ぜんぶ秦恒平文学の話

交遊録 2010年6月まで

* メールの賀詞同送はやめた。メールで賀詞を頂いたのは戴いたのは四人だけ。ありがとう。

☆ 新年のご挨拶  司 茨城
2010が、始まりました。明けましておめでとうございます。
当地の氏神様に新年のお参りをして、今年が始まりました。
どうかお元気な一年をお送りくださいますように、お祈り申し上げます。
今年はお目にかかる機会があれば嬉しく存じます。 元旦。

* わたしが苦境にあれば茶断ちして無事を祈ってくれる人。あなたこそお大切に。

☆ 謹賀新年  玄 岡山
平成庚寅歳を迎え 秦様の御健勝と御活躍を お祈り申し上げます。

* 戴いたお酒を、しみじみ美味しく頂戴しています。老いの坂をごいっしょに歩みましょう。

☆ 新年のごあいさつ 謙 埼玉
秦 恒平さま  よいお年をお迎えのことと存じます。すっかりご無沙汰していますが、秦さんの相変わらずの精力的なご執筆振りにいつも感嘆しています。小生は今は週に2,3日まだ会社通いをしています。私にとっても家内にとっても今の状態が気分転換になるので望ましいのですが、これも多分今年いっぱいのことと思います。先ずは新年のご挨拶まで。

* 年々に老い加わり、いろいろ不自由ですが、なんとか凌いで仕事を続けています。
いちど、昔話などしたく、恰好の機会はないかと思います。企画して下さいませんか。
この新年今年の暮れには七十五歳になります。元気でいたいと思うが、さ、どうでしょうか。まだしたい仕事もあり努めたいのですが。もうペン理事や京都での美術賞の選者なども卒業させてほしいと思います。やはり「書く」仕事に打ち込んでビリオドが打ちたくて。
つい一両日前には、中島信也君が手紙をくれました。小鷹信光というペンネームで推理小説の翻訳などしてきた人です。いまはその世界で長老株です。医学書院でわたしより二三年の後輩、山本君や乾君の同期でした。
また君とは触れあわなかったかも知れないが、粂川光樹君もよく手紙や本を送ってくれます。明治大学の名誉教授になり、近年夏目漱石の未刊絶筆『明暗』の続編を書いて名をあげました。医学書院では私の同期でした。
医学書院の創立何十周年だかに呼ばれて挨拶してから、もう久しいです。久々にまた同窓会をやってはどうですか。
そうそう、むかし執行委員長をしてた細野君がうちの比較的近くにいて、ときどき顔が合います。また同じく執行委員長だった竹澤君の奥さんは、今も湖の本の有り難い支持者です。
切れているようで医学書院とも切れていません。長谷川泉(編集長・鴎外研究者)の夢もときどき見ます。もういまの医学書院にはわたしの知っていた誰もいないんでしょうね、きみのほかには。
また元気な顔を見せて下さい。わたしは出版や文壇には反逆者?! みたいで世間にはめったに顔を出しません、が、体の続くかぎりは「仕事」をしつづけます。応援して下さい。  秦 恒平
2010 1・1 100

* 十時前、雑煮を祝う。田中孝介君の電話をもらう。今朝も、晴れ。

* 午、自転車ですいすいとやってきた田中孝介君夫妻を嬉しく迎えて、夕過ぎまで、歓談かつ食べて・飲んで。もうとっぷり暗くなってから見送った。自転車で無事に帰ってねと願いながら。
田中君、わたしの機械の様子を覗いて行ってくれました。この乱雑を極めてモノたくさんの機械部屋へは、ホームページの生みの親である田中君しか、恥ずかしくて入ってはもらえない。
わが家で来客は、じつに久しぶり。もう何年も、失礼を厭わず、わが家にお客さんを迎えるのは極力遠慮していた。玄関まで来られているのを、立ったままお返ししたこともある。なぜかなら、家の中があまりに窮屈であったから。田中君のおとないに、いわば力づけられ、東の和室へ寝室をやっと移せたおかげで、辛うじて客間にお客さんを迎え入れられるようになった。やーれやれ。
客のないとき、客間にモノをひろげて資料を分類したり整理整頓したり探したりも出来るようになった。なんともいえず、これが有り難い。
2010 1・2 100

☆ 秦先生 ありがとうございました。
昨日は楽しいお話に加え、美味しい料理(食べきれなくてすみません・・・)、さらには結婚祝いや建日子さんのサイン入りの本までいただき本当にありがとうございました。マゴやグゥもかわいかったです。
先生も奥様も以前お会いしたときと変わらぬ姿で何だか学生に戻った気分でした。また、妻の前で何かとお褒めいただき、うれしいやら気恥ずかしいやら・・・。
これからは、色々とご連絡取らせていただきたいと思いますのでよろしくお願いします。まずは16日の建日子さんの舞台を楽しみにしています。
また、パソコンで困ったことがあれば何でもお話してください。
本当に今日はありがとうございました。

* 私どもこそ、楽しく嬉しく。
田中君ありがとう。いいご夫婦ぶりでしたよ、幾久しく、おめでとう。
奥さん、田中君をよろしくお願いします。そして私どもとも、仲よくして下さい。
今朝、お雑煮を祝って歓談のあと、息子はグーをつれて仕事の方へ帰って行きました。
三が日、お天気良くてよろこんでいます。
お元気で。小猫の黒いクウちゃんにもよろしく。  秦 恒平・迪子

* 寛いでいたが、本格に仕事へ寄り添って行きたい。
年賀状、三が日ともたくさん頂戴した。ありがたく、かつ一切欠礼したわたくしは恐縮しています。
2010 1・3 100

* 年賀状でアドレスを逐一照合して確認したり訂正したりしておく。この作業を怠るとあとで困る。かなり手が掛かる。じっと堪え、やってしまう。
平成二十二年正月の手づくり繪で断然美しかった賀状一枚は、作家・川浪春香さんの「娘道成寺」です。
2010 1・3 100

* 年賀状をくれた卒業生諸君にだけは、メールで返礼を書いた。よほど遠くなったかと思っていても、やはり親しい言葉や写真が届いてきて、返信していると、変わりない身近にまだまだ若い友人達の気持ちが寄ってくる。家へも訪ねてくれる。はるか赴任先のモロッコからも懐かしい声が届いてくる。十二年めに子供に恵まれたピカピカのお父さんからも嬉しい声が届き、新しい赴任先で最先端の研究開発に「奮闘」している子煩悩の声も届き、新前原大臣のもと政治主導をとなえる政権下「官僚」の激務に堪えて、二人の可愛い娘や夫人との写真を鏤めた賀状も届く。三十半ば、わたしの年の半分に手が届きかけている人達、まさに「いま・ここ」の人達だ。

* 若い人たちのいろんな話が聴ける機会がほしいものだ、若い人の中からも励ましてくれるのだろう、会いたいと言ってくれる。元気でいたいものだ。

* 順不同、手に触れた賀状から、親鸞仏教センター所長本多弘之氏、産経新聞大阪本社制作局長上坂徹市、日本共産党中央委学術文化委員長足立正恒氏、東京都副知事猪瀬直樹氏、元新聞三社事務局長高畠二郎氏、僧侶作家川西蘭氏、ペン言論表現委員長山田健太氏、作家三田誠広氏、俳優浜畑賢吉氏、河出書房新社編輯者小野寺優氏に、こつこつと賀状の返礼をメールで。全部の五パーセントにもならない、メールアドレスのない方、また湖の本の読者には今は失礼させて貰います。いや、大方は失礼させて戴き、湖の本の出たときにあとがきでご挨拶するとする。
2010 1・4 100

☆  初春
お元気ですか、みづうみ。
少し遅くなりましたが、謹んで初春のお慶びを申し上げます。
わたくしは年末年始の料理漬け主婦業を終え、やっと日常に戻りました。昨年は病者を支えるに忙しく、落ち着いた時間がなかなかとれませんでした。今年は大の苦手の早起きをし、自分に向き合う時間を先ず創ろうと思っています。(挫折しないため、ここに誓言しておくことにします。)
昨年のみづうみは実りの一年でございました。今年も引き続き、創作魂の火を噴く一年になりそうですね。みづうみのお母さまはあちらでどんなに喜んでいらっしゃるでしょう。泣きたくなるほど嬉しくなります。
わたくしは、みづうみの存在してくださることに感謝しています。
腹部の違和感心配です。億劫がらずに病院にいらっしゃいますように。歯医者さんのように早く手を打つのが結局らくなのですから。どうぞお元気でいらしてください。
これからもずっと  あけぼの
2010 1・5 100

* 晴れ晴れと上天気の
いい三が日でしたね。お元気ですか。いつも、「mixi」を明けてなくても、懐かしく思い出しています。文は人なりといいますが、書いてくれるものは、あなたの風貌と確かに溶け合っていて魅力的でした。声と言葉とで話せばどんなだろう、楽しいだろうとよく想います。あなたは、そんなにも大声で飛び出すように話す人ではなかった、表情や目の色でなつかしくものを伝えてくる人でした。
いまはどんなことをしているだろう、東工大の教室でちらと話してくれた理想へ近づいているのかなと想像しています。
今年は、メールで同報という元旦ご挨拶を全廃し、静かに、年越えて行く橋を渡りました。
大晦日のホームページに、以下の述懐を置きましただけ。「mixi」にもね。
私は「いま・ここ」の日々にいます。ホームページの「闇に言い置く 私語」ときおり聴いてくださらば幸いです。

* 百福具臻  平成二十一年 (2009)木 大晦日

當寅歳のご平安を祈ります。    秦 恒平・七十四叟

来る年を迎へに立てば底やみにまぼろしの橋を踏みてあしおと

歳といふ奇妙の友の手をひきて渡るこの橋に彼岸はあるか

☆ いつも暖かな文章のメールをありがとうございます。  幸
私の考え方が古いのか、「先生」だと思うと、やっぱり、恐縮してしまいます。
でも今自分も、研究室にずっといて、研究室の学生からの呼ばれ方が「先輩」から「先生」になってしまい、気兼ねなく接してくれる学生はそれで嬉しかったりします。
秦先生もきっと同じお気持ちだろう。
と信じて、何はともかくお会いして、と思います。
ただ、もう少し暖かくなった頃がいいかと思っています。
大学スケジュールで申し訳ないのですが、3月頃が都合がいいです。
mixiは、書いていることは楽しいです。
でも、科学論文も書くのも仕事としてあります。
当初は、交互にやろうと思っていましたが、現実は異なりました。両方同時でないとダメなことがわかりました。
最近、また論文を書きたい気分になってきたので、mixiも再開できるのではないかと私の中では思っています。
mixiが早いかお会いする方が早いかわかりませんが、またご連絡します。
今日、明日は寒くなるとのことでしたので、お体には気をつけて。
2010 1・6 100

☆ Comments of your Wednesday, Jan 6, 2010 by Chiyoko
「生活と意見」見て。
初春大歌舞伎。幸四郎の梶原石切 も きれいでしようけど 私は(市川)寿海の石切を思います。
切られ与三郎の染五郎は さぞかし 水もしたたるような与三郎でしょうね。私の与三郎は、先代團十郎です。
ああ見たいなあ。
後になりました。新年おめでとうございます。 どうぞお元気で。 宗千。

* はるばるロスから。われわれの若い頃は、関西歌舞伎に御大・市川寿海が、寿三郎、鴈治郎(先代)、富十郎(先代)、我當(先代仁左衛門)、蓑助(先々代三津五郎)、延次郎(延若)、又一郎らを率いて君臨していた。さらに若手に、扇雀(現在の坂田藤十郎)、鶴之助(現在の中村富十郎)という飛びきりの俊秀がいた。
昨日の「松浦の太鼓」でもわたしは先代吉右衛門とともにあの口跡美しい市川寿海をありありと懐古していたし、全く同じく切られ与三では、あの美しかった海老蔵(先代團十郎)や守田勘弥の文字通り凄みと美しさのコンデンスされた身震いするような舞台を思い起こさずにはいられなかった。
茶名もなつかしいこのロスのお茶人は、わたしなどより大先輩で、姉上とともども、わけて武智歌舞伎の颯爽花形だった扇雀・鶴之助の、熱くてさわれないようなフアンぶりであった。五十年余も昔ばなしになったけれど。「ああ見たいなあ」には、今の歌舞伎をと同時に往時渺茫の昔歌舞伎への恋しさも籠もっているはず。
2010 1・7 100

* 可愛いね、ふたりとも!! おめでとう。
浩君 人生には 小さな 大きな 曲がり角はツキモノですが、曲がり角の多くは予期せず待ちかまえていると言うより、自分の方から踏み込んで創り出しているというのがホンマのように感じてきました。君はそういう創意や予見の力の利く人。おちついて、さらにさらに幸福な時空をご家族とともに設計されますように。ときどきでも、声など聴かせて下さい。
> それにしても年賀状の大悟クン 理沙ちゃん 可愛い。「子育て」にとらわれず、むしろ「子育つ」機微から目を放さずに、ご一家お幸せに。
わたしも、歩一歩 老いの坂を進みます。 秦 恒平・湖

☆ 秦先生
新年のお言葉有難うございます。
先生のおっしゃるように、曲がり角の多くは自分から創っているのかもしれませんね。それが、意識してなのか、無意識なのかは別にしてなのでしょうが。
息子、娘は、確かに私が育てている部分もあるのでしょうが、いつのまにか育っている部分も多々あり、男子に限らず、三日どころか、一日でも、刮目すべきところがあり、本当に驚きます。そんな子供に私自身も育てられ、なんとか家庭もうまくやっていければと思う次第です。
私自身は、仕事の方も、会社では、重責を任されることも増え、順調です。ただ、いわゆる中間管理職的な部分で、苦労は絶えません。これも仕事でしょうが。
また、スペイン文化普及のNPO活動も、大きく拡大はしていませんが、縮小もせず、助けてくれるスタッフもいるので、少しずつですが、幅も広くなり、なんとかやっております。
そう言えば、今度の1月17日にも、スペイン料理の講習会を牛込箪笥町で開催することになっています。
よろしければ、お立ち寄りください。
詳細は、ブログに掲載していますので、ご興味があるようでしたら。
http: //salamanca.blog48.fc2.com/
時節柄、お身体お大事に。    皓

☆  風。お元気ですか。 花
近畿の向こうからへとへとで帰ってきました。約十時間のドライブ、夜遅くに家に着き、くたくたでした。
夫の実家のごちそうなどで、大きく食生活が狂い、体調すぐれず、会社へ送り出したあと、横になっていました。パソコンを起動する気力も湧かなくて。
それでも、午後には買い物に行きました。食料を仕入れてこなくてはなりませんでしたから。
休み疲れって、疲れます。それにこのお正月で着てしまった肉襦袢も重たいです。

☆ 浅草  泉
晴天続きで気分がいいです。 佳い三が日をお過しでしたか。
昨日は孫と娘を連れてお墓参りの脚で賑やかに浅草寺に初詣。相変わらずの混雑です。
歩ける内が花だと思うこの頃です。
2010 1・7 100

* 賀正 湖
六七人の男性卒業生、お子さんの写真で賀状満杯。女性卒業生には一人も無し。なんでやろ。おもしろう、ござんした。お元気で。

☆ 年賀状に何を載せるかは、とても考えます。(悩みはしません。)一目で近況を伝えられるものとしたいからです。
そのため、昨年は建築の写真がなく、今年は隅にだけ(笑)。来年には全体が見えるものをお送りできれば、と思っています。
子供の写真を載せるのは、やはり変化が大きいからでしょう。
年賀状は継続的なものと男性は考え、女性は一回性を大事にしているのかもしれませんね。
「凶器」は一気に読んで、
それこそ本読みのプロとしての文筆家である先生の作品としてとてもおもしろく読めました。
小説作品としてのまとめ方に心地よさを感じました。
ポーランドにいた頃設計していた工具のマキタさんのサービスセンターが、先ごろ出来上がりました。
ポーランドでの集大成としての出来上がりです。
ご感想などいただければ幸いです。
日本のものは、後日直接お見せできればと思います。  創

* 写真四枚が添えてあった。創作、とてもスマートに見える。
「年賀状は継続的なものと男性は考え、女性は一回性を大事に」と。この男女観、いつか敷衍して聴かせてもらおう。
2010 1・7 100

* 旧臘、夫婦でお誘いを受けていた寺田英視氏との会食。来週十二日晩。地図をファックスでもらっている。麻布。
2010 1・8 100

☆ 歎きつつひとりホームページを睨む日々ですの。時々はメールをくださいませ。
お元気ですか、みづうみ。
年よりは退院したものの、症状はぱっとせず、引き続きの病院通い。弱り目に祟り目で一昨日から帯状疱疹になりました。とても痛がっています。気持は若いのに、身体がついてこないのですから気の毒です。老いとはこんなに過酷なものかと、こちらまで気が滅入ります。看病にも疲れてきていますが、先は長いのですから上手に体力と時間のやりくりしたいものです。
ホームページ掲載の繪は毎回とても楽しみです。素晴らしい。どうやって見つけていらしたのかしら。みづうみの引き出しにはほんとうに美しいものがたくさんたくさん詰まっているのですね。母のために用意した住まいに繪を飾りたいと思って探しているのですが、欲しい繪は買えなくて、買える繪は欲しくありません。美術館にも行けなくなった母の慰めに、何か佳いもの、繪でも書でも、手の届きそうなものがありましたら教えてくださると嬉しいです。
その後腹痛は如何ですか。ご無理のないようお過ごしくださいますように。 蕗の薹

* 静かに静かに、いま第六番「田園」が終えた。午から、音楽を聴きづめで。
2010 1・9 100

* 馬場一雄先生の遺著『花を育てるように』から、「e-文藝館=湖(umi)」の「人と思想」「随感随想」欄に、ご生前のお許しのままに、抄出させて頂いた。
「花を育てるように」とは小児科医である先生の金言であり思想の結晶であった。日本の未熟児学・新生児学・出生前小児医学等の礎を築き上げられた。思慕する人たちは、風貌とお人柄を「百済観音」様と呼んでいた。
馬場先生を思うやたちまちに、次から次へと、卓越した医学者・臨床家が思い出される。賛育会木下正一院長、築地産院竹内繁喜院長が無性に懐かしい。中尾亨先生、寺脇保先生、鈴木榮先生、また高津忠夫先生、産婦人科小林隆先生、さらに内科の北村和夫先生。もう、おおかた向こうへ行って仕舞われた。わたしは社内ではじつにブッキラボウであったが、立派なドクターには公私ともに励まして頂いた。著者を心から敬って大切につとめた。 「濯鱗清流」というわたしの基本の姿勢が培われていたと思う。尊敬すべき人を尊敬する、それほど自分にとって有り難いことはなく、そのかわり尊敬できない人には近寄らずに来たと思う。
そのさい、人か、仕事かと、どうしても分けて考えねばならないなら、わたしは「仕事」を尊敬した。好かない人でもいい仕事をされていれば、頭をさげた。お医者様には限らないことである。
2010 1・10 100

☆ 鉄路の旅  暇人
時折、東京二十三区を数え上げてみる。
東京で暮らしたことはない。
いつもすんなり数え上げられず、最後の一区二区の出てこないもどかしさが、いい。数え甲斐がある。
今日の最後の一区は、中野区だった。
大田区のこともあれば、文京区のこともある。
だが、繰り返し思い出していると、すんなり全部数え上げられてしまって、面白くなくなる。
で、東京の地下鉄を挙げてみた。
はじめ全部は挙げられなかったが、十三路線、すぐ憶えてしまった。
つづいて、東京を走る私鉄を、地図を開き、調べてみた。
東急、小田急、京王、西武、東武、京成、京急各線に、複数路線ある。
それぞれの行き先には、東京の外へ遥か伸びているものもあり、遠くまで行くんだなあ、と、興味深い。
こんなことをしていて、時間を忘れている。気づいて、自身に照れる。
空想でする鉄道の旅も、おもしろいもので。
鉄道マニアの気持ち、わかる気がする。

* わたしも似たことをする。わたしの場合は、人、ばかり。歴代天皇。外国の男女優。赤穂四十七士。百人一首の百人。しかし時間つぶしにはしない。床屋や歯医者に「たいほ」されているときなどに指を折っている。退屈な道を渋々歩いているときにも、退屈しのぎにやる。覚えてしまうとツマラない。ところが老化がすすんで、思い出せない。
歴代天皇だけは繰り返せる。そうそう般若心経もあらまし覚えている。
2010 1・10 100

☆ 秦さん  敬
年始早々のメールを頂きありがとうございました。
年末年始に一時帰国していましたが、この週末にモロッコに戻ってきました。
帰国中、色々と慌ただしくもありましたが、久々の日本で清々しい晴天に恵まれた正月迎え、少々疲れ気味だった心身を新にすることが出来ました。
モロッコで感じる一番のことは、やはりイスラム文化は、日本人にとって、文字通りの異文化であるということです。社会も宗教も、街も家も人も、全てがすっとは腑に落ちてこず、こちらに来てはや8ヶ月となる今でも、目にするものの多くに常に「?」がついて回ります。
ジブラルタル海峡を挟んだモロッコ側に、スペインの飛び地があり、モロッコからも陸路で行くことが出来ます。そこで始めて、陸路での国境越えを経験したのですが、その一線を挟んでの変化の大きさには驚きました。
日本人にとっては同じく異文化であるはずの、スペインの街並みや、そこで目にする人や物が、とても近しく納得感を持って感じられたのです。それだけキリスト教系の西欧文化が、日本人の生活にも入り込んでいるということなのでしょうが、それ以上に、イスラム系の文化に馴染みがなさ過ぎるのかも知れません。
分からないことが多すぎると、正面から向き合い続けるのもしんどくなるのが正直なところですが、折角3年程も過ごすことになるのですから、目はしっかり開いて、見るべきものは見ていきたいと思います。その内にこちらでの経験が、自分の中で何らかの形になってくれると良いのですが。
まだまだ寒さの厳しい時期が続きますが、お身体を大切にしてお過ごし下さい。
またお目にかかれる機会を楽しみにしています。

* いつもに変わらず、要領を得た「あいさつ」。
イギリスについで、モロッコ。たしかにイスラムのことは、あまりにも遙か遠くて、疎い。これで長大な『千夜一夜物語』を興味津々おもしろく読みおえ、想いもしなかったイスラムの底知れぬ豊かさ明るさ不思議さしたたかさに触れたので、幾らか親愛を覚えているが、あの読書が無かったら、とてもとても、お手上げである。
こう書いていても、とんでもなくわたしの方に誤解も見当違いも認識不足もあるに違いなく、マレーネ・ディートリヒやイングリット・バーグマンの映画など観ただけでは、とても「手」も届かない。
この(東工大)卒業生君の引き続いてのレポートに強く期待したい。
2010 1・12 100

* と、書いたところで、アドレスを見失いここ久しく見当を失したままだった、重森ゲーテ君が電話をくれた。妻が検索を重ねて見当をつけ、メールしてくれた。それに反応してすぐ電話をくれた。嬉しかった。元気そうなのも大いに嬉しかった。何かしら用事もありげにもう一度電話をもらった。近々、街へ顔を見に行こう。

* 文春の寺田さんからも電話。あいにくの雨模様だが、今晩会う。

☆ つづけること   梵
学生のとき、軽音楽サークルに参加していた。
みんな故郷を離れての一人暮らし、たくさんの時間を共に過ごし、気の置けない友人が幾人もできた。
卒業しても、何かの折に、顔を合わせることがある。
中に一人、バンド活動をつづけている人がいる。
忙しい仕事を持ちながら、スクールに通い、ドラムの腕前を磨いてもいるらしい。
大学を卒業してしまうと、周囲に同じ趣味の人を見つけるのは容易ではなく、やっと出あえたとしても、同じほどの意欲でひとつことに取り組んでいるとは限らない。
仕事の多忙さもある。
そんな中でも、バンド活動しているかつての仲間は他にもいるけれど、独学が普通の軽音楽において、その人の、スクールに通って、という謙虚な意欲が、わたしには眩しかった。
以前住んでいたところで参加していたバレーボールのサークルに、書道の稽古は十五年間欠かしたことがない、という人がいた。
いわゆる授かり婚で、お式のときにはお腹が大きくなっていた、という彼女のお相手は、高校を中退し、大工さんの修行中だった。
「ヤンママ」な事情を持つ人が、静かに己に向かう「書道」の時間を大事にしていることを知ったとき、つづけることの尊さを想わされた。
世俗的な野心とは別のところで、ドラムや書に取り組む彼らの挑んでいるのは、彼ら自身ではないだろうか。
声高に主張しなくてもいい。
ひとつことに打ち込んでいるなら、すべてを忘れ、没入するのみ。

* こういう感想なら、必ずしもこの人からでなくても、誰が書いても、たいていこんなふうになる。関西弁で「ええカッコしぃ」で、この人ならではのエッセンスが感じ取れない。
世のブログや、「mixi」の日記等も、ちょっと覗いても、たいがい、似ている。一般論であり、没個性の文である。「声高に主張しなくてもいい。
ひとつことに打ち込んでいるなら、すべてを忘れ、没入するのみ。」は結構な結論めくが、この程度の賢しらは、言う分には誰にでもすぐ言える。型通りなのである。閾値をちっとも越えていない。自分の皮はちっとも剥いでいない。
2010 1・12 100

* 小雨の中、六本木からけやき坂の方へ歩いて、「酒飯庖正」へ。
文藝春秋寺田さんの招待。うまい肴で酒をいただく。妻もご馳走をつぎつぎに注文して楽しんでいた。文学の話題、あれやこれやと静かに話しついで、満腹。保谷まで車で送って貰った。恐縮。雨はあかっていた。
2010 1・12 100

* 十二日に「梵」さんの「つづけること」とあったエッセイに、これは「顧みて他を言うている」だけではないかと苦情を添えた。わたし自身をもむろん含めて、「批評」というのはつい「顧みて他を言うだけ」になりやすく、自分自身は都合良く棚に上げておくことが多くなる。
小説世界に、微温的に抵抗の少ない他者や他事ばかりが書かれていては、小説に強さが出ない。志賀直哉は実の父親に対しても不快と不満とを真摯にぶつけ、自分自身をぎりぎりの線で表現した。自分自身を書いて語って「世界」を表現せねばならぬとき、小説とはフィクションであれ、私小説であれ同じだが、その際の試験紙や検査紙のはたらきをする「人物」や「事件」の選択が、自分にとって堪えやすい、付き合いやすいだけでは、ダメだ。厳しい苦しい辛いイヤな人や事に臆病に顔を背けていては、微温的に都合よくなり、書かれた世界は、ぬるんでしまう。美しい緊迫が生まれない。対決の美が生まれない。いつも「顧みて他をいう」だけの批評や創作になり、批評の対象として「自分自身」が抜け落ちてしまう。結果的に自分を飾ってしまい、ウソが先行してしまう。
優等生や自信家が自分に仕掛けて気が付かずにいる「落とし穴」が、そこに口を開く。わたしはわたしのために、それをいつも恐れる。
あの「梵」さんの表白、あるいは反省のつもりでもあったろう、あれは、あのままでは、「顧みて他を言うている」だけ、自己批評は、概念的な反省やまぶしさの表明という、痛くも痒くもない空語ですりぬけている。自身の痛みはなにも書いていない、自分をすこしも追い込んでいない。エッセンスが出ていない、カッコよい抜け殻でしかない。「文学」の刃は、自己にこそつきつけられねば、と、そういうことを誰よりも自分自身に釘刺しておきたかった。
2010 1・14 100

☆ 久し振りに元気な声を拝聴して嬉しかったです。
月内で是非食事しましょう。
小生の良く行くイタ飯など如何ですか。
相談したきこともあり、お出まし頂ければ幸いです。
聖路加なら、いつか築地に案内したいですね。
よく飲みに行っています。
日時は追って連絡します。
お達者で。     森
2010 1・14 100

☆ 鴉はお元気ですか。
鳶は、ポルトガルのコインブラという古くから大学のある街に来ています。毎日よく雨が降ります。あまり寒くなくて助かります。南に向かいリスボンを歩いて.日本に帰ります。 元気にお過ごし下さい。
2010 1・15 100

* 柳君が、自転車に博琴クンをのせて玄関まで。坊やが、家に上がって行くよりわが家へ帰還を主張したので、お父さんもわたしたちも従った。好天、さほど冷え込んではいない。柳君といい田中君といい、自転車での往来が優に可能な距離に自宅がある。ホワンと胸が温かい。
田中君夫妻も建日子たちの芝居を観てきたとメールあり。

☆ 大塚で建日子さんの芝居を観てきました。
入場券のご手配ありがとうございました。ご助言通り、少し早めに行き、受付で名前を伝えて入場券と整理券をもらい、足場の広い良い席に座ることができました。自分たちが行った回も、後から椅子を追加するほどの大盛況でした。
話の筋は難解なところもありましたが、最後にすっきりしましたし、何より小さい舞台であの大人数が踊るのは、とても楽しかったです。ほんとに熱い舞台でした。でも客席は寒かったのでマフラーに二人でくるまっていました。
芝居が終わったのが16時過ぎだったので、まだお店に入る気分でなく、2人で芝居の感想を話しながら、寒い中を歩いて池袋まで行き、ウィンドウショッピングをした後、メトロポリタンにある自然食の食べ放題の店で、苦しくなるまで食べてしまいました。
楽しい一日でした。ありがとうございました。
2010 1・17 100

☆ 風。 10.01.18 10:10
やや曇天です。
今日の午後は散髪です。
「家畜人ヤプー」が映画になるそうで、原作を読んでみたいなと地元図書館の蔵書を検索したら、ありませんでした。
リクエストを出してみようかな。
風はお元気ですか。
頭痛など、いかがですか。
よくやすんでくださいね。  花

* 『家畜人ヤプー』が映画に。何だって出来る映画だから不可能とは思わない、マンガも出来ているし。しかし本質的には「文学」だと思う。積極的に読み通すには相当な胆力を要する。
2010 1・18 100

* ロサンゼルスから電話で体調の違和にお見舞いがあり恐縮した。からだを働かせるのに弱気がある。自転車に乗るにもためらいが先立つし、高いところへ上がって、たとえば階段の電球を取り替えるのも躊躇してしまう。

* 機械の前で、あやうく頭から落ちかけるほど寝ていた。仕方がない。
2010 1・18 100

☆ 心配しています。
お元気ですか、みづうみ。「あまり元気ではありません」というのが身体的なものなのか、精神的なストレスなのか、どちらもなのかとご案じ申し上げています。何のお力にもなれないことが歯がゆくて。
鬱傾向は作家の宿命でもありますし、その他の精神的ストレスはどうしようもございませんが、少なくとも病院にはご受診いただけますように。と、やさしく言っても行きっこありませんので、「早く行けぃ」と檄を飛ばしておきます。
みづうみの作品の中で、あけぼのがとくに心惹かれる一つは、京都のご家庭についてお書きになったものです。家の匂いや暗さやそこでの会話の話し声までがリアルに感じられます。ふつうのことを淡々と描いて、文章というものがこんなにも何かを鮮やかに訴えることが可能なのかと、信じられない思いで目を瞠らされます。
ご両親も叔母さまも、失礼かもしれませんが(私と同じように)平凡な市井のひとです。そこそこの長所とお互いさまの欠点だらけのふつうの人たちが、ひと度みづうみの筆にかかると、永遠のいのちを得るように生きて迫ってきます。どこにでもある、けっしてらくではない、ままならぬ、苦労多いけれど悲劇にはなりようもない、苦みのある凡庸な人生というものの、そのかけがえのなさに、私はいつも深い感慨をおぼえます。みづうみの描く家庭のお三人の方を通して、ひとりのありふれた人間の生きて死んでいくことが愛しくてたまらなくなります。
みづうみのようなやり方で親孝行の出来たひとは世界広しといえども、何人もいないでしょう。
みづうみにとってさらに切実な「根っこ」を掘る作業、どんなにシンドイことかと思います。どうぞ、どうぞ作品として読ませていただけますように。みづうみの書くべきものを書くべき時が来たことを感じます。そのためにも、お身体を大切になさってください。
もし体重を減らしたいとお思いなら、何を食べてもよいけれど、もう一口食べたいところでとめる、単純に食べ物の量を減らすだけで、かならずスリムになるものです。そして、毎日体重計に乗ることが何より効果的です。試してください。
年よりの看病に忙しくしていますが、いつもお傍におります。 寒椿

* 「みづうみの書くべきものを書くべき時が来たことを感じます。」と。知己の言葉か。それを感じながら容易に踏み切れない。内央から衝き動かす迫力の突出をじっと堪えて待っている。

☆ いとしい
愛らしいぬいぐるみのようなトイプードル「もり蔵」くんは、食いしん坊で、太り気味。
飼い主たちが、どうかしてもり蔵くんにシェイプアップさせようとし、成功したテレビ番組を観た。
ちょっと重ための3キロの体重を、標準の2.5キロまで落とすため、時間をかけて食事をするよう、わざと食べにくい入れ物でエサを与えたり、トランポリンや平均台で運動するよう習慣づけようとした人間たちの努力に、もり蔵くんは素直に応え、見事目標を達成した。
散歩途中、ラーメン店のおいしい香りに誘われ、中に入ろうとすることもなくなり、階段も一気に駆け上がれるようになった。
すべては、もり蔵くんの健康のため。
「長生きしてね」
VTRは、そう締めくくられた。
うちも犬を飼っていた。
昨年、彼は十六年の生涯を閉じた。
彼の死は、見送った身近な人の死と変わらない重さで、わたしの中に沈んでいる。
順当にいけば、自分より彼の方が先に死ぬことは、わかっていた。
大概のペットの寿命は、人より短いのだから。
自分より先に逝くとわかっているものを愛し、辛い別れを味わうことがある。
例えばペット。
自分を生み、育ててくれた親、祖父母。
敬愛する年長者。
予期される別れの辛さ如何によって、愛するかどうか決めるわけではないし、愛は、そんな消極的な判断の介入する余地のない、不可抗力なものだ。
愛すれば愛するほど、別れは辛い。
その辛ささえも、幸福の一部だと、自分は言えるだろうか、という漠とした、大きな不安を眼の前に置きながら、わたしは日々暮らしているといえる。
それに、愛の対象より、自分の方が寿命が長いとは限らない。
未来に何が起こるかは、わからないのだから。

* ネコを死なせて泣き、ノコを死なせて泣き、黒いマゴの日々を案じながら、ほんとうの孫娘やす香を死なせてしまった傷は、いまも癒えず、疼いている。よく分かっている。
2010 1・18 100

* いま、手の届いた中から、こんなモノを見付けた。ちょうど十四年昔になる、東工大教授としてもう最後の学期になる正月早々の教室で、講義前に、いつものように「アイサツ」の題を黒板に書いた。
「挨拶」とは、二字ともに「強く押す」意味であり、禅問答がこれに相当する。わたしは教授就任以来、どの学年でも、講義に入る前に当日の「挨拶」を学生達に示し、講義後に、全員が書いて応えて提出していった。彼等は四年間に単行本の百冊に相当する「アイサツ」をわたしし書いて答え続けた。
これは、その一例である。
あの年、一月八日には二年生中心の「文学概論」、十日には三年生中心の「総合B」という講義で、わたしは、来たる「二十一世紀」は「どんな世紀になると予測しているか」と問うた。一九九六年だった。
以下、二年生と三年生とがわたしに押し返した「アイサツ」を取り纏めたものである。
二十一世紀に入って、今年は早や十年め。当時の学生諸君の何人もが、この日頃も、わたしのこのホームページを訪れてくれているが、顧みて、今の思いはどうであろうか。これら多様な当時東工大生の回答から、何が今も読み取れて、彼等はいま十四年前の自身の回答をどう批評するのだろうか。

☆ 二十一世紀は(   )世紀になると思う。 (東工大 秦 教室 一九九六年一月)

