ぜんぶ秦恒平文学の話

スポーツ 2011年

* 十日梅若の「翁」 十一日、松たか子の「十二夜」 そして俳優座の「リア王」も、大相撲も。

2011 1・4 112

 

 

* 横綱の脆く負けたのを観てなかった。負けた翌日の土俵を見にゆくことになり、少し落胆。風邪と聞いているが、負けは負け。病気ならコジラセないでと願っておく。

 

* 快晴の両国。いつもどおり四人枡を妻と二人で。前から四列目の桟敷席でこれまでで最良だった。土俵へ手が届く感じで、双眼鏡が要らない。なーんにも拘らずのーんびり観ていた。十両の半分から中入り後の結びの一番まで。魁皇が巧い相撲で力強く把瑠都に勝ち、案じた白鵬も日馬富士を投げ捨てた。ビール二本、熱燗二合、さかなもつまみも十分あり、ウイスキーは持って帰った。ちゃんこ鍋料理など、相撲茶屋の土産を大きな二た袋もらい、おまけに、わたしは、かねて気の有ったあの音色の佳い拍子「キ」を買って帰った。重い荷物だった。

往き帰りに念を入れて初校ゲラを読んできた。

2011 1・20 112

 

 

* この頃、煙草をのまないわたしのチョイトの気晴らしは、国技館で買ってきた拍子「キ」で。うまく打てばカーン、コーンと小気味よく鳴る。鈴など振るより、はるかに鳴り響いてご近所へも届くだろうから、再々は鳴らさないが、スッキリする

2011 1・27 112

 

 

* 先日の初場所の桟敷で、座布団を二つ折りにし、さらに持参の小枕をのせて尻を置こうとしたとき、見当をはずし、したたか桟敷尻の金枠で尾てい骨の辺を強打してしまった。八十数キロの体重を容赦なくかけて骨を打ったのが、今まだ痛む。幸い尻の厚い肉が包んでくれているが、座りようでググッと痛む。起つときも痛む。幸い激痛ではないので委細構わないでいる。四人の桟敷をいつも妻と二人で贅沢に使っていて、それでもしびれが切れるので少しラクにと思ったのが粗忽であった。自業自得。

2011 1・29 112

 

 

☆ ご教示ありがとうございます。

沼津の同級生と数人で、伊豆長岡温泉で一晩過ごしてきました。

サッカーのテレビ観戦も幸運でした。あのシュートでの優勝は世界中の人が納得するだろうと思いました。

梅は咲いているのですが、伊豆も千葉も寒いです。

秦さんも ご機嫌よくお大切にしてください。   e-OLD 千葉

 

* サッカーのアジアカップはよく観た方だ。昨夜も前半後半の0:0で延長に入る前まで観てから、床につき、本を読んだ。このところ三試合ほど、勝つんじゃないかと思ってテレビの前から離れると、全部勝ったと翌日には知れていた。 昨夜はオーストラリアの安定と圧倒を終始感じていたが、しかもゴールを許さないこと、ゴールキーパーの奇跡的なほどのガードを観ていて、ひょっとしたら今夜も勝ちそうだと思いながら寝床へ移動したのだった。勝っていた。李のナイスなゴールだった。 李へ送ったパスのみごとさも称讃しなくては。ドーハの悲劇の瞬間を私も眼に焼き付けている。日本のサッカーも強くなった。今度の監督の用兵の正しさにも感嘆だ。

 

* 勝田さんのお元気なお便りが嬉しい。温泉というのも羨ましい。もう何年、温泉に焦がれていることか。 どこが近いだろう。  2011 1・30 112

 

 

 

* 大相撲にまた激震が来ている。八百長の実態がケイタイの記録などから見えてきた。幕下と十両との大きな格差に起因した彼らのいわば「互助的寄合」、きわめて即物的な八百長だ。

そして相変わらず政府・文科省の大げさな出方で、協会も世論もかきまわされている。

政治家の金の穢さからすれば、いかにもありえそうな心理的所産の八百長ではないか、いまさらに起きたことでなど有る筈がない。江戸から近代へ「ごっつぁん相撲」の無かった時期などなかったろう、現にこういう言葉が辞典にさえ載っていかねない。それが国技大相撲を芯から食い荒らすと想うのも大げさすぎる。

すこしそれについて云う。

 

