆らわないこと。そして暫くの期間は、自分に強いてでも書き続けること。次はあれをこれを書こうと予定的に思案しないで、突如として無心に立ち向かい、信じられないような自分にも躊躇わないこと。

ラストプレゼントには、まいります。  風

 

* テストです。ご無沙汰しています。少し秋めいてきた庭には、おみなえし われもこう コスモス むらさきしきぶなど、秋を告げる草花が揺れています。

今日はニフティを使ってメールをお送りしてみます。あのお行儀の悪いメールが行くかと思うと気が重くて、キーを打つ手も進みませんでした。娘たちのところには普通に届くようなのですが、AOLとニフティはよほど相性が悪いのでしょうね・・・・。

初めてのメールがニフティでした。もういちど新しいアドレスを取って、すんなりと流れることのみ祈っています。

海峡は休日のみ静かですが、休日は家族との用事に追われてなかなか出航にはいたりません。

お体に気をつけられて、よい日々を過ごされますように。   神奈川県

2004 9・8 36

 

 

* 登場人物全員がとてつもなく優しいドラマ「ラストプレゼント」を観終えて、すぐ床に付き、この頃は夜中に眼が覚めるともう寝付けず、ガマンして覚めたまま眼を瞑っている状態です。

「ラストプレゼント」では、脇の永作博美(この小柄な女優さんの持ち味が好きで、追っていますが)の役どころの、なんとこの世の人でない天使を感じる事かと。

水上勉さんは八十五歳で天寿を全うされました。  京都市

2004 9・9 36

 

 

* 大和の北海道、小室生。   夏は、本堂でたびたび碁会が催され、昼寝をしていると寒さで目覚めるほどだったとか。「寒くて寝てられへん」と母屋に戻ってらしたというご住職が亡くなったとき、壇家さんが総出で水拭きしてくださって、と、お嫁さんが、欅の木目がくっきり際立った見事な欄間を指差しました。

本堂の前には、枝垂れ桜が一本。きゅっとつづまった山懐に、花びらが舞い落ちるさまを想い、世離れた景色が、一層心に染みました。

赤目四十八滝へも、室生龍穴へも等距離で、景色からいえば、丈六寺より室生寺北門にふさわしい感じでした。

竜口、龍口、滝谷。そんな地名に囲まれて、宇陀川の支流、西谷川沿いに万行寺はありました。壇家寺なので、案内板などなく、農作業をしているおばあさんに訊き、クルマで通りかかったおじいさんに訊き、迷い迷い訪ね当てましたの。

「上。上行ったら分かる」と言われたのが、後日、雨の中を再訪してみて納得。龍がいそうな、白く霧のかかる山上を目指せばよかったの。

蓮如上人の来訪で、村をあげて改宗したため、十一面観音は本堂の右隅に、宝瓶を床に落とし、壁に倒れかかり、半身に残る黄金の美しさが哀しさを増す姿で、立っていました。

龍穴と室生寺。  万行寺から一気に道を下り、長いトンネルを抜けると、龍穴神社の前に出ます。苔むした巨石の道の先、胎内くぐり様の「天の岩戸」があり、雰囲気が増してきたところに、岩と滝と湧き水の龍穴が姿を現しました。神秘性に感激です。

そのあと室生寺へ行きましたら、十一面観音に「分かったやろ」と言われた気がして、弘法さんの奥の院は行きませんでした。ちんぷんかんぷんだった「コウドケ」が、室生寺で「香時計」と分かったのも収穫。

受付に、十一面観音の写真による聖林寺宣伝葉書が山積みだったのには苦笑しました。

谷、川、岩、山、十一面観音、そして龍神…それらにひたり、つつまれて、親しく迫ってくる力が畏れ多い反面、懐かしさに満ち、おおいかぶさってこられるのが嬉しくて。慕わしいふるさとのようであの世でもあるといった、愉しくも、不思議な心地のする旅でした。

だらだらとしたメールに、おつきあいくださいましたこと、まことに有りがたく、あつく御礼申しあげます。

菟田野町に、中将姫ゆかりの日張山青蓮寺があることは存じておりましたが、その近くに、兄(え)ウカシ、弟(おと)ウカシの、宇賀志があるのを知り、訪ねてみようと思っております。 囀雀

2004 9・9 36

 

 

* 孫が生まれたのがあの記録破りの暑さが始まった日でした。いっそ名前は”真夏”にすれば、と思ったくらい。その孫が帰って行って早一ヶ月、ようやく私の疲れも取れて来ました。

今、秦様のHPを拝見したら水上勉氏の思い出が書かれてあり、敦賀の地名が出てきて、私も「あの日のこと」を思い出しました。

昭和44年頃だったかと思うのですが、当時私達は敦賀の松島海岸近くその名も松島社宅なるところに住んでいました。

すぐ先の松島海岸と道路を隔てたところにある地域の中学校体育館で文藝春秋の「文化講演会」があると知り、とにかく文化に飢えていたので子どもは夫に頼んで、夜7時から座布団を携えて聴きに行きました。講師は地元出身の水上勉氏の他、開高健氏、漫画家の西川辰巳氏。

三氏の話の内容は今も少しずつ憶えているのですが、中でも水上氏が「私は失意の中で故郷に帰るとき、小浜線への乗り継ぎ時間にはいつもこの松原海岸に立ってじっと海を見ていました——」という言葉が忘れられません。

たったそれだけのご縁だけれども、ご冥福を祈っています。

昨日思い立って琳派展へ行って参りました。

おもしろい構成とは思いましたが、なんだか「こう観てください」と、お勉強を強いられているような気もしました。

あれこれ言われなくても、作品を見るだけで自分の内に琳派的なものがどれほど大きな位置を占め、影響を与えているか思い知ります。

物心つくやつかずから見た床の間の絵、座敷の屏風、扇子の柄、帯や着物の柄、みんなどこかでつながっているのだと、思い至りました。

常設展で華岳の日高河清姫がみられてうれしいでした。

そして藤田嗣治の「アッツ島玉砕」の絵に、ロシアオセチアの体育館が重なり。

以前お話しした第三部に当たるもの、大部出来てきました。   杉並区

 

* 夏バテ。 子供の頃から、夏休みにはりきり秋口にバテるタチで、もうそこに七十の入り口が見えても同じことを繰り返しています。お元気にお過ごしのこと、よそながら頼もしく励まされます。

水上さんのひとことに、言葉以上の多くを感じます。そういう人でした。

第三部がはかどっていると。これまた頼もしいことです、心行くまで書いて読み直してお仕上げになりますよう。

私もちかぢかに琳派展に参ります。展覧会もお祭りと同じで、観に行かずに楽しむとことも可能な例が自然出来てきます。能や歌舞伎もそうです。作の名や画家・役者の名を聞くととたんに頭の中でもっとも芳醇で完成された幻像が動き出す。現実の作や舞台よりも佳いと錯覚できるのですね。絵空事の錯覚ですが。  秦

 

* 水上勉さんのひと言、髣髴としてあの乗り継ぎ待ちをしていたホームでの立ち姿へ重なる。懐かしい。心親しい人にまた一人死なれてしまった。

 

* 人は逝き、惜別の「詠歌」「レクイエム」を「闇」で聞きます。水上勉著「良寛」を、今日は読みたいと思います。

氏は昭和の終り頃、NHK放映の番組で「一休」を語った。「破鞋-雪門玄松の生涯」を執筆の頃に、七尾線の「宇野気」にある西田幾多郎記念館へ訪れた。

この記念館は今は今様に華美化して場所も移転し様変わりした。当時の西田幾多郎記念館は上野の西洋美術館を思わせる均整と気品がただよう庭に囲まれた、こじんまりとした建物でした。初めてこの館へ行った日に、初対面の当時の館長が、昨日水上勉が取材に来た。作品の題名を聞かされました。帰り際に館長の上杉知行さんから文庫本の水上勉著「越前竹人形」をいただいた。温かい男の手垢がついた文庫本でした。著者の透き通った顔が浮かびます。   川崎 E-OLD

 

* チャタレー夫人を読んでいます。いいときに読んでいると思います。興味のあるときに、興味のあるものを。これがいちばんです。きっかけを与えてくださって、ありがとうございました。風、安眠できますように。 花

 

* 今、吉田健一というあの総理子息の「言葉」という考察を読んでいます。花はこの人のものは知らないかも知れない。まことに独特、独特すぎる旋回型饒舌体のとめどない文章なんですが、これが途切れようのない蜂蜜を掬っているみたいに美味で、また肯綮を得ているのです。わたしの「閨秀」を朝日の文藝時評で絶大に褒めてくれた批評のキーワードが、「言葉」だった。

いつも、言葉と向き合い、言葉を頼み、頼みすぎることなく言葉をいかすことを考えねばならないのが文学の創作者です。チャタレーは魅惑に富んだ言葉の藝術で、思想的にも骨太の大柄な名作です。ものの底から光ってくるようなファシネーションを感受して下さい。  風

 

* 黒髪 独り寝する地唄舞はほんとうに多くて、どれだけ仇枕と振り付けおぼえて仲良くしましたことか。少しは耐え忍ぶ女を見習えと、精神修養までしているようなものです。お稽古するものの、センスのなさには自分でもうんざり。踊らないでじっとしていると姿はいいんだけど……と呆れられています。

今からシャワーしてまいります。見せてあげられませんが、女ざかり。ふふふ。人形町

 

* この末行の挑発、わたしなら、こう書く。

今からシャワー。見てほしいけれど。女ざかり。ふふふ

削り、変えたところは、いやみ、くさみになる。可愛くない。

 

* 黒髪の 結ぼゝれたる 思ひには 解けて寝た夜の 枕とて 独り寝る夜の仇枕 袖は片敷く妻じやと云うて愚痴な女子の心も知らず しんと更けたる鐘の声昨夜の夢の今朝覚めて 床し懐かしやるせなや積もると知らで 積もる白雪

 

この「黒髪」は、もともと「大商蛭小島」という芝居のめりやす(下座音楽)で、湖出市十郎作曲かと。芝居では、伊藤の娘辰姫の恋慕う頼朝が二階で北条政子と逢っているのをじっと耐え忍んでいる場面、いわゆる歌舞伎の髪梳きの場の下座音楽として使用されるが、地唄舞に移されてからは、芝居に関係なく、孤閨の淋しさ、恋のせつなさを描く。花柳界の人たちにひときわ人気の名曲。祇園のはつ子はことに上手かったと謂う。

 

* 吉田健一  「時間」というエッセイを読んだことがあります。あと、好きな料理についてと、埼玉の辺りが昔の東京に似ていてなつかしい、と書いていたのを思い出します。そのくらいしか知りませんが、文章は独特だなあと思います。

今日も暑かったです。天気予報を見ると、関東の方が気温が低くて、羨ましくなります。

風は無理をなさらず、ゆっくり体調を恢復していってください。

おやすみなさい、風。 花

 

* 情報  メールは海を越え、時差を乗り越え、同じ情報を同時に流すことができるので、海外と国内にいる2人の子どもとおしゃべりするのには本当にありがたいツールです。けれどもおっしゃるとおり、情報管理という面では、引き出しに鍵をつければよかった時代と比べ、十分な危機管理が必要ですね。しかも、さまざまな方たちの家族構成・・親子関係 夫婦関係 などが赤裸々に分かる仕事ですから、顧客名簿管理は社員も含めしっかりと行う必要があります。改めて気を引き締めて管理したいと考えています。

自身である前に娘であること 自身である前に母であることを大切に考えていたこともありました。今は自身である前に企業の責任者という役割が黒いピンとしてずきんと突き刺さっています。暑い夏、眠れぬ夜も幾晩もありました。苦しい思いをしてなぜ新しい事業を拡大していくのか? 人によく尋ねられます。もう拡大したくないと思ったとき、私は事業家としての自分に終止符を打つのだと思います。しかし、自身であることそのものをやめるわけではありません。そのときには黒いピンの刺さっていない、マインドの塊でない、さらさらと静かに流れるような自身でありたいと思います。終章はそろそろ近づいているかもしれません。

われもこうとみずひきそうとすかしゆりを床の間に生けました。秋が部屋の中にも漂っています。おやすみなさい。   神奈川県

 

* わたしは今、無収入同然で暮らしており、この人は次々に企業を拡大されてきた。たいしたものである。

2004 9・9 36

 

 

* 夜半から激しい雨脚を聴いたような、それでも今朝のコンクリートが濡れていない様子に、夢だったのか、と朦朧としたままキーを打っています。

その前に前日の私語を読み、盛り沢山のメール、最良の電子の杖ですね。

国立近代美術館は比較的頻繁に通う処です。「村上華岳展」「加山又造展」。

華岳の絶筆「墨牡丹」その場に立ちつくして動けなかったのが昨日のようです。即、小説「墨牡丹」を読み直した記憶があります。その頃でした、日曜美術館でよくお逢いしたのは。

何必館所有の「太子樹下禅那乃図」この仏像図にも魅せられてポスターを購入、今その絵を持ち出して眺めました。丁度二十年も昔の展覧会でした。  東京都

 

* 琳派展へのお誘いであるが。繪の見える人は、独りで観るのが所詮最良、連れをそぞろ気にしながらはシンドイものである。先日の卒業生とのように、絵画と出逢うことそのものの尠い連れだと、横並びに視線をそろえて観ることに意味もあるが。映画と美術展は、ま、妻は例外としてもだいたい独りがいいと想う。

 

* おはようございます 風。今朝は曇りで、天気予報のおねえさんも「残暑はひと休みです」と言うけれど、名古屋の最高気温は相変わらずの大台でした。

髪を切りたくて、切りたくて。電話帳で美容院を探しています。(六月に行った近所の美容院は、ヘンテコにされたので、もうイヤなんです。)思い立ったことはすぐにしないと気のすまない、せっかちなところもあります。

風はいつも髪を短くなさっているの?  花

 

* 夏以来ボーゼンと暮らしているわたしは、髪ぼさぼさ、無比の老醜を全身に携えたまま、よたよたしている。一夏中、白とグレーのティーシャツ二枚を交替に着てどこへでも出歩いていた。歌舞伎座でも、会合でも、ホテルのクラブへでも。どこでも。九月になっても。

「ラフ過ぎるティーシャツ」と誰かに言われたかも知れない。ラフというより、わたしには着心地が「たいそうラク」なのだが、「ラクな恰好ほど体形を損なう」ともものの本で読んだかも知れない。それがどうした。

徒然草は印象的な段々に溢れている中でも、わたしの好きで憧れている人は、ありとあるお金を「芋頭(いもがしら)」の入手に宛てて、病んでも健康でも、どんな場所や機会にもひたすら独り芋頭をむさぼり食い、することなすこと自由自在に気儘で、しかも諸人の敬愛をうしなわない仁和寺の或る宿徳の僧都である。よく、好きなことを好きにして暮らしたいと人は憧れるが、出来る人は滅多にいない。この僧都はチャンピオンである。

閑吟集に、きびしい小歌が一つある。孤心とか恋愛とかを離れた、こういうところに此の歌謡集を支えたり編纂したりした批評家たちの皮肉な横顔がちらと見えるのだが。

人は嘘にて暮らす世に 何ぞよ燕子(えんし)が実相を談じ顔なる

孔子や孟子ではない、いまならさしづめ電線にならんでピーチクパーチクの燕たちを「燕子」と尊称してかつ嗤っている、あの軽くてお安いピーチクパーチクを、まるで「実相」を談じているつもりなのかと。「人は嘘にて暮らす世に」という喝破が凄い。「好きなことを好きなように」斟酌なげに思うまま過ごせる人もあれば、(いや、これはめったに無い。)たえず「実相」を談じていますよという身振り口ぶりのあらわな人もいる。そういう人ほど言葉遣いにも無用の硬さが出る。花さんも、硬い方だった。いっそ本名を忘れて花にしなさいと勧めてから、さまがわりにメールが自然に「恋文」に変わった。書く方もラクだろう、貰う方もラクである。肩の凝りがほぐれる。気さくにこうして転記もできる。「メールは恋文」説を、もろに誤解する人が、しかし、時に有る。

 

* 地のあとは、心が。  昨日はようやくぐっすり眠れました。その前の晩は、暴走族が走っていったと思うと、地震がきて、明け方もう一度暴走族が走り抜けていくといったていでしたから…。

隣町に、地震除けの要石でしられる大村神社があるのですが、日曜に兼好塚を尋ねた折、神社近くの和菓子店で、気に入りの要石最中と饅頭を買ったものの、神社へお参りせずに兼好塚へ行き帰ってきたのが、いけなかったかしらと、心が揺れています。 雀

 

* このメールなど、このまま徒然草風に編む本の一段にそっと置いても、それで落ち着いている。雀さんのメールは連日で数年、ダントツに数多く、それも囀雀と渾名を呈してからのものは、編めばそのまままさに今徒然草に似せ掛けることも可能なほど鑑賞性のある短章群になっている。雀さんはしかし、保存も記録もしていないだろう。

2004 9・10 36

 

 

* お気の毒でした。パソコンは保存が命ですからね。わたしも気をつけねば。失敗しちゃっても、風は元気でいてくださいね。

「ディープインパクト」は映画館で見ました。ハッピーのような、ハッピーでないようなエンディングだったと思います。

わたしはこれから「ザ・シークレットサービス」を見ます。ヴォルフガンク・ペーターゼンは「Uボート」の監督です。「アウトブレイク」「トロイ」も好きです。 花

 

* なるほど「Uボート」の監督であったか。あれはシビアないい映画だった。「ザ・シークレットサービス」も吹き替えでなく観たい映画だった。

 

* 昼過ぎまで、母たちの家で食事したりさりげない話をしたりして過ごしました。80歳を過ぎてもなお誰にも頼らす生活している母と伯母に感謝しています。

休日、私には「ひとりの時間」がどうしても必要です。自分だけの時間、自分のための時間。今日は部屋の模様替えや掃除をした後、ピアノを弾いて過ごしました。

いつものようにモーツアルトやショパンでなく、弾き語り用にアレンジされたピアノ曲を、歌いながら。「オン ブラ マイフ」「私のお父さん」など・・・。大丈夫です。雨戸をしっかり閉めて歌いましたから。

その後はカレーラスのCDを聴きながら、ひとりワインを飲みました。なぜか涙が溢れてきます、こんなとき。涙は心の中によどんだ感情を流してくれるそうですね。悔恨 寂しさ 哀しみ としっかり向き合えるのが「ひとりの時間」です。

イタリアの娘からメールが来ました。一羽の傷ついた小鳩とこの夏出会い、はぐくんできたのに、ここ数日帰らなくなった。おそらく大きな空に伴侶と共に飛び立っていってしまったにちがいない、と。「ひと夏の天使」で、画を描く感動を与えてくれたそうです。

さ、お風呂に入り、涙も洗い流してあしたに備えましょう。おやすみなさい。神奈川県

 

* 子供の一人をつらい仕方で死なせた母親は、いつもとてもつらそうで。堪えるためにあえて奔命の日々を過ごしているらしいが、「ひとりの時間」も必要なのだ。外見はとても幸せそうでも、一つ踏み込むと昏いトラウマに呻きながら闘っている人が多い。

 

* イーストウッド「目撃」は見のがしています。

「ザ・シークレットサービス」はまあまあでした。アメリカ大統領を守る意味を見い出し難い昨今だからかもしれません。クリント・イーストウッドは、何となく骨のある人のような印象があります。一番最近の「ミスティックリバー」という映画も大評判でしたね。見てみたいです。イラク戦争に強く反対してアメリカマスコミを敵に回したショーン・ペンとティム・ロビンスが主演しているのは、偶然ではない気がします。 愛知県

2004 9・12 36

 

 

* 三時半に寝て六時前に、パチリと目が覚めてしまった。起きてしまって、福原麟太郎のエッセイ「人生の幸福」を読んで、校正した。その前には、高見順の「描写のうしろに寝てゐられない」を入稿した。

この睡眠で、からだがもつわけない。昼寝や宵寝で睡眠を補うことをためらうまい。

朝一番に、佳いメールが入っている。

 

* おはようの続きです。 階下に下りて半分ボーとした頭で・・書いていたメールの続きを書こうと思ったのですけれど・・、数日分の「日記」をまず送ります。

9,9 午前に**寺に行き墓参。

祖母がいつも立ち寄って花を買った店に立ち寄り、菊の花を買う。彼岸花は無料ですからどうぞ持っていってくださいと言われて、これも墓前に手向けた。菊が黄色と白色だったから、赤白黄と、三色明るく可愛い色合いになった。日差しは眩しく強く、墓地の陰気さ、湿っぽさを弾き飛ばしていた。

やがて母たちも待ち合わせてやってくる。

声をかけて、誰かわかる? と聞くとたちどころに、「**子」と母は答えた。みんなの話の内容をどれだけ理解しているか分からないが・・母の様子に、顕著なボケは、わたしには窺えない・・。どんなにボケが進行しているのか、いつも気に懸かってきた。顔の青痣と目の赤さが先ごろの転倒を思わせて痛々しいが・・、それで眼科の診療を受けて次の手術にも繋がっていくのだから、むしろ母のために今後を祈りたい。

回転寿司でゆっくり昼食を食べる。マグロ、卵、鯛、稲荷、すずこなど、小さく切って母の口に運ぶ。みな美味しそうに食べた。

9,10 深い疲労と、深い諦めと、深い、いっそ安らぎと。小さな決心と、・・奇妙な静けさの真ん中に立っている。「今・此処」にわたしが存在して、さてわたしは「生きる」のですよ。することは山ほどあるでしょう?

ブッシュの支持が高まっているという。危機感の中で「外」への高圧的な危険な為政者を民衆は選んでしまう・・そうあって欲しくない、そうあってはならないのに。

9,11 *は***での学会に出かけた。水曜日に帰宅の予定。

ビートたけし「四年目の真実」  さもあらんと、改めて寒くなる思い。マス・メディアの情報を鵜呑みにしている自分の単純さ・・テロにハイジャックされた飛行機から携帯電話の通話が可能だったかどうか、ペンタゴンに「突っ込んだ」のはミサイルだったのではないか、など多くの疑惑があるそうだ。これらは非常に容易に出てきていい疑問点だった。

情報の一方的な流され方、真実とはいったい何なのか。石油、あるいは巨大軍需産業の企業と政治家の結託によるおぞましくも巨大な悪。ダーク・ピットの話が、現実のように迫ってきた。フィクションならいいが、現実であれば寒々しく、痛ましく、毒々しい。

NHKの番組もみた。イラクの刑務所のドキュメントも。

BBCなどのドキュメントを見ているといつも感じることだが、日本の報道番組制作の脆弱さ、層の薄さ、根の弱さを痛感する。殊に海外の現代の問題に関して。そして近代以降の問題についても。

わたしの期待と不満はないものねだりの馬鹿げた「高望み」だろうか。

先日BSで、ハーバード大学構内で働く人たちの労働条件改善の闘いを、学生たちが代わって起こした番組が報道された。そのあと電話で娘と話をしていたが、なんと今夜再放送されて見たという。

凄いわね、というから、今でこそ大学紛争なんて夢みたいだけれど・・と、つい長い話になってしまった。若い人たちが如何に「虚勢」されているか、無為に彼らの「力」がたれ流されているか、老いも若きも目の前の安楽や繁栄に脚を浸して、実は自分の体が腐っていくのさえ気づいていないのが、この国に現在ではないか。娘には、だが、そこまでは言えなかった・・。

ハーバードの構内の雰囲気、ケンブリッジの町、広場・・、思い出の懐かしい風景だった。

明日はマザー・テレサの展覧の最終日だが、届くものが何時になるかわからないので、行けるかどうか・・。

9,12 川岸の石ころほども価値が無い・・と、脱北の女性は語る。どんな理想を持とうが、世襲のあの擬似王朝の独裁者の政治は、愚政・悪政だ、狂った社会だ。普通の人がまともに生きていけないなど。

夜、アシュケナージの目から見た、スターリン体制下のソ連社会と音楽家・詩人の番組。これも重いがしっかり見た。

暑さ、それに午後から出かけるのでは限りがあること、日曜日は家にいるのがベター・・、で、結局、掃除、洗濯、読書と、なんとも凡々と暮した。という以前に、眠くて仕方が無かった・・昼寝したのは短時間だったが、気持ちも体も疲れていた。理由は・・戸惑いと、躊躇と、方策がないから。もっとも普段あまりしない家事も済ませたから、今日はいいことにしよう。

夕方図書館まで自転車で出かけて本を借りる。  兵庫県

 

* どんな主婦も、いやむろん男も、これほど意識たしかに日々を過ごせるなら、この国ももっと堅実かも知れない、が、それは想う方がムリだ。人は、それぞれであっていい。深い内なる疲労にもなやみながら懸命に目を覚まして生きている人のように思われる。

 

* 大切に、大切に。 さんざんの体調、さいていの気分・・と書かれているのに、文章の調子から戯れた雰囲気さえ伝わってきて、思わず苦笑してしまいました。ごめんなさいね。でもその後の記述にしっかり、すぐにフォローしたとあります。脱帽! 尊敬します。

本当に体を大切になさってください。禁断の江戸てんぷらも、お酒も・・好きなもん食べて幸せで何が悪いと、これもとてもよく分かる、ああ。

一期一会 ヒキズルナカレ。ひきずることなく、日々の一期一会に生きます。ホームページを読みました。

九月四日の神や宗教について書かれていること、身に沁みこむように感じました。「人間の不幸は神の意志に胚胎している。」あたりは「過激」でさえありますが、そう書かせるほどに、世界は悲惨にみちているのですね。

九月五日の「マーラーの恋」の作者の問いも、また・・身にしみて。若いときは、やはり自分も似た問いかけをしました。が、この問題の立て方は、女性ならではではないかと後になって気づかされました。

男性の多くはこのような問題の立て方は、しないらしい・・らしいと書くのは、やはり男の本音は微妙でわたしには分からないからでしょう。「好きになったら、興味が湧いたら女と寝るよ。」と、いささかヒンのない表現をしてしまいますが、端的で明確な言葉を男性から聞く機会が何度となくありました。この、好きから愛まで、どのような過程があ

るか・・好きと愛とは重なっていたり、無限の遠さがあったり。

男女の恋愛も、そしてそれ以上に友情に近い愛情もありうると思っています。恋も愛も、わたしは信じている、それが現在の素直な思いです。

書いていた一部分を収拾つかなくて消しました。短いメールで送ります。

明日は大阪へ再度行こうと思います。「祈りの道」吉野、熊野、高野の美術・・後期はほとんど入れ替えになっているので。今日も残暑厳しいようです。くれぐれも大切に。 9,13   兵庫県

2004 9・13 36

 

 

* 瓜の花が目に立ち。 お隣の、よく剪定された松の木に、黄色い花が咲いていましたの。あらと思って、よく見ると、窓辺の日避けに育ててらした糸瓜の蔓が、松に巻き付いてました。大きな実が、ぶらァんと下がって…あ、来週は、もう糸瓜忌。

稲株の畦に、秋桜や彼岸花が揺れ、露のしずまる木陰には、水引や杜鵑草の花がひっそり咲いています。お変わりなくお過ごしでしょうか。「彼岸まで」というとおり、なかなか残暑が厳しいようで、くれぐれもご自愛のほど。 雀

2004 9・13 36

 

 

* 右手にやけどしてしまいました。冷やしていますが、氷をはなすと、かあっと痛いです。このメール、左手でポツポツ打っています。

とくに詩を、と思って読むことは、あまりありませんでした。小説が好きでしたので。この頃は、詩や短歌も好きです。井上靖は「愛する人に」を、ときどき暗誦します。ペン電子文藝館にありました小熊秀雄の「蹄鉄屋の歌」にも、感銘を受けました。中高校生のときは中原中也を読んでいました。「春日狂想」はいいなと思っていたら、あれは中也の詩の中でもそうとう人気があるようです。「月夜の浜辺」も好きでした。今読んだら、印象が違うかなと思います。

風は、外出なさいましたか。今日もとても暑かったけれど。「寝子」にもなれましたか。 花

 

* 夜遅くにこんなメールが来ていた。

 

* 大学の頃、グリークラブの友人たちはかなりのおじいさんのある指揮者の先生の練習の時には(若い先生の練習もありました)、かならずワンピースなどのきちんとした恰好で化粧をしていました。それは強制されたことでも何でもなく、自然発生的なもので、ジーパンなど着る気にもなれなかったのだそうです。

この先生は敬愛されていました。言いかえれば、女生徒にこういうおしゃれする気持ちをかき立てない指揮者は無能とも言えます。関係にときめきも緊張感もないのです。

フランソワーズ・モレシャンさんがどこかに書いていました。砂漠の国の取材が長引いて深夜近くなり、ホテルに着いた時には夕食をすぐとらなければならなかった。ところが、取材クルーとの食事があまりに仕事の延長で疲労で打ち沈んでいた。そこで、彼女は失礼しますといい、部屋に戻って仕事服を脱ぎ、急いでワンピースに着替え、アクセサリーと香水をつけて食堂に戻った。

すると、他の男ばかりの取材クルーの面々が眼を輝かせて、口々にありがとうと言い、大喜びして、大変楽しい食事になった。

おしゃれはまあ、女の義務ですね。旅行とか家庭の中ならともかく、もし女がジャージー姿でデートなどということになったら、それは男が愛されていないことと同じ。 都内

 

* 老い若きにかかわらず、男性にも女性にも、感想がありそうだ。

2004 9・13 36

 

 

* 三泊四日、母子(娘と孫)のステイは、息つく暇もない程のテンテコマイで、のべ歩行距離は一山を越えた程に筋肉痛、腰のあたりに疲労感を覚えます。それでも、ご近所三人組との恒例夜のオダベリお食事会も時間を作って、パスはしませんでした。

ハイスピードのハイハイ、そのほうがラクだと分かっているかの様に、手離しで立つのがメンドクサイかの様に、赤いベルトの「初靴」が土付かずのまま。一人歩きの遅い孫クンですが、この子なりの個性をもう持っている、と面白がってみています。この辺りが、ばばの余裕でしょうね。

日曜日、次男夫婦が所用があって久々に来訪、妹と顔を合わせて、押し付けるつもりは毛頭ないけれど、両親の(老後の)事頼むよ、という会話がチラリと耳に入りました。

そう言えば、長男の、次男のそれぞれのお嫁ちゃんは、実母に頼られている昨今です。情況が許せば、それがベターかもしれないし、それに異議もなく。お向かいの一人娘さんは、四人親たちの老後を看るのが余儀ない状態で「準備中」だと言います。

終の棲家で全うするのは、誰もの願望ですものね。

こんな話題は寂しくていやだけれど、避けて通れない歳にきているのです。

見返りを念頭にでなく、アア重労働と眼をしょぼつかせてボヤキながらも、今、まだ、辛うじて動ける元気があり、実家から何百キロも離れての三人の子育て、こんな時に実母の協力をと思う折がしばしばあった昔の自分の、そんな思いを踏まえて、娘には、出来る範囲で労働の協力をしようと思うのです。

パパ(婿)のお迎えで、「四日間お世話になりました。老後は私にお任せください、」と娘から自然に出てきた改まった挨拶を受け、まあまあよろしくね、とあたたかーいヴエールに包まれたような気分で見送りました。

お彼岸も間近、暑い夏日もこの日を境に遠のく筈。今年はあと三ケ月なんて、信じられます?  東京都

 

* こういう遠くからの便りに触れると、かなり気は重い。よく思い出すのは、この町で妻や一時期叔母もかかっていた原田さんというお医者さんのことで。

癌の奥さんを医師の手であえて見送られたあと、同時に自殺された。患者たちの後始末もみなきちんとつけ、子供達を呼び寄せておいて、その到着前に遂げられた覚悟の死であった。自身にも予断をゆるさぬ難しい病気が迫っていたと聞いている。

そのことを聞き知った日、わたしは黙然といた。清寂があった。一抹の羨望もあった。わたしは基督者ではないし、自殺を否認していない、それどころか実兄も生母もみずから死んだ。ほかにも有る。ときどきなぜまだ生きている必要があるのだろうと思っている自分をみて、おいヨセよと窘めることがある。わたしは自殺しない。だけど、それだけは分からないではないか。妻は、さきに死なせて上げると前から言ってくれている。その方がいいに決まっている。

2004 9・14 36

 

 

*  水分(みくまり)  昨夕、馬の背を分ける雷雨となり、夜遅くまでサイレンと防災無線がかまびすしいことでした。

都祁水分神社は、以前に訪ねてましたの。誰かしら、知らないわと見てまいりましたのが、小治田(おはりだの)安萬侶のお墓。

このあたりは、神武天皇このかたという、まさしく、その地でしょう。そちらを学び出すと押し拉(ひし)がれそうで、逃難して、水分サンや、龍神サンにたよっております。

都祁の水分サンから近いのに、多田来迎寺には、寄ったことがありませんの。多田満仲供養塔があるそうで、いつか、川伝いに、地形などみながら尋ねるつもり。

穿邑(うがむら)   芙蓉が咲いて、散ってゆきます。宇賀神社と日張山青蓮寺へ行ってまいりました。

宇賀神社は、弟ウカシを祀ったのですね。辧財天の宇賀神だとばかり思っていました。

目の前のせせらぎにかかる橋が、血原橋。同名の橋が室生の伊勢街道際にありました。次の橋の名が、辰尾橋で―。

日張山は、よほど観光化していると思っておりましたが、まったくそんなことなくて。小柄な庵主さまが、白い犬とお住まいでした。  雀

 

* 「求道者と認識者」を読みました。「求道者と認識者」という二分類に、とても共感し、納得しました。「・・主義」ですとか「・・派」という言い方は、あまりピンとこなくて、作風について分類しても、その先に見えてくるものがないなと思っていました。「求道者と認識者」と分けるなら、そこから大事な「動機」の問題が見えてきます。

> 一体近代文学は全体としてどう評価すべきだらうと心弱くなりさうな人々は、私の二派対立図式の中に、小さな安心感を見出すことができるかも知れない、

わたしは安心感を見出しました。わたしの朧に感じていたことを、ずっと昔に伊藤整が言葉にしていたのですね。

> この二つの傾向は、具体的には各人の中に混つて存在してゐる。実践的求道者の独歩は、小説家としては無の意識による認識者であつた。また人間の組み合せの認識者漱石は、最後に即天去私なる実践目標にすがりついた。大まかに言へば認識者の行きづまりは、実践的求道者の生活によらねば打開されない。また求道者は目を開いて認識者たちの指摘した躓(つまづ)きの石を見てから行動しなければならない。

大いに納得しました。

> しかし人の力は小さいものであつて、一つの小さな認識に生涯をかけ、一筋の細い求道生活に命を賭すのでせい一杯なのだ。

この結びの言葉も、ずしんときました。

ところで、暑いですね。昼間に外出したのですが、暑かった。それとも、暑いのはこっちの方だけなのかしらん。

掌説、つづけていますよ。思ったより難しいです。そして、わたしの欠点がよく見えます。

風、頭痛だなんて、花はとても心配。お元気ですように。

 

* 私がいつも素敵におしゃれだなと思うのはアウンサン・スーチー女史です。あのような幽閉された環境ですが、いつも髪にその時々の民族衣装に合わせた野の花を挿してよく似合います。闘士でもありながら、心優しい女性なのでしょう。

どんな環境でも少しでも美しくありたいと身を花で飾ったりする、そういうおしゃれ心を失えば、女の女らしい佳さは失われます。戦場であろうと女はその環境で許される範囲でおしゃれであるべき。「義務」という言葉がお嫌いならば必要不可欠な「他者への思いやり」です。

老人ホームでもお化粧ボランティアがあります。化粧することでお年寄りの表情が輝き、ボケ症状も良くなるそうです。生活保護を受けている老女が、毎週かならず美容師に手足の爪のマニキュアの手入れを受けていて、それが当然の身だしなみと許容されている社会もあるそうですし。

男と女ではおしゃれに対するスタンスが違うのは当然のことです。

女の場合ラクを追求したら、そのだらしなさはとどまるところを知りません。ラクで疲れない恰好を選べば、それはただちに美しくないことになります。バレエでも地唄舞でも美しく見える姿はしぜんでゆったりではなく、本人は苦しいのです。

女優さんなどでラクな恰好をしているスタイルがありますが、あれは女の眼からみると相当に気を配られたおしゃれの場合が多い。ジャージー姿でもチャーミングに見える人も…。ああ、それは十代の若さか、天から恵まれたプロポーションか、恐ろしく高価なジャージーでありましょう。

おしゃれして逢いたい会いたいと女に想われるとしたら、それは単純に男冥利の一つと思っていただけると嬉しいです。  都内

 

* 挙げてある例は、ことごとく「外」の飾りのように見受ける。ほんとの「内」なるおしゃれは「もの言ひたるけはひ」にと兼好は言う。わたしもそう思う。外の清潔は髪だけでたりると。

 

* 女は髪のめでたからんこそ、人の目たつべかめれ。人のほど、心ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、ものごしにも知らるれ。

 

* すべて何も皆、ことのととのほりたるはあしき事なり。

 

* 上の「おしゃれ」論は、つまり外見の「ととのほる」ことだけで済みそうな所が、馬子にも衣装みたい。気になる。

* 母のちがう妹が二人川崎にいる。それぞれに姪や甥が何人かいる、正確には覚えられない。上の妹の長女からメールが来た。母親が例年のように親戚のある鳥取から二十世紀を送ってくれた礼を、娘のメールへ送っておいたのである。実父の生前に一度尋ねていったときに、まだまだ小さかった女の子に会ったと思う。メールはときどき思い出したように。

 

* こんにちは。お久しぶりです。メールありがとうございました。風の便りでもあったのでしょうか・・・

私はこの6月で会社を辞めました。今は、家にいて妹の子が生まれてくるのを心待ちにしています。(予定日は10/10です。)

ただ、この家にいるのも後少しのことです。幸せなご報告とかだったらより良いのですが、今度一人暮らしをはじめる事にしました。といっても、自宅から自転車で5分ほどの距離にある京急八丁畷駅徒歩3分のマンションです。

妹も川崎のマンションに引っ越してきますし、(来年2月頃です)叔母さんの家の従兄弟達もみんな近くにいるので心強いです。

やっぱり、姪っ子やらはかわいくて、その成長も一緒に見守っていきたいという気持ちもあって、また、今回希望の物件が見つかりましたので、川崎を選びました。やっと私も自分の生活を考えられるようになりました。

会社に入ったことも、病気になったことも、辞めたことも、本当に良い経験となりました。今は、初めてボランティアに参加してみたり、ミュージカルや、映画や、色々それなりに充実した良い休暇を楽しんでいます。徐々に職探しを始めたところです。

建日子さんのドラマ、とっても”はまって”見ています!久しぶりに良いドラマに出会えたと思っています。最近はドラマもマンネリのものが多く、なかなか昔ほど見ていなかったのですが、とっても良いですね。キャストも良いし、音楽も良いし、もちろん脚本も!彼の本は、ユーモアがあって好きです。前にも、たまたま見ていて、良いなーと思うものがいくつかありました。

また、今回の子供役が「歩」って言うんですよね。なんだか、名前を呼ばれているようで気恥ずかしくなったりしています。

今は、一緒に住まわれているのですか? もう、お幾つになられているのでしょうか? 従兄妹なのですが、2・3度しか会ったことがないので・・・

お食事、今はちょうど休暇中なので私はいつでもOKです。機会があったら、ぜひ。。。では、また。

 

* 実父が亡くなっておそろしいほど年数が過ぎたことに驚く。もう一人の姪にはもう子供が生まれるというのだ。この姪に、会ってみようと思う。

 

 

* ラストプレゼント、淡々と切なかった。 鳶

 

* ラスト プレゼント  何度か切れ切れにしか見ることができなかったのですけれど、最終回 拝見しました。最後のろうそくに火の灯らない海辺のバースデイケーキのシーン、心に残りました。断片的にしか述べることができませんので感想は控えておきますが、ぼろぼろ涙を流しながら見ました。ちなみにわたしの携帯電話の着信音はこのドラマのテーマソングです。さらなる建日子さんのご活躍を楽しみにしています。  川崎市

 

* ラストプレゼント  悲しくて、哀しくて、愛(かな)しい、娘から母へのラストプレゼントは、「限りある命を生き抜くことができる力」でしたのね。

昇りくる太陽に希望の光を残してのラストシーンには、もしかして奇跡が起こるかもしれないという思いさえ抱かせられて…。

浄化される心地で、今夜も、涙をぼろぼろ流しながら観ておりました。

建日子さん、本当に素敵なドラマを有難うございました。 花籠

2004 9・15 36

 

 

* 久しぶりにぐっすり眠り、珍しく朝寝しました。からだが要求したのでしょう。黒いマゴが二度ほど夜中に起こしに来たと感じていましたが、無視。建日子の「ラストプレゼント」が終わり、それでわたしも打ち上げた気持ちで昨夜はぐっすり寝たのかも知れない。

掌説は、たしかに生やさしくない。読んでみるとこんなのなら簡単と思えて、書くと難しい。

早稲田文芸科の学生たちに、教室で五枚、二十枚、五十枚と書かせてみたとき、五枚の作で読めるモノは一人も出せなかった。みな只の作文で、手に負えなかったらしい。

「思い切って」言葉から言葉へ飛越していく断念のようなものが必要なのですね、太鼓を打つように、音は一つ一つ区切れていて、途切れては居ない。説明を始めたら粘ってしまい、行数ばかり喰ってしまう。そして四枚ではとても収まらない。軽いコントの感覚では一遍の小説作品にならない。

わたしが、自分の「掌説」をひそかに自負してきたのは、かなり独特で、かなり作者自身を裏切っているところです。作者も知らなかった作者が露出している。そしてその気になると、どの一編からも長い小説へ成長できる要素も有るからです。

気を入れて、不退転の覚悟でまた試みてごらん。始めたら一週間から十日ほどは石にかじりついてムリにでも毎日続けること。その自虐が不思議な泥を吐かせます。

2004 9・16 36

 

 

* 大事に生きて。 ありがとう、短いことばが沁み込みます。痛いほど、そして心地よく。大事に生きます。

あなたも、ね。大事に生きて。強く願っています。

14日に大阪と、京都市美術館の京美人の絵を見に行ったのです。暑さ厳しく、とても疲れて帰ってきて・・でも上村松園の絵など多くの絵に出会いました。

心身共に疲れが癒しがたい状態かもしれません、が・・大事にという言葉を噛みしめます。大阪の展覧会で見た西行像のやさしさ、静かさを思い出しながら

あはれみし乳房のこともわすれけり 我がかなしみの苦のみ覚えて  西行

生きるとはそういうこと・・命なりけり・・小夜の中山ならずとも 処々 命なりけりと。  兵庫県

2004 9・16 36

 

 

* チャタレイ夫人。  古本屋で新潮文庫の完訳を手に入れ、ほくほくしてさっき帰ってきました。

昨日は「ラストプレゼント」、最終回でしたね。とても感じの佳いドラマでした。

ぐっすりおやすみになられたようで、なによりです。わたしも今朝は寝覚めがとてもよかったんですよ。

でも夏バテが思わぬところに出まして、病院に通っています。やっと涼しくなってきたという実感があります。花

 

* ありがとう。

ラストは最初からほぼ決めていました。

案の定、「明日香の死ぬシーンが見たかった」という不満もちらほら聴きますが……。でも、やっぱりあれでいいのだと思っています。 建日子

 

* 同感。

 

* 山川のへなりてあれば恋しけく

杉木立深く畳みなした山の濃い緑に、雲が際々と翳を落とし、三毛猫が片陰を追って歩いてゆく昼ひなかですのに、日の暮れるのが、ずいぶん早くなりました。

赤とんぼが飛び交い、柿は色づき、柑子色した銀杏が落ち散らばっています。すず風に、尾花がなびき、葛は白い葉裏を見せ、裏見葛の葉…。

朝刊の投稿欄に、「熱帯夜寝返る妻を受け止める」とあるのに、秦さんをおもひました。

ごきげんよく、お健やかに、お仕事すすみますよう。 雀

 

* 誰の句か知らないが、「へなる」は、隔たる・隔てる。もうめったに使わないが、いい動詞。

2004 9・16 36

 

 

* 「おしゃれ」観   皆様の「おしゃれ」についてのいろいろなお考え、興味深く読んでいます。

先夜夫婦でNHK「ふしぎ大自然」の極楽鳥のダンスを見ていました。

極彩色の羽をまといメスの歓心を得るため懸命に踊るオスの姿を見て

「こら(これは)、なかなかたいへんやなあ—–」と同情しながら、夫がやおらこんな質問をしてきました。

「もし極楽鳥に生まれるのであれば、あんたはオスかメスかどっちが良い?」

「——–」

しばし困惑の後に私は、「待っていて相手を選ぶメスより、積極的に工夫努力するオスの方が私には性に合っているかも知れないなあ」と答えました。

やっぱり動物のおしゃれは異性との関係性において語られるものでしょう。

人間に於いては、メスがおしゃれをしてオスに選ばれるのを待つと言う、極楽鳥のメスよりも分の悪い立場のような気がします。

私自身はおしゃれとも、おしゃれでないとも言い難い。語ってしまうと自分の手の内を曝してしまうような気もするのでここで書くのはやめておきます。

障害児の母親というのは、”おしゃれを捨てて頑張っている”という社会通念があるようです。”こんな子がいるのにおしゃれするなんて不真面目だ”とも思われるようで。

私の友人が「役所に頼み事に行くときには地味な恰好していないとまとまる話もまとまらない。だから私は役所陳情用に古い洋服一式が置いてあるのよ」と言った。確かにそのようなところがあるのです。当時の厚生省障害福祉課長(今は某県知事)に話したら彼はこの話が気に入って、ひっつめ頭にサンダル履き(私はそこまでは言っていない)という尾ひれをつけて、各所の講演で引用してくれた。 「おしゃれ」にはこんな側面もあるのです。

男女を問わずおしゃれには一種の変身願望もあるのではないでしょうか。化ける楽しみ。でも私は年中化け続けているなどしんどいので、ふだんはナチュラルライフ、秦さんと一緒で楽が一番。でも、たまにはマニキュアして宝石つけ香水つけハイヒールをはいていざ出陣!

おしゃれにはうぬぼれも必要、鏡(現実)はあまり見ない方が夢があって良い。

もしうんと長生きが出来たら、最後は男なのか女なのかも感じさせないような、「枯れた人間」に私はなりたいです。   杉並区

 

* これもいわゆる女の「おしゃれ」論にとどまっている。最初の問題提起者は、むしろ男女関係としての服装上の「エチケット」ないし「文化」論であった。「ウィーンの人は『心地よい』ということを人生最高の価値としているそうですし、アングロサクソン民族もたぶんそうです。ところがラテン民族になると迷うことなく、コンフォタブルより『異性を喜ばせるおしゃれな恰好の良さ』を選ぶと、本で読んだことがあります」というところから意見陳述されていた。

男女ともにそうなのか、女がより多くそうなのかは知らないが、動物と人間との別なく服装(形色)は異性間のアピールに比較的早い文化段階から成っていたのは間違いない。提案者は、それが大事なことであると、かなり極端に、服装のおしゃれをしないで女性がデートに出るときは、相手の男を愛していない証拠だと断言までしていた。この人はつまりは「ラテン」派をよしとしたのであろう。

日本人(であるわたし)は、ラテンでもアングロサクソンでもないし、他の日本人たちがどうあろうとも、人を見る上でみだしなみは大事に感じても、おしゃれには囚われない、ましてその辺の固定観念や片寄った価値観には囚われたくない、少なくも服装では人間を観ないようにしているし、自分は、場合に応じながらもなるべくラクにしていたい、「おしゃれは我慢なんですッ」なんてのは御免蒙ると考えてきた。勤め人の頃はしにくかったことでも、今はそうしたければ出来るのだし、背広着用を強いるような店では喰わなければいいし、盛装して来てなどといわれる場所へは出て行かないだけの話である。燕尾服でおいでくださいとあった結婚式の招きを、断って出なかったこともある。祝意はそれでなくても示せるからだ。

それにしても、わたしの興味深く思うのは、やはり単なる女の人のおしゃれより、異性をハッキリ意識した上での「服装意識という文化」のほうにある。「女文化の死装束」と題して平家時代の大鎧、大兜や太刀や衣装等の「もののぐ」華麗の意味を論じてみたこともある。平家物語の魅力の一つには当時の公達と呼ばれたオスたちの平装、武装の華麗があるが、源氏物語の頃にすでにみごとに開花していたえ女文化の、それは「末期の死装束」だった。王朝の服装は、服飾はただのおしゃれでなく、文化として異性を常ににらんでいたのである、ご苦労なこと、というのがわたしの感想なのである。

光源氏にしても女のいない場所、親しい男同士の場所では「大君姿」とかいい、しどけなく楽な恰好を仲間内のおしゃれにしていた。わたしは、しどけなくてもいいとは言わないが、親しければ親しいほど、情愛が通っていればいるほど、男女間でもお互いに清潔にラクに装っていればいいと思うのだ。髪かたちも持ち物も化粧も履き物も、上から下までカチッと決めてもし女性に出て来られれば、わたしは、シンドクてへどもどする方である。

2004 9・16 36

 

 

* Re: オッと。ユニークな

hatakさま 先の台風18号は、大変な被害でした。職場では、樹齢百年近いカラマツ並木がバキバキと折れ、通行中だったら大惨事になっていたところでした。窓から煙突が飛び込んできたところもあり、ハリウッド映画なみでした。私は、石垣島にいた頃を思いだし、外の景色、風の巻く音などから、「あ、風速25mになった」という具合で、年に何度もした体験を久しぶりに体感しておりました。

論文を読んで頂きありがとうございました。

早速いろいろな方面から反響があり、「次は小間の点前で比較を」とか、「物言わぬ動植物ならともかく、現存する組織に対して、伝承と異なる系統が推定される恐れ」を指摘する方もおりました。「茶を常」に、生活の糧にしている人が少なからずあり、難しい茶道「界」ですので、系統樹のデータが一人歩きして、特定流派の営業妨害にならないよう、注意しなければと思っています。

来月アルゼンチンに出張します。その準備もあって、駆け込み実験に追われています。「求道者と認識者」読むことができましたら、また感想を述べてみたいと思います。

どうぞお元気でおすごしください。 maokat

 

* 送って上げたかも知れないが、念のため伊藤整の論文を札幌へ送る。颱風はやはりよほどヒドカッタのだ。maokatさん無事で良かった。真岡哲夫さんの例の論文の題は、「非生命体の進化理論(2)  茶道所作の系統進化」で掲載誌はたしか裳華房刊「遺伝」2004年の九月号だった。

 

* 高校生の新しい友達が出来ていて、ときどきメールをくれる。どこかへ遊びに行こうかと話し合っている。

 

* 今日は(志望校へ)自己推薦の出願にむけて志願理由書を書きはじめました。かなり多めな字数指定なのですが、いろんなコトを書きすぎないように、でもしっかりアピールでるきようにといろいろ内容を考えました。

浅草いいですね。中学のとき遠足で行った以来行ってないです。

最近涼しくなりました。季節のかわりめは風邪をひきやすいので体には気をつけて下さいね!  こころ

 

* 病院での結果よいことを願っています。  姫路市

2004 9・17 36

 

 

* 風のお体に(診察上の)問題なくて、何よりです。花は、少し風邪気味です。熱と頭痛と喉の痛みがあります。急に朝晩涼しくなったせいだと思います。チョイチョイこうして風邪を引きますが、毎日ビタミン剤を飲んでいるからか、あまりひどくならずに済みます。

昨日あたりから「風邪かなあ」と思っていたのですが、貰ってあった遊園地の券の有効期限が切れそうだったので、今日行ってきました。

絶叫マシンでキャーキャー言ったり、景色のよく見える乗り物で風を感じたりしてきました。それにしても暑かったです。

帰って来てから薬を飲んで眠りました。だいぶ頭がすっきりしました。

「チャタレイ夫人」の完訳をしみじみ読み終えました。ロレンスの謂うことを、素直に聴けるよろこびを感じています。図書館で借りた削除版と比べてみますと、描写のあるなしで印象が全然違いますね。

 

* そう。チャタレー夫人はすばらしい。敢然と取り戻した、自然。たぐいない知性がそれを可能にしたのがすばらしい。とらわれたリクツは拭い去ったように捨ててしまえた聡明さ。それが、性への没入を、光り輝く知性と感性との宝玉のアマルガムに、玉成に、し得ている。その美しさと優しさとはあらゆる作家達の創り出した女性の中でも有数の女神。ブロンテの「嵐が丘」ふたりのキャサリンと並んで、とわたしは賛嘆する。この二人のキャサリンは、一人の女では実現しにくいほどの偉大な燃焼を、母と娘とで力をあわせて完璧に仕遂げた。チャタレー夫人は男の愛と性とをじつに見事に享けて、生彩そのものとして生まれ変わった。満たされなかったものをたまたまの出逢いで埋め合わせたというのでは、決して、ない。生きているだから逃げては卑怯とぞと彼女は完璧な自己責任で幸福を確立したのである。

2004 9・17 36

 

 

* この度の二度目の浅間山噴火の降灰を都内でもみた、とニュースで報じていましたが、我が家の車にもグレーの灰が薄く覆っているのに、夕方水遣りに出て気付きました。

夕まぐれに、酔芙蓉の花が今日の役目を済ませて、冴えない赤茶の花首を傾げています。今年は遅めで、やっと三つ四つと花咲き始めました。品よく、それでいて華麗。五本の指に入る程大好きな花。

朝一番に真っ白な大ぶりの八重の花びらを開花させ、日の光でピンクに、真昼には鮮やかな深紅に染まり、それが夕刻には首を傾げて、翌日にはポトリと落下してしまう一日花。

なんだか、女の人の一生みたいと思い、そなら今の私は・・・色かしらん、いやだなあ、なんて。  東京都

2004 9・17 36

 

 

* いま、列車は大和朝倉を通過しました。綿を引き延ばしたような、秋の雲が、あっさりと薄青い秋空に広がっています。中野美術館の秋季展が始まり、松伯美術館の華岳「夏の刻」が20日までというので、出かけてきましたの。

今日十八日は、観音さんのご縁日。富雄川沿いに、未だ見ぬ十一面観音を訪ねてみたい、佐保路の興ある古社寺も行ってみたい、白毫寺の萩は盛りでしょう ――前髪の辺に、のっていてくださいませ。

そうそう深大寺では、とっくに咲いているのでしょうね、そばの花。花でもてなす…の、こちらは伊賀上野です。信州柏原に行きますと、本心、山裾に広がるあの白さに、ぞっとしますのよ。「そばの花」になりたいなあ。 雀

 

* きのうのあの困憊は、熱中症ででもあったのか。べつに日盛りをむちゃくちゃ歩いたわけでないのに。帰宅から結局今朝まで十数時間昏睡していた。からだが弱い弱いとふれこみの雀さんの、歳のほども分からないが、元気なことには降参する。

湖の本の再校が出来てきた。発送の用意は何一つ出来ていない。また手厳しい秋の陣になる。

夜前もバグワンと兼好さんとに、いろいろと、したたか叱られ続けた気がしている。

2004 9・18 36

 

 

* いま、聖武天皇御陵にいます。

中野美、松伯美と見て、長弓寺、王龍寺へめぐりました。ぱらぱら降り始めた雨が、聖武天皇御陵に参っているうち、本降り―になったかと思う間なし、まぢかに落雷! ただいま、宮内庁の小屋軒下で雨宿り中。動けません。

眉間寶寺遺蹟の石碑見つけましたよォ。山には垣がめぐらされていたため、向かいの気象台敷地から、奈良の眺めをたのしみました。興福院(こんぶいん) て、佳い感じのお寺がありました。今度、予めお願いしておまいりにきたいわ。あ、小降りになってきましたわ。踏み出しましょ。

 

お書きになってらした通りに多聞城跡、若草中学からの眺めには、歓声をあげましたわ。軽自動車以外進入禁止の多門町は、改めて徒歩で訪ねることにしまして、橋のたもとに出ますと、天の助け、空車のタクシーが通りかかり、さらにいいことに、運転手さんが地元のひとでして――北山十八軒戸から元明天皇陵・元正天皇陵、黒髪稲荷へと案内してくれ、八峰神社が佳い、白毫寺の萩にはもう数日要ると、宇奈多理坐高御魂神社へ。

ウーン、佳いッ!

奈良の佛も寺も佳い、けど、平城山の古社はさらに佳い。あぁ、困った…。  雀

2004 9・18 36

 

 

* 風 お体の具合、いかがですか。たくさんお休みになって、眠気と頭痛は少し解消なさいましたか。とても心配しています。

今、強い雨が降っています。しつこい眠気はありますが、わたしは今日、もうだいぶいいです。 花

 

* それでもいつやら熱帯夜が去り、自然の恵みの涼しい夜は熟睡を促してくれます。五時間も寝られたのは最近にはないことでは。万年睡眠不足のあなた、もっともっと、ね。

「理想の結婚」は最近BSで見ましたが、おっしゃるとおり、もう消しています。

「めぐり合う時間たち」は「リトル ダンサー」の監督、ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア、メリル・ストリープ、エド・ハリスと、すごい出演者でしょう。ニコール・キッドマンはこれでアカデミー賞を取り、名優エド・ハリスの末期のエイズ患者の演技が鬼気迫っていました。

続けて二度みて納得出来る、ヴァージニア・ウルフの「ダロウエ夫人」を軸に、三世代のややこしい頻繁な時代交錯、このあたりは少しあなたの小説風かな。「ニューシネマパラダイス」のように終盤が利いています。

もっともっとこの映画のことを書きたいけれど、横で、預かっている孫クンが寝ていて、時間の余裕がなく。

今年はお米の収穫上々だと、九月初めに共同購入の栃木こしひかりの新米が、嬉しい大幅の値下げで入りました。美味しい美味しいとご飯もののメニューに徹して、食の進むこと。馬馬(ばば)肥ゆる秋にはなりたくない、ガマンのしどころが、つらいとこ。

また今日も蒸してきました。

私は頭痛の経験がありませんが、あなたの睡眠不足頭痛が解消すればいいのにね。  酔芙蓉

 

* 奈良土産  豊祝の蔵元が出店したのか、近鉄奈良駅に立ち呑みの店が出来てまして、冷やかしで入りましたら、酒呑みの営む店らしく、居心地は佳いし、若い女性が盛るこのわたは、五合要りそうなほど。

猿沢池近くにある「ぜいたく豆本舗」のオリジナル製品が、殆んど105円であることを、今まで存じませんでした。

自家栽培の落花生を近くのパン屋に持ち込み、パンを焼いた余熱で煎ってもらっておやつにした、豆ものにうるさい主人が、「止まらない」と悲鳴を上げるほどの質で…。

地酒と煎り豆を秦さんにお土産にしたかったですわ。 雀

 

* 天秤  鞍馬の火祭りに行こうと、何年来言い合っている女友達がいます。宿を取らねばなりませんでしょ。雀一羽では出にくくて。平日で彼女が有休を取れない、また、雀の都合がつかない、と流れ流れて…ですの。

今年は、文楽公演と重なり、また、おじゃん。

文雀「酒屋」と、呂勢/清治で、玉女&和生が遣う「吉野山」ですの。

関東では何箇所も公演があるのですけれど、こちらは19日の名古屋と21日の倉敷のみ。

簑助さんと違って、地味なふりのお園ですが、それだけに染み入るのですよ。 雀

 

* 言うまでもなく雀さんのメールは数でも圧倒的に多い、一年三百六十五通ではきかないだろう、よう囀るなあと少し諦め気味に読んできて、思うにこれらを一巻に編んだなら、稀有の「雀百まで」に成っているだろう。どういう人なんだ。さりげなくやすやすとわたしのサイトに寄生して自己表現だか自己韜晦だかを果たしている。

2004 9・19 36

 

 

* 同僚委員の加藤弘一さんから情報が来ている。住基カードなど、こういう垂れ流しは予想されたとおりのことで、ただただウンザリする。これじゃあ、わたしが雀さんや鳶さんや花さんや酔芙蓉さんたちのメールを転記して、サイトの空気をせめて柔らかい和んだ感じにしたいと思うのは、あたりまえだ。だからと言って目をつぶってやり過ごすことが出来ない。

2004 9・19 36

 

 

* 雨のあとのムシムシする中、古本屋へ行きました。先日チャタレイ夫人を買ったのとは別の店です。収穫なしでした。それからタイ料理の店に寄って帰りました。タイ料理は好きです。

「U-571」という映画を見ていました。ハラハラしました。潜水艦や戦艦の映画を見ると、「女王陛下のユリシーズ号」を思い出します。ヴァレリー艦長、カポックキッド、ティンドル、ラルストンという名前が浮かんできて、切なくなります。

モニタの画面が眩しいとか。取り付けタイプのフィルタをお使いになったことはありますか。少し改善するかもしれませんよ。

風、お元気でいてください。花は元気です。

 

* おなじ映画を観ていた。「Uボート」と似ているが、出来はあれほどではない。「眼下の敵」ほどドラマチックなつくりでもない、しかしハラハラして最後までみた。やはり小説「女王陛下のユリシーズ号」を思い出していた。海戦ものの小説では、いやありとあらゆるサスペンスものの、いや文学作品の多くと較べても白熱した傑作が、アレだった。ボブ・ラングレーの「北壁の死闘」も素晴らしい作品だったが、「女王陛下のユリシーズ号」の感動は遥かに強烈なボディブローを呉れる。

2004 9・19 36

 

 

* ふと目覚めたら日付がもう二十分ばかりで変わろうとするところ。メールの返辞を一つして、もう今日を終える。眠い内に寝てしまいたい。

 

* 学園前の美術館。 中野美術館は、いつもの通り、温潤な水蒸気に満ちた感じの地下展示室で、雀は、ひとり存分に時を楽しみました。

松伯美はかなり混んでいましたが、その割に静かで、今回、雀は、額に嵌めた一枚が、これほど、繪を、つんと冷たく、質感から遠ざけるかと、硝子の功・過を感じました。

松園さんの部屋で、最初に展示されていた下繪を見た女性の唇からこぼれた、「これだけでも、なンゃ、ほっとするナ」というひとことに、あらためて松園さんのちからづよさを思いました。

庭の萩の咲き具合から、白毫寺は後日でよしと思いましたの。

明日は弓張月。  父から栗と新米が届く、昨年と同じ敬老の日。今年は、枝豆や子芋も入っています。

以前、台湾映画を見に行った名古屋駅裏のミニシアターは、周りに、アジア雑貨、書籍、食堂、喫茶などの狭い狭い店がいくつもある一角にあって、小雨降るなか、お客まばらな喫茶店で、香港や韓国の芸能グラビア誌をめくりながら、のんびりアジア風に過ぎてゆく時間を楽しみました。

ところが、昨今の“韓流”で、連日、女性客で賑わっているようす。「LOVERS-十面埋伏-」は違うところで見ましょ。

午熱去らず。どうかお元気で。 雀

 

* 萩のたよりに、揺れる。萩は、ふしぎな花。

2004 9・20 36

 

 

* 十九日の萩の寺、今年は開花が早かったとかで、すこし見頃を過ぎていて、細かい花びらを散らしていました。

水汲み場の周りの彼岸花も赤い色が褪せていました。

昨日は西大谷(墓参)、バスで行きましたが、祇園を過ぎたあたりから大渋滞、ずいぶん時間がかかりました。河原町五条から五条坂を歩く方が早く行けます。

福田のお墓も母で最後、今は私が使用名義人を継いで守っていますが、その先のことを考えると思案にくれます。

いつまでも暑くてまいりますね。ご自愛くださいませ。   みち

 

* 常林寺境内の萩の大波を写真で添えて、従妹の秋便り。文字通りの残暑に萩もいささかうろたえぎみに盛りを過ぎていったかもしれない。

突発的に高熱を出して弱ったというようなメールも来ている。今年の夏から秋への気候はほんとうに訝しいまでおかしい。「アテネ熱」とでも名付くべきか。

このサイトへ、その萩の寺の写真など、写真というものを自在に挿入できるといいのだが、その方法など田中孝介君に教えられていたのに、とうの昔にすっかり忘れてしまい、今ではどうにもならない。

 

* 心励まされるいい便りもある。十六年、十六回入選、精進して大きな公募展で会友の列に加えられたと。想わず拍手した。

2004 9・21 36

 

 

* あちこちで真夏日更新ということですが、お身体の具合はいかがですか。お疲れのごようす、心配しています。いつまでも夏が去らないせいか、最近体調崩している方がとても多いようです。どうぞお大事になさってください。

ロリータという映画は、ジェレミー・アイアンズ主演の作品もあります。ご覧になったことはございますか?