地球の・地球危機の・地球保護の・地球と共生(存続)へ選択の・地球(はは)の定年の・地球人としての・宇宙へ地球開国の・宇宙への・宇宙人としての・宇宙開発の・宇宙旅行の・運命の・現状維持の・灰色の・分岐の・分岐点の・衰退の・エネルギー不足で人類衰退の・停滞の・足踏みの・事故の・戦争の・破壊の・崩壊の・破滅の・終末の・最後の・終りの・消滅の・飢えの・悩みの・憂いの・混の・乱の・混乱の・動乱の・混沌の・大荒れの・動の・激動の・滅の・暗闇の・冬の・試練の・生残り(サバイバル)の・運まかせ七転八倒の・絶望の・

地球的(グローバル)の・ボーダレスの・東西南北統一の・アジアの・中国の・南の・第三世界の・アフリカの・地域単位の・

科学の・哲学の・倫理の・神の・科学技術の・生命理工学(バイオテクノロジー)の・エコロジーの・遺伝子工学の・ロボットの・化学の・数学の・音楽の・イメージの・マスメディアの・コンピューターの、インターネットの・ネットワークの・科学分野大変化の・技術革命の・人口問題の・東洋医学の・核完全撤廃の・環境見直しの・開発見直しの・あと始末の・罪を償いの・賠償の・精算の・清算の・環境対策の・燃料節約の・生物の・物質の・食物の・情報の・倹約の・量から質への・改の・真(まこと)の・虚の自然の・本質的には進歩のない・変わりのない・

人の・人間の・人間復興の・人類の真価の問われる・私の生き方の問われる・地に足を着ける・精神社会の・和の・心の・精神の・モラルの・人類愛の・いろんな意味で愛情の・平和の・安定の・確(着)実な・方向転換の・晴れ上がりの・挑戦の・交換可能の・夢の・ジャパンドリームの・時間改革の・善悪の・形式の・選択の・再考の・意識革命の・開花の・感性の・未知の・分極化の・すきやき型混在の・発展の・視野を広げる・価値観転換の・新たな価値観追求の・新たな価値探求の・想像力の・反省の・共存の・協調の・協力の・コミュニケーンヨンの・コミュニケーションの変化の・変革の・不安の・孤独の・空虚の・心無い・愛想笑いの・虚構の・希望と絶望の・僕の・僕らの・僕達の・俺の・オレ達の・私達の・今の若者の・我々若者の・大人の・おふくろの・高齢化の・老人の・女の・新人類の・個の・一個人の・自己の・エゴの・自他の境の・各々の・つながりの・非接触の・隔離の・猿の・武双山の・再生の・再出発の・例えばみかん(表面より中身)の・未来の・次の・二十世紀の次の・20と22との間の・二十二世紀を楽しみ待つ・
(以上、東京工業大学 2年生中心 文学概論  1996/01/08 出題)

宇宙の・地球の・科学の・電子の・情報の・全て簡略化の・環境の・破滅と再生との分け目の・混沌の・夕暮の・20世紀のツケを払う・大変な・宗教と科学と統一の・技術的に最後の成長の、そして人間的に最も堕落の・エネルギー革命の・鉄腕アトムではなく、人の・「生身の人間」の・人間性重視の・メンタル面が問題の・心の・精神の・精神と物質とが融合して行く・理性以上に感性が重要化する・清貧の・無関心から脱却の・人類の生きて行ける・手を施せる最後の・一人一人が決断の・すべて見直しの・アジア的考え方の・古きをかえりみる・よりグローバルな努力の・いい意味で遅滞していい・休息の・滅亡へは賢明に向かわない・我々世代の・平和の・廻の・前二千年のまとめをする百年
(以上、東京工業大学 3年生中心 総合B   1996/01/10 出題)

* いま、読み返してみて、わたしの気持ちはかなり重い。日本と日本人の生活に鋭く触れた洞察はあまり見当たらない。
自分自身の不安や希望は読み取れるけれど、自分が担うであろう役割への意識や自覚はあまり見えてこない。まだ若いからか。
世界の力関係が及ぼす人間の幸不幸もさほど具体的に感触されていない。さすがに科学の運命や展開への予想は見て取れる。しかし、なにとなくドヨンとした先行き不透明の予測は、2010年の今日只今を言い当てていたとも読め、それゆえに気が重い。
2010 1・19 100

* 親しい人のご不幸のしらせがあり、波立つ胸をおさえて、お慰めのメールをいま、送った。寂しさの上にも、どうか平安あれ。  2010 1・23 100

* 藤田理史くん、いい手紙に添えて、また珍しいお酒を送ってくれました。ありがとう。職場でも上司同僚と気を揃え信頼されながら、懸命に、この嶮しい経済情勢に立ち向かっている息づかいが、頼もしく文面から聞こえてくる。嬉しくなる。いつものように、秦さん、迪子さん揃ってお元気でと励ましてくれる。ありがとう。

☆ 元気に過ごされますように。  鳶
何事もなきよう強く強く願っています。
鴉ご自身もどうぞくれぐれも用心され、検査なども受けられますことを。
わたしは帰国して疲れを少しずつ取り払っています。
ポルトガルのこの時期は雨が多く、よく降られました。日本より暖かく、緑も豊かで清潔感がありました。
いろいろなものを見て、さて頭の中で整理ができていません!
最近視力の衰えが顕著で困っています。

☆ ごぶさたしています。 ゆめ
早や新年1月も終わりに近付きましたけれども、いかがお過ごしでしょうか? 今日もいいお天気ですね!
火曜夜は朗読の日、いつもは午後から声を出して作品の下読みレッスンするのですけれど、本日先生はお休み。ということで、ちょっと手を抜き(こういうことではいけませんね)今日は布団干しとお掃除です。
暮れに講談社版『初恋』を古本ネットで手にいれ、『マウドガリヤーヤナの旅』読ませていただきました。
なんと激しい物語! 「ここまでやるか!」というほどの愛情。激しくて起伏に富んでいて、哀しくて愛しい。この愛と祈りに満ちた作品を朗読できたら素敵だなあ! 今年の第1目標です。でもこの長丁場、私の実力で最後まで持たせられるのだろうか、と少々心配ですけれども。
先週末に伊豆下田にいき、爪木崎に群生する野水仙をみてきました。真っ青な遠浅の海を眺めながら、「いい湯だな~」してきました。

☆ さてさて
先日、「天地創造」という映画を観ました。
監督がジョン・ヒューストンで、ジョージ・C・スコット、エヴァ・ガードナーなど出ていました。
今、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を読んでいます。
キリスト教世界に、関心はあります。
西欧諸国の社会のベースになっていると思いますが、容易に理解の及ぶものではないと、謙虚な気持ちで読んだり観たりしています。
秋成は、未体験です。
風の小説で、少し触れられているのは知っています。
風が、実のお母様の書簡などを、胃を痛くしながらも読んでおられるのも。
ではでは。 花
2010 1・26 100

☆ お写真
お元気ですか、みづうみ。
幼いお写真を拝見しました。お小さいのになんという面魂。すでに何者かになっています。今のみづうみの原型があります。表情が生きていて子どもながらも一目瞭然。ワンちゃんにも愛されるものを感じて、思わずにっこりしてしまいました。こんな男の子を産み育ててみたかったなあと。
お写真を拝見しますと、みづうみを手放さざるを得なかったお母さまの断腸の思いがひしひしと伝わってまいります。
最近の私語を拝見していて、あえてお書きになっていらしゃらないご事情がおありではないかと心を痛めております。
時々「ご平安に」とご挨拶くださいますが、同じ言葉をわたくしの祈りとともにお送りします。
お元気で、お大切にお過ごしくださいますように。
新しいご本、楽しみにしています。どんな内容かちょこっとでも秘密に教えてくださると嬉しいですけれど、無理でしょう。 では、このへんで。 うすらひ
* 犬とわたしと。それだけの身内。がらんとした無一物の土間。はるかな記憶を確認させたこんなちいさな褪色した写真がいま見つかったことに衝撃をさえ感じています。 湖
2010 1・26 100

☆ もう一度・お写真
あの写真、みづうみの幼少時代の痛みを甦らせるものでしたのでしょうが、何も知らない人間が見ると、決してさびしさ一色ではありません。
お小さいながらも、被写体の人間力のようなものを感じます。まず幼くして犬という人類最良の友を得ていらっしゃる。そして、すでに何か人生の大切なことを知っている男の子という印象のほうが強いのです。やれやれ、この世というとんでもないところに生まれてきてしまったみたいだ、でも生まれてしまった以上自分の道を生きなくてはと考えている少年、とでも申し上げればよいでしょうか。
みづうみは今、もう一度子ども時代を生き直す必要があるのかもしれません。
みづうみに課せられた宿題のようなものとして……。
ふつうの子どもらしくは生きられなかった、その子ども時代に飲み込んだたくさんの想いや涙を(そうお見受けするのですが)ご自分に許してあげるのです。思い切り泣いて泣いて、お母さまに訴えるように泣く。もう一度子どもの頃を生き直すように、書くべき時がきている。そんな風に思います。(今でもみづうみは愛すべき男の子です。)
失礼なこと申し上げていたらごめんなさい。失礼なのはいつものことですけれど。
みづうみ、お元気ですか。どうぞお元気でいらしてくださいね。   藪柑子

* 自筆年譜 (一)を出して「過去は退治した」ようなものと書いたのに、そのあとで、その年譜記載を部分的には書き直すか、書き足さねばならないほど、深い闇だった奥からいろんなことが現れ出、わたしは腹を痛くしている。「今、もう一度子ども時代を生き直す必要があるのかもしれません。課せられた宿題のようなものとして……」と言われてみて、図星を指されたような心地にもなる。「いい読者」は、有り難くもあり、こわいとも。
2010 1・27 100

* 最も敬愛するお一人から、『凶器』へ、このようなお手紙を戴いた。

☆ 拝啓 新年のご挨拶も失礼したまま、お詫びの申し上げようもないご無沙汰を重ねております。常にかわらず『湖の本』の御恵投にあずかり、恐縮しております。
『湖の本』が百巻を超え、通し番号の百一巻からの新規のご出発は、お祝いの言葉を申し上げるのも白々しいほどの大きなお仕事と存じますが、それに加えて、そのご出発が『凶器』という、重く厚い内容の作品であったことに圧倒されております。
実は以前から時折、そして赴任生活を始めてからはほぼ定期的に『週刊**』に目を通しており、今回、作中で取り上げておられる記事にも目を通して、心を痛めておりました。
しかし、『凶器』では、「清家次郎」のいわば遺書としての「陳述書」という、私などには思いもよらなかった強烈な形式を編み出され、正月休みに一気に読了いたしました。思えば、それに先立つ『華燭』でなんども漱石の『こころ』への言及があったことからすれば、著者には早くからの構想であったのか、と一人合点をして、納得しようとしている次第です。
裁判に、あるいは司法に、文学で立ち向かうということ、表面的な勝ち負けの争いではなく、物を書くということの根源的なエネルギーを形にして見せる行為、副題にお付けになった 「言論表現」 という行為の究極に近い形が作品に結実しているように感じました。
作品内の文脈から切り離して考えてみますと、裁判という世俗の形を採用しての「飽海」氏の対応も、自覚、意識されない深い深いところでは、「清家次郎」の持つ「言論表現」という力への絶望的な嫉妬と恐れと敗北感の所産であるのかもしれません。
(中略)
寒中くれぐれもご自愛ください。  敬具。
一月二十三日
秦 恒平先生 自署 (名誉教授・研究機構館長)

* この出版に与えられた読者の反応の九割がたを、このお手紙は「総括」して下さっていて、創作者として有り難く、感謝に堪えない。
2010 1・27 100

☆ お元気ですか。  司
今、通りがかりに梅の咲いたのが見えたので、(水戸市内)偕楽園に来たところです。

☆ 肩腕の痛みはやっと納まりました。どうやらこの地球には良くない暖冬が、私には幸いしているのではと。
ひと月バドミントンを休み、来月から再開の予定です。毎日意識して近辺をよく歩きます。家では体重計には乗りませんが、先日伊豆修善寺の温泉で恐る恐る計ったら変わりなしで(^o^)  星を仰ぐ露天風呂が気持ち良く、お気にいり。
最近は鴨族秦族からの「京都の歴史」を改めて謎っています 面白い。ほな  泉

☆ お元気ですか。 花
今日は暖かいですね。病み上がりにやさしい。
風、いかがお過ごしですか。
花の具合はよくなりましたよ。
さてさて、『薔薇の名前 上』は読み終えました。ヨーロッパにはキリスト教の基盤が、深くひろがっていて、ユダヤ教との対立構造も明らかです。
いろいろ考えさせられます。早く下を借りてきたいです。
花は、子供の頃に、「本を汚してはいけない」と親たちに言われてきたので、書き込みができません。図書館の本も汚しませんので、問題なしです。
ではでは、風も、風邪にお気をつけください。

☆ 久し振りに友達と喫茶店でおしゃべりして戻ったところです。
さまざまなものを読みついでいらっしゃる様子がHPから伺えますが、大変な作業と察します。が、お父様、お母様、お兄様、皆が文字として残されている、そのことの重大さ、稀有なる有り難さを同時にかみ締めておられることと思います。(わたしの周囲の殆どすべてはそのように文字として残すことなく他界した人ばかりです。わたし自身も残さないことが本来の本意と自戒しているのです・・。)
マードレデウス、いいですね。ポルトガルの重く切ないファドから少し違った雰囲気をもつ彼女の歌声ですが、やはりいつもまっすぐ胸に響いてきます。ポルトガルに行った一番の目的は、フェルナンド・ペソアという詩人の家・記念館を訪ねること、彼の本を買うことでした。もちろんその目的は果たしたのですが、これまで日本語に訳された詩と彼の詩の全貌と、あまりに隔たりがあるので、どのように読んでいったらよいか途方にくれています。それ以前にまず英訳されたものと比較して一冊の本を読み解くだけでもかなりの時間とエネルギーが必要になるでしょう。ゆっくり楽しみながら進める以外ありません。
視力低下は白内障によるものらしく、二月中旬に手術することになりました。わたしより年下の友人に既に手術した人も三人ほどいますので、あまり心配はしていません。見ることはやはりとても大切なこと、どうしても克服したいことです。
今週末は再び姑のもとに。新しい年がもう一ヶ月通り過ぎてしまいました。慌しく心荒れないよう過ごしたいと思います。
やや暖冬でしょうか、雪積もることなく過ぎていきますが、二月はこれから・・どうぞ体冷やさぬよう、風邪など引きませんよう。元気に。  鳶
2010 1・29 100


ある僧が師の百丈に尋ねた。
「ブッダとは誰ですか?」
百丈は答えた。
「おまえは誰だ?」

* 端的を極めて深刻。

☆ おはようございます、風。
朝早くは明るかったのに、もう曇ってきています。
雨か雪という予報は、あたりそうです。
バグワンの言、感動します。
読んでわかるものではないでしょうね、こればかりは。
花の思いと逸れているとは感じませんけども。
正月休暇で中断していました『座談会 大正文学史』の読書を、あと一章で終えます。
勝本清一郎さんは、江戸の戯作、漱石、鴎外、荷風、藤村らについての深い知見、社会主義から演劇まで、幅広く語っていて、驚嘆しました。
何度も読みたいです。
さてさて、花は、これから、ご近所さんと、二年ぶりくらいのランチ。久しぶりに、近況報告など、堪能してきます。
ではでは。
花はしっかり元気です。お元気ですか、風。
2010 2・1 101

☆ ホッ!
胃の検査結果、よかったです。なによりです。
「感謝。」ほんとうですね。
お二人、どうかどうかお大切にしてください。 千葉 e-OLD

* 有難うございます。感謝。 湖
2010 2・2 101

☆ 奥様の胃生検の結果が「異常なし」だったそうで本当によろしゅうございました。胃は丈夫なようで実は繊細な臓器だと言いますから、これからもお大事になさってください。
私の傘寿に御祝詞をいただき感謝で一杯でございます。
前々からですが日本のマスメディアの中に見聞に価するものが皆無に等しいことは、国民の不幸だと思います。そう思わない人も多いのかも知れません。愚痴になってしまいました,お許し下さい。
秦さんの気力充実が私の希望になっています。  岡山 e-OLD

* 恐れ入ります。ますますお達者に。

☆ お元気ですか、風。
昨日は富士山の見える駅前に新規開店した喫茶店でパスタランチを頼んだのですが、これが、おいしかった! また行きたいです。
昨夜は、風のところも積もりましたか。
雪はとけても、冷えると路面が凍結しますから、お気をつけて。
また寒さが来るようですが、お天気は晴れとか。
ではでは。 元気な花
2010 2・2 101

* トルコと接した旧ソ連国境のグルジアを訪れたとき、歓迎してくれた首都トビリシの代議士ノネシビリ氏にもらったお土産がいくつもあった。なかでも軟陶のワイン注ぎは、ちょうど瓶で一本分が入り、持ち手も注ぎ口もよく造れていて、色も柄も暖かい茶色で、今も愛用し、そのままでも飾って眺めている。
もう一ついや二つ、真黒い光る大きな石を嵌めた、男もので石はオニキスか、楕円の腕輪、長方形の指輪を、久々に見付けた。金具は銅鍍金であるらしい。
懐かしくて、昨日今日身につけている。石は何か分からない。綺麗な照りの真黒。黒曜石であろう。あの遠くのグルジアから来たのだ。
トビリシはせいぜい二泊だったが、ホテルから眺めた河も街も、古い教会もきれいで、心安まる宿であった。迎えてくれたノネシビリ氏も、案内してくれたエレーナさんも、客三人のあるじ格であった宮内寒弥さんも亡くなった。高橋たか子さんはお元気だろうか。
2010 2・2 101

☆ 胃の検査結果、無事通過ありがとう! 良かった~☆  琳
本当に一安心いたしました。
おばあ様2キロお痩せになられたと、スリムで美しくなられましたね。
美しくなるためには、少しキツイ代償でしたでしょう。体重はそのままで、体力は回復なさって下さいませ。
四月の松たか子さんの舞台、両日とも大丈夫です。おじい様の早くからのお誘い、嬉しかったです。
地デジ対応で、ケーブルテレビの工事をしました。
ついでに電話とパソコンの契約先もケーブルテレビに一本化しました。
やっと授業は終わり、春休みに入りました。自由時間がたくさん増えました。
学部生の頃の1年間より、大学院に入ってからの1年間はとても長く感じました。やりたいことや、やらなければいけないことが次々湧いてきて、瞬く間に過ぎた一年でした。
先日お花の髪飾りを買いました。
添付した写真がその髪飾りです。最近流行っています。
春の先取りです。今度お目にかかる時にとめて行きます。
わが家のねこ、今日も元気です。

* こんな思いがけない、有り難いメールも。

☆ お尋ね  玄
鮒寿司は召し上がられますか。少しお届けしてみようかと思うのですがいかがでしょう?

* 恐れ入ります、好物です。有難う存じます。 湖
2010 2・3 101

* 黙って日々を送り迎えている内には、ケッタイな、理解に苦しむことも起きる。
一冊の写真本が贈られてきたので、ああ、京都美術文化賞に推して授賞した、写真家甲斐扶佐義の本だろう、と、怪しみもしなかった。帯にも麗々しく「京都美術文化賞受賞 甲斐扶佐義」とある。
それにしては、表紙に、やたら大きな字で、甲斐クンの上に杉本秀太郎氏の名前が乗っている。ものの順として、杉本氏の文章に甲斐クンが写真を添えたという体裁になっている、事実そうらしい。
だが、これは本作りの行儀として「本末転倒」だろう、もともと版元「青草書房」の企画には、杉本氏が内輪で重く関わっているらしいとは、だいぶ以前に、経営の民輪女史に聞かされたことがある。小谷野敦氏の近刊のなかで、いわば「とんでも本」なみにサンザン非難・批判されていた「兼好の恋」を書いた或る人の本のことで、当初わたしから版元の書房へちょっとした抗議をしたとき、その本実現の後ろ盾が杉本氏だったと聞かされていたのである。それは、実際ひどい本だった。
上の事情からしても、今度の写真本は、もし親愛や友情というものが本当にあるのなら、杉本氏は、甲斐クンの授賞を祝う意味でも、彼を本づくりの上で主役として立ててやるのが、筋であり情味であるだろう、行儀のわるい話だ。もとより青草書房の商業政策かもしれない、杉本氏への阿諛のようなことかも分からないのだが、妙に気色の悪い本を受け取った気がする。
とはいえ、じつのところ、「あとがき」を見ても、甲斐くん、大いに有り難がっているのだ、おめでたい、ことである。
言っておくが、もし、賞の推薦者だからとわたしのところへ、彼の本のために文章やエッセイを頼みに来ても、わたしは書かない。これまで何度いろんな文章を頼まれても、わたしは甲斐扶佐義のためには執筆していない。そういう仕事はいやなのだ。
都合も付かなかったが、じつは甲斐君の授賞式にも授賞者展覧会の開幕にも、わたしは欠席した。「美術京都」巻頭の対談に呼び出し、そして写真を推薦し、授賞に力を添えた。そこまでが、「亡き兄のよき僚友」であったらしい甲斐への、わたしの気持ちだった。そこまでだ。「写真」は買うが、処世は買っていない。

* そういえば、先の兼好の恋を書いた著者から、百里千里遅れて封書の手紙が届いていた。いまさら言い訳を聞くのも気色の悪い野暮な話で、「封緘のまま開封せず」青草書房民輪女史の名のある封筒に放り込み、そのまましまい込んである。
2010 2・3 101

☆ ありがとうございました。楽しみに読ませて戴きます。『盧山』は以前ネットから印刷、透明で硬質な感じにうたれたことを想い出しました。再度よく読ませていただきます。
昨夜は節分でしたので、昨今はやりの「恵方巻き」とかいう海苔巻きを、恵方に向いて丸かじりしました(笑)
東京もいよいよ雪が降って、風も空気も冷たくなりましたけれども、暦の上ではもう春ですね。なんとなく希望に胸ふくらむ気がいたします。お会いしたいですね、ほんとうに。  有
2010 2・4 101

* 湖国竜王町、本場の鮒鮨を岡山の有元さんから有り難く頂戴した。美味しく戴きたい。有難う存じます。
2010 2・6 101

☆ 湖へ 珠
お元気ですか。ご無沙汰しています。
立春の頃になって雪が降り、身を切るような風の寒い毎日です、ね。
年明けて、新春を初釜で味わいながら、あっという間に日常です。
今年は「湖の本」を少しずつですが整えてゆきたいと思っています。
今回は、まず以下「湖の本」をお送り頂きたく、お忙しいところお手数ですが、どうぞよろしくお願い致します。
創作シリーズ
1 清経入水
3 秘色
4 糸瓜と木魚
6 廬山・華厳・マウドガリヤーヤナの旅
11 畜生塚・初恋
12 閨秀・絵巻
13 春蚓秋蛇
エッセイシリーズ
1 蘇我殿幻想・消えたかタケル
3  手さぐり日本
以上9冊です。私語から印刷したりして拝読していたのですが、ふと気になったときに近く手に取れるように、やはり「湖の本」として手元に置きたいと思います。なかでも「糸瓜と木魚」は、昨年来、子規について友といろいろ話していたので待ち遠しいです。
ただ私のこと、急ぎではありませんので、くれぐれも体調次第に、お願いします。
仕事では、新年明けて少しインフルエンザも減ってきたかな…と思うと立て続けに…という有様なので、終熄を願いながら淡々と過ごす毎日です。私は、更年期というとどうも悪い表現に使われるようですが、更に年を重ねるための時期と解釈して、変化するからだの軋みをじっくりと味わっています。からだの様々な箇所から、日々小さなメンテナンスを要求する気配を感じます。バランスを保ってからだを操縦することは、今までに増して手のかかる仕事になると実感。
だからでしょうか、
‘老’のもたらす状態を受け容れ更に…と元気に生きる年上の方々に、頭の下がる想い一入です。
亡くなった祖母がよく口にした、「60には60の、70には70の、その歳にならなけりゃ分からんことがあるよ」という言葉を思い出します。その歳になった人にしか分からないこと、そういう小説も読んでみたいと思います。
春も近し、ですが、くれぐれも温かく、ご自愛下さいね。
私語の刻に日々を追い重ねて、祈っています。
どうぞお大事に。湖。気をつけて。   珠

* 感謝、感謝。 湖
2010 2・7 101

☆ 風、お元気ですか。
こちら、昨日は強風でした。
そちらはいかがでしたか。
今日は穏やかです。
『雨月物語』借りてきて、「菊花の約」に感動しました。
よく味わって、読みます。
さてさて、花はこれから気になっている買い物をしに、あちこち行ってきます。カーペットの滑り止めとか、お花とか、いろいろ、仕入れてきたい。
風は、校正に精を出されているところでしょうか。
ではでは。 花

* 「花」さんが、雨月物語を読み始めたと。わたしの半分もない若さなのだから、秋成との出会いとしては、そんなものか。
巻頭の「白峯」をとばして「菊花の約」に「感動」というのも、くすっと笑えるほど順当。
秋成は歴史ものにじつは端倪すべからざる創作の妙を遂げる作者。
雨月巻頭で、崇徳院・西行の闇中対決を烈々の名文で書いた「白峯」は特異な感銘編だが、保元の乱の事情などに疎い人には、やや取り付き把に困るかも知れない。
おなじことは春雨巻頭の、平城、嵯峨、淳和、仁明の頃を書いた名作「血かたびら」「天津処女」にも言えるだろう。「二世の縁」や「死首の咲顔」など小説らしい小説へ来てつよい「感動」に打たれる。それはそれで、いい。
雨月・春雨の世界に深く馴染むうちに、みながみな打って一丸の秋成世界として輝いてくる。なまじな現代小説より、遙かに強かな文学・創作への先達である。
2010 2・8 101

* 播磨の「鳶」さんが、海外の数重ねた探訪から、十点の繪をファイルで送ってきて見せてくれた。佳い作品、個性歴然とした絵画の意図がここにはある。
但し旅の画家達が当然のようによりかかる、写真からの画面再生という弱さがここにも見て取れるのは、わたしの誤解かな。スケツチなら、もう少し画面は生動するのでは。
画面構成の面白さがカメラワークで与えられているのであれば、それだって佳いじゃないかという議論も、物足りないという議論も湧いてくる。わたしは、かなり割り引いて評価する方だ。それでも鳶さんの繪、珍しい眺めである。
ワードという使い慣れないソフトで送られてきたこれらの繪を、さて、どう機械に保存していいのか、例によってわたしは心許ない。
2010 2・9 101

☆ 重たそうな空でしたが、とうとう降り出しました。
昨夜も激しく降っていて、雨音が、肩こり頭痛に響きました。
マッサージ棒を使い、せっせと肩と背中をほぐしていますよ。
風、がんばっていますね。次回配本、楽しみです。
その前にも、花の手元には、読みたい本がいっぱい。
『雨月』は、何がいいとか悪いなどという話ではない感じがします。勧善懲悪ではない。
「蛇性の淫」は、溝口健二のとは、ずいぶん違うのですね。「浅茅が宿」と混ぜたのでしょうか。
大蛇でも、美しい人に見えるなら、いいんじゃない、と思いましたよ。
子供の頃、「牡丹燈籠」のテレビドラマを見て、幸せならいいんじゃないの、と思った花です。
さてさて、風ががんばっているのだから、花もがんばらねば。
風はお元気ですか。 花

* この「幸せなら」「いいんじゃない」説は、「美しい人に見えるなら」というのとは違う意味でだけれど、「あはれ」という感じから、じつは、昔からのわたしの「思い」に重なる。
信田の森のうらみ葛の葉の話を知ったときに、「花」さんと似たことを思った。「蛇性の淫」は怖い話だが、かすかに女の気持ちに身を寄せた。清姫の伝説にもわたしは『墨牡丹』はじめ何度も同じ感想を書いてきた。室町時代のものである「狐草子絵巻」を読んだときも、「いいじゃないか」狐でもと思い、小説に書こうと思ったことがある。
『清経入水』もそうだが、そういう思いを最大に結晶させたのが『冬祭り』また『四度の瀧』だった。差別に反対する根底の思いにも、これが相互に感化し合っている。
2010 2・11 101

* 鮒鮨をみな頂戴しました。
上等で、とびきり美味しかったですよ、吸い物にもしましたが、大方、わたしはそのまま酒の肴に戴きました。たっぷり卵も孕んでいまして、誇らしいほど旨かったです。竜王という歴史の匂いの深い土地で精製されていまして、近江の魂のような味わいでした。有難うございました。
十市皇女が父皇子に鮒のはらに密書を秘めて吉野へ送った上古なども思い出します。
有難うございました、珍味に酔いました。
日々、ますますお元気にと願いおります。私も、ま、なんとかやっております。大丈夫です。 秦 恒平
2010 2・11 101

☆ 鮒鮨  毅
楽しんでいただけて嬉しく存じます。味を確かめることなくネットで注文しましたので不安でしたが。
秦さんは何でも召し上がられるようなので、これからもちょくちょく気まぐれに思いつくままお届けしようと思います。
奥様ともどもお元気でいてください。

* 有難う存じます。
私は、或いはひどい偏食系であるのかも知れませんが、親の敵のように気持ち悪いのは、煮た、焼いた、揚げた茄子です。漬け物の茄子は少しもイヤでないのですが。
ま、概してほうれん草、人参・南瓜だの、体にいい野菜が苦手の子供でしたが、大人になってからは茄子、煮た人参のほかは、少しなら食べられるようになりました。果物はみな好きでしたが、赤茄子と歌にうたわれているトマトは、時に敬遠しました。時にはうまいと思いました。
概して今も煮魚は苦手ですが、鯛の兜煮など注文してでも食べますし、刺身はみな大好きで、白・赤・青、みな。近年はつい鮨になりますけれど、もともと、肉でも中華料理でも天麩羅も鰻も大好きでした。
このごろ胃の腑のために、やや脂分のものを控えるようになっていますが、間が空くと、つい出向きます。
飯も粥も好きです。
なにしろ戦時中に大いに飢えましたので、意地汚いなあと恥じ入りながら、川のゴモクのようにクイにひかれます。
幼稚園はあまり楽しまなかった方ですが、ことに給食が閉口で、おかずが茄子でも、食べきるまで独り解放して貰えませんでした。
家の向かいの女の子もバスで送り迎えの同じ幼稚園でしたが、その子は辣韮が嫌いで。で、給食に出るとポケットへ隠してくると聞いて、やるもんだと感心していました。煮た茄子はシマツにおえませんでした。
有元さんはどんなお好みですか。  お大切に。  秦 恒平
2011 2・12 101

☆ 深層のモチーフ
「蛇性の淫」では、男の愛を感じた相手が、実は大蛇とわかり、退治しようとするのは、男の周囲の人たちですね。
女にもらった大太刀のせいで酷い目に遭った男もこれに協力しますが、周囲の人たちは、つまり、「世間」なのだと思います。
二人のあいだだけのことなら、幸せで、何の問題もなかった。
小さな綻びを作ってしまい、そこから「世間」が入り込んでくると、二人の世界は壊滅してゆく。「牡丹灯篭」も、構図としては、同様に捉えています。その中に、女のあはれがあり、対して、男の情の薄さといったものが見えてくるのかなあと。
(舞踊の「保名」は、死んだ恋人を探し狂う情のあつい男性ですけれども。)
「蛇性の淫」の女、清姫、葛の葉にしても、男に恋着する女たちは、大蛇や狐の化け物なんですね。『薔薇の名前』でも、修道士たちによって、女は悪魔の化身だと繰り返されていて、苦笑してしまいます。
蛇の化身の女性を愛する男性を書いてこられたこと、稀有なことだと思いますよ。 花

* 教会の教権
宗教は論理でなく体験であり、本質に神秘の存在や働きを含んでいるものですが、信仰が教会等の組織に管理されると、管理者達は極度に神秘主義者たちの存在を嫌って廃除にかかります。魔女呼ばわりは、そういうスケープゴートを斃して行く必要から意図的に教会の政策として蔓延化されたと見られます。西欧のいろんな方面の創作では、それらが一つのジャンルと呼べるほど積み上がっている。「薔薇の名前」も「ダヴィンチ・コード」も、ホラーの中にもそれが見られます。
イエスの復活と再臨と、奇跡や聖霊と、擧上と。元始基督教にふんだんにあった神秘性は、教会基督教の公同の歴史の中で薄められ絞り出され、教義が論理化と祭儀化とで頑強に鎧われて行きます。魔女たちは生け贄と、宣教の具として理論上も「必要」だったんでしょうね。つくられたモノ、だったでしょう。
今昔物語ほど巨大な説話集をみていると、男がとか女がとか区別してはとても言えないほど、男も女も、互いの加害者・被害者・犠牲者としてストラッグルしている人の世が、具体的すぎるほど、おもしろ、おかしく、恐ろしく頻出します。
世のもろもろの「おはなし」「絵巻」「能や芝居」「小説」たちは、たいがい背景に宗教意図をはらんだ「日本霊異記」や「今昔物語」から流れ出た素材でした。作者は、自在に腕を振るってきたようにも見えますが、広い意味では、宗教・仏教の宣布意図にもひっくるまれていたんですよ。
そのなかで秋成は、ことに男と女の「性・さが」を洞察した近代的作家でした。エッセイ27の80頁に「雨月物語の性と心」という短文を書いて「雨月」が好きと言うていますが、いまは「春雨」との甲乙はつけられません。春雨の「死首の咲顔」など、どう読むだろうかなと楽しみです。 風
2011 2・12 101

* 明日のバレンタインデーを前に、雨にも負けずきれいに密封のチョコレートを、やす香のお友達から戴く。感謝。

☆ 私の好み  e-0-LD 岡山
食べ物の好き嫌いは強いて改める必要はないと、どこかで見るか読むかした覚えがあります。体が必要とするものを人間は美味しいと感じるのだからというのでした。本当かも知れないと思いました。
私の生まれた地域は小農の集落でした。小学校六年生まで海を見たことがなく、初めて海水を口に含んで、塩辛いことを確認して感激したことでした。地元の小学校に転勤する先生が初めて赴任するとき、坂道を登っても登っても民家が見えないので途中で引き返したというくらいの寒村でした。無塩の魚を口にできるのは、秋祭り・正月・特別の祝い事のときだけでした。そんなときにはどの家でも飼っている鶏や兎を潰していました。外の世界を知らないので、そんなことも当然と受け止めていました。
子供の頃はニンジンが嫌いで、親の目を盗んで座布団の下に隠していましたが、食事が終わる頃には隠したことを忘れてしまい、後で見つかって叱られたりしていました。
私が好きなものはいろいろですが、魚類では刺身(とくにイクラ・ウニ・貝柱・イカ・鰆・サヨリなど)・目刺し・塩辛(福辰の飯盗)などです。秦さんのおっしゃる鯛の兜煮も大好きです。それににぎり寿司も。ときどきは鮒寿司やコノワタやカラスミも食べたいと思います。
野菜で苦手なものは今はありません。茄子はどんな食べ方も平気です。泉州の水茄子をときどき取り寄せます。
和菓子も好きで、ネットで調べて全国各地から取り寄せています。家族二人きりですから多少のわがままは許してもらっています。家内は持病があるので、買い物とか家事とか協力しています。それが自分の健康によい影響を与えているようです。肺ガンの手術後丸五年が経過し、担当医も治癒したと言いますが、転移や再発の可能性がゼロではなさそうです。
今後の生き方の参考にガンを経験した先人の著作を二、三読んでみました。「がんを生きる」(佐々木常雄)、「ガン六回 人生全快」(関原健夫)、「戦士に敬礼」(斎藤菜々)などです。
蕪辞を書き連ねました。

* 傘壽をお迎えと聴いた。お揃いで、お元気でと願う。
京都で育って、ことに和菓子が嬉しいと思うことがある。京は、和菓子と庭と。そんなふうに思ってきた。しばらく旨い京菓子とも遠くいる。庭は、買ってくることも運んでくることもできない。東福寺の、人っ子一人いなくて今日のように小雪の舞い散っていた普門院・開山堂前の庭、等伯ら紅葉や櫻の金碧障壁画を背に、縁から脚を垂れて向き合った智積院の庭、なつかしい。
2010 2・13 101