* そもそも、国技だ神事だ高潔だなどというが、相撲じたい、もともと「神意を推しはかる賭け事」であった。「勝負事」には本来、神意を伺うという働きがあった。闘鶏、闘牛、競馬もそうであった、相撲も例外でなかった。勝負それ自体に「賭ける」という人意や人為の参加も当然のようにあった。

賭博、博奕、博徒は、藝能・神事の一種、神人の一種であり、無くては済まない「神まわり職能」の一つだった。日本の勝負事には根源にそれがある、繰り返して云う、相撲も例外でない。それどころか国技に祭り上げられた意味は、それほどまでに律令世界の中で正当な呪能の位置を相撲が与えられていたということ。遠い遠い由来を践んでいて、実は律令世界よりまだはるかに古い「賭けごと神事の勝負事」であった。

わかりよく云えば、東が勝つか西が勝つか吉凶を占っていた。祭事祭礼にも同類は幾らも各地にある。勝負や博奕は占いであった。はやい話、力士と博徒とはけっしてそう遠い存在でなく、博徒もまた今日のいわゆる悪党ではなかった。そして吉凶を占う勝負には言葉は適切でないが、余儀ない「八百長」もときに必要だった。八百長はありませんと言い張る方が、ヘンなのである。相撲で云えばときどき有った「預かり」という勝負判定も、明白に八百長の価値付けであった。

 

* ただ、今回の八百長は、そういう博奕ほど高尚でない。いわば給料の出ない可哀想な若者達の「必死の地位保全互助行為」であった。可哀想にとさえ想う。

誉めた話では勿論ないが、大相撲の法人資格を没収するの何のなどと、関係官庁は大人げなく居丈高で、彼らこそ権力行使欲にかられた見苦しいバカ者である。

 

* 今回関係者の解雇か除名は致し方ない。しかし官憲や国権がえらそうな顔でしゃしゃり出て脅しにかかるのはみっともない以上に腹立たしく、蹴飛ばしてやりたいのはそっちの方だ。国民のこっちは、国技館どころか、国会議事堂や官邸の方を「没収」してしまいたいぐらい、政治屋達の根城を取り上げてしまいたいぐらい、ジリジリしているのだ、気が付かないか。

若い相撲取り達の八百長ほどにも必死の政治をしていないのは、政治家諸公ではないか。

 

* 大相撲問題は、愚の骨頂へ展開している。大阪場所は中止だという。

またまた石原都知事の口を借りねばならないのにウンザリするが、彼は、当然だろう、事態を嗤いとばしている。大昔から有ったことで、誰一人無かったことなどと思っていないと。大げさな騒ぎ方だと。たしかに、おおげさ過ぎる。

 

場所を中止して何になるのか。何ヶ月掛けて真相究明して何が出てくるか。問題は八百長の真相ではない、「相撲という行事の深層」こそが問題なのだ。

 

近代スポーツにしたいのなら、ふんどし担ぎのような関取への隷従をやめ、プロ野球のように上下二リーグ制をとり、きちんと給与も支払うべきだ。

いまの制度をよしとし「伝統」視している以上は、相撲はスポーツ以前の格闘技の見せ物であり、昔ながらの興行ものである。ばくち打ち、勝負事の一種であり、ばくち・勝負事はもともと神意をうかがう「神事」のうちであった。勝ち負けの「はからい」も超法規的にあった。

 

かれらの今回の八百長はいじけたズルの一種でしかなく処分は当然であるが、場所を中止するような問題では全然無い。名前の出た連中を即座に仮に出場停止にし、調べたければ存分に調べればいい、「相撲界の全体に及ぼすほどの事件」では、ない。国会の中枢にある予算委員会の委員長席で委員長がケイタイをいじっているような情けなさとは、かなり性質が違う。可哀想な浅知恵であり、ようするに給料が欲しい、ふんどし担ぎはイヤだという互助組合のようなものだ。

褒められない。クビにしてもいいと思う。だが、そこまでだ。国家天下の一大事みたいな顔をしているなど、コッケイで、迷惑で、ことをややこしくするばかりだ。「当事者」は協会と件の相撲取りであり、フアンが待望している土俵での勝負は別ではないのか。

 

* 放駒理事長は「神事」としての「相撲の伝統」といっている。しかも、近代現代のスポーツの気分で「神事」を裁こうとしている。その混同が根本の誤解だ。

 