たしかイギリスでは公開できなかったか、公序良俗に反するとすったもんだした作品です。テレビで、しかもふき替えで放映されていたのを偶然観ましたが、藝術の域に達したと言いたいほど、非常に佳い映画でした。

中年男の愚かしい人生、薄汚れたとすら言いたい小悪魔少女への性愛が、ある瞬間至上の愛の光りに差し貫かれる。ジェレミー・アイアンズの名演もあり、原作の胸打つ場面と同じところで泣きました。涙なしには観られませんでした。

ナボコフは昆虫学の権威、蝶のコレクターとして有名でしたが、蝶に取り憑かれた人というのは、やっぱり変人が多いなあと、偏見の強い私はその昔、ロリータを読みながら妙に感心していたことなどなつかしく思い出しました。

「私はいま、野牛(訳注 アルタミラ洞窟の壁画の牛)や天使たち、永続的な絵具の秘密、予言的なソネット、つまり藝術という避難所について考える。ロリータよ、私がおまえと永遠の生を共にすることができるとすれば、ただひとつ、これしかないのだ。」

久しぶりに取り出してみて、長い作品のこの最後の一文に、藝術の悲願ここにあり、と感動し、私もあきらめず見果てぬ夢を追いかけなくてはと思っています。

 

* あれだけ寝ても、また昼過ぎて二時間ほどソファで寝てしまい、もう夜中だとか、早く起きないと日付が変わるとか夢見ていた。夕方にもまだ間のある四時前なのに。ずきずき頭痛。

 

* お預かりした作品「トロイメライ」は、もう本にでもなっているのですか。電子化は出来ているのですか。出版されてなくて、電子化は出来ているなら、「e-文庫・湖 (umi)」にそのまま掲載してみるのもいいかと思います。編集者に見せやすいので。

「書ける」書き手ですね。しかし、小説とはこういうものという、或る前提になる理解が固まっていて、それにあわせて創り出している。やむにやまれぬ動機の深さからではなく、おもしろいお話として。切実な血の滲む動機が作品に漲る作を、この程度ソツのない表現で書ければなあということですね。趣味的に、じょうずに書けるというのが、つまり文学以前の陥穽のように思われます。ま、みようによればそんな風にでも書ければいい、小説なんてそういうものだと考えているプロはいっぱい、むしろ大多数派ですが。井上靖でも、面白い話はないかないかと探索し、助手のような女性に捜させていたということを、当の女性が書いていました。ああいう楽屋ばなしはしてくれない方がいいのですがね。

 

* 午前中に近くの病院へ行きました。もらった薬を飲んで三時間ほど眠りましたら、35度7分まで熱が下がりました。病院の薬って、よく効きますね。

わたしはこれで悪いところを出し切って快方に向かうはずですので、風もきっとよくなります。元気でいてくださいね。 花

 

* 八時。もう起きていられない。

2004 9・21 36

 

 

* 昨晩、頭痛と書かれた後、八時に、もう起きていられないと・・。心配しました。

良かった。まだ睡眠時間は十分ではないでしょうが、体を休めて、そしてお芝居楽しんでください。本当に「元気でなくちゃ」です。

やっと気温が30度以下に・・湿度高く残暑、残暑でしたから、ホッとした気分になりました。今、NHKで大阪の萩の寺、東光院が放映されています。  鳶

2004 9・22 36

 

 

* 佛の道も何度でも。 「見仏記」のコピーです。

興福寺も薬師寺も、幾度となく訪れていながら、東金堂や東院堂を見落としていた、うっかり雀。今は、仏とお堂がつろくしていて、拝観がかなうことが、本当に貴重なこととなりました。

「よく見えませんでしょ、左に扉がありますから、中に―奥の、内陣まで入られて。どうぞ」。捨て置かれて、びっくり。

巨岩の前に建てられた本堂の中は真っ暗で、燭台がひとつ。揺らぐ灯火の向こうに、石彫りの十一面観音が、木の葉に当たる雨音を聴きながら、穏やかにおいででした。

何度でも訪ねたい王龍寺。

白雨のなかで。  昔、正月堂といわれていた海瀧山王龍禅寺の森は、貴重な植生とのこと。保護というより手入れされていない印象のその中を、うねりながらのびてゆく階を進み、修験の滝を過ぎ、最後の石段の下で、雀は、白い雨足越しに見る甍の曲線と色の美しさに立ちすくみました。

山門から、三笠山、大仏殿、五重塔がのぞめ、裏山には岩に刻まれた大黒天。本堂の右、長く細く延びた道の先に登美神社があるという、それらすべてを、降りしきる雨に諦め、お参りして、由緒書を頂こうとインタフォンを押すと、年若なお嫁さんが出てこられました。 雀

2004 9・22 36

 

 

* 山のようなポップコーンを膝に、映画館でロードショーなんて「ピアノレッスン」(ふるい!)以来です。

「LOVERS」見てきました。

「十面埋伏」の原題のほうが好いわ。ワダエミの衣装もそろそろ飽きがきましたし、洋楽の歌姫のEDにはコケました。でも景色やアクションのスピードなど、馴染めるのがなにより。大好きなアンディ・ラゥは、損な役どころに加えて、出番は少ない、衣装は地味…。でも、様々なレッスンを積んでいるのがよく分かり、良い吹き替えで映画はずっと良くなる派の雀も、吹き替えてくれるなと思うほど、良い声。

遊郭の女将を演じた、中年の女優もよかったですわ。  囀雀

2004 9・23 36

 

 

* お寺とお社。  お江戸は夏が居座ってなかなか涼しくならないようですが、お疲れを溜めないよう、どうかご自愛のほど。

こちらは、雷が近くなり、雨音も激しくなってまいりました。

駅ではなく駐車場から入って、初めて薬師寺鎮守のお社に気が付きましたの。苔むして、時代がかって、断然、雰囲気は好み。そして、先日訪れた生駒の長弓寺でも、能舞台のあるイザナギ神社のほうにひかれましたわ。ただ、いつも、そうではなく、秋篠寺の裏(といっていいのかしら)にある、御霊神社はそれは恐かったですわ。怨霊が八柱も祀ってあったからかもしれません。 雀

 

* 心斎橋で、閉館した大阪の出光美術館に大阪市立近代美術館の展示室が開かれるそうです。オープニングは10/9。雀の好きな、佐伯祐三展なンですの。

天保山のサントリー美は、いろいろおいしそうな企画で人を寄せますが、今風の建築群に気乗りしないこともあって、未だ行ったことございません。佳い繪が心斎橋で見られるのは、雀にとってはとても嬉しいことですわ。

朝刊の連載は、「蘆声」で露伴を終え、しばらくののち、鏡花になるそうです。露伴は、漢語が多く、リズムに乗れず、読みにくく、酔えませんでした。 ナマイキ雀

 

* ホームページがメンテナンス調整中とあって読めません。早い回復を! 体大切に。 鳶

2004 9・24 36

 

 

* 名張の丸の内地区には、今は珍しい、丸い赤ポストがあって、小学校の校庭には、二宮(金次郎)さんの銅像がありますの。昨晩、月光が校庭を照らしておりました。今日は運動会で、朝からたいそうにぎやかです。いつもBGMにしているデジタルラジオは、すっかり陰が薄くって。消すしかありません。

昨日は午過ぎから雷と雨で、停電や浸水など、三重県内はしばらく騒ぎでしたのよ。そちらはいかがですか。ご無事で、お元気で、お仕事が思うようにはかどりますこと、こころよりお祈りいたしております。 雀

2004 9・25 36

 

 

* 脚痛みませんよう、脈正常でありますよう。今、日本画の教室にいます。夕方岡崎へ。用事で、一泊。関西は今日は暑いです。お城、台風で崩れた壁の修理少ししていますが、全容見られます。お元気で。 鳶

 

* むかし、一度姫路でわざわざ下車して姫路城を見ようとしたが、生憎と大修理中で美しい姿が見られなかった。その後も姫路へ一度下車したけれどその脚で丹波篠山へ行ってお城は見ていない。これはわたしの聞き違いかもうろ覚えかも知れないのだが、戦前に京都府視学を努めたという父方祖父はまた一時期姫路市助役を務めていたともいう。この人の足跡は北九州にもあるという。それはそれとしても、姫路城の麗姿をいちどまぢかに見たいという夢がわたしにある。姫路市には、わたしのための骨壺を美しく焼いて贈ってくれている陶藝家もいる。いまは疎遠になっているが、ひところ二三度顔も見たし、姫路から篠山の窯場へくるまで案内してくれたのも、それだけでなく室津までも案内してくれた(ような気がする)。どうも小説に書いてしまうと、現実とごちゃごちゃになる。

2004 9・25 36

 

 

* 十月のヴィスコンティ映画祭の夕刊広告を見て、「地獄に堕ちた勇者ども」「家族の肖像」「イノセント」などもう一度観られたらと思っています。ヴィスコンティがもう少し長生きしてくれて、ヘルムート・バーガーとシャーロット・ランプリングで念願の「魔の山」を映画化してくれていたらと、今でも残念でため息が出ますが、それでも本当にたくさんの重厚で濃厚な名画を遺してくれました。

睡眠が足りてきていると知り、安心して、嬉しくて。どうぞいつもお元気でありますように。  東京都

2004 9・25 36

 

 

* 萩の咲く道を通勤しています。ススキも風にゆれ、空もすっかり高くなり、季節を感じます。

不眠に悩んでいます。心が疲れて寝付けず、眠ったと思うと三時間で目が覚めてしまうのです。しかたなく起きて翌日しなければならぬことをしていると、四時 五時。もうひと寝入りするのですが、六時半には起きないと仕事に間に合わず、結局寝不足。

電車で坐れて三十分でも仮眠できれば頭はすっきりするのですが、これがないと午前中ぼーっとしています。

右肩が岩のように重いのです。磁気利用のピップバンや、貼り薬 塗り薬 マッサージ器 すべて試すのですが、本当の痛みは抜けません。運動不足かとせいぜい動かしてみるのですが、首筋に板を張ったような感じ、これも不眠と関連しているのでしょうか。

夏のうちクーラーを一時間ほどかけて寝付くようにしていました。涼しくなれば楽になるかと期待しながら。けれどもせみの声がこおろぎに変わってきても寝苦しさは同じです。私自身の季節が 秋も深まったころに近づいているからでしょうか。

憂鬱な話題で申し訳ありません。明日は十時ごろに家を出ればよいので、不眠ともこうして付き合っています。今五時。二度目の睡眠に入りたい。  川崎市

 

* 同じ苦痛を堪えて悩ましい人は男女ともに多いようだ、私のように明くる朝に出勤の無い者にも、似た苦痛は来ている。寝入って私の場合は一時間半か二時間でいちど目の覚めることが多かった、そして二三時間して、また。

だがこの数日、それも軽快したのは、昼夜となく睡魔の誘いに抵抗しないで寝に寝られたからであろう。そういう気楽なことが大抵の働き人には出来なくて気の毒だ。この萩の咲く道をむずかしい仕事をすべく出かけてゆく人は、いつも全身に「黒いピン」をたててその痛みに追われるようにして生きていると形容してくる。いつであったか、そういう夢をわたしが見て、私語に告白したのを、この人は以後わがことにうけとめて黒いピンの痛みを言うようになった。黒いピンは、せめても時有って抜き放たねば堪え難い。わたしはそんな夢のあと、黒いピンを一本一本抜いて捨ててゆくように、かなり意識して努めた。バグワンに背中を押してももらった。

「黒いピン」を全身にハリネズミのように立てていない人になど、めったに会えない。みな苦痛に呻きながら日々を過ごしている。中にはその黒いピンの数多さを自慢にさえして痛いまま奔命奔走している人もけっこういる。お忙し氏たちである。

 

* わたしが、今、もう最後の方の黒いピンをどう抜こうかと、妻とも本気で相談して工夫しなくてはならないのは、今なお身に負うている「外」世界への、職責の整理=役職と出版と、だ。それから、家中に本意なく積みに積まれて所在も知れないほど混雑した「もの」の処分だ。気持ちの清明を、それらがどんなに混乱混雑させて肩の凝りと化しているかは、計り知れない。

隠居したいというのではない。もっと軽やかに動けて老境の力を満たしたいのである。ちいさなちいさなものでありながらも、多年培ってきた自身への自負やそれに応じた職責というものが、現に在る。抛てば則ち是とも、また非とも、微妙に言い難いところがあり、いつしかにそれはわたしだけのことでなく、妻子や家庭の事とも成り切っているから、相談の必要も少なからず有るのである。時機を得ては、そのことと意識的に立ち向かい解決できるだけは解決することは不可欠であった、これまでも。これからは殊に。

2004 9・26 36

 

 

* この秋雨前線が去れば、いよいよ秋ですね。

連日軒下のクーラー機の上に、珍客が体を寄せあって寝そべっています。痩せぎす、トラののらちゃん親子です。無造作にドアを開ける毎に、同じリアクションで驚きますが、新聞を取りに出た今朝などは、この伏兵に危うく階段で足を踏み外しそうになりました。ミルクでも上げたいけれど、心を鬼にして無視しています。今は人間の赤ちゃんの手助けで精一杯。

今日の七時のNHKのニュースを観ましたか。

「お父さん、繪を書いてください」に酷似(子供の頃に天才と云われた)の人を紹介していました。絵画一筋の人だったようです。

鹿児島での中学時代に、図工の先生をして「天才がやってきた」と云わしめ、中学三年生の油絵の自画像を観せていましたが、よく観る芸大卒業時に画くあの自画像群にもひけをとらないうまい絵でした。

東京、六畳一間で所帯を持たず、只ひたすらに好きな絵を書き、生涯、売り絵は画かず、公募展にも応募せず、六十*才で癌で死亡の後に中学時代の学友が部屋の整理をして、壁のあらゆる空間に絵が飾られていたのは勿論、何千点の作品を身の回りに保存していたらしい。

亡き後、その友人の尽力で、故郷鹿児島で展覧会が開かれた様子を映していましたが、素人目の私が観ても、惹きつけられるような佳い絵を観ました。

美しいものを画く、今日美しくても明日は分からない、とある日の日記を見せて、裸婦像も多くありました。

癌に侵されての絶筆はやはり故郷、有明の海を明るいタッチで画いていました。

妻子なし世間なしでも、孤独であったかどうか、本人は好きな絵を画き、その自愛の絵に埋もれて生涯を過ごした、それも稀有ながらまっとうな人の一期かもしれない。そんなのも、いいのではと思われます、今の私なら。

因みに、「木下さん」と云っていました。

先生方を真っ青にさせた、同窓の「山名」さんは、今もお元気になさっているのでしょうか。  東京都

 

* 山名君は、とても辛いが、容易には生き返らない。

2004 9・26 36

 

 

* きょうは一日中雨が降り、これは天の配剤だと、家事抜き、ババ抜き、のんびり骨休みのヤモリの日。受信トレイのメールを読み読み整理しながら・・・

突如、何故かブロンテの「嵐が丘」が読みたくなりました。

イギリスがまだまだ遠かった若き日の愛読書。ヒースの花咲く荒涼とした丘へ、何時か訪れたい願望強く。映画でもいいわね。   京都市

 

* 大きさや素材にこだわりはありませんが、仏は、古い時代のほうが好きです。

像がある、御簾や薄絹越しでもというのは、巧みですよねぇ。特別開扉なンて、尚更。

像があれば見たい、できれば近くでと、見が欲しのさもしい自分の心がいやですが、いいなぁと思う仏に出遇うから、見仏がやめられませんの。

門から境内に入る。本堂に入る。本堂から出る。門を額縁に外を見る。歩くにつれて変わる景色も好き。

異空間、異教という別世界にチェンジできる中国風のお寺が好き。

日本風の寺は、座る場があるのが魅力です。

枠がある安心感に包まれ、具体的で、人を感じ、己の内に入り込む時を得る、寺。

解き放つ、神社、おやしろ。

古社は、建物だけでなく、その土地の「気」に惹かれます。天を感じます。それも垂直に。そのあと、地を感じ、水平を感じ、おやしろでは、あたたまって、透明になれます。礼拝の対象が、盗まれる、壊れるなどの心配を要しないのもおやしろはいいですね。 雀

2004 9・26 36

 

 

* 有難うございました。 有難うございました。 ありがとうございました。

お出にくいところを お二人で観ていただけて光栄でございました。 その上に身に余るご感想を賜り、驚いております。天にも昇る心地! 今まで絵を描きつづけてきて 本当に良かったと感動をおぼえた一瞬でした。この感激と感謝の気持ちを次作にぜひ繋げたいです。

今回の作品は、自由奔放に描きたいように描きまくって 色も駆使して それでも楽しく思う存分好きなように発揮できた作品か、とも思いますが。じつは もう一点の作品の方に重きをおいて 8月になってからは殆どの時間をそちらにむけました。 先生から指摘されたところとか デッサンとか等々。力一杯入れ込みました。

フタを開けてびっくり! 自由奔放に自分ひとりで先生にも見ていただかなかった作品の方が入選し、尚びっくり! 先生もすこしがっかりのご様子でした。

私としてはこれでこれからの方向づけが出来てきたように感じ、とても嬉しい爽快な気分でいましたときに。 まさか? 恒平先生にまでお褒めのお言葉をいただくなんて! 思ってもみませんでした。

観て下さるとの感触からチケットをお送りさせていただきましたが。膨大な数の一水会展の殆どに目を通してくだされ、誠に嬉しく感謝で一杯でございます。 もう一度 有難うございました。

奥様にもどうぞよろしくお伝え下さいませ。  堤彧子

 

* つい、銀座辺でのグループ展や個展でこの人の大方の繪を見てきた。しかも、まずはめったに褒めて上げなかった。ごめんなさい。

褒めなかった理由の一つが、先生の言うままに描くからダメなんですというのだったから、わたしも今回のことには少なからずビックリしている。お絵描き教室の先生などしていたのも、やめた方がイイと言い続けいつもメールでヘキエキさせていた。言うまでもないが、湖の本の表紙装幀はこの人に頼んだ。その頃はまだ一水会との縁もなかったか、そもそも油絵をはじめていたかどうか。遠い昔のことだ。

2004 9・27 36

 

 

* 今日も雨。  月様 秋雨前線の低下、停滞で数日雨になりそうとの天気予報。台風21号も衰えずに北上すれば影響も出てきそうだと。

夏バテのお話がよく出てきていますが、あの猛暑の夏も我が家では、おかげさまで自然の風がよく通ってくれましたので(息子が居なくなり、二部屋を開け放しましたの)エアコンや扇風機のお世話にもならずに過ごせました。

職場でも、休憩の折の冷たい缶コーヒーは止めて、熱いコーヒーを点てて頂いていましたわ。

仕事面での、お盆商戦・二週間ぶっ通しの後はさすがに体調をくずしてしまいましたが。肩・首の凝り、左後頭部の激痛、歯茎の腫れ等。どれも連動しての痛みです。整骨院で数回治療してもらいましたが、回復の兆しがみえないので、お盆明けの連休を利用(本当は小旅行したかった)して、病院ツアーに。消去法で、まず整形外科へ、次に歯科で検査。歯科は異常なく、整形でいただいた薬を服用しても治まらない痛みに、二日後に今度は内科を受診。ここでいただいた薬が症状に合ったのか、服用後、ピタッと痛みが治まりました。おかげさまで以後は体調も良く過ごせています。

自分の健康管理のためにもと、五月から月に一度、成分献血に出かけられるように体調も整えるようにしています。

ところで、「おくすり手帳」というものをご存知ですか?

あまり病院に縁のない私は、今回初めて手帳をもらいました。薬の飲み合わせや重複をチェックできるように、処方された薬などの説明書等を貼り付けておいたり、買い薬も記入しておいて、受診の折に持参して医師に相談。適正な投薬を受けるためにはとても役立ちますね。

話は変わりますが、ホームページのこと。私方では正常に見えております。

お疲れも少し和らいだご様子ですが、秋風にもどうぞご油断無く、くれぐれも御身ご自愛なされてくださいますように。配本楽しみにお待ちいたしております。  花籠

 

* 問題なくホームページ内容の届いている人もあり、届かない人もあるとは、困惑する。肝腎のわたしの機械がわたしのサイトを「メンテナンス」中として、見せてくれない。妻の機械でも見えない。ビッグローブに問い合わせても返辞が無い。

 

* 雨やまず。なにとなく気が滅入っている。

2004 9・27 36

 

 

* 昨日(26日)絵を見に行かれたのでしょうか? ちょうど日曜日で混雑していたのではないでしょうか? 如何でしたか。

携帯からはどうしても短く短く書いて終わりになってしまい、メールへの返事になっていないことが多いので、思い出しながら書きます。

伊東静雄の「わがひとに与ふる哀歌」は、読んだことあるのですが、もうずっと昔のことです。伊藤整も。姉が持っていた本を「齧った」程度で、しかも中学生だったから消化不良は仕方がないですね・・「若い詩人の肖像」などでした。彼の詩について書かれていたので改めて読んでみようと思います。前にも書きましたがあまり日本の詩人のものを読んでいません。ずっと前、中原中也、最近読んだ中では、やはり萩原朔太郎あたりが・・。

台風の風で庭木の葉が枯れたのは書きましたね、その木々たちが、時をたがえたようにいっせいに葉を茂らせています。時ならぬ若葉の庭です。藤や山吹は花を咲かせています。驚くほどの力です。

神戸など海に近い地域では塩の害でやはり樹木が枯れましたが、今は若葉が出たのかどうか・・。家から数十歩歩けば田んぼですが、畦にいっせいに咲いた彼岸花も徐々に色褪せています。早いところはもう稲刈りが終わっています。

田んぼや畑を歩くと、あなたの嫌いなものたちもいます! わたしも「会い」たくないですが。

姫路城、全容を見せているかとの質問ですが・・いつも見ていますよ。台風で壊れたという壁の修理も大したことはないようです。

ホームページから。

「・・わたしは、保田与重郎に代表されてきた日本浪漫派の文学にはあまり感受性をもたない。パセチックなのがつらいのである。日本と言い浪漫と言い、わたしの好みのように思う人もいたけれど、むしろ対極的なところで書かれていたもっと地を這って苦しんだ人たちの文学文藝や、もっと落ち着いた物言いと心境で成される文学文藝のほうに親しんだ。日本ということにこだわるにしても、せいぜい川端康成どまりでよろしく、わけもなく偏して抱き柱にすがりついた人たちは敬遠し続けたのである。むろんそういう人のも、勝れた文章や詩は、偏見なく「ペン電子文藝館」に取り入れたい。」

地を這って以下の文章に共感を覚えました。ただそのような作品に対して、文学的評価がどこまで為されているか、まだまだ不明瞭な点が多いことも事実。読み継がれることが肝心と思えば、現状にはあまりに厳しいものがあります。その点でも作品を掘り起こされている意味は深く大きいものです。

浪漫派について、やはりあなたの「好み」のように感じられる方が存在するのも確かでしょう・・「湖」の読者の方でも、あなたのスタンスに意外性を感じられるかもしれない。時間の経過と共に、或いは環境や自身のもつ気質の中に、単なる「浪漫」を禁じるものがあなたには在った。社会的な方向が曖昧、政治的なスタンスが定かでない現在にあって、このようなスタンスを確認できること自体、意味があると強く感じて受けとめています。

先日、電子文藝館の「土田耕平 つちだ こうへい  歌人 1895.6.10 – 1940.8.12 長野県諏訪郡に生まれる。島木赤彦を生涯の師とし、病弱を労りつつ「アララギ」選者の一人となり、歌風は清澄透徹、赤彦歌風の一極限をきわめ写生にして写生を超えてすらいる。掲載の第一歌集は「巻末に」が示す経緯で、大正十一年(1922)古今書院より刊行された伊豆大島での療養歌集で、その流露清淡、嘆賞のほかはない。」を、読みました。

土田氏は、結核だったのかどうか知りませんが、結核などが不治の病で、夭折が身辺の日常的な事柄だった時代、ここでは年金云々の次元などと異なる人の生涯があった・・。あなたが嘆賞されている歌の中から、わたしが採りだしたのは 歌の巧拙とは全く別に、

暖かき日影をとめて来りつる枯生(かれふ)のもとに菫咲くはや

室(へや)深く日影さし入るうれしさよ残りの蝿が群なして飛ぶ

まがなしきものをぞ見つる繁山のこの山かげに人ふたり居し

林間に小鳥二つ逢ひつつ啼けりわがかつて知らぬさきはひをそこに見にけり  其二

魂(たま)あへる一目の逢(あひ)は百年のうき共住みになほまさるべし  偶作

去(い)なむ日は近づきにけり独りゐてもの思ふにぞ泪(なみだ)さしぐむ

耳につくうつつの聲は朝雉子(あさきゞす)とてもかくても立ち別れなむ

かりそめに面(おも)合すだに人の子のうら哀しさは思ひ沁むもの   偶作

などでした。女性と話すことさえ、まして交際することさえ全くなかったかもしれない、その人の人生・・その中から生み出された清澄な歌・・。

今週末、知人の展覧会で奈良に行きます。やっと少しずつ秋らしくなっています。

お体 くれぐれも大切に。   兵庫県

2004 9・27 36

 

 

* 涼しいかと思いましたら意外に蒸し暑い一日でした。対談は楽しまれましたか。

神保町は学生時代はワクワクする街でよく行きましたが、最近ご無沙汰。古本屋も減ったと聞いています。本屋さんの誘惑にひっかかりませんでしたか。どうぞお疲れのありませんように。

寝坊するつもりが、四時に新聞配達の音でぱっちり目覚めました。昼前からあちこち用事で出歩いていい運動をし、さすがに疲れて夕方ダウンしていました。

先日の読者の方のメールに、ヒース咲く荒れ野を見たいというお話がありましたね。私も名作『嵐が丘』への胸疼く憧れがあり、ドイツにいた頃一面にヒースの咲く、リューネブルガー・ハイデに家族で出かけたことがあります。ヒースはドイツ語ではハイデ。

広大な自然保護地区なので、車は麓に置いて馬車で一時間くらい揺られて一面のヒース咲く丘に向かいます。紫色の絨毯になる満開には二週間くらい早かったのですが、ヒースまたヒースの続く野原を満喫しました。

ただし、桜の花見のような夢心地にはなりませんでした。ヒースという花はピンクというより赤紫色の小さな地味な花で、ものの始まりより終わりを感じさせます。見つめるほど毅く孤独な、さびしくなる花です。私が花言葉をつけるとしたら「燃え尽きた恋」と。イギリスのヒースの丘に行らしたお知り合いの老夫婦は「三途の川を渡る気分はきっとこういうものなのね」としんみりした感想を持たれたそうです。

花に酔うわけにいかなかったもう一つの理由は蜂の猛烈な多さでしょうか。花のあるところに蜂がいるのは当然ですが、それにしてもいたるところにブンブン飛んでいて閉口しました。自然が生き生きとある証明としても、口の中にまで入ってきそうなほどで、当時三歳の娘が刺されないかはらはらしました。

一軒だけあるカフェのウェイターは蜂の群れに馴れきっているようでしたが、とにかくヒースの中は蜂の巣の上を歩くような按配なのです。不思議と刺されたという騒ぎはありませんでしたが、お土産品がヒースの蜂蜜というのも納得。花を摘んで押し花にしてアルバムにはさんでなつかしく、でも、さすがにもう一度行こうとは思いません。

そうそう、今日お店のお月見団子がつやつやとおいしそうでした。   品川区

2004 9・28 36

 

 

* マチス展

秦恒平様  私の所はホームページは変わりなく読めます。それで、マチス展のくだりを拝見して、いずれはと思っては居たのですが、もう、やもたてもたまらず、昨日行ってきました。

まずあいさつ文に1951年の回顧展に触れてあり、ああ私が始めて観た「あれ」と、あの日に戻ったようにドキドキして見始めました。

素敵でした。

> タブローの佳いのはむろん、デッサンの、スケッチの、震えがくるほどの美しさ、豊かな確かさに驚嘆かぎりなく、奪ってでも帰りたい作品が次から次へとならんでいた。

秦様がおっしゃっている通りで。

秦様と二人で黒装束に ”ほうかむり”して、深夜会場に忍び込みそれぞれに ”一枚だけ”デッサンを盗む光景を、ふと夢想しました。(ころころ太って動きの悪いドロボーはすぐ御用になるでしょうが。)

それから、

あれからの50年余、マチスがいつも自分に影響を与えて続けていたこともしっかり思い知りました。

子どもの感性で、見たもの感じたものが、如何に大きいか。

マチスが幾度も形や色や模様など描いたり消したりしているのを知って、その痕跡を目の当たりに出来臨場感があって、嬉しくなりました。

私も(マチスになぞらえるのはおこがましいが、)遠慮なく納得行くまで ”ああでもない、こうでもない”とカンバスの上で試行錯誤しようと。

先日三条の姪の結婚式であわただしく夫婦で京都へ行きました。

会場が都ホテルだったので、夫は式前に粟田神社や小学校の辺りを歩いて懐かしがっていました。ホテルの神殿にも粟田神社がご出張いただいており嬉しかったです。お料理も京料理が一部アレンジされた洋式で結構でした。   杉並区

 

* マティスという画家は、我々年輩を全的に魅了する、とてもおいしい毒をもっている。ピカソになると毒気が過ぎて、辛辣な味わいに、へたばるときもある。マティスやヴラマンクをフォーブとかフォービズム(野獣派)などいわれると、贔屓目に少し心外で、魅力の味は「魔」にあるのかもしれない。

2004 9・29 36

 

 

* 台風、時期外れのUターン、困ったもんです。本土に大きな被害をもたらさなければいいけれど。降り出しましたね。

新幹線あさま号での黒姫高原で、100万本のコスモスの群生鑑賞と謳われるツアーに参加。東京は激しく降る雨の朝、気重く出かけましたが、到着の頃には、自称お天気女群、我がグループのジンクスどおりに、日の光が射すほどに、好転していました。

ところが期待の秋桜は、おー、なんと、哀れな姥桜だなんて。まざまざと裏切ってくれたワルは、今年異常に多かった「雨風」だと当地の人が花程にこうべを下げて、気の毒な程。

最近の地球環境、年々歳々花が同じに咲くのは、最早儚い夢や、と見切りも早く、幸い平地のバス沿道に、鮮やかな彩りのコスモス畠が眼に入り、少女もどきの歓声を挙げました。(冷やかすなかれ)

翌日も信じられない程に晴れ上がった標高1500米の上高地は半袖で歩ける程の気温。フリータイム、風に靡くビヨウ柳を両岸に、満々とした清流の梓川右岸の軽い傾斜を登り、穂高神社奥の院の神秘な明神池まで歩き、身近に寄ってくる鴨クン(寄って来るにはクンに違いなく)達と仲良くしながら、おにぎり弁当で腹ごなし、帰路は左岸

を一気に駆け下りて、と、ツアー特有の慌しさだったけれど、二年振りのこの地で至福の三時間余。

木漏れ日の射す完備された木道からは、初秋の蒼空に稜線鮮やかな焼岳、明神岳や六百山のガレ場を望み、淀みでゆったりと鰭を動かす数匹の岩魚を愛でたり、河童橋からは初冠雪には今少し日数のある穂高岳を展望、と黄葉が遅めの今年でした。

朝、其処此処の田圃は稲穂がまっ黄色に垂れていたのに、夕刻、帰路に見る田圃は、この久しい晴れ間を逃がすまい、と見事に刈り取られた根茎をみせていました。林檎や柿がたわわに実り、国産松茸を店先で嗅ぎ、ちょっぴり口にして、秋を実感しました。

本日は気温が下がり、初おでんがいいかなと今仕込みました。最低の蛍火で出汁を濁さず、ゆっくり何時間もかけるのが、おいしく出来上がるコツです。    東京都

2004 9・29 36

 

 

* 雨量が三重県ほど多くないので、助かっています。当地で、もしあんなに降ったら、避難勧告が出るのではないかと想像しています。が、どこに避難すればいいのかわかりません。この辺一帯、ぜんぶ平らですから。今度、避難場所をぜひ聞いておきます。 花

 

* 名張雀はどうであったろう。四国の花籠さんはどうであったろう。颱風ももういい加減にして貰いたい。

 

* 有明の月   関東大震災の9/1のあと地震がありましたでしょう。伊勢湾台風が9/26と聞いたあとでしたから、雨音にひやひや。こちらは長時間続かなかったので、たいしたことはありませんでしたが、降雨量日本一の尾鷲の人が驚くほどというのは、よほどの雨だったようです。

朝、雲間から月が輝いていました。

中秋の月はご覧になれましたか。あいにくの空模様でしたが、伊賀上野城や阿漕浦では薪能が行われたそうですの。奇跡みたい。

気温差が大きいようですが、武蔵野の秋はいかがですか。おん身おいといのほど。 雀

 

* 風がものを鳴らしているが、天気はいい。郵便物を送りがてら少し自転車で走ってこようか。

2004 9・30 36

 

 

* 徳島では気温も26度と涼しくなりましたが、東京は真夏日の記録が更新されたとか。やはり台風の影響でしょうか。

昨日は、夕刻、激しくなった風雨に、本店より通達があり仕事を早仕舞いしました。帰宅時には風雨も弱まってきていましたが、台風が真上を通過していてちょうど目に入っていたのでしょう。しばらくして吹き返しがきましたが、先の台風ほどの影響はありませんでした。

それにしても、局地的に集中豪雨の被害地が、飛び火するように全国に広がっていませんか? 大雨で地盤が緩んでいるところへの、地震など、やはり心配になります。なにごとも起こらねばよいのですけれど。  花籠

2004 9・30 36

 

 

*「さん文化」「サマ文化」の私語を拝見し、目から鱗でした。ありがとうございます。こういう観点から考えてこなかったのを恥ずかしくすら思います。

さて、このところお漏らしの「私語」等について申しあげます。

文学がすべてに優先されるべきです。当然です。それ以上に大切なことなどありません。ですから、とっとと「理事」などお辞めください。「電子文藝館」に秦さん以上の適任がいないのは周知の事実ですが、断固突っぱねてください。「電子文藝館」の土台は堅牢で、もう軌道に乗っています。

湖の本の在庫分を棄却するか、蔵書を涙を呑んで図書館に移すか。

「モンパルナスの灯」でしたか、モディリアニを描いたジェラール・フィリップとアヌーク・エーメ主演の映画がありました。ご覧になりましたか? 大好きな映画でしたが、あのラストシーンが忘れられません。

目利きの画商はモディリアニの死ぬのを待っていて、その野垂れ死にを見届けると、夫の死を知らぬ妻のもとに行き、素知らぬ顔ですべての繪画を買い占めるのです。妻は全然売れなかった夫の繪が売れることにただ喜んでいましたが、画商の冷徹な眼が恐ろしかった。

モディリアニは、死ねばその繪が売れる。画商はモディリアニの価値を充分知っていながら、その赤貧洗う生活を放置し、救いの手を差し伸べず、死んだ瞬間に繪を安く仕入れに行く。死に待ちしていたのです。

失礼承知であえて申し上げますと、文学者秦恒平にもこれに似たことがおきると予言します。(もちろん、モディリアニとちがい、現実にも成功している文学者ですが。)

湖の本の在庫は、秦恒平の亡くなった瞬間から希少価値となるでしょう。クレバーな読者は恐慌をきたすでしょう。自分に欠けている巻を買うでしょうし、あらたに全巻買いたいという人がたくさん現れます。そしてかならず、儲けたい古本屋が買いにきます。

ですから、湖の本の棄却などどうかお考えにならないでください。現在と未来の多くの読者のためです。貸し倉庫など昨今はそれほど高額でなく使えるのではないかと思います。社会的地位や世間の位取りなど足もとにも及ばぬ「作品」が在ります。必要なものは秦さんの文学、それだけです。

もうすべきことはしてしまったなどと考えていない。出来る出来ないにかかわらず、すべき事の想われる今後のために、いい老境を得たい、と。

何より嬉しいお気持ちです。どうぞ作家の愛するもの、文学文藝と創作、とのためにこそ、大切なお時間を使ってください。   東京都

 

* いつかはこういうことを直かに云われるだろうと想っていた。言い過ぎなところもあるが、要するに創作者として自分の道へ戻りなさいと云う、これは直言である。耳を傾けて、わたしは静かに感謝している。

あるいは家族は少し別の「希望」をもっているかも知れない。

2004 9・30 36

 

 

* 頭と頭とのただのコミュニケーションでありたくない。ハートとハートとのコミュニオンでありたい。知識で動かされるコミュニケーションでなく、フィーリングでとけ合えるコミュニオンでありたい。

コミュニーケーションでは、「ただ言葉のみ与えられ、言葉のみ語られる。ただ言葉のみ受け取られ、」単に知解されてしまう。言葉だけでは生き生きとした本質的なものは伝わりにくい。言葉は不十分なツールに過ぎないから。不足するか過剰になるか。それが言葉。コミュニケーションにはそんな言葉に頼らざるをえず、コミュニオンでは往々にして云わなくてもわかり合える。

これが、バグワンから早くに得た、一つの強い足場だった。言葉では言いおおせない、その近くまで達しられても。ということは、恐らく小さい頃から感じていたことなので、バグワンの曰くは、すぐ得心した。老子らが、言葉にした瞬間に真理は真理でなくなるのだと何より先ず説いているのも、分かる気がしていた。

過剰に言われると、往々かえって事がウソくさくなる。雄弁は銀、沈黙は金という機微だろう。沈黙とは、言葉数を少なくしてひと言の表現力を強くする・高めるということなのだ、なかなかそうは行かない。

 

* バグワンのご指摘の部分は印象に残っています。コミュニオンは理想ですが、女は言葉が大好きなので、この境地、むずかしい。

ある小説の中にこんな文章があり、唸りました。

女とは「言葉」を求めるもの。言葉の向こうにあるかないかの「思い」を求め、生身の思いはとんと求めない。

ある意味、女の愚かしい現実です。とくに口説かれる時の言葉は女にはとても心地よいのです。口のうまい男に騙される女って多いでしょう。

でも、真実は言葉ではなく、胸から胸に伝わるものであることも、よく知っているつもりなのですが……。

せめて仰言いますように、「言葉は言葉の意味だけで訴えるのでなく、発せられる状況と発する誠とで響く。言葉で生きる者はそれを心得ていたい」と願っています。 東京都

2004 9・30 36

 

 

*「ぺると」主人の森中さんにきてもらい、「e-文庫・湖(umi)」へ作品転送の手順を学び直した。こうすぐ忘れてはいけない。感謝。

 

* 栃木の新米コシヒカリ、精米したてを二十キロも頂戴した。早速、森中さんともいっしょに御馳走になった。

秋が本格的に来ている。まだ明月は見ていない。

2004 9・30 36

 

 

卒業生、読者、友人4b-2

 

* おはようございます。爽やかな朝です。

久しぶりに、おはようございますのメールを書く気がします。朝のご挨拶メールがたくさんあるのねと、ちょっと拗ねていた……というわけではないのですが。

今日は都民の日で昔から都内の学校はお休みですが、それ以外に何の感慨もない日。でも十月です。おいしい季節ですね。毎年中旬頃に丹波の松茸をいただいて、松茸ご飯にしていましたが、今年は松茸チャーハンかすき焼きにしようと考えています。

食欲旺盛の秋はいけませんが、おいしいものを少しずつ、味わってお過ごしください。  都内

 

*「葛城高原のススキ」は、葛木水分神社へ行きたいと主人がクルマを出したものですから、雀のナビで、片道2時間の葛城の社寺・御陵めぐりに化けました。

御所駅前から旧街へ入って鴨都波神社へ参り、孝照天皇山上陵は見るだけにして、目的の葛木水分神社、祈りの滝へ。

葛城街道に入って、長柄神社、住吉神社、極楽寺。高鴨神社、風の森峠、船宿寺と、眺めもご馳走。

御歳神社で、葛城の鴨三社参拝です。宮山古墳から琴弾原白鳥陵を通って、孝安天皇玉手丘上陵へ登り、吉祥草寺へ寄り…。

新沢千塚古墳群、水を湛えた宣化天皇陵と孝元天皇陵。豊浦、雷丘、山田寺跡、安部寺跡。あとはいつもの初瀬街道で帰りました。

大和水分四社、それぞれ個性的に魅力があり、佳いですわ。 雀

2004 10・1 37

 

 

* ミナミ(大阪)角座の裏、100人入るかしらという小さなホールで、(桂)文枝さんの「船弁慶」を聴いてまいりました。

終わったのが、9時。大急ぎで、なんば駅の改札を抜けましたら、目の前に、知盛の幽霊。松竹座のポスターでした。(市川)染五郎さんがなさるそうで。

こわァいお顔の(中村)扇雀さんは、(坂東)玉三郎さんの政岡に、八汐をなさいますのね。

雀の好みとしては、扇雀さんはいぢわるな高位の女、(中村)翫雀さんは「小栗栖の長兵衛」の巫女、(中村)福助さんは、なンといっても長屋のおかみさんです。  囀雀

 

* 成駒屋の三人を、うまく見ている。

2004 10・2 37

 

 

* 砧  夏の暑さが残る浪速の午下がり。開場の時刻まで、道頓堀や、心斎橋の雑踏をぶらつく気になれず、地下鉄に乗り、北浜の東洋東磁美で高麗青磁展を見ておりましたの。

かけらでもいい、ぜひあれを掌にもって、指先でなでてみたいという感情が、初めてわきました。ガラスが恋路の隔てのように思える、うっとりとする砧の片に出会いました。

すっと寒くなって、朝開けた窓を閉めました。雨です。カーディガンを羽織らないではいられないほど。昨日、近くの梢で鳴いていたのは百舌かしら。

お江戸の寒そうなこと。案じております。 雀

 

* 佳い電子メールだ。

2004 20・3 37

 

 

* とうとう冥土の「山名」君が、すばらしい風景画を描きました。

新生、再々開の画業一号、大きなものではありませんが六号ぐらい。届いたのは写真コピーですが、たしかな手応え、美しい作品です。金澤兼六公園の最も古いといわれる森のなかを描いています。

わたしの小説を読んだ彼の友人が、時間を切って強引に「発注」し描かせたらしく、買い主はそれを銀座の食べ物の店に飾らせているそうです。

わたしも発注しました。

さすがの佳い繪を描き始めてくれ、ホットしています。

藝大出の清水九兵衛さんなど、あの小説はほんとうによく分かるそうです、藝大の友人達に何冊も本を贈ってられました。   遠

 

* おはようございます。雨で肌寒いくらいの朝です。でも雨は好き。緊張がとける気がします。子どもがわざわざ水たまりにばしゃばしゃ入るのを眺めるのもかわいらしくて。

昨夜はどういうわけかほとんど眠れませんでした。睡眠不足です。やっぱりお酒くらいは飲んで寝ついたほうがよかったのかもしれません。

最近も機械の前にばかりのようですが、時々お眼を休めて、雨に濡れた街をお散歩などいかが。(ただし車には気をつけられて。)お気に入りの店でコーヒーなど飲まれてもいいですね。しずかに佳い一日でありますように。 品川区

 

* メールをあげても返辞がないと、この一月ほどのうちに二度三度苦情が来たが、用事のメールには極力即応している。この「私語」にかかげて、「読みましたよ」という返辞にすることもあり、関連して「私語」することで返辞に代えていることもある。ごくプライベートなものには転記も私語もしないし、そういうのの返辞は折り返してというのを敢えて避ける場合もある。余韻は酌みたいものである。完全に無視するか、ないし開かず削除してしまうメールも数多い。不正メール、営業メール、この人なら言うことは決まっているという通信メール、等。

ともあれメールは習慣化して義務的に往来し始めると空疎に堕しかねない。一期一会であらねば。繰り返しの一度一度が清新であらねば。

風船に「空気」を張るように返辞をわざと溜めることもある。習慣的な小出しは、時間も惜しく、しない。

一日に三度も四度も往来する場合もあるが、山ほど届いても三ヶ月に一度ほどしか返辞しないでいる例もある。それはそれで足りている。

メールのための時間を惜しんで、仕事や作業をしていることが多いのは、わたしの場合当たり前のこと。蔵は建てないけれども、何人分ものことをして日々過ごしているのだし。

 

* よく降ります。こんな日は衣更えの用も足せずに、身の回りの積み重ねた諸々のごちゃごちゃ整理に精を出します。

月末に恒例「わらの会(高校東京同期会)」があります。同じ中学からの男子はたったの一人、それも旧知の人でなく、他校卒の人も当時は殆ど交流のない人達です。それでも、京都である大寄せの高校同期会や東京同窓会よりも出席したい気分にさせ、やたら騒ぐ人もなく、こじんまりとして落ち着いた雰囲気の佳い会です。只、同窓という繋がりだけで、何の衒いもない話に耳を傾け、話せるのです。

***ちゃんから電話があり、ゆったりと話しました。

「(お父さん 繪を・・・)は珍しく最後まで読んだんえ。そうかて、たいていはむつかしいもん」と。

「あのボールペンの絵、すばらしくよかったけど、誰が書かはったんやろか」

「そんな人がホンマにやはって、内容はフイクションやろけど、あの絵はホンマにその人が書かはったらしいよ」

彼女も、新たな技術を身に付けるべく、改めてパソコン教室に通い、たまには、四人のお孫ちゃんと遊んだり、と、元気で前向きの生活ぶりです。気楽に話せて、楽しい人。   東京都

2004 10・4 37

 

 

*「一水会展」。堤さんの絵。弓を張る円形に力が漲っておりました。

ただ ただ 闇を覗き ある感銘と共感と真摯な いくつかの『言葉』を読むことの 太宰には無かった幸福を享受しております。  川崎 E-OLD

 

* 秋雨がよく降ります。やっと開いたキンモクセイも、清澄な空気の中に薫りを漂わせることもなく、ひたひたとぬれています。

ふと、夢中で走り続けてきた10年を思い起こします。それから今までの人生を20年ごとに区切って思い起こします。人生を四季にたとえれば20歳までが春 40歳までが夏 60歳までが秋。秋は台風の訪れも多く波乱万丈の季節でした。今は晩秋。

これからは、静かな冬景色を楽しみたいところですが、冬のたくわえがまだ不足しています。寒風の中、まだ走り続けなければならないようです。

冬の次にはまた春が待っているのでしょうか。親の世代は穏やかな春を過ごしています。

今日は日帰りで大阪出張です。一こまの講義のために。車窓から雨の京都を眺めてきます。

お元気で お元気でお過ごしくださいますよう。   波

* 四十歳までが春、六十五歳までが夏、八十歳までが秋、そのあとは冬ごもりでいい。籠もれるものならば。

2004 10・5 37

 

 

* 古寺巡礼   新幹線に乗るときにふと手にとった文庫本に「けんねんさん」を見つけて、迷わず求めました。ふっくらと胸の底に思いのふくらむ懐かしいお寺  日々の息づかいに親しく添い寄る有り難い場所。けんねんさんへの思いが静かに伝わってきました。学問づら  のお話もおもしろく、深いものを感じました。この文そのものも学問づら なのではないでしょうか?

そろそろ三河の国。田も道も濡れ  矢作川の水もたっぶりと溢れています。 波

 

* どこかが淡交社版の「古寺巡礼京都」を文庫本にするから校正してくれと言ってきていた。かなり遅ればせに校正した気がする。建仁寺を担当したのだった、「けんねんさん」と題していた。わたしの中学区に接してこの「がくもんづら」古寺はある。家から、少年時代の足で軽く駆ければ五分とかからず境内に入れた。本堂下層の屋根の線が好きであった。濃茶手前で袱紗をあつかうとき、あの線のようにたわめるのだと代稽古のときによく口にした。キザなはなしだが、適切な観察でもあった。

建仁寺は京都の禅寺のなかではもっとも古く格式も高い。「建仁」は元号である。元号寺はそうそうは無い。「延暦寺」「仁和寺」などとならんでいる。建仁寺はいまだに観光バスなどの入らない。峻厳に「学問づら」といわれる建前を崩していない。東福寺は「伽藍づら」といわれ、たしかにたいしたものである。大徳寺は「茶づら」といわれ、禅というより禅趣味文化を結果として鼓吹したお寺だ。

建仁寺の塔頭はいつも静まりかえっている。しかし中へはいると宗達の風神雷神図をもった寺があり、等伯の襖絵をならべた寺もある。びっくりするような閑静で優雅な庭園を抱いたお寺もある。修業と学問の道場もある。

祇園花見小路から北門を潜り込むと、古い浴室や鐘楼がある。右手に庫裡がある。そこから入って、月釜の席へもわたしは少年時代に痛い足を痺れさせながら、何度も通った。

南へ境内を出てしまうと、もう少しして六波羅蜜寺がある。轆轤町。じつはドクロ町だといわれたほど近在の土中からは往古の死者たちの骨が好く出たともいう。荼毘処であった鳥辺野・鳥辺山の一角に当たっている。

松原通りは旧五条大路末の清水寺にいたる坂道であり、盆には地獄の窯のフタが此処であくといわれてきた珍皇寺前から、斜めに苦集滅道(くずめじ)を通って馬町から花山へ死者たちの柩は担がれていった。今の松原大橋が、また松原通が平安京の五条大路であり、今の五条大通りではない。光源氏らが夕顔を野辺送りしたのもこの旧の五条あたりから東へ越えたものか、ないし今の枳殻亭つまり旧河原院の東、六条の正面橋であったろう。少なくも牛若丸が弁慶を翻弄した「京の五条の橋の上」は、いまの松原の橋であって、今の五条大橋でないことは明白である。

何にしても水明き鴨川はまた死者と屍骸を流した川でもあり、その河東の一帯がいわば京の他界であった時期の永かったことは否みようがない。わたしの新聞小説「冬祭り」は、その鳥部野・鳥部山一帯の「葬送」に、舞台と物語の芯を据えながら書きあげた。千年の時空を越え、現代の日本とソ連とを越え、現世と他界に渡ってとても切なく愛おしく展開した、生と死をまたいでの現代恋愛小説であった。あの水上勉さんが、「新聞小説でなんと大胆なことをやっていますねえ」と耳元で囁かれたのは、あの人だからこその真実みを帯びていたのである。

2004 10・5 37

 

 

* 来週、上野市で行われる芭蕉祭の献詠句に、幼ない女の子のこんな句がありました。

だんごむしいつもみんなにさわられて

夜中に雨の音で目が覚めました。予報通りではありましたが、いっとき、ひどく大きくなって、しばらくの間、寝付けませんでしたわ。

お江戸は冷たい雨が続いているようですが、お変わりございませんか。

日本の兵器産業が大きく息をしはじめ、暗欝な思いで雨の止んだ空を眺めています。雀

2004 10・5 37

 

 

* などと遊んでいたのが、わるく障ったものか、転送出来なくなってしまった。ffftpのピンチである。参った。そういえば、十月六日になにかしら操作変更をするということをbiglobeは言っていた。そのせいか。それなら一日程度で回復するのかも知れないが。「接続しています」と出て、しばらくして「接続出来ません」と出る。FFFTPは働いているのではないか。

「とてもよく晴れているので、洗濯しないと損のような気がしてしまいます。風のホームページ、今日は家のパソコンでも『メンテナンス中』と出ています。『10月6日の1:30から20:00まで』と書いてあります」と、愛知の花さん。BIGLOBEのやることがよく分からない。ま、待つとしよう。

 

* からっと晴れて気持ちのいいお天気です。睡眠も途切れ途切れにしっかりとりました。背中と肩の凝りは湿布でなんとか耐えています。

ホームページのメンテナンスは今日中にすむとよろしいですね。今日はネットスケープでも開けなくて、少し心配しています。メールのやりとりも出来るのかしらと。

また夜にメールいたしますが、一言元気なお声をお聴かせください。   春

2004 10・6 37

 

 

* ホームページがとうとう見られるようになりました。おめでとうございます。とても安心いたしました。

でも、少々オカンムリ。理由はもちろん……。お風呂での読書は一歩間違えると命とり。ふざけないでください。二度としないと約束してくださいませ。心配させないで。お風呂の危険を知らないなんて、健康知識、よほどおかしいです。プンプン。

> 子宮は、鼻とか口とか胃とか腎臓とかとちがい、神経ともならんで、むしろ尊称にも近いのに。そして世界の生成の秘儀を創造するときに男性原理などものの役に立たない、根源は女性的受容にこそ創成の真意は成り立つぐらい、直感的に分かりそうなもの。老子の玄のまた玄、衆妙の門 と謂い、また 谷神死なず、是を玄牝と謂う というのも、その喝破である。

子宮が尊称にも近いという部分、衝撃的でした。そのような見方のあるのは嬉しいことです。父はよく「女って本当にみっともないな。胸なんかぶらぶらさせて」と女性性への軽蔑を表していましたから、子宮という言葉がよい意味でも存在していることを実感できない環境で育ち、影響を受けていたようです。

「家畜人ヤプー」は未読です。是非読んでみたいと思いました。湖は尽きせぬ源泉で、たくさんのことを教えてくださいます。

勧めてくださったように、一族のことは少しずつエッセイ風に書いています。思っていたよりずっと難しくて。主人公を三人称にしてできるだけ具体的に事実を書くようつとめています。一番苦労なのは読ませる文章を書くことでしょうか。素材としては、あっちもこっちもとにかく呆れた人々で、充分面白いと思いますが、すっきり表現できなくて頭を抱えています。

秋の夜長はひたすら人恋しくて、今夜あたり久しぶりにお酒が飲みたいなと思います。ドランカーではありませんよ。ぐい飲み一杯でいい気持ちになるだけですもの。 春

2004 10・6 37

 

 

* 仲哀天皇陵には蓮が実って。

お変わりなくご無事のごようす。安堵いたしました。

秋風が吹き過ぎる藤井寺球場には、「バファローズ試合日程」の看板が残っていました。

提灯が飾られ、紅白の幕が巻きつけられた、だんじり間近の古市で、道に迷いながら御陵巡りをする雀のまぶちに、先日、三輪から一望におさめた、二上、葛城、金剛の稜線が入ってまいります。

雄略天皇陵、仲哀天皇陵、仁賢天皇陵、清寧天皇陵、日本武尊白鳥陵、安閑天皇陵と継体天皇皇女神前皇女墓、安閑天皇皇后墓。

野中寺、西琳寺、白鳥神社へも歩き、筋肉痛の朝を迎えました。  雀

 

* 上古の風がぶわぁッと胸に吹き込んでくる。武部幹事長だの山崎補佐官だのという鈍重・醜悪を一気に忘れさせる。

2004 10・7 37

 

 

* 今日はずっと部屋にいます。

昨晩は七時過ぎに「メンテナンス中」という表示がなくなって、ホッとしました。

HPの文章から感じたことの一部を書きます。「東京の人」に少し「嫉妬」しながら、共感も半分。

「* 四十歳までが春、六十五歳までが夏、八十歳までが秋、そのあとは冬ごもりでいい。籠もれるものならば。」

わたしはこれまで単純に八十歳、或るいは百歳を四分割してきたように思います。

三十までが春、五十(半ば)くらいまでが夏、七十までが秋、あとは冬・・? 自分は今「秋、白秋」の中にいると。

この一年に書いたものをまとめた後で、やや「白秋」を意識しすぎてきたと感じ、反省していました。もっといい意味で積極的に生きようと。そう、六十五歳まで夏、八十歳までが秋なんだわ!