* パッショネートなバレンタイン・チョコを亡き孫娘のお友達から戴いたのを、妻とわけ、妻の妹が創ってくれた「やす香人形」ともいっしょに、賞翫、感謝。
2010 2・14 101

☆ メール嬉しく読みました。  鳶
枯木寒鴉と書かれていますが、蕪村の絵のように二羽寄り添う鴉なのですから、鴉は日々を幸せに大切に丁寧に生きてくださるよう、痛切に願います。
この日頃、HPから、お父様の遺された文章に接している様子に息詰める思いをしていました。同時にそれがどんなに重くても、お兄様の分まで背負っても、鴉には耐えられる靭さがあると確信しています。出生について、そしてそれを書くことに何の引け目も恥かしさもないと断言されていました。その強靭な精神力と覚悟がなければ作家になどなれませんもの。
容赦なく自分を曝け出して書かれ遺されたお父様、これまであなたが書かれた数少ないもの(少し突き放した感じで書かれていました)の中とは異なったお父様の像が、たとい痛ましくとも、共感できる一人の人として立ち現れてきたことを、HPから、多くの方が感じ
取っていると思います。
戦前、戦中、20世紀前半までの「家」のもつ意味。お母様が、「封建的な時世の強圧をはねかえした人間的な自由の達成であった」と言い切る強健さ。既に時間的な隔たりと社会の変化もあり、そして人の内面は到底窺い知れないことを思いながら、やはり深く深く考えさせられます。今現在にあっても人間の織り成す葛藤のドラマはやはり同じですから。
鳶の絵と何の内緒話をしたんでしょうか? 播磨までは残念ながら聞こえてきませんでした。が、絵と内緒話できる、そのような力がわたしの絵にいくばくかある! それは描いた者としては実に実に嬉しいです。単純に既に描き終わったものは一人歩きしているは
ずですが、何しろ絵そのものは廊下の床に重ねて置かれたまま。
指摘されたように、写真をもとにして絵を描くことの問題点、慌しい海外旅行という条件もあり仕方がないのですが、常に意識しています。構図を決める段階、あるいは途中でも、写真に捉われずに変更しますし、途中から最終段階では意識的に完全に写真から離れます。それでも現場で、できることなら完成に近いスケッチができればと思います。
絵画は写真が誕生した時から従来の在り方ではいられなかったし、伝達報道や史実を残すためのリアリズム絵画の存在根拠から遠く離れて、さまざまな取り組み、実験に駆られてもきました。現代絵画はその長い道筋でもありました。
わたしはそれらを未だ理解できていません。そして実際に自分が描くものの微小にも思い至ります。現代音楽の在り方についても同じようなことが言えるのではないでしょうか。あるいは現代詩の場でも。
絵も詩も時に、いいえ常に、大きすぎる対象です。持続こそ強さと思う以外進めません。
白内障の手術は三月初めに決まりました。
今日は気温が上がらないとか。先週そちらは雪が降ったり寒い日があったとか、風邪など引きませんよう、お体大事になさってください。

* 響く鐘があるのは、有り難い。

* 注文されていた九冊の湖の本に、全部識語と宛名署名して、漸く送れた。こんなに遅れた一因は、なにしろ百冊に余る既刊分を押し入れに小出ししてやみくもに積んである、そういう幾重もの山積みから、目指す第何巻を一冊ずつ見つけ出すのがなかなか大変なので。この頃は目が見えなくて、メガネも幾つもかけ直さないと背表紙の字や巻数字が読めない。それでも無事に送りだせ、ほっとした。注文はどんどん来て欲しい。
待ちわびたか、チョコレートと甘酒とが送られてきた。恐縮して頂戴した。

* 発送の用意と、父遺文への付き合いと、で寒々とした一日が終える。ずっしり疲れている。
2010 2・15 101

* 千葉県君津郡の坂井昭さんという文藝批評家ないし近世史研究者から、辻原登著『韃靼の馬』をめぐって「危うい歴史小説」であると批判する文書が二三日前に届いていた。原作を知らないので正確には言い切れないが、批評のポイントには頷けるところが幾つもあった。
著者が「歴史小説」と自負の旗幟をかかげて書いた小説か、フィクションを敢えてする気でいたか、それも論を左右するだろうが、たとえフィクションであっても歴史を扱う場合、践まねばすまぬ約束はある。たとえば新井白石をふつうの会話で「白石様」とは呼ばないだろう、わたしも「勘解由」と書いていた。「信長様」だの「「秀吉公」だのともし蔭でいうとしてもそれは可なり悪意や逆意を含むことになる。
歴史物は実に難しく、拘泥しないで好きに書くという人もあるかしれない。わたしは会話では余りその時代の話語に拘泥せず、むしろ標準語をさらりと用いるようにしてきた。拘ると不自然に誤謬を重ねるだろうから。ましてわたしのように歴史空間と現在空間とを混在させる作柄だと、それなりの工夫が要る。タイムトンネルを出たり入ったりするわたしの作柄に、はじめのうち戸惑った読者は多かったろう。
2010 2・15 101

☆ お元気ですか、みづうみ。お元気ですか。
母の家を引き払い大荷物の処分と引っ越しに精根尽き果てておりました。人間が長く生きているとこんなに物に埋もれるものかと思います。家具、衣類、電化製品等は言うに及ばず、古い写真や手紙や書類、ノート、原稿、本の山また山。(作家だったらこの百倍も蔵書があるでしょうから、想像するだに恐ろしい)たまりかねて、プロのシュレッダー業者まで頼むことになりました。
まだ若く身体の動くうちに親が身辺整理をしなくては、子どもが後始末できないと骨身に沁みました。ここ数日でようやく、ようやく少し片づきそうな気配です。(見て見ぬふりの段ボールの数が許容範囲になったという意味に過ぎませんが)
今さらながら、みづうみが三人のお年寄りを京都からお引き取りになったことはどんなに壮絶な労働でいらしたことかとお察し申し上げます。
最近のとくに政局関係のテレビのニュースにはうんざりです。
冬のオリンピックも空騒ぎみたいな感じがして。
でも、先日ほんとうに久しぶりに素晴らしいニュースが飛び込んでまいりました。ご存じでしょうけれど、引用させてください。

【ベルリン共同】第2次大戦末期に英軍のじゅうたん爆撃で廃虚となったドイツ東部ドレスデンで、空襲から65年を迎えた13日、極右ネオナチが追悼を利用したデモ行進を計画したが、1万人以上の地元市民らが「人間の鎖」で阻止した。
空襲をナチスのユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)になぞらえ「爆弾によるホロコースト」と主張するネオナチなど約5千人が、ドレスデンの新市街などに集結。
これに反対する市民らは、戦災の象徴・フラウエン(聖母)教会がある旧市内への極右の侵入を阻止するため、人間の鎖をつくったり座り込みをした。衝突回避のため、数千人の警察官が出動。双方の計約30人が拘束され、警官15人を含む計約30人が軽傷を負った。
市内各地では同日、反ナチスのシンボルの白いばらを献花するなどさまざまな追悼行事が行われた。

あの時代を知る人は、ナチズムの再来を防ぐ唯一の方法は、まだ芽のうちに叩き潰すこと以外にないと言います。山頂で転がり始めた石は最初は少しの力でも止めることができるが、勢いがつきはじめたら、もうとどめることはできなくなるからです。
今回の人間の鎖はそういう行動です。市民たちの果敢で機敏な抵抗運動でした。最大規模のネオナチのデモ行進を一万人もの市民の鎖が阻んだのは、人類の勝利といってもいいくらいです。世界はまだまだ棄てたものじゃありません。私はこのニュースに感動しました。
小田実さんが生きていらしたならこの人間の鎖に参加していたに違いないと思います。いえ、あの世から参加して鎖に加わっているお姿が見えるようです。
暗黒の恐怖政治の時代にもナチスに頑強に抵抗した勇気ある人々のことを思い、心弱った時は自らを奮い立たせると、小田実さんはテレビで涙ながらに語っていました。
今回の人間の鎖は、ナチスに粛清された多くの命が無駄死にではなかったと証明されることです。圧倒的な暴力に奪われた多くの人生がついに報われたような、近来稀に見る希望に満ちた美しいニュースだと思いました。
日本のマスコミはなぜかいつもいつも、どうでもいい枝葉のニュースばかり報じていて、本筋の議論は置き去りで、だからこんな明るいニュースを片隅にして大々的に報じないわけで、憤慨しています。それで書いてみたくなりました。長々と失礼しました。
みづうみのご両親への旅は続いていくのでございましょう。お父さま、お母さまの人生はみづうみの文学を通して再び美しい花を咲かせるのですから、どんなに喜んでいらっしゃることかと思います。小説は長い感動的な弔辞であってほしいと時々感じますから、みづうみの新たな創作を心待ちにしています。
このメールを書いているあいだも、じつは疲れて一度寝てしまいました。みづうみとは違う意味で疲労がたまっているのを感じます。もしお返事いただけたら、栄養剤になるでしょう。  氷雨

* 中国では、ノーベル平和賞にもあげられようかという人物が、叛逆とか国家転覆とかいう名目で重罪判決を受け、牢屋に追い込まれている。言論の封殺。お国柄とはいえ見過ごせない。日中文化交流協会など、どういう認識でいるのだろう。

* どのようにして、ソフィストよりあくどい似而非の知性や大衆が、ムチャクチャに乱罵と悪声を放ち続けて、国に大事を謬らせるかを、ソクラテスがみごとに説いているのを聴いた。ああ、これだ、とわれわれのマスコミの無軌道が情け無かった。
2010 2・16 101

* 寒くて、戸外へは出そびれる。札幌の真岡哲夫さんから、美味清澄「一の蔵」を頂戴、折良くて、盃をぐいぐい傾ける。
2010 2・19 101

☆ 新装の根津美術館はまだ行ったことがありません。とても行きたい美術館ですから、うらやましいことでした。
新しい山種美術館も、近くに用事がある時に前を通っただけです。今は、たしか竹内栖鳳の班猫が展示中でしたか。
みづうみはお元気ですか。
昨日の道路は雪まじりに寒くて、「水鏡」が「氷鏡」になりそうでした。来週は暖かくなるので、春を感じることが出来るでしょう。
しかしながら、季節は春になっても、わたくしには心楽しむような期待はもてません。せめてこのメールに反応してくださるなんて如何? このメール書いている途中にも一度睡魔に襲われてしまいました。間近へ越してきた年寄りとの日々組み討ちに疲れているらしいです。
おやすみなさいませ。  葉牡丹

* わたしたちが通り過ぎてきた、お年寄りの世話に翻弄されぎみの読者女性が、ちょくちょくメールで息を抜きに来られる。それぐらい、おやすい応対である。
2010 2・19 101

* 映画女優で親友の原知佐子を、三月の歌舞伎に誘った。舞台稽古に、うまいあわいが有り、行く行くと。大学で同期生、妻には一期先輩。橋之助の石川五右衛門が「つづら抜けの宙乗り相勤め申し候」という、南禅寺「金門」の絶景かな、である。扇雀丈が真柴久吉。彦三郎や万次郎が付き合っている。
2010 2・19 101

☆ 少し春  maokat
今週は仙台に出張しておりました。行きは順調でしたが、昨日帰る飛行機が千歳空港除雪待ちのため、上空で一時間近く旋回して、旭川へ降りるか、仙台へ戻るかというところでようやく着陸できました。
帰りがけに駅前の酒屋から宮城のお酒をお送りしておきました。味はわかりませんが、美味しそうな姿で選んでみました。
明後日から次の出張です。次の次の出張が終わると、今年度の出張も終わり。
三月になれば少し雪も溶けて暖かくなるので、土日にゆっくり実験もしたいと、それを楽しみに、会議に出歩いています。

* その旨い「一の蔵」を、荒削りな萩の大盃で、きゅーっ、きゅーっと引きながら原田甲斐を観ていました。肴は、焼き海苔。これがピタリ。
酒をやらないmaokatさん、お茶はたてていますか。自分のためだけでなく、人にもたててあげていますか。
先夜の夢に、珈琲カップで珈琲の盆手前が工夫できないかと、夢の中でやっさもっさしていました。
立礼だけでなく、畳の部屋の座卓での手前ができるといいのですが。出来てるか知らん、もう。 お元気で。いいお酒をほんとにありがとう。 hatak

* もう日付が変わる。
2010 2・20 101

* 東工大の卒業生から、研究上の進路のことで、メールが来た。身につまされる。いい決断を踏み込んでして欲しい。

☆ お元気ですか。
昨夜の私語を拝見して、ご案じ申し上げていました。お具合如何ですか。どうぞお大切になさってくださいませ。
お仕事など色々ご心労を抱えていらっしゃいますと、ネズミという小さな厄介ものの存在も案外堪えるものです。ストレス増幅の一因になります。
ネズミさんたちはその後どうなっていますか。以前に横尾忠則さんのブログを読んで笑いました。飼い猫(と言っても元野良猫で勝手に横尾家に居ついた猫ですが)がネズミの大発生に家出したそうです。家の中から玄関と庭に住むようになってしまったと書いてありましたっけ。結局業者を呼んでネズミを退治なさったそうです。
あちこちで、最近の猫はネズミの天敵ではなくなりつつあると聞きました。昔はネズミを捕まえるから猫を飼っていたものでしたが、今は猫も大切な家族の一員として迎えられ、ネズミを食べるどころかネズミを見て逃げだしたりすることもあるそうです。どう考えても、ネズミより猫缶のほうがおいしそうですし。
マゴは、ネズミに恐れられていないのかしら。みづうみ溺愛のお坊っちゃま猫で、ネズミを見たら逃げてしまうクチでしょうか。それとも無関心? まあ、ハンターとなって得意気に獲物を見せに来られたら、奥さまが悲鳴をあげるでしょうから、何もしないままが安全かもしれません。
猫がいることでネズミよけになるのが本来なのですが、近頃のネズミは図太いのでしょう。みづうみのお宅の近くで家の取り壊しなどございましたか? そういうことで移動してくることはありますね。ネズミは賢くてなかなか罠にはひっかからない上に非衛生的生き物ですから、どうぞ数が増える前に撃退なさいますように。鼠算というくらい早く増えますもの。みづうみのお宅のほうは都心より自然が残っているように思います。みづうみの大きなストレスにならないうちに効果的対策なさいますよう念じております。
では、お元気に、ご無理なさらずお過ごしくださいませ。   散り椿

* 黒いマゴは、再々ネズミを銜えて得意げに見せに帰ってくる。たいてい殺さずに銜えているだけで、時に、ネズミは虎口ならぬマゴの歯牙から逃げて行く。「掴まえたよ」とわれわれに報告すれば気がすむらしい。ご近所さんに洩れ聞くと、黒いマゴ、乾いた渠などでどうやらネズミを探索しているらしい。彼のスポーツかも。
2010 2・22 101

* よく眠れる。睡眠障害は無い。このところ、つい朝寝が過ぎる。

* 浅田真央選手をいたわり慰めるメールが二つも。その気持ちには同感する。マスコミの過剰な煽りがいちばんイヤだった。激励のつもりであろうと、どこかおもしろづく太鼓を叩き笛を吹いていて五月蠅かった。

* スポーツの世界はフェアであると決めてかかったこともない。ルールの勝手な変更などいろいろこれまでにもあった。ライバル選手の暴行事件すらあった。何があってもおかしくない世間である。
真央はそんな中で真摯に努力していた、求道的な感じはイチローや野茂に似ていると好感をもちつづけてきた。だれもが認めて愛している。それでよしと堪え、前進してくれるだろう。

☆ お元気ですか。  播磨の鳶
二月の寒さは何処に行ったのか、暖かな一週間でした。雨後の静かな朝です。が、庭の大きくなりすぎたミモザに鳥たちが集まるので、仕方なく物干し竿を振り回して幹を叩いて鳥を追いやる始末です。滑稽な姿がたちどころに思い浮かぶでしょう?
ねずみ騒動、早く解決するといいですね。ねずみは幼い頃の思い出にあります。夜中になると天井で走り回る気配がしました。在る時、押入れの奥に生まれたばかりで毛も生えていない赤ちゃんねずみを見つけて祖母が殺したのを、可哀相と思いながら目そむけま
した。今頃は雑貨屋さんでもホームセンターでもねずみ捕りなど見かけません。もしねずみ捕りにねずみが入っていたら・・どうするかしらと思ってしまいます。
生き物すべてに命あり、魂あり、みな仏と思いつつ、ねずみもゴキブリも見たら、わたしは悲鳴をあげてしまうでしょう。
来週からしばらく眼を使うことをできる限り避けて大事にしなければなりませんので、本を読んでばかりいます。
フィギアの真央ちゃんはとても残念でした。挑む姿、大好きです。直後のインタビュー、可哀相でした。何だか、あれから気分が沈んでいると、娘とわたしは言い合っています。真央ちゃんが背負った国民の期待が重荷になってはいけないことは十分意識しつつ。
オリンピック、単に個人の問題に終わらず、むずかしい。
花粉症の記述がHPにあまりないのは、悩まされていないからでしょうか、如何ですか? お体、ご自愛ください。
土曜日の朝、僅かな時間のとりとめないメールです。

* 京都の家では、家の中へもねずみはおろか蛇まで出た。「戦時中」という三字の印象に、わたしの場合、ねずみと蛇とが不可避に加わってくる。

☆ ご立派   週刊マダム
昨今の軟弱なネコと違って、マゴは猫の王道を行く高貴な野性のある猫なんですね。ご立派です。それにしても鼠を見せられて動じないなんて、さすが長い猫歴をお持ちです。わたくしなら逃げ出すか、柄にもなく気絶するか。
浅田選手、十九歳ながらじつに立派だったと思います。たくさん拍手してあげます。でも、号泣している姿はせつなくてかわいそうでしたね。悔しかったでしょう。
感心したのは負けてなお前向きなこと。次に挑戦したいという、そのまっすぐなところは大したものです。かわいいです。私のようにすぐにふてくされてしまう人間は大いに見習わなくてはなりません。
お元気ですか。湖の本、とても楽しみにしています。
2010 2・27 101

☆ さてさて。 お元気ですか、風。
今、雨はやんでいますが、外は冷えています。
そうそう早くに春は来ないようです。
お天気は、人の性格や思想の傾向に影響が、あるでしょうね、と、ロシアの音楽や文学を思い出しました。
さっき、近所のスーパーに、つい無防備で行ってしまったのですが、花粉を感じました。そういうところには、しっかり早春です。
どうか、風の時間が永く永くつづきますように。ではでは、花も元気にがんばります。
2010 3・2 102

☆ 気候不順な3月は苦手な季節です。
京都では桃の花咲く旧暦3月にお雛様を飾るお家がまだ多いと聴きます。我が家はここ何年もサボって対面していません。散らし寿司だけは欠かしませんが。
この処、外壁塗装や屋根の葺き替え等の準備で慌ただしく過ごしています。
それでも暖かかった昨日は、孫の卒園遠足の時間延長を使って娘と高島屋の向井潤吉展を観てきました。京都の人だと初めて知り、各地の懐かしいような茅葺き屋根の民家を描いた穏やかな絵に心が落ち着きました。
一転して現実的に、二人で八重地下でバーゲン品を漁ったりして、別れてからも一人でふらふらと沢山歩きました。
今このメールを打っている最中に**ちゃんから久々の電話があり長話で中断。京都、行きたいなァ  泉

☆ 少し前に録画しておいた、NHK教育の番組「裁判員へ 元死刑囚・免田栄の旅」を、午前に見ました。
とてもいいドキュメンタリーでした。
「冤罪の可能性がゼロでない限り、死刑は廃止すべき」という免田さんの主張が、ずしりと心に残りました。
裁判員裁判は、なぜ、何のためにはじまったのか、実は腑に落ちないでいます。
審議の迅速化が狙い、と、どこかで聞きましたが、それだけのために、殺人や強盗など、重大事件の審議を、その量刑の決定まで、一般市民にさせるのは、あまりに重圧だと思うのですが。
いつ自分の身にふりかかるかも知れない、と、冤罪被害者の立場に身を寄せ、これまで花は冤罪に関するニュースに接してきましたが、番組の中で免田さんの訪ねた元裁判官が、「人が人を裁くことはできない」と、血を吐くように呻いたのを見て、自分が裁判員に選出されるときのことを考えずにはいられませんでした。
元裁判官は、四十年以上前に静岡で起きた、冤罪として現在も係争中の袴田事件の審議をし、袴田被告の有罪を否認しながら、多数決で死刑判決を出さざるをえなかったのでした。
「月皓く」を読みました。
こういうのを書いてくださってありがたい、と思いながら読みました。
あと、『オネーギン』と『カラマーゾフの兄弟』を借りてあります。今日は運動をヤメテ大人しくしています。 花
2010 3・4 102

* 夕過ぎて、文字通り遠来の人を迎えて、日比谷のクラブで、クラブの奨めるイタリアの白ワイン一本と「伊勢長」の和食を話の肴に、あれこれ談笑の三時間ほどを過ごしてきた。国電の有楽町まで送って、わたしは有楽町線で帰ってきた。きっちり十時。
2010 3・5 203

* 天気麗しからず、腹部やや不穏。三宅坂、国立劇場「金門五山桐」の通し狂言で楽しんでこよう、今日の観劇は三人、女優の原知佐子と一緒に。大学以来の旧友。からからと笑いあえる。演ずるは中村橋之助と中村扇雀ほか。気軽い。
本の仕上がってくるのに、もう数日ある。

* 雨冷たいといっても傘をもつ手に手袋がいらなかった。有楽町線の永田町でおりて、国立劇場へ向かう途中から「早道」がついていて、歩く距離が半減、助かる。
はじめて保谷の社宅に入った半世紀ちかく前は、なんて田舎へ来て了ったろうと思っていたが、いまでは電車一本で、池袋はあたりまえ、新宿へも渋谷へも銀座へも築地へもまっすぐ早く行ける。練馬で大江戸線に乗り換えれば、新宿、千駄ヶ谷、六本木、青山、月島、両国、上野御徒町、本郷三丁目へも難なく行ける。

* 田原さん(原知佐子、実相寺昭雄氏夫人)元気で、弁当場での「十八番(おはこ)懐石」も一緒に、とちりの「と」花道より中央通路ぎわの絶好席で、橋之助の石川五右衛門をはんなり楽しんだ。まだ貫禄でも、口跡の豊かな間の取り方といい、「絶景かな」も「一目万両、万々両」と満場を圧するには力不足はどうしようもないが、葛籠抜けの宙乗りは元気に空を奔って、けっこうでした。
この役者は柄もいい、声も悪くないのだが、「科白」への認識か稽古か、その両方か、がいささか欠けている。ひび割れた鐘のように口跡が締まらない。惜しい。
口跡は音量や音色だけではない、なにより「音容」とでも謂いたい造形美が伴わないといけない。「絶景かな」も「万々両」も、自分の声・言葉を耳で繰り返し聴き、何百度も繰り返し稽古して、「堂々として豊かな音容=姿・形・間」を把握すると好い。かならず「大成駒」と謂われるようになる。いまのままでは、張り子の大駒。
中村扇雀の真柴久吉は、なんだか愛想がよく、女形も立ち役も浮き浮きと楽しそうに演じ分けていた。元気といえば元気でよろしく。
元気といえば、亀三郎がそれなりの場を得て、颯爽。男前の亀壽に女形をさせたのは気の毒だった。亀蔵は、達者。高麗蔵は、どうして、ああだろう。万次郎の老け女がサマになっていて面白かった、本役の奥方に戻っての方が、化け物じみた。
通し狂言で「金門五山桐」はそう見られる演目でなく、珍しくて気楽に楽しめた。成駒屋さん、絶好席を用意してくれていた。花道からも舞台からも、橋之助、扇雀の視線と姿勢とがまっすぐ捉えられ、芝居に乗せて貰いやすかった。

* はねても、雨。三人で永田町駅までもどり、半蔵門線でかえる田原さんと、機嫌良く「さいなら」した。十月に芝居をするから、「ぜひ生きていなさい」と頼まれた。
2010 3・7 102

* 昼前に、岡山でご手配の、富山の鱒鮨を頂戴し、早速いただいた。肉の厚いおいしい鱒をご馳走になりました。有難う存じます。

☆ 遅くなりました。  毅 e-OLD 岡山
今日「高芳」から、11日にお届けするとの連絡がありました。
このたびの鱒寿司については次のようないきさつがありました。
もう30年程もまえ、みき書房から出ていた季刊雑誌を読み返していたら、26号に秦さんの「食と食器と中ソと日本」が載っていました。
同じ号に小島政二郎の連載「食いしん坊」があって読んでいたら、『・・・・好きなもので突然思い出したのは、四月か五月かになると、富山の鱒寿司だ。富山には痔の手術で永らく滞在したので、忘れずにいるが、桜橋という電車の停留所の近くにある高芳という店の鱒寿司がうまかった。鎌倉へ返ってきてからも、たびたび送って貰って愛用したので忘れずにいる・・・・』とあったので、つい出来心でお届けすることになった次第です。
2010 3・11 102

☆ 発送に   播磨の鳶
多忙の一日でしたでしょう。今頃はゆっくり一休みされていますか?
一昨日、昨日、本当に寒かったです。ちょうど病院通いと重なって、それでも戸外の梅や桃の花、桜桃の花の咲いているのを楽しんだ外出でした。今日は、帰ってきたら疲れていたのでしょう、午後ずっと眠っていました。
二日、九日と手術、といっても白内障の簡単な手術、ただし眼は大事ですから自分を甘やかしています。
本、楽しみにしています。そしてくれぐれも無理なさらないように。
以下はメモから。

白内障手術 2010・3

目薬 15回ほど点滴
瞳孔は開いていますね 痛くないからね
顔に覆いが掛けられて いっそホッとする
この安心感 一枚の布の下の意識ある者の安心・・

天窓が開いた
くっきり青い 空のよう 窓枠越しに青空
窓枠は楕円の縦長 その真ん中に一本筋交いがあって
空は二分されている・・要するに これは照明のカタチだな
明るい明るい

少しちくりとしまあす チク 痛くない

やがて 青が深くなった
綺麗綺麗 子供と同じ 好奇心全開 見つめる
突然 窓の下が銀色の揺れた平面になった・・レンズが入れられている?
海だ 銀色に光る海 所々にヨットだろうか?
人が立っている ああ あの人がいる

天窓の深い青を背にして
わたしを覗きこむ 孔雀 天使 ちょっと胡散臭い高ピー女たち
・・覚えがある これは
マントヴァ ドゥカーレ宮殿 マンテーニャ描いた婚姻の間の天井絵
青が深くなる 深くなる

片方の目の手術 緊張しないと思っていたら
こわばっていますよ 楽にして らくうにーして
再びの光景にマンテーニャは現れなかった
宇宙船の窓に 紅色 黄色 薄青 青 光が乱舞した

水晶体の濁り
あれは這い回る根であったかもしれない
あるいはびっしりこびりついた窓ガラスの油煙の・・

呪文を指に添わせて ふいふい
液晶テレビの画面に酷似した 明るい眩しい視界が広がる

* どうやら無事に経過しているようで、何より。ほっとしました。予後、大事にしてください。鴉

☆ 生きています。  朱鷺
お元気ですか、みづうみ。
母がまた入院して、病院疲れですが、なんとか生きてます。週末は法事のため九州へ。帰宅したら「湖の本」が届いているかもしれません。それを楽しみに出かけます。
グルダのCDをお聴きになっていたとか。いい演奏ですね、あれは。万人向きではないものですが、お好きのようで。共感。
発送作業でご無理なさいませんように。お元気にお過ごしください。
2010 3・11 102

☆ 今、庭にユキワリイチゲのほかクロッカス・クリスマスローズ・サンシュユ・ヤブツバキ・クサボケなどが咲いています。  有元毅

* 春だ。
2010 3・11 102

☆ ご無沙汰しています。  六
告白すれば、この二年半、生活を再建するための労働に追われて、思惟の余裕を失っていました。働くことが逃げ道であったようにもおもいます。おれは働いているんだと威張れるほどのことをしていたわけではありません。わずかばかりの、以前の生活感覚からいえば、小遣い銭ほどのものを得るために這いずり回っていたのです。
世間から退くつもりでもありました。ものはもたない、つきあいはしない、そう決めて、ただただ働いていました。ですが、捨てきれなかったようです。書くことの楽しみが。もういちど書いてみたいとおもいます。
「書かれていますか。又、見せて下さい。」
ありがたいお言葉に甘えて、昨日書いた作を送ります。判定は、ゆだねます。

* 嬉しいことだ。かくてこそ。そう思う。嬉しい。早速読ませてもらいました。「連載」中のエッセイに続けて掲載し終えた。
2010 3・14 102

☆ 湖の本ありがとうございました。  波
ミモザの花が金色に光り、春の訪れを感じます。
このたびは『宗遠、茶を語る』をお送りいただきまして、本当にありがとうございました。
「一期一会」「かなひたがるは悪しし」
改めて心に置きながら、ゆっくり読み進めています。
わたくしのほうは、相変わらず仕事が忙しく、特に人事の関連に心騒ぐことの多い毎日です。
いつ どのようにして 後継者にわたすか、あるいは M&A という形で より大きい企業に譲るか、考えなければならないときになりました。
財をなしたわけでもなく、日々を不自由ない程度に過ごしています。
お体のお具合はいかがでしょうか?
心静かに、日々過ごされますよう心からお祈りいたします。

☆ 湖の本 ありがとうございます。  晴
102号 金曜日に届きました。早々に送って頂きありがとうございます。
以前の厚い封筒の包装で送って頂き、ご本美しく届きました。
厚いので、たくさんの部数で重さがお身体にこたえておられるのではないかと案じています。
土曜日曜と外出いたしましたので、早速持って出かけました。
狭くて雑駁な大江戸線の中でも心静かにお茶の世界を、心を覗かせていただくことが出来ました。
まだまだ全部は読み通せていないのですが、私は以前から「一座建立」の言葉が腑に落ちると申しますか、納得がいく言葉でした。その場に居合わせる者としての配慮が必要なのではないかと、ちょっとしゃちほこばって思っていました。
ご本の「言葉あり」の章で、「独坐観念」の言葉を書かれていました。
『一会の茶事は、終てた。
亭主は自服の茶に、静かに静かに深まる時のうつろいを味わう。至淳の「時」である。主と客とが一座を建立してあればこそ、そののちの「独坐観念」の充実が光ってくる。』
そして私語の刻で、
『惜しみ、愛しみ、そして愛しみ哀しみ「寂」へ極まってゆく、なごりの美。』
を読み、命のなごりを思いました。
どうかして、充実した「独坐観念」の一服がもてますように。
読み方がまだまだ不十分ですが、しばらくそばに置いて読み返したく思っています。
先週は京都の行き返りに『絵巻』を読ませていただいていました。ありがとうございました
気候の変わり目です。どうぞどうぞ迪子様もともにお身体お大切にお労わりお過ごし下さい。
2010 3・14 102

☆ ちらほらと早咲きの桜の便りが聞かれる頃となりました。
「湖の本」届きました。
いつもありがとうございます。
お身体のお具合はいかがですか。
発送などのお疲れなど出ませんよう願っています。
お茶のこと、大変興味深くて、楽しみに読ませて頂きます。
奥様共々、お身体お大切にお過ごしくださいますよう。  京 のばら

* 重い、やや重苦しい仕事が続いていたので、茶の道の二冊目を取り纏め、すこし息を入れて頂くことにした。
2010 3・15 102

* マイミクさんのお祖父さんが昔、大相撲の美男力士であったと教わった。もうよほど昔の人で、シコ名は「栃ノ花」と。
朝青龍のいない大相撲が始まっている。ごっつい鬼歯が抜けたような。
琴光喜が負け琴欧州が負け、魁皇が強く勝ち、白鵬が強く強く勝っていた。
魁皇は親方友綱、昔の「巴潟」の部屋だが、同じ名前のチャンコ店があり、妻と三度四度食べている。ある日、部屋に大関魁皇が帰ってきたと聞いて、妻は席を立ち、道路を隔てたお向かいまで追っかけていって握手してきたからエライものだ。両国駅のすぐ近くに「天亀八」というわたしも知っている老舗の天麩羅がある。栃ノ花の孫娘というマイミクさんは、その店で結納をかわしたとか。佳い感じ。

☆ 春めいて来ました。  沙
「湖の本」102 宗遠、茶を語る。ひさしぶりに身構えることなく読みました。息を楽に、安心して。
ところで表紙は、101だけ特別なのでしたっけ。
年相応ていどに元気ですが、記憶に自信がなくて、それを認めてますます自信がなくなって、こわいです。

* 101は変わり映えも求めて表紙繪を思い切り換えたが、これからは、小説とエッセイとか、批評と小説とか、いろいろにバラエティをつけて行きたく、内容次第で在来の三種類の表紙を取り替え取り替えして行きます。あの大胆なヌードで『宗遠、茶を語る』となると、人様を驚かせすぎるかもと。
物忘れは日々イヤほど体験している。今の今そう書こうと頭にあった人の氏名が、次の瞬間には出てこない。そんなこと、しょっちゅう。それをどれほどの時間掛けてまた思い出せるかを、ゲームのように追いかけている。
相応に老人になっているわけだと、物忘れしても、目が霞んでも、腰が痛くても、順調に年よりらしくなっているんだと、むしろ、受け容れている。怖がっていては、やってられません、老人など。
2010 3・15 102

☆ 湖の本  杏
昨夜の飛行機の機長のお名前は秦さんでした。帰宅して、ポストに湖の新刊無事届いておりました。
今回も大冊です。大変な作業でいらっしゃいましたね。
せっかくの新刊ですのに、手にしてみますと、ふと、あと何冊湖の本の新刊を読ませていただけるのだろうかと、ひどく悲しくなりました。
作品はまだまだたくさんおありなのは承知していますが、お眼の負担、書物の持ち運びの重労働をいつまでお続けになれるだろうかと案じます。読者の希望とご健康を天秤にかければ答は自明のこと。
ことに百号を越えての一冊一冊は以前にもまして、貴重なものに思われます。ご本を手にしているだけで、指先からみづうみのお覚悟と焔の気迫が伝わるように感じます。命を削るようにして届いた一冊、あだやおろそかには読めません。抱きしめ永く愛しんで読ませていただきます。ありがとうございました。
このようなことを申し上げてよいのかと迷いつつ、どうぞ茶寿、皇寿の「湖の本」のお祝いをさせていただけますようお祈りしています。
「百福具臻」 読み方と意味をお教えいただけますか。同じような方がいらっしゃるのではと、代表して質問させていただきました。
お元気ですか、みづうみ。ずっとお元気でありますように。
花粉の季節をしのいでお過ごしくださいませ。

* 仕事と健康とが、必ずしも均衡するとはいえず、併走は容易でないが、なにをしても容易なことなどもう一つもない。成ることを、成すだけ。

* 百福具臻 ひゃくふく つぶさにいたる と訓んでいる。漢の文帝や孔子ら古聖賢の遺訓に服して行うなら、という前文・前提はあるが、それはそれとして祝儀・祝言・祈願の文句として流用したまで。
2010 3・16 102

☆ 『宗遠、茶を語る』を嬉しく拝受いたしました。早くに夫を失った母は茶と花を教えて五人の子供を育ててくれました。母が生きていれば読ませたかった本です。
『湖の本』第二世紀、これからも長い道が続いています。呉々もお身体お大切に。3/15 和 ペンクラブ会員

☆ 寒暖の差の激しい昨今ですが ご体調いかがでしょうか。
いつも 湖の本、楽しみに拝読致しております。
今回「代金すでに頂戴しております。次回 預り金あります」とのお知らせでしたが、そんなはずはありません。過日ご送金申し上げたのは「100冊」お祝いのささやかなしるしです。 大変ご面倒とは存じますが そのように会計処理していただければ ありがたく存じます。 したがいまして今回(102冊目) 分は近日中に振込させていただきますのでご了承下さい。
どうかこれからもご健筆を。  大学学長