「スポーツ」として再出発するなら「神事」からは訣別すべきだ。あくまで「神事」で行く気なら、八百長をすら許容し得た勝負の賭、神意を問うた賭の伝統を忘れていてはコッケイなことになる。

 

そもそも賭博は金銭ずくの遊び以前には、神意を推し測る藝能の一つであった。

どの地方でも神まわりに博徒・博党がたむろしがちであった事実を問うだけで、察しても観よ、そんなことは分かるでないか。彼らは、相撲と起源を同じくするほど昔からの呪祝の職能人だった。ヤクザになっていったのは近世になってからと観て良い。

 

今回の幕下・十両級のやっていたことは、神事としての賭け事とは程遠いもので、ただ欲得の金銭取引という不正行為なのであり、理事会は、たいそうな理屈をならべているヒマに、取り敢えず名前の出た連中を出場停止にし、大阪場所は問題ない力士達で立派な相撲を客に、フアンにみせるのが興行の責任者として本筋だろう。

理事会はモノが見えていない。不甲斐ないうろたえようである。政治家も識者達もご大層な居丈高で、ただ大相撲いじめの愉快を貪っていないか。

お客様が神様ではないのか、そういう「神事」ではないのか。

2011 2・6 113

 

 

☆ 風よい。

 

こんにちわ。お元気ですか。

西欧では、神話はひろく浸透していますね。

キリスト教、特にカソリックがダーウィンなど科学を受け容れないのとは違い、神話や民話は西欧の日常に生きている感じが、『ハリー・ポッター』や『指輪物語』をみてもわかります。神話や民話が政治と結びついていないからでしょうかね。

『ハリー・ポッター』は、魔法使いの学校が舞台の子供向け物語ながら、かつてはお城だった学校・寄宿舎には幽霊や怪物が棲みついていて、殺人が起こったり、かなり凄惨でグロテスクな内容です。小泉八雲は、恐い怪談を聞かされる日本の子供をはじめ気の毒に思ったそうですが、どうして、西欧の幽霊も恐いです。

イギリスの、たとえば『指輪物語』のような、ドワーフや魔法使いの出てくる物語の類を、「妖性物語」と称するのだと、ずばり「妖性物語」を研究しているという友人に聞いたことがあります。でも、ネットで「妖性物語」もしくは「妖性」で検索しても、該当する記事が出てこないんですよね。

花の聞き間違いかしらん。

こちらはドイツですが、ノヴァーリスの『青い花』は、神秘的なものと、科学的なものとが溶け合って世界を構築していたなあと思い出します。

それらにキリスト教が無関係ではないと思っていますが。

確かに、かつてはカソリックによる科学弾圧はあったのでしょう。

今でも、欧米諸国では、キリスト教原理主義者によるゲイ攻撃、堕胎を施す産婦人科医攻撃など、ローマ法王庁の見解に左右される社会問題はありますが、一方で、キリスト教すらも神話として扱う創作物も多々見られます。

法政大学出版局の『もののけ』、こちらの図書館にもあるみたいです。借りてみようかな。

浦島伝説のことは、よく知らないのです。

かぐや姫は、風の読み方に感銘を受けています。娘を亡くした人の話ではないか、というの。

ではでは。 花

 

* 「浦島伝説のことは、よく知らないのです。」とあるのにビックリした。三十代半ばの人か。

なるほど、もうこんなお伽噺に興がる子供達はいないのかもしれない。亀の命を救った若い漁師の浦島は亀の恩返しで竜宮へ伴われて乙姫とともに睦まじく暮らしていたが、故国へ一度帰ってきたいと云い、引き留められてもたって帰りたがった。仕方なく乙姫は玉手箱を浦島に持たせて故郷へ送り届けたが、故郷ではすでに夥しい年が経っていて親も親族も誰一人無かった。さて竜宮へ帰る術も知らなかった浦島は、明けてはならぬと禁じられていた玉手箱をあけると、箱の中からたつ煙とともに、年老いてしまった。

骨子はこうだが、「水江浦島子」の書記・万葉の昔から、いつしか「浦島太郎」となり、さまざまに語り替えられ読み継がれて明治に到り、唱歌に唱われて普及し、お伽噺の中でも古典の古典としてひろく知られた。露伴も鴎外も浦島を書いている。浄瑠璃にも歌舞伎にもなった。「浦島次郎」まで登場した。