おしゃれに関して書かれた時も感じたことでしたが・・、単なるお洒落論に終わるものではなく、それは女の生きかた、女の人生論に近いものになってしまうのです。

「女性的、子宮のように、受容的」などと単語が連ねられただけで、わたしたち女は、ある種の身構えをしてしまうのです。大袈裟な、と言われようが、僻みだと言われようが、一種の衝撃を感じます。

そのことを過剰反応だよと言われる限り、また条理を尽くして説明解釈されても、なお、「女文化」も所詮「男」に操られた女文化だというのが真相で、男原理と女原理がせめぎあっても、全体としては、やはり「男社会」なのです。

命をはぐくみ、産み出す女が、「女は畑(子宮)」と、子宮が「胎は借り物」と、軽く見なされてきたことも厳然とした事実です。

そして聖書や仏典の中に、女性差別かと思われる箇所も、皆無とは言えません。多くの宗教で、宗教団体や組織の中で女は隔離すべきもの、「敬し遠ざけるべき」存在でした。・・ヨーロッパの魔女裁判、蓮如の言葉など思い浮かんできます。イスラムは見方によっては女性を大切にするからこそ、女性の本来の場所は家庭にある、夫と子と家族・親族に属する・・として、あのように、女の姿の見えない社会を「伝統的に」作り上げてしまいました。

文章の終わりで 「これはこの人が、本当に神的なものに帰依し信仰し降参してこなかったことを告白しているのと同じ。バグワンはここで「子宮」という一語に、愛の根源を、世界の原型を見ているのだから。信仰とは、それへの信仰であろう、どの宗教であろうとも。

「母」と読み替えればいいのだ、あたかも「母に受容されたい」のが信仰の喜びであろうから。」

これは確かにそうかもしれません・・、原始からの地母神信仰や後のマリア崇拝の占める位置、意味はとても重大です・・が、「厳しいなあ」とも思います。女であり、本当に神的なものに帰依し信仰し降参できなかった、引き攣った自我を抱えてきたわたしは嘆息せずにいられません。

素直な気持ちで求めている、祈っている、待っている・・。けれど既存の体系の中で宗教もまた例外でなく男社会の汚泥をたっぷり身に纏わせている。それどころか根っこからどっぷり浸かってさえいる事例を意識しないではいられません。

そのようなことを強調して、もっと大事なことを見落としてしまう・・でも、「だから女は駄目なんだ。」と、どうぞ言わないでください。

「最も本質的に深遠な世界の基本は「女性性」だとバグワンは確言している。真実に最も近いメタファとして。」

「子宮」が愛の根源、世界の原型であることを、女性性を誇りと思いながら、女性性、男性性の序列や優越を争うことでなく、両性の融合、更なる女性性の尊重を求めつつ、この世界の現実の中で精一杯の真実を生きたいと願うのです。   鳶

 

* 宗教が先にあったのではない、信仰が先に芽生えた。宗教団体や組織が先に在ったわけでなく、宗教心と宗教観が先に生じていた。

わたしは、信仰心が宗教心になるところまでは容認するが、それが「特定の神」を擁した団体や組織や派閥となって人間社会に根をはったグローバルな事実を、人間のために幸福であったとは思わない。思えない。宗教心は大切に感じるが、「神」を創り出した人間は、同時に「悪魔」も創ったのだと、残念に思う。「神的なもの」を感じないではない。だが、人間が「考え」だした神には、ついて行けない。悪魔と相対化された「知的所産」に過ぎないから。

「考える」ということは、いつも相対的に対立物をも産み出してしまう。神を考え出したその瞬間に悪魔も考え出している。悪魔を考えるから、神を考えることになっているのだから。悪と善、醜と美。正義と不正。みな相対の表裏でしかない。神にとらわれている限り、悪魔の手からも逃れ得ないのは当たり前で、人間が考え出した「神」の団体や組織は、お連れの悪魔の手でまんまと人間を悪にも不正にも不幸にも醜悪にも突き落とし続けてきた。それはイエスや仏陀の本意ではない。後続した、思惑の強い「人間ども」の考えて創り出した「聖典」や、その解釈の負うべき咎であろう。

あらゆる「聖典」は、或る根源のところへ達した人には明白な真理をあざやかに確認させるだろうが、そうでない普通の人間達のためには、じつは何の役にも立たないとバグワンが断定している意味を、わたしは素直に受け入れている。容認している。

聖書も仏典も、「後の人間」の創作であり、真理は「書かれ得る」わけがない。何故なら人間の言葉は完璧ではないからだ。言葉にされた時、其の瞬間に真理は飛び去り消え失せていると言い切る老子の認識ほど、厳しくたしかなものはないだろうと思う。ことばですることは、つまり考えることは、ヘッドトリップにとどまらざるをえない。

真の宗教者は、信仰を組織したりしない。信仰を組織し始めた宗教者は、その時から世俗の権力者にほぼおなじ仕方で動いている。

孤独に直面できて、その恩寵にあずかれる、そういう「神的なちから」はわたしにも信じられる。だが、団体で、均等均質に信仰できるような「神」は、背後に「悪魔」も背負っている。それを人間の歴史は証明してきたではないか。

 

* ピュアな信仰に、男女の性差はない。あるとすれば「女性性」に、より本質の体勢が出来ている。なにかが宿るとすれば、宿る場が、通える空洞が必要になる。世界が生まれたときも、人間が生まれる時も、海のような、竹のような、女のような「器」が生きて働いたという比喩は、ただの比喩ではない。仏陀もイエスも老子も、それを、それだけを云っていたのかも知れない。ほかのことは、後の人間がみな「考えて」付け加えたと思っていいのでは。

男女差別、女性蔑視なんて、宗教が本来持っていたわけがなく、人間社会が歴史的につくりあげた「男的便宜」であった。すべて歴史時代の文化は、男社会の所産なのである。その多くは女が創り支えてきたにもかかわらず。わたしの「女文化」という認識も、「女の、女による、男のための文化」だと言わねばならなかった。事実だったからだ。それが「日本の歴史」だった。おそらく「人類の歴史」でもあったのだ、反省は有るにしても、だ。

 

* 批判を受けたい。

 

* ありがとう。  論旨が一貫していない曖昧なわたしの文章に対して早速に意見をもらいました。改めてわたしが書いている時のスタンスとは異なったところから、けれども書かれていることは実に明快であり、これまで述べ、書かれていることから十分に理解、納得できました。信仰の原点、そこにある真摯な思いを忘れないこと。その次元では男、女の違いや差別などない、当然、自然のそのままの姿ですね。

本当にありがとう、素直に受け止めます。

「器」と書かれていますが、その言葉に長いこと、そして最近、特に思いが至っていました。ひそかに、大らかに、大真面目に、高らかに?・・自分の命、そしてその具現である身体という「器」をわたしは慈しみたい。

一人の時間を紡いでいます。お休みなさい。  鳶

 

*  今日のバグワン  272頁

私はあなた方がよりよい眠りを達成するのに手を貸したりはしない。

私は、

「理解しようとしてごらん  これはひとつの徴候だ  この徴候は友だちだ  敵じゃない。

それはただ奥深いあなたの無意識の中に、あなたが眠るのを許さないある底流があることを示しているだけだ」  と言う

耳が痛いようでした。色々と眠れない理由があって、それは「病い」かもしれません。徴候を地下に押し込むではなく、病いが消え失せて深い眠りがくるために、……なにが必要でしょうか。

とにかくそろそろ眠ります。明日は妹のコンサートがあります。

朝、何を召し上がるのかしら? 優しい夢をみて 美しい朝をお迎えください。 おやすみなさい。  春

 

* からだいっぱいに黒いピンという「野望」の数々を突き立てたまま、痛みに耐えかねて奔命し奔走している毎日。黒いピンは抜けないものではない、のに、抜かないのである、人は。抜いてしまうのが怖くて、痛いのをがまんしているのだ、理屈をたくさん付けて。それもわるいことではない、自分がどこかヘンだとは気付かせ続けてくれるのだから。

2004 10・7 37

 

 

* おはようございます。ゆっくりおやすみになりましたか。香り高い紅茶など飲まれて、猫ちゃんと楽しいひとときをお過ごしかしら、それとももう機械にはりついていらっしゃるのかしら。佳い一日をお過ごしください。 春

2004 10・8 37

 

 

* うれしいひととき。  昨日長女が帰ってきました。夫が海外出張した三女と孫も。ひいおばあちゃん二人、おばあちゃん おばさん 母 息子と四代が集まって本当ににぎやかで楽しいひと時でした。イタリアに住む長女が一番食べたいといっていたのが、秋刀魚。おろしをたっぷりとつけて、焼きたての秋刀魚は家族の味がしました。

仕事の仲間 業界の理事六人でこれから上海に行ってきます。「ゆっくり息抜きしていらっしゃい」と娘たち。仕事仲間との旅は、黒いピンを全部抜くわけには行きませんが、視察旅行、少し楽しんできます。  波

 

* 気をつけて行ってらっしゃい。上海はゴッタ煮の鍋のような活気と混雑と発展の街です、看板と車の警笛のにぎやかな街です。いつも最初の革新の燃え上がる街です。幾つもの顔をもった街です。用心も必要な街でしょうから気をつけて。博物館は一級でした。元気で。 湖

 

* 上のメールの四世代に、男は生まれたばかりのこの人の孫が一人きりである。大人の男達が一人もいない「うれしさ」には、背後にはりついた「かなしさ」も抱き込んでのもの。それをこの人はよく自覚しているので、「うれしさ」が熱いのである。この人の母はこの人の父を憎んでいるという。この人の娘達は自分の父親をたぶん同じ街に住みながら失って、母のちがう見たこともない妹か弟かを持っているという。母親は娘の一人をあえなく死なせた苦しみと悲しみに今も喘いでいる。「幸福であるべき一対の夫婦」とは、漱石「心」の先生がぽろりと漏らした苦悶の告白であったが、「幸福であるべき」幸福そうな人達がなんと多いことだろう。

 

* 許可さんの二胡。  どうも、なんでも、女性より男性が好きなもので‥。「徹子の部屋」を拝見してから、支度をして出かけました。10年は経っているでしょう。二胡も、許可さんの奏でる音色も。

16日の東京公演と違って、ごく小さなホールで、TVと同じピアニストとふたり、生の音での演奏会を二列目でたっぷり味わい、思いもかけないクライスラーの名曲に、涙がこぼれました。あたたかく、落ち着いていて豊かで、とっつきやすくて、丁寧で、それでいてもっちゃりせず、遊びがあって、たのしくて、深みがあって緊っていて、佳かったですわ。 雀

 

* マティス展記念の美しいパスネットカードを見つけたので、ついでにプレゼントしますと藤江夫人がおくってくれた。ディスプレイの上に華岳とモジリアニの使い古したカードを立てていると「私語」したのが聞こえていた。ありがとう。定期入れには上村松園の「砧」が入っている。本棚には歌麿の「風俗美人時計」の一枚がやはりメトロカードで。何と云っても買う必要が生じると美術ものを捜すけれど、なかなか出会わない。それでも捜せばセザンヌの「自画像」も思い出せる。カードの材質のせいで、汚れないし立てやすい。近間に置くとけっこう五月蠅くなく美しいので、仕事の合間に視線を送っている。

 

* 東京の小闇が久しぶりにメールをくれた。おう、嬉しい。

 

* 謎解き   東京の小闇です。

泳ぎのうまい「秦恒平くん」の謎解きをしましょう。

秦さんが見たのは伯太「町」小学校水泳大会の結果ページですね。

これはきっと、伯太町内の小学校の対抗戦で、秦恒平くんの名前の後ろにある(井尻)が、彼の通う学校でしょう。

伯太町立井尻小学校、で検索してください。歴史ある、小さな小学校が見つかります。

本は読んでいます。芝居も観ています。先日は野田秀樹の「赤鬼」を観ました。年内はもう一本、同じ野田秀樹の「走れメルス」を観ます。楽しみです。頑張ってはいませんが書いてもいます。体調は良好です。

 

* (井尻)は、井尻先生の学級とばかり思いこんでいた。頭が硬い。井尻小学校は島根県能義郡伯太町井尻にあった。同姓同名君までは探索出来なかったが、生徒数は全校でもさほどでないので、すぐ分かるかも知れない。この学校の近くに比婆山がある。これは日本神話でイザナミノミコトの葬られたところだ。学校のホームページを見ているとのどかな山里の風情だ、夢が湧く。

で、いっそ「秦恒平」で検索したら出逢えないかとやってみたが、1140とか50とかとなると捜しきれないし、わたし以外にはまず見つかりそうにないなかで、ただ一件、またべつの「秦恒平」が現れたから目を疑った。それも京都だ、時代祭行列のなかで「参朝列諸役」をひきうけたある地域からの人数の中に、「童」役で「秦恒平」さんが参加し、別に「保安」役で「秦恒造」さんも加わっている。京都に秦さんは少なくなくて、かつて下鴨に「秦恒夫」さんを見つけて暫くおつき合いがあった。しかしまた「秦恒平」さんがはっきり此処にも実在したんだから、珍しいはずと思っていても同姓同名はあるものなんだ、今更に感心もし、ビックリもしている。

 

* 先ず雨台風が来ている。はげしく降り次いでいる。

 

* 雨は降りつづけていますが、風はまだありません。強い颱風らしいので、用心しています。

家の玄関に棲みはじめた蛙三匹が留守です。雨が降ると、どこかへ出かけるのです。普段は玄関ドアの隅や、表札の上に張りついたまま喉をフガフガさせていて、かわいいです。

子供の頃は、ポケットにいっぱい蛙をつめこんで、両手にも握って、家に持って帰って母を絶叫させていたらしいのですが、今は触れません。見てるだけ。

『家畜人ヤプー』というのは、長い小説なのですか。アマゾンで見ると、幻冬舎アウトロー文庫というところから5巻くらい出ているみたいですが。昔は新潮社から出ていたのでしょうか。

興味があるので、探してみようと思っています。  花

2004 10・8 37

 

 

* バグワンの言葉をわたくしも聴きました。

私がここにいるもうしばらくの間

チャンスを逃してはならない

……

いまのいま

あなたはためらわず魂の糧を得るがいい

それがある間にそれを求めるがいい

分別に機を喪うことなく

ああ、そうしたい。聖書の、イエスの同様の言葉にも惹かれていました。些細なことで逃してしまう、ナンセンスや心理的ガラクタにとらわれやすい自分の愚かさを知っていたから……知っているから。   春

 

* バグワンに、なにかの「効果」「効用」を気ぜわしく望むことなく、静かな目覚めへの詩(うた)のように、ノーマインドで聴きつづけたい。聴くだけでいい。「考え」なくていい。

彼は云う、「考える」とは選択することだ、つまりトータルに受け容れることが出来ず、偏狭に、まず、いいとわるい、美しいと醜い、正しいと正しくないなどと「分別=マインド」した上で、いいを選び、美しいを選び、正しいを選ぼうとする。だがそういう「分別」という判断は、所詮はわるいこと、醜いもの、正しくないものを表裏して必然引きずる。しかも瞬時にころころと態度や行為の中で反転し交替してしまう、と。

心=マインドは頼れない、善人も悪人もない、人間の心は瞬時に千々に乱れたり騒いだり砕けたり惑ったりするものだと、さしづめそれが漱石の把握した、「心」という頼りないシロモノの正体であった。考えて分別するのでなく、あるがままに観じながら生きたい。だが、だれにでも出来ることではない。もし仏陀を、もしイエスを、もし老子を、もしバグワンのようなマスターを「観じ」得たならば、ためらわず聴き、求め、あっというまにすれ違ってみのがしてしまうことのないようにしなさいと、バグワンは云っている。彼が正しいとか正しくないとか考えているヒマは、もう、わたしには残されていない。ほかに何も見当たらない、感じられない。だからただ彼に聴いている。抱きつきもしない、縋りもしない。ただ聴いている。

親鸞は地獄があるか極楽があるかも知らない、分かろうとも思わない、ただ法然先生が念仏すればいいと云われるのだから念仏するだけだ、それで瞞されていようが地獄へ堕ちようが、ほかにどうしようがあるものか、と云っていた。

親鸞は法然とすれちがって二度と逢えないこわさを瞬時に悟ったのだろう。

2004 10・9 37

 

 

* 「小川芋銭」を、昨晩ようやっと見ましたの。楳図さんの好きそうな河童日和で、池内さんもしっくりして好い感じでした。雀は牛久(うしく)を三度訪ねており、収録に使っていた家を訪ねたこと、沼周辺の景色、赤ワインでジンギスカンを食べたことなど、懐かしく思い出しました。

伊賀は警報こそ免れていますが、今日は家に缶詰。

「外来語言い換え提案」を読み、今のことばも、昔のことばも、日本語も、外来語も、知らない自分がいやになりました。明日、隣市でドナルド・キーン氏の講演があるので出かけるつもりです。 雀

 

* 明け方、冷え込んで眠れず、お布団を重ねて二度寝をしたら八時までのお寝坊さん、頭の片隅に「土曜日だもの」があったみたい。

十月半ば近いというのに、関東地方にも上陸するのかしら。今日から世の中は三連休だって。週末に雨が多いけれど、リタイア組には関係ないわね。雨が降ると働かないでのんびりと家に籠もれるから、嬉しい気分にもなれるし。

明日は晴れるかしら。

マティスのパスネット、プレゼント用に一枚余分に購入しておいたけど、全然渡せる機会がなくて。先を越されたみたい。シクシク。

ピカソよりマテイスの方が十歩分程好き。

好きで心が惹きつけられる絵は、モローとコローの絵、そして、ルネッサンス時代のレオナルド、ミケランジェロ、ラフアエロ。

我が家のごく近くにも隣駅近くにも、「秦」さんの表札をみかける。ずっと以前の住まい近くでも見かけて、ドキリとしたこともあり、今でもあり。

女性同志だと、旧姓が話題になることもあり、旧姓の表札を見てもはなから違う人に想えるのは、不思議。私の旧姓をこちらで見たのは、これまでに二軒。

雨脚、静かになったけれど、安心出来ないとテレビが報じています。   泉

 

*  わたしのこの「闇」サイトを覗き込んでくださる人の、決して決して少なくないらしいことは、いろんな情報から知れている。なんで読まれているかの理由も、「検索」すれば察しが付く。共感し賛同される理由も、ヘキエキされる理由も察しが付く。メール等の転記により、何とも言えない「濃密な空間」が出来ていて近寄りにくい気がするという遠くでの声も聞き取れる。

わたしの意図してつくっている仮にその「濃密な」といわれる「闇」の時空は、わたしを、無用な干渉から防禦してくれている。かりに「掲示板」のような場所に一過性の無責任な声が氾濫してみても、わたしには何の益もない。わたしの知友も、サイトの主人公にもどこの誰とも知れぬ、おもしろづくの放言などを読まされたくないだろう。濃密さは、いわば必要以外の情報の混入を避けているバリヤの役もしてくれている。

一過性の声もわたしはとても尊重している。反対や反撥の声であっても聴くべきは聴こうとしている。この「闇」へそのまま沈め返しておくのもあり、大方はただ受け取っておく。どっちにしても、もし強いて云うなら「一視同仁」で、わたしに濃密意識はそれほどあるわけではない。

初めて届いた佳い声や言葉から、その後久しい信頼が育ってゆくことに有り難い希望をいつも持っているとだけは、確実に云える。少年の昔からの旧友は別としても、おおかた私の知友はそのようにして、ほぼ私自身かのようにわたしの胸の内に住み着いてくださった方達である。有り難いと思い、またそういう人達を濃密そうに限定する気は毛頭無いのである。

2004 10・9 37

 

 

* 夜中に放映の「アイリス」は観たかった映画。観ていないので、いいのかどうか分かりませんが、女優のジュデイ・デンチは、「ショコラ」で糖尿を患っていたあのお婆ちゃん役。「恋に落ちたシェイクスピア」ではエリザベス女王の役で、出番は極少ないのに存在感あり、確か助演演技賞を取っていた微かな記憶があります、出演している映画は観たくなります。何人かいるオッカケの一人かも。

この映画は、有楽町で気の合わない知り合いと牡蠣でお午食のあと、和光裏の映画館へ誘われたけれど、思い返して一人で帰った変な思い出があります。

そのビデオに入れた「アイリス」を、いまから観ます。牡蠣の美味しい季節が巡ってきました。  泉

 

* 祇園新橋に「かき春」という店がある。むかしは四條京阪のえきにまぢかい疏水のうえに船の屋形で牡蠣料理の「かき春」は浮かんでいた。いつかこの店に入りたいと子供の頃から前を通るたび奥ゆかしい気がしていた。風情のとても佳い店だった。

大人になり月給などもらうようになって、休暇で帰ったある季節、両親と叔母と、こっちは夫婦とちいさかった朝日子と、つごう六人で「かき春」をわたしが奢った懐かしい思い出がある。父や母や叔母の嬉しそうな顔の佳い写真がのこっている。父はネクタイしてチョッキなど着て、桂文枝にそっくりだ。父はたしかに少し粋ふうの遊び人の風情を若い頃はみせていた。文枝の落語をはじめて聴いたとき、たまらなく父に似ているので、咄のうまさよりもそのことでわたしはオロオロしたのを忘れない。その文枝を、今は名張市の囀雀さんが盛んにオッカケている。たぶんわたしの書いた何かでそんなことも雀さんは知ったらしいのである。

牡蠣はうまい。好きだ。が、鰻とおなじで、ことに生の牡蠣は食べる寸前にすこし緊張する。ぷりぷり煮えていても少し緊張する。あまりにエロチックな食べ物のように想えて緊張するらしい。

 

* 青空が雲間からのぞいています。颱風はとおりすぎたようです。今回は、これまでと少し進路が違いますね。関東の方がひどいみたいです。お気をつけて。

週末は颱風と諦めていたのですが、思いのほか早く晴れたので、電機店に行ってきます。新しい掃除機が欲しいので。

それから、中くらいのお鍋も欲しいなあ。野菜スープなどを手軽に作れるくらいの大きさのものが。あったかいスープが食べたい季節になりましたね。 花

2004 10・9 37

 

 

* ごぶさたいたしました。

木犀が、いつもの年よりたかくかをつて、七階のわが窓にまでその香がのぼつてきてゐましたが、きのふけふの雨でおしまひでございませう。ゆふべのうちに夜陰の闇に乗じて、一枝ぬすんでおけはばよかつた――。

やうやく、器械が使へるやうになりました。器械のセンセイは大学教授になつて、インドネシアに行つてしまひ、器械にくはしい友人知人に相談したり、見てもらつたりして右往左往したあげく、パソコンのお店に委ねたのですが、これも行き違ひがあつて、たうとう、復旧にひと月もかかつてしまひました。

この器械に、いかに頼つてゐたか、と、いふことを痛感いたしました。

書きかけのもの――原稿からメモまで、いつさい、見ることもできない。しまつてあつたものも取り出せない。抽斗、いえ、蔵に錠がおりてしまつたやうな感じでした。

気楽に図書館の蔵書を検索したり、芝居や映画のスケジュールを問うたり、果ては、イチジクのワイン煮の作り方、鉢の花の手入れ法を教へてもらつたり。

夜毎の夜遊び――「湖のお部屋」をお訪ねすることも、電子文藝館のお手伝ひをさせていただくこともできなくなりました。

この器械をわが机の上に据ゑて何年経ちませう。わが生活にこんなに深くかかはり、わが生活を変へてゐたとは。そらおそろしいやうな気がいたします。さりとて、今さら、あともどりもなりません。

はげしい雨風がうなつてゐます。丈たかい支へにからんだゆふがほが心配です。

先生のお住まひはいかがでございませう。   香

 

* 颱風ももう東北へ抜けていったという。強いかぜ颱風の目に覗き込まれるかと恐れていたが、一安心。まあ、よく降った降った。

 

* 牡蠣はエロチックやて、えらいことをお云ひやして、もう。  泉

 

* 牡蠣がエロチックとは、女はまずそういう連想にいたらないのでとても面白く読みました。なるほどそうか。次から牡蠣を食べるときには今までより構えてしまいそうです。もっともカキフライかグラタンにして食べることが多いので。

「いつも喜んでいなさい」という聖書の言葉があります。

目指していて少しも実現できないながら、大好きな言葉です。  春

2004 10・9 37

 

 

* 颱風一過という晴天では、まだ、ない。良人に「オムライスのようだ」と笑われて寝ていましたというメールが入っていた。毛布二枚をくるっと身に巻いて朝寝していたというのだ、朝寒の季節にやっとというか、にわかに、なってきた。

2004 10・10 37

 

 

*「最近、ええ音楽聞いてないなァ」という声をどこかしらで聞きました。

常にお作を卓に置いているのは、守りであり、友でもあり…なによりも、数頁読むことによってさえ、拭われ洗われるからです。

ただ、モンダイもありますの。つい、時も気持も傾けて、普通に戻るのがいやになったり、用のためにひどく急がなければならなくなること。

それだけ、濃密なものをいただくので、ほかに代えられるものがみつかりません。

洗はれて気づく五感のよごれかな  雀

2004 10・10 37

 

 

* 路地で親子が佇んで雲の縁を、裏から照らす夕焼けを眺めています。雀も歩みを止め、見惚れました。ムラサキシキブの実が艶艶と輝いています。

ドナルド・キーン氏の講演が一時間。連句アニメーション「冬の日」40分、川本喜八郎氏のお話が20分。雀のちいちゃなおつむには、まかないきれません。

昨日大雨に降られた伊勢から、また、横浜で足止めをくらった埼玉からのひとと話をして、上野駅で別れました。いま、雀は、居酒屋で、沸騰したおつむを伊賀の酒で冷やしています。伊賀肉&赤目の松茸&地酒&漬物&新米。恵み多き地に居る幸せの、お福分け。  囀り雀

2004 10・10 37

 

 

* 帰りました。 上海の車の警笛は予想以上で、帰りには、空港に向う朝の高速で、ガードレール単独衝突事故を目の前で見ました。何秒かの差で巻き込まれていたかもしれませんでした。

おそらく世界一斬新なデザインの美しい高層ビルが100本近く立ち並ぶかと思うと、元租界にある重厚ですが手入れのしてない古いヨーロッパ建築の1階には回転寿司屋があり、路地裏には生活用水垂れ流しで残飯をあさる貧しい老女の姿。そういう古い居住区も残っていて、古きもの新しきもの、日本も含めて世界中のありとあらゆる暮らしの寄せ集め、まさに、ごった煮の鍋のような町でした。

取り急ぎ帰国のご報告まで。台風、大変でしたね。  波

 

* 上海の地は、三度踏んでいる。

一度目は、北京へ向かう途中。招待側のなにかワケがあったものか飛行機を乗り換えただけで、上海空港の外へは出なかった。機上から、巨大な、あかっぽい揚子江河口をみおろしたとき、荒々しく胸の騒いだ印象があるが、空港では、かん高く体制讃歌の歌声が響いていたりしてながら、それが奇妙に際だつほど、ただ漠々とヘンに静かだった。

文革四人組が逮捕され、大人(たいじん)の風ある華国鋒主席が就任していて、あの鄧小平などの名も影も形も、全くまだ世にあらわれていなかった。国中の壁面が大字報、つまり弾劾ステッカーで埋められ、弾劾される人名が天地逆さまに書かれていたりするのも凄まじく、イヤほど見た。どのステッカーの字も達筆で、ああ「書」の国へ来ているんだと感心した。北京飯店の中ですら武闘がまだあると聞いた。だが井上靖夫妻をはじめとするわれわれ日本作家代表団一行は、ともあれいたるところで「熱烈歓迎」「熱烈環視」されつづけた。

人民大会堂では、国会議長に就任したばかりの故周恩来夫人の鄧穎趙副主席が接見し、「秦センセイお里帰りですね」と笑顔で挨拶された。秦恒平=チンハンピンという氏名が、中国では上等の中国名として通用するからだった。これは、おかしかった。

北京に数日滞在して萬里長城などを見て回り、戦後初の日本人訪問という、朔北の大同市まで汽車で向かった。到着すると駅頭で夥しい重い沈黙の大衆に、文字通り十重二十重にとりまかれ、それは巨大な擂り鉢の底へ投げ出されたわれわれが、四方八方からの数千いや万もの人と視線とにじっと射すくめられる光景であった。動員されて出てきたというより、まさしく「日本人」なる一行を「見分」に、なにはさておき馳せ参じた無言の「見物」と「批評」の視線であった。ま、歓迎であるにしても異様な沈黙と冷気とに満ち、酷寒の十二月であったからか、人も吾も凍りついていた。

だが、蒙古に近いこの大同市の光景は、すべてわたしには北京以上の感銘を与えた。壮麗な石窟や上下華厳寺などを驚嘆して観た。深い炭坑にもおりた。

わたしは「現代中国」の変わりやすいであろう当座の現象に着目しむやみと証言することは避けたかった。だから、この大同、その上華厳寺の猛烈に華麗な大壁画の画風に取材して、歴史小説「華厳」一作だけを、帰国してから書いた。この作品は、「読み」の練達者からは、今でもわたしの作品中、第一ではないですかとひそかに言われている。後に、この旅に同行した伊藤桂一さんに、「ぼくらだと」あれだけの素材から、もっとおもしろいやわらかい読みやすいお話を幾つもつくるんだがなあと嘆息された。

一行は日中文化交流協会の秘書長白土吾夫氏、佐藤純子さんを含めて十人、井上夫妻、巌谷大四、伊藤桂一、清岡卓行、辻邦生、大岡信、最年少の私、それに数人の中国通訳がついた。通訳の筆頭が、先に中国の外務大臣をつとめた、陶家旋氏だった。

北京に戻り、二三日して飛行機で杭州へ、そして紹興へ、また杭州へ戻ってから蘇州へと旅程をのばして、最後にもう一度上海へ入って、二三日過ごしたのである。

上海は、見ようによればホテルなども東京や大阪にちかい。もとの租界地区と市部とに印象は二分されやすく、またもう長旅に疲労していたので、感動したのは上海博物館の秘庫にまで入れてもらい館長自ら名品、逸品をつぎからつぎへ取り出して観せて下さったことぐらいであった。井上先生もしばしば「秦さん、これはね」などと近くへわたしを呼び寄せて感想や知識を披露して下さった。最年少で、夫人からは「息子」などと言われながらの長旅であった。

 

* 上のメールの「リル」が「上海」へ行くと言ってきたときに、上海は看板と警笛の街、「ごった煮の鍋のような街」ですが、活気は凄いと返辞していた、そういうわたしの「上海」観は、あれから二十年以上して、二度目に出掛けた「日本藝術家代表団」の訪中時印象に拠っていた。日本画の松尾敏男氏、バイオリンの千住真理子さんらが一緒だった。

二度目の中国は案の定、いいのかわるいのかの判断は余りに難しかったけれど、天と地ほども変わっていた。鄧小平時代すらももうとうに経過していた。むかし下放され弾劾されていた資本家や知名士達の時節謳歌の自信に溢れた「新」中国であった。

西安へ行き、往古の大城壁の見える宿での一夜は温和に陶酔できたものの、全体の旅の新中国の印象はやや雑駁で、二十余年前の今は亡き井上靖や辻邦生らとの新鮮な感動とは比ぶべくもなかった。帰国後に何が書きたいという余韻もなかった。

 

* 木津川に沿って、恋志谷神社から一気に朱智神社まで飛ばし、息長山普賢教法寺、法泉寺と、金木犀が香るなか、観音さんばかりを尋ね、壽寳寺へまいりましたら、隣の神社から神輿が出るところでした。

佐牙神社へお渡りと聞き、そこへ参り、白山神社とあるので行ってみると、継体天皇が西宮えびすを勧請したとのこと。

川を渡って、以仁王墓、蟹満寺、湧出宮。

ここも秋祭りで、法被姿の子供達が福引の真ッ最中。頬を少し汚した、ごまめちゃんかしら、幼い男の子が、お参りをする雀に付いてきて、まぁるい目で見つめていました。雀

 

* 日本の、往古の固有名詞が持つ果てしない喚起力に痺れる。今ならまだわたしも一緒に歩いたり移動したり出来るだろうか、上り坂や石段がもうわたしを寄せ付けないかも知れない。

雀さんのメールは、自分の体験や行動を単に報告していて、伝えられるわたし自身との交渉は何もないように、一見みえて、そうではない。これらをこの人はいろんな人に同報しているのでなく、他でもないわたしに伝え、そしてわたしなら興趣を覚えてくれると信じて、つまり「話しかけて」きている。それがよく分かるから、わたしは読んでいる。書き写しもしている。

数あるメールの中には、(私の知らない)誰それと、今日こうした昨日はああした、それがどんなに自分には楽しいことかとだけ伝えてくるのも交じる。気持ちは分かるけれど、わたしは「関係ない」ので、時にシラケる。たんに日記がわりを疎遠な気分で読むのは味気ない。どこかでそれが読み手のわたしへの「話しかけ」に成っていないと、メールは意味薄い。

日記を、半月一月分まとめて送ってくれる人があるのは、これには熱いものを覚える。ちょこちょこのメールなんか面倒でじれったいのでも有ろうけれど、しかし、まるごと自身をこっちへ預けてくる親愛感は感じられる。主に「近世」の風と謂っておくが、日記をまるまる送るという「証しの風習」が、或る世間ではひそかに行われていた。その人はそんなことは知るまいが。

 

* メールは貰うのは歓迎だが、習慣化してくると書くのが億劫に成りやすい。それで、そのまま何となく疎遠に戻ってゆくという例は、それこそ普通の成り行きであるだろう、自然淘汰というに近い。そうはいえ、淘汰してはならない間柄もあるはずで、いくらかは双方に意識や努力がないと、疎遠の悔いをのこすことも広い世の中にはやまほどあるにちがいない。微妙なことだが、そこがおもしろい。「電子化心理学」がメールなどを素材に方法化され探究されてゆくだろう。試みている学究もいる。

2004 10・12 37

 

 

* 夕方になりました。

孤独と空虚は慢性病、そう言われると困ります。孤独と疲労感でしょうか。空虚ではありません。慢性病も否定しませんが。妙薬あればいいけれど‥まあ、単純な気紛らし・ごまかし薬があればいいのでしょう。処方箋もありますけれど、実際に処方できないことも多いのです。それが更なるストレスにもなります。今は遠くに行きたい。

あまりに疲れたので夕食の支度で気分転換。イモの蔓だといわれたのですが・・なんの芋なのか聞きそびれました・・それを湯がいて煮物に。山芋、温泉卵、栗、大根と柿の胡麻和え・・秋らしいでしょう?! あとは秋刀魚と豚肉はどう料理しようか、と。

そちらは秋らしくなってきたようですね。ここはまだ汗ばむ陽気。さすがに明日あたりから秋めくそうです。

明日は気分転換。女友達からのお誘いで彼女の家に初めて出かけます。いくつになっても友人を見出しています。同じ歳で誕生日を聞いたら本当に一日違いの人、さすがにいっぺんで誕生日を覚えて親近感を覚えたとは、いささか安直でしょうか。でも、この人とは友達になれる、という直感的なものがあります。

どうぞお体大切に。発送作業が始まるのですね。   鳶

 

* 遊びほうけていないで、と、20号の水彩にかかり始めました。今度は自画像を。たそがれ自画像を入れようと苦心惨憺しております。いかに老いてきたかと鏡の自分と対面して思い知らされております。60才も後半に入りましたものね。気持ちだけでは通用しない年齢になってきました。 母に言わせると、まだ六十台じゃないの、と。ですが。

「山名」画伯はいかがですか? この先生にもお会いしてみたいです。

こんどこそしっかりと自分に向き合って描いてみます。秋の湘南支部展に出品する予定です。ごきげんよろしく。    温

 

* 久方のアメリカ人のはじめにし ベースボールは 見れど飽かぬかも

イチローも、ゴジラ松井も、やりますねぇ。日本だって、プレーオフの最終戦など、手に汗握る熱戦で、雀はTVから「ダイエーの」と聞こえるたびに、画面を見てしまいましたわ。

明日は部分日食だそうですね。やっと旧暦九月に入ります。晴れそうですが、朝は10度を下回りそう。尾花から紅葉へ、いよいよ名張は盆地らしくなってまいりました。

露の次は、霜降ですわね。

そちらはずいぶんと肌寒い雨が続いているようですが、おからだの調子はいかがでらっしゃいますか。ご無理なさいませんよう。  雀

2004 10・13 37

 

 

* 図書館でつい時を過ごし日食に間に合いませんでした。

さて、「年寄ると、耳に蝉飼い、目には蚊を飼う」。

聞いてはおりましたが、最近、なるほどと思うようになりましたの。ただし雀の耳は蝉でなく、遠く滝波の音がしますが。

今月は年金がなし敬老日 (斎賀 勇)

これも、主人が年金を貰うようになって分かりました。近くの郵便局で「年金相談日」と大きく貼り出しているのにも。この17日が「孫の日」という理由は、たぶん、お盆以来の年金日、孫になにか買ってやれる、一緒にデパートにでも行こうかという日ですのね。 囀雀

 

* 幸い、子供達にお金を遺してやらねばならない心配が、ほぼ失せている。息子など、わたしをまで扶養家族にし節税したいと、半ば本気で画策しているようだ、けっこうな話だ、長続きしてくれるように。

で、わたしはあまりお金を遺さねばという心配はしていない。妻と一緒に一泊の旅すらろくに出来ないし、いくら美食しても胃袋が縮んでいて、たかが知れたモノ。衣服や持物で贅沢したいとはテンデ思わないタチだし、本も、処分したい一方、それでも増える。能や演劇も幸いほどよく招いて貰えるので、せいぜい自前で歌舞伎座や国立劇場に一日座りこむぐらいの贅沢で、こと過ぎている。霜月顔見世の広告も新聞にもう出始めた。

妻と私とが難儀なかたちで入院生活をしたりすると、息子に迷惑が掛かるかも知れない、その程度の用意は要るだろうか、それも「お任せ」していいのだろうかしらん。

いつか孫二人が大人になったなら、何かしてやりたい。上の、やす香は来年大学へ入る歳だ。どこを志願しているのだろう。遠く漏れ聞くところやす香は小さい頃から英語とフランス語がらくに話せるという。英語圏にホームステイしたりフランスの学校にも身を置いて育ったという。わたしの孫とは想われない。

2004 10・14 37

 

 

* ネットで募集して車の中で集団自殺。何でもネットで、情報過多になり、軽い悩みが重い悩みに短絡、自信喪失に繋がっていくのではないか。ネットの罪と謂うよりなく。自殺の一つの手段、練炭の火のつけ方もネット上で教えを請うなど、その辺のマンガよりもバカバカしくて。思考錯誤の最中の若者達に助言を与え、希望の道へと導くのも、同じネットでなければならない、今、そんな時代だと思う。  泉

 

* 今日もとてもいい秋晴れ。

玄関の扉におなじみの蛙が背中を見せてペッタリはりついているのを確認しましてから、図書館へ行き、中村光夫の論文をいくつか借りてきました。古本屋にも寄りました。おもしろい本がたくさんあって、長居しました。

広東語は、今度の土曜から、駅前の教室であります。入門編は全部で八回だそうで、ついでに名古屋探索をするつもりです。大学の近くにいい古書店があるかもしれないと期待しています。

> マフィア筋に取り込まれたり、ヘンな狙いを付けられたり

そんな小説を読んだことがあります。気をつけます。 花

2004 10・14 37

 

 

* 千葉 E-OLD

ご無沙汰しております。おじさんは何とか大丈夫です。

¥28,800のパソコンを買ってみました。それにLinuxのOSを乗せて使いたかったのです。今まで2~3回挫折しているのですが、田舎のオジサンはやはり苦戦中です。

この間、湯島から本郷三丁目まで歩く機会がありました。I書院の前を通りました。きれいな街並みになっていましたが、エビフライの「少女」を思い出しました。

今年の十五夜は遅かったので、寒さが早いようです。お気を付けて。

 

* エビフライの「少女」とは、昭和三十七年の秋頃、ちょうど処女作「或る折臂翁」を書いていた最中の、短篇処女作のこと。労組の「広報」に書けと言われて書いたものの、出し惜しんだ。のちに最初の私家版、B5版六十四頁、八ポ二段組みという雑誌大の『畜生塚・此の世』に入れたと思う。高校時代に書いたものを別にすれば、大人になってからのいちばん早い作品。いまは湖の本版「みごもりの湖」下巻のうしろに「此の世」とともに「少女」も収めてある。本郷の道にそういう少女と犬とがいた。

 

* 千葉の、ドクターおじさんに逢いたくなった。とても有り難い、癒し系のE-OLD。そうだ、マティス展などどうでしょう。

2004 10・14 37

 

 

* 前冊「尊王と攘夷」から今度の「明治維新」にかけて、身の震うような感銘と、眼から多くのウロコの落ちた嬉しさに、わたしはある種の興奮を抑えられないで居る。

 

* 素敵な麻生さん。といっても、国会のことではなく、(国際情勢や国会についてコメントできたら、雀も知的で落ち着いてカッコ良いのですけれどね。)老女の恋を描いた芝居、「ハロルドとモード」(スペースゼロで11日まで上演されていました。)主演の、麻生美代子さんのことですの。見てきた友人が、とても素敵な女性で、素敵なカップルになっていましたよとメールをくれました。

別の芝居フリークの友人は、前回の「缶詰」がとてもおもしろかったからと、尼崎公演のある、文学座「踏台」をすすめます。

いい舞台、なにかご覧になりましたか。  雀

 

* 二十日の通し狂言「伊賀越道中双六」に、また二十七日昴劇団招待の「チェーホフ的気分」に、それから十一月七日の友枝昭世の会招待の能「柏崎」を楽しみにしている。十一月は歌舞伎座顔見世興行、そろそろ注文した昼夜の座席が、松嶋屋から報されてくる頃。

2004 10・14 37

 

 

*  秋晴れ 惚れ惚れと、と言いたい好天でした。

今日の天気で、元気になったでしょう。 配本、お疲れのないように。   泉

2004 10・15 37

 

 

* さ、発送作業にかかる。

 

* 作業捗っていますように。肩痛まぬように、無理せぬように。良き日でありますように。 ことばを紡ぐのに苦しんでいます。  鳶

2004 10・16 37

 

 

* マチス展。Webで見ると、「ブルー・ヌード」というのがよさそうに思えます。

オジサンの都合の良い日は、 以下の通りです。 略

のーんびりいたしましょう。ご無理のないように。

ほんとに寒くなりました。くれぐれもお大切にしてください。 千葉E-OLD

2004 10・16 37

 

 

* 初穂曳き、実り献納の時期となり、日ごと夜明けが遅くなってまいりました。びっしりと降りていた露は、いったいどこへ行ってしまうのかしらと思うほど、空気が乾いています。いよいようっとうしい静電気の季節が始まりました。

「菊月の雅用俗用あわただし」といった毎日かと存じます。喉や鼻などくれぐれもお大切に。

地元紙朝刊で、鏡花の「高野聖」連載が始まりました。  雀

2004 10・16 37

 

 

* 久保田万太郎の俳句が見たくて、電子文藝館をたずねましたが、入っていないのに、おやっとおもいました。調べてみましたら、まだ、没後四十年なのですね。戯曲のほうでも電子文藝館に載っていたらよいのにとおもいましたが。

国立劇場での雅楽の切符をとりました。神降ろしと神送りの曲が演奏されますので。

京都や奈良のお宮さんで、深夜に聴くのが理想なのでしょうけれど、なかなか、そうもゆきません。

何年か前、春日若宮おんまつりの、深夜、神様をお起し申し、仮宮にお移しする行事に、一晩中つき従ったことがありますけれど、ぼやーっと雅楽を聴いておりました。

闇に、切れ目なく鳴りつづける笙の音を、天界から降ってくるよと聴いていました。

一夏を咲きつづけてくれたゆふがほが、残んのちいさな花を、今宵も見せてくれました。花のちいさいこともですけれど、葉がすっかりやつれてしまって、あはれとも、何とも。

鬼火よりさびしき色に目を燃せば夜のほどろにひらくゆふがほ  齋藤 史

今のわが軒のゆふがほはただあはれなだけ――。     香

 

* 闇に、切れ目なく鳴りつづける笙の音を、天界から降ってくるよと――  沈透く思いにふるえてくる。

2004 10・17 37

 

 

* 風 お疲れさまです。

京都嵐山に行ってきました。人、人、人でした。休日は仕方ありません。ひっそりした所もいいけれど、賑やかな京都も楽しみました。

桂川ってこんなに大きかったかなあと、修学旅行を思い出しながら渡月橋をわたったり、模擬店のたこやきは、ソースの匂いに引き寄せられながらも我慢して、豆腐アイスを食べたら、夕方冷え込んできた頃だったので、よけいに寒くなってしまったり。夕飯は、日替わり御膳とかいうのを残さず食べて、お腹いっぱい、まだ苦しいほどです。

日暮れて肌寒い道を歩きながら、両側にいくつもある立派な温泉宿を眺めて帰りました。

風のおしごと、捗っているようで、なによりです。昼夜の気温差がはげしいですから、お仕事明けも、万全にしてお出かけください。  花

 

*  紅葉にはすこぅし早かっただろう。渡月橋。嵐峡館。吉兆。琴聴橋。天竜寺。野宮。落柿舎。小倉山。常寂光寺。二尊院。妓王寺。念仏寺。厭離庵。釈迦堂。大覚寺。大沢・広沢池。北嵯峨の里。走馬燈のように忽ちに蘇ってくる景色。風の匂い。わたしも一人でぴゅーっと飛んで行ってきたくなったが。三十日に美学藝術学の学会がある、寄るの懇親会にだけでも行くかなあ…。

いやいや、そんな先のことよりも明後日、水曜日、の歌舞伎が待ち遠しい。そしてそしてそして気の晴れることが続くといいのだが。

2004 10・17 37

 

 

* お疲れさま。 秋咲きのやや小ぶりのバラが四つばかり。深紅なのに、春咲きの華やかさはなく、愁いに似た風情をみせています。我人生もその季節にさしかかっているのかな。昨夜も、斜向かいの、一回りも若く明るい奥さんの突然の訃報。

「チエーホフ的気分」

朝日の文化欄に、大きく紹介されていました。

早朝から、ヤモリになりました。これから朝食です。  泉

 

* ヤモリとは、ひとりで留守番というこらしい。なるほど。ところで、まだ「お疲れさま」とねぎらわれるのは早く、もうひとッ走り郵便局に嵩のある荷を運んで、夕方にも。それで今回は終わりに。

 

* おはようございます 風。 此処から京都へは、車より新幹線の方が早いです。200km出ますからね。でも、昨日は車で行きました。運転は任せっきりでした。

> 街で一泊するとうんと落ち着きますよ

そうですね。是非そうしたいです。

京都って、宵っぱりなんですか。夜、街に出たり、公園に行ったり、ドライブしたりするのが大好きです。わくわくします。

発送、ハイスピードで終えられるようですね。休憩もしっかりとって下さい。

そして、風 お芝居いろいろ、楽しまれますように。 花

2004 10・18 37

 

 

* 少しも心配することはありません。  譬えて言えば、わたしが、すこしずつ 誰かさん(somebody) でありつづけるのをやめ、誰でもない人(nobody)になろうとしているのでしょう。 ま、いずれにしてもこう文字にし言葉にすれば、その瞬間に只の口説(くぜつ)です。気にしてもしなくても構いませんが、理に落ちないように。人は静かなときは静かでいいのです。声を張る必要はありません。黙っていても、いいときはいいものです。たいへん変な失礼な譬えですが、烈しいセックスだけが絶頂をまねくわけでなく、不動に満ち満ちたときに最高潮が泓々(おうおう)として来る。清泉泓々とは、そういうことかも知れません。

変と失礼ついでに言うと、わたしはバグワン『存在の詩』のP52 「神は愛なり」と の辺からP54の末あたりまでを、読んでいました。

別に今わたしは、バグワンの『老子の道(タオ)』も読んでいますが、そこでも彼は「神は愛なり」に触れています。

愛とは神の世界の最低の階梯、しかし愛は人間にとって最高の階梯であり、人は「愛」のところでしか神の裾にも触れ得ない。だから、神は愛なりと仮に示されているに過ぎず、神は愛でもあっても、決して愛が即ち神ではない、ましてや愛を人間風に解して、神はセックスなりなどと翻訳して満足してはとんでもないことだとバグワンは話しています。すべてはメタファ(隠喩)でありアレゴリー(寓喩)ですが。

ま、余談です。 しんぱいしてくれてありがとう存じます。

2004 10・18 37

 

 

* 昨日昼前に本が届き、対談集のなかにはまだ読んでいないものがあって、早速堀泰明さんとの対談から丹念に読んでいます。対談の形式は時として鮮明に語り手を映し出し、炙り出しています。時間的経過を考慮するとしても。

また台風。台風の名前はトカゲ、本当にウンザリ、もう十月も下旬に入るというのに。

明日は歌舞伎の予定でしたね、絶対台風に来て欲しくないですね。

本の私語の刻に「大事に生きる」とあり、嬉しく受け止め・・そして昨日のHPに書かれていることもまたあなたの状況かと厳しく静かに思い、だからこそ日々を大切に幸せに自然に生きましょうと書きます。(自分へのエールも含ませて。)

富士山を見たいという親の所望が「雪の富士山」という条件付のために、十一月十日過ぎに出掛けます。その頃は母の目の手術で行くことも決めています。

今年は外国も、インドに五日間行っただけで終わりそうです。主な理由は経済的なものですが。(自動車の買い替えにローンを使わなかった・・いつまで経っても庶民だなあ! と嘆息。)

元気、少しの元気でいいから、どうぞお元気で。  鳶

2004 10・19 37

 

 

* 湖の本エッセイ32 『死なれることと生きること』今日拝受いたしました。有難うございます。 今回も興味をそそられる内容に喜びました。 わくわくいたします。楽しんで読ませていただきます。 さっそく局で入金いたしました。

お元気でしょうか? 私は今、たそがれ自画像を描いています。 むずかしいです。なぜか若く描いてしまいます。願望なのでしょうか?

バックを凝りにこって沢山の色を使ってやってます。そして自画像だけは無彩色でと。 これからはのびのびと思うままに描くことにしています。出来上がったらまず仲間はふきだすでしょう。 発表の場ではできるだけ冒険的なのを出品して会場で反省なりをしようかと考えをかえました。

きれいごとは止めるつもりです。 ではごきげんよう。   神奈川県

 

* 10個目の大型台風が列島縦断なんて、ウッソー、ウンザリしますね。前回のような大きな被害の出ないように。

郵便受けに入らず、待っていた手に直接受け取りました。

後輩と聴いていた堀(泰明)さんの挿絵のある新聞小説「冬祭り」を天袋から持ち出してみました。二十二、三年前、半分程は整理をしないでそのページのままに嵩高く保管していましたが、改めて懐かしい。

当時の記事にもつい目が行きました。

松禄、勘三郎、長谷川一夫等が活躍中。

挿絵の保存は新聞でないと、と購買していない新聞をなんらかのツテで入手したのでしょう。堀さんは、女の人はご自分の娘さんをモデルに画いているのでしたね。

お宅以外でこの新聞連載を保管しているのは、多分私だけでは。   泉

2004 10・19 37

 

 

* nobody の強さ、確かさは、somebody であった人がそこを乗り越えてからでなければ、獲得できないのではないかと感じます。

たとえエゴであろうと、奮闘努力して誰かさんになるということは、人生に必要なことではないでしょうか。わたくしはまだ somebody にすらなれないことを自分に恥じています。今のままの自分でよいとは到底思えません。このまま死んだら後悔します。

聖書のタレントの譬え話に影響されているのかもしれませが、自分の与えられた能力を精一杯生かす努力をして得るものが、ほんとうに価値がないとは思えないのです。

作家になったこと、多くの作品を書いたことをただの梯子のぼりだと、心底思われるのでしょうか。息子さんの脚本家、劇作家としての活躍を単純にエゴだと思われるのですか。まさか。

万が一そう感じても読者はそう思えませんし、作品を感動して読んでいる読者に対してそれでは気の毒なことになりませんか。

バグワンの言うことは、死に物狂いで somebody になることに成功か失敗して、エゴを味わい尽くした後にしみじみ納得されることであろうかと……。ですから、nobody であろうとされている境地の理解も、まだまだわたくしには難しい。

理解の浅きこと愚かしいこと、この程度ですが、お願いですからあきれないで。バグワンは少なくとも若者やわたくしのような未熟者には、ハートでわかるというより、「知識」としてやっと頭のどこかに入るかなというくらいの厚い壁です。言葉は平易でも、その真意の理解は聖書の何十倍も、何百倍も困難かもしれません。

でも、がっかりなさらないでください。今読んでフムフムと気になることが、十年後、二十年後の命の糧になるだろうと、そう信じて読み続けています。

大体一度でわかるくらいだったら、もともとわたくしこの本は不要ですもの。  春

 

* 云うまでもなく、バグワンは梯子上りを全否定はしていませんし、わたしも。それが梯子登り以外の何物でもなさそうだとは、年を取らないと分かりません。やるだけやった者にしかじつは分からないのかも。ヴィトゲンシュタインも、哲学をはなから否定するのでなく、哲学が何の役にも立たないということを本当に分かって、それ以上のところへ出て行かねばと分かるために「哲学があるのだ」と云っています。微妙ですが、「nobody」の確かさを分かるためには「somebody」の道を通らざるを得ない。そうすれば「somebody」であるだけでは本質の安心と無心には至れないことに気が付くと。

その点、あなたの指摘はほぼその通りだろうと思います。険しい道です。私にも、難しい。

 

* いや、難しい。

2004 10・19 37

 

 

* 日本シリーズで西武沿線は騒がしいことでしょう。度重なる颱風のお気疲れも積もってらっしゃることと存じます。雷や大風など、被害はございませんか。こちらは夜遅くなってようやく風が収まりました。

金木犀が散り敷き、植木鉢が転がっています。

お江戸は気温が低いままで雨になったようで、発送のお疲れなどからお怪我なさったり、体調を崩されたりしてらっしゃらないかしらと、夜、メールいたしましたら、受信拒否のようでしたから、心配しております。お健やかにいらしてください。 雀

 

* 受信に障害があったのだろうか、他にもそういうことがあったのだろうか。「金木犀が散り敷き、植木鉢が転がっています。」いづこも同じであろう、端的に様子が見える。

 

* 颱風は寝ている内に通り過ぎました。昨日は幸いにさほど雨風もこぬまに、国立の通し狂言「伊賀越道中双六」を楽しんできました。鴈治郎が二役し、我當の平作はむろん、お米に秀太郎、また彦三郎、魁春が落ち着いて手伝い、翫雀の殿様もけっこうでした。颱風のせいか客席にアキもありましたが、しんみりと佳い舞台でした。

来月は顔見世、師走には高麗屋親子の勧進帳でこころよく締めくくりたいと。

いま広重に触発され、頭に入りかねていた東海道五十三次を覚えてみようと暗記し始めました。江戸日本橋から沼津までは覚え、また京師三条大橋から東上して名古屋の宮までを頭に入れようとしています。沼津と宮との間が難関です、つまり馴染みがうすい。

お元気にお過ごし下さい。 遠

 

* おはようございます 風。こちらは何事もありませんでしたよ。大丈夫でしたか。

今朝は快晴なので、さっそく洗濯しています。既に発生している24号には、上陸しないでほしいですね。 花

2004 10・21 37

 

 

* 芭蕉忌を修しこれより霧の伊賀

ふんだんに秋草生けて数馬茶屋

今朝の新聞で見て、三宅坂の出来をうかがいたく存じて、遠慮しておりましたの。長文のメールも、お元気でいらっしゃることも、どちらも、嬉しうございました。

葛西アナ司会の番組にお出になった文枝さんが、創作落語「熊野詣」で苦労したことを問われ、創ることもさることながら、「なかなか覚えられしまへんのゃ。嫌になりますわ」とお笑いになってらしたの。 ファイト!

ご本の、「生け花」のおはなし、よかった。涙が出ました。  雀

2004 10・21 37

 

 

* お元気でいらっしゃいますか。

私は、ずっと盲学校に勤務し、忙しく楽しく過ごしています。

何か書いたモノ・・・というのが、恥ずかしながら全然無いに等しいのですが、小さなホームページを開設しておりますので、URLを記します。

ホームページといっても、多数の方に見ていただくことを全く想定していない、日記だけのサイトです。この数年、郷里の家族にとって、何かと辛いことが続いたため、離れて暮らしている私に何かできることはないかと考え、「とりあえず私は無事に暮らしています」ということを知ってもらい、安心してもらえるサイトでも作ろうと思い、始めたものです。

開設以前には、秦先生の「私語の刻」に憧れ、そのようなサイトを書いてみたいと思っていたのですが、実際始めてみたら、「何も書いていないに等しい日記」になってしまいました。

しかし、今まで機器に疎かった郷里の母が読むのを日課としてくれているようで、とりあえず目的は多少果たせているようです。

画面に、少し横文字が書かれていますが、これは、日本語のわかるイタリア人の友人が読んでくれているためです。読みづらい点、ご容赦くださいませ。

不順な天候のこのごろですが、どうぞお大事にお過ごし下さい。

「湖の本」、どうかながくながく続けてくださいますようお願いいたします。  早大卒業生

 

* 卒論を読んで以来、卒業後もずうっと途絶えない、つまり東工大生よりも長いお付き合いの卒業生。湖の本も最初から読み続けてもらっている。

教室で別れて以来、たぶん一度も会っていないから、十七、八年になる。なんと懐かしい。サイトも早速みせてもらった。優しい人の優しいことばが静かに並んでいた。小説の書ける人であり、書いていたら読みたい。

2004 10・21 37

 

 

* 今日、国立劇場へ行ってまいりました。

電車やバスがちゃんとうごていてくれるか心配で、何と、八時に家を出ました。バスの中で、「オイディプス」を読んでいましたが、頭の中を重くしてはならないと、途中でやめました。

早く着き過ぎたので、演藝場の近くの、国立劇場に来たときはよく寄るコーヒー屋さんで、開場を待ちました。

お芝居はとてもよかった。「伊賀越道中双六」を通しで観たのははじめてでございますが、やはり、発端から観ますと、事のゆくたてがわかり、登場人物の心理にも納得がゆき、それだけに、あはれであはれで泣かされました。理不尽な、と、おもいつつ、あのひとに泣かされ、この場面で泣かされ……。

久しぶりに、(片岡)秀太郎がたっぷり佳い芝居を見せてくれて大満足、我當の平作はお父さん(先代仁左衛門)にそっくりで、どきっといたしました。

行家の妻を演った上村吉弥という役者、ふしぎな雰囲気のあるひとですのに、今まで、印象に残っていません。なんと、ボンクラな観客だったことか。

きのういらっしゃったのでございますね。「湖の部屋」、お芝居のことを書いていらっしゃったので、拝見しないで、すうと抜けました。拝見しましたら、影響されるのは必定でございますから。

帰ってきましたら、「湖の本」が待っていてくれました。

最初の竹西寛子さんとの対談、あれは、たしか、「みごもりの湖」の栞だったようにおぼえています。

あのご本が、あの対談が、「秦恒平」という作家を知った最初でございました。お相手が好きな作家のひとりで、とても感銘を受けた対談でした。久しぶりで再読、いや再々読でしょうか。

明日は道教の勉強でございます。道教のことが知りたくて、近くの大学に聴講に通っていますので。

これから、昨日と今日の、闇に置かれたおことばを拝読して、やすむことにいたします。 二十一日  茨城

 

* 吉弥というのは、中堅のワキ役ではピカ一、存在感も演技も位も美しさも満点の便利重宝な佳い役者、我當の門弟であるが、人気も高い。彼が出て来て不満だったことは一度もない中で、新之助と玉三郎の「海神別荘」に重い役で出て活躍していたのを見た佳い印象を大事にしている。

 

* 残暑のころにお会いしてから、はや二ヶ月がすぎました。

対談集とどきました。読んだら感想送らせていただきます。

私の方は、あれから、本をたくさんよみました。先生が愛読しているものなども気になって、読んでみました。どれも私にとってよい出逢いでした。

直木賞2作(空中ブランコ、邂逅の森)

ゲド戦記 1~4

夜這いの民俗学 赤松啓介

バグワンの「存在の詩」

「空中ブランコ」は、とにかくおかしくてしょっちゅう噴き出していました。でも、気に入ったのは「邂逅の森」の方です。

これまでに読んだあとの余韻が非常に大きかった本に、「細雪」や「風とともに去りぬ」がありますが、「邂逅の森」もそうでした。スケールが大きく、力強い感じ、が気に入ったのでしょうか。

「ゲド戦記」も夢中になって読みました。

自分が「ファンタジー」が好きだと気が付いていなかったし、(知らぬは本人ばかりで、先生はすでにお気づきだったかもしれません。)実際ほとんどファンタジーとよばれるジャンルの本をよんだことがありませんでしたが、この本を読んで、ああ、自分が好きなのはファンタジーだったのか、と思いました。(でも、考えてみると、宮沢賢治が好きだといっていましたね。)

そして、すぐに、「指輪物語」「はてしない物語」も購入しました。まだ読んでいません。

「夜這いの民俗学」は、めっちゃ面白い経験談です。ええっ、そうだったの~? という新鮮な驚きがありました。赤松さんという方は、教育勅語と、性と天皇とやくざを扱わなかった柳田國男を、彼の存命中から批判していたそうですね。

「バグワン」は、この日曜日にAmazonからとどいたのですが、それ以来、本にすいこまれそうになりながら読んでいます。

とりあえず、はらわたが煮えくり返っているときに、「あ~、こいつ、ものすご~く、怒ってる、怒っているよ。」と思った瞬間、おかしくなってきて、すっと怒りから開放される、そのことを教えてもらっただけで、バグワン様様です。

ギターは「中級」に入りました。初級とちがうのは、月謝が¥1000アップ、という点です。(笑) 冗談はともかく、音楽は楽しいです。ギターだけで飽きたらず、ついに、踊り(フラメンコ)も習い始めました。まだ、2回しかレッスンを受けていませんが、すでにはまりつつあります。

仕事もいそがしくなってきました。

以前、「逆風が無風になり、じょじょに追い風が・・・」とメールした記憶があります。追い風は、いよいよ本格的に吹き始めた感じです。楽しく仕事をしています。しかし、さすがにあわただしく、久しぶりに風邪をひきそうです。

彼とは・・・どうでしょう。

私のハラワタが煮えくりかえることがあるとしたら、それは彼とのことです。

(高校生くらいには、母との関係において、もありました。)

とりあえず、すぐに熱湯をぶちまけぬよう、最大限の努力をしております。ということで、ここしばらく、会わずにメールで意見交換、状態です。はい。

ところで、妹がおりまして、ファッショナブルなダンスなどを活発にやっているのですが、非常に奥手、まじめで正義感強し、です。先生のお知り合いの卒業生で、よいお友達を欲しがっている方など、いらっしゃらないものでしょうか。。。

※ いきなり、メールにこんなこと書いてしまい、あつかましくて申し訳ありません。あまり気になさらないでください。

先生が卒業生君にお会いになることが今後あったとして、先生、いい人紹介してくれませんか、と相談されてしまったおりに、思い出してやってくださると、うれしいで~す。

どんどん気温が低くなっていますが、お体大丈夫ですか。お大事に。  卒業生 千葉県

 

* この人はフッと天窓があいていて、センスのいい美人。その人の推奨の妹だから。しかしお姉ちゃんの大きなお世話かも知れない。お薦め出来る男子卒業生も何人もいるのだけれど。

 

*「ゲド戦記」は抜群だけれど、わたしはマキリップの「イルスの竪琴」三巻もぜひ薦めたい。バグワンもこの人の柔らかい感性とリクツぬきの知性に向いている。ルオーの好きなこの人に、また会いたい。

 

* 台風一過の晴天に恵まれています。今回の台風も私内には被害も無く過ごせたのですが、昨日電話した親友宅は、少し離れた横の川が氾濫し、消防の方たちがゴムボートで救助にこられて 避難したとか。見る見る増水していくのを心配しながら、玄関前で見ていた時に救助にこられ、畳などを上げる間もなく避難。どうにか床下浸水で治まったらしいのですが、あとの始末が大変だったようです。前回の台風で屋根に被害を受けてようやく修理が終わったところへ、今度は下からの被害です。「大変やけど、しかたないわ」と。

来週にまたやって来そうな24号が気がかりです。

ご本、ゆっくりと楽しませていただきます。御身ご自愛くださいませ。 花籠 徳島県 2004 10・22 37

 

 

* 高田欣一さんから「私語」を読んだとメールがあった。

 

* 「闇に言い置く」を拝読しました。 「うまい水をこくこくと飲むように読む」とおっしゃっていただいた事を、何よりもありがたく思いました。

いままで、自分の書いたものをこういう風に批評されたことはなかったので、とても嬉しく読みました。

秦さんのほかには、まだ、どなたの批評も届いて居りません。 しかし、最近は、どなたがどんなことを仰ろうと、自分は自分の書き方で書いてゆくほかないのだと、思い始めました。そうした気持ちに、支えをいただいたと思っております。

 

* 高田さんは、もっと早くに機会を得て批評家として力強い世渡りをされていて当たり前の方であり、湖の本の「読者」のフリをして久しく支えてくださっているものの、わたしは、読者というより同行の同輩のお一人としておつき合いしてきた気で居る。本の何冊も有って当然の書き手であり、懐の綺麗な読み手でもある。いいかたちでエッセイが本に纏まる日をわたしは早くから待望し期待している。

2004 10・22 37

 

 

* つい寝過ごしてしまう。ながかった熱帯夜の連続から解放され、からだが安心しているのだろう。

 

* おはようございます 風。ピアノリサイタル楽しまれたようでなによりです。

ドラゴンズ、勝ちましたね。西武というチームも好きですが、今回はドラゴンズを応援しています。愛知に住んでいるからかも。

筑摩書房の『文学の思想』という本を読んでいます。明治二十年代からプロレタリア文学までの文学思想がなぞれるように、いろんな人の代表的な論説・随筆などを中村光夫が編んだものです。はじめに中村光夫の概説があります。『風俗小説論』もこんな感じかな、と思いながら読んでいます。

『家畜人ヤプー』を書店で見つけました。五巻すべて揃っていました。手にとってちょっと読んでみました。それと、家にある古い雑誌を見ていたら、沼正三が載っていて、本名も書いてありました。現在は正体を明かしているのですね。

こつこつ書いていますが、家で書いていると煮詰まるので、図書館や喫茶店に行きたくなります。 花

 

* 関東平野の北辺から濃尾平野の南端へ、事実婚の大移動は幸せに安着したようで、勉強もすすんでいるらしい。名古屋からは、たぶん都内から見て保谷、というぐらいの郊外らしいが、近辺は信長や秀吉が手を焼いた一向一揆の長島にあたるのではないか。尾張と伊賀伊勢へかけて地形的には、ちょうど腋のような辺りになる。東海道もむかしはこの地域を通らずに、尾張の宮からは海の上を桑名へ渡っていた。桑名の濱にはたしか舟行を送り迎える大きな燈籠が建てられていたように朧に覚えているが、それも何かの写真のきおくであろうか。

2004 10・23 37

 

 

* 大来皇女   名張に越してきて、まず市役所へ行き、駅前で地図を買い、観光案内所でパンフレットをもらいました。その頃はハコモノ&土木市長で、歴史方面の観光はあまり整備されていませんでしたが、市長がかわったことと合併騒動とで、「伊賀」情報を目にすることが多くなりました。

夏見廃寺を建立したのが大来皇女で、彼女をしのぶ会の、20代の二人の女性が、絵と文を分担して「ひめみこ物語」という本に仕上げたそうです。

教科書に載っている、昔の、遠くの話と思っていたのが、「あ、それ、うっとこやねん」というのに、参ります。 雀

 

*「うっとこ」とは、関東風に謂うと「わたしんち」にちかいか、自分の地元を意味している。この人は現代に住み暮らしながら、自在に上古上代の空気を吸い、それを糧に、現実の百倍もの世界を好き勝手に往来している。大来皇女といっても、まず読めない人の方が遙かに多いし、ましてどんな「ひめみこ」と知る人はさらに少ないだろう。其処へ来て夏見廃寺との縁や伊賀の地霊にまで溯ると、途方もない夢に遊ばねばならぬ。この人は新潟に故郷をもちご主人の勤務の縁から名張に転住した、その意味では全くよそものの一人らしいが、おそらくこの人ほど、名張を屈強の足場に、伊勢、伊賀、大和、紀伊、山城、近江、和泉と遊行してやまず、豊かな見聞を蓄えた人は、名張市内にただ一人かも知れない。

東京が「日本」なのではないことを、この人の日々のメールは、いつもわたしに思い出させてくれる。こういう読者が中国筋や四国にも、九州にもいてくれると、わたしは想像をますます豊富に楽しめるのだが。

 

* 器械の接続にトラブルがありホームページ読んでいません。雲の流れのように日々が流れていきます。お体大切に  鳶

2004 10・23 37

 

 

* 六時前、そして六時過ぎて二度三度、地震の連続、新潟一帯に烈しく、余波は東北・奥羽にも関東・甲信にも広く及んで大地震。

昨日の夕方、妻とリサイタルへの途中、武蔵野の南向きに異様に長く長く尾を引く細い雲の連続を見て「地震雲」ではないかと危ぶんだ。一昨日にも、あれは「地震雲」ではないかとわざわざ物干しに出て、ウーンそんな感じだなあと言い合っていた、むろん確信など持てなかったが。しかし似たことが続くので、今夜か明日にも地震があるのではないかと、地震嫌いなわたしは、かなり強く感じていた。予告すると確度が上がるかもと誰に口にも書きもしなかったが。

天災は忘れるひまなくやってくる、と、言い直さねばならぬほど、今年の日本列島は咎められつづけている。

わたしは何の縁故もないけれど、多くの郵便物に交じって、日蓮宗の反創価学会の側からこのままでは「日本は滅びる」と獅子吼した日蓮の立正安国論にもとづく警告と宗論の大きな冊子が先日届いていた。日本の現状への警告を前置きに、烈しく創価学会に対する非難を浴びせていた。筆致は厳しく論旨にキワモノの気味はなくて、わたしにも一通り目を通させる落ち着きは持した冊子で。それ自体は、同じ教祖を戴く対立団体の内輪もめととればとれておしまいの文書だけれど、日本列島の現状がはなはだなにかにつけ危うげであることは、わたしにも憂慮される。お、また揺れている!