* 冥利に尽きる。感謝。
2010 3・16 102

* 昨日一日で「湖の本」へどうっと反応があった。福田恆存先生夫人をはじめ、追加のご注文もあって有り難い。
いつも払込票に大方の人がいろいろに書いてきて下さる。ここへは到底紹介しきれないが、励み、喜び。二十数年前のわたしの茶の本を読んでお稽古を初め、今も、という大学教授もおられた。有り難い。応援のお気持ちもたくさん賜った。御礼申し上げる。

☆ 前略「湖の本」102誠に有難く拝受。  文藝誌編集長
学生の時、茶人の息子が友達で茶を習ひ、学徒出陣に野点の道具を荷物に忍ばせて行きましたが、軍隊は茶など点てられる処ではありませんでした。昔をしのび、茶のこと少し勉強させていただきます。
巻頭の一期一会に 三十年ほど前、江南を旅した時、尖った感じのツアイチエンしか耳にしなかったのに、若い娘がツアイホエと言ったから 日本語のさよならのやうに柔らかかったので、それから再会と言って旅を続けました。そのこと思ひ出しました。
葉書で失礼ですが、御礼まで  不一

☆ 秦先生 「湖の本」(102)ありがとうございます。  新聞記者
毎回、「本」を拝受するたびにせめて御礼のメールと思いつつも、失礼しております。申し訳ございません。
今回、掲載されている「わが一期一会」は僕が初めて先生にお願いした原稿ですね。もう12年も前です。
東京のホテルでお会いして、写真を撮らせていただいたのが、ずいぶん前のような気がします。
でもあのときのことは自分の中で、意識的にも無意識にも反芻していたせいか。ホテルのティールームの雰囲気、曇り気味だった天気のことなどをよく覚えております。
お食事に誘っていただいたのに、めったに上京しないので、後の予定がつまっており、ご一緒できなかったのがいまだに残念です。
「メディア」は今、環境の激変で大きな変化を求められています。
当然のことながら弊社も例外であろうはずもなく、「変えていいもの」「変えるべきもの」「変えてはいけないもの」などの“仕分け”に
迫られております。
しかし、「知」や「意」が正当であったとしても「情」までが従うとは限らないのが人の常。「変えたくない」「変わりたくない」という「情」を「知」もどき、「意」もどきで正当化しようという力もあって、それもまた間違いともいえず混沌としているような状況です。
抽象的な話で申し訳ありません。
僕としては今年が正念場だと肝に命じて、公私にわたり色々な動きをしています。簡単には表現しようがないことも含めて、具体的には言えない話ばかりです。
インターネットが席巻し始めたころ、「リンク」「フラット」「シェア」という理念が念仏のようにとなえられていましたけど、今ではもう「リンク」「シェア」は空気のような常識になりました。
これからは社会全体が「フラット」「フリー」「スマート」への流れをさらに加速していくと見当をつけつつ2,3年後を想定して行動しています。
さらに3年前から始めたトロンボーンも面白くて、時間がいくらあっても足りない状態で、去年の秋の初めから午前4時起床という生活をして時間を捻出しています。
また先生のお知恵を拝借できる機会があればと祈念しております。
関係ない話ですが、この間、NHKで新島八重に取材した番組の再放送を見ました。
新島襄先生よりも面白い、と思いました。
その番組のなかで「茶道」を「ちゃどう」とアナウンスしていたので、調べてみたら、八重が習い教えた裏千家では、そう発音するんですね。恥ずかしながら全く知りませんでした。色々なところで恥をかいていた、と赤面しました。
ではシャワーを浴びて朝ごはんを食べてから出勤します。
とりとめないメールで失礼します。
ご容赦いただければ幸いです。

☆ 湖へ 珠です。お元気ですか。
春、慌しくはありますが、珠は元気に過ごしています。
旅先から戻ったら、心待ちの「湖の本」が届いていました。茶について、、味わいながら読ませて戴きます。
先週後半、数十年ぶりに奈良を訪れました。
仕覆の師からの紹介で、東大寺二月堂の修二会を近く拝見できることになってのこと。わくわくして出かけました。
お陰様で、大松明の夜、ハ゛チハ゛チと燃え上がる篭松明の、その熱さを肌に感じながら、階段を昇ってゆくさまを拝見。舞台欄干に上がった大松明からは、舞い落ちる火の粉を受けて、思わず合掌。
「お水取り」とよばれるこの修二会、実は14日間に亘って、 選ばれた連行衆が国家国民の平安を祈る法行であること、初めて知りました。
大松明の真夜中に井戸から汲みあげる‘御香水’、毎夜二月堂に登る練行衆を先導する松明の火、1200年間止むことなく続いてきた自然の大いなる力と共にある、祈り。
入堂された練行衆の唱えるお声明は、深い闇から響いてくる穏やかな音楽のようでした。ありがたい事に、今回お堂に入らせて頂けたので、暗闇で声明に耳を傾けながら、灯芯のゆらめきに映る‘糊こぼし’の椿(造花)の赤、段々に積み上げられたお供え餅の白さに魅せられて、異界にいるような心地で 真夜中まで過ごしてきました。

奈良には、これまでなかなか足が向かなかったのですが、久しぶりにゆっくり過ごてみると、何か不器用な土地のように感じました。京都にいるような都の緊張感もないせいか、素朴で心休まります。
そんな奈良らしいお酒をお送りしたくて、なんと10種類をチビチビ、、
美味しいお酒もいろいろと思うので、今回は、私が旅で感じた奈良のイメージを味に求めました。10種類から2本まではすぐだったのですが、2本から1本に決めるのに少し迷って。最後、二月堂の暗闇に響く声明を耳に聴き、決めました。
そろそろ届く頃と思います。大きな瓶しかないお酒だったので、くれぐれも飲みすぎませんように。奈良の気配、舌に感じて頂ければ嬉しいです。
私はご本を、ご相伴させて頂きます。
三寒四温の字のまま、冷える日があります。
くれぐれも気をつけて下さい。湖。お大事に。  珠

* 濾過しないで袋搾りの「梅の宿」は原酒の感じ、きゅーうっ、きゅーうっと漆の片口を傾け、小弁慶なみに、冷やで綺麗に飲み干して行く美味さ。仕事棚上げ。
チビチビ…なんてのは、ダメ。うまい酒ほど、痛切にきゅーうっと呑む。
昨日妻と出向いた百花園。あの静かさのなかで、こんな酒を瓢にでも持参なら、団子も肴も要らないなあ。
しかし、仕事が溜まってしまうなあ。

☆ 向島百花園散策とはお元気ですね。好きな花、萩の頃が佳いと聴き、その頃に行きたく思います。
そろそろ京都行きですか。
私は週始めより孫にうつされた風邪で喉が痛く熱を出し、家に引き籠もっていました。 どうやら落ち着いてきたので、彼岸の入りの明日は浅草方向のお墓参りに出かける予定です。家の工事もまだ決まらずで落ち着きません。
正常な体調を保てれば何よりと思う昨日今日です。ほな    泉

☆ 横浜本牧の三渓園に出掛け帰って来たところに御著が届いていたので、偶然の一致に驚きました。原三渓の庭園と茶室とを思い浮かべながら御著を手に取り、早速数篇拝読いたしました。『鉢の木」の一文、秦様の古典に対する洞察力の深さ、鋭さに改めて敬服致しました。また茶道についてのご造詣の深さにもびっくりいたしました。
天心の「茶の本」を読んで以来茶道には関心を持ち続けてまいりました。また、母方の祖父の後妻から昔の茶會の話をよく聞かされましたので、茶会には二、三度出ただけのまったくの素人ですが、茶道には何となく親しみを抱いてまいりました。御著を座右の書として、今後、茶道について勉強しようと存じております。 敬具    歌人

☆ 夕方、所用から戻りました。昼頃寒冷前線の通過後、少々冷えました。
昨晩手術後初めて顔を洗いました。それまでは化粧水で拭き取っていました。勿論化粧はできなかったです。
眼の手術で焦点を近くに合わせたので、本を読んだり糸を針に通すには全く不都合ありません。コンピューター画面の文字の点々も見えます。
が、自分の手や顔を見ると、これには驚き、そして意気消沈。今まで気づかなかった皺、しみ、が実に明瞭にあらわに曝されます。いっそ顔のエステにでもと一大決心しなければならない心境です。(多分行かないでしょう・・人に触られるのが耐えられないので)
昼間からのお酒でいい気分になって、さていくらか酔いが醒めましたでしょうか?
良い悪いを通り越して唯々時間の流れ、空気の、風の流れを楽しんでください。HPから伺いますと日常では外出の機会は寧ろわたしより多いんじゃないかと思うほど。
外出は気分転換になりますし、いろいろなものに出会えますから。  播磨の鳶
2010 3・18 102

☆ 秦さんへ湖の本御礼  e-OLD 千葉
相変わらずお元気で、食べて歩いて…何より、何より…とホームページを拝見しています。
湖の本、ありがとうございました。
むかし、秦さんはお若い時から、歌も詠むし、お茶も教えていたし……みやこのしとは違うなあと思ったのですが、それからも「湖の本」を沢山よんで、なんべんもそう思っていました。おじさん? にはどこまでわかるのかわかりませんが、読みましょう。
ついに「後期高齢者」のレッテルを貼られました。「なんの!」と思ったのですが認めざるを得ません。からだじゅう「おじいさん」だらけです。
こぶしの花が咲き、田んぼに水が入り、桜の蕾もふくらんでいます。元気を出そうと思っています。
「春が参るよい」
どうかお大切にしてください。 勝田

* 春在枝頭すでに十分。春は来ている。勝田さんのメールの春馥郁の予感やよし、嬉し。お互い、よちよちと子供の歩みに戻ろうとも、培ってきた元気で翁さびの日々を楽しみましょう。
2010 3・20 102

☆ このたびの「湖の本」  「宗遠」さんが登場されて、あの日吉ヶ丘の茶道部のことが思い起こされました。懐かしい!! 思いでございます。
楽しんで読ませていただきます。  郁
2010 3・21 102

* 体調を崩しているとある。そういう人たちのそういうメールをもらうと、胸がきしむ。わたしもこの歳末には後期高齢者の仲間入りと聞いている。いつもいつも元気ハツラツとはとても行かない、ムリはすまいと思う。
2010 3・21 102

☆ 秦様  湖の本の102巻をお送りいただき有難う御座いました。  正
今回の御本『宗遠、茶を語る』の「お茶」について詳しくは存じませんが、見せて頂いて奥の深いお話のいずれにも、秦様が色濃く出ていると感じました。
拝読していますと、中心にお茶や様々な道具などの具体的なものがあり、それを巡り絵画や書や文学があり、さらにその外側にお茶を含め色々なものを味わう人間がいるという、三重の構造を感じました。その構造は同一平面ではなく、歴史上の人物から今の人々まで積み重なり、その一番新しいところに私たちがいることになります。そこに登場する人間に尽きせぬ興味があります。
なお「碁石茶など」という文章がありましたが、そこには固定的な思考の枠を取り払いお茶を歴史的にも地理的にも大きくとらえるという御主張があり共感しました。
些少ながらお役に立てばと5千円を振り込みました。
ホームページを拝見し秦様のお暮らしぶりの一端は伺っていますが、どうぞご自愛ください。

* 有難う存じます。 遠

* またはるばる広島の藤田理史くんに、玉箒二種を選んで送ってもらった。ありがとう。
2010 3・24 102

☆ 東京は櫻が開き始めました。お変りございませんか。「湖の本」第百二巻をお送り下さり、まことにありがとうございました。
水母や木耳などでなくても、パソコンのせいで、書けない字が本当に増えてきました。反省しきりです。  参議院議長

* ご多忙の中でいつもご挨拶いただき恐縮し感謝しています。「水母木耳」は巻頭一編に示した歌人の短歌一首にふれておられる。すなわち、
読むときは自然に読めど書くときは考へさせられる水母・木耳   吉野昌夫
ここから「わが一期一會」に説き及んでいる。

* 久しく久しい読者でまた書き手でもある傘壽過ぎられた榊弘子さんが、小さな段差に転倒されたとおてがみいただき、わが事のように懼れている。骨に異常なく、痣で済んだのはなによりであった。『沙和宋一と太宰治』などの著者。

* 理史君に戴いたのは、うまい焼酎、愛らかな焼酎だった。

* 久しく久しい読者でまた書き手でもある傘壽過ぎられた榊弘子さんが、小さな段差に転倒されたとおてがみいただき、わが事のように懼れている。骨に異常なく、痣で済んだのはなによりであった。『沙和宋一と太宰治』などの著者。

* 理史君に戴いたのは、うまい焼酎、愛らかな焼酎だった。

☆ 三日ほど雨空が続いて、押し込められる思いでした。午後になって漸く雨があがったのですが暗い空です。体調優れず、よろしからず、とあり心配です。そして心身の心も。
内心の声に容易に任せないでください、お願いです。
時の波に掬われそうになる、そして鬱々とした感情にも・・その思いをわたしも強く感じますが、呼吸している限りは生きているのだと、じっと耐えています。
昨日のHP、品位について書かれていた、その内容を噛み締めて読みました。よくぞ書いてくださったとも思いました。あまりに不用意、安易、日常的に使われている上品、下品、品格の問題! それは鴉が指摘される京都の「位取り」でもありましょうか。平等とか民主主義とかの一方に厳然とあるものを見過ごせません。
(お上品、お下品などは、)批評語としては拒絶し無視した方がよい、という言葉もまっすぐ届きました。
お母様の生涯に、営為に、脱帽されたと書かれていること。それを人に伝えたいと(フィクションの形でも)考えていらっしゃいますか?あるいはひっそりお一人の胸にとお考えですか?
明日は晴れてほしいなと思います。桜も開花し始めていますし、穏やかな春の日を浴びたいです。取り急ぎ、
元気に、少しでも元気であってください。  播磨の鳶

* わたしが今、いちばん当面していささか苦痛なのは、「鳶」さんが察してくれているように、母や父とのこと、姉や兄とのことなどを、かりに「人に伝えたい」として、どう伝えればいいか、いわば登山口をどう見つけるか、なのです。なまじいにフィクションに創っても、直截に私小説に創っても、構わないのだが、わたしの動揺までもそのまま吐き出してはいけないし、面白ずくの話にしてもたぶん意に添わない。
はっきりしている一つは、「ぜひ書かれるように」と湖の本の読者の声援や催促のある、それなりの重さである。
機械の前で苦渋を噛みしめ、階下へ逃れると降らない殺しテレビばかり目に付いてしまう。頭のなかをスケスケに白くしたいのである。
だが、いままた丸で別の、ウザーぁッとする用事が持ち込まれてきた。夜の時間をそれにかけるしかない。明日は晴れるなら、ぜひとも白い空気を吸いに出たい。願わくはそれが只のニゲになりませんように。
2010 3・25 102

☆ ストレス一日決算主義
お元気ですか、みづうみ。
この一月近く私語を拝見していて、体調のよろしくないご様子を感じていました。どのようによろしくないのか心配でなりませんけれど、お傍に伺うわけにもまいりません。大丈夫なのでしょうか。コマーシャルの真似ではありませんが、ご自分にはどうかやさしくしてあげてください。体力を過信なさいませんように。ご無理をしてはいけないと思います。
五年ほど前に、世間のニュースについて「汚物を浴びるようだ」と書いていらっしゃいました。昨今のニュースを見聞きしてもまったく事態は変わらず、いえさらに加速しつつあることに驚き呆れ、もうため息をつく気にもなれません。真の意味のジャーナリズムが消え、日夜ただ汚物のごとき情報の洪水です。私生活のストレスの上にこれでは、精神が疲れるのみならず体調まで悪くなるのも不思議ではない気がいたします。
件名にした「ストレス一日決算主義」と申しますのは、ネットで見つけた言葉です。どうせ明日には明日のストレスがあるのだから、今日のストレスは今日中に始末してしまおうという意味だそうです。
出来れば苦労はしませんが、今日のストレスは今日でおしまい、という具合に生きたいなあとは思います。みづうみは毎夜読書で気分転換をなさっていますが、今は眼と頭を使わないストレス解消も必要かと思います。
あれこれ頭を使わないで動作に集中するものがストレスの種を退治してくれそうです。ダンス系なども本来お得意なのではないでしょうか。ワルツやルンバ、タンゴ、フラメンコあたりは少しハードで挑戦するみづうみのお姿を想像するとちょっと笑いたく(ごめんなさい)なりますが、お仕舞などはとてもお似合い。
お天気でもよいと気も晴れますが、今日のような寒い雨では気鬱にもなりましょう。明日のお出かけで心身ともにさっぱりなさいますことを願っています。
わたくしもなんだかくさくさしているので、ぱあっといきたいと思います。方法はこれから考えます。
希望とか愛とか美とか幸福、そういうものを見失いそうになったら、自分で創らなくてはいけません。
みづうみは物語を紡ぐ力に恵まれた方です。どうぞ永く永く、わたくしのような凡人の生きる支えの作品を書き続けてください。いつもみづうみの世界に出逢えた幸せをかみしめています。
ではおやすみなさいませ。  江戸桜

☆ hatakさん
湖の本いただいたまま失礼をしております。『宗遠茶を語る』を心して聴きたいと思います。
昨年米国の学会誌に投稿してリジェクトされた論文があり、かなり意気消沈したのですが、後で冷静になって査読者のコメントを良く読み直してみると、厳しいながらも有益な指摘がされていました。昨年暮れに気を取り直し、全部書き直してクリスマスの頃に同じ学会誌に再投稿しました。その審査結果がちょうどひな祭りの頃に返ってきまして、今度は修正すれば受理になりそうなので、今直し
を懸命にやっているところです。
本当に優秀な人は、エレガントなデータを出して、投稿論文が一発で受理掲載されるのでしょうが、多くの研究者は、こんなことの繰り返しをしています。研究者に必要な資質はいろいろあるとは思いますが、「執念深さ」も大切な一つと思います。
もう一つ、国内の研究会誌にも投稿する論文があり、4月には、学会発表とシンポジウムでの講演が待っており、いつも年度末はせわしい日々を送ることになってしまいます。年度が明けると、ISOという国際基準をつくる作業部会の仕事も始まり、私の研究対象の問題で、政府の検討会にも委員として参加することになっています。大学の方は、韓国の留学生を受け持つことになりそうです。
淀川を下る利休さんではありませんが、このところ私は、小棗一つ、茶半斤のみ懐中して川面に浮かぶ自服の茶です。これはご期待にそえずすみません。この舟がいったいどこへ向かっているのかはわかりませんが、いつか舟を下りるときがあると思って乗っています。
4月の学会は京都です。桜は終わってしまっているでしょうが、都の春が楽しみです。
近況ご報告を兼ね御本御礼まで。  maokat

* 折りあらば、自服の茶を、一人の客とでも和やかささやかに、わけて服して下さらば。

* さ、やすむ。永い一日。
2010 3・25 102

☆ お茶の本、空を飛んで届きました、待ってました、ありがとうございます。以前の『茶も、ありげに』も時々出して再読してゐます。楽しいです。クスクス笑ったり、そーや、ソーヤと一人で頷いて居ります。
最近一人こちら(ロサンゼルス)に居る日本人ですが 茶室が出来たので来て欲しいと 早速お招ばれして来ました。四畳半と八畳を造り、露地もそれなりに アメリカ式の家を上手に利用して良いお茶室が出来てゐました。小寄せの方が好きと言って、私の社中と三人だけで行って来ました。良い勉強が出来ました。 ホントに少ないですが、こういふ人も居ます。
私は多分に 今つくづく思ふのに 私のお茶は宗遠さんの影響が大だと思います。沢山 ありがとうございました。(ホームページで観て)カブキの方も 水もしたたる玉三郎や染五郎 目の前に観るように思い浮かべて居ります。
うちの藤の木が今年は満開 それはそれは美しいです。今年はこちらも不順で雨もよく降ったので、大きな椿がバラのように咲いてゐます、いまだに。櫻はこっちは育たないそうであまり見ません。
これからはそちらは美しいですね。四月は京都は満員なので、今年は多分飽きに行けると思います。
お二方様へ どうぞ呉々もお身体お大切に。お元気でね。  宗千

* 満開の藤の大樹。写真ででも、びっくり。

☆ 「宗遠、茶を語る」は、私にも思うところの多々ある対象について語っておられるので、感想を述べさせて頂きます。
この*月、いささか関わりのある****という観世流の中堅の能楽師の「鉢木」を観る機会を得ました。
キビキビした、*十代の方が舞う、はつらつとした能だったのですが、一個所とても気になったところがありました。それはシテの登場の際の「あゝ、降ったる雪かな」と語る場面を、余りにも凛々と謡いすぎていたことです。こゝをそんな風に語ってしまうと、そのあとの「それ雪は鵝毛に似て飛んで散乱し」以下のところのイメージが全く湧かなくなってしまうのです。あそこの語りは「鉢木」の急所なので、佐野源左衛門常世は、あそこで自分の全人生を語っている、人生の侘しさを全力で謡っているという感じは出ないのです。
能楽師の理解はその程度なのだなと思った次第ですが、ご文を読んで、釈然といたしました。
「鉢木」の雪の夜の源左衛門の旅の僧へのもてなしが、茶における一期一会の具現であり、翌日又別の旅の僧が訪れて来れば、常世は又同じようにもてなすであろうというご指摘はみごとで、「鉢木」はアチャラカ芝居になっている中入後と、前段は、別に演じられなければならないというご卓説は、秀抜だと思った次第です。
「鉢木」前半が、利休が代表する中世であり、後半の御家人参集の鎌倉が、秀吉が代表する近世であり、それが中世を圧殺したという論旨も明快であり、よい論を読ませていたゞいたと感謝しております。
実は、私も謡を少々、茶も少々たしなませていたゞいておりますが、謡も茶も本当は心から好きになれないのです。それはあの「正座」というのが、大変苦手なせいです。茶席もせいざして待つのが耐え難く、謡も、声を出すのは昔ワセダで演劇をやっていたので少しもいやではないのですが、何時間も板の間に正座するのが何よりもおそろしくて逃げ回っています。ご文で「正座」について、「正座は正しいか」と利休の時代の座り方について書いておられることに、やや意を強くしました。  (略)
どうか今後とも、ご健筆を。
できれば、すばらしい恋愛小説を書いて下さい。 敬具   文藝批評家

* 今度は、もう久しく文通も絶えてときどき本を送っていた昔の読者が、名古屋から、久々にいい手紙といっしょに、『茶を語る』を、知人二人に二冊、自分の手元へは三冊送って欲しいと言ってきて呉れた。嬉しい。
書をしていた人で、美しい字と、すこし独特な仮名遣いの手紙は、昔と変わらない。懐かしい。

☆ 拝呈、例年に比べ雨が多く、櫻の満開が待たるゝ昨日、今日でござゐます  お変りなく、お過ごしの事と拝します。いつも「湖の本」有難ふござゐます。
私も、六十三、歳を重ねまして、孫も四人(一人娘が頑張りました)。日々、有難く、暮らさせて戴いて居ります。
数年前から、再び「お茶」のおけいこを始めました。今回の「宗遠、茶を語る」まことに心に響き、「そうよ、そうそう」と、普段、腑におちなひ事等が、胸がすーとした、と申しませうか、楽しく拝読致しました。是非、知人に送りたく、御文差し上げました。きっと先生の語りが、私同様、嬉こんで戴けると存ぢます。
秦先生、「歳、七十四、病みがちに気の衰へた私は」と最後にありましたが、いつまでも多くの読者、恒平フアンにお応へ下さいませ。とまどひ乍ら人生を送ってゆく、我々、幾多の人々の「道しるべ」なのですから、いつまでも秦節を届けて下さいませ。
お身お大切に、フアン一同願って居ります    壽

* 恐縮。
2010 3・27 102

* やや白濁した中汲みの「梅の宿」は、べらぼうに旨い酒であった。惜しみ惜しみ飲んで、一升瓶の、底にもう一センチほど惜しんで残してある。
諫早の「太鼓山」、壱岐の「尋ね鳥」、すばらしい焼酎。愛づらかに旨い。よそサンの息子なのに、理史くん、わたしのため懸命に探して選んでくれたのだろう。嬉しい。
秦の父は、若いころ茶屋で道楽したと聞いてはいたが、酒は匂いにも参る下戸だった。母は遠慮しながら少しだけ、少しだけと言いつつ晩年はすすめれば坏の数をけっこう重ねた。叔母は嗜む程度で、それは妻も同じ。わたしは誰の血をうけてのことか、早くから酒の香に惹かれて、粕汁も大好きだった。粕汁でならば、苦手な大根や削った人参も食べている。
2010 3・27 102

* 蕗の薹、たらの芽、椎茸、玉葱などを天麩羅で。
卒業生が富山の美酒を送ってきてくれたのと焼酎とで、気持ちいい夕食。
そのあと、三度に分けていた映画「ジュリア」に感動。ユダヤ人女性の最良の知性と意気とが、ことなる方向へ展開した二つの人生のなかで、生死をわけて激しく沸騰し悲劇を迎えて行く。深い愛を演じて見応えあるジェーン・フォンダとバネッサ・レッドグレーヴの競演は、アカデミー賞を競うに足りたちからある包容と抱擁の美しさ、敬意を覚えた。
こういう渾身の愛と人間とを描いて見せられると、安易で安直な吹けば飛ぶようなつくりものに奔走し、ひとかどの顔をしてしまう作り手にだけはなりたくないと思う。
2010 3・28 102

☆ 鴉へ   鳶
鳶は元気で岡崎から戻ったところです。逆説的に元気そうに見え,心うろうろもしていませんが、その起伏ないところが危ういようです。
岡崎の桜は七分咲きあたり、関が原や近江、京都もこれからが見ごろです。桜桃は既に咲き終わりましたね。わたしの庭の椿、ミモザは真っ盛り、水仙やクロッカス、ムスカリ、クリスマスローズなども。
花ながらわれは不屈の物書きぞ  と四月のためのHPの冒頭にあるのに拍手、エールを送ります。
『デミアン』からの引用も。思い返すまでもなく中学生のわたしは既に理解していました。同時にその姿勢だけでは生きていけないとも敏感に感じ取っていました。それはわたしの狡さ、優しさでもありましたが。大事なことは根底では妥協しない、自分を生きようと思っていた可愛い気ない少女でした。そして今も。

手につかない状態は絵に関して特に顕著です。色彩感覚の狂いをどう説明したらいいでしょう。またそれ以前の絵画への問いかけもあります。描く以外解決はないでしょう。
文章も、書く以外ないのです。mixiに出した文章を最近知人に読んでもらったら詩と同じ比重で散文を書くのもいいと勧められましたが、散文詩に近いものか、あるいは従来の形か、まだ戸惑いがあります。詩らしきものは少しずつたまっています。大いに推敲が必要です。

今週は小倉遊亀の展覧会へ、週末は妹と彼女の孫三人が来訪。姫路城は半月後には覆いを掛けられて修復工事が始まる予定で既に大きなクレーンが設置されています。
来週は多分尾道まで。
やっぱり「うろうろ鳶」のようです! 近況報告まで

☆ 人との出会い 歌との出会い  和
歌を歌い出してから、いろんな人といろんなところで出会います。
そして、それが私の歌を広げてくれます。
ちょうさんと出会って五つの赤い風船の世界が広がり、どらちゃんと出会ってPPMの世界が広がり、クリさんと出会ってレパートリー が広がり、藤村先生と出会って平和への思いが広がり、さかもっちゃんと出会って優しさが広がりました。
そして先週、ばんばらこさんと出会って新しい世界が広がりました。
桜詩   ばんばらこさんのオリジナル曲です。
唯一のオリジナルだそうですが、聞いた途端「歌いたい!」って思うほど素敵な歌です。
早速、歌っていいですかって聞くと、快く承諾してくださいました。
桜の美しさはかなさ、2番の歌詞を歌うとき涙がウルウル。
桜が大好きだった友達を思い浮かべながら練習してます。
今度の土曜日、桜の下で天国へ届くよう歌ってみたいと思います。

* この「和」さんとわたしは、一週間ほどまえに出会った、「mixi」で。「マイミク」にと誘われて受けた。小学校の、中学のだいぶんの後輩。わたしは新門前仲之町に育ち、この人は古門前石橋町で育っていまは、大阪と聞いている。
謙遜に世界を広げている人は、優しい。

☆ 晴れています。  花
風はお元気ですか。
外には出ていませんが、今日も、寒いのかしら。
明日、英会話や買い物などで外出しますから、乏しくなった灯油を、そのときに。
「Asahi Weekly」という日曜版新聞を購読しています。
世界各地のいろんなニュースが載っていて、興味深いです。
アメリカのペンシルバニア州では、一主婦が、「洗濯物を外に干す権利」を主張しているとか。
その女性は、洗濯物を外に干し、迷惑だから止めなさいと警告を受けているのだそうです。
特に下着が迷惑なんですって。
だったら、下着だけ屋内に干せば問題解決、と思いきや、やはり、洗濯物がずらっと干してある光景は、貧しい人の住むトレーラーハウスの集まっているエリアみたいで、周囲の人には不快だと。
その主婦は、「お日様の下で乾かせば、電気代の節約になり、CO2削減に役立つでしょう」と(その通り)。
「夫には銃を所持する権利がある、わたしには洗濯物を外に干す権利がある」ですって。
花はいつも元気です。
2010 3・30 102

* 千葉の勝田さんに、千葉の落花生を戴いた。感謝。焼酎、日本酒、ウイスキー、ワイン、ビール。気の向くままに手をのばして好きな酒器で飲んでいる。大相撲で、焼海苔をたくさんお土産に貰ってくるのが、佳い酒の肴になる。

* 弥生尽。
2010 3・31 102

☆ 桜も咲きはじめたというのに、寒さが身にしみます。   作家
先日は、百二巻目のご著書をご送付いただきまして、ありがとうございました。茶道の嗜みでもあれば、もっと興味深く読めただろうにと、少々残念でございます。      母は「宗月」という名で、花とお茶を教えておりましたが、このバカ娘はドストエフスキーに読みふけるばかり。生きているあいだに、もっと学んでおけばよかったと、いまごろ後悔しております。
お身内の想い出とともに、「病みがちに気の衰えた私は、いま、地崩れのようにこれら亡き肉親たちの呼び声に……」 という末尾、時間があればドクター・ショッピングを続けている折りから、胸に迫りました。
くれぐれもご自愛のうえ、二百巻を目指してくださいますよう。

* 「ドストエフスキーに読みふけ」っていたとあるのに、少し驚いた。

☆ 前略 思いがけず恒平様よりの贈りもの 嬉しく存じました。
もう兄も姉もみんな亡くなってしまいました。
あなた様は、母方のたった一人の血のつながった いとこなのですね。
なぜかお話ししたい事が 次から次へと頭に浮かんで参りますが、私は、来年九十才になります。出来ることなら、七十五才まで逆もどりをしたいと思いますがもう残念ながら出来そうにもありません。
さて、ふく叔母様のことですが、娘ごころに与謝野晶子の様な方と思ってをりました。今となっては、その頃私が与謝野晶子の私生活までどれだけ知識があったかは、覚えもありませんが 何となくそうイメージしていたようです。
思へば あの頃の時代だったから 色々冷めたい風に当てられ、それでも女性としての思ひを貫かれた方と思ってをります。
千代さんも年賀状に何時も一首を添へて下さいました。
気どらない それでいて心にしみる温かいお歌でした。
ふく叔母上の姉に当る”高”叔母様は娘時代のお写真に 髪は、昔の何とかいう髪形で 袴に、そしてあみあげの靴、小脇にバヨリン、 そんな素適なお写真を見た事があります。そして間もなく三重県の資産家の旧家に嫁がれたのですが、こんな田舎には きたくなかった、 都会で学者のような人のところへゆきたかったと云ってをられたとか! 末子の私は皆が話しをしているのをよく聞いていたようです。なぜか覚えて居ります 貧乏でもよい 自分らしく生きたかったのでしょうね。
その頃から世の中の女性が欧州流の考へ方に目ざめかけてきたのでしょう。 その後 市川房枝の名が浮かんできますが、女性が、だんだん強くなって、強くなりすぎて来たように思はれます。
扨て、私はお茶に夢中になっていた頃もありましたが 今はすっかりわすれてしまいましたが お抹茶は大好きで家にかゝした事はありません この辺では先代頃までは、植木屋さんにもお抹茶で一ぷくしてもらいました。主人も出勤前必ずお抹茶を飲んでゆきました。
お茶の先生も多く、そういう土地柄のようです。
扨て、私はその後謡曲を習ひ 七十才頃 小袖曽我の能、の母役、七十五才で能巻絹のシテをさせて頂きました。本当によひ思い出になりました。名古屋の能楽堂は、お城の前にあり櫻がとても美しくその頃毎年師の梅田先生の能がありますが もう元気がなく、行く事が出来ません。 七十五才の頃は未だ未だ体力がありましたが八十五才を過ぎると全身が弱ってきた事をひしひしと感じ身辺整理を毎日して居ります。 ”湖” 少し読ませて頂きましたが字が小さく私には少々むつかしく感じましたがちょこちょこ読ませて頂かうとは思ってをります。でも本当に嬉しうございました。どうか御身呉々お大切に未だ未だご活躍を心からお祈り申上げて居ります。ありがとうこざいました。 かしこ。 豊  八十九の母方従姉

* ずうっと以前二三度文通した。わたしがテレビに出たりするのを喜ばれて、必ず知らせて欲しいなどと言われていた。建日子のことをまだ話していない。バトンタッチしたいところ。
わたしの母(叔母)を「与謝野晶子」のように想っていたとは、初の証言で、しかも意味するところは分かりやすい。この「いとこ」は母の一等上の姉(伯母)の「末子」にあたるらしい。こんど『宗遠、茶を語る』を送ってみた中には、この人の能登川の実家からも、千葉の従姉方からも、父方有馬の叔母からも宛先不明等で戻ってきた。母方で「たった一人のいとこ」と。愛知県まで、いまのうちに会いに行きたくなった。九十前とあるが、ペンの文字は明瞭に美しく書かれていて感じ入った。
それだけでなく、一葉の写真も頂戴した。親世代は一人もいないが、姉の千代もともに、上の伯母(阿部本家)方「いとこ」たちの一族が集って、何かの記念写真らしい。親切に誰が誰か写真を透かした裏面に続柄が書かれてある。
本代二千五百円も払い込んで下さった。ありがとう存じます。

☆ 櫻がほころび始めたとともに真冬の寒さ 花と一緒に縮こまっています。
湖の本102『宗遠、茶を語る』 ぼつぼつと読み味わって居ります。
この三月は雑事にむやみと忙しく過すことになり 昨日ようやっとあいた時間に竹橋まで行って来ました。生誕120年小野竹喬展に心洗われ、沢山のことを学ばせてもらい、工芸館で、清水卯一さんの作品に五條坂をしのび、少し早い櫻を眺めて皇居の中も少し、櫻だけでなく草むらのスミレ、タンポポ、クラスエンドウ、レンゲなどなど子供時代を思い起す春の一日でした。
このとおり(絵葉書の、比叡山から眺めた小野竹喬画「京の灯」)の景色の見える比叡のホテルは私のお気に入りです。  藤
2010 4・1 103

* 2005年の「全私語」を分類して貰ったのが、今日、いま現在で、もう34項目分送られてきている。気の遠くなるような難作業を続けて戴き、感謝するばかり。
1998年三月に書き起こし始めた「私語」である、その総量とほうもない。すべて三十余項に内容を分けて編成して下さる、その私の活用価値は測り知れない。
わたしの「私語」は、いわゆる家常の日記とはかなり異なり、いわば「論」や「観」や「感」や「記録」や「批評」や「エッセイ」を成している。文藝作である。
すでに1998から2000まで前世紀三年分の「私語」から編んだ「湖の本」が、『濯鱗清流』上下巻、四百頁ある。幸いにこれがよく読まれた、おもしろいと。
ところが、新世紀に入った「2001年分」からまた新たに編もうとすると、よほど削ぎ落としても、一年分だけで、先の上下巻分の二倍、つまり「四巻」分になると既に分かっている。全量の三分の二程度で編輯したとして、「日録分だけ」でも、二百頁級の「湖の本」が優に四十数巻分すでに書き上がっているわけだ。しかも日を追って年々に増えて行く。わたし自身の手でこれが出版できるかどうか、ま、夢かと思う。
2010 4・2 103

* 札幌の矢部玲子さんから、「観賞」に堪えるほどの蟹を頂戴した。矢部さんとは先日、法事で上京された折り、日比谷のクラブで歓談した。昨日は、「mixi」にコメントをもらっていた。今朝、それで手に取った自著のなかの後深草院二条に関する自論を読み返したりした。
2010 4・3 103

☆ 高田衛さんの  花
『春雨物語論』、市の図書館にありました。
早速、「今度読みたい本」に登録しました(図書館のHPにそういう機能があるのです)。
『江戸幻想文学誌』の方は、見当たりませんでした。
小谷野敦さんの『夏目漱石を江戸から読む』はなさそうでしたが、ほかにたくさん刺激的な題の本がありましたので、予約しました。
風の教えてくださる本を、花は読んでみたくなります。
読みたい本がつぎつぎにあるので、とてもではないけれど、時間が足りない気持ちになります。速読ができたらいいのに、と思います。
今は『カラマーゾフの兄弟』をじりじり読み進めていて、文庫の「中」巻に入ったところです。
『復活』と『ドン・キホーテ』が途中。
風は今、直哉の書簡に刺激されているのですね。
何かに刺激を受けるのはとてもいいですね。内側から湧き上がるものがあります。
お天気、昨日のような嵐は、おそろしいです。
ではでは。花元気。風お元気ですか。
2010 4・3 103

* 沖縄から、「竹蔵」くん、手紙添えてコーヒーを送ってきてくれた。ありがとう。歌舞伎役者のような粋な名だが、通称。相撲茶屋でいつもわたしたちの桟敷を用意してくれる。この「私語」も見てくれているらしい。大阪場所が済んで、沖縄で一休みというところ。前には太平洋の小島から手紙をくれたこともある。

☆ Thank You Greetings
Hello Kohei-san,
Received your book. Thank you very much. I am reading your daily article “生活と意見”.
The cherry blossoms everywhere in Japan are in bloom and beautiful scenes are on TV.
Hope to see you soon.  Chiyoko.