だが現代、「かぐやひめ」ほどの大衆人気も無くなっているのかも知れぬ。

 

* しかししかし、かぐや姫が「月世界」という故郷へ帰って以後の、身のさだめを、わたしたちは知らないし、竜宮から陸の故郷へ帰ってきた浦島は故郷も故人もみな喪っていた。「故郷喪失」は現代人にも遠い主題ではない。同時に「老い」の問題も大きく深い。わたし自身、かなり切実に浦島の運命に動揺していないでなく、一瞬に老死したともいわれる浦島の物語が、「めでたしめでたし」という言葉で祝われさえするようになっていた成り行きにも、不思議の感慨が湧く。

「かぐやひめ」にもわたしは執拗に月に帰ってからの姫の運命を危ぶみ思いながら好奇心の絶えないところが有る。彼女も月世界に帰った瞬間に老いたであろうと想ったりしている。老いた浦島と老いたかぐや姫が宙ぶらりんに出逢ったりしないのだろうか。

 

* 「もののけ」の話は簡単ではない。

文明先進国よりももっと原始性を保存した森林や山岳や湖沼や海の人達の抱え込んだ魔や鬼や神の問題が、存外に文明の命脈を芯のところで生かしたり腐らせたり弾ませたりしているからだ。そしてこれが差別の根に絡む。

相撲は神事の文化だなどと聞いたようなことを口走ってみるだけでは、手に余る。神事とは、どこかでばけものやもののけと取っ組み合っているのだ。八百長などチョロイ話でしかない。皇帝ではない「天皇」をいまだに形ばかり奉っている日本の国技が、技倆の審判というとき、それはつまりは「おおまかに<観た>てい」にするということだ。

茶の手前で器を拭く、拭うということを再三するが、本気で拭いたり拭ったりすればかえって穢く見える。いかにも拭いたてい、拭ったていに拭いたり拭ったりする。神事とはそういうものだ。相撲はそれでやってきた。それを承知で公益法人が認可されてきた。天覧相撲などというのは何だと想っているか。それでも白鵬の連勝にも敗戦にも熱狂し、魁皇の八勝七敗にも喝采しつづけてきた。

スポーツにしたくなかったのは、力士だけでなく国民もそうだったではないか。だからこそ、力士達の土俵入りをつまらぬやめろとも云わず、三役揃い踏みも観賞してきた。あまり露骨な今度のような勝ち負けの売り買いがバレた以上は解雇が当然だが、他の連中にはいい相撲を率先取らせたいと声を上げなくて、何のための理事会かとわたしは怒るのだ。

 

* 「 mixi」 のマイミクさんに聞かれた、「罪なき力士なんてどれほどいるのでしょうか」と。こう答えた。

「お尋ねの趣旨通りに返事をすれば、『罪なき人間』と同じほどに。『罪なき人間』などいないなら、『罪ある人間』も。どれほど、とか、いるとかいないとか、愚問ではないかと。

この際は、名前のあがってきていない力士達には「相撲を取らせてやりたい」というのが理事達という連中のせめての道義であって欲しいということ。わたしが理事なら、そう云います。

代議士の何人かがとほうもない汚職をやっていたからと、国会議員が総辞職したという話、聞いたことがありません。 秦恒平」

2011 2・8 113

 

 

* なでしこジャパン、スエーデン相手に世界サッカーでメダル確定は、すばらしい。アメリカ相手に金メダル目指して健闘あれ。すばらしい。

大関魁皇の千代の冨士とならんだ1045勝もじつにめでたく、今日、どうか新記録を打ち樹ててほしい。

2011 7・14 118

 

 

* 勝って金負けても銀となでしこを人らは言いつわれは酒を呑む  遠

そんな昨日であったが、一夜明けてのまさしく「金」メダルの興奮に、わたしの酒、かなりすすんだ。いやあ、すばらしかった。金澤の戸水さんから純米の名酒「千枚田」一升、大津の恩師の奥様から美味いハムやソーセージなど。幸福であった。

2011 7・18 118

 

 

* 女子サッカーのワールドカップ優勝の軌跡をうかがっていると、最後まで諦めないで走りに走る元気に加えて、泣かない、笑みを隠さない。さながらの禅。感嘆する。

2011 7・19 118

 

 