 

* さきほど電話がありました。両親とも無事と聞いてほっとしています。友人、親戚など、まだまだ心配は解けませんが。

舟から降りたような感覚を催す、揺れたり止まったりの繰り返しだそうで、海鳴りのような音がしているとのこと。

新潟地震のとき、つかまり立ちをしていたことを思い出していたと親は言います。

そちらもくれぐれもお気をつけて。 雀

 

* 九州にいる藤田理史君のご両親が、新潟。ご無事を祈る。

 

* 八時前、また揺れる。オオオと呟きながら、相変わらず森銑三先生の着実無比の論文をこつこつこつと校正し起稿し続けている。

2004 10・23 37

 

 

* 湖様

ハロウィーンパーティが終わり、やれやれとタクシーに乗っていたとき、大地震のニュースに驚きました。娘夫婦と孫はまさに新潟に もう一人の娘は群馬の赤城山麓に、いたからです。

携帯でメールを送り、自宅に帰ってすぐ携帯で連絡したところ、四ヶ月の孫や先方のご両親ともども、無事の声を聞くことができました。話している最中に、「あっ またきた!」という声で電話を切りました。

本来なら今日帰ってくるはずが、新幹線や在来線、飛行機も不通ということで、どうなるやら。大きな新潟県が陸の孤島になってしまいました。夜も眠れなかったでしょう、寒さも忍び寄っていることでしょう。家族五人、体を寄せ合い不安な一夜を過ごしたことと思います。

群馬の娘のほうは、ファイナルパーティのトークを終わった瞬間 ぐらりと大きな横揺れが来て展示の画が傾き、外に出ると道が波打っていたそうです。

今日は展覧会の最終日。これから老母と共に搬出の手伝いに行きます。上越新幹線は不通だと思います、在来線を利用しての旅になりそうです。

人は自然の一部に過ぎないということを忘れがちですが、今年は猛暑 台風の襲来、大地震と、自然の威力を改めて実感することが多いですね。

湖の本 「対談」という形で他者のことばがはいることで、さらに立体的に作品が 考え方が浮き彫りになり、興味深く、じっくりと読ませていただいています。  波

 

* ああも連続して震度6強の地震が一地区を急襲、未曾有とはこれであった。有感余震は果てしなく、東京で機械の前にいるわたしも、十一時近くまで何度も揺れを意識した。

2004 10・24 37

 

 

* 「お江戸日本橋」といえどもいまや、高架下なのですよね。

四日市市が、久留倍遺跡をまたぐ高架案を出しているというのですが、保存か、経済効率か‥地震や台風など、何が起こるか分からないなか、聖武天皇が伊勢湾を眺めながら、頭をひねった場所であったとしたら、今の、短期間の成功と、過去の再現と、どっちをとるか、「どうするどうする」ですわ。

教育委員会だけではなくって、古代から、あたしの生きてる「いま」という時間軸を思う人と、土木・建築・カネでの繁栄を思う人との違いであり、タタカイであり、手を取り合う共存でもあるのですよね。  雀

2004 10・24 37

 

 

* 秋らしくなりました。マンション住まいの子・孫達が日本家屋へやって来て、日の落ちた夕刻頃から寒い寒いを連発。昼間に薄着で車で移動して来るのでは、冷気対策何もなく、何十年の昔は逆の立場で自分もそんな風に、風邪をひいて帰ってきたなあと。そんな季節になりました。今朝はホットカーペットとストーブを出しました。

留守電に、京も中京の京言葉で、長ーいメッセージ。 耳にする玄人筋の話しぶりと一味違い、古い洛中では今もこの様な語調で話すのかと、懐かしく聴きました。気にせんといとくれやっしゃ、の類い。

生粋の京都弁は、何れにせよ、肯定も否定もヤンワリと、悪く言えば回りくどく、内容は少しなのに、覆いのベールがフワリとかかり、この留守電も所用は三つだけなのに、長い電話になっていました。 泉

2004 10・25 37

 

 

* 九州から、新潟の両親の家は無事でしたとメールが来て。ホッとする。新潟中越地震は震源震度の浅いこと(20キロ)がこたえた。震源の真上を走っていた新幹線が脱線したのも、今回ばかりは避けようがなかったろう。

地震の来ていない前に小泉首相がどこかの会場でご機嫌であったのは仕方がないが、それにしても、政府の激甚震災への対応は遅いなあ。現地行政は、ともに被害のさなかゆえ的確に動きにくくあろう、こういうときこそ遠隔操作の聞く電子化時代、今一段と中央で機敏に対処し、いちはやく自衛隊を政府判断で動かすなど気働きが欲しい。

2004 10・25 37

 

 

* もってのほか。

菊の香や奈良には古き仏たち

婚礼のご馳走より、葬礼のお斎(とき)が好きな小雀でした。養殖やハウスものなどなく、自然が育んだ時間と、近所のおばさんやおばあちゃんがかけた時間をもらって、心が、豊かに満ち足りるからではないかしら。

今はすっかり仕出し任せになりましたが、煮〆、白和え、ごまよごし、おこわ、漬物、えごのりの寄せ物‥今の季節は、柿膾(かきなます)と、菊の花びらの酢の物。

専用の食用菊は、「もってのほか」といいますのよ。  雀

2004 10・25 37

 

 

* こよひ、十日ほどの月が中天にかかり、いゆき早い雲に照り翳りしています。

災禍うちしきるこのごろ、やすらかな爽やかな秋になるのはいつ……と、なげかれます。

先日はメールをありがとうございました。うれしく拝見しました。

「吉弥は佳い役者」「舞台に位が立つ」、あ、ほんとうに、とおもいました。「湖」に、「海神別荘」のときの吉弥を書いておいででしたね。うかがって、あ、あの時の一の侍女、と思い出しました。秀太郎の女房といっしょに、よい雰囲気を漂わせていて――。

森銑三の「最上徳内」、たのしみでございます。森銑三を、わたくし、『砧』『木菟』二冊の随筆集で知っているだけでございます。鏡花のことが書かれていたのを覚えていますが、徳内はどうでしたかしら。先生の『北の時代』で、はじめて「最上徳内」という人を知ったという気がしているのですが。

『久保田万太郎全句集』を、インターネットの古本屋さんから手に入れました。読んだ形跡が感じられないきれいなご本でした。芝居の句がいっぱいあって、ちょっと書き抜いてみたい、そんな気がいたします。秋櫻子の芝居の句とはちがう――。時代のせいでしょうか。

『死なれることと生きること』を、おいしいお菓子を惜しみ惜しみいただくように、それに、幕間、といった感じに間をとりたくて、一章づつ、拝見しています。今夜は「祇園の街角から」でございます。

こんども、軽皇子と軽皇女を書きました。   二十四日  つくば

2004 10・26 37

 

 

* 千葉のE-OLDに贈られた白いソックスの動く黒猫クン、喉も鳴らすし可愛い声で啼きもする。手を働かせて、獅子が蝶を追うようにカーソルを愛らしく追っかける。ストレッチアイの休息に最適だ。おじさんの連絡では、どうやら外国人女性の創作であるらしい。癒しという物言いがはやりすぎていて気持ち悪いが、気持ちの和むことはテキメン。デスクトップにおいて、いつでも呼び出せるようにした。

2004 10・26 37

 

 

*「抜け雀」  青山にある有名な花屋のキャリアを捨て、機織をしている女友達がいます。先日、「結城で織子修行をしてるとき、蕪村の襖絵があるというお寺に行ったわ」と、「抜け雀」みたような話をしてくれました。

つてを頼って転がり込んできたのは、いわくつきの若旦那。追い出すわけにもいかず困っていたところへ、この穀潰し、「襖になにか描いてやろう」というからたまらない。白いままなら使えるのに。こんな繪、壇家さんにも恥ずかしいわ。裏返し放っておいた。彼が蕪村だったというので、今やお寺はその襖を売り物に‥。  囀雀

2004 10・26 37

 

 

* いまヘンリー・フォンダの「荒野の決闘」をみていたら、卒業生くんの一人から、先生に以前引き合わせた人と、入籍をすませました、結婚の式と披露は仕事の都合で来春に日取りを用意しましたと。おめでとう。わたしもすこし役に立ったかな。よかった。安心して、湯冷めせぬ間に今夜はもうねよう。

十一月六日にはもう一人卒業生くんの結婚式がある。祝辞をのべに出席する。

2004 10・26 37

 

 

* 冬近し。  朝方まで雨が残り、秋晩れの京らしい、しめやかな空気がみちています。

市立美に、開館とともにとび込み(ここは建物も佳いから、好きですの)、「京美人展」を見て、いま、黒谷を歩いています。 雀

2004 10・27 37

 

 

* やっと自画像をしあげました。バックに凝りすぎた凝りすぎた絵になりました。自画像・黄昏自画像を描いた積もりですが、少し若かったようでもあり、人生に自信のない芯のとおっていない不安げな顔です。そのとうりなのですね。そのへんはズバリ! です。しっかり顔に表れています。そして絵としてはお呼びじゃない絵です。会場ではかたくて楽しめない、じーと見つめてしまうそんな絵です。

本当に自分がでますね。下手ながらもおそろしい感じがします。

全くのきれいごとを、今回は廃しました。仲間からはどうしたの? と質問されそう。すこし勇気がいりますが、美しく描いた薔薇の絵をやめにして、この自画像を搬入しようとおもっております。

お変わりございませんでしょうか? 湖の本も今回はすぐ読みました。 私でも興味のあるもの、あまりむずかしくないものなれば、早く読み終えることができます。長い積み重ね、勤勉さなのですね。ご尊敬申し上げる所以です。

ではごきげんよろしく。   横浜市

 

* 自分の顔を容赦なく描いて、視線をそらさないこと、飾らないこと。綺麗な絵をみせてもらうつど、そう注文してきた。楽しみだ。

2004 10・27 37

 

 

* 歩いて行けるところに畠山記念館があることに気づき、茶道具を見てきます。とくに好みではないのですが、最近備前焼に興味があって散歩がてらぶらり見てこようかと思います。

お抹茶の映える佳いお茶碗が欲しいといつも思っています。一目見て惚れるようなお茶碗はとても手が出ない。買えそうな、佳いお茶碗をご存じでしたら、これがいいよと教えていただきたいもの。美味しいお茶を点てていただけたら、さらに幸せですが、これはかなわぬ夢として、想像の世界で楽しみます。   品川区

2004 10・28 37

 

 

* 京ことば

なんちゅうことなく、ホームページに目を走らせてたら、

> 京ことばについては、藤江さんも生粋の京都の人。わたしとはまた角度のちがう「京ことば観」があるだろう。

と、こうゆうてもろたら、だまってたらいかんわなあと。

そやけど、「京ことば観」いうほどのむつかしことおもてしゃべってるわけやないし—–。

この ”なんちゅうことなく” の書き出しからして、”何気なく” とは大部違っていて、ほんまは、読みたくてわざわざ読んだんやけど、そうは言わとこ—–と、京都的計算が自然に働いている。

実は、私は ”生粋の京都の人” ではないのです。親や先祖はまずまず京都の人なのですが、私は幼稚園時代が

夙川と横浜、夙川は関西だからともかく、横浜の幼稚園で私は一気に関東の言葉になっていたらしいのです。小学校入学直前父が出征し、やむなく京都に引き上げて来たのですが、その頃近所の子のままごとに ”よせて” もらうのに、「まぜて」と言って、「なにまぜるねん」と笑われたことははっきりと憶えています。

他方小学校入学時には学校で ”標準語の話せる子” として珍重され、少し英語の話せる帰国児みたいに鼻が高かったのです。

とは言えそこは子どものこと、それに家中が京都弁だからすぐに京都のことばに同化しました。

しかしそんな成り行きでしたから、京都弁を使いながらも、

「私は東京弁も知っているのよ」と子供心の何処かで優越感を持っていたし、東京にあこがれと懐かしさを持ち続けて大きくなりました。そのあたりが生粋の京のお方とは少しちがっていたところかもしれません。

京都に居る間は京ことばを特に意識せず自然に使っていましたが、京都を離れて、

「京ことばやないとこれはうまいこといえへんわ」という事態に出会って、始めて、京ことばを意識し始めたのです。

京の文化の素晴らしさを意識したのも、京都を離れてからです。

このあいだ、京都にずっと留まっている友人に、

「あんたは今時の京都の人かてつかわへんような京都弁使うし、うれしわあ」と言われました。

今の京都を生きている人が40年も前に京都を離れた私とは違って当然、カリフォルニアの日本人一世がかえって昔の日本を残しているように、私の中の京都は40年前で時間が止まっているのでしょう。

私も京都のあの曖昧でもってまわった言い回しが大嫌いでした。

ストレートにものを言う子やいうて、たいそう評判が悪いでした。

言いたいこと言い、 えろしっかりしてはる、 こわいおひとやなあ、と。

「そんなん、わたしはもう気にせえへん」と思えるようになった時が、私にとっての自立だった気がします。そして、いそいそと京を離れて、「ああ、すっとしたわ」と。

それなのにその嫌いだった物言いをしている自分に気づきます。そういうテクニックを私はどうして身に付けてしまったのかと、ふと自己嫌悪に陥ることがあります。京育ちはやっぱり自然に身についてしまっているのでしょうねえ。

私が今も日常使っている京ことば、いいまわしの一部

”ぶさいくな” ”じじむさい”

もともとの意味の容姿や身なりなどでなく、人付き合いに際して使います。

「そんなもん(金額)では、ぶさいくやで」とか、

「そんなんあげるやなんて、じじむさいわ」とか、そして、

「もうちょっとはりこんでもええのんちゃうか」という具合です。

”はんなり” は大好き。暗い色、汚い色つかわずに ”はんなり” とした絵が描きたい。

”もっさり” は私はあまり使いません。京都の人の優越感がこもっているようで。もっさりしてたかてええやないですか。

”あかん”

”ほんま(わたし又はあんた)あほやなあ”

”いや~”  (東京でこの声がしたら、必ず京都生まれの人同士が出会っている。)

私がどうしてもうまく言えない京ことば

”あんな へぇ~”

この最後尾の ”へぇ~” が私にはどうしても自然な感じに付かない。生粋の京都の子はいとも軽やかにこれをつけてしゃべらはる。

私がいっとき東京弁の子やった後遺症かなあと思うてます。

急に寒くなりました。お大事に。  2004/10/28      藤江もと子

 

* 平安京の「平」を名前に貰ったと聞いているぐらいで、わたしは、ま、京生まれの京そだち、「京の昼寝」がけっこう自慢の京おとこに部類される、が、京都を東京へ半世紀近く前に逃げだしてきた実感が、藤江さんのそれとよく似ているから、笑ってしまう。上に上げられたことばも、解説しないとうまく伝わらないのがあるはずだが、ま、このままにしておく。藤江夫人に、感謝。

 

* 法隆寺で見た舎利容器から雀なりに想像しておりましたが、崇福寺舎利容器と古銭には、「うーん」と、のけぞりました。

「そぉかぁ、これかぁ、そぉかぁ」 それしか出てきませんの。

ほかにも印象に残ったものがありますが、また、追って。昨日は、久しぶりにきもので出かけました。片付けが済み、パンフレットを眺め、オツムを整理しているところです。雀

 

* 夜更けに、しろがねの月

入り口の森田曠平「京へ」に案内嬢をさせたふうの、市美術館「京美人展」。浅井忠の「大原女」に、俳味と愉悦を得、最後に、もいちど華岳の観世音さんを見て、美術館を出ました。

満願寺を訪ね、岡崎神社の脇道を、紫雲石へ上りました。好きな道がまたひとつ増え、秦さんに感謝!

陽成天皇御陵、宗忠神社、東北院、毀れた土壁に残りの萩がうら淋しかった迎称寺。

白川通りまで歩いて、タクシーで国博へ向かいました。

吉田山荘にカフェあり。看板にありましたの。愛用の地図にしっかりとメモ。ご一緒したいですわ。 雀

2004 10・28 37

 

 

* 身にあまるお言葉を有難く。ご期待にそえるような自画像ではないとおもいますが、今までとは変わってきた気がします。絵に対しかた、自分探し、もあるかもわかりません。会場でしっかり見つめ直して、自分の結論を出そうと思っています。

会場は、そちらからはご遠方でもあり、20号以下の水彩の作品ばかりです。とてもとてもご案内など出来ません。

母のことでご心配いただき有難うございます。殆ど大丈夫だったそうです。おお揺れしたのも分からなかったほどらしく私どものほうが怖い思いをしたようです。

母のたっての願いで週末の30日から11/1まで白馬で親族一同が集います。ひ孫までを含めて全国から30名ばかりになります。私どもも参加します。 94才ですのでこれが最後になるやもしれませんが。あとのことは判りません。この日を楽しみに元気をつづけているようです。

お元気で何よりでございます。山名画伯の絵拝見できますのを大変心待ちにしておりますが。機会に恵まれますでしょうか?

マチス展またいきました。同じく感銘を受けました。ついでに興福寺の国宝展をみましたらまたまたこれがすばらしくて佇んでしまいました。大勢のかたで会場はたいへんでした。 ご健康を祈っております。  横浜市

 

* 名張藤堂邸が黄葉紅葉に彩られ、足元を音を立てて枯れ葉が転がる頃となりました。地元の古社の秋祭りで、朝から賑やかなかけ声が聞こえています。

駅前のパチンコ店が更地にかわり、別の更地では、学習塾のビル建設が始まりました。

国博で印象的だったものは、源頼朝・平重盛像、百鬼夜行絵巻、瓢鮎図、蕪村「寒山拾得図」、岸駒「虎図」、越州窯青磁水注。見てきたばかりの夢殿の観音さんに似た飛鳥の金銅仏。

指先に小鳥を止まらせているとおぼしき東洋東磁美の彼女同様に、子犬を抱く加彩婦女俑の愛らしさに拍手。

見仏を続けるなかで、石造仏、押出仏、せん仏などにひきつけられ、神亀三年銘「石造弥勒菩薩碑像」の交脚坐像にあゆみを止めました。

アジアの銅鏡と、これでもまだ四分の一に過ぎず、残りは五島美術館にあるという、守屋コレクションの中国の銅鏡も、好きな部類です、おもしろかったです。

1500年に及ぶという、古写経展の質と量に酔い、くたびれて椅子に座り込んだ雀の隣で、杖をついたおばぁちゃまが、「疲れた言ぅたらあかんな。せゃけど足が言うこと聞かんよぅになってしもて」とおっしゃったのに、はっとしました。

青蓮院の雑踏に惑わされず、粟田神社で終わらず、花園天皇御陵、尊勝院、華頂山良恩寺と、細い道の先にある素敵な処をお教えくださいましたこと、いいえ、ここだけでなく、京の、きゅんとなる佳い処をたくさんご教示いただけますこと、心からあつく感謝いたしておりますの。

「さっきの、あの、萩のお寺…!」。「迎称寺」とあったときは、不思議なご縁と驚きました。

出品仏像のお寺の名に、「あぁ、あそこの」と呟くことの多い、国博の見仏でしたわ。

驚いたのはもうひとつ。良恩寺から三条通へ出ましたら、角に道具屋さん。ウッソー! 雀

2004 10・29 37

 

 

* 私語に山口崇さんのことが出ていたので思い出したテレビ番組があります。「世界わが心の旅」というBSで放送されているシリーズで、NHKでも再放送されている気がします。山口崇さんのこの旅は胸抉られる番組でした。ご覧になられたでしょうか。細部の記憶はあやしいのですが、大筋はこんな番組でした。

山口崇さんはこの番組の企画で、父親の足跡を訪ねて中国を訪れます。山口さんの父上は家族の反対を押しきって率先して軍隊に入り中国で戦死しました。山口さんには父上の記憶は殆どなく、戦死の状況などにも興味を抱いてはこなかったのですが、戦友の手紙と共に初めて父上の死んだ場所を探そうとします。

父上の戦死の場所を特定するのは困難を極め、それでも現地の人々の協力や戦友の証言でここであろうという場所を捜し当てます。何の勝算もない無惨な戦いで、部隊の大部分が亡くなり、その野ざらしの多くの日本兵の亡骸を近隣の村人たちが一カ所に集めて埋めたというのです。村の老人の記憶のその場所は、今は墓所だともわからぬ、草木茂り人も通れない、暗く薄気味悪い所。掘り起こせばたくさんの遺骨が出てくるのでしょう。このあたりでもう涙がとまらなくなってきました。

山口崇さんはそこに線香をそなえ、三味線を弾いて供養しました。そして「さあ皆さん、私と一緒に日本に帰りましょう」とふりしぼるように言うのです。戦争を知らない世代の私でもたまらないのでした。そして、泣いたあとは無駄死にさせたものたちに猛然と腹が立ちました。

たましひの化石のごとく父の骨戦野にいまも光る夜あらむ    東淳子

ペンの電子文藝館に掲載されていたお歌ですが、どれほど多くの「死なれた」人々がいたのだろうと思うと目眩がします。「今・此処」で、一緒に生きているのは不思議なこと。幸福になれますように。     品川区 2004 10・29 37

 

 

* 質問です。水上勉さんの作品をいくつか読んでいました。新潮文庫には「みなかみつとむ」とルビがあり、文春文庫では「みずかみつとむ」となっていました。どちらですか。

今日見た「黒衣の花嫁」は眠りを誘う映画でした。といいましても、寝てばかりいるわけではありませんよ。出掛けたり、家でDVDを見ながら太極拳をしたり、いろいろやっています。

風は笠間にお出掛けなさるのでしょうか。このところ、週末の天気が悪いですね。気晴れしません。 花

 

* 返辞です。みづかみ つとむ が正しいのですが、ご本人はどっちでもいいと言われていました。わたしもながいこと、みなかみさんと呼んでいました。

気の晴れないときは、打ち込めること一つに集中してそれを面白がるのがいいです。いろんな事をつついていると、散漫になり憂鬱に陥ります。結局不満が残るからです。

花にすこし生彩がないのを案じています。  風

2004 10・30 37

 

 

* のんびりと旅は延期になりましたから、日々のご生活とお仕事優先に。くれぐれもご無理なさいませんよう。

笠間は今頃お稲荷さんの菊まつりですわね。水戸の梅を見ての帰りと、菊まつりの、春秋二度訪れたことがございます。パレットコレクションの美術館と、春風萬里荘がございますでしょう。お風呂とお庭の印象が残っております。

真白な秋明菊が目にしみる雨の今日でしたが、先ほど来、雨音が急に激しくなって、窓の外を眺めています。

颱風からひとつき。(三重)県内各地の痛々しい被害は、まだまだ治まりません。  雀

 

* 高く舞える鳶は、下界のゴミをあさる似非賢者の鴉より心は平和でありましょう。寒くさえなってきましたが、親御さんにどの辺から雪の富士山をみてもらうのですか。どこかの佳い宿からですか。じっと佇んで富士山を眺めたことは無いですねえ。ただし保谷駅の渡り廊下からも、すこうし遠くに見えないわけではないけれど。

笠間へ楽茶碗を見に行きたかったけれど、雨に祟られて断念しました。傘をさして知らぬ土地を歩くのはイヤだし。旅の用意もしてたんだけれど。

京都にいた昔、昔に、京ことばに躓いた学生らしい体験がありましたか。小田実の「ホナ、サイナラ」は大阪弁、京都ではどう言うかとの問に、「ホナ、また」と即座に思いましたが、いかが。

「鴉」はよくない名乗りと、「鳶」さんは気の毒そうに言います。深い意味は少しもない、が、やはり 枯木寒鴉の図が、運命のように感じられる。蕪村の繪と芭蕉の句が真っ向にせまってくる。あの鴉はとばないナ、永遠に。

2004 10・30 37

 

 

* 雨が烈しく降っています。冷えます。

花はこつこつ書いていますよ。これでいいのかなあ、と思いつつ、これでいいのだ、と感じることもあります。悩んでいますが、少しずつ前進しています。

ほかの話を書きはじめたくなるときがありますが、「今は集注、集注」と自分に言い聞かせています。 花

2004 10・30 37

 

 

* アルゼンチンより   hatakさん

十月の上旬から昨日まで、アルゼンチン・コルドバ市に滞在しておりました。

仕事は、国立研究所での講義でしたが、今回楽しかったのは、講義を受けに南米八カ国から集まってきた研究者・技術者達と宿泊も移動も全て一緒に過ごせたことでした。

出勤は8人乗りのバスに12人が乗り込んで、車内は朝から笑いとお喋りの渦。騒々しいことこの上なく、しかも全てスペイン語なので、何を言っているのかさっぱりわかりません。そのうち歌を歌ったり、写真を撮ったりと、まぁ中学

生の修学旅行のような騒ぎなのです。

仕事が終わってホテルの部屋に戻ると、かならず誰かから電話がきて「何時、どこどこ」とたどたどしい英語でお誘いがかかります。日によって、行き先がクリーニング屋だったり、CD屋だったりするのですが、それは行ってみない限り私にはわかりません。夜は早くても9時、遅ければ11時頃から夕食になり、そのあと誰かの部屋で、チリ産のワインが出るとか、メキシコ産のテキーラがあるとか、酒飲みの会になります。誰の部屋へ行っても必ず音楽がかかっていて、サルサやメレンゲや、ときによってはタンゴなどを、大騒ぎしながら踊り出します。深夜のホテルで、足踏みならし拍手喝采大爆笑しても、一度たりとも、誰からも抗議が来なかったのは、さすがラテンの国でした。

一昨日も朝まで騒いで、昨日は閉講式・フェアウェルパーティー。パーティー会場から、それぞれの国へ散ってゆくときは、皆しんみりするかと思いきや、そこかしこでワーワー言いながら抱き合い、にこにこ大きく手を振ってのさよならになりました。

皆と別れ、乗り継ぎのためブエノスアイレスのホテルに一人こうしていると、この二週間がまるでこの世のものでなく、夢か幻だったのではないかと思えてきます。全く言葉は通じないのに、なぜ何の不自由も感じずに、むしろ心から楽しんで、飲んで食べて踊って、なおかつ喋っていることができたのでしょうね。

そんなことを考えながら、ぼーっとしております。

彼らのことは、かならずいつか、書いておきたいと、思っています。

あと一時間でホテルを出ます。ワシントン経由で日本に着くのはおよそ30時間後、その後すぐに静岡の国際学会に向かい、京都、九州をまわって、来月中旬に札幌へ戻る予定です。

hatakさんの本は、今頃雪の降り始めた札幌の寒いわが家のポストの中で、私の帰りを待っていることでしょう。

十月三十日、アルゼンチンブエノスアイレスARGENTA TOWER HOTELにて    maokat

 

* わたしまで陽気な心地に揺すられる。「彼らのことは、かならずいつか、書いておきたいと、思っています。」

 

* アルゼンチンより   hatakさん

十月の上旬から昨日まで、アルゼンチン・コルドバ市に滞在しておりました。

仕事は、国立研究所での講義でしたが、今回楽しかったのは、講義を受けに南米八カ国から集まってきた研究者・技術者達と宿泊も移動も全て一緒に過ごせたことでした。

出勤は8人乗りのバスに12人が乗り込んで、車内は朝から笑いとお喋りの渦。騒々しいことこの上なく、しかも全てスペイン語なので、何を言っているのかさっぱりわかりません。そのうち歌を歌ったり、写真を撮ったりと、まぁ中学

生の修学旅行のような騒ぎなのです。

仕事が終わってホテルの部屋に戻ると、かならず誰かから電話がきて「何時、どこどこ」とたどたどしい英語でお誘いがかかります。日によって、行き先がクリーニング屋だったり、CD屋だったりするのですが、それは行ってみない限り私にはわかりません。夜は早くても9時、遅ければ11時頃から夕食になり、そのあと誰かの部屋で、チリ産のワインが出るとか、メキシコ産のテキーラがあるとか、酒飲みの会になります。誰の部屋へ行っても必ず音楽がかかっていて、サルサやメレンゲや、ときによってはタンゴなどを、大騒ぎしながら踊り出します。深夜のホテルで、足踏みならし拍手喝采大爆笑しても、一度たりとも、誰からも抗議が来なかったのは、さすがラテンの国でした。

一昨日も朝まで騒いで、昨日は閉講式・フェアウェルパーティー。パーティー会場から、それぞれの国へ散ってゆくときは、皆しんみりするかと思いきや、そこかしこでワーワー言いながら抱き合い、にこにこ大きく手を振ってのさよならになりました。

皆と別れ、乗り継ぎのためブエノスアイレスのホテルに一人こうしていると、この二週間がまるでこの世のものでなく、夢か幻だったのではないかと思えてきます。全く言葉は通じないのに、なぜ何の不自由も感じずに、むしろ心から楽しんで、飲んで食べて踊って、なおかつ喋っていることができたのでしょうね。

そんなことを考えながら、ぼーっとしております。

彼らのことは、かならずいつか、書いておきたいと、思っています。

あと一時間でホテルを出ます。ワシントン経由で日本に着くのはおよそ30時間後、その後すぐに静岡の国際学会に向かい、京都、九州をまわって、来月中旬に札幌へ戻る予定です。

hatakさんの本は、今頃雪の降り始めた札幌の寒いわが家のポストの中で、私の帰りを待っていることでしょう。

十月三十日、アルゼンチンブエノスアイレスARGENTA TOWER HOTELにて    maokat

 

* わたしまで陽気な心地に揺すられる。「彼らのことは、かならずいつか、書いておきたいと、思っています。」

 

* これで思い合わせたのだが、森銑三先生の長い論文のいわゆる実証の「ウラ」は、同時代人たちの残している無数の日記や記録や聞書や回想や書簡にある。あの遠山の金さん、刺青判官にもたしか『耳袋』というこまめな聞書本があり、古書店のボロボロ岩波文庫で上下買って置いたのは大昔のことだが、おもしろくて、そこから一編の掌説を書いたことがある。江戸時代も後半になると、無慮無数にこういう文献が堆積して行く。だれもかれもが「書く」ことに一途な興味と姿勢をもち、むろんピンからキリまであるにしても、その時代精神の解析は興味深い深層を浮かび起たせるだろうと思う。それらは作品意識はそう高くない、記録資料性への満足度が高い。

思うに今日のエッセイ感覚や作品意識に繋がるより、遥かに古代中世以来の公家日記や僧侶の日録に近い。その時代の人にはそういう記録は後代への示唆や教育やまた伝達意識に満たされていた。その古い時代のその手の記録はつまりは「前例」「残したり確認したりして「伝統」というものにしたのである。「九条殿遺誡」のような摂関家の確立して行く頃からのものにはそれが多かった。

その意味では江戸半ば以降に簇生する記録は、また性質が少しちがい、前例を確認したり作ったりするのでなく、新奇の見聞にたいするあくなき好奇心と記録意識とが氾濫するのである。

最上徳内の名著「蝦夷草紙」なども典型的な一例であり、そういうのの聞書に貴重な大作を残した人達もおおい。

「甲子夜話」などはさきの「耳袋」を何倍もする聴書輯の宝庫である。そんなのが山ほど在る。それらを掘り起こし掘り起こし同時代の人物像を彫琢して行かれたのが森銑三の学問であった。そしてその恩恵に多くの書き手は潤ったのである。

MAOKATさんの書き置かれる一文を楽しみに待とう。どういう表現と批評とになるか。

2004 10・31 37

 

 

* 雨  湖さま

今日もハロウィンのイベントがあったのですが、雨。それでも仮装した子どもたちとしばらく小さな街の中を歩きました。小さなプリンセスや猫やかぼちゃのパレードは街の人たちの暖かい笑いを誘ったようです。

夜は娘と語りました。その言葉の端はしに言い知れぬ寂しさを感じて、中学に入るまで手塩にかけたつもりなのに、そんなに寂しく育ててしまったのだろうかと、沈んだ思いでいます。

「人に預けられる子どもはみな寂しい子だ」という人がいましたが、「子どもはみな寂しいもの」と言い換えてよいのではという気がします。子どもは親の愛をいくつになっても貪欲に求め、満たされない思いでいるのでしょうか。生まれることも生むことも寂しいことである気がします。こんな沈んだ気持ちになるのも、重い雨雲のせいでしょうか。そろそろ休みます。  波

おはようございます。

激しい雷の轟きに目覚め、またうとうととして日曜の朝を迎えました。これからまた少し老親と娘のいる家に行き、休日を過ごします。一緒にいられる時間には限りがあります。親とも娘とも。

 

* この人の思い詰めたようなメールに、いつも一つの、いや一つどころでない感想が湧く。「子どもはみな寂しいもの」という感想、「一緒にいられる時間には限りがあります。親とも娘とも」という感想。ことに前の感想には烈しく首を横に振る人が多いのではないか。ましてこの「子供」とは二人とももう若く見て三十前で、一人は結婚、一人は海外で事実婚とあれば。その年齢、その状況でほんとうに子供達が「寂しい」のであれば、それは親の問題でなく、子供達が大人として自問自答し処理して当然のものではなかろうか。

「寂しいはずがない」と云うのではない。人は寂しい存在でもある、間違いない。しかし幼時ならばべつだが、大人の親子の間で議題になる寂しみには、否定はできないが、自身の知性で大人として対処するしかない。この場合、子供にかこつけてこのメールの人自身の「寂しみ」が告白されているのではないか。

二つ引いた、後の方の述懐にはあとで触れる。前の方の述懐にかんしていえば、いや後の方にも関わると思うが、この人が徹底して「身内」を親と子とのタテ型に思い入れていることが気になる。いくら気になってもその方が世間では断然多くて、わたしのように、親子タテ型よりも、夫婦や親しい友(読者達を含む) のほうを大事に感じているヨコ型「身内」観はやはり相当な少数派に相違ない。相違なくても、自分自身を血縁によりかかり家庭より家族・血族本位に生きて行くのは、どこかでものの欠ける気がしてならない。

このメールの人の寂しみには、そして子供達を寂しい存在といくらか決めてしまっている心情の裏には、この人が、夫であった人と、子供達の父である人と、離別している現実がかぶさっている。自分だけではない。この人の母親もまた夫と離別し、つまりこの人もまた父親を家庭から見失って育った。そういう祖母と母と娘達。或いは似た例は世間にそう少なくはないかも知れない。

「一緒にいられる時間には限りがあります。親とも娘とも。」

一般論として語られていると言うより、この人の置かれてきた運命がこう言わせている。心情において三世代が、いや親世代と娘世代とを一つに抱きしめてこの人自身がマルクいつも固まっていようとしている。

うるわしいことかも知れないが、いちばん寂しそうなのはこの人なんだろうなと、それが少し口惜しくも歯がゆくもないではない。こういう寂しさをはね返そうと、まぎらわそうと、総身を痛い黒いピンに刺されたままこの人は事業に邁進し、着々繁昌している。

だが、贅沢な悩みだとは言うべきでない。決して安易に成された「夫婦別れ」ではなかった、その烈しい痛み悲しみが寂しみとして巌固に凝って来ているのかも知れない。

 

* 中野美術館の展示が替わり、正倉院展が始まり、春日大社鳥居前のもみじが、紅くなってまいりました。

駅前のコンビニで、いきつけの店の美容師さんと、ばったり。いつも、受付で眼鏡を預けますから、お顔ではなくお声で分かりましたの。

雨用の靴一足、流行りのニット一枚が欲しい、髪を切りたい…思っているだけ。あるものを着、あるものを履き、髪はくくり、お出掛けの時は、くるくるとアップにまとめ、着物に草履という雀ですの。

先日放映された、「ローマの休日」に、触発されたわけではございませんが、これから、美容院へ行ってまいります。 雀

 

* 電線で、路上で、庭でよく囀っている雀たち、あの雀たちの囀りにも、きっと聴き手願望はあるのだろう。聴き手があれば囀りがいがある。わたしだってこうして囀っている。三重名張の雀さんは、わたしのように気前よく聴いていてくれる者があるから、だんだん囀りの声色がきれいになる。じょうずになる。

この人は、もともと囀りなど出来そうにない、どこか病的に重苦しいものを感じさせるほどの一読者であった。情緒の烈しい傾きから顛倒したり病気に陥りかねない気味が、届く手紙にも窺えた。

この人を、救い出したのはまさしく伝メールかも知れない、そこに天窓が開いて、わたしに唆され唆されて囀りはじめ、「囀雀」と渾名までついた。わたしに成駒屋扇雀丈とのメールでの繋ぎを付けてくれたのが、この囀雀さんであった。ま、あまり頻りに(一日に五回も六回も)囀られては往生だが、囀るのが妙薬であるなら効いてくれるといい。この人には、ほとんど全然返辞ということをわたしはしていない。東工大での体験以来、これでわたしは「聴き手」でいる方がじつは上手なのである。

2004 10・31 37

 

 

* 今年は、最近の数ある時事問題に続いて、いやな歳頃、ボケ防止法、これが話題をよく浚います。

京都で一人暮しをする父親に会う為によく帰京する人の話。九十五歳でまだテニスが出来るとか。驚き! ある日、京都駅前で画板を首に掛けて署名を求める父親の姿がテレビに映るのを観て、驚いたと云います。横田めぐみさん救出の為のボランテイアですとか、素晴らしい。

何はともあれ、まめに外出する事、自分の意見を持ち、発表の場を持つ事、日々の飲食、排泄を常に頭に留める事が、ボケずに長生きのヒケツですと。則りましょう。 泉

 

* 今日は一度入ってみたいなあと思っていた近くの喫茶店に行ってみました。新しいめの大きい店で、家族連れで賑わっていました。こちらの喫茶店文化は独特です。関東におけるファミリーレストランのような感じがします。喫茶店はたくさんあるので、これからいろいろ行ってみるつもりです。

帰りにスーパーに寄りました。ちょうど日曜市というのをやっていました。スーパーも近場に数軒ありますので、比較しています。スーパーでは、今、野菜がとても高いです。颱風のせいで野菜が値上がりしてしばらく経ちます。以前の倍以上になっていて、ものも悪く日持ちしません。生サラダを食べないと野菜を食べた気がしない、と彼が言うので買っていますが。

明日も天気がよくなさそうです。晴れてほしいけれど。東京はどうでしょうか。 花

 

* 教育テレビの、思い出の名演奏・イブリー・ギトリス・バイオリンの至芸を観て(聴いて)いました。最初に演奏されていたのが「シャコンヌ」。「私語」されていたあの「シャコンヌ」に、こんな風に出逢えることの不思議を嬉しく思い、聴きました。

年に一度、顔を見せにくる以外は音信もない長男夫婦と、独身の二男。この春県外に就職した三男も、最近彼女が出来たようなので、優先順位はもう彼女に移行していることでしょう。自分(たち)のことは自分(たち)でと、息子たちの自立心が旺盛なのは、倹(つま)しい生活を見て育ったからなのかもしれません。音沙汰の無いのは元気でいる証拠とばかりに、私も連絡しないのだから、お互い様かも。

「ヨコ派」「少数派」の資格(?)ありですよね。(笑)

「一人になって寂しいでしょう?」とよく訊かれますが、とんでもない! 仕事以外の時間は全部自分のために遣えるんです。親友、仲間、友達とのお付き合いも気兼ねなく出来るし、一人で静かに読書に耽ることもね。一日中おしゃべりしているのも好きだし、一言も話すことなく過ごすのも。

経済的理由で、最近は日帰り旅行も出来なくなってしまったけれど、その分、映画を観る回数が増えました。映画を観に行く道すがら、デジカメ片手に公園に寄り道して美しい花々を撮るのも楽しみの一つですの。

貧しくても、花籠に佳き水は、心豊かにしてくれるものは、見渡せばそこここにありますもの。けっして花籠の花、痩せてはいませんわ。

2004 10・31 37

 

 

* このサイトが「濃密」に閉じられた時空間でありすぎ、気軽に入ってゆきにくいととも書かれたのを、サーフィンしていて、どこかで誰かが呟いているのを聞いたが、ほんとうにある種の濃密があるならば、わたしは此のサイトを公開はしないで秘めておく。「闇」に言い置くのではあれ、なに分け隔てなく(量と興味とから取捨はするけれど、)なんでも自然にとりこんでいるのは、おそらくこれほど濃密とは逆のありようはないだろう。密であっても、秘密でないからである。

むしろ此処ではかなり無遠慮に開放されてしまう、そっちの方で問題があるというのなら分かる。

2004 11・1 38

 

 

* 十一月  明日書きますといって・・翌日確かに書き始めて・・用事が重なったり、そして週末は最近は夫が器械を「独占」しているので・・続きが書けませんでした。

11月1日月曜日 正午、HPを読みました。30日の記載にわたし宛のものがあり読みました。ありがとう。

10,29 急に冷え込みを感じるようになりました。新潟の地震、イラクで日本人拘束など、慌しく恐ろしいことが立て続けですね。久し振りにHPを読むことができました。

気力奮い立たせ励ましをかけながらお仕事を進められているでしょうか?・・いいえ、実はわたしは粘り強くしぶといんだと語られたことがありました、それを信じましょう。

幸せな邂逅から、さて最上徳内さんは今何処あたりをとことこ歩いているのでしょう。

この夏訪れたオンネトをわたしも思い出しています。ヘンな施設など建てられずに静けさが保たれていました。日が翳るとさっと水面が表情を変えていました。

鳶は紐をつけられた・・自分で自分を縛ってもいる・・情けない萎たれ閉じこもりの鳶ですよ。居間のガラス戸から一メートル余りにある藤棚の藤の枝に上手に巣作りした鳩の巣に、今回は見事に雛が孵りました。雛は薄い灰色の羽毛に包まれています。二羽、鳩は大体一回に二羽を孵すようです。

器械を開いたのは三日振り。十一月になりました。

一行目の「高く舞える鳶は、下界のゴミをあさる似非賢者の鴉より心は平和でありましょう。」

さて、わたしはそのように高く舞っているでしょうか、心は平和でありましょうか。現実のわたしは数日前にも書いたように、高く舞っていない、地にへたばり這っている鳶。下界のゴミ漁りが人の生活、暮らし、生きてこその行為なれば、似非と言われようが鳶は飄々のポーズで何処吹く風と生きていくのを学んできました。それが精一杯の「わざ」だったのかもしれません。

修学旅行で初めて関西に行ったときは、土産物屋さんのオバサンの応対する言葉の一つ一つが奇妙で可笑しく、ああ木の葉一枚散っても笑うほどに楽しい年頃だったのです。

京都に暮し始めて、さて京都弁というより大まかに関西弁という感じで受け止めていました。大学構内での友人はやはり関西出身の人、特に京都、大阪が多かったですね。

言葉で躓く、失敗するなどは日常茶飯事。単純に面白かった、と書くと叱られそうですが。

「しよった」と軽んじて言う言葉を不用意に平気で使ったり、もっともこれはすぐに「しはった」に訂正しましたよ。

ごめんなさいが「堪忍え」というのは私的には好き、やさしく堪忍と言われたら反論も反対もできない、堪忍するしかないですね。

一時期、友人たちとはほとんど関西弁で話しましたが、改めて考えなくても、それは関西弁ごった煮というほどのものだったでしょう。京都の中でも地域で微妙に違った言葉の使い方があることを知れば、京都出身の方と話す時は、現在はもう絶対に京都弁も関西弁も話せません。

思い返すと、「位取り」する恐ろしさにも鈍感だったとしかいいようがありません。友人の家・・西大路の方でした・・に行って、お母さんから「お父さん何してはりますの?」と尋ねられたことに強い圧迫感を覚えて、いつまでも記憶しているのは・・他にも似た状況はあったはずなのに・・「位取り」を感じ取ったからでしょうか。

銭湯に出掛ける時、(銭湯もカルチャーショックほどに強烈な体験でした。)親子連れの小さな男の子がわたしに微笑んだのでちょっと言葉をかけたら、おかあさんから「しんきくさ、先行っとォくれやす」と言われてびっくりしました。わたしって馬鹿?

街を歩いていて気分が悪くなった時、街角の食料を扱うお店で近くの医者はどこかと尋ねたら、「近寄らんといて」と言われて、苦しさ以上に口惜しさを感じたことがありました。(衛生上の危険を感じたのでしょうか?)

京都らしい曖昧な物言いとは全然違うところで、当然のことながら、キツイ物言いも京都にあると思います。ただ、自分のいくつかの「経験」から京都を論じたり断言するつもりは全くありませんし、京都への片思いはいつまでも健在です。それ以上に多くのものを京都から受け取っていますから。

即座の拒絶、或いは巧妙な「避難・退去」や「拒絶」に対して・・学生さんに寛容な街やゆうけど、やっぱし京都はなんや冷たいとこあったよ、とは、他の地域からきた友人たちの公約数的な感想だったろうと思います。やさしい人、冷たい人がいるのはどこの土地でも同じや、京都が冷たいゆうんは先入観もあるんやないかと、わたしは尚少し引き算して考えています。

確かに「ホナ、サイナラ」は言いませんでしたね。

サイナラは軽くて、それも嫌いではありません、が、放られるような感じもします。ホナ、また・・の余韻が別れには大切だと、いくつになっても思うのです。微妙なものです。

昔のことを書きながら、思えば遠くに来たもんだの感懐、これは地理的ではなく時間的な。見事に貧乏で、痛切なことも山ほどあって・・慙愧の思いは脇に置いて・・ああ若かった、愉しかりし時だったと今は思います。

バイオリンのこと。パガニーニのカプリース、24の・・わたしの初めて聴いたのは、イツア―ク・パールマンでした。彼の演奏はやわらかく好きです。全曲演奏することは大変なことだそうです。

朝6時からNHKのFMでバロック音楽をやっていますので朝早くお目覚めになった時、ぜひ試しに聴いてみてください。

今日、東京は秋晴れでしょう。こちらは昨日は雷が鳴ったりしましたが、穏やかな秋の午後です。花の絵を、枯れてしまうので 花と競争で描いています、描くというより観察? かな。気忙しいことです。  お体大切に。 鳶

 

* この人が、「しよる」「しよった」を一度でも使ったかと、思わず破顔。ただし、丁寧語にちかい「しはった」はより大阪の物言いで、京都では「しゃはった」「しゃはる」が普通か。京の「どす」大阪の「だす」ほどではなく、かすかに、しかし異なる。 丁寧語とはいえ、京都の「はる」の敬意はごく散漫稀薄で、あわや犬猫にでもつかう。

この鳶さん、ちっともがんばった風でなく、ごく自然に時間をかけ身につけた、もう人柄そのものの「視野」を持ってて、しかもいわゆる教養派ではない。人生派行動派の認識者であり、むにゃむにやと悩みもありげにグチも言うけれども、実はとらわれの少ない人と想像している。わたしなどより、よほど自然にゆったりしている。

2004 11・1 38

 

 

* チェーホフ的気分、すぐにあの(私語の)ままでは理解できませんが。劇、これまであまり見る機会に恵まれていませんから、その分を取り返すほどにいろいろ見たいです。見果てぬ夢の一つかも。

わたしのメールが散文詩??? いいえ、あれは恋文。女は恋文が好き、そして恐らく受け取った恋文に人生をささげて悔いないと思う女の心情は十二分に理解しています。愚かですか?   女

 

* 恋文なんて、手と手で伝えるホンモノの恋に較べれば、へたな舞台の過剰な演技。尼寺へ行きやれ。 沙翁

 

* >恋文なんて、手と手で伝えるホンモノの恋に較べれば、へたな舞台の過剰な演技。尼寺へ行きやれ。 沙翁

これには苦笑い、思わず笑いそうになりました。手と手で伝えあえない時間には恋文は切なく代えがたい大事なものじゃございませぬか、過剰な演技ではなく。これは男、女の違いでしょうか? 尼寺で暮すことになっても、ひょっとしたら彼女の一生を支える力を持つかもしれない。手紙、文章のもつ力。

尼寺に行きやれが、それにしてもよかったなあ。べらんめえの沙翁、シェークスピアよ。   オフェーリア

 

* わたしの恋文をもらう人たちはガッカリしてください。恋文をわたしはエチケットとして書く。 チェーホフ

2004 11・1 38

 

 

* 秦先生 メールありがとうございます。お言葉、大変有り難く頂戴いたします。ほめていただきとても光栄です。

連獅子は、義太夫の竹本駒之助師の藝の力に助けていただき、無事演奏できました。

また、うれしいことにNHKテレビ放送で「万歳」に出演させていただくことになりました。お正月二日のことですので藝の者にとって幸先いい一年のスタートとなります。

三曲目の語りものは私のライフワークとして、ずっと作ってゆきます。秦琴の秦は、秦先生と同じ字なので、親しみがあり、これからも深草アキさんとあらためて、この作品の別にも作っていきたいと思います。

と、山口崇さんに先生のお言葉お伝えします。きっと喜ばれると思います。

一曲目に関して、自分自身、退いている部分、逃げているところを先生にご指摘いただきました。今一度考え、再チャレンジいたします。鼓に対して知らないことがたくさんあります。勉強してまいります。これからもよろしくご指導の程おねがい申し上げます。

追伸、福岡の国民文化祭に行ってきました。勧進帳を演奏しました。古典曲の奥深さにあらためて頭下がりました。自分も時間かけてめざします。

 

* 太左衛さんのいいメールをもらった。とんがらない毅い人である。

 

* 日吉同窓会  最後は日吉ヶ丘高校「校歌」で締めくくりますが、この歳になると、この内容に何か気恥ずかしさを覚えます。

刷り物に校章の由来がありました。所在地、今熊野日吉町から『日吉ケ丘』と名づけられたのは、当然、知っていましたが、私は、あの記章は単純に「日」の字をデザイン化しているとばかり思っていました。

日吉は「比叡」に由来して(これは周知のこと)、比叡は二つの山頂があり、京都側からみると美しい山容を示している。校章のデザインはその山容を抽象化し、近代的な明快さと清純さとを意匠したもの。中央に自立の精神を、二つ半円の交わりで協同の心を、両翼のひろがりが創造の意欲をしめしています、とあります。

その記章を手書きの紙に、毎年寄せ書きをしています。

今年は、男性くんは「生きてるだけでも、もうけもの(これは何処かで聴いたなー)」「生きている喜びかみしめて」「いつまでも元気、元気」「楽しい老後を送りたいもの」とこんなのが多く、女性達は、来年も会いましょう、とサラリとしています。

そうそう、出席女性の半数が、寡婦になっていました。

 

* 寡婦とは夫に死別した夫人、未亡人、と辞書にはある。愕然。生別離婚の例もこれになお加わるか。ウームと呻る。

わが母校の校章は、さすが京都美校後進の「美術コース」を擁していただけに、そのセンスの佳いこと、簡潔清明、入学してひとめで好きになった。校歌もまた、甲子園で聴く各高校のそれに比して、詞も曲も清新ないいものの内と在校中から感じていた。上に泉涌寺、下に東福寺という「日吉ヶ丘」という高台環境もじつによかった。

男達は健康に不安きざし、女達は「ホナ、また」であるらしい。

2004 11・1 38

 

 

* エチケットとして恋文を書くというチェーホフの言葉はとても面白かった。そうなのですか。女は生身の想いのないエチケットでも、恋文の上手な人に惹かれるかも知れません。なぜでしょう。   犬を連れた奥さん

 

* 永遠の不可解だよ、解く必要なんか少しも無いが。   ワーニャ伯父さん

2004 11・1 38

 

 

* 田崎美術館  ご本をありがとうございました。雑誌でさがしても読めない「対談」を読むことができました。その歳の空気と響きがありますね。対談の方々も若いときの輝きが伝わります。

初めて軽井沢の「田崎美術館」へ寄る機会があり浅間山の静かな噴煙の朝、館を訪れました。山の絵を見ながら氏の一生が静かに桜島の噴煙のように滾(たぎ)っていました。

ガラス張りの館内は光線の具合で絵が踊りますがこれも曇天多き浅間山麓に合う設計と思いました。日本橋の三越で名画は見られないと思いました。

絵をみる場所が大切です。酒は静かに飲むべかりけり。  川崎 E-OLD

 

* かふか   川沿いに、笠置、加茂へ出て、恭仁宮から紫香楽宮へと辿るか、関、亀山、鈴鹿峠越えの田村麻呂ゆかりの道をとるか、伊賀から甲賀へ出るか、悩んだ末の先だっての旅。

道中の「甲賀」市長選のボードで、恥ずかしいことですが、イガ・コウガと憶えていた雀は、「コウカ」と読むと、このとき知りましたの。

「湖南市長選」もあるというので、いままた地図を広げています。

以前、「甲賀」も伊賀同様に、お酒とお米がおいしいと聞いて取り寄せたときに、お米の、「ゆめかふか」という名に首をかしげたのです、が、「鹿深、かふか、こうか」ですのね。  雀

 

* 夢甲賀。知らなかった。

2004 11・1 38

 

 

* ぬくまって。  天武・持統天皇の御陵が、ぽかぽかと秋の陽に照らされているのを右手に見て、本尊開扉中の栄山寺、菊薬師と小菊まつりの金剛寺、田村麻呂ゆかりの小嶋寺と巡ってまいりました。高取のまちの人も、五條の人も、涙が出そうなほどあたたかくて丁寧で親切で、観光案内所でおいしいお茶をいただいて、三勝・半七比翼塚や、お里・沢市墓へ参り、帰宅したところへ、おこころのこもった郵便が届いておりました。

嬉しくて、幸せな一日。  雀

 

* 新たに買い足していただいた「あやつり春風馬堤曲」だったかに、宛名識字署名してお送りしたまでである。まとめての発送時は、とても署名してられない修羅場だが、そうでない中間期に来る注文には、なるべくそんなサービスをしている。もう湖の本の刊行も長くはないだろう。買い足して下さる方、新規の方は、お心掛けていただきたい。

2004 11・2 38

 

 

* 最近は寝心地がいいのか、朝寝坊をします。今朝は珍しく早起き、それでも六時まで。どんよりと曇り空です。

昨日は2階まで延びている酔芙蓉の枝を刈り取り、ついでに群生のアカマンマとホトトギスを抜いて、さっぱりとさせました。ほっぽり投げだった白と黄色の嵯峨菊が丈高に咲き始めています。大覚寺の回廊の菊もそろそろかなあ、と。行きたいなあ、と。

あの暑さで久しく、汗まみれ、泥まみれになりました。今日は幹を根元近くまで鋸で切る(文化の日らしからぬ)重労働があり、秋分の日までの歳事をぼちぼちと。

「ほな、また」は「じゃあ」の程度で、女性の場合は同じ意味でも「ほんなら、また」と言いませんか。余韻も深く、柔らかい響きです。

但し「ほんなら、さいなら」そう言った時は、語気強く言い放つ決別を意味するのでは。

京都人ではならの言い回しと言えるでしょう。ほんなら また。   泉

2004 11・3 38

 

 

* 辷って行くように日足がはやい。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし、と。人生が非情なのか、天道が非情なのか。

あけがた、胸の苦しさに怯えるように目が覚めた。初めてではない、が、異様なものの、背後に迫ってくる気がする。今昔物語は、日本霊異記をうけながら「現報」つまり非道の「むくい」ということをずうっと語り続けている。昨夜おそくに若い若い友達から短いが印象的なメールが来ていた。末尾に、「ブッシュ再選確実?!…堪え難いニュースが続く今日この頃…」と。

2004 11・4 38

 

 

* 散髪して気持ちよくなりました。明後日は卒業生クンの、めでたい結婚式です。椿山荘。

もっとも椿山荘という場所は、あまり好きになれません。明治の顕官山県有朋が、十銭の米一升も買えずに民衆の疲弊していた同じ頃、各種兼職の月給(年俸ではなく)近時のレートにすると八百万円も一千万円も貪っていたときに、落ちぶれた大名から買い取ってあんな風に贅沢に造った別邸でした。さすがにいま八百万円の月給をとっているような無茶者は日本の少なくも政界にはいないのではないですか。プンプンしますね。

あけがた、気付くと家の中に電灯がついていると感じましたが、それはカーテンを漏れて入った綺麗な秋の日ざしでした。

祝辞の心づもりをしてしまえば気が楽です。散髪すると元気になります。自転車に空気を入れました。

今朝にも新潟はまたきつく揺れたとか。気の毒に。 遠

 

* 心地よいお天気です。あさつての卒業生クンの華燭をひかえ、散髪して綺麗に? なってきました。昨日は祭日だったんだ、それも忘れていました。めりはりのない日々になってはいけないのですが。花は、ひょっとして小旅行でもしているのかも。やっと秋晴れですもんね。  風

2004 11・4 38

 

 

* 秋日和   お天気が良いから散歩を少し楽しまれたりして、病院まで行かれたのでしょうか。今頃は病院ですね。どうぞ、良い結果でありますように。「統御できない」と決めつけないで、出来る限りの養生をなさいますように。

書かれている奔放と放埓、あしき欲求に思いを致す。或いは「死後何があるか、神のみぞ知る、そうか、それなら見にでかけよう」とも。死に急ぐのですか、そうしたいのですか。決してそうではないと思います。どうぞ大事になさってください。大事に生きると書かれたことを思ってください。

生き急ぐ人、死の近接を感じ取る人にとって、恋文とはエチケットとしての恋文で、それは既に十分に自己完結しているのですね。ああ、こんなことは書きたくありません。

でもね、チェーホフ君、あなたはエチケットとしての恋文を書く人であろうとは思いません。「エチケットとして恋文を書く」と書いたのはポーズの一つとして、ユーモア、冗談の一つとして読み解いておきます。もしそうでないなら秦文学はどこかで崩壊してしまいます。「身内」を求める人たちの片思いを、あなたは静観、観察なさるのですか。そんなことはない、あなたはもっと真摯な方ですから。

ぶつくさ言うだろうなの後、期待通り? でもきっと的外れなぶつくさです。喝! と叫んで笑ってください。

以下は昨日のメモ。読み返すと独りよがりの文章ですが・・ごめんなさい。

昨夜、開票は接戦だったが、オハイオの結果が予測できる時点で、意気消沈。その気分のまま疲れて、いくらか早く眠ってしまった。アメリカ大統領選挙はブッシュが再選された。

テレビの画面に映し出されるボストンの町を、あああの通りかな、あの辺りかなと思いながら・・思えばわたしの知ったアメリカは、東部だけ。ボストンもニューヨークも広大なアメリカの中の特別な、特殊な一面なのだった。わたしはボストンが大好きだ、今も。

アグレッシブな人たちを思い出す、狂信的な人たちを思い出す。自由な先進国と思われるアメリカが、建国以来、建国の成立そのものの因縁からして、(迫害された新教徒が信教の自由を求めて、新しい大地を求めてアメリカをめざした・・いささか中学生的だが。) 実は宗教が大きな力を占める社会、保守主義の社会なのだった。今更ながらこんなことを思い知らされる。ブッシュは原理派と結んで「草の根」運動に近い形で急速に人々を束ねていった。信仰、神のご加護、婚姻は異性間にのみ認められる、中絶は信仰と人道とに反する、などなど。そしてそれが多数を占める今回の選挙結果とはいえ・・イラクの情勢など、憂慮されることばかり。人の命の重さを説く人が、何故さまざまな国で人の命を奪っているのか。国民の領土、人命、財産を守ることが国家存立の意味なのだと、確かにそうであっても、世界の他の国もまた同じく存立の意味をもっている、これは単純明快なことではないか。

重い憂鬱がやってくる。権力が弱いものを虐げる嫌な世界だ。

HPの、中央公論社版「日本の歴史」に関する文章の中に、井上清氏、色川大吉氏の名前があった。

「井上清氏の「明治維新」に感じ入って愛読三嘆のあと、こんどは色川大吉氏の「近代国家の出発」を読み始めて早や本半ばになるが、この巻がまた素晴らしい。」

愛読三嘆は愛読賛嘆か。どちらでもいいが、井上氏をこのように評価できる人がどれほどいるだろうか。

井上氏の「天皇制」に関するものは、どのように読まれただろうか。天皇制に限っては井上氏の論は、感情的な次元で排除されてしまうのではないか。

彼を「時代遅れ」「時代錯誤」と切り捨てる人さえいるだろう。唯物論的歴史弁証法、マルクス、レーニン主義の時代はもう終わったのだ、それに殉じた学者たちの論など読めるか、といったような排除の姿勢、民俗学的な、一つの事物から歴史を切り取ってみせようという試みに終始する姿勢など・・そのような傾向は、確かにある。研究室から離れて久しいわたしには、もうそんな展望さえ曖昧で不可能になっているのだが。

それでも、それでも、歴史を見る眼は自由な観点から、存分に養われ培われなければならないと思う。懐かしさを感じつつ、井上氏、色川氏の名前を読んだ。中央公論の「日本の歴史」を読み通したことはないが、現在の時点で読むことは、わたしにとっても大いに意味あるように思われる。  鳶

 

* 火と水   飯道神社へはとても登れず、飯道寺とあるのへ参りましたが、元里坊で霊気なく、十一面観音をたずねて、甲南町池田の檜尾寺へ参りました。

「滝池の瓊瓊杵尊が青竜となり、その尾から`火尾’という地名だったが、火事多発により、`檜尾’に変え、神社と神宮寺(補陀落寺)を建てた」とあります。

雨乞いの矢川神社は、大己貴命を祀ってあり、大和山田からお礼に寄贈されたという、萱葺の立派な楼門が修理の最中でした。

葉脈のように流れる川と多くの十一面観音。一方では、山岳修行と、怪火伝説。紫香楽宮への序曲のイメージ。

甲賀でのこと   オツム整理中のため、高取、五條は後にまわします。

名張から近鉄で伊賀上野へと出、柘植で草津線に乗り換えて、滋賀へ入ります。

油日岳は登山になりますので揺拝。油日神社へ参りました。建物も佳く、古社らしい重厚で清い空気に、幸先。

日本最大の十一面観音坐像開扉の櫟野寺へ参りましたら、境内に土俵があり、地元の子供たちの奉納相撲が始まるところでしたの。鈴鹿の鬼退治以来、 1200年続く行事だとか。

ここで、また、先日の小嶋寺で「田村」が出ますのよ。

難波宮   大阪歴史博物館で、「難波宮発掘50周年記念‐古代都市誕生展」が始まりましたの。仏教と国家の関わりだけでなく、見仏ミーハーとしても展示内容に興味をひかれます。

長堀での「佐伯祐三展」も見に行っておりませんし、市の美術館では「万博の美術」開催中。難波の清水寺も訪ねてみたい…この週末から、文楽公演が始まる難波に誘われております。  雀

 

* 京は秋の特別公開中で、東福寺三門と通天橋、上御霊神社、金戒光明寺三門と御影堂、崇泰院、正傳永源院。清水寺の忠僕茶屋で一息ついて、田村堂、そして、西光寺へ廻り、最後に清閑寺で夕暮れを過ごして帰ろうとして、泣きました。

清閑寺に参りましたら、青いテントが見えましたの。門の前の崖が崩れてますのよ。ご住職にうかがいましたら、先日の颱風がひどい雨で、境内も川のような水が出て、夕方6時15分。水の集まったところが崩れたそうです。

昨年はドラマロケ、今年は土砂崩れ。

紅葉の時期なのに、お気の毒でなりません。  雀

 

* (桑名の)船津屋の前を歩いてきましたよ。九華公園をぐるっと一周して、鳩や鴨やあひるやおでこの出ている大きな鳥を見てきました。お堀にいた亀の、人の気配を察して逃げるときの敏捷さにびっくりもしました。

明日は披露宴ですね。 風のスーツ姿は、想像するのがむずかしいな。 花

 

* 花は知らないだけ。知った人だと、風はスーツでネクタイのときが最高にカッコいいそうです。ただ、風自身そういう恰好が窮屈で好きでない。あすは、黒いおめでた服にしますけれども。

祝辞を述べたあとは、若い人達のファッションや話題を楽しんできます。 風

 

* なんとも気勢は上がっていないけれど、気分の基調はどうも明治十四から十七年ごろの陰惨な人権殲滅らしい。むかむかしています。ひどい時代だったなあ。二度とあんなところへ戻って行ってはいけない。