* Thank you very much.

* お気に召したようで,何よりです。お口に合うといいのですが。
ところで先日,K氏にお会いしました。秦様にお目にかかれたことと,よいご縁を作って下さったことに,御礼申し上げましたところ,「それはよかった」と,喜んでくださいました。
「僕の長男が,大泉学園に住んでいるので,一度ご挨拶に行ってこいと何度か言っているのだが,気おくれしているようで。」
ともおっしゃっていました。
わが身を振りかえるに,改めて,オバさんの図々しさが実感されます。
桜満開のニュース,羨ましく拝見しました。昨日は,驟雨のような雪に時折見舞われながらも,無事,8時間の雪山登山から帰ってまいりました。
日本は広いですね。では。  札幌 玲
2010 4・4 103

☆ クリアに書くようにと   花
以前風に言われ、どういうことだろうと、戸惑いました。
その後、風は、「私語」の中で、今日はどこへ行って何をしたなどと書いた花の日々のメールに触れ、具体的でクリアだと、直哉の文章にも言い及びながら、「クリア」の勘どころを示してくださっていました。
腑に落ちた思いがしました。
昔、金井美恵子という作家が、「若い頃、小説は描写だと思っていた」と語っているのを読んだことがあり、たしかに、金井さんの小説は大部分描写でできていて、読むのに辛抱が要りました。
観察に徹するのは、書くのもしんどいと思われます。
具体的でクリアな印象を受ける文章は、観察や描写によって、人物の造形や人の心を読む者の目の前に置くような役割を果たしているときです。
概念と具体のバランスがとれているとき、文章が「クリア」になるのかもしれません。
最近、風の『月皓く』を読みましたとき、単純な描写の文章がただの一箇所もないことに、風の推敲のあとを感じました。風景や動作などの描写に、すべて意味があり、人物がどう思い感じているかが籠められていました。
かくあるべきと思いました。

* 具体的だからクリアとも云えないから難しい。具体的だけれどくどい文章は、洗面から朝食から、次から次へと書いたようなヘタな日記には、しばしば在る。
直哉のラコニックに彫琢されたな文章はクリアだが、たっぷりとした口調でおっとり話すように書いて行く潤一郎の随筆にもクリアな魅力がある。ヴィヴィッドでなければ文章は活きて働かない。わたしなど、まだ、未熟だ。
2010 4・6 103

☆ お花見  泉
行きましたか。さきの日曜日小金井公園は曇天で寒く、満開の桜がパッとせず、今日しかないと、自転車で走ってきました。青空に舞い上がる花吹雪が美しくて、中学生の団体が地響きのような歓声を挙げていました。奥にある枝垂れ桜も綺麗でしたよ。
2010 4・8 103

* 井上ひさし氏が亡くなった。想い出は、私なりに少なくない、が、今は言葉にしない。
2010 4・11 103

☆ お元気ですか。  播磨の鳶
お家にこもって書いていらっしゃいますか?
桜も散り始めて何やら寂しいのですが、暖かさは嬉しい。庭の白椿やまんさくが盛りと咲いています。
先日は妹の孫がやって来ました。(姉も妹もそれぞれに六人孫がいるのです!)お城は桜の時期、春休み、土日、晴れて、12日から工事で天守閣入場禁止と条件が重なって、門を入るまでに二時間、三時間待ちの人出。駅から城に向かう人々が連なるように歩いていました。様子は知人から聞いていたので、午後四時前に列に並んで間に合いました。わたしは中には入りませんでしたが・・。
その晩は皆が泊まっていって大騒動でした。
男の子には彼が気に入ったマードレデウスのCDと石をおみやげに。石は中に鉱物の輝く結晶のあるもの。
女の子にはハンカチやノート、毛糸玉などを。
いずれもそのために買い求めたものではありません。自分の周囲にいつしか溢れている多くのものが彼らにとってより意味あるものになるならと願いつつ、気前よいおばさんに(おばあちゃんのお姉さんだから大おばあちゃん?!)なっていました。
あとは静かな日々の繰り返しです。
米軍基地のこと、新党結成、タイのデモなど多くのことを耳に留めつつ、授業料無償化から外された朝鮮学校のことが気に懸かっています。三月来、詩の会の人から賛同のメッセージをと言われて基本姿勢は納得しながらも自分の言葉として書けませんでした。
日記や短い文章もかなり長い時間わたしは意識的に書いていませんが、徐々に自分に自然でありたいと感じています。もっとも自然体で何処ぞにふうわり迷い出るほうがより自然ですけれど、読みたい本にやや押し潰されそうな・・。近況報告まで。
どうぞお体くれぐれも大切に。良い季節に戸外も楽しんでお過ごしください。

☆ 「グダグタに傷つけられる。もうやめようかと思う。それでもやめてはならぬと思う。投げ出してのがれるより、踏み越えて先へ出たいと思う。」
率直な気持ちが痛く伝わってきます。その思いは幼い日の記憶のまま現在にいたってしまったものでもありましょう。今もなお鴉をグダグダに傷つける、その深い傷。
どうぞ踏み越えて、緩やかな暖かな道を見出してください。
『本朝水滸伝』とは上田秋成に関連しての関心でしょうか。
インターネットを見ますと
吉川幸次郎・清水茂による百回本全訳(岩波文庫全10冊)( 吉川幸次郎からアマゾンに入ると出てきます。)
駒田信二の百二十回本全訳(全8冊 講談社文庫、新版ちくま文庫) (同様に、駒田信二から)
本朝水滸伝;紀行;三野日記;折々草 (新 日本古典文学大系) (単行本) は楽天、アマゾンで、本朝水滸伝後篇 (1959年) はアマゾンで買えます。『綾足と秋成と』十八世紀国学への批判 佐藤深雪著 名古屋大学出版会 3200円は楽天に出ています。
わたしもまた、思うこと多く。
取り急ぎ 本に関するお知らせを。 鳶

* 高田衛さんの『江戸幻想文学誌』を読んでいて、俄然綾足のとほうもない大作が読んでみたくなった。やはり吉川先生の訳・監修で手に入れたいと思う。さて岩波文庫でそこまで揃っている書店とは、何処へ行けばいいか。

* 疲れた。まだ九時過ぎだが、やすみたい。
2010 4・13 103

☆ 本のこと。  鳶
吉川幸次郎訳の本、こちらから送ります。姫路の書店に在庫があるそうです。

* 甘えて申し訳ない。 鴉
鳶に、感謝。
高田衛サンの『江戸幻想文学誌』にあまり面白そうに検討してあったので焦がれました。
ありがとう。費用は利息付きで拝借しておきます。
高田さんの大冊『春雨物語論』もべらぼうに興趣に富んだ研究で、一行一行に堪能させられる名著です。
とにもかくにも、難しい本を読んで、まだ耽溺に近く受け容れられることに安堵もし、元気づけられます。
小谷野敦という無類の人がいます。しょっちゅう人と喧嘩していますが、どんどん本も書きます。今読んでいる中公新書『夏目漱石を江戸から読む』は端倪すべからざる好著です。ただし「こころ」論を、男色一辺倒で押し切ろうというのはムリですが。
漱石の各作品を滅多切にしながら問題点を新鮮に掘り起こして行く勉強は、出色。新しいタイプの文藝批評家が出てきたかな、かなりキワモノめくのですが、ホンモノと。『文学研究という不幸』というのも、モノスゴイ本でしたよ。
『デミアン』ウーンと唸りながら、惹き寄せられて読了。
『エイジ・オブ・イノセンス』は、通俗っぽいけれど、ニューヨークの貴族・上流社会のきつい批評として巧緻に書けています。
『ジャン・クリストフ』とはひたすら粘り合いで、ジリジリと進みます。

* 「ソロンは老年になっても多くのことを学ぶことができると言ったけれども、それを信じてはいけないのであって、学ぶことは走ることよりも、もっと(老人には)だめだろうからね。むしろ大きな苦労はすべて、若者たちにこそふさわしいのだ」とソクラテス(=プラトン)は『国家』第七巻十五の末で語っている。
その通りだ。
老人はもう「学ぶ」気でなんかいてはいけないんで、若者とはちがった「楽しみ」を満喫すればいい、それはまた若者よりも、はるかに成熟した深さで出来る。
わたしは日々にたくさん読んでいるが、徹してただ楽しんでいる。だから、なにもかもが味の違ったいろんなご馳走のよう。読書だけではない、頭痛がするほどの自分の「仕事」もやっぱりそうだ。
2010 4・14 103

☆ 前略 先日は御鄭重にも「湖の本102」をお恵送下さいましたのに、御礼が甚しく遅くなりまして、誠に申訳けありませんでした。頼まれ仕事の連続で慌しくしておりましたが、本日一段落致し、「私語の刻」をまず拝読致しました。
幼時から親しまれた「茶の湯」については「なごりの茶」をめぐるお気持ちが実に心中深く沁み通って参りました。「宗遠、茶を語る」をまず最初に拝読致したく存じました。
又 最後の「肉親たち」のおびただしい手記や日記を読み耽っていらっしゃる御心事を想いますと、「鬼気迫る」ものが確実に伝わって参ります。元編集者として率直に申し上げるなら、「この「呼び声」を申すまでもなく真摯に受けとめられ、どんな形であれ、その精髄を表現されるべきではないでしょうか。呉々も御体調に留意されつつ、御健筆をお祈り致して止みません。 右遅くなりましたが、御礼まで。 不一

* 名編集長とうたわれた人の有り難い鞭撻である。
ともすると頽れよう、投げだそうとする気力を励まし、観るべきを見抜いて、少しずつ書き探り探りつづけたい。
ありがとう存じます。

☆ 再び、本のこと  播磨の鳶
吉川幸次郎、駒田信二という名前が気になっています。と言うのも吉川も駒田も中国文学者なので、水滸伝は中国の原本の水滸伝ではないかと。そうでしたら「綾足のとほうもない大作が読んでみたくなった」と言われる鴉の希望とは外れてしまいます! 早とちりだったかもしれません。もし中国の原典の訳でしたら、まあ暇なときに楽しんでくださるよう。
綾足の本朝・・の抜粋でしょうか、本朝水滸伝;紀行;三野日記;折々草は新日本古典文学大系に収められているので、もしかしたらお手元にあるかもしれません。1959年に出た『本朝水滸伝』は後篇だけが入手できそうですが、いかがですか?
ここ数日テレビで『伝統芸能の若き獅子』というシリーズを見ていて清々しい気持ちになりました。尺八の藤原道山、津軽三味線の上妻宏光、歌舞伎の市川亀治郎、みな背負うものの大きさ重さを知り、しかし彼らは才能とひたむきさ柔軟さをもち、伝統からさらに新たな境地に進んでいこうとしています。わたしは全くの傍観者だからこそ、いっそう「凄いな」としか言うしかありません。それにしても若いとはピカピカ。いいですねえ! と嘆くばかり。

* ウーン 中国原作の可能性が高いですね。もしそうでも喜んで読みますから、感謝に変わりなく。
綾足の『本朝水滸伝』がどの程度の長さかも知らないでいます。新日本古典文学全集が岩波のモノなら、その一冊で足りているのかもしれませんね。いま目録を持たないので分かりませんが。岩波の古典全集なら見付かる書店があるだろう思います。尋ねてみます。
綾足のこの本は、いかにも私好みで、『みごもりの湖』の昔の世界を放胆に拡大した「叛逆物語」のようです。これは読んでみたい。
しかし中国の『水滸伝』も実は読んでいませんので、楽しみです。中国文学は詩や詞や説話はまずまず、また長い三国志は読んでいますが、金瓶梅も西遊記も、とにかく大きな小説物語は殆ど読んでいません。ま、敬遠してきた、或いは手がまわらなかったんです。
イーディス・ウォートンの「エイジ・オブ・イノセンス」は、面白く昨夜読了。わがコトの穿鑿や思案に負けて目が冴え眠れないので、読み切ってしまいました。映画で主演した好きなミシェル・ファイファーをイメージしながら、魅力横溢の「女性」を実感しました。
亀治郎というのは、初対面で逸材だと確信した役者です。まだうんと若い頃、猿之助といっしょに「湯屋」の「なめくじ」役でしたが、所作の奇妙な美しさと巧さに驚歎しました。踊れるのです。その後の活躍は、当然です。問題はこれからの「科白」であろうと観ています。
いろいろ気を遣わせまして。ありがとう存じます。ともあれ、よしなに。 保谷の鴉

* やはり中国本作の『水滸伝』岩波文庫十巻が届いた。それはそれで胸の涌く希望であり期待で、有り難い。ヘッセの『デミアン』とウォートンの『エイジ・オブ・イノセンス』を読み上げたので、今夜からこの『水滸伝』を読んで行く。感謝。
2010 4・15 103

* それは嬉しい便りをもらった。じつは、こういうことがとても知りたかった。そうであろうと推測ししかも希望していた。かなり裏書きされて、嬉しい、こうあって欲しかったし、それでこそ政権交代の意義があった。思わず眉を張って大きな息をした。

☆ 秦先生
ご無沙汰をしており申し訳ありません。
予想(期待?)していた4月の人事異動もなく、3月に行われた法律改正後の政令・省令改正などの作業に日々追われています。
先生のHPの記述に今週の月曜日のところだったでしょうか、民主党の支持率、自民政治との比較、国民への期待など書かれていたのを読み、一言書きたくなり、久しぶりに先生宛のメールを書かせて頂きます。
今年に入って以降、所管の法律改正があることから、大臣や副大臣、政務官はもちろん、議員会館にも度々訪れて、多くの国会議員と話をする機会が得られました。もちろん、話題は所管の法律改正の中身なのですが・・・。
その中で感じたのは、与党となった国会議員の皆さんの真摯な態度です。
特に大臣、副大臣、政務官に対しては、過去は秘書を通じてやりとりすることも多々あったのですが、今は直接、我々官僚からの説明をきちんと聞いて頂き、疑問に思われたことは素朴に質問され、でも、これまでの慣習・やり式をそれなりに理解して頂く態度には、非常に好感が持てます。もちろん、政治家としての直感なのか、何かひっかかる点があれば、それはもの凄く鋭く追求され、我々
が立ち往生してしまうことも度々です。時に怒鳴られる局長(さすがに我々下っ端には怒鳴りませんが・・)も居るとか。
もちろん、私の感じ方だけなのかも知れません。
ただ、間違いなく言えるのは、これまでは深夜まで我々の答弁が書き上がるのを待っている政治家はいませんでしたが、今は翌日の国会質問に向けて自分の答弁がどの様になるのか、秘書に任せずに自ら直接聞こうと夜中まで待っている政治家がいるという事実です。
他の省庁は分かりませんが、少なくとも我が省の三役には、その様な態度が感じられ、私たちも好感を持ちながら、でもその代わりにヒィヒィ言いながら(これまで課長止まり、局長止まりだった案件も三役まで上げなければいけなくなったので・・・)仕事をしている状況です。
我が省の案件も新聞紙上で色々と取り沙汰されています。その案件の直接の担当ではありませんが、少なくとも“破廉恥なダマシ”をしようとしている訳ではないと信じています。そういう様に信じられる上司です。
「国民の政治的成熟と成長とを期待する」と書かれていました。我々官僚がもっと頑張らないといけないのかと反省いたします。ただ、たった八ヶ月で今の政権だけでなく国民の心変わりを判断するにも、早過ぎる様な気がします。
いざとなれば、選挙になれば、と私は信じています。甘いかも知れませんが。
個人的な意見で、内容が内容だけに自分で外向けに発信するのは躊躇します。
でも、先生にだけはお伝えしたくて書きました。
恐らく7月の人事異動には更に忙しい部署への異動を想定しています(今度は多分、本当に)。
先日、上の子が6歳になりました。来年は小学校です。早いものですね。
子どもたちを連れて先生のところにお邪魔しようと思いつつ、週末になるとバタバタとしてあっという間に過ぎてしまいます。
次にご連絡できるのはいつになるのか分かりませんが、家族共々元気に過ごしています。
先生もお体を大事にお過ごし下さい。 丸

* ありがとう。

☆ 病院いかがでしたか。
岩波書店版 新古典文学大系79の『本朝水滸伝』、こちらで注文しましたので一週間ほどでお手元に届くと思います。もし今日病院に行かれた時に既に注文されたとしたら、その場合は遠慮なく連絡してください。
今日はまだ冷えて雨も降っていますが、明日は晴れて暖かくなるそうです。
戸籍のこと、昔、新潮社の単行本でしたか、本の帯に書かれていて、衝撃を受けました。
重くつらいことを覚悟されて、渾身の集注をされていることと察します。
熱く、激しくお父様、お母様たちもまた生きていらしたのです・・僭越なことですが、どこかで共感している鳶です。

* あんまり寒くて。とても隅田川の川風を浴びる気がせず、鮨の「福音」に入った。八海山で、肴をいろいろ切ってもらい、鮨も六七貫握ってもらった。ぽおっとして機嫌良く店を出ると、直ぐ近くで餅菓子の問屋が特売の旗を出していたので、少しずつ買い、また新富町の駅構内のパン屋で食パンとラスクとを買って帰った。本は吉川幸次郎ら訳の『水滸伝』の文庫第一冊。惹きこまれて行く。

* また生母ふくの短歌を編輯しておいたのを、仔細に読み直していった。母についてかなり多くを知ってきた今は、歌にも素直な読み込みが利いて、一冊の歌集として見なおしても、水準に十分達して個性的な世界になっていると思われた。
糖尿の方、いいですね、このままで行って、但し体重をせめて八十キロまで下げて下さいと毎度のことをまた言われてきたが。

* 建部綾足の『本朝水滸伝』も、鳶さん、手配してくれたとか、これは大嬉しい! じつに読みたい。孝謙=称徳女帝や道鏡らの強力な「表」世界に対し、地下に潜入した大規模な叛逆・反乱の徒が闘いを挑むらしい。その趣向も構想も顔ぶれも、結託の仕方も、破天荒なものらしい。裏社会・裏文化に関心を寄せ続けてきたわたしは、そんな過激なロマンが天保時代にあったと今時分知って小躍りした按配。
それに似た一部を、わたしは同じ其の時代に、女帝と藤原仲麻呂(恵美押勝)のなかに生まれていた天成の美少女東子の母帝への叛逆として書きながら、現代の寂しい静かな恋物語にした。新潮社から出た新鋭書き下ろし作品『みごもりの湖』だった。この本の帯に、著者もまた「謎に満ちた生い立ち」と書かれていた。謎なんか無いと、実の父が憤慨してわたしの妻にもの申してきた。そんなこともあった。
2010 4・16 103

☆ ご丁寧なお手紙いただき、ありがとうございます。
私も、先ほど、たけのこごはんを炊いたところです。
それが、おいしくて、おいしくて、ついつい食べ過ぎて、反省しているところでもあります。季節のものはほんとうにいいなと思います。新しい季節の到来を感じさせてくれるとともに、なんか、ほんわかとした幸福感も感 じさせてくれます。
とくに春から夏は、野山の幸が次々と出てきて、心楽しい時季です。
今年も、看護学校が始まりました。
74人もいます。
お子さんがいて、一人三役(お母さんと、看護助手と、学生)をしながら通学している人もいて、頭が下がります。
先日、高校入試問題集の、「難関私国立高校問題集」というのに、先生の『手さぐり日本』を発見し、驚いたり、うれしかったりいたしました。
さすが難関校、私も、真剣に読解をいたしましたが、解ききれないものもありました。
先生の評論は格調高く、難しいです。
では、季節の変わり目の時季を迎えます。お身体お大切になさいますよう。  丘

* そういえば、やはり四国愛媛の難関校の国語科の先生たちから、「湖の本」寄贈への鄭重な礼状が届いていて、恐縮した。
2010 4・16 103

* 朝、晴れ晴れ。有り難し。

☆ ご本(斎藤史全歌集、河野裕子歌集など)ありがとうございました。  馨
秦先生  先週はずっと出張に出ていてバタバタしており、お礼が遅くなりました。
歌のご本、拝受いたしました。
歌集は、本屋に気軽に売っているものでもなく、でも読みたい気持ちは強く、ネットで古書を探したりしていたところでした。
とても嬉しく、心から感謝申し上げます。
こうして一冊でまとめて読むと、一首ずつの関連にまた新しい発見 があるのも嬉しく。
(河野さんの)「たとへば君」は「二人の人を愛してしまへり」の直後だったのだ、とか。
「たとへば」の歌は有名すぎますが、そのわりになぜそこに「たとへば」がくるのか、私の中で宙ぶらりんで軸足が決まらない印象でした。でも、「二人の人」のあとならば、実にすっきりと理解できます。個別に一つずつ出会ってきた歌を歌集で読むとはこういうことなのか、と目を開く思いでした。
斎藤史さんの本も、さっと読んでしまうのが惜しく、ゆっくりと味わっています。
子ども達は健やかに育っています。
上は四年生になりました。中学受験をするかどうかという話も出ており、塾に行き始めました。塾での軽食に、買ったものではなく私
のお弁当を持っていきたがり、朝の仕事がまた一つ増えているとこ ろです。成績は国語と理科が得意で、この組み合わせに主人が大笑 いしていました。
「今まで全然母親に似ていないって言っていたけど、これは明らかにあなたの血でしょう」と。
冬の夕焼けを見ながら、秦先生に「12月に産まれました」とメールしたのがついこの前のような気もするのに、それももう一昔前になるんですね。
真ん中の子は4歳になったところです。長いまつげに囲まれた目の大きな、そして視野の広い子に育ちそうです。足も早く、数への感覚も早く(教えてもないのにこの前、時計の1から12までの数字を読んでいたのには驚きました)姉の不得意なものをすべて得意に変えたような子です。
でも、二人とも花や夕焼けを愛でるところだけはよく似ています。二人で外遊びしていると、面白い形の木の葉や、道ばたの花を私や主人にもって帰ってきてくれます。この春はつくしが二番目クンのお気に入りだったのですが、上の子は摘んだつくしにいろいろとダ
メだしをするので(これはもう食べられない、とか)ちょっと喧嘩になっていました。
三番目は6月にようやく二歳。いたずらがひどくなってきました。昨日、ようやく二語文が出たところ(「いーちゃ、った(お兄ちゃん、行っちゃった)」)ですので、言葉の出るのが遅かった二番目よりさらに遅い気配です。
すべての言動を兄の真似をしたくてならず、そのせいで転んだり落ちたりしてもあまり泣くこともない子です。きかん気ぃな眉を見ても、この子が一番きっついかも、と案じている母でもあります。
数年前までの子ども一人だけの生活よりもはるかに家事の量は増えました。
主人もかなり家事を手伝ってくれていますが、それでも出かける2時間前に起きたのでは足りない毎日です。毎週土日も、朝のこの時間以外はずっと時間に追われています。上の子の生活ペースが下の子達と、もう全く違うのも、忙しい原因の一つではあるのですが。
仕事も今年は増えています。ようやく出産期が終わり仕事を前向きに取り組める状況になってきたのを、誰かが見ていてくれるかのように、科研費がついたり学会での受賞のお知らせを頂いたりしています。
そんな中で仕事が増えつつあり、初めて「これ以上は増やせないかも」と思いつつあるのが最近です。今までは「忙しい」と思いつつもこなしていましたが、子ども三人のロックがかかったいま、仕事をはじめて13年目、初めて「増やせない」と思い始めました。本当はもう少し前にこういう時期が来るのが社会人なのだと思うのですが、産休続きでおサボりしていて、この年になってようやく感じている、というところかもしれません。
歌も本当に少しずつですが続けています。
母からは言わずに気づくを待ちましょう 向かいの山にうぐいすの声
取り立てて上手にできたというわけでもないのですが、母として「気づくを待つ」という姿勢を持てるようになったと、この歌を作ったあとに気がつきました。子ども達はこの直後や数日後に、それぞれ「鳴いていたね」と言ってきました。
また長いメールになってしまいました。
こういうメールを受け取っていただける先生のいる自分をしみじみと恵まれている、と思います。
今年は寒の戻りが厳しく、体調を崩しやすいと思います。
どうぞお体、大切になさって下さいませ。
ご本、本当にありがとうございました。

* 東工大卒業生で、短歌に、気持ちを深めてくれる人があるという嬉しさ。斎藤史さんの歌が好きと聞いたので、全歌集は二種贈られていて書架にあったので、これも頂き物の斎藤史論の一冊も添え、さし上げた。河野裕子さんにもらっている何冊もの歌集から、これはと思う一冊もさし上げた。河野さんの歌も教室では何度も取り上げた。
上のメールのような暮らしのなかで、創った歌数も少しずつ増えてきているだろう。歌は創作の容易い相手ではない、いろいろに悪戦も苦闘もあろうが、ぜひ親しみ続けてほしいと願う。
お子さんが三人。いい家庭。その上に恵まれた職場で研究生活の成果を挙げつづけている人。ますます心健やかにと祈ります。
2010 4・18 103

☆ お酒送ります。 玄
県北美作の御前酒純米吟醸「醇乎醇」をお届けしてみます。甘口なのでお口に合わないかも知れません。

* 感謝に堪えません。 遠
家に清酒が切れていて、心寂しくおりました。嬉しいです。
天候不順で、落ち着きませんが、お変わりなくお元気でいらっしゃいますか。お大切に、どうぞ。
2010 4・20 103

* 追いかけて、また、播磨の「鳶」さんの手配で、書店から、欲しかった建部綾足の『本朝水滸伝』を送ってもらえた。本屋へ行かなくて済むのは言葉に尽くせないほど有り難い。ぜひ、ぜひ読みたかった。アテずっぽうを云うが、天平時代、ありとある裏敗者大連合の、表世界に対抗する怨念と奇想の叛逆物語らしい。
支那本家の『水滸伝』もすてきに面白い。「鳶」さん、手間もお金もかけさせました、有難う。嬉しい借財です。
選りすぐりの本は、わたしの栄養剤。
フロオベルは、心は年をとらないと云ったそうだ。「打てば響く」ということ。響きたい、いつまでも。
2010 4・21 103

* 有元毅さんから、遙々、とびきり「醇之醇」の「御前酒」一升を頂戴した。むろん純米での大吟醸、嬉しい。
昨日、つい宣伝に載って買い注文を出しておいた北陸とびきりの大吟醸清酒が届いたが、アルコールを混ぜた味付けの酒。しまった、も、後の祭り。有元さんのご厚意がひとしお有り難い。感謝感謝。
それにしても「水滸伝」魯智深の呑みっぷりの盛大さはどうだ。
わたしは、あのようなガブ呑みはしません。ちびちび嘗めるなんて飲み方もしません。ただもう嘆称して呑みます。それほど、旨いと思う。
2010 4・22 103

☆ 気がつくのが遅れました。メール嬉しく。(「水滸伝」「本朝水滸伝」=)少しだけお役に立てれば、鳶はそれで十分。長いメール書きたいけれど。今はお休みなさい。
2010 4・23 103

☆ 珠です。
湖へ  おはようございます。
「私語の刻」を読み、メールを書いています。
昨夜夕食直後からの痛み、私にも消化器系のように読めました。
服用された舌下錠はニトロでしょうか。。
多分、聖路加病院の主治医から胃薬などもでていることと思いますが、気の重い作業中は、主が感じなくてもストレスで消化管は苦悶していると思って下さい。その直後に、食事をして ‘消化’という仕事をさせるのですから、緊急停止もどきの反乱、そして痛みが一番疑わしいです。そして、そのような痛みには消炎鎮痛剤のロキソニンはあまり効きません。むしろ、胃粘膜の負荷になるので、何かしら消化管の動きを整えて保護するような薬を検討してもらった方がよいと思います。
頻発しているとのこと、今後もこの気の重い作業をお続けになるなら、一度胃内視鏡検査を受け、薬の検討をしてもらった方がよいです。食事やお酒を美味しく戴くには、よく働く消化管あってのこと。その消化管を労わるため、是非一度内視鏡検査をお受けになって下さい。この件で何かお困りになることあれば、どうぞ遠慮なくご連絡下さい。
ここのところ、末期の床にある知人の枕元にできるだけ居るようにしていて、メールやmixiを書こうと思っても集中できず、遠のいています。
一つの気がかりが、生活全般に重く垂れ込める雲のようになること、よくよく感じてます。晴れる日のくることも分かる歳になりましたが、晴れかたの色もいろいろ、知ることの多い日々です。
どうぞ、大事にして下さい。湖。寒さの影響もあります。くれぐれも、暖かくして。
お元気で。   珠

* ありがとう。

* なにも出来ないよろよろ、ふらふら状態のまま八度近い風邪熱かもしれぬ発熱もあり、摂食の気も薄れ、全身が痛いので、昼前から、また二時半頃から六時過ぎまであたためた床の中で、昨夜からちっとも様子の変わらない同じ夢をしつこく見つづけていた。口がいがらくなり、尿にも逆らえず、起きて此処へ、機械へ来たが、仕事の続きはとても気力的に無理、また寝室へ戻る。

☆ 胃痙攣  花
心配しています。とても。
自己診断は危険、とは思いますが、今回の風の場合は、そう外れてもいなそうで。
おしごと止めて、とは言えませんから、困ります。
どうか、ラクに、ラクに、お過ごしなさいますよう。
この春は雨が多くて、庭木の新芽が出にくそうにしています。
常緑樹のシマトネリコは、玄関先に毎日たくさん葉を落としてくれますよ。
風、気分転換を上手にしてくださいね。

* 食べていないのに、膨満の不快がある。この辺に難が在るか。ここにいても、ミヤミヤとしたかすかな違和の痛みが感触できる。 2010 4・25 103

* 勝田さん  幸い好天の連休を、人さまは外で楽しまれるときと、家にいてひっそりしていますが、勝田さんのことをしきりと思い出します。お変わり有りませんか。
私の方は、「私語」のまま、蹴躓いたり楽しんだり、脚が攣ったり腹が痛んだり、それでいて酒など飲んでいたり。
基本は書いて書いて、読んで読んでの毎日です。
勝田さんを歩かせてはよくないと思いますと、なかなか出逢う名案がなく、あの高い高い高い半出来のタワーなど、クビが痛いほど見上げながら坐ってられるベンチでもないかナアなどと想っています。どこに在ってどう行くのかも見当がつかないのですが。
中村光夫という亡くなった評論家の晩年の『老いの微笑』という本を読んで、います。むずかしいもんやなあと「老い」を想います。
お元気でありますように。お怪我のないことを切に願います。  秦 恒平

☆ 秦さん  メールをありがとうございます。“さくらの中の秦さんの「私語」”の日々を拝見、この「私語」はこのまま作品だと思いますが、「…書いて書いて、読んで読んで…」…また楽しみにしています。
“東京スカイタワー”はまだずっと低い頃、総武線の電車からちらっと見たことがあります。押上のあたりなのでJR錦糸町から地下鉄半蔵門線でしょうか? 秦さんの「隅田川の橋の徒渡り」ですと、浅草側から吾妻橋を渡り、そのまままっつぐ1キロ位行った先のようです。松屋百貨店から出ている日光行の東武線の電車でもいいと思います。見に行きましょうか。
インターネットに動画がありました。こんな高いもの作ったら、きっと雷さまに叱られると思います。
http://www.rising-east.jp/webtv/news/cat22/post-11.html
中村光夫/「老いの微笑」『e-文藝館=湖(umi)(人と思想)』で拝見しました。むづかしそうですが、市の図書館にあるというので申し込みました。
以前、同じく『e-文藝館=湖(umi)(小説)』の 松尾美恵子/「死ぬまでの時間」も読ませていただきました。一昨年難病でしたが死なせてしまった妹の所へ通った日々を思い出しました。誰にも当てはまる、お経のような作品だと思います。
玉井さんは時々メールで、相変わらずカチッと決まっている、きれいな写真を送ってくれます。私もほぼ相変わらず月木金と老人ホーム手伝いを続けています。転ばぬよう気をつけます。
お母上のお歌 胸にこたえます。誰も、誰も真似出来ないと思います。
どうかくれぐれもお大切にしてください。 勝田

* 写真で観ると、ベラボーに高い高い塔で、心配もし、かなり惘れてしまう。
勝田さんにもらった「ちあきなおみ 船村徹をうたう」を静かに静かに音量を落として、もう十一時なのに聴き始めた。「別れの一本杉」を歌い終えて、つぎは「なみだ船」。音量を上げれば十倍佳いだろうとすぐ分かる。いい歌手だ。いまはやりの坂本冬美の歌は曲も声もよく歌も佳いけれど、この歌手からは、ほんもののなげきやなさけが聞こえてこない。得意満面で歌っているのが惜しいなと思っているが見当違いか。つぎは、「新宿情話」。
2010 5・4 104

* 昼寝はしなかったが、夕食後にストンと九時まで寝た。少量のアルコールで、安堵して家では寝入れる。呑んだときは決して自転車で永くは走らない。寐られるときに寐ておくのは、いささか時間的に不規則な暮らしになりがちだが、それでも寐ないより好いように思っている。
お祖母さんの法事で帰られた「珠」さんが、諏訪のお酒を下さった。御柱祭だ。ありがとう。