* 「魁皇関が引退表明」とか。いじましく謂えば今場所負け越しても来場所も大関の相撲をとり、大関在位の新記録も作れる、勝ち星も取組数も新記録が重なっていったところで引退すれ、ばというところだが、そういういじましい勘定はしないという彼の美学だろう、わたしは賛成する。九月場所でもういちど魁皇の土俵を観る気でいたが、諦めた。よくやってくれた、ご苦労でした。

2011 7・20 118

 

 

* 白鳳八連覇は実現させて欲しかった、残念。

日馬富士に初の全勝優勝が期待できる。小兵大関の立ち直りが今場所は光っていた。

2011 7・23 118

 

 

* 日馬富士、全勝優勝成らず。白鵬、三敗。琴奨菊の大関昇進も成らず。そして魁皇、不朽の勝ち星記録を勲章に、潔く引退。

2011 7・24 118

 

 

* サッカー松田選手の心筋梗塞死、傷ましい。まさかに一瞬の好機を願ったではあるまいに。

 

☆ しづかさや岩にしみいる蝉の声  芭蕉

 

衆鳥高飛盡  孤雲獨去

相看両不厭  只有敬亭山     李白

2011 8・4 119

 

 

* 韓国での世界陸上、いま一つ乗らない気分でいる。

2011 8・29 119

 

 

* 世界新記録の男子100x4リレーでめでたく世界陸上が終わった。有終の美。

2011 9・4 120

 

 

* なでしこジャパンと北朝鮮の、後半間際に一点もぎ取、しかもロスタイムに一点取り返されて引き分けになってしまった場面を観た。もう十五分も闘っていたら負けていたかも知れぬほど、ちぐはぐしているのが分かった。引き分けて、よかった。

2011 9・8 120

 

 

* 久しぶりに林丈雄君がわが家まで来てくれた。二十一日、秋場所十一日目の向こう上面四列目という好席を撲用意してくれていた撲茶屋で

2011 9・11 120

 

 

* 昨日林君に来て貰い、秋場所の枡席券を上げたときは、そうとう調子が悪くて晩景にはまた蒸し返すかと思いかけたが、ガンと決心していて、途中病院に担ぎ込まれてでも「秀山会」九月歌舞伎の夜の部を見に行く気だった。頭痛と頸痛とがじんじん疼いていたが、おまけに猛烈な照りだったが、髯ぼうぼうのまま、杖をついてよろよろしながら、妻と二人でとにかく銀座まで行き、タクシーで演舞場四時半の開場に間に合った、たべられるかどうか少し危ぶみながらいちばん美味そうな弁当も二つ買った。高麗屋の番頭さんが心配顔で、しかし歓迎してくれた。座席に座り込めば、もう、肝が据わっていた。なにしろよほど歌舞伎に飢えていた。

頭痛と肩凝りは痛み止めでおさめるしかないが、弁当のなかなか美味かったのは当たりであった。そして少しも眠気に襲われず。

2011 9・12 120

 

 

☆ お相撲の竹です。

お世話になっております。先日、お振込を確認させていただきました。

お気持ちまでお振込いただき、本当にありがとうございます。

お知り合いの方がいらっしゃっても、しっかりとご接待させていただきますのでご安心ください。

先生の具合はいかがでしょうか?

ウィスキーを片手にお相撲を観戦されているお姿にお目にかかれないのは、非常に残念です。

よろしくお伝えくださいませ。

それでは。(竹)

 

* 白鵬申し分なく、稀勢之里と琴奨菊が追撃急。大関達は不甲斐なく、魁皇に残っていて欲しかった。ま、秋場所は、家で痛い頭をかかえながらテレビで。早く直って欲しいが。

九時半、もう少しやる。

2011 9・19 120

 

 

* 昨日白鵬の負けたのを知らなかった。今日、琴奨菊にまた負けた。いよいよ稀勢之里、琴奨菊らの起ち上がってくる時機が来たのか。それも大切だ。

2011 9・23 120

 

 

* 白鵬、十三勝二敗で二十度目の幕内最高優勝を遂げた。横綱に勝った琴奨菊は三敗ながら、来場所の大関を手に入れたろう。もう一人白鵬に勝った稀勢の里も来場所次第で大関も不可能でない。ようやく日本人力士擡頭の気配か。