井上清も色川大吉も鴉は初見参ですよ、これまで何一つ知らない。

いま、徒然草に続いて、柳田の「先祖の話」を音読しています。「山の人生」とも思いましたが、あれはいきなり怖い子殺しの話が出て来るんでね。それをまた、色川さんの本で紹介していました。掌説で「雪」だったか、両国の橋の浪人父子を書いたことがありますが、気分が辛いですねえ、罪なき貧苦の話題は。必ず背後に、政権の険悪が隠れている。

あの透谷が法被(はっぴ)の袖や背に「時・めぐり・来る」の意味を隠し文字に書き入れ、車を引いて針や糸の行商の体で、関東の村々に自由民権を説いてまわったという話に、鴉は、いま泣きたいほどです。   糖尿鴉 2004 11・5 38

 

 

* 七時に起きる。十時前には出掛ける。昼前に結婚式があり、午后に披露宴。両方に出る。今日の新郎が総合Bの講座に前後期通して顔を出していた年から、きっちり十年めになる。院を卒業してから、さ、三度四度会って食事している。最近は我が家まで自転車で来て、本日の招待状ほ手渡してくれた。メールでの文通も、頻繁でなくても確実に続いてきた。

十年前の学生クンが教室でどんな人であったかは、いつもどの辺にすわって居たかまで記憶にある。その三年生のための教室は、二年生の「文学概論」が、多かった年は登録が千人に一人欠けるという超多数講座だったのに比べ、安定して七十人程度、学生諸君と個々に親しみやすい人数だった。また彼等の一人一人が毎時間にわたしに問いつめられて吐いた咄嗟の、「泥」というには今にして貴重なアイサツを探し出すのも、ものもちのいいわたしには何でもない。で、今日の新郎がどんな青年であったのか、一年分のアイサツの文章をわたしは、揃えて今度また通読し、感慨無量と言いたい。見ていると、この年の総合Bの諸君とは、この日の新郎クンをはじめ、今も親しく往来ある男女卒業生が何人も何人も見つかる。柳君、丸山君、上尾君、関口君、また白澤さん、菅さん、堂免さんら。風貌を記憶している何人も何人もを一回分ずつ仕分けてあるアイサツの束の中で見つけられる。

十年――。まぎれもない十年前を、彼や彼女らが自身の手と言葉とで刻みつけた「自分自身」が相当具体的に残されて有る。わたしは、長時間、それらの中へ立ち返って楽しく懐かしい思いをした。

 

* 言うまでもないが<わたしが東工大教授であったのは理系の専門学で指導していたのではない。人文社会群とかいう名の、いわゆる一般教育の「文学」教授であった、もともとを言えば学生達からは余分な「おつきあい」であったろう。だからまたわたしは丁寧に彼等に接した。結婚式にまで来て欲しいと言われたのが、今日で、六か七人めになるはずだ。先日も、来春に披露宴をしますのでと告げてきた卒業生クンがいた。

2004 11・6 38

 

 

* 目白駅を出たとき十時半だった。時間はある。椿山荘に、かなり距離のあるのは分かっていたが、「歩こう」と決めた。脚の攣りは少し気がかりであったが。この道は何度か歩いている。映画「細雪」の写真集の撮影に立ち会い、美しい女優さん達と会って話したのも、その途中だった。日本女子大へも東工大の女子学生に誘われ展示を見に行ったし、カテドラルへはシドッチの取材に行き、河上徹太郎先生の葬儀にも出て小林秀雄の弔辞を聴いたこともある。誰やら人と歩いたこともあった。いつも、歩くと遠いと思っていた。今日はひとしお遠かった。足取りががくんと遅くなったりした。だが、間に合った。

 

* 河村浩一君・弘佳さん 華燭の祝辞   於・椿山荘

 

* おめでとう、お二人。

そして、みなさん。 今から、ちょうど十年前、新郎の河村君は、東工大の三年生でした。その年の前期後期、一年間を、私の教室に精勤に顔を見せてくれました。

余分な説明は抜きに、当時の河村浩一君が、どんな青年で、何をどんな風に考えたり、思ったりしていたか、これを、河村君自身の言葉で、此処で、すっぱぬきましょう。

河村君自身は、「十年」の歳月に、さぞや感慨を持つことでしょう。新婦は、大切な夫、浩一君のいわば遥かな「心根」に触れて、新鮮な、また意外な、また、ああやっぱりそうなんだ、という得難い感想を新たにされるでしょう。双方のご両親ご家族、また友人、同僚、上司の方々も、或いは納得し、或いはびっくりされることでしょう。

全部とは、とても時間がゆるしません、少しだけお話しします、が、決して、私の勝手な観察なんかではありません。すべてみな、河村君の自筆のアイサツ文が、今も、此処に、私の手の中に、残っているのです。

* 河村君は、ハッキリと、のどかな春より、淋しい「秋」の方が好きだと言う人でした。君の「楽しみ」は、特に秋の夕暮、静かに降る雨の中を、傘をさして一人で「歩く」ことでした。何故かそれも、木曜日だと言うんですよ、秋雨の静かに降る木曜の夕暮に、独りで外へ出て散歩するのが、「まさにボクの楽しみなのです」と、私に伝えています。私はちょっとビックリしたんでしょうね、この河村君の述懐は、「ちと、研究に値する」と、わざわざ書き残しています。

* ある日、集中力、想像力、包容力について尋ねてみました。このうち、河村君は集中力には何も触れていません。が、君が集中力に抜群なのは、合気道の国内チャンピオンであったこと、スペイン体験への確実な打ち込みようが、よく、示しています。河村君は、自分の「想像力」は、なかなかのものであると自負して、文学作品などの理解や記憶や共感には、少年時代から、自信があったと言い切っています。それに較べ、「包容力」にはやや不足しているかも知れないと言っています。小さなことにも、ふっと反撥してしまう時が屡々有ると反省しつつ、出来れば「ドラえもん」の、(何ですかね、これは。)四次元ポケットなみに「何でも入る包容力」が欲しいと告白しています。

* この三年生の一年間を、貫く「棒の如きもの」はと謂うと、自分の場合は「合気道」と、その部活であった、一時心身がバラついて苦しんだが、「幸い、全国大会で優勝できました」そして「僕はもう、次なる日々を年々を貫く、確かで新たな「棒の如きもの」を見つけに出発しなくてはなりませんねと、秦センセイに向かい、言い切っています。

こんな河村君も、ふと死を思うようなことが、無いではありませんと洩らしていました。だからこそ、でしょう。「お前は、不惜身命で生きる気か、惜身命で生きるのかと問われれば、僕は、身命は大切に惜しんで生きたいです」と、ちょうどこの時、大関か横綱かになった貴乃花関の決意表明とは、綺麗に逆の表現で、生きる信念を、吐露しています。

* 同時にこの時、河村君はとっても大事なことを、こう、明確に言っているんです。「幸福は、間違いなく人生の『目的』になるもの」だと。更にその先で、僕が「幸福だ」と心から感じる一つに、小さい頃から、「心の安らぎ」という事が、大変大きく、重かった、と告白しています。

幼稚園を卒園の時に、「大人になったら」と先生に問われて、友達がみな、パイロットに、運転手に、などと答えるなかで、河村君は、(よく聴いて下さいよ、)「結婚したい…」と答えました。その頃から「僕の求めるものは今も変わっていないと思う。この心の安らぎが即ち『幸福』なのではないでしょうか。住む場所があり、妻子がいて、そしてコーヒーとピアノが有る。この幸福を、僕は人生の目的の一つにしていいと思います。但しその上に大事なことは、そのような『安らぎ』を力にして、人生の「別の目的」、幸福とは縁のない、苦しい厳しい、かも知れない数々の大目的に挑んで僕は行きたい…」と、大学三年生の河村浩一君は、今からちょうど十年前に、こう、私に告げていたのです。

* 河村君。今日、君は、こんな佳い奥さんに、幸福にめぐりあい、まさに「心のやすらぎ」を得たんですよ。 やがて子供さんにも恵まれる。

さ、人生の目的は「幸福」一つだけでは、ない、と自分で書いたその、別の大きな目的の方へも、心を決して、今日から益々立ち向かわれるように。もっともっと深い「心の安らぎ」が、その先で、君を、いいえ奥さんやお子さんもともどもに、きっと待っている。

夫婦は よき日二人、あしき日も二人ですよ。

おめでとう 河村君。 ひろかさん。 そして、 みなさん。

 

* 「人前結婚式」であった。仲人も牧師もいない。新郎新婦が誓い合い、会場の者がすべて結婚を見届けた旨の署名をし、指輪交換のあと、花嫁のヴェールを花婿があけてキスして、完了。あと、椿山荘の庭園で何度か撮影。

 

* 披露宴も特別の趣向などはなく、淡々と祝辞が続き、三人一組の女子ヴォーカルが外国語の歌を唱った。

それでも、果てて四時。バスに乗り目白から池袋。さくらやでデジカメ予備の充電用電池を一つ買い足して帰った。デジカメはいくらか役に立ったろうか。

2004 11・6 38

 

 

* 秦恒平様  ようやく晴れた日が続くようになりましたが、はや冬が迫って来る気配、新潟にはすぐに雪が降るだろうと、被災した方々がお気の毒でなりません。

三部作、と大きな口をきいた三番目の文章をなんとか書き終えたので添付いたします。読んで頂けますでしょうか。

この前の「ひまわり」のように淡々とはなかなか書けず、どうしてもなまぐさくなってしまうのを何度も書き直しました。

一人で書いていると、絵と一緒で、筆の置き所がわからず、ああでもない、こうでもないと、キリがありません。これで十分、完成、と思ってのことではないのですが、一度読んでいただき、何か言っていただくと励みになるのでよろしくお願いします。

別便でプリントアウトしたものも送らせていただきます。多分月曜日に着くと思います。

今日は東工大時代の学生さんの結婚式にご出席なのですね。秦教授の授業を受けることの出来た方は幸せだなあとずっと思って来ました。

最近では教養科目など不要、さっさと専門科目に移れと言った風潮ですが、私自身にとっては教養科目で学んだことは今も懐かしく役立っています。特に、「国語を勉強できるのはこれがきっと最後の機会に違いない」と思って

二回生時に選んだ「国語国文学」(阪倉教授)は、謡曲がテキストでした。

高砂、熊野などポピュラーなところを取り上げての講義でしたが、それまではただ”老人が辛気くさくうなっているもの”と思っていた”謡い”を、見直しました。(近年明治神宮薪能をご招待いただくようになり、その頃の素養? が大いに役立っています。)

将来縁の切れてしまう分野であるからこそ、”教養”なのだと思います。文学部の人でせっせと理系の数学授業に出ていた人も居ました。文系・理系と隔てずに、若いときは興味のある分野をどんどん広げるのが「専門馬鹿」を作らない方法だと、私は思うのですが。

お身お大切にして下さいませ。

医者は他人事だから、ああせい・こうせいと無理な食事療法など言いますが、そもそもそのようなものが好みの人なら成人病にはならぬ訳で、いけないと言われるものが大好きだから、こうなってしまった、と言うのが殆どです。

限りある時間を、辛抱ばかりして暮らすより、少々自爆気味でも好きなもの食べて飲んで、「ああ、幸せ!」と思うほうが、ええのんちゃうやろか?—– —

といっても、中途半端に病人になってしまうとシンドイばかりで、楽しいことがなくなるので、やっぱり気をつけてくらしましょう。 2004/11/6      藤

 

* はい、分かりました。 作品、読みます。

2004 11・6 38

 

 

* 目玉焼きの匂いが漂っています。

朝寝坊が出来なくなりました。年取ったァーと思ううちのひとつ。起床五時の雀は、すっかり朝のひと騒ぎを終え、新聞を広げているところです。

四才の妹「じいじが好き」 兄「おれ、じいじよりばぁばが好き」 妹「好き嫌い言うたらあかんのやに」。

母「結婚するなら尊敬できる人がいいよ。愛情はいつか冷めるけど、尊敬は変わらないからね」。

自分の愛の足りなさと、戴いた幸せを思う朝です。

秦さんの朝は、どんな具合ですか? お健やかに、お仕事がお心に添ってすすみますように。  雀

 

* この会話は新聞に出ている会話なのか、雀さんの家庭なのか。それも分からない。室生寺、赤目四十八瀧、長谷寺、三輪山。雀さんのメールは、反射的にわたしの見も知らない空へいざなう。西でなく、北へ、笠間の楽茶碗展へやはり行ってみたくなった。名古屋へも京都へも姫路へも四国へも広島へも福岡へも行ってみたい。金澤へも。東京が少し嫌いになっている。

2004 11・7 38

 

 

* おはようございます 風

披露宴は楽しまれましたか。風はどんなふうに祝辞を述べられたのでしょう。花は風の講演も聴いたことがないし。風がネクタイ締めて喋っているところを見てみたいです。

今日はお能ですよね。 気をつけてお出かけになってくださいね。 花

 

* いいお天気の結婚式でした。祝辞は「私語」に載せています。「私語」は読まないと決めたのですか。しなやかに自然に、その時々の気分に任せておいたら。

今日はお能に。別れていた母子再会、ハッピーエンドです。

秋の花は、綺麗に咲いていますか。お元気で。風は少し気分がしめりがちです。

2004 11・7 38

 

 

* 高所恐怖症の上りたがり。  東福寺、金戒光明寺、知恩院。夏また冬、雲一つない空に映る、大きな屋根を見上げるのが気に入りの場所。特別公開リストに、東福寺、金戒光明寺、知恩院の三門とあるのにひかれました。もし、南禅寺へも行っておりましたら、「まッたく、○○と煙は」と仰しゃるでしょうね。池袋藝術センターのエスカレータに肝を冷やす高所恐怖症のくせに、天守閣や三門に上ってはゴキゲンの、変な雀ですの。

数年前は、黒谷に物見? と、タクシーにもお坊さまにも訝られましたが、蓮池に太鼓橋が架けられるなど観光整備がなされていたのには驚きました。 雀

繭   秋の弱い日が、まばらに植えられた杉木立に斜めに射し込み、礎石の上を吹き過ぎるゆるやかな風、かすかな音。寂しみが、溜るでもなく去るでもない夕暮れの紫香楽宮跡は、美しい巒のシルエットに取り囲まれ、繭のような居心地に、キッと伸ばしていた背を猫のように丸めて、こもりたくなる地の気。離れがたい思いで歩を進めた雀の足元を、長い尾の端まで美しい縞模様を見せて、一匹の蛇が枯れ枯れの叢に入って行きました。

ご縁日と知って重文の十一面観音を訪ねましたのに、どこも収蔵庫に「監禁」されたまま。がァっかり―。 雀

 

* 東福寺、知恩院、黒谷の三門に上がれるのか。行きたいなあ。

2004 11・7 38

 

 

* 藤江夫人の「ふつうのくらし」と題した、たぶん七十枚あまりの作品を読んでいる。まえの「ひまわり」は巧みに小説ふうであり、今度のはエッセイふうに運ばれている。ダウン症のお子さんを育ててきた体験のうえに文字通り「平成」に文章が組み上がっている。ひとつのことが、次ぎのひとつのことのキッカケに組み合わさりながら、いつかこの人は某福祉県の懇談会の委員のような所へ、いましも動いて行っている。まだ三分の一も読んでいないし、もう少し推敲はあつた方がイイにしても、興味深く書けている。あまり問題なく「文章」に読ませる運びが出来ているのは、センスがいいのだ。こんなことを謂うと叱られるが、いまわたしに書いたモノを読ませてくれる人達の中では、最高齢(わたしの同級生の同窓夫人なのだから。)になるが、きびきびと若い。生彩とまでいうと褒めすぎになるので、生気があると謂っておくが、一つには上手に書こうといった成心がないので、すらすら言葉が出て来るのだろう。手垢の付いた俗な成語がとても少ないのがえらい。

2004 11・7 38

 

 

* 病院の検査結果は入院が必要なほどでしたか? 脚の痙攣も初期の症状の一つかと大変心配しています。

よくご存じでしょうが、この病気で、とくに心配なのは眼です。ご本が読めなくなっては困ります。用心深く、定期的に検査なさいまして、早期の処置をなさいますように。まず何より症状を悪くしないために、厳しい血糖値のコントロールです。

カロリー計算は大変ですが、今は宅配でよく計算された糖尿病食を届けてくれるところ(ストークでしたか)もあるかと。改善なさるまでお試しになったらいかがでしょう。散歩によい季節ですので、毎日歩かれて継続した運動もなさいますように。血糖値はともかく、体重は努力で減らせます。

このような心配、うるさいと思わないでください。お元気でありますこと、いつも心から願っています。

戯曲「こゝろ」を読みました。舞台も観ていますけれど、戯曲のほうが比較にならず感動的でした。レーゼ・ドラマ、読む戯曲を意図されたとのことですが、観るより読むことで、深く真意の伝わる作品と思います。 この作品を読んで、ふと『デミアン』を思い出しています。あの作品も額にしるしのある人間、つまり身内さがしの物語ではなかったかとデミアンの最後の言葉を読みました。  春

 

* 「デミアン」は読んでいない。わたしも演出の島田安行がくみ上げた舞台よりは、遥かに読む戯曲として書いた試み=心見が、ほんものだと思っている。舞台はすこし甘くつくられていた。日大病院の院長先生だった馬場一雄先生が、戯曲の方がずっと面白かったと言われた昔を思い出した。

2004 11・8 38

 

 

* おはようございます。お元気でお目覚めですか?

一晩中 娘はあすから銀座で始まる個展の最後の準備をしていました。前回と同じ場所ですけれども今回はご案内しません。あまりにも装飾的で全体的に平坦な印象。作品として力強さや目を惹くところに欠けているような気がして、見ていただくには未熟なものだからです。娘の性格からはとげとげしいものがなくなり、穏やかになってきました。優れた作家をめざすのか、平穏な人生を過ごすのか、まだ見守るしかありません。

これから羽田発8時の飛行機で九州に行ってまいります。厚生労働省のある研究をするためです。

肩が焼けるように痛くて整体に行ったら「五十肩」だと笑われました。六十の峠が目の前。少しずつすることを絞って行くときがきたかとも思います。 さざ波は湖の上で揺れています。  波

2004 11・8 38

 

 

* 桃色の忍者装束で、若い女性がからくり実演をするので人気の、伊賀の忍者屋敷。

一方、甲賀の忍術屋敷は、信州から赴任の望月出雲守の邸宅を、地元製薬会社が管理しているのだそうで、薬草茶をいただいたあと、ピンクの作務衣風衣装の中年女性が案内してくださいますの。望月出雲守は、馬を育てることにも優れ、近くに牧場が有ったと聞いて、「望月」が守山を舞台としていたことを思い出しましたわ。

伊賀は真田と同じ組紐。甲賀は売薬。

信楽と伊賀、甲賀と伊賀。どちらもたいした峠がない、地続きというのが旅の発見・収穫。  雀

 

* わたしの実父の母方の方から、わたしへ、どの程度か柳生の里からの血が流れていると聞いた。柳生へ、いつか行ってみたい。

2004 11・8 38

 

 

* 新潟でまた余震。ここは暖かな穏やかな秋の一日・・。

色川大吉氏はわたしにとっては「ユーラシア大陸思索行」の著者としてまず思い起こされます。また、チベットやモンゴル、シルクロードに関する著作も。自由民権思想など日本近代史が出発点だったことに、驚きさえ覚えました。

明治の暗い時代を認識することは大事ですが、危うい夢にうなされませんよう、つらい気分を負いませんよう・・。

井上清氏は唯物論的歴史観、天皇制批判など一貫した立場から。部落問題など、差別の構造を考えていって階級制度の批判に辿りつくのが彼には必然だった、そして階級社会の頂点にあるのが天皇だった、のです。もう40年くらい前に読んだので細部までは覚えていませんが。

「日本の歴史」は文庫本でないものですが、ブック・オフで買いました。(この頃はやり? の古本屋です、わたしの住む小さな町にもあって、図書館以外、ここでもかなり本を捜します。)今、巻21を読んでいますよ。色川氏が若く気概に溢れているのが文章から伝わります。だからいっそう読むのがつらくなるのかもしれません。

ヘッセの「デミアン」はお勧めの作品です。少年の日の出会い、新しい価値観、世界観を示してくれたデミアン、アブラクサスという善悪併せ持つ「神」の存在。ヘッセは最晩年の暮らしの中で庭仕事を楽しんでいます。常に生命の神秘に心を向けていた人でした。   鳶

 

* ヘルマン・ヘッセというと、わたしはいつもアンドレ・ジイドとほぼ一緒に頭の中に並んでいた。どちらかというと、わたしはジイドを多めに読み、ヘッセは数少ないが、読んだ作品はみないいものだった。この高く舞う鳶は、京都大学で社会学を専攻していたように思っている、そのキャリアがよく血にも肉にもなり、書く文章や詩ににじみ出ているのが魅力である。わたしや藤江さんとはほぼ一回りほど若いのではなかろうか。

 

* 秦様、お出かけから帰ってお疲れの所なのに早速に読んでいただき有難う御座います。感謝で一杯です。又HPの方でも”生気がある”と言っていただいて、嬉しいです。

> 共生の樹 の前まで、興味深く読んできました。 「ひまわり」は小説の感じ、これはエッセイの感じですね。それはそれで何も問題ないことです。

私には小説とエッセイの違いが良くわかっていないので、「これについてはこうとしか書けない」という書き方で書いています。

> カッコ付きの発言の所で、みな改行にしたほうが、はるかに分かりよく読みやすくなります。

わかりました。その辺り、いつも「どうしようかなあ」と迷うのです。

> のだ、なのだ は乱発しないこと。語調が無意味に強くなります。

出来るだけ避けようと思いつつ—–。更に気をつけます。

> ナニナニという のは 意味の上でも 言う ではなく、強いて感じにするなら 謂う にちかいですが、ひらがながいいと想います。 という のような のように は乱発しないこと。たいていは無くて済むことの多い物言いです。断定断言を避けたいときについ乱発するのですが、言い切られた方がいい場合が多いものです。

パソコンだと簡単にいろいろと変換が出来るので、私のような漢字の使い方がキチンと身に着いていない人間は

嬉しくて、不用意に漢字を使ってしてしまう傾向があり、反省しています。

断定を避ける言い方をするのは、どこかで逃げている、とこれも反省。

> 無くてもいい言葉は、要するに不用なのです。 たとえば、冒頭の その日、 という書き出しを外しても、なにも変わらないで、むしろ端的に入るのですね、話に。 この手の物言いはずいぶんあるものです。無くても済む物言いは、つまり無用なのです。

本当にそうですね。

初め書いたときは、もっともっと要らないものが多くありました。まだまだ目配りが足らないなあ、とわかります。こうして具体的に指摘していただくと、見直す時の元気が違います。

> 感心にそれは少ないのですが、ごく多用される決まり文句ふうの物言いは、可能ならべつの新鮮な自分の言葉に置き換えたいですね。便利でつい使いますが、使いすぎていると、つまり通俗になりすぎ、耳当たりは佳いようだけれど訴求力のない駄文になりかねないので要注意です。

> 天の啓示  必要最低限  優先順位  威勢の良い電話 とか。美味く、それしかないように使われていればいいのですよ。

これについては普段からかなり意識して文章を書いているつもりです。

昔、アメリカでふと本屋で見つけた、大学入学検定試験の国語(英語)参考書がとてもためになる本で、中でも”文章の書き方”という章に、「言い古されたたとえや表現は使わないこと」と書いてありました。私でさえ知っているような英語の言い回しがいくつか悪い例としてあげてあり、「成る程」と感心したものです。それ以来気をつけるようになりました。

> だいたい、すうっと読めて行きますのでいいようなものですが、推敲はまだまだ可能で必要だと想われます。

雑多なものを沢山詰め込んだので、こうして方針を教えていただいて、見直したいと思います。

> 全体はまだ読めていませんので、一編の感想としてはまだ云えません。感じはいいですよ。 取りあえず第一報。 秦

私は子どもときから、「作文」でほめられたことがないのですが、下手だと言われたこともないので、並みだったのでしょう。

特に読書好きでもありませんでした。

古典もなんとか入試をしのぐ程度のお勉強、同志社女子は高三まで聖書の時間が必須で、そのため時間割に制約があり古文を選択すれば漢文は選択できない。私は漢文が読めません。だから文章を書くことにまるで自信がありませんでした。

手紙を書くのは好きだったのですが。

大人になって文章を書かねばならぬ事態になり、何か書いても、これが、誰も良いとも悪いとも、言ってくれないものなんですね。しろうとさんが一生懸命書いて下さったものにとやかく言ってはいけない。そう世間では一般的に思われているのではないでしょうか。そんな頼りなさ、手応えのなさに、ずっと不安でたまりませんでした。

だから秦さんが読んで下さって、いろいろ言って下さって、ましてや褒めていただいたりすると、もう、うれしいんです。本当に有難う御座います。

秦さんに送るまで、書いただけではそんなことなかったのですが、送ってしまったら、なんだかふっと気がぬけました。いつかは、どこかで、誰かに、話したいと思っていたことを、秦さんに読んでいただけた、と思ったからでしょう。

とりあえず御礼まで。 2004/11/8   藤

 

* 京大で薬学を専攻したと聞いている。夫君も同じ大学で理系。いまの仕事も。東工大へ行ったおかげで、わたしは、理系コンプレックスをかなり脱ぎ捨ててきた。ありがたいことである。

2004 11・8 38

 

 

* あすは、板橋まで診療で出られている勝田さんと、池袋で会い昼食する。急に冷えてきている。寒くなければ六義園を覗いてきても佳い。

2004 11・9 38

 

 

* かんじんの「たん熊北店」の料理が、今日はもう一つでガッカリし、おつれした勝田さんにも申し訳なかった。

池袋からタクシーで駒込六義園につけ、静かな午后の庭園をゆっくり回遊した。落ち着いた。デジカメで写真もたくさん撮った。七十近い二人のおじさん。E -OLDとは見えまいが。ほのかに紅葉した木々も点々とみえ、鴉の鳴きしきるのも静かさの内のように感じた。

この庭園の周辺に高層建築が建ち並びかけていて、最近も成田屋の団十郎、海老蔵父子がバカづらを晒して大きなマンションの広告をしている。ほかのものならとにかく、仮名手本忠臣蔵では由良之助を、映画でも内蔵助や主税親子を演じて「伝統」を売って喰っている代表的な歌舞伎役者が、赤穂浪士のドラマには縁の深ぁい柳沢吉保ゆかりの、今では東京で一二の園庭の景観をぶちこわすマンション広告にわざわざ出なくても良かろうにと思う。いやいやそのように柳沢にリベンジしているんだと言うのか。

あの広告は、やはり役者バカのうちであり、いかにも間抜けて配慮のない現代役者だと感じてしまう。

しかしまあ今日の好天に、六義園を選んだのは良かった、とても気持ちよかった。夕景になり冷えてきてもいけないので、ゆっくり駒込駅まで歩いて、駅のホームで、右左に乗り別れてきた。

家路の途中、佳い赤の、毛糸で編んだ軽い、裏付きのハーフコートを妻に買って帰った。中国製であった。

2004 11・10 38

 

 

* 霧の朝です。夢を見ていました。弟とふたり、山かいの宿に居ました。

葉擦れの音、窓の下にちろちろ流れる川水の音、時折、鳥が啼き、――静かでした。

障子に木洩れ日がゆらぎ、そそけかけた畳に少し翳が感じられた頃、むっくりとした髭がちの宿の主人が、「あんた去年も来たねぇ。おッ、もう四時だ。今、出ないと帰れないよ」と言い、雀は「このまままた泊ります。かまいませんか」と答えました。

ひんやりとしています。明日は雨のよう。よい日々をお過ごしください。 雀

 

* 弟に、死なれている人であったと。

 

* 京は、汗ばむ陽気が続いています。

紅葉も後十日程で、あちこちが見頃となるようです。それに連れて市内のどこもかも、人人人、車車車。

歩いて行ける範囲での紅葉狩り。

金閣寺も金ぴかにお化粧直しされてから、もう十年以上になりますが、シーズンを問わず、観光客で賑わっています。

愛は、寺院の「柱」のようであるべきとのこと。

そういえば寺院が崩れて、下敷きになって死にそうになったことがあったなぁ、なんて、遠い、遠い昔のことを思い出したりしています。

しょうもないことは、よく覚えているものですね。

明日からは雨の予報、秋もいっそう深まることでしょう。お身体くれぐれもお大切に。   みち

 

* 従妹の、おもしろいメールだ。金閣寺みち紅葉の写真が、ファイルで付いていた。何の関係もないが、

すずかけのもみづるまでに秋くれて衣笠ちかき金閣寺みち  とわたしが詠んだのは、昭和二十九年、十八の秋だった。この日の金閣寺をわたしは覚えている。

2004 11・10 38

 

 

* おかげさまで、京都の「たん熊北店」、六義園よかったです。

将軍綱吉や柳沢吉保が歩いているのを感じられる程には想像力K働かないのが残念ですが、一瞬一瞬で変化する暮れなずむ木立の中をやっぱり歩いたのかと思うと、身近に感じます。

戴いた『私の古寺巡礼』を読みながら帰りました。「さりげなく懐かしい」「けんねんさん」を感じ、都の人の『京のひるね』を感じました。

家に戻ったら、落花生の新豆が届いていました。お送りしてみます。

それから、これからは、遅くなろうが何だろうが、走ったり急いだりしないでください。ひまなおじさんが遊んでるのですから。今日はお疲れになりませんでしたか?

以下はお時間のある時に:

ブラウザを立ち上げた際に、最初に現れる画面を自分の好きなものにする方法:

1.現在のままで、ブラウザを開く

2.上の方の欄の「ツール」をクリック

3.プルダウンメニューから「インターネットオプション」をクリック

4.「インターネットオプション」画面の「全般」をクリック

5.「ホームページ」欄の「アドレス」を記入する欄に、自分の好きなホームページのアドレスを記入する(好きな画面を出して、そのアドレスをコピーすると間違いがありません。)

6.下の方の「適用」をクリック

7.「OK]をクリック

以上で次にブラウザを開いたときには、自分の好みの画面が先ず表示される筈ですが。だめだったらお知らせ下さい。また考えます。

 

* 感謝します。わたしの機械では、いまだにマイクロソフト・エクスプローラで自分のホームページを開こうとすると、「ビッグローブ」が、今は「メンテナンス中」なので、と、画面を出してくれない。もう何ヶ月メンテナンスしてるんだと呆れている。なにか、ヘンテコ。勝田さんに教わった上の方法でなにかすると元へもどるか知らんと期待しているのである。

 

* 勝田さんが送って下さった白いソックスの黒猫くんは、いまやこよない仲間で、いい休息になっているが、これを制作した外国婦人のホームページへ入ってゆくと、こりゃまた何とも不思議の森のようで、ドキドキする。

2004 11・10 38

 

 

* お久しぶりです。秦さん、こんばんは!

大変ご無沙汰してしまいました。11月に入ったというのに暖かな毎日ですね。

先月に職場の部署がかわり、また審査の仕事に戻りました。それまでの1年くらいは2時3時帰りの日々が続き、体力的にもきつかったですが、なかなか自由な時間が持てず、それが相当にしんどい時期でした。

仕事自体では色々な経験が出来て楽しかったのですが、やっぱりそれだけしかない毎日では、段々と気持ちの余裕がなくなってきてしまいますね。視野も感じ方も、少しずつ少しずつ幅が狭くなってゆくようで。その自覚がかえって焦りも生んだりして。

「忙」という漢字は、心を亡ぼすという意味といわれた事があります。確かにと膝を打つと同時に、もっとうまく「忙しさ」と付き合えないものかとも考えてしまいます。もう少し器用にならなくてはいけないのかもしれません。

色々と順調ではあると思います。それでもふとした折に、このまま進んでいいのだろうかという想いが頭をよぎります。何かを見落として忘れているのではないかという、ふっと足元が抜けそうになるような感覚とともに。

どこへかしら次の一歩を踏み出さなくてはいけない時期なのかもしれません。ですが昔のように一気に全てを変えようとするのではなく、一日一日を生きている事の手応え、幸せを確かに受け止めながら、それでもリアルから目を逸らすことなく着実に歩を進めたいものです。(それがなかなか難しいことなのですが。)

またお時間のある折にお会いしたいです。

ではくれぐれもお体をご大切に!

 

* この卒業生君の結婚式、いつだったろう、それ以来逢えなかった。少なからずお行儀のいいメールなので、久しぶりに逢って、勢いよくかきまぜてみたい。

そう、一級建築士の試験に立ち向かっていた別の卒業生君、どうだったろう、そろそろ結果の出る頃と聞いていた。

2004 11・10 38

 

 

* 大阪歴史博物館特別展「古代都市誕生展」は、北魏、北斉、新羅、百済の展示品と、細見美術館所蔵の誕生釈迦仏立像や野中寺の弥勒菩薩半跏像などに続いて、飛鳥寺、尼寺北廃寺、豊浦寺、坂田寺、吉備池廃寺、甘樫丘、「小治田宮」、四天王寺、水落遺跡、石神遺跡、山田寺、川原寺、大津廃寺、崇福寺、穴太廃寺、南滋賀廃寺、岡寺、本薬師寺、大官大寺等々。飛鳥、難波、近江、藤原の宮宮がなだれをうって、福岡、郡山、多賀城に至っては全く歯が立たず、好かったけれど、あっぷあっぷ。

ひたすら秦さんと、お作のことを思っておりましたわ。 雀

 

* 先に、長堀の「佐伯祐三展」を見にまいりましたの。

病んだ感じはみじんもなく、鉛色の空や、石と土と煉瓦の質感に快い厚みがあり、早描きのものも落ち着いていて、額縁も佳く、こころがあたたかくなる繪でした。

お嬢さんを〈雌の太郎〉メンタロー、メンタイちゃんと呼んでいたとあるのに笑えましたの。ちょっとは上方ことばがわかるようになりました。  囀雀

2004 11・11 38

 

 

* 今朝は雨が強く降っていました。今もです。

桑名のデパートのバーゲンに行ってきました。欲しいものを決めておいて、それだけを探すようにしたのですが、どれも普段よりグンと安いので、結構買ってしまいました。どれを買おうか悩みながらワゴンをあさったり試着したりしたので、疲れました。バーゲンって、パワーが要るのです。

チャタレイ夫人はおもしろかったです。英語版も買ったのですが、まだ開いてもいないのですよ。本棚に埋もれさせないようにしないと。

風はお酒のみのようですね。 花は特に言えば、パスタが好きです。何でも好きです。 2004 11・11 38

 

 

* 機械をやすませて、ではない、わたしが休んで、建日子が呉れたディスク七八枚もある劇映画を、DVDでゆっくり楽しもう。

今日は少し気が冷えていたので街へ出なかった。留守に少し酒をのみ、妻が買って帰った「なだ萬」の弁当を夕飯にした。

明日は銀座の個展を二つ見に出掛けたい。

久しくクラブの酒も飲まない。昨日久しぶりにメールしてきた卒業生君と近いうちに逢おう。逢うたびにみないいオッサンになってくる。生彩あるオッサンたちであって欲しい。

昨日のE-OLDは穏やかに静かな、しかも写真に写ればじつに生彩有る人で、わたしなどとても及ばない。根津美術館で他の何物よりも相変わらず、常展の、北斉砂岩の仏頭の温厚大度、あれに感じが似てられた。まいった。

2004 11・11 38

 

 

* 海の猫、山の猫  名古屋のTV番組に「映画はええがや」。大阪の情報紙には「映画はええがな」。

「海猫」の宣伝に、「山猫」完全復元版の宣伝と、ややこしや。山の方は梅田の一館でしか上映してないみたいで、うーんと腕組みの雀です。

最近、どんな映画をご覧になりましたか。

ところで、先日の京で、クルマで渡った橋に、「なすありの碑」とあるのが目に飛びこみ、思わず「たえてしのべばなすありと、でしたかしらね」と言う雀に、運転手さん、

「京都検定受けませんか? 京都よほどきてはるみたいやし」。 雀

 

* 知恩院の古門前と新門前の通りの真ん中を、白川が西流している、それを花見小路で渡っているのが、有済橋。「有済」がつまり「なすあり」なので、この地区の小学校が「有済」校であった。もう過去形になり、つい最近粟田小学校と合併して、「白川」校と名を替え、もとの粟田校舎へ通学しているらしい。

有済校の校舎が、どう何に転用されるのかは知らないが、この元校門を入ると、左の花壇や植込みに埋もれて、背の低い小さめの石碑に、「たえてしのべばなすありと」と刻されていた。「済す=なす」は、成功や成人の成すではなく、完済や決済の、なしおえる、なしくずす、なくしてしまう方の「なす」である。

京都市は、小学校発足の全国でも最も早かったところで、「有済校」は中でも最初期に創立されていた。「たえてしのべば」は、つまり堪忍であり、いかにも修身教育めくが、今少しこの学校の場合、厳しく微妙な「たえしのべ」という訓告が秘められていよう、さすれば「済す有り」てガマンも出来ようぞ、と。名付けた明治者のいかにも智慧者めく意図がしのばれて、実はくさいものに蓋だけしておけという、大いに違和感がある。

このような碑がまた別に新たに創られ建てられてある場所というのが、さも結界めいて三條寄りの古門前通りと、わたしの育った四條・祇園寄りの新門前通りを隔てる白川畔であることにも、その橋を「有済橋」と新たに名付けたことにも、余計なことをするという思いが、わたしには否めない。

昔、この橋はなかった。戦時疎開で家並みがぶち抜かれ、祇園花見小路が北の三條通りまで延長したときに、橋も架かった。「お父さん、繪を描いてください」の天才少年画家「山名クン」は、まさにこの「有済橋」の南東詰めの瀟洒な和風の家に身をあずけて須田国太郎画伯らの指導を受けていた。二階の窓から白川越しに北の家並みを眺めて感慨を覚えていた。その時にはまだ雀さんの見てきたような碑は建てられていなかった。花見小路はむき出しの瓦礫の疎開跡そのものであった、まだ。

松竹という「藝能」の会社を大きく興した双子の兄弟は、この有済校の卒業生であった。「堪えて忍べば」の遠意が、分かる人には分かるであろう。分かる人はもう極端に尠くなった。けっこうなことだと子供の頃から思っていた、が、近年、かぎりなく横柄で傲慢で行儀悪くのし歩くゲイノー人のザマをたくさん、いつも見ていると、気味わるい。

 

* 「京都検定」とはね。これまたマインドトリップ。京都を小刻みの「知識」に切り刻んで「通」の度合いをためすのか。京都八段なんてのが出来るのか。ハートは痩せて行く一方だ。

2004 11・12 38

 

 

* 川崎のE-OLDさんが、熊野参詣のお土産に「熊野三山」と銘したお酒を贈って下さった。那智の滝や、十津川や湯川の清流、また瀞八丁の絶景など、少し離れては鬼ヶ城の奇岩、太平洋の碧の濃さなども、忽ちに眼に蘇る。ありがとう存じます。後白河と源資時との熊野道での今様伝授なども、懐かしい。神坂次郎さんに頂いている熊野道の案内書も開いてみたくなった。

2004 11・12 38

 

 

* 谷崎潤一郎と松子夫人の藝術的に豪奢な夫婦が成立するためには、谷崎に松子夫人の現実生活すら丸抱えする覚悟と力があり、松子夫人にもある程度経済力があったのだろうと勝手に推測しています。

松子夫人のように「優れた現実の女と絵空事の女とを、一身に演じて、渾然として不自然でない女人。リクツのない聡いものを、そのままの豊かな魅力にしてい」る女性が、現実か繪空事に現れて、秦さんを幸せにしてくれますようにと、心からお祈りしています。(もし現れたら猛烈にヤキモチも妬いてさしあげます。)  蝸牛

 

* そんな者、現実にも絵空事にも実在するワケがないという、これは女読者のモーレツな挑発であるらしい。おもしろい人だ。

どういう人が「身内」といえるのか、たぶんこの人には分からない、識らない、理解出来てない、ムリもない。娘の夫になった以上おれも「身内」じゃないか、と、やきもちで黒こげに怒った男もいたぐらいだ、こういうややこしい言葉を敢えて用いてきたわたしにも、少しは責任がある。でも、硬直したマインドの問題だとも思うけれど。ハートからすなおに、自然にものを見ればいいのに。

やきもちで黒こげにさせても困るので、いるいないなんかは別にして、わたしに想い描けている「身内」の幻像を、あらまし、この機会に描いておこう。ハッキリしておくが、男女の別はどこにも、無い。

「身内」は、まっさきに「空疎な言葉」を振り捨て、そんなものには頼らない。愛と信頼には、言葉や議論や問答の尻押しなんか要らない。素直に直面して、お互いにしたいようにし、思うように思い、出来ないことは出来ないと分かっている。個と個に徹し、余分な他の誰のことも、口にもしないし、気に掛けない。しつこくモノを訊きほじくったり決してしない。大事なのは「向き合っている」二人。互いに無用な所へ立ち入らない。自然に、ゆったりと静かに。現実の家族でない以上、当然のこと。身内として現世を生き、死んでからも一緒に生きて暮らしたい、そう熱望することだけ。愛し信頼するけれど、愛や信頼について無用に議論する必要など、少しもない。初対面の瞬間から、無い。天才や凡才の問題なんかでなく、お利口やおバカの問題でもない。絵空事を信じて直面した人間同士の、ひたすら「まこと」が問題なのである。そういう「人たち」を書いてきた、と思っている。

それ以外が書きたい気、じつは、無かった。

生い立ちが払わせた、それはわたしには税金のようなもの。小説という手段を利して、「生まれた」意味を問うてきただけのこと。

 

* 「庭に、雑草にまじって、黄色い花が咲いています。見逃してしまいそうなほど、小さい花びらです。それから、近所のお宅のブロック塀とアスファルトの隙間から顔を見せていた、スミレくらいの小ささの、淡い紫色の花。どちらも名前はわからないけれど、あんな花のように咲いていたいです」と、昨日の或るメールに有った。心にのこった。

2004 11・12 38

 

 

* 文雀さんが戸無瀬一役となり、弟子の和生さんが判官を遣うことになった今月の「忠臣蔵」。玉男さん遣う由良之助に「間に合ったァ」、まさしく「存生に対面」と、雀は感慨を抱いております。

春の「妹背山」では親子でしたが、今月は主従。玉男さんの由良之助なら、必ず早駕籠で駆け付けてくださる、でも、判官の元へ来てくれなかったらどうしようと思いましたの。「淀五郎」でしたかしら。襖が開いて、ころげるように出てきた由良さんに「玉男さァん!」と、涙。判官のもとへ「来てくれたァ」で、涙。耳元へ顔を寄せての「委細承知仕る」に、また涙。  雀

 

* 「淀五郎」という人情噺がある。芝居咄である。圓生のが名人藝であった。急の抜擢で判官の大役がついた役者淀五郎が、切腹の刀を突き立てて家老大星由良之助の花道へ登場を待ちかねている。由良さんは師匠の団十郎であったか、だが淀五郎の切腹を見ながら、ぴたっと花道に坐ったきり判官の側へ来てくれない。「待ちかねたァ」っと腹を切り終えもならず口惜しい遺言もならず、淀五郎判官は辟易してしまう。師匠の眼にはあんまり判官腹切りがへたで側へ行く気がしないのである。

この淀五郎の窮地を救って助言してくれたのが、名優中村仲蔵。この仲蔵が、同じ忠臣蔵で定九郎という端役をあてがわれ、一世一代の工夫をこらして満場の観客の総毛をふるわせ、天下の定九郎を斬新に造型してみせた咄も、圓生とびきりの名演だった。このまえ中村橋之助の定九郎をみせてもらった。写楽顔のあの成駒屋には当代お似合いの配役だった。

そういえば、正体不明の写楽は仲蔵という役者ではなかったかという論証がなされてもいる。

2004 11・12 38

 

 

* いろいろお心遣いありがとうございます。

写真はですね、わが身の姿を見るのは恥ずかしいので、これさいわいでもあります。

話は変わりますが、「森銑三:最上徳内」(電子文藝館)有難いことです。印刷をして座り直して読み始めました。終わったら「北の時代=最上徳内」を又ゆっくりたずねようと思っております。感謝申し上げます。

北の国では雪が降るそうです。脚も温かくお大事にしてください。  千葉E-OLD

2004 11・12 38

 

 

* おはようございます 風

ボオドレエルの詩、とても佳いですね。荷風の翻訳も。

朝方、風の夢を見た気がします。 花

 

* 気がしますとは、うまい物言いで、ほっとする。六義園で撮ってきた自分の写真をみると、とてもとても若い人の夢枕に自慢げに立てる爺ぃでないこと、明白。我ながらすっかりイヤになった。

2004 11・13 38

 

 

* 還暦同期会

湖さま  中学の同期会に行ってきました。一クラス四十人足らずで三クラス、の過半数が出席したような気がします。中学以来の友人も数多く、海外からわざわざ帰ってきた人も数人。還暦祝賀会というのでピンクがかったドレスで行きましたが、女性もほとんど黒 茶 グレイなどの沈んだ色の服を着てきていました。男子一人が「赤いネクタイをしてきたんだけど、だれもしていなかったなあ。こういうときには一点でも赤をつけてくるというようにすると楽しいのに」と言っていました。

先生方も見えていて相変わらず若々しく、私たちの還暦を祝ってくださいました。中学時代、先生に還暦を祝って

いただくなんて思っても見ませんでした。

ふけてよろよろになった男性から、若やいだ女性まで、さまざまな六十一歳でした。中学時代「悩んで」いた人は相変わらず身内のことで悩んでいましたし、「まじめな」人は相変わらず家庭生活を正論で語っていました。

親友だったAさんが一番懐かしく、相変わらず上品でかわいらしく、3人の娘の家族とも等しく愛情深く関わっている様子がわかりました。

Sさんが中学時代に、「信じられなくて恥ずかしかった」というバスの中でのできごと。よく、Aさんと「命令ごっこ」をして、「バスのつり革を全部触ってくること」とか、「運転手さんに話してくること」とか、他愛ない遊びをしていたのを思い出しました。Aさんと私はそのころ「面白いこと」「楽しいこと」をみつける天才だったかもしれません。

バス停のポールが、学校から少し遠いところにあったので、「毎日五センチずつ動かせばわからないわよね」と、動かして、かなり近くまで持ってきて喜んでいたところ、ある日もとの場所に戻されていて、がっかりしたことも覚えています。思い出すだけで笑いのこみ上げる出来事ですが、それを話すと、Sさんは、さらにあきれた顔をして「知らなかったわ」と言いました。

中学生の「湖」だったら、こんな馬鹿なことをして笑いこける女子中学生、目のうちにも入らなかったかもしれませんね。そう、中学時代あまり男子生徒との交流はありませんでした。  波

 

* 還暦は干支一巡し終えた六十一歳のこと。

上京以降の新制中学「同期」会は、覚えがない。亡くなられたクラス担任西池季昭先生を囲む「同級」会には三度か四度も出たか。上京後の小学校同期会は一度も覚えがない。小学校の男性とは数人の交際が今も有り難く残っているが、女性とは一人も縁がない。中学の同期女性では、「浜作」の女将と祇園甲部に住むお茶の先生だけが今も「湖の本」をたすけてくれている。男性とは何人も親しくしている。高校の同期女性では茶道部にいてわたしから茶の湯を習い始めた二人がある。大学では、男性が二人、同期の女性とはとくに連絡はないが、一年下の妻の女友達とは何人も親しい仲間がある。学年を下めにみると小学校、中学、高校では何人か今でも親しい人たちがいる。

まじめくさっていたわけではない、が、ひどくふざけて遊んでいたとは云えない。身の外側の世間よりも、身の内側の自分と向き合っていた方が遙かに時間的にも質的にも多かった。かるい友達がたくさん欲しかった、ということはなかった。わたしの所謂「身内」にこそ出逢いたかった。つまりは、モデルのあるなしに関わりなく、「慈子(あつこ)」など、のちのち小説に書いてイメージしていった。現世で不徳ではあるが、絵空事では孤でなかった。倶会一処。

漱石その人の感化ではない。彼の作『こころ』を中学生のわたしに与えて消え失せた人の刺戟が強かった。もののまぎれは無かった、有るべくない幼い年齢であったが、この人こそ桐壺で藤壺のようであった。みな不壊の値の絵空事であった。

 

* 付け加えておいた方がいい、そういうふうに想い描いて自身の人生を組み立てて行く、いわばある意味の価値ある「芝居気」をわたしに感化したのが、源氏物語と谷崎文学であった。この二つはわたしのなかで関わり合っていた、緊密に。『谷崎の<源氏物語>体験』がわたしの「谷崎論」だけでなく、わたしの「仕事」の一つの核になっているのは当然で必然というしかない。

2004 11・14 38

 

 

* 佐保路の小さな店に「亥の子餅はじめました」の貼り紙。

木枯らしが吹いたそうですが、もう二の酉ですのね。お大切に。

奈良博物館はそれは混雑しておりまして、雀は好きなところだけ見て、平常展へ向かいました。

見仏雀も、胸に収めかねるほどの仏像、仏像、仏像で、心に刻まれたのは、大仏の蓮弁を聯想させる二月堂本尊の焼けた光背と、聖林寺観音の優美な光背。

中野美術館はというと、雀と一緒に若い男性が入ったきりで――。

一足先に階段を降りた彼は、華岳の「嵒峰秋暮」の前に立ち、椅子に掛け、立ち上がり、繪の前から動きませんでしたわ。 雀

2004 11・14 38

 

 

* さっきテレビが京都永観堂のもみじを撮していました。

「やっぱり京都のもみじや、色が違う」とか言いながら、夫は出勤して行きました。 藤

 

* 南禅寺をぬけて、永観堂へ。紅葉が目にうるんでくる。みかえり阿弥陀が、恋しいまで髣髴とする。平安神宮、黒谷、真如堂、法然院、銀閣寺、詩仙堂、曼殊院、はるかな北山西山。比叡。何処まででも歩いて行きたい。

2004 11・15 38

 

 

* あたりはグレイ。

昨日は紀宮様の婚約発表で、自然に顔がほころびました。

環境は天と地ほども違っていても、同じ世代の子育てをしながら、常に関心がありました。団地間近で美智子様から優しい微笑みを受けたあの出会いがあったからかもしれません。我が家の末っ子も同じ年齢で嫁いだなあ、と。ほのぼのとうれしい気分です。 泉

 

* 皇室のことを想うのは、つらいものがある。天皇という「玉」が、いかに都合良く「神聖」に転がされ転がされて、維新政権や明治新政府により、その後の軍国政府により、無惨なまで犯され「悪用」されつづけてきたか。歴史を知れば知るほど複雑怪奇な虚しさに陥る。

天皇制というのが無くては日本人はやって行けないかのように錯覚させられているが、現に総理小泉純一郎の頭に、天皇の神聖だの尊厳だのの何が有るというのか。政権維持に邪魔になれば盲腸かのように簡単に切除手術するかも知れない。もう政治的に利用価値は無いと踏んでいる政治家達の本音は、顔色に出ている。

何でもないこと、明治以前に、江戸時代以前に皇室の存在価値は戻っているのだ。あれどなきが如くに。平和にというべきか。美智子皇后にも徳仁皇太子にも親しみや敬意を個人的にもつことは自然にたやすいが、どうか藩屏としての新華族復活などに囲繞されず、雲の八重垣に押し籠められないで欲しいとだけ、切に願っておく。

 

* 風雨。けれど、空気は乾燥し眼は痛む。

2004 11・15 38

 

 

* 三輪明神の酒まつりが済みました。酒林の候、おいしくお飲みになって、日々お幸せな食卓でありますようお祈りいたします。

華岳の「中国列仙傳十六幅」に縁が得られずにおりましたから、今回、中野美術館の展示でそれがなにより嬉しく、一目見るなり渋いおじさま張果サンに参ってしまいました。

秦さんも、こんな風に、深いところへ心を注いだり、一瞬で空になったりする時をお過ごしのような気がしましたの。繪のロバのように居たい。黙っておりますから。

須田国太郎の繪に、天本英世さんを思いましたわ。  雀

2004 11・15 38

 

 

* 冬空。 雨上がりの晴れ間わずか。夕の山には雪でも降りそうな雲がかかり、明け空のオリオンの美しさ。天気図に白色が混じる時分となりました。ご自愛のほど。 雀

2004 11・16 38

 

 

*  ゆきふる

hatakさん。 先週京都祇園辰巳神社前で十八年ぶりに茶友と会い、ちょっとした同窓会になりました。

白川の流れに淡き京のこひ

茶友は中座でどなたかと待ち合わせ。あとからメールにこんな句が。

まつ人やうつしなかるる辰己橋

帰れば札幌は氷雨、そして今日はかなりの雪。

南米で初夏を満喫していた私は、衣替えも冬タイヤの交換もしてなく、童話に出てくるキリギリスのようです。

まつが枝にゆきふる人ぞ千歳川

まもなく歳の瀬です。  maokat

 

* 「まつ」「千歳」といい「ゆき」「ふる」といい、せつないこと。

2004 11・17 38

 

 

* こんばんは。先日は拙い文を読んでいただきましてありがとうございました。早速の返信メールうれしく拝見しました。秘めた財産になっているだろうと言っていただき、なんだかほっとした気持ちになりました。

穏やかな小春日和の今日、主人の撮ってきた金閣寺を送ります。つい目と鼻の先にありますので、紅葉や雪が積もった時などはタイミングよく写真が撮れます。

鴨川には、冬の使者ユリカモメが舞っています。朝晩の冷え込みも厳しくなってきました、お大切にお過ごしください。   のばら

 

* 表現してみると、それだけでもほっとするような一つや二つは、だれもがもっている。従妹の文章はさらさらと率直に読みやすく、なかなかの回想であった。

2004 11・17 38

 

 

* めったにないが、旅行などでときどき、いつからいつまではメールを下さいますなと断ってくる人もある。気の利いたお利口なアイサツで助かる、が、おもしろいことに、書かなくていいとなると、メールなんてものは書かずに済むものだということまで分かってくる。習慣性に陥って、ともすると双方中毒気味になりやすい。携帯電話でメールに狂奔しているらしい人達を、街なかでも電車でも店でも教室でもみかけると、その毒の、習慣性猛毒ぶりがよく分かる。メールを本当に人間関係に役立てて使いたければ、ただの口先のアイサツはやめて、お互いのハートに溶け入るような、射し込むような、鳴り響くような必要な「まこと =真言」の開発が大切になる。それにより多少の刺戟が出ても、うわべのウソよりいいだろう。

2004 11・17 38

 

 

* 西行庵の紅葉

秦恒平様 少し辛口でしょうか、酒は好きですが「品」に無頓着な者が思いつきでお送りしたお酒を喜んでいただき光栄です。

念願の「蟻の熊野詣」を少し歩き、熊野本宮大社、熊野那智大社、那智山青岸渡寺へ参り、大峯山の登山口の洞川温泉、吉野神社、西行庵、室生寺、長谷寺、最後に談山神社へと紀伊半島を縦走して来ました。紅葉が輝いておりました。院政期の時代が少し身近に考えられる気持ちにもなりました。

日々の「私語の刻」の舞台は色々な「事柄」が登場し、毎日が「文学概論」の話を聞くが如き、社会現象を見る目線を作ってくれるが如き、自分を見る「鏡」を透明にしてくれるように思います。文明・技術の恩恵と飛び交うメール内容即ちソフトウェアとのバランスが心地よいと感じています。秦さんのフィルターを通して「洗練されたもの・凜としたもの」に仕上げられている(生意気を謝ですが)なあと。

これまでの多くの方々との幅広いご交流の体験を僕は享受出来ることに感謝しています。

たまたま先日文庫「私の古寺巡礼」を衝動買いしましたが、秦さんの「けんねんさん」が目に飛び込んできました。不思議ですね、その後秦さんよりご多忙の中をメールを頂き、教授から声を掛けられたみたいで喜んでいます。

詩の紹介やバグワンの話しなど静かに読ませていただいております。  川崎 E-OLD

2004 11・17 38

 

 

* 紅葉狩と蕎麦

初瀬の野見宿禰の五輪塔に参ったとき、そこが出雲という地名で、長谷寺土産として有名な出雲人形があると伺いました。先日入手した大和の観光パンフに、その出雲人形が写真入りで取り上げられており、土師部が、土を求めて移っていった伏見で人形をつくったとあります。

それに催され、紅葉狩に行ったものの、長谷寺はあまりの人込み。

戸隠麓山うまれの主人が、「笠の蕎麦を一度食べてみたい。もうそろそろ新蕎麦になってるだろう」と言って、奥の瀧蔵神社へ寄って、笠山荒神へまいりましたが、残念ながら、名残りの蕎麦でした。 雀

出で立ちのくはしき山ぞ。

瀧蔵への途で、猟銃を背負ったおじいさん二人に出逢いました。まさか熊ではないでしょうけれど、お参りしているせなに、ズドーンと音が聞こえ、飛び上がりました。

大宇陀へと足を延ばし、平尾水分(みくまり)神社と、十一面観音がある大願寺と光明寺へ参りました。目印の鳥居からは思いも及ばない、古色蒼然とした水分さんに、しばし絶句。板に穴だけの真っ暗なトイレにも…。

ふたつのお寺も、キレイにしたところもありますが、やはり、石など旧い空気がたっぷり漂って、大宇陀らしい感じ。更に欲張って、談山神社へも参りました。  雀

昨日が鎌足さんのご命日。

長谷、室生、赤目四十八滝など、いずれも紅葉狩の好期。桜井駅からの臨時バスと、遠方からの観光バスが、サンドイッチのように多武峰へ上ってゆきます。

前回は季節外れに訪れたせいか、いろいろ説明していただけたのですが、新しいリーフレットには、ご祈祷やお守りの宣伝が、謂われより多く、首が飛んでる図に喜んでいる主人に、色を残している嘉吉祭の「百味の御食」のほかはなかなか、十分な説明ができませんでした。

御破裂山にも登りましたのよ。この間大阪で見た展示を思い出しつつ、墓処に相応しい眺めに心打たれました。 雀

 

* こういう世界の空気を吸えることで、日々世塵や懊悩の襲来からどれほど心洗われているか知れない。

2004 11・18 38

 

 

* 雨に降られ今しがた戻ってきました。新宿で7時間もおしゃべり! イタリアンで満腹、これでは痩せないや。テクノで知り合った彼女がこっちに移ってきてから、現在の方が友情深まった感じ。夜も朝も今も。感謝、嬉しかった。髪は?? 慈童のようでなく、ヘプバーンのようなショートカット。おやすみなさい。  秋桜

 

* ワケが分からないが、楽しそうなのは分かる。

2004 11・18 38

 

 

* 天陰。冷。冬めの格好になった。

 

* 「新幹線に乗って出かけて行くだけの価値ある展覧会だった」と、坪内祐三さんが雑誌に小磯記念美術館「内田巌展」のことを書いてらっしゃいました。

“内田巌? 知らなァい”。

それだけでほってた雀は、大慌てで、文中にある内田魯庵を辞典で引きました。

坪内さんのおっしゃるには、疎開前後に描かれた肖像画は、ほとんどが横顔(=プロフィール)で、特に迫力があったのは、昭和21年作の谷崎潤一郎。凛として美しかったのが二女路子をモデルにした二点だと。

神戸への用はさしあたってはないのですが、気になってきましたわ。  雀

 

* 気をそそるのの上手な雀サンである。

2004 11・19 38

 

 

* 人気は二月と三月で。

好きな三月堂も、観光ガイドの声がひっきりなしで気がそがれ、「ごめんなさい。会いたいけれど、今度ゆっくり」と外から謝り、四月堂へ行きました。

「どうぞ中へ」と誘われ、「元のご本尊がこちらです」と右奥を指し示されました。

蝋燭の明かりに白い象が浮かび、小振りの普賢菩薩が乗っていました。ふわぁ! 佳い感じ。息を吐(つ)き、呼吸が緩やかになります。

ひとに「大仏、観音、八幡宮、春日明神って、どういう順に古いんですかね」と尋ねられ、考えたこともない抜けてる雀は、ここでお話を伺いました。

ぬさもとりあえず。

行く度に、手向山八幡宮がキレイになります。今頃は紅葉に朱塗りの門が埋まって美しいでしょうね。

先日の奈良で、混み合う二月堂の奥に北山手観音堂を、脇へ回って遠敷社と飯道社、降りて、良弁杉、開山堂、若狭井と、指差確認するように尋ね、最後に四月堂の千手十一面観音へ参りました。どこも嘘のように誰もいませんの。確かに雀も今まで二月堂ばかり上っていましたわ。

二月堂は大小、三月堂は不空羂索、四月堂は千手。観音さんがいっぱい。奈良博で見た東大寺のお地蔵さんって、どこに祀ってあったのかしら。  雀

2004 11・19 38

 

 

* マチス展   雨のそぼ降る上野の西洋美術館へ行きました。マチス。

僕はこれまで、これからもマチスの絵は「稚気」と思っていますが、今日はその稚気の絵がグッと優しく僕を包んで

くれました。赤の色に我を忘れ惚れこみました。

教養とか、造詣とか、知識とか、感性とか色んな尺度の鎧を着て歩いている凡人をマチスはさり気なく堂々と一体

そんなものがあるのかと、作品で見せてくれました。所詮本物とかにせものとかは自分が決めることを。

マチスの絵で一番印象に残るのは氏の自画像でした。

つい画論などを、笑止ですが。   川崎 E-OLD

 

* マチスは懐かしい。そうか…あした、笠間まではるばる行かなくても、またまたマチスをゆっくり見てきて、公望荘の蕎麦湯ワリ焼酎で天ザルでも食ってくるのがいいのかな。

 

* 風  まだテキストの書き起こしをなさっているのでしょうか。眼をいたわってくださいね。

明日は天気がよくなるといいですね。わたしは地元で広東語教室があります。 花

 

* こんばんは(^-^)お元気ですか? もう11月も終わりですね。木々の紅葉もきれいです。この時期になると、右を向いても左を向いても、前を見ても後ろを見ても、受験の話ばかりです。仕方がないのですが…そんなことばかり考えている毎日です。

寒くなってきたので、体には十分気をつけて下さいね☆  横浜市 E-YOUNG

 

* いま、いちばん年若いわたしのE-FRIEND。がんばって。

2004 11・19 38

 

 

* 水戸という街をむろんわたしはよく知らない。偕楽園へは二度行っている。妻とも行っている。特急に乗れば本当に簡単に行けて簡単に上野へ帰れる。四度の瀧の袋田まで行って泊まるかどうか、よくよく思案したが、日帰りして明日をまた別に使うのが経済と考え、むしろあとは気楽な飲み食いで楽しんでゆこうと思い、その誘惑の一つにボジョレーヌーボーの試飲があった。中華料理の店で一本注文し、しっかり食べて呑んで楽しんだ。

そして帰ってきた。

今夜は、「ER」がある。それもわたしを家へと誘惑した。楽茶碗の魅力で十分足りたというのが大きかった。またいつでも水戸へは来れるなあと思った。四度の瀧の袋田の、「豊年満作」とかいった宿のきれいな温泉が眼には浮かんだけれど、今回は断念した。

とても楽しかった。気が付けば、ほとんどデジカメを使ってもいなかった。秋色は眼にあった。白い雲も青い空も、ほのかな紅葉の自然も、なによりも静かな笠間で、とてもけっこうであった。掌でふれてきた、秋の輪舞曲(ロンド)。

 

* 常陸神社と八峰神社。   以前、地元のタクシー運転手さんから勧められた二社を訪ねました。学校の前を右に曲がる細い道を進んだ先、日差しも眩しいテニスコートの、そのすぐ奥。佐保姫大神の祠と、この地に移したという法蓮稲荷の祠を境内に持つ常陸神社。

祠の脇に、八重龍大明神、八百合龍大明神と刻まれた二石がある、八峰大神。ほかに一棟、古い建物と、藪中にとろっと沈みこんだ小さな沼がありました。

昔を偲ぶには、竹林も薮もからりと伐り払われ、遠くまで青い天穹に、あんけらぽんと響くテニス球の音、笑いさざめく人の声が、ひどく不釣り合いでした。

多門町。  丸太に偽せたコンクリの橋がかかり、たもとに建つ立派な和風建築は、これも見せかけ。公民館でしたのよ。

護摩壇にこのコンクリ丸太を組んだお寺がありますの。言葉が出ませんでした。多門町に戻ります。

お作の頃とはもう余程変わっているでしょう。高級住宅街といった態で。ただ、川岸の細い土道は、井の頭の上水沿いを思い出させ、独りほお笑みました。

水音がころころと、秋の細い日の光とよく合って、桜の木が対で生えている際に、奉納の丸い石がたくさん並べられている風景など、時を遡る思いを抱かせました。   雀

 

* 境涯、という言葉が胸に浮かぶ。この人は、こう経巡り歩いてそれで何かを為そうとは何一つ考えていない。無心に訪れ無心に去り、覚えていれば覚えていて、忘れるものは綺麗に忘れる、それで何の構うこともない、ノーマインドの境涯のすずしさ。あかるい、この世ならぬ日の光が、この人の道にはさしているようだ。

2004 11・20 38

 

 

* 大仏鉄道   「多門城の跡を、北、つまり京側からご覧になったことありますか。堀なんか深くてね、それだけ恐れてたんだなぁて思いますよ」。

大仏鉄道が走っていたこと、近鉄が地下に潜る前のこと、朝の景色、夕暮れの景色、土道、路地、山際の道。

「ならまちだけゃなくて、奈良らしいとこて、たくさんあるんですよ。自分も息子に教えて(お)かな、思てるンですけどね。今度、お着物ゃない時、相応の支度が要りますが、この前を真っ直ぐ行って、柳生に抜ける道、昔の奈良の風景が残っていていいですから、是非。」とも。   雀

 

* 古都の景色   転轄門から入るのも、知足院も、雀は初めて。

明るくのびやかな景色に、鴨川べりのように二人連れが座り、絵を描く人、写真を撮る人、散策の人が、ほどよく散らばっている。大仏殿への道も、ひぃんやりと心細く寂しい知足院も気に入りましたが、時刻によって知足院は物騒かもしれませんわね…。

帰りに、いつも一服させていただく氷室神社脇の道具屋で、若旦那に、どこを回ってこうこうでと申しましたら、「それは佳い道を通ってこられましたね。あす、興福院(こんぶいん)でお茶会があって」と、偶然、気になっていたお寺の事も聞けました。  雀

 

* ガンとしてこういう風物・風景に身をあずけて行脚する、遊行する無目的の旅雀のおそろしいほどの境涯は、とてもとても偽りと思惑との小泉「ヤスクニ」参拝の道化とはくらべものにならない。総理の劣悪なマインドトリップと、雀サンの古都にしみいるようなハートトリップとの落差をまのあたりにするとき、生きている値打ちというモノの本質に突き当たる。

2004 11・21 38

 

 

* 囀雀さんではない、関西のある人から、「今博物館にいます。呼び寄せるものに誘われてただ見ているのか、感じているのか・・。イイ感じ。イイ仏様がみんなあなたに似ています!」という、やに下がるにもあまり言い過ぎのメールが飛び込んだ。そんなに急いで仏様にされては、いかんいかん。

2004 11・21 38

 

 

* 好天。天気がいいと嬉しい。そう感じる度が増している。素直な反応か、少しひ弱くなってきたか。

「気まぐれ」に機嫌のすぐ変わる人を、「照り降りがきつい」と大人達は評していた。「お天気屋」とも謂うていた。二つの間には些かの裂け目が有ろうと思うが。「早くも御意のかわらぬまに」と、「気むずかしい」主君の前で家来は辟易した。会社の中でもあることだ。女心と秋の空は変わりやすいと謂う。そう覚えているが、女は反論して、男心のことだと云う。水掛け論。決めつけることではない。そういうことは腹の中で思うことで、口にしてロクなことはないが、ときどき云ってやりたくなるのであろう、お互いに。

馴染む人と狎れる人とがある。馴染んで親しいのはいいが、狎れて不作法なのは戴けない。自分だけは聴(ゆる)されていると思いこむ相手とは長く続かない。逸脱したジコチュウというもので、破綻はいずれ来る。親しき仲にも礼儀とは確かに謂えていて、しかし親しいよりも礼儀の方をわれ賢げに先立てていても、深い気持ちには育たない。他人行儀は人間関係を深めたくない時にこそ効果の壁にはなろうが、所詮はウソ。譬えは少し露わだけれど、いつでも裸の付き合いが出来、しかも清楚に淡泊に装って親しいのが、来世へも持ち越せる仲というものだろう。

時代を経れば経るほどしっくりくる、それが有り難い夫婦であり、有り難い身内である。そういう仲では言葉はもうたいした役はしない。生きて在り、生きて思いが触れている、それでいい。それで足りている。それでいて適度に照りも降りもし目先が変わる。それもいい。

それにしても顔の見えないメールだと、女の人も、痺れはしないが、ずいぶん言うものである。

 

* 仏さま  じつは仏さまだったのですね。そうとわかって納得です。お祈りしてお尽くしいたしましょう。でも、仏さまって痺れるかしらん?