☆ 湖へ   珠
お元気ですか。
皐月晴れ、風も心地よい毎日です。
緑淡く、(落合)川の流れも涼やかな美しい写真を拝見しました。
体調は良くなられたご様子、ですね。
私は、祖母の一周忌法要と、御柱祭で諏訪に帰ってきました。
七年に一度の御柱祭、賑やかを喜んだ祖母らしく、まさに命日と重なって皆が集いました。
法要の翌日には、祖母が綱の材を集める苦労を話したのを想い出しながら柱を曳いてきました。
ささやかですが、御柱の薫り、諏訪のお酒をお送りしました。御柱祭の間は、よい酒も美味しい漬物も、どーっと売れてしまうので味はわかりませんが、ご賞味戴ければ嬉しく思います。
パックのお酒は、紐を掛け、まるで水筒のようにして曳行中あちこちで酌み交わしていた品です。
氏子は折々よく呑み、そして「ヨイテーコショ!」の声を受けて「ヨイショヨイショ」と綱を曳きます。
要所難所では「ヤァー山の~神様~お願いだぁ~」と木遣りが鳴き、山からの長い路を、それこそ山を越え川を越え、無事建つまで「お蔭」を祈ります。続くラッパ隊の音に、氏子一同「ヨイショ ヨイショ ヨイショ、、」と声を出し綱を曳き。。
老若男女、それぞれの役割を年上の人に教わりながらのお祭りです。
七年に一度、人生の廻り合わせ次第、亡き祖母たちはよく「次の御柱にはいないで、よく見とけ」と言って教えていました。
諏訪では御柱を中心に、時が廻ります。
さてさて、これからまた暑くなってきそうです。
体調には気をつけてください、湖、くれぐれも。
お大事にと、祈っています。

* 諏訪へは大学を卒業の頃、それからあとにも二度出掛けて、いずれもとても好印象の懐かしさが身内に残っている。珍しく三度とも妻と一緒だった。三度目は建日子も一緒だった。「諏訪」という土地と神話とには、出雲がらみにも関心を持ち続けている。
2010 5・5 104

☆ 緑したたる山道を  ゆめ
山梨と奥多摩をむすぶ、「むかし道」(青梅旧街道)を歩いてきました。
腰痛を直すのには筋肉を鍛えるしかない、ときっぱりお医者様にいわれていますので、逆療法のつもりで(笑) いったん直ったはずのぎっくり腰(二年前の暮れでした)、思い出したようにときどき顔を出すので、困っています。ちょっとからだをひねったり、寝返りをうったときにびりっと電流が走り・・・。
昔はかなりの健脚で足に自信があったのですけれども、最近はちょっと元気がないので、思いきって出かけることにしました。ところが思ったより深い山道で相当登りがきつく、正直いうとかなりバテました。
でも最後まで4時間の道のりをがんばり通せたので、ちょっと自信を取り戻せました!
吊り橋、湧水や滝、それとお地蔵さまが道々に。馬頭地蔵や牛頭地蔵、耳のお地蔵さま、歯のお地蔵さまなどなど、珍しく興味深いものがたくさんありました。
先日送っていただいたご本は、何度も読み返しました。今年の11月には朗読の発表会も計画していますので、その時には、ぜひこの中からひとつ、ふたつを選ばせて戴こうと思っております。とくに好きなのは、『春蚓秋蛇』の中で、『鯛』、そして『地蔵』です。理由ですか? やっぱり秦先生らしい!! からです。私が秦先生に抱いている印象が、このふたつの作品の中に凝縮して包みこまれているような・・・。
『マウドガリヤーヤナの旅』は本当に激しい作品ですね。
職場の事務部門はやはり女性の職場なので、どうでも良いような些細なことまで細かくやかましいです。しばしばうんざりしていますけれども、あと今年をいれて2年とゴールはもうすぐなので、半分意地で(笑)やり通す覚悟でおります。

☆ 暑い暑い。
うってかわって夏日になりました。
衣替えに忙しい元気な花です。
長い長い連休で、落ち着きません。
明日は、県の美術館で開催している伊藤若冲展へ行こうと考えています。
雨かもしれませんが、その方が花粉は落ち着きます。
風、お元気ですか。 花
2010 5・6 104

* 静岡の鳥井きよみさんから、毎年の新茶を頂戴した。感謝。
2010 5・8 104

☆ お元気ですか。
ゴールデンウィークにはパリを予定していましたが、諸々の事情により断念して、母の世話と部屋の整理などを少しやって過ごしました。
二〇〇六年の「私語」は今四月に入りました。四月三日の記述で、「mixi」で孫の日記を読んで「胸が痛む」という文章にあたり、これから益々……と滅入ってしまいました。(自分の生活でも母とも娘ともなかなかうまくいかないので落ち込むのですが。)
「私語の編集」作業は八年目に入りましたが、この「私語」というの、間違いなくみづうみの「最高の作品」の一つとの思いを深くします。インターネットのホームページ上の「私語」という形態は、日記やエッセイや論考や歌や句や私小説の混在している「何か新しい文学のかたち」です。何度も読んでいるものをさらに読んでも、一度として飽きることなく毎回新鮮です。わたくしがみづうみの愛読者ということをさしひいても、これはほんとうに偉大な達成、しかも現在進行形のものです。
それから、わたくしが、みづうみの新しいお仕事もどんなに待ち焦がれて楽しみにしているかお察しくださいませ。
今年は寒くて春の訪れが遅いと嘆いていたら、五月早々蒸し暑くなってきました。五月半ばはもう単の季節でしょう。寒さにも暑さにも弱いので大変です。
みづうみはくれぐれもご無理なさらず、雄々しく、お元気にお過ごしくださいますように。  揚げ雲雀

* 「mixi」に思い切ってアトランダムな「私語・抄」を連載し続けているが、「足あと」は右肩上がりにぐんぐん増えている。私の日々のことばが、遠い世間へ揚げ雲雀の羽ばたくように飛び立ち続けている。感謝。
2010 5・10 104

☆ 風、水滸伝の詩を、感謝。   花
欧米の人は、日本と中国をよく混同するけれど、日本は文字や詩、学問、宗教も、中国の影響を強く受けてきたのですものね、仕方のないことなのかな、と、この頃思います。
六カ国協議や、中国の経済的躍進など、東アジアの国々と日本の関係は、こんにちとてもデリケートです。
同じ東アジアの国々へ、もっと目を向けていきたいなあと思いますよ。
そして、大陸のアジア諸国のことを知るにつけ、日本人の細やかさや几帳面さ、人生や仕事に対する姿勢は、少数派だな、と、ますます思わされます。
先日の若冲はね、とてもいい展覧会でした。
若冲の絵って、以前から花にはとてもモダンに見えていました。
で、展覧会には、若冲が影響を受けた同時代の人たちの作品も展示されていて、鮮やかさや構図の大胆さなど、若冲との共通点が多く見られました。
ああ、若冲は突然現れたわけではないんだ、と、思いました。
宝暦の頃ですから、そんなに時代が新しいわけではないけれど、立体的で写実的な傾向の若冲のような絵が存在した。
花は、最近、浮世絵や錦絵が気になっていたので、江戸時代は、ああいった平面的なものが一般的だったと思い込んでいたのかも。
ヨーロッパの人たちにしてみれば、自分たちの描いているのとは正反対の、平面的な錦絵が珍しく新鮮でもてはやしたのでしょうが、それ以外の傾向も、日本にはあったのですよね。
若冲らの流れが、渡辺崋山のような写実的な人物画にもつながっているのかなあと思いました。
もちろん、若冲の時代にも、中国の水墨画の影響はあったわけで、そんな風にずっと中国と関わってきた日本人は、中国のことをもっと、いえ、世界で一番理解していなくちゃならないんじゃないかと思います。
県美術館の常設展示のロダン館は、静かで好き。
熱心にデッサンしている人たちがいて、そんな雰囲気も好き。
そして、花は、世紀末のフランスに想いを馳せる。
浸っちゃいます。
ではでは。今日は雨、雨、雨ですねえ。
風、お元気ですか。花、元気ですよ。
2010 5・11 104

* 昨夜、ロサンゼルスの池宮さんが京都から電話。いずれ東京へ、と。妻が大相撲に誘って、「行きたい!」とのこと。恰好の歓迎になる。女二人で桟敷もゆっくり観戦してもらい、わたしは幕内土俵入りの頃から加わろうと。
白鵬、把瑠都、魁皇に白星続きで頑張っていて欲しい。
2010 5・12 104

☆ 世紀末のフランス?
ロダンですからね、十九世紀末ですよ。パリの憂鬱。
フローベールの書簡を読み、当時のフランス人が、どれほどの期待と幻滅を国家に対し抱いていたか、ひしひしと感じました。
大革命あとの混乱、ナポレオンの出現、王政復古、ナポレオンの百日天下、七月革命、二月革命を経て、ナポレオン三世の帝政とつづく紆余曲折に、フランスの人々は、新しい社会への期待と、現実への失望を繰り返してきたのだと想います。
十九世紀末は、その失望のピークでしたでしょう。
フランスは、そうやって成熟してきたんだなあと想うと、日本の民主主義はまだまだこれからだなあ、と思います。
普天間問題が錯綜しているくらいで、目に見えて改革が進まないくらいで、「政権が変わっても何も変わらない」なんて、何言ってるの、ってなモンです。
風は、おっげんきですかあ。ではでは。  花
2010 5・12 104

* 昨日、国立劇場の人間国宝の会 座席券を頂戴しました。感謝。
昨日、新橋演舞場、些かの不安と多大の期待をもって参りました。
不安どころか、期待を上超す若い人たちの力演で、感動しました。新しい時代への大きな一歩の印されましたことをとても嬉しく実感しました。いつの日に、染高麗の、父上や祖父上の跡を慕う若く力強い熊谷や寺子屋の舞台が観られるのだろう、と、久しく想って待ってきましたが、若さは若さとして当然ながら、その若さに漲る意欲と新たな工夫、また責任感もありあり見受けられ、立派にサマになって新時代が新時代らしく動き出したなあと、舞台への感動に加えた感慨で、涙と共に拍手を送りました。演舞場の、適切に歌舞伎座より狭い舞台が熱も密も集注させ、いい意味で若さに応援していたのも有り難いことでした。
加えて、最良の座席を昼に夜に選んで下さいましたご配慮に、夫婦して心より感謝しました。
さて待望の十月「カエサル」の予告を劇場で、また帰宅して知りました。カエサルの『ガリア戦記』また、『ローマ史』は愛読書です。シェイクスピアの上超す舞台に出逢えますことを楽しみに。
勧進帳のご無事大成功の巡業を祈ります。お大切に。  秦 恒平 2010 5・14 104

☆ re:どこの空を。
今は播磨の空の下。久しぶりにHP読み 鴉の様子に安堵しました。と言っても時折の消化器官や引き攣りなど、気懸かりも。 鳶

* 白内障の手術が無事に済んだと見える。
2010 5・18 104

☆ おはようございます、風。
講演前。ムリはなさらないで。
> 創作や文学話し相手が少ないようだから
少ないというより、皆無です。風だけ。
本を読む人は少ないなあ、というのが実感です。
周囲の人と、文学や創作が話題になることは、ほとんどありません。
ずっとそうでしたから、慣れてしまって、花からも、その話題を持ち出すことがなくなりました。
そういうもの、と、自分を納得させてしまったのです。
ワイワイ喋って、なんて、楽しそうだけれど、そんな環境って、ありえるのかなあ。
花はこれから英会話、図書館、おつかいなど、いろいろしてきます。
風、集注して、がんばって、ときどき休憩なさって。お大切に。
元気な、花

* 音楽と映像とが、世俗世間で、はるかに文学を凌駕し、美術を凌駕している。
コンピュータも、文学・文藝によりも、はるかに音楽や映像のために優しい。
しかし機械で本を読んで心服し満足する習性は、そう容易には培われないだろう。「紙の本」には言い難い感触の快味があり、機械では代用できない。だが、便宜と経済を考慮すればいわゆる「本」の受ける打撃はきつい。書店は戦いていよう。
「紙の本」は希覯の貴重財になり、「電子の本」の時代が必然来ると見越して、わたしは十年余も前に日本ペンクラブに早々に「電子メディア委員会」創設を実現したのだったが、その意図を深く汲める現理事会ではなく、たんに機構と運営との短絡から「言論表現委員会」に吸収されてしまった。時代の流れから見て明らかに逆行のはからいだ。先見の力と聡明さとが欠けているとしか云いようがない。
2010 5・19 104

☆ 雨降り   播磨の鳶
お腹のしくしく、いかがですか?
今日は(眼の術語を労り=)暗い部屋で過ごしています。
「少し変わった作品」と書かれていますが、それこそ皆が長く待ち望んだテーマでしょうか。テーマなどと、そう書いてしまってはとても済まないのですが、丹念にHPを追い、時に危惧し、またそれ以上に応援してきました。
わたしはこれまでに折に触れて(ソレと=)「向き合うこと」を提言していただけに、重く重く受け止めています。
何より残され手渡された多くの手紙や日記などの存在がありがたく、そして敢然と、ようやっと向き合ってくださった鴉の勇気を改めて思います。向き合うことが書くことに繋がり、私小説を書く時期について昨日HPにも書かれていましたね。
書くことと切り離して考えても、それは生涯の課題だったのだと感想をもちます。
既にご自身での理解に及ばれていることと思います。
すべては、計らいなのです、ね。
思うこと多く、ただし外面的には何の変化もなく、暮らしています。大いに問題あり!!の鳶です。一年前のギリシアと格闘?しています。現実の現時点のギリシアも注視しています。
スペイン、ポルトガル、イタリア、鳶の飛んで行きたい国は、みな深刻な問題を抱えているようです。もっともこの日本だって問題山積であります!
久しぶりのメールは僭越なメールになってしまいました。お許しあれ!

* 実父母たちの遺したモノに手を触れ目を当てた最初は、旧臘、師走一日であった。今日で、半年とは経っていない。そして、まだまだ目も通せぬうちに、またどっさり「父の遺品」が一山も二た山も加わった。
それなのに、来月桜桃忌には関聨の一冊を出すところへ、もう来ているというのは、むろん第一投にしても「一種の離れ業」を演じるのであり、粗忽を咎められるかも知れないのである。入稿から校了までに一ヶ月というフルスピードも、大きな欠陥に繋がるかも知れない。それでもわたしは敢行した。赦して戴きたいとは云わない。ご覧下さいと云う。
2010 5・19 104

* 両国は、雨かも知れない。池宮さん、無事に国技館前まで来てくれますように。
予想したように、今日は、横綱白鵬と新大関把瑠都の取組で、遠来の客を歓迎できる。わたしの気持ち、やはり横綱に全勝優勝して欲しい。彼が潰れるようでは今の大相撲、ぐずぐずの雑炊のようになってしまう。大相撲の気品は、気稟は、いま、白鵬ひとりで保たれている。

* 池宮さん、妻と一時半に場所入りして、館内のいろいろを大いに楽しんだらしい。お土産に、利休好写し、時代ものの「秋の野」蒔絵大棗と、淡々斎筆花押の短冊「萬事如意」を進呈。
さて私は四時前に桟敷に入った。三人で賑やかに幕内の力相撲を大いに楽しんだ。横綱白鵬は新大関把瑠都にあっさりと勝ち、優勝を、ほぼ確定的にした。健闘、三役昇進に目の出てきた平幕の白馬が大関琴欧州を振り回して勝った。
池宮さんは、終始機嫌よく楽しそうに土俵に向き合い、なかなかの通であった。ロサンゼルスでもお相撲は当たり前のように中継されているらしく、名古屋場所では、一人のご婦人が十五日間同じ平場で毎日ちがう着物を来て観戦してられるなどと観察も徹していておもしろかった。
満員御礼ではなかったが、天井桟敷に女子生徒たちがずらっと並んで、カン高い綺麗な声を揃えて一斉に贔屓力士を応援する風情も賑々しく、面白かった。
茶屋の番頭クンのタケちゃんにたくさんお土産をもらい、池宮さんはタケちゃんとも記念写真を撮ったという。たまたま折り合いが好くていい歓迎の一席が楽しめたのがとても気持ちよかった。
家に帰ってみると、妻はイタリア製のハンドバッグを、わたしは仰天するほど「本代」を頂戴していて恐縮した。かえって申し訳なかった。

* 雨は帰りの保谷駅から家まで。二十分順番を待って、タクシーに。ほかには、傘要らず。二時間ほど遅れて一人で家を出た分、途中で幾らかの再校三校が出来たし、京都へ発つ前日切符も用意できた。なにもかも、手順よし。
それでも、いまも、腹がシクシクと。おちついて、今夜はもうこのまま、休息を。
2010 5・20 104

☆ この度は焼酎です。 吉備の人
天満屋を通じ、八千代伝酒造の「黄色い椿」をお届けします。ネットで検索したらこんな説明がありました。
『黄色い椿』という名は、先代の短歌集からとったそうです。
学徒出陣で、大陸の中国戦線に参戦した先代は、強烈な平和主義者で、短歌集で自らの戦争体験を語るなかに、
銃声たえ夏草繁る広西(カンシー)に黄色い椿を探していたり
という短歌があった。捜していた黄色い椿は、先代の中で平和の象徴であり、人への優しさや、思いやりだったのだろうと。

* 好いお話、ありがたいお話。嬉しいこと。
2010 5・21 104

* 「mixi」で出会った一男性の書き手から、「e-文藝館=湖(umi)」に小説の寄稿があった。有り難いこと。で、まだ通読はしていないが、書き出しの段落を読むと、こうなっている。すぐ感想を添え送り返して、推敲をお願いした。
同じようなご希望の方、「e-文藝館=湖(umi)」は歓迎するが、また「参考」にもして頂ければと、この方には赦して頂いて推敲希望の「実例」を此処に挙げておく。

* 早速、冒頭部への感想を送りますので、落ち着いて吟味して下さい。言い訳や議論は今はご無用に。
「e-文藝館=湖(umi)」編輯者  作家・秦 恒平

以下原作原文 書き出しの一段落

少し大きめの窓に白いレースのカーテンが揺れている。月の光が、部屋の半分を白くしている。ここはどこだ。
部屋の全体を見回そうとすると、細部は闇の中に歪んで消えてしまう。どこか懐かしい。自分はたしかにこの部屋
を知っている。ああ、岐阜の家だ。白いカーテンは風を孕んでふわりと大きく膨らんで、また元の姿に戻った。

大きい窓 でなく 大きめの窓 なら、 め には 少し の意味がもう入っています。
少し を省けば 文が 一息に引き締まります。

月の光が、部屋の半分を の の の重用は文を間延びさせています。 月光が部屋半分を で、無用な句点も省けます。
問題は 白いレースのカーテン の 白 と、月光が部屋の半分を白くしている の 白 とは性質が違うでしょう。どっちかが表現としてイージイなのでは。すぐあとにも 白いカーテン がまた出て 白 白 白 が安易に文中に踊ります。

大きめの窓にレースのカーテンが揺れて、月光が部屋半分を白くしている。  で引き締まるのでは。

部屋の全体を見回そうとすると の の全体 は適切ですか。 部屋の全体 って何ですか。先に 部屋半分 があり、また 部屋の全体 というのは鈍重な運びになります。 見回そう というのだから 単に 部屋を見回そう で足りていませんか。また とすると は的確でしょうか。 としても か。

細部は闇の中に歪んで消えてしまう。  とありますが、 細部 って何ですか。概念的で文学的でないゴツい殺風景な物言いですね。また 闇 には本来中も外も奥行すら無く 歪んで消えて というモノ云いたげな表現が、舌足らずに浮いています。

どこか懐かしい。 の どこか は適切ですか。他にもっと云いようが有るのでは。

白いカーテンは風を孕んでふわりと大きく膨らんで には、 白い が前と重複して無意味ですし、 孕んでふわりと大きく膨らんで は四語とも同じことをだらしなく云い重ねていませんか。 風を孕んで膨らんで と で の韻を踏んで一気に云っても表現できていませんか。

また元の姿に の 姿 は適切ですか。カーテンの擬人化が必要ですか。 かたち では無いのでしょうか。

**さん。ま、このように最初の一段落ほどで、もうこんなに文学文藝の表現としては 緻密さにも美しさにも欠けています。
この 編輯者の指摘に沿って、けっして緊張して硬くごわごわしないで、しなやかに、ムダすくなく、譬喩も状況も言葉も相和して的確適切に美しく、書き直してみて下さい。
その間に、全体を一読してみますので。  では。お元気で。  秦 恒平
2010 5・21 104

* 昨日、吉備の人のご厚意で、いい味わいの焼酎「黄色い椿」二升を頂戴し、早速、小粋な蕎麦猪口で数杯戴いた。有難うございました。アタリのすっきりとうま味の焼酎である。
2010 5・23 104

* 楽しくお相撲が観られて私たちも嬉しかったですよ、お相伴ありがとうございました。
過分のお心遣いを賜り、恐縮の上に恐縮して身が縮みました。とにもかくにも、「湖の本」維持のためにと、深く頭を下げてお預かり致します。
家で、鵬雲斎の若い頃の「自作」茶杓を見つけました。みるから粗杓ですが、銘の「和」と筒の花押、箱蓋にも自署があり、茶杓自体にも鵬雲斎自身の削り跡がはっきり出ているようなので、うまくすれば、ロスにお帰りの時分にはお家に届いているかと、航空便で謹呈しておきました。どの季節にも使える銘なのが便利と思われますので、気軽にお使い下さい。木の箱が潰れないといいがと案じていますが。
古いけれど紛れない淡々斎の短冊「萬事如意」(万事・意のまま=何事にもこだわりなく、自由自在)の四字は結構な、めでたいものと思います。字も花押もすっきりと、鵬雲斎よりよほど上手で綺麗です。
時代ものの大棗「秋の野」は、利休ものの「写し」であるらしく、塗も時代ですが、大柄にいかにも豊かなところが新しい持ち主のあなたに似合っています、ご愛用あれ。出処はたぶんいろんな理由から、藤田男爵家あたりだろうと想ってきました。いい箱をあてがって上げて下さい、そして気楽にお使い下さい。
「茶ノ道廃ルベシ」「宗遠、茶を語る」の追加 有難う存じます。すぐ送ります。
大関魁皇が堂々と一千勝を勝ち取り、喝采しました。横綱白鵬の二場所連続全勝も流石で、よい責任を果たしてくれました。この本場所をご一緒に観ました。いいご縁を重ねました。
今度六月に送ります新刊は、題も『私=随筆で書いた私小説』です。大半は読みやすく、かなり楽しんで頂けるだろうと。
では、エデイさんともども睦まじくどうぞどうぞご健康にお過ごしなさいますように。
家内からも、お大切にお元気でと。 遠
2010 5・24 104

* 新宿、紀伊国屋ホールでの、俳優座公演『沈黙亭のあかり』を観てきた。一言で言って、ダメ。凡作。
作の意図も、観念が先行し、持ってまわってキレわるく、作意を伝える説得の妙も表現の妙もなく、さらに演出に創意も切れ味も何も感じ取れなく、俳優たちはほとんど手探りでもてあましていた。退屈して何度も居眠りが出た。テレビの間延びした二時間ドラマと同じ、一時間できゅっと引き締めて創れる材料ではないか。客はよく入っていて、笑いも洩れ終幕に拍手も出ていたが、私、冷え冷えとして面白くなかった。

* それより何より別に嬉しかったのは、亡き演出家増見利清さんの夫人で女優の野村昭子さんと劇場の中で会えたこと。妻もともども、しばらく親しく立ち話できた。シェイクスピア劇の演出で著名であった増見さんの充分お元気だった昔から、なにかにつけご厚意を戴き、最も古くは、玉三郎とそのころ片岡孝夫 (現・仁左衛門)とで演出された『天守物語』に、夫婦して招待されたのが有り難かった。妻ははじめてこの芝居で、「演出」に感銘を受け、以来どんな芝居にも親しむようになった。
俳優座と加藤剛のために漱石原作『心 わが愛』をわたしが脚色したときにも、なにかと増見さんに助言を戴いた。
「湖の本」刊行このかた言い尽くしがたく支援して下さり、増見さんが亡くなったあとも夫人の野村さんの「湖の本」への支持は実に手厚く、ほんとうに愛読し続けて下さっている。
野村さんにはこれまで一度も御礼を申し上げる機会がなかった、今日の親しい初対面、何より嬉しかった。
2010 5・26 104

☆ 週末は
京都へ講演に、と書かれています。金曜日? 土曜日? 何時頃に話されるんだろうなど、とりとめなく思っています。慌しくも充実した日々を鴉は過ごしていらっしゃる。
お腹のしくしくも、足腰の衰えも、糖尿病も、みんなみんな飛んでいけと願います。上手に付き合っていくしかないのが身体、それも思い知らされます。
鳶は低空飛行、気概をもって物事を進捗させなければならないのに、あまりに遅い歩みです。  播磨の鳶

* 一気に校了にして、此処まで来ると、たしかに、疲れたなあという実感がある。先月二十六日に入稿、今日二十六日に責了、こんな「一ヶ月仕事」という集注はかつて一度もなかった。何かの「功」ではない。そう、「心遊んだ」のである、定めた目論見のままに、遅滞も遺漏もなく、遊んだだけのこと。それでも草臥れはした。
一と休息して、明日は散髪。
卆寿をはるかに越えられた染色家三浦景生さんは、会うと白い蓬髪を噴き上げたようで。この数日のわたしは、そんな三浦さんにちょっと似ている。
2010 5・26 104

☆ こんばんは。  のばら・従妹
ご無沙汰しています。
こちらはおかげさまで元気に過ごしています。
京都へお出でとのこと、講演会はどちらでなさるのでしょうか。
片隅ででも拝聴できれば嬉しいのですが、場違いなことかもしれませんね。
こちらは5月も過ぎようとしているのに、肌寒い毎日ですが、修学旅行生で賑わっています。
暖かくしてお出でくださいますよう。
良い旅になりますよう願っています。

* ありがとう。気恥ずかしいばかりです。もう昔ですが、京大の楽友会館で、窯業というから今で云うセラミックスの「学会」に呼ばれて講演したとき、どう聞きつけてか中学時代の女先生が最前列の演壇の真ん前に坐ってられて、アガッテしまったことがあります。あれは、驚きました。講演会に読者の見えていることはよくありますが、いわゆる知人の顔が目にはいるとケッコウ動揺します。
2010 5・27 104

* やっぱり航空便で茶杓を送ったのは軽率であったかもしれない。途中で箱ごと圧しつぶされたか、小さい荷のためどこかへ紛れてしまったかも。追っかけて送った本二冊も、郵便局でクチャクチャとモノ云いをつけられたので心配。これまで二十年、問題なくそのままで扱われてきたものが、なぜ急に文句がつくのか分からない。
2010 5・27 104

☆ こんな遅くにメール。
風はもうおやすみのことと想います。
『復活』を、読み進めています。
下巻では、為政者に有利な体制を真っ向批判していますね。
当時のロシアでは、かような言論の自由があったのでしょうか。文庫本の解説に、時代背景などの説明があるといいけれど。
それにしても、トルストイは生き難かっただろうなあ、と、想い、けれどそれは、何煩うことなく流されているのより、ずっといいと想われます。
カチューシャの判決を覆そうとするネフリュードフの奔走の後ろに見える社会悪が、現在、風の上に起っている事柄を、思い起こさせもして。
ではでは。
風は京都行きに向け、お荷物など、準備なさるのでしょうね。講演では、ちょっと緊張なさいますか。
お気をつけて行ってらしてください。

* いまどきトルストイの『復活』をどれだけの人が、このように受けとめて真剣に読むだろう、しかしこの小説は、岩波文庫下巻へ入れば殊に、現在の日本で行われているすべての批評よりも、本質的に具体的に人間的に鋭く「問題」を指摘し批判し、魂を揺るがす。またそのような敏感で誠実な魂をもつことが、大切なのだと思い当たる。
「あぶく」のような「ツイッター」ではない。火を噴くほど全身全霊から迸る追究であり抗議であり表現であり、優れた藝術である。トルストイは、いのちがけで書いている。
いま、日本で、いのちがけで『復活』のような仕事をしている物書きが、何人いるであろう。

* 大学に入るとき、面接で尊敬する作と作家とを聞かれ、即座に『復活』と『暗夜行路』と答えたのはウソ偽りでなかった。教授は笑って「なぜ」と問われ、またしても言下にともに「男」が「男」を書いていますと答えた。
男性ということではない。真の「男」が真の「男」をという意味で答えた。
たまたま「花」さんは、『復活』下巻を読んでいると。
たまたまではないが、いまわたしは志賀直哉全集第四巻『暗夜行路』を毎夜読み進んでいて、この名作といわれてきた名作が、たしかに直哉の他の多くの名作名品を打って一丸とした「以上」の名作だと、新ためて舌を巻いている。
妙なことを云うが、いささかも「読みわずらう」ことがない。清水を口に含んで引くように呑む、そういう静かさと確かさと美味さ。何なんだこれは! そんな、あきれるほどの美しさと確かさの世界が、言葉で文章に織りなされ、織り目もみえないほど自然なのである。
そして紛れなく時任謙作という男が存在する、生きている。さらに、作者の志賀直哉も。
こういう若い「男」の国であった、日本は。一人でも二人でも三人でも、こういう「男」に逢いかつ語りたい。
2010 5・28 104

* では明日の午後、一両日の京都へ。

* きわどいところへメールが一つ、京都から。ありがとう。

☆ 秦さま  壽
ご無沙汰しております、***です。
京都で講演されるとか・・! 一般でも拝聴できるのかしらとグーグルで検索してみましたが わかりませんでした(笑)
明日か、明後日ですよね。今日の京都は風が冷たく陽射しはあっても肌寒い一日でした。
明日は少しはましなようですが道中お気をつけていらしてください。
なかなか家でPCをあける気持ちになれていませんでした。
今、TVでは鳩山さんが話し終えたところです。
(質疑応答中ですが、「生活と意見」を読みたくなって途中でPCの前に座りました。)
ネットに繋がなかった理由のひとつは「普天間」のことがありました。
秦さんの日記を拝見する気持ちになれなかったんです。と言うと語弊がありますが この件で、どのように感じておられるか読んでしまうとその意見に追従してしまうかもしれない。
もしくは、それは違うと反発するかも。
自分の勝手な思いではあるんですが、どう感じるかが怖かったんだと思います。
「人がいいと言えば良く見える、だめと言えば悪く見える」 影響を受けやすくて流されがちな自分を小学生のころに意識しました。
特に、好きで尊敬している方には影響をうけますよね。
それで今回は自分一人で見つめてみようと思っていました。
ひとつ、今回の結論が政府からでたところで久々にネットに繋いでみました。
私は、鳩山総理をヤミクモに責める気持ちにどうしてもなれません。
秦さんの5月23日の日記に、
「いま彼を罵倒したり莫迦にするほどたやすいことはなく、そうされても仕様のない下手さ加減を大安売りしてきた。」とありますが
本当にそのとおりだと思います。責めて何が残るのだろうか。責めている谷垣さんや他の政治家さんたちだって何も出来ないじゃない、と。
民主党のマニフェストが出たときから、「そんなこと(県外移設)は出来ないだろう、無理言うてどうすんねんやろ」と私は思っていましたが 民主、もしくは鳩山さんが言い出さなかったら、議論もなされないままに辺野古になっていたのだと思うと、それはあまりにも沖縄をないがしろにしているのだと気づきました。
徳之島の方々が反対するのも当然わかるのですが、「それなら”沖縄なら”その負担を負わせていい」と徳之島が考えているような気も・・
自分ならどうするか全く答えが出なかったのです。今もどうしたらいいのかわかりません。
福島瑞穂さんのお気持ちもわかりますが それならどうすれば県外にもっていけるのか、教えてほしい。
「本質直観」の議論が今後なされることはあるのでしょうか。
やりきれない気持ちです。
ああ、ついつい長々と書いてしまいました。
すみません。
次回こそは「湖の本」バックナンバーの件でメールさせてもらわなくては。
それではまた。京都でのお仕事、お気をつけていらしてくださいね。
ちょっとでも近くにいらっしゃると思うと、なんだか楽しみです。

* 今日の「私語」は、どうだろう、言い過ぎだろうかしら。
2010 5・28 104

☆ 結構しんどいです、花粉症。
微熱がつづいています。
くしゃみも、連発。
ムズ痒さのないのが、幸いです。
何の花粉かわからないけれど、はやくおさまってほしいです。
『復活』読了しました。
たくさんの本を読みたいので、速読ができればいいなあ、なんて思っていましたが、『復活』を読んでいるときは、特に下巻では、猛烈な感動を噛み締めながら、ときどき頁から眼を放し、涙を拭いたりしつつ、これでは速読はムリだなあ、と思いました。
すばらしかったです。
二十世紀初頭のロシアを知らなくても、主体的に生きている人なら、我が国、我が町に置き換えることのできる、不朽の名作です。
貴族でありながら特権階級の横着と欺瞞から眼を背けることのできなくなったネフリュードフは、トルストイの分身ですね。
ツァーリズムへの痛烈な批判でした。
『復活』は1899年完成とありまして、ロシア革命が1917年ですから、その間18年あります。トルストイは、『復活』を出版できたのでしょうか。発禁処分みたいなものは、なかったのでしょうか。
それとも、ガス抜きていどに思われ、体制に危険視されなかったのでしょうか。
花の借りた文庫本には、そのあたりの解説がなく、気になります。
ではでは。新刊の発送用意、がんばってくださいね。
お元気ですか、風。  花

* いまどきに、これほど『復活』に共感し感動できる読者のいるのが、嬉しく、感動する。ことに文庫本で上下二冊のこの作の後半が胸を打つ。概念的なようで、じつは素晴らしく表現がしなやかに美しく、しかも追が深い。
2010 6・1 105

☆ かなり
花粉、ラクになりました。
今日は、英語などあり、やむを得ない外出日だったのですが、今、そう酷くなく。
黄砂じゃないの、と言われましたが、わかりません。このまま終息してくれれば、と、思います。
風は、『水滸伝』をお読みになったのね。
「プルーフ オブ マイ ライフ」という映画は知りません。
グィネス・パルトロウはアメリカ人ですが、イギリスが好きらしく、イギリスを舞台にしたり、イギリス人の原作の映画によく出ているイメージがあります。ジェーン・オースティンの「エマ」。「恋に落ちたシェイクスピア」、「スライディング・ドア」「抱擁」など。彼女はイギリスの歌手と結婚しましたね。
花は、中断していた『カラマーゾフの兄弟』を、再開したいです。
ほかに、好きな音楽を聴き、好みの曲を選びCDを作ったりして楽しんでいます。
ではでは。 花

* グィネス・パルトロウは、格別の美女ではないが、印象深い瞬時の表情に知性を感じさせて魅力がある。
2010 6・2 105

* 永年のあいだには、住所表示なども変更になり、従来届いていた郵便物が戻って来たりする。知人を介して電話で問い合わせたりするうち、メールアドレスが知れたりして思いがけないこともある。「四十年余りも同じ此処に気持ちよく暮らしていますよ」などと人を経由して知らされたりする。統合でまるで新しい市名に変わっていたりもする。東近江市だの、木津川市だの。

* なんとなく気勢があがらぬまま、じりり、じりりと仕事をすすめ、夜になる。
2010 6・2 105

☆ お元気ですか。

みづうみのお腹のシクシク、ただストレスのせいと決めつけませんように。昨今のドクターは検査しないと何も治療してくれません。自己診断ばかりしていては手遅れになる場合もあります。どうかご面倒でもお嫌でも怖くても、時々症状にあわせた検査をされることをお勧めします。幸い糖尿病で病院通いをされているのですから、その折に是非ご相談してください。長生きするためというより、苦痛で生活の質を落とさないために、仕事をしっかり続けるために、健診は必要なのだということを年寄りの看病を通して学びました。
身辺の心配事に加速して、日々のいやな政治ニュースも身にこたえる感じです。
過重なストレスにさらされているみづうみのことを想いますと、自分がため息ばかりついているのは情けないのですが、わたくしも毎日が苦しい。みづうみのように強くなって、気分転換が上手になりたいものです。
今のストレス解消法を強いてあげれば、夜遅くのネットショッピングでしょうか。不健全とお叱りにならないでください。出歩く元気も暇もなく、病院という妙に消耗する場所から帰宅すると頭を使う気力もなく、でもなぜか安らかには寝つけないので、食器とかペットのおもちゃなど安い日用品や、珍しい古本などをポチッと。お酒を飲むよりはましではないかと言い訳しながら。
書が大好きなので今は掛け軸を探しています。頼山陽のよく出来た贋作などないかなあと捜すものの、無理そうなので、どこぞのお坊さんのものらしい八千円のものを、このくらいなら失敗しても(失敗に決まっているのですが)とにかく傷みを気にせずどこにでも気楽に掛けられるし文言がいいので買ってみようかどうかと思案しています。でも、美術品の第一級の目利きのみづうみからすると悶絶ものでしょうから、やっぱりやめときましょうか。
今回は珍しく、みづうみが新刊の予告をしてくださいました。湖の本103『私─随筆で書いた私小説』と拝見して、ああその手があったかと新鮮でした。今まで誰も試みることのなかった手法ではないかと思います。どんな「私」が現れるのか楽しみです。届く日が今から待ち遠しいことです。
昨日泉鏡花の『由縁の女』を読了しましたが、正直とても読みこなせていません。他の鏡花作品に比べても難しいと思いました。白山信仰について無知なことも理由の一つかもしれませんが、ところどころはっとする場面があっても、主人公に共感出来ないままに終ってしまいました。読みこなす力が不足です。『風流線』のほうがずっと好きです。
今日からはぐっと趣を変えて、小田実の『難死の思想』というエッセイを読むことにしています。「アメリカのつくったもう一つの日本」など面白そうです。
とりとめないおしゃべりでした。長くなって申し訳ありません。寝る前にはまた掛け軸ウォッチングに戻ります。
みづうみ、おやすみなさい。  雪柳