わたしも体調に負けていられぬ。気の持ちようを晴れ晴れと動かす方へ身を向けたい。停頓していた心気を一新したい、だが、ともすれば睡魔に見舞われている。

 

* 相撲の世間だけでも、大きくモノゴトが変わって行く。なにもかも変わって行く。当然だ。

幸いわたしの人生は、ものごころついて以来、「読む」「書く」「本」そして「文学・文藝」であり、そういう分母に乗って、数々の「人」世間が、分子のように去来した。幸なのか不幸なのか知れないが、分母は一貫し、どうやら終焉まで変わるまい。が、分子のほうはありとあらゆる意味で「しおどき」がちかづいて来ている。すくなくも囚われのない物静かな、少し心寂しいほどの日常に落ち着いて行くだろうし、それがいい。

2011 9・25 120

 

 

* 菊花賞 七頭目の三冠馬オルフェーブルの快走は見応えあった。

2011 10・23 121

 

 

* はやめに起き、「 湖(うみ)の本」 の通算第百九巻『光塵』が出来て届くのを待った。怪我のないよう送り出したい。

 

* もう五時前、第一便は送り出した。余のことは考えない。疲れを溜めまい。ふと、いまも十五分ほど機械の前の此処でねむっていた。相撲を見て、しばらくやすもう。

 

* 白鵬の琴欧州を仰向けに空に投げ捨てた勝相撲を見た。なんという強さ、あまりの強さを讃嘆の意味で、すごかった。

 

* 十時まえから二十一時前まで、よく頑張った。ちょっと変わった一冊が出来ていると思う。では。明日に備えてやすもう。

2011 11・25 122

 

 

* 「和可菜」の鮓と刺身とを取り寄せ、ワイン。相撲の十四日めを観た。稀勢乃里が勝ち、横綱も烈しい寄り倒しで日馬富士に重なって土俵の外へとんだ。明日、なんとしても史上初九度目の全勝優勝を果たして欲しい。歴史的な快挙に立ち会いたいと願う。

九州場所は入りがわるく不景気であった中で、異色かどうか、目立つ光景が一つあって気付いていた。向正面の前段、通路脇同じ桟敷に、端麗な行儀美しい和服の女性が一日も欠かさずひとり正座して中入り後の勝負を静かに見入っていた。一日だけ洋服だったと思うが、だいたい和服を毎日着替えて、それが京呉服ではあるまいかと思うほど実に落ち着いて美しい。なんだか嬉しくなる光景である。

2011 11・26 122

 

 

* 今朝になり落胆したのは、昨日の大相撲。白鵬の九全勝を渇望していたが成らなかった。稀勢乃里の大関昇進は決まりだと言うが千秋楽で琴奨菊に敗れ、五敗十勝での大関昇進は甘い。大関陣は甘かった。横綱一人が緊張感と期待とを与えてくれていた。白鵬の初場所に期待したい。観に行きたい。相撲茶屋からは新しいカレンダーを送ってきた。大関としては琴奨菊も稀勢乃里も写真にまだなっていないのが意味ありげなカレンダーである。

2011 11・28 122

 

 

* 午前中、のんびり、なでしこジャパンの対ニュージーランド戦を楽しんだ。

風流も風雅も、なし。身辺の雑然も、身の置き所としては温かい。今年を顧みるということ、しない。若い夫婦の、マイカーで十時間かけた帰省というメールに、目を丸くしている。車の運転とはついに無縁の一生だったと、それぐらい。

思いは柔らかに、ただ、「いま・ここ」に。

つつがなく、ただつつがなく大歳の關を向こうへ潜ろう。越年がため「勧進帳」聴聞を求められたら、どうぞと、海老蔵弁慶に代わってもらう。満七十六壽を妻と二人で祝った二十一日の、力漲る花形三人(染五郎・義経、松緑・富樫、海老蔵・武蔵坊弁慶)の「勧進帳」に励まされ、嬉しかった。

 

 

 

平成二十三年師走

日生劇場の海老蔵弁慶

2011 12・31 123

 

 

* なでしこジャパンの、ワールドカップ全試合を、夢中で見て。いまアメリカとの決勝戦九十分を1:1で延長戦に入ろうとしている。すばらしい興奮。

そして延長して2:2、PK戦を見事勝ちきって、初優勝の快挙。結果は重々承知でいて、心底より興奮し感動した。

こんな大晦日は初めて。

2-11 12・31 123

 

 

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