外は爽やかな青空が広がっています。機械の前よりお出かけにふさわしい一日です。お眼を休めてお散歩などいかが。気分も晴れやかに、今日一日がお幸せでありますように。

猫になってお膝の上にいたいものですが、昼過ぎから用事で出かけます。  蝸牛

 

* 柚子の香が空の道を舞ってくる。

 

* 今日は親友と友人が申し合わせたように柚子を届けてくれましたの。全部で十個余り。ゆず湯にするにはもったいなくて、これだけあれば化粧水が出来そうなので、作ってみようと種だけを集めて、皮は半分はジャムに煮詰めて、残りは柚子味噌にしました。勿論、柚子酢も確保。お鍋の日が増えるかも? 食いしん坊の花籠です。(笑)

デジカメの写真が大きくて送れないとのこと。

パソコンに取り込んでいる写真を縮小すれば大丈夫ですよ。私は無料でダウンロードできる「縮小専用」を使っています。試されてみてはいかがでしょう?

今日は穏やかなお天気になりそうですが、ジワジワと忍び寄る足元からの冷えには要注意です。温かくしてお過ごしくださいませ。  徳島市

 

* 天の邪鬼さん。 祭日の明日中まで、足に踏まれて「お利口」にしている人と想っていました。

笠間の楽茶碗、すばらしかった。佳い器でした。ボジョレーヌーボーも、さっぱりしていながら情の深い味わいでした。日帰りでしたが、時間的にもユックリできたのが何よりでした。それもこれもお天気が幸いしました。

動き癖がうまくつけば、気軽にいろいろなところへ行けそうです。黒いマゴもつれて行きたい。 にせ仏

 

* 露   「言葉なんて」の件を読んだとき、お芝居にある、腹かッ切って臓腑を手で掴み出して放る場面をおもいましたの。

ご自身で引き出す、痛みと鮮血のともなった言葉、また、対談で引き出された、浚われた言葉、そのどちらも、秦さんのほかでなく、喜びをもって読んでおります。  雀

 

* この「露」とは、露堂々というよりも、少し色っぽくいえば露顕の露。

2004 11・ 22 38

 

 

* 湖さま  四世代、六人で、伊豆に小旅行してきました。娘のハンドルで。終始雨が降り続きましたが、湯煙の立つ町で共通の味わい深い思い出を作ってきました。

年のたつほどに自分自身の浅学 浅い心などに気づいています。

好天気ですが、これから社に出かけ、少しやり残した仕事をしてきたいと思います。波

2004 11・23 38

 

 

* ご都合は顧みず一方的に送りつけたのですから、読んでいただけるだけでうれしく、感謝しています。”思いを凝らして”読んでいただいていると知り、自分はそうしていただくに値する気合いで書いただろうかと今更ながら身の引き締まる思いです。

この十二月は母の七回忌。三回忌時のメンバーは一層年老いて死んだ人もあり、他方孫達は一層忙しく、とにかく私と三男の二人で京都へ行こうと、先程菩提寺にあたる七条土手町正因寺のご住職(旧弥栄中の)万年先生と電話で打ち合わせを致しました。

秦さんや藤江の卒業と入れ替わりに弥栄中の先生になられたわけですが、五条に住んでいた頃は母は法事の打ち合わせなど弥栄中の職員室に電話をしておりました。万年先生はいつも洋服姿でスクーターで家まで来られ、うちで法衣に着替えて居られました。

うんと後で、「もしかしたら、恥ずかしかったからですか?」と伺ったら、よく生徒に「せんせ、ころも着て走ってはったん見ましたで」とからかわれたからだそうで。

とまあ、昔から弥栄中とはちょっとのご縁はあったのです。

今回も京都へ行くといっても、お寺とお墓だけ、丸山公園あたりを散策しての日帰りです。  藤江もと子

 

* 万年先生は、わたしの中学二年生の時に、すでに弥栄校の先生であった。図画の橋田二朗先生と仲良しであった。お二人とも一学年上、三年生の担任で、橋田先生は四組、万年先生は二組を担任されていた。なぜ記憶しているかというと、万年先生の二組には、わたしが運命のように出逢った人がいて、その座席のある窓を憧れ、いつも見上げていたから。

それだけでなく、万年先生は、(簡単に潰れたけれども)演劇部を起こされ、わたしものぞき込みに行って、なんだか歌舞伎劇めく台本、「桐一葉」のようなののセリフを読まされた。なんだかそれらしく、ということは当時敗戦後の新制中学生では珍しい、変なワザを演じてみせ、先生を少しは唸らせたこともあった。「ボウズ」であることも知っていた。だが、橋田先生とは違いあまりそれ以上の縁はなく、むしろ万年先生の方で早く学校から姿を消されていた、かも知れない。

2004 11・23 38

 

 

* 広東語のクラスは、生徒が四人です。声調と発音の練習をしています。わたしたちが「こんにちわ」「ありがとう」なんてフレーズを限り無くゆっくり発音練習していると、仕切りの向こうでレッスンしている普通語のかなり上級らしいクラスのベラベラ喋る声が聞こえてきます。

先日は、よく中国の家の玄関扉に貼ってある「逆さ福」の意味を教えてもらいました。日本では、逆さってよくない意味になりますが、どうしてなのかと疑問に思っていました。

風は、笠間にいらしたとか。脚の具合はよろしいのですか。  花

 

* 十分気をつけながら勉強して欲しい。

 

* 「大きすぎの警告」はやはり画素数が多すぎのせいだと思います。さて、小さくするには? わかりません。(簡単な筈ですが。)六義園の「二枚」は残念ながら受信できておりません。  千葉E-OLD

 

* ま、ぼちぼち、いろいろ覚えるだろう。

 

* 夜前に、二人の卒業生のメールをもらった。

 

* 最近は嫌な事件が多いですが、お変わりはありませんでしょうか。ちょっと間が空いてしまったためメールするきっかけを逸していました。

社会人になると時間の経つのは速いと聞いていましたが、本当にそうだなと実感しています。なんだかんだでもう社会人5年目の後半です。

仕事には特に変わりないのですが、半年ぐらい前からジムに通い始めました。ちょっと体重が気になりだしてのことですが、現状維持ぐらいにしかならないみたいです。ただ、すぐに風邪を引きやすかったのが最近、薬にも病院にもお世話になっていないので、まぁ効果があったのだろうと自分を納得させています。

機械の具合、順調そうでなによりです。ただ、最近のパソコンはこれといった新しい機能が出てきていないので、今ひとつ興味が薄れてきています。  湯島

 

* パソコンもテレビと煮たような軌跡で社会の表面からは無くなりはしなくても、他の開発技術に大きく取って代わられて行くとは、もう早くからさすがにペンの電子メディア委員会創設者で委員長を勤めた、耳にも目にも、繰り返しはいっていた。NTTコミユニケーションのこの君は、もうよほどの先を歩いているのだろう。西武の松坂大輔投手がこの君に感じがよく似ている。松坂が逞しくなって行くのをブラウン管でみるつど、思い出していた。よく風邪を引いていたが、元気で、嬉しい。

 

* もう一人の卒業生君は、やはり心身の調子が優れぬまま、社宅からも家からも離れて独立の再出発をはかろうとしている。ながいメールのどこかしこ、しっかりと云いたいことを適切に伝えてきていて、わたしはその文面からは、君が芯の所できちっと自身を統御していると信じられた。苦況にあるのは確かでも、少しも眼を背けたりしていない。目標への視野と足取りとに計画も調おうとしているし、言葉を飾って自己弁護している風も少しも感じない。

わかりよく云ってしまえば、たんに就職した会社での生活が君との間で不適応だっただけのこと。再起は可能とわたしは感じたままを、此処に書き留めておく。

2004 11・23 38

 

 

* 「ふつうのくらし」 淡々と自然に、子どものこと 孫のことなどを描いていますが、その中に筆者の広いものの見方や人柄が表れ、温かく伝わってきました。

先日見たテレビドラマ「たった一つの宝物」に、ダウン症のかわいいお子さんたちが出演していました。何年か前にアメリカではドラマにダウン症のお子さんが出ていると聞き、進んでいるなあと思ったのですが、今の日本でも本当に普通に受け容れられるようになってきたのだなあと思いました。少しずつノーマライゼーションの方向に進んでいるのでしょう。

とはいえ、世の中の偏見は全くなくなることはないでしょうし、障害を持つお子さんのお母様が疲れていらっしゃるのだな、と仕事を通じて感じることは多々あります。特に離婚に至る例も少なくなく、そういったお母様の心の支えになる仕事をしたいと思っています。

私自身のくらしは ふつうのくらし には程遠いような気もしますが、限られた時を心身ともに健康に過ごしていきたいと思っています。  波

 

* ありがとうございました。

> ざっと読み通しまして、「e-文庫・湖(umi)」に置いてみました。誤記などがあるかも知れませんが。

先程から「e-文庫・湖(umi)」の方も読みました。細かく見ていただいたことが良くわかりました。

> 説明というのは、学術専門的なことでなく、たとえば 杉並 と読んで東京の杉並>区と分からぬ人も全国にはいなくもない、円山公園といっても京の円山公園とは分からない人もいる、悲しいにも嬉しいにも元気にも、微妙にいろいろ差がある、そういう何気ない隅々で、書き手や登場人物の心情や人となりや様子が自然に匂い出ると、文章は共感を誘い出しやすいという、そういう意味です。遣りすぎてもいけない、無くていいものでもない。そういう意味の説明です。説明ではなく表現なんです、それが。

読み手にわかるように、遣りすぎでなく、不足なくという意味も、具体的に、わかりました。成る程と。少し”実際”とは離れたかな、と思うところもありましたが、正確にそのままよりも、この方がより本当に伝わる(絵でもそういう事があります)ということもわかりました。

自然に匂いでる—-ところまで行けば、本当に素敵ですね。

やっと、少し文章の書き方がわかり始めた私としては、全てこれからが勉強なのに、書きたいことを大体書いてしまって当分は種切れ—–困ったなあ。

> 四つ、いいモノを書かれました。敬服します。  秦 恒平

過分なお言葉です。ただ、ありのままを書いただけです。感謝しております。

来る12月26日で息子も30才になります。良い記念になりました。 2004/11/23     藤江もと子

2004 11・23 38

 

 

* 秦さんのアドレスをお借りして。

「波」様へ             藤江もと子

わたしの「ふつうのくらし」に感想をお寄せ下さって感激しています。

そして先のテレビドラマ「たった一つの宝物」と結びつけて読んで下さったと知り(さすが視聴率30%!)、こちらは予期していなかったので、そういう読み方もあったのかと驚きました。

私はあのドラマの制作に全面協力した日本ダウン症協会(JDS)の古くからのメンバーで、10年来事務所で電話相談員をしています。

私達相談員も脚本の段階から読ませてもらい、意見も聞かれました。なにより驚いたのは、会を通じてダウン症の子役や運動会シーンのエキストラを募集したら、テレビ局が困惑するくらい沢山の応募があり世の中変わったんだなあと思いました。

アメリカのテレビに出ているクリス・バーグや、カンヌ映画祭「八日目」で主演男優賞をとったパスカル・ディユケンヌにも会った事があるのですが、二人とも”れっきとしたダウン症”のナイスガイで、チャンスを与えればこんなに活躍できるのだと確信しました。日本もこれからです。

仰せのように辛い思いをしているお母さん、疲れて居るお母さんも多いです。それで、私達ちょっと先を行く先輩が”しろうと相談員”をしているのです。

離婚するカップルも確かに多いです。順調なときには、なあなあで済んでも、困難な事態に出会うと夫婦は試されるのだなあ、と感じます。

「波」さんは福祉関係のお仕事をしておられるような気がします。

どうかみなさんの力になってあげて下さい。

何かお役に立てそうなことがあったら、JDSを思い出して下さい。

HPのアドレスを書いておきます。(PRです。)  http://www.jah.ne.jp/~jds97/   2004/11/24

2004 11・24 38

 

 

* 眼科、まずまずでしたのね、よかった、よかった。四時間も寝ていないのが、いけませんね。わたしなど昨日お風呂に入って、悩みなんか脇に置いてすやすや眠りましたよ。ただの神経鈍感か・・!

今朝はもう一度お風呂に入って、シャンプーして、カモミールの泡風呂にして鼻歌歌って、洗濯して掃除して、そしてメールを書きました。暫くメール以外書かなかったことの反動で、書きたいことがありすぎて困ります。自分を冷静に判断するのは、ましてや批評するのは大変なこと。ゆっくり書いていきます。  鳶

 

* 医学書院の上司であった畔上知時さんから手紙が来ていた。長谷川泉さんの体調がよくないと。心配。

 

* チェコまで遊びに行ったという卒業生君からも。クリムトやエゴン・シーレを観てきたという。あまりに知られたクリムトの接吻の絵葉書だ、絵画の好みが拡大してきている。

 

* 卒業生達からも読者からも、何人も、逢いたい・逢いませんかと声がかかってくる。ありがたいこと。

 

* お疲れ。  検査というのは、いやなものですが、視力を失うのはもっと最悪です。

緑内症(後に分かったこと)だった父は、ガンコに医者キライの為に手遅れとなり、二十五年間を全盲で過ごしました。

何時の間に観ていたのか、岡崎の美術館で観た上村松園の絵が、そりゃきれいやったで、と失明後何度も聴かせてくれました。美しい絵と好きでよく出かけた京都奈良の神社仏閣の景観が脳裡に焼きついていたようで、それがせめてもの慰めでした。傍で世話をするようになってからは、京都案内のテープをよく聴かせました。

全盲は、本人は然る事ながら、傍で面倒をみる者の手間が数倍かかります。

当然、歯医者もキライ、一枚も抜歯をする機会の無かったのが、後には幸いして、根の部分が全部残っていたので、噛む為の苦労がありませんでした。差し引きゼロ。

私の場合は聴力に問題があって、何度も検査を受けたので、いやな気持ちは充分に理解出来ますが。 泉

2004 11・25 38

 

 

* 瞼をほとんど閉じたまま、昨夜もいつものように過ごして、就寝のときまで仮眠もしなかった。八、九時間は寝たろうか。曇り空らしい、冷えている。マウスを握る掌がはじめて冷たかった。

 

* 心地よい眠りでお疲れがとれますように。

あなたが不完全に見えるのはあなたが不完全だからではなく

あなたが成長しつつある完全だからだ……

不完全でいて成長し続けなさい

なぜなら、それが生というものだからだ   バグワン

変な引用かもしれませんが、励まされた気分になりました。成長し続けたいと祈ります。  眸

 

* 当然にも、バグワンは、時により場合により、まるで反対のことを同じ言葉で言っている。語義の整合的同一に執着するのは浅い科学的認識や判断では不可欠だろうが、「ウソも方便」「人=ニンを観て法説け」というように、より本質の世界では言葉の整合性にさほどの意義も重みもない。それゆえに粗忽にそういうことに躓くばかりで、奧へ奧へ入って行けない人のほうが多いのは、あたりまえのこと。釈迦やイエスやバグワンの言葉の揚げ足をいくら取ってみても何のタシにもならない。

この人は、「不完全でいて成長しつづけなさい」と引いているのが、真意においては「完全でいて成長しつづけなさい」なのだということも、大切なバグワンのポイントだろう。「あるがまま」に人はもともと完全なのだが、人は気付いていない。不完全から完全へ歩んで行くのではない、完全なままに成長して行く。人はただ、もともと与えられ備えている「完全」を「不完全」としか観ていないだけのこと。ブッダやイエスと同じ完全をもちながら気付いていないのを「不完全」というなら、そう謂うてもよいだけのこと。「気付く」「覚める」「enlightenする」か、しないか、しか差はない。

バグワンをわたしは「言葉」として読まない。ただ聴いている。聴くために音読する。聴くとは「聴す=ゆるす」意味。なにをどう聴すのかは分別しない。ただ受け入れる。バグワンは激励しているのではないし、スローガンや目標を投げ与えてもいない。例えて謂えば「気付く」べく「覚める」べく揺さぶってくれている。

2004 11・26 38

 

 

* 眼のお具合、心配なことないようで、ようございました。ご無理をなさっているからでございましょう。おたいせつに、お眼をいたわられてと、申しましても、それがおできになれようともおもわれず、お案じ申しあげるぱかり。

わたくしも眼の検査をしてきました。目先に煙がもやもやする飛蚊症は、たぶん、二十代のころからだったとおもいますが、いきなり、眼の前に鉛筆ほどある黒いものが二本、くっきりあらわれたのには、びっくりいたしました。最初は、壁にこんな汚れがついて、と、おもったほど、あざやかなものでした。

ほんの数時間で、目先を離れぬ黒い影はうせましたけれど、近くのお医者さんに診てもらいました。異常なし、と、無罪放免されました。ほんとうに、どうもないのかしらと、どこか、不安が残っています

ずっと、「闇」に置いていってくださっている荷風訳の詩に助けられていました。面白からざることがありました。いやなものを飲み込んでしまいました。ジグソーパズルをしてあそびました。都忘れの株分けをしました。著莪も植えかえました。グレン・グールドを聴きました。もとにもどりました。

ディスプレイのねこ、わたくしも欲しくなりました。器械のセンセイに問うたところ、あのねこは、ウィンドウズ向きなので、マッキントッシュには来てもらえないと言われてしまいました。かわりに丹頂鶴を送ってくれましたが、この鶴、勝手にディスプレイの中を気取ってあるいたり、翼をひろげて飛んだりしています。わたくし、やっぱり、ねこが欲しい。  香

 

* この「MAUKIE」とか云う白いソックスの黒ねこは、どうやら、長期滞在はしてくれない。しばらく経つと出てこなくなる。また取り込める道はある (らしい、成功したこともある)のだけれど、また十日もすると現れなくなる。

2004 11・26 38

 

 

* 湖の本、ありがとうございました。お礼が大変遅くなりまして申し訳ありませんでした。

今頃になって、ゆっくりと先生のご本を拝読しております。お礼だけでももっと早く申し上げるべきだった、と思っております。本当に失礼いたしました。

今回、絵についてのご対談を複数含めていらっしゃいますね。

この仕事も7年目になると、どうしてもそこのところに興味が捉われがちになります。特に絵巻物に絹本が少ないとのご指摘は、目から鱗が落ちるようでした。開いて閉じて、の実際の使用を考えると、確かに紙本の堅牢さが優位に立ちます。

では、なぜ、それでも絹本を使ったものがあるのだろう、と、しばし考えてしまいます。先生達はそれを「豪華な貴族趣味」とさらりと流してらっしゃいますけれど。

確かに一遍が絹本にされているのには、そういう面が非常に大きいような気がいたしますが、それよりも「名所絵巻物」というご指摘に「あっ」と思いました。

信貴山や伴大納言のような事実の伝達ではなく、名所の素晴らしさの伝達という目的ならば、絹本の色の美しさは実に効果的ですよね。絵描きがものを描く時の「いかに描くか」の一部に、必ず「どんな材料が効果的か」が含まれていると思います。

そういう意味で、材料屋から見る日本の文化は、本当に興味深い。

その材料屋が、最近興味を惹かれているのは、「豆糊」です。

ご存知かと思いますが、延喜式などに「糊料」として大豆が挙げられております。実際に平安期あたりまで文書の紙継ぎの部分に赤褐色の接着剤が使用されている例は多々あります。これが本当に豆で作られているかどうかはわからないのですが、鎌倉期の声を聞くと、この接着剤は雲散霧消します。全然見当たらなくなるのです。そしてそれ以降豆糊は復活せず、製法はわからないままなのです。

この突然の変化はなぜなのだろうか?

伝統的に文書修理に使われてきている小麦デンプンは、水を与えると剥がれやすいのですが、豆糊と言われている赤褐色の接着剤は何(どう)しても剥がれません。これがタンパク質、特に豆由来だと言われる所以なのですが。

こういう強固な接着力を持つものがどうして使われなくなったのだろう? やはり再修理が不可能だからだろうか。ならば、かわりに台頭してきた接着剤は小麦だろうか。

それは鎌倉の禅料理の影響があるのだろうか。お麩を取るようになれば小麦デンプンが大量に余るようになりますから・・・そして、この赤褐色の接着剤は本当に豆由来なんだろうか?

確かにその接着剤を分析するとタンパク質は存在しますが、実は小麦や米も精製が悪いと(昔はたいてい、精麦、精米は悪かったですよね)タンパク質が含まれます。それとどう違いを確認するのだろうか。

そして、それを確認するのに、現在のリッチな大豆をベースに実験してよいのだろうか。

などと、いろいろと手探りで進めている最中ですが、やはり日本の文化の小さな一側面を掌の中におさめようとする作業は私の中で大きな喜びです。

今まで他の糊料、小麦デンプン糊や古糊、そして海藻の布海苔(ふのり)など、伝統的な糊料を旅してきましたが、今、もう一つの山に登ろうとしています。いえ、正確には、登る準備をしています、というところかな。

珍しく研究の内容を長々とお話してしまいましたが、先生ならば面白がって下さるかな、と思いまして。

退屈でしたら申し訳ありません。

長い間、仕事と子育てとを秤にかけて、ともすれば子育てに分銅が落ちがちで「仕事を辞めよう」と、何かにつけて思っていたのですが、最近ふと、両輪ないとダメなんだ、と気づきました。

子どもといる優しい時間があるから、自分がやわらかく掘り起こされますし、仕事という山登りができるから子どもを自分の登山の道具にしないですんでいる、という事実。

平成12年12月12日生まれの娘は、もうすぐ4才になります。母親にあまり似ず、健やかに育っている姿を見て、逆にようやく自分を肯定できた私がいます。

紅葉が美しい時期ですが、明日あたりから寒さが強まるとのこと。

どうぞどうぞご自愛下さい。   鎌倉市

 

* ウーン、すばらしい。こういうメールに深く触れると、しんから温かく力強く嬉しくなる。「糊」の話は、以前にもこの東工大院卒の友人に聴いたことがある。いま、あらためて、対談集で望月信成先生と語り合っていた「一遍聖繪」という具体的な絹本絵巻の話題から触れ直され、ポイントがいろいろ指摘されてみると、興味津々。なみなみでない話題であり課題であり、前途にたのしい展望が期待できる。東工大生が電気や機械や建築や物理や数学だけの大学でないこと、今更に感じ入る。

この「卒業生=お母さん」のこんな「今・此処」にも、強靱に、しかも「ふつうのくらし」を成しえている好例をわたしは感じて、これが健康というものだ、と、感心する。斯くありたいと、と。

妻で母で主婦でありながら、家族や家庭に殉じるような生活へめりこんでいない。自分の世界とテーマとを仕事としても確保し、それ故にかえって両方渾然とした「ふつうのくらし」を築いている、築こうとしている、確立すべく。幸福な生き方である。

自分の心身の自由と健康を、家族や家庭にいけにえのように捧げて、それが尊いことかのように奔命している男の人もいれば、女の人もいるけれど、滅私奉公、えらいですねとは簡単に云えない。むしろ痛ましいと感じる場合も多い。

2004 11・27 38

 

 

* けふあすは雪がこひする越後かな     オソマツ。

思ったより晴れず、先程から冷たい風が吹き荒れています。木枯らし一号と、午のニュースは告げました。

昨夜、寝床に入った頃から颱風のような大風で、収まると雨になり、まどろむこともできずにいました。それも夜更けには上がったようで、暴走族がバイクをふかしてゆきました。

昨日、市川笑三郎さんのラジオ番組にゲスト出演なさった、劇団テアトル・エコーの納谷悟郎さんが、「俳優として一番大切にしていることは」という問いに「いま、生きていること」とお答えになりました。昭和ヒトケタ生まれの納谷さんは、こんなにも体力が衰えるものかと思うと苦笑いなさり、

「けれど」。

「年は取ったけど、俺はプロの現役だッていう心構えでいるよ」とおっしゃいました。 雀

 

* ハイ、ありがとう。露骨に云われると辟易するが、こう優しいと、こたえる。

 

* 寒い寒い。ホットカーペットに坐っていると眠くなってしまいます。風は、お元気。 花

 

* 今夜はわたしも眠くてもうもたない。学会で鶴見までと思ったのも断念した。出れば食べて呑んでしまう。良くないに決まっている。睡眠が一の薬だ。みづうみに沈透(しず)いて眠る。さっきまで月光、情熱、悲愴を聴いていた。階下ではウッディ・アレンの「マンハッタン」を観た。眠い。

2004 11・27 38

 

 

* 穏やかな日曜日です。朝から服の虫干し、いらないものの整理、掃除などに奔走、くたびれて器械の前に座ったところです。藤江さんへのお便り、まだ書けていません。

「しなければならないのにできないこと」「しなくてはならないこと」を、今日はあえて捨て去らず向かい合いながらの休日にします。

こんな日ふらりと海峡に向いたいところなのですけれども、少し家の内外がさっぱりしないと、日々気持ちがすっきりしないので、今日はできる限り今年遣り残してきたことをこなしていきたいと思っています。身の回りの整理ってよほどエネルギーのあるときでないとできませんね。「分別する」「捨てる」「収納する」という判断、体力、さりげない「ふつうのくらし」の中のことですが、日ごろ十分にできないことです。

日差しがもう少し高くなったら、庭にチューリップの球根を植え、パンジーを植えようと思います。彩が、また迎える忙しい日々を和ませてくれることでしょう。

あえて黒いピンを抜こうとしない休日もよいものかもしれない、と、時間の使い方だけはわがままに ぜいたくに 気の向くままに動いています。  波

 

* 園藝というか花を育てるのはさぞ楽しいのであろうと思う。妻も花が好きで、家が狭くなるほど植木も買い込む。いまはトイレに、名も知らないとても佳い花が二種類、無造作に長細いギヤマンふうコップに挿してあるのが、挿し方もよろしく、とっても美しい。古くなってきた家で、わたしは手洗いがいちばん落ち着いて好きな場所になっているが、生け花がきれいだと気の和むこと言い尽くせない。

我が家の一番大きな植木鉢は、むかしわたしが衝動買いして帰った小さなパキラだったが、今や鉢も八度も十度も大きく大きくと取り替えてきて、家に入れると天井に触れる。しかし寒さに弱い木だから冬場は出しておけない。狭くるしい家の中で大きなパキラの鉢が場所を取ってかなわないが、部屋の中が緑に潤むようなのも、ま、佳いではないかとまさに温存している。

2004 11・28 38

 

 

* 快晴でもうけものみたいな月末。ちょっとヤモリで、日曜日。

皐の剪定、アイロンがけも終り、家事は最低線にして、のんびりと。

メールの整理をしていて、数少なくても、味わい深い長文で、削除していない***ちゃんからの何通かのメール

は、必ず「ではまた」で終わるのに、気づきました。会話でなら、「ほな、また」「ほんなら、また」でしょう。

晩秋、三条白川橋辺りから東山を見上げて、紅や黄に染まる姿を住んでいた頃には気も付きませんでした、というより、当たり前の景色だったのですね。

そろそろ京都も閑かになる筈。泉涌寺と白川へは駆け足でもいいから行きたいナ。

京都の友人から、ちょっと気の滅入る電話がきて、同情のふさぎでいます。 ほんなら また  泉

 

* 京都が好きかと問われれば、好き嫌いでなく、「とても無視できない」と返辞するだろう、今は。それにもかかわらず、やはり京都の文物にも自然にもこころから惹かれる。上のメールの泉涌寺にはわれわれの高校があったし、この人には実家の菩提寺もある。そして白川の少し上流と下流とに少年少女のひとときを暮らしていた。湧き上がるようにこの二つの座標からでも京都の美と自然とは宝庫をひらくように蘇ってくる。故郷とは誰しもそういうものだ、わたしの場合その上に「歴史」への親昵がある。歴史の多くの場面に、今のそのままではないにしても、多くの場所、地名、寺社、山や川や、景色が目に見えてくる。

昭和十七年の国民学校の校庭には、木曽義仲の愛妾山吹御前の遺塚が巨きな椋の樹の根方にあった。東海道五十三次上り終着の三條大橋はもう間近で、高山彦九郎銅像が御所を遙拝平伏していた。新制中学の校庭裏門から一分も歩けば崇徳院の御廟が祇園の茶屋町に埋もれるように隠れていた。手の届くところに祇園会の八坂神社(=ぎおんさん)や元号寺の建仁寺(=けんねんさん)があり、歌舞伎発祥の鴨河原や南座へは三四分。高校は、皇室歴代の御寺泉涌寺や多くの御陵と、東大寺・興福寺を合わせた体の伽藍壮麗、九条家藤原氏の東福寺とに囲まれている。東福寺には現存最古の三門や書院造など、またみごとな金堂、僧堂、方丈・通天橋・塔頭群に、莫大な文物や名園を抱え込んでいる。

こんなことを克明に云いだそうなら、たいがいよその人にはイヤがられる。が、ありがたいことに、言い合えて両方で飽きない京や京好きの人達も、また、有って救われる。

2004 11・28 38

 

 

* きよみづ  若向きの雑誌で、米朝さんが大阪に清水寺があるとおっしゃるのを読み、先日、文楽を観たあと、

地図片手にまいりまして、びっくり。京の清水さんとそっくりに、坂も、三筋の滝もありますのね。浄衣を身につけた女性が滝に打たれてらっしゃいました。

織田の碑がある口縄坂から始めて、愛染堂の有名な葛がからみついた桂の木、逢坂の合邦辻、「天神山」の狐ならぬ人懐こい猫が迎えてくれた安居天神、一心寺、四天王寺まで、地下鉄ならわずか一駅。(藤原)家隆さんの塚は分からずに終わりましたが、黄昏時の夕陽丘界隈逍遥はたのしかったですわ。

坂だけでなく、井戸も七つあるそうで、観音さんも、清水寺の千手さんに、京の楊谷寺支寺の柳谷観音さんと、何人かいてはります。

観音さんといえば、名張市と室生村の境を流れる川沿いに、十一面観音を訪ねた折、いずれも三方を山に囲まれた、滝谷、竜口、龍口といった地があり、百地三太夫の生家がありましたの。先日、そこがNHKの番組に取り上げられ、十九代目という男性が案内なさった座敷の、床の掛物は、「龍蛇神」でした。

新聞連載の「高野聖」が終わり「夜叉ヶ池」にかわりました。引きずり込まれるこわさと、ゆらゆら溺れながら沈んでみたい、きよみづへの憧れが、心の中に交ぜ織になっています。  雀

 

* この人に案内をたのんだら、どんなところへ連れて行かれるだろう。「きよみづへの憧れ」といつた表現は、清水寺といった現の証拠をはるかに超えて「水屋海の世界」へ繋がれている。こういう感覚を、この人はわたしの文学世界からほぼすべて手に入れ、こういう彷徨と遊行とに近年身をまかせている。おそらく「同行二人」と胸に刻んでいる気かも知れない。

ここへ飛び込もうなら、「政冷経熱」だか「冷政熱経」だか知らないが、日中首脳の鞘当ても六カ国会議の停頓もこれぞ煙のようなはかなさとしか思われなくなる。凄い。

2004 11・28 38

 

 

* 明日でもう霜月も尽きる。忘年会月に入り、わたしは下旬には六十九になる。ガキのような精神年齢でいまだにウロチョロしているわけだ、お話しにならない。

 

* テレビで「柳生武芸帳」というドラマの再放送がはじまりました。今より十歳くらい若い幸四郎が柳生宗矩でした。先週までは、勘九郎が秀吉を演っているドラマを再放送していました。勘九郎秀吉が亡くなり、これから関ヶ原の合戦がはじまります。この時代の出来事のあった地名を聞くと、あの辺か、と(此の住所から)身近に想像できるので、おもしろがっています。

忍者も出てきますね。小学生のとき、忍者になりたいなあ、と思っていて、隣の家のブロック塀から飛び下りる練習をしていました。(家には塀がなかったので。)  花

 

* 柳生はお庭番(忍者・間者)支配でしたから。花のいるところは忍者の巣の伊賀甲賀に隣接していますし、柳生も間近です。柳生へは行ったことがないのですが、わたしには父方の母方(祖母方)を経て柳生の里の血が来ていると聞いています。  風

 

* 塀から飛び降りる練習とは。「女坊ちゃん」みたいで思わず笑えた。

2004 11・29 38

 

 

* 映画は何をご覧になっているでしょう。

ジャンヌ・モローは粘着質のようで、私もあまり好みではありません。あの手の大人の女、カトリーヌ・ドヌーブ、あるいはミッシェル・モルガン、マレーネ・ディートリッヒ、アルレッティなどは日本では大スターになれなかったかもしれませんね。

本質的にはかわい子ちゃんの好きな日本の男性には、扱いかねるような凄味があります。温かく包むというよりじんじん痺れさせるような感じ。でも、ちょっと彼女たちに憧れて、羨ましい。あんなコケットリーで強い女にはなれませんから。  春

 

* 「マンハッタン」「座頭市」を観ました。どっちもどっちでした。

ジャンヌ・モローだけが、好みではないので、マレーネ・ディートリッヒも、シモーヌ・シニョレも、ミッシエル・モルガンも、グレタ・ガルボも、カトリーヌ・ドヌーヴもみな好きです。ジャンヌ・モローは顔つきと歩き方が嫌いなんです。

日本でもやはり根強いフアンがいて、みな、やはり大スターでしょう。「本質的にはかわい子ちゃんの好きな日本の男性」かどうは知りませんが、「本質的には」の意味も解しませんが、わたしの好みは広いのです。捨て身になれる情の深い女達です。ただのコケットリーなんかでない。ほんとうに強く、冷たくも熱くも燃え上がれる女達が演じられて、ウソつきのようで、ウソがない。溢れ出る女を感じさせます。憧れる気持ち、少し分かる気もしますが、春とタイプはやや違うのではないですか。  冬

 

* コケットリーとはフランスの女性が一番喜ぶ褒め言葉と何かで読んだことがあります。日本の女性の褒め言葉にはこういう表現はあまり使いませんね。文化の違いかもしれません。「捨て身になれる情の深さ」は一歩間違うと清姫みたいになる、そこがぞくぞくしてコワイです。ちなみに、冬の分類によると春はどんなタイプなんでしょう。これは分別や判断とはべつの軽いお話として興味津々。

京の二枚舌、二枚腰のお話とても面白く読みました。フランスの外交は百枚舌と言われていますが、日本政府はむずかしい外交交渉にはぜひ京都出身の外交官を重用すべきと思った次第。昔、知り合いの欧州人に日本人はとてもオネストで善良な人たちだと言われて、褒め言葉を装った一種の侮蔑だと感じたことを思い出しています。 春

 

* だから冬は安易にほめそやすことをしないのです。褒め殺しは罪深いのです。よく謂います、厳しい批評には好意がまじっている。甘い褒め言葉には猛毒がひそんでいると。褒められたら忘れ、けなされたら、いい意味でこだわれ、と。  冬

2004 11。29 38

 

 

* 北京から大同までの夜汽車のなかで、清岡卓行さん、辻邦生さん、大岡信さんと四人で寝台車を割り当てられていた晩、パリの生活をしている三人の、談論風発のヨーロッパ女性論を、女性そもそも論をそばで聴いていた。あの中国訪問の旅ではわたしは耳を開いて傾けることを自身に課していて、話の中に割ってはいることなど少しも思いも願いもしなかった。

その時、彼等の会話の中で女性への男の姿勢として最もハバを利かし、いかに大事なことかと「結論」されていた語彙は、「ギャランティ」(また「ギャラントリィ」)の一語だった。それに「尽きる」とされていた。わたしの聞き違いや誤解であった懼れも無くはないが、ふつうは「保証」を意味するこの言葉からにじみ出すもし別意があるとなれば、拡大し強調して女の「コケットリィ」に対する「愛想・世辞・称讃による保証」かのように感じとれた。辻さんも大岡さんも、佳い意味でそういう愛想や世辞や称讃の上手な紳士であったから。

そう勝手に聴き取りながら、わたしは、自分が、女性にむかいそういう保証はむしろ意識して「しない」方だと、内心、おかしかった。

おそらくわたしの方が間違っているか極端な少数派であるのかも知れない。男尊女卑でそうしないのではない。それどころか、そんな「コケットリイ」に対する対価かのように「ギャランティー」を大事に発行する方が、女性蔑視といわぬまでも、軽視に近くはないかなあと感じてきた。

たしかにむやみと「褒めて貰いたがる」女の人はいる。褒められることが好かれたり愛されたりしている「保証」かのように思いこんでいる人だ。だが、まったくそうでない女の人もいる。

女性は子供でも家来でもない。「褒めて育てる」などと思わない。お互いあるがままに向き合うのが自然な男女では無かろうか。

 

* 読んでいた本、高田博厚の『分水嶺』から、なんとなく気になった所を書き写してみます。

『私がフランスに帰ってきて、直面したものは、その知性者間に唱道、というよりむしろ絶望に近く求められていたものは、「精神の独立(アンディバダンス・ド・レスプリ)」だった。主義主張のちがいを問わず、クローデル、モーリアック、アラン、ヴァレリー、コレット、コクトー、モーロア、デュアメル、ジュール・ロマン、ヴィルドラック、サルトル、カミュ、世間──彼らはすでに世間に出ていた──劇団のコポー、ベルナール、ジューヴェ、デュランたちも加わっていた。これは社会運動でも、多数の加盟を求める宣伝でもない。「知性」というもの、「精神」というものの存在のしかたを示そうとした、「理念行動」である。これが政治的、社会的に勢力を得ること、「大衆化」することではない。どのような社会変革があっても、存在しつづけてきたフランスの「伝統精神」、そしてそれが「文化」を築きあげてきた「精神の独立」であった。──フランスばかりでなく、ギリシア精神とキリスト教信仰に育てられてきたヨーロッパ文化では戦後の今日でも、日本のように「文学」が安直な大衆化はしない。「文学」は文学であり続ける。これが本当の理念の「自由」なのだ。』

冬のほうがはるかによく理解し実践なさっていることなので、こんな抜き書きは恥ずかしい。ただフランスにおける知識人の地位と日本やアメリカの知識人の力のなさなど思われて、少しため息がつきたくなったのです。 春

 

* これはまたあまりに、古証文。フランス派というか欧州体験派には、ひところこういう意見の開陳が多く、すくなからず日本では空回りしていた印象が深い。日本と日本人の精神風土と歴史とに根の下りていない、ヨーロッパ体験の直移植はあまり実直な成績を上げたことがない。謂われていることは正論でやすやすと肯いていいのだけれど、こういう議論の出て来方には、本当に日本の風土と歴史と暮らしの中で苦しんだり悩んだりした人達には、あまりに上澄みの軽薄さがあった。根付いて何が生まれたかを思うと、心細いのである。

こういう感想と引き比べると北村透谷や中江兆民や木下尚江らの鬱屈には西欧文明の摂取の浅さにもかかわらず、苦悩と実感の根が日本人の内部生命にしっかと下りていた。

上げられている外国主義者達には、日本人の自由を親身には考えた形跡がない。ヨーロッパの自由に較べて日本は何だかだという簡単明瞭すぎる批判しかない。

 

* こんな気楽な口説には長くは立ち止まれないが、昨日もバグワンに叩きつけられた叱責には参る。

「あなたは何でもかでもやってのけられるというのに、何もしないということだけは出来ない」と。

何もしないで生きることのどんなに難しい、怖ろしいことか。だが何もしないところへ達しない限り、本質の自由自在へも到底達しないだろうとは感じている。退蔵の難しさ。わたしが当面している最大の難関は、「何もしないで生きる」厳粛さに真実立ち向かえるかどうか、だ。

2004 11・29 38

 

 

* 休んでいた電子文藝館の歳末委員会、招集をかけたが、ちょっと急過ぎた。欠席通知がつづいて先行したので、新年にユックリがいいと、思い切って中止を通知した。たしかに暮れは気ぜわしい。

この週末にも、上京します、逢えるか、とメールが来ている。E-OLDと呼ぶにはお気の毒な、E-FRIEND。一献をさて何処で傾け合うか。

2004 11・29 38

 

 

* 思い切って高尾山あたりまで遠出の紅葉狩して、あの辺で山鳥の料理で地酒をたらふくのみ、温泉でもさっぱり浴びられれば一緒に浴びて元気に背中の一つも流しあって来れればよかった、が、ただ街なかで食いは食ったが、ぼそぼそと気勢の上がらないお喋りだけして、話題も尽き別れてきた。気の毒だった。

しやつとしたこそ(若い)人は好けれ。

あさっては、また遠来の友人と逢う。たまにはこっちが励まされたい。

 

* いよいよ枯木寒鴉の季節。なにもせず、みじろぎもせず、雪を身にうけ寒風に曝され枯木にとまって。見た目にもさびしい境涯だが、「今・此処」とはそういうもの。鴉はカアと啼く。わたしは、鴉だ。

2004 11・30 38

 

 

* 昨晩短いメールをやっと送れましたが・・。枯木寒鴉と嘆くなかれ、寂しい境涯と嘆くなかれ、「今、此処」を自然に生きること・・これはわたくし=寒鳶に向けてのエールでもあります。

温泉、熱海くらいしか知りませんと書かれていて、まあ、と思わず笑いました。今までそういう余裕、気持ちの上での余裕どころでなく走って生きてきたのかしら。

世の中は太平楽の温泉ブームで、時折テレビでも特集番組があります。熱海は貫一お宮はいざ知らず、現在はやや落ちぶれた雰囲気になっています。もっともわたしも温泉を目的にした旅行はあまりしたことはありません。ゆったり温泉気分は大好きですけれど。

ことしのワインは、フランス展で買ったチーズと楽しみました。わたしにとっての幻の白黴チーズ・・フランスのマコンという小さな町で食べたもの・・ではありませんでしたが。HPにボジョレ・ヌーボーのことを数回書かれていて、わたしは嬉しく読みました。

日々の暮らしに戻ってベランダで孵った鳩がまだ時折に姿を見せるのを楽しみ、携帯電話の会社からDVDが当たりましたと連絡があって喜んだら、買い換えたばかりの車に、鹿、何と鹿ですよ、が当たって車はかなりへこみ、鹿は可哀そうに死んで・・山の知人が解体して、その少量の肉が我が冷凍庫にあります。

渋柿の皮を剥いて今朝は外に干しました。

今週は用事で三回も出かけなければなりません。本も読みたいのですが。

鴉君、元気に過ごしてください。 鳶

 

* 枯木寒鴉 は、絶境の「今・此処」像です、理想というか。ネガティヴなものではなく、優れた画家たちが佳い繪をのこしています。ウソもマコトもない純な世界です。孤絶とみえてそうでなく、多彩な背後を秘めていると想っています。

 

* 花は元気。今日も暖かく晴れています。明日もお天気みたいです。今年の冬はゆっくりやってくるようですよ。

2004 12・1 39

 

 

* 水仙の蕾を一輪みつけました。

寝付く程ではないのですが、茜色の陽光が、部屋の奥を覗くような時刻になっても片付かない、書きさしの紙片、読みさしの本に、今日いちにち何をしてたのかしらと溜息をついて積み上げて仕舞う、不調の日を送っております。

十一月いっぱい有効という宿泊券を無にいたしました。宮津への旅、頓座。留守にするための準備と、気疲れに負け、最後は体調に負けました。

八月一日のお江戸行きを体調不調で泣く泣くあきらめたあと、芝居が二本、演奏会が一本、まったく好みのものばかりが九月末にあつまりまして、まるで仇討ちかのようにはかっておりましたの。ところがこれも、体調不良で土壇場キャン。今日はたしか昭世さんを迎えての「広忠の会」でしたわね。日は眩しく輝き、空はこんなに青く広くって、お江戸までつながっていると頭では分かっていて。だめなときが、ございます。  囀雀

 

* だいじに、はやく回復されるように。

 

* 咲くやこの花冬ごもり。  先日、大阪日本橋で、文楽公演「忠臣蔵」を四段目まで見たのち、池田で、小米朝「七段目」(成田屋の声色あり)、米朝「持参金」、文枝「三枚起請」など聴いてまいりました。

落語会までの時間、以前から行きたいと思っておりました総持寺と、継軆天皇御陵を尋ねましたの。佳い御陵ですのねぇ。帰りにスキップしそうになりました。

駅から御陵へむかう途に、ほぅっと灯の入った古社がありましたの。通称疣水神社。磯良神社です。少し離れて、こんもり茂るもりのなかに、ひっそりと天照御魂神社がありました。

さまざま魅力的な大阪の旧い処に、ひかれ始めております。 雀

2004 12・1 39

 

 

* 消費的と書かれているのは読書に関してなのかしら? 元気で過ごされれば、そしてどんなことがあっても作家としての姿勢や意志は一貫しているのですから、存分に消費的であってもいいのだと思います。

わたしなど低次元で、昨日は斑鳩寺の骨董市に行って・・歩いて十分くらいなのです・・なにやら輪島の茶托、江戸時代だという白磁陽刻の皿・・ただしこれは分からない・・など買ってしまいましたよ。でも田舎の骨董市ですからセーター一枚にもならない値段でした。散財したと言わないでくださいね!

今日はあと二十分くらいで友人が来るので、今までに掃除やら大急ぎで済ませました。十月に初めて招かれて出かけた人にお返しの? 招待です。  鳶

 

* 今朝は冷える。わたしも昼前に出掛ける。街は、今日のうちにと思う人で雑踏しているであろう。

2004 12・2 39

 

 

* 猫ネットの漆黒の美猫にお目もじをして、マウスで遊び、山猫を観て、海猫を観ました。

ルキーノ ヴィスコンテイ監督「山猫」は完全復刻版で三時間余りの大叙事詩。日本初公開の頃は映画など眼中にない程多忙な時期。今回が初見でした。

イタリア統一の為のガルバルデイ将軍率いる赤シャツ隊と、当時シチリアを支配のブルボン王朝との戦争場面はCGのない時代の事、生の映写。

そして華美な舞踏会。こんな場面は大好き。

山猫の紋章を持つ貴族、老公爵を軸に、アラン ドロン扮する甥、その婚約者となるクラウデイア カルデイナーレ(美しく、大好きな女優)。そんなシチリア貴族世界にとっぷりと浸りました。 大画面で観るべき映画ですが、音響の悪さを除けば、楽しめました。

所詮、人は老い果て、良くも悪しくも歴史は動く、そんな悲哀といえるものを描いているのでしょう。主演バートランカスターは、後に同じ監督で「家族の肖像」にも出ています。

シチリアへの旅は、ビザンチンの文化遺産を観たいばかりの以前からの夢でした。連鎖のように歴史を少々つまみ、この映画を観たのも幸いして、来年は是非実現させたい。

映画「海猫」は、チケットがあるからと誘われて、何の期待もなくお付き合いで観にいきました。函館の海を飛び交う海猫、その眼に似ているといわれる美貌の人の過酷な宿命を描いて、佳作でした。 傍らの方は泣き過ぎでしたけど。 ヒロインの伊東美咲、佐藤浩市もよく、暗い印象の中村トオルはぴったりとハマッテいました。  泉

2004 12・2 39

 

 

 

* 残り少なく、事多かった今年も終わりに近付きました。「湖の本」や「生活と意見」を通じて与えてくださる精神安定剤にいつも感謝しています。年内に何かお礼のしるしをお届けできたらと存じますが,お酒はお体によくないのかなどと気になっています。駄目な場合は料理に使っていただけるだろうということで,やはりお酒を送らせていただこうと思いますが・・・・   岡山県

 

* 凛々歳暮  お変わりないこととお慶び申します。あれこれと過ごしております。ご芳情いつもいつも賜り恐れ入ります。

お酒は宜しからぬと叱られ叱られやはり呑んでいまして、我ながら意気地のない飲み助です。呵々

マウスを掴む手が冷たいです。冬を真っ先に感じるときです。お大切に。 秦 恒平

2004 12・3 39

 

 

* 季節病の風邪、けっこう咳き込んだり発熱している人がいる。いつもやられるわたしが、インフルエンザの予防接種が利いているのか、いまぶん何事もない。先日ペンの日の会場で、吉岡忍氏がしんどそうに「風邪ひかない」と聞いていた。あの予防注射とは筋の違うのが日本に入ってきているみたいと渋い顔をしていた。風邪ひきさん、みな、お大事に。

 

* 熱は下がり、咳が出始めました。今度の風邪は長引くと聞いていますが、そろそろと動き出しています。ご心配おかけしたと思うのは傲慢なので、そうは考えませんが、風邪ひいたなどとメールしたことかえってご迷惑であったろうと、反省しています。一人で黙って我慢するべきでした。修養が足りなくて。

パソコンを開いて、私語を読みました。

建日子さまのご出版おめでとうございます。お喜びのごようすよく伝わりました。

お子さまたちについて書かれた文章すべてに、いつも愛と讃美(厳しい批判であっても)が溢れています。それはたったひとり、どんなに寂しい環境で育ってこられたかの裏返しのようにも思え、時に悲しくなります。湖のように、子どもをまっすぐ深く愛するお父さまを持たれたお二人は幸福ですね。

お歳暮にいただいたシンビジュームの薄紫の蘭が陽光を浴びてこぼれるように豊かに咲いています。わたくしにも花開く日は来るのだろうかと思いながら、時々眺めています。

お元気に、佳い一日をお過ごしください。   蝸牛

2004 12・3 39

 

 

* ご無沙汰致しております。ご心配大変うれしく、おもわず涙してしまいました。新年のご子息のお芝居、ぜひ拝見したく思います。仕事は本当に忙しく、休みはくたくたでしばらくの間なにもかもが億劫でした。夫が出るかたちで別居して3か月経ちます。結婚25年になりますが、連れ合いのいない家がこんなに寂しいとは自分でも信じられませんでした。母は夫が出て行ったのがよほどうれしかったのか前より元気になりました。

しばらく引きこもりがちにしていましたが、自分でもこれではいけないと思い、偶然新聞で見たシナリオの学校へ週に一度通い、台詞の勉強などしています。最初は気晴らし程度でしたがやはり書くことが好きで物語りがいろいろ浮かんできます。若くはないので疲れますが。ご心配、心から感謝いたします。ありがとうございました。

ご子息によろしくお伝えくださいませ。  弓

 

* 当時築地松竹の上の方の階にシナリオ研究所があり、六ヶ月通いました。昭和三十八年(1963)頃でしたか。小説を書き始めて一年と経ってなかったかも知れない。どうもセリフというか、会話が書けない。そのために文章がまるで搗いた餅のように風通しがわるくて重くて、でした。

そんなとき、たまたま東大の正門前の有斐閣書店で立ち読みした「シナリオ」という雑誌で、研究所の募集があり、時間は六時か六時半からでしたから、思い切って応募したんです。

その体験は、いくらか覚えていますが、わたしが決心した理由の大きな一つは、半年の間に二作シナリオを書いて提出しなければならないという「決まり」でした。決まりが有れば必ずやるタチだと自覚していたので、実習になると思いました、知識だけではツマラナイと思いました。そうして書いたのが「湖の本」に近年入れた「懸想猿」「続懸想猿」でした。大きな体験でした。

あなたにも大きな意義を生じますように。体力ともよくよく相談しながらお努めなさるよう。

とうとう独りになりましたか。ま、しようがないか。寂しいという率直な気持ち、分かります。まだあなたは若い。ほんとです。独りで老け込まないように。いい女におなりなさい。

「e-文庫・湖(umi)」にも新しい書き手が出て来ています。「ペン電子文藝館」はもう五百数十の作品を展示しています。なかには、ぜひ読んで欲しい作品がたくさん。

だいじなことは、あなた、ときどき生彩のある刺戟もある佳い会話を人とすることですよ。独りで黙り込まぬように。熱い血をうまく滾らせて、生き生きとお過ごしなさい。  矢

 

* お歳暮へのお礼に返信があり、「シナリオ」の勉強と聞いて、思わず重ねてメールを。高校の、ずうっと離れた後輩になる人と、たしか聞いたことがある。センスのいい小説を書き始めていたが、人生の波に煽られながいあいだ苦労をしてきて、やっといい定職に恵まれた。どちらかというと、息子の仕事の方で今後にご縁があるかも知れない。

2004 12・4 39

 

 

* 青墓   先だっての文楽劇場でのこと。お江戸から浪速へ、文楽を見に、たびたび来ている女友達から、「朝長(ともなが)さんのお墓参りをしたいの。三重の方じゃなかったかしら?」といわれて<目をぱちくり。

初恋のひとが朝長さんなのと。お墓は山の上らしいと言うので、お墓って山の上が多いですよね、二上山もそうだし、と返しながら、携帯していた電子辞書をひきましたら、青墓とあるのですもの。スタンダード、そのものずばり「お墓」ですわね。

今は、大垣市になるようで、たしかに新幹線での行き帰りに寄れそうな位置ではあります。

十五、六で、初めて恋い焦がれたのが朝長さん。うーん納得の、神秘的で可愛らしい女性ですの。  雀

 

* 朝長は源義朝の子、父とともに都を落ち延びる前に近江の国「青墓」で自害して死んだ。頼朝の兄に当たる。「青墓」は遊女等の巣窟ともみられた今様など芸能の大きな拠点。三上山にまぢかい。朝長が初恋の人とはおそれいる。

 

* 先生もシナリオ研究所にいらしてたとは驚きました。わたしのような者でも締め切りがあるほうが意欲的になれます。今は週に二十枚のものを一本がノルマで、二十本でとりあえず終了です。いつか何かの役に立つだろうと思っています。仕事はほとんど午後三時からです。たまに朝八時半から夜十時までの日があります。木曜がやすみでその夜青山のシナリオセンターというところへ行っています。  弓

 

* すッごいノルマ。週一回授業でですか。

わたしの頃のシナリオセンターでは、映画用に仕上がったシナリオを要求され、授業は毎日でした。勤務のあと精勤に出席するのが大変な苦労でした。

講師は日替わりで、超有名なシナリオライターや、映画監督や、松竹のエライさんも来て話してくれました。おかげで面白かった、わたしには。断片的にですが、多くを習いました。

最初七十人とった教室が、最後の方では三、四人しか出席せず、規定のシナリオを二本とも提出したのは、わたしが一人か、せいぜいもう一人だけだったと事務の人に聞きました。

当時松竹の専務か副社長だった城戸四郎さんが一作目をよんで85点ほどくれまして、わたしには「小説家になるように」と助言してくれました。むろん小説のための勉強をしていたのですから、とてもとても励まされたことを忘れません。二作目は、映画批評家として知られていた荒松雄氏がやはり城戸さんと同じほどの高い点数を呉れました。

懐かしい思い出です。

やり始めた以上は頑張って何か掴んできて下さい。

映画、大好きです。いまも「殺しのファンレター」という、ローレン・バコールの映画を、息子の呉れたディスクで観ていました。昼間にはフランク・シナトラやディーン・マーチンやサミー・デイビス・ジュニアらの「オーシャンと十一人の仲間」を観ていました。今夜はこれからしばらくしてのテレビ映画、「ER」を楽しみます。 矢

2004 12・4 39

 

 

* 上島志朗逝去のお知らせ

秦恒平様  突然のメールで失礼致します。

父は12月3日午前1時52分、入院先の室町病院にて91歳の生涯を終えました。

なお、先日、秦様から父にいただいたお便り(PENクラブHP登載の件)につきましては、病床の父の耳に入れさせていただいておりますので、ご安心ください。

場違いのところにメールを差し上げていることと思いますが、急なことでもあり、失礼の段、お許しください。まずはお知らせまで。 上島喜佐夫

 

* ご子息のお名は初めて存じ上げる。下記の手紙を今は亡き先生に差し上げたのが十一月十八日であった。なお、「史朗」は筆名とされていた。いつぞやの折に、わたしがご本名を間違えて「史朗」と書いたのを、お手紙にどっちでもいいんですと謂われて、いつかその後その間違いが筆名に代わっていたような、そんな申し訳ないような、妙に嬉しいような記憶がある。

 

* 刻露清秀 秋深まり、冬の到来さえ今年ははやばや感じられます。どうかお変わりなく日々ご平安にお過ごし下さいますよう。

まことに私一存の勝手なことをいたしましたお詫びを、そして、あらためてお願いを申し上げます。

以前に頂戴しました御歌集『比叡愛宕嶺』の一冊を、私が、責任者を務めおります日本ペンクラブの「電子文藝館」招待席へ、ぜひお招き入れ申したく、我が手で、全冊全作品を電子化し、すでに本館に掲載展示の上、世界中へ発信させて頂いて居ります。

これは私のかねて秘かな強い念願で御座いました。どうかご寛恕給わりますようお願い申し上げます。お聴し下さいませ。

別紙に「ペン電子文藝館」掲載分と、現在の、おおよその展示内容をお届け致します。すこし資料の字の小さいのが申し訳ありませんが、あらましをご推察下さいませ。

また申し訳なく御作品に誤記が生じたりしておりましたなら、むろん訂正致しますので、ご面倒ながら、どの歌の何処をどう直すようにと仰せ下さいますよう。詞書は、一体に電子文藝館では略しております。過去のご歌集の全部から選歌して頂くことも考えましたが、それではご負担もかかり、また私は『比叡愛宕嶺』のお作がことに好きで御座いましたので、躊躇いなく全作戴こうと独断致しました。ご無礼、お許し下さいませ。

内容は、もしお近くにお若い人でインターネットの扱える人に見せて貰って下さいまし。

パソコンは電子の杖。老境には有り難い利器です。先生も、お目さえ宜しければ、電子メールで、二人歌仙など巻けると楽しいななど想い願い居ります。

お大切にお過ごし下さい。一度お目に掛かれると佳いのにとも願い居ります。

 

* 創作も「湖の本」すべても、むろん「ペン電子文藝館」の仕事も、「国語」そして短歌制作等を教わった恩師へ、教え子からするひたぶるの「答案」提出であった。本心そうであった。今…言葉もない。

 

* 上島喜佐夫様

御訃報ただいま拝見し呻きおります。何ともかとも言葉を喪い、悲歎この上ないありさまです。

残念無念、百歳までものご健闘を願っておりましたが……。

この上は先生の冥途ご平安とご安楽を心よりお祈りし、ご遺族のお心をお察しして共に深く悲しみます。

教え子の一人として御恩に報じますどころか、終始一貫ただお助けいただいてばかり居りました。

心より頭をたれて御礼申し上げます。

電子文藝館「招待席」にお招き申したいと願い居りましたのが、かつがつご生前に間に合いましたのも、今となれば悲しみを増します。お目に掛かる折あらば、あれもこれも、ああもこうもお話し合いしたいと、我が家でも何度も何度も申し居りながら、余儀なく気を逸しましたのも、後進の怠惰怠慢であったと切に悔いられます。おゆるし下さいませ。

只今より、私の喪に服し、先生とさしむかい心からの対話に過ごしたいと存じます。

 

師のきみの俤もお声もわれに在りて五十年は夢ならず嬉しきものを

比叡愛宕嶺 師のひとのわれにあれ観よと平生心をおしへたまひき

 

平成十六年師走五日   秦 恒平 合掌

 

* 悲しいことは、ただ悲しい。

2004 12・5 39

 

 

* 以下は名酒二升を賜った、岡山のE-OLDのお便り。

 

* 早速の御挨拶恐縮、御丁寧なお言葉感じ入ります。

夏の手術後順調に経過しています。主治医の話では、「今までどおりの生活で結構です。お酒も飲んでください」とのことですが、速足で歩いたり坂道を登ったりすると息切れがします。お酒も許容量が低下しています。

今まで病気知らずでしたからこれでやっと人並みになれたと思っています。長子(娘)が川崎市麻生区多摩美に在住していますが、もう久しく訪ねていません。京都へは桜・紅葉を観に行ったり、美術展の見学に行ったりしていましたが今年は全くの御無沙汰でした。

読書も根気が続かなくなりました。最近は講談社現代新書『教育と国家ー高橋哲哉』を読みました。今は伊藤整の『日本文壇史第四巻硯友社と一葉の時代』を楽しんでいます。調子にのってとりとめないことを書き連ねてしまいました。お許しください。〈下の写真は四月に作った写真集の表紙です。過疎のふるさとの現状を記録しておきたくて作りました。地元の人や異郷に住む知友に差し上げて喜んでもらいました。この次は何をしようかなと思っていたら病気になりました。少し休みなさいということなのでしょうか〉  有元 毅

 

*「三保高原写真集」の表紙写真は山原を高くはいのぼる段々畑が見えて、一目、風土・風情が看取できる。お大切に。「少し休みなさい」と云われないで済むよう、わたしは気をつける。

 

* あたたかな雨あがり。  昨夜は吹き降りの雨。まだ時折、突風が吹きますが、あたたかく潤った空気に女友達の誘い。搾りたての新酒と、散り紅葉を楽しもうというのです。電車に乗り、朝刊を開いたところで、笑みこぼれました。

片付けをしない五歳の息子に声をかけると、「背中のボタンを押さないと動きません」と答えるから、ほな、と背中を押すと、「ただ今こわれてまーす」と答えたそうです。

「十円入れないと動きません」の、お馬さん、こわれちゃいやですよ。

どうかお大切に。  雀

2004 12・5 39

 

 

* ネイホウマ 風。

花は好好。

今朝は虹がきれいにかかっていました。虹を見たのはしばらくぶりです。風もご覧になりましたか。

 

* 虹はもう久しく見ない。広東語のアイサツは、初めて。

2004 12・6 39

 

 

* 散り紅葉に夕時雨

お江戸は颱風Uみの風と夏日だったとうかがいました。おからだにお障りがないとよろしいのですが‥。気忙しい時節、どうかおん身第一に。日々心満ちる豊かなお仕事ができますようお祈りいたします。

蓮華寺もずいぶん知られてしまいましたから、赤山禅院に行ってみましたの。紅葉もそろそろお終まい、細く降る銀ねずの雨のなか、ぽつりぽつり、人が石段を上ってきます。傘をかしげすれ違いながら、かすかにでも誰かに触れたいような、しみ込んでくる寒さ、寂しさでしたの。

人のささめきと、しのびやかな歓声は、鷺森神社はなおよく映えて。音もなく散り落ちる紅葉が続く参道を歩きながら、あ、さきほどのと、目で挨拶をした、中年のお二人連れが、橋を渡り、曼殊院へと歩むシルエットが、なんてまぁ絵になることでしょう。

関西セミナーハウス界隈、清心庵入り口の紅葉もよかったですわ。暗い、竹林の中へと延びる道の奥が宮墓と、持参の地図にありました。

曼殊院への道はきりなしのクルマと人にげんなりして、圓光寺、詩仙堂、金福寺、永観堂、真如堂、南禅寺、青蓮寺などパスパスパス。すべてパス。南座のまねきを見て、松葉のにしんを買い、さらに南下。清閑寺へ。

やはりほかに誰もいませんの。紅に染まる梢も、石段に散る紅色も、要石からの眺めも変わらないだけに、崖崩れにかぶせられた青いシートが目に痛かったですわ。

そのあと、初出陳の銅鏡をはじめとした中国工芸の精華というふれこみの、大和文華館にまいりましたの。

丸をつけたのは、定窯、鈞窯、景徳鎮窯の素三彩・桃花紅・蘋果緑、乾隆の硝子、宋の黒漆、灑金、存星、鎗金、屈輪の大盆、芒彫の堆朱。鏡も好いのがありましたわ。

庭に、きりりと口を結んだ、黒髪の少女のような赤い椿を咲かせた木が一本。色さまざまな山茶花がここかしこに咲き、小さな草の葉に、木蓮の枯葉と薄桃の花びらが散りかかる美しさは、晩秋ならでは。

葉を落とした黒茶色の冬木。風にはためく黄葉、紅葉。松の緑。出陳の錦にあった珠とり獅子が、長い尾をなびかせ駈けていくような白雲が、トルコブルーの空に流れ、池のおもてに鱗小波。

近くの小山も遠くの山も、雪待ちにはまだ気疎い、秋名残の色取り。空に矢を放つような鳥の声がして、まるで竹喬の繪のなかにいるようでしたわ。鹿もすっかり静かになった春日野を歩き、飛鳥園で、小川さんの写真を眺め、地のにごり酒で乾杯して帰ってまいりました。  雀

2004 12・6 39

 

 

* 暫く娘と孫の世話で明け暮れていましたが、やっと解放されて、先ほど、久し振りに読んだH・P上で、上島志朗先生が天寿を全うされた、と知りました。

高校二、三年の国語甲を教わっています。

数名いられた国語の先生の内、同じ先生に二年間お世話になったご縁の深さが偲ばれます。

指折れないほど昔の高校時代は、今でいう引き籠もりに近い心境で過ごし、特に高三の頃は、四、五人の仲良しの女友達との世界を大事にする以外、大きく心惹かれるもの(実は、あったのかも)もなく、自己嫌悪に苛まれながら、あの日吉ケ丘の坂道をかけ登る皆勤の日々であった、と。

それでも、濫読の小説の数はこなしました。

義務のように只通学するだけなんて、なんとも弾まない思春期で、損をしたような悔やまれる高校生活でした。そんな状態では目的を持って勉学に勤しむ筈もなく、記憶を探っても、家庭での予習復習など皆無ではなかったか、と。

ところが、無欲で臨んでいた授業の中で、国語と歴史と英語は性に合っていたのか、好きだったのか、特に上島先生の二年間の国語は、満足の成績を戴いているのに、驚きです。

積極性があれば、将来の進路の相談にも乗って戴けて、違う人生も、などと戻らぬ昔を、想いつつ。

先生は、特に個性のある講義ではなく、口元を少し尖らすような話振りで、淡々と話されたように、想い出されます。

あの頃、悪童共はうまく先生方の特徴を捉えて、鬼瓦、√8、三尺等々嵌った渾名をつけて、今も本名より姿の浮かんでくる先生達ですが、上島先生はどうだったのでしょうか、マジメな印象以外の記憶がありません。

ご冥福を祈ります。   白川

 

* ご遺族は葬送を終えられたことと想う。

 

* 気になるお礼の手紙やお礼のメールを幾つも書いて終えた。あとは身辺の乱雑を片づけて行かないと、大晦日がすぐ来てしまう。 2004 12・6 39

 

 

* 小雪ちらつく夢の中、冷え込みに目が覚めました。ひいて後悔するものは ♪三味線、人目…

ペンのお仕事、ご自身のご興味、お疲れが出てはいらっしゃいませんか。

「風邪薬」という曲があるそうです。肩こるげん、頭かいげん‥風邪をいたみ‥むべ鼻風邪を‥と。どうかお召しになりませんように。

先のメール、長すぎますわね。前の携帯電話は250字が限度でした。ことば足らずも、ぶっきった文もたびたびでしたが、その分、考えることも強いられましたが。今度の機種は、5000字まで送信できるというので、だれた文にならないようにしなければいけませんわね。 囀雀

2004 12・7 39

 

 

* (秦建日子作)『推理小説』読みました!