* かなり重篤の鏡花病患者でないと『由縁の女』には心酔しづらい。うまく惹き込まれると心底惚れ惚れする。ひっかかってしまわないと、何が何やら分からない。ヒドイ人は支離滅裂などと云う。
この物語には、鏡花の「女」に寄せる信と思慕とが魂も溶けるほどしみ通っている。そういう真似というか、表現は、凡俗の誰にでもよく出来ることでなく、本気も本気で是の、『由縁の女』の、書ける書けてしまうのが鏡花の頑強な天才であろうと観ている。「主人公に共感出来ないままに」という感想が分かる。女性の読者は閉口されそう。
わたしは。わたしは、再読して、受け容れた、心から。

* 数多い藝術のジャンルで、わたしの傾倒するのは「書」だと云うと、嗤われるだろう、希代の悪筆のクセにと。
もっとも、「書」を自身で購うことはしていない。一つには叔母から譲られた「茶」とのかかわりのもの。もうひとつは、いま、この部屋に掛けてあるいただき物。一つは俳人荻原井泉水さんの大字の「花 風」で「秦恒平雅兄一餐 井泉水」と献辞が添っている。もう一つは會津八一先生の「学規」で、宮川寅雄先生に頂戴したのを額装した。階下には鴎外学の泰斗長谷川泉先生が、太宰賞を祝って書いて下さった大きな横物「文質彬々」の額。書ではないが、茶名「宗遠」二字を大きく篆刻し金彩した額もある。「問一問」の横物もある。
谷崎潤一郎が南洋の巨きな豆入り豆殻に「鴛鴦夢圓」と書いた珍しい遺品を妹尾健太郎氏に戴いている。また潤一郎筆の短歌の軸装したのを松子夫人に戴き、また色紙を近藤富枝さんから譲られている。
その余は、みな茶掛けの軸。鑑定はできないが、いろいろ在る、いま掛けている義政の歌短冊もそう、江月や宗旦や松花堂の書や懐紙・短冊も、大徳寺ものの数点も、受け継いでいる。六閑齋や、玄々齋、圓能齋、淡々齋、鵬雲齋など家元の掛け物の自然に多いのは当然として、小堀宗中の「雪・月・花」三幅なども愛している。惜しんで埋蔵したりせず、時折に出して眺めている。
いま、こういう時節であればこそ、よけいにこういうモノの息吹が懐かしい。
2010 6・3 105

☆ 軽快好感  花
花粉症は、まずまず。大丈夫そうです。今日会った人も、先週から花粉症が酷かったと言っていました。
ですが、そろそろ終息を感じています。
風は、お元気ですか。
首相辞任は、残念です。基地問題が大きかったようですね。
マスコミは、鳩山さんの失態ばかり強調しますが、鳩山政権下で行われたいくつもの法改正・改革を、花は評価しているのですが。
普天間基地問題を「日本の防衛」論の一端と見るなら、そう簡単に答えが出るはずはない、方針が二転三転するのも仕方のないことと思い、鳩山さんの右往左往を見ていましたが、花の見たり聞いたりした限り、きっちりと防衛論にまで言及した議論はされませんでした。
アメリカの基地が日本に必要なのか、日本の防衛は今後どうあるべきなのか、一番大事なところを、遠巻きにして触れないでは、結論に近づくはずありません。
軍隊を持つのか持たないのか、過去の議論でも、意見が対立していましたし、容易に答えは出ないでしょうが、議論して見えてくるものはあると思います。
長くつづいた自民党政権から交代して、まだ一年経っていません。
政治なんてこんなものだ、政権が変わっても何も変わらないなどど、短絡してはいけないのです。フランスの大革命が、どれほどのアップダウンを繰り返し、近代社会の礎となっていったか、いつも念頭にあります。
2010 6・3 105

* 京都での講演を世話してくれた妻の友人、わたくしの読者から懇篤の礼が届いていて恐縮した。

* 名古屋市大の昔風に謂うと助教授谷口幸代さんから、論文の抜き刷りとお手紙が届いていた。「江戸文学」で、一足先に読んでいた。文士の「原稿料」を史的にも検討したとても面白い労作であった。ありがとう、谷口さん。相変わらず成果の続くのが心嬉しい。
2010 6・4 105

* 鏡花は
ややこしい世界の持ち主ですね。「由縁の女」は一等難関です。それだけに高踏です。その点「風流線」はすこし講釈めきます、面白く読めますが。
鏡花から一転小田さんとは、トビますね。大いにトンデ欲しいけれども。
お年寄り、お大切に。そしてあなたも。  みづうみ

☆ お元気ですか。  枇杷

鏡花の『由縁の女』は、途中でこんがらがって前に戻って読み直したりしながらでしたので、手こずりました。ストーリーを理解しようとして読むより、登場する色々な女たちを味わうことに徹して読むと、ずっと楽しめるのかもしれません。題名のように、由縁のある色々な女たちを描くことに作者の目的があったと読めば、礼吉は媒体のようなもので、礼吉に共感出来なかった理由も納得できます。それにしても被差別の世界の人々の姿には胸が痛かった。忘れた頃にもう一度読み直してみたい作品です。
小田さんのエッセイはとても面白いです。今まで小田さんの作品を読んでこなかったことを後悔しました。たとえばこんな文章を読むと、闘士の小田さんらしいなあと思います。

こんな世の中では黙っているほうが立派だと孤高の沈黙を誇ろうとする人がいる。これは「不言実行」という「禁欲」と美の倫理にうらうちされているのだろう。しかし、その「沈黙の美学」は、たんに手を汚すまいというだけのことではないのか。

次の文章など、みづうみの「私民」の思想と共通しているものがあると思います。

今、おそらくもっとも必要なことは、横行し始めた「公状況」に対して、もう一度「私状況」を確立することであろう。

トンでいるかどうかわかりませんが『子どもを喰う世界』という本も読んでいます。凄いタイトルですが、中味はさらに物凄いです。世界で奴隷のように働かされている子どもたちの悲惨なレポートなのです。どんな法律を作っても先進国の金儲けのシステムの中に組み込まれて救えないんですね。
読んでいるうちに、三食食べられて好きな本を読んでこうやってパソコンを利用している自分が、極悪非道の罪人に感じられるほど。というより読んで読みっぱなしにすれば極悪非道なんです。バングラデシュやインドに行って活動するわけにいかなくても、せめて本の内容を周囲に広めて、不買という行動をする必要はあるわけです。筆者は「知らなければ心は痛まない、だが、人々がどれだけ自分以外の人間を思いやれるか、それが社会の文明度をはかる基準ではないか」と。
みづうみの今夜の「人間国宝の会」は如何でしたか。わたくしは来週、初めて友枝昭世さんの能を観る予定です。年寄りが入院するなんて考えてもいない時期に、苦労して手に入れたチケットなので、お見舞いのあとに出かけます。どういうわけか演目が「湯谷」なので、泣いてしまうかもしれません。
「私語の編集」は、とうとうあの年の「六月」に入ってしまいました。あれから四年後の七月にまだ裁判が続いているとは、誰が想像できたでしょう。ため息ばかりです。一日も早く焔の道を駆け抜けて、みづうみらしい静かな平安な日々を取り戻されますよう切にお祈りしています。

* 昭世の「湯谷」とは。大いに期待できますよ
32010 6・4 105

☆ お早うございます。  泉
妹が我が家に4泊し(一人増えるとやっぱり忙しい!)、京の薫風をまいて今しがた帰りました。信州上田方面への日帰り旅行や都内へ出たり、昨日は例の川沿いに東久留米までサイクリングをしたりの接待で疲れ、何時もなら東京駅まで見送るのをカンベンしてもらいました。
あなたは体調が優れないですね。歩いて減量の努力をしている筈もないやろしね。心臓発作は一発やから何よりも怖い。
私は持病はありますが、この歳ならこんなもんやろと達観しています。寝付く程の病でなければ元気と言うてええのかな、と。京都弁で過ごしたので尾を曳いてま~す(^o^)
動ける内に逢えればと想うこの頃です。
2010 6・6 105

* やす香が入院までの三月から六月までを忘れたことはない。やす香の死はあの年九月に二十歳になる直前だった。わたしより五十も若かった。
恵まれれば八十九十も珍しくない昨今であるけれど、あと五年十五年は想うだにかなり重い。医者へ医者へと、妻にも友人にも読者にも云われている、決して云われていないのではないが、わたしが動こうとしないのであり、咎は只一人わたしに有る。明記しておく。

☆ お願い  蛍
病気は自力では絶対治せません。自然治癒できるのは擦り傷切り傷くらいだと思います。早く手を打たないと生活の質が悪化します。回復も遅れます。入院やリハビリなどおいやでしょ。
お願いですから、明日にでも病院に行って心臓など循環器の検査をお受けください。診察をお受けください。血圧も高くてはいけません。薬でいつもコントロールしてください。血圧は薬しかありません。それから体重を落とすだけで血圧がぐんと下がります。
言っても無駄とは思いたくありません。もっともっとお幸せにならなくてはいけないのですから。
取り急ぎのお願いです。

* ありがたいことです。感謝感謝。

* 六十にもならずに死んだ兄の、二十歳にも成れずに死んだ孫娘の、ブンまでも生きねばと思い逸ることは、無い。そういうことは或いは兄にも失礼、孫にも過剰な思い入れになる。そんなことなら数年後の「新しい歌舞伎座」で花やかな襲名の数々に立ち会いたいと夢見る方が楽しい。そんな楽しみに力づけられて、もう幾つか小説で「実験」を重ねながら、さらにわたし自身がわたしの度肝を抜くような小説を書いて、せめて親しい読者や知人の動悸を速めてみたいものだ。

* 夕方、疲れて、知らぬ間に寐つぶれていた。
2010 6・6 105

* 詩に曰く、  (『忠義水滸伝』第七回)
世に在り人と為りて七旬を保つのみ
何ぞ労せん日夜に精神を弄(はたら)かすを
世事到頭、終(つい)に尽くる有り
浮花の眼を過ぐるがごとく総べて真に非ず
貧窮も富貴も天の命(めい)
事業も功名も隙裏の塵
便宜を得る処(おり)にも歓喜する休(な)かれ
遠くは児孫に在(むく)い近くは身に在(むく)ゆ

* さて、現実問題としては、悟り澄ましてもおれない。
この「私語」は、これから四十日ほど、折に触れ修羅の炎を巻き上げるだろう。頭の整理には、「闇に言い(書き)置く」のが一等効く。どうか、苦々しく思う方は当分の間この欄へのアクセスを中止されるようお奨めします。

* 世にもまれな、娘夫婦の「被告」としてこの私は法廷に立つ。
いったい、なぜ、そのようなことになってきたのか、わたし自身、経緯を顧みておかねば、尋問に答え泥むことになる。頭の中で思い出しているだけでは効果がない。書いて、記録し整備して、自身納得しなければならない。
真っ向、立ち向かう。
それが一等素直で正直な仕方だと信じている。
わたしが、娘夫婦を訴え、巨額の賠償金を請求しているのではない。父親を被告席に呼び出して賠償を請求しているのは、青山学院大学国際政経の教授(婿)と、町田市の主任児童委員(娘)である。教育や教導に携わる公人の彼らが、裁判沙汰にしているのである。
では、この公人たち、いったい「何を主張」して父親を訴えているのか、そんなことから、わたしは「復習」しておかねば、被告席で無用に立ち往生しかねない。
幸い、作家であるわたしには、関聨の著書も何冊も在る。この日録「生活と意見」も十数年来完備している。すべてホームページに公開してあるから、裁判員に準じて下さる方は、青山の職員・学生も町田の先生・市民も、ご自由に閲覧して下さい。きちんと名乗って質問して下さるなら、答えられる限り答えたい。
そういうことの、気にくわない方は、どうぞこの「闇に言い置く私語」から、このさき、当分、耳を塞いでいて下さい。
私には、これも作家の「仕事」のうちなのです。「仕事」である限り、誠意を尽くして努めねばなりません。
2010 6・6 105

* 東北の人から送られてきた長い小説が、よく書けている。気負い無く、いい材料をいい感度で淡々と物語り続ける内に、感じとしてはあの尾崎一雄の初期小説のようになってきた。楽しみに読んでいる。
2010 6・7 105

☆ 元気になあれ!  鳶
4,5日と身体の異常について述べられていて、まず何よりそれが気懸かりです。降圧剤はいつから服用されているのですか? どうぞくれぐれも大切になさってくださるよう、ゆったり過ごされるよう。
あまり変化のない日常を暮らしています。
日曜日は山のほうに出かけて野菜を買い込みました。
山葵の葉ならぬ「山葵菜」というのを初めて買って食べてみましたら、確かに鼻にツンとくる風味。
その他やや遅いながら破竹など、季節のさまざまを買って戻ると、台所の床にまで氾濫。おから・卯の花も山ほど作って毎日食べる破目に。
野菜果物も、花も、今まで知らなかったものが豊富に店頭に並んで楽しみますが、同時に夏にはかぼちゃや茄子ばかり、冬には白菜や大根ばかり食べさせられた昔を思います。
先週から政治の動きに否応なく関心をもってテレビ報道に耳傾けています。その分だけ本の世界から離れてしまいます。
どんなことが起ころうとのめり込む本が手元にあるのは本当に幸せ。本に限らず、のめり込める、打ち込めるものがどれだけあるかに懸かっているとも思います。
(手術後=)明るくなった視界に戸惑い、メガネをかけないと眩しすぎて耐えられない状況に、まだ慣れません。めげず、本やら絵にのめり込みたいものです。
繰り返し、くれぐれも体調管理怠りませんよう。切に切に願っています。

* ありがとう。
2010 6・8 105

* 美学専攻から、二人で、大学院の文学研究科に進んだもう一人、大森正一君の訃報。衝撃。医学書院で最初の上司であった優れた歌人の畔上知時さんも亡くなっていた。編集者時代に最も親密に永く接した馬場一雄先生も亡くなられていた。ペンの理事会でわたしの「ペン電子文藝館」創設案に賛成され、会長に就任すると即座に、「ペン電子文藝館館長」として「ますますお力を」と親しく電話で要請された井上ひさし氏も亡くなった。
みな、いちどきに、次から次へ訃報。瞑目して、お人柄を偲んでいる。
2010 6・10 105

機械の使い始めから、変わりなくNECの機械に慣れきっていて、他社の機械だと手も足も出ない。しかし、今度のソニーは使いにくいというのでなく、ハナから使えない。機械にどんなソフトが内蔵されているのかも分からない。建日子の電話ではなんでもOFFICEというのを使うそうだが、わたしの今の機械でも、かつてOFFICEに手を出したことがない。お手上げ。前夜、日付が変わってからいろいろに触れてみたが、ダメ。
そのせいか、寝苦しくて四時半に目が覚めてしまった。眠れない人のメールが来ていて苦笑した。

☆  睡眠薬をのんでから。 砂
真夜中に、メールというのもよろしくないのですが。星野画廊に、石原薫さんの絵が、そろってあるそうです。機会がありましたら、ご覧になってください。若いころに観たきりなので、いま観たらドンナかなと、思っています。亡くなった麻田浩さんと、同じ頃の人ですが、この方もはやくに亡くなりました。存命なら、どんな絵になっているかな。
南アフリカでの、ワールドカップの試合もみました。日本では考えられない熱気です。もう寝ます。おやすみなさい。

* 眠くなってきた。

* 眠っていられなかった。新刊受け入れには隣家の玄関に積んだ本の山、荷物の山を片づけておかねばならない。取りかかると忽ち腰に激痛が来る。堪えていられる僅かな時間しか作業はムリ。ゆっくりやらない、堪えていられる短時間に一気に決めただけの力仕事をやってしまう。
それからまた機械へ戻って不愉快仕事を一段落まで、やってのける。何のためにこんなこんなことをやってるんだと半ば思い、面白い晩年だともやせ我慢でなく思う。

☆ 忠義水滸伝より
青鬱鬱として山峰は緑を畳(かさ)ね
緑依依として桑柘(そうしゃ)は雲を堆(つ)む。
四辺の流水は孤村を繞り、
幾処の疎篁は小径に沿う。
茅(わら)の簷(のき)は澗(たに)に傍(そ)い、
古き木は林を成す。
籬外には高く酒を沽(う)る旆(はた)を懸け、
柳陰には閑かに魚を釣る船を繋ぐ。     15-88
2010 6・12 105

☆ 同上
前は湖泊に臨み 後は波心に映す。
数十株の槐(えんじゅ)と柳は緑にして煙(もや)の如く、
一両蕩の荷(はす)の花は紅くして水を照らす。
涼亭の上は四面の明窓、
水閣の中は数般の清致。    15-93

☆ 晴天の太陽が出る前  砂
4時半ごろ、眠れていなければ、3回目の睡眠薬を、のもうかと迷うころ。床から離れるときと、そのまま、鳥が鳴くのを聴きながら、世間が目をさましていく気配をうかがっている時もあります。
好きな時間で、影のない明るさをみて、まえには不思議な感覚がありましたが、いまはそれほどでも。
知人が、「IQ84」村上春樹、を3冊担いできたので、読みました。傍線や付箋だらけ。
付箋は、はずして読んで、元どうりにするのが、面倒でしたが、ききましたら、感銘をうけたところとか。3冊目には無し。きいてみるまで、何のための傍線、付箋かわかりませんでした。3冊目は付けるのを止めただけと。
<判じ物の如き絵>を描いています、まだ。
判じ物の如き小説でした。悪口です。
お元気に。

* 関西から。悪戦苦闘していると観て、煩わしくない慰問のメールかも。
村上春樹大好きの息子は、どれほど付箋や傍線をつけたろう。

☆ 風
お元気ですか。
今日は暑かったですねえ。
明日あたりから雨がつづくらしいので今日は貴重な晴れだ、と、あわてて洗濯しましたよ。
夕方には、冷えてきました。
風はお元気ですかあ。 花
2010 6・12 105

☆ ご機嫌は。  吉備の人
マスカットが出回るようになりました。
本来の味になるには今しばらくのようですが、天満屋を通じてほんの少しお届けします。
身辺多忙を極めておいでのただ今、どうぞお大事になさってください。

* ありがとう御座います。

☆ この頃  珪
先生に語りかけたいと思うこと、しばしばあります。
事実は小説より奇なり、先生ほどの人生があるのだろうかと、よく思います。

* 今度の本で、また一層そんな思いをさせてしまいそうだ。
2010 6・14 105

☆ 元気出して。  播磨の鳶
驚きました。一時間に及ぶ苦悶状態は、の後、今日の午後はいかがでしょうか。ニトロと降圧剤と精神安定剤、想像するだけで戸惑います。
残る発送作業に絶対無理なさらぬよう、ゆっくり、ゆっくり、大事に、大事に。
わたし自身も昨晩は脚の引き攣った痛みに苦しみました。今朝方には強いいびきをかいていたと言われました。痛みは夢の中のことかとも思いましたが、現実で・・いくらか脚が今も疲れています。ちょうど病院に行かねばならず、行きは二時間に一本しかないバ
スに乗り、帰りは雨の中を一時間以上歩いて帰ってきました。逆療法と考え、またどの位の距離ならあるいても平気かな、と試してみたのです。
歩いていると部屋で過ごすよりもいっそういろいろなことを考えます。道端の草花にも自然に視線が向けられます。
サッカーはカメルーンに勝って「日本中が沸いた」と。アフリカの呪術師が、或る呪術師は2対1で日本が勝つ、他の呪術師は2対0で日本が勝つ・・と言っていましたが、1対0でしたね。
今でも呪術師の強い影響力があるアフリカ。もっとも日本だって呪術とは言わないまでも占いや祈祷やさまざまなものが溢れていますが。必ずしも「排除」するものではなく、むしろ古代に深く切り込んでいけるのは、そのようなもの、呪術や祈祷などを支える感性や本能ではないかと思います。最新の考古学も勿論ですが。
これまで自分が書いてきたものの再点検、推敲に時間をとっています。繰り返し繰り返しの作業で限りがありません。
絵に関しても同じです。今年前半は、夏が過ぎるまではこの状態でしょう。どこかにふらり彷徨い出たい気持ちも強いのですが。
午後お出かけになったのでしょうか。楽しんで帰宅され、無理なく発送を進められますよう。
「必然の動機」のこと、考えさせられます。

* 矢張り何事も起きないうちに今夜もやすもう。

☆ 早い早い。 花
湖新刊が、今日届きました。
ありがとうございます。
キツい体調で、頑張って発送してくださったのですね。
> 今は何よりも体調の管理が優先します
その通りです。
気持ちのくつろげるときが、早くきますように。
風、お元気ですか。

* 渋谷への地下鉄で、新刊をあたまから読み直していて、不覚にも涙が溢れてきた。出来映えに自愛の涙ではない。こんな風に生きてきたのは、なにも珍しいことでないが、わたしに起きた他に、例がないのをふと気づいてしまい。

* 何ということ  啄木鳥

お元気ですか、みづうみ。
ふつうの意味ではお元気でないことを、再び胸の圧迫痛でニトロや降圧剤の服用など私語で読みまして、じつは怒りを感じています。安静が必要なのに、保谷から渋谷まで出かけて観劇ですか。正気ですか。(みづうみのご年齢で渋谷駅から文化村まで車なのは当たり前です。あんな雑踏歩けたもんじゃないです)

みづうみは無理に無理を重ねていらっしゃるようにみえます。まるで緩慢な自殺を望んでいらっしゃるように。すべて「一瞬の好機」のための無謀な試みでしょうか。とても聡明な方法には思えません。わたくしはそういうみづうみのことを心配して幸せになれません。
みづうみの望みが叶う確率よりも、みづうみが入院して生活の質が悪化する可能性のほうが遥かに大きいのです。みづうみにとって書けなくなる、読めなくなる、そんな生活は考えられないことでございましょう。みづうみは百も承知でしょうが、みづうみがもしこの症状のまま放置してお病気になれば、奥さまと建日子さんの生活の質も激変し悪化します。ご家族を愛していらっしゃるなら、ご家族のために何をおいても病院にいらしてください。お願いいたします。

みづうみの首に縄つけて病院に引っ張っていきたいくらいです。
年寄りの付き添いのかたわら幸田露伴の「幻談」などいくつか短編を読みました。あけぼのは鏡花のほうがずっと好みですが、さすがだなあと面白く読みました。
毎日病院病院と呪文を唱えるように念を飛ばしておきますので出来る限り早く受診なさいますように。
2010 6・15 105

☆ 本のこと   播磨の鳶
湖の本が届き、それからずっと他のものが世界から消えてしまったようで、没頭して読みました。
特に序、基点、序章、補章、私語の刻・・「本章が抜けてしまっているよ!」とご批判を受け止めますが・・呆然と読みました。さまざまな人の思いが幾重にも重なり、しかし紛れもなくあなたへの愛が存在したことを思います。
随筆に対するお考えも、わたしなりに以前からの疑問のいくつかが解けたように感じました。(随筆を軽んじると誤解されるようなことを書いて、叱られたことがありましたっけ。)
頭クラクラしながら、何かを伝えたく、ただ伝えたく。
どうぞお体大切に大切になさってください。

* 書いて本にして、よかったと思う。こんなことは秘め隠しておくモノだと嗤う人もありましょうけれど。
2010 6・17 105

* 幸四郎事務所にひとつお願いのメールを入れて。

☆ 湖へ
昨夜帰宅すると、新しい「湖の本」が届いていました。
ワクワクして頁を繰り始めたらつい途中から読み始めてしまい、最初に戻らないと、、、などなど思いながら読み進んでいます。
お蔭さまです。ありがとうございました。
今日は父の36回目の命日で、36年を経ても、あの苦く重い感じを思い出す日です。それでも今宵、美しい三日月だけでなく「湖の本」も共に在り、あっという間に時間が過ぎてゆきました。
ありがたく、有難く。感謝しています。
これからもお元気で「湖の本」を送り出して頂きたいのです。くれぐれも、大事にして下さい。
降圧剤とニトロ舌下が度々ある様子、自己判断は危険です。一度受診して、どうぞ検査など受けて下さい。
是非に、お願いします。
湖、お大事に。お気をつけて。  珠

☆ 秦先生  珪
昨日新しい「湖の本」が届きました。
前半に据えられた、過去に触れた文章の調子がとても懐かしく、内容とは別に、不思議と暖かく穏やかな気持ちになります。
自分も含め日々着実な老いを目の当たりにしながら、一見完全に枯れているのにここ数年ちゃんと花をつける鉢植え、たまたま今年初めていただいたミニのトマトと茄子の苗木の奇跡のような伸びを、楽しんでいます。
2010 6・17 105

☆ 京の のばらです。
新しい湖のご本届きました。
いつもありがとうございます。
ご体調の悪いなかでの執筆や発送作業など、お疲れで酷くなりませんよう、くれぐれもお大事になさってくださいますように。
長い年月、秦の伯父さん、叔母さんにも言うに言われぬ心の葛藤があったことと、今更ながらですが胸に堪える思いがします。
大切に読ませて頂きます。
どうぞ、お身体お大切にお過ごしくださいますよう。   従妹

☆ こんにちわ。
暑いですね。
あちこち開けた窓の隙間から、風がすうっと入り込んで。
暑く、蒸してきて、インドアでのエクセサイズもしんどくなってきました。
こういうときサボってはいけないなあと思います。
ではでは。花は元気です。風、お元気ですか。 花

* ひととき あちこちから声が届く。
2010 6・17 105

* 桜桃忌。山形の芦野さんより、すばらしい輝きの「桜桃」を、たっぷり祝って頂く。例年のお心入れ、嬉しく、心より御礼申し上げます。両親等の位牌の前にそなえ、一粒、おさがりを頂戴した。

☆ 湖の本103巻ありがとうございます。

私ー随筆で書いた私小説
もう前に届いております。お礼が遅くなりました。
題を見て目次を見て、序を、基点を読みました。
秦さんの以前のお腹の重い痛みが、移ったかのようにずっしりと響いて、先へと読み進むことができません。辛いです。重いです。
せめて序章をと読みかけますが、無理です。
目次ばかり眺めています。家事の合間、車中の読書とはまいりません。
お身体への重荷を課せられて送っていただくご本 申訳ない気持ちです。ありがとうございます。
ご本発刊が済めば、お身体の調子が快くなられるようにと願っていましたが、この2・3日の服薬のご様子では、一層痛みや苦しみが増しておられる様。
どうぞどうぞ、身体が発しているサインに忠実にゆっくりお過ごしください。  靜

* もう払い込みが届いているが、読者を「絶句」させている。時期が早いほど「宗遠、茶を語る」にはたくさんな書き入れが在った。苦痛の分をたくさんな随筆に元気に和らげて欲しかったのだが。 2010 6・19 105

☆ これまで背負っておいでになった重いおもいものを、はっきり形あるものになさった、あるいはしなければならなかった秦さんの心のうちを推しはかっています。
湖の本のなかでもこの103号は、父から息子への最高の贈り物と思います。ご無事をお祈りしています。  毅

☆ 湖様
『私』戴きました。
昨日、ポストに「湖の本」の届いていることを確認し、早速拝読いたしました。お送りいただきありがとうございます。
今日 土曜日もNPOの仕事があり、やっと一週間の疲れを癒しています。
今日は桜桃忌ですね。
「桜桃忌のころ」の最後の二行 「ひょっとして私はあの人の疲れた耳に少年の愛を聴かせたく、それで軒下に佇みうたいつづけたのかも知れない。」が、心に沁みました。
「産みのよろこび」では、当時の最先端を行く『新生児研究』の研究書を、学士会館に40人もの専門家を呼んで編集会議を開いて企画されたこと、すばらしい業績を挙げられたことに感動しました。
まだ、すべてに目を通してはおりません。特にお母様の遺稿の部分はじっくりと読ませていただきたいと思っています。
テレビではサッカーの中継放送が流れています。これから二階の娘一家が一緒に観戦しに参ります。
精一杯働きながら、なんとか元気にしております。
湖様 お体に気をつけて 日々お元気にお過ごしくださいますよう。   波

☆ 6.19 御礼
秦さま、新刊「湖の本103 私――随筆で書いた私小説」 ご上梓おめでとうございます。ありがたくご恵贈たまわりました。  とつおいつ、ゆきつ戻りつ、幾重にも楽しませていただきます。長い夏に入りました。どうぞお健やかにここちよくお過ごし下さい。 作家

* サッカーは観なかった。吉右衛門と、岩下志摩・梶芽以子の、つねなら観ない「鬼平犯科帳」をぼんやり観ていた。もうやがて、日付が変わる。
2010 6・19 105

* このようにして、外の世間へ素肌をさらして劇場型に生きているかぎり、夥しい黒いピンがわたしを刺す。無惨に目に見えるピンがあり、まるで目に見えぬ無数のピンがある。避けるわけに行かぬが、それらに傷つかないほどわたしは強くも放胆でもない。とても無条件に清くも爽やかにもおれない。律儀すぎるほど傷つく。
だがこのようにして生きている限り、幾らか「お互い様」であるのだろう。わたしのあずかり知らぬ世間で、あずかり知らぬどんな「黒いピン」がわたしのために悪意善意で生産されていようと、わたしは知らない。手の打ちようも関係もない。
はっきり「言い置く」が、わたしは世間へ出て大勢とせっせと会い、さまざまな会話対話のなかで他人の上へ悪声を放ってきたり毒饅頭を転がしてきたりは、決してしない。そんな陰湿で卑怯な真似は決してしない。
批評はする。みな文責を明かして「書いて」いる。明かす必要のない実名には十分斟酌も考慮もして、しかし「かげぐち」はしない。唯一といえる我が「外向きの仕事場」、ウエブの『作家・秦 恒平の文学と生活』に拠り、ぜんぶに責任を持って、「書いて」示している。
たとえばこの一年で云っても、文壇の同僚のほとんど只一人ともわたしは会っていない。ペンや協会の活動とも一切遠のいている。むろんそうではないが、厭人・嫌人癖かのように人と顔を合わす機会をもたず・求めずに暮らしている。プライベートにも、あまりにあまりに人と会っていない。
隅田川の橋も一人で渡る、タマに妻と渡る。
せいぜい劇場や能楽堂でやあやあと知人に声を掛け合う程度で、高麗屋の藤間さんが、われわれ夫婦とも、心はずんで立ち話をかわしている唯一ペンの同僚会員である。

* それでも、「湖の本」をお送りしてきた各界人・教育機関・遠い近い知人そして読者が、わたしには有る。十分ではないか。
もし、わたし自身の「劇場」と謂うなら、それは「湖の本」と、「闇に言い置く 私語の刻」を日録としたホームページ、そして「mixi」のほかに絶えて無い。ここへ飛んでくる黒い針なら、わたしは黙って受ける。時に反応するが、ほとんどは黙って避けるだけ。
このところ、わたしからのメールを受け取る人はめったにいないはず。
人生の幕を引こうというのでは、ない。来るメールは感謝して受け、返信は日録のうえですることも返信することもある。しかし自然間遠に去る人を追いはしない。歳々年々人不同とは、人生の教訓。
今朝の新聞に岡井隆氏が当時七十歳歌人の歌を挙げていた。

わけの分らぬ言(こと)を時々放つのみ
よき人さかしき人にまじりて    土屋文明

二行に分けたが、こう読まれるのが普通だろう、だが、ふと、こうもわたしは読み取った。

わけの分らぬ言(こと)を時々放つのみ よき人(は)。
さかしき人にまじりて    土屋文明

ともあれ、「わけの分らぬ言」にこそ「真実がある」と文明は「言い放った」という岡井さんの読みに、喜びと励ましとを覚える。まちがっても、「さかしき人」に近づきたくない。

☆ 御礼   作家
秦先生   *****です。
その後お変りなくご健筆を振るわれておられるご様子、
お慶び申し上げます。
この度は「湖の本103」をご恵贈くださいまして誠に有難うございました。心よりお礼申し上げます。
先生が私小説の新たな試みを始められたことに驚きと喜びを感じ、まだ**歳になったくらいでへたばっていてはいけないな、
と反省いたしました。
先日、歴史・時代作家の集まりに顔を出したのですが、
60歳を越える皆さんが年間15冊出した、20冊書いた、と話されているのを横で聞き、
大いに刺激になったところに、先生の「湖の本」を賜り、これは天がもっと書け、と私に命じているのだな、 と勝手に思うことにいたしました。
出版界は日に日に私の知っている世界ではないものに変容していますが、
書きたいものがあり、書き続ける限り、作家として生きていけると信じております。
今後とも宜しく、ご指導と、ご鞭撻のほど、お願いいたします。
お礼のみにて失礼いたします。 拝

* ただ、おどろく、ばかり。

* ありがとうございました。
本の発送など、終えました。
お変わりなくご機嫌よくお過ごしのこととお慶び申します。
頂戴した 翡翠のように照ったマスカットも、すばらしく熟して美味しい限りを戴きました。
いつもながらのお心入れに感謝申し上げます。
今度の本もまた、私事のパンドラの箱をぶちまけてしまい、ガクリと気落ちして居ます。
首にも背にものいたことのない巌のような硬い重いものを七十余年背負うてきましたが、我が事に有らずと思いつつ、重いモノは重いなあと苦笑いが唇に凍り付きます。
さ、参議院選挙はどうでしょうか、心ゆく結果が生まれればいいがと願っています。どうぞ日々お大切に。 秦 恒平
2010 6・20 105

* 横浜市在住の、太田俊子さんから例年の涼しい水菓子とカステラを頂戴した。わたしより二つ三つお歳かさの、大学の先輩。お目に掛かったことが無く、しかしもう四半世紀、ずうっと愛読して下さり、いろいろ他にも下さる。びっくりする端的な貴金属を頂戴したことも二度三度でない。氣の支えのお一人。感謝。
そして栃木からは、メロンを戴く。

* なかなか御礼状が書けない。妻に代筆を頼むにも、実は妻もわたしと同じ不愉快仕事の資料点検や反証や記録に根限り協力してくれていて。さぞ、つかれるだろう、ときにはわたしの癇癪玉も浴びる。
2010 6・20 105

☆  御礼   莉
湖の本103巻、頂戴致しました。
ありがとうございます。
日付が変わってしまいましたが、父の日でした。お身体を大切になさって、おじい様の元気なお顔をこれからも見せて下さいませ。
先日、やっと『暗夜行路』を読み終わりました。
私にとっては重い小説でしたが、最後には清々しさを感じました。
最後の、謙作が山で自然と一体となる場面は、私も一緒に何か壁を乗り越えたという印象を受けました。
謙作がそのまま溶けて消えてしまうのではないかと思いましたが、彼の心の中にあった冷えた部分が消えていく感じは温かかったです。
この場面はすんなりと心で理解でき、謙作のこれまでの葛藤を私も少し感じることができました。それまでは謙作の行動を理解するのは難しかったのですが、この場面は謙作の心に少し近づけました。ここが一番好きなところであり、共感できたところです。