面白くて、止まらなくて、あっと言う間に読んでしまいました。

法事のお供養といえばいつも「山本」の海苔を送っていた母の七回忌なので、京都の親類に私も山本の海苔を送ることにして、昨日新宿高島屋に出向き、あと、いつもの習慣であの空中の橋を渡り紀伊国屋へ、ふらふら冷やかして新刊書のところに『推理小説』が棚二段に10冊がど~んと平らに並んでいて、もう私まで何だか嬉しくなってしまいました。

すぐに1冊を手にとってレジへ。

帰りの電車から読み始めたくて、空いている中央線でなく各駅停車を選びあっというまに、もう少しで乗り越しそうな按配で下車駅着。

帰ってからも時間に隙あらば本を開くといった具合で、とにかく最後まで読んでしまいました。(私はせっかちで、先が気になり、推理小説をゆっくりなどよめないのです。)

軽快なリズム、若々しい言葉使いで展開するストーリーの中に、安易に流れる今時の小説、ドラマへの批判精神がちりばめてあって、やはり秦さんの血を引いておられる、父上を見て育たれたんだなあ、と私は(なんたって親の世代ですから)まぶしく感じました。

この数年、息子がテレビ夜9時からのサスペンスドラマに凝っていまして、お付き合いで私も各テレビ局の**劇場を網羅して詳しくなりました。

最初に殺人があって、有能な刑事と無能な上司が出てきて、配役の俳優を見れば大体誰が怪しいとわかり、最後に犯人がわかって種明かしその”ワンパターンなわかりやすさ”が丁度息子には理解しやすいようで、気に入るのもなるほどなあ、と納得していたのです。

その辺りを利用、逆手にとっての『推理小説』は痛快! でありました。

これからあと周囲が放って置かないでしょう。ご活躍がもう目に見えるようです。楽しみにしています。

先週の京都行きは天気に恵まれ、東大谷の墓から清水寺まで足をのばし、もう遅いかと思っていた紅葉がしっかり残っていて夕映えに美しく大満足を致しました。   藤

 

* 感謝。

 

* こんにちわ! お林檎喜んでいただき嬉しく思いました。 しばらくご無沙汰いたしました。

上島志朗先生がお亡くなりになられましたそうで、心よりご冥福をお祈りいたします。

先生のご生前にご恩返しのおひとつでもなされて、さすがご立派でございました。本当にいいことをされましたね。どんなに喜ばれて旅立たれましたことかと拝察申し上げます。

私も日吉のときしっかりとお教えをいただきました。出来の悪い生徒でしたが、たしか4を通信簿に下さり、驚いたものでした。

もっと先生をお慕いして文学を読書を頑張っておりましたらと今思います。 重ねてご冥福とお礼を申し上げます。

お元気でしょうか? ますますご自分の境地を深められておられることとお察しいたしております。

山名画伯はいかがでしょうか? (笹や)の絵を観られると思うだけで、いてもたってもいられない心境ですが。最近の私はファイトがなくて。お会いするのもためらってしまいます。これが歳なのでしょうか? 若くてはつらつ? には、ほどとおい。自分を再認識しているところです。

集中的には制作しておりませんが。デッサンだけはと励んでいます。

折角の人生ですもの、美味しいお酒で歳をこしたい願望はすてておりません。が。どうぞお元気でお過ごしくださいませ。  横浜市

 

* 寒暖の差が激しく、寒い日が要注意ですね。お元気ですか。

上島先生も、教え子がプロの作家となり、幸せであり、自慢だったでしょう。存命中に会っておけばよかったですね。

十二日、テレ朝で、ロマン ポランスキー監督「戦場のピアニスト」が上映されます。以前、映画館の最終日に滑り込みで観ました。私には、「シンドラーのリスト」より余程よかった。何よりも、ドイツ将校にショパンを弾いて聴かせることによって、命を取り留めるなんて、なんてすばらしい実話、泣かせます。

ロマン ポランスキーの映画では「テス」が佳かったですね。 ほんなら、また。

 

* 秦先生ご夫妻が新島襄先生の墓前で結婚式をなさったと伺い、非常に感銘いたしました。

実は小生も、江戸っ子の山妻(同志社とは全く関係がございません)と結婚が決まったとき、当人を若王子に連れて行き、二人で新島先生の墓前に結婚をご報告に参った者でございます。

憲法につきましては、田畑忍先生の憲法学を学んだ一人としまして、現憲法を守る心持は人一倍ございます。 「ペン電子文藝館」「主権在民」特別室に関する先生の御構想は、まことに時宜を得た素晴らしいものと存じ上げます。色川先生ほかの大家の先生方がすでに関係なされておられるのであれは、小生がご提案申し上げる余地もございませんが、それでもなお、国際PEN憲章を信奉する一ペン会員としていささかでも参加できれば幸甚と存じ上げます。  ペンクラブ会員、後輩

2004 12・7 39

 

 

* バルセロナの小闇から。お返事、感謝。お元気で。

 

* 驢馬が旅に出たからとて馬になって帰りはしない。

手っ取り早く夫に聞いてみたところ、言いたいことは想像ついても、諺としては聞き覚えがないと言うので、インターネットで検索してみました。

Si un asno va de viaje, no regresaria hecho caballo.

日本語訳通りのスペイン語が見つかりましたが、「よく遣われている」諺には思えませんでした。

「蛙の子は蛙」のようなニュアンスなのでしょうが、スペインでは(恐らくかなりの西欧諸国でも)「驢馬」は人を小馬鹿にする第一の代名詞ですから、これを言われたら「救いなし」と思った方がよいかもしれません。

驢馬がいくら努力してもいくら経験を積んでも、驢馬はあくまで驢馬であって馬にはなれない。結局は「生まれ」がも

のを言う。それが普通の解釈でしょうか。

驢馬が馬になるためには、旅に出るだけでは足りないんだよ、とか、諺ですから、少しひねって解釈することも裏を見ることもできるのでしょうが、例えば中立的に「自分相応」を主張したいとしたなら、「驢馬」では、蔑みの意味が強すぎて不適当でしょう。

小闇@バルセロナ

 

* 安岡章太郎氏がこの諺を念頭に『驢馬の学校』を書かれたのは、事実らしい。そこからいろんなことが思い浮かぶが、勝手な推察は控えたい。たしかに山崎省一氏の謂うように、日本という驢馬は早く西欧並みの馬になろうと悪戦苦闘したことはあるだろう。馬になったと胸を張っている人も有るのだろう。西欧人ほど「ろば」への思い入れに実感を欠いている日本人は、なんでもなく、驢馬は驢馬でいいじゃないかというフィロソフィーもわりと簡単にもつでもあろう。スペインでさほどでないこんな物言いにも反応した安岡さんには、また安岡さんならではの哲学ができているのだろうと想う。

「驢馬が旅に出たからとて馬になって帰りはしない。」

ハタとつきあたってくる言葉ではある。わたしはそれを少しも残念がったりしないけれど。

2004 12・8 39

 

 

* 建日子さんの『推理小説』。 昨日の大きな(朝日)新聞広告は、眼を惹きました。面白そう、楽しみにして読みます。

只、人は、女流新人作家と思うでしょうね。

W0Wで録画をしてもらっていた戦場のピアニストを再び観終り、ホロリとしましたが、明るい終章に心が温まります。

まあ、歴史を振り返れば、ポーランドは共産圏で違った苦渋が始まるのでしょうが。

カンヌ映画祭では、最優秀作品賞。アカデミー賞では主演男優賞をとった俳優エイドリアン ブロデイは知らない俳優でした。

手元のパンフを見ると、この映画に備えて、体重を十キロ減量、ピアノも特訓で吹き替えなしとあります。

終戦後に書かれたピアニスト、スピルマンの回想録を元に脚色(アカデミー、脚本賞、監督賞も取り)、子供時代のポランスキーもゲットーから脱走の経験あるユダヤ人。

ショパンを弾くのは、祖国愛を表現している、と。

この世、いい人もいれば、悪い人もいるとも。

観るだろうと思って送っています。カットなし、吹き替えなしならいいけれど。

曇り空、肌寒い日になりましたね。せめて明るい彩りの草花でも植えようかな。  泉

 

* 正直の所、処女出版は、と限らず、自作の「本」が出版になるのは、それは嬉しいものであった。建日子はいまとても幸せであるだろう。なんともかとも自分を取りつつむ空気が温かく感じられ、自分の踏む足が、やわらかい地に沈み込んだり宙に浮かぶように感じられる、つまりふわふわと舞い上がる。そういうものだ。わたしの場合処女出版の前に太宰賞受賞や授賞式があって随分ちやほやされたから、やはりあの頃がいちばん嬉しかったのだと思うけれど、以降、百冊にあまるかという市販の出版に恵まれ続けてきて、少なくも六十七十回くらいまでは、同じように嬉しかったものだ。あとはもう慣れてしまった。その上に自分で湖の本を皿に八十数冊も出し続けてきた。出版という行為がわたしの場合半ば肉体化していた。どんな雑誌をあけてもどこかに自分の本の広告が出ているというような時期もあった。

一日の気温を克明にグラフ化してみると、比較的綺麗な釣り鐘型になる、と、昔教室で理科の先生に教わった。確認はしないが、そのグラフが、幻のように眼にある。低いところから徐々に盛り上がり、また徐々に沈下してゆく。人生の事業は、横ばいの一線ということもなければ、右肩上がりに途絶えないなどということもない。むしろ存外多いのが最初の一点のあとが続かないということ。「継続」はやはり大きい力なのである。継続の「自覚」が何よりのエネルギーになる。

建日子のこういう時機だから、恥ずかしがらずにわたしは書いておくが、受賞して、まだ最初の本も出ない、その本が出て幸い佳い書評に沢山恵まれてからでも、わたしを痛いほどとらえていたのは、嬉しさなどもう忘れ果てての、日々「不安」であった。「続く」のか…。書き続けることと、作家であり続けることとには、微妙な違いがある。前者は書いていればいいが、後者はいわば新たに構えた「門戸」の問題だ。本人は門戸のつもりでも、開店休業という門戸が多い世間である。

今日自分は「作家」として何をしたか、例えば手帖に記録出来るような、何事があったか。ただ待っていても、そうそうそれは向こうから来るものでなかった。自分でも作りだして行かねばならない。編集者から作品等について手紙や電話が来る。すると手帖に、某社の某氏来信あり電話ありと書けた。だが何も来ない日がある。と、こっちから電話を掛けたりハガキを書いたり、事を作りだして、それへ自分を乗っけて「作家生活」を向こうへ向こうへ運んで行くのだった。そうして励みを感じた。

そういう必要の全く無くなってしまう日が来るまで、三年ほどかけた。そういう、人が見れば下らないこともして、自分をたえず励ましていないと、いわゆる仲間も持たない交際もしないわたしの気は、作家でいようという気は、ともすれば萎えて行く。

書いてさえいればいいと。しかし作家になってしまうと、書いてだけ居ればいいのでは、決してなかった。あれこれ気を使いながら、勤務との二足わらじを、大事に大事に、あの頃、履いていた。

 

* もうそれらの全部から身を退いた、というのではない。よけいなことは考えなくて済んでいる、だけ。百冊書いた本を百二十冊にしたいなどと、もう思っていない、だけ。

2004 12・9 39

 

 

*  漱石枕流   猫飼ひて成程合点漱石忌 (高田風人子)

そうなンですか? 先程、派兵延長の記者会見が映し出されていたテレビ画面に、いまは、大根焚きや、おん祭の稽古ニュースが流れています。階下のポストに郵便を取りにまいりましたら、一本の木にたった一輪、その木のいのちを全て集めたかのような、美しい象牙色の薔薇が咲いていました。

お元気でいらっしゃいますか。  雀

2004 12・9 39

 

 

* 昨夜、お風呂上がりに水を飲みながらテレビを点けましたら、近江の古刹、島根ローカル線の旅と、静かな番組が続き、髪を乾かしながらとろんと見ておりましたの。

今朝、目覚ましに点けたテレビに映っていたのは、雪景色の中に佇む一人の赤姫。

寝呆けまなこのピントが徐々に合って “あれぇ、さぶちゃんなの?” 「狐火」を踊る笑三郎さんでした。うまいだけでなく、声や語る間も好いし、なにより寂しげで古風なところが好き。

師走にお金がらみの犯罪は多いものですが、このところ続く、胸の悪くなるような性犯罪のニュースにめいっておりましたから、少し気が紛れ、澄んでました。

ご本に、小嶋寺のマンダラが出てまいりましたでしょう。手付かずになってひとつき経つ、高取・五條の旅のメモを、もういい加減なんとかせにゃぁと、ねじを巻いた雀です。  囀雀

2004 12・11 39

 

 

* 寒さに竦んではいませんが、わたしは勉強が足りないなと思う毎日です。勉学の道は孤独なものです。 愛知県

 

* うまく言えないけれど、勉学には、何が勉学したいかの見極めも大事だろうと想います。なにもかもはとてもムリです。

ものを食べたいときに、和・洋・中華などと思案しますし、和にも洋にも中華にも、いろいろあります。それでも、せめて和か洋か中華か程度は決めざるを得ない。その上で、或る程度集中した一つの領域に、「得意」になってしまうことも大事です。

京都には貴賤都鄙が集約されています。差別のきつい街です。わたしは人間の心に身に巣くっている差別心に関心を持ち、「人間差別」と「藝能差別」に絞って、そこから「民俗学」の成果を貪り読んでいったものです。わたしの小説が、ずうっとその問題を追ってきたことは、久しい読者のあなたにはすぐ読み取れる事実です。

「京都」というわたしにすれば「地の利」を生かすのが、最もリアリティーのある道筋でしたから、わたしはその誘われ道へ邁進して、それ以外へわざわざはみ出て行かなかった。そこで「深く」なる方が良い、と。

勉学が孤独なのはその通りです。殊に文学の創作は、誰かと共に学べるようなことではないからです。月謝を払って教室で学べることは、知識や技術ではあるが、そこから自動的に智慧は湧いてこない。実感で体験し感得し会得するしかない。

わたしは、ある種の「道徳」に追随して一見求道的な人たちよりも、「人間」の表裏や明暗や喜怒哀楽の多彩・生彩を認識し把握し表現する人こそ、「藝術家」だと信じています。お安い「道徳家」には殊に警戒します。それは「人と社会」を鋳型に嵌めたい「お節介な偽善」に近いからです。

最近の話ですが。七十のおじいさんが、心から十七歳の少女が「好き」になってしまった。少女の方が忌避したのは自然なことですが、その老人を、すぐさまマスコミが寄ってたかってワルモノにすることに、わたしは反対です。むしろ、その老人の、「好きで堪らなくなった」真情に素直に驚いて一度は受け入れ、それが素晴らしく尊いことか、とっても愚劣なことか、少なくもそこに「認識と批評や共感の姿勢」を誰もが柔らかく持てる世の中でこそありたいと思う。

これは、飽くまでその一例に限定して言うことです、一般論ではありません。

そのような考えでわたしは居ますから、道徳的な語句を新聞雑誌などに書き散らして「聖者」のように扱われている人間などを、わたしは根で信頼しないし尊敬しないのです。そういう人達によって、人間社会はついついこぢんまりと金縛りにされて行き、人間の可能性の生彩は奪い去られるのです。それを喜ぶのは、人を支配することで儲けて行くし政治家や企業家や宗教人や教育者だけ、という結末へ押し流されるのです。

三十すぎたあなたの年齢での「勉学」は、知識の蒐集だけでは、もうダメです。生き生きした「自由な人間」でなければ、勉学も身に付かない。努力も空回りします。まず自分自身を批評しぬくことから始まるのが、大人の勉学です。便宜に型にはまろうとする勉学は、むしろ大毒です。孤独に耐えねばならないのは「自由な人間」の運命です。

2004 12・11 39

 

 

* 初瀬、吉野、丹生。  道を進んでいて、はっと見惚れる山は、調べてみるとやはり何らかの名のある山です。額井岳もそうでした。大和富士といわれるその裾に、山部赤人墓があり、季節になると、お葉つき銀杏の葉がつくる、境内一面の金の絨毯の写真が観光につかわれる、戒長寺があります。

苔むした旧い石段は途中で崩れ、湾曲する新たな径と代わり門へ登ります。舗装された急傾斜の道の側溝には常に豊かな湧き水が流れ、その音は、山岳修業の地だった霊気を感じさせます。銀杏だけでなく、奥の小さなお社前に朴の古木がそびえ、門から眺める初瀬の景色と、ひきしまった空気が塵払いに好い地です。

あの日は染み透る寒さに震えながら聞く水音が、いつより耳にとまりました。

十一面観音が縁で尋ねた小嶋寺、菊まつりというのにひかれた金剛寺、どちらも雨乞いが行なわれたといいますし、まるで室生の龍穴のような宇智川磨岸碑、池と足沈む湿地が不気味さを増していた栄山寺に、賀名生に梅花を見た帰りに丹生川沿い五條に入ったことを思い合わせ、水の旅と感じたことでした。   雀

2004 12・11 39

 

 

*「母親の愛は子どもにとって世界の中心」であろうか。そのようにメールで言ってきた、もう大きな子供もある主婦がある。

母が自分をこう育てた、こう躾けた、それは今も破れないと頑張っている人だが、その中には聞いてビックリ仰天の迷信そのものが往々混じる。歩いたり階段を上り下りすると脚を痛めるからと、タクシーを当たり前のように使うという。普通の家庭的な常備薬ふうのものも、一度母親が拒絶したものは自分も手を出さないという。自然それは自分の「ちっちゃい子」への育児や躾にもストレートに反映しているかと思うと、怖い気がする。知識も教育も豊富にもち又受けていて、こういうことを言う。

「母親の愛は子どもにとって世界の中心」というのは、何かしら「盲信」「思い込み」「言い訳」にわたしには聞こえる。

本当にわが子を知性と愛情ゆたかに育てている母親は、いつまでも自分の子が自分の子のままでいるとは思わず、いては困るとさえ思い、世の中へ、他人の世間へ、気遣いつつも自由に羽ばたかせている。

子が親を心から愛することと、子が親の生き方の全部を無批判に真似たり盲信したりすることとは、似ても似つかない全くの別ごと。むしろ母親をでも父親をでも、愛しつつ憎みつつ、そのアンビバレントの中で子は成長し、自立し、偉くなって行く。少なくも自分の「世界の中心」は自分の価値観で新たに築き、そこで事業や人間関係や創作や人生を産み出して行く。世界の中心に、いつまでも母親や父親の愛がどっかと居座っていたら、子供はとうてい親以上に大きくなれない。だから、子はもがくようにして親の手から飛立とうとする。

この人のように、母親の生き方を、迷信や盲信に至るまで金科玉条のように踏襲し信奉して自立できない子供というのは、実は、その母親からみても情けない歯がゆい我が子であるやも知れない。さもなければ、親はわが子を私有して放さないだけの、人生の大障碍になってしまう。そういう親もいるし、そういうのに甘えて縋り付いている子も、いっぱい世の中にいることはいるのだけれど。

わたしは、母を、二人知っている。しかし母からも、むろん父からも、本当の意味で自由になりたいと想い、しかしそれは究極彼等への愛と信頼を裏切るものではなかったように思っている。それがわが「文学」になっている。

父も母も、わたしが思う存分に生きたことを、離れて暮らしていた寂びしさは寂しさとしても、喜んでくれていた。わたしを拘束は出来なかったし、拘束される気がわたしには少しも無かった。わたしは子である前にわたしであった。

この人の陥っている「不自由」「未熟」「頑固」はわたしには痛ましいし不幸なことだと感じる、失礼ながら。反論があるかも知れない、他の方からも。だが、結局はこの人のこれは甘えであり世の中へ真向かうのが怖いのであり、母の袖の下から自立して出て歩けないということにならないか。それでいて、奔放に渦巻こうとする内奥のマグマも秘めていることだろう。それが不発になっているのは、不自然な抑制が働いていて、その抑制の力に従うことを、内心「お利口」と思っているらしい。この人に子供があるという現実の故に、わたしはこの人のこういう「母親観」に賛成したくない。

言い過ぎかも知れないけれど。

2004 12・11 39

 

 

* 母と娘との関わりについて、また一つの発言が届き、わたしの文学にも及んでいる。

 

* 娘と母との問題はさほど大袈裟なものにはなりませんし、かといって簡単に自由になれるという性質のものでもなく、ただ「背負っていくもの」だと思っています。母から生涯逃れられなかった藝術家もたくさんいますが、どんな家庭でも、母ほど現実で、世間で、道徳で、真実で、救いがたく、愛ある存在はないのです。どう転んでも異様で異常などという驚愕する事態になりようがありません。それが母と娘とのごく一般的な関係なのです。環境として、秦さんには未知の世界というだけでは。それに、母と息子と、母と娘との関係は、根本的にちがうものです。

もしわたくしが秦恒平文学の研究者であれば「秦恒平の文学世界における母の欠落」をテーマにして長大な論文が書けるでしょう。江藤淳の『成熟と喪失』に対抗して打って出るようなものを是非誰かに書いてほしいものです。

秦恒平の「身内」観は母の存在の欠落がなければ生まれなかったと思うのです。とてもいいテーマです。

秦恒平は生まれた環境において母が不在で、そして結婚という新しい環境においても妻を母にはしなかった。母の不在から、母の役目を担う人間を徹して排除拒絶することによって、空前絶後の孤独、孤愁、悲哀の文学世界が完成された。着眼点として悪くないと、自画自賛しておきます。お笑いください。  東京都

 

* 人には親があり、親には父と母ないしその亜型しかいないのだから、だれしもが親を、父母を身に承け身に負って生きて行く。あたりまえのこと。この人が、例えば私の場合「母の欠落」という、「欠落」とはどういう意味で用いられた言葉なのか、もう少し知りたい。

わたしがふと自身の廻りを見回せた年頃、わたしのいた山城当尾の祖父母の家には、父も母も、姿がなかった。それ以後わたしは、実父母と一つ屋根の下に暮らした経験を、一日としてもたない。ともに実は生別であったが、「非在」であったことはその通りで、それが「欠落」と謂う意味なら、事実である。

やがて数歳にして秦の家に移されたとき、そこには父であり母である「という」人が実在し、数歳の私には、それが「養」父母であるというような分別は出来なかった。おいおいに知らされた、近所の子供たちの口や、大人同士の囁きを通して。これが「欠落」の証明であるのだろうか。ただの「事実」に過ぎない気がする。

人は、事実だけで人生の空気を呼吸したりしない。独特の観念や理念や構想をもち育みながら創り上げて行くのが人生であり、ことに藝術家はそうである。

人は生まれた瞬間に、広大な海の上に我一人でしか立てない「島」に立たされるというわたしに固有の認識は、このメールの人の云う意味の「欠落」など、人間全般に普遍妥当しているという認識であった。親といえども、島と島とを隔てあっているレキとした「他人」に過ぎぬいう認識から、「身内」という思想をわたしは育んだ。「欠落」がなければわたしの「身内」思想は生まれなかったという、この人の指摘は当たっている「かも」知れない、だが、そういう簡単な筋道だろうかなと苦笑されもする。

 

* 生まれ落ちて生母を「欠落」同様に喪っていたのは、光源氏であった。その母「桐壺」に生き写の、父帝の新たな愛妃「藤壺」を、理想の女と愛慕し、ついに闇の子を産ましめたのも、光源氏であった。その藤壺と人生を共には出来ぬと断念したときに、たまたま藤壺の面差しに似た美しい姪「若紫」と出逢い、生涯最愛の妻としたのも、光源氏であった。彼には多数の女性が関わり合っていたけれど、紫上の絶対地位は終生揺がなかった。

わたしは、源氏物語に出逢う以前から、生みの母だけでなく実の父も共に完全に見失っていたが、光源氏とは違い、そういう父母を、恋しいとは、思いも寄らなかった。それほど養父母に親しんでいたかというと、それも無かった。頼んではいたが「ちがう親」だと思っていた。太郎冠者のように謂うなら、秦の親たちは「頼うだお方」であり、他方、実父母には用がなかった。無用の人達であった。その意味では「欠落」どころでなく、「排除」「拒絶」の「非在」であった。

実の親が身近にいない事実を、わたしは一度も泣かなかったような子であった。光源氏よりもその点甚だドライだった。自由な想像力で、「親」なるものは好きに創り出せると思い、かえってその境涯が愉快であった。しいて云えば、源氏物語もまだ知らないでいて、わたしは一日も早く「藤壺」に出逢いたかった。「若紫」を知りたかった。まして父親のことなど考えたくもなかったし、念頭に現れる実の父は、少年のわたしには厭悪の対象でしかなかった。秦家に頼もしい父がある以上、わたしを顧みなかった実の父親など、無用だった。わたしは、その頃から、「男は嫌い」だった。

父のことはだから云う必要もない。母について云えば、生みの母など要らないとますます思わせる事態は、新制中学の時に起きていた。

いかなる肉親よりも絶対に親しいと思える人、わたしがわたし流儀に「身内」と思い切れる人に出逢っていた。一学年年上の人であった。ちょうどわたしが与謝野晶子の源氏物語を耽読していたさなかに、その「藤壺」のような人に学校の中でわたしは出逢ったのだ、だが、出逢って半年後、その人はもう卒業し、卒業と同時にどこかわたしの手の届かない知らぬところへ去っていた。

わたしは、「姉」と思い「母」のように慕った此の年上の人の遺していった、漱石『こころ』の耽読とともに、自分の「身内」観をほぼ確実に仕上げた。次に出逢うべきは「妻」であった。

妻とは大学で出逢った。もし生母が「欠落」していたたにせよ、カッコ付きの理想の「母」なるものは、二人の現実の女性のリレーで、正確に、わたしに於いて満たされた。生身の生母はわたしには全く無用であったけれど、「母」なるものは満たされて、少しの悔いもない。現実の母ではなく、「母」なるものの重みが静かに胸に落ちたのである。

 

* 源氏物語にあれほど打ち込んだ谷崎潤一郎は、また、「母もの」作家といわれた。だが彼が現実に存生の母「関」を書いた筆致と、たとえば少将滋幹の母など「母」なるものを書いた筆致とは、砂と露ほど異なっている。谷崎はじつに巧緻に実母を利用し理念の「母」への愛に至った分別に富んだ「母もの」作家でもあった。構想された「母」もの作家でこそあれ、センチメンタルに生母の愛に飢えていた人ではなかった。泉鏡花がまたそうであった。鏡花はよりわたしに近い感じ方をしていた。ご丁寧に鏡花の妻は生母と名前も同じであった。

メールの人が、終生母親から逃れられなかった藝術家は数多い、と書いているが、鴎外でも漱石でも直哉でも太宰でも、みな絶妙の「距離」を勘定して、決して「逃れられない」ハメには立っていない。譬えに引くのには乱暴すぎるが、佳い意味で「母親はもっつたいないがだましよい」を実演していた。

息子と母親と、娘と母親と、は、ちがうと書いてあるが、普通の意味では息子と母親とは親しみ深く、娘と母親には深層の葛藤が凄いと云うではないか。わたしは、数多くはないが身近にもそういう例を知らないではない。徳田秋声の『あらくれ』であったか、母と娘との葛藤は凄惨なほどで、それがまた名作のリアリティーを確保していた。

どちらかというと、母と娘とがべたべたという様子は、うるわしいよりも、少し気味わるいものが在りはしないだろうか、ま、それには拘るまい、息子と母親とのべたべたなど、さらに気持ち悪いという面もある。

 

* で、母の「欠落」が私の文学を成している必然性、という、この人の提示のテーマであるが、これについては、私自身が云々することはない。このメールの人の問題提起に感謝するに止めたい。

私にかんする研究書には、原善君の本が一冊あるが、この人は「幻想」にいつも力点を置いた。それにも「非在の母(父)」を考察する視野は有った、けれど、やはり幻想論ではあった。「身内」観に関わって私の人間観に触れるというモノではなかった。

なるほど、このメールの人の指摘は、ちょうど原君の論の「欠落」を、適切に指摘したものと言えるのかも知れぬ。

2004 12・11 39

 

 

* さきほど、「闇に言い置く」を拝読し、「秦恒平の文学世界における母の欠落」という東京都の方のメール拝読し、思わずキーボードに向かいました。「欠落」という言葉の思いやりのなさ、想像力の欠如、それで「着眼点として悪くない」とおっしゃる方のご意見には、それこそ何かが欠落しているように思えてなりません。秦作品のすべてに精通しているわけでもありませんので、こんなことを申し上げる資格もないのですけど。

私のまわりにも小説家をめざしている人が3名ほどいます。3人とも、病気や離婚などの事情で実の母親と過ごす時間が少なかった人たちばかりです。

そうした人たちの書いたものにも「母の欠落」があるのでしょうか。そうだとしたら、それは作家の生い立ちをたまたま知ったから言えることはないでしょうか。小説自体を文芸論として分析なさった上で「欠落」だと指摘されるのはいいが、そうでない場合は余りに短絡的で安直なご意見だと思いました。

私の子供たち3人も夫が病死してから実の父親とは接していません。父親に代わるひとが愛情を注いでくれています。これも人生上の「父の欠落」でしょうか?  名古屋市

 

* 物事の「在」と「非在」は境界が定かでない。あれど無きに似、無しと見えてあるが如き「境涯」がある。生別や死別にかかわりなく現実の母や父を知らない人が、父や母に四六時中接している人以上に「父」なるもの「母」なるものと親密に生きている・生きてきたという事例は、おそらく藝術家にはことに多いように思われる。思念の親は現実には非在でも、かなり濃厚に実在感・存在感をもっていて、その度合いが私の場合など過ぎてしまい、現実の親たちをかなり粗末にしてしまったかも知れぬ。

それにしても、それだから私に独特と謂えるかも知れぬ「身内」観が育ったのだろうという、今朝の人のメールの指摘は当たっているかも知れない。具体的な「文藝論」「作品論」がその批評から立ち上がるのを待望しましょう。

たしかに「欠落」というと単純な「有と無」の次元に決めつけられ、展開する前途が見えなくなる。「非在」ではあったろうと思う。但し繰り返して言えば、物事の在と非在は境界が定かでない。あれど無きに似、無しと見えてあるが如き境涯があるからである。

2004 12・12 39

 

 

* なかなか男では出来ない『凛とした作家論』を読みました。

昔の「ラジオ放送」で娘と私といった舞台の放送劇(「えり子とともに」か。)がありましたが、親爺が娘に甘え、娘が親へ甘える甘美な話しと記憶を新たにいたしました。

息子と親爺は『無言のうちに競争相手』、もしくは一生親爺の『垣根』を越せないと子供は思っていると感じます。親爺よりはるかに勉強する機会に恵まれ、そこそこに努めもしましたが、未だに親爺を越えられないと僕は思っています。 一読者より。

2004 12・12 39

 

 

* いましがた、医学書院の頃の同僚で、今は「ペン電子文藝館」の同僚委員である向山肇夫君から、長谷川泉先生が、もう先週内にも逝去され、お身内での密葬も終えられていると電話があった。

大分前からいくらか覚悟はしていた。

勤務の昔にも、わたしは「私的」にこの最良の上司と真向きに付き合うことはなかったが、後ろ姿を見て常に敬愛し激励されて、「作家」になれた。そういう社員はわたし独りしか無かったはずである。私家版を創れば真っ先に見て貰ったし、太宰賞受賞にも心から喜んで貰い、たくさん後押しして貰った。それだから、言い様を替えて「私的」にこそ筆紙に尽くせない関わりを久しく重ねてきたけれど、上司と部下としてはあくまでもそのままの関係で、個人的には一度としてべたつかずに済ませてきた、というのがいいか。

長谷川さんは森鴎外研究者として最も実証度の精密な研究者であった。文人・詩人でもあった。すぐれたジャーナリストでもあった。明敏な頭脳で多角的にものの咄嗟にでも考えられる人であった。私には、終始変わりない愛情を示して下さった。湖の本さえ、ずうっと講読していて下さった。

そして何事にも反応の早くて広いこと、あっという間にハガキで感想や情報が届くのは長谷川さんであった。

勤務の昔、一度だけ、どなたかのお葬式の手伝いに管理職の一人としてお宅にあがった。作家になってからは、一度お宅で対談したのが、さきの対談集に入れた「いけ花と永生」であった。これは長谷川さんから引き立てて戴いた仕事の一つだった。教科書に載せて頂き、その副読本の為の対談だった。

そしてもう一度だけ、向山君と二人で突如お邪魔したことがある。お宅に上がったのはたったの三度。

忘れがたいのは、名古屋大学名誉教授の鈴木栄先生のお招きで、長谷川さんと私と、桑名の船津屋で一泊のご接待にあずかったこと。楽しい一夜であった。

十二月二十四日に芝増上寺で長谷川家・医学書院合同告別式があるというのが向山君の電話の趣旨であった。わたしは、お葬式には「出ない」ことにしている、複雑ないろんな感慨があるからだが、懐かしいという思いがかつての知人達の顔をみて蘇るのなら行こうかとも。長谷川さんとの胸中の対話なら、わたしには何時何処ででも出来るので、「お別れ」するとは思っていない。

 

* 長谷川泉、上島志朗。恩師お二人にあいついで逝かれた。この世にまたポコンと二つの隙間があいてしまった気がする。

2004 12・13 39

 

 

* 「主権在民史料」室に、足尾鉱毒事件に関する田中正造明治天皇直訴文を新たに入稿した。

 

* 羽仁もと子さんの「半生を語る」読みました。

前半はやや退屈でしたが、読んでよかったと思える、とても爽やかな気持のよいものでした。お勧めくださった理由もわかります。

たとえば次のような文章に筆者の魅力がよく出ていました。

「苦労が私を囚へるよりも、いつでも希望が近くに私を待ってゐた」

「人は自分で自分を放棄しないかぎり、放棄しないばかりでなく健気な心を持ってゐるならば、この世の中には、多くの哀感を掩うてあまりある慰めの力が、愛の泉のやうに湧き流れてゐることを、私は自分のさまざまの実験からも信じてゐる」

あの当時の離婚のダメージは現在の比ではありませんのに、なんと天真爛漫な、晴れ渡った青空のような女性でしょうか。成功するために必要な「ポジティブシンキング」の見本のようです。人間、何事も前向きに肯定的に捉えないといけないということがわかります。

父や祖父の姿が描かれるのにくらべ、母の影の薄いことは驚くべきことです。たぶんお母さまのことはお好きではなかったのだろうと想像します。そこに後半生の羽仁もと子さんに漏れ聞く、母親としての悪評や問題点の芽があるのかもしれません。

この作品に関しては私が羽仁もと子さんの美質に学ぶ点は多いと思いましたが、もし私がこの羽仁もと子さんのような瑞々しい生活力を求められるとしたら、それはなかなかムズカシイ。

そして大変感動愛読するという類のものでもありませんでした。羽仁もと子さんはビジネスに成功するタイプで、物書きとしては欠けているものがありそうです。それが何かおいおいに考えていきたいものです。

今の感想では、自分のやりたいこと、すべきことなどわかっている人、自分を素直に愛する人ではあるけれど、他人への深い関心、共感、鋭い観察眼が少ないかもしれない。いつも積極的に前向き自由人で、嫉みや執着や憎悪などのマイナスの感情に囚われないけれど、それは愛の濃さが足りないと言えるかもしれない等々。

とにかくさらっと楽しく読みました。ありがとうこざいました。   蝸牛

 

* 同じ一つの文章でも、おそろしく読み取るところ、感じ入るところは異なるものだなと、このメールに教えられた。

わたしは、引用されている修身のような言句には少しも惹かれない。もっとはしばしのところに噴出している感性や自照のするどさ、たしかさ、濃やかさをよろこんで感心していた。著者の「人間」に対する「読み」でも、わたしはこのメールに正直少しビックリしている。

しかし、これが、「読み」という行為の本性に関わってくる不思議な面白さであり、目の付け所は、かように千差万別であるのが、むしろ普通なのでる。人は同じものだけを見てはいない。羽仁さんの掲載作は、やがて本館に出る、読んで欲しい、大勢、ことに女性に。

2004 12・13 39

 

 

* 小嶋寺と栄山寺  清水寺を北法華寺というのに対して、壺阪寺を南法華寺というと知りました。

旅のあと、清水寺と忠僕茶屋でしおりをいただいたのですが、「南大和の観音寺に対して北観音寺を号した」とだけ。これではとても高取へ辿れませんわね。

その小島山南観音寺(観音院)まではなかなか距離もあり、足元など用意がいるというのであきらめ、小嶋寺で、観音院の拓本と、マンダラの箱、チタンかなにかの金属板にマンダラを写したものを拝見しました。旧国宝の十一面観音は東博に常設展示されているとのことで、お写真で拝観。

ここは安産の祈祷所だそうで、若い女性が帰ってゆくのと入れ違いに着いた雀たちのあと、しばらくどなたもいらっしゃいませんの。お寺の奥様が気散じな方で、「田村」が上演された、地元のホールのこけら落としのことや、月照の足跡を辿って鹿児島までいらしたことなど、いろいろ楽しいお話をうかがいました。

お天気もよく、それぞれ、本尊薬師如来開帳、菊薬師というのに、栄山寺も金剛寺も人まばら。湿気た地面に足を取られながら、荒れ寂れた栄山寺境内を歩きました。八角堂は手が入れられていましたけれど、石燈籠にとまっている美しい小鳥が、何かの化身ではと思うような空気が漂い、ぎりぎりもってるような外観に、ギャラリー“消え消えの美”を中にかかえる皮肉な本堂。雀は、こういうほうが、尋ねてきた甲斐を感じて好きですわ。

総持寺もそうでしたけれど、直す寸前に偶然出会えると、なにか訴えられて導かれた気がしますの。薬師寺や唐招醍寺など、訪ねるのが遅かったとつくづく残念でなりません。朽ち沈みゆく感じというのも佳いものでしょう?

山を背負ったお社に、なンだか分からないけれど、あッ、ここッという感触を得ました。それが、御霊神社でしたのよ。階に一羽、長い尾羽を上下させて、秋の日差しに美しい黄色を輝かせたセキレイがたたずんでいました。

お参りをしようと目を上げましたら、リュックを背負った若い人が並んで登ってゆきます。 武智麻呂のお墓まで、手摺りのついた遊歩道ができてますのね。どんな展望なのでしょう。

庭の花々を眺め、小ぢんまりと日なたぼこする部屋にぺたり座り、唐招醍寺長老隠居所とのいわれに納得いたしました、金剛寺。井上内親王と他戸親王の怨霊を祀る官寺というのは、重盛の時代まで祟っていたンでしょうかしら。

キトラ古墳と目睫の小嶋寺を辞し、高取の城下町を歩いていくと、城と壺阪寺へ岐れる辻の手前に、観光案内所がありました。大正時代の呉服屋を改修したそうで、靴を脱いでお家にお邪魔するようなつくりになっています。お座敷で足を伸ばしていると、係の方があつあつのお茶を持ってきてくださいました。よい水でいれた、香ばしいお茶で、いかにも薬の町らしいもてなしです。

コーヒーはないの? なぁんて方がたいていどこにもいらっしゃいますでしょ。インスタントコーヒーも用意されてますのよ。ところがそちらはセルフサービスで100円とあるので、笑ってしまいました。

そんな間にも、つぎつぎ人が訪ねてらっしゃいます。販売や趣味の展示もできるここは、地元の方が寄り合うのに便利で、気楽で、居心地良くて、観光客にとっては、その土地の空気にひたり、方言に触れることもでき、親戚の家に遊びにきたようなゆるやかさに、ひねもす居たい気分のする場所でしたわ。

壺阪寺への途中に阿波野青畝の生家があり、素十も一時疎開していたと書かれていました。

五條の観光案内所も、旧街道にありまして、こちらは医院を改修したもの。住居部分を地域の集会所に使ってらっしゃるようでした。

ねじ式の鍵が下がる、白ペンキで塗られた枠。磨り硝子。小窓の奥、机に、案内の方がいらっしゃいました。いまにも「○○さぁん、お薬ですよ」と呼ばれそうで、スリッパに履きかえ(これも医院の雰囲気いっぱいですわ!)、ゆがんだ硝子などの建具もそのままの、坪庭を囲む細い廊下を歩くと、お医者のお嬢様気分がします。

町に一軒はこういう憧れのお宅がありましたでしょう。懐かしい思いに口元ほころばせながら展示室に戻りましたら、文楽「酒屋」のパネル写真がたくさん飾ってありますの。どうしてと思いましたら、赤根屋半七の家がこのすぐ先にあったそうで、浄瑠璃にも「大和の五條」とあるといいます。何度も見てるのに、なぁんも聞いてない雀。

傾いてくる日影に、行灯を持ち出し、埃をぬぐい、火を入れて、つと玄関に出でて、柱に巻き付くようになげく「酒屋」お園の姿がまぶたに浮かびました。

長くなりました。今日も何度か編集した文を、ふいにいたしましたの。    雀

 

* この雀さんこそ、電子メールというツールをビタミンにして、こんなに観察した文章の書ける人になった、わたしのメル友では、第一人者かもしれぬ。機械が代わり、長く書けるようになったことが、裏目に出ないように願う。

2004 12・13 39

 

 

* 細い月が昇りました。北野天満宮の梅が咲き始めたそうです。

前回の流星群のときは、大きな膝掛をぐるぐる巻き付けて、熱々のお湯で割ったブランデーを飲みながら見ておりましたが、昨晩は風呂から布団に直行。湯冷めしそうでしたから。朝の気温はたぶん零度ちかくになってましたわ。ふたご座流星群ご覧になれましたか。お風邪召しませんよう。  雀

2004 12・14 39

 

 

* すっかり日の暮れるのがはやくなり、五時というと真っ暗です。電飾を灯けはじめる家がちらほら出てきました。世間はクリスマス気分みたいです。

今年はいろんなことがありました。花には、佳い一年だったと思います。

 

* 一日中、いろいろ仕事していた。

2004 12・14 39

 

 

* 藤村操のこと。  闇サイトはしばらく覗かないと、膨大な記事量になりますね。そのエネルギーに圧倒されつつも、いつも楽しみに読ませていただいています。

スクロールして読んでいますと、藤村操のことが書かれていました。わたしは戦後生まれですが、叔母の本棚にあった雑誌キングの付録の明治・大正・昭和絵巻(たぶん、そういうタイトルでした)を子どもの頃、絵本のように眺めていて、そのなかに、華厳の滝にまさに身を躍らせた瞬間の書生姿の藤村操の色刷りの絵があって、強く印象に残っていました。

何度も眺めていたときは、何を考えた、感じたというのではありませんが、その背景をお教えいただいて、ああ、そういう時代だったのかと思いました。

最近のネット自殺(心中?)の多発に、どのようなご意見をお持ちですか。

わたし自身は若い頃は、長く生きていれば、もっと何か納得して死ねるようになるのではないかと思っていましたが、何十年生きてきて、何もわからない、少しも賢くなれないことに呆然としています。

抱き柱を否定なさっておられます。けれども、抱き柱をほしいと切実に思います。

六波羅蜜寺の空也上人の像をたびたび思い浮かべます。口からあぶくのように念仏(=六字名号)を吐き出していらっしゃる表情を。土ぼこりの染み付いた逞しい足を。

あかつき、寝覚めして。  大阪・まつお

 

* 藤村操の華厳瀧自死に話題が行き、たいていの人の口から「バカみたい」という反応のあることに気付いていた。日本人が「哲学学」という知識の虜ではなく、真実「哲学する」ことに渾身の思いをこめはじめた頃、日本の近代は富国強兵に奔命していた。知識人は、もう福沢諭吉等のようには生きることが出来ず、「浮雲」の主人公のように、「舞姫」の主人公のように、薄氷を踏んでかつがつ権力に奉公しつつ生きていた。己れは何ぞ、何故に生まれ、何処へ逝くぞと煩悶し、「君国何かあらん、家門父兄何かあらん」と思い至り、行き詰まっていた。その切実は藤村操ひとりのものでなかったことが、わたしの「ペン電子文藝館」に送りこんだ僅かな証言からも察しられよう。

わたしは彼の自死を、いわば「主権在民」自覚の甚だ純粋な、純粋すぎたほどの先蹤とみて特別室に適すると考えた。

「ネット自殺心中」の多発をわたしは、中世に多く起きた「補陀落入水死」等の一種と考えている。「生きること」よりもより頼もしいと、「死ぬること」に抱きついた、無信仰に似た新しい信仰の発露であろうと。このメールの人ほどの優れた知性でも、それなるが故に真率に「抱き柱をほしい」と願われる。

昔は、また今でも、通常は抱き柱として、信仰したい神仏や浄土や極楽を頼んだが、現代の常識と情報は、世界の世相は、大方それらを無効ととして粉砕している。「ネット自殺」の人達には、神も仏もない、もっと空気のような、酸素の不足した稀薄な空気に似た「抱き柱」を思い浮かべたのであろう、それはヴァーチャルな人肌のぬくみに向かう幻覚信仰であったかも知れない。携帯電話やメールの氾濫はそれを指さし教えている。

「あかつき、寝覚めして」。 それはただアイサツの言葉ではない。

 

暁静かに寝覚めして 思へば涙ぞ抑へ敢へぬ

はかなく此の世を過ぐしては いつかは浄土へ参るべき

 

梁塵秘抄の法文歌がたちどころに蘇り、しかし、なかなか現代は「浄土」をして確かな抱き柱よとは保証しない。「ネット心中」した人達には、そういう「浄土」はそれこそ欠落して、むしろ来世「身内」の家族の新生が願われていたかも知れない、いやもっと淡泊に、徹した消滅こそ安楽という期待があっただけかも知れない。

2004 12・15 39

 

 

* 薄紫の雲が美しい朝に、朝刊で長谷川泉さんのご訃報に接しました。息を呑みました。

どんなにお力落としかとご案じいたしております。

手紙も電話も、ましてメールでは、言葉なんてなにさと、その力の無さを痛感いたします。

お気のすむよう、時をお使いくださいませ。おからだだけはお大切に。 雀

 

* 感謝。

 

* おはようございます。

今はとても日が短いので、あたたかい昼の時間を無駄にしないよう、早寝早起きになりたいなあと思っていますが、なかなか。

風は相変わらず夜更かしなさっているのですか。 花

 

* 夜更かしはわたしの「生きている」楽しみの一つになっている。

夜前も、バグワンと柳田国男を音読し、床に就いてから、「第一次世界大戦」に入る直前の大隈内閣成立までのごたごたを読み、蘇峰会会員から贈られた本の中で蘇峰蘆花兄弟に関わる四論文を全部読み、今昔物語を面白く数語読んでから、四時過ぎて灯を消した。四時間半ほどして起きた。読書を抱き柱にしているわけではない、面白いから楽しんでいる。『先祖の話』のような滋味深き論考には、吸い取られそうに惹かれてしまう。京都の臼井史朗老から贈られた『神仏合体の動乱』も、臼井さんらしい筆致の、奔放で放胆な論旨と表現が、楽しめそう。小沢昭一氏の「芸能野史」も。

なにかに間に合おうと「生き急ぎ」しているのかも知れぬが。

2004 12・15 39

 

 

*  静かな朝。

やっと器械に向かっています。が、晴れやかな気持ちより、何でしょう、砕かれた思いをどうしようもない、そんな気持ちでしょうか。何に砕かれたかと聞かれれば分からない、多分私自身の内部の弱さでしょう。ただし確固たる「抱き柱」があるとは思えませんから、それも要らない、少なくともそうして生きてきたから。

「日本史を見直していく作業の中で藤村操の自死を一つの天皇制絶対専制「明治国家」への反措定と捉えておく。」と書かれていたことを思います。

藤村操の自死については幼い頃から何故か鮮明に知っていました。万有の真相は唯一言にして悉(つく)す、曰く「不可解」。これは現在のわたしたちにとっても全く同じ。それでもわたしたちは「知らんふり」して生きています。

一昨日、関西のテレビで毎朝出てくる司会者が、大真面目に「人生って暇つぶしとちゃいますか、そんなら楽しまな損やろ?」と言ってました。なんてこと言うのん、と思いながら・・いくらか難しい言葉? で「人生という限りある時間をどう生きるか、幸せに生きることだ。」と言い換えられると「納得」させられたりしました。ただ、哲学的な物言いを、完全に茶化す傾向は避けたいけれど。

自殺といえば、愛親覚羅慧星さんの心中事件なども、鮮明な衝撃でした・・個人的なといえない事件がどのように位置づけられるかは、今は問いませんが・・。

野上豊一郎の回想「憂鬱な日々がつづいた。それから大学を出る頃まで、われわれのクラスは自殺者を三人出した。」の部分も堪えました。

振り返って教養部の頃から、「自殺」に囲まれていたような感があります。身近にあったそれらの死が、決して無縁のもののように思えません、今も。何故彼らはその行為に及んで、遂行できて・・わたしにはその一線が越えられなかったのか、越えなかったのかと思い続けています。

個人的な問題と背後の時代とを現時点からみて・・いくらか読み解くことはできますが。

次に北村透谷や田中正造を取り上げられるとか。田中正造に関しては以前読んだことがあるので、特に思うこと多いです。この人たちを取り上げ、正しく位置づけていくこと、そしてさらにその後に控えている「暗い時代」を読んでいくこと・・わたしは現代史の本の、先になかなか進めませんが、読み通すつもりです。

HPを遡って・・遡るほど昔ではなく、つい最近のことなのに、たくさん書かれていますから画面をずいぶん遡らなければならないのです・・母と娘の関係や、秦さんや谷崎の「母」なるものの意味、関係も考えさせられました。

母親の愛が「世界の中心」とは限らない、そのことはまた私自身の切なる感懐でもあります。「世界の中心」と書ける人は・・幸せなのでしょう。同時にそれに絡めとられる不自由も。人は、成長して世間に飛び立っていくものだと、たとい寂しくてもそう(母親として娘達に)促す思いが強いのです。幸せであって欲しいけれど、あなたの人生はわたしのものではない、あなたの人生だから、と。

暖かな日が続いて十二月とも思えませんが、今晩あたりから冷えると。庭の楓がやっと真っ赤になりました。台風で葉が落ちて新緑の若葉になり、そして慌しく紅葉しています。京都の紅葉も「東福寺や真如堂、永観堂などみな終わって、今は下鴨神社糺の森と竜安寺北西のお庭くらいやなあ。」とは、昨日思いがけない用事で出掛けた京都での、タクシーの運転手さんの情報。糺の森など茂っていると、下の草木の紅葉はやや遅くなるのですね。紅葉が終わって、それでも東山はまだ冬山の景色にはなっていませんでした。

一年がまた過ぎ去るのに呆然としています。

最近読んだ本はメイ・サートン「82歳の日記」、辻邦生「微光の道」、フィリップ・クローデル「灰色の魂」どれも面白かったです。その他、濫読です。カール・ケレーニー「ギリシアの神話」に難渋しています。覚えられなくて読み進められません。が、知識を得ようとして読まなくてもいいと、お言葉に従いましょう! 読める時間が極端に少なくなっているので、もうじき爆発的に読みたくなるでしょう。勉学から程遠く、習慣的に、不可欠のものとして本があるのだとしたら、いささか反省の余地あり、です。

すべて、道遠し・・です。  鳶

 

* 落ち着いて飾らない「ことば」が、顔に吹き付けるようにいろんな「おもひ」を送ってくる。京都がなつかしい。

2004 12・16 39

 

 

* 阪流   この土曜日「芸能花舞台」が“伝説の至芸・菊原初子”で、「日本の話芸」は「三枚起請」桂文枝と、大阪が続きますの。

朝、和菓子屋さんから、小豆を炊く匂いがしていました。

勘ひいき三津ひいき両方から、木挽町の「身替座禅」がよいとメールをもらいましたが、顔見世でも身替がでていまして、仁左の奥方が佳いと聞いています。大晦日に、我當さんの「箱根霊験誓仇討」とともに放送されるというので楽しみにしてますのよ。

小雪が混じっていそうな風が吹き募る、良弁忌です。そちらは気温差がおおきいようですが、どうかお大切に。

囀雀

 

* 久しぶりに黒髪を舞って、腰が痛くなりました。咳も残っていますし、回復とは言い切れず情けないことです。

手持ちの本によると、田中正造の直訴は明治三十四年の十二月十日。この直訴は田中正造ひとりの考えで実行されたのではなく、毎日新聞主筆石川半山(はんざん)、幸徳秋水の三人による計画的なもの。直訴状を起草した秋水の手でその写しがあらかじめ新聞社に渡されており、じっさいに使用されたのはそれに朱筆を加えたもの。直訴した事実とともに足尾銅山の惨状を世間に訴えるのが三人の目的だったとありました。

明治には立派な男らしい男の人がおりました。それに比べ昨今の政治家や言論人はなどとは主義として言いたくない……ですが、テレビを観るたびに腹が立つのはなぜでありましょう。  蝸牛

 

* 枯葉のシャワーに、二題。  多摩 e-OLD

パソコン画面に疲れて、夕方、近くの古沼まで散歩。

コースに入ったとたん、つむじ風がおこり見事な枯葉のシャワーを、貸切で、数秒浴びました。いやあ実に久しぶり。

ふと、田中正造と藤村操がよみがえってきました、デジャヴかな、、、、秦さんの「闇に言い置く」を読んだからでしょうか。シャワーのおかげで何かを思い出したのです。

母は大正6年に足尾銅山に生を受け、鉱夫の祖父は、ハッパで大怪我をし飲み屋の主におさまりました。私の前の前のカミさんの実家は下野、明治末、鉱山(銅山)開発に失敗した親類の保証人で、当時二十万円の借財を背負い、復権までに檜の山々がすっかり裸になり、それで元岳父の幼年は、それはもう生活が厳しかったとか。

富国強兵で日本中いたるところ鉱山開発が進んでいました、山師、政治屋、羽織ゴロもワンサカ、ワンサカ。その一つのケースでした。

足尾銅山の山民は過酷な労働を強いられ、渡良瀬に生活する草莽は鉱毒に毒されていたんですね(近年、復興しつつある緑化はうれしい限り)、、、。

昭和四十年前半、東北の旧姓中学系高校OBで、全共闘出の年下の親友は、いつも杯が進むと藤村操の「悠々たる哉(かな)天壌、遼々たる哉古今」を口ばしっていました。そのころは、新宿のゴールデン街でも安アパートの飲み会でも、左右雑居、かんかんがくがく。私は「右翼」と馬鹿にされていましたが、そんなことは平気の平左、明大の秋山、日大の田村なんて連中もそばにいたような記憶があります。それぞれにいっぱしの憂国の士気取りでも、右、左関係なく純粋に「世直し」を肴に酒を飲んでいました、書生っぽいなんて言葉も死語になりましたね。

薄暮の古沼にはなにやら楽しげに語らう中学生のカップルひとつ、うまくいくとイイネ、そんな平和な光景が長く続くよう、なんて、シンミリして、昔を、失った第二の故郷(下野)や、娘らとよくいった華厳の瀧を、思い出していました。

2004 12・16 39

 

 

* 冬の日差しよく朝からガラス戸を磨き(?、)ながら、夕食用に娘達の家へ届けようと、大鍋に煮た根菜多種の豚汁の試食が、昼食になったりして、今午後。冬ヤモリ。うつらうつら、と居眠りが出そう。でも昼寝はしない。

昨夜ビデオで観たフランス映画「隣の女」。観たかった映画だけれど、悲惨な最期で終わる男と女。その心情。人生って複雑やな――と、つくづく。

冬の京都へ行きたくなりました。  泉

 

* メール、ありがたく。昨晩届いていたメールを昼になって読みました。昨日のわたしのメールはよく落ち着いて・・とされていましたが、言葉を選んで書いているのではなく、器械に向かっていると思いがけない言葉や思いが飛び出してきたりするのを、半分は楽しんでいるのです、私自身も。

今月初め頃でしたか、一番若い友人の志望が叶ったと書かれていたので察していました。推薦で早い時期に受験戦争から「いち抜け」されたのは羨ましい限り、本当に良かった。これから好奇心も勉学への意志も最大限にフル活用していけます。若さにはどう対抗しても我ら「老兵」は勝てません。今後を祝います。おめでとう!!! です。

映画「戦場のピアニスト」は以前映画館で見ましたので、先日は「怖い、悲しい」ところになるとテレビから離れて・・見ました。ナチのことが映像になると特に耐え難いのです。昨晩はBSの「チップス先生さようなら」を見ました。高校生のとき英語で読まされたのですが、さすがに細かな話は忘れてしまって、その忘れ方が程よかったのでしょう、小説と比較することなく、ただただ映画を楽しめました。

暮れの主婦の仕事? いいえ、普段と同じ。暮れから正月にかけて、おそらく例年通り岡崎で過ごすでしょう。

最近は同性の友人ばかりがふえて・・これは喜ぶべきか、悲しむべきか・・街まで出掛けたり、人を部屋に呼ぶことが少々煩わしくなっています。付き合いって微妙なものです。

風邪ひきませんよう。お誕生日、歌舞伎楽しまれますよう・・羨ましいなあ!  鳶

2004 12・17 39

 

 

* 元筑摩の日比さんからも中川さんからも、建日子作『推理小説』に手紙をいただく。売れ行きは好調でもう初版本は手に入りにくい。こういう本は脚が早い、どんどんと行くのがいいので、永くは保ちにくい。

2004 12・17 39

 

 

* 信号の向うの顔も十二月

朝刊一面の、燃え盛る炎と人影の写真にびくっとしました。昨日は、秋葉の火渡りでしたのね。

お江戸では羽子板市が始まるとのこと。三時前に郵便局に行こうと、外階段を降りるとき、影の長さに驚きました。もうまもなく冬至ですものね。

近くで、ショッピングセンターから出たところを待ち伏せた、ひったくりがあったそうです。人混みと積み上げた商品も怖く、風邪をうつされてもつまらないから、買い物はなるべくせずにいます。

いやな事件が続きますが、毎朝、ひきしまったおいしい空気を吸っています。このまま、暮れまでしずかに過ごしたいなぁ。  雀

 

* お手づから誕生祝いを彩りよく賜り、恐れ入ります。

みたまふゆ年の瀬川のふかみより

お元気に 佳い春へはればれご上陸を。 六九郎

2004 12・17 39

 

 

* 無事お手元に。ほっといたしました。

納得いくまで打ち込む秦さんのことですから、‥ご無理はなさらないでしょうけれど‥おからだが心配。悪いほうへの蓄積がないことを切に祈ります。ますますのご自愛を。

海に還るか山に還るか。雀はどうしたい? 考え続けております。北陸の海と思っておりましたが、湖北も好いし――奈良の山になら山に還りたいとこのごろ思います。 雀

 

* ま、とことん長生きして、その結果自然におさまるところへおさまればよろしい。「分別」してきめることではありません。

心行くまで心静かに雀は遊行なされ。 湖

 

* 広東語入門は今日で最後でした。入門が終わると初級に編入できるのですが、やめておこうと思います。ほかの勉強もしていますし、広東語は好きだけれど、いくつものことを平行してできるタチではないからです。

創作は難しいですね。天から与えられた才能もファシネーションもないわたしは、根気だけです。稟才は根気なり、という言葉だけが励みです。

今夜おそく、24のセカンドシーズンの放送がこちらでもはじまります。しばらくは楽しめそうです。 花

 

* 継続・持続という意味の「根気」。天与の才は、当人には分からない物である。他人にはもっと分からない。「天与」ということは創作者は常は忘れていた方がいい。

問題はファシネーション、これは藝術を、佳い藝術にする、不可欠の魅力、体臭、いや、光源のような物。ブリリアントというほめ方をするが、輝き出て来る佳い匂いがファシネーションであり、優れた作品はどのような内容の作品でもこれを湛えている。大事なことだと思うが、ものを創ろうと云うほどの人は、このファシネーションが、「天与」「天恵」などと思いんではいけない。自力で身内から引っ張り出せるはずの魅力だと思うべきである。さもなければ励みという物がつかない。

どうその魅惑をひっぱりだすか。

自分自身に、固定した思い込みを押し付けないのが大事だと思う。自分はこういう人だと思い込み始めると、そのエゴだけが増殖する。藝術とはいかにもエゴそのものの所産かのようでいて、ほんとうに佳いものの出来ていくときは、実はそれこそが「天与・天恵」のおかげで、そんな時、エゴは、無に、空に、なっている。エゴではなく、我執や思い込みがではなく、むしろ、無心に自身を空のなかへ預けきれたときに作品が光り始める。

光る、それがブリリアントであり、ブリリアントとは「花」であり「はんなり」であり、それが「ファシネーション」の意味である。自身を柔らかく素直にすっかり預けきれないと、ややこしいちっぽけなエゴが、頑張りが、のこってしまう。それは無用の残滓となり、作品をどこか悪しくざらつかせ、汚くする。この汚くとは、決して綺麗事の反対語ではない。無心の反対語である。分別や思索をだけ頼った創作はブリリアントに輝きにくい。天才とは、思案に溺れずに自身をいつのまにか「天与・天恵」に溶かしこみ、我を忘れられる才能なのであろう。だれもが本当はそんな天才を不公平なく持っていると思う。その発露を、エゴが、我慢というものが、妨げている。この差が大きい。

2004 12・18 39

 

 

* 陽気のおすそわけ。

hatakさん  少し早いのですが、お誕生日のプレゼントをお送りします。

アルゼンチンは小麦とワインの国。メンドーサ産の紅白をお楽しみください。

あちらは今盛夏、札幌は昨日-10℃でした。こんなところでフラフラ踊っていたら、凍死してしまいます。したがってラテンの陽気も残念ながら急速冷凍です。

「ペン電子文藝館」に教えられることがたくさんあります。この莫大な仕事がわずか数十万円の予算(=過去の総経費が数十万。新設定の年間予算はせいぜい三十数万。)でなされていること。それを可能にしたのは、電子メディ

アの最も効率的な使い方を見抜いた先見性と、事前評価などには目もくれず電光石火に仕事を進めて、実績の重さにものをいわせたこと。責任を誰にも転嫁しないで、煩雑な手仕事を多くご自分でなさっていること。

出版も研究もヒト・モノ・金を組み合わせて何かを産出する営みという点では同じで、立案者のセンスがもろに表出してしまいます。こういう金も手際も体制もシンプルできれいな仕事がいいなぁと感嘆します。今になってわかりました

が、三年前に絶対の自信があったからこそ躊躇なくはじめられたのですね。こういう着想はいつ浮かび上がってくるのでしょうね。

しかし目を酷使する校正がもう限界を超えていませんか? 濁点と半濁点の識別が厳しいのでは? 目を磨り減らして作品を入稿しておられる様子が心配です。ご自分の体も労わって下さい。

赤ワインのポリフェノールは目にいいそうです。ということで、話が頭に戻りました。よい誕生日をお迎えください。

maokat@札幌

 

* 激励、ありがたく、嬉しく。ま、「やれるものならやってみろ」と言われ、「やれますとも」とやっただけです。

問題は、何よりコンテンツの「質」です。日本の近代文学が、作品の質と作者の意気において、鼎の軽重を此処でハッキリ現に問われています。なんだこんなものかと云われたくない。

電子文藝館の「志」も、いつも問い直しています。「反戦反核」「出版編集」特別室に、新たにまた「主権在民」特別室を新設し、早やどんどん発信し始めました。優れた文学をあつめ、同時に、日本という国と国民が、どう、どこへ歩み進んで行くのかを、いつも思い出していたい。それは文学と無縁のことでは決してない。

有り難く遥かに盃を挙げて、今年を見送り、新年を迎えましょう。お大事に。ありがとう、maokatさん。

 

* 甕入り柄杓つきの名酒、栃木や群馬や新潟の珍味、埼玉の菓子、京の「千花」の昆布や「菱岩」の魚など。みな、忝ない。

2004 12・19 39

 

 

* 秦さん ごぶさたしています。前回から、もう四ヶ月と半分が過ぎていました。ずいぶん離れたものだと、少し驚きました。元気にしています。

九州をいろいろ回りたいと思っていたのが、回らないままで、もう冬。行きたい気持ちは強いですが、しばらくその機会はなさそうです。

先月の半ばくらいから、就職活動がにぎやかになってきました。本格的な選考はまだ先ですが、いろいろな企業が福岡で説明会を開いています。商社、金融、メーカー…有名な企業の社員から直接話を聞けて、なかなかおもしろいです。

メーカーに惹かれています。自分の好きなものをつくっている会社に入りたい。よく「何をやりたいかがわからない」と言う人がいるのですが、そこで考え込むことが自分にはないので、トクなほうかもしれません。

韓国に行ったのが、もう三ヶ月前のことです。飛行機でソウルまで、初日の夜に発って三日目の早朝に帰るという、ほとんど一日だけの旅行でした。

ゼミといっても、もとが四十人を超える大所帯で、半分以上参加したものですから、なんだか修学旅行みたいでした。ぞろぞろ連れ立っての観光は性に合いません。ガイドさんが丁寧に説明してくれるのをなんとなく聞きながら、視線はきょろきょろしていました。

ソウルは、高層ビルが立ち、大きな幹線道路が通っています。日本車をそのまま韓国仕様にした「国産車」が走り、小さなバイクがコンテナのような荷物を積んですり抜けます。道路の流れは80~90km/h、曲がるときにウインカーはともらず、赤信号を守る車はいません。深夜のタクシーは、とてもこわかったです。

ファッションビルは朝五時まで営業します。ビル街から大通りをまたぐと市場があります。通路にも出店があるので、歩くときは縦一列になります。その中を、やはり荷物をとことん積んだ小型バイクがときどき通ります。すれ違う商人たちは、日本人を見抜き、「ちょと社長さん、安い革ジャンありますよ」と呼びかけてきました。

食事には必ずキムチが出ます。同時に、キムチと同じ味のごぼう、いんげん豆、いかの干物、さらに唐辛子がそのまま出てきます。箸は鉄製で、とても長いピンセットの先端を丸くしたようなものでした。手加減のない辛さと、鉄の冷たい感触を常にともなう食事でした。

三十八度線が印象に残りました。国境を見下ろせる展望台があって、観光スポットになっています。むかし有名だった「威嚇放送」はもうなく、静かに川が横たわるだけ。よく晴れていました。川の向こうは、丘があり、畑があり、民家がありました。

そこに住む人は、向こう岸から望遠鏡で覗かれているとは、きっと知らないでしょう。

今年も年内は温かくすみそうです。バイクで移動する身にはありがたいことです。とはいえ、日が沈むと急に冷えるので、甘く見ると風邪をひきかねません。今週末には新潟に帰りますが、それまでばたばたと忙しくなりそうです。

次の水曜日にサークルの忘年会があり、クリスマス前ということで、後輩たちに手作りケーキをプレゼントすることになりました。友達と二人で作るのですが、お互い講義が終わらないと作業できないので、二時間たらずで作り上げなければなりません。僕にできる手作り料理といえば、野菜炒めと豚汁くらいで、お菓子は経験がありません。本当に間に合うのかなあと、少し不安なここ数日です。

そうそう、ケーキといえば、遅れてすみません、お誕生日おめでとうございます。

湖の本、生活と意見、いつも勉強になっています。これからも、迪子さんともども、どうかご無事に。

それでは、よいお年を。   九州大学法学部

 

* 大学に進む友人もあり、そろそろ就職戦線へ乗り出していく若い友人もある。

元気そう。何をしても何をみてもエキスを吸収して、ふっくらも、しっかりもして行く君だ、怪我だけはどうかしないでおくれ。

もう文通をはじめて十年になろうかと思う。彼はまだ中学にいたと思い出す。いまは生彩豊かな青年だ、一度も顔を見たことがないのに、胸の中の此処に、きりっと場を占めている。ありがとう。誕生日を祝ってくれて、ありがとう。

 

* 九州にいると朝鮮半島は風のようにいつも身内にそよいでいるだろうと思う、旅人して九州をめぐった時でさえそう感じた。

昼間、テレビの講座で、日清から日露戦争当時の「日韓関係」を講義していたが、極く最近に身を入れて読んでいた歴史記述と当然大きく深くかぶさり、暗澹とした気分だった。どう言い逃れようもなく、かつての日本専制支配政府と軍とは、列強と共謀し、また日本だけの途方もない横暴から、大韓国を民政・外交・経済的に蹂躙し尽くし、ついには併合した。国土と国政とを奪い取った、保護するとの名目を、恥ずかしげもなくつけて。「いかなる屁理屈であろうとも大韓国に武力干渉出来るきっかけを作れ」と云うような公電が日本政府から出先機関に何度も出ていたのだ、言い逃れようがない。朝鮮半島の人には不幸な申し訳ないことであったと、思う。

だからといって今、拉致問題で北朝鮮政権のやっていることに、黙ってはいない。黙っていてはいけない。

2004 12・20 39

 

 

* おめでとうございます。いつよりお幸せな一日になりますように。

お誕生日をお迎えになったご本人からプレゼントをいただくなんて初めてです! ありがとうございます。

白の角封筒に“湖の本版元”とありましたから、七十路を前に、ご本の発行に、なにかご決心なさったのかしらと、胸塞がる思いで封を切りましたの。ヨカッタ♪

おすこやかな日々と、お仕事の充実をお祈りいたしております。そして、できるかぎり長く、ご本でも接していたいと、声をつぶしても雀は伊賀の山中から囀り続けますわ。

クリスマス寒波到来。塩化カルシウムの袋が道のあちこちに積まれる頃となりました。お大切に。 囀雀

 

* 雀さんに近い松伯美術館春展の招待状を差し上げたに過ぎないが。生かしてもらえるだろう。塩化カルシウムか。ご用心。

 

* 十二月二十一日、京では「終い弘法の日」などと言います。お互いこの歳になって、今更、おめでとう、もなかろうと思うのですが、かなりの旧知旧友がこの月生まれなもので忘れるはずもなく、こんなお便りを・・・。私自身も、そして恩師、故西池季昭先生も師走にこの世に生を享けた一人でした。

大台を目前にこの齢までよく生かされたものだというのが実感です。その感謝の気持ちをいったい誰に、どこに向けていいものか、宗教心などない私には判りません。

「いよいよ(人生の)三学期だよ」と恒平さんは言いました。私の場合、どんな”成績”で”卒業”を迎えるものやら見当もつきません。ただ最期を迎える、その時まで少なくとも Productive Life でありたいものと・・・ただ生きているだけではつまりませんから。言い換えれば、生き続ける甲斐のある、とでもなりましょうか。ま、老境との向き合い方は人さまざまです。

あの弥栄新制中学の卒業式で約250人の同級生に別れを告げました。夭折した人を除いても、その後の長い道のりを歩んだその数に近いひとつひとつ異なった人生の軌跡があるでしょう。同期会などでしばしば顔を合わせるお馴染みさんより、一向に消息も知れないあの人、この人はどうしたろうかと、その昔の童顔を次々と思い浮かべるのです。

この国に暮らして36年、顧みてこんな人生だったかという言い知れぬ感慨があります。

戸外の寒気は今、零下17度まで降下しました。長い冬越しです。ご健勝で、と祈る心をわが身にも振りあててまいります。   在カナダ

 

* 旧友の肉声を耳の奧に聴いている。お元気でと遥かな温顔に挨拶をおくります。

 

* 69歳のお誕生日おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。

先月のペンの日にご挨拶申し上げてからまだ1ヶ月も経っておりませんが、小生は20年前の学生時代から先生のお名前は存じ上げておりました。その意味では、大変失礼とは存じますが、先生が今だ69歳でいらっしゃることに大変お若い方であられると正直驚いております。今年69歳になられるということは、20年前は40台でいらっしゃった訳で、すでにそのお年で同志社大学出身の代表的な文学者となっておられたのですから。

先生の新しい一年が幸多い年となられますよう心よりお祈り申し上げます。

小生、勤め人のためになかなか文章の方ははかどりませんで、牛歩の歩みとなっております。おおむね1週間単位での進展となっております。新島先生に関する論文は校正の段階に入りました。明日より蘆花の「勝利の悲哀」もスキャン&校正に移ります。文部省の「新しい憲法の話」は今週末に着手いたし、来週中に校了できれば良いと考えております。

千葉市立美術館の清水展をご覧になられるようなご計画ございましたら、お声がけ賜りますれば幸いです。可能でございましたら、ぜひご案内申し上げたく存じます(平日は仕事のために難しい面ございます)。

取り急ぎお祝いとご案内を申し上げます。   同窓

 

* 六十九歳。起きて一番に回収される故紙やゴミなどを外へ出してきた。風もあり冷えていたが、好天。

誕生日を祝って下さるたくさんなメールなどを頂戴した。感謝。さ、今日は歌舞伎を楽しんでくる、はんなりと。

 

* 風、お誕生日おめでとうございます。

来年も、再来年も、その次の年も、おめでとうと言えますように。 花

 

* お誕生日おめでとうございます。 69才ですね。なによりのお願い! お元気なこと。叶えられますように。横浜

 

* お誕生日おめでとうございます!

歌舞伎は楽しんでこられましたか。

今年も後十日、いつも生協で頼んでいる小餅も、今年は冷凍で届きます。

鏡開きのカビ臭いのがいやだった小豆粥の味も、今では懐かしい思い出です。

大きな鏡餅や小餅と一緒にほしづきさんが三つ、神棚に供えていました。

いつまでもお元気に、ご活躍ください。ご無理はなさいませんように。

新しい年も、良い年でありますように・・・      従妹

 

* 六兵衞下見。  千葉E-OLD

下見などとは了見違いでした。あれは、お一人でお行きください。誰にも何にもわずらわされてはいけません。「京の陶芸」と言われても猫にこんばんわのおじさんが二時間ほど時を忘れました。

お話は秦さんがご覧になってからにしましょう。歴代六兵衞百五十点以上。本日(火曜日)の午後二時過ぎ、殆ど人影はありませんでした。

寒さにくれぐれもお気を付けください。

2004 12・21 39

 

 

* 伊勢音頭。 二見浦の「初日の出」同様に有名な、伊勢内宮鳥居中央から昇る冬至の朝日。伊勢古市(ふるいち)の麻吉旅館が、この秋、国の登録有形文化財に答申されまして、いつかここに泊まって朝日を見るのが、夢。風情豊かな懸崖造り。明治初年には藝妓三十人を抱えていたといいます。宿泊は一万円から、昼食利用三千円から、と聞きました。

「恋寝刃」の貢のような男前と、ご一緒したぁい。  囀雀

 

* は、は、は。 「日本の話藝」の数日前、(桂)文枝さんがゲストで呼ばれた、葛西アナ司会の番組が、NHK大阪管内で放映されましたの。

はめもの、はんなり、(弟子)はぐくみ、この三つの「は」をキィワードに進められ、相変わらず女性描写が素晴らしいと讃えられた文枝さん、「はんなり」といわれることに対し、「やわらかみ、いぅことゃなぃですかなぁ」と。

雀は、女性の描写もさることながら、男性の語り分け、特に、身分の高い人の描写がうまいなぁと思いますし、好きですの。

「師匠、思うように演っとくなはれ、そのまま全部、放映しまっさかぃ」という、大阪民放の落語番組がありましてね。大阪の女友達が録(と)っておいてくれました夏の「猿後家」と、こんなに違うかしらと、文枝さんらしさが見いだせない、胃が痛む思いの「三枚起請」でした。こまごまカットされ、「ほんまは、あんなんゃないのにィ」て、拝見して辛ぅございました。 雀

2004 12・22 39

 

 

* 天皇誕生日。皇太子様の「人格否定」に関する発言に対して、雅子様を病気にまで追い詰めた皇室の責任については全く言及せずに、その発言によって心労があった、という意味の天皇の文書は納得がいきません。秋篠宮の「残念な発言」ということばも支持できません。旧い仕組みの中で勇気を持って「妻 雅子様」を護り、きっぱりと

発言された皇太子様を好ましく支持し、遠くからですが応援し、雅子様の一日も早い公務ご復帰を願ってやみません。今、皇室の中で孤立した皇太子ご夫妻を力づけるのは世論、国民の声しかないと思うのですが、いかがでしょうか・・・。 波

 

* 出ていい膿が皇室にも出始めているのだろうと思います。或る程度の好意は現皇室に示してきましたが、今はもう、判断中止していたい。ひとこと言えば、やはり皇太子発言はあれでいいと思います。天皇や秋篠宮発言には、戸惑いという以上の危うい勘違い考え違いを感じています。天皇の臣でも、赤子でも、自分はないことだけを確認していたいです。 湖

2004 12・23 39

 

 

* 橋田二朗先生と、なにか、くらい人混みの中で出会う夢を見た。お元気でいらして欲しい。

2004 12・23 39

 

 

* おわり万歳   名古屋の女友達から宅配が届きましたの。

折り傷ひとつつけていない、お江戸の初春歌舞伎と、勘三郎襲名興行のチラシの下に、味噌煮込みきしめんと真空パックの手羽先煮込みが入っていましたわ。

クリスマスには手羽先を、年越しはきしめんで、ってことかしら。思いもよらないプレゼントで。愉快な年末を過ごせそうです。  囀雀

2004 12・23 39

 

 

* 千葉のE-OLD小父さんから「越乃寒梅」吟醸純米酒を戴いた。最良、とても美味い。わたしの読者では最高齢、ペン会員の現役でも最高齢に属する、京都出の女歌人からはすっきり喉越し、缶ビールを戴いた。

2004 12・23 39

 

 

* メリークリスマス! 戒光寺、即成院お参りしてきました。とても疲れています。鳶

 

* クリスマスには特別感懐はありません、が、ここ二三年、クリスマス・キヤロルを観てきました! 今年はとりやめましたが。

今日は長谷川泉の告別式。増上寺へ、参ります。

戒光寺、即成院とは。痺れるほど懐かしい。歩いてみたいな。博物館の辺も。

みたまふゆ年の瀬川のふかみより

おしつまりました。疲れているとは、京都へ行ってきたからか、べつに何事か。相談したいなどメールで言ってましたが、宿題を背負って越年します。なるようになるもの。

お元気で、鳶よ。  鴉

2004 12・24 39

 

 

* 十一時に十五分ほど前、芝増上寺の、医学書院・長谷川家合同告別式の会場に入った。医学書院と、文学関係者と、双方に名刺を置いた。

会場に席を得て坐ると、中央通路ぎわの前から数列めで。正面から、長谷川さんのお元気だった顔写真が、わたしを真っ直ぐ見ていた。この顔と、この人の謦咳とに、昭和三十三年の暮れか明けて正月頃、京都東山の下河原の旅館一室で初めて接したのだった、医学書院に採用してくれそうな「告知」であった。長谷川さんが、なんであんな所におられたのか知らないが、わが家からは、ものの七八分で行ける、八坂神社の間近くであった。粋な人やなと思ったのが、のちのちの彼と思い比べて、おかしい。

三十四年春に、上京し、入社し、それからはずうっと絶え間ないご縁であった。朝日子の誕生のときも、結婚式でも、優しく祝って戴いた。

長谷川泉といえば、なによりも入社してそう間もなく、編集長の激職のまま国文学の久松潜一賞を受けられた。新聞報道に、わたしは驚愕した。研究の中身が何であったかよりも、受賞の事実に驚いた。長谷川さんのようにあんな忙しい人に、社内の仕事とは縁の遠い「国文学の業績」が現にあり、現に立派に顕彰されている。会社の仕事に追われて、その日暮らしなどしていられない、と、わたしは秘かに烈しく奮発した。

編集長とは、社内二十数誌もの月刊誌等の全部の編集責任者であるとともに、医学書院の凄い数の医学・看護学の研究書・教科書等すべての編集長であった、編集会議や委員会や社内企画会議など、会議の数も気が遠くなるほど多い。長谷川さんは、それをみなこなしながら、夜ふけても、社内の気の毒なほど狭い「自室と」いうより「自席」で、黙々、背中だけ見せて仕事をされていた。その背中が私には強烈な励ましであった、誰も知らなかった、長谷川さんも知らなかった。

で、先ずは、卒業した大学の専攻「紀要」に論文を書いて送ることからはじめた。そのうちに、会社の仕事から時間を浮かす工夫をし、社屋から目の前の、東大の、国文学科書庫へ紛れ込んでいった。馬場一雄先生(当時東大小児科助教授、後に日大名誉教授・院長)を頼んで紹介状を書いてもらい、それを見せて、毎日のように書庫へ入っては「徒然草の文献」を読みふけった。ノートもした。そういう私を最初に快く受け入れてくれたのが、後にお茶の水女子大教授三木紀人さんで、後年三木さんからそうだったと云われ、奇遇に驚き、感謝したものだ。

書庫通いの結果が、やがて紀要に二回に分載された「徒然草の執筆動機」論になり、それがまた長編小説「斎王譜」(後に、慈子と改題)の材料になってくれた。忘れることが出来ない。

ああ、長谷川さんのことを思い出すと、何日も書きつづけねばならない。

悲しく思ったのは、長谷川さんが、長く病牀にあったと聞く奥様をこの晩秋になくされ、そのわずか十日か二週間後には追われるように急に心不全を起こされたのだということ。十二月十日であった。あの日、数十年ぶりの婚約の日を祝ってわたしたちは国立劇場で高麗屋の「勧進帳」を楽しんでいた…。

お美しい奥様であった、ひところはむしろ長谷川さんの方が奥様の介添えで会合になど出て来ておられたのだ、朝日子の帝国ホテルでの結婚式の日が、そうではなかったか。お気の毒な悲しいことを今日わたしは聴いたのである。胸ふさがったなどと云うもおろかである。

東大医学部の学部長でもあられた伊藤名誉教授、長谷川さんを名誉区民にしている文京区長、川端康成の財団理事長川端香緒里氏、そして一高の昔からの友人相沢元衆議院議員の四人が弔辞をのべられた。先の三人は多くいろんな業績にふれて遺漏無く、おしまいの相沢さんの、原稿なしで語る静かな胸せまる思い出ばなしが、ことに、よかった。

長谷川さんと云えば、医学書院の社長・会長まで勤め上げたジャーナリストであるが、どっちが主で従かはともかく、森鴎外記念財団の理事長をされていた鴎外研究では、比類ない業績を積み上げられ、同じように、川端康成研究会を今日の大にまで育て上げたのも長谷川さんが第一人者であった。また文学作品の学問的な精査と解析と鑑賞とでも、舌を巻く精緻な方法論と実践成果を上げておられる。久松潜一賞もその方面の優れた業績に対してであったと思う。

とにかく学界のほうでも、たいへんな威力ある個性で、この人が学会に出席していると、研究発表者は飛んでくる質問の鋭さを予期し、みなドキドキしたという。質問者が会場に無くて寂しいとみると、司会者は、きっと長谷川さんを頼んで話題を求めたものだとも、昔早稲田の紅野敏郎教授から聴いた。藤平春男教授も似たことを聴かせて下さった。そんなときは、たとえ居眠りしていたようでも、指名されるとたちどころに的確に問題を提起されるのに、ほとほと感心もしオソレもなしたですよ、と。

なにしろハキハキ、テキパキ、渋滞する何もない、頭の回転の速い、しかもバランス感覚に富んだ人であった。清泉大の教授もされていた、学習院や東大の講師も。

そういう、学界での国文学者としてのえらさを、医学書院の社員は、滑稽なほどほとんど全然知らなかった。ひどいことを云えば、鈍重な「愚図」編集長かのように、同僚の管理職や重役などでさえも、よく馬鹿馬鹿しくつっかかっていたが、わたしのような下っ端の管理職から見ても、実は勝負にならなかった。人間の位に差があったのである。井の中の蛙たちは長谷川さんの像をほとんど見知らないでいたのだ、あぁあ、こんなところで定年まで勤めていてはいかんいかんと、わたしはこの会社から抜け出すことばかりを考えていた。

だから、長谷川さんに呼ばれて、課長職から、部長だか何だかへの昇任人事を内示されたときは困った。その場で断った。長谷川さんも、わたしは断るであろうと思っておられた、有り難かった。わたしは会社にいた十五年余、人も呆れる「モーレツ」社員で、人の何倍も仕事をして仕事は無類に速かったけれど、それはすべて、勤務時間を盗んで小説を書き続けていたことへの、防禦・自衛の姿勢であった。仕事では文句を言わせなかったのだ、だがあの会社でたとえ社長にすると言われても、わたしは、小説家として生きたかった。そして労働争議の最絶頂の頃に退職した。長谷川さんは問題なく賛成され、それがいいよと、その後も、ことあるつど、応援し引き立てて下さったのである。

お別れした最期の最後のときまで、わたしと顔が会うと、力強く、「ウン、ウン」と肯く特徴あるクセとともに、いつも「ウン、あんたはよくやっている、よくやっている」と、傍にいる人たちにまでも、「彼はよくやっているんだ、ウンウン、いいよ、いいよ」と吹聴して下さった。

そのままの顔写真を真正面に見たまま、わたしは心が熱くも、また堪らなく寒く、寒しくも、あった。今も、泣いている…。

 

* 思い出は尽きないが、感傷はない。よく温かく付き合ってくださった。感謝あるのみ、懐かしく。

2004 12・24 39

 

 

* お出かけでしょうか。冷えていますので暖かくしてお出かけください。昨夜はよく眠って元気な朝を迎えました。元気です。昼過ぎから来客。小さなお客さんがいるので、クリスマスのお祝いも。

冬の朝はぴんとして美しいですね。  眸

2004 12・24 39

 

 

* 鴉さま。  午前の告別式でしたか、或いは今頃お式かもしれません。告別式、せめて師走の風の冷たく強く吹きませんことを。

相談、と書いてしまって・・宿年の荷を背負って越年します。人生の悩み相談の類ではないので気になさいませんよう。人生の悩みも解決できればいいですが、何事も簡単にいくはずありませんし、死んだら問題などおのれいちにんに関してはすべて溶解、です、ストップです。

京都の半日、初めてだという知人を案内して泉涌寺界隈を歩きました。

ご本で懐かしい即成院では、ちょうど予約参拝の方に便乗させていただいて、内陣まで入ることが叶いました。心いくまでゆっくり静かに阿弥陀様に会えました。明治維新の廃仏毀釈の際、台座が損傷され、新たに補作されたものなので、国宝指定はされませんでした、とか。そう言われればいくらか台座の蓮弁の金色が明るい。

宇治平等院の阿弥陀様を取り巻く菩薩は、壁にいらっしゃる雲中供養の菩薩ですが、ここでは菩薩たちはすぐ脇に控えていらっしゃいます。三十三間堂のように並ばれて・・一段に三体ずつ四段に左右に配された二十五菩薩です。

定朝様式の明らかに平安彫刻の特徴をそなえた仏様。いつの頃からか、白鳳よりも、鎌倉よりも平安の仏様が好きになっています。

那須与一のお墓も立派なもの。

今更に書いても、苦笑されてしまいますね。来年はタっキーこと滝沢君主演の義経が大河ドラマになるといいますから、那須与一所縁のここも注目されることでしょう。

そして、戒光寺。木彫では京都で最大の仏像、と。丈六の釈迦如来様。それも本当に訪れる人は少ないからゆっくり静かに静かにお参りできる、と。幕のすぐ近くに寄って見上げないと拝することもできない、あのお顔に面影に祈りました。

泉涌寺の本堂では若いお坊さんが説明してくださって・・。柱は欅の一本の木から四本の柱にしたのです、と。どんなに巨きかったか、想像するだに凄いですね。

禅の方では月輪は大きな意味がございますので、と言われる。日輪、月輪、そんな言葉も一つ一つ噛み締めないといけません。禅の「げちりん」と月輪中学の「つきのわ」は同じところに由来するのでしょうか?

釈迦涅槃図を架ける三月半ばにまた訪れたいものです。が、その時には中央壇上の阿弥陀様、お釈迦様、弥勒様・・過去現在未来を表す三仏様・・を拝することは出来るかしらん・・?

月輪陵は工事中でしたが、黒塗りの門は開けられていて松の木を背にして拝むことができました。帰り道、入り口の入山券売り場の後ろ、経堂脇のもみじのきっぱり燃え立つ美しさに息を呑み、見とれました。わたしにとって今年紅葉の最高が此処にありました。

来迎院には寄りませんでした。ここは「ひとり」で訪れるところですから。

空が暗くなってきました。雨模様になりそうです。

昼前少し眠って、まあまあの体調です。くれぐれもお体大切に。気をつけて。 鳶

2004 12・24 39

 

 

* 平生どおりの気持ちで、増上寺まで長谷川泉とのお別れに行ってきました。わたしのいた会社などには勿体ないほどの、ほんものの大学者でした。この人がいたから、わたしは小説家へ頑張れたのです。私的にべたべたとした付き合い方はしませんでしたが、先方も、社内で、自分の学問を分かってくれるのはこいつだけだと、きっと想っていてくれたに違いありません。表面はさらっとしていましたが、お互いに内心では「身内」的でした。いろいろ、よくしてくれましたし、わたしも誠実に付き合いました。わたしが会社を退社してからのほうが、お互いに「文学」だけの付き合いが出来て、気楽でした。最期の最後まで「あんたはよくやっている」と褒めてくれていました。「生意気だ」とは一度も言われなかった。

弔辞を聴いていても、しみじみと懐かしい人でした。無宗教葬で、四人の弔辞のあと、医学書院の現社長と御子息の挨拶があり、献花しておしまい、清々しい告別式でした。息子さん達とも初対面で、挨拶をしたら表情を変えて喜んでもらいました。気持ちの佳いお天気で良かった。

御成門から日比谷に戻って、直会(なおらい)の気持ちで、「きく川」で鰻に菊正一合、塩もみのキヤベツ。軽く昼飯を済ませてまっすぐ帰宅しました。

明日は朝に散髪し、午後にペンの詩人会員と会い、そのあとは歳末まで、どうするというアテもなく、日々、テキトーに過ごします。元気にお正月を迎えて下さい。あれやこれやと気を揉んだり照ったり降ったりしないで、ゆうったりと健康に過ごされますように。  遠

 

* きりきり寒い空気のなか、おむすびもってお茶もって。見上げた空が青い、ただそれだけのことで、雀の歩は進みます。

小嶋寺に行ったとき端折ってしまったキトラ古墳を訪ね、人のいない、クリスマスの「ク」の字もない、明日香の景色に浸り、藤原宮跡でお弁当を食べてきましたの。詳しいことは後日メールいたしますが、実際に大和三山に囲まれてみると、霊的な気を感じます。

春は菜花、秋は秋桜、彼岸花。明日香の初冬は、みかん色。斜めに射す陽光を受け、みかんが、こぼれ落ちそうに、みささぎのまわりにも、眩しいほど、一陽来復を告げていました。

文武天皇の御陵から見る風景は、推古天皇のそれと瓜二つですわねぇ。

帰ってきて、片付けものをしておりましたら、関西私鉄乗り放題というチケットが一日分余っているのに気がつきましたの。期限は12/25。明日ですわ!

湖に行ってまいります。近江京をたずねに。明日の蕪村忌、どうぞますますお幸せに。  雀

 

* 「明日香の初冬は、みかん色。斜めに射す陽光を受け、みかんが、こぼれ落ちそうに、みささぎのまわりにも、眩しいほど、一陽来復を告げていました。」

これだけで日の光も風に匂う空気の感触も掴める。

2004 12・24 39

 

 

* 大きな背中――大きな兄さん。

半月ぶりの都心への遠出が、長谷川先生とのお別れの会でした。おだやかな日和、かたぐるしくなく、心やさしき有志集う、よき会でした。

終わって、旧知諸先輩に目礼だけで失礼し表へ出ると、少し先に秦さんの背中が見えました、丸い大きな背中でした。親しい連れがあるのでお声をかけませんでした。

十年ほど前まで、およそ十年ほど長谷川先生とはある会合で隔月にお目にかかる機会が続きました。先生は父母に近い年配ですが、自分は、中国式の「ターク」(「大」と「歌」の字の右のヘン)、大きな兄さん、といった親しみを込めていつも甘えていました。おそれおおくもさらさらなし、いたって平で円く、茶目っ気たっぷり、博覧強記、縦横無尽、されど、厳しくもあり。ほぼ、おみ足を不自由にされてからのいきさつでしたか。

今日の連れはペンクラブの元理事で中国専門、お別れ会のことも中国の関係者に連絡してくれました。長谷川先生と同年輩の、中国の著名な先生方はすでに先亡となられておりますが、有志より弔電が届いたことでしょう。、、、、

さしさわりがないと思うので、、、、。

往時、某文藝団体の事務方を拝命しておりました――その会は川端康成さんも深く縁があったのですが――その会で四十年余にわたって顕彰した書籍ニ千冊ほどを手弁当の事務方で保管管理しきれず、十五年ほど医学書院の草加倉庫に保管していただきました。ようやく、五年前、その書冊を同会会長宅に引き取り、その後、日本近代文学館に記念文庫開設目的で寄贈することができました。後に引き継ぐべき、まとまった貴重アーカイヴであります。近代文学館収蔵実現の縁は、長谷川先生の一高、東大(主に「向陵」の)コネクションにもありました。この会の現会長が長谷川先生の二年先輩で「向陵同人」の元外交官氏。同文学館の元館長の芹澤光治郎さん、中村真一郎さん、加藤周一さん、現館長の中村稔さんといった諸先生方の「一高、東大文藝コネクション」があって、こそ、埋もれさせてはならない、との一念で困難な段取りがうまく運び、アーカイヴを一括寄贈することになりました。日本近代文学館では近々の新館開設にあわせ、このアーカイヴを何らかの形で公開できるよう準備しております。

一つの挿話ですが、、、、、長谷川先生の背中は忘れないでしょう。円くて広かったから。心よりご冥福を祈ります。医学書院には感謝しきり。日本近代文学館にも感謝。そして、ご縁続きの秦さん、いや秦タークにも。秦兄さんの大きな背中にも。なおなおお達者でいてください。多々謝々。おやすみなさい。  多摩 e-OLD

 

* なによりの一文を給わった。

2004 12・24 39

 

 

* 関寺跡から、関蝉丸神社。そして東海道、北国街道と書かれた道を、長等神社まで歩きましたが、長等公園の案内にある忠度の歌碑は見つけられませんでした。

『秘色(ひそく)』の弘文天皇御陵から、新羅善神堂へとまいりましたが、大きな板戸が裏道を通せん坊していて、十市皇女の塚は探せず…諦めて近江神宮へ。バイパスを通すため移転した、大伴黒主神社は、探すのに少し骨が折れました。

残んの紅葉と一面の落紅葉が、金堂跡を、かなしく妖しく彩っていた崇福寺跡、そして百穴古墳。衝撃でした。――思えばここから、石に窒息させられそうな旅になりましたの――。

高穴穂宮跡の神社と、盛安寺(こちらでは、若いお坊さまに、崇福寺の十一面観音のカラー写真が前面に入ったしおりをいただきました。それには開扉日が記されており、割と拝観の機会が多いことが分かりました。ほくほくと駅に戻った雀でしたわ)。

日吉大社、滋賀院門跡、天の川の茶室にひかれた旧竹林院、聖衆来迎寺。石が夢に出てきそう。

近鉄、東西線、京阪と乗り継ぎ、線路がくるりと曲げられた終着坂本まで、乗り降りを繰り返し、帰りは東山で降り、商店街アーケードを抜けて知恩院古門前まで歩き、バスでクリスマスの京の町を見ながら京都駅へ。乗り放題満喫。そして、よぅ歩きました。

近江で部分的にタクシーを頼みました。梅原さんのゼミで、哲学と鎌倉仏教を学び、街道好きで運転好き、停年後、運転手になり、タクシー運転手歴はまだ半年とおっしゃるロマンスグレイの方に出会い、話も通じ、道もわかり、助かりました。

まもなく電車は名張に着きます。 囀雀

 

* 超人的な歩き。崇福寺か…。太宰賞受賞の朗報を待ちながら遙々一人で行き、二度目も一人で行き、三度目は妻と行った。『秘色(ひそく)』を書き『みごもりの湖』を書き『冬祭り』を書き『昭君』を書いた。湖国…故国…妣(はは)の国…

 

* 機械の前で、いつしかにこんこんと眠っていたりする。今日はその回数が多い。

2004 12・25 39

 

 

* おはようございます。

不思議ですね。先生にメールするとき、緊張しているにも拘わらず、なぜか頬がゆるんで微笑んでしまうのですよ。「闇に言い置く」に毎日励まされております。ありがとうございます。

ちょっと忙しくしておりました。NPO法人「たねや近江文庫」なるものを起ち上げました。どうなりますことやら。独立してしまうと気が楽になりましたが、かえって忙しくもなりました。軌道に乗せて、若い人にバトンタッチして、と思っております。

お餅送りました。村の忠三郎さんの糯で搗いたものです。近在でも一番美味しいと評判なのです。ご笑味ください。それから、以前「たねや」の商品開発をしていたちょっと面白い、職人気質まるだしの人物がおり、二年ほど前、岡山で独立しました。仲良くしていた関係上、お店の名前をと頼まれ、「籠(こ)もよ」とつけ、ロゴなども親戚の書家に依頼して協力したのですが、なかなか美味しい和菓子を作るようです。はなびら餅(こんな和菓子があるなんてたねやに入るまで知らなかったのですが)を、お正月に間に合うように送らせました。

今年はほんとうにいろいろとお世話になりました。どうか佳いお年をお迎えくださいませ。  近江五個荘

 

* 到来のお餅、即座に二切れ頂戴した、申し分のないうまさで、江州米の豊かにピュアな魂にふれた心地。

そして下関からははや「獺祭」と銘打った清酒、京都からはとびきりの銘茶。

2004 12・27 39

 

 

* 侵略者  「ウルトラセブン」を見ています。子供の頃からもう何回見ているでしょう。関わったスタッフに優れた人がずいぶんいらしたことが、だんだんと分かってまいりました。

特に、金城哲夫さんという沖縄出身の脚本家がいらして(この番組のあと夭逝なさいました)、地底人の侵略と思ったのが、今の人類は侵略者で、元の地球人は地底に追いやられたわれわれなのだとか、観測衛星を打ち込まれた星の生命体が攻撃してきて、地球人が「単なる調査だ。われわれは友好関係を築きたいだけだ」と返事をするとか、

「地球人に迷惑はかけないから、一時的に避難させてくれ」と飛来した宇宙人が攻撃してきたとか‥毛色の変わったストーリィや設定がありましたの。昭和40 年頃でしょう? あらためて、よく書いてくださったと感謝して見てますの。 囀雀

 

* 祝園(はうぞの)   日曜の夜、三重の民放局で、京都民放製作の15分番組が放映されています。通りを一本歩き通すものとか、老舗の食べ物とか。最近は歴史ものになっていて、先週は木津、昨日は精華町を取り上げていました。

「祝の園というので、めでたい、縁起の良い地名のようですが、ハフリの地という意味なんです」と、武埴安彦討伐と、いごもり祭りの説明をしていました。

雀は何度かあのあたりを訪ねておりますが、和伎神社へは寄ったものの、祝園神社は、すぐ際の橋を渡りながら立ち寄らなかったのです。いごもりは忌籠もりのことなのでしょうか。

毎日のように京でロケをした番組を見ますけれど、さすが京製作番組は違います。雀

 

* 木津、精華、祝園の辺には父方吉岡の縁戚があると想っている。一度行ってみたい。雀さんに案内役を頼めば近畿一帯はつぶさに歩けそうだ。秀でた「一藝」だ。

2004 12・27 39

 

 

* 人は死を敵視し、恐れ、かつ死と闘って生きてきたと謂えるだろう。

だがこの勝負に勝った者はいない。死を「敵」と思ってしまうことが、人を不安と動揺のさなかに戦(おのの)き漂わせてしまう。

生まれた瞬間から人は「死とともに」生を歩み始め、死を身内に育みながら生きてきた。死は、「同行二人」の人生の最たる伴侶なのだ、そう思えば、死を敵視した戦闘的な不安はなくなる、と、わたしの書くこれよりもっと効果的、適切な物言いで、バグワンはわたしにいつも語りかける。

死と闘って一寸逃れに藻掻き苦しむ不安や恐怖から、人は所詮勝って逃れられるなどということはない。死は生の敵ではなく、生まれたその時から友であった。これ以上もないほどしっかり手に手をとって歩んできた、自分自身の「影」であった。

ゆうべ遅くに、こんなメールが来ていた。

 

* 人が<わが家>に帰り着いたとき

そこには何ひとつやることなんかない

人はただあらゆることを忘れ

そして、くつろぐ

神とは究極の休息だ

これを覚えておきなさい

482頁「存在の詩」

憧れています。でも、少し怖い。この神は死を通らないとたどり着けないのですもの。

自分はまだ中年の若者。試行錯誤して迷い惑い回り道していつかここに行きます。蝸牛

 

* このバグワンが云う境涯を、この人は「死後」に得られる「休息=神」だと考えるらしいが、おそらく、そうではあるまい。

「人が<わが家>に帰り着いたとき」とは、死後のことではない。「今・此処」にすでにわれわれはその「家」を持っていながら、それに気が付かない。死を敵視し不安を抱いて無理な闘い、勝ち目のない闘いに奔命しているから、気が付かない。

2004 12・28 39

 

 

* 12.27  インドネシア・スマトラで起きた大地震とインド洋一帯を襲った津波。痛ましいこと。

ウクライナのユーシェンコは勝利宣言。ダイオキシンをこれから生涯わが身に滲ませて、彼が行く方向には難題も待ち構えているだろう・・。が、EUなど西方への接近は時代の流れだろう。ウクライナは言語的な面でもロシア語より他の東欧の言葉に近いのだという。歴史的なことはまだ良く知らないのでこれ以上は今は書かない、書けない。が、ロシアにとってウクライナが離れていくのは重大な脅威。

あれやこれや気を揉んだり照ったり降ったりは・・生きている証でしょう? ゆったり過ごしたいですが、大体ゆったり過ごしているのですから、ゆったり過ごせないのが暮れ正月で、でも気持ちは静かですよ。周囲は声がして日常と異なり、それなりの配慮や気働きの必要があって、それに対応いたしますが、わたしは、わたしの核みたいなものは浮遊して、思いは自由ですよ。

ニュースを丹念に見ている。

南アジアの今回の被害はこれらの国を一層の混乱、停滞に陥らせるるだろう。悲惨なことだ。タイのプーケットなどに行っていた日本人観光客も十人以上が死んでいるらしい、が詳しい状況は分かっていない。

スリランカ、本当にもしかしてもしかして、この時期スリランカに行っていたかもしれなかったことを思い起こす。年末には帰ってくるようにと。が、お金のことから今回は迷っていた。人生は一瞬先が闇、分からない!! 年末はやめて春に・・と、半ば以上計画していたスリランカは旅行申込書まで整えてあったが・・かなり先まで延期になった。国内の混乱がやっと収拾されて観光産業など動き始めてから、まだ短い。これから復興するだけで長い時間が要するだろう、これらの国々。インドの被害の実態もまだまだ。これから分かってくるだろう。

12,28  スリランカでは一万三千人が死亡とテレビが告げている。

明日以降、器械を開けるかどうか分からないので、今書きました。

お体のことが気に懸かります。如何ですか。  鳶

 

* 「あれやこれや気を揉んだり照ったり降ったりは・・生きている証でしょう? ゆったり過ごしたいですが、大体ゆったり過ごしているのですから、ゆったり過ごせないのが暮れ正月で、でも気持ちは静かですよ。周囲は声がして日常と異なり、それなりの配慮や気働きの必要があって、それに対応いたしますが、わたしは、わたしの核みたいなものは浮遊して、思いは自由ですよ。」

この辺がポイントと思われる。だれもが、ふつうざわざわと暮らしている。まして暮れ正月は家族も増えたりして、賑わいもし、ざわつきもする。そこで自分自身の「核」を見失うか、自由か、その違いは大きい。

 

* 昨晩、月は雲に隠され、その光だけをめでてやすみました。

暁、しろがねの砂子をまいて凍った家々の屋根の上空に、後朝(きぬぎぬ)のように残る月を、寒さに震えながら眺めました。あでやかな虹色に縁取りしたうすぎぬを被った、さながら美女のようでした。

坂本蕎麦が名物と聞いて、お昼をガマンして旅する食いしンぼ雀。

あっさりしたそばつゆがたっぷりかかった、地卵の月見蕎麦は、「世界最高のスパイス」のせいばかりでなく、ほんとにおいしかったァ。

11月から2月の間は、二見の夫婦岩の間に満月が昇るそうですの。

ようやくいつもの気温になってきた感じがいたします。おからだお大事に。 囀雀

 

* hatakさん

金城哲夫は東京生まれ、沖縄で地上戦を経験し、再び上京して確か玉川学園に学んだはずです。円谷プロで『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などの脚本を書き、復帰前に故郷南風原(はえばる、那覇市の南)に帰り、

海洋博のプロデュースを手がけたあと、沖縄とヤマトの間で自分をどこに据えて良いのか悩み疲れ、酒に溺れて不慮の事故で亡くなります。

ウルトラセブンという宇宙人が最初に見た地球人は、サツマ(薩摩)ジローという青年で、山で友達を救うために、自分の命を捨てて死んでしまいます。宇宙人は、この青年の姿と心に似せて地球人に姿を変えます。『ウルトラセブン』という物語は、薩摩次郎の死からストーリーが始まっています。

金城は、怪獣にチブル(頭)や、ダダ(呼びかけるときの「おい」)など、沖縄方言の名前をつけています。子供心に、怪獣をやっつけたウルトラセブンが悲しそうに佇んで見えたのは、本当は悪くなかった怪獣をやっつけてしまったサツマジローの声なき声が聞こえていたのでしょう。

沖縄にいた頃、南風原の彼の生家を訪ねたことがあります。大きな森の中の料理屋さんで、高級なすき焼きを食べさせる店でした。金城哲夫の名を聞くと、地球にやってきた異星人の悲しい佇まいと、南風原の深い暗い森を想い出します。

どうぞ暖かくしてお休み下さい。札幌は-13℃になっています。  maokat

 

* 伊賀の囀雀さんのメールに呼応した、サッポロmaokatさんのメール。わたしの知らなかった世界はいっぱい在る。だから生きているのが楽しい。

2004 12・28 39

 

 

* 風邪熱 今のところだいじょうぶです。風邪をひきやすい方なので気をつけています。

今朝は雨でした。雪の予報が出ていたけれど。あんまり寒くて、一昨日からとうとうファンヒーターを使いはじめました。風邪ひかないでくださいね、風。 花

 

* やさしいおとな

窓の外が白くなりました。朝霧は伊賀の名物、にしても、なンだか明るい…雪です。

朝から雨音がしていて、開けた窓から流れ込んできた空気に、これはみぞれにでもなりそうな、と思っておりましたが、わずか二時間足らずで、辺りは真っ白。

もっと早く、年賀状を書いてしまったらよかったわ。おしつまっての嘆きではなく、ことほぎの言葉がでてこなくて、宛名を書いたきり、筆がとまってちっともすすみませんの。

津波や、一年を振り返るニュース映像が、一日中、流れています。国内も、まがまがしい事がそれは数多くございましたが、BBCやCNNといった、地球規模でいえばごく一部の範囲でさえ、電波に乗ったニュース映像の多くは、胸の霧。

以前、台湾で地震が起きたとき、それこそひとごとで、友人に芝居か日常生活の他愛ないメールを送って、返信がきたと思ったら、「いま、彼と連絡が取れなくてパニックなの。あとで連絡します」というので、肝を冷やしたことがございました。いままた、住所録をめくりながら、彼女とは颱風のとき大丈夫? ってメールをやりとりしたなぁ、彼女には豪雨のときに、彼女は洪水に遭ったし、彼女は地震見舞いの返信に、「あ、また揺れた」ってあって、リアルなケータイメールにそそけ立ったっけ、「体調いかが」のメールに「悪いのはいつものこと(笑)。年明けにまた入院します。股関節の手術です。」と返事を寄越したリューマチを患う友人は、入院の準備中かなぁ、「あの放火、近くじゃない? いやね」といったメールもありましたし、こどもをめぐる気分の悪くなる事件が、学校で住宅地で続き、「たまンないわ」といったやりとりもありました。

ほかに、雀個人として、性的な事件でたまらないものがいくつかありました。雀の狭い小さな交友関係でもこうなのですから、思いの深い人や、こまやかな人、やさしい人は耐えがたいことでしょう。

毎朝届く新聞の、おさなごのひとことを拾った投稿欄を楽しんでおりますが。今朝は、「やさしいおとなのピアノ教室」という看板を見た八歳の女の子のひとこと。

「やさしいおとなしか習えんのやなぁ。お母さんは無理やな!!」

そちらも冷たい雨のご様子。お風邪召しませんよう。ホットチョコ、またお猪口で熱燗でもよろしゅうございます。どうかあたたかくしてお仕事すすめてくださいますように。 囀雀

2004 12・29 39

 

 

* 雪。歳暮凛々。神戸の芝田さんに丹波産のとびきりの名酒「奧丹波」を戴く。暮れと正月、わたしは幸せにいろんなお酒に恵まれている。血糖値を測り測りながら、体重も量りながら、また掌の赤く染まり行く度合いを慎重に眺めて肝臓への負担を慮りながら、酒の美味を、いろいろに堪能したい。

2004 12・29 39

 

 

* 飛鳥遊行

何度通っても際限がありませんの。クルマで一時間も走れば、山田寺跡、雷丘、甘樫の丘、…ハンドルを握る主人には、もうすっかりお馴染みの路ですの。今はかなり便利になっていますけれど、レール&レンタサイクルだけでなく、パーク&レンタサイクルがあるのを偶然に知りまして、今度は、それで細い道をたどり、大官大寺や酒船石など見たいと思っております。

京のように大型観光バス用にせず、歩いて旅するテムポを保って、クルマでは辿り着けないところが多いのは、斑鳩や明日香のいいところです。ところが、それがために景気が伸びないのだと、地元銀行が、コンサルタントのセンセイを連れて、奈良の観光地を回っているようです。

大勢よりひとり。散財より滞在。大金にならないのが奈良ファン。また、奈良の方もおっとりしてらして、それが人をひきつける観光になってますのに。京にツレを置いてひとりで一日気ままに奈良を訪ねていらっしゃる方も、男女問わずあるそうです。京の観光商売の巧みさを取り入れなければ、ここの景気は元気にならないと、センセイ方はコンサルタントしてまわってらっしゃる。……嘆息。

高松塚古墳が、町長の得意顔が目に浮かぶような趣味の悪い大規模土木工事で公園化されていたのには、キトラ古墳がプレハブで古墳が覆われていたことの何倍も落ち込みましたし、於美阿志神社は新しくなっており、檜隈寺跡は整備中。それでも、放っておいたら住宅団地と帰化植物のはびこる風景になってしまうところを、明日香の方々が手間ひまを費やして、訪問客が心に描いてきた景色を保ってくださることに頭が下がります。

いかにも女性が喜びそうな建物や看板、けばけばしいネオン、クリスマスのイルミネーションなどない代わり、NHKの正月ドラマ「大化の改新」のポスターがべたべたと貼られておりました。

自然に囲まれた田舎暮らしが憧れの的となり、フォークロア、スローライフの流行る今、天然繊維に草木染、季節の花を飾り、流行のビーズに似たアクセサリーをつけた自然素材のおしゃれは、今の目で見れば癒しの暮らしと映るかもしれません。血なまぐさい戦にしても、命を奪うまっとうな感覚があったと思いますの。恨まれるという重さを自身で受けとめて生きていったのではないかと思いますの。

万葉の時代の感性、やまとのふくやかな美や豊かさを感じてほしいという、衣裳のおはなしをうかがったのは大分前のことでしたわ。興味深く待っておりましたが、予告を見た限り、若い俳優の台詞がどうにも聞き取れず、あ、これは対象からすっかり外されてるわ、と、がっかり。

ところで、キトラ古墳の近くに、亀虎橋がありました。漢字にするとイメージがついていけませんわねぇ。紀寺だって、紀氏の氏寺よりキテラの方がしっくりきますし、御厨子神社も、「磐余池(いわれのいけ)の尻辺にあったため水尻(みずしり)神社とよばれていた」とききましたら、池之内という地名とあわせ、しっかり覚えましたわ。吉備真備が唐留学から帰国して発願したという隣の寺に祀られているのが、十一面観音なのも、水辺だったからかしら。

吉備、膳夫(かしわで)町、阿部、といった地名があるなか、磐余稚櫻(いわれわかざくら)神社にまいりましたら、扉に兎が彫ってございましてね、卯年生まれの雀は親しみを覚えましたの。磐余(いわれ)は忍坂(おさか)で八十梟帥(やそたける)を討つための集結地だったとか。地図の道を指でなぞりながら、ひとつひとつ心のみづうみに石を沈めるように旅をしています。  囀雀

 

* 今年も、湖さま、あと一日を残すのみとなってしまいました。昨日は雪。今日は冷たい晴天。あすはまた雪と聞いています。

新潟十日町の葬儀に行ってまいりました。地震の傷跡がいたるところに生々しく残っていました。雪がしんしんと降り積もる中を、小3と小6の子どもを残した父親の棺が運ばれていき、よく事情が飲み込めないのか、参列者を前にほっぺたを真っ赤にしてにニコニコ笑っている下の男の子の姿が痛々しかったです。

十代で父と離別する子どももいれば、十歳になる前に父と死別する子どももいる。そして父の顔やぬくもりを全く知らない子どももいる。しかし両親そろっていても親と不仲な子どももいる。

だれもがそういう意味では、寂しいのかもしれませんね。

これから親の家に。伯母八十五歳、母八十歳。年々、年老いてきています。

羽仁もと子の「半生の記」はもう電子文藝館で拝見できますね。じっくり読ませていただきます。

静かによいお年を迎えられますように。 波  (津波ではありません。「津波」は、でも、どちらかというと穏やかな響きのことばですね。)

2004 12・30 39

 

 

* 年が暮れます。色んな思い出を宝にして。

柳田国男(『先祖の話』)、そしてバグワン。

何か『芯にふれたような』心になって只、只、読んでいます。

一気には読めませんが、よく咬んで。頭を『空』にして。  川崎 e-OLD

2004 12・30 39

 

 

* 補陀落渡海と身内幻想

秦さま 丁寧にお答えをいただきまして、ありがとうございました。「身内」幻想と言ったら、お叱りを受けるでしょうか。

人間のエゴ(利己性)は体から生じるものだと思っています。意識は体を保全する目的で生じたのではなかったでしょうか。ひとりしか立てない島に二人、あるいは多数で立つ、きっと体を乗せる余地はないでしょう。観念上でしか、あるいはネット上にしか、存在しえないと思うのです。

「ネット心中」については、マスコミは報道を自主規制しているようですが、沈黙して過ぎ去らせるなんて、言論の敗北ではないですか。

インドネシアの大地震&大津波のニュースになんともいえない傷ましさを感じます。目の前で濁流に流されていく家族を見送らねばなかった人たちのことを思います。中世という時代には、疫病、飢饉、戦争、天災、こういう死が日常茶飯事であったことを思えば、浄土信仰というのは、生き残った人間がなおも生き続けるための智恵とすら思えてきます。死が日常茶飯事になってしまえば、人間はあまりにも恐怖したり、脅かされたりしないように適応していくも

のではないでしょうか。

イラクの人たちにとっては、どうなのでしょう。

「こういう天災にあえばあうほど、人間の手で防げる人災だけは、せめて起こすなと望む。」――同感です。不幸は人間がつくりださなくても、地上にあふれていますのに。

来年、来年こそは、少しはちがった風が吹いてくれればと祈ります。

どうぞ、よい年をお迎えになりますように。

安物のワインの力を借りて、メールを送り出します。ぜーんぜん知性的でも理性的でもないので、恥じ入りつつ。

大阪・まつおより

 

*「身内」は「貴重な錯覚=愛」であると思いつづけ、書き続けてきた。「幻想」と言い換えてもいい。しかもなお「愛」ゆえにそれの「在る」ことも、わたしは知っている。「絵空事」の不壊(ふえ)の値を。現世の論理や常識から百尺竿頭なお一歩を踏み出す勇気があれば。

ひとつ、わたしには課題というか、気になる分岐点がある。

「人間のエゴ(利己性)は体から生じるものだと思っています。意識は体を保全する目的で生じたのではなかったでしょうか。」

後段の議論は措く。前半の「体」についていえば、わたしは逆に感じている。思っている。

人間を「エゴ」の苦へ誘い込み追い込みイタブるのは、「体」ではなく、「心」の方だと。モノとしての「体」など影のように実体がない。色即是空。物理学もそれは認識している。心という我執がすべて影を形にし働かせていると。「静かな心」「無心」「平生心」を久しい人の歩みが容易に得られなくて苦しんで来たのは、それかと。

 

* 奧丹波、喜んでいただけたようでよかったです。

今年は、いろいろと忙しくて「私語の刻」もじっくり拝見することができませんでした。

12月に入って、私の同級生、叔母が亡くなりました。そして数日前に女房の同級生のご主人が自殺され、今日はクラスメーと慰めに行くとか。

世間でも、いまいましい事件の犯人が捕まったところですね。そんな一年の締めくくりとなってしまいましたが、個人的には一つだけいいことがありました。

長男が推薦で兵庫県立大学理学部に入学が決まったことです。家からはちょっと遠い播磨科学公園都市にあります。世界最大の放射光施設SPring-8があるところで、豊かな自然の中に位置しますので、勉強するには良い環境でしょう。

来年こそは何か一冊を残したいと思う晦日です。

どうか、よい年をお迎えください。  神戸 e-MIDDLE

 

* 宜しうございました。わたしたちにも同じように慶ばしいことがありました。若い人達にのびのびと学べる生彩溢れる日本・世界をと祈ります。

 

* 郷里へ帰ったよう、大雪です。

新聞連載の「夜叉が池」が、今日、終わりました。たたみかけるラストと、この災多い年の最後の日とが重なり、鮮烈な印象を残しました。

すぐれた戯曲を心で好きに読むのは本当にたのしいこと。

年明けてしばらくしたら、「歌行燈」が始まるそうです。

天気がよければ王寺駅あたりの歴史散策をするつもりでしたが、そんな悠長な町の空気ではないでしょうね。伊勢で浄まわる年送りをしてまいります。ご平安のうちにお年越しをなさいますように。おすこやかに。 雀

2004 12・31 39

 

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