おじい様、また大きなことが目前に迫ってまいりましたね。
法の力で裁くということが、私には未だに納得できません。
おじい様はありのままの姿で、やす香ママの前に立って下さい。
永遠に、おじい様はやす香の愛する優しいおじいやんです。
だから、まっすぐ立っていて下さい。
私はいつもおじい様の後姿を見つめています。
私も、おじい様おばあ様が大好きです。
体調のお悪い時に、おばあ様にお背中さすっていただいて、一番の治療薬ですね。
いくらおばあ様の優しい魔法の手がおありでも、お疲れになったらご無理をなさらず、ゆっくりお身体休めて下さいませ。

☆ 湖の本
ご連絡遅れましたが無事届いています。本日振込も済ませました。ご体調不良の中、大変重たい一冊を発行なさいましたこと、しっかり受け止めています。
少しずつ読み進めています。まだ半分ほどですが、随筆の一篇一篇が小説の一章のように読めて、純度の高い私小説を味わっています。以前にみづうみが、エッセイは小説の中で使えるように書くと書いていらしたことを思い出しました。これは今まで私の考えたこともないことでしたから、非常に印象に残っていました。随筆として書かれたものが小説に組み入れられてしぜんであり必然であるように感じられるのは、みづうみのこのようなエッセイの書き方によるものかと思います。

巻頭の「島に立つ夢」を読みまして、畜生塚にこの文章を読んだおぼえがないと首をひねっていました。削った部分と知り、驚きました。わたくしでしたら、これほど素晴らしく書けたものは到底棄てられません。削れません。みづうみの才能の豊饒には恐れ入ります。比較にはなりませんが、凡女の自分の書くものは八割削ってもまだ削り足りないと肝に銘じました。
このみづうみにしか書けない不思議な創作を読みながら、なぜこのひとはこんなにさびしいのだろう、かなしいのだろうと心が痛くなるのをなんとか奮い立たせて、読み終えたいと存じます。

弁護士さんとの打ち合わせはお疲れになったことでしょう。創作者の人生は途方もない道でお辛いでしょうけれど、レンブラントやマーラーの惨憺たる生涯を考えますと、まだまだ真実イヤになってよい段階には至っておられない。裁判の一つや二つ、作家の勲章のようなものでは。
小説のお仕事、どうか思いのままに完成されますよう切にお祈りし続けてまいります。

編集作業は、二〇〇六年の七月(=この二十七日にやす香十九歳の癌死)です。読んでいるだけでダメージが強くてやりきれません。今のみづうみのお苦しみもここから始まりました。みづうみの人生の色も、わたくしの人生の色までもすっかり変わってしまいました。

お元気ですか、みづうみ。どうかお元気でいらしてください。
今年の夏はあまり暑さ厳しくないことを願っています。  紫陽花
2010 6・21 105

☆ 冠省 御本拝受
小生も新聞や雑誌に書いたエッセイはかなりあるのですが、こういう形で自分の生き方を書きおくという稀有のスタイルには思い及びませんでした 全く敬服します。
変な陽気、健康にはどうかご留意を。  先輩作家

☆ 湖の本103 誠に有難うございました。
「序」と「私語の刻」をまず拝読致しました。
七十半ばで「実の母」に「ついにつき当った」という御言葉には、私には想像のつかぬ世界がここに展開されていることを感じ取り、異様な感銘を覚えております。又、「辞世にもちかい思い」のこめられた色紙に書かれた(母の=)歌の「羽音ゆるく肩によらなむ」の実に独自の表現の深さにも心打たれました。
これはじっくりと拝読致さねばなりませんが、取り急ぎの御礼まで一筆啓上致しました。
私は四月*日生まれですから、一足お先に「後期高齢者」なるものにさせられましたが、どうぞ呉々も御体調にご留意され、さらなる御健筆をお祈り致して止みません。 不一   文藝誌元編集長

☆ 紫陽花が美しく咲きはじめました。
今回の『私──随筆で書いた私小説』は、事実にもとづいた手紙などの資料をとりまとめ、一般の『私小説』とは違った味があり、ぐいぐいと読ませる作品ですね。
以前に、仲間の勉強会で、皆で秦様の歌集『少年』を読みました。京都風の詠みぶりで、若々しい感性に心惹かれました。あの作品の奥には、こうした背景があったのだと、あらためて思いました。そして秦様が何故歌人ではなく小説家になられたのかも納得いたしました。どうぞ今後もお元気で、御母堂様と「心の会話」をなさって下さいませ。   ペン会員 歌人

☆ 湖の本103 拝受致しました。
実のご尊父、ご母堂への古希を過ぎてからの深いご関心に 改めて秦様の作家「魂」を感じました。自分がどこから来て、どこへ行くのか、人生の出発点が謎に包まれていたというご境遇が、運命的に秦様を作家へと導いたのだと、いささか平凡な感想ですが、改めて強く感じた次第です。これからのご活躍が愉しみです。草々   批評家

* こういう嬉しいお便りも舞い込み、力づけられている。感謝します。

☆ 突然のメールで失礼いたします。
もう10年くらい前から、インターネットで検索していて偶々知った『湖の本』の中から、惹かれる時代、奈良、平安時代を描いた先生の作品を幾つかプリントアウトして拝読させていただいていました。自分が探し求めてきた時代と不思議に重なり合う、秦先生の作品にときめいたものです。
例えば、紫式部の時代と後白河法皇の時代との不思議なつながりなど・・・先生の世界に浸った余韻も頂いて、
一昨年は未熟ながら紫式部の又従姉妹で、花山天皇の伊勢斎宮に卜定されなが廃斎宮となった姫宮(済子女王)のことを書き上げ上梓しました。
それ以来、気が抜けて、読書らしい読書もせず、またせいぜい短い随筆を書くぐらいでしたのに、ふと、『湖の本』が浮かび、『女文化の終焉』をまた読み返したくなりました。
今度は自宅でプリントアウトしたものでなく、製本されたものをゆっくり読みたいと思います。
その外、「秘色」「閨秀」「加賀少納言」「みごもりの湖」なども入手可能でしょうか。誌代は今も変わらないのでしょうか。 また今後出される『湖の本』『湖の本エッセー』の定期読者になるためにはどうしたらよろしいのでしょうか。
アドレスがこれしか解らなかったので、こちらにお尋ねさせていただきました。  尾張の人

* 「湖の本」既刊の全て、現在、在庫。ご自由にご注文下さい。すぐ揃えてお届け出来ます。継続して定期の配本を予約する・希望すると仰って頂くだけで、出版のつど、きちんとお届けしています。送り先ご住所と電話番号、可能ならメールアドレスもお教え下さいますよう。この方も、住所・電話番号をメールで同時に戴いている。

☆ お疲れ様   泉
鬱陶しい毎日です。
寝込まないけれど少々歪んだ人の世話をしたり、孫や子供達の訪問を受けたりと、多忙に過ごしています。
周りには目標にしたいほど溌溂とした年上の友人が何人かいます。
昨年亡くなったと聞いた若い頃に大の仲良しだった友人の若い姿とか、末期の父が、しきりに脳裏をよぎります。この鬱陶しい天候のせいでしょう。
お大事にお過ごしあれ!

* 曲がりなりにも、ゆらゆらと歩いて隅田川の日盛りの橋を渡ってくるぐらいだ、元気で有り難いと思わねばならぬ。
2010 6・22 105

* 『私』について、梅原猛さん、ご自身にふれて率直に述懐されながら、「深い共感をもって読みたいと思います」と自筆のハガキを頂戴した。

☆ 「湖の本」103有り難く拝受。
この度の編集はおもしろい巧みなものに思はれました。私は文学部に進み、同人雑誌などもやつたのに、小説を書かねばと思ふといつも、お前のやうな凡な境遇の者には小説は書けんのだ、といふ声が聞えて来ました。丹羽(文雄)さんとか高見(順)さんのことがアタマに浮んで来るのです。今度の「湖の本」を拝見すると小説家にならざるを得ぬ御境遇に思へて来ますが、私が同じやうな境遇なら、ちがつた言訳を考へ出すにちがひないでせうが。 不一   文藝誌元編集長 作家

☆ 湖の本103
『私  随筆で書いた私小説』感銘を受けました。
なるべくして作家になられた方と改めて納得しています。
これからもご健筆をと祈念いたします。(湖の本代金とともに。)   文藝出版部元部長

☆ 『私  随筆で書いた私小説』拝受。
先の『凶器』同様 いっきに読ませて頂きました。数奇なる出生、人生を、小説・文学として昇華されている。このエネルギー・執念に感嘆・敬服致しております。本当に有難うございました。ご自愛下さい。  ペン会員 作家

☆ 『私』拝受

先生のお作の「うら」が、「おもて」と重ねて提示され、その覚悟の徹底に文藝の女神も、そして読者識者諸氏もあらためて打たれることでしょう。美事なる徹底!   ペン会員 大学教授
2010 6・23 105

* 中信の専務理事になっている平林さんから電話をもらった。
ごく親しい先生が、四月頃に亡くなられていたと教えられた。堅く秘して、すべてもう済まされていたらしい。湖の本へお返事まで戴いていたのも、ご家族の「はからい」であったのだ。合掌。
馬場一雄先生のご逝去も、ずうっと後日にお知らせ頂いた。最初の上司だった畔上知時さんの亡くなられていたのも、やはりずうっと後日におしらせが有った。
わたしよりもみなよほどご高齢だった。寂しいが、心を騒がせないようにしている。
美術文化賞の関係でも、選者であった清水九兵衛さんらお三人が亡くなられている。そもそもこの仕事へわたしを引っ張り出して下さった方のお二人が亡くなっている。
2010 6・24 105

* 御礼を申し届けぬうち、桜桃を戴き尽くした。あまり嬉しくてなまなかの礼譲では気の澄まぬまま日を経ていたが。栃木のメロンもじつに美味かった。
今日は、幾つかの支払いなどを郵便局で済ませたい。
2010 6・25 105

☆ 天候不順ご自愛くださいませ。   大学教授
全巻読み終え、身の引きしまる思いがいたしました。私の中の私小説観に強くかかわる一書と存じます。ありがとうございました。心から御禮申しあげます。合掌

☆  拝啓 梅雨の候、
秦先生には、ますますご清祥にてご活躍のこととお慶び申し上げます。
このたびは、五月に引き続いて本校に御著書「湖(うみ)の本エッセイ」 ニ冊をご寄贈賜り、厚くお礼申し上げます。
最新刊の『私──随筆で書いた私小説』は先生のお人柄や歩まれた道を伝える内容で、大変興味深く拝見いたしました。
寄贈いただいた御本は、国語科担当教員が活用させていただき、さらに読書好きの多くの生徒たちのために、今後は本校図書館の蔵書として大切に保管いたします。いつも温かいお心遣いをいただき、深く感謝申し上げます。
なお、今後とも本校の教育活動に、格段のご支援、ご協力をくださいますようお願い申し上げますとともに、先生のご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げ、お礼のご挨拶といたします。   敬白
六月二十四日
**県立**高等学校     校長先生

☆ 103巻とは。すごいですね。  作家

☆ 「私」小説の中でも 秦先生の御幼少の頃の鮮明な御記憶を興味深く拝読しております。  文学館学藝員
2010 6・25 105

* 真新しく「湖の本」の継続読者になって、まず十二冊を一度に注文して下さった人のいち早い感想が届いたのも、作者として、とても嬉しい。

☆ 秘色
秦先生、サッカーのことはすっかり忘れ『秘色』拝読。
幻想の世界にさ迷いました。
昨秋、紅葉にはまだ早い頃、続けて2度、琵琶湖を訪れる機会がありました。近江神宮は初めて。義仲寺、堅田、夕日に包まれた浮御堂では「鳰の海」の名の如く、水面一杯の群れ鳥・・・
入り日をみつめながら改めて、琵琶湖は藤原仲麻呂、木曽義仲の最期の地だと感慨深いものがありました。
義仲の最期は「木曽」「木曽」と呼び捨てにしていた『平家』の語り部が「木曽殿」と呼ぶ。義仲寺では、持参した『平家』の「木曽最期」の部分を、人気のないのを幸い、墓前で声に出して読み、供香に替えました。
『秘色』を読み終えてそんなことまで思い出しました。
堅田が、あの「紫の匂へる妹」「茜さす紫野行き標野行き」の歌の生まれた蒲生野なのでしょうか。
先生の作品は、私の中で、混沌としたまま、無限の広がりを続けていくようです。
中大兄、大海人、どちらもとても気になる存在。
『秘色』で十市皇女の印象もかわりました。何か玉の冷たい美しさを想像していたのですが。そうですね。彼女は、両親の血を受けて、母・額田以上に巫女的な資質があったかもしれない。
高市と十市。穂積と但馬。大伯と大津。
天武天皇の子供達は、同母・異母ながら恋愛感情が交錯する。
乾涸らびていた感性が、ゆるゆると潤いを取り戻していけるような・・・・ 野宮

* 燦爛とした乱反射の世界と批評したベテランの読み手のいた『秘色』、井上靖の『額田姫王』よりいいですよ、自信を持ってと筑摩でない他社の担当編集者が褒めてくれた『秘色』、秦さん「秘色」は名作よと励ましてくれた歌人の馬場あき子。これが事実上の太宰賞受賞後第一作であった。創作の中へ引くときは母なる「湖国」と題を呼び替えていた。わたしの初期作風を決定した。
2010 6・25 105

☆ 秦先生   讃岐
湖の本、ありがとうございました。
通勤鞄の中に入れるのにちょうどよい装幀ですので お送りいただくと必ずもって歩くのですが 表紙(の繪)に少し困るのがこのところ難儀です。 でも、それほどに時間もかからず拝読いたしました。
早いもので私ももう今年で38になります。 不惑の年が近づいてきていることに先日気がついたのですが 子持ちで下の子らが年が近くてまだ幼いという、ちょっと厳しい育児をしていますと、毎日毎日惑う暇もない、というのが現時点の状況で 惑ったあとに確立する「不惑」など、ほど遠いように感じています。
朝、食事やお弁当、下の子たちの保育園の準備など ほとんど鏡をのぞくこともなく最低限に身なりを整えるとすぐに 子どもを連れて家を出る生活をしているほど 「女」を忘れて生活している私ですが、先日そんな「女」のシャッターを開けようとする人が現れました。

仕事先で会った人なのですが、あまりにもあからさまに 私への好意を言動に表すので、目上の方達もいる現場仕事の中で 本当に対処に困りました。
一人だけ、先方をご存知の先輩にこっそり打ち明けてみると もっと前から気がついていたと言われ 自分自身の女感度がもとから低い上に、さらに鈍っていたことに 改めて気がつきました。
こんなに「女」の欠損していた人間のどこがよくて拾ったのか 向こうの気持ちは到底想像つきません。

すっかり忘れきっていた感覚だったので 日常生活に着地するのに数週間かかりました。
地に足がつかないというのはこういう感覚だった、と 遠い昔の記憶が呼び覚まされたり…。
でも、その後小さな会合へマニキュアをしていく気になったり 何年もしていなかったイヤリングを出してみたり ちょっと艶やかな気持ちになっていたのは否めません。

ここから先は先生にお書きするのは大変失礼にあたるかと 悩んだのですが、地方の一読者のたわごとと思ってお許しください。

40歳前後というこの年齢、先生のお母様がお父様とお会いになられた頃ではないでしょうか。
育児に終われ、生活に追われているこの年齢の女が 自分から恋愛にスイッチを切り替えることはほとんどないような気がいたします。
先生はご両親の間に、いえ、はっきり申し上げればお父様の方に恋愛感情があったのか、という思いがたゆたっていらっしゃるよう
にお見受けしますが この年の女は、向こうからシャッターを開けて来なければ 開かないものなのではないでしょうか。
少なくとも、先に見つめたのはお父様の方では、と この年になり、先日の経験があり、肌で感じられるようになりました。
もちろん、先生はそこから先の深い感情について、お母様の方に思い入れがおありなのだとは思いますが ただ、どちらが先に、ということであればまぎれもなく男性側でしょう、と 読者の私は身をもって思います。 そこから先、流れ出る感情の強さ深さは 人生経験が多いだけに年上の女の方が大きいのかもしれませんが…。

私の場合は向こうが三人子持ちの同世代、 全くそういう関係にはならないと思いますし 私自身は仕事相手以上の感情は持ちようがないのですが それでも、長らく忘れていた回路に一気に電流が流れていく感覚は かなり制御しにくいものでした。
まだ自分が「女」たり得るのだ、という感覚。
普段は会わない遠い人、しかもお互い家庭持ちにも関わらず 着地するのにひと月近くかかりました。
ふゆさん(=新刊での著者生母)の場合、家の中にいてずっと年下、どれだけの感情が波だっていたことか、と思います。
そして唐突に姿を消した幼子二人…。
この件りを拝読するときは、なかなか正視できず なんども途中で本を閉じました。
どれだけ辛く探し求めたでしょう。先生が思い入れ深く書かれていることもあり どうしてもお母様のお話は共鳴してしまいます。いえ、共鳴する年齢になってきました、私も。

そんなこんなを思いながら、先生のご本を拝読しましたことを ご報告したくて「メールにて…」と払込票にお書きしました。
失礼、お許しください。

梅雨空で、ご体調を崩しやすいかと思います。
気ぶっせいな作業もお持ちでしょうが、どうぞお体もお心も おいたわりください。
我が家の裁判沙汰もまだ続いております。
能力のない人には何を言っても何をしてもとうてい伝わらないのだ という無力感と、そこに気を持っていかないということでしかこちらは心を守れない、という諦めを、親世代ももち始めているようです。もう2年になります。
ただ、我が家の場合は、相手を憎んでも捨て去っても惜しくない関係であるという部分だけが 最後には救われるところかもしれません。
お辛さ、お察しいたします。
先生もどうぞどうぞ、お大切になさって下さいませ。  讃岐女

栗の花や 強き視線に酔ひし夜は 着地せむとて手を伸べてゐる
黒から白 白から黒にかわりゐて髪ひとすじほどのわが女かな

* 久しく、うろとした耳聞きから、生母と実父の出会ったとき、若い父はまだ彦根高商の書生で、もう寡婦であった母は父より倍ほどの年齢と覚えていたが、当たらずとも遠からずとはいえ、十六歳ほどの年上であった。わたしの生まれた昭和十年の師走に母は四十をわづかに超えていたか。父はもう学生でなく、二人の住まいも彦根から京都へ移っていたが、一年半ほど前に兄を身籠もった頃までは、まだ彦根の母の家に父は下宿していたのかもしれない、京都から彦根へ通っていたのかもしれない。書生時代に母の家に父が下宿していたのはたぶん確かなことであったろう。
父はごく幼くに生母に死なれていた。わたしの生母はおもざしが父の母によく似ていたと漏れ聞いている。「讃岐」さんも察しているように父の「思慕」が母を先ず動かしたのであろう、母の方に青年の思慕を受け容れる素地があったのも確かだと思う。
ただ寡婦の母には、すでに二十歳前後の長女をはじめ息子達が三人いた。長男(わたしには父の違う長兄)は「戸主」であった。末の三兄も、母の産んだわたしの実兄恒彦を背負って「おもり」をしたこともあったと、生前のご本人に聞いている。

* わたしの父は、母との出逢いから別離までを、時に「失敗」と云い、時に「恋」と謂い、驚くことに時には「結婚」と二三度モノに書きつけている。自分は生涯に「二度結婚」したとも書いている。法制度上の結婚は異母妹二人の母と一度だけだ。
だが、いまのところ、仲を裂かれて別離後の母からも、父からも、互いを漫罵する様な一言も観て取れない。そのことに、わたしは、思い和む。
* 「讃岐」の読者の述懐は、身に染みる。歌ふたつ微妙に胸たゆたひ、措辞のゆらぎを超えて佳い「うた」になっている。

☆ 汽車が山道をゆくとき   ゆめ
みづいろの窓によりかかりて 我ひとり楽しきことを思わん… 「フランスにいきたしと思へどもフランスはあまりに遠し」ではじまるこの詩は恒例の一人旅にピッタリの道連れです。
休暇を取って、今函館に向かう特急の中。
何故かとても混んでいて、朝の山手線並み! 一番接続がいいためか、発売一月前にすでに指定券売切れでした!
地元のおじさんいわく「どうしたんだろうね、何かお祭りでもあるの? いつもは空気運んでるような汽車なのにね~」
函館は何回かきたことがあるのですけれど、江差にはまだいったことがないので、明日は早朝の列車で、鰊漁で栄えた古き良き漁港に行ってきます。
秋十一月には朗読グループの集まるフェスティバルを企画しているので、何かと忙しくなりそうです。
湖の本いただきました。ゆっくり、しみじみ読ませて戴きますね。それではまた。

* 昨日の北海道、中標津あたり記録的なむちゃな暑さだったとか。
わたしが中標津にちかい尾岱沼に泊まったのはまさしく今と同じ六月であったが、晩方ともなれば東京の真冬より寒く、戸外へ出たりすれば痺れるほどで、民宿のなかではガンガン火を焚いていた。三十数度の気温などと、耳を疑う。
2010 6・27 105

☆ 慈子
秦先生、こちらは降りみ降らずみの一日。まだ梅雨明けには間があるのに、時折、雷鳴が轟き・・・
すべて放棄して、久しぶりにひたすら小説世界に浸りきっています。
読み終えたばかりで、まとまりもなく、なにか申し上げるのは失礼な気もいたしますが、『慈子』上、今読み終わりました。
雨の名残の中、人気の少ない泉涌寺の凛とした懐かしいたたずまいを想い浮かべつつ。
伽羅の甘く上品な香りというより羅国の、甘みを取り去った深とした高貴な香りが、追風用意のように漂っている作品です・・・
『徒然草』、読み返したくなりました。
『慈子』の原題が『斎王譜』だったとは・・・、私がこの小説にのめり込んでいくのは必然だと勝手に信じ込んでおります。
「有楽流のお茶」、「御家元」が文中に出てきて、先生は「有楽流」の茶道をなさっていらしたのかと。
当地にも有楽流の御家元がいらして、16代家元の織田宗澄先生には偶々、有楽流には無縁ながら知遇を得る機会があり親しくさせて頂きました。(私はごく普通のサラリーマンの妻、慎ましく暮らしておりますが。) 織田先生は残念ながら昨年ご逝去(85歳だったと思います)、今はお嬢様が跡をお継ぎになっていらっしゃいます。有楽流も幾つかに分かれているようで、『慈子』の中の有楽流かさだかではありませんが。織田宗澄先生のご主人先代家元は大学教授、宗澄先生ご自身も絵や刺繍にも造詣の深い方でした。伊藤博文の娘婿で、『源氏物語』を英訳した末松謙澄の孫というようなお話しを伺ったことがありました。
先生がご存命なら、『慈子』のお話しをするときっと喜ばれたのにと残念です。文学や歴史がお好きな先生でいらっしゃいましたから。お元気なときにもっといろいろお話しを伺っておくべきでした。
何かの折に「お稽古事は実力よ。お茶であれお香であれ、だまって、ひたすら稽古を積むのよ。どんなお稽古でもそうなのよ」そうおっしゃったのが印象的でした。
いよいよ『慈子』中、物語は佳境に入りますね。  野宮

* 『慈子(あつこ)』という小説は「齋王譜」の初題で私家版の三冊目にしたときは、数百枚の長編であったが、のちに筑摩から書き下ろし単行本として出したとき、削ぎに削いで270枚、あるいはもっと短くしたかもしれず、この時、改題した。出るとすぐ、吉永小百合さん、桂三枝さんが、べつべつに、ディスクジョッキーのなかで取り上げていたと耳にし、驚いたことがある。出版した最初の筑摩本は『秘色(ひそく)』だったが、ここでついた女性読者が、『慈子』でみな離れてしまい、代わりに熱い男性の固定読者がしっかりついたようだと担当編集者に言われた。ヒロインが女性に妬かれているのではと担当者は笑っていたが、そうでもなくて、結局女性の読者に、難しい難しいと歎かれながら、永く愛された作として落ち着いた。こんどの『私』の中の随筆に「好きな人を置いて通いたい」という高校生の頃のいつわらぬ気持ちを書いた一編がある。その気持ちが『慈子』に結晶したのだった。

☆ こんばんは。   莉
おじい様からメールいただき、嬉しかったです。パソコンの調子が悪く、メールの送受信ができない状態でした。今ちょうど、送受信可能になり、おばあ様のメールも拝見いたしました。おじい様へのメールが送信トレイに入ったまま、送られていませんでした。すみません。
以下の文章は、金曜日に送ったつもりでいたメールです。
『ガブリエル・リュシェのことですが、残念ながら私は知りません。映画を観たことはなく、学校の図書館でその映画について書かれた文章も見つけられませんでした。今日も調べてみたのですが、結果は散々。折角私の分野なのに、全くお役に立てず申し訳ありません。youtubeでシャルル・アズナヴールの “愛のために死す(mourir d’aimer)”を聴いてみました。アズナヴールの歌は若い時より、今の声の方が心にスッと入ってきます。年を重ねるのも悪くないな、と思いました。
明日は、横浜へダライ・ラマの講演を聞きに行きます。』
ダライ・ラマ、行って来ました。
私には、ダライ・ラマも一人の人なんだと感じました。
人に優しくするには、子供の時に母の愛が必要で、それを受けられなかった人は、少しずつの鍛錬が必要だと言っていました。
ダライ・ラマは選ばれた子供なので、自分自身もその愛を受けられなかったのではないかと思います。
どのように乗り越えられたのだろう、と思いました。ご本人は、とても淡々としたユーモアのある方でした。
おばあ様からもメールをいただき、二倍に嬉しかったです!
歌舞伎!是非ご一緒させて下さい。
7月の後半はもう夏休みで、学校はありません。

* わたしの単調に陥りがちな暮らしの窓を、いろいろに叩いてくれる人がある。それもまたわたしの日々であり、想いの反射・乱反射なのであり、決して無縁でない。疲労して転げ落ちそうなわたしを、ふと、和ませて下さる。
2010 6・27 105

☆ 感謝多謝    慧
山形は今、さくらんぼの最盛期に突入しており、私も毎日果樹園に繰り出して、さくらんぼの葉摘みに精を出しております。
炎天下のビニールハウス内での作業は事のほか堪(こた)え、家事育児に差支えがきている状況なのですが、寝る前にお送りいただいた湖の本に目を通すことを楽しみに、どうにかこうにか乗り切っております。
興味深い本をお送りくださり、ありがとうございます。
今日もこれから小学校で絵本の読み聞かせボランティアをした後、農作業です。
近々、いいところをみつくろって初夏の山形の味を送ります。
日毎暑さに向かいますが何卒ご自愛くださいませ。
私も、自身の心より体に耳を傾けて、頑張ります!

☆ 湖の本で、    孝  編集者
「私」へさかのぼる旅をはじめられたのかと思いました。
それぞれの人の立場にたって読みました。
中でも「母上」の時代とのかかわりを、女性史を学ぶものとして、痛み多く読ませていただきました。事の是否とは別のことですが。
2010 6・28 105

☆ 『私』 読み終えました。   青天

読み終えて言葉を失う、そういう月並みな言い方は申し訳ないのですが、そうとしか表現出来ない読書でした。
みづうみの読者ならおなじみでもある、前半の美しい随筆文藝の部分と、後半「母の敗戦 養子縁組始末」に明かされる過去。とても乱暴な言い方をしてしまえば、花と泥という二つの世界の極端な落差に何度深い吐息のもれたことか。
作者の本意ではないかもしれませんが、「母の敗戦」の中で語られるふゆ(=生母)の数々の手紙から垣間見える人生の凄まじさに愕然とし、本来味わうべき秦恒平の随筆文藝の魅力が吹っ飛んでしまうような印象なのでした。読み終えて、苛烈に闘いぬいた女の一生のノンフィクションのような読後感なのです。みづうみのような表現力がないのでこの部分を「泥」と書いてしまいましたが、「泥」とは、みづうみが今まであえて題材としてこなかったご両親にまつわる「現実のドロドロの人間関係」の意味で、私はそこに異様な感動、強烈な印象を受けたと申し上げます。
一日経ってなんとか少し頭を冷やしてみますと、この作品ほど少年恒平がどのように作家秦恒平になったかを証明するものはないということに思い至りました。「基点 私の原戸籍」に始まり「母の敗戦 養子縁組始末」まで見事な「私」を告白した小説であるなあと。
つまり「はかないことを夢む」ことなしに生き続けられなかった、文藝という繪空事の真実に生きざるを得ない秦恒平という一人の作家の誕生の理由、動機が、これほど明らかに描かれた作品はないからです。

> 親にはなれて育つよりなかった私の精一杯の生きのよすがは、繪空事こそ真実と思いきめ、血も肉もつながっていない他人への心へ愛という無意味な墓標をうちこみつづけることだった。

> 夢のまた夢で人間の生涯が果ててゆくのなら、すすんで夢の中に美しいもの、願わしいものをはかなく夢むのがいいのではないか。

このような作家の世界観は、冒頭に掲げられた異様な原戸籍を「世間」から与えられた時点で宿命づけられました。
酷い戸籍でした。その家に生まれてはいけなかった子どもである烙印を押すようなものです。家の戸籍に入れない、家族の一員にはしない、断固はじき出すというのは、悪しき「家」制度としかいいようがなく、生まれた子どもにはなんの責任もないこと。
子の幸福を一顧だにしないこんな仕打ちは人として到底許されるものではなく、この非道を認めた戦前の戸籍制度を心底憎みます。
(脱線しますが──そもそも戸籍は必要なものでしょうか。フランスには、日本の戸籍のようなものはありません。家制度に立脚した登録簿ではなく、個人を単位とする登録(身分(エタ・)証書(シヴイル))があり、個々がそれぞれ独立した身分証書を持つため、家系および家族構成の全体を把握することはできないようです。親子関係や家族関係は、原則的に個々人の問題としてとらえられていて、○○家に入る入らないなど問題にならないのですから、もしみづうみがフランスに出生していたら、こんな所業はあり得ないことでした。)

「母の敗戦」に描かれたお母上の孤軍奮闘と無惨でもある結果の数々は、一人の作家の原点でした。大人たちの、「世間」の、良識という偽善にもがき苦しみ押しつぶされ泥底に沈められたご両親を根としたからこそ、それは猛愛の根であったからこそ、秦恒平の作品の数々はまさに天上の蓮の花のように美しく咲いたことがよくわかるのです。
ご自身の特異な出生事情から距離をおき、無関心を保つことで育まれたようにみえていた作品は、じつはふゆという女性の命がけの何か(単純に恋愛などとは呼びたくありません)を何よりの豊かな土壌として生まれたのでした。『私──随筆で書いた私小説』は、この真実が初めて作家自身によってあかされたという意味でも、貴重な作品です。

考えれば考えるほど、文学者として繪空事の真実でバランスしなければ、到底生き延びることが出来ないほど傷深い境涯は涙を禁じえません。しかし、繪空事の真実で、身内への渇望で、天涯孤独の中をしたたかに幸せに生き延びることに成功したのですから、この恒平少年は、虐待を生き延びた人間の尊称である「サバイバー」ともいうべき、大した、凄い人間であったというほかありません。
再読する時は、後半の「母の敗戦」を先に読み、後に随筆で書いた私小説部分を読みたいと思っています。そのほうが私の読み方が際立つように思えて。

みづうみは「書く」ことによって、秦の義理あるお三人にも、実のご両親にも、これ以上ないかたちで孝行なさったと思うのはわたくしだけではございませんでしょう。

お元気ですか、みづうみ。もうじき七月ですね。
あれから四度目の夏です。みづうみはよくぞ生き延びてくださいました。あの夏を。
どうぞこの夏の法廷も駆け抜けて生き延びてくださいますように。   青天

* 「「書く」ことによって、秦の義理あるお三人にも、実のご両親にも、これ以上ないかたちで孝行なさったと思うのはわたくしだけではございませんでしょう。」と読んで、ほろりと泣いた。感謝。
2010 6・28 105

☆ 「湖の本」第103号を
御恵送下さいまして、有難う存じます。「随筆で書く私小説」  なるほど、こんなにも入り組んだ事柄は、小説になど、とてもとても。小説を何十篇も書かなくては追いつかない、と感じます。随筆を沢山お書きになり、それをまとめられて、今こそ、こういうスタイルで(湖の本を=)刊行しつづけた事も良かったと思っていらっしゃるのではないでしょうか。沢山の記録が残っていたということが、実に珍しい事、いつかは、世に出る、と定まっていたように思います。御礼のみにて。かしこ。  文藝誌元編集者

* こういう編集者に育てて貰ってきた。不充分な間に合わせの作であるが、こうも読んで頂けて、やはり新人の頃のように嬉しい。

* 結婚して十年、元気に男の児を出産した東工大卒業生の、感激と歓喜の可愛い、美しい写真入りハガキが届いた。
おめでとう!! どんなに嬉しいだろう! よかった、よかった。教室で三年も四年もつきあった。教授のわたしも男子の学生諸君も光る北斗七星のように「星」と呼んでいた。その「星」に八つ目の新星が誕生した。おめでとう。親子三人とも、どうぞお元気で。

☆ 慈子、閨秀、絵巻
秦先生、 『慈子』下、『閨秀』、『絵巻』読み終えました。
慈子を読み終え、少し時間を置くべきかしら、とも思ったのですが、心が急いて、急いて、読み続けました。
『慈子』の終り方の唐突さに、あまりにも『慈子』が可哀相です。いずれはそうなるとも思うのですが、あの美しく生まれ、美しく育った慈子・・・美しく齢を重ねるでしょうが、あまりにも可哀相。 この後、二人はどうなったのか・・・
『閨秀』、華麗なる上村松園の世界。先生が「作品の後に」に書いていらっしゃるように、これはまさに秦恒平の「松園論」というか、美術論が優れた小説になったという感じで読みました。 上村松園という美貌の画家の、艶やかな話を切り捨てた、画伯・上村松園の美術史・作家論が、絢爛たる世界で語られて目が覚める思いでした。
何よりも、面白く拝読したのが『絵巻』です。自分自身が、かつて同人誌に偃息図『小柴垣草子』を題材に作品を書いたことがあったので、まさに自分の興味のある時代、人々が登場するので、途中で休むこともできず読み通しました。小柴垣草子の制作者は後白河法皇であるという伝説を素に書いた作品です。それを書きながら後白河法皇が絵画や絵巻物に非常に関心を寄せていたのは、母・待賢門院や曾祖父・白河法皇の影響ではなかったかと、思ったものです。
白河法皇は自分を光源氏に擬え、璋子をある時は若紫に、またある時は藤壷に、そして崇徳を冷泉帝に擬えて、崇徳即位を強行した自分の行為を正当化する準拠が『源氏物語』だったのではなかったか。だから待賢門院・白河法皇という強大なパトロンの許、『源氏物語絵巻』が制作されたのではないかと思って、書きました。
『絵巻』の、『源氏物語絵巻』誕生の過程にはどきどきし、世に言う白河法皇と待賢門院璋子との関係とは全く別な解釈がなされ、璋子に対する先生の思いやりの深さに感じ入りました。
「醜聞にまみれた歴史的な美女を清々しく掬いあげたいとう愛があった。松園に対しても、それが、あった。そういう甘さが、私は嫌いではない」とおっしゃるとおり、読者も「そういう甘さ」に救われ、感動いたします。
感謝、そして潤いをありがとうございました。  野宮

* これらの作から、わたしは、四十一年の作家生活を歩みつづけて、いま、『私──随筆で書いた私小説』を世に問うている。
わたしのレイタースクールは歴然としている。譬えるのはおおけなく厚かましいが、「雨月物語」から「春雨物語」へ歩んできた。歩もうとして歩んだとは云うまい。作家としての運命が歩ませた。その意味でも必然をわたしは背負ってきた。
2010 6・29 105

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